約 57,976 件
https://w.atwiki.jp/wpaa/pages/50.html
03 59 40 三国志ラシ [[コード]] _,‐/.| ヽ.,лi \,‐i ノ .| ,ノ 讃岐 ´i / ` ‐´` -,_,‐ v ‐-ー,__,、,-、_` !_ _ _ __ノ‐-ー ,‐^ ‐‐,iー,,l´ ~ ,} ‐‐= ‐ `フ 伊予 ,‐´ `\ 阿波 /" .t_ . i`ヽ_/ 土佐 ~j `i、 .л) .`j ___,,,--、 ‐! ζ __| . jヽ‐ ´~ / `ヽ ヽ, ,,--- ´´~ `フ `i ノ ヽ, / ` ーt´ ,‐,/~ .i / < _j ` 狼 `^ ヽ.j 三国じゃねえwwww 狼◆本部
https://w.atwiki.jp/taisendoujin/pages/18.html
https://w.atwiki.jp/sangokukmy9/pages/81.html
共通 城壁耐久は存在しません技術がその代わりになります。技術が高いほど、城壁の硬さが変わります 資源がないと徴兵できない兵種が存在します 出身が存在します。出身によって、できることが大きく違います。お互い助け合うイメージです 武器・書物に近いものとしてアイテムが存在しますアイテムは、数に限りがあります。いつでもどこでも好きなものを購入できるわけではありません AIの搭載された国家が存在します人間は、AI国家に仕官することはできません AI国家には、人間の国に布告し戦争を仕掛けるものも存在します。実際、すでに複数の人間国がAI国家に滅ぼされています 翼と比較して KMYでは、都市の技術値が500を超えても意味はありますむしろMAXまで技術開発してください 統一してからリセットまでの間がKMYは24時間短いです 城壁専用の兵種が存在します 翼の仁官は暇ですが、KMYの仁官は、出身「農家」で登録した場合はそこそこ忙しいです。出身「官吏」での文官プレイが一番楽です コマンドの挿入、削除はありますが、そこでおこなうのはコマンドの再入力です。例えば、技術の低い都市に所在する時に、徴兵コマンドを挿入、削除でずらすことはできません 秘密と比較して まず、KMYは10分更新です KMYに、コマンド実行失敗時の代替コマンドは存在しません基本的に、入力したコマンド以外のことはやりません 例えば技術MAXのときに技術開発しても、そのまま技術開発します。効果はありません いつころに内政がMAXになるか計算しながらやることになります KMYに都市巡回コマンドはありますが、いくつかの点で違います一部の出身でしか実行できません 徴兵などは行いません 徴兵できる兵士の最大数は、武将の統率に依存します KMYの戦闘において、連戦は基本的にありません条件を満たした一部の武将のみが連戦できることになります そのため、少数守備ループも時によっては生きることになります 徴兵時に雇える兵種、米売買の相場は、コマンド入力時の値を使用します。実行時の値は考慮されません KMYにおける訓練はおまけ程度です。開戦前など、事前に準備する場合を除き、訓練しないまま侵攻する場合がほとんどです アイテムは有限個であり、購入することもできますが、基本は内政などによって副次的に拾うものです国庫はありますが、お金を入れるものであって、アイテムを入れるものではありません 秘密の計略はKMYには存在しませんが、「そう言えなくもないもの」として、以下のものが挙げられます戦闘における陣形は組み合わせによって有利・不利が決まります(じゃんけんのようなもの)。その陣形は、任意のタイミングで変更することができますが、変更には制約もつきます 突撃・連戦要素が存在しますが、特定の兵種・出身技能・陣形などを設定していないと使えません KMYの政策は、秘密の文明に近いかもしれませんただし、取得の順番はほぼ固定されているのが通例です。現仕様では国の方向性を区別するに至らず、あまり個性がないかもしれません 文明は建国時に選択するのに対して、政策は建国後に取得します 農民反乱は存在しますが、秘密より発生条件はかなり厳しい上に、平時にしか発生しません。その代わり、反乱軍にはAIが搭載されており、自分で思考して動きます 幻想と比較して KMYは10分更新です KMYにおける出身は、幻想の種族に近いかもしれません。出身によって実行できるコマンドが違うだけでなく、序盤、中盤、終盤の強みも変わってきます 徴兵時に雇える兵種は、コマンド入力時の状況によります。実行時の状況は、一部を除き考慮されません 伝説と比較して KMYは10分更新です KMYにおける出身は、伝説のスキルに近いかもしれませんただし、伝説のスキルは登録後に取得するのに対して、KMYの出身は登録時に選択します。また、選択した出身によって、取得できる技能が変わります 新たな技能の取得に必要な技能ポイントは、貢献によって上がります KMYにも陣形は存在しますただしKMYの陣形には陣形レベル・経験値が存在し、同じ陣形を長く使うほど強化されるようになっています。これは、陣形を簡単に変更できないことを意味します KMYの陣形には属性が存在し、お互い得意な属性、苦手な属性も存在します
