約 228,405 件
https://w.atwiki.jp/haruhi-2ch/pages/109.html
涼宮ハルヒの溜息Ⅲ(2009年放送版・時系列第22話) スタッフ 脚本:ジョー伊藤 絵コンテ:石原立也 演出:石原立也 作画監督:池田和美 原作収録巻 第2巻:長編『涼宮ハルヒの溜息』より第3章のP111から第4章のP165まで。計55ページ分をアニメ化。 DVD収録巻 涼宮ハルヒの憂鬱5.857142(新シリーズ第7巻) 紹介 今回は憂鬱からの時系列順では朝比奈みくるの同級生、鶴屋さんの2回目の登場回となる。旧作から考えると放送順9話の『サムデイ イン ザ レイン』以来の登場となる。2009年放送順 時系列では、この後のエピソードには準レギュラーとして、頻繁に登場するようになる。 作画監督は、16話のエンドレスエイトの作画監督を担当した池田和美。演出は同じく15話を担当した団長補佐(総監督)の石原立也。なお今回の脚本担当は『ミステリックサイン』の脚本も担当したジョー伊藤という人物だが正体はこの作品のプロデューサー伊藤敦Pである。 神主役の最上嗣生は、賢プロダクション所属の声優。 原作未読で『朝比奈ミクルの冒険 Episode00』を視聴した人にとって、今回は長門が何故みくるを襲ったのか?という疑問に対する答えが示される回である。 次回予告 TV版 なし 放送版とDVD版との違い 0 41 ステージ奥の茶色い四角いものの位置が変わっている。他、樹木・雑草などの生え方が大幅に修正 (※ SOS団名曲アルバムの背景画像では、なぜか修正前の同カットが使われている) 6 11 石段に階段追加 15 53 地面に影追加 17 12 18 11 みくるの黒タイツ復活 19 28 電話ボックスの脇にポスト追加 あと、樹木の色合いと石段に細かい修正あり パロディ・小ネタ 「ズームイン」→『ズームインスーパー(またはズームイン朝)』 土曜午後のバスの中・光陽園駅前で、バニー姿のミクルが黒タイツを穿いていない(生足)カットがある。DVDで修正済み。 谷口「詐欺だ!」キョン「ザキ食らって死ね」→『ドラゴンクエストシリーズ』の即死呪文「ザキ」。 一方、原作119Pにあった珍しいドラクエネタ「単独で出現したホイミスライムより~」はアニメ版ではカット。 SOS団のキャスト位置が前話よりさらに1マスずれている。特にハルヒとキョンの位置関係は大きくずれている。2人の関係がギクシャクし始めていることへの暗示か? キャスト・スタッフ(詳細) キャスト キャスト 1段目 涼宮ハルヒ:平野綾 キョン:杉田智和 朝比奈みくる:後藤邑子 古泉一樹:小野大輔 長門有希:茅原実里 2段目 鶴屋さん:松岡由貴 谷口:白石稔 国木田:松元恵 神主:最上嗣生 スタッフ 脚本:ジョー伊藤 絵コンテ:石原立也 演出:石原立也 作画監督:池田和美 動画検査:村山健治 美術設定:田村せいき 美術監督補佐:細川直生 色彩設計補佐:永安真由美 色指定検査:永安真由美 特殊効果:三浦理奈 制作マネージャー:横田圭佑 原画 牧田昌也 坂本一也 河浪栄作 引山佳代 柏木平 米田光良 牟田亮平 高橋真梨子 内海紘子 佐藤達也 野々上翠 山村卓也 動画 黒田久美 藤田奈緒子 根来清夏 渡辺雄一 西岡麻衣子 宇田淳一 Studio Blue 仕上げ 宮田佳奈 宇野静香 永安真由美 江田美穂子 宿谷葉子 胡恵美 Studio blue 背景 アニメ工房婆娑羅板倉佐賀子 松本吉勝 池玄珠 椿浩幸 撮影 中上竜太 田中淑子 山本倫 高尾一也 梅津哲郎 浜田奈津美 植田弘貴 友藤慎也 柴田裕司 冨板紀宏 船本孝平 (ポストプロダクションなどは省略) 放送日程 2009年 サンテレビ:2009年8月27日24時40分-25時10分 テレ玉:2009年8月27日25時00分-25時30分 新潟テレビ21:2009年8月27日25時45分-26時15分 東京MXテレビ:2009年8月28日26時30分-27時00分 tvk:2009年8月28日27時15分-27時45分 TVQ九州放送:2009年8月30日26時40分-27時10分 テレビ和歌山:2009年8月30日25時10分-25時40分 テレビ北海道:2009年8月31日25時00分-25時30分 KBS京都:2009年9月1日25時00分-25時30分 広島テレビ放送:2009年9月1日25時29分-25時59分 チバテレビ:2009年9月1日26時00分-26時30分 奈良テレビ:2009年9月1日26時00分-26時30分 仙台放送:2009年9月1日26時08分-26時38分 メ~テレ:2009年9月1日27時55分-28時25分 Youtube:2009年9月2日22時00分-2009年9月3日21時59分(24時間限定配信) RKK熊本放送:2010年3月21日25時50分-26時20分 DVDチャプター 使用サントラ 一覧 新アニメ 1期時系列 1期放映順 DVD 原作小説(巻) コミック収録巻 アニメサブタイトル #01 第01話 第ニ話 第01巻 憂鬱(1) 第01巻 涼宮ハルヒの憂鬱 I #02 第02話 第三話 第01巻 憂鬱(1) 第01巻 涼宮ハルヒの憂鬱 II #03 第03話 第五話 第02巻 憂鬱(1) 第01巻 涼宮ハルヒの憂鬱 III #04 第04話 第十話 第02巻 憂鬱(1) 第01巻 涼宮ハルヒの憂鬱 IV #05 第05話 第十三話 第03巻 憂鬱(1) 第02巻 涼宮ハルヒの憂鬱 V #06 第06話 第十四話 第03巻 憂鬱(1) 第02巻 涼宮ハルヒの憂鬱 VI #07 第07話 第四話 第04巻 退屈(3) 第03巻 涼宮ハルヒの退屈 #08 - - 新第01巻 退屈(3) 第03巻 笹の葉ラプソディ #09 第08話 第七話 第04巻 退屈(3) 第04巻 ミステリックサイン #10 第09話 第六話 第05巻 退屈(3) 第04巻 孤島症候群(前編) #11 第10話 第八話 第05巻 退屈(3) 第04巻 孤島症候群(後編) #12 - - 新第02巻 暴走(5) 第05巻 エンドレスエイト #13 - - 新第02巻 暴走(5) 第05巻 エンドレスエイト #14 - - 新第03巻 暴走(5) 第05巻 エンドレスエイト #15 - - 新第03巻 暴走(5) 第05巻 エンドレスエイト #16 - - 新第04巻 暴走(5) 第05巻 エンドレスエイト #17 - - 新第04巻 暴走(5) 第05巻 エンドレスエイト #18 - - 新第05巻 暴走(5) 第05巻 エンドレスエイト #19 - - 新第05巻 暴走(5) 第05巻 エンドレスエイト #20 - - 新第06巻 溜息(2) 第05巻 涼宮ハルヒの溜息 I #21 - - 新第06巻 溜息(2) 第05巻 涼宮ハルヒの溜息 II #22 - - 新第07巻 溜息(2) 第05-06巻 涼宮ハルヒの溜息 III #23 - - 新第07巻 溜息(2) 第06巻 涼宮ハルヒの溜息 IV #24 - - 新第08巻 溜息(2) 第06巻 涼宮ハルヒの溜息 V #25 第11話 第一話 第00巻 動揺(6) 未制作 朝比奈ミクルの冒険 Episode00 #26 第12話 第十二話 第06巻 動揺(6) 第06巻 ライブアライブ #27 第13話 第十一話 第06巻 暴走(5) 第07巻 射手座の日 #28 第14話 第九話 第07巻 オリジナル 未制作 サムデイ イン ザ レイン
https://w.atwiki.jp/haruhi_vip2/pages/1086.html
第五章 「喜緑です。覚えていますか?」 「忘れる筈がありませんよ。」 それにしても、どうやって此処へ入って来たのだろうか。 「あばら骨にひびが入っていますね。今治してあげます。」 喜緑さんは俺の胸をさする。すると、不思議なことに、痛みが退いてきた。 「有難う御座います。」 「次は古泉君を。」 喜緑さんは古泉の方へ行って治療する。 「大丈夫か?古泉。」 「えぇ、なんとか。それより、気付いてますか?」 何が? 「長門さんが押されてきました。」 「あのままでは、マズいですね。」 「なんとかならないのですか?喜緑さん。」 「今から、情報統合思念体とデータリンクします。5分程時間を下さい。」 「分かりました。なんとか時間稼ぎをしますよ。」 「5分もつのか?10秒保たなかったお前が。」 「やらないで後悔するより、やって後悔した方がましですよ。 今は、僕が少しでもやらねばならないのです。」 いつの日かどこかで聞いた言葉だな。 「死ぬなよ。(嘘)」 古泉はグッと親指を立て、赤い玉になり、飛び発った。 「それでは、わたしも準備をします。」 喜緑さんは、何かを唱え始める。 「WORKING-STORAGE SECTION. 01 EOF…………」 全く理解出来ない呪文を唱える。しかも、だんだん早口になる。 周りから見れば、頭のおかしい人みたいだ。 俺は何をしようかな。 「ちっくしょぉぉぉぉぉぉぉー!!!!」 いきなり奇声が聞こえた。 びっくりして空を見上げると、古泉が幾つもの赤い玉を放っている。 頭が一番おかしいのはあいつだな。呑気にこの状況を眺める俺も十分おかしいが。 「まだですか?そろそろやばいですよ。」 「今データのサーチとダウンロードを同時にやっています。 MOVE SIN-CODE(IDX) TO K-CO………」 なんか、腰が抜けてきた。 足がふらふらして、地面にぺたりと尻をつく。これでダメなら、どうしよう。 「ハルヒ………」 不意に、口から漏れた言葉に恥ずかしくなる。 「END-SEARACH END-READ END-PERFORM CLOSE SIN-FL KI-FL STOP RUN. 終わりました。」 「そうですか。」 「朝倉さん。降りて下さい。」 朝倉は手を止め、降りてくる。 長門と古泉は、じっと朝倉を見つめて動かない。 「来てたの。」 「来ちゃいました。」 「これが、情報統合思念体の意思ということ?」 「そうです。」 「わたしが抵抗しても、無駄ね……潮時か。」 「大人しく、消えますか?」 「おでん、食べたかったな。」 「情報構成抹消開始。」 「さようなら。みんな。もう、多分もう会わないけど。」 朝倉が消えていく。 「何をしたんですか?」 「彼女を構成している情報自体を削除しました。修復はほぼ不可能です。」 周りの風景が砂のように崩れ、俺が最初に見た荒れ地が姿を表す。 「時間がありません。わたし達もこの空間から帰りますよ。」 「わたしにつかまって。」 俺は長門の小さな手を掴んだ。 古泉は喜緑さんの手を掴む。 「それでは、行きますよ。」 喜緑さんがそう言うと、空間が歪む。 目眩がしてきた。 あぁ、気持ち悪い。 「………え?」 「やっぱり、やめた。」 夕日が差し込む。 通い馴れた部室。 長門の本が詰まった本棚や、 朝比奈さんの身に着けたコスプレ衣装。 古泉の持ってきた卓上ゲームと ハルヒが強奪したパソコン達。 全てが紅に染まる時。 その中に、俺とハルヒは包まれる。 生暖かい鮮血のような紅。 いや、 それは紛れもない血であった。 「キョン……ごめん……ごめんなさい。」 「何……故……?」 「分からない。分からないのよぉ。」 痛ぇ。 状況を把握したいが、意識がもうろうとする。 終わったな。俺。 最後に見えたのは、ハルヒの切腹だった。 唇にそっと何かが触れる。 「今、あたしも行くからね。」 くそったれ………バカハルヒ。 「大好き。………バカキョン。」 視界が真っ赤になる。ハルヒの血だろう。 そして、意識が途絶えた。 ……b……o…… …バ……ロ!! バーロー? 「バカ、起きろ!!!」 耳をつんざくような声がした。煩いぞハルヒ。 「全く、仏になっても寝るとは、いい度胸ね。」 仏が眠ってはいけないという規則は、聞いたことがない。 そんな事より、人を仏呼ばわりするのは早過ぎではないか? すると、ハルヒは大きな溜め息を吐く。 「呑気なものね。あんた、鈍感というより、マヌケよ。下見なさい。」 「おぉ!?」 下には俺とハルヒがいた。良く出来た人形だな。 「これが人形に見えるなら、あんたの目はふしあなよ。」 なら、ドッペルゲンガーか? 「んな訳ないでしょ!!もういい。やめて。こっちが恥ずかしい。」 こういう時は、状況整理が必要だ。 今日の事から思い出そう。 起きる。 寝る。 起こされる。 朝は、パンに味噌汁がベスト。 学校行く。 手紙ある。(5時に教室) 足し算を間違える。 就職を漢字で書けない。 5時に教室へ行く。 ハルヒに襲われる。 長門が止める。 夢の中へ 朝倉やっつける。 ハルヒに刺される。 パトラッシュ。僕もう、だめぽ。 と、いう訳で、俺達は死んでしまった。 不思議と悲しくはなかった。ハルヒと一緒だからだろうか。実感が湧かない。 もし一人なら、死んだことに気づかず、地縛霊になったのだろうに。 しかし、疑問が残る。何故、長門がいない。前回(夢の中)朝倉が言った事と関係があるのだろうか? 気は乗らないがハルヒに聞いてみるか。 「長門は?」 「今日は一度も会ってないわ。」 「夢を見たよな。」 「は?見てないわよ。それってなんの話よ。」 「だけどよ………」 それで俺は口を止めた。これ以上、話をしても多分無駄だろう。 「ごめん、キョン。」 「謝る必要ないさ。」 「ごめんなさい。あんな事して。」 今日のハルヒは謝り過ぎだ。 喜怒哀楽が激しい人間だな。こいつの場合ほとんど「怒」の割合が多いが。 しかしおかしい。何か変だ。どこかに矛盾があるような。 その時、ドアが開く。 「有希!?」 長門が入ってくる。 「…………。」 部屋に入ると。辺りを見回す。どうやら、俺達には気づかないようだ。 「…………。」 長門は何か呟くと、その場から立ち去った。 「何て言ったのかしら?小さすぎて聞こえなかったけど。」 「分からん。」 長門のことだ。もしかしたら、何か知ってるはずだ。 しかし、さっきの様子は明らかに俺に気づいていない。 期待と不安が入り混じる。あいつを使えばもしかしたら……… 「きゃぁぁぁぁー!!」 な、何だ!? 「バド部の連中だわ。部活帰りに立ち寄ったのね。」 その後、救急・警察が来て、俺達の死亡が世間へ広まった。 警察は俺達の事を、無理心中と判断した。 どこぞの名探偵が来たが、お手上げらしい。 世間もそれで納得したらしく、「可哀想」の一言で片付けられた。 その後、ハルヒとこれからどうするかを話ていると、目の前に誰かが現れた。 「こんばんは。」 20代の女性だろうか。日本人に見える。この人も幽霊なのだろうか。 「見えてるようね。あたし達のこと。」 どちら様です? 「簡単にご説明すると、あの世の者です。単刀直入に申し上げます。今すぐあの世に逝きますか?」 いきなりそんな事言われても困ります。 「大概の方がそうおっしゃられます。 ですので、こちらの時間で、えーっと………49日程の死亡猶予期間が与えられています。 それを過ぎると罰則が加担されます。」 「待て。何故俺達が、あなた達の規則に合わせねばならないのです。 死んでも、誰かに縛られるのは嫌ですよ。」 「ごもっともな意見です。しかし、本来死亡なされたあなた方は、下界に干渉する権利も御座いません。 また、下界に霊がごちゃごちゃいても、困りませんか?」 頷くしかなかった。 「逝きましょう。キョン。あたし達がこの世にいても、邪魔なだけよ。 死んだことは事実だし、それを受け入れるのが礼儀よ。」 「宜しいのですか?」 「だが断る。」 「何で?」 「俺の家族への挨拶はどうでも良いが、俺はお前の両親への挨拶くらいはしたい。」 「それって……」 ハルヒは顔を赤らめる。 「うふふ、分かりました。では、また49日後に迎えに来ます。」 「すみません。有難う御座います。」 「お幸せに。」 そう言うと、彼女はどこかへ消えて行った。 「キョン……こんな…あたしで良いの?」 「あぁ勿論。」 「うぅ……あ゛り゛がどう゛。」 泣くのか? 「な゛、泣いだりじない゛。ぢてないわよ。」 「行こう。」 「……うん。」 そっとハルヒの肩を抱き、両親へと挨拶に向かった。 「あったかい。」 「おばけなのにか?」 「気分だけよ。」 翌日、学校ではこの事を公表する。泣く人あれば、知らん顔ありだった。 クラスで岡部が泣いたのには笑った。 自分のために泣いてくれているというのに、不謹慎だな。俺は。 女子の方々は、大体の人が泣いていた。 男は、担任の岡部しか泣いていなかった。 谷口の姿はまだ見えない。国木田は、どこか上の空だった。 「あんまり面識の無い奴までが泣いてるなんて、変な気分ね。」 「同情してるんだろうよ。バカなカップルが将来を苦にして、自殺。 ロミオとジュリエットとは似て非なる話だ。 だが、お涙頂戴な悲劇には、相当するんじゃないか?」 「カップルに見えてたのかな……あたし達。」 おばけのくせに頬を赤らめてハルヒは言った。 どう返答すれば良いか分からず、ぶっきらぼうな返事を返すと、 ハルヒは「ごめんなさい」などと、謝る。今更謝られても仕方ない。 「気にするな。」と頭を撫でると、今度は泣く始末。 かなりの大音量だったので、誰か気付くのではと思ったが、 やはり、おばけの声は気付かないらしい。この1時間後、ハルヒはやっと泣き止んだ。 「今日は家に帰る。あんたも自分の家族に最後の別れくらい言ってあげなさい。 それと、明日は10時に駅前ね。SOS団のみんなに会うわよ。じゃあ解散。」 俺の返事を待たず、ハルヒは帰ってしまった。俺が断る訳は無いけどね。 前日は、家に帰らなかったから、久しぶりに見える。 家に入ると家族全員が揃ってた。 母親は洗濯、親父と妹はテレビ。 休日と変わらないような生活。 しかし、どいつもこいつも湿気た顔をしていた。 見ていて、こっちまで陰気臭くなる。 おっと、こんな事している場合じゃない。 ………いたいた。 「みゃー。」 よう、シャミ。見えてるみたいだな。 シャミセンはじっとこちらを見つめている。 悪いが、体借りるぞ。 第六章へ
https://w.atwiki.jp/haruhi_best/pages/25.html
涼宮ハルヒのSS 厳選名作集 長編 涼宮ハルヒの軌跡 超能力者。 涼宮ハルヒによって、閉鎖空間と神人を倒すための力を与えられた存在。機関と呼ばれるハルヒの情報爆発以降に発足した組織に属し、 その意向、つまり世界の安定に協力している。 三つほど前の世界では、その目的は変わらず「世界の安定」だったが、情報統合思念体が排除行動に出たため、 手段を「ハルヒの安定」から「ハルヒとその影響下にある人間の排除」へと変化させ、ついにはそのために核爆弾を炸裂させた。 でリセット。 未来人。 涼宮ハルヒによって、時間遡行能力を与えられた存在。組織名やそれが一体いつの時代のものなのかは不明。 目的は自分たちの未来への道筋を作り続ける涼宮ハルヒの保全。そのためには別の未来を生み出しかねない存在は かたっぱしから抹消している。 それが原因で二つほど前の世界では、ハルヒの観察を命じられた朝比奈みくるという愛らしいエージェントがその役割を 押しつけられ、結果目も当てられない惨劇が次々と演じられていった。 んで、その過程でハルヒの能力自覚がばれて情報統合思念体の排除行動が始まったためリセット。 宇宙人。 唯一、ハルヒが関わらない形で存在している。その名称は情報統合思念体。基本的な目的を自律進化の可能性を秘める 涼宮ハルヒの観測にする一方、能力を自覚してしまった場合は地球ごと抹消することにしているようだ。 その監視には対有機生命体コンタクト用インターフェースと呼ばれる人造人間を送り込み、近い距離からのハルヒの観測を行っている。 前回の世界では、そのインターフェースの一人、長門有希と俺が文芸部活動に没頭した結果、彼女が一人の少女になろうと その任務を放棄し人間になる決断の末、情報統合思念体をハルヒの力を使って抹殺しようと試みたため、 長門は初期化されてしまった。同時に長門は俺との文芸活動の過程で、ハルヒの力の自覚を知っていながら隠していたため、 初期化の際にその情報が情報統合思念体にも渡り、排除行動が開始された。 それでリセット。 これが今まで俺とハルヒが歩いてきた軌跡だ。 はっきり言って全部バッドエンド。まあ、ハッピーエンドならリセットなんて起きず、平穏無事な世界が続き 今頃俺は自分の世界に帰ってSOS団の活動に没頭しているだろうが。 しかし、その過程で得られたものは無駄なものは無かった。情報統合思念体と超能力者と未来人の微妙な関係が 世界の安定に大きく貢献している事実が得られたんだからな。ただ、おまけとして、俺の世界が絶妙なバランスで 成り立っているのかという事実も突きつけられた。そこにあって当然だと思っていたから。まさか、同じにならずとも 安定させるだけでこれだけの苦労をさせられるとは、初めてこの世界のハルヒに引っ張り込まれたときに考えもしなかった。 さて。 材料は全てそろった。まだ唯一にして最大の懸案事項は残っているが、この際仕方がない。次にやることは一つ。 宇宙人・未来人・超能力者が存在している世界を作ることだ。 ◇◇◇◇ 俺はもう4回目になる北高入学式の早朝ハイキングコースを歩いていた。俺の世界の正式・正統な入学式を含めれば もう五回目か。一体俺は何度入学すれば気が済むのだと愚痴りたくなりつつも、それ自体は俺も同意しているんだから グダグダ抜かすなと心の中の天使だか悪魔だかの声が聞こえてくる。 そして、平穏無事に終わった入学式後、教室での自己紹介タイムまで到達した。 俺は背後の席にハルヒがむすーっとした表情で座っているのを確認しつつ、自分の席に座った。 と、ここでハルヒがごんと椅子の底を軽く蹴ってくる。全くなんだ。いきなり事前の打ち合わせを無視した行動を してほしくないんだが。 「……何か?」 俺がゆっくりと振り返ると、やっぱり不機嫌顔で腕を組んだハルヒがこっちを睨みつけてきている。 その視線を見ると大体は言いたいことはわかったが、はっきり言ってただの意味のない文句だけみたいだから 相手しないようにしよう。だからこそ、ハルヒも口を開こうとしないんだろうし。 この宇宙人・未来人・超能力者のいる世界を作ったときに、ハルヒとこういう取り決めで行動することにしていた。 まずハルヒは中学時代――自分の力を自覚した直後からこの世界には行ってもらい、俺は北高入学式からにする。 これに関しては校庭落書きの一件を意識した上での俺の要望だ。同じになるとは限らないが、ひょっとしたら 眠りこけた朝比奈さん(小)を連れた俺が現れるかも知れないからな。念には念をってことだ。 ただし、その間に起こること――例えば、学校の校庭に落書きするハルヒとか、実はその時重なるように 俺は三人存在(中学生の俺・七夕のときの俺・冬のあの日の俺)していたりとか、俺の世界で起きたことについては ハルヒにまったく教えていない。前回の世界で思い知らされたように俺の世界とまったく同じにするのは不可能だし、 予定を決めてハルヒに動いてもらうと返って不自然さが増すだけだからな。中学時代どうするかはハルヒに一任することにした。 ちなみにふと俺の方からその時に聞いてみた今更な疑問だったが、前回までのように中学時代をすっ飛ばしたら その間のハルヒはどういう立場になっているんだ?と聞いてみると、 『ダミーみたいなものを置いておくのよ。後はこっちから操作して、時間軸を早回しして問題が起きないか確認。 で予定時間になったらあたし自身と入れ替えるわけ』 外部から操れる人形がおけるなら、今までだってわざわざ作った世界に入らずにダミーとやらをこの時間平面の狭間から 操っているだけで良かったんじゃないかと突っ込んでみたところ、 『外から見ているだけだと臨機応変に対応できないし、なんていうか自分の目で見ているのとは大きく異なるわ。 それにあんまり不自然に操っていると情報統合思念体に勘づかれる可能性もあるから。だから、その手を使うのは 大した問題が起きないってわかってときだけよ。幸い中学時代は平穏だってわかっているからこの手が使えるんだけどね』 頭半分で理解しておくにとどめた。難しいレベルに突っ込むと頭がパンクするからな。 話を戻して。 俺が高校からだったのは、ハルヒ曰く脳天気なあんたを三年間も日常生活を歩ませたら何をしでかすかわからんとか 言うからである。まあ、三年も非現実的な世界から遠ざかっていたら、入学後の驚異の世界への突入に拒否反応を 示しかねないから正しい判断だろう。どうせ何の宇宙人とかの属性を持っていない俺なら、ダミーとやらで十分だからな。 で、俺の入学後も俺とハルヒは目立つように接触しない。これも取り決めの一つだ。なぜかというと前回の世界で 長門が俺に注目したのは入学当初から、変人ハルヒが俺とだけ気兼ねなく接触していたからと言っていたである。 確かに何の接点もなかった二人がぺらぺらとしゃべっていたらおかしいと言える。そんなわけで、GWが終わるくらいまで 二人とも大人しくしておこうと決めている。 ……多分、その大人しくしておくというのの不満が積もっているんだろう。さっきの蹴りはそれを意味しているんだと推測する。 ほどなくして、教室に担任の岡部が入ってきた。快活な口調で自己紹介などを生徒たちにさせ始める。 もちろん俺はこの時に朝倉がいることを見逃していない。前回の世界でずたぼろになりながらハルヒが消滅させたのに、 やっぱり復活しているんだな。前の世界の存在をリセットして情報統合思念体にもそんな世界はなかったと 誤認させているんだから仕方がないんだが。 やがて俺の順番になり、適当な挨拶をすませた。 そして、その後ろにいるハルヒへと順番が回る。 その時のハルヒの自己紹介はとても懐かしい気分にさせられるものだった。 「東中出身、涼宮ハルヒ。ただの人間には興味ありません。この中に宇宙人・未来人・超能力者がいたら あたしのところに来なさい。以上」 ――すでにいる異世界人(俺)は抜けていたが。 ◇◇◇◇ 入学式から数日後の放課後、俺とハルヒは人目を避けて非常階段の踊り場で落ち合っていた。一度だけは情報収集+意識あわせで 話し合うというのも事前取り決めの一つだった。 「で、自己紹介はあんな感じで良かったわけ?」 「ああ、あれでお前が変なものに興味津々ってのがアピールできただろうから」 しかめっ面のままのハルヒに、俺はそう答える。 さてこの状態で長くいるのはまずいからさっさと意識合わせするか。 「で、この三年間変わったことはあったか?」 「真っ先に思いつくのは、中一のときにあんたとみくるちゃんが来たわよ。あたしの校庭落書きに付き合ってくれたわ」 「……お前、アレやったのか」 俺は呆れ顔になる。教えてもいないのに、団長ハルヒと同じことをやるとはやっぱり基本的人格は同じってことか。 ハルヒは肩をすくめつつ、 「何よ、思い当たる節でもあるわけ? まあそれはいいけど、ちょっと暇だったからなんとなくね」 そうなるとこのまま行けば、七夕のときのTPDD~長門の部屋で三年間朝比奈さんと添い寝があるってことか。 ん、ならひょっとして…… 「一応そのときの状況を確認しておきたいんだが、俺と朝比奈さんは手伝っただけなのか?」 「みくるちゃんはすやすや眠っていたわよ。あんたなんかやったんじゃないでしょうね?」 何もしてねえよ。まあ、朝比奈さん(大)からはチュウぐらいならOKと言われていたが、自制したぞ。 いやそんなことはどうでもいい。 「ってことは、手伝ったのは俺だけか。その後に何か言っていなかったか? 世界を大いに盛り上げるジョン・スミスをよろしくとか」 俺の指摘にハルヒは記憶の糸を穿り返すようにあごに手を当てて思案顔になるが、 「そんなことは言っていなかったわよ。ただ手伝って、完成したらあたしはとっとと家に帰っちゃったし。 大体、ジョン・スミスって何よ。あんたにそんな風に名乗られた覚えはないわ」 ハルヒの返答に俺ははっと気がつかされる。そりゃこのハルヒと俺はとっくに顔見知りなわけで、さらに朝比奈さん(小)が 眠っている間だったことも考えると、わざわざ偽名をハルヒに名乗る必要はない。俺の世界では一種の切り札みたいな名前だが、 この世界ではハルヒが力を自覚している時点でまったく意味を成さないのだ。そういうわけで、その名はハルヒに対して 今後も使われることはないだろう。この時点でもう俺の世界とは大きく異なっているな。しかし、二度目の接触、 よろしく!に変わるものがまったくなかったのに、俺は疑問を覚える。どうなっているんだ? あの冬の日の事件は 今後も起きないことになっているのか、それともあったがその必要がないから何もしなかっただけなのか。 ううむ、この時点では判断のしようがない。 ただ冬の事件がなかったことについてはもう一つ確信を得るような状況があった。少し前に部活動について調査したところ 長門は文芸部には入っていなさそうだからな。そうなると、俺は三年前長門に文芸部室で待っていてくれと 言わなかったことになる。 「…………」 とりあえず、そのことについては保留だ。この世界で唯一の問題は長門の暴走を情報統合思念体がどう対応するのかだからな。 成功してハッピーエンドになるかどうかはそれ次第な以上、時期が来るのを待つしかない。長門が暴走せずに穏便に 一人の少女になってくれるのが一番ありがたいから、そうなるように努力すべきだろうが。 「他にはなんかなかったのか?」 「何にもなかったわよ。あまりになさ過ぎてずっとイライラしっぱなしだったわ。ただ待っているだけっていうのはつらいものよ。 おかげでかなり閉鎖空間で大暴れしちゃったから、古泉くんも結構苦労したでしょうね」 ハルヒのあっけらかんとした発言に、俺はお気の毒にと古泉へと手を合わせておいてやる。 まとめると、変わったことは校庭落書きだけか。そうなると、特別な対応は発生せず予定通りに動けばいい。 GW終了後にSOS団――名称は何でもいいから、宇宙人・未来人・超能力者が集う団体の設立ってことになる。 おっとそういえば未来人と超能力者はきちんといるんだろうな? 「昼休みにみくるちゃんは確認したし、三年間機関らしい連中があたしの周囲を見張っていたから問題ないわ。 同時に前回の世界みたいな小規模組織の乱立も起きていないからね。機関か未来人のどっちかが大半のものを つぶしてくれたみたい。おかげでこっちは大助かりだわ」 ハルヒの言葉に、俺はほっと安堵で胸をなでおろす。これで役者は全員そろったって訳だ。あとは俺たち次第になる。 「大体事態は把握できた。じゃあ、後はGWまで大人しくしていようぜ。そっから行動開始だ」 「ちょっと待って」 俺はとっとと解散しようとしたが、すんでのところでハルヒに足を止められる。見れば、少し迷いながらもようやく決意したと 言った表情のハルヒの視線がこちらに向けられていた。 「あんたの世界であった冬の一件について教えて。それだけはやっぱり事前に知っておきたいから」 その要求に俺は顔を困惑で顰める。この世界に入る前、俺の方から同様にハルヒへ教えておこうと思ったんだが、 それを拒否したのはハルヒだぞ。どういう心変わりだ? ハルヒは肩をすくめつつ、 「あの時はまだ有希の消滅が受け入れられていなかったから正直そんな話を聞きたくなかったのよ。でも、三年間じっと考える 余裕ができてやっぱり聞いておこうと思い直したわ。条件が同じなら、この世界でも同じことが起きるかもしれないしね」 俺はやれやれと思いつつも冬のあの日のことについて教えてやることにする。 朝起きてみたらまったく異なる世界に改変されていたこと。 そこではハルヒと古泉は別の学校にいて、長門はごくごく普通な文芸少女になっていたこと。 結局長門の緊急脱出プログラムで脱出できたこと。 そして、その世界を改変した犯人は長門だったということ。 全部話すといつまでたっても終わらないのでかいつまんで説明してやった。 ハルヒはその話を聞いて、少し憂鬱そうに顔をうつむかせ、 「そっか……有希がそんなことをしたんだ」 「……当時俺は長門に何でもかんでも頼りっぱなしだったからな。そんな状態に追い込んだ責任は俺にもあると思っている」 だが、現在における最大の問題はどうして情報統合思念体がそれを許したのかがわからない。前回の世界の長門と 何の差があるというのだろう。奴らにとってはインターフェースが暴走しハルヒの力を消して自らを抹殺したという点は まったく変わらないはずなのだ。ひょっとしたら、何だかんだで長門は緊急脱出プログラムを用意していたし、 時間という考え方が俺たちとは全く異なることから考えて、結局元通りになるとわかっていたから…… いや――さっきも言ったがやめておこう。今考えてもどうにもならん。俺にできるのは長門に負荷をかけることなく、 普通の少女になってもらう努力をするだけだ。 この話を最後に俺たちは解散した。ハルヒはあと一ヶ月か……とまたも憂鬱そうな表情を浮かべていた。 一方で俺はどうでもいいことを思っていた。 せっかくだから中学時代にハルヒに髪を伸ばしてもらって置けばよかったと。それならまた曜日で変わる髪形が 見れたかもしれなかったのに。 ◇◇◇◇ 入学式から一ヶ月特に変わったこともなく過ぎてGW明けとなった。 さて、休みがてらそこそこにしゃべれるぐらいの関係になったことをアピールしていた俺とハルヒは、 ここから本格的な行動開始となるわけだが、授業終了後ハルヒは一目散にさてどうしたものかと考える俺のネクタイを 引っ張って走り出す。動くならせめて前準備をしてからだな…… 「そんな悠長なことを言ってられないわ! この日のために三年も待ったのよ!」 そんなことを言いながら、まずは6組へ突入。帰ろうとしていた長門をとっ捕まえて自分についてこいと一方的に告げる。 ただ長門自身も拒絶することはなく、 「わかった」 そう了承し、今度は二年の教室へ全力疾走するハルヒの後ろをついてきた。やれやれ、なんと言う猛進振りだ。 そして、二年二組に入ると部活動へ行こうとしていた朝比奈さんの腕をつかみ、 「はーい、確保!」 「ふえ? ――うひゃあああああ!」 ハルヒはもう朝比奈さんの意思も聞かずに抱きかかえて走り出した。おい、今度はどこに行くつもりだ。 まだ古泉は転校してきていないぞ。長門と朝比奈さんをそばに置いたがために、古泉は転校を余儀なくされたわけだけどな。 「あ、ちょっとみくるをどうするつもりだいっ!?」 その様子を見ていた鶴屋さんは、あわててとめにかかるが、持ち前の機敏さでハルヒはするりとよけて、 「キョンっ! あたしたちは文芸部室に行くから、鶴屋さんに事情を説明しておいて! あとよろしく!」 そう言って朝比奈さんを拉致して立ち去って行っちまった。ちょこちょことその後ろを長門がついていっている。 やれやれ、本当に鉄砲玉みたいな野郎だ。三年間溜まりに溜まった我慢を今爆裂させているんだろう。 さてこのままだと鶴屋さんに通報されかねないからフォローしておかないとな。 「お騒がせしてすいません。とりあえず、朝比奈さんに危害は――ええとそこまでひどいことはしませんのでご安心ください。 