約 1,580,178 件
https://w.atwiki.jp/aosasa/pages/218.html
文芸:文アル登場作家、その4。211 斉藤茂吉。12月7日。 明治15年5月14日生まれ、戦後8年で亡くなってますが70歳没なのでそう早いってわけでもないか、この前後の生まれの人は結構長生きの人が多いような気もする、いや、漱石さんの頃は「作家は50歳まで生き延びない」とか言われてたからね…(花袋の50歳記念パーティーはそういうニュアンスだったぽい)。 こっから少し下になると戦時中にがっつり責任者になっていて戦後にばたばた死んでたりするからなぁ…、茂吉さんも芸術院には参加してたみたいで愛国の歌は作っていたようですが、「愛国」止まりぽいかな戦意高揚とかでなく。 いや、もうちょっと上だとまた数少ない生き残りとして戦時組織に無理に引っ張り出されてたりもしたけどね…(露伴さんとか徳富蘇峰さんとか)。 15歳の時点で9歳の女の子と婚約したようで、婿養子。 合わない合わない合わないと延々とエピソードが並んでましたが、本当に合わなかったんだろうな、別れてもいいような気もするんだけど、年齢的に微妙で難しかったのかもなぁ、いや、学費のための婿養子ならさすがにそこまで拘束強くないよな…。 精神病院をやっていたことは他の文士を読んでいてもちょくちょく出てきますが、ぶっちゃけて「だいぶ他よりマシ」だったようです。 どんなにおかしなところだったのかと語られていたんだけど、当時はそもそも精神異常という概念が生えて来たかどうかなので、ちゃんと病気として扱ってる段階でよっぽどマシだった模様です…、ちゃんと退院してるしさ。 伊藤佐千夫門下、かなりがっつり医者、でもずーっと文学の道でも淡々と生きてたみたいですね、いや、奥さんに拘る必要あったのかな…、病院の設備のせいなのかしら。 鈴木三重吉。12月8日。 明治15年9月29日、明治11年の没で享年は54歳かな? 正直Wiki辞書にはなかったので自分で計算したんですけどね。 とりあえず、多分間違えではないとは思うんですが(複数で見てるので)、芥川が『新小説』にて同人誌からの転載の「顎」を載せた時点で編集者だったようで、書き方からすると編集長じゃないかと思うんだけども、なんでか三重吉さん関係の文章だと読めませんね、いやだって、この時点でどこそこ受け持っていたのが誰ってぽつぽつ編集者仲間が書いてるんだもん、そうそう間違ってもないだろ…。 (あくまで新小説を担当していたのは鈴木三重吉って書き方だったので編集長なのかどうかはよくわからんみたいな感じ、他の雑誌もあれこれ書いてありました、厳密にどこで切り替わったのかもわからんのだよな正直。) あと『国民新聞』への掲載ってのもありますが、これが虚子さんが担当していた時代でしょうね、漱石門下と協力関係にあったって語られていたので、まあなんか、これも書いてあるところとないところがありますが、漱石と新聞みたいなテーマだとわりと普通に出てくるので結構ちゃんと研究されてました。 …なんで扱わないのかは、よくわかりません、経歴として書かれてなくても私が特に動じないのは本当に慣れたからだよ、なんで省かれるのかもわからん…。 あと児童文学雑誌である『赤い鳥』への評価がどん底打ってるのは界隈の人が鼻で笑ってるのしか見たことがないという素直な理由の上、編集者である小島政次郎がほとんど編集をやっているが原稿が送られてこず、しまいにゃまとめて代作していたらしくて。 褒めてる人がいたら考え直します、一石を投じた程度の話は聞くんだけど…。 志賀直哉。12月9日。 明治16年2月20日生まれ、昭和46年没の享年88歳、さすがに栄養状態がいいね! みたいなことを言われてましたが、白樺確かに長生き多いよな…。 Wiki辞書のページに「多くの作家に影響を与えた」ということが書かれていたんですが、やっぱり『暗夜行路』に関してなのかなぁ、確かにいわゆる純文学と言われた作家のとある世代までのかなりの人数がよく似た父子関係ものの作品を書いていたようです、大正8年の作品集をたまたま読んだんですけど見分けることすら辛かったし…。 ただそれが志賀直哉の影響かというと…。 確かに志賀氏の属した白樺の登場と似たような時期からあるみたいです(自然主義の最盛期にはまだない、その直後くらいになる)、が、白樺が世に影響を与えたということは同時代にはほぼ言われておらず自然主義作家まで込みで書いてるテーマが「志賀直哉の影響」かと言われるとだいぶ疑わしいような気が…。 とはいえ、志賀氏にとって父子間の価値観の断絶は後追いなどではなく、当人の生まれに非常に相応しいことを否定するつもりもないですし。 暗夜行路がその父子路線の最後の生き残りなんじゃないかって言われるのだとしたら単純に物理的に事実じゃないかと思うんですよね。 同時代を見ていると葛西善蔵と菊池寛を彼の系譜の人物としていたりしますね、研究者が取り上げていたんですが、これ、人間興味(ヒューマンインタレスト)の短編のことを指すんじゃないのかなぁ…。 あの二人を取り上げて純文学のメインストリームって結論に持ってくのはなんかちょっと、と思いながら読んでました、あまりにもなにもかもしっくりこない…。 高村光太郎。12月10日。 明治16年3月13日生まれ、昭和31年没の73歳、Wiki辞書のページには「日本文学報国会」までしか書いてないんですが、確か大政翼賛会にも参加してなかったっけか、武者さん辺りと一緒だったような…。 (文学報国会は特に問題がなく、大政翼賛会だと公職追放を受けるという話なので、そこそこちゃんと読んだし、年齢的にも立場的にも他の人と取り違えにくいんだけど。) あー、そろそろそういう世代がぽつぽつ混ざって来る頃か。 ところでお父さんの光雲さんが東京美術学校を岡倉天心に連座して辞めさせられたことなんかは特に触れてないみたいですね、まあ、光雲さんのほうから読めば多分読めるんじゃないかと思うけど、略す意味がわからんし。 にゃ、鴎外さんと距離があるって言われてまして、いや、特に理由はない、だが露骨に避けていないかなどと言われているのですが、その説明として鴎外さんがその東京美術学校に特に呼ばれた人だってのは普通にあってよさそうなものなんだけどねー。 『明星』の参加者であって画家さん兼ね、彫刻も出来ます、お父さんは皇室献上作品とかあります、美術の教科書で見たよあの猿の木彫り、すごかった! ついでにお父さんは完全に無学であくまで木彫り職人さん、岡倉天心さんに一本釣りされて東京美術学校に赴いたので、彼がいないなら意味はなかったのかもね、てか、純粋な職人が教師としてあり続けたら日本の芸術も違う道があったのかもなぁ。 にゃ、岡倉天心さんは東京美術学校のパトロンの政府高官の奥さんをちょっくら寝取っちゃってたので、まあうん、辞職も、ちょっと。 普通智恵子さんを中心に語る気がする、まあいいか。 北原白秋。12月11日。 明治18年1月25日生まれの昭和17年没の享年57歳、あー、戦時中に亡くなっていたのか、この人が国家主義的な作品をわりと多く作っていたのはわりと知られてると思うんですが(ちょくちょく同時代を見てると書かれてるので)、なんか、抵抗していたっていう書き方をされていることもあるんですが。 各種あった戦時組織に参加していなかったのは事実。 とはいえ、近いジャンルの編集者(児童系)には国家主義的でばんばん出版していて羨ましいって言われてたりもするしなぁ、当時はデリケートなんだよな…。 えーと、あ、この人は予科なのか、当時の私大は中学校を卒業している必要があるのでそれ以外だと予科になるみたい、早稲田出身、とはいえ早稲田にはまだそんなに詩人の拠点はなかったのかな、Wiki辞書のページにある新詩社ってのはえーと、与謝野鉄幹を中心にした組織か、『明星』の系譜ってことかな。 ここが何度か分離解体されてるから詩人は話がややこしいことになるんだよな…。 むしろ白秋さんの出していた詩の同人誌によって荻原朔太郎や室生犀星などを輩出しているようなことはあるものの、詩壇の牽引者かっていうとちょっと違う雰囲気。 