https://w.atwiki.jp/saitowiki/
三国志wikiへようこそ!! このwikiではとりあえず三国志のあらゆる情報ををのせていきたいと思います。 メンバーならページを作成、更新できますので自分がしっていて載っていない情報などはぜひ更新してください! wiki開設日2009年3がつ26日 合計: - 今日: - 昨日: - 初めての方まずは右側のメニュー「はじめに」をご覧になってください。 後、お知らせは連絡のようになっていますので定期的にチェックをお願いします。 知りたいことなどがきまっていれば上の検索窓から検索できます。 一応メンバー登録は管理人の承認制となっております。 このwikiのために役にたちたいという方やまじめな方はぜひ登録してください。 はじめてページを作成したりする方はテストページで練習してもらって結構です。 プレビューをみればどのようなページになってるかわかります。 ページ保存を押さない限りページは更新されません。 メンバーでない方で三国志の情報を提供していただける方は上のツールの このwikiの管理人に連絡からお願いしますm(_ _)m 連絡 ●3/27 メジャー級人物の名前を全てのせました。(その他以外) 中身はこれから交信します ●3/26 ページの作成をメンバー限定にしました 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/aniwotawiki/pages/25894.html
登録日:2010/04/21(水) 15 34 35 更新日:2020/05/15 Fri 10 13 47 所要時間:約 7 分で読めます ▽タグ一覧 とある決起のコノザコガー オールスター コノザコガー 三国志大戦 劉備 孫堅 張任 曹操 決起 漢 献帝 皇甫嵩 決起、とは三国志大戦における漢軍のカード群の一つ。 共通するのは計略を使用すると「国力」が上昇(最大3)し、国力に応じて効果が変わること。総じて国力が無い状態では非常に効果が低いが、 国力に応じて効果が段々と上がり、国力3では国力がバーストするかわりに超絶強化並みの効果を得る。 ●長所 終盤での爆発力が高い 桃園や天啓、屍並みの武力上昇を誇るが、そこまでのデメリットはない 皇甫嵩、曹操、孫堅、劉備、献帝を同時に使える俺SUGEEEEEE!的な感覚に浸れる。 ●短所 どうしても最高武力が低めになりがち 開幕に弱い やめてやめて!反計やめて! 雲散やめt(ry 天下無双やm(ry ダメ計y(ry 妨害(ry 国力バーストが無い時代は初心者でもやりやすかったのだが、 どうしても今は局地戦から奥義を絡めての号令で落城を狙わねばならず、中級者以上向き。 だが、強い人が使うと強く、弱点もプレイングで補える為、使ってor相手にして面白いデッキである。 【主なカード】 [2.5コスト] ●R関羽 騎馬 8/6 勇猛 覚醒 魅力 天 復興の温杯…士気5 漢軍のカードとしてはハイスペック、計略は武力+5で1部隊撃破する毎に国力が+1、撃破出来ずで+0。 但し効果時間終了時に国力上昇なので倒されたり、雲散されると士気の無駄になるため注意。 R張飛 槍兵 8/4 勇猛 覚醒 募兵 天 決起の大蛇矛…士気6 「ぶったまげろやぁ!」 若返ったら頭が良くなった張飛、ちょっと待ておかしいだろ。 計略は制約のある挑発+武力上昇。 士気こそ重いが苦手な超絶強化はこれ一枚で大概捌ける。筆者のトラウマ。 [2コスト] ●SR皇甫嵩 槍兵 7/7 勇猛 魅力 天 決起の大号令…士気6 「全軍一つとなりて、敵軍を突き破る!」 決起の大号令をメインに組むならコイツが居ないと始まらない。 国力2までは武力上昇は低いが、国力3では一気に+9となり、範囲も広い。 だが、計略時間は並で、高いラインで打たないと城にたどり着いた時には効果が切れていたりする。 スペックは微妙に見えるが、十分及第点であろう。ver3.1が稼働されてからわずか1週間でランキング入りした脅威のカード。 ●UC王子服 騎馬 7/5 大軍 暴乱 天 血版状の決意…士気4 スペックが微妙にも見えるが、十分強力。 計略は唯一の「国力を増減させない国力依存計略」で、国力3から使えば+9、ちょっと違うが決起号令の単体版と思えば。 追加された当初はぶっ壊れの一翼を担っていたが、修正されてだいぶ落ち着いた。 UC董承…?誰ですそいつは。 [1.5コスト] ●R孫堅 騎馬 6/4 勇猛 地 決起の神速行…士気4 「逃しゃしねーぜ!」 追加当初は下手なSRより高く、また神速戦法のほぼ上位互換だったため、魏民から叩かれていた。 今となっては計略時間こそ短いが使いやすさは漢軍騎馬の中でも一つ抜けている。 今の漢デッキには大抵入ってる というか1.5コスはとりあえずこいつで確定っていうぐらい使われてる 使用率ランクもトップ10常連どころか3位以内も ●UC劉虞 騎馬 5/5 魅力 人 決起の理…士気4 「無駄だっ!」 