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登録日:2019/06/24 Mon 08 39 33 更新日:2019/06/24 Mon 19 12 48 タグ一覧 まとめ 三宅町 三郷町 上北山村 上牧町 下北山村 下市町 五條市 十津川村 吉野町 大和郡山市 大和高田市 大淀町 天川村 天理市 奈良 奈良市 奈良県 宇陀市 安堵町 山添村 川上村 川西町 平群町 広陵町 御所市 御杖村 情報収集 斑鳩町 明日香村 曽爾村 東吉野村 桜井市 橿原市 河合町 王寺町 生駒市 田原本町 維新の会 葛城市 議員名簿 野迫川村 香芝市 高取町 黒滝村 本稿では、奈良における各議会の情報を収集する。 勢力図 一覧表 自治体名をクリックすると該当欄へジャンプ。 自治体名 獲得議席数 議会定数 議会の任期満了日 奈良県 4 43 2023年4月29日 奈良市 1 37 2021年7月30日 大和高田市 1 17 2023年4月30日 大和郡山市 2 20 2023年4月29日 天理市 16 2023年4月29日 橿原市 1 22 2021年2月10日 桜井市 1 16 2023年4月29日 五條市 12 2021年11月30日 御所市 13 2022年4月28日 生駒市 1 24 2023年4月29日 香芝市 16 2021年3月31日 葛城市 1 15 2021年10月31日 宇陀市 14 2022年4月30日 山添村 10 2021年9月29日 平群町 12 2023年4月30日 三郷町 11 2023年4月29日 斑鳩町 1 13 2023年4月29日 安堵町 9 2023年4月29日 川西町 12 2023年4月29日 三宅町 10 2023年4月29日 田原本町 14 2021年9月25日 曽爾村 8 2023年4月29日 御杖村 8 2021年4月28日 高取町 8 2021年7月22日 明日香村 9 2021年7月1日 上牧町 12 2023年4月29日 王寺町 12 2023年4月29日 広陵町 14 2020年4月14日 河合町 13 2023年4月30日 吉野町 10 2021年3月7日 大淀町 12 2023年4月30日 下市町 8 2023年4月30日 黒滝村 6 2023年4月29日 天川村 8 2020年12月15日 野迫川村 7 2023年4月29日 十津川村 9 2023年4月29日 下北山村 8 2023年4月29日 上北山村 6 2023年4月30日 川上村 8 2023年4月30日 東吉野村 8 2022年4月26日
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市立奈良病院 奈良県立奈良病院 天理よろず相談所病院 奈良県立医科大学附属病院 奈良県立三室病院 奈良社会保険病院 近畿大学医学部奈良病院 赤崎クリニック 医療法人平治会さくらレディースクリニック はらだ医院 医療法人平治会ASKAレディース・クリニック 医療法人好川婦人科クリニック 医療法人久永婦人科クリニック 大和高田市立病院 名前 コメント
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加護 亜依(かご あい、1988年2月7日 - )は、日本の芸能事務所アップフロントエージェンシーに所属していた歌手、女優、タレント。モーニング娘。の元メンバー(4期)で、同事務所のハロー!プロジェクト所属の女性デュオW(ダブルユー)のサブリーダーをつとめていた。奈良県大和高田市出身。血液型はAB型。愛称は、あいぼん、加護ちゃん。
