約 2,304,357 件
https://w.atwiki.jp/haruhi_vip2/pages/4826.html
文字サイズ小でうまく表示されると思います 世界の真ん中に立つ塔は 楽園に通じているという 遥かな楽園を夢見て 多くの者達が この塔の秘密に挑んで行った だが、彼らの運命を 知る者はない そして今、また一人…… 優しい太陽の日差しと、どこまでも続く水平線。 バニーガールに似ていて決定的に何かが違う衣装を着せられたままの朝比奈さんが、吹き付ける 風になびく髪を気にしながら海を眺めて微笑んでいる。 長門はと言えば木の陰に座りいつものように本を読んでいて、古泉とハルヒは何やら地面に地図の ような物を書きながら目的地を探しているようだ。 ハルヒ率いるSOS団のメンバーは海に遊びに来ている……んだったらよかったんだけどな。 今、俺達5人は海に浮かぶ小さな島の上にいる。 何も知らない人が見れば救助を待つ遭難者に見えるだろうし、実際そうだと言えなくも無い。 しかし俺達は見渡す限りの大海原に浮かぶこの島に取り残されてしまったのではなく、この島に乗って ここまで来たのだ……とまあ、我ながら理解不能としか言えないこの説明で現状が把握できるような人は、 今すぐハルヒの前に行きなさい、以上! ……それはたった、10分程前の事だった。 「船のように走る……島?」 その情報を聞いたときのハルヒの顔は、今まで見たことの無い程に生き生きとしていた。 俺達がゲームの世界に閉じ込められてしまった……という事は前回の話を読んでもらっていればわかるん だろうが、この話を先に読んでいる人に説明するならば、だ。 ゲームセンターに遊びに来た俺達5人は、ごくごく普通の高校生にも、謎の宇宙人にも、可愛い未来人にも、 怪しい超能力者にも理解できない不思議な何かによって、俺達はゲームの世界に閉じ込められてしまった……。 つまり何故こうなってしまったのか、当事者である俺達の誰一人わからないでいるわけだ。 現在の状況は、塔の上にあるという楽園を目指すというこのゲームをクリアする為に、俺達が街で情報収集を した中で古泉が聞いてきた話にハルヒが文字通り食いついたところだ。 「ええ。この世界では海賊が多くて船は出せないそうなんですが、そんな島を見たと言ってる人が居たんです」 俺達は持ち寄った情報を交換していたのだが、ハルヒの興味は古泉が聞いてきた船のような島に釘付けになっている。 「詳しい場所は!」 「残念ながらそこまでは……ですが、船が出せない状況という事ですから見たというのはこの島の近くでしょうね。 北東の島にも街があるそうなので、そこまで行くことができれば詳しい事もわかるかもしれません」 話についていけないみたいで、朝比奈さんはおろおろしている。 「キョン君、つまりここって大海賊時代であってますか?」 いや、それは色んな意味で無いと思います。 ……それはそれで面白そうですが。 さて、そこからのハルヒの行動は早かった。 さっそく町を飛び出し、俺達が追いかけて町を出た時にはすでに近くにあったヤシの木によじ登っているのを見た時は、 正直このまま何も見なかった事にして帰りたくなったぜ。帰れないんだがな。 なんでこいつは高いところが好きなんだ? 俺達の見上げる視線を受けながら船のような島とやらを捜索する事数秒、 「見つけた!あれに間違いないわ!」 発見。ここまで古泉の話が終って1分くらいだったろうか。 お前はいったいどんな視力をしてるんだ。 ヤシの木から飛び降りたハルヒは、さっそく船のような島が見えた場所への道を探し始めた。 塔の扉の先にあったこの島は500メートル四方程度の大きさしかない。 長門が聞いてきた情報によれば、近くに見える島へ行くには洞窟を抜ける必要があるそうだ。 それらしい洞窟は確かにあるが、果たしてその洞窟はどこにつながっているのか? 目的地へと通じているのか? 何てことはまあ些細な問題なんだろうな。 迷いなく洞窟に向かって走り出したハルヒの後姿を、のんびりと追いかける事にした。 「足元に気をつけてくださいね」 先頭を歩く古泉がそう言い終える前に、俺の後ろを歩いていた朝比奈さんがつまづいて俺に寄りかかってくる。 「あっ、ごめんなさい」 いえいえ、お気になさらず。 暗い場所は苦手らしい朝比奈さんは、俺の腕を掴んで歩く事になった。 洞窟は海の下を通っているせいか空気が冷たく、ひんやりとしている。 「ここでもし、海水が漏れてきたりしたら誰も生き残れないでしょうね」 古泉が面白そうに笑えない事を言い出した。 お前、そんな事言うとだな。 「そ、そんな怖い事言わないでください」 ほらみろ、朝比奈さんが脅えてるじゃないか。怖がる朝比奈さんが、さらに力をこめてしがみついてくる事で、 腕に感じられる柔らかな感触については古泉に感謝の念を禁じえないね。 しかし実際には洞窟は海底の堅い地層を掘った物らしく、今にも崩れそうといった感じには見えない。 だからといってのんびりする理由もない。 早く通り抜けましょう……できればハルヒが迷子になる前に。 洞窟に入った時は聞こえていたハルヒの走る音は、どうやらすでに洞窟を抜けてしまったらしくもう聞こえてこない。 ……それにしてもこの世界に来てからのハルヒは楽しそうだ。 今までどんなに望んでも手に入らなかった非日常が、ここではバーゲンセールの用に続いているんだから無理も無いが。 あいつ、この世界から出たくないとか言い出したりして。 俺はそんな不安を感じ出していた。 洞窟を抜けると 「遅い!」 勝手に一人で先に行ったハルヒの第一声がそれだった。 ハルヒの声は怒ってたが、器用な事に顔は顔は笑っている。 噂の島ってのはあったのか? ハルヒはこれ以上ない程に胸を張ってから、自分の後ろに見える小さな島を指差して高らかに叫んだ。 「あれよ!我等がSOS団初の船舶、その名も「みくるちゃん号」!」 「ふえ?」 間の抜けた声で驚く朝比奈さんの名前が付けられたその船舶とやらは、海にぷかぷかと浮かぶ直径7メートル程の島だった。 島の中央には立派なヤシの木があり、それ以外は草地しか無い。 質問は2つだ。 「何よ」 なんで島に朝比奈さんの名前が付けられたのか、もう一つは確かにこの島は浮いてる島らしいがどう見ても船舶には見えな いんだが。 俺の質問を鼻で笑ってから、ハルヒは一人島に飛び乗った。 「いい?見てなさいよ~」 ハルヒが島の中央にあるヤシの木に力を入れると、 おおおお!? なんと、ヤシの木が僅かに傾いた方向へと島が動き始めたではないか! 「涼宮さん凄いです~!」 「これは驚きですね」 速さでいえば自転車くらいの速さだろうか、意外に早いスピードでみくるちゃん号は波を掻き分けて進んでいく。 その後、ハルヒは思い通りに島を操縦してみせてから得意げな顔で戻ってきた。 「どう?みくるちゃん号の性能は」 「素晴らしいです」 頼む古泉、ただでさえ制御不能なハルヒをこれ以上調子にのらせないでくれ――まあ制御できた事など一度としてないんだがな。 原理は不明だけど確かに凄いな……で、なんでみくるちゃん号なんだ? あたりまえでしょ?とでも言いそうな顔で溜息をついてからハルヒが答える。 「い~い、船の名前は古来より女性の名前を付ける事が多いのよ」 それなら、お前や長門でもいいじゃないか。 むしろ、お前の性格なら自分の名前をつけそうなもんだ。 「私の名前じゃ、船が沈んだ時にSOS団の士気が落ちるじゃない」 俺達に士気なんてものがあったのか。 っていうか勝手に人の名前を付けておいて、船が沈むとか不吉な事を言うほうが士気に関わるんじゃないのか? 当然の事ながら俺の発言は聞き入れられる訳もなく、島の名前はみくるちゃん号に決まったようだ。 ――その後、俺達を乗せたみくるちゃん号がハルヒの舵により快適なスピードで大海原を走り出し。ごくごく自然な流れで、地図も 持たずに海に出た無謀な俺達は迷子になったというわけさ。 船旅における航海士と海図の必要性を実体験によって認識できたのは稀有な人生経験と言えなくもないかもしれないが、 その経験を生かす事無くこのまま干からびるなんて事がないように祈ろう。 どうやら朝比奈さんはこれもイベントの一つだと思っているらしく、慌てた様子もなくのんびりと海を眺めている。 真実を伝えて混乱する姿を見てみたい気もしないではないが、今はそんな余裕はないよなぁ。 古泉とハルヒは現在地から見える島と、今までの航路を地面に書いているようだが、地形を覚えようと意識していたわけでは ないのでうろ覚えみたいだ。 最大の問題は、肝心の目的地が最初の街で聞いていた「北東の島」というなんともアバウトな情報だけだという事。 せめて現在位置と北がわかればなんとかなりそうな気もするが、残念ながら空に太陽は高く星は見えない。 かといって北極星が見えるような時間では視界が取れないから、目的地が定まらない現状と変わらずみくるちゃん号を動かす のは無謀だ。 っていうか、その前にこの世界に北極星があるのかすらも疑わしいぜ。 禁じていた溜息を無理に抑え込む元気もない。 長門。 木陰で本を読んでいる長門の横に座って、ハルヒ達に気づかれないように視線を向けないまま小さな声で話しかけてみた。 長門は読んでいた本は広げたまま、俺のほうへわずかに顔を向けてくる。数値にして2センチ程。 長門にしてはオーバーリアクションなのかもしれない長さだな。 GPSとは言わないが、何か地図みたいなものはないか?あと、できれば方位がわかる何かもあるとうれしいんだが。 我ながら他力本願だとは思うが朝比奈さんや古泉は一般人ではないとはいえ、そこまでドラえもん的な能力は持っていない。 というか朝比奈さんにいたっては地図があっても迷子になりかねない。 これは決して個人、もしくは女性差別的な思考ではなくそれこそが朝比奈さんの個性であり魅力なのである。 などと考えている余裕もない。 もう宇宙人に頼み込むしか手はないというのが、手持ちの飲み物をハルヒに全て強奪された上に太陽に照らされ続けた結果、 すでに体内の何%かの貴重な水分を失いつつある俺の結論だ。 「……」 長門はどこからかシャーペンを取り出すと、本の最後の白紙ページに迷い無く地図を書き始めた。 機械的にページの左上から絵を描くというよりもプリントアウトするかのような不自然な動きで――実際、プリントアウトなのかも しれないが――地図はあっさりと完成した。 しかもご丁寧に方位だけでなく街や塔の場所に現在位置まで記入してあるではないか。 ……もしかして、データを解析したらMAPがあったとかか? 長門は小さくうなずき、首元から小さなネックレスを取り出した――ってさっきまでそこにネックレスなんてなかったぞ? 「磁石」 長門に渡されたネックレスの先には小さな細長い金属がついている。磁力を使った健康関係の商品らしく、裏側にはご丁寧に SとNの記入までしてある。 これって今「創った」のか? よく見てみれば、長門の着ていた服の襟の部分が無くなっている。 長門は質量保存の法則をあっさり無視した事を肯定しつつ、長門は何事も無かったかのように読書へと戻った。 最初の街で長門がどこからともなく見つけてきたその本には、俺には読めない単語が並んでいる。 もしかしたらそれは世界中の誰にも読めない文字なのかもしれないが、俺にとって読めない文字である以上それが何語なのか なんてことは俺にとってはどうでもいい事だ。 などという哲学的なようでどうでも言い事を考えている間も、長門は最小動作で読書をするという世界記録を狙っているような 動作で読書を続けている。 それにしても熱心だよな。長門ならバーコードを見ただけで内容も値段も把握しそうなもんなのに。 面白いか? 以前、俺が長門に部室でしたのと同じ質問をしてみる。 あの頃の長門はまだ眼鏡をかけていて、今よりもほんの少しだけ無表情だった。 無表情ランキングなんてものがあるなら1位はぶっちぎりであの頃の長門だろう。 当然2位は今の長門だ。 もしもあの時と同じ返答がくるとしたら、 「ユ」 ユニークか? 長門が答えるのに合わせて、先に言ってみた。 俺はこの対ヒューマノイドインターフェイス?とやらがいったいどんな反応が返ってくるかと期待したのだが、長門は小さくうなずく だけだった。 まあ長門らしいといえばそうかもしれない。 ――その後、俺はMAPと磁石をハルヒに渡し(さっさと出しなさいよ!と理不尽に怒られた)みくるちゃん号は一路、北東の町 へと進み始めた。 「海底の城に空気の実……あの!キョン君やっぱりここって大海賊時代なんじゃ」 俺の服の袖をひっぱりながら、わくわくした顔で聞いてくる朝比奈さんには申し訳ないが、 それは無いです、きっと。 著作権的な意味でも無いはずです。 「あう……そっか、大海賊時代だったらエアエアの実とかですよね」 叱られた子犬のような顔も素敵ですよ。 そういえばこの人は未来人だったな、あの漫画の結末もやはり禁則事項なんだろうか?もしくはまだ連載中なんだろうか。 いつものように情報収集を終えた俺達は、一度みくるちゃん号に戻りこれから先の目的地を決めている最中だ。 青龍ってのは多分ボスだよな、最初のボスが玄武だったし。 「おそらくそうでしょう、つまり他にも朱雀と白虎がいる。という事になりますね」 俺と古泉はゲームでのパターンからこの先の展開を予想していた、ここまでの展開から想像する限りは鬱展開には進みそうに ないのはありがたい。 塔を昇っていき、途中の世界をクリアする事で先に進めるようになり最上階にラスボスが居るってところだろうか。 「あんた達、さっきからなんでそんな事がわかるの?」 俺達の会話を聞いて不思議そうな顔でハルヒが聞いてくる。 パソコンの時といい、ハルヒはインドア関係には疎いようだな。 玄武、青龍、白虎、朱雀ってのはゲームではありがちな名前なんだよ。四字熟語みたいなもんでセットで使われる名前さ。 「へ~たまには役に立つじゃない」 たまに、は事実だが余計だ。 「今の情報から言えるのは、南の小屋に住む老人から情報を集めて空気の実を手に入れる。その後、海底の城で青龍と戦って クリスタルを手に入れる……といったところでしょうか」 古泉もなんだかんだで楽しそうだな。 竜王ってのもどこかにいるんだろうな、多分それは途中でわかるんだろう。 最初の世界もそうだったが、基本的なRPGで助かった。 「決まりね、じゃあさっそく南の老人に会いに行きましょう!」 操船は古泉に代わり、ハルヒはみくるちゃん号の先に立って地図を見ている。 当然、浮き島に手すりなどという物があるはずもないのにだ。 そんなとこに立ってると海に落ちるぞ? と言ってやるべきなのかも知れないが、ハルヒが海に落ちたところであっさり這い上がってくる姿が容易に想像できるので、俺は 何も言わない事にした。 これが朝比奈さんなら別だし、長門ならそれ以前にハルヒとは別の意味で心配する事も無い。 「あんた、なんか失礼な事考えてない?」 突然振り向いたハルヒが俺に向かって問い詰めるように聞いてくる。 別に何も。 超能力者かお前は? もう間に合ってるぞ。 半眼で睨んでくるハルヒは、そうする事で相手の心が読めるかのように俺をじっと見ている。 なんだか本当に思考を読まれているんじゃないのか?と思い始めた所で、 「キョン君キョン君、古泉君が呼んでますよ」 古泉に呼ばれたというオフィシャルな理由により、俺はハルヒの追求から逃げる事に成功した。 「これは異常事態かもしれませんよ」 俺の顔を見て古泉はいきなりそんな事を言い出した。 ゲームに閉じ込められてから一度でも異常事態じゃない時があったのか、初耳だな。 「いえ、そうではなく今の涼宮さんについてです」 ハルヒが? ハルヒは相変わらずみくるちゃん号の先頭で地図と海とを見比べている。 別に普通だと思うが。 俺には普通にいつもの暴君にしか見えないぞ。 「そうなんです」 古泉は正解です、とでもいいたげにウインクしてみせる。 やめろ気持ち悪い、朝比奈さんならともかくお前にそんな事されたくはない。 「普通なんですよ、あの涼宮さんがいるのに」 何を言ってるんだ……それはいい事なんじゃないのか? 俺が不思議そうな顔をしているのを見て、古泉は楽しそうに微笑んでいる。ええい気色悪い。 わかるように説明しろ。 「涼宮さんは最初の世界で、自分にも僕や長門さんのような超常的な力が欲しいと願っていました……が、それは叶わないでいる。 海で遭難した時も助かったのは貴方のおかげです、戦闘でも物理法則が乱れてしまう様な事も今のところありません」 まあ俺の盾はどう考えてもチートだけどな。 俺としては終わりかと思ったゲームが続いていたり、この浮き島の存在その物がハルヒの想像だと思ってるんだがな。 終わらない夏休みみたいな事になってなければいいんだが。 「ゲームが続いていたのについては長門さんに聞いたところ仕様だそうです、全部で5つの世界があるようですよ。それにこの浮島 については僕が話すまでハルヒの知識には無かったはずです」 確かに浮き島の話を聞いた時のハルヒは、聞いたことがあるって感じじゃなかったな。 ……そうだとしてそれが何故、異常事態なんだ?今までだって何もかもがあいつの望んだ通りになってた訳じゃないし、たまたま 不調なだけかもしれないだろ? 「その可能性も否定できません。ですが前にもお話したようにこの世界には神人の気配が無い、そしてこの世界は一つの物語と して成り立っているのに涼宮さんの知識にはない出来事ばかりが起きている」 わざと難しく説明しているとしか思えないな。 結論から言え。 「まだそこまでは」 いつもの営業スマイルで古泉はごまかす。 「ですが、何かわかった時には貴方へ最初にお伝えします。必ず」 できれば伝える前に解決して、事後報告って事にしてもらいたいもんだ。面倒な内容なら秘密裏に処理してもらえたらなおいい。 俺みたいな一般人にできる事なんて限られているって事をそろそろ理解してくれ。 「見えたわ!あれが老人の住む島じゃない?」 ハルヒが指差す方を見ると、米粒ほどの大きさの島が見えた。 目を細めて見ていると、近づくにつれて島に建つ小さな小屋が見えてくる。 本当にどんな視力をしてるんだよ、お前。 「凄い……凄い綺麗です……」 「本当、これは凄いわね」 島の外周は風を避ける為らしくヤシの木が綺麗に並んでいたが、その向こう側には一面の向日葵の花が広がっていた。 「まさに壮観ですね」 爽やかな向日葵畑を歩く羽つきバニーガール姿の朝比奈さんは、どう考えても違和感があるはずの取り合わせの はずなのにとても絵になっていた。 製作者さんよ、画面保存機能のショートカットは何キーなんだ? 向日葵は全て太陽に向かって顔を向けている……と思ったらそうでもないんだな。 全て同じ方向を向いていたが、それは太陽とは違う方向だった。何かのヒントとかかもしれないな。 綺麗に区画分けされた向日葵の先は少し高くなっていて、小さな小屋が見える。 朝比奈さんが景色に感激しながらゆっくりと歩くペースにあわせて、俺達はその小屋へと向かった。 「すみません、どなたかいらっしゃいますか?」 ハルヒが家の扉を叩いてしばらく待ってみると、中から小さな老人が出てきた。 真っ白い髪の毛と髭が繋がってしまっていて、お揃いのような白い着物のような服を着ている。 老人は俺達をぐるりと見回した後、 「空気の実は真ん中のヤシの木になっている」 退屈そうにそれだけ言って小屋に戻っていってしまった。 初対面で自分の目的にとって有意義な他人には極端に愛想のいいハルヒも、これでは愛想を振りまく出番すら無い。 「なんなの?」 怒るタイミングを逃してしまったのかハルヒは怪訝な顔をしている。 「人嫌い……なんですかね」 流石の古泉もこの対応には困ったようだ。 まあ情報は手に入ったんだし、いいとするかな? 俺達がみくるちゃん号へと戻ろうとすると、 「あ、あの!私、おじいさんと少しお話してきてもいいですか?」 何故か朝比奈さんが立ち止まりそんな事を言い出した。 普段は自分から何かしようとしない人だけに、ハルヒも驚いた顔をしている。 「え、う~ん。そうね、時間をかければ何か聞きだせるかもしれないし……みくるちゃんの色気に期待するわ。 みくるちゃん一人じゃ不安だし古泉君、一緒に残ってあげて。私とキョンと有希で空気の実を捜してくるから」 長門と古泉はお前の指示通り行動するだろうが、俺の意見は聞くまでも無いのかよ。残すなら俺にしてください。 「わかりました、それではここで待ってますね」 あっさり承諾して古泉は朝比奈さんの隣に立つ。 古泉、朝比奈さんに変な事するなよ? とハルヒのように釘を刺したい所だが、朝比奈さんの恋人でもない俺が言うのは どうかと思うので古泉を睨むだけにしておく。 「大丈夫ですよ、お早いお帰りを」 俺の視線の意味がわかっているのかわかってないのか、古泉はいつもの笑顔で手を振っていた。 みくるちゃん号に戻った俺達はさっそく地図を広げた。 「真ん中のヤシの木ってのには心当たりがあるの、ほらここ」 ハルヒが指差す場所には小さな島があり、その中央にはヤシの木が描かれていた。 「ここだけなのよ、こんな印があるのは」 確かにそれっぽいな、というかわざとわかるように長門が書いておいたのかもしれんが。 妙に可愛いデザインのヤシの木の絵を見た後に、それを描いた長門へ視線を送ってみる。 しかし、すでに定位置で読書に戻っていた長門の表情からは、何一つ考えを読み取る事はできなかった。 いつもの事だけどな。 「じゃああたしが指示するから、キョンあんたは船を動かして。有希は敵が来ないか警戒。いい?」 僅かにうなずいて長門は開いたばかりの本を閉じて立ち上がると、さっそく周りをきょろきょろと見回し始めた。 「有希もやる気ね!じゃあしゅっぱーつ!」 さっそく規則的に辺りを見回す長門が、俺にはイージス艦のレーダーに見える。 実際、索敵範囲はイージス艦級かもしれんが。 言われるままにヤシの木に力を入れて、みくるちゃん号は再び大海原へと進み始めた 「まずは北北西に進んで、指示があるまでずっとよ」 へいへい。 長門のペンダントを木の板に乗せ、地面に掘った穴に海水を満たした上にそれを浮かべただけのお手製簡易方位磁石を 見ながら、俺はなんとなく北北西であろう方向へヤシの木を押す方向を変えた。 快適なスピードでみくるちゃん号は進んでいき、振り返って見ると朝比奈さんと古泉を残した島はどんどん小さくなっていく。 そういえば、朝比奈さんは何故残ると言い出したんだろう? 向日葵の種を分けてください~などという、朝比奈さんらしいファンシーな理由だろうか? それならその場で言えばいいんだろうし、わざわざ残る必要なんてない。 そもそもゲームの登場人物にそんな質問に答える知識はないだろうし、何を聞いても「空気の実は真ん中のヤシの木に なっている」と答える気がするな。 視線を前に戻すと周囲を見回している宇宙人の姿が目に入る。 長門。 こいつはこいつであれからずっと、健気にレーダーとしての任務を忠実に繰り返している。 疲れたら休んでもいいぞ。 俺がそう話しかけても左右を規則的に見回し続け。 「大丈夫」 そう答える一瞬止まっただけで、また索敵に戻ったようだ。 そっか。 朝比奈さん一人居ないだけで、みくるちゃん号は一気に味気なく感じるから不思議だな。 ヤシの木までどことなく寂しそうにすら見える。 まったく、彼女の存在がいかに大きい物かを再認識させられてしまうね。 「あれね」 地図を畳みながらハルヒがそう言った時、俺にも一本だけ長いヤシの木が立つ小さな島が見えてきた。 この辺りには小さな島がやたらと多いので普通に探したら大変だっただろう、どうやらハルヒのナビは優秀だったようだ。 そろそろ島に接岸するところになって、 「私一人でよさそうね……船を止めて待ってて。取ってくるから」 そう言い残しハルヒはまるで新大陸を発見したコロンブスのように一人で島に乗り込んでいった。 まあ、コロンブスなんて名前しか覚えてないがなんとなく、だ。勢いよく走り出したって事が伝わればそれでいい。 等とどうでもいい事を考えているうちに、ハルヒは木の根元に辿り着いた。 そのままさっきみたいに木登りを始めるかと思ったが、一旦立ち止まる。 遠くから見た時にはわからなかったが、木の太さはハルヒの体よりも一回り近く太いようだ。 上の方は細くはなっているが、いくらハルヒでもこれは道具無しじゃ無理だろう。 長門、船を見ててくれ。 うなずく長門を残して、俺も島にあがった。 「あ、キョン。ちょ~どいいところに」 俺の気配に気づいたハルヒが嫌に微笑んでいる。……肩車で届く距離とも思えないがどうするつもりだ? これは道具がいるな。 俺も真下に立って見上げてみたが、木の高さは低く見積もっても軽く10メートル以上はあるように見える。 「そうね」 意外にもハルヒはあっさりうなずくではないか? 表情にこそ出さなかったが俺は驚いていた。 こいつなら「そんな回り道してる時間はないわ!キョン、気合で取ってきなさい!」とでも言いそうな気がしていたんだが。 もしかして古泉が言っていた異常事態っていうのは、ハルヒが一般人化しているということなのか? 大歓迎だぞ? 「キョン、ちょっと木の真下で木の方を向いて立ってて」 ハルヒはそれだけ言って木から離れていく、俺の身長で高さを計るのか? 俺の身長は知ってるか? まあ、多少の誤差はどうでもいいんだろうけど。 「大丈夫よ、じゃあ行くわね」 はいはい、別に計るのに合図はいらないと思うんだが。 嫌な予感を感じる時間すらない。 俺の腰に突然かかった衝撃と荷重に崩れる間もなく、続いて俺の肩を踏みつけてハルヒは一気にヤシの木の上部に 飛び上がった。 頭上で、ガスッ! という音を聞いて肩をさすりつつ見上げると 「見るな!」 上空から降ってきたハルヒの靴が俺の視界を塞いだ。 顔を塞ぐ前に見えた物については不可抗力だ! 決して意図して見上げたわけではない! っていうか事前に説明しろよ! それとお前がスカートで木に登ったりするからいけないんだ! 朝比奈さんがここに居ない事に俺は少しだけ感謝した。 ……結果的に偶然視界に入っただけとはいえ、多少の罪悪感もある。 俺は間違ってもハルヒが視界に入らないように注意しつつ、念の為ヤシの木から靴を投げても届かないくらいに離れてから 振り向いた。 ヤシの木に突きたてたレイピアにハルヒはぶら下がって足だけで靴を脱いでいた、そのまま靴下も脱ぎ終えると器用に レイピアから幹に移動してするすると登っていく。 この島の原住民でもそこまで器用じゃないと思うぞ? ここは無人島っぽいが。 「キョン! これ!」 一番上まで登りきったハルヒが、何か果実のような物を投げてきた。 足元に落ちたそれは不思議な形の木の実で、皮はとても堅くこのままではとても食用にはできそうもない。 「空気の実ってそれかな?ちょっと試してみてー」 わかった! 確か空気の実なら海水に浸せば酸素を出すんだよな?とりあえず俺はみくるちゃん号に戻ることにした。 戻ってみるとあいかわらず長門はみくるちゃん号の上で一人ぽつんと立って、左右を見回しながら索敵中だった。 俺が視界に入っても何の反応もない。もしかしたら近づく前に索敵されていたのかもしれない。 疲れないか? なんとなく返答は予想できるんだが聞いてみると、 「大丈夫」 こいつは言われたら断わる事を知らないからな。 本を読んでいてもいいんだぞ? 提案してみたらどうなるんだろうか? そう思って言ってみたのだが……。 長門は一旦止まると木の根元に置いていた本を拾い、今度は本を読みながら左右に体を振り始めた。 よけい疲れないか? 「大丈夫」 本を見ていたら警戒にならない気がするが、まあいい。 ハルヒを木の上に残してきた事を思い出した俺は、さっそく例の実を海水に浸してみた。 それはもう泡が出るとかそんなレベルではない、海面を押し下げる程の勢いで実から空気が噴出しているようだった。 まるで抵抗はないくせに風船を水中に無理やり入れているみたいに海面が凹んでいる、何せ実を持つ手が濡れていない。 あきらかに物理法則を無視している気がしなくもないが、長門に聞いても俺が理解できるようには説明してもらえないだろうから 聞くまでもないだろう。 俺にわかるのはこれが空気の実に間違いないって事と、早く戻らないとハルヒが怒り出すって事だけだ。 ――念の為、ありったけの空気の実を収穫した俺達はさっそく老人の島に戻った。 船を操縦していると老人の島の上で手を振る朝比奈さんの姿が見えてきた。 隣に立つにやけ顔の古泉も見えてきたがそれはどうでもいい。 「おかえりなさい!どうでした?」 「ふふ~ん、これよ!」 ハルヒは自慢げに空気の実の小山を見せびらかす。 「これで海底の城に行く準備はできましたね」 古泉とハルヒはさっそく地図の上で海底の城がありそうな場所を探しはじめた。 それなら長門に聞けばいい……とは流石に言えない。が、もし見つかりそうになかったらこっそり聞くことにしよう。 そんな事よりもだ。 朝比奈さん。 「はい、なんですか?」 空気の実を手にとって、まじまじと見ている朝比奈さんにこっそり聞いてみる事にした。 あの老人に用って、いったい何だったんですか? 軽く聞いたつもりだったのだが、意外にも朝比奈さんは表情を曇らせてしまった。 突然の事にフォローする言葉を考えてみたが思いつかないでいると、 「キョン君には伝えておいた方がいいのかも……。あの、涼宮さんには内緒にしてくださいね?」 手で口元を隠しながら朝比奈さんが寄ってくる。 背伸びしても俺の耳までは届かないようなので少ししゃがむと、朝比奈さんは小さな声で 「あの……この世界ってゲームじゃなくて、本当に存在する別の世界みたいなんです」 ……驚くべきなんだろうな、ここは。 「その、急にこんなこと言われても困っちゃうでしょうけど……本当なんです」 深刻そうな顔でそう続ける朝比奈さん。 うわ~そうだったんですか! 