約 4,593,556 件
https://w.atwiki.jp/i_am_a_yandere/pages/1412.html
220 :ぽけもん 黒 19話 ◆/JZvv6pDUV8b :2009/12/07(月) 02 10 45 ID RT3H1gnW その後、意識の無い香草さんと、歩くことの出来ないポポをやどりさんに手伝ってもらって、練習場内の医務室に運んだ。 ポポの足は粉砕骨折、香草さんは内臓損傷という重症だった。 医療が発達していても、重度の骨折ともなるとさすがに一日は絶対安静、三日はバトルを禁じられた。今日は集中療養室で一人でお泊りだ。 面会禁止でよかった。もし面会が可能だったりしたら、ポポはごねて僕についてこようとするか僕を帰れないようにしたに違いない。 治療時間としては香草さんのほうが短く、香草さんは数時間で意識を取り戻した。 こちらは今日一日は安静を推奨されたが、特に行動の制限は無い。 状況が理解できなかったのだろうか、香草さんは目を覚ますなり暴れだした。 僕とやどりさんと看護師さんの三人がかりで抑え、香草さんの両手両足を拘束具で固定し、ベッドに据えた。 両手両足の拘束を解こうともがいていたが、しばらくするとおとなしくなった。 蔦も葉も出さなかったことから考えるに、ただパニックになっていただけで、本気で拘束具を引きちぎろうとしていたわけではないらしい。 固定された香草さんは、青ざめた顔をして震えている。この震えは、寒さによるものではなさそうだ。 「私が負けたなんて……そんな……そんな……」 そんな感じのことを、うわごとのようにブツブツと呟いている。 彼女のプライドの高さからいったら無理も無い。 おそらく、同年代との戦いでは今まで負けたことなど無かったに違いない。 それなのに、二対一とはいえ、場外などのルール上の問題じゃなくて、文句なしの敗北を喫してしまったのだ、彼女のショックは計り知れない。 逆鱗に触れる結果になりかねないとも思ったが、僕は彼女に慰めの言葉をかける。 「げ、元気出してよ香草さん。香草さんもすごかったよ!」 突如、拘束された香草さんの手がピクリと動いた。手を伸ばそうとしたようだけど、拘束のせいで持ち上がらなかった。 びっくりした。てっきり首でも絞められるかと思った。 「……ぁ」 香草さんの口から、呻き声のような、涙声のようなものが零れ落ちる。 「ごーるどぉ」 名前を呼ばれた。 いつもの香草さんからは想像もつかない、不安げな、か弱い声で。 胸が締め付けられるのを感じる。物理的にじゃなく。 何だろう、香草さんがとても可愛く見える。 こ、これがギャップ萌えというやつか! ……って僕は何を考えているんだ! 「な、何?」 「お願い……お願いします。もう二度と負けたりしないから……」 呆気に取られて言葉も出ない。一体何の話だ? 「見捨てないでぇ。いなくならないでぇ。ごーるど、ごーるどぉ」 子猫の鳴き声のような、か細く、聞くものに庇護欲を喚起させる声。 「な、何を言ってるのさ。そもそも、負けたら契約解除だなんて一言も言ってないじゃないか」 「いや、いやぁ。ごーるどぉ」 彼女はついに泣き出してしまった。 まともな会話にならない。 彼女の拘束された手は、何かを掴もうとするように、必死に伸ばされていた。 白く、細く、怪力を発揮するとはとても思えない繊細で綺麗な手を。 僕が掴むことはなかった。 221 :ぽけもん 黒 19話 ◆/JZvv6pDUV8b :2009/12/07(月) 02 11 46 ID RT3H1gnW 「……ごーるど?」 不意に彼女の瞳孔がすっと細くなるのが見えた。 同時に、彼女の両の袖から、数十の、ボロボロの蔦が這い出し、鎌首をもたげる。 それはやどりさんが念力で押さえつけるよりも早く、僕の手首に伸びた。 「いや、いや。行かないで。行かないでよぉ」 駄々をこねる子供のように僕に呼びかける。 僕の手を掴む蔦が、僕の手首をギチギチと絞めた。 やどりさんの念力によって、蔦を含む彼女の全身が下方向に強く押し付けられる。 しかし、僕の手首に巻きつけられた、一本の蔦だけはそれに抗っていた。 「ごーるど、ごーるど、ごぉるど、ごぉるどぉ」 最初は甘く、徐々に激しく、彼女は僕の名を呼び続ける。 蔦は、もはや万力のような力で僕の手首をギリギリと締め付けていた。 あ、あ、あ。 「う、うわああああああああああ」 病室中に、僕の悲鳴が溢れかえる。 怖かった。腕の痛みよりなりより、香草さんが、まるで。 ――まるで…… 看護師が慌てて駆け寄り、香草さんの細い、白い腕を剥き出して、何かを注射した。 すうっと、まるで水が引いていくように、滑らかに、急激に僕の手首を掴む力は引いていった。 「いや、こんな、ごぉるど、私、わたし……」 彼女の言葉からも急激に力が抜けていく。 下がる瞼を必死に止めながら、彼女は何か言葉を作ろうと口をモゴモゴと動かしていたが、それも長くはもたず、すぐに沈黙した。 僕は病室の白い床に尻餅をついた。 彼女の蔦につかまれていた手首には、真っ赤な蚯蚓腫れが浮かび上がっていた。 そのとき初めて、僕は自分が全力疾走をした後のような荒い呼吸をしていることに気づいた。 「……ごめんね、おかしなことに巻き込んじゃって」 「……いい」 練習場からポケモンセンターに戻る帰り道。 さすが都会というだけあって、夜も更けつつあるこの時間でも街頭やネオン、建造物からの光で街は明るく、人々によって騒がしい。 賑やかな街と対照的に、僕はとてもいたたまれない気持ちに包まれていた。 一体何が香草さんをあのようになるまで追い詰めるのだろうか。 先ほどのことが思い出されて、少し震えた。 やどりさんからすればいい災難だろうな。 自分に落ち度があるわけでもないのに、こんなよく分からないことに巻き込まれて。 旅をしてきた僕ですらよく分かっていないんだ、今日会ったばかりのやどりさんなんてさっぱりだろう。 「今日はもう遅いし、とりあえずポケモンセンターに戻ろうか。きっと、ポケモンセンターでもそのくらいの融通は利くよ」 陰鬱な気持ちを吹き飛ばすように、努めて明るく言った。 きっと今回の騒動をみて、やどりさんはパートナーになってくれる気なんてなくしたはずだ。 だからポケモンセンター本来の目的からすれば、パートナーでもなく、パートナーになることも無いやどりさんが宿泊するのは無理なんだろうけど、一日くらいなんとかなる……はずだ。 やどりさんは黙って僕を見つめている。どうしたのだろうか。やっぱり、僕と同室なんて嫌なのだろうか。 となると、他に宿をとってあげるしかないか。幸いにもここは都会、宿探しには困らないだろう。バトルで一度も負けてないから資金も一応はある。……ホントは店めぐりをして道具を買い込みたかったんだけども。 「どうしたの?」 「私……と……あなた……は……パート……ナー。だから……ポケモンセンター……に……泊まるのは……当然」 彼女は相変わらずの無表情でそう答える。僕は一瞬呆気に取られた。 「え、いいの?」 「どう……して? ……ダメ……なの?」 「そ、そんなこと無いよ! ただ、今日の騒動で、僕とパートナーになるのが嫌になっちゃったんじゃないかって思って」 「そんなこと……ない」 「そうなんだ! それならよかった」 部屋に戻り、手早く寝支度を終えた僕はベッドに潜る。 やどりさんが照明を消したのだろう、すぐに部屋は暗闇に包まれた。 人の動く気配がする。やどりさんがベッドに向かう気配だ。 そう思っていたのに、その気配は僕のほうに近付き、僕の寝ているベッドの前で止まった。 222 :ぽけもん 黒 19話 ◆/JZvv6pDUV8b :2009/12/07(月) 02 12 11 ID RT3H1gnW 「どうしたのやどりさん」 僕がそう聞くと、彼女は無言でもそもそと僕のベッドにもぐりこもうとする。 「や、やどりさん、何やってるの?」 「何……って……寝ようと……」 「な、何で僕のベッドで寝ようとしてるのさ!」 「何で……って……」 外の明かりに照らされて、彼女の表情が見えた。 いつものどこか間の抜けた表情だけど、今の彼女の感情ははっきり分かる。彼女は明らかに不思議そうな顔をしていた。 「私……と……あなた……は……パート……ナー。だから……一緒……に……寝るのは……当然……」 「当然じゃないよ!」 思わず声が大きくなる。一体彼女はどういう思考回路をしてるんだ。 いや、もしかしてそれは当然のことなのかな。ポポだっていつも僕と一緒に寝たがるし……って違う! 当然なんかじゃない! 何だろうこれは。やどりさんの催眠術にでもかかってるんだろうか。 僕は邪念を振り払うためにやどりさんに背を向け、壁のほうを向く。 しかし、壁のほうを向くと今度は途端に香草さんの姿が白い壁に描かきだされる。 彼女のあの様子、とても正気には見えなかった。 彼女の自信、プライド。 そういったものが打ち砕かれた衝撃は僕が思うよりもはるかに大きかったようだ。 これから、彼女は一体どうなってしまうんだろう。 そして、彼女に対して僕は一体どうしたらいいのだろう。 次第に、思考は袋小路へと陥っていく。 そのまま、いつのまにか僕は眠りに落ちていた。 「……いい……の?」 「うん。約束だしね」 翌日。僕とやどりさんは役所にいた。 もちろん、やどりさんと正式に契約を結ぶためだ。 本当は香草さんに確認を取ってからにしたかった。 練習場の医務室を訪れたのだが、彼女は未だ深い眠りの中だった。 酷い怪我をした上に、精神も酷く磨耗したのだから当然といえば当然なのだけど。 今回、香草さんが受けたショックの大きさを再認識させられる。 ちなみにポポは骨折が思った以上に酷かったようで、相変わらず面会謝絶だった。といっても、治療は伸びても半日程度だそうだ。科学の進歩ってすげー。 正直、やどりさんと契約を結ぶのもどこか後ろめたい。 トレーナーと契約を結ぶパートナー、双方の同意があるのだから何も問題は無い。 とはいえ、あれほど強情に自分以外のパートナーを認めなかった香草さんを無視する形になってしまうのには、抵抗を覚えてしまう。 それに……僕が今新たに契約を結ぶということは、新たに契約を結ぶ相手を騙すことと同じだ。 やどりさんの問いかけに努めて明るい口調で答えたのも、そういった自分の負の感情を誤魔化したかったからだ。 卑怯者。 香草さんに、そう言われた気がした。 「これで僕とやどりさんは正式にパートナーだ。これからよろしくね」 「……こちら……こそ」 契約の手続きそのものは何の滞りも無く終わった。 やどりさんは元々住民登録してあったから、本当に何の手間も時間もかからなかった。 時間がかからなすぎて、香草さんやポポの様子を再び見に行くにも早すぎる。 そういえば、やどりさんが新たにパーティーに加わることになったんだ、ささやかでも歓迎式なんか開いてあげたい。その準備に時間を使ってもいいな。 ……でもきっと香草さんが許さないだろうから無理か。 「僕は今からジムの下見に行ってくるよ」 僕は結局、自分の目的を優先させることにした。 「……私も……いく」 「そう? じゃあ一緒に行こうか」 やどりさんもついてきてくれるようだ。 相変わらず、感情は読み取りにくいけど、少なくとも不機嫌そうではなさそうで安心した。 ジムに向かっている最中。意外なことに、やどりさんは本当に私とパートナーになってよかったのかと尋ねてきた。 あんな横暴な振る舞いをされても、それでも香草さんのことを気遣っているのか。 ……いや、単に僕が自分勝手なだけなのかもしれない。 「今回のことで香草さんもチームプレーの重要性がわかったと思う。きっと分かってくれるはずさ」 223 :ぽけもん 黒 19話 ◆/JZvv6pDUV8b :2009/12/07(月) 02 12 46 ID RT3H1gnW そう、今回の敗北が、彼女にとってよい作用を持たせばいいんだけど。 自己すら見失い、狂乱状態にあった昨晩の彼女。 頭をよぎった昨晩の情景をすぐにかき消す。 あれはただ、強いショックを受け止め切れなかっただけさ。 時間がたち、落ち着けば、上手く消化して、自分の身の一部にできる。 そう、信じたい。 若干苦い感情を覚えながらもそう考えていると、やどりさんは、 「……そうじゃ……なくて」 となにやらモニョモニョ言っていた。 僕はまた何か意図を図り間違えたのかな。 しかしジムに着いたので会話は一旦中断された。 僕たちは正面玄関に近付くことなく、ジムの脇に回る。 今はジム戦を挑みに来たわけではない。偵察しにきただけだからね。 このジムは主にノーマルタイプのポケモンを使うということは分かっているけど、上手いこと他のトレーナーが戦っていてくれていればもっと詳しいことが分かる。 ノーマルタイプは格闘系の技が弱点だけど、ジムリーダーともなれば対策がしてないとは思えない。 香草さんが格闘タイプだから僕たちは有利か……あ、いや、香草さんは草タイプだった。いつもの印象でつい。 予想通り、ジムの側面には少し高い位置にだけど大きな窓がいくつも取り付けられていて、中の様子を伺うことはそれほど難しくなさそうだった。 「やどりさん、念力で僕を持ち上げることってできる?」 やどりさんがいなければ他の手段を講じていただろうけど、折角やどりさんがいるんだから頼ってみる。 「……簡……単」 「それじゃ、申し訳ないんだけど、あの窓から中がのぞけるように僕を持ち上げてくれないかな? それで、僕が左手を開いたら僕を降ろして欲しい」 「……分かっ……た」 覗いていることがばれるとよくないだろうから、見つかったときの対策をちゃんと考えておく。 やどりさんは両腕を前に差し出すと、そのままトテトテと歩いて、僕に抱きついた。 「や、やどりさん?」 「……ちゃん……と……捕まっ……て」 言われるがままに抱き返す。すると僕たちの体がするすると浮き上がり始めた。 「じ、自分の体も持ち上げられるの!?」 まさか、念力でここまで出来るなんて。 つまりやどりさんは空を飛ぶことが出来るということだ。 いや、少しこれは大げさかな。 でも宙に浮くことが出来るというのは間違いない。 それくらい、やどりさんの力は強いものらしい。 やどりさんは僕を見て、僅かにだけど微笑んだ。 いつも表情が分かりにくいやどりさんにしては珍しいことだ。 窓の辺りまで浮上した僕は窓から中を覗き込む。 しかしバトルはやっていなかった。 まあそこまで都合よくはいかないよね。 自然物を使っていた今までのジムとはうって変わって、床面は人工的で無機質な素材で出来ている。遮蔽も無く、酷く無機質な造りだ。構造だけ見れば。 しかし床の色がピンク色のせいでまったく無機質さを感じられない。 というか悪趣味以外の何物でもない。 ジムリーダーは一体何を考えているんだ。 遮蔽物無しか……今までのジムよりも戦いやすいように思える。 でも、きっとこれが相手にとって一番有利な地形のはずだから、油断は出来ない。 「やどりさん、ありがとう。降ろして」 僕がそういうと、今度はゆるゆると降りていき、地面についた。 やどりさんはいつものぼんやりとした表情で僕を見ている。 僕に抱きついたまま、離れる様子は無い。 「……あの、やどりさん?」 「……何?」 「そろそろ離してくれないかな」 「…………やだ」 やだと言われるとは思わなかった。 でもずっと抱きついているわけにもいかないので、やどりさんを押して離れる。 やどりさんは相変わらずの表情だ。 本当に、ポポや香草さんとは違った意味で、やどりさんは何を考えているのか分からない。 そもそも、僕を浮かすのにわざわざ抱きつく必要はあったのかな。 まずそこを疑問に思うべきだった。 224 :ぽけもん 黒 19話 ◆/JZvv6pDUV8b :2009/12/07(月) 02 13 12 ID RT3H1gnW 次に僕たちは古賀根百貨店に向かうことにした。 古賀根市に来たからには是非一度は寄っておきたかった場所だ。 道中の連戦連勝で大分お金も溜まっているし、思う存分道具が買える。 店に入った僕は、圧倒されて息を呑む。 久々に来たけど、やっぱりすごい品揃えだ。 あ、これ新製品だ。便利そうだなー。欲しいなあ。でも今の手持ちの道具と機能が被るよなー。どうしようか…… お、こっちは技マシンのコーナーだ。旅に出るまでは実感が湧かなかったけど、こうしてみると魅力的だよなー。 ええっ、こんなものまで売っていたっけ? う、でも高いなあ……これを買うと他の道具が……いや、でも…… 不意にやどりさんに服をつかまれて、ようやく正気に返った。 しまった、つい商品選びに夢中になり過ぎてしまった。やどりさんを意識するのをすっかり忘れてしまっていた。 彼女を見ると、いつもの表情で僕を見ていた。 お……怒ってる? 表情の変化が無いから感情が分かり辛い。というか少し、怖い。 「ごめん、つい夢中になっちゃって」 弁明するように僕は言う。 そういえば、この旅の……というか香草さんのせいで、僕は謝り癖のようなものがついてしまったように思う。 僕は昔から自己主張が強いタイプではなかったけれど、何かあったらとりあえず謝って場を濁すようなタイプの人間でもなかったと思うんだけどなあ。 ふと、そんなことを思う。 「……人、多い。はぐ……れそう」 多いといっても一緒にいる人を見失うほど混んでいる訳ではない。 でも僕が上の空であっちへふらふらこっちへふらふらしていたらはぐれても何の不思議も無い。 まったく、僕には気遣いが足りていない。 あと、やどりさんが、はぐ、で言葉を区切るから、てっきりまた抱きつかれるかと思ったのはスルーしておこう。 「そうだね。手、繋いでもいい?」 「……うん」 僕が差し出した手にやどりさんが手――正確には着ぐるみ――を重ねた。 滑らかで柔らかい手触りが、僕の手に伝わってきた。 「……あ」 とある棚の前でやどりさんが小さな声を上げた。 今までずっと無言だったから、何事だろうとやどりさんを見たら、彼女は誤魔化すようにすぐに――といっても、彼女の動きだからゆっくりなんだけど――視線を僕に向けてきた。 でも、一瞬だけどやどりさんは確かに棚の陳列物を見ていた気がする。 「ラピスアクアかー」 その棚にあったのは、淡い青色を湛えた、透明度の高い石だった。 この石――ラピスアクア、直訳すれば水の石――には世界各地で水の力が宿っているという言い伝えがあり、別名水の結晶とも呼ばれている石だ。 確かに、その澄んだ青は見るものに不思議な力を感じさせる。 持つものには水の力が与えられるといった話や、水の加護を得る、なんて話がいくつもあるのも納得だ。 特に水を操るポケモンと関わりが深く、全員がこの石を持っている種族があるほどだ。 また、綺麗な見た目から宝石としての価値もある。 「そういえば、やどりさんはラピスアクア持っているの?」 やどりさんは水タイプだ。ラピスアクアを持っていても何の不思議も無い。 しかしやどりさんはゆっくりと首を横に振った。 225 :ぽけもん 黒 19話 ◆/JZvv6pDUV8b :2009/12/07(月) 02 13 48 ID RT3H1gnW そうなのか。最近はアクセサリーとして持つ人も増えていると聞くけど。 実際、その棚に並んでいるものも、原石はごく一部で、殆どはアクセサリーとして加工されているものだ。 そして何よりも……高い。 なんだこれは。 なんだこれは! 少し大げさに驚いてみた。 しかし高いことは事実だ。 具体的に言うと、未加工の小さな原石一つで傷薬が十個は買える。 一番高い、凝ったテザインのティアラに至っては、傷薬が一、十、百、千、……傷薬の限界を感じる。 とにかく、ものすごく高いってことだ。 でもやどりさんがパーティー加入したのに、特に祝って上げることも出来ない。ならば、プレゼントの一つくらいはしたほうがいいんじゃないだろうか…… 「あの……ゴールド?」 「こ、このネックレスなんかやどりさんに似合いそうだよね!」 僕は震える指で陳列棚に並べられている商品の一つを指差した。 値段はティアラに比べれば体当たりみたいなものだけど、僕の財布には破壊光線だ。 自分でも頭が少しおかしくなっていることは分かってる。 当のやどりさんは少し首を傾げている。 こ、この反応は……何だ? 「……そう……かな」 ようやく口を開いた。よく分からないけど、多分、まんざらでもなさそうだ。よし! 「じゃあやどりさんにプレゼントするよ。パーティー入隊祝いでさ」 「……いい……の?」 やどりさんの眼がネックレス……いや、値札に向いた。 まるで僕の心を見透かされているようだ。 ……見透かされてないよね? 「うん! せっかく仲間になったっていうのに、皆あんまり歓迎してくれそうにないし……あ、それはやどりさんが悪いんじゃなくて、誰に対してもそうだっていうか……」 あたふたと弁明をする僕を見て、やどりさんはかすかに微笑んだ。 その微笑はかすかではあるけれど、殆ど表情に変化というものがないやどりさんにとっては大きなものだ。 僕は店員さんに代金を支払うと、ネックレスをやどりさんの首につけてあげた。 「あり……がとう」 デパートからの帰り道、僕はやどりさんの何度目か分からないお礼を聞いていた。 ネックレスをプレゼントして以来、ことあるごとにありがとうと言ってくる。 喜んでもらえたのは嬉しいけど、ここまで感謝されると少し照れくさい。 「そんなに気にしなくてもいいんだよ。やどりさんもパートナーになったんだから」 何度目か分からない、その照れ隠しの言葉を返したとき、とても意外なことが起こった。 やどりさんの体が突然光に包まれたのだ。 その光の発信源は彼女自身だった。 数十秒の後、光は消え、その中からやどりさんが現れた。 進化だ。 久々に見たから驚いてしまった。 着ぐるみを着ていることもあって、変化が分かり辛いけど、確かに進化したんだよね? 半ば呆然として眺めていると、やどりさんは滑らかな動作で僕に抱きついてきた。 「ゴールド!」 初めて聞く、嬉しさが滲んだ彼女の声だった。 「や、やどりさん!?」 少し離して、彼女の顔を見る。 その顔にははにかんだような笑みが浮かんでいた。 226 :ぽけもん 黒 19話 ◆/JZvv6pDUV8b :2009/12/07(月) 02 14 45 ID RT3H1gnW 今までは変化に乏しかったけど、進化したことによって感情を出しやすくなったのかな。 「私……進化できた。ゴールドのお陰」 進化してもやどりさんはやどりさんだ。前ほどではないけど、少しのんびりとした話し方だった。 「ぼ、僕のお陰だなんて、そんな……」 ラピスアクアのような石が進化のきっかけになることもあるという。 きっとやどりさんはラピスアクアを身に着けたことで石からの特殊な波動というかなんというか、そういうものを受容して、それが進化に繋がったに違いない。 つまり進化できたのは石のお陰で……石をプレゼントしたのは僕だから、これも一応僕のお陰ということになるのかな。 「と、とにかくよかったね!」 「うん!」 やどりさんは元気に笑った。 ほどなくポケモンセンターの近くまで来た。 ふと、ポケモンセンターの前に立っている人影に気づく。 キョロキョロと落ち着きのないその影は、僕を見つけるなり、一直線に飛んできた。 「ゴールドー!」 「ポポ!」 驚いた。一日は絶対安静だといわれていたのに。 「足はもう大丈夫なの? 確か絶対安静とか言われたんだけど」 ポポを抱きとめながらそう質問する。 「平気です! 愛の力です!」 誇らしげにそう言う。 あはは、と僕は苦笑いだ。 ポポは力強く僕に抱きついていたが、はっと思い出したように僕から離れた。 「そうです、た、大変なんです!」 「何が大変なのさ」 「あの女が、チコが眼を覚ますですよ!」 その言葉に僕はゴクリと唾を飲み込んだ。 パートナーに恐怖心を抱くなんてありえない話だし、パートナーの快気を嬉しく思わないなんて間違っていることも分かっている。 でも、僕がそれを聞いて初めに抱いた感情は、やはり恐怖だった。 香草さんに会うのが怖い。 はっきりとそう思う。 「そ、それのどこが大変なのさ」 僕はやっとのことでその言葉を吐き出した。 自分でも、大変だとアピールするような声色になっているのが分かる。 「……やっぱり、ゴールドも分かってくれたんですね! チコは危ないです! ポポはゴールドに危ない目に会って欲しくないです!」 そういえば、ポポは以前から香草さんの危険性を主張し続けていたっけ。 ポポの言っていたことは……間違いではなかったのかな。 「だから、ゴールド。契約を解除しちゃえばいいんです」 「え?」 その言葉は僕にとって不意打ち気味に発せられた。 「チコと、パートナーじゃなくなればいいんです。そうすれば、ゴールドは危ない目に会わなくてすむです」 「そ、そんなこと……」 「パートナーに対する暴力。これは契約を解除する理由になるですよね?」 それは事実だ。しかし僕はそれよりも、ポポはそこまで物事を理解し、考えていることに驚いた。 「大丈夫です。ゴールドにはポポがいるです」 「私も」 彼女達の強さは織り込み済みだ。この状況で、無理に香草さんとパートナーである理由がない。 「で、でも、僕は……」 「ゴールド!」 背後から、大声量で名前を呼ばれた。 馴染みのある、その声。 ポポとやどりさんが一瞬のうちに体をこわばらせたのが分かった。 僕は、ゆっくりと、呼ばれたほうを振り返った。 「ゴールド」 僕の視線の先には、患者衣のままの香草さんがいた。
