約 164,468 件
https://w.atwiki.jp/mmmmnnnn/pages/18.html
ソマレさん作の近代三国志です。 プロローグ 第一話 第二話 第三話 第四話 第五話 第六話 第七話 第八話 第九話 第十話 第十一話 第十二話 第十三話 第十四話 第十五話 第十六話 第十七話 第十八話 第十九話 第二十話 第二十一話 第二十二話 第二十三話 第二十四話 第二十五話 第二十六話 第二十七話 第二十八話 第二十九話 第三十話 第三十一話 第三十二話 第三十三話 第三十四話 第三十五話 第三十六話 第三十七話 第三十八話 第三十九話 第四十話 第四十一話 第四十二話 第四十三話 第四十四話 第四十五話 第四十六話 第四十七話 第四十七話 第四十八話 第四十九話 第五十話 第五十一話 第五十二話 第五十三話 第五十四話 第五十五話 第五十六話 第五十七話 第五十八話 第五十九話 第六十話 第六十一話 第六十二話 第六十三話 第六十四話 第六十五話 第六十六話 第六十七話 第六十八話 第六十九話 第七十話 第七十一話 第七十二話 第七十三話 第七十四話 第七十五話 第七十六話 第七十七話 第七十八話 第七十九話 第八十話 第八十一話 第八十二話 第八十三話 第八十四話 第八十五話 第八十六話 第八十七話 第八十八話 第八十九話 第九十話 第九十一話 第九十二話 第九十三話 第九十四話 第九十五話 第九十六話 第九十七話 第九十八話 第九十九話 第百話 第百一話 第百二話 第百三話 第百四話 第百五話 第百六話 第百七話 外伝 曹操、若かりし日々(ゲストライター み氏) 夢のまた夢
https://w.atwiki.jp/retrogamewiki/pages/11113.html
今日 - 合計 - 北方謙三 三国志の攻略ページ 目次 基本情報 [部分編集] ストーリー [部分編集] 攻略情報 [部分編集] Tips [部分編集] プチ情報 [部分編集] 関連動画 [部分編集] 参考文献、参考サイト [部分編集] 感想・レビュー 基本情報 [部分編集] ストーリー [部分編集] 攻略情報 [部分編集] Tips [部分編集] プチ情報 [部分編集] 関連動画 [部分編集] 参考文献、参考サイト [部分編集] 感想・レビュー 名前 コメント 選択肢 投票 役に立った (0) 2012年10月12日 (金) 11時24分57秒 [部分編集] ページごとのメニューの編集はこちらの部分編集から行ってください [部分編集] 編集に関して
https://w.atwiki.jp/seikouudoku/pages/37.html
三国志 (吉川英治) 序 三国志 (吉川英治) 第一巻 桃園の巻 三国志 (吉川英治) 第ニ巻 群星の巻 三国志 (吉川英治) 第三巻 草莽の巻 三国志 (吉川英治) 第四巻 臣道の巻 三国志 (吉川英治) 第五巻 孔明の巻 三国志 (吉川英治) 第六巻 赤壁の巻 三国志 (吉川英治) 第七巻 望蜀の巻 三国志 (吉川英治) 第八巻 図南の巻 三国志 (吉川英治) 第九巻 出師の巻 三国志 (吉川英治) 第十巻 五丈原の巻 三国志 (吉川英治) 篇外余録
https://w.atwiki.jp/qma5kentei/pages/163.html
Q 次の蜀の武将と劉備が「漢中王」を名乗った後に任命された官位の正しい組み合わせ A 張飛→右将軍 関羽→前将軍 黄忠→後将軍 馬超→左将軍 Q 次の中国・三国時代に成立した魏の曹氏一族と、その諡号の正しい組み合わせを選びなさい A 曹操→武帝 曹丕→文帝 曹叡→明帝 曹奐→元帝 Q 次のゲーム「三国志大戦」シリーズに登場する女性キャラとその夫の正しい組み合わせ A 祝融夫人→孟獲 夏侯月姫→張飛 小喬 →周瑜 張春華 →司馬懿 Q 次の「三国志演義」に登場する武将と、その字の正しい組み合わせを選びなさい A 夏侯淵→妙才 夏侯玄→太初 夏侯尚→伯仁 Q 次の「三国志演義」の登場人物とその字の正しい組み合わせを選びなさい A 袁紹→本初 袁尚→顕甫 袁煕→顕奕 Q 次の「三国志演義」に登場する武将と、その字の正しい組み合わせを選びなさい A 司馬炎→安世 司馬朗→伯達 司馬孚→叔達 Q 次の「三国志演義」の登場人物とその字の正しい組み合わせを選びなさい A 孫権 →仲謀 周瑜 →公瑾 太史慈→子義 Q 次の「三国志演義」で有名な戦いと、それに関連が深い文章の正しい組み合わせを選びなさい A 赤壁の戦い→苦肉の計にかかり魏軍敗北 街亭の戦い→泣いて馬謖を斬る 官渡の戦い→曹操が袁紹軍に勝利
https://w.atwiki.jp/si1215017eta/pages/7.html
三国志人物評 魏・・・曹猛徳が築いた覇の帝国。人材コレクターのもとに集まった優秀な人材を紹介させていただきます。 魏 呉・・・演技では後半、諸葛孔明の北伐の為に影薄いですが曹操や劉備率いる大群を優れた都督によって打ち負かしてきました。そんな屈強の国を紹介します。 呉 蜀・・・常に放浪・撤退戦など何度もピンチに侵されてきた国。しかし、そんながけっぷちの国を支えた人物を紹介します。 蜀 トップページ
https://w.atwiki.jp/mekameka/pages/2455.html