で、どうも童謡のほうで有名みたいなんですよねこの人、契機となるのは『赤い鳥』という児童文学の雑誌からになるのかな。 童謡運動という日本の本来の音調を復活させようみたいな活動があったんだよ、と語られている本で読んだんですが、実際には西洋の音楽である唱歌寄りが多かったって言われてたなぁ、まあまあ徐々にそれらしくなりもしたぽいけどねー。 同じ本で見たレコード時代の寵児って話に関しても読みたいなぁいずれ。 中里介山。12月12日。 明治18年4月4日生まれの昭和19年没で享年49歳、戦時組織で見たことないな、と思っていたんですが、日本文学報国会の立ち上げの時点で呼ばれてますね。 えーとね、大衆作家に関してはあまり戦時組織にいなかったんですが、「大衆文学が生まれるよりも前の時代の大衆作家分類の人」や幾人かのインテリ作家などは戦時組織に呼ばれていたので、介山さんも呼ばれてはいるかなとは思ってました。 大衆作家が独自に作った戦時組織なんか報国会に潰されてたからなぁ…。 (何個か潰されてます、どういう意図で潰されたのかはわからんけどね。) この人に関しては多分「大菩薩峠」しか知られていないんじゃないかと思うんですけども、文学とか興味ない人でもなんか聞いたことはある、みたいなことが多いんじゃないかしら、なにしろ都新聞、大阪毎日、東京日日、隣人之友、国民新聞、読売新聞って並んでいるので、一作品しか知られてないのも無理はないんですよね。 なにしろ昭和16年まで書いてるって言うんだから、晩年じゃん…。 というか戦時中なので、チャンバラを書き続けられないという事情もあったんじゃないかと思うんで、本当に一筋だよなぁ。 にゃ、何作品か他に書いてるぽいですけどね、始まったのが大正2年、大正10年に連載中断、春秋社に引き上げられて連載再開、それが大阪毎日以降でこれが昭和2年。 うん、さすがに「どこかで聞いたことはある」になるよ、純粋にめちゃくちゃ長いし作品の変遷だけでだいぶドラマチックだよな…。 でももともと社会運動家でどっちかというと小説書ける? と都新聞でも心配されてたの記憶してるな、正直意外な人生だったんだろうな。 武者小路実篤。12月13日。 明治18年5月12日生まれの昭和51年没、享年90歳! 白樺は皆長生き!! 西園寺公望に関しての文章で見ることがあったんですが、彼の武者小路家は「五摂家の次」の身分ぽいんですが、それがなんのことを示すのかがよくわかりません、西園寺と同格で残っているのは近衛のみ、まあ、親類みたいなもんだよね、みたいにシャキシャキ語られていたのでなんらかの元があることは疑っていないんだけどね! てかあれ、貴族院議員やってたんだ? 初めて読んだなこれ。 作家としての評価してはなんというか、あんまり見たことがない人です、誰がいつ語っててもなんか微妙に他の話になってるんだよね、「新しい村」をまず褒めたり、政治関係の本では特に手放しで褒められていたりと、正直ちょっとこう、編集者寄りの出版社の本などでは名前を見る人に近い雰囲気を感じないでもないかも。 いまいち立ち位置がわからなかったんですが、どうも通俗小説の走りの一人っぽいんだよね、これ以前はいわゆる家庭小説って言われるジャンルしかないので(これはいわゆる婦人教育のためにあるみたい、テーマは妾問題か非嫡子について)、が、白樺派はなんだか純文学の牙城のように語られていることが多く、微妙に浮いた存在に…。 演劇においても新劇と新派の間みたいな位置ぽいんだよね…。 (新派から来て、新劇を名乗り、新派に戻った人が主に武者さんを扱っていたので、本当に隙間というか間というか…。) 結果的に文学的評価はなさそうなんですが、ぐたぐたでも黎明期の橋渡しをいわゆるガチな貴族階級の人が担ったのはそんなに筋の悪い話でもないよなぁ。 同時代をちゃんと再現しないといまいち埒が明かない気もしないでもない。 若山牧水。12月14日。 明治18年8月24日生まれ、昭和3年没で享年43歳、てか、昭和初期の前後の文士の死亡者多いなぁ、ぶっちゃけ享年が40代くらいだと普通扱いよね日本…、アメリカだと夭逝夭逝言われてたら47歳で日本式に慣れててびっくりしたんだよなぁ。 あれ、白秋さんと同級生なのは知ってたけど、牧水さんのほうは中学校を卒業してから早稲田大学の高等予科に入ってる、それが正規ルートでいいのかしら…?(中学校を出ていない他の人が試験を受けて入学したみたいなことも聞いたことがある) で、多分そうじゃないかと思っていたんですが、22歳から26歳までを付き合っていた女性との恋愛というか、失恋による作品で名前を売っていたんだね…。 メインが短歌ということは扱ってるのは伊藤佐千夫門下かしら、経歴に北原白秋や石川啄木の名前が出てくるものの『明星』などに近づいたような話はないのね、鴎外さんの観月楼なんかとも無縁。 短歌オンリーではないみたいだし、その気ならいくらでもツテはあったんじゃないかと思うので、多分きっちりと考えた上でなんじゃないかな。 まあ、伊藤佐千夫などを避けたのはわりと普通にわかるけどねー、内部分裂もだけど些か物騒な感じだったので…(一人などガチめの愛国主義に走ってしまい)。 熱愛で知られ、その数年後に奥さんから強烈なアタックを受け、主流派閥に近づかずに新人のために雑誌を立ち上げ、雑誌の資金難で奥さんともども苦労した人生、みたいな感じになるんじゃないかな、家族で食べてく程度には知名度ありそうだしな…。 お酒飲むくらいしか欠点なさそうだけど、遺体が腐らなかったことしか書いてないな。 てか、白秋さんとは真逆な感じかもなぁ、あちらは拠点がない。 石川啄木。12月15日。 明治19年2月20日生まれの、享年26歳、むしろ経歴見てるとこの若さでこんなに?! となりますね…、わあ、明治45年って明治最後の年の没か…。 あと、土岐哀果さんってやっぱり牧水さんのWiki辞書のページに出てきていた同級生の土岐善麿さんのことか(白秋さんも同級生であと3人ほど著名人がいるぽい)、晩年1年の付き合いってあるけど、結構いい出会いだったらしくてちょくちょく見るんだけど、土岐さんが啄木氏との死後もしばらく同じ仕事を続けていたからかもね。 まあ、新聞社に入ったり出たり、名前が売れても特にそれで食べれたりはしなかったり、そのため原稿枚数が多い小説家を目指したりと、なんとも忙しない人生なんですが、まあ、26歳までの行動って考えると仕方ない面もあるのかなぁこれ…。 当人の事情ではなさそうな結婚の早さなのに、周囲はインテリ揃いというか、牧水さんの「結婚前の恋愛」がちょうど26歳までの間なんですよね…。 責任感持てって言われても限界があるよなぁ正直。 ある意味で彼が社会主義者と同調したのが他の作家たちとちょっと調子が違い、大逆事件に関しても唯一言及が取り上げられていたりするのも、視点の違いみたいなものがあるのかもしれないな、友が皆、我より偉く見え…そうだよね。 都会で生きる若者なら、そこそこの仕事で野放図のお金の使い方で多分全く問題のない、若気の至りで済んでいたんじゃなかろうか、そういう人と、縁遠いわけでもなんでもなく、むしろ自分のほうが名前が知られている状態か…。 別に無軌道が理解出来ないってほどのこともないよなぁ、ううん。 都会に出てくるに相応しいだけの能力がなければまだしもだったのかしら…。 谷崎潤一郎。12月16日。 明治19年7月24日生まれのほどほどに長生きです(投げ)。 とりあえず純文学作家と大衆作家との収入の違いを語る時には純文学作家代表(もう一人は横光利一)として挙げられており、戦時中に「なんかいいもん食わせて」と中央公論の若社長に頼んだら玉子焼きしか…みたいなことになった時は他の社にいた小林秀雄氏にめっちゃ怒られてたとかまあまあなんか偉い立場ぽいです。 とはいえ、菊池寛とか出入りの店に食糧差し入れしてたし…。 大衆作家との収入比はなんか10対1くらいだったんじゃないかと、でもあちらは一作品で家建つよん、みたいな雰囲気だったので、別に桁が一つ足りないだけなら十分なんじゃないのかしら…。 