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2003年春合宿プレ 旅行記一覧#2002 ←2002年御前山MTB合宿 | 2003年春合宿→ 旅行記 2003年3月17日 2003年3月18日 2003年3月19日 2003年3月20日 2003年3月21日 2003年3月22日 旅程 2003年3月17日(月) 天気:晴れ メンバー:3年おれ・椎名、1年平岡・大平 離脱:大津駅 椎名 ↓ 輪行(稲毛→大津) 滋賀県大津市 大津駅 琵琶湖 ↓ 国道1号・京都府道・大阪府道13号 京都府八幡市 八幡温泉 男山レクリエーションセンターキャンプ場 2003年3月18日(火) 天気:晴れ メンバー:3年おれ、1年平岡・大平 京都府八幡市 男山レクリエーションセンターキャンプ場 石清水八幡宮 ↓ 桂川サイクリングロード 京都府京都市 仁和寺 龍安寺 ↓ 京都大学 東山湯 2003年3月19日(水) 天気:晴れ メンバー:3年おれ、1年平岡・大平 合流:奈良 2年柘植 京都府京都市 京都大学 ↓ 慈照寺(銀閣寺) 哲学の道 ↓ 祇園 ↓ 蓮華王院(三十三間堂) ↓ 京都府道69号 奈良県奈良市 奈良大 2003年3月20日(木) 天気:晴れ メンバー:3年おれ、1年平岡・大平 離脱:奈良 2年柘植 奈良県奈良市 奈良大 ↓ 平城宮跡 ↓ 東大寺 ↓ 奈良町 奈良市ならまち格子の家 ↓ 奈良県道9号 奈良県大和高田市 高砂湯 公園 2003年3月21日(金) 天気:晴れ メンバー:3年おれ、1年平岡・大平 奈良県大和高田市 公園 ↓ 国道24号 和歌山県伊都郡かつらぎ町 オークワかつらぎ店 道の駅紀の川万葉の里 ↓ 和歌山県那賀郡粉河町(現・紀の川市) 粉河温泉 粉河運動場 2003年3月22日(土) 天気:雨のち曇り メンバー:3年おれ、1年平岡・大平 合流:和歌山 3年椎名・上村、2年太和田、1年あじあん・高木 和歌山県那賀郡粉河町(現・紀の川市) 粉河運動場 ↓ 和歌山県道7号 粉河寺 ↓ 和歌山県那賀郡岩出町(現・岩出市) 根来寺 ↓ ザめしや和歌山岩出店 ↓ 和歌山県道14号 和歌山県和歌山市 本町温泉 オークワ屋形店 和歌山市岡公園 旅行記一覧#2002 ←2002年御前山MTB合宿 | 2003年春合宿→ タグ 2003年3月 京都府 和歌山県 奈良県 旅程 春プレ
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駅名 接続路線 所在地 エキスク 奈良 関西線 奈良県奈良市 京終 奈良県奈良市 帯解 奈良県奈良市 櫟本 奈良県天理市 天理 天理線(近鉄) 奈良県天理市 長柄 奈良県天理市 柳本 奈良県天理市 巻向 奈良県桜井市 三輪 奈良県桜井市 桜井(奈良県) 大阪線(近鉄) 奈良県桜井市 香久山 奈良県橿原市 畝傍 奈良県橿原市 金橋 奈良県橿原市 高田(奈良県) 和歌山線 奈良県大和高田市 JR桜井線マスターバッジ 詳細はWikipediaで
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山口市 やまぐちし 関連項目 今まで行った市町村 この項目のタグ 2002年 2002年3月 「や」 山口県 市町村 旅用語 タグ「山口県」「市町村」がついた項目 岩国市 / 下松市 / 下関市 / 周南市 / 防府市 / 美祢市 / 山口市 / 和木町 タグ「市町村」「や」がついた項目 矢板市 / 焼津市 / 安田町 / 八街市 / 八千代市 / 八代市 / 柳川市 / 矢吹町 / 山形市 / 山口市 / 山田町 / 大和郡山市 / 大和高田市 / 山中湖村 / 山梨市 / 山ノ内町 / 八幡市
