約 3,896,977 件
https://w.atwiki.jp/sentai-kaijin/pages/5203.html
「ベスト…マッチ!」 【名前】 アークマギア(ガエルタイプ) 【読み方】 あーくまぎあ(がえるたいぷ) 【声】 馬場良馬 【登場作品】 仮面ライダーゼロワン 【登場話】 第23話「キミの知能に恋してる!」 【分類】 アークマギア 【能力タイプ】 ガエル 【対象ヒューマギア/職業】 縁結びマッチ/結婚コンサルタント 【特色/力】 両生類の絶滅種/爆弾 【モチーフ】 イブクロコモリガエル、カエル 【詳細】 結婚コンサルタント型ヒューマギアの縁結びマッチがアークによるプログラム改変の影響を受け暴走したアークマギア。 プログラム改変時にガエルマギアのデータが使われたため、その姿はかつて現れたガエルマギアと瓜二つであり、能力も同一のものを持っていると思われる。 ダイナマイティングライオンレイダーが引き起こした冤罪事件の被害者の一人、海老井千春が一目惚れした縁結びマッチ。 しかしマッチは彼女のプロポーズを断った上罵詈雑言を浴びせ激怒した千春から強烈なビンタを喰らいそれをきっかけに負のシンギュラリティに到達してアークマギア化した。 その直後乱入してきたストーミングペンギンレイダーともみ合いになった末、或人がメタルクラスタホッパーに変身。 その場に仮面ライダーサウザーも現れ混戦となるも、暴走状態のメタルクラスタホッパーの力は凄まじく、クラスターセルで分身を作り出し発動したメタルライジングインパクトを受けそうになったレイダーを守るかのように両手を広げて盾となり致命傷を受ける。 そして変身が解けたレイダーが二階堂輝男になると千春と彼の思いが通じ合い、それを見届けたアークマギアは上記のセリフを残し爆散。 爆発には千春と輝男を祝福するかのように花火がまじり、ハートマークが浮かび上がっていた。 その後縁結びマッチは第24話にて復元され再登場。海岸で行われた千春と輝男のプロポーズを見ていたらしく、 実は暴走したのは二人が良縁と判断し彼らをくっつけるためだったと明らかにした。 【余談】 スーツはガエルマギアからゼツメライザーを取り外したものが使われていると思われる。 劇中では数少ない「自分自身の意思で暴走したヒューマギア」である。 悪意があったわけではなく、良縁と判断した海老井千春と二階堂輝男を結びつけるためのもので、実際にアークマギア化した後も襲いかかる素振りはしたものの明確に攻撃は行っていない。
https://w.atwiki.jp/ukeoi/pages/14.html
請負メリット&デメリット 【メリット】 業務内容・目的等の事前打ち合わせをきっちりと行えば、当該業務に関する管理業務から解放される。 スタッフ個人の技能を雇い入れる派遣とは違い、アウトソーシングを仕組みとして取り入れる事が出来るので、正しく請負会社を選択すれば、長期的観点から知識や経験を組織 として蓄積し易い。 請負元の指揮命令系統を取り込む事により、第三者的なものの見方を導入する事が出来、社内イノベーションを起こす一つの方法として導入出来る。 クライアントはコアコンピタンスに自社経営資源を集中させながら、請負業務については最小限の管理(請負元との結果検証)で効率化を図れる。 【デメリット】 クライアントの現場ノウハウが内部に蓄積されない可能性がある。 同じ現場・職場内で、複数の指揮命令系統が出来てしまい、現場が混乱する可能性がある。 派遣とは違い、クライアントがスタッフ一人一人を取捨選択する事が出来ないので、スタッフの質が低下する可能性がある。 ■請負wikiの作成者プロフィール 池田雅之 NECで設備設計・製品開発・管理・製造部長等経験、その間ISO監査員・PEC山田先生指導のトヨタ生産方式インストラクタ等の資格を取得。 50代半ばで退職後人材派遣業界のコンサルタントとして請負化・業務改善・教育等の業務に従事し現在に至る。 【池田雅之ブログ:請負の品格】 showrss プラグインエラー RSSが見つからないか、接続エラーです。
https://w.atwiki.jp/sysd/pages/3084.html
オリジナル設計 本店:東京都新宿区新小川町1番1号 【商号履歴】 オリジナル設計株式会社(1988年1月~) 株式会社オリジナル設計事務所(1962年1月23日~1988年1月) 【株式上場履歴】 <東証2部>1998年9月30日~ <店頭>1996年7月4日~1998年9月29日(東証2部に上場) 【合併履歴】 1993年12月 日 株式会社情報資源管理センター 【沿革】 昭和37年1月 東京都千代田区神田猿楽町1丁目1番地に上下水道の計画及び設計・施工監理を主たる目的として㈱オリジナル設計事務所を設立 昭和38年3月 本社を東京都千代田区西神田に移転 昭和39年8月 建設コンサルタント登録規程により建設コンサルタント登録 昭和39年10月 新潟県新潟市に新潟事務所を設置 昭和43年1月 本社を東京都新宿区牛込岩戸町に移転 昭和43年2月 建築士法により一級建築士事務所登録 昭和43年6月 福岡県福岡市に九州事務所(現福岡事務所)を設置 昭和46年7月 大阪市南区に大阪事務所を設置 昭和48年4月 コンピュータ自動設計システム完成、運用開始 昭和48年12月 