約 97,224 件
https://w.atwiki.jp/nicosangokushi/pages/196.html
リスト 【ニコニコ動画】魔理沙たちは三国志Ⅶで遊んでいきました 登録武将 東方Project 博麗 霊夢、霧雨 魔理沙 レミリア・スカーレット、フランドール・スカーレット、十六夜 咲夜、パチュリー・ノーレッジ、紅 美鈴 西行寺 幽々子、魂魄 妖夢、八雲 紫、八雲 藍、橙、アリス・マーガトロイド 蓬莱山 輝夜、八意 永琳、鈴仙・優曇華院・イナバ、因幡 てゐ、上白沢 慧音、藤原 妹紅 四季映姫・ヤマザナドゥ、小野塚 小町、射命丸 文 ストーリー ニコニコ動画から一時期三国志Ⅶの動画が姿を消したのを受けて、三国志Ⅶが幻想郷入りしてしまう。 そして、宴会までの時間つぶしにと幻想郷の人妖あわせて20人強で遊んでみることになった。 4つの勢力に分かれて支配都市数を競う。期間は6~7年。 紙芝居部分について 東方系動画によくある異変解決ではなく、純粋に東方Projectの登場人物が三国志Ⅶで遊ぶとどうなるか、という話。 登録武将は(作者の知識の限度で)原作設定重視。輝夜がニートではなく、美鈴も名前で呼ばれるなど東方系では正統派の動画。 台詞回しも原作らしさが尊重されているのは嬉しい。ちなみに顔グラもZUN絵である。 中華武将は原則として正史準拠だが、三国志演義や、プレイ時の行動なども参考にしつつ意外と細やかにキャラ設定がされている(キャラブレイクは無し)。 登録武将と同列に扱われているので、普通に出番があり、普通に活躍している。 紙芝居の雰囲気はニコニコの歴史戦略ゲームプレイ動画の中では真面目な部類に属する。というか勉強になる。 流石は 東方緋想天に学ぶ中国古典 の作者。 もっとも、軽いノリを維持するように作られているので気軽に見ることができるのはいい。 言葉遊びのセンスはかなり高く、やたらと上手いこという。気づいたらニヤリとさせられる。 原作に忠実に作られているため、東方を知らないけど東方系の戦ゲー動画を見てみたいという人に勧めたい。 ストーリーラインは各勢力ごとに別個独立のもので、話数は時系列順のため飛び飛びになるので注意。 なお、リストには○○編その○、というような索引と、当該回のコンセプト、登場した武将の寸評などがある。 +ストーリーごとに並べなおした場合の話数 霊夢編 :1話→4話→7話→8話→17話→19話→ レミリア編:2話→9話→14話→15話→ 幽々子編 :3話→11話→16話→ 輝夜編 :5話→10話→12話→18話→ 解説編 :1.5話→2.5話→3.5話→4.5話→5.5話→(6話後半→)10.5話→13.5話→19.5話→ その他 :0話、外伝、6話、13話、CM プレイ部分について 使用シナリオはPC版(無印)のシナリオ1「豺狼帝都を制し漢室衰退す」。難易度上級だと思われる。 三国志Ⅶの動画がなかったためか、基本的な紹介も兼ねており、丁寧な解説(特に戦闘関連)はありがたい。 戦争パートではお手本のような戦い方を見せるが、そのため毎回圧勝してしまうのは悩みの種のようだ。 実は三国志動画というよりFEのプレイ動画あたりに近いつくりをしている気がする。 マルチプレイ。AIに任せるといろいろカオスな方向(滅亡したり、斬首したり)へ行くための措置である。 そのためプレイヤーキャラは毎回異なり、君主プレイだとできないこと(防衛戦で罠を設置するなど)も紹介されている。 各君主の他、咲夜・アリス・韓浩・張飛などがプレイヤーキャラになったことがある。 君主の影が薄いどころか登場しない回もあるのもⅦならではだろうか。 ステータスの決め方は独特な方法で一見の価値あり。東方と三国志の知識があることをうかがわせる。 簡単なキャラ紹介も兼ねているので東方に詳しくない人は先に見るのもいいかもしれない。 