約 1,737,438 件
https://w.atwiki.jp/bplib/pages/1353.html
在庫引き当て public activity 作成日 2008/05/05 22 04 59 更新日 2008/05/05 22 05 02 プロジェクト 作者 bpml.org バージョン 1.0 フェーズ 1.0 状態 設計中 複雑度 簡単 追加情報 GUID {3D689020-5DF9-4e61-965D-21668CE2FF51} ダイアグラム 商品納入 フロー ターゲット フロー ソース タグ付き値 追加プロパティ 要素 名前 発注数計算 Activity «SequenceFlow» 詳細 要素 名前 エラーチェック Activity «SequenceFlow» 詳細 タグ 値 詳細 ActivityType Task Values Task,Sub-Process Default Task AdHoc false Values true,false Default false AdHocOrdering Parallel Values Sequential,Parallel Default Parallel Implementation Unspecified Values Other,Web Service,Unspecified Default Unspecified Instantiate false Values true,false Default false IsATransaction false Values true,false Default false IsCompensation false Values true,false Default false LoopTestTime After Values Before,After Default After LoopType None Values None,Standard,MultiInstance Default None MI_FlowCondition All Values None,All,One,Complex Default All MI_Ordering Sequential Values Sequential,Parallel Default Sequential StartQuantity 1 Default 1 Status None Values None,Active,Ready,Aborting,Cancelled,Aborted,Completing,Completed Default None SubProcessType Embedded Values Embedded,Independent,Reference Default Embedded TaskType None Values Service,Receive,Send,Script,User,Manual,Reference,None Default None プロパティ 値 isReadOnly false 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/teitoku_bbs/pages/1301.html
114 :名無し三流 ◆Mo8CE2SZ.6:2012/08/07(火) 23 03 59 1917年、革命という名の暴力的な産声を上げ産まれた国ソビエト連邦は、 それから四半世紀ほどを経て建国以来最大の困難に直面する。そう、『八月蜂起』だ。 経済力・技術力・軍事力…………全てが疲弊した国内の現状を無視して、 なおもドイツとの戦争を続けようとしたソビエトの最高権力者スターリンは、 かつての腹心達からの忠誠すら失っていた。反スターリン派は彼らの参入により一挙に勢力を増し、 ついに8月15日、反スターリン派はクレムリン、NKVD本部などを中心に蜂起した。 この第二の革命によってスターリン体制は倒れ、内務をラヴレンチー・ベリヤ、 軍事をゲオルギー・ジューコフ、外交をヴャチェスラフ・モロトフが主導する、 所謂『八月トロイカ体制』が成立。ソビエト連邦は戦災からの復興へ乗り出した。 提督たちの憂鬱 支援SS ~After八月蜂起~ 八月トロイカ体制が全力で取り組んだのは、スターリン時代に行われた全てを否定する事だった。 その代表的なものが、「ソビエトは正教徒と戦争し、その余力でドイツとも戦争していた」 などといわれる程に激しかった宗教規制の緩和である。 スターリン時代、ロシア正教の信者はアメリカ風邪感染者に等しい扱いを受けており、 スターリンの命令で信者ごと焼き払われた教会は数知れない。彼はその意味で織田信長を超える男だった。 そんな彼の行為を否定した新政府は、宗教規制緩和の手始めとして『イコン所持の自由化』を布告した。 所持できるイコンは政府公認のもののみであり、それを購入するには相当な資金が必要ではあったものの(※1)、 同時に日本の助言を受け、農民・労働者に生産物の一部を自己責任の下自由に処分する事を認める『生産責任制』を敷き、 彼らに金を稼げばイコンを所持できるという希望を持たせる事で労働意欲の改善を目指した。 115 :名無し三流 ◆Mo8CE2SZ.6:2012/08/07(火) 23 04 32 また、スターリン時代の民間需要を無視した軍事最優先の計画経済も改革が進められていく。 その手始めとして、地域の需要に即した経済を構築するため、新しく『人民市場』という試みが始まった。 これは同時期に作られた『隣人組合』(※2)同士の協力により市町村単位で開かれる市場で、 大型の掲示板に住民一人一人が供給不足の品、供給過多の品を貼り出す事で、互いに余っている物、 足りない物を認識し、それらを自由に交換ないし売買できるようにするという物だった。 しかしこれは失敗に終わる。人民市場が機能するには十分な需要と十分な供給が必要だが、 ソ連では元々需要に対して供給が圧倒的に少なかった上に、農家が作物を出し惜しみした事によって、 最も重要な品目である食品の供給が極僅かしかなかったのだ。 政府側も備蓄の放出はしていたが、それらは全てロシアの広大な大地に吸い込まれて消えていった。 仮に1億円あっても、それを1000万人で分割すれば1人には10円しか行き渡らないのと同じである。 さて、人民市場の失敗だけでなく、極東偏重の工業化政策や共産主義の理想とは程遠い奴隷労働により、 八月トロイカ体制の立場も非常に危ういものではあったが、そんな彼らの政策の中でも一際異質な物があった。 それこそ、ラヴレンチー・ベリヤが中心となって進めた性犯罪撲滅運動である。 116 :名無し三流 ◆Mo8CE2SZ.6:2012/08/07(火) 23 05 09 独ソ戦、特に後期の独ソ戦は、後にイギリスや日本の歴史家から 「原始人が近代の武器を手に戦った」(※3)と揶揄される程のモラルハザードが起きていた。 ソ連側では武装親衛隊の捕虜は取らないのが常識だったし、ドイツ側もパルチザンには容赦無かった。 ソ連はこの戦争で百万人を超える女性を軍に動員したのだが(※4)、 これら女性兵士は敵味方から暴行の対象になる事が少なくなかった。 