約 3,212,510 件
https://w.atwiki.jp/ebola/pages/18.html
http //daily.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1412741289/ 投稿日 2014/10/08(水) 13 08 09.47 ID ???0 【パリ時事】スペイン保健当局は7日、エボラ出血熱の感染が疑われる3人を新たに隔離したと発表した。 スペインでの隔離対象者は計4人になった。 アフリカ大陸以外で初のスペインのエボラ熱感染は、拡大が懸念される事態となっている。 スペインでは6日、40歳代女性看護スタッフの感染が判明していた。現地メディアによると、 新たに隔離されたのは(1)この女性の夫(2)アフリカからの男性旅行者(3)女性看護師の3人。 (2014/10/07-23 32) http //www.jiji.com/jc/c?g=int_30 k=2014100700898 マドリード(CNN) アフリカ大陸以外で初のエボラ出血熱感染例が確認されたスペインで、 この患者の家族ら4人も病院で経過観察を受けていることが分かった。また新たな報告によると、 流行国のシエラレオネでノルウェー人の医療スタッフ1人が感染し、欧州の治療施設へ運ばれた。 スペインではこの夏、西アフリカでエボラ熱に感染した宣教師ら2人が帰国し、首都マドリードの カルロス3世病院に収容されたものの死亡。同病院で2人の治療にかかわった看護助手の女性が先月末に発症し、 アフリカ以外で初となる感染が確認された。 保健当局者が7日に語ったところによると、この女性の夫は感染している危険性が高いとして 観察下に置かれているが、今のところ症状は出ていないという。夫婦の間に子どもはいない。 このほか外国への渡航歴がある疑い例の男性と、患者との接触後に下痢の症状を示した看護師が 念のため観察対象となっている。 また病院関係者によれば、女性と同じチームで勤務していた別の看護助手が、軽い発熱を訴えて新たに入院した。 当局は、カルロス3世病院のスタッフ22人や女性患者を運んだ救急隊員、患者の家族らを含む計30人について、 感染の兆しがないかどうかを監視しているという。 女性患者は2人目の宣教師が死亡した26日から発症するまでの数日間、旅行に出ていたとされるが、 行き先は明らかになっていない。 発症後、いったんマドリード南部の病院へ運ばれた後でカルロス3世病院に移った。 同病院はこの患者の名前や容体を公表していないが、治療法の選択肢としては回復患者の抗体を含む 血清の点滴と、抗ウイルス薬の投与を挙げている。 スペイン当局によれば、宣教師らの治療は決められた手順に従って進められたという。 それでもスタッフが感染してしまったという事実に対し、懸念を示す声が上がっている。 カルロス3世病院の前には医師や看護師らが集まり、回復の見込みのない宣教師らを帰国させて 周囲の人々を危険にさらすべきではなかったと主張した。 欧州委員会の報道官は7日、「何が起きたのかをただちに調べ、手順を修正する必要性を 検討しなければならない」と訴えた。世界保健機関(WHO)もスペインの調査に協力を表明している。 一方、国際医療NGO、国境なき医師団(MSF)によると、シエラレオネ中部の街、ボーで エボラ熱の治療活動に参加していたノルウェー人の医療スタッフがエボラウイルスに感染して隔離された。 米国では国内初の発症例とされるリベリア人男性が、テキサス州ダラスの病院で治療を受けている。 容体は重く、人工呼吸器や人工透析が必要な状態だが、一時悪化した肝機能には改善がみられるという。 入院前に男性と接触した人の中で、発症した例は今のところ報告されていない。 http //www.cnn.co.jp/world/35054850.html ★1の立った時間:2014/10/08(水) 00 19 30.91 前スレ http //daily.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1412695170/ 投稿日 2014/10/08(水) 13 53 03.15 ID E+SOxUYb0 動物実験ではやりまくってる 空気感染しなかった動物は無い 空気感染の定義はエアロゾル飛距離1m以上 飛沫感染の定義はエアロゾル飛距離1m未満 エボラのザイール株はエアロゾル飛距離3mの実験結果があるので空気感染 Jaax, N. et al. "Transmission of Ebola virus (Zaire strain) to uninfected control monkeys in a biocontainment laboratory." The Lancet. Vol. 346. December 23/30, 1995. 1669-1671. http //nihbrp.com/Citations/completed/HumanHealthEcologyTeam/filoviruses-Ebola_and_Marburg/Jaax_Transmission_Zaire_1996.pdf この実験では筋肉内にエボラウイルス、ザイール株(メインガ株)を アカゲザルに接種した結果、7~13日で死亡し、これらのサルのケージから 約3メートル離したケージ内に入れられていた対照のサル3頭が実験感染サルが 最後に死亡した日から10日~11日目に死亡したという結果になりました。 そしてウイルスがこれらのサルの肺を含めたいろいろな組織から分離されています。 すべての実験操作や飼育管理は対照のサルから行っており、 人為的な面で対照への感染の起きた可能性は考えられず、 エアロゾル感染がもっとも可能性が高いという結論です。 豚でもザイール株は空気感染 http //m.jid.oxfordjournals.org/content/early/2011/05/12/infdis.jir077.full 単に人体実験出来ないだけ 投稿日 2014/10/08(水) 14 15 13.62 ID 0gh1BkoO0 ■ニュース速報:エボラ患者の飼い犬に殺処分命令、反対運動広がる スペイン 【10月8日 AFP】スペインの保健当局は7日、首都マドリード(Madrid)でエボラ出血熱への感染が 確認された看護師の飼い犬の殺処分を命じた。 看護師の夫や動物保護団体はこれを受け、犬を救うための運動を開始した。 看護師の夫で、自身も隔離下に置かれているハビエル・リモン・ロメロ( Javier Limon Romero)さんは、 マドリード市保健当局の決定に異議を唱えるために報道機関に接触。 スペイン全国紙エルムンド(El Mundo)に対し「もし私が承認しなければ、自宅に踏み込んで犬を殺すための 裁判所命令を取り付けると通告された」と語った。 当局は声明で、犬がたとえ症状を示していなくともウイルスを保有している可能性があると指摘。 体液を通じて感染を広める恐れがあると説明している。 http //www.afpbb.com/articles/-/3028408 投稿日 2014/10/08(水) 16 26 38.85 ID ovRNp75+0 シエラレオネ、危険手当が支払われないのでエボラ死体埋葬チームがストライキ Sierra Leone s burial teams for Ebola victims strike over hazard pay http //news.yahoo.com/sierra-leones-burial-teams-ebola-victims-strike-over-070105482--business.html こりゃだめだ 死体からエボラウイルスがワラワラと ♪ 投稿日 2014/10/08(水) 16 39 02.61 ID 3pzBQ2xr0 Another nurse hospitalized on suspicion of contracting Ebola virus in Spain http //en.itar-tass.com/world/753216 二人の神父を搬送するのを手伝った看護師が、エボラの疑いで入院した。 隔離されている二人、下痢の症状の看護師とナイジェリアから帰国した スペイン人エンジニアは、テストの結果エボラは確認されなかった。 投稿日 2014/10/08(水) 16 41 48.74 ID ovRNp75+0 WHOが警告、最新のシステムを持つ先進国でも医療関係者の間でエボラ感染は拡大する Ebola care Slightest mistake can be fatal, warns WHO http //www.bbc.com/news/world-europe-29532711 元祖エボラ専門家Peter Piot博士のお言葉 Speaking at a news conference, Professor Peter Piot said that he was not surprised that a Spanish nurse had contracted the disease. これは、他の先進国でもエボラが 拡散するということだな ♪ 投稿日 2014/10/08(水) 16 54 12.70 ID ovRNp75+0 大英帝国の専門家、エボラを軽視することはまかりならん Ebola UK must not be complacent http //www.bbc.com/news/uk-29532359 イギリスも厳戒態勢か ♪ 投稿日 2014/10/08(水) 17 07 01.68 ID ovRNp75+0 大英帝国に厳戒態勢 キタ エボラの大拡散に備えて4つのHNS病院が待機状態に Ebola crisis Four NHS hospitals on standby for mass UK outbreak of killer disease http //www.mirror.co.uk/news/uk-news/ebola-crisis-four-nhs-hospitals-4399174 ♪ 投稿日 2014/10/08(水) 17 14 55.52 ID ovRNp75+0 後手後手だが、BAが西アフリカへのフライトを 停止しているからダメリカよりはましか 大英帝国内務相、エボラスクリーニングを開始しなければならない Ebola outbreak Britain must start screening for the virus, says Home Office minister http //www.independent.co.uk/life-style/health-and-families/health-news/ebola-outbreak-britain-needs-to-start-screening-for-the-virus-says-home-office-minister-9780993.html ♪ 投稿日 2014/10/08(水) 17 35 49.79 ID ovRNp75+0 ドイツ、ドイツ軍がエボラに感染してもドイツ本国への移送は不可能 Germany unable to fly Ebola patients home http //www.thelocal.de/20141008/germany-unable-to-fly-ebola-patients-home-bundeswehr なんだかんだ言い訳して、ドイツ軍を 西アフリカに片道特攻させるつもりだな スペインのエボラお持ち帰りを見て、 へたれドイツ政府が方針転換か ♪ 投稿日 2014/10/08(水) 17 43 58.21 ID ovRNp75+0 こりゃ空気感染かもしれんね エボラ感染のスペイン人看護師曰く、安全規則に従っていた Spanish Nurse With Ebola Says She Followed Safety Rules http //www.nytimes.com/2014/10/09/world/europe/spain-nurse-ebola.html?_r=0 WHOの安全基準が出鱈目ってことか ♪ 投稿日 2014/10/08(水) 18 04 25.97 ID ovRNp75+0 ついに大英帝国内閣はCOBRAを招集 大英帝国、キャメロン首相が緊急対策会議(COBRA)を招集したことで英国の病院が待機状態に入る Ebola virus outbreak UK hospitals on standby as David Cameron holds Cobra meeting http //www.independent.co.uk/news/uk/home-news/ebola-virus-outbreak-uk-hospitals-on-standby-as-david-cameron-holds-cobra-meeting-9781193.html 超厳戒態勢に突入だな ♪
