約 2,017,891 件
https://w.atwiki.jp/09_sherpa/pages/19.html
Radio Free Asia 「今、治安部隊がやって来たようです。ありがとう。私たちがしていることを他の人々に伝え、世界に放送して下さい」 本土チベットからの多くの証言がある。Radio Free Asia は現地に電話をかけインタビューを行った。 当時の生々しいインタビュー記事は、下記のRadio Free Asia チベット語のサイトに掲載されている。 ▼What witnesses are saying(Radio Free Asia) http //www.rfa.org/tibetan/ その内容は、以下の『チベット式』に掲載された日本語訳で内容を知ることができる。 ブログ『チベット式』より 転載(ブログ主の承諾を得ている) 2008/05/10 【2008年チベット動乱】目撃者の証言集 http //tibet.cocolog-nifty.com/blog_tibet/2008/05/2008_1d54.html (以下転載) 目撃者の証言 中国当局がチベットの都ラサを封鎖状態に置いている中、目撃者たちが各地に広がる抗議行動の報告を伝えている。ラジオ・フリー・アジア(Radio Free Asia)のチベット語サービスおよび中国語サービスに寄せられた目撃談を紹介する。(最終更新4月23日) ■以下は、3月18日(火曜日)以降、ラジオ・フリー・アジア(以下)RFAに寄せられた証言の元文である。報復を避けるための安全上の理由から、匿名にした部分もある。 ■ラサは地獄です(4月23日) 「私たちは今、地獄にいます。日用品を買うため外出するには、2種類の身分証を持っていかねばなりません。ラサ市政府が発行した居留許可証と身分証明書です。5月末までは[ラサを]離れたり動き回ったりするなと告げられています。私たちはダライ・ラマを批判するよう強いられています。私たちのように商店や住宅を貸している者は『分離主義者とのつながりがあったり、所有地内で抗議運動の参加者が見つかった場合は、持ち主が逮捕され処罰される』と警告されました。ここチベットは地獄になってしまいました。」 (2008年4月23日、ラサからの電話) ■尼僧2人が拘束されました(4月23日) 「4月23日午後1時頃、2人の尼僧がカンゼの町の中心部で抗議行動を行ないました。32歳のプモ・ラガ、30歳のソナム・デチェン。カンゼ県のダカル尼僧院の尼僧です。彼女たちは、ダライ・ラマのチベット帰還を求め、『チベットは独立国だ』と主張する手書きのビラを配り始めました。中国の公安当局者がビラを見て、回収し始め、誰が配ったのかを探しました。」 「そして、2人の尼僧が、交差点でダライ・ラマ帰還とチベット人の自由を求めるスローガンを叫んでいるのが見つかりました。彼女たちはすぐに拘束され、警察車両で連れ去られました。連行される間も、叫び続けていました。2人は町にあるカンゼ拘置所に連行されましたが、同じ場所に捕われているのか、あるいは別の場所に移されるのかは、誰にもわかりません。ビラには、2人は自分自身で行動したのであり、ダカル尼僧院は抗議行動とは関係がないと記されていました。」 (2008年4月23日、カンゼからの電話) ■カンゼ公安局の職員 「尼僧など捕まっていません。私は知りません」 (カンゼ公安局の職員) ■チベット人共産党員からの電話(4月17日) 「本当に率直に言いたいのです。チベットに住むチベット人たちは、今回の抗議行動で多くの命を犠牲にしました。彼らがそうしたのには理由があります。その理由とは、自由です。彼らはすべてのチベット人のために行動しました。このことで私は深く傷ついています。私自身ひとりのチベット人です。しかし、中国共産党の党員であり、職務に携わっています。こうした犠牲を目にしたとき、本当に心を動かされました。私があなた方のラジオに電話した理由のひとつは、すべてのチベット人組織そしてカシャク[チベット亡命政府の内閣]に対し、チベット問題を解決する道を見出してくれるよう訴えるためです。チベットの外にいるすべてのチベット人たちは一致団結していると聞いています。団結を続けるべきです。私たちは、国外に住むチベット人たちに希望を託しているのです。だから、すべてのチベット人組織とカシャクは、どう中国とつきあっていくのかを真剣に考えるべきです」 「昨年チベットの使節が中国と会談したと聞きました。その対話は実りないものだっとも聞いています。対話では具体的な成果は何も得られないでしょう。過去にも、チベット人は、17条協定を論議しましたが、具体的な成果はありませんでした。中国人との対話は、いかなる成果ももたらさないでしょう。中国人高官との過去の議論において、具体的な成果がもたらされたことなどないのです」 「今、チベットの状況は、哀れで、非常に緊迫しています。すべてのチベット人は、特に高齢者は、中国の統治下で不安と恐怖を感じています。チベット内外のチベット人が、チベットに自由をもたらすために協力すべきなのです」 (共産党員と名乗るチベッと人からの電話、4月17日) ■100人以上が殺されました(4月14日) 「殺された人の数を正確に示すのは非常に困難です。主な理由は、ジョカン寺周辺では多くの人々が殺され、そして、彼らの多くはカム地方やアムド地方からさまざまな理由でラサに来ていたからです。彼らのほとんどは、居住許可証を持ってません。ですから、証明できるものがないため、犠牲者の数を確かめる術がないのです。100人以上のチベット人が殺されました。多くの友人が、チベット人たちが殺されるのを見ました」 「初めは、負傷した多くのチベット人が中国の病院に運ばれ、そこで手当を受けました。そのうち、負傷したチベット人が病院に運ばれると、手当を受けるかわりに拘束されるようになりました。抗議行動の2日目には、ケガを負ったチベット人さえ、容疑者として拘束されました。だから、ケガをしたチベット人は、死を待つしかなかったのです」 「今、ラサのチベット人の状況は非常に緊迫しています。チベット人が中国人の雑貨屋の店主と値段をめぐって口論になると、店主は警察を呼び、チベット人は容疑者として拘束されます。居留許可証を持っていないチベット人も拘束されます。まともに歩けない老人や学生さえ取り調べられています。漢族中国人には居留許可証は必要ありません。彼らの話す中国語それ自体が、許可証なのです」 (チベットからの電話、4月14日) ■3月10日、ジョカン寺前で起こったこと 「3月10日、3人の僧侶が、トムシカン市場で商店を営むあるチベット人の支援を受けて平和的な抗議行動を始めました。彼らはチベット国旗を掲げて抗議していました。治安当局によると、彼らはセラ寺の僧侶とのことです。3人は捕まって殴られました。 同じ日、武装警察部隊がデプン寺に派遣されました。僧侶らがラサの町に向かっていたからです。警官隊が僧侶らを制止すると、僧侶らは「なぜ家に帰れないのか」と説明を求めました。口論になり、衝突が起こりました。 3月12日と13日、セラ寺の僧侶らが立ち上がり、抗議行動を起こしました。実は私は12日にセラ寺に行く予定でしたが、すべての車両はラサ中学の所で制止され、だれもそこから先へ行けませんでした。友人の中にも同じ所で制止された者がいます。それから、ガンデン寺の僧侶らも抗議行動を起こしたとを聞きました。ラサ市内から十分な警官隊を送ることができず、小規模な分遣隊をタクツェ県に送り、県政府の若手職員全員にガンデン寺に出動するよう命じました。中国人の兵士も一緒に派遣されました。」 「3月14日、私はジョカン寺(ツクラカン)に向かっていました。ラモチェ寺に通じる道路はすべて塞がれていました。ラモチェ寺に着くと、寺自体も警察の車両によって封鎖されていました。突然、ラモチェ寺の僧侶らが抗議の声を上げながら駆け出してきました。彼らは警察車両を1台か2台引っくり返すと、寺の中に駆け戻っていきました。チベット人の若者たちが大勢集まって、その場ですべてを見ており、警官が彼らを威嚇すると、石を投げました。若者たちは警官に追いかけられて逃げていきました。」 「彼らがトムシカン市場の水場を走り過ぎたとき、その辺りにいた若いカムパ[訳注・東チベット出身の男性]たちがラモチェに向かって走り出しました。彼らも投石で警官に挑みました。その頃、大勢のカムパたちがツクラカンの前に集まっていました。私がそこに着いた時、彼らの何人かがジョカン寺に向かってカタを捧げていました。スカーフで顔を覆っている者もいました。ひとりのカムパがツクラカン前の車の上に立って叫びました。『お前たちがチベット人なら、起ち上がらねばならない!』。そして彼は下りて来て、ツクラカン前にあった警察車両3台に火を放ちました」 「続いて、彼らはチベット自治区人民政府に向かって行進しました。『ラサには中国人が多すぎる。インフレがチベット人を苦しめている』と叫びながら。その時、装甲兵員輸送車の音が聞こえ、人々が『軍隊が来た』と叫び始めました。武装警官がデモ参加者を追いかけ、逆にデモ参加者が警官を追いかける場面もありました。同じ日、ラサの別の地域でもチベット人たちが立ち上がり、抗議行動は拡大しました。ラサの中国当局は、これらの抗議行動はすべてダライ・ラマのせいだと非難しました」 「私自身は殺されたチベット人を1日のうちに6人見ました。ラサのアニ・ツァングン寺には診療所があります。チベット人5〜6人がここで亡くなったそうです。見に行くと、遺体に灯明が捧げられていたそうです。知り合いも何人か殺されました。たとえば、ルプク出身のラクパ・ツェリンというチベット人で、観光客相手の運転手です。友人は『ハーラ、ハーラ』とニックネームで呼んでいました。彼は頭を撃たれて死にました。群衆の中にいた時、誰かが『撃たれた!』と叫んだのが聞こえました。彼が近づいて来たとき、ズボンにいくつも穴が空いているのが見えました。警察は標的に当たると弾ける特殊な弾を使ったのです。彼はやがて意識を失い、顔は土色になりました。私は近くにいた人たちに、足を布で縛るよう頼みました」 「彼にあげる水を取りに行った時、カムパが撃たれて血を流しているのを見ました。さらに、少年が亡くなったと聞きました。まだ16歳位です。抗議行動に参加さえしていなかったのです。殺されたラクパ・ツェリンも、入院している母親の見舞いに行った帰りに撃たれたのです。16歳ぐらいの女の子も撃たれました。全身が血に染まっていました。白かったのは手だけでした。お母さんは泣いていました。ひとり娘だったんです。チベット人たちが、彼女を慰めようと箱にお布施を入れて渡しましたが、彼女はそれを放り投げました。彼女はこう言いました。『娘は正義のために死んだのです。悔いはありません』」 「大勢のチベット人が捕まりました。私の宿の窓から、大勢が連れて行かれるのが見えました。もし灯りをつけて外を見たら、撃たれていたかもしれません。ライフルを構えた武装警察が大勢待機していたからです。だから、私は灯りを消してから、窓越しに見ていました。50〜60人の武装警察が家々に押し入り、チベット人を連れ去りました。ある夜、後ろ手に縛られたチベット人を見ました。彼は引きずられて、下水溝につまづいて倒れました。警官たちは彼を殴りました。そのとき中国語でこう言うのが聞こえました。『撃っちまえ!』『殺しちまえ!』。3月14日と15日、まるでお祭りの時の爆竹のように、銃声が聞こえていました。私たちは外出を許されませんでした。大勢の漢族やチベット人の女性たちがチベット服を着ているのを見ました。彼らはすべて漢族のスパイで、地域に潜り込んでいた者もいたそうです。」 「これはすべてダライ・ラマのせいだと中国当局は宣伝しています。チベット人として、やってもいないことで非難されるのを見ると、胸が痛みます。多くのチベッと人が彼を批判しているのも見ました。ダライ・ラマ13世時代の大臣クンペー・ラの夫人だったお婆さんが、大声でダライ・ラマを批判していました。彼らの多くが中国からそうするよう強要されているのでしょうが、口をきわめて猊下を罵っているのです。そんな言葉で猊下を批判するのを聞いて驚きました。一方、私の会った別のチベット人たちは、チベットのあちこちで同じような抗議行動が起こっていることをラジオで聞き、してやったりと思ったそうです。彼らは情報をお互いにやりとりして、チベットの他の地域で起こっていることを知っていました。」 「チベット人は本当に隅に追いやられています。ラサには中国人が多すぎます。1989年に来た時には、あちこちにチベット人の若者がたむろしていたものです。今や、どこも漢族だらけ。本当かどうかよくわかりませんが、リウ[訳注・ラサ駅周辺]の新興住宅地には1万人以上の漢族の移民がやって来るそうです。ペンポの新市街にもさらに1万人。現在のバルコル地区のチベット人街は、ラサの何カ所かの高層団地に分散させられます。これらのすべての計画は、オリンピック後に実施されることになっています。」 「私がまだラサにいた時、ラサ市政府が、何人かの容疑者リストを発表したそうです。その中のトップは、中国の車の上に立ってチベット人の決起を訴えたカムパでした。後に、彼は空港で捕まったと聞きました。取り調べが始まった時には生きていましたが、出て来たときには死んでいたそうです。2人目は手足を折られて出てきて、生きているのかどうか、誰も知りません」 「多くのチベット人が外国の報道陣に来てほしいと望んでいます。しかし、必要ないと考える人もいます。アメリカは抗議行動の模様を衛星から撮影することができたでしょうから。チベット人たちは、その言葉を世界に伝え、広めてほしいと外国人に強く望んでいます。ラサには多くの刑務所があります。どこも捕まったチベット人で一杯です。私の知り合いの運転手は、ある拘置所に行き、チベット人たちが大部屋に囚われているのを見ました。ほとんどは裸でした。トイレも水もなく、その部屋で排便するしかないのです。100人以上のチベット人が連れて行かれるのが、私の宿から見えました。ラル地区で5〜6台の軍のトラックを見た人もいます。そのトラックには、中国人兵士に護送されるチベット人たちが手を縛られて詰め込まれていました。1000人を超えるチベット人が捕まったと私は思います」 (英国在住のチベット人。ラサの抗議行動とそれに続く弾圧を目撃した) ■娘の元に父親の灰だけが返ってきました(4月5日) 「短い時間で約200人のチベット人が捕まりました。混乱の最中で、誰が生きていて、誰が死んだのか、誰が連れ去られたのかは、わかりません。頭にケガを負った中国人を何人か見ました。それから、私の姉の話では、ルプク地区で9人のチベット人の遺体を見たそうです。私自身は、アニ・ツァングン診療所で、チベット人の女性と男性1人ずつが亡くなって横たわっているのを見ました。ラサ市人民医院に行った時、3人のチベット人が運び込まれるのを見ました。ケガ人の一人は、カム地方ペルバル出身のテンジン・ノルブです。彼の姉が連れて来たため、身元がわかりました。彼は頭を撃たれ、自治区人民医院に運んだほうがいいと勧められました。彼は嘔吐していました。助からなかったと思います。まだ若い…おそらく21か22でしょう…お姉さんによると、セラ寺のふもとにある学校の学生だそうです。別の若者も頭を撃たれていました。出血がひどく、助かる見込みはほとんどありませんでした。もう1人の若者は尻を撃たれ、4カ所ほど銃創を負っていました。」 「これ[決起]は正しい行為だと思います。私は抗議行動に参加し、ラモチェ寺周辺で2時間ほど抗議行動をしたうちのひとりです。この抗議は、私たちの祖国における中国による抑圧への絶望の表われだと理解しています。中国当局による実質的な鎮圧・弾圧は3月14日の夜、始まりました。夜8時頃、ラサのチベット人たちは、中国軍がやって来ることを知りました。多くはその場を立ち去って帰宅しましたが、抗議行動を続けた者もいました。まさにその夜、大勢のチベット人が連れ去られ、中国の武装警察がチベット人たちに発砲するのを見ました。」 「この目で見ました。3月14日、15日、16日には銃声が聞こえました。ルプク地区で亡くなった一人が、ラクパ・ツェリンです。彼のことは知っていました。娘さんが一人残されました。トゥールン・デチェン出身で、運転手をしていました。金曜に亡くなり、翌週の月曜に葬儀が予定されていました。しかし、頭に銃創を負っていたため、当局は遺体を解剖のため持ち去りました。後に遺体ではなく灰が返ってきました。ほとんどの犠牲者の身元はわかりません。家族が生きているのか、死んでいるのか、捕まっているのか、知る術はありません。遺体は当局に持ち去られて処分されてしまいました。」 「ラサにいた時聞いた話では、捕まったチベット人は、情勢が不安定なダプチやトゥールンの刑務所には連行されなかったそうです。多くはグツァや鉄道駅に近いニェタンの拘置所に入れられました。ニェタンでは約200人のチベット人が拘置され、取り調べを受けました。中国のテレビは、ペンポ・ルンドゥプ県でも農民や僧侶、学生らが抗議行動を起こしたと伝えていました。番組では、彼らは政府当局に投降したと主張していました。しかし、何人かのペンポ出身の人と話したところ、投降したことを否定し、中国当局は嘘を言っていると言っていました。」 (オーストラリア在住のチベット人女性。当時ラサにいた。4月5日にRFAの座談会に参加) ■東チベット・チャムドの緊張(4月2日) 「チャムド県では『人民と当局はアムド地方やカム地方カンゼ地域出身のチベット人に警戒しなければならない』という地元政府当局の通達が出ていました。チャムド市内では特に事件はありませんでした。居住者の多くは政府職員です。しかし、町には大きな武装警察の部隊があります。4月2日、政府は職員と住民らに、カンゼとアムド出身のチベット人に警戒するよう告げました。政府の通達によると、当局は、これらの地域からチャムドに来るチベット人を拘束する権限を有するといいます。こうした規制のため、旅行や仕事、あるいは日雇い労働などのチベット人は大きな迷惑を被っています」 (2008年4月2日、チャムドのチベット人が、オーストラリア在住のRFAのレポーターに語った) ■東チベット・ゴンジョで爆発事件(4月2日) 「チベット自治区ゴンジョ県のある町の近くで爆発がありました。