約 3,810,963 件
https://w.atwiki.jp/83452/pages/18266.html
「それにしても……、何だったんだろうな、唯の病気……か? いや、病気なのか何なのかは分からないけど、とにかく唯の体調不良はさ。 今はあれが嘘だったみたいに、寝入ってからたった三時間でこんなに快復してるし……」 不意に澪が口元に手を置いて首を傾げた。 それは確かに謎だよな。 今の唯の様子を見る限り、その身体には何の異変も異状も無いみたいだ。 あれだけ苦しんでいたはずなのにどうして? って思わなくもない。 ピックを見せてやれば少しは落ち着くはずだとは思ってたけど、こんなに快復するなんて思ってなかった。 嬉しいには嬉しいんけど、やっぱり謎だ。 そうやって澪と一緒に首を捻っていると、ムギが口元に手を当てて神妙な表情を浮かべた。 お、久し振りの名探偵ムギバージョンだ。 ムギには何かの答えが出てるんだろうか? 少し待っていると、ムギがそのままの表情で話し始めた。 「知恵熱……だったんじゃないかな?」 「知恵熱ぅ?」 私と梓の声が重なる。 澪はといえば、呆れた表情を浮かべてないみたいだった。 どうやら澪もその可能性を疑ってたらしい。 唯は澪とムギが主に看病してたんだ。 同じ答えを導き出すのも当然と言えば当然かもしれない。 澪がムギの言葉を継いで続ける。 「ムギもそう思うか……。 私も唯の症状は知恵熱だったんじゃないかって思ってたんだよ。 子供が発症する本来の意味での知恵熱じゃなくてさ、 頭を使い過ぎると熱が出るっていう都市伝説的な意味での知恵熱……。 現実にあるのかどうかは分かんないけど、まあ、唯だしな……」 「あー、唯だし……」 「唯先輩ですしねえ……」 唯を除いた四人が同時に頷く。 知恵熱って、小学生どころか赤ちゃんかよ……。 思い返してみれば、その兆候はあったけどな。 知恵熱とまではいかないけど、唯は難しい事を考えるといつも頭がショートしてた。 本能と感覚で生きてるような奴だから、深く考えるのが苦手なんだよな、唯って奴は……。 それでも、憂ちゃん達が居なくなって、私が馬鹿な事をしようとしてて、 この世界が自分の夢じゃないかって疑い始めたりして、 色んな事があり過ぎて、唯の頭が働き過ぎてたのかもしれない。 そんな事で体調崩すなよって、馬鹿には出来ない。 私だって、高二の頃に澪と喧嘩した時には、知恵熱みたいな感じで風邪引いちゃったもんな……。 私は私の肩にしがみ付く唯に顔を向けてみる。 唯は自分の頭を掻きながら、恥ずかしそうに頭を掻いていた。 まったく……、こいつはいつだって大袈裟で紛らわしい……。 でも、それでいいんだって思った。 私はそんな唯が好きで、そのままの唯で居てほしいんだし、 知恵熱だか何だか分かんないけど、とにかく元気になってくれたのはとても嬉しいんだから。 だけど、心配させたお仕置きくらいはしてやってもいいだろう。 私は唯の頭に軽くチョップしてやると、のこぎりみたいに前後に動かしてやった。 こんなチョップをしてやるのも、そういえば凄く久し振りだ。 手を動かしながら、言ってやる。 「二度とこんな事で心配させんなよ、唯。 いや、その原因の一端は私にもあったわけだけど……、 それでもさ、もうこういうのはやめてくれよ? 私はさ……、私達は……、唯が元気で居てくれるのが一番嬉しいんだからな?」 私は自然に言ったつもりだったけど、唯にとっては意外な言葉だったらしい。 唯は私から身体を離すと、そのまま部屋の床に座り込んで涙を流し始めた。 変な事を言っちゃったんだろうか? 私は少し動揺しながら、涙を流す唯の肩に手を置いた。 「おいおい……、泣くなよ、いきなり」 「だって……、だってぇ……!」 言いながらも、唯の涙は止まらない。 ボロボロと床に零れ落ち続ける。 でも、涙に負けないように、唯は私達に自分の想いを届けてくれた。 「嬉しいよ……? りっちゃんの言葉、凄く嬉しいけど……、ごめんって思っちゃって……。 皆に迷惑掛けてばかりで……、今だって、皆に……。 この世界はきっと……私の夢で……、皆に嫌な想いをさせちゃってて……。 それが……、すっごく……すっごく……」 拭っても拭っても溢れ出す唯の涙。 こいつは自分の辛さには耐えられるけど、 私達が辛く思う事には耐えられない奴なんだ。 でも、それは私達だって同じだ。 私達だって唯が辛いのは嫌なんだ。耐えられないんだ。 だから、私は唯の頭を撫でながら言うんだ。 「迷惑じゃないよ。 そりゃ大変で辛い事もあるけどさ……、 でも、唯と一緒に居て笑えるのは嬉しいんだ。 笑ってくれ。笑って、元気で生きててくれよ、唯」 「生きてて……いいの……? 私が生きてたら、皆が元の世界に……」 「いいよ」 言ったのは澪だった。 家族に一番再会したいのは多分自分のはずなのに、澪はそう言った。 澪は前に進む事を決めてるんだ。 思い出を捨てず、未来を夢見ながら、現在を生きていく事を決めてるんだ。 それは和と……、こんな弱気になる前の私のおかげらしい。 澪にとっては私はそんな頼り甲斐ある奴だったらしい。 自信は無いけど、澪が私をそう思ってくれてるなら、今度こそ迷わないように前に進みたい。 澪が私の方に一度だけ視線を向けてから、言葉を続ける。 「いいんだよ、唯。 律も言ったけど、私達はおまえが元気なのが一番なんだ。 おまえが元気で居てくれたら、それだけで嬉しいんだよ。 勿論、もしも遠く離れる事になったって、おまえが生きてくれてるなら嬉しい。 それにな……」 「それ……に……?」 「一つの事に集中出来るのはおまえの良い所だけど、それしか見えなくなるのは悪い所だよ、唯。 おまえが死ねばこの夢は覚めるかもしれないよな? でも、もしかしたら覚めないかもしれないし、この世界がおまえの夢じゃない可能性も残ってる。 そんな物の試しみたいな事でおまえに死なれてたまるか。 あと、視野が狭いぞ。 元の世界に戻るためには、おまえが死ぬ以外の方法があるってどうして考えないんだ? 私達はまだこの世界について詳しい事は何も分かってないだろ? おまえが死ぬのはこの世界の事がもっと分かってからでもいいはずだよ。 勿論、それしか方法がなくったって、おまえを死なせるつもりはないけどな」 「でもでも、元の世界に戻っても、私は……」 「だから、視野が狭いって言ってるだろ? その解決策も一緒に見つけるんだよ。 元の世界でのおまえは寝たきりなのかもしれない。 目を覚まさない状態なのかもしれない。 でもな……、こんな世界を作り上げられるくらいなんだ。 どうにか頑張れば、おまえが元の世界でも生きられる方法があるって思わないか?」 正直、驚いた。 私もそこまで考えてなかったからだ。 唯を死なせたくないとは思ってたけど、その解決策までは思いが至ってなかった。 そんな……考え方があったんだな……。 もう、澪の奴を怖がりってからかえないな……。 澪は強くなった。 この世界に迷い込んでから、私なんかより、ずっと強くなった。 負けてられないよな、これは……。 勿論、本当にそんな方法があるとは限らない。 無い可能性の方が大きいと思う。 そんな都合よく、唯も私達も救われる手段があるなんて考えられない。 それでも、よかった。 何の目的も絶望するより、過去から逃げ出してるより、それを探す方がずっといい。 もうすぐ、私達が離れ離れになるかもしれないけど……。 「そうだよ、唯ちゃん。 私、唯ちゃんとまた演奏したいもん。 唯ちゃんのギター、澪ちゃんのベースと合わせた新曲が演奏がしたいよ。 折角作った新曲なんだし、皆に聴いてもらいたいな。 りっちゃんと梓ちゃんにも、勿論、和ちゃんや憂ちゃん、純ちゃん達にもね……」 真剣な表情でムギが言葉を紡いだ。 新曲が演奏したい……。 私だってまた唯と、皆と演奏したかった。 今度こそ自分達のために。前に進めるために。 本当の意味で、だ。 皆で本音で話し合えるようになって、やっと分かった事がある。 ロンドンに転移させられる前にやろうと思ってたほうかごガールズのライブ……。 あれは皆と自分を元気にさせるために、勇気を奮い出させるためのライブにしようと思ってた。 ライブをすれば勇気を出せる。 ライブをすれば元気に生きていける。 って、そんな風に考えちゃってた。 それはそれで間違ってないはずだけど、私達らしくなかったかなとも思う。 私達は音楽が好きだ。 音楽を皆で演奏するのが大好きだ。 ただただ純粋に、音を楽しんでいるのが好きだったんだ。 でも、あの時のライブは違った。 音を楽しむんじゃなくて、自分達の不安を紛らわせるためのライブだったんだ。 今ならそれが私にも分かる。 だから、あの日、ライブを開催出来てたとしても、 心の中にしこりのような物が残ってたんじゃないかな……。 もう、そんな演奏はしたくない。 そんな偽物じゃなくて、私達が大好きな本物の音楽を演奏したいって思う。 今度こそ、心から音楽を楽しんで……。 「りっちゃん」 急にムギが私に視線を向けて言った。 私はちょっと動揺しながら訊ねてみる。 「どうした、ムギ?」 「約束……、憶えてる? ワンマンライブ……、今度こそ、やろうね」 「……ああ、憶えてるよ、ムギ」 「本当?」 「うん」 忘れっぽい私には珍しく、それは本当だった。 ずっと前、ムギと自転車で遠出した時にムギとした約束。 私とムギのワンマンライブの約束……。 あの約束は自分達の不安を振り払うための気休めみたいなものだった。 でも、今こそ本当に音を楽しむ意味で演奏したいなって思う。 色々あって延期に延期を重ねた分、最高のライブを見せてやるんだ。 「私だって!」 梓が私達の会話に入って来る。 自分だって負けたくないって意志が感じられる表情だった。 梓だって、ずっと我慢してたんだよな……。 「私だってライブをしたいです! 皆さんとまたライブをしたいんです! 私達のバンドのライブもまだでしたし……、皆さんに私達の曲を聴いてもらいたいです! だから……、だから、唯先輩……。 もう絶対……、死ぬなんて言わないで下さい……! 私、唯先輩と一緒に居たいです……! 皆で一緒に居ましょうよ……!」 軽く叫んでから、梓が唯の胸に飛び込んだ。 梓のその小さな肩は小刻みに震えていた。 ずっと言い出せなかった本音を言うために勇気を出したんだろう。 普段の梓の姿からは想像出来ない意外な行動だった。 梓も素直になりたいんだ。 「あ、あずにゃん……」 いつも自分から抱き着いてるくせに、抱き着かれるのは慣れてないらしい。 戸惑った表情を浮かべながら、それでも、唯は梓を抱き締め返した。 感極まったのか、唯の肩も軽く震えてるみたいだった。 そのままの体勢で、唯が震える声で呟く。 「ありがとね、あずにゃん……、皆……。 そうだよね……、皆でまたライブ……やりたいよね……。 音楽……、やりたいよね……。 ねえ、皆……? 私、皆でまたライブやりたいな。 元の世界に戻ってからでもいいけど……、それじゃ我慢出来ないよ。 私、今日……はちょっと無理だけど、明日にはライブしたいな。 それくらい、皆とライブしたい。 いきなり過ぎる我儘だけど……、どう……かな?」 それは唯がやっと見せてくれた生きる事への意志。 私達と一緒に居たいって想いだった。 その意志を見せてもらえたら、もう断れるはずなんかないじゃないか。 断るつもりなんて最初からないけどな。 私は唯の頭に自分の手を言って、笑った。 自分でもびっくりするくらい、自然に笑えていた。 「いいに決まってるだろ? 明日出来るかどうかはともかくとして、明日からライブの準備を始めようぜ? 久し振りだから腕が鳴るよな。 ただ、相当演奏してないから、どんな出来になるのかは怖いが……」 「あははっ、それもそうだよねー……。 でも、私、それでもいいな……。 下手でも、ひどくても、とにかく皆とライブしたいよ。 どんなに下手でもね……、それが今の私達の精一杯だもん」 言ってから、唯も微笑む。 目尻を涙に濡らしながらも、笑ってくれた。 「そうだな……。 下手でも……、別にいいよな」 「そうだね」 「はいっ!」 澪達が次々に頷いてくれる。 この先、どうなるかは分からない。 唯が言ってた通り、また一陣の風で私達の中の誰かが居なくなるかもしれない。 もっともっと辛い事が起こるかもしれない。 それよりも先に私達はライブをしてやりたいんだと思う。 私達が五人で居られるうちに、精一杯の私達の音楽を演奏してみせたいから……。 「ねえねえ、りっちゃん……」 気が付けば、いつの間にか私は手を唯に掴まれていた。 私は首を傾げて唯に訊ねてみる。 「どうしたんだ、唯?」 「今日……、りっちゃんと一緒に寝たいな……」 「ええっ?」 叫んだのは私じゃなくて梓だった。 まさか唯がそんな事を言い出すとは思わなかったんだろう。 私だって思わなかったけど、梓に先に叫ばれたせいで他の言葉を言い出せなくなった。 唯が無邪気に微笑みながら、梓の頭を撫でる。 「何ー? あずにゃん、やきもちー? 心配しなさんなー。あずにゃんとは明日一緒に寝てあげるからねー」 「そ、それはいいです! ちょっと驚いただけです!」 「もー、あずにゃんは素直じゃないんだからー」 「素直ですってば!」 唯達がいちゃつき始めたせいで、当事者なのに私は言葉を挟めない。 仕方ないから、しばらくいちゃつくのを見ていてやると、 やっと落ち着いたのか、唯がまた柔らかく微笑んで私に言った。 「あずにゃんとは明日一緒に寝るけど、 今日はりっちゃんと一緒に横になって色んなお話をしたいな……。 考えてみたら、私達、最近そんなに話せてなかったよね?」 言われてみるとそうだった。 日本に居た時もライブの準備であんまり会話出来なかったし、 ロンドンに来てからも私の迷いのせいでまともに話せてなかった気がする。 こんな風に普通に喋れてるのって、凄く久し振りなんだよな……。 私は頷いてから、唯の手を軽く握った。 「そうだな……、私もおまえと話したいよ、唯。 大切な話、馬鹿馬鹿しい話、これからの話、これまでの話、それに和達の話……。 色んな事を話したいけど、覚悟しとけよ? 長い話に……なるぞ?」 「うん……、長くてもいいよ。 私、いっぱいいっぱい、いーっぱい、りっちゃんと話したい事があるんだ」 51
https://w.atwiki.jp/m3dsreal/pages/22.html
M3 DS REAL R4=M3 Simply DSTT 価格 6980円 5000円前後 4000円前後 対応容量 8G microSDHCまで 2G microSDまで HCは非対応 8G microSDHCまで リアルタイムチートON/OFF機能 ○ ○ ○ リアルタームセーブ機能 ○Ver4.0より実装 × × PDA機能 ○ × × 本体保証 1年以内 × × 大手メーカー ◎ △ △ 自動DLDIパッチ ○(メモリ内に適用) ○ ○ 吸出し △別途ツール必須 △別途ツール必須 △別途ツール必須 スローモーション機能 △(使用中一時停止?) × × チート ○ ○ ○ GBA起動 △(付属のRumbleRumでは容量の少ないRomのみ動作) × × スキンの変更 ○ ○ ○ Moonshell(動画、音楽等再生機能) ○(ファームウェアにも内蔵されているが推奨しない) ○ ○ DSブラウザの起動 ○(本体付属の拡張で可能) ×別途メモリ拡張を購入すれば可 ×別途メモリ拡張を購入すれば可 振動機能 ○(本体付属の拡張で可能) ×別途拡張を購入すれば可 ×別途拡張を購入すれば可 M3さくらのファーム ○導入可能 ×導入不可 ×導入不可
https://w.atwiki.jp/83452/pages/18277.html