驚きですね! とでも言うべきなのかもしれないが、嘘はいつかばれるものだろう。 朝比奈さんなら騙しとおせる気もしなくはないが、つかなくていい嘘はつくべきではない。多分。 先に言いますね、ごめんなさい。 「え?」 最初の白い場所に来た時に気づいてました。 鳩が豆鉄砲をくらった顔ってのは多分こんな感じなんだろう。 朝比奈さん、ぽかーんと口を開けたまま固まっているその顔も可愛いですよ? 作戦会議の結果、地図の配置からすると現在地の北西には重要な物がないので怪しいという結論に至ったらしい。 長門にこれは正解のルートなのか? と、そっと視線を送ってみたが特に反応は無かった。 「それじゃあ海底城目指して出発!」 ハルヒのいつもの号令でみくるちゃん号は大海原を進み出した。 目的の海域まではさっきの真ん中のヤシの木に移動した距離の2倍程、時間で言えば10分程で到着するはずだ。 それにしても本当にどうやって動いてるんだろうな、この島。長門なら普通に知っていそうだな、後で聞いてみよう。 ハルヒの指示で古泉が操船、長門がまた警戒に指名されたので 警戒は俺が変わるよ、ずっとじゃ大変だろうし。 と、立候補した。イージス艦から一般人まで警戒レベルは落ちるが、こんな小さな島を狙って何か来るとは思えないしな。 「じゃあキョンでいいわ。さぼらないで見張ってなさい」 へいへい。 船の先頭はハルヒの定位置になっているから俺は後方を見ていればいいだろう、俺は島の最後尾に座ってのんびり と海を眺める事にした。 忙しい毎日を過ごしているとのんびり海でも眺めていたくなるって言うが、あれは日常に戻れる保障がある時にしか 当てはまらないもんだな。 現実世界に戻れるかどうかわからない今の俺には、海を見て癒されるだけの精神的余裕は無いらしい。 「キョン君」 みくるちゃん号の動く音で気がつかなかったが、俺の隣に朝比奈さんが来ていた。 朝比奈さんはいつもの笑顔でそっと俺の隣に座る。 こっそりとこの世界の秘密を教えてくれた後、すでに俺がその事を知っていたのを聞いてしばらくの間怒った顔をして いたのだが、どうやらご機嫌は治ったらしい。 いつも優しい朝比奈さんの怒った顔というのは中々見られるものではなく、こっそりと脳内に焼き付けておいたのは秘密だ。 すみませんでした、ずっと黙っていて。 「いえ、いいんです。もしも最初に聞いてたら私パニックになっちゃっただろうから」 確かに。 そのままハルヒにもバレてしまったらどうなっていたかと思うと……。 実際どうなったんだろうな? 思い出したくも無いが、あの時と同じならば異世界に放り込まれたハルヒはやはり大人しくなるのだろうか? まあ、リスクが大きすぎて試してみる気にはなれないが。 ハルヒだけはまだ気づいてないみたいです。あいつに気づかれるとどうなってしまうか誰にもわからないですから、秘密に しておきましょう。 「わかりました」 あ、そういえば。どうして気づいたんですか?これがゲームじゃないって事に。 「あのお爺さんの時間軸が……えっと禁則事項に関わるので詳しくは言えないですけど、あのお爺さんは私達と同じだったんです」 爺さんが俺達と同じ? 朝比奈さんは真剣な表情でうなずく。 「お爺さんも違う世界、それが私達の居た世界とは違うかもしれませんが、少なくともこのゲームの世界の存在ではなかったんです。 他の町の人やモンスターは時間の流れが無いデータ上の存在でした。でもお爺さんにはちゃんと時間の流れが存在していたんです」 なんというか未来人らしい判断理由だな。 えっと、つまりあの爺さんは俺達みたいにこの世界に迷い込んでしまっている……って事ですか? 「はい。TPDDの反応が……っとその」 朝比奈さんが不自然に話を止めるってことは、 禁則事項なんですね? 「はい、すみません」 大体わかりましたから大丈夫ですよ。 っていうかそもそも、大体わかってしまう事自体は問題じゃないんだろうか? もしかしたら、他にもこの世界に迷い込んでいる人が居るのかもしれませんね。 それが事実だったら大変だな。 俺達はハルヒの暴走で不思議体験に巻き込まれる事に慣れてしまっているからいいが、普通の人がこんな世界に取り残され たら発狂するんじゃないか? 「あ、いけない……あんまり一緒に居ちゃダメなんでした!」 朝比奈さんは慌てて立ち上がりハルヒの様子を伺っている。 どうやら目的地探しに一生懸命でこちらには気づいていないみたいだ。 あの、何があるんですか? 「え?」 何度か朝比奈さんに言われてますけど、俺と朝比奈さんが一緒に居ると何か起こるんですか? 貴女にはまだ言ってませんが、大きい朝比奈さんにも何度か同じ事を言われてるんです。 俺とハルヒをしばらく見比べてから朝比奈さんはにっこり笑って、 「隠し事してた人には内緒です」 と言いながら離れて行ってしまった。 ……大きい朝比奈さんも秘密にしてるって事は、もしかして永久に秘密ってことなのか? ん、なんか速度が上がったような気がする。 一定の速さで進んでいたみくるちゃん号だが、少しずつだが速度が上がっているような気がする。 そんな急がなくてももうすぐ目的地に着く頃だと思うんだが。 古泉、スピードを落とせ。 あいつが海に落ちる事はないだろうが、これ以上あいつのテンションがあがるのは困る。 「……そうしているつもりなんですが……すみません、手を貸してください」 珍しく真剣な声で話す古泉に驚いて振り向いてみると、古泉は進行方向とは反対にヤシの木を倒していた。 それなのにみくるちゃん号は意図せぬ方向にますます加速して進んでいく。 急いで立ち上がり俺もヤシの木に力を加えたが、島は減速するどころかどんどん加速していく。 何だ? 舵が壊れてしまったのか? 「みなさん、この木に捕まってください!」 古泉が叫んだ時、俺達がどこに向かっているのかがようやくわかった。 進行方向に見える大きな渦に向かってみくるちゃん号はどんどん引き寄せられていっている。どうする?長門に頼んでみるか? そう考えてみたが長門もヤシの木を掴んでいた、片手は本を開いたままだったが。 こいつが冷静って事は危険はない……そうだよな? な? 恐怖のあまり震えている朝比奈さんを抱きしめるハルヒ、ヤシの木を倒し最後の抵抗を試みる俺と古泉。 ヤシの木に片手を触れただけの長門を乗せたみくるちゃん号は大きな渦の中を回りながら加速していく。 渦の外周を勢いよく回りだした中で何故かのんびりと本のページをめくる長門の姿が見えた気がした。 いよいよ渦の中心に飲み込まれようとした時、俺達に降りかかろうとする海水の壁は……。 ――いつまで経っても一定の距離から近寄る事無く、みくるちゃん号は巨大な泡に包まれたまま海底に沈んでいった。 「……わ……わー! 凄い! 凄い! 凄いです!」 その光景に最初に歓声をあげたのは、一番怖がっていた朝比奈さんだった。 ハルヒと古泉は幻想的な海中の風景に言葉をなくしたまま立っている。長門は相変わらず読書中だ。 俺? 俺はあれだ。ヤシの木にもたれて休憩中だ。決して腰が抜けて立てないわけじゃないぞ? 巨大な空気の泡に包まれたみくるちゃん号は、ゆっくりと海底目指して沈み続けている。 遥か上空、いや海上には太陽に照らされた海面が薄っすらと見えていて、さっきまでの渦の恐怖がまるで夢だったかのようだ。 ハルヒも今は島の中央に立っている、ここで落ちたりしたら戻る事はできそうにないのは自覚しているらしい。 俺もようやく立ち上がり、今更だが海中観察に参加する事にした。 海面からの光は徐々に弱くなり、遠くの方は暗く見えずらくなっている。 その間もゆっくりと沈み続けていたみくるちゃん号だが、そのスピードはどんどん遅くなっていきついには殆ど止まってしまった。 「あ、あれ?どうしたんでしょう?」 「変ね、さっきまではちゃんと沈んでたのに」 僅かな間だが、一瞬完全にみくるちゃん号が止まってしまった。 何かをめくる音がして、その後何事もなかったのように再び沈み始める。 一斉に俺達が振り向いてみると、長門がさっきまでと同じようにヤシの木の根元に座って本を読んでいる。 いつもと違ったのは、長門の片手は常にヤシの木に添えられていて、本をめくるときだけヤシの木から離していた。 長門の手が木から離れるたび、みくるちゃん号は僅かに揺れて沈む速度を落としている。 木に触れている間だけ沈むって事なのか? 試しに俺も木に触ってみたが、特に速度に変化はなかった。 「違うようですね、何か特別な条件があるんでしょうか」 「有希じゃないとダメなのかな?」 長門は別に特別な事をしているようには見えないんだけどな。 もしも長門が船を潜行させてくれているのなら、ここで停止する意味がわからない。もしかして何かイベントが起こるとかなのか? 直接聞くわけにもいかないのでじっと長門の様子を伺ってみたが、片手で不自由そうに読書を続けているようにしか 見えなかった。 誰かが服をひっぱる感覚に振り向くと、朝比奈さんが白い顔で俺の服を掴んでいた。 「どうしました?」 ぱくぱくと口を動かしながら震える指で朝比奈さんが指差す先には、 ……うそだろ? そこには信じられないほどに巨大な魚がこちらに向かって泳いでくるのが見えていた。 遠近法ってやつで大きく見えるだけだと思いたいが、残念ながら俺の頭脳はそこまで楽観的にはできていないらしい。 例えるとしたら、滑走路に立っていたら1k程先から飛行機がこちらに向かって加速してくるのが見えた、そんな感じだ。 たまたま進行方向がこっちに向いている、と考えてしまいたいがそうではないだろう。 まだかなりの距離があるにもかかわらず魚の姿は異様な程大きく見える。 実際のサイズをどんなに過小評価しても、みくるちゃん号など俺達ごと一口で飲み込まれてしまうに違いない。 鯨かな……鯨にしては縦に細長いよなって魚の種類はどうでもいいっ! とにかく逃げないと俺達は餌として食べられるの だけは確かだ。 急いで海上と同じようにヤシの木を倒してみると、海の中をふわふわと進み始めた。 「古泉君、迎撃してみて!」 ハルヒは古泉と代わってヤシの木を押しながら指示を出す、朝比奈さんと長門――本を読みながら――も一緒になって 押しているが魚が迫る速度には到底及ばない。 ぎりぎりで避けようにも速度が全然足りないぞ? 「……だめみたいですね」 古泉の赤い玉は魚に向かって正確に飛んで行ったが、特に変化は無くダメージを与えられたようには見えない。 俺達の中で古泉以外に遠距離で戦えるのは朝比奈さんくらいだが、古泉の赤い玉程の威力はないし海中で弓は殆ど意味が ないだろう。 だからといって接近戦ができる相手じゃないぞ? どうみても。 「どど、どうしましょう?」 やはり朝比奈さんには期待してはいけないようだな。 すがりついて聞かれると男らしく答えたい所なんですが、どうしたらいいかはむしろ俺が聞きたいです。 みくるちゃん号の移動速度は海中ではそれ程出ないようだ、まさか巨大な魚に食べられるのもストーリーの内なのか? ピノキオみたいな展開なのか? 間違ったら確実にゲームオーバーだぞ? 断言しよう、今ほどゲームの攻略サイトを見たいと願った事はない。 「なんとか目くらましをしてみます!」 古泉が両手を上に伸ばして赤い玉を作り出す。 それは見ている間に古泉の頭上でどんどん巨大化していき、みくるちゃん号を包む泡よりも大きく膨らんだ所で止まった。 古泉がそっと手を前に降ろすと、玉はそれに従い魚の進路を塞ぐ位置で静止する。 そいつをぶつけるのか? 「それで倒せるのでしたらそうしたいところですが……残念ながら巨大化させても威力は変わりませんし、こうすると殆ど操作 できないんです。ですから僕には魚の視界を塞ぐ事しかできません。ですがそうしたところでこのままでは」 玉ごと俺達も一緒に食べられたらそれまで。 「その通りです。僕は玉を維持しなくてはいけません、皆さんでなんとか逃げる方法を考えてください」 古泉の表情は一見いつもの営業スマイルなのだが、そこにいつもの余裕がないのが感じられてしまった自分が嫌だ。 「わかったわ、任せておいて!」 ハルヒが満面の笑顔で自分の胸を叩く。 魚がここまで来るのにそんなに時間は無いぞ? 無駄に自信いっぱいで請け負っているが何か考えがあるのか? どうするつもりだ? ハルヒはヤシの木の根元、長門の隣に積まれた空気の実を一つ手に取った。 「この空気の実が多過ぎるから沈む速度が遅いと思うの、だからあの魚が迫ってきた所でこの実を捨てちゃえば みくるちゃん号は一気に沈んで逃げられると思わない?」 なるほど、確かに効果はありそうだな。でもな? それで助かったとして、今より浮力を減らしてどうやって海上に戻るんだ? 「それはそれよ、いざとなれば泳げばいいじゃない。いい? 緊急事態では現状を生き残るのが最優先なの! 緊急避難なら 自分の命を守るって名目だけあればどんな罪でも許されるの! 後悔は後で悔やむから後悔なの! 助かった後の事は 助かった後に考えればいいのよ!」 わかったようでわからない説明だ。ハルヒはといえば早く自分のアイデアを試したいのか、うずうずしている。 しかし他に何かいいアイデアがあるわけでもないな。 わかった、タイミングが勝負だぞ? 「それは任せて、このあたしが最高のタイミングを指示してあげるわ!」 俺と朝比奈さん、今回ばかりは読書をやめて手伝う長門の3人は両手いっぱいに空気の実を抱えてハルヒの合図を待った。 念の為に残した空気の実は5つ。最悪の場合には一つずつ持って海に逃げる為だ。 「だ、大丈夫ですよね?うまくいきますよね?」 不安で脅える朝比奈さんの手は震えている。 大丈夫ですよ、なんとかなりますよ。 何の力も無い一般高校生の俺には、不祥事が発覚した政治家の参考人招致の如く適当な事しか言えない。 が、それで朝比奈さんの不安が僅かでも解消されるのであればいくらでも適当な事を言い続けよう。 長門はいつものように無表情だった。 何か緊張をほぐすような事を言おうかと思ったが、思いつかないしそれ以前に緊張していないだろうから必要も無い だろうな。 「みんな構えて!」 いよいよ時間もないらしい、空気の実を持つ手が汗ばむのがわかる。 迫ってきた巨大な魚は、すでに古泉の巨大な赤い玉よりも大きくなっていた。 空気の実を投げてすぐに効果が出るかはわからない、ここはハルヒの悪運にかけるしかないな。 俺達の視線を一身に受け続けているハルヒが、 「今よ!」 自分も空気の実を投げながら叫んだ。ハルヒの声にあわせて俺達も空気の実を海中へと投げる。 海水に穴を開けるように空気の実が進んでいくと、みくるちゃん号を包む泡が目に見えて小さくなった。 「嘘」 ……嘘だろ? 「そんな」 「……」 最後の沈黙は長門。 変化はただそれだけだった。 島を包む泡が小さくなっただけで、浮島は下降することなく海中で静止している。 流石の古泉も青い表情でこちらを振り向いて固まっていた。時間が無いのを思い出したのか、古泉が再び両手を 赤い玉へと向ける。 「ふんもっふ!」 気合を込めて両手を突き出す古泉に押されるように、巨大な赤い玉は魚に向かって進んでいく……が、その速度は あまりに遅くてとても巨大な魚を退治する様な効果があるとは思えない。 このまま玉ごと俺達は飲み込まれておしまい……そんなバットエンドが頭をよぎる。 神様! もう二度とバットエンドのCG回収なんてしません! などという悠長な事をしている場合じゃない、神様よりも長門様だ! 長門はどうしてる? SOS団の秘密兵器は空気の実を投げた体勢のまま、無表情で立っていた。 嘘だろ? こいつにも予想外の事態だとでもいうのか? 魚がいよいよ目前に迫り、その巨大な口を開いた時 「きゃー!」 みくるちゃん号はまるで生きているかのように急速に下降を始めた! 間一髪ってのはこの事だろう。 ぎりぎりの所で回避は間に合い、みくるちゃん号は魚の通り過ぎる勢いで多少島は揺れたもののそのまま急速に 沈み続けていく。 獲物を食べ損ねた魚はすぐに旋回してこちらに向かってこようとしたが、 「どうやら……助かったようですね」 みたいだな。 魚は潜行できずにどんどん海上へと浮き上がっていっている。 よく見ると俺達が投げた空気の実をいくつか飲み込んでしまったのか、腹部が異常に膨れあがっていた。 全部偶然か? それともイベントだったのか? 「よかった……私たち助かったんですね」 半泣き、というか本気で泣いている朝比奈さんがしがみついていたヤシの木からよろよろと立ち上がった。 その途端にみくるちゃん号の下降が止まる。 「え? え?」 あまりのタイミングのよさにみんなの視線が朝比奈さんに集まる。 「わ、私何もしてないです。怖くてヤシの木にしがみついてただけで……」 「みくるちゃんそれよ!」 ハルヒがいつもの元気を取り戻して朝比奈さんを指差した、というかつきつけた。 思わず悲鳴をあげて、朝比奈さんの視線がつきつけられた指に集まり寄り目になる。 「ヤシの木を掴んで下にひっぱればよかったのよ!」 ハルヒは俺達をかきわけてヤシの木に近づくと、木の幹を掴んで下に引っ張るようにしゃがみこんだ。 その動きに合わせるようにみくるちゃん号は下降を始める。 「なるほど!長門さんが手を添えて読書をしていた時も腕の重さで僅かですか加重がかかっていたから、島は沈み続けて いたという事ですね」 俺が試した時は木に触っただけだからダメだったって事か。 「ナイスよ、みくるちゃん! 船に貴女の名前を付けて大正解だったわ!」 「え……あ、そんな」 ハルヒと古泉の説明を聞いてもいまいちわからなかったようで、朝比奈さんは表情に疑問符を混ぜたまま微笑んでいる。 「ただいまをもってみくるちゃんをSOS団、団員から団長補佐に大抜擢するわ! 2階級特進よ! これは栄誉な事よ? 町内や親戚中だけでなく末代まで語り継がれるに違いないんだからね?」 お前の補佐が昇進って新手のいじめかよ、2階級って事は団長補佐は副団長より上もしくはそれ以外の階級がある事に なるのか? ……まあ突っ込むのはやめておこう、なんだか面倒ごとが増える気がする。 あ、朝比奈さんの末代となるといったい何十年先の話になるんだろうな。 一人で盛り上がるハルヒと困った顔の朝比奈さん、適当に相槌を打つ古泉……。 そんないつもの光景の中で、やはりいつものように問題点に気づくのは俺の役目だったらしい。 それは長門の事だ。 さっきの渦といい今回の魚といい、本当に危険だったのにも関わらず長門は何もしないでいた。 ハルヒの観察が目的だとは聞いているが、こいつは本当の意味での危機にはいつも人外の活躍をあっさりやってのけて くれてきた。 そのおかげで俺の心臓は土に還る事無く今も体内に血液を送り続けてくれている。 でも今の長門はいつものような読書好きの最終兵器って感じじゃない気がするんだが……。 なあ長門。 いつの間にか定位置で読書に戻っていた長門が、俺に僅かだが顔を向ける。そんな仕草はいつも通りなのだが違和感は 消えない。 もしかして、今のお前はいつもみたいに何もかも全部わかっている……ってわけじゃないのか? 「……」 質問の意味がわからないのか、長門は何も答えない。 その、いつもの長門にはどんな異常事態が起きても対処できるって感じの自信があるような気がしてたんだが。 あまりにも無責任な押し付け的発言にしか聞こえないだろう、俺もそう思う。 捨て猫を拾ってしまったとか、テスト前に筆記具を忘れたのに気づいたとか、同じクラスの誰それが好きになってしまった~とか そんな感じの普通の相談であれば俺を頼りにしてもらっても構わない。 しかし、だ。 野良猫が流暢に日本語を喋ったとか、テスト週間に彼氏が閉鎖空間に閉じ込められたとか、同じクラスの委員長に放課後 呼び出され突然命を狙われた~とかそんな感じの相談をされても俺には何も出来ないんだ、すまん。 って俺が謝る事かどうかはわからんが。 しばらく黙ったままだった長門が、読書に戻る間際に呟いた。 「情報統合思念体と限定的にしかコンタクトできない今の私に、貴方の言う危険排除的行為は限定的にしか出来ない」 本に目を戻した長門の表情が悲しそうに見えるのは俺の罪悪感からなのか、本当に長門が悲しいのかは判断できそうにない。 っていうか俺が無茶を言ってるだけで長門が悪いんじゃないしな。 最初の街で不調な事を聞いてはいたけど、まさかそんな深刻な状態だったとは思ってなかったぜ。 命の危険から助かったはずの俺が、この先の事を考えて再び青い顔でしゃがみこんだのは仕方が無い事だ。うん。 「……どうやら見えてきたようですね」 しばらく潜行を続けたみくるちゃん号から、ついに海底が見えてきた。 岩地や珊瑚といった自然の景色の中に、一際目立つ人工物が見える。 海水越しで歪んで見えてはいるが間違えようも無い日本建築、巨大な城が海底にあった。 またあの魚やまだ見ぬ巨大海洋生物が出て来ないとも限らない、俺達は急いで城へと 「待って、あっちに町が見えるわ」 ハルヒが指差す方には僅かな明かりが見えた、海底に明かりを放つような物……くらげとかだったら嫌だな。 「建物も見えるしちゃんとした町みたい、先に武器を揃えましょう」 そうだな、城の情報が聞けるかもしれない。 少しでも情報はあったほうがいいに違いないな、実はさっきの魚がボスなんて事じゃなければいいんだが。 「さっきの魚でも相手に出来るような武器が欲しいわね」 そんな武器がもしもあってもお前にだけは渡さん、俺はそう心に誓いながらみくるちゃん号の進路を町の方へと変更させた。 ――みくるちゃん号を海底の町の入口に止めると、最初に降りたのは予想通りハルヒ、空気の実を掴んだまま島から 飛び降りていった。 空気の実の効果は絶大で、空気の層は大きくハルヒを包みこんでいてどうやら海水に濡れる事はないようだ。 それにしても普通は躊躇うだろ? 恐怖ってもんを幼稚園辺りに置き忘れてきたんじゃないのか? 「みんな早くきなさい!ゲームなんだから大丈夫だって」 ……そうか、こいつはまだここがゲームなんだと思ってたんだったな。 「涼宮さんに不審に思われる前に僕達も続きましょう」 続いて古泉、 「……」 長門、俺と順番に降りて 「あのキョン君、手を貸してもらえますか?」 朝比奈さんが最後に降りて俺達は海底の町へと入っていった。 「有希、またどんな武器がいいか見てくれない?」 ちいさくうなずく長門。 頼むぞ長門、なるべく殺傷能力が低そうな武器を選んでやってくれ。ああでも、敵を倒せないのも困るな。 火力と安全を天秤にかける俺を無視して、 「決まりね、じゃあみんなは情報収集! 私達ですんごい武器を大量に仕入れてきてあげるから期待してなさい! 10分後に ここで集合! 時間厳守だからね?」 別れて行動する事になった、らしい。 ってまさか買うのは武器だけかよ?防具も買えよ! 長門を引っ張って武器屋を探して走っていくハルヒ、あいかわらず俺達の意見は聞く気はないようだ。 っていうか俺はいつまで盾だけ装備してればいいんだろうな。 「では僕は向こうに行ってみます。朝比奈さんは一人じゃ危ないですし、キョン君と一緒に向こうをお願いしますね」 お前がキョン君と呼ぶな!と普段ならそう思うところだが、むしろよく言った古泉! 以心伝心ってやつをちょっと信じそうになったじゃないか。 もしもお前が本気で望んでいるのなら、今度いっちゃんと呼んでやってもいいぞ。 古泉が近くの店に入っていくのを見届けてから じゃあ俺達も行きましょうか。 「はい」 俺達は2人並んで海底の町を歩き始めた。 今までは落ち着いて見る時間も余裕も無かったが、この海底の街では上を見上げれば小魚が群れをなして泳いでいたり、 回りの岩陰には色彩豊かな珊瑚があったりと生涯見ることもないような凄い景色が広がっている。 これがゲームだってわかってても、綺麗な物を綺麗だと思って問題なんてないよな。 「凄く綺麗なところですね~」 そうですね。 まさか朝比奈さんと海底散歩が出来るなんて思ってもみなかったよ、本当。 数時間前までは俺達はごくごく普通に電車に乗って隣町まで移動して、ゲームセンターを楽しみにしてたんだとは 到底思えない展開だ。どっちがよかったかと聞かれたら迷うところだな、これで危険はなく平和に元の世界に戻れるという 確証があるのなら正直悪くない面白さなんだが。 なんとなく会話が途切れて、俺達は無言で歩いていた。 途中、朝比奈さんが立ち止まった事に気づいた俺は、数歩進んでも朝比奈さんが歩き出そうとしないのを見て立ち止まった。 「キョン君、あの「へへへ、線が交わった所だぜ兄ちゃんよ。交わったへへへへー線だぜ。へへ」 朝比奈さんが何か言おうとした瞬間、俺と朝比奈さんの前にふらふらと割り込んできた男はでかい独り言を言って、また ふらふらと立ち去って行ってしまった。 なんだ?今の……。 「なんだったんでしょうか……」 何かのヒントでしょうね、きっと。 それが何の事なのかはまだわからないですけどね。 「え、本当ですか?」 朝比奈さんが嬉しそうに微笑むその顔を見たら、このゲームの製作者は間違いなく泣いて喜びます。 今の内容を覚えておくと、後で役に立つと思いますよ。 「ま、待ってください。えっと、メモを持ってきてたと思うんだけど」 小さな可愛らしいバックからメモとペンを取り出して 「えっと……へへへ……なんでしたっけ?」 そこは覚えてなくていいと思いますよ? でもそこが貴女らしいと思います。 あえて訂正しない事にしよう、後で朝比奈さんがメモを朗読する時が楽しみでもある。 確か、線が交わったところだぜ~だったと思います。 「線の……線の交わった……」 俺が言ううろ覚えなセリフを真剣な顔でメモを取る朝比奈さん。 その様子をなんとなく見ていると、メモのページに色々書かれている文字が見えてしまった。 偶然ですよ、偶然。日付とお弁当の内容なのだろうか?色んな料理の名前が書かれている。 あれ? 俺の名前が書いてあるような……。 何が書いてあるのか確認しようと少し顔を寄せると 「あ」 俺の視線に気づいた朝比奈さんが急いでメモをしまってしまう、その表情は怒るというより驚いているといった感じだ。 「見、みミ」 う、これは隠しても仕方ないよな。 少しだけ。 指で小さいというジェスチャーをしながら俺は素直に謝る事にした。 さらにショックを受けた朝比奈さんは後ろを向いて、そのページに何が書いてあったのか確認している。 そのまま10秒ほど固まっていたが 「な、何行目まで見ちゃいました?」 後ろを向いたまま泣きそうな声で聞いてきた。よく見ると肩が小刻みに震えている。 えっと、そこまで詳しくは覚えてないんですが……ここは少なめに伝えた方がよさそうだな。 すみません、ベーコンとポテトのオムレツってとこだけです。 確かページの一番上にはそう書いてあったはずだ。 「よ……よかったぁ……」 まるで携帯電話を洗濯してしまったと思ったら洗濯機の裏に落ちていた、くらいの安堵感を感じさせる声を出しながら 朝比奈さんは振り向いた。 すみませんでした。 何故そこまでショックを受けているのかわからないが、きっと未来人独特の理由があるんだろうな、多分。 「あ、いえ私が悪いんです。もっと注意深く行動しないとダメって何度も言われてるんですけど」 困った顔で笑っているが、朝比奈さんにそんなダメ出しをしているというのはいったい誰なんだろう? そのメモ内容って禁則事項だらけなんですか? 「あ、そうでもないんですけどそうなんです」 すみません、長門や古泉の説明くらい意味がわかりません。 「えっと、これは本当にただのメモです。でも私は過去の情報を全てじゃないですけど知っているので、万一の事を考えて 過去の歴史を変えてしまわないようにメモとか私的な文章はその時代の人に見せちゃいけないって事になってるんです」 なるほど、意識して書いた文章ではなくても歴史を変えてしまう事があるかもしれないからか……。 でも待てよ? 以前、夏休みの宿題の時に見せてもらった朝比奈さんのノートって、色んなメモがそこら中に書いてあったと思うん です……って朝比奈さん? 突然、顔面蒼白になりついには声を上げて泣き始めた朝比奈さんをあやしていると 「キョン……あんたまさか……」 純度150%、明確な殺意がこもったハルヒの声が俺の背後から聞こえてきた。 100%よりも50%多いのはまず半殺し、その後殺害するという意志の表れだとかなんとか。 恐る恐る振り向いて見ると、長門を連れたハルヒが大きな袋から何かを取り出そうとしているのが見える。 それにしても最初から見張っていたかのようなタイミングだな。 これが偶然だと言いはるのであれば、さっきの魚を回避できた時よりも偶然なのかを疑うね。 「涼宮さん違うんです! 全部私が悪いんです!」 真っ赤に目を腫らして涙声で朝比奈さんが謝っても効果があるはずもなく、むしろ逆効果だった。 ハルヒは仕入れたての武器を構えて俺を再び睨んでいる。 右手に持ってるそれは青竜刀ってやつか? 叩き切るのを目的としたような無骨なデザインだな。それだけでも十分に 危険なのだが、反対の手に持ってるのは凶悪さではさらに上を行っている。 黒く光る金属の塊、アメリカさんの娯楽映画でよくみかけるそれは…… ま、待て落ち着け! ハルヒ、まずはその物騒なマシンガンを降ろせ! 銃は剣より強し、って誰の名言だったっけな? その中に盾を混ぜても銃より上になるとは思えない。 「サブマシンガンよ!」 名前なんてどうでもいい! その後、圧倒的な火力の前に無実にも関わらず無条件降伏させられた俺は、やっと泣き止んだ朝比奈さんのたどたどしい 嘘によって無事開放された。 その間には情報収集を終えた古泉も戻ってきていたのだが、当然援護に入るわけでもなくのんびり微笑んでいやがる。 お前、まさかこうなる事を最初から予測していたのか? 長門はと言えば、ハルヒから「調整する」と言ってサブマシンガンを受け取り、まるで長年愛用してきた私物であるかのように 手早く分解して整備している。 