約 625,675 件
https://w.atwiki.jp/tesu002/pages/1628.html
【平成23年 10月28日】 唯ちゃんの部屋は、実家のそれと似た雰囲気だった。 家具も小物も実家から持ってきたものばかりだから当たり前だけど。 違うとすれば、ふかふかのクッションが置かれたソファーと、お洒落な座椅子がある事くらい。 それから窓の形。大きくて、朝には日の光がたくさん射し込んでくる。 ベランダからはマンションの前を流れる川を対岸まで眺める事ができて、私はそれが好きだった。 唯ちゃんとりっちゃんがベッドに座り、部屋の真ん中に置かれたテーブルを挟んで澪ちゃんが勉強机の椅子に、私は床の座椅子に足を伸ばして座った。 これがそれぞれの定位置。 特にそうと決めたわけじゃないけど、音楽室の席と同じで、みんななんとなくそれぞれしっくりくる場所があった。 ちょっと前までは私の向かい側のソファーに、梓ちゃんがクッションを抱きながら座っていた。 私服の私達に対し、梓ちゃんは制服だったから、唯ちゃんとりっちゃんが梓ちゃんを見て「初々しい」「若々しい」と言っていた。 梓ちゃんはその時、「一歳しか違わないじゃないですか」と返した。 唯「ねえねえ何買ってきたの?」 律「秋山セレクションですぜ」 唯「ほほう、そいつは楽しみですなぁ」 澪ちゃんはちょっとだけ得意げな顔をした。 私は手に持った袋の中身をひとつずつ取り出した。 紬「えっと、スクリュードライバー、オレンジブロッサム、カシスオレンジ、テキーラサンライズ……がそれぞれ3本」 律「まぁ!柑橘系大好き!わたくし最近酸っぱいのが好きなのー……ってなんでオレンジ縛りなんだよ!」 澪「え?だって、可愛いかなって……。でも他のお酒もちゃんと買ってきたぞ」 律「はー、わかってないなぁ。もっとこう、渋いのが大人だぜ?ウイスキーの一本くらい買ってこなくてどうする」 澪「ウイスキー飲んで泣きながら吐いたヤツが何を言ってるんだ」 唯「私は好きだよ、オレンジ!ありがとう澪ちゃん」 私は袋の中の最後の二本を取り出した。 紬「あ、他にもあったわ。えっと、ビールが一本とカルアミルク」 りっちゃんはわざとらしく肩を落とした。 唯「いくらだったー?」 唯ちゃんは財布を取り出した。 律「二万くらいかなー」 唯「うっ……今月破産確定……」 澪「はいはい、嘘だよ。ほら、レシート。全部で5,500円」 唯「じゃあ、えーと……1100円だね」 澪ちゃんとりっちゃんが視線を落とした。 澪「いいよ、払わなくて。部屋使わせてもらってるんだし」 唯「ええ?悪いよー」 紬「いいのよ」 澪「律はちゃんと払えよ」 律「へいへい」 唯「……えへへ、ありがとう、みんな」 私達が初めてお酒を飲んだのは、大学に入ったばかりの頃。 他大学と合同の軽音サークルの新入生歓迎コンパの席でだった。 みんなおそるおそるお酒を口にして、それを見た上級生は気を良くして、ことさら私達に飲ませた。 澪ちゃんは外見で目立っていたから、特に標的にされた。 勝手にご機嫌になる唯ちゃんとりっちゃんの横で、一向に酔えない私はずっと先輩と世間話をしていた。 しばらくして澪ちゃんの姿が見当たらない事に気づき、私はすぐにトイレに向かった。 澪ちゃんは息も絶え絶えに吐いていて、その背中を先輩がさすっていた。 私は介抱役を先輩と代わり、澪ちゃんの背中をさすり続けた。 胃の中が空っぽになってからも、澪ちゃんは何度か胃液だけを吐いた。 それから泣きながら、「もうこんなの嫌だ」と言って、澪ちゃんは訴えるような目で私を見た。 私はハンカチで澪ちゃんの涙と口のまわりを拭い、「じゃあ私達でサークル作っちゃおうか」と言った。 澪ちゃんは涙目になりながらも、安心したようにうんうんと頷き、また便器に向かって吐いた。 その飲み会の後も、唯ちゃんとりっちゃんは他のサークルのコンパに顔を出し続けていたから、私と澪ちゃんは不安になったけど、結局二人はタダでご飯を食べたかっただけらしく、晴れて四人でサークルを立ち上げる事になった。 お酒を開ける前にお菓子の封を開け、しばらく適当に会話をしていると、唯ちゃんがテレビをつけた。 生放送の音楽番組が液晶テレビの画面に映し出された。 唯「私の好きなバンドが出るんだ~」 セットの階段を降りてくるアーティスト。 唯「あっ、この人達だよ~」 唯ちゃんがテレビの画面を指差した。 律「ってお前、それ唯の好きなバンドじゃなくて梓の好きなバンドじゃん」 その言葉で訪れる沈黙に、私達は飲まれた。 やたら明るい司会者の声だけが間抜けに響く。 りっちゃんは自分を責めるように頭をがしがしと掻いた。 唯ちゃんはそんなのお構い無しに、テレビの画面を食い入るように見ている。 澪「他になんかやってないの?私、このアナウンサー苦手なんだ」 澪ちゃんがとってつけたような理由を添えて、チャンネルを変えようとした。 唯「だめだよー。これ見ようよ」 唯ちゃんが澪ちゃんを制した。 澪「唯」 澪ちゃんはなおも食い下がる。 唯「だーめ」 唯ちゃんは笑いながら頑なに拒んだ。 律「まぁいいじゃん。見ようぜ」 りっちゃんが諦めたように言った。 私はテーブルの上の小さい時計に目をやった。 午後八時。 日付が変わるまで、あと四時間。 梓ちゃんの四十九日まで、あと四時間。 【平成22年 11月26日】 この日、唯ちゃん達は音楽室に来なかった。 斎藤に渡されたチョコレートケーキは安全に食べられるものだった。 でも、それじゃダメだった。 だから、私はまた梓ちゃんの目の前でそれを落とした。 今度はわざとだとわかるように、これ見よがしに落として、爪先で踏んだ。 梓「ちょ、ちょっと何してるんですか」 梓ちゃんは慌ててしゃがんで箱を開けた。 梓「あぁ、これもう食べられないじゃないですか」 紬「梓ちゃん」 梓「はい?」 紬「昨日チョコレートがいいって言ってたから持ってきたの」 梓「それはわかりますけど、でもこれじゃ……」 紬「食べたくないの?」 しゃがんで私を見上げる梓ちゃんの目に、少しずつ怯えの色が広がる。 梓「……言ってる意味がわかりません」 紬「私、お茶淹れるね」 私は梓ちゃんを放って、お茶の用意を始めた。 机の上にティーカップを並べて、梓ちゃんからケーキの入った箱をパッと取ると、私は箱ごと梓ちゃんの席の前に置いた。 紬「座って。お茶にしよう?」 梓ちゃんは愛想笑いを浮かべながら言った。 梓「ええと、すいません、どうつっこんだらいいんですか?」 私は笑い返した。 紬「ふざけてないよ」 梓「って言われても」 紬「ねえ、早く食べようよ」 梓ちゃんは渋々席につき、お茶を啜った。 紬「ケーキは食べないの?」 梓「……はい」 紬「どうして?」 梓「ムギ先輩が落としたから……」 梓ちゃんは伏し目で答えた。 紬「いらないの?」 梓「……いりません」 紬「食べてよ」 梓ちゃんは顔を上げた。 そこに不安が水彩絵の具みたいに滲む。 梓ちゃんは、自分が悪意を向けられている事に気付き始めたみたい。 梓「なんで……」 梓ちゃんからしてみれば、それは突然で、不可解だったはず。 私には突然ではなかったけど、不可解なのは同じだった。 梓「ムギ先輩、私、何か失礼なことしました?だったら謝りますから……」 紬「怒ってないよ」 梓「怒ってるじゃないですか」 紬「怒ってないわ」 梓「怒ってるじゃないですか!」 梓ちゃんは声を荒げた。 それから目に涙を溜めながら言った。 梓「何かあるならはっきり言ってください。じゃないと私、わからないです……」 何を言えばいいの? 私は梓ちゃんを大切な後輩だと思っているし、怒る理由なんて何もないのに。 紬「梓ちゃん落ち着いて。怒ってないよ」 梓「でも」 紬「ほら、早くケーキ食べないと」 梓ちゃんは箱をじっと睨んだ。 それから観念したように、箱の中に飛び散ったチョコレートケーキを指先で摘み、口に運んだ。 そうすれば、私の怒りが収まると思ったのかな。 でも何度も言ったように、私は怒ってないんだよ。 こんな事をさせる理由も、自分でよくわかってないの。 梓ちゃんはケーキを飲み込むと、私の方を見た。 私は何も言わずに手の平を見せて、全部食べるように促した。 梓ちゃんはケーキを手でかき集めて口に入れ、それを飲み込むと、口の周りをチョコレートで汚したまま鼻をすすった。 私はその一挙一動を、両手で机の上に頬杖をつきながら、しげしげと眺めた。 梓「……食べましたよ。これでいいんですか」 私は笑顔でそれに答えると、梓ちゃんから視線を外して、参考書を開いた。 梓ちゃんは啜り泣きながら、流し台で手を洗った。 それからギターをケースにしまい、バッグを肩にかけて、 梓「お疲れ様でした。失礼します」 と言って、部室から出ようとした。 紬「梓ちゃん待って。一緒に帰ろう?」 梓ちゃんは立ち止まったけど、私の方を見ようとしなかった。 私は帰る準備をして、ハンカチを用意した。 紬「お待たせ~。じゃ、帰りましょう」 私は梓ちゃんの涙を拭いながら言った。 梓「ごめんなさい……」 いくら拭っても、梓ちゃんの瞳は涙を運んだ。 紬「泣かないで梓ちゃん」 梓「ごめんなさい……」 梓ちゃんはしゃくりあげながら、何度も私に謝った。 私は梓ちゃんの手を取り、音楽室を出た。 帰り道、私達は言葉を交わさなかった。 5
https://w.atwiki.jp/tesu002/pages/1635.html
梓ちゃんが霊柩車で運ばれていった後、私は客間に用意されたお料理を食べた。 澪ちゃんとりっちゃんは一口も食べなかった。 憂ちゃんと純ちゃんは泣きながら互いに何か言葉を掛け合っていて、食事には興味も示さなかった。 唯ちゃんだけが、私と一緒に食べてくれた。 唯「ムギちゃん、それおいしい?」 紬「うん。おいしいよ。唯ちゃんもどうぞ」 唯「ありがとう。おいしいね」 澪ちゃんはそんな私と唯ちゃんをなじったけど、りっちゃんがそれをやめさせた。 さわ子先生は私達に何度も励ましの言葉をかけてくれた。 でも自分が泣くのを我慢できていなかった。 りっちゃんと澪ちゃんは泣きながら何度も頷いていた。 唯ちゃんは話の途中で抜け出し、和ちゃんと一緒に、また泣き出してしまった憂ちゃんを慰めていた。 憂ちゃんが落ち着くと、唯ちゃんは私の隣に座り、手を握って笑顔を見せた。 結局私と唯ちゃんは、お葬式の間、一度も泣かなかった。 帰宅すると、私は服のボタンを外し、ベッドに身を投げた。 目頭をぐっと押していると、服の袖からお香の匂いがした。 それが不快だったから、私はすぐに着替えた。 それからシャワーを浴びた後に携帯電話を開いて、梓ちゃんに電話をしようと思った。 でも、今日は梓ちゃんに何もしてないから、かける理由がなかった。 私はベッドの上で梓ちゃんから電話がかかってくるのを待ったけど、結局電話は鳴らず、私はそのまま目を閉じて眠った。 【平成23年 9月14日】 お葬式から二日後、私達は唯ちゃんの部屋に集まった。 律「梓の事は残念だったけど、私達が泣いてたら梓も悲しむと思うんだ」 唯「そうだよー」 律「だからさ、これからも梓の話が出る事はあるだろうけど、それで泣くのはナシ!」 澪「うん、わかった」 律「唯とムギもいいな?」 唯「はーい」 私はそもそも梓ちゃんが死んだ事もよくわかってなかったけど、「はい」と言った。 それから、りっちゃんの言葉とは裏腹に、私達の間で梓ちゃんの話題は出なかった。 むしろ梓ちゃんの話を避けてすらいた。 「泣くのはナシ」だけど、澪ちゃんとりっちゃんは自分が泣いちゃうのがわかっていたから、梓ちゃんの話はしづらくなったみたい。 でも、時々お互いを励ますような事を言うようになり、その言葉は私にも飛び火した。 唯ちゃんはアルバイトに顔を出さなくなり 、大学も休みがちになった。 