約 1,611,066 件
https://w.atwiki.jp/nyazira/pages/41.html
ウインチェスター事件 凛が時計塔?(ロンドン)に向かう際に、手土産として「宝石剣ゼルレッチ」のミニチュアペンダント(並行世界の波を観測する)を創造しようとして、ものの見事に失敗し、イリヤ?の城の一部を吹っ飛ばした事件。 危うく並行世界への孔が開きそうになり、事態の収拾に奔走する結果となる。 尚、桜などから借金をしてまでの挑戦だったために、その直後には士郎からアルバイトを紹介してもらおうとするほど極貧状態になった・・
https://w.atwiki.jp/kobetakigawa/pages/238.html
http //human7.2ch.net/test/read.cgi/ms/1193452616/ 少年Iが逮捕された直後のスレ。◆pQ/0r/WKqY サンダーソンがあらわれ、今日逮捕された生徒はIであること、 少年T、少年Kと被害生徒がいっしょだったところを見たことがないこと、Hのフットサルサークル写真の特定、少年Hzは今回の犯罪には 絡んでいないとみてよいことなどを証言する。 ID M2UfLWAROが南昭和町という住所をリーク、のちの【神戸】滝川高校いじめ自殺事件 in VIP板★実質35でのリーク と同一の可能性もある。 主婦を名乗るID 20xjNrXT0は、南昭和町が少年Iであり社長の息子であるとリークするが、報道事実、I自身のHP日記と は矛盾している。 451 名前: 可愛い奥様 投稿日: 2007/10/29(月) 16 28 47 ID M2UfLWARO 西宮市南昭和町8 い 591 名前: 可愛い奥様 投稿日: 2007/10/29(月) 19 50 30 ID M2UfLWARO 南昭和町はまだ逮捕されてないよ ただ、豪邸に誰もいなくなった。 滝川…平○の野球部…何かが起こる。 467 名前: ◆pQ/0r/WKqY [sage] 投稿日: 2007/10/29(月) 17 01 23 ID X5alnXJH0 以前ν速に書き込んでた。滝川の者だけど 俺必要かな? ただこの事件のことについては聞いた話しとかぐらいしかできないけど・・・ 今の学校の状態とかなら大丈夫だが 469 名前: 可愛い奥様 投稿日: 2007/10/29(月) 17 03 50 ID ifWyr1e10 467 必要です。 お願いがあります。滝川の生徒であると確認できるものを うpしてもらえませんか? 錯乱情報が多くて少し信用できなくなってます。 もちろん、名前など隠してもらってかまいませんので。 470 名前: 可愛い奥様 投稿日: 2007/10/29(月) 17 04 20 ID t0WJDEQCO 467 学校の状況激しくきぼん 472 名前: 可愛い奥様 投稿日: 2007/10/29(月) 17 07 12 ID YHiR12cg0 467 今朝は学校が午前だけ休講だったのかな? 473 名前: 可愛い奥様 [sage] 投稿日: 2007/10/29(月) 17 07 55 ID D1GDNXjq0 467 今日、馬鹿そうな工作員にからまれてた少年ですか? 明日学校に行きたくないって書いてた。 475 名前: 可愛い奥様 投稿日: 2007/10/29(月) 17 08 51 ID YHiR12cg0 4人目のタイホってY川なの? それともIえ君? それとも今までまとめに出でいない人? 477 名前: 可愛い奥様 [sage] 投稿日: 2007/10/29(月) 17 09 01 ID quPYwYmYO 467 事件発覚後に両親とこの件について話した? 479 名前: 可愛い奥様 [sage] 投稿日: 2007/10/29(月) 17 11 40 ID X5alnXJH0 469 http //vista.undo.jp/img/vi9364537320.jpg これじゃ駄目かな? 470 今は大分落ち着いてる状態かな? 472 いや、7時間目まで学校ありましたよ、 学校側が教師に「粛々と授業をやってください」とのおったしがあった 473 いや絡まれてないよw 普通に学校行きますよ 475 ブレスレットだからI 477 話した、というかたぶん話さない子はほとんどいないんじゃないかな 481 名前: 可愛い奥様 [sage] 投稿日: 2007/10/29(月) 17 14 21 ID X5alnXJH0 470 で、まぁ詳しく書くと 献花台は今まだ置かれてる状態。 先週 誰かが献花されたらしく 花が置かれてあった。 今ちょうど指定校推薦の合否や試験の真っ最中で 何人かは合格したりしてる。 みんなが盛り上がってるKやTはいまでも学校に来てるよ。 ただ前みたいにトイレの前でサッカーとかはやっていない 485 名前: ◆pQ/0r/WKqY [sage] 投稿日: 2007/10/29(月) 17 20 12 ID X5alnXJH0 483 停学処分や自宅待機受けてない、というか前にも書いたんだけど 学校内でKとTが亡くなった子と一緒だったってのは見たことがないんだよね 放課後とかだとわからないけど そうそう 393の真ん中の奴はHがじゃないからね 下の列の右の子がH 488 名前: 可愛い奥様 投稿日: 2007/10/29(月) 17 23 20 ID oCFhuK780 485 じゃあ、真中上の子は誰ですか?もう逮捕されてる子? あなた9組の人でしたよね(違ったらごめんね)??わかりますか? 後、今日逮捕の子は何組? 493 名前: ◆pQ/0r/WKqY [sage] 投稿日: 2007/10/29(月) 17 26 09 ID X5alnXJH0 488 真ん中上の子は逮捕されてない、というか全くこの件に関わってないので白として考えていいかと いえ9組ではないよ どこのクラスかはあえて言わないけど 今日捕まったIはTと同じ4組 491 名前: 可愛い奥様 投稿日: 2007/10/29(月) 17 25 19 ID EznKZDU50 なかよぴっぴ君て誰だかわかりますか? 494 名前: 可愛い奥様 投稿日: 2007/10/29(月) 17 27 12 ID t0WJDEQCO 485 君、ニュー速で、 Iとつるんでた奴が4人目になるつってたな? そんで、4人目もってかれたら、後は芋ズルで、その芋ズルの中に有力者(主犯)が居るって。 俺の質問への回答だったからよく覚えてるんだけど、その流れでいきそうかい? 496 名前: 可愛い奥様 投稿日: 2007/10/29(月) 17 28 54 ID 4fwkh8a80 490 同意 それでなくても学校側は、隠蔽し緘口令を敷いているんだから 話してくれるだけでいい 情報提供者を特定し、その子が困難な立場になるのは避けてやらないと 他の子もしり込みしてしまう 後で、真偽は検証すればいい 497 名前: ◆pQ/0r/WKqY [sage] 投稿日: 2007/10/29(月) 17 29 02 ID X5alnXJH0 491 あー事件直後に彼女と一緒に撮った写真晒された子? あれたしか9組かでHと下の名前が一緒だった為に その子の携帯サイトの違う写真が週刊新潮に載せられたんだよね 苗字は忘れたけどサトシっていう名前じゃなかったかな 504 名前: ◆pQ/0r/WKqY [sage] 投稿日: 2007/10/29(月) 17 36 30 ID X5alnXJH0 494 ん?