約 174,951 件
https://w.atwiki.jp/sangokushi-taisen_ds/pages/5.html
→【三国志大戦DS】友達コード交流スレ 2合目 テンプレ 友達コードAC未経験者 AC短~中期経験者 AC中~長期経験者 最終更新日時:2008-11-3018 22 19 テンプレ ようやく三国志大戦DSが発売されました。 アケ体験者も未経験者も、ネタを交えながら仲良くやりましょう。 ∩ ⊂⌒( _, ,_) ミナサン、ノンビリヤリマショウ `ヽ_つ ⊂ノ ■前スレ 【三国志大戦DS】友達コード交流スレ 2合目 http //game11.2ch.net/test/read.cgi/wifi/1170000424/ ■参加希望者 下記[[テンプレ]]に従って書き込んでください。 ※自分の友達コードを確認するには、[[通信ノ章]]→Wi-Fi通信大戦→[[友達管理]]→友達コード確認 【Wi-Fi名】 【友達コード】 【大戦歴】 【称号】 【時間帯】 【回線状況】 【その他一言】 ■三国志大戦DS友達コードまとめ@wiki http //www25.atwiki.jp/sangokushi-taisen_ds/pages/5.html ■三国志大戦DS関連スレ http //www2.ttsearch.net/s.cgi?k=%8eO%8d%91%8eu%91%e5%90%ed%82c%82r o=b ■[[IRC]]チャット http //www.dive-in.to/~mb-arts/limechat_install/ http //www25.atwiki.jp/sangokushi-taisen_ds/pages/54.html irc.2ch.net #三国志大戦@2ch ※友達コードは相互登録しないと効果がありません。 友達コードの登録は50人までです。 時間帯の合う人を登録すれば効率良く対戦できます。 友達コード AC未経験者 (DSから以外にAC経験僅かの方) ■1スレ目 Wi-Fi名 友達コード 大戦歴 称号 時間帯 回線状況 その他一言 0902-8468-7510 0344-5014-1691 4381-7706-3089 0000-9038-6200 2491-9856-8344 0516-3015-7232 3393-9302-3835 3479-8274-8696 2191-3394-2574 0602-1987-0554 1074-6457-3527 4081-1230-4462 0816-9481-9274 2234-2862-3718 3651-6279-3842 4940-1179-5019 3995-2237-8044 3565-7008-0342 0602-1995-9359 2921-4818-6114 1933-6405-5592 1675-9420-4073 2792-6326-8919 0043-8553-6149 4768-3185-8158 0602-2010-1080 3308-0287-3734 3393-9275-5459 4338-8216-7709 1804-7904-0073 4081-1220-9239 3479-8267-7337 4897-1661-4323 3007-3811-6447 2491-9849-1521 4291-9849-1521 0688-0994-9541 4295-8714-5018 5283-7137-9071 5111-9149-5522 1675-9397-0336 1675-9410-8195 1804-7908-9416 1632-9915-1061 0086-8035-9921 1976-5887-0405 2363-1364-0339 1761-8406-1943 3436-8776-8374 4038-1732-8952 1418-2433-6972 2749-6829-3831 4768-3175-0500 4038-1732-7673 3608-6766-4199 3007-3811-7426 2105-4380-0722 2878-5321-3169 1976-5882-1810 3823-4248-8301 1890-6889-0899 4510-6196-7601 2749-6829-3831 1418-2431-5570 0430-4002-2242 4811-2671-9963 1418-2425-0015 4768-3173-3091 2320-1862-1790 2835-5816-4477 2835-5821-7223 4510-6194-8508 4467-6692-4853 4167-0216-6012 1375-2929-1121 1246-5016-7970 AC短~中期経験者 (Ver1だけとかVer2だけとか期間が曖昧な方) ■1スレ目 Wi-Fi名 友達コード 大戦歴 称号 時間帯 回線状況 その他一言 4596-5203-7757 2491-9859-1412 3737-5255-0131 1761-8422-5664 2105-4380-2445 4725-3674-2412 0000-9057-1079 4038-1733-7284 3565-7268-0549 2577-8843-8558 1375-2935-5100 1418-2431-6678 0988-7467-2496 0688-0987-8770 3823-4257-0412 1976-5898-7035 4124-0726-3107 0172-7025-2425 2019-5393-5957 0516-3000-8497 3522-7778-4293 0473-3505-8466 5197-8142-4840 3737-5239-8091 5068-9644-9531 5326-6635-0250 5026-0157-7835 1289-3941-8085 3651-6262-7490 3479-8726-1194 4209-9706-9739 2749-6829-9018 2105-4366-7486 1375-2935-5100 5111-9150-5326 1289-3940-6629 4467-6698-3376 4725-3666-4486 5026-2118-8661 07/10/12更新 AC中~長期経験者 (AC経験半年以上の方) ■1スレ目 Wi-Fi名 友達コード 大戦歴 称号 時間帯 回線状況 その他一言 0301-5521-5218 1547-0919-4704 0000-9041-1002 1976-5889-5139 5111-9163-7595 1590-0422-5907 0988-7462-5627 0645-1489-2085 0731-0483-6266 1632-9913-8469 1117-5953-6642 5369-6131-4194 0129-7529-0858 3823-4250-3696 0773-9973-9565 5412-5834-2518 1247-2389-8841 これまで - 人が閲覧しました。 昨日は - 人が閲覧しました。 今日は - 人が閲覧しました。
https://w.atwiki.jp/qma5kentei/pages/155.html