ドイツ兵のそれはともかく、ソ連兵のそれは当初政府と軍によって組織的に隠蔽されてきた。 しかしスターリンが倒れると、ベリヤはこの事実を隠していた者達を徹底的に暴き出して処罰、 ジューコフも赤軍建て直しのため綱紀粛正に乗り出す。ベリヤとは犬猿の仲で知られていたモロトフでさえ、 対外イメージ回復のためベリヤへの協力は惜しまなかったという。 また、ベリヤは赤軍だけでなく官民内部における同様の問題についても厳しく対処した。 性犯罪に対するベリヤの攻撃の激しさは史実を知る人間からすればおよそジョークとしか思えない物で(※5)、 特に彼の"身内"であるNKVD内の容疑者に対しては史実連合赤軍も裸足で逃げ出す程の苛烈な懲罰が科せられた。 関係者の証言によれば内容は多岐に渡り、時にはベリヤ自身が死刑を執行した事もあったそうだ(※6)。 これら過激な撲滅運動によってソ連国内の性犯罪件数は19世紀のインディアンの人口を超える勢いで減少。 この政策は悪名高い『インディアン絶滅政策』をもじった訳ではないが国内外から『性犯罪者絶滅政策』とまで呼ばれるようになった(※7)。 後にドイツでもこれをモデルにしたと見られる動きが『道徳再建運動』の名で広まり、日本でも性犯罪への取り締まりは強まっていく。 ベリヤは勿論多くの被害者から感謝されたが、その裏には多くの冤罪被害があった事は紛れもない事実である。 政治的敵対者を追い落とすために性犯罪をでっち上げるなどといった事例は、監視の厳しい中央ならまだしも地方では多々あり、 無実の罪より命を失った者は1万人を優に超えると見られている(※8)。 八月トロイカ体制は、実行される政策の成功、失敗如何を問わず少なくない犠牲を払っていた。 日本の専門家達(世界レベルで見れば道徳的)はこの体制を指して「スターリン時代との違いは磨り潰す対象だけ」などと揶揄したが、 ついにこの性犯罪撲滅運動だけは日本人からでさえ大きな批判を受ける事は無かった。 そう。肩書きこそ違えど、どちらにも、弱者たちの犠牲があったにも関わらず…… ~ f i n ~ 117 :名無し三流 ◆Mo8CE2SZ.6:2012/08/07(火) 23 05 42 (※1) 価格は1人の目線で見るととても買えそうにない程だったが、 集団で資金を貯めれば買えなくもないように見えるというものだった。 この価格設定は日本の大蔵省がアドバイスしたものという説がある程絶妙のラインである。 また、労働態度や生産効率の良い労働者にはイコン購入の割引券などの特典が付き、 これもソビエト労働者の生産意欲改善に少なからず貢献した。 さらに、スターリン時代は苛烈な弾圧を進めるソビエトに対して一致団結していたロシア正教徒を、 「イコンを金儲けに使うとは許せん」という一派と、「規制緩和を素直に喜ぼう」という一派に分裂させる事もできた。 (※2) 思想統制や統制物の配給のため、市町村で5~10世帯を1組として作られた組織。 史実日本の隣組とほぼ同一の特徴を持ち、「互助精神・愛国心の育成」が編成の表向きの名目。 (※3) どちらが原始人かを言わないのは彼らなりの配慮である。 当の独ソは当然ながら、この言葉について原始人とは相手の事だと解釈していた。 (※4) 動員された女性は衛生兵から工兵、狙撃兵から対戦車特殊攻撃隊(武器は何と収束手榴弾!)まで、 とにかく思いつく限りの仕事が与えられた。勿論男性兵士の"慰安"も仕事の1つだった。 (※5) ただし、攻撃の程度には被害者の年齢が大きく関わっていた事に注意しなくてはならない。 1945年から1950年までの間、ソ連において性犯罪容疑で死刑判決を受けた者の内訳は、 被害者が16歳以下の容疑者が78%、17歳以上の容疑者が22%であり、 また、判決から死刑執行までの期間は前者が平均4時間、後者が平均3日と大きな差がある。 日本の近現代ロシア史研究家の多くが、この処遇の差はベリヤの個人的嗜好によるものだとしている。 (※6) ベリヤのこのような行為は、その地位が似通っているドイツのヒムラーとよく対比される。 ベリヤが直々に行った処刑で最も残酷な物として知られるのが、6歳の少女に対する集団暴行事件におけるもので、 容疑者は何と『石打ち』(対象者に大勢で石を投げつけて死なせる)によって殺害された。 しかも刑の執行は一般公開の形が取られ、観衆の石投げ参加が許可されるという異例の事態となった。 (※7) 当時のアネクドート(ロシアのジョーク)の中には、 「10トンの小麦に手を出すより、10歳の娘に手を出した方が重罪」というものまである。 (※8) 無実の罪で検挙されながらも奇跡的に身の潔白を証明して生き延びた赤軍大佐(当時)イワン・P・クリンの著書、 『それでも私はやってない』が当時の取調べの苛烈さ、冤罪を食い物にする人々、冤罪被害者の悲哀を生々しく描いている。
https://w.atwiki.jp/teitoku_bbs/pages/1064.html
955 :名無し三流 ◆Mo8CE2SZ.6:2012/05/16(水) 19 43 10 ポルシェのデザイン事務所で、複数人の男達がスクリーンに映し出される写真に見入っていた。 サンタモニカ会談の際に発表された日本軍の新型戦車、いわゆる『四式重戦車』である。 主な写真はパレード中に遠距離から撮影したものだが、中には接近して撮影したものもある(※1)。 「これがJAPANの新型か……」 「うわぁ…砲は100ミリですね、何だこれは、たまげたなぁ」 蛇の道は蛇。彼らは長くドイツの戦車開発に携わってきた技師達である。 故にたかが写真といえど、彼らはそこから四式戦車について多くの事を見出す事ができた。 提督たちの憂鬱 支援SS ~最終鬼畜戦車フェルディナント・P~ そのため、事務所内には次第に「ざわ…ざわ…」とした空気が広がりつつあった。 日本という名の強力なライバルの存在が、彼らの内なる闘志に火をつけたのだ。 (絶対に、これを超える戦車を作ってやるぞ………!) そして事務所の主であるフェルディナント・ポルシェも、内なる闘志に火をつけた1人だった。 「日本の新型戦車に対抗するには革新的かつ未来的、現代の10年先を行くようなアプローチが必要だ。 連中が今まで我々を驚かせてきた手段で、今度は我々が連中を驚かせてやる!」 ポルシェはそう言って、部下の技術者達に発破をかけたという。 (あの戦車、どう考えても50tはあるだろう。しかしながら鈍重さをあまり感じさせない、 むしろ洗練されてすらいるデザイン……おそらく足回りも高性能な筈だ) そしてポルシェと仲間達は悩み続けた。世界情勢を鑑みるに、これ以上の重戦車化は時代錯誤も甚だしい。 しかし、重量を制限しようとすれば火力、装甲に枷がかかる事になる。そして機動力にも。 軍用車両に使われるような高度なエンジンには、それ相応の重量というものがあるのだ。 956 :名無し三流 ◆Mo8CE2SZ.6:2012/05/16(水) 19 43 43 ある日、ポルシェは車に乗って通勤していた。頭の中はやはり、戦車の事でいっぱいである。 (無限軌道は何より設地圧の小ささが利点だ。それに重い物を支えるのにも向く。 