お理します お理します ハハ (゚ω゚) / \ ((⊂ ) ノ\つ)) (_⌒ヽ 丶 ヘ | εニ三 ノノ J 国力バーストで恐らく一番割を食った漢軍の人喰い馬。 計略は自らに毒の代わりに神速状態+武力上昇+撃破事に兵力回復。 修正で毒ダメは緩和されたが、乱戦すれば簡単に落ちる。突撃を決められると高威力なため騎馬スキルに自信があるなら。一騎討ちを起こさないのも良い、一応皇族だしね。 ●R曹操 騎馬 4/7 覚醒 天 奸雄の謀略…士気5 「勝負を決するは今だ!」 若干士気は重く、低国力時はかなり微妙だが、国力3では離間+封印となり強力。 但し効果時間や計略範囲が若干残念で、某所では「二流の謀略(笑)」なんてバカにされたことも。 新verには台詞が「nowだ!」に上方修正。 ●SR王美人 騎馬 3/8 魅力 天 決起の雷撃…士気5 「雷を喰らいなさい」 雷は一本しか落とせず、微妙な感があるが、国力3なら諸葛亮だろうが周瑜だろうが曹操だろうが軽く叩き落とす。 国力バースト?なにそれおいしいの? ●R劉備 槍兵 5/6 覚醒 人 決起の大車輪…士気4 「行きますよ!」 国力事に車輪の範囲が広がっていく。 計略はデメリットの微塵もなく扱い易い。 ●R張バク 槍兵 5/3 防柵 地 決起の不動車輪…士気4 「相手にならん…」 決起バーストで割を食った人その2。スペックを劉備と見比べてはならない。 計略は動けなくなる代わりに兵力回復や、かなりの武力上昇などが追加されていく。 国力3になるとあっさり「不動」の名を捨てる裏切り者である。 ●UC張任 弓兵 6/5 人 決起の麻痺矢…士気4 「コノザコガー!」 またの名をSB松中というコノザコガー! 国力が一つでもあれば神速状態の騎兵をコノザコガー!国力3なら天下無双でも容赦なくコノザコガー!。 麻痺矢の効果をちょっといじるだけで、他のカードをコノザコガーしてしまう壊れカードになってしまうほど冗談抜きで強い。 一時期本当に彼が強くて流行りに流行り右を見ても左を見ても台からは「コノザコガー!」と聞こえて、やはり某所で「コノザコガー大戦」とか言われていた。今でももちろん強い。 ●SR献帝 弓兵 4/6 魅力 防柵 募兵 天 漢王朝の希望…士気4 国力が1でもあれば強力な漢軍 版の「五斗米道」ではあるが、国力0から使うと残念なことに。 ●UCカイ越 弓兵 4/8 防柵 地 決起の弱体化…士気5 「阿鼻叫喚へと堕ちよ!」 「ほっほ〜」ではあるが、「へやー」を完全にメタれる訳ではない、というより士気損だからやめた方がいい。 武力しか下げられないが、武力下降値、範囲がかなり強力。 台詞が変更される模様。 ●UC皇甫嵩 槍兵 5/5 地 決起の特攻戦法…士気6 「賊共めが、覚悟はいいか!」 国力3で使えば武力+16で城門一発七割強だよ!強いよ!よ! SR皇甫嵩&R劉備「黙れカス」 [1コスト] ●SR曹皇后 弓兵 1/6 魅力 防柵 天 決起の討伐令…士気5 通称せっちん、曹操の娘で献帝の嫁。 計略は戦場で一番武力の高い部隊の武力を上昇させる、という使い易い計略。 自分にもかけられ、自ら討伐しに行く様は「トランザム」と呼ばれる。 ●C許劭 槍兵 2/7 人 決起の車輪伝授…士気4 決して弱くは無いのだが、計略の士気の重さと本人撤退、さらにスペックが痛い…。 …はっ!決起特攻→車輪伝授!これで勝つる!筈がなかった。 ●UC皇甫レキ 騎馬 3/3 覚醒 天 決起戦法…士気4 「うおぉぉっ!」 決起のショタっ子枠。スペックも優良。 決起戦法は…まぁ、うん、使い方次第。同じ計略は鄭泰らも持っている。 ●UC沮授 弓兵 1/8 地 復興の諌言…士気5 2C溜めて国力2上昇。せめて防柵を下さい(泣) ●R献帝 弓兵 1/6 魅力 天 最後の勅命…士気12 国力3から使えば今まで積み上げて来たものを全て投げ捨て、戦場の最高武力の部隊を+90するという脅威の計略。 効果時間が切れるか、効果を受けた部隊が撤退することにより、自城に99.7%ダメージを受けるが、大したことではない。 決起の追記修正戦法 【国力】(国力により効果が変化する)追記修正するごとに項目が良項目になっていく。さらに使用後に国力が上昇する。この計略は発動時の国力が高いほど効果が上がる。 現在の国力…零 △メニュー 項目変更 この項目が面白かったなら……\ポチッと/ -アニヲタWiki- ▷ コメント欄 [部分編集] 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/nicosangokushi/pages/329.html
編集を押すと内容の編集が行われます。 更新した内容は三国志9関連(更新中動画)に反映されます。 三国志9 編集 タイトル Part1 最新 リスト 備考 編集 外史英雄譚 Part1 Part5 リスト 更新停止(2014/11/7) 編集 サンゴクニカイドウ 1 87 リスト 編集 【三国志Ⅸ】 ルーミアの国取りグルメ旅2nd 0話 22話 リスト 更新中 編集 【三国志Ⅸ】 炎柱、蒼天を征く【鬼滅の刃】 0話 7話 リスト 更新中 編集