Q 1991年にテレビ東京系でTVアニメ化されたこともある漫画『三国志』の作者は? A 横山光輝 Q 1994年から2005年まで「週刊モーニング」に連載された『三国志』をモチーフにした王欣太の漫画は? A 蒼天航路 Q 三国志の武将の魂を受け継ぐ美少女たちが闘う2003年にTVアニメ化もされた塩崎雄二の漫画は? A 一騎当千 Q 『三国志』の英雄たちが生まれ変わった少年達の戦いを描いた「月刊少年ガンガン」連載中の漫画は『○○○○三国志』 A ブレイド Q 『三国志』をはじめ、多数のSLGを手がけた、コーエーの創業者・襟川陽一のペンネームは「○○○○・コウ」? A シブサワ Q 『董卓討つべし』『呂伯薯』など『三国志』を題材とした楽曲で知られるテクノアーティストは「○○○○三国志」? A おもしろ Q さまざまな知恵を絞ってたくみに人をあざむく策略のことを、「数」という字を使って何という? A 権謀術数(けんぼうじゅっすう) Q 後漢末期、宦官の横暴に対抗しようとした知識人たちが逆に弾圧された事件を何という? A 党錮の禁 Q 諸葛亮が書いた「出師の表」の冒頭部分に出てくる絶体絶命の状態であることを意味する言葉は? A 危急存亡 Q 蜀の武将・馬忠を生け捕りにするなど戦場でも活躍した『三国志演義』に登場する南蛮王・孟獲の妻は? A 祝融夫人 Q その最中に丞相の陸遜が憤死してしまった、中国・三国時代に呉で起きた、約10年間にも及ぶ政治戦争を何という? A 二宮の変 Q 第1回菊池寛賞の受賞者としても知られる、小説『三国志』『宮本武蔵』で有名な作家は? A 吉川英治 Q 「相手を自分の思いどおりにあしらう」ことを、『三国志』における軍師・諸葛亮と南蛮王・孟獲のエピソードから何という? A 七縱七禽 Q 中国・三国時代の学者・董遇が弟子に本を熟読することを勧めたことから生まれた故事成語は「○○○○義自らあらわる」? A 読書百遍 Q 中国・三国時代に、魏の皇帝・曹丕が制定した管吏を登用するための制度は「○○○○法」? A 九品官人 Q 『三国志演義』においてそのヒゲと瞳の色から付けられたという孫権の異名は? A 紫髯碧眼 Q 中国・前漢王朝の第6代皇帝・景帝の子で、三国時代の武将・劉備が「彼の末裔である」と自称したことで知られるのは? A 中山靖王 Q 『三国志演義』に登場する魏の荀いくの策で、劉備を徐州の官職を与え、呂布を討たせようとしたのは「○○○○の計」? A 二虎競食 (上記分岐)ですが、劉備に南陽の袁術を討たせてそのすきに呂布に劉備のいない徐州を襲わせようとしたのは「○○○○の計」? A 駆虎呑狼 Q 中国の三国時代に劉備が諸葛亮を軍師として迎え入れるため、彼の庵に何度も出向いたことを何という? A 三顧の礼 Q 歴史小説『三国志』『水滸伝』やハードボイルド小説『檻』『弔鐘はるかなり』で知られる作家は? A 北方謙三
https://w.atwiki.jp/gcmatome/pages/3162.html
真・恋姫†夢想 ~乙女繚乱☆三国志演義~ 呉編/蜀編/魏編 【しん こいひめむそう おとめりょうらん さんごくしえんぎ ごへん/しょくへん/ぎへん】 ジャンル 純愛歴史AVG 対応機種 プレイステーション・ポータブル メディア UMD 2枚組 発売元 イエティ 開発元 BaseSon 発売日 呉編 2010年9月22日魏編 2010年10月28日蜀編 2010年11月25日 定価 通常版 各6,825円限定版 各8,400円 レーティング CERO C(15才以上対象) 廉価版 イエティベスト(3ver.同時発売)2012年9月27日/各3,150円 判定 なし BaseSon作品 概要 特徴・評価点 問題点 総評 余談 概要 BaseSonから2008年12月に発売されたWin用AVG『真・恋姫†無双 ~乙女繚乱☆三国志演義~』の呉・魏・蜀の3つのルートを、それぞれ1本のソフトとしてPSPに移植したADV。 タイトルは前作『恋姫†夢想』のPS2版準拠で、声優もそちら及びテレビアニメ版『恋姫†無双』シリーズにあわせている。 コンシューマー移植用に追加された部分もあり、Win版をプレイ済みでも楽しめるようになっている。 特徴・評価点 トンデモ三国志 現代日本の高校生である北郷一刀が、女性ばかりのパラレル三国時代に飛ばされることから始まる超訳三国志は、むしろ原作を知らない方が楽しめるかもしれない。 とはいえ、かなりシリアスな部分も強い。色物扱いされがちだが、かなり骨太。 オリジナルでも言われていたが、一刀はハーレムものの主人公ながら非常に好感の持てる好青年であり、また現代と三国時代とのギャップに苦しみながらも少しずつ成長していく姿がCSになってもしっかり描かれている。 上記のとおり重厚なシリアス部分 テレビアニメ版は全編コメディだったが、こちらは結構な比率でシリアスになる。 三国志モノ特有の血生臭さもやはりある。そういう意味でもよくやってくれた。 UMD二枚組の大ボリューム。 二枚にしてもなおかなりの量で、ADVとしてはかなりのボリューム。 それを3バージョン、というとPSPソフトの中ではかなり大物ではないだろうか。 濡れ場はカットされたが、それでも多めの肌色分。 PSPとしてはかなり頑張っていて、裸エプロンなどもある。 問題点 分割商法。 先述の繰り返しになるが、Win版では1本のソフトに収録された3つのストーリールートを、このPSP版では3本(3バージョン)のゲームに分割して発売している。 しかし、これについてはUMDの容量問題が主原因だろうと察したファンも多かった。なにしろ3分割した上でなお、UMD1枚には収まりきらず2枚組での発売なのだから。 また、よく似た声のキャラが多数登場する別ゲームが先例となっていたこともあり、大規模なバッシングに至ることはなかった。 ディスクチェンジが煩雑。 ディスク1にメインストーリー、ディスク2にサブイベントが入っている都合上、かなり頻繁にディスクを入れ替える必要がある。 メディアインストールすれば解決するが、大容量メモリースティック必須。さらに三作の互換性が無いため、三作すべてインストールするとそれだけで2.5GBほどになる。 どうしても一枚には入らない量なのだから「仕方がない」とも言えるが。また、「不正コピー対策」だとも言われている(*1)。 一部デザインが変更されたキャラが居る。「多めの肌色分」とは前述したが、御色気要素は減っている。 丸出しだった御尻を隠しているのは兎も角、パンツや褌は観えなくなり、服の上から乳首が分かるいわゆる胸ポチも無くなった。安心して下さい!穿いてますよ! パンツや褌ぐらいは良さそうなものだが、CEROの影響下にあってもソニーチェックは健在なのか、ソニーはその辺りにかなりうるさい様で…。 戦闘パートははっきり言って「邪魔」。Win版の頃から言われていたことだが、敵味方ともにステータス固定なので駆け引きも特にない。 二周目以降はスキップ可なのがせめてもの救い。 総評 エロゲーの家庭用移植というと、どうしても今一つな印象が付き纏いがちだが、中々どうして侮れないタイトル。 三国志作品として飛びぬけて素晴らしい…というほどでもないが、三国志ファンならずとも楽しめる。 女性化に理解があって大容量メディアを用意できるなら、是非とも。 余談 テレビアニメ含む一般向け版では全キャラの声優が入れ替えられているのだが、実際に聞いてみるととても別人とは思えず、完璧にエロ版と同じ声で喋っている。つまり、いわゆる裏名義の可能性が極めて高い。 本当にそっくりさん達を見つけて来たのであれば大したものだが…よく似た声のキャラが多数登場する別ゲームも実は他人事ではなかったり? 3バージョンを1つに纏めたPS2版『真・恋姫†夢想 ~乙女繚乱☆三国志演義~』が、数回の発売延期を経て2011年11月10日に発売された。 PS2最後のソフトは『FFXI』の拡張ディスク『ファイナルファンタジーXI アドゥリンの魔境』であり、本作PS2版は最後から2番手。単体で普通にプレイできるゲームソフトに限定するならば、本作がPS2最後のソフトの栄誉(?)に輝くことになる。 『真・恋姫†無双 ~乙女繚乱☆三国志演義~』のリメイク『真・恋姫†夢想 -革命-』シリーズが2017年にWinで販売開始。 こちらも本作と同じく三分割での販売である。
https://w.atwiki.jp/mitsu_sangoku/pages/222.html