https://w.atwiki.jp/i_am_a_yandere/pages/867.html
255 :和菓子と洋菓子 [sage] :2007/10/05(金) 01 52 33 ID Fe03hxK+ いつからでしょう。 父が母に愚痴を度々こぼすようになったのは―。 父が知らない女の人に怒鳴られているのを見たのは―。 父のやつれた表情を見るようになったのは―。 誕生日、決まって連れて行ってくれたレストランへも行かなくなったのは―。 幼心に偉大なものとして、絶対視していた父の背中を見ることができなくなったのは―。 何もかも取り戻せなくなってしまったのは―。 それ以来、私には父の記憶は一切無い。 父の記憶というと幼い頃の数年しかない。 父は母と娘である私が居ながらも、私たちと同居していなかった。 ただ、私たちの家を訪れるときには決まって、父はケーキを買ってくるのだった。 そのケーキの甘さが妙に鮮烈に残っている。 当時は、父が母と同居するものだという感覚はなく、父が来るたびに、はしゃぎまわっていた。 今からすれば、父の表情は曇っていて、無理に作り出した笑顔が痛々しかったような気がする。 けれど、私はそんな事お構いなしに両親をあちこちへ連れまわした。 そして、日が暮れる頃に帰っていく父を見送って、今度はいつ来るの?などと無邪気に尋ねたものだった。 当時は、それでもまだ良いほうだった。 父と私そして母との決別の日までは―。 父には妻と呼ぶべき人が母のほかにも居たのだ。 そのもう一方の妻が私の母から父を遠ざけのだ。 その妻というのが厄介な人だったらしく、自分の目的の為には夫を怪我させることも厭わなかったのだという。 ふと、目を閉じると陰影のある表情だけでなく、必ずどこかに絆創膏や包帯をしていた父の姿が瞼の裏に映し出される。 その傷を見るたびに母は哀しげな表情をして、自分のところには来ないよう言っていた。 そのことで何度か母に疑問を抱き、それを口にした。 しかし、母は口を真一文字に引き、こみ上げてくる何かをこらえた表情で、こういうものなのだ、と納得させようとした。 寧ろ、それは自分自身に言い聞かせていたのかもしれない。 父と母の接点が完全にたたれてしまった後、私が小学生になる前だから、二年と経たずに、母は急逝した。 親戚の人間があたりをはばかるようなヒソヒソ声で、自動車事故でショック死だったと話していた。 しかし、私はそれが真実ではない事を知っている。 ある冬の寒い日のもうとっぷりと日が暮れた頃、母は直感的に何かを感じ取った。 そして、私はどこかに隠れているように母に促され、クローゼットの中にしまわれている布団の間に身を潜めさせられた。 何故こんなことをするのか、母に聞いたがそれに答える前に、母はクローゼットの戸を閉めた。 それからすぐだった。 わずかに開いた隙間から漏れこんでくるように見えた居間の光景が屠殺場に変わったのは―。 そこで母を葬った悪魔は包丁を母の右胸に突き立てた後、四肢をずたずたに刺していった。 母の顔が苦痛に歪んでいくのが見えた。 しかし、母は抵抗せず、断末魔の叫びすらあげず、なされるがままにしていた。 それに対して悪魔はそのつややかな黒髪に返り血を浴び、微笑みながら訳のわからないことを呟きながら、母を何度も何度も刺していた。 どんなにその拷問が苦しかったことか、私には想像することもできない。 しかし、母の身に降りかかった悪夢を魂が抜けてしまったようになった私は何もできずに眺め続けていた。 暫くして、満面の笑みを浮かべた母は、五六人の人を私たちの家へ招きいれ、しぶきにしぶいて血痕の染み付いた壁紙やら畳やらを全て変えさせていた。 そして、自身は悪魔とは思えないような真っ白なワンピースに着替え、髪についた血を穢れたものであるかのように丹念に洗い流していた。 それから、そのハゲタカ共は母のまだ温かい骸を持ち去っていった。 恐ろしさのあまり、連中が去った後もクローゼットのなかで私はずっと震えていた。 そして、母が死んだと叔父から知らされたのは次の日の朝のことだった。 256 :和菓子と洋菓子 [sage] :2007/10/05(金) 01 54 33 ID Fe03hxK+ それからすぐに、死体を焼き場に送り、私の身の回りの整理を母の兄である叔父がすぐさま始めた。 それから、叔父が私を引き取ることになった。 この頃から、私は叔父の姓である「村越」を使い出した。 叔父夫婦には長い間子供が生まれなかったらしく、私は実の娘のように育てられた。 おそらく、おおむね幸せといえるものかもしれない。 けれど、私は気づいていた。 母が死んだのを境に貧乏で借家住まいだったはずの叔父が一戸建てを購入し、金遣いも派手になっていたことに。 中学生ともなれば、少しは世の中の事がわかってくるものです。 私が成長すると共に薄れていくように感じられた叔父夫婦の私への愛情は成長ゆえの事ではなかった。 叔父夫婦に引き取られて五年も超える頃ともなれば、父の残した財産とおそらく、あの黒い悪魔から叔父夫婦に渡った金もそこをつき始める頃だったのでしょう。 それに気づきだして以来、それまで無償の愛として受け入れてきた叔父夫婦の行動一つも禍々しいもののように見えたのです。 父も母も小学生になる前に失うという狂った記憶が不信の感情に転化して心根に根ざしてはいました。 しかし、私は叔父夫婦にはその不信の目を向けることがそれまでには無かった。 それだけに、私は人間そのものを信用しなくなり、と、同時に幼く無力だった私から愛する父を母を、奪い去った女を母と同じように、寧ろそれ以上に苦しめて殺すことを願うようになった。 復讐心と疑心暗鬼とが私の心を違和感無いほどに支配していた頃、私は幼い頃の記憶を頼りに一心不乱に情報をかき集めていた。 その復讐のみが私の生きる理由となりつつあったでしょうか。 去年の冬、私はとうとうその母を殺した犯人と父の現在、そしてその正妻である犯人との間に娘が居ること、といった決定的な情報を手に入れた。 その悪魔が住んでいたのは奇遇にも皮肉にも、私が住んでいる町と同じだったのです。 しかし、彼女は発狂して家から隔離されているということも知りました。 発狂する前に、母に向けた微笑みと同じ悪魔の微笑みを浮かべて、苦痛と哀願に顔を歪ませる敵を何度も何度も、刺してしまいたかった。 なぜなら発狂してしまえば、苦痛も罪悪も、悔恨の念も何もかも起こりえないのだから―。 私はその敵の娘の情報も手に入れていることを思い出した。 幸運にも私の親戚がもともと住んでいた家の近くに住んでいたので、そこへ行くことを考えた。 どうせ、叔父夫婦も私の事を早く厄介払いしたいような様子も見え隠れしていたのでこちらもそれは望むところだった。 敵の娘を殺した後、その母の命も奪う。 そう私は決心しました。 もとより、血塗られた道を歩むことは覚悟していたのでそのときに特別何かの感情が沸きあがることもなく―。 ただ、完璧に、一分の瑕疵なく、復讐を成し遂げなければならないという蒼い炎を心に点しただけだった。 そして、私は今年の春にその敵の娘が通っている学校に首尾よく潜入することができた。 ここでの生活はそれなりに楽しめるほうだった。 親戚からすれば厄介者が家に来たということで、風当たりは厳しく相変わらず家庭では心安らぐことは無かった。 最初は情報収集のために近づいた人々が思った以上に私に好意的に接してくれて―。 兄がそれなりに敵の娘と接触を持っているという情報を得て、松本理沙と私は知り合った。 なぜか、彼女だけは私の心の闇を察したかのように、いろいろと気を遣ってくれた。 必要な事意外、話すことが無かった私に彼女は話してくれて、私もそれにだんだんと引き込まれて、やがていわゆる親友、とでも呼べる間柄になった。 私と理沙はさまざまな事で話し合った。 理沙は幼い時分から重い喘息の持病に苦しんできたという。 だから、それだけに苦しい思いをしてきた人の目がわかる、のだと。 彼女と触れ合っている間、私は当初の目的を忘れている事ができた。 257 :和菓子と洋菓子 [sage] :2007/10/05(金) 01 55 17 ID Fe03hxK+ そのお金で雇った探偵が一月に二回渡してくれる報告書にもまるで目を通さないようになった。 私にもまだこんな人間的な面が残っていたのだと正直驚きました。 だからといって、それを拒絶する気になれなかったのです。 ぬるま湯につかっているような生活が妙に心地よくて。 しかし、五月の終わりごろから理沙は次第におかしくなっていった。 度々うんざりするほどの美化がなされて話されていた兄が例の敵の娘に奪われようとしている、という一件が理由でした。 それまでは、何度かおかしいよね、程度のさほど刺激的でないレベルで話をされていたので、特に気にも留めなかった。 当時はまだ、理沙を情報屋のひとりとしかみなしていなかった節もあったから、さほど親身ではなく、適当に聞き流していた。 けれど、その理沙の変化は私に目を見開かせることを促進したのです。 つまるところ私にとっては敵を討つという良い方向へ向かい始めていました。 そして、私は理沙に協力して、いろいろとあの敵の娘を追い詰める為に奔走しました。 ここで私は雇っていた探偵から来た情報を利用したのはいうまでも無い。 理沙は協力的且つ情報私に始終驚いていたが、あまり深く考えず私を利用することに決めたようでした。 私としてはあの敵の娘を殺した後、その母も殺さなければならない予定であるから、理沙に娘の件は引っかぶってもらい、すぐさま長野へ向かう、という計算があったのでそれはそれで好都合な事。 結果的に利害が一致した私たちは協力して様々な工作を行った。 理沙が兄である弘行と交わっていた、という情報も意図的にあの敵に流した。 かみそりの刃を下駄箱に仕掛けたり、椅子の捻子を緩めておいて、座ると椅子が崩れるようにしたり、そんな感じで。 あの敵のクラスメイトがあの女を苛めるように差し向けたりもした。 もっとも煽動をしていたのは私というより、理沙のほうだったが。 これだけの事をやったのだから、あっさり自殺してくれるのでは、などと淡い期待を抱いていたりもしました。 しかし、そんなこともなく、逆に弘行と敵が結ばれてしまった。 当然、自殺されてしまったら私としては不満足の極みには違いないのでしょうが。 しかし、それもこれも昨日までの話だ。 数分後に、理沙から連絡があれば、私も手はずどおり北方邸に向かい、拷問に参加する。 それで、一件目は終了。二件目へ移行する。 夏の風が私の体をかするように通り過ぎていく。 うっすらと汗ばんだ皮膚に当たる汗が少し冷たい。 人を殺す前の興奮が故なのか、夏の蒸し暑さの故なのか汗ばんでいた。 下着が皮膚につくような感覚が不愉快で嫌になる。 そんな時、右ポケットに入った携帯電話の受話器を耳に当てる。 258 :和菓子と洋菓子 [sage] :2007/10/05(金) 01 57 17 ID Fe03hxK+ その内容に私は耳を疑い、二三、確認してから、夜の漆黒を切り裂いていくように走っていく。 それにしても、衝撃の展開だった。 あの敵を守る為に、自らナイフをもって突っ込んできた妹の前に立ちふさがるとは―。 第一、打ち合わせではクロロホルムを二人に嗅がせ、北方は北方邸の離れにある隠し地下室で拷問死させる。 それが、いきなり襲い掛かることで、崩れてしまった。 理沙は逃げた北方を追っているという。 なんという蛮勇であろうか。兄も、妹もまた然り。 それにしても理解できないのは弘行の行動でしょう。 蛮勇を振りかざす事など決して美徳ではない。 そして、勇敢でもない。 そこまでして、あの生きるに値しない奴を守ろうとする理由がわからない。 まあ、弘行は出血はやや多いようだが、急所に刺さったわけではないから、別にたいしたことは無い。 せいぜい、あの敵を殺す際に利用するだけだ。 愛するものをずたずたにされていく様子を見せた上で、ほどほどに死なないような拷問を加え続ける上で彼は重要なスパイスになることだろう。 街灯も薄暗い、町の中でも外れのほうに血濡れのナイフが突き刺さっていた彼は横たわっていた。 理沙が決行するといっていた公園からはいくらか離れている。 そこに居た彼は息も絶え絶えであった。 理沙から多いとは聞いていたが、思った以上に出欠量が多いようである。 開いた傷口に右手を当て、出血を押し止めるような仕草をして、もう片方の左手はアスファルトの上にあった。 苦痛に歪む口元が非常に痛々しい。 そして、怜悧な月光が朱に染まったアスファルトを照らし、赤黒い液体をいやがおうにも引き立てた。 身を張って誰かが助けようとした代償が生々しくも、血だまりでもがき、臓腑を血に溺れさせていることなのだ。 それは凄惨にしてどこか神聖な光景。 少なくとも、先程の蛮勇という言葉は撤回するには十分なものでしょう。 理沙は常々、この兄の事を愛しているといっていたのを覚えている。 しかし、こんな状態の兄を見捨てていくということは、所詮彼女にとってその程度のものであるということです。 発言と行動が裏腹などといくらでもある。 けれども、人を殺してでも守りたい、と思うならあの女を取り逃がしてもこの哀れな兄を救うべきではなかろうか。 260 :和菓子と洋菓子 [sage] :2007/10/05(金) 02 00 30 ID Fe03hxK+ 「ううう……」 うめき声がする。私の存在に気がついたのだろう。 別段、身を隠すつもりなど無かったので、そしていずれにせよこの兄は北方邸に運ぶことになっている。 だから、敢えてこちらから声をかける。 「松本弘行さん?」 「た、助けてくれ……ごほぉっ」 苦しみ耐える表情で哀願する。 しかし、その言葉も咳と共に血を吐き出した事によって遮られてしまう。 「無理に話さないでください。大丈夫ですよ、助かりますから。」 所詮は他人事である私にとってこんな確証の無い事を言ったとしても良心は痛めることはない。 しかし、こちらとしては北方邸に連れて行くことが目的であるため、ここで出血多量で死なれてしまっては都合が悪い。 だから、話して出血されては困るので警告も発した。けれども、それを聞き入れないようです。 「た、助けて……くれ、しぐれ、をた、す、け、て……ごほっごほっ、し…ぐ……」 だから、すぐにまたしても血が押さえる手の間から染み出てきて、真っ赤に染まった口をさらに血で洗うことになった。 しかし、私はさっきから助けてくれ、という言葉は『自分の命』の命乞いをしているものとばかり思っていた。 けれど、この男は自分の命を捨てるつもりのようだ。 その代償としてあの女を救う為に。 何と状況認識能力に欠ける人なのでしょうか。 何と愚かな人間なのでしょうか。 何とおめでたい人間でしょうか。 あの女が私の母が置かれた状況と同じく、土壇場にありながら、ここまで誰かに守ってもらえているという不公平さや怒りのようなものを感じた。 しかし、その怒りを通り越して、呆れてしまった。 右ポケットの携帯電話を取り出すと、10桁の番号を打ち込んだ。 3桁ではなく、10桁にしたのは、私には時間が限られているからである。 警察を相手にすることで、復讐を完遂できないという間抜けな話を作ってしまうことになるのは嫌ですよね。 「もしもし、誰かに刺されたと思われる人がいるんですが……」 261 :和菓子と洋菓子 [sage] :2007/10/05(金) 02 01 33 ID Fe03hxK+ 夜の闇の中、私は走った。 むしろ逃げていた。 私の家に無事にたどり着き、そして来るべき反撃の機会に備える為に。 それは、例えるならば、鬼ごっこのようなものだ。 それは、無言の中で繰り広げられる残酷な殺し合い。 青白い月の光があざ笑うように私たちに降り注ぐ。 当然、『待て』と言って私も相手も止まる訳が無い。 そして、後ろからやってくる追っ手は武器を手に私を殺さんと息巻いている。 自分の兄を刺しておきながら、しっかりと敵の私を討とうとしているのだ。 けれども、私とて防戦一方という訳ではない。 虎視眈々と反撃のチャンスを狙っているのだ。 驚いたことに、私の中で眠っていたはずの醜い憎悪という感情が再び目を醒ましてしまったようだ。 それは、至極当然。 目の前で弘行さんが刺されたのだから―。 私の生きる意味を無残にも壊されてしまっては、私とて彼女の事を許すわけにはいかない。 許す、許さないの範疇ではなく、今日までのありとあらゆる攻撃に対する報復として、愛するものを奪われた者の気持ちを解らせる為に、あの雌猫を殺す。 それで、私ごときの身代わりになってしまった哀れな彼へのはなむけになれば、彼を見捨てて逃げてきたことへの贖罪になるというのなら、今の私にはこれに替わる僥倖は無いだろう。 今のうちに、いくらでも追い詰めるものの心地よさを味わっているがいい。 彼女にもすぐに諦念の夜が訪れるのだから。 262 :和菓子と洋菓子 [sage] :2007/10/05(金) 02 02 37 ID Fe03hxK+ もう、私の家まで目と鼻の先だ。 その安心から一刹那の間、油断が生まれた。 後ろから、空を切る音がした。 そして、咄嗟に身をかわす。 振り返りざまに、閃きを発する白刃が見え、戦慄する。 雌猫が所持しているナイフが一本だとは誰も言っていないのだ。 振り下ろされるナイフを間一髪のところでよけきる。 家まであと少しのところだというのにも拘らず、こんなところで捕捉され戦わなければならない自分の運命を呪ったが、 そんな事を考える余裕を雌猫が繰り出してくる第二撃に備えることに費やした。 左右ランダムに振り下ろされ、皆一様にこちらに向けられてくるナイフを全てかわす。 理沙の体が小さく、力も弱いことが幸いしたようだ。 雌猫は振り上げ下ろされたナイフを逆手に持ち替えると、真正面の私に向けた。 そして、ナイフを握る手に力が篭る。 そのまま、私に向かって刺し貫くだけだろう。 相手の手首をすぐさま掴み、虚空に向かって振り上げ、ナイフを奪い取ろうとする。 雌猫も私の目的を理解しているらしく、乱暴に左右にナイフを持つ両腕を振り動かした。 抵抗の激しさはとても病弱な雌猫であるとは決して思えない。 けれど、腕を動かすことに集中していたが、その内面とは不似合いなまでに華奢な脚には意識が十分にいきわたっていなかった。 必死にもがく雌猫の左脛を思い切り蹴りとばす。 途端、雌猫は体勢を崩し、あっけなくも左に背中から傾いてしまう。 即座に私は両の腕に握られていたナイフを荒々しく奪い取る。 そして、雌猫はその場にしりもちをつくような形になってしまった。 芋虫のように雌猫は後ずさりし、顔を恐怖に歪ませた。 完全なる形勢逆転である。 武器を取り、地形効果を十二分に活かせる私の家で死闘を繰り広げる心積もりでいたのだが、王手積みである。 もはや、武器を取りに行く必要すらない。 ここで、止めを刺すことができる。 そう、それで良いのだ。それでこそ、弘行さんの犠牲が意味を持つのだ。 この害物を駆除すること―。 私が一番最初に考えた方法だった。けれども、あの時以来、一度もその方針を採ろうとはしなかった。 この方法が市場手っ取り早かったのにも拘らず、何故しなかったのか今になってみれば疑問である。 私は血に穢れておらず、寒々しいまでの清澄な金属光沢を持つナイフを月の光にかざすように振り上げる。 誰もが、ある一転を除いた、この状況を目にしたならば、完全に北方時雨の圧倒的優勢であると判断するだろう。 時雨は理沙のナイフを奪い取られた後の右腕が右ポケットに入っていることに気づかなかった。 気づいていたとしても、あまりにも無頓着に過ぎたようだ。 唯一ついえることは、松本理沙はこんな絶望的逆境にいたっても、冷静であった、ということであろう。 そして、理沙の中で流れる時間は決して止まることは無かった。 時雨がナイフを理沙の首元につき立て、頚動脈を切断しようとした刹那、完全に理沙は動きを読みきっていたかのように、悠々と身をかわしながら、立ち上がる。 そして、アスファルトの上に座り込んでいたのは理沙ではなく、時雨の方であった。 時雨は首を左腕で押さえて苦しんでいた。 263 :和菓子と洋菓子 [sage] :2007/10/05(金) 02 04 18 ID Fe03hxK+ そう。理沙は右ポケットに入っていたクロロホルムを時雨にかけたのである。 散布した後に転がった薬瓶の転がる音が空しく虚空に響いた。 時雨はまさか、理沙から渾身の反撃を食らうとは予測しておらず、諸に瀬戸黒の髪と白磁のような肌とにかかってしまった。 理沙は左ポケットから気化したクロロホルムを吸ってしまわないように、化学の実験のときにいつも使っているマスクで口を覆う。 と、同時に双眸を時雨を見下ろすように向ける。 そして、そこまで保たれていた静寂を破った。 「あはははははは、北方先輩。いや、被告人。ここまでですよ。被告人は王手積みなんですよ!」 「私のお兄ちゃんを汚したからこんな事になるんです。」 「さぁ、先輩、最後くらい潔くしたらどうですか!」 しかし、時雨は勧告に従うこともなく僅かではあったが笑ってすらいた。 時雨は右手に未だに持っていたナイフを道路脇の人家に向かって投げた。 時雨は理沙には自分を殺すための武器がもう無い、そう判断していた為、自分が相手を刺し貫くより、逆の場合が高い唯一の武器を投げ捨てたのである。 それは、賢明な判断であっただろう。 しかし、そんな事は灯篭が鎌を振り上げたに過ぎないことだった。 理沙は畳を縫うそれのような大きさの針を手にしていた。 そこには、かつて彼女が生成したアトロピンが塗られていた。 針の反射するギラギラとした光が理沙の殺意の程をあらわしているようだった。 もはや、万事休すであると思われた。 「させません。」 そこで聞こえた声は時雨にとって聞き覚えのあるものだった。 けれど、それと同時に背中に強い衝撃を感じ、意識をどこか遠くに飛ばされたため、それが誰のものであるかを確認することはできなかった。 「うふふふ、スタンガンの電気ショックをまともに食らったら、動けなくなるのは当然、よね。」 そう嗤う声は、時雨にとって救世主だとすら思われたその声の主は、村越智子のものだった。 傍で唖然として突っ立っている理沙に声をかける。 「ねえ、理沙。どうしてお兄さんを路上で刺すことになったり、この女を計画通り、動けなくして北方邸まで連れて行かなかったの?」 「……お兄ちゃんを盾にして逃げたから殺したくなったけど、それが駄目なの?」 憮然とした表情で智子に返答する。 「まあ、気持ちもわからないわけじゃないけれど、ここで殺すより、計画通り苦しめて殺したらどうなの?」 「………。」 「まぁ、いいから理沙は両足を持って。私は両腕を持って運んでいくから。」 そういうと、気絶してぶらりと垂らしている時雨の両腕を持つ。 理沙もしぶしぶ、これに従い乱暴に持ち上げて、もう100メートルと無いであろう北方邸へと運んでいく。 264 :和菓子と洋菓子 [sage] :2007/10/05(金) 02 05 35 ID Fe03hxK+ 十数分後、彼女らは北方邸の地下の牢獄のような一室にいた。 そして、そこに北方時雨も横たえさせた。 それから、眠ったままの時雨を古ぼけた椅子に座らせ、縄で拘束し、殺害に必要なアイテムを準備する。 しかし、その準備の間、ずっと理沙の表情は怒りの篭った表情だった。 地下室ゆえの湿度の高さやかび臭い匂い、そしてほの暗い負の環境が理沙を不機嫌にしているわけではなかった。 敵に止めを刺そうとするのを智子に止められた事によるものだった。 と、同時に理沙は湧き上がる罪悪感から、何度となく弘行の病院搬送を指示した隣の共犯者にその安否を尋ねた。 智子としては、無計画に兄を刺しておきながら、何の応急処置も施さず、その安否を女々しく聞いてくる理沙を軽蔑し、辟易していたが適当に理沙に相槌をうつことにした。 というのも、智子としては殺さなければならないターゲットはあくまでも二人であったからである。 数分後、やすやすと彼女らの準備は完了した。 けれど、それはナイフで何度も刺すという時雨自身が想定していそうな殺し方ではなく、特殊な殺し方であった。 