しかし利便性やスピードでは装輪車両の方が圧倒的に勝っている……はっ!!) そこまで考えた時、ポルシェの脳裏に稲妻のようにある図が浮かんだ。 戦車の砲塔。これが8輪の装甲車らしきものの上に乗っかっているのだ。 それはこれまでのどの戦車も発揮し得なかった猛烈なスピードで爆走し、 発砲炎からうかがえる火力は従来の戦車から見ても申し分ない。 (装輪…………!!これだ―――――――!!!!) 一週間後――――。 アドルフ・ヒトラーは、ポルシェが直々に見せたい物があるというので楽しみにしていた。 ポルシェは兵器に手を出すと壮大な物を作りたがる癖があるのだが、彼はそこを気に入っていたのだ。 ヒトラーもまた、壮大な兵器が大好きなのである。 「ヒトラーさん(※3)、私は考えを変えましたよ。 まるで稲妻のように、アイデアが私の脳裏に焼き付けられたのです。」 来るなりそんな事を口走ったポルシェは、使用人に持ってこさせた模型をヒトラーに見せる。 957 :名無し三流 ◆Mo8CE2SZ.6:2012/05/16(水) 19 44 35 「……なんだね、これは?」 模型を見たヒトラーの第一声であった。 しかしこの反応を予め予想していたポルシェは気にせず説明を始める。 「"四式"に対抗して考えた、戦車の全くのニュータイプです。まだ構想段階ですが…… ご覧になっても分かる通り、8輪の車体に戦車並みの砲塔を備え付ています。」 エンジン馬力は…サスペンションは…等と専門用語の多用も厭わず熱弁を振るうポルシェ。 一方アドルフは、その話にあまり関心が無い様子である。率直に言って、余り強そうには見えないその姿が、 強そうな物が大好きである彼の興味を減じさせていたのだ。しかし気になる事もあり、質問する。 「それで………砲撃の反動はどうするのだね?アハト・アハトのそれとて伊達ではない。 "四式"に対抗するつもりだと言うのだから100mm砲ぐらいは積むつもりだろうが、対策はあるのだろうな?」 ポルシェは待ってましたとばかりに答えた。これこそ、彼が最も紹介したかった物の1つである。 「勿論ですとも!!火砲系の連中と会議する機会がありましてね、そこで出た新機軸ですよ。 これが砲本体の断面ですが、この薬莢に多数の穴が開いてる訳です。そして――――」 彼の語った機構は、アメリカの崩壊によって世に出る機会を失った無反動砲の方式の1つ、 史実ではクロムスキット式(※4)と呼ばれていたものだった。 958 :名無し三流 ◆Mo8CE2SZ.6:2012/05/16(水) 19 45 08 「むむむ………」 ヒトラーはポルシェの熱のこもった、しかし緻密な解説に、次第に唸りを見せ始めていた。 ポルシェの意見を要約するとこうなる。 まず、次世代の戦車は重装甲や大火力より、軽量さ、機敏さなど使い勝手が求められるという事。 そして装輪式は、装軌式よりも製造、整備面で楽であるという事。必要火力は新式無反動砲の開発で確保可能な事。 最後に――――その全てを満たすのが、自分の持ってきたアイデアである事。 確かにポルシェのアイデアは彼自身が言った通り、世界の10年も先を行くものだった。 後にこの時使われたポルシェの模型の複製が世に紹介されると、日本に住む転生者達は驚かされる事になる。 その模型は、転生者達が"前の世界"で見てきたストライカーMGSやチェンタウロに酷似していたからである。 こうして、ポルシェはまた1つ、世界にその名を残す事になった。 装輪であり、なおかつ大口径砲を搭載する、そう、『装輪戦車』の初めての構想者として。 惜しむらくは、当時のドイツの技術が彼のアイデアに追いつけず、 結局この案も提言された最初はお蔵入りになってしまった事であろう………… ~ f i n ~ 959 :名無し三流 ◆Mo8CE2SZ.6:2012/05/16(水) 19 45 43 (※1) この写真は、日本軍の情報収集を目的としたイタリア王国のスパイチーム(全員同郷出身)によりもたらされた物である。 スパイ達は警備班の交代時間等を彼らに悟られぬよう綿密に収集し、その隙を突いて車庫内の四式重戦車を相当近くから、 それも鮮明に撮影する事に成功した。さすがに車内までは調査できなかったものの、 イタリア本国ではこの写真が最有力の四式重戦車情報として『"Ⅴ"情報』のコードネームを与えられ (Ⅳにすると連想される恐れがある)、ヒトラーはイタリアからこれを手に入れるため色々と対価を支払わされたという。 ちなみに、このスパイ達の故郷には他地域より医療整備の予算が多めに下りたとか下りないとか…… (※2) 日本人は小柄らしいからこのぐらい乗れるだろう、と考えていた節がある。 (※3) ポルシェはどこまでも技術屋であった。そのため権力者に媚びるという事を知らず、 第三帝国総統に対しても"さん"付けするぐらいである。しかしヒトラーはポルシェの考える兵器が好きで、 その事をあまり気にしてはいない。 (※4)(Wikiコピペ) 砲弾の薬莢には多数のガス噴出用の孔が空いており、発射時にはその孔より噴出したガスを大型の薬室に一時溜め、 適度な初速を得るのに必要な砲腔圧力を発生させた後、砲尾から噴出させる。 反動低減効果とともに、ガスが一時的に閉じこめられているため、他の方式より砲弾の初速を得やすい。 また、薬莢の小孔から薬室へガスを導く際、砲のライフリングと逆向きに導く事により、 カウンタートルクを軽減させる構造のものもある。クルップ式同様に、通常の砲弾より大量の発射薬が必要となる。
https://w.atwiki.jp/teitoku_bbs/pages/2050.html
577 :名無し三流 ◆Mo8CE2SZ.6:2013/12/30(月) 18 46 37 「これはひどい」 北海道は道北の浜辺、冬将軍もいよいよその本領を発揮している頃。 漁師、郵便局員、巡査――皆分厚い防寒着で見分けがつかないが――達が集まり、口々にそう言った。 提督たちの憂鬱 支援SS ~極東より信頼をこめて~ 彼らが取り巻いていたものはあちこちに錆の目立つ鉄塊、ありていに言えば難破船である。 ぱっと見、全長が20mに満たない所からして漁船……それもあまり遠くへ出て漁をするものではない。 しばらくして、取り巻きの動揺を抑えつつ船の中へ入った巡査が外へ出てきた。 「……巡査さん、どうかね」 「まあ、駄目だな……中には仏様しかおらん。誰か郵便局に行って、支庁へ電報を」 漁村の住人達がそろって眉間に皺を寄せるのは、犠牲者の不運を思ってか酷寒の故か。 それともこれから待ち受けているだろう面倒ごとを思ってか。 かつて船だった無言の物体には、赤い星が描いてあったのだ。 578 :名無し三流 ◆Mo8CE2SZ.6:2013/12/30(月) 18 47 10 その後支庁、さらに札幌からも人が来て、じっと春の訪れを待つばかりだった漁村はにわかに騒がしくなった。 彼ら来訪者が主に確認したのはその難破船がソ連船籍である事、船内の乗組員が全員死亡している事、またその他の漂着物の有無。 発見直後の状況の記録や漁船が辿ってきただろう航路の推測のため漁民らが協力を求められる事もあったが、 概ねの事はごく事務的に終わり、季節が季節な事もあって漁村への来訪者はすぐに減っていった。 