私は店のオーナーに事情を話し、しばらくの間みんなにお休みを与えてもらった。 梓ちゃんがいなくなってから、 私の左耳は前みたいに暖かくならなくなった。 私はそれが寂しくて、腹立たしかったから、左耳にピアスを開けた。 【平成23年 10月27日】 梓ちゃんがいなくなってから四十七日目、その日は台風が来た。 この日も私達は唯ちゃんの部屋に集まった。 特に用は無かったけど、ただ集まれればそれで良かった。 唯ちゃんは、梓ちゃんの話を何度もした。 最初、りっちゃんと澪ちゃんは何とか話を逸らせようとしたけど、唯ちゃんがしつこく梓ちゃんの話をするから、りっちゃんが怒鳴った。 律「いい加減にしろよ!わざとやってるだろ!」 それからりっちゃんは台風の中部屋を飛び出し、澪ちゃんもそれを追いかけた。 私はどうしようか迷ったけど、唯ちゃんが、 唯「台風で危ないから泊まっていきなよー」 と言ったので、結局二人を追いかけなかった。 すぐにりっちゃんから電話が掛かってきて、ちゃんと家についたから心配しなくていい、と言われた。 私は唯ちゃんに電話を渡し 、二人はすぐに仲直りした。 その晩、唯ちゃんはずっと夢枕で私に冗談ばかり言っていたけど、外の風の音でほとんどよく聞こえなかった。 【平成23年 10月28日】 コンビニに唯ちゃんの姿はなかった。 私は出来るだけ大人しくしながらお酒を買い、コンビニを出た。 澪ちゃんとりっちゃんは寝ちゃってるから、必要なお酒は私と唯ちゃんのぶんだけ。 唯ちゃんもいつもより控えめに飲んでいたから、それほど量は必要ないと私は判断して、新発売のカクテルを4本だけ買った。 唯ちゃんはどこに行ったんだろう。 携帯に電話をかければすぐにわかるけど、それをしないで探したほうが楽しそうだったから、私はその辺を散歩しながら唯ちゃんを探す事にした。 腕時計は11時57分を指していた。 紬「あと三分」 コンビニの周りをうろうろした後、私は近くの河原に向かった。 公園のガス灯が河面に反射して揺れている。 いつもなら綺麗な場所なのに、台風の後だから水かさが増していて、水面の光を飲み込んでしまいそうで不気味だった。 それを見たくなかった私は上を向いた。 星が散りばめられた夜空を見て、人工物の灯じゃやっぱり及ばない、と私は思った。 不意に、聞き慣れた声の耳慣れない響きがした。 水面の前の柵に、唯ちゃんはいた。 紬「いた」 私は唯ちゃんに近づき、声をかけようとして、それをやめた。 唯ちゃんは子供みたいに声を上げて泣いていた。 唯「あずにゃ……ん……うあ……うぁぁぁん……」 唯ちゃんは顔も隠さないで泣いていたから、涙は水面に、泣き声は夜空に、それぞれ吸い込まれていった。 私はそれを見て、足がすくんだ。 私は子供だから、梓ちゃんが死んじゃってもわからなかったの。 私は大人だから、いちいち泣いたりしなかったの。 唯ちゃんも同じだと思ってた。 でも、今まであっけらかんとしていた唯ちゃんは、ただ泣くのを我慢していただけで、その上私達にそれを見せないために、今ここでこうして泣いている。 梓ちゃんは子供だから、あんまり泣くのを我慢できなかった。 りっちゃんと澪ちゃんは子供だから、振り返り方がわからない。 だから前しか向けない。 私はちょっとだけ大人だから、後ろを見ても泣かない。 でももう、子供なのは私だけで、大人なのも私だけ。 紬「唯ちゃん」 私は唯ちゃんを呼んだ。 唯ちゃんは、はっとした顔で私の方を見た。 唯「えへへ」 唯ちゃんは目をごしごしと擦ってから笑った。 私は唯ちゃんの隣に並び、柵に両手をかけた。 紬「唯ちゃん、大丈夫?」 私は平然を装った。 唯「うん」 紬「よかった」 唯ちゃんは携帯電話を開き、時間を確認してから私に訪ねた。 唯「ムギちゃん、今日が何の日か知ってる?」 【平成23年 10月29日】 私は答えた。 紬「うん。知ってるよ。梓ちゃんの四十九日」 唯「あずにゃんが天国に行けるように拝んであげないとね~」 紬「そうね」 唯「澪ちゃんとりっちゃんは知らないのかな?」 紬「うん、知らないみたい」 唯「二人とも子供だなぁ」 紬「たまたま知らないだけだよ」 唯「りっちゃんなんてあずにゃんの話したら怒るし」 紬「唯ちゃん、怒ってるの?」 唯「んーん。りっちゃんも澪ちゃんも、思い出し方がわからないだけだし」 紬「私もよくわからないわ」 唯「もう大学生だよ。私達大人だよ。お酒も飲めるようになったし」 紬「本当は飲んじゃダメなんだよ」 唯「あ、そっか。じゃあまだ子供だね~」 私達の言葉は川の水流に飲み込まれ、それが立ち上って空を彩った。 唯ちゃんは一足先に大人になったけど、言葉は子供みたいに燦然としていた。 唯「私、色々調べたんだよ」 紬「何を?」 唯「法事のこと。新聞とか読んで」 紬「新聞には載ってないと思うよ」 唯「うん。だからおばあちゃんに教えてもらったんだ。でね、四十九日って、人が死んじゃった事を受け入れて、納得するのにちょうどいい日数らしいよ」 紬「そうなの。知らなかったわ」 唯ちゃんは笑いながら続けた。 唯「そんなわけないのにね~。そんなすぐに納得なんて出来ないよね~」 紬「きっと昔の人は忘れっぽかったんだよ」 唯「私より?」 紬「多分」 唯「ムギちゃんは?もう納得できた?」 わからない。 私は悲しんでないから、きっと唯ちゃんより前の段階にいる。納得するのは、私が泣けるようになってからだと思う。 私が何も答えないでいると、唯ちゃんは川面に視線を移した。 唯「高校の時に私とあずにゃんが演芸大会に出たの覚えてる?」 紬「うん」 唯「えへへ。ゆいあずってね、川原でお話してる時に結成したんだよ」 紬「そうだったんだ」 唯「この川って、その時の川の下流なんだよ~」 紬「だからあのマンションにしたの? 」 唯「ううん、たまたまだよ。この川の事を知ったのは最近だもん」 唯ちゃんは柵を擦った。 唯「あずにゃんごめんね。私、約束破るね」 12
https://w.atwiki.jp/tesu002/pages/1629.html
家に着くと、私は梓ちゃんに電話をかけた。 梓ちゃんはすぐに出てくれた。 梓「はい……」 かすれた声が受話口から聞こえた。 紬「梓ちゃん、ごめん」 梓ちゃんは答えない。 紬「酷いことしてごめんなさい……」 鼻をすすり、梓ちゃんは私に訊ねた。 梓「なんで?なんであんな事させたんですか……?」 今度は私が無言になった。 梓「昨日せっかくムギ先輩と仲良くなれたと思ったのに……何でですか……?」 紬「ごめんなさい……」 私にもわからないの。 でも、今謝ってるのは本当に悪い事をしたと思ってるからだよ。 梓「いたずら……ですか?」 紬「そう、かも」 体のいい理由を梓ちゃんが用意してくれたので、私はそれに乗っかることにした。 梓「やりすぎですよ……。私、ムギ先輩に嫌われたのかと思いました……」 紬「私が梓ちゃんを嫌いになるわけないじゃない」 梓「ならいいんですけど……ああいうのはもうやめてくださいね。本当にヘコむんですから」 紬「うん。ごめんね」 電話の向こうで梓ちゃんがはーっと息を吐いて、受話口からばたばたという音がした。 梓「良かったです。私、ムギ先輩に何か失礼なことしちゃったのかと思って色々考えちゃいました」 紬「ううん、私が悪いの。だから気にしないで」 梓「はい」 紬「じゃあ梓ちゃん、また明日ね」 梓「はい。失礼します」 そこで私達は電話を切った。 私の左耳は、また暖かくなった。 私はベッドに寝転んで、壁とにらめっこしながら考えた。 なんで私はあんな事をしたんだろう。 梓ちゃんが傷つくのはわかりきっていたのに。 梓ちゃんが傷つけば、私も悲しくなるのに。 その疑問に私の頭が全部持っていかれたおかげで、罪悪感は枕の横に置いたままになった。 それから一週間、唯ちゃん達も部室に通い続けた。 梓ちゃんが唯ちゃん達に何か言った様子はなく、いつも通りの時間が過ぎていった。 梓ちゃんも私がした事に言及してこなかった。 私だけがいつも通りじゃなかった。 私は音楽室に入るたびに、怖れと好奇心を募らせた。 みんなに知られた時の事を考えると身が竦む。 竦むのに、好奇心は堆積して私を隈なく覆っていく。 私はこっそり、音楽室の物置の内側の鍵を壊しておいた。 【平成22年 12月6日】 梓「今日はみなさん来ないんですか?」 紬「うん」 梓「そうですか」 そう言って、梓ちゃんは少し残念そうな顔をした。 みんなが来なくて寂しいの? それとも私と二人でいるのが嫌なの? 梓「あ、でもムギ先輩と二人っきりなら、この前みたいに作曲の話ができますね」 私はそれに答えず、部室の物置を指差した。 紬「梓ちゃん、ちょっと取ってきてほしいものがあるの」 梓「なんですか?」 紬「物置の中なんだけど……」 梓ちゃんは不思議そうな顔をしながら、物置に入っていった。 梓「どれですか?」 紬「奥の方」 梓「うーん、散らかってて何がなんだか」 私は物置のドアを閉め、鍵をかけた。 梓「あっ、もう!いたずらしないでくださいよ」 私が何も答えないでいると、梓ちゃんは内側から軽くドアを叩いた。 梓「ムギせんぱーい、開けてください」 梓ちゃんはしばらくドアノブをガチャガチャと回した。 梓「はぁ……。ていうか内側にも鍵あるんですからね」 ドアの向こう側から鍵を外そうとする音が聞こえた。 梓「……ムギ先輩、開けてくれませんか?」 紬「嫌」 そう言った私の声は、自分でも驚くほど冷えきっていた。 梓ちゃんもそれを感じ取ったのか、声のトーンを変えた。 きっと、梓ちゃんは私がケーキを無理矢理食べさせた時の事を思い出したんだと思う。 梓「ムギ先輩、お願いします。開けてください」 紬「ダメよ」 梓「お願いします」 紬「梓ちゃん、私もう帰るね」 私はバッグを肩にかけて、音楽室を出ようとした。 梓「ちょ、ちょっと待ってください!もういたずらはしないって約束したじゃないですか!」 梓「待って!ムギ先輩待ってください!出してください!」 私は音楽室のドアに耳を当てて、梓ちゃんの声を聞いた。 梓「出して!お願いします!出してください!」 梓ちゃんは数分間叫び続けた後、急に静かになった。 静かにすれば私が戻ってくると思ったのかな。 梓ちゃんはしばらくしてから、さっきより必死に叫び出した。 梓「やだああああ!出して!助けて!!」 私はまたドアに耳を当てる。 梓「誰か!やだ!やだああっ!いやああああっ!!」 物置のドアを何度も叩く音が聞こえた。 それから一時間近く、梓ちゃんは泣き叫び続けた。 最後の方は声もほとんど掠れていたし、なりふりかまっていられないといった様子だった。 梓ちゃんが静かになって更に一時間くらいしてから、私は音楽室に入った。 物置のドアを開けると、梓ちゃんは泣き疲れたのか諦めたのか、抱えた膝に顔を埋めて座り込んでいた。 紬「梓ちゃん、帰ろう?」 私が声をかけると、梓ちゃんは力なく顔を上げた。 紬「ね、帰ろう?」 梓ちゃんはほっとした顔を見せると、ぽろぽろと涙を流した。 梓「はい……」 私は梓ちゃんの手を引いて、物置を出た。 家に着くと、私はまた梓ちゃんに電話をした。 紬「梓ちゃん、ごめんね」 梓「もういいです……」 紬「よくないよ。私、梓ちゃんのこと泣かせちゃったんだし。本当にごめんね」 梓ちゃんは涙声で言った。 梓「いたずらはしないって約束したじゃないですか……。狭いところは嫌だって言ったじゃないですか……」 知ってるわ。 だから閉じ込めたの。 紬「ごめんなさい」 梓「……私の事嫌いなんですか?」 紬「そんなことないよ。大好きだよ」 梓ちゃんはしばらく黙った後、ぽつぽつと言った。 梓「今日のことは忘れます。唯先輩達にも言いません。もちろん、憂にも純にも。だからムギ先輩も忘れてください」 紬「うん、ありがとう」 梓「それから、約束してください。もう意地悪しないって」 紬「うん。約束」 それからお互いを慰める言葉をいくつか掛け合い、私達は電話を切った。 私はお茶を淹れて一息つくと、梓ちゃんに「本当にごめんね。もう絶対に意地悪しないから」とメールを送った。 梓ちゃんは、「はい。ていうか忘れてくださいね。また明日部室で。おやすみなさい」とすぐに返してくれた。 そのメールを見て私は安心したけど、その気持ちも翌朝には綺麗さっぱり消えていた。 この日から五日間、私は毎日梓ちゃんを物置に閉じ込めた。 梓ちゃんは抵抗したけど、私は力ずくで押し込めた。 二日目は特に激しく抵抗したから、私は梓ちゃんをぶった。 何度もぶつと、梓ちゃんは大人しくなった。 閉じ込められた梓ちゃんが泣き喚き、しばらくして私がドアを開け、手を繋いで帰る。 それから電話をかけて、私は梓ちゃんに謝って仲直りをする。 電話で交わす言葉数は少しずつ減っていった。 四日目で梓ちゃんは抵抗しなくなり、物置の中で啜り泣くだけになった。 梓ちゃんが泣くと、私は悲しくなった。 お願いだから、泣かないで。 お願いだから、「どうして」なんて訊かないで。 五日目、私は梓ちゃんに「泣いたら絶対に出してあげない」と言った。 梓ちゃんはそれに従ってくれた。 私の好奇心は確実に梓ちゃんの重荷になっていたはずなのに、梓ちゃんはこの事を誰にも話していなかったらしく、唯ちゃん達は普段と変わらず私に接してくれていた。 6