言ってたかな?あまり覚えてないけど 芋づる式にはなるとは予想してる、4人も捕まれば主犯は出てくると思うんだけど ただTやKはここまで大事になってるのに学校に来てるんだよね 神経がどうかしてるのか、全く無罪なのか・・・ 496 今回捕まったんでまた緘口令は出ましたよ 明日集会あるかもしれません 校長がまた変なこと言いそうで正直怖い 505 名前: 可愛い奥様 投稿日: 2007/10/29(月) 17 41 11 ID lh3mXZGI0 ブレスレットの売りつけ先として 被害者をIに紹介したっていう、もう一人の逮捕者(FCメンバー)は誰なの~? 508 名前: ◆pQ/0r/WKqY [sage] 投稿日: 2007/10/29(月) 17 42 21 ID X5alnXJH0 505 ゴメンその辺りはわからない m(_ _)m たぶんYだと思うんだけど 507 名前: 可愛い奥様 [sage] 投稿日: 2007/10/29(月) 17 42 10 ID D1GDNXjq0 504 情報ありがとう。 TやKがいじめに関わっていたという噂は校内にありますか? 509 名前: 可愛い奥様 投稿日: 2007/10/29(月) 17 43 21 ID hp04vMJdO Iの写メ お願いします! 510 名前: 可愛い奥様 投稿日: 2007/10/29(月) 17 43 37 ID 8VQFPrLS0 508 君は葬儀には参列したのかい? したのなら、棺をかいた生徒は何人? さらに、それは誰々? 512 名前: ◆pQ/0r/WKqY [sage] 投稿日: 2007/10/29(月) 17 46 24 ID X5alnXJH0 507 485 に書いたけどTやKと一緒にいたってのが見たことないから どっちかというとTやKが関わっているというのは嘘っぽいなぁという感じはある というか関わってたらTはともかくKは見捨てると思うからね 509 大分前に晒されてたの見たよ。 学園祭の時に撮ったんだと思うけど 510 葬儀の方には参加はしてないです。 511 名前: 可愛い奥様 投稿日: 2007/10/29(月) 17 46 18 ID VhdjZ2uy0 504 え~TやKは普通に学校行ってるの??? それで他の弱そうな生徒おちょくったりしてるわけ? 事件前から仲の良かった友達は相変わらずT、Kとつるんでるのかな。 案外みんな避けてたりする? 質問ばかりでごめんね。 あぁ、真実が知りたい。 513 名前: ◆pQ/0r/WKqY [sage] 投稿日: 2007/10/29(月) 17 48 38 ID X5alnXJH0 511 普通に登校してる ただ仲の良かった奴とは一部はつるんでるのもいるけど もうつるんでないのもいる。 関わってると碌なことがないとわかったのかな 514 名前: 可愛い奥様 [sage] 投稿日: 2007/10/29(月) 17 49 03 ID X03r7NIiP 512 焼き鳥のときの写真だよねぇ 517 名前: ◆pQ/0r/WKqY [sage] 投稿日: 2007/10/29(月) 17 50 16 ID X5alnXJH0 514 それ その丸坊主じゃないのがI 515 名前: 可愛い奥様 投稿日: 2007/10/29(月) 17 50 06 ID Y3m8rp3qO 被害者はどんな子だった? つらそうにしてたりした? すごくいい子そうなだけに気になりました。 516 名前: 可愛い奥様 投稿日: 2007/10/29(月) 17 50 17 ID t0WJDEQCO 512 じゃあ、Iと普段つるんでたのは誰? イジメとか被害者とかと関係なく、仲良かったのは? 522 名前: ◆pQ/0r/WKqY [sage] 投稿日: 2007/10/29(月) 17 54 23 ID X5alnXJH0 515 明るい子ではあったよ、νの時に書いたけど 去年の生徒会選挙にHと一緒に出て 盛り上げてた。 ただ弄られキャラでもあったと聞いてたからそういった奴から標的にもされやすかったと思う 516 IはTとかKとかと仲はよかったよ、ただトイレ前にはいなかったね 521 名前: 可愛い奥様 投稿日: 2007/10/29(月) 17 53 24 ID d6bDK8wQO Y川くんは元気なの? 新潮に載ってたXって誰かわかります? 526 名前: ◆pQ/0r/WKqY [sage] 投稿日: 2007/10/29(月) 17 56 14 ID X5alnXJH0 521 昔のログ見たらわかると思うよ、消されてなければ 新潮に掲載された頃のお受験板の滝川スレとか見れば XがHでなく別人だってのがわかると 524 名前: 可愛い奥様 [sage] 投稿日: 2007/10/29(月) 17 55 02 ID D1GDNXjq0 512 君の主観じゃなくて、校内にTやKが関わっているという噂があるかないか 教えて頂けると有り難いです。 525 名前: 可愛い奥様 投稿日: 2007/10/29(月) 17 55 58 ID Sb6j7SKHO 512 主犯に棺担がせる支持したのは確定だそうだけど、それが嘘だと言いたいのかな? 532 名前: ◆pQ/0r/WKqY [sage] 投稿日: 2007/10/29(月) 18 00 43 ID X5alnXJH0 524 5分5分ってとこですかね まぁKやTを嫌ってる子はいるし これまでの言動(肩ぶつかって生徒殴る・トイレの前でサッカーしてガラスを何度も割る)ってのがあるから 疑われてもしかないから噂が流れたんだと 525 葬儀の方には言ってないんでその辺りはわかりません。ごめんなさい。 535 名前: 可愛い奥様 投稿日: 2007/10/29(月) 18 02 21 ID t0WJDEQCO 携帯からのラスト質問。 理事長もしくは校長なんかの身内か、それに近い生徒は在籍してるか否か。 そいつらは、この事件に関係してるか否か。 539 名前: ◆pQ/0r/WKqY [sage] 投稿日: 2007/10/29(月) 18 05 25 ID X5alnXJH0 535 3年では在籍してない。 桐山って子は聞いたことないんでそれはないと思う 541 名前: 可愛い奥様 投稿日: 2007/10/29(月) 18 09 58 ID WbPKq7qT0 質問じゃなぃのだけど y瀬君が幸せになるように毎日祈ってるものです。 君の身の安全第一なので ◆pQ/0r/WKqY 君の念で伝達しといてくださぃ。 ( ^ω^)ノ頼んだよぅ。 544 名前: ◆pQ/0r/WKqY [sage] 投稿日: 2007/10/29(月) 18 12 45 ID X5alnXJH0 541 w まぁ彼は顔晒されてしまいましたからね,,, じゃ明日 集会があればその様子など書き込む予定です。 