約 818,118 件
https://w.atwiki.jp/fushiginakirisutokyo/pages/19.html
当ページでは、橋爪大三郎と大澤真幸による『ふしぎなキリスト教』(講談社現代新書)に記述されている、聖書に関して発言された部分での膨大な量の間違い・誤りを扱う。間違いだらけの「ふしぎなキリスト教」が容量オーバーになったため、聖書篇を分割して作成。 2012年7月18日現在、130個以上の誤りが挙げられているが、まだ未完成。なおこの誤りの数は明らかな誤りのみをカウントしたものであり、疑問符が山ほどつく「ふしぎなキリスト教」に挙げられている項目数は含まれていない。まだまだ対応出来て居ない間違いがあるため、今後さらにページを分割することも有り得る。 ※ 当ページ編集者は、「少しくらい間違っててもいいじゃないか」という価値観・感想には拠らない。 間違いの量が桁違いに多い(当ページにまとめている通り)。「少しくらい」のレベルを遥かに超えて居る。 理系ではそんな事は許されないが、文系でも同じ。真面目な文系研究者や読者に失礼。 関連する研究をしている人々の努力と業績を一切無視して講釈するのは、学者も、金を払っている一般読者も愚弄している。 p254 大澤「「西洋」を理解するというぼくらの目標」と言ってながら、実際には西洋で一般的な解釈を説明する内容ではなく「橋爪独自解釈」がだらだらと書かれているというのでは、宣伝文句に偽りがある。 ※ 本ページにおける「参考文献」は、学術論文に使用出来るレベルのものとは限らない。一般向けにアクセスし易い便によって選定されることもある。 間違いだらけの「ふしぎなキリスト教」 歴史篇(上記ページが容量オーバーになったため分割されたもの、以下同様) 聖書篇(総合・旧約) (新約その2) 神学篇 他宗教篇(仏教・神道・イスラーム)(間違いだらけの惨状は他宗教の記述でも同様。これで比較が可能なのでしょうか?) 疑問符が山ほどつく「ふしぎなキリスト教」 「ふしぎなキリスト教」以外の良い入門書(あるんです!)紹介 (誠実な著者による良書からこそ学びましょう^^) 聖書についての間違い 目次 1 総論 2 旧約 3 新約その1 新約その2 新約その1 (その2はこちら) 頁数 誤りのある記述の引用 正しくは 参考文献 p134 「マルコによる福音書が一番古く、後からの福音書は先のものを参照して書いている。つまり、ひとつの系統の文書なんです」 ヨハネによる福音書がマルコによる福音書を始めとした共観福音書を参照して書いているか、つまり同じ一つの系統に属す文書であるかは不明である。なるほど、この点は間違いではない、と反論されるかもしれない。しかし、137頁にある「福音書の系譜関係」においては、ヨハネによる福音書と他の福音書との関係がないように、つまり別系統の文書(というか、独立した文書)として示しているのだから、本書内で矛盾した主張をしていることになる。従って、論理的に橋爪氏は誤っているのである。 荒井献他『総説 新約聖書』日本キリスト教団出版局、1981年、175頁以下 p137 大澤「(共観福音書は)相互に比較対照しながら一緒に読む福音書という意味でしょう」(橋爪氏、これを訂正せず) マタイ、マルコ、ルカ福音書が「共観福音書」と呼ばれるのは、これら3つの福音書で多くの記事が重複しており並べて共に観ることができるから、あるいはこれらが共通した視線を有しているからである。研究者でもない限り、相互に比較対照しながら一緒に読まなくてもいっこうに構わない。 Catholic Encyclopedia Synoptics p139 「イエスは、自分で書物を書かなかった。最後は十字架で死んでしまうという話ですから、本人がそれを記録するわけにはいかない。」 どの福音書も「イエス・キリストの復活」で話が終わっている(マルコ福音書においても、現代残されている最後の部分は後代の加筆だとする説に則るとしても、十字架による刑死が最後ではなく、「空の墓」が最後の記述であって、十字架が最後の場面ではない)。橋爪氏は「復活の話は後代に付け加えられたもの」という説を唱えているためこのような話し方をしているのかもしれないが、少なくともそれは全キリスト教に適用出来る見解ではない(むしろ全体からみれば少数派)。むしろ「復活したイエス・キリスト自身が、自身の復活について書いた福音書」の方が説得力があるであろうに、そうされてはいないという実際の状況が、橋爪氏の説では全く説明がつかない。 マタイによる福音書 28章マルコによる福音書 16章ルカによる福音書 24章ヨハネによる福音書 20章・21章 p141 大澤:福音書には「いちおう著者の固有名詞が各テキストにはついていますが、ルカとかマルコといった名前は、象徴的なものにすぎなくて、じつは共作のようなものかもしれない」。 「象徴的なもの」が何を意味するのか不明である。そもそも、マタイ福音書およびマルコ福音書の著者がマタイ及びマルコであるとは2世紀前半のパピアスの言葉(エウセビオス『教会史』3巻39・15以下に収められている)に、ルカ福音書の著者がルカであるとはエイレナイオスの言葉(エウセビオス『教会史』5巻8・3に収められている)に遡るが、そこでこれら3つの福音書の著者がマタイ、マルコ、ルカであると言われているのは、この著者名が象徴的なものとして考えられてではなく、福音書の由来を使徒にできるだけ遡らせようとしたためである。この点では、139頁で橋爪氏が、福音書の「作者は、マルコ、マタイ、ルカ、ヨハネ。ほんとうに彼らが著者なのか、議論があります」と語っているのが、正しい。大澤氏の左記の言葉は、橋爪氏のこの言葉を無視してしまっている。 荒井献他『総説 新約聖書』日本キリスト教団出版局、1981年、127、146、162頁 p145 「いちばん古いマルコ福音書は、復活の記述がなく、墓がからっぽだったというところで、唐突に終わっている」 確かにマルコ福音書の終わりは唐突である。しかし、イエスの顕現物語は語られないにせよ、16章6節で、天使と思われる若者によってイエスの復活が女性たちに語られて、その後で唐突に終わっているのであって、墓がからっぽだったというところで終わっているわけではない。なお、マルコ福音書のイエスは自身が復活すると何度も語っていることも指摘しておこう(8 31; 9 31; 10 33; 14 28)。 マルコ福音書16章1-8節参照(なお、9節以下は後代の加筆であり、元来のものではない) p152-3 「福音書のなかに、復活をめぐって、それを信じるパリサイ派と、信じないサドカイ派が論争する場面が出てきます」 正しくは、使徒言行録である(23章6節以下) 使徒言行録23:6-8 p153p244 「イエスはガリラヤで、弟子たちのもとに現れ、そのあと天に昇った、と信じられるようになります」「復活したイエスに、ガリラヤ地方に行ったら会えるというので、そちらに行くと、弟子たちのところにイエスが現れた。それから、天に昇って行った」 復活したイエスのガリラヤでの顕現について語っているのはマタイ福音書であるが、この福音書では「そのあと天に昇った」、とは書かれていない(マタイ28 16以下)。復活顕現のあとで「天に昇った」と書かれているのはルカ福音書と使徒行伝であるが(ルカ福音書と使徒行伝は同じ著者によって著された)、これらにおいてはイエスが弟子たちに現れたのは、ガリラヤではなく、エルサレムである(ルカ24 36以下、使徒1 3以下)。何故橋爪氏が、復活したイエスは天に昇ったと語っているにもかかわらず、イエスが現れた場所をルカ福音書に従ってエルサレムとはせず、マタイ福音書に従ってガリラヤとしたのかは、不明である。 マタイによる福音書28 16ルカによる福音書24 36以下使徒行伝1 3以下 p153p165p167 橋爪氏:「イエス・キリストは『神の子』だとする考え方を、確立したのはパウロです」大澤氏:「最終的には、パウロによる解釈が定着して、イエスは『神の子』だということになったわけですが」「イエス・キリストが神の子だと決めたのは、パウロです」 典拠不明。一般に、イエスが神の子であるとパウロがはじめて主張したとは考えられていない。と言うのも、パウロが会ったこともないローマの教会の人びとに宛てた手紙の冒頭で、イエスが神の子であることを共通の前提として語っているからである(ロマ1 4)。これは、イエスが神の子であるとは、パウロが受け取った教えであることを示しているだろう。 ローマの信徒への手紙 1 4 p154 大澤「イエス・キリストだったら救世主という意味ですよね。神の子だったら、一段神に近づいていますよね。」「おっしゃるように、イエス・キリストを神というか、神の子というふうに見たことで…」 大澤氏も橋爪氏も「神の子」を神と同じ存在だと考えているが、「神の子」とは「義人」の意味で、つまり決して神ではない人間に対して用いられる呼称である場合もある(知恵の書2章12節以下参照)。だからパウロはキリスト者を「神の子ら」と呼べるのである(ガラテア3 26、4 5 etc)。この点を理解せずに、「神の子」という文字面だけから、神の子が神と同じような存在だと判断している橋爪氏及び大澤氏の判断は、誤りである。 知恵の書2章12節ガラテア3 26、4 5 etc p154 「それから、処女懐胎の話は、もう少し、古い層に属する、ありがちな奇蹟の話だと思う」 ここで橋爪氏は、パウロがイエス・キリストを「神の子」とした(注。これが誤りであることは上記参照)時期よりも古くに「処女懐胎の話」が成立したと述べているのだが、パウロのどの書簡にも、更に70年頃に成立したと考えられているマルコによる福音書にも処女懐胎の話が語られていないのだから、こんなことは言えないはずである。なるほど、「思う」と語尾につけているのだから留保がある、だから間違えとは言えない、と反論する方がいるかもしれないが、大澤氏が続けて「そうですね」と肯定しているのに対して橋爪氏が何も言ってはいないのだから、誤りと指摘できよう。そもそも留保すれば何でも勝手なことを言っても良いわけではないと思う。 p155 橋爪「福音書をよく読むと、イエスを『神の子』と明言していないんです。…福音書は…イエスが『神の子』であるかどうかに関して、及び腰である。」大澤「唯一『神の子』を明言しているヨハネ福音書は…」 例えば、マルコ福音書では1章1、11節、9章7節、14章61-62節、15章39節という決定的な個所でイエスが(しかも、場合によっては神自身によって)「神の子」であると明言されているし、マタイ福音書では16章16節、ルカ福音書では1章35節という決定的な個所でイエスが神の子であると語られている。 