https://w.atwiki.jp/wrtb/pages/8941.html
シシー・スペイセク 名前:Sissy Spacek 出生:1949年12月25日 - 職業:女優 出身:アメリカ 概要 女優。従兄にリップ・トーンがいる。 出演作品 1990年代 1999年 ストレイト・ストーリー*(ローズ・ストレイト):藤生聖子 2000年代 2002年 エバーラスティング 時をさまようタック*(メイ・タック):立石涼子 2010年代 2011年 ヘルプ 心がつなぐストーリー(ウォルターズ夫人):弥永和子
https://w.atwiki.jp/nicoap16tsubasa/pages/2932.html
パラメータ説明 OFE SHO DRI PAS DEF BLO TAC CUT オフェンス シュート ドリブル パス ディフェンス ブロック タックル パスカット POW SPD TEC STA CAT PUN 次LV 総合 パワー スピード テクニック スタミナ キャッチ パンチング 次LVに必要な経験値 総合力 ※LV部分等に 色がついてる場合は未確認データです。 大空 翼[スペインリーグセレクションD(オフェンス型)(ツバサボーナス限定)] 大空 翼[スペインリーグセレクションD(超オフェンス型)(ツバサボーナス限定)](超特化) コメント ◆オフェンス型◆バランス型◆ディフェンス型◆ 大空 翼[スペインリーグセレクションD(オフェンス型)(ツバサボーナス限定)] 参考(ドリーム)(直リンク回避につきh抜き) ttp //static.ntsubasa.klabgames.net/images/site/common/players/player_60595.pngttp //static.ytsubasa.klabgames.net/images/site/common/players/player_60595.png 説明 期間限定('14/12/31(水) - '15/01/31(土)21 59) のツバサボーナスの4等[ドリーム]限定カード確定ガチャより入手可能(詳細:ニコ/モバ) 異名 這い上がるサッカー小僧 台詞 ボールとこのフィールドはいつでも俺の仲間だ! グレード ポジション LV 総合 OFE SHO DRI PAS DEF BLO TAC CUT POW SPD TEC STA CAT PUN 次Lv 次Lv(+) ドリーム MF LV1 10 LV10 LV20 LV30 LV40 LV50 LV60 LV70 LV80 LV90 LV100 - ドリーム+ LV110 - - 必殺技 ? 異名 ? 台詞 ? グレード ポジション LV 総合 OFE SHO DRI PAS DEF BLO TAC CUT POW SPD TEC STA CAT PUN 次Lv 次Lv(+) ハイドリーム MF LV1 10 LV10 LV20 LV30 LV40 LV50 LV60 LV70 LV80 LV90 LV100 - ハイドリーム+ LV110 - - 必殺技 ? 大空 翼[スペインリーグセレクションD(超オフェンス型)(ツバサボーナス限定)](超特化) 参考(ドリーム)(直リンク回避につきh抜き) ttp //static.ntsubasa.klabgames.net/images/site/common/players/player_60598.pngttp //static.ytsubasa.klabgames.net/images/site/common/players/player_60598.png 説明 期間限定('14/12/31(水) - '15/01/31(土)21 59) のツバサボーナス3等の[超特化ドリーム]限定カード確定ガチャより入手可能(詳細:ニコ/モバ) 異名 這い上がるサッカー小僧 台詞 ボールとこのフィールドはいつでも俺の仲間だ! グレード ポジション LV 総合 OFE SHO DRI PAS DEF BLO TAC CUT POW SPD TEC STA CAT PUN 次Lv 次Lv(+) 超特化ドリーム MF LV1 10 LV10 LV20 LV30 LV40 LV50 LV60 LV70 LV80 LV90 LV100 - ドリーム+ LV110 - - 必殺技 ? 異名 ? 台詞 ? グレード ポジション LV 総合 OFE SHO DRI PAS DEF BLO TAC CUT POW SPD TEC STA CAT PUN 次Lv 次Lv(+) 超特化ハイドリーム MF LV1 10 LV10 LV20 LV30 LV40 LV50 LV60 LV70 LV80 LV90 LV100 - ハイドリーム+ LV110 - - 必殺技 ? コメント 誤りの指摘、追加情報など、このページの内容に関するコメントのみお願いします。※未確認データをwiki編集する際はLV部分や該当項目に BGCOLOR(thistle) で色を付けて判別できるようにお願いします。 ↓能力を書きこむ際には下記テンプレの利用をお願いします。wikiに反映してくれる方の負担が減ります。 |?|LV1|||||||||||||||||| |ポジション|Lv|総合|OFE|SHO|DRI|PAS|DEF|BLO|TAC|CUT|POW|SPD|TEC|STA|CAT|PUN|次Lv|次Lv(+)| |FW|LV1|40|41|46|41|37|39|38|42|38|43|40|37|42|5|5|20||(記入例/通常) |FW|LV1|40|41|46|41|37|39|38|42|38|43|40|37|42|5|5||10|(記入例/プラス) 名前 コメント すべてのコメントを見る
https://w.atwiki.jp/teitoku_bbs/pages/4936.html
249: 名無しさん :2016/05/08(日) 23 05 15 日本大陸 日仏ゲート世界 ナポレオン戦争 フランス革命戦争後のフランスが行ったのは、国内の立て直しと、近隣各国への仕返しだった。 特にフランス革命戦争時に活躍したナポレオンが出世を遂げて果たしたことから、一般にはナポレオン戦争とも呼ばれている。 彼の戦争指揮能力はずば抜けており、後の軍事的な基盤を構築したという意味でも、彼の功績は評価されていた。 ここでは、彼が行った一連の戦争について振り返っていく。 真っ先にナポレオンに狙われたのはスペインだった。一般には『バルセロナ侵攻』と呼ばれる報復戦争が始まったのは1803年の事であった。本来ならば1800年には開始される予定ではあったのだが、ここには史実よりも早くなったフランス領ルイジアナを巡る動乱があり、また侵攻計画についてナポレオンが日本から得ていた情報をもとに再度構築し直したこともあって遅れていた。また、ナポレオンの目下の課題であったアフリカ・フランセーズの軍備増強が忙しく、政治の面ではインドシナ・フランセーズの領土問題などがあったことも由来する。しかしその分、スペインへの報復を行う軍の準備には時間をかけることもできたし、海軍の準備を行う余裕を生むことにもつながっていた。 落陽を迎えつつあったスペインはピレネー山脈を越えてバルセロナ方面へと侵攻してきたフランス軍を押しとどめることは不可能だった。ここでフランス軍は艦隊を対地支援に導入。兵を上陸させて陸軍を支援し、スペインの地中海沿岸の都市を一気に制圧した。この際にはバルセロナを守備していたスペイン軍に致命的ともいえる被害を与え、すぐさま守備を固めた。 普通ならばまだまだ戦争は続くのだが、焦土戦術をとって撤退したスペイン軍の予想に反してフランス軍は動かなかった。 スペイン軍としては引きずり込んでの勝利を狙っていただけに拍子抜けしたのだが、逆にバルセロナをはじめとした都市の返還を求めねばならなかった。というか、フランスが脅迫してきたのだ。「交渉に応じなければバルセロナを無に帰す」と。 これにはスペインも混乱した。しかし、この時に至ってようやくフランスの意図に気が付いた。スペインへの侵攻ではなく、報復をするためにスペインに打撃を与えることが目的なのだと。しかし、それを阻むことは既に時遅し。バルセロナは占拠され、下手をうてば重要な都市が破壊されつくし、経済的に大ダメージとなる。やむなく交渉に応じたのだが、当然のように条件は割と吹っ掛けられた。フランス軍はいくつかの関税などについて有利な条件を獲得すると意気揚々と引き上げた。この際に結ばれたボルドー条約(※1)ではスペインから賠償金と大小の火砲などの引き渡しなどが行われ、さらにマリョルカ島やメノルカ島の軍事的中立(という名のフランスの管轄)をスペインが認めるなど、実質的なスペインの敗北となった。この戦争に敗れたスペインは被害の大きさのために暫く軍事的な行動をとることが出来なくなっていたし、バレンシア方面にもフランス艦隊が押し寄せてくるかもしれないというプレッシャーがスペイン政府の迂闊な行動を抑止した。言わば、スペインの喉元にナイフを突きつけたのと同義であった。 250: 弥次郎 :2016/05/08(日) 23 06 47 スペインが片付き、地中海の通過を確保したフランスの次なるターゲットはイギリスであった。 ここには依然述べたトラファルガー海戦が発生するのだが、実はこの海戦はネーデルランド方面へのフランス艦隊進出の布石でもあった。陸路での侵攻を行ったナポレオンだが、海上輸送を行い、尚且つ対地支援などに船舶を導入したいとも考えていた。実際、陸軍の錬度は十分で国境線を押してはいたのだが、あと一押しが欲しいところであった。 無理押しすれば突破が可能であることをナポレオンは理解していたのであるが、イギリス海軍の上陸やオランダへの肩入れを警戒するためにどうしても動きは鈍くなりがちだった。ネーデルランド方面にはプロイセンの勢力やオーストリアも手を出してきているため、迂闊に増員しない手を取ると逆に進行を受けかねなかった。 ともあれ、ナポレオンは国境線を史実のベルギー・オランダ間のそれと同じ位置でいったん戦線を停止させて、フランスはイギリスとの戦いに臨んだのだ。