では 671 名前: 可愛い奥様 [sage] 投稿日: 2007/10/29(月) 21 32 28 ID 20xjNrXT0 うちの主人、南昭和町が仕事エリアなんだけど… 単純に、犯人名前リストを見せたら「あっ、この家、知ってるで? 社長の家だよ、でもあそこ高校生の息子いたかなあ」 って言ってます…。 675 名前: 可愛い奥様 [sage] 投稿日: 2007/10/29(月) 21 35 09 ID /KtxvwQr0 671 誰? 672 誰? 事実なら言ってくれ。 解らないなら言うな。 676 名前: 可愛い奥様 [sage] 投稿日: 2007/10/29(月) 21 35 40 ID jXh3jyHm0 672 アメフト部のIってのが有力ですよ。 この人は、前からパチモンブレスレットの件で聴取されてた人らしいよ。 ついでに言うと、前に逮捕されたY(恐らく)が売買の仲介役で、 さっき来た在校生の話では、YとIってのは仲良かったとのこと。 677 名前: 可愛い奥様 [sage] 投稿日: 2007/10/29(月) 21 37 17 ID 20xjNrXT0 675 ・犯人リストに載ってて ・南昭和町でヒットする人 678 名前: 可愛い奥様 [sage] 投稿日: 2007/10/29(月) 21 37 52 ID 20xjNrXT0 676 ぴんぽん♪ 680 名前: 可愛い奥様 [sage] 投稿日: 2007/10/29(月) 21 44 03 ID jXh3jyHm0 678 え?? ということは、出た住所は今日逮捕された人の住所なわけ?? 親はどっかの会社社長なんだ??? でも、 「高校生の息子はいない by貴女のご主人」???? 686 名前: 可愛い奥様 [sage] 投稿日: 2007/10/29(月) 21 52 19 ID 20xjNrXT0 680 主人の話だと Iの親は甲風園に会社の事務所があり(神戸に店舗がある) 自宅は南昭和町です、二世帯住宅の大きい家だそうです。 主人が高校生位の人を、 そこの家で見た事がないってだけです、すみません。 691 名前: 可愛い奥様 [sage] 投稿日: 2007/10/29(月) 21 55 39 ID 20xjNrXT0 ttp //www.duokobe.com/userDetail_top.do?targetId=2 703 名前: 可愛い奥様 [sage] 投稿日: 2007/10/29(月) 22 13 04 ID 20xjNrXT0 え?須磨区なのですか??? 706 名前: 可愛い奥様 [sage] 投稿日: 2007/10/29(月) 22 21 04 ID 20xjNrXT0 南昭和町に その名字の家は一軒だけ。 715 名前: 可愛い奥様 [sage] 投稿日: 2007/10/29(月) 22 30 02 ID 20xjNrXT0 会社の名前は カスカード。 730 名前: 可愛い奥様 [sage] 投稿日: 2007/10/29(月) 22 49 34 ID 20xjNrXT0 724 ああ、そうでしたかスミマセン…。>発音について。 某配達物はカスカード、と印字されてるそうで、主人もそう思っていたみたいでした ありがとう 756 名前: 可愛い奥様 [sage] 投稿日: 2007/10/29(月) 23 15 06 ID 20xjNrXT0 大きい家だと宅配業者等は、ノートがちゃんとあるんですよ
https://w.atwiki.jp/kuizu/pages/1093.html
ひかりくらぶじけん 自作 「戦後」を意味する「アプレゲール犯罪」の代表的な事件とされる、 企業を設立した東大生の山崎晃嗣が物価統制令違反で逮捕されたことによって業績が悪化し 青酸カリによって自殺した事件を、企業の名前から「(何)事件」というでしょう? (2009年10月14日 『さいあんせいあん』「 作ったクイズをどんどん投下 」) タグ:雑学・その他 Quizwiki 索引 な~ほ
https://w.atwiki.jp/sinnsekai/pages/22.html
【支配者事件】-シハイシャジケン- 新世界のチャットが謎の『支配者』という男にハッキングされ乗っ取られた事件。 しかし本当はハッキングではなく、パスワードを知っていたメンバーのうちの一人がやってしまったおふざけである。 犯人は深く反省し、現在では新世界の要となっている。
https://w.atwiki.jp/ruriwo4989/pages/55.html
https://w.atwiki.jp/alolita_asai/pages/206.html
事件の概要 タヌキの身柄拘束に至るまで タヌキの釈放から麻薬取引失敗説への発展 エージェント暗殺説 名探偵Gomiの登場犯人はGomi 事件の概要 こる殺害事件とは、2010年12月30日にこるが殺害された事件。 こるの死体が発見された当初はデブのタヌキに 階段から突き落とされて死んだとする説が有力視されたため、 タヌキが身柄を拘束された。 しかしその後も大君による麻薬の取引失敗説、 エージェントによる暗殺説などがとびかうなど、 以前として「」板は混乱につつまれたままであった。 しかし名探偵Gomiの名推理によって、 無事事件は解決された。 タヌキの身柄拘束に至るまで 「こるがデブに突き飛ばされて死んだ」 この訃報が「」板を驚愕させた。 「」板警察総本部長、アズールムーンは ただちにこるを殺害した犯人であるデブの身柄を拘束するよう 部下の宇宙警察Starneonに命令したとされる。 しかし当時ある女に夢中になっていたStarneonは 近くを歩いていたデブのタヌキを 容疑者扱いしてそのまま留置所にぶちこみ、 自らは夜のネオン街の中に消えていったという。 タヌキの釈放から麻薬取引失敗説への発展 取調べと指紋認証の結果、タヌキが犯人でないことが発覚。 さらに、こるが死ぬ直前に大君とコンタクトをとっていたことから、 麻薬の取引に失敗して激怒した大君が殺害したのではないか、 という説が新たに生まれた。 これを聞きつけたアズールムーンは ただちにこるを殺害した犯人である大君の身柄を拘束するよう 部下の宇宙警察ジョンバンニに命令したとされる。 しかしジョンバンニが捜査の途中、 幼女(8歳)に恋をして行方不明になったため、 代役として宇宙刑事テルミドールが出勤。 大君は無罪だったが、テルミドールの厳しい取調べの結果死亡した。 エージェント暗殺説 階段から気配を消してこるを突き落としたのは、 気配を消すことのできるエージェントしかありえない、 といった説も浮上。 これを聞きつけたアズールムーンは ただちにこるを殺害した犯人であるエージェントの身柄を拘束するよう 部下の宇宙警察妖光に命令したとされる。 しかし妖光はエージェント捜索の際に AKB48のゴリラに遭遇。 「やびゃあ」「やびゃあ」とはしゃいでいたところを 何者かに銃で撃たれ、妖光は死亡した。 その後もさまざまな警察官がくりだされるが、 そのたびに暗殺されたため、捜査は打ち切りとなった。 名探偵Gomiの登場 暗礁に乗りかかった事件を解決したのがGomiだった。 犯人はGomi という名言を残し、 名探偵Gomiはさまざまな証拠を集め、 見事に自分が犯人であることを立証。 ただちに逮捕され、事件は幕を下ろした。 .