そこには県と地元政府の職員の住居になっていた建物があります。はっきりした日付や時間はわかりませんが、最近、その建物が爆発で大破しました。調べてみると、爆破装置が4つ見つかり、実際に爆発したのは2つでした。住人にケガはありませんでした。」 (2008年4月2日、チベット人がオーストラリア在住のRFAのレポーターに語った) ■東チベット・パシュの事件(4月2日) 「3月28日、チベット自治区チャムド地区パシュ県のニェラ寺のツェリン・ドルジェという僧侶が中国警察に拘束されました。彼はパシュの町の中心部に行き、宗教の自由とダライ・ラマの帰還を求めるポスターを貼りました。その地域には武装警察があるため、彼はすぐ連行されました。現地のチベット人たちは、彼は地元の刑務所に投獄されたと信じています。彼の釈放を求めるためニェラ寺の僧侶100人以上が町に出向く準備をしていましたが、僧院長や高僧に説得されて思いとどまりました。」 (2008年4月2日、チベット人が、RFAチベット語サービスに語った) ■東チベットの僧院に大規模な武装警察部隊(4月2日) 「カムの主立った僧院の近くに、大規模な中国の武装警察部隊が配置されています。ペユル寺には2,000人。トムタク寺に約500人。カトク寺のすぐ近くのホルポには約1,000人。武装警察は僧院に立ち入り、僧坊や高僧たちの住居を捜索しています。ダライ・ラマの写真を見つけると、警官はそれを押収し、所持していた僧侶を非難します。地元のチベット人住民は、夜9時以降は外出しないよう警告されています。その時間帯に見つかれば、3カ月拘留されます。また、武装警察が町を通って移動する際には、妨げてはならない、そして、もし妨害すれば、一切の容赦なく殺されると警告されました。ペユル寺の僧侶らは、中国国旗を寺の屋根に掲げるよう命令されましたが、応じませんでした。」 「当局は、ダライ・ラマ批判のキャンペーンを始め、[最近の騒乱における]『ダライ集団』の関与を示す宣伝フィルムを上映し、ラサでイスラム教寺院や漢族の商店・レストランを襲ったチベット人を非難しています。高僧らはダライ・ラマを批判するよう強要され、自由に移動することが許されません」 (2008年4月2日、カム地方のチベット人がRFAチベット語サービスに語った) ■何も言えません(4月2日) 「まさに渦中にいます。何と言っていいのかわかりません。私はチベット人ですが、政府の職員でもあります。個人的な意見を言うのは困難です。」 (2008年4月2日、サンチュ[甘粛省夏河県]のラプラン寺近くに住むチベット人公務員が、RFA中国語サービスに語った) ■テレビは信じません(4月2日) 「[中国政府に管制された]テレビの言うことは信じません。しかし、あなたと電話で話すことはできません。」 (2008年4月2日、四川省カンゼ州に住むチベット人女性がRFA中国語サービスに語った) ■成都のチベット人大学生(4月2日) 「ダライ・ラマという名に触れることさえタブーです」 (2008年4月2日、四川省成都のチベット人大学生が、RFA中国語サービスに語った) ■僧侶が殺された(3月31日) 「3月14日、彼らは軍隊によって殺されました」 (2008年3月31日、甘粛省のチョネに住むチベット人女性が、RFA中国語サービスに語った。現地での初期の抗議行動で僧侶が中国軍に殺害されたことについて) ■騒乱はまだ起こっています(3月30日) 「河北省武漢の部隊がチョネ周辺に配置されています。武装警察が、逃げたチベット人たちを逮捕しようとしています。散発的な騒乱はまだ起こっています。」 (2008年3月30日、甘粛省の男性が、RFA中国語サービスに語った) ■旅行者の立ち入りは禁止されています(3月30日) 「四川省のラモ寺[訳注/タクツァン・ラモ寺]近くにはまだ大勢の武装警察が駐留しています。ラモには、甘粛省側と四川省側に[省境をはさんで]1つずつ僧院があります。四川側のラモ寺の僧侶はまだ抗議行動を続けています。衝突は起きていませんが、旅行者の立ち入りは禁止されています」 (2008年3月30日、地元チベット人男性が、RFA中国語サービスに語った) ■自由を求めています(3月30日) 「私たちはまだ自由を求めています。」 (2008年3月30日、四川省ダンゴ県[炉霍県]のチベット人僧侶が、RFA中国語サービスに語った) ■ダライ・ラマ批判を求められました(3月30日) 「数日前に、さらに多くの部隊が到着しました。正確な数はわかりませんが、今回は武装警察だそうです。市内にも郊外にも配置されています。30〜40人が拘束されました。多くは地元の遊牧民です。自ら出頭した者もいますし、捕まった者もいます。数日前、パトロール中の兵士が遊牧民たちに教われました。私は、今回の騒乱についての自分の意見と、ダライ・ラマ批判を書くよう求められました。他の商人たちの多くも同じことを言われました。もちろん、書きたいように書くわけにはいきません」 (2008年3月30日、青海省チクディル県[久治県]住人が、RFA中国語サービスに語った) ■処罰されました(3月30日) 「私はあのインタビューを受けたことで処罰されました」 (2008年3月30日、四川省カンゼ州の政府職員が、RFA中国語サービスで語った。彼は以前、RFAに対して騒乱を認める発言をした) ■話さないことにしましょう(3月27日) 「私たちには状況はよくわかりません。そう出歩きません。それについては話さなないことにしましょう。お願いです。お願いします」 (2008年3月27日、ラサ近くに住むチベット人女性が、RFA中国語サービスに語った) ■ラサの中国人女性(3月27日) 「今は大丈夫なはずです。ほんの数日前までは、交差点ごとに兵士がいました。トラブルの起こっている地域もあれば、平穏な地域もあります。兵士たちは昨日引き上げました。…[僧院には]まだ兵士はいるにちがいありません」 (2008年3月27日、ラサで商店を営む漢族女性が、RFA中国語サービスで語った) ■チベット人を大勢捕まえました(3月27日) 「彼らはチベット人を大勢捕まえました。重大な犯罪に関わった者が逮捕されています。罪がそう重くない者は釈放されています。…[捕まった人たちは]県の私たちの側に車で次から次へと運ばれてきていました」 (2008年3月27日、甘粛省チョネ県[卓尼県]在住の漢族女性が、RFA中国語サービスで語った) ■彼らは僧侶に発砲し、1人を殺しました(3月26日) 「月曜日、チョクリ寺の僧侶とンゴコク寺の尼僧を含む約1,000人がダンゴ県[炉霍県]で抗議行動を行ないました。中国警察は僧侶を殺害しました。彼らは僧侶らに発砲し、1人を殺したのです。彼は『チベットに自由を!』と唱えていました。私たちは行進していました。警官隊が道を塞ぎ、撃ってきました。月曜の夜、僧侶30が捕まりました。」 「火曜には、さらにダンゴ寺の僧侶200人以上がやはりダンゴの町に出ました。私も加わりました。私たちは行進しながら『私たちは自由がほしい!』と唱えました。警官は100人くらいいました。しかし、衝突はありませんでした。今日は誰も町に出ていないと思います。なぜなら今日は外出を禁じられているからです。僧院の入り口には武装した警官が配置されています。」 (2008年3月26日、チベット人僧侶が、RFA中国語サービスで語った) ■世界に伝えて下さい(3月22日) 「今、私たちはツォロ[訳注/青海省海南州]で抗議行動を行なっています。私たちは、中国指導部がダライ・ラマ猊下との対話を始め、チベット問題を平和的に解決することを求めています。また、猊下のチベット訪問が許されるよう求めています。私たちの抗議行動は平和的であり、ツォロ州のセルロ寺の僧侶10〜15人によるものです。たった今、私たちは、町の役所がある中心部に向かって行進しています。そこから、県政府の役所へ向かう予定です。大勢の地元のチベット人、主に遊牧民たちが加わっています。」 「…セルロ寺から4〜5マイル行進してきましたが、中国の治安部隊が、町と県の中心部に向かうことを許さないのではないかと懸念しています。この抗議の行進はまた、ラサなどチベット各地で平和的な抗議行動を起こしたチベット人たちを応援する気持ちの表われです。今、治安部隊がやって来たようです。ありがとう。私たちがしていることを他の人々に伝え、世界に放送して下さい」 (2008年3月22日、抗議デモを行なっている最中の僧侶が、RFAチベット語サービスのインタビューに答えて) ■チベットの国旗を掲げました(3月22日) 「3月18日、私たち、アムド・ゴロク[青海省果洛州]のペユル・タルタン寺の僧侶は、地元の県政府の役所に向けて行進をしました。地元のチベット人も加わり、約300人になりました。そのとき、武装警察はいませんでした。ほんの40人ほどの地元の警官だけでした。私たちは、県政府の役所まで行進し、中国の国旗を引きずり下ろし、チベットの国旗を揚げました。地元の警察は特に邪魔しませんでした。彼らはただ遠くから見て、写真を撮っていました。それから私たちは地元の学校や病院に行進し、中国の国旗を下ろし、代わりにチベットの国旗を掲げました。私たちはまた拘置所に向かい、すべての囚人の釈放を当局に求めると、彼らはそれに応じました。私たちはすべての抗議行動を平和的に行ない、誰ひとり傷つけず、一切の損害をもたらしていません。それから午後になると、武装した治安部隊を満載したトラックが4台到着しました。彼らは、5人か6人、おそらくもっと大勢のチベット人を逮捕しました。」 「今、抗議行動に参加しなかった僧侶しか寺にはいません。残りは山中に身を潜めています。高僧らは罪人を引き渡すよう圧力をかけられています。[中国は]自首すれば酌量すると言っています。自首しなければ“深刻な事態”になるでしょう。僧院は今、治安部隊に包囲されています。私たちがしたこと、そして私たちどんな状況にあるのかを伝えて下さい。ありがとう」 (2008年3月22日、ペユル・タルタン寺の僧侶が、RFAチベット語サービスに語った) ■治安部隊が発砲し、2人を殺しました(3月21日) 「3月20日、中国の治安部隊がセルタ県[四川省色達県]キクの町に到着しました。約1,000人いました。彼らは、17日の抗議行動で町の役所の建物に掲げられたチベット国旗を引きずり下ろそうとしました。抗議行動の参加者たちが平和的に抵抗していると、治安部隊が発砲し、2人を殺しました。犠牲者の名はキャリとツェド。2人ともツェシュル村の出身です。イェシェ・ドルジェ、タプケなど8人は重傷を負い、セルタ県の病院に運ばれました。セルタでは、セルタ・セラ寺の僧侶らが率いる1,000人以上のチベット人が抗議の行進を始め、約30マイル進んだところで、その2人のチベット人が殺されたのです。彼らはチベット国旗とダライ・ラマの写真を掲げ、『ダライ・ラマ万歳!』『チベットに人権を』そして『チベット独立!』といったスローガンを叫んでいました。彼らはまたチベット独立を訴えるビラを配りました。治安部隊は“深刻な事態”になると彼らを脅しましたが、彼らは平和的なデモを続けることにしました。今のところ[それ以上の]発砲はありません」 (2008年3月21日、セルタ在住者が、RFAチベット語サービスのインタビューに答えて) ■外出したチベット人はみんな捕まりました(3月20日) 「ラサの兄弟の家にいます。でも、町に入ることはできません。治安部隊がすべてを封鎖してしまっていて…居留許可証を持っている者は動き回れますが、持っていない者は外出できません。15日と16日、外出したチベット人はみんな捕まりました。今も、中国の治安部隊による封鎖は続いています。彼らは治安要員が撮影した写真を持って、そこに写っているのは誰か、どこにいるのかを尋ねて回っています。最近、僧侶がひとり捕まったと聞きました。中国が妨害電波を出しているため、RFAとVOAのラジオ放送はラサでは聞けません」 (2008年3月20日、ラサ在住のアメリカ国籍のチベット人が、RFAチベット語サービスに語った) ■僧侶たちは再教育を拒否しました(3月20日) 「カムのガパ地域のセルカル寺の僧侶に対する再教育を実施するため、大規模な治安部隊が到着しました。しかし、すべての僧侶は参加を拒否し、かわりに宗教の自由と人権を求めるスローガンを叫びました。約500人の僧侶がいます。治安部隊は寺を去る前に、明日戻って来て捕まえてやると脅したそうです。その後どうなったかはわかりません」 (2008年3月20日、ンガバ[四川省ンガバ]のチベット人目撃者) ■治安部隊が学生たちを包囲しました(3月20日) 「青海省では、3月19日、玉樹州出身のチベット人学生が抗議行動を起こしました。約800人の学生のうち、約400人が参加しました。彼らは中国国旗を下ろし、火をつけました。治安部隊が到着し、学生たちを包囲しました。治安部隊は、その地域で騒乱を起こす者には発砲せよと命じられたことを告げました。学生たちは他のチベット人たちとの接触を禁じられています」 (2008年3月20日、青海省より) ■2,000人がデモに参加しています(3月20日) 「アムドのツェコ[青海省沢庫県]では、3月20日も僧侶らが平和的な抗議行動を続けています。僧侶を含む2,000人のチベット人が参加しています。参加者が求めているのは、中国の指導部がダライ・ラマとの平和的な対話を開始し、チベット問題を平和的に解決することです。彼らはまた、すべてのチベット地域での実質的な自治を求めています。そして、ダライ・ラマがアムドを訪問することを許すよう求めています。今ここには治安部隊はいませんが、こちらに向かっていると聞きました。中の世界には自由はありません。私たちは今、県政府の役所の前で抗議行動をしています。約2,000人います。私たちは平和的に抗議しています」 (3月20日、アムドのデモの最中、参加者がRFAチベット語サービスに語った) ■オリンピックが終わるまで拘束される(3月20日) 「今日もまた中国の警察が、アムド・ンガバ[四川省アバ]地域のチベット人の家々を1軒1軒捜索しています。ダライ・ラマの写真や、政治的に問題のある物や文書はすべて押収されます。自宅から見つかった場合は逮捕されます。オリンピックが終わるまで拘束されると言われています。オリンピックが終わったら、裁判が始まるのだそうです」 (3月20日、ンガバのチベット人の証言) ■まだ外出禁止令(3月20日) 「町に出入りする時は、身分証明書を提示しなければなりません。まだ外出禁止令が出ていて、通りはほとんど放ったらかしの状態です。商店は仕事になりません。みんな家にいます」 (3月20日、ラサ在住のチベット人がRFA中国語サービスで語った) ■何も話せません(3月20日) 「言ってはならないことを一言でも口にすれば捕まってしまいます。怖いです。何も話せません」 (3月20日、ラサ在住のチベット人女性がRFA中国語サービスで語った) ■携帯電話はつながりません(3月20日) 「大勢が捕まりました。私は家にいて、友だちと連絡もとれません。私の携帯電話はつながりません。私に電話すると、電源が切れているというメッセージが流れます。実際は一度も切ったことはないのですが」 (3月20日、ラサ在住のチベット人男性がRFA中国語サービスで語った) ■ラサの刑務所は満杯です(3月20日) 「ラサでは、抗議行動に参加しようがしまいが、身分証明書を持っていないチベット人は捕まってしまいます。身分証を持っていない遊牧民も多いんです。ラサの刑務所は満杯です」 (3月20日、チベット亡命政府スポークスマンが、RFA中国語サービスで語った) ■バイク30台以上が大破しました 「昨夜、60台の警察のトラックがボラ地域にやってきました。7台ないし10台はすでにこの地域に配置されていました。今朝、60台すべて去って行きました。近くの僧院の僧侶たちは外出を許されず、外にいる僧侶は帰ることを禁じられました。3月18日、さまざまな地域のチベット人たちが馬で町の中心部にやって来ました。バイクで来た若者も大勢いました。バイクは警察のトラックに引かれ、30台以上が大破しました。今のところ、この地域での逮捕や発砲の知らせはありません」 (ボラ地域の人と話したインドのデプン・ゴマン寺のクンチョク・ギャツォ) ■今朝だけでも、市場で3人捕まるのを見ました 「ラサでは、大勢のチベット人が捕まりました。今朝だけでも、タリン市場で3人が捕まるのを見ました。ひどい暴行を受け、手錠をかけて連れて行かれました。中国とコンポ地方からさらに治安部隊が送り込まれたそうです。町中に入るチベット人は検問で調べられます。男性や若者は全身くまなく調べられますが、女性には少し緩いようです。体だけでなく、手荷物を調べられます。軍隊で一杯になったラサの町を見るのは恐ろしいです。中国の装甲車のナンバープレートは、どの部隊かを特定されないよう覆われています」 (ラサ在住のチベット人の証言) ■昨日も1人殺され、9人が連行されました カンゼの町に平和はありません。昨日も1人殺され、9人が殴られて連行されました。連行された人の家族には、生きて会える望みはありません。ただ遺体を待つのみなのです。しかし、家族にとって悔いはありません。彼らは正義のために命を落としたのだと信じているからです。最近さらに7人チベット人が逮捕されました。ギュルメ、ペンパ、ドルジェ、ジャムヤン、クンガ、チメ・ゴンポ、そして、ナムサ・ワンデン。カンゼの町の中心部では、チベット人は自由に移動できません。そこに行けるのは人民武装警察だけです。地元の県政府幹部には何の権限もなく、武装警察が管制を敷いています。40台の新品の車両と2機の航空機、そして1万人近いと思われる武装警官が駐留していると地元の人々は見ています。 (カンゼのチベット人の証言) ■学生たちは帰郷を許されません 「ンガワ[アバ]に両親がいるマルカム普通学院のチベット人学生たちは、噂を聞いて帰郷したいと希望しました。学校当局は、学校にいたほうが安全だと言って制止しました。衝突が起きたのは何日だったのか、定かではありません。しかし、キャンパスは事実上の戒厳状態に置かれ、3月15日以来、学生たちは帰郷を許されていません。学校にいる限り、安全は保証されています。学校側は、人々が騒乱を起こすことを憂慮しています」 (四川省マルカム県のマルカム普通学院の漢族教師が、RFA中国語サービスで語った) ■家族の安否が心配です 「この状況について話すのは適切ではありません。家族には電話もつながりません。呼び出し続けてるんですが、話し中の音になって、つながらないんです。家族の安否が本当に心配です。現地で何が起こっているのか、まったくわかりません。通信手段が機能していないんです」 (四川省成都の西南民族大学のチベット人学生が、RFA中国語サービスで語った) ■話すのはまずいんです 「話すのはまずいんです。携帯電話は盗聴されています。校内で抗議行動があるかどうかは言えません。まずいんです…」 (上海在住のチベット人学生が、RFA中国語サービスのインタビューに答えて) ■四川省成都でも検問 「成都のチベット自治区事務所へつながるすべての大通りには、車両の中で待機する機動隊と武装警察が配置されています。私は近所を歩きましたが、ミニバンや普通車など、治安関係の表示を付けた車両は60台を下りません。チベット自治区事務所方向へ向かう車はすべて検問を受けます。トランクが調べられ、ドライバーは車から下りて、身分証を提示しなければなりません」 (成都在住の漢族活動家Huang Xiaominが、RFA中国語サービスのインタビューに答えて) ■私たちの政策に不適切なところがあったのだと考えるのが自然です 「ラサで抗議行動を起こした僧侶たちがきわめて乱暴に扱われ、戦車まで投入されているのを、“FreeGate”を使ってインターネットで見ることができました。やりすぎだと思います。死者が出たと聞きました。私は大勢のチベット人と仕事をしたことがあります。多くの少数民族を知っています。特にチベット人は好きです。ひとつ例をあげましょう。料理や水が足りなくなったとき、チベット人の家を訪ねて行けば、だれもが面倒をみてくれます。食べ物や泊まるところを提供してくれます。私だけでなく、友人5〜6人がそういった体験をしました。彼らが本当に騒乱を起こそうとしたというなら、私たちの政策に不適切なところがあったのだと考えるのが自然です。チベット人の友人たちにお願いします。漢族全員を嫌いにならないでほしいんです。目に映るのは本当に悲しい風景です。戦車ですよ…戦車なんて、ひどいものです…」 (北京在住の中国人が、RFA中国語サービスのリスナー参加番組に電話して語った) 合計: - 今日: - 昨日: - トップページに戻る
