約 3,188,807 件
https://w.atwiki.jp/moikomi/pages/33.html
《混濁》 定義 記述。どのようなモノか? 《たけ(tk)の思いこみ》は《混濁》から始まる。 《混濁》には何もない、時間もない、空間もない、主体もない、客体もない、コトバもない、モノもない・・否、『一切』がある。『一切』が混じり合って一つのモノになっている・・。 遠くから声が聞こえる。「生きよ。息をせよ」。息をした。落ち着いてきた。心地よくなった。 《混濁》は心地よい。 落ち着いてくると、《混濁》が様々な《思い込み》の渦巻きで構成されていることが見えてくる。 《思い込み》のうちのある物たちは、再現性があることが分かった。それと「モノ」と呼ぶことにした。「モノ」は一定以上の再現性のある《思い込み》を指し示すコトバである。 コトバも生じた。コトバは混濁の中に予め在るのではなく、どこからか(《背後者》から)噴出して、混濁の中に投入される形で生じる。 混濁の中に生じた何者かを指し示したいときには、それを指し示すコトバをでっち上げて、コトバとソレとの関連を反復記憶するのが良い。ソレを指し示したいときには、ソレに対応するコトバを噴出させればよい。 コトバは《思い描き》を生じさせる。(コトバ抜きに《思い描き》が噴出することもある)。 《思い描き》には、その思い描き自体に内容のある狭義の《思い描き》と《指し示す思い描き》とがある。 《指し示す思い描き》にはそれ自体の内容は無いが、混濁や世界のなかからそれが指し示すモノを捜し出して、それを指し示す、という機能がある。 思い込みやモノたちが見えてくると、それらを《知りつつあるモノ》があることに気がつく。ただし《知りつつあるモノ》を探求し始めると、自己言及の地獄が始まる。息することを忘れて心地よさを失う。 《混濁》から《知りつつあるモノ》が分離すると、《混濁》は《知られつつある混濁》になる。《混濁》は《知りつつあるモノ》と《知られつつある混濁》とに分離する。 もう一つ、「息せよ」と呼び掛けてきたモノ、《息しつつあるモノ》も在りそうである。 #《息しつつあるモノ》に注目して、再び《混濁》に陥ると、《混濁》は《身体》になる。《混濁しつつある身体》になる。《知りつつあるモノ》の視点からは《身体》の外部の《近傍物理空間》では、さほど混濁していないのである。 #《混濁しつつある身体》を観察していると、《身体》における《混濁》は、《息しつつあるモノ》が《他者》を認知したときに、《息しつつあるモノ》から《身体》の内部に噴出していることがわかる。《息しつつあるモノ》は《他者からの混濁》を感じ取って、《身体》の内部に噴出する。 #《他者からの混濁》は《息しつつあるモノ》の《身体》の外部にある。《他者からの混濁》は《息しつつあるモノ》の外部世界である。(*1)。 !!記述 #《たけ(tk)の思いこみ》は《混濁》から始まる。 ##《思いこみの世界》はカオスである。一つのモノとしてとらえようとすると《混濁》に至る。そこから《たけ(tk)の思いこみ》は始まる。 ##《混濁》はノイズによって如何様にも分離するようである。 ###《知りつつあるモノ》というノイズによる分離 ###《息しつつあるモノ》というノイズによる分離 ###コトバというノイズによる分離 ###etc. !!区別 《混濁》と《混濁しつつある身体の群れ》 #要するに 、《ヒトの群れ》なのだよ。 #『ヒト』は当為概念であるから、《ヒトの群れ》と《混濁しつつある身体の群れ》とは異なる。 #《混濁》というのは、蓮の花が咲くかもしれない泥のことかもしれない。 #《ヒトの群れ》は《自己言及関数の群れ》だね。《カオス関数の群れ》。 #http //www.asyura2.com/07/idletalk28/msg/266.html ##ところが、学校を出てから働きはじめてみると、世の中が誰かの意思で決まっているというより、もっと混沌としたもの(カオス)であることが分かってきた。