遭難、漂着したソ連漁船は一ヶ月程度で死体ごと片付けられてその母国へ返還され、 浜辺は綺麗に掃除された(さらにその上に雪が降り積もる事で痕跡はますます微かなものになった)が、 その悲惨な姿はこれを間近に見た村民らの脳裏からは消えなかった。 「まだ霧の酷い季節じゃない。たぶん舵が効かなくなるか何かあってここまで流されてきたんだろう」 「札幌の人に言われて船やそこの漁具なんかを見たが酷いものだった。 網なんかあちこち擦り切れてて、小さな魚はすり抜けるし大きな魚では穴をもっと大きくされる」 「それに船の中には酒瓶と焚き火の跡だ。もしあれがもう少し大きな火だったら……」 口々に名も知らぬソ連漁師の不幸を悲しむ漁師達。彼らは皆北海道で生まれ育った純日本人だが、 それ以上に同業者に対する仲間意識は強いものだった。男達は酷い状態の船で酷寒の海に出る事を強いられる程に、 あのロシア人は困窮していたのだろうと思いを馳せ、そしてある結論に達した。 「同じ海の恵みによって暮らす人間として、ボロ船に乗り命を落とす人々を座視する事はできない。 皆で寄付を集めて、彼らのためによりまともな船と漁具を工面するべきだ」 579 :名無し三流 ◆Mo8CE2SZ.6:2013/12/30(月) 18 48 07 勿論いち漁村でできる事はたかが知れている。しかし田舎漁師達のこの提案は村の巡査や郵便局員の賛同を得、 そこから口づてに札幌の新聞社やラジオ局へ、また内地へと、好意的あるいは消極的な意見と共に伝播していく。 その勢いは言いだしっぺである漁民達本人が腰を抜かす程であったという。 戦勝や経済的繁栄で国民全体に心的余裕があった事もプラスに働いてこの手の慈善に前向きな人々は多く、 一方でその対象がソヴィエトである事に難色を示す人も少なくない。だが最終的には前者の勢いがこれに勝った。 寄付者には浅沼稲次郎はじめ大物の名もあり、にわか仕立ての『蘇連邦漁業支援委員会』は中型漁船4(新造1、中古3)、 小型漁船21(新造2、中古19)、またこれらのために使う漁具の確保という当初の目標以上に大きな成果を挙げる事ができた。 日本政府もソ連政府も最初はこれに困惑を示したが、民間で自発的に、彼らの良心に基づいて行われている事であり、 特に実害も見られないためなし崩し的にこれを承認。委員会の集めた漁船は発案者となった漁民とロシア系日本人の協議のうえ、 『ヴェールヌイ(真実の/信頼できる)1号』~『ヴェールヌイ25号』と命名され、ソ連の漁師達へ寄贈されたのである。 その後、これを機に日本とソ連の間でお互いの漁業に関する本格的な交流・対話窓口が開かれた事、 またヴェールヌイ1号(寄贈されたものの中で唯一の新造中型漁船である)がいつの間にか労農赤軍に接収され、 発動機から構造材まで徹底的に調査の手が入った事、全ての発端となったソ連漁船について「実は亡命しようとしていたのでは?」 という疑惑が出たがメジャーにはならなかった事、逆行者の多くは某ブラウザゲームが登場する前に逆行しているため、 "そちら"方面ではほとんど騒ぎにならなかった事など様々な出来事があったものの、 この寄贈話は多くのソ連、日本国民の間で、典型的な美談の一つとして今も語り継がれているのであった…… ~ fin ~
https://w.atwiki.jp/teitoku_bbs/pages/2052.html
589 :名無し三流 ◆Mo8CE2SZ.6:2014/01/01(水) 19 06 43 大西洋大津波とその後の日本の躍進は、これまでの世界の政治的、経済的、 とにかくあらゆる枠組みをひっくり返した大事件だった。その衝撃は当然、宗教界にも及ぶ。 提督たちの憂鬱 支援SS ~憂鬱世界の宗教模様~ 1930~40年代、特に躍進したのが東方正教会(単に正教会、またはギリシャ正教会とも)だろう。 理由は単純に、彼らがこの時代最大の勝ち組である日本において、仏教や神道に次ぐ第三の宗教として、 その地位を確固たるものにしていたからだ。ロシア革命以降日本に亡命したロシア人達にとって、 正教会はロマノフの忘れ形見アナスタシアに匹敵する(ロシア皇室に縁の無い中流以下の階級にとってはそれ以上の) 精神的支柱であったし、それだけに布教活動も熱心なものであった。 ソ連国内での宗教弾圧の激化は日本の正教会にさらなる団結と熱意を与え、 八月のクーデターでソ連の宗教政策が緩和される頃には、ロシア正教会と日本正教会の勢力はほぼ逆転してしまっていた。 ソビエト成立前はロシア正教会が日本正教会を支援していたが、今や日本正教会がロシア正教会を支援しているのである。 ソ連では「日本租界に行けば手に入らない物はない」と言われたが、イコンや祈祷の場もそこにあった。 しかし問題が無かった訳ではない。正教会には彼らの暦の上にある各種の祭について、斎(ものいみ)という 食事の制限(対象は卵、乳製品、肉類、ワイン等)を含む準備期間があるが、これがなかなか日本になじまなかった。 日本における宣教師達は日本に根付いていた供養の思想などを交えるというアレンジで何とか納得させようとしたが、 日本人の間では「断食、食事制限は坊主・修行者のするもの」という意識があった事もあって苦戦を強いられ続け、 日本正教会は他国の正教会、また厳格な聖職者達から斎の不徹底について何度も苦言を呈される事になる。 ともあれ正教会が日本に確固たる地位を確立した事は彼らにとって大きな進歩には違いなく、 日本正教会は独立正教会の地位を得、名実ともに東洋における正教会の信仰の中心になったのである。 590 :名無し三流 ◆Mo8CE2SZ.6:2014/01/01(水) 19 07 18 日本に勢力を持つもう二つの宗教である神道、仏教も、正教会に伍する躍進を見せていた。 特に神道のもてはやされぶりは尋常ではなく、史実においては国家の後押しを受け「国家神道」と呼ばれた神道が、 国家の後押しよりも国民の後押しの方が存在感を持つようになり「国民神道」の様相を呈していた。 夢幻会中枢の中には、同じ読み方ができる某政党の事を思い出し軽い頭痛を覚える者もいたという。 各地の寺社には玉串料や寄進が絶えず、これによって維持が可能になり失われずに済んだ文化財も多い。 ただ寺社仏閣の周りで金が回るようになると、それ目当てのいかがわしい商売や関係者の世俗化を懸念する声も大きくなり、 1946年には政府によって玉串料・寄進その他について節度を保ち、怪しい考えは起こさないようにとの広報が出される。 正教会、仏教神道と違い苦しい状況に立たされたのがローマ・カトリックやイギリス国教会といった、 西ヨーロッパ中心のキリスト教だ。この時代に起きた戦争・災害の数々は虚無主義や無神論の跋扈とはいかないまでも、 少なくない人々の信心を揺らがせるには十分だった。またかえって宗教への帰依を深めた人々も先鋭化の危険という爆弾を抱え、 人々の心の傷を癒しつつも、彼らが軽挙妄動に出るのを抑えるという難しい仕事を抱え込む事になった。 この時カトリック圏のために最大の貢献をしたと言われるのが、時の教皇ピウス12世その人である。 