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. 6世紀頃 アルプス以北ヨーロッパで ケルト人が住み着く。 バルト海沿岸ではゲルマン人が 住んでいたが、彼らはケルト人を 西へと圧迫。 紀元前後、ライン川~黒海沿岸に広まる ゲルマン人 民会を開く→重要な決定を行う時など。 民会に参加する人…貴族と平民からなる成年男性自由人 人口の増加による耕地不足などが原因で 民族移動をしていく。 ローマ帝政後期、ドナウ川下流域に広がる 4世紀後半 アジア系フン人…ドン川を越え西に進む ↓ 東ゴート人,西ゴート人を圧迫(ゲルマン人の一派 西ゴート人→375年南下 翌年 ローマ帝国領内に移住 ↓ これをきっかけにゲルマン人は大規模移動 約200年に及ぶと言われる。 西ゴート人…ガリア西南部&イベリア半島に移動 ヴァンダル人…北アフリカ ブルグンド人…ガリア東南部 フランク人…ガリア北部 ※人種名が王国の名になってたりするところが あるんで、ここらは覚えてて損はないかもです☆ アングロ=サクソン人…大ブリテン島に渡る 9世紀までにアングロ=サクソン七王国 (ヘプターキー)を建てた。 フン人…5世紀前半 アッティラ王がパンノニア(現ハンガリー) に大帝国を建設 ↓but 451年カタラウヌムの戦い で破れ、アッティラ死後に帝国崩壊 西ローマ帝国…476年にゲルマン人の オドアケルによって滅ぼされる ↓ 東ゴート人…テオドリック大王のもと イタリア半島進出→オドアケルの国を滅ぼす 北イタリア…568年にランゴバルド王国建国 ↓ これを最後に民族大移動はとりあえず終息…w ※この後、西ヨーロッパ形成に大きな役割を 果たすのはフランク王国です。後々でるよ!
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【元ネタ】ヴァルターの歌(ワルタリウス)、ワルデレなど 【CLASS】セイバー 【マスター】 【真名】ヴァルター 【性別】男性 【身長・体重】183cm・107kg 【属性】混沌・善 【ステータス】筋力B+ 耐久B 敏捷A 魔力D 幸運C 宝具B+ 【クラス別スキル】 対魔力:B 魔術発動における詠唱が三節以下のものを無効化する。 大魔術、儀礼呪法等を以ってしても、傷つけるのは難しい。 騎乗:B 騎乗の才能。大抵の乗り物なら人並み以上に乗りこなせるが、 魔獣・聖獣ランクの獣は乗りこなせない。 【固有スキル】 心眼(真):B 修行・鍛錬によって培った洞察力。 窮地において自身の状況と敵の能力を冷静に把握し、その場で残された活路を導き出す“戦闘論理” 逆転の可能性が1%でもあるのなら、その作戦を実行に移せるチャンスを手繰り寄せられる。 戦闘続行:C 窮地における生命力の強さ。 瀕死の傷でも戦闘を可能とし、決定的な致命傷を受けない限り生き延びる。 【宝具】 『絶ち頒つ疆界の剣(ワスケ・ミーミング)』 ランク:B+ 種別:対人宝具 レンジ:1~2 最大捕捉:1人 北欧最高の鍛冶師ヴェルンドが鍛えた名剣。 剣の内部で空間断裂を引き起こし、刀身を“境目”とすることで、 対象の頑強さを無視して切断することを可能とする。 ……が、実のところ、これはオリジナルの境目剣のレプリカに過ぎず、 長時間戦闘における連続使用の後には、権能の領域にも迫る空間断裂の特性に 剣自体が耐えきれず、刀身が自壊するほど劣化してしまう。 【Weapon】 『獅子号』 エッツェル王の宮廷から盗んだ名馬。 『無銘・鎖帷子』 ヴェルンド作の逸品。 特殊な能力はないが、頑強さ・耐久力はCランク宝具に匹敵する。 【解説】 中世ラテン詩「ヴァルターの歌(ワルタリウス)」の主人公。 ドイツの国民的叙事詩「ニーベルンゲンの歌」の前日譚に当たり、「ニーベルンゲンの歌」作中でも ヴァルターについて言及されている(ただし、両作には細部の設定差異がある)。 