目に目隠しをして、視界を奪い、拘束することによってからだの自由を奪い、正常な思考が働かないような不快な環境に入れる。 その上で、人間の血液がどの程度失われる事によって、死に至るのか、ということを時雨に話しておく。 そして、時雨の足か腕に適宜、強い衝撃を与え、そこに温水を少しずつかけて、血液が出ているという暗示をかけ、やがて致死量の血液が出きったのだ、と告げることによって狂乱の末、ショック死させることができるという。 いかに物理的苦痛を与えるか、ではなく、精神的苦痛を与え、最後の最後まで怯え、狂乱させることができるか、それを追求したのだ。 と、同時に殺人であることを見極めさせるのを遅くすることができる、という意図から、智子にとって都合が良かった。 それで、時雨は目隠しをされ、身体を芋虫ほどにも動かすことができないように、胴体と四肢を椅子と縛り付けられたのだ。 いまや、お膳立ても完了した。 後は時雨が目を醒ますのを待つばかりであった。 「ねえ、智子。いつになったら、こいつ、目を覚ますの?」 「電撃もそんなに大きかったわけじゃないから、もうすぐだと思うけれど。」 そんな会話をして手ぐすね引いて共通の敵である北方時雨が目を醒ますのを待っていたが、 彼女が目を醒ましたのはそのすぐ後だった。 265 :和菓子と洋菓子 [sage] :2007/10/05(金) 02 06 40 ID Fe03hxK+ 誰か女の子が話す声が聞こえてくる。 頭にもやがかかったような感じがし、視界も真っ暗で本来見えるべき光景も何も見えない。 徐々に体の節々の痛みが温かみを持った生の感覚として感じられてくる。 そして、身体を意のままに動かそうとするけれども、理由がわからないが何故か動けない。 身体を動かすたびに足や腕の部分的箇所に痛みを感じた。 視界が真っ暗のまま、自分を拘束したであろう女の声が聞こえる。 「北方先輩、お目覚めですか?」 その声が紛れもなく、松本理沙のものであることを悟り、それまで僅かながらあった冷静さが霧消した。 無駄だと心のどこかではわかっていながら、抵抗をする。 足や腕に力を込めて動かそうともがいている姿を見て、ことのほか気に召したのか理沙と智子は哄笑した。 「あはははっ!先輩、そんなに怯えちゃって。心配しなくていいですよ。別に先輩を誰かに強姦させるとかしませんから。ただ、死刑を執行するだけですよ。」 「先輩はお兄ちゃんを強姦したけれども、かといって、私はそんなこと恥ずべきことしませんよー。」 続けて言う理沙の声に凶器染みたものを感じる。 と、同時に何も抵抗することができない自分に苛立ちを感じた。 「もっとも、北方さんとしたい、なんて考える物好きはいないと思いますが。」 清澄というよりは怜悧冷徹と形容したほうが正しい突き放すような声が聞こえる。 それが誰のものであるかはわからない。 しかし、すぐに相手も自分の存在を理解させる為に声色を変えた。 そしてそれが、自分が逆スパイとして利用しようとした村越智子のものであることがすぐにわかった。 偽の情報を流したというあたりから、時雨は疑いを抱いていたが、まさにその予想通りとなってしまったのだ。 そして、手順どおり理沙と智子は三回も三分の一の血液が体外に出ることで死に至ることを話して聞かせ、処刑が始まった。 突如足に電撃を受けたような衝撃を感じた。 そして、すぐに感じられる生暖かい血液が独特の粘性を持って、少しずつ肌を伝って落ちていく。 私は一分も勝ち目は残っていないことを十分に理解しながらも、じたばたと四肢を動かそうとする。 「あはははっ、そんなに体をじたばたさせてたら、あっという間に血液が出て死んでしまいますよ?」 心なしか、足を伝う血液の量が多くなってきたように感じられる。 流れ出る血液、そして迫り来る死に私は恐怖感を抱いた。 ここから、逃げだしたい。 死にたくない。 けれど、どうして? 生きていても、ずっと苦しんできただけだった。 これからやっと幸せになれると思っていたのに、弘行さんが死んでしまって、もう先が何も見えないのに。 僅かだったけれど、弘行さんと過ごした日々は楽しかった。 あんなに生きることが楽しい、幸せであるとは思わなかった。 弘行さんは私にもまだ幸運な未来が待っているといっていた。 だから、それを守りたいのだ、と彼は言ってくれた。 だから、私は生きようと努力した。 けれど、それはこうして叶わない夢となってしまった。 もはやどもることなく、ナイフのような鋭利さをその言葉に含ませて村越智子は私に告げる。 「松本弘行は死んだ」と。 これほどまでに私の事を思ってくれた彼の最後の願いを私は聞くこともできなかったのだ。 「弘行さん…ごめんなさい。」 涙が流れる血液の勢いなど比にならないほどに流れ出る。 余裕を見せていた理沙が泣く声が狭い部屋に響き、何かを拾い上げる音がした。 「お前のせいで!お兄ちゃんがッ!」 「どんなときも私を大切にしてくれた、お兄ちゃんがッ!」 「それから、お兄ちゃんの名前を呼ぶな!お兄ちゃんをまだ穢すつもりなのか!雌猫がッ!」 理沙はそう言いながら私を四回ほど部屋にあった角材で殴った。 別のところからも出血を感じる。その分だけ、死期が近くなることだろう。 痛みは確かに感覚として感じるが、弘行さんを見殺しにした私には丁度良い罰だったのかもしれない。 けれど、弘行さんとの事はたとえ死んだとしても絶対に忘れたくない。 それに、弘行さんに迷惑はかけてしまったけれど、謝るよりも感謝したいと思う。 266 :和菓子と洋菓子 [sage] :2007/10/05(金) 02 08 42 ID Fe03hxK+ 「もう、四分の一位、血液が出ちゃったみたいだよ。」 そういう理沙の声が聞こえる。 「……。」 何も反応しない私に怒りを感じたのか、理沙は罵声を浴びせながら、先程の角材で後頭部を殴ってきた。 精一杯、冷静に振舞おうとしているが、結局は流れ出る血液と同じように湧き上がり続ける恐怖は拭い去ることができない。 現に私はこれまでに無いくらい、震えている。 さっきから震え続けていることを罵倒する二人の声も聞こえてくる。 確かに怖いけれど、信じていれば、きっとどこかで弘行さんと会えるかもしれない。 そして、もっと、幸せな出会い方で―。 後頭部を殴られたショックか、血液が喪失していく為か薄れゆく意識の中でそんな事を願った。 「あーあ、もう、三分の一、血液が出ちゃったみたいだよ。」 理沙は言った。 すると、今まで震えて恐怖に襲われていることが誰の目にも明らかであった彼女の動きが止まった。 生暖かい大量の液体をゆっくりと流し続けていた智子は液体の入った容器をその場に置き、心臓の鼓動を確かめる。 確かに止まった事を確認すると、理沙に目で合図する。 智子は殺害の原因がわかりにくくできたことに満足した表情で、いろいろな殺害の器具を片付け始める。 理沙も片づけを始める。 兄が死んだことを受けて、とめどなく流れ出る涙を押し止めることすらせずに。 たいした量も無い器具を二人で片付けるのはあっという間だった。 これで全てが終わりであったはずだった。 しかし、理沙は不愉快であった。 精神的苦痛を与えて死なせたはずの時雨が殺害した自分よりはるかに落ち着いており、あまつさえどこか笑みを浮かべている表情が気に障ったのだ。 理沙はその部屋にあった刃渡りが長く肉厚のナイフを何度も何度も事切れた時雨の骸に突き立てた。 「あはははは、何でお前は笑っているんだ。苦しんで死んだはずなのに!あの世でお兄ちゃんに会えないようにずたずたにしてやるッ!」 「私、お兄ちゃんが好きだったのに!こんな雌猫ごときに掠め取られて!許せない!許せない!」 智子はそれにすぐに気がついた。と、同時に計画を何度となく狂わせた理沙への怒りが抑えられなくなっていた。 第一、智子にとって復讐はまだすんだわけではなかったのだ。 自分の母を殺した本命が残っているのに、時間稼ぎの工作を台無しにされてしまったのだ。 そこで、智子は咄嗟に理沙に罪を全て着せることにした。 智子は後ろから理沙の腕を掴むと、そのナイフを理沙の心の臓に向かって突き立てた。 多量の血が渋き、地下室の薄汚れた壁にかかる。 智子は返り血を浴びて朱に染まった上着を脱ぎ、殺害器具の入っていた大袋の中に一緒に入れる。 そして、村越智子は北方邸を後にした。 267 :和菓子と洋菓子 [sage] :2007/10/05(金) 02 10 03 ID Fe03hxK+ 夕方の茜色の光が物悲しく感じられる。 晩秋の日光は照っている時間も短く、光の強さも随分弱い。 冬の到来を告げているかのようにどこか陰鬱である。 動かない足の代わりに車輪を繰って、庭の池沿いにぐるりと回って、家の庭に100年近く生えているという大銀杏の前に来る。 ひゅう、ひゅう、と乾いた音を立てた風が時折吹いて、枝を叩く。 そのたびに、はらり、はらり、としわだらけの葉を散らしていく。 丁度、こんな陽気の日に私は病院を退院した。 指を折って、それから過ぎた年月を数える。 そうか、もう、あれから8年も経ったのか―。 私が、そして彼が殺されたはずのあの日―。 幸運にも、出入りしているお手伝いさんがやってきた。 そして、開け放たれた地下室の扉を不審に思い、中に入ってみたら私が倒れているのを発見したという。 その段階で私は、死亡していたわけではなく、仮死状態にあったという。 お手伝いさんは病院へ通報し、すぐさま応急処置が取られたので、私は一命を取りとめた。 ただ、心臓が止まっていた時間が少し長かったのが理由か、後頭部や頭を殴られた事が原因か、 良くはわからないが両足を自分で動かすことができなくなってしまった。 だから、それ以来、私はこうして移動するにも車椅子に頼らざるを得なかったのだ。 私が目を覚ました日、最も気になったのは自分の体がどうとか理沙や智子がどうなったか、ということではなく、弘行さんがどうなったか、というただ一点だった。 私は看護婦さんに何度となく、弘行さんの状況を尋ねてみたが、なかなか教えてくれなかった。 すぐに彼が生きていることはわかったが、私と同じ病院に搬送されたのにも関わらず、彼の居場所を掴むことができなかった。 入院してから、数週間をただ弘行さんの事ばかりを考えながら、けれども無為に過ごし続けたが、全快した父がある日、私の元に見舞いに来た。 その時に私は父から様々な話を聞き、話し合った。 268 :和菓子と洋菓子 [sage] :2007/10/05(金) 02 11 43 ID Fe03hxK+ 村越智子という子は私の母と結婚する前に、付き合っていた女性とできた子供であること。 その智子が母の優衣と松本理沙を殺害し、警官に逮捕されそうになった際に、理沙から奪った薬で二名を殺害したこと。 そして、その智子の母親は私の母である優衣に殺されたこと。 それを理由として、理沙の私に対する憎悪を利用して、今回の復讐劇を成功させたこと。 母の私への虐待とその事とをずっと悔やみ続けていた、ということ。 最後に、父がもうそう長くないこととこれからの事について―。 父は私と弘行さんの仲を認め、これからの事について、いろいろと私に忠告をした。 それは今思い出せば、さながら、遺言のような感じであった。 一つ一つ話を聞いていくうちに父が私に憎悪や負の感情など決して抱いていない事がわかった。 いつだったか、弘行さんが私に父のとの関係についていろいろと話をされたことがあった。 内心、詳細を弘行さんが知らないのだから、という気持ちもあり素直に取ることができなかったが、この時にようやく父と和解できたような気がする。 そして、父はその年の末に急死してしまった。 一通り、話しておくべきことを私に話した後、父は弘行さんの居場所をこっそりと教えてくれた。 すぐに、私は車椅子を動かして、弘行さんの元へと向かった。 彼はその時異常なまでに消沈し、さながら魂の抜け殻のようであった。 表情は無表情でもはやその変え方すら忘れ去ってしまったかのような感じであった。 そう、私の弘行さんに会う前とあまりにもそっくりな状況だった。 彼は私の姿を確認すると、一瞬だけ頬を緩ませてくれたが、すぐに車椅子の存在に気がつき、再び申し訳なさそうな表情に戻ってしまった。 それから、何度となく私は彼の元を訪れた。 けれども、なかなか前の彼のように戻ってくれなかった。 それから二ヶ月程度で私たちは退院し、何事も無かったかのように、学生生活を送ることになった。 いじめは惨劇の壮絶さを車椅子に乗った私と性格が変わってしまったように見えた弘行さんとを目の当たりにしてすぐさま消えうせてしまった。 私は彼を家まで迎えに行き、私の作ったお弁当を一緒に食べ、とりとめもない話をする。 それはいたって普通の、今までどおりの生活に戻ったはずだった。 私は積極的にあれやこれやと弘行さんの気が晴れるように努力したが、彼の陰影は消えることが無かった。 そして、ついにある日、自殺未遂を起こした。 幸いにも実際に決行する前に私が発見し、思いとどまらせることができた。 その時の彼はあのまさに私が自殺をしようとした際にあまりにもそっくりであったのに驚きを隠せなかった。 おそらく、優しすぎる彼のことであろう、理沙を死なせてしまい、守ろうとした私まで半身不随になってしまったのに、 自分が五体満足に生き残ってしまった事に罪悪感を感じているのかもしれない。 けれど、そんなことは露ほども気づかないふりを私はした。 その後の必死の説得と時間の経過によって、弘行さんは学年が替わるころには立ち直ってくれた。 269 :和菓子と洋菓子 [sage] :2007/10/05(金) 02 12 31 ID Fe03hxK+ 私と彼は数年で年齢的に結婚が認められる年になり、すぐに結婚した。 私にとって、ようやく訪れた本当の意味での幸せだった。 それから大学へ進学し、私は車椅子ゆえに苦労を強いられたが、ずっと彼に助けられ続けた。 そして、弘行さんは卒業後、今は専務が社長となっている父の会社に入社し、我武者羅に働いている。 彼は車椅子の私を見ると時にどこか悲しそうな申し訳なさそうな表情をしたが、そんな時は彼を強く抱きしめてあげる。 あなたは悪くないのだと。 私の傍にいるという約束をこれほどまでにきちんと守ってくれているではないか、と。 私は彼とずっと一緒に居て、幸せを享受する為ならば、自分の両足の犠牲、程度厭わない。 そのためならば、私は何だってしただろう。 ずっと、写真の中の彼だけを支えにしていた昔から考えれば、その程度のものを代償にして、得ることができた事は、ありがたく感じるくらいだ。 会社に入社してから何度か、弘行さんは自分が生き残ってしまったことは間違いだと漏らしたことがある。 学生時代とかわらずに愉快にも冗談を言って私を楽しませてくれる彼の豹変を私は心配した。 おそらく、他の社員から何か言われたのかもしれない。 私の目の前にそんな事をするものが居れば、容赦なく矢を射掛けるくらいはしただろう。 それはさておき、数年前に心配した彼の本心をその発言から窺い知る事ができた。 弘行さんはいまだ、あのことを悔いているのだろう。 しかし、彼の言うように生き残ったことが罪だとすれば、私だって生き残った人間なのだ。 私とて罪であろう。 特別に悔恨の念など抱くことは無いが、優しいが上にも優しい弘行さんの見方によれば、私は理沙を殺したとも考える事ができる。そう、考えるならば、私とて同罪である。寧ろ、私のほうが罪は重いかもしれない。 だから、弘行さんはそんな事を心配することは無いのだ。 傍に居て幸せをくれるあなたを私は守ってあげるから―。 そして、もしそれすらも辛いならば、もう何も考えることは無い。 私と堕ちて行けばよいのだ。 堕ちたままでいいのだ。彼が苦しむ姿を見るくらいなら、堕ちたままでよい。 それによって、私は弘行さんと結ばれることができたのだから。 270 :和菓子と洋菓子 [sage] :2007/10/05(金) 02 13 29 ID Fe03hxK+ あの真紅の装丁の本の結末は、ヒロインが失明し、想い人と結ばれる事なく悲劇的に終わるのだ。 しかし、想い人である、王子はヒロインの失明を聞いて、自分を責め、最終的には自殺をする。 ヒロインもそれに従って、自殺をするのだ。 けれども、私は足の自由と罪悪感という代償と引き換えに、想い人の弘行さんと結ばれたのだ。 きっと、王子とヒロインが結ばれたとすれば話の結末も違ったものだろう。 私もお話の中のヒロインも自殺という思い切った方法を取ることができるのだ。 その力を精一杯使って、幸せを享受することだってできる。 門が開く音が聞こえた。 今日は私の誕生日なので、弘行さんは早く帰ってくるといっていた。 門のほうへと車椅子を動かしていく。 手にケーキを持ち、スーツに身を包み、優しい表情をこちらに向けてくれる、世界でたった一人愛する人がそこにはいた。 「ふふ、お帰りなさい、弘行さん。」 「ただいま、時雨。」
https://w.atwiki.jp/i_am_a_yandere/pages/2421.html
145 :サイエンティストの危険な研究 第五話:2011/10/22(土) 23 48 58 ID Rnv3Q6Qo 「ん・・・!」 「・・・・・・・・・。」 俺のモノに柔らかくリアルな感触が、温かくて小さい空間でまとわりつく。時々歯がモノを掠め、多少の痛みが押し寄せてくるが、普通の人間だったら痛みより快感が勝ってしまうだろう。 ん?俺?俺はこの程度だったら痛くも痒くもない。研究者たるもの体も改造せねばならない。父の研究所本部に見学に行った時、訳がわからないまま実験体にされたときから、どんな状況にも対応できるように訓練(基改造)してきたのだ。その成果が今の状態を作っているのだ。普通は目隠しをされたら、他の感覚が過敏になって感じやすくなるのだが、俺はどうと言うこともない。 その事がリアルに伝わっているらしく、祐希も焦りを覚えている。最初よりも勢いを強くしている。最初はイカせるかイカせないかのギリギリを狙うかのようにしていたが、だんだんとイカせる気で強くしだした。普通の人なら三回は出してるだろうが、何より向こうが俺に気があってやっているわけではない、あくまで事務的にやっているという事実があるから、俺も興奮しないで済む。 「・・・。」 ふっ、とモノにまとわりつく感触が消える。諦めたのだろうかと思ったが、 「・・・えい!」 ふにゅ。 新たな快感がやって来た。今度は口内ではない。モノを包むさっきよりも柔らかい感触。モノを挟む感触は、周期的に上下している。 確か・・・パイズリだったっけな。ということは、今俺のモノを挟んでいるのは祐希の胸と言うことだ。確かに気持ちいい。ただ、射精するほどではない。もちろん通常の人なら、高校生らしからぬ巨大な胸に挟まれれば数秒で果ててしまう。しかも、ナイスバディで容姿端麗の祐希にされているという事実は、並の人間には耐えることなんかできないだろう。しかし兄も幸福者だな。祐希に劣るものの、胸がとにかくでかかったり、お尻がでかかったり、一目で惚れる程の可愛さを持ったりの大量の女性たちに囲まれて求愛されているのだから。 「・・・?」 流石に祐希もおかしいと思い始めたようだ。当たり前だ。これだけやれば、通常の人間ならとっくの昔に果ててる。仮に快感に強い人でも、腰ぐらいは浮くはずだ。しかし俺はあくまで不動。例えるならば、石像のイメージだ。向こうにとっては糠に釘どころか、空気に釘といったところだ。手応えはおろか、実感ややってる意味すら感じないだろう。 「ん・・・。」 小さく言葉を発した後に、目の前で再び衣服を脱ぐような気配がした。そのまたしばらくした後に、亀頭の先が温かい、いや、むしろ熱い感触に包まれた。これはまさか・・・挿入してるのか?おいおい、体張りすぎじゃないか?挿入してまで兄に対して必死なのか?だとしたら、相当な覚悟を持っているのだろう。これが好きな人への想いの現れなのかもしれないな。 「・・・。」 だからといって俺が動くなんてことはない。あくまでこれは兄に向けられた好意、兄のためにやっていることだ。向こうだっていやいやヤりたくない相手とやっているのだ。そう思うと、気持ちよさすら感じなくなってきた。 「・・・。」 ん?・・・祐希、泣いてるのか?体を震わせ、声にならないような悲痛の叫びを小さいながら発している。接合部からは、俺のモノを伝って一滴の雫が落ちている。 これは・・・間違いない、これは血だ、処女の証だ。冗談だろ?全ては兄のためだとしても、処女まで犠牲にしてしまうのか?いくら尋問のためだとしても、これは流石に狂ってる。好きな人のためなら何でもできる、もうこれは覚悟なんかじゃない。完全に狂ってる。まるで妹みたいだ。男だからよくわからないが、処女膜を破るのは痛みが伴うもののはずだ。愛する人となら耐えられるかもしれないが、祐希は愛する人じゃない人と繋がっている。つまり人より痛みが大きいはずだ。 「・・・!!!」 悲鳴を堪えながら、必死に腰を動かす祐希。こんな狂人を相手にしているんじゃ興奮もくそもない。向こうは必死だろうが、もう何をやっても無駄だ。俺を抱き寄せて顔に胸を押し付けてこようが、無駄な努力だ。 「~~~~~!!!」 ついに祐希は俺をイカせることはできずに、一人でイってしまった。体から力が抜けたのか、俺にもたれ掛かってきた。涙が頬を伝って、涎が顎から伝って俺の肩に垂れる。どうやら震えながら気を失ったようだ。どうせなら俺の拘束を解いてから気を失ってほしかったが、仕方ない、とりあえず祐希が起きるまで待つか・・・。 146 :サイエンティストの危険な研究 第五話:2011/10/22(土) 23 49 33 ID Rnv3Q6Qo ゆっくりと俺の体の上の体が動き出す。ようやく目覚めたようだ。祐希が目覚めたのはあれから一時間(ぐらい)後だ。まだ外が暗くなる時間じゃないのが救いだ。 ・・・やっと拘束が外されて自由になるが、目隠しは外してくれない。まだ光は拝めないか・・・そう思った瞬間、足と頭を同時に持ち上げられた。なるほど、お嬢様抱っこで俺を帰してくれるわけか。ちょっとだけ恥ずかしいが、まぁ帰れるんだから我慢しよう。 ゆっくりと祐希は俺を運び出した。 ―――――――――― ・・・・・・・・・・・・・・・ん、目隠しが外された。それと同時に視界に飛び込んできたのは 「亮ちゃ~~~ん!会いたかったよ~!」 こいつかよ!こいつが目隠しを外したのか?まぁ俺を助けるのはこいつぐらいだ。そう思うと、こいつには多少感謝をしなければな。 「亮ちゃ~~~ん!ちゅ~~~!」 前言撤回!ええい!うっとおしい!体を飛び起こしてその場を早足で去る。こういうときはスルーに限る! 「やぁ~~~ん!亮ちゃ~~~ん!」 家についた。とりあえず今日の分をまとめようと思ったが、兄が帰ってきてるようだ。つまり、夜飯がそろそろできるということだ。何を避けたいかと言えば、飯時になっても、俺が部屋にいかなかったりすると、決まって兄は俺を呼びに来る。そんなどこにでもあるような日常にすら嫉妬してしまう妹を避けるため、素直に飯時間に従う。 部屋に入ると、すでに兄と妹は部屋に入っていた。兄は夜飯の最終行程に入っている。今日は揚げ物のようだ。そして妹は・・・ 「お兄ちゃん~!すりすり~!」 「なぁ翔子・・・そろそろ離れてくれないか?」 妹は料理中の兄を後ろから抱き締めて、頬を背中に擦り付けている。油を扱っているから非常に危ないのは言うまでもないが、危険なんて何のその、胸を思いっきり背中に押し当てて誘惑、甘えている。兄の方はものともしていない。さすがはイケメン、誘惑に負けない強さは学校一だ。ていうか妹は効果が無いって事を理解しているのか?これこそまさしく空気に釘だ。これも狂った愛情だからこその技なのか?メモしておこう。 「あ、亮介。夜飯できたから食べよう。」 皿に盛られたコロッケを持った兄が振り向いて俺に話しかける。それと同時に妹も俺の方を向く。・・・俺に向けられている殺意を秘めた視線は気にしないでおこう・・・。 飯を食べ終えた俺は、パソコンに今日の分のデータをまとめる。二日目ながらデータはかなりの量になっているらしく、まとめるのも多少時間がかかるようになった。まぁデータが増えるほど嬉しいことはない。データが増えるってことは研究が進んでいる、夢に向かって進んでいるということだ。そう考えると、まとめる時間楽しくなってくる。いつかはデータをまとめることが俺の至福の時になるだろう。それも悲しい話なんだがな・・・。 ふと、俺は他の人の研究成果が気になった。一応任意で途中結果は晒すことができるが、晒している人がいない。・・・とりあえずチャットでも見てみるかな・・・。 ムウ:今日、私の妹が大好きな人に処女を捧げたらしいです。泣いて喜んでました。 マルキ:また妹話ですか?この研究所チャットの研究に関係あります? ムウ:いや、妹二人は大事な研究材料ですし、何でも上の妹は大好きな人を偽っているらしいですよ。 