新共同訳聖書「神の子」検索結果 p156 大澤「共観福音書ではごくわずかしか『神の子』という語は用いられていませんし、それらにしても、他人がそれほど深い思想的な意味も込めずに、思わずイエスをそう呼ぶ場面で出てくるだけです(百人隊長が十字架のイエスをそう呼んだり、悪魔がイエスを挑発したりする場面)。」 新共同訳聖書でイエスが「神の子」と語られている個所を検索すれば、マタイによる福音書で9カ所、マルコによる福音書で4カ所、ルカによる福音書で6か所であるが、これが「ごくわずか」と言えるのだろうか。何故なら、「『神の子』の概念を明言している」と橋爪氏が語るヨハネ福音書では8カ所だからである。従って、マルコ福音書が少ない、とは単純な検索結果としては言えるが、「共観福音書ではごくわずかしか『神の子』という語は用いられていません」とは言えない。なお、上でも触れたが、共観福音書では神がイエスを「愛する子」「わたしの子」と言っている場面が記されており(マルコ1 11、9 7、マタイ3 17、17 5、ルカ3 22、9 35)、神がイエスをそのように呼んだ箇所まで含めれば、イエスを「神の子」と呼ぶ個所はさらに増える。従って、「共観福音書ではごくわずかしか『神の子』という語は用いられていません」とは言えない、と考えるのが適当である。百人隊長や悪魔がイエスを神の子と呼ぶのも深い意味があるとキリスト教では考えられているが、同箇所に深い思想的な意味もない、と大澤氏が述べた根拠は不明。特にマタイによる福音書16 16におけるシモン・ペテロがイエスを「神の子」とした箇所は、直後の箇所と合わせて、ペテロに連なるローマ教皇権の根拠としてローマカトリック教会では非常に重要視されており、同箇所につき教皇権の根拠としての解釈を否定する正教会およびプロテスタントとの間で今も議論になる箇所である。ペテロの「信仰告白」が「他人」による「深い意味も無い」ものとして判断した大澤氏の根拠は不明。なお、マタイによる福音書27章42- 43節では、イエスを十字架につけた側である祭司長、律法学者、長老らが、十字架にかけられたイエスを「今救ってもらうがよい。自分は神の子だと言っていたのだから。」と嘲弄しており、イエスが神の子とされていたことは敵対者にも認知されていたことが記されている。 新共同訳聖書「神の子」検索結果The Church Fathers' Interpretation of the Rock of Matthew 16 18 by William WebsterEKK新約聖書註解 p157 大澤「弟子たちに『お前たちは俺のことをどう思うか』と尋ねたら、ペテロが『あなたはメシア、生ける神の子』と答える。これに対してイエスは、否定も肯定もしていないんです。強いて言えば消極的な肯定という感じで、『そのことはお前の胸にしまっておけ」と告げている。…」橋爪「はい。それはマタイ福音書(16章16節)に書いてありますね」 マタイ福音書16章17節でイエスはペテロの答えに対して、「シモン・バルヨナ、あなたは幸いだ。あなたにこのことを現したのは、人間ではなく、わたしの天の父なのだ」(Μακάριος εἶ, Σίμων Βαριωνᾶ, ὅτι σὰρξ καὶ αἷμα οὐκ ἀπεκάλυψέ σοι, ἀλλ’ ὁ πατήρ μου ὁ ἐν τοῖς οὐρανοῖς.)と賞賛している。この「幸いだ」に当たるギリシア語(Μακάριος)の意味は全くの賞賛であることは、マタイ福音書5章3節以下「真福九端(八端)」に繰り返し登場する「幸いである」と同じ単語であることにも示されている。イエスがペテロの答えに「否定も肯定もしていない」のは、挙げられているマタイ福音書ではなく、マルコ福音書である(8章29-30節、ただしこちらには「神の子」は言われていない)。 Matthew 16 17 Greek Texts and Analysis (ΚΑΤΑ ΜΑΤΘΑΙΟΝ 16 17 Greek NT Greek Orthodox Churchからギリシャ語部分は引用) p158 「メシアはまず、軍事的リーダー、軍司令官なんです。もっと端的に言えば、どこかの国の王が、解放者としてやって来る」 確かに軍事的リーダーであるメシアもいる。しかし、レビ記4章5、16節等では祭司が「メシア/キリスト」と呼ばれている。そもそも、歴代誌上16章22節に現れる「メシアたち/キリストたち」(ヘブライ語及びギリシア語で複数形!)はイスラエルの民一般を指すと考えられている。また、イエスの同時代のクムラン教団では、王的メシアと並び祭司的メシアも言及されている。従って、「メシアはまず、軍事的リーダー、軍司令官なんです」とは、言えない。メシア/キリストとは神によって選ばれた人物のことであって、その役割が固定しているわけではないし、どこかの国の王だと決まっているわけでもない。 死海文書入門講座Ⅴ 和田 幹男 V 死海文書概観 2 p160 大澤「誰でも知っているように、イエスは…三日後に復活しました」 確かにマルコ福音書ではイエスが「三日の後に」復活すると語られているが(8:31、9:31、10:34)、しかしそのマルコ福音書にしてもイエスが復活したのは三日目である(十字架につけられた金曜日が一日目、土曜日が二日目、復活した日曜日が三日目。なお、マタイとルカはマルコのこの表現をきちんと訂正して「三日目」としている)。この点では橋爪氏が207頁で「三日目に復活する」と語っているのが正しい。 聖書に現れる「三日」 p168-9 橋爪氏:(パウロがイエスを「神の子」と考えたことに関連して)イエスは「生まれた最初から」神の子であることが「計画されていた。そうすると、処女懐胎で生まれたりすると、都合がいい」。「初めから、神の計画によって生まれた特別な存在、と考えられる」。 イエスが「処女懐胎で生まれた」とはパウロは全く語っていないのだから、パウロが処女懐胎を知っていたと論証することは不可能である(パウロが処女懐胎を知ったとしたら信じるかどうか、ということとは別問題である点に注意!)。更に、橋爪氏の主張はローマ書1章4節「聖なる霊によれば、死者の中からの復活によって力ある神の子と定められたのです」(新共同訳)と矛盾している。 ロマ書1章(口語訳) p170 「イエスが、ヤハウェを父と呼んでいたから、イエスが神の子と考えられるようになったのではないか」 トビト記(前200年頃成立?)13章4節でトビトは神を賛美した祈りの中で「神は私たちの主であり、私たちの父」と述べている。更に、シラ書23章1、4節、知恵の書14章3節などでも神を父と呼んでいる。つまり、神を父と呼んでいたユダヤ人は、イエスだけではない。つまり、「イエスが、ヤハウェを父と呼んでいたから、イエスが神の子と考えられるようになった」わけではない。 A Critical and Exegetical Commentary according to St. Matthew, p44参照 p175 「イエスの一行が食事をしていると、女性が入ってきて、高価な香油を瓶から髪にかけたり」 マルコ福音書14章3節及びマタイ福音書26章7節に従えば、「髪」ではなく「頭」である。「髪にかけた」は、ルカ福音書7章38節及びヨハネ福音書12章1節以下でイエスの足を女性が自分の髪で拭ったことと混同しているためか。しかし、こちらの場合、女性が高価な香油をかけたのはイエスの頭ではなく、足である。 マルコ福音書14章3節マタイ福音書26章7節ルカ福音書7章38節ヨハネ福音書12章3節 p178 「イエスのいう『神の国』は、これ(注。ユダヤ教的な「神の国」)を裏返したものです。…『ヨハネの黙示録』によると…」 イエスの「神の国」理解を語っているはずなのに、『ヨハネの黙示録』に話が飛んでいるのは、不明。たしかに『ヨハネの黙示録』には、この書物にあることはイエス・キリストによって伝えられたことだ、書かれているが(1章1節等)、橋爪氏は歴史上のイエスの神の国理解を説明していたはずなのだから、ここで『ヨハネの黙示録』を持ち出すのは、おかしい。 p176以下 「9キリスト教の終末論」で「神の国」を「場所」とのみ捉えている点について。 「神の国 η βασιλεια του θεου/των ουρανων」は、神の「領土」「土地」を意味するというよりはむしろ、神の「支配」を意味する。大澤氏は神の国が「イメージしにくいです」(179頁)と語っているが、「神の国」が「神の支配」をも意味することを知らなければ、当然であろう。これは「解釈」のレベルではなく、語義レベルの問題。βασιλειαは新約のギリシャ語でも古典ギリシャ語でも「王国」「領土」のほかに「支配」「主権」を示す語彙である。むしろ岩隈は「王たる事」「王位権」「支配」「統治」を第一義とし、ルカ福音1 33、19 12を挙げている。つまり辞書を引けばあっさり氷解する疑問である。 Catholic Encyclopedia Kingdom of God岩隈直『新約ギリシヤ語辞典』p83, 2006年5月11日"Greek - English Lexicon, Liddell Scott" p128, 1974 p183 橋爪「福音書の中に、一ヵ所だけ呪いの言葉があって、いちじくの樹の話なんですけど、エルサレムでお腹が空いたのでイエスがいちじくの樹のところに行ったら実がなっていなかった。そこで、『枯れてしまえ』と言った。そうしたら、『すぐに枯れた』というのと『しばらくして枯れた』というのと、ふたつのヴァージョンがあるのですが、枯れてしまった。枯れて、火にくべられるだろうというわけです。これはふつう、イエスの言葉を聞かないでパリサイ派に従っている人々のたとえだと解釈することになっています。とにかく呪われたグループがあって、滅びの道に入り、焼かれるということですね、裁きの日に」大澤「もちろん聖書に書いてあることだから、いちじく=パリサイ派だと解釈されているんでしょうけれど」 ここで語られている奇跡物語は、マルコによる福音書11章12-14、20-24節並行マタイによる福音書21章18-22節である。まず、細かいことではあるが、イエスは「枯れてしまえ」とは言っていない。イエスの言葉は、マルコによる福音書では「今から後いつまでも、お前から実を食べる者がないように」と、マタイによる福音書では「今から後いつまでも、お前には実がならないように」である(訳はいずれも新共同訳に従った)。