ただちょっとお友達にと」 「ふーん、キミとさっきの女の子は誰なのさっ?」 珍しく疑惑の視線を見せる鶴屋さん。まあ朝比奈さんの保護者みたいな存在だから、心配なのだろう。 「一年のものです。さっき朝比奈さんを強奪して言ったのが涼宮ハルヒ。うちのクラスの名物暴走女ですよ。 朝比奈さんを見かけてどうやら一目ぼれしてしまったみたいで。もう一人は長門有希。となりのクラスの人であって5分も たっていませんが」 思わず自分の説明で苦笑いしてしまう俺。無茶苦茶な状況すぎるだろ。 案の定、鶴屋さんも訳がわからないという疑問符を浮かべていたが、やがてぽんと手をたたき、 「ああっ、あれが涼宮ハルヒって人なんだねっ! ちょっと忘れていたけど思い出したよっ! そっか、みくるが気に入ったかっ!」 のわはっはっはと大声で笑い出し、突然自己完結してしまった鶴屋さん。何でそんなにあっさり…… ってそりゃそうか。鶴屋さんは遠巻きながら機関の関係者であり、ハルヒのことについても何らかの情報がわかっているはず。 俺の世界ではそう言ったことを断言はしなかったが、匂わせる発言はあったからな。ハルヒが特別な存在というぐらいは 知っていてもおかしくはないだろう。 ここで鶴屋さんは俺の肩をパンパンとたたき、 「よっし、わかったよ。深い事情は聞かないからみくるをキミに任せるっ! でも、あの子は弱い子だからあまりいじめちゃ だめにょろよっ」 「ええ、それはもちろん。ハルヒの魔の手からできるだけ守りますんで」 鶴屋さんが物分りのいい人で本当に助かった。これでこの場は落ち着いたはずだな。 俺はがんばれと手を振る鶴屋さんに一礼すると、文芸部室へと向かった。 「……遅かったか」 文芸部室に入った後の俺の第一声。見れば、相当もみくちゃにされたのだろう。床にひざを抱えて しくしくとすすり泣いて座り込んでしまっている朝比奈さんの姿が。全くハルヒの奴は加減というものを知らんからな。 一方のハルヒはかばんから何かを取り出そうとごそごそとやっている。まさかバニーガールではあるまいな? さすがに初日にアレをやると、朝比奈さんがパニックを起こすから全力で止めさせてもらうぞ。 拉致されたもう一人の長門は、文芸部に置かれている本棚をじーっと見つめていた。どうやら何か感じるものがあるらしい。 せっかくだから、俺は前の世界で最初に読ませてやったあのSF小説を取り出すと、 「読んでみるか? 結構面白いと思うぞ」 「…………」 長門はめがね越しの視線でその表紙を見つめていたが、やがてそれを受け取るとぺらぺらとページをめくって 内容を読み始めた。よし、これで読書狂長門できあがりっと。 ここでハルヒはようやくかばんから取り出したものを俺たちに配り始める。内容は文芸部への入部届けだ。 ハルヒが勝手に書いたのか、後は自分の名前をサインすれば言いだけの状態になっていた。 「はーい注目。これからここにいる全員はいったん文芸部に入部してもらうわ」 「おいちょっと待て。文芸部に入ってどうするんだよ?」 俺の突っ込みにハルヒはちっちっちと指を振って、 「文芸部は仮の姿。一応部室を占拠しておくにはそれなりの理由が要るからね」 偽装入部かよ。なんてことを考えやがるんだ。長門が文芸部入りしていない以上、ここを使うにはこの手しかないのは事実だろうけど。 「ほらほらとっとと入部届けにサインしなさいよ。あとみくるちゃんはいつまで泣いてんのよ。そんなのじゃ、 渡る世間は鬼ばかりの世界は生きていけないわよ」 鬼はお前だろうが。まあいい、これ以上続けても仕方ないからとっととサインしてしまおう。 どういうわけだか――いや予想通りかもしれないが、長門はもうサインを終えて、SF小説の続きを読んでいるからな。 ここでようやく朝比奈さんはローン30年が残っている家が地震で倒壊したのを目撃したサラリーマンのように 肩を落としたまま立ち上がり、 「で、でも、あたし書道部で……」 「じゃあ、そこちゃっちゃとやめちゃって。我が部の活動の邪魔だから」 一応抵抗を試みたのだろうが、ハルヒは全く取り付く島もない。 朝比奈さんはどうしようとおろおろをしばらく続けていたが、やがて長門がサインした入部届けを見て、 「……そっかぁ。わかりました。こっちの部に入部します……」 その声は可哀想になるぐらい悲愴なものであった。しかし、やっぱり長門の存在が気になるようだな。 ふと、朝比奈さんはまたまた困ったという顔を浮かべて、 「でもでも、あたし文芸部って何をするところなのかよく知らなくて」 「さっきもいったでしょ。文芸部は仮の姿だって」 「?」 ハルヒの言っていることの意味がわからないらしい朝比奈さんは、頭の上にはてなマークを浮かべるような 愛らしい疑問を顔に浮かべた。 ここでハルヒは高らかに宣言する。 「我が部の本当の名前――それはSOS団よ!」 世界を大いに盛り上げるための涼宮ハルヒの団。 それを聞いたとたん、朝比奈さんを取り巻く空気が固まった。しかし長門は無視してSF小説に没頭している。 一方で俺は呆れ顔だ。 おいハルヒ。その名前でいいのかよ。事前の打ち合わせで、なにその安直なネーミングセンスはとか言っていただろ。 なんだかんだで実は気に入っているんじゃないのか? 朝比奈さんは何かを聞こうとして顔をいったん上げるものの、すぐにあきらめたような表情に変化してうつむいた。 だんだんハルヒっていう奴の性格がわかってきたんだろうな。長門はどうでもいいと完全に無視だが。 そんなわけで、俺の世界のときと同じように、ここにSOS団がついに誕生したのである。 いやはや、ここにたどり着くまで長かったから少々感慨深いものがあるな。 ただ……ハルヒが力を自覚し、長門・朝比奈さん、そしてもうすぐやってくるであろう古泉の正体を知っている限り、 その活動内容には若干異なるところが出てくるだろうけど。 ふと、俺は長門と朝比奈さんを交互に見渡す。 朝比奈さんは自分の任務に耐えられなくなり自殺を試みた。 長門は俺とハルヒとともに居たいがために、情報統合思念体を抹殺しようとして初期化されてしまった。 こうしていつもどおりの二人を見るとうれしいが、一度見てしまった惨劇と悲しみは早々心から消えるものではない。 俺の中では少々複雑な感情が入り混じっていた。やれやれ、トラウマになっているようだな。 ◇◇◇◇ SOS団結成から数日間、俺はその活動初期の悪事を抑えるべく奮闘していた。まずはコンピ研パソコン強奪。 あれをやると後腐れが残るからな。もっともハルヒはハルヒでも別のハルヒなんだからやらないんじゃないかと 淡い期待をしてみたが、言い出したときにはパソコンショップで強奪対象を精査するという事前準備までして 突撃準備OKの状態だったりしたもんだから、俺は即刻その計画を阻止した。やっぱり根本は同じ奴だよ、全く。 ただこれを阻止すると、のちにコンピ研とのゲーム対決がなくなって、長門がパソコンに興味を抱かなくなる可能性が 頭に引っかかったが、ただパソコンを使わせるのならそんな因縁めいた舞台なんて用意する必要はない。そのうちどうにかするさ。 ちなみにハルヒにはもうすぐ古泉がやってくるから、そっちに言えば用意してくれるさと言い聞かせておいた。 あと、バニーガールでのビラ配りだがこれはハルヒの方からやるとは言い出さなかった。まあ、すでに宇宙人・未来人を 確保し、もうすぐ超能力者までやってくるSOS団がこれ以上この世の不思議を募集する必要なんてない。俺の世界との違いを考えると こうなるのは必然と言えよう。ただし、ハルヒの朝比奈さんに対するコスプレ癖はそのままのようで、 事あるごとにバニーガールやメイドに変身させていた。パソコン強奪を取りやめにしてくれたのと引き換えに これは容認しておいたが。それにこれがないとなんつーかSOS団らしくないというか…… で、ようやく最後の一人古泉の到着だ。 「ヘイお待ち! 本日一年九組に転校してきた即戦力をつれてきたわよ!」 その日の放課後メイド姿の朝比奈さんとオセロに興じていた文芸部室に威勢のよい声とともに飛び込んできたのはハルヒだ。 その手に引きつられてきたのは、あの胡散臭いインチキスマイルを浮かべているあいつだ。 「古泉一樹です……どうもよろしく」 そう言って近づいた俺に握手を求めてきたため、俺もそれに答える。 ……その瞬間、超能力者オンリーの世界の出来事、特に機関の暴走のシーンが脳裏によぎり俺の顔が少しゆがんだのを 自分でもわかってしまった。やっぱりトラウマになりかけているな、やれやれ。 「どうかしましたか?」 「い、いやなんでもない。よろしく」 俺は平静を取り繕って、不思議そうな顔を浮かべている古泉に挨拶を返す。思えば、こいつは一番最初に 構築した世界だったため会うのは相当久しぶりだ。 ハルヒは手でSOS団の部員をそれぞれ指差して言って、 「それが有希。そっちのかわいいのがみくるちゃん。で、今握手したのがキョン。みんな団員よ。で、あなたが4番目の団員。 そして、あたしがその頂点にいる団長涼宮ハルヒ! よろしく!」 「ああなるほど」 古泉は部室内の団員を一通りまるで観察するかのように見回すと、そううなづいた。宇宙人と未来人の存在を確認できたということか。 しかし、異世界人(俺)までいるとはわかるまい。何か出し抜いてやった気分だっぜ。 「入るのはいいんですが、一体何をするクラブなんでしょうか? 申し訳ないんですが、いまいちピンとこないので」 この古泉の問いかけに、ハルヒはにやりと笑みを浮かべると、 「いいわ。教えてあげる」 そう言って大きく息を吸うと、部室どころか旧館全体に響くでかい声で宣言した。 「ここにいる全員友達になって遊んで遊びまくることよ!」 ハルヒの宣言に空気が死んだ。 まあ無理もない。突然、宇宙人・未来人・超能力者をピンポイントに集めたかと思えば、一緒に遊び倒しましょうってんだからな。 そんなハルヒに古泉はスマイルを絶やしていないし、朝比奈さんはおろおろするばかり、長門は話を聞いているのかいないのか ひたすら読書中である。 俺の世界のハルヒは、宇宙人みたいなものを探すことを目的としているが、それはすぐ近くにそんな奴らがいることを 知らないからそう言っているのであって、このハルヒはそれを知っている以上探す必要などない。 とはいっても、SOS団団長――ああ、今両方とも同じになったか。俺の世界のSOS団も不思議なことを探すとか言って おきながら実際にはそれとはあまり関係のないお遊びサークルと化しているからな。活動内容自体に大差はないといえる。 「SOS団の旗揚げよ! いえーい、これからみんなでがんばっていきまっしょー!」 ついに全員そろったことに喜びを爆発させているのか、ハルヒの声はどこまで明るく透き通っていた。 さてと、ここからが本番だな。この先、平穏無事にことが進んでくれることを祈るばかりだ。 ◇◇◇◇ それから数日間は俺の世界と同じようにカミングアウトラッシュとなった。 まず長門が本に仕込んだ栞のメッセージで俺を呼び出し、宇宙人であることを告白。 週末のハルヒ主催の出歩きツアーで朝比奈さんが未来人であることを告白。 その週明け、俺の方から古泉へ接触し超能力者であることを聞かされる。同時に機関とその役割についてもだ。 それと同時に始まったSOS団活動だったが、ハルヒはこれでもかというぐらいに団員たちを引っ張りまわした。 ある時は読書狂の長門に答えるかのように古本屋めぐりで変わったものがないか捜し歩いた。 次に朝比奈さんのコスプレ衣装を選ぶとか言ってデパートで衣装の選び大会。どこからそんなに金をがめてきたのか。 さらに古泉用にとボードゲーム大会を休日の部室で開き、ハルヒ先生による攻略法講座までやった。それでも古泉は弱いままだったが。 ――ただ、俺はこのハルヒに少しだけ違和感を感じ取っていた。それが何なのか言葉には出来なかったが。 ◇◇◇◇ そんな状態が続いたある日、下校時刻になった俺たちはいつもの長い坂を下っていた。ハルヒは朝比奈さんに何かを熱心に語り、 長門はやっぱり読書したまま歩いている。最後尾には俺と古泉が歩いていたが、 「さすが涼宮さんですね。この十日程度でこれだけのパワーを見せ付けてくるとは思いませんでしたよ」 「最近のハルヒのはしゃぎっぷりについてか?」 「そうです。まるで僕たちと一緒にいるのが楽しくてたまらないという感じですね。最初はまさか未来人や宇宙人を集結させて 一体何をするつもりなんだろうかと思っていましたが、このような遊びで満喫しているだけのようなので一安心です」 そうにこやかな笑みを浮かべる古泉。 ま、それがハルヒがSOS団を作った理由だからな。当然といえば当然のことだ。 ふとここで俺はこいつの役割について思い出し、 「そういや、最近お前の仕事のほうはどうなんだ? やっぱり頻発していたりするのか?」 「いえ、涼宮さんも十分に楽しんでいるようでして、全くストレスを感じていないようです。そのためか、閉鎖空間・神人も 全くご無沙汰な状態ですよ。僕も落ち着いて日常的学校生活を楽しめています」 古泉の話にほっと安堵する俺。最近のハルヒの行動は少々違和感を感じていたからな。実はストレスを溜め込みまくっていて、 あの灰色世界で暴れているんじゃないかと不安になっていたが、ただの取り越し苦労で済みそうだ。もっとも、このハルヒは 意識して意図的に閉鎖空間を作っているんだから、たとえストレスを溜め込んでいてもそれを発生していないだけかもしれんが、 あいつの性格を考えるとその可能性も低いと思われる。 古泉は続ける。 「中学時代の涼宮さんとは雲泥の差ですよ。あの時は毎日ストレスを抱えていて、ことあるごとに閉鎖空間で暴れていましたからね。 SOS団設立後では本人の表情もまるで違うのは、入学当初から一緒だったあなたも感じていることなのではないですか?」 「まっ、確かにあいつが元気になったのだけは鈍い俺でもわかるよ。今の学校生活を心底楽しんでいるんだろうな」 事実を知っている俺からしてみると、思わず突っ込みたくなる衝動に駆られてしまうが、ここは堪えて適当に流しておく。 演技を続けるって言うのもつらいもんだ。そういや、俺の世界では古泉がその不満について愚痴を言っていたが、よくわかるよ。 戻ったらご苦労さんの一言ぐらいかけておこう。ああ、ついでに生徒会長にもな。 ふと、ここで古泉は前を歩くハルヒを見つめながら、 「ですが、少々疑問があるのも事実です。SOS団結成前後では涼宮さんの心情は全く異なっている。なぜなんでしょうか。 まるで僕たちが集まるのを待っていて、中学生時代はそれをストレスに感じていたのでは、と疑いたくなるほどですよ」 俺は一瞬ぎくりと心臓の鼓動が跳ね上がった。まさにその通りだった。ひょっとして機関――古泉はその可能性を疑っているのか? しかし、古泉が続けた言葉が少々意味合いが異なっていた。 「つまりですね。涼宮さんは入学式の自己紹介で――これは機関からの情報で僕は実際に聞いたわけではありませんが、 宇宙人・未来人・超能力者を探していたじゃないですか。この場合、長門さん・朝比奈さん・僕が上手い具合に当てはまるわけです。 そして、僕たちがそろったのと同時に涼宮さんのストレスは一気に解消された。つまり、涼宮さんは目的を達成したと認識している 可能性があるということです」 そうきたか。だが、それでも矛盾があるだろ。 「そうなるとハルヒはお前らが普通の人間じゃないと認識していることになっちまうじゃねえか。だが、SOS団設立の時でも ハルヒにそんなそぶりなんてまったくなかったぞ。大体、せっかくそういった連中を集めたって言うのに、やっていることは 普通のお遊びサークル状態だ。何のために宇宙人みたいな連中を集めたのかさっぱりわからん。それにお前らがそれを ハルヒに察知されるようなことをしていたわけでもない」 「涼宮さんは無意識下でそれを望んだんですよ。だからこそ、僕たちが集められた。これはこないだも話しましたよね。 さらにその無意識下での認識でありながら、涼宮さんは現状に満足してしまった。そう考えられませんか? 事実、SOS団の活動であなたも言った通り、宇宙人・未来人・超能力者に関わることは何一つとして言っていませんから」 無意識下ねぇ……実際には無意識どころか待ちに待った連中がついにやってきたんだから、そんなことはないと言える。 しかし、それを言うわけにもいかないから、 「難しく考えすぎじゃないか? 俺には単にハルヒが遊ぶことに夢中になって、そんなことはどうでもよくなったと思っているんだが」 そう別の方向に誘導しておく。あまり深く突き詰められて、真実にぶつかっても困るだけだからな。 古泉は苦笑しつつ、 「確かにその可能性はあります。僕のは個人的な推測に過ぎませんので。しかし、今の涼宮さんは幸せだというのは 確実にいえることですね。以前の灰色の砂嵐だった精神状態からは完全に脱していますよ」 「それについては異論はねえよ……中学生時代のハルヒはよく知らんが、この一ヶ月でもその変化ははっきりとわかっているさ」 ここで俺たち二人の会話が途切れる。前を歩くハルヒはまだ朝比奈さんに対して得意げに語っていた。 日が傾き、空をカラスの集団が飛んでいく。 俺はふと思いつき、 「なあ古泉。一つ聞いておきたい」 「何でしょう?」 「今の立場に満足しているか?」 「十分に満足していますね。涼宮さんの精神状態は安定し、閉鎖空間の発生頻度もほとんど――」 「そうじゃなくて」 俺は古泉の言葉を手で静止してから、 「お前自身はどうなのか聞きたいんだ。ハルヒにここ最近引っ張りまわされているだろ? それはお前にとって、 面白いのかつまらないのかってことだ」 その質問に、古泉は顎に手を当ててしばらく思案を始めた。そして、やがてゆったりと口を開き始める。 「難しい質問ですね。僕としましては、楽しいとかそんな感情よりもどうしても涼宮さんが安定してくれてうれしいという 考えに至ってしまいます。これもずっと機関で彼女を見続けたことが原因でしょう。僕はSOS団の前に、機関の一員なんです」 「そうか……」 俺の世界の古泉とは真逆のことを言われて、俺は少々気分が重くなった。やっぱり今俺の目の前にいるのは、 ただの超能力者・古泉なんだな。SOS団を作ってからまだそんなに経っていないから無理もないんだが、 こう直接言われるとやはりショックを受けてしまう。 そんな俺を見ていた古泉はここで、ですがと話を続け始め、 「確かに今はそんな感情しか生まれてきません。でもたまに思うんですね。機関の一員とか超能力者とかそんな属性を 投げ捨ててみたら自分はどんな気分になるんだろうと。ひょっとしたら、純粋にとても楽しい学校生活を歩めるかもしれない……」 そうしみじみと言った。 そうか。古泉もそういう感情はあるんだな。それを確認できただけでもほっとするよ。 「この際だから言っておくが、俺は現状が楽しくてたまらない。ハルヒはわがままで横暴だが、あいつのやることには どこか興奮させられる部分があるからな。だから――この生活を失いたくない。絶対にだ」 「…………」 俺の言葉を古泉はただいつものスマイルのまま見ていた。おっと、ついでだから言っておくか。 「お前の話を聞く限りだと、どうもこのSOS団をぶち壊しかねない思想の連中がいるみたいだったな。 そいつらの好きにはさせないでくれ。俺は現状を守り抜きたい」 「肝に銘じておきましょう」 古泉の返答からは、それが機関の人間としてのものなのか、SOS団としてのものなのか判断は出来なかった。 ◇◇◇◇ SOS団設立からしばらく経った後、俺は朝倉に襲われた。シチュエーションは俺の世界のときと全く同じで 放課後に教室に呼び出し→ナイフで襲われるという形だった。 この件については事前に予測が出来ていたため、ハルヒと対処について相談していた。なにせ、この世界の現状の推移は 俺の世界とは似通っているとはいえ、根本的にSOS団の活動内容など異なる点も多い。長門の救援が間に合わなかったり あっさりと俺が殺されてしまう可能性も否定することなど出来ない。ただ、それを考えると朝倉が暴走しない可能性だって 十分にあるわけだが、前回の世界といい俺の世界といいそれは低いんじゃないかと思いたくなる上、 殺される恐れがあるなら用心するに越したことはないはずだ。 そんなわけで事前に長門たちの隙を見計らって昼休みにハルヒと相談していたんだが、 ……… …… … 「ふーん、なるほどね。もうすぐに朝倉があんたを殺しに来るっていう可能性があるわけか」 「そうだ。で、当時は長門に助けられたわけだが、ここでも同じになるとは限らない。そこで事前になんかいい手がないか 相談したいんだ」 いつもの非常階段踊り場の壁に寄りかかり思案顔になるハルヒ。 正直なところ、ハルヒに相談したところでどうにかできるのかという疑問もある。こないだのハルヒVS朝倉では、 戦うというより一方的に蹂躙されまくっただけで、最後にサヨナラ逆転満塁ホームランが飛び出して勝利しただけだ。 しかし、だからといって事前に長門に相談するわけにも行かず、古泉にそれとなく話したところであの朝倉と対等に 戦えるだけの力を持っているとは思えない。ああ、朝比奈さんは論外な。実力云々の前にそんな危険なことにあの人を関わらせたくない。 とはいえ、命の危機が迫っているかもしれないのにただ黙っているのは何かこうむずむずしてきて嫌だ。 ハルヒはしばらく黙ったまま考えていたが、 「でもさ、有希ってそういうこと事前に察知できるだけの情報操作能力を持っているような気がするんだけど。 あいつら、あたしたちの言う時間の流れとは異なる概念を持っているみたいだしね。そうなら朝倉に襲われても 必ず助けに来るんじゃないの? 文芸部活動でおかしくなるほどに負荷をかけているとも思えないから」 ハルヒの指摘に俺は腕を組んで考える――と同時に思い出した。そういえば、長門は冬のあの事件を起こすまでは 未来の自分と同期ができるとか言っていたっけ。ん? そう考えると、長門は三年前の七夕の時に未来の自分と同期を 取っていたわけだから、自分が暴走することも知っていたし、そうなると当然朝倉が暴走することも事前に知っていたことになる。 ならあのぎりぎりの救出タイミングはわざと狙っていたのか、長門さん? わざわざかっこよさを演出する必要なんて 長門には全くないからきっと別の理由があるんだと考えておこう。 俺はそれを認識してそれなりの安心感を覚えると、 「ああ、そういや長門はそういうことも可能だって言っていたな。なら大丈夫か」 「そうよ。どのみちインターフェースの動向に関しては連中の内部で処理させたほうがいいわ。あたしが動くとばれる可能性が 飛躍的に高くなるしね。有希なら何とかできるでしょ」 … …… ……… とまあそんな結論至っていたため、安心は出来なかったが特に対応策はとらずに、そのまま朝倉に襲われることになった。 やれやれ、襲われるのをわかっていながらホイホイとそれを受け入れるってのも酷な話だぜ。 結局のところ、途中で長門が助けに来てくれたおかげで俺は無事生還。朝倉も無事消滅させることに成功した。 順調に言ってくれて何よりだ。長門が痛めつけられるのを見るのは辛かったけどな。 ついでに、やっぱり教室に入ってきた谷口を追い出しつつ、長門にメガネをはずして置くように促しておいた。 前回の世界だと結局最後までメガネ姿だったが、やっぱり俺はメガネ属性ないし。 朝倉襲撃に関しては全く同じ展開だったのに対して、その次に会った朝比奈さん(大)との遭遇はなかった。 これに関しては最初は動揺し、何かとんでもない間違いをどこかでしたんじゃないかと不安になった。 なぜなら朝比奈さん(大)がいない=朝比奈さん(小)が未来人オンリーの世界のときのように今後自殺という 悪夢の惨劇が待っているかもしれないからだ。 しかし、当時の状況をしばらく考えてから当然であるという結論に至る。あの時朝比奈さん(大)は白雪姫という キーワードを俺に伝えるためにやってきたようだった。もちろんその意味は、ハルヒによる世界改変の時の対処法についてだろう。 思い出すと耳から火を吹きそうになるから、あまり脳内再生したくないが。 ん? ちょっと待て。ということは朝比奈さん(大)はアレをしろと事前に俺に言っていたわけか? さらに言えば、 あの閉鎖空間で長門がsleeping beautity とか告げてきたが、それもアレをしろということなのか? 二人そろってなんてことを求めやがるんだ、全く。 まあ、そんなことはどうでもいい。それは俺の世界ですでに起こった話であって、この世界では同様の事態は発生しないと 断言できる。なぜかといわれれば、そんなことを力を自覚しているハルヒがするはずがないからだ。やるならリセットだろうしな。 そういう意味で朝比奈さん(大)は俺にヒントを告げる必要が発生しなくなり、その姿をあらわさないということになる。 あのナイスバディを超えたダイナマイトが見れないのは少々残念ではあるが、今後は嫌でも顔を合わせる必要が出てくるだろうから、 それまでの楽しみに取っておくかね。 ◇◇◇◇ そこから夏休み直前まで話を進めよう。何でかというと特に変わったことも無かったからだ。 まず、ハルヒによる世界改変は無し。何度も言っているがこれは当たり前の話だ。 SOS団活動で目立ったものといえば、野球大会に参加に参加したぐらいか。結局一回戦で辞退したのも変わらない。 まあ優勝したらしたで面倒事になるだけだし、ハルヒは辞退すると言ったらムスーとしていたが、まあそれなりに楽しんだようだった。 カマドウマ大発生はいつ起きるのやらとハラハラしていたが、考えたらここのSOS団はHPを持っていないんだから 起きるわけがなかった。 おっと、七夕の話があったな。あれについては、やったことは同じだったが、ハルヒの態度が違うのは当然としても、 そこでようやく出会えた朝比奈さん(大)がちょっと意味深なことを言っていた。 ……… …… … 俺と朝比奈さんが三年前の七夕に戻り、夜の公園のベンチでそのまま朝比奈さん(小)が眠らされた時に、彼女はやって来た。 女教師みたいな服で、年齢は20歳前後、ゴージャスがダイナマイトになったあの朝比奈さん(大)である。微妙に空いた胸元に どうしても視線が行ってしまうのは男の性だ、許してくれ神よ。 「キョンくん……久しぶり」 朝比奈さん(大)は(小)を放って俺の手をつかんできた。本当に久しぶりの再開のようで、その表情は懐かしさを発揮している。 このタイミングで久しぶりとか言われると何だか妙な気分だ。思わず俺は困惑して後頭部を掻いてしまう。 「どうかしたの?」 俺が面食らうかと予想していたのだろうか、不思議そうな視線を向けてくる。いかん、これでは不審に思われるな。 えーと当時はどうやって答えたんだっけ? そう必死に記憶の糸をたぐりつつ、 「あの……朝比奈さんのお姉さんですか?」 「あ、うふ、わたしはわたし。朝比奈みくる本人です。そこで今寝息を立てているわたしよりもずっと未来から来た わたしというところですね」 そうにっこりと笑みを浮かべて説明する。だが、すぐにまた感激の表情に切り替えるとぎゅっと俺の手を握り占め、 「……会いたかった」 その言葉に、俺もちょっと懐かしさを憶える。考えてみれば、こっちの世界に旅立ってからかなり経つが朝比奈さん(大)に 遭遇したのは初めてだった。握られた手から暖かい体温が伝わって来るに連れて、その実感が増してくる。 俺は朝比奈さん(大)が前屈みでこっちを見ているため、どうしても上から胸元を除いているような状態になっているになり、 こそこそと視線を外しつつ、 「えっと、なるほど。わかりました。つまり朝比奈さん+何歳かってことですね」 とりあえずとっとと納得しておこう。こういう状態をあまり長引かせるとボロを出す確率が高くなるだけだからな。 しかし、そんな俺の態度を朝比奈さん(大)は納得していないと判断したのか、頬をふくらませると、 「信じてないでしょ? それに女性を歳で判断するのは失礼です」 「ああいえいえ、信じています。確実に。実際に今俺は三年前に戻るなんていうSF体験をしたばかりですからね。 ちょっと変なことが起きてももうあっさり飲み込める自信がありますよ」 俺はあわてて手を振りつつ答える。 朝比奈さん(大)はホントに?と疑いの視線を俺の目に合わせてくるが、同時にこっちの視線が時たま胸元へ向かっていることに 気が付いたらしい、顔を赤らめつつあわてて前屈みのポーズを解除して直立状態に戻った。 このまま話を止めていても仕方がないので、 「で、その朝比奈さんが何の用なんですか? わざわざ三年前に来て、さらに高校生の朝比奈さんを眠らせるなんて 状況がよくわからないんですけど」 「この子の役目は一旦終了です。再開はもうちょっとしてからね。そして、あなたを導くのはわたしの役目になります」 東中へ行けってことかと考えると、朝比奈さんは俺の思考を後追いするかのように、向かい先――東中へ行くように言った。 全く予言者か心の透視能力を持った気分だよ。 ここで朝比奈さん(大)は一歩離れると、 「時間です。これでわたしの役目も終わり。後はあなたに任せます」 この後に、冬のあの時の俺と落ち合うんだな――いや、ちょっと待てよ? それなら、この世界でも長門のエラーによる事件は 起きるっていうことになる。そして、それを越えられたからこそ、この朝比奈さん(大)(小)が存在しているわけだ。 俺は思わず笑い声を上げてしまいそうになったが、あわてて喉から逆の胃袋の方向へと流し込んだ。何でこんなことに 気が付かなかったんだ。 朝比奈さん(小)がいる時点で、この世界は情報統合思念体による排除行動は発生しない。 朝比奈さん(大)がいる時点で、あの思い出したくもない惨劇も起こらない。 つまり未来人絡みの問題は全て解決したということになる。平穏かどうかはわからないが、世界は存在し続ける。 この事実に、俺はまるで勝利気分になった。当然だろ? あれだけ右往左往・七転八倒を続けてようやくここまでたどり着いたんだから。 よし帰ったらハルヒに報告してやろう。俺の役目も終わったも同然だしな。 だが。 次に朝比奈さん(大)の口から出た言葉は、そんな俺の気分をあっさりと覆すものだった。 「別れる前にキョンくんに言っておきたいことがあります」 「……何ですか?」 少し真剣気味な朝比奈さん(大)の言葉に、俺の気分が若干削がれる。 しばらく考える素振りをしてから、彼女は続けて、 「これから先、キョンくんたちは二つの大きな分岐点にぶつかります。詳細については禁則事項になってしまうので言えません。 その他の既定事項についてはわたしたちがどうにか出来る問題だけど、その二つだけはあなたと――涼宮さんにしか解決できないのものなの」 「……二つ?」 その言葉に、俺は真っ先に冬のあの日の事件が思いつくが、もう一つは何だ? 俺の世界でも朝比奈さん(大)でも対処不能で 俺とハルヒだけができるというのは、ハルヒによる世界改変ぐらいしか思いつかないが、それはとっくに時間的に通過済み& ハルヒがそんなことをするわけがないという結論に至っている。 そうなると、この世界特有の問題がこの先に起きるって訳か。全く9回表に満塁ホームランで逆転したのに、9回裏のツーアウトから 土壇場でまた追いつかれた気分だぜ。 朝比奈さん(大)は真剣なまなざしのまま続ける。 「その二つを超えた先にある未来からわたしとそこで眠っているわたしはやって来ているんです。 でも過去は非常に不安定なものであって、脇道にそれないようにわたしたちのような人間が動いています。だけどその二つだけは こちらではどうしようもありません。自分の力を自覚していない涼宮さんは頼れないので、あとはキョンくんだけなんです」 朝比奈さん(大)にも結局ハルヒについてはばれていないのか。いやそれよりもだ。 「よくわからないんですが、俺が失敗したら朝比奈さんの未来へつながらなくなるっていうことですか? それだと、どうして 今ここに朝比奈さんたちが存在しているのか――ああええと、何か矛盾してる気がしてくるんですけど」 「それについては禁則事項というよりも、わたしたちが用いるSTC理論をあなたに教えるのは不可能だから言えません。 概念も立脚もこの時代に生まれた人に教えるのは無理なんです。あ、決してキョンくんの頭が悪いということではないんですよ? この時間平面状で、その話を理解できる人なんて誰一人としていないってことなの」 朝比奈さん(大)の説明を聞く度に、俺の好奇心が揺さぶられてくるがどうせ聞いたってわからないだろうから、 深く尋ねるのは止めておこう。考えるのに夢中になって俺の正体がばれるようなボロを出したらとんでもないことになるからな。 俺は話を打ち切ることを決めると、朝比奈さん(小)をオンブし、 「とりあえずその辺りは深く突っ込まない方が良さそうなんで、今の役割を果たすことにします。でも、その二つの問題っていう ヒントぐらいはもらえませんか? できれば事前準備ぐらいしておきたいんですけど」 「ごめんなさい。全て禁則事項なんです。それほどまでに難しくてデリケートなものだから。ただ一つだけ言えるのは、 それが起こればあなたはすぐにわかるはずです」 朝比奈さん(大)が申し訳なさそうに頭を下げた。やれやれ、ヒントゼロか。今の時点で当てたら一気に無条件で 甲子園優勝の旗が貰える難易度だな。だが、起こればすぐにわかる――つまり、気を抜いたらあっさりと 見逃すようなものではないということだ。それだけでもありがたい情報かな。 「じゃあ、キョンくんまたね。次逢えることを願っています」 またもや意味深な言葉と共に、朝比奈さん(大)は公園の暗がりへと消えていった。二つの問題が解決されたなら、 やっぱりこの後俺と落ち合うことになるんだろうか。その辺りの茂みを探してみたくなる衝動に駆られるが、 そんなことをしたらいろいろぶちこわしになるかも知れないんで止めておこう。 さてと。 俺は軽いんだろうけど、肉体労働に慣れていない俺には重く感じる朝比奈さん(小)を背負いつつ、東中へと向かった。 ここからはちょっとした余談になる。 俺は東中の門前でそこを乗り越えようとしている子供っぽい人影を発見し、 「おい」 そう声をかけてやった。そいつはすぐに反応して、何よとこっちを睨みつけてきたが、 「……なんだキョンじゃないの。何やってんのよ、みくるちゃんなんて背負って」 「朝比奈さん――というより未来人からの指示だよ。俺の世界でも同じだ。どうせこれから校庭に落書きするんだろ? そのお手伝いをしろってさ」 俺は溜息混じりで答える。 電灯で照らされたハルヒはまだ小柄で、朝比奈さんには劣るもののパーフェクトなボディは未成熟だった。 唯一、俺の世界の七夕と違うのはハルヒの髪が短いってことぐらいか。活動的な性格のこいつから考えれば、 短くするのが当たり前な気もするが、この違いは何なんだろうね? どうでもいい話だろうけど。 そんなことを考えている間に、中学生ハルヒは俺の背中で眠っている朝比奈さんのほっぺを突っつきながら、 「あんた、みくるちゃんが眠っている間に何かしなかったでしょうね?」 「してねーよ。てか今から三年後にも同じことを聞かれたぞ」 ハルヒはジト目で俺の否定に、疑惑の視線をぶつけてくる。