約 2,717,363 件
https://w.atwiki.jp/jimmy80x/pages/28.html
永遠の愛の炎/チープ・トリック The Flame/Cheap Trick チープ・トリック…甘い罠、の意。1977年に発売されたアルバム「蒼ざめたハイウェイ」に収録された「甘い罠」は、本国では人気がなかったもの、日本ではヒットした、希有な作品でした。そう、チープ・トリックは、日本から火がついたグループなのです。詳しくはウィキとかで調べて欲しいですが、彼らのセールスが落ち込んでいた87年に発売されたアルバム「永遠の愛の炎」からのタイトル曲は、グループ初となる全米No.1を獲得しました。甘く、切ないバラードですが、意外と酷評も多かったりします。理由は、この曲が自分たちではなく、ソングライターが書いた曲だから。98年に書かれた「蒼ざめたハイウェイ」の解説には、「外部の作曲家を雇ったことで、僕らが信頼していた批評家達から叩かれた」とありました。せつないですね。 永遠の愛の炎(紙ジャケット仕様)
https://w.atwiki.jp/1548908-wdt1/pages/289.html
ニヴルヘイム04F:トランサー:永遠の輪廻 解説:レベル40/レシピ代0800DP 【サウザンド・アイズ・サクリファイス】デッキ。 攻略 ※チェック。50音待ち 合計40枚+09枚 上級03枚 可変機獣 ガンナードラゴン×3 下級10枚 月読命×3 デビルフランケン×3 迷犬マロン 魔法21枚 強欲な壺×3 サンダー・ボルト×3 地盤沈下×3 スケープ・ゴート×3 天使の施し×3 ハーピィの羽根帚×3 突然変異×3 罠06枚 おジャマトリオ×3 神の宣告×3 エクストラ09枚 おジャマ・ナイト×3 サイバー・ブレイダー×3 サウザンド・アイズ・サクリファイス×3
https://w.atwiki.jp/divine_revelation/pages/111.html
目次 1.永遠の神理 第一の桂 ― 神の実在 2.永遠の神理 第二の柱 ― 愛 3.永遠の神理 第三の柱 ― 悔い改め 4.永遠の神理 第四の柱 ― 霊的転生輪廻の真相 5.永遠の神理 第五の柱 ― 光の天使の存在 1.永遠の神理 第一の桂 ― 神の実在 ミカエルです。こうして私の3部作も、最終章にたどりつくことができましたことを心よりうれしく思います。また私をして、このような場で語らせてくださった関係者のみなさんに、とても感謝の気持ちでいっぱいです。 さて私はこの最終章において、永遠の神理の話をしてみたいと思います。 今までさまざまなことを述べて伝えてまいりましたが、今回の正法神理の運動として、後世に述べ伝えねばならないことはいったい何であるのか、その永遠の神理とはいったい何であるのか、これを私なりに解釈し、また整理して、これだけはどうしても残したい神理であるということを明らかにしておきたいと思うのです。 私は、この永遠の神理の柱を五本考えてまいりました。 第一の柱は、「神の実在」ということです。宗教だ、哲学だ、思想だといろいろなことを言っても、究極において神の実在を信ずるかどうか。ここが議論の分かれ目となりますが、神の実在なくしての宗教もない。神の実在なくしての人間も、また大宇宙の万生万物も高級諸霊もない。これだけを言っておきたいのです。 人間よ、不遜(ふそん)になってはいけない。謙虚さを忘れ去ってはいけない。神ありてこその世界であり、神ありてこそのあなた方であるということを決して忘れてはならない。 すべての始まりに神があり、すべての終わりに神がある。この世界が始まる前にも神はおられ、この世界の終わりの後にも神はあられる。この間に人は生まれ、死に、また生まれ、死に、さまざまな記憶を持って、さまざまな歴史をたどってきたわけですが、しかしその間、神は瞬(まばた)きの間ほどにも感じておられないかもしれないのです。 この神の実在ということは、神理の中の神理、不変の神理の中の中心であり、どんなことがあっても決してねじ曲げることはできない、そうした大きな柱であるのです。 したがってこれより後、どのような指導者が出、どのような宗教家が出、どのような思想家が出たとしても、神の実在を否定するのであればまったく問題外であり、論外であるということを私は明らかにしておきたいと思うのです。 2.永遠の神理 第二の柱 ― 愛 永遠の神理の第二の柱、それはやはり「愛」です。愛ということは、片時も忘れてはならない。