約 604,479 件
https://w.atwiki.jp/anozero/pages/4338.html
前ページ次ページゼロのエルクゥ ルイズは、夢を見ていた。 今日の舞台は、数年前まで住んでいた生家、ラ・ヴァリエール家の本宅。 「はあ、はあ……」 十ほども幼い姿の自分が、当時の自分の背格好からは迷路のようにしか見えなかった庭木の植え込みの間を、息を切らせて走っていた。 「ルイズ、ルイズ、どこに行ったの? まだお話は終わっていませんよ! ルイズ!」 後ろから、厳しい母の声が響き渡る。 ルイズはぎゅっと目を瞑り、必死に足を動かした。彼女の安息の場所に向かって。 そこは、広すぎる公爵家の屋敷の中で、住人達に忘れ去られた場所。 訪れる者は世話をする庭師だけになった、舟遊びをする為の大きな池。 池のほとりに繋がれた小舟の中が、優秀な姉達と違って魔法の出来ない自分が父や母に睨まれる事のない、幼いルイズの数少ない安心できる場所だった。 「うう、ぐすっ……」 持ち込んである毛布にくるまると、ぎいぎいと小舟がきしむ音と、ちゃぷちゃぷと揺れる水音が、聞こえる音の全てになる。 水と土が織り成すその調べを聞いていると、次第に悲しみに暮れていた気持ちが慰められていくのだった。 「はあ……」 そうして、どれくらいの時間が経っただろうか。 この光景は、過去のものだった。この後、婚約者である憧れの子爵様が慰めに来てくれたはずだ。 しかし、これは夢。過去を回想しているわけではなく、霞に見ているただの夢だった。 「あれ……?」 水と土の演奏が、どこか遠くに聞こえる。代わりに響いているのは―――轟と燃え盛る炎と、全てを切り裂く風からなる鋭い旋律。 「え―――?」 毛布から顔を出し、舟の縁から周囲を見たルイズは、絶句するしかなかった。 そこは綺麗に剪定された実家の池ではなく、どこかの河原。砂利と泥水の流れる河原に浮かぶ舟の中だった。 「ど、どこ、ここ……?」 きょろきょろと周囲を見渡すと、瞬間、そこは舟の上ですらなくなった。 「おお、おお、エディフェル! しっかりしろエディフェル……!」 『えっ?』 自分の口から、野太い男の声が漏れ出る。 その視線の先には、見た事もないような服を身にまとい、河原に横たわり、炎に照らされ、太い腕に抱かれた女性の姿があった。 まるで、自分が抱きかかえているような視点だったが……私の腕はこんなに太くないわよ、とルイズは妙に冷静な事を考えた。 抱きかかえている女性の胸に大穴が空いていて、その白磁のような肌にべっとりと血糊が張り付いているのも、どこか朧に目に映る。 『な、何よこれ……!』 口を動かそうとしても、言葉にならない。胸を焼くような焦燥だけがそこに渦巻いていた。 「……わかっていたのです。こうなるであろう事は……」 ごぼ、とその女性の口から赤い飛沫が弾ける。 「貴方を助け、貴方と共にある事は、一族への裏切り……皇女である私には、それが最大限の報復でもって贖われる事を……」 「もういい、喋るな。すぐに治療を」 静かに、女性は首を横に振った。 「助かりません。それに……私が助かってしまったら、今度はリズエルが……」 「構わぬ。お前以外の誰がどうなろうと構わぬ。そう言ってわしを鬼としたのはお主であろうが……!!」 「ふふ、そうでしたね……」 血を吐きながら、女性は穏やかな……酷く穏やかな表情を浮かべる。 その儚い笑顔に、ルイズはどこか、優しい下の姉の面影を見出していた。 「ああ、愛しています、次郎衛門。願わくば、姉を……エルクゥを恨まないで」 『えっ?』 聞き覚えのある単語に、夢心地だったルイズの意識が急に鮮明となる。 「愛している。愛しているエディフェル。だから死ぬな。わしを鬼とした主が死ぬな。その貸し、一生を捧げなくば返せぬものと知れ……っ!」 『あ、あ、う……!』 激情。 溶けた鉄にも似た、真っ赤な色をした激烈な感情が、容赦なくルイズの意識に流しこまれる。 それは、耕一の『シグナル』を受け取る時と同じ感覚で―――そして、同じでは到底ありえなかった。 耕一のシグナルが後ろからそっと肩を叩かれる程度の驚きであるとすれば、これは"ファイヤーボール"の直撃。骨まで灰になるような、溶鉄の温度だ。 「ふふっ……相変わらず厳しい方。ご心配召さらず。この身、既に全て貴方に捧げております故に……」 「ならば、ならばっ……!」 女性の手がふらふらと伸び、自分の頬を撫でた。その指が、微かな水気に濡れる。 それでも、身体中を焼き尽くすような溶鉄の激情は、少したりとも衰えない。 「エルクゥの御魂は、ヨークによって滅する事叶いません。幾星霜かの時の後に、また」 「……違えたら、許さぬ。お前はわしのものだ。必ずまた、来世で」 「はい。次の世でも、必ず貴方の元に」 そうして、二人の顔が、紅に濡れた唇が近付き――― § 「はっ!?」 ルイズは、がばっ、と布団を跳ね上げて目を覚ました。 「はーっ……はーっ……」 どくん、どくん、と心臓ががなり立てている。 「な、なに、今の、夢……」 夢、であったのだろう。実家にいたはずなのにいきなり見も知らない場所にいたり、何者かもわからないような男女の死別に居合わせたりと。 「エル、クゥ……」 でも。 いつもなら、浮かび上がる意識の底に置いていかれてしまう夢の内容を、今はありありと思い出す事が出来た。 炎。風。血。微笑み。そして、溶けるような―――想い。 「ううっ」 思い出して、ぶるりと背筋が震えた。 「なんだったのかしら……エルクゥ、って言ってたし、コーイチに関係ある事なの?」 「さあなあ。俺にゃわかりよーもねえなあ」 「ひっ!?」 夜明けの暗がりの中、独り言に反応する声が上がって、ルイズは文字通り飛び上がった。 「なんでえなんでえ。そんなお化けでも見たような顔で驚くなってんだ」 「あ、あんたね……」 カタカタ、と金具が鳴る音がする。それは、まだ寝息を立てている使い魔の横に立てかけられている、喋る剣の声だった。 「もう、寝る時は鞘に入れときなさいって言ったのに……」 「そんな寂しい事言うなよ娘っ子。こちとら作られてから数千年、久々に気のいい使い手に出会って充実した時を過ごせてるんだからよ」 カタカタカタ、と大きく飾りを鳴らして笑うデルフリンガーに、ルイズはそれに負けない大きなため息をつき……続けて、大あくびをかました。 「うう、まだこんな時間じゃないの……はぁ」 まだ薄暗がりの外を見て、布団を被りなおす。 「なんだ、また寝るのか。たまには早起きもいいもんだぞ」 「それ以上喋ったら鞘に押し込むわよ」 「むぎゅ」 そう言ったら押し黙ったので、ふんと鼻を鳴らして目を閉じた。 けれど、あの溶鉄のような激情を思い出して心臓は落ち着きを見せず、眠ってしまったらあの続きを見てしまうような気がして……ルイズは寝直す事の出来ないまま、段々と日が昇っていくのを眺める羽目になったのだった。 § 「恐れ多くも先の陛下の忘れ形見、我がトリステインがハルケギニアに誇る可憐な一輪の花、アンリエッタ姫殿下が、本日ゲルマニアご訪問からのお帰りに、この魔法学院に行幸なされます」 黒ずくめの怪しい先生の授業もハゲ頭に乗っかった金髪ロールのカツラも、睡眠の足りない胡乱な頭で見聞きしていたルイズは、その一言にはっと目を覚ました。 「姫殿下が……」 脳裏に、懐かしい記憶が蘇る。 それは、ちょうど朝夢に見たような、幼き日々。魔法を使えないと言う事が、まだ母の説教で済んでいた頃。 「……ふぅ」 しかし、ルイズは首を振って、開きかけた記憶の扉を閉めた。 「覚えていらっしゃるはずがないものね」 物心はついていた頃だから、聞けば思い出すかもしれないが、それだけだろう。 しかも、今の自分は『ゼロ』のルイズ。何かの折に小耳に挟まれていたら、失望されているかもしれない。そんな者と幼少のみぎりに遊んでいたのか、と。 そう考えると、知らず、ぶるりとルイズの背が震えた。 「……もう慣れたと思ったんだけどな」 最近は、そんな事気にもしない奴等がずっとそばにいるものだから、忘れかけていたのかもしれない。『ゼロ』という二つ名に込められた意味を。 「―――生徒諸君は正装し、門に整列すること。諸君が立派な貴族に成長したことを、姫殿下にお見せする絶好の機会ですぞ! 御覚えがよろしくなるように、しっかり杖を磨いておきなさい! よろしいですかな!」 皆が引き締まった顔でコルベールの激を聞いているのを、ルイズはどこか張りのない表情で見つめていた。 「トリステイン王国王女、アンリエッタ姫殿下のおなーーーーりーーーーッ!」 そして昼を過ぎ。 門に整列した生徒達の前、猛々しい声と共に、老人に手を取られた女性が、一角獣ユニコーンが綱を引く絢爛な馬車から姿を現した。 その横には、幻獣グリフォンに跨り、大きな羽帽子で顔を隠した護衛らしき衛士の姿。 そのどちらにも覚えのある面影を見つけ、ルイズは周囲の生徒と同じ杖を掲げた格好のまま、じっとそれを見つめている。 不安と憧れが半々に混じった視線が、ゆらゆらと二人の間をさまよっていた。 「……キュルケさんとタバサちゃんは杖を掲げなくていいのか?」 「あたしはゲルマニアの者だもの。興味がなきゃ義理もないわ。お姫様って言っても、あたしの方が美人だしね。ま、あの衛士隊の殿方は素敵そうだけれど」 「…………」 「はは……」 その横に控えている耕一が、同じくその横でつまらなそうにしている二人に聞くと、キュルケはいつものペースを崩さないまま、タバサなどは木陰に座って本を広げる事で、それぞれらしい返事をした。 § 「……なるほど。誰も気付かぬうちにと、そういうわけですか」 「その通りですじゃ、枢機卿殿。ディテクト・マジックにも反応はなく、今のところどう盗んだのかすら不明ですわい」 「さて、伝統あるトリステイン魔法学院の威信が問われますな。盗まれたのが宝物ではなく生徒であったとしたら、いかがするおつもりでしたか」 「……さて、返す言葉もないですな」 夕刻。学院長室では、昼間にアンリエッタ姫をエスコートしていた老人、このトリステインの政務を仕切る実質上の宰相であるマザリーニ枢機卿が、飄々としてはいるが、どこか弱った表情を隠せないオスマンの報告を聞いていた。 一週間前に起こった、『土くれ』のフーケによる盗難事件の報告である。その横では、アンリエッタ姫が苦い顔で二人の話を聞いていた。 「枢機卿。過ぎた事を責めても」 「然りです殿下。ですが、これからの話に入る為には必要な事でもあるのです。オールド・オスマン。これから警備体制に関しては、こちらからも口を出させていただきますぞ。このトリステイン魔法学院には、他国からの留学生も多く預かっておりますでな」 それが誘拐される事も有り得る。言外にそう言っていた。 もしそうなった場合、その相手国との関係がどうなるかは、語るまでもない。 「……仕方ありますまいな」 口だけじゃなく手も足も出す気じゃろうに、という内心を隠しながら、オスマンは弱った様子で重く頷くしかなかった。 学院の自治は重要ではあるが、生徒の安全には代えられないのだ。そして、目の前の老人には、その担う重責―――まだ齢四十だが、その重き荷が、彼をそこまでに枯れさせてしまったほど―――に相応の、それが出来るだけの力があった。 「さて、まずは―――?」 具体的な話を詰めようと開いたマザリーニの口はしかし―――びりびり、という大地の震えに閉じられた。 「地震ですかな。珍しい」 アンリエッタを庇うようにマントを広げ、マザリーニが周囲を見渡す。 「ああ、枢機卿殿、これは違いますぞ。お気になさらず」 「オールド・オスマン?」 妙に落ち着き払ったオスマンの態度に、マザリーニが怪訝な表情を浮かべた。 再び、大きく震えた。 「とある生徒の魔法の練習ですじゃ。最近張り切っておるようでしてな。毎夜の事なのです」 「……魔法の練習? これがかね?」 「珍しい事ですが、その者は魔法を失敗すると爆発してしまうのです。この通り」 オスマンが杖を一振りすると、横の姿見が、一人の少女の姿を映し出した。 それを見た瞬間、アンリエッタの目と口が驚きに見開く。 「……ふむ」 段々と夜が深くなっていく宵闇の中、桃色の長いブロンドを汗に濡らし、杖を振り続ける少女。その傍らでは、蒼い髪の小柄な少女が、その使い魔であろう大きな風竜に、爆発からの盾にするように背を預け、本を広げている。 桃髪の少女が必死の表情で杖を振ると、近くにあった握り拳ほどの石が盛大な爆発を起こし、濛々と煙を吐き出した。 「本来は爆発音もするのですが、ちと近所迷惑だと生徒からの苦情がありましてな。とはいえ生徒の自助努力を止めるというのも心苦しいです故、彼女の友人や教師が交代で、サイレントの魔法をかけておるのです」 振動と映像は、一致している。 しばらくの間、杖を振っては爆発して建物が響くのを見つめた後、マザリーニは大きくため息をついた。 「……話を進める雰囲気ではなくなりましたな。追って書状にてご連絡致しましょう」 「あいわかり申した」 マザリーニは部屋を出て行こうと踵を返す。 アンリエッタは同じくその少女が映る鏡を見つめていたが、その表情はマザリーニとは真逆の、どこか懐かしく嬉しいようなものを含んでいた。 「……ルイズ・フランソワーズ」 「殿下、参りますぞ」 彼女の唇から紡がれた小さな言葉は、扉を開けてアンリエッタを待つマザリーニの耳には届かなかったようだった。 § 「よう娘っ子、今日も絶好調だったみてぇだな」 「黙りなさい溶かすわよ」 ルイズは不機嫌そうに剣を蹴飛ばすと、湯上りで赤みの差した肌をごろんとベッドに横たえた。 「ちょっ、蹴るなってあぁん♪」 「へ、へへ、変な声を出すなぁぁぁっ!」 「ぐへ! 娘っ子それはさすがに痛えってちょっ! 相棒タンマ! ストップ! ストップ・ザ・スローイン!」 「すまんデルフ。さすがに俺もキモかった」 「ひでえよ相棒……ちょっとしたお茶目じゃねえかよ」 デルフリンガーの声はどう聞いても中年のおっさん声であるので、冗談でも『あぁん♪』などという可愛らしい文字列は似合わなかった。 思わずルイズがカカトで踏みつけ、耕一が窓から投げ捨てようとしてしまったのも無理ない事であったろう。 「やれやれ、ひでえ目にあったぜ」 「自業自得よ。まったく……」 ルイズはベッドに入り直すと、早々に布団を被る。魔法の練習が疲れるのか、最近はとても健康的な時間に就寝してはいるが、それにしても早かった。まだ月が昇ってそれほども経っていない。 「もう寝るのか?」 「……今日はちょっと張り切っちゃったのよ。おやすみ、コーイチ」 「ああ、おやすみ」 ルイズが背中を向け、さてさすがに俺も寝るには早すぎるけどどうしよう、と耕一が暇を潰す先を考え始めた時。 コン、コン と長めのストロークでドアがノックされた。 「はーい、どなたで―――」 コココン 耕一が応対の為に立ち上がろうとすると、再び短く三回。 「えっ!?」 「る、ルイズちゃん、どうした?」 何か閃くものがあったのか、ノックを聞いて飛び起きるルイズ。 数秒ほどそのドアの方を見つめると、眉を寄せながらブラウスを身に付け、おそるおそるといった感じでドアを開けた。 「……あ、あなたは」 そこにいたのは、長く黒いマントで体を隠し、黒いフードをすっぽりと被った人物だった。 見るからに怪しげだったが、ルイズの表情は、どこかそういう"怪しんでいる"というのとは違う驚きだった。 黒マントはそっと唇に指を当てると素早く部屋の中に潜りこみ、フードを取り去る。その素顔に、ルイズの目が今度こそ見開いた。 「……ルイズ・フランソワ―ズ」 「ひ、姫殿下……!」 「ああ! 覚えていてくれたのね。ルイズ、懐かしいルイズ!」 黒フードの少女―――アンリエッタ・ド・トリステインは、感極まった声でルイズに抱きつき、心から嬉しそうな笑顔を浮かべた。 前ページ次ページゼロのエルクゥ
https://w.atwiki.jp/anozero/pages/4230.html