https://w.atwiki.jp/warhis2009/pages/19.html
ここで初見さんにむけて、三国志・戦国板の特徴まとめ オタク系の板なのにIDがでないので釣り率が凄い ついでに釣られ率も凄い トラビアンと突破スレの連動率は異常 同人板と時々ノリが似ている 腐女子の身は狭い プロの絡み屋がいる プロの釣り氏もいる コテハンの情念と確執とただれた欲望にまみれたさわやかで胸キュンな板です。 参考文献 ごみ箱@三戦板その31 2009年3月2日
https://w.atwiki.jp/eiketsu-taisen/pages/618.html
勢力 時代 イラストレーター 声優 登場弾 No. 勢力 時代 レア 武将名 コスト 兵種 武 知 特技 計略名 士気 備考 イラストレーター 声優 登場弾 玄058 玄 三国志 SR 賈詡 1.5 弓 4 10 伏・忍 正兵戦陣 5 【陣形】味方の武力が上がる陣形を設置する 戸橋ことみ 津田健次郎 第2弾-1 EX036 玄 三国志 R 董白 1.0 騎 2 4 昂 退路遮断 2 敵を城に戻れなくする 音楽ナスカ 井上富美子 第2弾-EX EX038 玄 三国志 R 鄒氏 1.5 騎 3 8 昂・技 傾国の舞い 7 【舞い】一定時間ごとに敵城にダメージを与える 藤居にこ しもがまちあき 第2弾-EX
https://w.atwiki.jp/horo/pages/14.html
サ行 さくら 喜界島にあるスナックの名前。 やさしいママと、おいしいとんがりコーンで有名。 ザック 放浪の活動には必須。50~80リットルがよく使われる。 新人でも夏合宿までには購入もしくは譲渡により自分のザックを手に入れる。自分のザックのほうが愛着が湧く。いろんなメーカーがあり、こだわりがあるメンバーも多数。 S野さん 別名細腕のジョニー。ここに名前が乗る事が夢らしいので一応載せておく。 サブリーダー(SL) 行程中先頭に立ち、仲間を目的地へと導いていく。 登山では特に読図の能力が要求される。 行程開始時のご注進を担当する。 さんふらわあ フェリーさんふらわあ。大阪、神戸と鹿児島や大分などを結ぶフェリーである。鹿児島志布志港からシャトルバスが鹿児島市へと出ており、電話予約で無料になる。船内に大浴場やラウンジなどを備え、大人数で乗り込むととても楽しい。 志学館 立命館大学衣笠キャンパス内に存在する。 例会、リーダー会が行われる建物。 次元 鹿児島市内の百均「シルク」にて購入した、銃身の黒い水鉄砲。 両側面には「SPLASH WATER PISTOL」と恥ずかしげもなく書かれてある。 インパクトの強い(?)名前のため、何かとネタになった。 言うまでもなく「MADE IN CHINA」である。 Gショック N倉の家に突如出没したGに対してH林が発した言葉。 一匹見かけたら三十匹はいるとかいないとか。 とりあえずGほいほい買ってきます。 シースー 業界用語でいわゆる寿司のこと。 1回生N村は08富良野合宿開始当初からこれを連呼していたにも関わらず、小樽の寿司屋での昼食で1人だけ寿司の無い天ぷら定食を注文するという奇行をみせた。 シュラフ 合宿マストアイテムの一つ。保温力が落ちたら洗濯しよう。 処女湖(淡海湖) 別名淡海湖(たんかいこ) 2007年新歓合宿で訪れた近江今津にある湖。 初めて人工湖をつくったところに名前は由来するらしい。 湖の形など色々と疑惑のある湖であるが、漢達の期待はいうまでもなく裏切られた。 庶務 放浪のブロックの一つ。イベントの幹事などの役割を担う。 前コン、全コン、合コンは庶務によって開催される。 ジョン(H田) 第31代チーフ。病弱。チャーパにドクターストップがかかった男。バイクと犬をこよなく愛する。日頃は不眠などに苦しんでいるが、山合宿では規則正しい生活になるため、元気な姿を見ることができる。具合の悪い柴犬によく似ており、深い愛と思いやりをもって接してあげてほしい。 白くま 鹿児島名物として知られるアイス。 画像 汁ベスター・スタローン 2009年学園祭の模擬店での店名。副題は~ランボーなお汁粉~ その奇抜な店名、看板により多くの客を引き寄せまさかの黒字と相成った。 ちなみに命名者は昨年残念ながら出店できなかった08模擬店の「ザンギエフから揚げ」と同じくT内氏である。 新歓合宿 新入生(新人)歓迎合宿。毎年ゴールデンウィークに行なわれる。 目的地は長野県の入笠山、霧ヶ峰、美ヶ原のローテーションである。 しかし、2007年はとある事情により滋賀県にて行なった。 水曜どうでしょう 北海道テレビが制作・放送している、北海道ローカルバラエティー番組。 出演は大泉洋と鈴井貴之の2名である。 現在はレギュラー放送を終了し、年1~2本の放送に限られている。 この番組をオマージュとした「種子島どうでしょう」、「喜界島一周」などの合宿が行われた。 