約 252,871 件
https://w.atwiki.jp/teitoku_bbs/pages/5883.html
439: ホワイトベアー :2019/08/27(火) 22 10 54 HOST 157-14-225-220.tokyo.fdn.vectant.ne.jp 日米枢軸ルート 第40話 パリにて開催された講和会議だが、開始前から波乱状態だった。ドイツの鮮やかすぎるフランスへの勝利の余韻があったのであまり目立たなかったが、イギリスはいまだにドイツ帝国軍に一兵足りとも殺されていないからだ。この事からイギリス本国はもちろん各自治領でも講和反対派が多くおり、さらにこれらの背後には欧州が連合を組むことを快く思っていない太平洋の二大列強の影があり、大英帝国はいまだに混乱を収拾できないまま講和会議に臨むしかなかったからだ。 この会議前に出されたドイツ側の条件は、基本的に穏当なものだった。特にイギリスに対しては。基本的にはドイツの要求はノルウェーからの撤兵とドイツを盟主とした欧州連合構想への参加のみであり、パリを含めた北フランスを占領しているフランスに対しても、第一次世界大戦前までドイツ領だった本国地域の返還とノルウェーからの撤兵、欧州連合構想への参加とイギリスと大差ない内容であった。軍艦など一部兵器の割譲や戦費賠償も要求されたものの、これらは事実上のベルサイユ講和条約でドイツが割譲した艦艇の返還やこれから支払う予定であった賠償金の白紙化を求めるものであり、ドイツが提示した内容を見たに英仏の外交関係者をホッとさせた。 この時のイギリスは日米からほぼタダでの護衛艦艇や陸戦装備、航空機、各種物資の供与を打診されていたが、講和条約を締結した方が被害は少ないと考えていた保守派や日米のこれ以上の影響力拡大を恐れるロイド・ジョージはこの打診を黙殺しており、インテリジェンス機関を使いこの事を把握した日米は首脳による緊急の電話会議を実施、核の公開実験を5月18日に実施する事を決める。 余談であるが、この核実験は偶然的に欧州での条約の締結日と被る事になり、結果として欧州各国に余計な屈辱と警戒心を与える事になってしまう。 話を戻そう。パリで行われていた講話会議であるが、ドイツの出した条件が極めて穏健であったことからイギリスは条件のほとんどを呑むことを決め、当初こそ会議は順調に終わると思われた。しかし、欧州連合構想へ話題が移ると一転してイギリスが強固に反発し、この条件を巡って交渉は当初の予定より長引いてしまう。 これはドイツと接近しすぎて日米との対立が激化するのをイギリス国内の一部保守派が危険視していたからだ。特に大英帝国の心臓たるインドとイギリス本国を最短距離で結ぶスエズ運河を有する日本との対立はできるだけ防がなければならなかった。 また、この条件を認めてしまうと、アメリカの喉元であるカリブ海でもドイツの勢力が拡大してしまう事からアメリカとの間でも更なる確執が生まれる事が明白であり、政府首脳であったロイド・ジョージも、この条件を呑むことは最悪の場合ではあるがアイスランドの爆撃機が動きかねないと言う恐れからこの条件を呑むことはできなかった。 しかし、交渉をこれ以上長引かせて、日米に介入の時間を与える事を止しとしなかったドイツはソ連やイタリアからもイギリスに圧力を与えさせる。 これを受けたイギリス政府はドイツとの妥協点として欧州連合にオブザーバーとして参加を打診、ドイツ帝国宰相のヒトラーは時間が経てばたつほどイギリスに有利に働くことを理解しており、このイギリスの譲歩を受け入れることを承認し、1ヶ月と10日と前回の講話会議よりも圧倒的に短い期間で講話会議は終了し、第二次ヴェルサイユ講和条約が締結される。 440: ホワイトベアー :2019/08/27(火) 22 12 18 HOST 157-14-225-220.tokyo.fdn.vectant.ne.jp しかし、ここで日米による世界初の核実験が太平洋上のビキニにて実施され、欧州に大きな衝撃を与える事態になる。そして、イギリスで日米の支援を受ける保守派がドイツとの接近に大反発し、国民も核兵器の事をメディアを通して知ると次第にドイツとの距離を取るべきではと言う声が大きくなっていき、こうした声をメディアが広めていき、さらに声が大きくなると言ったスパイラルが生まれ、世論も次第にではあるが欧州連合に参加すべきではないと言う声が大きくなっていった。無論、こうしたメディアはアメリカの戦略情報局から黄金色をしたお土産が渡されていた事をここに書いておく。 こうした日米の裏工作は、イギリスの優秀な防諜機関によってすぐに察知されるが、現状で日米と事を構えたくないイギリス政府はこれを黙殺するしかなかった。 また、欧州の一部国家(ベルギーやルクセンブルクなど)はドイツではなく日米へと接近し国土を奪回するべきだ、と言う声も生まれ始めており、こうした声を押さえるために、第二次ヴェルサイユ条約締結から時をかけずに今度はベルリンにフランス、イタリア、ソ連、スペイン、イギリス、ベルギー、ルクセンブルク、ノルウェー、さらに旧ポーランド政府の代表たちが集まり(オーストリアも招待されたが、丁重に断った)、ポーランド・ソビエト戦争の講和条約兼欧州連合の成立条約であるベルリン条約を締結する。 この条約によってポーランドはソ連に占拠されている地域を正式に割譲する事を認めさせられた一方、ドイツからの再独立を承認され、さらにドイツ、フランス、イタリア、スペイン、ベルギー、ルクセンブルク、ポーランドを正式な加盟国とし、イギリス、ソ連、ノルウェー、ベルギーをオブザーバーとした欧州連合(Europe Union)が正式に成立する。この欧州連合はローマ帝国分裂以降分断されていた欧州の再統合と言うお題目を掲げており、通貨こそ各国の独自采配とされたが、安全保証や外交方針は統一する事が決まっており、正式な加盟国に限定されるが、ドイツが望む国の望む場所に軍隊を無条件駐留させることを認めさせ、駐留費用も基本的には駐留される国が支払わせることになり、これによって事実上ドイツは、西欧諸国に膨大な影響力を有するようになっていく。無論、この条項はヴェルサイユ条約で各国との間の大きな論争点となったが、ドイツ側が明記こそしなかったが、ポーランドを除いた国家の本土への駐留は避けると言う発言をしたため、各国も戦争の継続よりかはマシだとしてとりあえずは認めていた。 この第二次ヴェルサイユ条約とベルリン条約によって第一次世界大戦の敗者であったドイツは一転し、西欧諸国の盟主としての立場を手に入れ、さらにそれまで中華民国のみであったアジアでの拠点にフランス領インドシナが追加されることになった。 この結果からドイツ国民は第一次世界大戦の敗北によって喪っていた自信を回復していく一方、ヒトラーら政府が積極的に核の情報を公開した事や第一次世界大戦のトラウマ(戦略爆撃)から自信を肥大化させずに兜の尾を引き締めていくことになる。また、政治面ではドイツ国内でのヒトラーの評価がうなぎ登りで、帝国議会ではヒトラーを永世宰相にする法案が可決される(最もこれはヒトラーがヴィルヘルム三世に直訴して取り消された)など彼と彼が率いるナチスはその人気を高めていくことになる。 これによってヒトラーの権限は次第に大きくなっていき、それに比例して仕事量も増大し、彼の趣味(ゲルマニア構想の妄想及びスケッチなど)の時間が削られていくことになるが、それはまた別の話である。 441: ホワイトベアー :2019/08/27(火) 22 12 58 HOST 157-14-225-220.tokyo.fdn.vectant.ne.jp 話を戻そう。欧州で最大規模の影響力を手にしたドイツは自国を日米に対抗できる状態にするために早速その影響力を行使し、ドイツ・フランス・イタリア・ソ連の四カ国による合同での核の研究を開始していく。ちなみに、当初は独ソともに自国のみでの研究を予定していたが、総合予算の見積を見た両国の財務官僚が泡を吹きながら必死になってヒトラーやスターリンを説得し、信用のおける国家との合同開発に変更になったと言う噂も存在していた。 