https://w.atwiki.jp/09_sherpa/pages/25.html
日本の報道 チベット人拘束者について、日本のプレスが報道した記事を紹介。 ▼ペマ・リンチェン関連記事 チベット人作家拘束 中国 【東京新聞】 http //www.tokyo-np.co.jp/article/world/news/CK2011070902000184.html(リンク切れ) 2011年7月9日 夕刊 【上海=今村太郎】チベット亡命政府があるインド・ダラムサラに拠点を置く人権団体によると、中国の公安当局が、四川省カンゼ・チベット族自治州のチベット人男性作家の身柄を拘束していたことが九日、明らかになった。 拘束されたのは、ペマ・リンチェンさん(25)で、同自治州の自宅から五日に連行されたという。容疑の詳細は不明だが、リンチェンさんは二○○八年のチベット騒乱を取材し、チベット語で執筆した自著「トゥ(見ろ)」二千冊を、最近までチベット人の居住地域で配布していた。リンチェンさんは激しい暴行を受けて全身を負傷、六日に地元病院に収容されたとの情報もある。同自治州では六月、チベット僧約六十人が身柄拘束されたと伝えられている。 ▼ドルジェ・タシ関連記事 チベット族富豪に終身刑 【産経】 http //sankei.jp.msn.com/world/china/100808/chn1008081448004-n1.htm 2010.8.8 14 48 8日付の香港紙、星島日報によると、中国チベット自治区ラサの裁判所はこのほど、チベット族の富豪、多吉扎西氏に終身刑を言い渡した。罪名などは不明だが、インド北部ダラムサラのチベット亡命政府に多額の資金援助をしていたためとされる。ノルウェーのチベット系報道機関が報じた内容として伝えた。 星島日報によると、多吉扎西氏は2008年3月のラサでの暴動の数カ月後に拘束され、今年6月に裁判が開かれた。家族や知人は傍聴を許されなかった。判決では40億元(約505億円)を超える財産の没収も言い渡され、同氏の兄も禁固6年の判決を受けた。 チベットでホテルやレストランを営んでいた同氏は中国共産党員でもあり、「愛国企業家」と称された時期もあったという。(共同) ▼リンチェン・サンドゥップ関連記事 チベット活動家に懲役5年 中国 【産経】 http //sankei.jp.msn.com/world/china/100704/chn1007040143001-n1.htm 2010.7.4 01 41 このニュースのトピックス:中国 香港メディアなどによると、中国チベット自治区チャムドの裁判所は3日、チベット仏教最高指導者ダライ・ラマ14世に関する文章を自身のウェブサイトに掲載したとして、国家分裂扇動罪に問われたチベット族の環境活動家リンチェン・サンドゥップ氏に懲役5年の判決を言い渡した。 リンチェン・サンドゥップ氏は、同じ環境活動家で文化財を盗んだ罪で起訴され、6月下旬に懲役15年の判決を受けたカルマ・サンドゥップ氏の兄弟。ウェブサイトの文章は自分で掲載したものではないと無罪を訴えたが認められなかった。 兄弟に対する相次ぐ有罪判決は、活動家に対する中国当局の取り締まり強化が背景にあるとの指摘も出ている。(共同) ▼カルマ・サンドゥップ関連記事 チベット活動家に懲役15年 支援者は「でっち上げ」と反発 中国 【産経】 http //sankei.jp.msn.com/world/china/100625/chn1006251353000-n1.htm 2010.6.25 13 51 このニュースのトピックス:中国 25日付の香港紙サウスチャイナ・モーニング・ポストなどによると、文化財を盗んだ罪で起訴されたチベット族の著名な環境活動家、カルマ・サンドゥップ氏(42)に、新疆ウイグル自治区の裁判所は24日、懲役15年を言い渡した。同氏は控訴する方針。 同氏の兄と弟は昨年、当局者に絶滅危惧種の動物を捕っていると告発され、その後拘束されており、支援者は「窃盗事件はでっち上げで、一家を狙い撃ちにしたものだ」と主張している。 同氏は12年前に不起訴となった文化財窃盗容疑で、ことし1月に拘束された。今月22日の初公判では、取り調べに際し睡眠妨害や殴打などの拷問があったことを明らかにした。(共同) ▼タギャル関連記事 チベット族作家を拘束 ラサ暴動で政府批判 【産経】 http //sankei.jp.msn.com/world/china/100428/chn1004280013000-n1.htm 2010.4.28 00 12 27日付の香港英字紙サウスチャイナ・モーニング・ポストなどによると、2008年3月の中国チベット自治区ラサの暴動について、中国政府の対応を著書で批判した青海省のチベット族作家タギャルさん(45)が今月23日、警察に身柄を拘束された。 同紙によると、本は中国政府のチベット族への抑圧的な政策を批判する内容で、タギャルさんの妻が経営する書店で数百部を販売。残りは12日に警察に押収された。 タギャルさんは14日に発生した青海省地震でも政府に批判的とも受け取れる内容の公開書簡に署名したが、友人の一人は批判本の出版が拘束の理由との見方を示した。(共同) ▼ドンドゥプ・ワンチェン関連記事 中国:チベット族監督に懲役6年の実刑 国家政権転覆罪で 【毎日】 http //mainichi.jp/select/world/asia/news/20100108k0000m030104000c.html 2010年1月8日 米政府系放送局のラジオ自由アジアなどは7日までに、中国青海省西寧市の裁判所が先月28日、国家政権転覆罪に問われたチベット族のドキュメンタリー映画監督、ドンドゥプ・ワンチェン氏に懲役6年の判決を言い渡したと伝えた。 同氏は07年から青海省などを回り、北京五輪開催やチベット仏教最高指導者ダライ・ラマ14世をテーマにチベット族の庶民の声を収録。08年3月、これを基に製作した映画を海外に送った後、中国当局に身柄を拘束された。秘密裁判で審理されたため詳細な罪状は不明だが、映画製作と関連があるとみられている。 この映画は「恐怖を乗り越えて」と題し、08年夏以降、世界各地で上映されている。(共同) チベット取材監督、中国で実刑 日本の支援者が抗議 【朝日新聞夕刊10面】 2010.01.19 imageプラグインエラー ご指定のURLはサポートしていません。png, jpg, gif などの画像URLを指定してください。 (紙面より書き起こし) チベットの同胞を訪ね歩き、2008年夏の北京五輪に対する「生の声」を映像に残したチベット人がいる。トンドゥップ・ワンチェンさん(35)。中国で国家政権転覆扇動罪に問われ、09年末、懲役6年の判決を受けた。日本の支援グループが抗議の声をあげている。 インドに亡命していたワンチェンさんが、同胞取材のためチベットへ戻ったのは、北京五輪前年の07年11月。ワンチェンさんは映像の中で、「本土のチベット人が五輪をどう考えているのか、記録しておく必要があると考えたのです」と動機を語っている。 5ヶ月かけて、100人以上を訪ねた。ラマ僧、遊牧民のおじいさん、子連れの若い女性・・・・・・。雪のちらつく草原や薄暗い家の中で、彼らはカメラに顔をさらして証言する。安全のために顔を見せる必要はないと説明しても、「顔を見せなければ話す意味がない」と答えたという。 「(五輪は)みんなが喜んで祝うべき平和と自由の祭典です。でも私はチベット人なので、自由でもなければ平和でもありません」 「中国は宗教の自由はあると言います。しかし自由など全くありません」 「もう疲れ果てました。一人で、あてもなくさまよい続けているかのようです」 撮影が終わって数日後の08年3月、ワンチェンさんは逮捕された。米政府系のラジオ自由アジアによると、判決は昨年12月28日に言い渡されたという。しかし、取材テープは逮捕前に国外へ出て、約25分間のドキュメンタリー映画「恐怖を乗り越えて」に編集された。 支援グループ「SFT日本」代表で名古屋市のツェリン・ドルジェさん(35)もチベット人。同い年のワンチェンさんの境遇をひとごとと思えない。「彼は命をかけてチベットに帰り、映像を通して勇気をくれた。私は自由の国にいる。彼を助けたい」と、署名活動などをしている。 映画は、英語タイトル「Leaving Fear Behind」を検索サイトGOOGLEの動画で検索すれば、英語字幕付きがネット上で見られる。「SFT日本」も日本語字幕付きを各地で上映している。問い合わせは同会(sftJapan2008@gmail.com)へ。 ▼トゥルク・プルブ・ツェリン・リンポチェ関連記事 チベット仏教の「活仏」に懲役8年6月の実刑 拳銃所持などの罪で 【産経】 http //sankei.jp.msn.com/world/china/100101/chn1001012014005-n1.htm 2010.1.1 20 12 1日付の香港英字紙サウスチャイナ・モーニング・ポストによると、中国四川省カンゼ・チベット族自治州の裁判所は12月23日、拳銃所持などの罪でチベット仏教の高僧である「活仏」(生き仏)の1人、ブルブ・ツェリン氏(52)に懲役8年6月の判決を言い渡した。同氏は、2008年3月にチベット自治区ラサで起きた大規模暴動以降、懲役刑となった僧侶の中で最高位の人物。同氏の弁護士は、事実無根の罪と主張している。 弁護士によると、同自治州の同氏の自宅から拳銃が見つかったとして08年5月に公安当局に逮捕された。しかし自宅は誰でも出入りできるようになっていた上、拳銃に付いた指紋を採取するなどの適正な捜査が行われなかった。弁護士は、同氏の寺の僧侶らが中国当局のチベット政策への抗議デモを行ったことが当局を刺激したとの見方を示唆している。(共同) ▼クンチョク・ツェペル・ゴペイ・ツァン関連記事 機密漏えいで懲役15年 チベット語サイト創設者に【産経】 http //sankei.jp.msn.com/world/china/091117/chn0911172307006-n1.htm 2009.11.17 23 07 国際人権団体「インターナショナル・キャンペーン・フォー・チベット」は17日までに、中国甘粛省甘南チベット族自治州の裁判所が著名なチベット語サイトの創設者、クンチョク・ツェペル氏(39)に対し、国家機密漏えい罪で懲役15年の判決を言い渡したと伝えた。 チベット文化の保護を訴えたり、チベット自治区ラサで起きた昨年の大規模暴動に触れたりしたサイトの内容が罪に問われたとみられる。 当局はことし2月、甘粛省の同氏の自宅からパソコンやカメラを押収した上、同氏を拘束。その後、消息が分からなくなっていたが、裁判所が今月12日家族を呼び出し、判決が言い渡されたことを告げたという。(共同) 合計: - 今日: - 昨日: - トップページに戻る
https://w.atwiki.jp/3minzoku/pages/32.html
チベット こちらのページでは概略を伝えさせていただきます。 詳しくはダライ・ラマ法王日本代表部事務所http //www.tibethouse.jp/home.htmlの公式情報や関連リンクを、少しづつでもいいですから是非ご覧ください。 緊急情報 侵略された聖地チベット - ポタラ宮と天空の盗まれた至宝 http //www.seichi-tibet.com/ 詳しくは聖地チベット展の欺瞞で チベット国歌 (-REMIX-) http //www.nicovideo.jp/watch/sm2631717 http //www.nicovideo.jp/watch/sm2631717 歌詞 +... チベット国歌(歌詞カタカナ転写) シーシ・ペンディ・ドゥーグ・ジュンウェイ・テール トゥプテン・サムペル・ノルブィ・ウーナン・バール テーンデ・ノルズィン・ギャーチェ・キョンウェイ・グォーン ティーンレイキー・ロールツォー・ギェー ドルジェー・カムスー・テンペー チョー・クーン・チャムツェー・キョーン ナムクォー・ガーワー・ギャーデーン ウーパン・グンラー・レーク プンツォク・デーシー・ンガータン・ギェー ポージョン・チュルカー・スムギ・キョンラ ディーキー・ゾーデン・サール・ペーィ・キャープ チュースィーギー・ペールユンタール トゥプテン・チョクチュル・ギェーペィ・ザムリン ヤンペィ・キェーグー・シーデー・ペールラー・ジョール ポージョン・テンドゥ・キェツェル・ニーウー・キー ターシー・ウーナン・ブームトゥ・トォーウェイ・スィー ナークチョー・ムンペィ・ユール・レー・ギェー・ギュール・チー ※チベット語より直訳 輪廻・涅槃における平和と幸福への,あらゆる願いの宝蔵にして 願いを意のままに叶えることができる,宝石の如き仏陀の 教えの光明を輝かせよう そして,仏教と衆生の持宝たる大地を育み,守護する御法神よ 汝の徳の高い偉業の大海が広がり 金剛のように固く,慈悲をもって全てのものをお守りください 百の歓喜を備えた天授の法が,我々の頭上に留まり 四徳の力が増大し チベットの三区全土が,幸福で円満な時代で満たされ, 政教が盛行しますように 仏陀の教えが十方に広がることによって 世界中の全ての人々が平安を享受できますように そして,チベットの仏教と衆生の吉兆なる陽光と 十万に広がる吉兆なる光明の輝きが 邪悪な暗闇との戦いに勝利しますように チベットはインド、ネパール、現在の中国などと国境を接するチベット高原で古来より独自の言語、文化を育みながら独自の歴史を刻んできました。中国共産党に侵略されるまでは、独自の通貨を発行し、チベット政府の発行するパスポートが海外で通用するなど、近代における独立国家としての権利を行使してきました。 チベットは1949年に中国共産党の軍事侵略を受け、1959年には中国の侵略に抗議するチベット人が蜂起しました。全面衝突による犠牲者が増えることを憂慮したチベット最高指導者、ダライ・ラマ14世はインドへ亡命し、同国北部にある都市、ダラムサラにチベット亡命政府を樹立しました。 現在までチベット人の全人口の6分の1にあたる、120万人にも及ぶ命が中国共産党によって奪われました。中国共産党は当初は宗教信仰と風俗習慣の尊重と寺院の保護を約束していましたが、実際には僧院の約95%(6000件)は破壊され、信仰の対象であった貴重な仏像や美術品も破壊や収奪により失われました。 現在でも宗教の自由は厳しく制限されています。また、チベット人による自治は厳しく制限され、チベット語による教育やチベット文化の根幹を成す仏教の信仰などの権利は奪われたままです。そうした文化的破壊や人権弾圧に対して異を唱えた人々は逮捕・拷問などの対象となっています。 また、自然を大切に思うチベットの人々が自然を守ろうとすることも同様に許されていません。 標高4000m以上の高原・山脈で育つ希少な動植物が生息する豊かな自然環境は有史以来、チベットの人々と共存してきましたが、中国共産党による、地下資源の採掘や森林の伐採、草原の農地化、核施設の建設などにより、これらの美しく希少な自然もまた文化と同様に破壊され続けています。 いま、正義や公正さを語る自由を持つ私たちが、彼らの代わりに声をあげなければ、チベット高原で育まれた類まれなチベット文化も、希少な動植物群も、守るべき正義も、このままチベット高原から永遠に失われてしまいます。 三民族連帯集会実行委員会 http //3natioco.web.fc2.com/ ダライ・ラマ ダライ・ラマは、チベット仏教の最高指導者。