一人の人はその人の意思で動いているかもしれないが、複数の人がそれぞれの意思で動きはじめると、訳のわからぬ状態になる。誰か一人の意思で世の中の現状がこうなっているのではない、ということが分かってきた。 ##数学的に言えば「カオス」というらしい。(※1) ##どちらかというと、人々は、世の中のカオス性を見抜いたうえで、訳のわからぬカオスの世の中の中でもがいている、というのが現実だ。そして、そのようにしてもがいている人々の動きが、世の中のカオスを作り出しているわけでもある。 ##とはいえ、カオスな世の中では人々は安心して生きていけないので、法制度というのは人々に「予測可能性」を与えるために存在している、と習ったような気もする。 #《欲・得・快・楽・善・義》は《身体》に属する。 #知的欲求も 《欲・得・快・楽・善・義》の一つである。《知りつつあるモノ》は《身体》に属する、か? 《特別者公理》においてはNOだが、《相対者公理》においてはYES。 #《特別者公理》は、各人が特別者であることにおいて、相対者である、という結論になる? 無限循環しているのだ。《特別者公理》と《混濁しつつある身体の群れ》。 #《特別者公理》においては《混濁しつつある身体の群れ》は出てこない。否。特別者の実感において現れいでたるモノが《混濁しつつある身体の群れ》である。特別者は《混濁しつつある身体》の混濁し沈み、他の《混濁しつつある身体》と共感しあい、《混濁しつつある身体の群れ》を《拡大身体》として実感するのである。 《知りつつあるモノ》と《混濁》 #《知りつつあるモノ》は《混濁しつつある身体》の内部にある。《知りつつあるモノ》も《息しつつあるモノ》も《身体》から外に出ることはできない。《知りつつあるモノ》は《混濁しつつある身体》の内部から世界を知るがゆえに、『一切』が混濁しているように見たのだろう。しかし、《知りつつあるモノ》は《身体》の外に出ることはできない。 《他者からの混濁》 コトバというノイズによる《混濁》の分離 #《混濁》は、元々は《今・ここ》に在る《名前のないモノ》である。 #《名前のないモノ》に「混濁」という名前を付けた。 #《名前のないモノ》に名前を与えると、《名前のないモノ》は、名前によって《指し示されつつあるモノ》になる。(*2)。 #モノは 、名前など知らない。《私》、《我々》が勝手に、そのモノに名前を付けているだけであり、勝手に指し示しているだけである。そんなことにはモノは関知しない。名前はモノに属するモノではない。 #《名前を与えつつあるモノ》がある。 #《思い描きつつあるモノ》がある。 #《指し示しつつあるモノ》がある。のだが・・、《指し示しつつあるモノ》は何か? コトバか? 《思い描き》か? 《私》か? 指し示す、とはどういうことなのか? #・・ #「それ」に「混濁」というコトバを与え、「混濁」というコトバによって「それ」を《指し示しつつあるモノ》にとっては、《混濁》は「混濁」という名前によって指し示されるモノである。 #《指し示しつつあるモノ》は、「混濁」というコトバを《他者》に伝えることによって、《他者》もまた「混濁」というコトバが指し示す《混濁》というモノに注目してほしいと期待する。 #しかしながら 、「混濁」というコトバを聞いたモノにとっては、「混濁」というコトバは《混濁》というモノを指し示すモノではない。コトバを聞きつつあるモノにとっては、「混濁」というコトバは『混濁』という《思い描き》を思い浮かべさせるモノでしかない。 #コトバを聞きつつあるモノにとっては 、コトバは《思い描き》を指し示すモノでしかない。しかし、彼が、そのコトバの意味を正確に理解するなら。それが指し示すべきモノを探し当てるだろう。その段階になれば、彼は、「混濁」というコトバによって、《混濁》というモノを指し示すことができるようになる。 #《混濁》は、それに名前を与えることによって次のような要素に分離する。 ##《混濁》というモノ。《指し示されつつあるモノ》 ##「混濁」というコトバ。 ##『混濁』という《思い描き》。 ##モノに名前を与えることによって、《名づけつつあるモノ》 ##コトバを反復することによって、モノを《指し示しつつあるモノ》 ##コトバを《他者》に伝えつつあるモノ ##《他者》からコトバを受け取りつつあるモノ。コトバによって《思い描き》を生成しつつあるモノ。 #《名づけつつあるモノ》。名前を付けるというのは悩ましいことである。モノのイメージを固定すること、そのイメージを適切に表現できそうなコトバを捜すこと。仮に決めること。仮に決めた名前が適せるであったかどうかを再検討すること。といった手続が必要になる。 #モノのイメージは 、モノから生じた《思い描き》である。 #《思い描き》はモノからも生じ、コトバからも生じる。
https://w.atwiki.jp/kumot/pages/371.html
閑雲野鶴>メルマガ>バックナンバ>酒>ワイン ワイン 03/04/01 ワインは苦手であまり飲まないのだが、飲み方ぐらいは知っている。ワインを味わい、相物を味わい、ワイン、相物、ワイン、相物、以下循環。ただしここで気を付けねばならないのは、日本式に食べ物を口に入れたままお茶で纏めて流し込むのを絶対にしてはならないことだ。日本でもこれは行儀がよくないとされているが、本人は涼しい顔をしている。何故ならば、美味くも不味くもないからだ。お茶漬けの伝統がよく刷り込まれた結果であろう。この感覚のまま、不意に食事とワインの取り合わせに立ち向かったとき、悲劇が起こる。 通常の食事をしている感覚で、口の中に食べ物が詰まり、さて、咀嚼にも疲れた、まだ頑固に固体を維持している奴らがいるが、面倒だ、流し込もう。水はないか。を。ワインがあるじゃないか。折角ワインがあるわけだから、これで流し込もう。そして口の中に食べ物があるところへワインが注ぎ込まれる。少し噛みながら一気に土石流の気分で胃に落とそう。ここで、顔が苦悶に歪む。 苦いでしょう。不味いでしょう。苦しいでしょう。「えうげあ」半泣きで飲み込んで水を求める筈だ。 ワインは、口の中を漱ぐ為のものであり、又その際にその料理に最も相応しいワインを選ぶのであり、決してお茶漬け感覚で口の中でもって食べ物と混ぜ合わせてはならない。えぐみが口の中に広がってしまうのだ。「ワインにはチーズ」これしか知らないままチーズを頬張り、実はチーズが嫌いなのに無理をしていたものだから、強引にワインで流し込もうとして後頭部が痺れたことがある。「ワインには、やはりパンだ」それでも口の中で混ぜ合わせて口内炎に染みた十八の夜。この二度の失敗からいろいろ試した結果、食物は噛み締めて味わう。口の中に何も残っていない状態でなお、その食べ物の味が残っている又はべたつくときにこそ、ワインを口に含み、残っている味やべたつきを洗い流して再び一から食物を味わうことが出来るのだ。 これを知らないまま、口の中で混ぜ合わせてしまうと、「このワイン不味!」と冤罪を被せることになってしまう。ワインは何も悪くない。単に貴方の行儀が悪いだけだ。 そして日本食の場合。どうもおにぎりや丼物、炊込飯など、御飯を混ぜ合わせる料理が多い為か、口の中でおかずと御飯を混ぜ合わせて食べる人が多い。手前もそうする。しかし正式な作法としては、「白い御飯は、ワインと同じ立場にある」ことを知っておいて損はない。つまり、おかずを味わい、口の中に何もなくなって、味が残っている場合、白い御飯で一旦味を消してしまうのだ。そして又、先の味が消えた舌で次の味を確かめる、とこういうわけだ。 これが正式な作法であるが、そう考えると、御飯におかず漬け物及びお茶をかき混ぜてあまつさえ薬味などという気取ったつもりの刺激物をまぶして掻き回して「ぞぞぞぞぞ」と啜り込むお茶漬けはどれだけ品がないかわかるだろう。そしてその感覚を西洋料理に持ち込んで、口の中でお茶漬け状態にして「えぐい。不味い」では、ワインが余りにも不憫というものだ。 ワインを主か従かどちらに置くとしても口の中で混ぜ合わせてはならない。本当に後頭部が痺れるぞ。それで嫌いになったわけではないぞ。更にワインの産地や種類の多さに馬鹿馬鹿しくなったから飲まないことにしたのだ。