三国志II 覇王の大陸 メーカー ナムコ 発売日 1992年6月10日 対応機種 FC 三国志を舞台とした歴史シミュレーション 三国志 中原の覇者の続編 収録 ナムコアンソロジー1 続編 中原の覇者 -三国将星伝- さ行 ナムコアンソロジー1 ナムコミュージアム ファミコンゲーム 三国志 中原の覇者 中原の覇者 -三国将星伝- PR 三国志2覇王の大陸必勝攻略本 (ファミリーコンピュータ完璧攻略シリーズ 110)
https://w.atwiki.jp/gcmatome/pages/3403.html
三国志 中原の覇者 【さんごくし ちゅうげんのはしゃ】 ジャンル 戦略級SLG 対応機種 ファミリーコンピュータ メディア 2Mbit+64kRAMROMカートリッジ 発売元 ナムコ 開発元 トーセ 発売日 1988年7月29日 定価 6,900円(税抜) 判定 良作 ナムコ三国志シリーズ三国志 中原の覇者 / 三国志II 覇王の大陸 概要 特徴 評価点 問題点 総評 続編 概要 ナムコ版三国志。略称「ナム三」。 プレイヤーは6人の君主の中から一人を選んで中国大陸を統一するため戦う。時代設定は西暦200年であるが、ゲームバランスの関係から史実より拡大されている勢力もある。 ファミコン含むコンシューマ機初の三国志ゲーム。光栄(現、コーエーテクモゲームス)のファミコン版『三國志』は本作より遅れること3か月後の10月30日発売。 特徴 まず君主の選択は「英雄タイプ別性格診断」で行うことになり、それによりプレイする君主が決定する。ランダム要素はないため、毎回同じ回答をしていけば必ず同じ英雄になる。 三国志ゲームとしては光栄に先んじて「武将同士の一騎打ち」を取り入れ、口パクやアニメーションを用いた活き活きとした画面演出も魅力。 月のコマンド実行回数(命令書数)は所有する国の数により変化する「命令書」で決まる。このシステムも光栄の『三國志』に8年先んじていた(*1)。 また能力値を成長させられるシステムを導入している。当時の光栄作品よりも上昇が高く比較的簡単に「計略で敵をワナに嵌める張飛(*2)」「自ら前線で敵をバリバリに切り伏せる孔明先生(*3)」のような演義イメージぶち壊しの武将も作れる。 「武将の教育」は特に有能な武将の少ない勢力では必須。知力は都市の「学問所」で上げられるが、武力は「武器屋」で武器を買い武将に与えなければならず、命令書2枚分の手間がかかる。 とはいえこのシステムにより武将の格差をある程度軽減できるのは大きく、当時としては画期的なシステムであった。 戦争はマップ上に部隊を配置して移動させる所までは光栄の三国志に似ているが、部隊同士が攻撃すると専用の戦闘シーンへ移行する。 ここでは武将や歩兵、騎兵、弓兵に前進、交代、待機等の大まかな方針を与えて以後の経過を見守る形になる。 指示を与えると敵味方が同時に動き、そして任意のタイミングでボタンを押す事で進行を止めて指示を与え直す事も出来る。つまり戦闘シーンはターン制ではなくリアルタイムストラテジー(RTS)である事が大きな特徴となっている。 武将は単独のユニットとして存在し、敵の攻撃を受けると体力が減り、0になると死亡する他、武将同士が接近すると一騎打ちになる、また、武将の体力を減らした上で四方を部隊で囲むと降伏して仲間になる事がある。 武将も含めて壊滅させるとそのまま死んでしまうので適度に攻撃を控えて捕虜にしていく事も大事である。 リアルタイム制であるが故に弱らせようとして殺してしまったり、武将が突出した結果、次々に矢を受けて体力がなくなるといった事も起こりうるので咄嗟の判断力が求められる。 「後継者」という概念がなく、君主が死亡するとその時点でゲームオーバーとなる。逆に相手の君主を倒した場合は、その君主の持っている全ての領土が手に入る。適度に緊張感があり、戦略次第で一発逆転や短期決戦も狙える要素となっている。 効率良く君主を討ち取る手順さえ知っていれば速攻で他の国を滅ぼす事も可能なため、名前に反していきなり 三国要素が消失する ようなプレイも出来る。 一応タイムリミットがあり、50年経つと自動的にゲームオーバーになる。とはいえ、普通にクリアを目指すならまず時間切れになることはない。 評価点 「通常/喜び/悲しみ/戦闘」の4種類の表情豊かな顔グラフィック。 光栄『三國志』に当時出ていないようなマイナーな人物(*4)の選定。当然有名人はきちんと押さえている。 命令書システムによるプレイテンポ、戦略性が高い。 太守が6人(コマンド待ちは5人)しかいない事もあって非常にテンポ良く進む。命令書の使用にあまり制約がないこともあって、「特定の領土のみ内政を行う」、「今月は特定の武将の教育に当てる」と言ったように柔軟にコマンドを実行できる。勿論便利なだけではなく命令書の数は全領土数よりも遥かに少ない(最低難易度でも領土数の半分の15枚が最大)ので良く考えてコマンドを実行する必要がある。 例えば当時の三国志(コーエー版)では各武将達が統治している国毎に思考するために最大で57(全領地数は58、57とはコマンドを入力する自国を除いた数)もの領地のコマンド待ちをクリアするまで強いられ、地味にプレイテンポの悪化やストレスとなっていた(*5)。 