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発表要旨 工藤邦史(名古屋大M2) 「三重県国束山(くづかやま)周辺における過去100年間の植生復原」 日本の森林はその大部分が人手の加わった二次林または人工林で構成されている.近年森林の多面的機能が注目されている中で,どのように現在の森林が変化してきたのかという点に着目し,加えて人との関係を含めた検討が重要である.国内においては山地の植生や土地利用変化の研究の多くが落葉広葉樹林帯地域で行なわれており,戦前における山地の草地利用や,戦後の薪炭林放棄に伴う植生遷移の進行,針葉樹の拡大造林といった現象が指摘されている.ところが常緑広葉樹林帯に属する地域での植生変化について考察した例は少ない.そこで常緑広葉樹林帯にあたる三重県度会郡国束山周辺での過去およそ100年間について,植生と土地利用の変化を復原した.復原に当たっては主に地形図・植生図・空中写真を用い,GISで扱えるように写真判読結果や地図をデータ化した上でその時系列上での変化を考察した. 植生に着目すると,現在の広葉樹林の植生は以下の3パターンに分類され,それぞれの成立過程も異なる.1.落葉広葉樹が主体の植生;戦後にアカマツが植林され,現在は松枯れにより落葉広葉樹に置き換わっている.2.常緑・落葉広葉樹の混交林;1892年に最初の地形図が刊行された時点で広葉樹林が広がっていた地域に分布している.3.常緑広葉樹が主体の植生;常緑広葉樹のまま現在に至った森林はほとんどなく,大抵は戦後の時点でマツと広葉樹の混交林であり,萌芽再生したシイ・カシが林冠を占めて形成された.通常は長年人手が影響しないことで,常緑広葉樹が主体の森林になる.しかし,対象地域では人々が薪炭生産による樹種を選択した利用により,常緑広葉樹主体の森林が成立した. 時系列地理情報を用いることで,過去についても植生や土地利用の空間配置を知ることができる.そして結果として常緑広葉樹林帯の山地での植生変化について,面的な配置で捉えることができ,その特徴を掴むことができた. 杉村政徳(名古屋大M2) 「明治期地方資産家による新田経営‐神野(かみの)家の菱池新田を事例に‐」 明治期には士族授産を目的とした政府主導の新田開発が行われるなど,近世に引き続いて開墾が進行した.しかし明治期の新田開発において,近世の町民層のような資本家が主体となった新田開発は,近世ほど盛んであったといえない.この原因は①明治期に入り土地制度の改革で地租が高めに設定されたことにより,土地経営から得られる収益が減少したこと,②資本家が土地経営以外の産業(主に工業部門)への投資に意識を向けたこと③近世の開墾によって,開墾に適した土地が不足したこと④土木技術の限界が原因とされる. このような明治期の時代背景がありながら,愛知県の地方資産家であった神野家は,明治19年に愛知県額田郡菱池村において,50町歩を菱池新田として開墾し経営に乗り出した.本研究では三重県庁所蔵『神富殖産会社資料』の分析を中心として,神野家による菱池新田経営の状況を明らかにする.これを第一の目的とし,明治期の新田開発史研究の一助とする.また,神野家が出資した他産業の経営状況の変化と,菱池新田の経営状況を比較し,地方資産家が土地経営以外の産業が成長していく中で,菱池新田開発が持つ意味を考察する. 分析の結果,まず神野家による菱池新田における経営の状況が把握できた.その特徴として,新田に世話人を置いて管理させたこと,小作料である掟米を新田周辺で現金化していたこと.さらに新田経営の後期には,神野家を含めた複数の所有者による土地経営を行っていた可能性を指摘できた. また,神野家の経営における菱池新田の持つ意味についても触れることができた.神野家の経営全体においては,収入として得られる額は少なく,重要性は薄い.このことから,利益を得ることを目的とした新田開発だったという可能性は低い.一方,神野家の来歴や家業との関連を見てみると,新田開発を行なった動機や意味を把握することができた.その理由・動機は,①神野家が元々農家出身であり,農地経営に関心があったこと②当時の地主間の土地取得競争により,適当な既存の開墾地が取得しにくくなったこと③「近代的新田経営」のテストケースだったこと④大規模事業の成功により,社会的な信用を得ることである. 服部亜由未(名古屋大B4) 「北海道の鰊(にしん)漁出稼ぎ漁夫の動向」 北海道(蝦夷地)における鰊漁は,江戸時代には松前藩によって規制されていた.