約 57,978 件
https://w.atwiki.jp/nicosangokushi/pages/312.html
リスト等 リストは無い。 タグ「 厳白虎の野望 」参照 登録武将 アイマス、ハルヒ、外山恒一ほか 解説 三国志5(SFC版)の純プレイ動画。Part28で更新停止。 君主は厳白虎。 縛りとして 1、妖術・仙術・幻術・治療不可。 2、曹操・劉備・孫策とは同盟不可。 3、斬首不可。 を掲げている。 うp主コメントにある通り、「袁術で皇帝を目指す」の影響を受けた作品。 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/ishigamism_wiki/pages/147.html
作者:吉川英治 初版:2000年X月X日 感想:裏切り続きの呂布、最後の時を迎える・・! 【1回目】 期間:2010年2月27日(土)~3月7日(日) 日数: 三国志 吉川英治 歴史
https://w.atwiki.jp/replaysangokushi/pages/2.html
メニュー トップページ 張楊伝人物 三国志用語 リンク @wiki @wikiご利用ガイド ここを編集
https://w.atwiki.jp/soutoku/pages/189.html
<魏 251年> <蜀漢 251年> <呉 251年> 251年 赤烏十四年→太元元年(呉) 皇帝 孫権(呉大帝) 皇后 (空位)→潘氏 皇太子 孫亮 三公(呉) ? その他の要職(呉) 太常:滕胤 光禄勳:? 衛尉:? 太僕:? 廷尉:? 大鴻臚:? 宗正:? 大司農:? 少府:? 左大司馬:? 右大司馬:? 大将軍:諸葛恪(前威北將軍・太子太傅と為す) 驃騎将軍:朱據? 車騎将軍:? 衛将軍:? 上大將軍:呂岱(前鎮南將軍)? 主な事件 太元元年夏五月、皇后に潘氏を立てる。大赦。改年。《三国志呉書呉主権伝》 初め臨海羅陽縣に神があって、自ら王表を称す。周旋民閒,語言飲食,人と異なるところ無し。然不見其形.又一人の婢が有って名を紡績と云う。是月(夏五月)、中書郎の李崇を遣わして齎輔國將軍羅陽王の印綬を王表に与え迎える。王表は李崇に従って一緒に出で、李崇と所在郡守の令長と談論する。李崇等無以易.所歷山川,輒遣婢與其神相聞。《三国志呉書呉主権伝》 秋七月、李崇と王表が至たり、孫權は蒼龍門の外に第舍を立てて幾度も近臣に酒食往を与えさせる。王表は說水旱小事,往往有驗。《三国志呉書呉主権伝》 秋八月朔、大風。江海涌溢。平地深八尺。吳の高陵の松柏が斯拔。郡城の南門が飛び落つ。《三国志呉書呉主権伝》 冬十一月、大赦。孫權は南郊を祀り還える。《三国志呉書呉主権伝》病にかかり床に着く《三国志呉書呉主権伝》孫權は風疾を得た《三国志呉書呉主権伝に引く吳錄》 十二月、驛馬で大將軍の諸葛恪を招き寄せ、太子太傅と為す。詔して徭役を省き、征賦を減らし、民が患苦とするところを無くす。《三国志呉書呉主権伝》孫權が病で床につくと大將軍の諸葛恪を招き寄せて太子太傅と為し、會稽太守の滕胤を太常と為す。並んで太子を輔佐するよう詔を受けた《三国志呉書三嗣主伝孫亮》 誕生者 死没者 注 ▲PAGE TOP 250年<< >>252年
https://w.atwiki.jp/ishigamism_wiki/pages/151.html
作者:吉川英治 初版:2000年X月X日 感想:劉備、関羽そして張飛死す・・!次々に起こる訃報の知らせに孔明は南蛮へ往く。 【1回目】 期間:2010年4月12日(日)~18日(日) 日数: 三国志 吉川英治 歴史
https://w.atwiki.jp/soutoku/pages/9.html