ざっくり簡略化された内政は覚えやすく、その様子がちょっとしたアニメーションで表示されとっつきやすい。 国のパラメーターは土地(秋収入に影響)、産業(春収入に影響)、人口(全収入に影響)、統治度(低いと暴動)の四種類、更にリソースは金のみ。統治度は内政を行えば勝手に上がるしどのパラメーターも金収入しか影響がないので非常にわかりやすくなっている。 在野武将の捜索は情報集めで行う。任された武将が一人で城からのっそりと出て行く姿はかなりシュール。 在野武将以外にも金や換金アイテムを入手できる事もあるのでやる事がないときにも金策として使用できる。 当然、その武将は結果を聞くまでは使用できなくなるので主力に任せるとその隙に攻め込まれるので注意。 慣れて来ると適度に戦略を立てることができ、戦争も意外に面白い。 機動力システム 今作では全軍の移動、攻撃、計略全ての行動を機動力を消費して行うシステムとなっている。武将数(兵士数は無関係)で上昇値が決まり、武将一人だけで全て使用しても全軍均等に使うも自由。使用しなかった分は一定値までストックされ、次のターンに繰り越せる。 この仕様のため使えない武将も機動力確保の為に戦場に連れて行ける。機動力をストックすれば一気に敵本陣まで攻め込んで武将を倒したり範囲外から計略を乱発できる。 そして今作ではMAP画面からの退却はデメリットが無い。その為『兵士0の武将だけで攻め込み計略だけ使用して逃げる』と言った牽制や、『何人かの武将を倒す、捕虜にした後で(敵のターンになって計略を仕掛けられる前に)すかさず退却』と言ったことも行える。戦力が圧倒的に見えてもこういった要素のお陰で完全に打つ手なしと言った状況にはなりにくい。 得意地形システム 武将により得意とする地形が違い、得意な地形には少ない機動力で移動できたり、戦闘の際に1ターンに2回行動できたりする。ただし「平軍」だけは得意地形が存在しない。武将それぞれに陣形を選択することもでき、戦術的にもなかなかのこだわりぶり。 城で戦う場合、城を占拠している側は必ず得意地形扱いになるなど、細かい点も配慮されている。 「一騎打ち」は、この時代にして何と攻撃方法を自分で選択できる方式。必ず命中するが威力が低い「牽制」や通常の「攻撃」、当たれば一発逆転が可能だが命中率が低く、外すと自分の体力が減る「捨て身の攻撃」まであり、臨場感はなかなかのもの。 「計略」は戦術マップ上で使用できるマップ兵器のようなものになっている。内容は以下の通り。 名前 効果 有効地形 消費機動力 必要知力 備考 火計 敵兵100~400名を減らす。 平地、森 4 要撃の計 森、山 6 40 乱水の計 河 6 60 共殺の計 敵を同士討ちさせて、指定した敵部隊を中心に上下左右の部隊の敵兵100~400名を減らす。敵部隊に隣接する部隊が無いと使用できない。 森、山 9 80 城に直接計略を掛ける事は出来ないので、これで同士討ちに巻き込む事が唯一の手段。城の兵士1000人、隣接部隊の兵士0人でも城兵400人を倒す事は可能。 虚兵の計 敵を数ターン足止めする。 森、山 4 移動できなくなるだけで、戦闘・計略は可能。 連環の計 河 4 60 陥穽の計 敵武将の体力を減らす。 森、山 5 病院の無い都市では回復できないので注意。 籠絡の計 敵武将を自軍に寝返らせる。 城以外 10 80 忠誠度の低い武将を引き抜く唯一の手段。戦略画面での引き抜きはできない。 上位の計略には高い知力が必要となる。このため敵に知力60以上の武将がいない場合は河が計略に対する安全地帯になったり、忠誠度が低すぎる武将がいても敵に知力80以上の武将がいなければ絶対に引き抜きをかけられる心配が無い。(*6) 逆に言えば、せっかく敵軍に忠誠度が低い武将がいたとしても、こちらに知力80以上の武将がいないと普通に戦うしか無くなる。このため、引き抜き要員として知力80以上の武将を全ての前線都市に配置しておきたい。光栄のゲームだったら金と魅力でなんとかなるんだが 計略による兵士の減少は、上位の兵種から順に(弓兵、騎兵、歩兵の順)減っていくので、戦闘前に強力な兵士を優先して削ることができる。敵に弓兵がいなくなれば、残りは無傷で片付けられる場合が多いので、非常に強力な攻撃手段である。防衛戦で無傷で勝つことは単純に有利であるのみならず、兵士補充のための命令書1枚を浮かせることができるという意味で戦略上の意義まであるのだ。 地形は先述の戦闘時の影響以外にも、移動時の消費機動力軽減効果、そして計略に対しては以下のような個性を持つ。 平地:消費機動力が少ない「火計」をガンガン受けてしまう。割と危険な地形。 山:兵士を減らされる「要撃」、武将の体力を減らされる「陥穽」、足止めされる「虚兵」と多彩な計略を受けてしまう。要撃の方が火計より機動力を食うので、平地よりは計略が飛んでくる回数が少なくなる。 森:「虚兵」「陥穽」に加えて「火計」まで来る最悪の地形。普通のSLGと違って森に防御効果は無く、森が得意な武将もいない一種の罠地形。 河:兵士を減らされる「乱水」と足止めされる「連環」が来る。知力60以上でないと計略を掛けられないので、相手に知力60以上の武将がいない場合は計略に対する安全地帯となる。 砂漠:「籠絡」以外何も飛んでこない。こちらが攻める場合はここを拠点にして守備部隊に計略を仕掛けるのが有効。 城:全ての計略を掛けることができない。