冬の見つけて!三国志スペシャル企画 冬季期間中、下記のイベントが開催されます。 復刻冬の在野武将フェア 2019/12/23(月) 00 00 ~ 2020/01/19(日) 24 00 新春ねずみ庵 2020/01/01(水) 00 00 ~ 2020/01/15(水) 24 00 遠征時間50%Offキャンペーン 2019/12/23(月) 18 00 ~ 2020/01/19(日) 24 00 全国No.1決定戦同盟トーナメント開催 2020/01/08(水) 10 00 ~ 2020/01/29(水) 10 00 新人勧誘キャンペーン 2019/12/23(月) 18 00 ~ 2020/01/19(日) 24 00 盟友招待キャンペーン 2019/12/23(月) 18 00 ~ 2020/01/19(日) 24 00 復刻冬の在野武将フェア 開催期間 2019/12/23(月) 00 00 ~ 2020/01/19(日) 24 00 期間中、過去の「三顧の礼」に登場した武将が一部、在野から登用可能になります。 対象武将 勢力 レアリティ 武将名 魏 ★3 張遼?、司馬懿?、蔡文姫、曹丕、司馬昭 呉 ★3 呂蒙?、孫権?、陸遜 蜀 ★3 魏延?、徐庶、関索、姜維 他 ★3 田豊、顔良?、董白、華陀、孟獲、司馬炎、朱儁 魏 ★2 蔡瑁 呉 ★2 諸葛瑾 蜀 ★2 廖化? 他 ★2 - 魏 ★1 牛金?、李通? 呉 ★1 虞翻?、呂岱? 蜀 ★1 陳到?、劉禅、馬岱 他 ★1 帯来洞主、孟優、波才、成公英、公孫越、黄祖 新春ねずみ庵 開催期間 2020/01/01(水) 00 00 ~ 2020/01/15(水) 24 00 期間中、すべてのエリアに「ねずみ庵」が登場します。 (以下、過去の開催を元に記載しています) 登場したねずみのランクに応じて報酬が獲得可能です (ねずみのランクごとに20回まで)。 ランク 友好度報酬 20回達成報酬 1等 七宝刀のかけら×5 虹水晶1000 2等 水鏡先生チケット×1 虹水晶700 3等 武将魂×1 虹水晶500 4等 虹宝玉のかけら×5 虹水晶300 5等 孫子の兵法書×5 虹水晶200 6等 赤兎馬×5 虹水晶100 7等 名馬×5 虹水晶50 遠征時間50%Offキャンペーン 開催期間 2019/12/23(月) 18 00 ~ 2020/01/19(日) 24 00 該当期間中、遠征に掛かる時間が通常の1/2となります。 全国No.1決定戦同盟トーナメント開催 開催期間 2020/01/08(水) 10 00 ~ 2020/01/29(水) 10 00 期間中、毎週開催される同盟バトルが同盟トーナメントとなります。 トーナメント上位同盟には報酬および称号が配布されます。 レギュレーション 開催日 レギュレーション 2020/01/08開催 女子キャラ限定 2020/01/15開催 SP武将限定 2020/01/22開催 ★2以下武将限定 2020/01/29開催 蜀限定 新人勧誘キャンペーン 開催期間 2019/12/23(月) 18 00 ~ 2020/01/19(日) 24 00 期間中、特定のユーザーが同盟に加入することで、同盟員全員が報酬を獲得可能になります。 「これまでに一度も同盟に加入したことがないユーザー」が加入した場合、同盟員全員に虹宝玉500個がプレゼントされます。 「これまでに他の同盟に加入したことがあるユーザー」が加入した場合、同盟員全員に水鏡先生補助チケット1枚がプレゼントされます。 下記のケースは報酬の配布対象外です。(*1) 期間中に同盟から退会後、同じ同盟に再加入した場合 期間中にすでにキャンペーン対象ユーザーとして報酬の配布条件を満たした場合 キャンペーン報酬を受け取ることが出来るのは、1ユーザーにつき10回までです。 盟友招待キャンペーン 開催期間 2019/12/23(月) 18 00 ~ 2020/01/19(日) 24 00 期間中、盟友が1人増えるごとに虹水晶を500個獲得できます (最大100回まで)。 コメント 名前
https://w.atwiki.jp/regnumtria/pages/534.html
真・呉蘭 rank2/弓兵 固有:真・捷速支援 威力:■■■■ 効果:味方を回復する。行動順がやや早い lv 1 9 16 30 [兵力] 14 [武力] 5 [知力] 10 [防御] 8 [命中] 7 [素早] 7 [詳細] 呉懿の推挙を受け、劉備の蜀侵攻の際に各地の救援に向かうが黄忠に圧倒され敗北する。 しかし、劉備軍のホウ統が戦死し一進一退の攻防ののちに押し返すことに成功するが、 戦況は良くならず降伏、劉備の配下となる。その後、馬超の元で魏軍の曹洪と戦うが 戦況が悪くなり敗走、更に加勢に来た曹彰と一騎打ちとなり二、三合と打ち合うが、 力及ばず討たれてしまった。 戦闘「」 仲間「」 お勧めの編成法・成長法・対処法など コメント
https://w.atwiki.jp/nicosangokushi/pages/434.html
このページは数あるニコニコ歴史戦略ゲー動画の登場人物について、各動画内での列伝をまとめていくものとして用意しました。 主役級の活躍を見せた人物はもとより、名脇役、好敵手からネタ☆キャラまで幅広く紹介されるページになることを願います。 ここでは三国志の人物について扱います。 参考用リンク先(需要のありそうなものがあれば随時追加推奨) Category 三国志 - Wikipedia :史実についての参考リンク 幻想水滸伝・三国志を知らないけど、興味ある人の為の解説サイト ニコニコ歴史戦略ゲー 武将紹介 公開マイリスト :史実武将紹介動画 武将別解説 - 三国編 :iM@S架空戦記シリーズ補完wikiより三国武将紹介 『三国志の登場人物の一覧』 :ニコニコ大百科での三国志人物項目一覧 武将別伝(三国志) ア行 ハ行 ハ ヒ フ ヘ ホ カ行 カ キ ク ケ コ マ行 サ行 サ シ ス セ ソ ヤ行 タ行 タ チ ツ テ ト ラ行 ラ リ ル レ ロ ナ行 ワ行 羅憲(ラケン) 羅憲 (ラケン) [部分編集] (?~270)蜀・晋の武将。字は令則(レイソク)。蜀が滅びた時の永安城の副将。主将不在の中、寡兵をもって蜀滅亡後の混乱に乗じ領土を奪おうとした呉軍の大軍から永安城を守りきった。 その後は晋に仕え、対呉戦線で活躍。また、三国志(正史)の著者である陳寿を晋に推挙した。 ※余談 彼の伝は主に三国志ではなく晋書にあるが、その卷57 列傳第27のメンツには 羅憲 馬隆 胡奮 陶璜 吾彥 とニコニコ的にネタになる面子が揃っている。 三國志IX 統率 80 武力 70 知力 75 政治 70 三國志11 統率 85 武力 71 知力 75 政治 72 魅力 73 鉄壁/戟兵A,弩兵S,兵器S 成国志 +最序盤に袁術軍加入 最序盤に加入して以降主力として活躍する。 三国志大戦の影響が強く、声や行動がどこぞの蛇と被っている。 上へ 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/nicosangokushi/pages/415.html