<魏 265年> <呉 265年>? 265年 咸煕二年(魏) 皇帝 曹奐(字景明・魏常道鄉公) 皇后 卞氏 皇太子 三公(魏) 晉王:司馬昭(相國)→(死去)→司馬炎 相國:司馬昭(晉王)→(死去)→司馬炎 太傅:司馬孚(前太尉) 太保:鄭沖(前司徒) 太尉:王祥(前司空) 司徒:何曾(前征北將軍)→司馬望(前驃騎將軍) 司空:荀顗(前尚書左僕射) その他の要職(魏) 錄尚書事:司馬昭(大将軍)→(死去) 太常: 光禄勳: 衛尉:→ 太僕: 廷尉:→ 大鴻臚:→ 宗正:→ 大司農:→ 少府:→ 大将軍:司馬昭(大都督を加号)→(死去) 驃騎将軍:司馬望(前衛將軍)→石苞(前征東大將軍) 車騎将軍:→陳騫(前征南大將軍) 衛将軍: 地方官 司隸校尉: 冀州牧: 幽州牧: 并州牧: 青州牧: 徐州牧: 兌*州牧: 揚州刺史:? 雍州刺史:諸葛緒 交州牧:孫壹? 梁州: 主な事件 二年春二月甲辰、朐ジン縣が靈龜を捕獲し献上してきた。相國府に納め返した。《三国志魏書三少帝紀陳留王奐》 二月庚戌、虎賁の張脩は昔成都にあって馬を馳せて諸營を回り鍾會の反逆を知らせた。身を没するに至る。脩の弟の倚に爵を賜い關內侯と為す。《三国志魏書三少帝紀陳留王奐》 夏四月、南深澤縣で甘露が降ったと知らせてきた。 夏四月、吳は使者として紀陟・弘璆を遣わして和を請うてきた《三国志魏書三少帝紀陳留王奐》 五月、詔して曰く「相國晉王は神慮を働かせて光は四海を覆っている。江表を慰撫し武を抑えて仁を高め、威德を示した。文告を加えた所、使者を遣わして貢物を送ってきた。しかしながら王は謙讓の意をおもって皆簿記して送ってきたが、意思に添うことにはならないだろう。孫皓が献上してきた諸所は皆送還し王のもとに返せ。もって古義にならえ。」王は固辭して沙汰止みとなった。また、晉王に命じて十二旒と天子の旌旗を建てること、出警入蹕、乘金根車、六馬、五時副車を備え、旄頭雲罕を置き、樂舞八佾、虡宮に縣ける鐘を設けることを許可する。王妃を進めて王后と為し、世子を太子、王子、王女、王孫、爵を旧例にならうよう命じた。《三国志魏書三少帝紀陳留王奐》 癸未、大赦。《三国志魏書三少帝紀陳留王奐》 秋八月辛卯、相國晉王が薨じた《三国志魏書三少帝紀陳留王奐》八月辛卯、文帝が崩御し、太子の司馬炎が相國・晉王を継ぐ。令を下して宥罪の刑を和らげた。役務を休め、國內で三日の服喪を行った。《晋書帝紀三武帝》 八月壬辰、晉の太子の司馬炎が襲位し、百揆を総攬した。物品典冊を備え、すべて皆前と同じであった。《三国志魏書三少帝紀陳留王奐》 是月、襄武縣が大人が現れたと報告してきた。身の丈三丈餘、跡は長さ三尺二寸。白髮で黃色の單衣、黃巾、杖を柱にして、民王を呼んで語って云うには「今に太平が来る」と。《三国志魏書三少帝紀陳留王奐》 九月乙未、大赦。。《三国志魏書三少帝紀陳留王奐》 九月戊午、司徒の何曾が晉の丞相となる。《三国志魏書三少帝紀陳留王奐》九月戊午、魏の司徒の何曾を丞相、鎮南將軍の王沈を御史大夫、中護軍の賈充を衛將軍、議郎の裴秀を尚書令・光祿大夫と為し、皆開府する《晋書帝紀三武帝》 九月癸亥、驃騎將軍の司馬望を司徒に、征東大將軍の石苞を驃騎將軍に、征南大將軍の陳騫を車騎將軍と為す。《三国志魏書三少帝紀陳留王奐》 九月乙亥、晉の文王を葬送する。《三国志魏書三少帝紀陳留王奐》 閏月庚辰、康居・大宛が名馬を献上してきた。相國府に納め直す。遠方より萬國が懐かしんできたことを顕かにした。《三国志魏書三少帝紀陳留王奐》 十二月壬戌、天祿は永遠に去り曆數は晉に移った。詔して公卿士は儀礼を整え壇を南郊に設ける。使者を遣わして皇帝に璽綬と冊を奉じ、晉の嗣王に禪位した。漢魏の故事にならった。《三国志魏書三少帝紀陳留王奐》 十二月甲子、使者を遣わして策を奉じ、遂に金墉城に移った。その後鄴に館を設けた。時に年二十。《三国志魏書三少帝紀陳留王奐》 誕生者 死没者 ▲PAGE TOP