フン族のアッティラ王の征服から逃れる為、フランク王とブルゴント王とアキタニア王は 貢物と人質を差し出し、アッティラと盟を結んだ。 アキタニアからの人質こそがヴァルター王子であり、同じく人質身分のハーゲンとヒルトグント姫と共に フン族の地で手厚く養育され、前者二人は全てのフン人を凌ぐほどに成長し、将軍として活躍した。 ある時、ヴァルターはフン人との婚姻の話を持ち掛けられたのをきっかけに、 元々の婚約者であったヒルトグンドと共にアッティラ王の財宝をくすねて逃亡した。 ひょんなことからこの逃亡劇が、先にフランク国に戻っていたハーゲンと新フランク王グンテルに知られ、 グンテルは財宝と姫を欲して、選りすぐりの12人の家臣を連れてヴァルターを襲撃した。 しかしヴァルターは11人を次々と返り討ちにし、グンテルとハーゲンの二人がかりを相手にしても互角に戦った。 最終的にはヴァルターによってグンテルは片足を、ハーゲンは片目を失い、 ヴァルターもまたハーゲンによって片腕を切り飛ばされて、戦いは終わった。 ハーゲンとヴァルターは互いに負わせた傷について冗談と皮肉をかけあいながら和解し、 ヴァルターは故国へ戻ってヒルトグンドを妻に迎え、王位に着いた。 【コメント】 宝具については既にあるのをパク……参考にした。 ハーゲン(ハゲネ)との勝負の決着はつかなかったが、二人がかりを相手にしても引き分けたから、 ハーゲンより強かったのだと思われる。 この辺りの伝承の主役の強さ序列としてはジーク≧ディートリヒ>ヴァルター≧ハゲネという印象。 ヴェルンドのことを北欧最高と書いたが、神代のドヴェルグ達には流石に及ばないという設定。 適正クラスはセイバー・ランサー・ライダー。
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世界史・解答速報(2/5全学部統一) 大問2 問1 A 五本山はローマ・コンスタンティノープル・アンティオキア・イェルサレム・アレクサンドリア。 ダマスクスはアラム人の陸上交易の中心地や、ウマイヤ朝の都として有名。 問2 D A.B.コンスタンティヌス帝は313年ミラノ勅令でキリスト教を公認し、 325年にニケーア公会議で教義統一をはかった。 330年にはコンスタンティノープルに遷都。職業・身分の固定化、 ソリドゥス金貨を基軸通貨とする地中海交易の活発化などを進めた。 テオドシウス帝は392年にキリスト教を国教化し、395年の死に際して帝国を東西に分割した。 C.三位一体説はアタナシウスのもの。三位一体説とは、 父なる神、子なるイエス、聖霊の三者は等質で不可分だとする主張。イエスに申請を強く認めている 。 問3 B B.ゲルマン人の部族国家であったキヴィタスには民会(最高議決機関)があり、 これは自由民の全成年男子で構成され、貴族も平民も参加していた。 問4 A B.フン人の大王アッティラの説得に成功しローマを破壊から救ったのは教皇レオ1世。 彼はコンスタンティノープル教会に対する、ローマ教会の首位権を主張したことでも有名。 問5 D ヴォルムス協約はハインリヒ5世とカリクストゥス2世の間で結ばれた。 協約では叙任権そのものは協会が持つ一方、ドイツ領内では皇帝が 教会・修道院の領地の承認権を持つことが定められた。 問6 C C.銀はヨーロッパから地中海へと流れていったとされる。 問7 B cf)ドミニコは、南フランスのカタリ派に対抗して伝道を行い、のちドミニコ修道会を創設した。 A.ベネディクトゥスは6世紀にモンテ=カシノに修道院を開いた。 C.エウセビオスはパレスチナのカイザリアの司教。キリスト教最初の教会史家。 『教会史』『年代記』で有名。皇帝位を神の恩寵によって与えられるものとする神寵帝理念は ビザンツ帝国に受け継がれ、王権神授説の「根拠」にもなった。 D.ドゥンス=スコトゥスは13C後半のイギリス・スコラ学者。