また、非公式の情報であるが、「むし追い祭りin西表島」が開催されるという噂が広まっている。 スカイメイト 飛行機を利用する際には非常に重用される。 この制度がなければ、まず飛行機は使わないだろう。 Skype例会 2015年前期最終例会においてN野氏はSkypeでの例会を参加した。 これは放浪同好会の記録の中でも初の試みのことである。 しかし、立命館のWifiの電波強度があまり強くないためか、一部映像が乱れたりもした。 なお、翌日台風の影響でJR西日本がほぼ始発から運休というカオスな状態になったため、この判断は正しかったといえよう。 今後も上記に似たことが起きればSkype例会の頻度が増えるかもしれない。 スギラビーチ 喜界島の西部、湾港からおよそ1.5kmの所にある人工のビーチ。 喜界島合宿の拠点となった地である。 画像 ステラテント 放浪同好会の所有テントの一つ。 4~5人程度の利用に適しているが、かなり使い込まれているため 多少の傷がある。基本は新歓合宿で使用されている。 スプリンクラー 14日本縦断合宿の際、雪を解かすために設置されたと思われる道路上に設置されていたもの。 雪の降る中、寒いうえに足が水浸しになるというこの合宿最大の敵といっても過言ではなかった。 歩道を一生懸命一歩、一歩大事に踏みしめ歩く我々にやつらは車道からの顔面までの高さの水を放水したのである。 セイコーマート 08富良野合宿でお世話になった北海道を中心に展開するコンビニ。 外見はコンビニだが実際はスーパーに近く、品揃えが豊富で価格も安い。 そしてあのカツゲンとの出会いを果たした場でもある。 前期終了コンパ(前コン) その名のとおり前期終了後に行われる飲み会。 みんな盛り上がって、最後には鴨川に飛び込む。 粗相 飲み会の際にこれをやらかすと、※グラスを倒す、食べ物を落とすなど 激しいバッシングを受け、誠意ある対応を求められる。 園る(ぞのる) 花園王将で食すこと。
https://w.atwiki.jp/nicosangokushi/pages/1045.html
このページは数あるニコニコ歴史戦略ゲー動画の登場人物について、各動画内での列伝をまとめていくものとして用意しました。 主役級の活躍を見せた人物はもとより、名脇役、好敵手からネタ☆キャラまで幅広く紹介されるページになることを願います。 ここでは三国志の人物について扱います。 参考用リンク先(需要のありそうなものがあれば随時追加推奨) Category 三国志 - Wikipedia :史実についての参考リンク 幻想水滸伝・三国志を知らないけど、興味ある人の為の解説サイト ニコニコ歴史戦略ゲー 武将紹介 公開マイリスト :史実武将紹介動画 武将別解説 - 三国編 :iM@S架空戦記シリーズ補完wikiより三国武将紹介 『三国志の登場人物の一覧』 :ニコニコ大百科での三国志人物項目一覧 武将別伝(三国志) ア行 ハ行 ハ ヒ フ ヘ ホ カ行 カ キ ク ケ コ マ行 サ行 サ シ ス セ ソ ヤ行 タ行 タ チ ツ テ ト ラ行 ラ リ ル レ ロ ナ行 ワ行 費禕(ヒイ) 麋竺(ビジク) 糜芳(ビホウ) 費禕 (ヒイ) [部分編集] (?~253)字は文偉(ブンイ)。江夏郡の生まれ。益州牧の劉璋とは遠縁にあたり、そのつてで益州へと遊学。劉備が入蜀すると劉備に仕え、名声を得た。不仲だった楊儀と魏延の間をたびたび取り持ったという。 諸葛亮、蒋琬、董允と共に「蜀の四相」に数えられ、蜀の内政を支えた。後に魏の降将に殺害された。 三國志IX 統率 74 武力 22 知力 83 政治 92 三國志11 統率 77 武力 30 知力 83 政治 92 魅力 83 能吏/弩兵A、兵器A 上へ 麋竺 (ビジク) [部分編集] (?~221)字は子仲(シチュウ)。徐州の富豪で、徐州牧であった陶謙に仕える。陶謙死後は劉備に仕え、妹を劉備に嫁がせた。劉備が益州に入ると、諸葛亮を上回る官位を得た。 弟の糜芳が関羽を裏切ったことに憤り、その後間もなく病死した。 弓馬に通じていたというが、軍を率いることは無かった。 三國志IX 統率 32 武力 39 知力 71 政治 83 三國志11 統率 33 武力 29 知力 77 政治 83 魅力 85 富豪 上へ 糜芳 (ビホウ) [部分編集] (?~?、演義では222年没)徐州の富豪、糜竺の弟。陶謙の病死後、兄と共に劉備に仕え、以後武官として二十年来付き従う。 しかし、孫権の荊州侵略に際して呂蒙に降伏。兄・糜竺は弟の裏切りに激怒し、憂慮の内に病死したという。 史実ではその後も呉の臣として活躍した。演義では蜀に帰参するが関羽を見殺しにしたという理由で劉備に処断される。 三國志IX 統率 55 武力 56 知力 31 政治 25 三國志11 統率 54 武力 61 知力 32 政治 23 魅力 23 騎将張繍の野望 【三國志Ⅸ】 +張繍軍武将。特別項目あり 凡将には凡将の意地がある このうp主は糜芳擁護派なので、特別項目を作ってみた。 うp主の顔グラに使われるほど愛着があるようで、第二十三話よりキャラとして登場。