更に、場所はエルサレムではなく、ベタニアとエルサレムの途中においてである(マルコ11章12節、マタイ21章18節)。実のならないいちじくが象徴しているのは不信仰な人々でありその中にはパリサイ派も含まれる、と解釈する人はいるだろうが、「いちじく=パリサイ派」と解釈することになっているわけではない。そもそもマタイによる福音書では、信仰が強ければ不可能と思われることもできるのだ、という話に編集されているので、イエスの言葉を聞かない敵対者を想定する必要はないかもしれない。マルコによる福音書では、サンドイッチ構造から、神殿体制(に関わる人々)が滅びるとは言っているかもしれないが、しかしパリサイ派はここには全く登場しない。祭司長や律法学者が滅びるのだ、と言うのならば、納得できるのであるが、枯れたいちじくは「火にくべられるだろう」とは語られていない。 p194-5 大澤「イエスは、律法を廃棄して、それを愛に置き換えた。ただ、律法を単純に否定し、排除したかというより、むしろ、愛こそが律法の成就だということになっています。弁証法でいう『止揚』という感じです」(橋爪氏、反論なし) イエスが律法を「廃棄」したとは福音書には書かれていない。むしろ、「わたしが来たのは律法や預言者を廃止するためだ、と思ってはならない。廃止するためではなく、完成するためである」とイエスは語っている(マタ5章17節)。もしこれをイエスに帰せず、福音書記者の思想とするならば、その根拠を明らかとしなければならない。因みに、愛こそが律法の成就とは、イエスではなくパウロの言葉であろう(『ガラテヤの信徒への手紙』5章14節、『ローマの信徒への手紙』13章8-10節)。 マタ5章17節ガラ5章14節ロマ13章10節 p197 「イエスは答えて…『…律法はこの二つに尽きている」と述べた。たくさんあった律法が、たった二条になってしまった」 橋爪氏が念頭においていたのは、マルコ福音書12章29-31節か、それともマタイ福音書22章37-40節か不明であるが、イエスの言葉は前者では「この二つにまさる掟はない」だし、後者では「律法全体と預言者はこの二つの掟に基づいている」なのだから、「尽きている」とは言っていない。なるほど、これらは新共同訳からの引用だから、橋爪氏の見ている日本語聖書にはそう書いてあるから間違いではない、と言う方がいるかもしれないが、マルコ福音書のギリシャ語もマタイ福音書のギリシャ語もどう考えても「尽きている」とは訳せない。自説のために聖書の文面を変えてはいけない。そもそもどちらの福音書であっても、すべての掟が大切であることが前提であり、その上でどの掟がより重要であるか、根本的であるかが問題となっているのだ。従って、「たった二条になってしまった」わけではない。 マルコ福音書12章マルコ福音書12章31節ギリシャ語マタイ福音書22章マタイ福音書22章40節 p198 イエスは「それから、呼びかけに応えるのに、割礼やほかの、どんな具体的な行動も必要ないことにした」 異邦人がイエスをキリストと信じる人々の群れに加わる際に、割礼が不必要であることが決まったのは、50年頃に行われた所謂「使徒会議」(使徒言行録15章1節以下、ガラテヤの信徒への手紙2章1節以下)の決議以降であり、それまでは割礼を必要と考える人々と不必要であると考える人が教会内に混在していた。これは明らかに史的イエスが割礼の不要を語らなかった、あるいは(ユダヤ人の間でのみ活動していために)語る必要がなかったためだと考えられよう。 使徒15章1節以下、ガラ2章1節以下 p199 「12 贖罪の論理」で、橋爪氏が贖罪死を同害報復説の観点から説明している点について。 誰が同害報復説を唱えているのか不明。そもそもマタイ福音書5章38-42節でイエスは同害報復という行いを否定しているが、これとイエスの死の同害報復説とをどのように調和させるつもりなのだろうか。 マタイ福音書5章 (その2に続く) 外部リンク 間違いだらけの『ふしぎなキリスト教』とそれを評価する傾向につき 誤りと誤解と偏見に満ちている本, 2011/7/13 映画瓦版の読書日誌 ふしぎなキリスト教 橋爪大三郎×大澤真幸『ふしぎなキリスト教』に対する批判まとめ一覧 - Togetter 橋爪大三郎×大澤真幸『ふしぎなキリスト教』に対する批判100- Togetter 最新 橋爪大三郎×大澤真幸『ふしぎなキリスト教』に対する批判1 - Togetter(2以降と別のまとめ製作者によるもの) 橋爪大三郎×大澤真幸『ふしぎなキリスト教』に対する批判2 - Togetter(2以降のまとめの始まり)
https://w.atwiki.jp/storyteller/pages/1487.html
ふしぎ刑事(デカ) part53-96~103 96 :ふしぎ刑事(デカ):2010/08/02(月) 05 25 48 ID 7C4eunZR0 あの子の名前は何だっただろう? 船に揺られながら、いつしか私は幼かった日々のことを思い出していた。 突然異動命令が出て、私はふしぎアイランド署に赴任することになったのだ。 ふしぎアイランド? そういえば、私がほのかな恋心を抱いていた、あの子。 あの子の転校先が確かそんな名前だったような気がする。 そうだ、カワイコちゃん。あの子の名前はカワイコちゃんというのだった。 その名前が彼女に適切だったかどうかはよく覚えていないが・・・。 カワイコちゃん、元気だろうか。私のことを覚えているだろうか? いや、きっと覚えていないだろう。 初恋の思い出は、美しいまま胸の中にしまっておこう。 島が見えてきた。なかなかよさそうな所だ。きっと、のどかで平和な島なのだろう。 のどかで、平和な・・・。 ◎登場人物 私…主人公(プレイヤー)。本庁からふしぎアイランドにやってきたスゴ腕の刑事。 ネコニャ…主人公の助手(ネコ)。なお普段は画面左下のウィンドウ内にいる。 オマワリK部補…犬の警官。アホで短絡的。 カワイコちゃん…主人公の初恋の相手。ワカメパンツ。 ハンサム…イケメンでモテモテらしいが、そのことを鼻にかけていて、性格は最悪。 忍者…忍者のおっさん。ネクラで挙動不審。 姐さん…酒場の従業員。本業は占い師。美脚が自慢。 ハンプティ・ダンディ…ハンプティダンプティのような体型の男性。寡黙でニヒル。 テナ…酒場のマスター。オネエ言葉を話す。二足歩行するカエル?カメレオン? 謎人物…頭巾をすっぽりとかぶったあやしい人。だが見かけによらず穏やかで礼儀正しい。 ※誰も彼も筆舌に尽くしがたい外見をしております。よろしければ公式HPなどで現物をご覧下さい。 97 :ふしぎ刑事(デカ):2010/08/02(月) 05 27 04 ID 7C4eunZR0 私は船から降り、ふしぎアイランドに上陸した。 「おーい!キミが本庁から送られてきた、スゴ腕の刑事なのか?」 オマワリK部補が港まで出迎えてくれた。 「さっそくだが、さっき大変な事件が起こってしまったのだ」 被害者はカワイコちゃん20歳。13年前、この島に移り住み、5年後両親は他界。 以来、花畑の一軒家にて一人暮らし。家はかなりの資産家。 死亡推定時刻、死因ともに不明。 渡された資料には、昔とさほど変わらない姿のカワイコちゃんの写真があった。 カワイコちゃん・・・こんな形で再会するなんて・・・。 「殺人事件なのだ!しかも、現場はふしぎ署のまん前なのだ。 まったく、Kサツをナメてるとしか思えないのだ!それじゃ、Let’s現場検証なのだ」 私が現場に行ってみると、カワイコちゃんの死体は既に片付けられた後だった。 現場付近に蝶ネクタイが落ちているのを見つけた。それ以外は特に発見はない。 私は現場検証を切り上げて、聞き込みを開始することにした。 「聞き込みついでに、森の奥の墓場に行くといいのだ。本官の部下のネコニャがいるのだ」 オマワリの言葉に従い、墓場に行ってみることにする。 墓場に行く。ちょうどネコニャがカワイコちゃんの死体を埋め終わったところだった。 「もしやアナタは、本庁から来たすご腕の刑事ネコ? これから、刑事さんの相棒をつとめます、ネコニャですネコ! 刑事さんのお役に立てるよう、ガンバリますネコ」 私はネコニャと組んで捜査をすることになった。 被害者の家である、花畑の一軒屋に行ってみると、そこには不審者がいる。 「何やってるネコ?」 「せ、拙者は忍者と申す、ああ怪しい者ではありません」 忍者は逃げるように去っていった。 酒場の前を通りかかる。 「あらネコちゃん。立ち話もなんだから、お入りよ」 勤務中だったが、姐さんに誘われるままに酒場に入る。 「カワイコちゃんが死んじまうなんて、商売上がったりさ。 ま、ここだけの話、死んでくれてせいせいしてるんだよ。 アタイはあのコが前から気に入らなかったんだ」 姐さんはとんでもないことを言う。 「姐さん、マスター、今日も来ないのか」 1人で飲んでいたハンプティが姐さんに問う。 「そう。休んでばっかりなんだよ」 「ガーン。オレ、今日はもう帰る」 ハンプティは肩を落として店を出た。 姐さんにカワイコちゃんのことを聞いてみる。 「そうそう、ハンサムが、今日カワイコちゃんとデートだって言ってたよ。 ハンサムってのはカワイコちゃんの彼氏でね、今頃デートスポットにいると思うよ」 98 :ふしぎ刑事(デカ):2010/08/02(月) 05 29 03 ID 7C4eunZR0 中央公園のデートスポットに向かう。噴水があり、なかなか雰囲気がいい所だ。 姐さんが言うとおり、ハンサムがいた。 「ハンサムに悪い知らせがあるネコ。カワイコちゃんが殺されたネコ」 「今日ここで?待ち合わせ?したんだけどさ、死んでたら、来れないよねー」 ハンサムは、カワイコちゃんが死んだと聞いても顔色を変えなかった。 湖のほとりでテナに会う。彼に、犯人に心当たりがないか聞いてみる。 「忍者なんだけど、あのコ、ストーカーなのよね。 もともと、カワイコちゃんと仲が良かったんだけど、 ハンサムがカワイコちゃんを狙ったんじゃ、 どう贔屓目に見ても、忍者に勝ち目はないでしょ? だからコソコソと、カワイコちゃんをつけまわすようになったのヨ」 現場に落ちていた蝶ネクタイが怪しいと睨んだオマワリは 蝶ネクタイを愛用しているハンサムとハンプティを逮捕してしまった。 何て短絡的な考え方なのだろうと、あきれてしまう。 一応2人を取り調べしてみるが、有力な情報は得られない。 そうこうしているうちに、第2の犠牲者が出てしまった。 忍者が湖のほとりで殺されていた。 なんだか全ての人間が怪しく思えてきた。 忍者の埋葬と現場検証を済ませた後、帰り道で声をかけられた。 