約 2,287,851 件
https://w.atwiki.jp/haruhi_vip/pages/5762.html
あの日の午後。あたしは有希と映画を見に行った。 なんてことはないコメディ映画。 どうしても見たかったわけではないが、何かしらの理由をつけて有希と遊びに行きたかった。 もちろん有希は、いつも通りのなんともいえない反応。 そりゃそうよね、コメディ映画のくせに中途半端だったし。 面白ければ、有希は決まってこう言う。 ユニーク、って。 最近は暇さえあれば、有希を引っ張って色々出かけている。 動物園や遊園地、ウィンドウショッピング、今日の映画だってそう。 なんだかデートみたい。 分かってると思うけど、あたしに同性愛の趣味はないわよ? 一緒に行った場所は、本当はあいつに連れて行って欲しかった場所。 もう無理だと分かっていても望んでしまう。 あたしってばしつこい女よね。 でも胸の内くらいならいいじゃない。 もちろん有希をあいつの代わりにしているわけじゃない。 有希は大事な大事な親友。 みくるちゃんや古泉君、鶴屋さんだって大切な友達。 でも、今のあたしがほんとの意味で心を開けるのは、有希だけ。 寡黙で無表情。何を考えてるか分かるようになるまで、随分とかかったわ。 だけどそんな有希と一緒にいるときのあたしは、とても穏やかでいられる。 でもその日の有希は、最初から用事があったらしく、映画を見終わった後に帰ってしまった。 まったく、あたしを残して用事とはいい度胸ね?次はないんだから。 ……さぁて、暇になった時間で何をしよう。 そういえばこの間、新しい小物屋さんが駅前の外れに出来ていた。 とりあえずはそこを見てくることにしよう。 それからのことはその後決めればいい。 でも、それは間違いだった。 結論から言えば、おとなしく家に帰ればよかった。 なぜなら、あたしが一番会いたくない人に出会ってしまった。 そして最低な行動を。 嫉妬って、本当に醜いわよね。 あの日の午後。私は橘さんと一緒に休日を過ごしていた。 「あっ!これこれ!これは佐々木さんに似合いそうですよ」 ぐいぐいと橘さんに手を引かれ、店先まで連行される。 「本当だ。確かに可愛いね。でも私に似合うかな?」 今日は朝からずっとこんな調子。 以前は一緒に行動することが多かった。 でも近頃は休みになると彼と遊びに行くことが多くなった。 今日は彼とは会わない、そう言った途端に連れ出され、今に至る。 「佐々木さんなら何でも似合うのです!」 褒められてるのかどうかよく分からない。 けど、橘さんの感性は彼に近いものがある。もちろん悪い意味で。 「佐々木さん!これもこれも!」 そう言いながら次々に品物を持ってくる。 私が彼ならこう言う、やれやれ。 周辺の店をあらかた回った辺りで、橘さんの携帯が鳴った。 「はい、橘です!」 元気に電話に出た橘さんの顔は、みるみると不機嫌になっていく。 時間にして二、三分といったところかな?通話を切り、肩をガックリと落とした橘さんは、ゆっくりとこちらを向いた。 「……お仕事が入りました」 橘さんの言う仕事は、私に関連したもの。内容は聞いたことがない。 「なんで今?」 「……大人の都合なんて分からないのです」 うわぁ、すごい落ち込みよう。さっきのテンションから比べると、軽くマイナスには到達してると思う。 「せっかく佐々木さんと久しぶりに遊びに来れたのにぃ」 「また来ようよ、ね?なんだったらお仕事終るまで待ってるよ?」 落ち込む橘さんを慰めるように声をかける。 私と遊びに行くのをここまで楽しみにしていてくれたのは、正直悪い気はしない。むしろ嬉しい。 「どれくらいかかるか分かんないんで、今日は解散したほうがいいと思います」 溜息混じりにそう言う。 「でも!また遊びに行きましょう!約束なのです!」 「もちろんだよ」 そう答えてあげると、橘さんは嬉しそうに微笑んだ。 その橘さんの笑顔は相変わらず眩しい。 名残惜しそうな橘さんの背中を見送る。 ぶんぶんとこちらに手を振っている。 周りの視線が少し痛い…… 結局お互いの姿が見えなくなるまで、橘さんは何かしらのアピールをしていた。 今はまだ午後三時。 さて、どうしようかな。彼に連絡を取る? ダメ。彼は今日友達と遊びに行くと言っていた。 彼と一緒にいるのは、私の友達でもある国木田くんと、もう一人は……よく知らない。 今日は家の合鍵を忘れてしまったために、夕方まで家にも帰れない。 ……そうだ、駅の近くに新しく出来たお店に顔を出してみよう。 そして、せっかくだから少し装飾品を見てみよう。 彼の気に入ってくれそうなものがあればいいけど。 とはいえ相手は唐変木。そんなアピールも無駄になることだろう。 お店が私の視界に入ってきた。 可愛らしい小さな店。店構えは上々。 これは少しは期待していいかも。 中に入ると、装飾品というよりは小物が大半を占めていた。 しかしそれがなかなかいい。値段もお手頃。 これはいい発見をした。今度彼も連れてきてみよう。 小さな店だから店内も狭い。私の他にいるお客さんは三名。 カップルと、女の子。 ん?あの子どこかで見たことある。そう思っていると、その子がこちらを見た。 「あっ」 視線があった途端のこのリアクション。間違いなく向こうは私を知っている。 思い出さないと。こちらだけ覚えてないなんて相手に悪い。 あちらはあちらで、少し居心地悪そうな顔をしている。 ダメ。出てこない。喉まで出かかっているのに。彼女には申し訳ないが、名前を聞こう。 「あの、悪いんだけど、どこかで会った事あったけ?」 そう言うと彼女はとても困った顔をしてしまった。どうしよう。 「お、お互いに面識はないわ。でも、知ってるわ」 イマイチ分からない。 「えっと、デジャブ?」 私の言葉に彼女は首を横にふる。 「あたしは涼宮ハルヒ。あなたは……キョンの彼女よね?」 恐る恐る聞いてくる彼女。 どおりで知っているはずだった。名前を聞いてすぐに思い出した。 もうひとりの力を持つ少女。 世界を自分の思いのままに出来る、私よりも強力な力を持ち、彼が所属するSOS団なる部活の部長。 あれ?団長だったけ?この際どっちでもいいや。 それにしても何故私のことを知っているのだろう? 「私は佐々木。キョンに聞いたの?」 聞いた話だと彼女は自分自身の力のことを知らない。 それと同時に周囲の出来事も気付いていない。 「え?そ、そう。そんな感じよ」 ぎこちない笑顔を浮かべて返事をしてくる。 「涼宮さんってことは、キョンがお世話になってる部活の人だよね?」 「……そうよ」 もしかしたらこれはチャンスかもしれない。 彼女には興味があった。 同じ力を持った、つまり同じ境遇の人物。 普段は状況も立場も違うから直接は会えない。 以前、涼宮さんに会ってみたいと言ったら、橘さんに酷く怒られたことがあった。 彼女は危険だ、と。 でもどういう人間なのかを知るいい機会。 「涼宮さんはこの後予定は?」 「え?ないわ」 初対面でこんなことを言うの変だけど、お互いの取り巻きがいない今が、唯一の機会。橘さんごめんね? 私はダメもとで言ってみた。 「もしよかったら、そこの喫茶店で少しお茶でもしない?」 「あたしと?」 予想通りの反応。私も逆の立場だったら同じような反応をすると思う。 「無理にとは言わないけど」 「……別に構わないわ」 「よかった、それじゃ行きましょ?」 そう言って店を後にした。 買い物はまた後日。そのうち彼と見て回ることにしよう。 なんであたしはここにいるんだろう。 相手はいわゆる恋敵。 ううん。恋敵どころかすでに勝敗は決している。 あたしの完敗。 恨んでいるというわけではない。 ただ、羨ましい。あの人は私じゃ手に入れることの出来なかったものを手に入れている。 気持ちが揺れる。久しぶりに気持ちが不安定になる。 「私はアイスコーヒーで。涼宮さんは?」 「同じものを貰うわ」 おまけにここはいつも団活で使う喫茶店。複雑な気分にもなるってもんでしょ? 本来ならここはあたしのテリトリー。それでもなぜか居心地が悪い。 とっとと用件を聞いておさらばしましょ。うん、それがいい。 「で、何のようなの?」 少し口調が強かったかも。恋敵だと思ってるのはあたしだけなのに。 「大した事じゃないんだけど、普段部活でのキョンってどんな感じなのかな、って」 あたしにそれを言わせるの?そんなの本人に聞けばいいじゃない!? それともなんかの嫌がらせ?ふざけないで! ……だめ、落ち着かなきゃ。これじゃただの八つ当たりじゃない。 この人は……あたしがあいつのことを好きだったなんて、知らないんだから。 「どんなって、いつも通りじゃない?」 目線を外してぶっきらぼうに答える。 どうしてこういう態度をとってしまうんだろう。 「そうなんだ。キョンが部活が楽しいって言ってたから、少し気になってたんだ」 あっそ。それは良かったわね。 「それにしてもあたしとは初対面でしょ?よくお茶なんかに誘えるわね?」 「だってキョンが入ってる部活の部長さんでしょ?悪い人だとは思えないから」 部長じゃなくて団長よ!……あたしはこの人とは合わない。イライラする。 それ以前に、あたしの前であいつの話をしないでよ! 佐々木さんは確かに可愛い。 あたしと違っておしとやかに見えるし、なにより私があいつと過ごした一年間より、ずっとずっと長い時間を過ごしている。 ねえ有希?あたしはどうすればいいの? このままこの人のノロケ話に付き合ってあげたほうがいいの? でも無理よ、そんなのピエロじゃない。 じゃあ言ってやればいいのかな?あたしの方があいつを、キョンを好きだって。 そんなことを言えばきっと……今あるキョンとの関係も崩れる。 ただでさえギリギリのバランスの上に成り立っている。次に傾くことがあれば、それは修復不可能になってしまう。 そもそも、あたしがキョンにちょっかい出してたのは、迷惑をかけたいからじゃない。 あたしを見ていて欲しいから。それだけ。 「涼宮さんは学校楽しい?」 「……あんまり」 ここ最近はずっとそう。あいつに告白してからというもの、全てがぎこちなくなってしまった。 そういえばなんかの本で読んだっけ。 友情を超えてしまった愛情は、友情に戻すのは簡単ではない。 完全にそんな感じ。もちろん表面ではいつも通り。 そうしないと有希が心配する。 「……佐々木さんはキョンのどこが好きなの?」 あたしはなにを聞いてるんだろう。相手からノロケ発言を言わせるようなことを言って。 ほんと、馬鹿みたい。 「えっと、その、私にもよく分からないの。でもあえて言うなら、一緒にいた時間が長かったぶん、離れてみたら急に気付いた」 何よそれ。そんなこと言われたら何も言い返せないじゃない。 「そんなとこかな。ほら、キョンは朴念仁だし、とりわけ容姿がいいわけじゃないでしょ?」 「それには同意だわ」 実際そうよね。変に達観したようなそぶりを見せて、でも抜けてて、優柔不断で、……あたしはそんなやつのどこが良かったんだろ? 「やっぱり他の人にもそう思われてたんだ。ほんと、変わんないだから」 「中学の時もあんな感じだったの?」 気付けばあたしはこの人の話に付き合っていた。 話を聞けば、中学時代のキョンも今と全く変わらない。あいつは体格以外で成長しているところないんじゃないの? 「……佐々木さんは、ほんとにあいつのことが好きなのね」 そう言われた佐々木さんは、顔を赤くして頷く。 だって、あいつの事を話している時の表情が嬉々としているもの。 かなわないなぁ。 有希、どうやらあたしの完敗で間違いないみたい。 でも、次に佐々木さんが言った言葉で一瞬にして空気が変わった。 あたしが変えてしまった。 佐々木さんはにこやかに言った。 その言葉には、嫌味も嘲笑もない。純粋な興味の言葉。 「涼宮さんは彼氏とか好きな人はいるの?」 あたしは次の瞬間、手に持った水を佐々木さんに浴びせていた。 佐々木さんは突然のことに呆けていた。 あたしも自分の行動にビックリよ。 でも、体が反応した。今思えば、あたしは少し泣いていたかも。 このときほど感情的になったことは、ここしばらくないと思う。 想像してみてよ。まるで昼ドラみたいな展開よ? あたしは佐々木さんに謝ることもなく、その場を後にした。 あの喫茶店には行きにくくなるわね。 どう考えてもあたしの行動は悪いことだと思う。 佐々木さんは嫌味な気持ちで言ったわけじゃないのは理解している。 でも、あの言葉をあの人の口から言われたら……我慢が出来なかった。 驚いた。こういうかたちで水をかけられたのは、生まれて初めて。 私の言葉が彼女の逆鱗に触れてしまったらしい。 正直、怒るようなことを言ったとは思えない。 思えば彼女は、私の話を辛そうに聞いていたようにも見えた。 なぜ? 話の内容の大部分は彼のこと。 なら、答えは一つ。 ……好きだったんだ。彼のことが。 これは迂闊だった。自分の行動、言動を思い返す。 最低だ。本当に最低。人の気持ちも考えずノロケ話をして、挙句の果てのあの質問。 今日話して分かった。 彼女は私と同じ特殊な力を持つとはいえ、一人の普通の女の子。 それを身をもって知った。 喫茶店の店員からハンドタオル借りて、服を拭く。 これ以上ここにいる理由はない。会計を済ませ、店外へ。 外に出て人通りの少ないところを歩いていると、見覚えるのある顔がこちらに走ってくる。 「さ、佐々木さん平気ですか!?」 橘さんだ。ツインテールを振り乱し、息を切らしながら私の手を握る。 「え?平気だよ?」 彼女には全て筒抜けだと分かっていても、つい強がりを言ってしまう。 「平気なわけないじゃないですか!!相手はあの涼宮ハルヒなのですよ!会うんだったらせめて、せめて一言ぐらい言って下さい!」 「ご、ごめんね」 あまりの剣幕に少しひるんでしまう。 「情報が早いね」 なんとなくは見張られていると思っていたけど、こうも迅速に情報が伝わっていると少々不気味でもある。 「佐々木さんのことなら何でも知ってますよ!」 そう言って控えめな胸を張る。……これは人のことは言えないか。 でも、あまりにも堂々とストーキング宣言するのはどうかと思う。 「あっ!服が濡れてますよ!どうしたんですか!?」 濡れた上着を指さして言ってくる。 「す、少し落ち着いて」 興奮した彼女は扱いづらい。 「すぅーーはぁーー。……はい!落ち着きましたよ!それで涼宮ハルヒと何をしてたんですか!?」 変わらぬテンションで言ってきた。 仕方なく、私は洗いざらい話した。 たまたま会って、お茶をして、話をして、怒らせて、水をかけられた。要点を抑えるとこんな感じ? それを聞いて橘さんが言った言葉が、 「ただの逆恨みじゃないですか」 身も蓋もない。 「だってそうじゃないですか。佐々木さんは悪くないのです」 「……そう簡単な問題じゃな」 「そんなことより!」 私の言葉を無理矢理中断させると、彼女は言葉を続けた。 「分かっているのですか?佐々木さんは涼宮ハルヒを敵に回したのですよ?」 「敵って、そんな大げさな」 「大げさじゃないです!相手は佐々木さんが力を付けるまでの間だとしても、紛れもなく神(仮)なのですよ!」 詰め寄るようにそう言ってくる。話は止まらない。 「佐々木さんは涼宮ハルヒを怒らせたんですよ?もしかしたら、もしかしたら佐々木さん、消されちゃうかもしれないのですよ?」 そうだった。もし私のことが邪魔だと彼女が思えば、私はこの世界から消える。まるで最初からいなかったように。 「軽率です!軽率すぎます!」 「ごめん」 「どれだけ心配してると思ってるのですか!」 彼女は私の身を真剣に案じてくれている。とても嬉しい、けど…… 「……私は涼宮さんに酷いことを言っちゃったよ」 そのことが自分に重くのしかかる。 もし自分が同じことを言われたら? 水をかけたかどうかは分からないけど、憤りを感じるのは間違いない。 そしてきっと、好きだった、ではなく、まだ好きなんだと思う。 でも、どうしよう。 私個人としては涼宮さんに謝りたい。 でも、彼女の性格からすると、火に油を注ぐような行為だと思う。 「とにかく!涼宮ハルヒとはなるべく接触しないで下さい!」 橘さんの目尻に涙が浮かんでいる。 そのあと、少し話をして橘さんと別れた。 今夜また電話をすると言っていた。私がこの世界にいるかの確認らしい。 一人になった私は考えた。 涼宮さんは魅力的な女の子だった。 私よりも彼と一緒にいる時間が長い分、浮気をするかもと思ったけど、そこは彼を信用している。 一度彼に相談した方がいいのだろうか。 でもそんなことをすれば、涼宮さんは彼と会うのが辛くなると思う。 我が身可愛さで彼女を傷つけたままなのはいけない。 しかし下手な行動、言動をすれば、私どころか世界も終ってしまう。 けどこのまま謝らないのは悪い。 ただ謝ることさえも自分達の力が邪魔してくる。 橘さん、これが神様の力なの? この力を得ることで当たり前の人間としての行動すら制限される。 彼女に会ってたった一言、ごめんなさい、こう言いたいだけなのに。 結局私は彼に連絡を取らなかった。 当の彼は、遊びに行ったという証拠にと、三人で写った写メールを送ってきた。 そんなことしなくてもちゃんと信じてるのに。 そして予告どおり、日付をまたぐ少し前に橘さんから連絡がきた。 「……こんばんは……佐々木さん、ですよね?」 「そうだよ、橘さんは私に連絡したんじゃないの??」 泣きそうだった声を和ますために、軽く冗談を言う。 「だって、だって……」 そのまま泣いてしまった。 橘さんは私のことを神様だと言ってくるけど、こういう反応を見る限り、友達のそれだと思う。 このあとは泣きじゃくる橘さんをあやし続けておしまい。 おかげでなんだか少しだけ元気が出た。 後回しにしていいと言うわけじゃない。 でもいますぐ涼宮さんに会いに行くのはよくない。 だから少し時間を置いてみよう。 いずれ時が解決してくれる 映画で聞いた台詞。 でも、そんな考え方は絶対間違っている。 解決できるのはあくまで当の本人達。 最後は必ず自分の口から謝罪をしたい。 それしか私には出来ないから。 時間帯は夕方。さっきの出来事を思い出しながら足を進める。 フラフラと着いたところは有希のマンション。 まだ帰ってきているかは分からない。 インターホンを押して有希の部屋に繋げる。 用事があると言っていた。 それでも自然に足がここに向かった。 返事がないインターホンをもう一度押す。 お願い、出て……。 「……」 繋がると、いつも通りの無言が返ってくる。 「……あたしよ、上げてもらっていい?」 自分の声に抑揚がないのが分かる。 ガラス戸が開いた。電子ロックが外れたみたい。 エレベーターのボタンを押していつもの階へ。 エレベーターを降りると有希が目の前に立っていた。 「出迎えなんかいいのに」 有希は無言のままあたしの手を取って、自分の部屋に連れて行ってくれた。 部屋に入ったあたしは、無言で机に突っ伏した。 何も聞かずにお茶を入れてくれる有希。 ……ありがとう。 どれくらいたっただろう。まだ数分かもしれないし、一時間経っているかもしれない。 あたしは突っ伏した体勢のまま有希に話し始めた。 「……さっきね、あいつの、キョンの彼女にあったわ」 有希は何も言ってこない。これはいつも通り。 でもあたしの言葉には必ず耳を傾けてくれている。 「もちろん偶然よ?有希と別れた後に、たまたま店先でね。そしたらお茶しないかって」 一つ一つ話す。いつもの喫茶店で話した内容を順番に。 たまに有希は、そう、と相槌をしてくる。 「あたしね、その話を聞いてて辛かった。でも、段々あの人のこと認めていたのよ」 全部本心。あたしは有希の前ではウソはつかない。まぁ、くだらないのならいくらでも言うけどね。 「この人が相手なら仕方ないかって、でもね、最後の最後に我慢が出来なかった」 どうしよう、涙がこぼれてくる。近頃は涙腺が脆くって困るわ。 「だって、こう言ったのよ!あたしに彼氏いるのって!好きな人はいるのって!あたしがこれだけ我慢して聞いてやってるのに!」 顔を上げ、怒鳴るように言った。全部吐き出したかった。 有希に怒っているわけじゃない。 聞いてくれるのは、言っても許してくれるのは有希しかいないから。 「ふざけんじゃないわよ!どの口で言ってるの!?あたしがどんな気持ちでおとなしく身を引いたと思ってるのよ!」 感情が溢れる。有希も呆れていると思う。 今あたしが言っているのはただの愚痴。それも嫉妬にかられたつまらない愚痴。 涙で前がグチャグチャになる。正面にいるはずの有希は歪んで見える。 ひと通り愚痴を言うと、スイッチが切れたようにテンションが下がった。 「気付いたら水をかけてたわ。もう最低。キョンにあわせる顔もないわ」 言いたいことを言ったあたしは、また机に突っ伏した。 嗚咽をあげて泣いてるわけじゃない。でも今は確かに泣いている。 悲しいから?辛いから?悔しいから? 分からない。泣くことで何かが変わるわけでもない。 でも泣いた。今はそれしか出来ないから。 ふと、後ろから抱きしめられた。 「……」 何も言わずに、力強く抱きしめてくる。 有希は優しいわね。 どれくらい泣いたかしら。たぶんここ何年かで一番泣いたと思う。 みっともなく目元を腫らし、鼻をすする。 「いつも悪いわね」 「いい」 最近は辛いことがあると、いつも有希に愚痴っている。 その度にあたしの傍にずっといてくれる。 ほんとに助かる。 冷めきったお茶を一口で飲み干す。 泣きすぎたせいで水分が体からだいぶ抜けた。 それを見た有希が、すぐに次のお茶を入れてくれる。 飲むたびに入れてくる。 ゴメン有希、さすがにもう飲めないわ。 時間も遅くなってきた。有希にお礼を言って帰ると伝えた。 「そう」 わずかに頷きながら有希がそう言う。 あたしはヨロヨロとその場から立ち上がる。もう体中の力が抜けきっているって感じ。 「また明日」 有希のその言葉に苦笑いで返す。 「えぇ。また明日」 有希の部屋を出る。外はもう暗くなりだしていた。 気持ちがスッとしない。 明日からはいつもの学校。 たぶん……あいつの顔をまともに見ることなんか……出来ない。 もしかしたら、今日のうちに佐々木さんから聞いているかもしれない。 そう考えると、余計に会いたくない。 家に帰り、お風呂に入る。 今日は食欲がない。 夕食を食べずに布団に入る。 目を瞑ると、今日のことが自然に頭によみがえる。 そして、あたしは思った。 とても馬鹿げている。 でもこう思ってしまった。 キョンさえいなければ……こうはならなかったのに、って。 ~To Be Continued~
https://w.atwiki.jp/haruhi_vip2/pages/5463.html
~ハルヒサイド~ 大井までブラックバードと共にいき、paにとまった。そこで、運命的な再開をする。 ブラックバードのドライバー「どうも、まさかこのZが走るなんて・・・・ん?お前、ハルヒなのか?」 なぜかあたしの名前を知っていた、びっくりした。まさかキョンがあの『湾岸の黒い怪鳥』とも呼ばれるブラックバードのドライバーだったから。 キョン「まさか、お前がそのZを見つけるとわな・・・たまげたよ。不思議を探してたお前が不思議を持ってきたんだから。」 あたし「どうゆう意味よ、まさかこの車にはとんでもない何かがあるんじゃないでしょうね?」 キョン「その『まさか』だ。それはここ(湾岸)では『悪魔のZ』と呼ばれていたZだ。ついでに言うとこれは古泉が乗っていたやつだ。あいつが自分でここまで組んだんだ。」 あたし「悪魔?まさか、これは呪われたZなの?」 キョン「違う、あまりにも速過ぎるからこの車には悪魔がいるって言う噂のせいだ。俺と古泉は、いわばライバルだったって訳だ。」 あたし「でも古泉君はロンドンよ、しかも有希がいる。恋人がいても走ってたの?」 キョン「ああ、だが、ちょっと前だったな、あいつは長門・・・いや、有希が寂しがっていることに気付いた。そして、ここ(首都高)を降りるといったんだ、そしてZから吹っ切るためにロンドンまで行った、本当だったら、スクラップになるはずだったんだが、お前が見つけた、そうだろ?」 あたし「そうだったの・・・」 キョン「お前はなぜこのZを選んだんだ?もっといい車もあったろうに。」 あたし「Zがあたしを呼んだの、まるで一緒にいたいと問いかけるように。」 キョン「まるで古泉が行ったをもう一度聞いてるような気分だな、たしかにそのZは人同士がまるでコニュミケーションするみたいに走っているからな。だが、お前が変わればそのZは応えてくれなくなる。よく覚えて置け。」 あたし「何よ、平の癖に団長に口出しする気?まあ、いいわ。いまや湾岸一のドライバーなんだもの、大目に見てあげる。でも覚悟しなさい、いつかあたしがあんたを倒すから!」 キョン「やれやれ」 ~キョンサイド~ 大井まで同行、その後paでとまり、ドライバーに挨拶することにした。ここで運命的な再開をすることになる。 俺「どうも、まさかこのZが走るなんて・・・・ん?お前、ハルヒなのか?」 偶然過ぎる出会いだった。あのハルヒがこのZのドライバーだった。 俺「まさか、お前がそのZを見つけるとわな・・・たまげたよ。不思議を探してたお前が不思議を持ってきたんだから。」 ハルヒ「どうゆう意味よ、まさかこの車にはとんでもない何かがあるんじゃないでしょうね?」 俺「その『まさか』だ。それはここ(湾岸)では『悪魔のZ』と呼ばれていたZだ。ついでに言うとこれは古泉が乗っていたやつだ。あいつが自分でここまで組んだんだ。」 本当は機関の人間らしいが。 ハルヒ「悪魔?まさか、これは呪われたZなの?」 俺「違う、あまりにも速過ぎるからこの車には悪魔がいるって言う噂のせいだ。俺と古泉は、いわばライバルだったって訳だ。」 ハルヒ「でも古泉君はロンドンよ、しかも有希がいる。恋人がいても走ってたの?」 俺「ああ、だが、ちょっと前だったな、あいつは長門・・・いや、有希が寂しがっていることに気付いた。そして、ここ(首都高)を降りるといったんだ、そしてZから吹っ切るためにロンドンまで行った、本当だったら、スクラップになるはずだったんだが、お前が見つけた、そうだろ?」 ハルヒ「そうだったの・・・」 俺「お前はなぜこのZを選んだんだ?もっといい車もあったろうに。」 ハルヒ「Zがあたしを呼んだの、まるで一緒にいたいと問いかけるように。」 俺「まるで古泉が行ったをもう一度聞いてるような気分だな、たしかにそのZは人同士がまるでコニュミケーションするみたいに走っているからな。だが、お前が変わればそのZは応えてくれなくなる。よく覚えて置け。」 ハルヒ「何よ、平の癖に団長に口出しする気?まあ、いいわ。いまや湾岸一のドライバーなんだもの、大目に見てあげる。でも覚悟しなさい、いつかあたしがあんたを倒すから!」 俺「やれやれ」 そうしながら、夜が明けて行った・・・・・。 続く