村田:何のために? ムウ:大好きな人にはライバルが多いからって言ってしまった。 マルキ:つまり他のライバルを捌くために? 村田:そういうことか。それにしてもあざとい妹だな。 またムウさんの妹談義だ。本当に毎回飽きないな。そんなに妹が大好きなのか。まるで俺の妹みたいだ。・・・まさかムウさんも妹とか祐希と同じ部類に属しているのか?まぁそんなことはどうでもいい。会話が終わったらしいので、俺は本題を切り出した。 リョウ:皆さんは独自研究はどこまで進みましたか? ムウ:リョウさんお久しぶりです。私は二人の妹の恋愛事情とそれに伴っての行動をまとめました。 やっぱりか! 一通り聞き終えたところでチャットは終了した。研究も一段落したので、とりあえず寝る準備に入ろう。今朝のことはちゃんと頭にいれて準備する。もちろん鍵を新調し、部屋の中の物と俺自身の防御も抜かりない。間違ってパソコンでも壊されたりしたら一大事だ。それだったらまだ、今朝のように身構えられて腹を刺された方がマシだ(もちろん致命傷は避けての話)家の中でも気が休まらないとはな・・・そこだけは少しだけ兄が羨ましい。そう思いながら、俺は眠りについた。 147 :雌豚のにおい@774人目:2011/10/22(土) 23 49 49 ID SoVUcycM 145 改行どうにかしてくれ頼む… 148 :サイエンティストの危険な研究 第五話:2011/10/22(土) 23 50 12 ID Rnv3Q6Qo 耳元で鳴いてる雀の鳴き声で目が覚めた。体に痛みもないし、意識はちゃんとある。ゆっくりと目を開けて気配を確認する。枕元に人の気配がないところを見ると、防犯が役に立ったようだ。やはり用意するに越したことはないな。爽やかな朝は爽やかに起きるに限るな。枕元の雀がまた爽やかな朝を彩るにふさわし・・・ 「・・・雀?」 何で雀が枕元に?普通なら考えられないぞ?しかも寒い風が部屋に吹いている。外に降り注ぐ朝の光が窓ガラスを挟ん・・・でない? 「・・・・・・・・・は!?」 今気づいた。窓ガラスが割れてる。しかもかなり派手に壊されてる。ガラスの破片を見ると、破片は部屋の中に散らばっている。どうやら外から割られたみたいだが・・・ここは二階だぞ?ベランダもないのにどうやって割ったんだ? しかし、見た限り荒らされたような形跡がない。ということは、悪戯の可能性が高いな。パソコンは正常に稼働するし、俺の体にも異常がないし、研究のデータを盗まれたりとかもない。まぁ気にすることもないだろう。とりあえず朝飯を食べて学校に行こう。 「・・・!?」 ドアノブに手をかけようとした瞬間、俺の背筋が凍った。ドアノブとドアに大量の穴が空いている。穴は小さめのネジぐらいの大きさで、ドアノブ周辺の鍵を中心に穴が空いている。まさか鍵を破ろうとしたのか?しかも穴をよく見てみると 「部屋の外から空けてる・・・?」 まさか妹の仕業か?いつの間にか強盗みたいな手口をするようになったな。ていうか家に穴を空ける道具なんかあったか?まぁ妹ならあり得る話だな。前はついている鍵を包丁の持つ部分で叩き壊してたからな。これは防犯をもっと強化した方がいいかな・・・。今はまだ破られてないが、いつかは破られるかもしれないな・・・。 飯を食べ終えて、歯磨きやらの準備を終えて部屋に戻る。俺は準備の最後に着替える派だ。そうじゃないと昔から落ち着かないからな。研究者の場合、白衣を普段の汚れで汚したくないからな。父もそうだった。ということは俺のは遺伝か?そんなことを考えながら、クローゼットから制服を出す・・・が 「・・・・・・・・・ん?」 あれ?制服一式が無い。ていうかYシャツとパンツもない。まさか・・・泥棒は制服一式を盗んだのか?泥棒はホームレスかなんかなのか?まさか制服を盗まれるとは・・・。相当金に困っているのか、当日真っ裸だったのかのどっちかだな。まぁだからといって取り乱したりはしない。Yシャツとパンツはもちろん、制服も予備を用意してあるから心配はない。さっさと済ませて学校に行こう。・・・犯人の形跡とか表に残ってたりするかもしれないしな。 靴を履き替えて、教室に入ってすぐに机に寝そべる。嫌がらせがない朝が二日も続いたことは今までなかった。だからなんだか落ち着かない。なんだか俺に良からぬことがおきそうで・・・怖い。もちろん心当たりは何個もある。朝に妹に刺されるかもしれないし、放課後に親衛隊機動組に落とされるかもしれないし、条項を無視した親衛隊の誰かに帰り道に裂かれるかもしれないし、もしかしたら祐希が親衛隊全員を仕向けてくるかもしれない。ていうか俺の未来は殺される以外無いのか?兄は俺を殺そうとしている連中皆に求愛されてる。何か不公平じゃないか?これもイケメンとブサイクの人生の差なのかな・・・。 そんなことを考えていると、向こうから怒号が聞こえてきた。朝から元気なことだ。ていうかこの声って・・・妹? 「いいから死ねぇぇぇ!」 「何!急に!ちょっとやめ・・・きゃあああ!」 「逃げるなぁぁぁぁ!!!」 いったい何をしているんだ?声はどうやら階段付近から聞こえるみたいだ。俺の教室、しかも俺の席は階段付近の踊り場を、席を立たずに見ることができる。寝る体制に入りながら、横目で場を確認する。よく見ると、妹が一人の女子生徒(たぶん一年生)を階段から落とそうとしている。今はまだ朝の早い時間だ。周りに人がいないからまだ大事にはならないが、そろそろ人が溢れ変える時間だ。時期に場は荒れるだろう。 「・・・(ふぅ)」 仕方ない・・・めんどくさいが止めに入るか・・・。 149 :サイエンティストの危険な研究 第五話:2011/10/22(土) 23 50 54 ID Rnv3Q6Qo 「おい、その辺にしておけ。」 暴走気味の妹に声をかける。まぁ俺の声で動きを止めるような奴じゃないか・・・。わかっているのだがやってみるのは、俺の願望も若干入っているのかもしれないな。仕方ない、ここはいつもの手でいくか。 ティロリーン♪ 「!?」 「今の写真、兄に見られたくなかったら今すぐやめろ。」 猛獣のような顔の妹は、動きを止めて黙りこんだ。これは、妹の暴走を止めるためにいつもやっている手だ。妹は、暴力事をおこしている時の姿を兄に一番見られたくないのだ。だから、暴力事をおこしている時の写真を撮って脅迫するのが一番良い手だ。ただ、これをするにはとあるリスクが伴う。金額的には5万前後のリスクだ。 「・・・ちっ!」 舌打ちをして女子生徒を離し、それと同時に俺に向かって手を差し伸べる。俺はこれが何を意味しているかわかってる。とりあえず従っておこう。差し伸べられた手の上に、写真データの入った俺の携帯を置く。 バキッ! あ~あ、やっちゃった。この音は俺の携帯が真っ二つになった音だ。これで・・・何度目だ?まぁわからなくなるぐらい俺の携帯は犠牲になっている。つまり俺は、犠牲になった携帯の数だけ妹に襲われている女子生徒を助けているということになる。もちろん好かれたいがためなんかじゃない。理由は単純、単に妹を失いたくないだけだ。ちなみに言っておく、ここに書いてある「妹」という漢字の読みは、「けんきゅうたいしょう」だ。そこのところを勘違いしないでもらいたい。妹はとにかく行動が荒い。親衛隊みたいに条項というブレーキがあったら良いのだが、そんなものはあるわけがない。それはつまり、歯止めが効かないということだ。実際妹がやっていることは犯罪のブラックゾーンに足を踏み入れている。だから何かあれば、妹は検挙されかねない。それは避けなければいけないため、こうやって襲われている女子生徒を助けているわけだ。しかし、人助けをしている俺にあるのはデメリットだけだ。 「あの・・・ありがとうございます!」 そう言って女子生徒は行ってしまった。彼女もおそらく親衛隊に入る予定なんだろうな。俺が助けた女子生徒は全員が親衛隊に入る前の生徒だ。例外なく全員だ。考えてみれば、木村梨子も助けたことがあったっけな。あいつは機動組として、立派に恩を仇で返している。ていうか助けた奴は全員機動組になっている。おそらくさっき助けた女子も、明日には機動組の一員だ。命を助けてやった恩を仇で返すなんて、最高の嫌がらせじゃないか。まぁ親衛隊は俺のことが嫌いなんだから当然か・・・諦めよう。 放課後になった。今日もデータを取り終えて大満足だ。しかし、今日はそれだけじゃない。今まで見ることができなかった、ある秘密の会合の現場を見ることができたのだ。 話は遡ること約三時間前の昼休み。俺は友里の執拗な追跡を逃れるため、大好きな化学実験室の準備室に逃げ込んだ。ここは化学室からじゃないとは入れない上に、窓がなく、机もかなりでかいため、隠れるにはもってこいだ。俺はここで弁当を食べることにしたのだが、しばらくすると化学室に人が入ってきた。ひるやすみに特別教室に入る生徒なんかいないはずだが・・・しかもかなり大人数のようだ。扉をちょっとだけ開けて見ると、全員が派手なハッピを着ている。しかも派手なウチワやハチマチやタスキ等のオプションをつけている人もいる。間違いない、親衛隊だ。しかし何でこんな場に? 「は~い!じゃあまずはこれ~!」 壇上にいる親衛隊長の祐希が、写真をヒラヒラと見せびらかしている。それを見るや否や、黄色い悲鳴が化学室を包み、次々と親衛隊員の手が挙がる。 「1000円!」 「5000円!」 「10000円!」 なんだこの光景は?まさかこれは親衛隊のオークション会場か?前に、兄の写真が高額で取引されているという話をしたが、現場をおさえたのは初めてだ。 「は~い!50000円で落札!」 写真一枚50000円かよ。なんというインフレ。これはいい現場をおさえたものだ。研究のしがいがある! よく見ると、今朝助けた女子生徒の姿もある。あそこは機動組の場所らしい。 「・・・?」 ふと機動組に感じる違和感。なにかおかしい。何で誰も手を挙げる気配がないんだ?他の隊員は皆殺気立っているなか、機動組だけが冷静だ。いや、無関心なようにも見える。何でだ?まぁ・・・いいか。気にせず俺は観察を続けた。 150 :サイエンティストの危険な研究 第五話:2011/10/22(土) 23 51 37 ID Rnv3Q6Qo ということがあったのだ。最後まで見れなかったのは残念だが、まぁ現場を見れただけでよしとするか。 「・・・!」 向こうから祐希が歩いてきた。しかし、今の祐希は異彩を放っていた。 何で上着を脱いでYシャツ姿なんだ?しかも・・・サイズが小さくないか? ・・・わかったぞ!あれはきっと兄のだ!たぶんオークションで兄のYシャツが出たんだ。それを祐希が買ったんだろう。しかし、兄は祐希より体が大きいのに何でキツキツなんだ?まさか女子のYシャツって胸の部分が少し余裕があるように出来ているのか?まぁそれぐらいしか理由がないからな。まさか兄が大好きな祐希が他の人のYシャツを着るわけがないからな。 「ていうか俺のYシャツを盗んだのって誰なんだよ!?」 ・・・虚しい。
https://w.atwiki.jp/i_am_a_yandere/pages/1748.html
413 :リバース ◆Uw02HM2doE [sage] :2010/07/24(土) 01 29 34 ID LvHK/g05 あの電話から一週間程が経ったある日。 あれから何の音沙汰もなく、俺は諦めかけていた。日課になりつつあるリハビリを終えて、俺は自分の病室に戻る。 病室の扉横には402のプレートと、その横には手書きで"白川要"と書いてある。 なんといびつな字かと思うが、同時にこれは俺が書いたんだということも思い出す。 鮎樫さんに名前を教えてもらった後、医者の黒川のとこへ伝えにいった。 しかし「成る程。これは再検査した方が良いかもね。現実と虚構が…」とぶつぶつ独り言を言い始めた。 埒が明かないので不審がられながらもナースステーションから油性ペンを借り、自分で書くことにしたのだ。 「これで大丈夫だな」 何が大丈夫かというと看護婦さんたちや同じ階の爺ちゃん婆ちゃんたちに「402号室の兄ちゃん」と言われなくなるということだ。 中々どうして、人っていうのは名前を呼ばれないと自分自身が保てなくなるらしい。 少なくとも俺は自分が果たして白川要なのかハッキリしなかった。 まあおまじないみたいな物だ。 「あれから一週間か」 取っ手に手を掛けたまま俺は考える。 同じ白川という少女との電話を一方的にぶっちぎってからはや一週間。 俺の周囲に変化はない、というか皆無だ。 耐え切れず何度か電話したが毎回留守という不運。 いや、もしかしたら…もしかしなくても避けられている気がする。 一応毎回律義にメッセージは残したが、聞いてくれているとは思えない。 「振り出し、か…」 あの少女、鮎樫らいむが残してくれた手掛かりは結局役に立たなかった。 …彼女を信用しない方が良かったんだろうか。 「…違うよな」 そうじゃない。 「ただ単に俺のやり方が悪かっただけだよな」 ゆっくりと、でもしっかりと言葉を紡ぐ。そう、これは決して彼女のせいじゃない。 だって現に、同じ白川の姓まで辿り着けたじゃないか。 「やっぱり鮎樫さんのこと、信じていい気がする」 最初から感じていた、初対面なはずなのにそうじゃない雰囲気。 知らない相手なのに信用出来てしまう俺。 ただの友達。鮎樫さんはそう言っていたけど、どうしても俺にはそんな風には思えない。 「…俺、もっと鮎樫さんのこと知りたいな」 俺は色々忘れてしまった。だけどこうして生きている。またやり直せる。まだ終わってない。 だからこそ色んな人達のことを知りたい。もう一度歩き出したい。電話やプレート、そして鮎樫さんとの出会いはその第一歩なんだ。 「何言ってるの?」 「おうっ!?」 急に背後から話し掛けられる。その凛とした声には聞き覚えがあった。 414 :リバース ◆Uw02HM2doE [sage] :2010/07/24(土) 01 31 52 ID LvHK/g05 「鮎樫さん…」 「当たり。早く開けてくれる?廊下は寒いわ」 その言葉に自分が取っ手を掴んだまま、ぼけっとしていたことに気がつく。 「わ、悪い…」 ドアは力を入れずとも簡単に開き、視界にはベッドと医療機器しかない殺風景な部屋が広がる。 「プレートの名前、自分で書いたのね。中々お洒落よ」 クスクス笑いながら部屋に入る彼女、鮎樫らいむは確かにそこにいた。 相変わらず髪は長い漆黒のストレート。服装も前回と同じく真紅のワンピース。 殺風景な部屋にいる彼女はとても鮮やかで、そしてそれと同じくらい儚く見えた。 「人の病室に勝手に入るなよ。つーか、いつの間に俺の後ろにいたんだ」 「こう見えても私は伊賀の出身なの。特技は忍法隠れみの術とビーズを使ったアクセサリー作りよ」 「いや、後ろは伊賀関係ねぇだろ」 「メモしておくといい」 「しねぇよ」 一体何なんだ彼女は。 テンションが前回とは全く違う。…こっちは色々と思い悩んでいるっていうのに。 「…さっきの聞いていたのか」 「要が言ってたヤツ?残念ですけど独り言を聞くほど暇じゃないし」 「そっか…」 良かった。聞かれてなかったみたいだ。俺はてっきり 「ただ、私のことは信用して良いわよ」 全部聞かれて…たのかと……? 「それに要が知りたいなら私のこと、もっと教えてあげる」 「って、聞いてたんじゃねぇか!?」 「あら、てっきり私に向かって言ったのかと思って。独り言なんて思いもしなかったわ」 ベットに座り長い黒髪をかきあげながら、彼女は微笑んだ。 「……っ!?」 途端に身体が熱くなる。身体だけじゃなく心も疼く。 「なん…だ…」 「どうかした、要?」 彼女がベットから降りて俺に近づく。 「…っ!!?」 身体がさらに熱くなる。心が疼き火照る。 まるで彼女が俺に近づくにつれ、高まるかのように。耐えられなくなり膝をつく。 「ま…て…!あゆ…か…し…さん!!来ちゃ…」 「大丈夫?汗だくだけど?」 そう言って俺の横に屈む彼女。思わず顔を上げると彼女は微笑んでいて 「言ったでしょ」 「えっ…?」 いや、微笑みにしてはそれは妖艶過ぎて 「私を知りたいって」 彼女の息遣いが聞こえるくらいに距離が狭まって 「だから、教えてあげる」 キスをされた。熱かった。瞬間花火が散った。 比喩じゃない、本当に身体の中で何か熱いものが溢れてる。 彼女の舌が入って来て、俺の舌を捕まえる。俺と彼女の唾液が混ざり合い一つになる。 歯茎を舌で蹂躙されているのに、抵抗出来ない。 それどころか入って来る。伝わってくる。 彼女の、狂おしいほどの愛情が。 憎らしいほどの純粋さが。 そして愛らしいほどの狂気が。 「……っはぁ!」 やっとの思いで彼女を引き離した時には、息も絶え絶えだった。 415 :リバース ◆Uw02HM2doE [sage] :2010/07/24(土) 01 32 53 ID LvHK/g05 「……っふぅ。私のこと、少しは分かった?」 相変わらず彼女は妖艶な笑みを浮かべていて、ワンピースと同じ深紅の唇からは透明な糸が俺の唇まで繋がっていた。 「…な、何を…」 「ふふっ、堪らないわね。要のその表情…」 「…っ!?また…!」 彼女に見つめられた瞬間、また身体が火照りだす。 心臓が痛いほど高鳴り、まるで蛇に睨まれた蛙のように動けない。 「記憶は無くしたって身体は覚えている。心に刻まれている。そう簡単には忘れないわ」 「な…で…いき……りっ!」 もう何も考えてられず、頭が真っ白になる。このままじゃ俺は俺じゃなくなる。 でも動けない。彼女と俺の距離が0になり 「そろそろリハビリの時間ですよ~。今日も黒川先生が…どうしたんですか?」 「い、いや…別に何でもないです」 看護師さんが俺の病室に入った時にはもう彼女はいなくなっていた。そして病室には床で腰を抜かしている俺だけ。 「ここ4階だろっ!?」 そう、鮎樫さんは窓からあっという間に姿を消した、というか飛び降りたのだ。 「大丈夫かっ!……えっ?」 最悪の事態が頭を過ぎる中急いで窓から下を覗くと 「平気よ」 下には彼女、鮎樫らいむが何事も無かったかのように立っていた。 「…な、なんで…ここは…だってここは……」 「ふふっ、そんな要の顔も好きよ」 決して大声ではない、でもここまで届く澄んだ声。 それは彼女の瞳とあまりにも対照的だった。 「じゃあ…また、ね」 そしてそのまま病院を背に向けて歩きだす。 「一体何が…きゃっ!」 気付いたら走りだしていた。下へ下へ。 「ちょっと…!何処に行くんですか!?」 呼び止める声を無視して走り続ける。階段は飛ばし飛ばしで降りていき加速する。 「何が…何がまたね、だ!」 吐き出すように叫ぶ。 「まだ…まだ鮎樫さんには聞きたいことが!」 呼吸が乱れる。足がふらつきこけそうになりながら正面玄関を越えて 「山ほどあるんだ!!」 玄関を抜けた先には誰もいなくなっていて、代わりに蝉の声が初夏を伝えていた。 「はぁはぁ…くそっ!」 思わずその場に座り込んだ。息は絶え絶えで汗は止まらない。 「はぁはぁ…リハビリより…きつい…」 その呟きに応えは無かった。 416 :リバース ◆Uw02HM2doE [sage] :2010/07/24(土) 01 34 01 ID LvHK/g05 「それで結局どうしたんだい」 終業式の帰り、夏真っ盛りの気温の中坂道を下る二人の男子の姿があった。 「それにしてもあっちぃーの!これから夏休みで助かったな」 二人とも半袖の白シャツをパタパタやりながら怠そうに歩く。 「あっちぃーのって…なんだい?流行語か何かかな」 「あっちぃーのはあっちぃーのだ。何か暑い感じがひしひしと伝わってくるだろ?」 「なんだいそれ?相変わらずだね、要は。…話を逸らさないで欲しいな」 一人の男子、明るい金髪で軽いパーマの方が立ち止まりつられてもう一方の黒髪の男子も立ち止まる。 「…逸らすつもりはないけどさ」 「じゃあ聞いて良いんだよね」 「……ああ」 夏の陽射しが照り付けても二人は全く動こうとはしない。 ただお互いに向き合っている。 「要…君、断ったのかい?」 「……何をだよ」 「とぼけないで欲しいな。決まってるだろ?」 「……ああ、断っ」 言い終わるより速く、鈍い音が青空に響いた。 「…っ、いてぇ」 殴られた黒髪の男子、白川要は自分の右頬を押さえながら呻く。 「痛い…?よくそんなことが言えたね。君、自分が何をしたか分かってるはずだよ?」 もう一方の生徒は冷たい声で要に言い放った。 「分かってるよ!」 「じゃあ何で断ったのかな。彼女の気持ち、分からない訳じゃないだろうに」 要を掴み上げる金髪の少年。 口調は冷静だがその瞳は、静かな怒りをたたえていた。 「分かるさ、痛いほどに!」 「じゃあ何で」 「だからに決まってんだろ!?俺とあいつじゃ無理なんだよ!それくらい英(ハナ)にだって分かるだろ!」 途端にそれまでの煩さが嘘のように静まる世界。まるでこの世界には二人しかいないようだった。 「…やっぱりあの女なんだね」 でも二人が争っているのは他の誰かのせいで 「…それとこれとは話が別だ」 「嘘をつかないでくれないかな。要…あの女が好きなんだよね?」 そしてその誰かさんは間違いなく 「好きじゃない。……そんな言葉じゃ足りないからさ」 俺の大切な人なんだ。 「……また同じ夢」 リハビリが始まって一ヶ月。 あの鮎樫らいむの突然の訪問からも、すでに二週間が過ぎていた。 あれから俺の周りでは相変わらず変化がなく、リハビリの毎日だ。 「相変わらず変な夢だな…」 もう8月後半だからだろうか。外は蒸し暑く、まだ夏真っ盛りといった感じだ。 「ま、気にすることじゃないか。所詮夢だしな」 その割にはやたらとあの金髪パーマが懐かしく思えるのは、果たして気のせいなんだろうか。 418 :リバース ◆Uw02HM2doE [sage] :2010/07/24(土) 01 41 23 ID LvHK/g05 その夢は何かの予兆だったのかもしれない。 その日の午後、ちょうどリハビリを終えて俺はロビーにいた。 …白衣を着て。 「黒川さん…まだ吸ってるのか」 リハビリが終わって、帰ろうした俺を黒川さんは呼び止めた。 「あ、少年。ちょっと待ってくれ」 「…少年じゃなくて白川要なんですけど」 相変わらずこの医者は俺のことをちゃんと名前で呼んでくれずにいる。 彼いわく「もしも違ったら困るでしょ。とりあえず確証がない間は少年だから」だそうだ。 「まあまあ、それはさておき君に重大任務を授けよう」 「またタバコ買いに行け、ですか?」 「惜しいね。でも良い線いってるよ。流石パシ…好青年だ」 …今パシリって言いかけたな。この人本当に医者なんだろうか。 「そんなに睨まないで。ね、ほんのジョークだからさ」 「はぁ…」 「とにかく。僕はね、今タバコが吸いたいんだよ」 やっぱりじゃねえか、というツッコミを抑える。 「でも白衣のままだと匂いがついてしまうんだ…困った」 「…つまり俺に白衣を持ってろと。でもそれなら、そこら辺において喫煙室に行けば良いじゃないですか」 違う違うと手を横に振る黒川さん。何が違うんだろうか。 「それだとサボってるのバレるでしょ。だから君がそれを着てロビーに立っていてくれ」 「…………はい?」 「そういうわけだから、よろしく!」 言うやいなや、タバコとライターを掴み全速力で走り去る黒川さん。 そんなに早くタバコ吸いたかったんだ。つーかそれって医者としてどうなんだ…。 「って、そうじゃねぇ!」 この明らかにぶかぶかでサイズの合わない白衣を着てロビーに立ってろって? 「……絶対にバレるだろ。…まあいいけどさ」 バレても俺は関係ないしいいか。それにあの医者には結構お世話になっているし。なにより 「…暇だしな」 俺はサイズの合わない白衣を来てロビーへ向かった。 「それにしても遅すぎだろ…」 ロビーに来て30分。知り合いの看護士さんたちに好奇の目で見られ続けていた。 それに同じく知り合いの患者達には笑われる始末。 「まさか忘れてるなんてことは…」 憎たらしいほどに飄々としている黒川さんの顔が浮かんでは消える。 「……ありえる」 もしそうだったら絶対に許さない。まずあの澄まし顔に思いっきり…。 「…ません、すみません!」 「は、はい!?」 後ろからいきなり声をかけられて、思わず声が裏返った。 419 :リバース ◆Uw02HM2doE [sage] :2010/07/24(土) 01 42 09 ID LvHK/g05 「えっと…とある病室の場所を聞きたいんですけど…」 明らかに警戒している感じの女の子の声。裏返ったのがダメだったか。 というか俺は医者じゃない。とりあえず振り返って正直に言おう。 「す、すいません。俺は医者じゃなくて…」 「だってこれって白衣……えっ?」 やはり女の子だった。しかも制服を着ているので学生。 背は低いけどスタイルは良く、出るところはしっかり出ている。 