約 180,115 件
https://w.atwiki.jp/tohohopeacewalk/pages/65.html
とほほドメイン t-t-japan.com について Google検索「site t-t-japan.com t-t-japan.com」入力 WHOIS情報の検索 t-t-japan.comのIPアドレス 202.90.10.23 (jpix-sc) WHOIS検索情報 http //whois.jprs.jp/ http //whois.ansi.co.jp/?key=t-t-japan.com T-T-JAPAN.COM GMO Internet, Inc. whois server 2.0 This server only serves information on GMO Internet,Inc.-maintained domain names For more information, please contact hostmaster@gmo.jp. Domain Handle None Domain Name t-t-japan.com Created On 2000-05-25 08 13 47.0 Last Updated On 2009-04-13 18 25 41.0 Expiration Date 2010-05-25 08 13 47.0 Status ACTIVE Registrant Name T.T Japan Registrant Organization T.T.Japan Registrant Street1 6077, Ishiyasumi Ishiuchi, Itsukaichicho Saeki-ku Registrant Street2 Registrant City Hiroshima-shi Registrant State Hiroshima Registrant Postal Code 731-5102 Registrant Country JP Registrant Phone 999999999 Registrant Fax Registrant Email domain@comcomclub.com Admin Name Startia Inc. Admin Organization Startia Inc. Admin Street1 2nd FL., 1-14-11 Nishi-Shinjuku Admin Street2 Admin City Shinjuku-ku Admin State Tokyo Admin Postal Code 160-0023 Admin Country JP Admin Phone 03-5339-2108 Admin Fax 03-5339-2104 Admin Email domain@comcomclub.com Billing Name Startia Inc. Billing Organization Startia Inc. Billing Street1 2nd FL., 1-14-11 Nishi-Shinjuku Billing Street2 Billing City Shinjuku-ku Billing State Tokyo Billing Postal Code 160-0023 Billing Country JP Billing Phone 03-5339-2108 Billing Fax 03-5339-2104 Billing Email domain@comcomclub.com Tech Name Takayuki Takeda Tech Organization Startia co.,Ltd. Tech Street1 1-14-11 Nishishinjuku Tech Street2 Nikko BLD Tech City Shinjuku-ku Tech State Tokyo Tech Postal Code 160-0023 Tech Country JP Tech Phone 03-5339-2598 Tech Fax 03-5339-2104 Tech Email domain@comcomclub.com Name Server ns.ccc-ns.net Name Server ns2.ccc-ns.net Last update of whois database Mon, 09 Nov 2009 03 59 57 UTC NOTICE The expiration date displayed in this record is the date the registrar s sponsorship of the domain name registration in the registry