札幌市中央区に札幌事務所を設置 昭和49年11月 秋田県秋田市に秋田事務所を設置 昭和59年3月 管渠自動設計システム、洪水・浸水・湛水防止システム完成、運用開始 昭和59年8月 大韓民国ソウル特別市にソウル事務所を設置 昭和62年1月 コンピュータ部門を分離し㈱共同計算センターを設立 昭和63年1月 商号をオリジナル設計㈱に変更 昭和63年4月 横浜市中区に神奈川事務所を設置(平成15年2月横浜市西区に移転) 昭和63年6月 埼玉県浦和市(現さいたま市)に埼玉事務所を設置、千葉県千葉市に千葉事務所を設置 平成元年4月 栃木県宇都宮市に栃木事務所を設置 平成元年6月 都市施設情報管理システム(MONJU)を完成、運用開始 平成元年12月 測量法により測量業者登録 平成2年1月 石川県金沢市に石川事務所を設置、岡山県岡山市に岡山事務所を設置 平成2年4月 長野県松本市に長野事務所を設置 平成2年9月 静岡県静岡市に静岡事務所を設置 平成2年11月 岩手県盛岡市に岩手事務所を設置 平成3年4月 東京都新宿区に関東支社(現東京支社)を設置、大阪市中央区に関西支社(現関西支店)を設置、秋田県秋田市に東北支社(現東北支店)を設置、新潟県新潟市に北陸支社(現北陸支店)を設置、埼玉県浦和市(現さいたま市)に東関東支社(現関東支店)を設置、福岡市博多区に九州支社(現九州支店)を設置、茨城県水戸市に茨城事務所を設置 平成4年11月 ㈱共同計算センターの商号を㈱情報資源管理センターに変更 平成5年1月 名古屋市中区に愛知事務所を設置 平成5年12月 ㈱情報資源管理センターを吸収合併 平成6年7月 富山県富山市に富山事務所を設置 平成7年11月 本社・東京支社を東京都新宿区新小川町に移転 平成8年7月 日本証券業協会に株式を店頭登録 平成9年12月 栃木県宇都宮市に環境分析・研修センターを設置 平成10年3月 本社に技術部を設置 平成10年9月 東京証券取引所市場第二部に株式を上場 平成11年2月 香川県高松市に四国支社(現四国事務所)を設置 平成12年4月 青森市に青森事務所、仙台市に宮城事務所、広島市に広島事務所を設置 平成12年4月 子会社㈱オーイーシーシステムズ及びシーオーエヌエス㈱を設立 平成12年12月 本社、北日本支社東北支店、東京支社東関東支店(現関東支店)、東京支社(東京)、中部支社(現北陸支社)北陸支店、西日本支社関西支店、西日本支社九州支店ISO9001認証取得拡大 平成13年12月 本社、全支社ISO9001認証取得拡大 平成14年4月 組織変更により、北日本支社(仙台市)、東京支社(新宿区)、中部支社(現北陸支社・新潟市)、西日本支社(大阪市)、開発部(岡山市)の4支社1部体制となる 平成14年10月 子会社㈱オーイーシーシステムズ及びシーオーエヌエス㈱の商号を㈱カンザイ及び㈱ウルシに変更し、本店を秋田県秋田市及び栃木県宇都宮市に移転
https://w.atwiki.jp/consulting/pages/61.html
以下は学部卒での初任給。 賞与・手当は除く(分かっている範囲で記載)。 基本的には年収制となっている。 社名 初任給 その他の賞与・手当など McK 550万 院生570万。福利厚生なし、ボーナスなし。 BCG (500-550?) Bain 560万 DI 500万 BAH 500万 モニター 530万 マーサー 500万 TC 500万 ATカーニー 500万 CDI 500万 アクセンチュア(戦略) 495万 月3万の家賃補助。 ベルガー 500万 ADL 550万 KPMG BA 400万 カートサーモン (400-550?) Mars & Co (400-550?) PwC advisory 480万 院生500万。その他インセンティブあり。 AON Consulting 350万 WatsonWyatt (400-550?) 野村総研 月22.15万 院卒は25.15万。残業代・ボーナス年2回有。月6万の住宅補助。 三菱総研 月21.38万 修士23.89万、博士29.06万。残業代・ボーナス年2回有。 XEED (400-550?) 日本経営システム 500-600 DDN Consulting 600万 アクセンチュア(IT・業務) 430万 PJにより残業代有。月3万の住宅補助。 IBCS 420万 雇用形態が2種類あり、PC型の場合年俸460万。 ベリングポイント 420万 アビーム 380万 PJにより残業代有。 シグマクシス 450万 スカイライト 440万 フューチャー 470万 研修中は420万。貢献度により賞与あり。 船井総研 264万 日本能率協会 400万程度 新卒。賞与が業績によって3-6ヶ月/年のバラツキあり
https://w.atwiki.jp/sysd/pages/5304.html