◎ 色んな話を重ねた。 多くの想いを交わした。 繋いでいるんじゃなくて、結び合った手を重ねながら、私達は誓い合う。 ただ傍に居る事じゃなくて、傍に居たいって一人でもずっと思い続ける事を。 仲間を大切に思い続けるって事を。 話は尽きなかったけど、尽きさせたくなかったけど、 それでも、いつまでもこうしてるわけにもいかなかった。 不意に少しだけ会話が途切れた時、梓が静かにリボンを解き始めた。 「もう……、いいのか……?」 少し残念そうに、澪が梓に訊ねる。 心を強く持っている澪だって、まだこうしていたいって気持ちはあるんだろう。 私にだって、勿論ある。 唯とムギ、梓にだってあるだろう。 手を繋ぎ合ってるのは、絆を感じられて、凄く安心出来る事には違いないんだから……。 だけど、梓はゆっくり頷いたんだ。 寂しそうでも、少し口の端で微笑みながら。 「はい……! もう……、大丈夫です。ありがとう……ございました!」 力強い意志のこもった言葉。 梓は決めたんだ。 一瞬だけの安心や温かさに頼らず、長い孤独の中でも未来を信じて歩いていく事を。 後輩の梓にそんな事をされてしまったら、先輩の私達としても負けているわけにはいかない。 皆で頷き合うと、一斉に手首のリボンを解いてやった。 不安、恐怖、後悔、そんな感情が一瞬だけ私の心の中に生まれる。 離れていく事は、やっぱり怖い。 一人で多くの恐怖に耐えながら生きていけるほど、私は強くない。 でも、私はそれを笑い飛ばしてやった。 一人を怖がっているのは私だけじゃない。 卒業で離れ離れになって、ずっと怖がっていたのは皆も同じだったんだ。 皆だって、誰だって、見えない未来に不安を抱いてるのは同じなんだ。 この世界に来る事になって、それだけはよく分かったから。 自分や皆の不安や恐怖に嫌でも目を向ける事が出来たから……。 だから、きっと大丈夫。 私も、皆も、大丈夫なんだ。 結局、私達は自分の中の不安や恐怖から逃げ出す事は出来ない。 逃げ出せないんだったら、それを抱えながら生きてやるだけだ。 この先に何が待ってるとしたって、笑いながら生きてやろう。 未来、一人っきりで生きる事になったとしたって、 私達が生きて来た思い出を皆が憶えていてくれるって、私は思えるから。 笑顔で生きていける、きっと。 一斉に立ち上がり、皆で顔を見合わせる。 皆、微笑んでいた。 不安や恐怖や後悔を抱えながら、それでも。 未来を、信じて。 不意に。 一陣の強い風が吹いた。 目を閉じたくなるくらいのとても強い風。 でも、私達は目を閉じない。 手も繋がず、肩も寄せ合わず、自分だけの足で立って、ただ自分の想いを信じる。 そして、皆でリボンを持った腕を掲げる。 リボンを風に靡かせて、強い風を手の中に感じて……、 その手を、皆で同時に放した。 リボンが風に乗り、空に舞い上がる。 リボンが宙を舞う。 私達を繋いでいた物、結んでくれていた物が飛んでいく。 繋がれていた私達の心を解放していく。 残されたのは私達の孤独で自由な心。 何処までも不安と隣り合わせの心。 でも、それでよかった。 私達はこれまで自分達の心を雁字搦めに縛っていた。 皆と傍に居なきゃいけないって強迫観念に囚われていた。 それで自分だけじゃなく、皆の心まで雁字搦めに縛ってしまっていたんだ。 だけど、そんなの……、孤独よりももっと酷くて悲しい事だ。 私達は自由になって、自由にさせるべきなんだ、皆の心を。 宙に舞ったリボンを目で追えなくなった頃、 唯が軽く微笑みながら、また突拍子も無い事を言った。 「ねえ、皆……。 ライブ会場まで走らない?」 「走る……って、唯、おまえ、体調は……?」 私が訊ねてみると、唯は軽く首を横に振って続けた。 その瞳には強い想いが宿ってるように見えた。 「身体の調子なら大丈夫だよ? 澪ちゃん達のおかげで結構休ませてもらったもんね。 勿論、危ないと思ったらすぐに走るのやめるよ。 何だかね……、今とっても走りたい気分なんだ。 駄目……?」 駄目なわけなかった。 実を言うと、私だって今すぐにでも走り出したい気分だった。 自分でも自分の中の想いが掴み切れてない。 でも、走りたかったんだ、どうしても。 私は自分のわけの分からない衝動に苦笑しながら、澪、ムギ、梓の順で視線を交わしてみる。 三人とも苦笑しながら、多分、私と唯と同じ想いを抱いてるみたいだった。 私はまたもうちょっとだけ苦笑してから、唯の頭に軽く手を置いて言った。 「いいんじゃないか? 私もちょっと久々に走ってやりたい気分だったからさ。 でもさ、走るのがちょっとでも辛くなったら、すぐに言えよ? 別に急がなきゃいけない用事ってわけでもないんだからな」 「うんっ! ありがとう、りっちゃん、皆! じゃあ、早速……、 よーい……、ドン!」 言い様、唯が勢いよく飛び出して行った。 まあ、ゆっくり追い掛けるか、とか思っていたら、 既に結構先に行っていた唯がとんでもない事を言い出しやがった。 「最下位の人は一週間料理当番ねー!」 「ちょっ……! おま……、ずるっ!」 唯の言葉に驚いた私から、澪、ムギ、梓の順で唯の後を追い掛け始める。 唯はそう足が速いわけじゃないし、体力もそう無いから、すぐに追い付けるはずだ。 料理が嫌いなわけじゃないけど、流石に一週間の料理当番は面倒臭い。 これは言い出しっぺの唯に涙を呑んでもらう事にしよう。 ……あれ? となると、もし唯が最下位になったら、 これからの一週間、私達は唯の料理を食べ続けなきゃいけないわけか? それはそれで微妙な感じだな……。 まあ、唯の料理は外見は悪いけど、不味いわけじゃないから別にいいか……? 唯の足は予想以上に遅かった。 私達四人はすぐに唯と肩を並べる事が出来た。 このまま抜き去るべきかどうか迷っていたら、ちょっと驚いた。 横目に見た唯が満面の笑顔を浮かべていたからだ。 楽しそうに、嬉しそうに、もうすぐ抜かれそうだってのに眩しいくらいの笑顔で。 唯は、走っていた。 私は思わず丁度隣に走っていた梓に視線を向けてみる。 梓も面食らった表情をしてたけど、すぐに唯と同じくらい眩しい笑顔になった。 少し離れた距離でムギと澪のペースがちょっと落ちてるのを見ると、 二人ともいつの間にか笑顔になっちゃってるみたいだ。 まったく……、こいつらは何がそんなに面白いんだか……。 そう思いながらも、私もいつの間にか自分で気付けるくらい満面の笑顔になってた。 「あ……、ははっ。 あははっ。あははははははっ!」 声を上げて大声で笑い始めてしまう。 唯も澪もムギも梓も大声で笑い始めていた。 何がそんなに面白いのかは分からないし、自分でもどうかしてると思う。 だけど、確かに嬉しかった。 心の中の不安や恐怖はまだ全然消えてない。 喉元に引っ掛かった魚の小骨みたいに、気になり続けてる。 それでも、そんなのよりずっと嬉しい気持ちが私達を笑顔にさせていた。 私達は本当は一人でも、いつか一人になったとしても、 こうして皆で居られた時間は確かに存在してたんだって、そう思うと嬉しくなるんだ。 私達の時間は確かにあったし、あるし、これからもあるかもしれないんだ。 信じよう、と思った。 実は私が梓の想いを受け入れられなかったのは、もう一つだけ理由がある。 それには気付いてるだろうけど、梓もそれについては触れなかった。 触れるべき事なのかどうかは、私にも分からなかった。 私が梓を抱き締められなかったもう一つの理由……。 それはこの夢の世界から目覚められた後の話だ。 きっと私達はいつか目覚められる。 どんな形であれ、和達みたいに元の世界に戻る事が出来るだろう。 重要なのは元の世界に戻った後での話だ。 私は思うんだ。 元の世界に戻った時、私達はこの夢の世界での事を憶えてるんだろうかって。 この世界は唯……というか、私達全員が同時に見ている夢だ。 夢の世界での出来事なんだ。 今は勿論、鮮明に憶えてるし、自分の意志で色んな事を考えられる。 だけど、その記憶や想いがどうなるのかは、目覚めてみるまで分からない。 この世界で考えた事や思い出が、何もかも無かった事になっちゃうかもしれない。 むしろその可能性の方が高いんじゃないかなって思う。 そんな状態で、梓と恋人みたいな関係になる事なんて出来なかった。 例えばそれは、いくらでもやり直せるからって、 気に入らない展開になったゲームをロードして再開するみたいなものだった。 この世界で梓と恋人になって慰め合って、 目覚めた後で何も憶えてないなんて悲しいじゃないか。 私の想いも、梓の想いも、何もかも無駄になっちゃうじゃないか。 それ以上に、無かった事に出来るかもしれないって現状に甘えたくなかった。 無かった事に出来るから、とりあえず梓を抱き締めておくなんて事は、絶対にしたくなかった。 だからこそ、梓と恋人になるにしろ、元の先輩後輩に戻るにしろ、それは目覚めた後での話にしたいんだ。 私は一度きりの人生を生きてるし、一度きりの人生を生きてたい。 ゲームみたいにやり直せる人生なんて、自分にも梓にも失礼で残酷でしかないから。 だから、きっと梓も「忘れないで」と言ったんだろう、と思う。 この世界での出来事が夢みたいに消えてしまうかもしれないから……。 でも、信じる。未来ってやつを信じてみせる。 全部は無理にしたって、私達は少しでもこの世界での出来事を憶えてられるはずだって。 確かにあったこの時間、この想いを憶えててやるんだって。 絶対に……。 「うわあああああああああああっ!」 いつの間にか私は走りながら大きな声で叫んでいた。 それは不安や恐怖からの叫びでもあったけれど、未来に対する決意からの叫びでもあった。 忘れたくない。忘れてやらない。 私はこの世界での想いや記憶、皆との思い出、梓がぶつけてくれた想いを忘れない。 そして、絶対に唯と一緒に元の世界に戻るんだ……! その意志を込めて、私は大声で叫んだ。 気付けば、私に倣って唯達も大きな声で叫んでいた。 世界に向けて、皆に向けて、自分に向けて。 きっと多くの不安を抱えながら、だけど、私も含めた全員が笑顔で。 未来を信じるために、私達は叫びながら走ってやった。 ◎ 最初に転移させられた広場に辿り着いた時、正直、私は驚いた。 会場自体は雨よけに建てられたテントの中に、 レジャーシートを敷いただけの物だったけど、それはそれで十分だった。 私達は別にそんなに豪華なライブをやりたいわけじゃないんだからな。 それより驚いたのは揃えられた楽器の方だ。 ギー太にエリザベスにむったん……、 ムギのキーボードに私のドラムまで全て同型の楽器が揃えられていたからだ。 いや、同型ってだけじゃなく、カラーリングまで全部同じだった。 よく見ると、シート脇に置かれてるギターケースとかも同型なんじゃないか? 「おい、これ……」 私が指差して訊ねてみると、 走ってきた事でちょっと息を切らした唯が、両手を腰に当てて鼻息を荒くした。 「あ、気付いた、りっちゃん? 色んな楽器屋を回って皆のと同じ種類の楽器探すの大変だったんだよー? もっと褒めてくれていいんだよー、ふんすっ!」 いやいや、楽器屋を回ったからって、色まで同じ楽器を全員分集められるもんなのか? いくら何でも都合よ過ぎだろ、それ……。 待てよ……? そうか……、ここは唯の夢の世界なんだよな……。 そう楽器に詳しいわけじゃない唯の事だから、楽器の種類の多さなんて考えずに、 楽器屋を回れば全員分の同じ楽器が見つけられるはずだって、無意識の内に思っていたのかもしれない。 それで都合よく私達の楽器と同型の楽器を揃える事が出来たのかもしれない。 私は唯にそれを指摘しようと思って口を開いたけど、すぐにそれをやめた。 やめよう。 楽器自体は唯の夢の産物かもしれないけど、 楽器屋を回って全員分揃えてくれたのは、確かに唯達の努力の結晶なんだ。 大変だった、って言ってたわけだし、かなり苦労して探し出してくれたんだろう。 それだけは間違いないんだ。今はその事だけで十分じゃないか。 私が唯の頭に軽く手を置いて「ありがとな」と言うと、唯は照れた様に微笑んでくれた。 「それにしても……」 自分のムスタングと全く同型のギターを手に持ちながら、梓が目を俯かせて呟いた。 「本当に今からライブをするんですか、唯先輩? 勿論、私だってセッションはしたいですよ? でも……、まずは皆で練習してからの方がよくありませんか? 最近全然演奏出来てませんでしたし、私、自信無いです……」 「いいんだよー、あずにゃん」 言いながら、唯が梓に抱き着く。 梓は唯に身を任せながらも、また首を傾げて訊ねていた。 「いい……ですか?」 「うん、いいんだよ、あずにゃん。 自信が無いのは皆同じだし、練習出来てないのだって皆同じなんだよ? でも、何度も言うけど、下手でもいいんだって思うんだよね。 これから私達がやりたいのは上手いライブなんじゃなくて、 今の私達が出来る今の私達の精一杯のライブなんだもん。 それはあずにゃんも一緒でしょ?」 「そうだぞ、梓」 唯の言葉を継いだのは澪だった。 唯に抱き締められながら、梓が澪に視線を向ける。 「実はさ、本当は私達も練習したかったけど、 それは梓達に卑怯だと思ったから、楽器だけ集めて練習してなかったんだ。 今の私達の実力をそのまま曲にしたかったからさ。 そんな事で上手く演奏出来るわけないし、下手でいいんだって思うんだよ。 鈍っちゃった自分達の実力を再確認して、 自分達の無力さを知って、それからやっと前に進んでいけると思えるんだ。 だから、ぶっつけ本番でライブをやろうよ、梓。 そりゃ……、私だって鈍っちゃった自分の演奏を聴かれるのは恥ずかしいけどさ……」 「お願い、梓ちゃん! 私の我儘で悪いとは思うんだけど、やっぱり私も唯ちゃん達と同意見なの。 だから……、練習より先に皆でライブをやらせてもらっていい……?」 ムギが両手を胸の前で合わせて梓に頭を下げる。 皆、真剣だった。真剣な表情と想いで、未来に進もうとしてた。 梓もそれが分かったのか、軽く微笑んでから唯の胸の中で頷いて言った。 「……分かりました! 私、自信ありませんけど……、皆さんも同じ気持ちなんですよね……。 それでも、今の自分達に出来る演奏をしたいって気持ち、私にも分かります……。 私も、今の実力を知って、それからまた努力を始めたいです……!」 「ありがとう、あずにゃんー!」 唯がまたつよく梓を抱き締めて、澪達も嬉しそうに梓の頭を撫でていた。 それはとてもいい事だったんだけど、何となく疎外感が胸に湧いたから訊ねてみた。 「……ちなみに私の意見については誰も訊かないのかね?」 何故か数秒の沈黙。 どうしてそこで黙るんだよ……。 しばらく後、梓が唯から身体を離すと、肩を竦めながら生意気に答えてくれおった。 「律先輩は練習してもあんまり変わらないんじゃないですか?」 「中野アズスンアズー!」 一気に梓との距離を詰めて、得意のチョークスリーパーを食らわせてやる。 もう遠慮はしない。 遠慮はお互いのためにもならないはずだし、本気で嫌なら梓も言ってくれるだろう。 こういうのが私達の関係でいいはずだ。 不意に見回してみると、澪達が微笑みながら私達を見つめている事に気付いた。 そういや、澪達の前で梓にチョークを食らわせるのは、久し振りだったかもしれない。 多分、私達の様子を懐かしく思ってるんだと思う。 優しい視線を私達に向けてくれていた。 でも、澪達はすぐに苦笑を浮かべたままで、自分達の楽器に向かって歩いていった。 早くライブを始めたい気持ちもあるんだろうな。 練習云々はともかく、私だって同じ気持ちだった。 そう思って私が梓から身体を離そうとすると、 梓が首に回された私の腕を強く握って、私以外の誰にも聞こえないくらいの声で囁いた。 「律先輩、あの……、私……。 歌いたい曲が……あって……」 その言葉だけで梓が何を言いたいのか分かった。 ほうかごガールズのメンバーとして、それを分かってやらないわけにはいかなかった。 『演奏したい』じゃなくて、「歌いたい」って梓は言ったんだ。 つまり、それは……。 私は軽く梓の頭を撫でてから、 腕を頭上に掲げて、皆に宣言するみたいに声を大きくして言ってやった。 「おーい、皆ー! ぶっつけ本番って事は、どの曲を演奏してもいいって事だよなー? って事は、部長権限で私に演奏する曲決めさせてもらってもいいよなー?」 「えー……。いきなり何言ってんのさ、りっちゃん元部長ー……」 唯がちょっと不満そうに言ったけど、その目は笑っていた。 唯としても演奏出来さえすれば、曲目はどれでもいいと思ってるんだろう。 わざとらしく勿体ぶってから、ちょっと後に唯が折れてくれた。 「まあ、いいかあ……。 それで何を演奏するつもりなの? ひょっとして『冬の日』とか?」 「何でもいいけど、どうしてそこで『冬の日』が出て来るんだ?」 「え? だって、今のロンドン、二月みたいだから……」 「それだけかよ! まあ、演奏する直前で私が伝えてやるから、その辺もお楽しみって事で。 それが真のぶっつけ本番ってやつだぜ!」 「うーん、合ってるような合ってないような……。 私はいいけど、ムギちゃん達もそれでいい?」 62