https://w.atwiki.jp/soutoku/pages/47.html
196年 建安元年(漢) 皇帝 劉協(漢献帝) 皇后 伏寿(琅邪郡東武県・父の伏完は不其侯、桓帝の娘陽安公主を娶る) 皇太子 (空位) 三公 太傅:空席 太尉:楊彪(前太常・194~196)→(空位) 司徒:趙温(前衛尉・194~208) 司空:張喜(前衛尉・193~196)→曹操(196~209) その他の要職 録尚書事: ■楊彪(太尉・194~196) →(空位) ■曹操(司隸校尉・196~) 太常:? 光禄勳:? 衛尉:? 太僕:? 廷尉:? 大鴻臚:? 宗正:? 大司農:? 少府:? 大司馬:張楊(前安国将軍・196~198) 大将軍:?→韓暹(196~)/曹操(196)→袁紹(196~197) 驃騎将軍:張済(195~196)→(死亡)→(空位) 車騎将軍:郭汜(自称・195~197)→楊奉(196~) 行車騎将軍:曹操(196~) 衛将軍:董承 地方官 司隸校尉:?→曹操(鎮東将軍・196~) 豫州刺史:郭貢? 河南尹:駱業? 徐州牧:劉備(196) 《三国志蜀書先主伝》 冀州牧:袁紹(191~202) 兗州牧:曹操?(前東郡太守) 荊州牧:劉表(192~208) 主な事件 建安元年春正月癸酉、安邑に於いて上帝に郊祀を祭り、天下に大赦する。建安と改元。《後漢書孝献帝紀》 建安元年春正月、曹操の軍は武平に臨み、袁術が置いた陳相の袁嗣は降伏する。《三国志魏書武帝紀操》 曹操は天子を迎えようと考えたが諸將のある者は疑いを持った。荀彧、程昱は之を勧めた。曹洪を遣わして西迎させたが、將軍の董承と袁術の將である萇奴が強く拒み、曹洪は進むことができなかった。《三国志魏書武帝紀操》 二月、韓暹が衛将軍(?)の董承を攻める。《後漢書孝献帝紀》 二月、曹操は進軍して汝南﹑潁川黃巾の何儀、劉辟、黃邵、何曼等を討ち破る。彼等は各々数万の軍を為し、初めは袁術に呼応し、また後に孫堅に付く。辟、邵等を斬り、儀及其衆は皆降伏した。天子は曹操を建德將軍と為す《三国志魏書武帝紀操》 夏六月乙未、聞喜に御幸する。《後漢書孝献帝紀》 夏六月、曹操は鎮東將軍となり、費亭侯に封じられ、祖父の爵位を継ぐ。《三国志魏書武帝紀操》 秋七月甲子、車駕は洛陽に至る。故中常侍趙忠の邸に入る。《後漢書孝献帝紀》天子は初め洛陽に至ると、城の西の故中常侍の趙忠宅に御幸する。張楊に宮室を繕治させ、名づけて揚安殿という。八月、帝は遷居する。《三国志魏書武帝紀操に引く獻帝春秋》 秋七月、楊奉、韓暹は天子を守って洛陽に還る。楊奉は別れて梁に駐屯する。曹操は遂に洛陽に至り、韓暹は遁走した。《三国志魏書武帝紀操》 七月丁丑、上帝に郊祀を祭り、天下に大赦する。《後漢書孝献帝紀》 七月己卯、太廟に謁した。《後漢書孝献帝紀》 八月辛丑、南宮の楊安殿に入った。《後漢書孝献帝紀》 八月癸卯,安国将軍張楊を大司馬,韓暹を大将軍,楊奉を車騎将軍と為した。《後漢書孝献帝紀》このとき、宮室は焼けたままで、百官は荊棘を開き、垣根や壁の間に依りかかった。州郡は各々強兵を擁して輸送を委ねても至らず、群僚は飢え乏しく、尚書郎以下は自ら出て野の作物を採取した。ある物は垣根や壁の間に飢え死にし、あるいは兵士の殺す所となる。《後漢書孝献帝紀》 八月辛亥,鎮東将軍の曹操が司隸校尉・録尚書事を自ら領した。曹操は侍中の臺崇、尚書の馮碩を殺した。董承を衛将軍に封じ、輔国将軍の伏完ら十三人を列侯と為した,沮儁に弘農太守を追贈した。《後漢書孝献帝紀》天子は曹操に節鉞を仮し与え、錄尚書事と為す。《三国志魏書武帝紀操》曹操は又司隸校尉を領す。《三国志魏書武帝紀操に引く獻帝紀》 八月庚申、都を許に遷した。《後漢書孝献帝紀》洛陽は無残に破れて見る影もなく、董昭等は曹操に許に遷都するよう勧めた。《三国志魏書武帝紀操》 八月己巳、曹操の営に御幸した。