https://w.atwiki.jp/haruhi_vip2/pages/4031.html
ああ…なんだこの気分は… 懐かしいこの気持ちは… この温もりは… 心の奥から溢れだすものは・・・ 私を優しく抱いてくれているこのお方は・・・? 『目が覚めた?』 私は・・・ 『やっと会えたね。弁慶・・・』 九郎殿…九郎義経殿・・・ 『君がいなくてずっと寂しかったんだよ。僕は、こんなにずっと君のことを想っていたのに・・・』 申し訳ございませぬ・・・ 『・・・もう、いいのかい?』 はい・・・九郎殿・・・私もいよいよお側に参ります・・・ 『さあ、一緒に行こう。僕の手を取って・・・・』 みくる「あ・・・」 ハルヒ「どうしたのみくるちゃん?」 みくる「今…成仏されました・・・」 古泉「そうですか…義経殿のお側に行けたのでしょうね」 みくる「きっと会えたんだと思います・・・清い魂しか感じませんから(にこっ)」 古泉「ええ・・・」 キョン「ああ・・・」 ハルヒ「よかったわね・・・」 ===「この刀は、九郎様から主達に是非と・・・」=== キョン「!」 ハルヒ「・・・今聞こえた?」 キョン「ああ・・・!」 古泉「貴方が貰っていいそうです。あそこに収められている刀を」 キョン「お、おお」 俺は埃を被っている台から慎重に持ち上げ、鞘からそっと刀を抜いた キョン「これが義経の・・・」 長門「伝説の名刀・・・」 輝くばかりの銀色に染まるその刀は、見る者全てを虜にしてしまうほど美しかった ==平泉の町== キョン「今帰りましたよ。ご主人」 ハルヒ「ただいま!心配しなくてもちゃーんとお宝を持って帰ってきたわよ!」 ご主人は俺達を見るなり顔色を変え、目に涙を浮かべた 主人「きみたち・・・よく帰って来たっ!!」 キョン「い、いきなりどうしたんですか?俺に抱きついたりして」 宿屋のご主人は昔、息子を亡くしているらしい 剣術を磨くと言ってあの洞窟に入り、命を落としたのだそうだ。 その子の雰囲気がどことなく俺に似ていたらしい みくる「あとで私があの洞窟の皆さんの為に御経を詠んでおきますね」 キョン「朝比奈さんってお経詠めるんですか?」 みくる「父に習ったんです。お経だけは絶対詠めるようになれって言われて・・・」 キョン「そうですか・・・お父さんの事、尊敬してますか?」 みくる「はいっ!すばらしい父だったと思ってます!」 朝比奈さんが洞窟の入り口で数時間にわたる長い御経を詠み終えたその後、俺達は平泉の町を後にした キョン「お前が最後に使った術って一体なんだったんだ?」 古泉「陰陽道には、【悲観】と呼ばれる術が存在します。人の憎しみや悲しみ、恨みなどを、時には吸い出し、時には増幅させる。心に鏡を翳し、夢想界へと誘う…そんな危険な術で、本来は使うべきものでは在りませんが、今回はやむなく・・・」 キョン「・・・なあ古泉」 古泉「・・・なんですか?」 キョン「お前は前言ってたよな?自分の術に優しさは無いと」 古泉「ええ・・・」 キョン「救えたじゃねえか」 古泉「え・・・?」 キョン「過程はどうあれ、お前の術で一つの魂を救う事が出来た。内容がどうあれ、お前が放った最後の術はアイツを優しく包み込んだ・・・だから天に昇れたんだ。お前のおかげでアイツは上に行けたんだよ…」 古泉「・・・はいっ!・・・・ありがとう、ございます・・・」 古泉は前に言った。 終わらない戦いは、俺達からあらゆる意味での優しさを奪っているのかもしれないと でも俺は、決してそんなことは無いと思う 人が人のことを想うなら、その気持ちは優しいものだし、永遠のものだ だから俺は忘れないでいたい そういう心を 人を優しく想う気持ち、人を強く愛しむ気持ち それを忘れてしまったら俺は、俺が一番恨むものと変わらなくなってしまう気がするから・・・ 持ち続けていたい、生きる限り その純粋な心を ハルヒ「それでキョン」 キョン「なんだ?人がせっかく素晴らしい考え事を・・・」 ハルヒ「伝火がなくなっちゃったのよ、ほら平泉の洞窟で全部使っちゃったじゃない」 キョン「ああ、そういえばそうだったな」 ハルヒ「他にも色々買いたいものがあるし…」 古泉「・・・と、くれば」 キョン「あそこしかないな」 みくる「あそこですよねぇ~♪」 長門「・・・こく」 キョ、ハル、長、みく、古『『相模へ行こう!!』』 ==相模城下町== 谷口「WAWAWA~忘れ物~俺のかわいこちゃん~~・・・・うおっ!!」 商人「邪魔だよどいたどいた!」 商人B「さあらっしゃいらっしゃい!!!」 商人C「うちは安売り高値買いが基本!!どんと見てってねー!!!」 谷口「NA、NANANAなんだこの町は!?超活気づいてるじゃねーか!」 商人「さあこれが今日の大一番!!買わないと損するよ~」 商人A「珍しい一品が手に入ったよ!先着10名のみ販売!!」 谷口「お、俺にはついてけないぜ…皆すごい商売熱だ・・・・・・ごゆっくりぃ~!!!」 キョン「ようやく着いたな・・」 ハルヒ「け、結構歩いたわねえ・・」 みくる「も、もうへとへとですぅ~ふみぃ」 古泉「おや?こんなところに看板が刺さっていますよ?」 長門「本当・・・」 キョン「なになに?『買物は相模で!!』・・・って当ったり前だぜ」 古泉「それだけ相模は品揃いも良いのでしょう。では町に入りましょう」 ハルヒ「そうね。早く宿を確保して休みたいし」 とりあえず宿屋を確保して二時間ほどの休息を取った俺達は、さっそく色々な買い物をするべく、五人で市場や店を歩き周り始めた みくる「ほえ~流石に色々なお店がありますぅ」 ハルヒ「さっすが有名なだけあって品揃えも抜群ね!・・・高いけど」 古泉「こういう場所では掘り出し物を探したりするのも一つの醍醐味かと」 ハルヒ「それよ!腕がなってきたわ~!それっ、とつげきぃー!!!!!」 キョン「おーいハルヒ、あんまり遠くまでは行くんじゃないぞー・・・やれやれ」 古泉「とりあえず僕達もどこかの店に入りましょう」 みくる「そうですねぇ」 長門「賛成…」 タッタッタッタッタッタッ キョン「なんだこの音は?」 古泉「誰かが走って向かってくる音でしょうか?」 キョン「ああ、それもかなり急いでる感じ・・・」 ???「ど、どいてどいてぇ!!」 古泉「うわっ!」 ズドーン 何処からともなく、しんぷうの如く走ってきた女の子は古泉に勢いよくタックルをかました おい・・大丈夫か古泉~? 古泉「ええ・・・大丈夫です」 キョン「そうか、よかっt ???「ごめんっ!大丈夫だったきみぃ~!?」 うほっ…相模美人とはこういう人のことを言うのだろうか・・・ なんというか・・活発で・・しかしお淑やかそうな・・・ 古泉「大丈夫ですよ。貴方こそ座りながら手を合わせるものではありません。手を貸しますから御立ち下さい。 お姫様(キラーン)」 キラーンってのは俺がつけ足してやった 寒気がするほどのハンサム面だったからな。文句は無しで頼むぜ ???「それもそうだねっ!あたしったらめがっさ不注意でさ~ホントごめんねっ!」 古泉「僕に怪我は在りません、問題無です。それより何やら急いでたみたいですが・・・?」 ???「・・・へ?」 何かを思い出したかのように顔が真っ青になる相模美人。 ああ、どこの町でも美人ってもんは違うぜ ???「ああー!!急がないと父さんにめがっさ怒られるにょろ!!じゃあまた縁があったら会おうっ諸君!!」 相模美人は名前を告げることなく早々に走り去って行ったー 久々にニヤニヤが止まらないぜ こんなニヤケ面をハルヒに見られたら一体どんなことになるか・・・ ハルヒ『なぁにキョン?そのまるで、すっごい美人に会った時になるようなニヤケ面は?』 全世界が、停止したかのように思われた 涼宮ハルヒの忍劇9
https://w.atwiki.jp/haruhi_vip2/pages/4374.html
そうだ。俺は《あの日》が起きて以降、ずっと長門を気にかけてきた。こいつに何かあったら助けてやろうと、もう何も、長門が思い悩むことはなくしてしまおうと。そう考えてた俺は、少しずつ感情を露にしていく長門をみて安心していたんだ。 だが、今はどうだ? こいつはまた感情を爆発させて……今度は、一人で苦しんじまってるじゃねえか。言わなきゃ気付かないだって? アホか。こいつはずっと前にサインを出してたんだよ。それに俺が気付かなかっただけだろうが。 そう。何かが起きてからじゃ遅かったんだ。そして、俺はこれを起こさないようにすることは出来たはずなんだ。 だが、俺はその機会を無視してしまった。 俺は二回目の《あの日》、さっさと世界を修正しちまった。そして、もうやり残しはないと胸を撫で下ろしていた。とんだ大間違いだ。俺はあの時に眼鏡付きの長門を見て、あいつの確かな感情の存在に気付いたよな。それは間違いじゃない。そこからが問題なんだ。 ――俺は、それからどうした? 俺は……変わっていくあいつを守っていこうとしただけだ。それじゃダメなんだよ。俺は自分からもっとあいつに干渉しなければならなかった。それぞれの生き方ってのは大事にすべきだが、それ以前に俺たちは仲間じゃないか。もっと深く繋がって、支えあっても良かった。そうすべきだったんだ。今なら、昨日古泉が言っていた言葉の意味が痛いほど分かる。 そうだよ。俺は《あの日》があったお陰で、自分の気持ちを認めることが出来たんだろうが。そして、それから生き方も変わっていったんだろ。 けどな、それは俺が自分で変えたんじゃない。俺の心底に潜むものを長門が教えてくれて、長門が俺を変えてくれたんだ。なのに、俺は変わっていくあいつを見守っていただけだった。なんでだよ。あの日、長門は自分も変わりたかったんじゃなかったのか? それは、俺が変えるべきものじゃなかったのか? 「…………くっ」 ……あいつは俺に世界の選択を委ねた。 でもな。 俺がその決断を任されようとも、俺は長門に聞くべきことがあったんだ。ああ、あのとき、朝倉が消えていく間際に呟いていた疑問だよ。 ――長門の……望んだものについてだ。 世界を改変したキッカケは感情の爆発だったんだろうが、じゃあ長門は何を望んであの世界を作ったのか……俺は分かっているつもりだった。でも俺は、本当はなにも分かっちゃいなかったんだ。その願いをあの場所に置き去りにしてきちまったから、今長門は苦しんでる。そうなんだよ。俺が世界改変の瞬間に飛ばされたのは、実はあいつが自分の気持ちを訴えていた……SOSのサインだったんだ。 今わかった。これから《あの日》に向かってどうなるかなんて……そんなの、考えるべき問題になどなりはしない。 《あの日》はまだ……終わらせちゃいけない――。 そう思うと俺は喜緑さんに礼を言うことも忘れ、無心に長門と古泉の待つ文芸部室へととって返した。 教室内にはパーフェクトに無表情な長門が変わらぬ姿で鎮座しており、無表情というよりは青ざめた顔を浮かべた古泉は帰ってきた俺を認めるやいなやこちらへと近づき、 「長門さんは……どうなされたのです?」 俺は長門をチラリと見やると、喜緑さんから聞いた話を古泉に伝えた。このとき、喜緑さんになんの挨拶もしてなかったことに気付いた俺は、彼女に対して申しわけない気持ちを抱いたのだった。 「……そうですか。一度、死の概念が入ってしまった長門さんのパーソナルデータ……長門さんの人格とも言えるべきものは、情報統合思念体にイレギュラーを起こす懸念材料として……」 視線を落とし、顎を指で支えながら古泉が呟く。 「とにかく、俺は今から大人の朝比奈さんに会いに行く。《あの日》に行くかどうかを判断するためじゃない。行くために、なにがどうなのかってのを説明して貰わなけりゃならないからな」 午後の授業を受けている場合じゃないことは古泉も理解しているようで、 「……では、僕と長門さんは具合を悪くしたとして、保健室で待機しておきます」 無理に作ったスマイルでそう言う古泉に俺は、 「いや、二人にも来て欲しいんだ。多分、そのまま《あの日》に行くことになると思う。もしかしたら古泉、お前もあの瞬間に立ち会うことになるかも知れないんだよ」 「………?」 疑問符を浮かべる古泉。無理もない。俺はまだこいつに話してないことがあったんだ。それは俺の記憶が混濁していたから覚えたんだろうと思い、曖昧な意識の中で見たものだったから特に言わなかった。それは何か。 それは、俺が朝倉に刺されて意識を失う瞬間に見た……北校とも、光陽園学院のそれとも違う制服のハルヒの姿だ。 これが俺の真実見たものであれば、《あの日》に古泉がいなかったから行けないという理由は薄弱となる。そして俺が世界を修正した際、ハルヒの姿さえ見あたらなかったってことは……やはり《あの日》には、俺たちの知らない部分が大いにあるんだ。 しかも大人の朝比奈さんは、今度の規定事項には全員の力が必要だと言っていた。つまり、これからやる行動には古泉の力も絶対に必要なんだ。それがどんな形で必要になるのかは、朝比奈さん(大)に聞かなければ解らないが。 「……なるほど。《あの日》に僕が行けるかも知れない、というのは仮説として成立し得るでしょうね」 と言った古泉は沈鬱な表情を作り、 「ですが……僕が今からあの朝比奈さんの所へと行けるかどうかについては、また別の問題があるのです。僕の機関が、それをさせてくれるでしょうか?」 「古泉」俺は少しもどかしく思いながら「重要なのはそこじゃない。機関がお前にさせないと言ったとしてどうなる? お前はやらねえのか。重要なのは……お前が、やるかやらないかだろ」 「…………」 顔に影を落とす古泉。……こいつを動かすのは至難の業だと思っていると、 「……ちょっといいかなっ」 突然の闖入者の声に俺と古泉は意表を突かれ、声が聞こえてきた方へ覿面と振り向き返った。 「んと……キョンくんが走り回ってたからさっ、ひょっとしてみくる探してんじゃないかなーって思ってねっ」 鶴屋さんは笑顔の中に若干の気まずさを滲ませながら、開け放たれたままだった部室の扉から姿を覗かせていた。 「朝比奈さん……ですか?」俺は鶴屋さんに聞き返すように「いまから呼びに行こうかとは考えてましたが、何でそう思ったんですか?」 ひょっとして鶴屋さんは予知能力者なのかと思っていたら、 「みくるなんだけどね、今あたしん家にいるよん。ずっと前にみくる……から、うっとこの会社に注文されてたもんがあるんだけどさ、今日必要になったから取りに来るって言ってね」 「注文……ですか? そりゃなんの?」 「……それがちょっとワケありの代物なんだっ。古泉くんのバイト先のお偉い方と合同で作ってたんだけど、こっちは何作ってんだかちょろんとも分からなかったんだよねっ。開発コードネームはウラシマだったかな? ま、それが要るんだってんなら……キョンくんたちは今なにかやってるんじゃないかなって考えたわけだっ」 ……浦島? 未来人関係なら、時間の伸び縮みがどうのって理論のウラシマ効果となにか関係があるのだろうか。 「それにね、田丸さん御兄弟だったかなっ? あの人たちも、みくるを手伝いにトラックでうちに来るって言ってたにょろ!」 トラック? なんでトラックなんかが……? ――もしや荷台には工作員がうじゃらに潜んでて、『機関』が朝比奈さんの邪魔をしようと田丸さん兄弟を仕向けたのか? って、『機関』もそれを一緒に作ったんだし、それじゃ行動が支離滅裂だろう。うん? ……機関が合同で作った? 機関は未来人をあまり良く思っていなかったんじゃなかったか? 古泉もなにやら状況が飲み込めていないようだが……。 などと俺が思索していると、 「古泉くん!」SOS団名誉顧問である彼女は力強い視線を副団長に向けて、「なにが起こってんのかは知らないけどさっ、ハルにゃんのSOS団にはキミが必要なはずだっ。それは、古泉くんにしか出来ないことがあるからじゃないっのかなっ?」 このとき古泉はハッとしたような瞳の色を呈し、 「だからさっ、出来るか出来ないかでも……やるかどうかでもないと思うよっ。みんなには、古泉くんが必要なんだ! 古泉くんには……みんなが必要じゃないのかい?」 鶴屋さんは左手を腰に置きつつ顔の横に人差し指を上へ伸ばした右手を添え、ウインクしながら快活と言い放った。俺が古泉に目をやると、そこにはやんわりとした微笑を浮かべた古泉がいて、 「……そうですね。問題などありはしなかった。今の僕にはみんなが必要であるように、誰が欠けてもSOS団は成立しないのですから」 そして古泉は言った。 「行きましょう。あの場所へ。そこはもちろん……」 ああ。もちろんだとも。 「……公園へ急ごう」 そして現在、俺たちは公園にいる。 ここに来るまでも色々あった。どうせ『機関』には行動が筒抜けであるし、みだりな場所から学校を抜けると正当な理由で他者から捕縛されるだろうという理由から、俺たち三人は正面から堂々と学校をサボタージュしたのだ。 門を出ると直ぐに森さん(今回はカジュアルな服装だった)が緑のワンボックスカーからまろび出て、それはもう全速力で逃げようとする俺たちを諭し、森さんたち――運転手は新川さんだった――は協力する姿勢であると懸命に訴えてきた。古泉はずっと懐疑的な視線を送っていたが、実際問題徒歩の俺たちが森さんたちから逃げおおせるわけもなく、長門に何か頼むにも人目が多すぎた。 それで森さんの話を聞いていたのだが、彼女らと言わず『機関』はこちらの行動を阻む気など毛頭なく、むしろ支援の方向で助力してくれるということだった。どうやら機関の上層部に何か動きがあったようで、鶴屋さん邸にいる朝比奈さんを田丸氏御両人がサポートに向かっているのもそのためだったようだ。そして、森さんは古泉に関してこうも言っていた。 「古泉は、どうやら機関が自分の命の是非を問わず阻害してくると考えていたようです。そのようなことは、どう考えても起こりようがありませんのに」 さらに続けて、 「我々の特務機関は、言うなれば彼女(ハルヒだろう)が創設した組織です。身の危険に関しては、これほど安全が確保されている集団はありません。現に閉鎖空間での神人討伐の際、負傷者どころかかすり傷一つ負った者は御座いませんので」 ――ハルヒが、人が傷つくようなことを願やしないからか。 「はい。神人討伐が大変な労役であることには変わりありませんが、それは致し方ありません。そして『機関』はその規模ゆえ厳正に規則が設けられているのですが、組織の本質は彼女の思想と表裏一体なんです。内部には多様な思想が存在しておりますが、本流は彼女の望むところ……あなた方の赴くままへと指針は保たれているんですよ。それが世界の安定へと繋がっていると信じていますので」 なんだ。じゃあ古泉が憂慮してたことはまさに杞憂だったってことじゃないか。と俺が言うと、森さんはクスクスと秀麗な笑顔を浮かべ、 「古泉は若干特撮的展開への思考が強いですから。ですが、古泉の葛藤はそれだけSOS団の皆さんを思っていたゆえのことでしょう。まあ、そのため今日は突飛な行動を起こす可能性がありましたので、わたしたちはここで監視をしていたんです。機関の車だと衆目を集めてしまいますので、このワンボックスカーでね」 この語り口から、俺には森さんたちが信用の置ける人々だと感じ、そして公園まで送って貰ったという運びになったわけだ。正直走り出したは良いものの、公園まで走らなきゃならんのかという他愛のない考えもあったし。 「ホントに……来てくれて良かった。あのときは動転して、ロクなことを伝えられなくてごめんなさい」 「お母さんが謝ることなんてないっ。先輩、お母さんね、あの後泣いてたんだよ。なにがあったの?」 詫びる言葉も見つからない程にひどいことを言ってしまったのさ。……朝比奈さん(大)、泣いてたのか。古泉、俺を殴ってくれ。 「意味がありませんね」 との一言で古泉は俺を一蹴し、俺に棒立ちで気まずい思いをさせるという精神的ボディーブローをかまし、 「それより……初めまして、みゆきさん。そして初めましてというよりは、お久しぶりですと言ったほうが良いでしょうか。可憐な少女の未来に相応しい艶姿ですね、朝比奈みくるさん」 「ふふ。お久しぶりです。古泉くん」「フフ。あたしもお久しぶりって感じです。古泉先輩」 あらためて比べると、ホントに良く似た家族だと思うね。 「キョンくん……昨日はごめんなさい。わたしはあなたの気持ちについてもっと良く考えるべきでした」 おずおずとした雰囲気で言い放つ朝比奈さん(大)に、 「そんな、俺こそスミマセン。今日こうなることは当たり前だったと、自分で気付かなかったのが悪いんだ。……でも、もしかして俺の昨日の行動も規定事項じゃなかったんですか?」 「いえ、キョンくんに手紙を渡せなかったのは予想外の出来事だったわ。ビックリしちゃった。それと、あの手紙の内容はもう済んでます。ここにあなたたち三人で来てもらうことと、涼宮さんには内緒にして欲しいってお願いでしたから。昨日のあの後は……正直、気が気じゃありませんでした。もし涼宮さんに話が伝わってしまっていたら、アウトでしたから」 だとしたらちょっと前に世界終了一歩手前だったが、朝比奈さん(大)も朝の状態の俺にまた手紙を渡そうものなら何を起こすわからないために連絡出来なかったんだろうね。……それはとにかく、現在は無事に過不足なく進行しているようだ。 「長門おねえちゃん……?」 と……朝比奈みゆきは虚に沈んだ長門の顔を訝しげに覗きこみ、長門の周囲をキョドキョドと動き回っている。 ――そういえば、この子は長門から朝比奈さんへの託し子だったんだよな。長門の子供って……父親は誰なんだろうか、いや、あまり深く考えるのはよしとこう。色々と連想しちまう……って俺はなにを考えてるんだろうね? まあ、本人には秘密っぽいのでうかつな話は出来ないな。 俺が朝比奈さん(大)に進展を求める目線を向けていると、神妙な面持ちで頷いた大人の朝比奈さんは、 「みゆきちゃん。長門さんは今……とっても疲れているの。あまり迷惑かけちゃだめよ。こっちにおいで」 「やだっ、先輩のところがいいっ」 そう言いながらドスンと俺に抱きついてくると、顔なじみの野良猫がもつような愛嬌の良さで俺の顔を見上げてきた。妹にお兄ちゃんと呼ばれない分がこれで帳消しになった気がするね。 「もう」 笑みが混じった感じのやれやれといった顔を大人の朝比奈さんはへ浮かべる。 そして古泉は朝比奈さん(大)へと真面目な視線を向けると、 「……時間が余分にある状況ではないと思いますので、失礼ですが話を進めさせていただきます。あなたには色々お聞きしたいことがありますのでね。今日は答えてくれるのでしょう?」 「……ええ。わたしはそのためにここにいますから」 俺は朝比奈みゆきを体から少し離しつつ、 「本題に入る前に、一つ聞きたいことがあるんですが」 どうぞ、と笑顔で答える朝比奈さん(大)に、 「藤原が言ってた本来の歴史ってのは、あいつらにあの事件を起こさせるための嘘だったんですか? 