哲学と神学を分離し、意志の優位を主張。 cf)ウィリアム=オブ=オッカムは唯名論をとり、信仰と理性、神学と哲学を区別した。 問8 B A.実在論の代表者としては「スコラ学の父」アンセルムスが挙げられる。 C.アルクィンはカール大帝に招かれ、アーヘンなどで学校を開設するなどし、 カロリング=ルネサンスの中心人物となった。 D.イスラーム諸学の影響を受け、経験を重視し、近代自然科学への道を開いたのはロジャー=ベーコン。 問9 C C.正しくは神・医・法の3学部。これらの基礎として一般教養を学ぶ人文学部が設けられていた。 問10 A 問11 B 問12 D D.帝国都市には宗派選択権は認められなかった、とされる。 問13 C C.トリエント公会議では、新教側が出席を拒否した。 このため、この会議では教皇の至上権とカトリックの教義を再確認した。
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ヨーロッパ世界 フン族 王はアッティラ トルコ・モンゴル系が起源といわれ、昔モンゴルにいた匈奴の一部が西に移動し、フン族に吸収されたと言われる 375年、ヨーロッパ東方にいた彼らはボルガ川を渡り、ゲルマン諸民族である東ゴート族を支配する ゲルマン人 東ゴート族 アッティラ
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4世紀後半にゲルマン人がフン人に押されて西南に移動したことを何とよぶか。 ゲルマン人の大移動 ゲルマン人の移動で多くの部族国家が出来たが、 (a)その一つで、修道院・協会との結びつきを強めたのは何か。 フランク王国 (b)その王で、800年に教皇から皇帝の冠をうけたのはだれか。 カール大帝 西ローマ帝国の滅亡から約1000年間を、のちの西欧人は何とよんだか。 中世 荘園内での不自由な身分の農民を何というか。 農奴 ローマ=カトリック教会も長は何とよばれるか。 教皇 11世紀から13世紀には教会の権威が絶頂に達したが、ローマ教皇がとなえ、王公が派遣した東地中海方面への遠征軍を何というか。 十字軍 ヨーロッパ視では16世紀から18世紀までの時代を中世とは区別して何とよんでいるか。 近世 古代の再生・復興という意味の文化運動を何というか。 ルネサンス 商工業・金融で栄え15~16世紀にルネサンスの中心となったイタリアの都市はどこか。また、その中でも有名な一族を答えよ。 フィレンツェ メディチ家 ルネサンスの中で「三大発明」とよばれるものを記せ。 羅針盤・活版印刷術・火薬 従来の天動説を否定して地動説をとなえた天文学者は誰か。 コペルニクス 望遠鏡を改良して地動説を証明し、カトリック教会に破門されたのは誰か。 ガリレオ・ガリレイ 教皇は聖ピエトロ大聖堂を改築する資金を得るために何を売り出したか。 贖宥状 ルターがはじめた宗教を変えようとする運動を何というか。 プロテスタント 贖宥状の乱売を批判したドイツの修道士・神学者はだれか。 ルター 彼は1517年なにを発表したか。 九十五ヵ条の批判 神にひたすらつかえようとするルターの教えを簡単に述べよ。 信仰 ポルトガルの海外発展の基礎を築いた人物を答えよ。 エンリケ航海王子 1498年インド海岸のカリカットに到達したポルトガルの航海者は誰か。 バスコ=ダ=ガマ ヨーロッパの新しい諸国のうち、大西洋を南に、大西洋を西に大航海にのりだした国はそれぞれどこか。 ポルトガル スペイン 15世紀末からのヨーロッパ人による海外進出がはじまった時代を何というか。 大航海時代 アフリカ西海岸を南進して、1488年にアフリカ南端のどこについたか。また、その人物も答えよ。 喜望峰 バルトロメロ=ディアス スペイン王はポルトガルに対抗して、イタリアの船乗りのだれを後援したか。 