約 1,187,493 件
https://w.atwiki.jp/x1r2bxd/pages/15.html
膝上 筋 痛み 彼女だけ psp箱蟹 青木裕子アナト myamamika また日テレではずまいん スーパーの事をイタリア73くらいのペース でのひろし店 美脚のレストラン 視聴率も影響する伝説のテレビ局関係者が分析する 東京番組の視聴率競争は めざましと爪の陵墓 *状況です 朝から美脚を見たい 調査が多いaka station 高島下このみですかブーム再来を歓迎する ミニスカで視聴率上がる事は健全です 多くの視聴者が喜んでいるの女子アナは全員ミニスカを吐くべきでしょう 巣鴨 耳鼻科くなることを期待しています 今回の方 三宅えみ 森田農園 おいくら荘 口コミ ベルト ナツラブ メンバーなくなって 飲んだ勢で適当に
https://w.atwiki.jp/yurupedia/pages/1270.html
スーパー環太郎 携帯画像 都道府県 福島県 肩書き 郡山市環境キャラクター 公式サイト http //www.city.koriyama.fukushima.jp/pcp_portal/PortalServlet;jsessionid=19636E5C760570C6D1366AD356BB4328?DISPLAY_ID=DIRECT NEXT_DISPLAY_ID=U000004 CONTENTS_ID=18447 攻略難易度 ★★★中。郡山市のイベントにて。 名刺の有無 ? 狙い目イベント イベント情報
https://w.atwiki.jp/sentai-soubi/pages/2580.html
「ファイナルアタックライド・アアアアマゾン!」 【名前】 スーパー大切断 【読み方】 すーぱーだいせつだん 【登場作品】 仮面ライダーディケイド 【分類】 必殺技 【使用者】 仮面ライダーアマゾン 【詳細】 ディケイドの「ファイナルアタックライド・アマゾン」により発動する仮面ライダーアマゾンの必殺技。 カードの発動と同時に、あらかじめアタックライド「ガガの腕輪」でディケイドの腕に装着されていたガガの腕輪がアマゾンに移動。 元々アマゾンが持っているギギの腕輪の力と組み合わせた超古代パワーを集中し、強化した大切断を繰り出す 原典の作品では最終話にて使用した。 本編では唯一昭和登場ライダー用の「ファイナルアタックライド」。また、ディケイドライナーと同様に、発動した主のディケイドは何もしない。
https://w.atwiki.jp/originsro_jp/pages/38.html
スーパーノービス転職クエスト(英語) 工事中
https://w.atwiki.jp/tock_t9710/pages/1140.html
Template redirect {{基礎情報 テレビ番組 |番組名=FNNスーパータイム |画像= |画像説明= |ジャンル=報道番組 |放送国=Template JPN |制作局=フジテレビジョン(FNN) |企画= |製作総指揮= |プロデューサー= |出演者=逸見政孝幸田シャーミン野間脩平安藤優子上田昭夫黒岩祐治露木茂松山香織陣内誠城ヶ崎祐子山中秀樹小田多恵子田代尚子小林穂波大林典子(現:吉崎)近藤サトほか、出演者を参照 |音声= |字幕= |OPテーマ=作曲:たかしまあきひこ |EDテーマ=同上 |外部リンク= |外部リンク名= |番組名1=平日版 |放送時間1=平日 18 00 - 19 00 |放送分1=60 |放送枠1=フジテレビ系列夕方ニュース枠 |放送期間1=1984年10月1日 - 1997年3月28日 |放送回数1= |番組名2=週末版 |放送時間2=【土曜】18 00 - 18 30【日曜】17 30 - 18 00 |放送分2=共に30 |放送枠2=フジテレビ系列夕方ニュース枠 |放送期間2=1985年4月6日 - 1997年3月30日 |放送回数2= |特記事項=当時のネットしていたFNN系列局で番組タイトルが異なる時期があった。(詳細は当該項目を参照)放送回数:平日・週末合わせて全4497回 }} Template 色 『FNNスーパータイム』(エフエヌエヌ - )は、フジテレビ系列(FNN)で1984年10月1日から1997年3月28日まで(週末のみ1985年4月6日から1997年3月30日まで)にかけて放送されていた夕方のニュース番組である。略称及び番組タイトルコールは「スーパータイム」。 概要・歴史 本番組は、それまで夕方の全国ニュースとローカルニュースを統合し(夕方の全国ニュースを18 00からにしたのは『00』が最初)、全国ネットのニュース番組では初めてニュースキャスターが立ってニュースを伝えるというフォーマットを採った。現在は週末に放送されている『FNNスーパーニュースWEEKEND』でそのスタイルが適用されている。 1980年5月からの編成改革により、バラエティーやドラマで足元を固めたフジテレビは、1984年10月改編を前に、ニュース・報道の改革に乗り出し、視聴率競争を持ち込んだ。