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John "Soap" MacTavish 【所属】特殊部隊・国境警備隊・(シベリア警察非常勤巡査) 【階級】少尉・航空参謀 【所有殺傷兵器】 SCAR-L SCAR-H USP M92FS M14 MP5A5 M4Super90(M1014) M4A1 MP7 P46 M95 M99 【所有非殺傷兵器】 Taser Gun M1014の非殺傷弾 その他多数 【所有航空機/車両】 F/A-18E(Fixer1-1) F/A-18E(Fixer1-2) MH-60Kx2(Fixer2,3) MH-6(Fixer4) UH-60L(Fixer5) HMMWV/M2(2台) HMMWV/M134(1台) M2A3(追加装甲) M1A2 ATV C-17(Fixer6) A330-200MRTT(Fixer7) その他エアシベリア旅客機など多数 【所有資格】 ヘリ操縦・航空機操縦免許 航空管制官 その他多数 【ソープ中隊】 【紹介】 狙撃と人質救助のスペシャリスト 元SAS 部下が増えて中隊になった 航空会社を設立した 【エアシベリア】 DHC-8-Q200 DHC-8-Q400 DHC-6 A320-200 A300-600F B747-400 B767-300ER B777-300LR B777-300ER A350
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一覧 目次 + 国民名簿 001~100 101~200 201~300 301~400 401~500 501~600 601~700 701~800 801~900 901~1000 1001~1100 1101~1200 1201~1300 1301~1400 1401~1500 1501~1600 1601~1700 1701~1800 1801~1900 1901~2000 2001~2100 2101~2200 2201~2300 2301~2400 動物の相棒 + 職人 職人 情報屋 花街 + 種族 ハーフゴーレム デスガーディアン デモンナイト ネオモーント ジュエルロイド オートマタ キトンフォーク ガルルドッグ 家事人形 精霊 + 邸宅 シトロン卿邸宅 マスカット卿邸宅 ジャスミン嬢邸宅 フェリオス卿邸宅 ロティ嬢邸宅 ミネア嬢邸宅 ルイフェル邸宅 貿易商 + 軍部 国境警備隊 満月軍 海月軍 料理人(軍部) 翼隊 料理人(翼隊) 守衛隊 悪魔‐守衛隊 ホロスコープ + 管理人 王国管理 会計士 事務員 秘書・執事 在庫管理 衛星AI + 医療・研究員 医療 研究員 + 神殿 神殿 祈り子 神社 + 孤児院 孤児院1棟 孤児院2棟 孤児院3棟 孤児院4棟 孤児院5棟 孤児院6棟 孤児院7棟 孤児院8棟 孤児院9棟 孤児院10棟 + 成年保護院 成年保護院 + 公務員 学校教諭 保育士 図書館司書 + 山彦 山彦 シルバーズ 隣組 + 工房・工場 レーション工房 ジャム工房 チョコレート工房 スパイス工房 調味料工房 紡績工場 精錬所 + 職業 ルナシエール 農業組合 鉱夫 酒造 旅人連合 仕事人 諜報員 + 王国 王国 王族 第一章~三章
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ノースフィーリア連邦軍はノースフィーリア連邦の軍隊である。連邦軍、北翼軍とも称される。 連邦軍の最高司令官は大統領。管理は国防総省の各部門が担当する。 概要 ノースフィーリア連邦は強力な軍隊を保有している。一時期は武装中立を宣言しているときもあったが、現在は撤廃されている。主要兵器は主に他国の既存の装備を独自に改良を重ねて生産、配備している。 軍事費、兵器生産などは自国で負担する。近年は、軍事予算を増加させており、規模も拡大している。 以前、18歳以上の男子に対して最大5年間の徴兵義務を課していたが、現在は廃止され、志願制となっている。女性も志願すれば入隊することができる。総兵力は約46万人。 最年少の兵士は18歳。入隊試験があり、高等学校卒業程度の学力を有することを要する。 一年の内戦と二度の戦争を経験しており、実戦のノウハウが培われている。 創立当初は旧社会主義圏の旧式装備を使用していたが、軍拡と共に近代的な西側装備へ置き換えられた。緊急時に備え、一部の高層ビルに対空装備が備えてある。 構成 陸軍 25万2000人 海軍 9万5000人 空軍 7万3000人 本土防衛隊 4万7000人 陸軍 陸軍部が管理している。創設時は時代遅れの旧式装備が目立ったが、現在では戦術データリンクシステムなどの近代装備を有する部隊となっている。 上陸作戦時は海軍保有の揚陸艦を使用する。 海軍 海軍部が管理している。装備は火力を重視したものが多く、またイージス巡洋艦を保有するなど大型艦を中心としたものである。艦載機は一部、空軍と共用している。 空軍 空軍部が管理している。マルチロール機が大半を占めており、防空戦から爆撃任務まで遂行できる。 国境警備隊 国防総省の管轄機関であり、法の強制執行権を有する。 平時は洋上プラットホームの警護や国境警備を担い、海難救助や環境保全、怪獣討伐も行う。
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NOOSE PATRIOT 概要 車体:特殊(緊急)車両 会社:MAMMOTH ベース車両:PATRIOT 和音:ヌースパトリオット ドア:4枚 駆動:4WD 実車:ハマー・H2 日本訳:縄の愛国者 プレイヤーのイメージ:他力本願主義 性能 重量:1,700kg 速度:241km/h 加速力:2.2m/s トランスミッション:5速 制動:弱 サス:柔らかい 解説 LCPD国境警備隊P・I・A仕様のカラーリングが施されたPATRIOT。 指名手配レベル3、あるいはロードブロック時に制服警官が搭乗して出現する。 ニードフォースピードでいうライノ。 大型の車体を使って突撃してくるため、カーチェイス時はNOOSE CRUISER以上に厄介な相手となる。 正面から衝突などしようものなら大ダメージは免れない。 自車がこの車より小さければおそらくは当たり負けして吹き飛ばされてしまうだろう。 また、自車が大型車だとしてもフロントエンジン車なら大ダメージは免れず、リアエンジンの車でも 真っ直ぐ走らなくなったり、安定性が落ちることがあるので極力この車との正面衝突は避けた方がよい。 ルーフ上に設置されたパトランプはNOOSE CRUISERと同じく薄型のもの。 形状を見る限りLEDのバータイプと思われる。 車内にはノート型パソコンが設置されている。 特別仕様、レアカラー 特別仕様、レアカラーは存在しない 画像