佐々木と俺の関係がどうだってのも……」 朝比奈さん(大)はふるふると髪をなびかせ、 「いいえ。佐々木さんの気持ちが嘘なんかじゃないっていうのは、キョンくんが一番良く知っているはずです。そして、現世界の構成から矛盾を排除した場合……というより、キョンくんと涼宮さんが出会わなかったら、彼が話した通りの世界が存在していたと予測されます」 それも腑に落ちないんだ。ハルヒの能力発現時、俺は全くの他人だったというのに、なんでそれに俺が関係してるんだろうか。 「それは……今からキョンくんに、能力発現以前の中学生の涼宮さんを迎えに行ってもらうことが関係しているの」 「……涼宮さんが時空を改変する前へと時間遡行する、ということでしょうか? それはTPDD……いや、未来人にとって不可能なことで、そのためにあなた方は現代へと舞い降りたのでは?」 古泉の言う通り、そうだよな。大人の朝比奈さんが言ってるのは、時空の断層を超えて過去に行けるってことだ。 「確かに時間平面破壊装置では、能力発現以前の世界の姿である次元構造を渡ることは不可能です。だけど、それが不可能な理由を思い出してみて?」 藤原は、無限のエネルギーがないからだって言ってたっけ。 「ええ。そして、その問題は物質的なTPDDのエネルギーをもって解決出来るんです。これはつまり、物質的なTPDDをまるごと時間平面破壊装置で飛ばすってこと」 ……なるほど。と思っていると横から古泉が、 「……もしそれが可能ならば、何故藤原さんたちはそのTPDDのハイブリッド方法で過去に向かわなかったのですか?」 もっともなことを言い出した。朝比奈さんは、 「それについてはTPDDの詳細についてお話しするといいかな」 一呼吸置いて、 「まず二つのTPDDは、ハカセ君が遺した二大理論を基に構成されています。時間平面理論からは時間平面破壊装置が、そして時量子理論からは時粒子転換探知装置……タイムパーティクルスダイバージョンディテクターが作られたの。この時粒子転換探知装置は小さいわたしが現在取りに行っているもので、古泉くんの『機関』と鶴屋さんたちに制作を依頼した機械になります。そして藤原さんたちが使っていたTPDDは、実はその二つを混合させた完成形のTPDDで、わたしの組織の上層部がそのTPDDの動作を制限して藤原さんがこの時間平面にやってくるようにしたんです。そしてハイブリッドされたTPDDは……みゆき。あなたが今から完成させるの」 「ふえ、あたしが?」 キョトンとした顔で目をパチクリさせる朝比奈みゆきに、 「これから過去に行って涼宮さんを連れてくるために、みゆきには二つのTPDDを同時制御で操作してもらうわね。これはとても難しくって、みゆきにしか出来ないことなの。そして、みゆきの情報処理制御パターンをある基盤に焼きこんで、みんなが運転できるようにする部品も作るから……頑張って」 そう言って朝比奈さん(大)は俺と古泉へと向き返すと、 「では、今からSTC理論について少しだけ補足します」 ……古泉。お前の出番が来たみたいだぞ。 「うふ。そう構えないで大丈夫です。実は現状の世界を形成しているSTC理論は、音楽理論と一緒なんです」 「……なるほど。それならば、全ての現象が非常に分かりやすい」 「どういうことだ?」 古泉は手の平を俺に向けながら、 「STC理論、つまり時間平面理論による世界とは、単一では意味を成さない音符を連続させ、それによって紡ぎ出される『旋律』だという理屈ですよ。そして世界の歴史は、それまでの旋律が記された『楽譜』であり、朝比奈みくるさんは未来の『楽譜』なのです。こうやって考えれば、エンドレスエイトが簡単に説明出来ますね」 「へえ」と俺が言うと、 「そう。エンドレスエイトとは、コード進行のみを決めてあとはアドリブで演奏するジャズだったのです。そしてエンドレスエイトの繰り返しは、あの二週間分を反復して演奏していたのですよ。譜面上では最初に戻ったとしてもそれは曲が逆行するわけではなく、一回目に続いて二回目を演奏するだけなので、あのエンドレスエイトは一列に繋がった一つの曲であると言えます。だから僕たちは、以前のシークエンスの影響を受けていたのでしょうね」 朝比奈さんはこくりと頷き、 「その通り。そして規定事項は、未来の『楽譜』と『旋律』を等しくするための行動なんです。時間遡行は、未来人という『音』が過去の『旋律』に紛れるということ。そこでは未来人は只の雑音なので、基本的に『旋律』を変えてしまうことはないんです。ですが、イレギュラー的に『音』が加わって『旋律』が変わってしまうという事態や、自分の楽譜と過去の旋律が不一致しているなど矛盾した結果も発生してしまうの。……次は、これからの行動についてお話します」 これからの行動……ハルヒの中学時代と、《あの日》に行くことだ。 「能力発現以前の涼宮さんを迎えに行くことには、二つの意味があるんです。一つは、《あの日》での行動に涼宮さんの力が必要だからということ。そしてもう一つは……彼女にかけられた呪いを変えるため」 「……ハルヒに呪いが? 中学生のハルヒに、どんな呪いがかかってるっていうんですか?」 呪いっていうのはものの例えなんだけど、と続けて、 「……わたしが以前話したことを思い出して下さい。自分の知っている過去とは違っている過去、そして、本来生きていなければならない人が死んでしまう過去のこと。……今からキョンくんには、それを変えてもらうんです」 「それって……ハルヒが死んじまうのを変えるってことですか?」 ……ここで朝比奈さん(大)は暗い顔を浮かべ、少し沈黙した後、 「涼宮さんの呪いについては……簡単にいえばね、中学生の彼女は『いばら姫』なの」 いばら姫……つまり、眠り姫か。たしかその話は諸説あったが、お姫様が預言者たちから順番に贈り物をされていると一人の預言者から死の呪いをかけられてしまい、残りの預言者がその呪いを『眠り』の呪いに変える話だ。 「うん。それでね、物語の預言者が未来人だと考えてください。そして、『呪い』について今からお話します。まず……中学生の涼宮さんがキョンくんと出会わず、能力の発現が起こらなかった場合、将来キョンくんは佐々木さんと親密な関係になります。これは二人が中学時代に両想いで、キョンくんが涼宮さんと親しい関係ではなかったから。そしてSOS団を結成しなかった涼宮さんは将来、一人で道を歩いていたときに――えっと、その……」 朝比奈さん(大)は悲しそうな表情を作って「……禁則です」と呟いた。それが本当に禁則である感じはしなかったが、いばら姫の『呪い』を考えると……あまり詳しく聞きたいことじゃないな。俺がそう考えていると古泉が、 「……つまり、それが涼宮さんにかかっている『いばら姫』の呪いであり、その呪いを『眠り』に変える預言者が……朝比奈さん。あなたというわけですね」 「そんなところです」 そう朝比奈さん(大)は答え、俺は……一つ考えていた。 彼女の話によると、ハルヒが世界を変えちまうのは、俺の今からの行動が原因なんだろう。 つまり……。ハルヒに神様じみた能力を付加させたのは――俺なのか? すると公園の前に一台のトラックが停止し、後を追従していた黒塗りのタクシーから二人の人影が乗り出してきた。 「すっすみませんっ! ……遅れちゃいまし――」 その人は朝比奈みくるさん(小)で、後には喜緑さんの姿があった。 「……あ、」朝比奈さん(小)は目を丸くして大人姿の自分を目に入れると「上の……人ですよね? ってゆーか、やっぱり……」 「……お疲れさま。あなたが感じていた通り、わたしは朝比奈みくるです」 「あ、朝比奈先輩だっ。フフ。あとは涼宮先輩だけですねっ」 「ほえ? ……あ。もしかして、この子がみゆきちゃん……?」 これはスリーカードになるのかなと思いつつ朝比奈さん(小)に抱きつく朝比奈みゆきを見ていると、朝比奈さん(小)は長門を見て、 「――そっか。あの子がこんなに大きくなったんですね、安心しました」 この言葉を聞いたみゆきは不思議そうに、 「あの子って何ですか? あたしは先輩の……」 朝比奈さん(小)は自分の口を手で覆って、 「そ、そうでしたっ。みゆきちゃんは、あたしの将来の子供なんですよね。とにかく、可愛く育ってくれて嬉しいです」 えへへ、と笑いながら朝比奈さん(小)に頭を撫でられているみゆきと、それを微笑ましく見つめる大人の朝比奈さん。俺は喜緑さんに、 「……さっきは失礼しました。身勝手な行動をしてしまって」 「いえ、構いません。事態は急を要するので」 喜緑さんは大人の朝比奈さんに体を向けて、 「長門さんに生じた問題を解決するために、情報統合思念体も出来る限りの協力をする意向です。わたしがここに呼ばれたのも、そのことについてなのでしょう?」 「……はい。次元の世界を渡るためには、情報統合思念体の協力が必要なんです」 朝比奈さん(大)は集まった俺たちを見回し、 「これで役者は揃いました。それでは……今から、それぞれの行動についてお話致します」 「まず、キョンくんとみゆきには中学生の涼宮さんを迎えに行ってもらいます。みゆき、昨日教えた魔法の使い方はしっかり覚えてる?」 「うん、大丈夫っ。機械を操縦するときに使うんだよね?」 ……魔法、ね。恐らく情報操作能力のことだろう。大人の朝比奈さんはみゆきに頷くと喜緑さんへと顔を向け、 「そして二人が過去に向かうために、喜緑さんには思念体へアクセスしてもらって、時空改変以前の涼宮さん以外の世界の時を止めて貰います。よろしいですか?」 「了解しました。それだけでいいのでしょうか?」 やんわりとした笑顔で答える喜緑さんに、 「いえ、もう一つ。……長門さんの思念体を、凍結状態から復帰させてください。そして――」 大人の朝比奈さんは振り返り、今度は古泉に向かって、 「キョンくんとみゆきが過去へ行っている間、古泉くんには、長門さんの思念体と共に四年前の七夕の、長門さんの部屋へ行ってもらいます。そこでは、わたしとキョンくんが《あの日》へ行くために訪ねてくる予定ですから、わたしたちがやってくる前にリビングの隣の部屋へと隠れていてください」 それって、俺が長門の作り変えた世界から脱出プログラムで過去の七夕に飛んだ後、長門から話を聞くためにあいつの部屋へ行ったときの話だよな? あそこで長門は、隣の部屋は俺と朝比奈さん(小)のために丸ごと時間を止めたから開かないって言ってたはずだが……。 「そうなんですか?」 朝比奈さん(大)が俺に聞いてきた。 「ええ。っていうか、あなたも居たじゃないですか」 「そっかぁ」と何やら考える様子で、 「じゃあ、扉を開けられないように気をつけないといけませんね」 「……どういうことです?」 「……えっと、」少し思案顔を浮かべた後、俺に微笑みながら「このわたしは、まだその七夕でキョンくんを導いてはいないの。それはわたしが、これから行うことです」 ……つまり、あの七夕の日に来ていた大人の朝比奈さんは、この朝比奈さん(大)だったってことなのか? 「そういうことです。今のわたしは、世界の歴史を整えるために、上層部からの指令をみんなに説明をするよう頼まれているだけなの。わたしもこれからあの七夕へと向かって、世界を修正するために頑張ります」 パチリとウインクをかまし、そして朝比奈さん(大)の放ったハートマークが俺の顔に当たるまでの束の間、俺の生体活動は停止していたかのように思われた。 ――なんてこった。じゃあ、長門と俺と朝比奈さん(大)があのアパートで《あの日》について話していたとき、隣の部屋には……古泉が居たってことじゃないか。なんとゆーか、あいかわらず眩暈がするね。 朝比奈さん(大)は古泉へと面を返し、 「古泉くんには、あなたにしか出来ないことをお願いします。そしてそのまま、小さいわたしがこの規定事項を終えて迎えに来るまで待っていて下さい」 古泉は真剣な顔で首肯すると、 「……なんとなく、僕がやるべきことは感じています。つまり僕は、副旋律を担当するのだと言うのでしょう?」 「……副旋律? なにがだ?」 俺がそう聞くと前髪をピッと弾き、 「これから行う規定事項で、僕たちはそれぞれ自分のパートを受け持つということですよ。音楽的にいえばつまり僕らは演奏者であり、《あの日》へと直接赴くあなた方は主旋律を担当し、そこへ行かない僕は副旋律を担当するようなもの。そして、長門さんが変えてしまった世界から続くこの世界は、この規定事項を完遂させた結果……言わば一つの楽曲なのです。あなたの行動によってあの三日間が発生し、僕のこれからの行動には……恐らく、長門さんの小説が関係しています」 「あいつの小説が? どうしてだよ」 古泉は少し悩んだような顔を浮かべ、 「……僕はずっと、思念体が長門さんを疎遠にしていた問題の答えは、彼女の小説の三枚目の中にあると考えていました。あれに書かれている内容ですが……まず、棺桶というワードに『死』という隠喩があるのは間違いないでしょう。次に、その小説の中で長門さんらしき人物はその『死』を望んでいて、そしてその『死』を阻む存在として、僕や朝比奈さんらしき存在が示されていました。そして物語は顛末を見ないままに終えられている。僕は長門さんに後のストーリーについて聞いてみたのですが、彼女は、この小説は殆ど無意識に近い状態で書き綴ったために答えることが出来ないと仰っていました。そして今……長門さんは『死』を願った代償として思念体から制限を受け、記憶をなくしてしまっています。――これから僕がやることは、あの小説の中で表現されている……彼女が忘れてしまった自らの発表するものを思い出させることです」 「つまり、お前は何をするんだ?」 古泉は大人の朝比奈さんに意味ありげな目配せをして、 「……とにかく、僕は長門さんが抱える問題を解消します。ですが、僕の行動にもあなたの協力が必要不可欠です。なので……」 古泉は決心に満ちた視線で、 「――許可を」 もちろん良いに決まってる。何をするのかはわからんが、わざわざ許可を得る必要なんてないぜ。 「そう言ってくれると信じていました」 古泉は目を細くしながら言い、 「あの小説を読解しましょう。長門さんの忘れている自分が発表するものとは、僕たちも知らない『長門さんが望んだもの』だったのです。そして発表会とは、《あの日》のこと。……僕は、長門さんが発表の舞台へと戻ってこれるように尽力します。あの物語を紡ぐのは、長門さん自身なのですから」 ……ってことは、あの長門の小説は何かしらのヒントだったのか? じゃあ、他の一枚目と二枚目にはどんな意味があるんだろうか。 「ええ。経緯はまだ不明ですが、恐らくあの小説は、長門さんの識閾下から綴られた僕たちへのメッセージだった。そして、二枚目については何となく見当が付いています。あの二枚目こそが長門さんの思い出であり、長門さんの歴史なのでしょう。現在の長門さんはそれを失ってしまっているので、僕はこれから、あなたの協力を得てその失われたページを取り戻すのです」 「……そっか」俺は長門を見る。「……こいつは、こんな風になっちまっても、俺たちを助けてくれるんだな。――次は、こっちが長門を助ける番だ」 ここに集まった全員が一致して頷き、意思の固まりを確認する。大人の朝比奈さんは俺へと微笑み、 「……では、行動を開始します」 さて。俺が今からやるのは、みゆきと一緒に中学ハルヒを連れてくることだ。 俺とみゆきが大人の朝比奈さんに率いられてトラックへと向かっていると、 「中学生の涼宮先輩、どんな感じなんでしょうね? フフ、楽しみです」 みゆきが無邪気に話掛けてきた。なに、俺は一度会ったことがあるが、中学のハルヒは身体的特徴が若干小さいだけで、全く今と変わらんさ。 「フフ。涼宮先輩らしいです」 クスクスと笑みをこぼし、前を向く。そしてトラックの荷台の後部へと着くと朝比奈さん(大)は扉を開け、 「……これが時粒子転換探知装置、タイムパーティクルスダイバージョンディテクターです。一般的な概念から言えば、このTPDDこそがまさにタイムマシンと言えますね」 「ん、」 俺は呟く。中に入っていたのは、一般乗用車程度のサイズのお椀を伏せたような形状の半球から、車ならタイヤがあるべき四方の位置に三十センチメートルほどの突起物が等しい形で付いており、こちらへと向いている正面には、それらよりも二倍ほど長い突起物が……ええい、説明が面倒だ。それにこれはどっからどう見ても……、 「亀じゃないですか」「うわあ、大きいカメさんですね」 そのフォルムはまさに亀であった。 「これは、時量子理論が基になったTPDDなの。この形に意味はないんだけど、ハカセくんがあのとき、川の流れの中を泳ぐ亀を見たことによって生み出されものだから……ふふ、単なる遊び心です」 えらく茶目っ気の効いた科学者たちだなと思いながら、俺は藤原の言葉を思い出していた。 なるほど、物質的なTPDDの形は浦島太郎ね。あいつは俺をおちょくりやがったわけじゃなかったのか。ってことは、もしかしたら浦島太郎の話は実話なのかな。 「うふ。禁則事項です」 大人の朝比奈さんはそう言ってみゆきに、 「じゃあ、今から時空間の座標を教えるね。みゆき、手を出して」 みゆきが差し出した小さな手のひらに朝比奈さん(大)がちょんと触れると、 「りょーかいっ。フフ、失敗しないように頑張ります」 頑張ってね、と言いながらみゆきの頭をナデナデしつつ、 「……じゃあ二人とも、これから直ちに出発して下さい。キョンくん……健闘を祈ります」 「了解しました、朝比奈さん。あのじゃじゃ馬娘を、縄ででも繋いで引っ張ってきますよ」 ――よし。今から……中学生を拉致しに行くとするか。 第四楽章・再
https://w.atwiki.jp/haruhi_vip2/pages/1696.html
今日もハルヒの声が聞こえる。 「風邪を引くなんて、気合いが足りないのよっ!」 おいおい、その台詞は医者の言う台詞じゃないぞ、ハルヒ。 「その程度の風邪で薬なんか要らないわっ!気合いで寝て治しなさい!」 もう少し、優しく言った方がいいんじゃないか? 「今の段階では、安静にして養生するのが一番です」って感じで。 「まあまあ、ああいう話し方こそ涼宮さんらしくていいんじゃないでしょうか?」 お前はいつまでハルヒの太鼓持ちをするつもりか? 俺が言っているのは「ハルヒらしさ」の問題じゃなくて、「医者らしさ」の問題だぞ? 「ははは、でも、あなたも随分医者らしくない感じですよ?」 確かにな。「キョン先生」はないだろう。院内放送でもそう呼ばれたぞ。いつまでこのあだ名がついて回ることやら。やれやれ。 説明しよう。 高校時代、ハルヒの特訓のおかげで成績を持ちなおすどころか、大飛躍させた俺は、何を考えたのか近くの医大になんか受かってしまった。なぜかハルヒも一緒だがな。 だが、一年先に卒業した、麗しのマイ・スウィートエンジェル・朝比奈さんは何故か看護学校に行っていた。 打ち合わせ不足が原因だろう。なにより、俺の成績が医学部に行けるほど上がるとは、俺自身も思わなかったしな。 朝比奈さんに「ひどいですぅ、、なんで教えてくれなかったんですかぁ?」と涙目で言われたときには、何とも言いようがなかったな。 で、朝比奈さんの方が先に卒業して看護婦として就職したわけだが、就職先が例の機関の病院とはな。古泉が手を回したのか。 俺たちもなにやらかにやらやらかしながら、どうにか医大を卒業し、医者になったわけだが、研修医としてつとめたのが、機関の病院だぜ?そのときのあいつの台詞を思い出すな。 「そちらの方が何かといいのではないですか? 我々にとっては涼宮さんの監視には非常に都合がいいわけですし、なにより、あなた自身が涼宮さんと.....」 これ以上言うな。大体お前の言いそうなことは想像できる。 と言うわけで、冒頭の台詞に戻るわけだ。 ちなみにハルヒも俺も長門も古泉も内科だ。ここまで合わせなくてもいいだろうとは思うがな。 ああ、言っておこう。朝比奈さんはハルヒの診察室付きだ。あのコンビで良く診療が出来るものだ。いや、心配なのは朝比奈さんのことじゃないぞ。ハルヒの方だ。 まあ、どじっこナースな朝比奈さんが今まで医療ミスを起こさずに来れたのも奇跡としか思えないがな。さて、ハルヒ大先生の診察室でも覗いてみるか。 「あ、キョン!丁度いいところに来たわ!」 ハルヒよ、 いいところ とはどういうことだ? 「ねえ、この病院の白衣ってイマイチじゃない!これじゃ、みくるちゃんの魅力も半減よ!?」 そんなこと言ってもしょうがないじゃないか。それが制服ってもんだろう。 「この馬鹿キョン! それだからあなたは医者になっても雑用係のままなのよ! いい?制服やルールって物は、都合が悪くなったら、変えてしまえばいいのよっ!」 で、もう一度聞こう。 いいところ ってなんだ? 「で、みくるちゃんのために新しいナース服を用意したのよ。キョン、よーく見なさいっ! みくるちゃん、入っていいわよ!」 「は、はーい.....」 正直、たまりません。 「ちょっとキョン!何いやらしい目で見てるのよ!」 やれやれ。おまえは見ろと言ってるのか見るなと言ってるのか、どっちなんだ? それより不思議なのはあの寡黙な長門さえも外来を担当していると言うことだ。何故か患者がすぐに良くなると言うのですごく人気だ。 医者としての知識は確かに長門が最優秀だ。しかし、あの宇宙的パワーで情報改変をしているのではないだろうか? ちょっと診察室を覗いてみようか。おや、診察中のようだ。 「胃の調子が悪いのですが...」 「あなたは胃癌。」 おい、長門!いきなり診断をつけるな!普通は胃カメラやらレントゲンやらで見つける物だぞ! 「......大丈夫。生体情報をスキャン。胃に早期の腫瘍を発見した。胃カメラを使わなくても分かる。」 いや、でも、検査をせずにいきなり病名を告げられるのはどうかと思うぞ? 「......そう。」 で、治療はどうするんだ。外科に頼んで手術の手配をしないとな。 「必要ない。腫瘍の情報結合を解除した。もう治っている。」 で、このぽかーんとした顔をしている患者をどうするんだ? 「記憶を修正。胃炎の薬を処方して帰ってもらう。」 やれやれ。宇宙的パワー全開だ。 古泉の野郎はあの0円スマイルでずいぶんと患者に人気がある。まあ、病院に来るのは年寄りばかりだから、婆さんに人気があると言ってもいいだろう。 「そういうあなたこそ優しくて人気があるのですよ?みなさん、慕ってくれているじゃないですか。」 うるさい。顔を近づけるな。そもそも慕ってくれていたって、俺の本名を知ってる患者は1割もいないんじゃないか? ピンポーン「内科のキョン先生、内科のキョン先生、病棟にご連絡ください」 やれやれ。仕方がない、仕事に戻るか。 ---end. 続かない。
https://w.atwiki.jp/haruhi_vip2/pages/2752.html
