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トウタク 列伝 事実上、後漢を滅ぼし、群雄割拠の時代を招いた梟雄。 【演義】 黄巾討伐では戦果なく、十常侍に賄賂を贈って地位を保つ。涼州で軍勢を整え、何進が宦官を一掃するために諸侯を召集した際に上洛。何進暗殺、十常侍壊滅の混乱の中で少帝を保護。最強の豪傑・呂布を従え、少帝を廃立するなど権勢を欲しいままにする。袁紹、曹操ら連合軍に攻められると、長安への遷都を強行。王允の連環の計で貂蝉を巡って呂布と対立し、呂布に討たれた。 【正史】 怪力を誇り、騎射に長けた。黄巾の乱後、西羌族の反乱鎮圧で活躍し、徐々に中央の統制に従わなくなる。 能力値 統率 武力 知力 政治 魅力 総合 軍事能力 統+武 統+武+知 素質 74 87 69 19 37 286 161 230 順位 143 32 260 626 584 355 58 53 偏差値 57.5 62.9 55.0 33.0 38.2 49.8 60.8 62.4 成長期 普通 普通 普通 普通 普通 - - - 能力持続 短い 短い 短い 短い 短い - - - 兵種 槍兵 戟兵 弩兵 騎兵 兵器 水軍 適性 C C A A C C 部隊 攻撃 防御 攻撃 防御 攻撃 防御 攻撃 防御 攻撃 防御 攻撃 防御 値 64 54 61 60 74 67 90 67 61 44 61 49 順位 151 267 139 257 18 92 35 80 107 242 87 208 偏差値 57.7 52.8 57.7 53.2 67.0 60.8 65.3 60.7 59.5 53.7 59.8 54.3 部隊攻撃力/防御力は技巧研究を全て終えた時点での値。兵器は木獣、水軍は闘艦。 特技 徴税 所属都市の金収入が十日毎に。一回は五割 マスクデータ 相性 出身地 起用 戦略傾向 地元執着 義理 野望 漢室 生年 登場 没年 死因 性格 音声 口調 1 涼州 能力 中華統一 無頓着 1/5 5/5 2/3 139 184 192(54歳) 不自然死 剛胆 剛胆 尊大 舌戦 得意話題 保有話術 大喝 詭弁 無視 鎮静 逆上 時節 ○ ○ 親愛・嫌悪 状態 武将名 董卓 親愛 貂蝉、李儒 李儒 嫌悪 なし 袁紹、関羽、曹操、孫堅、張飛、丁原、盧植 血縁 世代 ● 1 董卓 董旻 2 牛輔 イベント イベント名 内容 少帝廃立 後漢皇帝が献帝になる 長安遷都 洛陽が空白地になる。プレイヤー君主が董卓の場合は選択可 連環の計 董卓が死亡。呂布勢力誕生 シナリオ シナリオ 年齢 身分 所在 勢力 忠誠 爵位・官職 功績値 配偶者 義兄弟 S1 184年 1月 黄巾の乱 46歳 君主 天水 董卓 - - 16000 - - S2 190年 1月 反董卓連合 52歳 君主 洛陽 董卓 - - 26000 - - S3 194年 6月 群雄割拠 - 死亡 - - - - - - - S4 200年 1月 官渡の戦い - 死亡 - - - - - - - S5 207年 9月 三顧の礼 - 死亡 - - - - - - - S6 211年 7月 劉備入蜀 - 死亡 - - - - - - - S7 225年 7月 南蛮征伐 - 死亡 - - - - - - - S8 251年 1月 英雄集結 - 君主 安定 董卓 - - 10000 - - S9 198年 1月 呂布討伐戦 - 死亡 - - - - - - - S10 203年 1月 袁家の戦い - 死亡 - - - - - - - S11 217年 7月 漢中争奪戦 - 死亡 - - - - - - - S12 187年 4月 何進包囲網 49歳 君主 天水 董卓 - - 17000 - - S13 191年 7月 序を制する者 53歳 君主 長安 董卓 - - 28000 - - S14 251年1月 女の戦い 未発見 長安 - - - 0 - - 固有台詞 巡察時「治安などどうでもよい 面倒くさいのう……」 後継者になった時「今日よりこの董卓が 新たに軍を率いる! 者ども、異存はあるまいな!」 処断時「お前ごときに! お前ごときに我が野望を 止められるとはな!」 なんつっても特技が素晴らしいので、見つけたら是非配下に迎えたい。適正Sがないのが惜しいが、弩はAだし武力自体は充分一級品。 低義理といい武力に尖ったステータスといい、高統率・低武力の軍師タイプの義兄弟にはうってつけの存在。英雄集結系では候補に困らないだろう。特技を考えれば、技巧ポイント分の価値は確実にある。 ただし野望もがっつり高いので、本人を太守にしないように気をつけよう。 -- (名無しさん) 2014-08-28 00 19 14 ギイン⇒議員⇒議院⇒ギインチョウ⇒議員長⇒議院長 とご苦労様でした。あとは25ズ65ズ100ズと(かんじちょう)グループに わかれてください。 -- (内田 雄久) 2014-10-08 14 06 27 略奪が無いのがザンネンです。 -- (名無しさん) 2014-11-08 20 58 05 騎射出来る時点で騎兵Sで良いと思うんだがな しかも両方どちらでもだろ? 弓はまぁAでもしょうがないかSでもいいと思うが -- (名無しさん) 2015-01-04 04 23 24 高順や太史慈の弩兵適正をCにするような公設定にそんなことを言っても無駄さ。 -- (名無しさん) 2015-01-04 06 43 51 史実では敵対勢力に連合軍に組まれたものの、結局孫堅くらいしかまともに破ることができなかった豪の者だが 例によって特技以外は二流三流武官程度のスペックしかない。 そのため、扱いはプレイヤーかCOMかで大きく変わるだろう。 プレイヤー勢力で行くなら、特技徴税はかなり使えるが、それ以外は正直微妙なので 曹操勢力をあっさり滅ぼしたら、連環の計を起こして呂布に当主を継がせるのもよい。 この時対抗馬となりうる李傕らは追放しておくのを忘れずに。曹操勢力を滅ぼしていれば、李儒の損失もさほど痛くない。 「呂布を君主にして暴れさせるための土台」と考えれば、これほど最適な能力はないだろう -- (名無しさん) 2015-01-26 07 51 02 能力少し低すぎるような。腕力絶倫で史実では李儒いないから謀略の数々は自分で考え出したんでしょ? 連合軍とやりあったことを考えると知力、統率、武力は90台はいけると思う。 この能力ではちょっと、ねえ。 -- (名無しさん) 2016-03-10 12 49 51 蒼天航路基準なら武力も統率も90後半いけそうだな知略も80あるか? -- (名無しさん) 2016-03-10 13 50 56 三国志13ではそんな感じの能力 -- (名無しさん) 2016-03-10 19 40 56 なんか、、董卓の見殺しに劉備の逃避行を掛け合いに出してるやつがいるが 間違っているよな 董卓がやったのは遷都、つまり領民を新都まで護送する役割があった。 一方、劉備の場合、民衆が勝手についてきただけで守ってやる必要はない 解ったか低能 -- (名無しさん) 2016-03-27 02 33 17 この人英雄集結で家臣にしたが、義理野心に気をつけたら戦闘も特技も結構使えるね。 -- (名無しさん) 2016-09-15 13 49 42 ↑だが君主として見るといまいち…魅力低いわ相性が遠い武将が多いわで、褒美と行動力の消費が激しい。 涼州勢に足りない政治力・弩適性と指導を持つ盧植先生に嫌悪されているのも地味に痛い。 -- (名無しさん) 2016-10-14 16 34 56 彼が作らせた悪弊は、後々まで曹操軍を経済的に悩ませることになる。少帝を退位させ、後に誅し奉ったが、以外にも漢室無視ではない。貂蝉に親愛を向けているが完全な片想い。 魅力も政治も君主としては足りないが、特技の徴税は都市の収入を結構増やしてくれるのでありがたい。 反董卓連合軍シナリオにおいては彼の勢力は強大で厄介だが、董卓さえ除けば跡を継ぐのは高確率で董旻なので、一気に弱体化する。どうしても董卓が欲しい方以外は捕まえたら斬首しても、有能な将が綺羅星の如くいる連合軍シナリオ故に特に問題は無い。むしろ攻略が楽になるかもしれない。 -- (名無しさん) 2016-10-22 01 05 12 特技はマジで助かる。 -- (名無しさん) 2016-11-04 19 53 10 呂布、華雄、徐栄、張粛辺りの武闘派と、李儒、荀攸、賈詡などの知性派が揃っているので、結構勢力的に強く、本人も強い。 跡継ぎが心許ないが、何とでもなる。 金があまり始める5都市目くらいで書き換えても良い。 猛者や長駆でもいいが董卓プレイならぜひ覇王を。気分的に。 -- (名無しさん) 2017-01-30 22 30 30 史実シナリオの場合は、敵は寿命と跡継ぎにある。 -- (名無しさん) 2017-04-06 18 04 44 蒼天航路という演義とは別方向で正史からズレた漫画によって近年やたらと過大評価されている人物。 実際には華々しい戦績とは程遠く、彼自身が指揮をして勝利したのは下っ端時代の胡の討伐と反董卓連合軍との戦いくらいで 黄巾軍との戦いでは連戦連敗をして解任され、他者の指揮下で戦った際も時に勝ったり時に負けたりと、勝率が高い訳でも優れた献策をした訳でも無い。 そして反董卓連合軍に董卓が優勢でいられたのは彼が強兵である涼州兵を従えて、朝廷の命令に従わず早くから軍閥化しつつあったからであって、同じように軍閥化しつつあった孫堅には勝てておらず 董卓の個人能力が高かったから董卓軍が強かった訳では無い。従って董卓軍の強さを再現するなら騎兵や練兵の技巧を編集するのが最適な方法だろうと思う。 袁紹や曹操はこの頃はまだ彼らほどならず者ではなかったので新しい任地で兵を集めるところから開始しており地力や軍の精強さ自体に差があった。 董卓個人を編集するなら統率+10、政治+50、魅力+20、騎兵Sくらいだろう。上に書かれた能力や知力、統率、武力は90台なんてのは別世界(蒼天航路)の董卓でしかありえない。 -- (名無しさん) 2017-06-01 01 07 43 長い、三行で頼む。 -- (名無しさん) 2017-06-01 02 02 03 そもそも馬雲騄や花鬘が登場するゲームで何を今更 まあ蒼天航路の董卓はチンギス・ハーンのオマージュなんだろうけど テムジンのオマージュである蒼天董卓なら武力も統率も100でいいな -- (名無しさん) 2017-06-01 05 53 47 兵器生産や技巧研究は張り切ってやるのに巡察だけはめんどくさがる変な男。 どう考えても前者の方が大変だろうに… -- (名無しさん) 2017-06-01 22 40 26 何故か劉備から嫌悪されてないので、彼さえ手に入れてしまえば関羽と張飛ももれなく付いてくる。 -- (名無しさん) 2017-08-16 22 40 31 後継者は賈詡がオススメ。マスクデータ的にも曹操系家臣と相性が近く、 本人も223年まで生きてくれる。手放さないようにしっかりキープしておこう 連環阻止は王允追放で回避できる。曹操系家臣を許昌で集めればおつりがくる -- (名無しさん) 2017-08-26 03 28 33 貂蝉との親愛が完全に片想いなのが悲しい。 -- (名無しさん) 2017-10-05 22 33 21 彼がいるだけで収入が増す。腹立つ男だが、ロウソク腹に突き立てる前に使いどころがあるかどうかじっくり考えよう。 私は毎回斬ってる。 -- (名無しさん) 2018-03-07 22 57 10 斬るのはもったいない。中盤以降ならいいけど、初期なら武官、税収でかなり役に立つ。 義理や野心にさえ気をつけたら使える。 -- (名無しさん) 2018-03-09 12 57 14 連環の計はプレイヤー勢力が董卓じゃなくてもはっせいしますか -- (名無しさん) 2020-08-23 08 05 03 三国志11何度かプレイしてますがNPC董卓で連環の計が起きたのは見た事ありません -- (名無しさん) 2020-09-03 15 57 23 イベントページで確認できますが、 イベント条件に「プレイヤー君主が董卓で(以下、董卓勢力)後漢皇帝を擁立」 とあります。 -- (名無しさん) 2020-09-26 22 27 23 嫌悪がやたら多いが当の本人は眼中にないのか特にこちらからの嫌悪はなく大物感が漂う設定になっている -- (名無しさん) 2020-12-22 10 39 33 強い -- (名無しさん) 2021-09-25 19 31 33 名前 コメント すべてのコメントを見る