コロンブス 当時、西ヨーロッパの人々は、南アジア・東南アジアを含むアジア大陸東半の地域を広く何とよんでいたか。 インド コロンブスが大西洋を横断してカリブ海の島々に達したのは何年か。 1492年 コロンブス以来探検がすすんだ大陸について、 (a)ヨーロッパ人の知らなかった新世界だと分かったのは誰の探検によってか。 (b)この大陸は彼の名前にちなんで何と名づけられたか。 アメリゴ=ベスプッチ アメリカ スペイン王の後援を受けて、1519年に出発した西回りの大航海について、 (a)太平洋を横切ってフィリピンに達したが、そこで殺された航海者は誰か。 (b)乗組員の一部は1522年スペインに帰り着いた。これにより何が実現したか。 マゼラン 世界一周 人が救われるかどうかは神の定めるところである、とするカルヴァンの教義は何というか。 予定説 16世紀後半から17世紀初めに在位した、ルネサンス最盛期の女王は誰か。 エリザベス一世 上の人物によって、1600年に作られた貿易会社を何というか。 東インド会社 国教会はカトリックとカルヴァン派の中道をとることで確立したが、イギリスでのカルヴァン派を何というか。 清教徒(ピューリタン) 対抗宗教改革について、刷新の中心となり、熱心な宣教を行った修道士の団体は何か。 イエズス会 1642年、絶対王政を妥当した市民革命の名前と独立派の指導者の名前をそれぞれ答えよ。 ピューリタン革命 クロムウェル 1888年、チャールズ二世を退位に追い込んだ革命は何か答えよ。 名誉革命 16世紀後半、スペインの黄金時代の君主は誰か。 フェリペ二世 1581年ネーデルラントは独立を宣言したが、ふつうこの国を何と呼んでいるか。 オランダ スペインがイギリス攻略のためにおくり、大敗北を喫した艦隊を何というか。 アルマダ 17世紀前半のドイツを中心としておこった、最後で最大の宗教戦争を何というか。 三十年戦争 この戦争が終結したときの史上初の国際条約と、それをつくった人物をそれぞれ答えよ ウエストファリア条約 グロディウス 1740年、オーストリアの国王に即位した人物を答えよ。 マリア=テレジア 1682年に即位したロシアの大帝の名前を答えよ。 ピョートル一世
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ヨーロッパ世界 ゲルマン人 - ケルト人 ゲルマン諸民族に分かれ、イギリス人の起源 語族はインド・ヨーロッパ語族 紀元前ヨーロッパにいた2つの文明のうちの北方の民族 諸民族は、ゴート族、ブルグンド族、バンダル族、ロンバルド族、フランク族 アングロ・サクソン族、ジュート族 375年のフン族の西進にとり、ゲルマン民族は続々と移動を始める アングロ族、サクソン族、ジュート族などはデンマークからブリテン島へ移動する 476年、西ローマ帝国を潰す アングロ・サクソン族 (Anglo-Saxons) アングロ族、サクソン族、ジュート族の3民族の総称 ローマ帝国がブリタニアを放棄するとデンマークにいたがブリテン島へ移住。 ブリテン島はアングルの地とよばれた アングルの地 ⇒ アングルランド ⇒ イングランド イングランド各地に王国を築き、アングロ・サクソン七王国と呼ばれた 東ゴート族 375年、フン族の西進により支配されたゲルマン諸民族の一つ。 その後、西ゴート族を押して逃げる 西ゴート族はドナウ川を越え、ローマ帝国領内に入った