is currently set to expire. This date does not necessarily reflect the expiration date of the domain name registrant s agreement with the sponsoring registrar. Users may consult the sponsoring registrar s Whois database to view the registrar s reported date of expiration for this registration. (exite翻訳) 通知 この記録に表示された有効期限は、記録係の登録でのドメイン名登録のスポンサーシップが現在吐き出すように用意ができている日付です。 この日付は必ず後援している記録係とのドメインネーム登録者の協定の有効期限を反映するというわけではありません。 ユーザは、この登録のための記録係の報告された満期を見るために後援している記録係のWhoisデータベースに相談するかもしれません。 Startia Inc. http //www.startia.co.jp/index.html サーバ料金表 http //www.startia.co.jp/rental/service.html Digit@linkコース別料金表 <共用サーバコース> コース名 コース5 コース10 コース30 コース50 コース100 月額費用 2,919 3,654 5,229 7,329 15,750 ディスク容量 30MB 100MB 300MB 500MB 1G アカウント数 5個 10個 無制限 無制限 無制限 初期費用 10,500 10,500 10,500 10,500 10,500 Asuka Network Service, Inc. whois@ansi.co.jp しょむに
https://w.atwiki.jp/tohohopeacewalk/pages/336.html
とほほさんには「敵」として認定され、随分荒々しい言葉も頂きましたが、今になってみれば良い思い出です みほぴょん 2010-02-05 14 22 22 このハンドルネームで投稿するのは何年ぶりでしょうか。 某掲示板では、とほほさんとは随分討論させて頂いたのを 懐かしく思い出します。最近になって氏がご逝去されたのを 知りました。お悔やみ申し上げます。 とほほさんのホームページも閲覧できなくなるなど、 彼が生きてきた証が消えてしまうのは何とも寂しい気が いたしますが、仕方がないことなのでしょうか? とほほさんには「敵」として認定され、随分荒々しい言葉も 頂きましたが、今になってみれば良い思い出です。 とほほさん どうぞやすらかにお眠り下さい。 哀悼
https://w.atwiki.jp/tohohopeacewalk/pages/100.html
[93]上海南駅で泣き叫ぶ子供の写真 とほほ - 05/3/30(水) 13 00 - 写真1 以下、そよか板資料室より転載します。(渡辺さん、無断転載ごめんなさい) 上海南駅で泣き叫ぶ子供の写真について No 1339 投稿者:わっちゃん 01/05/05 Sat 00 57 42 (211.125.167.179) taiekijieikan さん、ご指定のHPに上海の子供の写真を「ヤラセ」として掲載しています。 http //www2u.biglobe.ne.jp/~sus/child.htm 多分このHPの作者は LIFE OCTOBER4,1937 を実際には見ていないんじゃないかな。 それから、 映画は The Battle of China に引用された短い部分だけしか見ていないんですよね。 とりあえず要点を。 (1)この子供の映画は「上海南站」の惨状の一部であって、一連のシーンの中でなんら不自然な点はない。(私が所蔵しているのは Universal系Castlefilmsの News Parade, The Year of 1937) 写真B,C,Dなどともっともらしく書いているが、もとの映画を見れば不思議なものではない。(この男性は子供を線路に置いているのではなく、プラットフォームの一方から、カメラ側のプラトオフォームに運んでいる。) (2)LIFEのこの写真の右頁(P103)には、この子供が担架の上にいる写真がもう一枚載っている。なぜ、子供は泣き叫んでいるのか?それは、左腕の途中から吹き飛ばされてしまったからだ。 映像は子供が救出される場面だ。「やらせ」どころではない。この子供は腕を吹き飛ばされ苦痛で泣きさけんでいるのだ。 HPに紹介されている「証言」では「父親をブラシで消して赤ん坊が一人で泣いている写真にした」そうだが、どういう技術か教えてもらいたいものだ。 