https://w.atwiki.jp/tesu002/pages/1626.html
外はまだ明るかったけど、11月の下旬ということもあって、マフラーを巻いていても肌寒かった。 校門を出るといよいよ私は申し訳なくなり、 歩みが止まってしまった。 梓「もう、何してるんですか」 梓ちゃんは私の右手をとって、歩き出した。 似てる。 私は梓ちゃんの手を握りしめながら、そう思った。 梓「なんですか?」 紬「梓ちゃん、なんだか唯ちゃんみたい」 梓ちゃんは怪訝な顔をして聞き返してきた。 梓「え……それ喜んでいいんですか?」 紬「うん。もちろん」 梓「どのへんが似てるんですか?」 私は梓ちゃんの手を握る力を強めて、答えた。 紬「暖かいところ、かな」 梓ちゃんは、ぷっ、と笑ってから言った。 梓「なんですかそれ。ムギ先輩こそ唯先輩みたいですよ」 梓ちゃんも私の手を強く握り返した。 梓「ていうか、ムギ先輩の手のほうが暖かいんじゃないですか?」 前に唯ちゃんに、手も心も暖かいと言ってもらった事を思い出した。 私達はそのまま手を繋いで帰った。 いつもは途中で別れるけど、この日は梓ちゃんが駅まで見送ってくれた。 駅に着いても、私達はしばらく立ち話をした。 その間、電車が何本か通り過ぎていったけど気にしなかった。 繋いだままの手からはお互いの体温が伝わり、どっちが暖かいのかなんてわからなくなった。 一時間くらいしてから、どちらからともなく別れる事にした。 紬「じゃあね梓ちゃん。また明日」 梓「はい。失礼します」 でも梓ちゃんはその場から離れようとしなかった。 紬「どうしたの?」 梓「いや、手を繋いだままじゃ私帰れないですよ」 紬「あっ!ごめんね。そうだよね」 そう言っておきながら、私は手を離せなかった。 梓「あの~……」 紬「う、うん」 私はゆっくりと手を離した。 梓「もう。本当に唯先輩みたいじゃないですか」 私はえへへ、と笑ってから、小さく手を振って梓ちゃんと別れた。 電車に乗ると、私はつり革に掴まりながら指をこすり合わせて、さっきの熱が逃げないようにした。 次の駅で目の前に座っていたおじいさんが降りたので、私はそこに腰掛けた。 ふいに眠気が襲ってくる。 私は膝のあたりで手をぎゅっと握って目を閉じた。 瞼の裏に最初に浮かんだのは、梓ちゃんの曇った顔だった。 家に着いて夕食を済ませると、私は自分の部屋に入り、机に向かった。 しばらく勉強をしてから、携帯電話を開いた。 壁の時計を見てまだ0時前である事を確認してから、私は梓ちゃんに電話をかけた。 梓「はい、もしもし」 紬「今大丈夫?」 梓「はい」 紬「えっと……あの……」 私は少し言葉を探した。 なんで今梓ちゃんに電話したんだっけ。 梓「どうしたんですか?」 紬「あの……今日はごめんね。お菓子用意できなくて……」 梓「そんな事ですか?気にしなくていいですってば」 紬「でも梓ちゃん、ガッカリしてたみたいだし」 梓「え?そ、そうでしたっけ……あはは……」 紬「明日はちゃんと持っていくね」 梓「あー……はい。ありがとうございます」 紬「えへへ」 梓「何かおかしな事言いました?」 紬「私、仲直りって初めて」 梓「いやそもそもケンカしてないじゃないですか!どんだけ心が狭いんですか私は」 電話越しに梓ちゃんの笑い声が聞こえた。 紬「じゃあ、また明日ね」 梓「はい。ムギ先輩、お休みなさい」 私は梓ちゃんが電話を切ったのを確認すると、携帯電話を閉じた。 その時、私はふと思い付いた。 なんでそんな事を思い付いたのかはわからなかった。 でもその思い付きはすぐにアイディアに昇華され、私の明日の予定になった。 私は右手の指をこすり合わせながら呟いた。 紬「明日もケーキを落とさなきゃ」 【平成23年 10月28日】 金属の擦れ合う甲高い音がして、電車は駅に止まった。 停車の勢いでバランスを崩した澪ちゃんがりっちゃんにもたれかかり、りっちゃんはそれを肩で押し返した。 隣にいたサラリーマンと、目の前に座っていた二人組の男女がそこで降りて、二人分の座席が空いた。 律「よし、ジャンケンで座る人決めよーぜ」 澪「いいよ私は。あと一駅なんだし」 紬「私も大丈夫だよ」 律「そう?じゃあ私すーわろっと」 そう言うとりっちゃんはどかっと席に座った。 紬「澪ちゃんも座ったら?」 澪「平気。ムギ座りなよ」 もう、澪ちゃんなら座っていいのに。 澪ちゃんは梓ちゃんじゃないんだから。 澪「ってなんで残念そうな顔してるんだ」 紬「えっ……うそ?私そんな顔してた?」 律「澪がムギの気遣いを無下に断るからだぞー」 澪ちゃんは頬を指先でちょっと掻きながら、 澪「じゃあ、お言葉に甘えて」 と言って座席についた。 電車はまた動き始めた。 途端に私は怖くなった。 しがみつくように、つり革を握る力を強めた。 そうしていないと電車から振り落とされる気がした。 電車は前にしか進まない。 一度振り落とされたら、もう置き去りにされたままになっちゃう。 律「ん?どした?」 紬「ううん、なんでもない」 ゆったりと座っているりっちゃんと澪ちゃんを見て、どうしてそんなに落ち着いていられるのか不思議に思った。 それから、この二人に置いていかれるのでは、という懸念。 私はことさら強くつり革を握りしめた。 私は横を向いて、後ろの車両に目をやった。 桜高の制服を着た女の子がいた。 私はつり革に掴まっているのがやっとだったから、今度は手を振らなかった。 【平成22年 11月24日】 音楽室に入ると、私はすぐに梓ちゃんに伝えた。 紬「唯ちゃん達は今日も来ないって」 梓「そうですか。仕方ないですよね、受験生ですし」 梓ちゃんは唇をきゅっと結んだ。 紬「今日はちゃんと持ってきたよ」 私はそう言って、ケーキの入った箱を見せた。 梓「ありがとうございます」 紬「じゃあ早速食べよっか」 途端に私の鼓動が速くなる。 今。今やらないと。 やめればいいだけなのに、私にはそれが義務か、ひょっとしたら使命めいたものに感じられた。 紬「あっ」 私はわざと手の力を緩めた。 ぐしゃっと音を立てて、箱は地面に落ちた。 紬「落としちゃった」 梓「もう……ムギ先輩も意外とおっちょこちょいで すね」 梓ちゃんはすぐに箱を拾った。 梓「ほら、大丈夫ですよ。中身は無事です。ちょっとだけ崩れちゃいましたけど、これなら全然食べられますよ」 梓ちゃんはそう言って箱の中身を私に見せた。 紬「そう。良かったわ~」 ケーキを食べ終えると、私は受験勉強を、梓ちゃんはギターの練習を始めた。 私の勉強が一段落すると、私は作曲のコツを梓ちゃんに話した。 梓ちゃんは何度も感心しながら、私の話を聞いてくれた。 その日も、私と梓ちゃんは手を繋いで帰った。 家に着き、 夕飯を済ませると、私は机に向かう前に梓ちゃんに電話をかけた。 梓「はい、なんですか?」 紬「梓ちゃん、ごめんね」 梓「え?」 紬「私、今日もケーキ落としちゃって……」 梓「ああ。大丈夫ですってば。普通に食べられたんですし」 紬「ごめんね」 梓「そんな事で謝らないで下さいよ。私はそこまで短気じゃないです」 紬「良かった」 梓「律儀ですね、ムギ先輩」 紬「えへへ。あ、ごめんね。それを言いたいだけだったの」 梓「そうですか。じゃあまた明日。……あ、ムギ先輩は部室に来ても大丈夫なんですか?勉強は……」 紬「ちゃんとやってるから大丈夫!」 梓「ですよねー。じゃあ、お休みなさい」 紬「うん、お休みなさい。明日、ギター教えてね」 梓「はい!それじゃ失礼します」 電話を切ると、私は胸の中に広がる暖かいものを堪能する一方で、明日やるべき事を考えた。 【平成23年 10月28日】 澪「おーいムギー。もう着いたぞ」 澪ちゃんの声で、私は我に返った。 澪ちゃんもりっちゃんも先に電車を降りていて、ホームから私を見ていた。 私は慌てて電車を降りた。 二人に駆け寄って、私は甘えた調子で言った。 紬「ぼーっとしちゃってた」 律「危うく乗り過ごしちゃうところだったじゃん」 澪「もしかして寝不足?」 紬「物思いにふけってました~」 私がふざけてそう言うと、りっちゃんと澪ちゃんは顔を見合わせて、気まずそうな表情になった。 紬「あ、ごめん。そうじゃないの……。違うの」 違くなかったけど、その場を取り繕うために私は嘘をついた。 律「ん、まぁいいけどさ。しんどいのはみんなもなんだし……なんていうか……」 澪「そう。何かあったら私達に頼っていいんだぞ」 りっちゃんと澪ちゃんは真剣な顔で言った。 紬「本当に違うの。あ、ほら、早く唯ちゃんの家に行きましょう?」 私が促すと、二人は前を向いて歩き出した。 私は後ろを振り返り、動き始めた電車の中にさっきの桜高生を探した。 車両の中はよく見えたけど、その子は見当たらなかった。 腕時計に目をやると、短針が6時を指していた。 私は前に向き直り、りっちゃんと澪ちゃんを追った。 唯ちゃんの家は駅からすぐだったけど、私達は先にコンビニに寄って唯ちゃんに頼まれたお酒とおつまみを買う事にした。 律「じゃあ澪、たのむわー」 澪「また私か」 律「だって私だと店員に年齢確認されちゃうし、ムギはいまだに酒選ぶ時にはしゃぐからやっぱり年齢確認されるじゃん」 澪「やれやれ……。ていうか、こう毎日ここで私が買ってると、店員さんは私の事とんでもない酒好きだと思っちゃってるんじゃないか?」 律「えっ?そ、そお?そんな事ないと思うぞー?な、ムギ!」 紬「う、うん!店員さんもお客さんの一人一人なんて覚えてないだろうし!」 澪「ならいいけど……」 律「あーほら早くしないと!唯が待ってるから!」 澪「はいはい。じゃあ行ってくるよ」 澪ちゃんがコンビニに入ると、りっちゃんはすぐに私に耳打ちしてきた。 律「さっきはああ言ったけどさ、やっぱり店員さんももう澪の顔覚えてるだろうな」 紬「うん。澪ちゃん可愛いし……」 律「ややっ?この子は一体なぜこんなに酒を……?はっ!もしかしてフラれたのか?よし、ならばこのしがないコンビニ店員が慰めてあげようじゃないかっ!」 紬「ぷっ」 律「すまん澪!お前の犠牲をムダにはしないから!店員さんとお幸せに!」 紬「ふふっ」 私が笑うと、りっちゃんはほっとしたような顔をした。 