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登録日:2024/01/26 Fri 12 30 00 更新日:2024/03/20 Wed 19 26 25NEW! 所要時間:約 25 分で読めます ▽タグ一覧 ザクⅠ プロヴィデンスガンダム 三国志 三国志を代表する暴君 三国演義 中国史 何故かなかなか立たなかった項目 動けるデブ 呂布 外道 太師 尚父 暴君 梟雄 残忍 涼州 羌族 群雄 董卓 蝋燭 貂蝉 遷都 董卓(とうたく)とは、いわゆる「三国志」の人物。 字は仲穎。 後漢末期の朝廷を牛耳り、その暴政によって後漢朝廷の権威を破壊し尽くし、群雄割拠の幕を開けたことで知られる。 【生涯】◆前歴・西方の名将 ◆黄巾の乱 ◆中央への進出 ◆帝都専横 ◆反董卓連合 ◆長安での暴虐 ◆最期 ◆天下定まらず 【人物】 【三国演義】 【各作品】 【余談】 【生涯】 ◆前歴・西方の名将 出生は涼州は隴西郡の臨洮県。 西方も西方なため、漢族と異民族(おそらく羌族)の混血と思われる。 生年は不明だが、 192年時点で母親が九十代だった(100年頃の生まれ?) 董卓本人は次男 息子の一人が171年生まれだった 孫娘が190年時点で14歳ぐらい(176年頃の生まれ?)その孫娘の父親は156年頃の生まれ? と言うことから、ざっと西暦120~130年頃と想像できる(*1)。 生まれついての怪力の持ち主で、さらに武芸にも励んだため、非常に強かった。 特に馬上の弓術に長けており、右手でも左手でも同様に引けた、つまり両利きになるよう鍛えた。 若いころにはよく羌族の居留地へと遊びに行き、羌族の豪傑たちとも親交を結んだ。馬術や弓術に長けていたことも、彼らから一目置かれる要因となっただろう。 董家自身は土地持ちの豪族であり、農耕にも励んでいたのだが、羌族の代表が訪れると、農耕に必要な牛を必ず屠殺してもてなしたため、彼らからは非常に慕われた。 おかげで董卓は、羌族にも顔が利き、頻発していたトラブルを解決できるということで、漢族における顔役になっていった。 そうなると周囲も放っておかず、隴西郡太守や涼州刺史、并州刺史といった地方官にも目を掛けてもらい、騎兵隊を預けられて、このころ頻発していた紛争の鎮圧に活躍した。 ある任務では略奪激しい胡人の一団を討伐し、数千もの胡人を討ち取った。 その活躍は後漢朝廷にも聞こえ、桓帝末年から朝廷にも抜擢される。 167年には護匈奴中郎将・張奐の配下で軍司馬となり、漢陽の羌族を討伐。 董卓は武術のみならず作戦立案能力でも優れたところを見せ、彼の補佐を得た張奐軍は一万以上の羌族を捕殺し、さらにその族長をも討ち取って、以後羌族は董卓の存在を恐れ、反乱を起こさなくなった。 大戦果を挙げた董卓は張奐からも讃えられ、郎中に昇進して上質の絹を九千匹も下賜されたが、董卓はそれら褒賞を全て部下に分け与えたため、部下からも強く慕われた。 以後は各地の地方官を歴任。 県令・郡都尉・西域校尉などを務め、一時免官となったがやがて復帰し、并州刺史や河東郡太守などにもなった。 いずれも異民族との最前線で、董卓は常に戦功をあげたという。 ◆黄巾の乱 184年には「黄巾の乱」が勃発。 董卓は後漢朝廷から中郎将に任命されて黄巾賊討伐を命じられるが、山岳地帯での異民族との経験は、平地での漢族への戦いには活かせなかったようで、失敗して免官されてしまう。 しかし翌185年には、今度は涼州で、韓遂・辺章が羌族も引き込んだ大規模な反乱を起こす。 後漢朝廷はこれに対処すべく、黄巾の乱を鎮圧した名将・皇甫嵩を司令官とする討伐軍を組織。 さらに「羌族相手ならこの男」ということで、董卓も中郎将に復職し、韓遂討伐軍に参加した。 だが皇甫嵩は苦戦し、また後漢朝廷を牛耳る宦官・十常侍に嫌われていたため、彼らの讒言・裏工作によって罷免されてしまう。 代わって朝廷は司空・張温を車騎将軍に任じ、援軍を兼ねた第二次討伐軍を組織。186年になっている。 董卓は皇甫嵩免官後も前線に残っており、破虜将軍に昇進しながら戦闘続行。 敵地に孤立するなど苦戦しながらも、川などの地形を生かして見事な用兵術を見せつつ羌族を翻弄し、時には反乱軍に痛撃を与えた。 なおこの討伐隊、第一次から董卓に加えて陶謙も参加しており、さらに第二次には孫堅も武将として加わっている。 さらに第二次隊には後詰で公孫瓚も合流予定であり(部隊編成中に幽州で反乱がおきたため、涼州への合流は断念)、三国志初期を彩る豪傑が揃い踏みした極めて豪華な布陣だった。 最終的に韓遂・辺章は撤収したが、張温軍も作戦目標を果たせず敗退。 張温麾下の六個大隊のうち五個大隊が大損害を出したが、ただ董卓の大隊だけはほぼ無傷だった。 そのため、戦後も董卓隊は防衛のため扶風郡に駐屯、斄(り)郷侯となり一千戸の領邑を受けた。 二年後の188年には、韓遂・辺章が再び逆襲。 董卓は今度は前将軍として、左将軍・皇甫嵩の麾下でこの反乱軍を迎撃し、ついにこれを打ち破った。 しかしこの戦いでは、上司の皇甫嵩は董卓の立案した作戦をすべて却下し、董卓が反対するところの作戦を用いて、韓遂軍を撃滅したため、戦功はほぼすべて皇甫嵩に帰し、董卓が不快になったという。 188年には少府に任命されるが、そのためには兵権を手放さねばならず、董卓は「いま任地を去れません」と拒絶。 朝廷の人事に逆らうというのはかなりの大事ではあったが、もはや黄巾の乱以来腐敗しきってしまった後漢朝廷に、彼を粛清するだけの力はなかった。 朝廷は翌189年に再び「并州の州牧に任ずるから兵権を皇甫嵩に譲れ」との辞令を出すが、董卓はこれも拒否してしまった。 ◆中央への進出 ところでこの189年、元号では中平六年、後漢朝廷では内宮まで巻き込んだ大乱が起きていた。 後漢はかねてより宦官の専横が問題となっており、特にこのころには大将軍何進を筆頭とした官僚たちと、いわゆる十常侍を中核とした宦官たち、およびそれに与する一部官僚で一触即発の状態だった。 そして何進がよからぬ策謀を立てる。各地の軍閥将軍たちを招き寄せ、その戦力で宦官たちを威圧して一気に勝負をつけようとしたのだ。 董卓も何進の招集命令を受けた。 しかし董卓は「いったい何のつもりだ?」と疑いを挟んだようで、とりあえず軍を率いて洛陽には向かったものの、その兵はわずか3000に絞り、さらに到着しても洛陽郊外にて軍を止めて様子をうかがっていた。 その様子見のあいだに、何進が宦官勢力によって暗殺されてしまう。さらにその事件を「大将軍暗殺は国家への反逆」と言い返した袁紹らのクーデターによって、宦官も滅ぼされてしまう。 それでも十常侍首領・張譲は皇帝である劉弁(少帝)と弟の劉協を連れて洛陽を脱出したが、その張譲らが、たまたまそこにいた董卓の軍に出くわしてしまう。 張譲たちは観念して自殺したが、遺された皇帝兄弟は董卓の手中に飛び込んだ形となった。 思わぬ宝が手のひらに転がってきた。 幼いといっても現役の皇帝である。それを期せずして救出し、擁立する形となった董卓は、しかも後漢朝廷の実権を握っていた何進と宦官が滅んだのに付け込んで、朝廷の権力を一手に握ることになった。 しかし、都に連れてきた軍は3000ばかり。 これでは、董卓と同時期に入ってきた将軍たちに位負けしてしまう。いやせっかくの皇帝兄弟を武力で奪われる危険がある。 そこで董卓は、とりあえず3000の兵を洛陽に入れると、夜になるとこっそり城から出し、翌日に「并州から来た援軍」として再入城させ、それを何度も繰り返すことでいかにも「大軍を揃えている」と偽装したという。 もちろん、偽装だけで済ませるわけにはいかない。ばれてしまえば元の木阿弥だ。そしてばれるのは時間の問題である。 しかし偽装でも、時間稼ぎにはなる。その時間稼ぎをしているあいだに、董卓は素早く立ち回った。 まず、何進や何苗(何進の弟だが宦官側についていたため、袁紹のクーデターで殺された)の軍が、指揮官不在で遊んでいたのに目をつけ、弟の董旻(*2)を後任の指揮官として何氏兄弟の兵力を吸収。まずは数の不足を補った。 ついで、董卓と同時期に洛陽に招集されていた丁原の家臣呂布にも狙いをつける。 彼は丁原の配下だった呂布を説得、丁原を暗殺させてその軍勢、そして呂布を吸収し、量のみならず質の面でも不足分を補った。 さらに時間を稼ぐうちに、并州から呼び寄せた本物の董卓直属の援軍も到着。 董卓の軍事力=権力はひとまず盤石となり、好機到来と見た董卓は博打に出る。 ◆帝都専横 権力を揃えた董卓は、さらに権威をも得るべく、皇帝をすげ替えるという挙に出た。 先のクーデターで、董卓の手元には劉弁(少帝)と劉協の兄弟がいる。皇帝なのは劉弁だが、彼は何進ら朝廷の大臣たちに擁立されたのであり、董卓の手駒ではない。 つまり政治情勢によっては、朝廷の大臣たちに奪い返される公算が高いということだ。 逆に、董卓が皇帝を擁立すれば、董卓の権威は「皇帝の後ろ盾」ということになり、大臣たちがどう画策してもまず奪い返されることはない。 そして個人レベルでは、子供二人のどっちが皇帝でも変わりはしない。 (劉弁よりも劉協のほうが聡明だったから……と言うのもよく言われるが、二十歳にもならない子供を並べて「どっちが聡明」などとまともに論じる方がおかしい。ただの口実だろう) 諸々考えた董卓は、「伊尹の故事」を口実にあっさりと少帝劉弁を廃して劉協(献帝)を皇帝に擁立。さらに劉弁とその母・何太后を暗殺して、ついに朝廷の実権を掌握した。 まず董卓は太尉・前将軍の官位と郿侯の封号を獲得。しばらくしてから官位を「相国」に進め、一族全員にも官位や封号を与えた。老いた母や、まだ少女と呼べる年齢であった孫娘の董白(*3)といった、本来ならとても官位や爵位につけない人物にも何かしらの称号を与えている。 宮廷においては「皇帝に拝謁しても名乗らずともよく、剣を帯びたまま殿中に登れる」という建国の元勲並みの特権を獲得。 さらに精鋭部隊を駆使して、国家の宝物を略奪したり、刑罰を勝手に発してわずかな恨みにも報復したりと、暴虐の限りを尽くした。 あるとき、軍を率いて陽城に来たところ、現地住民がたまたま祭りを行っていたのを見るといきなり攻め込み、男は殺して女は拉致し、牛や車や財産も略奪して、しかも「賊徒に天誅を与えた」と放言して「凱旋」した。 後宮に忍び込んでは宮女や公主(皇族女性)と姦通したともいう。 これら首都圏における暴虐に対して、一方では董卓はそれなりに覇者らしいこともやっている。 まず天下の人脈を得るために、かつて「党錮の禁」で宦官に弾圧された、陳蕃・竇武・李膺らと、彼らの系譜を継ぐ「清流人士」の冤罪を解除し、名誉を回復させた。 荀爽・蔡邕といった面々に相談のうえで、各地の太守・州刺史などに人員も派遣している。荊州刺史の劉表などもこの時の推薦された者たちだ。 