[部分編集] 三国志Ⅸ 徳王道 http //www.nicovideo.jp/watch/sm4595584 使用ゲーム 三國志Ⅸ シナリオ・担当勢力 呂布兗州強奪と小覇王の出陣 シナリオ設定 史実・討ち死なし 難易度 上級 縛り 抜擢使用不可 釣り禁止 序盤のみリロードあり 登録武将 なし 史実武将の扱い 主コメでちょっと 紙芝居・ストーリー なし 投稿時期 2008年09月12日~2008年10月24日(完結) 投稿者名 雪豹 関連タグ 徳王道 ニコニコ大百科 - マイリスト 三国志Ⅸ 徳王道 関連サイト - 備考 捕虜の登用は可能。空登用も。 [部分編集] 解説 大王道 、 燕王道 の人と言えばわかる人わかるだろう。 シナリオによっては、ゲームスタート時点で既にその勢力の存続が危ぶまれるドM勢力が存在する。 今回は「小覇王孫策」シナリオ内において、孫策という強敵により大抵すぐに滅びる江東域の中でも、特に厳しい厳白虎が君主の純粋プレイ動画である。 初期武将数二名、しかも二人とも脳筋、上級兵法の奮迅が使えるものの攻城兵法の井闌どころか、弓兵法の斉射すらない。 従って序盤はリロードありのプレイとなるが、武将数が増えてくるとロードも禁止、以降は純プレイ動画と言える。 [部分編集] ストーリー 厳白虎は賊で在りながらも1万もの手下を有し、「東呉の徳王」を自称するまでになっていた。 それでも厳白虎の野望は治まらなかった。「江東の徳王」、いや、それ以上に雄大な名が欲しいという欲がそうさせていた 「ワシは………天下を取る!」 厳白虎53歳のことであった…… 通常S3厳白虎、抜擢禁止、釣り禁止、リロードありのプレイ動画です (第一話 主コメ参照) [部分編集] 簡単な武将紹介 厳白虎 君主。統率66・武力69・知力28・政治24。奮迅覚えてるのに武力が60台、君主にしては統率が低く、しかも脳筋とどこをとっても微妙な武将。ホワイトタイガー。「東呉の徳王」を自称した、まあ海賊。そのためか海戦だけは少しは頼りになる。最初の抜擢育成で治療も覚えた。 厳興 厳白虎の弟。兄より強い。統率65・武力78・知力57・政治21。兄に比べ、高武力・高知力(苦笑)を備える。厳白虎プレイでは序盤の鍵となる存在。もちろん奮迅は覚えているので、その後もしばらく野戦で活躍すると思われる。 張英 厳白虎軍が最初に仲間にした武将。元劉繇軍。統率71・武力72・知力36・政治37。厳白虎の捕虜となっている間に劉繇が滅んだことによって帰順。厳白虎軍初の「斉射」持ちということで以降、あっちにこっちにスナイプやら一騎打ちやらで大活躍。……しかし第八話で名将が大量に参加した為、今後の出番があるのか心配。 周昕 元孫策軍。捕虜になった後登用した。統率68・武力69・知力71・政治57。徳王軍最初の軍師(軍師は知力70以上でないとなれません)。割とバランス武将なので結構重宝した、と思う。なによりも、ほぼ最低限の軍師とはいえ、これで空登用がほんの少しだけ楽になったはずだ。その後、王朗やら虞翻やらどんどん軍師は代わっていくが、彼も斉射持ちなので攻城となれば活躍する。 コメント欄 張英・陳横・周昕の連鎖が結構使えるって初めて知った。 -- 名無しさん (2009-02-28 15 19 46) 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/sangokutenbu/pages/328.html
「覚醒」「☆7」「☆6」「☆5」「☆4」「☆3」「☆2」「☆1」 「魏国」「呉国」「蜀国」「群雄」 「扇系」「剣系」「盾系」「弓系」 「男性」「女性」 「全武将」「全武将(覚醒前☆7抜き)」 「無双名将出現」「ほかの特殊な入手」「ガチャ出現」 呉武将一覧 武将データはすべて「最大レベル、全天命開放済み」の数値になります。 武将の名前からその武将の個別ページへ移動できます。 No. レア 武将 入手 勢力 種類 性別 体力 攻撃力 攻撃間隔 移動速度 810 覚醒 周瑜 - 呉 扇系 男性 4147 535 1.0 2.4 820 覚醒 梟姫尚香 無双 呉 弓系 女性 3372 505 1.0 1.6 822 覚醒 白衣呂蒙 無双 呉 剣系 男性 6134 696 1.2 2.4 823 覚醒 覇王孫策 無双 呉 盾系 男性 8644 412 1.5 3.2 824 覚醒 太史子義 無双 呉 弓系 男性 3222 505 1.0 1.8 825 覚醒 猛虎孫堅 - 呉 盾系 男性 8597 417 1.2 2.6 602 ☆6 小喬 - 呉 扇系 女性 1834 255 1.0 2.4 604 ☆6 孫策 - 呉 盾系 男性 4169 216 1.2 2.6 605 ☆6 孫堅 - 呉 盾系 男性 4098 213 1.2 1.8 606 ☆6 孫権 - 呉 剣系 男性 3120 348 1.2 1.6 615 ☆6 太史慈 - 呉 弓系 男性 1445 243 1.0 2.4 616 ☆6 呂蒙 - 呉 剣系 男性 3259 333 1.2 1.8 617 ☆6 陸遜 - 呉 剣系 男性 2829 338 1.2 2.6 620 ☆6 甘寧 - 呉 剣系 男性 3087 356 1.2 2.4 623 ☆6 魅小喬 - 呉 扇系 女性 2264 282 1.0 2.4 624 ☆6 不死周泰 - 呉 盾系 男性 4460 227 1.2 2.1 630 ☆6 奮威陸抗 特殊 呉 弓系 男性 1688 255 1.0 1.6 632 ☆6 中宮練師 特殊 呉 扇系 女性 2181 278 1.0 2.6 505 ☆5 黄蓋 - 呉 盾系 男性 2507 115 1.2 2.6 506 ☆5 大喬 - 呉 扇系 女性 1128 138 1.0 2.4 508 ☆5 周泰 - 呉 盾系 男性 2400 120 1.2 2.6 510 ☆5 諸葛瑾 - 呉 扇系 男性 1038 151 1.0 2.6 513 ☆5 魯粛 - 呉 扇系 男性 1036 162 1.0 2.6 514 ☆5 張昭 - 呉 扇系 男性 1093 159 1.0 2.6 516 ☆5 程普 - 呉 剣系 男性 1820 168 1.5 2.4 520 ☆5 韓当 - 呉 弓系 男性 944 131 1.0 2.6 526 ☆5 魅大喬 - 呉 扇系 女性 1372 154 1.0 2.4 407 ☆4 凌統 - 呉 盾系 男性 1819 80 1.2 2.6 417 ☆4 孫尚香 - 呉 弓系 女性 603 99 1.0 2.6 418 ☆4 徐盛 - 呉 盾系 男性 1788 82 1.2 2.6 305 ☆3 丁奉 - 呉 盾系 男性 1394 68 1.2 1.8 306 ☆3 諸葛恪 - 呉 扇系 男性 574 86 1.0 2.6 317 ☆3 張紘 - 呉 扇系 男性 627 80 1.0 2.6 321 ☆3 顧雍 - 呉 扇系 男性 558 91 1.0 2.6 211 ☆2 凌操 - 呉 盾系 男性 1167 43 1.2 2.6 213 ☆2 歩練師 - 呉 扇系 女性 520 52 1.0 2.6 105 ☆1 蒋欽 - 呉 剣系 男性 568 66 1.2 1.8 106 ☆1 朱桓 - 呉 剣系 男性 649 55 1.2 2.6 ※この表は、覚醒前☆7武将を除いた一覧になります。 ※覚醒☆7武将の入手方法は☆7での獲得方法です。覚醒武将は覚醒することでしか入手できません。 ※入手方法の記入がない☆6~☆7の武将は、すべて「転生、合成」での獲得となります。 ※入手方法の記入がない☆1~☆5の武将は、すべて「ガチャ、転生、合成」での獲得となります。 ※各項目名を選択するとソート機能により並べ替えができます。 武将の番号 武将の番号は武将が追加された順番で、図鑑の並びと一致しています。(番号自体は便宜上、こちらで勝手に振ったものです) 百の位はその武将のレア度になっています。(覚醒武将は800番台) 攻撃距離 表からは攻撃距離をはぶいています。 攻撃距離は個々の武将での違いはありません。武将の種類で決まっています。 武将の種類 攻撃距離 剣系・盾系 1.0 扇系 3.0 弓系 5.0 攻撃間隔、移動速度 ☆7武将の転生前と転生後の数値に違いはありません。 メニューへ 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/qma5kentei/pages/158.html
Q 中国の魏、呉、蜀の三国が分立するきっかけとなった208年の戦いは「○○の戦い」?○の漢字をひらがなで答えなさい A せきへき(赤壁) Q 『三国志』でおなじみの武将・劉備の父親は○○?○の漢字をひらがなで答えなさい A りゅうこう(劉弘) Q 『三国志』のように個人の伝記を中心に書いた中国の歴史書の書式は『○○体』?○の漢字をひらがなで答えなさい A きでん(紀伝) Q 中国・三国時代の武将劉備の字(あざな)は? A げんとく(玄徳) (上記分岐)ですが、曹操の字は? A もうとく(孟徳) (他分岐情報頼む!)