もしかしてこれは万一にでも俺が射殺されてしまわないようという長門なりのフォローだったのかもしれないな。ありがとう長門。 ――かくして刑は宣告される。 「理由がなんだろうと女の子を泣かせたんだから罪は罪よ! ゲームが終わるまで荷物持ち、いいわね!」 武装を充実させたハルヒはその実力を試したくて仕方が無いらしく、 「さあ! 青龍をやっつけに行くわよ!」 ある意味、目的に相応しい名前である青竜刀をぶんぶんと振り回しながら先頭を歩いている。 黒光りする金属の塊、サブマシンガンはどう考えても似合わない朝比奈さんに渡された。 「みくるちゃん、今度キョンが変な事したら撃っちゃっていいからね。あたしが許可するわ!」 などと言ってハルヒが押し付けたのだ。 古泉と長門は相変わらず装備無し。 俺には新装備が支給された――予想通りまた盾だったよ。 ああ、それと俺には大量の荷物が追加された。それは大きな袋に入っているのだが、長門のおかげらしく殆ど重量を感じない。 中身はジュースやお菓子、後はサブマシンガンの弾なんかが入っているらしい。 ハルヒ。一応言っておくが、目的は青龍が大事にしている赤い宝玉を手に入れる事だからな? それもイベント的に見て重要そうだから、だというだけの盗賊まがいの理由で探しているんだが。 「そんなのついでよ、宝探しもいいけどボスを倒すほうが楽しいに決まってるじゃない。ドラゴン殺しよ? ドラゴン殺し!」 どうやらこいつに戦闘を回避するという発想は無いようだ、青龍ってのが戦うのを躊躇うような友好的な奴じゃないといいが。 町で聞いた内容をまとめると、青龍は赤い宝玉を大事に守っている。 竜王ってのは地上で隠居していて青い宝玉を持っていたらしい。 どうやらその二つがイベントアイテムらしく、例の「線の交わった所」というヒントは今のところ何の事かわからない。 と、こんな所だ。 空気の実のおかげで海底を歩く事ができる俺達は、何事もなく海底の城に辿り着いた。 ――城の門は開いたままで門番の姿はなく、門の上には 「竜宮城……ですか」 乙姫様でも居るのか? 年代を感じさせる木の看板に、達筆な文字で竜宮城と書かれていた。 城の名前を見て色々考えている俺と古泉を無視して、ハルヒはさっそく城の中へと入っていく。 「鯛やヒラメはみんなまとめて活造りにしてあげるわ!」 せめて踊らせてやれ。 城の中は外見とは違って質素な造りだった。考えてみれば海中にあるんだから調度品があっても流れていってしまうもんな。 迷路らしい迷路もなく、単純な通路を進んでいくと 「……卵?」 巨大な人間ほどの大きさの卵が並んでいる部屋に出た、大きな広間を横切るように一列に並んで卵が置かれている。 「奥にも部屋があるようですよ」 同じような部屋が奥にもあり、そこにも卵が一列に並んでいた。さっきの部屋と違うのは卵の並びが縦に並んでいる事 だけのようだ。 その奥にも部屋があったのだが 「うわぁ……」 その先の部屋は床一面に卵が並べられていた。 全部で100個以上はあるだろう、まさかこの中から宝玉を捜すって事なのか? 「ねえキョン、これって割っていいの?」 ぺしぺしと卵を叩きながらハルヒが怖い事を言い出す。 それはまずいだろ。 ゲームの中とはいえ無用な殺生はしないほうがいいに違いない。 なんとか割らずに済む方法はないだろうか? と考えていると――ピシッ――ハルヒが触っていた卵が突然音を立てて 亀裂が入った! 驚いて距離を取った俺達が見たのは、卵の中から這い出してくるヤドカリもどきだった。 何がモドキかと言えば 「この辺りの海は生態系そのものが巨大化しているのかもしれませんね」 何をのんきな事を? でかかったのだ、単純にサイズが。流石にあの魚程ではなく大型犬サイズなのだがそれでも十分に怖い。 しかしハルヒはそう思わなかったらしく、躊躇う事無く青竜刀を叩きつけやがった。 あっさりと貝は真っ二つに割れて宿を失ったヤドカリは逃走していく。 「雑魚の相手をしてる時間はないわ。これからどうすればいいのかしら」 あれが雑魚なのかよ。 あまりに一瞬の出来事だったが、正直俺ではあのヤドカリにも勝てないのは間違いない。 「全部の卵を確かめていたら大変ですね、今までの情報の中で何かヒントがあるはずです。聞き逃してしまっているのなら、 一度町まで戻らないといけませんが」 「あ、ヒントなら!えっと……」 朝比奈さんがメモを取り出して、さっきの事を思い出したのか慌ててメモ隠しながらこそこそとページをめくる。 そんな怪しい動作をするとですね? 「みくるちゃ~ん、何か見せられないような事を書いてるのかな~?」 声色は優しいが、絶対に中身を見てやるという意思を感じさせる声をかけながらハルヒが朝比奈さんに近寄っていく。 俺の予想通り、最悪の人物に興味をもたれてしまったようだ。 「あ、ありました! ヒントは、へへへ、線が交わった所だぜ兄ちゃんよ。交わったへへへへー線だぜ。へへ……です!」 「そんな事はどうでもいいの」 いいのか。 あっさりとヒントを無視されて驚く朝比奈さんは、自分が獲物に選ばれている事に今更ながら気がついたようだ。 「団長補佐たる者、団長に対して隠し事を持ってはいけないわね」 ああ、あれはもう謎解きの事は記憶の片隅にも残っていない目だ。 絶望的な表情を浮かべて逃げ場を探す小動物のような朝比奈さんを、大型肉食獣さながらの威圧感でじわじわと追い つめるハルヒを見ながら、 「こう見えて謎解きには少し自信があるんですよ」 任せた。 俺達は先にゲームを進める事にした。 線……っていうとなんだろうな。ただの石造りの大部屋には卵があるだけで、床に線が書いてあるわけでもないようだ。 「もしかして卵の下に線が書いてあるのかもしれませんよ?」 なるほど、ありそうだな。 俺はハルヒが結果的に割ってしまった卵のかけらを避けてみた、が。 何もないな。 殻の下には他の床と特に変わりはなかった。 長門は謎解きって得意なのか? 長門ならナンプレやピクロスなんてノータイムで埋めそうな気がするんだが。 しかし意外にも長門は首を横に振った。それこそノータイムで。 そのまま長門は何も喋らなかったので仕方なく そ、そうか。 と俺が言う事になったようだ。 「人の心はかくも複雑である、という事なんでしょう」 古泉は無責任にわかったような事を言っているが、案外それが正解なのかもしれない。 と、なるとだ……もしかしてこの卵そのものが線って事か? 「素晴らしいです、きっとそれが正解ですね!」 古泉がわざとらしい拍手をしながら歓声をあげる。 お前、実は全部わかってて言わなかったんじゃないよな? 今更だが、これが全部お前達の機関の仕業だというなら俺は喜ぶぞ?もう十分に楽しんだ、今からでも現実世界に帰してくれ。 「卵の大きさからすると……横の軸をA、縦の列を1とするならば……縦は2いや3ですかね……」 残念ながら古泉からネタばらしの告白はなく、俺達は目的の卵探しを淡々と続けた。 ああ、朝比奈さんはハルヒにあっさりと捕まって、今は床を転がりながらメモの争奪戦が行われている。 すみません朝比奈さん、あいつの興味をメモからゲームに戻すには俺達が頑張るしかないんです。 しばらく耐えていてください。 ――数分後。 「これが目的の卵のようですね」 古泉がそう言って選んだ卵は、他の卵と見た目では何も変わらなかった。 「じゃあ俺が触るから、お前はヤドカリだった時の為に攻撃準備。長門は少し離れててくれ」 「了解です」 俺は2人がそれぞれ離れたり、手のひらに赤い玉を浮かび上がらせたのを確認してからそっと卵に手を触れた。 硬い質感の殻に触れると、それはあっさりとひび割れて砕け散り、 「ビンゴ、本物ですね!」 砕けた卵の中には、赤い玉が真珠のように殻の中央に置かれていた。 そっと玉を手に取ると、 「誰だ。俺の玉を盗んだ奴は?」 部屋の奥の壁から大きな声が響いてきた。 「何? 見つかったの?」 今更だがハルヒがやってきた。戦利品らしいメモは、すでにボロボロで解読不能になってしまっているがどうでもいいらしい。 一緒に涙目の朝比奈さんも居るのだが、ただでさえ肌の露出が多い衣装がはだけてしまって最早、直視するだけで こっちが逮捕されそうな感じになっている。 「ええ、ボスの登場のようですよ」 古泉は何故か楽しそうに答えるが、俺としてはそんな楽観的にはなれそうもない。 逃げたほうがいいんじゃないのか?どう考えても悪いのはこっちなんだ、あの声は謝れば許してくれるって感じじゃないぞ? 極めて常識的な提案をしてみた。無駄だとは思うが今ではそれが俺の義務のようにも感じている。 「だったら後腐れなく、ここで退治するまでね」 窃盗犯が強盗犯になる理論をそんな力強く言われてもなぁ。 「でもでも、空気の実がいつまで効果があるのかわかりませんから、キョン君が言うように逃げたほうがいいんじゃ」 確かに、信用材料が「ゲームだから」という理由だけでは命を賭ける気にはなれないぞ。 ハルヒも酸素がなくなるのは多少困るらしく、一瞬考えた後 「そうね。じゃあ海上までおびき出して、そこでやっつけましょう」 何故そこまでやっつけるのにこだわるんだろうね、こいつは。などとのんびり話している時間はなかったようだ。 壁の一部が開いて、巨大な蛇に腕と髭と鬣が生えた様な姿、いわゆる骨董品に描かれている龍が生き生きとした 動きで現れた。 あまりにも非現実すぎる光景にこれってCGじゃないのか? と思ってしまうのは、俺がゲームのやりすぎなんだろうな。 一旦退却と決まった以上、ここに留まる理由はない。 逃げるぞ! 俺達は一斉に走り出した。それを見た青龍も巨体をくねらせて結果的に卵を次々と壊しながら追いかけてくる。 部屋を抜けるのは俺達のほうが早そうだが、卵という障害物がなくなったらすぐに追いつかれてしまうだろう。 どうしても走るのが遅い朝比奈さんをフォローする為、 古泉! 「了解です」 俺は上着を脱いで朝比奈さんを包み抱えて走り出し、古泉は赤い玉で青龍を牽制しだした。 「キョ、キョン君?」 すみません! 驚いた声をあげる朝比奈さんは今回ばかりは無視だ。 詳しい説明をしている時間はないし、それ以前に今の朝比奈さんの服装を長く見ていたら俺の理性のほうが青龍なんか よりよほど危ないんですよ。 「貴様っ! 俺の宝玉を投げるな!」 青龍は感性の法則を無視して飛び回る古泉の赤い玉を追いかけていく、これはもしかしていけるんじゃないのか? 「どうやら、宝玉と僕の赤い玉を間違えているようですね」 古泉は青龍の手が、ぎりぎりで届かないように赤い玉を操作して時間を稼いでいる。 ハルヒと長門はそろそろ城の外に出た頃だろう、俺達もそろそろ逃げたほうがいい。 最後の曲がり角まで来た古泉は、時間稼ぎの為に赤い玉を今走ってきた通路の奥に向かってまっすぐ飛ばして 自分も逃げ出した。 「早く乗って!」 城のすぐ外ではみくるちゃん号が待機していた、長門とハルヒがヤシの木を掴んで待っている。 俺は朝比奈さんを先に島に乗せて、自分も急いで島に登った。 古泉急げ! 島は少しずつ浮上を始めている。 「お待たせしました」 最後に出てきた古泉の腕を掴んで、 いいぞ! ハルヒ達3人が一気にヤシの木を引っ張り上げるのと同時に、重力を感じるほどに急加速で浮上していくみくるちゃん号。 直後に城から怒り狂った青龍が飛び出してきたが、すぐに小さくなりついには見えなくなっていく。 楽しそうにヤシの木を引っ張っているハルヒにその事を伝えたら、本気で減速しかねないので俺は黙っておく事にした。 ――だが、その事を直後に後悔する事になる。 3人の手でひっぱられたみくるちゃん号はどんどんと上昇速度を加速させていき、遥か上に僅かに見えていた太陽の煌きは あっという間に広がっていって おいハルヒ、ちょっと減速し 俺が喋り終える前に 「いけーー!」 海面を突き抜けてみくるちゃん号は空を飛んだ。 あーもう、どうにでもしてくれ。 勢いだけで海中から飛び出したみくるちゃん号はその後勢いを失い、当然の如く引力に引かれて落下をはじめた。 幸いなのか垂直に飛び出していたらしく、下には海面が見えている。 ああ、こんな状態で冷静でいる自分が嫌だ。 これはハルヒと一緒にいる時間が長い為にみられる症状だと断言できるが、労務災害として認定されるのかね? されるんだとしても誰に請求すればいいのかわからないがな。 「ひぃえええ~~」 可愛い声でヤシの木にしがみつく朝比奈さんみたいに正気を失ってしまえたら、今より少しは楽になるのだろうか。 だが、俺が悲鳴をあげたところで可愛くもなんともないので、やはりこれは朝比奈さんの役目なのだろう。 他の奴らはといえば、何故かここでも余裕で本を読む長門、それ以上に余裕で何にも掴まらないまま仁王立ちで 笑っているハルヒ。 気づいてないだろうがな、スカートは落下中は慣性に逆らう事無く浮き上がって……突っ込むのはやめておこう、 言っても無駄だしそんな時間も余裕もない。 俺と古泉は一般人らしく地面に伏せて海面との衝突に備えた。古泉は一般人ではないが。 みくるちゃん号ほどの質量を持つ島が数メートルの高さから海面に叩きつけられた時の衝撃を想像して、そうする事に 意味は無いが思わず目を閉じる。 不意に重力に引っ張られて落下していく感覚が消え……そのまま待っても続いて来るはずの衝撃はいつまでたっても 来なかった。 「……あれ?」 みくるちゃん号は何事も無かったかのように海面を漂っている。 何故か不満げなハルヒ。 「拍子抜けね。水飛沫がこう、ど~んってあがるのを期待してたんだけど……まあ現実はこんなもんよね」 いや、現実なら俺達は落下の衝撃で海面に放り出されて波間を漂ってると思うぞ。 「怖かったです~」 さっきから泣きっぱなしの朝比奈さんだ、ここまで可哀想だと彼女にそろそろ何かいい事が起こらないかと願ってしまう。 「はいはい泣かないの、有希を見てみなさい。この余裕。団長補佐ならこれくらいの余裕を持ってなきゃだめよ?」 長門は海中からの脱出中もずっと読書を続けていたよう……ん? よく見ると長門の左手が、ハルヒから死角になる位置で地面を触っている。 長門にしては1ページを読むのに時間がかかっているなと思っていたがそうではないようだ。 何をしてくれていたのかはわからないが後で聞いてみよう。 「無事脱出できた事を喜びたいところですが……僕の赤い玉がたった今、破壊されました。あれが宝玉では無い事に 気づかれてしまったようですね」 ってことは俺達を追いかけてくるって事か。 「なになに? さっきのドラゴンと戦えばいいの?」 だから何で戦いたがるんだお前は、その闘争心を別の事に活かせよ。 「そうなるのも時間の問題でしょうね。ですがここでは足場も狭いですから、どこか陸地に向かうべきだと思います」 「そうね……じゃあ、あの島なんてどう?」 ハルヒが指差す先には小さな島が見えていた、確かにみくるちゃん号の上で戦うよりはよほどましだろう。 でもあれでは逃げようが無い。 古泉にはこれ以上提案する様子がないようだ、暗に俺に言えと言われている気がして気に入らないが仕方ない。 海底の町で朝比奈さんと2人っきりにしてもらった借りもあるからな。 ハルヒ、ここから最初の島に戻れないか? 「え? なんでよ?」 う、ここで退路を確保するなんて理由ではこいつは動かないだろうな……。 「時間短縮にもその方がいいかと思います、このゲームはまだ先がありそうですが、効率的に進めれば今日中に クリアできるでしょうし」 ナイス古泉、今日はずいぶん協力的じゃないか。 「もちろんクリアして帰るわよ、中途半端なんて絶対嫌だからね!え~っと……あの島が地図のここなら……えっと」 ハルヒの闘争心をボスからクリアにうまく誘導する事に成功した俺達が、視線を合わせ心の中で小さくガッツポーズを したのは言うまでも無い。 塔に着いても青龍が現れなければ、そのまま塔に逃げてしまえばいいもんな。 あ、しまった。クリスタルを手に入れないと塔の上には進めないんだったっけ? 腕を水平に伸ばし、親指と小指を広げたりしながら島と島を見比べていくハルヒはなんというか素人には見えない。 それってなんか意味があるのか? 「後方公開方よ、常識でしょ?」 さらりと言いやがる。 どこの国の常識だ。独裁国家、ハルヒハルヒ帝国とかか? 「そうよ」 自分が独裁者だという事を認識していたのか、そうかそうか。 「まあ冗談はいいとして、前に大きな図形を書きたくて勉強したの。便利よ?これ」 ああ、今更だがお前があんなに巨大な文字を書けた理由がわかったよ。正しくは書いたのは俺で、指示したのはハルヒだが。 自作宇宙人語で「私はここにいる」だっけか?俺は文字の意味をハルヒからではなく、長門に教えてもらったんだが一つ 疑問が残っている。あの文字はハルヒが適当に書いたのが宇宙人語の文字とたまたま一緒だったのか、それともハルヒが そうであると望んで書いた適当な文字が宇宙人語になってしまったのか……。 まあ、どっちでもいいさ。たまごが先か鶏が先かみたいな答えが出ない話になりそうだ。 どうせ本人には聞けない質問だしな。 地図と海とを何度か見比べて、 「わかったわ、ここからほぼ真南に進めば塔のある島に辿り着くはずよ。時間で言うと3分半ってところね」 「了解です」 古泉は待ちかねたようにヤシの木を倒し、みくるちゃん号は海上を再び進みだした。 「どうやら役者が揃ったみたいね」 ハルヒの予測で言えば、塔のあった島まで残り1分という所で不吉な呟きが聞こえてしまった。 こいつが何か言い出す時は予想の斜め上の出来事が待ってるんだ。だが、なんの対策を取る事もできないとわかっては いるがせめて心の準備はさせて欲しい。 なんのことだ? ハルヒの邪悪な笑顔を見た途端、最悪の想像通りだった事に気づいた俺は聞き返した事をに後悔した。 「ドラゴンがお待ちかねよ!」 そう言いながらハルヒが指差す先には、塔の姿とその前に居座る青龍の姿が見えていた。 ……やれやれ、戦闘回避は失敗に終わったか……。 「待ちわびたぞ人間、さあ俺の玉を返せ!」 青龍はご丁寧に俺達が全員上陸するのを待ってから話しかけてきた。 意外にいい奴じゃないか、今更だが悪いのは完全に俺たちなんだし戦うのは気がひけてくる。 「いやよ。それよりあんたクリスタルって持ってないの?この世界でクリスタルの話題がでないから困ってるのよ」 お前、人の宝物を盗んでおいてその態度はないだろう。 「何をふざけた事を……その宝玉こそがクリスタルの片割れだ。貴様などが持っていていい物ではない、さっさと返さねば 海の藻屑となってもらうぞ!」 「あ、これがクリスタルなんだ。じゃあますます返せないわね! 残りの片割れってのを渡しなさい! でなきゃ剥製にして 部室の入口に……いいわねそれ! 決定、あんた剥製にしてお持ち帰りにしてあげるわ!」 ……最早どっちが悪党なのかわからないとすら言えない、間違いなくこっちが悪党だ。 こいつに機械の体を手に入れる為に宇宙を旅した少年の動機を教えてやりたい。 いつもの笑顔でいる古泉といい、この会話に僅かも参加の意思を見せない長門もたまには反論しろよ。 俺達は悪党なんじゃなくて、そこの履歴書には「触らなくても危険」と書いてあるに違いないハルヒだけだと言ってやれ。 聞く耳は持ってないだろうがな。 ああ、朝比奈さんは下がっていてくださいね?危ないですから。俺が朝比奈さんをかばう位置に移動していると、 「やれるものならやってみるがいい!」 我慢の限界がきたらしく、大きく吼えて青龍はこちらにむかって突き進んできた。 すまんな青龍、俺達もこのゲームを終わらせなきゃいけないんだ。 何故かすまない気持ちでいっぱいになった俺は、しぶしぶと盾を構えた。 長門印の盾には慣性の法則を無視するかのような力があるのは前の世界で実証済みだ。 俺は青龍の突進をなんなく防ぐ事に成功する。 しかし、止めたはいいのだがこの盾はその後はただの壁でしかない。 何故突進が止まったのか不審に思った青龍が再び力を篭めると、あっさりと俺は突き飛ばされてしまった。 「頭部は傷つけちゃだめだからね!」 無茶な事を言いながらハルヒの青竜刀が青龍の腕をあっさりと切り離した。 グロテスクな光景が広がるかと思ったがそこはゲームらしい。 切り取られた腕は地面に落ちた後、霧のように消えてしまい傷口もそのままで出血する事はなかった。 古泉の赤い弾は青龍の肌に弾かれてしまい、殆どダメージが与えられないようだ。 仕方なく後退して、止めの指示を待つ長門の護衛に専念している。 「わ、わ、ごめんなさい~」 目をつぶったまま銃を乱射するというとんでもなく危険な行為を続ける朝比奈さんだが、弾は味方に当たる事無くまるで ビデオを逆に再生しているかのように青龍の体に浴びせられていった。 何気に一番ダメージを与えているのはこの人だったのではなかろうか。 「いいわよみくるちゃん! どんどんやっちゃって!」 ハルヒと朝比奈さんの猛攻に青龍は一方的に痛めつけられていく、なんというか……すまん。 結局、いいところ一切無しで青龍は動かなくなった。 長門によって青龍の遺体は消去してもらおうとすると、ハルヒはやはり抗議してきやがった。 どうしても青龍の頭部を持ち帰りたいらしい。 聞こうじゃないか、持ち帰るとして誰が運ぶんだ? ……いや、聞くまでもないから聞かないでおこう。 「生物ですから諦めましょう」 という古泉の説得にしぶしぶ諦めたようだ。ハルヒの中でゲームと現実が混ざり始めているような気がして怖いんだがな……。 「まあいいわ……後はなんだっけ、クリスタルの片割れを探すの?」 どうやらゲームを進める事に意識が向いてくれたらしい。 「地上に隠居している竜王が持っているという玉が怪しいですね」 また強盗か、できれば犯罪行為はハルヒ一人でお願いしたい所だ。 「あ、あの。探してるのってもしかしてこれでしょうか?」 そう言っておずおずと朝比奈さんが差し出したのは、青龍から強奪した赤い玉の色違いのような青い玉だった。 「みくるちゃんこれ、どこで見つけたの?」 ハルヒが青い玉を太陽に透かしたり、傾けたりして調べている。 「あのお爺さんがくれたんです」 ああ、例の向日葵の島の老人か。 「という事はあの老人が引退した竜王だった、という事ですね」 説明役が楽しくて仕方ないのか、古泉はご機嫌だ。 「へ~これとさっきの玉が揃えば……」 ハルヒがどう見てもただの球体にしか見えない二つの玉を合わせると、急に玉は溶けるように一つになって、そこには 前の世界と色違いのクリスタルが残っていた。 まるで海の様な青色のクリスタルが、ハルヒの手の上で太陽の光を受け輝いている。 「よ~しこの世界もクリア! 次行きましょ、次!」 高々とクリスタルを掲げて真夏を体言しているかのような笑顔のハルヒ。 それを見守るように微笑む古泉。 こっそりと俺に「しばらく上着を借りていてもいいですか?」と聞いてくる可愛い朝比奈さん。もちろんいいですよ。 読む本が無くなったのか何もしていない長門。お疲れさん、全部終わったら今度また図書館に連れて行ってやるからな。 全部ってのが何の全部なのかは俺にもわからんが。 こうして二つ目の世界をクリアした俺達は意気揚々と再び塔へと戻って行った。 やれやれ、残る世界は確か3つだったはずだったよな? 涼宮ハルヒの欲望 Ⅱ ~終わり~ 涼宮ハルヒの要望 Ⅲへ その他の作品
https://w.atwiki.jp/haruhi_dictionary/pages/44.html
基本情報表紙 タイトル色 その他 目次 裏表紙のあらすじ 出版社からのあらすじ 内容 あらすじ「涼宮ハルヒの退屈」 「笹の葉ラプソディ」 「ミステリックサイン」 「孤島症候群」 挿絵口絵 挿絵 登場人物 刊行順 基本情報 涼宮ハルヒシリーズ第3巻。短編作品。2004年1月1日初版発行。 表紙 通常カバー…長門有希 期間限定パノラマカバー…藤原、長門有希 タイトル色 通常カバー…黄色 期間限定パノラマカバー…黄色 その他 本編…298ページ 形式…短編集 目次 プロローグ…P.5 涼宮ハルヒの退屈…P.7 笹の葉ラプソディ…P.74 ミステリックサイン…P.133 孤島症候群…P.182 あとがき…P.304 裏表紙のあらすじ ハルヒと出会ってから俺は、すっかり忘れたと言葉だが、あいつの辞書にはいまだに"退屈”という文字が光り輝いているようだ。 その証拠に俺たちSOS団はハルヒの号令のもと、草野球チームを結成し、七夕祭りに一喜一憂、失踪者の捜索に熱中したかと思えば、 わざわざ孤島に出向いて殺人事件に巻き込まれてみたりして。まったく、どれだけ暴れればあいつの気が済むのか想像したくもないね……。 非日常系学園ストーリー、天下御免の第3巻!! 出版社からのあらすじ 涼宮ハルヒの「退屈」の一言で、野球チームを結成し、七夕祭りに盛り上がり、行方不明者捜索に駆り出され…… ついに殺人事件に巻き込まれた俺には、退屈なんて言い出すヒマも無いさ――。大人気シリーズ第3弾登場!! 内容 短中編集。この巻に収録されている「笹の葉ラプソディ」は、第4巻『消失』においては重要なストーリーである。 なお、この巻に収録されている話は全てアニメ化された。 あらすじ 「涼宮ハルヒの退屈」 + ... 本のタイトルにもなっているストーリー。 いつも通り、ハルヒは部室に入ってくるが、チラシを持っている。 いきなりSOS団で野球大会に出ると言い出した。なぜ、そんなことを言い出したのか。そう、単にハルヒは退屈であった。 だが、点数は見るからにSOS団の方は負けていた。休憩中、古泉はキョンに話しかける…… 「笹の葉ラプソディ」 + ... 七夕の日、突如みくるにお願い事をされたキョン。聞けば一緒に行って欲しいところがあるという。 キョンは断ることなく承諾するが、行きたい場所を聞いた途端、驚愕する。みくるが行ってほしいと行ったところとは…… 「ミステリックサイン」 + ... SOS団のHPを賑やかにしようと自作のエンブレムを書いたハルヒ。しかし後日HPがおかしなことになっていた。 そこへやってきた来訪者・喜緑江美里は、相談があってSOS団にやって来る。 「彼氏が行方不明なので探して欲しい」 その彼氏とは……お隣のコンピュータ研究部の部長であった。 ハルヒ達は部長の家を訪ねるが、誰も出てこない。そこでハルヒは勝手に乱入する。 だが、長門と古泉は、その場所から嫌な気配を感じ取る…… 「孤島症候群」 + ... 古泉の手配で夏合宿に行くことになったSOS団。 行き先は古泉の遠い親戚、多丸裕氏が所有する無人島の別荘。 無人島、という言葉に興味津々のハルヒ、いっそ事件でも起きてくれたらミステリーみたいで面白いと考えているようだが、 そう簡単に事件が起きるわけもなく平和な合宿を過ごしていた。 しかし天気は突然嵐になり、船も出せず完全に孤立した孤島。さらに別荘にて事件が発生した。事件の真相とは…… 挿絵 口絵 涼宮ハルヒ、朝比奈みくる(涼宮ハルヒの退屈) 朝比奈みくる、朝比奈さん(大)(笹の葉ラプソディ) SOS団、新川、森園生、多丸圭一(孤島症候群) 朝比奈みくる 挿絵 「プロローグ」 挿絵なし 「涼宮ハルヒの退屈」 P.23…朝比奈みくる P.37…涼宮ハルヒ P.47…長門有希、朝比奈みくる、古泉一樹 P.69…涼宮ハルヒ、キョン、相手チーム 「笹の葉ラプソディ」 P.89…涼宮ハルヒ P.104…涼宮ハルヒ(中学時代) P.121…キョン、長門有希、朝比奈みくる 「ミステリックサイン」 P.135…涼宮ハルヒ、キョン P.147…涼宮ハルヒ、喜緑江美里 P.165…キョン、長門有希、朝比奈みくる、古泉一樹、カマドウマ P.181…長門有希 「孤島症候群」 P.249…涼宮ハルヒ、朝比奈みくる P.277…涼宮ハルヒ 登場人物 涼宮ハルヒ キョン 長門有希 朝比奈みくる 古泉一樹 鶴屋さん 朝比奈さん(大) 谷口 国木田 コンピュータ研究部部長 喜緑江美里 キョンの妹 新川 森園生 多丸圭一 多丸裕 刊行順 <第2巻『涼宮ハルヒの溜息』|第4巻『涼宮ハルヒの消失』>
https://w.atwiki.jp/haruhi_vip/pages/4399.html