髪は淡い栗色で派手過ぎず彼女の容姿にピッタリだ。…って観察してる場合か。 「あー…実はこの白衣は俺のじゃなくて」 「………」 さっきから彼女は俺の顔に釘付けになっていた。 「…そんなに見られると…えっ!?」 「………っ」 今度は俺が釘付けになる番だった。何故なら彼女は無言で泣いていたから。 「な、なんで!?」 突然のことに慌てる俺に彼女は 「…なっ!?」 抱き着いてきた。しかも顔を埋めるように。そして 「うわぁぁぁぁぁん!!」 本格的に泣き出してしまったのだった。 402号室にはいつも通り"白川要"と書いてあった。 ただ今までのような雑な手書きではなくプレートにしっかりとした印刷文字であった。 何故ならばそれが証明されたからである。 「これで終わりです。お時間を取らせてしまい、申し訳ありませんでした」 黒川さんがそう言いながら席を立った。 片手には今さっきまで手続きしていた書類が入っている茶封筒を持っていた。 「いえ、家族として当然のことをしただけですから。それよりも」 そしてその書類に記入をし黒川と話しているのはさっきの女の子だ。 「ええ、お兄さんの体調はもう大丈夫ですよ。怪我も完治したしリハビリもしっかり終えたし。退院したければ今すぐにでも」 「じゃあお願いします!…その、兄さんのために」 この子は俺が三週間ほど前に電話したあの子らしい。 「分かりました。では下で手続きをしてくるので少しお待ちを」 「よろしくお願いします」 そして…なんと俺の妹らしい。 420 :リバース ◆Uw02HM2doE [sage] :2010/07/24(土) 01 43 19 ID LvHK/g05 「…兄さん?」 「は、はい!?」 いつの間にか黒川さんがいなくなり部屋には俺達二人しかいなくなっていた。 「…どうかした?」 「い、いや別に!」 「そう。でも今日中に家に帰れそうで良かったね」 「そ、そうだな…えっと…」 「…潤、白川潤(シラカワジュン)。兄さんと同じ東桜の一年。バスケ部所属。趣味は料理で好きなタイプは…」 「わ、分かった。思い出せなくて悪かったよ」 「まあ…良いけど」 そう。この子…白川潤は俺の妹で俺を迎えに来てくれたのだった。 しかし俺が本当に記憶喪失で潤のことを何も覚えてないと知るや、もの凄い勢いで俺を殴ろうとした。 思わず病院のスタッフ達が止めたけれど。 「さっきは死ぬかと思ったぞ…」 「だからあれは兄さんの記憶を呼び覚まそうとして、刺激を与えようとしただけだって」 「嘘つけ!あれは確実に殺る気だっただろうが!」 「…だって私のこと忘れてるんだもん」 「だからそれはもう謝っただろ?」 「傷ついた!」 「わ、悪かったよ…」 さっきからこのやり取りの繰り返し。いい加減謝ったんだから許して欲しい。それに 「あ、あの潤…さん」 「潤っ!」 「…えっと、潤?」 「何で疑問形なのよ」 「いや、何か慣れなくてさ」 「慣れろ!…それで?」 「それで…何でこんなに俺達くっついてるのかなって」 部屋は個室にしては結構広い。 それなのに潤は俺の真横にピッタリといて、おまけに腕を絡めている。 「そう?そんなにくっついてないって」 「いやいや、十分だ!だって当たってるし…」 「当たってる?一体何が当たってるの、兄さん」 ニヤニヤしながら聞いてくる潤。そりゃスタイル良いんだから決まってるだろ。 …つーか、やっぱりわざとか。小悪魔的妹め。 「いや…そりゃ恥ずかしいだろうが」 「ふふ、可愛い兄さん」 「あんまりからかうなよな…」 「別にからかってないよ」 そう言いながら彼女は俺をじっと見つめた。 「…ど、どういう意味だよ」 「だって…私たち、付き合ってる訳だしこれくらい普通でしょ」 「まあ確かに付き合ってるんだったら……は?」 「だからそんなに恥ずかしがること」 「ち、ちょっと待て!?」 「何?」 意味が分からない。冗談だよな? 俺とこの子が付き合っているなんて。だって俺達兄妹だよな。 …そうだ、冗談に決まっているじゃないか。 421 :リバース ◆Uw02HM2doE [sage] :2010/07/24(土) 01 44 59 ID LvHK/g05 「な、成る程な。そんな冗談に騙されるほど俺は」 「冗談じゃない!」 「だって俺達兄妹じゃ…」 「兄さんは!…兄さんはそれでも良いって言ってくれたから」 …何を言っちゃっているんですか、過去の俺。 「…それ本当か?」 「うん…。私、凄く嬉しかったよ。兄さんも私と同じ気持ちなんだって」 「…そっか」 「だから…だから私のこと覚えてないって言われた時、どうしたらいいか分からなくなって、凄く悲しくて…」 「もう、いいから」 俺は彼女をそっと抱きしめた。何故か身体が自然とそうしていた。 「あっ……」 「本当に悪かったな。…妹を泣かせるなんて兄貴失格だ」 「…妹じゃなくて彼女」 「俺さ、過去の俺が潤とどんな関係でどんな思い出を作ってきたのか、まだ思い出せないんだ」 「……やっぱり」 「殴ろうとするな!…でもな、それでおしまいって訳じゃないだろ」 「……」 「これから、また思い出作っていこう。勿論過去のことは思い出せるように努力するからさ」 「…分かった」 「…よし、じゃあ帰るとするか」 「…うん」 そうだ。忘れただけで無くした訳じゃないんだ。だったら大丈夫。また始めればいいだけなんだから。 「……これであの女も」 「ん?何か言ったか?」 「ううん、さあ早く下に行こう兄さん」 また始めれば…いいんだよな? 病院から自宅までは県を跨がなくては行けないこと。 そして俺がまだ退院したてということもあってタクシーを使うことになった。 「まさか違う県だったなんてな…」 それじゃあ県内の失踪届けを探しても見つからない訳だ。 「何かあったら電話しろ…か」 一通りの挨拶を済ませ、タクシーに乗る時に黒川さんがくれた連絡先を見つめる。 「別に何も起こらない…よな、潤」 潤は俺の手を握ったまま寝ていた。 やはり今日の疲れが溜まっていたのだろう。 「潤には感謝しないとな」 彼女が来てくれなかったら俺は一生病院暮らしだったかもしれない。 「あと…鮎樫さんにも」 鮎樫さんが電話番号を教えてくれなければ俺は潤に会えなかった訳だし。 「…今どこにいるんだろ」 もう一度あってお礼が言いたい。あの電話の… 「…電話?」 不意に何かが引っ掛かった。あの夜電話で確かに感じた何かを俺は忘れている気がする。 「…考え過ぎかな」 今日は色々あってくたくただ。とりあえず寝てしまおう。きっとこの違和感も時間が解決してくれる。 …潤の手は堅く握られ、俺の手を離そうとはしなかった。
https://w.atwiki.jp/i_am_a_yandere/pages/2552.html
54 :ふたり ◆Unk9Ig/2Aw:2012/11/04(日) 21 18 26 ID 2.2JYbKA 土曜日の4時限目。俺こと池上哲也はこの時間が大好きだ。もう少しで帰れる・・・明日は遊べる・・!そんな思いが湧き出るこの感覚が好きだからだ。 この時間は日本史。先生は中年の、サングラスをかけたおっさん。 教科書を読みあげ、板書を書くだけの授業なんて聞く意味はない。 だから俺は、日本史の時間は窓の外を見ることにしている。俺の席は窓際、そして外はいい天気。 ああ・・・早くこんな時間から解放してくれ!・・・とは言ってもまだ授業は30分ほど残っているわけだが。 ・・・っと、そうしていると横からブツブツと何やらただならぬ声が聞こえてくる。 声のする方を見ると、隣の席の少女が俯きながら呪詛のような言葉をぶつぶつと呟いている。 またか・・・。そう俺は思った。 隣に座っている少女の名前を米沢愛理という。米沢愛理はとても活発で爽やかなスポーツ美少女である。ソフトボールをやっていて、彼女は男女ともに人気がある。まあ、スポーツをやっているから、性格は明るい訳で。クラスのムードメーカー的な存在である。 ・・・が、その彼女が最近変なのだ。彼女の様子が。いつもなら授業中にも積極的に発言して、周りを盛り上げるのだが最近はそれが少ない。そしていつも下を向いてぶつぶつと呪文のようなナニカを唱えている。 なぜなんだろうか・・・?女にまだ興味のないおこちゃまな俺が女心を知ろうとしてもそれは無理だ。だから、理由はさっぱりわからない。 その声は耳を澄まさないと聞こえないくらい小さいものなので、このことは隣の席である俺しか知らない。だから、彼女の周りの友人は彼女の異変には気付いていない。 この呪詛のようなナニカを吐く時の彼女は別人格なんじゃないのかというぐらい、彼女らしくない。 前に一度、彼女がそのセリフを吐いた時俺はついつい、彼女のほうをボーっと見てしまった時があった。その視線に気づいた彼女はハッとして、笑顔を作り、 「あ、そ、その、なんでもないよ、気にしないで!」と言ってごまかした。 その時の彼女はいつもの彼女に戻っていた。そんなことがあっても米沢は度々、俺にこの声を聞かせてくる。いったい何なんだ?このときの米沢はとても威圧的で、俺はいつも恐ろしいと思う。 こんなことになった原因はナニ?そんなことを考えていたら、彼女が俺のワイシャツの袖を引っ張っていた。 俺が米沢のほうを向くと、彼女は爽やかに笑って言った。 「この後、暇かな?」 55 :ふたり ◆Unk9Ig/2Aw:2012/11/04(日) 21 19 21 ID 2.2JYbKA ・・・という訳で俺は米沢に誘われて駅ビルの喫茶店で飯を食っていた。 俺は別に腹が減っているわけじゃないから、コーヒーとサンドイッチだけをパクついていたが、米沢は特大ビーフカレーとデラックスパフェを黙々と食っていた。こんなちっちゃい体によく入るよなあ・・。こんだけ食って太らないってことは、それだけ運動しているのだろうな・・・。そんなことを考えていた。 沈黙。食事の間、今のところ俺たちの間に会話がない。 ・・・何で米沢は俺を誘ったんだろう・・・? 俺は小さくため息をついた。すると、米沢は急にカレーを食う手を止め、俺を見据える。 「どうしたの?ため息なんてついてさ。」 指先をナプキンで拭いた後、米沢は髪の毛をいじりながらそう聞いてきた。 「い、いや何でも無いよ。」と冷静に取り繕って答えた俺だが、内心冷や汗をかいている。 何と言うか、今の米沢がまとっているオーラがさっき垣間見えた黒いオーラに近いような気がしたからだ。 「『どうして米沢は俺を誘ったんだろう?』って思っているでしょう。」 オーラを和らげ上目遣いで微笑みながら聞く。運動はできるけど、160あるかないかの身長の彼女は身長178の俺にとってみれば小さな女の子だ。その米沢に何をおびえているんだろうな。 「そうだな・・・。まあそんなところかな。もしかして、金欠?奢ってほしいとか?」 奢りはしないが、雰囲気を明るくするために俺は必死に冗談めかして言う。でも、雰囲気は和みなどしなかった。 「そんなんじゃないんだ・・・。もっと真剣な話だよ。」 ・・・何か元気がない。声も弱弱しいし。こんな米沢は初めて見る。いつも快活に笑い、陽気に話しかけてくるいつもの米沢からは決して見られない一面。ある意味では、あの黒いオーラを纏った彼女と似た部分があるのかもしれない。意を決したように米沢は口を開く。 「私・・・さ、原先輩と付き合ってるの・・・。知ってる?」 「ああ、勿論。」 これは周知の事実だ。原先輩は野球部のキャプテンだ。チームのムードを良くするのが得意な選手だ。その辺は米沢と似ているし、やっているスポーツだってソフトボールと野球でほとんど同じだし、お似合いのカップルとして校内でも有名だった。 「それが、どうかしたのか?」まあ、なるべく地雷を踏まないように、聞いたつもりだった。 「あのね・・・、原先輩が浮気しているみたいなんだ。」 56 :ふたり ◆Unk9Ig/2Aw:2012/11/04(日) 21 21 12 ID 2.2JYbKA チュドーン!!!! いきなり地雷かよ!地雷原かよ!ああ、彼女少し泣きそうになってるぞ!フォローを!彼女にフォローを入れるんだ! 「あ、あ、そのごめん。」 フォローになってねえええ!謝ってどうするよ!? でも、俺はこんなときどんな接し方をすればいいのか分からない。映画に出てくるカッコいい男とかなら、黙って彼女の話を聞いて最後に深い言葉を残すのだろうが、俺には無理だ。女心をつかむような素敵発言は俺には無理なんだ!! 「いいんだ。そんなに謝らなくても。最近知ったわけじゃないし。結構前から知っていたよ。」 なんか逆に俺がフォローされてる気がするぞ・・。何故か無性にのどが渇く。ああくそ、アイスコーヒーにしておけばがぶ飲みできたのに。俺は少し間をおいてからしゃべりかけた。 「その・・・結構前って、いつから?」 彼女は少し考えているそぶりを見せた。はて・・?何で考えるんだろう。いつから知っていたかなんてすぐに分かるはずなのに。意外とそういうことにはルーズなのかな? 「大体、2カ月ぐらい前かな・・・。」 2カ月?・・・おかしいな。じゃあ彼女の様子がおかしかったのって、先輩の浮気のことについてじゃないのか?彼女の様子がおかしくなったのは3カ月以上前。いや、もしかするともっと長いこと前かもしれない。時期が一致しないな・・・。なんでだろう? 「私、どうすればいい?原先輩にどうしたらいいと思う?」 すがるような眼で俺に尋ねてくる。どうしよう・・・。下手なこと言えないぞ・・・。もし適当なこと言ったら、彼女も原先輩も傷つけることになってしまうかもしれないんだよなあ・・・。どうする俺!? なけなしの恋愛知識や俺の偏見に満ちた恋愛観から絞り出した答えがこれだった。 「一回、原先輩と直接向かい合って話せばいいと思うよ。嘘偽りなく本音トークをすれば、米沢の誤解ならそれを解くこともできるじゃん。何も原先輩が浮気してると決まったわけじゃないんだろ?それならば、本音トークをするべきだ。」 ・・・なんとも無難な、悪く言えば責任丸投げの発言。要は、この話に関しては2人の問題だから俺を巻き込まないでくれ!と言ってるようなものだ。けど、俺にはそれでいい。原先輩は仮にも野球部のキャプテンだ。ここで「別れるべきだよ。」って言って、本当に2人が別れて、その原因が俺だとばれたら報復行動を起こすかもしれない・・・。そうなれば非力な俺は十中八九負ける。・・・面倒事はごめんだ。 57 :ふたり ◆Unk9Ig/2Aw:2012/11/04(日) 21 22 28 ID 2.2JYbKA 「ねえ、池上。あんたはそれで・・・いいの?」 と米沢は顔を下に向け、髪をしきりにいじりながら聞く。 ・・・はて?この質問の意図は何だろう?別に米沢が原先輩の浮気について本当かどうか話し合うことによって俺に不都合が生じるわけじゃない。いや、むしろ其れによって米沢が原先輩と仲直りしたら、それはそれで俺は祝福すべきことだし、友人が元気を出してくれたら俺としては嬉しい。 ・・・ほら、何にもおかしくない。何を言ってるんだろう、米沢ってやつは。 「いいに決まってるじゃないか。今からでも遅くないさ。原先輩だって、本当に浮気をしているんなら罪悪感を少しは持っているはずだよ。もし持っていなかったら別れればいい。とにかく、米沢の幸せは(友人である)俺にとっては嬉しいことだよ。」 彼女は驚いたような顔で俺を見ている。顔真っ赤だよ。 ・・・なんか、いつもの爽やかなボーイッシュ美少女の彼女を見すぎているせいか、米沢が女の子らしい顔をするとそのギャップが俺の心をピンポイントについてくる。要は可愛い。原先輩も、こんなに可愛い彼女がいるのに浮気をするとは贅沢な人だなあ。 そんなことを思っていると、何か恐ろしいノイズが耳に入ってくる。恐る恐る彼女のほうを見ると、彼女は俯いたまま、やはり呪詛のような独り言をつぶやいている。 ・・・ああ、なんでそうなるんだ?俺は単に原先輩と米沢の恋愛事情にアドバイスを入れただけだぞ。決して邪魔したわけでもない。なのに、何故彼女は怒りをにじませ、呪詛のような独り言をつぶやくのだろうか。 だんだんと恐ろしくなってきた俺はさっさと帰ることにした。 「ごめん。何か俺が立ち入っちゃいけない領域に入ったから、怒ってるのかな?ごめん。ここの代金払っとくから。俺先帰るよ。」 彼女は何も言わなかった。ただ下を向き、放心しているような錯覚を受ける。 俺も何も言うまい。あとは原先輩と彼女の問題。俺は臆面もなく立ち入っちゃいけないのだ。所詮俺は部外者。さっさと帰ろう。ただ、彼女には幸せになってほしい。それだけは俺の嘘偽りのない気持ちである。
https://w.atwiki.jp/i_am_a_yandere/pages/1999.html
253 :ラ・フェ・アンサングランテ 【第十話】 ◆AJg91T1vXs :2010/12/20(月) 00 57 10 ID dWxH0GEx 街を吹き抜ける風が、宿場の窓を叩いていた。 霙はいつしか雨に変わり、夜の世界を容赦なく冷やして行く。 三階に与えられた自分の部屋で、ジャンはその日、一日の間にあったことを再び思い出していた。 光のない、淀んだ瞳を携えて、人が変わったように血を求めてきたルネ。 そして、先ほどの浴室で、こちらを誘うようにして近づいてきたリディ。 自分の周りで、何かが狂い出している。 それが何なのかはわからないが、ジャンにはそうとしか思えない。 ルネも、リディも、その行いは悪戯と言うにしてはあまりに酷い。 なにより、彼女達が自分に悪戯を仕掛けて来る理由がない。 いったい、あれは何だったのか。 考えても答えなど出るはずもない。 医者として、人の身体のことはわかっても、心の中まで覗く術など持ち合わせてはいなかった。 煌々と輝くランプの火を前に、時間だけが無情に過ぎてゆく。 窓を叩く風の音も、街を濡らす雨の音も、今のジャンの耳には届かない。 どれくらい呆けていたのだろうか。 気がつくと、既に時刻は丙夜の刻に入ろうとしていた。 外からは相変わらず雨音が響いて来ていたが、風は幾分か落ち着いたようだった。 (これ以上、考えていても仕方ないか……。 でも……明日、伯爵の家に行った時、僕はルネにどんな顔をすればいい……?) リディのことも気になるが、やはり気がかりなのはルネのことだった。 彼女は拒絶を恐れている。 それは、クロードから聞かされた話からも、ジャンは十分に理解しているつもりだった。 が、しかし、自分は今日のルネを見て、思わずその場から逃げ出してしまった。 薄暗がりの中、瞳に仄暗い闇を宿し、血を求めてこちらに迫って来る少女。 あんな姿を見せられたら、普通は怯えて当然だ。 そう、頭では納得しようとしていたが、それでもジャンにはどこか割り切れない部分もあった。 ルネに何があったのかは知らないが、彼女を拒絶したことには変わらない。 それは、彼女が最も恐れる行為。 彼女に対する裏切りであり、彼女の心に傷を残す行いに他ならない。 結局、自分がルネの話し相手になったのは、ただの偽善だったということだろうか。 自分ではルネを理解しようとしていたつもりでも、本質的な部分で、彼女に偏見の眼差し抱いていたのではあるまいか。 医者として、否、人として取り返しのつかないことをしてしまった。 そんな自責の念だけが、今のジャンを支配していた。 全ては明日、ルネに会えばわかること。 そうしなければ何も始まらず、また変わらないと知りながらも、自分の過ちが悔まれて眠れそうにない。 254 :ラ・フェ・アンサングランテ 【第十話】 ◆AJg91T1vXs :2010/12/20(月) 00 57 52 ID dWxH0GEx (どうすればいい……。 僕は……どうすれば……) いっそのこと、逃げるようにしてこの街を去ってしまおうか。 元より長居は無用と考えていたのだ。 自分にとっても居心地の悪いこの街を去るには、これは絶好の機会ではないか。 時折、そんな逃げの気持ちが頭をよぎったが、それでも決断には至らなかった。 ここで逃げても何もならない。 自分の責任を放り出して逃げ出すことは、父の繰り返して来た愚行にも等しい。 あの、忌むべき父親と同じ道に堕ちることだけは、どうしても避けねばならないという気持ちがある。 逃げるか、それとも留まるか。 堂々巡りの考えに頭を支配されたまま、時間は更に過ぎて行った。 さすがにこのままでは、明日の仕事に支障をきたしかねない。 そう思い、ジャンが寝床に就こうとした時だった。 部屋の扉が、軋んだ音を立てて開いた。 ジャンが振り返ると、そこに立っていたのは見覚えのある人影。 片手にランプを持って佇む、寝巻姿のリディだった。 「ジャン……。 まだ、起きてたんだ……」 「えっ……!? ああ……ちょっと、考え事をしていてね」 先刻の浴室でのことが思い出され、ジャンは思わず適当に言葉を濁す様な言い方をした。 「考え事、か……。 誰のことを考えていたの? 今の患者さん?」 「まあ、そんなところだね。 でも、リディが気にすることはないよ。 これは、僕自身の問題だから……」 言えるはずもなかった。 ルネの身体のこと、その行いのこと、どれをとっても普通の人間には受け入れ難いものがあるだろう。 それに、下手にルネのことを話して、彼女が誰かから好奇と偏見の眼差しを向けられるのも嫌だった。 例え、それが幼馴染であるリディのものだったとしてもだ。 「ねえ、ジャン……」 ランプを台の上に置き、リディがそっとジャンの側に立つ。 いつもとは違う、どこか憂いを帯びたような口調だったためか、ジャンは思わず身構えた。 「実は、少し気分が悪いの。 私のこと、ちょっと診てくれないかな?」 255 :ラ・フェ・アンサングランテ 【第十話】 ◆AJg91T1vXs :2010/12/20(月) 00 58 27 ID dWxH0GEx 「気分が悪いって……大丈夫なのかい?」 「うん。 なんか、熱っぽくってさ。 最近は寒かったし、風邪でもひいたのかも……」 「そうだな。 じゃあ、ちょっと診てみるから、額を出して」 椅子から立ち上がり、ジャンはリディの額に手を当てる。 冷え切った自分の手に比べれば暖かかったが、さして高い熱が出ているとは思えない。 むしろ、至って普通なくらいの平熱だ。 「熱がある……ってわりには、そんなに熱くないね」 訝しげな顔をしつつも、ジャンはリディの額にかざした手をそっと退けた。 これで、頭痛がするなどと言い出すようであれば、薬を与えて部屋に帰せばよい。 真偽の程は定かではないが、とりあえずリディに熱はないのだ。 「たぶん、単に疲れているだけだと思うよ。 頭とか……どこか痛むって言うなら、薬を出しておくけど?」 「本当に? でも……もっと、ちゃんと診ないと、わからないんじゃない?」 医者として適切な判断を下したつもりだったが、リディは納得していないようだった。 あからさまに不満そうな表情を浮かべると、ジャンの頭に自分の手を伸ばして来た。 「冷えた手で触っても、きっとわからないでしょ? だから……ジャンのここで診て……」 そう言いながら、リディは自分の額をジャンの額に押し付ける。 口と口が触れそうになるほどに、二人の顔が近づいた。 それは身体も同じことで、ジャンは自分の胸に、リディの胸元にある柔らかいものが当たっているのを感じていた。 「ちょっ……リディ!?」 「動かないで、ジャン……。 私……熱っぽいでしょ? こうやって近づけば、ジャンだってちゃんとわかるよね?」 リディの口から漏れる息が、言葉と共にジャンの口元にかかる。 寝巻の下には何も着けていないのか、押し付けられる二つの膨らみが妙に生々しい。 甘酸っぱい息と胸に当たる確かな感触に絆されて、ジャンは一瞬だけ自分の理性が揺らぎそうになった。 が、すぐに屋敷で見たルネの顔が頭に浮かび、済んでのところで意識を戻す。 暗闇の中で光る、赤銅色の二つの瞳。 血に飢えた獣のようなルネの姿と、目の前で自分に顔を近づけるリディの姿。 二つはまったく異なるものだったが、今のジャンには、それらの姿が重なって見えた。 256 :ラ・フェ・アンサングランテ 【第十話】 ◆AJg91T1vXs :2010/12/20(月) 00 59 06 ID dWxH0GEx 「何やってるんだよ、リディ!!」 自分の中に湧いてきた邪な気持ちを振り切るように、ジャンはリディの身体を引き剥がす。 その言葉に、ただ茫然と立ち尽くすリディ。 そんな彼女の姿を前に、ジャンは半ば呆れたような口調で言葉を続けた。 「いいかげんにしてくれないか……。 君、熱なんてないんだろう。 だったら、どうしてこんなことをするんだよ……」 「どうしてって……それは……」 「風呂場でのこともそうだけど……今日のことは、悪戯にしては性質が悪過ぎるよ。 毎日忙しくて、リディと話ができないのはわかっているけど……こんな時間に、こんなことしなくてもいいだろう!?」 「そんな……悪戯だなんて……。 