そのため忠誠度が低すぎる武将を配置しても「籠絡の計」は掛けられないし、知力が低くても計略に対して安全地帯になる。 BGMもなかなかの粒揃い。耳障りになるようなことはなく、不思議な中毒性と魅力がある。 全般的に光栄『三國志』よりも理解しやすく、遊びやすく、サクサク進み、好みの武将を育成もできる。と一通りのシステムが揃っており三国志ゲーとして非常に優秀だった。 問題点 情報集めの不便さ 手動で結果報告を聞く必要があるのでうっかり忘れると情報集めの結果が反映されず武将も使用できなくなる。 戦争では守備側が絶対有利すぎるきらいがある。 先にも述べた「計略」が強力無比。どんな武将でもかかる可能性はあるため、マップの好きなところに自軍を配置できる守備側は、敵が接近してくるまで機動力の許す限り計略を使いまくることができ、攻撃側は辿り着くまでにボロボロになっていることも珍しくない。 攻撃側の勝利条件が「敵部隊を10 日 (ターン)以内に全滅させる」なのに対し、守備側は「10日守りきる」「敵の総大将を壊滅させる」と2種類あり、「城を落とされたら敗北」というルールが無いため、城を落とされても10日逃げ回れば勝ててしまう。 城にいる武将には直接計略を掛けられない、裏技に「機動力の無限増殖」が存在しているのもこの短所を強調してしまっている。 その為攻撃側が損失を少なくするためには「敵将の範囲外(4~6マス辺り)まで接近して計略連発で弱らせる」→「機動力を最大まで溜めて一気に敵将まで接近し攻撃」→「敵ターンの前にすかさず後退又は退却」と言った方法を何度も使用して戦力を削る必要がある。これでは大量の機動力が必要になるし、10日以内に決着を付けねばならないのでなかなか難しい。 「武将の育成」システムをフル活用すると、人物が没個性になりがち。 武力・知力が80以上の武将はそれ以上能力値を上げられないため、80台前半で止まっている武将より、79の武将のほうが価値が出てしまう。教育の結果次第では知力ならば最高で88、武力ならば95にまでなる可能性がある。 また、戦闘時の各部隊の耐久値は「武将の体力値」と等しい。体力の上限値を増加させる方法はないので「能力値は高いが体力が低い武将」より、「能力値は低くても体力が高い武将」のほうが、育成していくと後々役に立つ。 このゲームでも『三国志演義』や史実で若くして病死している武将は体力値が低めに設定されていることが多く「 郭嘉 (カクカ)」や「 周瑜 (シュウユ)」などの有名どころの武将が微妙に使いにくかったりする。 光栄の三國志であれば「政治力」になっている、内政関連に知力と共に適用されるステータスが「人徳」になっている。このため、政治力は発揮したが人物的にはいかがなものかとされる「 賈詡 (カク)」は人徳が低いので内政に寄与できず(*7)、政治力は全然無いボンクラ君主だが焦土作戦を進言されたら却下する「無能な善人」と演義で描かれた「 劉璋 (リュウショウ)」は人徳97と無駄にトップクラスで、もちろん知力はどん底だが勉強させれば立派な政治ができる有能君主に化ける。 政治では無く人徳とはっきり書いてあるのだから仕方ないのだが、光栄の査定に慣れているとどうにも違和感がぬぐえない場合もちらほら……。 この「人徳」のデータは71以上(と、知力も71以上)で最高の結果が期待できるようになり、人徳71以上に設定されている武将は全員内政担当官の素質がある。 だが、なぜか諸葛亮の人徳が70になっていて、ぎりぎり足りない。このため情報集めに行かせると「何も情報は得られませんでした」と失敗報告をする諸葛亮の姿も……。知力が最高値の99であろうと、人徳1点の差をカバーすることはできないのである。もし「政治力」だったら95以上は間違いないのに……。 なお、前述の人材引き抜き「籠絡の計」で必要なのは知力であり、人徳では忠誠度が低い武将の引き抜きはできない。 部隊同士が交戦する際「前進」「後退」「待機」「退却」「降参」といった大まかな命令しか出せないため、慣れるまではなかなか各部隊を思うように操れない。 武将名が基本的にカタカナのため、 袁尚 (エンショウ)、 張紘 (チョウコウ)、 張昭 (チョウショウ)など読みが同じ人物が何人か削られている。 忠誠度が50台(55~57?)の武将が降伏するか籠絡の計で寝返ると、忠誠度が67に上昇するバグがある。 総評 UIに不便な面はあるものの三国志ならではの壮大なスケール感を再現しつつ『独眼竜政宗』同様とっつきやすいシステムと動きのあるグラフィックで光栄(コーエーテクモゲームス)版『三國志』とは違った味わいをもつ作品に仕上がった。 これらの方向性は『キングオブキングス』や『ミリティア』といったその後のナムコSLG作品にも一部受け継がれている。 続編 三国志II 覇王の大陸(FC、1992年6月10日発売) 基本面は本作を踏襲しているが武将数をはじめ全体的にボリュームアップ。 ナムコアンソロジー1(PS、1998年6月8日発売) 上記FC版三国志IIのオリジナル版とPSアレンジ版を「覇王の大陸」に改題の上で収録。 中原の覇者 -三国将星伝-(PSP、2006年2月9日発売) 複数シナリオ制、戦闘シーンの3D表現等大きく変化。育てた武将での戦闘を楽しめる通信対戦モードも搭載。