ところで純文学においては生活が荒れているほうが勝ちだみたいな価値観があるらしく、文士村を読んでいる時に大変に閉口させられたんですが、また少し違ったの判断基準として「この男はロリコン、こないだ確定した、こいつはフェティシズム、この彼はストーカー気質…」みたいなものがあるらしく。 この偏執的性質のために社会生活はちょっとばっかり犠牲になってはいるんだけど、それで作品がいい出来なら仕方ないよね! みたいなことを言われると、それはそうね、とごく自然に頷ける気もします、ちなみに全員元がおり、フェティシズムに該当するのが谷崎氏です、谷崎だけ表立って偏執狂と呼んでも差し支えないらしく。 そうかそれで、それなりの地位と売れ行きがあったのね、とそこも納得です。 自分の気質が迷惑なんだろうなとそこはかとなく自覚していそうだけど踏みとどまれてなさそうなところも、まあ悪くはないです、芸術のためってやつね。 (文芸:文アル登場作家、その4。211) 雑記:文或と近代もろもろ、212 雑記:文或と近代もろもろ、210 雑記:文或と近代もろもろ、208 雑記:文或と近代もろもろ、207 雑記:文或と近代もろもろ、206 雑記:文或と近代もろもろ、205 雑記:文或と近代もろもろ、204 雑記:文或と近代もろもろ、203 雑記:文或と近代もろもろ、202 雑記:文或と近代もろもろ、201 雑記:文或と近代もろもろ、200 雑記:文或と近代もろもろ、199 雑記:文或と近代もろもろ、198 雑記:文或と近代もろもろ、196 雑記:文或と近代もろもろ、194 雑記:文或と近代もろもろ、192 雑記:文或と近代もろもろ、189 雑記:文或と近代もろもろ、188 雑記:文或と近代もろもろ、187 雑記:文或と近代もろもろ、185 雑記:文或と近代もろもろ、184 雑記:文或と近代もろもろ、183 雑記:文或と近代もろもろ、182 雑記:文或と近代もろもろ、180 雑記:文或と近代もろもろ、179 雑記:文或と近代もろもろ、178 雑記:文或と近代もろもろ、176 雑記:文或と近代もろもろ、175 雑記:文或と近代もろもろ、174 雑記:文或と近代もろもろ、173 雑記:文或と近代もろもろ、172 雑記:文或と近代もろもろ、171 雑記:文或と近代もろもろ、170 雑記:文或と近代もろもろ、169 雑記:文或と近代もろもろ、168 雑記:文或と近代もろもろ、167 雑記:文或と近代もろもろ、166 雑記:文或と近代もろもろ、165 雑記:文或と近代もろもろ、164 雑記:文或と近代もろもろ、163 雑記:文或と近代もろもろ、162 雑記:文或と近代もろもろ、161 雑記:文或と近代もろもろ、160 雑記:文或と近代もろもろ、159 雑記:文或と近代もろもろ、158 雑記:文或と近代もろもろ、157 雑記:文或と近代もろもろ、156 雑記:文或と近代もろもろ、155 雑記:文或と近代もろもろ、154 雑記:文或と近代もろもろ、153 雑記:文或と近代もろもろ、152 雑記:文或と近代もろもろ、151 雑記:文或と近代もろもろ、150 雑記:文或と近代もろもろ、149 雑記:文或と近代もろもろ、148 雑記:文或と近代もろもろ、147 雑記:文或と近代もろもろ、146 雑記:文或と近代もろもろ、145 雑記:文或と近代もろもろ、144 雑記:文或と近代もろもろ、143 雑記:文或と近代もろもろ、142 雑記:文或と近代もろもろ、141 雑記:文或と近代もろもろ、140 雑学:近代有力め新聞社10社、181 雑学:近代小説掲載雑誌覚え書、186 雑学:明治の歌舞伎事情、195 雑学:明治の新聞発展事情、177 雑学:文士経営者寄り10人、190 雑学:お江戸の歌舞伎事情。197 文芸:文アル登場作家、その4。211 文芸:文アル登場作家、その3。209 文芸:文アル登場作家、その2。193
https://w.atwiki.jp/2shiki/pages/174.html
ちょう(超/ちょー) [関連語] →程度表現、意義の形骸化 <語義> とても、すごく。甚だしい、すごい、とてつもない。 <経緯> 静岡方言などが起源であるらしい。漢語・術語においてはかねてより使用されていた。 <語法> <使用場面> <実態> 〔2007.Wikipediaより〕超(チョー)(超)【接頭辞】本来の意味に近い表現。名詞の後に付けることで「かなり」「本当に」の意を表わすが、従来と異なるのは「普通をはるかに超えた、尋常でなく」の意味を持たない使い方。(超・チョー)【副詞】(名詞・動詞・形容動詞の後に付けて)「とても」の意を強調するが、場合によってはこの限りではない。 〔2007.東京〕そろそろやや古くも感じられる。 〔corpusWWW070713〕超 418,000,000 名前 コメント すべてのコメントを見る 追記欄 上記WIKIでは「後につけて」とあるが、言語学的にはこれを「前」をいうことが一般的。日本語における「後」「前」は、なるほど両方を指しうるという点で難しい。文が線状性をもつ時間軸にそって成るものとして「前」を使用するのが普通と思ったが、自分の体を軸に文の進む方向に向くと、確かに「後ろ」になる。
https://w.atwiki.jp/2shiki/pages/180.html
ちょくでん・ちょくめ(直電・直メ) 名詞 [関連語] →直、直アド、出会い系サイト <語義> ①(出会い系サイトなどで、直接連絡の取れる)電話番号、メールアドレス。直アド。 ②他を経由せず、個人携帯電話などにより直接電話またはメールをすること。 <経緯> <語法> <使用場面> <実態> 〔2007.Wikipediaより〕直電・直メ【名詞】直電話・直メールの略。直接電話やメールをすること。これも、もともとは出会い系用語。 〔corpusWWW070717〕直電167,000 直メ583,000 ともに出会い系サイトばかりヒット。 電話ください。09017330226 -- (なな) 2010-06-21 13 12 39 電話くださいね。非通知はごめんなさい。09017330226 -- (なな) 2010-09-01 11 37 13 出産費用がなくて困ってます 支援してくれる人がいたらTELしてください 支援してくれるなら出来る事ならなんでもします 09028386759 -- (亜美) 2013-02-06 22 25 36 支援します。その後も・・この欄に返信ください。 -- (名無しさん) 2015-12-04 19 36 15 支援します。その後も・・ -- (ひで) 2015-12-04 19 36 36 名前 コメント すべてのコメントを見る 追記欄 (項目を二つに分けるべきだったが、WIKIのまま従ってしまった。)
https://w.atwiki.jp/aosasa/pages/108.html
雑記:文アルとか近代芸術、119 5月23日めも。 29日、30日分だけを先に書いて、あとからぽちぽちと打ち込んでいます、そういや文アルの有島さん来てくれたんで、もう良かったよ、今回は本気でこう、4000でひたすら回すか! という作戦だったんですけども途中で変えて、400で回して4時間越えが来たら栞ー(今回は銀の栞で来たよー、金の栞も2枚使ったけどな!)、みたいな方針でやってみたら上手くいきました。 4000だとなんかこう、わりとぽんぽん来るからな、4時間越え。 今後はこの方針で行こうかしら、それとも今までのようにあくまで一日二回の任務消化のペースを守ったほうがいいかなぁ、まあ適宜、うん適当に。 で、わりと安心して白樺イベントの『学問のススメ』の回想を見ていたんですが、なんかこう、あんまり内容がない気が、する。 上手く言えないんだけども今までの学ススってなんというかかつての自分の立場を比較的前面に出してくるような話が少なくないんだよね、いわゆる元ネタが中心で作られていたというか。 そういう意味では文士としての元ネタとしての情報が少ない。 今までは「影」の自分とも交流したりしていない、それがまあ、非常にあっさりと顔を突き合わせるし話も聞きだしているし、それに関して本の中の影が一体どういうことなのか、と考え込んでいたりもする。 