私、そんなつもりじゃ……」 「だったら……悪いけど今は、ちょっと席を外してくれないかな? 正直、冗談を言って笑っていられるような気分じゃないんだ……」 「なら、私に相談してよ!! 私、ジャンのためなら何でもするよ!! こんな私じゃ頼りないかもしれないけど、ジャンの話だったら、どんな話でも最後まで全部聞くよ!!」 「そういうことじゃないんだよ……。 今は、ちょっと一人で考えていたんだ……」 懸命にジャンに縋るリディだったが、ジャンの表情は優れなかった。 ここでリディに話をしたところで、何も解決しないことはわかっている。 自分がリディの好意に甘えたところで、ルネを傷つけた罪が許されるわけでもない。 ベッドの傍らで立ちつくすリディを他所に、ジャンは再び机の前にある椅子に腰かけた。 そのままリディに背を向けて、両手を額の前で組んで考える。 リディが後ろで何かを言っているようだったが、ジャンはそれに答えなかった。 部屋を覆う静寂の中、外の雨音と風の音だけが聞こえて来る。 何も言ってくれなくなったジャンの背中を見つめたまま、リディはそっと近くにあったランプを取った。 「それじゃあ……私、もう行くね。 ジャンも、あまり遅くまで起きていると、身体に悪いよ……」 やはり、返事はない。 自分がジャンの気持ちを害してしまったことを悔いつつも、リディはそれ以上は何も言わず、そっと逃げるようにして部屋を出た。 257 :ラ・フェ・アンサングランテ 【第十話】 ◆AJg91T1vXs :2010/12/20(月) 00 59 38 ID dWxH0GEx 誰もいない廊下を渡り、すぐ隣の部屋の扉を開ける。 入口近くの台の上にランプを置くと、そのまま鍵も閉めず、ベッドの上で丸くなった。 夕方、浴室でジャンに近づいたのは、彼を癒してあげたいと思ったからだ。 先ほど、ジャンの部屋を訪れたのは、もっと自分のことを女として見て欲しいと思ったからだ。 だが、そんなリディの気持ちに気づくこともなく、ジャンはその全てを悪戯の一言で片づけてしまった。 リディにしてみれば、精一杯の自己表現。 そんな彼女の行いでさえ、ジャンに気持ちを伝えるには至らない。 相手はすぐ隣の部屋にいるというのに、まるで遙か遠い異国の地に行ってしまったような気がしてならなかった。 体は側にあっても、心は遠く離れている。 十年前、ジャンがリディに何も告げずに街を去った時から、二人の心の距離は縮まっていない。 (ジャン……。 どうして、気づいてくれないの……?) この時期の寒さには慣れているはずだったのに、身体の震えが止まらなかった。 外の雨と風は未だ街を冷やしていたが、リディが寒さを感じているのは、それだけが原因ではない。 (寒い……寒いよ、ジャン……) 本当は、今すぐにでもジャンの部屋に戻りたい。 戻って、この気持ちを伝えて、抱きしめて欲しい。 彼の腕で、胸で、冷えた心を暖めてもらいたい。 だが、先ほどのジャンの様子を思い出すと、とてもではないができそうになかった。 ジャンを求める気持ちよりも、拒絶を恐れる心の方が大きかった。 (ジャン……暖めてよ……。 昔みたいに……私のこと、守ってよ……) 近いのに遠い。 手を伸ばせば届きそうなのに、届かない。 しかし、無理に近づけば、それは更に溝を深める結果となる。 拒絶の恐怖ともどかしさ。 その二つに身を焦がされて、リディはひたすら暗闇の中で震えていた。 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ 258 :ラ・フェ・アンサングランテ 【第十話】 ◆AJg91T1vXs :2010/12/20(月) 01 00 12 ID dWxH0GEx 翌朝は、久しぶりに太陽が顔を覗かせていた。 朝の陽ざしを額に受けて、ジャンは眠たい目を擦りながら起き上がる。 机の上に置いてある眼鏡をかけると、ぼんやりとした視界が急にはっきりした。 それと同時に、昨晩の記憶がまざまざと脳裏に浮かび上がる。 昨日の晩、自分はリディに随分と厳しいことを言ってしまった。 一人になりたかったのは事実だが、よくよく考えてみれば、あれは八つ当たりに等しい行為だ。 髪を整え、服を着替え、ジャンは階下の食堂に向かって足を運ぶ。 その足取りは、いつもとは異なりどこか重たい。 昨晩のことがあるだけに、面と向かってリディと話ができるのかどうか不安だった。 階段を下り、食堂の戸を開けると、そこにはリディの姿があった。 どうやら一人で朝食の準備を進めているようで、テーブルの上にはハムとパン、それにチーズや卵などが並べられている。 「あっ、おはよう、ジャン」 「あ、ああ……」 食事を並べながら、リディはジャンにいつもの笑顔を向けてきた。 気まずい空気になるかと思っていただけに、これにはジャンも、いささか拍子抜けしたような顔になった。 相手がこちらを責めるならば、覚悟を決めて謝ることもできただろう。 ところが、リディはジャンを責めるようなことは一切せずに、いつもと何ら変わらない様子で接してくる。 こうなると、次に何を話して良いのか、返って気にしてしまうものである。 「えっと……昨日は、その……」 「昨日? ああ、夜、ジャンの部屋に行った時のことね」 「ああ、そうだよ。 あの時は、冷たいこと言ってごめん……。 なんだか、ちょっと気が立っててさ……」 「そんなこと言ったら、私だって、ジャンの気持ちを考えていなかったもんね。 だから、あれはお互い様。 それ以上は、何も言わないことにしましょう」 自分は何も気にしていない。 そんな口調で、リディはさらりと言ってのけた。 ジャンも、それ以上は追及する気にならず、二人の会話はそこで途切れた。 自分の座った席に朝食が並べられてゆく様を眺めながら、ジャンは再び考える。 リディのことは、今はよい。 それよりも、今日の伯爵邸への往診が、果たして平穏に済むのかどうかが気がかりだ。 昨日、血を求めて迫るルネの姿に恐れをなし、馬車にも乗らず逃げ帰った自分。 そんな自分を、果たしてルネは許してくれるだろうか。 信じていた者に裏切られたという事実が、彼女の心を再び閉ざすことになってはいまいか。 考えれば考えるほど、ジャンの中から食欲が消えていった。 周りでは、既に他の宿泊客も席に着き、それぞれがパンやチーズに手を伸ばしている。 が、そんな光景を目にしても、パンを握るジャンの手が進むことはない。 「どうしたの、ジャン? もしかして……食欲ないとか?」 259 :ラ・フェ・アンサングランテ 【第十話】 ◆AJg91T1vXs :2010/12/20(月) 01 01 05 ID dWxH0GEx 気がつくと、いつの間にかリディがジャンの後ろに回っていた。 他の客の目も気にせずに、こちらを心配そうに見下ろしている。 「いや、大丈夫だよ。 昨日、寝るのが遅かったから、ちょっと寝不足でね。 往診に行く時間まで仮眠をとれば、すぐに気分も良くなるさ」 寝不足なのは事実だったが、食欲不振の原因は他にある。 だが、それをリディに語ることはせず、ジャンは適当に理由をつけてごまかした。 食べかけのパンを牛乳で流し込み、手早く皿を重ねて立ち上がる。 「悪いけど、クロードさんが来たら知らせてくれるかな。 僕は昼まで部屋にいるつもりだから……よろしく頼むよ」 食事の終わった食器をリディに預け、ジャンはさっと立ち上がって部屋を出た。 他の宿泊客もいる手前、重たい空気を食堂に持ち込みたいとは思わなかった。 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ 宿場の前で馬の蹄が止まった音で、ジャンは自分が往診に出かける時間だと知った。 昨日、あのまま逃げ帰ってしまった手前、クロードに顔を合わせるのも気が重い。 しかし、患者を放置したまま約束を破るわけにもいかず、ジャンは仕方なしに宿場の外へと出た。 「お待ちしておりました……」 普段と変わらない無機的な空気を纏い、クロードがジャンに一礼する。 感情を表に出さないのを常としているだけに、向こうが何を思っているのかはわからない。 「ああ……。 それじゃあ、行こうか……」 昨日の一件を、クロードは知らないのだろうか。 ふと、そんな考えが頭をよぎったが、決めつけるには早過ぎると思った。 それに、昨日のことは遅かれ早かれ、ルネの口から他の者に告げられるだろう。 自分の不実はわかっていたが、それを知ったテオドール伯やクロードの顔を思い浮かべると、ジャンはどうしても気分が沈んだ。 丘の上の屋敷向かう途中、クロードは始終黙ったままである。 いつもであれば、そんな冷めた態度も気にならなくはなっていたが、今日は一段と馬車の中の空気が重たく感じられた。 相手が感情を押し殺しているだけに、その奥に怒りや悲しみを抱えているのではないかと思うと辛いものがある。 「着きましたよ、ジャン様……」 程なくして丘の上の屋敷に到着し、ジャンは促されるままに馬車を降りた。 冷たい印象を与えるのはいつものことだと思いつつも、クロードの言葉の一つ一つが気になって仕方がない。 260 :ラ・フェ・アンサングランテ 【第十話】 ◆AJg91T1vXs :2010/12/20(月) 01 01 46 ID dWxH0GEx 「どうぞ、こちらへ……」 馬車を降りてからも、重たい空気は変わらなかった。 顔には出していないものの、クロードの背中から発せられているものだけは、ジャンにも理解できる。 やはり、クロードは昨日の件を知っているのだ。 自分が信頼した相手に裏切られた怒りと悲しみ。 それを、この男――ここではあえて、男と呼ばせてもらうが――もまた、心の奥で感じているのだろう。 屋敷の中を、ジャンはクロードに言われるがままにして歩いてゆく。 伯爵のいる部屋とは違う方向だったが、あえて何も言わなかった。 長い廊下を歩き、クロードがその先にある部屋の扉を開ける。 伯爵やルネの部屋ではなかったが、ジャンもその部屋には見覚えがあった。 忘れもしない、クロードがジャンに伯爵とルネの関係を語った部屋だ。 己の身体の秘密を明かしてまで伯爵とルネに対する忠義心の深さを語り、ジャンにルネの話し相手になるよう頼んだ場所である。 「どうぞお掛け下さい、ジャン様」 部屋に入るなり、クロードはジャンに椅子に座るよう促した。 立ち話もなんだということなのだろうが、クロードは椅子に腰を下ろすことなく立ちつくしたままだった。 「この部屋でお話をするのは二度目になりますね」 「あ、ああ……」 「何を緊張なさっているのですか? 別に、私はまだ何も言っていませんよ?」 氷のように冷たい視線が、ジャンの顔に向けられた。 その青い目で見据えられると、心臓を貫かれるような気がして落ち着かない。 「では、単刀直入に申し上げさせていただきましょう」 座ったまま固まっているジャンを気遣うこともなく、クロードは唐突に話を始めた。 「昨日、ジャン様は、お嬢様の部屋に戻られましたね? そこで、何を見たのですか……?」 「な、何って……それは……」 「正直にお答えください。 返答次第では、私の手でジャン様に、しかるべき措置を取らせていただかねばなりませんので……」 「し、しかるべき措置って……。 それ、本気かい?」 思わず耳を疑ったジャンだったが、クロードは至って冷静だった。 普段の彼の様子からして、冗談を言うような人間でないことはジャンも知っている。 ならば、ここで下手に嘘をつけば、それこそ自分の身が危ない。 伯爵やルネに対する忠義心の塊のようなクロードのことだ。 場合によってはジャンを抹殺することでさえ、何の躊躇いもなく行うだろう。 261 :ラ・フェ・アンサングランテ 【第十話】 ◆AJg91T1vXs :2010/12/20(月) 01 02 12 ID dWxH0GEx 「わかったよ……正直に話す」 もう、隠すのは無理だとジャンは悟った。 クロードは事実を全て知った上で、こちらを試しにかかっている。 ここで隠し事をするような素振りを見せれば、それはジャン自身の業を重たくするだけである。 「昨日、ルネの部屋に忘れ物の時計を取りに行った時、彼女が僕に言ったんだ。 喉が渇いた、癒して欲しい……そして、僕の血が欲しいってね……」 「なるほど。 やはり、そうでしたか……」 クロードの目が、一瞬だけ憂いを帯びた色になった。 知られてはいけないことを知られてしまった。 そんな時に見せる顔だった。 「あの時は、正直、僕も気が動転していたんだと思う……。 ただ、ルネのことが恐ろしく思えて、無我夢中で逃げだしたよ。 それが……彼女を傷つけることだと知っていても……自分が抑えきれなかった」 ジャンも、俯きながらそう言った。 ルネの行動に疑問こそ残ったが、自分が彼女を傷つけたであろうことは、紛れもない事実である。 「あの……クロードさん」 「なんでしょうか、ジャン様」 「ルネは……彼女は、どうして僕の血なんか欲しがったんだ? あの時の彼女の瞳は、まるでいつもと様子が違っていた。 あなたは何か、僕にまだ隠していることがあるんじゃないですか?」 遠慮がちに、それでも何とか勇気を振り絞って、ジャンはクロードに尋ねた。 ルネに謝りたい。 それは、紛うことなきジャンの本心である。 だが、同時に、ルネについての真実を教えて欲しいという気持ちもあった。 あんなものを見せられては、これから先も今まで通りに向き合える自信がない。 例え謝罪を済ませたとしても、どこか納得のいかないまま、今まで以上にぎくしゃくした関係が続くことになるだろう。 「ジャン様……。 あなたがそう望まれるのであれば、私からも真実をお話しましょう」 クロードが、その表情をいつものそれに戻しながらジャンに言った。 262 :ラ・フェ・アンサングランテ 【第十話】 ◆AJg91T1vXs :2010/12/20(月) 01 02 55 ID dWxH0GEx 「ただし、それには条件があります。 一つ目は、心の底から昨晩の非礼をお嬢様に詫びること。 二つ目は、今から話すことは、全てジャン様の心の中に留めておかれること。 これらをお守りいただけるのであれば、お話しいたしましょう」 「わかった……。 ルネにはきちんと謝るし、ここで聞いたことは誰にも言わない。 それで良いんだろう……?」 「賢明なご判断です……」 クロードが、ジャンの言葉に納得したようにして言った。 ジャンもそれに、無言で頷いて返す。 今から語られることは、きっと自分の想像を越えた話だろう。 それこそ、クロードの身体のことなど比べ物にならないほどの内容に違いない。 先入観は禁物であると知りながらも、ジャンの手には自然と力が入っていた。 「では、語らせていただきましょう。 お嬢様と私しか知らない……呪われた血の宿命のお話を……」 それからクロードは、ジャンの前でルネの身体の秘密について話し出した。 顔は普段のままだったが、その口調だけは、先ほどの憂いを帯びたようなそれに戻っている。 ジャンがまず驚いたのは、クロードの口から語られたルネの年齢だった。 見たところ、彼女は十四歳か十五歳程度だろうと思っていたが、クロードの話によるとルネは十八歳とのことだった。 彼女がテオドール伯の養女になるきっかけとなった落石事故。 それから生還して以来、ルネは身体の成長が止まってしまったらしい。 見た目は少女の姿のままに、既に四年も生きている。 伯爵の養女になってから、彼女はまったく成長する兆しを見せなかったというのだから驚きだ。 奇妙なことは、そればかりではない。 その体質故に、ルネは確かに日光に弱かった。 しかし、事故の前と後では、その耐性に大きな差が生まれたという。 ルネの口から語られた話によると、事故から生還して以来、強過ぎる日光に当たると飛火や瘡蓋ができるようになったそうだ。 酷い時には火傷のような傷を負い、慌てて木陰に逃げ込んだこともあるらしい。 飛火や瘡蓋の話はジャンもクロードから聞いていたが、火傷をするという話までは聞いていなかった。 また、その一方で、彼女の体質には他人とは異なる優れた面もあった。 以前、何かの拍子で指を切る怪我をしたとき、ルネの血は瞬く間に乾いて傷口を塞いだというのである。 薄い傷跡こそ残ったものの、出血は極めて最小限で済んだ。 再生という程の大袈裟なものではないが、怪我に対する自然治癒力だけは、優れた力を持っているようだった。 そして極めつけは、やはり彼女の嗜好である。 昨晩、ジャンの前で見せた、他人の血を欲するというあれだ。 普段は表に出ることはないものの、ルネは定期的に襲ってくる衝動に苦しめられているとのことだった。 焼けるような喉の渇きに襲われて、ひたすらに生きた人間の血を求める。 酷い時には自分で自分を抑えきれなくなり、そのままクロードに襲いかかったこともあるらしい。 今までは衝動も月に二回程度だったが、ここ最近では、クロードの身体が限界に近くなるほどまでに血を欲してくるようになったとのことだった。 263 :ラ・フェ・アンサングランテ 【第十話】 ◆AJg91T1vXs :2010/12/20(月) 01 03 38 ID dWxH0GEx 「以上が、お嬢様の抱えておられる秘密です。 これで納得いただけましたでしょうか、ジャン様?」 最後まで淡々とした口調で、クロードはジャンに問うた。 その言葉に、やはりジャンは無言のまま頷いて返事をする。 あまりに想像を絶する内容で、言葉を口にすることさえも躊躇われた。 「このことは、御主人様もご存じではないのです。 血を求めるお嬢様に私自身の血を与え続けることで、今までは秘密を漏らすことなく過ごすことができました。 もっとも、いつかこういった日が来るであろうことは、私も予想はしていましたが……」 「そうだったのか……。 でも、どうしてあなたは、このことをテオドール伯に伝えないんですか? あの伯爵なら、ルネの秘密のことだって……」 「ジャン様の仰りたいことは、私にもわかります」 ジャンが言葉を言い終わる前に、クロードがそれを遮った。 「しかし、さすがにこの秘密だけは、御主人様にもお話するわけには参りません。 秘密を知ったことで、御主人様が苦しまれるだけであれば……いっそのこと、何も知らないままの方が良いこともあるのです」 「そんな……。 それじゃあルネは……今までずっと一人で、自分の中に闇を抱えていたってことなのか!?」 「一人ではありません、二人です。 私も、お嬢様の秘密を知る者の一人ですからね。 もっとも、他人と容易に共有できない秘密を抱えているという点では、一人でも二人でも、あまり変わらないことですが……」 その顔からはわからなかったが、ジャンはクロードの言葉から、確かに悲しみのようなものを感じ取っていた。 身内にさえも語れない秘密を抱え、偽りの自分を演じ続けるしかない生活。 純粋な心を持って生まれたが故に、その苦しみはジャンの考える何倍にも大きかったに違いない。 「ジャン様……。 お嬢様は、世間では魔物として忌み嫌われる存在なのです。 永久に歳をとらず、太陽の光を恐れ、その一方で、傷を負ってもすぐに傷口が塞がってしまう。 己の内から湧き上る衝動に身を任せ、他人の生き血を啜ることでしか、その身体を襲う渇きを癒すことができない者。 このような存在を、一度は耳にしたことはありませんか?」 「そ、それは……」 「私も、魔女や悪魔の存在を完全に信じているわけではありません。 しかし、世間一般の者からすれば、お嬢様は間違いなく魔物ということになるのでしょう。 世俗では、そのような者を……こと、吸血鬼と呼ぶようですね」 「馬鹿な!!」 そこまで聞いた時、ジャンは思わず声を上げて立ち上がった。 確かに、クロードの話を聞く限りでは、ルネは吸血鬼と言っていいのかもしれない。 だが、だからと言って、彼女が魔物として忌み嫌われなければならない理由はない。 ルネが他人の血を求める行為。 あの場から逃げ出した自分で言うのも憚られるが、そこに悪意はない。 少なくとも、クロードの話を聞く限りでは、彼女は自分の行いに心を痛めているようだった。 それなのに、世間一般の者から見れば、彼女は間違いなく魔物となる。 その容姿も行動も全てが異質な存在とされ、排斥される運命にあるのだ。 264 :ラ・フェ・アンサングランテ 【第十話】 ◆AJg91T1vXs :2010/12/20(月) 01 04 10 ID dWxH0GEx 自分がルネにしてしまったこと。 ジャンの中でそのことが、今さらながらにして大きく悔やまれた。 ルネは己の衝動を抑えようとし、苦しんでいたというのに、自分はなんということをしてしまったのか。 謝罪の言葉を述べるだけでは済まされない。 そんな自責の念が、ジャンの心を締めつけた。 「話はわかりました、クロードさん……」 高ぶる気持ちを鎮めながら、ジャンは真剣な表情でクロードを見る。 「昨日、ルネから逃げ出したことは……謝っても許されることではありません。 それは、僕も十分に承知しています」 ジャンの言葉に、クロードは何も答えない。 ただ、その話が終わるのを静かに待っているだけだ。 「だけど……だからこそ、僕はルネに贖罪をしなければならないと思うんです。 もう、彼女が自分のことで苦しまなくて済むように……彼女が普通の女の子として暮らせるように……。 そうすることが……医者としてしなければならない、僕の使命だ」 「ジャン様……」 「彼女が吸血鬼だなんて……そんな馬鹿げた話、僕は信じない。 だから、僕は彼女を治す。 例え、その姿が人とは違うもののままでも……せめて、血を求める衝動からだけでも解放してあげたいんだ」 自分でも、言っていることが信じられなかった。 あれほど街から離れたいと思い、それ故に、他人と深く関わることを避けてきた自分。 それにも関わらず、気がつけばルネのため、自らこの土地に残る選択をしている。 だが、不思議と嫌な気はしなかった。 これがルネにとっての救いになるのであれば、そして、自分にとっての贖罪になるのであれば、受け入れてしまおうとさえ思えていた。 自分にとって、ルネはいったい何なのか。 それはジャン自身にも、まだわかってはいない。 ただ、彼女のことを放っておけない自分がいるのは事実であり、医者として彼女の力になりたいと真剣に思っているのもまた本当だった。 原因不明の衝動に駆られ、他人の血を啜ることでしか渇きを癒せない症状。 そんな病気は聞いたこともないし、ジャン自身、治療の当てがあるわけでもない。 それでも、今ここでルネを救うことができるのは、自分以外にいないとジャンは感じていた。 部屋の中に、無言の静寂が訪れる。 ジャンも、クロードも、互いに見つめ合ったまま何も言わなかったが、それぞれの心の内にあった憂いは晴れていた。 もう、後戻りできないところまで来てしまった。 そう思ったジャンではあったが、今はルネのために何かをしたいという気持ちの方が強い。 だが、この時は、その選択が後の悲劇を生むきっかけになろうとは、クロードも、そしてジャン自身も気づいてはいなかった。
https://w.atwiki.jp/i_am_a_yandere/pages/2074.html