「『ライフ』に1頁大で載って有名になった写真です」というのも事実ではない。LIFE誌の該当記事によると、米国だけで映画と写真を見たのはそれぞれ25,000,000人と推定している。(世界中では、136,000,000人と推定) 大切なことは、駅にいる市民が爆撃を受けてたということ。何か、本質を見失っていないか。 以下、参考資料:(「南京事件資料集」掲示板に投稿したものを一部修正してこちらに掲載) The Year of 1937 に収録されている映像 (1)「南站」(南駅)の駅名のあるプラットフォームと駅ビル (2)遺体が少なくとも2つころがる道路と炎上する車1台、一人歩行者 (3)破壊された駅の瓦礫の中から遺体を引きずっている人が1名 (4)幼児が一人、線路上で泣いている(画面右側に屋根からたれ下がったものがブラブラしている)、後方にはまだ煙が上がっている (5)引いた画面。右側のプラットフォームで線路上にいる黒い服の男性がプラットフォーム上の男性から幼児を受取っているような様子(細部不明) (6)画面がアップになり、白い服の男性と黒い服の男性。黒い服の幼児を持った男性が右側のプラットフォームから線路を渡って左側プラットフォームへ歩いて行くのを追う。プラットフォームを上がろうとするところでこのシーンは終わる なお、1938年に上海、香港、シンガポールで刊行された SHUHSI HSU (徐淑希) The War Conduct of The Japanese (中国語題名:日人戦争行為要論)によりますと、「南駅」爆撃の様子が下記のように書かれています。 (他の新聞では、日本軍の飛行機の数が若干違うが同様の記事が載っている。) (1937年)8月28日 午後1:45頃、12機の日本軍の飛行機が上海南駅地区の上空をゆっくりと旋回して8個の爆弾を投下し、そのほとんどが爆発した。 南駅には、そのほとんどが女性と子どもからなる1,000人を越える難民が集まっていたが、4発の爆弾を受けた。 日本軍の飛行機がようやくその場を立ち去ったときには、濃い煙が空高く舞い上がり、一方プラットフォームと線路上には黒焦になりひどく損傷した遺体が散乱していた。 翌日発表された不完全な死傷者リストによれば、150人を越える人々が死亡し、同数の人々が負傷した。 死亡者の一人は駅警備員で、ほかの人々は一般市民であり、ほとんどは難民であった。 SHUHSI HSU Number 3, Political and Economic Studies The War Conduct of The Japanese (Kelly and Walsh, limited, Shanghai, 1938) P4 August 28. At about 1 45 p.m. 12 Japanese planes leisurely circled over Shanhai s South Station sector and dropped eight bombs, most of which exploded.The station, where over 1,000 refugees, most of whom were women and children, had congregated, received four bombs. As the Japanese planes finally left the scene, dense smoke shot up high into the sky, while on the platforms and tracks were scattered charred and badly mutilated bodies. According to an incomplete casualty list issued the following day more than 150 were killed and an equal number wounded. Of the killed one was a railway guard and the rest were all civilians, mostly refugees. test8
https://w.atwiki.jp/tohoho55/pages/5.html
#weblog
https://w.atwiki.jp/tohohopeacewalk/pages/22.html