今回は互いに自我があり、似てる、もしくは同一の存在だ、と語ったりする。 ただ、これって要するにかつての自分を特に違和感なく受け入れることが出来るってことなのかな、今のところ白樺だけがそれが可能ってことだと、面白くはあるよね? 5月24日めも。 この日付の頃には学ススの白樺篇をやってたよー、の話。 最初がなんだっけ、チーム北原一門で、この人たちは実際に弟子でも師匠でもないってわりと当人たちが認めてるんだよね、とはいえ、ぶっちゃけて住み込みの内弟子なんていう存在は時代と共に消えていくのであとの時代からすると十分に弟子としての条件を満たしているとも言えなくもないけど。 まあとにかく、実際には違うんだけど白秋さんが可愛い二人って言い切ってる。 で、なんか面白そうに学内を散策してるっていうそういうストーリー。 友人が学校好きじゃなかったからか、楽しそうだったなぁ、その辺は明言してるのかしら、犀星と朔ちゃんは。 まあそのベクトルは真逆なんだけどねー、ただ、言ってなくてもまあ想像は…朔ちゃんだと周囲に馴染めなくて死ぬ思いはするよね。 犀星の家はかなり特殊だったからそりゃ学校行きたかったろうな…。 このチーム…、そういや白秋さんはかなり社会的地位が高かった割りには学生なんだっけか、武者さんの時も違和感あったんですけども、よく考えたらあの時点でそうだっけ、そういや白秋さんってなんか腕章みたいなのしてた気がする、確認、いや確認しやすくなったんだっけ今見てくる。 腕章と、あ、気づかなかった金バッチもしてる?! 無頼派だとオダサクが学生服で、太宰と安吾がスーツで、なんだろうねこれって話してたんだよね、結構本格的に社会的地位っぽいな、残りの面子どうなるのかしら…あとどこが残ってるっけか。 5月25日めも。 学ススの、白樺篇「舞」をやってたよ、ところでこのサブタイトルなんですかね一体、あと、えーと、学ススって今回で3回目ってことで良かったんだっけ、あと、あ、自然主義の回が存在して、そこではこう、かつての自然主義らがそれ以前の文壇に対してどう振舞っていたのか、ということがキャラとのオーバーラップで語られていたんだっけ、そこでは学校は学校ではなく、世に認められる前の文壇の比喩になっていたのか。 というか、これってひょっとして完全に毎回違うんだ? 北原一門の時には学校は「かつての学校」以上の意味はほとんどなく。 自然主義の時には学校を舞台にしていてもそこは紅露時代の暗喩となっていて、なんとなくそれが影たちの会話からも察することが出来る。 かつてどう考えていたのかも現在の視点で再構成されている。 が、白樺篇になるともう完全に「学校」はその世界が独立したものであって、そこの影とも交流が出来るようにもなっている。 その上で、改めて共通の部分があるようだね、と互いに認識している。 他のキャラに関しては別のイベントで衣装が来ている、ということはわりとこう、今衣装があるキャラは学ススという舞台は用意されないのかな? あるいは逆に、少しずつ文士たちが接触することによって存在が強くなってるのかなぁ、いや、そうでもないか、初期から生活してるっぽくはあったんだよな。 ただ、そうだとすると地味に垣間見える現実の年齢とは全く無関係の順列みたいなものは一体なんだろうね…。 武者さんが金バッチ付きで生徒会ってことは白秋さん、有島さんもそうなのかなぁ? 5月26日めも。 えーと、5月31日、あと3日分だけ文アルの学ススの白樺篇に触れたら寝ますー、いや別に内容がどうとかさっぱり考えてないけど、というか、「学校」ってこう、世に出ていない文士たちの成功していない文士の揺り籠の暗喩ってことでいいんだろうか、白秋さんやら武者さんなんかはどちらかというと庇護者としての関わり方っぽいんだよね、有島さんはそもそも外に職を持っていた。 (よく知らないんだけどね正直、編集者が学者として敬ってたからなー、まあそうなんだろうと思うそんなん嘘付いても仕方ないし、機会があって自然に出会ったら調べる方針なので調べてないことにはそんなに意味はないです。) で、この三人が腕章だの金バッチだのをしている。 腕章ってのは風紀委員っぽいかなー、あと保健委員ってのもあるか(見てわかるようになっててなんらかの采配を振るう必要のある部署ね)。 で、自然主義たちは新聞部だっけ、金バッチかな? と今独歩さんを見直していて一瞬思ったけど、こっちは赤と金っぽいね、とするとこれが新聞部なのかなー。 まあ、記者だったのは確か独歩さんだけだった気がするけど。 新聞記者経験がある文士ってのも、少なくはないはずなんだけど、新聞社に属してた人までは覚えてないです記者として知られてたまあまあわかるけど。 あ、そういや菊池さんも記者やってたっけか社会部。 そうそう、二葉亭四迷さんもやってたね、朝日新聞の記者、何部なんだろうあれ、政治関係扱ってたような気がするけど(多分社会部ではないよー)。 うん、多分直接の関係はないな、独歩さんに引き摺られてるのかな、他は。 5月27日めも。 現在31日の2時くらいです、わりと正直眠い。 ええと、現在がゲーム開始日から576日で2016年の11月1日に始まったとのことなので1年7ヵ月くらい? くらいっていうかかなり正確にそんな長さっぽいんですけども数え間違えてなければ、いや手で数えたので。 で、学ススを真剣に考えると童話組が来る可能性ならあるのかな…、あの辺は三人揃って制服、制服、どうなんだ初等部みたいな? ふと思い出したけど吉川さんどうなるんだろう一体。 あとあれだ、中島敦くん、一応認められてないってわけでもないのかそうでもないものか、ただこの人文士のコミュニティには全くいないんだよね、あー、いやでもそういう意味だと有島さんもその分類になるのかな。 いやただ、白樺には関わってるからなぁ。 白樺は一大コミュニティみたいなことになっているんだよね、ぶっちゃけ、純文学とも大衆文学とも認められてない人たちは菊池さんか白樺に身を寄せるか、最初からそこから出発してるみたいな様子なので。 まあ、認められようとあれこれ画策しているというところはあるので、学生服ってことになるのかなぁ、どうなんかなぁ、童話組たちはそもそもこう、名前残って良かったね的なレベルの、ジャンルの先駆者とそりが合わないと辛い的な。 なんというか、暗喩から考えるとわりと暗くなるので大人しく待って、来たら「そう来たかー」とだけ受け止めることにしよう、1年7ヵ月で学スス3回だし、そんなに頻繁には来ないだろう一回忘れてたりしないかな自信ないな!! 5月28日めも。 あと一日分で今2時19分です、さっき虫を潰したので手を洗いたい。 洗ってくればいいんだけどなにぶん5月の気候なのでだいぶ増えてましてあの。 そういや学ススに限らずこの文アルって大衆作家たちをどうするつもりなのかな、というのが前から地味に気になっているんですけども、あ、正史に組み込まれてる紅葉先生と露伴先生、菊池さんなんてのは別にいいです。 というかさすがに排除しきれなかったとも言うけど菊池さんは。 あと八雲さんもこれも便宜的にこっち入ってるだけだし、この人はいわゆる教授なのであんまり関係なく扱いはまあ容易に想像が付くんだけども。 時代作家代表格の吉川さんとか(日本で一番売れたシリーズじゃないかって、宮本武蔵、書く前から出版社が全く逆らえない風情の納税額第二位だったけどー)、探偵小説の代名詞だった乱歩さんとか。 なんかねー、「文豪」扱いじゃないんだと日本だと。 いや、通俗小説だの花柳界記事だのだったらいくら稼いでても省いてもいいんじゃないかと思うけど、欧米の分類だと大衆作家のこと「を」指すよね? いやだって文章で財産を成した人って意味だし、大衆に膾炙した作家って意味だし、純文学みたいな「全員まとめて俺のほうが稼ぐけど」と菊池さんにぺろっと言われる存在以外を指さないってちょっと意味がわかりにくいんですが。 そんなことはどうでもいいんだけど期待してないから、ただ、どうするのかなって文アルさんは、まあ、出版社からは下にも置かれない風情で平伏されてるけどなんかの暗喩で学生にするというのもありだと思う上記の歪みは事実だ、さあ、どうするのかな? 