愛とは何かと言うと、神の創られた世界を善きものと見、人間の本質を善きものと見て、それを限りなく押し包み、優しく見つめ、ともに手をたずさえて向上していこうとすることなのです。 第7章では、私は厳しいことを縷々(るる)述べました。しかしこれは、今、真実が見えなくなっている人に気づきという名の愛を与えるためなのです。めざめていない人たちをめざめさせてあげるということも大きな愛です。 愛にもいろいろな愛がありますが、真実にめざめ、神理にめざめ、神の心にめざめるという、そうした手助けをする愛こそ、いちばん値打ちのある愛であると私は思うのです。 ほんとうのことを教えてあげること、ほんとうの神理を教えてあげること、神がどこにおられるのかを、神の御心がどこにあるかを教えてあげること。― これが私は真実の愛であると思うし、ほんとうにたいせつな愛であると思うのです。 したがって本書の読者のみなさまにも私から申し伝えておきたいことは、愛の愛たるもの、愛の最たるものは、この神理の伝道にあるということなのです。神理を述べ伝えるということなのです。 なぜ過去において伝道者たちが殉教しても偉しとして、りっぱな方として讃えられたか。それは最高の愛のために生きた方がたであるからです。みずからの身命を賭(と)してでも神理を伝えるということのために生きた、そこに最高の愛の姿があったからです。 私は多くの人たちに言っておきたい。黙っていて、座していて、この真実の愛は広がらない。神理は広がらない。 時節到来したと思うならば、この法を述べ伝えなさい。この法を多くの者のもとに届けなさい。多くの者に知ってもらいなさい。それがだいじであると私は思うのです。 真実の愛とは、真実の法を教えること。神の心を教えること。今私は天上界より、はるかなる時空間を超えて、この二十世紀の最後にあたる法の時代に、この日本の地においてミカエルの言葉を語っておりますが、このように明瞭な形で私がわが思いを地上に託し、伝えるということは、かつてなかったことなのです。かつてそのようなことはなかったのです。 今そうした時期に再会しているということを、あなた方はその意味を知ってほしい。ミカエルがその名を語リて、みずからの使命を明らかにし、みずからの信念を明らかにし、みずからの思想を明らかにする時、それは救世主降臨の時です。その時を外して、私がこのような形で明瞭に語るということはないということを知っておいていただきたいのです。 わが語る時、ここに救世の時代が始まるということを知っていただきたいと思います。 3.永遠の神理 第三の柱 ― 悔い改め 私の考える永遠の神理の三本目の柱、それはやはり「悔い改め」ということだと思います。もちろん「反省」という言葉で呼んでもよろしい。地上にある人間は、ともすれば行きすぎ、ともすれば思いすぎ、ともすればやりすぎ、ともすれば語りすぎる。そしてさまざまなな過ちを起こしがちであります。 しかし過ちを起こすということは、人間にはありがちなことではありましょう。そのありがちなことをありがちなこととして、そのまま放置しておいてはならないのです。このありがちなことを、またありがちな方法で修正していくことこそだいじなのです。 そのありがちな方法とは何であるか、それが悔い改めということなのです。反省ということなのです。みずからまちがったと思うならば素直に反省することです。我を張らないことです。 大いなる神の御手のなかにある自分というものを知った時に、人間は謙虚にならざるをえないのです。謙虚となってみずからの心を裸になって見つめる。飾りもなくてらいもなく、おごりもなく、みずからの心を見つめるということがだいじなのです。私はそう思います。 そうでなければなにゆえの人生、なにゆえに各人にその人生の川を下る舟の櫂(かい)が与えられましょうか。各人に、人生の川を下る舟の櫂が、オールが与えられているということは、みずからが進路をまちがったと思えば、その進路を変えて行きなさいということなのです。これを悔い改めと称します。 その悔い改めの効果は何であるか、そう考えてみると、ここにひとつの赦(ゆる)しがあることは事実です。人間は罪を犯しがちの者であるが、悔い改めることで赦しを得、神の光を受けることができるのです。 これだけの大きな愛が、慈悲があるというのに、なぜそれに気づかないのか。霊的に見れば、神の赦しは飢えた者に与うるひと切れのパンです。ひとグラスの葡萄酒でもあります。喉(のど)が乾いた者には一杯の水でもありましょう。 霊的には私たちはまちがいを犯した時に、良心が苦しんで苦しんでどうしようもないのです。