少帝廃位・献帝擁立の一件で、袁紹たちが董卓と決裂して渤海へと立ち去ると、当初董卓は彼らを追討・処刑しようとしたが、 配下の伍瓊・周毖らの諌止と進言があって、袁紹を渤海太守に、張邈を陳留太守に、韓馥を冀州刺史に、孔伷を豫州刺史にするなどして、袁紹と彼の一派(あるいは故何進一派)を懐柔しようとした。 ◆反董卓連合 ところが190年、董卓に反発する勢力が「君側の奸・董卓を討つ」を大義名分として、独立するとともに連合して反旗を翻した。 しかもその主力となった面々が、先に董卓が「懐柔のため」地方官に抜擢した、袁紹・張邈・韓馥・孔伷たちだったため、董卓の受けた衝撃は大きかった。 董卓はまず、彼らを推挙した伍瓊・周毖らや、洛陽に残る袁一族などを全員処刑(内応の予防や、反乱幇助の罪を問うたもの)したうえで、 いきなり洛陽から長安への「遷都」を強行する。この少し前に娘婿の牛輔が河東郡で白波軍に大敗したことも「不利」と思わせる遠因となったらしい。 ただしいきなり逃げを打ったのでなく、長安遷都を強行する軍とは別に、主力軍には洛陽から東に進撃させ、反董卓連合を各個撃破するべく打って出る。 まずは河内太守の王匡の軍を河陽津にて迎撃、陽動を駆使した見事な攻撃でこれを壊滅させる。 また配下の猛将徐栄に兵を与えて、まずは滎陽県にて曹操・鮑信の軍を、次いで梁県にて孫堅の軍を破り、反董卓連合の主戦力を打ち負かす。 この董卓の強固な反撃に反董卓連合の諸侯は恐れ、かつまた彼ら自身そんなにやる気がなかったこともあって、ほとんどの諸侯は後方に下がり動かなくなった。 そんな中、南方に展開する袁術が、敗走したあ孫堅軍に補給を与え、再建させる。 董卓軍は孫堅討伐のため、胡軫と呂布に一軍を与えて派遣したが、指揮官同士の内紛に加えて孫堅が猛攻を掛けたため、軍は破れて華雄が戦死。 孫堅・袁術の勢いを恐れた董卓は、「遷都強行」で荒れていた洛陽に火を放ちつつ、すでに先行していた遷都部隊を追うようにして長安へと去っていった。 この董卓の長安遷都は、一石二鳥を狙った戦略である。 まず、董卓の本拠は涼州にあり、洛陽は遠いが長安ならほど近い。 また長安は反董卓連合の参加諸侯にとっては距離がありすぎ、追撃しようにも補給が厳しい。 つまり董卓の軍を増強しつつ地の利も得られ、逆に反董卓連合の矛先を逸らして戦意をなまらせることができるわけだ。 それに董卓は、涼州での山岳戦には強いが、どうも平地の戦いは得意ではなかったようである。黄巾党にも敗れているのだ。 結局、董卓に逃げられた反董卓連合は、戦略目標と大義名分を見失ったことで、すでに衰えていた団結力をますます失い、諸侯同士の内紛が多数勃発。 自然連合は空中分解し、求心力を発揮していた袁術と袁紹がそれぞれの派閥を構築するようになる。 ◆長安での暴虐 長安に合流した董卓は、連れてきた大臣たちを束ねてとりあえず「朝廷」を作り上げると、献帝を擁立して実質的に君臨する。 自分の階級は「太師」とし、太公望よろしく「尚父」と呼ばせ、服飾や馬車、邸宅などの様式は皇帝と同じ形式で揃え(*4)、閣僚の任免も政庁ではなく自分の屋敷に呼びつけて辞令を発するようになる。 皇帝と名乗っていないだけで、もはや実質の皇帝であった。 暴虐も相変わらずで、捕虜を斬殺したうえに死体を料理にして会食に振る舞わせたり(*5)、かつて恨みのあった張温(*6)を殺害したり、新任した司隷校尉に長安内部で恣意的な摘発と賄賂の収奪をやらせたりと、それはもうやりたい放題。 銅貨の五銖銭を廃止して粗悪な銅貨を発行したために、貨幣価値が乱れて食料の値を暴騰させたりもしている。 また、長安を離れること260里(約100km)の郿県に、自分の塢(砦)を作っている。 いわゆる『郿塢(びお)(*7)』だが、その規模たるや「高さは長安の城壁に迫り、食料は三十年分を抱え込む」「黄金は三万斤、白銀は九万斤、碧玉・錦絹・財宝は山のごとく、総数計り知れず」というほどの規模で、仮に天下に敗れてもここに籠城するだけで、死ぬまで安泰、と豪語したという。 公孫瓚「なるほど」 ……しかし「天下の皇帝」を気取るはずの董卓が、首都から遠く離れた場所にこんな城を作るというのは、意外と気が小さかったのかもしれない。 また、董卓は長安内部でこそこのように「絶対権力者」として思うがまま振る舞っていたが、長安・関中から離れて関東に目を向ければ、もはや地方官への統制は完全に失われていた。 いや、何もしていなかったわけではなく、配下の李傕、郭汜、張済、牛輔、といった面々を各地に派遣し、陳留郡や潁川郡を攻撃したり、中牟にて河南尹の朱儁を撃破したりはしている。 しかし、「董卓に擁立される献帝など、後漢皇帝としては認めない」とする袁紹や袁術たちが、州牧・州刺史・郡太守・県令などの各地の長官たちを束ね、果ては勝手に「任命」している状況では、董卓政権が発する辞令も、効果はほとんどなかった。 ◆最期 さて、長安でかくのごとく「暴君」として振る舞う董卓だったが、こんな政権が長続きするわけもなく。 暴君の死を狙うものは、天下にいくらでもいた。 長安において董卓は司徒の王允と、侍中の蔡邕、そして側近の呂布を信頼していたのだが、その王允と呂布が結託して董卓の暗殺を謀るのである。 呂布の場合、かねてより董卓付きの美貌の侍女と密通しており、これが発覚すれば董卓から憎まれて消されることを恐れていた。 さらに董卓は少し前に、呂布のちょっとした口論にいきなり激怒して戟を投げつけ、呂布が間一髪避ける、という一幕があった。 呂布と董卓は、いつしか「殺さなければ殺される」関係となっていたのだ。 その亀裂を、王允は見逃さなかった。 (ちなみに王允は并州は太原郡の祁県の出身で、呂布は并州・五原郡・九原県の出身。距離はかなり遠いが、州レベルで言えば呂布とは「同郷」となる) 192年、献帝の病気が快復したため、董卓も快気祝いに拝謁することとなる。 呂布は同郷の李粛と協力して、出迎えの衛兵を自身の私兵にすり替え、董卓が到着したところを李粛隊が襲撃。 董卓が護衛の呂布を呼んだところで、出てきた呂布が満を持して「これが勅命だ」と宣告し、絶望した董卓を一撃で殺害した。 晒し者にされた遺体に蠟燭を突き立てたところ、元々肥満体だったため数日間燃え続けたと言われる。 また、死者への扱いとしてあまりにも忍びないため、彼を慕っていた臣下達が密かに葬儀を執り行ったが、天の怒りか暴風雨で墓はたちまち破壊されてしまったという逸話がある。 直後、王允を中心とする一団が軍を率いてクーデターを起こす。董卓に滅ぼされた袁家の縁故者など、多くの人員が彼らに呼応した。 まず彼らは軍を率いて郿塢に殺到し、董旻をはじめとする董卓の一族を老若男女の区別もなく皆殺しにした。董卓の九十歳になる母親も殺害されている。 郿塢に蓄えられた金銀財宝も、殺到した兵士たちに略奪される。 次いで董卓に引き立てられていた官僚・武将・人士などもことごとくが捕えられ、リンチ同然に投獄・殺害された。 ……そしてこのとき殺害された中には、高名な学者の蔡邕もいた。 蔡邕は董卓に抜擢され、かつ篤く信任されていたため、董卓誅殺を聞くと嘆き悲しんだ。 (董卓に心服していた、というわけでは必ずしもなく、彼の独善と、自分の諌言が通じないことから、逃げようとはしていたが、結局果たせなかった。ただ、それはそれとして、厚恩を受けたことは事実としていたのである。ちなみに、晋の名将・羊祜は、蔡邕の孫にあたる) しかし「董卓誅殺を嘆き悲しんだ」ことを知った王允は激怒し、蔡邕の謝罪や周囲の弁護も聞き入れず殺害。これで王允を見限る者も多く出た。 また王允は、呂布を初めとする武将たちにも露骨に見下げる態度を取り、呂布からの「接収した財物を将兵に分配して、彼らの心をこちらに傾けさせなければなりません」という珍しく真っ当な進言も拒絶している。 さらに、李傕や郭汜といった長安にも郿塢にもいなかった董卓の残党に対しても、「許してやって味方に加えましょう」という呂布の本当に真っ当な進言を無視して必ず皆殺しにしてやる、と決意していた。 いや、単に決意するだけならいいが、彼の場合、そうした意向を強く表明してしまったことが、問題となる。 ◆天下定まらず 董卓は死んだが、李傕・郭汜を筆頭とする董卓残党はいまだ存在している。 そして李傕たちは、王允が董卓残党を決して許さず皆殺しにする覚悟でいることを知ると、参謀の賈詡の諌言もあって、開き直っての徹底抗戦を決意。 対する王允は呂布・李粛・徐栄・胡軫・楊定といった、味方に付いた元董卓配下を動員して戦わせたが、肝心の王允が狭量で人望がなかったため(*8)に胡軫や楊定たちが離反、李粛と徐栄は戦死して呂布も敗退するという惨敗を喫する。 そのまま長安に入城した李傕たちによって、王允を初めとする朝臣は多くが殺され、あるいは逼塞した。 この李傕政権によって、ついに後漢朝廷は自立した組織としては消滅する。 その後も献帝は曹操のもとに逃げ込み、大義名分としてはそれなりの効力を発揮するが、もはやそれは「後漢朝廷」としてではなく「中原曹操政権」の一要素に過ぎなかった。 董卓残党も、内紛や同士討ちで四分五裂。 董卓の娘婿・牛輔は部下に殺され、実力者・樊稠は李傕に殺され、相棒だった李傕と郭汜が仲違いを起こして勢力を二つに割り、同じく実力者・張済は飢えて荊州に落ち延びて戦死……と、ゴダゴダを起こしまくって自然崩壊した。 董卓・李傕・郭汜らの暴走や暴虐により、長安一帯の人口は大きく減ったという。 【人物】 「三国志」を代表する暴君として知られている。 皇帝を殺して国を私物化したことから、後世では秦の趙高、前漢(新)の王莽に匹敵する悪臣として挙げられることが多い。 董卓が権力を握った期間はたった三年であるが、庶民にも士大夫層にも閣僚クラスにも等しく暴虐を振るい、また皇帝廃立によって後漢王朝の権威も衰えさせた。 「三国志」魏書では曹一族と各王妃の紀伝の次が董卓伝(董二袁劉伝(*9))となっており、「後漢末期の乱世はこの男に始まる」と言わんばかりの体裁をしている。 董卓の暴虐については「過去の暴君のテンプレ像を応用しただけで、実はそこまで暴君ではなかったのでは?」と言う異論もよく提起される。 + 特にモデルと思しき人物 特にモデルと思しき人物としては、孫呉末期の孫峻と孫綝が挙げられる。 孫峻は「廃位された元皇帝の殺害」「多くの大臣・官僚への殺戮」「幼帝(孫亮)を傀儡とする」など、孫綝とは「皇帝廃立を行う」「自身がクーデターで殺される」など、それぞれ董卓と似た逸話がある。 陳寿は三国志編纂に当たって孫呉の資料(特に孫呉政権が作った「呉書」。滅亡寸前まで編纂が続けられていたという)を参考にしているし、元孫呉政権の人物で存命中の人々にももちろん取材しただろう。 また、董卓は陳寿が三国志の編纂を始めた時期から百年も前に死んだこと、董卓死後に長安が崩壊したこと、献帝や官僚たちが長安から許昌へと逃げたこと(=資料を持ち出す余裕もなかったこと)などから、董卓に関する正確な歴史資料が陳寿のところにどれほど残っているかも疑問。 そうなると「董卓の具体的な暴虐像」に、陳寿たちが知りうるもっとも身近で生々しく知りうる「暴君」として孫峻と孫綝の逸話が引用された可能性は大いにありうる。 実際、ある程度の誇張はあったのだろう。後の魏の始祖である曹操は、本来漢王朝の臣下である。そんな彼が漢王朝の命令を無視して独立行動を開始したのは、「反董卓連合」に参加してからであった。 つまり「始祖・曹操が漢王朝に謀反を起こした」と言う歴史的事実を「始祖・曹操は董卓打倒のために義兵を起こした」と粉飾する必要があり、そのスケープゴートとして、董卓は「暴君」として利用された、とすることはありうる。 また彼は明らかに異民族文化圏の出身であり、中原の儒教文化圏で生まれ育った士大夫層が、董卓という人物の存在そのもの(あるいは彼が自然に放つ異民族らしさ)に激しい嫌悪感を抱いたことも充分考えられる。 