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共通シナリオ フロー1 国境を越えた出会い フロー2 守るための戦い フロー3 魔物を倒せ! 分岐シナリオ フロー メインA メインB メインC メインD フロー4 トレーネ:再開される魔物退治 ブラン:国境警備隊への参加 アウラ:山道を越えて フロー5 トレーネ:影の足跡 ブランA:皇国、皇女の為に1 ブランB:皇国、皇女の為に2 アウラ:手厚い歓迎 フロー6 トレーネ:悲しき再開 ブランA:皇国の侵攻 ブランB:大橋の攻防・皇国編 アウラ:大橋の攻防・アウラ編 フロー7 トレーネ:魔物使い ブラン:水門の攻防・皇国編 アウラA:シャルド城への潜入 アウラB:水門の攻防・アウラ編 フロー8 トレーネ:ルフトブルーメの窮地 ブラン:皇国軍の撤退 アウラA:追い詰められた皇女 アウラB:アウラ軍の追撃 フロー9 トレーネ:失意のトレーネ ブラン:残党狩り アウラA:英雄の苦悩 アウラB:信念 フロー10 トレーネ:続く弾圧 ブランA:共闘!抵抗開始! ブランB:ガストン・抵抗開始! アウラ:ユーリ・先制開始! フロー11 トレーネ:反逆者狩り ブランA:敵として・皇国編 ブランB:陽動作戦 再び アウラ:敵として・アウラ編 フロー12 トレーネ:退けない戦い・トレーネ編 ブラン:闇に落ちた者達 アウラ:退けない戦い・ユーリ編 ※フロー11後からサブシナリオ:蜃気楼の塔解禁 フロー13 トレーネ:ルフトブルーメの戦い ブラン:聖剣を探して アウラ:闇に包まれるシャルド城 フロー14 トレーネ:争いのない世界 ブラン:ダリウスの忠義 アウラ:触れてはならないもの フロー15 トレーネ:激震のイルミンスール ブラン:? アウラ:?
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893 :Aod(hoi2)の人:2013/05/06(月) 17 28 44 wiki-合衆国崩壊 合衆国崩壊(がっしゅうこくほうかい、原題 Dissolution of the United States)は英国放送協会によって1972年1月~12月に放送されたノンフィクション・ドキュメンタリードラマである。 概要- 当時の映像や記事をもとに歴史の大転換期である1939年~1943年の各国内情、世界の半分の生産力を持つと言われた巨人アメリカ合衆国の崩壊を日米英独ソの5大国高官視点でドラマチックに表現している。 資料や証言に基づいた考証45分、ノンフィクションドラマ45分の90分で1話を構成し、歴史ドラマでは珍しいその話の時代考証を先に見せるという手法により専門的な知識を持たない視聴者でも当時の高官になったかのように錯覚するような感覚をもたせている。 各話- 第一回「戦火の音」 悲劇の始まりは帝国軍の過激派でも、米政府内に巣食っていたソ連シンパでもなく、一人の愚者張学良だった。 謎の銃弾により日華は戦闘状態に入った。 この時点では事変、いや事件として収めようと動いていた。 しかし、片方の当事者、そしてその同盟者は事件を事変ではなく戦争としようとしていた。 張学良のみではなく、アメリカ合衆国も、である。 当時の国際状況、張学良の同盟者であるアメリカ合衆国の国力を見て取れば、アメリカの状況を見て取れはそれは最良ではなくとも最善の選択だった。 第二回「日本の孤立」 中国大陸の利権を巡る日米の対立が激化するのを見て、イギリスなど連合国は、アメリカ側に立つようになっていった。 停戦したとは言え、未だにドイツとの緊張関係にある連合国にとって、日米を天秤に図るのは当然であった。そして彼らは、より多数の支援が見込めるアメリカに擦り寄っていく。 第二回「審判の日」- くたばれ神様! ~エンパイアステートビルの壁で見つかった血文字~ 西暦1942年8月15日午後6時14分(東部時間)アメリカ合衆国大西洋沿岸部は文字通り「消滅」した。まるで後ろからバットで頭を殴られたかのように沈み込む巨人。 しかし、多くの人は気づいていなかった。あまりにも巨大な厄災が目の前にあるが故、その厄災が人類滅亡の危機の序曲でしか無いことに。 (一部省略されています。省略を表示するにはここを押して下さい) フィクション- ドラマの中にはより人物に移入できるよう、若干のフィクションが盛り込まれてる。 例) 第一話 永田陸軍大臣に「精神力で兵力差は何とかなる」と言い募る議員に対し辻大臣が突如拳銃を議員に突きつけて「なら貴方が実証して下さい。精神力があるなら避けられるんでしょう?」と満面の笑みで言い放つシーン。 嶋田海軍大臣の「やめろ辻!」という制止に「たしかに、弾代がもったいないですね」と手を引く場面では該当話の最高視聴率を記録した。 ※ちなみに、このシーンがシマ×ツジ第二隆盛期の元凶だとも言われている。[要出典] 第二話 開戦直前、米議会での証人喚問を受けた日本の大使が下院議員のヤジに対し叫んだ一言「これはディベートなのか?でなければ魔女裁判か!?」 戦後、連邦議会内で見つかった大使の白骨死体口内には、ガラス製の自殺用カプセルがあった。 (続きを(ry) 当然ながら帝国議会内に大臣が拳銃を持ち込むことはありえないことであり、また米議会での証言に至ってはそもそも記録が残っているはずもないので完全なるフィクションである。 批評家の中には「ドキュメンタリー部分でエンタテイメントできなかった製作者がドラマ部分ではっちゃけたせいで全体が台無しだ」という評価もある。 協力- 理化学研究所 帝国情報局(日本) 日本軍旧米連東部防疫師団 国際書籍博物館(フィンランド) 国際赤十字社(フィンランド) 国際防疫機構(フィンランド) 福建共和国文部省 上海共同租界 ジョージア工科大学 カリフォルニア経済団体会議 テキサス共和国国境警備隊 東洋フォード工業(旧フォード・モーター) ゼネラル・エレクトリック社 カナダ国境警備隊 国際非営利法人ドゥーチェのパスタ 帝国在郷軍人会(日本) イタリア在郷軍人会 ドイツ在郷軍人会 カリフォルニア退役軍人会 オレゴン退役軍人会 ワシントン退役軍人会 ジョージア退役軍人会 他 300組織・団体・法人
