約 1,358,095 件
https://w.atwiki.jp/uyghurissue/pages/16.html
習近平来日に際しての抗議デモ 2009年7月5日に首府ウルムチにてウイグル人による政府への改善要求のデモが行われました。 これはそれに先立つ6月26日に起きた広東省の玩具工場でのウイグル人虐殺事件に対して、適切に処置するよう求める平和的なデモでした。 しかし現地政府はこの平和的なデモを武力によって鎮圧し、多数の犠牲者を出しました。 中国政府はこの「75ウルムチ事件」への対策チームを結成しましたが、その総責任者であったのが習近平です。 12月14日~17日に日本を訪れる予定の彼が、ウルムチ事件における虐殺を行った張本人であると言えるでしょう。 習近平を迎えるにあたり、ウルムチの虐殺を忘れないぞ!との強いメッセージを訴えたいと思います。 日時: 12月12日(土) 13時半 集合、 14時 デモ隊出発 会場: 常盤橋公園 デモコース: 常盤橋公園→外堀通り→日航ホテル前右折→日比谷公園 主催団体: ウイグル問題を考える会 協賛団体: 日本ウイグル協会、台湾研究フォーラム、南モンゴル応援クリルタイ、チベット問題を考える会、モンゴル自由連盟党、チベット青年会議日本支援委員会、日本チベット友好協会、中国民主団結連盟 シュプレヒコール一覧 配布用チラシはこちら ※このデモの趣旨は、第一にはウイグル虐殺を行った習近平への責任追及です。この趣旨に賛同して頂けるなら、あらゆる立場の個人参加を歓迎します。ただし周囲を威圧するような服装は控えてください。 ※写真、ビデオの撮影をしますので、支障のある方はマスクで顔を隠すなど対策をとられるよう、よろしくお願いします。 お問合せはこちら
https://w.atwiki.jp/mongolhugjim/pages/193.html
リムベ ユネスコの「緊急に保護する必要がある無形文化遺産」へのリムベの登録について 現在のモンゴル国および、モンゴル人居住地域の多くで横笛を指す。リムベ(лимбэ)はチベット語起源の語(gling-bu)でこの語が一般的になる以前はビシグール(бишгүүр)の語があてられていた 。バドラハによれば20世紀初頭モンゴル人地域で使われていたリムベの古い名はフンドゥルン(横の)・ビシグール(хөндлөн бишгүүр)であるといい、この種の楽器は3種類が元朝の宮廷楽団でも用いられていたとされる 。 モンゴル高原周辺のモンゴル人地域のリムベの特徴としては、一般的に2つあげられよう。まず、ホルサン・リムベ(竹製のリムベ)を極度に乾燥した気候から守るために小型家畜の腸で包んだり、バターを塗りつけていたこと がある。それから、オルティン・ドーの旋律を演奏するために発達したビトゥー・アミスガル(閉呼吸)、もしくはノーツ・アミスガル(秘密呼吸)と呼ばれる循環呼吸による演奏法である 。この演奏法がいつごろ現れたかは定かではないが、1964年にはリムベ演奏の教育プログラムに入れられた 。 1930年代のモンゴル国の劇場の写真を見ると 当時使われていた竹製リムベは漢人地域で用いられていた笛子と同じもののように見える。なおゴンチグソムラー1939 によると、当時のリムベは後のモンゴル国のリムベでは廃された膜孔を含め8孔であった。そして二種類の息の入れ方(細い息と太い息)を駆使することで、C4、D4、E4、F4、G4、A4、B♭4、C5、D5、E5、F5、G5、A5の音が出せたという。 1934年には既に国立中央劇場で活躍し、後にモンゴル国を代表するリムベとシャンズの奏者となるL.ツェレンドルジが、当時典籍委員会に勤務していたコンドラーチェフに五線譜を学んでいる。その後少なくともスミルノーフの着任した1940年以降ウランバートルの劇場で演奏していた他のリムベ奏者も平均律で演奏するようになっていたと考えられるが、楽器自体には大きな改良は加えられなかった。ツェレンドルジは1957年より音楽舞踊中学校の教師となり、ロシア人派遣教師らから助言を受けつつ教育プログラムを充実させていったという 。彼はやはりモンゴル国を代表するリムベ奏者であるM.バダムら数多くの弟子を育てた。 演奏法が大きく変わったのは1962年である。L.サムバルフンデブによると 、1962年、ウズベキスタン国立音楽院の横笛の講師M.M.