https://w.atwiki.jp/dagamatome/pages/19.html
事件は今から約一年前の7月に過大過小スレ2で起こった。この事件はその後「だねえ」事件として語り継がれていくことになる。
https://w.atwiki.jp/zsphere/pages/2410.html
1785年(W) 首飾り事件 1972年(W) テルアビブ空港乱射事件
https://w.atwiki.jp/nankin1937/pages/16.html
佐藤和男氏(国際法学者)『南京事件と戦時国際法』 「正論」2001年3月号 筆者は昭和二年東京生まれ。二十年海軍兵学校卒業(第七十五期)。 二十七年東京商科大学(現一橋大学)卒業。三十四年から国連本部特別研究員となり、四十三年拓殖大学政経学部教授在任中の著書 『国際経済機構の研究』(新生社)で優れた国際法研究者を表彰する第一回安達峰一郎記念賞を受賞し、四十五年には一橋大から博士号取得。四十四年明治学院大学経済学部教授。四十九年青山学 院大学法学部教授、平成八年に同名誉教授。 十一年植草学園短期大学特任教授となり、十四年から十八年まで同学長を務めた。著書はほかに『国際法現代文献解説』(同)、『憲法九条・侵略戦争・東京裁判』(原書房)、編著に『世界がさばく東京裁判』(明成社)など。日本会議代表委員、憲法学会顧問。 日本国際経済法学会、世界法学会の理事も歴任した。 一、問題状況 日本陸軍が支那事変初期の南京攻略戦に付随して軍民三十万人の大虐殺(中国政府の主張)を行ったという"南京事件″なるものが、日本国民の耳目を聳動させたのは、いわゆる東京裁判から以後のことである。爾来、本事件は、その真相の実証的究明とは無関係に、現実に起きたものとマスコミや教育の世界で受けとめられ、暗鬱な夢魔のごとく日本国民を悩まし続けてきた。 東京裁判を傍聴し、国際法上理論的にも手続的にも疑問の多い同裁判が下した判決に示された"事件"の犠牲者数(十万~二十万人以上の間の異なった複数の数字が示されている)については、同裁判自体の合法性に対すると同様に、筆者は最初から強い疑念を抱かぎるを得なかったが、その数字はやがて中国共産党政府により三十万人と政治的に決定され、対日強圧政策の手段としての効用が重視されるに至った。 国家間に紛議を惹起している問題を解明するためには、筆者は次のような考察の三階梯が不可欠と考える。 (1)歴史的事実の確認、 (2)法的適否の判断、 (3)政治的意味の考究。 南京事件についていえば、右の(1)として、わが国の幾多の研究者の積年の努力によって、大虐殺論はほぼ完全に否認される状況に立ち至っていると、筆者は認識する。鈴木明、田中正明両氏の先駆的研究に続き諸調査が発表され、わけても財団法人・偕行社による『南京戦史(同資料集Ⅰ・Ⅱ』(初版は平成元年、増補改訂版は平成五年の刊行)が画期的といえる実証的かつ総合的な調査成果を世に示し、これらの業績を踏まえつつ、板倉由明、東中野修道、日本会議国際広報委員会等のそれぞれ特徴ある労作が公にされている。 本稿で筆者が試みるのは、右の(2)の考察であり、国際法の観点から、今日なお論議の余地ありとされている事件関連の問題点について、検討することとしたい。 二、支那事変と国際法の適用 昭和十二年七月七日夜、盧溝橋畔の日支両軍の武力衝突に端を発した支那事変(九月二日、北支事変から改称)は、昭和十六年十二月九日に支那政府(中華民国、蒋介石・国民党政権)が対日宣戦布告を行って、事変が大東亜戦争に包含されるまでの間、日支いずれの側も国際法上の正式の戦争意思(アニムス・べリゲレンディ)を表明しない「事実上の戦争」として性格づけられ、国際社会も、例えばアメリカやイギリスも、それを正規の(法律上の)戦争とは認めなかった。 しかし、一般的に国際武力衝突を規律する規範とされている戦時国際法(交戦法規といわれる部分)が、戦争の場合と同様に同事変にも適用されることには、異論の余地がなかった。 戦時国際法は、国際法全般の場合と当然ながら同様に、時代の進展に伴ってその内容を(比較的に急速に)変遷せしめている法体系であり、しかもその法源中の条約の持つ特殊性(締約国のみを拘束する)により、諸国が遵守すべき規範内容に差異が生じ得るものなのである。 本稿で重要なのは、支那事変当時に日支両国が共通に遵守義務を負っていた交戦法規の実態をその最重要なものとして「陸戦ノ法規慣例二関スル条約・(同付属書)陸戦ノ法規慣例二関スル規則」が挙げられる。 これは普通に一九〇七年ハーグ陸戦条約(規則)と呼ばれ、陸戦にかかわる交戦法規を集大成した基本法典的な性格を持つものであるが、日本は一九一二(明治四十五)年二月に、支那(中華民国)は一九一七(大正六)年五月にそれぞれその当事国となっていて、支那事変当時この条約が日支両国間に適用されるものであったことは明白である。南京攻略戦に関連する法的諸問題は大体において本条約の枠内における規律対象とされている。 後述するが、一九二九年のジュネーブ捕虜待遇条約は、当時、両国間に適用可能ではなかった。この当時、日本陸軍が交戦法規についてその遵守が基本的に肝要であると考えていたことは、昭和十二年八月五日の「交戦法規ノ適用二関スル件」と題する陸軍次官通牒(駐屯軍参謀長宛)中に見られる例えば次のような言葉から理解できる。 