第二十五話より解説が入った。 以降はうp主の解説である。 ※CAUTION! 糜芳を擁護する都合上、某髭と某ドSに対して手厳しい表現をしている部分があります。 うp主は別にこの二人が嫌いな訳ではないのですが。ご理解下さい。っていうか、いつもより主観丸出しです。 そんな訳で、ハイパー擁護タイム始まるよー! 引き返すなら今の内だぜ! +ハイパー擁護タイム 糜竺・糜芳の家は先祖代々の富豪であり、裕福な生活をしていた。 陶謙が病に倒れると、糜竺や陳登は劉備を後継者として擁立したが、当然糜芳もこれに賛同していたものと思われる。 呂布の裏切りによって劉備が敗走すると、彼に惚れ込んでいた糜竺は私財を投げ打って貢献し、妹を劉備に嫁がせている。 これによって糜芳も外戚となる。 その後、劉備は曹操を頼るが、このとき曹操は糜竺を太守、糜芳を城国の相に任じている。 要は曹操お得意のヘッドハンティングで、糜芳は曹操が欲しがるほどの能力があったと窺える。 糜家は、糜竺だけでなく、糜芳もそれなりの知名度があったのだろうか。 ともかく、糜芳は兄と共にその誘いを蹴り、後に劉備が曹操に反逆した際は、官職を捨てて劉備に付く道を選んでいる。 その後に裏切った一点だけを見て、この糜芳の行動を 「どうせ単に兄について来ただけだろ」と的外れな意見が出ることもあるが ……そんな生半可な志で、その後二十年間、劉備の一番キツかった時期に付き従える訳ないだろう常考。 曹操から別々に官職を与えられている以上、糜芳は自分だけでも曹操に仕える選択肢はあった。 実際、陳登や陳葦など、同時期に劉備から曹操に乗り換えた人間はいた。 それをしなかったのは、一重に劉備への忠義があったから、それ以外に考えようが無いと思うのだが、どうだろうか。 徐州を離れた後からの糜芳の記述は、例の関羽の所まで飛んでいる。 ……が、これを見て 「糜芳はその間何もしていなかった役立たず」と決め付けるのは、やはり早計だろう。 陳到の紹介のときも述べたが、この時の劉備軍の資料はどうも少なかったようで、 劉備放浪~赤壁~荊州平定戦のあたりは、殆ど劉備本人の動きしか書かれていない。 例えば、荊州四英傑の記述も『降伏した』のみで、誰が誰を降したのかすらわからない有様。 陳到にしろ糜芳にしろ、関羽・張飛に次ぐ古参の軍人で、当時人員不足だった劉備軍に貢献していない筈が無いのだが、 如何せん動きが地味だったのか、今となってはそれを知る事は出来ない。 糜芳の不運は、益州戦線や漢中争奪戦に参加していなかったことだろう。 この頃になると、それぞれの武将の活躍も詳しく書かれてくるのだが、この時期の糜芳は、関羽と共に荊州の留守役を勤めていた。 もちろん、当時ギクシャクした関係だった呉に備えた、重要な任務ではあるのだが。 関羽が守る襄陽では、(楽進ら率いる)魏軍の侵攻があり、荊南においては、呉が長沙・桂陽・零領を奪うなどの争いがあった。 しかし、糜芳が太守をしていた南郡(江陵)については、どうやら大きな戦闘は無かったようで、 やはり糜芳の活躍の記述は残っていない。 ……で、糜芳は果たして劉備に冷遇されていたのかという問題だが。 確かに、兄の糜竺は蜀平定時に孔明よりも上の地位を授けられているなど、厚遇されていたのと比べると、 南郡太守として荊州都督である関羽の配下に組み込まれていた糜芳の扱いは、良くないように見える。 が、この南郡太守は、蔡瑁・周瑜・程普といった面々が歴任していたものであり、その内の江陵は対呉の最前線と、むしろ重要拠点だった。 益州平定前は、関羽は襄陽太守だったという事も考慮すれば、決して低い役職ではないだろう。 劉備は、手元に置くよりも、糜芳に前線での活躍を期待していたのではないだろうか。 一応、人を見る目では定評のある劉備だし。 最古参の一人という事もあり、少なくとも劉備からは信頼されていたと見るべきだろう。 ……そしてその信頼を得る程度の武功はあったと、個人的に推測している。 ともかく、糜芳と関羽は同格とは行かないまでも、完全に主従関係にあった訳ではない。 ここに、糜芳を配下だと認識している関羽と、あくまで劉備の家臣のつもりの糜芳との間で、 何らかの軋轢が生じるのは想像に難くない。 いずれにせよ、「士大夫に傲慢」と記される関羽と、糜芳・士仁の仲は険悪だった、と多くの資料に記されている。 いくら嫌いな士大夫だからって、仮にも外戚の関係にあるかつての恩人を軽んじる関羽ってどうなんだと思わないでもない。 糜芳にその立場を笠に着る態度があったとでも言うならともかく、史書にはそんな記述は見当たらないし。 荊州においては、関羽が都督、糜芳が南郡太守、士仁は将軍として公安を守るという体制になっていた。 糜芳が関羽との間に起こしたとされるイザコザは、史書によってバラバラである。 関羽伝によれば、樊城攻めの際、糜芳・士仁が軍需物資を提供するのみで全力支援をしなかったため、 関羽が「あいつら帰ったら殺す……」と発言し、糜芳・士仁はそれを恐れたとある。 また呂蒙伝では、南郡城で火事が起こって兵器が消失し、関羽は糜芳(士仁の名前は無い)を激しく責め立て、 これを理由に糜芳は呉に通じた、と記されている。 