https://w.atwiki.jp/83452/pages/18264.html
言い様、梓が私の胸の中に飛び込んで来る。 勿論、抱き締められたいから、ってわけじゃない。 私の存在をただ確認したかったんだろうと思う。 梓は私の胸の中で震えていた。 梓の奴……、こんなに私を心配してくれてたのか……。 心配するな、とは言えなかった。 心配してくれてる相手に向かって、心配するなって言うのは無神経過ぎる気がした。 私も何度もした事があるだけに、今回ばかりはそれをしちゃいけないって思った。 梓の震えを止めるために、気休めじゃなくて、事実だけを伝える事にする。 「……悪かったよ、梓。 遅くなって……、ごめんな。 でも、見つけられたんだ。捜し物はもう見つけられたんだ。 後はそれを取りに行くだけだよ。もう……、それだけだからさ」 「本当……ですよね……?」 梓が上目遣いに私の表情をうかがう。 私は梓から視線を逸らさずに、ゆっくりと強く頷いた。 もう嘘は吐きたくないんだ。 嘘を吐いちゃ、いけない。 数秒見つめ合ってから、梓が強張っていた表情を崩してくれた。 少し安心してくれたみたいだった。 静かに梓が口を開く。 「本当……みたいですね……。 だから、信じますけど……、 律先輩の事、信じますけど……、もう嘘は吐かないで下さいよ?」 「何だよ……、私ってそんなに信用無いのか?」 私が口を尖らせて梓の頬を軽く抓ると、そのままの状態で梓が頷いた。 「それはそうですよ! 律先輩はいつもいい加減で大雑把で適当で変な事ばかりやってて……、 さっきだって……、部屋から出てくだって……、 「大丈夫」って言いながら、律先輩、泣き出しそうな顔してて……。 そんな顔見てたら、そんな嘘吐かれたら、心配せずにはいられないじゃないですか……!」 言葉の最後では梓はまた声を荒げていた。 私と会えて安心出来た事で、感情を少し抑えられなくなってるんだろう。 少し面食らったけど、それでよかった。 私と同じ様に、梓にも好きなだけ自分の気持ちに正直になってほしい。 それにしても、だ。 梓にまで私の嘘が見抜かれてるとは思わなかった。 この調子じゃ澪は勿論、ムギにだって私の嘘が完全にばれてるに違いない。 澪が前に「律の嘘なんて、私には簡単に見抜けるんだからな!」って言ってたけど、 どうやら私の嘘は本気で物凄く下手糞らしい。軽音部の皆に分かり切っちゃうくらいに……。 嘘で全てを誤魔化せると思ってた自分が、何だか恥ずかしくなってくるな……。 でも、嬉しかった。 心底、安心していた。 偽物のピックを作らなくてよかった。 嘘に嘘を重ねなくて、本当によかった……。 多分、偽物のピックを見せても、唯は喜んでくれてただろう。 澪達も私達の会話を見守っててくれてただろう。 私達の嘘を……、お芝居を見守っててくれてただろう。 皆が嘘を嘘と分かって、気持ちを誤魔化して、 皆のために嘘を吐き続ける関係になっちゃう所だったんだ……。 私の……せいで……。 だから、嬉しい。 本当に最後の最後にだけど、限界の所で踏み止まれたのが、泣きたくなるくらい嬉しい。 伝えよう、と思う。 正直な気持ちを、今度こそ皆に……。 私は手を伸ばして梓の頭を軽く撫でる。 何を伝えればいいのかは分からなかったけど、感謝の想いだけは届けたかった。 数秒、梓の頭を撫でる。 想いを届け切れるまで頭を撫でていたかったけど、そうしている時間も無かった。 今は唯の事を考えなきゃいけない時だし、梓だってそっちの方が大事だと思ってくれるはずだ。 私は小さく深呼吸してから、梓の頭から手を離して訊ねる。 「ところで、唯の様子は……?」 頭から手を離された梓の様子は少し寂しそうに見えたけど、すぐに真剣な表情に戻って口を開いた。 梓だって、今自分がどうするべきかを分かってるんだ。 「唯先輩の様子は小康状態……だと思います。 ムギ先輩がおっしゃるには、よくもなってないし、悪くもなってないとの事でした。 澪先輩も、ムギ先輩も、唯先輩を必死に看病してくれています。 勿論、私だって唯先輩の事が心配ですよ……。 だけど、律先輩が全然戻って来てくれないし、外を見てみると明るいままだし、 律先輩に何かあったのかもって思うと、私……、居ても立っても居られなくて……。 それで……、私……、律先輩まで居なくなっちゃったらどうしようって、私……」 躊躇いがちに梓が目を伏せる。 自分の弱さを見せる事と、私の言いつけを守れなかった事が辛いんだろう。 私にはその梓の気持ちがよく分かった。 私だって同じだったからだ。 何となくだけど、私達の選んだ道や考え方はよく似ていると思う。 未来に進もうとしたのも同じだし、誰かを失う事が何よりも怖かったのも同じだ。 私達は……、似た者同士なんだろうな……。 だから、あの日、私が風呂場で梓を求めようとしたのは、ひょっとしたら……。 いや、今はそんな事を考えてる場合じゃない。 私は梓の両肩に手を置いて、梓の視線がまた私の方に戻るのを待った。 梓は責任感の強い子だ。 迷いを見せながらも、すぐに視線を私の瞳に見度してくれた。 見つめ合いながら、私は言葉を続ける。 「詳しい事は言えないけどさ、外の様子は心配無いと思う。 こんな時間になっても太陽が沈まないなんて異常だけど、多分、これは白夜なんだよ。 梓だってテレビで何度か観た事があるだろ?」 「白夜って、律先輩……。 確か白夜はロンドンじゃ見られなかったはずじゃ……。 ううん……、そっか……。 この世界が唯先輩の夢の中なら、もしかしたらそういう事も……」 「理解が早くて助かるよ、梓。流石は優等生だよな。 だから、確実ってわけじゃないけど、今の外の様子は問題無いはずだ。 とりあえず気にするのはやめとこうぜ? そんな事より、今は唯に届けたい物があるしな。 届けたいんだよ、『それ』と私の想いを……。 だから、『それ』を持って部屋に戻ろうぜ? 澪達は部屋で唯を看病してくれてるんだろ?」 「はい……、さっきも言いましたけど、 お二人とも、唯先輩の看病をしてらっしゃってます。 私が律先輩の事が気にしてるのを気付いて下さったみたいで、 「律の所に行って来い」って澪先輩が送り出して下さったんです……。 澪先輩達だって律先輩の事が心配なはずなのに、私だけを……」 それはそうだろうと思う。 ムギもそうだけど、特に澪は私の幼馴染みなんだ。 私の嘘も強がりも全部分かっていたはずだ。 分かっていて、送り出してくれたんだ。 勿論、私がどんな選択肢を選ぶのかは分かってなかったはずだと思う。 だけど、あいつは私の選んだ事を全部受け止めるつもりで、 そんな想いを抱いて送り出してくれたはずなんだ。 確証は無いけど、そんな物は必要無かった。 あいつはそういう幼馴染みなんだ。 どんなに情けなくたって私を信じてくれてるんだ。 ムギだって同じ。 ムギも私の事を信じてくれた。 だから、不安でも私を信じて今も待ってくれているんだ。 その信頼を裏切る事なんて、もう絶対に出来ない。 私は梓の頭を軽く掴んで、ホテルの入口の庇に視線を向けさせる。 不思議そうな表情を浮かべつつも、梓は素直に私の動き従ってくれた。 私は頷きながら言葉を続けて、梓に想いを届ける。 「心配、ありがとな。嬉しいよ、梓……。 あそこにさ……、私が唯に渡したい物があるんだ。 何かは言えないんだけど、ちょっと待っててくれないか? 私、もう嘘は吐かないからさ。 正直な気持ちを皆に伝えるようにしたいからさ……、 そのためにも、ほんの少しだけ待っててほしいんだ」 それは私の正直な気持ち。 やっと久々に伝えられた私の本当の想いだった。 だけど、梓は私の言葉には首を振る事で応じた。 「駄目です」 「え……っ?」 「私も一緒にあそこまで登ります。 律先輩を一人きりにするのなんて、もう嫌です。 唯先輩と律先輩の問題ですから、 律先輩が何を捜してるのかは確認しないようにしますけど、 目を瞑ってますけど、あそこまでは絶対に一緒に登らせてもらいますからね」 「いや、でも……」 「律先輩はもう嘘を吐かないんですよね? だったら、私だって嘘を吐きませんし、吐きたくありません。 私の想いを偽って、譲ったりもしたくありません。 だから……、絶対絶対! 絶対に私も一緒に行きますからね!」 梓の声と表情は真剣そのものだった。 梓がこんな我儘を言うのは滅多に無い事だ。 いや、我儘ってわけでもないけど、こんなに自己主張するなんてな……。 私は正直になる事を決めた。 梓もその私の姿を見て、自分も正直になる事を決めてくれたんだろう。 だったら、私に断る理由なんて一つも無い。 梓が一緒に来てくれるんだったら、例え短い距離でも勇気が湧いて来る。 私は梓の表情を見ながら頷く。 「分かったよ、梓……。 私に私の考えがあるみたいに、おまえにもおまえの考えがあるんだよな……。 よし、じゃあ、一緒に登るぞ? フロントにおまえが持って来てくれてた脚立があったはずだから、まずはそれを取りに行こう。 その後でブツを回収したら、全速力で唯の所に戻るぞ。 私の正直な想いを……、今度こそ唯に伝えるからさ……。 それじゃ、おまえはこれを持って……」 言いながら、私は余っていたビニール紐の端を渡そうとする。 だけど、それより先に私の手は、強く梓の手に握り締められていた。 強く強く、握り締められていた。 突然の事に驚いて梓の顔をのぞき込んでみたけど、梓の顔は真剣そのものだった。 私を一人きりにしたくないって想いは、本気で強いものだったらしい。 だったら……。 私は握っていたビニール紐の端を離すと、手を開いて梓と指を絡め合った。 梓とは何度か手を繋いだ事はあるけど、指を絡めて握り合った事はほとんど無かった気がする。 梓の体温を感じる。 私だって、梓や皆とは二度と離れたくない。 強く強く、手と手、想いと想いを繋ぎ合う。 フロントに向けて二人で駆け出していく。 もう嘘を吐かず、本当の想いで皆を守っていくために。 走りながら、不意に梓が呟いた。 「そういえば、律先輩……。 澪先輩から律先輩に伝言がありました」 「伝言……?」 「「絶対に戻って来いよ。 戻って来たら、聴かせたい新曲がある」との事です」 新曲……って言うと、完成したのが嬉しくて唯が自分からばらしに来たあれか? どんな曲かは分からないけど、そんな事はどうでもよかった。 それがどんな曲であろうと、その曲は澪とムギと唯が演奏する曲なんだ。 澪はその三人の内、誰一人欠けさせるつもりも無いって事なんだ。 唯は絶対に救ってみせるって言ってくれてるんだ、澪は。 カッコいい事ばっかりしやがって、まったくあいつは……。 私だって、負けてたまるか……! だから、私はまた梓の手を強く握った。 握りながら、宣言してやった。 「唯は元気になる……。 絶対に元気にさせてみせる……。 それで唯が元気になって、皆が元気に揃ったらさ……。 私達もほうかごガールズの腕前を澪達に見せてやろうぜ、梓……!」 「……はいっ!」 私の言葉に梓は笑顔になって、強く私の手を握り返してくれた。 梓の体温を感じながら、守ってやる、と私は決心した。 今度こそ守ってやる。 唯も、澪も、ムギも、梓も……。 そして、私自身の想いと過去も……! ◎ 部屋に駆け込んだ時、唯は目を覚ましていた。 でも、目を覚ましてるとは言え、 その苦しそうな表情からは体調が全然回復してないのがよく分かった。 「あ……、あずにゃん……、 りっちゃん……、おかえり……なさい……」 苦しいくせに、呆れるくらい身体が辛いくせに、 唯は無理に笑顔を浮かべて、私達を出迎えてくれた。 私達に心配させないように、私達の事を気遣って……。 それは私が何度も皆にやって来た事ではあったけど、 自分がやられると無力感に苛まれて辛いだけだった。悔しいだけだった。 私は……、こんな事を皆にやっちゃってたのか……。 それを後悔する事は出来たけど、今はそんな場合じゃなかった。 私は椅子に座って唯の様子を見てくれていたムギと場所を代わってもらう。 それから苦しそうに息をする唯の手を握って言った。 「いいんだ、無理に喋るなよ、唯……。 私が……、私が悪かったんだ……。だから……」 「そうですよ、唯先輩! 無理しないで下さい! そんな無理してちゃ、治るものも治らなくなっちゃいますよ!」 辛そうな表情の梓が私の後ろから言葉を重ねる。 澪達は何も言わず、私達の様子を見守ってくれていた。 本当は唯に伝えたい言葉が沢山あったはずだ。 でも、澪とムギは静かに私達を見守ってくれている。 私達を信じて、任せてくれているんだ……。 私は皆のためにも、自分のためにも、その信頼に応えなきゃいけない。 もう嘘を吐かず、正直な気持ちを唯達に伝えなきゃいけないんだ。 私は自分の手が震えてるのに気付きながら、それでも言葉を続けた。 「おまえの言いたい事と、おまえの気持ちは分かったよ。 この世界がおまえの夢みたいなものなのかもしれないって事もさ……。 だけど、それが何だってんだよ。 そんな事より、私はおまえに元気になってほしいんだよ、唯」 「で、でも……、でも……、私……、私が……」 「いいから無理して喋るな、唯……。 さっきおまえは言ったな。 自分が死んだらこの世界は消えるかもしれないって。 私達が元の世界に戻れるかもしれないって。 確かにそうかもしれないな。 ここがおまえの夢の世界だってんなら、そういう事も考えられる。 おまえが死ねば、私達は元の世界に戻れるかもしれない……。 だけど、それがどうした! おまえなしで元の世界に戻ったって……、何の意味も無いんだよ、唯。 私はただ元の世界に戻りたいわけじゃない。 おまえと一緒に、皆と一緒に、元の世界で傍に居たいんだ。 遊びたいんだ。笑いたいんだ。演奏したいんだ! だから……、もう死ぬなんて言わないでくれ……!」 それは私の想い。 私が唯に伝えたかった想いの一部。 でも、唯は納得してくれなかったみたいで、何度も首を横に振った。 自分が死んで私達を解放するって答えは、唯だって必死に考えて出した答えなんだと思う。 拳を握り締めて、唇を噛み締めて、血反吐を吐くような気持ちで出した答えのはずなんだ。 そう簡単に折れられるはずもない。 私達の事を大切に思うからこそ、唯は折れられないんだろうな。 だけど、私だって、唯の事が大切だから折れたくないんだ。 私は口を開いて、次の想いを伝えようとしたけど、 その言葉は唯に先に言葉を言われる事で遮られてしまった。 これ以上唯に無理はさせたくなかったけど……、 でも、唯にも自分の想いを言葉にさせてやらなきゃ、私の一方的な押し付けになるとも思った。 私が私の想いを伝えたいように、唯だって唯の想いを私達に届けたいに違いないんだから。 「でもね……、りっ……ちゃん……。 私ね……、思うんだ……。思い出したんだ……よ? 元の世界での……、私の事……。 私……、ずっと眠っててね……、身体が……、動かせなくて……、 でもね……、憂や和ちゃんや……、 りっちゃん達が私を心配してくれてるのだけは……分かって……、 皆に心配掛けたくないな、泣いてて……ほしくないなって……、私……、思って……。 私が思っちゃっ……たから……。 だから……、皆が私の夢の……中に……」 ああ……、きっと、そうだろう。 そうなんだろうって思う。 完全に思い出せたわけじゃないけど、私もかなり思い出せてはきていた。 あの夏休みの日、一陣の風のせいで生き物が消え去ったわけじゃない。 ライブの帰り道、私達は何かの原因で大怪我を負った。 交通事故なんだか、通り魔なんだか、隕石なんだか、その原因は憶えてないしどうでもいい。 とにかく、私達は大怪我を負ったんだ。 特に唯が頭にとても大きな怪我を……。 49