しかし,明治2(1869)年の場所請負制廃止,同9年の漁場持廃止以後は,自由に漁場を開くことができるようになり,人々の動きが活発になった.鰊を求めて北海道へ移住した者が漁場を開設し,鰊の漁期(3~5月)には地元から出稼ぎ労働者を呼ぶようになったのである.昭和30年代に北海道の鰊漁が消滅するまで,多くの出稼ぎ者が鰊漁に従事した. 本研究の目的は,明治以降の鰊漁出稼ぎ者に焦点を当て,彼らの1年間の出稼ぎ活動とその年次変化を解明することである.具体的には,出稼ぎ需要地に北海道余市町,出稼ぎ供給地に秋田県旧山本郡を対象地域とし,出稼ぎ者はどのように移動したのか,鰊漁以外にも出稼ぎを行なったのか,また,出稼ぎ地域や漁場を選択した理由は何か,という従来の研究では解明されなかった鰊漁出稼ぎ者の動向について明らかにする.特に,今回の発表では,統計資料や漁場史料分析の限界を指摘し,これらの研究方法に加えて,出稼ぎ者による記録史料の分析,聞取り調査を組み合わせることの有意性を述べる. 林 奈津子(名古屋大B4) 「微地形と表層地質に注目した液状化発生地点の特徴—静岡県,太田川下流低地を事例に—」 本研究では,静岡県西部の太田川下流低地を事例として,1946年の昭和東南海地震で発生した液状化現象と地形・地質条件との関連を微地形と表層地質に注目して考察する.液状化現象は主に自然堤防や旧河道といった微地形に対応して発生する傾向があることが知られているが,実際には粘土質の堆積物で構成される後背湿地でも噴砂が発生してる.後背湿地での噴砂は,埋没した自然堤防や旧河道を構成する砂層が液状化したことにより発生した可能性が高い. また,噴砂地点の分布を上流部・中流部・下流部に分けて比較すると,上流部と中流部では自然堤防や旧河道といった微地形に対応した噴砂・後背湿地での噴砂がともに発生している一方,下流部では,後背湿地に対応した噴砂がほとんど発生していない.対象地域では縄文海進以降少なくとも2回の海進−海退サイクルを経ているため,上流部と中流部には埋没した地形面が存在しているが,下流部には現在の地形面しか存在していない.そのため,後背湿地での噴砂の分布に差異が生じたと考えられる. 川下裕之(富山大B4) 「GPS測地データによる2007年新潟県中越沖地震前後の地殻変動」 2007年7月16日午前10時13分に新潟県上中越沖を震源とするM6.8の地震が発生した. この地震は, 近隣で発生した2004年新潟県中越地震と同じタイプで, 日本列島の中でも地殻の歪速度が大きな新潟-神戸歪集中帯(Sagiya et al., 2000)の内部で発生した地殻内地震である. しかし, 地震の原因となる歪の集中をもたらしている原因は明らかにされていない. 本研究では, 2007年新潟県中越沖地震に関係する地殻変動へのアプローチとして, GPS測地データの解析により地震時を含めた前後の地殻変動および地殻歪の蓄積・解放過程を考察した. その手法として, 国土地理院によるGEONET観測点と,富山大学が観測を続けている小国観測点のデータを使用し, 2007年1月1日から9月25日における観測点3点を結んだ三角網の面積歪を算出した. GPSデータの解析には, GPS解析ソフトウェアGAMITver.10.32を用いた. 本研究による結果は, 以下のようにまとめられる. 2007年3月25日に能登半島沖を震源として発生したM6.9の能登半島地震前後から, 各観測点において南東方向への挙動が見られ, 各三角網の面積も, 収縮傾向が捉えられた. 能登半島地震と新潟県中越沖地震が関連している可能性が高く, 能登半島地震が中越地域の地殻に何らかの影響を及ぼし, 歪の蓄積を早めた結果, 今回の地震に至る可能性がある. 各基線長変化では, 震源域に近い沿岸部における変化量が伸び縮みに関わらず大きかった. 各三角網においても, 震央の東側での面積減少が大きく, 内陸部における歪の解放が考えられる. 