ひとびとを救済するために、涅槃に入ることを求めず、輪廻世界に生まれ変わる観音菩薩の化身であると信じられている。「ダライ・ラマ」とはモンゴル語の尊称で「智慧の海」という意味である。 ダライ・ラマ14世(本名テンジン・ギャツォ)は1935年チベット東北部アムドに農家の子として生まれた。2歳のときに先代13世の転生霊童として認められ、40年に第14世として正式に即位した。 1959年のチベット民衆の一斉蜂起と中国軍の弾圧による事態で、インドへ亡命。インド北部ヒマーチャル・プラデーシュ州ダラムサラに亡命政権を樹立した。現在の住居も同じくダラムサラにある。 1989年に、一貫して非暴力平和的手段でチベット問題の解決に取組んだことが評価され、ノーベル平和賞を受賞した。また受賞理由には環境問題への取組みも挙げられている。 ダライ・ラマは精力的に世界各国を訪れ、チベットへの支援を求めるとともに、世界平和を祈念する法要を行っている。93年にはタイで、ツツ大主教(南アフリカ)ら歴代ノーベル平和賞受賞者とともにアウンサンスーチー解放キャンペーンに参加した。 仏教哲学に関する著作は日本でも多く翻訳紹介されている。 偉大な宗教指導者として、世界的に尊崇を集める。 京都精華大学 自由へのメッセージより引用 http //www.kyoto-seika.ac.jp/freedom/lama/lama.html 朝日新聞はダライ・ラマがノーベル平和賞に選ばれた際に授与反対 89年、ダライ・ラマ14世がノーベル平和賞に選ばれた際には授与反対の論陣を張った。 〈平和のための賞が結果として、チベットの緊張を高めるおそれさえある。(中略)「平和賞」の名が泣こう〉 2008.4.12 08 42 産経 http //megalodon.jp/2008-0412-0914-41/sankei.jp.msn.com/culture/books/080412/bks0804120842003-n1.htm チベット国旗 http //www8.atwiki.jp/tibet_wiki/?plugin=ref serial=2 jpgデータ A4も対応の解像度(A3でも実用可)(クリックすると原寸表示) 関連リンク 公式情報 ダライ・ラマ法王日本代表部事務所 http //www.tibethouse.jp/home.html ペマ・ギャルポ 公式サイト - Pema Gyalpo Offcial Website - http //www.pemagyal.net/ 支援運動 チベット事件のまとめガイドライン http //www8.atwiki.jp/zali TSNJチベット・サポート・ネットワーク・ジャパン http //www.geocities.jp/t_s_n_j/ Students for a Free Tibet 日本 http //www.sftjapan.org/ チベット支援 パルデンの会F.T.P http //www14.ocn.ne.jp/~palden1/index2.html チベットNOW@ルンタ http //blog.livedoor.jp/rftibet/ その他関連情報 アルピニスト・野口健のブログ チベット動乱~北京五輪出場への条件~ http //blog.livedoor.jp/fuji8776/archives/51052593.html# 小沢一郎氏、鳩山由起夫氏に対する私見 http //blog.livedoor.jp/fuji8776/archives/51367789.html これら記事内で野口氏は堂々と中国のチベット弾圧に対して批判をしています youtubeをチベットで検索 ニコニコ動画をチベットで検索 関連したコメントはこちらへ 名前 コメント すべてのコメントを見る (↓自動検索による関連Newsリスト。国内主要新聞の報道の少なさが顕著です) 一足早い新年 チベット・ニンティ市が新年を迎える - AFPBB News 一足早い新年、チベット・ニンティ市が新年を迎える频道 - 中国国際放送 「人権のため立ち上がる」…ウイグル問題でアメリカが北京五輪の「外交ボイコット」発表 - 東京新聞 彭帥問題への対応、IOCとWTAの違いはどこから来るのか - 読売新聞 極東情勢やいかに、米中さや当てに軍艦の日本周回 真珠湾攻撃80年(時事通信) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 米国が北京五輪外交的ボイコットを今週にも正式発表へ - Sporting News JP 全米最大級の保守派イベント日本版「CPAC JAPAN」都内で開催 トランプ氏やポンペオ前国務長官も登場(夕刊フジ) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 【レビュー】地味だけど凄い ミュージアム開館10周年記念「東洋文庫名品展 『東洋学』の世界へようこそ」 東洋… - 読売新聞社 北京五輪に潜む危険:参加選手の「拘束」もありうる(JBpress) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 強力な寒波襲来で電力需給が逼迫? 昨年の二の舞になるのか〈週刊朝日〉(AERA dot.) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 「宗教界で愛国主義・社会主義教育を」…習近平氏が演説(読売新聞オンライン) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 語り継がれてきた「広く深い海」 翻訳で伝えたいチベットの人々の声 - 朝日新聞デジタル <「中国の民主」白書>中国の民族区域自治は制度・政策レベルで少数民族公民の権利を保障 - 中国国際放送 米EU、台湾現状変更「安全に直接影響」で一致 - 産経ニュース 初冬の高原湖・バーソンツオ チベット - people.com.cn ウイグル族弾圧の陰で…ダライ・ラマが発信を続ける意味 | RKBオンライン - rkb.jp 実在しないコロナ専門家の背後に中国ネットワーク=フェイスブック - BBCニュース オオヤマネコがチベットカモシカを捕食する様子を撮影 青海 - people.com.cn 〈食べログ3.5以下のうまい店〉北海道出身の食ライター激推し! 地元の食道楽が集う炭焼き酒場(食べログマガジン) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 安倍元首相「台湾有事は日本有事」中国けん制 TPP台湾加入を支持(毎日新聞) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 日本スポーツ界はやっぱり“政府の犬” JOC山下会長「北京五輪ボイコット」めぐる発言で再露呈(日刊ゲンダイDIGITAL) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース ウイグル、チベット、内モンゴル......中国による民族弾圧の原点は毛沢東にあり - Newsweekjapan 平均賃金が発表、高給の都市と業界は?―中国 (2021年11月30日) - エキサイトニュース エネス・カンターが名字を“フリーダム”に改名へ 30日にアメリカ市民権を取得(NBA Rakuten) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース チベット自治区の経済・社会は過去5年で急速に発展 - people.com.cn ラニーニャ現象の冬 当初とは違う見解が出てきました クリスマスや年末の傾向(tenki.jp) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 若者がバカなのは生物学的に普遍の現象なのだ――?(レビュー)(Book Bang) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 五輪=人権活動家、IOC本部前で「葬儀」 北京大会への抗議で(ロイター) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 習近平「歴史決議」採択で高まる中印の武力衝突リスク(JBpress) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース スノーボードに乗ってお買い物、ネットで話題の動画に(CGTN Japanese) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 今度はディオールの写真を「人種差別」と吊し上げた中国共産党の真意(ニューズウィーク日本版) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース チベット国境を守る警察に手編みのマフラーを送った河南省の老夫婦 - people.com.cn 台湾統一に向けた中国の実力行使が2027年に始まると見る理由(JBpress) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 河北春秋(11/23):チベット生まれの女性の詩人ツェリン・オー… - 河北新報オンライン 【読んだよ 読もうよ】世界各地の地域性あふれる昔話を紹介 - 読売新聞 かつては「高原の孤島」と呼ばれていたチベット自治区メトク県―中国メディア (2021年11月22日) - エキサイトニュース 米中首脳、人権・経済など幅広く協議 習主席は台湾問題けん制(ロイター) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 高標高地宇宙線観測ステーション「LHAASO」が運行段階に 中国・稲城県(CGTN Japanese) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 「中国共産党の指導者は文化の違い理解せず」 ダライ・ラマが会見、若い世代に期待も - Newsweekjapan チベット高原 最大規模の野生ヒョウ個体群生息(CGTN Japanese) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース NBA選手のチベット巡る発言が波紋 中国側は反発 (写真=ロイター) - 日本経済新聞 チベット自治区の「ポタラ宮」が無料開放…10月15日から来年3月15日まで=中国報道(WoW!Korea) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース チベット高原で旧石器時代の遺跡発掘 アシュール文化に匹敵か(NEWSポストセブン) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 秋深まりハダカムギの収穫が始まる チベット - people.com.cn チベットカモシカ、個体数が30万頭を突破(CGTN Japanese) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース チベット族のくつろぎの時間「リンカ」 中国 - AFPBB News 端はカリカリ、中心はサクもふっ。チベット風ズッキーニ揚げパン - 朝日新聞デジタル チベット絨毯が3Dプリントでグレードアップを実現 - people.com.cn 生態系を保護し、高原に緑を増やす チベット自治区 - AFPBB News 標高世界一の高速道路が開通 チベット自治区 - ITpro 慧海の「チベット旅行記」には敢えて記されていないツァルカ村から先、越境への核心部へ―― - 株式会社 山と溪谷社 ダライ・ラマの写真ダメ、習主席の写真を飾れ…当局がチベット族の家庭を巡回調査 - 読売新聞 甘粛省のチベット仏教の古刹が強制的に閉鎖 当局と僧侶が対立(NEWSポストセブン) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース チベットに習近平氏の巨大肖像 「解放」70年の式典で - 朝日新聞デジタル 中国、チベットに「高速鉄道並み」新線建設の狙い - 東洋経済オンライン チベットの理解はヤクから始まる - 中国国際放送 チベットの氷河で発見されたウイルス、28種類は未知のもの…動物への病原性はなし - BUSINESS INSIDER JAPAN 米国が これ見よがしにダライ・ラマ師側と次々「接触」…中国「内政干渉だ」と反発(WoW!Korea) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 中国チベットのラサ・ニンティ鉄道が沿線地域に活気をもたらす - AFPBB News パンチェン・エルデニ、タシルンポ寺を参拝 チベット自治区 - AFPBB News 「祖国」を追われながらも真実を追求するチベット人作家 - WEDGE Infinity チベットの今を考える 無圭庵で民謡と映画上映 | 大磯・二宮・中井 | タウンニュース - タウンニュース 「太陽の玉座」ニンティ市 チベット自治区 - 新華網日本語 米国務長官、チベット亡命政府代表と会談 - 時事通信 米国務長官、チベット亡命政府代表と会談(写真=ロイター) - 日本経済新聞 チベットの溶ける氷河から、約1万5000年前の未知のウイルスが発見される - Newsweekjapan 中国習主席 チベット初視察 少数民族政策の正当性をアピール - NHK NEWS WEB 習近平氏チベット視察 国家主席就任後初、鉄道でラサへ - 朝日新聞デジタル お供え物が絶えないチベット自治区の怒江大橋 その訳は? - people.com.cn 中国の民族同化作戦、チベットも標的 - ウォール・ストリート・ジャーナル日本版 チベット亡命政府首相、中国を批判 日米に連携呼びかけ - 日本経済新聞 チベット東南部を貫く「拉林鉄道」開通の背景 - 東洋経済オンライン チベット初の高速鉄道が開業、「世界の屋根」での難工事の末 - CNN.co.jp チベット族「死ぬ自由もない」、監視カメラの死角で礼拝…[中国共産党100年]きしむ大国<1> - 読売新聞 中国がチベットで観光開発を奨励…専門家は文化へのダメージを危惧 - BUSINESS INSIDER JAPAN 天険と恵みの大渡河に架かる四川とチベット結ぶ大橋 - people.com.cn チベットの歴史に天地をくつがえす大変化が発生 - AFPBB News 「開発とカネで解決、は誤り」チベット亡命政府首相、中国に対話促す - 毎日新聞 - 毎日新聞 「中国に文化消される」 チベット亡命政府の新首相語る - 朝日新聞デジタル インフラ整備と武力、不変の両輪〈中国共産党100年 チベットと「長征」下〉 - 東京新聞 拷問、ジェノサイド、人権無視がDNAに刻まれた中国 - JBpress ダライ・ラマの転生だれが認定 中国軍進駐の協定70年 - 朝日新聞デジタル 中国政府 チベット“解放”70年 共産党による統治を正当化 - NHK NEWS WEB ダライ・ラマは「チベット安定に危害」 中国の白書 - 朝日新聞デジタル 「中国に間違い指摘を」 人権弾圧でチベット亡命政府日本代表 - 時事通信 チベット亡命政府に新首相 「文化の継承に取り組む」 - 朝日新聞デジタル チベット議連顧問に安倍前首相 中国の人権侵害に対する非難決議の採択推進へ - www.fnn.jp ウイグル人やチベット人、僧侶が平和を祈ってデモ行進 長野市 - 産経ニュース 【自由 強権】チベット亡命政権・アリヤ日本代表に聞く 「仏教への干渉は宗教的迫害」 - 産経ニュース チベット、ウイグル、香港 在日団体代表「早期の国会決議を」 - 産経ニュース チベット亡命政府首相選、決選に新人2人 - 産経ニュース 中日合作ドキュメンタリー「天空チベット・タンカ絵師の郷」が好評博す - people.com.cn 中国大使館前でチベット人権弾圧への抗議集会 - 産経ニュース 1959年、中国軍によるチベット仏教最高指導者ダライ・ラマ… - 東京新聞 中国、チベット開発に5兆円投資 鉄道やダム建設 - 日本経済新聞 米欧、中国のチベット拡張路線に懸念 人権問題注視(写真=ロイター) - 日本経済新聞 ウイグルとチベット、中国の人権進歩の「輝かしい例」と外相 - AFPBB News <独自>亡命チベット人を実質支援 外務省ODA、インドで - 産経ニュース チベットで見たアメとムチ 収入6倍、でも「話せない」 - 朝日新聞デジタル 米国でチベット人権法成立 後継者選定介入で対中制裁も - 時事通信 契約締結 2750億ドル 5年間 ティム・クック Apple 中国政府 2016 The Information 2021.12.07 アメリカ 中国 20211208|極論空手形 / Extreme Argument Fictitious Bill|note - note 【レビュー】地味だけど凄い ミュージアム開館10周年記念「東洋文庫名品展 『東洋学』の世界へようこそ」 東洋… - 読売新聞社 「宗教界で愛国主義・社会主義教育を」…習近平氏が演説(読売新聞オンライン) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース ウイグル族弾圧の陰で…ダライ・ラマが発信を続ける意味 | RKBオンライン - rkb.jp 2021 年(第 30 回)ブループラネット賞 特設サイトを新たに開設 受賞者への特別インタビュー動画を公開 | 公益財団法人フォーリン・プレスセンター(FPCJ) - フォーリン・プレスセンター 霊性の回復望む祈りの書 文芸評論家の竹本忠雄さんが自叙伝刊行(産経新聞) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 英語のプレゼンが苦手な人こそ知るべき「グローバルコミュニケーションの潮流」(ダイヤモンド・オンライン) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 40年ぶり歴史決議採択 共産党100年の歩み自賛―習氏3期目へ権威確立・中国 - 時事通信ニュース ダライ・ラマ14世、会見で中国指導者批判|日テレNEWS24 - 日テレNEWS24 新たな世代で「事態変わる」 ダライ・ラマ、中国指導部に苦言 - 時事通信ニュース NBA選手、シューズに「北京五輪反対」 ファンは熱い声援 - 産経ニュース ダライ・ラマも認めた画家、藤田理麻が新作個展「Antariksa~天と地の狭間~」を開催 - SPUR.JP ダライ・ラマの写真ダメ、習主席の写真を飾れ…当局がチベット族の家庭を巡回調査 - 読売新聞 アップル、中国や台湾向け刻印サービスで「ダライ・ラマ」や「雨傘革命」などを検閲していると明らかに - Engadget 日本版 チベットに習近平氏の巨大肖像 「解放」70年の式典で - 朝日新聞デジタル 米国が これ見よがしにダライ・ラマ師側と次々「接触」…中国「内政干渉だ」と反発(WoW!Korea) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 中国・習近平は、なぜ被災地ではなくチベットに行ったのか?