https://w.atwiki.jp/pixiv100/pages/252.html
実在または架空の武将を描いて三国志の世界を謳歌しようという企画。 人物などは多少近代的な、もしくは妖術などのファンタジー的なアレンジでも可。性転換も可。 実在の武将の重複は避けること。 企画内企画は自由に行って良い。 企画主 鴉 企画告知イラスト 【pixiv三国志】規約【企画】 企画用素材 【pixiv三国志】背景用テンプレ 企画サイト 【pixiv三国志】武将名簿辞典 開催期間 2009.1.1〜無期限 代表タグ 【ぴく國】 公式使用タグ 【ぴく國】 - 必須タグ 【ぴく國】武将列伝 - キャラクター紹介 私を描ける奴は居るかっ - 「描いてもいいのよ」相当 【ぴく國】後宮 - R-18許可タグ 派生タグ 【ぴく國】魏 【ぴく國】呉 【ぴく國】蜀 ここに居るぞーっ - 「描いてみた」相当 関連タグ 三国志 歴史 中華 中華風 中国+ 関連企画 pixiv中華 参加作から
https://w.atwiki.jp/sfcall/pages/793.html
前のゲーム | 次のゲーム クリア条件:1位を取る 開始時間: 終了時間: 参加人数: 横山光輝三国志をモチーフにした三国志ボードゲーム。 2~4名で1~50年の設定で8人の君主の中から1名を選びプレイ。 期間中に一番金を稼いだプレイヤーの勝利となる。
https://w.atwiki.jp/nicosangokushi/pages/591.html
ここは三国志に出てくる有名な都市・地名を動画内での状況などと併せて紹介していくページです。 史実の流れや各動画の軌跡を振り返ってみてはどうでしょう。 安定(アンテイ) 永安(エイアン) 易京(エキキョウ) 宛(エン) 会稽(カイケイ) 街亭(ガイテイ) 合肥(ガッピ) 下邳(カヒ) 漢中(カンチュウ) 官渡(カント) 許(キョ) 鄴(ギョウ) 薊(ケイ) 剣閣(ケンカク) 建業(ケンギョウ) 建寧(ケンネイ) 呉(ゴ) 江夏(コウカ) 交趾(コウシ/コーチ) 江州(コウシュウ) 江陵(コウリョウ) 壺関(コカン) 子午谷(シゴコク) 州(シュウ) 襄平(ジョウヘイ) 新野(シンヤ) 成都(セイト) 長安(チョウアン) 陳倉(チンソウ) 陳留(チンリュウ) 南皮(ナンピ) 白馬(ハクバ) 平原(ヘイゲン) 北平(ホクヘイ) 秣陵(マツリョウ) 綿竹(メンチク) 洛陽(ラクヨウ) 倭(ワ) コメント欄 安定(アンテイ) [部分編集] 雍州、安定郡。 近くに戦略上の要所とされる街亭がある。 また、交州の定安のことをさす場合もある。 上へ 永安(エイアン) [部分編集] 益州、巴東郡。 元々は「魚復」という地名だが、夷陵の敗戦後、劉備により「永安」と改められた。 別名、白帝城。劉備が死んだ場所。孔明の北伐の時は、李厳が守っていたことがある。 蜀滅亡時には、永安城に呉軍の大軍が来襲し、混乱に乗じて領土を奪おうとしたが、羅憲が寡兵をもって守りきった。 上へ 易京(エキキョウ) [部分編集] 幽州(涿郡)と冀州(河間国)の境界付近。 (どちらの州に属するかは、史書により記述が異なるが、三国志Ⅸの区分では幽州) 河北の拠点。薊の南方(やや西側)に位置する。 公孫瓚が堅固な要塞を築き、中に三百万石の兵糧を蓄えていた。 一九八年、公孫瓚はこの地で袁紹を迎え撃つも敗北。一族もろとも自害した。 三國志Ⅸ動画では、河北での戦闘時に登場する事がある。 三國志Ⅳで中国征服 +詳細を表示 記念すべき(?)最初の戦場。 公孫瓚の火計で燃やし尽くされた。 上へ 宛(エン) [部分編集] 荊州、南陽郡。 何気に前漢・後漢の中心都市の一つでもある(他は洛陽と長安)。 張繍率いる張済軍残党が、曹操軍に降伏した場所。 しかし張繍は、張済の未亡人が曹操に取られたことを怒り、反逆。 結果、曹操は危ういところで生き延びたものの、長男曹昂と武将の典韋を失った。 上へ 会稽(カイケイ) [部分編集] 揚州、会稽郡。 春秋時代の呉越戦争における「会稽の恥」という故事成語で知られる。 孫策が王朗を破って以来、彼の勢力(いわゆる孫呉)の中心地となる。 治所のある山陰県は、今の紹興市にあたる。 三国志Ⅸの歴戦動画では、初期本拠地として、おそらく最も人気のある都市。 チルノ放浪記 +詳細を表示 深い森を抜けるとそこは会稽だった。 後のカリスマ君主の輝かしい第一歩である。 上へ 街亭(ガイテイ) [部分編集] 雍州、広魏郡。 安定の近く、戦略上の要所とされる。 諸葛亮の第一次北伐の際、ここの守備を任された馬謖は命令に反して山頂に布陣し、大敗。 責任を取らされて処刑された。 上へ 合肥(ガッピ) [部分編集] 揚州、九江郡。( 三国志ドライヴ の郡地図では「淮南」郡) 当地における魏の主要拠点であり、孫権にとってのトラウマの地。 張遼が800人で呉軍をフルボッコにした215年の戦いが有名だが、 孫権はそれ以前・以降にも何度か合肥を攻め、攻略に失敗している。 つまり、魏呉両軍にとってそれほど重要な拠点だった、ということ。 中華武将祭り +詳細を表示 本物孫堅軍が蒼天孫権を総大将として侵攻。 北郷軍には張遼が二人いたため、誰もが負けフラグだと思っていた。 が、そこはカオスで有名な中華武将祭り。 本物孫堅軍にも張遼が三人いた。 