「日支兵干戈ノ間二相見ユルノ急追セル事態ニ直面シ全面戦争へノ移行転移必スシモ明確二判別シ難キ現状二於テ自衛上前記条約〔陸戦ノ法規慣例ニ関スル条約其ノ他交戦法規二関スル諸条約〕ノ精神二準拠シ実情ニ即シ機ヲ失セス所要ノ措置ヲ取ルニ遺漏ナキヲ期ス」、 「帝国カ常二人類ノ平和ヲ愛好シ戦闘二伴フ惨害ヲ極力減殺センコトヲ顧念シアルモノナルカ故二此等ノ目的ニ副フ如ク前述条約中害敵手段ノ運用等二関シ之カ規定ヲ努メテ尊重スヘク又帝国現下ノ国策ハ努メテ日支全面戦ニ陥ルヲ避ケントスルニ在ルヲ以テ日支全面戦ヲ相手側ニ先ンシテ決心セリト見ラルゝカ如キ言動(中略)ハ努メテ之ヲ避ケ又現地二於ケル外国人ノ生命、財産ノ保護、駐屯外国軍隊二対スル応待等ニ関シテハ勉メテ適法的二処理シ(中略)要ラサル疑惑ヲ招カサルノ用意ヲ必要トスヘシ」 三、捕虜の取扱いに関する法規 "南京事件″では「捕虜」にかかわる諸問題が格別に重視されているので、国際法上の捕虜の取扱いについて概観しておく。 捕虜の待遇は、近代国際法の交戦法規の中で特別の関心が払われてきたが、一八七四年のブリュッセル宣言(発効しなかった)の十二箇条が捕虜に関する法制を構想し、以後の関係条約中において具現されることになった。 一八九九年と一九〇七年のハーグ平和会議を機に、一八九九年ハーグ第二条約と一九〇七年ハーグ第四条約(前出の陸戦条約)との双方の付属規則に、捕虜に関する十七箇条の規定が設けられ、さらに他の一九〇七年ハーグ諸条約中の若干のものにも多少の関連規定が置かれた。 第一次世界大戦の経験を通じて右のハーグ規則十七箇条の不備と不明確性が明らかとなり、その欠陥は一九一七年、一九一八年に諸国間で結ばれた諸条約によって、一部是正された。一九二一年にジュネーブで開かれた第十回国際赤十字会議は、捕虜の取扱いに関する条約の採択を勧告し、一九二九(昭和四)年にスイス政府は、そのような条約の採択(および戦地軍隊の傷者・病者に関する一九〇六年ジュネーブ条約の改正)のために外交会議を招集して、「俘虜(捕虜)ノ待遇二閑スル条約」を同年七月に正式に採択せしめるに至った。 この一九二九年ジュネーブ捕虜条約は、一八九九年、一九〇七年のハーグ陸戦規則中の捕虜に関する諸規定をある程度補足し改善する意義を有していた。 右条約は、支那事変当時、日支両国間の関係には適用されなかった。支那(中華民国)は一九三六年(昭和十一)年五月に同条約に加入していたが、日本は未加入であったからである(本条約は、条約当事国である交戦国の間で拘束力を持つ)。 ちなみに、大東亜戦争が開始された直後の一九四一(昭和十六)年十二月二十七日の連合国側の問合わせに対して、日本政府は翌年一月二十九日に、未批准の一九二九年捕虜条約の規定を準用すると回答している。準用とは「必要な変更を加えて適用する」との意味である。しかし、連合国側は、あえて準用を批准 とほぽ同義に解釈したのである。 以上見た限りにおいても、捕虜に関する国際法上の規範の内容が時代の進展とともに変化(おおむね改善)せしめられていることが理解されよう。その規範の法源は十九世紀後半に至って慣習法から条約へと徐々に転換して成文化の道を辿ることになるのであ るが、各時代・各国家間関係に対応して現実に適用される関係法規の実体の認定に際して、厳密な注意が要求されることは、いうまでもない。 現在では「法規認定の補助手段」として国際裁判に際しても重要視されている卓越した国際法学者の「学説」を参照する場合にも、このことは忘れられては ならないのである。例えば、わが国で比較的に良く知られていて引用されることも多い『オッペンハイム国際法論』第二巻(永きにわたり戦時国際法の専門的な解説書として高く評価されてきた) にしても、原著者L・F・L・オッペンハイムの死去(一九一九年)の後、異なる改訂責任者による改訂版として、記述内容も必要に応じた訂正を加えて継続的に刊行されており、支那事変当時の戦時国際法状況を知るために適当と考え られる第三版(一九二一年)、第四版(一九二六年)、第五版(一九三五年)は、それぞれR・F・ロックスバーグ、A・D・マックネア、H・ラウターパハトという異なる改訂者の手に成るところの、内容に変化が見られるものであることに、留意すべきであろう。 以下、捕虜に関する実定法規の主要なものを簡略に説明する。 まず初めに、捕虜の定義であるが、支那事変当時日支両国間に適用されるハーグ陸戦規則には、具体的に示されてはいない。ここでは、両国間に適用されなかったものの国際的な意味が少なくなかった一九二九年捕虜条約の第一条(1)が掲げている「一九〇七年ハーグ陸戦規則第一条、第二条、第三条二掲クル一切ノ者ニシテ敵二捕へラレタル者」を便宜上念頭に 置くこととする。 右のハーグ規則三箇条は、交戦者の資格を、軍隊の構成員のみならず、 (1)部下ノ為二責任ヲ負フ者其ノ頭二在ルコト、 (2)遠方ヨリ認識シ得へキ固著ノ特殊 徽章ヲ有スルコト、(3)公然兵器ヲ携帯スルコト、 (4)其ノ動作二付戦争ノ法規慣例ヲ遵守スルコト、 の四条件を具備する場合、民兵と義勇兵団とにも認め(第一条)、敵侵入軍の接近に際して「抗敵スル為自ラ兵器ヲ操ル」群民蜂起を行う占領されていない地方の住民にも、「公然兵器ヲ携帯シ、且戦争ノ法規慣例ヲ遵守スル」ことを条件に同様に認め(第二条)、また兵力を編成する 戦闘員と非戦闘員とが両者等しく捕虜の待遇を受ける権利を有することを認めており(第三条)、交戦者としての正当な資格を有するこれらの者が、国際法が認める捕虜としての待遇を享受し得ると定めるものであった。 ハーグ陸戦規則第四条は「俘虜ハ、敵ノ政府ノ権内二属シ、之ヲ捕ヘタル個人又ハ部隊ノ権内二属スルコトナシ」と規定するが、往昔、捕虜が捕獲者たる将兵の個々の権内に属して、彼等に生殺与奪の権を握られることがあったのである。 