“ダライ・ラマ”リスクで中印の軍事的緊張 - Business Journal 米国務長官、チベット亡命政府代表と会談 - 時事通信ニュース 米国務長官、チベット亡命政府代表と会談(写真=ロイター) - 日本経済新聞 中国の民族同化作戦、チベットも標的 - Wall Street Journal 印首相、ダライ・ラマ誕生日に異例の祝意 中国牽制か - 産経ニュース チベット族「死ぬ自由もない」、監視カメラの死角で礼拝…[中国共産党100年]きしむ大国<1> - 読売新聞 「自由な香港通り」 ブダペスト市、道路改称で中国大学建設に抗議 - AFPBB News 「中国に文化消される」 チベット亡命政府の新首相語る - 朝日新聞デジタル 理由はダライ・ラマに靖国? 中国でガガさんらの出演シーンカット、米ドラマ「フレンズ」 - AFPBB News ダライ・ラマの転生だれが認定 中国軍進駐の協定70年 - 朝日新聞デジタル ダライ・ラマは「チベット安定に危害」 中国の白書 - 朝日新聞デジタル チベット亡命政府に新首相 「文化の継承に取り組む」 - 朝日新聞デジタル 在印チベット人にコロナ感染拡大 ダライ・ラマがワクチンを緊急接種 - NEWSポストセブン 1959年、中国軍によるチベット仏教最高指導者ダライ・ラマ… - 東京新聞 ダライ・ラマがワクチン接種「とても重要、私もした」 [新型コロナウイルス] - 朝日新聞デジタル ダライ・ラマがワクチン接種 - 時事通信ニュース ダライ・ラマ14世 コロナワクチン接種|日テレNEWS24 - 日テレNEWS24 バイデンはダライ・ラマと会談するのか? - WEDGE Infinity ダライ・ラマとグレタさんが対談「彼女は希望」 - テレビ朝日 米でチベット人権法成立、ダライ・ラマ後継者選出介入なら対中制裁 - AFPBB News 高須院長、ダライ・ラマ法王から届いた薬公開 「畏れ多い」と驚きの声 - しらべぇ スタンフォード6000人の聴衆にダライ・ラマが英語で語ったこと - ダイヤモンド・オンライン ブラッド・ピット主演。伝説の登山家と少年ダライ・ラマの魂の交流を描く。「セブン・イヤーズ・イン・チベット」9月12日(土)よる7時~BS12 トゥエルビで放送 - PR TIMES 動物好きのダライ・ラマでさえ苦言を呈するペットブーム|イヌネコにしか心を開けない人たち|香山リカ - gentosha.jp ダライ・ラマの肉声を盛り込んだアルバムがビルボード1位 - 東亜日報 UPDATE:ダライ・ラマが1stアルバム『Inner World』をリリース - HYPEBEAST ダライ・ラマ14世、まさかの1stアルバム『Inner World』 85歳の誕生日に発表 - KAI-YOU ダライ・ラマ、85歳の誕生日に「ファーストアルバム」発表 - AFPBB News ダライ・ラマ、85歳の誕生日にアルバムリリース - シネマトゥデイ 構想から5年──ダライ・ラマ14世のデビューアルバムとは - Newsweekjapan ダライ・ラマ14世、85歳の誕生日にデビューアルバムを発表 | Rolling Stone Japan(ローリングストーン ジャパン) - http //rollingstonejapan.com/ ダライ・ラマ14世、まもなくリリースするデビューアルバムよりファーストシングル「Compassion」をリリース - iFLYER 行方不明から25年、米国務長官「ダライ・ラマ側11世の居場所公表を」 - 読売新聞 25年前から不明のパンチェン・ラマを解放せよ、米が中国に改めて要求 - AFPBB News ダライ・ラマ次位の高僧ザ・チョジェ・リンポチェ緊急来日講演会延期のお知らせ - Dream News ダライ・ラマ後継、中国関与を拒否 チベット高僧ら決議 - 朝日新聞社 ダライ・ラマ後継者選びの中国介入拒否 チベットが決議「輪廻転生の存続望む」 - 毎日新聞 - 毎日新聞 亡命から60年、懸念される偽ダライ・ラマの出現 - JBpress ダライ・ラマ継承「本人が決定」 チベット人会議決議、中国介入を拒絶 - 産経ニュース ダライ・ラマ トランプ大統領を道徳心が足りぬと批判 - NEWSポストセブン ダライ・ラマ84歳の誕生式典、ネパール政府が許可せず中止に - AFPBB News 「女性は魅力的でなければ」 ダライ・ラマが失言で謝罪 - CNN.co.jp ダライ・ラマ、TVインタビューでの女性めぐる発言を謝罪 - AFPBB News ダライ・ラマ 「トランプ氏は道徳理念が欠けている」 BBC独占インタビュー - BBCニュース 習近平氏、過去にダライ・ラマとの面会に同意か インドの新刊書が指摘 - AFPBB News 【藤本欣也の中国探訪】ダライ・ラマなきチベット あふれていたのはあの人だった - 産経ニュース ダライ・ラマの担当医、バリー・カーズィンが考える「幸せな生き方」 - Forbes JAPAN 83歳のダライ・ラマ14世、肺感染症で入院 容体は安定 - BBCニュース ダライ・ラマ、肺の感染症で入院 容体は安定 - CNN.co.jp 亡命生活60年となったダライ・ラマ 気がかりな継承者問題と中国「次の一手」 - Newsweekjapan ダライ・ラマ後継 年内にも議論 チベット亡命政府 首相インタビュー ロブサン・センゲ氏 「輪廻転生」制度 変更も - 西日本新聞 チベット自治区のトップ、ダライ・ラマ14世を批判 - テレビ朝日 ダライ・ラマは「厄介者」 全人代代表のチベット族が批判 - 産経ニュース ダライ・ラマ法王が説く、非暴力の時代への道筋 「人間本来の性質は慈悲と愛の心」 - ログミー ダライ・ラマの後継者選び、議論先送り 参加の高僧死去 - 朝日新聞社 【主張】ダライ・ラマ講演 民族の権利求める声聞け - 産経ニュース 日中融和の中…来日した「ダライ・ラマ」が講演 日本人へのメッセージと中国の今後 - www.fnn.jp 「チベット人に中国憲法に基づいた権利を」 ダライ・ラマ14世講演要旨 - 産経ニュース ダライ・ラマ「共存共栄、中国の知識人から賛同」 - 日本経済新聞 ダライ・ラマ14世が講演 抑圧政策「役に立たない」認識広がる - 産経ニュース ダライ・ラマ、後継者「成人から選定」 高僧会議で協議 - 日本経済新聞 ダライ・ラマ、11月20日に国会内で講演 2年ぶり来日 - 産経ニュース ダライ・ラマ、仏教指導者による性的虐待 「90年代から知っていた」 - AFPBB News 「欧州は欧州人のもの」 ダライ・ラマ、法話で移民問題に言及 - AFPBB News 北インドでダライ・ラマの講話を拝聴する - WEDGE Infinity ある日突然、高僧の生まれ変わりに認定され…ダライ・ラマ法王のNo.2が語る、知られざるチベット仏教の世界 - ログミー 次期ダライ・ラマに高まる関心 「15世」候補者は世界で探せ - Newsweekjapan チベット仏教 輪廻転生制のあり方は? ダライ・ラマ14世、年内に予備協議へ - 産経ニュース ダライ・ラマ、亡命時のインド人警護官と約60年ぶりの再会 - AFPBB News 中国強硬派は「脳の一部が欠如」=ダライ・ラマ14世 - ロイター アメリカ、EU、そしてチベット。ダライ・ラマ14世、世界の「分断」と「統合」を語る - ハフィントンポスト ダライ・ラマ制裁に苦しむ、モンゴルが切るインドカード - Newsweekjapan ダライ・ラマ14世「仏教は科学者と一緒に歩むことのできる唯一の宗教」講演で説いた“幸せな社会”の築き方 - ログミー 【ダライ・ラマ14世講演詳報】毛沢東は私に「赤い旗の隣に国旗を維持せよ」と言った - 産経ニュース ガガさんとダライ・ラマ14世が会見、中国ネットユーザーは激怒 - AFPBB News ダライ・ラマ亡き後のチベットを待つ混乱 - Newsweekjapan ダライ・ラマ14世「私でダライ・ラマ制度は終わりにしたい」 - NEWSポストセブン 【美的アジア】ダライ・ラマ14世の素顔に触れ、あらためて考える“平和とは何か” - cinemacafe.net 「独立を求めるつもりは毛頭ない」ダライ・ラマ14世の考えが凝縮された演説集 - ダイヤモンド・オンライン ダライ・ラマ「生まれ変わり制度を廃止」発言に中国反発「絶対に認めない」 - ハフィントンポスト ダライ・ラマ14世の転生「廃止」発言 後継選定を主導したい中国政府「秩序損なう」と猛反発 - MSN産経ニュース ダライ・ラマ14世、「後継者は不要」 独紙インタビュー - AFPBB News ダライ・ラマ14世が「恋愛」や「ゲイカップルの結婚」に回答 - ハフィントンポスト ダライ・ラマ14世の生家を当局が「改修」、原形とどめず - AFPBB News (↓自動検索による関連情報が含まれる外部リンクリストです。) #bf #bf 以下広告
https://w.atwiki.jp/09_sherpa/pages/18.html
ラプラン寺の僧侶ジグメ・グリ 11月4日に再逮捕されたラプラン寺の僧侶ジグメ・グリが、逮捕前に中国当局の拷問の実態を証言していた。 証言は9月3日にVOAチベット語放送の番組、"Kunleng" でオンエアされた。 チベット語だが、以下の『dias』に掲載された日本語訳で内容を知ることができる。 ブログ『dias』より 2008/11/13 Jigme Speaks http //www.mobileplace.org/dias/blog/jigme-speaks 今月4日逮捕されたラプラン寺の僧侶、もうひとりのジグメの証言は、9月3日にVOAチベット語放送の番組、"Kunleng" でオンエアされ、YouTubeで見られるが、これをウーセルが英訳 している。 彼女の英訳を基本として、中国語による解説を参照して補足し、日本語訳してみた。 拘束後のジグメは行方はまだわかっていない。少し長いが、映像と合わせてぜひ読んで、彼の解放を求める声を上げてほしい。 甘粛省のラプラン寺出身の僧侶、ジグメは、2008年3月から4月にかけて中国のチベット人地域で広がった抗議活動とその後の経験について話した。 (20分間の放送に関するこの英語訳は内容的には正確であるものの、語句、単語、比喩をそのまま置き換えた直訳ではない。また、中国公安や拘留施設の名称は口語チベット語から聞き取ったもので、正確なものではないかもしれない。) 今年、チベット暦の2月15日(2008年3月22日)、毎朝行われる読経が終わってから自分は町に出た。自分はタクシー乗り場の端で、靴を修理させた。 僧院に戻ろうとしたとき、携帯電話が鳴った。自分は携帯の画面を見たが、番号は表示されていなかった。 白い車輛が走って来て、自分の前で停まった。4人の兵士が自分を車に押し込み、拘束した。 振り返ると尼僧が見えた。「アニ!アニ!(尼さん!尼さん!)」と何度か叫ぶと、彼女がこちらを見るのが確認できた。 車の中で彼らは自分の頭に黒い布を巻き、手錠をかけた。銃が頭に押し当てられ、体が拘束された状態で自分は武警の留置場に連行された。 留置場はサンチュ(夏河)県公安局の裏にあった。そこで彼らは自分の頭に巻かれた布を取ったが、手錠は外されなかった。それから身体検査され、携帯電話、財布などすべての所持品が取り上げられた。自分は椅子に座らされ、後ろ手で拘束された。 若い兵士が自分に自動小銃を向け、中国語で言った。「これで殺せるんだぜ、この阿老(チベット人に対して中国人が使う蔑称)。少しでも動いてみな。俺は確実に撃ち抜けるんだぜ。俺がおまえの死体をゴミ置き場に捨てれば、あとは『行方不明』だ」。 それを聞いて、頭に押し当てられた銃が怖いというよりも、この男は兵士や公安職員というよりも、刑務執行官なのだと思った。それがここでは一般市民に銃を向けて、そんなことを言っている。 自分は非常に悲しかった。まるで心臓が2つの断片に砕かれるかのように思った。 これは強い権力による民族的な嫌がらせであり、少数民族に対する迫害だ。少数民族を抹殺するために国家が兵器を作っている。現場レベルでそのようなことが行われているのだから、上層部はもっと悪いことを考えていると言わざるを得ない。 自分がそんなことを言われ、銃を突きつけられながら脅されている状況が、まさしくチベット人が迫害され、抹殺されていることを象徴している。言われたようにチベット人が殺されて、死体がゴミ置き場に捨てられたとしても、誰も気付かないだろう。 自分たちは犬や豚以下にしか扱われていないのだ。人が飼っている犬や豚をどうしようと、他の人が文句を言うことはないだろう。チベット人が殺されても、誰が文句を言うというのだ。仲間が死んでもその遺体返還を求めないように自分たちは言われている。だから、人種的な平等などないのだと自分は悟った。 拘留のあいだ、繰り返し聞かれた質問のひとつは「お前たちを煽っているのはダライ・ラマか? ダライ・ラマが窃盗や放火や破壊を指図したのか?」だった。 「お前にとってダライ・ラマとは何か?」自分にとってみれば、自分は仏教信者だ。ダライ・ラマ猊下は自分の人生であり、心であり、魂だ。だから自分は独りではない。600万人のチベット人にとって、猊下は来世と同様に自分の人生での霊的な信頼を置いている人だ。猊下は世界平和に向けた途方もない努力のために広く尊敬されている。猊下は世界平和のチャンピオンだ。猊下は非暴力の方法を確立された。 猊下が窃盗や放火、破壊を目論んだというような非難を自分は絶対に拒絶する。ダライ・ラマ猊下はそんな方ではない。自分のような一介の僧侶でさえ、窃盗や放火、破壊をさせるようなことはない。 ダライ・ラマ法王はチベット人600万人の精神の拠り所だ。誰も自分たちを法王から引き離すことはできない。一介のチベット僧として、歴代に渡って自分たちには師弟関係があり、将来も同様だ。自分たちは猊下に揺るぎない信頼を持っている。 ダライ・ラマとは何かという質問に対して、これが自分が答えたことだった。 拘置所に数日間拘留された後、自分たちは刑務所に連行された。 刑務所では兵士たちが自分たちに「イー、アル、サン」と命令をしたので、中国語のわからない何人かは「けだもの」「この馬鹿」と叱られ、警棒で殴られた。なぜ殴るのかと自分たちが尋ねると、お前たちは中国語がわからないから、体でわからせるしかないのだと言われた。 自分は疑問に思う。中華人民共和国の憲法や法律には、少数民族の居住する地域ではそれぞれの民族の言葉が使われ、民族の権利が尊重されると書かれている。だとすればチベットにおいて、チベット語の代わりに「けだもの」だとか「馬鹿」だとか言われたり、中国語がわからないというだけで暴行を受けたりするのはいったいなぜなのだろうか。 それぞれの行動や年齢はまったく考慮されなかった。14、15歳の若い僧侶と、60、70代の老僧が同じように逮捕された。本当に抗議活動に関わったかどうかも関係なかった。 上着も靴もなかった。2人ずつ縛られ、トラックで連れて行かれた。丸太のようにトラックに投げ入れられた。頭を怪我していても、腕が骨折していても、全員刑務所に連れて行かれた。親類や友人からの食べ物や衣服、寝具の差し入れは許可されなかった。 どうして激しく暴行されるのかと言えば、それは自分たちがチベット人だからだった。そのことを自分たちは本当に悲しく感じた。 自分たちはカチュ(臨夏)の刑務所に送られた。囚人のほとんどが漢族とイスラム系中国人で、チベット人は自分たちだけだった。 排泄物で汚れた床を毎日裸足で掃除しなければならなかった。刑務所では僧衣ではなく俗人の服装が強制された。自分は僧侶だ。僧衣を脱いで手錠をかけられ裸足で連行されるのは屈辱的だった。 刑務所の状態は悪かった。食糧や飲料水は不足していて、着るものもなかった。顔を拭うための布巾さえないのだった。 昼間も夜も常に手錠をかけられた状態で、1ヵ月ほど拘束されていた。 尋問では、ダライ・ラマやサムドゥン・リンポチェ、アジャ・リンポチェなど、外部との接触を問われ、自分はそれを認めなければならなかった。同じようにチベット内部の学者や教師たちと接触があると自分は疑われた。 「お前は活動に関与し、組織を率いただろう。お前は何度も外国へ電話をかけた。それで何をやろうとしたんだ? チベットの旗はどこで印刷したんだ? 何枚印刷したんだ? お前のグループには何人いたのか?」とか、「お前は犯罪を認める以外にない」とか。 自分は腕にロープをかけられ、何時間も吊り下げられた。足を上にして天井から。顔、胸、背中を思いっきり殴りつけられた。ある時ついに意識を失い、病院に連れて行かれた。 