長大 本店:東京都中央区日本橋蛎殻町一丁目20番4号 【商号履歴】 株式会社長大(1984年11月~) 株式会社長大橋設計センター(1968年11月22日~1984年11月) 【株式上場履歴】 <東証1部>2017年11月21日~ <東証2部>1996年6月25日~2017年11月20日(1部指定) <店頭>1994年4月21日~1996年6月24日(東証2部に上場) 【合併履歴】 1969年3月 日 株式会社三崎設計 【沿革】 当社は、昭和37年以来約6年間にわたって本州四国連絡架橋を想定して長大吊橋の研究を続けてきたグループの中核メンバーが母体となっております。このグループは、橋梁製作メーカー、造船メーカー等の若手技術者で構成され、既存のコンサルタント会社において長大橋設計室として活動していたものです。昭和43年2月、東京都千代田区岩本町二丁目6番10号において、前身である有限会社長大橋設計センタ(出資金4百万円)として設立されたのがその始まりであります。 昭和43年11月 会社設立。有限会社長大橋設計センタを株式会社長大橋設計センターへ組織変更。 昭和43年12月 本社を東京都中央区八丁堀へ移転。 昭和44年3月 株式会社三崎設計を吸収合併。 昭和44年4月 大阪市東区に大阪事務所(現大阪支社)を設置。 昭和45年10月 本州四国連絡橋公団より20年に及ぶ大プロジェクトの第1号を受注。 昭和46年10月 環境アセスメント分野へ進出。 昭和46年11月 本社を東京都中央区湊へ移転。 昭和48年4月 福岡市西区に福岡営業所(現福岡支社)を設置。 昭和48年6月 測量業者として建設大臣登録を受ける。 昭和50年1月 情報サービス分野への事業参入を行い、情報処理振興事業協会より受注。 昭和53年5月 下水道分野へ進出。 昭和55年5月 海外事業へ進出。コロンビア共和国ボゴダ~ベナベンツェラ間道路計画を受注。 昭和55年6月 一級建築士事務所として東京都知事登録を受ける。 昭和55年7月 計量証明事業者として神奈川県知事登録を受ける。(平成元年12月茨城県へ移設) 昭和55年10月 筑波研究学園都市(現茨城県つくば市)に筑波事務所(現東関東支店)を設置。 昭和56年4月 名古屋市中村区に名古屋営業所(現名古屋支社)を設置。 昭和57年2月 東名高速道におけるハイウェイラジオ放送システム(HAIR)の実験放送に成功、道路情報関係の事業を本格化。 昭和58年11月 札幌市中央区に札幌営業所(現札幌支社)を設置。 昭和59年11月 社名を株式会社長大橋設計センターから株式会社長大へ変更。 昭和60年2月 筑波研究学園都市(現茨城県つくば市)にE&Cセンター(現総合研究所)を設置。 昭和60年4月 広島市中区に広島連絡所(現広島支社)を設置。 昭和61年7月 地質調査業者として建設大臣登録を受ける。 昭和62年1月 香川県高松市に高松連絡所(現高松支社)を設置。 昭和63年4月 仙台市青葉区に仙台営業所(現仙台支社)を設置。 平成3年4月 補償コンサルタント業として建設大臣登録を受ける。 平成3年11月 神戸市中央区に神戸営業所(現神戸支店)を設置。 平成4年6月 東京都北区に本社分室(現東京支社)を設置。 平成5年5月 本社を東京都中央区日本橋蛎殻町へ移転。 平成6年4月 日本証券業協会に株式を店頭登録。 平成6年5月 韓国ソウル市にソウル連絡事務所(現ソウル支店)を設置。 平成8年4月 韓国道路公社よりソウル新国際空港連絡橋(永宗大橋)CM業務を受注し、本格的にCM業務へ進出。 平成8年6月 東京証券取引所市場第二部に株式を上場。 平成9年8月 東京支社において、ISO9001の認証を取得(平成15年8月全社拡大)。 平成10年11月 東京支社において、ISO14001の認証を取得(平成16年11月全社拡大)。 平成14年11月 子会社株式会社長大テックを設立。 平成15年1月 中国北京市に北京事務所を設置。 平成18年7月 ベトナム国ホーチミン市にベトナム事務所を設置。 平成19年1月 子会社株式会社長大構造技術センター及び順風路株式会社を設立。
https://w.atwiki.jp/wrtb/pages/996.html
サルタン 名前:Sultan of Agrabah デビュー:『アラジン』(1992年) 概要 砂漠の都アグラバーを治める穏やかな国王。娘である王女ジャスミンを溺愛し、彼女の結婚相手を探すことに苦労していた。 ジャスミンの恋した相手である貧民のアラジンがジャスミンと結婚できるように、王族が王族以外と結婚できない法律を撤廃する。 エピソード アラジン アグラバーの王サルタンは娘のジャスミンが結婚したがらないことに困り果てていた。王族は王族と結婚しなければならないのだが、ジャスミンは自由な結婚を望んでいた。今日も他国からアクメッド王子が訪れるが、ジャスミンのペットのラジャーにお尻を噛まれてしまう。 ある日、ジャスミンのもとへアリ・アバブア王子が現れ、サルタンは彼を歓迎する。しかし、ジャスミンは「自分の人生を勝手に変えないで」と怒ってしまう。王位に就きたい右大臣のジャファーはサルタンに催眠術をかけてジャスミンと結婚しようと企む。サルタンはジャスミンにジャファーとの結婚を薦めるが、そこへ現れたアリ王子のおかげで催眠は解け、ジャファーの企みを知る。その中でジャスミンはアリ王子との結婚を決意し、サルタンは喜ぶ。 魔法のランプ*を手に入れたジャファーはランプの魔人・ジーニーの力を借りて国王となり、世界一の魔法使いになる。ジャファーは、アリが本当はアラジンという貧しい青年で、ジャスミンには相応しくない男だと暴露する。嘘をついていたアラジンだが、ジャファーの攻撃に負けず、「世界一の魔法使いはジーニーで、おまえは世界で二番目だ」とジャファーを挑発する。