「こんにちは。この度、山の上に引っ越してきました、謎人物と申します」 謎人物は丁寧にあいさつし、私に引越しソバをくれた。 「まだあいさつ回りの途中なんですよ。それでは失礼いたします」 謎人物は去っていった。 ふしぎ署の前に姐さんがいる。 「なに、ちょいとハンサムのことが心配でね。差し入れを持ってきたんだけど・・・。 ハンサムに渡しておくれよ」 手渡されたそれは手製の弁当のようだった。さては、姐さんはハンサムのことを・・・。 まあ、余計な詮索はしないでおこう。 留置所に行き、姐さんからの差し入れをハンサムに渡した。 「何?それ?いくらカワイコちゃんが死んで、フリーになったからって オバサン相手じゃなぁ~。ま、いいわ。もらっとく」 まったく、こんな奴がなぜモテるのかふしぎだ。 姐さんに会いに酒場へと行く。 ちょうど、謎人物が姐さんにあいさつに来ていたところだった。 「差し入れを渡してくれたのかい?ありがとう。それで、ハンサムは何て?」 「ハンサムは、あんまり喜んでなかったネコ・・・」 「あのボウヤは憎まれ口たたいても、本心はその逆なの。アタイは知ってんのよ」 恋は盲目というが、これはちょっと・・・。 99 :ふしぎ刑事(デカ):2010/08/02(月) 05 30 19 ID 7C4eunZR0 ふしぎ署に戻ってみると、オマワリが騒いでいる。 「ハンプティが留置所から脱走したのだ!探してほしいのだ!」 それからハンプティを探し回ったが、見つからない。 念のために酒場にも行ってみる。そこには姐さんが倒れている。 「姐さん?血を吐いて・・・死んでるネコ!」 どうやら誰かに毒を飲まされたようだ。 現場検証しているところへ、オマワリがやってくる。 「やっぱりお前らの仕業だったのだ!」 「違うネコ!ネコニャたちが来たときは、姐さんはもう死んでて・・・」 「言い訳無用!逮捕するのだ!」 私とネコニャは、姐さんの殺人容疑と、ついでにその前の2件の殺人容疑もかけられ、 留置所に入れられた。逮捕されていたハンサムは釈放となった。 私たちは留置所から脱走し、無実を証明し、真犯人をつきとめるために捜査をする。 カワイコちゃん、忍者、姐さん・・・3人の被害者に共通する人物はやはり、ハンサムだろう。 犯人ではないとしても、何らかの形で事件に関わっていることは確かだ。 「さあ、ハンサムを締め上げるネコよ!」 だが、ハンサムは行方をくらましていた。 有用な証拠も証言もないままに、ハンプティが死体で発見された。 ハンサムには、ハンプティを殺す動機がない。 もう何がなんだかわからなくなってきた。 酒場でテナと謎人物が酔っ払っていた。 どうやら、姐さんを偲んでの酒盛りらしい。 テナがやたらと私にからんでくる。 「ここだけの話、昔、姐さんとミーは付き合っていたのよネー。 そうそう、刑事さん、いいこと教えてあげようか。 生きてこの世に存在する、健康な男女の名前を、伝説のアイアイ傘に刻めば、 愛の形がその2人の愛の行く末を指し示してくれるのよネー」 捜査はとうとう手詰まりとなってしまう。 やがてテナが殺され、ついにはオマワリも殺された。 砂浜に刻まれた、伝説のアイアイ傘を見つける。 私は、テナが言い遺したことを試してみることにした。 アイアイ傘の片方にハンサムの名前、もう片方に、生きているかもしれない人物の名を刻む。 すると、愛の形が現れた。 「愛のお告げを授けよう。2人は今、謎人物の家で愛を確かめようとしている」 これで間違いない。彼女は生きていたのだ。 100 :ふしぎ刑事(デカ):2010/08/02(月) 05 31 10 ID 7C4eunZR0 山の上にそびえ立つ、謎人物の家へ入る。そこにはハンサムが監禁されていた。 後ろから声をかけられる。 「こんにちは。刑事さんたち、お元気ですか?」 私はふり向く。やっぱり、キミだったんたね、カワイコちゃん! 「ええ。私がマスクをかぶって、謎人物になりすましてました。 一連の殺人事件の犯人は、私です」 ああ、こんなの、悪夢を見ているとしか・・・。 カワイコちゃんは自白を始めた。 「まず忍者ですけど、あの人、わたしのストーカーをしていたんです。 わたしの身辺を探られて、計画がバレてしまうと困りますから、殺しました。 次に姐さんですけど、酒場にあいさつに行ったとき、あの人ひどいんです。 わたしのハンサムを自分の恋人のように・・・。 わたし許せなくなって、感情に任せてコッソリお酒に毒を入れちゃいました。 次にハンプティですけど、海で叫んでるハンプティを見かけたんです。 なんかムカついて殺しちゃいました。女心はフクザツですね。 次にテナですけど、あの人と酒場から帰るとき、セクハラされたんです。 川に落ちそうなわたしの手を、あの人はにぎったんです。 セクハラなんて、初めてだったんで、動揺して殺しちゃいました。 次に、オマワリですけど、これはただ順番です。2人で行動する刑事さんたちより、 1人で行動するオマワリは殺しやすかった。ただそれだけです。 これでわたしが行った殺人は以上です」 「コイツ、相当のワルネコ。ただ感情に流されて殺しをしていただけネコよ」 「いえ、そんなことはありません。わたしは夢のために殺したのです。 この島を私とハンサムの2人だけの世界にしてみたかったのです。 ロマンティックでしょ?これが、わたしの起こした殺人の、本当の動機です」 「でも、謎人物になりすまさなくても、よかったネコ?」 「刑事さんが来るって聞いて、計画を変更したんです。 刑事さんったら、昔からカンがよかったから、それで・・・」 「刑事さん、カワイコちゃんと知り合いネコ?」 ああ。私の初恋の相手だ。 「まあ!そんなこと、全然知りませんでした。 そういったことで、わたしは死んだと見せかけて、完全犯罪を狙ったのです」 「でも、ネコニャはオマエの死を確かめて、ちゃんと埋めたネコ。 どうして生きていられるネコ?」 「それは・・・」 ※ここで3つのエンディングに別れます。(条件は後述) 101 :ふしぎ刑事(デカ):2010/08/02(月) 05 33 07 ID 7C4eunZR0 ◎ロボット?エンディング「愛と青春の旅立ち??編」 「ジツハ ワタシハろぼっと。かわいこチャンガツクッタろぼっと」 「じゃあ、人間のカワイコちゃんはどこへ行ったネコ?」 「ワタシヨリ マエニシンダ。ワタシガコロシタ」 ロボットのカワイコちゃんは恐ろしい事実を口にする。 彼女は逃げようとするハンサムを拘束し、自らの自爆装置を起動させた。 「コレガ エイエンノ アイノカタチデス。はんさむ、イッショニシンデ。 アイノカタチ ウケトメテ!」 カワイコちゃんはハンサムを抱きしめる。 私とネコニャは急いで家の外へ出た。 すると、謎人物の家は大爆発し、跡形もなく飛び散った。 「この爆発で連続殺人事件は解決したネコ。 感情を持たないはずのロボットが、 感情を持ち、人を愛することを覚えたとは少し感動したネコよ。 たとえその表現方法が間違っていたとしても、 人を愛せない人間が世の中にはたくさんいるネコから・・・」 気が付くと夕暮れ時だった。ネコニャはオレンジ色の景色の中で、感慨深げに話す。 「愛は世界や人種を超えた存在ネコ。 刑事さん、なぜ罪を犯してまで人は愛がほしいネコ? 愛ってファッション?それとも麻薬?でなければ気の迷いネコ? ネコニャ、わかんないネコ」 私にもわからない。 「わからないからこそ、人は愛を求めているのかも知れないネコね。 カワイコちゃんの愛のために、たくさんの人が犠牲になったネコ。 それが愛なら、ネコニャは要らないネコ」 愛にもいろいろある、ってことじゃないかな。 「そうネコね。世の中にはもっとステキな愛がゴロゴロしてるはずネコ。 刑事さん、事件も解決したし、ネコニャは少しヒマをもらって、愛を探しに行きますネコ」 おしまい。 102 :ふしぎ刑事(デカ):2010/08/02(月) 05 37 36 ID 7C4eunZR0 ◎宇宙人!エンディング「愛と青春の旅立ち!!編」 「ワタシ、フィリピー星からやってキタ宇宙人よ。 ワタシ、地球を征服するつもりでやってキタよ。 でも、征服するより大切なモノ見つけたね。 ソレはハンサムね。ワタシ、彼を愛してしまったよ。 カレを連れてフィリピー星に帰るよ」 実は宇宙人だったというカワイコちゃんは、いきなりカタコトになった。 「コノ家は宇宙船ね。もうすぐ発進スルね」 カワイコちゃんは嫌がるハンサムを拘束した。 私とネコニャは急いで家の外へ出た。 すると、謎人物の家は揺れ出し、ロケット噴射をしながら空へと消えていった。 「2人の旅立ちでこの連続殺人事件は解決したネコ。 この世界を征服しようとしていた宇宙人のカワイコちゃんが、 愛することを知って考えを改めたことは、少し感動したネコよ。 たとえその表現方法が間違っていたとしても、 人を愛せない人間が世の中にはたくさんいるネコから・・・」 カワイコちゃん、元気にしているだろうか。 あれから私は刑事を辞めた。 刑事としての自信がなくなってしまったのだ。 ネコニャはふしぎ署長へと昇進した。 今、私はのんびりとタクシーの運転手をしている。気楽な商売だ。 それはそうと、あのカワイコちゃんから絵葉書が届いた。 ハンサムと結婚して、子供もサッカーチームが出来るほどに生まれたらしい。 そうか、彼女は幸せなのか・・・。 こんな結末でよかったのか? いや、よかったのだろう、これで。 おしまい。 103 :ふしぎ刑事(デカ):2010/08/02(月) 05 39 32 ID 7C4eunZR0 ◎ショック!エンディング「ふしぎ刑事 永遠に…編」 「わたしはそのテの団体を渡り歩いて、仮死になる修行を積んだの。 それほどこの計画に、わたしは賭けていたのよ。 それがもう一息ってところで、刑事さんたちにつぶされるなんて・・・。 そんなのひどいと思う。わたしたちの愛の形は、永遠に不滅よ!」 コッソリ逃げ出そうとしたハンサムを、カワイコちゃんは拘束した。 「逃がさないわよ、ハンサムくん!あなたとわたしの2人で、新しい世界を作るの。 2人だけの新世界をね!」 カワイコちゃんは辺りに爆弾をバラまいた後、ハンサムを連れて姿を消した。 「大変ネコ!早く逃げるネコ!」 私たちは逃げようとしたが、無駄だった。家の中に閉じ込められてしまっていた。 「あっ、刑事さん!あそこに穴が!あそこからなら何とか・・・」 私は何もかも、どうでもよくなっていたので、逃げようとはしなかった。 穴からネコニャが逃げるのを見届けた後、爆弾が爆発した。 あなたは爆発に巻き込まれ、殉職し、あの世に行きました。 そこで待っていたのは、殺人事件の被害者たちでした。 あなたの愛ある捜査方法に、被害者たちは好意を持っていました。 あの世のみんなは、大きな愛であなたを受け入れてくれます。 しかし、これでよかったのかどうかは、あなた自身が決めることですが。 あたし、カワイコ! 刑事さんには、ホント、お気の毒様。でも、しょうがないわよね。 あの後、カワイコと、マイダーリンは、この島をすっかりカワイコ色に染めちゃったの。 もうホントに島中がラブリーなのよ。 それなのに、ネコニャっては、まだ刑事さんのお墓の前でメソメソしてるの。 カワイコはとってもハッピー。 だって、隣にはマイダーリン、ハンサムくんがいてくれるんだもの。 おしまい。 ※エンディング分岐条件 宇宙人エンドとロボットエンドとはいわゆる通常エンドです。 普通にクリアすればどちらかのエンディングになります。 分岐条件は、ゲーム内の数々の選択肢に素直に答えたか、それともひねくれて答えたかで違います。 (どっちがどっちかはわかりません) 主人公が死ぬエンディングが真エンドとか隠れエンドとか呼ばれているものです。 条件としては1回のプレイで16種類(たぶん)のゲームオーバーを全部見ること。 ちなみにゲームオーバーになっても少し前に戻って再開できる仕様になっていますので、 欲望の赴くままに選択肢を選んでも大丈夫です。