その苦しみから救うもの、それは赦しなのです。赦しという名の神の愛の光なのです。そしてそれが与えられるための儀式があるのです。それが悔い改めというのです。 私たちが語っている神理に照らして、みずからの思いと生き方がまちがっていると思うならば、これをふり返り反省してみることです。そしてもう一度やり直すことです。 高級霊の言葉であっても個性に差があるということは、あなた方もごぞんじでしょう。多くの人たちはすでに数多くの霊示集によって、その事実を知っているでしょう。 たしかに私たちの考えにも個性はあります。たとえば私ミカエルの考えと仏陀の考えでは、かなり多くの違いがあるでしょう。仏陀は和をもって尊しとし、中道に入ることをもってよしとしておられます。しかし私はある程度、正邪というものを明らかにしようとする傾向があります。それは私の語った言葉を読めば明らかにわかりましょう。 どちらのほうが神埋かと言われたら、それは一概には言えない面があるでしょう。医者に外科と内科があるように、神埋を述べ伝え、教えることにも外科と内科があります。 悪しきものを取り去って、そして手術を完了させる者もあれば、あくまでも形は損なわずに人間を治そうとする動きもあるでしょう。どちらがよいかは一概には言えない。方法論の違いはありますが、どちらもまた神の心にかなうことであるということを知っていただきたいと思います。 神の心のなかには、すべてのものを調和させたいという思いと、真実は真実として明らかにしたいという思い、こうした複合的な思いがあるのです。 私は真実を明らかにするという使命を担い、やっております。それゆえに私はみなさんに言っておきたいのです。神埋に反した行為は、思いは、かならずそれなりの反作用を受けることになります。それは他によって負わされるのではなく、みずからが自らを苦しめるための罠(わな)を作っているのと同じことなのです。やがてみずから作った罠にみずからがかかっていくのです。みずからが掘った穴にみずからが落ちてゆく、それが神を呪(のろ)う行為であり、神理に反する行為でもあります。どうかそのことを忘れないでいただきたいと思います。 4.永遠の神理 第四の柱 ― 霊的転生輪廻の真相 さて永遠の神理として残すべき第四の柱を、私はこれを「霊的転生輪廻の真相」ということにしたいと思います。 私たちが地上に肉体を持つことがありますが、それはほんの束(つか)の間です。ほんのわずかなことです。そして大部分、人間の魂は霊界、実在界にあって、そちらがほんとうの生活となっています。そしてときおり生まれ変わり、時代を変え場所を変えて生まれ変わり、新たな魂修行をしているのです。 この事実は目に見えぬ世界の事実であるがために、多くの人たちは気づかないままに過ぎていきます。信じることができないままに過ぎていきます。しかしこれが真実であるのです。 私はこの意味において、幸福の科学の教えを見ていても、まだまだ霊的世界の実証という意味で不足な面が数多いと思います。霊的世界があるということを、これを実証し、見せ、教えるということ自体も、ひとつの大きな愛であるということを知らねばなりません。 もちろん方便として霊的なことを避けて、他の方面から人びとを善導することもだいじでしよう。そうした方便の力も大きいでしょう。しかしながら、まず、霊的世界があるのだということを教えること、知らしめること、これもまた最大の愛であるということを知らねばなりません。その最大の愛によって、多くの人の人生観が変わってゆくからです。 どうしてもどうしても地上の人びとの疑いは濃く、また彼らの猜疑心(さいぎしん)には限りがないために、霊的なるものを避けて、説法のみで、あるいは法理論のみで人びとを導こうという気持ちが起きてくることがあるでしょう。 このミカエルの降臨のごとき霊示集を避けて、説法だけで人びとを導こうという気持ちになることもあるでしょう。しかしながら、私はあえて言っておきます。霊言集、あるいは霊示集、こうしたものを出し続けるということが、これが最大の愛であるということを。神理に気づいていない多くの人たちをめざめさせるということが、最大の愛なのです。 すでに神理にめざめている人がさらに法理論を学び、みずからの悟りを上げていくこともだいじなことだとは思いますが、現在、いちばん応急手当て、救急の手当てを、緊急の手当てを必要としている者たちは、目の鱗(うろこ)が落ちていない唯物論者たち、霊的世界を知らない人たち、霊的転生輪廻の世界を知らない人たちなのです。