https://w.atwiki.jp/aniwotawiki/pages/36735.html
登録日:2017/04/26 Wed 00 56 30 更新日:2024/05/02 Thu 16 18 28 所要時間:約 22 分で読めます ▽タグ一覧 コミュ障 スキャットマン トウ艾 三国志 三国志演義 不遇 中国史 吃音 名将 地図 山越え 政治家 文官 曹魏 機種依存文字 武将 簀巻き 老将 軍事財政共にイケる…が、空気だけ読めなかった人 遅咲き 高性能じいちゃん 魏 トウ艾(とう-がい)(?-264) 字は士載。 荊州、義陽の人。 ※トウは機種依存文字で、登+おおざと。本来の表記は「鄧艾」。 【下積み時代】 荊州の大都市、義陽の出身。死没時の年齢から逆算するに、190年代後半の生まれだと推定される。208年に曹操が荊州を制圧すると、母親や一族と共に遠く離れた汝南に農民として移住した。 父親は早くに亡くなっており家庭は貧しかったが、どうやら教育を受けられる程度の家格ではあったらしく(*1)、後に県の職員として採用されることになった。 といってもスタート時の身分は都尉学士、つまり町長のお供・兼・役人候補生といったところで、まだまだ正規の役人ですらない身分だった。 その後候補生ではなく正規に役人となるが、その役職は稲田守叢草吏、つまり町の税務署(兼農協)の下っ端役人と言ったところであり、やはり出世とは縁遠かった。 【まだまだ下積み時代】 若い頃のトウ艾は、かつて御者(運転手)として仕えたこともある名士郭玄信から「君の才能ならいずれ宰相にまでなれるだろう」と評され、また本人も軍事的に重要な地形を見ると測量して戦術を練るなど高い志をもっていたのだが、 しかし現実としては地方の小役人という立場に長く甘んじていた。 というのも彼は前述の通り背景もない貧家の出であり、またかなりきつい吃音症だったので、同僚や上司からはその点を馬鹿にされてなかなか評価されなかったのである。 このためトウ艾は、かなりの年齢(30代後半~40代)までを徴税・農業分野の地方役人として過ごすことになるが、それでもその優れた才能から少しづつ出世はしていき、最終的には上計吏にまでなっている。 上計吏とは地方の会計を中央に報告し、同時に質問に答えたり指示を受けたりする職で、地方官僚ではあったが中央の要職にある人に接する機会が多く、彼らに認められれば中央の出世コースにも乗れる立場だった。 そしてある年、この職務の為に洛陽に赴いたトウ艾は文字通りの「中央の要職にある人」の目に留まり、その才に着目した彼によって掾(属官)として迎え入れられることになる。 そう、当時大尉(国防大臣)として位人臣を極めていた司馬懿その人である。 【司馬懿の下で】 司馬懿によってようやく中央でのエリートコースに乗ったトウ艾は、徐々にその才能を天下に示し始める。 トウ艾が最初にその名を高めたのは、司馬懿から対呉戦線の視察のために南方に派遣された時の事。 現地を視察したトウ艾は「土壌は豊かだが水が足りていません。運河を作って水さえ引ければこの土地の収穫は跳ね上がるし、輸送の役にも立つでしょう」と司馬懿に進言した。 またトウ艾の報告はそれだけに留まらず「この地は豊かな収穫の可能性があるだけではなく、兵站拠点としても非常に優秀であり、対呉戦で大いに役立つと思われます」と具体的な数値を算出して説いてもいる。 司馬懿はこの報告を高く評価し、全てその通りに実行した。これによって対呉戦線には極めて強固な拠点ができ、また同地は水害もなくなり収穫量も上がって豊かな土地になることができた。 【武官デビュー】 こうして行政官として出世していったトウ艾は、ついに南安の太守に昇進した。また同地は蜀漢と面する最前線の一部であったため、同時に軍事面での役職・権限も与えられた。 249年になると、蜀漢の姜維が何度目かの北伐をかけてきたため、トウ艾も対蜀戦線の総指揮官であった郭淮の元でいよいよ実戦に参加することになった。 この戦い自体は、数と地の利を活かした魏軍に対して姜維が殆ど何もできずに引き下がる形になったが、それを見た郭淮は、今のうちに姜維に呼応した西の羌族を討伐しようとする。 しかしトウ艾はこの時「姜維は後退はしていますが、まだそこまで離れてはいません。好機と見れば引き返してくるかもしれません」と進言。 郭淮はこれを受け入れてトウ艾を守将として残したため、予想通りに引き返してきた姜維と、川を挟んで守りを固めたトウ艾との戦いが始まることになった。 姜維は廖化にトウ艾の軍を引き付けておくための陽動を命じて、自身は後方にある別の城を急襲しようとしたが、トウ艾は廖化の動きの鈍さからこれをあっさり看破。 大胆にも防衛線を放棄し、姜維の目的とみられた後方の城まで後退した。 この判断は功を奏し、城を狙っていた姜維は先んじてトウ艾が守っているのを見てこの攻略をあきらめ、今度こそ本当に撤退することになった。 初陣にして大戦果を上げたトウ艾は討寇将軍に昇進し、以後は軍事分野でも大いに活躍することになる。 【司馬家の重鎮】 司馬懿の死後もトウ艾はその子司馬師に重用され、城陽太守、汝南太守、兗州刺史と地方長官職を歴任しつつ、豊富な経験から来る的確な献言で彼を支えた。 トウ艾はこの時期司馬師に対し 「戦に勝つためには軍が強くなければなりませんが、軍を強くするためには農業生産力が高くなくてはいけません。国を強くするためには軍の前にまず民と農業です。人材を評価する際にはここを念頭に置かねばなりません」 と進言し、農政の重要さを説いている。 また長く地方で農業の実務に携わってきたトウ艾は自身の農政能力も抜群であり、各任地では的確な農業政策を施してその生産力を高め、次々と豊かな拠点に変えていった。 そして50代も後半に突入していたトウ艾だったが、軍事面でもその活躍は全く衰えなかった。 255年に起きた大規模な司馬家への反乱(カン丘倹・文欽の乱)では終始主力として活躍し、カン丘倹のかく乱工作を阻止したり、文欽軍を壊走させたり、呉からの援軍を防いだりと大戦果を挙げている。 【VS姜維】 しかし司馬師やトウ艾が南の方に注力している間に、西の対蜀戦線はえらいことになっていた。 253年に丞相費イが暗殺された後、督中外諸軍事となって軍権を掌握した姜維は積極的な北伐を敢行しており、魏に無視できない損害を与えていたのである。 まず254年には魏側の裏切りに乗じた形で3つの県が奪われ、阻止に向かった魏軍も大損害を受けて撃退された。 そして続く255年にはトウ水沿岸における戦いで雍州刺史王経が姜維と戦い、壊滅的な大敗北を喫した。この戦いで失われた兵士は万を優に超える数で、魏としては蜀漢の北伐が始まって以来の大損害となった。 更には姜維の活発な攻撃に伴い、これに呼応した西の羌族もまた不穏な動きを見せはじめていた。 魏にとっては割と洒落にならん危機的状況であり、トウ艾も仮節・安西将軍として急遽西に送られることになった。 しかし同地では「まあ負けたけど、所詮蜀だしこの程度が限界だよね」という楽観論が支配的であったため、トウ艾はブチ切れて 「姜維を舐めるな!こっちは大損害を受けているから絶対また来るぞ!すぐにでも来る!」 と叱咤して各地の防衛を、特に姜維の最優先目標と判断した祁山を重点的に固めた。 翌256年、姜維はトウ艾の予想通り祁山に攻め寄せてきたが、既に防御を固められた祁山の守りは固く、その周辺で多少の小競り合いをするだけに終わった。 やがて攻勢の限界に達した姜維は撤退し始めるが、しかしトウ艾はこれに抜かりなく追撃をかけ、段谷というところで姜維を捕捉し大打撃を与えて壊走させた。 蜀漢はこの戦いで万を超える将兵を失い、その勢いを完全に失った。また国内でも敗北した姜維への批判が大きくなって国論が分裂し、以後は一方的に衰退の道を加速していくことになった。 これ以降も姜維は何度か来襲してきたが、最早その軍に往時の力はなく、ことごとくトウ艾によって防がれる結果に終わっている。 それに対し、トウ艾は持ち前の行政能力を発揮して現地の経済力・防衛力の強化に励み、隴右地方を対蜀漢の一大拠点として飛躍的に成長させていった。 【征蜀】 段谷での大勝利から数年が経過すると、蜀漢は北伐推進派と反対派の激化する内部対立、なのに何をするわけでもない政治に無関心な君主、それをいいことに跳梁する宦官、と亡国フルコンボ状態に陥りつつあった。 