実際、董卓には「敵は武力で片付ける」という行動パターンが多い。その「敵」になるなら士大夫や同僚、名門貴族でも「武力殲滅」一辺倒なので、異民族との戦場における思想パターンをそのまま政界に持ち込んでしまった感もある。 一方、同じく憎んでいた皇甫嵩に対しては、彼が頭を下げると許してやったという話もある。元々皇甫氏自体涼州出身の名族であったため、許す気しかなかった可能性もある。 (董卓は殺そうとしたが、皇甫嵩の息子が董卓と親しく、彼が弁明したため助かった、という話もある) 「敵と見なせば武力殲滅一辺倒」だが、逆に「手下と見なせば優しい」という描写も結構ある。 若いころの異民族社会にいたころの逸話や、涼州時代の受け取った部下たちへの褒賞品の分配などは彼の支持・人望を大いに高めた。 長安時代にも、司馬懿の兄・司馬朗が董卓の元から逃げようとして捕まった際には「お前は、去年死んだわしの息子と同い年ではないか。なぜわしを見放すのだ」とまるで子供のように見ていたらしい発言も記録されている(*10)。 死後も、少なくとも李傕は董卓の神像を作って祀るという奇行敬意の表明をしている。 まあ呂布に対しては董卓から刃物を投げつけて離反されたので、必ずしも部下に丁寧だったというわけでもなさそうだが…… ただ、董卓の「暴政」について「長安への遷都強行」と「悪質貨幣の流通による経済の破壊」は、独特かつ具体的。 つまり少なくともこの二件は事実で、そして強制疎開された(農地や生活基盤を奪われた)あげくに貨幣も使えなくなった庶民への被害は相当だっただろう。 「皇帝廃立」も、「少帝と何太后が董卓の執政と同時に偶然に病死した」とは考えにくいため、やはり董卓が主導権を握るために実行したと考えるのが自然。実際、現役皇帝を廃位するかはともかく、新君主を擁立して臣下が権力を握るというのは歴史上よくある手である(*11)。 董卓死後の、幹部たちの内紛と李傕・郭汜の暴走や暴虐も相当事実を反映しているとみられ(*12)、幹部たちの質も大概であったと思われる。 配下の兵たちも首都圏・遠方を問わず好き勝手していたようだ。その意味でも董卓の責任は免れそうもない。 外交面では官位を送っていろいろと画策するのだが、ほとんど成功していない。 袁紹たちには早々に離反されるし、公孫瓚や陶謙なども結局は董卓のために何かをすると言うことはなかった。 「董卓は呂布に殺されるまで誰も止められなかった」と言う評もあるが、むしろ権力を握ってからたった三年で仕留められたとも言える(*13)。 しかし「後漢滅亡の大戦犯」かというと、それは違うだろう。 董卓が政権を獲得する前から、後漢帝国はすでにを手遅れだった。 184年の黄巾の乱をはじめ、185年の韓遂・辺章の反乱、187年の張純・張挙・丘力居の反乱は、董卓とは無関係である。彼は189年まで、後漢朝廷の政治には関わっていない。 いやそれ以前に、霊帝の売官政治や宦官の跳梁跋扈などは、皇帝・官僚・宦官を中核とした、後漢朝廷の腐敗と堕落の結果である。 なんでも「三公のうち太尉段熲・司徒崔烈・太尉樊陵・司空張温は、いずれも1000万銭から500万銭でその地位を買った」とのことで、しかもこの官職を売ったのはほかならぬ霊帝だった。 つまり「皇帝がカネで官位を売り、官僚もカネで地位を買っていた」わけで、そりゃあ後漢も乱れるというものである。 袁紹たちの反董卓連合は、「董卓の擁立した献帝を認めない」ということを標榜して、後漢朝廷そのものの権威にも反発したわけで、むしろこれを以って後漢の滅亡と言えなくもない。 とはいえその袁紹たちにしても、もはや後漢王朝は政府として機能していない、という認識だったのだろう。つまり仮に董卓が台頭しなくても、いつかどこかのタイミングで、袁紹・袁術・曹操たちは自立していったと思われる。 それこそ、董卓の台頭以前から、劉焉が遠い巴蜀で皇帝然として振る舞っていたように、である。 「董卓が後漢滅亡の元凶である」というからには「董卓が現れなければ後漢は滅びなかった」と言わねばならない。 しかし、仮に董卓が歴史に現れなくても、数年は伸びたかもしれないが、いずれ後漢帝国は崩壊したであろう。 とすれば、董卓はあくまで「後漢崩壊の数ある要因の一つ」に過ぎず、決して無関係ではないものの、直接原因とまで過大評価するほどのものでもないだろう。 まあ、彼が執政をしても漢王朝は衰える一方だったので、彼が後漢王朝を再建する名臣になり得る男だった、あるいは暗殺さえなければ新しい王朝を築ける男だった、ということも、絶対にないと言えるが。 ただ董卓の死後に乱世が巻き起こったことについて、陳寿は「王允がクソなせい」と吐き捨てた一方、裴松之が「ゴミは涼州閥を開き直らせた賈詡だよ」と史家でも対立が起きている。 また、陳寿がこうした悪行を史書に大々的に書いたことについては、曹操・劉備・孫堅・袁紹の共通の敵であったのみならず、陳寿と同時代に皇帝弑逆という大罪を行った人間……すなわち賈充に対する口撃だった可能性もある。 大本となる皇帝の司馬昭は三国統一前に亡くなったが、賈充は健在だ。董卓のように武勇に秀でてはいないが、晋建国の功臣かつ司馬昭の子で皇帝の司馬炎に気に入られ、政治を専断している時の権力者でもあった。 しかして賈充自身の代では何も起きなかったものの、その死後に起きた八王の乱で賈氏は董卓と同様三族皆殺しで与していた者も処刑と相なり、その後も内紛がダラダラウダウダ続く。その結果として晋という国を三国統一後僅か30年余りで終わらせ、群雄割拠の新たな乱世にしてしまっている。 【三国演義】 案の定徹頭徹尾暴君。 「かつては族長たちと親しく、部下には優しかった」と言うシーンはカットされ(*14)、暴虐シーンだけが残る。 また、黄巾の乱では黄巾賊に敗れて逃げるところを劉備・関羽・張飛らに助けてもらうが、三人が無位無冠の義勇兵と知るとさっきまでの感謝を忘れて追い払うと言う、酷薄な面も描かれる。 (でも主人公が悪の大ボスと直接対面するという、展開としてはかなりおいしいイベント) 袁紹のクーデターと宦官の悪あがきで宮廷から出てしまった少帝・献帝を救出すると、少帝を廃して献帝を擁立し、以後洛陽で暴虐の限りを尽くして反董卓連合を起こされるのは史実通り。 曹操からは七星剣で命を狙われるが、タイミングの良さもあって七星剣をせしめて生き延びる。 最後は王允の「美人計」により、貂蝉の色香に迷って呂布に殺される。 貂蝉を差し向けたのが王允というのは演義オリジナルだが、呂布が董卓の侍女と密通していたことや、董卓が呂布に短剣を投げつけたこと、その件を相談された王允が暗殺計画に呂布を引き込んだことなど、史実由来のエピソードも多い。 部下には悪辣な軍師として李儒(娘婿でもある)が登場。李儒は史実でも「廃位された少帝を暗殺した」ことで知られる。「皇帝弑逆の片棒を担いだ」と言うことで大幹部に抜擢されたのだろう。 李儒は「丁原が連れている呂布を見て董卓の怒りを鎮める」「呂布の勧誘に、董卓の秘宝・赤兎馬を差し出すという李粛の策に同意する」「洛陽を捨てて長安に逃げるよう進言する」などさまざまに献策。 特に赤兎馬を差し出す際には、李粛の進言には決断できない董卓も李儒の「天下と馬、どちらを取りますか」というさりげない名言を聞いてついにうなずくという、信頼の厚さも見せていた。 しかし、王允・貂蝉の「美人計」も見抜いたのだが、女の色香と若い男への嫉妬に狂った董卓は初めて李儒の進言を拒絶。 李儒は絶望するものの逃げずにとどまり、最後は連座で殺されるという、悪人ながらも忠誠心を見せた(*15)。 董卓自身、呂布への出動を命令したら自薦してきた華雄の出撃を認めたり、劉備三兄弟に敗れた呂布をとがめなかったりと、李儒への信頼も含めて、部下への扱いは良かったりする(貂蝉に会うまでは、だが)。 【各作品】 どの作品でも「序盤の大ボス」「倒すべき巨悪」として大抵最初の目標とされている。 容姿は史実から肥満体だった事もあり恰幅良くされがちだが、単なるデブではなく「魔王」としての威厳と威圧感を持った巨体という風に描かれることが多い。 他、妙に欲望に忠実なキャラクターにされがちであり、特に女性に目がない。 しかし「戦い」を主体とする三国志ゲームにおいては文武両道の董卓と武力最強の呂布、そうでなくても武に隔てる華雄等が序盤に来てしまうということで構成を悩ませたりする。 安能務版「三国演義」 洛陽から長安に遷都し、しかも都から離れたところに郿塢を作ったことについて「天子を擁立して天下を取るだけの野心や器量がなく、逃げ込むところを欲した」「本人の力量は地方軍閥が限界で、僥倖で朝廷を牛耳ったが、実力で得たのではないため本能的に不安がっていた」と分析されている。 そして彼が暗殺されたのは、暴虐そのものではなく(董卓並みの暴君はいくらでもいるので士大夫たちは対策を知っている)、辞令を出して金儲けの機会を作るという、士大夫たちへの余禄を潤すことを、しなかったことに原因があるという。 いくら衰退・形骸化していても「朝廷からの辞令」は群雄や中小豪族は欲しがるし、それを売りつければ役人や士大夫は懐が潤う。しかし董卓は長安に引きこもり、天下に辞令を出すことに消極的だった。それで、士大夫たちが「金儲けの機会を与えない董卓は殺そう」と決意した。 美人計自体は簡単な策略で、こういう陰謀に掛けて董卓は、四百年宮廷で画策ばかりしていた士大夫の敵ではなかった、とまとめられている。 コーエー三国志 シリーズ皆勤武将。勢力のイメージがカラーは黒系統、特に灰色が多い。 武力と統率力が80台と安定して高く、知力も60~70台と決して低くはない。 ただし政治力と魅力値は低い。とはいえさすがに韓玄など一桁台のような扱いはされていないが。 戦闘向けの特殊能力や個性を持つことも多いのでいっそ前線に出した方がいいぐらいの能力値だが、悲しいかな、ほとんどの場合君主なので、立場と絶妙に噛み合っていない。(*16) 金収入を増やす「徴税」系の特技を持つ事も多いので、戦場に出ずとも役に立つし配下に加える価値もある。 ただし配下として見た場合、当然のように義理最低・野望最高、しかも曹操や呂布と違い、引き留め役の「嫁」も存在しないので引き抜きや独立が怖い。 最初から洛陽・長安を押さえているシナリオでは、武将は呂布・華雄・張遼といった大物から李傕・郭汜・張済・樊稠といった有象無象中堅まで豊富、文官は李儒・賈詡を筆頭に後漢朝廷の官僚たちが合流して、なかなかの人材大国。 なんと言っても皇甫嵩や朱儁、王允や士孫瑞といった、後漢朝廷の官僚たちが部下にいるというのは非常に大きい。 しかも、大抵大兵力を有しているため、めちゃくちゃ強い。 逆に、距離の近い袁術や曹操でプレイする場合には、「いかに董卓軍の猛攻をしのげるか」と「いかに董卓陣営から人材を引き抜けるか」が鍵になる。 「黄巾の乱」シナリオでは何進(官軍)と張角(黄巾)の脇に控える小勢力として登場。 二大勢力の激突を高みの見物しつつ、空き地の益州で国力をじっくり蓄えるも良し、機を見て中央に躍り出るも良しの第三勢力プレイが楽しめる。 しかし弱点も多い。 不利なイベントが多い 「反董卓連合」系シナリオでは、基本的に連合結成イベントがシナリオ開始と同時に発生し、最初から多数の勢力が連合して敵対&改善不可能となるので、外交面がまずシビア。 「連環の計」が再現されるタイトルの場合、発生させると董卓自身が死ぬ上に勢力も大きくガタつくので、未然にその芽を摘んでおかないと辛い。 また、その前段階の「長安遷都」に至っては実施する意味が全く無いのでやらないようにしよう。COMが担当すると長安遷都しておきながら空き地の洛陽にイソイソと舞い戻ってくるという朝令暮改の極みを見せつけてくることが多い 勢力相性の悪さと魅力の低さ 勢力相性では袁術や曹操、孫堅とはそんなに悪くない(*17)のだが、上述した後漢朝廷の官僚たち(≒主力文官層)は董卓の勢力と相性が悪いのでなかなか居ついてくれない。 