これら多くの、いちばんその真実を必要としている人たちをめざめさせることこそ、やはり最大の愛であると私は思うのです。 実際に地獄というところに行って、私は数多くの者たちを指導していますが、彼らが自分たちが霊であって、地上というものは魂修行のために出ていたのだという事実さえ知っていてくれれば、いったいどれほどやりやすいか、どれほど助かるか、そう思うのが毎日毎日なのです。 彼らはみずからの本質を知らないのです。自分たちが霊であったということを知らないのです。地上にいた時にみずからの本質が霊であって、地上に生まれ変わって来ているということを知っていた魂は、来世においても立ち直リがひじょうに早いのです。悟りが早いのです。気づきが早いのですが、そのことを知らず「肉体即我」と思って生きてきた人は、なかなかにめざめさせることができないのです。いくら語っても、その頑迷な思想を打ち破ることができないのです。 したがって私は、法にとって何がだいじであるかと言っても、霊的世界の実証は、これは最大の愛であるということを言わなければならないと思います。これに成功するだけでもたいしたことである、そう思います。 この意味において私たちの霊言、霊示集は、これは限界があってはいけない、終わりがあってはいけない、限りがあってはいけない。数限りなく、証明のために出し続ける必要があるのです。 私も九月、十月、十一月と、各月一冊ずつ、この『大天使ミカエルの降臨』という本を収録して、そして次つぎと出してまいりました。しかし、これもまだ証明の一部分でしかないと思います。大霊界においては数限りない高級霊たちがひかえています。そうした多くの霊人たちが控えています。その個性の違いを通して、やはり霊的世界の存在を教えるということかだいじであると思います。 私のこの『大天使ミカエルの降臨』という本にしても、他の霊言、霊示集や、理論書とは、おそらく趣(おもむき)を異にしているでしょう。読者の多くは、高級霊のなかにこれだけ戦闘的な霊がいるということに驚きを持たれたかもしれません。しかしそうした役割の方もいるのです。 それはあなた方の地上においてもそうでしょう。学者の生活をしている人もあれば、僧侶をしている人もある。商店主をしている人もあれば、しかしまた警察官であったり、軍隊にいるような人もいるでしょう。いろいろな立場の人がいて国が成り立っているでしょう。 私の仕事はかなり厳しい仕事です。そうした霊的世界の警察官の役割かもしれません。この意味において、寛容を旨とし、法を学ぶことを中心としている人にとっては、違和感があることは否めないと思っています。 しかしながら、考えてみるならば私もまた、いちばんたいせつなことをやっているわけでもあります。たとえば日本という国は治安がよい、世界一治安がよいということになっています。その結果、多くの人たちがどれだけの利益を享受しているかおわかりでしょうか。東京という都市はひじょうに治安のよい都市です。外国人であっても女性であっても、安心して夜道が歩ける都市です。それだけ治安がよいからです。 これはこの効果を考えない人は多いでしょうが、もう各人が武装して自宅へ急がねばならないということになったら大変なことになってしまいます。そうならないのは治安組織がよくできているからです。 私もまた霊的世界の治安に、これ努めているわけです。そうした職業は好まれないこともあるでしょう。かならすしも花形ではないかもしれません。しかしそうした役割をしている霊がいるということを、地上のみなさんにも知っていただきたいのです。 こうしてみずからの身を危険にさらしてでも真実の世界を広げ、そして神理の人たちを護るために日夜働いている霊がいるということを、どうか知っていただきたいと思います。そうした事実を知ったならば、どうかほんとうにそうした転生輪廻があるということを、霊界の世界があるということを、勇気を持って宣言し、説明してほしいと思うのです。 私たちのこの努力を、この汗を無駄にしないためにも、真実のことを真実として述べ伝えてほしいのです。地上の常識が違っているならば、この常識を塗り替えるために、どうか活躍し、活動していただきたいのです。それを私は切に願っています。 これがいちばんだいじなことです。霊的転生輪廻、そして人間が霊的存在であるということ、地上は一時の宿りであって、魂の学習の場であるということ、これを知っていただきたいし、できれば早く、こうした事実を学校でも教えていただきたい。家庭のなかでも教えていただきたい。 