「没ね」 団長机からひらりと紙がなびき、段ボール箱へと落下する。 「ふええ……」 それを見て、貴重な制服姿の朝比奈さんが嘆きの声を漏らす。 学校で制服を着ているのが珍しく思えるなんて我ながらオカシイと思うが、普通じゃないのはこの空間であって、俺の精神はいたって正常だ。 「みくるちゃん。これじゃダメなの。まるで小学校の卒業文集じゃない。未来の話がテーマなんだから、世界の様相くらいは描写しなきゃね」 ハルヒの言葉に朝比奈さんが思わずびくりと反射するが、ハルヒは構わず、 「流線形のエレクトリックスカイカーが上空をヒュンヒュン飛び交ってるとか、鉄分たっぷりの街並みに未来人とグレイとタコとイカが入り混じってるとか。そーいうのがどんな感じで成り立っているのかをドラマチックに想像するの。将来の夢なんかどうでもいいのよ。それにドジを直したいだなんてあたしが許可しないわ。よってそれも却下」 グレイは未来の人間だって説もあるんだから、下手するとその未来は単に魚介類が陸上歩行生物に進化しただけの世界になるかも知れんぞ。まあ、どうでもいっか。 ハルヒは朝比奈さんに対し一通りダメ出しを終えると、ふてぶてしく頬杖をついてピッと朝比奈さんの指定席であるパイプ椅子を指さし、そこに戻ってもう一度やり直しという指令を無言で示した。 「うう」 朝比奈さんがカクンとうなじを垂れる。 それはハルヒの電波な未来観にへこまされているわけじゃあなく、いや実はそれもあるかも知れないが、今はもっと別の理由が考えられる。それはリテイクの厳しさを三倍程度にしちまう理由だ。 指示を受けてずるずると定位置へと引き返す朝比奈さんの後姿を見送りながら、ハルヒは団長机をパシンと叩き鳴らし、 「ちょっとみんな! 今回はノルマも少ないし、ページ数だってやたらになくてもじゅうぶんなの! 気張りなさい!」 俺はやや不機嫌なトーンを呈したハルヒの叱咤を半身に受けながら、パソコンを挟んで対面している古泉へと鋭利にこしらえた視線をありったけ突き刺し、それを受けた古泉は苦笑しながら、予想外でしたという陳謝を俺にアイコンタクトにて返信する。 しかし、これまた困ったことになっちまった。 ハルヒの腕章に黒マジックでしたためられた文字が今は何を表しているのかもう分かっている頃だと思うが、現在の涼宮ハルヒの役職は編集長である。 それはまさに肩に書かれているだけで、自称以外の何者でもないのは既に周知の事実であろう。 とゆうか、打ち上げ花火のような事件のときに作ったその布切れをよっくぞまあ今まで保管しといたもんだ。俺としてはそれが再び陽の目をみることなく、そのまま日に焼けない様に永久保存されといて欲しかったね。今からでも遅くないぞ。ついでにSOS団の皆が抱えてるトラウマも一緒に凍結しといてくれ。 「……それも良いかもね」 カチリ、何か良からぬものを踏んじまった音がした。 幻聴であって欲しいと俺の耳は切に願ったが、 「そうだわっ! SOS団の偉業を未来人に知らしめるために、あたしたちの功績を遺産として残すのよ! 今回の詩集だってもちろん入れなきゃね!」 俺の目は、今にも花びらが炸裂しそうなハルヒスマイルを映していた。 「何にだよ」 わかっちゃいるがな。一応。 「タイムカプセルに決まってるじゃない!」 ハルヒは色めきたって、やけに懐かしいワードを口に出した。 まあ正直なところ、俺もその計画自体に物言いをつけようとは思わん。が、それにはこれから書かされるであろう詩集は入れないぜ。 「なんでよ?」 「なんでだろうな」 そんなもん決まってる。他動詞的に作られたポエムがまともな形を成すとは思えんからだ。 それに前回の機関誌ならハルヒの論文が未来人にも有用だそうだからまだいいものの、今度の詩集ばっかりは後世の人間が見たところで「こいつぁクレイジーなヤロウだ!」とかいった驚嘆句しか出てこないだろう。未来に欧米かぶれがいるかは知ったこっちゃないが、無駄な驚きで寿命を無為に減らすのは気の毒である。なので、出来上がった詩集は俺が墓場まで持っていこうと思う。 「…………」 ――何だか長門の無言が聞こえた気がした。気のせいか? 「ってゆーか、そんなことを話してる場合じゃないでしょうが!」 ハルヒが不機嫌を取り戻す。それもやるけど、と続けて、 「みくるちゃんは受験生だし、あたしたちもボヤボヤしてらんないでしょ。学校があわただしくなる前に今年分の会誌は急いで仕上げないと困るの! これにつまずいてる様じゃ、これから先の団の活動に支障がでちゃうじゃないっ!」 一見まともなことを言っているようだが、よくよく考えればSOS団本位でしかない主張を団長もとい編集長はがなりたてている。 ――と、ここで一度、現在の俺たちの状況を整理しておこう。 場所はもちろんSOS団本部兼文芸部室である。 時の頃をおおまかに言うと、朝比奈さんが受験生なので俺たちは高校二年生ということになり、もう少しばかり掘り下げると一学期の初頭で、その時期に俺たちは二回目の機関誌の製作に取り掛かっているってわけだ。 我らが北校の学校方針から考えるにそれだけでも十分全員が忙しい身の上であることは想像するに難くなければ、朝比奈さんにとっては未来に帰りでもしない限り、この世界で生きていく上で至極当然にリテイクを重ねられている暇などない。 更に悩みの種となっているのが、今回の機関誌の企画である。 詩集だって? 冗談じゃないぜ。 そんなら前回の小説の方が幾分マシだったねと言えるもんだ。 それに古泉、こないだまで俺たちゃあ結構奔走してただろうが。イベントのスパンが短か過ぎる。 俺の視線に込められたそんな訴えを古泉は受信し、窮したように顔を苦ませる。なにか含む所がありそうだ。 ついでに俺たちがどんな奔走をしていたかと言えば、俺の旧友である佐々木との再会、そしてSOS団とは別種の異能、異性質な輩たちとのいざこざや、長門の病気だ。 長門が学校を病欠したとき、一時は天蓋領域とやらの侵攻を受けたのかと心配したのだが、本人いわく只の風邪だったらしい。そうは言っても、長門がウイルスですらも無い下等な雑菌に敗北を喫すること自体異常事態であるのに違いないのだが。 しかし何も知らないハルヒからしてみればそれは正常な状態異常でしかなく、俺たちにも懸念を抱く以上のは出来そうになかったので、長門には一般的な病人に対する普通レベルの介抱を行うことにした。 皆の心配を一身に受ける長門は、 「何か食べたいもんでもあるか?」 「お寿司」 などといった要求はしなかったが、心なしか、守られる側に立った状況を存分に味わっているようだった。 そしてハルヒは泊まり込みで看病するとガヤいだのだが(俺もそれには賛成だったが)長門の強い希望により、俺たちは日付が変わる前には渋々と部屋を出ることとなった。 そして何故か帰宅の途につけという要求は朝比奈さんに対して特に強かったようで、 「特に朝比奈みくる。あなたは早く帰って」 という言葉も賜った。 ……流石にショックだったせいか、次の日の朝比奈さんの挙動はかなり変だった気がする。 しかしまあ、既に出揃っている特殊な奴らは倍になったというのに、一向に異世界人は姿を見せんもんだ。 とは、俺が異種SOS団との諍い時に漏らしてしまった、会いたいという願望とは違った意味の言葉だ。 そのときの俺の言葉に対し、古泉は「もしかしたら、既に異世界人は僕たちと邂逅を果たしているのかも知れません」ときた。どういうことかと尋ねれば、 「異世界人は、異世界に存在することによってその定義を満たします。しかし、例えば未来人は時間を操作することよって、宇宙人は未知の知識によって、そして僕などは超能力の行使によって己の存在をより明確なものにしますが、異世界人はただ異世界から訪れたというだけで、僕たちにとって普通の人間以上の存在には成り得ない可能性があります」 もっとも、それが一般的な人類ならばの話ですがね。と続けて、 「なので、むしろ既にこちらの世界には別の世界へと渡る能力を持った者が存在し、そしてその者は、僕らの関知し得ない世界でSOS団に尽力しているのかも知れません。今の僕たちが存在するのも、その人物が異世界で頑張ってくれているからなのかも知れないのです」 つまり異世界人は異世界で頑張っているということなんだそうな。 どっちにしろ推察の域を出ない話だし、仮に現実だとしてもそれは認識の外だ。 まあ、もしそれが本当なら、一度は会ってみても良いかも知れん。 何だかんだいって、俺はハルヒが作ったSOS団とこの生活を気に入ってるんだからな。 そして異世界人が俺たちと同様同等の苦労をしているであろうことは身を持って分かることなんだし、俺が感謝の意を唱えてその苦労をねぎらっても悪くはあるまいて。 っと、話が脱線気味になっちまった。その軌道修正も兼ねて、少し時間を遡って今回の事の起こりから辿っていってみることにするか。 それでは回想列車、レッツゴー。 ……… …… … 放課後の文芸部室。佐々木たちとハルヒ以下俺たちとの一件も多少の落ち着きを見せ、俺たちSOS団全員が比較的普段通りの活動に従事していたときだった。 コンコン。 「失礼する」 扉をノックする音が聞こえたと思いきや、返答を待たずにすらりと長身な眼鏡の男とそれに伴う女性、つまり腹づもりの黒い生徒会長と喜緑さんが部室へと進入してきた。 「なにしに来たのよ。なんか文句でもあんの? 勝負事なら喜んで受け取るけどね」 生徒会からSOS団に対する文句などは重々にあるだろうし、勝負を受諾されても困る。 「ふん」 会長は入り口に立ったまま、 「君に対する苦言なら山のように持ち合わせているが、生憎そのようなものを言い渡しにこんな辺境までやって来る程私は暇ではないのだ。今日こちらへ足を運んだのは他でもない。一つ気になることがあるものでな」 「なによ。言ってみなさい」 ハルヒの方が偉そうなのは毎度のことだ。 「どうやら文芸部には新入部員が居ないようだが、その分で今年度の文芸活動は一体どうするつもりなのかね?」 「は?」 とは、俺の口をついて出た言葉だ。 ……以前にも、生徒会から文芸部的な活動を求められたことはあった。 それは文芸部およびSOS団潰しのある意味で真っ当な思惑によるものだったのだが、しかしてその実態は裏で古泉が根回しをしていたことによって発生したイベントで、しかも既に事の収まりを見ているはずだ。 それに文芸部部長の長門だって、新年度のクラブ紹介で分かる人が聞けば見事なのであろう論文を発表しているんだし、文芸活動はそれでオールクリアーにしときゃあ通るだろう。いいじゃん、それで。 しかもこれから進路の話やらで忙しくなるっちゅうのに、また機関誌でも発行しろとの一言が発せられるものであれば、ものの見事に層の薄いSOS団はペシャンコになっちまうぜ。本当に俺たちを潰す気か? 会長は。 そう思って俺は古泉に目配せしたが、何故だか古泉もハンサム顔に微小な驚きの色を浮かばせていた。 これは成り行きを見守っていくしかないなと思い、俺はそれ以上言葉を作らなかった。 「もちろん会誌を製作するわよ」 ハルヒは元から俺たちを潰す予定だったらしい。 「いや、それはもう良い。今回文芸部には、来年度用の我が学校のパンフを製作して貰おうかと思っている。潤沢に割り当てられた部費が、不明な団体の意味不明な活動で消費され尽くしてしまってはかなわんからな。それにこの時期は私も色々と忙しい。それもあって、例年は生徒会執行部が製作している学校案内書を君らに一任してみようとなったわけだ」 なるほど。来年用のパンフなら時間だって十分あるし、写真を切り貼りして文章をとってつければいいようなもんだから、苦になるほどじゃないだろうな。それで部費の分配に対する大義名分が得られるのなら、こっちの精神衛生面的にも好都合だ。まともに頑張っている他の部活動員に対し、多少は後ろめたさを感じることがなくなって良い。 「そんなのあんたたちでやってなさいよ。あたしたちもヒマじゃないの。もう会誌の内容も決めてあるんだから」 どうしてもハルヒは俺たちを潰したいらしい。 「まあ……キミたちが自主的に活動を行うと言うのなら、こちらはそれでも構わん。しかしそれが口からでまかせであった場合、私にも存在しないはずの団を抹消するための手間が生じてしまうのを覚えておくといい。そうだな、一度企画書を作成して明示して貰おうか。今から生徒会室まで来たまえ」 「ヒマじゃないって言ってんの! 無駄な心配してる余裕があるんだったら、あんたがここに書類持ってきなさいよ!」 どう考えても生徒会長の方が多忙を極めているはずであろうが、俺は別に会長の擁護をするわけもなく。 「何を言っているんだ君は。私は文芸部部長を呼んでいるのだ。部外者は口を挟まないでくれたまえ」 と……珍しく喜緑さんが長門に合図し、長門は生徒会長についていく。 「ちょっと、待ちなさいってばっ!」 二つのハリケーンが合流を果たしたかのような勢力で、会長の後姿をハルヒが追う。 おかげで残された俺たちと部室はいやに静かだ。 しかしまあ会長。企画書なんぞ出さなくたって、あの団長殿が言い切ったことが実行に移されるのは確実なんだがな。悲しいくらい否が応にも。 「おや、どうしたのですか? 何か他に用事でも?」 ん? 何故かまだ部室には喜緑さんが残っている。 前回の佐々木団との一悶着の際、病床に伏していた長門の代わりに我らSOS団の宇宙人ポストに入って奮闘してくれたので多少の親睦はあるが、 「すみません。実は、お話しておきたいことがあるんです」 身の上話でもするのだろうか? 喜緑さんが部室に取り残された朝比奈さん、古泉、俺に対して言い放つ。 「まずは長門さんの能力が弱体化している件についてなんですが、それは彼女と思念体との接続が弱まってきているためだと考えられます」 ――長門が自分でも制限をかけちゃいるが。 「ほう。しかし何故、長門さんと思念体との接続状況が芳しくないのですか?」 こういう説明を受けている時なんかの古泉の返答は助かるな。 喜緑さんは続けて、 「はい。実は、わたしたちのようなインターフェイスには上の方から一つ禁令が下されているのですが、その禁令に長門さんが少しずつ触れてきているがゆえに、思念体から敬遠されているみたいなんです」 どんな禁令を……ん? そういえば以前に長門から聞いた記憶がある。 「確か、死にたくなっちゃいけないってやつでしたっけ」 そのまま俺は疑問も口に出す。 「長門がですか? 俺にはそんな風には……むしろ、生き生きしてきたように感じますが」 そうだ。長門の鉱石の様だった瞳にも、だんだんと血が巡り出してきたかのような、柔らかさと温かみが度々見受けられるようになってきていた。春休みの映画撮影(予告編のみ)の最中なんか、長門的には最高にハッチャケていたような様だったぜ。死にたいなんて、そりゃ相反してる。 「死にたい、ですか。それはまたどういうお話なのでしょうか?」 確か、アポだかネクロだか、自殺因子って単語もあったかな。 「ふむ……PCD、のように聞き受けられますね」 「古泉。いったい何だ? それは」 「例えば生物の進化の過程において、あらかじめ死が決定された細胞のことです。オタマジャクシの尻尾が、カエルへと変態する際に失われるといったような。その例のようにPCDはむしろポジティブな細胞の消失ですし、これが行われなければ僕たちにも手指などのパーツが形作られません。これをアポトーシスと言います。このように細胞の自殺が計画的に行われる、それがプログラム細胞死なのです。他にもネクローシスという、」 よし解らん。次へ行ってくれたまえ。 喜緑さんが古泉の言葉を受けてコクリと頷き、 「わたしたちインターフェイスは人類と同じ物質で構成されています。我々が死ぬような事態は殆どないのですが、有機的な活動を行う過程によって死の概念が組み上げられてしまうといったことなどが憂慮されます。思念体は元より死の概念を持ち合わせていないので、わたしたちによって情報構成に自殺因子が紛れ込む可能性をひどく嫌っているんです。恐らく、良い変化は期待されませんので」 ニコリと笑って、 「ゆえに、わたしたちは死を思うことを禁じられています」 うん。長門の話もたしかそんな感じだった。 「なるほど。情報統合思念体は群体のような性質を持っていると思うのですが、多細胞生物に見られるPCDにも一応の懸念を発起させている訳ですね」 「そんなところです」 喜緑さんは続けて、 「あと、先日の長門さんの不調は病気などではありません。おそらく、上の方と何かトラブルがあったのだと思います」 まあ、原因が周防九曜じゃないならそんなところだろう。俺は得心したように頷いて、 「して、そう思う理由は?」 と質問した。喜緑さんは微笑を消し、 「……あの日以降、長門さんと思念体との接続が異常なほど軽薄なものとなっているからです。なので、今の長門さんには殆ど力の行使が認められていません。皆さん、どうか長門さんをよろしくお願いします」 無論だね。むしろ注文を受ける前から走り出してる程に気をつけてるさ。 「ありがとうございました、喜緑さん」 俺の言葉を最後に、喜緑さんはぺこりと退室の礼を尽くし部屋を退出した。 そして閉められた扉は程なくしてドバン!と破裂音を上げ、 「おっまたせー! 勢いで計画進めてたら、こんななっちゃった! まぁ、善は急げ!美味しいものははやく食え! ってことでいいわよね! 明日の団活からさっそく原稿の執筆に取りかかるから、みんな楽しみにしてなさい!」 そう声高々と宣言するハルヒの後には長門の姿があり、ハルヒが右手で俺たちへと提示する紙には、 『企画内容:詩集。上稿予定:今週中』 というデススペルだけが書きなぐられていた。 俺には、最早それが死神との契約書にしか見えていなかった。 そんなこんなでやっと次の日になったかと思やぁハルヒは、休み時間が来るたびに何やらハサミで紙をショッキリショッキリいわせていた。 一体お前は何やってんだと聞けば、 「ひみつ! 放課後まで待ってなさいっ!」 と、ニカリとした笑みを作りながら溌剌と意気の良い返事をするばかりだった。 恐らくハルヒは俺の妹のようにハサミを装備することで破壊衝動を満たす化身へと変貌しているわけでなく、なんらかの創作活動に勤しんでいるのだろうから、折角だし作品の完成まで楽しみにしておくか、と俺は自分の席にいるときも心して後のハルヒへ目をやらずにいた。 そうなると俺はこれといってやることもないので、隣の窓越しに広がる過剰に陽気の良い春模様の空を見やり、その余った陽射しを我が身に受けて体内に貯蓄し、無駄に消えゆくエネルギーを減らそうといった仕事に献身していた。 ああ、春ってのはなんでこんなにも素晴らしいのだろうね。爛漫。 そして放課後、文芸部室にて。 朝比奈さんは俺たちにお茶を配膳する業務を終え、既に部室の風景と化していた。長門は最初から風景だった。 部室なら長門に何事もなかろうと、俺はいまだ姿を見せぬハルヒを待つ事もなしに古泉とヘブンオアヘルという創作トランプゲームに興じていた。 どんなゲームかと言えば、最初から片方がジョーカーとエースを手に持ち、相手をかどわかしながら選ばせるといったもので、つまり二人で行うババ抜きの最終決戦だけを抽出しただけである。これは経験によって無駄を省かれた。 しかし、単純なゲームをいかに楽しく行うかというテーマに沿って繰り広げられる熾烈な心理戦も、単純作業の繰り返しには飽きが来るという人間の心理の前には立つこと敵わず、また古泉も俺に敵わず(逆にやり込められている感がないとも言いがたいが)いつの間にか俺たちのやっていることはカードを弄びながらの雑談へと変わっていた。 「しっかしハルヒの奴、何でまた詩なんかに興味を惹かれたんだろうな。俺たちが詩なんか嗜んだ所で、痛い目と身悶えするような駄文を見るだけだろうに」 古泉はカードを四隅の一点だけで倒立させようと試みながら、 「そうでしょうか。感性多感な時分の僕たちの心模様を紙へと投影してみることは、未来の自分がそれを見た際に、その時代の感傷を想起さし得る貴重な宝物になるのではないかと」 「どうだか。次の朝にでも目が覚めたら、貴重な資源をゴミに変えてしまったってのに気がつくだろうぜ。その後に色んな意味で後悔するだけさ」 実体験ですか?という古泉からの質問に対し、俺は見聞きした深夜のラブレター作成理論の応用だと答えておいた。 「それはさておき、今回涼宮さんが機関誌の内容に詩集という形を取ったのも、受験生の朝比奈さんや僕たちへのちょっとした配慮なのかも知れませんね。詩なら、文量が少なくて済みますから」 「それこそ問題だ。少ない文字で成り立たせにゃならんから、構想に余計時間がかかる。それにどんな詩を書くのかも考えにゃならんから、よほど手間だ」 ズバン! 「待たせたわねっ! みんなは一秒が千秋に感じる程に待ちわびていたことだと思うわ! 今回も時間がないから、みんなの詩のテーマはコレで決めちゃいましょうっ!」 心臓を打ち抜くような音を鳴らしてハルヒが扉を押し開いてきた。 驚きの眼を配る朝比奈さんとハルヒの途方もない思い違いに呆気に取られている俺に、ハルヒは何やら励んでいた創作活動の賜物と思われる物体を、左手で作ったOKサインのOを示す指に挟んで見せびらかしていた。 「サイコロ、ですか?」 多分古泉の質問はその通りの答えだろう。 俺にも、それは三角形の紙を八枚セロハンテープで繋ぎ合わせて作られたフローライトナチュラル八面体に見える。 「そっ。特にキョンなんか書き始めるまでにも時間かかりそうだから、今回も内容はアトランダムに決めるわっ! キョン。雑用でしかないあんたのために労を負った団長様に感謝しなさいよね!」 先程の俺の言葉を見れば感謝すべきであろうが、アトランダムの偶然性に対し不満があったので「すまんな」という謝辞にて言葉を終了した。 ハルヒはフッフンと得意げに天井へと高々にサイコロを掲げ、 「それぞれの面にお題が書いてあるから、これをホイコロリンッって投げて出たヤツを詩の内容にすること! 異議があるなら言いながら投げるといいわよ。そして忘れちゃいなさいっ!」 俺には言い捨てる言葉もないが、 「しかしまた何でサイコロなんだ? わざわざ紙を切ってゴミを増やさずとも(そして作らずとも)、前みたいにくじ引きかアミダで決めりゃ良かったじゃないか」 という小さな疑問を投げかけた。 それを聞いたハルヒはチッチッっと右手の人差し指をメトロノームにしながら、 「それじゃバラエティに貧するってものよ! SOS団たるもの、些事の決め方にも広く手をのばしていかなきゃ! そして、ゆくゆくは世界の森羅万象を掴み取るのよっ!」 グッと決めポーズ。ハルヒは今日も絶好調なようである。ま、絶不調でなくて何よりだろうね。世界の平和的に。 だが、恐らくこのネタは外部から、というかテレビから受信して閃いただけだろう。 と、俺は手元に落とされた八面体ダイスを見ながらそう推察してみた。 何故かと言えば、サイコロのやっつの面に書かれているワードはそれぞれ 『私の詩』『未来予想図』『恋の詩』『本音の詩』 『元気が出る詩』『褒められた詩』『失敗した詩』 とあり、後半のテーマが若干日本語として妙なのはハルヒに国語力がないからではなく、お昼の某テレビ番組で転がされているサイコロに書かれた『~話』をそのまま詩という言葉に変換したせいだと思われるからだ。 「じゃっ、順番は団への貢献度が多い人からね! 序列は大事よ! 大きな組織の中では特にねっ!」 じゃ俺からでいいだろ。 「なんでよ? はいっ! 最初は副団長からっ」 SOS団は小規模だから、と説く前に、ハルヒはひょいと俺の手からサイコロをつまみ取り、流れるような動きでそれを古泉副団長へと手渡した。 古泉は卵をのせるような手の平の中でそれを弄び、 「さて、なにがでるかな?」 合唱しようと思ったが、古泉が出す目は大体の予想が立つし、多分予想通りである。 スマイル仮面の古泉のテーマは多くて二択であり、およそ『私』か『本音』だと、 「……おやっ?」 俺と古泉が思わず言葉を漏らす。 「褒められた詩、ですか。僕が以前に書いたポエムの傑作を載せるということでしょうか?」 書いてる姿も含めてそれも見てみたい。が……何だ? 確率論が復活したのか? 本来ならおかしくはないはずなのに俺が妙に思っていると、 「ちがうちがうっ。褒められたときの気持ちやらをポエムにするのよ」 俺にとって古泉のそれは不愉快なポエムになるなと思っていたら、ハルヒは続けざまに、 「でも、振り直しっ。それは国木田が書くから」 国木田? 「そうよ。名誉顧問と準団員には既に振ってもらって、『元気』『褒め』『失敗』は決まってるから」 ハルヒはくるリとメンバーを見回し、 「みんなもカブっちゃったらもう一回! 同じことやっても良いものは生まれないし、SOS団はバラエティに富んでないといけないって言ったでしょ!」 それよりも近い過去に序列がどうのと言ってた気がするが、それは覚えていないらしい。 「って、じゃあ俺はサイコロの振りようもないだろうが。全員が振った後じゃ、必然的に残りの一つに決まっちまうだろ?」 「いいじゃん。特に変わらないわ」 実際問題どうでもよかったし、例え同じサイコロを八つ同時に八人が投げたところで結果は変わらないであろうから、俺はそこで閉口した。 そして古泉は『本音』を出し、次いで長門が『私』、朝比奈さんが『未来予想図』、ここで俺は再度口を開いて抗議の旨を団長、いや編集長へと必死に訴えたが、ハルヒはガイウス・ユリウス・カエサルがルビゴン川を渡った際に言い放ったのと同じ言葉で俺の訴状をねじ伏せた。 ――そしてまた次の日の放課後。現在に至る。 目の前のハルヒが何故こんなにも不機嫌なのかと言えば、 「ちょっとみんな! あの三人はすぐ詩を完成させて持って来たってのに、何でみんなはちーっとも筆が進んでないのよ!」 ハルヒが代わりに言ってくれた。その理由を申せと仰るのであれば、説明するまでもなく「そりゃそうだ」の一言に尽きる。 鶴屋さんは『元気』、国木田は『褒められた』、谷口は『失敗』の詩を書いており、言葉そのままでも違和感のない程にそれぞれピッタリはまった題目だ。 一夜で詩が書けた理由としては、各自それのネタなんていくらでもあるだろうし、万能である鶴屋さんの才の一つに詩的才能が含まれている予測は疑いようもなく、国木田と谷口なんかは適当に済ませたのだろう。 重ねて俺たちときたら、古泉と朝比奈さんのテーマはまるで名探偵にズバリズバリとトリックを言い当てられて言葉を失った犯人のようにアワワとしか言いようがなくなってしまうようなものであるし、『私』の長門なんか前回の小説で自分のことであろう作品を書いているので、俺と共に前回とお題がモロかぶりである。 言うまでもないとは思うが、俺は『恋』のネタである。 もう、そんなもん俺の在庫には最初っからないんだし、長らく入荷待ちの札が掛かってるだけだっつーのに。 それらの理由により、俺はもう一度ハルヒに儚い希望を提訴してみた。 「ハルヒ。じゃあ皆のテーマを変えてくれないか? 俺だって恋なんてもんは幼い頃、従姉妹に一方的に苦い思いをしただけだし、それ以来そういった甘そうなのは味わったためしがないんだ。だから俺の中にあるそんなネタは、前回の小説が最後っ屁でもうグウの音も出ん。終了だ」 却下。という二文字の一言が虚しく飛んでくると思っていたが、 「そうなのですか? むしろ味を感じないのは、あなたにとってそれが空気みたいな物だからなのでは?」 予想に反し、助け舟を渡してやった筈なのにそれを撃沈させるかのような言葉が古泉から飛んできた。 「うん? どういう意味だそれは」 特売アイドルみたいなスタイルのお前と違って、俺にはそんなに身の回りに溢れているもんじゃないんだよ。それにそんなことを言われるとな古泉。俺だって……泣くんだぞ。 「いえいえ、そうではないですよ」 若干苦味を持たせたスマイルで、 「あなたにとって必要不可欠であるにも関わらず、身近に存在しすぎてあなたが気付いていないだけ。ということです」 ほう。そいつは嬉しいじゃないか。つまり、俺に想いを寄せているがそれを伝えられずにいるうら若き乙女の視線が、恋の矢の如く俺の後頭部に突き刺さっているのが古泉には見えるってわけだな。 何だか涙が別の理由で出てきそうだと思っていると、 「古泉くん。それどういうこと? 団長に報告もなしに男女交際をしている輩がいるっていう告発?」 そう古泉に話しかけながらも、ハルヒの視線はまるっきり俺の方へと向いている。 そんな目をされても俺はなにも知らん。 「そうではありません」 今日が、古泉にとって初めてハルヒにノーと言えた記念日となった。 「僕はただ、恋とは意識して感じ取れるものではなく、無意識の内に自分が恋に落ちていたという事実を自らが認識した際に知り得るものだ、という考えを述べたまでですので、他意はありません。ご安心を」 「ああ、なるほどね。それはあたしと似たような捉え方だから良くわかるわ」 うん? お前、恋愛は精神疾患だとか言ってなかったか? 「もちろん。風邪と同じでかかりたいと思ったときにはかからないし、忘れてる頃にはいつの間にやら患っているものってことよ。まさに病気じゃない。あたしは抗体持ってるから絶対かかんないけどね」 蝶がヒラヒラと舞い寄ってくるような古泉の思想が、ハルヒの例えによって一気に消毒液臭くなった。 俺は飛び去った蝶の採集を試みるように、 「じゃあハルヒ。抗体持ってるってんなら、以前に恋患いの経験があるんだな?」 「あるわよ」 「へっ?」 っと、俺がハルヒから思わぬクロスカウンターを喰らって目を丸くしていると、 「はしかやオタフク風邪と一緒よ。ちっちゃい頃に感染しとくべきなの。それは」 ……やれやれ。まったく、現実的なものにはどこまでも夢のない奴だな。非現実に見せる積極性をピコグラム単位でも振り分けてみたらどうかと提案するね。それだけでも、お前には男共がわんさと群がってくることだろうぜ。黙ってりゃあもっと良い。 「ド馬鹿キョン! つまんない奴らがいくら集まっても、あたしの欲求は埋めらんないのっ!」 壊れたミニカーのようにキーキー言っていたハルヒは、俺に近づいてきて急に止まったかと思えば、俺の心臓あたりをスイッチを押すようにしつつ不敵な笑みを浮かべ、 「だからね! あたしが集めて作ったSOS団は、みーんな粒ぞろいの精鋭なのっ! 全員一緒なら意図せずとも世界は盛り上がっちゃうって寸法よ! わかるわねっ!」 「……ああ、よく分かってるさ。もちろんだ」 ――そうだとも。佐々木の閉鎖空間をめちゃくちゃにしたあいつらなんかとは、SOS団は全く存在を異にする。 俺たちだってそれぞれ形は違っちゃいるが、いつの間にかそれはパズルのようにガッチリ組みあがって、今では全員で一つのものになっていたんだ。前回の事件で、俺たちはそれを身にしみて感じる事が出来たのさ。 ――そして、その中心にいるのは……ハルヒ。いつだってお前なんだ。 「なにアホヅラかましてんの! そんな暇あったらとっとと書きなさい! ちなみにテーマ変えはなしっ!」 それは変えて欲しかったが、俺はもうハルヒに抗弁をたれるまでには至らなかった。 ハルヒは憤怒しているように見えたが……その表情はまさに、楽しくて堪らないともの語っていたからな。 しかしいつまで経っても団員の誰一人としてポエムを完成させることはなく、修練の結果は翌日に現れるといったハルヒ理論により、詩の作成は宿題という形で団員に背負わされ、俺たちは普段よりも重い足取りながら、いつもの並びで帰路についていた。 