許子将先生の東方月旦評が見れるのはこの動画だけ! その他 作りはとても丁寧。動画作りに慣れていくに従って字幕が増えたり変わったりする。 うp主は「思いついたらついやっちゃうんだ」とのことで、本編とは関係のないおまけがたまに登場する。 見る人は多くないが、見た人の評価は高い動画、という気がする。 実は 蜀将戦隊 ゴレンジャイ Ep.1 というとてもシュールな動画をうpしたこともある。 コメント欄 解説つくってみました -- 名無しさん (2008-03-20 05 15 33) キャラの喋らせ方がなんとも巧い、そして親切な解説、息切れしないように頑張って欲しい -- 名無しさん (2008-03-21 01 10 34) ステの付け方が面白いし納得できる。うp主、東方と三国志両方が好きなんだな -- 名無しさん (2008-03-21 10 56 33) 解説を充実させてみました。10.5話は良かった -- 名無しさん (2008-04-28 22 51 56) 面白い動画だと思うんだけどどうも伸びないなあ。やっぱ二次ネタある方がウケがいいのかしらね。 -- 名無しさん (2008-04-29 03 07 25) Ⅶは魅せる動画としては厳しいのだろうか… -- 名無しさん (2008-04-29 03 12 07) 面白い動画というより、ためになる動画として見ている。あと輝夜がとても輝いている -- 名無しさん (2008-04-29 16 11 22) 珍しくZUN絵を使用。人によってはZUN絵否定派もいるだろうが、ZUN絵が好きな俺としては、ぜひあの独特の味わいがある絵に触れてほしいw -- 名無しさん (2008-04-29 18 20 24) 削除するかどうか悩んでいたようだが是非続けて欲しい。せっかくこの動画を契機にⅦを買ったのだから -- 名無しさん (2008-06-23 09 49 59) 全体的に淡々としていて、魅せる動画ではなく説明動画になってる気がする -- 名無しさん (2008-08-13 03 51 14) 外部板でうp主PCご臨終のお知らせ。バックアップはあるけど買い替えはすぐにはいかないので10月中に更新再開できるかどうかだそうだ。 -- 名無しさん (2008-09-23 15 10 52) なんですとーー!! -- 名無しさん (2008-09-27 15 51 25) 祝復活 -- 名無しさん (2008-12-09 20 33 21) また更新が止まった・・・誰かうp主の居場所を知らんかね・・・ -- 名無しさん (2009-04-14 19 55 40) うp主の年明けはまだらしい・・そんな冗談はおいといて、せめてどんな状況か伝えて欲しいと思う。待っている人はここに居る。 -- 名無しさん (2009-10-08 00 45 55) 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/nicosangokushi/pages/50.html
[部分編集] SOS団が中華制覇に乗り出すようです http //www.nicovideo.jp/watch/sm540720 使用ゲーム 三國志Ⅸ シナリオ・担当勢力 反董卓連合 ハルヒ(小沛) シナリオ設定 上級、抜擢あり プレイ上の縛り - プレイ動画形態 紙芝居あり 登録武将 涼宮ハルヒの憂鬱ほか(下記参照) 史実武将の扱い - 投稿時期 2007年7月1日~2008年5月31日(更新停止) 投稿者名 affluent777 関連タグ 【ハルヒ三国志シリーズ 】 ニコニコ大百科 - マイリスト SOS団が中華制覇に乗り出すようです 備考 SOS団で中国制覇(三國志11)は別動画。 [部分編集] 登録武将 涼宮ハルヒの憂鬱・ひぐらしのなく頃に・ランスシリーズ・FF7・その他 簡単な解説 タイトルの通り涼宮ハルヒを君主にしたプレイ動画。差し替え系では最古参だが全体的な印象は地味。 プレイ自体は下手な方で、縛りも特に無いようなのでプレイの華麗さを求める人にはお勧めできない。 勢力拡大を中断してまでストーリーを挟むために、他の動画に比べて紙芝居の比率が高い。三国武将と登録武将の絡みも多く、連環の計と臧霸の優遇っぷりは必見。登録武将が全員公開されていないのも特徴。 途中でリセット(武将登録のミスによる)があったり予告無く長期間更新が停止するなど不安な部分が多いが、最近アップされた総集編で大体の流れがわかるようになっている。 余談だが、最初に「紙芝居」という名称が使われたのはこの動画だったような気がする。 コメント欄 中断が長すぎたためか再生数減少中。みんな帰って来い。 -- k (2007-11-03 01 43 41) うp主曰く「院試が終わるまで自粛」とのこと -- 名無し (2007-12-26 05 02 03) 先日ようやく復活。ちなみにうp主は就職されたとのこと。 -- 名無しさん (2008-05-11 21 51 15) 数えてみたら動画30本以上袁紹と戦ってた -- 名無しさん (2008-05-31 23 24 59) 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/tsundereidayon/pages/522.html
孔明「おまえの処刑が決定したぞ」 馬謖「ああ」 孔明「馬鹿な事をしたな」 馬謖「いや。後悔はしていない」 孔明「心底、馬鹿野郎だな」 馬謖「おまえに比べればな」 孔明「・・なんであの時云うこと聞いてくんなかったんだよぅ!」 馬謖「間違った判断だったとは思わない」 孔明「ばか・・っ! ばかバカぁぁっ!」 馬謖「泣くなよ」 孔明「だ・・って・・」 馬謖「かわいい顔が台無しだぞ」 孔明「ば、ばかっ! 死んじゃえっ!」
https://w.atwiki.jp/soutoku/pages/20.html
<魏 226年> <蜀漢 226年> <呉 226年> 226年 黄初七年(魏) 皇帝 曹丕→曹叡(魏) 皇后 郭氏(文德郭皇后・安平広宗の人)→皇太后に。 三公 太傅:→鍾繇 太尉:華歆(前司徒) 司徒:王朗(前司空) 司空:陳群(前鎮軍大將軍) 九卿 その他の要職 大司馬:→曹休(前征東大將軍) 大将軍:→曹真(前中軍大將軍) 驃騎大將軍:司馬懿(前撫軍大將軍) 主な事件 七年春正月、許昌に行幸する。許昌の城南門が故無く自ら崩れる。帝は心から之を嫌う。遂に入らず《三国志魏書文帝紀》 正月壬子、洛陽宮に還る《三国志魏書文帝紀》 三月、九華台を築く《三国志魏書文帝紀》 夏五月丙辰、帝の病篤く、中軍大將軍曹真、鎮軍大將軍陳群、征東大將軍曹休、撫軍大將軍司馬宣王を召す。並びに嗣主を輔政するよう遺詔を授け.後宮の淑媛を遣わして昭儀以下実家に帰す《三国志魏書文帝紀》 夏五月、文帝は病篤く、曹叡を皇太子と為す《三国志魏書明帝紀》 五月丁巳、嘉福殿において帝は崩御した。時年四十《三国志魏書文帝紀》五月丁巳、曹叡は皇帝に即位する。大赦。皇太后を太皇太后に、皇后を皇太后と尊ぶ。諸臣に封爵し各々格差有り《三国志魏書明帝紀》 五月癸未、母の甄夫人に追諡して文昭皇后とす《三国志魏書明帝紀》 五月壬辰、皇弟の曹蕤を立てて陽平王と為す《三国志魏書明帝紀》 六月戊寅、首陽陵に葬る。自殯及び葬送は皆終制をもって從事する《三国志魏書文帝紀》明帝は送葬せんとするが、曹真、陳群、王朗等が暑熱のため固く諫めたため止した《三国志魏書文帝紀に引く魏氏春秋》 八月、孫權は江夏郡を攻め、太守の文聘は堅守する。