かくして敵味方入り混じったライライ祭が発生した。 上へ 下邳(カヒ) [部分編集] 徐州、下邳郡。 徐州時代の劉備の本拠地。のちに徐州は呂布に奪われるが、曹操軍により、呂布はこの地で処刑される。 曹操を裏切った劉備は再び徐州を治めるが曹操に敗れ、下邳にいた関羽らが囚われる。 チルノ放浪記 +詳細を表示 激戦地の一つ。 セイバー軍の都市であったが、チルノ軍10万の侵攻に対して援軍は間に合わないと判断し、撤退。 アーチャーが兵3万を率い、北海への撤退の時間を稼ぐことになる。 最初から本気のアーチャーの怒涛の猛攻により、アルルゥ、藤原妹紅、八雲紫、レティ・ホワイトロック、 八雲藍、オボロ、クーヤ、うどんげ、蓬莱山輝夜、ハクオロ、リリカ・プリズムリバーら、 名立たる武将たちが狙撃され、6部隊が壊滅する。 そんな中、偽報で遅れてきた君主チルノが一人気を吐き、弩兵熟練2000のアーチャーに対し三度の狙撃を成功させ、 格の違いを見せ付けた。 終わってみると、敵兵3万に対しチルノ軍の損害は8万以上と思われ、英霊の恐ろしさを視聴者に強く印象付けた。 上へ 漢中(カンチュウ) [部分編集] 益州(時代により、梁州ともされる)、漢中郡。( 三国志ドライヴ の郡地図では「武都」郡の一部) 劉邦が封(ほう)ぜられ、前漢王朝の始まりとなった地。 周りを山で囲まれた盆地で、攻めるに難く守るに易い土地であり、 食糧生産量も多いため、戦略上においてもしばしば要衝となった。 三国志においても、お米こと張魯率いる五斗米道が拠点として一大勢力を築いたり、 ここをめぐり定軍山の戦いが行われたり、劉備が漢中王に即位したり、 果ては諸葛亮が北伐の拠点にしたりと、ちょくちょく登場する重要な場所である。 上へ 官渡(カント) [部分編集] 司隷、河南郡の東端。 黄河の南岸。洛陽の東方、許の北方に位置し、兗州陳留郡と接する。 袁紹との決戦(通称官渡の戦い)における曹操軍の本陣。 上へ 許(キョ) [部分編集] 豫州、穎川郡。 曹操の本拠地。曹操はこの地に献帝を連れてきて首都とした。 許昌、許都とも呼ばれる。 上へ 鄴(ギョウ) [部分編集] 冀州、魏郡。 業におおざと。大都市。 袁紹が統治していたが204年に曹操に移り、以後曹操勢力の中心都市となる。 二喬を侍らせたいと言った「銅雀台」の建立地もここ。 上へ 薊(ケイ) [部分編集] 幽州、広陽郡。 現在の北京に当たる。 上へ 剣閣(ケンカク) [部分編集] 益州、梓潼郡。 姜維率いる蜀軍最後の戦いの地。漢中と成都をつなぐ位置にあり、ゲーム中でも重要な拠点。 三国志Ⅸでは 壺関 と並ぶ最強の関。左右に櫓や城塞を配置すると、関に到達する前に敵部隊が壊滅してしまうこともある。 上へ 建業(ケンギョウ) [部分編集] →秣陵(マツリョウ)の改名後の名前。詳しくは秣陵を参照。 上へ 建寧(ケンネイ) [部分編集] 益州、建寧郡。 南蛮に接する地。孟獲はここ出身とされる。 ゲーム的には「左下コーナー」。 空白地であることが多く、スタートの地になることも多い。 また、逆にゴールの地になることも。 上へ 呉(ゴ) [部分編集] 揚州、呉郡。 秣陵(建業)の前の孫権らの本拠地。 もともと厳白虎が割拠していたが、孫策に敗れる。 後の国号の「呉」は、魏によって孫権が呉王に封ぜられたため。 君主は陶濬 +詳細を表示 主人公である陶濬が旗揚げした場所。彼の運命の場所となった建業に程近い。 旗揚げ時のメンバーは馬岱、典韋、秋穣子の3名。 上へ 江夏(コウカ) [部分編集] 荊州、江夏郡。 三国志11では立地条件が非常に悪い。 (川からほとんどの内政施設に攻撃される、あまり内政施設を建てられない) 魔理沙の幻想郷帰還誌 +詳細を表示 チルノ補正の歴史に名を刻む都市。 劉備軍に滅ぼされたチルノ軍だが、半年もたたずにチート集団を率いてこの地で決起。逆に劉備軍を滅亡させる。 後にこの都市は魔理沙軍の領地になるが、チルノ軍と交戦しようと出陣したとたん、忠誠96のはずの姜維(生姜)らが裏切り、 再びチルノ軍のものとなった。 上へ 交趾(コウシ/コーチ) [部分編集] 交州、交趾郡。 現在のヴェトナム北部。演義ではほとんど関係ないせいか、しばしばコーエーによってハブられる。 士ナントカさんこと士燮が割拠し、孫呉に貿易を通じて南方の真珠などをもたらしていた。 士一族の影響は大きかったらしく、晋書には霍弋・陶璜など多くの人物の伝に、 「平定された」という語句が頻出するようになる。 上へ 江州(コウシュウ) [部分編集] 益州、巴郡。 現在の重慶。 上へ 江陵(コウリョウ) [部分編集] 荊州、南郡の南端。( 三国志ドライヴ の郡地図では「襄陽」郡の南端) 長江中流域の北岸に位置し、現在の湖北省荊州市荊州区に相当する。 長江の物流などの軸となる要地であり、「兵家必争の地」とされた。 西晋滅亡後、荊州の中心地は襄陽からここへ移る。 新世紀 東方三国志~ひぐらしの憂鬱~ +詳細を表示 ニートが目覚めた場所。ここから伝説が始まる。 この動画をきっかけとしてか、多くの動画においてスタート地点とされているらしく、君主は陶濬では、 蓬莱山輝夜が「始まりの地、どうしてかはわからないけれど、なんだか張り切れてしまう場所」と評していた。 101匹阿斗ちゃん +詳細を表示 空白地帯。 