しまった、朝比奈さん(大)にチュウぐらいならというのを 確認し損ねたな。やるかどうかはさておき聞けることは聞いておけば良かった。 ここでハルヒはまあいいわと言ってポケットから東中の門の鍵をプラプラさせて、 「じゃあせっかくだからあんたに手伝ってもらうわよ。一人だと結構大変だからね」 「ちょっとそこ曲がっているわよ! 本当に方向音痴ね」 「方向音痴は意味が違うんじゃないのか?」 俺はハルヒのキリキリ声を背後に、線引きをひたすら走らせていた。全く何を考えたら、家でゴロゴロするのより、 こんな犯罪まがいの行為をしたくなるのやら。俺なら絶対に前者を選ぶね。 ほどなくして、石灰を白巨大ミミズが暴走した後のような地上絵が完成する。ん、俺の知っているものとかなり異なるものだが、 何か意味でもあるのか? 「一応意味なら込めてあるわよ。人に言うことじゃないし、わからないように暗号化しているけど」 「おいおい、これ仮にも織姫と彦星へのメッセージだろ? 暗号化なんかしたらわからんだろ」 「良いのよ。そのくらい神様なんだからきっと解除するなんて朝飯前よ」 ハルヒは校庭に描かれた不気味な模様を満足そうに眺める。こんな時だけ都合の良い理論を引っ張り出すなよ。 しばらく俺もそれを眺めていたが、ふと時間の経過に気が付き、 「そろそろ朝比奈さんが目を覚ます頃合いだ。解散しておこうぜ」 「わかったわ。あたしも目的が果たせたからとっとと帰る」 俺は再び朝比奈さんを担ぎ、ハルヒはすたすたと人に散々作業させた割に礼の一つも言わずに校門へと向かっていった。 が、途中で急に振り返ったかと思うと、 「ねえ、三年後みんなちゃんとそろったの?」 距離が離れてしまったため、月明かりだけではある日の表情はわからなかったが、その口調はやや不安げなものに感じた。 俺はできるだけ明るい声で、 「ああ大丈夫だ。お前は喜びを爆発させて、毎日楽しんでいるよ。三年後を楽しみにしておけ」 それにハルヒはほっと肩を落とした。そして、すっと空を見上げぽつりと言う。 「三年か……長いなぁ」 … …… ……… そんなこんなで目を覚ました朝比奈さんと共に長門のマンションへと行き、そこで三年間の時間凍結で現代に戻ってきた。 その辺りは俺の世界と変わりなく進んでいった。 帰った後、ハルヒにはこれから二つばかしでかい問題が待ちかまえていることを告げておいた。当の本人は、 情報が少なすぎるからそれが起こるのを待つしかないと言い、静観する構えを見せていた。 そして、期末テスト明けの部室。 ハルヒが意気揚々と夏休みに何をするか離している間、俺はぼーっと考える。 朝比奈さん(大)が言っていた二つの大きな分岐点。一体何なんだろう。未来に多大な影響を与える上に、 未来人が全く手の出せないこと。一つは冬のあの日の可能性が高い。しかしもう一つは? 俺はこの時それがもう目前に迫っていることなんて考えもしなかった。 ◇◇◇◇ 夏休みが直前に迫り、学校も短縮営業になった部室では、相も変わらずSOS団の面々が生まれた川に戻ってくる サーモンのごとく集まっていた。現在は夏休みのSOS団予定作成ミーティング中である。 ハルヒはホワイトボードを団長席の前に置き、延々と『夏休みにやろうと思うこと一覧』を書いている。 しかし、その量がまた凄いこと。これじゃ、夏休みの全部がつぶれてもおかしくないぞ。お盆は避暑と里帰りを兼ねて 田舎に戻るんだからキツキツなスケジュールは勘弁してくれ。 ――だが、以前から少しずつ感じていたハルヒに対する違和感がここに来て、さらに拡大してきている。何だ? 俺は一体何に気が付いているんだ? 全く自分の心の内が読めないってのも嫌なもんだ。 一通り書き終えたハルヒは、ぱんぱんとホワイトボードを叩き、 「さて、夏休みと言ってもSOS団に休みなんて無いわ。どうせキョンみたいなぐーたらタイプはガンガンに効かせた クーラー部屋でさして興味のない甲子園の生中継を判官贔屓で負けている方を何となく応援するなんていう 無駄極まりない過ごし方をするに決まっているんだから。でも、そんなのは却下よ却下! 充実して二度と忘れないくらいの 夏休みにするんだからね!」 全く元気満々な奴だ。しかし、俺を使った例が適切すぎるぞ。確かに受験勉強とかしていなかった夏休みの過ごし方は ずっとそんな感じだったからな。人の生活を密かに除いたりしていないだろうな? 俺はすっと古泉に視線だけを向けて、 「お前たち――機関とやらは何かたくらんでいないのか? ハルヒの退屈を紛らわせるぐらいに、孤島への旅行パックぐらい 持ってきそうだと思っていたんだが」 俺の世界だと古泉の方からハルヒに進言していたわけだが、今のハルヒの様子から見てどうもそんな雰囲気じゃない。 やっぱりこの辺りで際は出ているか。 が。 「全く……たまにあなたと話していると、本当にあなたが涼宮さんに関わらない純正のESPをもっているのかと 疑いたくなりますね」 げ。 心の中で舌打ちした俺だったが、古泉はそれに気が付くわけもなく、 「あなたの言うとおり、涼宮さんの好みそうな孤島への旅行がついさっきまとまったところだったんですよ。 ただし、涼宮さんは涼宮さんなりに予定を考えてきているみたいでしたから、それとかち合わなければ言うつもりでした」 そう言いつつじーっと俺の方に好奇心を込めた気色悪い視線を向けてくる古泉。 いかんいかん。危うくこんなどうでも良い場所でヘマをやらかすところだった 俺は首筋にたまった汗を乾かそうと、襟首をぱたぱたとさせながら、 「いんや、孤島で事件なんてハルヒが望みそうなところだったからな。ただの推測だ。それに本当にそんなパワーを持っているなら 今頃宝くじや競馬で大もうけして学校なんぞとっくに辞めている」 「それもそうですね」 俺の言葉に、古泉は疑惑からインチキスマイルへと表情を変化させた。さらにハルヒがこっちを指差し、 「こらそこ! なに会議中におしゃべりしているのよ! そんな不真面目な態度を取っていると旅行中は永遠荷物持ちの刑にするわよ!」 「これは失礼しました」 古泉は大仰に頭を下げる。一方の俺はあごに手を乗せたまま、やっぱり何か引っかかるハルヒの態度に困惑していた。 ええい、もどかしい。 ハルヒは腕を回しながら、山登り・海水浴などの大イベントを手で叩きながら、 「こういうのはね、最初が肝心なのよ! つまり夏休みの初日! これがうまくいくかどうかで、全休日が上手く過ごせるか 決まると言っていいほどだわ。そんなわけで、当然強烈なものを一発目に持ってくるのが当然ってわけ。 そうね……海水浴なんてどう、古泉くん!」 「大変よろしいかと」 「何かやる気なさげねぇ……じゃあ、みくるちゃん! 山登りなんてどう? 今の時期は暑いけど、高いところは 眺めも良いし涼しくて良いわよ。みくるちゃんは汗でいろいろ大変でしょ?」 「ふえ? ええっと……確かに汗の処理は大変ですけど、その……ちょっときつそうで……あ、でもいいですよ。 涼宮さんがそこに行くならついて行きます」 「ああもう……そういうこと言っているんじゃないのよ。んじゃ、有希! 読書ばっかりして身体中に文字列がしみこんでいるんじゃない? 温泉に行ってそれを一旦排出するってのもいいわよ。どう?」 「わたしは構わない」 「かー! もー!」 ハルヒは心底いらだったように頭頂部の髪の毛を掻きむしる。何をそんなにかりかりしてんだ。それになんで俺には聞かないんだよ。 俺の突っ込みも無視して、ハルヒはまた次々と案を俺以外の団員たちに出していく。 しかし、元々ハルヒのそばにいるのが仕事みたいな連中だ。ハルヒがそこに行くと言えば、どこだって付いていく。 決して反論や代案を出したりはせずにな。こればっかりは俺の世界でもまだまだ改善されていない部分だ。 だが……ハルヒの行動に対する違和感が俺の中でさらに増大していった。このレベルになってくるとさすがの鈍い俺でも 気がつき始めた。理由は知らんが、ハルヒは焦っている。夏休みが終わるなら時間がないと焦る気持ちもわかるが、 まだ始まってもいない夏休みの予定表作りになんでだ? エスカレートし続ける痛々しさにさすがに見かねた俺は、 「おいハルヒ」 「それならハイキングって言うのはどう!? その辺りでいい場所があるのよ」 「おい」 「あ、宝探しならみんなワクワクしない? 鶴屋さんの家は昔からあるみたいだし、古びた蔵とかあされば宝の地図ぐらい――」 「おいハルヒ。ちょっと落ち着けよ」 俺は自分の席を立ち上がり、ハルヒの肩を叩いて暴走状態を止めにかかる。直にハルヒに触れて初めて気が付いたが、 全身にかなりの汗を掻いていた。顔にも無数の汗の粒が浮き、ハルヒ特有のオーバーリアクションで頭を揺さぶったせいか、 まるで風呂上がりで髪の毛を放置した状態みたいだ。一体どうしたってんだ。 ハルヒは俺を無視して、また何か言おうとして――すぐに口をつぐんだ。そして、しばらく沈黙を保った後、 少しだけうつむいて団員たちから視線を外すと、 「……ごめん、何かちょっとテンパってた」 そうぽつりと言うと、顔を洗ってくると言って部室から出て行ってしまった。本当にどうしたんだ一体。 古泉が少々心配そうに、 「どうしたのでしょうか? 最近もちょくちょく感じていましたが、涼宮さんの様子がおかしいですね。 特に夏休みが近づくほどにその度合いが強まっているように思えます」 「何だ、閉鎖空間も乱発状態だったりするのか?」 「いえそれはないんですが……何なんでしょう」 ハルヒの精神分析担当の古泉もお手上げか。ん、何かまたちょっと引っかかったぞ。ええい、どうして俺の頭は 断片ばっかりキャッチするんだ。粉砕した野球ボールの破片を取っても意味無いぞ。 「涼宮さん、確かにちょっとおかしいですね……あのあの、あたし何かまずいこととかしちゃったんでしょうか?」 オロオロし始める朝比奈さん。……何だか少しわかってきた気がする。 「…………」 長門は読書こそ止めていたが、無言のまま俺の方を見つめていた。なんとなーく理由が…… ………… ………… ああ、そうか。そういうことか。良く気が付いたぞ、俺。 俺は団員全員を順次見回していくと、 「ちょっと聞きたい。みんなハルヒが言っている夏休み初日にどこかに行くのに反対か? ハルヒは今いないから正直に答えてくれ」 「涼宮さんが行くという場所へはどこにでも」 「あたしも涼宮さんと一緒に」 「そう指示されるのなら」 古泉・朝比奈さん・長門の順に答えが返ってきた。全くハルヒがいらだつ気持ちもわかるぜ。 「そうじゃなくてだ。みんなの意思――つまり宇宙・未来・超能力とかそんなの関係なしにハルヒと一緒に 夏休みを過ごしたいのかと聞いているんだよ。組織とかそんなのはこの際無視して答えてくれないか?」 俺の呼びかけに、朝比奈さんと古泉がお互いを見つめ、長門はじっと俺を見たままだ。 やがて、朝比奈さんが手を挙げて、 「あたし、それでも構いません。ただ運動は苦手なので、山登りとか体力を使うのはちょっと……」 次に古泉。 「僕としましては、自分のプランを用意したこともありますので、それを推したいですね。おっと組織の都合とかではなく、 これには僕の仲間も加わる予定なのでそれなりに楽しめるはずです」 最後に長門。 「読書が出来るのなら」 そうだよ。それでいいんだ。 俺は手を置いて、 「だったらハルヒにそう言ってやれ。それだけであいつの違和感は消えるはずだ。ただあいつはみんなと一緒に遊びたいだけなんだ。 ハルヒをそんな特別扱いした目で見ないで、普通のSOS団の団長として見て欲しい」 ハルヒはただみんなを楽しませることに必死なんだ。でも、肝心の団員がハルヒの顔色をうかがっているばかりで、 本当に楽しんでくれているのかわからない。ひょっとしたら無理やり付き合わせているだけなんじゃないか。 恐らくハルヒはそんな疑念があるのだろう。やれやれ、一方的にこっちを引っ張り回すウチの団長様とは大違いなデリケートぶりだ。 まあ、ここの団長ハルヒは何度も喪失感を味わって、二度と失いたくないという気持ちが強いせいで、そんな状態になっているんだろうが。 事実、俺も一度失って以降SOS団に対する執着みたいなものは大きく変化したしな。 俺の主張に、古泉が感心したような笑みを浮かべて、 「なるほど。確かにその通りです。わかりました。涼宮さんが戻り次第、僕の方から孤島への旅行を提案してみます。 SOS団は一人で作られるものではありませんでしたね」 「あ、あたしもそれで良いです。そっちの方がいいです」 「異論はない」 朝比奈さんと長門も同意した。 ほどなくして、顔を濡らしたハルヒが戻ってくる。俺はそそくさと自分の席に戻る。 代わりに古泉が立ち上がり、 「涼宮さん、言うのが遅れて申し訳ありません。実は僕の友人からちょっとした誘いがありまして――」 古泉の孤島招待に、ハルヒが全力で頷いて100Wどころか核爆発の熱球のような笑顔でOKしたのは言うまででもない。 ああ、あとついでに古泉をSOS団副団長に任命したことについてもな。 その日の放課後、どういう訳だか長門・朝比奈さん・古泉は用事があるからと言って別々に帰宅して、 俺とハルヒだけで下校することになった。 「孤島よ孤島! 古泉くんから持ってきてくれるなんて思ってなかったわ! ようやくSOS団も一丸となりつつあるわね! あー、もう待ちきれないわ! 早く出発日にならないかしら!」 古泉からの提案がそんなに嬉しかったのか、帰りになってもまだハルヒのテンションは爆発モードのままだ。 このハルヒにはあの必死さが全くなく、違和感なんてみじんも感じない。ようやく元に戻ったようだな。 「古泉からの意見がそんなに嬉しかったのか?」 「もっちろんよ! だってみんな今までただあたしの言うことに付いてきていただけなのよ? 初めて自分から意思を 示してくれたんだから嬉しいに決まっているじゃない! なんていうか、初めて意思疎通が成り立ったって言うか……」 ――ここでハルヒは少し声のトーンを落として―― 「SOS団を作ってからずっと不安だった。みんなそれぞれの目的だけで一緒にいてくれるんじゃないかとか、 実は嫌々ついてきているんじゃないかって。でも、今日初めて意思を示してくれて、そうじゃないってわかった。 夏休みでばらばらになって、二学期になったら疎遠になっていたっていうのが一番怖かったのよ」 ハルヒには少々悪いが、古泉の孤島はひょっとしたらその組織絡みの可能性があるから何とも言えないんだけどな。 これについては言わないでおこう。それにハルヒに意見を言ったという点が重要っていうのもあるし。 夕焼けに染まったハルヒは少しうつむき、 「あたしはもう絶対にみんなを離したくない。絶対にこの世界を成功させてみせる。組織のためにとかそんなんじゃなくて 純粋にみんなで遊んで楽しめるようになりたい。そうすれば――きっと何もかもがうまくいく気がするから……」 そうだな。きっとみんなで楽しく過ごせる世界が作れるさ、きっと。今までそのために沢山のものを犠牲にしてきたんだ。 にしても、本当に団員を思いやっているんだな。今の内に爪のアカをほじらせてくれないか? 元の世界に戻ったら、 ウチの団長様の茶に混ぜておくから。 だが、ここでハルヒはうつむいたまま立ち止まると、 「ただ――」 そう何かを言いかけた――が、すぐに頭を振って、 「ううん、なんでもない」 そう言ってまた歩き出した。 ……まだ何か不安があるんだろうか? 涼宮ハルヒのSS 厳選名作集 長編 涼宮ハルヒの軌跡
https://w.atwiki.jp/haruhi_vip2/pages/3923.html
一 章 まず、ハルヒを取り巻く懲りない面々の近況を伝えておこう。 SOS団サークルが大学でも大暴れすること四年間。過去に上映した映画のリバイバル、続編の撮影、この世の不思議を求めて日本各地を旅行。野球、サッカー、剣道柔道合気道、学内外のスポーツサークルに挑戦状を叩きつけ、泣きすがる部員を尻目に看板をかっさらって帰ったのはまだまだ序の口。部費捻出のためのあやしげな営業活動に渋面の教授陣もさることながら、処置なしと見た大学当局からなんのお叱りも受けずに無事卒業できたことは、長門、古泉各方面の協力(いや圧力)に感謝すべきだろう。 ハルヒはいくつか内定を取った企業のうち、もっとも給与条件のいい会社に入ったようだ。大手食品会社の商品企画なんてのをやっている。ハルヒらしいといえば、あいつらしい仕事だが。あいつが毎日スーツを着てデスクワークをしている様子は、ちょっと想像しがたい。噂では商品キャラクタの着ぐるみを着て営業に回っているとのことだ。そういえば就職してからずっと髪を伸ばしている。髪を結ぶリボンの色を毎日替える宇宙人対策を、入社式からずっとやっていたらしい。 長門は大学からそのまま大学院に進んだ。高エネルギーだか素粒子物理だかの理学博士課程にいる。俺はてっきりハルヒと同じ会社に入るものと思っていたが、聞くところによるとこれもハルヒの行動を予測してのことらしい。 古泉は、あいつは、そのまま機関で働くことになった。バイト待遇から正社員になったようだ。相変わらず閉鎖空間で神人を追いかけている。俺たちが就職してからはあまり会っていない。 俺はといえば、たいして就職活動をしていなかったにもかかわらず、内定を取って無事サラリーマンに落ち着いている。大学の専攻とはまったく関係なかったが、参考書やら学校教材を出版している会社に入った。有名塾の先生に執筆を頼み、原稿をチェックしてDTPにまわし、版下が完成したら印刷所にまわす。まわさないのは皿くらいなもんで、まあ編集のはしくれみたいなことをやっている。スケジュールさえ守れば残業もないし、休日出勤もなし。楽っちゃ楽だ。 それから半年が経ち、俺は社会のしがらみの中でどうやらこのまま歳を重ねていくことになりそうだと、一種の安堵感に浸りつつあった。ハルヒが就職してからSOS団の活動も下火になってゆき、たぶんこのまま先細って、あのときはあんなバカなこともやったよなぁなんて全員で思い出に浸れるようになるんじゃないかという夢のようなものさえ見ていた。メンバーに会うペースも二週間、三週間と少しずつ間が伸びてゆき、一ヶ月に一度というサラリーマン的キリのいい回数にまで減った。 もういいかげん、ハルヒの奇矯な行動に振り回される役柄を引退してもいい頃だ。なんて甘いことを考えていた矢先にハルヒによって全員集合をかけられたのは、通り過ぎたはずの台風の進路が逆行して戻ってきてしまったときよりも精神的ダメージが大きかった。 「いよっ、みんな元気そうね」 お前にはこれが元気に見えるのか。会社が引けてからハルヒにいつもの喫茶店に呼び出されて俺が憂鬱になっているところへ、長門と古泉が現れた。 「……」 「皆さんお久しぶりです。涼宮さんもおかわりなく」 長門とはほぼ毎日会っているが、古泉の顔を見るのは久しぶりだった。どことなく貫禄がついた気がする。 「さすがは涼宮さんですね。団長、超監督、名探偵、編集長と来て、次は社長ですか」 ハルヒのトレードマーク、赤い腕章はすでに社長になっている。 「これからはベンチャーよ。生き馬の目を抜く高速道路の現代社会を生き残るにはこれしかないわ」 最近は休日の高速道路並に渋滞している気もするけどな。 「大賛成です。涼宮さんのような逸材が企業の一歯車として働いているなんてもったいなさすぎます。ここはひとつ、新しいビジネスチャンスをつかみましょう」 「で、なにを売るんだ?まさか宇宙人、未来人、超能力者を探し出して売る会社とか言うんじゃないだろうな」 自分で言いながら笑いをこらえきれないでいると、古泉と長門の顔がピクと引きつった。ここに朝比奈さんがいたら眉を寄せたことだろう。 「それをみんなで考えるんじゃないの」 「順序が逆だろうが」 「あたしもいろいろ考えてみたわよ。パーティ向けのケイタリングとかどう」 「誰が料理を作るんだ?」 「もっちろん、あんたたちでよ。あたしは取締役社長兼営業。古泉くんは秘書兼営業部長ね」 即、廃業だ。長門が早速料理のレシピ本を読んでいる。気が早いぞおい。 「とりあえず必要なのは事務所よね。この際だからボロい雑居ビルでもいいわ」 「まあ待て。登記の仕方とかも調べなきゃならん。少し時間をくれ」 「あんたの専攻、経済学だったわね。お役所関係は面倒だからキョンに任せるわ」 「経営学部とは違うんだがな。まあまったくの専門外ってわけでもないが。まずは事業内容をはっきりさせてくれ」 「そうねえ。あんたたちも何かアイデア出しなさいよ、即採用するわ」 ハルヒは鞄から分厚い本を何冊も取り出した。タイトルを見ると、起業入門、はじめての起業、会社ひとりでできるもん?俺たちにこれを読めってのか。さっそく長門が一冊手にとってパラパラとめくりはじめた。 俺はチラと長門を見た。流行には遅ればせだがIT系でもやるかな。長門テクノロジーで。大学院とかけもちでたいへんだが、こいつだけが頼りだな。あるいは朝比奈さんに頼んで時間旅行代理店でもやるとか。古泉には……、機関に金を出させるか。あんまり機関には負担をかけたくはないんだがな。 ハルヒが持ってきた漫画で読む起業ガイドとかいう本をさらりと読んでみたが、いきなり株式会社ってのもありらしい。俺はてっきり、同好会から研究会へランクアップするみたいに、有限会社からがんばってステップアップするのかと思っていた。今は有限会社ってのはなくなって株式会社に吸収されちまったらしい。それ以外に有限責任事業組合とか、やたら長い名前の法人が増えちまってる。 今はお金がなくても株式会社を作れるようで、一円起業とかいうのも可能だと書いてある。要はアイデア次第。入る金と出る金の収支が安定したら出資者を増やしていく。さらに資金調達が必要なら株式市場に上場してもいい。 「なるほど。最終的には一部上場か……」 「一部じゃなくて全部上場しましょうよ!」 いや、そういう意味じゃなくてだな。 ともかく、会社を興すにはハンパじゃない量の書類作成が必要らしい。誰かがレクチャーしてくれるとありがたいんだが。 「古泉は税理士の知り合いはいるか」 「ええ。身内にいます」 「ちょっと知恵を借りたいんだがな。登記に必要な手順やら節税やら」 「分かりました。手配しておきます」 手配って身内に使う言葉じゃないだろ。 「さすが古泉くんね。じゃあキョン、後は頼んだわよ」 まったく、考えつくだけで面倒なことはすべて俺任せじゃないか。高校のときとまったく変わっとらん。いっそのこと閉鎖空間を発生させてストレス解消してくれたほうが助かったんだが。 ハルヒに呼び出されて起業宣言を聞いた帰り道、古泉からちょっと話せないかと電話がかかってきた。まあ暇なんでさして問題はないし、それにこいつの近況も聞いておきたい。 俺は長門を連れて、駅前のファーストフード店で古泉と待ち合わせた。 「お二人さん。改めて、ご無沙汰しております」 「よせよ、そんな社交辞令みたいなあいさつは」 「お互いにもう社会人ですからね。親しき仲にも礼儀あり、それなりの自覚を持たなければ」 などと耳の痛いことを言う。そんな固いこと言わなくても、俺たちは仮にも同窓生だろ。 「最近どうしてんだ?機関のほうは相変わらず忙しいのか」 「それも含めてお知らせしたいことが。ここ半年間、涼宮さんの能力開放が激減していまして」 それは前にもあった。高校二年の二月ごろだったか。あれは単にバレンタインデーに向けての下準備というか、安定期だったというか。それが終わるとまたいつものあいつに戻ったよな。 「閉鎖空間の発生も、神人の発生も、もう片手で数える程度になっています」 「そんなに減ってるのか」 「長門さんはご存知かもしれませんが」 古泉は長門を見た。長門は少しだけうなずいた。 「最後に閉鎖空間が発生したのは二週間前です。それも真っ昼間に」 「閉鎖空間が発生しないのはいいことじゃないか」 「ええまあ。それだけではなく、神人が発生しません」 「神人がいない閉鎖空間?アレが消えないと閉鎖空間は消えないんじゃなかったっけ」 「通常はそうです。一ヶ月くらい前でしょうか、いつものように閉鎖空間に入ってみたところ、いつまで待っても神人が現れることなく待ちぼうけを食わされました」 「それで、閉鎖空間はどうなったんだ」 「三十分くらいで消滅しました。神人を発生させるだけのエネルギーがなかったようです」 「ハルヒにしちゃ珍しい不完全燃焼だな」 「ええ。くすぶっているだけならまだしも、突然消えてしまうので我々も戸惑っています」 「そういうときのハルヒってどんな具合なんだ?」 「観測ではイライラと上機嫌のわずかな間を行ったり来たりしているというか」 古泉はそう言って人差し指をバイオリズムのように上下に振ってみせた。 「大人になって突発的な感情の起伏が減った、ってことじゃないのか」 「それだけならいいんですが、閉鎖空間というのは涼宮さんの中の常識とエキセントリックな世界を好む願望とのバランスが崩れるとき、ストレスを感じてあの空間が生まれるんです。これは僕たちに能力が与えられてから今までずっとそうです」 「だったらなおのことだ。常識が勝ってハルヒが安定してきてるのはいいことじゃないか」 古泉は俺の顔をじっと見て、少し考えてから論点を変えた。 「考えてみてください。人間が願望を持たなくなったら、どうなりますか」 「まるで俺のことを言われてるようだな」 「いえいえ、一般論としてです」 古泉は汗をかきかき手を振って否定した。 「そんなことになったら夢も希望もない、だるいだけの毎日になっちまうだろうな」 「それは涼宮さんにも当てはまることです。彼女の場合、夢も希望もないということは能力を失うということなんです」 俺はうーんと唸った。ハルヒが能力を失うようなことになったら、ただの女子高生、じゃなくてただのOLになっちまう。どう考えても大歓迎すべき事態じゃないか。それがなぜ古泉や機関にとって懸念材料になるのか分からん。 「この状況を鑑みて、機関の幹部では組織の縮小を検討しています。すでに現場の人間を残して、管理職の人間を当初の三分の一に減らしています」 「機関もリストラか」 「喜ぶべきか、悲しむべきか。そうです」 俺は暇を持て余してぼんやりとプレステをしているCIA職員を思い浮かべた。 「このままでは僕もトラバーユを考えなければいけませんね」 しかし今から就職活動をするのはきついだろう。機関じゃ待遇よさそうだし。 「まあ、食っていけるならどんな仕事でもしますよ。涼宮さんに雇ってもらえる道も開けそうですし」 お前こそ夢がないぞ。もっと志を高く持て。 「それはともかく、涼宮さんの夢と希望によって僕たちは存在を許されている。長門さんも、ここにはいない朝比奈さんもそうでしょう」 長門はどう思ってるんだろう。こいつの本来の仕事はハルヒを観察することだ。 「……涼宮ハルヒが能力を失えば、わたしは任務を終える」 「とすると、上に帰っちまうのか」 「……分からない。それについてはまだ検討段階ではない」 ということはまあ、時間的余裕はあるってことだな。俺はすぐにでも長門が帰っちまうのかと想像して少しだけ焦った。 「長門さんは涼宮さんの最近の様子についてはどう思われますか」 「……涼宮ハルヒの思念エネルギーには、大きな波と小さな波がある」 「なるほど。今はどのような位置にいるんでしょうか」 「……中長期的に見れば、今は大きな波の谷間にいるだけ」 「ということは、これからパワー増幅する可能性が高いと」 「……そう。でもこれは、わたしの憶測に過ぎない」 二人とも怖いことを言う。まさかこれからハルヒが大暴れするとかいうんじゃないだろうな。 古泉の懸念はもっともかもしれんが、そっちのほうはあいつらに任せておいて、とりあえず俺はハルヒから出された宿題をこなすことにするか。 さて、起業の手順だ。古泉の知り合いというとすぐ機関のメンバーを思い浮かべるのだが、やってきたのは思ったとおり多丸圭一氏だった。この人は実際に機関の関連会社を経営してる人らしく、いろいろと相談に乗ってもらった。 「どうも多丸さん、その節はいろいろとお世話になりました」 「久しぶりだね。元気にしてたかな」 「おかげさまで、ハルヒの有り余る元気のせいで今回も振り回されています」 多丸氏は昔と変わらず、はっはっはと笑った。 「それで、なにをする会社なのかな?」 「それがまだ決まってないんです」 俺は眉をハの字に曲げてみせた。俺がハルヒのパシリなんだってことは雰囲気的に分かってくれるだろう。 「そんなことだろうと思ったよ。まあなにをするにせよ、お役所でハンコさえもらえばどうにでもなるからね。面倒なのは最初だけだ」 機関の人だけあって、ハルヒの特性を知ってくれているのはありがたい。 会社ってのは仮にも法で定められた集団で、かつてのSOS団みたいに、勝手気ままに思いついたことをなんでもやりますみたいな申請は無理だろう。活動内容やらそれに関わる人やら、それからお金の入手先やら使い道やらを決めておかないといけない。実際にどうなるかはともあれ、書類上できちんと明記されていないと認めてくれないのがお役所の慣わしだ。 「経営者の所得は年間どれくらいを見込んでるのかな。一千万円を超えそうなら株式会社のほうが税金的に有利だけど」 「ハルヒが言うには株式会社のほうが聞こえがいいんで、そうしろと」 「はっはっは。まあ好き好きかもだね。最初は個人事業のほうが手続きが簡単でオススメではあるんだけどね」 「なんせ形から入るやつですから」 「彼女ならなにかでかいことをやりそうだし、最初から株式会社にしても差し支えはないだろうね。途中で法人の種類を変更するとそれだけ手間も発生するし。大は小を兼ねる、とも言うしね」 「はあ、そんなもんですか」 株式会社というのは、金を出す人が会社の持ち主で、社長はその株主から経営を任される。最近は社長ひとり株主ひとりという最少人数でもOKらしい。設立を届け出るのは法務局で、会社内の決まりごとを書いた定款やら設立するときの議事録やら分厚い書類を提出させられる。書類を重ねる順番まで決まっているらしい。 「書類の用意は私が手伝ってあげよう」 「はぁ、助かります。そこがいちばん厄介な部分なんで」 「まずは事業内容を決めることだね」 「そうですね。ハルヒにさっさと決めさせてきます」 翌日から、会社が引けるとハルヒとその他のメンツを呼び出すのが日課となった。どうでもいいがその腕章、外ではやめてくれ。 「で、屋号はどうすんだ。SOS団か?」 「当然じゃないの」 「じゃあエス・オー・エス団株式会社でいいのか?」 「響きが悪いわね。株式会社エス・オー・エス団、これね。前株でいいわ」 どっちも似たようなもんだが。 「あとは事業内容だが。世界を大いに盛り上げるとかそういう抽象的な内容だと申請に通らないぜ」 「分かってるわよ。あたしだってベンチャー本はひと通り読んだつもりよ」 ほう、ちゃんと予習はしてるみたいだな。 「で、目的は?」 「教えるわ。この会社の目的!それは、」 ハルヒは、あの日と同じように大きく息を吸った。ドドン。どこかで太鼓が鳴ったような気がしたが、気のせいか。 「タイムマシンを開発して時間旅行をすることよ」 な、なんだってー!!俺の脳裏にΩマークが四つほど並んだ。その場にいたハルヒ以外の全員が真っ先に朝比奈さんを思い浮かべたにちがいない。朝比奈さん、もしかしてあなたはその関係者だったんですか。 「さすがは涼宮さんですね」 古泉、お前はそれしかないんか。 「そんな前例のないもんが申請の書類に書けるわけがないだろ」 「前例がないから作るのよ。テクノロジーは日進月歩爆走中よ。昔の人は言いました、光陰矢のごとしよ」 「そんなもん簡単に作れるかよ。仮に作れたとしてもだな、それまで利益なしだろう」 「だいたいねえ、人類は月にまで人を送ったことがあるのに、なんで未だにガソリンを燃やして走ってるわけ?二十一世紀になって十年は経つってのに、いまだに化石燃料が主流なんて遺憾を覚えるわ。もう道をテクテク歩くだけの技術は無用よ。これからは時間移動の時代なの」 聞いちゃいねー、さらに言ってることがよく分からん。すまん、誰か頭痛薬をくれ。 「時間旅行で社員を養えるのか」 「ちっちっち。未来や過去に行けばいろんな珍しいものがあるわ。それを運んできて売れば大儲けよ」 やれやれ。ハルヒが金儲けに走り始めたか。 「よくいるでしょ、考古学者のくせに発掘品を売りさばいてるやつ。キリストの聖杯とか、埋蔵の宝石とか」 「そりゃ映画の話だ。しかも盗掘と変わらんじゃないか」 「それに未来から技術を持って帰れば売れるしね。時間旅行さえできれば、お金なんて後からでもついてくるわ」 職種からいってあんまりカタギじゃなさそうだな。株式会社窃盗団にでも名称変更したほうがいいんじゃないのか。 ここで少し会社登記の話をしよう。 一円起業とは言っても登記申請には税金なんかで二十四万円ほどかかる。お役所がらみはタダじゃないんだ。会社を作ったあとにかかる税金は所得税、法人税、住民税、事業税なんかがあるが、できれば税金は安いほうがいい。個人と違って会社は税金が優遇されることが多いらしい。節税のために会社を作る人までいるくらいだし。 資本金が一千万以下の場合は消費税が二年間免除される。税金を申告するときに最初の年度の赤字を七年間繰り越してもいい、みたいな甘い制度もある。 資本金を誰に頼むかはまだ決まっていないが、現物出資といって、自分の手持ちのパソコンやら車やらを持ち込んで資本金代わりにしてもいいらしい。五百万円までなら書類で申告するだけでOKだ。 株式会社だから株券を売るのかと思っていたがそうでもないらしい。株券の実物が必要なのは株の譲渡OKな『株式公開会社』を作る場合。うちは株式の譲渡が自由にはできない『株式譲渡制限会社』にする予定だから、勝手に株を売られたりはしないことになる。株主が会社を手放したいときにだけ、経営陣が承認して発行する感じか。会社を作る発起人はそれぞれ一株以上は買わないといけない。つまり俺も買わされるわけだが、別に平社員でもいいのにな。 登記書類をまとめて持っていくのは法務局だが、ほかにも公証人役場、税務署、都道府県の税事務所、市区町村の役所、労働基準監督署、社会保険事務所なんかにも行かないといけない。しばらくはあちこちを奔走することになりそうだ。そうそう、取引銀行に口座も作っとかないとな。 会社用のでかい印鑑も作らないといけないが、この辺はハルヒにやらせよう。あいつは腕章とかネームプレートとか名刺とか、アイデンテティのあるものが好きそうだからな。 「はぁ……」 ハルヒが大きく溜息をついた。いつものハルヒらしくない。また昼飯をおごれと言われてイタ飯屋に出てきた俺だった。俺は猿でも分かる起業入門を読みながら横目でハルヒを見た。 「どうしたんだ?」 ハルヒがなにか新しいことを考え付くときはたいてい、台風がやってくる前日の天気予報のように、わけの分からない期待感と開放感とそれから高揚感とがいい感じにミックスされて、今しも超新星が生まれそうなガス星雲の中にいるような気配がするもんだ。それがこの倦怠とあきらめ交じりの溜息。吐く息が文字化すれば、やれやれとでも浮かんできそうだ。やれやれは俺の専売特許のはずだが。 「なんでもないわ。ただね、なんとなく疲れたというか」 「就職して半年でそれかよ。ちょっと甘ったれてんじゃないのか」 「あんたにしちゃきついこと言うわね」 ハルヒは頬杖をついてこっちを見る。どうも、瞳にイキイキ感がない。 「そうかな。じゃあ聞くが、これから起業しようってのになんでそんな溜息ばっかりなんだ」 「学生の頃はなにをやっても楽しかったわ。映画を撮ったり、今考えればどうでもいいようなストーリーだったけど、自分がなにかをやっているって感覚があったわ。飛び入りでギターを弾いたり、みんなで野球をやったり、見つかりもしない不思議を探し回ったり」 まあ、俺もあの頃はそれなりに楽しんだ。やたら体力と財力を消費はしたが。 「それがこの頃ときたら、なにか新しいことを思いつくとそれにかかるお金とか時間とか、必要な人材とかを考えるのが先なのよね」 「ふつー、なにかをはじめるときはそうなんだけどな」 「あの頃は自分ひとりででもやってやるって意気込みがあったわ」 そうだ、ハルヒはいつも独走だった。スタートラインに並び、フライングだろうがなんだろうがひとりでぶっちぎりゴールを目指す。その後を俺たちがへいへいとついて行く。いつもがそんな図だった。 「やりたいことが変わってきたんじゃないか。より高度になったとか、質が高くなったとか」 「どうかしらね」 「思いつきがでかいから、ひとりじゃ無理ってことだろう。計画性も大事だ」 俺が計画性を言い出すようになっちまったら、世の中はミジンコ並みに計画どおりだな。 「すべてが計算づくになってしまった自分がうらめしいわ。あたし、いったいなにが変わったのかしら」 「まあ商品企画課っていうハルヒの仕事柄だろう」 「モノ作りの最前線っていうからこの仕事に就いたのに、いまいち自分が作ってるって感じがしないよのね」 「お前だけで作ってるわけじゃないだろ。ひとつの製品にいろんな人間が関わってる。それが会社ってもんだ」 あまり慰めにも励ましにもならんセリフを淡々と言う俺も、実は今の仕事には生き甲斐を感じていない。 「それは分かってんだけどね」 「けど、給料はいいんだろ?」 「まあね。ボーナスも思ったより多かったわ」 「この不景気にそれは贅沢ってもんだ」 「分かってるわよ。同僚と飲みに行ったりもするし、給料日には買い物して遊んで歌って午前様だし」 「これ以上なにが不満なんだ?」 「分かんない……。いい職場についたし、給料もいいし、好きなもの買えるし」 ハルヒはこれと決めたものには出費を惜しまない。自分の思い付きを実現するためならバニーの衣装だろうがメイドの衣装だろうが、自腹で買ってしまう。ストレスで散財するタイプだなこいつは。将来旦那が苦労するぞ。 就職したから自分でストレスを解消できるようになった、という言い方は変かもしれないが、自由に使える金があれば、特別な力がなくてもある程度の願望を実現することはできるかもしれない。食ったり飲んだり騒いだり、簡単になにかを手に入れたりすることで、本当にやりたいことがだんだん霞んでしまう。古泉が言っていた閉鎖空間発生が減った理由が、なんとなく分かってきた気がする。 ハルヒは食い残しのシーフードパスタをフォークの先でいじりながら言った。 「なんだかね、タコが自分の足を切り売りしてる気持ちっていうのかしら」 「お前にしちゃうまい例えだな」 「もう、どうでもよくなってきたわ……」 テーブルに顔を伏せてそのまま眠り込んでしまいそうな、久々に見るハルヒのメランコリーである。 2章へ