497 :名無しさん@ピンキー:2011/02/09(水) 23 37 04 ID lETl5Pn0 空が紅い。 私は目の前の彼の言葉を 信じられない気持ちで聞いていた。 今、彼は何と言った? 私のことを、好きだと、言わなかっただろうか? 彼は喫茶店でずっと黙っていた。 けれど滲み出る雰囲気は優しそうで、 見た目も格好良くて。 この人と付き合える人は幸せだな、 という卑下にも似た感情を私に抱かせた。 陳腐な言い方をすれば、一目惚れという奴だと思う。 そんな彼が私を好き? 不意に、私はもう一度空を見た。 変わらず空は紅かった。 それは次第に滲んで行く。 水彩画の様でとても綺麗だと思った。 感じたことのない、いや、一度だけ感じたことがある。 昔一度だけ、お母さんが私に微笑みかけてくれた時。 胸が熱くなって、鼻がツンとなった。 そっか。これが、嬉しいってことなんだ。 「坂田くん、私、喜んでもいいですか?」 俺は焦っていた。 告白した相手が突然蹲って泣き始めたらあんただって焦るだろ? 挙句、「喜んでもいいんですか?」だって? どうリアクションしたらいいんだ!? これって俺に告白されたのが嬉しかったってこと? なら、返事はOKなのか? 疑問符ばかりだ。 「付き合って、くれるの?」 恐る恐る聞いてみる。 「坂田くんさえいいなら喜んで」 ニコッ。 うわぁ、ヤバい。 ただでさえ可愛いのに笑うともう。 俺は橘が彼女を笑わせていたときの嫉妬など忘れてときめいた。 彼女は笑顔でこちらに手を差し伸べた。 俺は無言でその手を掴んで彼女を立たせる。 「田上さ」 スッと口に人差し指を添えられた。 「名前で呼んでください」 ニッコリ。 ああ、ドキドキするなぁ、もう。 「あー、じゃ、えっと、彩」 「うん、誠」 彼女の頬が赤いのは夕焼けのせいだけではない、と信じたい。 俺は今、間違いなく幸せだった。 結局あの後、田上さんを家に送り届けるまでずっと手を繋ぎっぱなしだった。 女の子の手って、柔らかいんだな。 就寝前のベッドの中、俺は自分の右手を見て嬉しさに悶えた。 そして朝、今度はその行動の恥ずかしさに悶えた。 499 :煉獄第二話:2011/02/09(水) 23 38 26 ID lETl5Pn0 朝のHR後。 俺は教壇に立っていた。 「皆注目!!」 取り敢えず皆の注目を集める。 何事だろうとクラスメート達がこちらを見たのを 確認してから話し始める。 「私、坂田誠はつい昨日から、このクラス、 もとい学校のアイドル、田上彩さんと付き合っております!」 静寂。 皆俺の言ってることを理解できないらしい。 そしてざわめきが少しづつ大きくなり…… 「ええええええぇぇっっ!?!?!?」 爆発。 「何で、どうして、どうやって!?」 皆の驚きを俺は素晴らしい心地よさをもって受け止めた。 彩が赤い顔で俯いていたが、すまない、 俺は自慢したかったんだ。 「HAHAHA、まあ詳しいことはおいおい話そう」 そんなの待てないとばかりに彩のほうに殺到するクラスメート。 と、急に俺は殺気を感じて上体を反らせた。 ぶうん。 風を切る音がして、 俺の目の前を蹴りが掠めていく。 「付き合ってるってどういうことよ……」 瘴気を放っているこいつの名前は如月恋。 委員長であり、空手部部長であり、俺の幼馴染でもある。 髪はボーイッシュなショートで、 よく見れば可愛らしい顔立ちをしているのだが 如何せん強気な性格であまり男子にはもてない。 隠れファンは結構いるみたいだが…… 「いや、俺が誰と付き合おうと勝手だろ? 恋には関係ないじゃん、ただの幼馴染だし」 「その幼馴染に断りもなしに彼女を作るって言う行為が許せないの!」 んな無茶苦茶な…… 「じゃあお前は彼氏を作るとき俺に断るんだな?」 「作らないわよ」 ボソッ。 ん?聞き間違いだろうか? 今なんか言ったような…… 「とにかく!」 あたしはミトメナイカラネ。 そういった恋の顔は今まで見たことが無いくらい険しいもので。 俺は思わず気圧されてしまった。 気まずい空気になり、付き合った動機とかを彩に聞いていた クラスメート達もバツの悪そうな顔をして自分の席に戻っていった。 何であんな怒ってるんだあいつ……? ただの幼馴染だろうに。 俺はボンヤリと教室のドアを見つめていた。
https://w.atwiki.jp/i_am_a_yandere/pages/2004.html
名前:ラ・フェ・アンサングランテ 【第十一話】 ◆AJg91T1vXs [sage] 投稿日:2010/12/24(金) 00 47 51 ID g6UM6UEf [2/12] 薄暮の迫る時分、ジャンはいつもの如く馬車に揺られながら、自分の寝泊まりしている宿場へと戻ってきた。 街の空気は相変わらずで、冷たい風が路傍を吹き抜ける音がする。 この地方を包む冬の寒さはジャンも十分に理解していたが、街を覆う空気が嫌に冷たく感じるのは、季節のせいだけではないだろう。 この街は、自分の家族を追い出した街だ。 そこに留まることが決して望ましいことでないというのは、当然のことながらジャンにもわかっていた。 だが、ここで全てを投げ出して、ルネに何の贖罪の意思も示さないというのは気が引けた。 「つきましたよ、ジャン様。 しかし……今日は、本当に驚きましたよ。 まさかジャン様が、お嬢様の身体を治すなどと言われるとは……」 「別に、そう誉められたものじゃないよ。 医者として、病に苦しんでいる人を助けたいって言うのは本当だし……これは彼女を傷つけた事に対する、僕なりの贖罪だからね」 「贖罪、ですか……。 なるほど、確かにジャン様のお気持ちは分からないでもないですが……くれぐれも、無理だけはなさらないでください。 私が最も辛いと感じるのは、お嬢様の笑顔が見られなくなることです。 ジャン様に何かあれば、私は今度こそお嬢様に顔向けできませんので」 「ああ、気をつけるよ。 でも、クロードさんも無理はしないで。 ルネに求められて血を与え続ければ、今にあなたの身体だって持たなくなりますよ」 「ええ、それは承知しております。 ですが、私はお嬢様のために死ねるのであれば、それも本望と考えております。 全ては我が主であらせられるテオドール伯と……ルネお嬢様のためですから」 一点の曇りもない眼差しを向けながら、クロードはジャンにそう告げた。 その顔には珍しく、微かな笑みが浮かんでいる。 機械のように感情を見せないこの男――――何度も言うが、彼の心はあくまで男である――――が、こんな表情を見せたことに、ジャンは少し驚いた。 「それじゃあ、今日はここでお別れですね。 ルネにはクロードさんからも、よろしく伝えておいてください」 馬車を降り、自分を送り届けてくれたクロードに一礼すると、ジャンは軽い溜息をついて肩を下ろした。 吐き出された息は白い霧となって、その一部はジャンの眼鏡をうっすらと曇らせる。 レンズについた霞を指で払い、ジャンはそのまま宿場の裏手にと回って行った。 「ただいま……」 別に、自分の家でもないのに、そう挨拶して入るのが日課になっていた。 借り暮らしの身であることが、無意識の内にそうさせていたのだろうか。 遠慮がちに、足音を立てないように気をつけつつ、ジャンはそっと階段を上がって行った。 従業員用の通用口から大声を上げながら中に入るのも気が引けたし、何より、リディのことがある。 ジャンが帰って来たとなれば、仕事そっちのけで迎えに出て来る可能性があるのだからたまらない。 下手に宿が忙しい時分に帰宅すると、それだけで他の宿泊客の迷惑になっているような気がして頭が痛かった。 340 名前:ラ・フェ・アンサングランテ 【第十一話】 ◆AJg91T1vXs [sage] 投稿日:2010/12/24(金) 00 48 15 ID g6UM6UEf [3/12] 「あっ、ジャン! 帰ってたんだ!!」 噂をすれば、なんとやらだ。 ジャンが帰って来たことに気がついたのか、早速リディが姿を見せた。 片手にレードルを持っているところを見ると、夕食の準備の最中だったのだろうか。 だとしたら、何もそれを放ったままにして出迎えに来なくてもよいのに、とジャンは思う。 昨晩のことがあるだけに、ジャンは今のリディに対しても後ろめたさが残っていた。 今朝、朝食の際に「気にしなくてよい」と言われたが、どうにも納得のゆかない何かが心の中で燻っている。 幼い頃のリディは、確かにジャンに頼っているような節のある少女だった。 物静かで大人しく、家が貧しいことを周りから馬鹿にされても何の抵抗も示さない。 彼女をいじめっ子から助けるのは、いつもジャンの仕事だった。 だが、十年という歳月は、一人の少女を確実に大人に変えていた。 あの日、初めてこの街に帰って来た日にジャンが見たリディは、一人でも立派に宿場の経営をする自立した女性だった。 少なくとも、ジャンにはそう思えたのだ。 しかし、だとすれば、昨晩のあの行為はなんだったのか。 悪ふざけにしては程が過ぎるし、何よりジャンは、あんなリディの姿を見たことがない。 いったい、自分はどこまでリディのことを知っているのだろうか。 幼馴染であることで安心していたが、彼女もまた、ジャンの知らない全く別の顔を持っているということだろうか。 それとも、いつもジャンに見せている顔の方が偽りであり、本当のリディの性格は、心の奥底に隠されているとでも言うのだろうか。 居候に近い関係を続けながらも、相手の本心が見えない不安。 そのことが、ジャンのリディに対する態度を妙に固くさせていた。 今の彼女はジャンの知るリディなのか、違うのか。 それがわからないまでは、迂闊に話をすることも憚られる。 「なあ、リディ……」 何から話そうかと考えながら、ジャンは少し遠慮がちにしてリディに尋ねた。 対するリディは、いつもと代わり映えのない顔をしてジャンが次の言葉を言うのを待っている。 どうやら今のリディは、ジャンの知っている彼女らしい。 「前に、この街には長く留まらないって言ったけどさ……」 慎重に言葉を選びながら、ジャンはリディに向かって話を続けた。 気さくな女性になったはずの幼馴染に、なぜここまで気をつかわねばならないのかが、自分でもわからない。 「今日、伯爵の家で新しく仕事が入ってね。 当分、この土地に留まることになりそうだ」 「えっ!? そ、それって本当!?」 「ああ、本当だよ。 もしかすると、今年はこのままこの場所で、年を明けることになるかもしれない」 「そうなんだ……」 341 名前:ラ・フェ・アンサングランテ 【第十一話】 ◆AJg91T1vXs [sage] 投稿日:2010/12/24(金) 00 49 00 ID g6UM6UEf [4/12] 気持ちを押し殺しながらも、リディは嬉しそうな顔でジャンを見てきた。 そんな彼女の顔を見ると、次に告げる言葉を言うべきかどうか迷ってしまう。 「まあ、詳しくは言えないんだけど、新しく診なければならない患者が増えたからね。 往診の時間も今まで以上にかかるだろうから、帰りは遅くなることも多いと思うよ」 「帰りが遅いって……。 それ、どれくらいの時間なの?」 「たぶん、夜までかかると思う。 だから、これからは夕食も要らないよ。 僕はいつも通り裏口から入るから、悪いけど、そこの合鍵だけ貸してくれないかな?」 「う、うん……。 ジャンがそう言うなら、私は別に構わないけど……」 先ほどまで太陽のように明るかったリディの顔が、一瞬にして曇り空になった。 ここ最近、ジャンの世話をすることに、リディは妙な生甲斐を感じていたようである。 献身的と言えばそれまでだが、やはり自分がジャンのためにできることが減るのは、彼女としても不本意なのだろうか。 「まあ、そう言うわけで、今までよりもリディに迷惑をかけずに済みそうだよ。 基本、部屋には寝に帰るだけになるからね。 僕のことは気にしなくていいから、君は君で、自分の仕事に専念してよ」 「そっか……。 でも……そういうことなら、仕方ないよね……」 リディの視線がジャンから逸れ、少しだけ俯いたような姿勢になる。 予想していたことだけに、ジャンもそれ以上は何も言わない。 それに、この先も居候のような生活を続けさせてもらうのであれば、それこそリディの世話になり続けるのはよくないと思った。 願わくは、年明けにでも新しく自分が暮らす場所を見つけ、そこで一人暮らしでもした方がよいとさえ考えていた。 何も言わないリディの横を通り過ぎ、ジャンは三階へと続く階段を上る。 ぎし、ぎし、という木の軋む音に混ざって、階下の酒場から賑やかな話し声も聞こえてきた。 その後ろからリディが灰色に淀んだ瞳でジャンを見上げていたが、ジャンがそんな彼女の視線に気づくことはない。 人の声が遠ざかってゆくにつれ、徐々に自分の寝泊まりしている部屋が近づいてくる。 部屋の扉を開けると、少しばかり冷えた空気が外に漏れて足にかかった。 薄暗い部屋の中、ジャンは備え付けられたランプに灯りをともし、鞄を置いて椅子に腰かける。 先ほどのリディの様子も気になったが、今はそのことについて考えている余裕などなかった。 342 名前:ラ・フェ・アンサングランテ 【第十一話】 ◆AJg91T1vXs [sage] 投稿日:2010/12/24(金) 00 49 30 ID g6UM6UEf [5/12] ジャンの心の中にあるもの。 それは、他でもないルネのことだ。 クロードの手前、彼女の身体を治すと言ってしまったものの、その方法に見当がついているわけではない。 人の血を啜ることでしか渇きを癒せない、原因不明の奇怪な症状。 ジャンが旅先で診てきた患者はもとより、彼の持っている本からも、そんな症例はお目にかかったことはない。 悪いのは身体のどんな部位で、それを治すために何が必要なのかさえも、これから探ってゆかねばならないのだ。 (このままだと……下手をすれば数年は、この街にいることになるのかな……。 でも、僕は決めたんだ。 僕がルネのためにできることをするんだって……) 先の見えない不毛な戦いだということはわかっていた。 しかし、ルネの身体の治療法を見つけることでしか、ジャンには彼女に贖罪するための術が見つからなかった。 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ 翌日は、久しく晴々とした天気だった。 宿泊客が起きるよりも早く目を覚ましたジャンは、朝食を摂ることもせずに宿場を出た。 昨日、ルネの身体を治すと心に決めただけに、何か身体を動かしていないと不安だった。 宿場を離れ、ジャンは珍しく街の中央にある図書館へと足を運んだ。 いつもは買い物以外で街中を歩きたいと思わなかったが、今回ばかりは話が別だ。 ルネの症状は、ジャンの中にある知識でどうにかできるものではない。 大して役に立つ本があるとは思えないが、それでも僅かな望みに賭けてみたくなるのもまた、人間の性である。 この街に古くからある図書館の蔵書にならば、ルネの症状についてのヒントくらいは載っているかもしれない。 そんな微かな期待に賭けてのことだった。 朝は図書館で本を漁り、昼から伯爵の屋敷に往診に向かう。 伯爵の診察と薬の処方を終えた後、ルネの身体のことについて自分なりに調べてゆく。 そんな生活が、しばらく続いた。 朝が来て、夜が来て、また朝が来る。 時間だけが刻々と過ぎて行き、気がつけば十二月も半ばに差し掛かっていた。 「はぁ……。 やっぱり、僕一人の力でルネの身体を治すことなんて、無理だったのかなぁ……」 薄暗い地下の一室で、ジャンは溜息交じりにそう呟く。 ルネを助けると言ったことに後悔はなかったが、早くも焦燥感が現れてきたのは紛れもない事実だ。 今、ジャンのいる部屋は、テオドール伯の屋敷にある地下室だった。 もともとは物置小屋として使われていたような場所だが、ジャンの話を聞いた伯爵は、その部屋を彼に貸し出した。 ルネの病の正体を探るための、研究室に使ってくれというのだ。 343 名前:ラ・フェ・アンサングランテ 【第十一話】 ◆AJg91T1vXs [sage] 投稿日:2010/12/24(金) 00 49 57 ID g6UM6UEf [6/12] 四方を石で囲まれた地下の部屋は、日中でもランプがなければ辺りの様子がわからないほどに薄暗い。 陽の光に弱いルネにとっては好都合な場所なのだろうが、さすがにジャンも、こんな湿っぽい場所にルネを閉じ込めておこうとは思わない。 この部屋は、あくまで自分がルネの病を調べるための部屋である。 そんな風に割り切っていた。 だが、例え部屋を貸し出され、必要な道具まで一通り揃えてもらったとしても、それでルネの病の正体がわかるわけでもなかった。 図書館から借りてきた本は、この数日で全て読み漁った。 が、そこに書かれていた知識は、どれも今のジャンが欲していたようなものではなかった。 馬鹿馬鹿しいと思いつつも、ジャンは吸血鬼にまつわる話の書かれた本も借りてみた。 ルネのことを吸血鬼だとは思っていなかったが、もしかすると、伝説の中に何かのヒントが隠されているかもしれない。 そう願ってのことだった。 しかし、そんな彼の願いも虚しく、本に書かれていたのは下らない迷信のような話ばかり。 しかも、本によって記述が実にまちまちで、何が嘘で何が真実なのかさえもわからなくなりそうだった。 特にジャンが馬鹿らしいと思ったのは、吸血鬼の誕生に関する話のうちの一つだ。 ――――吸血鬼に血を吸われた者は、吸血鬼になる。 そんな下らない内容のことが、さも真実であるかのように書かれているから嫌になる。 そもそも、吸血鬼は人間にとって、数少ない捕食者であると言えるだろう。 しかし、捕食者が獲物を捕食した結果として新たな捕食者が誕生するとなると、これは実に困ったことになる。 食事の度に仲間が生まれるとなれば、当然のことながら、吸血鬼の数はねずみ算式に増えてゆく。 結果、瞬く間に捕食者の数が被捕食者の数を上回り、この世界のバランスが簡単に崩れることになるだろう。 本の記述が正しければ、今頃はこの世界の殆どの人間が吸血鬼になっていてもおかしくはないのだ。 それに、クロードの様子を見る限り、彼は――――その身体の特徴以外は、であるが――――至って普通の人間だった。 ルネのように血を求めることもないし、太陽の下も平気で歩ける。 クロードはルネの求めに応じて血を与えていたようだが、彼が吸血鬼になっているような様子はない。 やはり、これは病気なのだ。 そう信じて、ジャンはルネの身体を調べることにした。 344 名前:ラ・フェ・アンサングランテ 【第十一話】 ◆AJg91T1vXs [sage] 投稿日:2010/12/24(金) 00 50 27 ID g6UM6UEf [7/12] 定期的に血を求める衝動に襲われること。 怪我をしても瞬く間に血が固まって、傷の治りも他人よりも極めて早いこと。 何かにつけて血に関する事柄が目につくことから、ジャンはルネの抱える病の原因が、彼女自身の血にあるのではないかと考えていた。 彼女の血を摂り、それを調べること。 何から調べてよいのかも見当がつかなかったが、とりあえずはそこから始めたい。 そう思ったジャンだったが、研究は遅々として進まなかった。 採血が済み、地下室へと運ぶまでの短い間で、ルネの血液はいとも容易く凝固してしまう。 そうなった血は単なる巨大な瘡蓋の塊であり、何かを調べるには適さない。 結果、ルネを地下室に呼んで血を摂ることになったが、それでも状況は好転しなかった。 血が固まるまでに調べられることは限られていたし、ジャンの知識も不足していた。 固まった血を戻す方法なども考えたが、ルネの血は、ジャンの持っているどんな薬にも反応しない。 血液の巡りを良くするという東洋医学由来の薬も煎じてみたが、それを飲ませたところでルネの体質に何か変化が見られたわけでもなかった。 ルネの抱えている病の正体は、いったい何なのか。 その原因はどこにあり、何をどうすれば、彼女の体質を普通の人間と同じものにできるのか。 あまりにわからないことが多過ぎて、ジャンは独り地下室で頭を抱えた。 クロードの話では、ルネが血を求めるようになったのは、落石事故の後だったという。 彼女は生まれつき、今のように人の血を啜っていたわけではない。 だが、ルネの身体に現れた変化は、果たして本当に病なのだろうか。 もしかすると、彼女は本当に伝説の吸血鬼ではないのか。 そんな疑念がジャンの脳裏を掠めたとき、彼は地下室の扉が開く音を聞いて我に返った。 「失礼いたします……」 部屋に現れたのはクロードだった。 その手には、銀のトレーに乗せられた夕食がある。 夜遅くまでルネの病を治す方法を研究するジャンに、伯爵が出させたものだった。 「クロードさんか。 もう、夕食の時間になったんですね……」 「はい。 お食事は、いつもの場所に置かせていただきます」 「助かるよ。 でも……正直なところ、なんだか申し訳ないな。 あの日、あなたと約束をしてから一週間以上も経つのに、僕はまだ何も解決の糸口を見いだせていない……」 「そうですか。 しかし、そう簡単に事が上手く運ぶとは、私も思ってはおりません。 それよりも……私はむしろ、ジャン様のお身体の方が心配です。 お嬢様のために色々と調べていただけるのはありがたいですが、あまり無理をなさりませんよう……」 345 名前:ラ・フェ・アンサングランテ 【第十一話】 ◆AJg91T1vXs [sage] 投稿日:2010/12/24(金) 00 50 51 ID g6UM6UEf [8/12] 珍しく、クロードはジャンの身体のことを心配するような素振りを見せた。 感情を殆ど表に出さず、テオドール伯とルネのためだけに生きているような男の口から出た言葉としては意外である。 もっとも、そのことをジャンが問うたところで、クロードは「あなたの身に何かあれば、お嬢様が悲しみます」としか言わなかったが。 「ところで……」 机の上にある道具を片付けながら、ジャンはクロードに言った。 「あなたこそ、身体の方は大丈夫なんですか? いくらルネが求めてくるからと言って、彼女に血を与え過ぎれば、いずれはあなたの方が先に死にますよ」 「それは承知の上です。 しかし、仮にそうなったとしても、私は本望ですよ。 お嬢様のために死ねるのであれば、己の命など惜しくもありません」 一寸の迷いもない口調で、クロードはきっぱりと言い切った。 この男――――しつこいようだが、彼の心は正真正銘の男である――――にとっては、自分の命よりも伯爵やルネの喜ぶ顔の方が大切なのだろう。 そのためならば、己の命さえ簡単に投げ捨てる。 そんな彼の心を知ってか、ジャンもそれ以上は何も言わなかった。 静寂が、再び部屋を包む。 クロードが去り、地下室にはジャンが独り残された。 運ばれてきた食事を適度に片付いた机の上に置き、ジャンは本を片手にそれに手を伸ばす。 パンを口に運びながら読んでいるのは、古今東西に存在する血の病について書かれた本だ。 血の病と一口に言っても、その種類は実に様々である。 怪我をしてもなかなか出血が止まらないような病気もあれば、どこかにぶつけたわけでもないのに身体に紫斑が現れる病気もある。 また、脱水症状の結果、血が濃くなり過ぎて身体に変調をきたすような病気などもあった。 もっとも、それらの病のどれ一つとて、ルネの抱えている症状に合致するものがないのが悩みの種だったが。 薄暗い、ランプの灯りに照らされただけの地下室で、本のページをめくる音だけが響いている。 いつしかジャンは夕食を口にすることさえ忘れ、自分の手の中にある医学書を読み続けることに専念していた。 「ジャン……。 まだ、そちらにおられますか?」 突然、ジャンの後ろで声がした。 扉の開く音さえも聞こえなかったため、いささか驚いた顔をしてジャンは振り返る。 先ほど、夕食を置いていったクロードが再び現れたのかと思ったが、そこにいたのはルネだった。 346 名前:ラ・フェ・アンサングランテ 【第十一話】 ◆AJg91T1vXs [sage] 投稿日:2010/12/24(金) 00 51 17 ID g6UM6UEf [9/12] 「なんだ、ルネか。 どうしたんだい、こんなところに一人で」 「いえ……。 私は、ただ……ジャンのことが心配になっただけですわ。 こんな暗い部屋に毎日閉じ籠っていては、きっと身体にもよくありませんもの」 「確かにね。 でも、僕は決めたんだよ。 君の身体を治す方法を見つけるまでは、この屋敷で研究を続けようってね。 それが僕にできる、君に対しての贖罪さ……」 自嘲気味な笑みを浮かべてジャンは言ったが、ルネは笑わなかった。 彼女にとっては病を治すことなど二の次で、ジャンと一緒にいられることの方が嬉しかったのだ。 ジャンが再び自分のところへ戻って来てくれた。 自分の本当の姿に一度は恐れを成しながらも、それでも理解を示そうとしてくれた。 その事実だけで十分だった。 自分のためにジャンが苦しむ。 それは、ルネにとって最も望ましくないことである。 ジャンは贖罪と言っていたが、そんなものをルネは望んではいなかった。 今までのように、父の往診に来てくれたついでに、紅茶を飲みながら他愛もない話ができればそれでよかったのだ。 だが、そんなルネの気持ちを知ってか知らずか、ここ最近のジャンは地下室に籠りきりだった。 当然、ルネと会話をする機会も減り、彼は何かにとり憑かれたようにして研究に没頭している。 これでは例えジャンが毎日屋敷を訪れたとしても、ルネにとっては彼と引き離されているに等しい。 彼女の血を求める衝動は、ここ最近になって更に強まってきた。 ジャンと一緒にいられる時間が減ってゆくほど、ジャンに会えないと思う気持ちが強くなるほど、その衝動は更に高まった。 クロードはルネの衝動に合わせて血を与えてくれたが、それでは既に満足できなかった。 血の渇きは多少和らぐことはあっても、それ以外の渇きがまったく満たされない。 このままではいけないと思っているのに、吸血という行為に縋ることでしか感情を抑えられない自分が嫌だった。 「あの……」 遠慮がちに、それでも可能な限りの勇気を振り絞り、ルネはジャンに語りかける。 「なんだい。 もしかして……どこか、具合が悪いとか?」 「いいえ、そうではありません。 ただ、少しばかり、ジャンに私の我侭を聞いていただきたいと思いまして……」 「我侭? まあ、内容しだいでは聞いてあげられないこともないと思うけど……。 いったい、何をして欲しいんだい?」 「はい、実は……」 胸の中に大きく息を吸い込んで、ルネはジャンに自らの願いを告げた。 それは、普通の人間から見れば、取るに足らないものだったかもしれない。 