前ページ次ページゼロのエルクゥ トリステイン魔法学院、学院長室は、中央本塔の最上階にある。 学院長であるオスマンは、がっしりとした造りの執務机に腰掛け、白くはなっているが美髭と呼んで差し支えない見事な長髭をさすりながら、 『朝っぱらからそのハゲ頭に似合わぬ真面目くさった顔をしやがってからにわしの朝はミス・ロングビルの魅惑の三角地帯を拝まんと始まらんのじゃあ』 という内心を押し殺して自らの使い魔であるハツカネズミをそっと秘書机の下に送り込みつつ、目の前の一人の教師に相対していた。 「して、こんな朝早くから何用じゃ、ミスタ」 「昨日の、春の使い魔召喚の儀に関してなのですが」 机を挟んでオスマンの前に立っているのは、コルベールだった。 「一人、人間……いや、亜人の青年を召喚した者がおります」 「ふむ。確かに珍しい事ではあるが……それだけでこんな朝っぱらから押しかけてきたわけではあるまい?」 「これを」 コルベールは、手に持っていたスケッチブックと古ぼけた本を机に広げ、それぞれ栞を挟んであるページを開いた。 「これは……!」 オスマン老人の顔が引き締められる。 「青年の左手の甲にこのルーンが現れました。また、召喚された折、私ですら気圧されるほどの迫力を放ち、次いで学園までの道を召喚者を抱えたまま30秒ほどで走り抜け、その途中『フライ』で飛行する生徒達の高さまでジャンプで跳び上がる、といった行為を見せています」 「……なんじゃそれは。神の左手にしても無茶苦茶じゃな」 同じルーンを示した、スケッチと、古本―――『始祖ブリミルの使い魔たち』を見るその目が、鋭い光を湛える。 それは奇しくも、耕一達の世界に存在する『ルーン文字』と全く同じ形をしていた。アルファベットに直せば、それは―――gundalfr、と読める。 「神の左手ガンダールヴ。あらゆる武器を使いこなし、魔法を唱える始祖を護る神の盾」 本に書かれた説明書きを、無感情に朗読するオスマン。 「召喚者の名は」 「ミス・ヴァリエール。ルイズ・フランソワ―ズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールです」 名を聞いて、暫し目を瞑る。 「……公爵の娘か」 「実際に相対した者としましては、伝説の再来、と素直に喜ぶ事は出来かねますな。あの迫力を持ってなお、それを『子供のしつけ』と言っていました。本気の殺気を向けられたら対処する自信がありません」 「伝説なんぞ、会わずとも存在するだけで厄介じゃわい」 自身が三百年生きたとも言われる十分伝説級の人物である事を棚に上げて、オスマンは机の上に置いてあったキセルを口に含む。 ぽこぽこ、と水が気泡を湛える音が、暫しの間部屋に響いた。 「いかが致しますか。王室に連絡を?」 「ばかもん。結論を急ぐでないわ。よしんばその青年が本当にガンダールヴであったとしても、王室なんぞに報告する必要はないがの」 「な、なぜですか?」 「さっき言ったじゃろう。伝説なんちゅーもんは、存在するだけで厄介なんじゃよ」 「はあ……」 意図を測りかねてコルベールが気のない返事をした、その時。 ずがーん。 と、学園中に炸裂音が響き渡った。2年生の教室塔から発せられたその音と振動は、本塔の学院長室にも届き、それを揺らした。 「何事じゃ?」 「……おそらく、ミス・ヴァリエールです」 「なんじゃと?」 「彼女は、その……魔法があまり上手ではなく、魔法を使おうとすると爆発してしまうのです」 「ふぅむ。爆発とな?」 「はい。火、水、土、風、そしてコモンマジックに至るまで、使おうとすると全て爆発してしまうらしいのです。『サモン・サーヴァント』と『コントラクト・サーヴァント』は成功したのをこの目で見届けたのですが」 「……魔法の失敗が爆発とは、果て面妖じゃな。身の丈に合わぬ呪文を使おうとすれば精神力が足らずに気を失うかそもそも認識すらされずに何も起こらず、詠唱が不完全であればそれこそ何も起こらぬはずじゃが」 「言われてみれば、そうですね」 「ま、そういう奴もおるかもしれんの。それで、その魔法を使えぬ落ちこぼれの使い魔が、始祖の従えた伝説の使い魔であると、そういうわけじゃな?」 「そういう事になりますか……」 「さて、不可思議じゃな」 オスマンは再びキセルを口に含み、ぽう、と煙を吐き出した。 「とりあえず判断は保留としよう。事実は伏せ、ミスタは出来る限り彼らの観察を行い、気が付いた事は報告するように」 「わかりました」 「うむ」 コルベールが一礼して去っていくと、ビリビリと振動していた建物が、ようやく静けさを取り戻した。 「興味深いお話でしたわね」 秘書席でずっと我関せずと書き物をしていた女性が、穏やかに切り出した。 「うむ。わかっておるとは思うが、他言無用じゃぞ、ミス・ロングビル」 「はい。可愛い生徒をアカデミーに解剖されでもしたら、たまりませんものね」 ロングビルと呼ばれたその女性は、簡素に結わえてあるその草色の髪を揺らし、ころころと笑う。 「カッカッカ。しかねんの」 「ところでオールド・オスマン」 「なんじゃね、ミス・ロングビル」 「このネズミは、このまま窓から投げ捨ててしまってよろしいですね?」 ロングビルはそう言って、机の下から、簡素なバネ仕掛けのネズミ捕りの中で、チーズのかけらを咥えてバタバタともがいているハツカネズミを取り出した。 「おお、おお! モートソグニル、可愛い我が使い魔や、しくじったか! 可哀想に!」 「オラァ!」 「あーれーっ! モートソグニルやーっ! ゆーきゃんふらーいっ!」 学院長室は、今日も平和であった。 その日のルイズのクラスの授業は、空いている教室に移動して行う事となった。 ルイズは罰として教室の後片付けを命じられたが、授業中の事故として、それ以上のお咎めはなしとなった。 『土』属性のメイジであれば小一時間と掛からず終わる上に修繕までしてみせるであろうその作業も、メイジなら誰でも使える共通魔法とも言うべきコモンマジックの『浮遊』や『念力』すら使えないルイズが行うのでは、ほぼ手作業である。 一日作業は見ておくべき教室の惨状だったが、彼女の使い魔たる耕一は、エルクゥたる膂力を遺憾なく発揮した。 「……あんたの力って、改めてとんでもないわね」 「お褒めに与り光栄で」 教室の端まで吹き飛んでいた教卓を片手でひょいっと持ち上げて運んできた耕一に、ルイズは呆れたように呟いた。 単純に重い物を運ぶ、というだけなら、トン単位にでもならない限り、エルクゥの身体能力にとっては児戯に等しい。 人を狩る鬼の力を土木作業なんかに使うのはどうかとも思うが、そんな悩みはこの一年でとっくに割り切っていた。あるものなら使って人の役に立てばいいだろう、と。 今では、押しも押されぬアルバイト先でのエースだ。いや、しばらくバイトには出れないであろうから、だった、と言うのが正しいか。 「……はぁ」 力仕事は耕一に任せ、机などについた爆発のススを拭いていたルイズの手は、止まりがちであった。 「……あんまり気にするなって。先生も言ってただろ? 失敗は成功の母ってね」 「……ずっと失敗しかない私はどうなるのよ」 押し殺したように呟く様子に、だいぶ重症だなあ、と頭を掻く耕一。 「『サモン・サーヴァント』と『コントラクト・サーヴァント』には成功したから、今度こそ出来るかもって思ってたのに……」 「魔法成功確率ゼロ……あのあだ名は、そういう意味だったんだな」 「……そうよ」 「ま、その二つは確実に成功してるんだ。当事者である俺が言うんだから間違いない。他の魔法もだんだん出来るようになるさ」 キッ、とルイズが目を剥いて耕一を睨みつけた。 「簡単に言わないでよっ! 魔法の事を何にも知らないくせにっ!」 「……そう言われると、その通りだから何も言えないけどね。でもま、ゼロじゃないのは確実だと、このルーンが出てきた時の俺の痛みに免じて認めてやってくれよ。結構痛かったんだぞ、あれ」 「ふんっ……」 鼻を鳴らしてそっぽを向いてしまったルイズに、落ち着くのを待つしかないか、と耕一は肩をすくめ、無言で作業に戻った。 ルイズはしばらく俯いたままだったが、やがて顔を上げ、 「……まぁ」 「ん?」 「……かばってくれたのは……ありがと」 蚊の鳴くような声でそれだけ言うと、雑巾を洗ってくると言って教室から走り去っていってしまった。 「はは。なんだか、野良猫が少しだけ撫でさせてくれたような感じだな。―――っし! 頑張りますかっ」 苦笑しつつも和んでやる気の出た耕一の奮戦により、なんとか昼休みの前には片付けを終わらせる事が出来たのであった。 「やれやれ、なんとか昼メシには間に合ったか」 「…………」 先生への報告を終え、食堂へ向かう最中、ルイズは口を開かなかった。 まだ機嫌が悪いんだろうか、と耕一もそれ以上は喋りかけないが、その実は……。 ―――ヴァリエール公爵家の三女ともあろう私が、ちょっとぐらいかばってもらえたからってこんな正体不明のヤツにお礼なんて、お礼なんてっ……! ……ただ恥ずかしがっているだけであった。 「それじゃ、また厨房で食ってくるな」 「…………」 無反応のルイズに苦笑しながら、耕一は食堂の裏手に回る。そこには、ちょうどゴミを捨てに出ていたシエスタがいた。 「あ、コーイチさん。お昼ですか?」 「うん、またご馳走になりにきたよ」 「はい、わかりました。どうぞ」 勝手知ったる3回目。端のテーブルに腰かけ、出てきた賄い料理をいただく。 「どうもマルトーさん、ごちそうさま。今日も美味しかったです」 「おう。いつでも来いよ!」 膨れた腹を一撫でして、ちょうど通りがかったマルトーに一礼して退出。 まだ2日目だが、人間関係は悪くない。一から人と触れ合うなんて、母さんが死んで大学に入ったばかりの頃以来だな、と、耕一は少し懐かしくなった。 「さて、昼からも授業に出なきゃいけないのかね。出来ればコルベールさんか校長先生と話したいんだけどな……」 食堂の入り口でルイズを待つ間、これからの方策を練る思索の時間があった。 「……もし、ルイズの言う通り、そんな方法はないとか言われたらどうしよ」 ぞっとしない想像だが、しておかなくてはならなかった。 諦めるという道はない。この身は、常に楓と共にあると誓ったのだ。何を置いても戻らなければならない。 ……とはいえ、いざ何かを置いていかなくてはならなくなった時、基本的にお人好しの耕一がそれに背を向けられるか、というと、耕一自身もあまり自信はなかったが。 これまでも、最優先で教師に話を聞くべきなのに、ルイズに付き合ったりしているし。 「あてもなく旅に出るのは最終手段として……」 なんとか、大人連中の協力を取り付けたいところだ。 しかし、例え善意溢れる人達だったとしても、異邦人で立場も弱い自分のあてもない頼みを熱心に探してくれるわけもない。 本気で探してもらうには、相応の代価を払わなくてはならないだろう。そして、一介の大学生でしかなかった耕一が持てる代価は、ただ一つ。 「……交渉の材料が、この力しかないってのがなぁ」 右手を見つめて、一人ごちる。 現在の事態を先に進めるには、何にせよエルクゥの力を振るうしかない。 割り切ってはいるし、それが都合のいい借り物でもなく、耕一自身の意志によって得た力だと言う事も理解しているし、実際アルバイトの肉体労働でも大活躍させているのだが、やはりこう、釈然としないものは残るのだった。 「祖父さんなら、もう少しスマートにやったんだろうか」 一代で鶴来屋を立ち上げた祖父、柏木耕平。 自分が生まれた頃には既に故人となっていたから話だけしか知らないが、彼も鬼を制御した雄のエルクゥの一人らしい。 おそらくその興業史には、召喚されたばかりの頃耕一がやったような、鬼氣によって人を威圧する、みたいな行動も織り交ぜていたんだろう、と推測していた。 まっすぐ脅しに使っては、『社会での影響力を持つ』というその目的に添わなくなってしまうから、あくまでもさりげなく、交渉を有利にする程度、だろうが。 「……ま、何とかするしかないよな」 何とか出来なければ楓ちゃんに会えなくなるかもしれないのだ。うまくやるしかなかった。 「…………」 思索が一段楽して、耕一の横を幾人もの生徒たちが通り過ぎていっても、ルイズは現れなかった。 「……ルイズちゃん、遅いな」 昨夜も朝も、こんなに時間は掛からなかったと思うんだけど。 昼食はメニューが違ってとりわけ時間が掛かる……とは、厨房を見る限り思えなかった。 入り口を覗き込んで、中の様子を窺ってみる。 「うーん、あのピンクの髪かな」 2年生の食卓である真ん中のテーブルには、それらしき桃色の髪が見える。 隣には背の高い、赤い髪の女性がいる。確か、キュルケと言ったか。彼女と何がしかを話しているらしかった。 「友達と話してるのか。うーん、どうしようかな」 まだ時間があるようだったら、一言断って、先生に話をしに行ってみようか。 「……そうだな、そうするか」 拙速は巧遅に如かず。まぁルイズに従っている時点で既に拙遅なのかもしれないが、大人の協力を取り付けるための処世術と言う事にしておく。 耕一は食堂に入り、ルイズに近寄っていく。 その途中。 「なあギーシュ! お前、今は誰と付きあっているんだよ!」 「誰が恋人なんだ? ギーシュ!」 「付きあう、か。僕にそのような特定の女性がいてはいけないのだ。薔薇は多くの人を楽しませる為に咲くのだからね」 そんな会話が聞こえてきて、耕一は身体中が痒くなる感覚に襲われた。 プレイボーイをキザに気取ったナルシストなんて、現代日本じゃ芸能界でもまずお目にかかれない人格だ。さすがファンタジー世界。 輝くような金髪のクセっ毛、確かに整った目鼻立ち、ドレープが親の仇のごとく付いた飾りシャツに、手に持った薔薇―――と、そのシャツと薔薇には見覚えがあった。 さっきの授業で、ルイズをからかっていた一人だ。隣には、反論したらあわあわと泡を食っていた小太りの男子もいる。そう、確かにあの時も、彼はギーシュと呼ばれていた。 ああいう人種に関わるとロクな事がない、と現代で培った人を見る眼で察知し、そそくさとルイズの所に向かおうとする耕一だったが、運命は彼を見放さなかった。 耕一が視線を外そうとした時、ぽとり、と、ギーシュ少年の懐から、小さな小瓶が落ちるのを見つけてしまった。 本人も友人も、小瓶に気付かずお喋りに興じている。やれやれ、と肩をすくめながら、ころころと転がってきたそれを拾い上げた。 「はい、これ、落としたよ」 ギーシュに向かって差し出す。 しかし、ギーシュはそれをさっと視線で一瞥しただけで、すぐに視線を外してしまった。顔は向けてすらいない。 「どうしたんだ? 君のじゃないのか?」 「……ああ、そうだ。それは僕のじゃない」 どこか潜めた声で、視線をキョロキョロさせながら、ギーシュは言う。 その様子に、耕一は察知した。これを持っている事が、視線の先にいる誰かに知られたらまずいんだな、と。 「うーん、そうなのか。確かに君の懐から落ちたのを見たんだけどな」 本気で困らせるつもりもないが、クラスメートの女の子にあんな態度を取るような男には少し意趣返ししてもバチは当たらないよな、などと自分を正当化しつつ言って、それを目線の高さまで掲げ、光に透かしてみる。 背の高い耕一の目線の高さは、おそらく食堂中の全員に見える事だろう。中には紫色の液体が入っていて、ゆらゆらと揺れていた。 ギーシュは、それを下げろそれを! と必死に目で訴えかけてくるが、丁重に気付かないフリをした。 「それじゃあ、これは先生にでも届けておくよ。呼び止めてごめんな」 「あ、ちょ、ちょっと待ちたま」 ギーシュが慌てた様子で言う前に、バン! と甲高い音が食堂に響いた。 それは、豪奢な巻き髪の少女が、立ち上がりつつ両手でテーブルを思いっきりぶっ叩いた音だった。 そのまま無言で、つかつかと耕一達のところに歩いてくる少女の周囲には、青白いオーラのようなものが幻視出来たであろう。 「ふーん。そう。これ、あなたのものじゃないんだ?」 「ああ、モンモランシー。今日も美しいね。君の宝石のような髪が、陽に照らされて輝いているよ」 耕一の手から小瓶をひったくり、ギーシュの目の前に突きつける少女。その鬼気迫る声(となりに本物の鬼がいるのだから、まさに文字通りだ)に、隣の太っちょ男子などは震え上がっている。 ギーシュは芝居がかった仕草で少女を誉めそやすが、それを見た100人中100人は、それを言い逃れと断ずるであろう。事実、その額には冷や汗が一筋伝っていた。 「紫の香水をあげた意味、あなたならわかっているんでしょう? ギーシュ」 「ああ、そんな顔をしないでおくれ、我が宝石たる『香水』のモンモランシー。そんな怒りの表情で、薔薇のようなその顔を曇らせないでおくれよ」 「それを、自分のものじゃない、というのね? そう……あなたの気持ち、よーーーっくわかった、わっ!」 「ご、誤解だモンモランぴぎぃっ!?」 モンモランシー、と呼ばれた巻き髪の少女は、ギーシュの並べ立てるおべっかを丸無視して自らの言葉を紡ぐと、テーブルにあったワインの瓶を引っ掴み、バットのようにギーシュの側頭を一撃の元にしばき倒した。 ゴキーンという鈍い音と、ガシャーンという甲高い音が同時に響き渡り、ギーシュはひっくり返って昏倒し、ガラスの破片とワインの海に沈んだ。 「さようなら。残念だわ」 そして、足音を響かせ、肩をいからせて、モンモランシーは食堂を出ていってしまった。 呆然とする耕一とギーシュの友人達。 ギーシュ本人は、頭からワインの染み込んだ絨毯に突っ伏していてピクピクと数回引きつるような痙攣を起こした後、むくりと立ち上がり、 「……やれやれ。キレイな薔薇にはトゲがあるものだね」 そう大仰に頭を振って、ワインに濡れて真っ赤になった頭を、どこからか取り出したハンカチで拭き出した。 ……あのルイズといいこのギーシュといい、なんで吉本新喜劇みたいなオチをつけたがるんだ、と耕一は思わずズッコケたくなった。なんだ、この世界の貴族は、何かチョンボをやらかしたらオチをつけて周囲をズッコケさせなきゃいけない決まりでもあるのか。 だが、騒動はそれでは終わらなかった。 別のテーブルに座っていた、茶色のマントを羽織った少女が、弱々しくギーシュ達に近寄ってきて、 「ギーシュさま……」 その栗色の髪をふるふると震わせ、涙を流し始めてしまう。 「やはり、ミス・モンモランシと……」 「誤解だよケティ。いいかい、僕の心の中に住んでいるのは、あの清浄なる森の中での君の笑顔だけなんぷべらっ!?」 ばちーん! といい音がした。 先程モンモランシーに対していたのと変わらぬ調子で美辞を並べるギーシュの頬を、ケティと呼ばれた少女は思いっきり振りかぶった平手でしばき倒した。 ぐちゃっ、と、濡れた音を立てて、再びワインの海に沈むギーシュ。 「その香水があなたの懐から落ちるところ、私も見ておりました! さようなら!」 涙を止めないまま、ケティは走り去っていった。 「だ、大丈夫かギーシュ?」 太っちょ男子が、崩れ落ちているギーシュを足の先で突っつきながら心配した声を上げる。 ギーシュは、まるで幽鬼のように、ゆらり、と立ち上がると、大仰に頭を振り、肩をすくませた。 「……どうやらあのレディ達は、薔薇の存在の意味を理解していないようだね」 この期に及んでプレイボーイを気取るつもりらしい。 愛憎の修羅場を特等席で見させられてお腹いっぱいの耕一は、ため息と共に肩を落とし、ルイズの元に向かおうと踵を返した。 「待ちたまえ」 「……何か用かい?」 呼び止められて、仕方なく振り向く。 ギーシュは、モンモランシーに殴り飛ばされるまで座っていた椅子に優雅に座って回転し、すちゃっ! と器用に足を組んで、薔薇を構え、 「君が軽率に、香水の壜など拾い上げたおかげで、二人のレディの名誉が傷ついたではないか。どうしてくれるんだね」 びしぃっ! と、耕一に薔薇の先を突きつけた。 「…………意味がよくわからないんだが」 本気で意味がわからず、眉をひそめてそう聞き返すしかなかった。 ギーシュは、これだから学のない平民は、とやはり大仰な仕草で頭を抱えるフリをした。 「まったく、僕が知らないフリをした時に事情を察し、話を合わせて壜を目に付かないところにしまうぐらいの機微を持ってから学院に奉公したまえ。レディたちの涙は、君の不甲斐なさのせいだぞ」 ものすごい言い草だった。周囲の友人連中も、ぽかんとしている。 ―――ああ、つまり、八つ当たりなのか。 耕一は、ギーシュの顔が(頬に出来た大きな紅葉は別として)赤くなっているのに気付いて、そう思った。 「……いや、どう考えても二股をかけてたお前のせいだろうが」 「な、なに?」 子供の八つ当たりぐらいは受け止めてやるが、さすがに二股男の八つ当たりを受ける気にはなれなかった。 「たまたまバレただけで、俺が香水を拾ったのはただのきっかけだろう。もっと言うなら、二股とは言え恋人に貰ったプレゼントを、気付かずに落とすようなところに仕舞っておいた上に、誠実に対処せず誤魔化して切り抜けようとするような奴のせいだな」 「な、な、き、貴様っ! 貴族を侮辱するかっ!?」 「阿呆。侮辱してるのはお前だ。お前。貴族扱いされたいなら貴族らしい事をしてからにしろ。それとも、ここでいう貴族ってのは、二股がバレたら必死に誤魔化そうとして女の子を泣かすような奴の事を言うのか?」 耕一が言い捨てると、ギーシュの顔が真っ赤になった。食堂内が騒ぎに気付いて騒然となってくる。 反論が浮かばないのか、耕一を睨み付けていたギーシュが、何かに気付いたように口を開く。 「……君、どこかで見た事があると思ったら、思い出したぞ。さっきの授業にいた、ゼロのルイズの使い魔だな」 「ま、そういう事になってるね」 「ふん。学院への奉公人ですらない平民に、貴族への礼儀を説いても無駄だったか」 「二股がバレたら必死に誤魔化そうとして女の子を泣かした後に他人に八つ当たりするような子供に対する礼儀ってのがあったら、是非教えてくれ。俺には、張り倒して躾るぐらいしか浮かばないんだ」 ギーシュの顔が、剣呑に歪んだ。 「……よかろう。君に礼儀を教えてやろう。ちょうどいい腹ごなしだ」 ギーシュは、右手を覆っていた白い手袋を外すと、持っていた薔薇と共に耕一に投げつけて、大きく宣言した。 「決闘だ!」 前ページ次ページゼロのエルクゥ