その顔を見て、私は自分が気を遣われている事に気付いた。 そんな事しなくてもいいのに。 紬「りっちゃん、私本当に大丈夫だから」 だって私は、そもそもりっちゃん達みたいに悲しんでないんだもん。 律「ん、そっか。なら安心だ~」 りっちゃんはそう言いながら私から視線を逸らした。 私はブーツの踵で地面に小さく円を書きながら、店内の様子を伺った。 澪ちゃんはレジに大量のお酒を持って行っていて、店員が機械でそれのバーコードを読んでいる。 他の店員がそれを見ながら何かひそひそと話しているのを見て、私は申し訳なくなった。 澪ちゃん、今度お酒を買うときは、私が行くからね。 澪「お待たせ」 澪ちゃんはパンパンになった袋を両手に持ちながら、コンビニから出てきた。 綺麗な女の子が毎日これだけのお酒を買ってるんだから、やっぱり店員さんも……。 律「覚えちゃってるだろうなぁ」 澪「え?」 律「なんでもないよーん。さ、行こーぜ」 私が澪ちゃんに袋をこちらに渡すよう促すと、澪ちゃんはありがとうと言って、ひとつだけ私に預けた。 りっちゃんも澪ちゃんからひょいと袋を取り、私達は唯ちゃんの家に向かった。 唯ちゃんの部屋は川沿いのマンションの五階にある。 一応デザイナーズマンションらしく、シャープな外観と、楽器もある程度演奏できるくらい防音のしっかりした部屋をウリにしていた。 入居したての頃の唯ちゃんは、「もっと可愛いところにすればよかったなぁ」とボヤいていたけど、最近は川沿いにあるガス灯が置かれた公園を気に入ったらしく、そういう事を言わなくなった。 りっちゃんがエレベーター前のインターフォンを鳴らすと、すぐにドアのロックが解除された。 澪「確認もしないで開けたら、セキュリティの意味全くないな」 澪ちゃんが呆れたように言った。 紬「唯ちゃん、セールスとかに引っかかってないかな……」 律「大丈夫大丈夫。ベルが鳴っても唯なら起きないから」 私達はそのままエレベーターに乗り、五階に向かった。 唯ちゃんの部屋の前まで行き、ベルを鳴らす。 玄関の前に山積みになった新聞紙を見て、りっちゃんは言った。 律「あいつ、絶対新聞なんて読んでないぜ 」 ドアが軽い音をたてて開く。 パジャマを着て寝癖をつけたままの唯ちゃんが、携帯電話を片手に持ちながら出てきた。 律「おーす、買ってきたぞ」 紬「お邪魔しまーす」 唯ちゃんは、にっこり笑って言った。 唯「はいはーい。どうぞ~」 3
https://w.atwiki.jp/tesu002/pages/1633.html
春の夜空が心地よい風を室内に運ぶ。 眼下に流れる川のすぐ側には公園があって、そこのガス灯が川面にちらちら反射する。 煌めくパノラマは宝石箱を引っくり返したみたいで、先生が大人から守ってくれたのは、きっと私達にこれと同じものを見たからだと思った。 私は手すりに手をかけると、頭に頼りなく浮かぶ音符をかき集め始めた。 それを頭の中で五線譜に書きなぐり、口ずさんだ。 梓ちゃんはしゃがんで、グラスを口につけた。 赤い顔をして身体を前後にゆすりながら、私の声に耳を傾けてくれた。 川の対岸にある建物郡は、ひとつずつ明かりを消していった。 そのおかげで、星もよく見えた。 でも、星を見る必要はなかった。 目を閉じると、音の微粒子が私の容器に降り積もり、私はそれをひとつずつ掬い上げて、声に変える。 あます事なく、梓ちゃんと、それから眠っている唯ちゃん達に伝えるために。 この曲をみんなが演奏してくれたら、とっても素敵な音になりそう。 紬「ご清聴ありがとうございました」 梓「なんだか浮遊感のある曲ですね」 梓ちゃんのろれつは回っていない。 紬「やっぱりちょっとお酒入ってるからかな?」 梓「私も最近自分で作ったりしてるんれすけど、中々うまくいかなくて」 紬「……梓ちゃん大丈夫?ちょっと横になる?」 梓「だいじょうぶです。ムギ先輩は一年生の頃から曲書いてたんですよね」 紬「私も一年生の頃は四苦八苦したわ。三年生になってからかな、いっぱい書けるようになったのは」 梓「そうですか……。じゃあ私も」 そこで梓ちゃんは言葉を詰まらせた。 というより、喉に何か詰まらせたみたいだった。 梓ちゃんは口を両手で押さえ、涙目で私をじっと見詰めた。 紬「あ、梓ちゃん!?」 梓ちゃんは額に汗を滲ませながら、首を横に振った。 私は急いで梓ちゃんをトイレに連れていった。 梓「うっ、げほっ……おええ……」 私は梓ちゃんの背中を擦りながら謝った。 紬「ごめん梓ちゃん。飲ませ過ぎちゃったね」 梓「だい、じょう……お、おえっ……げほっ……えほっ……」 紬「吐けば楽になるから」 私は梓ちゃんの口に手を入れて舌の奥を刺激して、吐かせてあげた。 梓ちゃんは鼻をすすりながら言った。 梓「すみません……うっ、げほっ、ごほっ……」 梓ちゃんがあらかた吐き終わると、私は服の袖で梓ちゃんの口元を拭った。 梓「すみません、服汚しちゃって」 紬「いいの、気にしないで」 梓ちゃんは肩で息をしていた。 潤んだ瞳が弱々しく私を見詰める。 梓ちゃんが泣きそうだったから、私は気分が悪くなった。 こういう時はどうすればいいんだっけ。 こういう時は。 汗でおでこにくっついた梓ちゃんの前髪を引っ張り、私は梓ちゃんに唇を押し当てた。 梓「ん……っく……」 梓ちゃんが驚き、怯えている事はすぐにわかったけど、私はやめなかった。 唇を離すと、梓ちゃんは苦しそうに言った。 梓「酔ってるんですか……?」 紬「わかんない」 トイレの鍵を閉め、私は梓ちゃんの服を脱がせた。 梓「ムギ先輩。ダメですよ。やめましょう。ね?」 梓ちゃんは私の手を握り、子供を諭すような口調で言った。 私は梓ちゃんの口を押さえ、人差し指をその上から当てて、静かにするように促した。 瞳に諦めの色が浮かび、梓ちゃんはゆっくりと頷いた。 私は口を押さえていた手をそっと離した。 紬「声出しちゃダメだよ」 梓ちゃんはまた頷いた。 それからの数十分は、きっと梓ちゃんにとっては悪夢でしかなかったと思う。 私は梓ちゃんの中に指を入れて、かき回し、尊厳を踏みにじった。 梓ちゃんは他のみんなに聞こえないよう、歯を食いしばって声を殺した。 梓ちゃんが果てると、私は梓ちゃんの頭を掴んだ。 そして便器の中に頭を突っ込ませた。 溜まった水で梓ちゃんは呼吸できなくなり、それが限界になると私を引っ掻いた。 私は梓ちゃんの顔を上げさせて、その表情をしげしげと見た。 睫毛の一本一本、唇の皺、頬についた水滴、全部目に焼き付けた。 紬「泣いてないよね?」 梓ちゃんはずぶ濡れになりながら、真っ直ぐに私を見て答えた。 梓「泣いて、ません……」 私はまた梓ちゃんの顔を便器の中に入れた。 梓ちゃんは私を引っ掻き、私は顔を上げさせる。 それを何度も繰り返した。 それに飽きると、私は梓ちゃんを残してトイレを出て、ドアを締めた。 梓「いや……行かないで……」 紬「ちゃんとドアの前にいるわ」 梓「狭い所、恐いんです……」 紬「知ってるよ」 梓「お願いです……出してください……」 紬「それはダメ」 ドアの向こう側で、梓ちゃんは一度泣き出しそうになったけど、すぐにそれを我慢してくれた。 明け方になってから、私はみんなが起きる前に梓ちゃんを出してあげることにした。 ドアを開けると、梓ちゃんは小さい身体をさらに小さくして、トイレの中で目を見開いて震えていた。 紬「もう出ていいよ」 梓ちゃんは私に視線を移して、何か言おうと唇を動かしたけど、声になっていなかった。 紬「梓ちゃん、もう出ていいのよ」 梓ちゃんは震えたまま立ち上がらない。 私は携帯電話を持ってベランダに出て、梓ちゃんに電話をかけた。 梓ちゃんは電話に出てくれたけど、何も言わない。何も言えなかった。 紬「梓ちゃん、ごめんね……」 ベランダから川の対岸を見渡そうとしたけど、5月なのに朝靄がばかに濃かったから見えなかった。 私が何度も謝ると、梓ちゃんは消え入りそうな声で言った。 梓「は……い……大丈夫……です……」 部屋に戻ると、私は梓ちゃんの震えが止まるのを待ち、浴室に連れていった。 服を全部脱がせ、私はジーパンを膝まで上げてシャツの袖を捲り、梓ちゃんの身体を洗ってあげた。 紬「次、顔ね。目を閉じて」 梓ちゃんは言われるがままに目を閉じた。 私は手でシャワーが熱すぎない事を確認すると、そっと梓ちゃんの顔にかけた。 汚れを落とすと、梓ちゃんの肌は水を弾いた。 私がシャワーを止めても、梓ちゃんは目を閉じたままだった。 シャワーヘッドから滴り落ちる水の音が浴室に響く。 紬「目、開けていいよ」 私はそう言ったけど、開けて欲しくなかった。 どんな眼で私を見るのか知りたくなかった。 律「あれ?誰か入ってんの?」 磨りガラスの向こう側から、りっちゃんの声がした。 今度は私の身体が震え始めた。 梓「私が吐いて汚れちゃったから……」 律「ん?梓か」 梓「ムギ先輩に洗ってもらってるんです」 梓ちゃんは目を閉じたまま言った。 律「わかったー。ムギも面倒見いいな。じゃあ私はもーちょっと寝るから」 それからりっちゃんの足音は遠ざかっていった。 私は言葉を詰まらせ、浴室に時間が彷徨った。 紬「梓……ちゃん、もう目開けていいよ」 やっとの思いで声を発すると、 梓「はい」 と言って梓ちゃんは目を開けようとした。 私は膝をついて梓ちゃんの濡れた身体を抱き締め、顔を見ないようにした。 紬「ごめんね……本当にごめんね……」 私は嗚咽を漏らしながら、さらにきつく梓ちゃんを抱き締めた。 お願いだから、泣かないで。 お願いだから、あっちへ行けって言って。 私の鼻をへし折って、もう二度と会わないで。 紬「やだ……そんなのやだ……梓ちゃん、嫌わないで……」 梓「……はい」 紬「お願い……」 梓「ムギ先輩……服濡れちゃいますよ……」 私が泣き続けていると、梓ちゃんは濡れた手で私の頭を撫でてくれた。 【平成23年 5月9日】 次の月曜日、私は澪ちゃんにアルバイトを代わってもらい、桜高の音楽室に向かった。 憂「梓ちゃんですか?今日は掃除当番だからまだ教室にいると思いますけど……」 紬「ありがとう。あ、良かったらこれ、みんなで食べてね」 憂「いいんですか?ありがとうございます!」 私は憂ちゃんにお菓子の入った箱を渡すと、音楽室を出た。 階段を降りる途中で梓ちゃんと鉢合わせになった。 梓「こんにちは」 梓ちゃんは表情を変えずに行った。 紬「梓ちゃん、お出掛けしようよ」 梓ちゃんは少し黙った後に、 梓「はい」 と言った。 私は梓ちゃんを学校のトイレに連れていき、唯ちゃんの部屋でしたのと同じ事をして、梓ちゃんを汚した。 六月の終わりまで、私は暇を作ってはこれを繰り返した。 梓ちゃんは抵抗しなかったし、もう泣くこともなかった。 私が帰宅してから電話をかけると、必ず許してくれた。 夏休みになると、私は毎日のように梓ちゃんを呼び出し、桜高の音楽準備室に連れて行った。 梓ちゃんは必ず私より先に部室に来ていて、トンちゃんに何か話しかけていた。 きっと梓ちゃんにとって、トンちゃんだけが全てを話せる相手だったんだと思う。 だから、私は水槽ごとトンちゃんを私の家に移す事にした。 拠り所を失ったはずなのに、梓ちゃんは私に会ってくれた。 【平成23年 9月9日】 桜高の夏休みが終わっても、私は部室に行った。 この日、梓ちゃんは一人だった。 私が他の部員を帰らせるように言っておいたからだった。 私は鋏をバッグに入れて家を出た。 お辞儀をして見送る執事が、やたら頭の悪い人間に思えた。 私がギターを壊すと、梓ちゃんは久しぶりに泣いた。 紬「泣かないでって言ったでしょ?」 私が梓ちゃんをぶつと、梓ちゃんは唇を噛みしめながら目を閉じた。 零れる涙を止めたくてそうしたんだろうけど、涙は梓ちゃんの意思とは無関係に溢れた。 