https://w.atwiki.jp/83452/pages/18273.html
急に梓が大きな声を出して私の言葉を制した。 どうやら、忘れてほしくないって事だけは間違いが無いらしい。 その一方で梓は自分の言葉を気の迷いって言っちゃってる。 どうも矛盾してる気がするんだが……。 その矛盾には梓自身も分かっていたらしく、 どうにか私に自分の気持ちを届けようとしたみたいで、見る見るうちに早口になった。 早口になるのは、梓の焦った時の癖だ。 「私のあの言葉は気の迷いです……。気の迷いなんです……。 私が律先輩に、あんな時に……、 よりにもよってあんな時に「抱き締めて」なんて言うわけないじゃないですか。 冷静な状態であんな事、言えるわけないじゃないですか。 大体、律先輩に失礼ですよ。 律先輩の想いを利用して、優しさに頼って、 自分を慰めてもらおうとするなんて、絶対にやっちゃいけない事です。 やっちゃいけない事なんです。 それなのに……、分かってるのに……、私は律先輩に縋り付いちゃって……。 だから、あの時の私の行動は気の迷いじゃなきゃいけないんです……。 あんな私が本気だったら……、律先輩に申し訳ないじゃないですか……。 私が私自身を許せなくなっちゃうじゃないですか……」 「梓……、もういいって……。 もういいよ……、そんなに自分を責めるな……。 それはおまえだけじゃない。元はと言えば私が……」 私は言いながら梓の頭に不意に手を伸ばし掛けて……、やめた。 今の梓はそれを望んでない気がしたからだ。 私は手を宙に彷徨わせた後、握り締めて元の位置に戻した。 今は肌の温かさより言葉を梓と交わすべき時なんだ。 だからこそ、私は梓の目をまっすぐ見て、今度は私が真剣な言葉を届けようと思った。 「ごめんな、梓……。 おまえの行動が気の迷いだとしたなら、おまえを迷わせたのは私だよな。 私がさ……、部長なのに……、年上なのに……、 おまえが優しかったから、おまえが私を支えてくれたから、 もっと支えてほしくて頼りたくなっちゃったんだよ。 おまえは気に病む必要無いよ、梓。 こればっかりは完全無欠に私の責任なんだ。 だから、もう自分を責めなくても……」 「ねえ、律先輩……。 一つ、訊いていいですか……?」 急に梓が話を変える。 少し面食らったけど、今は梓の言う事は何でも聞いてやりたかった。 私は一息吐いてから、ゆっくりと頷いた。 「……ああ、何でも訊いてくれよ、梓」 「じゃあ……、訊かせて頂きますね……。 あの……、その……、えっと……、 律先輩は……、その……私の……私の事が……。 私の事が好きだから……、あの日、私にキスをしようとしたんですか……?」 「……そう……だな。それは……」 私はそれ以上の言葉を口にする事が出来なくなった。 答えてやりたい質問だった。 あの時の梓を拒絶した以上、梓を迷わせてしまった以上、 絶対に私が答えなきゃいけない質問だった。 なのに……、私はその答えを持ち合わせていない。 梓の事は好きだ。 小さくて可愛らしいし、何だかんだと私を慕ってくれるし、 支えてくれるし、頑張ってる姿も健気だし、ずっと見ていたい気にさせてくれる。 そうだ。私は梓の事が大好きなんだよな……。 でも、恋愛対象かと訊かれてしまうと、話は全く違ってくる。 女同士ってのもあるけど、それを抜きにしても自分の気持ちがよく分かってないんだ。 答えを伝えてやりたい。 想いを伝えたい。 でも、私にはその想いが自分でも分かってない。 歯がゆくて、悔しくて、拳を握り締めてしまう。 私は梓の事を恋愛対象として考えていたから、キスをしようとしてたんだろうか? 分からない……。 どんなに考えてもその答えが出ない……。 私が真剣に考えていた表情がおかしかったのか、梓が小さく笑った。 頬の赤味は少しだけ治まっていて、何処となく嬉しそうな表情だった。 「自分の気持ちが分からないんですよね、律先輩……。 実はですね……、私もなんです」 「梓……も……?」 「はい。私、律先輩の事、あの……、好きですよ。 今言うのも何なんですけど、律先輩って最初は苦手な先輩で、 私、この部でやっていけるのかな、って不安だったんですけど……、 でも、その内に律先輩の事、信頼するようになってて、 一緒に居るのも楽しくなって……、ですから、私、律先輩の事が好きです。 大好き……なんだと思います」 私は言葉がまた出なくなった。 今までみたいに絶句したわけじゃない。 嬉しかったからだ。 嬉しくて、ただ嬉しくて、胸がいっぱいになって言葉が出なくなったんだ。 私も梓も想いを素直に表現出来ない者同士だと思う。 だから、嫌われてると思ってたわけじゃないけど、 梓が私の事を好きだと言ってくれるのは本当に嬉しかった。 それだけで軽音部で活動して来た価値があったって思える。 私は口を開く。 何て言ったらいいのか分からないけど、私はこの想いを言葉にしたかった。 梓が私を好きで居てくれて嬉しいんだって。 こんな私なのにありがとうって。 その気持ちだけはどうにか伝えたかった。 でも、その言葉は梓が私の唇に右の人差し指を当てる事で制されてしまった。 まだ梓には話したい事があるって事なんだろう。 私は出そうだった言葉を呑み込む。 その私の様子を見届けると、梓は頬をまた赤くさせながらはにかんだ。 「私、律先輩の事が好きです。 大好きなんですよ? ですけど……、本当にキスしたいくらいまで好きなのかは、私にも分かりません。 先輩としては大好きですけど、それとキスとは全然別問題じゃないですか。 恋愛関係とは全然違うじゃないですか。 ただの先輩にキスしようとするなんて、変な話じゃないですか。 そんな風に自分の気持ちがよく分かってないのに、 キスしようとするなんて、気の迷い以外の何物でもないじゃないですか。 だから、さっきの私の行動は気の迷いなんです。 気の迷いなんですよ、あれは……」 そうか……。 確かにそれは気の迷いだな。 自分の気持ちもはっきりしないのにする事なんて、全部気の迷いって言っても過言じゃないもんな。 梓の言う事はもっともだよ。残念だけど、そういう事なんだよな……。 ……? あれ……? 残念だ……、って思ったのか、私……? 胸が激しく鼓動するのを感じる。 若干、痛みも感じる気がする。 何だよ……? これってひょっとして……、失恋の痛み……ってやつ……? 私ってそんなに梓の事が……? いや、でも、だけど……、そんな簡単に決めちゃっていいのか……? 「梓……、あの……、私……」 私は何かを伝えようとして言葉を出した。 でも、想いも気持ちも言葉も固まらない。 情けない事だけど、多分、初めての感情に動揺する事しか出来なかった。 今、私はどんな表情をしてるんだろう……? やだな……、こんな表情、梓に見せたくないな……。 泣き顔は見せられたのに、今の表情だけは見てほしくない。 一瞬、私は梓の顔から視線を逸らしそうになる。 だけど、梓はその私の情けない行動を柔らかい言葉で止めてくれた。 「気の迷いなんですよ、私の行動も、律先輩の行動も……。 そんないい加減で曖昧な気持ちで、キスなんかしていいはずがありません。 もっとお互いの気持ちを確かめ合って、信頼し合って……、 それからでないと、抱き締め合ったりなんてしちゃ駄目なんですよ」 「ああ、そうだよな……。 その通りだよ、梓……。 私……、とんでもない事をする所だったよな……」 「ええ……、お互いに……。 気の迷いでそんな事しちゃ駄目です。 しちゃ駄目なんです、絶対……。 ですけど……」 「けど……?」 「私……、あの時の気持ちを気の迷いって言葉だけで、終わらせたくないんです」 「……えっ?」 多分、その時の私の顔は凄く間抜けな物だったと思う。 それくらい予想してない言葉だった。 私の表情がよっぽど崩れてしまっていたんだろう。 梓がちょっと苦笑したみたいになってから、言葉を続けた。 「勿論、気の迷いは気の迷いなんですけど……、 でも、その気の迷いの中に、私の本当の気持ちが無かったとも言い切れない気がするんです。 火の無い所に煙は立たないって言うじゃないですか。 気の迷いだとしても、私が律先輩にキスしてほしかったのは、 少しはそんな気持ちもあったからじゃないかって……、私、思うんです」 「私達の……本当の気持ち……」 「ええ……、本当の気持ちが……。 だから、私のさっきの行動、律先輩には忘れないで居てほしいんです。 気の迷いって言葉で、終わらせたくないんです……。 大体、全部が全部、気の迷いのせいにするなんて、私のプライドが許しません! それだと全部を気の迷いって言葉のせいにして逃げてるみたいじゃないですか!」 言った後、また照れ臭そうに梓がはにかむ。 いい笑顔だった。 私の大好き笑顔にかなり近い眩しい笑顔。 気付けば私も微笑んでしまっていた。 梓らしいと言うか何と言うか、だな。 まったく……、本当に何事にも真面目な梓っぽいよ……。 何事にも決して逃げずに立ち向かって行く梓。 そうだよ……。私はそんな梓の事も好きだったんだ……。 そんな梓を見ていたいんだ……。 だったら、私も負けてはいられないよな。 「そうだよな、梓。 何かから逃げるなんてさ、私達ほうかごガールズのプライドが許さないよな。 そんな事してたら、きっと和達に叱られちゃうだろうしさ。 特に和は厳しいだろうなあ……。 「そんな事で部長が務まると思ってるのかしら?」とか言いそうだよ。 梓の言う通り、気の迷いなんて言葉に逃げてられないよな……。 探したくなったよ、私の中の本当の気持ちがさ……」 「はい! 二人で探しましょう、律先輩……。 律先輩が私に嘘を吐いちゃいけないって事を教えてくれました。 だから、私は本当の気持ちを見つけたいんです。 律先輩にも本当の気持ちを見つけてほしいんです。 色んな事から決して逃げずに、物事をしっかりと見据えて……。 例えその先に……」 「そうだな……。その先に……」 それ以上の事は二人とも言葉にしなかった。 分かり切った事だからだ。 深く分かり切ってるから、それは口にしなくてもよかった。 多分、私達の別れの時は近い。 今すぐって話じゃないく、まだ結構先の話のはずだけど、私達の別れはそう遠くないはずだ。 この夢の世界の一陣の風で離れ離れにさせられるってだけじゃない。 もしも元の世界に戻れたとしても、恐らくは私達はこの想いを……。 だけど、探すんだ。 探してみせるんだ。 もう逃げない。 この世界から。 過去から。 恐怖から。 自分の気持ちから。 そして、梓の気持ちから。 別れは少し怖くなったけど、私は笑った。 笑い飛ばして言ってやるんだ。 私達の決心を宣言してやるんだ。多分、未来ってやつに向けて。 「私も探すよ、梓。 本気で真面目に探すよ、私の本当の気持ちをさ。 もしも、それが梓への恋愛感情だったらさ……、おまえは受け入れてくれるか?」 「さあ……? それとこれとは別問題ですから」 「うおーいっ!」 突っ込みながらも、私は笑顔のままだった。 梓も悪戯っぽく笑っていた。 それでいいんだと思った。 まずは本当の気持ちを見つける事。 全てはそこから始まるんだから。 いつかは終わるとしたって、始まらせなきゃ意味が無いんだから。 梓が笑顔のまま、目元の涙を拭いながら続ける。 涙の理由は笑い過ぎたからなのか、悲しかったからなのか、それは今は訊かなくてもいい事だ。 「さっき、本当の気持ちって言いましたけど、 私が律先輩の事を恋愛対象として好きな可能性は少ないですよ? あったとしても少しだけだと思います。 だから……、後悔しちゃ駄目ですよ、律先輩? 私と恋人になれる可能性が高かったのは、さっき私が迷ってた時だったんですからね? 冷静な私が律先輩に恋するなんて思います?」 「ひっでー言い方だなあ、おい……。 でも、ま、いいよ。許してしんぜようぞ、梓。 私が本当におまえに恋してるって気付いて、 おまえが私を受け入れてくれなかったら一人でシクシク泣くさ。 だけど、後悔はしないぞ? 弱ってる子の気持ちを利用して付き合うとか私の性に合わないからな!」 「そう言うと思いました」 梓が言ってから、二人で顔を合わせて大きな声で笑う。 空を見上げてつい自嘲する。 あーあ……、損な生き方だよなあ、私達。 不器用で、変な所で真面目で、似た者同士で……。 だけど、後悔は無い。二人とも、後悔なんて無い。 これが私達の嘘の無い生き方なんだから……。 不意に笑顔のままで梓が私に手を差し出した。 「見つけましょう、私達の気持ち。 そのためにも、これから私達に出来る限りの……」 私は差し出された梓の手と握手する。 先輩と後輩としてでなく、支える側と支えられる側としてでもなく、 対等な……同じものを目指す仲間として、想いを伝え合うために。 「ああ、出来る限りのライブをやってやろうぜ!」 まずはそれから。 新しい道を歩いていくための一歩。 そのための握手。そのためのライブだ。 これが私達の新しい始まり。 それが悲劇になるとしても、喜劇になるとしても、 とにかく私達の新しい物語は幕をこうして開けたんだ。 それだけは確かに嬉しかった。 いつかは忘れる運命にあるとしても、この想いだけは心に残しておきたい。 58
https://w.atwiki.jp/83452/pages/18227.html