https://w.atwiki.jp/anozero/pages/4378.html
前ページ次ページゼロのエルクゥ コォーン―――と、ウエストウッドの森に涼やかな打音が響き渡った。 「ふうっ……」 二の腕ほどの丸太を鉈で真っ二つにしたセーラー服の少女―――柏木楓は鉈を置き、割った薪を拾い集めてまとめると、布切れで額を拭う。 肩口で切り揃えられた烏の濡れ羽のような漆黒の髪が、ふわりと揺れた。 「お、お疲れさまです、カエデさん」 小屋の陰から、見るからにおそるおそるという感じで金色の髪が顔を出す。 楓はさっとそれ―――自分を召喚した少女、ティファニアを一瞥だけして、薪割りの作業に戻った。 「……これくらいしか、出来ないですから」 「い、いいえっ。ま、薪割りとか、これまで大変でしたし……す、すごく助かってますからっ!」 ティファニアが、ぶんぶんと首を左右に振る。 それはお世辞でも何でもなく、男手のないこの村において事実ではあったが……同年代の少女と話す事などほとんど初めてで動揺を隠そうともしないその態度は、楓に社交辞令だと誤解させるのには十分であった。 「……私は望んでここにいるから、気にしないで。置いて貰えて、ご飯を食べさせてもらってるんですから、せめてこのぐらいはさせてください」 「はう……」 そして、そんなティファニアには、口数少なな楓の言葉は、いきなり見も知らぬ場所に召喚するなどというとんでもない失礼をしてしまった自分に対する気遣いの言葉のように思えて……恐縮するばかりだった。 コォーン――― 食い込んだ鉈に、見事に真っ二つにされる薪。最初こそ戸惑ったものの、楓の細腕でも男数人をまとめて病院送りに出来るエルクゥの膂力をもってすれば、それは少しの慣れだけで簡単な作業と化した。 「…………」 ティファニアは、薪割りの様子をじっと見つめながら……楓の事について考えていた。 遠い、とても遠いところから、『ここに飛ばされたものと同じもの』に連れ去られた恋人を追ってきたと言う。 勝手に連れてこられたわけじゃないからそんなに恐縮しないで。と、焦ってひたすら頭を下げる事しかできなかった自分に対して言われた言葉。 それが、自分に対する気遣いなのか、本当の事なのか……人付き合いの経験が皆無と言っていいティファニアには、判断がつかないでいた。 とりあえず、どう考えても、いきなり召喚なんかされて怒らないのは、変だ。そして彼女、柏木楓には、(少なくとも表面上は)怒っている様子はなく、こうして手伝いをしてくれたりすらしている。 だったら、本当の事なのだろうか? でもそうだとしたら、なぜその恋人を探しに行かず、ここにいるままなのだろうか。召喚魔法の『波動』とやらを『感知』して、それに『便乗』出来るなんて術者なら、人の一人ぐらいすぐにでも探し出せそうな気がするのだけど。 この辺りの地理の事を聞いてきたり、街に出たいと言ったり……もしかしたら、私を気に病ませないために、嘘をついているのかも―――。 そんな事をぐるぐると考えて結論は出ず、ティファニアはおっかなびっくり楓に接する事しか出来なかった。 楓は、とりあえずの目的を果たせはしたが、同時に困り果ててもいた。 意識を吸い取られるような衝撃を抜けたら、そこはファンタジー世界だった。 耕一のやっていたゲームのうんたらクエストとか、へんだら島戦記とか、映画でやっていたなんたら国物語とか、かんたら物語とか、要するにああいう、剣と魔法の世界。 ここハルケギニアは、そういうところであるらしかった。 荒唐無稽な話だったが、何せ気がついた時に目の前にいたのが、長く尖った耳を持つ物語の通りの『エルフ』であったのだから、信じざるを得なかった。(彼女曰く、人間との混血であるハーフエルフであるとの事だが、楓には違いなどわからないので気にしていない) 彼女が手慰みに唱えた『使い魔召喚の魔法』によって、自分はここに来る事が出来たらしい。あの時に感じた『同じ波動』は、つまりその、『召喚の魔法』だという事だろうか。とすると、耕一もまた誰かに『召喚』されたのか―――。 そう考えて、すぐにエルクゥの意識に潜れば、そこには、確固たる耕一の存在感がある。 距離は遠いようでそれはおぼろげでしかなかったが、確かに存在するそれに、楓は安堵に打ち震えた。 すぐにでも探しに行きたいのは山々だったが、全く地理のわからない身では、当てもない旅どころの話ではない。 幸い、そのエルフの少女は善人のようで、失敗で召喚してしまったと恐縮しきりであったので、その善意を受けてこの村にお世話になりつつ、地理を調べてからお暇しよう、と考えたのは、喜びに震える心での判断としては、極めて妥当であっただろう。 問題は……このウエストウッド村が隠れ里であり、エルフ族が迫害の対象となっているという事であった。 街に出るにも、細心の注意を要する。楓のように色々な意味で目立つ風貌の者が村から街に出ていって村に戻ってくれば、ここの存在が露見する可能性は低くないだろう。 そこまでの迷惑をかけるわけにもいかず、とはいえここにいるのはそのエルフの少女と、幼くして親を亡くしたという孤児達のみ。地理とか社会とか世界とかの情報源としては、心許ないと言わざるを得なかった。 ティファニアは一応、博識と言えるレベルの知識を持ち合わせてはいるが、初対面の人間とはとりあえず一定の距離を置く癖のある楓にはそれがわかるはずもなく。 何の進展もないまま数日が経ち、楓は、迷惑をかける前にここを出ていってぶっつけ本番で近くの街に出てみようか、などと思い始めていた。 静かな森が急に騒がしくなったのは、そんな折の、昼下がりの事だった。 § 「ッ!」 「えっ!?」 ひゅん、と空気を切り裂く―――懐かしい音がした。 遥か遠い記憶から、それは弓から放たれた矢の音だと思い出すのに一瞬を要し、楓はティファニアを背中に庇うように立ち上がった。 周囲に矢が降りそそぎ、地面や家々に突き刺さっていく。 矢が飛んできた方向から、何人もの、粗野な鬨の声が響き渡った。 「と、盗賊!?」 「―――!」 背中のティファニアの声と、記憶の中での人里の―――略奪の風景が重なり、楓は躊躇なくその場から跳躍した。 その瞳と、纏う空気は、朱。 「ひゃっは―――あがっ!?」 黒ずんだ槍を構えて一番乗りの歓声をあげようとした男は、目の前に突然現れた標的のはずの少女に、鉄兜から覗くその顎を打ち抜かれた。 男は顎を基点にぐるんと真横に一回転して昏倒し、木々の狭間に崩れ落ちる。 「びゃっ―――!?」 「げっ―――!?」 「ぎ―――!?」 楓の振るう鬼の爪が、鬼の腕が次々と紅く閃き、後続の盗賊達が瞬きの内に討ち伏せられていく。 ティファニアは呆気に取られた表情で、そのわずか十数秒の血風の舞を見つめていたが……楓が倒れ伏した一人の男の喉元に貫手を構えた瞬間、思わず叫んでいた。 「だ、ダメッ! 殺さないでっ!!」 「っ!?」 その叫びに、振り下ろしかけた手をすんでの所で止める事に成功する。 「あ、あの、こ、この人達も、ある意味、被害者っていうか、こうしないと生きていけない人達なの。い、今、この国では、王様の軍と貴族の軍が争っていて……逃げ出した傭兵とか、住むところを追われた人達とかが、こういう風に盗賊になったりしてて、その、だから……」 殺してしまうのは忍びない、と。 武器を構えて問答無用に村を襲おうとした盗賊に対してまで向けられる思慮に、楓は、優しすぎる彼女の妹を思い出した。 「……でも、逃がすわけにはいかないんじゃないですか?」 「う、うん。だから、こうするの―――」 ティファニアは、意識を半分ほど取り戻したらしき、頭を押さえて振っている一人の男に、さっとペンのような杖を構える。 「―――ナウシド・イサ・エイワーズ……ハガラズ・ユル・ベオグ―――」 すると、先ほどまでのおどおどとした様子から、雰囲気が一転した。 まるで謡うように、何がしかの呪文が、その小さく湿った唇から朗々と紡がれる。 「ニード・イス・アルジーズ・ベルカナ・マン・ラグー……!」 呪文の完成と共に、ペンを振り下ろす。 ぐわん、とその場の空気が歪に揺れたような感じがした。 「ぐ……あ、あれ、こ、ここはどこだ?」 「あなたは森で迷ったのよ。ここは何もない村。森を西に抜ければ街道に出るわ」 「そ、そうか。ありがとうよ、お嬢ちゃん……」 その男は、ふらふらとおぼつかない足取りで歩いていってしまった。 「……今のも、魔法?」 「ええ、そう。彼の"記憶"を無くしたの。"この森に来た目的"と……"盗賊になった理由"の記憶。街道に出る頃には、この村の事も覚えていないはずです。……すいません、ちょっと気絶してる人達を集めてくれませんか? まとめてかけてしまいますから」 楓は言う通りにしながら、驚きを込めてその様子を見つめていた。 「……すごいものですね。魔法っていうのは」 「私なんて……落ちこぼれです。他の魔法は全然使えません。土のメイジなら薪割りなんてしなくても燃料を作ることが出来るし、水のメイジなら怪我を治せるし……」 そんな事を話しながら、気が付いた男達から順次、ティファニアの言葉通りに街道に向かって歩いていく。 その様子に、楓は、森のそう深くないところにあるこの無防備そうな隠れ里が、どうして今まで『隠れ』る事が出来ていたのか、その理由がわかったような気がした。 「あなたの方がずっとすごいわ。あんなに早く動いて、傭兵として戦っているような人達を一瞬で気絶させちゃうんですもの」 「……私は、別に」 これは、ただ体が強いだけの力。人を傷つける事しか出来ない力。 それは―――愛する父と叔父を引き裂き、愛する人までもその爪にかけようとした、呪わしい鬼だ。 こんなもの、なければいいと……何度思った事だろう。 「……ごめんなさい。触れてはいけないところだったのね」 誉めたつもりであったのに、決して嬉しそうにはしない楓を見て、ティファニアが表情を曇らせる。 「……いえ、別に。私は何も話していないのだから、気にする事ではありません」 楓は首を振った。 全ては過ぎ去り、乗り越えた事だ。今のところは深刻な悩みというわけでもない。 けれど、ティファニアにとっては、表面に出した苦悩だけでも、十分に衝撃的なものであったのだろう。 「ううん、私は……きっと、そういう事には気付かないといけないはずで……その……」 その顔は暗く、しかし、自身の苦悩を糧に、他人の苦悩へ優しさを向ける事の出来る暖かな心が滲み出すような、そんな表情で……楓は知らず、口元に微笑みを浮かべていた。 「……気付いたじゃないですか」 「えっ?」 「本当に、言われて思い出しただけです。……これまでティファニアさんと過ごした数日間に、そんな事で悩んではいなくて……だから、ティファニアさんは、私が思い出した瞬間に気付いたんです。それは……きっと、すごい事です」 「…………か、カエデ、さん」 ティファニアは、楓の言葉の意味を理解するのに数瞬を要し……理解した瞬間、顔を真っ赤にして俯いてしまう。 「あ、あの、あの、あ、あんなに動いて、疲れましたよね。お、お茶にしましょ?」 「はい」 照れを誤魔化すように述べられた誘いに、楓は意識して微笑み、頷いたのだった。 「―――おやおや、気の抜けた目で森を歩いてく集団がいたから急いで来てみたんだけど……これはなかなか、面白そうな事になってるじゃないかい、テファ?」 「えっ!?」 その後ろから、少し低めで成熟した女性の、しかしどこかはすっぱな声が聞こえて、ティファニアは慌てて振り返った。 「ま、マチルダ姉さん! いつ帰ってきたの!?」 「ほらほら落ち着きな。今さっきって言っただろ?」 草色の髪を揺らし、フード付きの長い外套に身を包んだその女性―――『土くれ』のフーケの姿を目に入れ、ティファニアは彼女の本名を呼びながら、驚きの表情を浮かべた。 「で、この子は誰だい? またぞろ、親無しの子でも拾ってきたかい?」 結わえていた髪を解き、変装用の伊達メガネも取り去ったフーケは、からかうような口調で言いながらしかし、油断の無い目を楓に向ける。 「……私は」 「あ、あの、う、うん、そうなの。戦で親を亡くしたらしくて、森の中に逃げてきて倒れちゃってたのを……」 楓が口を開くのを遮るように、ティファニアが言葉を並べる。 フーケはそれを見て、どこか呆れたようにため息をついた。 「はぁ。テファ、あんたに隠し事は無理だっていつも言ってるだろ?」 「あ、あう……」 「ま、さっきの賊みたいにほっぽりだしてないんなら、何か事情があるんだろうけどね。……ほらほら、そんな顔しない。別に怒っちゃいないからさ」 幾分か警戒の緩んだ目で楓を見て、フーケは大仰な仕草で肩を揉んだ。 「ま、立ち話もなんだ、長旅で疲れてるマチルダ姉さんを休ませながら、ゆっくり話しておくれよ」 「う、うん……」 楓に向かって申し訳なさげな目を向けながら、ティファニアはフーケに続いて家の中へと入っていく。 楓は、ようやく外の事がわかりそうな人物に出会えた事に内心で喜びながら、二人の後に続いた。 前ページ次ページゼロのエルクゥ
https://w.atwiki.jp/earthruinfes/pages/2962.html
ニコニコ動画/【MUGEN】エルクゥ未満ランセレバトル 2014-06-28 【MUGEN】エルクゥ未満ランセレバトル Final 【MUGEN】エルクゥ未満ランセレバトル Part76 【MUGEN】エルクゥ未満ランセレバトル Part75 【MUGEN】エルクゥ未満ランセレバトル Part74 【MUGEN】エルクゥ未満ランセレバトル Part73 【MUGEN】エルクゥ未満ランセレバトル Part72 【MUGEN】エルクゥ未満ランセレバトル Part71 【MUGEN】エルクゥ未満ランセレバトル Part70 【MUGEN】エルクゥ未満ランセレバトル Part69 【MUGEN】エルクゥ未満ランセレバトル Part68 【MUGEN】エルクゥ未満ランセレバトル Part67 【MUGEN】エルクゥ未満ランセレバトル Part66 【MUGEN】エルクゥ未満ランセレバトル Part65 【MUGEN】エルクゥ未満ランセレバトル Part64 【MUGEN】エルクゥ未満ランセレバトル Part63 【MUGEN】エルクゥ未満ランセレバトル Part62 【MUGEN】エルクゥ未満ランセレバトル Part61 【MUGEN】エルクゥ未満ランセレバトル Part60 【MUGEN】エルクゥ未満ランセレバトル Part59 【MUGEN】エルクゥ未満ランセレバトル Part58 【MUGEN】エルクゥ未満ランセレバトル Part57 【MUGEN】エルクゥ未満ランセレバトル Part56 【MUGEN】エルクゥ未満ランセレバトル Part55 【MUGEN】エルクゥ未満ランセレバトル Part54 【MUGEN】エルクゥ未満ランセレバトル Part53 【MUGEN】エルクゥ未満ランセレバトル Part52 【MUGEN】エルクゥ未満ランセレバトル Part51 【MUGEN】エルクゥ未満ランセレバトル Part50 【MUGEN】エルクゥ未満ランセレバトル Part49 【MUGEN】エルクゥ未満ランセレバトル Part48 【MUGEN】エルクゥ未満ランセレバトル Part47 【MUGEN】エルクゥ未満ランセレバトル Part46 【MUGEN】エルクゥ未満ランセレバトル Part45 【MUGEN】エルクゥ未満ランセレバトル Part44 【MUGEN】エルクゥ未満ランセレバトル Part43 【MUGEN】エルクゥ未満ランセレバトル Part42 【MUGEN】エルクゥ未満ランセレバトル Part41 【MUGEN】エルクゥ未満ランセレバトル Part40 【MUGEN】エルクゥ未満ランセレバトル Part39 【MUGEN】エルクゥ未満ランセレバトル Part38 【MUGEN】エルクゥ未満ランセレバトル Part37 【MUGEN】エルクゥ未満ランセレバトル Part36 【MUGEN】エルクゥ未満ランセレバトル Part35 【MUGEN】エルクゥ未満ランセレバトル Part34 【MUGEN】エルクゥ未満ランセレバトル Part33 【MUGEN】エルクゥ未満ランセレバトル Part32 【MUGEN】エルクゥ未満ランセレバトル Part31 【MUGEN】エルクゥ未満ランセレバトル Part30 【MUGEN】エルクゥ未満ランセレバトル Part29 【MUGEN】エルクゥ未満ランセレバトル Part28 【MUGEN】エルクゥ未満ランセレバトル Part27 【MUGEN】エルクゥ未満ランセレバトル Part26 【MUGEN】エルクゥ未満ランセレバトル Part25 【MUGEN】エルクゥ未満ランセレバトル Part24 【MUGEN】エルクゥ未満ランセレバトル Part23 【MUGEN】エルクゥ未満ランセレバトル Part22 【MUGEN】エルクゥ未満ランセレバトル Part21 【MUGEN】エルクゥ未満ランセレバトル Part20 【MUGEN】エルクゥ未満ランセレバトル Part19 【MUGEN】エルクゥ未満ランセレバトル Part18 【MUGEN】エルクゥ未満ランセレバトル Part17 【MUGEN】エルクゥ未満ランセレバトル Part16 【MUGEN】エルクゥ未満ランセレバトル Part15 【MUGEN】エルクゥ未満ランセレバトル Part14 【MUGEN】エルクゥ未満ランセレバトル Part13 【MUGEN】エルクゥ未満ランセレバトル Part12 【MUGEN】エルクゥ未満ランセレバトル Part11 【MUGEN】エルクゥ未満ランセレバトル Part10 【MUGEN】エルクゥ未満ランセレバトル Part9 【MUGEN】エルクゥ未満ランセレバトル Part8 【MUGEN】エルクゥ未満ランセレバトル Part7 【MUGEN】エルクゥ未満ランセレバトル Part6 【MUGEN】エルクゥ未満ランセレバトル Part5 【MUGEN】エルクゥ未満ランセレバトル Part4 【MUGEN】エルクゥ未満ランセレバトル Part3 【MUGEN】エルクゥ未満ランセレバトル Part2 【MUGEN】エルクゥ未満ランセレバトル Part1 【MUGEN】エルクゥ未満ランセレバトル オープニング ◇◆『ニコニコ動画』へ