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キャラクター紹介 元バゴニア国境警備隊隊長で、剣聖シュメル・ヒュールの弟子にして、不易久遠流を免許皆伝にまで到達した剣の達人。ロザリーの兄弟子。 能力 やや格闘が上だがどちらも優秀なパラメータ。格闘は後半に覚える[免許皆伝]で回避と威力が上がるので前線でも戦いやすくなる。ただし、ウェルスピナー・レイの攻撃力がどうにもイマイチ。ジノは自身が戦うよりも、ジノ専用のスキル[陣頭指揮]による味方の攻撃力アップが非常に魅力的で、20%威力が上がるので特に後半の巨人族戦では重宝する。 格闘系は流石の不易久遠流免許皆伝の腕前。なのだが、虚空斬や最後の審判も少し心もとない威力で、射撃系の特殊スキルがなく、射撃武器の攻撃力も元が大した事ないので遠距離もイマイチ。MAP兵器のフルドライブバスターも大した威力がないが、精神コマンドの自由選択で「熱血」か「魂」が覚えれば使いやすい。 ジノの真骨頂は[陣頭指揮]によるサポートが1番大きい。[援護無欠]や[修理性能]を一緒に装備しておくと味方の防御と回復をしながら戦闘に参加もしやすい。 自由選択 選択肢は多く、自身も戦闘に参加するならやはり「魂」が欲しいところ。もしくはサポートに徹するなら、「練功」「補給」「応援」「脱力」等のサポート系の精神コマンドで、後半の巨人族戦に大量消費するMGやPNの回復や攻撃力を低下させるのも悪くない。
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リンク先のページでモンゴル人民共和国時代の懐メロが聴けます。 ニュースポータルサイト「ソニン・ドット・エムエヌ」(ソニン=モンゴル語で新聞)『黄金時代の音楽文庫』より “B.ザンガド(テノール歌手、人民芸術家)” http //sonin.mn/2009/03/12/zangad/ 曲目は上から 1、「ホブド川」 2、D.ミャースレン曲/D.プレブドルジ詞:「黄金の秋」 3、「愉快な心持ち」 4、「歌おうよ先生」 5、「年頃の楽しみ」 6、「紋章木の祀り」 “G.トゥメンデムベレル(人民歌舞団歌手、人民芸術家)” http //sonin.mn/2009/03/12/tumendemberel/ 曲目は上から 1、「トーラ川の流れ」 2、「みな幸せな娘たち」 3、「ユンデン兄さん」(民謡) 4、「ハンガイの歌」(ハンガイ=草原と少しの森林の入り混じったモンゴル中部の地域特性のこと) 5、D.ロブサンシャラフ曲/D.オトゴンスレン詞:「水清きタミルの川」 “P.アダルスレン(人民歌舞団歌手)” http //sonin.mn/2009/02/28/adarsuren/ 曲目は上から 1、「安らぎ」 2、L.バター曲/D.ジャミヤン詞「アルタイとハンガイの山々」 3、「道中幸あれ」 4、「あちらこちらの牧民たち」 5、「穏やかな季節」 6、「岩山」 7、「御者」 8、「私のお母さん」 9、「釣鐘草」 10、「国境警備隊の郷愁」
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隊章 地の利を生かした速攻・奇襲を得意とする。 また指揮系統が大隊長に集中しており、類似部隊とは違った行動がとれるため伏兵や遊撃に適している。 下に欠員補充のための部門が存在している。(150人程度) 10つの部隊に分けられており専門とする分野が異なる。 基本的に所属する組織の物を利用する。 主力攻撃部隊(第一軍団) “パラディン”80人前後 大隊長の指揮下で戦闘などを行う。 騎兵部隊(第ニ軍団) “レギオン”60人前後 機動力を生かして攪乱や非常時の伝令を担う。 援護部隊(第三軍団) “コルセスカ”50人前後 衛生兵が来るまでの場つなぎや物資の運搬を担う。 特種工作部隊(第四軍団) “アサシン”50人前後 電波妨害や建造物の破壊工作などを行う。 戦闘車両部隊(第五軍団) 最大規模 “ファランクス” 80前後 対機甲部隊全般を担う。 物資補給・空挺部隊(第六軍団) “ジャベリン”30人前後 味方による制空権の下で物資の投下などを行う。 爆撃部隊(第七軍団) “ドレイク”60人前後 装備 攻撃機などで密集目標やAAAの撃破を担う。 海戦・空戦部隊(第八軍団)“ゲイボルグ”70人前後 組織に配備された艦船や航空機に搭乗し対空・対艦の補佐を行う 通常戦闘総合部隊(第九軍団)“チャリオット”80人前後 守備隊や国境警備隊の援護を行うことが多い。 騎馬鉄砲部隊(第十軍団) “ドラグーン”40人前後 伏兵として活動し相手が少人数であれば大きな効果を発揮する。 (“”内は作戦行動時のコードネーム)