《後漢書孝献帝紀》 九月、太尉楊彪、司空張喜が罷めた。《後漢書孝献帝紀》 九月、車駕は轘轅を出て東進した。曹操は大將軍となり、武平侯に封じられる。天子が西遷してより朝廷は日々乱れ、このとき宗廟社稷の制度が初めて立てられた。《三国志魏書武帝紀操》天子が東遷するにあたり、楊奉は途中遮断しようと欲したが及ばず。《三国志魏書武帝紀操》 冬十月、曹操は楊奉を征伐する。楊奉は南奔し袁術を頼る。遂にその梁の屯営を攻め破る。これにおいて袁紹をもって太尉と為し、袁紹は曹操の下風に立つを恥として受けず。曹操も固辭し、大將軍を袁紹に譲る。《三国志魏書武帝紀操》 冬十一月丙戌、曹操は自ら司空・行車騎将軍と為し、百官を総覧して聴政する。《後漢書孝献帝紀》天子は曹操を司空と為し、行車騎將軍と為す《三国志魏書武帝紀操》 是歲、棗祗、韓浩等の議を用い、始ねて屯田を興す。《三国志魏書武帝紀操》是歲、民を募って屯田を許下に興す。穀百萬斛を得る。この後州郡に田官を置くようになる。穀は積まれ、四方に征伐し運糧之勞を厭わずともよくなった。《三国志魏書武帝紀操に引く魏書》 是年、鄭玄は徐州から高密に還った。道すがら黃巾賊數萬人と遭遇したが玄を見て皆拝礼した。相約して賊はあえて縣境に入らなかった。《後漢書張曹鄭列傳鄭玄》 建安元年、驃騎將軍の張濟は關中から南陽に逃げ込み、穰城を攻めるが飛矢に当たって死んだ。荊州の官吏は皆祝賀を述べに劉表を訪れたが劉表は賀を辞退し人を遣わしてその衆を受け入れるよう知らせた。之を聞いて衆は皆服従した。《後漢書袁紹劉表列傳》張濟は關中から南陽に逃げた。濟は死んだ。從子の張繡が其部曲を領した。《三国志魏書武帝紀操》 この年、呂布が劉備を襲い、下邳を奪う。劉備は逃げて曹操の庇護を求め来る。程昱は曹操に說いて「劉備を見るに雄才有り、人心を得ています。終には人の下にいないでしょう。早く圖えておくべきです」曹操は曰わく「今は英雄を求める時だ。一人を殺して天下之心を失うべきではない」。《三国志魏書武帝紀操》 誕生者 死没者 ▲PAGE TOP 195年<< >>197年
https://w.atwiki.jp/ishigamism_wiki/pages/146.html
作者:吉川英治 初版:2000年X月X日 感想:転戦続きの劉備軍、そして董卓討伐の為に曹操が動く! 【1回目】 期間:2010年2月15日(月)~27日(土) 日数: 三国志 吉川英治 歴史
https://w.atwiki.jp/taisendoujin/pages/15.html
https://w.atwiki.jp/nicosangokushi/pages/491.html
[部分編集] 地霊三国志 ~釣瓶伝~ http //www.nicovideo.jp/watch/sm5270963 使用ゲーム 三國志Ⅸ シナリオ・担当勢力 英雄集結・張燕 シナリオの設定 仮想、上級、討死あり 動画形態 紙芝居、プレイパート、雑談の三部構成 登録武将 64人+ 史実武将の扱い キャラブレイクあり 投稿時期 2008/11/17~ 投稿者名 AHOKING マイリスト マイリスト 関連タグ 関連サイト 備考 - ストーリー 地底の住人「キスメ」は、愛用する桶が鼠に齧られてしまったため、桶職人に修理を依頼することに。 しかし桶屋は材料が無いので、桶は修理できないと言う。キスメは桶を直すため、異世界に材料を探しにいくことになる。 気がついたとき、そこは黒山賊の支配する晋陽だった……。 変更点 縛り(ルール)として 全部将(抜擢を含む)の得意兵法の解除 釣行為、盗用の自粛 周囲の状況などによってはMチートを導入 などが挙げられる。 +ネタバレ注意 第五話以降に新ルールとして 抜擢のの兵法熟練度を0に 勢力武将が20人を超えたとき、いずれかの能力が80を越える武将の登用禁止 一部登録武将の登用禁止 登用は能力の低い武将を優先 釣りの解禁 張燕の抜擢指導は一度のみ 異民族以外で交戦経験のある勢力との外交は捕虜返還以外禁止 勢力武将が30人を越えた時、新たにルールを追加 ⑨はバカ 以上を適用した。 第6話では、独立勢力誕生時に、その勢力を強化するイベントを追加した。 +マゾに抵抗の無い人と10話以降のネタバレ注意 理由は定かではないが、PCクラッシュ後の初投稿となった10話にて、更に縛りを加えた。 充分クリア可能な範囲だが、転落寸前の崖っぷちを逆立ちで歩くような主はまさしくM。 以下は、その内容。 周業(抜擢)が死ぬか引き抜かれるまで、軍師は周業で固定(能力的に死ぬ可能性は低いですが)。 能力値のいずれかが80を超える武将は、登用時に上級兵法を削除。 能力値のいずれかが90を超える武将は、中級と上級の兵法を削除、および全熟練度を0にする。 抜擢育成で上がった師匠の兵法熟練度は、上昇前に戻す。 敵の強さを+30パーセントに(重要) 抜擢育成は一人に付き一回まで 劉禅(能力は3594)を忠誠255、不死身の蓬莱人、常に大都督として加入。 個人的な意見になりますが、前作で+100パーセントの敵に全く敵わなかった主が、30パーセントならどの程度の 駆け引きが出来るようになるかが見物です。 疑問点。呂布が加入したときに上記の縛りを適用したが、なぜか兵法画面には突進(中級兵法)を習得しているようになっている。 ↑但し、呂布は武器「方天画戟」の効果で突進を使用できるようになっている。 ゲームとしての変更点は 一部の顔グラフィックの変更 「東方project」「三国志大戦」「ゲーム中の特殊武将」から登録武将として出演 一勢力複数君主制度を導入 となっている。 簡単な解説 通常では中級と上級の境界ぐらいの難易度であるシナリオで、判断を何度か誤ると、取り返しがつかなくなる。 また勢力武将は君主を初めとして、顔g……スイ固やベンキと、政治の能力が高くないため、人材集めにも厳しいことは想像に難くない いかに手早く勢力を強くするか、どう苦難を切り抜けていくかに注目がされる。 武将紹介 [部分編集] ・張燕軍(黒山賊) キスメ 原作「東方地霊殿」 地底の妖怪。桶の材料を集めるため、張燕の手伝いをすることになる。 張燕 黒山賊の頭領。キスメの桶の材料探しを手伝う変わりに、軍の手伝いをさせることに。 スイ固 黒山賊に所属。そのインパクトのある顔は、(ネタとして)人々に愛されて止まない 動画内では、一発ギャクや博識を披露する等、(動画主に)重用されている。 卞喜 黒山賊の将の中で随一の知将。その名前から、グラフィックもそのまんまとなっている。 性格は常識人で、キャラブレイク自体は無いが、そのグラフィックのせいで台無しとなっている。 [部分編集] +ネタバレ注意 周業 抜擢武将。顔g……スイ固に見出され、キスメに学ぶ。能力はごく一般(黒山賊においては優秀)的な抜擢武将。 メディスン・メランコリー 原作「東方花映塚」 旧劉虞軍君主。軍が滅亡後、韓複に仕える。配下として遠征に従軍し、撤退していたところを黒山賊に急襲され、囚われる。 その後、長きに渡る説得の末、黒山に降ることに。 「魔法の花の種」を探しているらしい。 呂布 説明不要の豪傑。上党陥落後、在野となっているところを張燕によって登用される。 劉禅 暗愚、給料泥棒、チャッカマンなど、数々の側面を持つ二代目色奸……蜀漢皇帝。当動画ではイベントによって張燕軍に 編入される。 [部分編集] 確認されている登録武将 +ネタバレ注意 于吉 「三国志演義」にて、孫策を呪い殺したことで有名。 開始すぐに探索で見つかるも、登用に応じず、姿を消す。 左慈 「三国志演義」にて、曹操を翻弄したことで有名。 于吉が消えた後、一度だけ在野に現れるも、すぐに行方を晦ます。 