この研究は欧州統合の象徴として大々的に宣伝されることになり、欧州の一大プロジェクトとしてドイツ・フランス・イタリア・ソ連の物理学者が総動員され、さらに予算も防空網の整備とともに重点的に当てられていくことにった。 また、日米の爆撃機による空爆に備えてヨーロッパ西部の海岸部に大西洋の壁と呼ばれるようになる巨大な防空網を建設し始める。これは北はノルウェーから南はスペインまでの沿岸に多数のレーダーサイトと監視所を建設し、これらの後方にジェット機であるMe210(※1)や開発中であるTa186の運用が可能な飛行場の建設も行われていくなど、アイスランドからの爆撃機を仮想敵とした防空網であり、欧州連合のオブザーバーであったイギリスやノルウェー、デンマークなども大なり小なり参加することになる。また、この大西洋の壁と並んで地中海方面で防空網の整備が緩やかにではあるが開始され始めるなど、欧州の空を守る為に核開発なみの予算と膨大な資材が投入されていく。 また、防空の面で欠かせない戦闘機では、ドイツを中心として、フランス・イタリア・ソ連の四か国が防空戦闘機の共同開発を開始する。幸いなことにこの時の四カ国が求める機体は似たよったものであり、特にこれと言った論争もなく、順調に開発が進むことになるが、これが効果を表すには時間が必要であり、当面の間はドイツ空軍の最新鋭機であるHe180(※2)のライセンス機がイギリスとドイツ、オーストリアを除く欧州各国の主力迎撃戦闘機(※3)となっていくなど、欧州で統一された規格が導入されていくことになった。 また、欧州連合加盟国は数年の準備期間の後に加盟国内からの輸入品に関しては関税の撤廃を義務付けられている事もあって経済的関係も歴史上類を見ないほど密接になっていくと予想されていた。 こうして、欧州ではドイツによる平和(パクス・ゲルマニア)が訪れている一方、アジアでは逆に平和とは言えない事態になっていた。 もともと、中華民国内では建国の際の出来事から反米反日思想が根強くあり、1930年代には中華民国各地で抗日抗米運動が盛んに行われており、蒋介石率いる国民党政府もこれを支援していた。一方で、日米の本格的な軍事介入を防ぐ目的でこうした行動は上海でおきあ誹日米貨運動のように非暴力運動が中心であり、日米の国民に犠牲が出ると基本的に中華民国側は謝罪と犯人への厳罰を実施していたこともあって最悪の事態には至っていなかった。 しかし、冬戦争と西欧戦争が中華民国の方針を一変させることになる。 日米を除く誰もが予想できなかった冬戦争でのフィンランドの勝利は誰の目にも日米の兵器の性能の高さを証明するには十分であった。そして、この戦いでフィンランド側に提供されたものと同じモノが満州連邦にも供与されていると言う事実は中華民国にとっては脅威以外の何者でもなかった。 現状では軍事力こそ中華民国側が優れていたが、それを支える経済は圧倒的に満州連邦側が優れており、時間が経てばたつほど満州連邦側には天秤が傾いていくのは少しでも政治や軍事、経済に通じる者の誰の目にも明らかであった。 そこにドイツのフランスでの電撃的な勝利が明らかになると、中華民国側では満州連邦がこれ以上強大になる前に戦端を開き、日米が介入する前に満州連邦側に決定的な打撃を与えて、満州連邦全ては無理でも華北の回収をなそうと言う意見がドイツ式の教育を受けた中華民国軍上層部から出てくるのは自明の理であった。 しかし、蒋介石をはじめとした国民党政府からしたら、例え満州連邦に決定的な打撃を与えても、満州連邦の背後にいる日米には対して大したダメージにならず、むしろ日米を本気にさせるだけであるとしてこの動きに迎合することはなかった。 だが、蒋介石の小飼を除いた国民革命軍青年将校が中華統一の最後のチャンスと考えており、国民党政府のような弱腰政府(青年将校感)によってこれを潰される事は許せることではなかった。さらに彼ら青年将校団の背後にはドイツのヒトラー政権の外交方針や国防方針に不満を持っていたドイツ軍事顧問団がおり、青年将校団は軍内部の支持を広げていった。 442: ホワイトベアー :2019/08/27(火) 22 15 49 HOST 157-14-225-220.tokyo.fdn.vectant.ne.jp このドイツ軍事顧問団は典型的なプロイセン軍人の集まりであり、政治的なコントロールを嫌う一段であった。その事から背後からの一撃を加えてきたオーストリア出身で、栄光あるドイツ帝国軍を名実共に政府の統制下においたアドルフ・ヒトラーと彼が率いるナチスを毛嫌いしており、彼が由緒あるプロイセン軍の伝統を汚すぞんざいであると敵視すらしていた。そして、彼らはヒトラーの西欧戦争の勝利と言う功績に匹敵する成果を求めていた。 そうした考えからドイツ軍事顧問団の支援を受けていた国民革命軍青年将校団は4月30日に反蒋介石を掲げている第十九路軍司令官蔡廷鍇をトップとしてクーデターを実行、わずか1日で南京の国民党政府の主要機関を掌握し、蒋介石を筆頭とした国民党政府首脳部を拘束または殺害することに成功する。拘束された高官たちはその後、監禁されることになる。 そして、蔡廷鍇は自らを首脳とした中華民国臨時政府の再樹立を宣言、各地の国民革命軍に自らの統制下に入る事を要求する。この要求を受けた各地の軍は内部にいた青年将校の暗躍もあって一部蒋介石の小飼の部隊を除いて臨時政府へと合流し、国民革命軍の掌握にも成功した臨時政府はドイツ軍事顧問団の助言の下に軍部隊を満州連邦の国境線近くに極秘裏に配置、そして、1940年5月26日、中華民国は宣戦布告もせずに突如満州国境を突破する。 この時、国民革命軍の先陣を切ったのはソ連やドイツの支援の下に整備された機械化部隊で、ドイツ製Ⅱ号中戦車やソ連製BT軽戦車シリーズや装甲車、トラック、自走砲を有する精鋭部隊であった。そして、その後方からドイツ製、もしくはそのライセンス版を装備した精鋭の騎兵部隊や歩兵部隊が後続として、補給部隊も連れて次々と満州連邦領に侵攻、その数は合わせて30個師団60万人を越える大軍であった。 この暴挙とも言える中華民国の動きに対して満州連邦軍は全くの劣勢であった。 当時の満州連邦軍はそれまでの経済重視軽武装路線を辞め、軍備拡大路線を進めており、この時にはそれまでの常設部隊6個師団3個旅団体制から常設部隊13個師団体制への発展的拡大をしていた。 満州連邦陸軍の師団は日米の支援もあって予備役で編成される後備師団も含めたほぼ全ての師団が自動車化師団であり、さらに全師団に一四式軽戦車を主力とした1個戦車連隊が配属されており、各歩兵連隊には国産の装甲車である34式軽装甲車が1個大隊配備されていた。この34式軽装甲車は65馬力空冷ディーゼルエンジンを動力源として搭載し、重量4.75t、最大装甲厚12mm、主砲40mm機関砲1門からなる軌走式の装甲車で、歩兵支援用の装甲戦力として運用されている。 師団砲兵には105mm榴弾砲と155mm榴弾砲が混合で配備されているなど高い作戦遂行能力と機動力をあわせ持つ有力な師団であった。また、自動車化師団とは別に機甲戦力を中核とした機甲師団が2個、エアボーンを主任務とする空挺師団が1個、ヘリボーンを主任務とする空挺師団が1個編成されていた。 また、満州連邦国内には日本軍6個師団が駐留していた。しかし、日本軍はソ連との関係もあって満州地域に駐留しており、華北には満州連邦陸軍10個師団と数個大隊規模の国境警備隊合わせて28万人近くが中華民国と睨み合っていた。 これは侵攻前には軍内部からも過剰な兵力と考えられていたが、実際には圧倒的なまでに不足しており、満州連邦政府は国境警備隊に遅滞戦のみに集中するように厳命すると共に軍に交通の要衝である西安の死守を命令する。また、山東省のでも済南でも死守命令が出されていた。 