枢機卿時代はドイツ、オーストリアなどと政教条約の締結を推進、かの国におけるカトリック教徒の安全を守り、 またヨーロッパ、アメリカへの訪問も頻繁に行っていた事で知られるが、ナチスのユダヤ人迫害には沈黙を続け、 この点で日本でのイメージはあまり良くなかった(右派批評家山口二矢氏の著作、『ヒトラーの教皇』などに顕著)。 だが大西洋大津波に際しては速やかにローマ教皇庁の財産による被災者支援を決断、 ポーランドのカトリック教徒についてはドイツによる迫害を逃れてきた数少ない亡命者をバチカンにかくまう他、 枢機卿を通じて裏で亡命の手引きをさせるなどの危ない橋を多く渡っている。ポーランドについての一連の動きは、 ナチスが過去にカトリックへ与えた様々な圧力に対する意趣返しではないかという見方もあるものの、 ピウス12世はこれらの業績によってローマ・カトリックの信徒から歴代教皇随一の尊敬を集めた。 591 :名無し三流 ◆Mo8CE2SZ.6:2014/01/01(水) 19 08 08 ローマ・カトリック以上の災難に見舞われたのはまず間違いなくユダヤ人、 あるいは北アメリカ地域のあらゆる宗教組織であろう。北米において彼らは根幹からと言うのも生ぬるいほどの打撃を受け、 カルト化するか、共産主義者など社会的に悪と見なされていたものを叩く事で何とか求心力を維持できているという状況だった。 対するユダヤ人もドイツによる迫害はもとより、アメリカ東海岸の壊滅で主だった財政基盤を失った事、 ヨーロッパ大陸では枢軸覇権の確立に伴って枢軸国以外のドイツ寄りの国々でも対ユダヤ圧力が強まった事で、 その影響力は大幅に減衰。イギリス勢力圏である筈の南アフリカでも親ナチス政党「牛車の番人」の扇動を受け、 ユダヤ人を狙った襲撃事件が多発。鉱山事業家アーネスト・オッペンハイマーを始め多くの人々が命を落とした。 これらの流れからは隔絶し、蚊帳の外にいるように見えるイスラーム圏やインドも、 これから多くの試練を迎えようとしている。モロッコからモーリタニア、さらにその南にかけてのアフリカ西岸では、 津波被害の影響を受けてベルベル人やアラブ人がにわかに先鋭化しており、中東からインドは日英枢軸の利害調整真っ只中、 特に英領インドは独立運動・宗教対立に関する落としどころへ見当だけでも付けておこうという動きがある中、 巨大サイクロンがセイロン、ベンガルを直撃するという天災に見舞われているのだ。これに影響された社会不安は、 宗教家とその信徒たちの血圧を上げ、かわりに沸点を下げるのには十分だ。 4000年以上の長きにわたって人々の精神的支柱であり、人々を繋ぐ「かすがい」であり、 また人々の対立、戦火の種でもあった宗教。これが20世紀後半に入りどんな顔を見せるかは、まだ分からない。 ~ fin ~
https://w.atwiki.jp/teitoku_bbs/pages/1297.html
109 :名無し三流 ◆Mo8CE2SZ.6:2012/08/05(日) 16 34 12 福建共和国は成立から発展まで、その全てが日本の強い影響下にあった。 しかし、所謂『勝ち組』の影響下であった事は福建にとっては僥倖であっただろう。 さらに言えば、戦後共和国に組み込まれた浙江省にとっても。 さて、日本の戦勝は多くの国民を喜ばせていたが、 それを素直には喜べない日本人もいた。それは食品や繊維など、軽工業の関係者である。 提督たちの憂鬱 支援SS ~福建共和国の軽工業~ 日本の国際的地位の上昇は日本円の価値が上がる事を意味していた。簡単に言うと円高だ(※1)。 そうなると輸出は著しく不利となり、また人件費の安い国――正に福建共和国がその1つだ――に、 軽工業の中心が移動してしまうのではないか、という現実味のある懸念があった。 そして外国からの安い製品の流入で国内での競争が著しく不利になるという懸念も。 この懸念を抱く相手は最初はアメリカや中国であり、そして福建になった。 しかしアメリカ・中国と福建の違う所は福建がれっきとした友好国であるという事だ。 さらに言えば福建共和国は今の所日本から最も近い国の中で最も信頼できる国であり、 そのため彼らの懸念通り日本から少なくない繊維・食品産業が福建への進出に乗り出したのである。 110 :名無し三流 ◆Mo8CE2SZ.6:2012/08/05(日) 16 36 06 だがこれは福建にとって好機であり、当然ながら福建はこのチャンスを逃さなかった(※2)。 福建共和国はすぐに外国資本による軽工業に対して税制優遇措置を取り、 福州市を始めとする幾つかの市に『経済特区』を設置。冒頭の繊維工業団地も、 法人税の減税などを看板にしてあの手この手で誘致した結果の1つだ。 これら外資による工場は増加傾向にあった福建の労働力の良い受け皿となり、 特に農村の次男坊、三男坊などは『金の卵』として青田買いされ(※3)これらの工場へ集団就職した。 一方農村では働き手こそ減ったものの、共和国はこれに対し農業機械の購入補助金を出すなどして対応した。 この農業機械は、その殆どが日本から格安値で払い下げられた中古品であった。 福建はこの後さらに軽工業を受け入れ、発展を続けていく。その勢いは一時『アジアの紡績機』と呼ばれる程であった。 一方日本の軽工業は福建共和国との単純な価格競争を避け、品質一番、価格二番へと価値観をシフトさせていった(※4)。 また、日本そのものが軽工業から重工業、そして先端技術開発へと産業の中心の変革を目指していった。 そして福建共和国のこの成功モデルは他の多くのアジア国家に重大な教訓をもたらし、 以後タイ、インドネシア、ビルマ、フィリピンなど東南アジアで同様の試みが広がっていく。 華南連邦との経済摩擦こそあったものの、両国そして両国のバックにいる国もその拡大を望まず、 華南は一次産業中心、福建は二次産業の中でも食品加工と繊維工業が中心と役割分担がなされた(※5)。 こうしてアジア各国と日本は、一方は優れた先進技術の、 一方は安価な商品の恩恵を受けつつ、強固な結束を築いていったのだった…… ―――西洋人は使役し、そして東洋人は………調和する ―――ある小説家の言葉 ~ f i n ~ 111 :名無し三流 ◆Mo8CE2SZ.6:2012/08/05(日) 16 38 13 (※1) この円高のためにメイドインジャパンの価格は軒並み上昇し、 ベトナムでは「日本製の缶詰は金持ちの証」とさえ言われるようになっていた。 1950年代にこの円高は一旦落ち着きを見せるが、それでも日本円は非常に強い通貨の1つである。 円高華やかなりし頃の様子を描くジョークに、次のようなものが残っている。 ある日、福建人とフィリピン人とタイ人の外交官が一緒に大阪へ食事に出かけた。 大阪は食事が質に比して安い事で有名だったからである。 3人は話し合った結果、大阪名物の『たこ焼き』という物を食べてみる事にした。 3人は手近なたこ焼き屋に入ると、勘定はどう払うかを前もって決めるために相談したのだが、 3人とも「自分が3人分奢ろう」と言い出して聞かなかった。お互い自分の寛大さを見せたかったのだ。 そうこうしている内に店員がメニューを持ってきた。 それを見て、3人は割り勘する事に決めた。 そして3人が熟議の上で注文した物は………たこ焼き30個セットが1ヶだけだった。 (※2) 日本の動向に対するこの反応の速さは、多くの日本人に賢い犬のそれを連想させた (一部の日本人は福建を実質的な属国とさえ見ている)。そしてそれが、日本人の福建に対する評価をさらに高めていた。 (※3) 福建共和国ではまだ高等教育が都市部までしか行き届いておらず、 また戦乱が遠のいたため農村では人口過剰が起きつつあり、さらに都市での生活は豊かであるという先入観があったため、 末っ子らを都市に出そうとする農家と少しでも安く雇える労働者が欲しい企業の利害が一致した。 (※4) 当時の日本の言葉に、「戦後、靴下と缶詰は安くなった」というものがある。 これは日本に福建や華南などから安価な商品が入り始めた事を最も端的に示している。 現代までに福建で成功した日本企業で特に有名なものとしては、権藤金吾が設立した東洋製靴や、 歴史ある企業の明治製菓などが挙げられる(東洋製靴は福建共和国軍の軍靴も製造している!)。 『品質一番、価格二番』については、決して価格勝負を捨てた訳ではなく、過度な品質偏重を示すものでも無い。 この言葉はある程度高度な品質を維持しつつ、顧客に受容される価格設定を目指す事を意味している。 (※5) 華南連邦は地の利を活かして農林水産業に力を入れ、農産物や漁獲物はもちろん、建材の輸出にも邁進した。 日本では本土の林業が圧迫されると批判を受けたが、イギリスでは安価な華南製建材は人気を博した。
https://w.atwiki.jp/teitoku_bbs/pages/1182.html
34 :名無し三流 ◆Mo8CE2SZ.6:2012/06/22(金) 18 13 46 今回は、憂鬱世界におけるあの少年の話です。 1960年10月12日、帝都東京、日ノ出新報社本社。 そこには、同紙において20年以上のキャリアを誇る名物記者、浅沼稲次郎がいた。 彼は史実であれば、正にこの日、日比谷公会堂で極右青年によりナイフで刺され、その一生を終えていた。 しかし史実から余りにも乖離した世界においては、この日もまたごく平凡な1日であった。 提督たちの憂鬱 支援SS ~歴史の修正力:山口二矢の場合~ 「浅沼先輩、先輩宛に郵便が届いています。」 その平凡を破るかのように、新人記者が浅沼へB5判の茶封筒を渡す。 おそらく別な部署へ行くついでに頼まれたのだろう、新人は浅沼のデスクにそれを置くと、 そそくさとどこかへ行ってしまった。浅沼はその様子を見て、何か不吉な物を感じた(※1)。 封筒には宛先や差出人は書いておらず、同人誌2冊分くらいの膨らみがあった。 まさかそんな狭いスペースに爆弾が入っているなどという事は無いだろうが、 新聞社というのはとかくテロルの対象になり易い。それはどこの世界でも同じである。 中にカミソリが入っているのか、火薬が入っているのかはぱっと見では分からないのだ。 35 :名無し三流 ◆Mo8CE2SZ.6:2012/06/22(金) 18 14 51 (やれやれ、私も随分と人気者になったものだ。これが"歴史の修正力"ってやつかね?) 浅沼は封筒を慎重に手に取ると、少し振ってみた。中からは紙の擦れる音がする。 どうやら(物理的な)危険物ではないようだと判断して封を切り、中身を取り出すと、 それは果たして一枚の便箋と二冊の本であった。そしてその本と便箋を見た浅沼は、 まるで胸を刃物で刺されたかのような錯覚に陥った。本の表紙に書かれていた物は………… 『"皇国論" 著:山口二矢』 『"臣民論" 著:山口二矢』 そして便箋には、次のような事が書いてあった。 『汝、浅沼稲次郎は神国日本の大躍進を理解しようとしない。自分は、汝個人に恨みはないが、 報道の中心的立場にいる者としての責任と、皇国を卑下する数々の暴言と、 臣民の愛国心に冷や水を浴びせた表本人としての責任からして、汝を野放しにする事はできない。 ここに於て我、汝の反日思想に対し異議を申し立てる。詳しい理由は同封した拙著等で熟知すべし。 皇紀二千六百二十年十月十二日 山口二矢。』 浅沼稲次郎はもう少しで座っていた椅子から仰け反りそうになったものの、 なんとか姿勢を立て直すと同封されている本を読み始めた。 36 :名無し三流 ◆Mo8CE2SZ.6:2012/06/22(金) 18 15 35 史実では銃剣を手に人を殺めた少年が、ペンを執り文章で戦っている。 これだけでも十分皮肉に満ちた事であるが、さらに問題なのは、彼の思想がその表現方法に比して全く変わっていない事だ。 (文体の特徴は○井よ○こに近い物があり、所々に挿入される1ページ漫画の作風は○林よ○の○の物に似ているな。 まさか複数の人格が1人に転生したとでもいうのか?いやそれにしては"転生者臭"(※2)が感じられない……) 山口の書いた本は、両方とも幾つかのテーマを軸にした3、4ページ程度の文章が複数と、 その合間合間に挟まれる1ページ漫画で構成されていた。急いで書いたのか、絵には希にパースの狂いが見られるが、 人物などは割としっかり描けているようだ。兵器、銃器類も資料があるのだろう、だいたい合っている。 その内容は『日本国民は比肩する物の無い大帝国にまで上り詰めた自国をもっと誇るべきである』とか、 『皇国にはアジア一の大国として独立間もない他の国々を啓蒙していく義務がある』とか、 H○I2的に言うと右派、常備軍、タカ派、介入主義が全開であったが、理論武装は歳の割にかなりしっかりしていた。 難しい用語なども章末に分かり易く噛み砕いた注釈が付いており、これなら中学生レベルでも読めそうだ。 浅沼は少年、山口二矢の意外な成長に感嘆しつつ、改変された世界の皮肉を噛み締めていた。 (何が皮肉かって、一番皮肉なのは"臣民論"の最終章だな。よりにもよって彼が『政治的主張と暴力の分離』を訴えるとは。 いくら"おことば"(※3)があったからって『テロルは大逆と同義であり、テロルに走る者は腹を切って死すべきである』は無いだろう……) 様々な思いを胸に秘めながら、『皇国論』『臣民論』を読了した浅沼稲次郎は、早速反論を考え始めていた。 『世に只一つの論、世に只一つの理のみが存在を許さるる世界の誕生を防ぐ』事が日ノ出新報の創設理念である。 いくら相手の理論武装が堅牢でも、だからといって矛を収める事はできないのだ。 37 :名無し三流 ◆Mo8CE2SZ.6:2012/06/22(金) 18 16 10 志を同じくする仲間達によって、同人誌という形で売り出されたこの『皇国論』『臣民論』は、 著者である山口二矢の若さ(何と17歳!)もさる事ながら、若さにも関わらず飛躍の少ない地に足の付いた内容、 文章を分かり易くする1ページ漫画などで大きな反響を呼び、二矢は早速国内の右派新聞社から引っ張りだことなった。 しかし本人は、『文章は誰かの意志で書かされる物ではなく、自分の意志で書くものである』として新聞社への就職を拒否。 その後近代国家における軍隊のあり方、文民統制の是非などを説く『国軍論』を出版してこれがベストセラーになると、 その収入を元手に国語教師の資格を取り、福建共和国、東南アジア等を渡って日本語、日本文化を教えるボランティアに邁進した。 