https://w.atwiki.jp/haruhi_vip2/pages/210.html
「あー、今日もひたすら暑いわね。キョン、あたしも扇いでくんない?」 「自分でやれ」 「ぶー」 「…と言いたい所だがそうだな、 猫耳カチューシャを付けて『あたしはハルにゃんだにゃん♪』と 小動物的かわいらしさを内包した挨拶ができたなら、 嫌というほど扇いでやろう」 「ちょっ!? な、何よその罰ゲームは! やるワケないでしょそんなの!」 「そうか(ぱったぱった)」 「そうよ」 「そうかそうか(ぱったぱった)」 「…ちょっと、キョン」 「ん、なんだ?(ぱったぱった)」 「あたしは『やらない』って言ってるでしょ! どうして扇いでるのよ!?」 「気にするな、特に深い意味はない(ぱったぱった)」 「い、いくら扇がれたって、あたしは絶対やらないからねっ!」 「ああ、分かってるぞ(ぱったぱった)」 「絶対の絶対にやらないんだからね! このバカキョン!」 数日後 「ただいまー」 「おかえりなさいハルヒ。そうそう、あなた宛に宅配便が届いてるわよ、 コスパさんて所から」 「えっ、そ、そう? ふーん…」 びりびりびりり(※封を開ける音) 「また、みくるちゃんって子に着せる新しい衣装?」 「ちょっ!? み、見ないでよお母さん!」 「あら、可愛いカチューシャ。これ、もしかしてあなたの?」 「ちちち、違うのよ、これは! これは、わざわざ買ったんじゃなくて… そ、そう、ポイント還元で貰ったサービス品なんだから、うん!」 「ふうん、そうなの(しばらく離れて様子を見ましょうか)」 「………(じーっ)」 (見つめてる見つめてる) 「………(ささっ)」 (あ、着けた) 「………(ぽい)」 (あ、部屋の隅に放り投げた) 「………(そそくさ)」 (あ、拾いに行った) 「………(ささっ)」 (あ、また着けた)
https://w.atwiki.jp/haruhi_vip2/pages/5574.html
The Puzzlement of Haruhi Suzumiya ギラギラと首筋を照りつける日差しが、俺に今の季節が正真正銘夏である、ということを有無も言わさず感じさせていた――何ていった俺も思うが変な冒頭のくだりはさておき、新学年が始まって早々俺をのっぴきならない事態に追い込んだあの事件もどうにかこうにか終わりを迎え、何事もなく平穏にただ無事に済めばいいなぁなどといった俺の浅はかではありながらも切実な願いがあの何でもかんでも都合のいいことしか聞こえない耳に聞き入れられることはなく一学期は振り返ってみると駆け足で過ぎていき、季節は夏を迎えた。 梅雨前線がどうのこうのといった気象情報を俺は耳にしたが、俺たちの住む星は去年も思ったがやはり本格的に狂い始めたようで、この国に春と夏の間にある梅雨という季節を遂に到来させぬまま夏真っ盛りとなった――いや、語弊があるか。到来しなかったわけではないが、とでも言ったところか。 しかしそれがめったやたらと熱いのには――暑いの間違いではないぞ。もうそんな範疇じゃないってこった――、こちらも閉口以外にしようがない。 夏は人を長門にする。まさしくその通りだ。誰が言ったかなんて野暮なことは訊くな。 梅雨っていうのもこの国にはそれ特有の湿気がもれなく付いてきて蒸し暑いこの上なく、早く終わってくれぇ、何ていうさっきの発言からしてみれば180度相反した台詞が口から迸ることになるのだが、水の確保は重要なことであるという事実を俺は田舎のばあちゃん家に行ったとき身に沁みて実感しているためそれでも、梅雨の到来を待ち望むのさ。 だが、下手に長引きすぎるのも危険だってことも俺は漏れなく体験している。雨が降りすぎてしまったら、今度は俺のばあちゃん家の裏を心配しなくちゃいけなくなるのだから不思議なもんだよ、全く。 そこんとこの匙加減が器用に出来ていたら俺はこの星もまだまだ頑張ってくれているなと安心するのだが、それが不器用になって来ているのではないかと俺はこの頃懸念している訳なのである。 それでも俺はこの盛夏、既に短い生涯を全うしようと息巻く大量の蝉どものシュプレヒコールをBGMに、通い始めて一年を越えたこの急すぎる坂道をダラダラと汗を掻きながらただただ歩いていた。 偶にこういうことってないか? 何度も何度も通い歩き慣れた道のりを、気が付いたら無心で歩いていたことって。まるで動物の帰巣本能に似ているな。 ――まぁ、別に何も考えていなかったという訳では決してないのだが。 横で相変わらず無駄話を振ってくる谷口に俺は生返事をしながらも、今日家を出る前に耳に入ってきたとある言葉を思い返していたわけさ。 カメラの前ではまだどこか初々しさが残っているレポーターが、どっかの見慣れない町並みを風景にまさにその日の特集を喋り始めていた。 「今日の日付は七月七日です。そう、皆さんも御存知の……――」 と聞こえたぐらいで俺は家を出ていた。残念ながらこの学校に行くにはそれなりの早さに出なけりゃならなく、いつもその枠は最後まで見れないわけだ。 話が逸れたがもう分かってくれていると思う。 年に一度天の川を跨いで、織姫と彦星が出会える日。 そして個々が其々の願いを小さな短冊に込め、笹の葉に吊るす日。 今日は――あの七夕なのである。そしてあのと言うからには、かなり、そりゃもう特別な日なのである。 俺にとっては一年に一度、どっかの誰かさんのどこか憂鬱そうにしおらしくなった状態を眺められる日でもある。去年のこの日、俺はそいつに堂々と宣言されちまっているため、今日何をするであろうかのプランを大体把握していた。 そいつ、SOS団団長、涼宮ハルヒ曰く今から十六年後と二十五年後の未来にそれぞれ叶えて貰いたい望みを、去年と同じくベガとアルタイル宛に認めるということだ。 さてさて俺は、去年一年間をハルヒたちと共に過ごしてきて、あいつの秘められたトンデモパワーなるものを充分に見せつけられてしまっている。それも嫌というほどにな。 それは古泉が言うところの願望を実現させる力であり、長門が言うところの無意識の内の周辺環境の情報操作ということらしい。 つまり、短冊に何らかの願いごとを書くと、それが下手をすれば十六年後や二十五年後にあいつの力によって、叶ってしまう恐れがあるっていう訳だ。 そんな高校生が背負うには重すぎる事実を突きつけられてしまっては俺の筆も鈍ると言う訳で、何かこう穏便に済むような願いを俺は頭をフル回転して考えさせられる羽目になってしまうのだ。おまけにハルヒがそれを却下なんぞしようもんなら益々終わりが遠ざかって行ってしまうため、だったら事前に内容を考えておくほうがいいだろうということを俺は去年の教訓として身につけた。 大体だが、去年の十六年後(及び二十五年後もだが)の次の年に叶えてもらう願いって、難易度が高すぎやしないか? ついつい無難に無難にと考えてしまう俺を一体誰が攻められよう。 ――通い慣れた道というものは何らかの考えごとをしていても、勝手に足が辿ってくれるものだ。 学校に辿り着くまで、谷口は絶え間なく俺にとって無駄でしかない話を提供してくれていた。よくもまぁ、そんなしょうもない話を一人で続かせられるものだと思わず感心してしまう。実のところ二割もその中身を聞いちゃいないのだが、果たしてそれに気付いているのかも怪しいな。今度古泉と討論でもやらせたらいい勝負になるんじゃないか? どれだけ自分に酔って話せるか。 ――とは言っても結果は見え見えなため、最近また溜まってきてるんじゃないかと思うハルヒの退屈をこれっぽっちも紛らわせることはできないだろうが。 ギラギラと直射日光が首筋を照りつける窓際後方二番目のサウナ席で俺は悶絶しながら、これまた真夏の太陽並のハルヒの笑顔に圧倒されていた。 というか、なんだか俺の焦点があってない気がするぞ。ハルヒの顔の輪郭が揺らいで行く――いよいよ危険か。俺は自分の意識を理性の岸辺の杭に縄でぐるぐると括りつけておくことで俺は必死になっていた。結び方が甘かったらすぐにでも川に流されそうだ。 そんないかにも朦朧としているのが一目見たら分かるだろうに、ハルヒはSOS団専用特注スマイルを俺に向けながら、 「今日は何の日か分かってるわよね!」と、自信満々に訊いてきた。 あぁ、既視感フラッシュバック! 分かっているともハルヒよ。今日は、お前の誕生日でも、朝比奈さんのでも、長門のでも、ましてや古泉のでもない。そうだろう? 「当然よ。……あんた、ちょっとおかしい?」 少しでもそう思うんなら俺をそっとしておいてくれ。だがどうやら頭を使っている間は縄の結び目はほどけないようだった。 というか去年あんな体験をしていては、俺がこの日を忘れるなんてことは一生ないだろうよ。 「と・に・か・く! 部室で待っていなさい。あたしは笹を用意するからあんたは願いごとを用意するのよ。先に言っちゃうけど、ちゃんとあたしが認めるような願いごとを考えないとボツよ?」 俺だってそうそうアイデアマンじゃないんだぜ。 それに決めるのはお前の理論では彦星と織姫だと思うんだが。 「何言ってるの、二人とも毎年山のように願いごとが書かれた短冊を手にするのよ? 少しでも目につきやすいようにあたしが選りすぐってあげておくんじゃない。平凡過ぎたらつまらないじゃないの」 そうかい、そうかい、それは去年と同じじゃいかんってことか。 「そういや笹もまた裏山から盗んでくるのか?」 「……人聞き悪いじゃないの。でも別に良いじゃない、減るもんじゃないでしょ?」 それ以外どんな手があるのよ言ってみなさいよ、とでも言いたげな目でハルヒは俺を睨んだ。 あれは、私物の山っていう話なんだがな。しかも確かに一本減るわけだし。 まぁ、もとよりハルヒと睨みあいをして勝てるなんて思っちゃいないので、俺から先に逸らすことにした。ハルヒと真正面に視線をぶつけあって勝てるのは長門くらいのもんだろう。 「とにかく。ちゃんと考えておくんだからね!」 ハルヒの予言じみた台詞と去年の奇天烈な実体験が頭のなかで交錯して、俺の心のなかには真夏の雲ひとつない青空には全くと言っていいほど似つかわしくない、黒々とした暗雲が立ち込めてきていた。 ――まぁ、結果論から言ってしまうと、予想通りその真っ黒な雲は俺に大粒の雨を降らすのである。 それも梅雨顔負けのどしゃぶりのなか、超特大の嵐とともに―― まだ俺がその黒雲が超特大の積乱雲だということに全く気付いていなかった頃。 俺はらしくもなくハルヒとではなく黒板と睨めっこをしていた。良くも悪くも、期末試験の前の最後の足掻きというやつだ。我ながら哀れだな。 結果的に中間考査で赤点ラインすれすれを低空飛行してしまい、いろいろな方面から散々言われることとなった。両親と岡部教諭ならまぁまだ分かるが、あの脳内年がら年百快晴女に耳元で大音量の暴言を吐かれては、流石に俺も再起不能になるかと思ったぜ。 おっと、スレスレとギリギリはどっちが接触していないか、なんてことを随分と前にテレビでやっていたがどっちか知っているかい? スレスレは擦れてるからもう当たっちゃっているらしい。 つまり赤点ラインすれすれは――皆まで言わないのが日本人の美学、だよな? ちょっと気を抜けば舟を漕ぎそうな念仏のような授業をバックに、俺の頭のなかでは無意味に終わりそうなことを自覚している俺――現実的な悪魔――と、その現実から目を逸らそうと懸命に努力している俺――けなげすぎる天使――がせめぎあい不毛な抗争を繰り広げていた。 往々にして俺の場合は天使よりは悪魔が優勢となってしまう。自分がよく理解できていることは武器ともなるが、知りすぎているということは時として悲しいものだね。 結局今回も軍配はあっさりと自己を理解している俺――何事も諦めの精神で立ち向かっている悪魔――に下ったってわけさ。 今にも切れそうな集中力をノートの片隅への落書きで保持していた右手のシャーペンを俺は放り出して、約十五ヶ月間近く俺の後ろに居座り続ける奴を振り返った。 SOS団内の偏差値を一人で下げ続けていると勧告してき、このままでは処罰も已む無しと宣告してきた我らが団長涼宮ハルヒは、机の上で少しおとなしくなった暖かい日差しに包まれて――熟睡していた。 しばし無言。 自分の目を疑いたくなるね、嘆息。試験の前の総まとめ的授業を寝て過ごすとは、どうやら本当に学校を舐めてかかっているようである。黒板で板書をしている教師のほうを俺は振り返ってみたが、注意しても無駄なことを熟知しているかの如く、また触らぬ神に祟りなしとでも言わんばかりに完璧なまでな無視を決め込んでいるようだった。 それで良いのか、教師陣よ? 一応これでも俺は学校の教師というものにそれなりの敬意を抱いてはいる。俺たちの担任の岡部教諭だってそれなりに俺たちのために一生懸命やってくれてるじゃないか。 だがそんな俺のやはり限りある良心も、ハルヒのこれまた心地よさげな、涼やかな寝顔を観賞していると、起こしてやるのもこれまた蛇足な気がしてきたので教師を見習い放っておくことにした。大方、昨日七夕のことを考えすぎて興奮でもして睡眠不足になったんだろう。まるで遠足前夜の小学生みたいだな。 今お前が観ているその夢のなかに果たして俺、ジョン・スミスは登場しているのだろうか? もし現れていたら――などと考えていたら少し背中がこそばゆくなったような気がした。 睡魔が、襲ってきた――。 適当に掃除当番を済ませたあと――そういや班交代の掃除当番だから、思い返してみるとこれまたハルヒと一緒だったってわけか――俺の脚は自然と旧校舎のほうへと向かっていた。 あっという間に時間が過ぎたように感じるかもしれないが、まぁ何もなかったってだけさ。 ハルヒの奴を掃除場所で見かけることはなかったが――つまりサボりだ――何をしているであろうかは何となく想像できた。また裏山で無許可で笹と格闘しているんだろう。 思い返してみると、去年の俺の一年間はおよそ八、いや九割方がSOS団によって占められていたのだなと、俺は再認識し今日何度目かの嘆息をした。 まぁ、今となっては別に良かったと思う。俺はそういう風に思えるようになっていた自分に今更驚いてなんかいなかった。 知っている方もおられるだろうがこの学校は他校と同じくして、考査の一週間前からの部活動は原則停止である。県立だけあって学校も成績には口煩く言ってくる。 しかしそんななかでも俺の脚は文芸部室へと向かっている。それこそまるで動物の帰巣本能の如くにだ。つまりだ。涼宮ハルヒの脳内には年中無休という言葉しかなく、試験など何ぞやということらしい。ちょっとは俺のことも考えてくれよ、なぁ。 部室の前に着いた俺は自分の腕時計を確かめたあと、部室の扉をノックした。時間帯によってはまだ朝比奈さんが着替えている可能性もあるからな。それはそれで、健康な一般男児として観てみたくもあるのだが、そこは俺の純真なる理性が押し留めてくれていた。 多分、天使のほうの俺だろう。まぁ、その天使もいつ堕天使ルチフェルになるのか分からんのも一理あると言えるが。 「は~い」と篭った返事を聞いて、ドアをそのまま押し開ける。 「キョンくん、こんにちはぁ。すぐにお茶を入れますねぇ」 古泉のところに湯呑みを置いていた朝比奈さんは、返事をするとそのまま慣れた動きで俺のぶんの湯呑みにお茶を注ぎはじめた。何というか迅速な対応である。 まるでどこかの屋敷の専属メイドみたいだな――と思ったあとで、あぁハルヒかと俺は自分で突っ込みを入れた。 既に部室内にはハルヒを除いた主要メンバーが揃っていて、俺は机の上でまたなにやらボードゲームをやっている古泉の対面に腰を下ろした。 「どうぞ~」 そう言って俺の目の前に置かれた湯呑みからは、淹れ立ての白い湯気が上がっていた。 「ありがとうございます」 そういや、誰も冷茶にしてくれ何て言わないのかね。こうも毎日暑いと、扇風機だけしか冷房設備がないこの部屋では生き抜けんと思うのだが。 朝比奈さんのお茶の温度が年柄年中変わらなかったことから――と言ってもそれは俺の体感であって、本人は細かく温度計を突っ込んで測っていたようだが――、ハルヒでさえ去年文句を言ったことはないようだ。 俺かい? 俺は別に言わないね。麗しき朝比奈さんのお茶が折角飲めるっていうのにいちゃもんを付けるなんて、百万光年早いね。――つくづく思うが百万光年って何だ? どういう意味で使ってるんだろうか。あとで長門にでも訊いておくか。確かあれは距離の単位だったはずだが。 「おいしいですよ」 「ありがとうございますぅ~」 どうやら待っているようだったので、俺は口に含んだあとで礼を言った。それは本心だ。朝比奈さんが淹れてくれるものは何でも美味いに決まっているはずさ。確かに例外もあるが。 「どうですか? あなたも一局」 古泉が駒を進める手を止めて、俺に訊いてきた。 「やめておく」 こうも暑いと俺の頭がうまく働かんだろうから、それを余計にオーバーヒートさせるようなことは避けたい。というかしたくない。 「まぁ、お前相手にボードゲームでオーバーヒートするようなことはないだろうがな」 「それはそれは耳が痛いお言葉」 そう言って、古泉はいつもの微笑フェイスのまま手を盤上に戻した。 「しかしながら、貴方のご期待に副うことはできかねます」 「どういうことだ?」 「……今日は何の日だかご存知ですね?」 質問に答えろ質問に! という俺の渾身の睨みは、無残にも古泉の微笑のポーカーフェイスとは不釣合いな鋭い射るような視線に跳ね返された。――瞳だけが笑っていないというのは少々不気味なんだがな。答えてやるか。 「あぁ分かっている。七夕だろう?」 「分かっているのなら結構です。でしたら――」 「何をするかも把握していますね、って言うつもりか? それも大体分かっているつもりさ。朝からずっとそれを考えっぱなしだ」 「流石、話の呑み込みが早くて助かります」 古泉はそれからパイプ椅子にもたれかかりながら手を組んで続けた。金属の軋む音がする。 「それにですが先程朝比奈さん、長門さん両名から話を伺ったところ、予てからの推理通り七月七日は涼宮さんにとって最も重要な日であり、必ず何か出来ごとが起こるようなんです。こういった情報は未来人がいてくれて助かります」 ちょっと待て、それはさらりと重大発言じゃないのか? 何だかネタバレ感がするのは俺だけか。 しかし、何でハルヒの野郎はそんなに七夕が好きなんだ? 願いが叶うっていうところがハルヒ的ポイントなんだろうと見た。――当の本人は何でも自分の願いが叶う可能性があるってのを知らないから、逆にあいつが健気に見えてくるな。やれやれ。 俺は、先程からパイプ椅子にちんまりと座ってこちらを見ている、メイド装束の未来人に確かめることにした。 「本当にそうなんですか、朝比奈さん」 「はい。未来から観測していて気付いたことなんですが、涼宮さんが生きた時間軸上の七月七日には必ず重要な出来ごとが起こることがあるんです」 朝比奈さんは俯きながらもすらすらとまるで予想していたかのように答えた。 そういや、時間関係で朝比奈さんがつっかえずに話しているっていう状況は、俺の記憶を軽くリサーチしてみても引っ掛かってこなかった。ん? 必ず起こることがあるんですってどういう意味だ。 「それよりあの……禁則、かかっていないんですか?」 「そうなんです。こういう未来に起こる出来ごとを事前にその時代の人に伝えることは、厳しく制限が掛かるはずなんですけど……」 朝比奈さんも、そうです不思議なんですといった顔をして首を傾いでいたが、古泉は何やら意味ありげな視線を俺に送ってきている。その目はまるで「あなたにはその理由が分かっていますよね」と俺に語りかけてきていた。 何だか癪に障るがまぁ、正解だ。多分朝比奈さん(大)が何らかの必要性を感じたのだろう。 「長門は、どうなんだ?」 俺はただいま読書中の宇宙人の有機端末にも訊ねることにした。すると、 「そう」 とだけを緩慢に顔を上げて答えた。それは肯定って意味だな? 「そう」 何という短さだ。すると長門は補足するようにして、 「今のわたしは未来のわたしと同期を行ってはいないが、朝比奈みくるの話と情報統合思念体の観測情報を照合した結果そのように考えられる、という仮説が判明した」 最初からそう言ってくれ。それだけ言うと長門は必要性を感じなくなってのか、また本の世界へと潜り込んで行った。つまり――。 「つまりこういうことです。この七月七日、本日七夕の日に何か事件が起こる可能性があるということです。そしてそれに僕自身はどうかは分かりませんが、あなたは確実に巻き込まれるということです」 古泉は最後の部分を嗤ってやや自嘲気味に言った。何だそれは皮肉か? しかも何故そうなる。 「くっくっ、貴方へのあてつけです。とにかく、貴方には身構えておいて貰いたいのです。よろしいですよね?」 何がよろしいですよね、だ。どこまで俺はアイツに振り回されなきゃならんのか。その上、俺が断る何ていう選択肢はもとより用意されていないんだろう、どうせ。俺はあいつの子守役になった覚えは全くないのだが。 「察しの通りで。しかし任命されたはずでは?」 面倒くさいときは無視、と。 「あとさっきから気になっていたんですが、その重要な出来ごとというのはもしかして……毎年起こって――あぁ面倒くさい――起こるんですか、朝比奈さん?」 朝比奈さんが身体を強張らせた。 ここんところは意外と重要だ。一応俺がどれだけ世話を焼かされるのかは事前に知っておきたいってもん―― 「それは、……禁則事項です」 一体何の冗談ですかそれは、朝比奈さん。それはある種の振りだとも考えられますよね? ここまで来て『禁則事項です♪』は、暗にこれからずっと何かが起こりますよって言っているようにも取れる上に、それこそ未来人勢力が誤魔化していると言うか毎年発生しないのかもしれなく、面倒くさいなぁ全く。 また朝比奈さんが申し訳なさそうな表情をした。 「あなたも困惑しているようですね。取りあえずですが、もし何かが起これば我々『機関』のできる範囲であなたを手助けすることにいたしますよ。但し時間移動が関わっていなければ、ですけれども」 古泉はさも可笑しそうに言う。 「お前……どれだけ根に持っているんだ」 「そう見えますか? だとしたら僕の演技にも更に磨きがかかってきた、ということでしょうか」 嘘吐け、目が笑っていないぞ、古泉。 お前、演技なんかしたくないって言ってたじゃねぇか。 「……やれやれ。もし時間移動するって場面になったら、お前も呼んでやるようにするよ」 朝比奈さんが困ったような表情をしたが、この際無理を言わせてもらうことにしよう。 「いいんですか? それは誠に光栄です。是非、お願いします」 いちいち動作が大袈裟だ。それにお前にお願いされたって嬉しくもなんともないんだがな。お前の魂胆なんて見え透いている、と確かにそのとき俺は普通に考えていた。 余談だが、俺は古泉の同行を朝比奈さんを通じて未来人に通せば、許可が下りるじゃないかと密かに自信を持っていた。全く持って何となくなんだが、多分俺が言い出すことは向こうにとって既定事項だったりするんだろう。 確かに踊らされている気分ではあるが、流石に自意識過剰すぎるかね? 「みんな、集まってる~!?」 不意にハルヒの声が静かだった部室に轟いた。相変わらずこいつは台風なんじゃないかと思うほどの威力とスピードでハルヒは扉を開けたあと、一瞬の内に団長席で笹を旗のように勢いよく突いていた。 御丁寧にも机の上には色とりどりの短冊がばらまかれてあった。いったいいつの間にだ。 「さぁ! みんなもう言わなくても分かってるわよね?」 とハルヒ団長は団員の表情を伺うよう覗き込み、 「だったらいいわ! 今すぐこの短冊に、みんなの願いを書きなさい!」と、言い放った。俺の顔のどこに恭順の意を読み取ったのかね。 まぁ、こいつの耳や目には反対の意思は映らないようだし、俺以外のSOS団団員が反対意見を言うこともないだろうから、ハルヒの感覚では満場一致ってとこなんだろう。 「あ、言っておくけど去年と同じじゃだめよ。分かってるわよね、キョン?」 何で俺だけ名指しなんだ? 他の奴らはどうなんだよ、ええ? 「去年の願いと合わせて、一番最初に叶った人が勝ちだからね!」 聞いちゃいねえ。 俺が一人不平不満を漏らしている間、既に俺を除いた恭順なる三人の団員は短冊になにやら書き込み始めていた。もしかして去年頃から考え始めていたりでもしたか? 「さぁ、どうでしょうねぇ」 古泉、お前もさっきからまともに答えやしない。そんなに俺を嫉んでどうするつもりだ。 「決して僻んでなどはいないつもりなんですが。……まぁ、あなたの立場にやや嫉妬していたりするのもまた事実でしょう」 やっぱり、お前の言うことだけはどうも分からんな。古泉は俺の反応に対して目だけで、なにやら意を表明していた。言っているだろう、お前だけのは分かりたくともなんともない。分かってもいいためしがない。 「ちょっとそこ! 願いごと、書けてるんでしょうね!」 なぁハルヒよ。さっきから感嘆符がやけに多いような気がするんだが。お前が半額サマーバーゲンを一人でやっているみたいだ。 「それより、お前は書けているんだろうな?」 「決まってるじゃない。あたしにはちゃんと夢ってものがあるのよ。あんたとは違ってね」 そういうとハルヒは席を立ちあがって外に吊るした笹に短冊を括りつけはじめた。 最後の一言が余計だ。 しかし――数十分後、やはりというべきか俺はまだ机の上で悶えていた。 俺以外のメンバーは早々と書きあげ、長門はいつもの定位置で読書、古泉は独りボードゲーム、朝比奈さんは真面目にもテスト勉強をして三者三様に暇を潰していた。そういや朝比奈さんにとっては一応、受験の年だな。 ふといつまで朝比奈さんはSOS団で活動できるのかというある種の不安が頭をよぎった。 ハルヒはというと、団長席でパソコンのモニター越しに俺に明らかな怪視線――怪光線はさすがに無理だろう――を不機嫌な顔をして送っていた。 「ちょっと、キョン。あんたまで出来上がってないの? もしかしてあんた、行事とか学期末の反省書くの苦手なタイプだったりして?」 「……なんで分かるんだよ。あぁ、そうさ。確かに俺は小学校の頃からあの面倒くさい質問を矢継ぎ早に投げかけてくる紙には何遍も困らされていた。偶に女子のを見て何でそんなに書けるのかって、何度も敬服した憶えがある」 「やっぱりね。あんなのはね、ちゃっちゃと適当なことを書いて済ましときゃいいのよ。誰も裏づけを取れないしね」 「そんなこと言いながらお前、俺の書いた短冊何枚却下したんだ?」 「仕方ないでしょ。手の抜き方にも適度ってものがあるわ。もちろん、手抜きは当然却下だけど」 「言ってることの辻褄が合ってないぞハルヒ。アホか」 「はぁ? 団長に向かってその言い方はないわ! ぜっったい、あたしが認める願いごとをひねり出しなさい!」 しまった、いらん火にいらん油を注いでしまった。ハルヒの瞳の奥の炎がよりメラメラと燃えあがるのを俺はまるで本物のように見つめながら少し考えこんでいた。今回ハルヒはあのメランコリー状態に落ち込んでいない。どうしてだ? 古泉曰くの、こいつの精神が安定してきたということの証なんだろうか。確かに、去年のハルヒは傍目から見ていてもテンションの上がり下がりが著しかったが。うーむ、確かに喜ぶべきことなのかもしれないが、やはり俺は静かなハルヒも助かると思う次第で、そんななかで先程の朝比奈さんの預言を思い出していた。 ――『涼宮さんが生きた時間軸上の七月七日には必ず重要な出来ごとが起こることがあるんです』―― 俺がさっきから考えを巡らしているのは、果たしてハルヒはそれに対してどんな表情を見せるのだろうかということだ。SOS団専用の超絶笑顔か、それとも入学当初の不機嫌モードのハルヒなのか。 もしくは、『あのとき』のような困惑した――。 いやいや。俺は頭を横に振った。 したくない想像ははなからしなかったらいいわけで、そんなことは頭のなかからきれいさっぱり消してしまったらいいのさ。 俺の持つペンは、右手のなかでぐるぐると回っていた。これくらい、俺の脳も回転してもらいたいものだ。 部屋からの眺めが少し赤みを帯び始めていた。 まだ少しハルヒの暴言を聞くはめになりそうだ、と俺はすでに九枚目の短冊を見つめながら思った。 ――そして俺は束の間の休息を味わっていた。 いやそのときの俺は束の間とは微塵にも考えてはいなかったのだが、結果から見ると確かに束の間ではあった。 未来人の預言を忘れていたのだから笑止万全だ。 そして、嵐の前の静けさが終わる―― 古泉の指す駒の音だけが部室内に響いていた。 その頃部室内の団員たちは、読書やボードゲーム、うたた寝、をしており、ハルヒ団長は窓の外を眺めながらおとなしくなっていた。 俺はというと、そのあと紆余曲折の末、無事二枚の俺の血と汗と涙の結晶の短冊を提出し終わって、三人娘を少しばかり目の保養としていた。良かったなハルヒ、空が晴れていて。 柔らかい夕焼け空のなか、こうして部室内の風景を眺めていると不思議にも心が落ち着く。俺にももうその答えはわかっていた。 つまり俺の居場所は既にここにあるってわけさ。一年と二ヶ月前から。 そしてそれは、そんな緊張感ゼロのなか起こった。 ふいに長門が目線を文字の羅列文から上げる。 コンコン。 まるで呼応するかのように続いて部室のドアをノックする音が響く。 そしてノックの音が充分に響き終わったとき、既に四人はそれぞれの臨戦態勢を取っていた。朝比奈さんは何やら膝の上で拳を握り締めており、古泉は駒の置く手を停めて目だけが微笑みゼロの顔で扉を注視していた。 ハルヒは突然の来客宣言に呼応するかのように団長席でどっかりと腕を組んでいる。 長門は分厚いハードカバーを膝の上に置いたままさっきの目線でやや目を見開いていた。 多分長門にはドアの向こうが見えているんだろう。それくらい長門は簡単にやってのけることを、俺は知っている。 俺はと言うと、特にすることもないためしたがってドアを注視していた。生憎と透視能力は俺にはないが。 部屋の空気が一気に引っ繰り返ったなか、ハルヒは「どうぞ」と扉の向こうにいるであろう人物に了承の返事をした。 それからはまるでスローモーションを見ているようだった。ノブがかちりと音を立てて回り、ゆっくりと扉が内側に開いていき――『そいつ』は俺らの眼前に現れた。振り返ると朝比奈さんは口を手で押さえ、古泉は目を見開き、長門も微量ながら目を大きくしている。 ゆっくり、悠々と『そいつ』は部室内に入って来ると全員の視線を浴びながら、確かな足取りで俺の前を素通りし団長席へと向かった。 そしてついさっきまでの泰然自若の面持ちがどこかへと消え去ってしまった涼宮ハルヒに片手を挙げて、こう言ったのだった。 「よう、久しぶりだなこの時代のハルヒ」 ハルヒの口と両目が呼応しながら徐々に開いていく。 「この俺が、」 そして――。 「……キョン?」 「ジョン・スミスだ」 少しかすれたハルヒの声に『そいつ』は一発目で手札を切った。 教室の空気を春に感じたものと同じ戦慄が走った。そして瞬間的に俺は悟った。このSOS団は瓦解するかもしれない、と。 誰であろう、未来の『自分自身』の手によって。 「うそ……」 ハルヒはまるで漫画のように目を見開き、口をポカーっと開けている。茫然自失の態だ。 古泉は鋭く射るような目を『そいつ』に送り、何故かは分からないがが長門は俯いている。朝比奈さんはわなわなと小刻みに肩を震わせていた。俺の頭のなかには去年からのSOS団でバカやってた記憶が早送りで駆け巡っていた。これがいわゆる走馬灯ってやつか? 俺は『こいつ』になに命の危機を感じてんだ、しっかりしろよ。 俺たち四人が衝撃に黙りこくっているなか、破滅を呼び起こすハルヒと『そいつ』のダイアログは進んで行った。 ――涼宮さんは非常識を望みながらも、とても常識的な考え方の持ち主なんです。 「え? ど、どういうこと?」 