約 252,628 件
https://w.atwiki.jp/teitoku_bbs/pages/6249.html
44: yukikaze :2020/06/27(土) 13 28 22 HOST p343111-ipngn200407kamokounan.kagoshima.ocn.ne.jp 一応、豊臣夢幻会の第二次欧州大戦の年表考えてみたので投下 あくまで暫定的な内容なので、修正等可です。 939年 9月1日:ドイツ、ポーランド侵攻 9月3日:英仏、ドイツに宣戦布告。第二次世界大戦勃発。 日本、アメリカは中立宣言 11月30日:「ソ・フィン戦争」勃発。ソ連がフィンランドに侵攻 ロシア共和国、動員体制に移行。日米はフィンランドに武器の輸出認める。 1940年 3月12日:「ソ・フィン戦争」終了。史実よりはマシだが、憂鬱世界よりは厳しい講和条件。 4月8日:ドイツ、デンマーク、ノルウェー侵攻開始。 5月10日:ドイツ、フランス侵攻。アルデンヌ奇襲 5月21日:アラスの戦い。イギリス遠征軍大敗。 5月24日:「パリ動乱」フランス共産党によるパリでの蜂起。フランス政府機能消滅。 5月27日:英「ダイナモ作戦」発動。 5月29日:ドイツ軍ダンケルク突入。イギリス遠征軍残存部隊降伏。最終的に遠征軍の9割が死亡ないし降伏。 6月14日:パリのフランス共産党政府による一方的な休戦宣言。ドイツ共産党も受諾。英の対仏感情最悪に。 7月1日:ドイツ共産党政府によるイギリスへの降伏勧告。イギリス政府拒絶。 7月2日:メルセルケビール海戦。フランス地中海艦隊大打撃。フランスの対英感情悪化。 7月5日:フランス共産党政府、イギリスにメルセルケビール海戦の賠償を要求。イギリス政府、言下に拒絶。 7月7日:中華民国政府、上海でイギリスの植民地主義を批判するとともに、『世界は新体制で廻らないといけない』と、ソ独仏共産党政権にラブコールを送る。ソ独仏も同宣言に歓迎の意向を示す。 7月10日:ドイツ共産党政権、イギリスに対して無制限通商破壊作戦を宣言。フランス、英国に対して宣戦布告。 7月中旬:英仏海峡戦勃発。英国籍の輸送船に被害が激増。ドーバー海峡の航行禁止に。 7月14日:中華民国。「最後の関頭」演説。領土奪還を理由に、香港周辺に精鋭部隊の集結を急がせる。 7月16日:英国政府、日米に対して参戦を依頼。日米政権は消極的。 7月19日:スペイン人民政府。突如、ジブラルタルに侵攻。宣戦布告なしの奇襲攻撃。人民政府は、不法に占拠された自国領土の奪回と諸外国に説明。 7月24日:ジブラルタルに増援に向かっていた『アークロイヤル』、潜水艦の雷撃により撃沈。 7月30日:ジブラルタル陥落。イギリス地中海艦隊は、アレキサンドリアに撤退。イギリス海軍、西地中海の制海権喪失。 8月2日:中華民国、英国に対して香港返還及び法外な賠償金を要求し、断られた直後に国交断絶・宣戦布告。 8月9日:イギリス空軍、ブレストに最大規模の空襲。ブレスト軍港に大打撃を与えるも、爆撃機部隊も壊滅。 8月11日:サン・ナゼール軍港攻撃を企図した英国艦隊。ドイツ航空部隊に捕捉され『カレイジャス』撃沈。 8月15日:「アドラーアングリフ」ドーバー海峡での航空撃滅戦により、英独双方消耗戦に。英国最悪の時に。 8月17日:「リバティ号事件」イギリスからアメリカに避難するため出航した、アメリカ船籍の客船がドイツ空軍により撃沈。アメリカ、日本の民間人の多数が溺死し、日米世論がドイツに硬化。 8月19日:ドイツ共産党政府、「リバティ号事件」に対し、危険な海域を進ませたイギリスの責任であるとして、自国の責任を否定。日米両政府、ドイツを批判。 8月21日:日米両政府、ドイツ共産党政府に対して「リバティ号事件」での責任を求める共同声明を発表。 8月22日:ドイツ共産政府。「責任は全てイギリスにありドイツにはない」と、日米の声明を拒否。仏西中も賛同。 8月23日:日米両政府「枢軸国に大義なし」とし、ドイツ共産党政府に対し最後通告。ドイツ共産党政府黙殺。 8月24日:日米両政府、独に対して宣戦布告。また、ドイツに賛同していた仏西中にも宣戦布告。 45: yukikaze :2020/06/27(土) 13 29 33 HOST p343111-ipngn200407kamokounan.kagoshima.ocn.ne.jp 8月30日:フランス海軍によるアレキサンドリア港への破壊工作員侵入。アドミラル級戦艦『ロドネー』着底。 9月5日:中華民国、香港及び上海租界地において攻勢を開始。上海イギリス租界区全滅。「上海虐殺」 9月10日:香港に向けてフィリピン駐留の米師団及び日本から増援部隊が到着。戦線膠着。 10月13日:日本軍、香港近郊に上陸。香港を攻撃する中華民国軍を包囲。 10月18日:中華民国軍、日本本土爆撃を実施するも、レーダー網につかまり壊滅的打撃を受ける。 11月3日:香港に攻め込んでいた中華民国軍が降伏。 11月12日:アメリカ軍、海南島を制圧。華南への爆撃基地として整備を進める。 11月19日:アメリカ、イギリスに対して援英派遣部隊を出撃。チャーチル『希望の松明』演説。 12月8日:日米両海軍「ガルバニック作戦」を開始。日米艦隊による、中国沿岸部への攻撃を始める。 中華民国は批判するも、「上海虐殺」が大きく、枢軸国以外からは「自業自得」と見離される。 正規空母『雲龍』『青龍』実戦に参加。 1941年 1月1日:超大型空母『翔鶴』『瑞鶴』が、横須賀と呉の海軍工廠で起工。 1月11日:日本、援英派遣部隊を出撃。アメリカと違い扱いが悪かったこともあり、当初から隙間風が生じている。 2月14日:アメリカ、「レンドリース法案」可決。アメリカの戦時生産もある程度軌道に乗り始める。 2月下旬:「ガルパニック作戦」終了。中国沿岸部の都市壊滅。蒋介石の経済基盤大打撃。 3月3日:日米、中華民国に対して海南島及び台湾から戦略爆撃を開始。以後、終戦まで爆撃は続く。 4月5日:独仏両政府、アルジェリアに軍勢を派遣。イタリアに対して圧力を強め、エジプト侵攻を目論む。 4月8日:イタリア政府、改めて中立を宣言すると共に、連合国と枢軸国の橋渡しを務めることを発表。各国から失笑を受ける。 4月15日:「ボズワースショック」日本陸軍の37式中戦車が英米両軍に正式にお披露目。演習で圧倒的スコアを叩き出す。 4月22日:日米英軍事会議。欧州本土侵攻を求めるアメリカと、アフリカに第二戦線を求めるイギリスとの間で意見対立。 なお、イギリス側が日本に対して最低でも2個軍の派兵を要求したことに、日本側は中国戦線及びロシア共和国の状況を伝えることで、事実上拒絶している。 5月30日:ニューヨーク会談。日英米首脳(大野、チャーチル、ランドン)による戦略調整会議であったが、「大野ノート」によるレッドセルの存在が明らかになったことで、英米両国は大恥をさらすことになる。 6月3日:米内・キング会談。日本、技術供与の見返りに新鋭軽巡12隻と新鋭駆逐艦48隻のレンドリースを認められる。 6月5日:連合国軍総司令部発足。総司令長官はD・マッカーサー。英国は総司令官こそ譲るものの、第二戦線を認めることに成功。 6月15日:マッカーサー。「ウォッチタワー作戦」を提案。カサブランカを落とすことで、欧州の柔らかい横腹を突くことを目的としたもの。補給面の問題から調整は難航する。 6月22日:マッカーサー。「ウォッチタワー作戦」を保留。補給船団の問題を片付けられないことから。イギリスおよび亡命フランス政府の批判が起きる。 7月4日:米陸軍航空隊による初の戦略爆撃。護衛抜きの実施であった為、大損害を受ける。 7月14日:日本陸海軍航空隊。武部理論に基づき、夜間でのインフラ攻撃を開始。損害は少ないものの短期的に効果は出ず。 7月22日:ドイツ海軍、スカパ・フローに奇襲攻撃。『グローリアス』撃沈。R級巡洋戦艦『ロイヤル・オーク』大破。 7月29日:イギリス政府。次期主力戦闘機として、越山重工の『飛燕』を採用することを正式決定。 また、海軍航空隊も『烈風』及び『流星』の導入を決定する。 8月4日:中華民国政府。首都を南京から武漢に疎開。 8月14日:ベルリン会談。独仏西中は、連合国に対して単独講和を行わないことを宣言。 9月12日:仏領インドシナ。ホー・チ・ミンの蜂起が始まる。フランス共産党政府、ホー・チ・ミンを批判し、コミンテルンからの除名を依頼。コミンテルンも了承。 9月18日:ド・ゴール。仏領インドシナ政府に対して「自由フランスに帰属すれば、日米の軍事援助により、蜂起は打倒できる」と秘密交渉。勝手に約束に使われたアメリカ及び日本政府激怒。 9月22日:第2回日米英軍事会議。協議の内容は戦略爆撃についてであり、各国の主張は折り合わず。 46: yukikaze :2020/06/27(土) 13 31 15 HOST p343111-ipngn200407kamokounan.kagoshima.ocn.ne.jp 10月8日:「エクスポーター作戦」。イギリス中東駐留軍と自由フランス政府によるシリア・レバノンへの侵攻。 10月下旬までにシリア制圧。 11月12日:ソ連、独仏西に対しソ連製兵器のライセンス生産を秘密裏に承認。 11月30日:ド・ゴールによる自由フランスへの賛同を求めるベイルート宣言。ただし、フランス国内での影響力は限定的。 12月14日:枢軸諸国。統合軍備計画を承認。生産機種を絞る代わりに、生産性の向上を図る。 12月25日:アメリカ、国内の中華系住民強制収容を完了。約50万人が収容される。 