タイエロフが人民歌舞団の管楽器顧問として招聘され、リムベの運指法を改良し、楽器そのものは6孔のままで半音階を出す方法を教授したという。これは指をずらして孔を半開状態にするものである。これに対しインドゥレーは当初この方法に懐疑的だったものの、音色が損なわれず半音階が獲得されたため受け入れたという。最も積極的にこの奏法を取り入れたのはバダムで、彼はツェレンドルジと共に実験を続け、この方法を洗練させていった 。バダムはフルート奏者のリトヴィノフからも助言を受け、1979年にはリムベでモーツァルトのフルート協奏曲第2番の第1楽章を演奏したという 。バダムは師のツェレンドルジと共に1979年にリムベの教則本 も書いている。 中リムベ 最も広く使われているのは基本的にこの時点まで多く使われていた大きさのリムベで、現在ドンド(中)・リムベと呼ばれる。しかしゴンチグソムラーの著書にあるものより大きくなっていて、音域はB♭3からE♭6またはF6。実音で記譜する。以下のリムベも含めて全て6孔が基本である。インドゥレーはチューニング抜き差し管付きの真鍮製の中リムベを製作しており 、そのタイプのものは現在でも使われている。 大リムベ 1963年にインドゥレーが竹でイフ(大)・リムベを製作した。リムベという楽器の構造が大きく変えられたのはこの時である。すなわち管を抜き差ししてチューニングできる部分を初めて設けたのだ 。ただ、オーケストラでの演奏を前提に改良された他の楽器とは違い、このイフ・リムベはもっぱら独奏用の楽器で、オーケストラには用いられない 。長さは56cm、直径12mmである。E♭とFが基本の調となっており、音域はF3よりA5。ト音記号で記譜し、実音の4度上に記譜する。ボロルマーによればインドゥレーは後にプラスティック製のイフ・リムベも作っているが、こちらの大きさの決定は、インドゥレー自身が演奏していた中国のF-majorの笛子が基になっているという 。 小リムベ ビャツハン(極小)・リムベまたはジジグ(小)・リムベ、ピッコロ・リムベと呼ばれる小さいリムベは1970年にインドゥレーが製作した。長さ25cm、真鍮製でイフ・リムベと同じくチューニング機構が付けられている。基調はヘ調で、音域はF4からA6。実音より4度下に記譜する。 その後、乾燥や寒暖の差の激しさの中でも一定の音程を保つために材質の変更も進んだ。インドゥレーはかなり早い時期からプラスティック製のものを実験しており 、これは現在でも一般的である。バダムは1980年代に中国の笛子奏者との交流の中で、ガラス製のリムベを中国側に製作を依頼し 、使用を始めた。 これを見ると、リムベはどちらかといえば歴史的復元ということは行われず、既存の楽器の改良、およびそれらに基づいて製作されていたといえよう。キー・システムなどは取り入れておらず、チューニングができるよう頭管にあたる部分を抜き差しできるようにしただけで、大きな改良がされたようには思えないが、材質そのものが変更されているため、見た目それまで使われていたものとは大きく変わった。また半音階奏法の採用はレパートリーの拡大、特に西洋クラシックの作品の演奏習得の規範化への拍車をかけたと言えるだろう。モンゴル国の民族楽器の合奏で採用されている442Hzで、一定の音程を確保するという問題は他の改良楽器全てに当てはまる問題である。
https://w.atwiki.jp/mongolhugjim/pages/187.html
ツェンドルジーン・エンフトゥル ЭНХТӨР, Цэндорж() |略歴 ウランバートル生まれ。父は作曲家G.ツェンドルジ?。音楽舞踊中学校にてピアニストT.ツォルモン?に師事、モスクワ音楽院付属音楽専門学校に留学、T.ガリツカヤに師事。帰国後更にモンゴル国立文化芸術大学にて研鑽を積む。1992年よりピアニストとして活動を始め、モンゴル国内のみならずロシア、ウクライナ、中国、アメリカ、日本など海外でも演奏活動を行っている。クラシック作品のみならず現代モンゴル国の作曲家の作品も得意とし、父ツェンドルジ、S.ゴンチグソムラー、Kh.ビレグジャルガル、Z.ハンガルの作品を録音している。
https://w.atwiki.jp/mongolhugjim/pages/100.html