ハルヒには珍しく困惑した表情を浮かべている。俺はまるで金縛りにでもあったかのように手も足も声も出なかった。 「だから言っているだろう、俺の名はジョン・スミスだ。お前にとっての四年前、中学一年の今日七夕の日に校庭の線引きを手伝ったあのときの高校生さ」 「で、でも、どう見たってキョンじゃない……」 ハルヒは俺と『そいつ』の顔を見比べている。 「もしかして……そっくりさん?」 とことん、ハルヒは今の現実を受け入れられない様子だ。迷っているのか? 俺たちにとってそいつは明らかに未来からの闖入者だが、ハルヒはそんなことは知らないはずだ。 だったら一体何に驚いているんだ。 真実を言うと四年前からお前の周りは常軌を逸脱した出来ごと尽くしだったんだ。 そして同時に俺は『そいつ』、未来の自分に苛立ちを感じていた。何で、この時期、このタイミングに全てを壊そうとしているんだよ。俺は自分の想いをとっくの前から確信している。俺はこの唯一無二のSOS団が好きなんだ。それは未来の俺にとっても変わらないはずなんだ。変わらないでいてほしいんだ――。 なのに、どうしてだ。どうして知らないほうが幸せでいられる真実を明かそうとする。 まさか朝比奈さん(大)の引き金だっていうのか? こんなことが既定事項だって言うんですか? 「そっくりさん、か。残念ながらそれは違うぜ、ハルヒ。そこにいる奴は……」 それ以上言うな。それを言ってしまうと、もう戻れなくなる。 「過去の俺、つまりは同一人物、ってわけさ。言ってることが分かるか?」 くそったれ! 俺は拳を握り締めてその腕を振り上げようとした瞬間、 「俺とそこの間抜け顔は同じ人間。でもその同じ人間が一つの時間に二人もいるわけないよな? その答えはひとつ」 古泉が素早い動きで俺の手を抑え、目で制した。 眼光の迫力が桁違いだ。その迫力に、俺は自称メイドの裏の顔をまざまざと思い出した。 「つまり俺は、未来人なわけさ」 人差し指を立てて『そいつ』は言う。 「お願いします。ここは抑えてください」 古泉が机を越えて至近距離で囁いた。お前らのところの機関はもう動いているんだろうな? 「えっ……み、未来人? で、でもそういうことになるの……? え、ありえないわ……」 ハルヒは目に見えて困惑している。珍しくいつもは鋭い瞳が不安定に揺れ動き、言葉にも精彩を欠いている。意外と俺よりも頭のなかが常識で雁字搦めになっているようだ。でもある意味正しい反応だとも言える。 さっきからハルヒの視線が『ジョン・スミス』と笹から吊るした短冊の間を揺らいでいる。それに気付いた様子の古泉は目を見開いて驚きぶりを示した。お前も一体どうした、何に気付いたっていうんだ。 「……そうだな、ハルヒ。どうしても信じられないようなら証拠を見せてやる。ほら、これを見ろ」 服の内側から紙の束を『そいつ』は取り出した。まさか、新聞紙か。 「お前ならすぐにその意味が分かるはずさ」 ハルヒは差し出されたものを恐る恐る受け取った。一体どうなっているんだ、未来人は既定事項と禁則事項に縛られているんじゃなかったのか? 朝比奈さんももうどうにかなっちゃいそうな雰囲気だ。 半信半疑の様子で新聞紙に目を通したハルヒは、いつもより大きく目を見開いた。 「まさか……だってこれ、本当に……?」 「そう言うことだ、ハルヒ。その日付と年を見れば瞭然だろ? それが俺が未来からの来訪者だっていう証拠さ」 「つまり……あなた本当に未来人なのね?」 「だから言っているだろう? やれやれだな」 思わずお前がその口癖を使うな、ってシャウトしたくなった。いくらそいつが『未来の俺』なんだとしても、俺は絶対お前を俺自身だとは認めない覚悟だ。 俺は目線を動かすと、果たして今度は俺までもがハルヒに驚かされる破目になった。さっきと打って変わってハルヒの表情が見る見る輝きを増していき、今朝見た専用スマイルに猛スピードで近づいていく。何か楽しいことを見つけたときの涼宮ハルヒの表情。まさか――今の状況を受け入れ始めたって言うのか? 信じられない――がそれでも俺は去年の記憶を再び引き出した。 一学期の中頃、涼宮ハルヒは閉鎖空間のなかで歓喜を起こした。退屈したときとは全く違う別の理由で生み出された『閉鎖空間』。現実を拒絶し、もう一つの新しい世界を受け入れようとした俺だけが知るハルヒの表情と、今のハルヒのそれが酷似していることに俺は気付いた。 俺は虫の報せとでも呼ぶべき嫌な予感がした。そしてだが、やはりそれは当たるのである。古泉、朝比奈さん、長門がそれぞれ草野球のときと同じ、何かを感知した動作をする。 「本当なのね!! やったわ、遂に見つけたわよ未来人!!」 ハルヒは椅子を跳ね除け、そいつの顔を指差した。 「お前が見つけたんじゃなくて、俺から出てきたんだがな」 耳のうしろを掻きながらそいつが言った。 「どっちでも同じことよ! とにかくいっぱい訊かせてもらうわ! あたしについて来なさい、ジョン!!」 そして鞄を掴んだかと思うと、そいつの服の袖を握り締めて猛スピードで扉に向かった。 ――ジョン。そうあの世界で長髪のハルヒは俺をそう呼んだ。 「おいハルヒ!! お前……」 「今日はもう解散していいわ、キョン!! あたし急いでるから!!」 「おいおい、急ぎすぎじゃないのか?」 アイツは苦笑しながらもなされるがままになっている。 「いいのよ!!」 瞬間俺は見た。開け放たれた部室の扉から見えたこちらをちらりと振り返った奴の顔が、酷く醜く歪んだことを。 「お、おい、待て!!!」 だがそのとき既に二人の影はなかった。俺の声は無残にも旧校舎を反響しただけで終わり、静寂のなか俺は不恰好にも腰を浮かせ手を伸ばした状態で少しの間固まっていた。 その静寂を打ち切ったのは古泉だった。 「すいません、どうやら事態は急を要します。現在この地域一帯に規模の大きな閉鎖空間が複数乱立発生しています。これから、僕は機関のもとで神人退治に向かわなければなりません」 顔、声ともに稀に見る真剣さを帯びている。――確かにそれもそうか。お前は一般人ではあるが、確かに超能力者でもある。だが古泉よ。 俺は今すぐにでも鞄を掴み部室を出ようとした古泉を呼び止めた。俺はお前に確かめないといけないことがある。 「あのときのお前の言葉、憶えているだろうな?」 古泉、お前は一体どこに帰属するのか。これだけで俺の意思は伝わったはずだ。さっきから沈黙を保っている朝比奈さんと長門も古泉を直視している。 古泉は眉根をあげ、沈黙ののち口元に手をやりながら答えた。 「……そうでした。確かに……ええ、そのような大事な約束を失念していた自分を深く恥じます」 古泉の声は本当に侘びていた。 「思い出してくれたか。それで、お前の立場は一体どこにあるんだ? 機関の尖兵なのか、それともSOS団の副団長なのか?」 実のところ俺としてはシリアスに迫ったつもりだった。古泉はというとやや目を伏せて、 「そのようなことを確認されるとは。まだ僕は……貴方の絶対的な信頼を勝ち得てはいないのですね」と少し愁いを帯びた表情で絶対的を強調した。どうやら、軽率にものを言ってしまったらしい。だが心配するな、俺はお前に疑念を抱いてはいない。 そして再び顔を上げた古泉は、いつもの凛々しい決意の眼差しをしていた。 一度深呼吸をしたあと、 「自分は……このSOS団副団長、古泉一樹です!」 「あぁ……よく分かった!」 大丈夫だ。まだ、SOS団は崩壊しない。 自分の掌を見つめたあと、俺はそれを固く握りなおした。ここに古泉がいて、長門がいて、朝比奈さんがいる。そうさ、いつもSOS団は危機を手を合わせて越えて来たじゃないか。 俺がいる限り、ハルヒを必ず取り戻してやる。 だがそのときの俺は知らなかった。知りようもなかった。 部室を出たハルヒが走りながら、「ジョン……」と小さく漏らしていたことに。 窓の外の景色は闇一色になっていた。だからといって涼しくなるわけでもなく、俺は部屋のクーラーをつけて更なる熱気を外へと放出させていた。 約束の時刻まであと一時間。俺は素早く出れるように外出着のままベッドの上に寝転がり、携帯電話のサブディスプレイに点滅する時刻をずっと眺めていた。 ベッドの向かい側、普段さほど向かうこともない勉強机の上には何度も読み直した便箋が開かれたまま置いてある。俺が予想したとおりに、その手紙はスタンダードに下駄箱のなかに入っていた。 古泉と長門には家に着いてからすぐに連絡してある。流石に、朝比奈さんの前で伝えるのは許されていないからな。 それにしても依然、ハルヒとは連絡が取れない。――いや、それも当然のことか。 一時間ほど前にかかってきた古泉からの電話。 ――『申し訳ありません。時間がないので手短に伝えます。この世界から涼宮さん、そして先程のもう一人の貴方の存在が確認できなくなりました。これは情報統合思念体とも確認してあります。そして更にほぼ同時刻に、我々の侵入を拒否するほどの強大な閉鎖空間が一つ発生したのも確認しています。おそらくは両名はそのなかにいるのではないかというのが我々機関の見解です。去年のように貴方に協力を仰ぐ可能性もあります』 そのときの古泉の吐いた最後の溜息から全て言い終えたという雰囲気が言外に伝わってきた。珍しく早口で話してそのまま通話を切りそうだった古泉に、俺は便箋の内容を伝える。 ――『……分かりました。僕は貴方に自分はSOS団の副団長であると宣言しています。必ず時刻に間に合うように調整致します』 意識して事務口調で話しているのか、そのまま「では」と機械のように古泉は冷たく告げて電話が切れた。 ハルヒとは連絡が取れない。 当然だ。今この世界から消失してしまっているからな。 しかし――よりによって、どうしてあいつとなんだ? 古泉からの電話のあと、情報の確認と連絡のために去年末から急激にかける頻度の上がった電話番号に俺はコールした。 ――『…………』 相変わらず応答の返事をしない長門に俺は名乗ったあと、古泉の伝達があっているかを確かめた。何度も思うが、「もしもし」くらいは言うように勧めるか。 ――『違わない。涼宮ハルヒと貴方の異時間同位体は二十八分と十九秒前にこの時空間からその存在を認識できなくなった』 ――やはりそうなのか。つまり相当機関の決断が早かったってわけだ。 次に俺は、例の手紙の内容を、言い終わると兎に角沈黙しているアンドロイド少女に伝えた。 ――『……分かった。彼女がわたしの立会いを望んだことには何らかの意図があると考えられる。今から行けばいい?』 待て待てまだ集合時間は一時間後だと慌てて長門に伝えたあと、少し気まずいような沈黙が流れた。 何故だかは分からないがふとそのときの沈黙に、長門がまるで何かを俺に伝えようとして逡巡しているような感覚がした。そういや、帰り際も俺のほうを見て何か言いたそうにしていたような気がする。自意識過剰だろうか。 ――何か言いたいことがあるんなら遠慮しなくてもいいんだぜ、言っただろう? 俺は促してみたが、長門は小さく『いい』と言って、電話を切った。 ――一体どうしたんだ? しかしながら今思い返してみても、古泉の切羽詰った上に凍ったような声には心底肝が冷えた。バックグラウンドには何やら、オペレーターらしき声が飛びかっていた。やはりそれほど緊迫した状況だということだろう。 俺は何も知らない。何も知らされていない。 未来人、超能力者、宇宙人の三者三様の裏事情を。だがそれでも世界は俺に全ての荷を追わせようとしている。まるでそれが世界の意思だとでも言うように。何度も思い返すが、理不尽にも程があるだろう。 一度携帯を開いて閉じ、白く輝くデジタル時計を俺は再確認した。 23 30。 そろそろ出かけることにするか。いつもの、あの集合場所へ。 親に気付かれずに家を出るという荒業を俺は何とかこなし、自転車で向かった。 自転車をいつもの通り銀行の横に止め、道をこえて北口駅の北西口広場に着いた。丁度電車の出発する音が聴こえ、遠くにマホガニー色の車両が走って行くのが見えた。 既に広場には、そこだけは普段通りセーラー服の長門が佇んでいた。まるで何十分も前からそこにいたような雰囲気と一体感を醸し出している。しかし、同時に不釣合いで違和感のある情景にもなっていた。やはり今日ばかりは、いつものあの見慣れた風景とは何かが違っていた。 「よう、長門」 俺は少し明るい声を作って長門を呼んでみた。長門も俺に気付いたようで、無味乾燥ないつもの目を俺に向けてきている。俺は、やはりあいつがいないことが気になって仕方がない。 すると長門は、俺のあたりを探る視線を読んだかのように、 「古泉一樹はまだ現れていない。先程連絡があり、予定集合時刻には間に合わせると言っていた」 そうか、つまり閉鎖空間での仕事は全然かたが付いていないというわけだ。 いつも集合時間の前に余裕の表情で待っていて、柔和な微笑みを向けてくる古泉は俺のなかでいつのまにかデフォルトになっていたようで、それが少しでも異なっていることに俺は精神的不安を感じられずにはいられなかった。 深夜の駅前広場に佇む、私服の少年と制服の少女という組み合わせはさぞかし異様に映ることだろう。まぁ、そんなことはいちいち気にしていられないし、誰も見てはいないだろうから。 俺は長門にもう一人の人物の存在について訊ねた。 そちらもまたデフォルトに、下駄箱のなかに手紙を忍ばせて用件を伝えてきた人物。ここに我々を集めさせた張本人。 「朝比奈さん……はどうした?」 今の朝比奈さん(小)の数年後及びグラマラスバージョンの姿はまだ見えなかった。 俺が長門を見ていると、長門は少しだけ顔を傾かせ――一般感覚で言うと、ほんの僅かに――また言葉を紡ぎだした。 「貴方の言っている人物を朝比奈みくるの異時間同位体と認識した。彼女なら先程わたしの部屋のなかに現れて用件を伝えに来た」 そうなのか。しかし、長門が俺の考えを読んだとは少々驚きだ。 いや今の長門ならそれくらい出来そうだが、出会った当初の長門なら「どっちの」やらなんやら、言っていたであろう。 やっぱりこいつは徐々に人間に近づいている。些細なことからでも俺はそう感じた。 それで何て言ってきたんだ? 「……貴方に伝えていいと判断。朝比奈みくるは彼女が午前零時零分零秒から彼女のいうこの時間平面に留まっている間、彼女自身を防護していて欲しいと頼まれた」 防護って――攻撃から身を守ることだろう? 一体何があるっていうんだ。 「それは彼女自身からあとで伝えられる」 俺はたったそれだけで今がのっぴきならない事態であるということを理解した。長門に助けを求めるということは尋常な事態ではない。しかもあの朝比奈さんが直接長門に頼んでいる。 そのとき車が急ブレーキを掛ける音がして、広場の入り口あたりに真っ黒な車が一台停車した。俺がそのシルエットに何やら見覚えを感じていると、後ろのドアが開きいつもよりやけに真剣な表情をした、不釣合いな超能力を持つ同級生が降りてきた。 なるほど、運転手は新川さんか。古泉はなにやら開いた窓越しに新川さんと話したあと、車はどこかへと走り去っていき、古泉はこちらを振り向いて小走りで近づいてきた。 「遅くなってすみませんでした。少々手間取っていたもので」 古泉が弁解する。だが俺は古泉の表情と焦りようを見て、少々どころではないことをすぐさま理解した。 「何も言わなくていい」 「……ありがとうございます。……それで彼女は、朝比奈さんはもう来たんでしょうか」 「まだ来ていないみたいだ」 一陣の風が吹いた。生温いいやな風だ。空も黒々と分厚い雲に覆われている。せめてハルヒのためにも七夕の日には最後まで晴れていてもらいたいな。 そのあと黙ってその時刻が訪れるのを待つこと、数分。 「まもなく、七月八日午前零時零分零秒」 長門が時報のように短くアナウンスした瞬間、「皆さんお揃いのようですね」と、いつもの妖精の声が聞こえた。慌てて振り向いてみるとやはりというべきか朝比奈さん(大)が茂みのなかから現れてこちらへと近づいてきた。 「いつの間に……」 古泉が発すべき言葉を失っている。まるで、幽霊でも見たかのようだ。その現れ方に驚いているのだろうか。そういや、お前は本人を見るのは初めてだったな。 朝比奈さん(大)は古泉に軽くお辞儀をしたあと、俺に向かった。 「早速ですが、話に入らせてもらいます。……長門さんもいいですか?」 どうやら朝比奈さん(大)は急いでいる。それに呼応するかのように呼びかけられた長門もすぐ頷いて、 「了承した。この広場一帯に不可視遮音フィールド、同時に時空干渉防護シールドを発生させる」 そのまま長門は掌を空に向けて、見えない何かを触る仕草をした。俺は当然首を傾げたが、朝比奈さん(大)は充分だというように頷き、喋りだした。確かこの人は時空震が分かるのか。古泉もなにやら納得したものがあるみたいだ。 「今日、じゃなくてもう昨日ですね、貴方たちは未来のキョンくんを見ましたね?」 俺らは頷いた。 「実は今、貴方たちの時間から数年後の世界に、ある時点で我々の勢力と別の未来人の勢力が突然ですが武力衝突します。それは大規模な時空改変の衝突です。そこで向こうの勢力は涼宮さんの能力を使って改変を行おうとするんですが……なんでその時代の涼宮さんを使わなかったのかは禁則に当たるんですいません。とにかく、この時代の涼宮さんを利用することになるんです。そこで……長門さんはもう気付いているかもしれないけど……」 と言って一端区切り、長門のほうを見たあと、 「情報統合思念体と天蓋領域が未来のキョンくんに情報操作を行って、この時間に連れてきて彼を誘導して涼宮さんが情報爆発をするように仕向けたんです」 それに続いて長門も、「気付いていた。彼の異時間同位体を確認した時点で、両方の勢力の介入を認識している」と続けた。 そうかつまりあの俺は宇宙人の操り人形だってわけか。俺は彼の取った行動が俺自身の意のものじゃなかったことを知ってどこか安心した。 「そういうことになります。ともかく今も未来のその時点では攻撃が繰り返されています。わたしも、本当なら向こうにいるはずなんだけど、特別に貴方たちに伝言するように伝えられてやってきました」 朝比奈さんの声音がいつになく真剣である。それにしても未来人の攻撃って一体どういったものなんだろうか、などと考えていると少し思い出したことがあった。 「朝比奈さん」 「何でしょうか?」 「その正面衝突って……もしかして分岐点のことですか?」 古泉、朝比奈さん(大)がそれぞれ違う理由で驚きを示した。俺としても思い切って訊ねていた。 かつて朝比奈さんが俺に伝えてくれた分岐点の存在。それが何のことなのかはまったく以て不明なのだがひょっとしてこれのことなのではないかと俺はひらめいたのだ。 やはり告げてはいけないことなのか、朝比奈さん(大)が俯いて押し黙った。 少し蚊帳の外状態にあった古泉が割り込んできた。 「ちょっといいですか、その分岐点というのは?」 あとでいいだろう、そう言おうとした矢先何と答えたのは朝比奈さん(大)だった。 「わたしたちが涼宮さんに関連して最も重要だと考えている時間上のひとつの契機です。わたしたちは全てがそれに繋がるために規定事項をなぞっています。涼宮さんに関する時間上の不確定要素も」 「そう……そうだったのですか」 古泉が興味深げに頷く。お前に言ったことはなかったか? 「いえ、まったく以て初耳としか言いようがありません」と、肩を竦めて答える。 「そうか、そうだったか……。とにかく、朝比奈さん。その衝突が貴方たちの呼ぶ分岐点なんですか?」 朝比奈さん(大)は最後の逡巡を見せると言った。 「答えは……いいえです。まだ分岐点は先の話です。決してそう遠いわけではないのですが……」 その解答は俺が前に訊いたものと良く似たものだった。近いけど遠い。遠いけど近い。そういう類のニュアンスだ。 俺はせっかく答えてもらったもののどこか消化不良気味だったが、迷惑を掛けれないとも思い頷く素振りをした。禁則事項の規制の強さは朝比奈さん(小)とも変わらないということなのか。 俺が一歩下がると今度は古泉が手を挙げた。 「ちょっといいですか」 「……え、ええ」やや声が沈んでいるのはさっきの質問のせいか。 「貴方がやってきた未来では現在形で戦闘が行われているんですか?」 「え? そ、そうですけど」 朝比奈さん(大)が驚いたように答える。どういう意味だ、現在形って。アイエヌジーか? 懐かしいな。 古泉は口元を押さえ、いつもの考え込む仕草をとった。 「その戦闘は、……貴方たちの言う既定事項、というものだったんですか?」 すると朝比奈さん(大)が急に黙った。俺にも分かるくらいどうやら核心的なことを訊ねているようだ。 「あと彼らの目的は多分この世界――いえ時間軸と呼ばせてもらいましょう――の消滅及び改変でしょう。この世界では既に、涼宮さんが大きな情報爆発を起こし続けています。いえ、断続的に少しずつ大きくなっているといえば良いでしょうか。とにかく、この世界が貴方たちの世界に繋がっていないということは容易に想像できます。それを食い止める方法を一切思いつきませんからね。しかし、貴方はここにいる。どうしてでしょうか? これは既定事項なんでしょうか」 麗しき朝比奈さん(大)は、目線を伏せたままだ。そういや、朝比奈さんは古泉に対して意味深なことを随分と前に言っていたよな。もしかして、この先関係が悪化というか何かしたりするのだろうか。古泉は挑むような視線を向け続けている。 成る程。古泉一樹、敵にまわしたくない人物、か。確かに厄介そうだ。 暫し沈黙があった。静かになって再び電車の発車の音がする。もう終電の時刻だろうか。 「どうなんですか、朝比奈みくるさん」 古泉が畳み掛ける。彼女も決心したらしくようやく面を上げて、「……言えないことがたくさんありますが」と前置きしてから話し始めた。 「敵対勢力によるこの時間への介入は確かに既定事項外です――わたしにとっては。未来から調査したときこの時間平面にはこのような異常は認められませんでした。この七夕の日は……言えませんが我々にとって都合よく進むことが既定だったんです」 朝比奈さん(大)は、少し間をおいて続けた。すでにこの段階で俺はいくつかの疑問が浮かんでいた。 「しかし事実こうなってしまいました。わたしたちの見解は、この時期の涼宮さんと七夕の日を利用することによって最大エネルギーで時空振動、情報フレアを発生させたいのだ、と考えています。あとわたしがこの繋がっていない時間軸に来られていることは、最大級の禁則です。それにあなた方にSTC理論を言語で伝えるのは不可能に近いので、言えません。すみません」 「じゃあ、本当に繋がっていないんですね?」 「……ええ」 終始、古泉は顎を擦りながら真剣な表情で聴いていた。 俺はというと、100%理解したか? と訊かれたら、ノーと答える自信はある。なんだか朝比奈さん(大)も微妙なところを答えているような気もしてくる。 長門はさっきからずっと無言で朝比奈さん(大)を見つめている。 「もしかして、この時間平面もずっと介入が続けられているのですか?」古泉が訊ねる。 「……はい。わたしたちは今、その改竄の応酬の最中にいます。ですから、長門さんにお願いして気付かれないように手配しているんです。わたしも当然狙われるので」 全くこんな話が現実のこととは到底思えないな。ようは本当に世界の裏側で二つの集団が時間を越えて戦闘を繰り返しているというわけだ。残念ながら、未来人の攻撃が如何なるものかは分からないため、そこら辺の想像のしようもなかった。 「とにかく、この戦闘はわたしたちが食い止めます。貴方たちにはその影響が及ばないようにもします。もちろん『わたし』にも。ですので皆さんには、この流れを元に戻してくれることを頼みたいのです」 なんとも無茶なお願いだ。 「前にもキョンくんには言ったと思いますが、時間を改竄するにはその時間平面にいる人を使って行わないといけないんです。憶えていますよね?」 確かに。二月のあの一週間の出来ごとは多分この先そう簡単に忘れることはないだろう。この先必要にもなるであろうし。 「ですので、わたしたちには不可能なんです、お願いします。あと今回わたしは一切のヒントを上げられません。わたしは何も知らないので。……すみません」 そう――なんですか。やはり、いつもはヒントがあるというわけか。 朝比奈さんは浮かない表情で俯き続けた。何も知らないから何も言えないのか、何か知ってるから何も言えないのか。 「よく分かりました」と言って古泉は頷きをして腕を組んだ。 「僕たちで、頑張ってみましょう――いえ、頑張らなければなりません。ところで彼女の、朝比奈みくるの時間移動には頼れるのでしょうか?」 「ええ、緊急措置としてほぼ全ての時間移動を許可してあります。申請がありしだい許可の返事を取るようにしていますので」 残念ながら、それを聞いても俺は安堵のしようがない。この際、常人離れした三人に頑張ってもらうことにしよう。俺みたいな一般人は、後ろを突いて行く役割で充分さ。 「それでは、頑張ってください。あっ! 必ず、貴方たちの時間を正しい流れに戻してください。じゃないと……困ります。では、また貴方たちと逢えることを願っています」 そう言い残して、どこかへと行こうとしたとき、俺は重要なことを思い出した。 「朝比奈さん!」 「……何でしょうか」朝比奈さんが微笑みながら振り返る。 「訊きにくいんですけど……朝比奈さん。俺たちは貴方を信じてもいいんですか? 貴方は嘘をついていないんですか?」 また風が吹いた。さっきとは打って変わって身体が凍えた。 朝比奈さん(大)もブラウスの上から両腕をさすった。 そしてもう一度笑みを浮かべた。 「信じてもらわないと困ります。だってわたしはSOS団の副々団長なんですよ?」 そう言って朝比奈さん(大)は微笑みを残して小走りで暗闇の夜の街へと消えた。 何となく、俺は追わないほうが良いような気がしてその場に立ち止まっていた。一瞬、三年前の七夕のことが頭を過ぎった。そうか、副々団長ですか。俺は内心少し安心していた。 古泉はずっと腕を組んで考えあぐねている。長門もまだ静止したままでいた。 時刻は、もう零時半に近い。高い空は以前鼠色で、街も僅かな灯りだけを残して闇色に染まっている。 そのまま放っておくと誰も喋らなそうなので、俺から口を開くことにした。 「全く、やれやれとしか形容できんな。それで、これから一体どうするんだ?」 古泉は組んでいた腕を解くと、西洋式にお手上げのポーズをした。 「流石にこれは困りましたね。正直僕だけではどうしようもありませんよ。……実は我々にはタイムリミットというものがあるんです。言っていませんでしたが」 タイムリミットか? つまりはデッドラインっていうわけか。 「ええそうです。拡大し続ける閉鎖空間が全世界を完全に覆う瞬間を我々はリミットとしました。涼宮さんの能力が完全に失われてしまっては、もう何もかもおしまいです。もちろんその閉鎖空間に全世界が覆われて、世界は創り直されるでしょうが」 そして、確かそれはもう停めようがないんだったよな? 「ええ、我々が一番大きな他の小さな閉鎖空間を吸収しつつ成長する、涼宮さん本人が存在すると考えられる閉鎖空間に侵入することが不可能なので、神人を倒してその拡大を阻止する我々の最終手段が実行不可能なんです。……まぁ、一つだけ方法がありますがそれもかなり絶望的と言えるでしょう」 何だそれは。長門もそれを聞いて驚いたように顔をこちらに向けている。もちろんその驚きが表情に表れているわけではないが。 その表情が驚いているってことが分かるのもSOS団のメンバーだけに限られるんだろうな、と俺は少し考えた。 古泉は言い淀み、口を滑らしたと反省するような表情をした。 「それは……去年、貴方が行われたように、涼宮さんをこちらの世界に戻すことです。憶えておられますか? しかし残念ながら、それは無理だろうという結論も同じくして出ています。長門さんがその閉鎖空間に入れるというのであれば話は別なんですが……絶望的なことに涼宮さんは、『貴方』ではなく、『ジョン・スミス』を選んでしまったようなので」 古泉の声はどこまでも張り詰めていて冷え切っていた。 俺はそれを聞いて心のなかに得体の知れない黒い靄が生まれたのを感じた。 どうした、俺は嫉妬しているのか? ジョン・スミスに? 何故? 分からない。 「どうかされましたか?」 古泉が意地悪く微笑んでるように感じて仕方がない。 すると今度はさっきまで貝のように口を閉じていた長門が喋りだした。 「わたし個人の意思で、涼宮ハルヒの創りだした空間に介入することは許されていない。また、情報統合思念体の主流派は観察を目的としている。わたし個人の意思が解決できる問題ではない。……弁解する」 どうしてわけもないのに長門が謝るんだ。 古泉もそれを聞いてまた腕を組んで考える姿勢をとった。全く悪夢でも見ているようだ。夢ならとっとと醒めてくれないか。 朝比奈さん(大)が来たからといって結果的に繋がるのだと期待を抱いてはいけない、ということをさっきの会話で俺たちは暗に釘を刺されていた。ようはあの夏休みのときと同じだ。 「なぁ長門。もし許可が下りたら、俺をその閉鎖空間のなかに連れて行くことはできるのか? 出来るんだったら、無理にでもしてもらわないといけなさそうなんだが」 「……それは前例がないから不明。しかし、不可能に近いことは予測できる」 驚きだ。長門にでも出来ないことがあるのか? 「ある。涼宮ハルヒの潜在的な情報操作能力はとてもわたし一人で防ぎきれるものではない。それに彼女が現在、空間内から断続的に起こしている情報爆発は今までに類を見ないほどの膨大な量である。わたしにはその構成情報を書き換えることすら不可能だと判断した」 そう、なのか。そこまでハルヒはとんでもないやつだったのか。 ということはだ。 「なぁ、古泉。やっぱり朝比奈さんに助けを求めないといけなくなったと俺は思うんだが」 というか、それしかないだろう。古泉は自分で時間移動関係には機関が無力であると宣言してしまっているし、長門も現在の閉鎖空間には無力だということを釈明したし。 古泉も小さく溜息をつき、「確かにあとはそれしか方法は残っていなさそうです」と呟いた。 じゃあ、案ずるより産むが易い。タイムリミットだってそう遠い話じゃないんだろう? 「ええ。まぁ……仰るとおりです。閉鎖空間の拡大率から計算しましたところ、この世界が現状を維持できるリミットは明日の夜九時半頃になると予想されています。確かに少ないですがまだ我々に時間はあります」 夜の九時って言ったら、ハルヒが東中の校庭にでかでかと謎の文字を俺に書かせた時刻と符合する。これも果たして偶然か。 「ではそうと決まれば、今から朝比奈さんに連絡します」 何でいつもお前なんだ? 「どうしてです? そろそろ絞り込んでいるものとばかり思っていましたが」 だからお前の言っていることはどうも分からん。 「いえ、今のは失言でした。とにかく最後は貴方がどうにかされるのでしょう? 準備くらいこちらで整えさせてもらいますよ」 「……古泉」 「何でしょうか」古泉は可笑しくてたまらないとでも言うように顔の筋肉を弛緩させている。 そんなに他人が理解できない皮肉を言っていて楽しいか? 「それこそ、何のことかさっぱりです」 まぁいい、今回は念願の時間移動が出来るんだ。満足じゃないのか? 「さぁ、どうでしょうねぇ。……失礼。…………夜分遅くにすいません、古泉です。今、彼と長門さんと三人でいつもの駅前に集合しています。……はい、そうです。そのことで話をしています。是非来してもらえませんか? ……事情はついてからということで……ありがとうございます。そこでなんですが、来られる途中時間移動の申請をしてもらえないでしょうか? ……ええ、彼が仰っていますと、お伝えください。……それでは、お待ちしております。…………ふぅ。取り敢えず、今すぐ来られるようですよ」 古泉は携帯をしまうと、俺のほうをまた向いた。何だそのよく分からん顔は。何も出てこないぜ? 長門はというと、まだどこか宙の一転を望洋していた。 「長門。ちょっと訊きたいことがあるんだが」 「……なに?」 「お前、『あいつ』が部屋に入ってくる前に扉の向こうを透視、していたよな。あのとき何か見たのか?」 確か長門は食い入るように扉を見つめていた筈だ。長門はまた沈黙を置いて、 「透視ではない。一種の遠隔熱伝導情報感知」 そんなことは残念ながら俺にとってはどうでもいい。それで何を見たのか? 「……貴方の異時間同位体。貴方も見た」 「本当にそれだけか?」 すると長門はさっきよりも長く沈黙した。 長門は俺に据えていた視線をほんの一瞬下げてから、 「……それは禁則事項。貴方にもいずれ解ること」と呟いた。 長門が俺に対して、禁則事項ってワードを使ったのは今回が二度目だ。 どうやらこれ以上は教えてくれないみたいだ。まぁ、分かるんなら別に詮索はしないさ。 ぽつねんと宙を見上げる長門を、古泉が懐疑的な視線で見つめていた。 ――やはり、このとき俺はどこか楽観視しすぎていたようだ。 もっと複雑怪奇な問題であるということに俺は気付いていなかった―― 十数分後。暗闇のなか、街頭に照らされて可愛く走ってくる朝比奈さんの姿が見えた。遠目でもいつもの私服のセレクトに怠りはなかった。 朝比奈さんは一瞬入り口で立ち止まったあと、息を整えながらやってきた。あぁ、今朝比奈さんが驚いているのは俺たちが急に視界に現れたからだろう。長門が不可視何たらフィールドを発生させていたのを俺は思い出して納得した。 「一時的にバリアの一部に進入経路を造成した」 長門がつまらなさそうに補足説明をしてくれた。助かるぜ。 「はぁ、はぁ、はぁ。……ふぅ。遅れてすみません。待ちました?」 赤く上気した顔で朝比奈さんは胸の辺りを撫で下ろしていた。いいえ、全然。朝比奈さんのためなら何年でもほったらかしのまま集合場所で待っている自信がありますよ。 「それで、許可のほうはどうなりました?」古泉が横目で俺を見ながら催促した。どうせ時間の移動をするのだから焦る必要はないと言ってやりたかったが、まぁ、それもまたいいかと俺は何も言わなかった 「あっ! それのことなんですけど……申請したら、まるで待ってたようにすぐOKって出ちゃいました。またこの前みたいにキョンくんの指示に従えって……。目的すら分からないのに、キョンくんって一体誰にとっての何なんですか?」 古泉がやはりとしたり顔で頷く。正直、何なんですかって言われてもなぁ。 とにかく俺は、全てにとって共通認識として《鍵》なんだろ、と俺は理解しているのだが。 「ええ、その認識で間違ってはいませんよ」 古泉、お前は黙ってろ。どうしてか嘲笑されている気がする。 閑話休題、長門よ。あの野郎に会ってそれからどうするんだ? 「彼に対して掛けられている情報操作の解除と、以降の介入を妨害する防護壁を彼の体内にナノマシンとして注入する」 朝比奈さんが少し口元を抑えたのを目の端が捉えた。そういえば朝比奈さんはあれを去年やったらめったら打ち込まれているからな。俺も一度されたが、またあれかあのガブリと一発。 古泉は一つ咳払いをすると、 「では準備も整ったようですので。朝比奈さん、時間移動の準備をお願いします」 「あの、一体いつに飛べばいいんでしょうか」 朝比奈さんが困ったように問いかけて、古泉はまた違った困った表情を浮かべた。