1942年 1月18日:日本海軍遣欧艦隊。トゥーロン強襲。フランス地中海艦隊全滅。トゥーロン港機能消滅。 2月25日:第3回日米英軍事会議。マッカーサーによる「ウォッチタワー作戦」再提案。英仏は賛成。日米は消極的だが押し切られる。 3月8日:「ボン岬沖海戦」北アフリカへの輸送船団護衛をする仏海軍残存部隊と日重巡部隊との交戦。日本海軍完全勝利。 4月23日:中華民国政府。首都を武漢から重慶に疎開。中国沿岸部の混乱が無視できないレベルになる。 6月1日:「ウォッチタワー作戦」発動。参加兵力は、アメリカ軍4個師団、イギリス軍2個師団、日本軍2個師団、フランス軍1個師団。 6月3日:パットン率いる西部方面隊はカサブランカの包囲に成功。同日、田中静壱中将率いる中部方面隊はパットンの後詰に展開。 アラン・カニンガム中将率いる東部方面隊はオランへの進撃を開始。 6月8日:カサブランカのフランス守備軍降伏。モロッコ王国の各地も順次降伏。 6月20日:「労働者の歓喜作戦」ドイツ=アフリカ軍団指揮官のヴァルター・モーデル中将による遅滞防御作戦発動。 英仏軍は、補給線の見通しの甘さにより大敗。 6月25日:マッカーサー、カニンガムの指揮権剥奪。連合軍アフリカ司令部を創設し、アイゼンハワー大将に権限を付与。 7月3日:ド・ゴール、カサブランカに赴き、モロッコが自由フランス政府に帰属したことを宣言。 マッカーサーとド・ゴールの関係は最悪に。 7月7日:スペイン領セウタ陥落。連合国マスメディア「地中海の門は開かれた」と、勝利宣言。 7月17日:カサブランカに日米連合艦隊集結。枢軸国側、警戒を最大限に。 7月24日:「バトル・オブ・ジブラルタル」スペインに急遽集められた枢軸国空軍部隊と、モロッコに展開したアメリカ陸軍航空隊の死闘開始。 7月31日:大西洋で任務中の『ヨークタウン』。Uボートの雷撃を受けて沈没。 8月4日:「シロッコ作戦」モロッコ陥落とド・ゴール発言に焦ったフランス共産党政府によるモロッコ奪還作戦。モーデルは大反対するも政治的な要因から、独仏連合軍でモロッコに攻めざるをえないことに。 8月15日:「グレネード作戦」独仏軍の攻勢に対して、自由ポーランド軍大将のマンシュタイン発案による迎撃作戦。 同作戦は、後に『マンシュタインのバックハンドブロウ』と呼ばれ、機動防御作戦のお手本とされる。 8月19日:独仏「シロッコ作戦」の中止を決定するも、侵攻戦力の6割を失い、アルジェ防衛に齟齬を来すことに。 9月1日:第4回日米英軍事会議。アルジェ奪還を演説するド・ゴールに、マッカーサーが「黙れ」発言。 両者ともに激昂し、あわや乱闘寸前にまでなる。アルジェ侵攻は保留に。 9月14日:日英外相会談。アメリカと比べて日本の援助が少ないことを指摘したイーデン外相に対し、吉田茂が「それほどまでにご不満ならば、日本は撤兵させていただく。我らはアメリカとの友誼により参戦はしたが、貴国とは一切の友誼はない。日露戦争の折に貴国が我が国に対していかなる仕打ちをしたか、忘れたとは言わさんぞ」と席を離脱。イギリス側の対応に不満を持っていたケネディ駐英大使が吉田の援護射撃をしたことで、チャーチルが公式の場で謝罪する羽目になる。 9月下旬:日米による大西洋上でのハンターキラー作戦が最高潮に。 10月5日:枢軸諸国。『欧州の壁』構想承認。対英上陸作戦案は完全に消滅する。 10月中旬:日本海軍の戦時急造空母である『瑞鳳』型航空母艦が次々と就役。(43年1月までに合計8隻就役。他改造艦3隻) 11月8日:第5回日米英軍事会議。欧州反攻作戦に向けての計画が開始される。 11月30日:共産ドイツ。ドイツ潜水艦隊の壊滅を受けて、潜水艦戦力の追加発注を中止。ドイツ海軍事実上の消滅。 12月12日:「ゴモラ作戦」アメリカ陸軍第20爆撃軍による四川大空襲。四川の堤防群に大打撃。 47: yukikaze :2020/06/27(土) 13 31 59 HOST p343111-ipngn200407kamokounan.kagoshima.ocn.ne.jp 1943年 2月4日:「カタパルト作戦」マッカーサーによるアルジェリア侵攻作戦。蚊帳の外に置かれたド・ゴールは激昂。 2月5日:「アルジェ湾沖海戦」アメリカ機動艦隊、アルジェの制空権を奪取するも、発進準備中の隙を突かれ『エンタープライズ』級3番艦『ワスプ』喪失。4番艦『レンジャー』大破の大損害を受ける。 2月22日:「カセリーヌ峠の戦い」エジプトからチュニジアに侵攻したウィロビー・ノリー中将。モーテル大将の逆撃に会い大敗。 ドイツアフリカ軍団最後の煌めき。 3月6日:日本海軍。ジェット戦闘機「疾風改」及び『輝星」を部隊配備。 4月20日:日本海軍。遣欧艦隊第二陣として、瑞鳳型航空母艦8隻をアメリカ西海岸まで順次出撃。 5月8日:アルジェリア総督府降伏。アフリカの共産フランス勢力消滅。イタリア政府、秘密裏に連合国と接触開始。 5月10日:「アルジェ宣言」首都アルジェに強引に押し寄せたド・ゴールが、アルジェリアが自由フランスに帰属したことを強引に宣言したものの、マッカーサーが「連合国の軍政」と、全面的に否定。米仏関係最悪に。 5月18日:アルジェリア総督ダルラン元帥、テロにより暗殺。ド・ゴール派の犯行というのが有力。 5月24日:アルジェでフランス共和国臨時政府設立。連合国も承認。政府首班はジロー大将。ド・ゴールは一時的に失脚するも、政治的暗躍から10月には共同代表、12月にはジローの後を継いで政府首班になる。 6月6日:アメリカ陸軍第20爆撃軍による飢餓作戦開始。農薬散布とナパーム弾の合わせ技で中華民国の農業生産量激減。 6月12日:共産ドイツ。欧州決戦戦車として、KV-85のライセンス生産車両『レーヴェ』を公開。 7月8日:「アトラス作戦」内乱の続くギリシャに対するテコ入れのための英国軍の占領。日米軍から「壮大なる兵力と燃料の無駄遣い」と酷評されることになる。 7月14日:「千夜一夜作戦」英米両軍によるハンブルクへの大規模空襲。ハンブルク消滅。 7月下旬:武部理論によるインフラ破壊により、独仏の兵器生産量、ピークの6割に減。ソ連からの供給依存増大。 8月1日:「決号作戦」日本陸軍3個師団による上海沿岸部の制圧。以後、爆撃拠点は台湾から上海に代わる。 8月12日:第6回日米英軍事会議。来るべき欧州上陸作戦への計画を本格化。 8月16日:ジュビリー作戦。ディエップへの上陸作戦であったが、作戦目的が不明瞭で失敗。情報漏洩にも拘らず、イギリス側の対応が消極的であったことで、日米の英に対する情報共有が低調に。 8月30日:米海軍、1個巡洋艦戦隊及び2個水雷戦隊を日本海軍遣欧艦隊の指揮下に入れることを発表。アーロン・S・メリル少将指揮。 9月12日:日本海軍4個空母機動戦隊がブレスト港を空爆。ブレスト港に大被害。以降半月かけて荒らしまわり『海賊艦隊』と呼ばれる。 10月11日:超大型空母『翔鶴』『瑞鶴』就役。 11月6日:第一次遣欧派遣艦隊予定通り帰国。アメリカ西海岸から、1個巡洋艦戦隊及び2個水雷戦隊が日本に派遣される。 12月上旬:中華大陸。飢餓と寒波により各地で暴動が頻発。広西軍閥、単独で日米と停戦。 1944年 1月5日:共産ドイツ外相、ソ連に軍事介入を要請。ソ連、スミルノフ中将率いる一個軍団を義勇兵としてドイツ東部に派遣。 1月20日:マッカーサー連合国軍最高総司令官。欧州上陸作戦「オーバーロード」作戦原案を固める。 2月6日:「ヴェリダブル作戦」イギリス地中海艦隊、独断でジブラルタルを占領。キング連合国海軍総司令官激怒。 2月8日:キング連合国海軍総司令官。地中海方面海軍総司令官に日本海軍の古賀峯一大将を推薦。古賀は3日後に戦時特例で元帥昇格。 2月12日:マッカーサー連合国軍最高総司令官。地中海方面総司令官にアイゼンハワー大将を任命(同日元帥昇進)。地中海方面総司令官ウェーヴェル元帥更迭。 2月15日:マッカーサー元帥、アイゼンハワー元帥に、「オーバーロード」作戦の陽動作戦を地中海戦域で行うよう命令。 2月21日:日本陸軍、イギリスおよび中東にいた部隊をすべて地中海方面に集約。地中海方面軍を設立。方面軍司令官は山下奉文大将。機甲師団2.機械化歩兵師団4、自動車化歩兵師団3と、日本陸軍の主力と言っていい戦力であった。 48: yukikaze :2020/06/27(土) 13 33 12 HOST p343111-ipngn200407kamokounan.kagoshima.ocn.ne.jp 3月3日:アイゼンハワー元帥。「アイアン・フィスト」作戦をマッカーサー元帥に提出。マッカーサー了承。 3月13日:イタリア。連合国側で参戦することを正式に了承。大規模な軍事援助とともに英米両国の駐留の許可を行う。 3月20日:アメリカ海軍空母機動艦隊、フランス沿岸に対して空襲開始。また、アメリカ陸軍航空隊も沿岸部への爆撃強化 3月26日:日本海軍遣欧艦隊主力、アレキサンドリアに入港。超大型空母2、正規空母2、軽空母8、戦艦9、装甲巡洋艦2、重巡6、軽巡22、駆逐艦112という、文字通りの大艦隊であった。 3月27日:イギリス地中海艦隊、本国に召還。あからさまな懲罰人事に、イギリスのキングに対する嫌悪感増大。 4月5日:日本海軍ジェット機部隊初実戦。偶然にもマルセイユ近郊で羽を休めていた第44戦闘団も戦闘に参加し壊滅。 同戦闘団は、エースクラスを集めたドイツ空軍の切り札であり、戦闘機もBf109G型であったが、機体性能差があり過ぎた。 5月3日:ベルリン会談。