ただこれらの記述は、(恐らく)関羽サイドの見解であって、少なくとも糜芳・士仁は後方支援はきちんとしていた筈。 要は、関羽は「援軍よこせよ!」と言いたかったのだろう。ただ、隣接している呉の動きが不穏な以上、 江陵の守備を任された糜芳が(後に劉封・孟達が関羽に援軍を送らなかったのと同じ理由で)兵は裂けないと判断しても、 仕方が無いのではなかろうか。(糜芳は呂蒙に備えて南郡太守に任命された、とある) 失火の件については、トップの糜芳が責任を取らされるのは当然だろうけど。 ただ、不可解なことに、その後も関羽は糜芳・士仁をそのまま守備役に置いている。 正直、処罰したいほど憎んでいる相手に後方の守備を任せるというのは、理解しがたい。 「俺、この戦争が終わったら糜芳を処罰するんだ……」 みたいな事を言っておいて、その糜芳に任せておけば後方は安心、と本当に思っていたのだとしたら 関羽の脳内は相当「春ですよー」な事になるのではないか。 もしくは、関羽には南郡の守備の重要性がわかっていなかったか。 いくらなんでも、関羽がそこまでトンチキとは思いたくないのだが……。 個人的には、関羽と糜芳には決裂に到るほどの確執は無かった、と考えた方が、双方に角が立たず楽なんだけど。 その分、糜芳の守る南郡の防備は相当固かった様で、一計を案じた呂蒙は病気と称して帰還する。 代わりにまだ知名度の低い陸遜を派遣し、陸遜はひたすら関羽に遜(へりくだ)った為、 油断した関羽は、江陵・公安の守備兵を前線に投入する。 これを見るや、呂蒙は敵に悟られぬよう密かに兵を進め、一気に公安城下を包囲する。 士仁は篭城したものの、戦力差は歴然で、虞翻の説得によって涙ながらに開城。 江陵を守る糜芳も抗戦しようとしたが、士仁が呂蒙と共にいるのを見ると、どうにもならないと感じたのか、酒と肉を用意して降伏した。 ……確かに糜芳と関羽は不仲だったが、彼があっさり降伏した最大の理由は、 江陵の守備の弱体化と、呂蒙の迅速な行軍の為、とてもマトモに戦える状態ではなかったから、ではないだろうか? (しかも、守備弱体化の原因は、関羽が前線に兵を引き抜いた事である) たとえ士仁・糜芳が全力で抗戦したところで、長くはもたなかっただろうし、関羽が死ぬ結果には変わらなかったはず。 防備を薄くした時点で、糜芳が裏切る・裏切らないに関わらず、関羽の敗北は決まっていたのでは。 ともかく糜芳は呉に降り、関羽は死んだ。 これを恥じて兄が悶死した事については、糜芳は全力で反省すべきだろうが。 この争いの際に呉に降った糜芳・士仁・潘濬・郝普の四人について、 蜀将の活躍を記した『季漢輔臣賛』(要は、蜀の人間について書かれた蜀マンセー本)では、 「私情で関羽を裏切って、蜀呉両方の笑い者になった」と記されている。 ……が、この記述を鵜呑みにして 「ほら見ろ! やっぱ糜芳は当時から叩かれてたんじゃねーか!」 と決め付けるのは(ry そもそも、これが書かれた当時から、既に関羽の神格化は始まっていた。 そのため、この四将に対する記述も、著者の 「よくも関帝を裏切りやがったな! テメーらなんかボロカスに叩いてやる!」 的な感情が入っていた可能性は、充分にあると思う。 ……演義で、関羽の死に関わっていた人間が、酷い死に様に変えられていた様に。 特に、この内の一人、潘濬は、関羽の死後多くの人間が呉に降る中で一人出頭せず、 孫権にベッドごと連れて来られて泣く泣く降伏した、という忠義者のエピソードがあり、 内政、反乱討伐に辣腕を振るい、丞相候補にまでなった名宰相。 そんな人間が「私情で関羽を裏切り」、少なくとも「呉で笑い者になった」はずがない。 ……そのため、この四将に対する評価は余り信用できないものと、個人的に判断している。 まあ、「潘濬は叩かれていないとしても、それが糜芳が叩かれていない証明にはならない」という意見もあるだろう。 それを裏付ける一つとして、呉の虞翻の糜芳に対する罵倒のエピソードがある。 時期は不明だが、糜芳が船に乗って虞翻と一緒に出かけたことがあった。 糜芳の船には人がたくさん乗っていたので、水先案内人が虞翻の船に「糜芳将軍の船を避けよ」と言うと、虞翻は 「あ? テメーみたいな不義理者がどの面下げて殿に仕える気じゃボケ。お前なんぞ将軍を名乗る資格はねーよダラズ。 (避けるんだったらテメーが避けろクズ)」(意訳) といきなり怒鳴りだした。糜芳は戸を閉ざして返答しなかったが、急いで虞翻の船を避けたという。 また別の時、虞翻が車に乗って出かけ、糜芳の営舎を通り抜けようとしたが、門が閉じていた事で車を通す事が出来なかった。 すると虞翻はまた怒って 「テメー関羽裏切った時はあっさり門開けておいて、今俺が門通ろうとしてる時に限って閉めるとか馬鹿なの? 死ぬの? オラァ! とっと開けろや糜芳!」(意訳)と言うと、糜芳は慙愧の色を見せたと言う。 ……糜芳の死因が心労だったらどうしよう。 とりあえずその裏切りの為、虞翻に嫌われていたのは確かなようだ。 