私は梓ちゃんの髪の毛を引っ張った。 梓ちゃんの小さい頭がぐいと私の方に引き寄せられた。 梓ちゃんはなにも言わなかった。 ただ目を閉じて、私の癇癪が収まるのを待った。 でも私のこれは癇癪じゃない。 なんなのか自分でもわかってない。 だからいつまで待っても収まらないの。 紬「これ、いらないよね」 私は梓ちゃんに向かって言った。 梓ちゃんは目を開き、何の事かわからないといった表情を見せた。 私は右手で梓ちゃんの髪を掴んだまま、左手でバッグの中をまさぐり、鋏を取り出した。 途端に梓ちゃんは暴れだした。 梓「い……やっ!やめて!やめてください!」 私が右手を上に挙げると、梓ちゃんの身体は髪と一緒に引っ張られて、爪先立ちになった。 梓ちゃんは泣き叫び、懇願した。 梓「お願いします!やめてください!ムギ先輩やめて!」 何よ。 今まで抵抗しなかったくせに、何で今更。 紬「だから泣かないでってずっと言ってるよね」 梓「お腹ならいくら殴ってもいいですから!我慢しますから!」 紬「泣かないで」 梓「他の先輩達に知られますからっ!見えないところなら何してもいいからっ、怒らないし泣かないからやめてください!!」 紬「知られたら梓ちゃんは困るんだ」 梓ちゃんの目から大粒の涙がこぼれた。 私は梓ちゃんの髪の毛に鋏を入れた。 黒くて長い綺麗な髪の毛が、ばさっと床に落ちた。 それから鋏の柄で、私は梓ちゃんの顔を叩いた。 梓「やめて……やめてください……」 梓ちゃんの言葉を潰すように、私は梓ちゃんを何度も叩いた。 がちっという音がして、梓ちゃんの前歯が欠けた。 梓ちゃんの顔は腫れ上がり、本当に可哀想で、私は悲しくなった。 紬「梓ちゃん、帰ろっか」 梓ちゃんは答えてくれなかった。 紬「梓ちゃん、一緒に帰ろう?」 梓ちゃんは泣きながら床に座り込んだまま。 私はまた悲しくなった。 結局、私は梓ちゃんを無理矢理立たせて、手を繋いで帰った。 駅に着いても、梓ちゃんは私の顔を見てくれなかった。 私は、早く家に帰って電話しなきゃ、と思った。 きっと私の手は、もう暖かくない。 私が感じているのは、梓ちゃんの方の熱。 紬「じゃあね梓ちゃん」 私が手を離すと、梓ちゃんは顔を上げた。 腫れた顔で笑顔を作って見せ、 梓「はい」 と言った。 それから手まで振って、私を見送ってくれた。 左右に揺れる梓ちゃんの手に合わせて、踏切の警報機の音が聞こえた。 10
https://w.atwiki.jp/tesu002/pages/1632.html
【平成23年 4月29日】 高校を卒業し、大学に入ると、私達はすぐに軽音サークルを探した。 でも最初に参加した飲み会で澪ちゃんが散々な目に合ったから、結局自分達でサークルを作る事にした。 その立ち上げ会議は、まだ家具の揃わない唯ちゃんの部屋で行われた。 律「んじゃとりあえず会長は私で」 澪「異議あり」 律「ええー?なんだよ、私じゃ嫌なわけー?」 澪「律が会長やったらまた申請とか忘れるだろ。高校の時は和が生徒会だったから良かったけど、大学じゃそうもいかないし」 律「大丈夫だって。大船に乗ったつもりで任せてもらおうか!」 澪「絶対氷山にぶつかるだろその船。信用できません」 律「なっ?それが大親友に言うセリフかよ!?」 澪「それとこれとは別」 紬「私はりっちゃんでいいと思うけど」 唯「私も~」 澪「ええ?じゃあ梓はどう思う?」 梓「えーっと……ていうかその前に……」 梓ちゃんはみんなの顔を見渡してから言った。 梓「なんで私がこの会議に参加してるんですか?」 みんなそれを聞いて不思議そうな顔をした。 律「いや、なんでと言われても」 唯「あずにゃんは会議嫌い?」 梓「そうじゃなくて、これみなさんのサークルを作る会議ですよね?」 澪「うん」 梓「なんで私が……」 憂「みなさん、お茶どうぞ」 お茶を運んできた憂ちゃんは、にこにこしながら座った。 律「だって梓も頭数に入ってるし」 梓「でも私、まだ高校生ですよ?それに高校の軽音部もありますし」 唯「えー?あずにゃんも一緒にサークルやろうよー」 梓「でも……」 梓ちゃんは私の顔をちらっと見てお伺いを立てるような表情をした。 私は笑顔を見せてそれに答えた。 紬「梓ちゃんも一緒にやろう?」 梓ちゃんは照れ臭そうな顔をした。 梓「私は……はい。構いませんけど」 律「まーったく梓は素直じゃないなー。卒業式の時なんて「卒業しないでよ~!うえーん!」とか言って可愛かったのに」 りっちゃんは梓ちゃんと肩を組んで茶化した。 梓「そ、そんな言い方してません!」 憂「へえ~梓ちゃん、泣いちゃったんだ」 梓「あーっ!もう!そんなことより会長を早く決めましょうよ!そのための集まりなんですから!」 結局なんだかんだで澪ちゃんもりっちゃんが良かったらしく、投票の結果、満場一致で会長はりっちゃんに決まった。 【平成23年 5月3日】 梓ちゃんは学校の軽音部の活動と平行して、私達のサークルにも参加した。 よくよく考えてみれば、それはサークルじゃなくてあくまでも放課後ティータイムだった。 一応サークルの申請は出したけど、会員の募集はしなかった。 もう「放課後」ではないから、バンド名を変えようという話も出た。 唯「じゃあ、自主休講ティータイムとか?」 結局バンド名は据え置きで活動を続ける事になった。 大学では高校の時より自由な時間が増えたため、私達四人は高校の時に働かせてもらった喫茶店でアルバイトをするようになった。 バイト代の一部はスタジオを借りる費用に使われた。 ゴールデンウィークは梓ちゃんを入れた五人で練習をして、唯ちゃんの部屋に集まった。 梓「やっと引っ越し終わったんですね。……ていうか……」 梓ちゃんは室内を見渡しながら言った。 梓「実家の部屋とあんまり変わりませんね」 唯「そうなんだよ。大学生なんだから、もっと新鮮な感じが良かったんだけどなぁ」 梓「家具とか新しいの買わなかったんですか?」 唯「いやぁ~愛着があるもんでね~。あ、でもあずにゃんのためにソファーとクッションを買いました!」 梓「私はセレブに飼われるネコですか……。前に来たときも思ったんですけど、このマンションの外観って唯先輩にはもったいないくらいかっこいいですね」 唯「やっぱり?だよね~。いつかもっと可愛いところに引っ越したいなぁ」 律「唯、今の皮肉だぞ」 梓「一人暮らしってことはもしかして自炊もしてるんですか?」 唯「うん!憂がご飯作って持ってきてくれるんだ~」 梓「通い妻!?ていうかそれ自炊って言わないですから!」 唯「えっ、そうなの?」 梓「はぁ……やっぱり唯先輩は唯先輩ですね」 梓ちゃんは呆れたように言ったけど、どこかほっとしている様に見えた。 律「さて、では我々の新しい門出を祝ってー」 「かんぱーい」 唯ちゃんとりっちゃんと私はお酒を、澪ちゃんと梓ちゃんはジュースで乾杯した。 梓「いいんですか?みなさんまだ未成年ですよね」 梓ちゃんは抱いたクッションで口元を隠しながら言った。 唯「大学生は大人だから大丈夫だよ~」 さわ子「法律で20歳未満の飲酒は禁止されてるから本当はダメなのよ」 もちろんさわ子先生はビールで乾杯。 律「あー……もうさわちゃんがいきなり現れても驚かなくなったなぁ」 梓「って律先輩、先生の前で何堂々と飲んでるんですか」 さわ子「いいのいいの。私はもうりっちゃん達の先生じゃないんだから、いくら飲んでも私は止めないわ。さあ!どんどん飲むわよー!」 そう言ってさわ子先生はビールを飲み干した。 澪「職務から解放されて前よりのびのびしてますね……」 律「ところで梓、制服なんだよな~」 梓「え?まぁ、そうですけど。それがなにか」 唯「制服ですよりっちゃん」 律「初々しいなぁ」 唯「若々しいなぁ」 梓「一歳しか違わないじゃないですか!ていうかついこないだまで先輩達も着てましたよね!?」 唯ちゃんとりっちゃんはしばらくそのネタで梓ちゃんを弄り倒した。 さわ子「あ、梓ちゃんは飲んじゃダメよ。まだ教え子なんだから」 梓「わかってますよ」 律「梓が酔ったら怖いだろうなー。一升瓶振り回して、バキッ!ガシャーン!オラー!って」 唯「あなた、もうやめてー!子供がみてるわー!」 梓「はいはい」 紬「ふふっ」 梓「ところで、みなさんが酔っ払ったらどうなるんですか?」 唯「えっとね、澪ちゃんはおえーってなって」 澪「おい」 唯「りっちゃんは面白くなって、私は楽しくなるよー。ムギちゃんはあんまり変わらないなぁ」 梓ちゃんは、ぷっと笑った。 梓「つまり、みなさんほとんど変わらないんですね」 律「そういやさわちゃんが酔ったところは見た事ないな」 さわ子「私も大して変わらないわよ」 唯「ふうん。ところでさわちゃん」 さわ子「なあに?」 唯「今日休日だよね」 さわ子「そうよ?」 唯「休日の夜に私達と遊んでるってことは、本当に彼氏いなかったんだねー」 一同沈黙。 律「唯、それそろそろ私達にも跳ね返ってくるから!」 お酒は進み、夜が更ける。 先生は少ししてから身支度をして、「いつでも音楽室にきてね」と言って帰っていった。 高校の時は気づかなかったけど、先生はずっと、私達に大人の手垢がつかないように守ってくれていた気がする。 私達が持っている根拠のない全能感や、漠然とした希望を、そのまま残して生きていけるように。 だから私達は振り返らないし、反省もしない。 先生が帰ってしばらくすると、りっちゃんは梓ちゃんにお酒を勧め始めた。 梓ちゃんは押しに負けて飲んでしまい、思いの外その味を気に入ったらしく、何杯も飲んだ。 結局澪ちゃんも、 澪「私だけ飲まないなんてなんか嫌だ……」 と言って、苦い苦いと言いながら先生が開けずに置いていったビールを飲んだ。 梓ちゃんは意外とお酒に強くて、唯ちゃんとりっちゃんと澪ちゃんが潰れた後も、私と二人で飲み続けた。 私達は大学の様子、新しい軽音部の話、それから作曲の話をした。 私が梓ちゃんにした行為については、一切話題に出なかった。 私はいつその話を出されるのかと内心怯えていたけど、梓ちゃんはそんな様子を全く見せなかった。 梓「ムギ先輩、今ならどんな曲が浮かびますか?」 紬「うーん、さすがに今はお酒も入ってるし……。あ、待って」 私は立ち上がり、部屋の窓を開けてベランダに出た。 それから梓ちゃんに手を差し出した。 梓ちゃんは一度その手を取ろうとして、すぐに引っ込めた。 紬「大丈夫。ベランダに置き去りにしたりしないから」 梓ちゃんは申し訳なさそうな顔をして、私の手を取り、ベランダに出た。 9
https://w.atwiki.jp/tesu002/pages/1625.html