内陸部決戦を主張する現地司令部と、水際作戦を主張する陸軍司令部との意見衝突の解消のために行われたが玉虫色の決着で終了。なお、両者とも連合国の進軍先を『カレー』及び『マルセイユ』と予想。 6月3日:イタリア王国。枢軸国に対して国交断絶。48時間後に宣戦布告を宣言。 6月5日:「アイアン・フィスト作戦」日米仏軍、マルセイユへの上陸に成功。共産独仏軍の警戒最高潮に。 6月6日:「オーバーロード作戦」英米加仏軍。ノルマンディーへの上陸成功。共産独仏軍大混乱。 6月7日:「サジタリオ作戦」イタリア軍、亡命したフアン3世を旗印に、バルセロナに上陸。スペインの反政府組織一斉に蜂起。 日米英政府、イタリア政府の火事場泥棒に苦言を表明するも、ムッソリーニは「平和のための援助」を堂々と要求 6月13日:「カーンの戦い」アメリカ第3軍指揮下の機甲部隊と、共産ドイツ新鋭装甲師団2個師団の激突。アメリカ軍勝利するも『レーヴェ』により、M4の損耗も大きく、報告を聞いたマッカーサーは、AGFのマクネアー中将の更迭と新型戦車のM26配備を強く主張。 6月15日:日本欧州方面総司令官 前田利為元帥。マッカーサーに対し、37式中戦車輸送分(100両)の提供を打診。マッカーサー日本の好意を謝するとともに、あくまで日本軍の作戦目的に使用するよう依頼。 6月25日:マルセイユ占領。また同日にはアメリカ軍によりトゥーロンも制圧される。 6月26日:アメリカ軍、シェルブール港占領するも、港湾施設は破壊される。 7月1日:日本陸軍、グルノーブルを占領。共産ドイツ軍、アルザスにいた戦力を抽出して対応。 7月18日:イタリア軍、テルエルでスペイン人民政府軍との決戦に勝利。人民政府、マドリードからセビリアに遷都。 7月21日:イタリア軍、マドリードに入城。スペインの王政復古を大々的に宣言。日米英渋々ながら承認。 7月25日:「コブラ作戦」連合国軍、ノルマンディ戦線突破に成功。 ~31日 8月3日:「幻号作戦」日本陸軍、アルザス方面への進撃を窺うそぶりを見せ、共産ドイツ軍過剰に反応。フランスへの援軍中止。 8月12日:「ファレーズ包囲戦」アメリカ軍、共産仏独軍に対しての包囲殲滅戦に成功。フランスの戦いの事実上の終焉。 ~21日 8月25日:パリ解放。ド・ゴールによる勝利の演説と翌日の凱旋パレード挙行の表明。マッカーサー激怒。 8月26日:「凱旋パレード事件」。パレード先頭を仏第二機甲師団とし、パレード終了後には第二機甲師団を連合軍の編制から外すという通告に、マッカーサーは「まだ戦争が終わっていないのに遊び惚ける馬鹿がいる」と、ド・ゴールを痛烈に批判。 パレードに日本軍に声がかからなかった(純粋な事務的ミス)のも問題視し、パレードを中止させる。 8月31日:ソ連指導部、共産ドイツ政府に勝利の可能性なしとして、ドイツ支配領域の制圧を決定。 9月1日:イタリア、スペインの完全制圧を宣言。ただし散発的なテロ活動に悩まされる。 9月11日:ディジョンにおいて、日本軍とアメリカ軍が握手。フランス国内における南北戦線統合。 9月19日:ブリュッセルを解放。ベルギー王室、国土復帰を宣言。 9月28日:イギリス軍、アントワープを解放。ただし、北岸のドイツ軍を排除できず、港の使用は限定的。 10月1日:イギリス陸軍参謀本部。オランダ奪還作戦及びドイツ侵攻作戦の前段作戦として、「マーケット・ガーデン作戦」を提案するも、マッカーサーから非現実的として却下。 49: yukikaze :2020/06/27(土) 13 34 13 HOST p343111-ipngn200407kamokounan.kagoshima.ocn.ne.jp 10月15日:「クロマイト作戦」マッカーサー、オランダ沿岸部に上陸作戦を敢行することで、オランダ解放を達成することを提案。 上陸用機材と気象上の問題で早くても翌年になることが見込まれたことで、亡命オランダ政府が難色。 11月6日:「ヴァイタリティ作戦」イギリス軍、アントワープ北部を完全制圧。 11月7日:アメリカ大統領選挙で民主党のコーデル・ハル当選。 11月10日:「グレネード作戦」アメリカ陸軍第20爆撃軍。蒋介石の籠もる重慶に最大級の爆撃。地中貫通爆弾「ファットマン」(史実トールボーイ)を初めて実戦に使用。蒋介石を含む中華民国政府首脳部全滅。 11月13日:「激号作戦」日本陸海軍爆撃隊による西安大空襲。超重爆『富岳』実戦に参加。火災旋風が起きるよう計算された爆撃であり、西安に戦力を移動していた毛沢東率いる共産党首脳部は、蘭州に行っていた林彪を除いて全滅。 11月15日:新疆派軍閥、中華民国からの離脱を宣言し、ソ連の庇護下に入ることを懇請。 11月17日:馬家軍、自らの権益が脅かされることを恐れ、新疆派軍閥との抗争を開始する。 11月20日:成都に逃げていた孫科、蒋介石を始めとする上層部の全滅を認める。四川派、貴州派、湖南派と言った地方軍閥は次々と離反。中華民国政府崩壊。中華戦線は事実上消滅。 11月21日:ソ連政府「民族自決」を掲げて、新疆派軍閥への介入を決定。なお、ソ連は軍閥に任せるつもりはさらさらなく、新疆ウイグル自治区、青海、甘粛、寧夏回族自治区を領土とする「東トルキスタン共和国」建国を決定済。 12月16日:「バルジの戦い」共産ドイツ最後の賭けと言われる大規模攻勢。 12月19日:「バストーニュの戦い」栗林忠道中将率いる第23師団による防衛戦。 12月26日:バストーニュ解囲。解囲に参加した部隊が日系人部隊であったため、両国において美談となる。 1945年 1月16日:連合国によるバルジ包囲網完成。共産ドイツ司令部の硬直した指導により、バルジ内のドイツ軍の脱出は不能。 1月20日:共産ドイツ政府、オランダ、デンマークの残存部隊の撤収を命じるとともに、ソ連に大規模な援軍を懇請。 1月28日:イギリス軍、オランダへの進軍開始。 2月15日:アムステルダム解放。オランダ王室、国土復帰を宣言。 2月22日:連合国軍、ソ連とドイツの国境に、大規模な軍が展開していることを確認。ソ連政府に確認するもソ連政府は黙殺。 3月1日:イギリス軍、オランダを完全解放するも、ルール工業地帯にソ連軍が展開していることを受けて進撃停止。 3月3日:日米英政府、合同でソ連に対し、軍駐留の意図を説明するように要請。ソ連政府黙殺。 3月5日:共産ドイツ政府、改めて連合国との徹底抗戦を宣言。 3月7日:「バグラチオン作戦」発動。在ドイツソ連軍一斉に蜂起。ドイツ主要都市はソ連軍の制圧下に。 3月8日:ソ連国境から東欧諸国に対してソ連軍侵攻開始。同日、ドイツとオーストリアで共産政府樹立。 3月9日:イギリス軍とのトラブルで、ギリシャ方面軍に左遷されていたパットン大将、独断でブルガリアへの侵攻開始。 アイゼンハワーは激怒するが、マッカーサーが追認し、援軍を送るよう指示。 3月15日:アメリカ軍、ノルウェーとデンマークに対し、上陸作戦敢行。抵抗は全くなく一週間後に全土制圧。 3月16日:ルーマニア国王ミハイ1世、パットンに対して単身会談し降伏を宣言。パットンは快諾し、更に進撃。 3月22日:ベッサラビア、ブコヴィナを制圧したソ連軍とパットンの睨みあい。双方、戦闘を起こすには問題を生じており、状況は膠着状態に。 3月29日:ハンガリー、ポーランド、チェコスロバキアで、共産政府樹立。 4月3日:ソ連軍、スロベキアとセルビアを制圧し、共産政府樹立。イタリア軍、フィウメ防衛を名目にクロアチアに進駐するとともに、秘密裏にソ連との間で手打ちを行う。(ボスニア・ヘルツェゴビナでのソ連への譲歩) 4月5日:ロンドン会議。連合国主要国による戦争の継続か否かを決める会議。戦争継続を訴えるイギリスやフランス、ポーランドであるが、日米への更なる負担を前提とするものであったため、日米両政府の反発を招く。 50: yukikaze :2020/06/27(土) 13 44 00 HOST p343111-ipngn200407kamokounan.kagoshima.ocn.ne.jp 4月9日:ハル大統領、マッカーサー元帥に戦争継続の是非について諮問。マッカーサーからは「日米だけでやりきるだけの覚悟があればやれる。英仏は当てにならない。なお、戦争終結までに後5年。被害は10万単位で考えるべき」と回答。 4月10日:ハル大統領、大野首相と会談。大野からもマッカーサーと同様の回答を貰うとともに「アメリカの有権者は最後までやりきるだけの覚悟はありますか?」と問われ、ハルは沈黙。 4月12日:ソ連政府、連合国政府に対し、旧枢軸国との間の停戦の仲介を行うことを宣言。 イタリア政府、好意的な声明を出す。 4月14日:連合国、ソ連の宣言を受諾し、停戦に合意。チャーチル「ミュンヘンの二の舞」と、日米の判断を痛罵するも自身は政変によって下野する。 5月5日:ジュネーヴにおいて、連合国とソ連との間で停戦交渉開始。 5月7日:ソ連代表団、ルーマニアとブルガリアに対して、現政権の非を鳴らし、人民政府を設立するのが必要と提案。連合国側拒否。 5月10日:ソ連代表団、再度、ルーマニアとブルガリア問題で、連合国側の譲歩を提案。 5月12日:中央アジアにおけるソ連と連合国側との分割案妥結。モンゴル(内モンゴル含む)と東トルキスタンのソ連の優位性を認める代わりに、チベットのイギリスの優位性を認め、インドには手を出さないことを確約。 5月16日:ロスアラモスで原子爆弾の開発に成功。 5月17日:ソ連側代表、ルーマニアとブルガリア問題を一方的に打ち切る。またポーランド問題で、ポーランド自由軍と自由政府についても決して手は出さないし、亡命してもらっても自由という回答を出す。 5月21日:連合国と枢軸国との間で停戦条約発効。 51: yukikaze :2020/06/27(土) 13 46 38 HOST p343111-ipngn200407kamokounan.kagoshima.ocn.ne.jp とりあえず暫定的だけど年表作成。 まあ色々と付け加えたりできるだろうし、整合性会わなければ修正もすることになるかと。 こうしてみると、なんだかんだ言って、後半になるとイギリス陸軍も成果出したりはしているのとほんとイタリア政府は腹立つことしかしていないよなあと。 そりゃ統領が死んだときに、各国指導者層がシャンパン出して祝うわけですわ。