ハルヒに昼休みに部室に来るように言われた。 その日、俺は授業中に熟睡していたせいで部室に出遅れてしまった。 俺が着いた時部室には俺以外のSOS団のメンツが揃っていた。 どうやらハルヒは手作りプリンを振舞っていたようだが、俺の分は無かった。 俺の分は寝坊の罰としてハルヒ自身に食われてしまったようだ。 そりゃないだろ。 「あんたが遅れてきたのが悪いのよ」 「・・・そうかい。」 ハルヒから漂うプリンの甘い匂いが俺の落胆を重いものにした 「今更何言っても無駄なんだからね」 「ならあえて言わせてもらおう。すごく食べたかった」 「悪あがきはみっともないわよ」 「今更なのはわかっているが・・・でも俺、実はプリン大好きだからさ・・」 悪あがき上等さ。わざと悲しそうな声と表情で言う俺。 本当にわざとなのかねと疑いたくなるほど完璧な声色だね。 対してハルヒは 「ふっ・・ ばっかじゃないの?」 お前、今一瞬目逸らさなかったか? 次の日の放課後 「先に部室行ってて」 用事があるらしいハルヒにそう言われ俺は部室に向かった。 部室に着く。不思議なことに誰もいない。おまけに誰も来る気配が無い ふと冷蔵庫を覗くと、とてもわかりやすいところにプリンが一つ 丁寧にスプーンまで置いてある。 食べてみる。とても甘くて美味しい 俺は夢中で、でもしっかり味わうようにプリンを貪った。 食べ終わった時に図ったようなタイミングでハルヒが部室に飛び込んできた 後で気づいた事だが後ろに他の3人もいたようだ。 俺が何か言う前に、必死に怒った顔を取り繕ってハルヒは高らかに言った 「ちょっとキョン!あたしのプリン食べたでしょ!?」 「あ・・・ハルヒ。冷蔵庫にあったから食べさせてもらったぞ。旨かったぜ・・ものすごくな。」 「・・キョン?」 「罰金でも罰ゲームでもなんでもするさ。だからもう一回作ってくれないか。今度は・・」 「ちょっとキョン!」 「え?」 「ほら!遅刻するわよ!」 その瞬間、布団ごとひっくり返され俺はやっと現実に戻ってきた。 目の前にはハルヒがいる。エプロン姿が今日もよく似合っている そして俺は無様にもパジャマ姿で寝っころがっている・・・のはいいとして。 これは夢だったのか・・・。 懐かしい夢を見た。 あれは高2の出来事だったな。忘れかけていた日の思い出だ。 過去の出来事がそのままトレースされ夢で再現されるなんてなかなか無いんじゃないだろうか。 それにしてもかなり鮮明に思い出させてくれたもんだ。 あの頃の俺たちはまだお互い全然素直じゃなくて・・・ 「何ニヤけてんのよ。朝ごはんもうできてるからさっさと食べなさいよ。時間わかってるの?」 「え、うわっ もうこんな時間か!?」 薄々感付くだろうが俺はハルヒと結婚して共に生活している。 大半の人が妄想する理想の結婚生活をなぞったような幸せを俺はハルヒと共にしている。 ここまでくるのには本当に苦労した。が、まぁここでは割愛させて頂こう ちなみにハルヒの能力は健在で、古泉は相変わらず機関に所属しているし、朝比奈さんは未来へ帰ったものの、いわゆる仕事場が過去なのでしばしばこの時代に戻ってきてくれる。 長門も同様健在であり、SOS団は今でもたまに活動しており、年に数回同窓会のような感じに集まっている。 俺の苦労は今でも耐えない。むしろ今のほうが違う意味で苦労している。 高校のときは学校でハルヒその他相手に苦労していた。今では家でハルヒ相手に相変わらず振り回されている。 あの頃よりは少しマシになったが、俺を引っ張ろうとする力はまだまだ馬にも負けないくらいだろう。 まぁハルヒ相手の苦労は苦労でなく、一種の楽しみでもあるんだがな。 そして会社でもいろいろ苦労は耐えない。実はこっちの苦労の方が今現在は重い。 特に昇進試験なるものが迫っている今は更に体力と精神力を削られていたりもする。 「じゃあ、行ってくる。」 急いでハルヒお手製の朝食を食べ終えた俺は、靴をトントンと鳴らしながらドアノブに手を掛ける。 「行ってらっしゃい」 なぁハルヒ、信じられるか。 あんなに意地っ張りだったお前が、プリン1つ渡すことさえあんなに遠まわりするお前が、俺のために早起きしてご飯作って玄関まで送り迎えして・・・。 まぁそれを指摘したらお前は「何勘違いしてるの結局最後に火の粉が飛んでくるのはあたしなの」とか言ってごまかすんだろうな。多分。 だから俺は心の中でいつも呟いている。 『いつもありがとう。愛してるよ、ハルヒ』 俺はその日、普通に会社に行き、普通に帰宅した。 いつもと変わらない平日。毎日違うのにどこかテンプレートな日々。わかるだろう? テンプレートな日々。わかるだろう? しかしこの日から俺の生活の一部は変動することとなる。 次の日、再びそれはやってきた。 「ねぇキョン。あたし、もしかしたら願望を実現する能力があるのかも」 俺は最近のハルヒの様子がほんの些細だが妙なことを気に掛けていた。 まぁアイツの事だからどうせSOS団のサプライズな企画を練って俺を困らせようとしているに違いない。 そう思っていたのだが、ここ数日はそうでもないかもしれんと疑っていた。 たまーにだがハルヒはどこか遠くを見たり、険しい顔をしてボーっとしたりと俺はなにかの前兆を見定めてやや落ち着かなくなる。 そんなことをうっすらと考えながら休み時間になったわけだが、さておまえはいま何と言った? 「だから、あたしってひょっとしたら世の中を思い通りに動かせるかもって」 「アホ。そんなわけあるか」 そう言いながら当然俺は内心少し動揺していた。だってそうだろ? そうなんだから。 「あのなぁハルヒ、もしそうだったらおまえはとっくに、・・・宇宙人や未来人や超能力者と遊びまわってるだろうに。大体何でいきなりそんなことを言い出すんだ」 自分で言っていて違和感があるが、そんな様子を一切出さないように俺なりにがんばったつもりだが、ハルヒはそんな俺を見て一瞬顔を少ししかませた。 「・・・初詣に行ったとき、おみくじ引いたでしょ?あの時よ」 「ああ、あれか」 SOS団で初詣に行ったときに俺達はハルヒにひっぱられておみくじを引いた。 今年の命運だの大げさなことを言いいながらハルヒは真っ先におみくじ自販機に100円を投入してあっさりと大吉を当ててしまった。 どうでもいいが最近のおみくじは自販機なんだな。 朝比奈さんや長門や古泉はそれぞれそれなりの結果だったが、俺はというとハルヒと同じで大吉を当ててしまった。 古泉の白い歯付きのアイコンタクトを無視して偶然だと思いこんでいたのだが、そうではないらしい。 ハルヒのことだ。俺の今年の分の運を使ってしまえとでも思ったのだろう。 しかし今はそんなことを考えている場合ではない。 「おまえは物事を都合よく考えるタイプだからな、どう考えても偶然だろ」 「残念ね。もしそんな能力があったらあんたの望みも叶えてあげようと思ったのに。 もちろんSOS団の名が全銀河に知れ渡って世界の中心はあたしだということを世界中が認める正義の世の中になった後だけど」 どんな世の中だ。正義の意味をどこで教わったんだ。 ハルヒの誇大妄想を聞くうちに休み時間は終わった 。こいつの願望は宇宙人や未来人や超能力者や異世界人に会うとか地球を逆回転だとかフィクション現実化とか本当にそんなのばっかりだ。 勉強ができるなら少しは現実的な願望を持ってもいいだろう。 と、前まで思っていたが、最近になってからは俺はそうは思わなくなっていた。 あの夏の時点で気づかなかったことが悔やまれる。SOS団の目的はそれこそ宇宙人や(略)を探して共に遊ぶことだが、それは最初だけだ。不思議探索も今は名前だけだ。 訳は少し違うが古泉の言葉を借りると、これはわかってしまうのだから仕方が無い。 だから、今ハルヒが望んでいることは非現実的な出来事の襲来ではないと思っている。 俺はそう信じている。 放課後になり、俺の脚はプログラム通りに無駄なく部室へと進んでいった。 ハルヒは用があるから俺より先にどこかへ行ってしまった。 部室の前で俺はノックする。返事無し。何も考えずにドアを開けた。 中にいたのはハルヒ1人で、長門や朝比奈さんや古泉はまだ来ていなかった。 ハルヒはパソコンでいつもの如くサーフィンをしていた 「ん、おまえだけか。どこかに用があるんじゃなかったのか」 「別にないわよ。むしろ用があるとしたら、キョン。あんたによ」 なんとなく嫌な予感がしたが、ハルヒの表情は俺の予想とは違い少し虚ろになった。 ・・・が、すぐに顔を上げて尋問よろしく俺に詰めかかってきた。 「いつごろだったかは忘れたわ。でもSOS団を中心とした活動を振り返るとあたしの思い通りに世の中が変わってるとしか思えない出来事が沢山あるように思えるのよ・・・。 いえ、実際そうなんだわ。キョン、あんたなにか知ってるでしょ!?」 いきなりなんだこれは。勘がいいのは分かっていたがまさかこっち方面にまで及ぶとは。 ハルヒの言うことはまさに大当たり。どうする?休み時間のように大人しくそんなわけあるかと流し口調にするか・・・いやもうそれも危ない。 そうかもな、ととりあえず冗談話として肯定するか?・・・いや本気でそう取ったらと考えるともっと恐ろしい。 こうした脳内葛藤の結果、やっぱり冗談話のように軽くスルーしようと結論が出るまでの時間は1秒に満たなかったがハルヒとの心理戦はハルヒの勝利に終わってしまった。 「あのなぁ・・・」 「ふふっ、やっぱりね。」 「ん?」 「今のはデマカセよデマカセッ!自分の思ったとおりに世の中変えられるわけないじゃない。 なのにキョンったら必死にいろいろ考えちゃって、休み時間にも思ったけど、やっぱりあんたあたしに何か隠し事してるでしょ。」 こいつ、やりやがった。 そうしてハルヒは真に迫る奇妙な笑顔で俺を脅迫し始めた。 そんな大当たりのデマカセありかよ。ハルヒが知りたかったのは願望云々ではなく質問に対する俺の反応だったとは。 古泉とのゲームでポーカーフェイスを鍛えた俺でも筋書きは普通の男子高校生だ。動揺するなと言うほうが無理だろ? 「なによ。黙り込んじゃって、益々怪しいわね。まさか・・・」 そんなことを考えてる場合ではない。ハルヒがすぐそこまで迫っていた。(精神的に) まさかの後は考えるのも恐ろしいがその時既に俺の口は勝手に動いていた。 「・・・そうさ、流石だなハルヒ。もう隠せないな。確かに俺は重大な隠し事がある。」 「ふぅん。やっぱりね。言ってみなさいよ」 不適な笑みで俺に問いただしてくるハルヒ。 そうやってお前はいつも俺から余裕を奪っていくんだよな。いろんな意味で。 だからよっぽど大事な隠し事じゃないとどうしてもすぐにばれちまうんだよな。 「でもな、人に言えない隠し事や悩み事を持つなんて誰にでもあることだろ?だから言えないな」 「何それ?ここまで焦らしておいて吐かない気?」 心配するな。どうせばれるんだから。 俺が最近になってやっと自覚した、悔しくて認めたくないけど、確かなこの想いをな。 「まぁそのうちわかるさ。お前にもな」 「何よその笑み!なんか腹立つわね、雑用のくせに鼻伸ばしちゃって。」 どうやら俺は笑っていたらしいぞ。 「あんたがそんな変な笑い方するなんて、こっちまでニヤニヤしちゃうわよ。」 お前だって徐々に変な笑みが浮いてきてるぞ。 「あーもうしょうがないわね。近いうち絶対に吐かせてやるんだから。」 どうやら俺は何らかの衝動を抑えているらしいぞ。 「こんな横暴な団長さんなのに、どうしてこんなに楽しいのかね。このSOS団とやらは」 少し経って呟いてみた。 こいつには毎度毎度驚かせられっぱなしだが、今回は久しぶりに度肝を抜かれた気がする。 「当然よ!あたしには願望を実現するチカラがあるんだからっ!」 ・・・・2回目だな。 気が付いたら俺はやっぱりベッドに寝転んでいた。 自分のプロフィールを確認しよう。 俺はハルヒと結婚して、会社で働いていて、四捨五入したら歳は30で。 うん、、よし。無意味だとは思うが分析してみよう。 これまた懐かしい日の夢だったな・・。 本当に自分の能力を知っていたかのような団長のお言葉が心地よく響く。 起きた時に自分が大層驚いてる実感が湧いてたのは夢の臨場感が普通じゃなかったからだろう。 随分これまた鮮明に蘇ってきたものだ。 俺の深層意識は昔と今を比べたがってるのか? いやそんなことはないね。今は今で昔は昔さ。 卵を焼く音が聞こえる。 もうそろそろ起きないとハルヒが起こしに来ちまうな。 夢の余韻に浸りながら、俺は寝室を後にした。 夕日が俺たちを綺麗に照らして、なんでもない会話が妙にドラマチックに聞こえる帰り道。 俺はハルヒと2人で坂道を下っている。 SOS団の次のイベントの企画に俺が参加することはなかなか珍しいのでちょっと新鮮な気分だ。 いつも古泉とかとひっそり俺を驚かす企画をしてるくせにさ。 言葉で表現しにくい感情が腹の辺りで蠢いている。 ほんの些細な事なのに、ハルヒと秘密を共有できたことが嬉しい。それだけなのに。 ただそれだけなのに な。 会話の内容は何故かあまり覚えていないが、すごく楽しかったことは覚えている。 何よりハルヒが何かを企んでいる笑顔を俺が占領できるのが嬉しかった。 この瞬間をを誰にも渡したくない。これからもこうやってハルヒを独り占めしたい。 と、一瞬でも思ってしまった俺。いやもうわかってるんだろ俺。 もう我慢できないんだろ? 気づいたらハルヒの家が見えてきていた。 どうやら俺はいつもの分かれ道を無視してハルヒの家の方角に来ていたらしい。 やれやれ・・何でこんなに時間が経つのが早いんだろうね。 「キョン?聞いてるの?」 「ん?あぁ・・いや・・・」 「もう、ちょっと目離すとすぐこれなんだから」 「なぁ・・ハルヒ。」 「何よ」 「俺の悩みを聞いてくれ」 自分で言うのもアレだが切り出し方が良いとは言えない。言葉はやっぱり重要だな。 ハルヒは俺の顔を見て、何?とでも言いたげに顔をしかめてきた。 なかなか切り出せない。でももう伝えたくてしょうがない。 口が半開きになったまま停止する。やっぱり怖い。だってハルヒなんだぜ? 葛藤は無言の時間となってハルヒに不安を与えていく気がして、それは嫌だと思った瞬間口が開いた。 「俺さ・・実はお前に惚れてるんだが。」 ・・・言えた。 もう少しだ。あともう一言・・・ 「もうどうしようもなく好きだ。好きなんだよ。ハルヒ!」 ベタな少女漫画でさえもっとマシな告白をするだろうと思った。 ハルヒは固まっている。 俺は次に来る言葉を予想せざるを得なかった。 いつぞやの谷口の言葉がフラッシュバックする。普通の人間には興味が無い。 急に後悔の念に襲われた俺は逃げ出したくなる衝動に駆られる。 俺がこうやってごちゃごちゃ考えている間はハルヒにとって数秒だったらしい。 こいつはやっぱり俺の予想斜め上をいった。 「ふふっ・・ 知ってたわよ」 ハルヒはクスクスと笑い始めた。 なんだって・・・ 「もうそろそろかなって思ってたりもしたのよ。あんたの考えなんてお見通し。」 今度は俺が固まる番だった 「そ。あんたの考えてる事なんて見てればわかるわよ。何でだか分かる?」 最後の一言を聴いた瞬間心臓が急にバクバクと暴走を始めた。 「キョン。あんたが好きだからよ。あたしも!」 「ハルヒ・・・!」 聴いた瞬間、これは間違いなく脊髄反射だろう。ハルヒを抱きしめた いきなり抱きしめられるのは予想外だったのか、ハルヒは驚いた様子だったが、やがて俺の背に手を回してぎゅっと抱き返してくれた。 柔らかい。ハルヒの髪から漂ういい香りも含めて急に全てが愛おしくなり、俺は更に力を込める。 この気持ちを伝えたくて口を開いたが、何故か素直に「ありがとう、ずっと一緒にいような」というような言葉が出て来なかった。 喉で言葉を彷徨わせているうちに、先にハルヒがぼそっと呟いた。 「言うのが遅いのよ。バカ。」 「実は最初にお前の自己紹介を聞いたときから言おうと思ってた。」 「ウソ。気づいたのだってわりと最近になってからなんじゃない」 「ほんとにお前はどうしてお見通しなんだよ」 「だから言ったでしょ?何度も言わせないの」 「わかってるさ。ハルヒ」 ハルヒの腕にもグっと力が入った。 ここでやっと思い出した。そういえばここはハルヒの家すぐ近くの道路だ。 いくら日が暮れた住宅街とはいえ、第3者が微かに視界に入っては消えていく様子を見るのも・・・ やっぱりちょっとマズイよな。 体制を改めてハルヒと向かい合う。いつもと変わらない距離なのに、凄く近くにハルヒを感じる。 俺は左胸をトントンと叩いた。 「俺のココを奪った責任、取ってくれよな」 「それ、あたしのセリフ。」 「お前でもこんなくっさいセリフ言うのか」 「うるさいわね。キョンあんた顔真っ赤。」 「む・・ハルヒこそ。耳まで赤いぞ。」 「そんなわけないじゃないっ!」 「ほら今赤くなった。」 以下略。 いつもじゃ考えられないやりとりだな。 でももう今日は遅い。ふと時計を見たら結構な時間になっていた。 「なんだか、別れが寂しいな」 「明日、また会えるじゃない。」 「ああ、明日朝迎えに行くからな。」 「ん、ありがとっ」 ここでハルヒはいつもの溢れんばかりの笑顔を見せてくれた。 これで俺に感情のコントロールをしろと言うほうが無理なもんだ。 ハルヒの頬に手を添える。 暫し無言で見つめあい、俺はハルヒの唇を塞いだ。 ここは部屋。俺の部屋。 首をひねればそこはベッドで俺は床に直接寝転がっている自分を発見した。 なんつー夢見ちまったんだフロイト先生も爆笑だぜ。 ・・・とかやっている場合ではない。 キスして現実に戻ってきたとはいえ、あの時とは何もかもが違う。 自分の頬を触ってみる。熱い。今鏡を見たら間違いなく赤面した間抜け面が映るだろう。 ああ、今じゃ絶対出来ない恥ずかしい告白をしたんだったな・・・俺は。 夢なのはいいんだが、やっぱり妙にリアルなのは少し困る。 起きた時の布団を抱きしめて顔を埋めてる格好はハルヒに見せられんからな。 さて、3日目である。 3日連続でハルヒとの懐かしい思い出が夢で再現された。もう偶然とは思えない。 偶然じゃない=ほとんどハルヒの仕業 が方程式だが、今回もハルヒの仕業だとすると、それはハルヒがなんらかの理由があって俺に毎晩夢を見せているということになる。 でも俺が言うのも変かもしれないがハルヒは別に今の生活に不満を持ってそうにも無い様子なんだよな。今の生活は関係ないか。 やっぱりハルヒの考えていることはわからない。 直接聞くか? いやもう少し様子見か? ・・・やっぱりもう1日様子見しよう。 今日で終わるかもしれないからな。 涼宮ハルヒの糖影 承へ
https://w.atwiki.jp/haruhi_vip/pages/1876.html
言わせて貰うなら、セックスなんてのは単なる行為のひとつに過ぎない。少なくともあたしはそう思ってる。 愛情がなくったって出来るし、何の証明にもならない。セックスしたから彼はわたしの物♪なんて、おかちめんこな考え方は噴飯物だ。一時の気の迷いで、そうひょいひょいと人の所有権を移動させないでほしい。 結局その考えは、あたしこと涼宮ハルヒが実際にセックスを経験した後も、特に変わる事はなかった。だからやっぱり、セックスなんてただの行為なのだ。 「おっそーい! キョンの奴!」 一年を4分割するのなら9月は秋に分配されて然るべきはずなのに、その日は朝から猛烈に暑かった。残暑なんてものは馬の尻尾にくくりつけて、そのまま蹴っ飛ばしてしまいたい。 実際にはくくりつける事も蹴っ飛ばす事も出来ないので、あたしは腕組みをして駅前広場の時計を睨みながら、ひたすら不機嫌な声を張り上げていた。 「ホントにもーっ、何やってんのよ!」 「まあまあ涼宮さん。まだ待ち合わせ時刻から10分ほどしか経っていませんし」 「他のみんなはもう集まってるでしょ!? せっかくSOS団の末席に加えてあげてるっていうのに、団員としての自覚が足らないわ! だいたいね? 下っぱのキョンが団長であるこのあたしを待たせるだなんて、まったくの論外よ! ロンのガイよ!」 あたしの怒声に、古泉くんは参りましたねと肩をすくめるばかりだった。あー、何か違う。やっぱり古泉くんが相手だと何かこう、しっくり来ない。これはもう今日は徹底的にキョンの奴を吊るし上げなけりゃだわ! 「うス。すまん、遅れた」 噂をすれば何とやらね。しょぼい顔してやってきたキョンを、あたしは出来うる限りの厳しい眼光で迎えてやったわ。 さー、どうとっちめてやろうかしら。明らかに寝不足っぽい顔しちゃって、どうせまたつまんない理由で夜更かしでもしてたのよきっと。 「理由…言わなきゃダメか?」 「当ったり前でしょ! あんた一人のせいで、あたし達がどれだけ迷惑したと思ってんの!」 「あのぅ、涼宮さん…わたしはそれほど迷惑とは…」 「みくるちゃんは黙ってて!」 「ひゃ、ひゃいっ!」 「これは団の規律の問題なのよ。さあ、ちゃっちゃと吐きなさい、キョン!」 ゲームか漫画か、それとも深夜映画にでもハマってたのか。わくわく気分で問い詰めるあたしに、キョンはむっつりした顔で、こう答えた。 「昨日、中学の同級生だった奴の葬式に行ってきたんだよ」 「そうですか、海難事故で」 「ああ。夜釣りの最中に高波にさらわれて、朝、浜に打ち上げられた時にはもう冷たくなってたとか。人間なんて本当、はかないもんさ」 古泉くんに素っ気なく応じると、キョンはずちゅーとアイスコーヒーをすすり上げた。事故の件を話すのがつらいというより、喫茶店に移ってきてまでこんな暗い話題で雰囲気を盛り下げたくない、といった感じだ。 まあ確かに、日曜の朝に聞きたい類の話じゃない。正直、気分が滅入る。ああ、だからキョンはさっき言いたくなさそうにしてたのか。…って事はなに? 今のしんみりした空気って、ムリヤリ聞き出したあたしのせい? 「でも、キョン! そもそも昨日の時点で用事がお葬式だってこと、なんであたしに言わなかったのよ!?」 なんだか責任転嫁のような感じで、あたしは話を蒸し返していた。そう、本来は昨日の土曜日に定期パトロールが行われる予定だったのに、直前になってキョンが用事があると言いだしたから、一日ずらしてみんな集まっているのだ。 でもってキョンの奴は、あたしが訊いても口をもごもごさせて、何の用事かははっきりと言わなかった。今朝からあたしの気分が優れなかったのも、半分くらいはそーゆーキョンのぐだぐだした態度にイラついてたせいだ。結論、うんやっぱりキョンが悪い! 「最初は、葬式に出る気なかったんだよ。つい直前までな」 あっさりと、キョンはそう白状した。…おかしい、どうも今日は調子が狂う。 いつものキョンなら吊るし上げをくらっても、なんだかんだとあたしに抵抗しようとするのに。その往生際の悪さが見てて楽しいのに。 「1、2年の時に同じクラスだったってだけの奴で、すごく仲が良かったわけでもなかったし。高校も結局、別の所に行っちまったしな。 俺が行って手を合わせた所で、奴が生き返るはずもなし。でも国木田の奴に、焼香くらいは、って誘われてね」 国木田か。なるほど、付き合いのいい方ではあるわね。でも、ちょっと待って? 特に仲が良かったわけじゃあない? 見回せばあたし同様、キョン以外のみんなが頭の上にクエスチョンマークを浮かべていた(有希はパッと見、そうとは分からないけど)。それならどうして、寝不足になるくらい思いつめたりすんのよ。 「別に今生の別れに一晩中泣き明かしたりしたわけじゃねえよ。ただ、なんて言うかな…。 葬式のあとで、国木田が言ったんだ。なんだか全然、現実味がないねって」 まるでそういう風に話すよう造られた自動人形みたいに、キョンは淡々と語っていた。 「家に帰ってから俺、卒業アルバムを開いてみたんだ。そしたら確かに、一緒の頃の思い出の方が生々しくって、あいつが死んじまったって現実の方が絵空事みたいな感じなんだよ。 でもやっぱり、あいつが居ないこの世界の方が現実で」 ふう、とキョンがひとつ息を吐くと、微かにコーヒーの匂いが漂った。 「実は俺、ほんのしばらく前にそいつと話してるんだよな。下校途中にサンダル履きのあいつと、ばったり出くわしてさ。そのままコンビニの前で30分ばかりくっちゃべってた」 「その人、何か特別な事でも言ってたの?」 「いや、全然。今じゃ内容さえ憶えてないような、そんな程度の会話だった。 でもそれは、あいつとは逢おうと思えばいつでも逢える、話そうと思えばいくらでも話せる、そう思ってたからで。それが気が付いたら、そうじゃなくなってて――。何だろうな、こういう感じ。心にぽっかり穴が空いた、とでも言うのか?」 「ふん、ボキャブラリーが貧困ね」 わざときつく揶揄してやったのに、あいつはムッとした表情さえ見せなかった。やっぱり変だ。やっぱり今日のキョンは、何かおかしい。 「そりゃ失敬。じゃあ教えてくれよ、こういう気分ってなんて表現するべきなんだ?」 「何って、それは…」 「………虚無感」 「おお、さすが長門。ん、まあそんな感じだな」 有希に向かって大きく頷くキョンの顔を、あたしはストローの先のクリームソーダを最大肺活量で吸い上げつつ、仏頂面で眺めていた。 キョム感ね、キョンだけに。…いろんな意味で面白くない駄ジャレだわ。 「そのぅ、えっと…元気出してくださいね、キョンくん…」 「おお、この俺の身をそんなに心配してくれますか! いやあ、朝比奈さんは本当に心優しいお人だなあ」 今のキョンはみくるちゃんの掛けた言葉に、やけに愛想良く受け答えてる。みくるちゃん相手にはやたら調子がいいのはいつもの事だけど…今日はなんだか特に造り物みたいな笑顔ね。無性にはたきたくなるわ。 そんな風に思っていると、キョンの奴は不意にこちらを向いた。 「ま、そんな事がありましたよって事で。人間なんて明日どうなってるか分からないから、みんなもせめて事故とかには気をつけろよな。特にハルヒ」 ちょ!? なんであたしだけ名指しなのよ! 「お前が直情径行の向こう見ずで、後先考えずに動くからだ。 さて、それじゃ不思議探索パトロールに出掛けますかね、と。今日はもう俺の罰金で確定なんだろ?」 恒例のクジ引きで同班になったみくるちゃんをいざなって、キョンは伝票をひらひらさせながら会計へと向かった。 むー。つまんない。あたしは『キョンに罰金を払わせるのが』ではなく、『罰金を払わされる時のキョンの情けない顔が』楽しいのに。つまんないつまんない! 「どうかしましたか、涼宮さん?」 よっぽどあたしはむくれていたのだろうか。喫茶店を出るなり、古泉くんがそう声を掛けてきた。 「ねえ有希、古泉くん。今日のキョン、なんかおかしいわよね?」 遠回しな物言いは好きじゃない。あたしがズバリ訊ねると、古泉くんと有希はしばらく顔を見合わせて、それから二人揃って頷いた。古泉くんはともかく、有希も肯定しているからにはやっぱりそうなのだ。 「そうですね、これはまあ概念的な事柄なのですが。 人は大なり小なり、明日への不安を胸に抱いているものです。