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初めに... Total War ATTILAの発売が間近に迫っていますが本タイトルのキャンペーンスタート時期、紀元395年とはどういった時代だったのでしょうか。 アッティラという人物自体、日本では知名度の低い人物なので少なからず疑問に思っている人もいるかと思います。 そこでこのページではTotal War ATTILAに向けて紀元395年という年がどういった時代だったのかを軽く解説していこうと思います。 東西に分割されたローマ帝国 時のローマ皇帝、テオドシウスはその死に際して帝国を東西に分割し二人の息子に与えました。 紀元395年はテオドシウス帝が死去し、ローマ帝国が東西に分割された年であり、それ以降ローマ帝国が再統一されることはありませんでした。 これ以後、西ローマ帝国は次男のホノリウス、東ローマ帝国は長男であるアルカディウスによって統治されることになります。 紀元395年のローマ帝国の現状 この頃のローマ帝国はほぼ完全にキリスト教国化されており、キリスト教の司祭や司教が絶大な権力を振るうようになっていました。 帝国の首都はもはやローマではなく長きに渡って栄華を誇った永遠の都ローマもその重要性を徐々に失っていきました。 西ローマ帝国はゲルマン民族大移動の影響をもろに受ける結果となり、確実に滅亡への道を歩むことになります。 東ローマ帝国も繰り返されるササン朝ペルシアとの戦争、フン族の侵攻により徐々に疲弊していきます。 最後のローマ人、スティリコ スティリコは西ローマ帝国の軍人であり、滅亡に向かって突き進む西ローマ帝国を支えた最後のローマ人とも名高い人物です。 スティリコはテオドシウス帝のもとで頭角を現し、紀元394年にはローマ軍の総司令官にまで上り詰めました。 そしてテオドシウス帝の死に際し、10歳という若さで西ローマ帝国を継いだホノリウス帝の後見人を勤めることになります。 しかし長い治世の間、ホノリウス帝は宮廷に篭りきりとなり、帝務に全く関心を示さなかった為にスティリコは事実上のローマ帝国軍の最高指揮官として帝国の防衛に奔走することになります。 彼の活躍は目覚しく北アフリカで勃発した反乱の鎮圧、当時帝国領土を荒らしまわっていたアラリック率いる西ゴート族軍を幾度も打ち破るなど絶大な功績を誇りました。 しかしそんな活躍をよそ目に父が蛮族の出身であるスティリコを快く思わない東西ローマ帝国の官僚は彼を半蛮族と差別し、幾度となく妨害工作を謀りました。 ホノリウス帝が成人し、後見人であったスティリコとの関係が疎遠になるにつれ、皇帝側近のオリンピウスが権力を伸ばすと官僚とスティリコとの対立関係はますます激化していくことになります。 そして当時西ローマ正規軍の宿営地が置かれていたパヴィアにてオリンピウスの謀略により蛮族と内通したとしてスティリコ派の一掃がなされると対立は決定的となります。 これに対しスティリコには軍を起こし進軍することも可能でした。実際にボローニャに滞在していた軍団はスティリコ側に立つとも宣言していたのです。 しかし幼少の頃からホノリウスを知るスティリコには皇帝がこの件に関わっているとは信じられず、ラヴェンナにいるホノリウス帝のもとへ弁明に向かいます。 しかしラヴェンナに到着するも、皇帝の居室の扉は彼の前に閉ざされたままでした。ホノリウス帝は自身の治世が始まってから13年間にも渡り、帝国の防衛に奔走した忠臣に会おうともしなかったのです。 代わりにスティリコの前に現れたのはあのオリンピウスで彼は皇帝の下した死刑宣告を読み上げました。内容は蛮族と共謀して帝国の転覆を図った罪、でした。 裁判も行われることすらなくスティリコの処刑は紀元408年8月23日に執行されました。 長年に渡って皇帝に忠誠を誓い、最後まで帝国の防衛に貢献した蛮族出身のローマ帝国軍司令官の生涯はこうして幕を閉じたのです。 彼は間違いなくこの時代の主人公であり、古き良きローマ人のスピリットを宿した「最後のローマ人」と呼ばれるに相応しい人物でした。 彼の死から68年後の紀元476年、西ローマ帝国はついに滅亡することになります。 フン族とは 本作品のタイトルにもなっているアッティラという人物ですが、実は彼の治世はフン族の歴史においては短期間の、それも末期に属する一エピソードでしかありません。 