https://w.atwiki.jp/kiririn/pages/1307.html
791 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2011/12/02(金) 10 42 10.85 ID k60KUq4M0 [2/5] 787 ネオドイツの女「お兄―京介さんには明鏡止水の心を会得してもらいます」 京介「明鏡止水の心?」 ネオドイツの女「はい。何事にも動じない、清く澄んだ心です」 ネオドイツの女「その心さえあれば、桐乃に手を出してしまうということもなくなるでしょう」 京介「そうか……」 京介「ところで、あやせはその心を持っているのか?」 ネオドイツの女「わたしはネオドイツの女……黒髪が綺麗なお兄さんが結婚したい女No1のあやせじゃありません!」 京介「…………」 ネオドイツの女「もちろん、わたしも明鏡止水の心を持ってますよ」 京介「そうなのか?」 ネオドイツの女「はい。この間桐乃と一緒にお風呂に入っても、なんとか理性を保っていられました」 京介「…………」スッ ネオドイツの女「携帯電話?」 京介「…………」ピピピ 京介「……桐乃か?今から渋谷でデートしようぜ!」 ネオドイツの女「!!!」 BGM:我が心 明鏡止水~されどこの瞳は深淵の如く~ ネオドイツの女「お兄さん……桐乃に手を出したらブチ○すって言いましたよね?」 京介「全然明鏡止水の心を会得してねえじゃねえか!」 ・・・・・・ 桐乃『もしもし~?』 あやせ「桐乃?」 桐乃『あれ?あやせ?兄貴は?』 あやせ「お兄さんはゲルマン忍法に失敗して土に埋まってしまったので行けないみたい」 あやせ「というわけで、代わりにわたしとデートしよ!」 -------------
https://w.atwiki.jp/fweapons/pages/18.html
氷山大ドイツ及びグレートブリテン連合王国 氷山大ドイツ及びグレートブリテン連合王国は、ドイツ・フランス・イギリスのグレートブリテン島にまたがる国家です。 軍備 陸軍 Pz.Kpwf.48 Drache(1949年生産開始) 全長 8.92m、全幅 3.1m、全高 3.05m 重量 41.4t、乗員 4名、速度 42.7km/h 主武装 45口径105mmライフル砲×1 副武装 12.7mm機関銃×1、7.92mm機関銃×1 装甲 均質圧延鋼装甲、120mm+100mm(砲塔防盾+砲塔前面)〜20mm(車体下面) ソ連のIS-3に対抗すべくドイツによって作られた第一世代戦車。A型からD型までの5種類が生産された(指揮戦車のAX型含む)。主砲口径はIS-3に比べ17mm小さいが、その分ライフリングを施すことで補っている。砲塔が少し前ぎみなのが特徴。 Pz.Kpwf.51 Jagger(1953年生産開始) 全長 9.45m、全幅 4.27m、全高 3.02m 重量 51.8t、乗員 5名、速度 48.3km/h 主武装 50口径128mm滑腔砲×1 副武装 12.7mm機関銃×2 装甲 均質圧延鋼装甲、210mm(砲塔下部)〜45mm(車体下面) Pz.48に対抗するべく開発されたT-10に対して開発された第一世代戦車。A型からC型までの3種類が生産された。主に地雷対策として下面を厚くする事が主眼とされた。 Pz.Kpwf.74 Löwe II(1976年生産開始) 全長 9.53m、全幅4.2m、全高 2.84m 重量 58.8t、乗員4名、速度 47.3km/h 主武装 45口径130mm滑腔砲×1 副武装 12.7mm機関銃×1、7.92mm機関銃×1 装甲 複合装甲(砲塔・車体前面)・均質圧延鋼装甲(車体)、260mm(砲塔下部)〜50mm(車体下面) ソ連が生産を開始したT-72に対抗する第二世代主力戦車。主力戦車としては最大口径の45口径130mm滑腔砲を備える。装甲も最大で260mmで、T-72と正面から張りあえるだけの力を持っている。 Pz.Kpwf.80 Tiger III(1981年生産開始) 全長 9.67m、全幅 4.15m、全高 2.72m 重量 53.7t、乗員4名、速度 54.3km/h 主武装 47口径128mm滑腔砲×1 副武装 12.7mm機関銃×1、7.92mm機関銃×1 装甲 複合装甲、250mm(砲塔下部)〜50mm(車体下面) 鈍重で使い勝手が悪かったPz.74に代わるべく開発された第三世代主力戦車。Pz.74に比べ主砲は小口径、装甲も少し薄いものの、ソ連主力戦車にまともに対抗できる力は持っている。また、軽量化により速度も上昇した。 海軍 ケーニヒスベルクII世級戦艦 全長 237m、全幅 32m、基準排水量 32500㌧、満載排水量 38500㌧、最大速力 33.7kt、機関出力 138,000hp 主砲 47口径38.1cm連装砲×3、副砲 55口径15cm連装砲×6 対空兵装 65口径10.5cm連装高角砲×8、83口径37mm連装機関銃×8、20mm4連装機関銃×4、20mm3連装機関銃×4 ビスマルクの後、最後に建造された戦艦。どちらかといえばアメリカ・日本における巡洋戦艦的な要素が大きく、最大速力は30ktを超える。戦艦としての装甲は、ビスマルクよりも薄くなったため、やはり戦艦というより巡洋戦艦である。武装はほとんどがビスマルク級に準拠しており、砲は同じものを搭載している。 ラインハルト・シェア級巡洋艦 全長 197m、全幅 24m、基準排水量 27000㌧、満載排水量 34500㌧、最大速力 27.3kt、機関出力 82,000hp 主砲 V2ロケット発射装置×2、副砲 なし 対空兵装 65口径10.5cm連装高角砲×6、20mm4連装機関銃×2、20mm単装機関銃×18 V2ロケットを開発したドイツ軍は、艦船による運用を開始した。本級にはV2ロケットが6〜10発搭載可能である。なお、自発装填は手動で行い、発射・誘導は中部艦橋に設置された誘導用レーダーによって行う。見た目として非常に特徴なのが、前部艦橋・中部艦橋・後部艦橋に分かれていることであり、中部と後部の間には煙突が、前部と中部の間には対空兵装が搭載されている。なお、発射装置は前部艦橋の前と後部艦橋の後ろに設置されている。 グラーフ・ツェッペリン級航空母艦 全長 262m、全幅 31.5m、基準排水量 28090㌧、満載排水量 33500㌧、最大速力 33.8kt、機関出力 200,000hp 主砲 55口径14.91cm連装砲×8、副砲 なし 対空兵装 65口径10.5cm連装高角砲×6、20mm4連装機関銃×2、20mm連装機関銃×10 搭載機数 43機(Bf109T×30、Ju87C×13) 初めて建造した航空母艦。1944年に竣工したが、搭載機数の少なさや過剰な兵装が問題となり、1959年には予備役に編入され、練習艦としての役目を果たすこととなった。見た目は普通の空母よりも重武装なのが特徴で、後継のペーター・シュトラッサー級航空母艦と比べると、艦容が全く違うことが良く分かる。 ペーター・シュトラッサー級航空母艦 全長 262m、全幅 34.2m、基準排水量 28000㌧、満載排水量 36200㌧、最大速力 32.9kt、機関出力 200,000hp 主砲・副砲 なし 対空兵装 65口径10.5cm連装高角砲×4、20mm連装機関銃×12 搭載機数 80+2機 グラーフ・ツェッペリン級航空母艦の搭載機数があまりにも少なかったことや、空母も砲戦に参加するという構想の違いから次に建造された空母。全長はグラーフ・ツェッペリン級航空母艦と全く同じで、搭載機数は倍近くになっている。武装は少なくなったものの、航空母艦としては十分な力を発揮する。本級は拡張が容易であったので、1980年代まで運用された。 空軍
https://w.atwiki.jp/armysentai/pages/63.html