これは願いですし、また人間の義務です。人間としての義務です。自分自身のほんとうの姿を知らないということは、地上での学習の効果がなかったということに等しいのです。そうではないでしょうか。私はそう思います。 どうかみなさんも、こうした私の霊言、霊示集も完全なものではないし、完全な法でもないと思いますが、このような個性の強い霊人が天土界にいて、そして人びとを護っているということを知ったならば、これを多くの人に伝えていただきたいと思うのです。 5.永遠の神理 第五の柱 ― 光の天使の存在 永遠の神理の五番目の柱として私がだいじだと思うこと、それはやはり、光の天使という存在が現にあるのだということだと思います。 一番目に神の実在ということを言いました。神の実在はその通りでありますが、残念ながら人間はそれを手に取るように見ることができません。しかし明らかに感じ得るものは、光の天使と言われる存在があるということです。高級霊と言われるものが真実あるということです。 この事実に基づいて、この真実に基づいて、過去さまざまな教えが説かれたのです。仏教やキリスト教や、あるいはいろいろな教えがありますが、これらはすべて、光の天使とも言うべき人の存在を前提としているのです。こういう存在があって神の法を、その個性を通していろいろな形で説いているのです。 まずこれを知っていただきたい。これを知らねば宗教の違いの意味がわからないからです。多様な価値観と言ってもその意味がわからないからです。それは神の使者として、光の天使がいろいろな時代にいろいろな地域に生まれ変わって、そして教えを説いている。独自な教えを説いているということなのです。それは個性の違いはあったとしても共通するものは同じです。底に流れるものは同じです。私はそう思います。 この光の天使とも言うべき、こうした高級霊団、高級霊の存在があるということ、これを知っていただきたい。これが宗教の意味を、その教えの違いを、その歴史の違いを雄弁に物語る真実なのです。 たとえばキリスト教の人を見てみるならば、イエスの信仰は当然ながら、イエス以前にはもう神もいなかったかのごとき信仰をしていることも多いが、やはり仏教のなかにも、神道のなかにも、儒教のなかにも、回教のなかにも、神理の流れはあった。こうした流れがあったということを知るということがいかほどだいじであるか。知らないということがいかほど人間を偏狭(へんきょう)にし、偏屈にしているか、それがみなさまはわかるでしょうか。 地上で熱心に一つの宗教をやった人たちは、その派閥争いと所属争いに明け暮れて、天上界に還っても自分の属する宗派にだけ属して、それ以外のものを異端視し、目を向けないという傾向があります。しかしながら本当はそうではないということ。歴史の流れのなかの真実なるものを見抜くということかだいじです。 私は前章においてはたいへん批判的なことも言っておりますが、しかし現代の地上にもいろいろなところに光の天使が出ていることは事実です。光の天使は各界、各層に現われ、各地域に現われていろいろな活動をしているのです。みなさんが気づかないようなところで、いろいろな職業をしながら人びとを導いている人が数多くいるのです。そうした光の天使が数多く活動している、そういう地上であるということを信じていただきたいのです。知っていただきたいのです。 その事実を知るということが、神の愛を知るということになりましょう。神がどれほどまでに人間を愛しておられるのか、ということを知ることになりましょう。私はそう思います。そしてこの思いは、どうしても多くの人に認めていただきたいという気持ちが強くなるのです。 ですからたんなる正邪、正しい、まちがいということだけでとらえるのではなく、そうした光の天使の存在を介して、法が流れているという事実を知っていただきたいのです。 ミカエルの話と他の高級諸霊の話とでは、違うところはずいぶんあるはずです。しかしなにゆえに違うのかと言えば、それは仕事の違い、役柄の違い、個性の違いによって現われているものです。 そうであるならば、その真実を知って、そしてそのなかから少しでも役に立つ神理を、いろいろなもののなかから学んでゆくことだと思います。それが地上の人間に課せられた義務だと私は思うのです。私の生き方だけを真似をし、私の通りにすべての者が生きて行かねばならないとすれば、これは大変なことになるでしょう。ただ、さまざまな霊示、霊言のなかにある神理を学び、学び、学び尽くして、自分のものとして吸収していくこと、これがだいじだと思います。 以上五つの柱について、私は永遠の神理となるべきものがいったい何か、その核が何であるかということを説き来たりました。 さて、ここで私の当初の予定である三部作は終わることとなります。しかし時あらば、また多くの人の希望があるならば、またわがこの霊示集の真偽を疑うものが数多く出るならば、続々とまたわが声を世に問い続けたい。そのように思います。とりあえずは、これにて私の今回の計画を終わらせていただきたいと思います。