「もしかしたら涼宮さんは、己の能力と僕たちの正体に気付いているかも知れません」 何の脈絡もなしに世界が終焉を迎えそうなことを言い放っているのは、もちろん古泉である。 「そりゃまた、えらく段階を踏まない話だな。なぜそう思う?」 ハルヒと朝比奈さんが先頭、次いでハードカバーを読みふけりながら歩く長門、そして最後尾の俺と古泉。 古泉は部室からずっと手に持っていた物を俺に見せるように掲げ、 「……これですよ」 「って、ハルヒが作った只のサイコロじゃないか」 テーマ決めの際に使用された八面体の紙製サイコロだった。 ちなみに、このサイコロ君は生まれて間もなく存在意義を失ってしまった可哀相な奴である。 というより、また使われるようなことがあっては堪らんので、俺としてはいち早く鉄のゆりかごの中で眠って頂き未来人に起こされる日を待って頂きたい次第である。……そういえば、タイムカプセルって自分たちで掘り起こすもんだったよな? 「その話はまた別の機会にしましょう」 古泉の提案を拒む理由は皆目なかったので、俺は話を聞く態勢に入った。 「何故、今回のテーマを涼宮さんがこのような物で抽選したと思います?」 「そりゃあおそらく、学食でテレビでも見ててネタを頂戴したんだろ」 ふむ、っと古泉は視線のみを数瞬だけ横に流して、 「たとえば、涼宮さん自身がクジの偶然性に疑問を持っていたとします。そして無意識の内に、確率を確認するのにはこの上なく最適であるサイコロという手段を取ったのであれば……涼宮さんは表層の意識に限りなく近い所で、己の能力の存在について勘付いているという可能性が示唆されます」 それを聞いた俺は「へえ、」と一呼吸おいて、 「考えすぎじゃないか? あと、お前たちの正体に気が付いてるという予測は何処から立つんだ?」 ほのかに微笑んだ古泉は手に持っていたサイコロを俺に渡し、俺がそれをつぶさに眺めていると、 「これに書かれているテーマですよ。偶然にしては……余りに、僕らが有する要素に対して的を射すぎている。なので涼宮さんは僕たちの正体を心の何処かで知っていて、これによって確証を得たいのかも知れません。これも多分、無意識の内の行動でしょうがね」 はん。年がら年中どこまでも特殊な存在と一緒に過ごしてたら、だれだって少しはそう思うだろうぜ。 「それも深読みし過ぎだろう。サイコロのネタだって、提供元はシャミセンの親類が経営する洗剤会社に違いない」 この言葉に古泉はいつものスマイルを取り戻し、 「そうですね。それに僕たちが一発で各自のテーマを当てなかった理由は、むしろ涼宮さんは自分にそんな能力があるということを否定したいからなのでしょうし、ひょっとしたら、単純に涼宮さんの力が弱まっているだけなのかもしれませんしね」 ん? ちょっと待て。一つだけ合点がいかない。 「……俺のテーマが『恋』になった理由は何だ?」 「それは本当は朝比奈さんが未来人であるように、あなたも本当は恋を」 「なあ古泉。だいたい生徒会長は何でまたこんな時期に文芸活動を要求してきたんだ? まあ当初の要求は文芸部的なんてのじゃてんでなかったが。機関が関係してるのか?」 「それなんですが」 と古泉はスマイルのレベルを最小にまで下げ、 「これは僕らの手回しによるものではありません。会長なりに考えてみた結果なのかも知れませんが、若干、あの人に生徒会長の仮面が定着し過ぎている感が否めませんね。いえ、もしかしたら、喜緑さんの手によるものだったというのも考えられます」 「ほう。まあそれなら重要だったよな。長門に何かがあったのは分かってたのに、俺たちはその何かまでは知らなかったわけだし」 古泉はフフフと不気味に笑い、 「それなんですが、僕にはおおよその見当が付いています」 一体それはなん、まで俺が言葉を出したときだった。 ゴスンッ! ――今の音は長門の頭から出たのか電柱から出たのか、一体どっちだ!? ……なんて、不毛な論議に変換している場合じゃない。 「ちょっと有希っ! あたま大丈夫!?」 ハルヒは長門がアッパラパーになっていないか心配しているのではなく、本を読みながら電信柱に頭部を強打した長門を案じながら、怪我の有無を確認している。 そして古泉と俺は長門が電柱にケンカを吹っかけた光景を目撃して目を丸くし、朝比奈さんはわたわたと長門に気遣いの言葉を途切れとぎれでかけていた。 「心配しなくていい、平気」 いやゴッツンコした所が小高い山を作って、まだ春だってのに紅葉を迎えてるぞ? 「大丈夫か?」 駆け寄る俺に、 「ありがとう。……みんなも」 たんこぶを抑えるのをガマンしている様に見える長門が答えた。 「でも、珍しいわね。有希が物にぶつかるだなんて。そういえば……見た覚えがないわ。いつも本読みながら歩いてるってのに」 「別のことでも考えてて、そっちに気がいってたんじゃないか? 詩とかポエムとか……ポエムを」 「そ、そうなのかな……」 俺のギャグにハルヒは悩ましい顔を作ってしまったので、 「すまん冗談だ。多分、まだ調子が戻ってなくてフラついたんだろ。長門も読書は中断してハルヒたちと歩くといい」 「…………」 沈黙する長門をハルヒと朝比奈さんに任せ、俺は古泉の話の続きを聞くために後列へと戻った。 「長門さんに怪我はありませんでしたか?」 「ん、おでこがプックリだが心配なさそうだ」 「そうでしたか」 そう話す古泉は、どこか嬉しそうな面持ちである。 「なにか良いことあったか」 ムッとした俺が硬質な感触のする言葉を作ると、 「……むしろ現在、機関はある懸念を抱えて悶然としています。ですが、確かに最近の長門さんの変化については喜ばしいことのように思いますね」 「弱っている長門が良いってのか?」 それでは語弊がありますね、と古泉は微笑をたたえ、 「近頃、というか先程の長門さんもそうなのですが……とても人間味を感じませんか? TFEI端末として弱体化してきているというのは、ちょっとずつ長門さんが人間に近づいていきるという側面があると思うのです。それはあなたにとって嬉しいことでしょう? もちろん、僕にとってもね」 俺を目で落としてどうするんだと言わんばかりの温和な視線で、古泉はふわりと柔和な笑顔を作った。 「……そうかもな。俺にとって、そりゃもちろん嬉しいことだ。それに俺たちだけじゃない。ハルヒに、朝比奈さんに、そして何より……長門自身にとってな」 そう。長門にむける心配は、そろそろ見方を変えなけりゃならんのかもしれん。 力を失っていく宇宙人に対するそれから、細腕で柔弱な少女への気配りへと。 「ところで、お前が抱えてる懸念ってのは一体なんなんだ? 俺以外に話せる奴なんていないだろうし、話してみるだけでも多少違うんじゃないか?」 俺の言葉に古泉はどんな表情を出して良いのか解らないといった顔つきになり、 「……そうですね。話しておいた方が良いかも知れません。あなたには」 「なんだ?」 俺の目を見て、 「程ない以前、閉鎖空間と《神人》が久しぶりに乱発された時期がありましたよね?」 「ああ、佐々木とハルヒが出会った日以降だったっけ。お前でも疲労の色が隠せてなかったよな」 「それなんですが、閉鎖空間の発生は二週間ほど前……特定すれば土曜日にまるっきり沈静化しました」 土曜日? ――ああ、俺が佐々木たちと会合した前日か。だが、 「良かったじゃないか。この言葉以外に何がある?」 古泉は全然良くないことを話すような顔で、 「それが、不可解な点がいくつかあるのですよ」 「一体どこにあると言うんだ?」 「まず、何故に突然閉鎖空間の発生が沈黙したのか。機関の諜報部をもってしても原因が判明しません。そして他に……これは閉鎖空間内で《神人》の討伐を担う役割の僕や仲間たちしか感じないのですが……」 古泉は前方で談笑しているハルヒを一瞥し、 「閉鎖空間は世界中の何処にも発生していないにも関わらず、僕たちにはそれが存在しているという確信が、沈静化した直後から心の隅の方で、こうしている今でもくすぶり続けているのです。……それによって一つの推測が立つのですが、これは多分、あなたは聞きたくもない話です」 「聞きたくないかは俺が判断する。さわりだけ言ってくれ」 古泉は眼に真剣をやつし、神妙な雰囲気でこう言った。 「――涼宮さんが、まさに神と呼ぶに相応しくなったのではないか? という内容です」 「そうか。そりゃ全くもって聞くだけ無意味な話だな」 ハルヒが神だって? あいつはいつだって奇想天外な行動を起こしちゃいるが、根っこの方は特に変わりのない普通の女の子じゃないか。お前だって良く知ってるはずだろ。そんなの、考えるだけバカらしいってもんだ。 「ええ、全くです。仮にこの推論が当たっていたとしても、何が起こるのか皆目見当が付かない故に対処の方法も思い浮かびません。なので案じたところでどうにもなりませんし、ただの杞憂であればなお良いだけです。すみません、あなたはこの話を忘れて下さい。それに僕も――」 古泉は、長門の後ろ姿を温もりさえ感じる視線で見つめながら、 「……いかなる憂いすら、今の彼女を見ていると消し飛んでしまいますよ」 そうだな。俺たちが憂うべきものは、今のところ帰ってからどうやったらポエムを書かないで済むか考えることだけだろうぜ。 「……まあ、そうですね」 古泉はまた思案顔を作り、悩ましげに顎を支えていた。これはこいつの癖になっちまったのかね? 「無駄な心配はしないに限るぞ。時間と神経を無為に減らすだけだ」 いつもより元気はないが、それでも十分爽やかなスマイルで、 「……そうすることにしましょう。まあ、詩は頑張って執筆してみますがね」 「ああ。やっぱり俺もお前にならって机の前で頑張ってみるかね。思えば、書かないで済むかなんて思案することだって無駄なんだしな」 「ふふ。お互い頑張りましょう」 そうやって、その日俺たちはそれぞれ自分の家へと足を辿り着かせた。 ……さて、無から有を創造するある意味で神的な作業に入るとするか。 ――俺はこのとき、この平穏は当分の間続くものだと信じていた。 SOS団は今までにない程まとまっていたし、ハルヒと長門が落ち着いてきているのは良い変化だと疑わなかったからだ。 だが、それは違った。それらの吉兆は、裏を返せば……最悪な事態が引き起こされる前兆でもあったんだ――。 第一章
https://w.atwiki.jp/haruhi_sinnrosidou/pages/35.html
次の日 物理教師「ここはなぁ、こうなるからこうでなぁー」 キョン「………(ぼーっ)」 谷口「…………」 谷口(……あいつ、またぼーっとしてやがるな) 谷口(よし、ここは俺がこの愛の消しゴム砲で……) キョン「……あ、先生」 物理教師「なんだ?」 キョン「そこ、間違ってます」 物理教師「え?どこだ?」 キョン「その右下の式です。そこは……」 谷口(…………) 夜、キョン自室にて キョン「……ふぅ」 パチン キョン(電気も消したし、早く寝るか) キョン「………」 キョン(……今日は勉強に集中できんかったな。 …いかんいかん。本番までは油断しちゃダメだぞ、俺……!) キョン(……明日は、ハルヒに会える。だから、頑張るんだ!) チュンチュン、チュンチュン ジリ バッ!! キョン(……目覚ましスイッチ、off…!) キョン「さて、起きるか」 キョン(……一日がこんなに長いなんてな) キョン「よし、今から行くぞ!」 スタスタスタ…… キョン(……自転車買い直さないとな…。徒歩だと何かと不便でかなわん) キョン「………ん?」 店員「いらっしゃいませー。美味しい手作りケーキはいかがですかー?」 キョン(……ケーキか) キョン「そうだな、一つ買っていってやるかな」 自動ドア『ウィーン』 受付B(………あ) 受付A「…ん?どうかした?」 受付B「あ、い、いえ……」 受付(…………キョン君……) 今考えれば、俺はハルヒと離れていることなんてなかった。 教室にいる時も、放課後の活動の時も、そして休日も。 はじめてあいつに会った日。 そう、あいつが宇宙人と未来人と超能力者を欲したあの日から今日と言う日まで、ほとんど一緒にいた。 そう、だから俺はハルヒと会うのを一日開けただけで、俺は舞い上がった。情けない話だけどな。 歩いてる途中、それまでの道のりが煩わしかった 早く会いたかったんだ。 あいつに。 ハルヒに。 ハルヒの、笑顔に ははは。 やっと到着した。 いつもより倍近く歩いた気がしたぞ。 このドアを開ければ、あいつが待ってるんだ。いつものあの笑顔で。 いつもはツンとして可愛くないやつだが、きっと「キョン!」って言って100Wの笑顔で迎えてくれるんだ。 ……早く、会いたい。 ガラガラガラッ! キョン「ようハルヒ!!」 キョン「ようハルヒ!!今日も来……」 バサッ……バサッ…… キョン「ハル…………ヒ……?」 その部屋には、誰もいなかった。 片付けられた机。 綺麗に磨かれ終わった床。 折り畳まれたマットレス。 開け放たれた窓。 入る風が純白のカーテンをばさばさと揺らせていた。 キョン「な、なんだよ……これ………」 キョン「どこだよ、ハルヒ………」 キョン「……はは、分かったぞ。隠れてんだろ」 キョン「ほら!ハルヒ!もうバレてんだ!早く出てこいよ!」 バサッ……バサッ…… キョン「ハルヒ、出てこい」 バサッ……バサッ…… キョン「………出て来て……くれ……」 ヒラッ……… キョン(…………?何だ……?便箋?) ……… …… … おはようキョン。 これを読んでるってことは、あんたはもうあたしの病室にいるのね。 ごめんなさい まず謝っておくわね。 だから怒らないで聞いて? ……じつは、あたしはもう長くないんだ。 騒いだりしてあんたを困らせたりしてたけど、じつはすっごく頭が痛かったの。 我慢してたんだけどね、何度かバレちゃってたかな? お医者さんの話では頭の中に血の塊ができてるらしいの。それもすっごく大きいのが。 お医者さんからは危篤状態から戻ったのも奇跡としかいいようがないと言われたわ。 そして、もう命も長くないと言われた。 あたしはね、それを聞いたとき、何で目を覚ましたんだろって思った。 単純に死が怖かった。それもあるけど、でも、あたしはそれ以上に、あんたとの別れまでの日を実感しながら死んで行くのがすごく怖かった。それなら眠ったまま、なにも分からないまま死にたかった。 だけどね、お医者さんの話を聞いたの。 あんたがどんな思いで私を看病してくれていたのか…。 ずっと寝ずに看ていてくれていたり、返事もできないのに話しかけてくれたりしてたらしいじゃない。 それで、あたしは気が変った。 ……あたしは今海外にいます。 アメリカにね、すごいお医者さんがいるんだって。 その人に手術をしてもらうの。 それでも成功する可能性は限り無く低いって言われた。 だけどね、あたしは頑張れる。 あんたと過ごした高校生活や、ちょっぴりだけど、二人でSOS団の活動をした日々。 思い出すとね、負けてたまるか!って思えるのよ …だから、あんたも頑張んなさい。 あたしを理由に、進むのをやめないで。 あんたの人生はあたしのものじゃない。 誰のものでもない。あんたのものなの。 そして将来、あんたの力を必要とする人がきっと現われるわ。 だからその力を、その人に貸してあげなさい。 その人を救ってあげなさい あたしには無理だけど、あんたにはそれができる。 だから、頑張んなさい あんたが頑張ればあたしも頑張る! だから、あんたが頑張れば、あたしは死なない。きっと。 死ねないもの。あんたを残して。 あたしは絶対帰る。約束する。 だからそれまで、SOS団は解散。団長のあたしがいないから仕方ないでしょ。 あたしが帰るまで、待ってなさい! そして、それまでにあんたは最高の医者になってること。 これが、最後の団長としての命令!絶対守るように。 それじゃあ。またね。 あたしの大好きな、キョン キョン「………はは、連絡先は書いてない……か」 キョン「………それもそうだな。……だって書いてたら全力で追いかけるもんな、俺は」 キョン「……お見通し……か……」 キョン「『ごめんなさい』……」 キョン「……俺は許さないぞ」 キョン「………こんな紙切れで謝られても許さない」 キョン「……お前が直接謝りに来い……!」 キョン「………待ってるから……」 いつまでも、待ってるからな……!! お前の命令通り……待ってるから……!! キョン「いいか、その四人に伝える」
https://w.atwiki.jp/haruhi_vip2/pages/1601.html
おいおい、何なんだこれは…………… やれやれ、非常識な事に慣れたとは言えこれはパニックになるぞ。 俺は額に手をやり、ため息をついた。 朝、今日は妹のうるさい攻撃が無いなと思い。 やっとあいつも大人しくなったかと思って体を起こすと、毎朝見慣れている俺の部屋ではなかった。 かといって閉鎖空間っぽい雰囲気の学校に飛ばされたわけでもなく、 時間を越えたわけでもないし、別世界に行ったわけでもなさそうだった。 上の3つはまぁ、俺の希望的観測であるだけな訳だが。 目の前には見る限り生活感のない殺風景な部屋、俺が知る限りでは長門の部屋以外には考えられなかった。 なんで俺がこう皮肉臭く言っているのかというのであれば、体がどうもその部屋の主の姿になっているようだったからだ。 そう、俺は長門になってしまったらしい。 俺が長門になっているなら、俺はどうなっている。 そう思った俺は、学校に登校することにした。 どうやら長門は制服のまま寝ていたようで、着替える手間がかからなくてありがたかった。 学校に着いた俺はすぐさま、俺がいるはずの自分のクラスへ足を向けた。 教室をのぞくと、その席は空席のままだった。 教室で話しているやつを捕まえて、聞いてみたが 「まだ来ていない」との事だ。 ついでにハルヒも来ていないかと聞いたが、同様の返事が返ってきた。 とりあえず、この状況を打破したい俺は教室から背を向け。 その足をいけ好かない笑顔の超能力者のいるクラスへ向けた。 1年9組に足を運んだ俺は、古泉がいるかと教室の入り口側に立っていたやつに聞いた。 「あー、古泉君?いるよ、ちょっと待っててね」 そういうとそいつは、古泉くーん女の子が呼んでるよーと叫びながら 古泉の場所へ向かっていった。 目の前に来た人物は、いつものへつら笑いをせず無表情のままであった。 それをみて俺はこの非常識な現象をあと3回見るのであろうなと盛大にため息をついた。 「お前は長門か」 「……………」 しばし沈黙の後、ある意味もう見ることのできないであろう 無表情の古泉はこくんと頷きこう言った。 「…………そう」 「とりあえず、昼に部室に行こう ほかのやつらもどうなっているかわからないしな」 「……………」 古泉の姿をした長門は、もう一度頷きおそらく古泉の席であろう場所へ戻っていった。 それを見届けた俺も長門の教室へ行き、教えてもらった席へ座り一通り授業を受けた。 幸か不幸か、普段から無口な長門の振りをしたまま授業を受けるのはそう難しくなかった。 授業の合間の休憩時間にもクラスメートから話しかけられる事は皆無だ。 休憩時間中に自分のクラスに行きたい衝動に駆られたが。 時間が短いこの時間ではやれる事も少ないので、昼休みまで俺はじっと我慢をした。 4時間目のチャイムが鳴り終わったあと、席を立ってすぐさま部室へと足を向けた。 長門ととりあえず話をするためだ。 まぁ他のメンツにも異常が起こっているなら、部室へ来るだろうと思ったのもあるわけだが。 部室を開けようとドアノブに手を触れようとした時こちらに向かって走ってくる人物がいた。 朝比奈さんだが、何かが違う。 「有希~~~~~!大変よ大変!!」 大変と言いつつもその目はキラキラと輝いている、この顔をする人物を知っている。 「あたし、みくるちゃんになっちゃったみたい!! もしかして、有希も違う誰かになったりしているの!?」 息を弾ませながら、こちらを見る。 たしかに、朝比奈さんはこんなハイテンションにならないからな。 こんな朝比奈さんを見るのも、おもしろいがそれではダメだ。 俺の朝比奈さんはおっとりしてて、ちょっとドジで、ほんわかとした笑顔を振りまいてくれる朝比奈さんじゃないといかん。 ハルヒ……………、お前は朝比奈さんになったんだな。 「って、キョン~~~~~!?」 朝比奈さんの姿で絶叫した声は、外で歩いている人物がビックリするほどの大きなものだった。 「なんでこうなっちゃったのかしらね!!」 「キョンと私と有希が入れ替わったって事は、古泉君とみくるちゃんも変わったかもしれないわね!」 「そうだ!みくるちゃんの格好だし、コスプレしてみようかしら!」 etc、etc……… 弾丸のように朝比奈さんの声で、俺の耳に入ってくる。 長門は姿が変わっても、部屋の隅で本を読んでいる。 古泉の姿でやられるのは、不気味とも思えた。 やれやれとため息をついていると、ガチャと扉が開いた。 入ってきたのは妙におどおどしてなみだ目のハルヒと、いけ好かない笑顔をしている俺だった。 「ふぇぇ………、一体どうなっているんでしょう」 泣きそうなハルヒ、いや朝比奈さんか。 一生で見られるか見られないか判らないような珍しい光景を今日一日で一生分見たような気がしてきた。 「いやはや、これは5人が入れ替わってしまったみたいですね」 俺の姿をした、古泉は笑顔を崩さずにそう言った。 どうでもいいが、俺の顔でそんな顔をすると気持ち悪いからやめてくれ。 「おやおや、と言われてましても困りましたね」 「そんな事どうでもいいじゃない!! いまはどうやって元に戻るのかが大事よ! みくるちゃんの体もいいけど、やっぱ自分の体が一番だしね!」 と会話しているところに、ハルヒが大きな声でみんなを制す。 「おい、これは一体どういうことなんだ」 俺は小声で古泉に話しかける。 「さぁ、僕にはわかりかねますが。 おそらく何か外因的な要素の所為で入れ替わってしまったんだと思います」 俺はその外因的な何かが何なのかと聞いているんだが。 「詳しい事はわかりません、涼宮さんが願ってしまってこうなったのかもしれませんし。 精神を入れかえてしまって、涼宮さんの能力を無効化してしまおうと情報思念体の急進派が行ったことかもしれません」 俺は本を読んでいる、長門の方に体を向けた。 「お前はこの現象はどうなのか説明できるか?」 「……原因不明。 情報思念体とコンタクトも取れない」 じゃあ俺が取れるってか? 「おそらくそれも不可能………。 長門有希としての個体能力は、一般人並になっている。 そのため情報思念体としての能力は使えない」 「なるほど、長門さんの精神を別の固体に入れることで能力を封印させているわけですね」 古泉がそれに返答をする。 長門なら何とかしてくれると思っていたんだが、この分だと古泉の超能力にも朝比奈さんの力も使えないんだろう。 その事実に俺は愕然とした。 「何こそこそ話してんの!! とりあえず、ここでグダグダやっていても仕方ないし放課後にもう一回集合しましょ!! じゃあ授業終わったら、みんなここに集合ね!」 わくわくした様子のハルヒがそう言って、みんな部室を後にした。 とりあえず午後の授業を受けて、今後のことを相談するんだそうだ。
https://w.atwiki.jp/haruhi_vip/pages/736.html
「俺、今日で辞めるから」 ”退部届け”とヘッタクソな文字が書かれたノートの切れ端を団長席に叩きつけて、皆が唖然としている間に俺は部室を出た。 勢い良く扉を閉める。 中からぎゃーすかとんでもない騒ぎ声が聞こえるが、無視して俺は帰路に着いた。 家路が終わるまでの間携帯が鳴りっぱなしだったが、着信は全部クソッタレSOS団員ばかりのものだ。その中でもハルヒからの物が圧倒的に多い。八割がたといったところだろうか。 あの無機質宇宙人モドキの長門からも複数回の着信があったことには少し驚いたが、俺は全てに着信拒否を――途中でめんどくさくなって、携帯を川に投げ捨てた。 残しておきたいメモリーなんて無いしな。 家に帰ると何度か固定電話が鳴っていた。 だが、流石に家族に迷惑がかかるかと思ったのか、十回ほど無視してやった後は、電話が鳴ることはなかった。 そんな下らない所では気遣いしやがって……! 腹が立ったのでシャミセンの夕食をにぼしからうめぼしに変更してやった。くやしかったらまた喋ってみろ。 「キョンくん、猫ってうめぼし食べるの?」 「さぁな」 「ギニャース」 「なんだかシャミ嫌がってない?」 「美味しさに感動してるんだろ」 「テラヒドース」 「あれー、今シャミの鳴声変じゃなかった?」 「気のせいだろ」 「ギニャース」 すまんなシャミセン。でも怨むならアイツらを怨め。 その日は久々に快眠することが出来た。 次の日の朝、また何度か電話が鳴った。 母さんが俺に取り次いできたが、受話器を渡されると同時に叩きつけて切ってやった。 何か怒声が聞こえた気がするが、気のせいだろう。 教室に入る。 案の定、アイツに行き成り絡まれた。 「ちょっとキョン! 昨日のあれ何!? それとどうして電話でないのよ!」 「携帯は川に棄てたからな。無いものには出られんだろ」 「どうしてそんな事……。そ、そんなことより退部って」 「退部は退部。辞めるんだよ、日本語くらい分らんのか」 「分るわよ! 私はどうしてそんな事するのかって聞いてるの! ……ねぇ、退部なんて冗談でしょ? ちょっとしたドッキリ、冗談よね?」 怒鳴りだしたと思ったら、困惑したり、縋るような顔したり、朝から忙しいうえにウザイ奴だな。 制服の裾握るんじゃねーよ、皺になったらどうすんだ。 そう言葉にして伝えてやったら、泣きそうな顔をして黙り込んだ。 やっと静かになったか。やれやれ。 授業中、ずっと背中に視線が刺さっていた。 初めは無視していたが、いい加減にウザくなってきたので、三時限目終わりの休み時間にこっち見んなと言ってやった。 「何よ何よ何よ……!」 途端、猛烈な勢いでヒステリックに喋りだす。 触るなと言ったのをもう忘れたのか、制服を掴んで意味不明な言葉を吐き散らした。 あぁウぜェウぜェ。クソウぜェ。 「勉強の出来る誰かさんは授業に集中しなくて良いから余所見ばっかりできていいなぁ。出来の悪い俺は授業に集中したいんだけどなぁ!」 頭を掴んで耳元で怒鳴ってやった。 クラスメイトから奇異や驚きの視線が集まるが、知ったことか。 怒鳴られたアイツは、勉強ならあたしが教えてあげるから退部なんてどうのこうのぬかしてやったが、俺が睨みつけるとびくっと肩を震わせて静かになった。 本当に忙しい奴だ。 昼休みになると同時に、弁当を片手に教室を出た。 アイツがずっと視線で追ってきたが、とくに何も言ったりはしなかったので無視した。 中庭。自販機横のテーブルで弁当を喰っていると、ニヤケ面の野郎が真剣な顔で近づいてきた。そのまま無言でイスに座る。 「……どういうつもりですか?」 主語無しに喋るな。あと飯が不味くなるからとっとと失せろや、チンカス。 「……昨日発生した閉鎖空間は」 「おいおいおい、まだ居たのか。耳あるかお前。人の話聞いてたか? あ? とっとと失せろっつーの」 「話を聞いてください! 涼宮さんはあなたの事を……」 とっても、すんごーく、メチャクチャ腹の立つ単語を口にしやがった上に、どうやら立ち去る気が無いらしいんで思い切りぶん殴った。 「ま!? ガっ、reーッ!?」 ニヤケ野郎は吹っ飛んで隣のテーブルに激突した。 化物とは一丁前に戦えるくせに、人間同士の喧嘩には疎いらしい。素人パンチを諸にくらったニヤケはうちどころでも悪かったのかうぅうぅ呻いてそのまま地面に蹲って立ち上がってくる気配すらない。 気持悪いので、俺の方が場所を変えてやった。 五時限目以降、五月蝿いあいつは教室を抜け出してどこかに消えていた。 あぁ、アイツ一人居ないだけで教室はこんなにもすがすがしい空間になるのか。 などと気分が良かったのに、アイツは放課後になるやいなや教室にドタドタと駆け込んで来た。 不快指数が一気に上昇する。そのまま俺の前までやって来たアイツをニヤケのようにぶん殴ってやろうかとも思ったが、クラスメイトの目がある手前、それは出来なかった。 それに毎度毎度それじゃ俺の方が疲れてしまう。もう充分疲れてるけどな。 せめてもと、思い切り不機嫌な顔で睨んでやる。 すると、アイツは肩を震わせながら喋りだした。 「……ねぇ、私たちが何したって言うの?」 「身に覚えがありすぎて答えられないな」 「……どうして古泉君にあんなことしたの?」 「アイツのことが嫌いだからだよ」 「じゃあ古泉く……ううん。古泉はすぐに辞めさせるわ。今日付けで退部にする! 私もアイツのこと嫌いだったし、ちょうどいいわ!」 沈んでいたと思ったら、何を元気に頓珍漢な事を言っているんだろうか。 まぁ良い。少しからかってやろう。 「そうだな。古泉だけじゃなくてお前以外の二人も退部にしたら俺の退部は考えても良いぞ」 「本当!? 約束よ!」 今度こそ本気で元気になったコイツは、目を爛々と輝かせながら「絶対だからね!?」と何度も言った後「ここで待ってて!」と残し、勢いよく教室から飛び出して行った。 ここまで単純だと逆にすがすがしいね。 それからしばらく。 俺以外のクラスメイトは全員部活に行くか下校してしまってから少し。 息を切らせながら、けれど元気に満ちた顔でアイツが教室に飛び込んできた。 これ以上待たせたら帰ろうと思っていたところだ。変にタイミングが良いな。 「っ、はぁ……や、辞めさせてきたわよ!」 「そうか。ご苦労」 「これでアンタが戻ってきてくれるならお安い御用よ! だから、約束……」 「あぁ。ちゃんと考えてやるよ。……そして考えた結果、俺は戻らない。じゃあな」 ひらひらと手を振りながら歩き出す。 笑い出しそうになるのを堪えていると、制服を強く掴まれた。 何だよいったい。 「な、なによそれ! ふざけないでよ! 戻ってくれるって言ったじゃない! 