ジャファーは挑発に乗り、ジーニーの最後の願いで「ジーニー」になる。ジーニーとなったジャファーはランプの主人に尽くさなくてはならないという掟があったため、魔法のランプに閉じ込められてしまう。 アラジンは「これ以上ジャスミンに嘘をつきたくない」と、最後の願いを王子になることではなく、ジーニーを自由にさせるために使う。サルタンも国王として「王女の結婚相手は王子でなければならない」という法律を撤廃する。2人は結ばれ、ジーニーは念願の世界旅行へと出るのだった。 アラジン ジャファーの逆襲 ジーニーが世界旅行から帰ってくると、サルタンは晩餐の席でアラジンに国務大臣を任せたいと話す。しかし、アラジンが命の恩人という理由でかつての敵・ジャファーの子分のイアーゴを匿っていたことが明らかになり、隠し事をしていたためアラジンはサルタンとジャスミンを失望させてしまう。 誤解が解けたジャスミンは「イアーゴや国務大臣の件について父とゆっくり話してほしい」と提言する。イアーゴの提案でアラジンはサルタンと滝の上でゆっくり過ごすことにする。しかし、サルタンは出先で復活したジャファーに誘拐されてしまい、ジャファーに脅されたイアーゴの裏切りによって、ジャスミン、ジーニー、アブー、魔法のじゅうたんも捕まってしまう。 ジャファーはアラジンを国王殺害の容疑で処刑するように仕向ける。処刑ギリギリのところでイアーゴはジーニーを救い出し、ジーニーのおかげでアラジンは救出される。イアーゴは「ジャファーを相手にするのはごめんだ。俺は借りを返した。」と言うと、アラジンたちに別れを告げてその場を立ち去る。 アグラバーを救うためにアラジンたちはジャファーのランプを破壊しようと戦いを挑む。ジャファーはランプに触らせないため、地割れを起こしてアラジンを溶岩に突き落とそうとする。絶体絶命のピンチにイアーゴが現れるが、ジャファーの攻撃で気を失ってしまう。勝ち誇るジャファーに対し、イアーゴは最後の力を振り絞ってランプを溶岩に突き落とし、ジャファーは消滅する。イアーゴは虫の息だったが、ランプの魔人には人を殺せないという掟があり、イアーゴは一命を取り留める。 アラジンはサルタンから国務大臣のオファーを受けていたが、世界中を冒険したいと言い出し、ジャスミンも一緒に行くと宣言する。こうして、TVシリーズ『アラジンの大冒険*』は幕を開ける。 アラジン完結編 盗賊王の伝説 アラジンとジャスミンの結婚式を控え、アグラバーは賑わっていた。宮殿での結婚式が始まると、式場は40人の盗賊の襲撃を受ける。宮殿にはたくさんの宝があるにも関わらず、盗賊王の狙いは何でも一つだけ質問に答えてくれるお告げの杖*であった。アラジンは父が盗賊の囚われの身であることを知り、アブー、イアーゴ、じゅうたんと盗賊の隠れ家へ向かう。 アラジンは盗賊に捕らわれていた父カシームを宮殿へ連れてジャスミンとサルタンに紹介する。しかしその晩、衛兵のラズールがカシームとイアーゴを逮捕する。実はカシームこそが盗賊王であり、サルタンはお告げの杖を盗もうとしていた彼らを仕方なく終身刑にする。その晩、アラジンが罪人であるカシームとイアーゴを逃がすという事件を起こしてしまう。ジャスミンの説得により、サルタンは父を想うアラジンの行動は大目に見ることに。 結婚式の準備を始めたアラジンの前にイアーゴが現れ、「サルークが盗賊を統率してカシームを裏切った」と助けを求めに来る。アラジンたちは無事にカシームを助け、宮殿に戻ると改めて結婚式が開かれる。サルタンは娘の結婚を改めて喜ぶ。 その他 『ワンス・アポン・ア・スタジオ 100年の思い出』では、最後の記念写真の場面のみに登場する。 ゲーム ディズニー ツイステッドワンダーランド 4章のユウの夢の中に登場。ジャファーに王座を奪われてしまう姿が映し出されていた。 野心家な側近を持つ朗らかな王という設定は、大富豪の跡取り息子カリム・アルアジームに似ている。カリムがグリムにクラッカーを食べさせようとするシーンは、サルタンがイアーゴにクラッカーを強要する場面を彷彿とさせる。 サルタンは下記エピソードに登場する。 EPISODE4 熱砂の策謀家4-13 苛烈マーチ! 4-28 敏腕アシスト! ディズニー スピードストーム 2023年9月28日に開始したシーズン4から登場した、「アラジン」のレーサーが装備できるレアリティ「レア」のクルー。名称は「サルタン」。 装備したレーサーの最高速度、ブーストと、スキル「ハック」の性能を向上させる。 登場作品 1990年代 1992年 アラジン 1994年 アラジンの大冒険* アラジン ジャファーの逆襲 1996年 アラジン完結編 盗賊王の伝説 2000年代 2000年 ★Aladdin in Nasira s Revenge 2001年 ハウス・オブ・マウス ミッキーとディズニーのなかまたち* ミッキーのマジカル・クリスマス 雪の日のゆかいなパーティー 2002年 ミッキーの悪いやつには負けないぞ! 2007年 DISNEY PRINCESS おとぎの国のプリンセス 夢を信じて* 2010年代 2016年 Disney クロッシーロード ※2016年9月追加 2019年 ディズニー マジックキングダムズ ※ver4.0.0:2019年5月追加 2020年代 2020年 ディズニー ツイステッドワンダーランド ※4章中編 2023年 ワンス・アポン・ア・スタジオ 100年の思い出 ディズニー スピードストーム(クルー) ※シーズン4(2023年9月) 声 ダグラス・シール(1992年) ヴァル・ベッティン(1994年~1996年) ジェフ・ベネット(2007年) あずさ欣平(1992年~1997年:『盗賊王の伝説』まで) 後藤哲夫(2007年:『おとぎの国のプリンセス*』)