結果は知っての通り、イギリス艦隊を無事に撃破することに成功し、英仏海峡を通過させて支援艦隊を送ることに成功した。オランダはもちろん海軍を有していたのだが、フランス海軍は真っ向から戦うこともなく人員輸送のみに徹したため、特に被害らしい被害を受けずに済んだ。確かにオランダは没落しつつあるとはいえ海上帝国の一角を占めていた大国だ。後発のフランスと比較すればイギリスとの間ほどではないにしろ、差があった。 しかし、それはあくまでも艦隊戦に限っての話である。陸軍の行動の一環として海軍を動かすというものに関して言えば、陸軍国であるフランスには一日の長があった。ここにはトラファルガー海戦での失態を反省したフランス海軍が慎重に行動したことも影響し、陸軍の侵攻を十分に支援してオランダの国境線を一気に貫通した。 陸軍の侵攻は一瞬でり、オランダ陸軍はフランス軍の圧倒的な火力と機動力を前に翻弄されて撃破された。 その動きは所謂後手からの一撃であり、釣り出されたオランダ陸軍はフランス軍が構築した火力陣地に誘い込まれて濃密な十字砲火を受ける羽目になった。首都にこそなだれ込まなかったものの、ロッテルダム近郷にまで進行され、いくつかの街が崩壊していた。フランス軍は略奪こそ行わなかったものの、敵対を選んだ都市や町には一切の容赦をしていなかったためだ。即ち、食料をある程度提供して妨害しないならばそれで良し。もし毒を混ぜるなどしてきた場合には容赦なく攻撃するという手を取ったのだ。町や村のいくつかは実際に抵抗を選び、あっけなく粉砕された。 勿論背後から襲おうとしたケースもあったのだが、フランス軍は輸送経路を維持する輸送部隊をきちんと整備しており、また降伏した町への監視もきっちり行っていたこともあって大勢に影響するほどの抵抗は出来なかった。 ここには、フランス陸軍の強さをオランダ領内へと噂レベルで流れるようにして、士気を下げるという目論見もあった。 こうすればオランダ領内でもフランスとの講和を考える声は自然に発生するし、偽の情報を流すことも容易くなった。 何よりも、現地の有力者が領土の安堵などと引き換えに様々なオランダ国内の情報を手に入れる事にもつながっている。 251: 弥次郎 :2016/05/08(日) 23 08 26 これに合わせるようにして、東南アジアの植民地及び保護故国からなるインドシナ・フランセーズは残っていたオランダ植民地へと圧力をかけていた。これに流石に困ったオランダはやむなくフランスと講和。多額の賠償金と香辛料などの現物で本土を安堵してもらうことに成功した。しかし、史実におけるベルギーはフランス領となり、衛星国ではなくフランスの直接統治が行われた。フランスとしてもここをとることはネーデルランド方面への要となる場所であり、同時にプロイセンへのにらみも聞かせることが可能な土地でもあった。これまではダンケルクがその中心ではあったが、英仏海峡をにらむ必要もあるダンケルクとカレーでは流石に重荷となっていたのだ。だが、これを分散させることに成功したことで軍事的負担がだいぶ軽くなった。賠償金を得たことに加えて軍事的なアドバンテージを確保することができたこと。 この2点が、後のフランスの戦略にも大きくかかわっている。よって、この世界においてベルギーは一国としては成立することはなかった。 こうして三方面へとけりをつけたナポレオンは、停止させていたイタリア・オーストリア方面への反撃を再開した。 北部イタリアの輸送経路は中立という名の支配下にあるトリノを経由して十分に行えたし、むしろ積極的にフランスへと攻め込んでこようとするオーストリア軍に対しては待ち伏せしていれば勝手に突っ込んできてくれるため、非常に対処は容易かった。オランダが事実上の中立を選び、国境の通過を認めないことを選択したためにオーストリアやプロイセンの侵攻ルートは自ずと限定されるため、二線級戦力を配置して余裕を持たせることにもつながっている。 つまり、ナポレオンはフランスを囲う包囲網を一つ一つ砕いて回ったのだ。迅速に、そして連鎖的に崩壊を生み出すように。 この1805年から1807年初頭にかけて発生した『オーストリア戦役』において、装備と練度の差から被害を一方的に受けたオーストリアは、主宰する形であったウィーンで結ばれた第三次対フランス同盟に参加する国々から軽視を受けるようになってしまう。とはいえ、加盟している国のいずれもがフランスに被害を受けており、五十歩百歩であったのだが。 とはいえ、ナポレオンも戦争をだらだら続けることを嫌い、1807年にプレスブルクの和約を以て戦争を終結させた。 戦費の回収である賠償金とオランダ方面への国境線の設定を急ぎ、戦時体制を解除した。ここまでの戦争はフランス改革後初めての事であり、長引かせるのは戦後の体制にも響くとナポレオンは判断していたのだ。 そもそもスペイン・オランダ・イギリスを下したのは東に位置する厄介な国を黙らせる布石であり、同時に侵攻が再び起きた際に有利な配置で迎撃できるような戦後体制を見越したものであって、あくまで領地獲得のみが目的の侵略ではなかった。 ここまでの戦いが、一般に言うナポレオン戦争、またはフランス報復戦争であった。この戦争での勝利は欧州におけるパワーバランスがフランスを中心に再構築されることを象徴するものであり、フランスに手を出すことがいかに危険であるかを欧州各国へと付きつけるものとなった。 また、このナポレオンの勝利を得た後に、大国間に挟まれていたスイスは史実と比較して一足早く永世中立を宣言し、各国に承認された。 フランスにしてみれば東側の国境線の蓋をするのにちょうど良い立地で、他国からすればフランスが行軍する際の障壁とすることが可能であったためだ。加えて、これまで途絶えがちだったフランスと欧州各国、そしてフランスを介して日本が欧州各国との外交を行うための場が必要だったことも起因している。こうして、スイスの永世中立が樹立し、プレスブルクの和約が結ばれ、オーストリアがいったん国力を衰えさせたことから第三次対フランス同盟が事実上瓦解したことを以て、ナポレオン戦争は終結した。すべてにけりがついたのは西暦1808年の夏のことであった。 252: 弥次郎 :2016/05/08(日) 23 09 52 しかし、欧州はまだ戦争を望んでいた。 「我輩は一生分の戦争を済ませたはずだった。しかし、どうにもならぬこともある」 これはナポレオンの日記の一節である。 1809年半ばにスペイン内部での争いがフランスでも観測可能になった時に、彼が予言のように書き残している。 当時、彼は軍人上がりの政治家になっており、軍略が絡む政策へのアドバイザーとして参加していた。まだ駆け出しとは言え、元々政治に近い軍人として活動していたこともあり、すぐさま政治の最前線に放り込まれていた。元々リベラルで、尚且つ良い意味で人種にこだわらず、良い意味でフランス人にこだわる彼(※2)は軍と政治のバランスがとれる人間として何かと頼りにされていた。 そんな彼にとって、ナポレオン戦争は「フランスに10年の安定をもたらす」と信じ、側近にも漏らしていた彼であるが、残念ながらその予想は外れてしまったのあった。そして、彼もまたこの予想が外れたことのしりぬぐいをする羽目になった。 何故ナポレオンが引っ張り出されたか。それはほかならぬナポレオン戦争が原因であったためだ。 スペインとフランスはちょうどピレネー山脈によって隔てられている。しかし、地中海をちょっと抜ければフランスのトゥーロンからバルセロナやバレンシアにたどり着くのは容易である。事実スペインへの報復はこれを利用して行われていた。 しかし、一時的に占拠したのだが、その統治政策が緩かったこともあってバルセロナを中心に親仏派閥が誕生してしまったのだ。 イベリア半島はもともと食料生産量が乏しい地域であり、フランス軍が占拠した後に真っ先にやることは食料の配給であった。 幸い、フランスの食糧生産は日本からの輸入も含めて飛びぬけており、現地での栽培とフランス軍の補給船によって占領地域での食料事情や衛生はかなり改善した。この頃には瓶詰や缶詰が量産化されて普及しており、フランス海軍は古い戦列艦を改造した専用の輸送艦を多数抱えるなどしていた。また、蒸気機関によるアシストを受けて物を釣り上げやすくしたクレーンのようなものまでも搭載されており、コンテナの積み下ろしが迅速化していたこともフランスの神速の進軍には欠かせないものとなっていた。さらに、この頃のフランス陸軍は海軍に要請して病院船まで用意していた。 医師や看護師を前線にまで安全に運んでこれることで兵士の負傷率に対して死者がかなり減っていたし、娯楽や食料がきちんと手配されることで士気も保つことが出来ている。おまけにこの補給船に関しての差配をとったのもナポレオンの肝いりの部下たちであり、潤沢な資金と資源を以てこれは着実に実行されていった。 だが、これはバルセロナを中心とした地域の人々に対し、今以上の快適な生活が存在するのだと教えてしまった。 彼らは確かにうまくやってのけたが、うまくやりすぎてしまったのだ。良くも悪くもフランスはフェアにふるまっていた。 現地住人がゲリラとならないように注意を払っていたし、焦土戦術に備えてナポレオンも物資を潤沢に手配していたのも手伝い、フランス軍の占拠は人気が出てしまった。こうしてフランスへの併合を望む声がスペイン内部に生まれてしまった。 史実で言えば、アフランセサドの台頭である。元々スペイン王家とフランスのブルボン家には浅からぬ縁があった。 フランス改革の成功を見ていたスペインの人々にはフランスに続け、という意思が存在したのもまた事実であった。 しかし、その動きは先鋭化するに従い、史実フランスの革命運動に近いものにもつながっていた。リベラル派、共和派、急進派問わず、スペインという国家のために王家の否定さえも行われそうになった。それだけブルボン家の統治に憧れたのだ。 こうして国内の政治情勢はスペイン内部で拗れに拗れた。 革命か、改革か、フランスによる併合か、はたまた自助努力を重ねるか。フランスを除く対フランス大同盟各国にしてもスペインの脱落乃至離反は警戒するものだった。なのであの手この手で圧力をかけたのだが、これまたスペイン内部での権力闘争の火種になってしまった。ここには史実と異なり王権神授説の明確な否定が行われていないという厄介な事情も存在した。即ち、スペイン王家をどう扱うべきかまでもが議論の対象となったのだ。 253: 弥次郎 :2016/05/08(日) 23 11 03 そうした事情故に、フランスは発端となったナポレオンへの対処を要請した。 下手に革命勢力がスペインの体制を覆してしまえば、連鎖的にフランス国内へも革命の動きが活発化すると予測していたのだ。 帝政フランスとなって以来、革命勢力はほぼ地下に潜り込んではいたのだが、いつまた動き出すかは不明瞭な勢力であった。 少なくはないテロ活動をフランス国内で行っているのも確かであり、これが勢いづくことを阻止するには、スペインへの圧力や干渉さえも辞さぬ覚悟でなさねばならないとフランス皇室も腹をくくっていたのだ。 そして、スペイン内部で政変が起こった。後の時代の呼称でいう『スペイン内乱』の発生だった。 主な勢力としてはスペイン東部を中心とする親仏・リベラル派と、それ以外の旧派勢力。そしてどっちつかずのスペイン王家の三竦みになった。とはいえ、フランスにしてみれば巻き込まれた形になる。しかも、原因は自分たちにあるとはいえ、勝手に親仏政権を建てられても正直困る。 実際の所、予測されるスペインへの軍事展開というのもかなりつらいところがある。実際、バルセロナ占拠時には結構な食糧供給負担が発生していた。