https://w.atwiki.jp/jyakupoke/pages/119.html
フシギダネのふしぎだねの旅の軌跡 by平次 ◆kyON/6nWOg進行状況 マチス撃破 ROM 初代赤 446 :平次@フシギダネ◆kyON/6nWOg:2006/07/10(月) 18 22 04 ID ??? おk、気を取り直して不思議種スタート。 VSタケシ 石つぶて・・蔓の鞭 一撃死 イワーク・・蔓の鞭 一撃死 VSカスミ ヒトデマン・・蔓の鞭 一撃死 スターミー・・蔓の鞭 三発 やはり序盤は不思議種だと楽勝でした。 問題は終盤と四天王だ。。。 現在:サントアンヌ攻略中 ふしぎだね/フシギダネ L33 能力値:HP89 攻57 防49 特殊56 素54 技:葉っぱカッター 寄生木の種 毒の粉 蔓の鞭 弱ポケっぽくないので技マシン縛りでやってみようかと思います。 447 :平次@フシギダネ◆kyON/6nWOg:2006/07/10(月) 19 04 56 ID ??? VSライバル(ボンジュール) ピジョン・・電光石火喰らうも、葉っぱカッター急所一撃 ラッタ・・電光石火喰らうも、葉っぱカッター一撃 ユンゲラー・・葉っぱカッター急所一撃 リザード・・葉っぱカッター急所でゴリ押し ちょww切り裂くほどじゃないが、ほぼ絶対急所かwww 血( ・、・)おい、蔓の鞭いらなくね? (・∀.)そういや被ってるな。。。 血( ・、・)PP少ねぇし、威力もイマイチだし。体当たり忘れたのは誰のミスだ? (・∀.)他にノーマルの技覚えるかと。。。 血( ・、・)攻略本買えや (・∀.)はい。。。 秘伝用にカモネギ(おしょう)げと。 毒で死にかけの雀をそのまま交換に出したのは秘密だ。 血( ・、・)鬼か (・∀.)次回はカモネギでやってみようかな VSマチス ビリリダマ・・葉っぱカッター急所一撃 ピカチュウ・・葉っぱカッター急所一撃 ライチュウ・・葉っぱカッター二発 ふしぎだね/フシギダネ L37 能力値:HP96 攻62 防54 特殊61 素59 技:変わらず (・∀.)鞭消して成長覚えさせればよかった。。。 血( ・、・)成長しねぇやつだな
https://w.atwiki.jp/yamamura2/pages/12250.html
【TOP】【←prev】【PlayStation】【next→】 ふしぎ刑事 タイトル ふしぎ刑事 機種 プレイステーション 型番 SLPM-86642 ジャンル アドベンチャー 発売元 カプコン 発売日 2000-10-26 価格 4800円(税別) 駿河屋で購入 プレイステーション
https://w.atwiki.jp/fushiginakirisutokyo/pages/18.html
当ページでは、橋爪大三郎と大澤真幸による『ふしぎなキリスト教』(講談社現代新書)に記述されている、単純な事実に関する膨大な量の間違い・誤りを扱う。間違いだらけの「ふしぎなキリスト教」が容量オーバーになったため、歴史篇を分割して作成。 2012年6月2日現在、2012年7月18日現在、130個以上の誤りが挙げられているが、まだ未完成。なおこの誤りの数は明らかな誤りのみをカウントしたものであり、疑問符が山ほどつく「ふしぎなキリスト教」に挙げられている項目数は含まれていない。まだまだ対応出来て居ない間違いがあるため、今後さらにページを分割することも有り得る。 ※ 当ページ編集者は、「少しくらい間違っててもいいじゃないか」という価値観・感想には拠らない。 間違いの量が桁違いに多い(当ページにまとめている通り)。「少しくらい」のレベルを遥かに超えて居る。 理系ではそんな事は許されないが、文系でも同じ。真面目な文系研究者に失礼。 関連する研究をしている人々の努力と業績を一切無視して講釈するのは、学者も、金を払っている一般読者も愚弄している。 p254 大澤「「西洋」を理解するというぼくらの目標」と言ってながら、実際には西洋で一般的な解釈を説明する内容ではなく「橋爪独自解釈」がだらだらと書かれているというのでは、宣伝文句に偽りがある。 ※ 本ページにおける「参考文献」は、学術論文に使用出来るレベルのものとは限らない。一般向けにアクセスし易い便によって選定されることもある。 間違いだらけの「ふしぎなキリスト教」 聖書篇(総合・旧約) 聖書篇(新約その1) ・ (新約その2) 神学篇 他宗教篇(仏教・神道・イスラーム)(間違いだらけの惨状は他宗教の記述でも同様。これで比較が可能なのでしょうか?) 疑問符が山ほどつく「ふしぎなキリスト教」 「ふしぎなキリスト教」以外の良い入門書(あるんです!)紹介 (誠実な著者による良書からこそ学びましょう^^) 歴史についての間違い 歴史 頁数 誤りのある記述の引用 正しくは 参考文献 p26 「ローマ軍の手でエルサレムの神殿が壊されて、ユダヤ民族は世界中に散らされてしまったんですね」 (東京工業大学で行われた2004年度の宗教社会学のレジュメから窺われるように)橋爪氏が、ユダヤ民族が世界中に散らされたのはローマ軍によってエルサレムが破壊された70年以降だ、と考えているのであれば、明確に誤りである。紀元前から既にディアスポラのユダヤ人がいたことは確かである(たとえば、ディアスポラのユダヤ人の一人として、本書で何度も取り上げられているパウロが挙げられる)。しかし、70年以前にディアスポラのユダヤ人が既にいたことを承知しつつ、しかし大雑把にユダヤ教の流れを語るためにこのように述べているのかもしれない。大澤氏が102頁で「バビロン捕囚の後に、ディアスポラ(離散の民)ということが言われるようになります」と語っていて、それを橋爪氏は訂正していないから、こちらであるかもしれない(このような橋爪氏の説明は、前提とする読者のことを考えれば大雑把に過ぎると思われるが、この点については議論が分かれるところであろう)。なお、大澤氏がこの「ディアスポラ」が何を意味するのか分かった上で語っているのか、かなり怪しいことも指摘しておこう(102-103頁で大澤氏は、ディアスポラのユダヤ人を寄留者と同じように理解しているようだし、「特定の土地に定住しきらない移動する」人々とも考えているようだが、ディアスポラのユダヤ人はユダヤの地以外に寄留ではなく定住している人々のことも当然指す)。 Catholic Encyclopedia Diaspora p33p34 「イエス・キリストの時代には、神殿で儀式を行う人びとはサドカイ派、律法を守る人びとはパリサイ派、と呼ばれていた」「神殿で儀式を行ない、ヤハウェに犠牲を献げるのが、祭司たちです。サドカイ派は、こういうグループだった」 神殿で儀式を行う人びとは、祭司であり、その中にはサドカイ派の者もいたが、全てがそうであるわけではなかった。サドカイ派は当時のセクトの一つであって、モーセ5書のみを権威あるものと認め、口伝律法、霊魂不滅、復活思想を認めない点に特徴があるが、しかし当然律法を守っていた。この点から、「律法を守る人びとはパリサイ派」とは珍妙な説明であることが分かろう。そもそも程度の差こそあれ、ユダヤ人であれば誰でも律法を守っていたのだから。パリサイ派は律法をただ守っていただけではなく、より厳格に守ろうとしたセクトであり、且つ成文律法(モーセ五書)のみならず口伝律法にも権威を与えていたセクトである。 A.J. Saldarini, Pharisees, Scribes, and Sadducees in Palestinian Society p34 「バビロン捕囚から戻ってからは、預言者が現れなくなる。実際には現れたのでしょうが、見つけ次第、弾圧されるようになった。」 典拠不明。橋爪氏は捕囚後の預言者であるハガイもゼカリヤも居なかったと主張したいのだろうか。「聖書には書かれているが実在しなかったと思う」というのであれば、典拠をつけてそう主張するべきだ。橋爪氏がハガイもゼカリヤも知らないだけではないかと疑われる事を避けるためにも。 預言者ハガイが、ユダの総督シュアルティエルの子ゼルバベルと、大祭司ヨツァダクの子ヨシュアに対して預言した際、ハガイは「弾圧される」どころか、ゼルバベルとヨシュア、および民はハガイに耳を傾け(ハガイ書1章12節)、ハガイの預言通りに神殿再建に取り掛かっている(ハガイ書1章14節)。 HAGGAI - Online Information article about HAGGAIZECHARIAH - Online Information article about ZECHARIAHハガイ書1章12節ハガイ書1章14節 p34p112 「イエスが処刑されたあと、エルサレムの神殿が破壊され、神殿を拠点にしていた祭司がいなくなった。預言者もとっくにいない。律法学者だけ残った。これが、いま私たちが知っているユダヤ教です。」「律法学者(イエスの時代には、パリサイ派と呼ばれた)」 エルサレム神殿崩壊後に残った集団が「いま私たちが知っているユダヤ教」を作った、と言いたいのであれば、ファリサイ派が残った、と言うべきであろう。律法学者は読み書きに関する能力を持った人びとを指すのであって、従って神殿崩壊後に主流となったファリサイ派以外のセクト、つまり神殿崩壊と同時あるいはその後に歴史から姿を消してしまったサドカイ派、エッセネ派にも律法学者がいたのである。