https://w.atwiki.jp/anozero/pages/4478.html
前ページ次ページゼロのエルクゥ アルビオンの朝は、楓の目には不思議な風景が広がる。 空は明るくなってくるけれど、陽は昇っていない……元の世界なら明け方に束の間垣間見えるような光景が、空が真っ青に染まるまで続く。 アルビオンが、ハルケギニアの大地より遥か上空に浮かぶ浮遊大陸だから、という事だが、それは、夜に浮かび上がる双子の月と並んで、ここが異世界であると楓に実感させてくれるものだった。 「んん……ぅ」 楓が目を覚ましたのは、太陽が姿を見せはじめてからだった。 前日に慣れないワインを嗜んだせいか、心なし頭が重い。 「はふ……」 上半身だけを起き上がらせ、その重さを吐き出すように息をつく。 幸い、痛みというほどの物でもなかった。ティファニアから借りている寝巻きを脱ぎ、洗濯しておいたセーラー服に着替える。 ……その寝巻きの胸の部分だけがダボダボなのには、未だに慣れない。スタイルにあまり興味のない自分は違和感だけで済んでいるが、これが千鶴姉さんや梓姉さんだったら、きっと落ち込むか暴れるかしていたであろう、と楓は何気に酷い事を考えていた。 「マチルダ姉ちゃーん! 山作ってよ、山!」 「やまー!」 「やれやれ、お前達も好きだねぇ」 ベッドに座って、何をするでもなく窓の外に目を向けると、薪束に腰を下ろしたマチルダが子供達とじゃれ合っていた。 マチルダが苦笑しながら、少々わざとらしく面倒そうな素振りを見せて、杖を振る。 すると、もりもりと地面が盛り上がり、小学校の校庭にあるような土の小山が現れる。子供達がはしゃいだ顔でそれに駆け上ったり、滑り降りたりを始めた。どこの世界も子供というのは変わらないらしい、微笑ましい光景だった。 「魔法……魔法学院、か」 昨日聞いた事が、脳裏に思い出される。 『あんた……"エルクゥ"かい?』 ティファニアが楓を『サモン・サーヴァント』で呼んでしまった事を話し、自己紹介を終え、マチルダが数秒固まった後に言ったのは、そんな言葉だった。 思わず身構えてしまって、座っていた椅子を壊しそうになったのはご愛嬌だ。 『なに、カマかけたのはこっちだから気におしでないよ。あんたのいい人は、トリステイン魔法学院ってところにいる。生徒の一人に使い魔として呼ばれたのさ。……はは、なに照れてんだい。こんなところまで男追っかけてくるなんざ、丸分かりもいいところじゃないか』 続けて言われたそれは、その前以上の衝撃だった。 一番知りたかった事がいきなり転がり込んでくるなんて、どんな偶然なのか。思わず、『ドッキリ』とか書かれたプラカードが出てこないかと心配になったぐらいだ。 マチルダは、この間までその魔法学院の学院長秘書をしており、使い魔として人が呼び出された珍しいケースの調査をしたから覚えていた、という事情だそうだ。 ……しかし、いい人、などと言われて思わず赤面してしまったのは不覚だった。 歳も、学校も、住んでいるところも違うから、姉妹以外に冷やかされる事など皆無であり、耐性がなかったのだ。 もし、耕一と自分が同じ学校の同級生であったりしたら、こんな事が日常であったりしたのだろうか―――。 そんな事を考えて、楓は熱を持った頭をふるふると振った。 『コーイチ君も元の場所に帰ろうと努力はしてたみたいだけどね。残念ながら、使い魔を送り返す魔法なんてのは存在しないんだ。まだ向こうで使い魔やってるんじゃないかい?』 それは、出来すぎなんじゃないかと思うぐらいの希望と―――落胆だった。 耕一に会える可能性は飛躍的に高まったが、帰る事が出来ないのでは片手落ちにも程がある。 「……ふぅ」 とりあえずは耕一と会わなければ。元々帰れるかどうかわからない状態だったのだから、マチルダの情報は大きな前進と言っていい。 それに……帰る方法なら、ほんの少しだけ、手がかりを見つけた事だし。 「……うん」 行こう。トリステイン魔法学院へ。 § 「そう、行くのかい」 「はい。明日の朝、出発しようと思います」 夕飯が終わり、子供達がそれぞれの家へと帰った後、楓が切り出すと、二人は対照的な表情を浮かべた。 「ありがとうございます、マチルダさん」 「はン、どうせ誰に言ったって信じてもらえないような話さ。売れない情報なんかに興味はないさね」 そう嘯くマチルダの頬はかすかに赤く、楓は薄く微笑んだ。 「ティファニアさんも、ありがとう。どうもお世話になりました」 「あ、う、うん……」 俯くティファニアの顔は暗く、何かを考え込んでいるようでもあった。 「テファ、どうかしたのかい?」 「う、ううん! なんでもないの。あの、恋人さんの手掛かりが掴めて良かったですね、カエデさん!」 「……?」 慌てたように、ティファニアは笑顔を作る。 ―――はーン。なるほどねえ。 不思議そうに首を傾げる楓の横で、マチルダが下世話な―――しかし確かな慈愛を感じさせるような、妙齢の女性の強かさが滲み出る笑みを浮かべていた。 「テファ」 「な、なに? マチルダ姉さん」 「言いたい事があるなら今の内に言っときな。もう会えないかもしれないと思ってるなら、特にね」 「…………でも」 「もう会えないから言ってもしょうがない、てんなら、所詮その程度の関係さ。でも、そこから一歩踏み出したいなら……もう会えないからこそ、その時点での全てを相手に伝えるんだよ」 「…………」 「全てはそこからさ」 楓には意味のわからないマチルダの言葉に、ティファニアは再び俯いてしまう。 「やっぱり、姉さんにはわかっちゃうんだね」 「はン、いくつの時からあんたを見てると思ってんだい。マチルダ姉さんにはね、何でもわかっちまうのさ」 「……うん。そうだね、やってみる」 はにかむような微笑みを浮かべて、ティファニアは楓に向き直った。 その顔は、何か困難に立ち向かっていくかのように精悍なものであった。 「あ、あの、カエデさんっ!」 「は、はい」 語気には勢いが付き過ぎており、楓は少し気圧されてしまった。 ティファニアは、荒ぶる何かを抑えるように一つ深呼吸をすると、かっと目を見開いて口を開いた。 「わ、私と、おともだちになってくれませんかっ!?」 「……えっ?」 楓が目をぱちくりさせる。 ティファニアは口を引き結んで真面目な顔のままだ。 マチルダはこりゃたまらんといった風に失笑していたが、何も言わずに事態を見守っている。 「…………」 楓は、言葉の意味を理解しようと頭を回転させ始めて……途中でやめた。 彼女、ティファニアの性格は、この数日間でかなり掴めている。一言で言えば……『純粋培養』。妹の初音をもう少し煮詰めた感じだ。 つまり、言葉に裏はない。本当に文字通りの意味しかないのだろう。 「……『サモン・サーヴァント』ね、本当は、おともだちが欲しくて唱えてみたものなの。人は私を怖がるけど、動物ならもしかしたらって。そしたらあんな事になって……カエデさん、優しくて、強くて、賢くて、私なんかじゃおともだちになれないかもしれないけど……」 へにょん、と、ティファニアの釣り上がっていた眉毛がハの字に下がる。 楓は困ってしまった。 妙に過大評価されてしまっている事もそうだが、普通に比べて人付き合いの苦手な楓でも、友達というのは、なりませんかなりましょうという言葉ひとつでなるものではないという事ぐらい知っている。 もっとこう、自然にというか。 ……いや、たぶん、そういう事もわからないのだろう。ここはファンタジー世界の隠れ里で、彼女は敵対種族とのハーフだ。昨日聞いた話では、小さい頃もずっと家に匿われていたということだし、環境が特殊すぎる。 楓は頭を切り替えた。どうせ自分も彼女に何か言えるほど交友関係が広いわけでもないのだ。彼女のまっすぐな問いに、同じように答えればいい。 そして、どう答えるかは……数日間寝食を共にしたこの優しい少女を前にして、考えるまでもなかった。 「……いいえ。そんな事はありません。私でよければ、喜んで」 「い、いいの?」 「はい。これから私とあなたは"おともだち"です」 言葉に出すと、正直とても恥ずかしいものだった。ある意味、告白より恥ずかしいかもしれない。 「あ、ありがとう、カエデさん!」 「お礼を言うものではありません。……"おともだち"でしょう?」 「う、うん!」 頬を染めながら微笑みあう二人の少女を、マチルダは満足げに見守っていた。 前ページ次ページゼロのエルクゥ
https://w.atwiki.jp/anozero/pages/4181.html
前ページ次ページゼロのエルクゥ 「むぐ……」 水の底から浮かんでいくような意識の中、耕一がまず感じたのは、眩しさだった。 「……つぁ」 次いで、固くなった体の軋み。 講義中に突っ伏して寝てしまった時の感覚に似ていた。 「ふあああぁ……」 無意識に体を伸ばすと、がたん、と座っていた椅子が音を立てた。 覚醒していく意識を、コキコキ、と肩を上下させる事で補助しながら、耕一は大あくびを一つ。 「あー……しかし、椅子寝なんて久々だったなぁ」 去年、ゼミの課題が終わらなかった時以来だろうか。 エルクゥとして目覚めている以上、椅子寝だろうが床寝だろうが体調的には何の問題もないはずなのだが、20年ほど普通の人間やってた記憶からか、横になって寝れないと、どうしても、一日を終えて休んだという気がしないのだった ああ、楓ちゃんを抱き枕にしてゆっくり眠りたいなぁ。いい匂いのする髪に顔を埋めて思いっきりぎゅってしたいなぁ……。 「……朝っぱらから何考えてるんだ俺は」 いかん、結構重症だ俺。と、耕一は頭を振って、邪念を振り払う。 「お役目通り洗濯にでも行きますかね」 もう一度大きく伸びをして、忘れないようにとテーブルの上に畳んで置いておいたルイズの制服と下着を手に取った。 ルイズは、まだあどけなく寝息を立てていた。 貴族である学院の教師や生徒達はまだ寝ていても、奉公する平民達の朝は早い。 授業開始前の朝食の時間までに学院に住む人々全ての朝食を作らねばならない厨房をはじめ、日の出の前から既に仕事を始めている。 外に出れば、ぱたぱたと駆け回るメイド達をすぐに見つける事が出来た。 洗濯なんてメイドに預けてしまおうか、とも考えたが、なんとなーく自分でやらないとまたルイズの機嫌がナナメに傾いてしまうと思ったので、洗濯道具と干す場所を借りるだけにしておいた。 「うほー冷て。眼は覚めるけどなぁ……」 水汲み場から冷たい水をタライに張り、洗濯板でゴシゴシ。 水を切って干し場に干したところで、ちらほらと食堂に向かう生徒達の姿が現れ始めたので、軽い急ぎ足で部屋まで戻った。 「ルイズちゃん、朝だよ」 「う、うぅーん……」 寝入っているルイズの肩を揺らすと、軽いうめき声。 「……寝てると初音ちゃんに似てるなぁ。起きてると梓だが」 柏木4姉妹が次女の耳に入れば即座に回し蹴りが飛んできそうな事を口走りつつ、肩を揺らし続けると、徐々にルイズの反応が良くなってくる。 「ふえぇ……?」 「起きた?」 「あんた、誰……?」 寝ぼけ眼を擦り擦り、幽鬼のように上半身を起こしたルイズの目には、生気が宿っていなかった。質感の良さそうな桃色の髪が、ピンピンと所々ハネている。 どうやら、ルイズは低血圧らしい。 「ルイズちゃーん、起きてるかーい。耕一お兄ちゃんですよー」 「……誰がお兄ちゃんよ。使い魔」 耕一がおどけてみせると、ルイズの瞳に光が戻った。 「はぁ。おはよう、コーイチ。ま、時間通りみたいね」 窓の外の太陽の角度をさっと見て、のろのろと起き出す。 「服取って。そこのクローゼットに入ってるわ」 「はいはい」 「下着。クローゼットの一番下」 「ほいほい」 言われた通りのものを取り出してルイズの側に置き、後ろを向く。 柏木家の女達は、皆自分で出来ることは自分でやる性質だ。こんな風に世話を焼くのは新鮮な経験だった。 いや、どちらかと言うと、世話を焼かれっぱなしだった。居候の分際で。 「何後ろ向いてるのよ。着せて」 「……はいぃ?」 おそるおそる後ろを振り向くと、ルイズはネグリジェ姿のままだった。 「従者がいる時には、貴族は自分で服なんて着ないのよ」 ……元の世界でも、昔の支配階級はそんな文化を持っていた、と、ゼミ仲間の由美子さんから聞いた知識を唐突に思い出した。 「はぁ。わかったよ。ほら、腕をあげて」 子供を着替えさせるだけだ。気にするな。気にしない。俺ロリコンじゃないから平気。そう。初音ちゃんだと思え。あの天使に不純な劣情を抱く事など出来ようか。(反語的な意味で 「ん。よし。じゃあ行くわよ」 自己暗示は辛くも成功したようで、意外と平気に着替えさせる事が出来た。うむ。大人の男はこんな事では動揺しないのである。 「俺もか?」 「使い魔召喚の儀式から初めての授業には、先生方へのお披露目という意味で、使い魔を連れてくるのが義務付けられているの。それに、私が居なくちゃ食堂でご飯が食べられないわよ?」 なるほどそれは重要だ、と頷き、戸締りを確かめて部屋を出ようとドアに手を掛ける。 「はーい、ルイズ。おはよう」 しかしてドアを開けると、一人の人影があった。 「……おはよう、キュルケ」 フランクに片手をあげて笑顔を浮かべたのは、よく日に焼けた褐色の肌と、燃えてうねるような赤く長い髪を持つ女性だった。 ルイズは、いかにも『何で朝っぱらからこんなヤツと』という面白くない顔を隠さないまま挨拶を返す。 ―――しかし……なんというか、目のやり場に困る。 キュルケ、と呼ばれた赤い女性、これがなんとも色っぽい。 ルイズのものと同じデザインの二回りほどは大きいサイズの制服を着ていながら、メロンやスイカを思わせるそのつるんと丸っこい大きなバストは、ボタンを2つ外してなおきつそうに服に収まっている。 ……あれは、明らかに梓を越えている。 快活で大らかな笑みを浮かべるその様子は、ナイーブな面が強そうなルイズとは、どこからどこまでも対照的であった。 「後ろのその人が、あなたの使い魔ね?」 「……そうよ。見てたから知ってるでしょ?」 「ええ。何処の平民を連れてきたのかしらと思ったけれど、なかなかどうして面白そうなのを喚んだじゃない? さすがゼロのルイズ、と言ったところかしら?」 ゼロのルイズ。何か聞いたことあるな、と耕一は顎に手を当てた。 「うるさいわね。わざわざそんな事を言いにここで待ってたの? ツェルプストーは体だけでなく、お暇ももてあましていらっしゃいますのね」 「あら、部屋はお隣ですもの。偶然鉢合わせる事もあるでしょう」 「どう見ても先にあんたが居たでしょうがっ!」 ―――おお、そうだ。確か、あの召喚されてすぐの時、回りの子供達がルイズを囃し立てていた、そのフレーズだ。 何か悪口のようなものなのだろうか。しかし耕一には、目の前の赤い女性に悪意は感じられなかった。 「偶然よ。ね、フレイム? あなたもそう思うでしょう?」 ガア、と、キュルケの足元にいたとんでもなく大きなトカゲが、ぼうっと火を吹きながら返事をした。 テレビで見た、世界で最も大きなトカゲというコモドオオトカゲに匹敵する大きさだ。人間的な感覚で見ると、正直ちょっと怖い。 「自分の使い魔にアリバイ証言させて、誰が信じるのよそんなものっ!」 「ねえあなた、ホントに召喚されたの? どっかから連れてこられたとかじゃなぁい?」 「無視するんじゃないわよっっっ!!!」 ……そう、あれだ。千鶴さんが梓をからかっている時のような、あんな感じ。 