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205 :弥次郎@帰省中:2016/07/08(金) 21 15 13 「密かに清く自己を保存せよ。自分の周りは荒れるにまかせよ。功を焦れば、多くを失うことになる」 ---------ラインハルト・シェア中将 艦隊出撃前の訓示において、ゲーテの言葉を引用しての発言 「我が艦隊は今日は何かおかしいんじゃないか!」 ---------デイヴィッド・ビーティー中将 インディファティガブルとクイーン・メリーの轟沈を見ての発言 「結局のところ、海戦のあり方はこの戦いでまた一つ変化した。それを生かさねば百万の兵が海に沈む」 ---------ドイツ帝国の戦艦オストフリースラントに観戦武官として乗艦していた下村忠助中佐 日仏ゲート世界 有為転変3 -Dumb Witness- 夢幻会の会合が開かれたのは、行政要塞都市安土の一角にある料亭であった。 しかし、会場には騒然とした空気が漂っていた。 「これは……」 「いや、驚きですな……」 「……どうしたものか」 日時から察するにそろそろユトランド沖海戦と夢幻会は予測していたために、観戦武官や各国に配置している大使館などから 情報が提供されてくるのを今か今かと待っていた会合のメンバーだったが、情報が集まるにつれて動揺が広まっていた。 「……イギリスの戦艦はここまで柔らかかったか?」 「いや、水雷防御がアレな戦艦のようなものを作ったイギリスでもここまで……」 ユトランド沖海戦は、ドイツの判定勝利という形で終結した。 戦略的に見て、イギリスは自国の制海権をぎりぎりで維持。一方ドイツはラッキーヒットが重なったとはいえイギリスの艦隊の 史実より多くを撃沈することに成功していた。さらにそれに比例してイギリスの人的被害も大きかった。 「爆沈 撃沈 爆発して砲戦力を失い自沈処理……なんだかイギリスの被害がひどくないか?」 「いや、それを言うならドイツの艦艇も被害が史実よりも少ない……というか、巡洋戦艦の動かし方が史実と異なるぞ?」 「リュッツォウが無事でライオンが雷撃処分……?何の冗談だこれは」 それぞれがもたらされた情報に目を白黒させながらも、 「これはドイツの勝利なのだろうかな?」 「微妙だな。ドイツ海軍は撃沈された艦が少ない分、艦艇の修復を行わざるを得ない。暫く海軍が動けないだろう」 この、ドイツ海軍の長期戦略的 戦術的勝利に終わったユトランド沖海戦は、未来を知る夢幻会に大きな混乱を呼ぶものとなった。 206 :弥次郎@帰省中:2016/07/08(金) 21 16 25 ここからは神の視点で見ていこう。 このイギリス艦艇の被害の大きさが史実よりも拡大していたのは、イギリス艦隊が防御をおろそかにしていたことと、 人為的なミスが大きく響いていたことが原因であった。例えば、砲弾推進剤であるコルダイトをドイツ海軍のように 真鍮のシリンダーに収めず、絹の袋に入れた状態で、誘爆を抑えるための防火扉をあけ放った状態で砲塔近くに置いておく という誘爆してくださいと言わんばかりの状態であった。これは史実においてもやっていたことで、砲塔の爆発によって 速力の低下や砲撃能力の低下となってこの海戦の最中に確認されていた。さらに悪いことに、史実以上に速射力を求めた イギリス海軍は、というか現場の人間は、倉庫に入りきらない分の砲弾とこのコルダイトを火薬を置くべきではないスペース、 例えば開けっ放しになっていた砲塔の防火扉や通路に無造作に置かれていた。 また巡洋戦艦の『速度こそ装甲』というフィッシャーの考えが、実戦においては正しくないということが明らかになっていた。 速度を上げるために装甲が戦艦より薄い巡洋戦艦はこのような決戦時には真っ先に被弾しやすい最前線へと出てしまうことは、 撃沈されてしまうリスクを高める結果となった。この巡洋戦艦の存在意義に関わる設計思想と実戦のミスマッチングは、 ポストユトランド型という新たな戦艦の進化を生んだ。しかし、この時の第一海軍卿(軍令部長官)となっていた ジェリコーの意向もあり、こうしたミスが現場レベルの話でしか指摘されなかったことで、一部では改善されなかった。 つまり、浸透していた悪い習慣を取り除くチャンスを不意にしたということである。それ以上に、イギリス海軍全体に ドイツ海軍に対してせっかくの艦隊決戦で決着をつけそこなったという意見が大半を占めていた。 ドッガーバンクにおいてドイツ帝国のザイドリッツにおいて発生した火薬の誘爆という事態は、ドイツ側に巡洋艦の防御そして 防火体制についての欠点を指摘したものとなった。ドイツは依然からフランスや日本の艦艇について研究を重ねており、 ことさらに砲塔近辺での火薬の扱いについて注意をしていることをつかんでいた。さらに日本とイギリスの間で 巡洋戦艦についての評価と運用方針が分かれていることにも着目し、その原因は何であるかを考えていた。 そしてこのドッガーバンクの教訓は、それへの答えをもたらすものとなった。確かに巡洋戦艦は快速であり、位置取りという 攻撃において非常に重要な点において通常の戦艦を凌駕する。しかしそれは敵の砲火の矢面に立ちやすく、装甲の薄さと 合わさった場合、砲塔や弾薬庫などで容易に艦を沈めかねない事態が起こるということでもあった。 しかし、ドイツ海軍はその教訓を生かして根本的に欠点を改善することは時間や資材という点において実現不能と考えた。 事実、陸軍が主体であるドイツはそこまで海軍に予算を割り振っていたわけではなく、無事な艦艇を順次ドック入りさせても その間にイギリスが出張ってくることも考えられた。そのために、いくつかの点に絞って対策を打った。 砲弾の推進剤はキチンとケースに収め、砲塔への注水も現場の判断ですぐに行えるようにした。 他にも巡洋戦艦を矢面に立たせることは危険であるという判断から、砲塔そのものを頑丈にし、さらに砲塔の仰角の限界を 大きくして、『戦艦以上の速力によって距離をとりつつ、戦艦並の砲を以て遠距離から敵艦を打撃する』という運用方針へと 転換を図った。これには巡洋戦艦だけでなく、古い弩級戦艦についても無理に接近せずに砲撃を行うように命令が飛んでいた。 つまり、速度を装甲とするのではなく速度によって稼がれた距離を装甲としたのだ。距離をとればドイツ側も攻撃が 当たりにくくなるのだが、そこは砲の命中率をカバーするために速射ではなく照準を合わせてきちんと狙うように指示した。 相手の砲が命中しない確率が高いとわかれば、むやみやたらに発砲するよりも落ち着いて命中を狙う余裕が出る。 総じてみれば「艦が沈まないようにする努力」を重ねていたのだ。これらの努力によって、参加艦艇の乗員は多くが冷静さを 欠くことなく戦いに赴いていた。出撃前にラインハルト・シェア中将が行った訓示も、それを明確に表している。 207 :弥次郎@帰省中:2016/07/08(金) 21 17 16 ドイツは息つく暇なく陸軍を動かした。