102 名前:軍事板支援:幸運艦と不幸艦 1/8[sage] 投稿日:2008/06/14(土) 12 40 56 ID qj0N0T1P ,,,,,,,,,,,,,,, [|,,,,,★,,|] i ld,,゚ヮ゚ノ <こんにちは、軍事板です ミ∧ ../ ・ |ミ (_)' |ミ <馬です ,,,,,,,,,,,,,,, [|,,,,,★,,|] i ld,,゚ヮ゚ノ <今回の支援企画は不幸艦・幸運艦についてです。 要はついてなかった船、ついてた船の紹介ですね。 ミ∧ ../ ・ |ミ (_)' |ミ <まぁ幸、不幸に拘らずそれぞれの艦の数奇な運命、ドラマを感じて欲しい!! ,,,,,,,,,,,,,,, [|,,,,,★,,|] i ld,,゚ヮ゚ノ <おぉ今回はなんか熱いですね…では、いってみましょう! 103 名前:軍事板支援:幸運艦と不幸艦 2/8[sage] 投稿日:2008/06/14(土) 12 42 22 ID qj0N0T1P ,,,,,,,,,,,,,,, [|,,,,,★,,|] i ld,,゚ヮ゚ノ <まず最初に紹介するのはアメリカ海軍空母サラトガ(CV-3)です! この艦は第二次大戦前に竣工(≒完成)し、大戦を最後まで戦い抜きました!! ミ∧ ../ ・ |ミ (_)' |ミ < …と言うと幸運艦のようなんだが、実際は潜水艦に2度も雷撃をくらい、硫黄島攻略時には特攻を受けて損傷するわ、 それ以外にも何度もドック入りしていて、しかもそういうのが大抵大きな海戦のある時期だったという・・・ ,,,,,,,,,,,,,,, [|,,,,,★,,|] i ld,,゚ヮ゚ノ <挙句の果てには核実験の標的艦として沈んでしまいました… まさについてない船の典型って感じですね。 ミ∧ ../ ・ |ミ (_)' |ミ < 同じく終戦まで生き残ったエンタープライズなんかは対照的に活躍しているのだがこの違いは何なんだろうな… 104 名前:軍事板支援:幸運艦と不幸艦 3/8[sage] 投稿日:2008/06/14(土) 12 44 10 ID qj0N0T1P ,,,,,,,,,,,,,,, [|,,,,,★,,|] i ld,,゚ヮ゚ノ <続いては日本海軍から駆逐艦雪風です。 こちらも大戦初頭から終戦まで戦い抜いた船ですが、サラトガとは違って幸運艦と言えるでしょう ミ∧ ../ ・ |ミ (_)' |ミ <なにせフィリピン攻略戦への参加から始まってミッドウェイ、南太平洋・ソロモン・ガダルカナル方面、レイテと 主要な海戦、さらには菊水作戦(いわゆる大和特攻)にも参加し生還しているという奇跡のような船だった。 ,,,,,,,,,,,,,,, [|,,,,,★,,|] i ld,,゚ヮ゚ノ <こうして幸運艦と呼ばれる一方で、共に戦った艦は被害を受けることが多く「死神」と呼ばれることもあったそうです。 ちなみに雪風は19隻建造された陽炎型の8番艦でしたが、陽炎型で生き残ったのは雪風のみです。 ミ∧ ../ ・ |ミ (_)' |ミ <というか陽炎型の一つ前に建造された朝潮型10隻、後に建造された夕雲型19隻、合計48隻中でも唯一の生存艦だw 戦後は復員船として水木しげるを運んだりした後、中華民国に引き渡され「丹陽」として1970年に解体されている。 ,,,,,,,,,,,,,,, [|,,,,,★,,|] i ld,,゚ヮ゚ノ <歴代の艦長も味のある人が多かったようですね。特に寺内正道中佐には逸話が豊富です。 105 名前:軍事板支援:幸運艦と不幸艦 4/8[sage] 投稿日:2008/06/14(土) 12 45 22 ID qj0N0T1P ,,,,,,,,,,,,,,, [|,,,,,★,,|] i ld,,゚ヮ゚ノ <では「死神」雪風に呪われた(?)船たちを紹介してみましょう。 まずは空母信濃です。 ミ∧ ../ ・ |ミ (_)' |ミ < まぁ雪風云々以前に建造時からフラグ立ってたけどな… 本来戦艦大和型の3番艦だったのが、大戦勃発とその後の空母不足から急遽戦艦から空母に計画変更、 突貫工事に進水式ではアクシデント、それでもなんとか(強引に)竣工し、横須賀から呉へ移動するのだが護衛の1隻は雪風… 案の定途中で米潜水艦に見つかり、当時世界最大の空母は竣工からわずか10日で撃沈されてしまった・・・・ ,,,,,,,,,,,,,,, [|,,,,,★,,|] i ld,,゚ヮ゚ノ <駆逐艦初霜も呪われた可能性ありですね。 菊水作戦からは生還したのですが、その後機雷(水中地雷みたいな感じ)に接触し沈んでしまいます。 ミ∧ ../ ・ |ミ (_)' |ミ <この機雷が1回の接触では起爆しない回数機雷で、実は初霜がぶつかる前に雪風が接触していたという話があるわけだ。 最も中の人がググったところ、その記述がない所も多く真偽の程は留保の要素が強い。 しかし、いずれにせよ沈没時に雪風と行動を共にしていたのは事実だろうな。。 106 名前:軍事板支援:幸運艦と不幸艦 5/8[sage] 投稿日:2008/06/14(土) 12 48 22 ID qj0N0T1P ,,,,,,,,,,,,,,, [|,,,,,★,,|] i ld,,゚ヮ゚ノ <ドイツの不幸艦と言えばやはりWWⅠ装甲巡洋艦ブリュッヒャー(Blucher)とWWⅡ重巡洋艦ブリュッヒャーでしょう。 由来はどちらもプロイセンの名将ブリュヒャー将軍なんですが、船につけるのは縁起が良くなかったようですw ミ∧ ../ ・ |ミ (_)' |ミ < まず装甲巡洋艦ブリュッヒャー、1909年に竣工したんだが、この頃から高速・機動力に勝る巡洋戦艦が登場してしまい、 1915年のドッガー・バンク海戦でひとり戦隊から遅れたところを、英艦隊にボコられて撃沈されてしまった・・・・ ,,,,,,,,,,,,,,, [|,,,,,★,,|] i ld,,゚ヮ゚ノ < 戦後も参加しなければ良かったとか言われてしまったらしく、ほんとについてないです。 もう一方のブリュッヒャーですが、こちらはかなりの短命でした・・・ ミ∧ ../ ・ |ミ (_)' |ミ < 1939年9月に艦隊に加わるが、1940年4月のノルウェイ侵攻作戦時に沿岸砲台の砲撃と魚雷によって撃沈されてしまう。 ,,,,,,,,,,,,,,, [|,,,,,★,,|] i ld,,゚ヮ゚ノ <その短命さもさることながら、重巡洋艦という戦艦や正規空母に次ぐ規模の艦種が沿岸砲台からの砲雷撃で沈められること それ自体が非常に稀というか…そうそう有り得ないことなんですよね・・・ 107 名前:軍事板支援:幸運艦と不幸艦 6/8[sage] 投稿日:2008/06/14(土) 12 49 48 ID qj0N0T1P ,,,,,,,,,,,,,,, [|,,,,,★,,|] i ld,,゚ヮ゚ノ < さてラストはイギリス海軍です。やはり不沈戦艦ウォースパイトは外せません。 日本での知名度は今一な感じですが、WWⅠユトランド沖海戦からWWⅡの激戦を戦い抜いた武勲艦です。 ミ∧ ../ ・ |ミ (_)' |ミ < とにかく波乱の生涯だったな。1916年のユトランド海戦では舵をやられ生存艦では恐らく一番のダメージを受けた。 損傷した舵はその後も生涯に渡って不調にだったそうだ。 帰還中には潜水艦の襲撃まで受けているw ,,,,,,,,,,,,,,, [|,,,,,★,,|] i ld,,゚ヮ゚ノ < その後衝突事故を起こしたり改装を受けて、WWⅡを迎えます。最初の活躍は1940年ナルヴィク海戦でした。 ノルウェイのナルヴィクのフィヨルドを押さえるドイツ駆逐艦隊に対し、駆逐艦9隻を率いて殴りこみをかけ壊滅させています。 ミ∧ ../ ・ |ミ (_)' |ミ < 続いて地中海に戻ったウォースパイトは船団護衛に従事中に、同じく船団護衛中のイタリア艦隊と遭遇し 砲撃戦となったカラブリア海戦、リビアのカプッツォやバルディアへの砲撃に参加、 さらにはマタパン岬沖海戦で戦艦ヴァーラム、ヴァリアントらと共に伊重巡3隻、駆逐艦2隻を撃沈している。 ,,,,,,,,,,,,,,, [|,,,,,★,,|] i ld,,゚ヮ゚ノ <さぁ行数制限ギリギリになりましたが、まだまだウォースパイトの活躍は続きます!後編へ続く! 108 名前:軍事板支援:幸運艦と不幸艦 7/8[sage] 投稿日:2008/06/14(土) 12 51 36 ID qj0N0T1P ,,,,,,,,,,,,,,, [|,,,,,★,,|] i ld,,゚ヮ゚ノ < 後編です。マタパン岬沖海戦で活躍した後は、今度は独空軍の爆撃で小破損したり、 一時アメリカでの修理、東洋艦隊への参加なども行われましたが1943年再び地中海へと戻ってきます。 ミ∧ ../ ・ |ミ (_)' |ミ < シチリア島への上陸部隊支援射撃などの地中海での連合軍の反攻作戦に加わっていたのだが、 遂に9月16日、ドイツ空軍より誘導爆弾「フリッツX」を3発も食らってしまう。 ,,,,,,,,,,,,,,, [|,,,,,★,,|] i ld,,゚ヮ゚ノ < この「フリッツX」は当たり所が良かった戦艦ローマを1発で撃沈しています・・・! 勿論3発も当てられれば被害は甚大です。沈みはしなかったものの、大破し完全な修理は不能、一時は航行不能となります。 ミ∧ ../ ・ |ミ (_)' |ミ < しかしここからが凄い!ジブラルタルで応急処置後、本国へ回航され修理をされるが結局機関など一部に損傷を負ったまま ノルマンディー上陸の支援に参加する。途中軽い損傷を受けたりするうちに主砲の交換が必要になり帰還することに。 ところがその途上、機雷に接触し再び大破。またしても応急的処置の後、戦線復帰!フランス周辺で支援砲撃を行う。 だが流石に1945年2月には予備役となり、終戦後の1947年、歴戦の偉大なる殊勲艦はスクラップとなったのだった・・・・・ 109 名前:軍事板支援:幸運艦と不幸艦 8/8[sage] 投稿日:2008/06/14(土) 12 52 20 ID qj0N0T1P ,,,,,,,,,,,,,,, [|,,,,,★,,|] i ld,,゚ヮ゚ノ < 以上、軍事板でした。 ミ∧ ../ ・ |ミ (_)' |ミ < 本当はまだまだ紹介したい船は沢山あるがこの辺にしておこう。 ,,,,,,,,,,,,,,, [|,,,,,★,,|] i ld,,゚ヮ゚ノ < ご覧いただきありがとうございました!
https://w.atwiki.jp/monosepia/pages/4005.html
原子力発電 .