しかし、中華民国の人の波の前には多少の遅滞戦術など意味をなさず、さらに満州連邦空軍の多くの航空機を飛び立つ前に撃破し、空からも充実した支援を受けれた事から、国民革命軍の進撃は極めて順調に進んでいき、第一目標としてあげられていた蘭州、西安、鄭州の占領まであと一歩と言うところまでいく。 443: ホワイトベアー :2019/08/27(火) 22 16 32 HOST 157-14-225-220.tokyo.fdn.vectant.ne.jp しかし、ここで国民革命軍は、いやドイツ軍事顧問団は第一次世界大戦と同じミスを犯してしまう。そう補給線の軽視だ。 そもそも、国民革命軍は正面戦力を整備する一方で、予算の関係から後方部隊を削っており敵地での遠距離進撃能力はあってないようなものであった。その為、今回の侵攻は満州連邦の物資を持って補給を確立しようと国民革命軍は考えており、それは当初は上手くいっていた。 しかし、この侵攻を受けた満州連邦が日本軍に自国のインフラの破壊を要請した事と国民革命軍の数によってそれまでもような敵からの略奪による補給の確保は不可能となり、侵攻開始から一週間で西安まであと一歩と言うところまで進撃するものの、この頃には前線部隊では深刻な補給不足に陥り、国民革命軍の前進速度は非常に遅くなっていた。 さらに奇襲攻撃によっておきた満州連邦側の動揺もこの頃には収まっており、西安は交通の要衝であることから鉄道網も充実しており、補給や増援が迅速に送れる状態であったことや、日本側が本腰を入れて大規模な航空殲滅戦を華北上空で展開し、国民革命軍空軍に壊滅的打撃を与えていたことも国民革命軍に大きな負担をかけることになる。 この時の国民革命軍の主力機はドイツ製のFw110とBf109と言う極めて強力な戦闘機であり、爆撃機もSB爆撃機など旧式機も見られたが、主力はJu86やJu87と言った当時の航空機としては優秀な機体で、P-11や一二式戦闘機を主力とする満州連邦空軍となら例え奇襲攻撃でなくても互角に戦うことはできただろう。 しかし、彼らの相手が悪すぎた。この時の満州駐留日本陸軍航空軍部隊の主力機は高い機動力と搭載量を誇るジェット戦闘機である二四式戦闘爆撃機であり、これだけでも国民革命軍保有する全ての戦闘機よりもはるかに高い性能を誇っていたが、日本軍は万全の体制を敷くために本国の防空部隊にのみ配備されていた二六式要撃戦闘機や海軍の新型戦闘機である三〇式艦上戦闘機すら満州連邦に派遣していた。 史実では第三世代ジェット戦闘機と第二世代ジェット戦闘機に分類される戦闘機が容赦も油断もなく襲いかかって来たのだ。プロペラ機しか保有していない国民革命軍対抗できるはずもなかった。 制空権の確保に成功した日本軍は台湾や本土に駐留している戦略爆撃機部隊を使い満州連邦領内にいる国民革命軍へ空襲を開始する。この空襲によってただでさえ低い国民革命軍の補給は壊滅することになり、これらが原因で前線の部隊は物資不足に頭を悩ませることになる。また、前線部隊でもまともな対空装備を有していない国民革命軍は日本の航空戦力の的でしかなく、彼らは地上を蜘蛛の子のように逃げ回るしかなかった。 そして、国民革命軍の足は侵攻開始から三週間ほど経つと完全に停止、戦況は膠着状態に入る。 444: ホワイトベアー :2019/08/27(火) 22 17 08 HOST 157-14-225-220.tokyo.fdn.vectant.ne.jp (※1) Me263相当のジェット戦闘機で、ドイツ空軍の次期主力迎撃戦闘機として配備が進められている。 (※2) Me162相当のジェット戦闘機。一応Me162より開発期間に余裕があったこともあって史実であった翼の強度や接着剤などの問題は解決されている。 (※3)イギリスは自国で開発したグロウスター・ミーティア相当のジェット戦闘機であるスピリットファイアとヴァンパイア相当のハリケーンを主力戦闘機としておりましたドイツはMe210を、オーストリアはアメリカ製のMig-15相当のXP-25のライセンス機を主力戦闘機としていた。 以上になります。訂正とお詫びで、前39話で講和条約の締結は4月18日となっておりましたが、正確には5月18日でした。wikiへの転載はOKです。
https://w.atwiki.jp/jwe2008cc/pages/197.html
マルティン・ダーリン Martin DAHLIN 1968/04/16 186cm 84kg スウェーデン FW 1987-1991 マルメ(SWE) 1991-1996 ボルシアMG(GER) …ゲーム内年齢:25歳 1996 ASローマ(ITA) 1996-1997 ボルシアMG(GER) 1997-1998 ブラックバーン・ローヴァーズ(ENG) 1998-1999 ハンブルガーSV(GER) ユルゲン・クリンスマン Jurgen KLINSMANN 1964/07/30 182cm 73kg ドイツ FW 1981-1984 シュツットガルト・キッカーズ(GER) 1984-1989 シュツットガルト(GER) …ゲーム内年齢:25歳 1989-1992 インテル(ITA) 1992-1994 ASモナコ(FRA) 1994-1995 トッテナム・ホットスパー(ENG) 1995-1997 バイエルン・ミュンヘン(GER) 1997-1998 サンプドリア(ITA) 1998 トッテナム・ホットスパー(ENG) ピエール・リトバルスキー Pierre LITBARSKI 1960/04/16 168cm 64kg ドイツ MF/FW 1967-1976 シェーネンベルク・ベルリン(GER) 1976-1978 ヘルタ・ツェーレンドルフ(GER) 1978-1986 1.FCケルン(GER) …ゲーム内年齢:26歳 1986-1987 ラシン・パリ(FRA) 1987-1993 1.FCケルン(GER) 1993-1994 ジェフユナイテッド市原(JPN) 1996-1998 ブランメル仙台(JPN) オリヴァー・ビアホフ Oliver BIERHOFF 1968/05/01 191cm 90kg ドイツ FW 1985-1988 バイヤー・ユルディンゲン(GER) 1988-1990 ハンブルガーSV(GER) 1990 ボルシアMG(GER) 1990-1991 オーストリア・ザルツブルク(AUT) 1991-1992 インテル(ITA) 1992-1995 アスコリ(ITA) 1995-1998 ウディネーゼ(ITA) …ゲーム内年齢:29歳 1998-2002 ACミラン(ITA) 2002 ASモナコ(FRA) 2002-2003 キエーヴォ・ヴェローナ(ITA) ルディ・フェラー Rudolf VOLLER 1960/04/13 177cm 71kg ドイツ FW 1968-1975 1860ハーナウ(GER) 1975-1980 オッフェンバッハ・キッカーズ(GER) 1980-1982 1860ミュンヘン(GER) 1982-1987 ブレーメン(GER) 1987-1992 ASローマ(ITA) …ゲーム内年齢:30歳 1992-1994 マルセイユ(FRA) 1994-1996 レヴァークーゼン(GER) エッベ・サンド EBBE SAND 1972/07/19 183cm 78kg デンマーク FW 1992-1999 ブロンビーIF(DEN) 1999-2006 シャルケ04(GER) …ゲーム内年齢:31歳 ローター・マテウス Lothar MATTHAUS 1961/03/21 173cm 70kg ドイツ MF/DF 1979-1984 ボルシアMG(GER) 1984-1988 バイエルン・ミュンヘン(GER) 1988-1992 インテル(ITA) …ゲーム内年齢:29歳 1992-2000 バイエルン・ミュンヘン(GER) 2000-2001 NY/NJメトロスターズ(USA) ステファン・エッフェンベルク Stefan EFFENBERG 1968/08/02 188cm 89kg ドイツ MF 1987-1990 