「敵ニ捕へラレタル者」が交戦者としての適法の資格を欠く場合には、単なる被捕獲者に過ぎず、国際法上正当な捕虜であり得ないことは理論上明白である}が、現実の戦場でのこの点についての識別が実際上困難な場合もあり、紛糾を生ずる原因ともなり易い。 第二次世界大戦の経験に鑑みて、一九二九年捕虜条約をさらに大幅に改善し拡大した一九四九年のジュネーブ第三条約(捕虜の待遇に関する条約)の第五条は、「本条約は、第四条に掲げる者〔捕虜の待遇を受ける資格のある者〕に対し、それらの者が 敵の権力内に陥った時から最終的に解放され、且つ送還される時までの間、適用する」、「交戦行為を行って敢の手中に陥った者が第四条に掲げる部類の一に属するか否かについて疑いが生じた場合には 、その者は、その地位が権限のある裁判所によって決定されるまでの間、本条約の保護を享有する」と規定している。 一九四九年捕虜条約は、一九二〇~三〇年代の捕虜に関する国際法規に比較して飛躍的に進歩した内容を示していて、もちろん支那事変当時の関連諸問題に直接影響を与えるものではないが、少なくとも右の第五条に見られる「敵の手中に陥った者」のことごとくが「敵の権力内に陥った者」(捕獲国から国際法上の捕虜としての待遇を保証された者)とは限らないことを示唆している点において、注目に 値しよう。 交戦法規中捕虜関係のすべてを詳論する余地は本稿にはないが、問題の難しさを示す実例を一つ挙げておきたい。 捕虜法規がようやく慣習法の域を脱しつつあった一九〇一年、独立を日ざすフィリピン人民の部隊とアメリカ軍とが戦っていた時、アメリカ陸軍の ジェイコブ・H・スミス准将は、史上悪名高き次の命令を発した。 「捕虜は要らない。殺せ、焼け。多ければ多いほど良い。サマル島内を荒涼たる原野にしてしまえ。武器を持って手向かう者は皆殺せ、十歳以上は殺せ」。 彼は軍法会議で裁かれたが、結局、退役に追い込まれただけであった。 四、"南京事件"関連の重要法規 戦時国際法上、戦闘に際して、正当な資格を有する交戦者は各種交戦法規の遵守を義務づけられているが、軍隊構成員または民間人が敵国に対して交戦法規に違反する行為をすれば、それは戦争犯罪と認められて、相手方の交戦国は、当該行為者を捕えた場合に処罰できるものとされてきた。 戦争犯罪を構成する行為としては、 (1)軍隊構成員による一般的交戦法規の違反行為、 (2)軍隊構成員ではない個人の武力による敵対行為、 (3)間諜(スパイ)と戦時反逆、 (4)剽盗(戦場をうろついて軍隊につきまとい、略奪、窃盗、負傷者の虐待・殺害、死者の所持品の剥奪などをする行為) の四種類に伝統的に大別されてきた。 右の諸行為のうち、間諜と戦時反逆が特殊な性格を持つものであることは、留意されなければならない。両方の行為はいずれも交戦国が実行する権利を国際法上認められており、しかも相手方の交戦国がその行為者を捕えた場合にこれを処罰する権利もまた認められているのである。 違法ではない行為が処罰されるのは、一見法理的に矛盾しているが、それらの行為の害敵手段としての有効性とそれに基づく交戦諸国の現実的要求の前に法規が譲歩したものと考えられる。 前記四種類の戦争犯罪のうち、戦時反逆については多少の解説をしておく必要がある。それは、交戦国の権力下にある占領地、作戦地帯、その他の場所において、当該交戦国に 害を与えその敵国を利するために、私人たる敵国国民、中立国国民、または変装した敵国軍人が行う行為を指している。 この種の有害行為は、敵国軍人が正規の軍服を着用して行う場合には戦時反逆にならないが、民間人に変装して行えば戦時反逆となる。その具体的内容はきわめて多岐にわたるが、 敵側への情報の提供、軍・軍人に対する陰謀、軍用の交通機関・資材の破壊、諸手投による公安の妨害、敵兵の蔵匿隠避、出入禁止区域への出入、強盗なども含まれている。 戦争犯罪は、それを実行した個人が責任を問われるというのが原則であり、軍隊構成員という国家機関の行為でも、責任は国家に帰属せずに個人責任が問われるのが常である。 各国軍隊は、軍律を制定して、戦争犯罪(一般的交戦法規違反とは特に区別して戦時反逆を取り上げている場合もある)を処罰の対象として規定し、軍律違反者たる戦争犯罪人を、軍の審判機関(軍律法廷)を通じて処罰するのが慣例であった。 軍律法廷は純然たる司法機関ではなく、統帥権に基づく機関であって、むしろ行政機関、あるいはせいぜい準司法機関というべきものである。その行う審判は、機能的には軍事行動と把えるのが正確であり、その本来の目的は、戦争犯罪を行った敵対者の処断を通ずる威嚇によって、究極的には(占領地・作戦地帯における)自国軍隊の安全を確保することにあった。そのため、審判の手続は簡易にされ、軍罰(たいてい死刑)の執行は迅速であった。 軍律法廷の法的根拠は、国内法上は憲法に定める統帥権に、また国際法上は軍が行使する交戦権、わけても「敵国ノ領土ニ於ケル軍ノ権力」(ハーグ陸戦規則第三款)に存する。 なお付言すれば、大東亜戦争中に正しい手続に従って厳格に実施されたわが国の軍律審判を、戦勝連合国軍(占領軍)の軍事法廷が犯罪視してその責任を追及したことは、将来に向けて重大な疑問と課題を残すものであった。 第二次世界大戦後に締結された一九四九年ジュネーブ捕虜条約(前出)の第九十九条は「捕虜は、実行の時に効力があった抑留国の法令又は国際法によって禁止されていなかった行為については、これを裁判に付し、又はこれに刑罰を科してはならない」と、新機軸として「国際法」という言葉を加えた規定を行い、以下の諸条項において裁判手続を確定している。 