これを見てとった魏の大将軍司馬昭は、今こそ蜀漢を滅ぼす好機であるとその意思を周囲に示した。 トウ艾は時期尚早と見たのかこの時期の侵攻には反対していたが、計画は司馬昭本人と鎮西将軍鍾会によって進められ、263年5月に決行されることになった。 しかし計画立案に関与しなかったのが祟ったか、この戦いでのトウ艾は初戦で姜維軍の拘束に失敗し、後退して難攻不落の剣閣要塞にこもる隙を与えてしまう。 姜維が守る剣閣はそのまま鍾会が攻め続けたが、その守りは固く、このままではらちが明かないとみたトウ艾は、司馬昭に 「敵の虚を突くべく、思ってもみないルートから敵の重要地点を強襲すべきです。一気に攻略できなくとも、剣閣に籠る戦力を分散させることはできます」 と進言し、自らその役目を買って出た。 トウ艾は侵攻ルートに無人の地である陰平道を選ぶと、ハンニバルのごとく山岳地帯の道なき道を無理やり強行突破する。 当然ながら軍どころか人間一人すらまともに通れるような地形ではなかったためその行軍・補給は困難を極め、犠牲も強いられたが、これによってトウ艾たち奇襲隊は見事蜀漢の虚を突くことに成功。 剣閣を越えた先にある江油関という砦に満身創痍でたどり着いたところ、守将馬邈があっさり降伏してこれを奪い取った。 このトウ艾の離れ業とも言うべき奇襲に蜀漢は慌てふためき、援軍として北に向かっていた諸葛瞻(諸葛亮の子)を急遽転身させて迎撃に向かわせる。 諸葛瞻は懸命に戦って一度はトウ艾を退けるが、2度目の攻撃には耐えられずに壊滅。 蜀漢の首都を守る戦力は完全に失われ、トウ艾はそのまま首都である成都へと進軍して、劉禅を降伏させた。 時に263年11月、蜀漢はここに滅亡し、三国鼎立の時代は終わりを告げた。この大功を賞し、トウ艾はついにかつての司馬懿と同じ、大尉の階級を与えられている。 既に70歳になろうとしていたトウ艾の最大、そして最後の大戦果だった。 【敵国破謀臣亡】 成都に入ったトウ艾は兵士に略奪を禁じて民心を安定させると、司馬昭に対して 「まずはこの蜀の地を上手く統治して軍を回復させ、やがては水軍を使って呉へ侵攻すべきです。そのためには降伏した劉禅を厚遇して人心を安定させるとともに、呉の皇帝孫休に対しても彼への寛大な処置を見せつけておくことが重要です」 と進言。そして独断で劉禅に行驃騎将軍の役職を与えてその財産を返却し、またその王子や重臣たちにも魏での階級を与えていった。 しかしいくら「戦時には前線の将軍には独断が許される」のが常識ではあっても、流石にこれは越権行為であった。第一既に蜀漢は制圧されて戦は終わっており、上に判断を仰ぐ時間がないわけでもない。 この事後報告を受けた司馬昭も「ちょっと自重しろよ」と注意したが、トウ艾は「この機を逃してはなりません。私は決して国家の損害になるようなことは致しませんのでご安心ください」と独断で事を進めることをやめなかった。 そしてこの両者の不協和音につけ込んだのが鍾会、胡烈、衛カンといった、「トウ艾に1番手柄を取られてしまった」将官たちだった。 彼らは揃って「トウ艾に反乱の気配あり」と司馬昭に何度も訴えたため、ついには司馬昭もこれを信じてトウ艾の解任と逮捕、そして首都への送還を決定した。 トウ艾は司馬懿に見いだされて出世コースにのり、そのまま司馬家3代に忠実に仕えてきた宿老である。 司馬昭からすれば反乱の疑いなど笑い飛ばせそうなものだし、現にこの命令にトウ艾が素直に従っているところから考えても、反乱の意思などなかったのは間違いない。 しかし司馬昭には重大な弱みがあった。彼は260年、主君であった皇帝曹髦を殺しているのである。 始皇帝が初めて皇帝を名乗ってから500年近くがたっていたが、この間に皇帝弑逆という究極の大罪を犯した臣下は、秦の元祖悪徳宦官こと趙高、後漢で跋扈将軍と罵られた梁冀、このわずか2名のみ(*2)。袁術陛下も病死だし まして司馬昭の場合、梁冀の様に裏でひっそり暗殺したわけですらなく、自らを逆臣として排除しに来た皇帝を返り討ちにして白昼堂々ぶっ殺してるわけで、どう考えても言い訳のきかない超大逆行為だった。「趙高のように自分から攻め込んだわけではない」といっても弁護にならないだろう。 仮にこの時代「秦漢魏ぐう逆(ぐうの音も出ないほどの逆臣)ランキング」を作ったりしたら、王莽や董卓あたりとトップの座を争えたこと間違いない。 つまり当時の司馬昭にとって、「逆臣司馬昭を討つと言って○○が挙兵しようとしています」と言われると、冗談では済まないリアリティを持ってしまう状況にあったのである。 しかし現実はさらに非情で、実際に挙兵したのはそのトウ艾を陥れた鍾会の方だったわけだが… トウ艾が逮捕されて都へ送られる途中、代わりに成都に入った鍾会は姜維と組み、打倒司馬昭を呼号し反乱を起こした。 この反乱はほどなくしてあっさり失敗するが、トウ艾への処置に怒っていた直属の部下たちは、上司を開放すべくこのどさくさに紛れて護送車に追いつき、彼と息子のトウ忠を救出した。 しかし反乱を鎮圧した軍監衛カンはトウ艾を逮捕した張本人でもあり、後に復讐されることを恐れてこれを襲わせ、息子のトウ忠もろとも彼を殺害した。 こうして264年1月、トウ艾は申し開きをする暇すら与えられずに反逆者として殺されてしまった。 洛陽にいた他の子どもたちもこの罪に連座して司馬昭に処刑され、妻や孫たちも流罪とされている。 【人物】 長い実務経験を背景に、軍人としては勿論、行政家、農政家としても高い手腕を発揮したマルチな人であり、いずれの仕事をさせても同時代でトップクラスの評価を得ていた。 軍事と違って内政というのは即座に結果が出るようなものではないが、トウ艾が自ら統治した地域はいずれも短期間のうちに急速な成長を遂げている。 特にトウ艾が隴右地方の拠点化に成功したことは、蜀制圧における最大の成功要因だったとすら言える。驚くべき行政手腕である。 後漢~晋にあたる時代は貴族制確立への過渡期であり、トウ艾のような低い身分から出世した人物にとっては非常に風当たりが強い時代だった。 ましてトウ艾の場合は吃音というハンデまで背負っていたのであり、そんな中を実力のみで出世したトウ艾の才能はまさしく驚異的と言えるだろう。 しかし一方で対人スキルはかなり壊滅的であり、その性格に関しては「強情」「性急」「無神経」「傲岸不遜」「自画自賛」「独断専行」など、なかなかお付き合いをためらってしまうNGワードが頻出する。 出自の低さもあって、(相応の身分から出ている)同僚や部下達とも非常に仲が悪く、トウ艾を慕っていたのは直属の部下と同郷の友人たち、そして長く同僚・戦友として共に蜀と戦い続けた陳泰ぐらいしかいなかった。 そしてこのコミュ力の低さは結局、彼に悲劇的な最後をもたらすことにもなった。 後の晋の時代、かつてトウ艾の部下だった段灼という人物が皇帝司馬炎に対し、 「トウ艾は決して謀反しようなどとしたわけじゃないんです。ただ強情でコミュ障でぼっちだったから、誰も彼をかばってくれなかっただけなんです」 と割とひどいことを言って彼を弁護しており、「三国志」の著者である陳寿も「素晴らしい才能と実績を持っていたが、身を守る配慮が無かったので命を落とした。諸葛恪を手厳しく非難していたが、ぶっちゃけおま言うである」(意訳)と断言している。 それ以外に伝わっていることとして、豚足が大好きで食卓には毎日豚足を出させていたという。 料理人も鄧艾が飽きないようにと、鄧城葉氏猪蹄という豚足に複雑な味付けをする技法が編み出され河南省の無形文化遺産となっている。 【家族】 『トウ忠』 嫡男。蜀漢制圧時には父の部下として武将を務めるが、蜀のMr.七光りこと諸葛瞻の守りを突破できずに引き下がるというかっこ悪い所を見せてしまう。 しかし父に「諸葛瞻は強い……まだ勝てない……」と正直に話したところ、「殺すぞ」という身も蓋もない恫喝を受け慌てて命乞いすることに。 そして次の日は死に物狂いで諸葛瞻のこもる綿竹関を再攻撃し、ついにこれを制圧するという戦果を上げた。 しかし蜀制圧後は父親と共に反逆者として逮捕され、前述の通り衛カンに殺されている。 後に彼の子は司馬炎にその罪を許され、宮廷に復帰している。 創作では妙に優遇されており、三国志演義では役者のような白皙の美青年として登場し、姜維と一騎打ちをしてこれを圧倒するという凄まじい強さを見せつけている。 