また部下たちの初期忠誠が低い上に自分の魅力も乏しいために忠誠心の維持も困難で、部下の引き抜かれや離反が起きやすい。 近隣にも董卓と相性と離れている武将=初期忠誠が低い・季節毎に忠誠が低下する武将の方が圧倒的に多く、たとえ勢力拡大しても俸禄払いに追われがち。 さらに勢力相性の悪さと魅力の低さは外交の信用上昇度にも悪い影響を及ぼすので、他の君主より親善費が嵩んでしまう。 最初から資金に恵まれる反董卓連合シナリオ以外では無視できない、痛いハンデだ。 被嫌悪武将の多さ コーエー董卓最大の特徴が嫌悪されている武将の多さである。『14PK』ではその数驚異の24名! それも曹操や孫堅に袁紹、関羽や張飛、盧植といった英雄ばかり。彼らを配下に加えられないのは痛すぎる。 一応初期で配下にいることもあれば、嫁や義兄弟経由で登用することもできるのだが、配下にいる被嫌悪武将は物凄い勢いで忠誠が下がり、引き抜きどころか下野する可能性すら出てくる。 また、嫌悪されている武将に有力な君主が多いのも問題。こちらを嫌悪している君主との外交は著しく不利になる(*18)上に 自身を捕縛すると高確率で処断してくるので、彼らが相手だと自らが前線に出にくくなってしまう。 国力や人材のアドバンテージを失った上で曹操や袁紹たちと対峙することになる英雄集結系シナリオではこの弱点が特に響く。 董卓自身の寿命が短いことと、後継者の不在 最大の弱点。 張角と違って董卓は不自然死扱いなので192年を迎えて即死するようなことはないが、それでもせいぜい200年台までしか生きられない。 そのくせろくな後継者も存在しない。いっそ養子の呂布か、親族でもっとも魅力の高い董白という手もありかも。 以上の点から勢力としては強大だが、CPUに任せると思ったよりも伸びてくれない。プレイヤー操作の場合は豊富な権限や人材層を武器にして攻めの姿勢で挑んでみたい。 三國志13には「死を偽装していた董卓が官渡の戦い直前に中華に舞い戻った」というトンデモ設定のシナリオ『魔王帰還』が存在している。 とうに死亡しているはずの董卓一派や後漢の名将たちをなぜか加え、かつ馬騰軍や劉璋軍をも吸収している最大勢力で、シナリオ開始直後から第二次反董卓連合の猛攻を受けることになるが、しばらく持ち堪えればまたもや勝手に連合が瓦解するので後はやりたい放題。 ちなみに「13」の董卓は固有のセリフが多くそれなりに優遇されているのだが、女性武将が戦功を挙げると寝室に呼ぼうとする。既婚者だろうと孫娘の董白だろうと。おいジジィ……。 三国無双 詳細は董卓(三國無双)を参照。肥満体の野心家。 横山三国志 人物像や出番は概ね演義準拠だが、肥満体に描かれることが多い昨今に対し、痩躯に描かれている。 アニメ版のCVは大友龍三郎だが、原作者の横山は「大塚周夫も似合うと思いますよ」と発言していた。 蒼天航路 アニメ版のCVは大塚芳忠。 暴虐の限りを尽くすが、周辺の影響に流されてではなく「董卓自身の人間性」を一切包み隠さず表現し、それこそが尊貴なる王者の姿だと豪語する人物。 「王者としてのあり方」を問い、表現した、本編中における初の人物。詳細は項目参照。 白井式三国志 閻魔大王のような風貌のデブ。 極めて残虐なドSで処刑した罪人の生首を持ち歩くような狂人だが、好色な上に少女趣味かつ自意識過剰な変態。 三国志魂 常にパンツ一丁の超肥満体。あまりに肥満すぎて腹の脂肪に李儒が収まっている。 屁の威力が甚大で、焚火に放屁して長安を大炎上させている。 一騎当千 CV.浪川大輔 洛陽高校の頭。大変な美男子で物憂げな雰囲気を漂わせている。 闘士大会を計画・立案した張本人であり極めて有能な人物であるが、冷酷かつ残忍でなおかつメンヘラ。 触れた物体を内部から破壊・寸断する特殊な頸を有する序盤の強敵。 恋姫†無双 CV:木村あやか(PC版)、猪口有佳(PSP版) 真名は「月」とかいてゆえと読む。 はかなげな姿をした、線が細く心優しい少女という、逆の意味でぶっ飛んだキャラ。 悪人ではなかったのだが、周囲から「暗逆非道な暴君」と言う誤情報を押しつけられ、それが天下に広まってしまったのだという。 リメイク作の真の更にリブートにあたる革命では朝廷関係が補完され、腐敗が進み統治能力が低下した漢朝廷を立て直すため劉協と共謀して霊帝を退位させ相国となり、腐敗貴族や役人の大粛清を行ったことが明かされた。 この粛清から逃れた袁紹と袁術が「悪逆非道な暴君」と吹聴して各地の豪族などに呼びかけ結成されたのが反董卓連合ということになっている。 外伝の白月の灯火では地方豪族時代が描かれた他、一刀が多方面でいい感じに活躍したことで革命では失敗した漢朝廷の立て直しに成功する。 十三支演義 CV.中村浩太郎 序盤の敵キャラ。 一般的なイメージ通りの悪政を敷いており、主人公ら猫族を蔑視するなど史実とは逆に民族主義者である。 BB戦士三国伝 CV 小村哲生 「『暴虐の太師』董卓ザク」の名前で、第一部「風雲豪傑編」におけるメインの敵として登場。 演者は一応旧ザクという事になっているが、一応第一部のラスボスという事もあってか実際には全身真っ黒、キャタピラやキャノン砲など他のジオン公国軍MSの特徴をちゃんぽんした全くの別物になっている。 呂布トールギスを差し向けて時の皇帝である霊帝ガンダムを暗殺、玉璽を簒奪し「太師」として暴虐の限りを尽くす。 少年漫画風の世界観という事もあって史実や演技よりも更にストレートな鬼畜外道であり、経緯の違いこそあれ殆どの媒体では味方を巻き添えにする事も厭わぬ戦術に耐えかねた呂布の裏切りに遭い殺害されている。 ただし初代のコミックワールドでは末路が異なり、そちらでは半ば暴走状態にあった孫権ガンダムの駆る天玉鎧「弩虎」の攻撃に巻き込まれる形で命を落としている。 プラモデルはアニメ化に際して「真」名義で大型キットが発売。当時のSDガンダム系キットでは珍しく肘・膝にも可動域が設けられた特別仕様となっている。 また2018年にはパッケージを初代仕様に変更の上、ヅダ顔の部隊兵とセットになった成型色変えキットも発売された。 SDガンダムワールド 三国創傑伝 CV.石井康嗣 演者はプロヴィデンスガンダム。 董卓ザクに勝るとも劣らない厚顔無恥・残虐非道な独裁者で、ラクヨウ・シティを牛耳り市民から搾取の限りを尽くし町の資源を私物化している。 劇中のほぼすべてのキャラクターから憎悪を一身に浴びており、部下である呂布シナンジュや貂蝉クシャトリヤからすら金づるとしか思われていないし、本人もそのことは知った上で重用している。 攻め込んできた関羽νガンダム、張飛ゴッドガンダムの二人を相手に「凶龍形態」(どう見てもティラノサウルスであり、「暴君竜」の名に恥じないと言える)に変身して圧倒するが、増援に駆け付けてきた孫堅ガンダムアストレイと対峙した次のカットではボコボコにやられて倒され、その後何の説明も無く死亡した。 なんとも竜頭蛇尾な人生であった。 ちなみに黒幕は部下として潜入していた司馬懿デスティニーガンダムである。もう何が何やら。 三国志大戦 基本的には武力、知力共に高い上に勇猛、魅力などを持つ文武両道のステータス。 西涼軍、もしくは群雄勢力の顔として呂布と共に並び立つ。 計略も非常に強力ながら破滅的なデメリットがつきまとうものや敵の撃破をトリガーにするものであり、やるかやられるかの刹那的な判断が要求される玄人向けのカードと言えよう。 ストーリーを追う群雄伝でもその高いステータスの他、武力の高い華雄や呂布、強制的に舞いこちらの城ダメージを狙う貂蝉と言った愉快な仲間たちとともに特に初心者プレイヤーを苦しめる。 無論その言動も暴君のそれであるが、董卓伝など彼が主人公の章では部下思いの一面もしっかりと書かれている。 リブート後は漢勢力でも登場。圧倒的破壊力を秘めた計略を使うが、カードをせわしなく動かさないと真価を発揮しないためかかなりマイナー。 他にも悪の教典の先生になったりもし、味方を全員食らいつくす。弓呂布とは「引き継ぎ」という形で食い合う関係に。 ちなみに董卓軍に女性キャラクターを増やしたかった為か不明だが、董卓の孫娘というえらくマイナーな人物がカード化されていることでも有名である。 英傑大戦ではその董白が先に実装されてネタになったが本人も遅れて登場。(当の董白に「遅い、待ちくたびれちゃった」と若干メタな台詞を言われたが) 若い頃の姿であるが計略自体は相変わらず多大な効果とデメリットを持つものである。 劉備に対しては一瞬小物と断じるもすぐに撤回し「あれも一種の怪物」と称する台詞が印象的と言えよう。 天地を喰らう(AC) 本宮ひろしの漫画『天地を喰らう』のアーケード版初代作は、前半面で黄巾賊討伐編、後半面で董卓軍討伐編を描いている関係上、何と 今作における最終ボス としての登場。 モンスターストライク 星6の降臨モンスターとして登場する。種族は魔王族。 進化は赤い肌に巨大なハサミを持った閻魔のような外見をし、神化は緑色の肌に巨大な銃を持った亡霊の姿をしている。 肝心の性能はというと、どちらの形態も攻撃力は高く希少なキラーを持っているが、アンチアビがなく友情が弱く足も遅い為、あまり使えるクエストは少ない。 覇者の塔や呂布のクエストではサソリ状態で登場し、弱点以外の部分に攻撃するとダメージが1になる。ぶっ飛ばしSSのような固定ダメージを与えるSSが有効である。 【余談】 董卓が緊急避難シェルターとして用意していた郿塢は、21世紀に発掘されて実在が確認された。 2008年ごろから陝西省に高速道路を拡張するにあたり、郿県一帯の発掘調査が行われ、その過程で陶器、かんざしなどの装飾品、青銅器、そしてそれらを作成する工房跡などが大量に発見された。 それらは漢代の特徴を多く備えていたという。 さらに調査を続けていくと、2010年にはこの一帯を包む城壁の痕跡も発見。これらが、『水経注』『元和郡県図志』などの漢代から唐代の文献資料とも一致していたため、とうとうこれが董卓の郿塢の痕跡と分かった。 この城壁の痕跡を調べたところ、漢代の県の城壁としてははるかに小さいことが分かっている。 もともと「塢」というのは、董卓のものに限らず当時の豪族が拠点として広く作っていたもので、いわば要塞化した豪邸・村落、というものである。 この董卓の塢も、壁の長さは推定640m。一般的な県城なら2500~6000mなので、むしろ城内にすっぽり収まるサイズである。 しかしそれにしても、個人レベルの邸宅が小さいとはいえ城壁を持っていた、というのはさすがに董卓というところだろう。 この城は北魏のころまでは使用されていたらしい。 また、董卓は郿塢と長安をよく行き来していたが、そのために専用の高速道路を造らせていた。 これも実は発見されていて、「郿塢嶺」と呼ばれているという。 その道路には董卓の弟・董旻が鄠県侯に封ぜられた土地も通っており、兄弟で仲良く参内していたのかもしれない。 追記・修正は中央入りの野心を、そして引っ越しの苦労を知る人にお願いします。 △メニュー 項目変更 この項目が面白かったなら……\ポチッと/ -アニヲタWiki- ▷ コメント欄 [部分編集] 暴君の側面と覇者の側面を併せ持つ人物…なんだろうか -- 名無しさん (2024-01-26 14 41 26) 日本の話だが、木曾義仲は、都に上ったが部下の統制に失敗して朝廷に怒られ、東からは頼朝、西からは平家に攻められてにっちもさっちもいかなくなって後白河法皇を攻撃する暴挙に出た。董卓の立場もものすごく善解すれば異民族の部下をちゃんと統御できていなかったのが発端なのかも知れない。 -- 名無しさん (2024-01-26 15 40 37) 董卓だけ項目が存在していないのが気にかかっていた、ありがたい。