一九二九年ジュネーブ捕虜条約も第六十条以下において裁判手続について規定していたが、戦争犯罪事件に関与した他の幾つもの裁判所と同様に、アメリカ連邦最高裁判所が、第六十条は戦争犯罪の責任を問われる捕虜に適用されるものではなく、捕虜となっている期間中に行われた犯罪のみを規定対象とするものだと主張していたことは、重要な意味を持つ。 次に、ハーグ陸戦規則第二十三条(ハ)は「兵器ヲ捨テ又ハ自衛ノ手段尽キテ降ヲ乞へル敵ヲ殺傷スルコト」を禁止し、同条 (ニ)は「助命セサルコトヲ宣言スルコト」を禁止している。 しかし、激烈な死闘が展開される戦場では、これらの規則は必ずしも常に厳守されるとは限らない。 『オッペンハイム国際法論』第二巻の第三版一九二一年)は「戦闘に伴う憤怒の惰が個々の戦士にこれらの規則を忘却、無視させることが多い」と嘆いているが、このまったく同一の言葉が、同書の第四版(一九二六年)にも、さらには弟六版(一九四〇年)にも、第七版(一九五二年)にさえも繰り返されている。 学説上では、助命を拒否できる若干の場合のあることが広く認められている。 第一は、敵軍が降伏の合図として白旗を掲げた後で戦闘行為を続けるような場合である。一般に、交戦法規は交戦国相互の信頼に基づいて成立しているので、相手方の信頼を利用してそれを裏切ることは、「背信行為」として禁止されている。具体的には、休戦や降伏をよそおって相手方を突然に攻撃すること、戦闘員が民間人の服装をして攻撃すること、赤十字記章や軍使旗を不正に使用すること、などがその代表的なものである。 なお、優勢に敵軍を攻撃している軍隊に対して、敵軍が降伏の意思を示すペき白旗を掲げた場合、攻撃軍の指揮官は、 白旗が真に敵指揮官の降伏意思を示すものであると確信できるまでは、攻撃を続行することが法的に許されており、攻撃を停止しなければならない義務はなく、戦場における自己の安全の確保のために交戦者の主体的判断が尊重される事例となっている。 第二に、相手側の交戦法規違反に対する戦時復仇としての助命拒否であり、相手方の助命拒否に対する復仇としての助命拒否の場合もある。 一般に戦時復仇とは、交戦国が敵国の違法な戦争行為を止めさせるために、自らも違法な戦争行為に訴えて敵国に仕返しをすることをいう。 前出『オッペンハイム国際法論』第二巻(第四版・一九二六年)は「捕虜が、敵側の行った違法な戦争行為への復仇の対象にされ得ることには、ほとんど疑いがない」と述べている。一九二九年捕虜条約は新機軸を打ち出して、捕虜を復仇の対象とすることを 禁止した。 第三は、軍事的必要の場合である。交戦国やその軍隊は、交戦法規を遵守すれば致命的な危険にさらされたり、敵国に勝利するという戦争目的を達成できないという状況に陥るのを避ける極度の必要がある例外的場合には、交戦法規遵守の義務から解放される}という戦数(戦時非常事由)論が、とりわけドイツの学者によって伝統的に強く主張されてきたが、その主張を実践面で採用した諸国のあることが知られている。 この「軍事的必要」原則は、第二次世界大戦後の世界においてさえも完全には否認されていない。例えば、ミネソタ大学のG・フォングラーン教授は、無制限な軍事的必要主義は認めないものの、「必要」に 関する誠実な信念や確実な証拠が存在する場合には、この原則の援用や適用を容認している。 もっとも、同教授は、極度の緊急事態の不存在や、軍事的成功への寄与の欠如が明らかにされたならば、軍事的必要を根拠にした違法行為は、戦争犯罪を構成するものになると警告している。 わが国の戦時国際法の権威である竹本正幸教授も「予測されなかった重大な必要が生じ、戦争法規の遵守を不可能ならしめる場合もあり得る」と認めている。 ちなみに、オッペンハイムの前記著作第三板(一九二一年)は、「敵兵を捕獲した軍隊の安全が、捕虜の継続的存在により、死活的な重大危険にさらされる場合には、捕虜の助命を拒否できるとの規則がある」と主張している。同書第四版以降の改訂者は、同規則の存続は「信じられない」との意見を表明している。 学界の通説は、右のような場合には、捕虜は武装解除された後解放されるべきであるというものである。 一般に国際武力衝突の場合に、予想もされなかった重大な軍事的必要が生起して交戦法規の遵守を不可能とする可能性は皆無とはいえず、きわめて例外的な状況において誠実にかつ慎重に援用される軍事的必要は、容認されてしかるペきであるという見解は、今日でも存在しているのである。 なお第二次世界大戦末期に連合軍が日本の六十有余の都市に無差別爆撃を加え、広島、長崎には原子爆弾を投下するという明々白々な戦争犯罪行為を、"軍事的必要″を名目にして行った事実は、日本国民がよく記憶するところである。 五、結論的所見 これまでに概観した戦時国際法の関連法規に照らして、南京攻略戦での日本陸軍の行動の一部始終(詳述は割愛)を点検すると、きわめて厳しい軍事情勢の下にありながら、戦闘部隊が交戦法規の遵守に非常に慎重な考慮を払い、激戦中にも能う限りの努力をそのために払った事実が明らかにされ、筆者などむしろ深い感動を覚えざるを得ないのである。 在支駐屯軍に交戦法規の尊重を求めた昭和十二年八月五日の陸軍次官通牒については既に見たが、南京攻略戦の開始にあたり、中支那方面軍司令官・松井石根大将が国際法顧問の斎藤良衛博士の意見を 徴して作成した「南京城攻略要領」(十二月七日、全軍に示達された)中の「注意事項」を見ても、交戦法規遵守への日本軍のなみなみならぬ決意が知られる。 