もしかしたら大地震が起こるかもしれないし、空から隕石が降ってくるかもしれない。はたまた、悪意を持った異星人が大挙して地球を侵略しに来たりするかも…」 いきなりそんな事を語り始めたかと思うと、古泉くんはしばし、あたしと有希の顔をちらちらと見比べた。今の間は何なんだろう、一体。 「…とまで言ってしまうと、さすがに何でもありになってしまいますが。不慮の交通事故などは、誰の身にだって起こり得るわけです。 さて、そんな時。たとえば明日死ぬかもしれないという時に、やりたくもない宿題をやる気になる人が居ますか? いえ、それどころか自分にとっての宝物さえ、もしも明日無になるとしたら、途端に色褪せて見えるのではありませんか?」 「えっ? でもだって、そんなのは…」 「はい、その通りです。予測できない不幸、というのは可能性としてはあり得るのですが、それを気に病みすぎていては何も出来ません。 だから人は基本的に、その可能性を無視しています。もしくは保険に加入するなどの次善策を用意するか、ですね。しかしながら“死”というのは、人が逃れえない宿命のひとつでして…」 と、ここで一度言葉を止めた古泉くんは、ああまたやってしまったとでも言いたげな微苦笑で頭を振った。まあ、古泉くんのセリフが芝居がかってるのはいつもの事だけど。 「結論を述べましょう。今の彼は、軽い躁鬱病の状態にあると思われます。 ご友人のように、自分も明日にはいなくなっているかもしれない。ならば自分の生に一体何の意味があるのか――そんな問答に囚われてまんじりともできないでいる、といった所でしょうか」 「有希の言ってた、虚無感って奴?」 「おそらくは。実を言えば僕自身、まだ同年代の人間の死に直面した経験はないもので、先程の彼のお話には、多少なりともショックを受けました。もしかしたら『大人になる』というのは、こうしたショックに慣れていく事なのかもしれませんね」 ショックだった割には、いつもと同じ笑顔で話してる気がするけど。そうね、古泉くんが言いたい事はだいたい分かるわ。 でも、だったらあたしは敢えて大人になんかなりたくないかな。親とか身近な人を失くす悲しみに慣れるだなんて、そんな事は………え? 失くす? 誰を? その時のあたしは、どんな顔をしていただろうか。ともかく、気付けばこんな言葉があたしの口をついて出ていた。 「あのさ、有希、古泉くん。ちょっと話があるんだけど」 「はあ、午後の調査を彼と二人で」 「…………」 その、別にヘンな意味じゃないのよ? ただキョンの奴のスッポ抜けぶりが見るに見かねるというか、ほら、団長の責務として…! 「素晴らしい。さすがは涼宮さんだ」 「へ?」 「僕達も彼の不調が気にかかってはいたのです。しかしながら、いかんせんどうやって励ましたら良いものか、妙案が浮かばないものでして。 ですが、団長自らがケアをなさってくださるというのなら、もう安心ですね。どうぞ彼の事をよろしくお願いします、涼宮さん」 ま、任せときなさい! 団員の心の悩みを受け止めてあげるのも団長の務め! 一切合財あたしに預ければ、全てこれ解決よ! と、あたしがガゼン張り切っていると。 「ふむ、ですがそうするには…長門さん、ちょっといいですか?」 古泉くんが有希を道端に連れてって、ひそひそ相談を始めた。ん? この光景、なんとなく前にも見たような覚えがあるんだけど。市民野球大会の時だっけ? それともデジャビュって奴かしら。 「お待たせしました。では、午後のクジ引きは長門さんにお願いする事にいたしましょう。実は彼女、少々手品の心得があるそうで」 「へえ、それ初耳。有希、本当に出来るの?」 「………可能」 「公平公正なゲームを愛する僕としては、こういうインチキはあまり推奨したくはないのですが。 しかしながら彼はある意味、涼宮さんの対極というか、石橋を叩いて渡らないような、非常にアマノジャクな性格の持ち主ですからね。変なお膳立てをしてしまうと、かえって反発しかねません。ここはあくまで偶然を装うとしましょう」 古泉くんの言に、あたしは大きく頷いた。まったく、キョンの奴があたしのナイスなアイデアに、素直に賛同した事など一度もない。いつもつまらない常識論を持ち出して、あたしの発展的行動に難癖を付けたがるのだあいつは。 あんたみたいな奴の事を、これだけ気に掛けてあげるのはあたし達くらいのものよ? 友に恵まれた事をせいぜい感謝なさい、キョン! 「素直じゃない、という点ではどっちもどっちというか、お似合いなんですけどね」 「何か言った、古泉くん?」 「いえ、別に何も」 「ふうん? まあいいわ。今回はウソも方便って事で、有希、お願いね」 あたしの依頼に、有希は黙って頷いた。沈黙は金だとかいうけど、本当にいざという時には頼りになる娘だ。キョンの数千倍は役に立つわね。 って頷いた後も有希はしばらく、深遠の瞳であたしを見続けていた。ん、なに? 「彼の言っていたのはある面での、真理」 彼って、キョンのこと? 「そう。価値観は主に相対性によって生ずる。最初から何も無かった状態に比して、あるはずだったものをなくしてしまった際の喪失感は、絶大」 「あんたにも、そんな経験あるわけ?」 「11日前、帰宅すると作り置きのカレーが、全て痛んでいた。その日はお茶だけ飲んで過ごした。カレーに黙祷を捧げた…」 「そ、そう」 カレーと人命を同列に語っちゃうのもどうかしら。ああ、でも自炊してる人にとっては食料問題は死活ラインなのか。よく分かんないけど。 「決まりですね。では、我々も出発しましょうか」 「あ、うん、そうね」 なんだか分からない内に古泉くんに促されて、あたし達もまた午前のパトロールに出立した。うーむ、やっぱりどうにも調子が狂ってるぽい。いつもなら当然のように、このあたしが号令を掛けているはずなのに。 結局、午前の部はただひたすら暑い中を歩き回るだけに終始した。不思議を探すより何より、あたしの心には踏んづけたガムみたいに、さっきの有希のセリフがべたりとこびり付いていたのだ。 『彼の言っていたのはある面での、真理』 あるはずだったものを失くしてしまって、心にぽっかり穴が空いたようだ、とキョンは言っていた。有希はそれを真理だと言う。古泉くんは、人は大なり小なり、明日への不安を胸に抱いているものだと言っていた。 そうだ、今のあたしも多分、何かしらの不安を抱えている。でも、それは…一体なんだろう? あたしは何を失くす事を恐れてるの? そんな疑念が、歩くたびに靴底で耳障りな音を立てている、ような気がした。 「珍しいな、この組み合わせってのも」 「あー、うん、そうかも、ね」 キョンの何気ない呟きに、午後のあたしはちょっとばかり居心地の悪い気分で頷いていた。本当の事を知ったら怒るかな、キョン。 「つか、古泉の野郎が羨ましい」 前言撤回。このバカ相手に、罪悪感など微塵も感じてやる必要なんか無い。あたしは渾身の力でキョンの尻をつねり上げてやった。 「神聖なSOS団の活動を一体何だと思ってんのあんたは!」 「うぐあっ!? い、いやスマン、冗談だ…」 だいたい古泉くんは、午前もあたしと有希で両手に花だったでしょうが!? どうしてあの時は羨ましがらないで今は………あ、いや。いやいや。 あ、あたしが怒ってるのはそんな事なんかじゃないわ! そう、キョンの奴がここでもやっぱり素直に謝ってるからよ! だから、調子が狂うって言ってるでしょ! いや言ってないけど! いつものあんたなら、もっとこう…その、歯応えがあるっていうか…そこいらのくだらない男連中とはちょっとは何かが違うっていうか…。 「どうしたんだ、ハルヒ? どこに向かうんだか、さっさと決めてくれよ」 こここ、この鈍感男めぇ! 人がこんなに気を揉んでやってるのも知らないでッ! あたしはよっぽど、公園の砂場を掘り返してこの唐変木を頭から埋めてやろうかと思ったけど、今世紀最大の自制心を働かせて、なんとかそれを堪えた。いけないいけない。古泉くんの言によれば、キョンの奴は今、ちょっとばかり精神を病んでいるのだ。団長として大目に見てやらなければだわ。 ――治ったら覚悟しなさいよね、このバカキョン! 「いいからっ! あんたは黙ってあたしについてきなさい!」 「へーへー、団長様の仰せのままに」 とりあえず、そういう事にして歩き始めたけど…はてさて、これから一体どうしたらいいもんだか? 実の所あたしは、本当に有希の手品とやらがうまく行くのかなーとか、行ったら行ったでキョンの奴、あたしとペアの組み合わせをどう思うのかなーとか、そんな事ばかりを考えてたもんだから。具体的にどうやってキョンを元気づけたげようとか、全く考えてなかったのよ! うそ、どうしよう。まるで小堺一機のお昼の番組にいきなりむりやり出演させられて、サイコロ振らされたような気分だわ。何が出るかな♪何が出るかな♪ ちょっとドキッとした話、略して「ちょドばーなー」って、だから何も用意してないんだってばっ! 『団長自らがケアをなさってくださるというのなら、もう安心ですね。どうぞ彼の事をよろしくお願いします』 プレッシャーが具現化したのか、さっきの古泉くんのセリフが耳にこだまする。あたしは空の彼方に浮かんだあの爽やか笑顔に、無言のパンチを打ち込んだ。 『おやおやひどいですねフフフ』 ええい、回想なんだからさっさと消えなさい! 「おい、どうしたんだハルヒ。道端でいきなり拳振り回したりして…?」 「虫よ! 虫がいたのニヤケ虫が!」 語気も荒く振り返って…あたしはキョンの背後の壁に、ふと一枚の看板を発見した。 (あ、やだ…。やみくもに歩き回ってたら、こんな方向に…) 途端、あたしの頬が熱を帯びる。そこは駅の裏手辺りにありがちな一画で、男女がペアで歩いてたりしたら、いわれのない誤解を受ける可能性が非常に高い場所というか何というか…。あーっ、もう! ハッキリ言ったげるわ! あたしにはやましい点なんかこれっぽっちも無いし! ホテル街よホテル街! そこはいわゆるホテル街だったのよ! 「おい、ハルヒ」 その時、いきなりキョンに声を掛けられて、あたしは背中をぴきぴきっと引きつらせてしまった。な、ななな、何よ!? あんたまさか、ヘンな勘違いしてるんじゃないでしょうね! あ、あたしは別にそんなつもりで、こんな所にあんたを連れてきたわけじゃ…。 「実は今、朝見たテレビの占いコーナーを思い出したんだけどな。今日の風水じゃ、こっちの方角は俺にとって猛烈に運勢が悪いらしいんだ、これが」 「え、そ、そうなの?」 「できれば別方向に探索に行きたいんだが。ダメか?」 「そういう事なら、し、仕方ないわね。じゃあ…」 表面上は不服そうな顔をしてたけど、本音を言えばキョンの言葉は渡りに船で、あたしはそそくさとこの場を離れ―― ――ようとして、はた、と疑問の壁にぶち当たった。ちょっと。ちょっと待ちなさいよ、キョン。あんた、今朝はあんなやつれた顔で遅刻してきたんじゃない。朝の占いなんか見てる余裕あったわけ? そもそも、あんたってば占いとかそういう類は否定はしないけど肯定もしないってタイプだったでしょうが。まさか、あんた…。 気が付けば、あたしは奥歯を軋むくらいに噛みしめていた。くやしい、くやしいくやしい! 今は、あたしがキョンの事を気遣ってやらなきゃならないはずなのに…! それなのに、どうしてあたしがキョンに気遣われてるのよ!? 北高に入学したばかりの頃、つまらないつまらないと窓の外ばかり眺めてたあたしに、キョンは何やかやと話しかけてくれた。頬杖をついてふてくされた表情のままだったけど、あたしは内心、それがとても嬉しかった。 だから、だから今日は、あたしの番だと思ったのに…あたしはすごく張り切ってたのに! 実際にはあたしには何の手立ても無くて、逆にキョンに気遣われてる。あたしの尊厳を傷つけないように、自分の都合を押し付けるようなフリまでしちゃって…なに格好つけてるのよ、キョンのくせに! 後になって冷静に思い返すなら、あの時のあたしは、ちょっと普通じゃなかったと思う。小さな子供が親の前で格好良い所を見せようと背伸びするように、ただひたすら、キョンに自分の優位性を誇示したかったのだ。あいつの優しさに甘えてばかりの自分に我慢がならなかったのだ、と思う。 あとまあ本当に本音の事を言えば、この状況で「逃げ」を選択したキョンに、“女”として依怙地になっていたのかもしれない、けど。 ともかく、あたしが求めたのはキョンに対する逆襲手段であり…現在のこの状況、そして今朝からの出来事を鑑みた結果、あたしの頭の中で、ぺかっと何かが閃いたのだった。 そのアイデアに手段、結果推測などがパズルのようにカチカチとはまっていき、たちまちひとつの仮法案になる。あたしの脳内では『涼宮ハルヒ百人委員会』が召集されて、すぐさま“それ”が提議された。 議事堂の半円状の議席にずらりと居並ぶ、スーツ姿のあたし達。その中で、立ち上がったあたしAが腕を振り、口から泡を飛ばす。 「本当に“これ”を採択して良いのですか? あとで後悔する事にはなりませんか!?」 「正直、その可能性は否定できません。ですがもしも採択しなければ、それはそれで後悔する事になるかとわたしは思います!」 あたしAの質疑に、敢然と答えるあたしB。周囲の大多数のあたしの中からは、やんややんやと歓声と拍手。一部では天を仰ぎ失望の息を洩らすあたしや、口をアヒルみたいにしてケッとか呟いてるあたしも。 「静粛に! それではこれより決議に移ります。賛成の方は挙手を」 議長服のあたしがコンコン!と木槌を叩き、採決が始まる。その結果、賛成87票、反対5票、棄権8票で、“それ”は可決されたのだった。 「うん、決めた!」 満足できる結論に達して、あたしは大きく頷いた。自問自答の時間は、正味1分も無かったかもしれない。 ともかく、一度こうと決めたらただちにスタートするのが涼宮ハルヒ流だ。くるりと踵を返したあたしは、キョンの奴が 「ハルヒ? どうかしたのか?」 と小首を傾げた、そのシャツの胸倉を引っ掴んで、真正面からあいつを見据えてやった。制服のブレザーだったら、ネクタイを捻り上げている所ね。 「いい、キョン? 自分じゃ気付いてないんでしょうけど、あんたは今、ちょっとした心のビョーキなの。分かる?」 「はぁ? 何をいきな」 「黙って聞きなさい! だからこれから、あたしがあんたを治療してあげるって言ってんの! いい? 分かったら四の五の言うんじゃないわよ!」 「お、おい待てハルヒ、そこは…」 四の五の言うなと釘を刺したにも関わらず、ゴニョゴニョ言いかけるキョンの呟きを全く無視して、あたしは標的と定めた建物に突撃した。ほとんど拉致みたいな形だけど、仕方がない。正直、あたしは顔から火が出そうでとてもじっとしてはいられなかったし、それに、ありえないと思いつつも万が一、億が一、キョンに拒否られたらとか思ったら、その…。 えーいもう、仕方がなかったって言ってるでしょ!? キョンの奴には主体性って物がまるで無いんだし! あいつの方からあたしをリードできるだけの甲斐性があれば、あたしだってこんな強硬手段を採ったりはしないのよ、うん! そういうワケで仕方なく、キョンを引っさげたあたしは道場破りみたいな面持ちと勢いで、その建物に乗り込んだのだった。通りには他に何組かカップルがいたけど、こういう時に人目を気にしたら負けよね。じゃあなんでお前の耳や頬はこんなにも火照ってるのかって、そんな事はいちいち訊くもんじゃないわ。 結局の所、そこはあたしがこの界隈に来て最初に看板を発見した白い建物で。外壁に提げられたその看板には、 【デイタイムサービス ご休憩3時間 3200円】 といった記述がなされていたのだった。 「ふうん…これがラブホって所なんだ…」 ちょっとした感慨を込めて、あたしは呟いた。てっきりピンク色の照明なんかがギラギラ光ったりしてるのかと思ってたら、何というか普通のホテルにカラオケボックスを合体させたような感じだ。部屋の広さに比べるとベッドが結構大きくって、あとティッシュやら何やらが脇に置いてあるのが、なんだか生々しい。 「…正確にはファッションホテルだかブティックホテルだかと呼ぶべきらしいぞ」 あたしの手で部屋に放り込まれたキョンが、カーペットに膝をついた格好でげほげほ咳き込みながらそんな事を言う。まったく、役にも立たない知識だけは豊富な奴ね。 などと思ってたら、キョンの奴は下から、じろりといった感じであたしを見上げた。 「やれやれ。俺もいいかげん、団長様の行動の突飛さにも慣れてきたかと思ってたんだが。とんだ思い過ごしだったみたいだぜ。 なんだ? まさか今日の不思議パトロールは女体の神秘を探検よ!とか言うんじゃないだろうな」 困惑ぎみのキョンの表情に、あたしは少しだけ、胸がスッとするのを覚えた。もっともっと、キョンの奴を困らせてやりた…あ、いや、違う違う。今日ばかりはあたしの都合は二の次なんだったわ。 決意も新たに、あたしは両の拳を腰に当てて前に身を屈め、キョンの顔を上から覗き込んでやった。どうにかして、こいつを励ましてあげなけりゃね! 「もし『そのまさかよ!』って言ったら、あんたはどうするわけ」 「なんだって?」 「本当の事を言うと、あたし、前々からあんたの恩着せがましい所にちょっとムカついてたのよね。あたしが何か命令するたびにさ、あんた、諦め顔で『あーもー好きなようにしてくれ』とか言うじゃない。あたし、アレがいっつも気に喰わなかったのよ。 えーと、だから、その…今日はその意趣返しっていうか」 少し言葉を詰まらせながら、あたしはそう喋っていた。う~む、論理展開に若干のムリがあるかも? いやいや、ここは強気で押し通すべきよ。 「つまり! 今は、この場所でだけはいつもの逆で…あたしの事をあんたの好きなようにさせてやろう、って話なのよ。分かった!?」 そう言い切るとあたしはベッドに歩み寄って、キョンに相対するように、ぽすんと腰を下ろした。ミニスカートから伸びる足を組んで、腕組みをして…キョンをまっすぐ見るのはさすがに気恥ずかしいので、フンと顔を横に向ける。 「あんたが、女の子の秘密を知りたいって言うんなら…別に構わないって、あたしはそう言ってるのよ…」 ともかく伝えるだけの事は伝えたので、あたしはそっぽを向いたまま、キョンの出方を待っていた。 ううう、なんともこうムズ痒い気分だわ! 普段のあたしは 「キョン! そこの荷物持ってついてらっしゃい!」 「キョン! ここはあんたのオゴリだからね!」 とか命令形で話してるものだから、こういう雰囲気はどうも落ち着かない。だからって、まさか 「キョン! あたしにエッチな事してスッキリしなさい!」 なんて言えるはずも無いし。 う~、でもあたしが憂鬱だった時にキョンが話しかけてきてくれたように、あたしもキョンの奴を刺激してやる事には成功したはずだわ。ちょっと方法が過激だったかもしんないけど。でもこういうのって、いつかは誰かと経験する事で――。じゃあ、その最初の相手がキョンでも別に悪くはないかなって、あたしは思ったの。少なくとも今の所は、他の誰かとする事なんて想像できないし。 ついひねくれた物言いになっちゃったけど、さっきのセリフだって、決してウソじゃない。いつもはこき使うばっかりで、「お疲れさま」とか面と向かって言う事もなかなか出来ないから…だから今日くらい、こういう形でキョンの労をねぎらってあげたって、バチは当たらないわよ、ね? とにかく、あたしは賽を投げつけてやったわ! あんたはどう出るのよ、キョン!? …と、振ってはみたものの。正直あたしの予想では、キョンが手を出してくる可能性は30%って所かな。「もっと自分を大事にしろ」だとか、当たり障りのない逃げ口上を使ってくるのが一番確率が高い。仕方ないわね。なにしろ、キョンだし。 まあ、あたしとしては別にどっちでも構わないのよ。キョンの奴に、あたしを抱こうとするだけの覚悟があるんなら、それは嬉しい誤算だし。必死になってどうにかあたしを説得しようとするんなら、それはいつも通りのあたしとあいつの関係に戻る、っていう事だもの。 どっちにせよ、あたしがあんたの事を気に掛けてる、その気持ちだけは伝わるはずだとあたしは思っていた。だから、悪いように事が転がったりするはずがないとあたしは信じていた。でも実際には――キョンの反応は、あたしが想像し得なかったものだったのだ。 「…なあ、ハルヒ。『好奇心、猫をも殺す』って言葉、知ってるか?」 「えっ?」 「今のお前のためにあるような、外国のことわざだよ」 むくり、と身を起こしたキョンは、そうしてゆっくりあたしの方へ歩み寄ってくる。部屋の照明は薄暗くて、その表情はハッキリとは見て取れなかったけど、ただなんとなくキョンの体の周りに、うすどんよりとした空気が漂っている、ような気がした。 「キョ、キョン?」 あたしの呼びかけにも応じず、キョンは黙ったままこちらに向かって片手を差し出してきた。あたしの左頬に、キョンの右の手の平が添えられる。 いつものあたしだったら、ここはドキドキしまくりな場面だろう。心臓の鼓動をなだめるのに必死なはずだ。でも今は何か、何かが違う。ちっとも心がときめかない。どうしちゃったの、キョン? 今のあんた、何か、こわいよ…? 「先に謝っとくぞ、ハルヒ。すまん」 少し右手を引きながら、キョンがそう呟く。それからすぐに、ぱしん、という乾いた音があたしの顔のすぐ傍で起こった。 頬をはたかれたのだ、という事を理解するのに、あたしの脳は、それから数十秒の時間を要した。 痛くはない。多分、トランプやら何やらの罰ゲームでしっぺやウメボシを喰らった方が痛い。ただ、キョンに叩かれた、という事実に頭の中が真っ白になってしまっているあたしに向かって、キョンはうめくような声を絞り出していた。 「でもな? 俺にだって許しがたい事ってのはあるんだよ。いいか、これだけは言っとくぞ。俺は間違っても、お前の身体が目当てでSOS団の活動に参加してたわけじゃない!」 あたしはただ、唖然としていた。あたしを睨み据えるキョンの瞳には、確かに憎しみと哀しみの色が入り混じっていた。 「ご褒美に身体を自由にさせてやるだと? 馬の目の前にニンジンでもぶら下げたつもりかよ。そうすれば男なんか、みんな大喜びだとか思ってたのかよ!? 俺も、そんな野郎の一人だと思ってたのかよ――。ふざけんな、人を馬鹿にするのも大概にしろ!!」 いつの間にか、キョンの感情のボルテージは急上昇していた。その怒声が、あたし達のかりそめの宿の中いっぱいに響き渡る。 その後、急速に静寂が訪れて…あたしの耳には備え付けの冷蔵庫の低いブーンという駆動音だけが、ただ虚ろに届いていた。 どうして――どうしてこんな事になってしまったのか。 キョンに頬をはたかれたショックに引きずられながら、それでもあたしは、ひたすらに考え続けていた。 躁鬱病だか何だか知らないが、たかだか心の病気くらいで女の子に手を上げるような、キョンは決してそんな人間では無い。何か、何か理由があるはずなのだ。こいつがここまで激昂するワケが。その証拠に、あたしを見下ろしているキョンの表情は、ひどく悲しく、悔しそうに見える。まるで自分の尊厳を、根こそぎ踏みにじられたような…。 そこまで考えた時、あたしはさっきのキョンのセリフをもう一度思い返してみた。キョンの立場になって、もう一度その意味を考え直して――そして、やっと自分のあやまちに気が付いた。 ああ。ああ、そうか。そうだったんだ。キョンの奴は…口ではなんだかんだ言いながら、こいつはこいつなりに、SOS団の活動に誇りを抱いていたんだ…。 そうよ、あたし自身が何度もキョンに言ってたんじゃない。この不思議探索はデートじゃないのよ、真面目にやんなさい!って。 キョンの奴が大した成果を上げた事はなかったけど、それでもちゃんとSOS団の一員としての自覚は持ってたんだ。こいつはその誇りを、胸に秘めていたんだ。 なのに団長たるこのあたし自らが、午後のパトロール任務を放り出して相方をラブホに連れ込むようなマネをしたら、それは「ひどい冒涜」だと受け取られても、仕方がなかったかもしれない。ごめんね、キョン。あたしにも反省すべき点はあったわ。でも、でもね? すっくとベッドから立ち上がったあたしは、真正面から、毅然とキョンを睨み返してやった。 「『ふざけるな』ですって? 『馬鹿にするな』ですって――? それはこっちのセリフよ、キョン!!」 啖呵と共に、左手でキョンの右腕を掴み、右手をキョンの左脇の下に差し込む。そのままくるりと回転して、あいつの体を腰の上に担いだあたしは、渾身の力でキョンを前方に投げ飛ばしてやったのだった。 女子柔道部に仮入部した際に憶えた技だ。確か『大腰』だっけ? まあ技の名前なんてどうでもいいけど。とにかく、ごろんごろんと面白いくらいの勢いで投げられ、転がっていったキョンは、部屋の出入り口扉の横の壁にぶつかって、ようやく止まった。 一瞬の事で何が起きたのかまだ分かっていないのか、尻餅をついた格好で茫然自失といった顔をしてる。