顕著な余効変動は約2週間で終息した. 地震前と異なる向きの変動を始めた三角網や, 余効変動終息後に面積の増加傾向が見られる三角網が存在した. ○結論 2007年中越沖地震前後の約8ヶ月について, GPS測地データにより震源域の地殻歪を解析した結果, この地域を特徴づける活褶曲に関係した地殻変動として, 「断層規制褶曲は地震にともなって成長する」事象の事例を捉えた, といえる. 今後の歪の蓄積経過を見ていくとともに, 定量的な検討作業を行うことが今後の課題とされる. また, 佐渡島や能登半島からの観点から考察することも効果的であると考える. 吉田賢治(富山大B4) 「大和高田バイパス開通における沿線店舗の立地変容ーバイパス沿線地域が受けたインパクトー」 Ⅰ はじめに 高度経済成長期以後,日本はモータリゼーションの進展により都心部における道路の交通渋滞が恒常的な現象として起こっている。その一解決策として,市街地に入らずに通行が可能なバイパスが全国各地で建設され供用されてきた。本研究は,異なった道路形状を持つバイパスの沿線店舗の立地変動と既存の国道に立地する店舗の立地変動を検証した。そして,バイパス沿線地域が受けたインパクトについて考察を加えた。 Ⅱ 調査対象路線と地域 調査対象路線 2003年に完成した奈良県香芝市穴虫から橿原市四条町にかけての大和高田バイパスと,それに並行して敷設されている一般国道165号線である。大和高田バイパスは,地上に敷設されている「都市道路区間」と高速道路のように高架部に敷設されている「高架区間」の2形態を併せ持っている。 調査対象地域 調査対象路線が通過する,奈良県香芝市,大和高田市,橿原市,葛城市の4市である。 Ⅲ 両沿線の店舗立地展開の過去と現在 大和高田バイパスの店舗立地展開 都市道路区間では,沿線人口の少なさにより店舗展開に鈍さが見られた。新規出店した業種は,コンビニやガソリンスタンドといった自動車交通に便利なもの(ロードサイドショップ,以下RSS)が多かった。高架区間は,側道部分においてわずかな新規出店の様相が窺えた。また,大和高田市に位置するバイパスと国道24号線の交差点付近は,大型のRSSが林立していることから自動車交通の要衝であるとみられる。 一般国道の店舗立地展開 既往の国道沿線はRSS型店舗の進展が見られ,とくにチェーン店の店舗展開において力強さが見られた。一方,個人経営の店舗は淘汰されていることが確認できた。 Ⅳ 大和高田バイパスが与えたインパクト 1 新規住宅の建設 人口の増加が顕著であった大和高田市中三倉堂2丁目は,以前は工場であった土地が新規住宅に取って代わられたところがあった。実地調査したところ,区画整理がきちんと行われており,入居希望者が多いためか新規住宅の建設ラッシュが見て取れた。同じく人口増加が見られた葛城市東室では,水田や広葉樹林,資材置き場が住宅地に変化していた。近辺に鉄道の最寄り駅がないところを見ると,大和高田バイパスの開通が大きく住宅建設に寄与しているものと考えられる。 2 バイパスの交通量 平成17年度道路交通センサスの報告では,平成11年の調査と比較して旧来の国道の調査ポイントはおおむね交通量の減少が現れていることに対し,新設されたバイパスの交通量は増加が顕著である。また,車種別に見たデータを見ると,旧来の国道は普通車の割合が高く一般の市民が多く通行している結果に対し,バイパスは貨物車の割合が高まっており走行時間が計算しなければならない業務関係の利用者が卓越していた。 3 バイパス沿線店舗の聞き取り調査について 個人経営の店舗は,バイパス開通による客足増加を見込んで出店を行っていた。一方,チェーン店である店舗は,バイパスの開通よりも商圏の拡大に焦点を当てていた。 Ⅴ おわりに 大和高田バイパスの完成は,新設された地域への新規出店を促進した。旧来の国道は,新しい店舗形式であるRSSの台頭により個人経営の店舗は減少したが,直ちに沿線地域を衰退させるものではないことが明らかとなった。