【平成23年 10月28日】 五限目の二外の講義が終わって教室を出ると、りっちゃんは早速提案した。 律「さて、金曜だし唯んちにでも行くか」 澪「昨日も行ったけどな。まぁいいけど」 りっちゃんは昨日唯ちゃんと喧嘩しちゃったから、私はちょっと心配だったけど、もう 平気みたい。 紬「私、唯ちゃんに電話するね」 私は携帯電話をバッグから取り出し、唯ちゃんに電話をかけた。 唯ちゃんはワンコール目が鳴り終わる前に出た。 唯「ムギちゃん、おはよ~」 紬「今日も大学お休み?」 唯「えへへー。ごめんごめん。今起きたー」 嘘だとすぐにわかった。 だって唯ちゃん、すぐに電話に出たじゃない。 電話がかかってくるのを待ってたか、携帯をいじってたかのどっちかでしょ? だけど私は何も言わない。それを問い質すほど、私は意地悪じゃない。 律「ムギ、ちょっと代わってー」 私はりっちゃんに携帯を渡した。 律「もしもしー?ちゃんと大学来いよ」 律「和や憂ちゃんがいないとこれだもんなー」 律「今からみんなと唯んち行くけど、いいよな?」 律「なんか買ってくもんある?」 律「オッケー。そんじゃまた」 りっちゃんは通話を切って、私に携帯を返した。 律「お酒買ってきてーだってさ」 学部棟を出ると、ロータリーは学生でごったがえしていた。 この時間はいつもそう。 授業を終えると、バイトなりサークルなり他大学の彼氏とのデートなり、各々の 手帳に敷き詰めた予定を消化しようとする。 私達の予定はと言うと、アルバイトを辞めちゃったし、りっちゃんがこういう性格だから手帳のカレンダーには何も書いてない。 大学を卒業するまでみんなと一緒にいる。予定なんてそれだけで十分。 律「あーもー!カチューシャ飛ばされそうだ」 昨日の台風の名残みたいな風が吹き、私はワンピースの裾をぎゅっと握った。 10月末なのに今日は暖かくて、夕方の空気も優しい。 だけどわざとらしいくらいのその快適さは、なんだか私を子供扱いしているよう で鼻についた。 キャンパスを出て駅の改札をくぐり、ホームに着くまでの間、私達は一言も言葉 を交わさなかった。 ホームには特急電車が停まっていたけど、唯ちゃんが部屋を借りたマンションの 最寄り駅にそれは止まらない。 私達はその後に来る各駅停車の電車を待つことにした。 『間もなく、電車が発車します。白線の内側までお下がりください』 私はホームと車両の間から線路が見えないかと思い、頭だけを前に出して覗き込 んだ。 澪「おいムギ」 澪ちゃんが私の服の裾を引っ張る。 澪「危ないよ」 紬「うん。ありがとう澪ちゃん」 電車は大きく息を吐くと、のろのろと動き出した。 私は車内に目をやった。 動き出した電車の中から、桜高の制服を着た女の子がじっとこっちを見ている。 私はその子に向かって手を振った。 でも、電車が加速してその子は私の視界から消えたから、それが届いたかどうか はわからない。 律「ん?知り合いが乗ってたの?」 紬「ちょっと目が合ったから」 律「なんだそりゃ」 バッグを肩にかけ直しながら、澪ちゃんは言った。 澪「昨日の台風、凄かったな」 律「なー。あんなんなるくらいなら、唯んちに泊まってけばよかったな」 澪「律が怒って飛び出していくからだぞ」 律「だってさぁ……」 昨日も、私達は唯ちゃんの家に行っていた。 音楽室の代わりの溜まり場は、一人暮らしをしている唯ちゃんの家。 アンプもドラムセットもないけど、スタジオが近くにあったから練習に関して不 自由はなかった。 私達はそこでお酒を飲みながら、大学の話、音楽の話、それからたまに恋愛の話 をする。 酒の席は常にトピック過多だったけど、梓ちゃんの話だけはここ最近避けるよう になっていた。 紬「でも、台風のおかげで今日はよく晴れてるよね」 私はそう言って天を仰いだ。 電線越しの空に、吹き飛ばされそこねた丸い雲が二つ、寄り添うように浮かんでいた。 構内アナウンスの後、ホームに電車が着いた。 今日も座席は埋まっていて、私達はつり革に掴まる。 背の低いりっちゃんはちょっと辛そうな顔。 学生と定時上がりのサラリーマンですし詰めになった車内で、けばけばしい中吊 り広告を眺めながら澪ちゃんが言った。 澪「ここですらこの時間はこんなに混むんだから、東京はもっとすごいんだろう な」 律「そうだぞ~。澪なんて痴漢にもみくちゃにされちゃうかも!」 澪ちゃんはりっちゃんを睨んだけど、必死に手を伸ばしてつり革に掴まるりっち ゃんを不憫に思ったのか、何も言わなかった。 もしここに梓ちゃんがいたら、りっちゃんより小さいんだからきっともっと大変 ね。 それを思うと、私の左耳は疼いた。 澪「って、ムギまで笑うなよ。怖いんだぞ、痴漢は」 紬「あ、ごめんなさい。澪ちゃんは痴漢に遭ったことあるの?」 澪「ないけど……」 律「ははは。澪が痴漢に遭ったらもう一生電車に乗らなくなっちゃいそうだな」 澪「ムギは?」 紬「私は高校も電車通学だったから、何回か……」 澪「や……やっぱり怖いのか?」 確かに怖い。 驚きと恐怖と気持ち悪さで、声が出なくなる。 抵抗出来なくなるし、助けを呼ぶ事もできない。 周りに人はいっぱいいるのに、孤立無援になる。 濡れた服のように重くまとわりつく絶望感。 騒ぎを起こすのも嫌だし、我慢しておけばそれで済むと自分に言い聞かせて、更 に惨めになる。 私はそれを澪ちゃんに、なるべく怖がらせないように伝えようと言葉を探した。 でも、隣に立っていたサラリーマンが私達の話を聞いていたのか、片手で掴まっ ていた吊革に両手をかけるのを見て、私はばつが悪くなって話題を変えた。 紬「そう言えば明日、何の日か知ってる?」 律「明日?」 紬「うん、明日」 澪「なんかあったっけ?」 律「レポートの提出日は再来週だよな」 澪「それは来週の月曜だぞ」 律「え!私まだなんも手をつけてないんたけど!……あのー秋山さん、折り入ってお願いが」 澪「自業自得。諦めなさい」 律「えー?なんでだよー!ちょっとくらいいいだろ」 紬「りっちゃん、私が写させてあげるから……」 律「おおお……!ありがとうございます琴吹サマー!」 澪「ムギがそうやって甘やかすから……。で、なんだっけ?明日何かあるのか?」 紬「あ、うん。もういいの。大丈夫」 知らないならいいの。 知っても楽しくないから。 誰も楽しくならないから。 私にはその実感なんてなかったけど。 私は車窓を過ぎる風景に目をやった。 山の稜線はぼやけていて、外は薄暗い。 遠くの空に浮かんでいた雲は、いつの間にかひとつだけになっていた。 さっきは優しかったのに、随分寂しい風景。 陽が完全に落ちていれば諦めもつくけど、夕闇は中途半端な希望を残していて、無責任に思えた。 こんな中に独りで放り出されたらどんなに不安だろう。 そうだ、今度はそうしてあげよう。 梓ちゃんはどんな顔をするかな。 梓ちゃんは何て言うかな。 もっと私の事を嫌いになっちゃうのかな。 澪「それにしても、私達飲んでばっかりだな」 律「澪、今日は吐くなよー?」 澪「吐きません。私がいつも吐いてるみたいに言うな!」 唯ちゃんの家まで二駅。 会話を続けるりっちゃんと澪ちゃんの隣で、私の心は高校生みたいに弾んだ。 私は左耳に開けたピアスを指先で弄った。 そう言えば、高校のクラスメイトにピアスの似合いそうな子がいたっけ。 【平成22年 11月23日】 姫子「あっ、ごめん!大丈夫?」 教室を出ようとした時、私は姫子ちゃんとぶつかった。 紬「うん、大丈夫だよ。姫子ちゃんこそケガしてない?」 姫子「私は大丈夫だけど、それ」 姫子ちゃんが床に落ちた箱を指差した。 姫子「それ、お菓子が入ってるんでしょ?中身大丈夫?」 私は箱を拾って答えた。 紬「大丈夫よ。気にしないで」 姫子「いや、でも……弁償しようか?」 紬「そんな、悪いよ。これ貰い物が余ってるだけだから。本当に気にしなくていいの」 姫子ちゃんは申し訳なさそうな顔をしながら、 姫子「ごめん。唯、それ楽しみにしてたんだろうなぁ……」 と言った。 紬「今日は唯ちゃんも、それから澪ちゃんとりっちゃんもお家で勉強するって言ってたから平気だよ」 姫子「そう?じゃあ大丈夫かな……」 紬「うん、じゃあね姫子ちゃん。また明日」 姫子ちゃんと別れると、私は音楽準備室に向かった。 階段を上ってドアを開けると、ソファーに座って一人でギターを弾く梓ちゃんの姿が見えた。 梓「あ、ムギ先輩こんにちは」 梓ちゃんは練習を中断して私に顔を向けた。 紬「続けていいよ」 梓ちゃんは、はい、と返事をしてから、ギターを弾き始めた。 私は椅子に座ると、鞄から参考書を取り出した。 ルーズリーフを何枚か取り、早速英語から解き始める。 梓「あの、やっぱり勉強の邪魔になりませんか?」 演奏を中断して、梓ちゃんがこっちに顔を向けた。 紬「大丈夫よ。私のBGMだから、梓ちゃんのギター」 梓ちゃんはちょっと照れ臭そうに笑って、またギターを弾き始めた。 軽快に響く乾いた音。 アンプに繋いでもいいのにと思いながら、私は問題を解き続けた。 部活を引退した後も、私達三年生は部室に通い続けた。 元々ダラダラするのはみんな好きだったし、部室の居心地の良さは手放せなかった。 梓ちゃんをひとりぼっちにしたくないという気持ちもあった。 帰っても勉強するだけだし、それなら部室でみんな一緒にやったほうがいい。 とは言え、やっぱり本腰を入れて勉強するなら一人のほうが捗った。 一緒にいるとどうしても喋っちゃうし、楽器もいじりたくなる。 みんなそれに気付いていたけど、口には出さなかった。 その代わり、本当に勉強しなきゃいけない時は、誰からともなく「今日は帰る」という意思表示を暗にした。 そして、そのたび私は一人になる。 澪ちゃんはりっちゃんと、唯ちゃんは和ちゃんと、それぞれで勉強をする。 そんな時に私は音楽室に行って梓ちゃんに甘えた。 紬「ふぅ……」 私は長文を二つ解いたところで、ペンを置いた。 ふと、BGMが止まっている事に気づいた。 梓ちゃんのほうを向くと、私と梓ちゃんの目が合った。 目を泳がせる梓ちゃんを見て、私は言った。 紬「お茶にしよっか」 梓「……はい」 梓ちゃんは恥ずかしそうにソファーの影に身を屈めて口元を隠しながら答えた。 紬「何にする?」 梓「えっと、ミルクティーで」 私はすぐにお茶を淹れて、席に着いた。 梓「いただきます」 紬「どうぞ」 梓ちゃんはゆっくりとカップに口をつけた。 火傷しないようにそっと啜り、唇を離す。 梓「おいしいです」 紬「ありがとう」 綻んだ梓ちゃんの顔を見て、私は嬉しくなった。 お茶を飲まなくても身体が暖かくなった気がした。 梓「そうだ。ムギ先輩に聞きたい事があるんですけど」 梓ちゃんはカップを置いて訊ねてきた。 紬「なあに?」 梓「いつもどうやって作曲してるんですか?」 紬「え?」 梓「私、ギターは弾けますけど、ムギ先輩みたいに曲は書けないんです。でも来年は私も書かないと……」 紬「あ……」 梓「だからムギ先輩のやり方を参考にできたらと思って」 私は少し考えてから答えた。 紬「うーん……あんまり難しい事はしてないかな。なんとなく頭に浮かんだフレーズを少しずつ広げていって……あ、みんなが演奏してるところを想像したり。そんな感じだよ」 梓「どういう時にそのフレーズは浮かぶんですか?」 紬「今みたいな時とか」 梓「え?今?」 紬「楽しかったり、ほっとしたり、嬉しかったりした時」 梓ちゃんは感心したように私の顔を見て言った。 梓「へぇー。だからムギ先輩の曲は楽しい感じのが多いんですね」 梓ちゃんがあまりにも真っ直ぐな眼で私を見て称賛するものだから、私は照れ臭くなった。 梓「じゃあ、今も何か浮かんでるんですか?」 紬「えっ?そうね……今だったら……」 私は椅子から立ち上がると、キーボードの前に立った。 紬「こんな感じかな」 そう言って私は鍵盤に指を滑らせて、思い付くままのフレーズを奏でた。 私がキーボードを弾いている間、梓ちゃんは目を閉じてその音に耳を済ませてくれた。 紬「……はい。こんな感じ!」 梓ちゃんは拍手をしながら言った。 梓「綺麗な曲ですね」 紬「ご清聴ありがとうございました」 私は小さく笑いながら言った。 梓「私にはそんな風にはできないなぁ……」 紬「今のは即興だから曲と言えるかどうかわからないけど……。梓ちゃんはジャズの経験もあるみたいだし、即興ならお手のものなんじゃない?」 梓「ええ……?私が即興なんてやったらきっとメチャクチャですよ」 紬「そうかなぁ。そんな事ないと思うよ?」 梓「ちょっと自信ないです……。それで……えっと、もしご迷惑じゃなかったら……」 梓ちゃんの言わんとしている事はすぐにわかった。 もちろん私は笑顔で快諾する。 紬「うん。いいよ。私で良かったら作曲のやり方教えてあげるね。私も梓ちゃんにはたまにギター教えてもらってるし」 梓ちゃんは目を輝かせた。 