約束したじゃない! アンタが戻ってくれるって言うから皆辞めさせた! アンタが居てくれたらそれで良いから、それだけで良いから……私にはアンタしか居ないんだからっ!」 怒りつつ泣くという器用なことをしながら、なにやらとても愉快なことをぬかしやがる。 泣きそうな顔なら見たことあるが、実際に泣いた顔というのは初めて見たな。感慨なんて物は無いが、流石に少し驚いた。コイツも人間並みの感情はあったのか。泣いている理由はよく分らないが。 「戻るじゃなく、考えるって言っただろ。俺は」 「知らない知らない知らない! わかんない! もう! 昨日からキョンが何言ってるのか全然わからないっ!」 顔を真っ赤にして大粒の涙をぼろぼろと零し、イヤイヤと頭を左右にぶんぶんと振りながらヒステリックに叫ぶ。 「だから言ってるだろ。俺はお前の変な団体を抜けるって――」 「嫌よ! 嫌! 聞きたくないっ!」 「いい加減にしろよ! 聞けよっ! 俺は、」 「イヤイヤイヤイヤイヤイヤ嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌あああっ!! そんなのっ、絶対に、いやぁあああああああっっ!!!」 「……っ」 俺の言葉を聞こうとしない。両手で自分の耳を塞ぎ、壊れた玩具のように嫌と繰り返す。 元々可笑しかった頭を辛うじて堰き止めていた取っ掛かりが取れちまったようだ。 俺は大きく息を吸い込んで、 「何度も言わせるなよ! 辞めるんだよ! ていうかもう辞め――」 怒鳴るのを止めたと思ったら、ブツブツと呟きだしたコイツを見て血の気が引いた。 「キョンが居ないと意味ないの。キョンが居ないと嫌なの。キョンが居ないと面白くないの。キョンが居ないと悲しいの。キョンが居ないと辛いの。 キョンが居ないと寂しいの。キョンが居ないと退屈なの。 キョンが居ないと嫌なの。キョンが、キョンが。キョンキョン、キョン……」 「……たん、だよ」 うわぁ。流石にこりゃ不味い。ヤバイ。いっちまってる。 からかってたつもりが、どうやら良い感じにぶっ壊してたらしい。 とりあえず何とかしないと。後ろから刺されるのもゴメンだし、自殺されるのも気分が悪い。退部は決定だが、この場を納めるくらいには折れよう。 「落ち着けよ。落ち着けって! おい!」 両手首を掴んで、真正面から怒鳴りつける。 「ハルヒ!」 名前を呼びながら、身体を揺さぶってみる。 しかしコイツ……ハルヒは、小声で「キョンキョンキョン」と不気味に俺の名前を呟き続けるだけだ。 「ハルヒ! ハルヒ! ハルヒっ!!」 何度か繰り返すが、まったく効果が無い。 糸の切れた操り人形のように体はぐったりとしてるものの、呟きは相変わらすだ。 涙と鼻水を垂れ流し、虚ろな瞳で俺の名前を呼び続けている。 マジカヨ。手遅れか? 死人が出るのか? バカ。バカハルヒ。俺はお前の眼の前に居るだろうが! ――白雪姫 ――Sleeping Beauty 「……」 それは天啓というか、悪魔の囁きというか。 突如閃いた……というか、脳裏に過ぎったその二つの言葉は、確かに現状を打破できる天国への扉の鍵かもしれないが、同時に俺を奈落の底に叩き落す地獄の門を開く鍵でもあるだろう。 あぁ、だけど、やらない後悔よりやる後悔。 今のハルヒに負けず劣らずイカれていた女の言葉を自分を誤魔化すための免罪符にして、俺は自分の唇をハルヒの唇に押し付けた。 「あ……、キョン?」 「クソバカ野郎。やっと落ち着いたか」 僅かの逢瀬。あのときの、まだ楽しかった頃の記憶が完全に蘇らないうちに、俺は唇を離した。溢れていたハルヒの涎が俺の唇にも付着して、二人の間に橋をかけていたのが気持悪かった。 「……」 「……」 図らずとして、見詰め合う。 何が悲しくてまたコイツとキスなどせにゃならんのだろう。 コイツや、何があっても涼宮主義な狂信者に耐え切れなくなって退部したと言うのに。クソクソクソ……どうして上手く行かないんだよ。 「……はぁ」 溜息を吐き出す。まぁ、退部することには変わりない。こんな事があったからと言って、考えを変える気もない。しかし……少しコイツらとの接し方は見直すか。今回のような事が何度もあったなら堪らない。クソッタレの古泉にもやりすぎたと……いや、アイツはどうでも良いか。 そんなことを考えていたら、宇宙言語よりも意味不明な言葉が聞こえてきた。 「ちょ、ちょっと! いきなり何するのよ、エロキョン!」 「――は?」 「誰も居ない教室に連れ込んで、ご、強引にキスするなんてアンタ変態よ! この後は何するつもりだったのよ!?」 先ほどとは違うだろう意味で頬を赤くし、そっぽを向きながら巻くし立ててくる。 涙と鼻水と涎をはっつかせた顔のままでだが、虚ろだった瞳には生気が戻ってきている。だが、何となくだが濁っていた。 「まったく。油断も隙もあったもんじゃないわね」 「……」 あー。 なるほど。 手遅れだったのか。 「……アンタ、このまま襲うつもりなんでしょ」 ちらちらと此方を見ながら、可哀想なことを言うハルヒ。 「……別にアンタとするのは嫌じゃないけど。もっとムードとか、順序とか色々大切なものがあるでしょうに」 お前は大切なもんが壊れてるんだよ。 「……アンタ私のことどう思ってるのよ。それくらい言いなさいよ」 嫌いだ。大嫌いだ。 「私はアンタの事が大好きよ……。ねぇ、体目当てでも何でも良いから、傍に置いてよ。捨てないでよ。約束してよ。そうしたら、何しても良いから。何でもしてあげるから」 「もう喋るな」 言って、おもむろに抱きしめた。このままコイツの言葉を聞いているとこっちまで頭がおかしくなりそうだった。力に任せて、思い切り抱きすくめた。 「ちょっと! 痛い……って、あぁ、ふーん……なぁーんだ。キョンも私のことが好きなんだ。そうなんだ。よかったぁ、あはは」 そっと俺の背中に手が回される。歪な笑い声が蟲のように俺の頭の中をカサカサと這い回っていた。 「ねぇ、しないのぉ?」 しないよ。するわけないだろ。 「どうして?」 どうしてもだ。 「私はキョンが好き。キョンも私が好き。何の問題もないじゃない」 「少し静かにしてろよ。拭きにくいだろ」 このまま帰らせるわけにはいかないということで、俺はハルヒの顔を拭いてやっている。 その間中ハルヒは俺のどんなところが好きだとか好きだとか好きだとか、そんなことばかりを喋っていた。頭がどうにかなりそうだった。 「あ……ぁ、あぁ、ごめんなさい、ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!」 俺が少しキツく言えばすぐにコレだ。この世の終わりみたいな顔をして、嫌いにならないでだの、捨てないでだの、傍に置いてだの、一緒に居てだの、何度も何度も何度もごめんなさいを繰り返す。 「捨てないよ。嫌いにならない。だから今すぐ止めろ」 「……うん。やっぱりキョンは優しいのねぇ。よかったぁ。うふふ」 濁った目でえへへと笑うハルヒ。桜色の唇を小さく開閉させて、ちゅ、ちゅ、と音を立てるのがキスをせがんでいるのだと気がついたけれど――そんなこと出来ない。したくない。 気づかない振りをして、制服の乱れも直してやった。 「むぅー」 そんな顔されても、キスなんかしない。 それよりそんな目で俺を見るな。何度も言うけどさっきから頭がおかしくなりそうなんだ。 「……恥しいじゃない」 なら自分でやれよ……などと言うものなら、また泣き出してややこしいことになるので黙っていた。 「くすぐったいわよ。何処触ってるのよ、エロキョン」 「動くなって……ちゃんとしないと恥しいだろ」 「だから恥しいって言ってるじゃない」 「そういう意味じゃないって……ほら、終わったぞ」 最後にスカーフを整えてやった。ぽん、と軽く肩を叩く。 俺が制服を直している間じっとしていたハルヒは、はにかみながら笑い、 「やっぱりやっぱりキョンは優しいわぁ」 重量がありそうなほどの大きな吐息を吐くと、頬にふんだんに朱を散らして目を細めた。 背筋がぞくりときたね。色んな意味で。ストーカーにつけ狙われるってこういう気持なんだろうな。 分りたくもなかったが。 「ほら、立てよ」 冷や汗をかきつつ、手をとって立たせてやった。 やおらしおらしいハルヒは「ありがと……」と、もじもじと指を絡ませている。 はっきり言って不気味だ。奇奇怪怪だ。もっとお前らしくしろよ。俺の嫌いなお前で居ろよ。それじゃないと、俺はお前を悪者に出来ないだろ。 「……帰るぞ」 「うん。キョンがそうしたいんなら、良いわよ」 にこりと微笑んで、俺の左腕に腕を絡ませてくるハルヒ。振り払おうとして……止めた。また泣き出されたら堪らない。ハルヒに見えないところで、俺は顔を歪ませ歯軋りした。 感情を昂らせないように気をつけつつ、何で俺がこんな目に遭わないといけないんだろうと恨めしく想いつつ、腕に感じるハルヒの柔らかさや温かさに劣情を感じぬよう、なるべく早足で歩いた。 ……しかし歩きにくい。周囲からの視線も痛い。 「おい、ハルヒ」 「んー? なぁに、キョン」 ご満悦なのか、生まれたての小鳥の羽毛のようにへらへら笑いながら上目遣いで猫なで声を吐くハルヒ。 止めろ気持悪い。そう言えないのに腹が立ち、ストレスが溜まる。 「歩きにくくないか」 「全然」 「なら暑いだろ。こんなにくっついてたら」 「そうね。でも平気。キョンが近くに居るって感じがして、嬉しい」 何を言っても無駄なようだ。 正直にキツく言えば離すだろうが、泣き出すだろう。……まいった。だから頬を染めるな。 「ねぇ、キョン」 「何だよ」 「このまま帰っちゃうの? 何処か行きましょうよ」 「課題が溜まってるんだ。勘弁してくれ」 本当に課題が溜まってるし、こんなハルヒと何処かに行くなんて考えられない。 ハルヒは「うー……」と唸っているが、俺の成績が芳しくないのを覚えているんだろう。駄々をこねるようなことは無かった。 その成績が下がっている理由の半分はオマエラの所為だという事には……気がついている訳無いか。 ていうか幼児退行してないか、コイツ。俺の気のせいか? 「分ったわ! じゃあ、私が手伝ってあげる!」 「……は?」 と、俺がメノウなブルーに浸っていると、また宇宙言語並に意味不明なことを言い出した。 「何だって?」 「だから。私が課題をするの手伝ってあげるって言ってるのよ」 名案でしょ? と絡ませてきている腕に力が入る。 嫌な記憶が蘇る。昔にもこういう事があったぞ。 「そうと決まったらこのままキョンの家に――」 「駄目だ。来るな。決まってない」 「良いじゃない。キョンの意地悪。……せっかく二人きりになりたかったのに」 「二人きりって……お前、変なこと考えてるだろ」 頭痛がしてきた。 本当にコイツは何なんだ。 「何よ何よ。先にキスしてきたのはキョンじゃない。しかも強引に」 「それはお前が……いや、でも、順序が大切とか言ったのはお前だろ」 「何よ何よ何よ。しても良いって言ったでしょ。好きって言ったじゃない。キョンは私としたくないの?」 その通りだこの馬鹿野郎。 そう怒鳴りつけてやれたらどんなにすっきりしただろうか。 「……ねぇ、キョン」 畜生。声を震わせるな。目尻に涙を溜めるな。ぎゅっと腕にしがみ付くな。 何でこう、変なところで妙に同情的なんだ、俺は。憐憫でも感じてるのか、コイツに。――そうかもしれない。あぁ、最悪だ。最低最悪だ。畜生。 「……したくなくはない」 「本当……?」 「あぁ。ウソついてどうする」 「……へへぇ。そうよね! 私達、好きあってるんだもんね……うん。よかったぁ。やっぱりキョンは優しいなぁ」 今日何度目だよ、それ。 またもや俺はハルヒの見えないところで顔を歪ませた。見る人が見たら、俺から黒い瘴気が噴出しているのが見えただろう。 「じゃあな」 「うん。また明日ね、キョン!」 申し訳程度に手を振ってやる。ハルヒは「さよならのキス」がどうのこうの騒いでいたが、どうやって嗜めたは覚えてない。覚えたくもない。 腕がちぎれるくらいにブンブンと腕を振るその姿は、俺が曲がり角に消えるまでずっと其処に在った。 「最低だ……」 溜息を吐き出して、自転車に乗ったまま道端の空き缶を思い切り蹴飛ばしてやった。 もっとも、それくらいで晴れる苛々のモヤモヤでも無い。カランコロンという音にすら苛つくほどだ。 明日から俺はどうすれば良いんだ? おかしな団体にはもう参加しなくて良いだろう。 だが、ハルヒ……アイツには毎日顔を会わす。そのたびにさっきみたいな事をするのか? 冗談。最低。最悪。 「毀しちまったのは俺だけどさ」 そもそも悪いのはアイツ等なのに。結局俺はこういう星の下でした生きられないってことなのか? えぇ、おい。クソッタレな神様よ。 「……はぁ」 ……勿論神からの返答なんてものは無く。 誰かさんの言うところでは神かもしれないハルヒはあんな状態。 こんなところで無宗教を悔やむとはな。 何でも良いから、縋れるものが欲しかった。 誰か俺と入れ替わってくれないか。全財産なげうっても良い。 溜息のバーゲンセールだ。欲しい奴は俺の所に来い。ただで売ってやる。 こういうときに相談できる奴が居ない。何て俺は寂しい奴なんだろう。 ――いっその事遊ぶだけ遊んで捨ててやろうか。今のアイツなら俺の言う事なら何でも聞きそうだ。 そんな益体も無い事を考えつつ自転車を漕ぐ。 最後のだけは少しだけ考えてみようか。……馬鹿か。 「……ん?」 もう直ぐ家だというところで、俺の家の前に夕陽の中、北高の制服が突っ立っているのに気がついた。 「……お前か。接触してくるとは思ってた」 自転車を止める。 長門は微動だにせずに、何の感情も表情も無く口を開いた。 「今回の件に関して、情報統合思念体――特に急進派は高い興味を示している」 「……」 相槌を打つ義理も、聞いてやる義理も無い。 けれど俺は言葉に耳を貸さざるを得なかった。急進派という単語には、未だに感じるものがある。 「今回、我々は完全に観察に徹する。ほかの派閥も同意見。これは未だかつてない事態」 ただ、と続け。 珍しく長門は――ほんの数ミリだけ、眉をしかませた。 「私という個体は……」 続きを聞かないように、俺は家に入り大きな音をたてて戸を閉めた。 また朝倉のような奴が襲ってくることは無い、とそれだけ知れば充分だ。 「……あんな顔しやがって」 玄関の戸にもたれかかり、俺は呟いた。 馬鹿。馬鹿野郎。 俯いて前髪を掴む。こんなはずじゃなかったと、今更ながら俺の心は悲鳴をあげた。 「ねーえ、キョン君。猫なのにどうしてドッグフードなの?」 「あぁ。買うとき間違えちゃってな。でも捨てたら勿体無いだろ」 「ワンワン」 「あれれー? シャミの鳴声なんか変じゃなかった?」 「気のせいだろ」 「ニャンニャン」 シャミセンを苛めても気分は晴れなかった。 バリバリ引掻かれた。 殴り返した。 妹に怒られた。 風呂に浸かって、ぼうっと天井を眺める。 天井にぶつかった湯気が集まって水滴になり、自重が表面張力を上回って、湯船に落ちてきた。 ぽちゃんという情けない音がヤケに浴室に響く。どうしてか、溜息が出た。湯気越しに見える灯りがキラキラと輝いてまったく綺麗だ。 「何やってんだかな、俺」 色んなことに耐え切れなくなって、可笑しな部活を辞めた。 アイツ等に冷たく当たって、キツくあしらって。そうしていれば、向こうから絡んでこなくなる……と、そういうはずだったのに。普通の高校生に戻れるとそう思っていたのに。 「ハルヒの奴、」 大丈夫かな、という言葉を飲み込んだ。 それだけは吐いてはいけない。この気持だけは持ってはいけないんだ。 ――だったらどうして放課後の教室で俺はあんなことをしたのだろう? 「……本当に、何やってんだか」 ハルヒの濁った目が、長門の――悲しそうな表情が、脳裏にこびり付いている。 俺の問いに答えてくれそうな奴は、非常に残念なことに見当たりそうになかった。 俺は優しくなんかない。 浅い眠りを何度も繰り返した。 当然寝不足だ。目の下にはうっすらとクマが出来ていた。 ……憂鬱な気分を引き摺って登校する。 心なしか自転車のペダルも重い気がした。天気も曇りだ。 通いなれた筈の坂道が今更だが絞首台へ続く階段に見える。軽い眩暈。はぁ。 しかし、そんな事より何よりも、 「キョン? 大丈夫? 顔色悪いわよ?」 俺が家を出たときからずっと付いてくるコイツの声が一番鬱陶しい。 玄関の戸を開けるなり、吃驚して尻餅をつくところだった。喜色満面の笑みをはっつけて「おはよ!」とのたまったコイツは、一緒に登校しようと思ってだとか何だとかで、三十分は俺の家の前で待っていたと言うのだ。 その手に手作りの弁当まで引っさげて。 ……また寒気を感じたね。それもおぞましい寒気。お前はストーカーかよ、という台詞を飲み込むのに苦労した。 「……寝不足なんだ。そういうお前は何時も元気だな」 「私の辞書に不調なんて言葉は無いのよ! ……そんなことより。駄目よ、夜更かししたら。風邪引いたらどうするのよ。まぁ、その時は私がつきっきりで看病するから大丈夫だけど……」 嫌味だったんだが気がつかなかったようだ。 それと看病なんか要らない。いや、出来るなら欲しいけど、お前だけはお断りだ。 「……頭に響くからもうちょい静かにしてくれ。割れそう、マジ」 頭痛を堪えるような仕草をして、呻くように言った。 そんな俺を見たコイツは、 「っ。その……う、ご、ごめんなさい。ごめんなさい、ごめんなさい」 案の定……俺の制服の裾を掴み、泣きそうな顔をしてごめんなさいを繰り返すのだ。 大丈夫? 大丈夫? と俺の顔を覗き込んでくる。って良く見たら少し泣いてるじゃねーか。 更に救急車を呼ぶだのと騒ぎだしたので、この辺で止めることにした。 「馬鹿、冗談だよ」 言って、ポンと頭を叩いてやる。 俺の顔は笑っているはずだが心の方はくすりとも笑っちゃいない。 ハルヒはころりと表情を変え、うっとりとした声でやっぱりキョンは何だとか言い出した。幸せそうな顔だな、と思った。とても不幸せそうな顔だ。 二人で歩く坂道は、叩き潰した糞みたいに地獄だった。 谷口やら国木田の能天気な顔が、髪の毛ほどの細い残像だけを残して、俺の記憶から消えた。 ハルヒのことで何かからかわれたりしたような気がするが、覚えてない。 俺の海馬には下らないことを刻む余剰スペースは生憎皆無なのだ。 ハルヒが休み時間になるたびに何か喋りかけていたような気がするが、右の耳から入って左の耳から抜けていった、という事くらいしかこちらも覚えていない。 あぁ、とか、うん、とか、そうか、と相槌くらいは打っただろうか。 一度授業中にシャーペンで背中を突っついてきやがったが、睨みつけて「止めろ」と言うとお決まりのごめんなさいと共に大人しくなった。 「……やれやれ」 漸く昼休みなった。漸くというのはおかしいかもしれない。ぼんやりとしていて、余り時間が流れていた実感が無い。 だというのに、陰鬱で酷くよくない物が、俺の心の中に溜まっていくのは明確に感じ取れていた。 そこに新たによくない物が追加される。 朝、ハルヒが作ってきていた弁当だ。 ……要らん、と突っぱねたら大泣きしたのでしょうがなく受け取ったが、喰わねばならんのか。 鞄の中に鎮座する女の子した包みと、お袋が持たせてくれた御馴染みの包みを見比べて、溜息を吐いた。 キンキンと癪に触る声がする。 「さぁキョン! 一緒に食べましょう!」 「……あぁ」 料理の腕は何故か良かったからな、コイツ。と無理矢理に自分を納得させて、俺は鞄からピンクと白のチェック模様を取り出した。 愛妻弁当じゃないのか、それ!? と騒いでいる馬鹿は誰だろう。良かったら変わってやろうか。寧ろ変われ。 「腕によりをかけたのよ!」 ……蓋を開けて嘆息する。これだけ手の込んだ物、三十分やそこらでは作れないだろう。朝何時に起きたのだろう、コイツは。まぁ、そんなこと考えるだけ無意味だけど。 機械的に箸を動かして、機械的に咀嚼した。 悲しいことに美味かった。 「まぁまぁだな」 「そ、そう? よかったぁ。ありがと。えへへぇ」 俺が食べている間は熊と対面したウサギのようだった顔に、向日葵が咲いた。 腹ごなしの散歩は日課だ。 これから夕食までの間にお袋の弁当も片付けないといけないので、体育の授業が無いのが恨めしい。 「腕組みも、手を繋ぐのも駄目だからな」 「分かってるわよ。学校だもんね。TPOは弁えないとね」 ……当然のように、ハルヒはくっ付いて来ていた。 俺が弁当を喰ったのがよほど嬉しかったのか、スティックスの『Come sail away』のサビを繰り返し口ずさんでいる。鬱陶しいことこの上ない。 着いてくるなと言うのは簡単だったが、泣いたコイツを嗜めるのは簡単じゃない。 人目のない所、例えば体育館裏などでガツンと言ってやろうか――家の前で待つな、弁当作ってくるな、喋りかけるな――とも思ったが、そんな所につれて行けば、頭の回路が全部ショートしたコイツは、 「……良いのよ? ここでしても」 濁った瞳を濡らして、そんなふざけた事を言い出しそうで。 連日コイツの”女”の顔を見るなんて気持の悪いことをしたくない俺は、ストレスやフラストレーションを溜め込むしかできないのだった。どの口がTPOだなんて高尚なもんを吐き出してんだ、馬鹿。 「明日は土曜日ね」 「……」 「キョン? どうしたの、また気分悪くなった? 保健室行く?」 一度無視しただけでこれか。 どうやら覚えていない休み時間の俺は、相槌だけはきちんと返していたらしい。 「ぼうっとしてて聞こえなかっただけだ。心配すんな」 「そう? それなら良いんだけど」 「で、何だって」 不思議探索だとか抜かしたらどうしてやろうか。 「あ、うん……あ、明日の事なんだけど。キョン、暇かなぁ、って」 頬を染めて、胸の前で指を絡ませたり、離したり。俯いて自分のつま先を見ていただろう瞳が、「って」の所で上目遣いに俺を見た。 悪寒が背筋を走るのを感じながら、俺は即答していた。シークタイム一ミリ秒以下。 「用事がる。大事な」 「……大事な、用事?」 「あぁ。メチャクチャ大事な用事だ」 もしも俺が暇だと返答すれば、その次にデートとかそういう類の台詞が飛び出すに決まっていた。 大事な用事など無いが、ここで突っぱねておかないといけない。傷口が広がる前に。 だとういうのに、 「……あたしよりも、大事?」 自分の制服の裾をぎゅっと握り締めて、ハルヒは上目遣いの瞳をふるふると震わせている。 マスカラで縁取りした安物の黒曜石にはありありと恐怖が浮かんでいた。 ――こいつ、化粧してるのか。 意味の無い思考が頭を駆け巡った。どうしてお前は自分で自分の傷口に塩を塗るんだ。 そんなこと聞かずに「そうなんだ」で済ませば良いじゃないか。また暇が出来たら教えてね、と当たり障り無いことを言って、話題を変えれば良いじゃないか。 あぁ、お前よりもな。 と言われるかもしれない事を自分でも予期しているから。だからそんな目をしているんだろう? この糞馬鹿野郎。 自分に自信が無いから。いつも根拠のない自信と傲慢に溢れていたお前が、紋章めいてすらいたそれらをどこかに落としてしまっていたから。 「……ねぇ、キョン」 蚊細い声。 俺はお前なんか大嫌いなのに、お前がぶっ壊れているから、 「馬鹿。そんな訳あるか。それに、明後日なら空いてる」 反吐を吐く気持でそんな事を言ってしまうんだ。 「本当!? よかったぁ!」 大好きよ、キョン! と。 抱きついてくるハルヒを、俺は無感動に抱きとめた。 午後の授業時間は、午前中に輪をかけてぼんやりと流れていった。 背後からは如何にも「私しあわせです」というオーラが漂ってきている。クラスの皆からは、微笑ましい視線や恨めしい視線が集まってきている。 首元には、生暖かい吐息の温もりが残っている。 もうどうにでもなれ、と全部投げ出せたらどんなに楽だろう。 でもそれでは負けだ。完敗だ。だから、俺は踏ん張らないといけない。 弱い俺をたたき出して、冷徹で冷酷な俺に生まれ変わって、可笑しなヤツ等と決別しないといけない。 そう決めた。そして退部した。……だというのに、俺は一番嫌いだった――だった?――奴と、今は格別にぶっ壊れてしまったソイツと、日曜日にデートする約束なんかをしてしまっている。 「――」 脳裏に過ぎるその考えは、滑るような自然さで俺に降って来たものだ。 ……この状況は、アイツの能力によるものなんじゃないか。 その考えは、ていのいい逃げ道のようであり、それでいて気を抜けばストンと腑に落ち納得してしまうようなシロモノだ。 天高く張られたロープの上を命綱無しで歩くような危うさがあり、一度足を踏み外せば、奈落の底に落ちて行く。 その考えを――この今の俺の状況が、本当にアイツの力の所為だとすれば、まさしくこの世は地獄だ。 俺がどんなに抗おうと、結局はアイツの望む状況と結果にしかならないのだから。 どんなに誇り高い決意で臨もうと、俺の目的が果たされることが無い世界。ただひたすらに、アイツが”しあわせ”になるよう成っている世界。 「……はぁ」 答えは出ない。俺が弱いのか、あいつの力の所為なのか。分らない。 こんな事になるなら、ニヤケ野郎を殴るんじゃなかった。それともヒューマノイドに聞けば分かるだろうか。ただ、アイツは観察に徹すると言った。それに、もうあんな顔は見たくない。 溢れそうになる陰鬱に何とか蓋をしながら、俺は机の中に入っていた一枚の便箋に視線を落とした。 『放課後、部室に来て下さい。お話があります。朝比奈みくる』 ――今起こっている出来事は全て既定事項です。 そう言われたら、俺の頭も狂うだろうか。 終わりのホームルームが終わる。 岡部が昨日学校の近くに不審者が出たから気をつけろ、と真面目な顔で。 なんでも例のお嬢様学校の生徒が被害にあったらしい。 いつにない岡部の態度だったからか、何故か耳に残った。背筋の裏にぞくりという嫌な予感は、気のせいだろう。不審者も何が悲しくて俺のような男を襲うんだ。……男を襲うから不審者なのかもしれないが。 「キョン! 一緒に帰りましょ!」 「帰らない。少し用事がある」 100ワットから、一気にブレーカーダウンへ。 あたしよりも大事なとか抜かす前に、俺はハルヒの頭にぽんと手を置いた。 「中庭かどっかでジュースでも飲んで待ってろ」 「う、うん……」 ころりと変わる表情や態度に、単純なやつだと心内で失笑する。 ――俺の気もしらないで。 このまま頭を掴んで机に叩き付けたやりたいという衝動は、理性がおさえ込んだ。 うっとりとした顔で自分の頭を摩るハルヒを残し、手を洗ってから、俺は部室に向った。 「……っと」 ノックをしかけた手を慌てて引っ込める。 何で気を遣わないといけないんだ。それに、アイツの言う分には退部になったのだから着替えてるわけであるまいし。 チッ。舌打ちする。それを習慣としてまだ覚えている俺の頭や身体に。忌々しい。 「入りますよ」 一応の上級生に対する礼儀でそれだけ言いつつ、返事もないうちに扉を開けた。はじめから返事を聞くつもりはないが。 ……それにしても。 話ならどこでも出来るだろうに、わざわざこの部屋を指定したのは俺に対するあてつけか嫌がらせだろうか。天然役立たず未来人のことだから、そこまで考えてるとは思わないが。 アンタの無能ぶりに嫌気がさしたんだよ! とでも言ってやろうかと考えていた俺の目に飛び込んできたのが、 「え、あ、キョンくん、やぁ、だめぇ」 なかなか扇情的な下着姿だった。 「……」 ――しばしの間、唖然。なんともいえない空気。 「……はぁ」 沈黙の天使を溜息で吹き飛ばして起動再開する。 思わず「すいませんでした!」と叫んで部室から飛び出しそうになる軟弱な俺を追い出して、無言で俺はパイプ椅子に腰掛けた。 「うみゅうぅ……」 下着姿のまま固まって、真っ赤な顔で意味不明言語を呻く未来人さん。 瞳を潤ませて俺を見つめているが、誘っているんだろうか。んなわけない。出てって欲しいんだろう。生憎だがそうしてやるつもりはもう無いが。 「固まってないでさっさとして下さいよ」 呼び出したのはそっちだろ、と。机の上に置かれていたメイド服に目をやりながら、呟いた。 コイツもさっきの俺のように「習慣」に囚われているんだろう。この部屋にきたら着替えて給仕活動しなければならないとかそんなのに。まったく律儀というか馬鹿というか単純というか。 「あうぅ……」 やたら白くて柔らかそうな肌までほんのり朱に染めつつ、のろのろと動く未来人さん。 素早く動くことは出来ないんだろうか。着替えるのかと思ったら、メイド服で身体を隠しはじめるし。 「で、でてってぇ」 俯いて、耳まで真っ赤にして、クリオネが水をかく音のように小さく。 少し前までの俺ならパブロフの犬の如く言われたとおりにしただろうが、今は苛々するだけだ。早くしてくれと言っただろう。 「どうして俺がアンタの言うことを聞かないといけないんですか」 言いつつ、上から下まで舐めるように見てやった。視姦とでも言おうか。そんな趣味は無いと想いたいが――しかしまぁ、劣情を抑えるのが困難な体だった。性犯罪者にはなりたくないが。 「――犯されたくなかったら、さっさと着替えて下さい」 なんなら手伝いましょうか? と笑顔で言ってやったら、かたかたと震えながらも物凄い速さで着替え始めた。途中何度か転んだりしたが。 ……出来るんなら最初からしろよ。まったく。 やれやれ、と肩をすくめた。一応言っておくが、犯す云々は冗談だからな。 「……ご、ごごめんなさいぃ」 着替え終わるやいなや、縮こまってぺこぺこと頭を下げてくる。 何がごめんなのか。今までの俺を巻き込んだ騒動の全部か、それとも着替えが遅かったことに対してか。知るヨシもないが、その程度で許しが降りる訳が無いのだけは確実だ。 「ふひゅっ!」 目を合わせただけで気持悪い悲鳴と共に後じさる。 俺を見る半べその目には、羞恥と恐怖がごっちゃになっている。だから冗談だってのに……扱いづらいというか、面倒な。 さっさと話だけ聞いてこの場を後にしたいと言う俺の願いはこのままでは確実に達せられそうにない。 ――その話の内容如何によっては、頭が狂って本当に犯してしまうかもしれないが、とにかく冗談だと言ってやることにした。 「一応言っておきますけど……」 びくん、と肩を震わせて俯く未来人さん。 「犯すとか冗談ですから。当たり前じゃないですか」 「ふぇ?」 意味不明の呻きとともに、頭をゆっくりと上げる。 あからさまにほっとしたような顔。 そして「で、ですよねぇ」と小さな笑い、胸に手を置いてはふぅと息を吐いた。天然もここまで来ると脳に欠損があるんじゃないかと思えてくる。 そんな可哀想な天然さんは俺が呆れているのにも気がつかず、 「あ、お茶淹れますね」 てとてととコンロの方へ駆けて行き、がたごとと急須やら茶缶やらを弄りだす。 「この前買ったのは……あれぇ?」 ふりふりと左右に揺れる形の良いお尻を眺めながら、溜息を吐いた。 どうやらさっさと話をする気は毛頭ないらしい。 暫くして「はい、どうぞ」と出されてきた湯のみを手に取り――そのまま投げつけてやろうと思ったが、これで最後だと一口だけ飲んだ。 「すご。まず。店で出されたら店長呼んで怒鳴りつけますね」 本当は悲しいことに美味かったが。 「飲めたもんじゃないです。俺のこと馬鹿にしてるんですか」 また半べそをかきだした未来人さんは、俺が茶の残りを床にぶちまけると本気で泣き出した。これ以上此処に居る気は無い。付き合ってられない。詰め寄って、俺は不機嫌な声を絞り出した。 「話ってなんですか。いや、一つ教えてくれるだけで良いです。これは”既定事項”なんですか?」 口ではさらりと言ったが、内心は戦々恐々としていた。 違うと言ってくれと懇願している俺とそれでも別に良いという投げやりな俺が混在している。 「どし、てぇ……ひどぃ、え、ぐぅ、ひっく、うぅ……ひっく、うぅ」 恐かった。本当は答えなど聞きたくなかった。むき出しの心臓にナイフを突きつけられているような恐怖感。膝が震えるのを我慢しなかった。 「ひっく、ふぅ、うっく、うひゅぅ……」 俺は今正常と狂気の境界線に立っている。どちらに一歩を踏み出せば良いのか。 ぶっ壊れたハルヒの相手などしたくもない。 それでも俺はしてしまっている。 その原因は何なのか。俺が弱いだけなのか。それともそうなるように成っているのか。 「ひゅっく、うぇ、えぐ、ううぅ……」 言ってくれ、早く。アンタの顔も見たくないんだ。泣いてる場合じゃないだろ、えぇ、おい。 「どうなんだよ! おい!」 怒鳴りつつ服を掴んで前後に揺さぶった。 小さな頭の真っ赤な顔がぐわんぐわんと揺れ、零れる大粒の涙が散らばって、はじける。 メイド未来人は嗚咽を大きくするだけで、俺の問いには答えようとしない。くるしぃと呟くだけだ。 ……苦しい? 違う。違う違う違う。苦しいのは俺だ。アンタじゃない。何時も何時も苦しいのは俺だった! 「腹を刺されたのも、車にはねられそうになったのも、全部俺だろ!」 ……どうしてか泣きそうだった。 一時は楽しかったかもしれない思い出が、今は忌々しい単なる記憶でしかない。 「あ、ぐぅ、えふっ、ごめん、なざいぃ……」 「ごめんなさいで――」 済むのかよっ! という、言葉を飲み込んだ。 今はそのことはどうでも良い。今はこれが既定事項かそうでないのか、それだけ知れれば良い。 それに―― 「けふっ、うぐっ、う、けほっ」 手を離す。青白くなったコイツ……朝比奈さんの顔を見て、少しだけ罪悪感。何も首を絞めるような真似はしなくてよかった。泣き喚かせる必要も無い。ただ、答えだけ聞けば良い。 それなのにこんな事をしてしまったのは、昨日からハルヒがらみでストレスが溜まっていたからだろう。 ――つまるところ、俺も既にどうにかしているのだ。 「すいません。俺、どうかしてるみたいです……」 反吐を吐く気持で謝罪の言葉をひねり出す。 解放されるや床に蹲った朝比奈さんの肩をそっと抱いて、背中をさすってやった。 こんなことをした手前だ。嫌がれるかと思ったがそんな事は無かった。 「ううん。ごめんね。ごめんなさい、キョンくん……」 それどころか、俺に謝る朝比奈さん。分らない。謝られる筋合いはふんだんにあるが、この状況でどうしてそんな台詞が出てくるだろうか。 「私、何も知らない、出来ない……だから、今までいっぱい迷惑かけたもんね。キョンくん怒ってもしょうがないもんね……」 今日だって、私が呼び出したのにぐずぐずしてたから。お茶淹れるのも下手糞だから。 と、泣きながらごめんなさいを繰り返す。俺の服をやんわりと掴み、鼻にかかった声で連呼する。 ハルヒといい、朝比奈さんといい、昨日今日はこんなのばかりだ。 「――」 何も言うことは無い。朝比奈さんの言うその通りだったし、今更謝られてもどうしようもない。 ……まぁ、お茶をぶちまけたのと首を絞めた形になってしまったのは俺が悪かったが。 だからと言ってもう一度謝る気にもなれず、俺は無言で背中を摩るのを続けた。 本当に、どうしようもない。 「んしょ」 時間にすれば五分も無かったかもしれない。けれど、酷く長い時間が流れたような気分だった。落ち着いたらしい朝比奈さんは、俺の腕の中からよろよろと立ち上がると、メイド服の裾で顔を拭った。 俺もならって立ち上がる。とつとつと朝比奈さんが語りだす。 「お話っていうのはね、キョンくんの退部のことと涼宮さんに辞めなさいって言われたことだったの。どっちもいきなりで吃驚しちゃって……」 あぁ、なるほど。それだけで理解する。 「――つまり、これは既定事項では無いんですね」 「はい。少なくとも私達の歴史とは違います……ついでに言っちゃうと、涼宮さんの力も関係ありません。古泉君がそう言ってました」 「そうですか。良かった」 ほっと息をつく。そんな俺を見て、朝比奈さんはぷりぷりと怒り出した。 「良くないです。このままじゃ私たちの未来が……あっ」 言ってからしまったという顔をする。強張った俺の顔を見てびくんと肩を震わせる。やれやれ。分かっているんだったら言わなければ良いのに。 「――俺の未来は俺が作るもんですから」 聞きたいことは聞いた。これ以上どうにかなる前に、俺は部室を出た。 その間際に――本当にごめんなさい――悲しそうな声が聞こえた気がしたが、気にしなかった。 中庭にも何処にもハルヒの姿はなかった。 そんなに長い時間が経ったとは思わないが、待ちくたびれて帰ったのだろうか。 そんなことを思いつつ、下駄箱まで来て俺は鼻から息を吐いた。そうだよな。帰ってるわけないな。 「……ふん」 俺の靴箱の前でハルヒが体育座りをしていた。 片手にオレンジジュースのパックを握り締めて。 「あ、キョン! 用事はもう終わったの?」 俺を見つけるやいなや、立ち上がって飛びついてくる。 新しい玩具を買って貰った幼児のように嬉しそうだ。相変わらず瞳の濁りはあったが、本当にしあわせそうな顔をしている。 ……あぁ。どうしてだろう。ハルヒの笑顔につられて、俺の顔も僅かだけ綻んでしまった。 俺の頭もハルヒと同じくらいに壊れてしまっただろうか? それとも既定事項ではないと聞いて気分が良かったのか。分らない。けれど、嬉しそうな奴の機嫌を損ねてやろうという気分にはならなかった。 「待ったんじゃないか? 悪かったな」 「う、ううん。良いの。ちゃんと来てくれたから」 「来ないかも、って心配だったのか」 だから下駄箱で待っていたんだろうな。靴を履き替えないと帰れない。 ハルヒは困ったような顔をしながら、少しだけ、と呟いた。 「心外だぜ。俺は約束は守る男だぞ」 「そう、そうよね。ごめんなさい。キョンは優しいもんね」 約束を守るのと優しいのは関係ないと思うが、まぁ良いか。 「喫茶店にでも寄って日曜日のこと話すか」 「う、うん……」 「……?」 おかしいな。喜ぶかと思ったが、何故か歯切れが悪い。おまけに怪訝な顔をしている。 不思議に思っていると、ハルヒは俺の身体に鼻を近づけて、すんすんと匂いを嗅いだ。 何してるんだ? と今度は俺がいぶかしむ。 俺から離れたハルヒはそれまで怪訝だった顔を――眉を顰め、目を吊り上げ、不機嫌にしたと思ったいなや、 「……この香水の匂い、用事って、あの女と会ってたのね!」 地獄の底から響く怨嗟のような声で、そう叫んだ。 「え?」 何を言っているのか一瞬分らなかった。理解できなかった。 豹変したハルヒの表情と剣幕に思わず一歩二歩と無意識に後ずさる。 「何を――」 言っているんだ、と続けられなかった。 ハルヒは呆然としている俺に詰め寄ってきて、物凄い力でネクタイを引っ張った。急激に首を絞めた苦しさよりも、恐怖の方が大きく沸き起る。 俺の顔に自分の顔を近づけ、ハルヒはまた叫ぶ。 「どういうことなのよっ!?」 耳を劈く怒声。 「……い、いや、朝比奈さんに、呼び出されて」 それに対し、俺は反射的に答えていた。 「部室に、行ってた」 「キョンの方から誘ったんじゃないのね……?」 「あ、あぁ」 かくんと首を折るようにして頷く。 言い訳をしたり、とぼけるといった選択肢は浮かばなかった。浮かぶ筈がなかった。 鬼気迫るとはこういう事を言うのだろう。 あの頃のハルヒでも見せたことの無いような、激怒も憤慨も通り越した感情の爆発だった。 本能的に悟る。 ヤバイ。ヤバイバイ。下手を打つな。恐い。誤魔化さず本当の事を言え。 「昼休みの間に、机に、手紙が入って、たんだ。その、退部のことで話が、って……」 息苦しさに耐えて、声を絞り出す。 「……」 ハルヒは濁った瞳を見開き、俺の瞳を覗きこんだ。 決して視線を逸らしてはいけないと警鐘が鳴る。気持悪さと恐怖に負けそうになる。だが、逸らしてはいけない。その瞬間、咽喉元に噛み付かれてもおかしくないのだから。それほど――そう思うほど、今のハルヒは異常だった。 「――」 心臓の鼓動する音が、早く、そしてやけに大きく聞こえた。 ――ドクン、ドクン。 耳の内に心臓があるかのような錯覚を覚える。締められ、渇いた咽喉。けれど唾液を飲み込むことすら出来ない。 「……そうよね。うん、そうに決まってる」 ――時間が流れるのが遅かった。 永遠にも感じた数秒間の後、ハルヒはぼそりと呟いて、何度も頷いた。 何かに酷く納得したようだった。俺の言い分を聞き入れたのだろうか? 般若のような形相が、元の表情に戻っていく。ネクタイを握る力をふわっと緩まった。いや、離した。 「げ、ほっ、ごほっ、……けほっ、つはっ、はぁ――」 首が解放され、スムーズに呼吸できるようになる。 足に力が入らなかった。よろめき、方膝をついて、咽喉に手を当てて思わず咳き込んだ。 ドクンドクンと、心臓はまだ高鳴っている。恐怖も消えず、鼓動も暫く治まりそうに無かった。 「……キョンは誰にでも優しいから、勘違いしてるんだわ、あの女」 ふと、よく分らないことをつぶやき出す。 怪訝に思う。いったい、何を言っている……? 気味の悪いことに、声音には何の感情も含まれていなかった。 目線だけをゆっくりと上げて、ハルヒの顔を見る。 「キョンは私の物なのに、あの体で誑かして……」 顎に手をあてて、ぶつぶつと。 言っていることはオカシイが、その姿は一見落ち着いたように見える。 「……嫌がるキョンに無理矢理せまったのね」 ――見えただけだった。 「ムカツクわね。ムカツクムカツクムカつく……ッ!」 忘れてはいけない。 コイツはとっくにぶっ壊れているのだ。 「……意地汚い雌豚、殺してやる」 濁り澱んだ黒く昏い瞳。焦点をあわせず、ただ虚ろに何かを見ている。 ――能面のような顔には、狂喜があった。 「うん。そうよ。それが良いわ。名案だわ」 ――ねぇ、キョン? 貴方もそう思うでしょ? 「……」 ハルヒは虚ろだった焦点を俺に合わせて、慈愛に満ちた笑みを浮かべた。 背筋を何かとても嫌なものが這い上がるのを感じた。その問いに、俺はなんと答えたのだろうか。 馬鹿、そんなこと止めろ――? 思わない。何考えてるんだ、お前――? そうだな。それが良いな――? 分らない。分りたくもない。ただ、血の気が引く音が聞こえたのだけを覚えている。酷く昔の記憶が瞬間だけ、脳裏を掠めていった。涼宮ハルヒはあれでいてとても常識的だと。人が死ぬことなんて望んでいないと。誰が言ったのか。知らない。でも、俺も同調していた気がする。 でも、今は。 世界が反転した。俺は何も言っていなかった。口は間抜けに半開きになったままで、言葉を発していなかった。呆然とハルヒを眺めている。正視していない。ただ、視界の中に入っていたのがソイツだっただけ。あやふやだった。 でも、今のコイツは。 本気でやりかねない。いや、コイツは本気で朝比奈さんを殺すつもりだ。本気で名案だと思い込んで、本気で俺に同意を求めている。いやがるのだ、狂気の渦に、俺を巻き込もうとしている。 「……っ!」 俺は辺りを見回した。――灰色になっていないか? 立ち上がり素早く視線を巡らせた。けれど、世界は正しいままだった。 グラウンドの方からは運動部の掛け声が聞こえ、下校せんと脱靴場を出て行こうとする後姿、笑い声。 「何してるの、キョン? ねぇ、どう思う?」 ハルヒが近づいてくる。能面に歪な笑みをはっつけて、三日月に吊りあがる口は骨で作った釣り針のよう。くすくすくすと笑いがなら、俺に手を伸ばしてくる。 「……来るな」 本当に俺の物なのかと思うほど、低い声だった。 ……気持が悪い。恐い。 ……気味が悪い。逃げろ。 本能も理性も、満場一致で同意見……本気でコイツには拘わってはいけない。 「……キョ、ン?」 ハルヒが何を言われたのか分らないと、怪訝な顔をしている。 何だ、聞こえなかったのか? 何度でも言ってやる。そして、いい加減にしろ。本当に手遅れになる前に。いや、そんなことはどうでもいい。そんな顔で俺に近づくんじゃない! 「何言ってるんだよ、お前。殺すとか意味わかんねぇよ、冗談にしちゃあ趣味が悪すぎるぞ!」 俺はハルヒの手を思い切り叩いて払いのけ、大声で叫んでいた。 「じょ、冗談なんかじゃ……」 「……なぁ、止めろよ。そんな顔するなよ。そんな声出すなよ! 止めろよっ! 来るな、寄るな、触るな、馬鹿野郎っ!!」 すがり付いてこようとするハルヒを避ける。 伸ばされてきた手を、再び思い切り払う。痛いよキョン、という妄言。止めろ。 「止めろ、止めろ、止めろぉぉぉおおおっ!!!」 叫んで、咽喉の震えるままにありったけの感情を吐き出して、俺は駆け出していた。 上靴のまま外に飛び出して――すれ違う間際のハルヒの顔は死人のようで――全速力で走った。 自転車に跨って漕いで漕いで家に着き扉に鍵を閉めるまで、一度も後ろを振り向かなかった。 振り向けばそこにアイツが立っていて、にこりと微笑み、または泣きながら、 ――私の物にならないキョンなんか、死んじゃえ。 狂気に任せ、凶器を突き出してきそうで。 そんなものは幻覚だと言い聞かせても、夕飯も咽喉を通らず、まともに眠ることすらできなかった。電話は、鳴らなかった。
https://w.atwiki.jp/haruhi_vip2/pages/3979.html
涼宮ハルヒの忍劇【キャラクター設定一覧表】 ※作中に登場するキャラクターの設定がイマイチ解り難い場合は、此方を参照して下さい 物語が更新される度に、この一覧表も更新されます 【本編】 涼宮ハルヒの忍劇 涼宮ハルヒの忍劇2 涼宮ハルヒの忍劇2・5 ※このページのみ、改行を多めに施してあります。 涼宮ハルヒの忍劇3 涼宮ハルヒの忍劇4 涼宮ハルヒの忍劇5 涼宮ハルヒの忍劇6 涼宮ハルヒの忍劇7 涼宮ハルヒの忍劇8 涼宮ハルヒの忍劇9 涼宮ハルヒの忍劇10 涼宮ハルヒの忍劇11 涼宮ハルヒの忍劇12 【INFINITY】 涼宮ハルヒの忍劇【番外編】~INFINITY~ 【番外編】 ナタデココな忍劇
https://w.atwiki.jp/haruhi_vip2/pages/6031.html
Ⅳ ハルヒが部室に鍵を閉めた後、俺たちは特に話すことなく学校を後にした。 常に無言状態でいる長門が沈黙しているのはまあいつも通りの光景だ。だがそんな長門を間にしてハルヒと俺まで黙りとなると気まずいことこの上ない。こちらが黙ってたって独りで喋るハルヒが今じゃ長門と大差ないなんてのは十分異変としてみなされるであろう‥‥‥が、まあ致し方ないわな。あんなことの後だし。俺も何と声をかければいいか分からん。というよりも声をかけないのが一番に思える。 そんなこんなで長門と別れ、ハルヒともさよならの挨拶だけ交わし家に帰宅。妹がパタパタとやってきて出迎えの挨拶した後、もうすぐ夕食であるというメッセージを耳に入れながらも俺はマイルームへと飛び込んだ。鞄を置くのも忘れてポケットに手を突っ込み、一枚のしおりをひっ掴む。相変わらずの明朝体の字で書かれたメッセージには、こう書かれていた。 【気をつけて ためらわずに】 ‥‥‥え? これだけ? 想像していた言葉よりずっと短いぞ長門。というよりも抽象的すぎて分からん。気をつけろって、何に。ためらわずにって、何をだ。いつも俺に説明する時はもっと具体的で、辞書使っても分からなさそうな言葉を並べるのにどうして今回は‥‥‥。 いや、長門でさえこれ以上書くのは無理だったのか。そうとしか考えられん。それともしおりに書いたからあまり多く書けなかったか? なんでしおりに書いたんだ長門。 よく見なくたって長門の文字が書いてある裏面にハルヒの書いたSOS団のマークが目に飛び込んでくる。確かこのマークがカマドウマを蘇させたんだっけか。じゃあ今回もそんなような異変が関係してるということでいいのだろうか。 どんなに見たって明朝体の字体がポップ体に変わることはなく、とりあえずは服を着替えることにした。映画の件以降我が家のペットとなった雄の三毛猫シャミセンが足元にすり寄ってきては、制服が爪の餌食にならないよう足で追い払う。今でこそどこにでもいるようなこの猫は、驚くことなかれ、元は喋る猫だったのだ。顔に似合わず渋い声で、あの頃は長門とウマが合いそうなくらい哲学的な知識を持っていたが、さっきも言ったが今では普通の猫だ。急に喋りだすこともしないし、かといって急に猫背をやめて立ち上がったりなど‥‥‥ 「‥‥にゃ」 しない。断じてしない。そう言おうとした瞬間だ。言うって誰に? そんなことはどうだっていい。今目に映った光景を理解するのに頭が追いつかないからな。 今のはなんだ。新手のマジックか? 仕掛け人は誰だよ。出てこい。出てきて家のシャミセンを返せ。 ‥‥‥ほんとに一瞬だった。 俺がズボンのベルトに手をかけたまさにその、瞬きをする瞬間にだ。 ‥‥‥‥シャミセンが、‥‥‥消えた。 えらい動くの早くなったなシャミ。なんて悠長を抜かしてる暇はない。俺はベルトに手をかけたまま振り返ったり片足を上げたりしてみたが、シャミセンの姿が確認出来なかった。なんだ今のは。ドアは開いてない。ということはシャミセンは俺の部屋の中に違いないが、ベッドの下にもクローゼットの中にもいない。おい、シャミセン。いつの間に瞬間移動なんて会得したんだ。頼むからもう一度俺の目の前に現れてくれよ。猫缶やるから。 俺の本能が告げていた。何かが起こった。気をつけてってもしかしてこのことか長門。無茶すぎるぞいくらなんでも。 着替えを中止し、しおりをもう一度ブレザーのポケットの中にねじ込んだ後俺は急いでドアを開けリビングへ向かった。誰もいない。キッチンにも夕食を作っているはずのお袋がいない。まさかシャミセンと妹とお袋が組んで俺を脅かそうとしてるのか。まさかな。だとしたらキッチンの火もとぐらい消すもんな。 とりあえずは、火事になっては困るので火を止めておく。今日の晩飯はカレーだったのか。くそ、楽しみのうち一つじゃねーか。 ‥‥長門だ。こんな時は長門しかいない。 胸ポケットからケータイを取り出し、アドレスでナ行を探す。‥‥あった! 「頼むぜ長門‥‥‥」 そう寂しくも独り言を呟きながら、俺が受話器のマークのボタンを押そうとした瞬間だ。 ピンポーン インターホンが静まる家に響いた。インターホンだと? もう一度ピンポーンと鳴る。出るかでざるべきか。悩むまでもない。俺はケータイを持ったまま玄関へと向かった。こんな時に限って近所のガキのいたずらじゃないだろ。もしそうなら俺はゆっくりカレーを食べることにしてやる。 ドアを開ければそこにはまたもや見覚えのある顔が立っていた。言うまでもないが近所のガキじゃない。 「‥‥‥閉鎖空間です」 平和の象徴であるニヤケ面を無くした古泉がそこには立っていた。 「なんだと」 「閉鎖空間です」 「この野郎!!!」 俺はケータイを放り捨てた後、古泉に掴みかかった。古泉の顔がさらに苦々しいものへと変わる。 「あと6日あるって言ってたじゃないかお前!! それがなんで今日なんだよ、おい!!」 「お、落ち着いてください!! 争っている暇はないんです!!」 冷静でもなければ暴力まがいなことまでしてる。その上閉鎖空間が発生した理由を自分が告白しなかったと責められたくがないために古泉や、心の中では長門にまで責めていた。 ‥‥最低だな、俺。 「一体何故急激に閉鎖空間の範囲が広がったのかは、情けないことですが僕には分かりません。ですが今はその原因を探ることよりもこれを抑えることが先決です!!」 古泉が珍しくもそう声を張り上げると、胸ぐらを掴んでる俺の手を力任せに剥ぎ取った。機関とやらは超能力だけでなく、一応筋力トレーニングもつけさせているみたいだ。古泉が自主的にやってるだけかもしれんが。 ともかく、今は古泉の言うとおりそんなことを考えている場合じゃないようだ。古泉にそう怒鳴られ思考回路が少し冷静になってから気づいたが、俺の家以外は全て明かりが消えている。まるで人の気配がしない。 「‥‥閉鎖空間、って言ったな」 「ええ」 古泉はネクタイを結びながらそう答えた。家に帰ってからも学生服から着替えてなかったようだ。 「なんでお前がここにいる」 「それは‥‥ここは喜ぶべきなのかどうかは分かりかねますが、僕も貴方と同じく涼宮さんに招待されたからでしょう。5月の時とは違い、それほどSOS団の繋がりは濃かったということです。貴方や僕だけではなく、朝比奈みくるも長門有希もここにいるでしょう」 長門‥‥そうだ。 俺は古泉に背を向け、思わず後方に投げてしまったケータイを取りに行った。 「無駄ですよ。圏外です」 ケータイの画面を見ようとした時古泉がそう言った。圏外‥‥‥しまった、忘れてた。 「しかし幸運なことにも、閉鎖空間ということで僕の能力がフルに使えます」 古泉が微笑みながらそう声に出すと、赤い光が古泉の周りへと集まっていった。 「貴方の家に早く来れた理由もこれです。僕はこれから朝比奈宅へと向かいます。貴方は長門さんの所へ」 「行って‥‥その後どうすりゃいい。どこへ行けばいい」 「おや? 貴方ともあろう方がお気づきではないのですか?」 徐々に赤い球体へと化していく古泉が、声を反響させながら俺にまるで面白いジョークを聞かせるような口調で言った。 「もちろん、学校ですよ」 「では」 そう一言付け加え、古泉は鷹が獲物を見つけた時に急降下するような速さで西へと飛んでいった。朝比奈さんの家ってそっちなんだな。知らなかったぜ。 「でも今は長門だ‥‥‥」 長門が邪魔したからこんなことになったのでは? と疑ってしまう気持ちが心の隅にある。今まで散々長門に助けてもらっておきながら、そんなことを思ってしまうのはいくら相手が宇宙人とはいえあんまりだろう。少しでも都合が悪くなると他人のせいにするのは良くないことだ。良くないことなんだぞ俺。 「シャキッとしろ‥‥‥」 ママチャリの鍵を取りに家へと戻る。長門に会いに行った後学校へ行くとなると断絶走るよりチャリの方がいいからな。さすがに坂道は諦めるしかないだろうが。 長門はちゃんと待っていてくれていた。もちろんマンションの外で。 「長門」 「状況は把握している」 「そうか」 長門が俺の隣へやってきたので、後ろに乗るよう指で合図した。周りが暗いせいか長門の瞳の色はよりブラックさが増していたが、そんな中でも本当に乗っていいのか訪ねるような礼儀正しい輝きは失っていなかった。もちろん、いいとも。 長門を乗っけ、俺は学校へと全速力で向かう。真っ暗な道の中、電灯の明かりってやっぱり大事なんだなと思いながらも俺は自転車の回転にともない光る心許ないランプを頼りに道を進んでいった。まあ車はこないから大丈夫だろう。思い切って車道へ出てみる。とは言っても、本来自転車は車道を通らなきゃならないんだけどな。 「‥‥‥‥こうなることは避けられなかった」 まるで重力を感じない長門がそう呟いたのが聞こえた。自転車の漕ぐ音以外はそれしかなかった。 「どういうことだ」 「貴方が涼宮ハルヒに好意を伝えていても、伝えることがなかったとしても、遅かれ早かれ必ずこうなっていた」 「そりゃ、なんでだ」 今まで長門の無機質さに安心したことは幾度もあったが、その返答だけは無機質さが余計に不安を煽った。 「何故なら、」 「この情報爆発を起こしたのは、涼宮ハルヒではないから」 キキーッと自転車が唸りを上げて止まる。坂道だ。 「長門、それはい‥‥」 「上って」 「いや、だがな」 「大丈夫」 大丈夫、か。俺は長門を自転車に乗せたまま長い長い坂道を走ることにした。朝かったるく上ってくるのが嘘のようだ。電動自転車よりずっと楽に足が動く。 「‥‥‥誰だ」 「‥‥‥」 「今回のこの世界征服みたいなのを企んでいるのは、一体誰なんだ」 「言えない」 言えない? 言えないってなんだ。言わない、じゃなくてか。 「‥‥‥‥‥」 自転車が学校に向かうにつれて、俺の足取りは重力を取り戻したかのように重くなっていった。俺の告白は本当に関係なかった、それが確かになったというのに。 「長門の親玉が言うの禁止してるのか?」 「‥‥‥‥」 これも駄目か。首を縦か横かに振ってくれるだけでいいのに。 それから少しの間があったが、長門のおかげでどうにか早めに学校の校門前へ来れた。まだ古泉達は来てないようだ。 「入れない、か」 相変わらず寒天のような壁が俺の手の行く手は阻む。長門も興味を持ったのか片手を壁へとくっつける。反応は俺と同じだった。 「入れそうか?」 ふるふると、微かに首を横に振る長門。 良かったな古泉。お前の専売特許その1は守られたようだぜ。 古泉、か‥‥。 「なあ長門」 こちらを見ないで当の本人は壁をプニプニつついたりして遊んでいた。遊んでいるように見えた、が正しいのかもしれんが。ともかく、耳は耳でちゃんと働いているだろう。遠慮なく話すことにした。 「今回、ハルヒの力を使ったのが他の奴なら、どうやってハルヒと同じ力を得たんだ? なんで俺たちSOS団をここに残したと思う?」 無言か、と思いきや長門はちゃんと返事はしてくれた。 「涼宮ハルヒの自律進化の可能性を握る、情報を生み出す力は現在全宇宙の中で1つしかない。その保有者が涼宮ハルヒだった」 だった、ね。 「誰かが奪ったってことか」 爪先で壁をなぞる。水面をなぞるかのようになめらかに動くその白い指は、肯定と捉えても良さそうだ。 「何故私達が此処にいるのか」 長門はそう区切り、 「不明」 とだけ言った。 「その犯人が意図的に残した可能性は?」 これの返事はサイレント。だが勘でわかる。きっと犯人にも想定外だったんじゃなかろうか。 どういう筋道でハルヒの力を奪取したかは不明だが、おそらくハルヒから力をとったのは連続的な閉鎖空間が起こる前だ。その前はハルヒが能力で噂をあれやこれやの人々にバラまいたから、その間だろう。そして手に入れるや否や長門に口止めするよう、願望を実現する能力を行使した‥‥。 ‥‥疑問点残りまくりだ。しかし今はこれだけのことしか分からない。少なくとも俺の頭じゃな。 俺が真犯人は誰なのかを思惑していると、古泉達が飛んでやって来た。朝比奈さんが古泉にお姫様だっこされて顔を赤面させている。古泉、無事にこのことが終わったら覚悟しておいた方がいいぞ。新月の夜とかな。 「ええ、楽しみに待たせてもらいます。その為にも、これを早く終わらせましょう」 古泉がお得意のスマイルのまま学校へと歩み寄ろうとしたので、俺はそれを止めた。長門と話す前のこいつの様子から察するに、真相を知らなさそうだからな。 俺は朝比奈さんと古泉に長門から聞いた話をダイジェスト版で伝え、顔が青ざめていく朝比奈さんや笑みが消えマジな顔になっていく古泉達の反応を伺った。 古泉は話を聞き終えると、すぐさま俺に頭を下げた。おい、やめろ。 「いいえ、言わせてください。本当に申し訳ありませんでした」 「俺だってお前の胸ぐら掴んだたぞ。謝るのはむしろ俺の方なんだから、顔を上げてくれ」 オロオロする朝比奈さんを横になんとか古泉は顔を上げた。表情からは本当にホッとしたものが見える。筋肉トレーニングは知らんが、機関とやらはどうやら馬鹿丁寧な礼儀作法を訓練させてるみたいだな。 「古泉。ハルヒは今どこにいる? 学校にいると思うか」 学校をおおうゼリー壁を一瞥しながら、古泉は「断定は出来ませんね」と、不安残る返事をした。俺の告白の推理が外れていたから自信でもなくしたか? 「貴方の家に訪れる前に、真っ先に涼宮さん宅へ向かいましたが、明かりは皆無でした。僕はてっきり涼宮さんが起こしたものばかりだと信じきっていたので疑問にも思いませんでしたが‥‥‥そうですね、長門さんの話が本当ならば涼宮さんが此処にいるかどうかまでは分かりかねます。能力を持たない彼女は普通の女子高生ですからね。本当の世界に取り残された可能性は低くありません」 俺も普通の男子生徒なんだがな。 「ですが、この学校には確かな第二の閉鎖空間があります。閉鎖空間を引き起こした者から招待を受けた者が入れる、いわゆる私的領域です。真犯人は間違いなくここにいるでしょう。僕たちが学校の中側にいないということは、パーティーの招待状を送っていないということですから、僕たちの存在は彼もしくは彼女にとってはイレギュラーそのもの‥‥‥」 手の平を壁に当て、表面を震わせる。 「‥‥‥入れます。