「そういえばさ、憂ちゃんの料理、相変わらず美味しかったよ。 今日の朝ごはんは私も結構頑張ったんだけどさ、 やっぱり毎日台所に立ってる憂ちゃんには敵わないよ。 おみそれしました。私ももっと精進しなきゃな」 「いえいえ、そんな……。 律さんの朝ごはんだって、すっごく美味しかったですよ! お姉ちゃんも「りっちゃんの料理って、男の料理って感じで美味しいよねー」って褒めてましたよ!」 それは褒められてるんだろうか……。 一応、美味しいと思ってくれてるんなら、まあ、いいけど。 そう思いながら私が苦笑すると、憂ちゃんも私の後ろで苦笑してくれたみたいだった。 私達は唯に憧れてて、魅せられてて、真似をしたいって思う時もある。 でも、真似をしたって、唯みたいに出来るわけじゃない。 私達は私達に出来る何かをするしかないんだろう。 憂ちゃんはそれを私よりも分かってるはずだ。 分かってるから、憂ちゃんは本当に出来た妹になったんだと思う。 お姉ちゃんみたいにはなれないから、別の所で頑張ろうって思ってたんだろうな。 それでしっかりした子になったんだ。 それでも、憂ちゃんの心に不安が無いわけじゃない。 唯が大学に行って、長く唯と離れる事になって、 自分がどうするべきなのか迷っちゃう事もあるんだろう。 だから、唯の真似をしちゃったんだろうな。 唯が居ない場所では、自分が唯の代わりになった方がいいんじゃないか、ってそう考えて。 多分、ほとんど無意識な内に。 それくらい、憂ちゃんと私の心の中では唯の存在が大きいんだ。 私は唯の事が大好きだ。 でも、憂ちゃんの事だって好きだ。 友達の妹だから少し距離感が掴めないけど、嫌いなわけじゃない。 憂ちゃんに唯の代わりを求めてるわけでもない。 だから、私は憂ちゃんに言うんだ。 「そういや、憂ちゃんの胸って唯より小さいよね」 突拍子も無い発言だったし、正直言ってセクハラだった。 怒られても仕方が無かったけど、憂ちゃんは怒るどころか笑ってくれたみたいだった。 「あはっ、そうですね。 実はお姉ちゃん、最近、また胸が大きくなってきたみたいなんです。 ブラジャーも合わなくなってきたみたいなんで、 この前、お姉ちゃんに頼まれて買いに行ったんですけど、予想以上のサイズでしたよ」 唯もブラぐらい自分で買いに行けよ……。 若干呆れたけど、今はそれはどうでもいい事だった。 やっぱり唯と憂ちゃんは似てるみたいで違う所は違ってるんだ。 当たり前の事だけど、何だか嬉しかった。 込み上げる笑顔を隠し切れず、少し笑いながら私は続ける。 「さっき憂ちゃんは私を驚かせようと思って、唯の真似をしたんでしょ? しかし、その技、私には効かなかった! 何故なら、唯と憂ちゃんでは胸の大きさが違うからな! ふはははは! 胸を大きくして出直して来い! 唯の真似をしたって、憂ちゃんは憂ちゃんなのだよ!」 また何だか失礼な発言だった。 大体、憂ちゃんの胸だって、 そんなに小さいわけじゃないし、悲しい事だけど正直私の胸よりはかなり大きい。 唯と差が付いてるのも、単に唯がよく食ってるから、 その分の栄養が胸に行ったってだけの話なんだろうと思う。 食った栄養が胸に行くタイプなんだよな、あいつは……。 あの野郎……! 私の言葉を聞いて、憂ちゃんは少しだけ黙っていた。 ひょっとして調子に乗り過ぎちゃったか? そういえば憂ちゃんが怒った所を私は見た事が無い。 怒りの沸点も分からない。 ほんの少しの沈黙だったけど、何だか不安になってくる。 一瞬、憂ちゃんが私から身体を離した。 不安になっていたせいか、私から身体を離す憂ちゃんの腕を掴む事も出来なかった。 やっぱり、怒らせちゃったんだろうか……? バスチェアに座ったまま恐る恐る振り返ると、 急に憂ちゃんが腕を広げて笑顔で飛び掛かってきた。 「もう、律さんったら……。 女の子に胸の事を言っちゃ……、めっ! ですよ」 正面から私に抱き着きながら、憂ちゃんが私の耳元で囁く。 唯の真似をして私の背中に抱き着いていた憂ちゃんが、 自分の意思と自分の言葉で私に真正面から抱き着いてくれたんだ。 単にふざけてやった事かもしれない。 深い意味があっての行動じゃないのかもしれない。 でも、憂ちゃんが自分の意思で抱き着いて来た事だけは確かだ。 私はそれがとても嬉しい。 世界から私達以外の生き物が居なくなる……。 異常で困り果てた状況だけど、こんな事でもなければ、 私は憂ちゃんと一緒に裸の付き合いをする事は無かっただろう。 感謝はしないけど、この状況もちょっとだけ悪くないとは思えた。 「あはは、ごめんごめん。 ちょっとふざけ過ぎちゃっ……てぇっ!?」 瞬間、私は妙な声を出してしまっていた。 妙な声を出したのは、私がバランスを崩してしまっていたからだ。 真正面から抱き着いて来る憂ちゃんをしっかり抱き留めたつもりだったけど、 自分で思ってる以上に風呂に浸かり過ぎてたみたいだった。 予想以上に筋肉が緩んでたらしい。 憂ちゃんの身体を支え切れず、私達はプールサイドに倒れ込んでいく。 まずい……! せめて憂ちゃんだけは護ろうと抱き締めながら、全身で衝撃に備える。 心配する事は無い。 倒れ込んだ所で所詮はプールサイドなんだ。 ちょっと擦り傷が出来るかもしれないけど、それくらいなら大した事が無いはずだ。 大丈夫だ、問題無い。 数秒後、二人してプールサイドに軽く倒れ込む。 衝撃は思ったよりも少なかった。 憂ちゃんだって、そんなに勢いよく私の胸に飛び込んで来たわけじゃないんだ。 大事故になるはずもない。 ほら、やっぱり大した事無かったじゃないか。 だけど……、私は気付いてしまった。 倒れた拍子に風呂桶に汲んでいたお湯をこぼしてしまっていた事を。 お風呂の温度調整のために、熱湯に近い温度で置いていたお湯をこぼしてしまった事を。 そのお湯が私の右手の上にこぼれてしまっていた事を。 刹那、軽い熱さを感じる。 お湯が冷め切っていたわけじゃない事は私にも分かっている。 その熱さは神の与え給うた確かな猶予。 本当の熱さが訪れるまでの数瞬の時間……。 刹那の熱さが教える、後に襲い来る熱量……。 数瞬……、そして約束通り訪れる、予測を下回る事の無い熱さ!!! 「うおわっちゃああああああ!」 絶叫。 悪いと思う時間も無く、私は目の前の憂ちゃんに抱き着きながら悶絶する。 火傷するほどの温度のお湯じゃない。 最初は熱湯だったとは言え、結構長い間放置してたんだ。 完全にではないにしろ、それなりに冷めてはいる。 でも、そんな事は関係無い。 熱いものは熱いんだ! 「すみません、律さん……! だ……、大丈夫ですか……っ?」 おろおろしながら憂ちゃんが私を気遣ってくれる。 大丈夫な事は大丈夫だ。 でも、今はそれを声に出して言う余裕が無かった。 憂ちゃんには申し訳ないけど、もう少しだけ身体を掴ませていてもらおう。 何処かが痛い時って、何故か何かを掴んでると痛みが引く気がするしな……! だから、熱さがもう少し和らぐまで、何かを掴んでいたい……! 不意に。 プールサイドに憂ちゃんじゃない誰かの足音と大声が響いた。 「どうしたのっ、りっちゃんっ? 大丈夫っ?」 熱さに耐えながら、何とか声の方向に視線を向けてみる。 プールサイドに駆け込んで来たのはムギだった。 どうしてこんな所に? とは思わなかった。 ムギとは風呂の後に町を回る約束をしてたからだ。 グラウンド脇辺りで私達の風呂が終わるのを待っていたんだろう。 それで私の絶叫が聞こえて、何事かと思って駆け込んで来てくれた違いない。 「えっ……?」 ムギが小さな声を漏らす。 その表情はムギが滅多に見せない呆然とした表情だった。 どうしたんだろう、と私が思う暇もなく、 今度は見る見る内に顔を真っ赤にさせていった。 「ご……、ごめんなさいっ! お、お邪魔しちゃったよね! 本人同士が良ければいいと思うし……、ごゆっくりぃっ!」 ムギはそう早口に叫んで、 赤い頬を両手で押さえながらプールサイドから駆け出して行った。 プールサイドにムギが居た時間、実に十秒。 次に呆然とするのは私達の番だった。 一体、どうしてムギはあんなに顔を真っ赤に……。 そこまで考えて、今更ながらに気付いた。 私と憂ちゃんが寝転がりながら抱き合ってる(様に見える)事に。 全裸で。 しかも、あの様子だと私が叫んだ理由も勘違いしてる気がする。 何と言うか……、ほら……、何だ……。 初めては痛いから叫んだとか……、何かね……、 そういう意味で捉えてるんじゃないかな……? うん、何の初体験なのかは考えない事にしよう。 「紬さん、どうしちゃったんでしょう……?」 ふと視線を向けると、憂ちゃんが不思議そうに首を捻っていた。 ひょっとすると、憂ちゃんは本当に何も気付いてないのかもしれない。 それはそれで幸いな事なんだろうけど……、しかし、何なんだこれ。 どうしてこんな事に……。 私は右手の熱さが結構治まってきたのを感じながら、 後でムギに今の私達の状況をどう説明したらいいものか頭を悩ませた。 ◎ 憂ちゃんと裸で抱き合ってた(様に見えた)って誤解を解いた後、 私はムギと二人で私の実家に来て、ムギに居間で待ってもらっていた。 時間が掛かるかもしれないと考えてたけど、意外にムギの誤解は早く解けた。 「お湯で火傷しちゃったから、憂ちゃんに介抱してもらってたんだよ」と弁解すると、笑ってくれた。 「そうだよね……。大丈夫だよ、りっちゃん。応援してるから頑張ってね」と言ってくれた。 ……何か誤解が全く解けてない気がするが、解けたという事にしとこう。 誤解を解こうと必死になるのも逆に怪しいし、それにムギは頭の悪い奴じゃない。 今こそ嬉しそうに超うっとりしてるけど、 後で冷静になって考えてみると、自分の誤解だったって事に気付いてくれるはずだ。 今はムギに対してムキになっても仕方が無い。 いや、これ、駄洒落なんだけど。 それにしても、ムギってまだ女の子同士の関係が好きだったんだな……。 昔ほど夢中になってる様子は見せないけど、やっぱり好きなものは好きらしい。 軽音部の中で出会った頃から一番印象を変えたのはムギだろう。 澪は幼馴染みだし、梓は自分のスタンスを変えない奴だし、 私に言えた事じゃないけど、唯は高一の頃から何もかもそのまんまだ。 その点、ムギは本当に変わった。 私と……、特に唯の影響を受けたのかな? 出会った当初はお嬢様っぽいしっかりした奴に見えたんだけど、 今じゃ唯と一緒に狙ってない天然でボケ倒す事も多くなったと思う。 たまに唯とムギの天然に突っ込むのに疲れる事もある。 でも、それは心地良い疲れだ。 楽しくて、面白くて、大笑いして、そうして感じる疲れは、心地良くて嬉しい。 でも、色々変わったムギだって、変わってない所があるみたいだな。 言うまでもなく、百合趣味だ。 最近は百合の話をあんまりしなくなったから好みが変わったのかと思ってたけど、 さっきの様子を見る限りは、単に声を大にして話さないようになっただけらしい。 それを改善と考えるか、悪化と考えるかは人それぞれって事で。 だけど、ムギにもずっと変わってない所があるんだと思うと、ちょっと嬉しくなる。 「そういや、確かここに……」 苦笑に似た笑顔を浮かべながら、私は自室の本棚に視線を向けてみる。 音楽関係の本と漫画に交じって、一冊だけ異彩を放つその本が変わらずそこにあった。 『青い花』。 百合……、つまり女の子同士の恋愛関係ってのが、どんなのか知りたくて買ってみた漫画だ。 変わった趣味だと思うけど、どんな趣味を持ってたって私はムギが好きだ。 ムギの事をもっとよく知るためにも、一度はその筋の本を読んでおきたかったんだよな。 勿論、それはムギには秘密にしてる。 そういうのは本人に知られずにやらないと意味が無いんだから。 そういや、『青い花』の内容はともかくとして、 この本を買った事で思わぬ事件が起こった事もあったよな。 『青い花』を買って数ヶ月、本の存在自体忘れてた頃に澪が私の家に遊びに来た事がある。 特に何をやるわけでもなく、二人で寝転んでお菓子を食べたり音楽を聞いたりしてると、 不意に澪が本棚から『青い花』を見つけてこう言ったんだ。 「『青い花』じゃないか。 律も結構ハードな漫画を持ってるよな」 うん、おまえが何でそれを知ってる。 私は初めて買った百合漫画が『青い花』だから、 内容がハードなのかどうかは分からないんだが……。 そりゃ、同性愛に悩む描写が想像よりも生々しかったとは思ったけど……。 ひょっとして、内容がソフトかハードか分かるくらいに、百合漫画を読んでるのか? そんな感じの事を澪に指摘すると、 澪は慌てた様子で「ネットの評判を見た事があっただけ」と言っていた。 後でネットで調べてみると、確かにそういう評判が多いみたいだった。 でも、そういう評判を即座に思い出せる時点で、かなりのもんだと思うが……。 まあ、何処まで本気なのかはともかくとしても、 中学生の頃には同性の先輩の事が好きな女子が結構居たからな……。 バレンタインにその先輩に本命のチョコをあげた子も多かったらしい。 中学生ってのはそういう年頃なんだろう。 ひょっとすると、澪にはその延長で百合漫画を多く読んでた時期があったのかもな。 別に澪が今も愛読してても、私は一向に構わないんだけど。 おっと。 ムギを待たせてるのに、思い出に浸ってる場合じゃなかった。 自室には自転車の鍵を探しに来たわけだし、早く見つけないとな。 さっきムギに頼まれて、今日は私とムギの二人でムギの家に行く事になった。 自宅に何かを取りに行きたいんだそうだ。 自宅の様子を見ておきたいって気持ちもあるんだろうと思う。 勿論、ムギの思うようにさせてあげたかったけど、それには一つ大きな問題があった。 距離の問題だ。 ムギは電車通学で、学校からかなり離れた所に住んでいる。 私達以外の生き物が消えてしまった今となっては、それはかなり辛い。 何せ電車もバスも動いてないわけだからな。 徒歩でムギの家に行くのは、体力的にも精神的にも勘弁してほしい。 車で移動するって手段もあるにはあるが、残念ながら私達は全員無免許なんだよな。 そんなわけで、私とムギは私の家まで自転車を取りに来たわけだ。 学校に置いてある誰かの自転車に勝手に乗るのは、何となく気分が悪いからな。 実家にはまだ私の自転車が残ってるし、 聡愛用のマウンテンバイクや母さんのママチャリもあるんだ。 どれかに乗っていけば、すぐってわけじゃないけど、何とかムギの家にも行けるだろう。 「うー……っと……。 何処に鍵置いたっけ……?」 呟きながら自転車の鍵を探す。 私もあんまり自転車に乗る方じゃないから、鍵を何処にやったかはいまいち覚えてない。 そういや、母さんには、鍵を置く場所を決めておきなさい、ってよく言われたもんだ。 分かっちゃいるんだけど、 自転車に乗って家に帰ると、ついついそれを忘れちゃうんだよな……。 大雑把な娘でごめんなさい、お母様。 と。 不意に胸が痛んだ。 今は母さんのお小言を聞く事が出来ない。 どんなに願ったって今は無理なんだ。 それが寂しくて、とても辛くなった。 今はまだ仕方が無いけど、出来ればそれは『今は』であってほしい。 『もう』母さんのお小言を聞く事が出来ない状況であってほしくない。 いつかは……、こんな異常な状況から解放されたい……。 さっき実家の玄関を開けたばかりの時の事を思い出す。 当然、誰も居なかった。 それだけじゃない。 誰かが住んでるって気配すらなかった。 この家には人が誰も住んでない……。 否応無しにそう感じさせられて、眩暈がする気分だった。 この家、こんなに広かったっけ? ドラマなんかでよく聞くありがちな台詞だけど、その台詞が私の胸を突いてしまう。 広い……。 本当に広いよ、誰も居ないこの家は……。 誰も存在しないこの世界は……。 突然。 私の部屋の扉がノックされた。 聡……? 一瞬だけそう期待したけど、そうじゃないって事はそのすぐ後の声から分かった。 「ねえ、りっちゃん? ちょっと見てほしい物があるんだけど、いいかな……?」 ムギの声だった。 居間で待ってもらってたはずだったけど、私に何か用件が出来たらしい。 扉をノックしたのは聡じゃなかった。 そりゃそうだ。この家には私とムギの二人しか居ないんだから。 大体、聡って弟は私の部屋に入る時にも、あんまりノックをしない奴だった。 大きな溜息。 やっぱりもうこの世界の何処にも、私の家族は居ないんだろうか……? 聡をからかってやる事も、母さんにお小言を言われる事も、 だらしのない父さんに説教してやる事も出来ないんだろうか……? また胸が強く痛むのを感じて、泣いてしまいそうになる。 ……駄目だ駄目だ。 私は頭を振って、軽く自分の頬を叩く。 辛いのは皆、同じなはずなんだ。 澪だって唯だってムギだって、辛いはずなんだ。 梓も一見しただけじゃ分かりにくいけど、辛いんだと思う。 だから、私くらいは笑顔でいなきゃな。 部長のりっちゃんはいつでも元気で騒がしくなくちゃいけないんだ。 そうじゃなきゃ、私が皆と一緒に居ていい理由なんて……。 溜息……じゃなくて、深呼吸。 ぎこちないだろうけど、少しは笑顔になれたはずだ。 ちょっとだけ無理をして、高い声で返事をしてみせる。 「あいよ、別にいいぞ、ムギ。 どうしたんだ? 見てほしい物があるって、何か見つけたの?」 12