それは彼の処女作において書かれていた『日本によるアジア諸国の啓蒙』を実践したものであり、 山口二矢のこの首尾一貫した態度と行動は彼と思想を同じくする右派のみならず、 彼が散々に批判した欧州枢軸との緊張緩和を唱える左派の一部からも敬意を持たれていた。 いつしか彼が唱えた『政治的主張と暴力の分離』や『自国に対する矜持』は、 彼の支持者達によって『日本を愛する人のあるべき姿』とまでされるようになり、それは彼の死後も変わらなかった。 そして後に欧州などから『日本のデモ行進は世界一非暴力的である』(※4)などと言われるようになるのだった…… ~ f i n ~ 38 :名無し三流 ◆Mo8CE2SZ.6:2012/06/22(金) 18 16 52 (※1) 日ノ出新報は日清・日露の戦勝にも『幸運がもたらしたもの、日本軍自体はまだ3流』等と冷やかであり、 自称愛国者の団体などからは『日ノ出新報の歴史観は"自虐史観"であり不適切だ』等と非難を受けていた。 実際この半年程前には、日ノ出新報本社に脅迫まがいの抗議文が送り付けられたりもしている。 (※2) 転生者同士にしか分からない、『彼は転生者である』という雰囲気。 転生者の中でこれを隠しきれた者はおらず、非転生者であっても、慣れてくると微妙な違い位は見えるようになる。 しかし多くの場合、それは『彼は変わり者だなあ』『やはり天才は普通の人とは違うのだなあ』という印象に終わり、 その人物が転生者であると分かる事は無い(伊藤博文、大久保利通等、元々転生者の存在を知っている場合は除く)。 (※3) 言わずと知れた、いとやんごとなきお方の"おことば"。史実に比して、それが持つ影響力は極めて大きい。 ここで言われている"おことば"は、東南アジア諸植民地の一部が独立するのに際して発せられたもので、 この中では政治的主張を暴力行為によって押し通そうとする運動、いわゆるテロに対する『強い反感』が示された。 その語調は特に強いもので、『日本国内のテロ事件に対しては、自ら近衛師団を率いその鎮定に当たる事も辞さない』 という旨の事まで語られており、この明確な意思表示は国内外に対して大きな衝撃を与えた。 (※4) 暴力的なデモをしたら右翼から「陛下の御心を煩わせる(※3)とは何事か!!」などと激しい非難を受ける恐れが極めて大きい、 というのもデモの先鋭化に対する抑止力として働いている可能性がある。実際に、デモ中にロケット花火を打ち上げた若者グループが、 右翼団体と思われる屈強な男の集団に囲まれて大声で叱咤され、全員皇居のある方角に土下座させられたという事件が起きている。
https://w.atwiki.jp/0-0idol/pages/12.html
プロダクション概要 名前 0-0プロダクション(らぶおーる-) 規模 大手プロダクション 所在地 神奈川県内 所属アイドル数 不明 業種 エンターテインメント総合事業 代表 愛井零ニ 理念 「全ての人に愛を!」「初心忘れるべからず!」「どんな勝負も最初は0-0から!」 所属アイドル グループ名 担当プロデューサー Pa4mans 桜木 mast/nova 桜木
https://w.atwiki.jp/teitoku_bbs/pages/996.html
911 :名無し三流 ◆Mo8CE2SZ.6:2012/04/08(日) 22 22 19 憂鬱日本では言論に関する締め付けが必要以上には厳しくなかったこと、 また出版界、報道界の統合による大規模化、寡占、独占化を極力防いでいたことから、 実に多種多様な雑誌や新聞が産まれている。 今回は、そんな雑誌の中から1つの雑誌の、1つの記事を切り抜いて紹介しよう。 提督たちの憂鬱 支援SS ~雑誌、新聞のスクラップ・アニメ雑誌編~ 季刊『メカ燃えMAX』、『冬季メカ燃えアニメ王選手権・フィクション映画部門』より抜粋 登録番号伍:『Die Untersee Kaempfer ~海中の闘士~』 原作:太平洋の老狼(かわぐちかいじ作) 監督:高橋良輔 あらすじ:第一次大戦で最高のUボート・エースの1人として名を馳せたシュテファン・ベッセル。 彼は敗戦で荒廃した祖国を後にし、成長著しいアメリカへ渡って商船『クリスティアン号』の船長となった。 しかし大西洋大津波と日本との戦争という2つの危機に、彼と彼の船も軍の輸送船として徴用される。 ベッセルとクリスティアン号に与えられた命令は、単独でハワイへ物資を輸送するという危険な任務だった。 一方、一度も艦を撃沈した事が無いため『ゼロ潜』と呼ばれ蔑まれていた潜水艦の艦長、海路守(かいろ まもる)。 彼の潜水艦はハワイ=西海岸航路を哨戒中、護衛無しで航行するアメリカの輸送船を発見する。 来るべきハワイ攻撃のため、そして不名誉な2つ名を返上するため、海路は輸送船への攻撃命令を下した…… 912 :名無し三流 ◆Mo8CE2SZ.6:2012/04/08(日) 22 24 34 ★★★評価★★★ ◆分野別(各5点満点) 脚本:3点 演出:3点 メカ:5点 作画:5点 音楽:4点 SE:5点 声優:3点 ◆合計(35点満点) 28点 ★★★審査員コメント★★★ 航空機や二足歩行ロボ、巨大戦艦など、空・地上・海上の勢力が強いメカアニメ界にあって、 数少ない海中勢として発表時から注目を集める作品だったが、その期待に違わぬ出来栄え。 これなら原作と比べても見劣りしないのではないだろうか? 声優陣は有名どころこそ少ないものの、新人を積極的に起用しようとする姿勢は評価できる。 主役メカである潜水艦を始めとした作画レベルは文句無しだが、原作者と帝国海軍の協力を考えれば当然だろう。 潜水艦対輸送船というシチュエーションは、現実では一方的な関係とあってどう料理するか気になったが、 まさかどんな船にも付いている『アレ』を使うとは思わなかった。リアリティの観点からすれば疑問は多いし、 その辺りは審査メンバーの間でも意見が分かれたが、私はあれでもいいと思う。 最大の見所は、元潜水艦乗りが、昔取った杵柄で現役潜水艦乗りと渡り合う所。 視聴の際は、技術差や現実性のような要素にはある程度目を瞑ってもいいのではないだろうか。フィクションだし。 ―――――野田審査員 (中略) 元潜水艦乗りVS現役潜水艦乗り、しかも輸送船VS潜水艦。 このシチュエーションに燃えないマニアはいまい。しかもかわぐちかいじ原作ときた。 親戚に造船技師を持つ者としては「こんなのアリか!?」的な展開はあったが、 まぁ突っ込むだけ野暮というものだろう。そんなシュテファンの奇策は必見。 個人的に一番気に入ったのは、メカの描写の偏執的なまでの細かさ。 地球上の一体どこに、魚雷発射管の開閉から舵の細かな動きまで一々映し出すアニメがあるのか(褒め言葉)。 そこ、「間を持たせるために無理矢理捻じ込んだ」とか言わない。おじさん怒っちゃうよ? 最後に一言。 この作品を見て作画スタッフの執念に感動しない奴はいない!!(断言) ―――――小松審査員 ★★★総合順位★★★ 5/15位 (完)
https://w.atwiki.jp/kabutempra/pages/40.html