従って、律法学者が「イエスの時代には、パリサイ派と呼ばれた」とは明確な誤りである。 A.J. Saldarini, Pharisees, Scribes, and Sadducees in Palestinian Society p41 「イスラエルの民には、ヤコブの十二人の息子をそれぞれ先祖だと信じている、十二の部族がある」「ヤコブの十二人の息子の子孫が、イスラエル十二部族となり、めいめい土地を割り当てられて、カナンの地に定着します」 ヨセフ族がマナセ族とエフライム族に分かれ(マナセとエフライムはヨセフの息子であり、従ってヤコブの孫である)、ユダ族、イッサカル族、ゼブルン族、ルベン族、シメオン族、ガド族、ベニヤミン族、ダン族、アシェル族、ナフタリ族、レビ族、マナセ族、エフライム族、の十三部族とする伝承が一般的。土地の割り当てについて述べるならば、この伝承に基づく区分を採用すべきである。何故なら、橋爪氏の言葉に従えば、レビ族も土地を取得したことになってしまうからである! Catholic Encyclopedia:Jewish Tribe p41 「南側のユダ族が広い範囲を占めていて、北側に残りの部族がいる」 南北王朝時代の南ユダ王国とユダ族の土地の混同。時代も違う上、ユダ王国はユダ族だけの土地ではない。ベニヤミン族の土地もユダ王国に属する。また、仮にユダ族の土地だとしても、民数記26章とヨシュア記19章などを参照すると分かるように、別に広い土地だったわけではない。 Tribe of Judah, Territory of Judah. Jewish Enyclopedia Old Testament Map 4 - The Tribes of Israel p133-4 「イエスについては、文書記録があります。でもそれは、福音書に限られる。キリスト教の初期教会が伝える福音書がすべてだと言っていい」「別の記録、たとえば、ユダヤ教側の文書とか、イエスを十字架で処刑したローマ側の文書とか」は「見つからなかった」 イエスと同時代のユダヤ人フラヴィウス・ヨセフス(37年頃から100年頃)が93年か94年に著した『ユダヤ古代誌』18・63以下にイエスについての証言がある。尤も、この個所がヨセフスの真筆であるかについては議論があるが。 『ユダヤ古代誌』18・63以下 p139 「いつキリスト教が成立したかというと、それは、パウロの書簡によってである」。 聖書学の分野では一般に、パウロはユダヤ教に属すると考えられている。イエスをキリストと信じる人びとが、自分たちはユダヤ教徒であるかどうかというアイデンティティに関わる問題を自覚し始めたのは、パウロの死後であり、第一次ユダヤ戦争が終わってから、つまり70年以降である。 佐藤研『聖書時代史―新約篇』岩波現代文庫、2003年、144頁以下]上村静『旧約聖書と新約聖書』新教出版社、2011年、259頁以下。 p150p207 「当時、『義の教師』という人びとがいて」「歴史的実在としてのイエスは」「義の教師」 「義の教師」は死海文書に現れ、クムラン教団を作った人物あるいはこの教団の指導者を指していると考えられている。橋爪氏が「義の教師」という言葉でどのような人びとあるいは集団を指しているか不明であるが、「義の教師」はテクニカルタームであるから、この名称を用いては誤解を招く。従って、訂正が必要。 死海文書入門講座Ⅵ 和田 幹男 VI 正義の教師-クムラン教団の起源を求めて p161 ヘロデ大王の死後、四人の息子が国土を分割した 歴史的事実としてヘロデ大王の息子のうち、存命したのはアルケラオス、ヘロデ・アンティパス、フィリッポスの3人だけである(他は処刑された)。アルケラオスは「民族統治者 ethnarches」としてユダヤとサマリアを、ヘロデ・アンティパス及びフィリッポスは「四分領守 tetrarches」として、前者がガリラヤとペレアを、後者が北トランス・ヨルダンを支配した。「民族統治者」も「四分領主」も「王」ではない。ローマの皇帝の承認なしで「王」を名乗ればローマに対する反逆罪となる(なお、ヘロデ大王は遺言でアルケラオスを王としたが、これはアウグストゥスに許されず、従ってアルケラオスは「民族統治者」になったのである)。これを押さえずにイエスの時代を語れない。なお、第14版では「三人」と正しく訂正されていることを付言しておこう。 Herod the Great BiographyHerod Encyclopædia Britannica山我 哲雄 (著), 佐藤 研 (著) 『旧約新約聖書時代史』p169 - p170, 教文館 (1992/02) ISBN 4764279037 p161 「さらに、ローマの総督がいて」 同頁の文脈から見ると、当時のユダヤにはヘロデ王家(ヘロデ大王の息子アルケラオスのことであろう)、サンヘドリン、そして総督が同時期にいたように書かれているが、ヘロデ大王の後でユダヤとサマリアの支配者となったヘロデ・アルケラオスが失脚し(6年)、その後、ユダヤとサマリアはローマの属州となり、その結果ローマ総督が派遣されたのであって、アルケラオスと総督が同時期にいたわけではない。 佐藤研『聖書時代史―新約篇』岩波現代文庫、2003年、24頁。 p164 「イエスは、モーセの律法に違反する重大刑事犯なので、議会が逮捕して裁判にかけた。王もいたけれど、宗教法に関することなので、関与しなかったと思う」 上に挙げたように、当時のあの時代のユダヤ属州はローマ統治下なので王は持てない。「ユダヤの王」を名乗ったらローマに対する反逆罪で国ごとつぶされる恐れがあった。だからユダヤ属州には王はいなかったし、イエスがユダヤの王だと思われたらローマににらまれる可能性があった。大勢を守るために一人を殺そうと大祭司カイアファが判断した、というのは福音書にもある記述。ヘロデ大王が死んで領土が分割され、ヘロデ・アグリッパ一世がまたローマに認めてもらうまで、その間の期間にユダヤ属州に王はいない。そもそも、「金の冠」のかわりに「イバラの冠」、「王笏」のかわりに「葦の棒」、「紫の衣」のかわりに「裸に兵士の赤いマント」というのは、「王になれない偽者の王だ」っていう見せしめ、精神的な拷問の意味もあった。そして十字架にINRI、「ナザレのイエス ユダヤの王」が罪状書きとされた。ローマ帝国の総督ピラトは「イバラの冠」などでイエスを王になれない偽者の王として飾り立て、ユダヤ人たちに「見よ、あなたたちの王だ」と見せ付けてさらしものにする。それに対してユダヤ人は「わたしたちには、皇帝のほかには王はありません」と答える(ヨハネ19:14-15)。イエス裁判のシーンでピラトがイエスに真っ先に聞くのは「お前はユダヤの王なのか」ということなどは、すべての福音書に共通している。当時のユダヤ属州に「王」がいてはいけなかった、ということが前提でないと、イエス裁判のシーンは成立しない Jesus Christ The Political Situation Encyclopædia Britannica Judaea Encyclopædia BritannicaPontius-Pilate Encyclopædia Britannica p167 「パウロは」神の子を「どう考えていたか。……神の子とは、どういうアイデアかというと、まず、あちこちの国王がそのように主張していた。成り上がりの王が、自分の血筋を誇れない場合、「自分は太陽の子だ」とか「神の子だ」とか主張したんです。それは、パウロも知っていたと思う。だから、当時、神の子という考え方がまったくなかったわけではない」 パウロはローマ帝国の中で生きていたのだから、「あちこちの国王」の話をするのではなく、ローマ皇帝崇拝を語るべきであろう。というのも、初代皇帝アウグストゥス(在位前27-後14年)がまさに「神の子 divi filius」の称号を得ているからである。左記の指摘に対し、divi filiusであってDei filiusではない、との指摘が寄せられたので、当時のコインや碑文で、ローマ皇帝がギリシャ語で「神の子(theou hyios)」と呼ばれているものが幾つもある、ということを指摘しておきたい。更に、現在のトルコにある小アジアの都市プリエネから出土した、紀元前9年に発令された暦の勅令に関する碑文『プリエネ碑文』では、アウグストゥスが端的に「神 theos」と呼ばれていることも、ついでながらここで指摘しておこう。だから、イエスが「神の子」であると語ることは、ローマ帝国に対する抵抗の意味もあるかもしれない。以上から、パウロは「神の子」という概念があることを「知っていたと思う」と曖昧に語るのは困難であろう。彼は、ローマ帝国反逆者の処刑法である十字架刑に処せられたイエスを自覚的に「神の子」と呼んでいるのであり、それがローマ皇帝に対する或はローマ皇帝をそのように呼ぶ人々に対する批判をも意味することを自覚していた、と考えるのが妥当である。 Richard Niswonger, New Testament HistoryRichard A. Horsley, Paul and Empire Religion and Power in Roman Imperial Societyプリエネ碑文 p172 「当時のユダヤ教のグループには、パリサイ派とサドカイ派のほかいに、エッセネ派というのがあって、…。エッセネ派は、裁きの日は近いと考えて、人里離れた山の中にこもり、独身主義で祈りの生活を送る、みたいな人びとなんですね。独身主義で祈りの生活を送っていたら、五十年もすればその集団は消滅してしまうわけで、だからいなくなってしまったグループなんです」 イエスと同時代のヨセフス(37年頃から100年頃)の『ユダヤ戦記』II・8・4には、エッセネ派は山の中に出はなく「一つの町に住んでいるわけではなく、各町ごとに(共同住宅に)定住している」と書かれている。更にヨセフスは、エッセネ派にも様々なグループがあり、あるエッセネ派のグループでは、結婚を認めている、と報告している(『戦記』II・8・13)。つまり、橋爪氏はエッセネ派の多様性を考えていないのである。橋爪氏はエッセネ派の中のクムラン宗団を念頭において発言されたと思われる。この集団は紀元前2-1世紀には出来上がったと考えられるが、滅びたのは結婚しなかったからではなく、ローマ軍に占拠されたからである。70年頃と考えられているから、50年以上は消滅せずに残っていたのであった。エッセネ派はエルサレムの神殿がなくとも信仰は守れると主張した。