「やってられん」というのが最後の記憶だ。以降はビールとウィスキィにのめり込む。発泡酒は殆ど惰性だ。 美味い酒の条件とはたったひとつ、これしかない。 「喉に引っ掛からずに水のようにいくらでも飲めるもの」 「喉越し云々」「喉にがつん」それはですね、不味いんですよ。加糖してですね、べたつく酒を際限なく飲むことが出来ますか?スコッチ?あれは共同幻想だ。いろんな蒸溜所のもの混ぜて貴方あれは標準米と同じことですよ。せめてシングルモルトで語りましょうよ。 TOTAL ACCESS - Today - Yesterday - LAST UPDATED 2024-08-31 08 16 56 (Sat)
https://w.atwiki.jp/otassya2/pages/819.html
酒類 ワイン 販売地域 塩屋宗悦の店 詳細 価値 重量 買値/売値 8 0.1 700文/ 文 用途 飲むと価値×4の気合回復量が加算される。効果時間は2分15秒。 解説 ワインとは、葡萄から製作する酒の総称。 紀元前より記録があり、メソポタミアを発祥として広がり、生産地も現在の中国西部(西域)からイランといったペルシア、イスラム圏一帯、そしてギリシア、イタリアといった旧ローマ圏というぐあいに、ユーラシアの非常に広い地域で作られていた。 なお、葡萄自体は原産地には諸説があるものの現在でも不明であり、日本ではすでに鎌倉時代には栽培が開始されていた記録があり、さらには存在自体は縄文時代からある。 そのため有史初期の段階にはユーラシアのかなりの範囲に広がっていた作物であると考えられる。 また、ワインは麹といった外部酵母を使わなくてもアルコール発酵する。これはワインの素である葡萄自体に酵母が付いているためである。 そのため、米に麹をまぶしたりする日本酒等の穀物を基にするものに比べてはるかに製法は簡単であり、事実ぶどうジュースからワインを作ることが可能である(実際筆者の地元でもジュースから数百本のみ作って売り出したらしいが、売れたという話も、おいしいという話も聞かないため、コケたようである)。 こういった経緯から、ワインがユーラシア大陸において大きなシェアを占めていたのは当然であるといえよう。 なお、実は日本にもワインの記録があり、縄文時代には葡萄果汁から酒を造っていたというが、いつのまにか廃れたようである。 その他情報 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/casa/pages/12.html
醸造在庫一覧 ※Buffのカテゴリ毎に分類 醸造在庫一覧回復力向上系 お酒 回復力向上系 アイテム名 備蓄数 追加数(日付) 消費数(日付) バナナミルク - - (--/--/--) - (--/--/--) トマトジュース - - (--/--/--) - (--/--/--) ミックスジュース - - (--/--/--) - (--/--/--) 野菜ジュース - - (--/--/--) - (--/--/--) 玄米茶 - - (--/--/--) - (--/--/--) フレーバードティ - - (--/--/--) - (--/--/--) ウーロンティ - - (--/--/--) - (--/--/--) ミルクティ - - (--/--/--) - (--/--/--) お酒 アイテム名 備蓄数 追加数(日付) 消費数(日付) ラム - - (--/--/--) - (--/--/--) ワイン - - (--/--/--) - (--/--/--) スパークリングワイン - - (--/--/--) - (--/--/--) ウォッカ - - (--/--/--) - (--/--/--) ドブロク - - (--/--/--) - (--/--/--) サマーナイトリカー - - (--/--/--) - (--/--/--)
https://w.atwiki.jp/moyashimon/pages/383.html