彼の生年は定かではありませんが紀元406年頃と言われているのでゲーム開始時の紀元395年時点ではまだ生まれてすらいないわけですね。 フン族が何者であるのか、その具体的な事は殆どの部分が謎に包まれています。 ただ確実に言える事はフン族は4世紀になって初めてヨーロッパに現れ、彼らがアジアをルーツとした遊牧民の一団であるということだけです。 このフン族とローマ帝国が最初に接触したのは紀元395年、フン族が東ローマ帝国へ大規模な攻撃を仕掛けたのが始まりでした。 それ以降、フン族は断続的にローマ帝国領(主に東ローマ帝国)へ侵攻を繰り返します。 一方では、ゲルマン民族との戦闘に際し、西ローマ帝国側に傭兵として参加したりもしています。 ゲルマン民族の大移動 紀元376年、フン族に押された西ゴート族がドナウ河を渡りローマ帝国領へ侵入したのが始まりとされています。 それに続いて東ゴート族、アラン人、さらにはフン族を裏切ったフン人などが次々とローマ帝国領内に侵入していきました。 この帝国内を移動する軍・民混合となったゴート・アランの集団は後のローマ帝国に甚大な影響を与えることになります。 プレイアブルとして登場する各勢力 ササン朝ペルシア ササン朝ペルシアは長年ローマ帝国の仮想敵国的な存在であった大国パルティアを滅ぼし、紀元226年頃に台頭してきたペルシア系の国家です。 ゾロアスター教を国教にした最後の国であり、首都はパルティアと同じクテシフォン。 アケメネス朝ペルシャの再興を旗印にローマ帝国と幾度となく衝突しました。 過去にはシャプール一世が時のローマ皇帝を捕虜にするなどの大戦果を上げました。 西ゴート族 西ゴート族はゲルマン系の部族であり、紀元376年にダキアを経てドナウ河を渡り、ローマ帝国領内に侵入した部族です。 ゲルマン民族の大移動の先駆けとして知られていますが、もともとは傭兵や農耕に従事することを条件にローマ皇帝の許可を得た上での移住計画でした。 しかし予想を遥かに超えた数の西ゴート族がドナウ河を渡ったこと、それに乗じたアラン人や東ゴート族の侵入が重なりそれが後にゲルマン民族の大移動と呼ばれるようになりました。 西ゴート族は一向に改善されないローマ帝国領内での待遇を不満とし、武器を取り東ゴート、アラン人と連携して遂には紀元378年に、ハドリアノポリスの戦いでローマ帝国軍を打ち破りました。 これにより以後、西ゴート族は軍事力を保持したまま帝国内に居座る結果となり、後のローマ帝国の歴史に甚大な影響を与えることになりました。 西ゴート族はその後、フランス南部からイベリア半島にあたる地域を支配した西ゴート王国を建国することになります。 東ゴート族 東ゴート族は元々は現在のウクライナ、モルドバあたりに農耕定住民として定着していたゲルマン系の部族です。 紀元375~376年頃に東方から侵攻してきたフン族と衝突し、その際に王であるエルマナリクを殺され、フン族の支配下に入りました。 その際に難を逃れた多数の東ゴート族の民が西ゴート族のもとへ潰走したことでパニックを引き起こし、これがゲルマン民族の大移動のきっかけとなりました。 東ゴート族はその後、イタリア半島全域からパンノニアまでを支配する東ゴート王国を建国することになります。
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ジェイフンはどんなキャラでどのような戦い方が強いのかまとめておく 長所 「牽制が強くノーゲージ火力が高く、割り込みから鳳凰脚で大ダメージが見込める」 ・リーチの長い遠AやしゃがみBを使った高い牽制能力 ・リーチと攻撃判定持続が長いジャンプBやジャンプDを使った高い空対空能力 ・しゃがみCが近距離A、しゃがみBから繋がる事による高いノーゲージ火力 ・素早いダッシュと有利が大きく取れる立ちAとしゃがみBを使った固め能力の高さ ・胡散臭いめくりが出来るJA ・発生まで無敵が続き、真正面からの飛びならばまず落とせる飛燕斬 ・割り込みの飛燕斬ブレーキングや相打ちから入り、確定反撃にも重宝する鳳凰脚 これらの点から 「牽制や空対空で相手を押し込み、画面端でラッシュをかける」 「牽制や空対空で相手を動かし、隙を見つけて技を差し込む」 こんな戦い方が主になるんじゃないかと。