https://w.atwiki.jp/83452/pages/18265.html
その日以来、唯は目覚めなくなった。 目覚めなくて、悲しくて、 もう一度唯と話をしたいって、多分、私達全員がそう思ってた。 それがどういう理屈か叶ったんだ。 唯の夢の世界に私達の意識が迷い込むって形で、叶ってしまったんだ。 生き物が消えた理由は一陣の風のせいなんだっていう、 理に適ってるんだか適ってないんだかよく分からない設定で合理性が取られた唯の夢の世界に……。 でも、それなら、唯に責任は無いじゃないか。 この世界が生まれたのは唯がきっかけだったのは間違いないだろうけど、 それを望んだのは他の誰でもない私達自身だったって事になるじゃないか。 唯の傍に居たいと願った私達の想いが起こしてしまった出来の悪い奇蹟だったんだよ、これは。 漫画やドラマなんかでよく見るみたいな、ありきたりな奇蹟なんだ……。 私はそれを唯に伝えた。 唯に責任は無いんだって。 完全に思い出せたわけじゃないけど、私達は私達の意志でこの世界に来たはずなんだって。 でも、唯はやっぱり首を横に振った。 とても悲しそうに……、 体調の悪さよりも、心の問題こそが辛そうに……。 「あり……がとね……、りっちゃん……。 でも……ね……、私……、 もうりっちゃん達に……、辛い思いをしてほしくないんだ……。 私ね……。 憂達が居なくなっちゃった時……、凄く辛かった……。 怖かったし、辛かった……し、悲しかったんだよ……? だから……ね……? せめて、二人が傍に居るって思いたくて……、 髪型を憂みたいにして、眼鏡も掛けてみたんだよ……? 最初はそれで……安心……出来たんだ……。 でも……、後で気付いたんだ……。 りっちゃんの姿を屋上で見つけて、気付いたんだ……よね……。 私……、ひどい事しちゃったんだって……。 りっちゃんに辛い事を思い出させちゃった……って。 私が……、憂達の思い出に甘えちゃったから……、だから……。 もう誰にも私のせいで悲しい想いをしてほしくないんだよう……!」 それは唯の想い。 唯の悲痛な想い。 皆の事を大事に思って、皆の事を考えられるからこそ感じてしまう唯の痛みだ。 大切な物が沢山あるからこそ、人の何倍も感じてしまう胸の痛みなんだろう。 でも……、唯のその痛みは分かるけど、それを認めるわけにはいかなかった。 認めちゃいけないんだ、私のためにも、唯のためにも。 私は一つ大きな深呼吸をする。 大切な事を伝えるために、心を整えて口を開く。 「唯……、確かに私は悲しかったよ。 おまえの姿を見て、凄く怖くて、凄く悲しかった。 自分の心が壊れそうになるくらいだった。 でも、それは私の責任なんだよ、唯。 私が弱かったから、弱いくせに強がってたから、 それで……、自分の悲しさを隠し切れなくて、無茶な事をしちゃってたんだと思う……。 だから、あれを投げ捨てたんだ、私は……。 でも……。 おまえが見つけてくれて、二つだけ見つけてくれて……、 悲しかったけど、怖かったけど……、心の何処かでは嬉しかった気がするんだ。 私の事をおまえがそんなに考えてくれててさ、 私の思い出を大切にしてくれる友達が居て、本当に……」 「でもでも……、 りっちゃん達に辛い想いをさせてるのは……私で……。 りっちゃん達を悲しませてるのは私で……。 それに私……、怖いんだよ……。 今はまだ……、五人揃って……られてるよね……? だけど……、だけどね……、 多分ね……、いつか私達も……離れ離れになると思うんだ……。 憂達が居なくなって……、気付い……たんだ。 この夢の世界は私の夢だけど……、私が自由に出来てるわけじゃない……んだって。 それはそうだよね……、夢だもんね……。 夜見る夢だって、自由な夢を見れるわけじゃ……ないもんね……。 だから……、いつか皆が離れ離れになる前に……、 憂達みたいに消えちゃう前に……、私が居なくなった方が……」 「それがどうしたってんだよ!」 私は大声で叫ぶ。 突然の事に唯は驚いたみたいだったけど、私は言葉を止めなかった。 止めるわけにはいかなかったんだ。 それだけは唯の意志でも通させてやるわけにはいかない。 私は唯の手を強く握り直して、唯の瞳を見つめながら言ってやる。 「それが何だよ? 私達がまた何処かに転移させられて、 誰かと離れ離れになるってのは、おまえが死ぬ事よりも辛い事だってのか? おまえの命が消えるより、大変な事だってのかよ?」 「そうですよ、唯先輩! 私……、どんなに辛い事になっても、唯先輩が生きててくれた方が嬉しいです! 生きててほしいんです!」 私の言葉に続いたのは梓だった。 梓は今にも泣き出しそうな表情で唯を見つめている。 流石の唯も大好きな後輩にそんな表情をされては躊躇ってしまうらしい。 強い意志を持っていたはずの唯の言葉が弱くなっていく。 「でも、私が生きてたら……、皆、元の世界に……戻れないんだよ? それに元の世界の私は……、 きっと……、もう目を覚ませられないと思うんだ……。 ここに居る私こそ……、本当の意味で……夢みたいな物なんだよ……。 皆を悲しませて、これからも不安にさせちゃう……迷惑な子なんだよ……? それでも……いいの……?」 「いいに決まってるだろ!」 「唯ちゃんが死んじゃう方がやだ!」 言ったのは澪とムギだ。 ずっと見守ってくれていた二人だけど、 今ばかりは自分の気持ちを唯に伝えたいみたいだった。 伝えるべきなんだと思った。 嘘を吐いてたって、誤魔化してたって、物事は前に進まない。 それを教えてくれたのは唯じゃないか。 過去を捨てないでほしいって気持ちでピックを集めてくれたのは唯じゃないか。 今度は私達が唯にそれを教える番なんだ……! 私はポケットの中に入れていた三つのピックを取り出し、 誰にも見られないように、唯に握らせる。やっと見つけ出せたピック。 唯が大切にしようとしてくれた私の……、私達のバンドのピックだ。 「あっ、これ……」 唯が戸惑った表情で呟く。 まさか自分があれだけ捜して見つけられなかった物を、私が見つけてるとは思わなかったんだろう。 それとも、私がピックを捜しに行くとは思ってなかったのか……。 まあ、どっちでもいい。 とにかく、私は唯に自分の正直な気持ちを伝えるんだ。 「ありがとう、唯。 おまえのおかげで私はこれを捜せた。捜そうって思えた。 自分の思い出を捨てちゃ駄目だって思えたんだ。 もう大丈夫だよ、唯。 私は過去と向き合え……」 言っていて、違和感に気付いた。 違う。これは単なる唯に対する気休めだ。 強がってるだけの、大嘘だ。 そうじゃない。そうじゃないだろ、私。 私はもう皆に嘘を吐かないって決めたんじゃないか。 高鳴る鼓動を抑えて、私は本当の自分を曝け出す。 見せたくなかった自分を、やっとの事で皆に見せる気になれたんだ。 自分でも震えてる事に気付きながら、伝える。それでも。 「……正直に言うよ、唯。 本当は怖い。すっげー怖い……。 和達の事を思い出すのもそうだし、この先、皆と離れ離れになるかもって事もさ……。 それは唯の夢の世界に来てからって話じゃない。 唯が目覚めなくなるずっと前から、大学に入ってから、それをずっと考えてた。 怖かったんだよ、色んな事が……。 大学までは一緒になれたけどさ、 就職先まで一緒にはなれないだろうし、バンドを続けられるかも分からない。 色んな事が不安だったし、これからも不安は消えないはずだ。 だけど……、それよりも私は唯が元気で居てほしい。 例え夢の世界だけでも、唯には元気で居てほしいんだ。 私達のために死ぬだなんて、言ってほしくないんだ……。 唯に私の存在が負担にならないように、私は強くなる。 強くなってやりたいんだ。 何が起こったって乗り越えられるように……、強く……。 だから、おまえは生きていてくれ、唯!」 情けない決意表明。 自分の弱さを認めるだけの、気恥ずかしい宣言。 でも、それでよかったと思う。 ここまで追い込まれてからだけど、私はやっと素直になれたんだ。 皆の前で、弱さを見せられたんだ。 今はそれだけでも上出来だと思うべきなんだろう。 やっと一歩。 これで私はやっと一歩進めたんだから。 私の言葉を聞いて唯はどう思っただろう。 私の想いの何分の一かでも届いただろうか。 せめて、唯に生きていて欲しいって気持ちだけは届いていてほしい。 不意に、唯が笑った。 久し振りに見る、唯の優しいほんわかとした笑顔……。 その笑顔を浮かべたまま、唯が喋り始める。 「え……へへ……。 嬉しい……なあ……。 皆に迷惑掛けてばっかりなのに……、いつもいつも迷惑掛けてるのに……。 皆が私の事を思ってくれて……、私……、すっごく……嬉しい……。 私……、生きてて……いいのか……な? 皆と一緒に居て……いいの……かな?」 「生きてて下さいよ! ずっと……、ずっと一緒に居ましょうよ、唯先輩! 皆で……、またセッションしましょうよ!」 梓の悲痛な声が響く。 唯の事を心の底から心配した声色。 唯はその梓に向けて笑顔を向けて言葉を届けて……、 「あり……がと、あず……にゃん……。 私……、私ね……、皆と傍に居られて本当に」 瞬間、私が握っていた唯の手から力が抜ける。 身体中から力が抜けていく。 目を閉じる。 そうして、その唯の続きの言葉を聞く事は出来なくなった。 ◎ 雲が流れる。 何処までも果てしない空に、輝く雲が。 窓の外で静かに流れていく。 これまでの喧騒が嘘みたいな静けさ。 あいつが私達の心をこんなに占めてたなんて、思ってなかった。 あいつがこんなにも大事だったなんて、思ってもみなかったんだ。 失ってしまって、それをまた確認する。 私は横たわっていた主の居なくなったベッドに視線を向ける。 確かにあいつはここに居た。 ここで孤独や恐怖と戦っていた。 私達の事を思って、私達の傍で、生きてくれていたんだ。 でも、あいつは……、もう……。 「いい奴……だったんだけどな……」 「うん……」 私が呟くと、応じるみたいにムギが悲壮な表情で頷いた。 いい奴だったと思う、本当に。 失いたくなかった。 どんな形でも生きててほしかった。 守りたかった。 だけど、それは叶わなかった。 無力感が心を支配し、私は肩を落として拳を握った。 もうあいつに会えないんだと考えるだけで、自分の胸に大きな穴が出来てしまったかのように感じる。 その穴が塞がる日はいつか来るんだろうか……? 「この世界は……、これからどうなるんだろうな……」 澪が唯の横たわっていたベッドを整えながら、独り言みたいに呟いた。 独り言だったのかもしれないけど、私はその独り言に応じてやる事にした。 独り言にだって、返事が欲しい時もあるだろう。 「さあな……。 これからどうなるんだろうな、この世界……。 まだ分かんないよな、その辺もさ。 この世界が本当に唯の夢の世界だったのか、それも確定してないしな……。 でも、多分、世界は変わる。変わると思うよ。 いい方向になのか悪い方向になのかは分かんないけど、きっと世界は変わると思う」 「そう……だな……」 「ねえ……」 澪が私の言葉に頷いた後に、 誰かが声を掛けてきたような気がするが、空耳だろう。 私は空耳を気にせずに、辛そうな表情を浮かべているムギの肩に手を置いた。 「もう……、そんな顔をするのはやめようぜ、ムギ。 唯はムギがそんな顔をしてるのなんて望んでないよ。 笑ってやろう。どんなに辛くたって、笑顔で居てやろう。 唯だってその方が喜ぶだろうからさ……」 「そう……だね……。 いつまでも悲しい顔をしてるわけにはいかないよね……。 私……、頑張る。 唯ちゃんが安心出来るように、私も頑張らなきゃね……」 「その意気だ、ムギ」 「ねえってばー……!」 ムギが軽く笑うと、またも妙な空耳が聞こえた。 今日は空耳がよく聞こえる日だな……。 まあ、空耳は放置しておいていいだろう。 私は何故か呆れた表情を浮かべている梓の頭に手を置いて、 とても青い空と太陽に人差し指を向けて、決意表明をしてみせる。 「私達は唯を失った……。 だけど、あいつも私達が立ち止まってるのは望まないと思うよ。 だからさ……、前に進もうぜ、皆。 あいつが託してくれた分も、精一杯生きてやろうぜ!」 「ああ!」 「うんっ!」 私の宣言に澪とムギが力強く頷いてくれる。 梓は相変わらず呆れた表情を浮かべていたけど、まだ気持ちの整理が出来てないだけだろう。 いつかは梓だって気持ちを整理出来る。 また笑顔を浮かべられるようになる。 そのためにも私は梓を傍で支えてやらなきゃな……、 とか思ってたら、急に何者かに肩に思い切りしがみ付かれた。 何者かは泣き出しそうな声色で喋り始める。 「ごめんよ、りっちゃんー! 心配掛けてごめんよ、りっちゃんー! だから、そういう扱いはやめておくれよー……!」 しがみ付いて来たのは唯だった。 ついさっきまで寝てたくせに、その力は妙に強い。 それにしても、起きたばっかりのせいか、相変わらず寝癖を立たせまくった髪型だな……。 私はその寝癖っ子に向けて、わざと冷たい言葉を掛けてやる。 「あ、死んだふりをしてた平沢唯さんだ」 「死んだふりじゃないよー……! あの時は本当に疲れてたんだよー……! 疲れて寝ちゃってただけなんだよー……! ごめんよー、許してー……!」 唯が私の顔に自分の顔を近付けて何度も謝り出す。 暑苦しい……。 けど、その暑苦しさは嫌じゃなかった。 またこうして唯の体温を感じられるのは、私としても凄く嬉しかった。 泣き出してしまいたいくらい、息が詰まるくらい、嬉しい。 でも、それを唯に悟られるのも恥ずかしかった。 私は照れ隠しに唯の寝癖をくしゃくしゃに撫でながら言ってやる。 「許すも許さないもないよ、唯。 おまえが生きてくれてて本当によかった。 だけど、もう紛らわしい真似はもうすんなよ? 今度やったら、そうだな……、ムギ! 言ってやれ!」 「今度やったら、おやつ抜きだからね、唯ちゃん!」 「ええぅ? わざとじゃないのにぃ……。 おやつ抜きは許してよ、ムギちゃんー……!」 唯が慌てた様子でムギに頭を下げ、その様子を見てムギが微笑んだ。 周囲で見てた澪や梓も苦笑してるみたいだった。 釣られて、私もちょっとだけ苦笑した。 あの時……、唯の身体中から力が抜けた時、私達は本気で動揺した。 唯を失ってしまったのかと思って、絶叫してしまいそうだった。 それくらい、胸が痛かった。 だけど、すぐに唯から寝息が聞こえてきて、 喜んでいいのか、怒っていいのか分からないけど、とにかく心の底から安心出来た。 唯まで失う事にならなくて、本当によかった……。 それだけは私達の共通の想いのはずだ。 「疲れも溜まってたみたいだし、安心して力尽きちゃったんじゃないかな」とはムギの言葉だ。 確かにずっと熱に苦しんでたわけだし、私達の言葉に安心して体力が尽きる事もあるとは思う。 思うけど……、何て紛らわしい奴なんだ……。 大体、突然電池が切れるとか小学生かよ……。 いや……、前々から死んだふりの演技ばかりしてる奴だったけど、 こんな時に無意識の内に死んだふりが出来るようになるなんて、その成長を褒めてやるべきか? 褒めてやるのも何だか悔しいが。 それにしても、唯が目覚めた時の気まずさったら何とも言えなかったな。 あれだけ皆が自分の想いを伝え合ってた時に、それが中断されちゃったんだ。 唯を含めた全員が不完全燃焼で、気恥ずかしい空気だけが漂ってた。 真面目な話をしてたはずなのに、どうにも決まらないんだよな、私達は……。 でも、それでよかったんだ、って私は何となく思ってる。 間抜けだけど、それが私達なんだ。 気を張り過ぎてて忘れてたけど、それが私達……、放課後ティータイムなんだよな。 そんな大切な事を、ずっと……、忘れてた気がする……。 50
https://w.atwiki.jp/pokeblwh/pages/17.html