ふふん、いい表情ね。 「人を馬鹿にしてるのは、キョン、あんたの方でしょうが!」 「…なんだって?」 「あたしは、涼宮ハルヒはね! 明日後悔しないように、今を生きてるの! こうしたら得するだろう、こうしたら損するだろうとかじゃなくて、いま自分がどうしたいかを第一に、ひたすら前進してるの! その決断の早さに凡人のあんたがついてこられなくて、戸惑わせちゃった事は一応謝っとくわ。だけど、だけどね!」 心の中の憤りを包み隠さず、あたしはキョンの奴を大喝してやった。 「『好奇心、猫をも殺す』ですって――? そっちこそふざけないでよ! あたしが本当に、ただの好奇心であんたをホテルにまで連れ込んだと思ってんの!? 見損なうな、このバカっ!!」 さっき、キョンは『俺にも許しがたい事はある』と言った。なら、あたしの許しがたい事はまさにこれだわ。キョンの奴が、あたしの決意と覚悟をまるでないがしろにしてるって事よ! 「確かにね!? あんたとここに入って、そーゆー事しようってのは、ついさっき思いついたわよ! 後先考えてないって言われたら、否定できない部分はあるわよ! でもね! あたしだってちゃんと考えたのよ! あんたとそーゆー関係になっちゃってもいいのかって! 初めての相手が本当にあんたでいいのかって…。百万回も! それ以上も! 頭の回路がぐるぐるぐるぐる回って、しまいにはバターになるんじゃないかってくらい真剣に考え詰めたのよ! その上で、あたしはあんたと今、ここに居るのに…それなのにッ!」 さっきのお返しとばかりに、あたしは出来うる限りの鬼の形相で、キョンの奴を見下ろしてやった。もうこうなったら徹底的に糾弾よ糾弾、アストロ糾弾よ! 「あたしだって、こんな事するのはすごく恥ずかしかったのよ! でも、ちょっとしたショック療法っていうか――つまんない悩み事なんて忘れちゃうくらいの刺激を与えたら、あんたが少しは元気を取り戻すんじゃないかと思って…。他にあんたを元気づけてあげられる手段を思いつけなくって、それに、それにそもそもは、あんたがあんな事を…言ったから、だから――」 あれ? おかしいな? キョンの奴を、これでもかってくらい締め上げてやるはずだったのに。気が付くとあたしの言葉は途切れ途切れに、言ってる内容もなんだか支離滅裂になっていた。 そして、頬の上をはらはらと伝わっていく冷たい物…。これは…悔し涙? ちょっと、ダメよ! 何やってんのよ、あたし!? ここは団長としての威厳を見せつけて、キョンの誤解をねじ伏せてやるべき場面でしょ! 何を普通の女の子みたいに泣き崩れそうになってんの!? しゃんとしなさい、しゃんと! ああ、でも無理だ。元々あたしは、感情をセーブするというのが苦手なのだ。ダムが決壊したみたいに、溢れはじめた想いはもう、止められなかった。 「だからあたしは、思い切って一歩踏み出したのに! それをあんたは…男なら誰でもみたいな…言い方をして…。 あんたはただの下っ端だけど…栄えあるSOS団の、団員第1号なのに…。あたしの最初の仲間だったのに…そのあんたに、そんな…風に、思わ…てた、なんて…」 心のどこかで、あたしは、自分が勇気を出したらキョンはきっと応えてくれると信じていた。そう期待していたのだ。でも、その期待はあっけなく裏切られてしまったから、だから――。 「もう…知らない。知らないわよ、あんたの事なんて! このバカ! バカキョン! あんたなんか、一生ぐじぐじ腐ってればいいのよ!」 自分があんまりみじめで、この場にはどうしても居たたまれなくて。あたしは小走りに駆け出した。キョンの横の扉を通り抜けて、表へ飛び出した。 ううん、違う――そうしようとしたのだ、だけど。 ドアノブを回そうとしたあたしの手に、あいつの手が重なっていた。消え入りそうな微かな声で、でも確かに、あいつはこう言った。 「悪い…。すまなかった、ハルヒ…」 なによ。何をいまさら謝ってるのよ。遅いのよ、このバカ! 衝動のまま、あたしはよっぽどそう怒鳴りつけようとした。振り払おうと思えば、あいつの手を振り払う事だって出来た。でも――。 「確かに、俺はバカだった…バカげた勘違いをして、そのせいでお前をひどく傷つけちまって…すまん、本当にすまん…」 キョンの奴、いつになく真剣に謝るんだもの…。自分で先にバカとか言われちゃったら、こっちだって怒りづらいじゃないのよ。 「本当はな? 本当は俺、お前の心遣いが嬉しかったんだ。 昨日の友達の葬式からずっと、俺はなんだかモヤモヤした不安を抱えながら過ごしてた。今日の不思議探索も、家でじっとしてたら今よりもっと気が滅入っちまいそうだから、ただそれだけの理由で参加しに来たんだ」 うつむいたまま、消え入りそうな、か細い声で呟く。あたしには今のキョンが、なぜだかやけに小さく見えた。 「気持ちが沈んでるのは分かってても、自分ではどうする事も出来なくて。お前の言った通り、俺は心の病気とやらに罹ってたんだろうな。 だからハルヒ、お前が俺の事を気に掛けてくれたのが嬉しかった。いきなりホテルに連れ込まれた時はそりゃもちろん驚いたけど、本心じゃすごく嬉しかったんだよ。 けどな――。もしも、もしもだ。 ここにいるのが俺じゃなかったら? そう思ったら、その嬉しさが逆に、心をキリキリ締めつけ始めたんだよ」 そうして再び口を開いたキョンの独白には、明らかに自嘲の色が混ざっていた。 「もしも今日のクジ引きでコンビを組んでたのが、俺じゃなくてハルヒと古泉だったら? もしも落ち込んでたのが俺じゃなくて、古泉の野郎だったら? ハルヒの奴は同じような手段で慰めたりしたのか?ってな」 「ちょ…なに言ってんのよ、キョン! そんな事あるわけが」 「俺だって分かってたさ、そんなのは邪推だって! だけど、それでも…」 一瞬、語気を鋭くしたかと思うと、キョンの奴はあたしの手に重ねていた手を、自ら離してしまった。その手で自分の顔を覆って、うめくように呟いた。 「それでも一度心にまとわりついた疑念を、俺は振り払う事が出来なかったんだ。 お前に優しくされるたびに、俺は逆に、針で突つかれたような気分になって…お前の善意を、わざとひねくれて受け止めて。正直、ビックリしたよ。俺ってこんなに卑屈な人間だったんだな、ってさ」 乾いた笑いを洩らして、それからキョンは、疲れた顔であたしを見上げた。 「すまなかったな、ハルヒ。お前に投げられて、逆になんだかスッとしたよ。自分がどれだけバカだったか、ようやく実感できた。 それだけ伝えたかったんだ。もうどこへでも行っていいぜ? 俺なら大丈…」 「どこが大丈夫なのよ、このバカっ!」 くだらないセリフを聞き終えるまでもなく、あたしはキョンの脳天にチョップを振り下ろしてやったわ。そしてあいつがひるんだ隙に耳たぶを引っ掴み、今度こそ大声で怒鳴りつけてやったの。 「自己陶酔はそれで終わり? だったら、今度はこっちの番ね!」 宣告するなり、有無を言わさず。 あたしは引っ張り上げたキョンの頭を、空色のブラウスの胸の中に、ギュッと抱きしめてやったのだった。 「まったく! あんたはいつも斜に構えてばっかだから、感情表現ってのが下手くそなのよ。だから心に余計な重荷を抱え込んじゃうのよね」 「お、おい。ハルヒ、これは…?」 「なによ。どうせ言葉で何を言ったって、あんたはひねくれた受け取り方をしちゃうんでしょ? だから態度で示してあげてんの。 言ったはずよ、あたしがあんたを治療してやるんだって。言ったからには、あたしは断固としてあんたを治すの! どんな手段を使ってもね!」 ぴしゃりとキョンの反論を押さえ込み、それからあたしは、最上級の微笑みであいつに語りかけた。 「だから、キョン。病気の時くらい、あたしを頼りなさいよ。 これもさっき言ったはずでしょ、今この時、この場所でだけは、あたしの事をあんたの好きなようにさせてあげるって。 分かった? 分かったなら今は、あたしの胸に不安でも卑屈さでも、何でも委ねちゃいなさい。全部受け止めてあげるから」 「ハルヒ、お前…怒ってないのか?」 「団長様を舐めんじゃないわよ。心が苦しい時とか、つい思ってもない事を口走っちゃったり、そういう気持ちくらいお見通しなんだからね!」 あたしの、自分で言うのも何だけど天使のような慈愛の言葉に、キョンの奴はしばらく戸惑いの表情を浮かべていた。けれども、やがて両の目蓋を閉じ、あたしの胸に深く顔をうずめてくる。 「ん、素直でよろしい。 それじゃ、これは団長としての命令ね。さっさと普段のキョンに戻りなさい。下っ端のあんたがそんなんじゃ、みくるちゃんや有希や古泉くんに迷惑が掛かるんだから」 「………ああ」 そうして小刻みに震えるあいつの背中を撫ぜ、胸の中から響いてくる小さな嗚咽を聞きながら、あたしは心の内で、いつものあいつの口癖を真似ていたのだった。 やれやれ、本当に世話の焼ける団員なんだから――ってね。 それにしても、まあ。 いつもはあれだけ減らず口ばかり叩いてるくせに、一度タガが外れたらこんなものなのかしら男の子って。図体ばかり大きくっても、こいつも中身はまだまだ子供ね。 「ハルヒ…」 「うん? なあに、キョン」 「お前の身体って、なんだかいい匂いが(バシッ!)」 訂正! 訂正訂正! こいつの中身はエロエロ大王だわ! 「どさくさに紛れてなに言いだすのよあんたはッ!?」 「いってーな! なんだよ、褒め言葉だろ?」 「ほ、褒め方がヘンタイっぽいのよっ! いきなりそんなコト言われる方の身にもなってみなさいよ、このバカっ!」 予想してなかった所に不意打ちを喰らって、あたしは思わずキョンの奴に手を上げてしまっていた。もうほとんど条件反射。パブロフの犬も爆笑ね、これは。 そんなに強く引っぱたいたつもりはなかったんだけど、中腰の姿勢であたしの胸にすがっていたキョンは、よろけた拍子に後頭部をしたたか壁にぶつけてしまった様子だった。う~っ、そんな恨みがましい目でこっち見なくたっていいじゃない。今のは事故よ事故! 事故なんだから! そりゃ『今だけはあたしのこと好きなようにしなさい』って言い出したのはこっちの方だけど、でもあたしだって初めてでやっぱり緊張してるんだし。あんただって、少しはムードを盛り上げる努力とかしなさいよ! ほら、その、キ、キ、キスとか、さ!っていうかキョン、あんた、まだあたしに――。 などと、あたしが形容しがたい感情の変転に心を振り回されていると。キョンの奴はその表情を、唐突に苦笑いに変えた。 「やれやれ、今のも本気で褒めたつもりだったんだが。どうも人生ってのはままならないもんだ」 「なによ、キョンったら大げさね。こんな事くらいで人生語っちゃって」 「いや、まあ何というかだな…」 言いづらそうに語尾を濁して、キョンは頬を掻きながら視線を逸らした。 「これ、本人からは『内緒ですよ?』って言われてたんだけどな。実は俺、午前の探索の時に忠告を受けてたんだよ、朝比奈さんに」 「へっ? みくるちゃんから、忠告?」 ええと、それからこいつが語った所によると。 午前の間に、みくるちゃんからキョンにアドバイスがあったそうなのよ。いわく、 「あのね、キョンくんの事も心配なんだけど、わたしとしては涼宮さんの事も心配なの。キョンくんがいつもの調子じゃない事を、彼女、すごく気にしてるように見えたから。 だからキョンくん、本当に元気出してくださいね? それと、もしかしたら涼宮さん、ちょっと強引な方法でキョンくんを励まそうとしたりするかもしれないけど…広い心で受け止めてあげてね? お願い」 という事らしい。 へえ、あのみくるちゃんがそんなお姉さん的発言をねぇ。まがりなりにも先輩、って事なのかしら。外見からは、とても年上とは思えないんだけど。 うーむ、でもあたしがキョンの事を気にしてる間に、みくるちゃんはあたしとキョンの両方を心配するだけの余裕があったわけだから、ここは素直に敬服しておくべきかしら。うん、そうね。次のコスは女教師物なんかが良いかも………って、えっ? ええっ!? という事は? ロボットみたいにぎくしゃくした動きでキョンの方へ首を向けたあたしは、おそるおそるあいつに訊ねかけてみた。 「じゃ、じゃあキョン、あんたひょっとして…気付いてたの?」 「やれやれ、やっぱそうだったのか。長門が午後のクジ引きの爪楊枝を差し出してきた時点で、妙な感じはしてたんだけどな」 少し困ったような顔で、キョンの奴は大きく肩をすくめてみせた。 つまりまあ、そういう事だ。 午前の探索の間に、あたし、有希、古泉くんの3人は、キョンを元気付けるための作戦を立てた。その際、古泉くんは 『彼の場合、変なお膳立てをしてしまうと、かえって反発しかねません。ここはあくまで偶然を装うとしましょう』 というアドバイスをくれて、あたしと有希もそれに同意。午後の班分けの時に有希に協力して貰って、作戦は決行されたわけよ。 ところが一方、同じく午前の探索の間に、みくるちゃんはキョンに 『もしかしたら涼宮さん、ちょっと強引な方法でキョンくんを励まそうとしたりするかもしれないけど――』 とアドバイスしていたわけで。キョンの奴には、あたし達の“お膳立て”はバレバレだったらしい。 はー、道理でキョンの奴、あたしの言葉をひねくれて捉えてたわけだわ。 あたしだって時々、親の気遣いなんかを「余計なお世話っ!」とはねのけてしまう事があるもの。心を病んでいたキョンが、みんなの心配を逆に、自分が弄ばれてるように錯覚して受け止めてしまったとしても無理はないわね。 けど、それにしたってこれは…ねえ? さっきまでキョンの治療をしてあげるとか言っていたあたしだけど、今はむしろ、自分の方が虚無感とやらに襲われてる気分よ。 「なんだかなあ…。あたし達SOS団全員、お互いに良かれと思って、その実は足の引っ張り合いをしてたわけか…」 「俺も結局、せっかくの朝比奈さんの忠告を生かせなかったし。結果的にはそういう事になるかもな」 だからって、もちろんあたしは、みくるちゃんを責めたりする気にはならないわよ。みくるちゃんはみくるちゃんで、あたし達のためにいろいろと気を使ってくれたわけだしね。 ただ、何と言うか…廊下で向こうからきた人をよけてあげようとしたら、あっちも同じ方向に動いてきたみたいな? そんな苛立ちと虚しさを、さすがのあたしもひしひしと感じざるを得なかったわね。さっきまであれやこれやと、さんざん気を揉んできただけに。 「なんか、急に疲れがどっとわいてきちゃったわ。もしかしてあたし達って、ずっとこんな風にうまく行かないのかしら」 「おいおい、さすがにそれは…ん、いや待てよ? だとしたら、あー…」 あたしの嘆息に苦笑しかけて、キョンは急に真剣な顔になると、なにやら考え込み始めた。ちょっと、いったい何なのよ? 「なあハルヒ、お前は普通じゃない体験をしたいんだよな?」 「はぁ? 何よいまさら」 「そいつは一言で言うと、映画や小説の主人公みたいになりたいって事か?」 「ええ、そうね! あたしにはやっぱり、主役級の大活躍こそがふさわしいもの!」 鏡を見るまでもなく、この時のあたしは宝石みたいに瞳をキラキラ輝かせてたはずよ。そんなあたしに向かって、キョンの奴はどこか呆れたような表情を見せた。ちょっと、自分で振っといてその態度は何よ!? 「それじゃ仕方がないな。お前の行く手には、常に何らかの障害が立ちはだかるってこった」 「えっ? どういう事よ、それ!?」 「だってそうだろ。俺が映画で見た冒険家は、お宝にたどり着くまでにゴロゴロ転がる大岩に嫌ってほど追い回されてたし、名探偵は後ろから角材で殴られたり、覚えのない冤罪の汚名を被せられたりしてたもんだ。 逆の視点から見れば、映画やら小説やらの主人公ってのは、そういうトラブルをどうにかして乗り越えていくからこそ魅力的なんじゃないのか?」 愉快じゃないけどキョンの指摘は確かで、あたしは頷かざるを得なかった。 「それはまあ…そうかもしんないけど」 「つまりだ、お前が主役級の大活躍って奴を追い求めてる以上、必然的に何かに妨害されて、どうにも思うように事が運ばないって状況が訪れるわけだな」 そのセリフから一拍置いて、すっと目を細めたキョンは、なにやら挑戦的にあたしに問いかけてきたのだった。 「さて、どうするんだ団長さんよ? これからもいろいろと邪魔が入るとして、それでもまだスーパーヒロインを目指すのか?」 ああ、この顔だ。少し皮肉っぽい口元。諦観の混じった眼差し。小首を傾げて、どこか挑発するようにあたしに訊ねかけてくる。 あたしに向かって、こんな顔をする奴はそうはいない。あたしの大っ嫌いで、そして大好きな――いつもの、キョンの小憎たらしい表情だ。 「ずいぶん大層なご口上ね、キョン。あたしを試してるつもりかしら?」 キョンの奴が復調したからには、何も遠慮する事はない。あたしは腕組みをして、キョンの頭の真横の壁にドン!と片足を踏みつけると、大上段から丁寧に答えてさしあげたわ。 「妨害? 邪魔? 望む所よ、来るなら来たいだけ来ればいいわっ! この涼宮ハルヒ様の前を塞ぐような連中はね、たとえ緑色の火星人だろうが青っちろい海底人だろうが、みんなまとめてボッコボコにして…あげ…」 そう、あたしは大見得を切るつもりだった。それにやれやれとキョンが呟くのが、いつものあたし達の小気味良いパターンのはずだった。のに。 「…ハルヒ?」 けれどもその時、キョンの顔を見た瞬間。 あたしはなぜかセリフを途中でノドの奥に詰まらせて、ホテルの一室に、馬鹿みたいに呆然と立ちつくしてしまったのだった。 どうしたんだろう。舌がなんだか縮こまっちゃって、うまく話せない。 「ね、ねえキョン。その、つまんない疑問なんだけど、さ」 「うん?」 こちらを見るキョンの様子がおかしい。明らかに心配そうだ。そんなに今のあたしはひどい表情をしているのか。 「こないだ、なんとなく深夜映画を見てたのよ。それがまた陳腐でチープなB級とC級の相の子っぽい、つまんない代物だったんだけど」 「ふむ、そりゃまた中途半端につまらなそーな映画だな。しかしハルヒ、あまり夜更かしが過ぎるとお肌に悪いぞ」 「うっさい、話を混ぜっ返すなっ! …でね、その映画ってのが、途中で主人公をかばってヒロインが死んじゃうのよ。でもって墓前に復讐を誓った主人公が敵の本陣に乗り込んで、クライマックスになるわけなんだけど」 べたりと汗のにじんだ手の平を握りこんで、あたしはキョンに訊ねかけた。 「もしも。もしもよキョン、あんたが言った通り映画の主人公がトラブルを乗り越えて行くべき存在なら…ヒロインが死んじゃったのって、それって主人公のせいなのかしら…?」 あたしがその質問をした途端、キョンは「あ」と小さく声を上げた。苦虫を噛み潰したような表情になって、それから、ゆっくり口を開いた。 「おい、ハルヒ。分かってるとは思うが、さっき俺が言ったのは『物語を客観的に見ればそういう考え方も出来る』って程度の話だぞ」 うん、そうよね。それは分かってる。 「脚本家やらプロデューサーやらの都合じゃヒロインが死ぬ必然性はあったかもしれないが、それは当然、主人公の意思とは無関係だ」 それも分かってる。けど。 「だいたい、自分が活躍するためにヒロインが死ぬ事を望むヒーローなんか居るかよ。もし居たとして、そいつはヒーローなんかじゃない。 だからその、何というか。要するに、俺はお前を責めるつもりであんな発言をしたわけじゃないってこった。単純にお前にトラブルを乗り越えてく覚悟があるかどうか確かめたかったっつーか、なんとなく意地悪な質問をしてみたかっただけというか。 大体ここまで人を巻き込んどいて、いまさら遠慮とかされても逆にだな」 「分かってるわよそんな事ッ! だけど…」 そう、分かってる。分かってるのよ。キョンの言い分は全て理にかなってる。こんなに声を荒げてるあたしの方が、きっとおかしいんだ。 でも。それでも! 「でもやっぱり、主人公が英雄的活躍を求めた結果として、ヒロインが死んじゃった事には変わりないじゃない!? あたしは、そんなのは嫌…。あたしのせいでキョンが居なくなるなんて、絶対に我慢ならない事なのよ!」 ああ、言ってしまった。直後に、あたしはそう思った。 それは言いたくなかったこと。認めたくなかったこと。でも言わずにはいられなかったこと。 「――北高に入って、あたしの日常はずいぶん変わったわ。毎日がとても楽しくなった。中学の頃なんかとは段違いに。 あたしはそれを、自分が頑張ったおかげだと思ってた。SOS団を作って、不思議を追い求めて。前に向かってひたすら走ってるから、だから毎日楽しいんだと思ってた。 昨日まで、ついさっきまで、そう思ってたのよ! でも、違った。本当はそうじゃなかった…」 「何が違うんだ? お前が日常を変えようと努力してたって事なら、俺が証人台に立ってやってもいいぞ? その努力の方向性が正しかったかどうかは別問題として」 この湿った雰囲気を変えようとでもしてるのだろうか、軽口っぽくそう言うキョンを、あたしは鋭く睨みつけた。 「だから、それよ! 気付いちゃったのよ、あたしは、その事に!」 「意味が分からん。いったい何に気付いたっていうんだ?」 「あんたが、あたしの背中を見ていてくれるから! だからあたしは走り続けていられるんだって事によ!」 気が付くと、あたしは深くうつむいていた。今の表情を、キョンの奴には見られたくなかったのかもしれない。 「中学の頃だって、あたしは走ってたのよ。日常を変え得る不思議を捜し求めてね。でもあたしはずっと一人で…息切れとか起こしたって、それに気付いてくれる奴は誰も居なかった…」 「…………」 「あの頃と今と、何が違うのか。 今のあたしが前だけ向いて、心地よく走り続けられるのは、それはあたしの後ろで、あたしの背中を見続けてくれる奴が居て…。もしもあたしが転んだとしても、すぐにそいつが駆け寄ってきてくれるっていう安心感の後ろ盾があるからだ――って…気付いちゃったのよ…」 喋っている間に、いつの間にか立ち上がったキョンが、すぐ前に立っていた。あたしはうつむいたままだからその表情は分からないけど、腕の動きから察するに多分、さっきぶつけた後頭部をさすっているんだろう。 「ありがたいお言葉なんだが、お前にそう殊勝な事を言われると、驚きを通り越して寒気がするんだよなあ。 ともかくハルヒよ、別にそれは俺だけの話じゃないだろ。朝比奈さんや長門や古泉、その他もろもろの人がお前を支えてくれてる。俺なんかパシリ役くらいしか務まってないぞ」 「そうよ! あんたはみくるちゃんみたいな萌えキャラでもないし、有希ほど頼りになんないし、古泉くんほどスマートでもないわ! せいぜい部室の隅に居ても構わないってくらいの存在よ!」 「やれやれ、俺はお部屋の消臭剤か」 なんで、あたしはこんなにイラついてるんだろう。どうしていちいちキョンの言葉に反応してしまうんだろう。 あたしの不愉快さは、それはもしかして…不安の裏返しなの? 「そう、あんたは特に取り柄があるわけでもない、ただ単に手近な所に居ただけの奴だったのに! そのはずなのに! でもあの春の日に、あたしの髪型の変化に気が付いたのはあんたで…その後もあたしの事を一番気に掛けてくれるのはあんたで…。 いつの間にかあたしは、あんたに見られる事を意識するようになってた…。あたしがこうしたらあんたはどんな反応するだろうって、それが一番の楽しみになってた。 あんたが変えちゃったのよ、あたしを! もうあの頃のあたしには戻れないのよ! それなのに、あんたがあんな事を言うから…」 ああ、失敗。失敗だ。 うつむいてしまったのは大失敗だった。確かに表情を見られはしないけど、にじみ出てくる涙をこらえられないんじゃ、意味がない。 「あんたが…人間なんて明日どうなってるか分からないとか言うから…。だからあたしは、こんなに不安になってるんじゃない!」 あんまり悔しくって、あたしは涙に濡れた顔を上げ、再びキョンの奴を睨み据えていた。 つい先程聞いた有希のセリフが、また胸の奥でこだまする。 『彼の言っていたのはある面での、真理』 『価値観は主に相対性によって生ずる。最初から何も無かった状態に比して、あるはずだったものをなくしてしまった時の喪失感は、絶大』 今なら、その意味が分かる。 あたしにとってあるはずのもの、そこに居てくれなければ困るもの。それは、キョンだったんだ――。 「もし…もしもあんたを失っちゃったら、きっとあたしは今のあたしのままじゃいられない…。何度も何度も後ろを振り返って、おちおち前にも進めなくなる…。 そんなの嫌! そんなのはあたしじゃない! だから、あたしは!」 こんな事を言ったら、キョンはきっとあたしの事を軽蔑するだろう。そう思いながらも、でも一度ほとばしった罪の告白は、途中で止められるものではなかった。 「あんたをここへ、ラブホへ誘ったのは、なんとか励まして元気付けたかったからっていうのは本当。 でもあたしにはあたしなりの思惑があって…。