辛憲英 魏の辛敞の姉。司馬懿のクーデターの際に弟から相談されて、司馬懿のねらいは大将軍曹爽にあることを見抜いて弟を励まし、辛敞に洛陽から脱出 して曹爽のもとへ走るよう勧めて大義を全うさせた。正史での活躍が大きい。 何度か在野に現れるも、やはり応じずにどこかに。 呂玲綺 呂布の娘。ただしこれは創作の名前である。 何度か在野に現れるも、最後は隣の父、呂布の元に落ち着いた。 関銀屏 関羽の娘。 演技で関羽が「虎の子を犬の子に嫁がせる奴がいるか」と孫権の使者を追い返したときの娘。 呂玲綺と同ターンで在野に現れるも、遠方であったことから無視。次のターンには劉度に仕えている。 夏候月姫 夏候淵の姪で張飛の妻で劉禅の義母で夏候覇の従妹。 遠方にいた為に諦める。 華陀 スーパードクター。金旋に仕えている。 献帝 在野で現れるも、遠いため断念。 [部分編集] +東方project うどんげ 原作「東方永夜抄」 在野で現れるも遠方のため断念。後に劉備に仕えていた。 因幡 てゐ 原作「東方永夜抄」 在野で現れるも遠方のため断念。後に孔チュウに仕えているところを確認。 八雲 藍 原作「東方妖々夢」 張繍軍所属(おそらく君主)を確認されている。 リリカ・プリズムリバー 原作「東方妖々夢」 孔チュウ軍に所属していることを確認されている。 フランドール・スカーレット 原作「東方紅魔卿」 曹操軍に所属しているところを確認されている。 10話にて紙芝居にも出演。 比那名居 天子 原作「東方緋想天」 董卓軍に所属。 黒谷 ヤマメ 原作「東方地霊殿」 劉岱軍の君主として確認されている。 ホワイトリリー 原作「東方妖々夢」 孫堅軍所属を確認(君主?)。 蓬莱山 輝夜 原作「東方永夜抄」 金旋軍所属?君主扱い ルナサ・プリズムリバー 原作「東方妖々夢」 韓玄軍の君主。 第9話にて処刑されてしまった。 霊鳥路 空 原作「東方地霊殿」 動画主いわく、「俺の嫁」だそうで。 身の危険を察知したのか、すぐに他勢力(曹操)に逃げ込んだ。 レミリア・スカーレット 原作「東方紅魔郷」 曹操軍所属を確認。 ソレらしいことを動画主も仄めかしている。 風見幽花 原作「東方花映塚」 袁紹軍所属(君主?)。ハイエナを狙いに現れた張燕をもっこもこにした。 予断だが、実際の初登場は「東方幻想卿」と言う作品であるが、当時は苗字が決まって(付けられて)いなかっ たため、「花映塚」を原作として表記しています。 犬走 椛 原作「東方風神録」 探索で発見するも、以下略。後に呂布に登用されたらしい。 秋 静葉 原作「東方風神録」 韓複軍君主。袁紹軍に侵攻する部隊の大将を勤めるも失敗し、撤退時に黒山賊に急襲され、兵と武将を捕らえられてしまう。 後にいろいろとあった後、自分を救ってくれた(?)張コウに惚れてしまった。 秋 稔子 原作「東方風神録」 韓複軍所属。 西行寺 幽幽子 原作「東方妖々夢」 劉表軍君主として確認される。滅亡後の行方は不明。 八坂 神奈子 原作「東方風神録」 猛獲軍に所属していたが、劉渕に滅ぼされてしまう。しかしすぐに隣の建寧で独立をした。 しかし意外とすぐに滅亡してしまった。 東風谷 早苗 原作「東方風神録」 経緯は分からないが、八坂軍独立時に配下の将として確認されている。 藤原 妹紅 原作「東方永夜抄」 劉渕軍君主として確認されている。 星熊 勇儀 原作「東方地霊殿」 呂布軍所属。滅亡後の行方は不明。 博霊 霊夢 原作「東方シリーズ」 劉備軍所属。孔明をぼっこぼこにし、生姜君の純情を弄んだ(?) 黒リリー 原作「東方花映塚」 陶謙軍所属の君主。初登場は処刑シーンとなってしまった。 コメント欄 復活しましたので、更新停止から移動し、更新させていただきました -- 名無しさん (2009-05-17 19 36 21) 名前 コメント