皆さん、手を繋いでください」 閉鎖空間にダイレクトにくぐったことがあるのは俺と古泉しかいない。覚悟を決めて俺が古泉の差し伸べられた手を握ろうとした時、ひじの部分に小さな力が加わった。掴んでいるのは朝比奈さんかと思ったが、意外にもそれは長門だった。青白い光に照らされた長門がもう片方の手に持つものを俺に差し伸べる。 「これは‥‥‥?」 拳銃。今ある俺の頭の中にあるわずかなボキャブラリーを用いるならこれほどピッタリな言葉はあるまい。SF映画に出てくる未来人が持つ光線銃とも言っても大体の形が想像つくんじゃないか? 「また物騒な物を持ってきたな。これで戦うのか?」 「戦うためのものではない。戦力をほぼ無力に低下させる殺傷能力のない道具」 よく分からんな。もっと簡単な言葉で言ってくれ。 「麻酔銃」 ちらりと横を見れば朝比奈さんも同じ物を持っていた。ウマの耳に念仏、ということになるような気がしてならないんだが。 「着衣の上からでも戦力を抑える確率は高いが、出来れば皮膚直々に当たるよう打つのが好ましい」 「俺は親父がハワイに連れて行ってくれたことがないからな、こういうものを扱うのに慣れてないんだ。持ってたって意味なしになるかもだぞ」 「それでも所持すべき。何故なら私は今回、攻撃許可が出ていない」 なんだと。また親玉の禁止令か。つまりいつぞやの朝倉の時みたいに、相手を分解させる因子を交えてどうこう出来ないということになるのか。 なんでやねん。 「‥‥‥‥」 話すことはもう話した。そう言いたげな無言だった。 「行きましょう。あまりゆっくりしていると、世界が入れ替わります」 古泉の分の麻酔銃はないようだ。まあそれもそうか。赤い粒子を使った専売特許その二があるしな。 古泉の手を俺が握り、俺のもう片方の手を朝比奈さんが、そして長門。 「皆さん、目を閉じてください」 どうでもいいが未来人も超能力者も力を発揮するところを見られると何か恥ずかしいことでもあるのか。実は人生における最大限の変顔をしてるとか、まさかな。 古泉が率先して歩き始めたので、急いで目をつむり古泉にならった。くぐる時に水面にあたる感覚があるものなんだとまこと勝手に意識してしまうのだが、今回もやはりそんな感覚はなく、数歩歩いただけで俺たちは閉鎖空間の中へと入ることに成功した。目を上げれば広がるは灰色の世界。文字通りグレーゾーン。ん、意味は違うか。 「神人はまだいませんね‥‥‥それとも、とっくに僕たちの本当の世界の方へ出てしまったか‥‥ですね」 「冗談はやめろ。で、この後どうするんだ」 ハルヒを探すのか。 元締めを探すのか。 「同時進行がいいと思われます。一応僕も含めて全員が防御手段を持っていますから、探すのもバラバラがいいかと」 朝比奈さんを独りにするのか。その考えには賛同出来ん。 「ではこうしましょう」 古泉が人差し指をわざわざ立てて提案をした。本当にそういう仕草好きだなお前。 「2人ずつに別れましょう。戦力的に分けて長門さんと朝比奈さんのペアでいいのでは?」 長門は攻撃出来ないんだぞ。 「防御も出来ませんか?」 「可能」 「だそうです」 要注意人物に危害を加えるのはアウトなのか。 「‥‥‥」 「決まりですね」 古泉はそう言い切ると、校舎を指差した。まるで犯人を名指しする名探偵のように。 「僕たちは旧校舎を含めた西館側を、長門さん達は体育館を含めた東館側をお願い出来ますか?」 「ええと、そのぅ‥‥‥」 どことなく不安そうな素振りを見せる朝比奈さん。それはまだ見ぬ敵が校舎にいることもあるだろうが、大部分は長門と一緒だからかもしれない。しかし守ってくれることに関して長門ほど心強い者もいないのは確かだ。朝倉の時も、俺が受けた傷は長門自身に蹴られたところ以外はない。 ‥‥‥‥朝倉、か。 「どうかしましたか? 僕達も早く行きましょう」 気づけば長門達はすでに校舎東館へと歩を進めており、俺達はぽつねんと運動上に立ちすくんでいた。 「いや、犯人は誰かを考えていただけだ。行こうか」 「ええ。とは言っても僕は部室にいるのではないかなと思っているのですが」 SOS団、もとい文芸部室にロングヘアーの女子生徒が窓の向こう側を眺めている光景が目に浮かぶ。まさか。あいつなら長門に消されたはずだ。 不安に苛まれながらもやや駆け足気味で俺らは学校へと侵入。入り口は長門が先に開けておいてくれたようだった。 「涼宮さんにしろ、遅れてやってきた異世界人や何かにしろ、部室では何かが待ち受けているでしょう。まああくまで僕の勘ですが」 自身あり気だな、古泉。だったら最初から4人で行けば良かったじゃないか。 「もしも、ということがありますからね。また外れたら恥ずかしいでしょう?」 古泉に限らず、俺や朝比奈さん、恐らく長門でさえも真っ先に部室が怪しいと目論んでいたと思うんだがな、まあいい。とりあえず行ってみなきゃな。 電気をつけようとしたが、古泉に「犯人に気づかれない方がいいでしょう」と言われ仕方なく暗闇の学校内をなるべく音を立てずに旧館へと向かう男子生徒2人組。状況だけ見れば肝試しをしにきた友達に見えなくもない。 「着きました」 言わなくても分かってる。 「電気がついてないようだが」 「‥‥‥‥‥」 長門の真似か、無言で俺に返事をする。そしてどことなく緊張した趣でドアを古泉は開けた。緊張から解放され、頬の筋肉が緩むのが垣間見える。 「‥‥‥敵はいません」 敵はいないな。んでもってハルヒもいないじゃねーか。絶不調だな今回も。 「となると虱潰しに探すこととなりますね」 「じゃあ僕は一階から探していくので、貴方は三階からお願い出来ますか?」 文芸部室は2階にあるからな。ちょうどまたこの部屋に落ち合う形になるのか。いいだろう。 そうやって俺たちは別れることになり、俺はといえば明かりもなしで独り真っ暗な教室を探すのはさすがに気がひけるのでパチパチでスイッチを押しては一通り見渡し、そして消すという行動を繰り返していた。ドアを開けた瞬間、エイリアンよろしく急に襲いかかってくるというハプニングにはどうにか合わずに済み、またもや二階を探しに来た時は本当に敵なんているのかどうかを疑い始めていた。古泉はまだ一階を探しているのか。先にSOS団のドアを開けさせてもらうぜ。 二度目の、いや、本当の世界を含めて三度目の部室訪問。客観的に見れば実に団員その一らしい行動だ。といっても、SOS団の求める不思議体験なんて面倒くさい事柄は俺は即刻パスするがな。 「‥‥‥‥ん?」 ‥‥‥そうやって、少し自分も平和ボケな考えをしていた頃だ。今まで当たり前のように点いた電灯が、ここでは点かないことで少し焦りが出始めた。何故この部屋だけ点かない。本当に電灯が切れちまったか? パチパチと何度も無意味に押してはみるものの、効果なし。電灯が点かなかったぐらいで何を動揺してるんだ俺は、とツッコミを入れたいが、しかし何故だか俺にとってそれが何かとても悪い予感なような気がしてならなかった。 古泉を待とう。なんだか入らない方が良さそうだ。 二階をまだ探していないらしい古泉のために、俺はコンピ研の部屋を調べる。まあもしがなくてもハルヒはここには来ないだろうが‥‥‥。 俺自身、コンピ研に訪れるのはこれで二度目である。だから詳しくはどこに電気のスイッチがあるかは知らないのだが、まあ文芸部室と同じだろう。手探りで壁を探ればスイッチは意外と早く見つかり、それじゃ遠慮なくとボタンを俺は押した。 ‥‥押した。点かない。 もう一度試しにやってみる。点いた。なんだよ、びっくりさせないでくれ。 ‥‥‥‥にしても、随分とコンピ研の電灯の光は幻想的だな。部屋全体に海が広がったかのように綺麗な青色に‥‥‥‥って! 「部屋から出てください!!!」 言われなくても分かってる、っと大声で返事つける代わりに俺は体を翻し、ドアをも閉めずに部屋を出た。 ――――‥‥‥間一髪!! この表現ほどぴったりなものはない。 俺がコンピ研の部屋前を横切るのとほぼ同時に、背後がとてつもない破壊音でぶっ飛ばされるのを耳にした。騒音なんてもんじゃない。ニトロ爆弾がコンピ研部長のパソコン近くで暴発したと言ったほうがまだ通じる。人生の内でこれほど死が近づいたのは初めてだ。朝倉の件と同位でトップを占めている。 金輪際会いたくないベスト2にノミネートされてる奴の手が、俺の背後にあった。窓側から部室に向かってパンチしたらしい。するな馬鹿。 「神人です!!」 だろうよ。あれがハルヒに見えるか? 「どうすんだ!?」 「僕一人では‥‥‥どうにもならないでしょう。ひとまず、長門さん達と合―――」 けたたましい轟音が真上で鳴り響き、古泉のその先の言葉は聞こえなかった。今度は三階のどの部屋かは知らんが吹き飛んだらしい。 「‥‥一刻も早く、」 さすがの古泉もこれにも苦笑いさえも浮かべていない。 「涼宮さん、あるいは犯人を」 そう言い終えると、神人とは対照的な赤い輝きを体中に集めだす。まさか一人で戦う気か。 「いくら僕でもそれはそんな無茶はしません。神人一体を倒すのに最低でも5、6人はいないと」 「じゃあ何をする気だ」 俺の言葉も少し語気が強くなる。そう喋らないと聞こえないからではない。 「囮ですよ。少し神人を遠くに追いやるだけです。それよりも急いでください。稼げる時間はそう長くありません」 神人がパンチで開けた穴から音もなしに、球体となった古泉は高速で神人のもとへと飛んでいった。さっきまでのんびりとハルヒを探してたのが悔やんでも悔やみきれないぜ。 しかし、どこにいる? 部室にもいないし、もし五月の閉鎖空間の時にハルヒと出会った場所ならばとうに長門達が見つけてるはずだ。連絡がないのは何故だ。 「どこだハルヒ‥‥‥」 今回はマジでハルヒがいないのか? 有り得なくはない。能力を持たないハルヒは普通の女子高生云々を古泉が言っていたこともある。となるとハルヒではなく犯人を探さなきゃならんことになるのか。どちらにしよ、神人が出た今は長門から借りた武器を常に手に持っといた方が良さそうだ。もしハルヒが居て武器が見つかっても、こんだけ校舎が滅茶苦茶になってるんだから今更だろ。 そうこう無駄な時間を過ごしている内に、また青白い光が元コンピ研室から漏れだした。まずい!! 俺は何故だかとっさにSOS団のドアをひっ掴み、気づけば中に入っていた。ここはコンピ研の隣なんだから逆にまずいだろ! 冷静な思考とパニックとが争いながら、今一度部屋から出ようとドアノブを握ったところで俺は強烈な揺れを感じ、体制を崩してしまった。また三階にパンチが打たれたらしい。 ふと窓を見れば奴の胴体が全面に広がっていて、そこに赤色の何かが体当たりをする瞬間だった。あまり効いているように思えない。 「‥‥‥‥!!」 何かの助けになるかもしれない。ふいにそう思い、銃を片手に握り、俺は窓へと駆け寄った。麻酔銃とは言ってたが、なんといってもメイドインスペースだ。神人相手にも案外効くかもしれん。 鍵を開け、片手で窓を開けようとするところまでは良かったのだが、何故かそこから先に進まない。つまり窓が開かないのだ。 「どうなってる‥‥‥」 窓のすべりが悪くなったなぁ、とかいうレベルではない。両手で窓を開けようと全力を注ぎ込んでいるのにまるで瞬間接着剤で固めたかのようにびくともしないのだ。何故。 「そんなの俺が知るか」 この際なんでもいい。窓さえ開けばいいのだ。多少手段が強引でも、どうせ閉鎖空間の中なのだから構やしないさ。 俺は側にあった団長様の椅子を握ると、思いっきり窓にぶつけた。映画のワンシーンに窓がスローモーションで割れる場面があったりするが、まさにそんな感じに‥‥‥‥なるはずだった。 俺が投げた椅子は予想外にも鈍い音を立てた後窓から跳ね返り、部長から奪ったパソコンへと激突した。言うまでもないがパソコンは床へと落下し、液晶画面がバリバリに割れていた。いつからうちの学校を防弾用を採用したんだ。いや、皆まで言うなよ。俺にだって分かってるさ。どうやらこの部室だけは安全地帯らしいってことがな。 兎にも角にもこの部屋からはどうしようも出来ない。ならば部屋を出よう。 足早にドアへと寄り、開けようとした瞬間だ。 思わず、反射的に体がビクッとのけぞったところだろう。ドアノブを握ったまま、真後ろにいる幽霊でも見るかのような仕草で俺はゆっくりと振り返った。 ‥‥‥簡単な例を上げようか。ある男性が透明なガラス箱を用意、その中にコイン入れて蓋をした。完全密閉空間の中にあるコインは箱に穴でも開けない限り外に出ないのだが、不思議なことにその男がシャカシャカと箱を降っている間に、そのコインが消えてしまうのだ。もちろん観衆の目の前だ。 あるべきはずの物が消えるというビックリ現象を見せつけられ人々は驚きの表情が隠せないのだが、まだまだ超現象は終わらない。その男が再びガラス箱を音もなく降り始めると、これまた不思議なことにいつの間にやらシャカシャカと上と下の面に交互にぶつかるコインの音が反響し、振るのを止めればさっきまで消えていたコインがまた出現しているのが目の当たり出来ているという‥‥‥。 何が言いたいか、お分かりになられただろうか。 この部屋はどう考えても密室で、窓を破ることが出来なければドアを通ることも出来ないはずだ。俺がドア側にいるからな。 しかしハルヒは確かに、団長席の側にいた。 俺の視力が相当衰えていない限り、腰に手を携えこちらを見据えているのはハルヒに違いない。あんなポーズをとる奴他におらん。 「ハルヒ‥‥‥」 体の向きを変え、ハルヒと対峙するような形で俺はハルヒと向き合った。銃は背中とドアの間に右手で隠している。そこらへんは抜かりないぞ。 「‥‥‥いつからそこにいたんだ?」 どうやって、の方が正しい質問だったかもしれない。 「さっきよ」 そう曖昧で素っ気ない返事をすると、ハルヒはこちらを見るのを止めて背後の窓の景色を見始めた。外では古泉がなんとかして神人を遠ざけようと奮闘している最中だ。 「‥‥‥茶でも飲むか?」 何を言ってるんだ俺は。こんな校舎が穴あきだらけになって、悠長にまずい茶を啜っている暇などないんだぞ。ハルヒと二人、こうして文芸部室にいるというのが懐かしく思えたからだろうか。とはいっても、数時間前までも二人きりだったんだけどな。 そんな言葉をハルヒはガン無視を決め、ただ黙々と古泉と神人の戦闘を眺めていた。現代版ダビデとゴリアテの闘争シーンを窓というスクリーンを通して見る一般客、ハルヒ。 「なあハルヒ、とりあえずここを出よう。実は長門達がいるんだ」 だがハルヒはこちらに関心を示さず、ただひたすらに窓の外を見ている。そんなにそれが面白いか。 「‥‥‥なあハルヒ、」 「いいじゃない」 口を効いたと思えば主語がない。何がいいんだ。 ハルヒは顔だけこちらに向き直り 「アンタがここにいて」 また窓へと視線を戻してから 「あたしがここにいる」 そして締めの言葉に 「それでいいじゃない」 とだけ言った。それってどういう意味だ。取りようによって告白にも聞こえなくないぞ。 しかしそんな揶揄するようなことを言ったってハルヒはもうこちらに向くことはなかった。いつもなら 「何言ってるのよキョン!! あたしがそういう意味で言うわけないでしょ!!」 ぐらい言ってくるのに。 とにかく、そんなハルヒの言葉に惑わされる俺ではない。なんとかしてテコでもあそこからハルヒを引き離さなければ。俺は続けざまに質問をすることにした。 「ハルヒ、どうだ最近は」 「‥‥‥‥」 「学校楽しいか? SOS団の活動とかさ」 「‥‥‥‥」 長門ばりの無言。それはつまらないっていう意思表示じゃないだろうな。まさかこっちの、赤い球体と青い巨人が闘っている非日常の方が楽しいか? お前にとってSOS団なんてそんなものだったのか? 今世界を飲み込まんとばかり広がっている閉鎖空間は、今回ハルヒが起こしたものではない。でもこのハルヒの様子を見ていると完璧な無関係という風に判断するのは早とちりというやつだ。そうだろう? というより、むしろ‥‥。 ‥‥‥‥。 「お前はここにいたいのか?」 「‥‥‥‥」 「SOS団を作って半年だな。それまでにいろいろやってきた。夏には野球、七夕、部長探し、古泉のサプライズ企画、プール、盆踊り、花火大会、バイトや天体観測、昆虫採集したり俺ん家で宿題を皆でやったよな。秋になってからは映画を作り出して放映するわいきなりライブに出るわして楽しんできた。もちろんハルヒだけじゃないぜ。俺や古泉、朝比奈さんや長門全員がSOS団を通じて楽しんできたんだ。そしてこれからも。まずは冬に古泉がきっと何かしてくれるだろうさ。そんな不思議な何かが待っているのに、ここにいるのがいいのか?」 ハルヒはSOS団の目的を覚えているよな? 宇宙人や未来人、超能力者達を見つけ出して一緒に遊ぶことなんだろ。もう願いは叶ってるんだぜ。わざわざこんな世界に留まらなくてもな。 覚えて‥‥‥るよな? 「ハルヒ。SOS団って何だったか覚えてるか?」 「‥‥‥‥覚えてるわよ」 そうか、良かった。 「何するところだったけ」 「あんた、団員その1のくせにそんな大事なことも覚えてないの?」 「‥‥ああ。何分記憶力が弱い上に、普段はボードゲームしたりマンガ読んだりしかしてないからな。で、なんだった?」 「もう、世界を大いに盛り上げるために活動するための涼宮ハルヒの団じゃない。忘れないでよね」 「ああ、そうだったな」 ‥‥‥‥。 「またまたつまらない質問悪いんだが、確か前に一度こんなとこに迷いこんだことあったよな」 「‥‥‥あったわね」 「あれいつだった?」 「‥‥‥忘れちゃったわよ。結構前でしょ」 「まあ確かにかなり前だったな」 ここまで会話して、俺の中で何かが引っかかっていた。なんだろう。何かは分からないが、身の毛のよだつ戦慄がそこには含まれているような気がする。嫌な予感しかしないぜ。それも飛びっきりのな。 意識もせず俺の心臓はバクバクと音を立て始めていた。放課後も心臓を高鳴らせてはいたが、それとは全く似て非なるものだ。恐怖と緊張の入り混じる本能が動かす鼓動。やばい、口の中が乾いてきた。 「‥‥‥ハルヒ」 「何」 俺が何度も何度もハルヒハルヒと質問ばかりしているのに、文句一つ言わないで冷静に答えるハルヒの姿がますます異様に思えてきた。まるで質問されるのを待っているかのようだ。ははは、いくらなんでもそれは気のせいか。 気のせいであって欲しい。 俺はハルヒの後ろ姿を凝視しながら、頭の中で緊急裁判を行っていた。陪審員は11人だ。いや、ここは日本らしく裁判員5人としておこう。 そしてその議題はこれだ。一世一代の賭けに出るか出ないか。とある質問をするかしないかと置き換えられる。あの質問をするのは簡単なのだ。しかし、あれは二度と思い出したくない出来事で‥‥‥。 ―――――ためらわずに。 ‥‥‥‥‥。 「前、こうしてこんな妙な空間に留まった時さ」 長門の言葉に後押しされ俺はゴクリと唾を飲み、有り金全て賭け半か丁かの選択を余儀なくされ、ええいままよと丁を選択した趣でもう一度口を開いた。 「俺たち、どうやってここから出たか覚えてるか?」 「‥‥‥‥‥」 ドクン、と心臓が脈打った。後ろに隠した麻酔銃を握る力に思わず力が入る。この質問に何の意味があるのか。返答のあとには何が待っているのか。知りたくない。 「‥‥‥‥‥‥さあ、」 ハルヒがそう呟いた時、一瞬だが笑ったような気がした。それがどういう笑いなのか‥‥‥ 「覚えてないわね」 ‥‥‥‥‥‥‥。 覚えて‥‥ない? 「だってかなり前じゃない。あたしそういうの興味なくなっちゃうと、忘れちゃうのよね」 せめてこっちを向いてそれを言ったらどうなんだ。覚えてないだと。俺だっていつまでもこんなこと覚えておきたくないさ。出来ることなら忘却の彼方に消し去ってしまいたいような記憶だよ。だが今回ばかりはこれを覚えておいて良かったと心から思うぜ。 ハルヒの「覚えてない」は、明らかに作りものだった。それは恥じらいの行動も言動も含まれておらず、ましてや本当に忘れてしまった反応ではない。知らないのだ。今目の前で神人と古泉の戦いを目視している俺の目の前のハルヒはこういう事実があったことを完全に知らないでいるのだ。 ‥‥‥まさかと思うだろ。だって誰も考えないはずだ。そうだろ? 教室の後ろのクラスメートの様子が少しいつもと違うからって、わざわざ指さして「お前はいったいなんなのか」なんて叫ばないだろ。誰だって真っ先に風邪をひいたか、腹イタを起こしたか、教科書忘れたかを疑うはずだ。 つまりだ。何が言いたいかと言えば、俺は今の今までになって、まさかこんなアホな質問をすることになろうとは思ってもいなかったのだ。 俺にとって「進化の可能性」でも「時間の歪み」でもましてや「神」などではないと思っていた女子高生。そいつに麻酔銃をゆっくりと向け、一言だけ言ってやった。 「お前、誰だ」 →涼宮ハルヒの分身 Ⅴへ
https://w.atwiki.jp/haruhioyaji/pages/265.html
涼宮ハルヒのリフォーム その1から 元々は善良な街角の不動産屋であったのが、ひょんなことからSOS団熱に感染してしまい、不思議探索だけでは開き足らず、不思議物件を手に入れ、それをハルヒと俺に貸してくれるという。 ハルヒが断定するところの、その「お化け屋敷」の間取り図をつくるために、俺はハルヒの親父さんとともに、あの不動産屋がある駅へと電車で向かっていた。 「相談があるんだ」 家を出てから数分を待たずに親父さんは言った。 「はい」 なんだろう? 「さぼろう」 「はい?」 いきなりですか? 「大の男が雁首そろえて、かび臭い古屋で巻尺ふりまわしてるってのも、様にならん」 まあ、それはそうかもしれませんが。 「しかし、なんの策もなしに、たださぼるというのは、どうも……」 「しっかり尻に敷かれてるな」 周囲からすると、そう見えるかもしれんが、おれに言わせると、 「いや、それほど生やさしいものでは」 「むう、惚気なら、こっちも全力でいくぞ」 なんでこう、親娘そろって無駄に負けず嫌いなんだろうね。 「はあはあ。傷つけあうだけで、お互いに益のない戦いだったな。争いからは何も生まれないことを改めて学んだぞ。キョン、握手だ」 俺は右手を出しながら、結果が分かっていても避けられない災難というものがあると、改めて心に刻んだ。 そうこうするうちに駅に着き、親父さんと俺は電車に乗りこみ、空いてる席にすわった。 「それ、何か、ふしぎ道具でも入ってるのか?」 巻き尺やら何かが入ったテント布製の丈夫なカバンを覗き込んでいた俺に、親父さんはのんびりと話しかけた。 「いえ、まさか」 「まあ、気楽に行こう。図面なら描けるし、何故だか建築士と土地家屋調査士の資格も持ってる」 と事も無げに言う親父さん。 「親父さんって……何やってる人なんですか?」 「そうか。聞くの、はじめてだったか?」 「ええ。なんか、聞きづらいというか、聞くのが怖いというか」 「答える方もつらいんだがな。……サラリーマンだ」 「……それを言うなら、スーパーマンだって、サラリーマンです」 「違いない」 親父さんは親父笑いでそう応じた。 「なによ、いつの間にか、なじんちゃって!」 「お父さんとキョン君? いいじゃないの、仲良くて」 「よくないわよ! キョンに変態がうつったら、どうすんのよ!?」 「ふふ。楽しい家庭が築けそうじゃない?」 「まっぴらよ! ……母さん、楽しいの?」 「そりゃもう」 「……」 「キョン君、ちょっと、がっかりしてたわね」 「え、どうして?」 「せっかく2年も頑張って、ご褒美が『ふたりっきり』じゃないんだもの」 「で、でも、『みんなでルーム・シェア』ってことで、キョンのお父さんお母さんもOKしやすくなったわけだし、それに……」 「……ハル」 「な、なに?」 「カ・マ・ト・ト」 「!!」 親父さんと俺を乗せた電車は十数分で駅に着いた。 「その『お化け屋敷』の鍵は持ってるのか?」 「いえ。不動産屋さんに寄って借りて行かないと」 例の不動産屋は改札を出てすぐである。 「ちょうどいい。挨拶でもしとこう。見せてもらいたいもんもあるしな」 「見せてもらいたいもの?」 「登記簿って知ってるか?」 「聞いたことがあるくらいで、よくは知りません」 「それで物件の位置と大きさ、歴代の所有者なんかがわかる」 親父さんは、大きなあくびをしてから、こう続けた。 「土地とか家みたいな不動産ってやつは、ポケットに入らんし、持ち運べない。すると持ってる奴が変わっても、不動産自体は変わらんから、他の奴から見たらわからんだろ? それで「今は誰が持ち主か」というのを法務局って役所に登録しておく。登記簿ってのはその登録台帳だ。売ったり買ったり、持ち主が死んで相続するなんてことになると、売り買いしたことや、持ち主が死んだことを証明する書類を持って、登記簿を書き換えに行くんだな。これから不動産を買おうって奴は、だからまず登記簿を見に行く。でないと、たとえばだ、ハルヒとかいう悪い奴が、ほんとは自分の持ち物でない土地を、俺に売りつけようとするかもしれん。金を払った後でそれに気付いたら悲惨だろ? だから登記簿で、今現在その土地がほんとにそいつの持ち物かどうか確認する。それに歴代の記録が残ってるから、つまり歴代の持ち主たちは誰で、いつどうやって手に入れたか、どんな風に誰から誰へと人手を渡って来たかなんて、おおざっぱなところはわかる。その家の『呪われ具合』なんかも分かるかもな」 「なるほど」 「それと、最初に言ったが、登記簿には建物の輪郭だけだが図面がついてる。それを使わしてもらって、おれたちは内の間仕切りだけ描けばいい。それでミッション終了だ」 「あ、ここ、この不動産屋です」 「じゃあ、最初は社交辞令モードな」 親父さんはニカッと笑ってうなずくと先に内へ入って行った。俺も後から続く。 「結婚披露宴の高砂の席にいる新婚カップルは、その後すぐに成田離婚する人たちでも、みんなバカップルに見えるわ。どうしてだと思う?」 「……」 「それは『私たちは好き合って結婚するのよ、いいでしょ』と呈示する場だからね。ヤクザの役員さんがいい女はべらして金遣い荒く遊んで高級車に乗って見せるのと同じ。そうやって『良いところ』を呈示していかないと、若い人たちが人生をかけてくれないでしょ、結婚でもヤクザでもね。もっとも披露宴もヤクザも昔ほどは、みんなあこがれなくなっているみたいだけど」 「……」 「夕べのは、言わばちょっとした模擬の披露宴よね。あなたたちにはサプライズだったけど、お呼びしたみなさんはみんな、あなたたちを祝福しに、わざわざ来てくださった人たち。キョン君とハルがいいおつきあいができたらいいな、と思っている人たちね。もっと言えば『いいかげん結婚しちまえ、てめえら』と思ってる人たち」 「……」 「そこでまた、ごまかしちゃったわね、ハル。そしてまた、キョン君がフォローしてくれたね。……はい、母さんの、つまんないお話はおしまい。気分を切り替えて、お腹をすかせて帰ってくる二人に、おいしい昼食をつくりましょう!」 「……か、母さん」 「今後に期待してるわ、団長さん♪」 「……」 「おはおうございます」 「あ、キョン君、いらっしゃい」 「えーと、こちらはハルヒのおやじ、もとい……」 「あれの父親で涼宮と申します。この若者ともども、娘のハルヒがお世話になっております」 「これは、これは。昨夜はお誘いいただいたのに、どうしても欠かせぬ用事がありまして失礼しました」 「いえ、こちらこそ。何ぶん、本人たちには事前に教えないという稚気じみた趣向でしたので、ご迷惑をおかけしました。今日は、娘から聞きました洋館風の建物の件で参った次第で」 「はい。これから現地をご覧になられますか」 「お願いします。あと登記簿の写しを拝見できれば」 「はい、こちらです。二人に渡そうかと思って用意しておいたものです。お持ちになってください」 「うちのバカ娘が、とにかく現場へと急かせたんでしょう。娘のくせに、親に輪をかけた粗忽者で」 「いえいえ、あの機転の速さ、行動力、私などはうらやましい限りですよ」 「拝見します。うーむ、なるほど。これはおもしろい。キョン『君』、君も見るか?」 「あ、はい」 登記簿を一通り眺めた後、親父さんの肘でつつかれ、不動産屋を後にした。 「気に入らねえな」 しばらく歩くと親父さんはため息を付くような感じで、そうつぶやいた。 「不動産屋のおじさんですか?」 「あいつは見るからに善人だ。おれが言ってるのは物件の方だ」 登記簿のコピーを入れた大封筒をぽんと叩いて、親父さんはニヤリと笑った。 「こいつをみると、この家はな、持ち主が死亡して所有権が移ったなんてのは一回もない。それどころか、誰かに売り渡された後、しばらくすると元の持ち主に買い戻される、というが繰り返されてる。あるのは『呪い』というより『執着』だな。埋蔵金でも埋めてきたのか? あるいは子供時代に埋めたタイム・カプセルか? まあ、家なんてモノは、半分は住む奴、住んでいた奴の「想い」でできてるんだけどな」 「はあ」 「それともうひとつ。おれは臆病なんでな」 「はあ?」 「つまんないリアクションだな、キョン。……始めて来た町は、最初にとことん歩いて回ることにしてる。昼と夜、両方な。10数年前、この町に越してくる前、このあたりも歩いて回ったんだがな。こんな建物、ここにはなかった。おれは物覚えだけはいいんだ」 いつしか俺たちは、洋館の前に来ていた。二人は壁の外から、建物を見上げた。 「しかも、登記簿には少なくとも30年前には、ここにこいつがあった、ことになってる。バカ娘が喜ぶはずさ。こいつはトンデモ物件だぞ、キョン」 その3へつづく
https://w.atwiki.jp/kossori2006/pages/696.html
こっそり種牡馬:ハルナプレミアム imageプラグインエラー ご指定のURLはサポートしていません。png, jpg, gif などの画像URLを指定してください。 名前 コメント