勝ち方としては 「画面端付近で鳥かご戦法を取り殺しきる」 「リードを取って逃げきりを狙いつつ殺す」 どのみち牽制と空対空を上手く機能させることが大事だと思う。 欠点は 「自分からダメージを取りに行くのが難しいので相手にリードを取られると辛い」 ・牽制を機能させるのが最初なので、それができないと辛い(グラント・グリフォン・ジェニー) ・確定状況以外で出していい必殺技が飛燕斬ブレーキングのみで漏れると反撃確定 ・それによるゲージ効率の悪さと削り能力の低さ ・リードを取られて逃げられると追いかけるのが辛い ・飛燕斬はめくり気味の攻撃を落とせず、上段避けも頼れない 小ジャンプAもそこまで早いわけでも無く、ノーゲージではリターンも少ない。 リードを取られたらガードクラッシュ狙いでラッシュをかけていき、嫌がった相手に攻撃を刺していってダメージを取りたい。
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mixiアプリ【イケメン人狼タウン】について気をつけたいこと突然死 人を傷つけること リアル吊り回避 嘘誤爆 結果コピペ 初心者バレ mixiアプリ【イケメン人狼タウン】について 人狼クローンのアプリ。 BBS形式で、通常5~7日かかる。 URL http //mixi.jp/run_appli.pl?id=9624 初心者向けの「人狼タウン」 中級者以上向けの「人狼騎士団領」(以下、騎士団領) に別れている。 人狼タウンは8~13人、騎士団領は11~16人用であり、 騎士団領は共有者、共謀者など、人狼タウンに比べ役職の種類が多い。 気をつけたいこと あくまで強制ではありませんが、人として守りたいことをあげてみました。 突然死 一日1発言しないと死亡します。自殺票はできないので要注意。 人を傷つけること 勝負のために、「人として」言葉で「精神的に」追い込まない。 画面の向こうには人間がいます。受け取る側も気にしすぎない。 リアル吊り回避 ゲームのためにリアル支障が出る場合はきちんと言うこと。みんなわかってくれます。 でもそれが嘘だった日には全力で▼もしくは▲になるでしょう。お気をつけて。 嘘誤爆 狼役になった人が、村人であることを装うために、嘘の独り言誤爆をしないこと。 その逆もしかり。真や村人であることをアピールするために嘘誤爆をしないこと。 結果コピペ 占い師や霊能者が、結果をコピペすると本物であるというアピールになってしまいます。 嘘でも興ざめしてしまいます。 初心者バレ 本当に初心者でも、「初心者です」や「▼って何?」と発言するのは控えるのが無難。 説明書を読みながらやれば大丈夫です。正式ではないローカルな用語については【用語集】 ただいまこのページの閲覧者は・・・-人です。 【編集中宣言】※編集宣言のみ。編集終わったら消してメモ更新! 【変更点報告】 ページ下に更新かぶらないよう対策のせました。 - 管理人 2010-05-20 21 27 43 名前