https://w.atwiki.jp/karanohana/pages/62.html
「・・・・・・・・・・・スラさん?」 「うわぁ~綺麗なバラだね」 「どう見ても普通の花じゃないですよねぇ」 「いやいやいや、見た目にだまされちゃダメですよ」 「ほう?」 ジーベルの、半眼で据わった視線を逸らしつつ、 花の説明をはじめる。 「これはね、しおれないバラって言ってね…」 「知ってますよ」 「あれ、そうなの?」 説明を途中で遮って、ジーベルが静かにそっと箱を閉めた。 「これって、あれですよね。あれ」 「うん、あれだね」 「永遠の愛を誓うってやつですよね?」 「永遠の愛」の部分で3人の視線が強まったが、 「やだなー、違いますよ?」 笑いながら軽く流した。 「違くないでしょーがっ」 すぐさまジーベルのツッコミが入る。 やはり、と言うか。 勘違いしているジーベルに更に説明しようとすると、 「スラさん、結局からかってるんでしょ?」 怒ってきく耳をもたなくなってしまった。 「あー、それってからかってるように見えるかも」 「スラ師匠、そんなのあげたらリンさんが勘違いしますよ」 他の2人からも批難を受けて、しぶしぶ箱を返してもらう。 「そんな小道具を使わなくても仲直りぐらい簡単ですよ」 「そう? じゃあジルくん頑張ってね」 まぁ、ジーベルが帰る気になったのならいいか。 少し残念に思いながら、マルーが花好きなことを思い出し、 「まるっち、この花いる?」 「え、もらっていいの?」 「どうぞー」 箱に入れたまま手渡した。 「じゃあ、皆が集まる部屋にでも飾っておくね」 嬉しそうに受け取って、礼を言った。 ← →
https://w.atwiki.jp/nomitrpg/pages/23.html
GM/のみち PC1/みなぎさん/朱鷺 浩史郎 PC2/柊さん/刀屋 黒鉄・白銀 PC3/まさしげさん/岬 刻 PC4/七郎鼠さん/大工廻 恵兎 PC5/Ozwaldさん/高瀬 成美 セッション日:2012/01/18~未完 「永遠の行方」 予告 昔、戦いがあった。 きっかけは一つの神具、その神具は戦いの末、二つに分かれた。 二つにわかれた神具を組み合わせるとき、その持ち主は「永遠」を手にするという。 今、「永遠」を手にするため各地から忍びたちが集まる。 また、戦いが始まる。
https://w.atwiki.jp/chaos-tcg/pages/882.html
永遠の巫女「博麗 霊夢」 読み:えいえんのみこ「はくれい れいむ」 カテゴリー:Chara/女性 作品:東方混沌符 属性:地 ATK:4(+2) DEF:5(+1) 【登場】〔自分のキャラ1体を【表】から【裏】にする〕 [自動]自分のメインフェイズ開始時、カード1枚を引く。 [自動]自分のバトルフェイズ終了時、このキャラが【裏】の場合、カード1枚を引く。この能力は【裏】でも発動する。 RR:見た? これが神に仕えるものの力なのよ! SP:良い子はおとなしく帰って寝てなさい illust:あらたとしひら TP-001 RR SP 収録:ブースターパック 「OS:東方混沌符 1.00」 強力なドロー能力を持つキャラ。 作品名や属性が違うある朝「悠木 陽菜」とは相互互換で、サイズが補正値も含め逆転している。 中途半端な耐久力のおかげで裏になる機会は少なくないが、積極的にドローする場合は適度にアタックすることも必要だろう。 全体的に手札消費が激しい OS:東方混沌符 においてこのカードの存在は強力と言える。 とは言えデッキがなくなってしまえば負けなので、序盤から貫通等で積極的に攻撃していきたい。 貫通を持つ上に手札消費がダメージに直結する奇妙な魔法使い「霧雨 魔理沙」は相性が良いと言える。 