通史、大テーマ 岡田英弘(1999)『世界史の誕生 (ちくま文庫)』筑摩書房 地中海世界も中国も結び付けた「世界史」はモンゴル帝国から始まった、という論を杉山正明よりも先に展開していた岡田英弘の著作。 小松久男編『中央ユーラシア史』山川出版社 杉山正明(2003)『遊牧民から見た世界史―民族も国境もこえて (日経ビジネス人文庫)』日本経済新聞社 ドーソン/田中萃一郎(1936)『蒙古史 上』岩波書店 ドーソン/田中萃一郎(1938)『蒙古史 下』岩波書店 岩波文庫の古いやつですがリクエスト復刊されてます。 日本放送協会(1992)『大モンゴル1 蒼き狼チンギス・ハーン』角川書店 日本放送協会(1992)『大モンゴル2 幻の王プレスター』角川書店 日本放送協会(1992)『大モンゴル3 大いなる都』角川書店 日本放送協会(1992)『大モンゴル4 草原の民、自由の民』角川書店 いやチンギスハーンは蒼き狼じゃねえし。(モンゴル民族の祖が蒼き狼。その子孫であるチンギスは日輪の子。) ハイシッヒ/田中克彦(1967/2000)『モンゴルの歴史と文化』岩波書店 モンゴル民族の歴史と文化を包括的に扱った本ではなく、モンゴル民族が残してきた歴史書や文学の「古文書探索の旅」に多くのページが割かれている。 松川 節(1998)『図説 モンゴル歴史紀行』、河出書房新社 ウランバートルの歴史なども載っており興味深い 間野英二他『内陸アジア(地域からの世界史6)』朝日新聞社 護雅夫/岡田英弘編(1990)『民族の世界史4 中央ユーラシアの世界』山川出版社 宮脇淳子(1995)『モンゴルの歴史』刀水書房 日本でほぼ唯一のちゃんとしたモンゴル通史。概説書で物足りなくなった人が次に進む本としてもいいかも。 論文集など フセル・ボルジギン、今西淳子編『20世紀におけるモンゴル諸族の歴史と文化:2011年ウランバートル国際シンポジウム報告論文集』、風響社、2012年。 早稲田大学モンゴル研究所編(2011)『モンゴル史研究―現状と展望―』、明石書店 実は通史とはちょっと違うのだが、「モンゴル帝国研究の諸相」「ポスト帝国期のモンゴル」「モンゴル民族の誕生」の3部に分け、世界帝国期の状況や、帝国解体後の分裂、チベット仏教の浸透、清朝による統合を経て近現代に「モンゴル民族」が形成される過程での研究成果と展望を指し示す。 モンゴルのブックリスト
https://w.atwiki.jp/peas/pages/45.html
モンゴル国Mongolia 地域 アジア 首都 ウランバートル 独立年月 ─ 面積 156万7千K㎡ 人口 270万人 主要言語 モンゴル語 通貨 トグログ モンゴルの地図へ モンゴル近隣の地図へ モンゴル広域の地図へ アジアの一覧へ 北米、中南米、ヨーロッパ、オセアニア、中東、アフリカ、世界メニュー このページを編集 ( - )
https://w.atwiki.jp/mongolhugjim/pages/149.html
ヨーチン/ヤンチル ヨーチン(ёочин)は漢語の揚琴または楊琴(yang qin)に由来する語で、同語から発生したヤンチル(янчир)の名で呼ばれることもある。基本的な構造は漢人音楽の楊琴または洋琴と呼ばれる楽器と同じである 。モンゴル人地域においては、20世紀初頭までは王府あるいは都市部で用いられていた楽器だった。バドラハは1936年当時、近年になってモンゴル人の間で使われるようになった楽器としている 。 20世紀初頭の楽器について、ゴンチグソムラーは1939年当時、ヨーチンは3列で、B♭3、C4、D4、E4、F4、G4、A4、B♭4、C5、D5、E5、F5、G5、A5、B♭5、C6を奏せた としている。 この後、1954年に民族楽器コンクールで優勝してオリアスタイ市からウランバートルにやってきたG.ダシダワー がこの楽器の改良の中心となった。チョローンツェツェグ によれば1953年には既に中華人民共和国から小揚琴(バガ・ガリーン(бага гарын)・ヨーチン)が輸入されていたが、1954、1955年に中国から輸入した10列の揚琴を改造して利用した。その後人民歌舞団に入っていた1960年には、再度中国から24列の揚琴を輸入した。これを1962年に二重にあったE音の弦をC♯に張りなおした。