https://w.atwiki.jp/teitoku_bbs/pages/6798.html
564: ひゅうが :2021/01/07(木) 17 59 05 HOST p361175-ipngn200307kouchi.kochi.ocn.ne.jp 西暦1936年、人民戦線内閣下フランスにおいて救国を掲げる士官グループが蹶起 諸派連合の形をとっていた人民戦線内閣が経済的に無策であることに鑑み、革命的サンディカリズム(労働組合主義)を掲げてその諸派連合による第3共和政打倒が叫ばれたのである これはその前年に成立していた「新社会」ことアメリカのロング総帥政権の成立やイタリアのムッソリーニの手によるローマ進軍に影響を受けた行動であったが、現在ではアメリカのロング総帥から有形無形の援助を受けていたことが判明している その実態は、世界恐慌の引き金を引いたフランス人民戦線へのアメリカのぬぐいがたい復讐感情の発露であった これを歴史上は「西欧分離工作」と称する 1936年のパリ祭(革命記念日)の日、すなわち7月14日ユベール・ラガルデル(前アメリカ大使 史実ではイタリア大使)に率いられた全フランス革命的サンディカリズム連合(通称全革連)は新領土ラインラント駐留軍を抱き込む形で本土へ進軍し、空転し続ける議会を武力制圧 軍と労働者、そして学者の三者連携によるフランス・コミューン国を成立させた 通称赤化フランスの誕生である 彼らは、有形無形のサボタージュを継続するラインラントの後方支援基地と化していたドイツ連邦への対決姿勢を鮮明にしていく さらにはフランス第一主義をぶり返させた結果、北米大陸のカナダ領ケベックへと火の粉を飛び火させた 「ドイツ人の債務はドイツ人に!」 をスローガンに掲げるフランス人たちは、自国領土とするラインラントでは飽き足らずにドイツ本土からの第1次大戦賠償金取り立てを主張 ついで、各フランス語圏の一体化運動とそれによる「団結」、第1次大戦の「清算」をそのスローガンにしていた となれば、フランス語話者が多数を占める地域への影響は必至であった ことに、世界恐慌後の不景気とともに北米大陸の熱狂を間近に目にしていたケベックにおいては この動きに機敏に反応したのは英国が支援する西ロシアだった 彼らの不倶戴天の敵たる無政府主義ウクライナ人たちは赤化フランスと密接な関係を有していた(というよりパリそのものがそうした「主義者」のるつぼであった)し、何より老いたニコライ2世をラーダ統合の象徴とする東ロシア、そしてその最大の支援者であった米国とは敵対関係にあった ロマノフ家や貴族家から没収した資産、それも米国金融機関にある莫大なそれの帰属をめぐってというのがその表象にあたる かくて、仏露は鋭い対立関係となった それが発火点を迎えるのは西暦1938年9月である ラインラント有数の古き都市アーヘンで発生した連続爆弾テロ事件に加えて、ライン川右岸の東ケルンのフランス軍駐屯地で発生した銃撃事件を発端として、フランス軍は一斉にライン川を渡河 その実態が軍民による組織化された略奪行為であることは、フランス国内各所に建設された強制収容所とユダヤ人やドイツ系住民収容というロング政権を真似た行為からも明らかであった これに対しドイツ連邦軍は国内のフライコール(義勇軍)に加えて西ロシアからの義勇軍「バグラチオン軍団」の介入を選択 これに消極的ながらも英国海外派遣軍(BEF)も追随し義勇軍を派遣したことから事態は第2次欧州大戦かという方向に流れ始める 英国グランドフリートによるフランスの海上封鎖に対抗し、アメリカが義勇艦隊による海上護衛を開始したのはライン川渡河から6か月後のことであった この時点で戦線はエルベ川周辺にまで移動していたが、双方ともに決め手を欠いていた 惰眠を貪ると称された極東アジア情勢に対し、欧州情勢は魔女の釜の中であったのだ 565: ひゅうが :2021/01/07(木) 18 05 08 HOST p361175-ipngn200307kouchi.kochi.ocn.ne.jp というわけで追加 日中戦争ならぬ独仏戦争勃発です この時点で米国の目標は、英グランドフリート殲滅による制海権奪取と中東油田地帯の利権奪取 そして西欧市場の「解放」。 これを受けて米国は挑発行為に走り始めます 568: ひゅうが :2021/01/07(木) 18 46 28 HOST p361175-ipngn200307kouchi.kochi.ocn.ne.jp 564追加 戦間期、中東経済は大きな発展を遂げた 第一次世界大戦中の日本遣欧艦隊およびイギリス東洋艦隊の手によりなし崩し的に利用が開始されたクウェートの自噴油田地帯の開発が日英資本の手で進行したこと そしてそれを満たす巨大な需要が極東地域に出現したことがその理由であった 米国がこの流れに乗り遅れた理由は複数考えられるが、彼らがジェットランド沖および第2次ジェットランド沖海戦で主力艦派遣主義に固執する間に日本遣欧艦隊が地道な「大輸送」作戦に従事していたことはその最大の理由であろう そして、アラビアプレートとユーラシアプレートが衝突するというこの上ない好条件の中、なんといってもバクーと同じく自噴する油田地帯の中では、成長していかない方がおかしかった となればその恩恵が湾岸地域、ことに「サウジアラビアを支配するハーシム家」に及ばないわけがなかった 英連邦のもとで彼らは、英本国とともに穏健なイスラム国家として大いなる発展を遂げていくことになる そしてその最大の友好国となったのが、大量の石油を大人買いして中央共同連合に格安で売りさばいていた日本人たちだった 世界最古の王朝の血をひくものたちが嫁ぐとともに彼らは世界のロイヤルファミリーの中で最大のブランドを手に入れていたからである (と同時に、湾岸の真珠産業は壊滅に追いやられていたことへの罪滅ぼしの意味もあったとされる) 1920年代から30年代にかけての開発投資は続き、その頃になると日本帝国の皇室資産から、英国からは民間資産が拠出されて成立した「ロイヤル・『ジャングロ』・ペトロナス」はロックフェラーとならぶ世界最大級の石油資本になりおおせていたのだった 対照的であったのがアメリカであった 彼らが手にしそこなったものは、テキサス油田を数十倍にするくらいの巨大な利権であった しかも、製造効率たるや湾岸油田の足元にも及ばない 巻き返しをはかった米国資本は、1929年の大惨事で停滞を余儀なくされ、その間に技術的になぜか先行する日英企業の躍進を許す始末であった だからこそ米国は決断した。 この蜜と乳の流れる地(カナーン)を合衆国のものとすることを つまりは、第2次世界大戦の開戦要因というのはそういうところにあったのである 閑話休題 だからこそ、ロング総帥はじめ、合衆国が描いていた戦略目標はごく単純なものである 「大英帝国の支配力の根源であるロイヤルネイビーを一撃のもと殲滅することで、英国から世界支配の力を奪う」 「この結果中東湾岸油田地帯の利権を奪取し、返す刀で太平洋の日本および中央共同連合の外征能力を撃滅。両洋の制海権を奪取」 「あとは世界市場をアメリカ主導に再編する」 このための撒き餌として選ばれたのが、カナダ そしてケベックだったのである
https://w.atwiki.jp/zensensyu/pages/1363.html
2006年W杯ドイツ大会全出場国 529 名前:水先案名無い人 :2005/11/18(金) 06 14 21 ID evOcIZHi0 2006年FIFAワールドカップドイツ大会全出場国入場!! カーンは生きていた!! 更なる研鑚を積み人間凶器が甦った!!! 開催国!! ドイツだァ――――!!! トータルフットボールはすでに我々が完成している!! 2大会ぶりの出場 オランダだァ――――!!! ボールをもらいしだい細かく繋ぎまくってやる!! 万年優勝候補 ポルトガルだァッ!!! 試合後の殴り合いなら我々の歴史がものを言う!! FIFA UEFAのお膝元 スイス!!! 真のプレッシングサッカーを知らしめたい!! メキシコだァ!!! 五輪&Wユース制覇だが06年はフル代表で優勝だ!! 南米の雄 アルゼンチンだ!!! ジャパンマネー対策は完璧だ!! ニャホニャホタマクロー前会長も応援 ガーナ!!!! 全サッカーのベスト・ディフェンスは私達の中にある!! 地区予選1失点の古豪が来たッ セルビア・モンテネグロ!!! 大舞台では絶対に敗けん!! FIFAランキング3位のサッカー見せたる 分離後初出場 チェコだ!!! バーリ・トゥード(なんでもあり)ならこいつが怖い!! アジアの虎 大韓民国だ!!! イベリア半島から無敵艦隊が上陸だ!! スペイン!!! 日本が弱いからドタキャンしたのだ!! プロのサッカーを見せてやる!!トーゴ!!! エレファンツとはよく言ったもの!! ドログバの奥義が今 世界の舞台でバクハツする!! カメルーンを抑えて初出場 コートジボワールだ―――!!! 2度の第3位こそが東欧最強の代名詞だ!! まさかこの国がきてくれるとはッッ ポーランド!!! 闘いたいからここまできたッ キャリア一切不明!!!! アフリカのピットファイター アンゴラだ!!! オレたちはオセアニア最強ではない全世界で最強なのだ!! 御存知AFC加盟申請中 オーストラリア!!! サッカーの本場は今やブラジルにある!! セレソンを驚かせる奴はいないのか!! リフェンディングチャンピオン ブラジルだ!!! 強ォォォォォいッ説明不要!! 優勝3回!!! 無敗記録更新中!!! イタリアだ!!! サッカーは点を取ってナンボのモン!!! 超攻撃的サッカー!! 北欧からスウェーデンの登場だ!!! W杯はオレのもの 邪魔するやつは思いきり殴り思いきり蹴るだけ!! ときどき強かったことを思い出せ イングランド 自分を試しにドイツへきたッ!! アフリカチャンピオン カルタゴの鷲 チュニジア!!! カウンターサッカーに更なる磨きをかけ ”フランス大会3位”クロアチアが帰ってきたァ!!! 今のコンドルスに死角はないッッ!! エクアドル!! シェフチェンコの足技が今ベールを脱ぐ!! 東欧から ウクライナだ!!! ファンの前でならオレはいつでも全盛期だ!! ダエイの意地 イラン・イスラム共和国 正式名称で登場だ!!! 代表引退ははどーしたッ 闘士の炎 未だ消えずッ!! チームはジダンの思いのまま!! フランスだ!!! 特に理由はないッ 南米代表が強いのは当たりまえ!! チラベルトがいないはないしょだ!!! 日の下開山! パラグアイがきてくれた―――!!! 激戦区で磨いた実戦サッカー!! 砂漠の太陽 サウジアラビアだ!!! 中米代表だったらこの国を外せない!! 軍隊は持ってません コスタリカだ!!! 超一流国の超一流のサッカーだ!! 生で拝んでオドロキやがれッ 何気に5大会連続出場!! アメリカ合衆国!!! アジアの枠はこのチームが減らした!! 北中米の切り札!! トリニタード・トバゴだ!!! 我等の代表が帰ってきたッ どこへ行っていたンだッ アジアチャンピオンッッ 俺達はジーコジャパンを待っていたッッッ日本の登場だ――――――――ッ 加えて辞退国発生に備え超豪華なリザーバーを4ヶ国御用意致しました! スパーイーグルス ナイジェリア!! 前大会3位 トルコ!! 第1回開催国 ウルグアイ!! ……ッッ どーやらもう一国は到着が遅れている様ですが、中津江村に到着次第ッ皆様にご紹介致しますッッ 関連レス 533 名前:水先案名無い人 :2005/11/18(金) 06 18 29 ID evOcIZHi0 とりあえずつくってみましたが… 情報ない国多すぎです どなたかもっといいもの作ってください 540 名前:水先案名無い人 :2005/11/18(金) 13 02 40 ID Zt25WjpM0 529-532もGJ 543 名前:40 ◆gsn/9F8GRI :2005/11/18(金) 17 20 01 ID CmK91QKv0 W杯2つともGJ! コメント 名前
https://w.atwiki.jp/teitoku_bbs/pages/2375.html