自分が意識を回復すると、自分が吊り下げられ暴行されたあの刑務所にまた戻された。結果として自分はまた意識を失い、再び病院送りになった。 ある時は2日間ずっと殴られ続けた。食べることはおろか、一滴の水も飲めずに。自分は腹部と胸部の痛みに苦しんだ。2度目の病院では6日間意識不明のまま入院し、目を開けることも話すこともできなかった。 最終的に、死ぬかどうかの瀬戸際になって、彼らは自分を家族に引き渡した。解放する際、暴行は行っていないと看守は当局に嘘の報告をした。同じように家族に対しても伝え、「私は拷問を受けていません」と書かれた書類に拇印を押させた。 結局20日間入院し、治療費が2万元もかかった。 僧院に戻る途上、180人の僧侶が逮捕されたと仲間たちから聞いた。僧侶たちは何も間違ったことをしていない。先達の僧や教師役の僧侶も逮捕された。 彼らは毎晩、つま先立ちをさせられ、銃把で背中を殴られた。その模様を中国人は首から下げた携帯電話のカメラで撮影していたという。 警察と兵士が僧院の捜索を行っている最中、彼らが僧侶の私室などから仏像やタンカ、金銭、身の回り品から食糧までも盗んでいたのを自分は見つけた。 本当の略奪者であり殺人者が、中国共産党の兵士たちであることは明確だ。彼らが違法行為に手を染める一方で、逆に自分たちが捕らえられ、暴行され、拷問されて、殺されている。 また、「ダライ一派」と共謀して暴動を煽動したと自分たちは訴えられている。もし本当に民族が平等で、表現の自由、信教の自由があるなら、自分たちが心から信じるものの肖像を崇拝してはいけないのだろうか? 自分の目が正しければ、彼らは「尊い存在」ダライ・ラマ猊下の写真を足で踏みつけ、銃把で額を壊し、ばらばらに細かく裂いて、炎の中で燃やした。チベット人であり、仏教徒である自分たちが、亡命されている存在の肖像が踏みつけられ、ちぎられているのを見たら、それはもう取り返しがつかないことだと感じるだろう。 チベット人が窓ガラスをいくつか割っただけで、それが数億元の損害になったと彼らは言う。自分たちが最も尊敬すべき存在の肖像が踏みつけられたのを見たときの心理的な苦痛に対する慰謝料はどうやって見積もるのだろうか? 中国首脳は実践の目標は「和諧社会」だというが、同時にチベット人全員が敬愛し、誇りとしている精神的指導者、ダライ・ラマを彼らはけなし続けている。自分たちの価値観が否定されているというのに、どうやって「和諧」を感じることができるだろうか。 僧侶たちはずっと殴られ続けている。それだけではない。報道記者と話したある僧侶は、警棒で殴られ、足を折られた。 ひどいと電気棒を口の中に突っ込まれた。電気棒は脳を麻痺させ、精神障害を起こすこともある。自分たちはそういう拷問に耐えた。 いまの望みは、国際的なメディアや国連の調査官がチベットを訪れ、現実の状況を調査し、その結果を評価した上で報告することだ。これが自分たちの望みだ。 中国は、チベット人が法を犯したと言い、逮捕し、暴行を加え、多くのチベット人を殺している。多くの人たちが山に逃げ込み、家や家族の元に戻れないでいる。国際メディアがこれを報じてくれれば、彼らは助かるだろう。 ダライ・ラマ猊下は、自分たちのアクションについて何も促していない。独立のために戦えとは法王は言っていない。法王はこの種のことについて決して言及しないのだ。 自分たちのほとんどはダライ・ラマの「中道路線」と、平和的対話によるチベット問題の解決を支持している。が、一方で自分たちが受けているひどい迫害に、悲しみを覚える。 きょう、自分は、真実の目撃者として、刑務所で続く拷問によってチベット人が殺されていっていることや、無数の人々が山中に逃げ、恐怖のために帰宅できないでいることを、メディアを通して伝えたい。この状況をメディアが報じてくれることが、自分の願いだ。 公安事務所と秘密警察の職員たちはチームを組んで僧院の自分の部屋を訪れ、自分をしっかりと見張っている。いまも見張りがついている。 自分は外出することも電話をかけることもできない。手元には分厚い中国の法律書を学習用に置いている。自分は自白を書くように言われているのだ。自分はただ刑務所にいないというだけで、自由がないのには変わりはない。 ラプランやアムドだけでなく、カムや中央チベットでもここ数日連続的に抗議が起きているようだ。たくさんのチベット人が殺された。また大勢が迫害され、逮捕された。200人以上のチベット人が殺され、数千人が逮捕されたと聞いた。暴力と逮捕は極秘裏に続けられている。 自分たちのところでは、情報が厳しく制限されている。米国など外国からのニュースを受信することはおろか、衛星アンテナを設置したりすることもできない。国内のニュースをテレビで観たり、ラジオで聞いたりするしかない。 こんな状況のどこに表現の自由があるというのだろう。どこに宗教の自由があるのだろうか? チベットの人々はあらゆる種類の苦しみを受けている。自分はラプラン寺の一介の僧侶だ。今年逮捕されたうちのひとりだ。 拘束されたとき、自分は言った。自分を殺せば、それで終わりだ。が、もし自分が外に出て話す機会があれば、自分が経験した拷問についてすべて話すつもりだ、と。自分は善良なる目撃者として、いまも仲間たちが受けている受難を世界中のメディアに伝えてもらうために話すつもりだ、と。 解放されたとき、自分が受けた暴行については話さないように言われた。また外部と接触しないようにと言われた。が、自分が受けた経験、仲間たちの身に続いている受難を、とても話さずにはいられない。これもまた、いま自分が話している理由だ。 チベットではまだ厳しい弾圧が続き、チベット人の行動が制限され続けている。 最近当局は自分たちに、五輪開催を支持するように言ってきたが、チベット人は蘭州にさえ旅行に出られないし、まして北京へ観戦に行けるわけではない。自分たちはここから出られないのだ。 五輪のために、伝統的な祝祭、祭典、宗教的な儀式がすべて禁止されてしまった。 夏河県では武装兵士が草原中にあふれている。 この僧院の納屋で彼らは、わら人形を作って、僧衣をそれに着させた。中国兵はそれを使って銃剣の訓練をしている。つまり彼らの敵は、チベットの人々と僧衣を着た僧侶なのだ。 逮捕されたチベット人全員が抗議に関わったわけではない。なぜ彼らは訓練のためにチベット僧を模したわら人形に銃剣を刺しているのか? 中国人がチベット人を敵と見なしていることを恐れているのは僧侶だけではない。僧院の職員、学生、その他のチベット人もみんな恐れている。 強大な政府、強大な国家の、強大な民族が、軍隊や警察、銃や戦車、キャノン砲を使って、ただの弱小民族、チベット人を脅かしている。何千人もの兵士が自分たちを取り囲み、「反抗的なチベット人を殺せ」と命令されている。 この21世紀、世界中の人々が平和を謳歌している。平和を愛する人々、真実を尊重する人は、中国の報道制限をやめさせ、チベットで自由に取材や調査を行って、何がチベットで起きているのかを明らかにするべきだ。世界中のメディアや国連、人権擁護団体に対し、注目してもらいたいし、チベットの人々が置かれている状況を解決するための方策を見つけてほしいと自分は思う。 皆さんは中国に反抗して拘束されているチベット人を解放するよう、またチベット問題について、ダライ・ラマの代表団と有益かつ有意義な対話を行うよう、中国政府に促すことができる。それは、猊下にチベットに帰ってきてほしいというチベットに住むチベット人の望みと期待でもある。 安定と団結が中国共産党の国家としての重要な目標だと中国共産党は言う。もしいま猊下と共産党とが有益な対話を通してチベット問題を解決しようとするなら、持続的な平和や安定、団結を疑うことはなくなるだろう。 合計: - 今日: - 昨日: - トップページに戻る
https://w.atwiki.jp/busuku/pages/24.html
第8回 補則事項 ・ 前回に引き続き、統語法には含まれないがしばしば目にする表現など、補足的な事項を紹介する。 ・ 科段はチベット撰述文献に特徴的なもので、その存在を知らないでいると、似たような文章が度々出てくるのに当惑させられる。 ・ 古典文章は電報文のようなもの、という意識で読んでいくと、省略の多さに惑わされにくくなる。 ・ 補足的な事項ではあるが、これらのことを知っておくと、実際に文章の中に出てきた際に、対処が容易になるだろう。頭の片隅とどめておくこと。 (総括の語/よく用いられる表現/科段/読解のヒント) ・・・総括の語 しばしば単独で挿入句的に用いられ、「~と言う」「~と思う」「~と訪ねる」というように、直前までに書かれた内容をまとめる働きをする動詞がある。 gsung 言う zer 言う snyam 思う dri 尋ねる zhu 頼む shes 知る lta 見る rtog 試す bsams 考える ・・・一般と特殊の表現 sphi-r 一般に bye brag tu 個々に、別々に khyed par du 特に、とりわけ ・・・引用の開始を表す表現「~によれば」 na re 人 las 典籍 ・・・比況の表現「~のように」「~のごとし」 bzin lta, lta bu ・・・科段 翻訳論典ではなくチベット人の書いた論典では、各節の頭に、日本語に言う「目次」に相当するような文章が置かれる。これを辿っていけば、その節での議論が論書全体のどこに位置づけられるものなのかが分かる仕組みなっている。(実例を別紙にて参照) ・・・読解のヒント 古典の文章はいわゆる「言葉の経済」ということが徹底していて、「文脈から補えるコト」、「常識的に明らかなコト」については可能な限り書かないですまされる。つまり、必要最低限の情報意外は積極的に省略される。そのような性格から、チベット文はむしろ“新聞・雑誌の見出し文”や、“電報”のようなものと捉えておくと理解しやすいかもしれない。読み手はそうした特性を考慮して、何が省略されているだろう?と考えながら読むようにすると良い。また、「こう書いているからには、すくなくともアアではなくて、コウいう意味だろう」と、裏側を排除しながら書き手の意図を探っていくような読み方をすることが有効な場合もある。いずれにしても、書かれていることは「必要最低限」のこと。最低限ではあっても、文意を特定するに必要な語は全て与えられていると考えて、積極的に補って読んでいくのがよい。
https://w.atwiki.jp/gandharva/pages/6.html
§1 文法・文論関係 §2 チベット大蔵経関連 §3 チベット学関係 §1 文法・文論・WEB辞書 星研究室 http //star.aa.tufs.ac.jp/ 日本のチベット学(言語学としての)の権威です。 現代語のチベット語の動詞辞書があります。動詞の含意する意味を理解するのに有益です。 NIARTHA http //www.nitartha.org/dictionary_search04.html チベット語のオンライン辞書。ダウンロードも可能。諸々のOSやソフトに対応。 HimarayanLiberary http //www.thlib.org/reference/dictionaries/tibetan-dictionary/translate.php チベット語のオンライン辞書。瑜伽師地論を引いている。 §2 チベット大蔵経関連 大谷大学西蔵目録http //web.otani.ac.jp/cri/twrp/tibdate/search.html大谷大学のチベット大蔵経目録。諸版に対応。 大谷大学所造西藏大藏經 http //web.otani.ac.jp/ttpdb/web/index.html 大谷大学において2010年に科学研究補助費(研究成果公開促進費)を受け、以後、北京版チベット大蔵経のデジタル画像化を推し進めている。現在はテンギュルのうち中観部および唯識部の画像データが公開されている。人員と予算の問題より重要な典籍より徐々に進行する見込みらしい。 予てより西藏大藏經影印北京版は読みづらい箇所や、影印出版際に若干の加筆修正が行われている事などが問題視されていたが、これによりより原典に近づいた研究が可能になった。また、本家永楽版は中国が所持しているが非公開である。 ACIP http //www.asianclassics.org/ チベット大蔵経データベース。登録が必要。蔵外文献は永遠の未実装。 TBRC http //tbrc.org/#home チベット語の何か。登録が必要。たまにローマナイズのデータベースに行きつけるが、行きつけないこともある。使い方がよくわからない。今度じっくり見てみます。 大谷大学西蔵研究所 http //web.otani.ac.jp/cri/twrp/ 大谷大学のチベット研究所、蔵蔵文献のいくつかの校訂テキストデータがダウンロード可能 §3 チベット学関係 テングリノール http //www.interq.or.jp/neptune/amba-omo/base.html 佛教大学の東洋学に所属している大学院生のホームページ。 チベット史学に関する情報を多く記載。
https://w.atwiki.jp/shikino/pages/32.html
チベット チベットの大半は約1億年前に海から隆起して作られた大地で、南はカラコルム山脈、ヒマラヤ山脈、西はカラコルム、崑崙山脈に囲まれて、北東は中国の青海省、四川省に続き、四川省の九賽溝などは九つのチベット族の村のある谷の意味で、この辺りもチベット族がくらしています。東には中国の名山と謳われる梅里雪山やシャングリラのある雲南省が続いています。チベットはアジヤの主要な河川の源流となっています。 ヤル・ツァンポ河(インドのブラマプトラ河へ、ガンジス河はヒマラヤの南麓を源流としバングラディッシュでブラマプトラ河と合流します)、マチュ河(中国の黄河へ) 、ドリチュ河(中国の揚子江へ) 、センゲ・カバブ河(インドのインダス河へ)、 ザチュ河(インドシナのメコン河へ)等です。この様にチベットはユーラシア大陸の重要な水源になっています。地球温暖化の中で、チベットの環境を如何に保全するかの重要性が理解できます。 (参考)チベット仏教:インドでは初め仏教とヒンズー教が有りましたが、段段とヒンズー教が優勢になりました。 ヒンズー教は庶民の宗教、仏教はエリートの宗教と言われ、仏教は一般庶民には難しすぎ その改善として密教がうまれた。チベットへの仏教の本格的な伝来は、8世紀の後半に国家の指導理念を仏教に求め、寺院や僧侶に手厚い保護を加えごく短期間に膨大な経典をチベット語に翻訳するなどの大きな偉業を達成しました。 チベット仏教は、大乗仏教で直接インドから伝えられ、土着の信仰と融合しながら発展しました。一方インドでは、13世紀にイスラム教徒の攻撃を受け仏教が滅んだ。この時、仏教側の最後の拠点だった大僧院の座主はヒマラヤを越えてチベットへ逃れ、経典、戒律などをチベットに伝えた。このようにして、チベット仏教は、インド仏教の流れを直接受け継ぎ、その貴重な文化的遺産を守り伝えた。 この様に、チベット仏教は理論的体系がしっかりしており、フランスなどではチベット仏教の信仰者が増えている。 チベットでは信仰がまだ生きていると強く感じられます。次の写真はセラ寺(日本人の河口慧海などが密入国しチベット仏教を学んだことで有名な寺)の僧侶の問答修行です。上級者が問い、修行者の答えの真偽を判定します。右手を拳を握り、開いた自分の左手を叩きます。この時、甲で叩けば偽、指側正面で左手を叩けば真を意味します。 ポタラ宮への巡礼 (参考)聖なる山:カイラス山 約5000万年前にインド大陸とユーラシア大陸が衝突しました。聖なるカイラス山から西に流れるインダス川、反対方向の東に流れるヤル・ツァンポ河(インドのブラマプトラ河へ)のラインがこの縫合帯です。ラサ、ツェタンはヤル・ツァンポ河の流域にあります。聖なるカイラス山はチベットでは世界の中心とされていますが、壮大な地球の歴史から見ても地球の中心と呼ぶにふさわしい山と思います。チベットの人々が一生に一度は訪れたいという聖なる山カイラスは、この聖なる山の周りにある約52キロの巡礼路を右回りで巡礼することで現世の罪を清め、来世も再び人間としての生まれ変りを祈ります。6,714mのカイラス山は未登頂(カイラス山は釈迦牟尼の化身であり、登山許可は下りない)です。 次の写真は、ポタラ宮の屋上です。 モンゴルとチベットの関係 13世紀にモンゴル軍がチベットに侵入し、チベットの最高の聖者をモンゴル宮廷に送るように通達し、チベット仏教の聖者がモンゴル宮廷で活動しました。やがてフビライ・ハンが中国統一王朝の元王朝を作り、チベット仏教を国教とした政治を行った。また元王朝の繁栄を祈念して、大都(後の北京)にチベット式の仏塔を建てた。北京の万里長城:居庸関には、当時は3基のチベット式仏塔が建てられて、その壁面には、チベット文字・八思巴(モンゴル)文字や、漢文の6言語で書かれていて「居庸関六体石刻」がある。この様に、チベットとモンゴルの関係は深い。日本人の感覚からするとチベットとモンゴルは、中国を挟んで北と南と感じますが、青海省や敦煌でつながっているます。事実敦煌も一時期チベットの領地だったこともあります。また、現在のモンゴルの宗教もチベット仏教です。 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/09_sherpa/pages/21.html