あれより随分と剣呑ではあるが、根底にあるのは同じもののような気がした。 「いや、まあ、連れて来られたといえば問答無用で連れて来られたのは間違いないな。変な鏡みたいなのに吸い込まれて、気付いたらああだったんだし」 「ふぅん……あなた、お名前は?」 「柏木耕一」 キュルケは、さっと視線を耕一の左手に滑らせて、頷く。 「変わった名前ね……どうやらホントみたい」 「だ、だからそう言ってるじゃないっ」 「うん、おめでと。よかったじゃない、ルイズ。ちゃんと召喚できたみたいで」 今にも噛み付きそうだったルイズの顔が、ぽかん、と呆けた。 「……な、なによキュルケ。気持ち悪いわね」 「あら心外ね。私だって褒める時には褒めますわよ? ゼロとイチの違いはとてつもなく大きいんですもの。たとえ、たとえ召喚できたのが平民、冴えない顔の平民の男だとしても、それはとてもめでたい事ではなくって?」 あくまでも軽いその声に、毒気を抜かれかけたルイズの顔がやっぱり真っ赤に染まった。 冴えない顔、と言われた耕一は、苦笑を顔に貼り付けている。 「キュルケーっ!!!」 「おほほほほ。それでは、ごめんあそばせ」 ルイズをいなしつつ、耕一に向かって悪戯っぽくウィンクする。 そのすれ違いざま、 『ダシにしちゃってごめんなさいね』 と、耕一だけにそっと囁くと、キュルケはお供のトカゲを引き連れて、悠々と去っていった。 「な゙ん゙な゙の゙あ゙の゙お゙ん゙な゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙!!!」 「ま、まあ落ち着けってルイズちゃん」 こっちは、とてもじゃないが悠々と、とはいかなかった。 千鶴と梓ならもう少し勝負にもなるが、この二人の場合はルイズが圧倒的に不利のようだ。キュルケの方が余裕過ぎるのか、ルイズの余裕が無さ過ぎるのか。 「自分が火竜山脈のサラマンダーを召喚したからって! ああもうくやしいいいいい!!!」 地団駄を踏むルイズ。 「胸だけでかけりゃいいってもんじゃないのよ! む、胸! 胸だけの女のクセに! 胸ーっ!」 ……しばらく収拾がつきそうになかった。よっぽどコンプレックスであるらしい。 耕一は、やれやれ、と肩をすくめて、ご主人様のため、そして、このままでは食いっぱぐれそうな朝食のため―――少しだけ、鬼氣を解放した。 「―――そんなに悔しいなら、そのサラマンダーというあれ、潰してきてやろうか?」 「……えっ?」 「君の喚び出した使い魔の方が遥かに上だと証明して見せよう。どうだ?」 「えっ? えっ? な、何、言ってるの、コーイチ」 「言葉通りの意味だが。あのトカゲの頭を一瞬で捻り潰してこよう、と言っている」 「なっ―――!」 ルイズの顔が、驚愕に青くなる。 その目をまっすぐに見つめて、言葉を続けた。 「どうした? 馬鹿にされて悔しいんだろう? 君の方が上なのだとあの女に見せつけるチャンスじゃないか。さあ、命令をくれ。使い魔に一つ命令を下すだけで、あのご立派なサラマンダーはただの肉塊に変わる。君はもう馬鹿にされる事なんてなくなるぞ」 「あ、あう」 眼が泳ぐ。そんな事考えもしなかった、という顔だった。 ―――うん。やっぱり優しい子だ。 「……落ち着いたかい、ルイズちゃん?」 「―――へ」 にっこり。 柏木家は末娘の『天使の笑顔』を真似するつもりで笑ってみる耕一。 驚愕と緊張に強張っていたルイズの顔が、ぽへ、と抜けた。 「あ、あああ、あんた」 「頼まれたってそんな事しないから、安心して。ごめんな、変な事言って」 ルイズは口をぱくぱくさせていた。頭の中の感情を言葉にしようとして言葉にならず、うにゅにゅにゅにゅ、と不明瞭な音だけが漏れ出てくる。 「ほら、主人はでんと構えて。さっきのは冗談。君の友達の使い魔を殺すなんてしないから。な?」 「……ツェルプストーが友達なんて、ぞっとしない話ね。はあ。まったく、冗談に聞こえなかったわよ……」 「聞こえないように言ったからね」 行き場のない感情を何とか飲み込めたのか、肩を落としてため息をつくルイズ。 「馬鹿にされて悔しいのはわかるけど、気にしない方がいい。ルイズちゃんのそういう反応が楽しくてしてくるんだから」 「わかってるわよ! わかってるけど……悔しいものはしょうがないじゃない!」 結構根は深いみたいだなあ、と、ふるふる震えるルイズを見ながら思う耕一。 まあ、さっきの言葉に戸惑いを見せるぐらいならまだ大丈夫だろう、と耕一は気楽に構えた。少なくとも、実害を加えてやろうという憎しみまでには至っていないのだから。 「ま、美味しいご飯を食べれば忘れるさ。早く行こうぜ」 「……そうね」 あんたは悩みが無さそうで良いわね、というルイズの視線は、大人の余裕で黙殺しておいた。 前ページ次ページゼロのエルクゥ
https://w.atwiki.jp/anozero/pages/4256.html
前ページ次ページゼロのエルクゥ 「や。ご期待には添えたかな、ご主人様」 「……あ、うん、よ、よくやったんじゃない?」 がっくりとうなだれたままのギーシュをよそに、コキコキと腕を鳴らしながら平然と歩いてくる耕一に、ルイズは気の抜けた様子で返事をした。 「あーん! すごいすごーい! ねえあなた、やっぱりただの平民じゃなかったのね! あの動き! 只者じゃないわ!」 「うわあっ!?」 ルイズの隣にいたキュルケの褐色の肌ががばちょっと目の前に現れて、耕一は素っ頓狂な声を上げた。 抱き付かれたのだ、と気付いたのは、その豊満な感触が腕に当たった時だった。 ―――ぐお。ちょ、ちょっとこれは楓ちゃんでは味わえない感触……い、いかんいかん! 邪念退散! 「あん、つれないお方」 半ば振りほどくように離れると、キュルケは流し目で誘うような視線を向けてきた。このプロポーションでそんな事をされると、心臓に悪い。 「ちょ、ちょっとキュルケ! 人の使い魔に色目使ってんじゃないわよ!」 「凱旋した殿方を迎えるのは女の役目よ。ねーダーリーン?」 「だだだ、ダーリンて何よ! ダーリンて! だだ、ダーリンて!」 「…………」 女三人寄れば姦しい、と言うが、一人はじっと耕一を見つめるのみだったので、二人で十分騒がしかった。 「……あなた」 「ん?」 その一人、蒼い髪の少女がぽつりと漏らした言葉を聞き取る事が出来たのは、ルイズとキュルケが舌戦から視線での戦いに移行していたからという幸運のおかげだった。 「……何者?」 「……俺の事かい?」 聞き返すと、こくりと頷いた。 「えるくぅ、なんていう亜人の種族は、聞いた事がない」 「……まあ、こっちにもいたらそれはそれで困るけど」 「?」 「いや、なんでもない。うーん、そうだなぁ……」 どう説明したものか、と耕一は顎をしゃくった。 「ずっとずっと遠いところ……歩いては行けないようなところから召喚されてきたんだよ。だから、聞いた事がなくてもしょうがないんじゃないかな」 「…………」 答えを聞いて、蒼髪の少女はじっ、と耕一の目を見つめた。 「……トーキョー、アキハバラ、チキュー、ニホン」 「へ?」 「聞いたことある?」 「へ、トーキョー? 東京? 秋葉原? 地球、日本!?」 「…………」 いきなり聞いた事のある単語を言われ、一瞬呆然とした後に―――耕一は、がっしと少女の肩を掴んでいた。 「き、君、日本を知ってるのか!?」 「知らない。……痛い」 「あ、ご、ごめん」 無感情に首を振る少女に、耕一は少し冷静になり、その肩を離した。 「じゃあ、どこでその言葉を?」 「遠いところ……あなたと同じように、歩いて行けないところから来たと言っていた知り合いが、そんな単語を口にしていた。……あなたも、そこから?」 「ああ。俺の故郷の名前だ。そっか、俺みたいに地球から飛ばされてきた奴もいるんだな……」 それは、とても重要な手がかりだ。広い世界に一つだけなら例外だが、狭い世間に二つもあれば希少なだけだ。イレギュラーな事故ではなく、どこか繋がりがある可能性が格段に増えた、という事だ。 耕一は、どこか張り詰めたままだった心の芯の部分が、ホッと緩んだように息をついたのだった。 「なあ、君、名前は?」 「タバサ」 「タバサちゃん、その知り合いっていうのには会えるのかい?」 「……しばらくは、無理」 「そっか。是非その人に会ってみたいから、会えそうな時に教えてくれないか?」 こくり、と頷くタバサに、耕一は自然とその頭を撫でていた。 ……改めて見ると、なんだか恋人に似ている気がした。人形然とした表情のない表情も、冷たさを纏った奥に暖かい芯が垣間見えるところも、無口そうなところも……その体型も。 「ダーリン、あなた……そういう趣味だったの?」 「は?」 「そ、そんな小さい子の頭を撫でて、そ、そんな幸せそうな顔して……へ、へ、変態? 変質者? 犬? 犬ね? 鬼とか言ってたけどサカりのついた犬よね? しかも変態の」 「ちょ、る、ルイズちゃん? 目がブッソウな事になってるよ?」 「なるほどぉ……そういう趣味だから、ちんちくルイズの使い魔にふさわしいってワケか。あたしへのつれない態度といい、納得だわ」 「ま、待て待て。それは―――」 「だっ、誰がちんちくりんですってぇ!?」 「あーら。貴方以外に誰かいらして?」 「むきーっ!」 盛大な爆弾発言を残したまま、再びバトり始める凸凹コンビ。 「誤解だー……って言っても聞いてませんね二人とも……」 はぁ、と肩を落としてため息をつく耕一を、タバサは相変わらずの表情のない瞳で見つめていた。 § 「……ミスタ・コルベール?」 「おお、ミス・ロングビル。いかがされました?」 「ああ、いえ。すいません、何でもないですわ」 漂う雰囲気のあまりの違いに、人違いだろうか、とおそるおそる声をかけたロングビルだったが、振り向いたのはいつもの穏やかなハゲ頭だった。 「オールド・オスマンがお呼びです。学院長室までお越しください」 「了解しました。ミス・ロングビルはすぐに学院長室に戻られますか?」 「いえ、私はまだ外での仕事がありますが……何か?」 「そうですか。いえ、彼らも連れて行こうと思いまして。すぐに戻られるのであれば、少し時間が掛かる旨、伝えてもらおうと思っただけです」 「そうでしたか。わかりました。それだけ言付けておきますわ」 「ありがとうございます。それでは」 ぺこり、と頭を下げて、コルベールは視線を戻し、それまでじっと目を向けていた方向へと歩いていく。 その先には、野次馬連中に遠巻きに眺められている事に気付かないままじゃれあう男女がいた。 男が一人の女が三人。渦中の人、ガンダールヴとその主人+αだった。 「……これまでの昼行灯とは別人みたいだねありゃ。ただの研究ハゲじゃなさそうだ。宝物庫の知識は持ってそうだが、引き出そうとするのは危険かねぇ」 ロングビルは、彼らに話し掛けるコルベールを見やりながら、小さく呟く。 「目があっちに向いていてくれれば、少しはやりやすくなるか。せいぜい注目されておくれよ」 そして、学院では誰も見たことのないような、口の端を釣り上げるはすっぱな笑みを浮かべると、くるりとそれに背を向けた。 § 「なるほど、話はわかった」 コルベールと、耕一、ギーシュからの話を聞き終えたオスマンは、重く頷いた。 「ギーシュ・ド・グラモン。明日より3日間の謹慎、及び反省文の提出を命ずる。本来であれば、決闘を受けた方にも同じ罰を受けてもらうところじゃが……ミスタ・カシワギは生徒でも貴族でも奉公人でもない故、咎めはなしとする」 「ご配慮、慎んでお受け致します」 言って、ギーシュが頭を垂れる。 事情の説明の際も、彼は何か吹っ切れたように、素直に自分の罪を認めていた。 ルイズはその変貌ぶりに目を丸くしていたが、耕一はうんうんと頷いていたりする。 ギーシュが退出し、ルイズがそれに続こうとした時。 「あの、ぶしつけで申し訳ないんですが、少し話があるんです。お時間はありますか?」 耕一が、オスマンに向かって話を切り出した。 「ちょ、ちょっとコーイチ、いきなりどうしたのよ」 「いや、聞きたい事があってね。先に行っててくれ」 「聞きたい事って……そんなの私に聞きなさいよ。オールド・オスマンのお手を煩わせるんじゃないの。ほら行くわよ」 「まぁまぁ、ミス・ヴァリエール」 手を取って引っぱろうとしたルイズをなだめるように、オスマンが手を振った。 「うちの生徒が迷惑をかけた詫びと言ってはなんじゃが、少しぐらいなら構わんよ。ミス・ヴァリエールは授業に戻りなさい」 「……オールド・オスマンがそう言うなら……」 ルイズは、しぶしぶと言った様子で学院長室を出て行った。 「さて、聞きたい事とは何かな?」 「単刀直入にお聞きしますが……召喚されたものを元に戻す魔法っていうのは、あるんですか?」 「ふむ……」 オスマンが、髭を撫でながら鼻を鳴らした。 ちょうど責任者に目通る事が出来たので、聞きたかった事を聞いておこうと思ったのだった。 「そんな魔法は聞いた事がないのう」 「……そうですか」 予想通りの答えに、肩を落とす耕一。 先程のタバサの話がなければ、本気で途方に暮れていたところだった。(まあ、その彼女の知り合いという人も同じ状況っぽいから、帰る方法の見当がつかないという点では変わらないのだが、気分的な意味でだ) 「コルベールさんはどうですか? その、生徒のやり直しを防ぐ為っていうのはなしで、あるかないか」 「いえ、残念ながら私も知りません。しかし、そのような事を聞くという事は、あなたは元の場所に帰りたいのですか?」 「ええ。向こうに大事な人達を残してきてますんで」 妥当かつ事実な答えを返すと、コルベールはふぅむと唸った。 「残念じゃが、直接送り返す魔法はワシでも知らん。以前居たところがわかれば、そこまでの旅費を渡す事ぐらいは出来るじゃろうが……」 「おそらく無理でしょうね」 「ふむ? ここからの帰り道がわからないほど遠くから来なすったかな?」 「それもありますが……おそらく、歩いては行けないところだからです」 「どういう事ですか?」 緊張していたコルベールの声が、途端に好奇心に彩られた。 「異世界、と言ってわかるでしょうか。たぶん、こことは違う世界から召喚されたんだと思います。自分がいたところでは、魔法なんてありませんでしたから」 オスマンとコルベールの目が、驚きに見開いた。 「魔法がない違う世界……それは、本当ですか?」 「本当です……と言っても、自分はまだここがどこかもよくわからないので断言するのもおかしいですが。少なくとも人間の版図では、魔法なんて物語の中だけの存在でした。そのあたりの確認もしたくて、責任者の人と話したかったんですよ」 「ふむ……」 オスマンは重く息を吐き出し、頷いた。 「わかった。詳しい話を聞こう」 § 「……チキュー、ニホン、そしてエルクゥ……荒唐無稽すぎて、にわかには信じられませんな」 「こっちもびっくりですよ。ハルケギニアって、こっちのヨーロッパにそっくりだ」 広げられた地図を見ながら、耕一は思考をめぐらせる。と言っても、並行世界だのなんだのなんてゲーム用語以上のものは知らないから、実のある事を考えているわけではなかったが。 「でも、ヨーロッパにだって、魔法なんて存在しないはずで……そもそも、トリステインやゲルマニアなんて国は存在しないし、空に浮かぶ島なんて論外だ」 「……なるほど。確かに歩いて行けるところではなさそうじゃな。なにせ……」 「はい。地球では、『歩いて行けるところ』は、既に行き尽くされてるんです」 「じどうしゃに、ひこうき……内燃機関を搭載した乗り物で、世界を行き尽くす。いやはや、何とも夢が広がりますなあ」 「こっちにしてみたら、魔法や空飛ぶ島やエルフなんてものの方がよっぽど夢が広がりますけどねえ」 何やら興奮を隠し切れない様子のコルベールに、苦笑しながら軽口を返す耕一。 「さて、とすると、ますます厄介な事じゃな。今の話が全て本当だとするなら、お主がチキューに戻る事は、今の時点では不可能じゃ」 「……やっぱ、そうなりますか」 「うむ。よしんば君を送り返す事が出来たとしても、自由に行き来が出来ねば、今度はミス・ヴァリエールの使い魔がいなくなってしまうでな。 色々な理由で使い魔を持たぬメイジも少なくはないが、君が存在している以上、新しく呼び出す事もかなわん。それは問題があるのじゃよ」 「使い魔契約の解除だけの魔法っていうのも……」 「ない」 「ですか……」 つくづく一方的だ、と耕一はやるかたない気持ちになった。 「力になれんですまんの」 あまり残念そうでもなくオスマンが嘯く。 とはいえ、耕一はここで諦めるわけにはいかなかった。 「出来ればでいいので、そういう魔法があるかどうか、探してみてもらえますか?」 「努力はしてみよう。じゃが、期待はせんでくれよ」 「お願いします」 頭を下げる耕一。今のところはそれが唯一の方法だった。 § 「ねえ、お昼にオールド・オスマンと何を話してたの?」 夜。 湯浴みを終えたルイズをネグリジェに着替えさせていると、ずっと気になっていたのか、そんな事を聞いてきた。 「俺を元の世界に戻す魔法はないかってね。結局なかったけど、あとこの世界の事を少々」 「あたしがないって言ったじゃないの……」 返事を聞いて、ルイズは不機嫌そうに頬を膨らませる。 「いや、儀式のやり直しをさせない為に、生徒には秘密になってるかもって思ったんだよ。ルイズちゃんが嘘をついてるなんて思ってないさ」 「……ふん。どうだか」 着替えが終わるなり、ぷいっと顔をそむけてそのままベッドに倒れ込むと、 「あぁ、今日は疲れたわ」 心底疲れたような、それでいて芝居がかった当てつけのようなため息をついた。 魔法失敗の爆風を受け、吹き飛んだ教室を片付け、決闘を観戦し……充実した一日だった事は疑いない。 「……ねぇ」 「ん?」 椅子にそのまま寝させるのはさすがに心苦しかったのか、与えられた毛布にくるまって背中を向ける耕一に、ルイズは小さく呼びかけた。 「……元の世界に帰りたいの?」 「そりゃあね」 「そう……」 てっきり、『ダメよ! あんたは私の使い魔なんだから!』とかんしゃくでも起こすかなと思っていた耕一は、おや、とルイズに向き直った。 「な、何よその『てっきりダメよ帰るなってかんしゃくでも起こしそうだったのに意外』って顔は!」 「いや、昨日はそんな感じだったし」 「……あんたに言われて、考えちゃったのよ。もし私がいきなり、全然知らない別の世界―――そんなのは想像つかないから、例えば、ロバ・アル・カリイエとかに飛ばされちゃって、家族に会えなくなっちゃったらって」 「そっか」 ロバ・アル・カリイエってのは、確か、人類の天敵であるエルフに邪魔されて行く事の出来ない東の地方だっけか、と昼間に聞いた事を思い出しながら、震えた声を聞いていた。 考えちゃったその結果は、聞くまでもなさそうだ。 「ま、学院長のじーさんからも望み薄って言われちまったしな。しばらくは使い魔でいるさ」 「……ふ、ふんっ」 安心させるように言うと、ルイズは慌てたようにぱちんと指を鳴らして明かりを消し、ぷいっと背中を向けてしまった。 苦笑しながら、耕一も毛布に体を埋める。 ここハルケギニアがヨーロッパに似ているとしたら、そのロバ・アル・カリイエ……日本列島なんかはどうなっているんだろう、という好奇心が首をもたげたが、元の世界に戻る手がかりとしては関係が薄そうなので、考えるのをやめた。 ……イギリスに当たる島が空に浮いているところからして、想像力の範疇外というのもあったが。 窓の外に目を向けると、昨日と変わらない、蒼紅の双月が夜を照らしている。 車の通る音や家電製品の駆動音なんかが全くない夜の静けさに、昨日は気付かなかった。何だかんだ言って、余裕がなかったという事だろう。 ルイズの微かな寝息だけが、部屋に響いていた。 前ページ次ページゼロのエルクゥ