俺に助けを求めるように振り返る。そうか、古泉は知らないのか。 俺は長門のほうに頷いて、さっきまで後ろのほうで控えていたところからトテトテと朝比奈さんのほうへ近寄った。 「……手、出して」 「はい」 古泉は瞳を丸くして、朝比奈さんの掌に長門が人差し指を立てる様子を眺めていた。 「あれで伝わるというのですから彼女たちは侮れませんねぇ」憚るように手で口元を隠しながら古泉が耳打ちをした。 お前だって、俺からしてみればおんなじだ。 「何を言っておられるのですか、僕たちには時間を超えたり次元を超えたりする能力はありませんよ」 「空間は超えられるだろう?」 「それも、限定的なものですよ」 つと目をやると長門は朝比奈さんの掌から人差し指を離した。 「分かりました……でもその前に、移動する理由を教えてもらえますか?」 長門はそのまま首を動かして質問を俺たちに回した。 俺には長門が無言のまま俺たちを試しているように感じた。どこか罪悪感を抱えたまま俺は長門から受け取った視線を古泉へと向けた。古泉は俺には顔を向けずどこか時間が惜しいとでも言うように朝比奈さんを真っすぐ向いて、急かすよう答えた。 「それは向こうに着いてからお教えます。とにかく今は『彼』が現れる少し前に遡ってくれませんか?」 「そう……ですか。やっぱりそうかなって思ってました」 瞼を閉じて頷いた朝比奈さんは、そのまま俯きながら掌を出して「手を、重ねてください」と俺たちに向かって告げた。朝比奈さんにはいつも罪悪感がある。俺はいつそのことを謝れるのだろうか。 「では」と断ってから、古泉、長門、俺の順で手を重ねると、誰からともなく目を瞑った。 しまった、時間移動するであろうと読んでいたのに、酔い止めを用意するのをまたしても忘れてしまった。 暫く目を瞑っているとまたしてもあの天地が引っ繰り返るような衝撃がやってきた。心なしか去年より和らいでいる気がする。慣れてしまったということだろうか? まぁ、いい。どちらにしろ、もどしそうになっているのは変わらない事実なんだからな。長門は多分平気だろうが果たして古泉はどうなんだろうか。あいつは今回が初めてのはずだ。いや、しかし鍛えているって可能性もあるな。――どうやって三半規管を鍛えるんだ? そして既に暗転している世界のなか俺の感覚が、そのほか意識諸共完全にブラックアウトした。 灰色の、天井。 目を見開いたとき、俺の身体はどこかの廊下に横たわっていた。ぼやけていたが見慣れていることから、どうもここは旧校舎のなからしい。 どうやら今回俺は前ほどは眠っていない――みたいだ。慣れたのだろうか。顔を傾かせて階段を確認する。 「あっ、今回は……その、禁則事項……の時間を短くしました。……そのほうがすぐに動けますから」 つっかえつっかえ朝比奈さんが答えた。どうやらいつもみたいに長く眠っていると支障が出るってことらしい。つまりは臨戦態勢でってわけか。 あいつが訪れた時刻を俺ははっきりと憶えていなかったが、窓の外の夕紅の景色からもうまもなくであるということは分かった。 「さぁ、もうすぐです」 俺が何故か痛い頬をさすりながら上体を起こすと、階段を上がったところの角から廊下を伺っている古泉が声を掛けてきた。かくいう古泉はゼロアワーを覚えてでもいるのだろうか。 「長門さんから教えてもらいました」 そんなことだろうと思っていたよ。俺は起き上がって服を少しはたいた。 しかし今思い返してみても、ドアがノックされる瞬間の長門の素振りがどうしても不自然だった気がする。単に驚いただけとも取れるかもしれないが、何かが違うような気がする。全くいつもこれだ。俺の脳味噌は何に引っかかっているのか全く教えてくれない。何だっていうんだ。何を『見たんだ』? 暫く廊下の端から伺っていると、反対側から歩く音が聞こえてきた。少し覗いてみると案の定、足音の主は『ジョン・スミス』だった。 何となくだが、まだ俺はその人物を俺と呼ぶことに躊躇いがあった。あいつは俺であって俺ではない。俺であることに間違いはないようだが、俺があんなことをするはずがない。縦え操られているのだとしても、だからといって彼を俺と呼ぶことを俺は素直に認められなかった。 しかし一人で来ているのか。さぁ、今からどうする。まだ『あいつ』は俺たちの存在に気付いていないはずだ。操られているからといって急に長門並みの能力が備わっているわけではないことを祈ろう。古泉は、ノックの前に『あいつ』に近寄ってその動きを止めたあと、長門がナノマシンを注入するような作戦を俺に話していた。……それにしても長門は何が言いたかったのだろう。 思い過ごしの恐れもあるが、そのあとの長門の様子からも俺はどこか不思議な感じを抱いた。放課後やさっきの集まりのときも何かを伝えたそうにしていた――ような気がする。あの俺が、情報統合思念体によって操られていると言うことだろうか。それなら既に聞いている。どうやら俺の頭のなかは去年末から長門の挙動がその多くを占めていることに変わりなかった。 ふとまた覗いてみると、アイツがもう扉の近くにまで来ていた。 ――必ず、貴方たちの時間を正しい流れに戻してください。 俺たちの前から姿を消す直前、朝比奈さん(大)は確かにそう言った。 言われなくたって、当然俺たちはそうするつもりである。その言葉になんらおかしなところはない。筈なのだが、しかし頭のなかで繰り返されるその声に脳がまたしても引っかかっていた。 古泉がゆっくりと動き出し、朝比奈さんにはその場を動かないようにジェスチャーする。そりゃそうだ、俺も異論はない。長門もそのあとを静かに追っていた。そして振り向いて俺にどうも意味有りげな視線を送った。 一体なんだ? 言いたいことがあるならはっきり言えばいいじゃないか。溜め込むのは良くないって言ってきただろう。 そして、そのときだ。 俺の頭のなかで何かが閃いた。 確かに朝比奈さん(大)はこう言った。『貴方たちの』と。もしや――俺の身体が少しずつ震え始める。俺たちは間違ったことをしようとしているんじゃないのか? この時間移動は前とはどこか根本的に違うんじゃないのか? いや、間違ってはいないかもしれない。しかし――このままではかなり悪い、絶望的な事態になることは必至だ。 あと少しで『彼』に近づくところだった古泉に、俺は慌てて立ち塞がった。既に『あいつ』も俺たちのほうを注視している。しかし俺たちを眺めるその瞳に生気は宿っていず、はっきりと認識しているかは怪しかったが。 「おい、古泉。今すぐ元の時間に戻るぞ!」 思わず、声を荒げる。 「どうされたんです、そんなに慌てて。何か問題でも……」 明らかに古泉は困惑と不服の表情を浮かべている。だが俺は構わずに続けた。 「お前、この先の計画を考えているのか? ここであいつを元の時間に戻したあとどうするつもりだったんだ?」 「遮音フィールドを発生している」 長門が再び誰にともなく言った。ありがとよ。 「まさかだが古泉。お前が考えていないとでもいうのか?」 「ですから、また前の時間に戻れば……っ!?」 古泉の目の色が変わる。顔からも血の気が失せていく。 「お前も気付いたか。そうさ、いつの時代もSF作家がどうしてもぶつかったところだよ。タイムパラドックス、それが全然解決していない」 「……つまり、我々が戻ったとしても……向こうでは何も変わっていない。もしくは、別の我々が平凡に暮らしている。しかも変わるのは『この時間』の我々であって、僕たちではない……。しかし我々の過去では、彼が来ている…………僕としたことが。どうやら大きなミスを仕出かす所だったようです」 「ああ、そういうことに……なる、な。」 どうやら瞬時に俺が考えていたこと以上を理解したようだ。悔しいが認めようじゃないか。 古泉は恥じるように頭を左右に振ると、身を翻した。 「それでは朝比奈さん」 「ふえっ!?」 どうも朝比奈さんの反射神経は声にも繋がっているようだ。 「また、前の時間に戻れますか?」 「俺からもお願いします」 『あいつ』は、ノック寸前の状態でもまだこちらを見つめていた。 その『彼』の姿はどこか老け込んだようにも見え、機械的な瞳にまるで意思を奪われているようにも見えた。俺は未来を護るために『そいつ』を叩き起こさなければいけない。 「……じゃあ、キョンくんの指示には従えといわれていますので……手、お願いします」 掌を差し出した朝比奈さんの表情にも翳りが見えて、ますます申し訳なさを俺は感じた。今回ばかりは朝比奈さん(大)よりも俺たちのほうに非があるのかもしれない。 俺たちは、体内時間的にはほんの数分前と同じように朝比奈さんのそのちっこい掌の上に手を重ねてから瞼を閉じた。 「行きますよ?」 意識がまた飛ぶ直前、慣れた部室の扉をノックする硬い音が微かに聴こえた。 暑い、茹だるような暑さだ。俺はお天道様に釜茹での刑を処せられているのかね、罪状を教えてくれよ。 蝉は所狭しと樹に群がり喚き続け、太陽は首筋を直に燻り続けている。この身体から大量の塩分を奪っていく大粒の汗も、止め処なく流れ続けていた。 谷口のアホ話も俺にしてみれば、蟲や街の夏特有の喧騒と何ら変わりはなく、俺の両耳はそれらを自然とシャットアウトしていた。――塞ぎ切れない音に苛々感が募るわけでもあるが。もうだいぶ慣れたと思っていた光陽園駅からのこの坂道も、唯一この季節、夏だけは例外のようで俺は倍以上の時間を歩いているように感じた。いや、歩かされているのか。 しかしどうしてもこいつに俺は憐憫の目をやってしまう。一度隣で喚く谷口を頭の上から足のつま先までなめてからもう一度溜息をつく。断っておくが、俺はこいつの能天気な頭を特別憐れんでいるわけでも嘆いているわけでもなく、『何も知らない人々』たち、一般ピーポーの最も身近な代表への憫れみを込めた視線、だと言っておこう。 訪れるであろう、涼宮ハルヒによる不可避の世界崩壊。それが一体どんなものになるかは皆目見当がつかないが、頭のどこかでそのまるで黙示録のような予言を『リセット』と結び付けている自分がいた。ゼロからのやり直し。ただゲームと違うところは、次の世界がどうなるか全く未知数だということだ。その全ての根源であるハルヒの閉鎖空間はとどまるところを知らず、拡大の一途を辿っている――という話だ。 つくづく、凡人はいつの世も可哀想である。一方的に巻き込まれ被害者としかならないのだから。そして残念ながら俺がもう凡人の域を超えていることは去年来から知っている。偶に自分の位置づけがごちゃ混ぜになっているって? 人間っていうのは自分にとって都合のいいことしか受け入れられないものなのさ。確かに俺は一般人ではある。しかし同時に世界の裏側を知る人間でもある。一般人とそうでない人間の区別と定義なんてものは、それを推考する角度からによって幾重にも変わるものなのさ。 乱暴に靴箱から上履きを落としてそれに履き替えたあと、俺は谷口の一方通行独白を先頭に教室を目指した。 それでも今の世界がなくなりますよと宣告されているのにこうして学校に登校する俺はどこかシュールでもある。今まで散々非現実と向き合ってきたが、今回は度を越して異常だ。今から数時間後に世界がなくなります分かりましたか、と訊かれて、はいそうですかそれは大変ですねなんて本気で浮世離れたことを言える能天気がいたら俺の前に連れて来い。SOS団に推薦してやる、団員その一のお墨付きだ。 教室に入って軽く挨拶を交わしたあと俺は自席に座りながら、習慣として真後ろの座席を確認した。言われなくても分かっている、今日あいつは欠席だ。そしてこの教室内でその理由を公言できる人はいないだろう。 当然俺もだ。そんな勇気などない。涼宮ハルヒはこの世界から消失しています、だから学校に来れませんなんてな。 それでもこの非日常に四方を囲まれた日常は、何も目にしていなかのうように過ぎて行く。 教師たちは今日も長々と読経をするように授業を続けていた。皆は、というとそれでも試験の点数は至上らしい。残念ながらこの世界の住民は試験の当日を迎えることはない。けれど今の俺にはその滑稽さを笑っていられる余裕さえ持ち合わせていなかった。 そんな当に地球を離れ木星軌道まで吹っ飛んでる俺の思考がこの授業に集中しているわけもなく、昨日の――正確には今日のえらい早くの出来ごとを俺は何度も何度も思い返していた。 朝比奈さんのおかげで出発した時間の少しあとに戻ることの出来た俺たちはそのまま暫く黙って公園の段差に腰掛けていた。一様にえらく疲れた顔をして、あの古泉もまともに疲労困憊であると表情に出していた。長門はどうか分からないが。 突然呼び出されて過去に行けと言われ、行った先で今度は戻れと言われ、やや不服ながらもどこかきょとんとしていた朝比奈さんだったが、事情を説明すると流石未来人らしく早く飲み込んでくれた。ようは、あのままじゃ俺たちがあいつらの立場になることは永劫出来ない、と言うことだ。それが『貴方たちの』という意味。 つまりはこの世界にはたくさんの俺たちがいるということなんだろう。それぞれの細かい時間平面のなかにいる自分たち。そいつらは全員同じで全員違う。決して相容れない――時間的に。というのはあくまで俺と古泉の考え出した暫定的なタイムパラドックスの障害である。本当のところ未来人から見たらどうなっているのかは全く分からない。 とにかく俺たちは別の方法を考えなければいけなくなってしまった。もしくは、あの展開から更にどうするかを。 少し今後の動きについて話し合ったあと、今日の放課後に再度集合ということで解散になった。 今の俺がやや寝不足気味なのは、真夜中に色々ありすぎて、ありすぎたうえに寝れていないからだ。これでも俺の身体は健康的な昼型であり普通に睡眠時間を大量に必要とする。寝ている時間が短くなればなるほど、朝の負担も比例して大きくなるのだ。当たり前のことだって? それは言うな。 やっとの思いで欠伸を噛み殺した俺は、少しでもノートに向かう姿勢をとった。寝ているよりは随分ましだろう。――何かいい考え、思いつかないもんかね。 朝比奈さん(大)はああは言ったものの、何らかのヒントは出ている筈だと俺は思っている。現に彼女の呟いた何気ない言葉は俺たちに誤った道を進ませることを止めさせた。いつもの通りたいして当てにならない勘ではあるが、この状況で常識だけで動くのはもう逆に場違いという雰囲気もする。 結局長門が何を伝えたかったのかは分からない。俺の行動のことかもしれないし、この先の危険のことかもしれない。もしかして『観察が目的』が理由で葛藤してるんだったら、考え直させないといけないな。 とにかく何らかの、もしくは誰かの仕組んだ既定事項通りにことが進んでいる可能性がある。先に教えてくれたら、わざわざ行かなくても済んだものを、何てなことを俺は別にぼやきはしなかった。そのときに教わらなくて、進むことが必然なのだから。 適当に昼飯を食い、適当に授業を聞き流し、適当に掃除を済ませるとあっという間に放課後、俺は文芸部室へと足を向けた。俺の親はしきりに言う。若い頃は勉強の毎日などただしんどいだけかもしれないが、大人になったら分かる、勉強ほど楽なことはないと。 早々と時間が過ぎ去って行った理由は、全く特筆に値するアクシデントが起こらなかったってことだ。全世界切羽詰っている筈だが、古泉から休み時間ごとのミーティングなんて無かったし、長門が不変の表情のまま天地が引っ繰り返りそうな爆弾発言をすることもなく、鶴屋さんから可笑しくなった朝比奈さんの子守りを手伝ってもらう要請もなく、ただただ平凡に過ぎた。おいおい、緊張感の欠片もないぞ。 生徒会はまた何か退屈しのぎを吹っ掛けてくるのだろうか、と俺は部室までの道中ふと思い出した。どちらかというと今期が、あの陰謀色の強い生徒会の豪腕が発揮されるときでもある。――全くそれどころじゃないのが現実ではあるが。 躊躇なく扉を開けると、既に俺以外のメンツが揃っていた。ノックをしなかったのは朝比奈さんがメイド服に着替えていないと読んでのことだ。 「こんにちはぁ」 「あぁ、どうも」 朝比奈さんに挨拶を返して、俺は古泉の対面に腰を下ろすとその表情を伺い見た。多分こいつは今朝、一睡もしていないんだろう。何となく雰囲気からそんな気がした。普段は口を利くことも無い九組の奴らからわざわざ話を訊ねまわったのも、古泉が珍しく遅刻をしたからだ。予想だが、機関は臨戦態勢のままだったのだろう。 張り詰めていた緊張が一瞬で解けて、一気に飽和でもしたような表情を古泉はしていた。 「それで、何か良案を思いつかれましたか?」 溜息混じりに古泉が訊ねてくる。声には張りがなく、どこか一気に老けてしまったように俺は感じた。お前の男前の顔に翳りは似合わないぜ? 「いいや、全く思いつかない。俺が思いつくほどの簡単なもんならお前でも長門でも、もう思いついていてもおかしくないさ」 「これはこれはご謙遜を。貴方はいつも僕たちが驚かれるような手段を見せてくれるではないですか。ねぇ、長門さん。そう思いませんか?」 「違いない」 まったく、長門もどうした? 褒めてもポケットから飴玉は出てこないぜ。 「いえいえ、貴方ならきっと良き、我々をあっと驚かせてくれる策を出してくれると信じています」 まるで教会の神父が礼拝をサボる子供を諭しているみたいだな――無視することにしよう。 「それで、朝比奈さんは何か分かったんですか?」 俺は言外に、時間関係を匂わせた。時間移動に関しては朝比奈さんに訊くのが常套であり、古泉と睨めっこをしていて答えがポロリと出てくる問題ではない。 朝比奈さんは答えることを逡巡しているように見えた。 「キョンくん……どこまで、わたしが言えるのか分かりませんけど……わたしには今回、ほとんど情報を与えられていません。それに……そのTPDDだとか、そのほか時間移動に関わることはわたしの権限では何も言えないんです。何も漏らせないように操作されてるんです。だからその……キョンくんたちが考える矛盾、とかについてもわたしは何も教えることは出来ないんです。それが……決まりだから」 朝比奈さんは俯きながら決まりが悪そうに応えた。毎度毎度思うが、やっぱり朝比奈さん(大)は自分の若い頃に厳しすぎるだろう。 朝比奈さん(大)の考えだとは思うのだが、それでいても今の朝比奈さんに何らかの権利を与えてもいいと俺は思う。確かにおっちょこちょいな一面はあるからうっかりで口を滑らすこともあるかもしれないが、朝比奈さんは俺が知りうるなかで一番真面目な人でもある。だからそういう心配は無いんじゃないかとも俺は同時に思っていた。 とそこまで考えたところで、一瞬頭のなかを――そう、影とも形容すべきものが過ぎった。朝比奈さん(大)が朝比奈さん(小)に厳しすぎるわけ――。 もしかしてそれは、『わたしが今のこの子の立場だったときに、わたしはわたしに会っていないもの』じゃないんじゃないのか――? 俺は今の朝比奈さんの顔に、俺が前に見た両方の朝比奈さんの憂いを帯びた表情を重ね合わせてみた。もしかしてそれは――彼女を助けようと、自分と同じ道を辿らせないようとしている? 「ただ、いつもの事例からしたらどこかにヒントはあってもよさそうなんですけど」 もう一度口を開いた朝比奈さんに俺ははっとさせられ、意識を戻した。誰も俺に注意を払っているようには見えなかった。さっきの考えは忘れよう――。 俺は部室内の沈黙に、やはりそうなのか、と朝比奈さんを除いた三人の心の声を聴いた気がした。どこかにヒントはある。 またしても手詰まりと言った雰囲気が部室に圧し掛かると、今度はその沈黙を破るように長門が急に喋り始めた。 「ただ、導くことは可能」 長門はさっきまで上げてた目線をいつもの膝上に落としたまま続けた。 「確かに貴方たち未来人は自らの手では、未来を創造することは出来ない。何故なら自分たち自身がその未来に属し、故に自分たちの干渉が時間平面の前途に影響を及ぼせないから。しかし自分たちが所属する未来へ、過去の人々を偶然としか思えない方法で利用して時間及び世界の方向を誘導することはいとも容易。何故なら貴方たちは幾度にも試行錯誤を繰り返すことが可能だから。そして貴方たちはその誘導によって、涼宮ハルヒに関する全ての重要不確定要素を、確定し自分たちの未来へと接合させることを命題としている」 長門が語ったそれは俺が今まで聞いてきた断片的なことを纏めたものだった。言っていること事態は俺が今まで聞いてきたことと同じのはずだで初耳というわけではなく、さほど新鮮味はなかった。だが朝比奈さんは小さい身体をやけに縮こませ、古泉はなぜかしたり顔で頷いている。まるで、自分の理論が実証されたときのような学者だ。 長門は最後に俺のほうに顔を向けて告げた。 「そして貴方がそのなかで最も重要になる鍵。貴方自身に時空間に影響を及ぼす特別な能力は無いが、貴方を導くことが彼女の不確定要素を確定させる重要なプロセスになり、ファクターだから。つまり言い換えると全ては貴方の行動次第。そしてそれが結果、偶然既定事項に沿っていることとなる」 今度は俺は今の長門のモノローグに去年の映画撮影のときの不思議な感覚を思い出した。確かあれは俺が長門と古泉のダイアログを撮っていたときに感じていた気がする――。 そしてそのまま長門の後半の独白は冬に朝比奈さん(大)から聞いた事象についての説明とも符合した。 「もしかすると、ヒントはここ最近出されたというわけではないのかもしれません」 思いついた、という風に手を打った古泉は流れ始めた変な空気を断ち切るかのようにそう切り出した。 「……なるほど。つまりは長い伏線というわけだな?」 「それを貴方に言われてはやや興醒めですが……。それに、あの時点ではまだ間違ってはいなかったのかもしれません」 確かにその可能性だってもちろんゼロではない。実のところ俺が思うにそれ以外の方法自体が思いつかない。だが問題はそこから先であり、どうやって俺たちがその時間軸に入り込むか、にある。 「何か手掛かりとなるようなことを思い出せませんか? 去年のことであるとか、時間移動に関してであるとか。我々に残されたタイムリミットはあと――どうやらあと五時間弱しかないようなんです」 そうみたいだな。部室の時計――これはハルヒが持って来た訳ではない――をチェックしたあと、俺は去年の記憶を掘り起こし始めた。 朝比奈さん関連で挙げられるとしたら、まず俺が初めて朝比奈さん(大)に遇ったとき。朝比奈さんに連れられて中一の七夕に時間移動したとき。エンドレスサマーのときの朝比奈さんの切実な告白。映画撮影のときのこぼれ話。――冬の一連の朝比奈さん関連事象、ぐらいだろうか。 それでは整理だ。映画撮影は除いても良いだろう。朝比奈さん(大)に始めてあったときは、多分そのすぐあとのハルヒとの閉鎖空間事件の予告が目的だったように思う。エンドレスサマーのときも、朝比奈さんは泣き喚いていたが俺の記憶が正しければそれらしい示唆は無かったはずである。 つまり残るのは七夕のときの時間移動と、冬の下旬の『朝比奈みちる』事件の二つってわけか。 「その判断が妥当でしょうね」 だがそうなれば残念ながら古泉は更に無関係だ。古泉の顔が自分にはどうもしようがないということを、またしても愁いでいるように見えた。しかしどこでそのヒントは提示されたのだろうか。もしかすると七夕の出来ごとのほうが、ある種重要なのではないだろうか。特に日付が日付だし、冬の出来ごとのときは散々因果応報や辻褄を叩き込まれた感じがある。確かにそれも今の俺らなりの理論の柱にはなってくれているが。とにかく順を追うことにしよう。 「まず、朝比奈さんが俺を呼び止めて中学一年のときに時間遡行した」 「はい」朝比奈さんが頷く。 「そのあと俺はハルヒの線引き係を背負わされる。そしてそのあと何故かTPDDを紛失してしまう」 「ほんと……何ででしょうか」朝比奈さんが頸を傾げる。 「が、それでも長門を頼りにして戻ってくることが出来た……」 以上である。一体どこで? どう考えていっても袋小路だ。どこにも解が見当たらない、懐中電灯を落としたわけでもないのに。 過去に行って帰ってきた、ただそれだけである。非日常すぎて、俺が付け込む隙が見当たらない。だが――俺は何か疑問を感じてはいなかったか? 何か腑に落ちないことがあったんじゃなかったか? そのときじっと考えていた古泉が突然、あっ、と叫んだ。 「そうです! それですよ、それがヒントであり答えだったんです」 「待て、何がだ?」 「僕もはっきりと記憶していますよ、チェスの最中に貴方が僕と長門さんに訊ねられたこと。貴方が疑問に思われていたこと。それが、アンサーです」 古泉が勝手に探偵役を演じている。おい、誰の頭にもクエスチョンマークしか浮かんでいないように見えるのは俺だけか? 長門は空虚な瞳で古泉を見つめていた。古泉だけを切り取ってみれば先が拓けたようには見えるのだが。 「待て待て、俺は全然追いついていないぞ。俺が一体何を言った?」 「ええ、貴方は言いました。この事態を解決する作戦の根拠となる事柄を」 古泉がこちらを見て微笑んでいる。気持ち悪い、やめろ、あっち向け。そして俺は一体全体何を言ってたのかね。 「取りあえず、早速時間移動を始めましょう。朝比奈さん、時間の座標はこの前と同じでお願いします。……いや、それの少し前で、空間座標は校舎内の反対側でお願いします」 「あの、待って下さい、わたしにもさっぱりなんですけど……」 言わずもがな俺もさっぱりだ。全く理解できない。まるでマイナスをマイナスで割るとプラスになると教えられてパンク寸前の中学生のようだ。はたまた自乗してマイナスになる数を考えろと正反対のことを言われてしどろもどろしている高校生か。 「大丈夫です。貴方ならすぐ理解されるでしょう、もちろん朝比奈さんもです。それも分かるんだから仕方がない、としか」 「……それじゃあ、準備はいいですか? 行きますよ」 渋々、と言った表情で朝比奈さんは三度掌を出した。そうだったな、確かに俺は面倒なことは異能力者たちにやらせておけばいいなんて言ってた気もするぜ。俺は尻尾をふっときゃ良いってか? もうそんな位置に甘んじていられないと叫ぶ俺もいるのだが。 二度あることは三度ある。同じく三度目の正直とも言う。しかし――三度目も越えてしまったものは、ただ繰り返すだけなのさ。 何がかって? 酔い止めのことだよ。 くっ、来た―― 俺を引っ張る力が奪われ世界の上下が引っ繰り返ったような感覚がしたあと、再び俺の背中は旧館の廊下に吸いつけられていた。万有引力と重力に感謝。 窓からのぼやけた西日が眩しい。それのせいかもしれないがまだ少し眩暈と頭痛がする。俺だけ規制が強くないか? 同じく『現地人』である古泉よりも。 行動を拒否する頭を支えながら起き上がった俺を、朝比奈さんが袖を掴んで奥に引っ張り込んだ。古泉がそばで「我々は僕たちを見ていないでしょう?」と、分かる人には分かる補足説明を耳元でする。待て、まだ意識が朦朧としている。まるで朝に弱い低血圧の人みたいだ、はたまた爬虫類か。 「まもなくです」と、古泉が囁くと長門が何かを感知したように面を上げた。 そういやさっきからちょっとだけ長門の影が薄かったかな。積極的に喋ろうとしないんだから仕方が無いか。あとでもっと喋るように進めないとな。 どうも頭がふらついて関係のないことを考えてしまう。 「来ましたよ、我々が」 俺は反対側から見つからないように気をつけて覗くと、朝比奈さんに頬を叩かれている自分を見た。なんですと! 俺は後ろを振り返って、朝比奈さんの照れた顔を俯かせて「すみません」と小声で謝るのを見つめた。いやいや、大歓迎です! 畜生、羨ましすぎるぞ俺! どうやら俺は、意識が無いうちに朝比奈さんに度々何かをやってもらっているらしい。くそ、もしそのときに意識さえあれば――。 俺がまた関係なく一喜一憂しているのも束の間、今度はこっち側のドアが開いて悠々と未来の俺が舞台に登場した。 「成る程そういうことでしたか」 古泉がまた何やら勝手に納得している。一体何がだ。勿体つけず、教えてくれ。 「いえいえ。ただの戯言です」 古泉は微笑みながら答えた。余裕の笑みともとれる。――それにしても『あいつ』、俺たちの目の前を素通りして行ったぞ。 「不可視遮音フィールドを発生している」 またしても、ここ2日間耳にし続けている長門の科白だ。考えてみれば随分と反則的な技だな。それを使ったら何でもかんでも辻褄が合う何てことは言うなよ? それより、そのフィールドを使っているんだったら俺たちは特に隠れる必要はないんじゃないのか。 「さて、ここからが正念場です。ここで我々が行動に出なければ未来……この時代の僕たちにとっての未来は変化しません。ですが、行動を始めた瞬間、そこから始まる世界は我々の体験したものとはまったく異なる世界となります。違う世界へ、この場合は未来ですがそこへと繋がる道を開拓できさえすれば、これより続く過去もそちらに流れることになるでしょう」 今一後半部分がよく解らないが、ということはそれもうあの俺たちに見られてもかまわないってことか? 「それは行けません。彼らにもこの未来を辿ってもらわなければ行けない。部室内の我々はこの先の未来を進み、向こう側にいる我々はもう一度七月八日の未明に戻ることになるでしょう。繰り返しますが、僕たちが最初にこの時間に来たとき――つまりは彼らの立場であったとき――今の僕たちを見てはいません」 古泉は満面に微笑を浮かべている。我々の勝利です、と今にでも言いそうな口をしている。少し、考えさせてくれ。 「……待ってくれ、つまり……あの俺たちは俺たちなんだから――そうか、そこであの俺たちはまた俺たちと同じ道筋を進んで、そこでようやく全ての俺たちが未来人たちの望む未来を辿ることになるってわけか! そうなんですね、朝比奈さん」 「ふえっ! そ、そんなの禁則事項に決まってるじゃあないですかぁ」 突然名前を呼ばれて朝比奈さんが悩ましく身体をくねらす。あぁ、それ以上はダメです! 古泉はそれでも満足げに頷いた。 「そうですよねぇ。言えないに決まっていますよね? ですが僕は確信しています。彼の体験と行動、その全てが未来人の既定事項に沿っていることは長門さんが証明してくれてますしね。さぁ、彼らがもといた座標へ時間移動したあと、すぐに行動に移りますよ」 「なぁ、古泉?」 「何でしょうか?」 何か知らないがまるで策謀どおりに敵陣が動いて密かに歓喜している冷徹参謀長みたいに活き活きしているな。 「そう見えますか? まぁ、自分が参謀であることはやや自負していますがね。なにせ、」と古泉は胸を叩き、 「副団長ですから」 と言った。そして俺たちはニヤリと笑いあった。 そのあと俺たちは廊下に出て、彼ら――俺たち――の行動を見ていた。流石長門というべきか、あのとき遮音フィールドしか展開していなかったのは――どちらにしろ俺には感知できないが――今この状況にいる俺たちが彼らの行動を見られるようにするためだったのか。 「……その可能性はある」 ん、長門にしたら随分と不明瞭な答えだな。 「…………」 長門は答えなかった。まぁ、それでもいい。答えが一つ、なんてことは実際問題俺たちにとっては全く関係ないからな。 しかしはたから見ていると、俺の行動は実に滑稽だ。それと同じくらい俺を客観的に見ていることも滑稽と言えるが。新年明けて早々俺は瀕死状態の自分を目の当たりにしたが、あのときとはまた違う感慨がある。一切の声が聴こえてこないのもまるで、昔の白黒のコメディ映画を見ているようだった。 古泉のほうを覗き見ると、同じく腕を組みながら興味深そうにもう一人の自分をまるで細胞の動きを観察するように見つめていた。 「何故、あのとき貴方に言われるまでタイムパラドックスに気が付かなかったのか、改めて思い返してみると不思議でならないですね」 ポツリと呟く。知らん、誰かさんの陰謀かもしれないぜ。脳内を操作したとかさ。 「それは……お断りしたいです」 「もうすぐです……!!」 朝比奈さんの声がした丁度そのとき、今まで俺たちの目の前にいたもう一人の俺たちが忽然と消えた。 何故だ、まだ手を重ね合わせていなかったぞ? まさか――。 「……禁則事項だから」 長門の何とかフィールドか! 「長門さん、急いで!」 古泉が思い出したかのように声を荒げる。『あいつ』はノック寸前だ。その音を、鳴らしてはいけない。 「了承した」 体育祭のときに見せたような超高速ダッシュを長門は披露して、あっという間にあいつの腕に歯を立てていた。俺たちも急いで長門の後ろに集まった。 「全て終わった」 暫くして、長門がそう囁いた。長門が身を引くと、途端に未来の俺にその変化が現れ始めた。 そいつの虚ろだった瞳にはどんどん生気が宿っていき、自分でも「そいつ」の焦点が合い始めるのが分かった。「おうっ!!」ようやく目醒めたか。 「やっと元の状態に戻られましたか。どうやら未来の貴方も現在の彼とさほど変わりが無いように見受けられますね」 「お前は……古泉? それにしては、随分と若いが……待てよ、俺はどうしてこんなとこにいる……まさか――ここは過去か!!」 おい、未来の俺。そのリアクション、自分で見ていると随分恥ずかしいぞ。 「そうか……ここは北校か」 「そうです、ここは貴方がもと居た時間から遡った時空間です。しかし……何も憶えておられませんか? 貴方が何故ここにいるのか」 古泉は丁寧にも敬語を使って未来の俺に訊ねかけた。暫く彼はそのまま腕を組んでいたが、溜息を吐きながら解いた。 「いや悪いが古泉、皆目見当がつかない。……もう一度訊くが、俺は過去にいるんだな?」 古泉は頷き返した。 「……やはりそうなのか。すまん、何も思い出せそうにない。だが……いや、いい。ただの記憶違いだ」 「もしかすると、何も憶えていないのではないかと思っていましたが、やはりその通りでしたか。実はですね……」 古泉が俺たちの置かれている状況を説明し始めた。 それにしても、見ている限り未来の俺はどうやら時間移動自体にはさほど、ショックを受けていないように思える。俺だって初めての時間遡行にはドキドキハラハラ――笑ってもいいぞ――したが、こいつは最初自らの境遇に驚いたあとは至って平然とそれを受け止めている。ひょっとして――いや、したくない想像はやめておこう。ただでさえ今、目の前にいる未来の俺は、今の俺に静かにその境遇を物語っている。 どうやら、何年後かの俺もまだまだハルヒに振り回されるようだ。 全く、嬉しいやら悲しいやらどっちか分からんね。いや、悲しいか、前言撤回。 とそこで思考を止めると、どうやら古泉が長門を交えての現在の状況と送り込まれてきた理由をあたかも演説の如く説明し終わったらしく、未来の俺は再び腕組みをして思案顔になっていた。俺はこんな顔になるのか。 だが一言、「成る程な」と言ったあとどうやら合点が行ったようで、 「そろそろ来るな」 とだけ呟いた。さて、何が来たと思う? 勘の良い奴なら分かるだろう。俺はそれに軽くデジャブを憶えた。 俺たちの頭の上にそろって軽くクエスチョンマークが浮いていたとき、まず俺の隣で変な声がした。 「ふえっ……」 さっきまで隣にいた朝比奈さんがその場に崩れ落ちる。既にその意識はない。そしてそのあと今度は後ろから突然声を掛けられた。 「迎えに来ました」 誰であろう、朝比奈さん(大)の再登場である。 