その内容を略記すると、次のとおりである。 (1)将来ノ模範タルヘキ心組ヲモッテ、不法行為等絶対二無カラシムル、 (2)軍紀風紀ヲ特二厳粛ニスル、 (3)外国権益・外交機関二接近セス、中立地帯(安全区)ニハ必要ノ外立入ヲ禁シ所要ノ地点二歩哨ヲ配置ス、中山陵等ニモ立入ヲ禁ス、 (4)城内外国権益ノ位置等ヲ徹底セシメ絶対二過誤ナキヲ期ス、 (5)掠奪行為ヲナシ又火ヲ失スルモノハ厳罰二処ス、多数ノ憲兵ヲ入城セシメ不法行為ヲ摘発セシム。 攻略戦展開に伴う国際法関連の問題点は幾つも指摘されているが、紙面の制約上、最も議論の喧しい二つのものに限定して考えたい。 その一は、「安全区」に遁入・潜伏して、便衣(民間人の平服)に変装した支那兵の摘出・処断である(その具体的な人数等に関しては、『南京戦史』 三四二~三四三頁の第五表に詳しい)。 右の安全区は、南京在住の第三国人有志が十二月初めに南京安全区国際委員会という非政府機関を設立して、南京城内の特定区域(三・八平方㌔)を難民のための中立地帯として設定し、外交ルートを通じ日本側にもその保証を求めてきたものである。 国際法でいう中立地帯とは、交戦国間の合意に基づいて設定され、敵対行為に参加しないか、または戦闘外に置かれた非戦闘員・住民を軍隊の作戦行動の影響から保護することを目的とするものであるが、日本軍当局は、右委員会の中立性維持能力を危ぶんで、この安全区を正規の中立地帯として公式に承認することはしなかったが、軍隊の立入禁止区 域の設定という趣旨は諒として、事実上安全区の存在を尊重する-もちろん、支那軍による同様の尊重が必須の条件とされたが-ことにしたのであった。 南京城内外での激戦の結果、安全区内に遁入・潜伏する支那敗残兵の数は少なくなかった。 一般に武器を捨てても(機会があれば自軍に合流しようとして)逃走する敵兵は、投降したとは認められないので、攻撃できるのである。安全区に逃げ込んだ支那兵は、投降して捕虜になることもできたのに、それをしなかったのであり、残敵掃討が諸国の軍隊にとってむしろ普通の行動であることを考えると、敗残兵と確認される限り、便衣の潜伏支那兵への攻撃は合法と考えられるが、安全区の存在とその特性を考慮に入れるならば、出入を禁止されている区域である安全区に逃げ込むことは、軍律審判の対象たるに値する戦争犯罪行為(対敵有害行為)を構成すると認められ、安全区内での摘発は現行犯の逮捕に等しく、彼らに正当な捕虜の資格がないことは既に歴然としている。 兵民分離が厳正に行われた末に、変装した支那兵と確認されれば、死刑に処せられることもやむを得ない。 多人数が軍律審判の実施を不可能とし(軍事的必要)― 軍事史研究家の原剛氏は、多数の便衣兵の集団を審判することは「現実として能力的に不可能であった」と認めている―、また市街地における一般住民の 眼前での処刑も避ける必要があり、他所での執行が求められる。したがって、問題にされている潜伏敗残兵の摘発・処刑は、違法な虐殺行為ではないと考えられる。 その二は、戦闘中に集団で捕えられた敵兵の処断である。同じように戦闘中に捕えられながらも釈放された支那兵が多数いたことを見れば(前出『南京戦史』第五表を参照)、日本軍の側に捕えた敵兵を組織的に絶滅させる計画的な意図が無かったことは明白である。具体的な 熾烈な戦闘状況を調べてみると(本稿では詳述する余地がない)、日本軍の関係部隊には緊迫した「軍事的必要」が存在した場合のあったことが知られる。 『オッペンハイム 国際法論』第二巻が、多数の敵兵を捕えたために自軍の安全が危殆に瀕する場合には、捕えた敵兵に対し助命を認めなくてもよいと断言した一九二一年は、第一次世界大戦の後、一九二九年捕虜条約の前であって、その当時の戦時国際法の状況は、一九三七年の日支間に適用されるペき戦時 国際法の状況から決して甚だしく遠いものではないことを想起すべきであろう。 支那側の数々の違法行為(通州事件を含む)に対する復仇の可能性、和平開城の勧告を拒絶して、結果的に自国の多数の良民や兵士を悲惨な状態に陥れた支那政府首脳部の責任、右の勧告を拒絶されながら、防守都市南京に対する無差別砲撃の権利の行使を自制した日本軍の態度、など関連して検討すべき法的問題点はなお少なくない。 合計: - 今日: - 昨日: - トップページの合計: -
https://w.atwiki.jp/shoupa_gogo/pages/11.html
リヴリー事件記 ここではリヴリーで起こった事件を書き込みます。 誰でも書き込んでよいです。 新しい情報を載せるときは古い情報を消して新しい情報を お書き込みください。しかし、その情報がここに載せてから 一ヶ月たってない場合は情報を上書きすることは できません。 【新情報】 ソネット詐欺!? 最悪最低大事件! (2/24) 07年2月24日 その事件は起こった。 私が気づいたのは腹減りリヴリーに餌をあげようとした時である 餌をあげても満腹度が増えない という事態が発見されたのである 小パの皆に聞いてみたところ 同じ現象が起こっていた。 何と中にはYMアイテムを買ったのにYMだけ引かれていて アイテムが追加されてないという事件があった。 これは現金詐欺だ ソネットは詐欺会社 などという声がでるなか ソネットへの苦情メールは殺到。 メールが送れないという事態まで起こり、最悪な事態となった この事件はまだ解決していない