当時劉禅軍は、劉焉軍の成都を攻めたいが、圧勝しなくては劉備軍に滅ぼされる、 全軍を出そうにも外交と兵糧が問題になるという問題を抱えていた。 これに対し、唯一神・賀斉が提案したのは、江陵を収入期直前に占領するというもの。 資金・兵糧を確保するとともに、劉備軍を釣り出すという、一石二鳥の策である。 (賀斉)神の一手を実現すべく、ハチロク阿斗が兵1で向かい、見事作戦を成功させた。 なお、江陵に残された兵士1人は、張飛・趙雲・関平など豪華メンバーが率いる2万(+諸葛亮などの増援)と交戦し、 160人の敵兵を打ち倒す活躍を見せながらも、名誉の戦死を遂げた。 上へ 壺関(コカン) [部分編集] 并州、上党郡。 上党で叛旗を翻した幷州刺史の高幹が、206年に曹操軍を迎えて戦った場所。現在の山西省長治市壺関県。 ★三国志Ⅸにおける壷関 剣閣 と並ぶ最強の関。 左右に櫓や城塞を設置すれば、落とすことは非常に難しくなる。(PS2版だと一つしか置けない) 劉度が歴史を修正するようですの事実上の最終決戦地点。 しかし、名前のせいで、いかんともしがたい雰囲気が漂う最終決戦となった。 上へ 子午谷(シゴコク) [部分編集] 秦嶺山脈を南北に貫き、漢中と長安を結ぶ最短コース(といっても約420キロはある)。 北伐の際、魏延がここに桟道を築いて侵攻することを進言したが、孔明はこれを聞き入れなかった。 絶好の勝機を逃したとするか、危険な奇策を排したとするか、孔明の選択をどうみるかは議論が分かれる。 動画的には、魏延が強いこだわりを持つ場所として、ネタにされることが多い。 上へ 州(シュウ) [部分編集] 中国の行政区画の分類上、最大のもの。漢代では、中国全土を13州に分けた。 後に、涼州南部が雍州として分離され、14州となった。 【魏】幽州(ゆうしゅう)・冀州(きしゅう)・并州(へいしゅう)・青州(せいしゅう)・ 兗州(えんしゅう)・徐州(じょしゅう)・豫州(よしゅう)・司隸(しれい)・ 雍州(ようしゅう)・涼州(りょうしゅう) 【蜀】益州(えきしゅう) 【呉】荊州(けいしゅう)・揚州(ようしゅう)・交州(こうしゅう) +各州の主要都市 幽州:襄平、北平、薊 冀州:南皮、平原、鄴 并州:晋陽、上党 青州:北海 兗州:濮陽、陳留 徐州:下邳、小沛 豫州:許昌、汝南 司隷:洛陽 雍州:長安、安定、天水 涼州:西平、武威 揚州:寿春、廬江、秣陵(建業)、呉、会稽、柴桑 荊州:宛、新野、襄陽、江陵、江夏、長沙、武陵、桂陽、零陵、西城 益州:永安、漢中、梓潼、成都、江州、建寧、雲南 交州:交趾 (注)三国志Ⅸでの分類であり、史実とは異なる可能性もあります。 州地図 (フリー素材、 三国志ドライヴ 提供) 上へ 襄平(ジョウヘイ) [部分編集] 幽州、遼東郡。 董卓が中央を支配したころから公孫度の一族はこの地を中心に独自勢力を築いた。 度の孫の公孫淵の時代に、魏の司馬懿はこの街を包囲、公孫一族を滅亡させる。 秋色三国志 +長い長い戦い 長い長い襄平攻防戦の地。 孫策軍を滅ぼした後、八雲紫軍との決戦の切り札が「襄平制圧作戦」 江南の国から最北端幽州へ。無茶すぎる遠征が始まった。 ニューヒーロー管亥を倒したのは良かった。 しかし、その後に残ったのはボロボロの城と、大量の八雲軍援軍だった。 港を制圧され、援軍も届かない状況で立ち向かうのは守屋神社組と天界組、そして風見幽香達秋軍のエース。 この襄平攻防戦によって、港を獲られた八雲紫軍は南下する襄平部隊と北進する本隊に南北から挟撃されるきっかけを作る。 そして秋軍は南下途中に多くの城、優秀な将を得ることになる。 失った兵は多く、得た物も大きかった。 上へ 新野(シンヤ) [部分編集] 荊州、南陽郡。(西晋期に義陽郡が新設された際、義陽郡所属に変更) 劉表の治める荊州に身を寄せた劉備は、この町の守備を任される。 上へ 成都(セイト) [部分編集] 益州、蜀郡。 蜀漢の首都。 101匹阿斗ちゃん +詳細を表示 劉焉軍の都市。 劉禅軍は、主力をおとりとすることで敵部隊2万を釣り出し、その間に成都(敵兵約3万)を8千×10部隊で落とそうとする。 が、おとり部隊は早々と壊滅。敵増援が成都に戻ってきて、泥沼の戦いになるかと思われた。 が、戦闘開始2ターン目で、圧倒的数を生かした最強兵法「アングシーロール」が炸裂。 驚異の兵法連鎖により、増援が来る前に成都は陥落。劉焉軍滅亡に成功した。 上へ 長安(チョウアン) [部分編集] 雍州、京兆尹。(漢代では司隷に属したが、三国時代は雍州所属) 前漢の首都。現在の西安市近郊。 後漢末、献帝を手中にした董卓はこの地に遷都し、暴虐の限りをつくした。 上へ 陳倉(チンソウ) [部分編集] 雍州、扶風郡。(漢代では司隷に属したが、三国時代は雍州所属) 現在の陝西省宝鶏市。有名な五丈原の近郊でもある。 陳倉城は堅城として知られる。蜀漢の諸葛亮の第二次北伐において、魏の将・郝昭は寡兵にて蜀軍を撃退し、北伐を失敗させた。 郝昭の存命の間は蜀軍を寄せ付けなかったが、彼の死後放棄され、蜀領となる。 上へ 陳留(チンリュウ) [部分編集] 兗州、陳留郡。 曹操の親友であった張邈が治めていた。 なお、後漢の最後の皇帝である献帝(劉協)は、もとは陳留王であり、 魏の最後の皇帝である元帝(曹奐)は、晋への禅譲後に陳留王に封ぜられた。 