https://w.atwiki.jp/ukeoi/pages/15.html
派遣メリット&デメリット 【メリット】 必要な特定技能(=スタッフ)を必要期間だけ取捨選択出来る。(但し、派遣スタッフの事前面接は法律により禁止されているので、ご注意願います) 派遣先が指揮命令出来るので、派遣契約期間においては、正社員雇用に近い感覚で雇い入れる事が可能である。 そもそも派遣先が指揮命令の責を負う為、複数の派遣会社を併用しても管理業務は追加発生しない。結果、選択肢の幅を持ち易い。 【デメリット】 派遣スタッフ一人一人に対して指揮命令を行って頂く必要があるので、正社員雇用と比較して管理コストの削減に繋がらない。 業務によって派遣期間の制限があるなど、法律上の各種制限を受けたり、スタッフごとの部分導入になる為、クライアントの現状に合わせ、戦略的トータル・アウトソーシング の設計が困難である。 指揮命令系統が派遣先にあるので、第三者的視点を取り入れた業務改革を起こしにくい。 ■請負wikiの作成者プロフィール 池田雅之 NECで設備設計・製品開発・管理・製造部長等経験、その間ISO監査員・PEC山田先生指導のトヨタ生産方式インストラクタ等の資格を取得。 50代半ばで退職後人材派遣業界のコンサルタントとして請負化・業務改善・教育等の業務に従事し現在に至る。 【池田雅之ブログ:請負の品格】 showrss プラグインエラー RSSが見つからないか、接続エラーです。
https://w.atwiki.jp/itjinzaizou/pages/289.html
合計: - 今日: - 昨日: - 氏名 所属 職種 社会人経験年数 阿部満 ブリッジ・リサーチ&コンサルティング合同会社 コンサルタント、ITコーディネータ、経営士 ・ 経歴/業務内容 富士ゼロックスIT関連企業にて、日本最大のネットワークセキュリティー業界のマーケティング関連に従事。個人及びパートナー支援で販売実績が認められ数々の賞を受賞。 京セラ関連IT企業にて経営企画部長、事業開発部長を経て、ITコンサルティング部長に従事。 現在は独立し、中小企業向けITコンサルティング専門企業ブリッジ・リサーチ コンサルティング合同会社代表社員として活動しており、ITコンサルティング、セミナー講師、執筆活動を行っている。 やりがい 営業相手の社長の右腕として経営に貢献できる情報システム担当者に意識や考え方を伝授し、良質なIT環境を構築すること。 仕事への姿勢/考え方 経営相手(主に中小企業)にIT戦略を取り組むためのコンサルティングの際には、社内の習慣を残しつつITを最大限活かすクラウド環境によるスクラッチ開発を薦めている。クラウドサービスを事業環境に取り込むことにより中小企業のビジネスは加速するという自論を持ち、部門間での意思疎通や課題の明確化がスムーズに行われること、生産管理のコスト削減に重きをおいている。 転機 私生活 今後の目標 様々な業務やIT上の課題を解決し、高度な経営戦略を実現するツールとシステムの開発。 参考URL: http //www.bridge-rac.com/company.html http //bridgerc.blog123.fc2.com/ http //mabebridge.blog.fc2.com/ 感想 彼の利他主義(クライアントの利益を最優先に考える)の精神に好感が持て、それを示すに十分な実績と能力を持っていることもクライアントの信頼を勝ち得る要素であるという感想を抱いた。彼に関する様々な記事やブログやプロフィールを拝見したが、内容や考え方にブレが一切なく、一貫した意思を貫く強さは是非とも見習いたいと思った。 関連記事 【登録タグ CONS コンサルタント 中小企業向け】 選択肢 投票 この人材像に憧れる (2) この人材像に共感する (3) この記事が役に立った (2) 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/itjinzaizou/pages/83.html