ボルシアMG(GER) 1990-1992 バイエルン・ミュンヘン(GER) 1992-1994 フィオレンティーナ(ITA) 1994-1998 ボルシアMG(GER) 1998-2002 バイエルン・ミュンヘン(GER) …ゲーム内年齢:32歳 2002-2003 ヴォルフスブルク(GER) 2003-2004 アル・アラビ(QAT) イェンス・イェレミース Jens JEREMIES 1974/03/05 177cm 77kg ドイツ MF 1986-1995 ディナモ・ドレスデン(GER) 1995-1998 1860ミュンヘン(GER) 1998-2006 バイエルン・ミュンヘン(GER) …ゲーム内年齢:29歳 アンドレアス・ブレーメ Andreas BREHME 1960/11/09 176cm 72kg ドイツ DF/MF 1980-1981 ザールブリュッケン(GER) 1981-1986 カイザースラウテルン(GER) 1986-1988 バイエルン・ミュンヘン(GER) …ゲーム内年齢:28歳 1988-1992 インテル(ITA) 1992-1993 レアル・サラゴサ(ESP) 1993-1998 カイザースラウテルン(GER) マリオ・バスラー Mario BASLER 1968/12/18 186cm 73kg ドイツ MF 1987-1989 カイザースラウテルン(GER) 1989-1991 ロートヴァイス・エッセン(GER) 1991-1993 ヘルタ・ベルリン(GER) 1993-1996 ブレーメン(GER) …ゲーム内年齢:28歳 1996-2000 バイエルン・ミュンヘン(GER) 2000-2003 カイザースラウテルン(GER) 2003-2004 アル・ラーヤン(QAT) アンドレアス・メラー Andreas MOLLER 1967/09/02 180cm 70kg ドイツ MF 1981-1988 フランクフルト(GER) 1988-1990 ドルトムント(GER) 1990-1992 フランクフルト(GER) 1992-1994 ユヴェントス(ITA) 1994-2000 ドルトムント(GER) …ゲーム内年齢:29歳 2000-2003 シャルケ04(GER) 2003-2004 フランクフルト(GER) トーマス・ベルトルト Thomas BERTHOLD 1964/11/12 185cm 81kg ドイツ DF/MF 1978-1987 フランクフルト(GER) 1987-1989 ヴェローナ(ITA) 1989-1991 ASローマ(ITA) 1991-1993 バイエルン・ミュンヘン(GER) 1993-2000 シュツットガルト(GER) …ゲーム内年齢:30歳 2000-2001 アダナスポル(TUR) トーマス・ヘスラー Thomas HASLER 1966/05/30 166cm 67kg ドイツ MF 1984-1990 1.FCケルン(GER) 1990-1991 ユヴェントス(ITA) 1991-1994 ASローマ(ITA) …ゲーム内年齢:26歳 1994-1998 カールスルーエ(GER) 1998-1999 ドルトムント(GER) 1999-2003 1860ミュンヘン(GER) 2003-2004 オーストリア・ザルツブルク(AUT) クラシミール・バラコフ Krasimir BALAKOV 1966/03/29 176cm 72kg ブルガリア MF 1983-1990 エタル・ヴェリコ・タルノヴォ(BUL) 1990-1995 スポルティング・リスボン(POR) 1995-2003 シュツットガルト(GER) …ゲーム内年齢:30歳 アンドレアス・ヘルツォーク Andreas HERZOG 1968/09/10 183cm 80kg オーストリア MF 1986-1992 ラピド・ウィーン(AUT) 1992-1995 ブレーメン(GER) …ゲーム内年齢:26歳 1995-1996 バイエルン・ミュンヘン(GER) 1996-2001 ブレーメン(GER) 2002-2003 ラピド・ウィーン(AUT) 2004 LAギャラクシー(USA) ユルゲン・コーラー Jurgen KOHLER 1965/10/06 186cm 84kg ドイツ DF 1977-1983 ヤーン・ランプスハイム(GER) 1983-1987 バルドホフ・マンハイム(GER) 1987-1989 1.FCケルン(GER) 1989-1991 バイエルン・ミュンヘン(GER) …ゲーム内年齢:25歳 1991-1995 ユヴェントス(ITA) 1995-2002 ドルトムント(GER) マティアス・ザマー Mathias SAMMER 1967/09/05 181cm 75kg ドイツ(東ドイツ) DF 1985-1990 ディナモ・ドレスデン(GER) …ゲーム内年齢:23歳 1990-1992 シュツットガルト(GER) 1992 インテル(ITA) 1992-2000 ドルトムント(GER) トーマス・ヘルマー Thomas HELMER 1965/04/21 185cm 76kg ドイツ DF/MF 1984-1986 ビーレフェルト(GER) 1986-1992 ドルトムント(GER) 1992-1999 バイエルン・ミュンヘン(GER) …ゲーム内年齢:28歳 1999-2000 ヘルタ・ベルリン(GER) 2000-2001 サンダーランド(ENG) ギド・ブッフバルト Guido BUCHWALD 1961/01/24 188cm 88kg ドイツ DF 1978-1983 シュツットガルト・キッカーズ(GER) 1983-1994 シュツットガルト(GER) …ゲーム内年齢:29歳 1994-1997 浦和レッドダイヤモンズ(JPN) 1997-1999 カールスルーエ(GER) クリスティアン・ツィーゲ Christian ZIEGE 1972/02/01 186cm 82kg ドイツ DF/MF 1990-1997 バイエルン・ミュンヘン(GER) …ゲーム内年齢:25歳 1997-1999 ACミラン(ITA) 1999-2000 ミドルズブラ(ENG) 2000-2001 リヴァプール(ENG) 2001-2004 トッテナム・ホットスパー(ENG) 2004-2006 ボルシアMG(GER) ボド・イルクナー Bodo ILLGNER 1967/04/07 190cm 90kg ドイツ GK 1985-1996 1.FCケルン(GER) 1996-2001 レアル・マドリー(ESP) …ゲーム内年齢:30歳 アンドレアス・ケプケ Andreas KEPKE 1962/03/12 182cm 80kg ドイツ GK 1983-1984 シャーロッテンブルク(GER) 1984-1986 ヘルタ・ベルリン(GER) 1986-1994 ニュルンベルク(GER) …ゲーム内年齢:30歳 1994-1996 フランクフルト(GER) 1996-1999 マルセイユ(FRA) 1999-2001 ニュルンベルク(GER)
https://w.atwiki.jp/wadaisenryaku/pages/620.html