2chブラウザ ★2chブラウザ総合サイト └ http //www.monazilla.org/ ★ブラウザ導入案内 └ http //news-kyokutou.hp.infoseek.co.jp/browser/index.html ★2chブラウザ比較表 └ http //www.geocities.co.jp/SiliconValley-Sunnyvale/7562/ ●2ちゃんねるターボ(IE仕様・投票所で投票できる) └ http //tubo.80.kg/index.html ●Windows ├ ギコナビ http //gikonavi.sourceforge.jp/ ├ A Bone http //abone.pos.to/ ├ ホットゾヌ2 http //members.jcom.home.ne.jp/hotzonu/ ├ かちゅ~しゃ+kage http //kage.monazilla.org/ ├ Live2ch http //www8.plala.or.jp/uro/live2ch/ └ Acty http //delphi.sakura.vg/acty/ ●OpenJane(Windows用) ├ OpenJane (IE版) http //sakots.pekori.jp/OpenJane/ ├ OpenJane Doe http //sakots.pekori.jp/OpenJane/ ├ Jane Nida http //members.at.infoseek.co.jp/koreawatcher/janenida.htm ├ Jane Style http //janestyle.s11.xrea.com/ ├ OpenJane 虹 http //vamp.s9.xrea.com/up/up.cgi(“簡易内部画像ビューア付き”でうp) ├ Jane View http //www.geocities.co.jp/SiliconValley-Bay/7474/ ├ ののJane http //nonomi5.hp.infoseek.co.jp/ ├ OenJane NYA http //vamp.s9.xrea.com/up/up.cgi (NYA氏の名前でうp) ├ OpenJane 狂っぷー http //freett.com/fa24/ ├ OpenJane daidai 橙 http //news-kyokutou.hp.infoseek.co.jp/browser/JaneDaidai.html ├ OpenJane Siro 白 http //otori12.at.infoseek.co.jp/ ├ マサオJane http //www.geocities.co.jp/MusicStar-Vocal/2670/index.html ├ あゆみJane http //www.geocities.co.jp/SiliconValley-Cupertino/8186/index.html └ OpenJane 黒改β http //janekako.hp.infoseek.co.jp/ (OpenJaneあぷろだ(大)にうp) ●=2ch(Excelで閲覧出来るVBAマクロ) └ http //turedure.s8.xrea.com/equal2ch/ ●Macintosh ├ マカー用。 http //tmhkym.net/maka/ ├ MacMoe http //macmoe.fc2web.com/ ├ CocoMonar http //www15.big.or.jp/~takanori/Software/CocoMonar/index.html ├ Ahyazilla http //bdash9999.hp.infoseek.co.jp/ ├ Fuuun/Pu http //go.to/fuuun └ iTteyoshi http //www.geocities.co.jp/SiliconValley-Sunnyvale/9264/ ●携帯 └ iMona http //imona.net/ ●p2(ウェブブラウザで快適閲覧[上級者用・PHP・鯖の知識が必要]) └ http //akid.s17.xrea.com/ ●PDA ├○ザウルス │├ ざうモナ http //www.geocities.co.jp/SiliconValley-PaloAlto/3397/ │├ ノボッキ http //nobokki.hp.infoseek.co.jp/ │└ q2ch http //www.pointer.biz/?q2ch ├○WinCE/PocketPC │├ HIKKY http //www.geocities.co.jp/SiliconValley-Cupertino/6987/hikky.html │├ Navi2ch+EmacsCE http //www.geocities.co.jp/SiliconValley-Oakland/7673/ │└ ぽけギコ http //homepage2.nifty.com/qta/pgiko/ └○Palm └ NNsi http //nnsi.sourceforge.jp/PukiWiki/pukiwiki.php ●Linux/BSD/UNIX ├ moz2ch http //xul-app.hp.infoseek.co.jp/moz2ch/index.html ├ おちゅ~しゃ http //ochusha.sourceforge.jp/ ├ 2ch-mode xyzzy http //www.mirai.ne.jp/~gyo/xyzzy/2ch-mode.html ├ N.I.C.H. Monaic http //monaic.sourceforge.net/ ├ Kita - 2ch client for KDE http //kita.sourceforge.jp/ ├ くぁちゅーしゃ http //shi.hypermart.net/ └ Navi2ch http //navi2ch.sourceforge.net/ ●マルチプラットフォーム他 ├ Monarch BBS browser http //sourceforge.jp/projects/monarch/ ├ KittyWalk http //kittywalk.sourceforge.jp/ ├ jface2ch http //lcm.hp.infoseek.co.jp/index.shtml ├ ぎじかちゅ http //roundnet.s20.xrea.com/cgi-bin/x/GijiKatju/index.html └ j2ch-kache http //www.geocities.co.jp/SiliconValley-Cupertino/4226/ Monazilla.org http //www.monazilla.org/ 2ちゃんねるブラウザの比較表(仮仮仮仮) http //www.geocities.jp/browser_2ch/ Jane Plus+ http //janeplus.com/ Janeシリーズ の比較表(仮仮仮) http //www.geocities.jp/openjanemania/index.html ●については↓で。 http //2ch.tora3.net/