合計: - 今日: - 昨日: - 氏名 所属 職種 社会人経験年数 石山久美子 ジャパン・インターカルチュラル・コンサルティング 人事コンサルタント 8年半 経歴 一橋大学経済学部を卒業後、シャープ株式会社で商品企画などに4年半従事した後、渡英し、London School of Economics and Political Science (LSE) で国際人事マネジメントの修士号を取得。その後、ロンドンの英国企業で約2年、人事コンサルタントとして、20社以上の在英日系企業を顧客に持ち、英国の雇用法に順守した人事システムのアドバイスや、各社の英国での事業に最適で効率的な人事マネジメントのアドバイス、駐在員・社員トレーニングなどを行う。現在は、ジャパン・インターカルチュラル・コンサルティングで引き続き人事コンサルタントとして、人事アウトソーシング・サービス を行っている。 業務内容 JAPAN INTERCULTURAL CONSULTINGはアメリカのシカゴに本社があり、主に日本企業に向けた人事コンサルティングを行っている会社。イギリスで唯一の日本人として働いている。イギリスでは毎年四月と十月に法律が改正されるので、日々変わっていく法律や事例をキャッチアップして、クライアントである日本企業にアップデートしていく。また、産休のことや、よく休みがちな社員がいるだとか、業績の悪い社員がいるといったような人事に対する疑問や相談も受け付けている。また、各種人事制度のプロジェクトも行っており、特に業績評価は、社員のやる気を出し、生産性を上げるためにとても重要な部分となっている。 セミナー 異文化研修という社内オープンセミナーを依頼されて、企画することが多くあり、社員全員もしくは管理職の方だけ参加することもある。海外に進出している日本企業には、日本人でも駐在員や現地採用社員の方、また外国人が多数いるので、お互いの意識のずれを認識して、歩み寄れる形を作る為のセミナーである。同じ日本人でも駐在員としてイギリスに来ている人と現地に長いこと住んでいて現地採用で働いている人では考え方が異なるため、そのようなずれを認識できることができるのが、異文化研修である。また日本人上司と外国人社員の間には、日本人はリスクを取りたがらず、部下に細かい報告を求めるが、外国人は結果がすべてであるため、不信感が生まれる。そんな時に異文化研修を行うことで、お互いの国民気質を知ることが出来きるなどがこのセミナーの目的。 人事コンサルタントへ 新卒でシャープに入社して、営業を担当しており、営業の後は液晶テレビの商品企画の部署に在籍し、トータルで四年半働く。後半の商品企画では欧州とロシア市場の担当をしており、現地の販売会社と頻繁にやりとりを行う。大学生の頃からテーマは日本企業の強みをどうやって海外で生かしていくかということであり、その為に相手のことをよく知ることが大切だとその仕事を通してすごく痛感する。そこcd製造や販売も大切であるが、力を最大限に発揮する為には人事の力が必要なのだと思うようになり始める。入社当時には人事に興味が全くなかったのだが、会社で利益を生み出すのは人が何かをするからであり、人がモノを作って、他の人が売るため、全て人にかかっているのだと切に思うようになる。そのような考え方の変化が人事コンサルタントをするきっかけである。 ロンドンに渡った理由 シャープを辞めた後、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)のマスターコースに通う為に渡英。その後はイギリスの保険ブローカー会社で人事コンサルタントとして働き、現在の会社に昨年移籍。 休みの日の生活 最近はまっていることが、編み物や絵を描くことで、最近ミシンを購入したのでクッションカバーを最初に作りまだまだいろいろなものを作成したい様子。他には友達とご飯を食べに行ったり、LSE時代の友人とはよく会う。旅行が好き。 一言 「日本企業だけれども海外に進出しており、働いている人の人種も境遇も様々なロンドンでは、日本とは違った人事に関する問題が発生します。日本企業が抱える問題は似ているケースもあり、経験豊かな弊社にご相談いただけたら解決できることもたくさんあると思います。人事に関することで相談や質問などお気軽にお問い合わせ下さい。また異文化研修に興味がある方もぜひご連絡お待ちしております。 」 参考URL http //www.japanupdate.co.uk/?option=com_content view=article id=259 a8215up catid=44 2010-03-21-14-16-09 Itemid=50 http //www.japanintercultural.com/ja/about/Europe_KumikoIshiyama.aspx http //www.japanupdate.co.uk/index.php?option=com_content view=article id=259 a8215up catid=44 2010-03-21-14-16-09 Itemid=50 感想① この方は日本国内だけでなく、日本で学んだことを海外でのコンサルタントに活かしているという点から、例え直接的には関係していないと思われるような経験でも後々役に立ってくるのではないかとい思った。シャープという大企業に入ったのにそこからイギリスに渡って一からはじめようとする勇気は本当にすごいと思う。そして仕事をしていくうちに大事なものに気づいていったことに対して、自分も今から自分が何をしたいか、自分にとって大事にしていきたいものはなにかなどを意識しながら生きていきたい。 感想② 文字ではすごく簡単に書かれているけれど、実際自分がしようと思ったらたくさんの困難に立ち会っていたと思います。日本の会社に就職して、渡米し自分のすべきことやしたいことがわかって修士号まで取得して、その力を生かして現地の企業に就職しているのはすごいと思いました。さらにイギリスに唯一の日本人で生きてきた環境も文化も違う人たちのコンサルタントはすごく難しいと思います。