5月29日めも。 どういうわけだかWikiのデータを編集していたところ、下から数日分が虫食いになりまして…それを修正していたらさらに2日分消されました心底ぞっとしてるんだけど、一体これはなんなんだろう…。 このWiki、なんか独特のルールがあるようで、修正を全く受け付けないとかよくあるんだよな…。 今、データを差し替えてやってるんですが、今後使い続けてて大丈夫なのかなぁ。 (名前を変えられないのとか、一旦作った記事を削除すると他所のページに残り続けるとかいろいろあります、修正の痕跡を残そうとしてるってことなのか、しかし管理者権限でもなんともならないんだよなこれが…。) (もともとはデータ保存用に使おうと思っていたんだけど、不可能っぽいので今はもう完全に雑記のみになってます、一旦完成したデータを移す分にはそんなに困らないけど、何回も手を入れようとするとその段階で虫食いだのなんだの起こる、うう怖い。) というか、日記的に毎日書いて更新というのも許されないというのがよくわかりました、これ、本気でどうしようかなぁ…。 毎回完全に取り出して丸っと入れ替えでなんとかなるものなのかしら。 そこまでして使い続ける意味があるのかというと、引っ越しが面倒なんですよね、他所から移るのは一瞬だったんだけどね、まあ、なんというか、無料だからな…。 その後、なんかしらの変更があったのかもしれませんがされていない可能性のほうが高いかなと思います、今後もただ雑記のためだけに使います。 もうちょっと精度高い情報とかどこでやろうかな…。 5月30日めも。 この日付は書いていたんですが、なに書いてたんだかさっぱり思い出せないので新しく書いています、ただ、それがきちんと受け付けてくれて更新出来るのかどうかとかはわりと未知数です。 元データをいつも手元に残さずにコピーしてしまっているんですが、手元に残したほうがどうにも良さそうなので…と言っても雑記ってそんなに残しておく価値があるものでもないからなぁ。 ここ数日分とかもうWikiの愚痴しか書いてないしね。 あと、このメモ帳も定期的に落ちるのでこっちがおかしくなって文章が消える可能性もあるんだよな、前の雑記に延々とその辺が載ってたりしますね。 この日付のところまで書いたら5月31日分がすでにあるのでそこではなんか少しアニメの話してるので、6月1日でその続きでも書けばいいのかとかそういうところから迷っています。 というか、この消され方をしたのが初めてなので正直なところ動揺しています。 なんで消されたのかも全くわからないからな。 長さで駄目になったのかと思ったけど、更新するたびにがりがりと文章の端からどんどん消されていったという点を考えるとどうも違いそうです。 なにそのリアル浸食って今ちょっと思ってる…。 ところで現在は6月7日の1時くらい、これ書いたら正直なところ寝たいです、こんな中身のないやつなんか書いてもなんの意味があるの! と真剣に思わないでもないんだけども、なんかこう、行きがかりというか気持ちが悪いというか。 5月31日めも。 なんか今Wikiに打ち込んだデータがざっくりと消されたところです、文字数なんかは多分問題ないと思うんだけど(普段もっと長いから)、なんでそんなことが起こったのかわからないんだけど、なんか謎の理由で怒り始めるところだから正直怖いな。 なんかの禁則文字でも使っちゃったんだろうかと思わないでもないものの、打ち込んでるのがただのメモ帳なので、そもそもそんなもの打たないしなぁ。 また消されると怖いので元データ残して一旦移すか。 いや、私の側がミスしたんだと思い込んで消しちゃったんだよね一回。 現在は6月7日、文アルでプロレタリア系のイベントをやっていて、とうらぶでなんだっけ玉集めをしていて、fgoはよくわからないです、結構頻繁にわからなくなる。 あとあれ、さっきまで動画サイトのGyaoさんのところで銀英伝のプロモーションみたいな番組と『東京喰種』のアニメの一番新しいシリーズのを見てました、というか、旧作2作がまとめて見れた時期があったのってこのシリーズのためだったのね。 あとあれ、ウテナを見終わったのでちまちまと書いていた分が消されたんだよなぁ、ううん、なんかの理由で文章消えることがあるんだけど、同じ題材が消されるみたいな嫌な感じなんだよね。 文アルの志賀さんなんかもそうで、表現を延々と変え続けていたら書けるようになったよ、みたいなことになりました、たまにあるんだ、あれはなんだろうね一体。 というかあれだ、アニメとかラノベってあんまり幼い頃には親しいものじゃなかったんだよね、みたいなこと書いてたんだよね。 多分、学友と共有してたのが文学だったからじゃないかと…変わったよな世相。 6月1日めも。 一旦書いた数日分が消されたので、急遽でっち上げているところです、の最終日、念のために普段よりも保存を多めに行っております。 そして実際のところ、愚痴が終わってしまうと特に書くことが思い浮かばなくなってしまったんですが、そういや最初に書いていた雑記だとラノベよりも論文のほうが年齢的に先に読めるようになったんだよね、的な。 なんか一人称の今のラノベ作品上手く読めなかったんですよね私。 中学校の時に読んでいたのが新・平家物語とか(吉川さんの)、山村美紗とかだったんで、その趣味の方向性はともかく、知能には多分問題なかったと思うんですが、あと、ジュブナイルふうの今のラノベよりも前の作品なんかだと読めるんだよね。 ラノベの中でも昔から読めた作品も多分一部あるかなと思います。 結局読めるようになったのが成人の辺りで、そうなるともう、なんかしらの理由で読んだ論文のほうが先っていう。 論文はあれ、周辺を5冊くらい読んでればそんなに難しいもんじゃないです。 ラノベが読めなかった人間が言って説得力あるかどうかはわからんけど。 というか私、特撮もアニメも自分の意思で見始めたのって成人近く、だいたい18歳を超えてからくらいなんですよね、漫画は読んでます、親が与えてきたので、ゲームもやってます、親が買ってくれたので。 ただ、特にクリアしたとかずっと読み続けたとか、あんまり記憶がなくて、その時点で揃ってたら満足というか、完結することに興味がなかったかも。 今も手間があるようなら別に、て感じですね、手間がなければ見るけど。 (文アルとか近代芸術、119) 雑記:文アルとか近代芸術、139 雑記:文アルとか近代芸術、138 雑記:文アルとか近代芸術、137 雑記:文アルとか近代芸術、136 雑記:文アルとか近代芸術、135 雑記:文アルとか近代芸術、134 雑記:文アルとか近代芸術、133 雑記:文アルとか近代芸術、132 雑記:文アルとか近代芸術、131 雑記:文アルとか近代芸術、130 雑記:文アルとか近代芸術、129 雑記:文アルとか近代芸術、128 雑記:文アルとか近代芸術、127 雑記:文アルとか近代芸術、126 雑記:文アルとか近代芸術、125 雑記:文アルとか近代芸術、124 雑記:文アルとか近代芸術、123 雑記:文アルとか近代芸術、122 雑記:文アルとか近代芸術、121 雑記:文アルとか近代芸術、120 雑記:文アルとか近代芸術、119 雑記:文アルとか近代芸術、118 雑記:文アルとか近代芸術、117 雑記:文アルとか近代芸術、116 雑記:文アルとか近代芸術、115 雑記:文アルとか近代芸術、114 雑記:文アルとか近代芸術、113 雑記:文アルとか近代芸術、112 雑記:文アルとか近代芸術、111 雑記:文アルとか近代芸術、110 雑記:文アルとか近代芸術、109 雑記:文アルとか近代芸術、108 雑記:文アルとか近代芸術、107 雑記:文アルとか近代芸術、106 雑記:文アルとか近代芸術、105 雑記:文アルとか近代芸術、104
https://w.atwiki.jp/wahuwahu/
{**PSO2チーム『ひだまりの月猫』 お知らせ チームブログを新規作成中です。情報の類も、そちらに載せていこうと思います。しばしお待ちを・・・(ユウ) チームのマスコット(暫定)の月猫ちゃん!