NO.1 キエフ大包囲戦(露) 陣営情報 陣営 軍事費 都市収入 国家収入 都市 空港 港 最大数 兵力 ソビエト連邦 6000 2500 300 25 10 0 26 20 ソビエト第26軍 4000 2500 200 25 10 0 15 ドイツ第2師団 6000 700 500 7 4 0 24 ドイツ第2軍 5000 800 500 8 1 0 19 ドイツ第1師団(援軍) 5000 0 500 0 0 0 マップ詳細 担当国 ソビエト連邦 参戦国 ドイツ 作戦期間 年月日~月日 勝利条件 大勝利 29ターン以内にドイツ第2軍司令部を破壊 勝利 ドイツ第2軍司令部を破壊 戦勝ボーナス 結果 訓練値 経験値 資金 大勝利 勝利 勝利の鍵 1. 最序盤はわざと進軍を遅らせ、敵航空機は友軍に引き付ける 2. 地道な経験値・訓練値稼ぎ 3. 友軍の支援は我慢し、ドイツ第2軍相手に集中 攻略 マップ概要1 マップ左下に自軍。上部にドイツ第2軍、右上にドイツ第2師団、右下にソビエト26軍(友軍)。 ユニットの性能があまり強くないので、かなり苦労します。 ※ユニット生産は、計26ユニットまで。(初期配置+6ユニット) このマップでは重戦車は生産できません。 軽戦車BT-7を生産して後のマップで進化させましょう。 航空機を殲滅するまで、川を境に防衛線を敷いて粘りましょう。 マップ概要2 最初のマップながら、ドイツは快進撃の最中であり、対するこちらの訓練値は弱く、 かつユニット制限もキツイという苦しい状況からのスタートとなる。 こちらはまだT-34もKV重戦車も生産できず、自慢の陸軍でゴリ押しする事も難しい。 しかも10ターン目からはドイツ第1師団という高練度の陣営が乱入し、さらに気が抜けなくなる。 しかし幾つか有利な条件もある。 幸いなことに、勝利条件は大勝利含めて左上のドイツ第2軍のみを撃破すればOK、しかも大勝ターン数は29と緩めに設定されている。 都市収入も豊富なため、兵器購入が必要な序盤以外はお金に困ることはない。 ドイツ第2軍の空港は司令部から6ヘックスの距離とギリギリ生産できない位置にあるため、 空軍に苦しめられることはほぼなく、基本的に陸軍を相手にすれば良い。など。 しかし、もしドイツ第1師団が大量の空軍を引き連れてこちらに殺到してきたら一気に苦しくなるため、 いかにそれを回避するか、あるいはその前にドイツ第2軍を撃破できるか、さらに言えば終了までにいかに経験値訓練値を稼げるかが鍵となる。 ちなみに友軍はT-34Bを直接生産できるので、ドイツ陸軍をそれで追い返すことはできるが、 空軍は戦闘機を生産してもLaG3までとかなり貧弱であり、Bf109FやMe110Eに一方的に蹂躙されてしまう状況にある。 自陣営はMig3を生産できるため、これの育成と活躍がキーになってくることはいうまでもない。 大勝利を狙うパターン 部隊編成 まずはMig3を生産しないと始まらない。4部隊までは揃えたい。後はロケット弾を惜しげなく装備し、敵地上部隊を狩りながらひたすら育成だ。 将来性のないI-16やSB-2は処分予定だが、部隊数が揃うまではそのままにしておこう。 最終的にはSB-2はTB-3、I-16はMig3かTB-3かIl-2に置き換える。特にTB-3はキャンペーン途中で生産できなくなるので序盤マップのうちに確保しておきたい。 地上部隊は手持ちのBT-7を全進化させればT-34が計5部隊となる。今後の進化系列においてはKV系の方が将来性もバリエーションもあり、T-34はこれ以上増やす必要は無いだろう。 しかしKVは今のところ生産できないため、結論としては戦車部隊は増やしも減らしもしないのが良さそうだ。 高射砲は85mmAA砲が初期配置されているが、進化前の76mmAA砲(ソ)より弱いというトラップを抱えているため、最終的には76mmを生産し直して置き換える事になる。 補給車は一台も配置されていないので最初のターンで1つ生産。道中都市が少ない上に、訓練値のため各部隊が損害を被りやすいマップなので必須である。 索敵要因Ba-6は軽戦車T-26 M37との比較になるが、最終型のT-60 M42でも強さが微妙であることを考えれば、移動力に分があるBa-6を残しておく方がまだ良さそうか。 適切に育てればT-60も侮れない強さにはなるものの、明らかにBT-7に経験値を振らなければいけない本マップで無理してT-26を生産しなくても、 次のモスクワで進化先のT-60 M40を生産できるようになるので、手持ち部隊に加えたい場合も本マップでは見送って良い。 地対空要因としてZIS-AAを生産しておくのも良い。意外に対装攻撃力もあり、過信しなければトドメに活躍できる。Ba-6を1つ処分するときはこれで置き換えてみよう。 序盤 ということで眼前のドイツ第2軍を相手にしたいわけだが、早速Bf109×1、Me110×2が配備されており、Mig3が揃うまでは苦戦必至・・・と思いきやここでコツがあり、 序盤に相手陣営に見つからないようにやや遅れて進軍すると、少なくともMe110×2は友軍方面に向かいそこで暴れ始める。 友軍に負担を負わせるのは心苦しいが、どちらにせよこの訓練値ではMe110にも勝てないのでやむを得ない。 次に敵のフェーズにてJu-88AがX3,Y22の都市を爆撃してしまう(これは回避不可能)が、2ターン目にはX14,Y21の空港に向かってくるため、 初期配置の85mmAA砲を展開したままにする、あるいはその左上隣のヘックスにMig3を置いておけば引っかけることが可能だ。 85mmAA砲を処分する予定なら、なるべくMig3で引っかけるようにしたい。 なおその後、相手のBf109が1部隊こっちに引き返してしまうことがある。この段階では大変な強敵であるが、放置していると地上部隊が一方的にやられてマズいので、 Mig3×複数を流血覚悟で一気にぶつけ(あるいはこの時まで85mmAA砲も残しておいて)一気にカタをつけよう。 次は前衛のエリート歩兵(独)・装甲擲弾兵を確固撃破していく。野砲やMig3のロケット弾などで弱らせてから、KVやT34などでトドメを指していこう。 対空能力があるのでこちらの訓練値がないうちは爆弾よりもロケット弾で先制を狙うのが望ましい。 BT-7をぶつけるのは心許ないが、相手の残数が1や2ならこちらの損害も少なく抑えられるだろう。 しかし基本的には強力なKVやT34を先に育て、それらを壁にしつつBTは序盤は残党狩りに徹した方が堅実だ。 補給車への攻撃は狙撃兵やBa-6の訓練値稼ぎのために取っておくのも良いだろう。ただし索敵されるリスクの考慮は必要。 中盤 Mig3がある程度育ってきたら空戦で苦戦している友軍の支援に回しても構わないが、友軍方面に回すのは1部隊程度に留めておいた方が賢明だ。 というのも、途中で乱入してくるドイツ第1師団のBf109やMe110がもしこちらに殺到してきた場合、Mig3が複数手元になければ万事休す可能性が高いからだ。 TB-3やIl-2はBf109の餌食になるだけだし、地対空兵器も育っておらず、ろくに迎撃支援できないだろう。 しかも同じタイミングで、友軍方面に向かっていたドイツ第2軍の戦車部隊がこちらに引き返してくることもある。 ここである程度の航空支援を残しておかなければ、育ち切っていない地上部隊を守り切ることが難しくなる。 また地上部隊やIl-2だけでは索敵要因が足りないので、その意味でも戦闘機の手を借りたいというのもある。 友軍支援に回したMig3も、当面の間空戦で相手にするのはJu87に留め、後は敵陸軍(特に非装甲)をロケット弾で狩りながら地道に訓練値を稼ぐ必要がある。 Me110はもし3機以下まで削られていれば攻撃して良いという程度。Bf109にやられた場合はすぐに空港に退避し回復に努めよう。 マップ中央に行きすぎないようにすれば、デマーグD7の集団にやられる可能性も抑えられる。悪天候時はドイツ空軍に集団リンチされないよう、敵の目の届かない空港に退避するのが賢明。 なおドイツ第1師団に属するエリート歩兵1部隊が自軍司令部に迫ってくる事がある。 当面は手当たり次第に占領活動をし続けるだけだが、放っておけばいつかは司令部への波状攻撃が始まってしまうだろう。 そうなる前にTB-3を1部隊こちらに帰還させ、迎え撃つようにしよう。悪天候で叩けなくなる可能性も考え、余裕をもってTB-3を持ってくるのが賢明だ。 終盤(経験値を稼ぐパターン) KV-IE→KV-IB、T-34A→T-34Bへの進化は難なくできるだろうが、そうなると問題になるのはやはりBT-7の進化だ。必要経験値も250とMAXだ。間違ってもBT-7Aを経由しないようにしよう。 心許ない戦闘能力ではあるが、それでもある程度育ってきたら、森に配置することで敵戦車の攻撃を耐え続けられるようになる。 大勝ターンは29とじっくり取り組めるので、友軍が全滅しそうでなければ、地道に経験値・訓練値を稼いで行こう。 経験値がMAXになったBT-7は早速進化させたいが、その前に機数に余裕があれば、損害を被ったBT-7に合流させることで合流先に経験値を分け与えよう。経験値稼ぎのショートカットが可能だ。もちろん合流合計が10を下回る場合はNG。 また進化に漕ぎつけた部隊はあえて機数を回復させないようにすると、次回マップに向けて訓練値の温存まで可能になる。 どちらにせよこの局面ではすでに敵司令部を航空機で囲んで好きにできる状態だろうし、地上部隊は経験値を稼ぐ以外の理由は薄くなる。進化後は野砲や航空機そして狙撃兵に司令部討伐を任せるべきだ。 可能なら初期配置の122mm野砲(ソ)も152mm野砲(ソ)にしてしまおう。非装甲相手を重点的に狙っていけば成長は早いはずだ。 最後の司令部へのトドメはぜひとも狙撃兵で行いたい。とはいえ恐らく狙撃兵の訓練値はろくに稼げていない状態だろうから、野砲や航空機で入念に削っておく必要はある。 セーブ等も駆使して司令部残り1の状態が用意できれば最高だ。あとはうまくとどめを刺せればその狙撃兵に大量の経験値・訓練値が入る。 これで本キャンペーン中に1部隊ぐらいは親衛赤軍にできる可能性が開けるのではないだろうか。 コメント 攻略等に関して意見のある方はコメントをお寄せください。 また誤字脱字以外で特に攻略内容に変更を加えた場合は、変更箇所とその理由をコメントするようにしましょう。 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/strike_witches/pages/489.html
第12話「天空より永遠に」の元ネタ解説翻訳 このページは常に有志の翻訳を募集中です。翻訳の修正はお気軽にどうぞ 原文(英文)には手を加えないこと 訳文への補足説明、誤認の指摘、修正などは注釈にて行うこと #ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (Title01.JPG) 目次 第12話「天空より永遠に」の元ネタ解説翻訳381mm / 50 Model 1934 naval gun Formation Victor 381mm / 50 Model 1934 naval gun A powerful weapon for its caliber, with a maximum range exceeding that of all other battleship guns despite its modest maximum elevation. This superb performance had a price in that they suffered from excessive dispersion and a very short barrel life, which was only about half that of other nation s large-caliber guns. Unlike many other European 38 cm guns, the bore of this gun was actually 381 mm (15.0"). Ammunition Type Bag Projectile types and weights APC - 1,951 lbs. (885 kg), HE - 1,706 lbs. (774 kg) Projectile length APC - 66.9 in (166.93 cm), HE - N/A Propellant charge 490 lbs. (222.2 kg) NAC Muzzle velocity APC 2,789 fps (850 mps), HE 2,854 fps (870 mps) Working pressure 20.3 ton/in2 (3,200 kg/cm2) Approximate barrel life 110-130 rounds Ammunition storage per gun 74 rounds 1934年型 38.1cm(50口径)艦載砲 大口径による強大な威力を誇る武装である。最大仰角がやや小さめであるが、他の戦艦の備砲の最大射程を上回っている。 この素晴らしい性能の代償として、散布界が広すぎることや砲身寿命がひどく短いという欠点を抱えていた。その砲身寿命は他国の大口径砲のおよそ半分しかなかった。 他のヨーロッパ諸国の38センチ砲とは異なり、この砲の口径は実際には、381ミリ(正15インチ)あった。 兵器諸元: 形式: 装薬筒 弾種および重量: APC [被帽付徹甲弾] 1,951ポンド(885 kg)、HE [榴弾] 1,706ポンド(774 kg) 弾頭長: APC 66.9インチ(166.93 cm)、HE 不明 発射装薬重量: 490ポンド (222.2 kg) NAC(*1) 砲口速度: APC 秒速2,789フィート(秒速850メートル)、HE 秒速2,854フィート(秒速870メートル) 常用圧力: 1平方インチあたり20.3トン (3,200 kg/cm^2) 砲身寿命目安: 110-130発 砲1門当たりの砲弾搭載量: 74発 (翻訳を修正してくれる有志求む) (訳注1: 元になっている文章は NavWeapsというサイトのItalian 381 mm/50 (15") Model 1934 です。英語版Wikipediaの説明はこちら・381mm / 50 Model 1934 naval gunです。) (訳注2: イタリア艦砲の発射薬については、NavWeapsのNaval Propellants - A Brief Overviewのページにある、Italian Propellantsの項目を参考にしてください。) Formation Victor The basic flight formation for military aircraft in many air forces during World War II was a V formation. In the U.S. Army Air Forces, the most basic formation for bombers was a three-plane "V" called an "element". Stacks of these elements were configured to form a defensive bombing formation called the "combat box". The standard fighter unit, early in World War II, for the British Royal Air Force was the V shaped "vic". This involved one lead plane and two wingmen, with the wingmen flying very close to the sides and slightly behind the lead plane to form the V shape. Typically four vics would fly together one after another to form a squadron. The problem with the vics were the formations were so tight that the wingmen had to constantly be watching the lead plane or risk running into them. This left only the lead plane to search the skies for enemy planes. After many complaints from the British pilots of the vics not being the optimal flying formation, the RAF Fighter Command changed the squadron formation so the fourth vic would weave back and forth theoretically giving them a better field of view. This resulted in the "weavers" as they were called being picked off because the German fighters could attack them and get away before the rest of the squadron could leave formation and be ready for a counterattack. The Germans called these vics Idiotenreihen ("rows of idiots"). Later in the war the RAF Fighter Command abandoned the vic formations in favor of the Finger-four formation that the German Air Force used. フォーメイション・ヴィクター 「フォーメーション・ヴィクトル」 軍用機の基本的な飛行隊形として、第二次世界大戦中の多くの国の空軍ではV字形編隊が採用されていた。 アメリカ陸軍航空軍では、爆撃機の最も基本的な隊形は3機が「V」の字の形になる「エレメント」というものだった。 複数のエレメントを組み合わせると、爆撃機編隊の防衛隊形になった。これが「コンバット・ボックス」だ。 第二次世界大戦の初期、英国王立空軍の標準的な戦闘単位は、V形になった「vic (ヴィク) (*2)」だった。 これは長機が1機と、編隊僚機が2機からなる。僚機がそれぞれ長機の側方すぐ近くまで接近し、かつ長機のほんの少し後方に位置取りして飛行することで、Vの字の形を作る。 典型的には、4つのvicがまとまり連なって飛行すると、1個 飛行隊を形成した。 このように複数のvicで飛行隊を組んだ際の問題点は、編隊間の距離が緊密なため、各僚機は常時 長機を視認し続けなければならないことや、他の編隊に突っ込んで衝突してしまいかねないリスクがあったことだ。 こうした問題があったため、空で敵機を索敵する余裕は長機にしかなかった。 英国の操縦士たちから、vicを組み合わせるなんて飛行隊形としては不適当だとの不満が噴出したのを受けて、英国王立空軍RAF戦闘機軍団は飛行隊の隊形を変更した。変更後は、4個目のvicが(訳注: 機織りweaveのシャトルのように)後方へ引いた位置に付く(weave back)。こうすることで理論的には、この4個目のvicが視界を拡げることにはなった。 後方へ引いた位置についたvicは「weavers 機織り」と呼ばれた。その新隊形のもたらした結末として、彼らは むしり取られるように食われてしまった。なぜならドイツの戦闘機は彼ら最後尾のvicに一撃離脱をかけることができ、飛行隊のほかの飛行士たちが隊形を解いて反撃態勢を整える暇を与えなかったからだ。 ドイツ側はこうしたvicたちをこう呼んだ。「Idiotenreihe イディオーテンライエ」(「まぬけどもの行列」)と。 戦争が深まってからようやく英国王立空軍RAF戦闘機軍団は、このvic隊形を放棄した。それというのもドイツ空軍が採用していたフィンガー・フォー・フォーメイション(*3)の優位を認めてのことだった。 (翻訳を修正してくれる有志求む) (訳注1: 元になっている文章は英語版Wikipedia・V formationです。) (訳注2: ミーナ隊長の台詞について。ドイツ通信符号・通話符号では"V wie Viktor" (ヴィクトルのV)となる。国際通信符号ではValencia、航空通信符号(en)ではVictor・ヴィクターとなる。なおドイツ語で die Formationはフォルマツィオーンと発音する。 統合戦闘航空団ではブリタニア語が共通語のはずですが、ミーナさん訛っちゃった?) (このEpisode12のreference chartは、アニメ2期の放送終了後、4chan peopleの要請によりOrange氏が作成してくれました。) 謝 辞 Reference chartsを作成し続けてくださったOrange氏、また補足chartを作ってくれたtrip-fagsの方々、そして4chanの皆さんに感謝します。
https://w.atwiki.jp/peas/pages/508.html
ドイツ連邦共和国Federal Republic of Germany ドイツのページへ戻る ( - )
https://w.atwiki.jp/jwe2009cc/pages/195.html
セルゲイ・バルバレス Sergej BARBAREZ 1971/09/17 188cm 88kg ボスニア・ヘルツェゴビナ FW/MF 1984-1991 ヴェレジュ・モスタル(YUG) 1991-1993 ハノーファー96(GER) 1993-1996 1.FCウニオン・ベルリン(GER) 1996-1998 ハンザ・ロストック(GER) 1998-2000 ボルシア・ドルトムント(GER) 2000-2006 ハンブルガーSV(GER) 2006-2008 レヴァークーゼン(GER) エッベ・サンド EBBE SAND 1972/07/19 183cm 78kg デンマーク FW 1992-1999 ブロンビーIF(DEN) 1999-2006 シャルケ04(GER) エウベル Giovane ELBER de Souza 1972/07/23 182cm 76kg ブラジル FW 1989-1991 ロンドリーナ(BRA) 1991-1994 グラスホッパー(SUI) 1994-1997 シュツットガルト(GER) 1997-2003 バイエルン・ミュンヘン(GER) 2003-2005 オリンピック・リヨン(FRA) 2005 ボルシアMG(GER) 2006 クルゼイロ(BRA) トーマス・ブルダリッチ Thomas BRDARIC 1975/01/23 187cm 87kg ドイツ FW 1993-1994 シュツットガルト(GER) 1994-1996 フォルトゥナ・デュッセルドルフ(GER) 1996-1999 フォルトゥナ・ケルン(GER) 1999-2003 レヴァークーゼン(GER) 2003-2004 ハノーファー96(GER) 2004-2005 ヴォルフスブルク(GER) 2005-2008 ハノーファー96(GER) マルティン・マックス Martin MAX 1968/08/07 182cm 79kg ドイツ FW 1989-1995 ボルシアMG(GER) 1995-1999 シャルケ04(GER) 1999-2003 1860ミュンヘン(GER) 2003-2004 ハンザ・ロストック(GER) カルステン・ラメロウ Carsten RAMELOW 1974/03/20 186cm 82kg ドイツ MF/DF 1991-1995 ヘルタ・ベルリン(GER) 1995-2008 レヴァークーゼン(GER) セバスティアン・ダイスラー Sebastian DEISLER 1980/01/05 182cm 78kg ドイツ MF 1998-1999 ボルシアMG(GER) 1999-2002 ヘルタ・ベルリン(GER) 2002-2007 バイエルン・ミュンヘン(GER) シュテファン・バインリッヒ Stefan BEINLICH 1972/01/13 180cm 78kg ドイツ MF 1987-1991 ベルクマン・ボルジグ・ベルリン(GER) 1991-1994 アストン・ヴィラ(ENG) 1994-1997 ハンザ・ロストック(GER) 1997-2000 レヴァークーゼン(GER) 2000-2003 ヘルタ・ベルリン(GER) 2003-2006 ハンブルガーSV(GER) 2006-2008 ハンザ・ロストック(GER) メーメット・ショル Mehmet SCHOLL 1970/10/16 177cm 70kg ドイツ MF 1989-1992 カールスルーエ(GER) 1992-2007 バイエルン・ミュンヘン(GER) イェンス・イェレミース Jens JEREMIES 1974/03/05 177cm 77kg ドイツ MF 1986-1995 ディナモ・ドレスデン(GER) 1995-1998 1860ミュンヘン(GER) 1998-2006 バイエルン・ミュンヘン(GER) ズヴォニミール・ソルド Zvonimir SOLDO 1967/11/02 189cm 85kg クロアチア MF/DF 1988-1990 ディナモ・ザグレブ(YUG) 1990-1991 NKザダル(YUG) 1992-1994 インケル・ザプレシッチ(CRO) 1994-1996 クロアチア・ザグレブ(CRO) 1996-2006 シュツットガルト(GER) ヨルグ・ベーメ Joerg BOEHME ヨアン・ミクー Johan MICHOUD ラース・リッケン Lars RICKEN 1976/07/10 178cm 72kg ドイツ MF 1993-2008 ボルシア・ドルトムント(GER) サミュエル・オセイ・クフォー Samuel Osei KUFFOUR クリスティアン・ヴェアンス Christian WORNS マルコ・レーマー Marko REHMER ビセンテ・リザラズ Bixente LIZARAZU 1969/12/09 169cm 72kg フランス DF 1984-1996 ジロンダン・ボルドー(FRA) 1996-1997 アスレティック・ビルバオ(ESP) 1997-2004 バイエルン・ミュンヘン(GER) 2004 オリンピック・マルセイユ(FRA) 2005-2006 バイエルン・ミュンヘン(GER) イェンス・ノヴォトニー Jens NOWOTNY ウィリー・サニョル William "Willy" SSAGNOL クリスティアン・ツィーゲ Christian ZIEGE 1972/02/01 186cm 82kg ドイツ DF/MF 1990-1997 バイエルン・ミュンヘン(GER) 1997-1999 ACミラン(ITA) 1999-2000 ミドルスブラ(ENG) 2000-2001 リヴァプール(ENG) 2001-2004 トッテナム・ホットスパー(ENG) 2004-2006 ボルシアMG(GER) オリヴァー・カーン Oliver KAHN 1969/06/15 188cm 91kg GK 1987-1994 カールスルーエ(GER) 1994-2008 バイエルン・ミュヘン(GER) アンドレアス・ラインケ Andreas REINKE 1969/01/10 192cm 96kg ドイツ GK 1990-1993 ハンブルガーSV(GER) 1993-1994 ザンクト・パウリ(GER) 1994-2000 カイザースラウテルン(GER) 2000-2001 イラクリス(GER) 2001-2003 ムルシア(ESP) 2003-2007 ブレーメン(GER)
https://w.atwiki.jp/avin_unicorn/pages/387.html
クエスト紹介街 リスボン 必要スキル 探索1 剤宝鑑定3 開錠1 報酬 難易度 ☆☆☆☆ 発見物 ドイツ騎士団長の剣 アイテム ドイツ騎士団長の剣 その他 攻略順序 リューベックの交易商 → リューベック郊外 投稿者・海老
https://w.atwiki.jp/kuniodb/pages/2091.html
きほん じょうほう しゅーとタイプ いろかえ しゅーと印 ド POW/SPINタイプ ふつう/つよい くわしく ドイツふう ぎゃくだえんだま ぎゃくだえんボールと こうかが ほぼ いっしょ らんく POW数値 SPIN数値 にゅうしゅ ばしょ SSS 115 +32~41 120 +33~42 SS 115 +28~36 120 +29~37 No.05ふくびき S 115 +24~31 120 +25~32 A 115 +20~26 120 +21~27 B 115 +16~21 120 +17~22 C 115 +12~16 120 +13~17 D 115 +8~11 120 +9~12 ※POW,SPIN数値は暫定値 そのた じょうほう このページを編集 コメント 名前 すべてのコメントをみる タグ:'いろかえ' 'しゅーと' '頭文字と'
https://w.atwiki.jp/tancolle/pages/137.html
ドイツェン・デイリー社とは、惑星アミティアに本社を置く大手製造企業の1つで、家電製品の設計から生産までを手掛けているアミティアンの会社である。 メトラクルシステムを搭載した「M-37スペラネグゼ」で大々的にデビューした歴史を持ち、アミティル連邦圏では建物から宇宙船に至るまで広く使われ続けているベストセラー製品として認知されている。 この他にもオペレータードロイドやメディアプレイヤー、記憶デバイス等、幅広い家電製品を製造し、好評を博している。 基準年代の社長はアミティアンで、ロンディ・グレーヒスという名前である。 <報告> 民間企業だって忘れてないんや(何様)。ドイツェンと聞いてドイツと連想したそこのあなた、大正解だ(`・ω・´) 一応オリジナル企業なんやで(おい)
https://w.atwiki.jp/kut19/pages/28.html
科目概要 共北37 石田 レポートはなさそう 定期試験はありそう 出席確認あり 授業の傾向と対策 この授業で学んだことを実習の時間で活かせば、良い復習になる。ドイツ語の講義が火曜日と金曜日という時間割のおかげでドイツ語から離れすぎることがないのがgut. 話は時々それるが、おもしろい。 そのため一部の生徒にかなりの人気がある。 評価方法だが、シラバスによると「平素の授業への取り組み方も、重要な成績評価の対象となる。」が、これだと試験があるのかどうかはわからない。 先生は授業中の居眠り(特に机にべったり張り付くような居眠りを)をひどく嫌うようで、実際5月25日の授業では45分間授業をした後ボイコットを行った。そのため、この授業中の居眠りはほかの全生徒の不利益となるので極力避けたい。 ということでこの授業に関しては、横の席の人が居眠りをしていたら、自分たちのためにも起こしてあげよう。 テストの傾向と対策・過去問 2007年度前期試験の内容と予想配点は次の通り。 問題用紙と解答用紙が一体型になっており、問題は全て回収された。 名刺格変化の穴埋め問題(各3カ所ずつ10語、計30カ所)[30=1x30] 人称代名詞格変化の穴埋め(各3カ所ずつ6語、計18カ所)[18=1x18] 動詞人称変化(6語、不規則のものと思われる)(各語完答)[24=4x6] 文章の穴埋め問題(8カ所、前置詞・冠詞・代名詞など)[16=2x8] 文章書き換え(3題、語順変化)[12=4x3] 教員はやや簡単になりすぎたと言っており、今後難化する可能性がある。 この内容のままなら一夜漬け組が勝ち、真面目組が負けそう。