そのなかでライアントである日本に対し仕事をして、石山さんの経験と知識と技術がフルに活用されていると思います。 石山さんの人材像wikiをみて、自分はなにがしたいのか今まだいまいちわかっていないのでわかって動き出すときいい一歩目を踏み出すための知識と技術を身につけて生きたいと思いました。 感想③ 日本でコンサルトについて学んだことを海外で生かしている。大企業であるシャープを数年で辞めるという決断は、やりたいこと、目標がきちんと定まっていないとできないことだと思う。大学生の頃からのテーマがあったということが、そういった行動をおこせるのかなと思った。私も学生のうちから目標を見つけ、その目標達成に向けて努力できるようにしたい。 感想④ 彼女の業務内容に、業績の悪い社員に人事にあす対する疑問や相談をし、社員のやる気を出し、生産性を高めると載っている。それが、日本ではなくイギリスでの話であることに驚いた。外国で日本の細かい配慮、優しさなどを発揮し異文化と触れ合っている。結果を重視する外国の環境の中でこのような研究をしているのは、とても素晴らしいことであると思う。自分も、韓国の良い点、日本の良い点を身につけて行き、異文化を知ることが肝心であることを実感した。 感想⑤ 大手企業をやめるほど、明確に自分のやりたいことがあることがすごいと思う。海外にわたって一から自分で作ろうとする姿勢もすごいと思う。私も学生のうちに自分の目標を見つけ、達成するため行動していきたい。 関連スキル 22.企業活動 【登録タグ 6~10年 CONS LES シャープ セミナー ロンドン 人事 文系 留学 JAPAN INTERCULTURAL CONSULTING】 選択肢 投票 この人材像に憧れる (7) この人材像に共感する (1) この記事が役に立った (1) キャリアの流れに海外での活動を行っているプロフェッショナルは非常に多くなってきているように思う。海外に視野を向けた活動が今後の日本では当たり前になってくると思われる。こういったキャリア設計を行うのも一つの考え方だと感じた。 -- 名無しさん (2011-01-21 14 59 32) 海外進出したときの考え方の違いについて理解するためのセミナーの開催は、他の会社でも役に立つのではないかと思った。やみくもに進出するだけでなく、互いに理解するためのスキルが必要だと思った。 -- 名無しさん (2011-01-21 15 21 11) 「日本企業の強みをどうやって海外で生かしていくかということであり、その為に相手のことをよく知ることが大切だとその仕事を通してすごく痛感する。 -- 名無しさん (2011-01-21 15 23 39) 日本企業の強みをどうやって海外で生かしていくかということであり、その為に相手のことをよく知ることが大切だとその仕事を通してすごく痛感する。など女性なのに日本の企業のことを深く考えていてすごいと感じた -- 名無しさん (2011-01-21 15 25 54) イギリスの企業でたったひとりの日本人というのも驚いたが、変化する法律や事例に目を向けているだけでなく、人事プロジェクトの立ち上げも行っているということに驚いた。旅行が好きなのも、外国を知ることができるからだろうか。 -- 匿希 (2011-01-21 15 40 55) 異文化研修というものの存在を初めて知った。同じ日本人でも経歴によって考え方は人それぞれで、国籍が違えばその差はかなり大きなものになると思うのでこの異文化研修の重要性がよくわかった。 -- 名無しさん (2011-01-21 15 43 15) 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/business-ethics/pages/102.html
2009/8/23 コメント(30) リーマンショックに端を発する不況の大波は日本の製造業を直撃し、多数の「派遣切り」を生んだ。正社員と非正社員の間に横たわる圧倒的な格差。この矛盾を改善するため、派遣という雇用形態を再び禁止しようという動きが進んでいる。だが、人事コンサルタントの城繁幸さん(35歳)は「派遣禁止は失業者を増やすだけで、根本的な解決策にはならない」と強く批判する。 派遣禁止は失業者を増やすだけ ――各党のマニフェストを採点したそうですね。 城 労働・雇用分野について採点しましたが、あまりにも点が低い。どの政党も100点満点の20点以下。みんな赤点です(笑)。僕の採点で一番高いのは自民党ですが、雇用に関して何もしないからにすぎません。他の政党はかえって失業者を増やすような政策を出しているので、減点されています。 ――減点対象となっている政策とはなんですか? 城 一番は派遣禁止ですね。社民や共産はもともとそういう主張でしたし、民主党も社民と協力関係にあるから、派遣禁止という方向で動いている。でも、派遣禁止という形で後戻りすることは、失業者を増やすだけです。 ――なぜ、そうなるのでしょうか? 城 日本国全体で考えてみれば、法律がいかなるものであったとしても、労働者全体が受け取れる収入の「総額」は変わらないわけです。限られた原資のなかでたくさん人を雇おうとしても、解雇規制が強い正社員としては雇うのに限界がある。