朝議では兵を発して救わんとするが、曹叡は孫権が勝てないことを予見して、先ず治書侍御史の荀禹を遣わして邊方を慰勞させる。禹は到ると、縣兵及步騎千人を山に登らせ狼煙を挙げた。孫権は退走した《三国志魏書明帝紀》 八月辛巳、皇子の曹冏を立てて清河王と為す《三国志魏書明帝紀》 吳將諸葛瑾、張霸等が襄陽を攻撃する。撫軍大將軍の司馬懿は之を討ち破り張霸を斬る。征東大將軍の曹休はまた其別將を尋陽に破る。論功行賞があり各々格差があった《三国志魏書明帝紀》 冬十月、清河王の曹冏が薨ず《三国志魏書明帝紀》 十二月、太尉の鍾繇を太傅、征東大將軍の曹休を大司馬に、中軍大將軍の曹真を大將軍に、司徒の華歆を太尉に、司空の王朗を司徒に、鎮軍大將軍の陳群を司空に、撫軍大將軍の司馬懿を驃騎大將軍と為す《三国志魏書明帝紀》 この年、後の明悼毛皇后は曹叡が皇帝に立つと貴嬪となった《三国志魏書后妃》 誕生者 死没者 曹丕(字子桓):魏文帝。 ゼイ玄(娘が孫登の妃・リツ陽侯)《呉書潘濬伝》 呉範(病死)《呉書呉範伝》 張霸:司馬懿に破れ斬られる
https://w.atwiki.jp/soutoku/pages/12.html
<魏 263年> <蜀漢 263年> <呉 263年>? 263年 景元四年(魏) 皇帝 曹奐(字景明・魏常道鄉公) 皇后 (空位)→卞氏 皇太子 三公(魏) 晋公:→司馬昭(相国) 相国:→司馬昭(晋公) 太傅:司馬孚(前太尉) 太保:→鄭沖(前司徒) 太尉:高柔(前司徒) →(死亡) →鄧艾(前征西將軍) 司徒:鄭沖(前司空) →鍾会(前鎮西将軍) 司空:王祥(前司隸校尉) その他の要職(魏) 錄尚書事:司馬昭(大将軍)→ 太常: 光禄勳: 衛尉:→ 太僕: 廷尉:→ 大鴻臚:→ 宗正:→ 大司農:→ 少府:→ 大将軍:司馬昭(大都督を加号)→ 驃騎将軍:王昶 車騎将軍:孫壹 衛将軍:? 地方官 司隸校尉: 冀州牧: 幽州牧: 并州牧: 青州牧: 徐州牧: 兌*州牧: 揚州刺史:? 雍州刺史:諸葛緒 交州牧:孫壹? 梁州: 主な事件 四年春二月、また大將軍に爵位を進め九賜を具えるように命じた。前の詔と同様であった。しかしまた固辭して沙汰止みとなった《三国志魏書三少帝紀陳留王奐》 夏五月、詔に曰わく「蜀は小國で土地は狹く民は寡ない。しかし姜維は虐げてそれらを酷使し、止める気もない。先年破れた後、なお沓中に留まって耕作している。羌族を勞役し民は命を全うできない。人を致して人に致されずが兵家の上略だ。蜀が恃れ賴るのは唯姜維だけである。今、征西將軍の鄧艾に諸軍を督帥させ、甘松に赴き沓中で姜維と交戦せよ。雍州刺史の諸葛緒は諸軍を督して武都に赴き、高く樓を築き、首尾応じて討て。もし姜維を捕らえたならば、東西より並進して巴蜀を掃滅せよ」また鎮西將軍の鍾會に命じて駱谷経由で蜀を討たせた。《三国志魏書三少帝紀陳留王奐》秋、蜀征討の詔勅が下った《三国志魏書鄧艾伝》 秋九月、太尉の高柔が薨ず《三国志魏書三少帝紀陳留王奐》 冬十月甲寅、また大將軍に位爵を進め九賜を具えるよう命じた。前の詔と同様であった。《三国志魏書三少帝紀陳留王奐》 十月癸卯、皇后に卞氏を立てる《三国志魏書三少帝紀陳留王奐》 十一月、大赦《三国志魏書三少帝紀陳留王奐》 十一月、鄧艾、鍾會が率いる軍は蜀を征討し至る所で勝利する。《三国志魏書三少帝紀陳留王奐》 十一月、蜀主の劉禪が艾に降る。巴蜀は皆平定される。《三国志魏書三少帝紀陳留王奐》 十一月、魏帝は晉公の司馬昭に命じて相國と為し百揆を総攬させる。侍中、大都督、錄尚書は返した。《晋書帝紀太祖文帝昭》 十二月庚戌、司徒の鄭沖を太保と為す。《三国志魏書三少帝紀陳留王奐》 十二月壬子、益州を分けて梁州を置く。《三国志魏書三少帝紀陳留王奐》 十二月癸丑、特に益州の士民を赦し、また五年間租賦之半分を免除する。《三国志魏書三少帝紀陳留王奐》 十二月乙卯、征西將軍の鄧艾を太尉に、鎮西將軍の鍾會を司徒と為す。《三国志魏書三少帝紀陳留王奐》十二月、蜀征討の功績から詔勅によって鎮西将軍鍾会を司徒に任じ、県侯として領邑一万戸を加増した。二人の子を亭侯に取り立て領邑千戸を与えた。《三国志魏書鍾会伝》 皇太后が崩御する。《三国志魏書三少帝紀陳留王奐》十一月、明元郭皇后が崩御した《三国志魏書鍾会伝》 誕生者 死没者 諸葛瞻(蜀の丞相諸葛亮の子) 鍾イク(鍾会の兄・病死)