参考 自分のメインフェイズ開始時、カード1枚を引く自動効果を持つキャラ 袁術公路「美羽」 約束と夢「鷹見沢 菜月」 ある朝「悠木 陽菜」 メイクイーン+ニャン2 「フェイリス・ニャンニャン」&「マユシィ・ニャンニャン」 闇に蠢く光の蟲「リグル・ナイトバグ」 自分のバトルフェイズ終了時、このキャラが【裏】の場合、カード1枚を引く自動効果を持つキャラ ある朝「悠木 陽菜」 永遠の巫女「博麗 霊夢」 読み:えいえんのみこ「はくれい れいむ」 カテゴリー:Partner/女性 作品:東方混沌符 属性:地 ATK:6/8/10/12 DEF:6/7/8/9 [自動]自分のメインフェイズ開始時、カード1枚を引く。 [自動]自分のバトルフェイズ終了時、このキャラが【裏】の場合、カード1枚を引く。この能力は【裏】でも発動する。 こりゃまた随分集まったわね illust:赤りんご TP-001 P 収録:とらのあな『東方幻奏画報 弐 特装版』封入特典
https://w.atwiki.jp/mahoroa/pages/1213.html
作る? 初版と最新版 初版:2015/02/16 (月) 18 08 36 最新版:2015/02/23 Mon 22 45 36 最初に ここはあくまでも『予想』です。こうなってほしいな、は構いません。ですが必ずそうなるとは限りません。 「あそこに書いてた情報とゲームとじゃまったく違うじゃないか!」などとならないように。それを踏まえた上で閲覧・編集の程よろしくお願いします。 タイトル:翼を持つ者 説明文 翼を持つ者たちにカービィがいどむ。 カービィはカッコイイ翼に嫉妬しているのだろうか。 コピー能力ウィング?気にしない気にしない。 リード文 みんな羽があるからって偉そうにして! 僕は羽なんてなくても勝てるもん! 使用ファイター(ストック) 1P カービィ(2) 敵キャラクター ファイター メタナイト リザードン ピット (三人とも通常よりふっとびやすい) ボスキャラ ダイナブレイド 敵は全員チームなため、ダイナブレイドの攻撃もメタナイトたちには当たらない。 ステージ ダイナブレイドの巣(平面。地形としては、Wii Fitスタジオの上の足場をなくしたかんじ。) BGM ボスバトル(星のカービィ64) 成功・失敗 成功条件 敵の全滅 失敗条件 カービィが倒される 報酬 フィギュア ダイナブレイド ごほうび条件/ごほうび 装備 ミス後無敵のばしのキャンディ 隠しルート条件 無し その他の特徴 攻略法 関連 新イベント戦予想 イベント戦リスト ナンバー付きイベント戦リスト ナンバー付き二人用イベント戦リスト コメント オイラ以外、初めて作ったな。 -- ワッコ (2015-02-16 18 19 42) タイトルかっけえ。 -- 彗青ペン (2015-02-16 21 27 28) 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/mahoroa/pages/854.html
作る? 永遠の恵みよとは? これの事である。 パンドラの塔 『永遠の恵みよ(愛の夢)』アカペラver. パンドラの塔 『永遠の恵みよ(愛の夢)』ピアノ伴奏ver. パンドラの塔 『永遠の恵みよ(愛の夢)』ラスボスアレンジver. 作品 パンドラの塔 君のもとへ帰るまで 概略 本作品の劇中歌であり、ヒロインたるセレスのよく歌う歌(vo.Yucca)。←能登じゃないんだよねw。同作品中にアカペラ版と0号版とアレンジもある。エンディングで流れれば泣いてしまうよ。。。 原曲はフランツ・リスト『愛の夢 第3番』 Franz Liszt 『Liebesträume No.3』 関連 新BGM投票 BGMリスト コメント 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/majicaa/pages/1617.html
______ ___/__/こ〉/\ / _____{__/(/ ∧ . / //==ミ \----∧ . 〈 { ( ((八 \__\⌒\\ )___厂}\}th ィッァ}r‐\/ ̄) . /}/∧ }__厂)〈l///⌒\ . //// ∧モケ //(/. ̄ ̄ ̄\ {_{ {{ {{〈`¨´/// ̄ ̄\_ノ\ . 八{{\) \人 { {三三≧x,__ノ {__\__ 〈〈 〈八\\}{ /(_____厂}___{\_____∧〉 . 