梓「ありがとうございます!えへへ……」 紬「じゃあお茶の続きしよっか」 梓「そうですね。それも作曲の大事な過程ですし」 梓ちゃんはそう言って笑顔を見せた。 紬「そう言えばまだケーキ食べてなかったね。今用意するから」 梓「はい、ありがとうございます」 ケーキの入った箱を開けて、私ははっとした。 梓「どうしたんですか?」 さっき落とした時だ。 あの時、箱の中身はぐちゃぐちゃになっちゃったんだ。 紬「え、えっと……ごめんなさい!」 梓「えっ?」 私はおそるおそる白状した。 紬「さっき落としちゃったの……。だからケーキも全部崩れちゃって……」 それを聞いて、一瞬、ほんの一瞬だけ、梓ちゃんの表情が曇った。 視線を落とし、下唇を丸め、それから愛想笑い。 失望や落胆と言える程大袈裟ではなかったけど、確実に梓ちゃんの顔は暗い感情 を表した。 それが私に刺さった。 浅い傷口に、その痛みは何かのトゲのように埋まり、抜けなくなった。 梓「だ、大丈夫ですよ。気にしないで下さい」 気にするよ。 梓ちゃんガッカリしてたもん。 紬「ごめんなさい……」 梓「そんな顔しないでください。私はケーキがなくても平気ですから……」 紬「梓ちゃん……」 梓「それより、えーと……ほら、ムギ先輩は受験生なんですから勉強を……」 梓ちゃんはそう言って話題を逸らしたけど、私には逆効果だった。 促されるまま私はペンを握った。 けど、英文は全く頭に入ってこない。 そんな私を見兼ねたのか、 梓「あの……今日はもう帰りましょうか?」 と梓ちゃんは言った。 私が返事をしないままでいると、梓ちゃんはさっさとアンプの電源を切って、ギターを仕舞い、バッグを肩に掛けた。 梓「ほら、いきましょうムギ先輩」 私は小さく頷くと、参考書をバッグに入れた。 それから梓ちゃんと一緒にティーセットを片付けて、私達は音楽室を出た。 2
https://w.atwiki.jp/tesu002/pages/1630.html
【平成23年 10月28日】 律「かんぱーい!今日もお疲れー!」 りっちゃんの音頭で、私達は缶の蓋を開けた。 唯ちゃんとりっちゃんはゴクゴクとお酒を喉に通し、澪ちゃんはちびちびと飲んだ。 私はみんなが飲み始めたのを確認すると、ゆっくりと缶につけた。 時計は10時を回っていて、テレビは何度目かわからないくらい放送した映画を流している。 筋肉質な男がテロリストに占拠されたビルに取り残される、有名なアクション映画。 澪「この映画って最後どうなるんだっけ」 律「え?テロリストやっつけて終わりだろ」 澪「そりゃそうだけどさ、どういう流れだったかなーと思って」 唯「どうだったかなー?何回も見たけど忘れちゃったよ」 私はみんなほどテレビも映画も見ていなかったけど、この映画のラストは覚えていた。 結局テロリストは思想家でもなんでもない、ただのこそ泥。 敵のボスは死闘の末、哀れビルから転落。 律「流れなんてどーでもいいって。悪い奴は最後死んで地獄に落ちるの!」 唯「そうなの?」 律「そう!」 唯ちゃんがりっちゃんに笑顔を向けて言った。 唯「じゃああずにゃんは悪い事してないからいなくならないね~」 りっちゃんは、しまったという顔をして、澪ちゃんに目配せして助けを求めた。 澪ちゃんもどうしていいかわからず、苦手なはずのお酒をぐいっと飲んだ。 テレビから響くマシンガンの音がとても耳障り。 なんで男の人はこう乱暴なのが好きなんだろう。 紬「かんぱーい!」 空気を変えるために、私は空気を読まずにわざと間抜けな調子で二回目の音頭をとった。 みんなもそれに続き、お酒は進んだ。 澪ちゃんがリモコンのボタンを押してテレビを消したけど、今度は唯ちゃんも止めなかった。 律「おらー!澪飲め飲めー!」 りっちゃんが大袈裟に澪ちゃんに詰め寄った。 澪ちゃんはりっちゃんを小突いてそれをやめさせる。 唯ちゃんはそれを見て笑顔になる。 みんなお互いの胸のうちはよくわかっていた。 私はみんなの考えている事が手に取るようにわかったし、きっとみんなも私の事 をよく知ってくれている。 ひょっとしたら、私の知らない私の事も。 だから、いっその事みんなに聞いてしまいたかった。 「どうして私はこんな事を続けているの?」 梓ちゃんならきっと知っている。 私の気持ちは、私の手元にない。 全部梓ちゃんに叩きつけたから、もし梓ちゃんが棄てていなかったら、きっと今も梓ちゃんが持っている。 みんなが談笑を続ける一方で、私は時計が気になって仕方なかった。 さっき確認したばっかりなのに。 時計の針はほとんど進んでいない。 私はまた缶に口をつける。 スクリュードライバーはあんまり好きじゃない。 もっと甘いのが私は好き。 もっと甘いものを飲んで、食べて、それからもっと甘い曲を書くの。 中身を一気に飲み干して缶をテーブルの上に置いた時、私は唯ちゃんが時計に目をやっているのに気付いた。 唯ちゃんは時計から目を離すと、澪ちゃんと話しながら携帯電話に手を伸ばした。 【平成22年 12月12日】 私が音楽室に行くと、梓ちゃんは水槽の中でふわふわと泳ぐトンちゃんに向かって何か話していた。 紬「梓ちゃん、こんにちは」 梓ちゃんは私のほうを向くと、会釈だけをして、またトンちゃんに向かって何か呟き始めた。 紬「何のお話してるの?」 私は梓ちゃんの隣に行き、水槽を指先でつついた。 梓「いえ……」 と言って、梓ちゃんは目を伏せた。 紬「そっか、トンちゃんは知ってるんだもんね」 梓ちゃんが私の顔をじっと見詰めた。 紬「なあに?」 梓「今日もあそこに入ってなきゃいけないんですか……?」 梓ちゃんは物置をちらっと見て言った。 私は無視して訊ねた。 紬「梓ちゃん、トンちゃんの事好き?」 梓「……はい。好きです」 紬「じゃあ一緒にご飯食べよっか」 梓ちゃんは拳をきつく握りながら言った。 梓「わかりました」 私は梓ちゃんのティーカップにトンちゃんの餌を入れて、梓ちゃんに差し出した。 梓ちゃんは眉間にシワを寄せ、目に涙を浮かべながらそれを食べた。 紬「泣いたらダメだからね」 梓「はい。わかってます」 梓ちゃんの物分かりが急によくなった事に、私は疑問を抱かなかった。 梓ちゃんと二人っきりで音楽室にいると、得体の知れないものが私の心を支配して身体を動かし、そういう思考を奪った。 梓「食べ終わりました」 紬「うん」 私は梓ちゃんの頭を撫でた。 梓ちゃんはびくっと身体を震わせた。 それが気に入らなかった。 私は梓ちゃんの髪の毛を掴み、そのまま頭を机に叩きつけた。 梓「……っ」 梓ちゃんが抵抗してくれなかったから、私はすぐに止めた。 もう物置に閉じこめても、梓ちゃんは泣かない。 ああ、私が禁止してるんだっけ。 どっちでもいいわ。 何か他の事をしないと。 紬「梓ちゃん」 私は座ったまま椅子をひきずり、梓ちゃんのすぐ隣に行き、顔を近づけ、梓ちゃんの頬を触った。 柔らかい。 暖かい。 唯ちゃんが気に入ってる気持ち、何となくわかる。 梓ちゃんは唇を震わせながら、じっと私を見据えた。 紬「梓ちゃん、前に言ってたよね」 梓ちゃんは何も答えなかった。 そっか。そんなに私が嫌いなんだね。 紬「こういうのに憧れてるって」 私は梓ちゃんのおでこに唇を押し当てた。 梓ちゃんは、「ひっ」と声を漏らした。 私は一度梓ちゃんの頭をぶってから、今度は梓ちゃんの唇に自分の唇を重ねた。 カサカサに乾いた唇。 生臭い。 こんなのに憧れてるなんておかしいよ。 唇を離すと、梓ちゃんは私を突き飛ばす事もなく、膝の上で拳を丸めて微動だにしなかった。 紬「平気なの?」 梓ちゃんは小さく首を横に振った。 紬「嫌?」 梓ちゃんは黙ったまま首を縦に振った。 その拍子に、目から涙が溢れた。 紬「泣かないで」 私は梓ちゃんの足を蹴った。 梓「すみません」 梓ちゃんは急いで涙をごしごしと拭き取り、私に顔を向けた。 私はまた梓ちゃんに唇を重ねた。 梓ちゃんはぎゅっと目を瞑った。 私は目を開けたまま、梓ちゃんの唇を噛んだ。 梓「……つっ……!」 梓ちゃんは声を漏らして痛みに耐えた。 私の口の中に、血の味が広がる。 おいしくない。 私はドラキュラじゃないもの。 おいしいわけない。 私は唇を離し、梓ちゃんに立つように言った。 梓ちゃんは机に両手をつき、私は梓ちゃんの後ろに回って制服のシャツの中に手を入れた。 私に、梓ちゃんに対する情欲があったわけじゃない。 恋愛感情もない。 梓ちゃんの事は大好きだけど、それは恋愛とかそういう事じゃない。 私はただ、梓ちゃんを可哀想な目に遭わせたかっただけ。 それだけの理由で、私は梓ちゃんの身体を触った。 でも梓ちゃんが可哀想になると、私の心は軋んだ。 骨が歪み、皮が千切れるんじゃないかと思うほど、辛かった。 紬「よかったね梓ちゃん。憧れてたんだもんね」 梓ちゃんは、ふっ、と息を吐いた。 暖房をつけていなかったから、それは白く立ち上ぼり、すぐに消えた。 私は梓ちゃんのスカートの中に手を入れ、下着を脱がせた。 それから私の指は、そっと梓ちゃんの脆いところに触れた。 梓ちゃんの呼吸が乱れた。 それは性感によるものではなく、泣くのを堪えていたからだ。 紬「泣かないで」 梓ちゃんの声が震える。 梓「泣いてません」 紬「泣いてるよ」 梓「泣いてません」 紬「嘘。泣いてるよ。私の指、梓ちゃんの涙で濡れてるもん」 梓ちゃんは身体を机に倒し、顔を隠しながら言った。 梓「……すみません」 梓ちゃんはいよいよ泣くのを我慢できなくなり、机の上に涙をこぼし、しゃくりあげた。 私は梓ちゃんの中に指を入れた。 梓「っ……く……」 梓ちゃんはまた声を漏らした。 太股に血が伝う。 紬「痛いの?」 梓「……は、い……」 紬「でも憧れてたんだよね?」 梓ちゃんは答えなかった。 紬「そうなんでしょ?」 私は梓ちゃんの中に埋もれた指を動かしながら言った。 梓「あ……っ。違い、ます……」 梓ちゃんは泣きながら言葉をひりだした。 紬「泣いちゃダメって言ってるのに」 私はまた指を動かした。 梓「いっ……た……痛、い……痛い…………」 紬「じゃあ痛くなくなるまで動かすから」 それから私は指を動かし続けた。 梓ちゃんは随分長いこと涙を流しながら、痛みに耐え続けてくれた。 窓の外の日が落ちて部屋が暗くなる頃、梓ちゃんの声色が変わった。 動物的なその声に、私は少し怯えながら指を動かした。 指先に当たる、梓ちゃんの子宮の入り口が気持ち悪い。 こんなに小さくて弱々しい身体なのに、子供を作る事はできるなんて、なんだか不思議。 いつもならみんなの笑い声と演奏だけで構成される部室の音景は、単調に展開する梓ちゃんの声だけになり、私はそれがとても嫌だった。 添加物をどっさり入れて作ったお菓子のような下品な声を出し続ける梓ちゃんの身体から、雌の匂いが撒き散らされているような気がして、私は顔をしかめた。 梓ちゃんは一際大きな声で鳴くと、がくりと膝から落ちた。 梓ちゃんから私の指は抜け、てらてらと光る指先に私は寒気を覚えた。 それから私は念入りに手を洗うと、泣きながら項垂れる梓ちゃんの腕を掴んで立たせた。 紬「帰ろっか」 梓「……はい」 冬の通学路に、人は疎らだった。 街灯は頼りなく揺れ、私と梓ちゃんを導く。 ごめんね街灯さん。 いくら照らしてもらっても、梓ちゃんは元気にならないの。 私が家に帰って電話をかけないと、梓ちゃんは元気にならないの。 不意に、指先に冷たいものが当たった。 紬「梓ちゃん、雪だよ」 梓ちゃんは俯いたまま。 紬「早く帰らないと風邪引いちゃうね」 駅に着いて、私は梓ちゃんの手を離した。 バッグから消毒薬を取り出し、ティッシュを湿らせて、私が噛んだ梓ちゃんの唇に当てた。 梓「っ……」 紬「ちょっとだけ沁みるからね」 手当てを済ませても、梓ちゃんは私の顔を見てくれなかった。 紬「じゃあね」 梓ちゃんはようやく顔を上げ、目の周りを赤く腫らした顔で、毅然と言った。 梓「はい。失礼します。また明日」 7