https://w.atwiki.jp/heartren/pages/4.html
http //www.wazapon.net/
https://w.atwiki.jp/scriptdesign/
スクリプトデザインはまだ発展途上の理論であり、 流動的なものである。 しかしながら、関連する様々なテーゼは、 徐々に、揃いつつある。 このWIKIにおいて、 それらのテーゼの体系化を試みる。 みなさまの、積極的な参加を、つとに、期待している。 スクリプトデザインとは?という方は、 以下を参照されたし。 http //mixi.jp/view_diary.pl?id=1446502121 owner_id=21231238
https://w.atwiki.jp/auc-pcdata/
お願い【当wikiを利用する方へ】 ウィキはみんなで気軽にホームページ編集できるツールです。 このページは基本的に自由に編集することができます。 基本的に「英雄クロニクル」をプレイしている方々が編集できますが、プレイヤーでない方も閲覧できます。 当wikiの目的 英雄クロニクルでプレイヤーたちによって作られた多種多様、十人十色のユニット性能。―――そのキャラ名、取得スキル、特殊能力などを網羅していくことを目標としています。 wikiの編集に困ったらまずはこちらをご覧ください。 @wikiの基本操作 用途別のオススメ機能紹介 @wikiの設定/管理 分からないことは? @wiki ご利用ガイド よくある質問 無料で会員登録できるSNS内の@wiki助け合いコミュニティ @wiki更新情報 @wikiへのお問合せフォーム等をご活用ください @wiki助け合いコミュニティの掲示板スレッド一覧 #atfb_bbs_list バグ・不具合を見つけたら? 要望がある場合は? お手数ですが、メールでお問い合わせください。
https://w.atwiki.jp/aosasa/pages/187.html
雑記:文或と近代もろもろ、183 3月2日めも。 リアルタイムは11月25日、さっき日付けを超えたところです、寒いです、なんというか相変わらず眠いです、なんの眠気なんだろうこれ…。 えーと、今やってたのはあれか、新聞社10社の残り3社分か。 どこだっけ、日本新聞、都新聞、報知新聞、でいいんだよな、ところどころ「新報」なんだか新聞なんだか迷うことがあるんだよなー。 あとそういや、書きあがるまでにタイトル決めておかないとならないんだな。 てか『日本』ってあれ、保守愛国系の新聞なんですけども(変なとこじゃないよ、ぶっちゃけ同系列の雑誌とかたまに筆禍受けてたし、歴史捻じ曲げにも参加しないし、民俗学の学者にも紙面を提供するし)、まああれ、陸羯南さんが病気になりますやん。 んで立憲政友党の支援を受ける新聞になったとか…。 えええ、立憲政友党ってわりと早い時期に解散してなかったっけ、と思ってちゃんと見てみたら違った、自由民権系じゃなかった、えっと、伊藤博文が作った与党だそうですよ、結党が明治33年。 んで、その陸さんからの引き受けが明治39年、昭和14年に分裂。 ていうか、新聞界隈ではあんまり見たことなかったけど、二大政党の一つだよね、立憲政友党、確か政友党って呼ばれてたはず。 でえーと、憲政会ってのがもう一角か、これが大正5年。 新聞成立の歴史の中で見ないわけだ、そして二大政党覚えられないよー、とか明治初期から読んでいた私も大概阿呆やな…。 一回でも検索すればわかったとは思うんだけど、やんないよななかなか。 3月3日めも。 今政党関係のリンクをぽちぽちと回ってる感じなんですが、二大政党の非メインのほうである憲政会のほうが尾崎行雄系と大隈系の合体とか言ってるわ、あ、いや、それは憲政会の前身である立憲同志会か。 これが大隈内閣の与党だったぽいよ。 てことは、本当に『日本』は本当に大隈さんとか敵対政党なのか。 にゃ、若干疑ってましたごめんなさい。 てか、明治39年以降に日本新聞(わかりにくいんだよねこの名前)の話を聞いた覚えがなかったけど、そんな時期から政党新聞になるってのもなんか珍しいなぁ。 大隈さんにラブコールしてる新聞はぽちぽちあったけど。 ていうか本当に不思議なんだけど、大隈内閣にめっちゃ肩入れしてても一切「御用新聞」って呼ばれることがないんですよね。 ただ、反骨とかそういう感じでも、ないような気がするんだけど大隈さん。 なんというか、リアリストというかエコノミックアニマルというか(懐かしい)。 こうやってだらだらと政党に関して触れているのは、いつもどうやっても頭に入って来ないので本を読む時に難儀しているため、特に苦痛なく自然に触れられそうな時にはなるべく突いて慣れておこうみたいな所存です。 なので別にあれはない、意図とか結論とか、 ところであれ、大隈さんじゃないほうの政友会が大政翼賛会に合流してるので、まあまあ本当に逆なんだなー、尾崎行雄もわりと評判がいい感じの政治家な気がする。 政府から敵対視されるってほどでもないけどねー、有能なのかな。 3月4日めも。 で、だらだらやってても仕方ないのでそろそろ行きます『日本』。 終わりました、適当に突っ込んだ、なんかがちゃがちゃした内容になったけど新聞がもともとがもともとそんな感じだったので気にしないで良さそう。 てか、Wiki辞書の記事見てたけど、廃刊したあとに存在してるんだかしてないんだかさっぱりわからないんだけども、確かに近い名前の新聞とか雑誌とかあったんだけど、あれって同じ系統だったのかー、え、これ、同じ系統?? みたいな感じに小首を傾げていました、雑誌の『日本』って総合雑誌のあれだよね? と思ったけどなんか週刊誌とか書いてあってやっぱり自信がない、そしてタイトルがこれだけ検索に掛かりにくい。 検索に引っ掛かって来たのは『月刊日本』で昭和2年、うーん、関係性その他がさっぱりわからない、よくわからなかったのでWiki辞書に押し付けられそうな範囲で適当に誤魔化してきました、あと、もう1社くらいやってもいいような気もするんだけど、日本新聞から都新聞に頭を切り替えられそうにないので寝ます。 だからと言って残った報知新聞が書けるかっていうと多分書けないけど、大隈さんが多分最初に買い取った新聞ですね、多分秘書(そう呼ばれてたので)が大隈さんに買ってよー、と頼んだので買われました。 買われたのちに「明治14年政変」がありましたので、特に明確な理由も目的もなく新聞社を買い、買ったのちに使えるなこれと認識したという、若干敵対者たちに魔王のごとく罵られても違和感はない趣きのことをしていた可能性があります。 だって軽い調子の秘書の台詞が本当に書いてあったんだもん! 私のせいじゃない。 3月5日めも。 リアルタイムは11月26日、寒いですー、布団乾燥機掛けたいなぁ…。 靴下も履いてしまいたいんだけども、いざ履くとすぐに脱いでしまうんだよね、まあそれでも脱ぐまでの間は楽なんだけど、あと忘れてたけどレンチンカイロを温めてくればいいんだな、どっちもこの行打ったらやろう。 