あんたが目の前に居て、あんたに触れる事が出来る内に、あんたとしておきたかった…。 あんたがあたしと一緒に居たって証拠を、心と身体に刻み込んでおきたかったのよ! 悪い!?」 はあ。 言っちゃったなあ…あたしのみっともない本音を。 キョンの奴も、さすがに愛想が尽きただろう。いつも偉そうぶってるあたしがこんな、ただの利己主義で動いてるような人間だと知ったら。 キョンの反応が恐くて、あたしはギュッと固く目を瞑って、肩を震わせる。そんなあたしの耳に、キョンの呆れたような声が届いた。 「やれやれ。男冥利に尽きるお言葉ではあるんだが、願わくばもう少し可愛げのある言い方をしてくれないもんかね」 「………は?」 「いや、訂正しとこう。可愛げのあるハルヒってのは、やっぱりどうも薄気味悪い。少し横暴なくらいがお似合いだな」 「な、なんですってぇ!?」 あたしの本気を茶化すような、あまりといえばあまりの雑言に、あたしは思わず目を剥いて、キョンの胸倉を掴み上げてしまう。 すると、キョンの奴は悪びれもせずにあたしの目を見つめ返し、子供をあやすようにポンポンとあたしの頭を叩きながら、こうささやいた。 「なあ、ハルヒ。ひとつ訊くぞ?」 「…何よ」 「お前は、俺に消えていなくなってほしいのか?」 「なっ、このバカ! 今までなに聞いてたのよ、その逆でしょ!? あたしは、あんたと…」 「だったら、つまんないこと心配すんな」 え、と顔を上げたあたしに、キョンは驚くほどキッパリと言い切ったの。 「お前が望んでる限り、俺は、ずっとお前の傍にいるはずだから」 ――まったく。 まったくもう、なんでこいつは。 普段は優柔不断の唐変木ののらくら野郎のくせに、こういう時だけは断言できたりするのだろうか。 不覚にも、ぐっと来てしまったじゃないか。 不覚、不覚! 涼宮ハルヒ一生の不覚! 気付けばあたしはキョンの胸にすがりついて、ボロボロに泣き崩れていた。さっき流した悔し涙や、不安と寂しさで流した涙とは全然違う、それは頬がヤケドしそうなくらい、熱い、熱い涙だった。 あーあ、ヤんなっちゃうな。 キョンのシャツに濡れた頬をうずめながら、あたしは心の中で溜め息を吐いた。一度タガがはずれちゃったら、子供みたいに脆いのはあたしの方じゃない。そんなあたしの背中を、キョンは優しく撫ぜてくれている。 今日は、あたしがキョンの奴を励ましてやるはずだったのに。いつの間にこうなっちゃったんだろう。なぜだかこいつ絡みだと、物事がいちいちうまく運ばない。 どうしてキョンが相手だと、こんなにも調子が狂っちゃうのかな。理由を知っていたら、誰か教えてほしい。 うん、でもそんなに悪い気はしない。っていうか、むしろあたしはずっとこうしたかったのかな…? 弱みも何も全部さらけ出して、キョンにぶつけてみたかったのかも。 ひょろっとしてる印象だったけど、キョンの胸、意外とガッシリしてる。やっぱり男の子なんだなぁ。クーラーが強めに効いた部屋の中、こいつの体温が心地いい。もう、いっそこのまま時間が止まってくれれば…いいの…に…? ――えーと、ちょっとゴメン。あたしのおへそ辺りに当たってる、この硬いモノは、一体なに? あ、いやいい。説明いらない! 遠慮する! ここがどこで何をする場所かって考えたら、自ずと分かるし! そうよ、何をいまさら。落ち着け。落ち着け、あたし。はい、深呼吸。ひっひっふー、ひっひっふー。 はぁ。しかしこいつも、ついさっきまで 『俺は間違っても、お前の身体が目当てでSOS団の活動に参加してたわけじゃない!』 とか何とか言ってたくせに、ココはしっかりこんなにしてんのね。まったく、これだから男って奴は! まあ、でも大目に見てやるとしますか。キョンの奴、あたしでこんなになってるんだ――って思ったら、正直ちょっと嬉しいし。 いいわ、ここはあたしの方からきっかけを作ってあげる。このままじゃ、まるであたしが一方的に泣かされてるみたいで、なんだかシャクにさわるしね! トン、と軽く突き放すように、あいつの胸に両手をつく。2、3歩下がって、数秒うつむき、それからあいつに向かって全力の明るい笑顔を見せつけてやる。 「キョン、あたしちょっと顔洗ってくる!」 「え?」 「こんな顔、みくるちゃん達に見せられたもんじゃないでしょ! いい? すぐ済むからちゃんと待ってんのよっ!?」 キョンの眼前に人差し指を突き出し、なるべくいつもの口調っぽくそう命令する。キョンの奴はまだ心配そうな、そしてなんだか名残惜しそうな表情をしていた。ふふ、変な顔! 精一杯の笑顔を浮かべたまま、あたしは虚勢を張ってるのがバレない内にバスルームへと駆け込んで、後ろ手に扉を閉めた。 ふー。よし。 ひとまず作戦の第一段階は成功ね。 鏡を見てみる。うわ、眼が真っ赤だ。目蓋もちょっと腫れぼったい。あれだけぐずってたんだから、それも当然か。 蛇口をひねり、両手ですくった冷たい水で、叩きつけるように何度も顔を洗う。備え付けのタオルで顔を拭いて、もう一度、鏡を見てみる。うん、だいぶマシになったかも。 そうしてあたしは、鏡の中のあたしと視線を合わせた。 「本当にいいかな、あたし?」 (いいんじゃないの、あたし) すぐに鏡の向こうから答えが返ってくる。そうね、さっきの涼宮ハルヒ百人委員会は、賛成87票、反対5票、棄権8票だった。今は違う。今は賛成100票だって確信できるわ。 あいつが、あんなにもキッパリと言い切ってくれたから。だからもう、ためらわない。後戻りはしない。 ん、とひとつ頷いたあたしは、ブラウスの胸のボタンを上からひとつずつ外し、インナーのキャミソールごと一息に脱いで、それを衣装カゴに、ぽいと放り込んだのだった。 続いて背中に手を回し、ブラのホックに指を掛ける。瞬間、なんとなく孤島での嵐の中の出来事を思い返した。 あの時も、キョンはあたしの事を助けてくれたっけ。あいつは自分の事を「せいぜいパシリ役」だとか言うけど、ああいう時に自分がどれだけ他人のために一生懸命になれるのか、当の本人は気付いてないのかしらね。 くすっと、自然に笑みがこぼれる。気恥ずかしさよりもなんだか愉快な気分で、あたしはブラの肩紐から両腕を引き抜いた。 スカートのホックも外し、すべり落ちたそれを爪先に引っ掛けて、これも衣装カゴの中へ。ショーツは…履いたままでいいか。ほら、男の子ってこういうの自分の手で脱がすのも萌え~!だとか言うじゃない? …ってのは建前で。本音を言うとさすがに全裸っていうのはちょっと抵抗があるの。まだ初心者なんだもの、仕方ないでしょ!? とにかく、今はこの薄布1枚があたしの心の防波堤だ。うむ。 とまあ、ここまでは良いとして。次にあたしは、初心者ならではの難問にぶち当たってしまったのよね。 「靴下って…脱いどくべきなのかしら…?」 しまった、あたしとした事が。これはリサーチ不足だったわ。う~、だってそういうフェチとか? 正直あたしには形式的な面しか分からないんだもの。 でも大丈夫、こういう時こそ萌えキャラのみくるちゃんでシミュレートよ! えーと、パンツ一丁および靴下オンリーな姿でキョドってるみくるちゃん…。う~む? …なんだか狙い過ぎであざとい気がするわ。キョンはもう少し自然体な方がストライクよね、きっと。 結局、あたしは靴下も衣装カゴに放り込んで、裸身の上にバスタオルを巻いた。本当はシャワーを浴びたい所だったけど、軟弱者日本代表みたいなキョンの場合、あたしが出て行くまでの間に緊張感に耐え切れなくなって逃げ出しかねない。だからここは譲渡してあげるわ。あたしの気遣いに感謝なさい、キョン! 出て行く前にもう一度鏡を見て、髪型やら何やらをチェック。それから生唾をひとつ飲み込んで、あたしはバスルームの扉を押し開けた。 いっそのこと冗談っぽく、 「はーい出前でーっす! 涼宮ハルヒ一丁、お待ちーっ!」 とでも言ってやろうかと思ったけど、さすがにそれはキョンも引くわね。 っていうか、やろうったって出来ない。いつか部室であたしが着替えようとした時みたいに、キョンにスルーされたらどうしようとか思うと、それだけで足元がおぼつかなくなる。ううん、大丈夫。あの時とは状況が違うわ。 はたして。キョンの奴はあたしに背を向けるように、ベッドから前に身を乗り出していた。どうやらテレビ台の中のゲーム機を物色していたらしい。扉の音に気付いて、こちらへ振り返ったキョンは一瞬ぎょっとした表情を見せ、それから困ったように視線をあらぬ方向へそらした。あー、でもこっちの方をチラ見はしてるみたい。 良かった。良くはないけどでも良かった。顔を洗うだけにしては時間が掛かり過ぎなのである程度は察していたのか、キョンの奴、思ったよりはあたしの格好に動揺してないみたいね。 ベッドの端に腰掛け直したキョンは、あ~、とか、ん~、とか唸りながらしばらく言葉を選んでいたけれど、結局うまい表現がみつからなかったのか、やがて所在無げに立ち尽くしているあたしに向かって、無言のまま自分のすぐ左隣をポンポンと叩いてみせてくれる。 内心でホッとしながら、でもその思いはおくびにも出さずに、あたしはバスタオルの胸元を押さえつつ小走りでキョンの元へ駆け寄って、誘いのまま横に腰を下ろした。 むう~。隣に座ったはいいけど、キョンと視線を合わせらんない。あたしは馬鹿みたいに、前方のカーペットの模様ばかりを眺め続けてる。キョンはキョンで、こっちをまともに見ようとしないし。まるでクイズ番組に出場してはみたものの、緊張しすぎで何も答えらんない一般視聴者みたいだわ。 きっかけ、何かきっかけはないものかしら。いっそ空から隕石でも落ちてきてくれれば、キャッ!とキョンにしがみ付く事だって出来るのに。などと谷口並みにアホな事を考えていると、キョンがぽそりと、呟くようにこう訊ねかけてきた。 「おい、ハルヒ。本当にいいのか…?」 「な、何よ!? 怖気づいてんの、あんた!?」 あーん、もう! この期に及んで何を言い出すのよキョンったら! 「すまん、お前がふざけてこんな真似してるわけじゃないってのは分かってる。こういう事訊くのって失礼だよな。 でも俺は、お前が心を病んでた俺を励まそうとしてくれてたのを知ってるわけで…。つまり、何というか」 「…………」 「今このまま、お前とその、ヤっちまうのって、なんだかお前の善意につけこんでるみたいで、どうも気が引けるんだよな。怖気づいてるって言ったら、確かにそうかもしれないんだが」 そう言って、申し訳なさそうに目線をそらす。そんなキョンの横顔に、あたしは再び、はぁ、と溜め息を洩らした。 こいつのこういう律儀な所って、嫌いじゃないけどさ。これから先、苦労させられそうね。心の中でそう嘆きながら、あたしは両手でキョンの左手を引っ掴み、あたしの左胸に強引に押し当てさせてやったのだった。 「っ!?」 「ねえ、キョン。あたしさ、以前からずっと自分のこの胸が疎ましかったのよね」 キョンの奴は大きく目を見開いて、口をパクパクさせてたけど、あたしは構わずに話を進めた。 「この胸が膨らみ始めた頃から、親も、周りも、あたしに“女の子らしくあること”を強いるようになってきたんだもの。 自分の行動に枷をはめられたみたいで、だからあたしはこの胸がキライだった」 話しながら、あたしはふふっと軽く笑う。なぜなのかしらね、キョンが相手だとこういう話題も気負わずに話せるのは。 「ほら、高校生活の最初の頃、あたしは男子が教室に居ても平気で着替えてたりしてたじゃない? アレも、当てつけみたいなものだったのよ。胸があろうがなかろうが、あたしはあたし、涼宮ハルヒなんだ――って、無言の内に、あたしはそう主張してるつもりだったのね」 「ああ、アレにはびっくりさせられたな。もしや特殊な性癖の持ち主なのかと、密かに期待したりもしたもんだが」 「バカね、そんなわけないでしょ!?」 掴んでいた手の平の皮を、ギュッとつまみ上げる。キョンの呻き声をわざと無視して、あたしはさらに言葉を続けた。 「でもね、今はちょっと違うかな。今は下着姿だって、そう易々と見せてやるつもりもないし、あたしのこの胸で誰かをドギマギさせてやれるんなら、それもいいかなって思ってる。 それがどうしてかは…そのくらいはいちいち説明しなくても、おバカのあんたにも分かるでしょ、キョン?」 目を細めて、あたしはキョンに微笑みかける。バスタオル越しにでも、あたしのこの鼓動は伝わってはずよ。ね? ああ、それにしても。あの頃のあたしは、本当にひどい考え違いをしてたんだなあ。女の子同士がスキンシップで触れ合うのと、男の子が女の子に触れるのとじゃ、ぜんぜん意味合いが違うんだ。 うー、みくるちゃんゴメン。いつぞやのコンピ研での一件は、いま思うとちょっとひどかったかも。いつかきちんと謝っておこう。などとあたしが考えていると、キョンの奴がいつになく真摯なまなざしをこちらに向けてきた。 「すまん、ハルヒ」 ふん、ようやくあたしのこの想いを理解できたみたいね。ちょっとばかりまだるっこしい気分にさせられたけど、まあいいわ。分かってくれたんなら許してあげ…。 「俺も健康な若い男子なんでな。この状況はちょっとばかり刺激が強すぎるというか」 は? 「もう理性が持たん」 あの、もしもし? 「正直、たまりませんッ!!」 言うなり、キョンとの密着感が急激に増して。あたしはあっという間にベッドに押し倒されていた。 あーっ、もう! ちょっと見直してやったら、すぐこれだ! どうしてこういつもいつも、言う事とやる事がちぐはぐなのよあんたはっ!? そんなにがっつくんじゃないわよ! この…バカ…。 思わぬキョンの強引さに、あたしは少し眉をひそめつつ、諦めぎみに目を閉じた。いいわ、もう。煮るなり焼くなり、今度こそあたしの事をあんたの好きにしなさい、キョン――。 布団の冷たさとキョンの温もりとの狭間で、熱気を帯びたあいつの吐息が降りてくる。心持ち尖らせたあたしの唇の先が、やがて包み覆われていく。 なんだろう、初めてのキスなのに、初めてじゃない感じ。求めていたものが満たされていくような、そんな感じ。 できる事ならずっと、こうしていてほしい。開けば生意気な言葉ばかりポンポン飛び出すあたしの口なんか、このまま塞ぎ続けてほしい。ねえ、キョ…んっ? わ、わ。キョンの奴、一度唇を離して息を吸い直したと思ったら、今度はさっきよりも強く、こするように押し付けて、あたしの唇の間を割って舌先を入れてきた…。 いやあのその、あたしだって大人のキスがそーゆーものだって事くらい知ってるわよ!? でもちょっといきなりすぎっていうか、こっちだって心の準備ってものが、ねえ? う。あたしの前歯の上下の境を、キョンの舌がなぞってる。もっと奥にまで入り込みたいの? そうなのね? 仕方がない。そう、仕方がないので、あたしはあいつをもう少しだけ受け入れてやる事にした。――その数秒後、あたしは自分の判断および見通しが甘かったのを思い知る事になる。 ちょん、と先端と先端が触れて、それだけで怯えたように逃げるあたしの舌を、キョンの舌が追いかけて、押さえつけ、絡め取るように根元から舐め上げ、吸い上げて…。 ちょっと、ちょっと何よこれ!? なんかこれエロい! エロいわよこのキス! なんとなく口の中の出来事をあたしとキョンに置き換えて想像してみたら、体の奥の方が大変な事になってきちゃったじゃない。 あーん、前に見た夢だってリアリティありすぎだって思ってたのに! 現実はさらに凄いってどういう事よ!? もうっ、キョンのすけべぇ! ヤバい。いや本当に。これは少々ヤバいかもしんない。あたしは薄ら寒い恐怖さえ感じていた。キョンの事をあまりに過小評価していたのかもしれない。 単になりふり構わずっていうだけの感じだけど、こうも一気呵成に攻め込まれたんじゃ…好きにしなさいどころじゃないわ、まるで抵抗できない。このままじゃ、あたしがあたしでなくなっちゃいそう。だいたい、キョンの奴にいいようにあしらわれっぱなしっていうこの状況が気に食わないわ。キョンのくせに、生意気よ! なんとか主導権を握り返さなきゃ、と焦燥感に追われるあたし。しかしながら…いつも古泉くんとやってるボードゲームの成果なんだろうか、あたしはまたしても、あいつに先手を打たれてしまったのだった。 キ、キ、キスしながら耳を撫ぜるなあっ! あやうく、あたしは官能の波に飲まれてしまう所だったわ。けれどもその間際、頭の中にふっとひとつの疑問が浮かんで、あたしは精一杯の力でキョンに抗った。 「ぷはっ。ちょ、ちょっと待ちなさいよ、キョン!」 「あ…悪い、なんだか夢中になっちまって。息、苦しかったか?」 「それは別にいいのよ! いや良くないけど!」 「どっちだよ」 「だから、あたしが言いたいのはそういう事じゃなくて! …なんだかあんた、やけに手馴れてるじゃない。ひ、ひょっとして初めてじゃ…ないの?」 訊ねてから涙目になりそうになってしまっている自分に気付いて、あたしは内心でひどく狼狽した。 可能性として、あり得なくはない。でもキョンもあたしと同じように初めてのはずだと最初から疑って掛かりもしなかったのは、それは、別の答えを認めたくなかったからなんだ。知らなかった。あたしが、こんなに独占欲が強かったなんて…。 そんなあたしの葛藤を知ってか知らずか、キョンの奴はあたしの問いに、憮然とした表情で答えた。 「バカ言え。何の自慢にもならんが、俺は正真正銘たった今が青い春と書いて青春真っ只中だ」 「嘘! 嘘よ、だってあんた…」 「なんだハルヒ、お前『門前の小僧、習わぬ経を読む』という言葉を知らないのか?」 「へっ?」 「つまりは、見よう見まねって事だよ。 お前の朝比奈さんに対するセクハラ攻撃を、いったい俺が何度止めに入ったと思ってるんだ? あれだけ見せつけられりゃ、嫌でも目に焼きつくっての」 そうしてあいつは、あたしの耳元に顔を近づけて「本当はずっとお前にこうしてやりたいとか思ってたかもな」なんて小声でささやくと、あたしの耳を、はむっと甘噛みしてきたのだった。もう。キョンの奴ったら調子に乗って、ここぞとばかりに! でも安心感で満たされちゃったあたしの心と身体は、キョンの攻勢を受け入れざるを得なかったのよね。そっか。そこまであたしの事を見てるのか。うん。それならまぁいいわ。何が? 知らないけどまぁいい。 ここはあんたのお手並み拝見と行きましょ。たまにはあたしの事をきちんとリードしてみせなさい。ねっ、キョン――。 それからまあアレやコレやを経て、あたし達の最初のセックスは終わった。 別にごまかすつもりはないんだけれども、この後の事は断片的にしか記憶がない。お互いに初めてだったせいもあって、何というかおままごとみたいな? そんなつたないセックスだったと思う。 でもまあ、あたしは結構満足していた。右も左も分からない中を無我夢中で駆け抜けるような、あんな感覚って嫌いじゃない。誰かに手ほどきを受けるより、むしろその方が痛快じゃないの。 当然ながら、反省点も多々あるんだけどね。 えーと、ほら動物の世界で『マウント』ってあるじゃない。犬とかが自分の優位性を誇示するために他の犬にかぶさる、ってヤツ。 アレの最中は、やっぱり人間も動物みたいになってるんだか――その、あいつがのしかかって来るたびに「ああ、あたしは今、キョンのモノにされてるんだ」って思えて…それが何故だか嬉しくって…。 一個人としては「女の子をモノにする」っていうのはむしろ不愉快な表現なんだけども、でもあの時ばかりは不思議とあいつの体重を、ベッドのスプリングに分けてやるのが無性にもったいないような気がしたの。 で、キョンの奴が「もう少し力抜いた方がいいぞ」って言ってるにも関わらず、やたらと四肢を踏ん張ってしまったあたしは現在、首から背中にかけてアンメルツヨコヨコの匂いを漂わせたりしているのだった。あと実は、お腹の中もちょっとヒリヒリ痛い。生理用の痛み止めでなんとか紛らわしてるけど。 教訓。その場の感情に流されすぎちゃダメね。利用できる物はきちんと利用するべきだわ。そう日記には書いておくとしよう。 それにしても。 『涼宮ハルヒ秘密日記』のページ上にトントンと意味もなくペン先を振り下ろしながら、あたしは口をアヒルみたいにしていた。 今更ながらに思うけど、キョンの奴ってズルい! ううん、あいつがズルいのは前々から分かってたのよ。毎度あたしの後ろからひょこひょこ付いてきて、美味しい所だけご相伴に預かろうとするような奴だものね。 でも、今回ばかりはちょっと許しがたい。そうよ、あの行為の最中は気が付かなかったけど、こうして家に帰ってお風呂に入って夕食を済ませてから落ち着いて思い返してみるに――。 キョンの奴、あたしに「好き」とか「愛してる」とか、まだ言ってないのよ!? あたしに散々アレだけの事をしておいてッ! あたしの初めてを…あんな風に奪っといて…。 いやまあ、実はあたしの方も改まって告白したりするのは気恥ずかしくて、まだきちんと言葉にしてはいなかったりするのだけれども。ただ礼儀として、あーゆー事したからには男の方から言ってくるのが作法っていうか? 確かに『古泉くんとあたしがナニするのを邪推して嫉妬した』みたいな事はあいつも言ってたけど、でも「嫉妬した」と「好き」は微妙にイコールじゃ無いじゃない!? それとも…キョンはやっぱりあれは一時の対処療法みたいなものだとか思ってて、好きだの愛してるだのっていう形而上の言葉であたしを拘束してしまうのが嫌だったんだろうか。 確かに胸の話とか、「行動に枷をはめられるのはイヤ」みたいな事を言ったのはあたしの方なんだけども。でもどっちにせよ、キョンの奴ってばやっぱりズルいと思う! うん! …そこを含めて、好きになっちゃったから参ってるのよね。 机の上の小さな鏡を見ながら、左の頬を撫ぜてみる。あたしの頬をはたいた時のキョン…恐かったけど、格好良かったなあ。あんなに真剣に怒ってくれるのは、あたしの事が大切だから、だよね? まあいいわ、今回だけはキョンの無礼を見逃してあげるとしよう。一応、コトが終わった後に、 「ハルヒ…今のお前、反則的なまでに可愛かったぞ…」 なんて事は言ってくれたし♪ あ、でも調子に乗って、汗やら何やらでベタベタした手で頭を撫ぜたりしないでよねっ? リボンが汚れちゃったじゃない! ちょうど替えがあったから良かったけど。あ~あ、これ割とお気に入りだったのにな。一度染み込んじゃうと、洗濯したってこの匂いはなかなか落ちな……… ここは自分の部屋の中で、もちろん居るのはあたし一人だというのに、なぜだかあたしは左右をきょろきょろ見回して、それから机の引き出しに、そっとリボンをしまい込んだのだった。 そ、そうよ、このリボンはもう人前じゃ付けられないから、ずっとこの中にしまっておく事にするわ、うん! …いったい誰に向かって言い訳してるのかあたしは。 はあ、それにしてもまあ。たった一日の間にファーストキスから何から、我ながらずいぶんとコトを進めてしまったものだ。 ついこないだまで、恋愛なんてのは交通事故みたいなもので、きちんと注意さえしていれば回避できるものだと思ってたのになあ。今はもう、四六時中あいつの事ばかり考えてる。キョンの奴には、出会い頭に思いっきりハネられちゃったって感じよね。ほんと、不覚だわ♪ …って、あれ? ちょっと待って!? そういえばキョンの奴、昼間、喫茶店でこんな事を言ってなかったっけ? 『人間なんて明日どうなってるか分からないから、みんなもせめて事故とかには気をつけろよな。特にハルヒ』 それからあたしに向かって『お前は直情径行の向こう見ずで、後先考えずに動くから』とか何とか言ってたような…。 えっ、えっ? ひょっとしてアレって、いわゆる暗示って奴? キョンってもしかしてもしかすると、予言者!? なんてね。たかだか1回セックスしたくらいで、奴の事を特別に不思議な存在だとか勘違いするほど、あたしは愚かじゃないのだ。 だいたいアレを『予言』だなんて言うんなら、あたしにだってそのくらい出来るわよ。そうね、たとえば――。 言わせて貰うなら、セックスなんてのは単なる行為のひとつに過ぎない。少なくともあたしはそう思ってる。 愛情がなくったって出来るし、何の証明にもならない。セックスしたから彼はわたしの物♪なんて、おかちめんこな考え方は噴飯物だ。一時の気の迷いで、そうひょいひょいと人の所有権を移動させないでほしい。 結局その考えは、あたしこと涼宮ハルヒが実際にセックスを経験した後も、特に変わる事はなかった。だからやっぱり、セックスなんてただの行為なのだ。 ただ、これだけは断言しておこう。 客観的、一般的には単なる行為だけれども、このあたしにとってはあんなに痛くて恥ずかしいコトは、よっぽど好きな奴が相手じゃなければとても出来やしない、と。経験者として、それは確信できる。そして今のあたしにとって、その相手はただ一人だけ…。 そう考えている内に、あたしは無意識に携帯の通話ボタンを押していた。 「(ピッ)もしもし、ハルヒか? こんな夜更けにどうし」 「分かってんの、キョン!? あんたは50億分の1、ううん、宇宙人やら未来人やらを含めても、世界中でたった一人の存在なのよ!? すごくありがたい話でしょうが! 選考委員のあたしにはもっともっと感謝するべきよ! 違う!?」 「…違うも違わないも。いきなりそんな勢いでまくし立てられたって、話の筋が全く分からん」 ああ、もう。本当に理解力にとぼしい奴ね。手間が掛かる事この上ないけど、やっぱりあたしがリードしてやらきゃだわ。 「いいから! あんたはこれからもあたしについてくればいいの! それとすっとぼけてる罰として、次に逢う時の食事代から何からは、ぜ~んぶあんたのオゴリだからねッ!」 「いや待て待て。次ってお前、今日のホテル代も結局は俺が払わせられたし、そのあと合流した朝比奈さんと長門には、なぜか特盛りパフェをご馳走させられたし、さすがに財布の中身がだな」 「なに言ってんの! 今日のあんたはみんなに心配とか迷惑とか掛けまくったんだから、そのくらい当然でしょ!? 急用で帰っちゃった古泉くんにも明日、学校でちゃんとお礼言っとくのよ!」 「へーへー。って、お前は俺の母上様か」 「うっさい! 文句があるんだったら、あたしに有無を言わせないくらいの気概をまた見せてみなさいよ、このバカキョンっ!」 ふふっ、気概を“また”見せてみなさいよ、か。 はてさて、次の機会はいつになる事やら。まるで見当も付かないけど、それまではこの、肝心な言葉をきちんと口にする事さえ出来ないムッツリスケベ男の尻を叩き続けるとしましょ。 そうして、携帯を通じてあいつへの叱咤を続けながら、あたしはこっそり今日の日記に、最後の一文を書き込んだのだった。 『初めての相手がキョンで、本当に良かった』 ――ってね♪ 涼宮ハルヒの不覚 おわり