上へ 南皮(ナンピ) [部分編集] 冀州、勃海郡。 袁紹が当初の拠点としていたとされる場所。(韓馥から冀州の支配権を詐取した後は、鄴に本拠地を遷す) 袁紹が死んだ後、長男である袁譚はこの地で一度曹操を破ったが、二度目で曹純に大破され、討死して果てている。 幻想三国志 +詳細を表示 第一部の終幕、南皮会談及び南皮決戦の戦場となった場所。 南皮会談は馬超が求めた和議の申し出に応じて開かれたものだったが、実際には馬超らを暗殺する為の罠であった。 その場は馬超の猛気と顔・文両将及び審配の袁紹に対する説得、そして馬超軍の軍師シュウの策によって何とか事なきを得たが、交渉は完全に決裂。 双方総力を結集しての激戦となった。そして、この戦が終局に向かった時に……。 上へ 白馬(ハクバ) [部分編集] 兗州、東郡白馬県。 黄河の南岸。官渡の北東、鄴の南方に位置する。 曹操と袁紹の白馬の戦い(官渡の戦いの前哨戦)があった場所。 なお、三国志Ⅸにおける白馬港は、黄河北岸(冀州、魏郡黎陽県)にあり、 ここでいう白馬の対岸に置かれている。 上へ 平原(ヘイゲン) [部分編集] 冀州、平原郡。 古代中国の郡。秦の時代には県、前漢の時代では郡、後漢前期では国が置かれていた。 もともとは青州に所属したが、曹操により冀州に編入された。 斉王田栄が項羽に敗れて殺された場所であり、 また劉備が公孫瓚の後押しで平原国の相となり、群雄としてのキャリアをスタートさせた地でもある。 但し、ゲームではよく滅亡する。 幻想三国志 +詳細を表示 第二部の終幕、黄巾討伐戦の戦場となった場所。 当初は兵力と練度に勝る馬超軍が有利と見られていたが、張宝、張梁、孫仲らの奮闘により南皮決戦以上の激戦となった。 最早後に退く事の出来ぬ者、歩みを止めかけ、再び前に進まんとする者、亡き張角の志を受け継ぐと決意した者、 そしてこの戦を死に場所と決めた手負いの男達が入り乱れ、多くのドラマが生まれた。 上へ 北平(ホクヘイ) [部分編集] 幽州。 北京(三国時代の薊)の旧名であるが、コーエー三国志における「北平(都市名)」は本来の位置ではなく、 右北平(ユウホクヘイ)郡( 三国志ドライヴ の郡地図では「北平」郡)に置かれている。 位置的には、薊(本来の北平、広陽郡)の東方にあたる。 ただし、晋の時代に右北平郡は改名され、北平郡となったので、ここを「北平」とするのは必ずしも間違いではない。 (もっとも、南北朝や隋の時代の北平郡は、さらに別の位置にあるので、いささかややこしい) 上へ 秣陵(マツリョウ) [部分編集] 揚州、丹楊郡(丹陽郡ともされる)。 今の南京に当たる。孫呉の首都となり、建業と改名された。 作品によっては、途中で改名イベントが入ったり、年代によって名前が違ったりする。 上へ 綿竹(メンチク) [部分編集] 益州、広漢郡。 成都北部に位置する要地。 蜀最後の決戦の地であり、剣関を迂回した鄧艾が奇襲。 諸葛亮の子孫である諸葛瞻・尚親子や黄崇などが抗戦するも討ち取られ、蜀は魏に降伏することになる。 上へ 洛陽(ラクヨウ) [部分編集] 司隸、河南尹。 後漢および曹魏の首都。董卓は、この街を焼き払って長安に遷都した。 後に文帝曹丕は、許昌からここへと遷都する。 霊夢の旅日記 +詳細を表示 いわゆる、チルノ補正の始まった地である。 動画が始まった当初、この廃墟に陣取る弱小バカルテットたちは、瞬時に消滅するかと思われていた。 が、何をどう間違ったのか、勢力は順調に拡大していき、三強勢力の1つとなる。 上へ 倭(ワ) [部分編集] 大陸の東にある島。現在でいう日本である。 魏志倭人伝(正確に言うと、「三国志」の「魏書」のラスト「第三十」の「烏丸鮮卑東夷伝」の倭に関する部分)の中に、 倭の様子と邪馬台国について書かれている。 邪馬台国は卑弥呼という女王が治めており、魏の3代目曹叡か4代目曹芳の皇帝の時代に朝貢のための使者を送って 親魏倭王に任じられている。 九州などで呉鏡(孫呉製の銅鏡)が多数出土していることから、孫呉ともかなり交流が深かったと考えられるが、 注を含め三国志にはその辺の記述がない為に、詳細は不明。 チルノ放浪記 +詳細を表示 もともと妖怪と人間がそれなりに仲良くしていたが、女王卑弥呼が暴走し、妖怪たちに戦争を仕掛ける。 無益で無謀な戦争に困った倭の人間の救援要請を受けた八坂神奈子は、妖怪王・独眼竜政宗と交渉し、女王卑弥呼を謀殺。 倭の国は神奈子が乗っ取り、妖怪たちとの関係も修復された。 チルノ軍からの宣戦布告を受け、神・人間・妖怪の混成軍で迎え撃つ。 上へ コメント欄 呉の項目について。陳瑀は呉郡太守を自称しただけで、実際には呉ではなく徐州にいたんじゃないか?江東で孫策に破られたとは書かれていない。 -- 名無しさん (2009-03-14 14 39 03) 徐州広陵郡海西から謀略を仕掛けていたようですね。すいません、直します。 -- 名無しさん (2009-03-14 15 12 20) ttp //suginami-s.net/game/sangokuonsitu/img/siryou/map_gb.gif 参考になりそうな地図があったので。コーエー三國志の北平は右北平郡なんじゃないかなあ、と思いますが詳細不明。 -- 名無しさん (2009-04-03 21 52 38) 名前 コメント