今後もこのような傾向が続いていくか注目される。また,バイパス建設は住宅建設や新店舗開拓の意識調査において大きなインパクトを与えた。交通渋滞が緩和され交通流動が円滑になることは,商業機能の発展や住居環境の改善に関与することが確認された。 倉橋 奨(愛工大D3) 「新潟県中越沖地震および能登半島地震の震源モデルの構築と強震動予測レシピの有効性の検証」 1.はじめに 本研究は,2007年に震度6強を観測した新潟県中越沖地震と能登半島地震の震源モデルを構築するとともに,断層運動のモデル化手法である強震動予測レシピの有効性を検証したものである。将来発生する強震動を予測するためには,想定される断層運動をいかにモデル化するかが重要である。断層運動のモデル化手法として,強震動予測レシピが提案されている(入倉・三宅,2001)。この手法は,地震断層面上のすべり量の大きい場所から強震動が生成されると定義し,特性化震源モデルを作成するものであり,1995年兵庫県南部地震や2003年十勝沖地震によりその有効性は確認されつつある。しかし,多くの地震かつ新たに発生した地震により,その有効性を検証することは重要である。本研究では,能登半島地震と新潟県中越沖地震の観測記録を利用して,経験的グリーン関数法により強震動を生成した場所を推定(震源モデルを構築)するとともに,既往の研究から推定されているすべり量分布との比較を行い,強震動予測レシピの有効性を検証した。 2.2007年新潟県中越沖地震の震源モデルの構築 2007年7月16日に発生した新潟県中越沖地震(Mw6.6)では,柏崎市や刈羽村で震度6強の大きな揺れが観測された。広域における最大加速度の分布は,過去の同規模の地震による距離減衰式と調和的であったにもかかわらず,震源に非常に近い柏崎刈羽原子力発電所では地表観測記録が1200galを越え,距離減衰式よりも顕著に大きかった。また,震源近傍の観測記録に,2~3個の顕著なパルスが確認されるなど,特徴的な地震動が観測されており,その震源の破壊過程が注目された。ここでは,この特徴を再現する震源モデルを構築した。図1に使用した観測地点と構築した震源モデルを,図2に柏崎刈羽原発1号機(KKZ1R2)と5号機(KKZ5R2)における観測波形(黒)と合成波形(赤)を示す。震源モデルは,3つのアスペリティで構成され,それらの面積は約5×5km2,応力降下量は20~24MPaであった。構築した震源モデルにより計算した合成波形(赤)は,観測波形(黒)にみられるパルスの振幅,位相などをよく再現しており,震源モデルの妥当性を示している。 3.2007年能登半島地震の震源モデルの構築 2007年3月25日に発生した能登半島地震(Mw6.7)では,輪島市,穴水町,七尾市で震度6強の大きな揺れが観測された。ここでは,新潟県中越沖地震において震源モデルを構築した方法と同じ方法により,本震の震源モデルを構築した。図3に使用した観測地点と構築した震源モデルを,図4にK-Net観測点のISK003における観測波形(黒)と合成波形(灰色)を示す。本震の震源モデルは,2つのアスペリティで構築され,この震源モデルにより計算される合成波形(灰色)は,観測波形(黒)にみられるパルスの振幅,位相などをよく再現できている。 4.強震動予測レシピの有効性の検証 中越沖地震と能登半島地震ともに,近地強震記録を用いた波形インバージョンによりすべり量分布が推定されている(堀川,2007b;堀川,2007a)。図5,6にはそれぞれ,中越沖地震と能登半島地震におけるすべり量分布(色分布)と本研究で構築した震源モデル(赤または黒の四角の領域)の場所を示す。すべり量の大きい場所と本研究で構築した震源モデル(強震動の生成域)の場所は調和的である。これは,本震はすべり量の大きい場所から強震動が生成されたことを意味しており,強震動予測レシピの有効性を示している。 5.