Radio Free Asia ここに記載の証言は、チベット現地から話を聞いた亡命チベット人の証言が中心です。 ブログ『チベット式』より 転載(ブログ主の承諾を得ている) 2008/05/13 【2008年チベット動乱】目撃者の証言集(2) http //tibet.cocolog-nifty.com/blog_tibet/2008/05/2008_61db.html (以下転載) ■チベット内部の人々とのコミュニケーションがますます困難になる中、親族や友人との携帯電話を通じた会話や伝聞情報が、今起こっていることを伝えている。以下、報復を避けるための安全上の理由から、匿名にした部分もある。(5月5日更新) ■僧侶が射殺され、家族7人が拘束された(5月2日) 4月28日、ゴロク(果洛)チベット族自治州のホンコル寺のチュトゥプが中国の治安部隊に射殺されました。彼は初期の抗議行動に関わって、潜伏していました。4月の終わり、食べ物を取りに帰宅していたところ、警官が家を取り囲んで彼を殺害しました。 5月4日、彼の母親ワンドルも撃たれて2カ所の銃創を負ったことを知りました。家族のうち両親、姉妹1人、兄弟3人、そして転生ラマ1人が拘束されました。 残されたのは年の若い2人だけです。チュトゥプの父親は手錠をされて連行され、息子の遺体と対面しました。家族の財産はすべて政府が没収すると、当局が通告してきました。 (2008年5月2日、チベット内の知人の言葉を伝えるインド在住チベット人より) ■デモ参加者をかくまった僧侶も同罪で拘束(5月3日) 26歳〜30歳位のクンチョク・トンドゥプが最近ラサで拘束されました。チャムド地区マルカム県タイ出身です。タシ・ギャルツェン、チュトゥプ・ノルブという2人の僧侶も一緒に拘束されました。中国当局は地元の新聞とテレビで、クンチョク・トンドゥプの逮捕につながる情報の提供者には2万2000元の賞金を提供すると告知していました。 彼はラサの3月のデモや騒乱で積極的に活動していた嫌疑がかけられ、長い間、行方がわかりませんでした。しかし、4月終わり頃、ラサのラモチェ寺ギュトゥ学堂の僧坊で拘束されました。共に拘束されたタシ・ギャルツェン、チュトゥプ・ノルブの僧坊です。2人はクンチョク・トンドゥプをかくまったため、同じ罪が課せられるでしょう。 (2008年5月3日、チベット内の知人の言葉を伝える、ウィスコンシンのチベット人より) ■鉄道で装甲車や戦車が到着しました(5月1日) 高地でも燃えるオリンピックの聖火の第2弾が、エベレストの頂上に運ばれようとしています。安全を確保するため、ダム[訳注・中国とネパールの国境の町]の友誼橋周辺にすでに駐屯している2部隊に、さらに3部隊[原文注・人民解放軍または人民武装警察いずれかを指すと思われる]が加わりました。シガツェとディンリの間にはさらに5〜6部隊が配置されています。大雑把に言って、この地域には、50メートルに1人は兵士がいることになります。中国軍や警察などから退役したチベット人が多いディンリ地域では、警戒はさらに厳重だそうです。聖火がディンリを通過する際、いかなる抗議行動も制止しようという締め付けです。さらに悪いことに、中国の圧力によって、中国兵がエベレストのネパール側への入域を許されているのです。 ラサでは、締め付けは文化大革命のとき並みです。こうした状態になったのは1週間前でした。家を訪ねて来た者は全員ラサ市委員会に報告しなければなりません。当局者が一軒一軒家々を回り、居留許可証をチェックしています。ラサで生まれ育ったチベット人しかこの居留証を持つ資格はありません。許可証のないチベット人は連行され、理由を問わず拘束されます。不幸なことに、中国人にはこうした許可証は必要ないのです。これらはすべて、聖火がポタラ宮の前をパレードする際に不都合な事件が起こるのを避けるための予防措置です。 ラサ以外のチベット人が仕事や行商に来る場合、受け入れる者が、関係性や連絡先、滞在期間といった詳細を報告して身元を保証せねばなりません。[ラサ以外から来る]チベット人は10日以上滞在できません。巡礼のため滞在することは許されませんし、聖地はすべて閉鎖されています。1家族から1人だけ、ポタラ宮前の聖火の儀式の見物を許されるのだそうです。 ラサでの聖火リレーは4日から10日遅れると発表がありました。公式な理由はエベレスト周辺の天候不順ですが、本当の理由は軍[原文注・解放軍なのか武装警察なのかは定かではない]による準備が不完全だからだろう、と信頼できる筋から聞きました。こうした大規模な軍の存在を隠すため、彼らは青や赤の帽子と非戦闘員の制服をまとっています。中国はまた、チベット西北部ンガリ地方での、ウイグル人イスラム教徒とチベット人の共謀の可能性も懸念しています。ラサをはじめ聖火が通過する地域には数千人の正規軍が配置されています。 中国から到着した列車には2晩連続して装甲車や戦車が積まれていました。デプン寺の麓は兵士でぎっしりです。共産党員のチベット人は、厳格な政治教育を強いられています。こうした講習には政府職員のふりをした中国人治安要員が参加しています。彼らの本当の狙いはチベット人幹部の忠誠度を秘かに監視することなのです。 (2008年5月1日、チベット内の知人の言葉を伝えるヨーロッパ在住のチベット人より。彼は元中国政府職員であった) ※この後、原文には「2008年4月23日、カンゼからの電話」があるが、前の証言集とまったく同じものなので省略します ■成都で留置され、暴行・拷問を受けました(4月11日) 3月13日か14日、アムド地方ゾッゲのシャメ地域[四川省]のチベット人40人が、理由もわからないままラサで拘束されました。彼らは確かに騒乱中にラサにいましたが、抗議行動には参加していません。にもかかわらず2日間拘束されました。彼らは僧侶17人を含む、下は7歳位から上は80代までのグループで、巡礼のためラサを訪れていました。 ラサで拘束された時、ソナム・リンチェンという男性が中国人警官に殴られました。後に彼は連れ去られ、以来、誰にも行方はわかりません。残った僧侶17人を含む39人は四川省成都に連行され、1カ月近く留置されました。 4月10日、僧侶以外の22人が釈放されました。僧侶17人はまだ拘束されたままです。釈放された者からは、数多くの暴行や拷問についての体験が聞かれます。彼らは果物とお湯しか与えられませんでした。 (2008年4月11日、アムド・ゾッゲのシャメ地域の知人の言葉を伝えるインド在住の僧侶より) ■彼らはダライ・ラマの写真を踏みつけました(3月31日) ンガバ(アバ)県にはアムド・ンガバ仏教論理学院という施設があります。3月30日、この学院の多くの僧侶が拘束され連れ去られたと聞きました。その地域では一般のチベット人も大勢逮捕されました。同じ県内にゴマン寺があり、この寺だけで16人の僧侶が拘束されました。大勢の警官が寺にやって来て、僧坊も含めてくまなく捜索しました。 アムド・アトブ寺も捜索を受けました。僧侶17人が拘束されて連行され、その行方は誰にもわかりません。ゾッゲ県のタクツァン・ラモ・キルティ寺にも大勢の私服治安要員や警官がやって来て、僧侶17人を拘束し、現地の拘置所に投獄しました。 現在のような厳戒状態では、僧侶も一般のチベット人も、医師の手当が必要でも受けようとしません。平時でさえ医療施設は貴重なのです。弾圧で負傷した人々は、手当を受けに行くことを恐れています。食料不足も深刻です。チベット人は、生活必需品を買いに外出することも許されません。 3月29日には、キルティ寺から500人以上の僧侶が連れ去られました。数百の武装警官が僧坊など、僧院内を捜索しました。彼らはダライ・ラマの写真を何枚か見つけると、それを叩き壊して、足で踏みつけました。一般のチベット人も大勢捕まりました。30人ほどのチベット人が警察のトラックに載せられて町中でさらし者になっていました。 (2008年3月31日、チベット内の知人の言葉を伝えるインド在住のチベット人より) ■報道ツアーに選ばれたメディアとは(3月27日) [木曜日にラサに報道陣が入れる]という発表を聞いてから、外交部や国務院から必死で情報を得ようとしました。彼らによると、入域できるのはごく限られた人数で、かなりの狭き門とのことでした。主だったテレビ局は選ばれませんでした。例外は、現場でのレポート抜きのビデオ撮影のみのAP通信、そしてアルジャジーラのアラビア語サービス。同じアルジャジーラでも英語サービスは招待されませんでした。この選択には特定の意図があると考えるのが自然でしょう。[訪問中の]今日、抗議行動がありました。次回の報道ツアーは難しいと思います。 (2008年3月27日、欧米のテレビ局の仕事をしている北京在住のジャーナリスト) ■僧侶300人が抗議行動(3月26日) 3月25日、テホル・ダンゴ寺[訳注・四川省カンゼ州炉霍県]の僧侶たちが立ち上がり、抗議行動を起こそうと計画していましたが、当初は先頭に立つ者がいませんでした。その後、カンゼ地域の弾圧で殺された人々のための特別法要の最中、彼らは抗議行動を進めることを決断しました。 約300人の僧侶が袈裟をまとい、ダライ・ラマの写真を掲げ、寺からほど近いダンゴ県中心部に向かって平和的な行進を行ないました。主にチベット人からなる地元の警官隊が僧侶たちに対し、行進を止めて寺に戻るよう警告しましたが、僧侶らは警官に向かって野次を飛ばし、中国政府のために働くなんて恥を知れ、などと叫びました。その時、中国人警官が銃を構えましたが、チベット人警官らが説得して下ろさせました。 こうした緊迫した状況の中、チベット人警官は僧侶らが町の中心部に向かうことを容認したのです。僧侶らは「ダライ・ラマ万歳」「ダライ・ラマのチベット帰国を認めよ」「パンチェン・ラマを釈放せよ」「チベット人に宗教の自由と人権を」といったスローガンを叫びました。町の中心部では他のチベット人たちも合流しました。そのとき武装警察が到着し、僧侶らを排除しようとしましたが、お互いに引き離されないようスクラムを組んで踏みとどまりました。 その後、僧侶らは寺に向かって行進し、抗議行動を続けました。発砲されましたが、僧侶らは地面に伏せて銃弾をかわし、暴力では応じないと宣言しました。中には、寺に戻る途中で中国政府の車両を壊した者もいましたが。 寺は今、人民武装警察に包囲され、すべての僧侶は立ち去るよう命令されています。 (2008年3月26日、インド在住のチベット人による) ■「電話1本で、とどめを刺せる」(3月24日) アムド地方のチャプチャ地域[青海省海南チベット族州共和県]に、アツォ寺という小さな僧院があります。私はその寺の僧侶です。 3月22日の午前11時15分頃、僧侶たちが抗議行動を始めました。チベット国旗を掲げ、寺の裏の丘の上に集まって香を焚きました。「チベットに自由を」「ダライ・ラマ万歳」「パンチェン・ラマ釈放」といったスローガンを叫びました。 寺には100人ほどの僧侶がいます。 寺の周囲での抗議行動の後、さほど遠くない町の中心部に向かいました。そして、地元政府の学校で中国国旗を降ろして燃やしました。それから寺に戻って抗議行動を続けていると、警官を満載したトラック3台が到着し、そのリーダーが「これ以上続けると“重大な事態”になる」と脅しをかけてきました。彼は「電話1本で、とどめを刺せるんだ」と言いました。 僧侶らはこう叫びました。「これ以上、中国の抑圧に耐えることはできない。命を犠牲にする覚悟はできている」。その後、僧院長と若い高僧のとりなしで、僧侶らは平静になりました。 今のところ、この地域では逮捕や発砲といった事件は起きていません。 地元の一般人も集まって、僧侶らに加勢しようとしましたが、中国人に阻まれました。 (2008年3月24日、チベット内の知人の言葉を伝える、インドのデプン寺の僧侶) ■僧侶1000人以上が抗議行動(3月28日) 3月18日、サンチュ[甘粛省甘南チベット族自治州夏河県]で1000人以上の僧侶が抗議行動を起こしました。 「ダライ・ラマ万歳」「チベットに自由を」「パンチェン・ラマ釈放」といったスローガンを叫びながら町の中心部に向かって行進しました。彼らはまた、中国指導部に対し、ダライ・ラマとの対話を始め、ダライ・ラマのチベット訪問を認めるよう求めました。 彼らは地元の政府の学校に向かい、中国国旗を降ろして、代わりにチベット国旗を掲げました。その日、治安部隊はまったく現れませんでした。 しかし、3月21日午後7時頃、武装した治安部隊が寺に到着し、僧侶4人と俗人3人を拘束しました。 別の寺で4人の僧侶が拘束され、最終的に20人以上のチベット人が拘束されました。中には、読経していた十代の僧侶も数人いました。 今のところ彼らは無事です。拘束されているのは、タルギェル(43歳)、チューペル(42歳)、ケルサン・テンジン(40歳)、ジャムヤン(32歳)、サンギェ・ギャツォ(13歳)、タシ・ギャツォ(14歳)、ケルサン・ソナム(16歳)、ケルサン・トンドゥプ(17歳)、ケルサン・テンジン(16歳)、チュートゥプ(30歳)、ダムチュ(29歳)。別の寺で拘束されたのは、テンジン(27歳)、テンパ・ギャツォ(37歳)、ゾパ(年齢不明)、ケルサン・シェラプ(19歳)。 (2008年3月28日、チベット内の知人の言葉を伝える、インドのデプン寺の僧侶) ■僧院の食料不足が深刻です(3月23日) 3月23日、アムド地方ンガバ地域のチベット人たちは、上空を非常に低く飛ぶヘリコプターを目撃しました。 チベット人たちを脅かすつもりなのでしょう。これまでンガバ上空をヘリが飛ぶようなことはありませんでした。今、寺院やチベット人の住む地域の上を飛んで、チベット人たちを怖がらせています。 2日前の3月21日、地元の中国人指導者たちがキルティ寺に入り、僧侶への再教育講習を指導しました。その間、彼らはダライ・ラマ否定を強要はしませんでした。その代わり、僧侶らに対し、抗議行動は間違っており“役に立たない”のだと説得しようとしました。 キルティ寺に閉じ込められている僧侶に食べ物を届けようとしたチベット人がいましたが、治安部隊に制止されました。僧院の中の食料不足は深刻です。ンガバ県中心部に向かう大通りは人民武装警察によってブロックされています。僧侶も一般人も食料不足に陥っており、もし自暴自棄になれば再び蜂起する可能性もあります。 中国当局は、抗議行動に関わった人物についての情報を通報するよう誘惑しています。最初の通報にはいくらでも好きなだけ、2番手には5000元の報奨金が与えられるなどと言っています。 多くの一般のチベット人が拘束されています。平均して1家族につき1人は連行され、拘束されて尋問されています。中国当局は写真を見せて、写っているのは誰なのか特定しようとしています。 (2008年3月23日、チベット内の知人の言葉を伝える、インド・ダラムサラのキルティ寺分院の僧侶より) ■一家に1人が拘束されている(3月23日) 3月14日と15日のペンポ[ラサの北方]でのデモによって、5人の僧侶が拘束されました。 その後、ペンポ・ガンデン・チューコル寺などの僧侶・尼僧および一般人3000人以上がデモに加わり、拘束された者たちの釈放を求めました。 デモと弾圧の中で、チベット人の若者1人が殺されました。原因はわかっていません。 今、ガンデン・チューコル寺は中国の治安部隊に包囲されています。本来90人僧侶がいますが、老僧3人を除いて、すべて捕まって連れ去られました。同時に、160人のチベット人が拘束されていることが確認されています。総数はもっと多いのでしょう。 私が聞いた話では、1家族につき1人は連行されています。外部に電話して話したりすれば“深刻な事態”になると脅かされています。だから、彼らは詳しい話をするのを恐れているのです。 (2008年3月23日、チベット内の知人の言葉を伝える、ペンポ出身の亡命チベット人) 合計: - 今日: - 昨日: - トップページに戻る
https://w.atwiki.jp/cttum/pages/17.html
ゲンドゥン・チューキ・ ニマ(パンチェン・ラマ)問題 チベット関係団体ニュース・プレリリース チベット関連ニュース (ニュース、2ch,ブログ) チベットリンク集
https://w.atwiki.jp/09_sherpa/pages/20.html