遂に三国志の主だった群雄に遂に出揃ったって感じだな -- 名無しさん (2024-01-26 16 27 39) なぜか死体ローソクのエピソードが有名だったりしない?三国志マニアならけっこうな確率で知ってる気がする -- 名無しさん (2024-01-26 18 26 19) ↑3 董卓について「異民族と接することが多い辺境の生まれ育ちで、よくも悪くも漢民族の伝統にそぐわない振る舞いが歴史家を務めるような上流階級には特に否定的に映り後世の酷評に繋がったのではないか?」とは聞いていたけれど、思えば「ただでさえ移民問題は揉めるのに、中華の中心たる帝都にろくに移住先の風土や風習を学ぶ機会を得られるはずもないまま異民族かつボスのためなら戦も厭わぬようなよくも悪くも猛々しい者達がゾロゾロと押し掛ければトラブルが起きないはずもない(中華圏ほど広大なら、ヘタすりゃ遠方はマジで言葉が通じないまであってもおかしくなかったろうし)」わな……。ありがとう -- 名無しさん (2024-01-26 19 27 52) 郿塢の存在に驚き、悪名高く描かれたのは当時の賈充に対する口撃説に目から鱗が落ちた -- 名無しさん (2024-01-26 20 31 44) 三国志項目の質の高さは目を瞠るものがある。記事作成ありがとうございました。 -- 名無しさん (2024-01-26 21 14 44) ↑6日本史の人物だと平清盛か三好長慶イメージだったけど確かにこの項目を読むと木曽義仲の方がイメージに合う -- 名無しさん (2024-01-27 00 16 46) ↑5 アレほどインパクトのある話はそうそうありませんから。しかも夏侯惇が目玉食った話と違って史書に書かれてるし -- 名無しさん (2024-01-27 00 47 14) 五誅銭に関してはこの後の連中のやらかしを押し付けられただけじゃないか? -- 名無しさん (2024-01-27 06 10 27) 遅かれ早かれ後漢は滅んでただろうし、責任を全部押し付けられた印象はある。やらかしがなかったとはもちろん言わんけど -- 名無しさん (2024-01-27 10 56 39) 思ってたほど徹頭徹尾の暴君ではないが、やっぱ暴君ではあるな… -- 名無しさん (2024-01-27 15 33 50) 結局のところ正史董卓は蒼天の曹操の董卓評が合ってるのかもな、「途中までやったことだけなら名君だけどそれ意向は暴君」 -- 名無しさん (2024-01-28 00 51 01) 運良く(もしくは運悪く)頂点に立っただけで劉焉や劉表辺りと同じく地方軍閥のトップ位の器だったんだろうな -- 名無しさん (2024-01-29 08 58 55)
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名稱:董卓 伺服器及顏色:6服紫 類型:武 性別:男 生命值:待補 武力:待補 智力:待補 防禦:待補 敏捷:待補 運勢:待補 敘述:董卓早年為漢將,在西方平定少數*叛亂,後來又參加討伐黃巾起義,數次兵敗,卻依然升為前將軍,掌管重兵。董卓擁兵自重,駐兵於河東,不肯接受朝廷的征召而放棄兵權,正逢京都大亂,何進被殺,董卓趁機進京,控制了中央政權。之後董卓廢漢少帝,立漢獻帝,關東諸侯聯盟討伐董卓,董卓放棄洛陽,移都長安。董卓生性殘虐,當權後橫征暴斂,激起了民憤,最後被王允和呂布謀殺。
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基本情報 基本情報 名前 董卓(字:仲穎(ちゅうえい)) 出現地域 洛陽 出現時期 演義:董卓勢力君主 戦闘技能 鼓舞 使用属性 CPU時使用属性:雷、得意属性:無し 個人目標 武勲30000 勤続10ターン 支配地域数3 勢力悪政 武勲30000な上に勢力悪政が厳しい。 演義モードだと董卓だけでなく 配下 武将 も武勲の目標値が高い
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董卓軍[反董卓連合軍] 所属武将 無双武将(争奪時参加武将) 武将名 使用武器 ハイパーアーマー(*1 項目追加欄 董卓 獄刀 × - 呂布 鉄戟 ○ - 張遼 鉤鎌刀 × - 貂蝉 双錘 × - (??) - - - *1 一切の攻撃でのけ反らない 一般武将 武将名 出現場所(戦場) 項目追加欄 李儒 兵糧庫内 - - 兵糧庫内 - - 武将拠点内 - - 戦場内ランダム - - 戦場内ランダム - - 戦場内ランダム - - 戦場内ランダム - - 戦場内ランダム -
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董卓 ☆4武将 入手 勢力 種類 性別 体力 攻撃力 攻撃間隔 移動速度 9 董卓 - 群雄 盾系 男性 1814 86 1.5 2.6
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【董卓】 【作品名】全相三国志平話(立間祥介訳) 【ジャンル】挿絵入り話本 【名前】董卓 【属性】大師・天下都元帥 【大きさ】八尺五寸=204cm 【長所】奔馬みたいに走れるデブ 【短所】その設定は別に活かされない 【備考】立間祥介訳では一尺=約24cmとしている 参戦 vol.1
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基本情報 紹介 技・無双乱舞・Ex攻撃 能力値 スキル・八卦泉 天絆鏡 武将解説・性能考察武将解説 性能考察 コメント欄 基本情報 姓名 董卓(トウタク) 字 仲穎(チュウエイ) 武器系統 爆弾 ユニットタイプ アタック 使用可能条件 天絆鏡の董卓のサイドストーリーを見る 所属勢力 他 声優 堀 之紀 キーワード 野望のため修羅と化す凶星 紹介 西涼で太守をしていたが、何進の召集に応じて上洛。混乱に乗じて幼い帝を擁し政権を握った。猛将・呂布を養子にし、武力を背景に少帝廃立、長安遷都などの横暴を極めた。悪鬼の残虐さと羅刹の冷酷さを持つ暴虐の徒。暴力的で尊大な振る舞いは、乱世に更なる恐怖をもたらした。 技・無双乱舞・Ex攻撃 技名 分類 内容 行動力 攻撃力 チャージ 効果 範囲 距離 備考 裂酷 通常技 周囲の敵複数に攻撃 1 27 極小 前後左右 近距離 裂酷Ex Ex攻撃 周囲の敵複数に攻撃/確率で恐慌 1 32 極小 恐慌 前後左右 近距離 修得Lv 25 蹴酷 通常技 敵複数に攻撃/敏捷-10%(敵) 2 75 小 敏捷低下 前方横3マス 近距離 蹴酷Ex Ex攻撃 敵複数に攻撃/敏捷-10%(敵) 2 90 中 敏捷低下 前方横3マス 近距離 修得Lv 45 旋爆酷 通常技 敵複数に攻撃 3 110 中 前方横3マス 近距離 修得Lv 15 爆火酷 通常技 周囲の敵複数に攻撃/確率で炎上 4 135 中 炎上 前後左右 近距離 修得Lv 25 大爆殺 無双乱舞 敵複数に攻撃/確率で炎上 2 186 中 炎上 前方横3×縦2マス 近距離 壊滅暗黒球 無双乱舞 敵複数に攻撃/確率で炎上 3 214 中 炎上 前方横3×縦3マス 近距離 修得Lv 30 尾壊破殺 無双乱舞 敵複数に攻撃/確率で恐慌&精神-10%(敵) 4 472 特大 恐慌&精神低下 前方横3マス+縦2マス 近距離 修得Lv 50 董卓のみ、Ex攻撃1をLv25で修得する。 能力値 Lv 体力 移動 力 防御 技量 敏捷 精神 備考 1 241 4 36 28 29 21 27 Max 3312 6 1594 827 882 896 909 下記スキル補正完備の状態 八卦泉 +500 +2 +540 +130 +130 +130 +130 能力値に関連するスキルをすべて埋め、スキル「韋駄天・極」を装備した場合 スキル・八卦泉 スキル名 必要SP 内容 備考 体力(小) 10 体力が+10上昇する攻撃に耐えやすくなる 計2箇所 体力(大) 60 体力が+30上昇する攻撃に耐えやすくなる 計16箇所 力(小) 10 力が+5上昇する与えるダメージが大きくなる 計4箇所 力(中) 40 力が+10上昇する与えるダメージが大きくなる 計20箇所 力(大) 60 力が+15上昇する与えるダメージが大きくなる 計16箇所 力(特大) 80 力が+20上昇する与えるダメージが大きくなる 計4箇所 防御(小) 10 防御が+5上昇する受けるダメージが小さくなる 計1箇所 防御(中) 40 防御が+10上昇する受けるダメージが小さくなる 計6箇所 防御(大) 60 防御が+15上昇する受けるダメージが小さくなる 計3箇所 防御(特大) 80 防御が+20上昇する受けるダメージが小さくなる 計1箇所 技量(小) 10 技量が+5上昇する技が命中しやすくなる 計1箇所 技量(中) 40 技量が+10上昇する技が命中しやすくなる 計6箇所 技量(大) 60 技量が+15上昇する技が命中しやすくなる 計3箇所 技量(特大) 80 技量が+20上昇する技が命中しやすくなる 計1箇所 敏捷(小) 10 敏捷が+5上昇する攻撃を回避しやすくなる 計1箇所 敏捷(中) 40 敏捷が+10上昇する攻撃を回避しやすくなる 計6箇所 敏捷(大) 60 敏捷が+15上昇する攻撃を回避しやすくなる 計3箇所 敏捷(特大) 80 敏捷が+20上昇する攻撃を回避しやすくなる 計1箇所 精神(小) 10 精神が+5上昇する士気による与ダメージ・被ダメージの補正に影響する 計1箇所 精神(中) 40 精神が+10上昇する士気による与ダメージ・被ダメージの補正に影響する 計6箇所 精神(大) 60 精神が+15上昇する士気による与ダメージ・被ダメージの補正に影響する 計3箇所 精神(特大) 80 精神が+20上昇する士気による与ダメージ・被ダメージの補正に影響する 計1箇所 一閃 20 クリティカル発生率が+15%上昇する 一閃・改 60 クリティカル発生率が+30%上昇する 一閃・極 80 クリティカル発生率が+50%上昇する 韋駄天・極 100 移動が+2上昇する 諸刃の刃 80 力が+20%上昇し、防御が-20%低下する 破竹の勢い 60 奇数ターン時、移動が+1上昇する 逆境戦法 90 自軍の士気が低いとクリティカル発生確率が上昇する 真乱舞 100 無双乱舞の攻撃力を強化する 無双乱舞の攻撃力+50 血の滾り 80 与えたダメージの10%、自身の体力を回復する 気絶誘発 70 攻撃を当てた時、まれに「気絶」を引き起こす 恐慌誘発 70 攻撃を当てた時、まれに「恐慌」を引き起こす 炎上誘発 70 攻撃を当てた時、まれに「炎上」を引き起こす 凍結誘発 70 攻撃を当てた時、まれに「凍結」を引き起こす 感電誘発 70 攻撃を当てた時、まれに「感電」を引き起こす 猛毒誘発 70 攻撃を当てた時、まれに「猛毒」を引き起こす 咆哮 40 共鳴で撃破したユニット数に応じて、敵の士気が低下する 体力の泉 40 ターン開始時、体力が+10%回復する 無双の泉 40 ターン開始時、無双ゲージが+10%上昇する 闘志 20 ターン開始時、自身含む周囲1マス以内の自軍の無双ゲージが+5%上昇する 闘志・改 60 ターン開始時、自身含む周囲1マス以内の自軍の無双ゲージが+10%上昇する 闘志・極 70 ターン開始時、自身含む周囲1マス以内の自軍の無双ゲージが+15%上昇する 暴風 80 共鳴に含まれた場合、共鳴乱舞のダメージが上昇する 鼓舞太鼓 60 敵軍ユニットを撃破した時に士気がより多く上昇する 守破離 40 獲得経験値が+30%上昇する 守破離・改 60 獲得経験値が+50%上昇する 守破離・極 80 獲得経験値が+100%上昇する 連撃 40 攻撃時のチャージが+10%上昇する 連撃・改 80 攻撃時のチャージが+30%上昇する 連撃・極 100 攻撃時のチャージが+50%上昇する 気絶特攻 70 気絶状態の敵に対してのダメージが+30%上昇する 恐慌特攻 70 恐慌状態の敵に対してのダメージが+30%上昇する 炎上特攻 70 炎上状態の敵に対してのダメージが+30%上昇する 凍結特攻 70 凍結状態の敵に対してのダメージが+30%上昇する 感電特攻 80 感電状態の敵に対してのダメージが+30%上昇する 猛毒特攻 80 猛毒状態の敵に対してのダメージが+30%上昇する 天絆鏡 開放条件 与影響武将 被影響武将 条件 報酬 備考 「焔の力」をクリア 太史慈 ・シナリオ「焔の力」をクリアする シナリオ「暴虐と正義と」が開放金30000を獲得「大饅頭」×5を獲得 夏侯淵 ・シナリオ「激突、激闘、激震」をクリアする・張苞が戦場で董卓を撃破する 金60000を獲得「老酒」×10を獲得 ・シナリオ「躍動」をクリアする・所持金額が80000以上になる 董卓が仲間に加入金100000を獲得董卓のSP500を獲得 呂玲綺 ・シナリオ「この手で今日を切り開け」をクリアする・呂玲綺の撃破数が30以上になる・董卓と呂玲綺が戦闘中に共鳴する 金200000を獲得董卓のSP1500を獲得董卓の壁紙を獲得 武将解説・性能考察 武将解説 性能考察 コメント欄 この掲示板はツリー方式です。