ワイン (en wine) ブドウの果汁を発酵させて作ったアルコール飲料。葡萄酒。 世界の最も多くの地域で飲まれているアルコール飲料です。 ワインは瓶に詰めた後も熟成が進みます。 長く熟成させて楽しむワインを長熟ワインと言います。 ワインの種類 白ワイン白ブドウを原料とし、果汁のみを発酵させて作ります。 赤ワイン黒ブドウや赤ブドウを原料とし、果実を丸ごと、皮共に潰して発酵させます。 ロゼワインピンク色のワイン。製法は様々らしいです。 参加している菌達 History 初登場 - 第25話 アンダーウエア (3巻) Link ウィキペディア ワイン (外部リンク)
https://w.atwiki.jp/wineworld/pages/21.html
フランス ドイツ イタリア スペイン ポルトガル オーストラリア ニュージーランド 南アフリカ ピエモンテ州 ヴェネト州 トスカーナ州 シチーリア州 リグーリア州 ロンバルディーア州 トレンティーノ・アルト・アディジェ州 フリウーリ・ヴェネツィア・ジューリア州 エミーリア・ロマーニャ州 ウンブリア州 マルケ州 プーリア州 カンパーニャ州 サルデーニャ州 その他 #bf
https://w.atwiki.jp/wineworld/pages/24.html
フランス ドイツ イタリア スペイン ポルトガル オーストラリア ニュージーランド 南アフリカ #bf
https://w.atwiki.jp/wineworld/pages/20.html
フランス ドイツ イタリア スペイン ポルトガル オーストラリア ニュージーランド 南アフリカ ラインガウ地域 ラインヘッセン地域 モーゼル・ザール・ルーヴァー地域 ファルツ地域 その他 #bf
https://w.atwiki.jp/wineworld/pages/69.html
ワイン名:プイィ・フュメ"ドゥ・ラドウセット" ワイン英文名: ヴィンテージ: 原産地統制呼称: 生産国:フランス 生産地:ロワール 生産地区:ロワール ワイナリー: タイプ:白 葡萄: 容量(ml):750 アルコール度:12.5% 価格(税込): ラドウセット社はこの地区でノゼ城という素晴らしい城と醸造所を所有する有数のメーカー。紹介するワインはクリーンな辛口です。 名前 飲んだ感想はこちらへ #bf
https://w.atwiki.jp/shinsen/pages/950.html
酒類 ワイン 販売地域 塩屋宗悦の店 詳細 価値 重量 買値/売値 8 0.1 700文/ 文 用途 飲むと価値×4の気合回復量が加算される。効果時間は2分15秒。 解説 ワインとは、葡萄から製作する酒の総称。 紀元前より記録があり、メソポタミアを発祥として広がり、生産地も現在の中国西部(西域)からイランといったペルシア、イスラム圏一帯、そしてギリシア、イタリアといった旧ローマ圏というぐあいに、ユーラシアの非常に広い地域で作られていた。 なお、葡萄自体は原産地には諸説があるものの現在でも不明であり、日本ではすでに鎌倉時代には栽培が開始されていた記録があり、さらには存在自体は縄文時代からある。 そのため有史初期の段階にはユーラシアのかなりの範囲に広がっていた作物であると考えられる。 また、ワインは麹といった外部酵母を使わなくてもアルコール発酵する。これはワインの素である葡萄自体に酵母が付いているためである。 そのため、米に麹をまぶしたりする日本酒等の穀物を基にするものに比べてはるかに製法は簡単であり、事実ぶどうジュースからワインを作ることが可能である(実際筆者の地元でもジュースから数百本のみ作って売り出したらしいが、売れたという話も、おいしいという話も聞かないため、コケたようである)。 こういった経緯から、ワインがユーラシア大陸において大きなシェアを占めていたのは当然であるといえよう。 なお、実は日本にもワインの記録があり、縄文時代には葡萄果汁から酒を造っていたというが、いつのまにか廃れたようである。 その他情報 名前 コメント