https://w.atwiki.jp/anozero/pages/4323.html
前ページ次ページゼロのエルクゥ 「やれやれ、できればもう少しスマートにやりたかったんだがねえ……ま、すぐにバレるだろうが、逃げる間ぐらいは時間が稼げるだろ。ったく、ホントあのクソジジイのセクハラったら……!」 学院より四半日ほど離れた街道を、ロングビル―――『土くれ』のフーケは、ゆったりと幌付きの馬車で進んでいた。 周囲に人影が無いのを確認して、懐から何かを取り出し、しげしげとそれを眺める。 泥のついていない小奇麗なマツタケ。そんな風に見えるキノコだった。綺麗すぎて、どこか蝋細工のようでもある。 「"食べた者に、烈火の如き勇気と力を与えるキノコ"……ま、あたしはそんなんいらないし、いつものように、適当なルートに売り払おうかね」 自らを匪賊に貶めた連中に対する復讐、なんて感情も、とっくの昔に擦り切れてしまった。 話によれば、近いうちに自滅するみたいだが……たぶん、あの時にああしなかった貴族―――王族なんて、皆無だろう。良い意味でも悪い意味でも、王というのはそういうものだ。王弟だからと言って手心を加えなかったのは逆に高潔であるとも言える。 そういう意味では、最初から、別段、特定のどこかや誰かを殺したいほど憎いという訳ではない。代わりに、貴族、なんていうもの全てが嫌いにはなったが。 高慢ちきなお貴族様が宝物を盗まれてあたふたするのを眺めて楽しむ。そのぐらいで十分溜飲は下がった。 「さって、珍しく安定してた収入はなくなっちゃったし、これからどうしますか……」 キノコを懐にしまい直して、うららかな陽気に一伸びする。 目の前では街道が交差し、分かれ道になっていた。 「……キナ臭い話もあるし、秘書の仕事が忙しかったしね。久しぶりにテファのところにでも顔出そうかしら」 そう呟いて穏やかな笑みを浮かべると、フーケは馬車を北に向けた。 § 学院は、上へ下への大騒ぎだった。 「ふぅむ……まさかこの宝物庫に賊が侵入していたとはのう……」 衛視から報告を受けたオスマンは、確かに"烈火のキノコ"が無くなっている事を確認して、大きくため息をついた。 「土くれのフーケ! 貴族達の財宝を荒らしまくっているという盗賊か! この魔法学院にまで手を出すとは、随分とナメられたものですな!」 「衛兵は一体何をしていたんだ!」 「フーケは盗賊とはいえメイジ、平民の衛兵など当てになるか! そもそもいつ盗まれていたのかすらわからないんだぞ!」 集まった教師連中は、口々に好き勝手な事を喚き散らしている。話は紛糾するばかりで、実のある方向に向かっていく様子はなかった。 オスマンはもう一度ため息をつき、現場を検分していたコルベールに話しかけた。 「ミスタ・コルベール、書き置きを発見したのは彼等二人なのじゃね?」 「はい。足を滑らせて扉にぶつかった折、鍵が掛かっているはずの扉が開いてしまったので驚いて報告したと。間違いないかね?」 「ま、間違いありません」 「ふぅむ……教師諸君! ここ最近、宝物庫に入ったものはおるか?」 ざわついていた教師が一瞬静まり返り、顔を見合わせた。 その内の一人が、おそるおそると手を上げる。 「に、二ヶ月ほど前、授業に使うための『遠見の鏡』を持ち出しましたが……」 「その時には?」 「こ、こんなものはありませんでした。ハイ」 「では、二ヶ月以内に入った者は?」 再び顔を見合わせる。今度は、手を上げるものはいなかった。 「おらんか。犯行は少なくとも二ヶ月以内に行われた……手がかりナシに等しいの」 「あ、あの」 衛視の一人が、こわごわと言葉を紡いだ。 「なにかあるのかね?」 「ほ、本日は、ミス・ロングビルがいらっしゃいました。宝物庫の目録を作る、とかで……お昼前ぐらいだったでしょうか。半刻ほどして、何事もなく出て行かれましたが……」 「ふむ……そういえば、そのミス・ロングビルはどこじゃ?」 見渡してみても、あのぷりんとした尻は見当たらなかった。 「見当たりませんね」 「そのようじゃな。あー、君々、ちょっとミス・ロングビルを探してきてくれんか」 「わ、わかりました」 所在なさげに教師達を見やっていた衛兵の一人が頷き、早足で駆けていく。 「やれやれ。ガンダールヴといいフーケといい、新学期早々厄介事が続きおるわい」 オスマンは眉間に皺を寄せて、ため息をついた。 そのすぐ後、ロングビルの私室から『学院長のセクハラに耐えられないので辞めさせていただきます』という書置きが発見され、オスマンの眉間の皺がさらに深くなる事となったのだった。 なお、彼の秘書に対するセクハラは公然の事実であったので、ロングビルの予想に反し、誰も"ロングビルがフーケであり烈火のキノコを盗んで逃げたのだ"と言い出さなかったのは余談である。 § 「明日のフリッグの舞踏会が中止ですって? なんで?」 「さあ? 中止っていうだけで、理由は誰も教えてくれないのよ。もう! せっかく特製のドレスでダーリンを悩殺しようかと思ってたのにぃ!」 「……はぁ。ツェルプストーはろくな事を考えないんだから」 学院に帰ってきたルイズ達を待っていたのは、何やら慌しい雰囲気だった。 「まったく、今日は厄日かしらね、打つ手打つ手が全部裏目に出ちゃうわ。ルイズには先を越されるし、タバサもどこに行ってたのか話してくれないし」 「…………」 食堂で夕食を取った後、ルイズはキュルケ、タバサと食後の紅茶を飲むのが日課のようになってしまっていた。 キュルケは自分にとっても一族にとっても天敵だったはずなのだが、耕一が召喚されてからというもの、なんとなく印象が柔らかくなった気がして、話が続いてしまうのだ。(タバサの方は、キュルケが引っ張り込んで一緒に居るだけのようで、ほとんど喋らないが) その当人たる耕一は、いつもの通り厨房に行っていて、食堂内にはいない。そろそろ入り口に現れる頃だろう。 「なんでも、宝物庫に盗賊が入ったらしいわよ。あの『土くれ』のフーケ。先生が総力をあげて探してるから中止って話だけど」 「それ本当なの? モンモランシー」 今日は、長いブロンドの髪を豪奢な巻き毛にした少女―――モンモランシーも、その輪に加わっていた。 浮気者の恋人をワインボトルでしばき倒した、あの少女である。 紆余曲折の末によりを戻した恋人が級友の使い魔に妙に傾倒しているので、彼女もその主人と交友を持つようになっていた。 彼女自身、ルイズの事を内心バカにしていた一人で、使い魔とギーシュの決闘というのも見ていないのだが、プライドはえらく高い方であったあのギーシュが、あれ以来ルイズにも酷く丁寧に接するので、なんとなくそんな気持ちは薄れていたのだった。 「『土くれ』のフーケ……今日街でもその名前を聞いたわ。貴族の屋敷から宝物を次々と盗んでいる怪盗だって」 「トライアングル相当って聞いてたけど……ここの宝物庫から盗み出したとなると、スクウェアクラスかもしれないわね」 「スクウェアの土メイジなんて、エリート中のエリートじゃない。なんで盗賊なんてやってるのかしら」 フーケの件は厳重に緘口令が敷かれていたが、人の口に戸は立てられぬもの。 舞踏会の中止が告知されるや否や、それとほぼ同時に、その理由として噂の口に昇っていた。 「ま、ともかく作戦は最初から練り直しかぁ。どうしようかしら」 「もう、ホントに盗賊が入ってたとしたら、そんな悠長な事言ってる場合じゃないでしょ。色ボケもいい加減にしときなさいよ」 「て言ったって、あたし達がピリピリしたって犯人が捕まるわけじゃないわよ」 「それは、そうだけど……」 「…………餅は、餅屋。ルパンに、銭形」 「そういう事。捕り物なんて、先生とか衛士隊とかに任せておけばいーのよ」 うー、と黙ってしまったルイズを見て、難儀な性分ねぇ、とキュルケは苦笑し、紅茶のカップを傾けた。 「っていうかタバサ、るぱんとぜにがたって何?」 「…………あなたの、心です」 § 「学院長の方も、タバサちゃんの方も、手がかり無し、か」 本来ならば絢爛な舞踏会が行われていたはずの夜は、しかしいつもの静けさのまま、人々を安らぎの闇に包んでいた。 『すまんのう。図書館の文献を当たらせてはおるが、まだ手がかりと言えるようなものは見つかっておらんのじゃ』 『仕事で遠くに行っていて、もうしばらくは会わせる事が出来ない』 先程続けてもたらされた話を思い出して、耕一は肩を落とした。 秘書が辞めてしまったらしく、書類に忙殺されていた老人に無理を言うのは憚られたし、基本的に善意で言ってくれているタバサに至っては言わずもがな。 元々誰かに当たり散らすような性格ではないが、未だ慣れぬ異邦の世界ではうまく解消する術も無い。耕一は、肩を落とした姿勢のまま、腹に溜まった物を静かに吐き出した。 「ま、そう気を落とすなって、相棒」 「気が利くねえ、デルフ」 「任せな。相棒のためなら気ぐらいいつでも利かせてやるさ」 腰に差した剣―――デルフリンガーの鍔飾りが、カタカタと鳴る。 陽気な彼とのお喋りは決して嫌いではなかったので、耕一は鯉口を締める事はせず、常に彼を喋る事の出来る体勢に置いている。 それを気に入ったのか、彼は耕一を、相棒、などと呼んでいた。 「しっかし、別の世界から召喚された、ねえ。相棒も難儀なこったな」 「まったくだよ。なあ、お前は何か知らないのか? 六千年も生きてるんだろ?」 「残念ながら、そーいう細けえ事まで覚えちゃいねーよ。六千年つったって、最初の頃以外はホントつまんねえ事ばっかりだったしな。何十年も埃の被った棚に放置されたり、何百年も真っ暗な倉庫に入れっぱなしにされたりしてみ? ありゃ気が狂うね。マジで」 「はは、つかえねーの」 「ひでえ。でもま、相棒なら許してやる」 「そりゃどうも」 広場に出ると、月明かりの中、まだ仕事を片付けている奉公人がちらほらと残っている。 「あ、それで一つ思い出した」 「何を?」 「相棒、俺を抜け」 言われた通りに鞘から抜き放つと、錆びついていたその刀身が、微かに光り始めた。 「デルフ?」 「最初の持ち主が死んじまってから、ホントつまんなくてよ。世を儚んで、こんな格好にしてたんだが」 「う、おっ……!」 その光は徐々に強くなっていき、やがて夜を切り裂き、視界を覆うほどに膨れ上がる。 それが収まった時……耕一の手には、錆び一つ無く銀色に光り輝く、見事な名剣が握られていた。 「最初の頃は、こんなだったんだよ、俺」 「……先に言ってくれ。結構びっくりしたぞ」 「悪ぃ悪ぃ。驚かしたくてよ」 「こんにゃろ」 広場に残っていた奉公人達が何事かと目を向けてきたので、慌てて女子寮の塔に飛び込む。 「ま、お前さんといると面白そうだからな。俺なりの誠意ってヤツだ。よろしく頼むぜ、相棒」 「ああ、よろしく。デルフリンガー」 何千年という時を過ごしながらどこまでも陽気な剣の声に、少しだけ気持ちが軽くなった耕一だった。 前ページ次ページゼロのエルクゥ
https://w.atwiki.jp/anozero/pages/5080.html
前ページ次ページゼロのエルクゥ 「お疲れさま、カエデ。どう、二人は?」 「……まだ眠っています」 「そう。ま、じきに目を覚ますでしょ。あー、さすがにあんだけシルフィードに乗ってると疲れるわねぇ」 寝室に二人を寝かせた一行は、ティファニアの家の居間、それぞれに腰を下ろし、強行軍の疲れを癒していた。 「はぁ。それにしてもびっくりしました。まだ2日と経ってないのに、もう恋人さんを見つけられたんですね。おめでとうございます、カエデさん!」 「ええ。皆さんのおかげです。本当にありがとうございます」 「ちょーっとゴタゴタはあったけどね。ともあれ、無事に二人を拾えて良かったわ」 「…………ん」 お茶のカップを傾けながら、キュルケは慣れたようにウィンクを飛ばす。 タバサは軽く頷いただけで、じっとティファニアを見つめていた。 「ま、別に気にしなくていいわよ。あたしも楽しかったし。特に、音に聞くエルフがこんな可愛いお嬢ちゃんだったって事が一番愉快だわね」 「あっ、い、いえ、私は、その……は、ハーフですからっ……あっ! ううん、でも、お母様は本当に優しい人でっ……!」 「あはははは! そう、そういうところが可愛いって言ってるのよ! あはははははっ!」 たどたどしくはにかむティファニアに、キュルケは腹を抱えて大笑いする。 本当に可愛いと思われているのか、それともからかわれているのかわからないティファニアは、さらに顔を赤くして俯くしかなかった。 自己紹介もそこそこにティファニアの家に上がりこんでからというもの、キュルケはずっと上機嫌の顔を崩していないのだった。 「はうう……」 「うふふ。さて、今日は疲れたわ。まだまだ、いくらでも聞きたい事はあるけれど、とりあえずお話は明日にしましょうか」 キュルケは、そう言ってソファーに横になると、さっさと目を閉じてしまった。 「…………」 「…………」 「…………では、私は耕一さんとルイズさんの様子を見ています」 「う、うん。何かあったらすぐに呼んでね、カエデさん」 しばしの沈黙の後、楓は、耕一とルイズの寝かされている客室へと入っていく。 「…………」 「…………あう」 残ったのは、居心地悪げに身をよじらせるティファニアと、じっとそれを見つめるタバサだけだった。 「……あの、治療は」 「えっ?」 「エルフの、先住魔法?」 「えっ、治療? 先住? あっ……さ、さっきの、傷を治した事?」 端的なタバサの言葉に反応しきれなかったティファニアが数瞬の後に意を汲むと、タバサはこくりと頷いた。 ティファニアは、少し顔を伏せて、迷うように視線を彷徨わせた後、顔を上げた。 「……ええ。そう。私が魔法を使ったわけではないけど、水の先住の力が集まった、この……」 そう言い、ティファニアは指にはまっていた指輪を見せる。 「指輪のおかげなの」 タバサの視線が、指輪に吸い寄せられる。目は見開き、驚いているかのように瞳孔が開いていた。 「……これは、体の傷以外も治す事が出来る?」 「え? 体?」 「エルフの、心を殺す毒を、治せる?」 タバサの声の調子は、変わらずに平坦だ。 しかし微かに、すがりつくような、弱々しい響きが混じっている事に気付いたのは、目を閉じたまま、まだ眠りについていないキュルケだけだった。 「……ごめんなさい。私は、他のエルフについては何も知らないの。その毒っていうのもわからないから……治せるかどうかわからない、としか……」 「……そう」 「あ、で、でもっ、水の精霊の力だから、基本的に水の魔法で出来る事は出来るはずだから……あの、その人をここに連れてきてくれれば、試すだけは試してみるけど……っ」 何の感情も込められていないかのような相槌に、ティファニアは慌ててそう言い繕った。 「……ありがとう。機会があったら、お願いする」 そして、滅多に聞かない『タバサのお礼の言葉』に、ピクリとキュルケが身をよじらせる。 「い、いえ、その……」 ティファニアはといえば、いつも触れあっている感情豊かな子供達とは違う、そのどこまでも平坦な声と表情に、ドギマギするばかりであった。 § 窓から覗く外の風景は朱の時間を過ぎ、宵の口に差し掛かっていた。 先ほどまで元気に外を遊びまわっていた子供達も、夕食を終え、自分達の家へと入っている。 「…………」 楓は、床に毛布を敷かれたその上で眠り続ける耕一の左手を握り、じっとその顔を見つめていた。 一度は自らが切り落としたその手に体温が通じているのを感じて、胸に安堵の気持ちが染み渡っていく。 「ん、んっ……すぅ、すぅ……」 目線を上げたベッドの上には、耕一を使い魔として呼び出したという桃色の髪の少女が、同じく寝息を立てている。 ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。『ゼロ』のルイズ。公爵家という王に次ぐ家柄の出でありながら、魔法の使えない落ちこぼれ。 シルフィードが全速力で頑張っている最中、キュルケから色々と話は聞いたが、なんとも宙ぶらりんな気分だった。 『あなた達を引き離そうと思ってやったわけじゃないから、手荒な事はやめてあげてね』などと言われたものの……初対面であるし、彼女の事をどう思っているのか、楓自身まだよくわかっていない。 