https://w.atwiki.jp/tesu002/pages/1634.html
【平成23年 9月10日】 梓ちゃんと別れた後、私はアルバイトに行った。 私が家に着く頃、もう日付は変わっていた。 私は急いで梓ちゃんに電話をかけた。 紬「もしもし梓ちゃん?」 梓「こんばんは」 紬「梓ちゃん、ごめんね」 梓「はい」 紬「本当に悪いと思ってるの」 梓「わかってます」 紬「ごめんなさい……」 電話の向こうが少し騒がしい。 紬「今外にいるの?」 梓「はい」 紬「まだ帰ってないの?」 梓「いえ、一度帰りました」 紬「夜道は危ないわ。私、梓ちゃんに何かあったら悲しいよ」 梓「はい」 紬「気をつけて帰ってね」 梓ちゃんのまわりが更に騒がしくなった。 梓「ムギ先輩。今日の事も、今までの事も、私達だけの秘密ですからね」 紬「内緒話?」 梓「はい、内緒話です」 紬「えへへ」 梓「ムギ先輩」 紬「なあに?」 梓「私はムギ先輩の事、絶対に嫌いになりません。ムギ先輩は私の大事な先輩です」 紬「うん、ありがとう。私も梓ちゃんの事大好きだよ」 梓「はい。じゃあ失礼します」 一際大きな騒音がして、電話は切れた。 電話の後、私はシャワーを浴びてすぐにベッドに入った。 朝になって目が覚めても、何もする気になれなかったから、私は澪ちゃんに借りた小説を読んで時間を潰した。 夕方になってから、唯ちゃんの家に行った。 駅で澪ちゃんと合流した後、コンビニでお酒を買おうとしたけど、私がはしゃいだせいで怪しまれたのか、店員さんに年齢確認をされてしまい、少し離れた別のコンビニで買う事になった。 そのせいで唯ちゃんの家に着くのが少し遅れたけど、りっちゃんはまだ来てなかった。 冷房が苦手な唯ちゃんは窓を開け放していたから、夏虫の声が部屋によく響いた。 唯「私レモンティーね!」 澪「じゃあ、アイスティーで」 紬「はーい」 私は流し台の横でお茶を淹れ、テーブルの上に運んだ。 唯「りっちゃん遅いね~」 澪「どこで油売ってるんだろうな。電話しても出ないし」 お茶で喉を潤しながら、澪ちゃんは腕時計を見た。 唯「先に始めちゃおっか」 澪「そうだな」 私達はりっちゃんを待たずに、お酒の缶を開けた。 唯ちゃんが乾杯の音頭を取ろうとした時、唯ちゃんの携帯電話が鳴った。 唯「かんぱーい」 澪「乾杯……ってまず電話出なよ」 唯「えへへ。先に飲んでていいよー」 そう言って唯ちゃんは電話に出た。 唯「もしもーし。あ、憂。どうしたのー?」 私と澪ちゃんは声を潜めて「乾杯」と言った後、お酒を一口飲み、小声で話した。 澪「全く、律も遅れるなら連絡くらいしてくれればいいのに」 紬「寄り道してるんじゃないかしら?」 唯「え?なに?よく聞こえないよー」 澪「今頃コンビニでマンガでも読んでるのかな」 紬「そうかも」 唯「ういー、落ち着いて話してよ。何言ってるかわかんないよー」 紬「そう言えばおつまみないね。りっちゃん、買ってきてくれるかな」 澪「いや、ないな。律に限ってそれはない」 唯「うん、うん。それで?」 澪「大体、あいつもうバイト代使いきっただろ」 紬「え?こないだお給料貰ったばかりよ?」 澪「CD買いまくってたからな。あと服も」 紬「りっちゃん、最近どんどんおしゃれになっていくよね」 澪「それはいいんだけどさ。宅飲みで私にお金借りるってさすがに使いすぎだろ」 紬「そう言えば、澪ちゃんとりっちゃん幼なじみなんだし、お揃いの服着たりしないの?」 澪「するわけないだろ……。そもそもサイズが全然違うし」 紬「そっか、残念」 澪「なんでムギががっかりするん……」 言いかけて、澪ちゃんの顔が強張った。 澪ちゃんは唯ちゃんの顔をじっと見ていた。 釣られて私も唯ちゃんの顔を見た。 唯ちゃんは電話を耳にくっつけたまま、無表情になっていた。 悲鳴はその人の恐怖をよく伝えるって言うけど、沈黙はそれ以上の効果をもたらした。 私と澪ちゃんは顔を見合わせた。 それから私はまた唯ちゃんを見た。 唯「うん、わかった。すぐ行く」 唯ちゃんは電話を切った。 澪「唯、どうしたの?」 澪ちゃんが訊ねた。 唯ちゃんは何も言わず立ち上がり、財布と携帯電話をポシェットに入れた。 紬「え、唯ちゃん出掛けるの?」 唯「うん」 澪ちゃんが唯ちゃんの腕を掴んで言った。 澪「待ちなよ。何かあったの?」 唯ちゃんは澪ちゃんをちらっと見た後、私に視線を移した。 それから手を差し出した。 唯「一緒にいこ」 澪「は?どこに?」 唯ちゃんは説明したくなかったらしく、一人でさっさと部屋を出ていった。 唯ちゃんがいつになく深刻な顔をしていたから、取り残された私と澪ちゃんは不安になった。 澪「どうしたんだろう」 紬「わかんない……。とりあえずここで待ってたほうがいいかな」 澪「そうだな。律もそろそろ来るだろうし」 澪ちゃんの携帯が鳴った。 澪ちゃんはサブディスプレイを私に見せた。 澪「噂をすれば」 りっちゃんからだった。 澪「もしもし、律?なにやってるんだよ、もう始めちゃってるぞ」 話す相手のいなくなった私は、所在なく部屋を見渡した。 大きなフォトフレームの中に、私達の写真が何枚も飾ってあった。 澪「え?うん、何?早く言いなよ」 それから私は、指先を弄った。 澪「はぁ?なんだそれ。全然笑えない。ていうか不謹慎だぞ」 私はスカートの裾の乱れを直し、足を伸ばした。 澪ちゃんの声が止まった。 私は澪ちゃんの顔を見た。 まだほとんどお酒を飲んでいないはずなのに、澪ちゃんの顔は色を失っていった。 澪ちゃんが携帯電話を落としたから、私はすぐにそれを拾った。 紬「もしもーし、紬です」 律「ムギ」 紬「りっちゃん、今どこにいるの?」 律「梓が死んじゃったんだって」 紬「え?」 それからりっちゃんは、電話の向こうで大声をあげて泣き出した。 9月10日。 夏虫の最期の大合唱の中、電話越しの泣き声。 澪ちゃんはそれを聞きたくなかったのか、両手で耳を塞いでいた。 【平成23年 10月28日】 私は財布を忘れた唯ちゃんが戻って来るのを待った。 りっちゃんも澪ちゃんも寝ちゃってるから、ちょっと退屈。 そう言えばあの時も私だけ話し相手がいなかった。 私は指先を弄った。 あと10分もしないうちに日付は変わる。 退屈。 紬「よし」 私は唯ちゃんの財布をひっつかむと、部屋を出た。 私は唯ちゃんを追いかける事にした。 唯ちゃんに財布を渡して、一緒にお酒を買うの。 今度ははしゃがないように気をつけなきゃ。 【平成23年 9月12日】 幸か不幸か生き残ってしまった蝉がけたたましく鳴いていた。 残暑の日差しは、喪服の上から照りつける。 お日様が容赦してくれなかったから、私は背中にかいた汗を何度も拭き取る事になった。 玄関で香典を渡した後、喪主の梓ちゃんのお父さんに挨拶を済ませると、私は梓ちゃんの家の中に入った。 中は梓ちゃんの親族や学校のクラスメイトと関係者、中学の同級生でごった返していて、香炉の中で燻るお香と参列者の香水の匂いで、私はくしゃみが出そうになった。 お葬式に香水なんてつけてくるものじゃないのに。 そうやって自分を実物以上に見せるのは、とても下品な事なのに。 和「ムギ。久しぶり」 和ちゃんは泣き続ける憂ちゃんの頭を撫でながら言った。 紬「うん。和ちゃん、眼鏡やめたんだ」 和「お葬式で赤いフレームなんて場違いでしょ。だから今日はコンタクト」 りっちゃんと澪ちゃんは喪服を持っていなかったから、私が貸してあげた。 りっちゃんにはパールの一連ネックレス、澪ちゃんにはオニキスのネックレスをそれぞれあてがった。 唯ちゃんは和ちゃんの隣で、憂ちゃんの背中をさすっていた。 唯ちゃんはおばあちゃんに借りた和喪服を着ていて、とても綺麗だったけど、どこか似合っていなかった。 さわ子先生も純ちゃんも、みんないたのにちっとも楽しそうじゃなかった。 お坊さんが上げるお経も音の起伏がなくて、面白くない。 唯ちゃんならもっと可愛くやってくれそう。 木魚の音より、私はりっちゃんのドラムが好き。 お経の中身も澪ちゃんに書いてもらえばずっと良くなるのに。 飾りのお花だってヘン。 こういうのは私達に任せてくれればよかったのにな。 梓ちゃんなら、きっと笑って頷いてくれるはず。 何枚も並んだ座布団の上に色んな人が座り、順番に梓ちゃんの前で手を合わせた。 あの日、梓ちゃんは私との電話を切った後、唯ちゃんの家の近くの駅のホームから線路に落ちて、電車に轢かれて死んじゃったらしい。 だから私が壊したギターも、叩いた顔も、切った髪も、全部めちゃくちゃになってわからなくなった。 まず、部長だったりっちゃんにさわ子先生から連絡が入り、その後梓ちゃんと親しかった憂ちゃんと純ちゃんにも知らされたらしい。 それからりっちゃん経由で訃報は私達の知るところとなった。 遺書のようなものは何一つ残されてなかったから、警察も事故なのか自殺なのかわからないままだった。 このお葬式の後に私達は警察に色々聴かれたけど、梓ちゃんとの事は内緒話って約束してたから話さなかった。 私は梓ちゃんが死んだ事に何の実感もなかったけど、梓ちゃんに嫌われたと思って悲しくなった。 唯「ムギちゃんの番だよ」 焼香を終えた唯ちゃんが、私に声をかけた。 私は立ち上がり、ゆっくりと梓ちゃんの方へ歩いていった。 私は梓ちゃんが大好きだから、梓ちゃんの寝顔を見たかったけど、棺桶には蓋がしてあって見る事が出来なかった。 前に親戚の葬式に出た時は、棺桶に蓋なんてしてなかったのに。 梓ちゃんは天使みたいに可愛い。 その梓ちゃんをみんなにも見てもらいたいのに、どうしてこんな事をするんだろう。 私は祭壇に向かって一礼をすると、焼香台の横からお香を摘まみ、胸のあたりでそれを潰して、香炭の上に乗せた。 作法通りに何かお別れの言葉を思い浮かべようとした。 でも、お別れとは思えなかったから、何も浮かばなかった。 従香をして、今度は「天国に行けますように」と念じたけど、それもかなり嘘っぽかった。 11
https://w.atwiki.jp/talesofdic/pages/10680.html
カンカン(かんかん) 登場作品 + 目次 アビス 関連リンク関連種アビス ネタ アビス 作中説明 レベル 24 備考 イベント HP 4200 TP 0 物理攻撃力 174 物理防御力 190 譜術攻撃力 166 譜術防御力 148 経験値 89 ガルド 98 耐性 地・水・火・風×1.25物×0.9 落とすアイテム - 盗めるアイテム - 出現場所 エンゲーブの魔物退治 (※基準は戦闘ランク:ノーマル。アイテムの数値は入手確率。) 行動内容 くちばしによる突きで前方の相手を攻撃する。2HIT。 連続蹴りで前方の相手を攻撃する。4HIT。 急降下して前方の相手を攻撃する。風のFOF(小)を発生させる。 V字突進で前方の相手を攻撃する。2HIT。 滑空して前方の相手を攻撃する。2HIT。 玉を飛ばして前方の相手を攻撃する。地のFOF(小)を発生させる。 総評 銀色の体色の小鳥型のモンスター。チュンチュン系。 エンゲーブの魔物退治のサブイベントでのみ出現する。 5戦目にキンキン1体と共に4体出現する。 物理攻撃に耐性がある代わりに4属性に弱いという特徴的な耐性の持ち主だが、出現時期の関係で大変弱いため影が薄い。 ▲ 関連リンク 関連種 アビス チュンチュン ピヨピヨ バサバサ ボーボー ザーザー カーカー ビュービュー ワサワサ キンキン ピーピー ▲ ネタ 名前は金属を叩く音の擬音語から ▲