うん、楽になった楽になった、いや我慢してたとかじゃなくて、とっとと寝てしまう予定だったんですけどね、書けそうな時には書いてしまわないと。 あとあれ、長いこと覚えられなかった「近代の二大政党」が大隈重信とそうじゃないのって把握出来そうです、その人でいいのかって思わないでもないんだけどざっと見た限り彼以外だと名前が出て来たり消えたりするので…。 やっぱり稀代の悪人みたいに扱われてるけど重要人物じゃないのかなぁ? まあ、本気で罵られてることがやたらと多いのでさすがに無視するつもりはないんですけども、どんなに間違ってるのかどんなにおかしいのかとか延々と。 時々物理法則に反していたりもするので、それは参考にしてないけど。 普段ならというか、本来私はその手の発言はあんまり気にしないんですけども、同時代にも罵られ、後世の研究者にも必死に非難されって感じなのでまあ一応。 あと、ぶっちゃけ賛美もあんまり聞いたことがないし、穏当な批判を聞いたことがほぼないんですよね、これがあれば多分上のやつは無視してたんだよな。 なにに怒ってるかからよくわからんからなぁ…。 穏当な批判があれば、オッケーオッケーその辺ね、で済むんだけど。 まあ人気は高かったみたいだけどねー、葬式とか政変とかラブコールとか。 3月6日めも。 そこそこ無理して打ち込みを始めたので『都新聞』に関してまとめてこようと思うんですけども、『日本』もそうだけど似た事情の新聞がないので思い出すのに時間が掛かるんですよねあと残ってる『報知新聞』も確かそんなだけど。 報知はエピソードが結構あるのでそれを思い返せばなんとか。 てかあれを書こうかなぁ、「菊池寛の連載を、連載をついに勝ち取ったよ!!」みたいな新聞告知出してたやつ、新聞コレクション系の人の本で読んだんですがぶっちゃけ時事新報が毎日新聞に合併される記事より大きくてびびりました…。 まあ、事情だなんだと書く量の違いだとも思うけどさー。 ウチだけなかなかって言ってたのってあれ、五大新聞ってことかしらね、時事新報には確かなんか書いてたような記憶薄いけど。 あと朝日新聞への連載、なんかあったなこれも薄っすらと記憶が。 国民新聞あったかしらこれは全く記憶にないので、もしかしたら五大新聞を指してないのかもしれないなー、あ、推測とかじゃないです当てずっぼです。 素人でもさすがに新聞連載ちゃんと調べてから推測するわよ。 私の手持ちの知識じゃ無理だなってだけ。 ただ、その案件は宇野浩二さんを含んだ若手を、弴ちゃんと共に引き連れて報知新聞と契約したよんみたいなところから始まるぽいので新聞10社まとめみたいなところで書くには小粒なのかしら。 なんとなく立ち位置みたいなものが垣間見えるって意味ではまとめられたらいいような気もするんだけどねー、斉藤緑雨さんの話みたく(これは二六新報)。 3月7日めも。 都新聞終了っと、てか、『警察新報』と一緒になっていた記憶があり、その後の面子を見ても東京日日系が多く、それなのに明確な資本関係がなく、だがしかし、都新聞から大阪毎日の社長になってる人までいるぞ! みたいなあれがいろいろ有益でした。 確かあの人、若葉会のパトロンだよな、渡辺台水(渡辺治)。 いやさすがに大阪毎日系で役者にコネがあって、となると記憶が薄くても多分問題ないと思うんだけど、もちろん確信はない!! あとあれ、伊原青々園さんて人がいるんですが、たまに見る演劇関係の人で、新派なのかなぁ? なんかあんまり個人と新派って結びついてないぽいんだよな、劇団なんかの単位だとわりとそう呼ばれてますけども。 見たことがはっきりしてるのが鏡花の舞台の脚本だったか演出だったか。 まあ鏡花だと新派だと思うけど。 前に見た時は逍遥さんの弟子って扱いだったけど、「親しい」って扱いぽいねー、あー、あと「日本演劇史」書いてる…、この立場の人なら読んでおくか。 てか、都新聞の前歴が『二六新報』か、どうなんだろう大衆新聞。 (大衆紙と呼ばれてることもあったけど、私の好みにより大衆新聞呼びで統一。) 打ち込んでる段階ですでに二六新報終わってるのでしれっと書いてるけど、このページよりも前に近代新聞10社の雑記が先に上がるとも限らないんだなぁ。 まあいいか別に、とりあえず情報収集に有益な一枚になってるかなってないかはともかく、私には実に身になりました、私に身になればまず最低限はありかな! なんだここ東京日日の関係者いるじゃん、とか去年の私じゃ無理だよな正直。 3月8日めも。 リアルタイムは11月29日、最近まただいぶ眠気が強くてね…、今日は夕方過ぎくらいに1時間半くらい寝たのでまだ元気、日付け越えたらなるべく早いこと寝よう。 てか、あと『報知新聞』だけなのにやたらと伸びたの痛かったな…。 さすがに終わらないと次の計画立てるのそんなに具体的にならないし。 この手の計画はその時点までで持っているものは出し尽くすセルフイメージ、項目立てる段階で「他に回す」みたいなのは大丈夫、書く時点では全部出し切るみたいなの。 そうしないと次に進まないんだよね。 頭の整理みたいな側面なのかしらね、まあ、私のやってることの性質上特にそうなのかもしれないけど(もともとは小説のノウハウかなんか、うろ覚え)。 うー、やっぱり眠い。 終わったー、てか、報知新聞は諸事情により評価が微妙だったんですが、なんか全体的にごった煮な感じで悪くなかったんですが。 なによりも気になるのがWiki辞書の「明治末から大正」にかけての最も発行部数が多いって言葉ですね、これ、乱歩さんが自身の著作で同じような日本一って表現してたんだけど、関東大震災にて他の新聞社が被災、その間に朝日新聞を超えたんですよー、ネタが元になっているようなので、どういうことだ同時代人って聞きたい気持ちがいっぱいになってしまい、まさかそれと同系統ではないかと目が死んでいるところです。 ただ、大衆新聞が落ちた時期が明治末くらいのはずなのでその時期から大正に掛かる程度ならあり得ないことでもないんだよな、どこを指しているかによる。 が、なんかそれにしては具体性がないんだよなぁ、て意味で保留。 3月9日めも。 てかせっかく終わったので次の真面目系な記事の計画を立てたいんですけども、なんだっけか、そうそう、総合雑誌と部数覇者雑誌だな、あとあれです、倶楽部系の最初の一つと(倶楽部系じゃない〇〇倶楽部もある)、ニッチ系となんとか一般認知に滑り込んだ文芸雑誌。 あとでまた文芸雑誌だけ集めてみるべきかしら? ただぶっちゃけ、情報がすかっすかなので気が進まないんですよね。 Wiki辞書って物によっては頼ってもいいんですけども、物によっては頼りたくないんだよなぁ、具体的に言うと「本がそもそも信用出来ない」ジャンルがちょっと…。 とはいえ、今の私ならどこを信用してどこを切り捨てるべきかある程度わかるから、一旦頼ってみてもいいのかなー。 