今のところ、あの使い魔のルーンのように耕一を無理矢理に従えようとでもしなければ、手荒な事などするつもりはないが……。 それに―――これから話をする機会があるかどうかも、わからないし。 「お嬢ちゃん、帰っちまうのかい?」 「っ!?」 いきなり誰かの声がして、楓は飛び上がるように驚いた。強行軍で少し乱れていたセミロングの黒髪が、驚いた猫のように総毛だったような気さえした。 「こっちこっち。俺だよ俺。俺だってば」 カチカチ、と金属の鳴る音とともに、遊び人の中年男のような、軽めの声が響き続けている。 「け、剣……!?」 「そそ。俺、剣。魔剣デルフリンガー様っての。そこで寝てるコーイチの相棒ってことになってる。まあ、さっきのお嬢ちゃんの一撃でガンダールヴのルーンは逃げ出しちまったから、相棒じゃなくなっちまったけど。ま、ひとつよろしく」 声のしてくる方向はどう見ても、壁に立てかけられている、耕一の持っていた剣だった。カチカチ、と鍔についている飾りが動いて鳴っている。そこから声が出ているらしい。 ガンダールヴ、なんて聞き慣れない単語の事よりも、まずその現象自体に、楓は心底驚いた。 「剣が喋ってる……!?」 「剣だって喋るさ。ここは”ふぁんたじぃ世界”らしいからな。お嬢ちゃん達の世界には、竜だっていねぇんだろ?」 「は、はあ……」 軽い調子の剣の声に、楓は少しだけ落ち着きを取り戻す。 まあ確かに、魔法やらエルフやらドラゴンやら空に浮く大陸やらを目の当たりにしていて、何を今更という話だった。 「で、帰っちまうのかい? お嬢ちゃんたちの世界って奴に」 「……なぜ、そんな事を?」 「いや、そんな気がしたからね。いや、違うな……そんな顔をしてたから、だな。これでも六千年ほど人の顔を見てきたもんでね、わかっちまうのさ」 「…………」 「お嬢ちゃんの顔な。戦いを終えて、やっと家に帰れるってホッとしてる兵士の顔にソックリだったぜ。故郷を焼かれて帰るところをなくした奴の顔とは、明らかに違うもんだった」 デルフリンガーの言葉は、比喩としてもなかなかのものだと楓は感じた。 感じてしまったので……大人しく、首を縦に振った。 「……はい。帰るつもりです。私達の……家に」 「そうかい」 デルフリンガーはそう相槌を打っただけで、それ以上言葉を発そうとはしなかった。 「止めたりは、しないのですか?」 「無駄な事はしねえよ。相棒をルーンから解放するために躊躇いなく腕切り落とちまうようなお嬢ちゃんの決意には、なーんも言えねえさ。ただまあ……話ぐらいは、聞いてやってからの方が良いと思うぜ?」 「……?」 そこにいない誰かを促すような言葉に、楓は首を傾げる。 次の瞬間、ガチャリ、と計ったかのようなタイミングで、入り口のドアが開かれた。 「…………」 「……タバサ、さん?」 無言のまま、のっそりと部屋に入ってきたのは、節くれだった大きな杖を片手に担いだタバサだった。 § 「…………」 「…………」 二人の寝息が静かに響く客室の中で、楓とタバサは膝をつき合わせて向かい合っている。 タバサはこれまでと同じように無言の無表情。楓には、その内心を推し量る事すら出来なかった。 「帰るの?」 「えっ?」 タバサの言葉は、何の前兆もなく突然沈黙を切り裂いた。 楓は驚くが、その簡潔な言葉には、聞き返したり、疑問を差し挟む余地だったりなどは、欠片も存在しなかった。 「…………」 「……はい。帰るつもりです。私達の、家に」 「……そう」 先ほどデルフリンガーに向けて言った言葉を、今度はもう少しはっきりと口にする。 自らの決意を確認して、固めるように。 タバサは、変わらない調子で相槌を打つだけだった。 「お世話になったお礼が出来ないのは心苦しいのですが……」 「いい。それより……」 「はい……?」 「私の知り合いに、おそらくあなた達の世界と同じところから召喚されてきた人がいる」 「えっ!?」 「連れて行って、と言いたいけど、今は無理。だから……どうやって帰るのか、方法だけでも教えて欲しい」 「…………」 「それで、お礼にする」 少し考えて……楓には、断る理由が思い浮かばなかった。 「……わかりました。でも、参項にはならないかもしれません」 「いい。手掛かりだけでも、重要」 「はい。私がこっちの世界に来た方法というのは、お話ししましたよね」 タバサはコクリと頷く。 シルフィードで移動している最中に、身の上話をする時間は幾らでもあった。主に問い質していたのはキュルケであったが。 「東……ここから遥か東の方に、同じものを感じるんです」 「同じもの……『サモン・サーヴァント』の、ゲート?」 「はい。定期的に、とても大きな反応があるんです。その波動を覚えてしまった私には、注意していなくてもわかってしまうような、大きなもの……まるで火山が爆発するみたいに、向こうの世界との"扉"が開いているんです」 「……東」 「来た時と同じ感覚で、それに同調したいと思っています。眠っている耕一さんの精神なら、一緒に引っぱれますから」 「……ロバ・アル・カリイエ? それとも……?」 少し俯き、何事かを呟いて考えに沈むタバサ。 すぐに顔を上げ、ペコリ、と楓に向かって頭を下げた。 「……ありがとう。とても大きな手掛かり」 「いえ。本当に、お世話になりましたから」 同じく、楓も頭を下げる。 はたから見ると滑稽な姿で、デルフリンガーは思わず笑いが零れそうになったのを慌てて我慢した。 「今すぐに、帰る?」 「……キュルケさんとテファさんには、ちゃんと挨拶をしたいですけど……でも、一刻も早く、姉さん達を安心させてあげたいし……」 楓は口篭もる。単純に別れを切り出しづらい、という言葉は、何とか飲み込む事が出来た。 帰ってしまえば、おそらく二度とこの世界に来る事はないだろう。今生の別れだ。テファやキュルケには好感を覚えていただけに、尚更だった。 変に挨拶をして未練を残すよりも、いっそこのまま消えた方がいい。先日楓が旅立つ時のティファニアと同じ、楓もまた、そんな風に考える性質だった。 「わかった。待ってて」 「え? あ、あの?」 タバサが音もなく立ち上がって部屋を出て行くと、数分もせずに戻ってきた。 「なになに、もう帰っちゃうの? もう少しゆっくりしてけばいいのに」 「…………」 ……キュルケとティファニアを連れて。 戸惑うようにタバサの方に目を向けても、その表情は変わらないままだ。……暖簾に腕押し、という諺が頭をよぎり、思わず一つ溜め息が出た。 「……カエデさん」 「……テファさん」 ティファニアは俯き、楓からはその表情を窺い知る事はできなかった。 「せっかくおともだちになれたのに、もうお別れなんですね……」 「……はい。本当に、お世話になりました」 彼女の"おともだち"として過ごせた時間が本当にあったのか、楓には自信がなかったが……楓は、それでもいいと思う。 自分が彼女と、友人として付き合いたいと思ったのは、事実なのだから。 「もっとたくさんお話とかして……コーイチさんともお話してみたかったけど……しょうがないですよね……」 「テファさん……」 「ああもう、湿っぽいわねえ!」 「はうっ!?」 ひくっ、とティファニアがしゃくりあげた時、キュルケが呆れたような、そしてどこか楽しそうであるような声を張りあげて……ティファニアの後ろから、ふにょん、とその革命的胸部装甲を揉み上げた。 比喩でなく跳び上がって驚くティファニアだったが、弾力と柔らかさの極地に達したその乳房にしっかりと指が食い込んでいて、脱出する事叶わなかった。 「な、なななな、む、胸、胸っ! い、一体何をするんですかぁっ!?」 「いーい? こういう時はね、『またね』ってだけ言って、笑顔で送り出してあげるの。話したい事がいっぱいあるならその人の事を忘れないし、きっとまた再会できるから。ねっ?」 「…………」 キュルケのウィンクひとつで、ティファニアの目尻で大きくなっていた水の粒が、その膨張をピタリと止めてしまった。 「……あうぅ」 そして、困りきったような呻きを出して、眉をハの字に落とす。 ……そのアドバイスが、先日姉代わりの人物から言われたものと、真っ向対立していたからである。 「ま、後は任せときなさい。またね、カエデ。今度はそのお姉さん達も連れていらっしゃいな」 「……ふふ。はい、わかりました」 混乱しているティファニアをよそに、軽い調子で、旅行でも勧めるかのように振る舞うキュルケ。 楓は少しだけ気が軽くなり、微笑みを浮かべると……クルリと後ろを向いて、寝ている耕一の手を取る。 感じ取るのは、遥か東の地―――楓には知る由もないが、そこは、"聖地"とも、"悪魔の門"とも呼ばれる場所。 そこに爆発のように開く、"門"の波動。 「……っ!!」 「うそっ、何この魔力っ……!? きゃああああっ!!」 一際大きな"それ"が届いた時、楓はありったけの力を込めて、そこに意識を流し込んだ。 § 「―――……はっ!?」 ガバッ! と、布団を跳ね上げて、勢いよく上半身を跳ね起こした。 「きゃっ!」 瞼を開けて最初に視界に入ったのは、びくっと体を強張らせて驚く、女の子の姿だった。 肩口で揃えられた黒髪が舞い、ゆらゆらと揺れて止まる。 「…………」 そこは、すっかり見慣れなくなってしまって―――懐かしいとさえ感じる部屋だった。 ふわふわの敷き布団。紙で出来た扉。畳敷きの客間に香る、い草の乾いた匂い。 「柏木の、家……?」 和室だった。トリステインはおろか、ハルケギニア全土にも絶対に存在しないであろう造りの部屋。 段々と、意識が覚醒してくる。 そう、ここは、日本有数の温泉地、隆山は柏木の屋敷の―――耕一にあてがわれた部屋だった。 「耕一さん……っ!!」 「うおっ!?」 起こした上半身に思いっきり飛びつかれて、耕一はそのまま布団に逆戻りとなった。 ばふっ! と、押し潰された布団が大きく空気を吐き出す。 「か、楓ちゃん?」 「…………」 のしかかってくるようにして、耕一の胸板に顔を埋めているのは……紛う事なき、彼の恋人だった。 「……俺は、夢でも見てたのか?」 その華奢な体をそっと抱き返しながら、曖昧な記憶を掘り返す。 魔法の世界。出会った少女。悲恋を交わす王子と王女。そして―――解放したエルクゥの力。 ―――ぶるり、と背筋が震える。 手にまだ、どろりと血のヌメリが残っている気がした。 「夢じゃ、ないな……帰ってきたのか? ―――つっ!?」 眠りにつく直前の記憶を引っ張り出そうとして、左手の手首の辺りに鈍い痛みを覚えた。 慌てて見てみるが、左手は傷一つなく綺麗なものだった。―――傷だけではなく、その甲にあったはずの何かすら、なくなっている。 痛みは、一瞬で消えていた。 「……確か、手がすぱっと切れちまったような……でも今は切れてないし、ったく、どうなってんだ? なあ、楓ちゃん?」 「…………」 胸の中の楓から、返事はない。 まだ現実感の薄い、半分眠った頭で天井を見つめ続けていると、 「こ、耕一っ!? 耕一が起きたッ!」 そんな、素っ頓狂な声がした。 「梓?」 「千鶴姉ッ! 初音ッ! 耕一が、耕一が起きたぁッ!」 いつのまにか部屋の入り口に立っていた、柏木四姉妹の次女―――柏木梓は、声をかけた耕一には目もくれず、どたどたと女にあるまじき足音を立てながら、板張りの廊下を駆け抜けていく。 「……一体なんだってんだ?」 「……皆、本当に心配してたんです」 「楓ちゃん?」 耕一が呆然と呟いていると、ようやく胸の中からくぐもった声がする。 顔を上げた楓の頬と耕一のTシャツは、静かに流されていた涙でぐっしょりと濡れていた。 「心配、って……じゃあやっぱりあれは、夢じゃない、か」 「……夢と、思っていた方が、いいのかもしれません」 「……そうかもな。でもまあ、どうやって帰ってこれたのかぐらいは、聞かせてくれないか?」 「はい。でもその前に……」 どたどたどた、と女にあるまじき足音が、今度は三人分ほど、この部屋に向かって廊下を揺らした。 「ちゃんと、帰ってきた時の挨拶をしないと」 「はは。そうだな……」 笑いながら、楓を抱えて上半身を起こすのと同時に、縁側に続く障子が勢いよく開かれた。 「耕一さんっ! か、体は大丈夫ですかっ!?」 「耕一お兄ちゃん! うわーん!」 「っだよもぅ心配させやがって! いきなり裏山がごっそり消えたと思ったらその麓にお前等が倒れてるし、楓は何も話してくれないしでもう大変だったんだぞ! おら、さっさと事情を話せ!」 千鶴、初音、梓の順に、部屋に雪崩れ込んでは、耕一の寝床を囲む。 その騒がしい顔ぶれに、一ヶ月もここを離れていなかったというのに、どこか懐かしさすら感じる。 それだけ、あの魔法の世界ハルケギニアでの毎日が、濃密な時間だったという事なのだろうが……。 「ああ……ただいま。みんな」 耕一は、とりあえず、そう静かに微笑んだ。 前ページ次ページゼロのエルクゥ
https://w.atwiki.jp/anozero/pages/4297.html
前ページ次ページゼロのエルクゥ 「コーイチ・カシワギ。こことは別の世界、『チキュー』の、『エルクゥ』という種族であり、人間でもあるとの事。見た目は平民の青年と変わらないものの、オーク鬼等の亜人を遥かに上回る身体能力を持つ。その点は『ガンダールヴ』とは関係ない模様」 手に持った、無骨で不気味なほど筆跡の揃った文字の並ぶ書類を、ロングビルが平坦な声で読み上げる。 「他には、主人であるルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールと精神感応で意識をやり取りする事が可能との話。観察者追記、彼に決闘を挑んだ生徒の証言より、おそらく相手を威圧するような精神攻撃方法も持つと見られる。詳細不明」 アカデミーの研究文書よりそれっぽいわね、などと思いながら、読み上げ続ける。 「本人の資質としては、いたって温厚で理性的。しかし、ギーシュ・ド・グラモンとの決闘にも見られるように、実力行使に容赦はない様子。それが『エルクゥ』種族に由来する性質なのかは不明」 オスマンは、じっと目を閉じたままその報告に耳を傾けている。 「元の地に家族と恋人を残してきていると語っており、帰還を強く望んでいる様子。それでなおヴァリエール氏に表面上の不満を冗談以上に見せず従っている事から、社会性と知性も高いと見られる」 その髭で隠された口元が、小さく『イル・サウンディ・デル・ウィンデ』と動くのを、ロングビルは見逃さなかった。 「結論。現状においては、不穏分子ではあるものの危険とは言えない。しかし放置には問題あり。最低限、帰還の為の魔法を探している努力を見せておけば納得する程度の人格と知性は持っていると判断されるが、一度誠意がないと思われてしまった場合の被害は算定不能」 定期的に会合の場を設ける事を推奨する、という〆の文章を言い終わるや否や、ロングビルは懐からスティックのような棒を取り出し、さっと振った。 その足元から白いネズミがふわりと浮き上がり、ロングビルがその杖を真横に一閃すると同じく真横に吹っ飛んでいって、そのネズミはべしゃっと壁に激突してぽとりと床に落ちピクピクと痙攣を始めた。 彼にかけられた『サイレント』の魔法の効果は滞りなく、悲鳴も、激突音も、落下音もしなかった。 オスマンの頬に、たらりと一筋だけ汗が伝った。 「ミスタ・コルベールからの報告は以上です」 「うむ」 オスマンは厳粛に頷き、髭をさすって思案をめぐらせる格好をした。 「それでは、私は仕事に戻りますね。宝物庫の目録を作りたいと思いますので、鍵をお貸し願えますか?」 「うむ」 内心冷や汗だらけのオスマンは、特に警戒もせずに机の引出しから一つの鍵―――鍵と言っても、文様の描かれた棒のようなものだったが―――を取り出すと、ロングビルに渡した。 「ありがとうございます」 くるりと踵を返したロングビルの顔には、オスマンが見た事のない、はすっぱな笑みが浮かんでいた。 部屋の隅では、モートソグニルの痙攣が、少しずつ弱々しくなっていった。 § 「おお! 来たか『我らが鬼神』! さ、こっちに座りな!」 「ど、どうも、マルトーさん」 決闘から数日が経ち、耕一を取り巻く環境は、いささか変化していた。 最も大きな変化は、学院に奉公する平民達―――特に、厨房のコック長、マルトーの態度だった。 威張りくさった貴族が嫌いだと公言して憚らない彼は、耕一がギーシュを鎧袖一触にあしらった上に、自慢すらせず平然としているのをたいそう気に入ったらしい。 「シエスタ! たっぷりついでやれよ!」 「わかってますわ、料理長!」 「い、いや、まだ昼なんで、お酒はあんまり……」 「かぁー! メイジのゴーレムを素手で切り裂いちまうような亜人殿は言う事が違うねえ! おいシエスタ! そんな安もん飲ませちゃ我らが鬼神に失礼だ! 奥にあるアルビオンの古いの持って来てやりな!」 「わかりました、料理長!」 既に知り合っていたメイドのシエスタ共々、耕一が食事に訪れる度に、過剰とも言える歓迎をしてくれるのであった。 少しだけ、故郷にある特殊な喫茶店に通いつめる知り合いの趣味が理解できたような気がした。 「い、いや、ヴィンテージのワインなんか飲めるほど舌肥えてないんで、もったいないですよ!」 「気にすんな! 貴族の坊ちゃんどもが飲んじまうより遥かに有意義ってもんだ! だっはっは!」 最初もそんな事を言ってたなあ、と豪儀な笑い声に苦笑しながら、耕一は毎日、鶴来屋の本館レストランにも劣らないような豪勢な食事を取るのだった。 次に変わったのは、周囲の生徒達の態度だ。 無能メイジの平民使い魔、と侮るような視線は刷新され、どこか腫れ物を扱うかのような視線だけが向けられる。 時々、血気盛んな男子が鼻息荒く挑発してくる事もあったが、少し氣を入れて睨みつけてやるだけで、すごすごと、もしくは虚勢を張りながら退散していくのが常であった。 また、それによってか、ルイズに対する侮蔑も、なくなりはしないが確実にその数を減らしていた。『メイジの実力を計るには使い魔を見よ』という教えは、かなり浸透しているようだ。 