平時ならともかく、他に戦線を抱えている状況でバロセロナを支援するというのは流石のフランスも厳しいものがあった。ピレネー山脈を越えるのも一苦労だし、ピストン輸送をするにしても海軍を動員せざるを得ない。 「フランスにとって味方は必要だが、押し売りされるほど困ってはいない」 これもまた、ナポレオンの口述した内容である。というわけで、フランスは奇妙なことにスペイン内の親仏勢力に対して、自重を要請して回る羽目になった。幸い説得そのものは何とかうまくいき、いったんは過激な親仏勢力も行動を抑え始めた。 これで手を引っ込めることができる、と考えていたフランスだが思わぬ敵が生まれていた。 スペイン内のカトリック勢力であった。というのも、既得権益をがっちりと握る教会勢力というのはフランス革命時にも王家と連座するようにして結構ひどい目にあっている。当然、カトリックが主となっているスペインでもそれと同じような光景が見られた。なまじ、フランスに異教や異端が入っているという情報がスペインへと流れていたことから勝手に敵視していたわけである。まあ、ガリカンやブルボン家がローマ=カトリックから異端に近い扱いを受けているのはほぼ周知の事実であったし、フランスもある程度は自覚はしていたのだが、まさかここに影響してくるとは思わなかったのだ。 ともあれ、スペインのカトリック勢力は勝手に盛り上がって親仏勢力に圧力をかけ始めた。 これまた厄介なことに、スペイン領内にいるフランス人への嫌がらせをも始めていたのだ。異端審問とまでは行かないのだが、とにかく宗教的な嫌がらせ、レリギナル・ハラスメントを行い始めた。やむなくフランスはスペイン領内に滞在するフランス人に対して帰国命令を発布。丁度その頃はスペイン国内の情勢もかなり妖しくなっていたために、フランスは海軍に船舶の護衛をさせるなどして慎重に対応していた。この際、スペイン領内の穏健なカトリック勢力がフランスへの亡命を希望し、なし崩し的に保護する羽目になっていた。穏健派というか宗教的融和派なのだが。 しかし、その頃のフランスものんびりしているわけではなかった。 オーストリアやザクセン王国、スウェーデンはいまだにちょっかいをかけていたし、日本からも援軍を受けながらも国境沿いで防がねばならなかったためだ。この第4次対フランス同盟もまた、すぐに崩れる羽目になった。 フランスから見れば、一向に学習しないものだと半ばあきれてはいたのだが。 254: 弥次郎 :2016/05/08(日) 23 12 22 そして、1810年についに武力による本格的な激突が発生した。それまでは精々小規模な小競り合いだったのだが、より大規模な動員が行われたのだ。親フランス勢力と反フランス勢力はスペイン各地でぶつかり合い、連動するように宗教や政治の拗れが一斉にぶつかり合ったのだ。史実の半島戦争よろしく、国内は未曽有の混乱に襲われていった。 合計で7つもの大規模戦闘が発生し、略奪は日常茶飯事となった。首都こそ何とか平穏そのものであったが、大都市でもカトリック教会への焼き討ちや暴動、王家への反発のデモ、ブルジョワ階級への襲撃、カトリック勢力による『異端審問』『魔女狩り』(※3)、さらに政治的な意味での思想検閲などなどが発生した。ここで語るにはあまりにもスペースが足りない。 一つ言えるのは、イギリスがスペインに対して軍隊を派遣していたこともこの混乱を大きくした原因となったことだ。 史実においてもこのスペイン独立戦争にナポレオンに対抗するべく介入していた。この世界線においても、スペインとポルトガルが対フランス同盟から離脱することを恐れた、いわば督戦に近い派遣であった。同時に、カトリック勢力が必要以上に弱体化してスペインとポルトガルが国として傾くことを阻止する構えだった。 だが、当然のように介入を嫌うスペイン人もいるわけで、この世界においてはイギリス軍の方がゲリラ戦術に悩まされる羽目になった。これの被害はフランス革命戦争において陸軍が疲弊したイギリスに追い打ちをかけることになった。 そして、この一連の激突はスペインと隣接するポルトガルにまで飛び火して国内の大きな疲弊を引き起こした。 文化財の喪失はもちろん、市井に存在していた美術品も多くが失われたし、地方においては貴重な畑などで現地調達が続いたことで大きく荒廃する羽目になった。また、知識人・文化人の一部はフランスや国外への脱出を図ったために、国内のインテリジェンスは少なくはない影響を受けた。この影響は、元々小さくなっていたスペインの影響力を大きく減じさせる遠因ともなり、一節には100年分の損失とさえ言われた。 この戦争の結末はイギリス軍が本格介入することで何とか決着を見た。 リベラル・自由・親仏派などが中南米へと離脱して独立運動をおこし、ラテンアメリカの独立戦争が史実以上に激しくなったが、一応スペイン領内の親仏派閥はおとなしくなった。というか、どの勢力も継戦不可能とあきらめたことが停戦につながった。 なによりも、決着がつかないことにしびれを切らしたフランスが艦隊を派遣して威圧したというのも大きかった。 「大人しくしないならばすべての勢力を根切りにする」 そのメッセージの意味を理解しない勢力は、スペイン領内には存在しなかった。 1811年に発表された「ナポレオン恫喝」が終戦の決定打となり、スペイン内部の混乱はようやく終結したのだった。 この直後に何かを勘違いしたオーストリアがフランスに喧嘩を売って来るのだが、史実と異なり一蹴された。 というか、史実以上に痛い目に遭ったオーストリアはプレスブルクの和約で味わった屈辱を晴らすどころか、それの上塗りをしでかし、シェーンブルンの和約を結ばされる羽目になった。こうして、スペインへ集中してるフランスの横っ面を叩くべく結成された第五次対フランス同盟はあっけなく崩壊。以後は散発的な抵抗がみられるばかりとなった。 255: 弥次郎 :2016/05/08(日) 23 13 56 さて、うまくスペイン動乱を乗り切ったナポレオンであるが、国内はかなり盛り上がりを見せた。 元々アウステルリッツの戦いにおける勝利で神聖ローマ帝国に大きな痛手を与え、尚且つオーストリアにも軍事行動が暫くできなくなるほどの大打撃を与えていたことで、彼の戦争指揮能力の高さは評価される一方であった。 事実、彼は爵位を授かり貴族に列されることがほぼ内定しており、政治の側からも軍略家としての手腕を期待されて、恐らくは政治家として働くことになりそうであった。ナポレオンとしては後進の教育という問題もあるというのに、さらに政治まで抱えることになるとは、と嘆いている。 「戦争を始めるのは簡単であるが、終わらせるのは大変だ。そして、私の仕事もまた、終わらせるのに苦労しそうだ」 「勲章や報奨金は大量に得たが、休みが得られない」 「食事の量をふやしても体重が増えない」 「薬品に頼った体調管理などやりたくはないのだが、どうやらそれをしないとならないようだ」 ナポレオンの手記には、こう嘆きがつづられている。 彼が制定にかかわった市民諸権利法典(※4)は、なぜかナポレオン法典とあだ名がつけられてしまうし、三帝会戦(※5)と呼ばれたアウステルリッツの戦いでの勝利を祝う凱旋門が建てられてしまうし、休暇をとるにしても迂闊に外に出かけられなくなってしまった。迂闊に本人と分かれば、瞬く間にファンが詰めかけてくるのだ。人気が高すぎるというのも、考えものである。結果として、彼が政治家として引退できたのは1820年を過ぎてからであり、長年の遠距離恋愛が実り結婚したデジレ・クラリーとの落ち着いた生活ができるようになったのは、晩年に小笠原諸島の一角に別荘を買って過ごすようになってからであった。この際に彼がデジレ・クラリーに記述させた「ナポレオン回想録」は、主にフランスから離れた日本で記述されたものが多い。とはいえ、彼の愚痴が大半を占めており、出版された物はだいぶ抜粋した内容であったようだ。ここには、編集に関わったデジレ・クラリーの配慮が見て取れる(※6)。 後の時代に、日本のとある人物が彼の回想録を呼んで深く共感したのだが、それは割愛しよう。 ともあれ、この一連の戦争を以て欧州のメインプレイヤーがフランスとなったことは、誰の目にも明らかであった。 256: 弥次郎 :2016/05/08(日) 23 14 38 ※1: フランスが狙ったのはスペインのしばらくの沈黙であると同時に、この後に続く一連の戦争における戦費の調達の面もあったようである。ある種の自転車操業でもあったが、政治的な観点からも賠償金が多く得られたことはフランスにとっても大きなプラスとなっていた。 ※2: 肌の色や出身などはとやかく言わないが、フランス人であるならばフランス人としての義務を果たすべしという考え方。 イタリアの方に出自を持つナポレオンがフランス皇帝に仕える臣民としての考えを持っていたことを如実に表す考えである。 即ち、戦争そのものを目的とせず、かといって政治に言われるままに戦争を起こすのではない、あくまで国益・皇帝の利益のために相互協力すべしとナポレオンは常日頃から述べていた。 ※3: 実際にはカトリックの名を借りたフランス系住人の一方的な処刑であったのが実態であった。 現地に残されていた資産が略奪を受けたため、スペインはフランスに対してかなりの補償金を支払わざるを得なくなった。 因みに、この補償金は戦争の賠償金とは別であった。 ※4 史実のナポレオン法典とほぼ同様な法令。ただし、皇帝と自然法に基づいて諸権利を保障していた。 肌の色などに関係なく諸権利(裁判を受ける権利、教育を受ける権利、選挙に参加する権利など)を改めて保証する内容となっていた。 ※5: ナポレオン自身はこの三帝会戦という呼び名を嫌っている。彼自身は一軍人でしかなく、皇帝を名乗るのはあまりにも不敬であるためと彼は度々愚痴を漏らしていた。 また、この戦いでの勝利をきっかけに凱旋門が作られてしまった。彼としては半ば事後報告だったため承認せざるを得なかった。しかし、その後皇帝などに対して一兵卒への金一封を『強く』要請している。 ※6: 一般に公表されているのは、ナポレオンが自身の行った政策や軍事作戦について述べた部分のみであり、それ以外の日常での発言や愚痴などは別な形でまとめられていた 257: 弥次郎 :2016/05/08(日) 23 18 59 以上となります。wiki転載はご自由に。 ナポレオンが行ったのはフランス革命戦争時の報復戦ということで決着しました。 まあ、スペインに首を突っ込む羽目になったのは予想外でしたけど。 史実においても結構ナポレオンはうまく立ち回ってますね。 軍備一辺倒かと思いきや、うまく対仏同盟を崩すように戦争を仕掛けてます。まあ欲を出し過ぎて大陸封鎖令をやらかしたのは大きすぎる痛手だと考えていますけどね… 拙作世界のナポレオンはこうしてメインプレイヤーがフランスであると再認識させ、再度戦争を仕掛けてこないように欧州各国を脅すことになりました。 しかし、史実でもオーストリアって結構節操無しなんですよね… 何度もやられているのに何度もフランスに突っかけるという無軌道ぶり。ロシア遠征をしなかったらマジでナポレオンに蹂躙されていますよね…一体何を考えての事かは分かりませんけども。 さて、これで時代を飛ばしWW1あたりまで進められそうですな。 というか、早いとこアウストラリウス大公国とアカディア大公国についても書きたいです。 では続きをお待ちいただければ幸いだったり。
https://w.atwiki.jp/psps/pages/293.html