レスをする時は、レスをしたい記事の先頭をクリックして選択してから書き込んで下さい。 それをしないとツリー表示されず、新規投稿になってしまいます。他の人が不快になる様な投稿は控えましょう。質問は質問掲示板で行いましょう。このページのコメント欄には、書き込みしないで下さい。 名前 全てのコメントを見る
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董卓 パラメータ (S~F) 体力: /無双: /攻撃: /防御: 弓攻: /弓防: /騎攻: /騎防: 移動: /跳躍: /シ移: /腕力:S/武力:A ボイス 見た目 武器 剣1 .剣2 .刀 C .槍 .薙刀 .戟 .棍 .大刀 .鞭 .槌 .斧 .鞭 .暗器 - .防守 - . 人間関係 ステージ 1:涼州の乱 2:十常侍の乱 3:シ巳水関の戦い 4:虎牢関の戦い 5:長安の戦い 6:董卓抹殺戦
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武力が高く、統率・知力もそこそこ。意外にも騎兵がSでは無い。 S2では張遼と義兄弟になると、若くて功績の低い張遼を活かす事にもなる。 また、実は義理の息子のはずの呂布とも義兄弟になれる。裏切り防止でなっておくのも良いだろう。 -- (名無しさん) 2010-02-12 01 16 11 ちなみに、連環の計まで防げるかは未確認。 -- (名無しさん) 2010-02-12 01 19 46 業績を考えれば政治はかなりあるはずだが、治安が大きく上がるのを嫌ったのだろうか。 -- (名無しさん) 2010-05-31 22 46 15 君主としての能力はだめだめだが、武官としてはまあまあ高い。 君主の義理は低くても問題ないのでご安心を。 以外に漢室無視ではないので漢朝復興もできるようだ。 -- (名無しさん) 2010-05-31 22 56 25 特技「徴税」は分割ながら税収が1.5倍になる素敵特技。 上級以上の難易度でも、単純に税収をプラスにするのは難しくはないが、この特技があると安定感が桁違い。 武官としての能力も高いが、落城直後の都市の復興にも一役買える。 -- (名無しさん) 2010-06-01 00 14 51 義理が低く野望が高いため季節またぎの合戦には注意する必要がある -- (名無しさん) 2010-09-28 22 49 19 君主として大軍勢を率いたいが、統率と適性はやや不足気味。 副将としては、やはり娘婿の李儒を計略担当にしたいが、 もう一人の副将には、騎兵S、統率80台の徐栄を推奨したい。 武力は十分と言えるので、この三人ならまず死角はないだろう。 勿論、三人を義兄弟にしてしまうのが最善である。 -- (名無しさん) 2010-10-13 02 44 19 毎回思うが全能力ともにもっと高くていい 特に政治と魅力が低すぎる。 部下には慕われてたし、腐敗してた宦官たちを一掃、劉協の代では選び抜いた人材のみ登用。 その中には十常侍などにより遠ざけられたりしてた者たちも含まれていた。 さらに劉弁は霊帝以上の暗愚といわれたほど。何進・皇后が権力に溺れるのは見えてたし悪い判断とは思えない。 統率については異民族討伐で若いころより名をあげてるし 武力についても弓の腕だけで中央から褒美が届くほどの腕前。演義準拠なら赤兎に乗った3人のうちの1人でもある。 -- (名無しさん) 2010-12-02 23 18 52 董卓はやろうと思えば政治もできた人間だと思う。ただ酒池肉林の方が好きだったのだろう。 -- (名無しさん) 2010-12-14 14 43 38 >毎回思うが全能力ともにもっと高くていい >董卓はやろうと思えば政治もできた人間だと思う。 僕はそうは思わないな。 1.別冊宝島では「反董卓連合軍が組まれると、政治的孤立感から遷都を実行した」そうで、 2.Truth In Factoryでは「長安遷都後、小銭を鋳造したが、大きさ、形が統一されておらず インフレを引き起こして貨幣経済を崩壊させてしまった」 そうなのでやはり政治のセンスは悪いほうだと思う。 ただ、気前良く部下に品物を分配した逸話もあり、部下達が復讐戦を挑んでもいるから、 魅力が低すぎるという指摘は賛成。 そうでなくても親愛されていた人が李儒一人というのはおかしい。 -- (関羽大好き) 2010-12-16 05 43 46 劉備からは、嫌悪されてないんですね。 -- (雑兵A) 2010-12-29 17 41 18 魅力不足については同意。また↑↑が政治のまずさについて言及してるけど、少なくともサイヨウの重用や当時中央から遠ざけられていた清流派士大夫の登用を積極的に行っている点を鑑みればデータ上6、70位はあっても良いはず。というか、言ってしまえば全体的にもう少し高い能力を与えても良い人物だと思う -- (袁世凱) 2011-01-03 21 18 10 ↑同意。後漢末期の腐敗した宦官と比べるとずっと政治をしている。曹氏の簒奪を正当化するために事実以上に貶められているといった事実も無視すべきではないと考える。 演義基準にするか正史基準にするかで評価が分かれる人物だね。 -- (Unknown) 2011-02-09 17 21 52 特技は白馬でもいいかも・・・ -- (名無しさん) 2011-03-10 16 59 40 サイエンが出ない所といい、この能力といい、意図的に弱くされている気がする。 まあ、曹操の挙兵を正当化するために董卓は絶対的な悪でなくてはならなかったという、歴史上の複雑な問題があるからどうしろとは言及はしないけど… -- (名無しさん) 2011-06-04 18 47 31 董卓より董旻の方がかわいそうだと思うな。兄よりかなり悪いから。 -- (名無しさん) 2011-07-24 02 32 35 暴君のイメージが強いとはいえ、政治19に魅力37とは流石に過小評価な気がする。そこらの黄巾武将変わらんではないか。 政治はともかく君主として魅力は少しでもあったほうがいいので魅力(低)を注ぎ込もう。 嫌悪されている武将は一級線の武将ばかりだが、盧植以外は義兄と嫁さんを登用できていれば何とかなるか。 -- (名無しさん) 2011-10-21 00 43 29 ↑一応訂正「そこらの黄巾武将(と)変わらん~」 -- (↑) 2011-10-21 00 46 52 確かに魅力が低すぎます。 匈族の使者が訪れた際に、 祭祀用の牛を素手で殺し振舞ったと聞きます、 匈族の使者は、これに大いに感激したといいます。 この事を踏まえると魅力80代の「早熟 短め」位が妥当かと? 政治は50位で、… 良くも悪くも暴君。 -- (孔雲) 2012-03-13 17 14 01 毎回疑問に思うんだが 洛陽を焼いて長安に遷都したことばかりクローズアップされているけど、 劉備も新野を焼いて江夏に逃げているよね。 同じなんじゃないの?どうしてここまで差が出た? 住民だって街を焼かれるくらいなら連れて行ってくれとも言うだろうし。 -- (名無しさん) 2012-04-24 20 02 54 ↑間違ってるしここに書くことでもない -- (名無しさん) 2012-04-24 21 56 33 ↑なんだと!ここは俺のチラ裏だぞ!何を書いても自由だ! -- (名無しさん) 2012-04-24 23 26 15 全くその通りですな太師様 ↑2の頭骨をえぐりましょう -- (李儒) 2012-04-25 04 08 58 この程度の能力だと、各地の群雄たちが連合軍を組むまでもないな。 董卓政権の強大さを再現するにはもっと能力を上げる必要はあるだろう。 また、配下は結構優秀なので、全くの愚か者ではなかったように思われる。 -- (名無しさん) 2012-04-25 18 40 11 自分で董卓をプレイするときはこのまま。 敵に置く場合は 統率94 武力92 知力73 政治75 魅力88 槍兵A 戟兵A 弩兵S 騎兵S 兵器B 水軍C というように書き換えている。 このくらいまで上げないと董卓の恐怖感なんて味わえない。 -- (名無しさん) 2012-04-26 18 34 11 あっそ 死ね -- (名無しさん) 2012-04-26 21 01 27 ↑何が「あっそ死ね」だ ニヒルぶっているんじゃねえよ、このバーローwwwが てめえなんか、沢尻エリカみたいに、あとで泣き面に蜂状態になってしまえばいいんだ、バーローめが。 -- (名無しさん) 2012-04-26 21 29 31 ここは武将の能力査定の場ではなく、運用方などを記載する場です また、張角欄の様な非常に見にくい状態になりますので書く人は第三者も閲覧 するという事を考えましょう。 シナリオ2であれば功績値の低い張遼なんかも義兄弟としてオススメ -- (名無しさん) 2012-04-26 22 11 21 ↑かと言ってすでに書かれてるのと同じこと書くのもどうかと思うわ -- (名無しさん) 2012-04-26 23 23 27 まぁ上の自演っぽい奴の痛いコメよりはマシなんじゃねぇww -- (名無しさん) 2012-04-26 23 38 19 洛陽に徐晃が居るぞ!しかも功績値0 義兄弟にはうってつけ。戟S君主兵力で、ばっちし壁!! -- (名無しさん) 2012-04-26 23 48 43 弩兵Aが勿体無いので虎牢関棺桶を「李儒」とやってますが…弩兵Sなら色々使えるので -- (名無しさん) 2012-05-05 01 34 02 ↑×5の言う通り 止めようとしても止まらんしごっつう迷惑するから自重してくれ 「李儒」よりも「賈詡」を副将に、ンで「李儒」に「張遼」で援護連発でどうでしょう? -- (名無しさん) 2012-05-05 02 02 47 フム、書くとチラ裏になりそうだが 董卓の様な群雄って新たな時代の始まりには必ずいますよねぇ? (日本の正史だと顕著ですが・・・) やっぱり時代とかが創るんでしょうか? さておき 洛陽から許昌に攻め込めば序盤の軍師はおいしくいただけるので 最初から許昌を落としますが皆さんどうですか? -- (名無しさん) 2012-06-17 01 24 24 劉備に嫌われていないのは意外 -- (名無しさん) 2012-08-29 18 06 25 特技・徴税も美味しいし、統率さえ育成すれば良将となる。 