イギリスが事実上の沈黙にある状況で残るロシアにケリを付ければ、 長い戦争にも終結が見えてくる。元々ドイツとロシアの国境をめぐる争いも続いていたことから、これを機にケリを 付ければイギリスとて妥協を選ばざるを得ない。まずドイツは残存艦艇から戦力を抽出・再編してバルト海方面に向けた。 日露戦争時に大打撃を負ったロシア帝国海軍は弱っているとはいえそれなりの脅威となりえた。また潜水艦は優先的に 大西洋方面へと割り振り、イギリスの輸送艦などを積極的に狙い続けた。 続いて、陸軍を進撃させる。目標となるのはかつてのポーランドの東側の国境線付近である。 そこまで押し返せば、時期に冬を迎える。言うまでもないことだが、ロシアの冬将軍というのは恐ろしいものだ。 嘗てナポレオンが策定したロシア遠征計画も、最大の敵としてロシアの冬の寒さを挙げていた。焦土戦術をあわせることで ロシアを狙ういかなる敵でさえも撃退可能だろうと述べていた(※1)。 逆に言えば、冬が訪れればロシアも行軍を緩めざるを得ないのである。如何にロシアの領土が広く人口が多いとはいえ、 ロシアも等しくその広い大地を移動し、物資や人を運ばねばならないのだ。 そうすればロシアが動けない間にイギリスと講和をすることも可能だろう。損耗しているとはいえ対ロシアにはオスマン帝国らも 賛同して兵を供出しているので、交渉の間の背後は何とかなる。ドイツ帝国は、講和への足掛かりを確かに見出していた。 そんなドイツ帝国の西部は、泥沼に近い戦況を見せる東部戦線と異なり、緊張がありながらも穏やかな空気が広がっていた。 史実と異なりフランスは参戦しておらず、ドイツにしても東部に軍を集中させておきたい都合もあったことで、アルザスや ロレーヌ地方に近いこのシュヴァルツバルトは平穏そのものだった。時たまフランス軍のものと思われる飛行機が偵察を行って いるのが確認されてはいたが、それ以外は特に戦争の影は見られなかった。 そんなドイツ西部の駐屯地で、一人の伍長がラジオを聞きながらメモを取っていた。 ラジオから聞こえてくるのはドイツ語ではなく、フランス語と日本語。訛りのない綺麗なそれを聞きながら時々辞書を 手に取り、表現を確認しながらメモを書き進めていく。 「伍長、伍長はどこか?」 彼の耳に上司の声が届いた。 208 :弥次郎@帰省中:2016/07/08(金) 21 18 44 「は、こちらに」 「報告書の作成は順調かね?」 「順調そのものです。いくらか新しい情報が入ったようなので、現在まとめている最中であります」 「ん、よろしい。上層部もかなり情報には飢えている。滞りなく進めてくれたまえ、ヒトラー伍長」 「了解いたしました!」 アドルフ・ヒトラー。 史実においては伝令兵として第一次世界大戦に従軍していた彼は、この世界線においてはこの西部方面に派遣されていた。 彼の階級は伍長であり、肩書は伝令兵となっているのだが、史実と異なるのはもう一つの役割として情報分析官という 肩書があることだ。彼の担当するのは、ラジオの内容通り大日本帝国と帝政フランスの情勢分析。彼の赴任している地域は アルザス地方のすぐ隣であり、アルザスに存在する国営のラジオ局の電波が国境を超えて届くのだ。そして彼は国境の 警備任務に就きながらもラジオを通じてフランス国内の情報を集めるという仕事を割り当てられていた。 これにはなかなか複雑な経緯がある。 フランスという国家は、フランス革命戦争以来ヨーロッパの国々に対してかなり警戒を強めていた。そのレベルは かなりのもので、国境要塞の整備や国境警備隊の拡充によって密入国を難しくさせ、さらに戸籍管理によって国内の スパイとなりうる人間を炙り出すことで国内の機密を守る体制を作っていた。必然的に他国の人々はフランスを訪れにくくなり、 欧州にありながらも封鎖的な社会を構築していた。他の欧州人への目が厳しくなったといってよい。そのため、ドイツや イギリスなどはフランス国内の情勢をつかむのに非常に苦労する羽目になった。ここまでが前提条件となる。 ここでオーストリア出身のアドルフ・ヒトラーという人物がどのように関わって来るかといえば、彼が美術大学の 受験に落ちてしまう頃にさかのぼる。前述のように封鎖的な体制を構築していたフランスではあるが、そのハードルが 低い例外が多くいた。例えば、芸術家や技術者 研究者など、職業上国境を超えることが多い人間はきちんとした身分さえあれば フランス国内を訪れることが許可されていたし、国外へ出ることもできた。 そして、この時にヒトラーがであったのがウィーンを訪れていたフランス人画家の一人だった。彼の作風が当時の欧州で、 より正確に言えばフランスを除く欧州では受け入れられにくいことを見抜いた彼は、ヒトラーをフランスへの留学を誘った。 詳しい経緯はここでは省略するが、斯くしてフランスの美術学校に留学したのちに、日本へも留学したヒトラーは 働きながら現在でいう夜間学校に通い、一般教養を身に着けていった。これによってヒトラーは史実と異なりきちんと フランス語を喋れるようになり、さらに日本語にも通じるバイリンガルとなっていた。 そして、ヒトラーがアルバイトで得た給与で日本で購入したのがラジオであった。 日本とフランス両方で使えるこのラジオは、図らずもドイツにとって垂涎の的となる情報源となったのだ。なにしろ 工作機械の技術レベルで世界のトップを走るフランスと日本の工業製品を手に入れて戻って来たのだ。しかもきちんと 稼働する状態で、当時としては最新のモデルを持ち帰った。さらに、彼はその衣服からお土産の置時計に至るまで調べられた。 ヒトラーは後年の自著において述べているのだが、この調査をかなりの屈辱と感じたようだ。彼にしてみれば自身のために 留学してきたというのに、この扱いはあまりにもひどいものだった。離れて暮らしていた母の元に家宅捜索同然に人が 乗り込んできたし、自分の下宿先も犯罪者のアジトのように調べられたのだ。 209 :弥次郎@帰省中:2016/07/08(金) 21 20 03 その後、ヒトラーに政府と軍が提示したのが、このラジオを用いたフランス国内の情報を集めるという仕事であった。 彼からラジオを取り上げるような真似をしなかったのは、ドイツ政府なりの気遣いだったのだろう。