それを再度1970年にF6の弦を加えた。1980年にはこれに更にG6の列が加えられ、1990年にはもう一列加えられた。この要領で、1960年以前に輸入された揚琴にも順次弦列を加え、音域の拡大と半音階の演奏が徹底された。 ダシダワーは1962年より音楽舞踊中学校で教え、その弟子には傑出したヨーチン奏者で作曲家としても活躍したJ.メンドアマル、カルムイクに派遣され、ヨーチンを教えたSh.エンヘトヤーがいる。 1990年代以降、中国より北京401号、402号、501号の揚琴を輸入し、音楽舞踊学校、国立文化芸術大学のヨーチン科では上記のヨーチンと併用している。 モンゴル音楽事典楽器
https://w.atwiki.jp/cttum/pages/2.html
メニュー トップページ 中国問題 台湾 チベット ウイグル(東トルキスタン) 内モンゴル(南モンゴル) このサイトは リンクフリーです このサイトについて デモ情報 デモグッズ 全国デモ情報 各地団体リンク 大規模OFFの動向 デモについてQ&A デモについてQ&A 近日行われるイベント 2008/10/25〜26 ワールド・コラボ・フェスタ(名古屋)・横浜国際フェスタに出展します モバイルアクセス 訪問者数 合計: - 今日: - 昨日: - ブックマーク ここを編集
https://w.atwiki.jp/mongolhugjim/pages/182.html
オルティン・ドー (モンゴル語 Уртын дуу,古い文献にはУрт дууも見られる,モンゴル文字ラテン文字転写ではurtu-yin daγuu, 日本ではオルチンドーとも表記)は、モンゴル語で『長い歌』という意味の民謡であり、ホーミーと並び遊牧民族モンゴル人を代表する歌唱法でもある。 特徴 「非拍節的な自由リズムにもとづく旋律で歌い演奏される」ものと言われる。 歴史 中国の歴史書『魏書』には、紀元前3世紀頃からその地にいた古代トルコ系の高車という人々が狼の吠声のように「好んで声を引いて長く歌」っていた、というモンゴルのオルティン・ドーを思わせる記述がある。また漢の北方に大帝国を築いた匈奴も同じような歌の形式を持っていたらしい。 歌手 代表的な歌手にモンゴル国のドルジダグワ、ノロブバンザド、チメドツェイェーらがいる。 現代のトルコでも民謡はリズミカルなものと声を長く引き伸ばすものの2つに分類される。後者は「ウズンハウ」で「長い歌」の意である。また日本の民謡の『追分』や『馬子唄』もオルティン・ドーと音楽的に類似していることから、音楽学者の小泉文夫は中央アジアから日本にかけて同起源の声を長く引き伸ばす歌の文化圏があるとしている。一方日本音楽研究者の小島美子はこのつながり、特に日本民謡とモンゴル民謡の同源説は歴史学の観点から証明は難しいとしている。
https://w.atwiki.jp/aadic1/pages/134.html
【登録タグ AA も】 ~¶ ∧⌒∧ ノ ( ´∀`) §(|#◎#|) //|||||||||) (__)_) モンゴルモナー【もんごるもなー】 モンゴル版のモナー。 コメント 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/cyugokusaisei/pages/13.html
中国事業再生支援センター (NPO)のご案内 CSC「NPO中国事業再生支援センター」情報 ●ガリアプラス・CSCセミナー開催 ・日時:平成21年4月14日(火) ・会場:広島市まちづくり市民交流プラザ ・参加費:一般3,000円 主催:CSC(NPO中国事業再生支援センター) 日 時 平成20年11月13日(木) 会 場 メルパルク広島 5F椿 講 師 佐藤敏義 GALOX株式会社 テーマ 「現場で活かせる!債務者主導の債権者交渉術」 ~中小企業を守れ!元債権者回収のプロだから語れる債務者主導の交渉術~ 主催:企業活性化支援センターひろしま有限責任事業組合 ●設立総会 「特定非営利活動法人(NPO)中国事業再生支援センター」の設立 開催日時 平成20年10月2日(木) (記念講演:JSK事業再生研究会 会長 清水 洋氏) 総会会場 まちづくり市民交流プラザ 北棟5F ●GALOX勉強会開催 © csc. All rights reserved.