そこで、90年代後半に派遣法が改正されて、より柔軟な雇用ができるようになった。 それまでだったら雇えなかったような職にも派遣社員として雇えるようになったわけです。小泉政権の誕生前後で失業率が1%ぐらい改善していますが、それは、派遣法改正でより多くの人を国内で雇えるようになったからです。 正社員時給1000円、派遣社員2000円ぐらいでいい ――派遣を禁止すれば、また元に戻ってしまうと? 城 法改正以前の正社員中心の制度に戻したとしても、人件費の総額が増えるわけではないのだから、また昔の失業率に戻るだけです。さらに言うと、2000年前後からメーカー中心に日本へ戻ってきている仕事があるんですが、それがまた中国やベトナムあたりに出て行ってしまう。長期的にみて、本当によいことなのか。 実は韓国がまったく同じ轍(てつ)を踏んでいます。ノ・ムヒョン政権が「2年以上、非正規雇用を雇用したら正社員にしなければならない」という法律を作ったら、リミット直前での解雇が続出している。100万人がクビを切られるという試算もあり、日本なら、その倍の200万人が失業する可能性があるわけです。それでいいんですか、ということですね。 ――派遣禁止は雇用問題の解決にならないということですが、では、どうすればいいのでしょうか。 城 要するに、正社員も全部ふくめたうえで、「人材の流動化」をしましょうということです。いわゆる「労働ビッグバン」の実行です。小泉改革では、派遣法の改正によって派遣社員という非正規雇用の枠を拡大した。本当は、同時に正社員の賃下げ・クビ切りも認めなければいけなかったんですが、そこまではできなかった。 労働ビッグバンというのは小泉政権で少し掲げられていましたが、連合や野党の反対もあって、その後まったく言われなくなってしまった。結果として、正社員は従来どおり安定したまま。逆に、すべてのコストカットや雇用リスクは非正規側に押し付けられている。これでは、ダブルスタンダードですよね。 ――リーマンショック以来の「派遣切り」はその象徴といえますね。 城 考えてみれば、非常に不思議な話です。本来だったら、安定していてリスクのない正社員のほうが賃金は安くすべきなんですよ。たとえば、正社員が時給1000円なのに対して、派遣社員は時給2000円ぐらいでいい。それが給料は安いうえに、クビも切られてしまうんですからね。 こんな不合理な事態が起きるのは、単純に規制による不合理な歪みのため。いまこそ、すみやかに労働ビッグバンを進めるべきです。「不況だからダメだ」という人がいますけど、逆です。不況のいまこそやるべきですね。 雇用規制緩和で大手は派遣を直接雇用に切り替える ――なぜ「不況のいまこそ」なのでしょうか? 城 さきほども話したように企業が人件費として払える総額は変わらないので、正社員のリストラや賃下げを禁止しても、そのしわ寄せが非正規や下請けに行くだけです。確かに大企業の正社員は守られるかもしれませんが、それ以外の企業や労働者は守られない。さらに、新規採用が抑制されるので、就職氷河期世代がまた生まれることになる。逆に、いま人材の流動化を実施すれば、「これから社会に出る人」に対するメリットが大きいはずです。 ――それは、どういうことですか? 城 実はいまでもすでに、外資系のコンサルタント会社などは「人材の流動化」が実現しているんですが、そういうところは、日系の大企業だったら絶対採用しないような人、たとえば4回留年している人とか、2年前に卒業したけど職歴がないという人を平気でとるんですよ。もし問題があれば、あとで賃下げしたり、クビ切りしたりできるからです。 報酬も日系企業みたいに全員がエスカレーター式に上がっていくことはないので、能力がない人はいつまでも底のまま。だから、採用時にリスクがおかせるわけです。終身雇用の責務から解放してあげれば、日本の企業も同じことをやるはずです。 ――労働ビッグバンにより、企業の採用の幅が広がると? 城 そういうことです。雇用規制が緩和されれば、企業は30代のフリーターや派遣社員に対してもオファーを出しますよ。たとえば、大手メーカーはラインで使っている派遣社員を直接雇用に切り替えるでしょうね。派遣会社にお金を払うメリットがないですから。理論上は、派遣社員だった人の収入も3割ぐらい上がるはずです。 ――人材の動きが硬直化すると、必要なところに適切な人材が配置されないわけですから、日本経済全体にとってもよくないですよね? 城 そうですよね。新しい価値観やイノベーションを生むようなダイナミズムというのは、新陳代謝をおこなっていないと、絶対に出てこないですよ。その意味でも、全部ひっくるめてゼロ・リセットしましょう、ということです。 ※インタビュー第8回は、ドットジェイピー関東支部代表の大久保勇輝さんの予定です。 城 繁幸さん プロフィール じょう しげゆき 1973年、山口県生まれ。東京大学法学部卒業後、富士通入社。人事部などを経て、2004年に人事コンサルタントとして独立。評論家としても活動し、雇用問題について若者の視点を取り入れたユニークな意見を発信している。著書に『若者はなぜ3年で辞めるのか?』『たった1%の賃下げが99%を幸せにする』など。 ソース:J-CASTニュース http //www.j-cast.com/2009/08/23047986.html 【コメント欄】 名前 コメント