http //t-t-japan.com/bbs2/c-board.cgi?cmd=ntr;tree=5033;id=sikousakugo#atop [5033]2007年を終えるにあたり とほほ 07/12/24(月) 11 24 私がネット上での言論活動を始めたのがwindows95が発売された翌年であるからして、すでに11年が経過したことになる、元々言論活動を行おう、としてはじめたことでもない、自分の実社会でのあまりにも狭すぎる社会通念や価値観に閉塞感を覚えていたのであろう、ネットで知り合う仲間たちも自分と同じ価値観を共有する人が多いことに舞い上がってしまった観もある(笑) 当時の自分の文章は「初心忘れるべからず」の思いを込めてホームページ上に残してある。論点は「ネット上での言論のあり方」というべきものであろうか、、、。 http //t-t-japan.com/tohoho/talk/begin.htm 当時はインターネットはまだ普及しておらずパソコン通信が主流であった。パソコン通信にはもちろん個人が自前でサーバーを用意して管理を行っていたところもあるが、多くは企業がその主導権をもち、パソコン通信の管理者になるためにはあろうことかその企業の面接に合格せねばならない時代であったのである。つまり企業風情にわれわれの言論活動は制約を受けていたのであったのだ。 そしてインターネットがISDNやブロードバンドの幕開けとともに一般に普及するようになってきた、パソコン通信の閉塞感を感じていた我々はインターネットの自由な雰囲気に大いに魅了された。2CHのひろゆき氏の活動へも大いに期待したものである、が、所詮ヒロユキ氏はただのパソコンお宅の子供でしかなかった。2CHの問題点に真正面から取り込もうとはしなかった、重ね重ね残念である。当初の2chは大変有意義な議論もなされていたし、貴重で重要な情報の発信源でもあったのだ。いまではまさに便所の落書きである(^^; しかし、2chにいやけをさした人々はいろんな形での掲示板運営をしてきたし掲示板プログラムもさまざまなニーズに対して答えを用意してきたし、インターネットが言論社会に果たした役割は大きい。掲示板のみならずメーリングリストや、今ではすっかり廃れた観のあるメールニュース、の役割も大変に大きかった。 そしてある意味今現在、ブログの全盛時代といえるだろう、しかし私は昔からブログには否定的である、自由度がないのである。ある、定型的なパターンの中でしか自己表現が出来ない、これでいいのかもしれないし、私に判定はできないが、私はブログは嫌いである(プログラム技術的な意味合いで嫌いだということ)。しかも気に入らないのは検索エンジンのアルゴリズムがブログ記事を上位に評価してしまうことである、これは間違っていると断言できる。 それでも来年以降も私はブログを利用し続けるだろう、掲示板やメーリングリストとダブルポストしながらでも(笑) インターネットに発信した自己主張は、自分の生きた証でもある。それを企業運営のブログに信頼して預けるブロガーの気が知れない。ただ、私は来年からはブログプログラムを切り替えることにする、現在利用しているプログラムは日本人が開発したものであるのでその後の発展に期待したのだが、他力本願はやはりいけない(笑)、やはりある程度完成度の高いモバイルタイプを使うことにした、現在使っているブロキューが将来発展してくれたらまたこれを使うことになるだろう、ネットサーフレスキューさんの考え方やプログラムロジックは私の好みなのである(^^ゞ 話は変わるが、私がネット上で言論活動を行わねばならないと思った最初の議論が「人権問題」である、日本人の人権に対する意識の希薄さは実社会でも感じていたことだが、ネット上においては輪をかけて、匿名をいいことに、言いたい放題の馬鹿に怒りを感じたことである。そしてそうした連中の論理的礎が荒唐無稽な「人種主義・民族主義」すなわちナチズムという思想であることに気がつくのにそれほどの時間はかからなかった。高橋亨さんとの出会いは私の人生の中でもかけがえのないものであろう。 そして歴史修正主義というものを知り、クマさんとの出会いもあった、当時プータローのクマさんが今では押しも押されぬフリージャーナリストである、人生とはかくも面白い。 以来、歴史修正主義との闘いは私のライフワークにするつもりである。主義や主張に関係なく、【歴史修正主義】を私は無条件に攻撃するだろう。それがここ2年間に及ぶ911陰謀論との闘いでもあった。 私たちが歴史の真実を訴えるのは私たちが理解する事実が自分の主義や主張に合致するからではない、それが科学的認定法において真実であるからこそ、それを主張してきたのだ。平和主義陣営の中には911陰謀論を擁護する輩がいる。そういう輩は「南京事件」の事実認定を本当に理解はしていないのだ、自分の主義主張に心地よいから「虐殺はあった」という意見に賛成しているだけなのだ、これが大変に悔しい、我々が必死でやってきた言論活動が平和陣営にも本当の意味で理解されていないことが図らずも推察できるからである。 来年はどのような年になるのであろうか?相変わらず私は反平和主義者として911陰謀論からたたかれ続けるのであろうか?(^^; それもまた一興。 皆様、来年もまたよろしくお願いします。 Pick-up