英雄集結では董卓か張魯が何進を滅ぼすことが多いが、董卓の場合は漢帝を擁立するので、遠方で擁立を目指す際には董卓の活躍を祈るばかりである。 -- (名無しさん) 2013-02-05 04 32 59 女の戦いでは片思いである貂蝉の元に埋まっており、 世にも奇妙な絶対に裏切らない董卓が見られる。 前線で戦えるだけの能力と美味しい特技でゲーム的には有用なのだが 貂蝉の方には既に・・・ -- (名無しさん) 2013-04-22 16 31 29 報われないのが報われた曹植とは決定的な差だな 暴君&敗者補正的なものか知らんがあまりにむごい 破綻した人脈の所為で支援部隊もできんし騎兵部隊では統率・知力共に不安 如何すりゃいいーのよ -- (名無しさん) 2013-04-22 23 32 34 平清盛みたいな人だと思うが政治が低すぎる -- (名無しさん) 2013-07-26 12 25 58 政争は強いんだろけど、政治は酷いってレベルじゃないぞ インフレ起こして放ったらかし -- (名無しさん) 2013-11-19 15 23 34 原料の銅が全く入ってこない状態だったのも、ハイパーインフレの原因だったんだっけ? -- (名無しさん) 2013-11-19 17 13 53 騎兵Sでもよくね? 戟もBかAあっても… -- (名無しさん) 2014-03-09 13 16 49 政争の強さを表現しにくいのが難点 知略で反映されてるのか? -- (名無しさん) 2014-08-15 03 26 47 なんつっても特技が素晴らしいので、見つけたら是非配下に迎えたい。適正Sがないのが惜しいが、弩はAだし武力自体は充分一級品。 低義理といい武力に尖ったステータスといい、高統率・低武力の軍師タイプの義兄弟にはうってつけの存在。英雄集結系では候補に困らないだろう。特技を考えれば、技巧ポイント分の価値は確実にある。 ただし野望もがっつり高いので、本人を太守にしないように気をつけよう。 -- (名無しさん) 2014-08-28 00 19 14 ギイン⇒議員⇒議院⇒ギインチョウ⇒議員長⇒議院長 とご苦労様でした。あとは25ズ65ズ100ズと(かんじちょう)グループに わかれてください。 -- (内田 雄久) 2014-10-08 14 06 27 略奪が無いのがザンネンです。 -- (名無しさん) 2014-11-08 20 58 05 騎射出来る時点で騎兵Sで良いと思うんだがな しかも両方どちらでもだろ? 弓はまぁAでもしょうがないかSでもいいと思うが -- (名無しさん) 2015-01-04 04 23 24 高順や太史慈の弩兵適正をCにするような公設定にそんなことを言っても無駄さ。 -- (名無しさん) 2015-01-04 06 43 51 史実では敵対勢力に連合軍に組まれたものの、結局孫堅くらいしかまともに破ることができなかった豪の者だが 例によって特技以外は二流三流武官程度のスペックしかない。 そのため、扱いはプレイヤーかCOMかで大きく変わるだろう。 プレイヤー勢力で行くなら、特技徴税はかなり使えるが、それ以外は正直微妙なので 曹操勢力をあっさり滅ぼしたら、連環の計を起こして呂布に当主を継がせるのもよい。 この時対抗馬となりうる李傕らは追放しておくのを忘れずに。曹操勢力を滅ぼしていれば、李儒の損失もさほど痛くない。 「呂布を君主にして暴れさせるための土台」と考えれば、これほど最適な能力はないだろう -- (名無しさん) 2015-01-26 07 51 02 能力少し低すぎるような。腕力絶倫で史実では李儒いないから謀略の数々は自分で考え出したんでしょ? 連合軍とやりあったことを考えると知力、統率、武力は90台はいけると思う。 この能力ではちょっと、ねえ。 -- (名無しさん) 2016-03-10 12 49 51 蒼天航路基準なら武力も統率も90後半いけそうだな知略も80あるか? -- (名無しさん) 2016-03-10 13 50 56 三国志13ではそんな感じの能力 -- (名無しさん) 2016-03-10 19 40 56 なんか、、董卓の見殺しに劉備の逃避行を掛け合いに出してるやつがいるが 間違っているよな 董卓がやったのは遷都、つまり領民を新都まで護送する役割があった。 一方、劉備の場合、民衆が勝手についてきただけで守ってやる必要はない 解ったか低能 -- (名無しさん) 2016-03-27 02 33 17 この人英雄集結で家臣にしたが、義理野心に気をつけたら戦闘も特技も結構使えるね。 -- (名無しさん) 2016-09-15 13 49 42 ↑だが君主として見るといまいち…魅力低いわ相性が遠い武将が多いわで、褒美と行動力の消費が激しい。 涼州勢に足りない政治力・弩適性と指導を持つ盧植先生に嫌悪されているのも地味に痛い。 -- (名無しさん) 2016-10-14 16 34 56 彼が作らせた悪弊は、後々まで曹操軍を経済的に悩ませることになる。少帝を退位させ、後に誅し奉ったが、以外にも漢室無視ではない。貂蝉に親愛を向けているが完全な片想い。 魅力も政治も君主としては足りないが、特技の徴税は都市の収入を結構増やしてくれるのでありがたい。 反董卓連合軍シナリオにおいては彼の勢力は強大で厄介だが、董卓さえ除けば跡を継ぐのは高確率で董旻なので、一気に弱体化する。どうしても董卓が欲しい方以外は捕まえたら斬首しても、有能な将が綺羅星の如くいる連合軍シナリオ故に特に問題は無い。むしろ攻略が楽になるかもしれない。 -- (名無しさん) 2016-10-22 01 05 12 特技はマジで助かる。 -- (名無しさん) 2016-11-04 19 53 10 呂布、華雄、徐栄、張粛辺りの武闘派と、李儒、荀攸、賈詡などの知性派が揃っているので、結構勢力的に強く、本人も強い。 跡継ぎが心許ないが、何とでもなる。 金があまり始める5都市目くらいで書き換えても良い。 猛者や長駆でもいいが董卓プレイならぜひ覇王を。気分的に。 -- (名無しさん) 2017-01-30 22 30 30 史実シナリオの場合は、敵は寿命と跡継ぎにある。 -- (名無しさん) 2017-04-06 18 04 44 蒼天航路という演義とは別方向で正史からズレた漫画によって近年やたらと過大評価されている人物。 実際には華々しい戦績とは程遠く、彼自身が指揮をして勝利したのは下っ端時代の胡の討伐と反董卓連合軍との戦いくらいで 黄巾軍との戦いでは連戦連敗をして解任され、他者の指揮下で戦った際も時に勝ったり時に負けたりと、勝率が高い訳でも優れた献策をした訳でも無い。 そして反董卓連合軍に董卓が優勢でいられたのは彼が強兵である涼州兵を従えて、朝廷の命令に従わず早くから軍閥化しつつあったからであって、同じように軍閥化しつつあった孫堅には勝てておらず 董卓の個人能力が高かったから董卓軍が強かった訳では無い。従って董卓軍の強さを再現するなら騎兵や練兵の技巧を編集するのが最適な方法だろうと思う。 袁紹や曹操はこの頃はまだ彼らほどならず者ではなかったので新しい任地で兵を集めるところから開始しており地力や軍の精強さ自体に差があった。 董卓個人を編集するなら統率+10、政治+50、魅力+20、騎兵Sくらいだろう。上に書かれた能力や知力、統率、武力は90台なんてのは別世界(蒼天航路)の董卓でしかありえない。 -- (名無しさん) 2017-06-01 01 07 43 長い、三行で頼む。 -- (名無しさん) 2017-06-01 02 02 03 そもそも馬雲騄や花鬘が登場するゲームで何を今更 まあ蒼天航路の董卓はチンギス・ハーンのオマージュなんだろうけど テムジンのオマージュである蒼天董卓なら武力も統率も100でいいな -- (名無しさん) 2017-06-01 05 53 47 兵器生産や技巧研究は張り切ってやるのに巡察だけはめんどくさがる変な男。 どう考えても前者の方が大変だろうに… -- (名無しさん) 2017-06-01 22 40 26 何故か劉備から嫌悪されてないので、彼さえ手に入れてしまえば関羽と張飛ももれなく付いてくる。 -- (名無しさん) 2017-08-16 22 40 31 後継者は賈詡がオススメ。マスクデータ的にも曹操系家臣と相性が近く、 本人も223年まで生きてくれる。手放さないようにしっかりキープしておこう 連環阻止は王允追放で回避できる。曹操系家臣を許昌で集めればおつりがくる -- (名無しさん) 2017-08-26 03 28 33 貂蝉との親愛が完全に片想いなのが悲しい。 -- (名無しさん) 2017-10-05 22 33 21 彼がいるだけで収入が増す。腹立つ男だが、ロウソク腹に突き立てる前に使いどころがあるかどうかじっくり考えよう。 私は毎回斬ってる。 -- (名無しさん) 2018-03-07 22 57 10 斬るのはもったいない。中盤以降ならいいけど、初期なら武官、税収でかなり役に立つ。 義理や野心にさえ気をつけたら使える。 -- (名無しさん) 2018-03-09 12 57 14 連環の計はプレイヤー勢力が董卓じゃなくてもはっせいしますか -- (名無しさん) 2020-08-23 08 05 03 三国志11何度かプレイしてますがNPC董卓で連環の計が起きたのは見た事ありません -- (名無しさん) 2020-09-03 15 57 23 イベントページで確認できますが、 イベント条件に「プレイヤー君主が董卓で(以下、董卓勢力)後漢皇帝を擁立」 とあります。 -- (名無しさん) 2020-09-26 22 27 23 嫌悪がやたら多いが当の本人は眼中にないのか特にこちらからの嫌悪はなく大物感が漂う設定になっている -- (名無しさん) 2020-12-22 10 39 33 強い -- (名無しさん) 2021-09-25 19 31 33 徴税徴収コンビの片割れ。ただ寿命なしがないので、あまり機能しない -- (名無しさん) 2022-04-21 23 05 25 後継ぎが董旻と牛輔(と董白)ではどーしようもないので、架空の息子か娘を設定しておき、董卓軍に所属させておく必要があると思います。それと、いにしえ武将から相性の良い呂尚と白起を補強しておきたい所です。 -- (名無しさん) 2022-12-18 22 59 20 なんだかなあ・・・どのシナリオの董卓軍でも、董卓一人死んだだけでガタガタになるような勢力ではないぞ 死んで後継者が継ぐ頃には主力級が何人か離脱してもビクともせんはずだか このゲームに慣れてないんならまあ頑張れ -- (名無しさん) 2022-12-28 10 03 43 特技と本人のスペックから、内政最小限にして速攻/転戦しまくるプレイスタイルが実にアツく、滾る 太く短くを心掛け、速攻戦を意識するなら寿命は殆ど気にならない筈 じっくりねっとり、寿命が気になる様なプレイスタイルなら董卓軍より向いてる勢力は幾らでもあるのだから、ここは素直に武力の高さと特技の強力さを褒める処 一個の武官ユニットとして見るなら、君主の動員力を重視するなら騎兵で出たいところだが、統率が今一で、適性もA止まりな事からむしろ高武力を活かした大火力の弓兵で使いたい 李儒とは相互親愛だが、彼は主将向けでないので、彼を副将にして脳筋に計略かけて黙らせつつ、呂布や徐栄、華雄等の猛将を(義兄弟でも何でも組んで)援護攻撃で補助しまくるのが単純にして超強力な運用法となるだろう -- (名無しさん) 2022-12-28 12 23 19