「思った通りちゃんと未来を繋げて下さいましたね。感謝しています。この世界が未来から観測……確定されましたから」 「朝比奈さん、どうやら俺は操られていたようですね」 朝比奈さん(大)の微笑みに未来の俺が苦笑いをして歩み寄ろうとしたとき、二人の間を古泉が遮った。背中を彼に向けて、未来からの来訪者を真っ直ぐ睨む。 「すいません、朝比奈みくるさん。貴方に大事な質問があります。貴方は、一体どこまで知っていたんですか? もしかして我々は踊らされていただけ、なんでしょうか」 声が真剣味を帯び、瞳もいつぞやの森さんの怜悧なそれのまま挑んでいた。これが機関の本領と言ったところか。 廊下の空気が急激に重苦しくなって、誰もが口を閉ざした。もちろん古泉が疑心になるのも理解できる。 どうでもいいがここで誰かが部室から出てきたらそれこそ阿鼻叫喚かもしれないな。――いや、そんなことは無いか。まだ、長門はあの不可視遮音フィールドを張り続けているんだろう。全く反則だ。すまん余談だった。 朝比奈さん(大)は諦めたのか小さく肩を落とすと、 「どうやら貴方たちに信頼されていないみたいですね」 と静かに言った。 いえいえ滅相も無い、これは全部古泉の虚言でして――。 「いえ、仕方がないことだと思います。今まで何も明かさずに来ているのでわたしに不信感を抱いたとしてもそれは当然のことでしょう」 そんなことを――貴方から言われたら俺たちに返す言葉が無いじゃないですか。 俺が不安げにいると、見かねたのか未来の俺が「やれやれ、」と間に入ってきた。 「おい、古泉。お前はそんなに疑り深い奴か? いい機会だからこの時代の俺にも言っておいてやる。いいか、朝比奈さんの言うことは信じろ。未来の俺が言ってるんだ、それくらい信じてもらいたい」 古泉の目は「ですが」と言いたげだが、あいつは構わずに続けた。 「朝比奈さんはお前たちにヒントを与えにこの時代に来てくれている。それだけでいいだろう? そこは割り切れ。もし踊らされているんじゃないかって疑心暗鬼になるなら、言っておいてやるぜ。これから先お前たちは毎回毎回、立ち往生することになる。言葉の真意を真っ直ぐに受け止められなくて、要らない深読みばかりして必ず間違うことになる。だからこそ、」 俺は唾を飲んだ。どうしてか分からないが未来の俺に俺自身が圧倒されている。 「朝比奈さんを疑ったりしないでくれ。朝比奈さんは何も悪くない。行える範囲、規則内で最大限の援助を俺たちにいつもしてくれていたんだ。いや、してくれているんだ。そして……これからもだ」 未来の俺は優しい眼差しをしていた。あいつがこっそり、「確かこんなんだったかな」と言ったことに俺は全く気付いていなかった。 「あ、ありがとうございます……キョンくん」 「いえいえ、俺はこいつらに本当に大事なことを理解させてやったまでですよ」 古泉はというとすっかり言い含められて反論でもあるかと思ったが、それでも殊勝な顔つきで未来の俺を見ていた。 「貴方が彼のようになるのだと思うと、とても頼もしく心強く思いますよ」と俺に囁く。 合わせて俺に微笑む。そうかい、そうかい。 長門はというとさっきからずっと見た目はフリーズしたままだ。どうやらこの様子を長門なりに観察してはいるようだが。 朝比奈さん(小)も廊下に蹲っている、というかもう寝息を立てている。そんな様子を朝比奈さん(大)はちらりと一瞥したあと、俺たちのほうに向きなおった。 「未来のことを口にしてはいけませんが、貴方たちがこれから正しい道を進むことが判明したのでわたしたちはとても安堵しています。もうこれからどうすべきかは分かっているのでしょう? 古泉くん」 「ええ、承知の通りで」 そういや俺はまだこれからどうするかを一つも聞かされていないぞ。ただただ無理矢理連れてこせられただけなんだが。 「いえ簡単なことですよ。まぁ、朝比奈さんにも一つお願いすべきことがありますが」 「何でしょう」 朝比奈さん(大)が顔に浮かべた笑みは、どうも全てお見通しですよと俺たちに語りかけているように感じた。 「今この壁を挟んで向こうにいる、朝比奈みくるに命じて欲しいのです。そこにいる僕、彼、長門さんを連れて過去に時間移動してくださいと」 本当か? 古泉の案は俺を久々に驚かせた。一方で朝比奈さん(大)はというと首を深く縦にしていた。 「朝比奈さんは僕たちに言っています。この七月七日は我々――未来人のことですね――にとって都合よく進むと。しかし実際はそうはならなかった。そこで僕は考えました。彼女は未来から結果としての過去を知っての発言だったのだと」 結果としての過去ってどう言う意味だ。 「つまり、朝比奈さんが見たのは、上書きされた時間だったと言うことでしょう。言ってみればこれも一つのヒントですね。だったらやはり我々がこの時間の上塗りをするということです。そこで重要だったのが『都合よく進む』の意味です。それは何事も無く平穏に済むとはまた違う意味を持っているのだと僕は解釈しました。そして結論に至ったのです。彼らは時間移動をするのだと。そして多分それは僕たちのお願いで朝比奈さん、貴方が命令されるのでしょう」 「ええ、その通りです。でもまさかこんな裏の事情があったなんて知りませんでしたけどね」 「何時に時間移動させるかはお任せいたします。多分それでも当初の予定はあるでしょうから。とにかく、方法は一つしかありません。既に我々の異時間同位体が居る時間平面に僕たちがすまし顔で入るにはどうすればよいか。簡単なことです。彼らに立ち退いてもらえればよいのです。但しそれと気付かれずに」 それが去年の七夕の事件と繋がるのか。 「まぁ、繋がるといいますか、発想を得たといいますか。本物の未来人を前にあれこれと我々の空想論を語るのは些か気が引けますが、例えば……貴方が帰ってきたと最初思われた七月七日はやはり別の時間軸の七月七日であるとか。貴方が体験された時間移動は過去に行って現在に戻ってきたのではなく、過去に行ってそこで三年間を体感時間で言うと一瞬で過ごしたものであるとか。何故そうする必要があったのかは多分僕たちには判らないでしょうし、今言ったことが全て真実であるなんて言う保証は全然無いんですけどね。悲しいものです。とにかく貴方は別の時間軸の住民になる必要があった。それだけです」 お前言っていることは悲観しているようだが口角上がってるぞ。そう講釈を垂れるのもいい加減にしてくれ。俺のなかの何かが爆発しないうちにな。 「唯一つ僕が言いたいと思っていることは、」 まだ続ける気か、と俺が思った瞬間、その古泉の言葉を紡いだ奴がいた。 「過去は一つだが未来は一つではない、だろう? 古泉。ある意味当然とも言えるが」 たった今、部室から朝比奈さん以外が全員出て行った。朝比奈さんはそのあとにいつもの着替えがあるからな。 古泉はパラドックスがどうのこうのと交えながら、朝比奈さん(大)にこの部室内から四人で飛ぶという命令を朝比奈さんに打診してもらうよう言っていた。 何で部室内からなんだと俺が古泉に訊くと、制服が一揃い増えていたら怪しまれませんかと訊ね返しててきた。よく分からないが、増えるんだったらそっちのほうが良いなぁと俺は言ってやったが。古泉は笑い半分困惑半分が入り混じった表情をした。打診する瞬間は朝比奈さん(大)は俺たちの視界から外れた所で打診したため、一体どういったプロセスなのかは依然謎のままだ。とにかく頭のなかの何かで通信しているであろうことは、これまでの長門や朝比奈さん(大)の説明から予想できる。 眠らされている朝比奈さん(小)はそのあと寝たまま身体だけを起こされ、今は壁にもたれかかって寝ている。相変わらず、朝比奈さん(大)はその頬を突いていた。 どうやら、『俺たち』はハルヒを怪しませないように一緒に学校を出たあと、頃合いを見計ってここに戻ってくるようだ。常套手段だ。 それから暫く待っていると古泉を筆頭に一行は戻ってきた。その古泉もどうやら時間移動が出来るとなって喜んでいるように見えた。もう一人の俺はというと一番最後に嫌そうな顔をしながら部室の扉をノックして入った。全く自分が情けないぜ。どうせ、まだ朝比奈さん(大)の陰謀やら何やらを考えているのに違いない。 俺は思った。果たしてあいつはいつ未来人に対しての心構えを変えるのだろうかと。そのことの重大さに気付くのかと。 それからまた沈黙ののち、後ろでポツリと長門が、 「たった今、この時空間から彼らの存在を感知できなくなった」 と言った。もっと分かり易く、たった今、時間移動しましたみたいに言ってくれ。 「では、入ってみましょう」 待て古泉。何でわざわざ入る必要があるんだ? 「ただの確認ですよ、確認。彼らが置いておいてくれないといけない物がありますので」 そういったあと古泉は鍵の掛かっていない部室の扉を押し開け、なかを一瞥してから良かった、と吐息を漏らした。 「お目当てのものはあったのか、古泉」 未来の俺が俺の肩越しに含み笑いをしながら訊ねる。どうやら、背も少し伸びているようだ。 「貴方は結果を知っておられると思いますが……ええ、見つかりましたよ。長門さんも朝比奈さんももちろん貴方の分も」 そう言って古泉は机や床においてあったそれを指差し、俺に「でしょう?」を言外に含ませた視線を送ってきた。俺はというと、納得して思わず安堵の溜息を漏らしてしまった。 「そうだな、古泉。そりゃ、確かにある意味大切だ」 随分と間抜けな忘れ物だがな。 七月八日、確認するまでもないが七夕の翌日、俺はこうして何の弊害もなく登校している。まぁ、この季節という俺らにとっては身近な一番の弊害は、この学校までの長い道すがら俺から塩分と水分を容赦なく、奪ってくれてはいるが。けっ、そんなもの欲しけりゃくれてやるよ――何ぞで済まないことはこの身をもってして確認済みだ。 それでもまず、俺が何事も無くこの坂道を登っていることはもっけの幸いだ。もしもう一人の自分がこの世界に現れでもしたら、それこそ阿鼻叫喚の渦だが、古泉からも昨夜我々四人の異時間同位体はこの世界にやってきてはいないようです。安心してくださって大丈夫でしょう、と電話があったため今のところ俺は安堵している。もれなく長門にも俺は電話をして、その真否を訊ねたのは言うまでも無いことだ。何でそんなに、異時間同位体が重要なのかというと――ドッペルゲンガーなんかじゃないぞ――それは自然の摂理に反するからだそうだ、長門曰く。 未来の俺は俺と古泉に軽く別れを告げると、「ここから先は俺たちの役目だ」とだけ言って、朝比奈さん(大)とともに一足早くこの学校を去った。そういや、未来ではまだ異常事態は続いているのか。 あのあと俺たちは、それぞれ家へと帰ることにしたのだが、困ったことが一つあった。 朝比奈さん――もちろん今の――への対処だ。朝比奈さん(大)が現れてから消えるまでの間結構眠らされていたからな。それはそれで酷い話だ。 目を醒ましたあとは少し子供みたいに拗ねてしまいそうになったが、そこは古泉の出番である。何とか説き伏せてもらった。それはそれは見事なソフィストぶりに俺は舌を巻くばかりだったぜ。 だが何でそれでハルヒも朝比奈さんも納得するんだ。何かこう、言葉では言い表せないがどこか腑に落ちないものはある。だが断言できるのはそれでも鶴屋さんを騙すことは不可能だろうということだ。まぁ、多分あの人なら周りの雰囲気に任せて、そういうことだったにょろ、何て言ってそうだが。 さてこの俺は今、二度目の七月八日を体験している。見事なまでに中身の無い谷口の初めてではない夢物語に俺も空虚な返事をしながら、学校に着いた俺は、それから少しばかり考えごとをしていた。 どうも昨日の晩からその空想が頭を離れず、暫くの間俺は寝る寸前まで思考の海でもがき続けていたのだ。 結局そのまま、何ら変わらぬハルヒと少し絡んでハルヒ曰く、間抜けな顔をしたままずっと一人で勝手に考え続けていた。 結局一人で溜め込むのは毒だと思ったが故に、聴きたくも無いだろうが聴いてくれまいか。 「いえ、何か不明瞭なことがあるのでしたら、喜んで拝聴しますよ」 古泉はいつになく揉み手で俺を迎えた。そういや、俺から古泉に訊ねたことなんてあっただろうか。 お前だったら、漏れなく要らん話まで添えるだろうが、別にいいか。 どうしてか分からないが今はそれが欲しいような気がしている。 まず俺は切り出した。 「まずだ、過去は一つだが未来は一つではないっていう意味は分かった。つまりだな、時間遡行するときは目指す時間は一つしかないが、逆に進むときはその目指す時間というのは幾つにも増える、と言うことじゃないのか」 「ええ、僕もそのように考えていますが。もちろんそれだけではありませんが……何かご不満な点でも?」 「まぁ、待ってくれ。とりあえずそれは置いておいて、先に進める」 俺は古泉を真っ直ぐ捉えたまま、一度唇を湿らせた。 「俺たちが……前まで居たあの世界は一体どうなったんだ?」 古泉が片眉を上げる。 「おっと、確かに話が跳んだ感じはありますが……答えましょう。僕の推測でしかありませんが、一つあり得る考えがあります。それはあのままあの世界は一度破滅したあと、再構築されて再び進んで行く、というものです。多分、長門さんや朝比奈さん側も僕と似たようなことを少し言葉を変えて考えておられるでしょう。涼宮さんが我々の存在をそれでも必要としてくれるのであれば、可能性として新しい世界で我々が再構築されている可能性もゼロではありません。涼宮さんの最大の発動力が解らないので確信は持てませんが、時空間が丸ごと消滅した可能性もあります。貴方が前言っておられたように、それこそ今の僕たちが知る物理法則が悉く捻じ曲がっている世界になっているかもしれません」 古泉は至って真顔でそう答えた。おいおい、何でもありかハルヒの野郎は。全く俺はとんでもない奴と関わっているようだ。俺は大きく息を吐き出した。 「他にも何かおありで?」 「次にだ。思い込みかもしれないが、どうやら未来の俺も俺たちと同じ体験をしている節がある」 「そのようですね」 「つまり、俺たちより以前の俺たちもあの同じ道を辿っている。だったら何故俺たちの世界は救われていなかった? それ以降の過去は変化された過程に随って変わって行くんじゃなかったのか? それにだ。過去に戻るんだったら、俺たちは自分たちの世界を変えたんじゃないのか。何で俺たちは変わらない。存在が消える可能性だってゼロじゃないだろう?」 「……順を追って説明していきましょうか。まず最初に問題となるのは貴方の質問の後半部分です。確かにそれは『過去は一つだが未来は一つではない』に反しているようかのように見えなくもないですが、決してそうではありません。まず我々は一度過去に行っています。その時点では確かにその過去は僕たちの過去そのものだったのです。ですが二度目に遡行して長門さんが彼の動きを封じた瞬間、我々のものとは違う時間が進みだしたんです。時空間が分岐した、朝比奈さんたちが望む未来へと繋がる時間です。簡単に言えば並行世界の理念ですよ、厳密には異なりますが。多分、勘違いをなさっているのでは? 最初に僕は言っていますよ。あの世界は進んで行くでしょうと」 ようはそれが時間の上書きってことか。そういや言っていたような気もする。俺は、冬の終わりに古泉の言った『二つの十二月十八日』のことを思い出した。 「しかし、前半のほうの質問は重要です。確かに彼は僕たちと同じことをしています。ですが我々の世界は救われていないというのは見当違いです」 もっと、オブラートに包んだ言い方は無いのかね。俺は机に片肘をつけながら顔に綺麗なコントラストを浮かべている古泉の顔を見た。 「すいませんでした、慎みましょう。よいですか、救われた世界というのは救われることの無い世界の人々が――重要ですよ?――創り出した世界なんです。言い変えると、破滅の『危機』という規定事項を迎えた世界の人々が創り出すあくまでも副産物の世界、なんです。そして同時にそれは我々改変者の住む世界になります。 全ての我々は破滅の危機を体験します。あの七月七日に『破滅の危機を体験しなかった』という体験を持つ我々は理論上生まれます。ですが実際にリアルタイムでそのような体験をした我々はいません。僕たちはもう一つの我々を時間移動させましたよね。彼らは朝比奈さんたちが見れば確かに別の時間平面に生きる人々なんですが、我々からすれば実はただの理論上の人々、机上の空論の辻褄合わせでしかないんです。すいません僕の説明力と語彙力が及びません。これ以上の説明は難しいです」 そこまで言って古泉は一息入れるように机にあったお茶を呑んだ。それも見る分にはもう冷めていた。俺にはない。 まぁ、何となくだが分かった気はするぜ。ようはだ、俺たちは必ず破滅の危機を迎えるってことだろう。七月七日に『ジョン・スミスの来訪』がなかった俺たちって言うのは理論上は存在するが、そういった体験は絶対しない。――これで、合っているのか? あぁ、言ってるそばからこんがらがって来るぜ。 付け加えると朝比奈さん(大)はあいつらをもと居た俺たちとして勘違いしていたってことだろうか。 「ええ、その可能性も彼女の口振りからすれば大いにありえます。ですがやはりこれは全て既定事項なんです。そして同時に涼宮さんの能力にとても近似していることでもあります。僕たちにとってこの世界は、七月七日のあの時刻までの記録と記憶、歴史を持たされて創り出されたということに変わりはないんです。言ったでしょう、世界は五分前に創られたのかもしれない」 そうか、十二月十八日の改変は宇宙人がハルヒの力を使い、今回の七月七日の改変は未来人がハルヒの力を使った、とも言えるのか。 「あぁ、何でこのようなパラドックスが生まれるか分かりますか?」 「俺に分かるわけがないだろう」 「……そうですね。では答えを言いましょう。……それは世界を変えたのがその時空間の人々じゃなく、別の時空、時間から来た人々だからです」 「……おい、それって」 「この話はここまでです。これ以上は僕にも流石に見当がつきません。他にありませんか?」 直接介入――? 俺は少しの間、絶句していたがこれで質問は終わっちゃいねえ。 「待てよ、これは規定事項だったってことだ。だったら朝比奈さんはやっぱり嘘をついていたのか?」 俺の質問に古泉は少し考えた様子だった。 「さぁ、どうでしょうか。朝比奈さんには嘘を吐かれてはいないでしょうが、やはり未来人には騙されたかもしれません。どちらの朝比奈さんも上層部からは何も教えてもらえていなかった、とか。何故そうされたかは僕たちにはそれこそ永遠に秘密なんでしょうが。もしかすると情報統合思念体と天蓋領域は全てを知っていたかもしれませんね。彼らは次元を超えて時空間を感知できるという話ですから。確信を持って言えるのは、我々は未来の貴方と朝比奈さんが体験した何らかの出来事を同じく体験するということでしょう。全てのオチはそこで明かされるのだと僕は信じています」 オチ、ねぇ――。分かりやすいものだったらいいが。解釈の違いで幾通りにも答えが増えるなんてのは御免だぜ。 ちらと時計を見た。実はこう話をしたいがために、今日は早く部室に来ている。 「なぁ、古泉」 「はい」 「ちょっと考えたんだけど聞いてくれるか? と、言うよりかはこれを確かめたくて古泉に訊ねるんだが」 「構いませんよ」古泉はゲーム盤の上に伸ばそうとしていた手を引っ込めて、もう片方の手と絡み合わせた。 まだ、ハルヒは来ない。 「過去は一つだが未来は一つではない。俺は今回それの深読みをやってみた。そのためのいくつかを今ここで確かめさせてもらった」 古泉は俺が喋りを止めても、口を挟まず黙って微笑みながら俺を見ていた。 「いきなり結論から言う。……正しい規定事項って言うのは、絶対に一つしかない。――以上だ」 「どうして……そう、思われたのですか?」 「……ちょっと長いぜ。……まずだ、過去は一つ、つまり一つの未来に辿り着く過去は同じく一つしかない。これは当然だが。そこでその一つの時間軸のなかで人は様々な経験をする。そのどれかを未来人の呼ぶ既定事項としてみる。未来は選択によって変わる。そのときにその規定事項の選択肢――仮にイエスかノーにしておく――のどっちを選ぶかで結末が大きく変わってしまうことになるとしよう」 随分と、仮定の多い説明だな我ながら。 「けどそこで、どっちを選んだとしてもそれは正しい規定事項になるんだ。違う答えを選んで、仮に未来が分岐してもその未来からすればそれが唯一の過去であり、必然ともいえるからだ。けどそれをどうやっても知る方法は俺たちにはない。だってそれしかないんだから。だから、過去は一つ、そのなかで起きる規定事項の答えは絶対に一つしかない。何故ならどっちをとってもその答えは過去のなかで一つでしかないから」 「つまり、貴方が仰りたいのは、全ての出来事は必然的で運命的でもあると?」 「さぁな。俺は運命なんてのは信じないクチだ。俺だったら、だから俺たちは自分たちの行動に必ず自信を持ち、その責任を持てって言う」 突然、古泉が手を叩いた。 「素晴らしい、とても素晴らしいですよ。まさしくそれが結論として最も相応しいでしょう。やはり、僕は貴方をとても頼もしく思いますよ」 少しばかりの沈黙が部室内を制した。 俺は古泉を見つめ、古泉が俺を見つめ返す。ふと脳裏で閃いた。 「あぁ、それと」 「古泉君とキョン、いる!?」 豪快に部室の扉が壁に叩きつけられる音がして、時の人、涼宮ハルヒの雄叫びが俺の言葉を遮った。腰に手を当て仁王立ちしているハルヒの後ろには朝比奈さんと長門が、城から脱走するやんちゃな姫に無理やり連れ出された侍従のようについていた。だから、朝比奈さんがいなかったのか――ってことは。 「ハルヒ。お前また何か面倒なことを思いついたな。断言してやろう」 俺の視界の後ろで古泉が手を上げて首を竦めるポーズを取った。 「はぁ? 面倒なことって何よ。あたしがいつ迷惑なことをしたって言うわけ?」 「そうだな……エブリシング、エブリタイムとでも言っておくか」 「この、団員の分際で! しかもぜっんぜん発音がなってないじゃない! ちゃんとEverything、Everytimeって言いなさい? 高校生でしょ?」 俺が言い返さず鼻息一つ視線をそらしたのを降伏宣言と受け取ったらしく、ハルヒは悠々と団長席へと凱旋して行った。はいはい、俺は勝てませんよ。 そしてこちらを振り向いたその瞳は案の定の輝きを放っていた。 「それでは今から会議を始めます! 議題は夏休みの活動について――」 ハルヒの堂々たる迷惑宣言を片肘で聞きながら、実を言うと俺にはもう一つ謎があった。それを思い出し、古泉に問おうとしたときハルヒが来てしまったため、訊けなくなってしまったんだが――やはりやめておこうかと思う。 一つの時空を跨いでも揺らがない、ハルヒのあの笑顔がその理由だ。今はそれだけでいいじゃないか。 彼、『ジョン・スミス』がもう一度ハルヒの前に現れることはまだまだ先の話になるだろうなと俺は確信していた。 未来の俺よ。真実が明かされるときは必ずや訪れるんだろう? それまで、答えは保留ってことで手を打ってやってもいいぜ。 そうだ。どうせなら、今からでも来年の願いごとを考えておくか。
https://w.atwiki.jp/haruhi_vip2/pages/2500.html
俺は最近よく夢を見る。 普通、夢ってのは起き立てのころははっきり覚えていて、いい夢ならずっと覚えていよう、悪い夢なら すぐに忘れようと思ってしまうわけだが、いい夢だろうがなんだろうが、基本的に数時間経つとアウトライン すらはっきりせず、一日も経ると夢を見たことすら忘れてしまう。 でも、最近俺が見る夢は違うんだ。 ずっと覚えている。何故か。 内容は俺にも良くわからない。 ただ、目の前に焦土と化した大地があるだけの夢。 歩いて何処かにいくわけでもなく、かといって何かを考えるわけでもなく、 ただ、焦土と化した大地を眺めているだけの夢。 そこには俺以外の誰も介在しない。 ただ、俺と赤茶げた大地だけが在る夢。 唯一聴覚のみ開け、耳は悲しげな歌を拾う。 どんな歌かは判らないが、心の底から震えてしまうほど悲しげな歌が流れる夢。 夢は必ず覚めるもの。 だが、その夢だけは、何処か現実的で、覚める気配が全くしそうに無い夢。 ・・・とはいいつつも、やはり夢なので覚める。 奇妙な虚脱感に襲われながら。 まぁ、変な夢を見ようが世界はいまだハルヒ中心に回りやがる、そんな日々。 Sing in Silence ~涼宮ハルヒの融合~ 気がつけば2年生になってしまっていた究極凡人にして、 名前はあるが誰も本名で呼んでくれない悲しき高校生こと俺、キョンである。 SOS団なる恐らくこの都市、いやこの世界一奇妙かとも思われる学校非公認団体は、 某超能力者団体の息がかかる「自称」悪の生徒会会長からの圧力を受けたり、 SOS団並に奇妙な団体から事実上の宣戦布告をされたりしながらも、結成二年目に入ろうとしている。 俺やハルヒを含めて皆この一年で色々と変わった。多分最も変わったのは俺だろうが、誰も褒めてくれなどはしない。 まぁ、褒めてくれたところでどうなるわけでもないけどな。 残念ながら、この学び舎は一年の間に変化を遂げることは出来なかった。 来るべき夏に備えてクーラーを取り付ける気配も無ければ、誰かが扇風機を持ってくるような気配も無い。 そして、俺の後ろの席がハルヒ以外の誰かになることも、この一年の間遂に無かった。 ハルヒのトンデモ能力の所為なんだろうが、迷惑極まりないぜ。 そんな人に迷惑をかけることだけを考える生命体こと涼宮ハルヒは、俺の後ろの席でなにやら鼻歌を歌いながらノートに書きなぐっている。 授業中なら教師からの叱責等が必要になってくるだろうが、放課後なので特に俺も気にしない。いつもの事だしな。 「何描いてるんだ?ハルヒ」 なにやらどこぞの前衛ファッションデザイナーが書くような、一歩間違えばセクハラ、いや猥褻物陳列罪で検挙されてもおかしくないようなデザインの服を書きなぐっていた。 いやはや、絵心だけは人一倍、いや二倍はあるようだな。 「ナース服やメイド服とかだけじゃ飽き飽きしない?結成二年目に入ったことだし、みくるちゃんにはあたしプレゼンツな服でも着せようかな、と思ってさ」 やめとけ。そんなもの着せて朝比奈さんをうろつかせて見ろ。退学どころの話じゃなくなる。全国紙沙汰になるぜ。 「そりゃそうだけどさぁ・・・」 一年でちょっとは良識を持ったかに思われたハルヒだが、俺の見当違いだったみたいだな。 ハルヒはハルヒだ。まぁいざとなったら俺と長門と古泉でとめてやるから、好きにしてろ。 「ねえキョン」 何だ。 「あんた、何か願いってある?」 「何だ唐突に」 「あんたみたいな凡人だって、願いのひとつやふたつあるでしょ?」 ハルヒがこのまま何もやらかさず、まっとうに人生を送ってくれればそれでいいんだが、んな事言えるはずも無く 「・・・金塊、いや最もキロ単価の高いレアメタル塊でもいい。そんなのが家の庭から見つかれば良いな、とかなら」 「そんなの掘れば出てくるでしょ。もっとデッカイ願いを持ちなさい、デッカイのを!」 掘っても出てこないから言ってるんだろうが。そもそもデッカイ願いってなんだよ。 「そうね。反地球が実際に現れるとか、火星に突如として文明が興るとか・・・」 やめてくれ。宇宙戦争に発展しかねん。 「何よ。自分ひとりの事しか考えられないようなヤツに言われたくはないわ」 へいへい。 「まぁ、実際に現れたら現れたで困っちゃうだろうとは思うけどね」 「だな。だから、そういうのは『願い』じゃなくてあくまで『妄想』として片付けておくことをお勧めするぜ」 「あんたも人のこと言えないわよ」 違いないな。 「ともかく、あたしはみくるちゃんの衣装デザインに専念するから、あんたは先に部室にでも行ってなさい」 「了解した」 と生返事を返しつつも、俺は先刻のカバンおよび机の中身の大掃除によって生まれた不要不急書類(といっても小テスト類だが)の整理作業が残っていた。 ゴミ箱に突っ込むわけにも行かないので、簡単に整理することにした。 俺は小テストの結果を見返しながらため息を漏らし、後ろでハルヒはStratovariusのPapillonボーイソプラノパートを 口ずさみながらノリノリでカキカキしている。少しはその元気を俺に分けて欲しいもんだが。 気配だけだと、小学校にも上がらないくらいのガキがクレヨンでキャラクターを書きなぐっているような感じだ。 中身はガキ同然というか、体は大人、頭脳も大人、ただ精神構造のみ子供な迷団長様、絵を描くならもうちょっと静かに 描いてくださいませんか?とか脳内で文句を言いつつも、不要不急書類の分別に徹していた俺。 唐突にシャーペンの音と歌声が消えたが、まあ飽きたんだろうと思いつつしばらく作業を続けていたが、 それにしても物音がしなさ過ぎる。 まさかと思って後ろを振り向いた。 ハルヒが居なかった。 広げてあったであろうノートや筆記用具類、果てはカバンまで無く、その状態からもう部室にいっちまったのかと思ったが、 あのやかましい女が物音ひとつ立てずに俺の後ろから消え去る、なんてことがあるだろうか、としばらく思案をめぐらすも、 まあたまにはあるだろう。ひとまずそういうことにしておいた。 と言うわけで俺も早々に机のものを片付けて、いつもの様に部室棟へと行き、 いつもの様に部室のドアをノックしたわけだが、返事は無い。 あの可憐な上級生はいらっしゃらないのか?と思いつつ下着姿の朝比奈さんを拝めたらいいなぁとかも思いながら ゆっくりとドアを開けると 「まっていた」 俺が人の気配に気がつく前に、冷涼とした声が俺の耳に届いた。 長門だ。ハルヒは居ない。帰りやがったのか? ともかく、長門が自分から話しかけて来るなんて珍しい。何か問題が発生したんだろうとは思うが。もう慣れたぜ。 「どうした?またハルヒが何かやらかそうとしてんのか?」 窓際のパイプ椅子に腰掛けていた長門は、読んでいた分厚いハードカバー本をパタンと閉じ 「この時間平面上の情報が一部欠損、もしくは完全に置き換わっている。涼宮ハルヒ、朝比奈みくるがこの時間平面上から消失した。原因は不明」 えらくとんでもない事言ってくれるじゃないか。 「どういうことだ?」 カバンをひとまず机の上に投げ捨て、長門の前に行こうとする・・・が、なんだか様子がおかしい。 目の前に居て、実際に俺と話もしているのに『存在感』が一切無いんだ。 ・・・おまけに半透明だ。 「不明。私のエラーに起因する問題でないことだけは確か。それ以外は不明。私自身の存在確率維持も危うい状態。あなただけが頼り」 心なしか悲しそうな色を目に浮かべながら 「お前も消えちまうのか?」 「もうじき消える。全インターフェースおよび情報統合思念体とのコンタクトが不能―――――今すぐ、鶴屋家へ。鍵が見つかる――」 「長門っ!!」 あっという間だった。長門の声に一瞬ノイズ入ったかと思うと、次の瞬間音も無く長門は微粒子に帰した。 まるで雪が待っているように、長門を構成していたであろう微粒子が空間を漂っていたが、俺が放心している間に、いつの間にか消えちまった。 鶴屋家・・・って鶴屋さんの家だよな?鍵って何だよ。 だが、長門が行けっていうのだから、行くほかあるまい。 とにかく急ぐべし。何故か校門前に止まっていたガチホモマッガーレ印の 黒塗りタクシーに飛び乗って鶴屋家の前にやってきた。 恩に着るぜ古泉。 だが、ここからどうすればいいんだろうか。例によって入ろうにも門戸は硬く閉ざされているし、 インターホンを押すのも憚られる。だって、鶴屋家に来た理由が理由だからな。 話のわかる相手がインターホンに出てくれるとは限らないし。 うーん。この重いかんぬきのかかる門が自動ドアなら良いのにとか思っていたら、 ギィ、と音を立てて開いた。 鶴屋さんの話だと、インターホンだけじゃなくて監視カメラもついてるらしいから、 俺が門の前でうろちょろしてるのみて怪しまれたか。それとも鶴屋さんが助け舟を出 してくれたか。 「どうぞお入りください」 少なくとも、両方違ったようだ。おそらく鶴屋家の使用人か何かであろう女性が が開いた門から出てきた。 こちらの用件など聞かずに付いてくるよう促した女性に、ひとまず付いて行く事にし た俺は、例によって広い庭を抜け、これまた広い玄関をくぐり、長い廊下を歩き、客 間らしき広い和室へと通された。 意外にも、そこには先客が居た。 鶴屋さん?朝比奈さん?ハルヒか長門?古泉?いや、それら誰とも似つかない、年のこ ろ20中盤と言う感じの男が。 古泉に見習わせたいくらいの全く嫌味の無い笑顔で 「君か。常々話は聞いている。ま、そこに座ってくれると有難い」 と、男は自身の目の前に置かれた座布団を指した。 座ると、俺はまず男を精査すべく、失礼にならない範囲でまじまじと見つめた。 ダークスーツにネクタイ、タイピン。胸ポケットにはサングラスも入っているよう だ。いわゆる「メン・イン・ブラック」のようにも見える。 「さて、最初は世間話でもしてお互いを良く知るのが、初対面同士が打ち解けるきっかけになると 誰かさんは言ったが、悠長にそんなことやるような時間的余裕も心的余裕も無いはずだ。早速本題に入ろう。 まず、君は俺にいくつか聞きたいことがあるはずだ」 早速お見通し、ってヤツか。 まず、何を聞こうか。3人が消えたこと、長門から鶴屋家に行けと指示された理由、それから・・・ 「あなたは誰です?」 俺、いやSOS団の全てを知っている気がする。この男は。違いませんか? 「ご名答。君が、いやSOS団員各々が知りうる全ての情報を知っているつもりだよ、俺は」 宇宙人、未来人、超能力者、別な勢力の宇宙人、別な勢力の未来人、別な勢力の超能 力者と会ってきて、まだ遭遇していないものといえば異世界人だが、大概のことを知っているとなると少々違うものかもしれない。 「私は・・・そうだな。シュルツと名乗っておこう。何、固有名詞ほど往々にして不確かなものは無い。 少なくとも、我々にとってはね。時と場合、場所において使い分けていくものだ ―――と、んなことはまあいい。君は、俺を何だと思ってる? さしずめ異世界人か何かと思ったけど、何か違う、みたいなツラしてるけどさ」 そうだ、その通り。もしかしたらこの人、俺の心でも読んでるのか? 「我々は表情から心を読み取る程度の読心術を身につけてはいるが、流石に人の心を全て見透かすような高度な技を会得しては居ない」 「読んでるじゃないですか」 「まぁ、それくらい誰にだってできる。君だって、ある程度長門君や朝比奈君、そして涼宮君の心中を察することぐらいはできるだろう?」 それは一年間の努力の賜物ってもんだ。 「・・・まぁ、そうだな。ま、こんな話を続けていても不毛だ。そろそろ俺の正体を 明かしておく」 シュルツ氏は使用人さんが用意してくれたお茶を一口くちに含んで一間置くと、 「俺は外宇宙人・・・とでも言おうか」 あの時と同じように、世界は停止したかに思われた。 ずずっ、と氏がお茶をすする音だけが良く響く。 俺は悠長にお茶を啜るほど心に余裕は無かった。 そもそもなんだよ外宇宙人ってのは。まだ異世界人ならわかるような気もするけどな。 「相当困った顔をしてるな。まあ仕方が無い。