フランスにいる恩師に ヒトラーが手紙を送って愚痴を言い、それが巡り巡ってフランス政府を動かしたのかもしれない。ともかく、彼は相応の給与を 得ることなどを条件として情報部に協力することになった。ヒトラーは母と親族をドイツへと呼び、自身はドイツ西部で、 ラジオの情報を書き留めながらまとめて政府へと提出する仕事を担当した。彼は日本で受けたような夜間学校を立ち上げ、 彼はその経営者であり東洋美術について教える教師となったので時間には余裕があった。ドイツにとっては貴重な情報を、 しかもかなり新鮮な情報を得ることが出来たことに大いに満足する結果となっていた。 また、彼の個人的な友好関係をたどるとフランス政府にもつながりがあった。時に彼が休暇を利用してフランス国内を 訪れることもあり、平時の情報収集役としてもかなり期待が持てた。彼に限らず、ドイツはこうした学者や研究者に声をかけて 日本とフランスに対する情報を集めるネットワークを構築していた。 さて、開戦後にヒトラーは徴兵に応募しようとした。 ここにはヒトラーなりの考えがあったようだが、戦争を知ることが自身のためになると考えていたようである。 しかし、この動きに慌てたのはドイツ政府だ。彼は貴重な情報収集者で、下手なスパイよりもフランスから情報を集めてくれる 人間だった。彼がうっかり戦死されてはたまらない。ということで、彼はドイツ上層部の、というか軍や政府の根回しで 戦争が起こらないと考えられた西部戦線への配置となった。一応東部戦線に出たこともあるのだが、半ば彼に箔をつけるための 従軍であったようで、すぐに本業に戻されることになった。即ち、フランスの情勢の分析であった。 元々諜報員として働くこともできるように訓練させられていたヒトラーは、たんなる一兵卒として使い潰すにはあまりにも 惜しい人材となっていたのだ。一兵卒のそれを超えたインテリジェンスと芸術分野を通じて構築した国外とのパイプ、 さらには軍である程度鍛えられた肉体。伝令兵というよりは、スパイという肩書がよく似合う。 さて話を戻そう。ヒトラーの報告によればフランス国内は極めて平穏そのものだった。 国内に報道される戦闘の結果なども多くは観戦武官の報告によるものと軍部へ内容の照会を頼んだ結果判明していた。 主にフランス国内のラジオにおいては、戦時におけるプロパガンダの一つとして通商護衛の精強さをアピールする軍の放送や 準戦時体制ゆえの注意事項などが平時よりも多く放送されるばかりであった。国内世論についても、このまま終結に向かうことを 願うという意見が聞かれるばかりで、あまり介入すべきという論は持ち上がっていなかった。 210 :弥次郎@帰省中:2016/07/08(金) 21 21 31 フランスが戦前から取り組んでいたのが、植民地の重工業化であった。広大な土地を生かしての農業は植民地の経済維持に 必須であったが、その効率化を進めるにはやはり工業を育てる必要があった。アフリカ・フランセーズにおいては商品作物の 栽培が盛んとなっていたのだが、土地の改良や品種改良がすすめられたことで徐々に少量食物の栽培も始まっていた。 安定した収量の維持にはやはり機械化が欠かせない。そして徐々に工業化を進めていくなかで、やはり経済的な負荷が 生じていた。特にアフリカ・フランセーズに暮らすいくつもの民族(※2)にとっては自分たちの伝統的な生活とのすり合わせを 行いながら工業への理解が進んでいたため、それは10年や20年のレベルでは成し遂げられない長期的な計画となっていた。 そのほかにも各地で進んでいたインフラの整備などには多くの予算が割かれており、戦争に参戦することはこれに遅れを 生み出すのではないかという懸念があったためだ。戦争がこのまま終結してくれれば、フランスにとっては一番良いのだから。 ラジオの内容から推測される日仏の通商護衛艦隊の陣容などについてまとめたメモを手にしたヒトラーは、今度は軍から 支給されたタイプライターを使って報告書を作成する。主にまとめるのはそれまでの放送内容と今日の放送内容の 違いを洗い出してまとめることと、どのような番組が放映されたかと、フランス国内の世論についてだ。 太平洋の海上帝国である大日本帝国と、東南アジア地域における制海権をほぼ掌握する帝政フランスということだけあり、 かなりの海上戦力を揃えていた。そして、今日新たに分かったのがとある船舶についてだ。 「航空母艦か……」 海軍の採用したという新しい艦艇についての情報だった。史実を知らぬヒトラーにとっては知り得ぬ情報であるが、 日本は史実より早く航空母艦についての研究を行っておりこの第一次世界大戦時には既に鳳翔の建造が進められていた。 そして、フランスでもフードルで得られた結果をもとに新たな水上機母艦や航空母艦の建造が進められていた。 ユトランド沖海戦の戦訓の一つとして、相手の艦隊の位置を敵よりも早くに発見する必要があるというものが日仏で共有され、 その解決策として、偵察機を運用する水上機母艦の就役が始まったという話である。この頃既に日仏では艦隊の目としての 水上機母艦の役割に期待を寄せ始め、艦隊に付随できる速力を持つ支援艦の研究を熱心に行っていた。 とは言え、欧州戦線への影響は小さいとみるのが当然だった。一応プロパガンダの一環であるので嘘ではないだろうが、 参戦してくるわけでもないならばあくまで報告の隅に乗せておくレベルで済む話だった。建造中ということは就役して 実戦投入可能なレベルまでまだ時間がかかるということだからだ。また、当時の航空機の攻撃力には限界があったため、 飛行機をある程度知っていたヒトラーにしても、そこまで脅威とは考えていなかった。 彼らが知りえぬことであるが、航空機の爆発的進化はこの第一次世界大戦時においても発生し、たんなる偵察機から 戦闘機や爆撃機、さらには魚雷を搭載した雷撃機までも誕生している。初めは拳銃しかなかったような偵察機もやがては 機関砲の搭載で戦闘能力を得るように進化した。そして、第一次世界大戦時にはまだ健在であった戦艦への信仰も 航空機の集中運用によって砕かれることになるのはそう遠くはない未来の出来事であった。この時点で彼にそこまでを 求めるのはあまりにも酷な話である。それにドイツはもともと海軍国ではなく陸軍国。