2009年03月28日(土)TOKYO FM スペイン坂スタジオ 15 10~ TOKYO FM「TOYOTA SOUND IN MY LIFE」公開生放送 【テクノポップユニット】Perfume 998【気になる終 MF】 【テクノポップユニット】Perfume 1000【香水組合】より 開始前までの状況レポ 21 名前:ファンクラブ会員番号774 投稿日:2009/03/28(土) 10 03 07 ID +pDf7peS スペイン坂、今120番過ぎ 22 名前:ファンクラブ会員番号774 投稿日:2009/03/28(土) 10 09 53 ID Fp4zu+gy こちらゆか蛇。 侵入ルート確保。 既に番号は100番超えた。がまだ配布中。 集合時間は1440時、時間厳守。遅れたら即無効 出待ち入り待ち厳禁。 58 名前:ファンクラブ会員番号774 投稿日:2009/03/28(土) 11 01 22 ID dPp1hHkv 渋谷まであと一時間かかります 僕はどうすればいいのですか。 整理券もらえそうにないです。 せっかく眼鏡つくったのに…… 66 名前:ファンクラブ会員番号774 投稿日:2009/03/28(土) 11 10 34 ID mtZIMkPD 58 ltw時の実績だと、16時からの番組で、14時ごろ貰って200番台だった と思う。300枚以上出すと思うから、行くだけ行ってみれば? 71 名前:ファンクラブ会員番号774 投稿日:2009/03/28(土) 11 15 42 ID /quS+3Ui 今げと。11時10分に210番台。 パフューム以外の整理券も配ってるのでピンクの整理券持った係員のところへ。 束で200枚近く持ってたからまだ全然間に合うぞ。 97 名前:ファンクラブ会員番号774 投稿日:2009/03/28(土) 11 47 09 ID gaUxSJOs 今250ぐらいだよ 束には後200ほど持っていたわ この前と同じ係のお姉さんでした。今から家でる人もよほど遠くない限り大丈夫さ~ 195 名前:ファンクラブ会員番号774 投稿日:2009/03/28(土) 13 01 40 ID 73pYPqYg さっき行ったら300番台 まだいけるぞ 226 名前:ファンクラブ会員番号774 投稿日:2009/03/28(土) 13 31 57 ID PRNynGpl まあ今くらいにスペイン坂着く人は安心しな~整理券もらえたなら 番号遅かろうが速かろうが見られる時間は一緒だからw ただ分けられるグループ内での順番が速いほうが目の前を陣取りやすいってだけ スタッフに案内されたら3人のうち誰かの目線上に位置取られれば目があったりする のっちに睨み殺されたりもするから注意してねw 274 名前:ファンクラブ会員番号774 投稿日:2009/03/28(土) 14 19 37 ID cYP1kpnT 266 410くらい お姉さんは、あと数十枚整理券持っていた 287 名前:ファンクラブ会員番号774 投稿日:2009/03/28(土) 14 37 42 ID 3EGFxUhR そろそろ整理券チェックです。 まだ配ってるみたいです。 パルコ2の前って言ってました。 304 名前:ファンクラブ会員番号774 投稿日:2009/03/28(土) 14 56 58 ID Fp4zu+gy こちらゆか蛇。 観覧時間が「非常に短く」なるとわざわざアナウンスあり。 307 名前:ファンクラブ会員番号774 投稿日:2009/03/28(土) 14 59 05 ID fEBckULG こちらスペ坂より並ばされて公園通り ファミマの前辺りでまだ配ってる 以降は喜びの報告です。 340 名前:ファンクラブ会員番号774 投稿日:2009/03/28(土) 15 23 20 ID Hl9EIJ0V 観覧出来た~ あ~ちゃんかわいかった 342 名前:ファンクラブ会員番号774 投稿日:2009/03/28(土) 15 23 54 ID yRd08yOz のっち今日は愛想良すぎwww あと捌けるときにあ~ちゃんが小声で「えっ!もう」って言ってたよ 343 名前:ファンクラブ会員番号774 投稿日:2009/03/28(土) 15 25 59 ID ee3b/Ttb かわいかった~ 今ラジオ聞きながら代々木へ移動中 とにかくかわいかった 349 名前:ファンクラブ会員番号774 投稿日:2009/03/28(土) 15 30 04 ID Fp4zu+gy こちらゆか蛇。 任務成功。ウォークマンの写真スライドショー掲げたらちょいと見てくれた。 眩しかった、特にあ~ちゃんの横以下略 此より代々木に移動する。 395 名前:ファンクラブ会員番号774 投稿日:2009/03/28(土) 16 06 28 ID 33ddRj3H スペイン坂に行ってきた 今日の朝行くっ決めたから、代々木は無理だ 左からかしゆか、あ~ちゃん、のっちの順! 最後やけにのっちが男の人?に手をふってたw 私はかしゆかと数秒見つめ合えたから幸せw 396 名前:ファンクラブ会員番号774 投稿日:2009/03/28(土) 16 07 47 ID MJ1WTmeD 前の番組が終わった荘口さん外で立ち話してるのを見つつ整列で、25名ずつくらいに区切られて入場。 一組2分程度だと思うけど、500人以上は並んでいたのでしょうがなかったかな。 406 名前:ファンクラブ会員番号774 投稿日:2009/03/28(土) 16 11 45 ID p2gOUM2L 一人一人の顔ちゃんと見てたね。 みんなと目を合わせてくれてた感じがする。 てかのっち、あーちゃんとノートでやり取りしてた女子、羨ましかったし楽しかった! 413 名前:ファンクラブ会員番号774 投稿日:2009/03/28(土) 16 15 28 ID 936NX4K5 あ~ちゃんが「ちゃあぽんのCD?」って紙に書いてたな 513 名前:oykt ◆PerfumeseA 投稿日:2009/03/28(土) 17 07 33 ID q6x97dgU 俺の四星球パーカーに爆レスくれたからオタクっぽい奴でも差別しないよ! 522 名前:ファンクラブ会員番号774 投稿日:2009/03/28(土) 17 09 47 ID h24lWw5s 今帰宅で、流れ読まずに書く 10時半ごろ、180番台をゲット 314 いたよ。 CM中に入ったんだが、 のっちが先ずその子らを指差し「何才?」と筆談スタート その子らは手で14歳と答える。 あ~ちゃん:「若っ」「四捨五入したら10歳じゃ」と笑いをとる あ~ちゃんめちゃくちゃ姿勢良くて達筆だった。 まじでどうやったらあんな天使に育つんだろう のっちは尋常じゃなく目がでかかった。 かしゆかは豆粒並に顔が小さかった。 生で観たらまじでほれてまうね、行ったことを少し後悔した。 駄文すまん 882 名前:ファンクラブ会員番号774 投稿日:2009/03/28(土) 19 47 05 ID 9h2CWKMB いつもはかしゆかにやられるのだが きょうはあ~ちゃんのっちにやられた あ~ちゃん笑顔眩し過ぎ近い過ぎで何度か意識失いかけた つうかのっちどしたのよ? スッゴい何度も笑顔振る舞ってくれたよ ほんとに自信付けたんだなあ 成長が我が子の事のように嬉しいw あと一緒に写真とれた最後列ウラヤマシス
https://w.atwiki.jp/teitoku_bbs/pages/3471.html
249 :名無しさん:2016/05/08(日) 23 05 15 日本大陸 日仏ゲート世界 ナポレオン戦争 フランス革命戦争後のフランスが行ったのは、国内の立て直しと、近隣各国への仕返しだった。 特にフランス革命戦争時に活躍したナポレオンが出世を遂げて果たしたことから、一般にはナポレオン戦争とも呼ばれている。 彼の戦争指揮能力はずば抜けており、後の軍事的な基盤を構築したという意味でも、彼の功績は評価されていた。 ここでは、彼が行った一連の戦争について振り返っていく。 真っ先にナポレオンに狙われたのはスペインだった。一般には『バルセロナ侵攻』と呼ばれる報復戦争が始まったのは 1803年の事であった。本来ならば1800年には開始される予定ではあったのだが、ここには史実よりも早くなった フランス領ルイジアナを巡る動乱があり、また侵攻計画についてナポレオンが日本から得ていた情報をもとに再度 構築し直したこともあって遅れていた。また、ナポレオンの目下の課題であったアフリカ・フランセーズの軍備増強が忙しく、 政治の面ではインドシナ・フランセーズの領土問題などがあったことも由来する。しかしその分、スペインへの報復を行う軍の 準備には時間をかけることもできたし、海軍の準備を行う余裕を生むことにもつながっていた。 落陽を迎えつつあったスペインはピレネー山脈を越えてバルセロナ方面へと侵攻してきたフランス軍を押しとどめることは 不可能だった。ここでフランス軍は艦隊を対地支援に導入。兵を上陸させて陸軍を支援し、スペインの地中海沿岸の都市を 一気に制圧した。この際にはバルセロナを守備していたスペイン軍に致命的ともいえる被害を与え、すぐさま守備を固めた。 普通ならばまだまだ戦争は続くのだが、焦土戦術をとって撤退したスペイン軍の予想に反してフランス軍は動かなかった。 スペイン軍としては引きずり込んでの勝利を狙っていただけに拍子抜けしたのだが、逆にバルセロナをはじめとした 都市の返還を求めねばならなかった。というか、フランスが脅迫してきたのだ。「交渉に応じなければバルセロナを無に帰す」と。 これにはスペインも混乱した。しかし、この時に至ってようやくフランスの意図に気が付いた。スペインへの侵攻ではなく、 報復をするためにスペインに打撃を与えることが目的なのだと。しかし、それを阻むことは既に時遅し。バルセロナは 占拠され、下手をうてば重要な都市が破壊されつくし、経済的に大ダメージとなる。やむなく交渉に応じたのだが、 当然のように条件は割と吹っ掛けられた。フランス軍はいくつかの関税などについて有利な条件を獲得すると意気揚々と 引き上げた。この際に結ばれたボルドー条約(※1)ではスペインから賠償金と大小の火砲などの引き渡しなどが行われ、 さらにマリョルカ島やメノルカ島の軍事的中立(という名のフランスの管轄)をスペインが認めるなど、実質的な スペインの敗北となった。この戦争に敗れたスペインは被害の大きさのために暫く軍事的な行動をとることが出来 なくなっていたし、バレンシア方面にもフランス艦隊が押し寄せてくるかもしれないというプレッシャーがスペイン政府の 迂闊な行動を抑止した。言わば、スペインの喉元にナイフを突きつけたのと同義であった。 250 :弥次郎:2016/05/08(日) 23 06 47 スペインが片付き、地中海の通過を確保したフランスの次なるターゲットはイギリスであった。 ここには依然述べたトラファルガー海戦が発生するのだが、実はこの海戦はネーデルランド方面へのフランス艦隊進出の 布石でもあった。陸路での侵攻を行ったナポレオンだが、海上輸送を行い、尚且つ対地支援などに船舶を導入したいとも 考えていた。実際、陸軍の錬度は十分で国境線を押してはいたのだが、あと一押しが欲しいところであった。 無理押しすれば突破が可能であることをナポレオンは理解していたのであるが、イギリス海軍の上陸やオランダへの肩入れを 警戒するためにどうしても動きは鈍くなりがちだった。ネーデルランド方面にはプロイセンの勢力やオーストリアも 手を出してきているため、迂闊に増員しない手を取ると逆に進行を受けかねなかった。 ともあれ、ナポレオンは国境線を史実のベルギー・オランダ間のそれと同じ位置でいったん戦線を停止させて、フランスは イギリスとの戦いに臨んだのだ。