そもそも、君たちが『観測』すること によって成立しているこの宇宙だが、知性が高度に発達した、この地球に住まう有機 生命体が現在持ちうる観測手段すべてを有効に用いたとしても、外宇宙のことを知る ことはまだ適わない。ま、ある程度観測結果から予測することはできているようだ が、あくまで仮定であり、真実ではない。それ『らしい』ということしかわからないからね。 だから君が俺を理解できるはずはない。なので『外宇宙人という人らしい』という認識 で十分かまわない。 ん?まだ何か知りたいという顔をしているようだな。当たり前だな。 こんなことを言われて『はいそうですか』と話を畳める人間など居よう筈も無いしね」 よく判ってらっしゃる。 「具体的に、外宇宙人、もとい貴方は何者なんです?」 「まあ、先ほど言ったようにあくまで『らしい』ということで十分、ってのは判って くれたとは思うので、以下突拍子も無い話をするが耳かっぽじって良く聞いてくれ」 再びお茶を一口くちに含んで一間置くと、 「俺は、全ての宇宙を統括するアカシックレコードより派遣された、事象管理者の一分子だ」 ・・・なんだって? 「徹底的に平たく言ってしまうと、歴史を変革する手助けをする人々の一人だ」 全然平たく無いぞ、お兄さん。 飛鳥本あたりを愛読してる、超能力宇宙人ユダヤ人の陰謀何でも大好き兄ちゃんなのだろうか。 そういや何かのトンデモ本で見たが、アカシックレコードってのは「過去、未来すべての歴史が記されている”存在”」らしい。 ってことは、長門の親玉よりとんでもない存在らしいから、何でも知ってる。そういうわけか? 「ま、それ『らしい』ってことでいいんだよ。こんな中二病患者的な事いきなり言っても混乱するだけだよな、すまない。真剣に考えなくていい」 液体窒素冷却でもしないと文字通り数秒で吹っ飛んでしまいそうな、超絶オーバークロックを 施したCPUみたいな状態に俺の脳内が達しつつあるってのを知ってか知らずか、 スマイル70%申し訳なさ30%の比率の顔でシュルツ氏は語りかけてくれた。 「つまり、長門やその親玉以上に全知全能の神様みたいなもの、ってことでしょうか?」 「だね。つまるところそうだ。ま、長門君とは違い、我々の処理能力にはある程度足かせがはめられてるがね」 ということは・・・だ。今回のSOS団員の消滅事件についても全て知っている、ということなのでしょうかね? 「ま、大方そういうことだ」 『ま』が多いお方だ。いろんな意味でな。 「俺がここに現れた目的だが、ご想像にお任せする。カンのよさそうな君なら判るだろう」 さしずめ、今まで外界から監視しているだけだったハルヒが、俺以外の団員ごと行方をくらましたからだろう。 「そういうことだ」 大体のことを知ってるのなら、解決する手段も持ち合わせているか、少なくとも解決方法ぐらい知っているんじゃないのか? 「なぜ俺の前に現れたんです?超凡人な俺が介在しなくても、トンデモ能力持ってそうなあなた方なら、消滅事件は解決できるんじゃないんですか?」 「それはだ、事件解決の手段、いやキーの一つを、君が持っているからだ。それを知らせに、俺は君のもとへ現れた」 長門といいこの人といい、皆俺を頼りすぎだ。何処かをうろついてるだろう古泉にもそのキーとやらを持たせてくれたら、俺は俺で大助かりなんだが。 「君はな。宇宙人、未来人、超能力者やその関係者がいるSOS団やそれに関連する人の中で唯一、涼宮君に一番近いうちの一人でありながらどの勢力の影響下にも居ない、貴重な人間なんだ」 ごく平凡な一個人でありたかったけどね。 「でも、ある意味謳歌してるんだろう?この状況を」 確かにね。この一年ちょっとの間に俺は成長した。いや、単に開き直りの境地を超えて、SOS団の純朴なる構成要素のひとつと化すことにある種の快楽を覚え、 脳内麻薬がドバドバとでちまうような、そんなヤバゲな脳になっちまってるのかもしれないが、確かに心底楽しんでるんだよな、俺。 「というわけでだ。君はこれから、己が思うままに行動してくれ」 あのう? 俺って何かキーを持ってるんですよね。なら、そのキーが合うような鍵穴を見つけなければならんわけだ。だけど、俺には未来を知る術もないし、 長門のような宇宙的超絶能力も持ってないし、古泉のように巨大な情報網も持ってないし手からエネルギー弾も出せない。 思ったとおりに行動できるはずも、していいはずもないと思うんだが。 「君自体が”鍵”なんだ。これ以上詳しくは俺からもいえない。だが、君が彼女らを取り戻そうと思う限り、君が求める鍵穴は君の目の前に現れる。大丈夫だ」 そうニカッと笑われても・・・ねぇ? とにかく、やるしかないようだ。 やるって何を? 自分でもわからんさ、残念ながらな。 シュルツ氏は特に連絡先などを告げることなく、頑張れよ若いのと俺の肩をぽんと叩いて、俺より先に客間を後にした。 そういやこの謎会合の場は鶴屋さんの家だったりもしたんだが、鶴屋さんとは会わなかった。法事か何かに行ってるんだろうか。 ともかく、その日はそのまま家路について飯をかっ食らい、風呂に入りながら色々と思案をめぐらし、そのまま布団にもぐりこんで平和裏に寝ちまったわけだが、 翌日のっけからとんでもないモノを目にしちまうってわかってれば・・・少しは心の準備ができたんだが。 翌日。少々どきどきしながら登校し教室に入った俺だったが、俺の後ろのハルヒの席であったところに、何かが居た。 何か。 何かである。 いや、もうなんというか名状し難い。 あの初期ハルヒのオーラを身にまとい、巨乳と無表情な童顔。朝比奈さん・・・でもなく、長門・・・でもなく、ハルヒ・・・に若干近いが違う。 言うなれば「あの三人に似た全く別の人間」である。 不意にこっちをむいたその「何か」は 「おはよう」 ひゃうっ!と思わず口走ってしまうほど唐突に、朝の挨拶を俺に投げかけた。 「どうしたの」 こっちがどうしたんだと問いたい。お前は誰だ。 「涼門みるき」 ・・・なんだって? 「涼門みるき」 す・・・ずかどみるき? 「そう。三回聞き返した。若年性痴呆の可能性がある。良い病院を紹介しようか」 会話に疑問符も感嘆符も一切つけない「何か」ことこの「涼門みるき」なる女であるが、なる ほど、あの三人の名前が適度に交じり合っているので、あの消えた三人を適度にミックスしつつ ハルヒよりに再構築させたような雰囲気と風貌をあわせもっている。 っておい! 「落ち着きなさい。あたしになにか言いたいことがあるようだけど、どうかした」 「あ・・・いや、別に・・・」 「おかしなキョン。まあいいか」 と机の中から取り出した何やら巨大な医学書を開き、みるきは静かに読み始めた。 「面白いか、それ」 「ユニーク」 まるで長門と会話してるようだったが、声質は全然違う。当たりまえっちゃ当たり前 だが、当たり前で済んで欲しくはない俺は、いつも惰眠をむさぼりたい時間帯である 予鈴から1時間目にかけての間、脳みそをフル稼働させて脳内人格会議を行うも、もとより尽くす策 ははじめから持ち合わせていない俺にとっては時間の無駄以外の何者でも無かったよ うで、いつものように惰眠をむさぼるべく数学教師の太陽拳的頭頂部を眺めつつ眠り の沼に沈んだ。 かに思われた。 眠りの沼へ全身が没しようとした瞬間、いきなり後頭部を打撃が見舞い、ついでに勢 いあまって国語の教科書と硬い机にも頭突きを見舞い、俺は悶絶した。 「・・・ってめぇ」 後ろの野郎だ。なんてことをしてくれる、俺のそんなに多くない脳細胞がいち早く死 滅することになるだろうが。 「授業中。寝ないで」 ああ判ってるさ、授業は寝ないで真摯に聞いてこそ価値あるもんだ。だがな、お前 だっていつもそうしてたじゃないか、なあハル・・・。 顔に苦悶の表情を浮かべつつ後ろの席を顧みた俺は、つむぎかけた言葉を飲み込み、溜息する。 ハルヒじゃねえんだっけな・・・ ハルヒよ、どこに行ってしまったんだ。こんなにお前が恋しくなるとはおもわなんだぜ。 『わたしは ここにいる』 脳内に声が響いた。ハルヒの声・・・だな。どうやら二重打撃の所為で俺の脳みそは とうとう異常をきたしてしまったらしい・・・。 『わたしは ここにいる だから助けろって言ってんでしょバカキョン!!』 不意にその声は途切れ、ついでに頭痛も治まった。いつも頭痛のタネだったハルヒの 声で頭痛が治まるとは、なんというショック療法。 いや、そういう問題じゃない。問題はなんでハルヒの声がしたかなんだが・・・ 改めて後ろを振り向くも、後ろには俺が寝ないように見張りつつ高速でペンを動かし て綺麗な明朝体で黒板の文字を速記するみるきの姿があるのみで、ハルヒなんざは居 ない。いや、居るのか?この『みるき』の中に。 もう声はしない。 でも、居る気がする。確実に。 なんでかって? カンさ。だけど、なんだかんだ言ったって、ハルヒの一番近くに居た人間の一人であ る俺が言うんだ。間違いない。 ・・・と思う。 「その考えは間違ってはいません。むしろ正解に近いかと」 とは、1時間目終了とともに教室を飛び出したら、何故か教室の外にいやがった古泉の野郎の弁だ。まったく、この異常事態によくそんな無意味スマイルを纏っていられる。 「涼門みるきなる女性は、涼宮さん、長門さん、朝比奈さんの融合体・・・といったところでしょうか」 んなん見りゃわかるさ。ってか、お前も事情を知ってるんだな? 「ええ、昨日あなたが会ったあの男性ですが、我々の協力者のようなものです。そうですね。少なくとも、今の朝比奈さんより未来から来た朝比奈さんや、 長門さんの親玉よりははるかに信頼の置ける相手かと思われます。あの彼から自由に動いていいと言われるなんて、うらやましい限りです」 まぁ、神様から『成せば成る』と言われるようなものだからな。 「そうそう、この懸案は我々主導で解決させるということに決定しました。彼は伝えることを伝えたので、またスタンドからの観戦に戻るそうで」 あの人がいれば百人力のような気もするんだが。 「彼・・・いや、超高次存在――我々はアカシックレコードのことを暫定的にそう呼んでいます――それから遣わされている彼らは、長門さん以上の制限を課せられているようで、 自由に動けないらしいんですよ」 なら仕方ないか。古泉、少しはお前も手伝えよ。 「わかってます」 シュルツ氏と違い、なんだか好きになれんスマイルで俺を見つめてくる。ああっ、近い、息を吹きかけるな! 「僕に出来ることなら、なんなりとお申し付けを。それより、シュルツ氏からかなり有益な情報を戴きました。 「ほう」 「涼門みるきなる女性ですが、彼女は涼宮さんの願望がキーとなって生まれたようです」 またか。またハルヒの願望の所為か。全く、ちったあまともな願望は無いのか、ハルヒには。 「いや、あくまでキーに過ぎません。この現象は、涼宮さんの願望がキーとなり、朝比奈さんの願望、長門さんの願望が互いに交じり合った結果発生したものとシュルツ氏らは考えているようです」 こったようです」 「どういうことだよ、それは」 「涼宮さんが抱いていた、『可愛さや巨乳』への憧れ、朝比奈さんが抱いていた、『知』への憧れ、長門さんが抱いていた、『自由』への憧れ・・・。三人とも、それら誰かがあこがれるもののうちひとつだけは持っています。 しかしながら、無いものを強く求めた。だから、融合してしまったんです」 「ちょっと無理やり過ぎないか?」 ハルヒは朝比奈さんとまた別な可愛さを持ってると思うぜ。無意味スマイルをさらに増強させた古泉は 「そうなんです。無理やりですよね。でも、無理やりなことでも起こしてしまう、それが涼宮さんなんですよ」 あくまでキーはあなたです。何事もあなた主導で、と言い残し、古泉はさっさと自分のクラスに戻っていった。 役立たずめとも言いたくなったが、俺も尽くす策は何も持ち合わせてない役立たずなんだよなぁ・・・ やれやれだぜ。 次
https://w.atwiki.jp/haruhi_vip/pages/3907.html
翌日の朝。俺は懐かしい早朝ハイキングコースを歩いて学校へと向かっていた。 とは言っても、向こうの世界じゃ毎日のように往復していたけどな。 北高に入り、下駄箱で靴を履き替えていると、 「おっ。キョンくん。おはようっさ。今日もめがっさ元気かい?」 「キョンくん、おはようございます」 鶴屋さんの元気な声と朝からエンジェル降臨・朝比奈さんの可憐なボイスが俺を出迎えてくれた。 何か向こうの世界じゃ何度も聞いていたのに、帰ってきたという実感があるだけで凄く懐かしい気分になるのはなぜだろう? 靴を履き替え終わった頃、長門が昇降口に入ってきた。 「よう、今日も元気か?」 「問題ない」 声をかけてやったが、やっぱり帰ってきたのは最低限の言葉だけだ。ただし、全身から発しているオーラを見る限り 今日の朝は気分はそこそこみたいだな。 階段を上がっている途中で、なぜか生徒会長と共にいる古泉に遭遇する。 「やあ、これはおはようございます――どうしました? 何かいつもと雰囲気がちょっと違うように見えますが」 「朝からお前と遭遇して、せっかくの良い気分がぶちこわしになっただけだ」 「これは手厳しい」 ふと、俺はあることを思い出し、古泉と生徒会長を交互に見渡して、 「とりあえずご苦労さんとだけ言っておく」 「はい?」 俺の台詞の意味がわからず、呆然とする古泉と生徒会長を尻目に俺は自分の教室へと向かった。 そして、教室に入ってみれば、ハルヒのしかめっ面が俺をお出迎えだ。 少しはこっちの気分を読んで欲しいぞ、全く。 「遅い! せっかく良いもの見つけたから、朝ご飯食べながら学校に走ってきたのに!」 「お前の都合でどうこう言われても困るぞ」 団長様のありがたい怒声を聞きつつ、俺は自分の席に座る。 見ればハルヒは机の上にチラシを沢山並べていた。どうやら何かの催しの案内らしいな。今度は何だ。 全米川下り選手権にでも丸太に乗って参加するつもりか? 「ほら見てよ、これって凄くおもしろそうじゃない? ついでにSOS団のアピールもバッチリだわ! これは――」 意気揚々と語り始めるハルヒ。俺はそれを耳から垂れ流しつつ、ちょっとした考え事に入る。 最初に言っておくが、これは昨日の夜家に帰って風呂に入りながら考えた俺の妄想だ。 俺はずっと向こう側の世界に行って、SOS団を作り上げるまで試行錯誤しまくってきたわけだが、 実際のところ不可解な点もたくさんあるのが実情だ。 特に情報統合思念体については明らかに矛盾している点がある。連中は長門によるハルヒの力の使用は二度あって、 一度はハルヒのリセットで隠蔽、もう一つは直前で阻止したようだったが、今俺が帰ってきた世界の長門の世界改変分が カウントされていないのはなぜだ? 最初に聞かされた話じゃ、ここの連中とあっちの連中も結局は同じもののはずだからな。 そう考えれば、俺の知る限り長門による力の行使は三回あったはず。これはあきらかに矛盾している。 じゃあ、実はハルヒの勘違いで、こことあっちの連中は実は別物と言う可能性はどうだろうか? 一応パラレルワールドみたいなものだし、 その分だけ情報統合思念体が存在していてもおかしくはない。が、それはそれで矛盾がある。見たところ同じような考えを持った 存在だったことを考えれば、この世界で長門が世界改変を実施したら、同じように長門の初期化、さらにハルヒの排除という 流れになるんじゃないだろうか。向こうの連中は過剰反応しただけで済ませるにはどうにも腑に落ちない。 まあ、なんだ。前置きが長くなったが言いたいことはこういうことだ。 俺が去った後にリセットされてやり直されている世界――それが今俺のいる世界なんじゃないかってね。 つまり俺はずっとここに至るまでの軌跡をずっと描き続けてきたってことだ。 情報統合思念体にも実は俺たちとは違うが時間の流れみたいなものがあって、あの交渉の結果、 この世界では長門の世界改変がスルーされた。約束通りに。 それだといろいろつじつまの合うことも多い。 ハルヒがどうして宇宙人(長門)・未来人(朝比奈さん)・超能力者(古泉)・異世界人(俺)がいることを望んでいたのか。 それは最初からSOS団を作るために、探していたんじゃないだろうか。だからこそ、不思議なことを探してはいるものの、 全員そろっている現状に密かに満足しているのではないのか。それだと唯一いないと言われている異世界人は、俺だし。 それに…… ―――― ―――― ―――― なーんてな。考えすぎにもほどがある。本当にそうなら、今目の前にいるハルヒは自分が神的変態パワーを持っていることを 自覚していることになっちまうが、それなら最初に世界を作り替えようとしてしまったこととか、元祖エンドレスサマーとかの 説明が全くつかなくなってしまう。自覚してあんなデリケートな性格になっているんだから、あえてやるわけがない。 普段の素振りを見ても、そんな風にはとても見えないしな。自覚しているハルヒを知っている身としては。 ……ただし。 ――あんたの世界のあたしがうらやましい。何も知らずにただみんなと一緒に遊んでいられるんだから―― この言葉が少々引っかかるが。 まあ、どっちにしろ凡人たる俺にそんなことがわかるわけもない。一々確認するのも億劫だし、面倒だ。 現状のSOS団に満足しているのに、わざわざヤブを突っつく必要なんてあるまい。 俺の妄想が本当かどうかはその内わかるさ――その内な。この世界も別の神とか宇宙的勢力とか出てきて、 まだまだ騒がしい非日常が続いて行きそうな臭いがプンプンしているし。 「ちょっとキョン! ちゃんと聞いているの!?」 突然ハルヒが俺のネクタイを引っ張ってきた。やれやれ、妄想もここまでにしておくか。 俺はハルヒの手をふりほどきつつ、 「で、次はどこに連れて行ってくれるんだ?」 その問いかけにハルヒはふふんと腕を組み、実に楽しそうな100W笑顔を浮かべて、 「聞いて驚きなさい。次はね――」 ~涼宮ハルヒの軌跡 完~
https://w.atwiki.jp/haruhi_vip2/pages/1027.html
第七章 俺たちは30分ほどで学校に着いた。 そしてやっぱり神人が暴れていて校舎もめちゃくちゃだったし、校庭には神人に投げ飛ばされたと見られる校舎の残骸が投げ捨てられていてこの世の風景とは思えないようだった。 ハルヒはもうどうしていいのかわからないようにこう言った。 「ねえ、キョン。いったい学校に来てどうするつもりなの?」 「わからん。とりあえず校庭のど真ん中に行こうと思う。」 ど真ん中とはお察しの通り俺とハルヒが昔キスをした場所だ。 そこに着けば恐らく何らかのアクションが起きるはずなのだ、そうでなければあの未来人や朝比奈さんが止めるはずである。 俺はハルヒを半分無理やりど真ん中に連れて行った。 そのとき、ポケットに入っていた金属棒が金色に柱のように光りだし、ハルヒと俺を光の中に入れた。何がどうなってるんだ。 俺は慌ててポケットから金属棒を取り出した。 これでハルヒが普通の人間に戻ったのか? もちろんそんなわけは無く、その金属棒にひびが入った。 ピキピキ…割れていく。 中から茶色い棒が出てきた。 俺の嫌な予感は的中し、金属棒の中からポッ○ーが… やはりそうか。 ポッ○ーゲームか、それでキスしろってのか。 ハルヒは察したのか俺からポッ○ーを奪い取り口に加えて目を閉じた。 俺も目をつむりポッ○ーをくわえたそのとき、前のときのような光が世界を包み俺たちを元の世界に返した。 たまたまグラウンドはどの部活も使用してはいなかった。 あれ?朝比奈さんやら古泉やら長門やらはどこに行ったんだ? 閉鎖空間に閉じ込められたのか?だとしたら神人が全部消滅するまで空間は消滅しないはずである。 だとしたら朝比奈さんたちはどうなる。 いやハルヒの能力が消えたのだから閉鎖空間も消滅したのか?古泉は何も言ってはいなかった。 その時、後ろで俺を呼ぶ声がした。 「キョン君!」 朝比奈さんである。あの未来人と(小)方もいる、気絶したまま(大)にかつがれてるが…。 「朝比奈さんたち、どうしてここに?」 「古泉君に言われたんです。学校に向かってくださいと。これも規定事項ですし。」 「そうですか。」 この時ハルヒがあることに気付いた。 「有希は?」 そうだ長門は?朝倉と交戦中のはずのやつはどこに言ったんだ。 その問いには朝比奈さんが答えた。 「長門さんはあと1分ほどでここに現れるはずです。朝倉さんって人を倒して。」 よかった。 じゃあ古泉はどうなったんだ。 まさかあのとんでも空間に閉じ込められたままなのか? 長門がやってきた、古泉の事を聞いてみる。 「古泉一樹は閉鎖空間に残り、自爆して全て倒すつもり。」 自爆?自爆ってあれか?ボーンってなって死んじまうあれか? 「そう。」 古泉はどうなるんだ。 「死ぬ。」 どうにかならないのか。 「ならない。そうしなければ世界が滅ぶ。古泉一樹は世界を守るために死を選んだ。」 くそっ、俺の許可なしで死にやがって。 ハルヒは悲しい顔で「私のせいよ、私が転校生が来て欲しいなんて思ったから。だから古泉君は…」 落ち着けハルヒ。お前は何も悪くないし古泉のことは悲しいが今はこの状況を何とかすることが先決だ。俺たちを助けてくれた古泉のためにもな。 長門。朝倉はどうなった。 長門はいつぞやのカマドウマのとき同様、校門を指を刺した。 「すぐそこ。すぐ倒す。もう余裕は無いはず。」 その直後、校門から高速で何かが走ってきた。勿論。朝倉である。 朝倉は長門めがけて突っ込んできた。 不謹慎かもしれんがターゲットが長門でよかった。 ターゲットが俺なら一瞬でことは終わっていたからな。 長門は校庭のど真ん中で戦闘をおっぱじめた。 轟音が鳴り響く。 轟音で朝比奈さんが目を覚ました。 「ふえ?ここどこですか?あれ?この人私にそっくり。誰なんですか?そっちの男の人も。古泉君はどこいったんですか?」 なんというか、どっから説明していいのか。 とりあえずここで目を覚ますのは朝比奈さん(大)にとって来てい事項なんだろうか。朝比奈さん(大)に目配せしてみる。 朝比奈さん(大)が頷いた。 俺はいまいち状況を理解できていない朝比奈さんに説明した。 「この人は今の朝比奈さんよりも未来から来た朝比奈さんです。恐らく今まで朝比奈さんに命令を出してたのもこの人です。」 「え?そんな、まさか。」やっぱりと言うかなんと言うか、やはり混乱した。一応孤島のときのこともあるので古泉のことは伏せておいた。 朝比奈さん(大)が口を開く「そうです、私は未来のあなたです、いろいろな指令をいつも出していたのも私です。それからキョン君、この騒動が終わったらこの子にこの子がするべきことを全て教えてあげてください。」 「え?わかりました。」どういう意味だろう。七夕のときや一週間後の朝比奈さんが来たときの手紙のことを教えてあげればいいのだろうか。 長門が交戦中にも関わらずこっちを向いて叫んだ。「ダメッ!!」 すると「確かに頼みましたよ。」といって朝比奈さんの後ろで盾になるように大の字になった。 その瞬間である。鉄砲か何か、もしかしたら光線銃のようなものかも知れない。 一線。 俺の盾となってくれた朝比奈さんは倒れた。飛んできたであろう方向からは何も見えない。 血まみれになって倒れた朝比奈さん(大)を支えてあげる。「これも規定事項ですから…」 そう言って朝比奈さんは目を閉じた。 俺はハルヒに叫んだ。「朝比奈さんに見せるな!!!」 ハルヒは急いで朝比奈さんに抱きつき視界をふさぐ。 だが何もかも遅い。朝比奈さんは泣きじゃくり倒れこんでしまった。 ここで突っ立って傍観していた未来の俺が地団駄を踏み口を開いた。 「まさか!クソっ!それで未来を守ったのか。クソっ!」 そうか。朝比奈さんが朝比奈さん(大)を認識することで現在と未来がつながったのか。 それなら俺と未来人の時でも同じことが言えるのだが恐らくハルヒが生み出した不安定な未来なので朝比奈さんが朝比奈さん(大)を認識することで上書きされたのか。 恐らくこの未来人の規定ではここで朝比奈さんが死に、朝比奈さん(大)の存在に矛盾を出すためだったのであろう。 と言うことは未来人戦はこちらの勝利である。大きな犠牲を払ったが。 とち狂ったように未来人が言った。「もうお前ら全員殺してやる。」 おいおい未来の俺よ。なに言ってやがんだ。 その時、突然空が無数の点により暗くなった。 なんだありゃ。いろいろありすぎてわけがわからん。 第八章
https://w.atwiki.jp/haruhi_vip/pages/2646.html
屋上に出てきてからどれくらい経っただろう。 もうすでにかなり経った気がしないでもないが、こういうときは想像以上に時間が長く感じてしまうものだ。 それにしても一体何が起こっているんだ? 俺がもう一人いる!?どういうことだ?どこからか現れたのか? 一番ありえるのは未来から来たということだろう。となると朝比奈さんがらみか? 大きい朝比奈さんか? とにかく少しばかりややこしい事態になっているようだな。 と、そこで屋上のドアが開かれた。 「古泉、……と俺か」 『涼宮ハルヒの交流』 ―第二章― 古泉ともう一人の『俺』が屋上に出てくる。 「おや、あまり驚いていないようですね」 「さっき声が聞こえたからな。そうだろうと思っていた。もちろん最初は慌てたが」 俺は『俺』の方を向き、古泉に尋ねる。 「で、そっちの『俺』は未来から来たのか?」 「な、それはお前の方じゃないのか?」 俺の質問に『俺』が声を荒げる。 「やはりそうですか……」 古泉が呟くように口を開いた。 「古泉、どういうことだ?」 「僕も初めはそう思いました。あなたが二人いるということは、どちらかが未来から来たのだろう。 だとすると、どちらかはあなたがこの時間に二人いるということを当然知っているはず、と。 しかし、あなたとは部室に向かう際に、こちらのあなたとは今ここに来る際に少し話をしましたが、 どちらのあなたにもそのような様子は見られませんでしたから、そういうこともあるかとは思いました。 いちおう確認しますが、あなたも違うのですよね?」 もちろん俺も未来から来た、なんてことはない。 「つまり俺もそっちの『俺』も未来から来たというわけではない、ということか」 「おそらくは。ちなみに今日がいつかはご存知ですか?」 「今日?ご存知も何もG.W明けの憂鬱な月曜日だろ。……まさか、違うのか!?」 「いえ、そのとおりです。ということは未来から無理矢理に連れてこられたということもないようですね」 静観していた『俺』が口を挟む。 「そっちの俺が嘘を吐いている、ということはなさそうか?」 「おそらくそれはないかと。あなたも嘘は苦手でしょう?僕なら簡単に見破れます」 「……なんか複雑だな」 『俺』は苦笑いを浮かべている。 「じゃあどういうことなんだろうな。古泉はどう思うんだ?」 古泉はお手上げといったポーズをとる。 「正直言ってさっぱりです。ひょっとすると涼宮さんの力が関係しているのかも、という程度です」 「どういうことだ?ハルヒの力が働けばわかるんじゃないのか?」 「厳密に言いますと、涼宮さんの力は無視できるレベルにおいては常に働いている、とも言えます。 そうですね、例えて言うなら我々がまばたきをするようなものです。 まばたきの際には無意識に一瞬目をつぶりますが、普通はそれによって何かが起こることはありません。 そのレベルで涼宮さんは無意識的にいつも力を使っていると言える、ということです」 「それはまずいことなのか?」 「いえ、それによって何かに影響が出たことは、我々の知る限り今までは一度もありません」 「なら問題ないんじゃないか?」 「あくまでも『我々が知る限り』『今まで』ということです」 「なるほどな。知らない範囲で起きている可能性は完全に否定はできないということか」 「そういうことです。僕としてはまずありえないと思うのですが……、他には思い付きません」 そういって残念そうに笑う。 「ちなみにそれだとお前はどう思うんだ?」 『俺』が古泉に尋ねる。 「何らかの理由によって、あなたが二人いて欲しい、と涼宮さんが思ったのではないでしょうか」 「さっき俺が役立たずと思いっきり罵られていたからか?」 『俺』はひきつったような笑みを浮かべている。 「二人で一人前ということですか。それはまた面白いですね」 いや、面白くないし、全く笑えん。が、 「ということは俺が一人前になれば全て解決ということだな」 そのとき後ろから突然もう一人声が加わる。 「そうではない」 「「な、長門!?」」 俺と『俺』は声を合わせて振り返る。 「ああ、長門さんには後で屋上に来てもらえるよう頼んでおきました。どうにも僕の手に余りそうだったので。 ところで、違うとはどういうことでしょう?仮定が間違いということでしょうか?」 「そういう意味ではない」 「と、言いますと?」 「それで解決とは言えない」 「どういうことでしょう?……長門さんの考えを聞かせてもらえますか?」 と、手で長門の発言を促す。 「最初に言っておく。これは情報統合思念体によって起こされた現象ではない。情報統合思念体は無関係。 そして、ここにいる二人は異時間同位体ではない。つまり別の人間」 「つまり宇宙人も未来人も関係していないということですか……。なるほど」 「以上のことからこれは涼宮ハルヒによって引き起こされたものと推測できる。ただし断定はできない。 その理由は我々にも涼宮ハルヒの力の発現が確認できなかったから」 つまり消去方でハルヒの力というわけか。 「そう」 古泉は言いづらそうに長門に尋ねる。 「ところで……言い方が非常に難しいのですが。長門さんにはどちらが本来の彼かわかりますか? いえ、本来のというよりも……我々の知る彼、と言うべきでしょうか?」 「それはどっちが本物か、って意味か?」 『俺』がすぐに古泉に確認する。 「……すいません。乱暴な言い方をするとそうなります」 古泉が本当に申し訳なさそうな顔を浮かべたので、俺は慌ててフォローする。 「いや、謝ることはない。俺たちも気になるし。な?」 「ああ」 と、『俺』も頷く。 とは言ってみたものの正直言って気が気じゃない。 まさか、俺が偽者なんてことはないよな。長門が間違えることはないだろうし。頼むぜ、長門。 俺たち二人に交互に視線を合わせた後、 「どちらが本物かという意味においては判断ができない」 「どういうことでしょう?」 「我々が今まで共に過ごしてきた方を本物とする根拠がない」 「なるほど。我々がよく知るからといって、そちらの彼がが本物とは限らない、ということですか」 「そう」 「では、今まで一緒にいた彼がどちらかというのはわかるのでしょうか?」 「わかる。……今まで一年間我々と共に過ごしてきたのはあなた」 長門はそう言い『俺』の方に向き直る。 「――っ、えっ!?」 俺……じゃないのか? じゃあ、俺は? ……偽者? 偽者なのか? ハルヒの力で生まれた、偽者? 「ちょっ、ちょっと待ってくれよ!なんでだよ!」 もう何が何だかわからない。 そんな馬鹿な。 俺は昨日までもSOS団の一人として、みんなと過ごしてきたはずだ。 そして今日もさっきまで教室で授業を受けていた。クラスメイトとも会った。ハルヒとも話をした。 「落ち着いてください!別にあなたが偽者と言っているわけじゃありません」 「言ってるだろ!じゃあ俺はなんなんだよ。この記憶は嘘だっていうのかよ!どうなってんだよ!」 頭に血が上り、思わず古泉に詰め寄る。 「そ、それは……」 そのとき後ろから俺の手がギュッと握られる。 「落ち着いて。……お願い」 「な、……長門」 ハッと我に返る。 長門はじっと俺の目を見つめてくる。悲しいが、優しい目だ。 ……こんな長門の目を見たのは初めてだな。 初めて……か。 「す、すまん。古泉」 「いいえ。僕が変なことを聞いたせいです。本当にすいません」 古泉は本当に申し訳なさそうな様子だ。 別に古泉が悪いわけじゃないんだけどな。 「……いや、俺も知りたいと言ったわけだし。それに、大事なことだろ」 二人して黙り込んでしまったところに『俺』が申し訳なさそうに話を続ける。 「……長門、結局どうなっていてどうすればいいかわかるか?」 無神経なやつだな。と、少し思ったが、このままの空気は正直きつかったので実際には助かった。 まぁ、俺だしな。多少の無神経は仕方がないか。 「わからない。可能性としては古泉一樹の言ったこともあり得る」 「ならとりあえず何らかの方法でハルヒを満足させてやれば問題はないんじゃないか?」 「問題はある」 「なんでだ?この事態をおさめるにはそれしかないと思うんだが」 「違いますよ。……この事態をおさめることに少しばかり問題があるのです」 古泉が慌てて口を挟む。 どういうことだ? 少しばかり考えごとをしていたら話に全くついていけなくなっちまったぜ。参ったな。 とはいっても『俺』もついていけてないみたいだがな。 「何の問題があるんだ?」 再び尋ねている。古泉は長門と顔を見合わせた後、ゆっくりと話す。 「これが解決すると、彼が……消える可能性があります」 「どういう意味だ?」 「もし彼がどこかから来たのであればそこに帰るだけでしょうが、そうでないならば……」 「あっ!……」 『俺』の顔色が変わる。 そうだな。二人いてそれを一人に戻すということは俺が消えるってことになるか。 ……死ぬってことになるんだよな。 『俺』が慌てて俺の方を向いて言う。 「……すまん」 「いや、気にするな」 また沈黙が訪れる。 「もちろんそうでないという可能性もあります。 例えばあなたが涼宮さんの力によってパラレルワールドからやって来たというのもあり得ることですし、 逆に涼宮さんの力によってあなた以外の全てが創り変えられたということも無いとは言いきれません」 可能性か。確かにそうなんだろうが。 「でも、お前はその可能性は低いと思うんだよな?」 「……すいません」 「いや、気にするな。お前が謝ることじゃない」 とりあえずこれからどうするかが問題だな。 「古泉、なら俺はどうしたらいい?」 「そうですね。ずっとこのままでいるというわけにはいかないでしょうが、少し様子を見ましょう。 あなたにも考える時間が要りようかと」 そうだな。まだ頭の中がごちゃごちゃしてよくわからん。 「とりあえず、ゆっくりと息をつけて考えたい」 このまま『俺』と顔を合わせてたんじゃ、なんとなく落ち着かん。 家に帰ってからじっくりと考えることにするか。 ……ん、家? 「あなたは家には帰れない。私のところに」 確かに俺が二人帰ると家の中がとんでもないことになってしまうな。 「そうだな、そうするしかないか」 「そう」 長門は微かに頷く。 「けどいいのか?迷惑じゃないか?」 「ない。他に行きたい所でも?」 「いや、そういうわけじゃない。もちろんありがたい」 「なら問題ない」 結局また長門の世話になっちまうみたいだな。 「では今日のところはこのくらいにしておきますか。僕もこれからのことを考えておきます」 「ああ、頼むぜ。何かわかったらよろしくな」 「帰る」 と言って歩き出した長門に従いその場を後にする。 「俺もできるだけのことはしたいと思う。できることがあれば言ってくれ」 『俺』が後ろから声をかける。 「色々とめんどくさそうなことになってすまんな。何かあれば言うことにするさ」 ◇◇◇◇◇ 第三章へ