678 :フォレストン:2014/05/12(月) 07 32 19 川の流れのように~♪ 提督たちの憂鬱 支援SS 憂鬱英国ジェットエンジン開発事情1 英国では戦前より、ジェットエンジンの開発が進められていた。レシプロエンジンではいずれ性能向上の限界が来ることが技術的見地から予言されていたからである。 1926年に英国軍技術将校のアラン・アーノルド・グリフィスは、『タービンの空力的設計』(An Aerodynamic Theory of Turbine Design) と題した学会発表の中で、従来の軸流式圧縮機に用いられていた羽子板状の直線翼の失速(サージング)現象を解明し、圧縮機とタービンのブレードに航空機の翼型を適用して効率向上させることで、ターボプロップエンジンが航空機の推進力として成立しうることを示した。 一方、航空士官学校からケンブリッジ大学に派遣されていたグリフィスの弟子の下士官フランク・ホイットルは、構造が単純な遠心式ターボジェットエンジンこそが早期の実用化に適すると主張する論文を軍需省に上申したが、論文を精査したグリフィスは計算間違いを指摘し、遠心式は大径かつ非能率で、航空機推進用には適さないとコメントした。 その後、ホイットルは遠心式ターボジェットエンジンを特許出願し認められたものの、軍需省の支持が得られなかったため十分な研究予算が付かず、特許は更新料未納のまま失効してしまった。このことが原因でホイットルはグリフィスに敵愾心を抱くことになる。 なお、ホイットルの特許は機密扱いされず専門誌などで広く紹介されたため、各国の空軍や技術者が注目し一部では後追いが始まったのであるが、当時盛んに行われていた夢幻会主導のヘッドハンティングにより、ハンス・フォン・オハインをはじめとした優秀な技術者を引き抜かれたドイツのジェットエンジン開発は史実よりも大幅に遅れることになる。 679 :フォレストン:2014/05/12(月) 07 43 12 1939年。 このころのホイットルは、幾多の困難にもめげずに遠心式ジェットエンジンの開発に邁進していた。 英国空軍実験隊に籍を置きつつ、蒸気タービン大手ブリティッシュ・トムソン・ヒューストン (British Thomson-Houston, BTH) 社工場の一角に、同僚とパワージェッツ社を立ち上げて遠心式ターボジェットエンジンの実証に没頭した結果、初号機WU(Whittle Unit)の試運転に成功しており、さらなる性能向上を図っているところであった。 なお、遠心式ジェットエンジンを構成する重要な要素技術である予燃式気化器、クリスマスツリー型遊合フランジによる組立式タービンディスク、筒内圧力分布の考察、動翼の捻り等は、このころにホイットル自身が考案している。 グリフィスもホイットルの成功を黙って見ていたわけはなく、別のタービン機関大手メトロポリタン=ヴィッカース(メトロヴィック)社に試作を下命している。 しかし、グリフィスは最初から軸流式ではあるが、ジェットエンジンを製作する気は無く、ターボプロップエンジンを製作するつもりであった。 メトロヴィック社では、いくつかの実験モデルを経て、実用モデルの開発に着手した。 グリフィスのターボプロップエンジンは、9段軸流圧縮機とアニュラー型燃焼器、独立パワーリカバリタービンを持つ二重反転軸流式ターボプロップであったが、複雑過ぎて設計に手間取り、そうこうしているうちに、同年4月にホイットルがWUの20分間の連続全開試験に成功し、軍需省の予算を得て実用モデルW.1の製作にかかると、グリフィスとメトロヴィック社の技術者達は複雑なターボプロップ案を放棄し、副案の単軸純ジェット版の完成を急いだのである。 その後、BTHはメトロヴィック社に吸収合併され、会社こそ違うものの、同じ工場内で軸流式ジェットと遠心式ジェットが試作されることになる。 1941年初頭。 遠心式ジェットエンジンの実用モデルであるW.1は、耐熱合金ナイモニック80(ニモニック、Nimonic)の採用により、拡大に伴い新たに生じた暴走、過熱、振動、共鳴、サージング、バックファイアー等の問題を解決。 同エンジンを搭載した実験機の製作が始まっていた。 一方で軸流式ジェットは、設計が終わって製作にかかろうという段階であり、このままだと年内に火入れが出来るかどうかも危うい状況であった。 軸流式は遠心式よりも制御パラメータを多く取ることが可能であり、理論的には後者より高出力なのであるが、その分設計が複雑化してしまったのである。完全に手探り状態での設計ということも、設計の遅れに拍車をかけていた。 680 :フォレストン:2014/05/12(月) 07 45 38 1941年6月。 ドイツが英国本土へ侵攻。バトル・オブ・ブリテンが始まった。 迎撃のためのスピットの大増産の号令がかかる一方で、現状で使い道の無いジェットエンジンの開発の予算は削られたのである。 ホイットルのW.1は同年5月に実験機グロスター E.28/39の初飛行に成功した実績のおかげで、さほど予算を削られることなく、研究が続けられることになったが、その割を食ったのがグリフィスの軸流式ジェットエンジン、メトロヴィック F.2である。 未だ製作途中であったこのエンジンは存在意義すら疑問視され、開発中止寸前にまで追い込まれた。 グリフィスの必死の説得により開発中止こそ避けられたが、予算は大幅に削減されてしまい、ただでさえ遅い開発速度がさらに遅くなってしまったのである。 1942年2月14日。 英国を盟主とした連合国とドイツを盟主とした枢軸国の停戦交渉が合意に至った。 英国のペテン師染みた外交手腕が発揮された結果、この停戦は実質的に現状の承認を行うものとなった。 ドイツはポーランドの併合、独仏の新国境、オランダやベルギーなどに立てた親独政権をイギリスに承認させることしか出来なかった。 片や英国は現状を承認するだけで、再戦に備えるための準備期間を得ることが出来たのである。 1942年中旬。 遠心式ジェットエンジンW.1を3倍にスケールアップした実戦型W.2の開発が進んでいた。 しかし、パワージェッツ社には生産能力がなく、軍需省は自動車メーカーのローバーに量産化を委託したが、開発を巡って、ホイットルは後にランドローバー開発主任として知られるモーリス・ウィルクスら、ローバーの技術陣と激しく対立したのである。 確かにホイットルはターボジェットエンジンの先覚者の1人であったが、自信家で偏狭な性格が災いし先々で軋轢を生み、何かと問題を引き起こした。 やたらと設計に介入してくるホイットルは、ローバーの技術陣と激しく衝突し、開発が進まないのに業を煮やしたホイットルは、独自にロールス・ロイスの航空機エンジン部門の責任者アーネスト・ハイヴスと、同社でレシプロエンジンの機械式過給器の専門家だったスタンリー・フッカーに接触し、部品調達の約束を取り付け、ローバーとは別に独自改良版の製作に着手したのである。 なお、ホイットルが製作した独自改良版はW.2/500~/700と呼ばれていた。 パイロットでもあったホイットルは自らE.28/39の操縦桿を握りつつ開発に没頭したのである。 このためW.2はローバー版とパワージェッツ版の2機種が併存する異常事態になったのであるが、いずれも実用化には程遠く、混乱を重く見た軍需省はフランク・ハルフォードに W.2の詳細データを渡し、より構造が簡素なH.1(後のデハビランド ゴブリン= de Havilland "Goblin") を並行試作させた結果、H.1が先に実用段階に達してしまうのである。 このことが軍需省並びに空軍上層部が、ホイットルとローバー社の開発能力を問題視し、後のジェットエンジン開発に影響を与えることとなる。 681 :フォレストン:2014/05/12(月) 07 52 47 1942年8月16日。 大日本帝国政府はアメリカ合衆国に対して宣戦を布告。 英国にとっては、遥か遠い場所の戦争のはずであった。 大西洋側の沿岸地帯が、高速で突き進む5mの津波の直撃を受けて大打撃を蒙るまでは。 津波により、ポーツマス、プリマス、カーティフは甚大な損害を被り、リバプールもかなりの痛手を受けた。 首都ロンドンやマンチェスター、バーミンガムのような内陸の工業都市、北海に面している港は比較的損害は軽微であり、復旧が可能な範囲であったのがせめてもの救いであったが、続々と届く被害情報に政府首脳はもちろん、官僚達も青ざめるを通り越して卒倒した。 英国海軍の主力艦艇こそ目立った被害は出なかったものの、シーレーンはずたずたになっており、経済的損失は計り知れなかった。英国連邦諸国からは支援船団が出航し、ただちに被害復旧にとりかかったのであるが、本国が大打撃を受けたという情報が広まるにつれ、植民地の各地で不穏な空気が漂うことになる。 1943年初頭。 進まぬエンジン開発とホイットルに手を焼いたローバーはW.2B計画を放棄してロールス・ロイスに生産契約ごと譲渡することにし、ジェットエンジン専用に立ち上げたバーノルズウィック工場と、ロールス・ロイスのノッティンガム戦車エンジン工場とを、人員ごと等価交換した。 このころの英国は、津波被害からの復旧とバトル・オブ・ブリテンで被った損害の穴埋めに手一杯であった。 空軍上層部では、ジェットエンジンを開発する人材と設備を新型スピットの開発に転用する意見が大勢を占めていたのであるが、ホイットルとグリフィスの必死の説得により、どうにか開発は続けられることになった。もちろん無条件というわけにはいかなかったのであるが。 軸流式は開発を凍結し、遠心式を優先して開発すること。 年内に実用に足る遠心式ジェットエンジンを製作すること。 かなり厳しい条件であったが、空軍側としてもこれはギリギリの妥協案であった。 現状でドイツ空軍に攻撃されたら英国空軍に勝ち目は無かった。停戦が成立しているとはいえ、横紙破り上等なドイツのことである。いつ停戦を破って再侵攻してくるか分かったものでは無かった。 空軍としては1機でも多くのスピットを欲していたのである。 W.2Bの開発を承継したフッカーらロールス・ロイス社の技術陣と、ホイットル、グリフィスをはじめとする混成開発チームは、新製したシースルーモデルで気流解析を重ね、原設計の欠陥を把握。 ローバーで改良作業が進んでいたW.2B/23案に技術的洗練を加えたものをウェランド(Welland)と名付けた。 ウェランドは同年5月に初火入れが行われ、各種試験に供された。 その結果、性能・信頼性共に実用レベルであることが確認されたのであるが、既に改設計で性能が向上したダーウェント(Derwent)が実用間近であったため、少数生産で終わっている。 開発リソースを遠心式ジェットに集約出来たことにより、開発スピードは史実よりも早くなり1943年中にダーウェントの生産が開始され、遠心式ジェットの決定版とも言えるニーン(Nene)の開発も急ピッチで進んでいた。 驚異的なスピードで開発が可能だったのは、開発ソースが集約されただけではなく、ホイットルが自重したことも大きかった。 我を通してジェットエンジン開発そのものが中止されてしまうのは、彼としても本意では無かったのである。 ちなみに、ロールス・ロイスで生産されるジェットエンジンには河川名の愛称が与えられ、以後も継承されていくのはこのときからなのであるが、経験論に拘泥し反進歩主義に陥って散々に現場を引っ掻き回してくれたホイットルへの皮肉と、エンジン内の気流が「川の流れのようにスムーズ」という意味が込められている。 ホイットル本人がこの事を知らずに済んだのは幸いであった。 682 :フォレストン:2014/05/12(月) 07 57 16 1944年1月10日。 サンタモニカ会談によって世界は日英独の三大国家によって統治されることになった。 事実上の第2次大戦の終焉である。 このとき既にジェット戦闘機であるグロスター ミーティアの開発が開始されており、同年2月にダーウェントを積んだ機体(史実F.3相当)の量産が開始されている。 とはいえ、空軍上層部の中にはジェット機の存在意義に疑問を感じている人間も多く、既存のスピットを生産するためにラインを占められていたため、生産はスローペースであった。 1944年4月。 史実よりも4ヶ月早く、遠心式ジェットの決定版と言うべきニーン(Nene)の火入れ式が行われた。 ニーンは、フランク・ホイットルの基本レイアウトを継承し、単板圧縮機の両面にインペラとガイドベーンを配置する側面吸入方式を採りつつも、原設計に残る試作色を排し、航空機レシプロエンジン用機械式過給器の専門家だったスタンリー・フッカーらのチームの手で、白紙状態から設計し直されたエンジンである。 ホイットルが固執していた蒸発管式気化器、反転型燃焼器、外部水冷タービンなどが排除された一方、同社のレシプロ用過給器で実績のあった可変式ガイドベーンの導入によって、効率・安定性共に格段の性能向上に成功したのである。 ここでもホイットルが自重したおかげで、実にスムーズに開発が進んでいる。 ただし、自重もそこまでであった。その後のホイットルはジェットエンジン開発で好き勝手やりまくって、現場を混乱させたあげくに、とある機関に配属されたのであるが、それはまた別の話である。 結局のところ、英国は第2次大戦中に実用的な遠心式ジェットエンジンを実用化することには成功したものの、軸流式ジェットエンジンについては、ドイツに大きく水を開けられることになった。 後の日本のジェット艦載機による、いわゆる『疾風ショック』やドイツのMe262を見て、軸流式ジェットの開発の遅れを痛感した英国は、あらゆる手段を用いて巻き返しを図っていくのであるが、それは後の話である。 683 :フォレストン:2014/05/12(月) 07 58 48 あとがき 設定板で話題になっていたので、憂鬱英国のジェットエンジンの開発事情を書いてみました。 本編を読み直した結論として、何をどうやっても戦時中に軸流式ジェットの実用化は不可能ということでした。だったら、開発リソースを集中して遠心式ジェットを実用化してしまえというわけです。 反面軸流式はロクに試作も出来てない状況なので、ここから巻き返せるのか不安になります(汗 史実よりも早い、遠心式ジェットの決定版たるニーンの実用化ですが、おいら的には一応可能だと思っています。 ドイツに比べて夢幻会から(比較的)人材その他を毟られなかった(はず) 史実よりも苦しい台所事情により、開発リソースの集中が行われたこと。 実績のあった遠心式ジェットに、開発リソースを注ぎこめたこと。 ホイットルの御大が空気を読んで自重したことw ぶっちゃけホイットルの御大が現場を引っ掻き回さなければ、それだけで半年くらい稼げたような気がします。それに加えて軸流式ジェットの開発スタッフも加わったのですがら、開発速度は劇的に上がったのではないでしょうか。4ヶ月どころか1年早めても良かったかもw 曲がりなりにも実用ジェットエンジンを手にすることが出来たので、英国は当分は遠心式ジェットを搭載した戦闘機を主力とするはずです。英国面?なんのことやら。 実はこのSSは続き物だったりします。 というか、1回じゃ内容が多すぎてとても書ききれません…(汗 次回は疾風ショック直後から始まります。各国の空軍関係者のSAN値直葬イベント後、英国はどのように対応したのか…乞うご期待?