それとあれ、これは誰が悪いわけでもないんだけど、全ての時代を埋めることは特に意識してないことがあるよねWiki辞書。 そもそも私も別に時代を網羅するつもりも特にないんですけど。 最初からそういう記事として書いてないしな? 一回やってみるかなぁ、なんだっけ、『新小説』だよなまず、それから『女学雑誌』、漢字に完全に自信がなかったんだけども、たまたま羽仁もと子さんのWiki辞書のページが開きっぱなしでそこに書いてありました、明治女学院、そこそこちゃんとした人が出てるんだよな…男の初期キリスト教関係者があんなに壊滅的なのになんでかしらね…(札幌農学校以降除く)。 明治女学院には資料的な意味でトラウマが、直視しにくいトラウマがね。 3月10日めも。 ええとあと、表記が相変わらずよくわからないけど『ホトトギス』、ここ何通りも表記あるよね面倒だからいつもカタカナにしちゃってるけど! あとえっとあれ、花袋が主幹やってたところどこだっけ…。 えーと、あれですね、『文章世界』。 それと倶楽部系(講談倶楽部が最初ってことになってるよ、なんというかハンコ判みたいな小説雑誌ね)よりも前の『文章倶楽部』、ここだっけたまに講談特集とかやってたところって、違ったかな? (講談専門の雑誌はなかったって話してた時に特集ならあったんだよねー、みたいなことは言ってたんだけど文章倶楽部で良かったかしら、自信ない。) んーとあれ、黒潮は記憶には残ってるちゃあ残ってるんだけど、さすがに弱いかな、他の雑誌よりはほんのちょっとだけ目立ってたって意味合いくらいはあるんだけど。 それから『婦人之友』、なんだったら新青年とか講談倶楽部はこっちでもいいんだけど、ジャンルから一つくらいは主要雑誌ってほうがいいかな、あ、あれか、『講談世界』! あれは作品がちまちま現代まで残ってて気になってたっていうか、講談倶楽部よりも作家の質はだいぶいいよね?! あと婦人雑誌のランキングに載ってたのなんだっけ、あ、そうか、『家の光』(農村部においてキングのシェアを越えていた雑誌)。 そうそう思い出した『婦人公論』、中央公論の妹雑誌ただし売り上げは上! えーと、どうしよ、婦人倶楽部にするか…『少年倶楽部』でいいか、婦人倶楽部もランキングに入ってたんだけどね(女性の職業別ランキング)。 3月11日めも。 雑誌に関してぽちぽち打ち込んでるうちに思い付いてたんだけど、近代劇場に関してまとめられそうならまとめておこうかな、あれだ、歌舞伎座とか帝国劇場みたいなやつ、メモ帳がないと今の時点でそれしか出て来ないけど、ぶっちゃけるとメモ帳しかソースがないのでさすがにどこかに写しておかないと不安で…。 単体で検索すればまあまあ出てくるんだけど、それがちゃんとまとまってないとなんともならないからなぁ、歌舞伎座と帝国劇場くらいならさすがに覚えてるけども、三座の中の新三座(本来の三座の代打)が作った近代式劇場の最初とか言われると出て来ない…。 守って付いてたような気が、みたいなレベル。 ただそこが歌舞伎座を作る元になっているのは記憶してるんだけども。 あとあれ、映画館になっちゃったところが何個かあったような…。 とはいえ10個ちゃんとあるかどうかはさっぱりわからないんだけども、変わりに上で触れた三座とか書いてったらいいのかしら。 風俗関係の決まりで三座にしか認可出てないぽいんですよね、中村座とかそういう感じの、で、そこが休業してる時に代打のところが存在してるというか。 んーと、あった、守田氏が作った新富座だ。 ここまではなんとか出て来たんだけども、これ以上がどうやっても思い出せないし、メモ帳見てもあと数個しかない可能性もあるからそしたら無理かもなぁ。 てか、歌舞伎座作った時点で四座同盟で歌舞伎座に対抗してたの知らんかった、新富座をコンバートしたみたいな話されてたんだもん! 演劇初期は劇場の話がメインだから書いておきたいんだけど。 (文或と近代もろもろ、183) 雑記:文或と近代もろもろ、212 雑記:文或と近代もろもろ、210 雑記:文或と近代もろもろ、208 雑記:文或と近代もろもろ、207 雑記:文或と近代もろもろ、206 雑記:文或と近代もろもろ、205 雑記:文或と近代もろもろ、204 雑記:文或と近代もろもろ、203 雑記:文或と近代もろもろ、202 雑記:文或と近代もろもろ、201 雑記:文或と近代もろもろ、200 雑記:文或と近代もろもろ、199 雑記:文或と近代もろもろ、198 雑記:文或と近代もろもろ、196 雑記:文或と近代もろもろ、194 雑記:文或と近代もろもろ、192 雑記:文或と近代もろもろ、189 雑記:文或と近代もろもろ、188 雑記:文或と近代もろもろ、187 雑記:文或と近代もろもろ、185 雑記:文或と近代もろもろ、184 雑記:文或と近代もろもろ、183 雑記:文或と近代もろもろ、182 雑記:文或と近代もろもろ、180 雑記:文或と近代もろもろ、179 雑記:文或と近代もろもろ、178 雑記:文或と近代もろもろ、176 雑記:文或と近代もろもろ、175 雑記:文或と近代もろもろ、174 雑記:文或と近代もろもろ、173 雑記:文或と近代もろもろ、172 雑記:文或と近代もろもろ、171 雑記:文或と近代もろもろ、170 雑記:文或と近代もろもろ、169 雑記:文或と近代もろもろ、168 雑記:文或と近代もろもろ、167 雑記:文或と近代もろもろ、166 雑記:文或と近代もろもろ、165 雑記:文或と近代もろもろ、164 雑記:文或と近代もろもろ、163 雑記:文或と近代もろもろ、162 雑記:文或と近代もろもろ、161 雑記:文或と近代もろもろ、160 雑記:文或と近代もろもろ、159 雑記:文或と近代もろもろ、158 雑記:文或と近代もろもろ、157 雑記:文或と近代もろもろ、156 雑記:文或と近代もろもろ、155 雑記:文或と近代もろもろ、154 雑記:文或と近代もろもろ、153 雑記:文或と近代もろもろ、152 雑記:文或と近代もろもろ、151 雑記:文或と近代もろもろ、150 雑記:文或と近代もろもろ、149 雑記:文或と近代もろもろ、148 雑記:文或と近代もろもろ、147 雑記:文或と近代もろもろ、146 雑記:文或と近代もろもろ、145 雑記:文或と近代もろもろ、144 雑記:文或と近代もろもろ、143 雑記:文或と近代もろもろ、142 雑記:文或と近代もろもろ、141 雑記:文或と近代もろもろ、140 雑学:近代有力め新聞社10社、181 雑学:近代小説掲載雑誌覚え書、186 雑学:明治の歌舞伎事情、195 雑学:明治の新聞発展事情、177 雑学:文士経営者寄り10人、190 雑学:お江戸の歌舞伎事情。197 文芸:文アル登場作家、その4。211 文芸:文アル登場作家、その3。209 文芸:文アル登場作家、その2。193
https://w.atwiki.jp/orehatuyoi/
wikiでは、もなちゃとの活動を主にしていきたい。