また「若イケメンこそ正義」な現代サブカル分野では人気が沸騰中で、特に中国の三国志関連ではこの手の息子キャラの中で1.2を争う人気を集めているようだ。 【創作作品におけるトウ艾】 三国志創作界隈におけるトウ艾は、一言で言うと「輸入型」に属する。 つまり張飛や趙雲などのように、大衆向けの講談・戯曲・演劇といったメインストリームで成長してきたキャラ達とは異なり、本来別系統の創作で目立っていた人がスピンアウトされて入ってきた感じのキャラである。 同じような経緯をたどって三国志系に「輸入」されてきたキャラには関索、周倉、曹植、左慈などがいるが、トウ艾の場合は彼らと比べても非常にその時期が早い。 @演義以前@ トウ艾の三国志創作への登場は、現代の知名度からは想像もできないほどに早かった。 その時期はなんと唐の時代、つまり三国志創作がジャンルとして確立し始めた草創期にまでさかのぼる。 当時の魏の将でレギュラーだったのは曹操本人、張遼、司馬懿、そしてトウ艾ぐらいのものであり、まさしく破格の扱いだったと言える。 なぜここまでの扱いを受けていたのかと言うと、それはひとえに彼の「知名度の高さ」故である。 当時の中国におけるトウ艾の扱いは以下のような感じだった。 ◆「エリート層のトウ艾像」 儒教的教養のある層からは、トウ艾は「魏晋時代の悲運の名臣」として有名だった。 「国に忠誠を尽くした忠臣だったが、讒言を受けて陥れられた」トウ艾は、ある意味士大夫にとって理想とするタイプの人なのである。 漢民族は本来、実務能力と同じぐらいに保身の能力を重視する。 彼らは国家に責任を持っているが、同時に家、つまり先祖にも責任を持っているからである。漢民族にとって家の祭祀を保つと言うのはそれほどに重いのだ。 なので「いくら功績を上げても、家が守れないんじゃねえ」というのが士大夫の公式見解なわけだが、しかし同時に「でも実はそのスジ通すところにちょっと憧れるかも……」と言う密かな本音もある。 そういう感情が「白起とかトウ艾とかいいよね……」「いい……」的な感じで密かな憧れとなるのである。 ただトウ艾は出自が貧しいため、晋~唐にかけての貴族社会ではマイナス方向へのバイアスも小さくはなかったが、いずれにしても士大夫層での知名度は非常に高かった。 ◆「庶民のトウ艾像」 そして庶民、あるいは土豪などの低い身分の人々にとっても、トウ艾は三国志モノに登場する前から高い知名度を誇っていた。 しかしそれは武将としてではなく、もちろん政治家としてでもなく、なんと神様としてであった。いや、もっと正確に言うなら「怨みを呑んで死んだ祟り神」とみなされていたのである。 詳しく説明すると、まず中国の道教には古くから「厲(れい)」という宗教概念がある。 これは「非業の死を遂げた大人物の霊は瘟神(おんしん。疫病神のこと)となり、生きている人に疫病や天災などの災厄をもたらす」と言う考え方で、日本の怨霊信仰の源流ともいわれる古い民間信仰である。 「寒門の出から実力で立身し、敵を撃ち滅ぼして大功を挙げたが、無実の罪で無念の死を遂げた」トウ艾は、まさしくこの厲の条件にぴったりハマる存在だった。 唐代のオカルト系道教書には「大鬼主トウ艾」という恐ろしい名前で記載されているほどで、完全に瘟神の中でもボスクラスに出世していることがわかる。 この祟りを恐れた民衆、特に蜀や隴右の人々によってトウ艾は篤く信仰されており、これが高い知名度に繋がっていたのである。 とまあこういった感じに幅広い層で知られていたトウ艾は、三国志系の作品で「曹操サイドの将軍」として登場させるのに便利だったというわけ。 しかし当時の三国志創作は到底歴史創作と呼べるようなものではなく、どちらかというと歴史上の人物が登場するエンタメ作品であり、その人格や業績などはほとんど再現されていなかった。せいぜい「吃音」という要素が強調されていたぐらい。 これはトウ艾に限らず、張飛や孔明、曹操などと言った他のメインキャラでも同様である。 @三国志演義@ 元代になると、それまでに蓄積されてきた講談や戯曲などの三国志系創作を寄せ集め、一つの歴史物語として編集していく流れができた。これによって生まれたのが「三国志演義」である。 三国志演義ににおいて敵役である魏将は割とぞんざいな扱いを受けることが多いが、そんな中でトウ艾は比較的好待遇を受けている。 ▼「若い」 史実で言えば長坂の戦いの頃にもう生まれているトウ艾の方が5歳ぐらい年上だが、なぜか姜維から「小僧」呼ばわりされる年齢になった。 でも若武者枠は息子のトウ忠が持っていく感じなので、青年と言う感じでもない。 ▼「強い」 初登場シーンからして「司馬師の陣を奇襲して無双している文鴦の前に颯爽と現れ、一騎打ちを演じてこれを退ける」という美味しい場面であり、その後姜維とも2度にわたって互角の一騎打ちを繰り広げている。 ちなみに息子はもう少し強い。 ▼「賢い」 軍を率いても強く、対姜維戦に投入されると、その知略でそれまで優勢気味に進めていた姜維の北伐を一気に打ち砕く活躍を見せた。トウ艾改善は賢く強い! しかし姜維も孔明同様、「負けたけど敵将を倒したので痛み分け」「勝ってたけど讒言で呼び戻された」「オリジナルの戦いが追加されてそこで勝利」などのセーフティが高確率で作動するので、物語上はそこまで強い印象は受けない。 互角かやや有利といった感じ。 ▼「出世頭、吃音」 再生怪人ばりに出てきては使い捨てられるのが基本の魏将としては珍しく、「幼くして父親と死に別れ、周囲の人々からも認められなかったが、司馬懿だけがその才能を認めて高い地位につけた」と、そのキャラ背景まで語られている。 また「吃音だった」こともちゃんと劇中で触れられてはいるが、彼の発言が実際にどもることはない。古い講談や戯曲などでは(ギャグ的な扱いで)どもっていたようだが、演義成立の際には削られてしまったようだ。 ▼「特に性格に難がある人物ではなくなった」 演義のトウ艾は道徳的にも立派な士大夫であり、史実のようなコミュ障な面は抑えられている。 せいぜい蜀を制圧した後に「大将が呉漢でなくてよかったな、呉漢だったらお前らもう死んでるぞ」(*3)と自慢げに言ったぐらい(これは正史にもある)。 とまあこんな具合で、演義終盤の主役の一人として申し分ないキャラに仕上がっている。 しかし正史要素が加わったことでキャラとしては大きく躍進した反面、登場シーンそのものは大幅に減ってしまった。 古い時代はそれこそ長坂の戦いにも平気で出ていたりしたのだが、三国志の登場人物として組み込まれた以上、流石にそういう時代無視プレイもできなくなってしまったのである。 なのでこれ以降のトウ艾は、「キャラが立つにつれて出番が減る」という珍妙な現象に悩まされることになった。 @それ以降@ 創作としてみた場合、三国志の主役は何といっても劉備達桃園3兄弟+孔明であるのは間違いない。 このため活動時期が彼らとかぶらないトウ艾は、どうしても三国志創作のメインストリームではプッシュが弱くならざるを得なかった。 また時代を経て蜀漢正統論(魏は簒奪者であり、劉備の蜀漢こそが正統な王朝であるとする考え)が力を持っていくに従い、トウ艾への好意や信仰も薄くなっていった。 彼が忠誠を誓うのが魏の皇室ではなく、すでに簒奪ムードに入っている司馬氏だというのもネックか。 悪役の簒奪王朝をさらに簒奪しようとしている悪党のもとで、しかも主人公側の国に引導を渡すという活躍を見せられても、読者としては感情移入しづらいだろう。 現代になるとアニメやゲームなどの新しいジャンルの創作が躍進しているが、やはり登場期間という致命的な問題はいかんともしがたく、あまり目立つ存在とは言えない。 むしろ物語を見る目がシビアになった現代では、(はっきりいってあんまり面白くない)孔明死後の展開はきっぱりと切り捨てられることも多く、なおのこと状況は厳しくなっていると言えるかもしれない。 だが出てきた場合は基本的に優遇され、文武両道のナイスミドルである事が多い。 性格も真面目ながら、吃音持ちかつコミュ障な事をアレンジし「口下手」「冗談が下手」「物事を率直に伝えがち」なキャラになる事が多い。 『横山三国志』 多くの三国志演義系作品同様、孔明死後の扱いはとってもぞんざい。孔明の死から蜀滅亡までの約30年間を最後の1巻、話数にして11話だけで突っ走っている。 