ルイズは、最初こそ優越感に浸っていたが、すぐに焦るような態度を見せ始めた。使い魔が凄くても、自分は未だに魔法が成功しない『ゼロ』のまま、という事にずいぶんと焦りを感じているらしく、魔法の自主練習を積極的に行っている。 成果については……ロングビルが、『夜に鳴り響く爆発音がうるさい』という多数の陳情への対応に追われる羽目になった、とだけ言っておこう。 そして、周囲の生徒の中で一番の変化を遂げたのは……。 「先日の無礼をどうか許してほしい。許しを頂けるのならば、言葉の代わりに名を聞かせてはくれないだろうか」 このギーシュだった。 「ありがとう、ミスタ・カシワギ。出来る事ならば貴方と友誼を結びたいと思うのだが、今の僕はいまだ人になりきれぬ餓鬼。僕が人として立つ事が出来たその時の褒美としてそれはとっておこうと思う。それでは失礼」 三日間の謹慎が空けた日、こう言って耕一に深々と頭を下げた時、ルイズなどは気でも触れたんじゃないかと本気で心配したらしい。耕一とキュルケは『男子三日会わざれば』を体現したような様子に微笑ましいものを感じていたが。 芝居がかったような振る舞いは変わらないものの(どうやらトリステイン貴族は、全般的にこういった戯曲的な言い回しを好むようだ)、決闘の日とはうって変わったように潔くなり、授業などにも真面目に打ち込むようになった。 話によれば、あの女の子二人にも素直に謝罪し、今はワインで殴られた方の少女とよりを戻しているという。 そんなこんなで、ハルケギニアにまた朝が訪れた。 § 「ふああ……やれやれ、一週間が8日もあるとはねぇ」 窓から差し込んでくる朝の光に、毛布の中でもぞもぞと一伸びをした。 今日は虚無の曜日、と言って、要するに日曜日のようなものらしい。 8日に1回の休みで体が持つのかしら、とか、そもそも一日が地球の24時間と同じかどうか判別つかないからわからないなぁ腕時計ぐらいつけてればよかった、とか、これまで何回も考えた事を寝ボケた頭でまた弄くり回しながら、一日の用意を始める。 「明日は虚無の曜日だから、街に出かけるわ。いつも通りの時間に起こしてね」 昨夜、ルイズにそう言い含められていた。 『休日とは、起きた時に夕陽が見える日の事である』というのが持論の耕一としては、そのバイタリティに感心した。 とはいえ、マンガもゲームもパソコンもないこの世界においては夜更かしをする意味がないので、耕一も、最近はとても健全な起床と就寝である。 格式ある魔法学院だけあって、図書室(図書館、と呼んだ方が適切かもしれない)にはうなるほどの本があったが、貴族じゃないと自由に入れない上に字が読めなかった。 あれ、じゃあなんで言葉は通じるんだろう、と何気なく思ったところで、これまでカタカナ名前のヨーロッパに似た文化の人と普通に日本語で会話をしていた事に初めて思い当たったあたり、耕一の、平静であろうとしても処理しきれない混乱が窺える。 ルイズによれば、使い魔のルーンの効力か召喚魔法の影響で言葉が翻訳されてるのではないか、と言う事らしい。 まあ、こんな状況に放り込まれた上に言葉が通じない、なんて事にならなくてよかったのは確かだが、なんとなく都合が良すぎる気がしないでもなかった。 「さて、水を汲みにいかなきゃな」 コキコキと肩を鳴らして、耕一は静かに部屋を出た。 水道なんてハイテクなものはないので、朝の洗顔などに使うため、水汲み場から部屋まで水を汲んでこなければならないのだ。 「ふう」 それが終わると、ルイズを起こしに掛かる。 「ほらルイズちゃん、朝だよ」 「……んみゅーん」 低血圧気味のルイズは、目が覚めるまでに時間が掛かる。 おまけにやっぱり女の子なものだから、朝の身支度にも時間が掛かる。 胡乱な目で髪を梳かしていると、だんだんと瞳孔がしっかりしてくる、というのが毎日のパターンだった。 「はい腕あげてー」 もう着替えさせるのにも慣れたものである。逆に、着替えさせられるルイズの方は、日を重ねるごとに居心地が悪くなっていくようだったが。 部屋を出て食堂に向かいつつ、帰ったら保父さんでも目指してみるか、と少し本気で思っていた。 「今日は出かけるんだっけ?」 「そうよ。朝食を食べたらすぐに出かけるから、厩舎に言って馬を二頭借りておいて」 「あれ、俺も付いてくのか?」 「従者がついてこなくてどうするのよ。それに、あんたの買い物をしにいくのよ。貴族の従者として、いつまでも他人のお古なんて着てちゃかっこつかないでしょ?」 「別にいいんだけど……サイズもあってるし」 「私がダメなのっ! いいから、もう少しちゃんとした服を着なさい。命令よ」 「……わかったよ。そこまで言うなら」 ちなみに、服はマルトーのお古を貰っていた。少し横に広いが、体格としてはちょうどいいぐらいだった。 「あと、剣とか下げてると従者っぽいわよね。今宮廷で流行ってるらしいけど……そっちも見繕ってみましょうか」 「剣、ねえ……」 さすがに刀はないだろうな……と、前世の記憶からかふと思ってしまう耕一だった。 § 「恋人に操を立てる男性が快楽に抗いきれず、という背徳も……また一興よねぇ」 キュルケは、『学院』と言う場所にはとても相応しくない言葉を口にしながら、念入りに体を清めていた。 決闘の日以来、彼女の二つ名たる『微熱』は恋の炎となって、煌々と燃え上がっているのだった。『恋人がいるから』と柔らかく袖にされたことすら、自らの魅力に確固とした自信を持っている彼女にとって、闘志がみなぎるちょうどいいスパイスでしかない。 「うふふっ。さて、どうしてやろうかしら」 今日は虚無の曜日。どうやって愛しき殿方を口説き落とそうかと微笑みを浮かべながら、キュルケは化粧を始める。 ふんわりと湿った肌を薄手の布一枚だけで包んだ姿で鏡台の前に腰を下ろしている姿は、男子100人中100人が前屈みになるであろう、とんでもない色気を放っていた。 「ん、よしっ♪」 制服に身を包み、マントを羽織り、おまけに制服のボタンをいつもより一つだけ余計に外すと、キュルケは鏡に向かって綺麗なウィンクを一つ飛ばした。 目指すは、愛しき殿方たるルイズの使い魔がいる、隣のルイズの部屋だ。 「おはよう、ルイズ……って、あら?」 躊躇なく鍵開けの魔法『アンロック』を使い、堂々と部屋に入ったキュルケだったが、もぬけの殻の部屋を見て残念そうに吐息をついた。 「うーん、まだ食堂かしら? あ、あれは……」 虚無の曜日のアルヴィーズの食堂は、朝食の時間がいつもより長めに取られている。 ねぼすけルイズはまだ朝食かしら、と踵を返そうとした時、窓の外に見覚えのある桃色の髪が垣間見えた。 「あたしともあろう者が、ヴァリエールに先を越されるなんてね。ふふっ」 キュルケはどこか楽しげに笑うと、馬に跨って門を出て行く主従を見送り、別の部屋に向かった。 「ターバサー。あなたの風竜に乗せて―――って、あら? こっちも?」 親友の使い魔たる、馬など歯牙にもかけないスピードで空を飛ぶウィンドドラゴンで耕一達を追いかけようとその部屋の扉を開けたが、こちらも空であった。 「……図書室にいればいいけど、またどこか行ってるのかしらね」 タバサが忽然とどこかに行ってしまうのはいつもの事だったが、何ともタイミングが悪いわね、とキュルケは一つため息をつく。 結局、図書室にもタバサはおらず、キュルケはしょうがない、とすっぱり諦め、耕一達が帰ってきてからの作戦を練るために部屋に戻った。 しくじった手にはいつまでも拘らずにあっさりと捨てて次を見る。そんな見切りの早さも彼女の力であった。 § 中世文明の世界に、工業的な既製品を並べた服屋などというものはあるはずもなく、服というのは手作りか、仕立て屋と呼ばれる店でオーダーメイドされるか、どちらかだ。 ルイズが選んだのは、もちろん後者だった。それも、宝石屋と併設されているようなセレブな店だ。こういう見栄はどこでも同じようなものらしい。 現代社会ならジーンズの裾上げにも数日かかるものだが、さすがにただの中世ではなく、さっと杖を振るってあっという間に採寸を合わせてしまい、その場でお受け取りとなった。 「……なんか、変な感じだ」 「我慢しなさい」 執事用の黒タキシード、なんてフォーマルなものでもないが、Tシャツジーンズよりは遥かにぱりっとしたお仕着せに身を包んだ耕一は、通りを歩きながらも身じろぎを止められなかった。 なんだか演劇の衣装を着てるみたいだ、と、高校時代に文化祭で演劇をやった事を思い出していた。あれは確か『三銃士』だったかな。 「さて、次は武器屋ね。たしか、ピエモンの秘薬屋の近くにあったから……」 先導するルイズは、見るからに裏通りの、怪しげな路地に突入していく。 すえた臭いが鼻をつき、大通りでは見かけられなかったゴミや、見るに耐えない汚物なども放置されている。先ほどのセレブな店から急転直下だ。 「こんなところにあるのか……?」 「武器っていうのは、平民の傭兵とか、農民の狩人とか、そういう人が買い求めるものだから、あんまり綺麗なところにはないわよ」 耕一の呟きに答えるルイズも、顔をしかめている。 「あった。あれだわ」 指差した店の軒先には、ご丁寧にも、剣が交差した絵柄の看板がでんと掲げられていた。 ドアを押すと、申し訳程度につけられている錆びついたカウベルが鈍い音を鳴らす。 「…………」 店の奥のカウンターでパイプをふかしていた店主は、じろり、と入ってきた客に目を向けた。 少女のマントに光る、貴族の証であるペンタグラムの施された外套留めを見やって、どことなく八○見乗児が声を当てていそうな風貌の店主はパイプを口から離した。 「旦那。貴族の旦那。うちはまっとうな商売してまさあ。お上に目をつけられるようなことなんか、これっぽっちもありませんや」 「安心して、客よ。こっちの従者に剣を見繕ってちょうだい」 「へえ。それを早く言っておくんなせいよ。昨今は下僕に剣を持たせるのが流行っているようですからなあ」 一言目の警戒するような声から2オクターブ上がった営業声を聞きながら、商魂たくましいなあ、と耕一は感心し、薄暗い店内に所狭しと並んでいる武器に目を向けた。 さすがに刀はなく、西洋剣、槍、弓、銃などが乱雑に立てかけられたり飾られたりしている。 「なんでも、『土くれ』のフーケ、とかいうメイジの盗賊が、方々の貴族の財宝を盗みまくってるって話でさ」 「ふぅん……そうなの」 「へえ。んだもんで、衛兵だけじゃなく、小姓や下僕にも武器を持たせてるぐらいで。その時にお選びになるのが……このようなものでさ」 営業トークを続ける店主がカウンターの上に置いたのは、細身の剣。柄飾りとハンドガードのついたそれは、小奇麗、という言葉が似合う、ギーシュ辺りが持ったらさぞ絵になるだろうレイピアだった。 「しかし、お連れの方でしたら、もう少しごつめのがよろしいですかな?」 「そうね。コーイチが振ったら折れちゃいそうだわ」 決闘の際に見せたとんでもない腕力を思い出して、ルイズはしみじみと言った。 「へえへえ。そうでさな。ではこちらなど……」 と、店主がもったいぶった様子で店の奥に引っ込もうとした時。 「っ!? 誰だっ!?」 自らに向けられる『意志』を感じて、耕一がざっと身構えた。 「えっ? ど、どうしたの、コーイチ?」 「……誰かいるのか」 じっと、耕一は、籠に入れられたあまり質の良くない剣束の方を睨みつける。 「ほう、こりゃおでれーた! にーさん、俺の気配を感じたか!」 「えっ!? だ、誰っ!?」 突如、店主でも耕一でもルイズでもない第三者の声が店内に響く。が、人影はなく、カタカタと金属の鳴るような音がしただけだった。 「こらデル公! 客がいる時は喋るなって言ってあるだろうが!」 「最初は喋ってねーぜ。そこのにーさんが俺を感じたみたいだったからな」 「け、剣が喋ってる、の? インテリジェンスソード?」 カタカタ、と動いていたのは、一本の錆び付いた剣の柄飾りだった。声はそこから出ていたらしい。 「へえ、そうでさ。意志を持つ剣、インテリジェンスソード。どこの酔狂な魔法使いが始めたんだか知りませんが、こいつときたら、御覧の通りの錆び錆びだわ、インテリジェンスの欠片もないほど口が悪いわ、客にケンカは売るわで……ま、聞き流してやっておくんなせぇ」 「けっ! おめーのアコギな商売から客を守ってやってんのさ!」 「ええいこの口の減らねえボロ剣が! もう我慢ならねえ。貴族様に頼んで溶かしちまうぞ!」 「上等だ、やってみやがれ! こちとらもう世の中に飽き飽きしてたところだ!」 剣呑な口ゲンカに、ルイズは呆れたような目を向けていた。 耕一はそれに構わず、剣束に近付くと、その錆びた剣をスラリと抜き取った。 「っとと、なんでいにーさん、ちょっと待ってな……って……」 かなり長い剣だった。五尺―――1.5メートルほどはあるだろうか。 少し細身で錆びている点を除けば、記憶の中で次郎衛門が振るっていた大振りな野太刀にも劣らない長剣だった。 「ちょっと、どうしたのコーイチ。コーイチ?」 ……いや、錆びている? しかしこれは―――? 「……おでれーた。にーさん、あんた『使い手』か」 黙りこくってしまった耕一と剣を店主とルイズが呆然と見つめていると、剣が低く言った。 「『使い手』?」 「ああ、そうだ。にーさん、俺を買いな」 「いや、『使い手』って、何の事だ?」 「……忘れた」 「なんだそりゃ!」 思わずズッコケそうになった。 「にーさんに似た奴が、俺の一番最初に握られてた記憶なのさ。何せ六千年も生きてんだ。少しぐらいの物忘れは勘弁してくれや」 「六千年!? それって始祖ブリミルの時代じゃない!」 「しそぶりみる? ああ、ブリミル嬢ちゃんか。そういやそんなご大層な事になってんだったな」 「じょ、嬢ちゃんって……も、もしかして、始祖ゆかりの剣? こんなボロいのが?」 神をも恐れぬ発言に絶句するルイズ。性別すら不明な始祖が女だったという事実には目が向かないようだった。 「けっ! 溶かされたくねえからって口からでまかせ並べてんじゃねえ! お貴族様、こんなボロ剣なんて放っといて、こちらをどうでしょう。ゲルマニアの高名な錬金魔術師、シュペー卿の鍛えた名剣ですぞ!」 と店主が出したのは、きらびやかに輝く立派な大剣だった。これも1.5メートルほどの長さで、太さは段違いに太い。ごつい剣だ。ところどころに宝石があしらわれており、刀身は金色に光り、鏡のように磨き抜かれている。 「へえ、これはすごいわね! コーイチ、どう?」 耕一は無言で、その大剣を持った。 錆び剣を左手に持ったまま右手で軽々とそれを持ちあげた様子に、店主の顔が少し引きつった。 「……こっちだな」 しばらくして耕一が上に掲げたのは……ボロ剣の方だった。 「ええ~? なんでそんなボロい方を?」 「なんとなく、だけどね。そっちは俺が振ったら折れる気がして、こっちは平気な気がするんだ」 「うーん、どう考えてもそっちの方が細いし、錆びてる方が折れる気がするけど……それに、かっこわるいじゃない」 「魔法がかかってるせいかもしれないな。脆さは全然感じられない。とにかく大丈夫な気がする」 「むうー」 「へっ。さすが『使い手』。そっちの娘っ子の目は節穴だが、にーさんはわかってるじゃねぇか。あんな光ってるだけの剣に俺様が負けるかってんだ」 なぜそんな気がするのかはわからない。ただの大学生であった耕一に、武器の目利きのスキルなんてもちろんない。 無意識の次郎衛門の記憶か、ただ自分の腕力から来る感覚か。 「はあ。そいつでよければ、新金貨百枚で持ってってもらって結構でさ」 「え、百もするの? あんな錆びてるのに?」 「お貴族様。そのぐらいの大きさの大剣なら、どんな数打ちでも二百はしまさ。錆びてる事で七十、厄介払い料が三十ってところで」 店主の言葉を聞いたルイズが何か慌てた様子で、耕一に持たせていた財布の中を見た。 「……それにしましょ、コーイチ」 「ああ」 なんとなく耕一は察して、何も言わずに頷いた。 「へえ、まいど」 財布の中から百枚金貨を出すと、結構軽くなった。耕一の思った通りのようであった。 「どうしても煩いと思いましたら、この鞘に入れれば静かになりまさ。よかったなデル公、溶かされずにすんでよ!」 「デル公デル公言うなってんだ! 俺にはデルフリンガーっつう立派な名前があんだよ!」 「ご立派過ぎて涙が出てくらぁ! 身の丈に合わな過ぎてよ!」 何気にいいコンビじゃないのかなこの二人。などと、腰に差した剣と親父の口ゲンカに挟まれながら、耕一はそんな事を思った。 § 「ふあーあ。ヒマだなぁ」 学院の宝物庫は、本塔のかなり上階、最上階の学院長室の真下に位置する。 扉の左右に一人ずつ衛視が立ってはいるが、中にある宝物の価値に比したら申し訳程度でしかなかった。学院の中心部に位置するそこを狙う賊などいるはずがなかったし、普段は通りがかる人すら皆無だからだ。 「ま、楽できていいじゃねえか。俺はここのシフト好きだぜ。今日は目の保養にもなったしな」 「ああ、そうだな。ミス・ロングビル、美人だよなぁ」 「あの切れ長の眼鏡がたまんねぇよな。むしろメガネって感じ? ああ、いいよなぁ……眼鏡は始祖の作り出した文化の極みだよ。そうは思わんかね?」 「……お前も大概だよな」 「貴様、眼鏡を愚弄するかぁ! 終末過ごさせるぞオラァ!」 「訳のわからん事で暴れるな!」 コミカルにいきりたった衛視の一人が振り回した腕が、どん、と扉を叩く。 「うわあっ!?」 次の瞬間、そこにするはずのない、ぎぃぃ、と木材が軋む音がした。 強力な『固定化』の魔法が掛けられ、魔法による精巧かつ頑丈な鍵のついているはずのその扉が、開いた。 「あ、開いたっ!?」 「え、お、俺のせいっ!?」 衛視の二人は飛び上がって驚き、慌てて中を覗き見た。魔法の灯りが灯った宝物庫の中は明るく、"それ"は彼らの真正面に、思いっきり目立つように残されていた。 立派な黒曜石の壁に土を塗りたくられて描かれた、こんな書き置きだった。 "烈火のキノコ"、確かに領収致しました。―――『土くれ』のフーケ 前ページ次ページゼロのエルクゥ