Radio Free Asia (【チベット証言集】 本土チベットへの電話インタビュー 1 より続き) ■この地域だけで18人の遺体が確認されました 「ンガバ[アバ]の抗議行動では、計18の遺体が確認されました。キルティ寺だけで、15人が葬儀のため運び込まれました。近くの遊牧地帯で、さらに3人の遺体が確認されました。ンガバには他にも多くの僧院がありますから、他の僧院にも遺体が運び込まれているのでしょう。だから、この地域だけで18人が確認されたということです。彼らはあえて中国の病院に行くことをせず、自宅で治療を受けました」 (チベット人目撃者の証言) ■家宅捜索で無実の6人が連れ去られました 「ラサでは、中国人警官が人民武装警察を伴ってチベット人の家々を捜索しています。居留許可証の提示を求め、もし持っていない者がいれば、何の説明もなしに連行されます。許可証を持っているチベット人でさえ、何かの理由で疑われると連行されてしまいます。 例えば、3月15日の夜10時頃、武装警察を伴った警官たちがチベット人の家々の捜索を始めました。カム地方ツァワ・パシュ出身の家が捜索されました。ケルサン・ギャルツェンには2人の息子ロチュ、チャンパと、娘がひとりいました。娘は居留許可証を持っていましたが、他の家族は申請中で、まだ発給されていない状態でした。すると、中国人警官は父と息子2人を逮捕して連れ去りました。娘さんには、彼らがどこに連れて行かれたのかわかりません。警官は家の中を捜索し、現金1万元を発見しました。一家は小さな商店を営んでいたからなのですが、警官は彼らの言うことに耳を貸さず、その金を持ち去りました。娘さんはお金もなく、ひとりきりで残され、父と兄弟がどこで捕らえられているかもわかりません。彼女は父と兄弟の安否を心配し、憂いています。 同じ区画の中に、カム地方デルゲ出身の家族が住んでいました。父の名はツォニ。彼にもまた2人の息子がいます。同じ夜、家宅捜索を受け、彼らも逮捕されました。 6人はいずれも無実であり、抗議行動には参加していないそうです。中国は政策として、男だろうが女だろうが、チベット人の若者のほとんどを捕まえようとしているのです。彼らがどこに連れていかれたのかは、誰にもわかりません。外出しようとすれば、逮捕されてしまうでしょう。殺されてしまったのか、拘束されているのか、あるいは暴行を受けているのか。生きているか死んでいるかさえもわからず、見つけ出す術もないのです。ラサは事実上の恐怖政治の中にあります。」 (ラサの親戚に電話をかけた、カナダ在住のジャンペル) ■リーダーは射殺されました 「3月18日午後2時5分頃、四川省のカンゼで抗議行動が起こりました。僧侶も俗人も参加していました。ペマ・デチェンとンゴガという2人に率いられた参加者たちは『ダライ・ラマ万歳』『チベットに自由を』と叫び、ビラを配りました。数百人の武装警官が動員され、デモ隊を制止しました。デモ隊が抗議行動を続けたため、当局は10人を逮捕しました。捕まったのは、ペマ・デチェン、ゴンポ、ツェテン・プンツォク、ロブサン、サンポ、パルデン、ゴンポなどです。リーダーのひとりンゴガは射殺されました。他の9人は引きずられていきました。ケガを負っているように見えましたが、はっきりとはわかりません。今、カンゼ中が警官と兵士だらけです。チベット人は誰ひとり外出して、町を歩くことはできません」 (四川省カンゼのチベット人) ■僧侶のひとりが射殺されました 「タルギェ寺の僧侶200人以上が抗議行動にやって来ました。しかし、中国人スパイが当局に通報しました。デモ隊がカンゼの旧市街へと行進していると、警官隊が立ちはだかりました。僧侶が抗議すると、僧侶のひとりが射殺されました」 (四川省カンゼのチベット人) ■学校で抗議のスローガンを叫びました 「昨日と一昨日、私たちの学校[陝西省咸陽のチベット民族学院]の学生たちは、抗議のスローガンをたくさん叫びました。学生寮は7階建てですが、スローガンのほとんどは3〜7階から聞こえてきました。学生たちは屋上から魔法瓶などを放り投げました。この学校には約1,000人のチベット人学生がいます。今日は学校当局が全学生を大きな集会に招集し、事件に関わった者は告白文を提出せよと告げました。そして、党員は資格を失うことになると警告しました。今のところ学校には警官の姿はありません。しかし、この事件はすべて省の政府に報告され、あらゆる必要な措置が講じられると、集会で告げられました。」 (陝西省咸陽のチベット民族学院の学生の証言) ■警官が遺体を持ち去りました 「以前、射殺された男性の話をしました。昨日、その家族が葬儀のため遺体を運ぼうとしたところ、警官が家にやって来て、遺体を持ち去りました。解剖して調査するため、すべての遺体を持ち去っているのだと警官は言いました。そして、騒乱の遺体はまとめて火葬にする。火葬の前に家族には連絡があり、火葬後、火葬場を訪ねることが許可されるのだと。こうして家族に有無も言わさず、遺体は強引に運び去られました」 (ラサのチベット人による証言) ■戒厳状態です 「ラサは全体に戒厳状態です。最近の破壊の跡を片付ける作業があちこちで進んでいます。市内では、市の身分証を持っていれば移動はできます。しかし、巡礼や旅行などで外から来た者は中に入れませんし、すでにいる者は出られません。私は巡礼に来ましたが、最後の4日間は旅行も外出もできず、宿にこもっていました」(ラサのチベット人による証言) ■デモ隊の先頭では少女がダライ・ラマの写真を掲げていました 「3月18日、リタンでは300人以上のチベット人が抗議行動をしました。デモ隊の先頭では、[アッパ・ブモという]少女がダライ・ラマの写真とカタを掲げていました。彼女は中国の治安要員に逮捕されました。この地域には大規模な中国の軍隊が駐留し、さまざまな規制が敷かれました。ニュースメディアはすべて遮断されています。学校もオフィスも商店も閉まっています」 (リタンのチベット人による証言) ■以下は3月17日(月曜日)のチベット人と中国人による証言 ■武装警官が通行人の身分証をチェックしています(3月17日) 「今日はよくなりましたから、外出できます。多くの人々が食料を買いに出て来ています。しかし、町には武装した警官が大勢立っており、通行人の身分証をチェックしています。町には警官が大勢います。現地政府は私たち外国人にラサを離れるようには言ってきません。しかし、出て行きたいなら、外事事務所が手助けしてくれるでしょう」 (ラサにいる香港人女性商人) ■北京の中央民族大学で沈黙の抗議(3月17日) 「北京の中央民族大学のチベット学部門には約2,000人の学生がいます。そのうち40人が、チベットのさまざまな所で殺されたり、傷ついたりした人々を悼むため沈黙の抗議に参加しました。警官がやって来ました。彼らは今、教室に閉じ込められています。」 (北京で抗議行動に参加したチベット人の証言) {■病院が被害を受けました(3月17日)] 「ラサの人民医院が被害を受けました。地元のチベット人は、これはチベット人が手当を受けられないようにするための中国人の仕業だと疑っています。ラサの病院に運ばれたチベット人は今、追い返されています」 (匿名のチベット人) ■犠牲者が出ました(3月17日) 「地元の寺院の僧侶が武装警察と衝突しました。犠牲者が出ました」 (四川省ンガバのチベット人住民) ■大勢の警官がいます(3月17日) 「町中でも郊外でも騒乱が起き、町には大勢の警官がいますが、自分の身の安全が心配になるほどではありませんでした」 (四川省ンガバの中国人住民) ■旅行者は立ち去るよう命じられました(3月17日) 「旅行者はンバガ地域から立ち去るよう命じられました。到着したばかりの外国人の3グループが、すぐに立ち去るよう告げられました」 (四川省ンガバの中国人ホテル従業員) ■400〜500人の僧侶が町に現れました(3月17日) 「土曜の午後、400〜500人の僧侶が町に現れました。彼らは窓ガラスを割り、1時間足らずで去って行きました。この地域を守るため約2000人の兵士が駐留していました。」 (甘粛省と四川省の省境にある寺院の近くに住む漢族目撃者) ■甘粛省の中国人(3月17日) 「抗議行動の規模は小さいですが、まだ続いています…マチュ県とルチュ県それぞれに約1,000人の武装警察が配置されました」 (3月14日に始まった抗議行動について、中国人の証言) ■青海省の中国人(3月17日) 「チベットで暴動が起こったため、地元当局は、ここで抗議行動が起こることを防ぐため手段を講じています。私たちの県には約200人の武装警官がいました」 (青海省同仁県の中国人住民) ■青海省のホテル従業員(3月17日) 「この地域には外国人は入れません」 (青海省同仁県のホテル従業員) ■退去させられたジャーナリスト(3月17日) 「私たちは甘粛省夏河で、ホテルを見つけられませんでした。取材を終えた後、夏河を追い出されました。夏河に再び入ろうとしましたが、許されませんでした。私たちの身分証は、路上の検問で精査されました。夏河に続く唯一の道路は遮断されています。すべての車が制止され検問を受けます。乗っている人の身分証と車のナンバープレートがチェックされ、記録されました。ジャーナリストは潜り込むことはできませんでした。甘粛を離れるすべての車も、そこにいたというだけで慎重に検査されました。甘粛を離れる車の渋滞ができていました」 (英国人ジャーナリスト) ■写真を消去しています(3月17日) 「彼ら[警官]は、暴動に関するものと見なした写真をすべて消去しています。そういったものを持ち出させないつもりです」 (甘粛省の旅行ガイド) ■以下は、3月16日(日曜日)のRFAのインタビューに答えたチベット人による発言の抜粋。 ■8人の遺体が到着しました(3月16日) 「たった今、キルティ寺に8人の遺体が到着しました」 (四川省ンガバのキルティ寺より) ■4人が殺されました(3月16日) 「キルティ寺の近くを行進している時、4人のチベット人が狙撃されて殺されました。少し後、さらに3人が殺されました。彼らは遠くから撃たれました。撃たれる前、抗議行動の参加者たちは交番2カ所の窓を割りました。…5,000から6,000人の参加者がいたようです…殺された後者3人の名前はツェジン、ノルブ、そしてロブサン・タシです」 (四川省ンガバのチベット人デモ参加者) ■東チベット・タウ県(3月16日) 「3月15日、カムのタウ[道孚県]で抗議行動がありました。10台の人民武装警察のトラックが突然やって来ました。カムのセルシュ寺は包囲されました。彼らは町をパトロールし、ランダムに身分証をチェックしています。情勢は非常に緊迫しています」 (四川省カム地方カンゼのチベット人の証言) ■ラサの尼寺の診療所(3月16日) 「ラサの尼寺の診療所で5人のチベット人がケガで亡くなりました。ラサのツァンクン尼僧院です。診療所にいた2人のチベット人はケガをしており、足が折れていると言っていました。身元不明のままの少年の遺体が横たわっていました。他に数人の遺体が運び込まれました。彼らの多くは親族が引き取りました」 (ラサのツァンクン尼僧院内部より) ■閉じ込められてしまいました(3月16日) 「もう2日間、家に帰ってません。そこら中に軍隊がいて、完全に閉じ込められてしまいました。外で何が起きているのか何も情報がありません」 (ラサのチベット人住民) ■家宅捜索が始まりました(3月16日) 「ラサの中国当局は、チベット人を逮捕し、ローラー作戦による家宅捜索を始めました。ダライ・ラマの写真と、暴動に関わった人物を探すため、すべてのチベット人の住居を捜索するという公式の警告が、ラサのすべてのチベット人住人に出されました。捜索と検挙を妨げようとしてはならない、そして、検挙された時、集団で集まってはならないとも警告されています。チベット自治区政府は、中国各地にいるチベット政府職員に対し、3日以内にラサに出頭するよう、すべての政府機関に命じました。彼らは鉄道を守ることを求められています。出頭し損なうと“一大事”になるでしょう」 (ラサからの証言) ■甘粛省の西北民族大学で抗議行動(3月16日) 「甘粛省蘭州の西北民族大学のチベット学部のチベット人学生たちが、学校のグランドで平和的なデモを行ないました。1,000人以上の学生が参加し、別の学部のチベット人たちも加わろうとしましたが、制止されました。彼らは、抗議行動は平和的であり、ラサなどでのチベット人への弾圧をやめるよう中国当局に促すものだと宣言しました。彼らはまた、ラサやラプラン寺、そしてチベットの外での抗議行動を起こしたチベット人への連帯の気持ちを表明しました。彼らは『私たちは輝かしい民主主義と生命のために、チベット人たちと連帯する』という横断幕を掲げていました」 (アムド地方からの証言) ■以下は、2008年3月15日(土曜日)の、RFAによるチベット人に対するインタビューの抜粋 ■遺体が67あったそうです(3月15日) 「私はラサにいます。今日は発砲がありました。亡くなったり、瀕死の状態の大勢のチベット人が、チベット自治区公安の辺りに集められました。信頼できる人から聞いた話では、67の遺体があったそうです。まだ生きている者もいましたが、ほとんどは運ばれてきた時点で亡くなっていました…男性も女性もいます。私は詳しくはわかりません…でも、そこに合計67体集められたことは確かです。情報源は言えませんが、67体は私の知り合いが見たものです。 戒厳令が敷かれたと、チベット自治区幹部が公式に発表しました。たった今も、銃声が聞こえます。戦車もたくさん見かけました。チベット人を威嚇するため、時々空に向けて撃っています。カルマ・クンセル地区のような所では、今も発砲しています。チベット人はすべて呼び止められて、身分証をチェックされます。チベット人は政府職員であっても調べられますが、中国人は自由に移動できます。 逮捕されたチベット人の多くは、トゥールン方面などラサのいくつかの地域の刑務所に連れて行かれました。ペンポでも、昨夜6人の僧侶が逮捕されました。今日はデモがあり、中国人の商店が焼き討ちにあいました。 こうした規制は、少なくとも7〜8日は続くでしょう。自由に移動できなければ、食料を手に入れることができず、すでに食料不足が起こっています。今、中国当局が鎮圧にあたっていますが、こうしたことは郊外にも広がっているのがわかります。 これらのデモをどこかの組織が計画したことを示すものはありません。チベット人たちの自発的な反応であり、彼らはデモに飛び入り参加したのです。彼らは『ダライ・ラマ万歳』『チベットに独立を』と叫び、中国の国旗を燃やしました。今聞いた話では、ロカ地方のサムイェ寺でも僧侶が抗議行動を起こしているそうです」 (ラサから) ■叫び声が絶え間なく聞こえます(3月15日) 「今日、ラプランで大規模なデモがありました。11時45分に始まりました。昨日は、だいたい3,000人から4,000人いましたが、今日はどうでしょうか。『ダライ・ラマ万歳』『チベット独立』などの叫び声が絶え間なく聞こえます。彼らは地元の政府の役所まで行進し、窓ガラスを割るなどして、デモは続いています」 (アムド地方のラプラン寺より) ■東チベット・リタンでデモ(3月15日) 「3月15日、リタン地域では2つのデモがありました。朝、オトク・ニャクチュカ[拘束されたテンジン・デレク・リンポチェの故郷]出身の遊牧民たちが立ち上がり、しばらくデモをしました。リーダーらのひとりが拘束されました。そして同じ日、[投獄された遊牧民]ロンギャル・アダクと同郷の遊牧民たちもデモを行ない、しばらく叫び声を上げていたところ、僧侶が1人捕まりました。こうして、リタンでは緊張が非常に高まっています。チベット人たちはリタンの町に集まり、何かを計画しています。同時に、政府職員たちもまたチベット人たちの計画を妨げる策を練っています。やり遂げるのはきわめて難しいでしょう。カンゼ州セルシュ県では、チベット独立を呼びかけるビラが1,000枚ほどまかれました。リタンもセルシュも同じカンゼ州にあります」 (カム地方リタンより) ■100人以上のチベット人が殺されました(3月15日) 「中国当局は抗議行動に参加したチベット人を捕まえられるだけ大勢捕まえて、さまざまな刑務所に投獄しています。多くはポタラ宮の裏か、他のラサの4カ所の刑務所に拘置されています。チベット人の抗議行動参加者たちは、これらの刑務所に動物のように閉じ込められました。今朝、私たちが彼らに連絡したところ、殺された者はいませんでした。おそらく外国からの圧力のおかげでしょう。死者の正確な数を知るのは困難です。しかし、さまざまな情報から死者の数を合計すると、100人以上のチベット人が殺されました。土曜の朝も、中国当局は外出禁止令を出して、通りに出て来るチベット人は誰彼ともなく捕まえて投獄しています。現時点では、ラサに平穏や安定の兆しはありません」 (ラサより) ■彼らの多くは『ダライ・ラマ万歳』と叫んでいます(3月15日) 「今朝知り合いに連絡したところ、ボラやアムチョク、ツ、ガジャ、サンカなどの地域のチベット人の若者数百人がラプランに集まってデモをしました。その地域には数千の人民武装警察が配置されていましたが、今のところ群衆への発砲事件は起きていません。しかし、群衆に催涙弾が発射されました。私の知り合いは、その地域では略奪は見ていないそうですが、催涙ガスのため視界が悪く、事件の全体像は把握しにくいとのことです。昨日より抗議行動の参加者の数が増えたことは事実です。[ラプラン寺には]大雑把に見て3,000人はいます。さまざまな地域のチベット人が集まり、デモが大きくなっています。デモ隊は『ダライ・ラマ万歳』『パンチェン・ラマ釈放』『中国とチベットの平和的な対話を始めよ』などと叫んでいました。『チベット独立』と叫ぶ者もいました。表立って誰かがリードしているというものではなく、さまざまなグループがそれぞれのスローガンを掲げています。彼らの多くは『ダライ・ラマ万歳』と叫んでいます」 (ラサより) ■いたるところ軍隊だらけです(3月15日) 「今日はいたるところ軍隊だらけです。行ったり来りはできません。家に閉じ込められています。中国のメディアやテレビでは、チベット人10人が殺された、そして、殺した者は犯罪者であると言っています。報道によると、これらはすべて『ダライ・ラマ集団』の仕業です。今、ラサ市内は、誰も動けませんから、何事もなく平静に見えます。しかし、ラサ周辺の郊外地域では中国人とチベット人の衝突がいくつか起こっています」 (ラサより) ■これに先立ち、3月14日(金曜日)ラサの抗議行動に参加したチベット人は次のように証言している。 ■武器を持たないチベット人に発砲したのです(3月15日) 「今日、チベット人たちがデモを行なった際、多くの人が殺されました。私たちチベット人には、反撃する武器はありません。ジョカン寺の前に集まった時、私たちに向けて中国人たちが発砲してきたのです。私自身、中国人が群衆めがけて発砲した際、100人以上のチベット人が殺されるのを見ました。発砲したのは中国軍なのです。そして、それはラサで起こり、私自身がその惨劇を目撃しました。殺されたチベット人の多くは若者でした。男も女もいます。…始まったのは午前10時頃でした。…老若男女、いろいろな年代のチベット人が連れ去られ投獄されました。抗議行動に参加したチベット人はラサのいたるところから来ていました。 振り返ってみると、すべての中国人の商店は破壊されていました。バルコル地域の中国人の商店で、無傷のところはひとつもないと思います。あらゆる物が路上に積み上げられて燃やされました。多くの自動車が放火され、破壊されました。今もまだ煙があがっているのが見えます。 チベット人たちは遺体をジョカン寺の前に集めて、祈りを捧げ、カタを捧げました。親族が遺体を見つけて引き取っていきました。私の家族はひとりも犠牲になりませんでしたが、私もほとんど殺されたようなものです。多くの遺体は自分のように思えました。誰であれ町中をうろうろしていると、逮捕されて殺されてしまいます。 先に言ったように、殺されたチベット人の数は100人を下らないと思います。死者たちは600万チベット人のために犠牲になったのです。私たちは武器を持たないのに、中国人が武器を持たないチベット人に発砲したことには失望させられます。 中国人は有毒ガスを放ちました。目眩がして、もうろうとさせられるガスです。そうして捕らえられ、連れ去られたのです。その地域では戦車も見ました。数は多くありませんでしたが、私たちを威嚇するために投入されたのです。今、ラサは静かですが、町にはまだ黒煙が見えます。私たちに発砲したのは、中国軍なのです」 合計: - 今日: - 昨日: - トップページに戻る