だが、彼女のような身体を持つ者にとっては、それはあまりにも無謀かつ大胆な願いだった。 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ 347 名前:ラ・フェ・アンサングランテ 【第十一話】 ◆AJg91T1vXs [sage] 投稿日:2010/12/24(金) 00 51 44 ID g6UM6UEf [10/12] 夕暮れ時の厨房で、まな板を叩く音がする。 しかし、それは決して軽快なリズムではない。 コン、コンと、まるで途切れるような感覚で、まな板だけを叩く音が響いていた。 あの日、ジャンが街に残ると告げた時から、リディは家事に力が入らなくなっていた。 宿場の掃除や客のための夕食作りは辛うじてできるものの、いかんせん、自分自身のことに身が入らない。 今日も自分のための夕食を作ろうとしてみたものの、結局何もできずにまな板を叩いているだけだ。 今まで自分は、ジャンのことを考えて夕食を作っていた。 いや、夕食だけではない。 朝食も夕食も、ジャンが喜んでくれそうなメニューは何かを考えて、常にそれを作るよう心がけていた。 そんなジャンだったが、彼は彼女の前から姿を消した。 同じ街に住まい、未だ宿場の三階に居候をしているものの、最近の彼は寝に帰って来るだけだ。 朝食も夕食も外で済ませ、リディの作った物を口にする余裕はない。 その上、何やら思いつめているようで、リディのことなど眼中にはないといった様子だった。 ――――トン……トン……トン……トン……。 光を失った仄暗い瞳で、リディはまな板を叩き続ける。 ジャンは今、どこでなにをしているのか。 そればかりが頭をよぎり、まともに夕食のことを考えるだけの余裕がない。 考えても仕方のないことだとわかっていたが、それでも頭が勝手に考えてしまう。 そして、そんな彼女の気持ちを代弁するかのようにして、無常な包丁の音だけが部屋を支配する。 どれくらい、そうしていたのだろうか。 気がつくと、リディの後ろには一人の女性が立っていた。 厨房に入ってきた人の気配を感じ、包丁を握っていたリディの手が止まった。 振り向いて顔を確かめずとも、それが誰なのかはリディにもわかる。 宿場の一階を借りて、酒場を経営している男の妻だろう。 348 名前:ラ・フェ・アンサングランテ 【第十一話】 ◆AJg91T1vXs [sage] 投稿日:2010/12/24(金) 00 58 52 ID g6UM6UEf [11/12] 「まったく……。また、こんなところにいたんだね……」 半ば呆れたような顔をして、恰幅のよいその女性は言った。 腰に手を当て、ともすれば怒ったような視線をリディに向けて来る。 「リディちゃん……。 あんた、また夕食を食べてないんでしょ? お客さんのお世話で大変だってのは、私にもわかるけどさ。 こう何日も夕食を食べない日が続くと、さすがに身体に毒だと思うよ」 「すいません、おばさん……。 でも……なんだか、どうしても自分の分を作る気が起きなくて……」 「まったく、しょうがない娘だねぇ。 でも、そろそろ店も忙しくなってきたからね。 悪いけど、こっちも厨房を使わせてもらえないと困るんだよ」 「それでしたら、どうぞ……。 私は部屋にいますんで、何かあったら言って下さい……」 どこか遠くを見るような視線のまま、リディは呟くようにして言った。 その声にあまりに生気がないことに、酒場の店主の妻もぎょっとして目を丸くする。 虚ろな目をしたリディが隣を通り過ぎた時、思わず冷たいものが背中を走った。 「ま、まあ……それでもリディちゃんは、今まで一人でよく頑張ってきたからね。 たぶん、疲れも溜まっているんだろうし、今日はゆっくりしな。 賄いでよければ、食事は私が部屋まで届けておくからさ」 慌てて後ろから声をかけたが、リディは返事をしなかった。 こちらに背を向けたまま頷いたようにも見えたが、はっきりとはわからない。 いったい、リディはどうしてしまったのか。 年末が近づき忙しくなっていることはわかっていたが、それにしても、あんな顔のリディは今までに見たこともない。 しかし、いつまでも考えていたところで話は始まらない。 酒場の客に出す料理を作るため、店主の妻はリディに代わって厨房に立つ。 一通りの調理器具と贖罪を揃え、腕まくりをして気合を入れた。 「さあて……。 それじゃあ今日も、一仕事させてもらうとするかね」 包丁を握り、まな板に乗せたハムにその刃を当てる。 数枚のハムを切り出したところで、店主の妻は、ふと隣にある鍋に目がいった。 いつもであれば、リディが作った夕食が入っているであろう鍋。 だが、今日に限っては、それもない。 厨房に籠る時間が増えている割には、リディはまともに自分のための家事をすることがなくなっていた。 宿場の客の世話はするものの、後は全てどうでもよいといった感じである。 「やれやれ……。明るく元気なところがとりえだったって言うのに……最近のあの娘は、どうしちまったんだろうねえ……」 厨房を出るときのリディの様子を思い出しながら、店主の妻は独り呟いた。 今まで、何があっても負けることなく宿場の経営を続け来たリディ。 そんな彼女の中に生まれつつあった闇に、何も知らない店主の妻が気づくはずもなかった。
https://w.atwiki.jp/i_am_a_yandere/pages/1648.html
355 名前:囚われし者 ◆DOP9ogZIvw [sage] 投稿日:2010/06/16(水) 23 56 44 ID 6474PHn1 [2/5] 翌日、僕が登校するとクラスはなにやらものものしい雰囲気となっていた。 原因は・・・、もはや考えるまでもなかった。 いつもクラスの中心である綾華。その彼女の様子がいつもと違っていた。 いつもの艶やかな髪は潤いを無くし、何やらブツブツと一人で呟いている。 そして何より、彼女の瞳は光を宿していなかった。 クラスのみんなは綾華を見て一歩引いているという感じだった。 昨日の事情を知らないもにとっては、綾華のこの代わりようはまさに異様そのものだろう。 「おはよう、綾華」 クラスの皆の視線を尻目に、僕は綾華に声をかけた。 綾華は呟きをやめ、こちらを見た。 「しょ・・・うご・・・?」 「そうだよ。」 咄嗟のことだった。 綾華は僕を思いっきり抱きしめた。 「ちょっ・・・綾華・・・何してるの!?教室だよ!」 「ねぇ、奨悟大丈夫?苦しくない?痛くない?怖い目に合わされてない?」 「だ・・・大丈夫だから!離して!」 「ちょっと綾華!」 「周防さん!」 クラスメートが僕と綾華を引き離した。 あまりにも強い力だったため、僕は少しむせた。 「大丈夫?周防さん?」 「あんなやつにあまり関わらないほうがいいよ綾華。」 そう言ってクラスメートは僕に白い目を向けた。僕は困ったというように苦笑いをしてみせた。 大丈夫、こんなのいつものことだ。 それでも、綾華は僕に触れようと手を伸ばし、クラスメートに抑えられている間も、僕の名前を呼び続けた。 結局、綾華は朝のこともあり早退した。 だけどどうやら、本人は帰りたくなかったらしく、しきりに僕の名前を呼んだそうだ。 そのこともあってか、何人かのクラスメートに、何かしたんじゃないのかと問い詰められたりもした。 結果、僕はいつもより肩身の狭い思いをすることになった。 綾華からの連絡があったのは、ちょうどすべての授業が終わりしだいにそそくさと学校をでて、家に帰る途中のことだった。 「なんだろう・・・」 綾華からのメールを開くと、そこには普段の女の子らしい文面からは想像できないような、シンプルなものだった。 『良い事を思いついた、これで私も奨悟も幸せになれる。』 意味がわからなかった。 僕も綾華も幸せになる?一体どういう意味だ。 携帯を睨みながら、どう返信をしようか考えている途中、今度は着信がはいった。 液晶画面には周防光一(すおうこういち)の名前が写っていた。 周防光一とは、綾華の父親であり、そして周防製薬の現社長である。 「はい、柏城です。」 「お、いやぁ柏城君久しぶりだね。」 光一さんと知り合ったのは幼い頃の食時会だ。 そして、優がこの会にあまり参加しなくなったころから徐々に数が減り、光一さんとも疎遠がちになっていた。 「光一さんもおかわりがないようで何よりです。」 「光一さん・・・か、それももうすぐ聞けなくなるんだろうな。」 「はぁ?」 「いやいや、こっちの話だよ。それより奨悟君、今日の夜は空いてるかい?」 「はい、特に予定はありませんけど。」 「それは良かった。」 その突如目の前にリムジンが止まった。 「お、ちょうど迎えもついたようだね、それに乗ってきてくれ。」 黒いスーツを来た人が車のドアを開ける。 (僕が断ったらどうするつもりだったんだ。) 若干、こんなことも思いながら車に乗せてもらった。 356 名前:囚われし者 ◆DOP9ogZIvw [sage] 投稿日:2010/06/16(水) 23 57 28 ID 6474PHn1 [3/5] 「遅いわよ!奨悟!」 真っ赤なドレスを身に纏った綾華が言った。 あの後、僕は車に乗せられて、ある大きなホテルにいる。 ホテルの一室で体を採寸され、十分ほど待たされたと思うと、サイズピッタリの高そうなタキシードを渡され、ちょうどそれを着たところだった。 「・・・っ!何よ、奨悟のくせに・・・その・・・似合ってるじゃない。」 綾華はテレを隠すように顔を背けた。 「ありがとう、綾華。綾華もそのドレス似合ってるよ。」 「おっ、お世辞はいいのよ!それよりも早く行きましょう!お父様も、あなたのご両親ももう待っておられるわ。」 そう言うと綾華は一人そそくさと部屋を出て行ってしまった。 あの様子を見る限り、朝の奇行がまるで嘘のようだった。 それどころが、むしろ機嫌が良いようだ。やっぱりあのメールが何か関係しているのか。 そんなことを考えながらエレベータで最上階を目指す、この先には何度も会食を行ったレストランがあるのだ。 最上階、レストランの入り口にいたウェイターが洗練された動きで扉を開けた。 レストランには・・・僕の両親と周防家しかいなかった。 「やぁ、奨悟君!こんばんわ。」 「おお!久しぶりだな息子よ!」 「奨悟くん、ひさしぶり。」 と口々に挨拶を受け、適当に返事をしつつ僕は空いた席に座った。 「随分と急で久しぶりな会食かと思ったら、今日は他には誰もいないんですか。」 「あぁ、今日は貸切にしてもらったよ。」 こんな高いホテルのレストランを貸切とは一体どれほどの金がかかっているの想像もできない。 「何か特別なことでもあったんですか?」 「まぁね、まぁそれより久々にこのメンツで集まったんだ!存分に楽しもうじゃないか。」 光一さんのこの言葉を合図に食事は始まった。 358 名前:囚われし者 ◆DOP9ogZIvw [sage] 投稿日:2010/06/16(水) 23 57 54 ID 6474PHn1 [4/5] 「いやはや食った食った。」 なんて父の言葉を聞き流ていた時だった。 「さてと、そろそろ今日のメインイベントといこうか。」 光一さんが立ち上がってそう言った。 「いよ!待ってました!」 「フフフフ」 父は光一さんを持ち上げ、母さんは何やら意味ありげに笑っていた。 綾華はなぜか顔を赤くしてうつむいていた。 「えー、実にめでたいことに我が娘、綾華と奨悟君が許嫁関係となりました!」 ・・・へ? 「うおおおおおおお!やったな奨悟!こんな可愛い嫁を貰うことできるなんて!」 「フフフフ、将来安泰ですね。」 僕はあまりの出来事に、頭がまわらなかった。 「えっ!ちょっとどういう意味ですか!?」 「文字どおりの意味だよ、今日、綾華が早退してきたと思っていたら突然言い出してね。まぁ、綾華も年頃の娘だし、どこぞの馬の骨にくれてやるくらいなら奨悟君にもらってもらったほうがよっぽどいいからね。」 「でっ・・・でも!」 「何だ、もしかして断るつもりなのか。」 そう言うと光一さんが僕を睨みつけた。 生まれ持って人の上に立ってきた人間の視線の前に、僕は反論する機会すら失われた。 「良かった。君は妹さんまでとは行かないが優秀な人材だしね、さて、綾華お前も何か言いなさい。」 綾華はうつむいていた顔を上げ、僕に歩み寄り、抱きしめた。 「あなたは私がいないとダメなんだから!私が一生」 そう行って綾華が耳元で囁いた。 「傍にいてあげる。」
https://w.atwiki.jp/i_am_a_yandere/pages/2024.html
210 名前: 天使のような悪魔たち 第14話 ◆ UDPETPayJA 2010/12/04(土) 01 13 03 ID SKB/54JEO 冬が次第に近づき、寒さが厳しくなっていく。 就寝前に風呂に入って体を暖めてから、熱が冷めないうちに布団に潜るのが寒季の俺の日課だ。 もちろん、髪はドライヤーでしっかり乾かす。 でなければ翌朝寝癖で髪がえらい事になり、下手すれば風邪を引いてしまう。 目覚まし時計だけはしっかり三つセットする。三つも使うようになったのは、この家に俺一人だけになってからだ。 昔から俺は朝が弱い。特に冬は暖かい布団からなかなか出られずに二度寝を繰り返し、 時間ギリギリになって明日香に叩き起こされる、なんてのは日常茶飯事だった。 …迂闊。自分で言っておきながら、なんだか悲しくなってしまった。 明日香は気が狂うほどに実の兄である俺を愛し、幸せの絶頂で姉ちゃんの力で死んだ。 だけど俺はたまに思う。明日香は本当に幸せだったのか?と。 * * * * * 『………で、またここかよ。』 前回に引き続いて、真っ暗闇の空間。自分が立っているのか、はたまた浮いているのか、なんとも気持ち悪い。 だが前回の経験を生かし、俺は対策を練っていた。それは… どうせ真っ暗なんだから、いっそ寝転んで目を閉じてしまおう!と考え、さっさと実行に移した。 …うん、立っている時よりははるかにマシだ。気を抜けば凄まじく気持ち悪くなりそうだが、 俺は必死に自分に「俺は寝てるんだ」と言い聞かせて、ごまかした。 211 名前: 天使のような悪魔たち 第14話 ◆ UDPETPayJA 2010/12/04(土) 01 13 52 ID SKB/54JEO 『どうせいるんだろ?灰谷。さっさと来てくれよー。』 『僕ならもうそばにいるよ?』 『のわっ!?』 び、びっくりした…。いきなり耳元に話し掛けられたんだから。 脅かすなよバカ、と内心で悪態をつき、俺は目を開けた。 『三日ぶりだね、飛鳥。今日は君の疑問に答えにきたよ。ただし、僕の知ってる範囲でね。』 『! まじか。』 『うん。とは言っても、あまり時間はないけれど。』 言うと灰谷は自分の髪を手で掴み、即席ツインテールを作ってみせた。 『じゃあまず、前回の君の質問から答えようか。なぜ僕が亜朱架や明日香に似ているのか。 それはね…亜朱架は僕の子供だからだよ。』 『……は?』 本当に、言っている意味がわからなかった。だって俺の、俺たちの母親はこいつじゃない。 もう何年も会ってないが、その程度で母親の姿を忘れる、思い違うわけがない。 『ああ、彼女は…君が母親と思ってる人はね、代理母なんだよ。 亜朱架から聞いたと思うけど、亜朱架は普通の人間との間には子供を作れない。 それは染色体の数が異なるからなんだけど…僕も"そう"なんだ。 だから翔(かける)は、僕のコピーを二つこしらえ、片方には遺伝子操作を加えて、性別を改変した。 将来その二人がアダムとイヴになるために、ね。』 ---衝撃だ。灰谷の語っている事は、あまりに次元が違いすぎる。 そして灰谷が語った中にあった人物、"翔"とは…恐らく神坂 翔。俺達の父親にして、遺伝子学のプロフェッショナルにちがいないだろう。 何より、俺がずっと母親だと信じてた女性が…代理母だったなんて。 『翔の唯一の誤算は、生まれた子供たち"も"特異な能力を宿していたこと。 その能力を研究するためだけに、明日香は作られた。 そして明日香は亜朱架の…つまり、コピーのコピー。故に脆弱な身体に生まれついた。 ではなぜ、実験動物として生を受けた明日香が、君と一緒に暮らしていたと思う? その間、オリジナルの亜朱架は、何処で何をしていたと思うかい?』 『………まさか、そんなわけ』 ないよな、とは言えなかった。 そこまで言われてしまったら、答えは一つしか思い浮かばない。 『…姉ちゃんは、明日香の身代わりになってたんだな。』 213 名前: 天使のような悪魔たち 第14話 ◆ UDPETPayJA 2010/12/04(土) 01 14 51 ID RU+w7x9wO 『そのとおり。幸い、亜朱架は僕と同じ要素を持っていたから、いくら実験されようと、"身体は"無事だった。 ときに飛鳥、君には僕は何歳に見えるかな?』 灰谷は左目でウインクをして、可愛い娘ぶってみせた。 『正直…大学生くらいの歳にしか見えん。』 チチは姉ちゃんとは比べものにならないくらいデカいが。 『ありがとう。亜朱架も、あと5年歳をとれれば僕くらいの大きさになったんだけどね。』 『…もしかして、俺の思考が読めるの?』 『今頃気づいたのかい?ホント、結意ちゃんといい、君はでかチチが好きだねぇ。』 …頼むから、"だっちゅーの"のポーズはやめてくれ。 『まあ冗談はさておき。明日香には、僕や子供たちに備わっている、"不死"の要素が引き継がれなかった。 だから明日香は、力の使いすぎで身体がズタスタになって…亜朱架に介錯されたんだ。』 『ま、まてよ!さっきから姉ちゃんや明日香の事ばっかだけど、俺は!?』 『…知りたいかい?』 灰谷はふっ、と冷ややかな笑みを浮かべた。 ぞくり、と背筋に悪寒が走る。まるで蛇に睨まれたかのように。 『率直に言おう。君は僕の子ではない。』 『…なん、だって。』 『つまり飛鳥、君は亜朱架や明日香とは、血が繋がっていない。染色体の数も、普通の人間と同じ46本だ。 本当の僕の息子は、亜朱架と同じく49本の染色体を持ち、亜朱架と対極の力を持っていて、 かつ、歳をとらない。…ここまで言えば、わかるかな?』 『---馬鹿な。それじゃああいつが!?』 心当たりは一人しかいない。中学時代に出会い、苦楽を共にし、つい先日対立こそしたが、 かけがえのない俺の親友………斎木 隼。 『隼が、姉ちゃんの弟なのか?』 『正解。』 『じゃあ俺はなんだ…俺はなんなんだよ! なんで明日香は、兄貴を好きになった事を悩んで死んでいったんだ! こんなの…ありかよ…!』 『…君は、隼の替え玉なんだよ。 亜朱架たちの代理母の名前は、斎木 静香。そして、君の実の母だ。 皮肉だろうね…つい今しがた、実の母親ではないんだ、とショックを受けたのに、実際は真逆。 君は亜朱架の弟ではなく、代理母の実の息子。…可哀相に。』 『---俺を哀れむなッ!』 悔しい?悲しい?そんな言葉では今の俺の感情は語り尽くせない。 強いて言えば、信じていたもの全てが虚だった。ただそれだけだ。 『まあ悲しいことばかりではないはずさ。君にはちゃんと、実の姉が存在する。 名前は斎木 優衣。優しい衣、と書いてユイと読む。 ただ、最後に会ったのは彼女が小学校に上がったときだったから、今はどうしているかは知らない。』 『…結意の事は知っているのに、か。』 『隼は僕とは波長が合わないんだよ。僕は基本的に、亜朱架の夢を介して外の様子を見ている。 僕は今、自分の意志では指一本動かせない状態だからね。 そして飛鳥、君は亜朱架と明日香の力を受けすぎた。そのせいで、僕と波長が合うようになったのさ。 ただそれはやはり、弱いつながりでしかない。あと数回、夢の中で会えばつながりも消えてしまうだろう。』 214 名前: 天使のような悪魔たち 第14話 ◆ UDPETPayJA 2010/12/04(土) 01 15 44 ID 6PxfUAJkO 実の姉が存在する、なんて、なんの慰めにもならない。 見たことも会ったこともない姉など、俺が姉弟(兄妹)だと信じてきた二人に比べれば、 俺にとってはなんの価値も見いだせない。 『………! そろそろタイムリミットだ。』 『…そう、か。』 『またね、飛鳥。どうかくじけずに、普通の人間としての生を全うしてくれ給え。 それは僕や子供たちが、どんなに願っても得られない生き方なのだから。 それと、最後にひとつ。僕は今年で36歳になるんだよ。…身体は歳をとらないんだけどね。』 その言葉を最後に、灰谷は暗闇の中に吸い込まれるように消えた。 瞬間に襲い掛かる、奈落に吸い込まれそうな感覚も、今の俺にはなんの脅威ですらない。 どうか早く目覚めてくれ。そしてどうか、全てジョークだと言ってくれ。 でなければ、あまりに寝覚めが悪すぎるだろう? * * * * * 「…頭痛ぇ。」 215 名前: 天使のような悪魔たち 第14話 ◆ UDPETPayJA 2010/12/04(土) 01 17 09 ID 6PxfUAJkO 三つの目覚ましが鳴るよりもわずかに早く、俺は目を覚ました。 朝の日差し窓越しに浴び、ここが夢の世界ではないことを実感して、ひとまず安堵した。 独りになってから約十日経ち、朝の静寂さにも慣れた。 最初は漠然とテレビをつけ、空虚さをごまかしていたが、次第にそれすらしなくなった自分がいた。 誰もいない家に時間ぎりぎりまでいる必要性はない。 俺は台所に降り、トーストを仕込んで、その間にシンクで洗顔をすませた。 チン、とトーストが焼き上がった音がしたが俺はそれをスルーし、制服へと着替える事を優先した。 食事にありついたのは、7時半。トーストにマーガリンを塗っただけの、簡素を通り越して貧乏くさい食事だ。 口元のパン屑を払い、俺は玄関に向かう。手に持っているのは、筆箱しか入っていない、 およそ学生らしくない軽さの学生鞄だけ。 鍵を開けて外に出ると、家の前に誰かが立っていた。 いや、"誰か"と言っては随分なご挨拶だろう。家の前で待っていたのは、昨日退院したばかりの、結意だ。 「おはよ、飛鳥くん。」 「結意…」 「お弁当作ってきたよ。今日は飛鳥くんの大好きな---きゃっ!?」 俺は言葉を待たなかった。 結意の腕を掴み、強引に引き寄せ、力いっぱい抱きしめた。 「あ、飛鳥くん…どうしたの…?」 「…ごめん。しばらくこうさせてくれないか。」 「………何か、あったの?」 「…なんでもないよ。ただ---」 俺の信じていたものはすべて幻だった。そしてこの俺自身も。 俺は結意の胸元に顔をうずめ、さらに腕の力を込めた。 別にやましい気持ちからじゃない。…泣き顔を見られたくなかっただけだ。 それでも結意の体温は心地よくて、ずっとこうしていたい、と思ってしまう。 「独りが寂しくなっちまったんだ。父さんも母さんも、姉ちゃんも…明日香も、帰ってこない。 今、俺一人ぼっちなんだよ。」 「…私はずっと、飛鳥くんのそばにいるよ。」 結意は優しい手つきで、俺の頭を撫でてきた。 これじゃあ、こないだと丸っきり逆じゃないか。 216 名前: 天使のような悪魔たち 第14話 ◆ UDPETPayJA 2010/12/04(土) 01 18 34 ID SKB/54JEO * * * * * 俺こと佐橋歩は、チャイムぎりぎりに学校に着くのが当たり前の人間だ。 ろくに授業に出てないのだから遅刻してもいいんじゃないか?と思ったかもしれないが、甘い。 俺はこれでも、遅刻"は"してないんだ。 そんなわけで今日も、ぎりぎり間に合うくらいの時間に到着した。 「よう、佐橋歩!」 「---なぜ、あんたがいる。」 俺が"あんた"と呼んだのは、県内屈指のお騒がせ芸人、瀬野 遥だ。 瀬野の他に、瀬野と同じ制服を着た男が一人、見受けられる。 瀬野たちは、怪しげなキャリーバッグを四つ持っていた。 「誰が芸人だ!それより、手伝え!」 「何をだ。」 「こいつを運ぶのをだよ!さすがに20人分にもなると重くて仕方ねえ!」 「中身はなんだ。」 「メイド服だ。」 瀬野のその言葉を聞いて俺は、ひとつの決意をした。 ---よし、通報しよう。 「もしもし110番…」 「だー待て待て!神坂だ!神坂に頼まれたんだよ!文化祭で使うから、って!」 「どちらにせよ俺には関係ないな。俺のクラスはメイド服など使わん。」 「いいから手伝ってくれよ!そしたら、いいモン拝めるぞ!?」 「なんだよ、変態。」 「それはな………結意ちゃんのメイド服姿だ。」 ああ、そういやこいつら、織原のファンクラブがどうとか言ってたな。 変態もここまでくると、畏敬の対象にすらなるぜ。 「よしわかった。手を打とう。」 「そうか、助かるぜ!」 「ただし………光の分ももらってくぞ。」 「て、てめぇ!」 当然だ。世の中ギブアンドテイクなんだ。 それに…自分の彼女ながら、僕っ娘メイドが見れるなんて、朝からツイてるじゃないか。 そうして、初めての遅刻と引き換えに、俺はメイド服を入手(半ば略奪)したのだった。