トウ艾も263年の蜀制圧直前に唐突に初登場し、 姜維「さあ来いトウ艾!俺は実は剣閣を迂回されただけでで死ぬぞオオ」 トウ艾「チクショオオオオくらえ姜維!難所行軍(※三国志11)!」 姜維「グアアアア!この麒麟児と呼ばれる姜伯約がこんな小僧に……」 トウ艾「この後にまだ俺の逮捕とか呉の滅亡とかがあった気がしたがそんなことはなかったぜ!」 こんな感じでフェードアウトする。 横山三国志は作画資料として中国で出版されていた二種類の連環画(絵本)を参考にしているのだが、トウ艾はなぜか連環画と違って周倉型のヘルメット兜になっている。 本来の連環画ではトウ艾は所謂「コーエー三国志式」のつばが反り返った帽子のようなアレを被っているのだが、これは恐らく横山先生が帽子のつばの反り返り部分を、下から見たつばの裏側と見間違えたものと思われる。 『コーエー三国志』 連環画由来の例の帽子がソンブレロ(メキシカンが被ってる例の帽子)に似ているということで、ドンタコス呼ばわりされている。IIIの頃から欠かさず被っているところを見ると相当にお気に入りのようだ。 性能的には魏でも屈指の強武将であり、統率・武力・知力のトータル部門では関羽・趙雲・姜維らと毎回トップを争えるレベル。 能力傾向としてはライバル姜維に酷似しており、3つの数値が満遍なく高いバランス型。しかし基本的に統率でわずかに上回り、知力でわずかに下回る傾向がある。 しかし姜維は7あたりから急激に政治の数値が低下したため、政治や魅力を併せた合計ではトウ艾がほぼ勝っている。まあトウ艾はトウ艾で魅力があまり高くないので僅差だが。 『三國無双』シリーズ 5までのモブ武将時代は無双演舞で三国志後期の描写が殆どなかった(基本的に五丈原と合肥新城が最終ステージ扱いだった)ため、本編ではかなり地味な存在。 しかしモブにも個々でステータスが設定されるEmpiresシリーズでは例外的に能力が異様に高く、名将としての貫禄と存在感を保っていた。 6で北伐以降の後期魏武将で構成される「晋」勢力の実装と同時に、その所属武将として脱モブを達成。CVは小原雅人。 武官としての活躍時期が50代以降と言う史実を反映してか、若いイケメンが多い近作ではめずらしいおっさん顔。 しかも黄蓋にも負けないガチムチ体型の持ち主というかなりいかついビジュアルだが、性格は非常に真面目で落ち着いた常識人。 史実由来で元は文官という設定もあるが、なんでも「任務で力仕事をこなすうちにこうなった」らしく、そのムキムキの肉体を活かした必殺関節技も見せてくれる。 6以降のタイトルでは自由な武器持ち替えができるためキャラ性能の差はやろうと思えば均一化はできるが、 得意武器の螺旋槍は見た目がドリルで「全攻撃がガードブレイク」という特性を持つ凄まじい重量武器。 一方で固有性能の無想乱舞などはまあ可もなく不可もなく、しかし関節技があるのでロマンはあり、といったところ。 7empiresでは螺旋弩というガトリング砲に持ち替えたが、こちらも癖はあるがなかなか強力。稲姫最終形態。 吃音・コミュ障といった部分については流石に再現されていないが、そもそも前述の通り演義の時点でもろくに採用されていない要素なので、原作通りと言えなくもないかも。 『三国志大戦』シリーズ イラストごとにキャラ付けも能力も異なる本作だが、知勇兼備のイケメンで共通している。 旧版では2からの登場で、高知力の伏兵持ちかつ張遼の持っていた「神速の大号令」の短時間版で小出しにしやすい「刹那の神速」で大暴れ。 しかしやりすぎたあまり3ではエラッタが施され、計略も自分が相手から見えなくなる単体強化の「隠密の神速行」にされた。 新版でも同様のスペックで再登場しているが、新たに晋勢力が追加されたことでそちらでも登場。 いずれも自身の武力と速度が上がることは共通している。 また遊軍が追加された際にはそちらでも出ており、どの鄧艾を使うかでプレイヤーの頭を悩ませている。 『追記:修正だ!』(ヘッドシザーズホイップをきめながら) △メニュー 項目変更 この項目が面白かったなら……\ポチッと/ -アニヲタWiki- ▷ コメント欄 [部分編集] 鄧艾ナイスガイ -- 名無しさん (2017-04-26 01 51 59) 豚足が大好物で自分で料理を作ったくらい。この豚足料理は今でも中国に残ってる。そういえば地図作りのことに触れてないな。当時地図作りは相当変わった趣味で同僚から笑われていたが段谷の戦いでその有用性を大いに示した。 -- 名無しさん (2017-04-26 04 02 03) あとトウ艾をはめて殺した奴らはロクな末路を辿っていない。鍾会を反乱失敗で戦死、衛カンは皇后の讒言により処刑、胡烈は羌族の反乱で戦死、師纂はトウ艾と同時期に何故か殺された(短気で死体が傷だらけだったらしいのでたぶん怨恨) -- 名無しさん (2017-04-26 04 17 21) 有名な人だったから昔からあちこちに廟があったけど、演義とかの影響で「敵を祀るのはよろしくない」って関帝廟とかに改造されちゃったりしてるなかなかに不憫な人 -- 名無しさん (2017-04-26 11 16 27) 蜀を滅ぼした存在ではあるものの劉禅を厚遇したこと、その悲劇的な最期などから、蜀贔屓からも比較的マイナスイメージを持たれにくい印象 -- 名無しさん (2017-04-26 11 31 39) 独断専行ながらも蜀の統治は評判がよかったのか、蜀の官僚だった樊建は司馬炎に鄧艾の赦免を願い出て許されたらしい。 -- 名無しさん (2017-04-26 12 59 33) ぐう逆とかいう突然出現するパワーワード -- 名無しさん (2017-04-26 16 16 31) 蜀滅亡直後はそのゴタゴタに乗じた西南夷や旧蜀臣の反乱、呉によるハイエナが予想される状況だったわけで悠長に中央政府に指示を仰いで待ってる余裕があったかは微妙な所じゃないかな・・・実際は鍾会・姜維の乱と呉の侵攻の時期がズレてくれたおかげでどうにかなったわけだけど -- 名無しさん (2017-04-26 17 07 08) 黄皓に賄賂とかを贈って内通させたりしてたら(実際は斬ろうとして逃げられた)一発で人形劇呂蒙化してたかもね。 -- 名無しさん (2017-04-26 18 01 22) ↑2 呉の侵攻に関しては羅憲か -- 名無しさん (2017-04-26 19 59 53) ミス ↑3 呉の侵攻に関しては羅憲がギリギリ持ちこたえてくれたおかげで首の皮一枚でつながったからな。羅憲は一度司馬昭に援軍要請をしたけどこのゴタゴタのせいか送ってこれなかったからな。ちなみにようやく送ってきた援軍を率いていたのはよりにもよってトウ艾殺害の主犯者の一人である胡烈という。 -- 名無しさん (2017-04-26 20 05 22) ↑4 南中に関しては霍弋がうまくまとめていたおかげで何ともなかったからな。 -- 名無しさん (2017-04-26 20 08 29) 三国志大戦2の姜維と鄧艾のストーリーは超かっこよかった -- 名無しさん (2017-04-26 21 53 02) 小前亮さんの姜維伝って小説で吃音しっかり拾ってて驚いた。異常に格好良い夏侯覇が退場してこの後の展開大丈夫かと思ったら華麗に主役奪っていったわ。胡烈が友人ポジで丘建と共に鍾会よりキャラ立って魅力的に書かれてるって優遇受けてるけど鄧艾好きは読むべき。 -- 名無しさん (2017-06-25 01 25 48) 司馬昭にとっては鄧艾、鍾会、姜維三者共倒れしてくれてよかったと思っていそう -- 名無しさん (2021-02-14 11 06 04) 鍾会は野望と器が釣り合っていないと友人から行く末を心配されていた。 -- 名無しさん (2021-02-28 01 09 32) 鍾会が反乱を起こさなくてもいずれは司馬昭に消されていた可能性が高い。 -- 名無しさん (2021-03-14 00 46 16) 強襲案が採用されて成功した魏延ってとこかな?有能だけど周りに味方がいなくて反逆者扱いされて殺されたとことか似てるし。 -- 名無しさん (2022-05-27 20 30 25) 部下の擁護が的確であるがゆえにヒドイけんについて -- 名無しさん (2022-05-27 20 44 16) 名前 コメント