フランスのように植民地と 海を通じて繋がっているわけでもないので、優先度はやはり海軍の方が一歩遅れていた。 『日本とフランスが新しい軍艦の建造開始を公表。飛行場をそのまま船に乗せている『航空母艦』とのこと』 この書き出しから始まるヒトラーのレポートがドイツ帝国海軍に注目を浴びるようになるのは、戦後しばらくの時間が たってからの事であった。それどころではない事態が、ドイツで発生したためだった。 211 :弥次郎@帰省中:2016/07/08(金) 21 23 08 事態が動いたのは、それから数日後のことだった。 その日、帝政フランス陸軍の航空機がドイツとフランスの国境沿いを飛行していたのだがそれが墜落してしまったのが 始まりだった。この偵察機はドイツとの国境沿いを警備する国境警備隊に配備されていた飛行機で、史実88式偵察機相当の 偵察機であった。エンジントラブルというのは往々にして起こるもので、この機体は何とか着陸しようとしたがうまくいかず、 結局片翼が大破する羽目になった。パイロットにしても打撲乃至骨折と思われ、身動きもとりにくい状況にあった。 そして困ったのが機体の処分に関してであった。この偵察機は他国と比較して10年は先を行く飛行機である。 しかも史実のそれと比較すれば機械の信頼性は高く、それに応じてスペックなども十分に他を圧倒するものとなっている。 トラブルが起きたとはいえ、それは他国にとっては格好の研究材料となりうる。 他方の偵察機の方もそれを理解していた。しかし片方の搭乗者は怪我を抱えていた。 しかし、現在地は回収が不可能と言えなくもない位置と推測される。そこで機密保持のためなどの点から救援を呼ぶことになった。 けがのなかった搭乗員が近くの町まで走り、電話を借りて軍へと連絡したのだ。 他方、ドイツ側でこの墜落を知ったのは、墜落の5時間後に知ったフランス側よりやや早かった。 ドイツ帝国側もフランスとの国境沿いの偵察活動を実施しており、この墜落をたまたま上空から発見したのだった。 そして帰投した偵察機の偵察員は当然のようにこれを上層部へと報告した。そして、これが基地の作業員や警備兵などに 口頭で伝わっていく。 ここから先は憶測や証言の曖昧さが目立つものとなっているので、やや信頼性に欠ける。 このフランス軍偵察機墜落の報告は、一夜にしてドイツ軍内部に広まった。とはいっても、墜落した地点がフランス領内と 言えるため、冷めた人間にとってはそこで興味を失うものであった。実際その基地司令はフランスが回収に来るだろうから 迂闊に刺激するな、と注意をするにとどめた。 偵察機のパイロットに至っては、報告を済ませたのちに補給が済んだ偵察機に食料などを積めてもう一度飛び立ち、 件の偵察機の近くに落下傘付きで落としてやるという行為まで行っていた。これはある意味独断行為ではあったが、 飛行機が誕生し、偵察機として使われ始めてから歴史が浅いころに故に見られた、『パイロット同士の交流』として 目をつむられた。実際、この時のフランス軍のパイロットは投下された食料に感謝しており、戦後には両者が再会する ことができたという。 212 :弥次郎@帰省中:2016/07/08(金) 21 24 09 さて、このパイロット同士の心温まる話とは別にドイツ軍内部では暗い話が持ち上がった。 即ち墜落したフランス陸軍の偵察機の奪取である。偵察機の性能はこれまで接触したパイロットの証言からドイツ軍のそれを 超えており、おそらく技術的に先行していることが推測された。そして、飛行機の搭乗者は恐らく無事ではない。 つまり、保存状態が良い偵察機がドイツの目と鼻の先に落ちているというわけである。それを好機と見たドイツ陸軍の数名が 西部方面の基地から消えたのは、フランス側が事態を把握してフランス陸軍国境警備隊に連絡を取り「十分に太陽が昇ってから 偵察員の救助と可能ならば偵察機の回収」を依頼した数時間前の事だった。 このドイツ側の兵士の独断専行は、実はある種厄介なコミュニティが背後に存在したとされる。 『オーストリア憂国騎士団』。ハプスブルク家を信奉する伝統のある組織であった。彼らはハプスブルク家への 忠誠を誓う民兵であり、それ故にオーストリア=ハンガリー帝国に独自のネットワークを持つ組織であった。 しかしその実態としてはオーストリア人の寄り集まりに近い組織であった。たまたま支援者の一角にハプスブルク家の 支持者がおり、『ハプスブルク家を信奉しオーストリアを憂いる人々の集まり』という箔をつけるために利用しただけの事であった。 詰まる所、彼らはファッションレベルか、それに毛が生えたレベルでしか行動力や規範を持ち合わせておらず、中には 組織の一面である「オーストリア人同士の相互扶助」が目的であると勘違いしていたケースも見られたし、「ドイツ帝国も 認める秘匿組織」と信じ込んでいるケースさえ見られた。いずれにせよ、組織の事態はそんな陰謀渦巻く組織ではなく、 単なるコミュニティの域を出ていなかった。 史実におけるとある伍長の父親のように、ハプスブルク家への信仰に近い支持者というのは一定数存在し続けた。元々 ハプスブルク家が婚姻による欧州国家の統一、即ち血縁による欧州の連帯を作り上げていた。「戦争は他家に任せておけ。 幸いなオーストリアよ、汝は結婚せよ」という言葉の通り、ハプスブルク家は戦争ではなく結婚によって欧州にネットワークを 構築していた。実際、1547年の時点でハプスブルク家のつながりは当時の欧州の多くを占めていたし、ブランドとして ハプスブルク家はかなり有力な物であった。ルイ16世の妻であるマリー・アントワネットもハプスブルク家との 政略結婚の意味合いがあった結婚だ。とはいっても本人たちは恋愛結婚に近いようだったが(※3)。 このオーストリア憂国騎士団は、組織としては弱くとも横のつながりは確かにあった。 メンバーを増やしていたこの組織は、オーストリアがドイツとともに受け持つ戦場において多くのオーストリア人が戦地で 死んでいることに、彼らなりに悩んでいた。塹壕戦というすさまじい消耗を強いる戦闘が展開しているためにその程度の 損耗などコラテラル・ダメージと割り切られているのは理解しているが(若しくは認めていない)、それでもそれを もどかしく思うことは確かだった。