https://w.atwiki.jp/ranamoneud/pages/169.html
「ぅゎ~ ん、な、何をするぅ~↑ ぼ、ぼくぅフヌコスなんて酷いじゃないか~^^;」 「ぅぁ~やらけ~超やらけ~^^;」 Q 女の子の身体見るの初めて? A 超黒ぇ~^^;
https://w.atwiki.jp/ja2047_memorial/pages/818.html
「とほほさんを偲んで・・・投稿ページ とほほさんが亡くなったという。まさかと思うが、CMLという掲示板に複数の書き込みがあり、葬儀の告知が転写され、同じ広島にお住まいのタラリさんが通夜に参列なさったというから、心の中で信じまいとしても事実を認めねばなりません。・・・・・・ 名前 コメント すべてのコメントを見る 女ヤッて金もらえるの?(*´ω`)☆ http //ylm.me/index.html -- (ぷぅにゃん) 2011-11-25 02 55 22 萌えるよな・・・俺は右がタイプだ。(人・ω・)★ http //hemn.me/commuk3 -- (私です) 2011-10-28 16 31 59 熊猫さん 投稿有難うございました。本文としても採録させていただきました。 -- (管理人) 2009-10-31 13 37 20 改めてとほほさんの活動の広さに驚いています。迂闊に「ご冥福をお祈りします」なんて言ったら、あの世から「私はキリスト教徒ですので、冥福はしません」なんて議論を吹っ掛けられそうな気がします。 とほほさんとは仲間意識はあったものの、何度も衝突しました。それは私にとって楽しいひと時であり、たとえ対立してもそこには、とほほさんの優しくて誠実な心がその行間の中から伝わってきました。 私はとほほさんと初めて出会った日に、何れ訪れるであろう彼との別れを心のどこかで予感していました。熊猫の出発点が「思考錯誤」だっただけに、そこで出会った皆さんは私に大きな影響を与えてくれました。そしてとほほさんが提供した掲示板は私だけでなく、他の人にとっても大きな存在になってしまいました。 思考錯誤の画面を開くたびに病気に苦しむ、とほほさんの姿を想像してしまい辛い思いをしていました。とほほさん自身は上手に病気と共存していたようで、オフにおいても随分と活躍していたようですので、私はとほほさんの氷山の一角すら知らなかったのでしょう。彼の勝ち誇ったような笑い声があの世から聞こえてきそうです。 とほほさんへ最後の質問です。どうしてそんなに他人に優しいの? -- (熊猫) 2009-10-31 12 50 55 トップページ
https://w.atwiki.jp/ja2047_memorial/pages/827.html
とほほ(平志朗)さんの通夜・告別式 http //list.jca.apc.org/public/cml/2009-October/001827.html [CML 001854] Re とほほ(平志朗)さんの通夜・告別式 伊達 純 jundandy at ms12.megaegg.ne.jp 2009年 10月 30日 (金) 13 10 21 JST 伊達 純です。 とほほ(平志朗)さんの通夜は、10月28日(水)午後6時より広島市安佐南区にある祇園カトリック教会で行なわれました。 とほほさんは、洗礼名イグナツィオ、享年50歳でした。 亡くなられたのは25日(日)、亡くなられたのが発見されたのは27日(火)だということです。 棺の中に横たわる彼の顔を確認しました。 反貧困ネットワーク広島から事務局長の秋田智佳子弁護士、私のほか数人が出席しました。 翌10月29日(木)午後1時からの告別式にも出席しようとしたのですが、JRの列車に乗って向かう途中、上関原発の建設予定地にプイを設置したことに対する抗議行動を午後1時半から中国電力前で行なうという電話が、原発はごめんだヒロシマ市民の会の木原省治さんから入ってきました。そこで急きょ予定を変更し、告別式が始まる前に花だけ手向けて、中国電力前へ向かうことにしました。 告別式にも反貧困ネットワーク広島から数人が参加しました。 花を手向けた際、「とほほさん、さようなら」と言い、家族の皆さんに挨拶をして、中国電力前へ向かいました。 トップページ
https://w.atwiki.jp/ja2047_memorial/pages/19.html