〉〉八厂)\ /⌒ /⌒{_____/ ‘, (_ ̄) ( ̄}/⌒ (____//⌒)ノ}___ ‘, ┌}八)_/⌒_)/ニ//___ノ_人ノ} ̄`\‘, fニ=-‐ ⌒)リ) n_)_/ {__ノ} {こノl} ̄ ̄ ̄‘, ∨( 〈こ〈 〈〈厂{ー}n{ ̄ ̄⌒て三ノ〉__________‘, ∨( ̄r/ ̄ ̄\_(こ)ノ ̄ ̄\ ̄}{__ノ\______}_ ∨( フ/{ ________ \__}八〉_人(_〈r=ミ) {フ /{八 ー┐  ̄ ̄) {>x )ノ\\〈/ } }_{人ニ=‐- }-}〈/}l\ ノ{___厂}\八_/〉 }{ { \.\{⌒)ニ=‐- ノ ノ-} }_ノ}\__/⌒)/八ハ}\__} /}{ 厂)ノ 〉-{ (ー-=ニニ=‐- __ノ /⌒\ / \〉ノ)〉 . {(({( {-人-\\\__ノ}ニ}) {\__}{h {_人{/ 〉 ⌒}{こ[ ノ {_} 〉_}ニ}> \_,八l| }\ 〈∨ {____  ̄(___ノニ/>.ニニ厂)人}厂 }人_〉ー┘{ /(___/ー‐/⌒\ ) )____厂 ̄  ̄∠⌒⌒\{ }(( Eternal Witness / 永遠の証人 (1)(緑)(緑) クリーチャー — 人間(Human) シャーマン(Shaman) 永遠の証人が戦場に出たとき、あなたの墓地にあるカード1枚を対象とする。あなたはそれをあなたの手札に戻してもよい。 2/1 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/gamemusicbest100/pages/6716.html
永遠の恵みよ 収録作品:パンドラの塔 君のもとへ帰るまで[Wii] 歌:Yucca 原曲作曲:Franz Liszt 編曲:小原たかゆき、廣瀬祐一、吉川哲也、出川和平 概要 要所要所で使われている本作の挿入歌の1つ。 この音楽はクラシックをアレンジしたもので、フランツ・リストの「愛の夢 第3番( Liebestraum No,3)」が原曲。 ピアノ曲だった原曲にオリジナルの日本語の歌詞を載せたボーカルアレンジとなっている。 本作のヒロインである「セレス」が口ずさんでいる巫女の歌という設定であるが、ボーカルは声優ではなく歌手のYucca氏が担当。 歌詞はプレイ中に手に入るアーカイブ(古びた紙片をセレスに解析してもらう必要がある)にて確認できる。 この歌はいくつかのバージョンに分かれて使われており、全部で4つほど存在している。 「アカペラver.」はイベント劇中でセレスが単独で歌っているアカペラバージョン。 「ピアノ伴奏ver.」はエンディングの分岐であるAエンディングおよびBエンディングのスタッフロールで使用。 伴奏がピアノのみの物悲しいアレンジで、悲愴なエンディングをより際立たせている。なお途中で終了しフルでは聴けない。 「ラスボスver.」はラスボス戦で使用。戦闘曲らしくテンポが速めでこのバージョンの曲が特に人気が高い。 最初はボーカルが入っていない状態だが、戦闘が進むにつれ段々とボーカルの音が入っていくという演出が特徴的。 「Sエンドver.」はオープニングムービーおよびSエンディングのスタッフロールで使用。 完全版というべき壮大なアレンジで、ベストエンディングであるSエンドの大団円に相応しいものとなっている。 ボーカル以外にも監視塔のBGMなどこの曲のメロディーを使ったものは多く、本作のメインテーマ的な扱いを受けている。 過去のランキング順位 第5回みんなで決めるゲーム音楽ベスト100 110位(ラスボスver.) 第7回みんなで決めるゲーム音楽ベスト100 907位(ラスボスver.) 第8回みんなで決めるゲーム音楽ベスト100 696位(ラスボスver.) みんなで決める2011年の新曲ランキング 102位(ラスボスver.)、150位(Sエンドver.)、214位(ピアノ伴奏ver.) 第2回 みんなで決める任天堂ゲーム音楽ベスト100 70位(ラスボスver.) 第2回みんなで決めるラストバトルBGMベスト100 377位(ラスボスver.) 歌詞 + クリックすると表示 暁の遥か彼方に輝くあの大地 光もて世の幸満たす、恵みし実り 雲の明け行く、あの空のごとく たえなる調べは明日の扉開き照らし出す 母なる大地私は願う 陽は黄金の光で木々を飾る 永久に踊り続けよう 喜びを永遠に捧げよ 絶え間なく時の彼方に過ぎ行く思い出は 涯なく我が胸満たす清らな夢に 思い馳せしは、あの星のごとく たえなる調べは明日の扉開き照らし出す 父なる海私は祈る 乙女の笑顔は野を光で満たす 永久に歌い続けよう 喜びを永遠に捧げよ 永遠の愛を私は誓う 空と大地に報われしこの日々が 永久に続くこの時が永遠の幸せを繋ぐよ 永遠の幸せを繋ぎだすよ