https://w.atwiki.jp/haruhi_vip/pages/2751.html
ハルヒニートその3『おしゃれをしよう』 学生の頃の涼宮ハルヒは黙って座っている限りでは一美少女高校生であって、当然そのお陰で異性からモテにモテたとは谷口から聞いた話だった。 そして今それが成長してまあ美少女が美女になっていることには間違いないのだが、馬子にも衣装の逆というかなんというか…………。 まあどんな美人でもそれが3日前と同じ下着を履いて、風呂にも入らずぼさぼさの髪を頭の上に乗せて、どてらを羽織って一日中パソコンの前であぐらをかいてるのを見れば、目を当てられないといった表現が適切な事になるわけだ。 この光景を谷口あたりが見たらショックで記憶を失いかねん。いや、そもそもだいぶ見慣れた俺ですら10秒続けて眺めていると頭が痛くなるほどだ。 現在、ハルヒは一日中パソコンにくっついて部屋に引きこもっているという完璧なまでのニートっぷりを発揮している。 無職でしかもひきこもりネット中毒と来たものだから只事ではない。デフレと物価の下落が同時に起こるとやばいというがあれと一緒だ。ハルヒはニートとひきこもりを同時併発させているのだった。 そこで俺は考えた。というか、またしても本屋で立ち読みした『ひきこもり脱却に100の方法』という本で目に付いた項目だが、『おしゃれをすること』という作戦を考案したのだった。 ひきこもりが部屋から出れない理由はなによりその風貌に問題がある。そりゃあ風呂に入らず着替えもせずで外に出なさいと言ってもそれは不可能というもの、それだから必然、自分の姿を鏡で見るたびに外に出る気をなくしてしまうのだという。 だから俺はハルヒに一着服を買ってやることにした。それも外行きの高い服、値段はこの際気にしない、俺は貯金から数万円を下ろして購入資金に当てることにした。 だが一つ問題もあった。そもそもハルヒは家から出ないんだから、一体どうやって服を買わせるんだということだ。 俺が買ってこようにも、女性の好みはよくわからないし、一緒に買い物に行ってくれそうな女の知り合いもいない。 そこで考え付いたのがネット通販だった。 キョン「ハルヒ、お前に服を買ってやる。ネットでどれでもいいから好きな服を上下一着ずつ選んでくれ」 ハルヒ「な、なに? どうしたのよ急に……」 キョン「なに、俺からハルヒへの誕生日プレゼントだ」 ハルヒ「あたしの誕生日もう半年前なんだけど……」 キョン「去年の分、もしくは来年の分ってことでもいい。とにかく選んでくれ、金は気にしなくていいから」 ハルヒ「ほ、本当に……? わかったわ、ちょうど欲しい服があったところよ。そんなに高いもんじゃないから安心していいわよ」 意外だった。ハルヒはすでに欲しい服があって目を付けているそうだった。 ひょっとして、こいつも俺と同じことを考えていたんじゃないだろうか。 このまま部屋に閉じこもってちゃいけない。だから、いつか外に出るときはこの服を着て、そんな風に考えて一人でひそかにネットで欲しい服を探していたのか? いいさ、どんな服でも買ってやるよ。そう思っていると、ハルヒが「これよ」と言ってパソコンの画面を指差した。 キョン「…………えらくド派手な服だな。本当にこれ着るのか?」 ハルヒ「なに言ってんの、大人気なのよこれ。値段も結構するけど、これいいなってずっと思ってたのよ」 キョン「服の相場としてはそんなに高くはないと思うが……、それとこの服を売ってる店はなんでゲームみたいな画面しか出ないんだ? 実際の写真とか無いと困るだろ?」 ハルヒ「は? これはゲーム内で装備する服よ。写真なんてあるわけないじゃない」 ああ、途中からうすうす感ずいてはいたさ。まさかこんな背中にドでかい剣をしょった中世の騎士みたいな服が実際に売ってるわけないだろうし、まして値段がたったの900円という時点で商品として色々おかしい。 ハルヒ「前々から欲しいなって思ってたのよ。これ着てるとドラゴンとの遭遇率が上がるのよね~」 キョン「…………わかった、それも買ってやる。だが俺が言ってるのはゲーム内でのアイテムのことじゃない、お前が実際に着る服を買いたいと言ってるんだ」 ハルヒ「えっ……?」 そこで初めてハルヒが俺の方を向いて聞いた。 ハルヒ「どういうこと? あたし別に服なんてなくても困らないわよ」 キョン「…………理由なんてない。ただ俺がハルヒに服を買いたいと思ってるんだ」 ハルヒが外に出るためなんて言ったら気にするかもしれない、そう思って俺はそう言っておいた。 キョン「勝手に決めようと思ったが、それだとハルヒが気に入らなかったときに処分が効かないからな。ハルヒに選んで欲しいんだ」 ハルヒ「そんな……もったいないよ。だってあたし…………」 キョン「勿体ないことがあるか。別に無理に着て欲しいと言ってるんじゃない、ただ俺は…………」 そこで言葉に詰まった。くそ、なんて言えばいいんだ。本当の事を言うわけにもいかんし………… 俺が着るから? まさかだろ。 誰かにあげるから? それはハルヒが怒るだろう。 そんなこんなを考えていると、不意にハルヒが口を開いた。 ハルヒ「…………わかったわ。あんたがどうしてもっていうなら、服を選ぶくらいお安い御用よ。でも、後で金出せっていっても聞かないからね!」 キョン「ああ、わかってる」 ハルヒはそう言って、パソコン上の今まで開いていたネットゲームのページを閉じて、通信販売のページを開いた。 キョン「色々な項目があるな、食べ物だの家電だの」 ハルヒ「……女性用の服だったらこれね」 ハルヒがカーソルを移動させて画面を変える、また新しいページが現れる。 キョン「俺は通販ってのをやってことがないんだが、この中からどうやって自分の買いたい物を探すんだ?」 ハルヒ「そうね、服だったらブランドで絞り込めるわ。あたしが昔着てた服のブランドは…………ああ、見てこれ。ほら、覚えてる? 高校の頃あたしが着てた私服と同じやつよ」 ハルヒがPC画面を指差す、その先には確かに見たことのある服があった。これは、確か初めてSOS団の市内探索があったときにハルヒが着ていた服。まあ今となっては懐かしい思い出だ。 キョン「それにするのか?」 ハルヒ「まさか、どうせなら違うのにするわよ。言っとくけど結構高くなるかもしれないわよ、本当にいいの?」 キョン「構わないからハルヒの一番気に入ったやつにしてくれ」 ハルヒ「そう、わかったわ」 それから俺たちはしばしのウインドウショッピングを楽しんだ。結局、ハルヒの決めた服は上は半そでの夏服、下は薄手で短めのスカートだった。 これから着るにしてはだいぶ寒いが、ハルヒがこれがいいっていうなら別にいい。それに急に外に出たいなんて言い出さないだろうから、まあ丁度いいかもしれん。 ハルヒ「支払いは代金引き替えでいいわね? 住所は…………っと、これであとはボタン押したら注文確定よ。本当にいいの?」 キョン「そうだな、じゃあそのボタン俺に押させてくれよ。そのほうが、俺が買ってやったって気分になるからな」 ぽちっとクリック、そして注文を承ったという画面が出て来た。どうやら二日か三日で届くらしい。 それから俺は夕食を作った。ハルヒはまたネットRPGの世界にのめりこんでいる。 やれやれだ。心で思ったが口には出さなかった。ハルヒもハルヒなりになにか頑張っているのかもしれないんだ。俺はただそれを手伝ってやりたいと思って、こうしてハルヒと一緒に住むことにしたんだ。 だから今ハルヒがどうであってもそれに文句をつけるようなことだけは絶対にしちゃいけない。今のハルヒに愚痴をこぼしたり文句を言ったりするのは、怪我で入院している人間を役立たずだと罵る行為と同じだ。 ハルヒは今痛いところも苦しいところもないだろうが、それでも重い精神の病にかかっているんだ。それが治るものなのかどうかもわからない。ただ、それでも俺はハルヒと一緒にやっていくと決めたのだから。 そして俺は次の日もまた次の日も、満員電車に揺られて会社に通い、見飽きた上司の顔を眺めながら仕事をして、昼には値段の割りにまずい社内食堂の定食を腹に流し込んで、それから夕方まで仕事をしていた。 当然この不景気で定時に帰れることなど滅多と無く日が落ちて真っ暗になるまで残業した。帰りの電車はガラガラで、椅子に横になった酔っ払いのオッサンの姿があった。 キョン「やれやれ……」 そんないつも通りに、日本の頑張るお父さん然とした一日を過ごして俺は帰宅した。だが家にはかわいい子供も愛する妻もいない、いるのはいつもパソコンと一体化して一日中座っているだけのニートなハルヒだけだ。 全く持ってやれやれだ。一人呟きながら家のドアを開けた。 ハルヒ「おかえり」 キョン「ああ、ただい…………ま?」 中にいたのはいつもの通りハルヒだけだ、そしてパソコンデスクに腰掛けて画面を見つめている、そこに違いは無い。 だが、着ている服がいつもと違った。いや、服だけじゃない、髪だっていつものぼさぼさ状態ではなく、シャンプーしてリンスまで掛けたようにすらっと綺麗に下りていた。 服はこの前に注文した服だった、どうやら今日の昼に届いていたらしい。 ハルヒは椅子から腰を上げて、こっちを向いた。 ハルヒ「ど、どう? せっかくだからちゃんと髪とかもきれいに洗って着てみたんだけど、似合ってる?」 ハルヒは少し赤くなってうつむき気味に言った。 似合ってる? 馬鹿なことを聞くな。今のハルヒを見て似合ってませんだの、魅力的ではないと思うなどと言う奴がいたら目が悪いか頭がおかしいかガチゲイかのどれかだ。 ハルヒ「ちょ、ちょっと何とか言いなさいよ!」 キョン「ああ……、その、似合ってると思うぞ……!」 ハルヒ「思うってなによ! こっちはせっかくあんたのためにこうやって寒いの我慢して待っててあげたってのに」 こいつがこんなにかわいい台詞を吐けるなんて初めて知った。いや、言葉だけじゃない、着ている服も、その背格好も、顔も体もハルヒの全てが可愛いと思った。 いや、思ったじゃない。思っていたんだ。多分、高校に入学して初めて会ったときからずっと。 キョン「ハルヒ」 ハルヒ「なによ?」 キョン「すごく綺麗だぞ」 ハルヒ「な!?」 キョン「ん? お前顔赤いぞ? 大丈夫か」 ハルヒ「あ、あんたがヘンな事言うからよ! ああもう! 着替えるわ! 着替えるから部屋から出てけ!!」 俺はハルヒによって背中を押されながら部屋を追い出された。せっかくだから、写真くらい撮ってもと思ったがどうやらそれは無理のようだった。 ハルヒニート 第三話 完
https://w.atwiki.jp/haruhi_vip/pages/1697.html
それはとある日曜日の朝のこと ハルヒに用事があるとのことで町内不思議探索は中止となり 布団に包まって気が済むまで寝ようとしていると携帯が鳴った ハルヒか?と思ってディスプレイを除いてみたが電話番号が表示されるだけで名前がない つまり電話帳に登録していない奴から電話がかかってきたと言うわけだな すでに5秒ぐらい着メロが鳴り続けているからワン切りでも無さそうだ これ以上鳴らして相手に迷惑をかける訳にもいかんだろう、間違いだったらその旨を伝えればいいだけだしな 「あ、もしもしキョンさんですか」 通話ボタンを押すと女の声が聞こえてきた 俺のあだ名を知ってると言うことは少なくとも間違い電話ではないと言うことだな もしこれで間違いだったらそのキョンとあだ名を付けられたやつに同情しよう 「え~っと失礼ですがどちら様で?」 「あ、ごめんなさい私は吉村美代子です」 思い出した、妹とは同級生だがとても同じとは思えないほどに大人びた容姿をしている娘だ 通称 ミヨキチ 、最後に合ったのはかなり前だ忘れてても仕方ないだろう 「あぁ君か、久しぶりだね、確か去年の3月の終わり以来か」 去年の3月の終わり俺とミヨキチは映画を見に行った、詳しくはSOS団の発行した部誌を見てくれ 「はい、お久しぶりです。」 「それにしても俺の携帯番号なんてよく解ったね」 「あ、はい妹さんから聞いたんです」 なるほどね、だがミヨキチぐらいなら教えてもかまわんがあまりいろいろな人に教えるなよ妹よ 「それで今お暇でしょうか?」 「あぁちょうど予定が無くなったんでね暇を持て余していたところだ」 「もし宜しければ今日1日私に付き合っていただけませんか?」 「あぁ別にかまわないよ、また映画かい?」 「はい、迷惑でしょうか?」 「意や別にかまわないよ、最近映画を見ていなかったしたまに見るのもいいだろう」 「よかった、ではよろしくお願いしますね」 それから彼女は前回と同じようにこちらの予定を気にしながら待ち合わせの場所と時間を提案した 今回は普通の駅前の映画館で問題ないらしい 「急な電話すみませんでした」 「いやいや別にかまわんよ」 低姿勢なのは変わらないな、まぁ変わる必要もないが それから軽く準備をして念のため待ち合わせ時間の1時間前には家を出る とりあえずこの時間なら途中何らかのトラブルがあっても大丈夫だろう 「あれ~キョン君どっか行くの~?」 家を出ようとしたら妹が声をかけてきた 「あぁミヨキチに映画に付き合ってくれないかって言われてな」 「そっか~がんばってね~」 何を頑張れと言うのだ妹よ、それに古泉みたいににやけるな気味が悪い それにしてもこいつの事だから「あたしも行く」とか言いかねないと思ったのだが 言われなくて安心したよ、もし行く事になったら代金は俺持ちになるだろうからな そして自転車を漕ぐ事30分待ち合わせ場所近くの駐輪場に到着 前に自転車を撤去されたことがあったからな、路上駐車はやめることにした そして待ち合わせの場所に歩いていくとミヨキチはすでに到着していた まだ30分も前だというのにいるとはなどうやら俺は待ち合わせに相手より先に着くってことに縁が薄いらしい 「早いねもう来てたのか」 「いえ今来たところです」 とてもじゃないが妹と同級生には見えないな、下手すると朝比奈さんよりも大人に見える 「それじゃちょっと早いが映画館の方に移行か」 「あ、はい」 「今日はなんて映画を見るんだい?」 「あ、×××××ってのが見たいと思ってるんです」 その映画の名前を聞いてちょっと違和感を感じた 何も変な映画だとかそういうのじゃない、普通の映画だ ただ問題なのは普通の映画だからだ、前回のようにPG-12などの規制がかかってるわけでもない このぐらいの年なら普通に見たいと思っておかしくない映画だ、これだと俺をわざわざ誘う必要もない まぁ彼女には彼女なりの理由があるのだろう、詮索はここまでにしていた方がいいな そのあと券を買う際に代金はどちらが払うかと言うことになった 俺が2人分払うと言ったのだが結局はそれぞれ自分の分を自分で払うことになった 全く、別に遠慮する必要はないんだがな しかし久々に映画を見るのもいいものだな、最後に見た映画が文化祭のSOS団の映画だからなお更だ SOS団でもこのぐらいの映画が作れればと思ったが監督が監督だ、まず無理だろうな 映画を見終わって外に出ると空が暗くなりかけていた 本人はいいと言っていたがさすがに一人で返すわけにも行かないので家まで送っていくことにした 送っていくことにしたのはいいのだがなぜかミヨキチはさっきから無言だ チラッと横を見ているとどうやら俯いている、俺なんか悪いことしたか? しばらく歩いていくと見覚えのある人物に出会った 「お、ハルヒじゃないか」 「ん?キョンじゃないの何して…そちらの方は?」 「あぁ妹の同級生のミヨキチだ、今映画を見てきたところだ」 「あらそう、よかったわね。私お使いがあるからもう行くね」 なんだ?ハルヒの奴機嫌が悪そうだったな、何かあったんだろうか 「あのキョンさん今の人は…?」 「あぁ俺が入ってるSOS団っていう団の団長だ」 そういうとミヨキチは何かを考えるそぶりを見せた後 「あの、キョンさん今の方に伝言をお願いできますか?」 「あぁ別にかまわないが知り合いだったのか?」 「いえ、そういう訳ではありませんが『負けません』と伝えてもらえますか?」 「解った伝えておこう」 「それでは私の家はすぐそこですので、今日は本当に有難うございました」 そういうとミヨキチは小走りで自分の家のほうに走っていった 「負けません」か…あいつらなんかの勝負でもしてるのか? 俺には伝言の意味がよく解らなかったが俺に対する伝言じゃないんだ別に問題ないだろう 気が付くと太陽はもう殆ど沈んでおり俺は自転車を家の方向に向けてペダルに力を入れた
https://w.atwiki.jp/haruhi_vip2/pages/3316.html
事件は、梅雨まっさかりの放課後に起こった。 梅雨ってのはなんでこうムシムシするのかね、とハルヒに愚痴をこぼしたら、 「ムシムシするから梅雨なのよ。」と帰ってきた。そりゃそうか。 どう考えても不快指数80以上はあるだろうという中での地獄の授業を終え、 ようやくクーラーの効いた家に帰れる……わけもなく、扇風機も無い部室へと行くことになる。 「キョン!早く部室に行くわよ!」 俺を急かすハルヒ。なんだ?いつもは部室まではバラバラに行くのに。 「悪いがハルヒ、今日は掃除当番なんだ。先に行っててくれ。」 「そうなの?じゃあ待ってるわ。」 ……はい?今なんと言った?ハルヒが俺を……待つ? 「何よその顔。待ってあげるって言ってるの。」 「なんの狙いだハルヒ。言っとくが待たせても罰金は払わないぞ?」 「払わせるわけないじゃないの!純粋に待ってあげるって言ってるの!」 ……一体どうしちまったんだ?普段待つことが大嫌いで、1分でも待たせたら即罰金のハルヒが…… まあ、これ以上口答えしても逆に不機嫌になるだろうし、待つと言っているんだから、素直に待たせておこう。 「終わったぞ。」 「やっと終わったの?遅いわね。」 自ら待っておいてそれかい。俺は先に行ってくれと言ったんだぞ。 「つべこべ言わない。行くわよ。」 「へいへい。」 そして俺達は部室の前にやってきた。ドアを開けようとするが、鍵がかかっている。 「おかしいわね。鍵はかけてなかったはずだけど。」 「じゃあ、中で朝比奈さんが着替えてるんじゃないか?」 「そうなのかしら。みくるちゃーん、いるのー?」 ハルヒが呼びかける。しかし中からは……返事が無い。 「しょうがないわね。確か職員室にもう一個鍵があったはずよ。取りに行きましょ。」 「おい、まだ朝比奈さんが着替えてる途中かも知れないぞ?」 「あたしの呼びかけを無視するなんていい度胸よ!だったらこっちも無視して入っちゃうの!」 メチャクチャなハルヒ理論だ。だがこのままでは中に入れるはずも無い。 ハルヒに引っ張られながら、俺は職員室の中に入った。 「ほら見てよ。普段は2つあるのに、今日は1個しかないわ。」 本当だ。普段ならいつも使っている鍵とスペアキーの二つがあるはずだ。 しかし今ここにはスペアキーしか無い。やはり誰かが鍵を持っているワケだ。 スペアキーを手にして、職員室を出た時、俺達はある人物と鉢合わせをした。 「あれえ?涼宮さんにキョン君、何してるんですかぁ?」 朝比奈さんだ。……ん?てことはあの部室の中に、朝比奈さんはいなかった? 「あれ?みくるちゃん、部室の中に居たんじゃないの?」 「いいえ。ちょっとHRが遅れて、今から部室に行くところだったんですよぉ。」 「部室に鍵がかかってたんで、てっきり中で着替えてたのかと思って。」 「放課後鍵を閉めて、そのままだったんじゃないですかぁ? 鍵は別の誰かが持ちっぱなしとか。」 そうか。よくよく考えればそっちのが自然な考えだな。なんで俺は中に朝比奈さんがいると思ったのだろう。 「まあとにかく、部室に行きましょ!」 ハルヒが急かす。そうだな、話なら部室でも出来るからな。 「ほらキョン、さっさと開けなさいよ。」 「分かった分かった。」 ハルヒに言われて、俺はスペアキ-で部室のドアを開けた。 しかしそこには驚くべき光景があった。 「な、なんだあれ!!」 「パソコンが!!」 団長様の机にあったパソコンが、床に落ちている! 画面も割れてしまって、もう使い物にならないのではないかというくらい大破している! 「キョン、みくるちゃん、これ!」 ハルヒが床を指差した。そこには、部室の鍵が落ちている。 ん?おかしいぞ。なんでこれがここにあるんだ。 ここに鍵があってドアに鍵が閉まっていたのなら、中に人がいなければおかしいはずだ。 「だ、誰がこんなことを~?」 「部室には鍵がかかってて、その鍵は中にあった…… ということはこの部屋は、密室だったということになるわ。」 ん?ハルヒの腕章がいつの間にか変わっている。……名探偵!? 「密室トリックなんて小ざかしい真似するじゃないの! いいわ!こんなことした犯人を、絶対見つけてやるんだから!」 はりきりだすハルヒ。今度の被害者は人じゃなくパソコンだからな。 ハルヒも気がね無く探偵役が出来るってことか。 ……ん?俺はその時、真後ろに居た人物に気がついた。 「長門!来てたのか。」 「そう。」 「有希!あんたが遅れるなんて珍しいわね!どうしたの?」 「……コンピ研の手伝いをしていた。」 なるほどな。長門もそれなりに学校生活を謳歌しているようで何よりだ。 とここで俺はここに来ていないもう一人の存在に気付いた。あのニヤケ面だ。 もうとっくに掃除も終わっている時間。 長門のように何か用事があるわけでもなく、もしあってもよっぽどのことじゃない限りSOS団より優先させるとは思えない。 ならば何故ここにいない? 「キョン!ちょっと聞いてるの!?」 ハルヒが怒鳴った。すまん、まったく聞いて無かった。なんだって? 「もう!こっち来なさいって言ってるの!」 ハルヒが俺を引っ張り、窓際に連れてくる。 「窓はね、開いてたのよ。逃げようと思えばここから逃げられるワケ。」 「3階からか?無理があるだろ。」 「でもほら!下を見て!」 ハルヒに促され窓から顔を出し下を覗く。よくよく見ると地面に何か落ちている。あれは…… 「ロープよ!どう見ても不自然でしょ?きっと犯人は、あれを利用したのよ!」 「だがハルヒ。真下は人通りの多い場所だ。昼休みだってあそこで昼飯食うヤツらで溢れかえってる。 そんな中ロープで降りたりしたら、どう考えても一目につくだろうが。」 「下に逃げたとは限らないわ。」 下に逃げたとは限らない?……なるほどそういう事か。あいつの考えてることが分かった。 「おや、これはどういうことでしょうか。」 とここでようやくニヤケ面の登場だ。随分と遅かったな、古泉。 どうやら俺は長門だけじゃなく古泉の表情分析も出来るようになっちまったらしく、 その俺から見ると、その顔はいくぶん疲労の色が強い。 その顔を見て俺の中で何かが繋がった。始めから感じてた違和感の正体、そしてこの事件の真相が。 「古泉君!遅いじゃない!」 「申し訳ありません、少々クラスメイトに掴まっていたもので…… しかし、この惨状は一体……」 「誰かがパソコンを壊したのよ。でも大丈夫よ。もうこの事件の真相は私の手の中にあるわ。」 自信満々に言うハルヒ。そして、高らかに宣言する。 「早速だけど、これからあたしの名推理を披露するわ!」 解決編に続く