まとめ 新潟県中越沖地震と能登半島地震の震源モデルは,それぞれ3個と2個の強震動の生成域で表現されることを示した。またそれらは既往の研究で推定されたすべり量の大きい場所と調和的であり,すべり量の大きい場所から強震動が生成されることを示した。これは,強震動予測レシピの有効性を示すものである。 参考文献 入倉孝次郎・三宅弘恵,シナリオ地震の強震動予測,地学雑誌,110(6),849-875,2001 堀川晴央,2007年能登半島地震の破壊過程 (第二報),ホームページ,2007a 堀川晴央,波形インバージョンによる中越沖地震の震源モデルの推定(2),地震調査委員会資料,2007b
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馬渕教室は、大阪・奈良一円に教室を展開。 多くの校舎が駅に近い好立地に位置し、また無料送迎バスを運行するなど、子どもたちが、安心・便利に通える環境を整えています。 高校受験コース対象地域: 大阪府: 大阪市・寝屋川市・枚方市・交野市・大東市・守口市・門真市・高槻市・茨木市・吹田市・摂津市・豊中市・箕面市・池田市・堺市・和泉市・ 泉大津市・八尾市・河内長野市・富田林市・藤井寺市・岸和田市 奈良県: 奈良市・生駒市・橿原市・桜井市・大和郡山市・天理市・香芝市・大和高田市・北葛城郡王寺町 塾 1ch 2ch 3ch
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本店:大阪市中央区淡路町四丁目2番15号 e-shop カネヨウ 【商号履歴】 カネヨウ株式会社(2000年10月~) 兼松羊毛工業株式会社(1949年10月17日~2000年10月) 【株式上場履歴】 <東証1部>2013年7月16日~ <大証1部>1951年2月19日~2013年7月15日(東証に統合) 【筆頭株主】 兼松株式会社 【合併履歴】 1987年10月 日 兼松寝装株式会社 1971年4月1日 稲澤毛糸紡績株式会社 【沿革】 昭和10年11月 現兼松㈱の羊毛研究所として兵庫県揖保郡揖保川町に設立。 昭和14年2月 兼松羊毛研究所を独立法人とし、兼松羊毛工業㈱となる。資本金250万円。 昭和17年2月 戦時中、国の企業整備要綱に基づき、兼松系と栗原系が合併、社名大同毛織㈱となる。資本金670万円。 昭和24年10月 企業再建整備令により、兼松系と栗原系は分離、兼松系は兼松羊毛工業㈱として発足し、竜野工場、東京支店、大阪営業所を傘下にする。資本金1,500万円。 昭和26年2月 株式を大阪証券取引所に上場。資本金1億円に増資。 昭和27年8月 資本金2億5千万円に増資。 昭和37年7月 資本金6億2千5百万円に増資。 昭和39年10月 数度の増資の後、現在の資本金7億331万400円となる。 昭和58年1月 シロン㈱の毛皮部、宝飾部を吸収合併し、当社シロン事業部として発足。 昭和62年4月 紡績製造部門の竜野工場を分離し、100%出資子会社兼羊タツノ㈱を設立。 昭和62年8月 兼羊タツノ㈱へ紡績部門の営業を譲渡。 昭和62年10月 兼松寝装㈱と合併し、当社寝装本部として発足。 昭和63年7月 本社、シロン事業部、寝装本部の事業所を現在地へ統合し本社とする。 平成6年11月 中国に合弁会社「浙江正松紡織有限公司」を設立。 平成7年3月 東京支店を閉鎖。 平成7年12月 竜野工場(兼羊タツノ㈱)を閉鎖。100%出資子会社㈱カネックスを設立。 平成11年10月 兼松㈱よりリビング部門の営業譲渡を受け、当社第四事業部として発足。東京営業所、広島営業所開設。 平成12年3月 中国の合弁会社「浙江正松紡織有限公司」の出資持分を譲渡撤退。 平成12年10月 商号を兼松羊毛工業㈱からカネヨウ㈱へ変更。 平成13年9月 大和高田営業所開設。 平成14年4月 上海駐在員事務所開設。 平成15年6月 大和高田営業所閉鎖。 平成16年10月 広島営業所閉鎖。 平成17年12月 上海駐在員事務所閉鎖。