結果は知っての通り、イギリス艦隊を無事に撃破することに成功し、英仏海峡を通過させて 支援艦隊を送ることに成功した。オランダはもちろん海軍を有していたのだが、フランス海軍は真っ向から戦うこともなく 人員輸送のみに徹したため、特に被害らしい被害を受けずに済んだ。確かにオランダは没落しつつあるとはいえ海上帝国の 一角を占めていた大国だ。後発のフランスと比較すればイギリスとの間ほどではないにしろ、差があった。 しかし、それはあくまでも艦隊戦に限っての話である。陸軍の行動の一環として海軍を動かすというものに関して言えば、 陸軍国であるフランスには一日の長があった。ここにはトラファルガー海戦での失態を反省したフランス海軍が慎重に 行動したことも影響し、陸軍の侵攻を十分に支援してオランダの国境線を一気に貫通した。 陸軍の侵攻は一瞬でり、オランダ陸軍はフランス軍の圧倒的な火力と機動力を前に翻弄されて撃破された。 その動きは所謂後手からの一撃であり、釣り出されたオランダ陸軍はフランス軍が構築した火力陣地に誘い込まれて 濃密な十字砲火を受ける羽目になった。首都にこそなだれ込まなかったものの、ロッテルダム近郷にまで進行され、 いくつかの街が崩壊していた。フランス軍は略奪こそ行わなかったものの、敵対を選んだ都市や町には一切の容赦を していなかったためだ。即ち、食料をある程度提供して妨害しないならばそれで良し。もし毒を混ぜるなどしてきた 場合には容赦なく攻撃するという手を取ったのだ。町や村のいくつかは実際に抵抗を選び、あっけなく粉砕された。 勿論背後から襲おうとしたケースもあったのだが、フランス軍は輸送経路を維持する輸送部隊をきちんと整備しており、 また降伏した町への監視もきっちり行っていたこともあって大勢に影響するほどの抵抗は出来なかった。 ここには、フランス陸軍の強さをオランダ領内へと噂レベルで流れるようにして、士気を下げるという目論見もあった。 こうすればオランダ領内でもフランスとの講和を考える声は自然に発生するし、偽の情報を流すことも容易くなった。 何よりも、現地の有力者が領土の安堵などと引き換えに様々なオランダ国内の情報を手に入れる事にもつながっている。 251 :弥次郎:2016/05/08(日) 23 08 26 これに合わせるようにして、東南アジアの植民地及び保護故国からなるインドシナ・フランセーズは残っていたオランダ植民地へと 圧力をかけていた。これに流石に困ったオランダはやむなくフランスと講和。多額の賠償金と香辛料などの現物で 本土を安堵してもらうことに成功した。しかし、史実におけるベルギーはフランス領となり、衛星国ではなくフランスの 直接統治が行われた。フランスとしてもここをとることはネーデルランド方面への要となる場所であり、同時にプロイセンへの にらみも聞かせることが可能な土地でもあった。これまではダンケルクがその中心ではあったが、英仏海峡をにらむ 必要もあるダンケルクとカレーでは流石に重荷となっていたのだ。だが、これを分散させることに成功したことで 軍事的負担がだいぶ軽くなった。賠償金を得たことに加えて軍事的なアドバンテージを確保することができたこと。 この2点が、後のフランスの戦略にも大きくかかわっている。よって、この世界においてベルギーは一国としては 成立することはなかった。 こうして三方面へとけりをつけたナポレオンは、停止させていたイタリア・オーストリア方面への反撃を再開した。 北部イタリアの輸送経路は中立という名の支配下にあるトリノを経由して十分に行えたし、むしろ積極的にフランスへと 攻め込んでこようとするオーストリア軍に対しては待ち伏せしていれば勝手に突っ込んできてくれるため、非常に 対処は容易かった。オランダが事実上の中立を選び、国境の通過を認めないことを選択したためにオーストリアや プロイセンの侵攻ルートは自ずと限定されるため、二線級戦力を配置して余裕を持たせることにもつながっている。 つまり、ナポレオンはフランスを囲う包囲網を一つ一つ砕いて回ったのだ。迅速に、そして連鎖的に崩壊を生み出すように。 この1805年から1807年初頭にかけて発生した『オーストリア戦役』において、装備と練度の差から被害を一方的に 受けたオーストリアは、主宰する形であったウィーンで結ばれた第三次対フランス同盟に参加する国々から 軽視を受けるようになってしまう。とはいえ、加盟している国のいずれもがフランスに被害を受けており、五十歩 百歩であったのだが。 とはいえ、ナポレオンも戦争をだらだら続けることを嫌い、1807年にプレスブルクの和約を以て戦争を終結させた。 戦費の回収である賠償金とオランダ方面への国境線の設定を急ぎ、戦時体制を解除した。ここまでの戦争はフランス改革後 初めての事であり、長引かせるのは戦後の体制にも響くとナポレオンは判断していたのだ。 そもそもスペイン・オランダ・イギリスを下したのは東に位置する厄介な国を黙らせる布石であり、同時に侵攻が再び 起きた際に有利な配置で迎撃できるような戦後体制を見越したものであって、あくまで領地獲得のみが目的の侵略ではなかった。 ここまでの戦いが、一般に言うナポレオン戦争、またはフランス報復戦争であった。この戦争での勝利は欧州における パワーバランスがフランスを中心に再構築されることを象徴するものであり、フランスに手を出すことがいかに危険であるかを 欧州各国へと付きつけるものとなった。 また、このナポレオンの勝利を得た後に、大国間に挟まれていたスイスは史実と比較して一足早く永世中立を宣言し、各国に承認された。 フランスにしてみれば東側の国境線の蓋をするのにちょうど良い立地で、他国からすればフランスが行軍する際の 障壁とすることが可能であったためだ。加えて、これまで途絶えがちだったフランスと欧州各国、そしてフランスを介して 日本が欧州各国との外交を行うための場が必要だったことも起因している。こうして、スイスの永世中立が樹立し、 プレスブルクの和約が結ばれ、オーストリアがいったん国力を衰えさせたことから第三次対フランス同盟が事実上 瓦解したことを以て、ナポレオン戦争は終結した。すべてにけりがついたのは西暦1808年の夏のことであった。 252 :弥次郎:2016/05/08(日) 23 09 52 しかし、欧州はまだ戦争を望んでいた。 「我輩は一生分の戦争を済ませたはずだった。しかし、どうにもならぬこともある」 これはナポレオンの日記の一節である。 1809年半ばにスペイン内部での争いがフランスでも観測可能になった時に、彼が予言のように書き残している。 当時、彼は軍人上がりの政治家になっており、軍略が絡む政策へのアドバイザーとして参加していた。まだ駆け出しとは言え、 元々政治に近い軍人として活動していたこともあり、すぐさま政治の最前線に放り込まれていた。元々リベラルで、 尚且つ良い意味で人種にこだわらず、良い意味でフランス人にこだわる彼(※2)は軍と政治のバランスがとれる人間として 何かと頼りにされていた。 そんな彼にとって、ナポレオン戦争は「フランスに10年の安定をもたらす」と信じ、側近にも漏らしていた彼であるが、 残念ながらその予想は外れてしまったのあった。そして、彼もまたこの予想が外れたことのしりぬぐいをする羽目になった。 何故ナポレオンが引っ張り出されたか。それはほかならぬナポレオン戦争が原因であったためだ。 スペインとフランスはちょうどピレネー山脈によって隔てられている。しかし、地中海をちょっと抜ければフランスのトゥーロンから バルセロナやバレンシアにたどり着くのは容易である。事実スペインへの報復はこれを利用して行われていた。 しかし、一時的に占拠したのだが、その統治政策が緩かったこともあってバルセロナを中心に親仏派閥が誕生してしまったのだ。 イベリア半島はもともと食料生産量が乏しい地域であり、フランス軍が占拠した後に真っ先にやることは食料の配給であった。 幸い、フランスの食糧生産は日本からの輸入も含めて飛びぬけており、現地での栽培とフランス軍の補給船によって 占領地域での食料事情や衛生はかなり改善した。この頃には瓶詰や缶詰が量産化されて普及しており、フランス海軍は 古い戦列艦を改造した専用の輸送艦を多数抱えるなどしていた。また、蒸気機関によるアシストを受けて物を釣り上げやすくした クレーンのようなものまでも搭載されており、コンテナの積み下ろしが迅速化していたこともフランスの神速の 進軍には欠かせないものとなっていた。さらに、この頃のフランス陸軍は海軍に要請して病院船まで用意していた。 医師や看護師を前線にまで安全に運んでこれることで兵士の負傷率に対して死者がかなり減っていたし、娯楽や食料が きちんと手配されることで士気も保つことが出来ている。おまけにこの補給船に関しての差配をとったのもナポレオンの 肝いりの部下たちであり、潤沢な資金と資源を以てこれは着実に実行されていった。 だが、これはバルセロナを中心とした地域の人々に対し、今以上の快適な生活が存在するのだと教えてしまった。 彼らは確かにうまくやってのけたが、うまくやりすぎてしまったのだ。良くも悪くもフランスはフェアにふるまっていた。 現地住人がゲリラとならないように注意を払っていたし、焦土戦術に備えてナポレオンも物資を潤沢に手配していたのも手伝い、 フランス軍の占拠は人気が出てしまった。こうしてフランスへの併合を望む声がスペイン内部に生まれてしまった。 史実で言えば、アフランセサドの台頭である。元々スペイン王家とフランスのブルボン家には浅からぬ縁があった。 フランス改革の成功を見ていたスペインの人々にはフランスに続け、という意思が存在したのもまた事実であった。 しかし、その動きは先鋭化するに従い、史実フランスの革命運動に近いものにもつながっていた。リベラル派、共和派、 急進派問わず、スペインという国家のために王家の否定さえも行われそうになった。それだけブルボン家の統治に憧れたのだ。 こうして国内の政治情勢はスペイン内部で拗れに拗れた。 革命か、改革か、フランスによる併合か、はたまた自助努力を重ねるか。フランスを除く対フランス大同盟各国にしても スペインの脱落乃至離反は警戒するものだった。なのであの手この手で圧力をかけたのだが、これまたスペイン内部での 権力闘争の火種になってしまった。ここには史実と異なり王権神授説の明確な否定が行われていないという厄介な事情も 存在した。即ち、スペイン王家をどう扱うべきかまでもが議論の対象となったのだ。 253 :弥次郎:2016/05/08(日) 23 11 03 そうした事情故に、フランスは発端となったナポレオンへの対処を要請した。 下手に革命勢力がスペインの体制を覆してしまえば、連鎖的にフランス国内へも革命の動きが活発化すると予測していたのだ。 帝政フランスとなって以来、革命勢力はほぼ地下に潜り込んではいたのだが、いつまた動き出すかは不明瞭な勢力であった。 少なくはないテロ活動をフランス国内で行っているのも確かであり、これが勢いづくことを阻止するには、スペインへの 圧力や干渉さえも辞さぬ覚悟でなさねばならないとフランス皇室も腹をくくっていたのだ。 そして、スペイン内部で政変が起こった。後の時代の呼称でいう『スペイン内乱』の発生だった。 主な勢力としてはスペイン東部を中心とする親仏・リベラル派と、それ以外の旧派勢力。そしてどっちつかずの スペイン王家の三竦みになった。とはいえ、フランスにしてみれば巻き込まれた形になる。しかも、原因は自分たち にあるとはいえ、勝手に親仏政権を建てられても正直困る。 実際の所、予測されるスペインへの軍事展開というのもかなりつらいところがある。