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ティエン人(Tian) ティエン人ははるか東方のティエン・シア(Tian Xia)に住む人間の民族である。内海地域の人々からは単一民族だと思われているが、実際にはさまざまな民族の集合である。 外見 最多数派のティエン・シュウ(Tian-Shu)は浅黒い肌とアーモンド形の茶色い目、黒か茶色の直毛の髪を持つ。 北西に住む半遊牧民ティエン・ラー(Tian-La)はそれよりは肌が白く、巻き毛である。 南方のティエン・スーン(Tian-Sing)は、髪は赤みがかり、目は緑っぽい。 東のミンカイ諸島に住むティエン・ミン(Tian-Min)は黒や茶の他に青、緑、紫、橙などさまざまな色合いの目を持つ。 体格は内海地域の人間よりもやや小柄で男性で5フィート半、女性で5フィートを超えることは少ない。 貴賎を問わず、ゆるやかな服装を好み、豊かな者はキモノあるいは漢服と呼ばれるローブに似た衣装をまとう。貧しい者は下半身にはキルトかズボン、上半身にはジャケットを着るかあるいは裸である。ほとんどは色鮮やかに染められており、無染色の服を着ているのは最貧層だけである。衣服を装飾することを好む者は、自然の風景や、竜や鳳などの強力なクリーチャーの図柄をよく使う。素材は豊かな者は絹を使うが、通常は木綿や麻である。 文化 ティエンは非常に古い伝統を有し、-7000ARからの文明を持つシュウはこの地域全体に大きな影響を有する。 ヴードラから渡来したイローリ、内海地域から伝わったエラスティルやデズナ信仰は普通に見られるが、ほとんどのティエン人は伝統的な自然や祖先霊、目に見えないカミを信仰している。 一般に家族に大きな価値を置き、シュウやミンカイの皇帝は初代からの非常に長大な系図を持っている。 自然の秩序を乱さないように生活しようとしており、都市は周囲の自然と調和するように建設されている。 ほとんどは最大の文化的影響力を持つシュウの言語であるティエン語を公用語とする。ミンカイは独自のミンカイ語を使う。 内海地域ではアブサロム、カタペシュ、リノーム諸王の地、マンモス諸侯領、ヴァリシアでよく見られる。 名のり 文化によって異なるが、すべて姓-名の順となる。姓は家系の歴史のいくばくかを、名は親の子に対する願いを反映する。 女性名 Female Names ティエン・ダン:ビン Binh、ダオ Dao、フン Huhn リ- Ly、ナイ Nai、シエン Thien ティエン・ラー:アルタンツェツェグ Altantsetseg、バヤーマー Bayarmaa、コンゴーゾル Khongordzol、ナランツヤー Narantuyaa、オドヴァル Odval、サランゲレル Sarangerel ティエン・ミン:ヒトミ Hitomi、キョーコ Kyoko、レイカ Reika、サエ Sae、ユミ Yumi ティエン・スーン:ベサリ Bethari、ラスタリ Lestari、メガワティ Megawati、ニルマラ Nirmala、サンガティ Sangati、ウラン Wulan ティエン・シュウ:チャオ Chao、フア Hua、メイリン Meilin、キャオ Qiao、シュウ Xue、ジイ Ziyi 男性名 ティエン・ダン:ダク Dac、キエン Kien、ギアプ Giap、フイン Huynh、ナム Nam、シン Sihn、トン Ton ティエン・ラー:バトサイカン Batsaikhan、バツカン Batukhan、チュルーン Chuluun、ガンシュク Gansukh、ナランバーター Naranbaatar、トモバーター Tomorbaatar ティアン・ミン:ゲンドウ Gendo、ヘイハチ Heihachi、イチロー Ichiro、ジューロー Juro、キョー Kyo、トシロー Toshiro ティアン・スーン:ブディ Budi、ハメング Hamengku、クスマ Kusuma、プルノマ Purnoma、セティアワン Setiawan、スーロ Suryo ティエン・シュウ:バオ Bao、フー Hu、ジアングオ Jianguo、シャオラン Syaoran、タオ Tao、ズアング Zhuang 参考文献 [1] Erik Mona et al. (2008). Campaign Setting, p. 32. Paizo Publishing, LLC. ISBN 978-1-60125-112-1 内海地域