とほほ - 06/12/24(日) 19 37 ▼タラリさん: 一度お会いして、酒を飲みかわしたかったなあ。 まさに、、。 私等は隣県でもあり、いつでもお会いできると考えていたことが、、。 私が初めてja2047さんをお見かけしたのは旧K-Kさんの掲示板だったと思います。そこからのリンクでja2047さんのYahoo掲示板での活躍を拝見し非常に緻密で誠実な議論をされるかただとの印象を持ち、そのja2047さんが初めて思考錯誤に投稿してくれたとき(安全区の敗残兵掃討)には大変感激したのを今でも覚えています。しばらくお付き合いしているうちに私の初印象ではちょっとおかたい感じで議論のタイプとしてはK-Kさんタイプかな?と思っていたのですが、意外と軽快な感じのコミュニケーションで気さくな方なんだと知りました。 私をミクシーのコミュニティーに誘っていただいたのもja2047さんで、私があまりミクシーと言うシステムを理解できず利用していなかったことは大変に悔やまれます。 ご冥福をお祈りします。 本当に、本当に大事な、頼りなる、兄貴であり同志であり友を失ってしまいました。 戻る
https://w.atwiki.jp/pipopipo555jp/pages/264.html
陥落前の人口 byとほほ http //t-t-japan.com/bbs2/c-board.cgi?cmd=one;no=1379;id=sikousakugo#1379 さて、十二月分ではとりあえず、四日以降、南京陥落前日十二日の私の担当までを全文掲載しました。なぜなら、南京の人口に関して参考になる記述は一箇所しかない。それでも全文掲載したのは「ないこと」を説明するためには「あるもの」を全文掲載して確認していただく他にないからです(^^; さてその一箇所はへげもんさんの指摘された一行の文章の含まれる箇所です。 すなわち十二月六日の日記にある箇所ですが、再掲しておきましょう。 これほどまでに言語道断な台詞(せりふ)があるだろうか。二の句がつげない! しかもこいつは蒋介石委員長側近高官ときている! ここに残った人は、家族をつれて逃げたくても金がなかったのだ。おまえら軍人が犯した過ちを、こういう気の毒な人民の命で償わせようというのか! なぜ、金持ちを、約八十万人という恵まれた市民を逃がしたんだ? 首になわをつけても残せばよかったじゃないか? どうしていつもいつも、一番貧しい人間だけが命を捧げなければならないんだ? この箇所は[#1222]でも論証したように、この数字はラーベが公言したものでも誰かに報告したものでもなく【「最後の一人まで戦え」と言う国民党軍の将校への怒りを日記に書き記した部分です。】 従ってそれほど信憑性の置ける数字ではない、と考えます。すくなくとも『南京の真実』からだけではこの数字の根拠はほとんどつかめません。が、ありがたいことに今回の検証中、熊猫さんが紹介してくれた『目撃者の南京事件』のなかである二人の証言に南京の残留人口が約40万人であるという記述を発見する事ができました。熊猫さんによると #1370これら二つの記述は、全く関連性がないところで書かれたにもかかわらず偶然にも、【40万人】と【難民区の家賃が高い】等の共通点があります。難民区以外にも、同等或はそれ以上の住民が居たことを難民達が認識していたとする資料ではないかと思います。勿論、この40万人という数字が正確に集計された数字であるとは思っていません。むしろ南京市民よりも周辺住民が南京へ避難した数のほうが多いのではないかと思っております。 という事で、私もこの見解にはまったく同意します。しかし付け加えさえていただければ、この二人の証言者はともに防衛軍軍人であるということです。ですから、まったくの偶然、というよりは防衛軍内の認識として【残留人口40万人】というものがあったのかもしれない、と考えたほうが無難ですが、だとするとこの40万人という数字には南京への流入人口を含まない可能性が高いです。 この数字は元々南京に住んでいた民衆の人口であり、攻略戦に伴い攻略戦途上の民衆の避難場所であるはずの南京への流入人口、清野作戦等による流入人口、つまりもともと南京の住民ではない『難民』の数を含んでいないように思えます。しかもこの中国人被害者の証言によれば、安全区外の住民は陥落後数日内でほとんど殲滅されています。 私のいう雲を掴むような話である、とはこのこともそうですし、百人斬りで象徴されるような、攻略戦途上における虐殺数などは掴みようがないのです。【虐殺数三十万人】と言う数字が決して荒唐無稽な数字ではない事をご納得いただけましたでしょうか? 以下の私の各月の日記検証における総括を再度確認の上私の検証に明らかな誤りが有ればご指摘ください。 また、へげもんさんの十二月十三日以降の検証にも期待したいと思いますしまた、最初に申し上げましたとおり、南京事件の資料はなにもラーベ日記だけではありませんので他資料と照合した上でより一層の検証が必要である事は言うまでもありませんので、K-Kさんが南京の人口に関する資料もまとめてありますのであわせてご検討のうえ反論・批判等を賜りたく存じます。 これに引き続くレスもどうぞ http //t-t-japan.com/bbs2/c-board.cgi?cmd=ntr;tree=1019;no=1379;id=sikousakugo#atop [[]]index