実際、バルセロナ占拠時には 結構な食糧供給負担が発生していた。平時ならともかく、他に戦線を抱えている状況でバロセロナを支援するというのは 流石のフランスも厳しいものがあった。ピレネー山脈を越えるのも一苦労だし、ピストン輸送をするにしても海軍を 動員せざるを得ない。 「フランスにとって味方は必要だが、押し売りされるほど困ってはいない」 これもまた、ナポレオンの口述した内容である。というわけで、フランスは奇妙なことにスペイン内の親仏勢力に対して、 自重を要請して回る羽目になった。幸い説得そのものは何とかうまくいき、いったんは過激な親仏勢力も行動を抑え始めた。 これで手を引っ込めることができる、と考えていたフランスだが思わぬ敵が生まれていた。 スペイン内のカトリック勢力であった。というのも、既得権益をがっちりと握る教会勢力というのはフランス革命時にも 王家と連座するようにして結構ひどい目にあっている。当然、カトリックが主となっているスペインでもそれと 同じような光景が見られた。なまじ、フランスに異教や異端が入っているという情報がスペインへと流れていたことから 勝手に敵視していたわけである。まあ、ガリカンやブルボン家がローマ=カトリックから異端に近い扱いを受けているのは ほぼ周知の事実であったし、フランスもある程度は自覚はしていたのだが、まさかここに影響してくるとは思わなかったのだ。 ともあれ、スペインのカトリック勢力は勝手に盛り上がって親仏勢力に圧力をかけ始めた。 これまた厄介なことに、スペイン領内にいるフランス人への嫌がらせをも始めていたのだ。異端審問とまでは行かないのだが、 とにかく宗教的な嫌がらせ、レリギナル・ハラスメントを行い始めた。やむなくフランスはスペイン領内に滞在する フランス人に対して帰国命令を発布。丁度その頃はスペイン国内の情勢もかなり妖しくなっていたために、フランスは 海軍に船舶の護衛をさせるなどして慎重に対応していた。この際、スペイン領内の穏健なカトリック勢力がフランスへの 亡命を希望し、なし崩し的に保護する羽目になっていた。穏健派というか宗教的融和派なのだが。 しかし、その頃のフランスものんびりしているわけではなかった。 オーストリアやザクセン王国、スウェーデンはいまだにちょっかいをかけていたし、日本からも援軍を受けながら も国境沿いで防がねばならなかったためだ。この第4次対フランス同盟もまた、すぐに崩れる羽目になった。 フランスから見れば、一向に学習しないものだと半ばあきれてはいたのだが。 254 :弥次郎:2016/05/08(日) 23 12 22 そして、1810年についに武力による本格的な激突が発生した。それまでは精々小規模な小競り合いだったのだが、 より大規模な動員が行われたのだ。親フランス勢力と反フランス勢力はスペイン各地でぶつかり合い、連動するように 宗教や政治の拗れが一斉にぶつかり合ったのだ。史実の半島戦争よろしく、国内は未曽有の混乱に襲われていった。 合計で7つもの大規模戦闘が発生し、略奪は日常茶飯事となった。首都こそ何とか平穏そのものであったが、大都市でも カトリック教会への焼き討ちや暴動、王家への反発のデモ、ブルジョワ階級への襲撃、カトリック勢力による『異端審問』 『魔女狩り』(※3)、さらに政治的な意味での思想検閲などなどが発生した。ここで語るにはあまりにもスペースが足りない。 一つ言えるのは、イギリスがスペインに対して軍隊を派遣していたこともこの混乱を大きくした原因となったことだ。 史実においてもこのスペイン独立戦争にナポレオンに対抗するべく介入していた。この世界線においても、スペインと ポルトガルが対フランス同盟から離脱することを恐れた、いわば督戦に近い派遣であった。同時に、カトリック勢力が 必要以上に弱体化してスペインとポルトガルが国として傾くことを阻止する構えだった。 だが、当然のように介入を嫌うスペイン人もいるわけで、この世界においてはイギリス軍の方がゲリラ戦術に悩まされる 羽目になった。これの被害はフランス革命戦争において陸軍が疲弊したイギリスに追い打ちをかけることになった。 そして、この一連の激突はスペインと隣接するポルトガルにまで飛び火して国内の大きな疲弊を引き起こした。 文化財の喪失はもちろん、市井に存在していた美術品も多くが失われたし、地方においては貴重な畑などで現地調達が続いたことで 大きく荒廃する羽目になった。また、知識人・文化人の一部はフランスや国外への脱出を図ったために、国内の インテリジェンスは少なくはない影響を受けた。この影響は、元々小さくなっていたスペインの影響力を大きく減じさせる 遠因ともなり、一節には100年分の損失とさえ言われた。 この戦争の結末はイギリス軍が本格介入することで何とか決着を見た。 リベラル・自由・親仏派などが中南米へと離脱して独立運動をおこし、ラテンアメリカの独立戦争が史実以上に激しくなったが、 一応スペイン領内の親仏派閥はおとなしくなった。というか、どの勢力も継戦不可能とあきらめたことが停戦につながった。 なによりも、決着がつかないことにしびれを切らしたフランスが艦隊を派遣して威圧したというのも大きかった。 「大人しくしないならばすべての勢力を根切りにする」 そのメッセージの意味を理解しない勢力は、スペイン領内には存在しなかった。 1811年に発表された「ナポレオン恫喝」が終戦の決定打となり、スペイン内部の混乱はようやく終結したのだった。 この直後に何かを勘違いしたオーストリアがフランスに喧嘩を売って来るのだが、史実と異なり一蹴された。 というか、史実以上に痛い目に遭ったオーストリアはプレスブルクの和約で味わった屈辱を晴らすどころか、それの上塗りを しでかし、シェーンブルンの和約を結ばされる羽目になった。こうして、スペインへ集中してるフランスの横っ面を 叩くべく結成された第五次対フランス同盟はあっけなく崩壊。以後は散発的な抵抗がみられるばかりとなった。 255 :弥次郎:2016/05/08(日) 23 13 56 さて、うまくスペイン動乱を乗り切ったナポレオンであるが、国内はかなり盛り上がりを見せた。 元々アウステルリッツの戦いにおける勝利で神聖ローマ帝国に大きな痛手を与え、尚且つオーストリアにも軍事行動が 暫くできなくなるほどの大打撃を与えていたことで、彼の戦争指揮能力の高さは評価される一方であった。 事実、彼は爵位を授かり貴族に列されることがほぼ内定しており、政治の側からも軍略家としての手腕を期待されて、 恐らくは政治家として働くことになりそうであった。ナポレオンとしては後進の教育という問題もあるというのに、さらに 政治まで抱えることになるとは、と嘆いている。 「戦争を始めるのは簡単であるが、終わらせるのは大変だ。そして、私の仕事もまた、終わらせるのに苦労しそうだ」 「勲章や報奨金は大量に得たが、休みが得られない」 「食事の量をふやしても体重が増えない」 「薬品に頼った体調管理などやりたくはないのだが、どうやらそれをしないとならないようだ」 ナポレオンの手記には、こう嘆きがつづられている。 彼が制定にかかわった市民諸権利法典(※4)は、なぜかナポレオン法典とあだ名がつけられてしまうし、三帝会戦(※5) と呼ばれたアウステルリッツの戦いでの勝利を祝う凱旋門が建てられてしまうし、休暇をとるにしても迂闊に外に 出かけられなくなってしまった。迂闊に本人と分かれば、瞬く間にファンが詰めかけてくるのだ。人気が高すぎるというのも、 考えものである。結果として、彼が政治家として引退できたのは1820年を過ぎてからであり、長年の遠距離恋愛が実り 結婚したデジレ・クラリーとの落ち着いた生活ができるようになったのは、晩年に小笠原諸島の一角に別荘を買って 過ごすようになってからであった。この際に彼がデジレ・クラリーに記述させた「ナポレオン回想録」は、主にフランス から離れた日本で記述されたものが多い。とはいえ、彼の愚痴が大半を占めており、出版された物はだいぶ抜粋した 内容であったようだ。ここには、編集に関わったデジレ・クラリーの配慮が見て取れる(※6)。 後の時代に、日本のとある人物が彼の回想録を呼んで深く共感したのだが、それは割愛しよう。 ともあれ、この一連の戦争を以て欧州のメインプレイヤーがフランスとなったことは、誰の目にも明らかであった。 256 :弥次郎:2016/05/08(日) 23 14 38 ※1: フランスが狙ったのはスペインのしばらくの沈黙であると同時に、この後に続く一連の戦争における戦費の調達の面も あったようである。ある種の自転車操業でもあったが、政治的な観点からも賠償金が多く得られたことはフランスにとっても 大きなプラスとなっていた。 ※2: 肌の色や出身などはとやかく言わないが、フランス人であるならばフランス人としての義務を果たすべしという考え方。 イタリアの方に出自を持つナポレオンがフランス皇帝に仕える臣民としての考えを持っていたことを如実に表す考えである。 即ち、戦争そのものを目的とせず、かといって政治に言われるままに戦争を起こすのではない、あくまで国益・皇帝の 利益のために相互協力すべしとナポレオンは常日頃から述べていた。 ※3: 実際にはカトリックの名を借りたフランス系住人の一方的な処刑であったのが実態であった。 現地に残されていた資産が略奪を受けたため、スペインはフランスに対してかなりの補償金を支払わざるを得なくなった。 因みに、この補償金は戦争の賠償金とは別であった。 ※4 史実のナポレオン法典とほぼ同様な法令。ただし、皇帝と自然法に基づいて諸権利を保障していた。 肌の色などに関係なく諸権利(裁判を受ける権利、教育を受ける権利、選挙に参加する権利など)を改めて保証する 内容となっていた。 ※5: ナポレオン自身はこの三帝会戦という呼び名を嫌っている。彼自身は一軍人でしかなく、皇帝を名乗るのはあまりにも 不敬であるためと彼は度々愚痴を漏らしていた。 また、この戦いでの勝利をきっかけに凱旋門が作られてしまった。彼としては半ば事後報告だったため承認せざるを 得なかった。しかし、その後皇帝などに対して一兵卒への金一封を『強く』要請している。 ※6: 一般に公表されているのは、ナポレオンが自身の行った政策や軍事作戦について述べた部分のみであり、 それ以外の日常での発言や愚痴などは別な形でまとめられていた 257 :弥次郎:2016/05/08(日) 23 18 59 以上となります。wiki転載はご自由に。 ナポレオンが行ったのはフランス革命戦争時の報復戦ということで決着しました。 まあ、スペインに首を突っ込む羽目になったのは予想外でしたけど。 史実においても結構ナポレオンはうまく立ち回ってますね。 軍備一辺倒かと思いきや、うまく対仏同盟を崩すように戦争を仕掛けてます。まあ欲を出し過ぎて大陸封鎖令を やらかしたのは大きすぎる痛手だと考えていますけどね… 拙作世界のナポレオンはこうしてメインプレイヤーがフランスであると再認識させ、再度戦争を仕掛けてこないように 欧州各国を脅すことになりました。 しかし、史実でもオーストリアって結構節操無しなんですよね… 何度もやられているのに何度もフランスに突っかけるという無軌道ぶり。ロシア遠征をしなかったらマジで ナポレオンに蹂躙されていますよね…一体何を考えての事かは分かりませんけども。 さて、これで時代を飛ばしWW1あたりまで進められそうですな。 というか、早いとこアウストラリウス大公国とアカディア大公国についても書きたいです。 では続きをお待ちいただければ幸いだったり。
https://w.atwiki.jp/nicoap16tsubasa/pages/2278.html