https://w.atwiki.jp/sangokusiwiki/pages/21.html
第一回クイズ大会 暇なのか暇じゃないのか、分かりませんがクイズ大会を開きます。主催者は黄権公衡です。今回は三国志関係から出します。1~10まで問題を出し、多い人が優勝です。因みに得点は合計55点。1問目は1点、2問目は2点、3問目は3点...という感じです。得られる物はクイズ王の称号・・・です。自己満足の名誉ですが、ご了承をw 回答方法はコメントに1『○×○』 2『△××』という感じで・・・締め切りは3月10日23 59.59とします。では、問題。 特に指示が無い場合は字は必要ありません 番 問題 01 魏の初代皇帝は誰でしょうか? 02 蜀の諸葛亮が死前付いていた職は丞相・相国のどちらでしょうか? 03 劉禅の幼名はなんでしょうか? 04 劉璋を諫めて勘気に触れて広漢の県長に左遷された人物は誰でしょうか? 05 諸葛謹(呉)と諸葛均(蜀)の関係はなんでしょうか? 06 三国志正史で董卓軍配下武将である、華雄を斬った武将は誰でしょうか? 07 蜀漢二世皇帝劉禅の第五子は誰か? 08 三国志を著した陳寿は後に晋に遵えたが、元々は何処の国の人でしょうか? 09 袁術が偽帝として勝手に立てた王朝は何ですか?(ヒント:寿春) 10 魏に所属し、反乱を失敗して三族まで殺された、諸葛亮のいとこに当たる武将は誰でしょう? 1曹丕(文帝)2丞相3阿斗4黄権5兄弟6孫堅7劉尋8蜀漢9成10諸葛誕 -- 諸葛霊 (2007-03-10 20 35 49) 1曹丕 2丞相 3阿斗 4黄権 5兄弟 6関羽 7劉諶 8蜀漢(巴西郡安漢県) 9仲 10諸葛誕また来ます♪ -- 名無しさん (2007-07-22 16 18 59) 1曹丕2丞相3阿斗4黄権5兄弟6関羽7劉諶8蜀漢9成10諸葛誕 簡単すぎる。 -- 飛将軍・呂布 (2011-08-17 18 34 38) 名前 コメント 参加者記録(黄権公衡が記録します) 名前 点数 備考 諸葛霊 48
https://w.atwiki.jp/genso3594/pages/41.html
正史 三国志 正史 三国志 全8巻セット (ちくま学芸文庫) はっきり言うと「読み物」ではない。あくまで「史料」である。 読み物として読むには、「魏伝武帝記」などの「曹操・孫権(孫堅・孫策)・劉備」の伝を読むと、歴史の流れがつかめる。 後はお気に入りの武将の伝を読んでいくといいだろう。 また、武将別の索引からどこに名前があるかわかるようになっていて、すごく便利。 管理人もこれに助けられて、ここが充実している。感謝。 三国志演義 三国志演義〈1〉 (徳間文庫) こちらは子供用。入門書として十分。 三国志 上 (岩波少年文庫) 安能務氏のものある。絶版中だけど。 どれにしても、正直、最初は読みづらい。 しかし、子供用から入れば読みやすいだろうと思う。 「読み応え」はどちらも十分。 また、安能氏のものは、三国志演義自体にメスを入れている。 なので、吉川三国志のような痛快さは消えて、正史の注釈を読んでいるような気分になる。 あと、演義ではスーパー軍師の諸葛亮を「ヘボ」と位置づけている珍しい本。 三国志新聞 三国志(三国志演義)を時系列ごと新聞形式で綴ったもの。 写真は中国電視台の「三國演義」。ちゃんと「広告」も載せている。細かい。 一回改訂されたんだけど、それも絶版なのかな。