マジコンを使用すると、以下の症状が現れます。 起動不可能 Cギア起動不可能 経験値取得不可能 ユニオンルーム入室不可能 また、DSTTとR4向けに特殊なプロテクトがかかっているようです。
https://w.atwiki.jp/83452/pages/18268.html
途端、梓の瞳から大粒の涙が一筋こぼれた。 梓の悲しみの詰まった涙が……。 私の想いが上手く伝えられなかったせいで……。 「あずにゃん……。 そうじゃないよ……。そうじゃなくてね……」 唯が辛そうな表情で呟く。 梓を心の底から心配してるのがよく分かる表情だった。 私は梓だけじゃなく、唯まで悲しませてしまったんだ……。 辛いし、自分の不器用さが情けない。 それを後悔する事は出来たし、今までもそうして来たけど……。 私はもうそうするわけにはいかなかった。 これから先、私は梓にもっと嫌われる事になるかもしれない。 拒絶されてしまうかもしれないって思うと怖い。 だけど、誤解させたまま梓を悲しませてるのだけは、絶対に駄目だ。 傍に居なくたって大丈夫って思えるのは大切な事だ。 離れててもずっと仲間だって信じられるのも立派だと思う。 それでも、私達はまだそんなに強くない。 想いの力だけを信じられるほど、皆と話し足りてない。全然足りてない。 もっと話がしたい。演奏をしたい。一緒に居たい。 私はやっと皆が一緒に居られるために必要な事を見つけ出せそうになったんだ。 あれだけ皆に迷惑を掛けて、やっと見つけられそうになったんだ。 それを梓に伝えたいんだ。 本当に大切なのは、皆がただ一緒に居る事じゃなくて……! 「あず……」 もう一度、私は必死に左手を動かしたけど、 その場に立ち上がってしまった梓の身体の何処も掴む事は出来なかった。 一筋の涙を拭って、梓は私達に背を向けて部屋から飛び出して行ってしまった。 「し……、失礼します!」 絞り出したみたいなその言葉だけを私達に残して……。 呆然としていたと思う。 今までの私達だったら。 昨日までの私と唯だったら。 でも、もう呆然としてるわけにはいかなかったんだ。 もう自分の無力に泣いてるのはやめなきゃいけないんだ。 私も、唯も。 唯と頷き合うと、私達は布団を蹴り飛ばして床に脚を下ろした。 梓を追い掛けるんだ。 そうして、駆け出そうとした瞬間、不意に唯がその場に崩れ落ちた。 腰から力が抜けたって様子だった。 私は腰を下ろして、唯に調子を訊ねてみる。 「どうした、唯っ? 平気かっ? 知恵熱……かどうか分からないけど、それがぶり返したかっ?」 唯は悔しそうな表情を浮かべ、私の言葉に首を振る事で応じた。 私は左手を唯の額に当ててみたけど、熱がまた上がったってわけじゃないみたいだった。 悔しそうに唯が小さく呟く。 「ごめん……、ごめんね、りっちゃん……。 私、足に全然力が入らなくて、こんな時なのに……。 本当にごめんね、りっちゃん……、あずにゃん……も……」 あっ、と思った。 そうだ。すっかり失念してしまっていた。 唯は三日以上ベッドで寝込んでいたんだ。 昨日体調が快復したとは言え、ちょっとやそっとで体力が全快するはずがない。 少なくとも起き抜けで全力で走れるくらいの体力は戻ってないだろう。 私は唯と繋がれてた包帯をほどきながら、唯に宣言する。 宣言してみせる、力強く。 「大丈夫だよ、唯。梓は私が追い掛ける。 唯はそこでもう少し休んでろ。 大体、梓を悲しませちゃったのは、私の言葉が足りなかったせいだ。 全然上手く伝えられなかったせいだから……、私が梓を連れ戻して来る。 梓は私達の大切な後輩なんだって、 大事な天使なんだって事をちゃんと伝えて来る……! だから……、待ってろ、唯……!」 「りっちゃん……。 私ね……、りっちゃんの言葉、間違ってなかったと思う。 私もりっちゃんと同じ様な事、あずにゃんに言ってたと思うし……。 りっちゃんが責任を感じる事無いよ……。 だけど、私……、 今はこんな状態で、役に立ちそうにないから……、 あずにゃんの事……、任せて……いい……?」 唯がそう言ってくれるだけで救われる気分だった。 でも、一人だけ救われてても意味が無い。 私達が本当に救わなきゃいけないのは梓なんだ。 今はそれがよく分かる。 梓が私達の腕を包帯で繋いだ理由、今なら分かる気がする。 さっきは驚いたけど、考えてみればそう突然の行動ってわけでもなかったんだ。 そうする素振りはずっとずっと前からあったんだ……。 ロンドンに転移させられてから、その素振りには気付いてた。 気付いてたけど、自分の事ばかりに目を向けてて、本当の意味では気付けてなかった。 まず転移させられた直後からそうだ。 皆で手を繋いで移動する時、梓は私の手を強く握ってた。 下手すりゃ臆病な澪に握られた時よりも痛いくらい、私の手を握ってたんだ。 その後だってそうだ。 梓は妙なくらい私の行動に付き合ってくれていた。 外の探索で私を励ましてくれたし、風呂まで珍しく一緒に入った。 その後も何度も外回りに誘われた。 それは私を心配しての行動だと私は思ってたし、 実際にもそうだったんだろうけど、それだけが理由じゃなかったのかもしれない。 梓も不安だったんだ。 不安で怖かったから、私の傍に居たがったんだ。 過去に目を向けてた唯とムギの傍じゃなく、強い意志を持った澪でもなく、 多分、同じ気持ちを抱いて過去より未来を見つめようとしてた似た者同士の私と……。 今、こんな状態になって、私はやっとその事に気付けたんだ。 救わなきゃいけない。 私は梓にこれまで何度も救われた。 今度は私が梓の心を救わなきゃいけない時なんだ。 その先、梓の隣に私の姿がなくったって、私は梓を救うんだ……! 私は部屋の中に置いたままにしておいた、 昨日使ったビニール紐に手を伸ばそうとして……、やめた。 本当はビニール紐を身体に結んでいた方が安心出来る。 誰かに端を持っていてもらう方が正解なんだろうとも思う。 だけど、そうするのはやめておいた。 一陣の風の事を気にし過ぎてもどうしようもないし、 何より私達はもっと前に進んでいかなきゃいけないと思うから……。 私は唯の頭に軽く手を置いて言うんだ。 「梓の事……、連れ戻して来るよ、唯。 本当はおまえが行った方が喜ぶのかもしれないけどさ……、 でも、あいつに誤解させたのは私だし、私がどうにかしたいって思うんだよ。 一応、元部長……なんだしな。 澪達……、先に呼んで来るか?」 「うん……、ありがとう、りっちゃん……。 でも、大丈夫。 ちょっとふらふらするだけだから、もう少し休めば大丈夫だと思う。 それにね……、私が行った方が喜ぶなんて、そんな事無いよ。 りっちゃんが来てくれたら、あずにゃんだってきっと喜ぶよ。 あずにゃんに……、りっちゃんと私達の考えを伝えてあげて……ね? ……紐、いいの……?」 唯がビニール紐に視線を向けながら呟く。 本当は私にビニール紐を結んで行ってほしいんだろう。 唯のその視線は凄く心配そうだった。 私だって胸の中が不安で張り裂けそうだったけど、どうにか首を振った。 「……いいんだよ。 梓が私達の手首を包帯で結んでくれてさ、分かったんだ。 昨日は非常事態だったからともかく、さ。 もうそういうのに頼ってちゃいけないって思ったんだ。 だから……、な……。 いや、とにかくもう行くよ、唯。 そろそろ追い掛けなきゃ流石に梓に追い付けなくなるからな。 おまえはもう少しだけ休んでから、澪達と一緒に居てくれ。 それより先に調子が悪くなったら、すぐ澪達を呼ぶんだぞ? 澪達、梓の事を心配するかもしれないけど、大丈夫だって言っておいてくれよな。 私……、絶対に梓を連れ戻して来るからさ。 絶対に……。 そうだ。 おまえから梓に伝言は無いか? 私じゃ梓に上手く伝えられない事もあるかもしれないしな。 何か私じゃ浮かんで来ないような言葉があるようだったら言ってくれよ。 そのおまえの言葉だけは……、絶対に伝える」 すると、唯はゆっくり頭を振った。 静かに瞳を閉じながら、囁くみたいに言ってくれた。 「ううん……、大丈夫だよ……。 私の思ってる事、私達の思ってる事はりっちゃんと同じだって思うもん。 だから、私にりっちゃんからあずにゃんに伝えてもらう事なんて無いよ。 りっちゃんの気持ちが私の気持ちなんだよ。 私はりっちゃんとあずにゃんと……、皆と一緒に居ると幸せになれるんだ。 一緒に居てほしいんだ……。居てほしかったんだ……。 でも、それだけじゃ駄目……って事なんだよね?」 言ってから、唯が瞳を開く。 その瞳からは寂しさみたいな物を感じたけど、でも、強い想いだって感じられた。 私と同じ……、いや、私以上に強い唯の想いを……。 どんな形であれこの夢を見てる張本人だからこそ、 唯は私よりも、誰よりもその事を分かってるんだろう。 私は深呼吸をしてから立ち上がる。 これで終わりだ。 これで終わりにさせるんだって強く思いながら、自分の足で駆け出していく。 「じゃあ……、行って来る!」 「あっ!」 私がドアノブに手を掛けて飛び出そうとした瞬間、 不意に唯が何かを思い出したみたいな大きな声を出した。 私は振り返って唯に訊ねてみる。 「何だよ、どうした?」 「りっちゃんに思い付けない事……、一つだけあったよ。 今、思い出したんだ。 それだけ……、あずにゃんに伝えてもらってもいい?」 「ああ、勿論伝える。遠慮なく言ってくれ。 何だ? 何を伝えればいい?」 「新曲!」 「あ?」 「新曲だよ、りっちゃん! あずにゃんに伝えて! 私達、あずにゃんに新曲を聴かせたいんだって! この世界に来て、皆で作った新曲を聴いてほしいんだって!」 新曲……か。 なるほど、確かにそれは私からはどうやったって出て来ない言葉だ。 澪もそうだけど、唯達はよっぽど新曲を私達に聴かせたいんだろう。 勿論、私だって聴きたかった。 そんな自信作なら、何をどうしたって聴いてやりたい。 「了解だ、唯。 新曲の事、絶対に伝える。 帰って来たら聴かせろよ? 私だっておまえ達の新曲、気になってるんだからな! それと……」 「それと……、何?」 唯が首を傾げて私に訊ねる。 だから、私は拳を握り締めて、言ってやった。 私達の想いはこういう所でも同じなんだって教えてやるために言ってやったんだ。 「私達だって帰ったらおまえらに演奏見せてやる! 私と梓の新バンドの実力聴かせてやるんだからな! 覚悟しとけよ!」 唯は一瞬だけその私の言葉に呆気に取られてたみたいだけど、 すぐに笑顔になると、力強く頷いて言ってくれた。 「うん、楽しみにしてるね! りっちゃん達が戻って来たら、放課後ティータイム同士の対バンだよ!」 ◎ 私は全速力で走る。 正直な話、梓が何処を目指して走り出して行ったのかは分からない。 広いロンドンであいつを見つけ出せるのか、不安が無いと言ったら嘘になる。 でも、私には一つの確信があった。 あいつを見つけ出す事は簡単なはずなんだって。 それだけは間違いないと思う。 梓は私の前から逃げるみたいに去って行った。 でも、本当に逃げたかったわけじゃないって事くらいは分かる。 自分の涙を……、自分の弱さを私達に見せたくなくて、あいつは飛び出して行ったんだ。 だから、あいつはすぐ傍には居るって思う。 ホテルの中には居ないにしても、 私が全力で捜せば簡単に見つけられるくらいの場所には。 その点においてだけは私に不安は無いんだ。 あいつは私と違って身勝手に行動するような奴じゃない。 責任感を持って、周囲に気を遣って、精一杯努力する奴なんだ。 本当のあいつの姿を知ってるわけじゃない。 あいつの全てを分かってやれてる自信なんて全然無い。 だけど、私の中では、梓はそういう責任感の強い後輩だった。 私達に心配を掛けるような事は絶対にしないはずだ。 そうだな……。 多分、あいつはホテルのすぐ傍で迷ってるはずだと思う。 つい飛び出して行ってしまったけど、 戻らない事には不安ばかり募ってしまうって事にも気付いてる頃だろう。 梓は私達の手首を包帯で結んだ。 傍に居るために、もう二度と離れないために、私達の繋いだ手を更に包帯で繋いだんだ。 そんな梓があんまり遠くに行ってるはずがないって確信がある。 私達の傍に居たいって思ってくれてる梓が、遠くに行くはずがないんだ。 その点においてだけは安心出来る。 でも、それ以上に不安もある。 さっき、私は梓を誤解させてしまった。 上手く伝えられなかった。 伝えなきゃいけない事を、伝えてやる事が出来なかった。 私がこの世界でこれまで何度もしてしまったように、私はまた私の想いをちゃんと伝えられなかった。 何度も何度も何をやってるんだろうって自分でも呆れるし、もう一度梓と話すのが怖い。 もっと悲しませる事になってしまいそうで、本当に怖い。 それでも、止まらない。 私は足を止めない。 怖くても、進む。 伝えなきゃいけないし、伝えたいからだ。 本当に大切だと思う事を。私達の想いを。皆、梓の事が大好きだって事を。 その結果、私が梓に嫌われる事になったって……。 私は息を切らして、まずはホテルの屋上に上った。 梓がホテルの屋上に居ると思って上ったわけじゃない。 屋上からホテルの周辺を見回した方が梓を早く見つけられると思ったからだ。 私は屋上の柵に近寄ると、首に掛けていた双眼鏡を手に持って瞳を寄せる。 「梓……、梓……!」 気が付けば私は口に出していた。 どうしてなのかは自分でも分からない。 だけど、私は梓の名前を呼んでいたかった。 怖いのに、凄く怖いのに、もう一度梓と話をしたかった。 話をして、私達の想いを伝えたかった。 双眼鏡を必死に覗いて周囲を見渡す。 その最中、何度も視界が遮られた。 言うまでもなく、私の前髪にだ。 そういえば、カチューシャをせずに飛び出して来てしまった。 私のトレードマークのカチューシャ。 カチューシャをしてない自分には、何となく自信が持てない。 外見的にもそうだけど、内面的にもそうだった。 小さな頃からカチューシャをしてるのが自然だったから、 カチューシャをしてない時の自分が人からどう思われるかが今でも結構怖い。 二年以上の付き合いになる梓にだって、 カチューシャをしてない私を見せたのは何度くらいあっただろうか。 だけど、そんな事を気にしてる場合じゃなかったし、取りに戻る時間も勿体無かった。 それに逆にいいかもしれないって思った。 前髪を下ろした私が本当の私ってわけじゃないけど、 私のそういう一面も見せるべきじゃないかって思えたんだ。 包み隠さず、私は私の思ってる事をそのまま梓に伝えたい。 だから、前髪を掻き上げながらも必死に捜す。 軽音部の現部長を、私の大切な後輩を、大好きな梓の姿を……。 見つけ出すんだ……! 不意に。 「梓……っ!」 私は半分叫ぶみたいに声に出していた。 双眼鏡の先、ホテルから少しだけ離れたビルの陰に、 見覚えのあるツインテールの女の子が座り込んで膝に顔を埋めていた。 遠目だから詳しくは分からないけど、もしかしたら泣いているのかもしれない。 泣かせたままでなんて、居られるもんか……。 梓の涙を止めてやらなきゃ……。 私は双眼鏡をその場に置いて、屋上から階段を全速力で駆け下りる。 身体と心臓が悲鳴を上げて軋む。 でも、そんな事は気にならない。 私の胸はそれよりも強く痛んでるから、 梓の胸は私よりももっと痛いはずだから、私は梓が居る場所まで走るんだ。 今度こそ。 私の嘘の無い想いを伝えるために。 聞かせたい……。 いや、聞いてほしいんだ、私の想いのこもった言葉を。 53
https://w.atwiki.jp/83452/pages/18279.html