ドイツ西部に配備されたオーストリア人兵士はそんな東部戦線の様子を様々な形で 聞きながらも、歯がゆい思いを重ねていた。そして、そこに飛び込んできたフランス陸軍の偵察機の墜落。彼らが天佑と 感じるのも、無理からぬ状況であった。そして、近場の基地から合計で30名前後の兵がその偵察機の捜索に出た。 国家のために、オーストリアのために、ハプスブルク家のためにフランスの技術を得ようと。 213 :弥次郎@帰省中:2016/07/08(金) 21 25 30 結果だけを述べよう、彼らの、ドイツ軍所属のオーストリア人の行動は藪蛇にしかならなかった。 そもそも、フランス陸軍国境警備隊というのは、元をたどればブルボン朝フランス王国陸軍のエリート部隊にして、 アグレッサーにして、戦術研究を兼ねる組織である『狩猟旅団』を先祖に持つ組織である。本来二線級の実力として 認識される国境警備の戦力であるが、フランス軍にとってはそうではなかった。フランス革命戦争時の奮戦や命がけの 偵察・妨害・命令伝達はもはや伝説として語られているほどである。日本の宝塚歌劇団の演目にも取り上げられ、 多くの創作家が語り継がれる彼らの働きは、どう考えても二線級とは呼べない。 正統の系譜はフランス陸軍のエリート部隊や創設が決まった空挺旅団、あるいは皇宮警察へと繋がっているが、それは ある一部から分岐し、創設当時からの伝統ある仕事、即ち国境警備を希望する兵が多くいた。よってフランス陸軍国境警備隊は 『質を維持するために自ら離れた国家への奉仕者』の為の慰労部隊であると同時に、そうした彼らの希望を叶える場でもあった。 余暇のある彼らは新人兵への、将来有望な人物をスカウトして訓練するために時間を使っており、民間からもフィジカルエリートを 独自に育成していた。この国境警備隊独自の育成過程は、彼らの中で競争を生み出しているため、溢れた人材でさえ 正規軍からのスカウトが絶えないというレベルであった。 実のところ、フランス陸軍国境警備隊は偵察機墜落の情報を早くに掴んでいた。 以前も紹介したが、狩猟旅団というのは独自のネットワークを構築している。それは公然の秘密、知ってはいても 誰もが知らないふりをすることで「異常を感じさせることのない異常」としてフランス国内に存在していた。 よって、「偵察機が墜落し搭乗員が負傷、偵察機の回収が必要」という情報は国境警備隊に正規ルートで連絡が逝く10時間以上前に 即応できる部隊へと届けられていたのだ。そして、彼らは楽な任務になると考えて軽い装備(※4)を整え、夜間行軍の 演習(※5)も兼ねて近く(※4)の基地から出動していたのだった。 そして国境警備隊は夜間歩きとおして朝にはその偵察機の発見に成功していた。彼らは負傷者の回収を行ったのだが、 彼らにしても偵察機については持て余した。現状の装備では精々分解して持ち替える事しかできない。かといって、 意外と高い偵察機を破壊するような行動も躊躇われた。フランス陸軍に身を置く彼らも予算のことについてはきちんと理解していた。 というのも、皇帝一家の警護につくこともある彼らは儀典用装備を一式整える必要があり、これがまた意外と高い。 警備隊内部で装備を継承する風習があるにしても、それの手直しや経年劣化の補修などはかなり資金を使う。 それ故に、高性能の偵察機については扱いに困ったのだ。同じ陸軍としても何とかしてやりたいと考えた。 そこに最新兵器が落ちたと聞いて勇んで飛び込んできたのが、件のドイツ軍のオーストリア人兵士だった。 しかし彼らは迂闊過ぎた。仮にも戦争中であり、隣国は警備をきつくしていることが報告されており、さらには自分たちが 遭遇するかもしれない相手の装備を甘く見積もっていたのだから。実際彼らが持っていたのは良くて拳銃だった。 携行が許される範囲の武器しか持たない彼らと、実戦訓練も兼ねて実弾と小銃と手榴弾、さらに拳銃やスコップなども 持っていた彼らに殴り掛かればどうなるかは自明の理だ。 214 :弥次郎@帰省中:2016/07/08(金) 21 26 50 斯くして墜落した偵察機をめぐる偶発的な戦闘が勃発し、後に「ストラスブール事件」と呼ばれる軍事衝突となった。 事件の域を超えるレベルのこのぶつかり合いは、フランス側に負傷者2名、ドイツ軍に死亡4名負傷者21名を出して終結。 当然の如くドイツ軍兵士は全員捕縛される結果となった(※6)。 この事件は第二次世界大戦の流れを決定づける事件として後年に記録されることになった。 ついに地雷を踏んでしまったドイツ帝国がこの事実を知ることになるのは、外出した兵士が返ってこないことに違和感を覚えた 基地司令が捜索隊を編成して探し始め、ヒトラーの持っていたラジオにフランスの報道が入るまで待たなければならなかった…… ※1 ナポレオンは自分の死後の欧州情勢の予測を書籍としてまとめていた。この書籍には政治・経済・戦争の3分野に おいてフランスが今後どのように欧州と戦っていくべきであるかを彼なりの視点から述べていた。 その中で、ロシアの気候や風土について述べた章において焦土戦の恐ろしさを予見していた。 ※2 アフリカの植民地であるアフリカ・フランセーズでは、アフリカの原住民の居住区が広く確保されていた。 彼らはフランスの保護を受けることと引き換えに農場や工場に対して労働力の提供などを行っていた。 特に軍は素の身体能力が高いフィジカルエリートを集めていて、その見返りはかなりのものだった。 ※3 恋愛結婚に近かった夫婦の中は非常によく、その様は宮廷でも市井でも噂になるレベルだった。 特に夫婦間で交わされた大量の手紙は今でも『重要文献』ということで保管されている。 ※4 あくまで彼らの感覚の上でである。念のために。 ※5 夜間の行軍についても夜目が効くように訓練や食事制限を行っていた。他にも軍用犬や剣牙虎を引き連れての夜間の奇襲は フランス革命戦争以来の狩猟旅団の十八番でもあった。現在残されている資料において狩猟旅団の平均的な視力は 2.6から3.4であると記録されている。 ※6 逃げ出した兵士もいたのだが、そもそもフランスの野山に慣れ切っている国境警備隊とドイツ軍では雲泥の差が あったためにすぐに捕縛された。 次話:「有為転変4 -Towards Zero-」