https://w.atwiki.jp/soutoku/pages/93.html
<魏 256年> <蜀漢 256年> <呉 256年> 256年 正元三年→甘露元年(魏) 皇帝 曹髦(魏高貴郷公) 皇后 卞氏(父は卞隆) 皇太子 三公(魏) 太傅:→司馬孚(前太尉) 太尉:司馬孚→高柔(前司徒) 司徒:高柔→鄭沖(前司空) 司空:鄭沖→盧毓(前尚書左僕射) その他の要職(魏) 錄尚書事:司馬昭(大将軍) 太常: 光禄勳: 衛尉:→ 太僕: 廷尉:→ 大鴻臚:→ 宗正:→ 大司農:→ 少府:→ 大将軍:司馬昭(大都督を加号) 驃騎将軍:王昶 車騎将軍:? 衛将軍:胡遵→(死去) 地方官 雍州刺史:王経 主な事件 甘露元年春正月辛丑、青龍が軹縣の井戸の中に見られた。《三国志魏書三少帝紀高貴郷公髦》 正月乙巳、沛王の曹林が薨ず。《三国志魏書三少帝紀高貴郷公髦》 二月丙辰、帝は太極東堂で宴を開き、侍中荀顗、尚書の崔贊、袁亮、鍾毓、給事中中書令の虞松等と禮典を講述し、帝王の優劣之差について問うた。帝は夏の少康を慕っていた。《三国志魏書三少帝紀高貴郷公髦に引く魏氏春秋》 二月丁巳、曹髦は講義が終わってから侍中荀顗、尚書の袁亮等と議した。《三国志魏書三少帝紀高貴郷公髦に引く魏氏春秋》 夏四月庚戌、大將軍の司馬昭は兗冕の服、赤舄の副を賜う。《三国志魏書三少帝紀高貴郷公髦》 四月丙辰、帝は太學に詣で、諸儒に問うた。易博士の淳于俊が対して答えた。問答をし淳于俊が答えられないものもあった。易についての講義が終わって、また尚書に講義するよう命じて帝は問うた。博士の庾峻が答え、問答となった。また礼記についても質問がされ、博士の馬照が答えた。《三国志魏書三少帝紀高貴郷公髦》。帝は常に中護軍の司馬望、侍中の王沈、散騎常侍の裴秀、黃門侍郎の鍾會等と東堂で講宴し文論を戦わせた。裴秀を儒林丈人、王沈を文籍先生と呼び、司馬望、鍾會もまた各々名號があった。帝はせっかちで、お召しの際は速くと急かした。裴秀等は內職で問題なかったが、時に司馬望は外にあり、特別に追鋒車を与えた。虎賁卒五人が集會のたびに走り回った。《三国志魏書三少帝紀高貴郷公髦に引く傅暢の晉諸公贊》 正元三年五月、鄴及び上谷、上洛で並んで甘露が降ったと上表があった。《三国志魏書三少帝紀高貴郷公髦》 夏六月丙午、甘露と改元する《三国志魏書三少帝紀高貴郷公髦》 六月乙丑、青龍が元城県の井戸の中に見られた《三国志魏書三少帝紀高貴郷公髦》 秋七月己卯、衛将軍の胡遵が薨ず《三国志魏書三少帝紀高貴郷公髦》 七月癸未,安西将軍の鄧艾が蜀の姜維を上邽に大いに破る。詔を出して大いに祝す《三国志魏書三少帝紀高貴郷公髦》 八月庚午、大将軍の司馬昭に大都督の号を加え、奏事不名を許し、假黃鉞を与えた《三国志魏書三少帝紀高貴郷公髦》 八月癸酉、太尉の司馬孚を太傅と為す《三国志魏書三少帝紀高貴郷公髦》 九月、司徒の高柔を太尉と為す《三国志魏書三少帝紀高貴郷公髦》 冬十月、司空の鄭沖を司徒、尚書左僕射の盧毓を司空と為す《三国志魏書三少帝紀高貴郷公髦》 誕生者 死没者 胡遵(衛将軍)
https://w.atwiki.jp/mitsu_sangoku/