https://w.atwiki.jp/aniwotawiki/pages/35389.html
登録日:2016/10/29 (土) 01 48 35 更新日:2021/12/13 Mon 15 23 28 所要時間:約 5 分で読めます ▽タグ一覧 PMC 主人公 何でも屋 厄介事請負人 戦力だけは充実 空乙女 空戦乙女 金欠 零細企業 「空戦乙女-スカイヴァルキリーズ-」において主人公(=プレイヤー)はPMC(民間軍事会社)を率いているという設定になっている。 本項目では主人公が率いるPMCとそこに所属する愉快な仲間達について解説する。 概要 所属社員(非戦闘員)主人公(プレイヤー) ユイ イチカ カトレア 所属社員(戦闘要員)ミーア 七海 リア ジークリット 澪 その他の空乙女 概要 ゲームスタート時に創設されたPMCで創設当時の社員は主人公を含め僅か6名(空乙女は2人)。 その為、創設から2週間はショッピングモールの警備位しか仕事が無かった。PMCの仕事なのかソレ……?。 しかし、同業他社であるホワイトイーグル社からの依頼を機にとんでもない事件に巻き込まれる事になり、そして、たった6人だけのPMCには一癖も二癖もある連中が集まるようになるのだった。 ジークリット(またこうして、何かと引き換えにこの会社で働く人が増えるのね……) 尚、本拠地は戦績のプロフィール曰く自衛隊の基地にある模様。 自衛隊の基地の敷地を間借りしているのだろうか? 所属社員(非戦闘員) 主人公(プレイヤー) PMCの社長であり司令官的ポジションの人。 作中では男性として扱われている。女性プレイヤー涙目。 ユイ曰く『美人と挨拶する度に鼻の下を伸ばす』等と頼りなさげなイメージがあるが、いざという時の判断力は高く、決める時は決める人。 欠けたら欠けたで会社的が存続不可能なレベルになる重要人物である。 作中でも一二を争うレベルでの常識人なのだが、他の人物が色々と濃すぎる為にとばっちりを食らう事も…… 尚、18禁版のみに存在する『とある機能』によると、夜戦(意味深)のテクニックは相当なものである模様。 ユイ 主人公を『先輩』と呼ぶ桃髪ツインテールの女性。 主にPMCの運営等を担当している。 本人曰く『自分が司令官をやったら会社が倒産する』らしいが、自分に指揮能力が無いからなのか、それとも主人公に会社運営を任せられないかは不明。多分後者。 Twitterにおいて彼女がアップデート告知等をしているという設定になっている。 お菓子が苦手で、それ故にハロウィンイベントでは(自称)ハロウィンのプロと共におバカなことをやらかした。 イチカ 赤紫色の髪をポニーテールにした整備担当の女性。 腕は確かなのだが、作中でも一二を争う程の酒豪であり、ついでに酒癖も悪いのが玉に瑕。 武器の製造も彼女が担当している カトレア 金髪ショートカットの女性で、酒保を担当している。 恐らくPMC内で最強の人物。 彼女の前では主人公もユイも頭が上がらない。 所属社員(戦闘要員) ミーア カテゴリー:戦闘機 レアリティ:★4 モデル:F-14 トムキャット 最初から所属している空乙女の一人。 猫耳、猫しっぽ、僕っ娘と結構な属性を持つ。 ストーリーにおいては、抜けている所があり、無自覚に相手を怒らせる事もしばしば。 ホワイトイーグル社に所属するフレイアとは犬猿の仲。 顔を合わせる度に喧嘩腰になる位に中が悪いが、とある事件で彼女が危機に陥った際には心配する一面も。 とあるイベントにてあるキャラから猫耳が生えているというだけで妖怪扱いされた際に「猫耳が生えているだけで妖怪扱いなら電気街は妖怪だらけ」という発言を残した。 また、そのイベントではある衝撃的な真実が明らかになった。 尚、彼女の説明文を見る限り、どうやら過去にはこいつ等が活躍していたらしい。 何それ怖い…… 初期戦力ではあるが、使えない訳ではなく、むしろ扱いやすい空乙女である。 一段階改修で自己回復スキルを覚える為、生存率は極めて高い。 無課金・軽課金を貫く場合は主戦力となるだろう。 人気投票で1位になったからなのか、夏のイベントでは水着バージョンが2タイプ用意された。 また、モデルをF-14Dに変更した★5版もあるが、こちらは自己回復スキルの代わりに全体攻撃+燃焼効果を持った攻撃特化型となっている。 猫又に間違えられた。 七海 カテゴリー:攻撃機 レアリティ:★2→★3 モデル:F-1 最初から所属している空乙女の一人。 軽い性格だが常識人であり、暴走しがちなミーアのストッパー的な存在である。 ただ、正義感が強いが故に口より先に手が出る事も…… 初期戦力の一人で、ミーアよりレアリティが低いため、スペックで劣る。 単体攻撃と全体攻撃のスキルを持つが同種のスキルを持つ上位互換機がいるのが悩みどころ。 サービス開始時は★2だったが、後のアップデートにて★3へと昇格し、それに伴い基本性能も向上した。 リア カテゴリー:攻撃機 レアリティ:★3 モデル:BAeシーハリアーFRS.1 Episode 2クリア後に編入する空乙女。 イギリス空軍所属で超が付く程のサボり魔。 が、それが原因で、ブチ切れた上司に『社会に揉まれてこい!』と主人公の元に預けられることに……。 その後はイギリス空軍時代のグータラ生活のツケが回ったのか、こき使われる事に…… 怠け者としての一面が強すぎるせいか、主人公にすら『リアが怠けているのはいつもの事』と言われてしまう事に……。 性能としては味方1人の攻撃力を上げるスキルと単体攻撃スキルを持つ支援よりのアタッカー。 ただ、七海より脆い。 ジークリット カテゴリー:爆撃機 レアリティ:★3 モデル:Me262シュヴァルベ Episode 3クリア後に編入する空乙女。 ドイツ空軍所属で、とある理由から主人公達と顔見知りであった。 真面目系であり、アクの強い面子の中では貴重なツッコミ役。 姉がいるが、その姉のせいで主人公のPMCに出向させられた不幸人。 上司曰く「(依頼料金を)払い終わるまで帰ってこなくて大丈夫だから」との事。 性能としては味方全体の防御力を上げるスキルと敵単体にダメージを与えて確率で燃焼を付与するスキルを持つ。 どちらかと言えば支援よりの空乙女である。 澪 カテゴリー:戦闘機 レアリティ:★4 モデル:零式艦上戦闘機 五二型 Episode 5クリア後に編入する空乙女。 ゼロファイター・プロジェクトによって生み出された空乙女で、元はF-2の空乙女だった。 初登場時は謙遜しがちな真面目っ娘だったのだがある事故が原因でブラック会社も真っ青な社畜な子に変貌してしまった。 彼女のみ入社の経緯が変わっており、ユイが彼女の上司を脅して引き抜いた。 ユイさんマジパネェ…… 性能としては★4らしく全体的に高めのステータスを持つのだが、スキルが何らかの代償を強いる物という扱いにくい代物。 代償をカバーできれば強力な空乙女になる事は間違いないだろう。 その他の空乙女 イベント等では彼女達以外の空乙女が所属している事を示唆する発言が出て来る事がある。 ゲームシステム上、ガチャやイベント交換等で空乙女をスカウトできるので、それを指しているのだと思われる。 が、そのせいでフリーの空乙女や同業他社の空乙女、敵対組織の空乙女は勿論の事、退魔巫女すらスカウトする。 最後に至っては空乙女ですらない。 説明文も所属組織の物ではなく、プレイヤーにスカウトされたかのような内容になっている者も存在する。 このせいでストーリー上は金欠なのに戦力だけは異常なまでに充実しているという訳のわからない状態になっている(*1)。 というか敵味方に同名の空乙女が存在する事も……。 ユイ「先輩に任せると何書くかわからないから追記お願い」 ミーア「わかったにゃ!」 七海「オーケー!私たちに任せてよ!」 リア「え……“私たち”……。そろそろ休みたいんだけど……」 澪「他に誰がいるんと思ってるんですか!リア殿、やるであります!」 ジークリット「そうね、さっさと修正も終わらせましょ」 △メニュー 項目変更 この項目が面白かったなら……\ポチッと/ -アニヲタWiki- ▷ コメント欄 [部分編集] 空戦乙女の項目が出来る何て胸熱 -- 名無しさん (2016-10-29 02 07 40) まさかあるとは思わんかった。 -- 名無しさん (2018-03-05 19 54 20) この記事5年前にできてんのかよ。今まで気づいてなかったわ…… -- 名無しさん (2021-12-13 15 23 28) 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/sekaishikaeuta/pages/108.html
じーえす氏によって作られた永遠にゲームで対戦したいキリタンを原曲としたドイツ替え歌 動画