そのため、一部の研究者は、このセクトが洗礼者ヨハネやイエスにも近い存在だった考える。エッセネ派が歴史の表舞台から消えていった理由は様々考えられているが、そののひとつとして、紀元70年のエルサレム神殿の破壊が挙げられるかもしれない。ローマによる弾圧に加え、神殿を失ったため、神殿に対抗する勢力として自らを規定していたグループであったため、存在意義が薄れてしまったのである。そのため、律法学者のファリサイ派の一部と合流していったと考えられている。また、これは橋爪大三郎の『性愛論』などにもみられる彼の独自の考え方であるが、独身主義をとった集団は滅びる、というものがあるらしい。その根拠は不明である。そもそも、独身主義や禁欲主義の団体は新人の入会を拒むとは限らない。カトリックの聖職者は独身が原則であり、正教の修道士聖職者は独身者であり、両教会にも修道制があるが、極めて長い期間存続しているのをどう説明するのだろうか? 死海文書入門講座II 和田 幹男 Ⅲ Ⅱ キルベト・クムランの発掘調査死海文書入門講座Ⅲ 和田 幹男 Ⅲ キルベト・クムランにいた住民は誰かEssenes - Jewish Encyclopedia Essene - Encyclopedia Britanica p173 大澤「イエスのグループを、エッセネ派と違うというので、『ナザレ派』と呼ぶ人びともいる」 典拠不明。誰がこのように言っているか、明言して欲しい。もちろん、イエスのグループを「ナザレ派」と呼ぶ研究者はいるが、それはイエスのグループをユダヤ教内部の一派と捉え、エッセネ派のみならずファリサイ派やサドカイ派からも区別するためである(例えば、出村彰『キリスト教入門2歴史』日本基督教団出版局、1981年(4版)、8頁など)。エッセネ派とだけ区別するだけの名称では、情報として不十分である。 出村彰『キリスト教入門2歴史』日本基督教団出版局、1981年(4版) p216 「(ユダの福音書が英訳されたことは)日本では一行もニュースにならなかった」 たとえば日経新聞が2006年4月7日に伝えている。日経新聞を始めとした諸新聞はニュースを伝えていない、と橋爪氏は言いたいのか。 歴史を覆す大発見! 「ユダの福音書」が明かす、イエス・キリストの最後の言葉 p236 「そもそも、教会というものができたことが、パウロの最大の貢献ですね」 パウロ以前に教会は(その形態がどのようなものであれ)各地にあった、と考えるのが自然。そもそも、パウロは『ガラテヤの信徒への手紙』1章13節で、召命を受ける/回心する前に「わたしは、徹底的に神の教会を迫害し、滅ぼそうとしていました」と述べている。もし教会がパウロによって成立したのであれば、パウロがキリスト者になる前には教会が無かったことになる。しかし、パウロはキリスト者になる前に教会を迫害し、滅ぼそうとしていた。矛盾である。 ガラテヤの信徒への手紙1章 p237 「ユダヤ教」はローマ世界の神々を礼拝しなかったが、「ユダヤ人コミュニティに閉じていたので」、そのようには「見えにくかった」。だから「キリスト教は、初めて公然と現れた一神教として、人びとに深い印象を残した。キリスト教は無神論だから、神を拝まないのだろうと言われていたほどです」 事実と異なる。キリスト教以前にユダヤ教の人々がローマの神々を礼拝しなかったので、既に人々の注目を集めていた。例えば、前1世紀の修辞学者アポロニオス・モロン(キケロやカエサルの師匠)は、ユダヤ人を「無神論者」と罵っているが、これはユダヤ人が自分たちの主以外を礼拝しなかったからである。そもそもこのようにユダヤ人が侮蔑されたのも、彼らがヘレニズム世界に広く、しかもかなりの人数が住んでいたからである。ユダヤ人がいない土地を探すのは困難である、と当時言われていたほどであり、更に、ユダヤ人の中には上層階級に属し、政治的に活躍した人物も居た(たとえば、アレクサンドリアのフィロンの甥であるティベリウス・ユリウス・アレクサンデルは、ユダヤ総督やエジプト領事にもなった)。 野町啓『学術都市アレクサンドリア』 p238 (「19 初期の教会」の項目内で)「ユダヤ教のシナゴーグは、男女別々に着席する。イスラム教のモスクもそう。キリスト教の教会は、男女いっしょに座る。」 現代では確かに大半の教会が、教会堂内で祈る位置につき、男女の区別をしていない。しかしこの個所では橋爪氏は初期教会について語っているので誤り。初期教会においては男女の位置は区別されており、これは最近まで守られていた習慣である。4世紀のエルサレムの聖キュリロス(イエルサリムの聖キリル)も、教会堂内では男女それぞれ祈るよう教えている。またギリシャ正教会、コプト教会など、男女を教会堂内の位置で(教会堂の左右などで)分けるという習慣を守っているものが今でも一部存在する(正教会の全てで守られているわけではないが、守っている者・地域も少なくないということ)。なお、「座る」というのも一面的に過ぎる。正教会は立って祈るのが基本的姿勢である。現代の一部教会を見ただけで、初期教会や世界中の教会につき、勝手に想像して断定するべきではない。 Separate Church Seating ArrangementWhy do men and women sit on different sides in the church?Greek Orthodox Funeral for a Priest_Choir of Saint Sophia Greek Cathedral London(ギリシャ正教会聖ソフィア大聖堂での埋葬式の動画、ロンドン) p251 「180頃 『新約聖書成立』」 新約聖書が成立とは何を指しているのか不明である。新約聖書に収められている全ての文書が出揃ったのが180年頃と言うならば、遅すぎる(一般に、新約聖書諸文書の中で最も新しいのは『ペテロの手紙二』であり、これが150年より後に執筆されたと考える研究者はほぼいない)。テルトゥリアヌスが初めて「新約聖書」という名称を用いたことを誤って「新約聖書成立」と書いているのだろうか。しかし、テルトゥリアヌスがキリスト者となったのは180年より後であるから、早すぎる。正典としての『新約聖書』が成立した、という意味であるのか。しかしこれも、全くの間違い。そもそも西方教会において現行の新約聖書に含まれるのと同じ27書が正典とされたのは393年のヒッポーの宗教会議においてであり、397年の第3回カルタゴ宗教会議にて正典目録が発布されたのである(東方教会はもっと遅い)。 Catholic Encyclopedia Canon of the New Testament p255 「(五大総主教座エルサレム、アンティオキア、アレクサンドリア、コンスタンティノープル、ローマのうち)最初の三つはまもなく開店休業になって」 開店休業どころか、どの総主教庁も正教会のものも非カルケドン派のものも、全て現代まで存続している。この論法だとこの前永眠したコプトのシェヌーダ3世も「開店休業の主」だった事になるのだから、橋爪氏はコプトに対して非常に失礼なことを語っているのではないだろうか。また、トゥルーリ公会議では「ローマ、コンスタンティノポリ、アレクサンドリア、アンティオキア、イェルサリム」という序列が定められているが、何でこんな並べ方をしたのかは不明。 The Quinsext Council (or the Council in Trullo), 692 , CANON XXXVI.参照 コプト正教会の教皇シェヌーダ3世が死去、エジプト (AFPBB 2012年03月19日 09 54) p256 「全部で六回開かれた公会議の内容をすべて承認している(正教とカトリック)」 正しくは7回。これは「細かい間違い」ではない(「幾つの公会議を承認しているのか」がカルケドン公会議を認める側と認めない側を分ける分水嶺になっているため)。なお、14刷では正しく7回と訂正されていることも付言しておこう。 OCA - The Orthodox Faith - Volume I - DoctrineSources of Christian Doctrine - The Councils(アメリカ正教会) p256 「東方教会と西方教会が分裂したのは、スポンサーであるローマ帝国が、テオドシウス帝の死後、東西に分裂したからです(395年)。分裂してしばらくすると、両教会合同の公会議が開けなくなった。道中の警護や経費の負担ができないからです。」 高校の受験世界史通りに「1054年」を目安にせよとは言わないが、395年に起点を求めるとは幾らなんでも早過ぎる。正教とカトリック双方から有効性が認められている全地公会(第三:431年、第四:451年、第五:553年、第六:681年、第七:787年)は8世紀まで開かれているのであり、「ローマ帝国が分裂したから共同の公会議が開かれなくなった」というのは、もはや「解釈の違い」ではなく「事実に反する」。加えて、「帝国の分裂」=「教会の分裂」と簡単に言えるような事態だったら、イリュリクム統治領の教会管轄権の問題は起きよう筈も無い(イリュリクム統治領は東ローマ帝国治下だったが、教会管轄はローマ司教に帰属していた)。 久松英二『ギリシア正教 東方の智 (講談社選書メチエ)』28頁 - 29頁 OCA - The Orthodox Faith - Volume I - DoctrineSources of Christian Doctrine - The Councils(アメリカ正教会) p258 大澤「そもそもなんでローマ教会がラテン語を使ったのかよく解らない」橋爪「本来なら、ギリシア語であるべきですね」 「ローマ教会がなぜラテン語のみを使うようになったのかよく解らない」というのなら解るが、4世紀のシリアの聖エフレムだってシリア語使っていたのだから、ローマ教会が現地のラテン語を使ったことまでは、別段不思議がることではない。そもそもシリア語で膨大な著作を残した聖エフレムの存在を、橋爪氏も大澤氏も全く知らないと思われる。 St. Ephrem (Ephraem, Ephraim) the Syrian, (A.D. 373)(シリア正教会 アメリカ合衆国西部大主教区) p275 「初期教会は、ローマ帝国のただの任意団体で」 キリスト教が宗教法を作れない(間違い)、というところに現れた意味不明な記述である。初期教会がローマの国教となっていなかったことの表現のつもりかもしれないが、「任意団体」と言う限りは「公認」されていた(少なくとも適法と看做されていた)組織を意味するが、そのような歴史的事実は無い。ローマにおけるキリスト教の公認は4世紀である。