見つけて!三国志wiki 「見つけて!三国志」は2020/03/31 15 00に終了しました。 当wikiは、株式会社ウィットゲームスが提供するiOS/Android用アプリ「見つけて!三国志」の非公式wikiです。 どなたでも自由に編集してください。 当wikiの情報の妥当性や正確性について保証するものではありません。 またご利用につきましては、自己責任となりますのでご注意ください。 なお、当wikiのデータは現在、主にアプリ版に準拠しております。 コロプラ版「見つけて!三国志PLUS」に対しても適用可能であるかを保証することは出来ないため、予めご了承ください。 どんなゲーム? 携帯端末の位置情報機能(GPS)を利用して、三国志に登場する様々な武将を登用(収集)・育成する位置情報ゲームです。 武将を登用するためには、様々な場所で「チェックイン」を行う必要があります。 「チェックイン」を行った市区町村に武将がいた場合は、登用のチャンスです! いろいろな場所に「チェックイン」して、様々な武将を集めていきましょう。 また「チェックイン」した市区町村は、自身の領地とすることが可能です。 登用した武将を3人組み合わせて「バトルデッキ」を作成し、その市区町村を領地としている他のプレイヤーとバトルを行い、勝利することで領地を獲得できます。 市区町村内の多くの場所で「チェックイン」することで、その領地における「ランク」を上げられるようになります。 様々な場所で「チェックイン」を行い、武将を集めて育成して、最高ランクである「大将軍」を目指しましょう! アプリ情報 配信日 iOS版 2017年10月30日 Android版 2017年11月10日 PLUS版 2018年06月14日 提供 株式会社ウィットゲームス 対応端末 iOS 10.0以降 Android 5.1以上 価格 無料 (一部課金コンテンツあり) 公式サイト http //mitsukete-sangokushi.jp/ 公式Twitter アプリ版 https //twitter.com/mitsu_sangoku PLUS版 https //twitter.com/mtsusancolpl
https://w.atwiki.jp/soutoku/pages/103.html
<魏 231年> <蜀漢 231年> <呉 231年> 231年 太和五年(魏) 皇帝 曹叡(魏) 皇后 毛氏(明悼毛皇后・河內人) 三公 太傅:(空位) 太尉:華歆(前司徒)→(死亡) 司徒:(空位) 司空:陳群(前鎮軍大將軍) 九卿 その他の要職 大司馬:曹真(前大將軍)→(死亡) 大将軍:司馬懿(前驃騎將軍) 驃騎大將軍:→ 車騎將軍:公孫淵(遼東太守) 地方官 主な事件 五年春正月、帝は籍田を耕す《三国志魏書明帝紀》 三月、大司馬の曹真が薨ず。諸葛亮が天水を攻め、大将軍の司馬懿に詔して拒む《三国志魏書明帝紀》 去年の冬十月から三月まで雨が降らず《三国志魏書明帝紀》 三月辛巳、大雩《三国志魏書明帝紀》 夏四月、鮮卑附義王の軻比能は其種人及び丁零大人兒禪を率いて幽州に現れ名馬を貢献する。護匈奴中郎將を復す《三国志魏書明帝紀》 秋七月丙子、諸葛亮は退走する。封爵增位が各々格差があった《三国志魏書明帝紀》初め諸葛亮が攻めて来た時、論者は輜重が無く軍糧が必ず不足するので自滅するだろう。無為に兵を疲労させるだけだ。或いは、上邽郡の左右の麦を奪うだろうと言った。しかし帝は皆従わず、前後に分けて司馬懿の兵を増員した。また詔勅によって麦を守らせ、司馬懿は諸葛亮と対峙した《三国志魏書明帝紀に引く魏書》 七月乙酉、皇子曹殷が生まれる。大赦《三国志魏書明帝紀》 八月,詔して「古者諸侯朝聘,所以敦睦親親協和萬國也.先帝著令,不欲使諸王在京都者,謂幼主在位,母后攝政,防微以漸,關諸盛衰也.朕惟不見諸王十有二載,悠悠之懷,能不興思!其令諸王及宗室公侯各將適子一人朝.後有少主、母后在宮者,自如先帝令,申明著于令《三国志魏書明帝紀》 冬十一月乙酉、月が軒轅大星を犯す《三国志魏書明帝紀》 十一月戊戌晦、日蝕があった《三国志魏書明帝紀》 十二月甲辰、月が鎮星を犯す《三国志魏書明帝紀》 十二月戊午、太尉の華歆が薨ず《三国志魏書明帝紀》 誕生者 死没者 曹真:大司馬 華歆:太尉 張郃: