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人材情報 列伝 NSドイツの空軍軍人。 かつてパイロットとして名を馳せたドイツの空の英雄。 アドルフの演説に魅了され党に入党。 その後彼女の信認を得て空軍総司令官に任命され、 当時壊滅的だったドイツ空軍の再建の指揮を執り、それに尽力する。 大戦では急降下爆撃機を主軸とした戦略で活躍したが、 それに固執し後続機の開発を怠った為に、 大戦が伸びるにつれ劣位を露呈して敗北を重ねていき、 アドルフから冷遇されていった。 台詞 雇用時 「私は軍人だ。 軍人だからには、それに恥じる行為は行わないと誓おう。」(汎用) 「私の荷物の中にアコーディオンがあるんだが。 取ってきては貰えないか?」(S4) 退却時 「英雄に相応しい末路だな」 ボイス + 待機時 「ハイルマインフューラー!」 「視界良好、今日も良い戦争日和だ」 「恋愛と戦争では全ての行為が許される」 「欲しい物は手に入れる、それが我々だ」 「今日も今日とてごくろうな事だ どうせ我々に殺されると言うのに」 + 前進時 「さて、戦争をしようか」 「いいだろう、悪夢を見せてやろう」 「軍人は軍人らしく、戦いで語ろうか」 「破壊する目標が多くて 随分楽しそうではないか、なあ諸君」 「彼らが喇叭を吹くのなら こちらも吹こう、ジェリコの喇叭を」 + 互角時 「敵が乱れた所を一点突破せよ」 「躊躇わぬ事より 戦争に求める事は無い」 「塹壕に隠れても無駄だ 黒き鷲は全てを暴く」 「この程度の抵抗では こちらが焼き尽くす方が早いな」 「それにしても無駄な事を 我らに勝てる気でいるとはな」 + 優勢時 「ジークハイル!」 「見ろ!燃え盛っているな!」 「鉄鳥が勝利の鐘を鳴らしに来たぞ!」 「私の良心は 全て総統様に預けて来た」 「地の果てまで追い掛け回せ 海までは逃げられないだろうからな」 + 劣勢時 「高射砲部隊は何をしている!」 「我々も、一人なら立派なんだがな」 「こんなんでは爆撃機も役に立たんな」 「これまでやられた仕返しか 程度が低い奴らめ」 「我々の空軍は何処だ…? 世界最強のドイツ空軍は……!」 基本情報 人種 ゲルマン民族 性別 男性 クラス エスクワイア exp_mul 120 HP 3500 MP 100 攻撃 105 防御 135 魔力 80 魔抵抗 70 素早さ 60 技術 90 HP回復 36 MP回復 16 移動力 160 移動タイプ 航空 召喚数 6 召喚レベル 70% 成長率(%) HP MP 攻撃 防御 魔力 魔抗 技術 HP復 MP復 exp_mul 12 3 12 10 8 5 10 5 3 120→122→125→129(Lv.10ごとに増加) 耐性 斬撃 打撃 刺突 突撃 銃 狙撃 砲 火 水 風 土 光 神聖 空 +4 -2 +2 +4 -1 -2 -3 +2 +2 -4 +4 +1 +1 0 幻覚 混乱 恐慌 石化 沈黙 毒 麻痺 即死 ドレイン 吸血 魔吸 闇 死霊 精神 0 0 +4 0 0 +2 +2 +2 -1 -1 -1 +1 +1 0 スキル 個人スキル スキル名 使用可能Lv. 攻撃倍率 発動距離 射程 属性 消費MP 備考 航空集中火力支援 1~19 攻撃×35% 2000 砲 (必殺技)「範囲攻撃」「ノックバック」「10連射」「ASD:30%」「連続使用不可」 交差爆撃 20~ 攻撃×35% 2000 砲 (必殺技)「範囲攻撃」「ノックバック」「6連射」「ASD:30%」「連続使用不可」 クレイモア 1~ 攻撃×150% 近接 斬撃 「貫通」「範囲攻撃」「2連射」 オピオイド 1~ (攻撃+技術)×100% 500 補助:HP回復 50 ※騎士剣系のスキルは習得しない リーダースキル スキル名 使用可能Lv. 攻撃倍率 発動距離 射程 属性 消費MP 備考 ジェリコの喇叭 1~ 400 精神 80 「加速:200%」「再使用:3」「ASD:60%」「貫通」「範囲攻撃」「ノックバック:硬直」 情報伝達(攻撃) 1~ 技術×100% 250 補助:攻撃力上昇 0 「連続使用不可」 アシストスキル スキル名 使用可能Lv. 攻撃倍率 発動距離 射程 属性 消費MP 備考 エアボーン 10~ 2000 2000 招集技 (必殺技)「召喚:空挺突撃連隊×9」「連続使用不可」 部隊スキル HP+35%、攻撃力+25%、魔抵抗+25%、HP回復+15、移動力+100%、 移動タイプ変更:航空、恐慌耐性+2、混乱耐性+2、 キャラ特徴 全般 航空タイプ付与と移動力+100%の組み合わせは強力。 オピオイドを使えるようになり加速スキルも強化されたので強襲部隊として使いやすくなった。 一方で爆撃スキルの威力やアシストエアボーンの存在を考えると陪審としても非常に魅力的である。 特にドイツでは突撃に適した人材が揃っているので、早い段階で航空司令官の座を降りて貰うのも1つの手。 ルートヴィヒの加入に合わせるのが理想的か。 操作方法 航空移動により自身も部下も空を飛ぶ上に耐久面もそれなりに上がる。 アイテム屋を縛ってなければ銃を持たせ近接兵科を部下にすると純粋に強い。 エスクワイア、装甲歩兵、胸甲騎兵はそれぞれ強みが違うので好みで選ぼう。 シュトーストルップや機動砲兵辺りを率いさせても強い。空飛ぶ頑丈な銃兵や砲兵は戦術面の幅を大きく広げてくれる。 アシストスキルにエアボーンを持つ。 同僚のルートヴィヒに高レベルの召喚スキルを付与させる事も可能。 航空移動を捨てるのは非常に勿体ないが、実は彼のエアボーン(ドイツエアボーン)で出てくるのはシュトーストルップと戦闘工兵のみという最高の性能を持っており、他のエアボーンとは継戦能力がまるで違う。 もちろん簡易要塞と塹壕も吐き出すので、ルートヴィヒが育ったら陪審にしてしまう価値は充分にある。 敵対時対処法 爆撃後ジェリコの喇叭を鳴らしながら突っ込んでくる。 エスクワイア人材の常で弾幕を張ればあっさり落ちるので対処は楽。 シナリオ雇用 人種 アングロ・サクソン人、ゲルマン民族、中華民族 クラス エスクワイア、装甲歩兵、胸甲騎兵、竜騎兵、近代歩兵、選抜猟兵、戦闘工兵、シュトーストルップ、ヴェアマハト、機動砲兵、中砲兵、マグス・シーカー 勢力のマスターとして 元ネタ ヘルマン・ゲーリング アイテムを使わない方針ならルートヴィヒの陪臣候補。最高レベルの部隊スキルを誇るルーデンドルフを使わずに、高レベルエアボーンが使用可能になる -- 名無しさん (2020-05-28 09 14 12) モルヒネ常用するのかこのデブは、、、、 -- 名無しさん (2021-05-06 08 10 04) 名前 コメント
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※この他モブ多数。 南極国家「第零遊撃部隊」 艦隊「第零遊撃部隊」 戦艦「出雲」搭乗員 艦長 副長 井吹水測長 筒井通信長 麻倉少尉 真城軍医長 飯馬烹炊長 見張り員 ズキン 戦艦「出雲」飛行隊 ネームズ隊 空母「伯耆」飛行隊 スカーフェイス隊 クラバック隊 ツヴォルフ隊 バッグ隊 トック隊 オフィサーズ隊 グレアム服部少佐 強襲揚陸艦「ナマモノ飼育小屋」搭乗員 池部水兵長 特殊工作員 駆逐艦「伊弉冉」搭乗員 谷中水雷長 菊政 工作科 空野上等工作兵曹 芹沢一等工作兵 山根上等工作兵 田所工作兵曹 木手上等工作兵 伊集院上等工作兵 殺助 ドラ江 衛生科 緑川衛生兵長 須藤軍曹 第零遊撃部隊付属陸戦隊 小松中尉 戦場太郎 武宮大佐 第一歩兵中隊第零偵察小隊第三分隊 片山軍曹 平井伍長 山中一等兵 鴉越一等兵 畑上等兵 丹治兵長 楽一等兵 久石伍長 森下二等兵 藍沢一等兵 灰塚一等兵 織笠兵長 稲葉二等兵 軍楽隊 涼原一等軍学兵曹 広報課 遠藤少尉 憲兵隊 白居少尉 艦魂 出雲 ルフトシュピーゲルング スワン子 敷島(艦魂) 栓抜(艦魂) 磐手(艦魂) 伊弉冉(艦魂) 艦隊「第壱遊撃部隊」 艦魂 ヴォルケンクラッツァー サン・フェアリー・アン 艦隊「無敵艦隊」 クロ提督 艦隊「第三救助艦隊」 空母「レイトン」飛行隊 チャールズ少佐 超巨大ドック艦「阿須波」搭乗員 ムスカ大佐 吉田中将 特殊研究機関 川上中佐 山村中佐 神宮司技術大佐 石川元帥 第零遊撃部隊司令部 司令部 高城司令 司令部直属偵察隊 スノーホーク 海軍工廠部 主任評価官 ウィルキア王国 ウィルキア近衛海軍 ナギ少尉 シュルツ少佐 大英帝国 大英帝国海軍 ハボクック艦長 フィリップス中将 大英帝国陸軍 SAS プライス大尉 第三帝国 第三帝国司令部 ヒトラー ヒムラー 陸空混成部隊「最後の師団」 ヨヒアム・パイパー ドイツ海軍 レーダー元帥 デーニッツ元帥 ドイツ空軍 ルーデル ガーデルマン 日本国 航空自衛隊 第403飛行隊 大日本帝国 大日本帝國海軍 君塚 辻大佐 米内大将 アメリカ合衆国 アメリカ合衆国海軍 ブラッタ副長 ブラッタ艦長 ロゼ ソビエト連邦 赤軍 レズノフ軍曹 クーデター組織"国境無き世界" ラリー・フォルク その他 人間 寺子 冴月麟 艦魂 大和 ヘル・アーチェ 車魂 シュガーサテラ ミケ
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第6話「いっしょだよ」の元ネタ解説翻訳 このページは常に有志の翻訳を募集中です。翻訳の修正はお気軽にどうぞ 目次 第6話「いっしょだよ」の元ネタ解説翻訳Hirschgeweih ("Stag's Antlers") Antennas Night Fighter Radars (FuG 220 Lichtenstein SN-2, FuG 218 Neptun...) Junkers Ju 52/3m Sanya singing the Jazz Piano Ballad (Schrage Musik) The sauna / Eila Miyafuji hidden behind a rock (The Ilmari Juutilainen's joke) Hirschgeweih ("Stag s Antlers") Antennas Night Fighter Radars (FuG 220 Lichtenstein SN-2, FuG 218 Neptun...) In 1943 the Luftwaffe was starting to deploy the powerful radar FuG 220 Lichtenstein SN-2. operating on a longer-wavelength 90 MHz(lower end of the US VHF FM broadcast band) frequency which was far less affected by electronic jamming, the SN-2 had a maximum range 5km, with a minimum range 500m, but this required the huge Hirschgeweih (stag‘s antlers) antennas. Hirschgeweih antennas were used on the fighter-bomber Messerschmitt Bf110 G-4, Heinkel He 219 A- 5, Messerschmitt Me 262 B-1a... Hirschgeweih (牡鹿の角)アンテナ 夜間戦闘機用レーダー(FuG220 Lichtenstein SN-2,FuG 218 Neptun...) 1943年、ドイツ空軍は強力なFuG220 Lichtenstein SN-2(リヒテンシュタイン)の配備を開始した。妨害の影響が極めて小さい90MHz(アメリカのVHF帯FMラジオ周波数の下端)という、より長い波長で運用されたSN-2の最大探知距離は5kmで、最小探知距離は500mだったが、巨大なHirschgeweih(牡鹿の枝角)アンテナを必要とした。 Hirschgeweihアンテナは、メッサーシュミットBf110G-4やHe 219A-5、Me262B-1aなどの戦闘爆撃機に使用された。 (訳注 アンテナの大きさは使用する電波の波長に制約され、波長が長ければアンテナもそれに見合って大きくなる) ※細部間違ってる可能性有 Junkers Ju 52/3m The Junkers Ju 52 (nicknamed Tante Ju - "Auntie Ju" - and "lron Annie") was a transport aircraft and bomber manufactured 1932 - 1945 by Junkers. It saw both civilian and military service during the 1930s and 1940s. In a civilian role, it flew with well over a dozen air carriers including Swissair and Lufthansa as an airliner and freight hauler. In a military role, it flew with the Luftwaffe as a troop and cargo transport, with a secondary role as a medium bomber. ユンカース Ju 52/3m Junkers Ju 52(通称Ju[ユー]おばさん、または鉄のアニー)は、1932年から1945年にかけてJunkers(ユンカース)によって生産された輸送/爆撃機。 Ju 52は1930~1940年代に軍用にも民生用にも見られた。民生用としては、スイス航空やルフトハンザを含む多数の航空会社によって旅客機や貨物機として運行された。 軍用としては、ドイツ空軍によって兵員や貨物の輸送、副次的任務として中型爆撃機として運用された。 ※細部間違ってる可能性有 Sanya singing the Jazz Piano Ballad (Schrage Musik) Schrage Musik, derived from the German colloquialism for Jazz Music, was the name given to installations of upward-firing cannon mounted in night fighters by the Lufwvaffe during World War ll. This allowed them to approach and attack British bombers from below, where they would be outside the bomber crew s field of view. The British bombers of that time generally carried no defensive guns in the ventral position. The ventral turret fitted to some early Lancasters was sighted by periscope from within the fuselage, and proved of little use - the fitting of a Sperry ball turret of the kind fitted to the B-17 Flying Fortress and B-24 Liberator would not have been practical as the British bombers had not been designed to use them - and sighting a target at night, for the ball turret gunner to aim at, might have been a problem as well. サーニャが歌ってるピアノジャズバラード Schrage Musik (斜めの音楽) Schrage Musik―ドイツの口語体で歌われるジャズを起源とする―は、上方(訳注 真上90度ではなく、大体65~70度に向けられている)を射撃するために夜間戦闘機にドイツ空軍によって第2次大戦中に取り付けられた機関砲の名前で、これによって英爆撃機の死角となる下方から接近し、攻撃することができた。 英爆撃機は当時一般的に機体下部には防御火器を搭載していなかった。初期に一部のLancaster(アヴロ ランカスター重爆撃機)に取り付けられていた下部銃座は機体の中から潜望鏡で照準されており、殆ど使えなかった―B-17 Flying FortressやB-24 Liberatorに搭載されているようなSppery Ball(訳注 機体下部後方に取り付けられていたボール状の機銃座)を搭載することを英爆撃機は考慮されておらず、これを搭載することは現実的でなかった。―し、夜間の照準は球状銃座の操作員にとっても困難だったろう。 ※細部間違ってる可能性有 The sauna / Eila Miyafuji hidden behind a rock (The Ilmari Juutilainen s joke) It was the more peaceful time of the Continuation War, and the squadron was in the back. There was constant threat of saboteurs, and feared by all outside guarded areas. One time the men were marching to sauna on a path through forest, in darkness. Suddenly a SMG fires from the woods and bullets whisked all around. The men flung themselves to the ground - and then they heard Illu s laughter. "Goddamn Illu, we could have shot you!" the men complained, after all each had a Nagan pistol on their belts. "You couldn t hit me. l m behind a big rock," came the answer from the night. サウナ/エイラ 宮藤が岩に隠れていた事 ((エイノ・)イルマリ・ユーティライネンのジョーク) 継続戦争の比較的平和な時期、中隊は後方に下がった。そこは常に工作員の脅威にさらされており、全員が警備区域の外に出ることを恐れていた。あるとき、彼らが暗闇の中森を越えてサウナへ行進していると、突然森からサブマシンガンで射撃され、弾が辺り一帯を薙いだ。彼らは地面に伏せた―そして彼らはIllu(訳注 「イッル」=ユーティライネンのニックネーム)の笑いを聞いた。 「忌々しいイッルめ!俺らが間違って撃ち返してたらどうするんだよ!(お前を撃つことだってできるんだぞ!)」 と彼らは抗議し、Nagan拳銃(訳注:多分ナガン・リボルバーことナガン1895)を取り出した。すると 「大丈夫。俺は今大きな岩の裏にいるからね。」 と闇の中から返事が返ってきた。 ※細部間違ってる可能性有
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連合軍第505統合戦闘航空団「ミラージュウィッチーズ」 司令グレーテ・M・ゴロプ 戦闘隊長アーリャ・V・アレリューヒン 隊員コンスタンティア・カンタクジノ ストヤナ・ストヤノワ ヴァシリーサ・M・ヴァシリアデス 犬房由乃 所属時期不明黒江綾香 注意:各ウィッチの英字表記・キリル文字表記・ギリシャ文字表記・誕生日はイメージモデル等からの推測も含まれます。 連合軍第505統合戦闘航空団「ミラージュウィッチーズ」 505th Joint Fighter Wing "MIRAGE WITCHES" 司令 グレーテ・M・ゴロプ GRETE M GOLLOB フルネームはグレーテ・マクシミリアーネ・ゴロプ(Grete Maxmiliane Gollob)等であると推測される。 所属 オストマルク空軍 階級 少佐 誕生日 6月16日 使用機材メッサーシャルフ Bf110 メッサーシャルフ Bf109 その他オストマルク中央に近いグラーツに生まれる。幼少時からウィッチとしての力が発現していた為、兵学校生徒としてオストマルク空軍へ入学。優秀な成績で飛行訓練を完了し、少尉任官の上、教育中隊の指導官となった。 優秀だが尊大かつ冷酷で、ユーモアを理解しない面白みのない人物だと評価されていたが、その教育中隊ではスパルタ教育で多くのウィッチが飛び方を学び、また戦場における生き延び方を身につけたと言われている。 中尉昇進と共にカールスラントから供与されたをBf110を使用する駆逐隊に配備され、オストマルク国境防衛の任に就く。防衛戦の中でBf109に機種転換。 ネウロイ襲撃時から多くのスコアを稼ぎ、リヴォフ方面での防衛の要となった。 ダキアの戦況悪化に伴い、トランシルヴァニア南方の都市アルトラントの防衛任務に就く。防衛の要地でもあるこの地で次々と撃墜数を増やしていった。戦況の悪化に伴い首都ブカレストが陥落、次いでオストマルク南方の要地である鉄門を突破され、ネウロイがオストマルク国内に侵入するが、部下の多くの撤退進言を退け防衛を続行。 この働きによって結果的にトランシルヴァニアはオストマルク、ダキア、モエシア陥落後に最後に残された人類の版図となるが、補給が無い状況での部隊や難民の維持は困難であり、苦渋の決断の末撤退を決断。 ネウロイの主力がいる西方への撤退は困難であり、逆にネウロイの根拠地である黒海方面へ撤退する計画で、これが後に「最も長い撤退戦」と呼ばれる激戦の始まりであった。 イメージモデル ゴードン・ゴロプ (1912-1987)フルネーム ゴードン・マックス・ゴロプ 撃墜数 150(ドイツ空軍24位) その他ドイツ空軍初(=人類初)の150機撃墜を達成した大戦初中期のエース。 メルダース、ガランドに続く、全軍で3人目の宝剣付き柏葉騎士鉄十字章授章者。 オーストリアのウィーン出身。グラーツで機械工学を学んだ後、砲兵としてウィーナー・ノイシュタットの士官学校に入校。卒業後は初め少尉でオーストリア空軍に配属され教官を務めていたが、ドイツによるオーストリア併合に伴いドイツ空軍に中尉で転籍、3/ZG76に配属された。乗機はBf110。 ポーランド空軍との戦闘で初撃墜を記録、以後バトル・オブ・ブリテン、バルバロッサ作戦等でスコアを伸ばす。 1942年8月29日、史上初となる150機撃墜を達成。柏葉騎士鉄十字章を授与されると、以降は飛行任務を禁止され本国に召還、様々な要職を歴任。大戦末期には罷免されたアドルフ・ガランドを継いで最後の戦闘機隊総監となる。 ユーモアを解さない堅物で、競争心強く尊大。ガランドとは対立しており、ドイツ空軍には少なかったナチストでもあった為に同僚や部下からの人望に乏しかった。 中世の騎士的な人気のあるルフトヴァッフェのエースの中でも、ヘルマン・グラーフと並び、珍しく悪役・憎まれ役的な印象の強い人物。 出典 第五〇一統合戦闘航空団全記録弐 第四集 戦闘隊長 アーリャ・V・アレリューヒン ALYA V ALELJUHIN キリル文字 Аля В Алелюхин フルネームはアレクサンドラ・ヴァシーリエヴナ・アレリューヒン(Alexandra Vasilievna Aleljuhin)であると推測される。 所属 オラーシャ空軍 階級 大尉 誕生日 3月30日 その他普段は物静かで親しみ易い性格だが、いざという時には威嚇するかのような強い威厳を発揮する。 指揮能力の高さと信頼できる人間性で、部下を強く引っ張って行く事ができる。 モスクワの北方250キロ程にあるケソヴァ・ゴラ村の出身で、工場労働者の父親の元で育つ。 本人はウィッチの素質があるとは思っておらず、普通の学生生活を送っていたが、やがてウィッチの力が発現したため飛行学校へと再入校。 卒業後チカーロフ軍事航空学校に入校。ネウロイ襲来前には中尉として黒海沿岸の港湾都市オデッサに送られた。オデッサでは戦闘機連隊の副司令を務めていたが、ネウロイ襲来に対しても冷静に部隊を統率して抗戦。 ネウロイの攻勢が強くなると連隊はオデッサからロストフへと移動し防衛を行う。クリミア半島に拠点を構えるゴロプ少佐達と知り合ったが、所属部隊の違いもあり、あまり親交はなかった。 ロストフからの撤退後、ツァリーツィンで人員不足のゴロプの部隊と共同で戦い、その中で親交を深めた。 撤退戦の中で大尉へと昇進し、その後もゴロプの右腕として第505統合戦闘航空団をまとめ上げている。共に有能でありながら、方や冷酷で傲慢、絶対的な威厳で部隊をまとめるゴロプと、物静かで笑いを絶やさず人当たりの良いアレリューヒンの組み合わせは、撤退戦の中で動揺しがちな部下達をまとめるのに適していたと思われる。 イメージモデル アレクセーイ・ヴァシーリエヴィチ・アレリューヒン (1920-1990)撃墜数 40 出典 第五〇一統合戦闘航空団全記録弐 第四集 隊員 コンスタンティア・カンタクジノ CONSTANTIA CANTACUZINO 所属 ダキア空軍第7戦闘航空群 階級 予備大尉 誕生日 11月11日 使用機材IAD80(改良型) その他裕福な公爵家に生まれ、幼少時から様々なスポーツで優れた成績を収めた才媛。親戚の所持している飛行学校で飛行訓練を受け、僅か2週間で基本レベルの航空ウィッチ訓練を終了している。 より高度な飛行免許も取得し、自家用航空機と旧式のストライカーユニットを購入。曲技飛行に磨きをかけていた。ネウロイ襲来直前の1939年にはダキア曲技飛行チャンピオンになっている程の腕前。 どんなユニットも扱えるという能力を持っており、戦場で手に入れたオラーシャ製やリベリオン製のユニットも、初使用であろうと問題なく使用する事ができる。 ネウロイ襲来に際し予備中尉として軍に招集され、ダキアの優秀なウィッチを集めた第53戦闘飛行隊に配属。 防衛に従事し、配属後僅か1週間にして初撃墜。その後も撃墜数を伸ばし予備大尉に昇進するも、公爵家という家柄から後方任務に下げられてしまう。 ネウロイの攻勢は強まる一方だった為、前線勤務を申請し続けたところ上層部も根負けし、第7戦闘航空群に配属された。 ダキア陥落の際は首都ブカレストの防衛の任に就いており、最後まで民衆を避難させる為戦い続けた。多少の夜間視力があったと言われており、ドラム缶数本の灯の中で夜間出撃を続けた。 多大な戦果を挙げていると思われるが、戦果を確認する人間がいなかった事と、必要以上に戦果を語らない本人の寡黙な性格から記録には残されていない。 ダキア陥落後はアルトラントに撤退、ゴロプ少佐率いる部隊と合流し戦闘を続け、「最も長い撤退戦」の末に第505統合戦闘航空団へ参加。 第506統合戦闘航空団の設立に際し連合軍司令部より転属の要請があったが、第505統合戦闘航空団と同部隊の支援を行っている扶桑陸軍の猛反対もあり実現には至らなかった。 イメージモデル コンスタンティン・カンタクジノ (1905-1958)愛称 「ブズ(Bâzu)」 撃墜数 43 その他ARR方式勝利数におけるルーマニア軍トップエース。 ブカレストで裕福な公爵家であるカンタクジノ家に生まれ、少年の頃から様々なスポーツに才能を示し、国内外問わず多数のトロフィーを得た。 27歳で親戚のイオアナ・カンタクジノが経営する私立の飛行学校に入り、講習僅か2週間で基本レベルの免許を取得。 その2年後に多発輸送機パイロットのライセンスを得てLARESに入社。 同年に自家用機としてフリートF-10D複葉機を購入、続いてコードロン、フリート、ICAR、ビュッカー等を購入、長距離飛行と曲芸飛行の経験を得、曲技で1939年のルーマニア・チャンピオンに選ばれるまで上達。 ソ連との開戦を前に予備役中尉として招集され、ARRのエリート戦闘機部隊のひとつ第53戦闘飛行隊に配属。開戦後はハリケーンを駆り、初実戦から1週間も経たぬうちに初撃墜を記録、その後もスコアを伸ばす。 この戦いが終わるとLARESに復帰し主席パイロットに昇進、この間にBf109Eへの機種転換コースへの参加やMiG-3への試乗を行なう。 実戦部隊復帰後はBf109Gに機種転換、第7戦闘航空群に配属され、順調にスコアを伸ばしシェルバネスクとトップ・エースの座を競う。 1943年6月から7月にかけて行われたソ連襲撃機に対する28度に上る夜間迎撃で、夜戦についての正式な訓練は全く受けていないにもかかわらず、ドラム缶数本の灯火に照らされた飛行場から出撃し応戦。 ルーマニアにアメリカ陸軍航空隊が出現するようになると、首都防衛を任務とする第7戦闘航空群第57戦闘飛行隊に配属されこれを迎撃。 1943年から1944年にかけて猩紅熱に倒れスコアを伸ばせなかったものの、シェルバネスクが戦死すると最終的にARRの勝利点ランクのトップとなった。 1944年8月23日にクーデターが発生するとアメリカ人捕虜のジェイムズ・ガン3世中佐を伴い連合軍に接触する為イタリアのフォッジアに飛行。乗機のBf109GをP-51Bと交換してしまい、全く操縦法を教わっていないにも関わらず難なく操縦し翌日帰投。 第7/9戦闘航空群司令に任命されて後は枢軸側のドイツ空軍と戦い、He111H、Fw190F等を撃墜。これによりルーマニアが交戦したソ連・アメリカ・ドイツの全ての空軍に対してエースとなった。 戦後は商業パイロットに復帰、旧LARESから改名されたTARSに戻るが、共産主義政権下でルーマニア人パイロットが迫害された事から亡命。フランス、次いでスペインに移住し没。マドリードに埋葬された。 貴族出身の予備士官で、飛行任務を軍人の義務というよりむしろスポーツと見なしていたカンタクジノは、正規士官であるシェルバネスクとは反りが合わなかったと言われる。 出典 第五〇一統合戦闘航空団全記録弐 第四集/第五〇一統合戦闘航空団全記録弐 第五集 ストヤナ・ストヤノワ STOYANA STOYANOVA キリル文字 Стояна Стоянова 所属 王立モエシア空軍 階級 中尉 誕生日 3月12日 その他モエシア空軍で最初のネウロイ撃墜を果たし、また最初にエースとなったウィッチ。 孤児の生まれで、父は小規模な怪異との戦いで落命している。 新聞配達をしながら戦争孤児の学校に通い、奨学金が出る事から士官学校へ入校。優秀な成績で卒業し騎兵少尉に任命される。 航空ウィッチとしての適正が判明すると王立陸軍士官学校の航空コースを受講。中尉に昇進し航空ウィッチとなった。 カールスラントに派遣され、ストライカーユニットでの高等戦術と多数のユニットを用いた機種転換訓練を終了し帰還。 航空学校の教官任務に就いた直後にネウロイが襲来し出撃、初撃墜を果たすも、基地にはカールスラントやオストマルク、ギリシャなどから派遣されたウィッチ部隊が駐留する事になり、国内のウィッチ育成の為に後方へと移動。 ダキアの陥落でモエシアにネウロイが迫ると、民衆を撤退させる為に最後まで基地に残って戦闘を続けるが、満身創痍で弾薬切れの寸前にアルトラントから来たゴロプ少佐の部隊に救出された。 負傷しておりアルトラントの基地に移動、回復の後ゴロプ少佐の部下として行動を共にし、「最も長い撤退戦」をくぐり抜けた。 個人としての戦闘技能の優秀さに加え指揮能力も高く、柔和な人柄から多くの人に好かれている。アレリューヒン大尉とは良く意見が合い、部下の面倒を任される事も多い。 イメージモデル ストヤン・ストヤノフ (1913-1997)撃墜数 14 その他ブルガリア初のエース。 出典 第五〇一統合戦闘航空団全記録弐 第四集 ヴァシリーサ・M・ヴァシリアデス VASILISSA M VASSILIADES ギリシャ文字 Βασίλισσα Μ Βασιλειάδης フルネームはヴァシリーサ・ミカエラ・ヴァシリアデス(Vasilissa Michaela Vassiliades)であると推測される。 所属 ギリシャ空軍 階級 准尉 使用機材ホーク・エアクラフト ハリケーン その他ギリシャのキオス島で裕福な船主の子供として生まれる。 家の伝統に従い海軍に入ろうと考えており海洋学校に入学したが、近隣を飛行するブリタニア空軍のストライカーユニットを見て空へ憧れるようになる。 空軍アカデミーへの転属を希望するが、魔法力不足と判断され入校する事は出来なかった。 海洋学校で教官を務める元ギリシャ海軍航空隊の退役ウィッチと知り合い、密かに旧式ユニットでの訓練を受ける。 その後ネウロイの襲撃を知ると退役ウィッチの推薦を受け直ちに空軍へと志願。著名な退役ウィッチからの推薦もあり受諾され、学生身分のままオストマルク方面防衛派遣軍の一員として送り出された。 ギリシャ空軍には過剰ユニットがなかった為、オストマルク方面に駐留していたブリタニア空軍で旧式のハリケーンを使用して実戦訓練を受けた後に少尉任官、モエシアに駐留していたギリシャ空軍部隊に配属された。 ダキア陥落後は、部隊が南方のギリシャへ撤退を開始した際に連絡のため滞在していたアルトラントに取り残され、そのままゴロプ少佐の指揮下に入った。 ウィッチとしては新米に数えられる。 イメージモデル バシリオス・ヴァシリアデス (1920-1945)フルネーム バシリオス・ミハエル・ヴァシリアデス 愛称 「ヴァス(Vass)」 撃墜数 11.5 その他 出典 第五〇一統合戦闘航空団全記録弐 第四集 犬房由乃 いぬふさ ゆの 所属 扶桑皇国陸軍飛行第50戦隊(推定) 階級 曹長 誕生日 3月31日 使用機材長島飛行脚 キ43一式戦闘脚 隼 その他元は陸軍の装甲歩兵で、陸上ウィッチとして扶桑海事変に参加していた。上空支援を行なっていた航空ウィッチが飛ぶ姿に憧れ、航空部隊への転属願いを出す。 戦況の悪化から航空ウィッチが不足しており、転属願いが受理され下士官学生として熊谷飛行学校へ入校。速成教育を受けた後、欧州派遣を視野に入れた野戦補充飛行隊に転属。優秀な成績を収め、カルパティア山脈での怪異監視任務の為の扶桑からの派遣ウィッチの一人に選抜される。 欧州派遣後はカールスラント方面で義勇飛行兵団の一員として活動を続けていたが、中型ネウロイとの戦闘中に被弾し墜落。墜落地点がダキアのカンタクジノ公爵の領地だった為、そのまま公爵家に留まり治療を受けた。 この際使用していたユニット(キ43)も損傷したが、ダキアのIRDに送られ新品同様に修理されている。IRDではこのキ43の調査結果を反映し、IRD80にキ43の構造を取り入れた新型ユニットの開発を検討。1機のみ作られた試作機はカンタクジノ予備大尉の元へ送られた。 扶桑陸軍では既に戦死したと見なされており、意識が戻った時点で原隊へ連絡したところ大変驚かれたという逸話が残っている。 傷が癒えた後も原隊に復帰せず、カンタクジノ予備大尉と行動を共にし「最も長い撤退戦」に従軍。 元装甲歩兵という経歴からかサバイバル能力に長けており、度重なる撤退戦の中で物資や食料の調達、水の確保、敵中突破等に多大な貢献を示す。バクーでの待機中、ペルシア湾方面の扶桑陸軍との連絡に成功し、ストライカーユニットや武器弾薬、物資の補給を受けて部隊を再編。 イメージモデル 大房養次郎 (1918-)撃墜数 19 その他中国・ビルマ・インド戦域における飛行第50戦隊のエース。 1930年に入営、ノモンハン事変で地上部隊の砲兵曹長として従軍。航空部隊の活躍を知り戦闘機パイロットへの転属を志す。 1942年6月、熊谷飛行学校に入校。卒業し仏印の第1野戦補充飛行隊に所属の後、錬成教育を受け1943年1月にビルマの飛行第50戦隊に配属。 1943年11月24日、ミートキーナ上空で第7爆撃航空群のB-24と交戦、1機を撃墜したものの、同機からの反撃で被撃墜。落下傘降下で脱出するもその後41日間を病院で過ごす。 復帰後は仏印・サイゴン・プノンペンと移駐しながらもスコアを伸ばし武功徽章(乙)を授与され、台湾で終戦を迎えた。 戦後は樋口に改姓。 出典 第五〇一統合戦闘航空団全記録弐 第四集/ワールドウィッチーズ扶桑皇国版 其の十二 所属時期不明 黒江綾香 くろえ あやか 所属扶桑皇国陸軍飛行第1戦隊(1937年) 扶桑皇国陸軍航空審査部(1945年) 階級少尉(1937年) 大尉(1939年) 少佐(1945年) 身長 170cm 年齢17歳(1939年) 22歳(1945年)『キミとつながる空』のキャラクター紹介では23歳、大尉となっている。 誕生日 2月17日 通称 「魔のクロエ」ネウロイに肉薄して扶桑刀で切り裂くという勇猛な戦いぶりから、賞賛と畏怖を込めて。 使い魔 薩摩犬 固有魔法 特性把握 使用機材長島飛行脚 九七式戦闘脚 ノースリベリオン P-51C その他扶桑海事変より参戦したベテラン。穴拭智子、加藤武子、加東圭子の「扶桑海三羽烏」と共に飛行第1戦隊に所属していた。 第47独立飛行中隊にて欧州に送られ、鬼神の如き戦いを繰り広げた。他人からは無謀ともみえる戦い方だが、明確な勝算があっての事。 扶桑刀による近接戦闘能力は歴代ウィッチの中でもトップクラスで、十指に入ると言われる。刀の切っ先に魔法力を集中させる事により、ネウロイのコアごと一刀両断する秘剣「雲耀」を会得している。大型ネウロイの撃墜にも成功している。 坂本少佐に7年振りの再会を求められた際、P51-Cのデータ収集を兼ねた模擬戦でこの技を披露、結果的に伝授する形になっている。(キミとつながる空) 大らかで明朗快活な上、気配りも出来る性格。 部隊運営能力も高く、部下に慕われ多くの部隊で転戦を繰り返した。部隊の士気高揚に長けており、地の底まで落ちていた第42統合戦闘飛行隊の士気を回復させた事は伝説となっている。 20歳で一度退役したが、前線に出ない事を条件に再志願、航空審査部に勤務しテストパイロットを務める。テストパイロットとしての能力も高く、ユニットの特性や出力バランス等を明確に数値化して表現出来るので技術者からも信頼されている。 趣味は魚釣りで、飛行第64戦隊配属時には暇さえあれば釣りばかりしていた。 イメージモデル 黒江保彦 (1918-1965)通称 「魔のクロエ」 撃墜数 51実数は30とも言われる。 その他陸軍士官学校出身者の中ではトップエース。 加藤建夫亡き後の長い期間、先任中隊長として飛行第64戦隊を実質的に取り仕切る。 有名な「飛行第六十四戦隊歌」に次ぐ、飛行第64戦隊のもう一つの隊歌「印度航空作戦の歌」の作詞者。 釣りがとても好きだった。 弱武装、低速の一式戦闘機「隼」でドイツ空軍も苦戦したP-51やモスキートを撃墜。 陸軍航空審査部でテストパイロットを務める。 戦後は航空自衛隊に参加して将官(空将補)まで登りつめ、小松基地司令を務める。 妻が止めるのに悪天候の中を海釣りに行って津浪にさらわれ死亡。 出典 コンプエース/世界の航空歩兵シリーズ/キミとつながる空/第五〇一統合戦闘航空団全記録弐 第一集/ストライクウィッチーズ零
https://w.atwiki.jp/strike_witches/pages/502.html
ストライクウィッチーズ世界のウィッチ一覧を作ろう! 修正、追記、変更などの編集はお気軽に。 記述の体裁など細かいことは気が向いた人がやってくれるでしょう。 2010年9月19日にページの分割について提案されました。編集人の方はご意見をお願いします。 注意:各ウィッチの英字表記・誕生日はイメージモデル等からの推測も含まれます。 +オストマルク オストマルクオストマルク空軍グレーテ・M・ゴロプ エウゲーニャ・ホルバチェフスキ アレクサンドラ・シェルバネスク ラウラ・トート カールスラント空軍ヴェスナ・ミコヴィッチ ヴァルトラウト・ノヴォトニー ブリタニア空軍スターシャ・スカルスキ ヴィクトリア・ウルバノウィッチュ オストマルク イメージモデル オーストリア=ハンガリー帝国 オストマルク陥落後、カールスラント、ブリタニアなどの空軍に編入されて、あるいは各国空軍でオストマルク人部隊を編成して活動しているウィッチも多いため、分類は不明瞭である。 オストマルク空軍 グレーテ・M・ゴロプ GRETE M GOLLOB フルネームはグレーテ・マクシミリアーネ・ゴロプ(Grete Maxmiliane Gollob)等であると推測される。 所属 オストマルク空軍 階級 少佐 誕生日 6月16日 使用機材メッサーシャルフ Bf110 メッサーシャルフ Bf109 その他オストマルク中央に近いグラーツに生まれる。幼少時からウィッチとしての力が発現していた為、兵学校生徒としてオストマルク空軍へ入学。優秀な成績で飛行訓練を完了し、少尉任官の上、教育中隊の指導官となった。 優秀だが尊大かつ冷酷で、ユーモアを理解しない面白みのない人物だと評価されていたが、その教育中隊ではスパルタ教育で多くのウィッチが飛び方を学び、また戦場における生き延び方を身につけたと言われている。 中尉昇進と共にカールスラントから供与されたをBf110を使用する駆逐隊に配備され、オストマルク国境防衛の任に就く。防衛戦の中でBf109に機種転換。 ネウロイ襲撃時から多くのスコアを稼ぎ、リヴォフ方面での防衛の要となった。 ダキアの戦況悪化に伴い、トランシルヴァニア南方の都市アルトラントの防衛任務に就く。防衛の要地でもあるこの地で次々と撃墜数を増やしていった。戦況の悪化に伴い首都ブカレストが陥落、次いでオストマルク南方の要地である鉄門を突破され、ネウロイがオストマルク国内に侵入するが、部下の多くの撤退進言を退け防衛を続行。 この働きによって結果的にトランシルヴァニアはオストマルク、ダキア、モエシア陥落後に最後に残された人類の版図となるが、補給が無い状況での部隊や難民の維持は困難であり、苦渋の決断の末撤退を決断。 ネウロイの主力がいる西方への撤退は困難であり、逆にネウロイの根拠地である黒海方面へ撤退する計画で、これが後に「最も長い撤退戦」と呼ばれる激戦の始まりであった。 イメージモデル ゴードン・ゴロプ (1912-1987)フルネーム ゴードン・マックス・ゴロプ 撃墜数 150(ドイツ空軍24位) その他ドイツ空軍初(=人類初)の150機撃墜を達成した大戦初中期のエース。 メルダース、ガランドに続く、全軍で3人目の宝剣付き柏葉騎士鉄十字章授章者。 オーストリアのウィーン出身。グラーツで機械工学を学んだ後、砲兵としてウィーナー・ノイシュタットの士官学校に入校。卒業後は初め少尉でオーストリア空軍に配属され教官を務めていたが、ドイツによるオーストリア併合に伴いドイツ空軍に中尉で転籍、3/ZG76に配属された。乗機はBf110。 ポーランド空軍との戦闘で初撃墜を記録、以後バトル・オブ・ブリテン、バルバロッサ作戦等でスコアを伸ばす。 1942年8月29日、史上初となる150機撃墜を達成。柏葉騎士鉄十字章を授与されると、以降は飛行任務を禁止され本国に召還、様々な要職を歴任。大戦末期には罷免されたアドルフ・ガランドを継いで最後の戦闘機隊総監となる。 ユーモアを解さない堅物で、競争心強く尊大。ガランドとは対立しており、ドイツ空軍には少なかったナチストでもあった為に同僚や部下からの人望に乏しかった。 中世の騎士的な人気のあるルフトヴァッフェのエースの中でも、ヘルマン・グラーフと並び、珍しく悪役・憎まれ役的な印象の強い人物。 出典 第五〇一統合戦闘航空団全記録弐 第四集 エウゲーニャ・ホルバチェフスキ EUGENIA HORBACZEWSKI 所属義勇オストマルク空軍 オストマルク飛行隊「オストマルク飛行隊」はブリタニアに避難したオストマルクおよび周辺諸国のウィッチを集めた部隊の通称。 第43戦闘機中隊 階級 大尉 身長 159cm 年齢 17歳(1944年) 誕生日 9月28日 使い魔 狼 固有魔法 不明 使用機材ウルトラマリン スピットファイアMk.IXブリタニア軍のMk.Vにマーリン60を搭載したもの。 ノースリベリオン P-51Bブリタニア向けモデル「マスタングIII」 使用武器 M1928A1短機関銃ほかドラムマガジン付きのものを二挺持ちしている。 遠距離戦に不向きな短機関銃であることを指摘されたが、超至近距離に接近すればよいと取り合わなかった。 愛称 「ホービー」 その他オラーシャ帝国キエフの生まれで、実家の商売の都合でオストマルクのレンベルクに移住。実態はエウゲーニャの魔法力発現によりウィッチ幼年訓練学校に入学させるためだったとされる。 初等訓練で航空ウィッチの適性が判明し、グラーツの上級学校に進学。 1939年に少尉任官を予定していたが、ネウロイの侵攻により初陣前にガリア、ブリタニアへと避難した。 ブリタニアで再編されたオストマルク軍で再訓練を受け、少尉任官してブリタニア防空に従事、初戦果を挙げ中尉に昇進。北アフリカ戦線・チュニジアに派遣されて戦いを続け、第43戦闘機中隊の隊長となる。 1944年秋のガリア解放後、ブリタニア空軍の要望でオストマルク飛行隊を北アフリカに残すこととなり、そのための新設部隊の戦闘指揮官に任じられている。あわせて使用機材もP-51Bに更新。 童顔で人懐っこい人柄ながら、生粋のファイターパイロット。 イメージモデル エウゲニウシュ・ホルバチェフスキ(1917-1944)撃墜数 17.5 愛称 「ホービー」 その他ポーランド人エース・パイロット。ドイツのポーランド侵攻後イギリスに亡命し、イギリス空軍のポーランド人部隊で活動。 スタニスワフ・スカルスキの率いるポーランド人戦闘機隊の一員として北アフリカ戦線に参加した。 1944年、戦死。 出典 WORLD WITCHES アレクサンドラ・シェルバネスク ALEXANDRA ŞERBǍNESCU 所属オストマルク空軍第7戦闘航空群第57戦闘飛行隊 カールスラント空軍第3戦闘航空団オストマルク人部隊 第1オストマルク独立飛行隊 連合軍第503統合戦闘航空団「タイフーンウィッチーズ」 階級 中尉 誕生日 5月17日 使い魔 シェパード 使用機材メッサーシャルフ Bf109 その他開戦前からウィッチとして飛行しており、第7戦闘航空群第57戦闘飛行隊にて南方国境線の防衛任務に就いていた。 オストマルク陥落の際に殿軍として民衆の撤退を助け、そのまま敵中に残されるが、壊滅を前にしてカールスラント空軍JG3に救出され、共にオラーシャ方面へ撤退。ウィッチが地上整備員を背中に乗せて強行突破するほど苛烈な撤退戦となった。 その後もJG3所属のオストマルク人部隊として戦闘を続け、タイフーン作戦時には新設の第1オストマルク独立飛行隊に所属して戦った。地上ネウロイとの戦闘中に負傷、顔に傷を負っている。 勇猛果敢な戦い振りを買われ、第503統合戦闘航空団が設立された際にスカウトされた。 規律に厳しい。服装がだらしないボニン中佐は天敵。 声優 村中知 イメージモデル アレクサンドル・シェルバネスク (1912-1944)所属 ルーマニア王国空軍 愛称 「アレク(Alecu)」 撃墜数 44 その他スターリングラード、東部戦線で活躍した、連合軍機に対するARRトップエース。撃墜数では1位だが、ARR方式の勝利数算定法に基づきルーマニアでは第2位のエースとされている。 オルト州コロネスティーヴライチに生まれ、1933年にシビウの歩兵士官養成学校を卒業して少尉任官、ブラショフの山岳兵部隊に入隊。 1939年初頭に空中観測員学校に入校、同年に飛行資格を取得し、1940年に飛行学校入校。10月31日に戦闘操縦士資格を獲得、PZL P.11、IAR80、次いでBf109Eを操縦。 1942年4月、中尉で第7戦闘航空群に転属し、第57戦闘飛行隊の一員としてスターリングラードで初出撃するが、間もなく飛行隊長が戦死したため、隊長代理を命ぜられた。 同9月17日、スターリングラード北東でYak-1を撃墜、これを皮切りに戦功を重ねると、1943年3月6日に大尉に進級。その後、30名の選抜パイロットから成るドイツ空軍第3戦闘航空団内の実験部隊「ドイツ=ルーマニア王国戦闘団」が編成されると、この合同部隊に配属されるARRの三つの飛行隊のひとつ、第57戦闘飛行隊の指揮官に任命された。 1943年6月1日に同戦闘団が解散すると、シェルバネスクとその飛行隊は第1ルーマニア航空軍団に属し勝利を重ね、7月5日には航空有功騎士十字章を授与された。 その4日後、敵軍縦隊を機銃掃射中に地上放火で顔面を負傷。辛うじて基地に不時着したものの、傷が癒えたばかりの8月20日に再び負傷。顔面に傷跡を残す事となった。 8月から9月にかけて大きくスコアを伸ばし、ミハイ勇敢公勲章三級、一級鉄十字章を授与される。10月10日には敵味方の中間地点に不時着するも、第4山岳師団に救出された。 ソ連との戦闘が激化するとカンタクジノのスコアを追い抜くが、アメリカ陸軍航空隊の参戦により、1944年8月18日にP-51に撃墜され戦死。機体の無線機が故障しており、高高度での奇襲時に僚機からの警告を聞くことが出来なかったためとされる。 ARRパイロットでも受勲の前例のないミハイ勇敢公勲章二級の授章を推薦されたが、その死からわずか5日後にルーマニアが連合国側に陣営を鞍替えした為、実現しなかった。 枢軸国への〝裏切り〟前に戦死した事により伝説となったパイロットで、共産主義体制崩壊後に威光を取り戻し、ブカレストの大通りのひとつにその名を残している。 出典 第五〇一統合戦闘航空団全記録弐 第三集/島田フミカネ Twitter(1)(2) ラウラ・トート LAURA TOTH 所属オストマルク空軍第5戦闘飛行隊 第501統合戦闘航空団「ストライクウィッチーズ」 ワイト島分遣隊 階級 少尉 身長 162cm 年齢 17歳(1944年末) 誕生日 8月25日 使い魔 チロリアン・ハウンド 使用機材メッサーシャルフ Bf109G6「アンカ」と名付け、自ら整備している。 使用武器MG42 (Maschinegeweher 42) 固有魔法 『感覚加速』知覚を加速させることで、敵の攻撃を見てから回避するなど、周囲の状況に迅速に対応できる。 その他ワイト島分遣隊で一番の実力者。 501JFW結成時(アニメ1期開始より前)のメンバーのひとり。オストマルクからの撤退戦で多くの仲間を失ったことが原因で、仲間を作らず独りよがりな戦いを続けていた。 唯一心を開く友人だったランガー中尉が501JFWから異動したため隊内で孤立し、ワイト島に転属させられる。 ワイト島分遣隊解散(アニメ1期終了時点)後は、オストマルク方面に戻った模様。 イメージモデル ラヨシュ・トート (1922-1951)撃墜数 28 その他東部戦線から終戦までを戦い抜いたハンガリー軍第3位のエース。 158回の出撃で一級及び二級鉄十字章をはじめ数々の叙勲を得、受勲の高さでは2位。 戦後は共産主義政権下で投獄され、1951年6月11日に処刑された。 出典 片翼の魔女たち/WORLD WITCHES 2018 カールスラント空軍 ヴェスナ・ミコヴィッチ VESNA MIKOVIČ 所属オストマルク空軍第10戦闘機中隊 カールスラント空軍第52戦闘航空団第15中隊JG52第15中隊はほぼオストマルク人で構成された部隊。 スオムス義勇独立飛行中隊 連合軍第507統合戦闘航空団「サイレントウィッチーズ」 階級 曹長(『ブレイブウィッチーズPrequel』3巻当時) 身長 161cm 年齢 17歳(1944年?) 誕生日 1月7日 使い魔 クロアチアン・シープドッグ 固有魔法 不明 使用機材 メッサーシャルフ Bf109G2 使用武器 MG42 その他透き通る声を持つ。 真面目で空では大胆で恐れ知らずな腕の良いウィッチ。 JG52ではロスマンから空戦技術の薫陶を受けるいっぽう、クルピンスキーから色々と誘いを受けていた。違法なことは教えてないんだ by クルピンスキー 僕にはヴェスナみたいな純真な子を悪の道に染めることはできないよ by クルピンスキー ミコヴィッチ曹長も、さっさとクルピンスキーのことを忘れればいいの by ロスマン 先生の好きな人は誰です? by ヴェスナ 1943年1月、スオムス義勇独立飛行中隊に転属。戦果を挙げる1945年、新たに配属された三隅美也の案内中に長距離偵察ネウロイを共同撃墜。 イメージモデル ヴェカ・ミコヴィッチ(1914-1942)撃墜数 12~14 その他二次大戦期、ドイツのユーゴスラビア侵攻により作られたクロアチア独立国空軍のエース。 独ソ戦に参加し、1942年にクロアチア最初のエースのひとりとなる。 出典 『ブレイブウィッチーズPrequel』 ヴァルトラウト・ノヴォトニー WALTRAUT NOWOTNY 所属オストマルク空軍 カールスラント空軍第54戦闘航空団第1飛行隊司令 連合軍第503統合戦闘航空団「タイフーンウィッチーズ」 階級 大尉 誕生日 12月7日 使い魔 グレートデーン 使用機材フラックウルフ Fw190A-4(白の8号機) フラックウルフ Fw190D-9(白の8号機、試作型) フラックウルフ Fw190D-9(白の8号機、後期生産型) メッサーシャルフ Me262A-1a(110400号機)一時帰国中に131先行実験隊を見学した時に使用したユニット。偶然ながら「白の8番」であった。 東部戦線には後期生産型は配備されていないと考えられていたが、鮮明な写真の発見で判明した。 その他真面目で人格者。個人能力が優れているのみでなく、指揮能力も極めて高い。部隊としての撃墜数を伸ばす事ができる。 この指揮能力をサフォーノフ中佐とボニン中佐に買われ、第503統合戦闘航空団設立と同時に戦闘隊長に任命され、戦闘指揮全般を任された。 ネウロイ襲来と共にオストマルク空軍に入隊し、ウィーンのウィッチ学校に入校。 速成教育を受け、卒業後はカールスラントのJG54に間借りして編成されていたオストマルク錬成中隊に配属。新人ではあったが、最前線で優秀な教官による実戦訓練を受け、着実に技量を高める。 オストマルク陥落後は正式にJG54の一員となり、オラーシャ方面へ避難する民衆を護衛しながら撤退。撤退作戦中、撃墜されてアゾフ海に墜落、3日間の漂流の末に救出される。 被撃墜を経験しながらも確実に技量を向上させ、特にタイフーン作戦では大きく戦果を伸ばす。大尉に昇進後、反抗部隊として設立された第1飛行隊の司令となる。 その後の活躍は目覚しく、わずか1ヶ月の間に49機撃墜、その翌月には45機の撃墜を果たし、更にその翌月、わずか10日間のうちに32機の撃墜を果たすという驚異的な戦果を重ねた。名だたるエースウィッチの多いカールスラントでも、初の撃墜数250機達成を果たした。 イメージモデル ヴァルター・ノヴォトニー (1920-1944)通称 「Tiger vom Wolchowstroj」 愛称 「ノヴィ(Nowi)」 撃墜数 258(ドイツ空軍第五位) その他オーストリア出身。 史上初めて250機撃墜を記録し、1943年8月には月間49機撃墜。中隊長昇格後の急激なスコア上昇に定評がある。 統率力に優れ、ノヴォトニーの率いるシュヴァルムは1942~43年にかけて合計戦果450機撃墜を記録。 バルクホルン、ラル、キッテルの上位3人が手にする事のなかった宝剣付柏葉騎士鉄十字章を授章した27人のうちの一人。 Fw190の液冷エンジン搭載型であるFw190D-9の開発において、Fw190の設計者のクルト・タンク博士に協力し、実戦テストを務める。 世界初のジェット戦闘機による実戦部隊であるコマンド・ノヴォトニーの指揮官を務め、自らMe262に搭乗し出撃。 1944年11月8日、アッハメール基地上空で交戦中エンジントラブルが発生、訪問中だったアドルフ・ガランドの目前で墜死。状況から敵機に撃墜されたものと思われるが、直接の原因は不明。この最後について、当時基地の離着陸場で他大勢と共にノヴォトニーとの無線通信を聞いていたヘルムート・レンナルツがコメントを残している。 死後、Me262による本土防衛部隊である第7戦闘航空団(JG7)には「ノヴォトニー」の名が冠された。 出典 第五〇一統合戦闘航空団全記録 第五集/第五〇一統合戦闘航空団要略増補記録集/第五〇一統合戦闘航空団全記録弐 第三集/第一独立特殊作戦航空団全記録/第五〇一統合戦闘航空団全記録参 第五集/島田フミカネ Twitter(1)(2) ブリタニア空軍 スターシャ・スカルスキ STASJA SKALSKI 所属 ブリタニア空軍第601飛行隊 階級 少佐 誕生日 11月27日 愛称 「スカル」 使用機材ウルトラマリン スピットファイアMkVIII(JF447) その他オストマルク陥落後はガリアやブリタニアに撤退し、同朋と共にオストマルク義勇軍として戦い続けた。 イメージモデル スタニスワフ・スカルスキ (1915-2004)撃墜数 22 その他第二次世界大戦におけるポーランド人トップエース。 任官後ポーランド侵攻で初戦果を挙げ、ルーマニア・地中海ルートでフランスに脱出、志願して英本土へ渡りバトル・オブ・ブリテンに参加。 1943年10月、3名のエース(スカルスキ、ヴァツワフ・クルール、カロル・プニャック)を含む15名で構成されるポーランド戦闘機小隊(PFT)のリーダーを務め、北アフリカ戦線に派遣され戦果を挙げる。この小隊は『スカルスキのサーカス』とも呼ばれた。 PFT解散後は第601飛行隊「カウンティ・オブ・ロンドン」中隊長を経て、第133航空団司令としてノルマンディー上陸作戦を迎える。 1944年9月に実戦勤務を終え、アメリカの指揮幕僚学校に配属。 対独戦終了後は英空軍から高い地位を提示されたが、ソ連支配下の祖国に帰還。共産党員が支配するポーランド空軍に勤務。 冷戦が高まると西側から帰国した他のパイロット同様「スパイ」として告発され、非人道的な「査問」を受けた上に死刑宣告。のち終身刑に変更され、スターリン死後の1956年、8年の獄中生活を経て釈放された。 釈放後はポーランド空軍に復帰。後年は併せてポーランド飛行クラブの会長を務め、ワルシャワで死去。退役後に准将を授与されている。 出典 第五〇一統合戦闘航空団全記録弐 第二集 ヴィクトリア・ウルバノウィッチュ VICTORIA URBANOWICZ 所属オストマルク空軍 ブリタニア空軍第145戦闘機中隊 第303戦闘機中隊第303戦闘機中隊はブリタニア空軍内の亡命オストマルク人部隊。 義勇オストマルク人部隊のみならずブリタニア空軍全体でももっとも戦果の多い最優秀部隊として知られた。 第1オストマルク航空団(第131航空団) ペルシア派遣リベリオン義勇ウィッチ部隊 階級 少佐 身長 168cm 年齢 21歳(1944年) 誕生日 3月30日 使い魔 ドラケナー 固有魔法 弾道操作 使用機材 ウルトラマリン スピットファイアMk.V 使用武器 ボーイズMk.I対装甲ライフル その他オラーシャ国境地帯のアウグストゥフの出身。 ウィッチとして士官学校を卒業後、飛行教官となり、ネウロイの侵攻にあたってはウレズで編成された飛行教官部隊で戦闘参加。速度の遅い旧式ユニットだったため大きな戦果はなかった。 生徒を引率しガリアへと避難。教官たちと新たな部隊の編成を試みるが、ガリア空軍の勧めでブリタニア空軍への編入を選んだ。 ブリタニア空軍では第145戦闘機中隊を経でガリア防衛に活躍したのち、第303戦闘機中隊に配属。第303戦闘機中隊では中隊長が負傷したため代わって中隊長となり、さらに戦果を伸ばす。 ダイナモ作戦で亡命オストマルク政府の無定見を正面から批判して指揮官を解任された。その後はリベリオンへと派遣されて欧州情勢を伝え、臨場感のある語りでリベリオン市民を魅了しウィッチへの憧れを盛り上げた。 しかしウィッチとしてのキャリアが終わりに近づく中、ウィッチの立つべき前線から離れ続けることに耐えきれず、秘密裏にペルシア派遣リベリオン義勇ウィッチ部隊に参加する。現地では黒江綾香大尉麾下の扶桑陸軍飛行64戦隊と共闘した。 専用ユニットを持たなかったため扶桑軍から借りた二式戦闘脚「鍾馗」で出撃して戦果を挙げたが、全損させている。空冷ユニットになれなかった可能性が指摘されている。 ペルシアからブリタニアへ帰還したのち、改めて大使館付き武官としてリベリオンに派遣。リベリオンが気に入ったらしく、退役後はリベリオンに居住して航空会社・製造メーカーに勤務している。 厳しい教育を受けた厳しい教官で、人当たりは柔らかいが曲がったことを嫌う、腹芸が苦手な性格。ダイナモ作戦後の解任も、この性格が災いして上層部からもともと受けが悪かったことが影響している。 ウィッチとしては敢闘精神豊富で部下を見捨てず、上官としては非常に慕われた。後世、もし最前線で飛び続けていたらどれほど戦果を伸ばしたか、とよく言われている。 イメージモデル ヴィトルト・ウルバノウィッチュ(1908-1996)撃墜数 18開戦前の1936年8月に撃墜したソ連偵察機1機を含む。 その他二次大戦開戦前からポーランドで戦闘機パイロットとして活動。 ドイツのポーランド侵攻後、ルーマニア、フランスを経てイギリスに亡命。イギリス空軍第145戦闘飛行隊に配属され、バトル・オブ・ブリテンで撃墜戦果を挙げた。 しかし亡命ポーランド空軍の上層部から嫌われていたため1941年に前線から外され、ポーランド系アメリカ人の支援を得るためにアメリカ合衆国に派遣される。1942年には在アメリカ合衆国ポーランド大使館付の空軍武官となる。 1943年の一時期には自らアメリカ軍に望んで日中戦争に参戦し、義勇アメリカ人部隊フライング・タイガースの一員として日本軍機と交戦した(ポーランド人パイロットでは唯一の事例)。非公認戦果ではあるが。本人は二式複座戦闘機「鍾馗」の撃墜を報告している。 戦後、共産化したポーランドに帰国したがスパイ容疑で誤認逮捕されて嫌気が差し、アメリカに居住する。ポーランド民主化後に幾度か帰国し、准将(Generał brygady)の階級を贈られた。 出典 『エーリカ・ハルトマン1941』/WORLD WITCHES 2018
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WALTRUD KRUPINSKI 所属 カールスラント空軍第52戦闘航空団第6中隊 階級少尉(JG52所属時) 大尉(1944年末のカールスラント空軍所属時) 中尉(1944年末の第502統合戦闘航空団所属時) 身長 175cm 年齢 18歳(1944年末) 誕生日 11月11日 愛称伯爵(グレーフィン) プンスキー伯爵(グレーフィン・プンスキー)すらりとした長身と優雅な身のこなしから。 通称 「ユニット壊し」あまりにもストライカーユニットを壊すため。 後に第502統合戦闘航空団が〝ブレイクウィッチーズ〟との異名を受ける一因となった。 使い魔 ワイマラナー 使用機材メッサーシャルフ Bf109G-2(黄の5番機) メッサーシャルフ Bf109G-6 使用武器MG42 その他カールスラント空軍でもトップクラスのベテランエース。 無類の酒好き女好きの享楽主義者で楽天家。 空戦では勇猛果敢、敢闘精神に溢れるあまり必要以上にネウロイに接近しユニットを壊す事が多く、被弾からの不時着も多数。ハルトマン少尉(当時)とマルセイユ少尉(当時)がJG52に着任した当日、炎に包まれたストライカーユニットで目の前に不時着、唖然とする一同に涼しい顔で握手を求めたエピソードは有名な逸話。 高い技量とタフネスを併せ持ち、射撃の腕も確かだが、防御を捨てれば撃墜できるという状況下では迷わず攻撃を選択する性格。ドッグファイトよりも一撃離脱を好むが、被弾を気にせず猪突猛進して攻撃を行なう。ハルトマン少尉も最初はロスマン曹長、次いでクルピンスキー中尉にこの戦法を学んでいる。 カールスラント北東部、バルト海に近いデムナウの街に生まれたが、バルト海に面した港湾都市ブラウンスベルクに移住。 平凡な公務員の家庭だったが、ウィッチとしての能力が発現したため適正年齢になったら軍に入ろうと考えるようになった。港湾都市で生まれ育った事もあり、色々な国に行ける海軍への入隊を夢見ていた。 検査の結果、航空ウィッチへの適正が判明し空軍の養成学校へ入校。仲間と共にこっそり寮を抜け出しては夜の街に繰り出したり、いたずらを仕掛けたりとあまり模範的な生徒ではなかった。 成績は優秀で、無事に卒業し少尉任官。 JG52第6中隊に配属されたが、その頃にはヒスパニア戦役は終結しており、実戦経験を積む機会はなかなか訪れなかった。実戦の代わりにヒスパニアで戦闘経験を積んだ古参曹長に鍛えられ、ネウロイ襲来時には十分な飛行経験を積んでいた。 経験の豊富さから中堅ウィッチの一人と見なされ、開戦当初から出撃メンバーに選ばれると出撃を繰り返した。 オストマルク防衛戦からカールスラント撤退戦の中で撃墜数を伸ばしたが、同時に破壊したストライカーユニットの数も多かった。ただし、1機のユニットを全損させる間に稼ぐ撃墜数は中位のエースに比べても抜群に優秀。 補給が滞らない限りでは問題とされなかったが、補給が滞りがちの東部戦線では大問題となり、自ら後方まで補給物資を受け取りに行く事も珍しくなかった。 ビフレスト作戦の最中、騎士鉄十字章を受賞。中尉に昇進し、JG52第7中隊の中隊長となる。同中隊はカールスラント東方において民衆が撤退するまでの防衛と支援任務に就き、撤退完了後は部隊ごとスオムスに移動。 この後バルバロッサ作戦に参加、目覚しい戦果を認められ第502統合戦闘航空団に転属。同隊の撃墜数ベースではラルに次ぐ部隊第2位のトップエース。 ユニット壊しで有名な同隊のカタヤイネン曹長、管野中尉との3人組は、502JFWの愛称「ブレイブウィッチーズ」から「ブレイクウィッチーズ」と呼ばれる。 本人は気にしていないが、上層部受けの悪い年下の二人を守る役割を買って出ている。 後に柏葉付き鉄十字章を授与されているが、それ以外でも度重なる墜落で負傷したため、戦傷章の中でも最高位の金賞を受けている。但し、どんなに酷い墜落でも本人は軽い怪我しかしなかったため、戦傷章の受賞は何度も断っていた。 声優 石田嘉代 イメージモデル ヴァルター・クルピンスキー (1920-2000)通称「プンスキー伯爵(Graf Punski)」 「ダイナモ」(発電機) 愛称「クルッピ」 撃墜数 197 その他まだエースになる前のエーリヒ・ハルトマンとロッテを組み、その長機をしていた事がある。 体格の良い大男。射撃はやや不得意だったので、射撃巧者のエーリヒ・ハルトマンとの相性は良かった。 エーリヒ・ハルトマン着任当日に爆発炎上するBf109から生還したエピソードはよく知られている。 エーリヒ・ハルトマンの「ブービ」というニックネームは、クルピンスキーがエーリヒ・ハルトマンをこう呼び続けたので広まった。 酒と女を愛する豪傑で、「伯爵」の通り名の由来となっている。 エーリヒ・ハルトマン帽子事件当事者の一人。 戦争末期にはガランド率いるJV44に所属し、同部隊の後始末を行い降伏した。ギュンター・リュッツオウ大佐の最後の出撃の僚機でもあった。 戦後は再結成されたドイツ空軍に所属し、中将にまで昇進するが、ルーデルスキャンダルによりドイツ空軍から退役。 出典 第五〇一統合戦闘航空団全記録 第六集/next world witches/第五〇一統合戦闘航空団要略増補記録集/秘メ録手牒 下巻/第五〇一統合戦闘航空団全記録弐 第三集/TVアニメ『ブレイブウィッチーズ』(2016年)
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クラス:エース 実在したモデル:ドイツ空軍 ハインケル He162(Wikipedia) HE162 ノーマル型 武装 主武装:軽機関銃 副武装:キャノン 属性 武器:5.3 防御手段:1.8 航空力学:9.0 信頼性:0.0 その他の性能 最大速度(ブースト時):560MPH(640MPH) ブースト制限:6.83秒 上昇限度:33000FT HE162 D D(Damage)=武装強化型 武装 主武装:軽機関銃 副武装:マルチミサイル 属性 武器:7.1 防御手段:1.2 航空力学:10.0 信頼性:0.0 その他の性能 最大速度(ブースト時):590MPH(670MPH) ブースト制限:6.28秒 上昇限度:33000FT HE162 A A(Armor)=装甲強化型 武装 主武装:ワイドMACHINEGUN 副武装:キャノン 属性 武器:4.8 防御手段:2.8 航空力学:7.7 信頼性:0.0 その他の性能 最大速度(ブースト時):540MPH(620MPH) ブースト制限:6.2秒 上昇限度:33000FT 零戦より高い航空力学だと・・・さすがは我がドイツ第三帝国www。でも信頼性0.0とかある意味すごい。 -- 偽ルーデル (2014-10-27 06 16 52) 速力はDタイプがトップクラスの性能、ラダーの効きが過敏でトリッキーな機動をしますが、ピッチの効きはよくないです。 -- 774 (2014-10-28 13 02 10) "航空力学"は旋回力や速力などの運動性能をひっくるめて評価しているらしいので、その数値の内訳が公開されていない以上あまり当てにはなりません。実際に計測してみないと分かんないです。 -- 774 (2014-10-28 13 07 34) 尚、自分は顔無しなのでよく知りませんが(汗)、facebookにユーザーコミュニティが有る様なので、そちらへ行けばより実戦に即した情報の蓄積があるかも?知れません。連投すいません -- 774 (2014-10-28 13 10 04) そうだったんですか!貴重な情報ありがとうございます。 -- 偽ルーデル (2014-10-30 16 15 51) 防御力低すぎだろw -- もうすぐ大尉! (2015-02-21 15 34 29) 名前 コメント
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作中に登場した兵器の一覧 ドイツⅡ号戦車 Ⅲ号戦車 Ⅳ号戦車 Ⅳ号戦車H型 Ⅵ号重戦車 17cm列車砲サミュエル 21cm列車砲ペーターアダベルト 38cm列車砲マックス BP42型 MG34 ZF39 アハトアハト ウラルボマー カール ガンマ・メルツァー グスタフ ジークフリード シュトルムゲヴェール42(Sturmgewehr 42) ドーラ ハインケル111 パリ砲 フォッケウルフFw190 メッサーシュミットBf109 ユンカース52 ソ連KV-1 T-34 シュルトモヴィク マキシム・ゴリキー モシンナガンM1891/30 その他の国スコダ ソミュア パナール ベイカー小銃 その他、兵器の種類等アイゼンバーンラフェッテ 装甲列車 フラック 対コンクリート砲弾 擲弾 トーチカ 保塁 高低圧砲 無旋条砲 無反動砲 ヤークトボンバー ラムジェット推進砲 ロケット砲 ドイツ Ⅱ号戦車 戦車生産技術の習得用に開発されたドイツの軽戦車。 試作型は1935年に完成し、1936年から増加試作型が数十輌作られ、翌年からA型が本格的に量産に入った。 本格的な主力戦車であるⅢ号戦車、Ⅳ号戦車が配備されるまでの繋ぎのはずであったが、これらの生産が間に合わず、第二次世界大戦開始時のポーランド戦から主力として実戦投入された。 20mm機関砲一門という軽武装、軽装甲のため、独ソ戦当時には戦車としての価値は完全に失われていた。 なお同時期に7.92mm機関銃二門を搭載したⅠ号戦車が製造されている。 Ⅲ号戦車 きたるべき戦車戦術を考慮して主力戦車とすべく製造した中戦車である。 開戦当初は数がそろわなかったが、対フランス戦時にはその数も増え、独ソ戦の頃には主力戦車となる。 しかしソ連のT-34には50mm砲は力不足であった。 史実では大戦後半には主力としては用いられず、代わってシャーシを流用して砲塔を廃して長砲身の75mm砲を搭載した三号突撃砲が生産されるようになった。 Ⅳ号戦車 本来は敵の陣地を攻略する為に短砲身24口径75mm砲が搭載されたが、ソビエト連邦軍のT-34戦車に対抗するべく、F型の生産途中から長砲身43口径75mm砲(後に48口径75mm砲)が搭載された。 Ⅲ号戦車に比べより大口径の主砲を収容する余裕のあるIV号戦車は、軍が求めるさまざまな要求に応じることが出来た。 そのため軍馬と呼ばれ、多種多様な派生型を生み出すこととなった。 Ⅳ号戦車H型 四号戦車の派生型としては最多の生産数を誇る。 48口径75mm砲を搭載し、装甲の強化や新型変速機の採用など改良が加えられている。 また車台や砲塔の側面には薄い増加装甲板(シュルツェン)を備えている。 Ⅵ号重戦車 ティーガー(タイガー)戦車のこと。 史実ではティーガーが実戦で最初に戦ったのは1942年9月、レニングラード戦区でのことだった。 しかし最初の戦闘では軟弱な湿地帯で泥にはまって行動不能になる車両が続出し、その実績は芳しいものではなかった 17cm列車砲サミュエル 21cm列車砲ペーターアダベルト 38cm列車砲マックス いずれもドイツが第一次大戦中に開発した列車砲。 17cm、21cm砲は巡洋艦、38cm砲は戦艦の主砲と同等で、38cm砲弾では砲弾重量は800kg近くに達し、一発で地上に巨大なクレーターを築く威力がある。 BP42型 ドイツ軍が1942年から運用した装甲列車の形式名。 標準編成は炭水車と装甲機関車を中心に、(無蓋貨車)(戦車搭載車)(榴弾砲及び対空砲車・司令車・対空砲車)をその前後に配置した12両となる。 (榴弾砲及び対空砲車・司令車・対空砲車)はワンセットになっており、装甲通路によって連結されているために搭乗兵員は戦闘中でも車両間を移動することが可能である。 戦車搭載車にはチェコ製の38(t)やフランスの鹵獲軽戦車が搭載され、必要に応じて下車し路外での警戒や戦闘を行った。 1944年より、先頭及び最後尾の無蓋車両を四号戦車の砲塔を搭載した装甲戦闘車に変更したBP44型編成が運用されるようになった。 MG34 1934年に制式化され製造されたドイツの機関銃である。 空冷式で、7.92mmモーゼル弾を使用 高い発射速度や過熱しても簡単に銃身交換が可能なメカニズムを持ち、三脚を取り付ければ長距離射撃可能な重機関銃、そのままなら歩兵が携行して移動可能な軽機関銃としても用いられる世界最初の汎用機関銃として、戦後の機関銃開発に大きな影響を与えた。 歩兵用の主要機関銃としてだけでなく戦車用の機銃や、航空機の防御用兵器として終戦まで使われ続けた。 しかしMG34は高価であり、常に拡大し続けていたドイツ軍の各戦線への各種要望に応えることができなかった。 さらに、汚れに過敏な傾向にあり、ジャミングを起こすことが多かった。 史実では構造を簡略化したMG42が戦争中盤より配備されている。 ZF39 Zielfernrohr39(39型照準眼鏡)を取り付けたKar98kのこと。 Kar98kは口径は7.92mm、装弾数は5発のボルトアクション式ライフルである。 第二次世界大戦におけるドイツ軍の主力小銃として大いに活躍した、現在においても一部の国で使用されている傑作銃である。 アハトアハト Flak 18/36/37 88mm砲。アハトアハトはドイツ語で88。 第二次世界大戦にドイツで使用された高射砲で最大射程は約2km。 対空砲として開発された88mm砲であったが、同時に優れた対戦車砲としての能力も有している。 長い射程と正確な砲撃で絶大な威力を発揮し、第二次世界大戦では、ヨーロッパにおける東西戦線及び北アフリカ戦線で使用された。 汎用性は高く、対地、対空などさまざまな用途に使用できる多用途砲として絶大な威力を発揮した。 野戦において約1.5km先の100mm以上の装甲板を貫徹する能力を有する 独特な発射音から、ドイツ軍将兵はその音を聞くと「アハト・アハトだ!」と沸いたという。 ウラルボマー ドイツ空軍のヴァルター・ヴェーファー将軍が提唱していた長距離爆撃機の通称。 ドイツ国内から発進してロシアのウラル山脈東方の工業地帯を爆撃する能力が求められた。 四発爆撃機のユンカースJu-89、ドルニエDo-17が試作されたが、ヴェーファー将軍が飛行機事故で死亡後、地上部隊を支援する戦術空軍をめざすドイツ空軍内にこの構想を支持するものはなく、ゲーリングによって開発計画はキャンセルされた。 この後ドイツ空軍は爆弾搭載量も航続距離も短い双発爆撃機で英国に爆撃を仕掛け、大損害をこうむることとなる。 カール 60/54cm臼砲を備えた自走砲。 劇中では「口径60センチ」としているが、54センチ型も存在している。 臼砲は文字通り臼のように大口径で砲身の短い砲で、初速は遅く射程距離は短いが砲弾の炸薬量は多いので炸裂すれば大破壊力を発揮する。 また大角度で撃ち出される砲弾は垂直に近い角度で落下するため、べトンなどで装甲されたトーチカなどの攻略に威力を発揮する。 ガンマ・メルツァー 42センチ臼砲を備えた砲。 1906年から製造されている要塞攻略用の兵器。 作中でメルツァーと発音されているが実際にはメルザー(Moerser)で臼砲のこと。 グスタフ 80cmカノン砲を備えた、巨大列車砲の1号機。 1941年に製造された要塞攻略用の兵器であり、諸元については作中参照。 「グスタフ」の名前は当時のクルップ会長から取ったとされるが、ドイツのフォネティックコード(アルファベット1文字に固有の呼び名をつけること)における「G」でもある。 なおカノン砲とは長砲身高初速の火砲のことで、臼砲や榴弾砲に比べ遠距離まで弾を飛ばすことができるが発射時の衝撃に耐えるために砲弾の弾殻は厚く、内部に充填される炸薬量は少ない。 ジークフリード 38cm列車砲。 作中で説明されているとおり、戦艦(ビスマルク級)の主砲を流用して開発された列車砲。 砲身長20m、車体も含めた重量394t、最大射程約56km。 シュトルムゲヴェール42(Sturmgewehr 42) おそらくは史実のシュトルムゲヴェール44(Stg44)と同じもの。 Stg44はKar98kよりも火薬量の少ない薬莢を使用して反動の軽減と弾倉の装弾数の増大がなされ、引き金を引くだけで薬莢の排出・再装填が可能かつフルオート射撃可能な世界最初のアサルトライフルである。 30発収納で取り外し可能な大型弾倉、ピストル型のグリップを特徴とする。 史実では最初はMkb42という名称で1942年に導入されたが、ヒトラーが制式化を許可しなかったために、MP43、MP44(MPはサブマシンガンの略称)などの名称で改良は進められたものの戦争末期に制式化されるまで生産は少数に留まっていた。 本作ではヒトラーがいないために制式化が早まっているものと思われる。 写真はStg44 ドーラ 80cm列車砲2号機。 性能については、グスタフと同じ。 「ドーラ」の名前は開発者の妻から取ったとされるが、ドイツのフォネティックコード(アルファベット1文字に固有の呼び名をつけること)における「D」でもある。 ハインケル111 He111爆撃機 第二次世界大戦前から大戦終了までドイツ空軍が使用していたレシプロ双発爆撃機。 大戦を通じて使用された主力機で、使い勝手の良さから多くの派生機が誕生した。 大戦当初は主力機として活躍したが、爆弾の大型化に伴い速度が低下し、また防御力も低かったため、イギリス戦では大損害を被った。 パリ砲 第一次大戦時にドイツ軍がパリ砲撃のために開発した超長射程列車砲。 口径210mm、砲身長は28m。 あまりに長い砲身が自重でたわむため、砲身中央部に支柱が立てられそこからケーブルでつり橋のように砲身を支える構造になっていた。 最大射程は130kmに達したといわれるが、発射に当たっては地球自転によって発生するコリオリの力も考慮に入れなければならず、弾着のばらつきが大きいため命中率も高いものではなかった。 また重量を軽減するために砲身厚は薄くなっていたので、60発も撃つと砲身内は磨耗して口径は30mm近く広がり、砲身の寿命も極端に短いものだった。 フォッケウルフFw190 メッサーシュミットBf109とならんで第二次世界大戦におけるドイツ空軍の主力を担った単発のレシプロ戦闘機。 主力戦闘機メッサーシュミットBf109は高性能ではあったものの、操縦が難しかったため着陸事故が急増していた。 その為にバックアップ用の機体として開発された。 空戦性能のみならず、パイロットには操縦しやすく、最前線でも容易に修理が可能、さらに大量生産しやすい構造という、まさに理想的な兵器であった。 このため改良が続けられ、初期のA型と最後に作られたD9型では別物にしか見えないくらい形状が変化している。 設計者は天才と名高いクルト・タンク博士で、実質的にはFw190の最終形態であるTa-152はレシプロ戦闘機の極限といえる性能を持っていた。 メッサーシュミットBf109 第二次世界大戦におけるナチスドイツ空軍の主力戦闘機。Me 109とも呼ばれる。 Bfはメッサーシュミット社の旧社名「バイエルン航空機製造会社」の略。 メッサーシュミットMe262は生産開始が1944年なので、この場合はBf109の方。 単葉・全金属・引込脚など、当時の標準形態を備えたドイツ初の単座戦闘機。 列強各国機に対抗できなかった旧型機に替わり、急遽スペイン動乱に投入されてデビュー、以後、第二次大戦終了まで実質的な主力戦闘機の座を保った。 新人には難しい操縦も、慣れると良好な飛行特性・性能で多くのパイロットに信頼され愛された。 ユンカース52 Ju 52 ユンカースとはドイツの航空機メーカー。 Ju 52は主として、輸送機や旅客機として用いられた。1930年代から第二次世界大戦中のドイツ軍用輸送機として用いられる。 ジュラルミン波板の外皮構造と3発のエンジンが特徴で、極めて頑丈な機体でありタンテ(おばさん)の愛称で呼ばれていた 第二次世界大戦では、ルフトヴァッフェにより爆撃機としても使用された。 ソ連 KV-1 ソ連の戦車で、KVとは開戦当時のソ連国防相クリメンティ・ヴォロシーロフの頭文字のこと。 1939年に開発され、第二次世界大戦初期から中期にかけてT-34中戦車と共にソ連軍機甲部隊の中核をなした。 76.2mm砲を装備し当時としては破格の重装甲を誇ったKV-1は、独ソ戦当初、戦場で相対したドイツ軍の戦車や対戦車砲から放たれる砲弾をことごとく跳ね返し、彼らをして「怪物」と言わしめた。 独ソ戦開戦初頭には戦線後方に突然出現したたった1両のKV-1が街道を占拠し、88mm砲と歩兵の肉薄攻撃で撃破されるまで3日間にわたり前線への補給路を遮断するという事件もおきている。 ドイツ軍のIV号戦車の砲強化、VI号戦車、V号戦車の登場等により主役の座を降り、122mm砲を搭載した新型のJS-2戦車にその座をゆずることとなった。 T-34 第二次世界大戦から冷戦時代にかけてソビエト連邦を中心に使用された戦車である。 傾斜した装甲、泥濘や雪原でも移動可能な幅広いキャタピラ、大口径の主砲など先進的な設計がなされ、いくつかの欠点はあったものの独ソ戦開戦時のドイツ軍戦車の性能を凌駕していたため、T-34ショックともいわれる大きな衝撃を与えた。 史実ではこの存在が重装甲大口径の主砲を搭載した六号戦車ティーガーや、T-34の設計を参考にした五号戦車パンターの開発を促した。 独ソ戦で、窮地に陥ったソ連を勝利へと導いた一因となったことからモスクワの守護神またはロージナ(祖国)と呼ばれた。 シュルトモヴィク ソ連のイリューシンIL-2の通称。 戦車や輸送車両などを目標とした対地攻撃を主たる目的とした航空機で、地上からの砲火に耐えるために大変厚い装甲を有していた。 マキシム・ゴリキー 305mm海軍砲を載せたセヴァストポリ最大の砲塔 セヴァストポリ市街を挟んで北方にマキシム・ゴリキーI、南方にマキシム・ゴリキーIIの二つがあった。 305mm(12インチ)砲は20世紀初頭の戦艦の主砲であり、マキシム・ゴリキー砲塔は戦艦の二連装砲塔をそのままコンクリートで装甲された保塁にすえたものである。 (前にマキシム・ゴリキーという名称はドイツ側がつけたと述べたが、これについての確証が得られなかったのでこれについてはさらに調べたい) モシンナガンM1891/30 第二次世界大戦に旧ソ連で開発されたボルトアクションライフル。 帝政ロシア時代に登場したモシン・ナガンM1891(1891年製)を1920年代に改良を始め1930年に完成した。 口径7.62mm、装弾数 5発。 銃身長を短くしたことで扱いやすくなったが機関部がモシン・ナガンM1891と同様の為、射程が短いのが欠点。 また狙撃用の3.5倍(PU型)から4倍用(PE型)のスコープを装着することができ狙撃銃としても使用することができた。 第二次世界大戦を通してソビエト軍にとって代表的な小銃。 その他の国 スコダ チェコスロバキアのシュコダ社が製造した戦車である。 チェコスロバキア軍にて使用されていたが、ドイツに併合された際にその多くがドイツ陸軍に接収された。 生産性に優れ、またそのトランスミッションの操作性は高かった。 LTvz.35とLTvz.38の2種があり、ドイツ軍ではそれぞれ35(t),38(t)と呼称した。 史実では独ソ戦の前半までⅢ号戦車の不足を補完する実質的な主力戦車として使用され、一部は車体を流用して自走対戦車砲(マルダーⅢ)や自走榴弾砲(グリーレ)などに改造されている。 ソミュア ソミュアS35。第二次世界大戦開戦当時のフランスの主力戦車で、ドイツのIII号戦車を上回る重装甲を有していた。 フランスの敗北後はドイツ軍によって運用が続けられた。 パナール パナール装甲車。1940年の独仏戦での最新装甲車。ソミュア同様フランスの敗北後はドイツ軍によって運用が続けられた。 ベイカー小銃 19世紀初頭にイギリス人エゼキエル・ベイカーが発明したライフル銃でイギリス陸軍が制式小銃として採用した。 それまでの主力小銃であったマスケット銃と異なり銃身内に旋条(ライフル)が切ってあり、撃ち出される弾丸に回転が与えられることで弾道が安定するため飛躍的な命中率の向上を実現した。 しかし点火機構はそれまでと同じフリントロック(火打石式)で弾丸は銃口から火薬と共に装填する先込式の為、発射後の再装填がしにくいという欠点があった。 そのためナポレオン戦争時には一部のエリート部隊に支給されるに留まり、主にフランス軍の指揮官や将校を狙う狙撃銃として用いられた。 なおライフル銃自体は15世紀頃にはすでに発明されており、主に狩猟に使われていた。 独立戦争時にはアメリカの大陸軍はライフル銃での狙撃で指揮官を狙撃するという戦術をとり、イギリス軍を大いに苦しめている。 (旋条の無いマスケット銃時代の戦闘では歩兵は横隊を組んで前進し、「敵の瞳が見えるくらい」接近してから一斉射撃を行うという戦法を取って命中率の低さをカバーした。) その他、兵器の種類等 アイゼンバーンラフェッテ ドイツ語で「列車砲架」のこと。 レールの上を走る台車上に砲身を支持し照準をつけるための駐退機や仰角機構もろもろの総称。 装甲列車 車両を防御装甲で覆い、対空砲座や野砲を搭載した重武装の戦闘用列車。 第一次大戦および第二次大戦当時、ヨーロッパなど鉄道網の発達した地域で盛んに使用された。 フラック Flak(Friegerabwehrkanone) 高射砲・対空機関砲のこと。 20mm機関砲-128mm高射砲まで十数種類ある。 対空機関砲は低空から侵入する敵機(主に戦闘機や戦闘爆撃機)に対し弾幕を張る。 大口径の高射砲は高空の敵機(主に爆撃機)に向かって砲弾を打ち上げ、時限信管で炸裂した砲弾弾片で損傷を与える。 対コンクリート砲弾 弾殻を厚くし、コンクリートを貫通後に遅延信管により炸裂する砲弾。 主にトーチカへの攻撃に使用された。 擲弾 小銃の先端に差込み専用の空包によって撃ち出される小型の榴弾。 威力は手榴弾程度だが、より遠くに飛ばすことができ射手が敵に身をさらさずにすむという利点がある。 カンプピストルという信号銃から発射するタイプもあった。 トーチカ 円形か方形もしくは六角形で、全長が数メートルから十数メートル程度、鉄筋コンクリートの厚い壁で被われている。 トーチカの壁には機関銃や大砲を射撃できるよう小さな銃眼を空けてあり、敵の砲火に対して耐久力を増すため、構造の大部分が地表面より下になっている。 トーチカは銃眼以外にはあまり穴が開いていないため、非常に死角が多い。 このため通常は複数のトーチカを並べて、相互にカバーできるよう設置される。 保塁 砲台のこと。 中で射撃する砲兵を敵の砲爆撃から守る重要な存在。 これがあるかないかでは、砲兵の死傷率にかなりの差が出る。 高低圧砲 砲弾を撃ち出す装薬を収めた薬室と砲弾の間に低圧室という小空間を設けた火砲。 装薬の燃焼ガスは低圧室内に導かれそこで圧力が下がるために砲身に過大な圧力がかからず、砲身の厚さを薄くしてその重量を軽減でき、しかも砲弾の初速は低下しないというメリットがある。 史実ではドイツ軍は大戦後半に対戦車砲として実用化したほか、高低圧砲二門を搭載したルッチャーという小型駆逐戦車の開発も行われていた。 無旋条砲 滑腔砲(スムースボア)ともいう。 砲身内にらせん状のみぞ(ライフリング)を切らない火砲のこと。 ライフリングが磨耗しないため寿命が長く、溝と砲弾の隙間からガスが漏出しないというメリットがあった。 しかしその一方ライフリングによって砲弾に回転が与えられないためジャイロ効果が発生せず、弾道が安定しないというデメリットもある。 このため砲弾に小翼をつけるなどの必要がある。 現在の戦車砲はほぼ全て無旋条で、発射直後に分離脱落するサボに包まれた小翼付のダーツ状の高速飛翔体撃ち出すタイプとなっている。 無反動砲 砲弾を撃ち出すと同時に、後方に火薬の燃焼ガスの放出やカウンターマスの射出を行うことで反動を軽減する火砲。 駐退機や駐鋤などの重くて複雑な機構が不要なために火砲全体の重量を軽くすることができる。 しかし初速が遅いため、榴弾砲や速度関係なく効果を発揮する成形炸薬を使用した対戦車砲などとして使用されている。 史実で大戦後期にドイツ軍が使用したパンツァーファウストは無反動砲の一種で一人で構えて発射が可能だが、発射筒の後端から高熱の火薬ガスが放出されるため、後方20m以内にいるとこのガスを浴びる危険性があった。 ヤークトボンバー 爆弾や対地ロケット弾を装備する中型~小型の対地攻撃機のこと。 ラムジェット推進砲 おそらくはRAP弾(ロケット補助推進弾)の一種であるラムジェット弾のこと。 構造が簡単で高速時に最大推力を出すラムジェットエンジンを砲弾に組み込み、その推力によって200km近い射程距離を持つ。 ロケット砲 ロケット弾を撃ち出す兵器のこと。 火薬の燃焼ガスを噴出すことによって推進するロケット弾は通常の火砲に比べて命中精度は低いが複雑で重量のかさむ反動軽減機構が不要なため、発射装置の多連装化が容易である。 このため簡単な発射装置を並べて一度に大量にロケットを撃ち出し、目標となる地域を広範囲に叩く面制圧に向いている。 ドイツ軍のネーベルヴェルファーやソ連軍のカチューシャが有名。
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VKB Gladiator Pro Joystick GLAD_PRO_FINAL_2.jpg VKB King Cobraシリーズの後継機種で、これまでのSu-34フランカーを模した操縦桿から、ドイツ軍戦闘機の操縦桿KG12を模した形状に変わっています。 VKB King Cobra譲りの金属製パーツを多用し、高精度のセンサーを利用する事により、滑らかで細かい制御が可能です。 このムービーを見ると、新ジンバルの効果がよくわかります。 ロール軸とエレベータ軸が独立しているのも特徴です。 価格は249ユーロですが、現在在庫切れのようです。 特徴第二次大戦中のドイツ空軍戦闘機用操縦桿KG12がモデル 人間工学に優れたグリップ角度 次世代全金属製ジンバル採用、バネを交換する事で操縦桿の引きの重さを変更可能 捻りラダー無し 簡易スロットル付き 高耐久性 メタルプレートによる安定性 スペックアルミニウム製ジンバルとボールベアリングの採用 非接触式高精度MaRSセンサー(X軸及びY軸)(X, Y axes) 32ビットARMコントローラ 17個のプログラム可能なボタン モード切替スイッチにより、29とおりの機能を割り当て可能 8方向HATスイッチ×1 モードの状態を表示するLED×2 プラグ&プレイでドライバー不要 USB経由でファームウェア更新可能 設定は本体に記憶 VKB製ラダーペダル専用コネクタ USB 2.0 2年保証 購入先 VKB FSC Europe Amazon 価格:€295+送料 Joytester2の結果 videoプラグインエラー 正しいURLを入力してください。 軸 機能 分解能 X軸 エルロン Y軸 エレベータ ジョイスティック一覧 名前 コメント Aces High (PC CD) (輸入版) T-Flight Hotas X フライトスティック 並行輸入品 Saitek Pro Flight X-55 Rhino H.O.T.A.S. (Hands On Throttle And Stick) System」(サイテック プロフライト X-55 ライノ ホタス (ハンズ オン スロットル アンド スティック) 戦闘機などPCフライトシム操縦に 9軸コントローラー (MC-X55) CHProducts FighterStick USB接続 chfis [取寄10]MC-CMB-RPED(Saitek Pro Flight Combat Rudder Pedals)
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