ただ、虞翻は関羽に投降した干禁が呉に送還された際も、孫権が歓迎しているその横で 「は? こんな負け犬の屑、丁重に取り扱う必要なんか無いっしょwww むしろブチ殺して見せしめにしましょうぜwww」(意訳) と言って孫権を不快にさせた真性のKYで、口の悪さには定評のある男。 結局、余りにもアレな発言を繰り返して、とうとうキレた孫権に左遷されるという最後を迎えている。 干禁や糜芳に対する苛めも、裏切りに対する義憤と言うよりも、単純に罵倒したかったから、というように見えるのは穿ちすぎだろうか。 ともかく、虞翻が糜芳を嫌っていたからといって、呉全体が糜芳をそんな目で見ていたとは限らない。 ……むしろコイツの意見が呉の総意だとしたら、もう呉は末期だろ。 ……というか、士仁を説得して裏切らせ、糜芳が降伏する原因を作ったのは、他ならぬ虞翻なのだが。 果たして虞翻に糜芳を貶す資格があるのやら。 その後223年に、賀斉の配下として船団を率いて、晋宗の討伐に赴いている。 この晋宗は、呉から魏に寝返った将で、たびたび呉に侵攻を繰り返し、孫権をイラつかせていた厄介な相手だったが。 賀斉配下として、糜芳は鮮干丹・劉召と共に晋宗を襲撃し、難なく生け捕りにしたと記されている。 この当時の糜芳の官職的な立場だが。 賀斉は異民族討伐で活躍し、後将軍・徐州牧の座についている孫呉でもトップクラスの将軍、ていうか神。 上官の立場なのは当然だろう。 劉召は、後に曹休との戦いで活躍したとある。鮮干丹は、夷陵の戦いの際、朱然や韓当達と共に陸遜の配下として名を連ねている武将。 この面々の部下・同僚というのは、悪いポジションではない。 糜芳の呉での爵位は不明だが。 虞翻のエピソードで、少なくとも将軍職についている事が分かるので、呉における糜芳の地位はそれなりにあったと推測できる。 少なくとも、重臣の虞翻といっしょに出かけられるぐらいには。 没年は不明。 演義では夷陵の戦いの際、士仁と共に返り忠を企てて、劉備に許されず処刑されているが、当然捏z……創作。 実際は、この時賀斉配下として魏と呉の国境付近にいたはずなので、夷陵の戦いに参加することは物理的に不可能だっただろう。 あの江陵の一件の際、糜芳が抗戦して城を枕に討ち死にしていれば、現在における彼の評価は全く違ったものになっていただろう。 ただ、こちらは勝てる見込みが全く無く、上司からは「帰ったら処罰」と脅され、その危機の原因を作ったのも上司の行動、 さらに同僚は殆ど戦わず降伏。 正直この状況で糜芳に「関羽のために頑張って死ね!」と言うのは、あまりに酷では無かったか。 まあ、どんな理由があろうと裏切りは裏切り。それ自体は非難されても仕方が無い事。 ……が、そうなると他にも命惜しさに投降した割りに、大して非難されていない武将なんていくらでもいるわけで。 魏で言えば張郃、徐晃。蜀では三国鼎立後も王平や姜維など、こういった名将でもあっさりと裏切った経緯がある。 にもかかわらず、あんまり非難されていない。 「生姜の裏切りは綺麗な裏切り、糜芳の裏切りは汚い裏切り」と言うのは無いだろう。 とは言え、糜芳にとって不幸だったのは、裏切った相手が後に神に祭り上げられた事だろう。 ここまで糜芳が卑劣漢扱いされるのは、関羽が死後神になったからに他ならない。 歴史とは不公平と言うかなんと言うか……。 何十年も主君に仕えた古参の降伏、関羽との関連性、虞翻に罵倒されたりと、こうして見ると干禁と糜芳は似ているような気がする。 勿論、功績では干禁の方が上だが。 まあ、末路が悲惨だった干禁に比べれば、活躍の記録が残ってる糜芳はまだマシだろう。 呉で大活躍だった潘濬に比べると見劣りするものの、 降ってからの記述が一切無い士仁、後に自殺に追い込まれた郝普に比べれば、相当恵まれている。 劉備・曹操・孫権から一定の評価を受けており、中々面白い人生を送ったとも言える。 グダグダ語ったけど、結論としては、 裏切りを卑劣と見るかは個人の判断に任せるとして、決して一般的なイメージほど無能ではないという事を考慮してもらえば幸いです。 上へ 糜芳の擁護解説の濃厚さに感心しました。(笑) -- 名無しさん (2009-05-26 01 26 11) 何度見ても糜芳の解説には感動するものがあるな・・・ -- 名無しさん (2009-05-27 13 32 53) 蜀贔屓の横山でも糜芳は先に降伏した士仁に対し最初罵倒してるしな。あの横山総集編辞典でも荊州失陥は関羽が一番悪いとしてたし少なくてもこの点では擁護されんとおかしい。今で言うなら古参の中堅だが上司に恵まれなかった中間管理職でやむなく転職というべきか。 -- 名無しさん (2009-06-15 07 02 38) 記事の破壊はやめてください。 -- 名無しさん (2010-12-10 23 10 34) 除去された記事を復帰。このコメント欄にもある通り、「解説の濃厚さ」「感動するものがある」と読者から評されている記述を一方的に除去するのは妥当ではない。異存があるならば本コメント欄に提起するべき。 -- 名無しさん (2010-12-15 03 03 56) 名前 コメント