パラメータ説明 OFE SHO DRI PAS DEF BLO TAC CUT オフェンス シュート ドリブル パス ディフェンス ブロック タックル パスカット POW SPD TEC STA CAT PUN 次LV 総合 パワー スピード テクニック スタミナ キャッチ パンチング 次LVに必要な経験値 総合力 ※LV部分等に 色がついてる場合は未確認データです。 大空 翼(12月限定)[スペインリーグセレクションA(バランス型)] 大空 翼(12月限定)[スペインリーグセレクションA(超バランス型)](超特化) 大空 翼(12月限定)[スペインリーグセレクションA)](レジェンド) コメント ◆オフェンス型◆バランス型◆ディフェンス型◆ 大空 翼(12月限定)[スペインリーグセレクションA(バランス型)] 参考(ドリーム)(直リンク回避につきh抜き) ttp //static.ntsubasa.klabgames.net/images/site/common/players/player_2904.pngttp //static.ytsubasa.klabgames.net/images/site/common/players/player_2904.png 異名 ? 台詞 ? グレード ポジション LV 総合 OFE SHO DRI PAS DEF BLO TAC CUT POW SPD TEC STA CAT PUN 次Lv 次Lv(+) ゴールド ? LV1 LV10 LV20 LV30 LV40 LV50 LV60 LV70 LV80 - ゴールド+ LV90 - - 必殺技 ? グレード ポジション LV 総合 OFE SHO DRI PAS DEF BLO TAC CUT POW SPD TEC STA CAT PUN 次Lv 次Lv(+) プラチナ MF LV1 LV10 LV20 LV30 LV40 LV50 LV60 LV70 LV80 LV90 LV100 171 187 185 189 187 161 161 158 166 165 180 187 136 86 86 - 357 プラチナ+ LV110 - - 必殺技 ? グレード ポジション LV 総合 OFE SHO DRI PAS DEF BLO TAC CUT POW SPD TEC STA CAT PUN 次Lv 次Lv(+) ドリーム ? LV1 LV10 LV20 LV30 LV40 LV50 LV60 LV70 LV80 LV90 LV100 207 - ドリーム+ LV110 - - 必殺技 ? 異名 ? 台詞 ? グレード ポジション LV 総合 OFE SHO DRI PAS DEF BLO TAC CUT POW SPD TEC STA CAT PUN 次Lv 次Lv(+) ハイドリーム MF LV1 LV10 LV20 LV30 LV40 LV50 LV60 LV70 LV80 LV90 LV100 - ハイドリーム+ LV110 241 263 260 266 264 227 227 221 234 232 253 263 192 122 122 - - 必殺技 フライングドライブシュート[Evo]()、ドライブシュート()、オーバーヘッド[Evo]()、低空オーバーヘッド[Evo]()、ウイングドリブル()、スルーパス()、新黄金コンビ()、スカイウイングシュート()、フェニックスドライブシュート()、スカイダイブシュート() 大空 翼(12月限定)[スペインリーグセレクションA(超バランス型)](超特化) 参考(ドリーム)(直リンク回避につきh抜き) ttp //static.ntsubasa.klabgames.net/images/site/common/players/player_2907.pngttp //static.ytsubasa.klabgames.net/images/site/common/players/player_2907.png 説明 超特化ドリームチャンスガチャ(11/30(土) - 12/09(月)18 59) 異名 ? 台詞 ? グレード ポジション LV 総合 OFE SHO DRI PAS DEF BLO TAC CUT POW SPD TEC STA CAT PUN 次Lv 次Lv(+) 超特化ドリーム ? LV1 LV10 LV20 LV30 LV40 LV50 LV60 LV70 LV80 LV90 LV100 - ドリーム+ LV110 - - 必殺技 ? 異名 ? 台詞 ? グレード ポジション LV 総合 OFE SHO DRI PAS DEF BLO TAC CUT POW SPD TEC STA CAT PUN 次Lv 次Lv(+) 超特化ハイドリーム MF LV1 LV10 LV20 LV30 LV40 LV50 LV60 LV70 LV80 LV90 LV100 248 270 268 273 271 234 233 228 241 238 261 271 198 124 124 - 509 ハイドリーム+ LV110 - - 必殺技 ? 大空 翼(12月限定)[スペインリーグセレクションA)](レジェンド) 参考(レジェンド)(直リンク回避につきh抜き) ttp //static.ntsubasa.klabgames.net/images/site/common/players/player_20052.pngttp //static.ytsubasa.klabgames.net/images/site/common/players/player_20052.png 説明 同種類のレジェンドカードで進化させることによってハイレジェンドカードに進化できる。 異名 ? 台詞 ? グレード ポジション LV 総合 OFE SHO DRI PAS DEF BLO TAC CUT POW SPD TEC STA CAT PUN 次Lv レジェンド ? LV1 LV10 LV20 LV30 LV40 LV50 LV60 LV70 LV80 LV90 LV100 238 260 225 - 必殺技 ? 異名 ? 台詞 ? グレード ポジション LV 総合 OFE SHO DRI PAS DEF BLO TAC CUT POW SPD TEC STA CAT PUN 次Lv ハイレジェンド ? LV1 LV10 LV20 LV30 LV40 LV50 LV60 LV70 LV80 LV90 LV100 - 必殺技 ? コメント 誤りの指摘、追加情報など、このページの内容に関するコメントのみお願いします。※未確認データをwiki編集する際はLV部分や該当項目に BGCOLOR(thistle) で色を付けて判別できるようにお願いします。 ↓能力を書きこむ際には下記テンプレの利用をお願いします。wikiに反映してくれる方の負担が減ります。 |?|LV1|||||||||||||||||| |ポジション|Lv|総合|OFE|SHO|DRI|PAS|DEF|BLO|TAC|CUT|POW|SPD|TEC|STA|CAT|PUN|次Lv|次Lv(+)| |FW|LV1|40|41|46|41|37|39|38|42|38|43|40|37|42|5|5|20||(記入例/通常) |FW|LV1|40|41|46|41|37|39|38|42|38|43|40|37|42|5|5||10|(記入例/プラス) P+ 大空 翼(12月限定)[スペインリーグセレクションA(バランス型)] |MF|LV100|171|187|185|189|187|161|161|158|166|165|180|187|136|86|86||357| -- (名無しさん) 2014-02-19 21 08 56 --ここまで入力 -- (名無しさん) 2014-04-26 21 35 18 名前 コメント すべてのコメントを見る
https://w.atwiki.jp/gods/pages/128874.html
ハインリヒラスペイッセイ(ハインリヒ・ラスペ1世) ドイツのテューリンゲン方伯の系譜に登場する人物。 関連: ルートヴィヒデアシュプリンガー (ルートヴィヒ・デア・シュプリンガー、父) アーデルハイトフォンシュターデ(2) (アーデルハイト・フォン・シュターデ、母) クニグンデフォンビルシュタイン (クニグンデ・フォン・ビルシュタイン、妻)
https://w.atwiki.jp/gramaticaespanola/pages/22.html
動詞構文編 - 第16課 分詞構文 1.文の形 分詞構文では、最も伝えたい内容などを表す主な文(=主節)と、それを修飾する文(=分詞節)をつなげるために、 ①両者の間に , (カンマ)を置き ②両文の主語が一致しているときには分詞節の主語を取り除き ③分詞節の動詞を、現在分詞か過去分詞に変える という作業を行います。 2.意味 A.分詞構文自体の意味 分詞構文にすることで、主節を次のうちのいずれかの意味で修飾することを表します。 ①時 主節の事柄が起こったのはどのような時かを説明します。 例) Paseando con un amigo, encontré una pastelería. 「友達と歩いているとき、ケーキを見つけた。」 ②理由 主節の事柄が起こったのはどういう理由でかを説明します。 例) Corriendo a toda velocidad, llegué a tiempo al banco. 「全速力で走ったので、銀行の時間に間に合った。」 ③条件 主節の事柄が起こるのはどういう条件でかを説明します。未来形や、接続法(後の課でくわしくは扱います)を用いることが多いです。 例) Estudiando duro, podrás aprobar las oposiciones. 「一生懸命勉強すれば、試験に合格できるでしょう。」 ④譲歩 主節の事柄が起こることと、反対の意味の事柄を分詞節で書き、「(分詞節) だけれども (主節)」の意味を表します。 例) Viviendo cerca de la Universidad, él llega tarde a la clase. 「彼は大学の近くに住んでいるけれど、授業に遅れる。」 ⑤継続 主節の事柄に続いて、分詞節の事柄が起こることを表します。付帯状況とも言います。 例) Ella entró en su habitación, cerrando la puerta con llave. 「彼女は部屋に入り、鍵を閉めた。」 3.分詞による意味の違い 現在分詞を用いた分詞構文を、現在分詞構文、過去分詞を用いた分詞構文を、過去分詞構文、といいます。 過去分詞構文では、現在分詞構文に過去や完了のニュアンスが加わります。 例) Pasado el puente, se puede ver una oficina de correos. 「橋を渡り終えると、郵便局が見える。」 例) Pasando el puente, se puede ver una oficina de correos. 「橋を渡っているとき、郵便局が見える。」 過去分詞構文にも、上記の5つの意味があります。
https://w.atwiki.jp/gramaticaespanola/pages/2.html
目次 ・代名詞編 ・時制編 ・動詞構文編 基礎データ サイト開設 2014年4月2日 最終更新 2014年4月8日 外部リンク ・wikipedia