◎ 転調。 『天使にふれたよ!』を演奏し終わった瞬間、 誰からというわけでもなく、全員が同時に一つの曲を演奏し始めていた。 示し合わせたわけじゃないし、その予兆があったわけでもない。 ただ皆が皆、その曲を演奏したいって考えてたんだと思う。 届けたかったんだ。 私達の演奏を。 私達の想いを。 私達だけじゃなく、元の世界に居るはずの皆にも。 皆で同時に演奏を始めたのは『U I』。 唯が風邪で寝込んでいた憂ちゃんに向けて作詞した曲。 大切な妹に贈る、唯の想いを歌に込めた曲だ。 自分で作詞しただけあって、相当な思い入れがあるんだろう。 とても真剣な表情で、唯がギターを弾きながら大きな声で歌い始めていた。 いい曲、いい歌声だと思った。 だけど、憂ちゃんにはちょっと悪いけど、 私は憂ちゃんのためだけに『U I』を演奏してるわけじゃなかった。 憂ちゃんに対する想いも勿論込められてる。 でも、それだけじゃない。 和に、純ちゃんに、聡に、家族に、さわちゃんに……。 多くの人への想いを込めて、精一杯に演奏する。 『私』から多くの大切な『君』に向けて、想いをドラムに叩き付ける。 傍に居るのが当たり前だと思っていた皆に向けて、 今まで傍に居てくれた感謝を込めて、 もう一度再会するって決心を込めて、皆の想いを込めて演奏し続ける。 気が付けば、唯の瞳から涙が流れていた。 でも、その歌声は止まらない。 唯の想いは涙に負けない。 涙なんかに言葉や願いを止めさせない。 強い想いを込めて、唯は涙を流しながらも歌い続ける。 いつの間にか私も顔に熱い物が流れてる事に気付いていた。 とめどなく流れる熱い涙が私の涙腺から溢れ出す。 私だけじゃない。 隣に居るムギも泣いていたし、その背中を見ただけで澪や梓が涙を流してる事が分かった。 それでも、皆、演奏を止めない。止めてやらない。 涙なんかに私達の想いを邪魔させるわけにはいかないんだ。 不意にムギが震える声で歌声を唯の歌声を重ね始めた。 二人の声が響き、重なり、決心を強くしていく。 必ず元の世界に戻って、今の気持ちを皆に伝えてみせるんだって。 今は遠い世界に居たって、必ず再会してみせるんだって。 そう誓う。 曲も中盤に差し掛かった頃、澪が唯の使うスタンドマイクに顔を寄せた。 二人で顔を並べて、一つのマイクに想いをぶつける。 泣き虫な澪、泣き虫な唯が、涙に負けずに歌う。 歌う。 想いを言葉に変え、世界に響かせる。 世界に、自分に、皆に、想いを届けてみせるために。 最後に私と梓が三人の歌声に声を重ねていた。 メインボーカルを務めた事が無い私達だ。 正直言って、曲の完成度を下げる行為のような気がしないでもなかった。 でも、歌わずにはいられなかったし、 唯達は涙を流しながらも笑顔で私達の歌声を迎えてくれた。 そういう事を許してくれる仲間達が居て、本当に嬉しくて、また涙が溢れた。 だけど、当然、歌声を止める事はしない。 下手糞でぐしゃぐしゃな歌声をこの夢の世界に刻み付ける。 五人の歌声が重なる。 バラバラで、音程もずれてて、鳴き声混じりの酷い歌で……。 本当に笑っちゃうくらい酷い演奏だったけど……。 でも、歌詞だけは間違えなかったし、 五人の強い想いは真実で、酷い出来ながら旋律としては決して悪くなかった。 最低だけど、最高の音楽になっていったと思う。 これが私達の想いと決意。 これまで私達を支えてくれた人に向けた、想いの結晶なんだ。 皆、ありがとう……! 軽音部の皆も、元の世界に居るはずの皆も、 私達が一緒に居られたのは、当たり前のようで当たり前じゃない奇蹟だったんだ。 ありふれているけれど、決して無駄にしちゃいけない奇蹟だったんだ。 だから、私と……、皆と傍に居てくれた全ての人にありがとう……! 私達、唯を連れて戻るから……、 どんなに辛い事が待っていたとしても、皆が居る世界に戻るから……! 勿論、それはまだずっと先の事だろう。 唯を元の世界で目覚めさせる方法の糸口すら掴めてない。 そんな事が出来るのかって事すら分かってない。 でも、いつかは必ず戻る。戻ってみせるから……! だからこそ、せめて今は願うんだ。 当たり前じゃない当たり前をくれた全ての人への感謝の気持ち……。 他の誰でもなく、私達が今抱えている皆への想いを……。 この気持ちはずっとずっと忘れない。 だから……! 想いよ、 届け……! ◎ 演奏が終わる。 音楽の余波が夢のロンドンに溶け込んでいく。 心が、反響する。 皆して涙を拭い、少し太陽が傾き始めた空を見上げる。 空は綺麗で輝いていた。 唯の夢の中の空で、本当の空とは違ってるんだろうけど、 凄く綺麗で、輝いていて、何だか嬉しくなってくるくらいだった。 多分、この空は唯が世界をこんなに綺麗な物だって思ってるって事だから。 辛い事があっても、苦しい事があっても、 今、元の世界の自分が病院のベッドで眠り続けてても、唯は世界を綺麗だと思ってるんだ。 多くの物を、何もかも全部を一番にしちゃう困った奴だから、 そんな厄介で無茶苦茶で素敵な奴だから、私達は嬉しくなっちゃうんだ。 「想い……、皆に届いたかなあ……」 唯が目尻の涙を拭いながら呟く。 きっと憂ちゃんや和や純ちゃん……、それだけじゃなくて、 元の世界の唯と関わりのある全ての人の事について考えてるんだろう。 大切な人達、大切な世界の事について、考えてるんはずだ。 私達の演奏、私達の歌、届けたい思い……。 それらがさっきの演奏で元の世界の皆に届けられていたら、どんなに素敵だろう。 私は少しだけ苦笑して、唯の独り言みたいな呟きに応えてやった。 「馬ー鹿。届いてるわけないだろ、唯」 「ええー……。それ言っちゃ台無しだよ、りっちゃん……」 恨めし気な視線を私に向けて、唯が頬を膨らませる。 確かに台無しだったかもしれないけど、私達はこんな所で立ち止まってるわけにはいかないんだ。 唯もそれは分かってたみたいで、すぐに軽く微笑み直した。 私はドラムの椅子から立ち上がり、唯の傍に近付いてからその首に腕を回してやる。 「私だってさ、この歌が元の世界の皆に届いたらいいなって思ってるんだぞ? でもさ、そんな一方的に押し付けちゃっても、元の世界の憂ちゃん達に迷惑だよ。 私達は憂ちゃん達が居ない場所で勝手に歌っただけなんだからな。 そんな歌が憂ちゃん達に届くわけないだろ? 例えるなら、寝てる時に見る夢の中で会った知り合いに、 「この前、夢の中で君と会ったけど、あの夢面白かったよね」って、現実で訊ねるみたいなもんだよ。 そんな事言われたって、どんな反応しろってんだよ……。 確か小学生の頃にそういう事訊いて来た同級生が居た気がするが……。 とにかく、こんな五人だけで演奏した曲を誰かに届かせようってのは、無茶な話だよ」 「うーん……。 それを言われちゃうと弱いなあ……」 私の腕の中で私に視線を向けながら、唯が苦笑する。 唯だって分かってるんだ。 夢の中で演奏したって、届けたい想いを皆に届けられるはずがないって。 そんなの当たり前だ。妙な期待をしたって、遠い所に居る人に想いなんて届くはずがないんだ。 分かり切った事だ。私も唯も澪もムギも梓もそんな事は分かり切ってる。 「ですけど……、だからこそ……」 梓が私達に近寄りながら力強く言った。 心の底からそう思ってる……。 そう感じさせられる強い気持ちのこもった言葉だった。 「元の世界で届けなきゃいけないんですよね、私達の演奏を。 憂に、純に、和先輩に、届けたい皆の前で、直接。 今度こそ私達の想いを届けるために。 今の想いを絶対に忘れずに……」 言った後、気障過ぎたと思ったのか、梓が頬を赤く染めて笑った。 確かに気障だけど、それでよかったし、梓の言ってる事は間違ってなかった。 私達はこの想いを届けなきゃいけない。 この夢の世界じゃなくて、元の世界で。 想いを、届かせるんだ、今度こそ。 そのためにも、私達は唯と一緒に元の世界に戻るんだ。 でも、それはまだずっと先の話だと思うから……、だから……。 「忘れちゃ……いけないんだよな」 澪が梓の言葉を継ぐみたいに口を開いた。 その澪の表情は柔らかい笑顔だった。 ずっと弱かったはずの澪が、もう私達の中心で皆を支えてくれている。 ちょっと寂しくはあるけど、凄く嬉しい事でもあった。 皆、変わっていくんだ。 現実の世界でも、この夢の中の世界でも、少しずつ確実に変わっていく。 その変化を少しでもいい方向に向けられたら、私も嬉しい。 多分、澪はこの世界でいい方向に変われたんだろう。 私も澪みたいにいい方向に変わっていかなきゃな……。 そのためにも、私は皆と話しておかなきゃいけない事がある。 そう強く思った。 私の考えに気付いたのか、澪が私と視線を合わせてから静かに頷いた。 こいつは妙な所で私の考えを感じ取っちゃう事があるんだよな。 きっと私の小さな決心を認めてくれたんだろう。 私がその話を切り出しやすいように澪が話を変えてくれる。 「私も元の世界に戻るために、精一杯考えるよ。 今更言うのも変なんだけど、この世界が本当に夢の世界なのかどうか確信は持ててないんだよな。 あくまでその可能性が高いってだけだからさ……。 だから、私、この世界についてもっと調べて、元の世界に戻る方法を考える。 もしこの世界が本当に唯のサヴァン能力の発現だったら、 その制御方法についても唯と一緒に探して行こうと思うんだ。 だからさ……、元の世界に戻れる日まで、私、忘れないよ。 皆でこうして演奏した事、あんまりいい出来じゃなかったけど演奏出来た事、 和達や元の世界の皆に届けたかった想いの事……、絶対に忘れない。 想いを届かせたいって事だけは、忘れないよ、ずっと……」 結局の話、私達に出来る事はそれだけなんだろうな、って私は思った。 この世界に永遠は無い。 約束で相手を縛る事も出来ない。 大切な人と傍に居続ける事が正しいわけでもない。 誰かを縛り付ける事だけは絶対にしちゃいけない。 そんな中で私達に出来る事は、想いを心の中にずっと持ち続ける事だけだ。 皆の事を憶えていて、また会いたい、想いを届けたい、って強く思い続ける事だけなんだ。 言うほど簡単な事じゃないのはよく分かってる。 卒業から四ヶ月、梓とたったそれだけの時間離れていただけで、私は不安で仕方が無かった。 絆を信じようとしながらも信じ切れなくて、 多分、それもきっかけとして、私達はこの世界に迷い込んだ。 強がりながらも弱い私の事だ。これからも何度も不安になるだろうな。 でも、この世界にずっと居て、こんな私にもやっと一つだけ分かった事がある。 想いを強制て心を縛って繋いだって安心出来なかったし、全然嬉しくなかった。 皆が傍に居るのに、寂しくて辛かった。 もうそんな気持ちにさせちゃいけないんだ、私自身も、皆も。 だから、その想いだけは胸に抱いて、これから前に進んで行こうと思う。 あの一陣の風が吹いたって、その想いだけは絶対に……。 「あの風……、結局何だったのかな……?」 不意にムギが首を傾げながら呟いた。 これまでみたいに風を怖がってるって感じじゃなくて、純粋に疑問に思ってるだけみたいだった。 言われてみれば、私としてもそれは大いに疑問だった。 この世界が唯の夢だとしたら、あの風自体には何の意味も無い事になる。 大体、あの一陣の風が吹いた時には唯は元気だったはずだし……。 私と梓がムギに続いて首を捻ってみると、澪がその疑問に応じてくれた。 「あの風は多分、初期設定ってやつなんじゃないかな」 「初期設定?」 私が訊ねると、澪は大きく頷いた。 一息吸ってから、少し自信無い様子で続ける。 「これもこの世界が唯の夢だったらって前提の話なんだけどさ、 あの夏休みの日にさ、とても強い風が吹いたのは皆憶えてるだろ? それくらい印象に残る強い風だったんだよ、私にとっても、唯にとっても。 でも、それは単なる強い風だった。 私達をこの世界に連れてくる原因の風ってわけじゃない、単なる印象深い風だったんだ。 その後、何が原因かは分からないけど、私達は大怪我をする事になった。 それで唯が私達をサヴァン能力で自分の夢の中に引き込む事になったわけだけど、 唯はそのきっかけとなる現象をあの風っていう設定にしたんじゃないかって思うんだ。 病院にお見舞いに来てた私達が、何の前触れも無く唯の夢に入り込むなんて不自然過ぎるだろ? いや、まあ、突然人が消えちゃう事自体が不自然って言われたら、その通りなんだけど……。 でも、少なくとも、病院で前触れも無く人が消えちゃうよりは、 私達がライブ当日に待ち合わせをしてた時に、謎の強い風が吹いて人が消えたって方が自然だろ? 少なくとも唯はそう考えたんだと思う。 『強い風が吹いて生き物の姿が消えてしまった世界』。 それがこの唯の夢の初期設定だったんだよ」 「なるほどな……。 私達がこの夢の世界に適応しやすいように、 その設定を私達の記憶に植え込んでたわけか。 澪の言う通り、病室でいきなり生き物が消えちゃうより、 強い風のせいで生き物が消えたって話の方が少しは自然だもんな。 それで、その時間設定がライブの後じゃなくて、ライブ前だったのはきっと……」 私はそれ以上の事は言わなかった。 言わなくたって、私も唯も皆も分かってた。 わかばガールズとのライブの成否は私もまだ思い出せてないけど、 とにかく唯はもう一度私達とライブをやりたかったんだろうって事は。 私だって唯ともう一度ライブをしたかったし、 今ライブをやってやれたわけだけど、やっぱり少し違っている気がしていた。 ライブをやるなら、私達が揃うなら、それは元の世界で。 どんなに辛い事が待ってたって、私達は現実の世界で歩いていきたいんだ。 梓との事を考えるのも、元の世界の方がお互いにいいと思うしな。 私は唯の首に回していた腕を放して、レジャーシートの中央に立った。 一つ深呼吸をして、皆と一度ずつ瞳を合わせる。 澪の凛々しい瞳。 唯の照れたような瞳。 ムギのまっすぐな瞳。 梓の何処か潤んだ瞳。 全員の瞳を目に、脳に、胸に、心に焼き付ける。 忘れない……、どんな事があっても……。 私は拳を握り締めると、皆に向けて宣言するように言ってみせた。 「なあ、皆。 私さ……、皆に聞いてほしい事があるんだ。 この世界やあの風の正体は今の所は澪の考え通りの物でいいって私は思う。 元の世界に戻る方法もこれから皆で探したい。 でも、私、思うんだよ。 多分……、いや、きっと、元の世界に戻る前にあの風が……」 瞬間。 私の言葉が止まった。 風が。 強い風が吹いたからだ。 ひどく強い、目も開けてられないくらいの強い一陣の風。 私も含め、皆が一陣の風に体勢を崩される。 それでも、目だけは閉じない。 見開いていてやる。 もう目を閉じる事は……、 目を逸らす事はしてやらない。 一陣の風は数秒吹いていただろうか。 気が付けば、私の瞳はこれまで目にしていた風景とは全く違う物を捉えていた。 風以外に何の前触れも無かった。 まるで映画の場面転換みたいに、私は……、 私達はロンドンとは全く違う場所に転移させられていた。 転移させられた場所には今回も見覚えがあった。 日本風の建物が周囲に見える長い橋の中央。 ここは確か……。 修学旅行、猿山を見に行く前に通った京都……? いや、京都だ。 私はまた一陣の風に弄ばれ、 予想もしていなかった場所に転移させられてしまったんだ。 覚悟はしていた事だったけど、 胸に強い不安を感じた私は急いで周囲を見渡した。 四人の姿はすぐに見つかった。 当たり前だ。 すぐ傍に居るんだ、探すまでもない。 だけど、皆、動揺を隠し切れてなかった。 分かってはいた事なんだろうけど、頭で分かる事と心で分かる事とは全然違う。 私だって自分自身が胸の鼓動で息苦しくなるのを感じていた。 やっぱり、そうだ。 一陣の風は止まらない。 唯の意思とは関係なく、これからも無作為に無規則に吹き荒れる。 いつかは必ず私達を引き裂く。 あの風には、きっと抵抗しても無駄なんだろう。 あの風の前では私達は単なる無力な存在でしかない……。 と。 唯がその場に両膝を着いて崩れ落ちた。 両手を着いて、一陣の風の余波のある京都の空に視線を向ける。 64