そもそも「任意団体」という概念をあてはめること自体何が言いたいのか不明。任意団体は「法人」に対置される概念であって、団体の適法性・違法性は法人化の有無には拠らない。「公認」されたら「法人」と言いたいのか?「橋爪は宗教学者ではなく宗教社会学者だ」と擁護する向きもあるが、仮にも「社会学者」であれば、「法人」と「任意団体」の概念の違いを押さえてから発言するべき。 任意団体とNPO法人の違い | 京都市市民活動総合センター(流山市のウェブサイト内ページが消滅したため、参考リンクを変更) p312 「クジラに脂身がたくさんあって油が採れるとなれば、クジラを獲ってロウソクをつくってもいいし、(中略)こんなことは、キリスト教徒しかやらないんです。」 鯨油は江戸時代の日本でも照明・農薬など多目的に利用されていた。本書を読むと、キリスト教のみならず、日本の宗教・日本の歴史も誤解する。これも瑣末な間違いではない。間違いそのものも問題だが、橋爪氏による勝手な結論(キリスト教徒の特殊性強調)に合わせて、前提となる基本的な歴史的事実(日本人も同じことをしていた)が捻じ曲げられてしまっているという構造が、本質的問題である。 平戸市生月町博物館鯨の利用 外部リンク 間違いだらけの『ふしぎなキリスト教』とそれを評価する傾向につき 誤りと誤解と偏見に満ちている本, 2011/7/13 映画瓦版の読書日誌 ふしぎなキリスト教 橋爪大三郎×大澤真幸『ふしぎなキリスト教』に対する批判まとめ一覧 - Togetter 橋爪大三郎×大澤真幸『ふしぎなキリスト教』に対する批判100- Togetter 最新 橋爪大三郎×大澤真幸『ふしぎなキリスト教』に対する批判1 - Togetter(2以降と別のまとめ製作者によるもの) 橋爪大三郎×大澤真幸『ふしぎなキリスト教』に対する批判2 - Togetter(2以降のまとめの始まり)
https://w.atwiki.jp/nitendo/pages/8226.html
基本情報 あらすじ キャラクター 声優 内容 コメント 基本情報 ピカチュウのふしぎなふしぎな大冒険 脚本 大橋志吉 絵コンテ 湯山邦彦 演出 浅田裕二 作画監督 玉川明洋 エンディング ドッチ~ニョ? 前回 ピカチュウのキラキラだいそうさく!? 次回 ピカチュウのサマー・ブリッジ・ストーリー? 5.3.1 あらすじ キャラクター 【サトシ】の【ピカチュウ】 サトシの【ムクホーク】 サトシの【ドダイトス】 サトシの【ゴウカザル】 サトシの【ブイゼル】 サトシの【フカマル】 【ヒカリ】の【ポッチャマ】 ヒカリの【ミミロル】 ヒカリの【パチリス】 ヒカリの【マンムー】 ヒカリの【ヒノアラシ】 ヒカリの【トゲキッス】 【タケシ】の【ウソッキー】 タケシの【グレッグル】 タケシの【ピンプク】 【ニャース】 【ムサシ】の【ソーナンス】 【コジロウ】の【マネネ】 声優 担当キャラ 名前 ピカチュウ 大谷育江 ポッチャマ 小桜エツ子 ゴウカザル うえだゆうじ ブイゼル 古島清孝 ドダイトス 三木眞一郎 フカマル 阪口大助 トゲキッス 井上喜久子 ミミロル 雪野五月 パチリス 西村ちなみ マンムー 石塚運昇 グレッグル 小西克幸 ピンプク 伊東みやこ ニャース 犬山イヌコ マリル かないみか ナレーション 堀内賢雄 内容 コメント 名前 全てのコメントを見る
https://w.atwiki.jp/wataseyu/pages/234.html
タイトル:ふしぎ遊戯 第1巻 発売日:1992年5月26日 表紙絵:夕城 美朱 収録話第一回 伝説の少女 第ニ回 「鬼」の星を持つ少年 第三回 朱雀の巫女 第四回 朱雀の七星 第五回 不敵な片思い 第六回 恋はうらはら トップページ > ふしぎ遊戯 > ふしぎ遊戯 第一部 各話あらすじ
https://w.atwiki.jp/wataseyu/pages/236.html
タイトル:ふしぎ遊戯 第3巻 発売日:1992年11月26日 表紙絵:夕城 美朱、本郷 唯 収録話第十三回 見えざる敵 第十四回 護ってあげたい 第十五回 囚われの少女 第十六回 青龍の巫女 第十七回 離れゆく心 第十八回 あなたしかいない トップページ > ふしぎ遊戯 > ふしぎ遊戯 第一部 各話あらすじ
https://w.atwiki.jp/zensensyu/pages/1469.html
ふしぎ星の☆ふたご姫出演声優の代表キャラクター 476 名前:水先案名無い人 :2006/02/12(日) 17 43 19 ID Cgf8yZx90 ざわ… ざわざわ… ドオォォォォォッ!! ……ォォォォォッ!! ……… 「佐藤さ~~~~~~ん!!」 「最もプリンセスらしくないプリンセスを見たいかーッ!!」 「オーーーーー!!!!」 「でも、誰が誰だか判らんぞーーーーー!!!!」 「ワシもじゃ!ワシもじゃ、みんな!!(一寸待てッ!!)」 全ふたご姫出演者の代表キャラクター入場!! ミケルの配下は生きていた!! 更なる研鑚を積み最終回で甦った!!! 『マーメイドメロディー ぴちぴちピッチ ピュア』!! 蘭花だァ――――!!! ぽんこつヒロインは既にねこねこソフトが完成している!! 『ラムネ』近衛七海だァ――――!!! 赤ちゃんがやって来次第 育児しまくってやる!! 『ママは小学4年生』ヒロイン 水木なつみだァッ!!! 美少女達とのスキンシップなら御都合設定がものを言う!! 黒田脚本 『ゆめりあ』 三栗智和!!! 真の大和撫子を知らしめたい!! 『藍より青し』 桜庭葵だァ!!! 世界名作劇場は翌年からだがアニメの知名度なら全階級私のものだ!! 『アルプスの少女ハイジ』 ハイジだ!!! 裏投げ対策は完璧だ!! 『YAWARA!』 猪熊柔!!!! 全アニメのベスト・キャスト変更劇は『To Heart ~Remember my Memories~』にある!! 親子セットで来たッ 長瀬源四郎&源五郎!!! 鬼太郎の為ならは絶対に死なん!! 入浴シーン見せたる 『ゲゲゲの鬼太郎』 目玉おやじだ!!! カッタ・リー(なんにもやらん)ならこいつが怖い!! 曲芸のピュア・代表作 『D.C. ~ダ・カーポ~』朝倉純一だ!!! エンドレス・イリュージョンからダリア・オブ・ウェンズデイが上陸だ!! 『ガン×ソード』 ファサリナ!!! 父親を超えたいからアメリカで結果(ジュニア大会4連続優勝)を出したのだ!! COOLドライブを見せてやる!!『テニスの王子様』越前リョーマ!!! 冥土の土産に地球を救うとはよく言ったもの!! 劇場版では何と 関東平野が浮上する!! 『新竹取物語1000年女王』 雪野弥生だ―――!!! マギステル・マギこそが地上最強魔法使いの代名詞だ!! まさかヒロインが31人もいるとはッッ 『魔法先生ネギま!』ネギ・スプリングフィールド!!! 死んでしまったから戦う羽目になったッ キャリア一切不問!!!! m.o.e.のA15(お色気)アニメ 『UG☆アルティメットガール』小春野白絹だ!!! 私は只のブスでは無い少女漫画家の卵なのだ!! 『ドラえもん』テレビ朝日版 3代目ジャイ子!!! ガッシュ日常生活の天敵は近所の公園にいる!! 彼女を止められる奴はいないのか!! 『金色のガッシュベル!!』ナオミだ!!! ダァァァァァッ説明不要!! モデル・アントニオ猪木!!! 『グラップラー刃牙』!!! 猪狩完至だ!!! パワードスーツは実戦で勝ててナンボのモン!!! 超関西弁ウサギ型宇宙人!! 『住めば都のコスモス荘 すっとこ大戦ドッコイダー』からハナ一の登場だ!!! チェザはオレ達のもの 邪魔するダルシアは思いきり殴り思いきり蹴るだけ!! 『WOLF S RAIN』四人組が一人 ツメ 陽を守りに賽円寺に来たッ!! 『あまえないでよっ!!』尼僧チャンプ 為我井さくら!!! 児童文学に磨きをかけ ”『それいけ!ズッコケ三人組』”山中正太郎が帰ってきたァ!!! 今の私には桐絵しかいないッッ!! 『GIRLSブラボー』小雨!!! ミルモの城に仕える医者が今ベールを脱ぐ!! 『わがまま☆フェアリー ミルモでポン!』 ゲンパだ!!! ヴィータの指図を受ければ何時でも俺は全開だ!! 『魔法少女リリカルなのはA s』 グラーフアイゼン ローマ字表記でクレジットだ!!! 恋太郎はどーしたッ 他の姉妹とは 性格が正反対ッ!! スケジュール思いのままならず!! 『フタコイ オルタナティブ』白鐘沙羅だ!!! 特に理由はないッ TV版『Air』が傑作なのは当たり前!! 緑川光には内緒だっ!!! 国崎最高! 国崎往人が来てくれた―――!!! あかほりが生み出した実戦コメディアン!! 『絶対正義ラブフェロモン』のデンジャラス・ライオネス 良澄愛美だ!!! 出渕作品だったらこのキャラを外せない!! 『RahXephon』主人公 神名綾人だ!!! 超一流新造宇宙戦艦の超一流の戦闘だ!! 生で拝んでオドロキやがれッ 『スターシップ・オペレーターズ』!! 桐生タカイ!!! 忍者モノは『バジリスク ~甲賀忍法帖~』が完成させた!! 伊賀鍔隠れ衆の若獅子!! 夜叉丸だ!!! アップルフィールド孤児院に帰って来たッ 何故評価が低いんだッ 『明日のナージャ』ッッ 俺達はキミを待っていたッッッローズマリー・アップルフィールドの登場だ――――――――ッ 以上合計33名から、知名度№1キャラクターを決定しますッッ!! 加えてアクシデント発生に備え超豪華なリザーバーを多数御用意致しました! 『ヒカルの碁』主人公の同級生 金子正子!! ……ッッ どーやら一名を除いてWikipediaに情報が載っていない様ですが、 情報が収録され次第ッ皆様にご紹介致しますッッ 関連レス コメント 名前
https://w.atwiki.jp/hmiku/pages/52943.html
【検索用 まかふしき 登録タグ CeVIO ちかるとふ ま まかぎ 可不 曲 曲ま】 + 目次 目次 曲紹介 歌詞 コメント 作詞:ちかるとふ 作曲:ちかるとふ 編曲:ちかるとふ イラスト:まかぎ 映像:ちかるとふ 唄:可不 曲紹介 曲名:『まかふしぎ』 酩酊堂(Twitter)主催の『イラスト統一祭~まかぎ祭~』参加作品。 歌詞 (動画より書き起こし) あったかい吹雪が君と僕を攫った ずっとここに居たいけれど なんか眠たくて 思考ごとおさらば いつまでそうしていれるの? 終わりゆく世界 かき混ぜ 永久の夢 描きませ どんな形ができるかな? まかふしぎな世界が (じわり) 溶けてく音も 掻き消すような 静寂が途切れぬように 手と手の温度で 話をしよう コメント 名前 コメント