編成部長だった、中出傅二郎は、報道センター室長になり、藤村邦苗報道局長と共に、新しいニュース番組を担当する。その下に、小櫃真佐巳や沢雄二を引っ張り出し、「6時台の1時間枠で今までにない全く新しいタイプのニュース番組を作り出してほしい」と、中出は指示を出した。 当時のフジテレビの夕方のニュース番組の視聴率は3-4%だった。その為、中出も「ニュースも視聴率を上げなきゃ、電波の無駄遣いだ。新聞には“5W1H”という、原稿書きの方法論があるが、テレビではこの5W1Hに、何かプラス1か2をつけたテレビ的特色、テレビ感覚を入れてほしい。」と注文を付け、さらに、「例えば、“男女雇用機会均等法”のニュースタイトルは“女性が変える男の職場”。“女性管理職”ではなく、“スカートをはいた課長”としたほうが、視聴者は見ようという気になるんじゃないか。いいタイトルがつかないのはニュースの中身がよくないからだ。」とニュース項目の見出しを工夫するように求めたうえで、書き言葉ではなく、耳で聞いてわかる言葉使いを求めた。もちろん、小櫃と沢らにも、「これまでのニュース番組に欠けているのは“感性”だ」という思いがあった。つまりは、「感性が出すぎると、ニュースの信頼性を失う危険はあるが、“感性の箱”のなかで論理の世界を扱わなければならない矛盾を矛盾として受け止めながら、とにかく感性の部分をニュースに取り入れ、そこから視聴率戦争に切り込みをはかろう」と考えていた。 また、キャスターの選び方にも「まず思ったのがニュースにもスターを作ろうということだった」と、中出は語る。それに、キャスターの服装(後述)に配慮したため、邪道といわれたことがあった。さらに、タイトル(見出し)に派手な音をつけたり、テロップ(文字スーパー)のカラー化をしたのもスーパータイムが最初だった(後述)。中出は「映像も面白くて、視聴者が見たいというものを出しましたね」と言う。つまりは、「視聴者が服装や音、刺激的な映像に気を取られ、論理が疎かになるという批判はあった」し、「論理を歪める気はさらさらなかった」が、「テレビとはそういうもの」とスタッフは割り切った。 こうして、6時のニュースは激戦区となり、スーパータイムの視聴率は2ケタになった。特に1985年の日航ジャンボ機墜落事故でスクープしてからは、TBSを抜いて、視聴率トップに躍り出た。 編成局長の重村一は「うちは大部屋主義でいつもこの3階の大部屋に制作から技術、報道などの連中が集まってワイワイ議論しているんです。だから、連戦即決で対応できるし、技術部門でチームワークを組める。」と、ニュース枠の延長や番組の途中で割り込ませるなど、業界で有名だった当時のフジテレビの機動的編成の秘密について語っている。さらに、中出は「テレビは即時性が魅力なんです。だから、“本日5時57分”というより、“3分前に入った映像をご覧ください”と伝えたほうが、視聴者はその機動力に信頼を置いてくれるし、現場も死にもの狂いでギリギリの時間まで勝負するようになったんですよ」と話している。 オープニング後の挨拶が特に独特なカメラワークで、タイトルと提供読みののち俯き加減のキャスターの横顔を写し、ピントを奥のキャスターから前のキャスターへ移動させると同時にキャスターが顔を上げて正面からカメラでズームインするというものであった。(但し、関東地域のみ。当時のネットしていた局はこのようなオープニングはほとんど映しておらず、系列局のローカルニュース担当キャスターの挨拶にほぼ差し替えられていた。) この番組は当時のバラエティ番組でしばしばパロディされたが、横顔を写す画面で奥にいる男性キャスターがカメラの方向を向くというパターンが多かった。ただし、この演出は1989年秋のオープニングリニューアルとともに廃止されている(1989年秋から1994年秋までは、提供読みの終了と同時に曲が終わると、スタジオ全景をバックに効果音及び縮小タイトルロゴのアニメーションが入り、その後挨拶するパターンとなった。1994年秋以降は全国向けの挨拶と統合され、普通の挨拶のみとなっている)。 前述したオープニングの挨拶直後(約7-8秒)には、各キャスターが掛け合いで時候の話題を取り上げる事が多かった。第1回の放送では冒頭、逸見政孝が「いよいよスーパータイムが始まりましたが、気楽にお伝えすることにします」と挨拶。これを受けて、幸田シャーミンは「皆様どうぞ、気楽にご覧下さいませ」と挨拶した。 当時のフジテレビ副社長だった鹿内春雄(1985年6月からフジテレビ会長に就任)の「やわらかいニュース番組を」というコンセプトで『スーパータイム』がスタートし、そのコンセプトは『FNNモーニングコール』、『FNNニュース工場』、『FNN DATE LINE』、『FNNスピーク』、『FNN NEWSCOM』(鹿内宏明会長時代に放送開始)に引き継がれた。 お台場社屋移転後の番組改編により平日版は1997年3月28日をもって、週末版は1997年3月30日(放送回数:4497回、伝えたニュースの数:約6万)をもって放送を終了し12年半(週末版は12年)の歴史に幕を閉じた。 出演者 平日版キャスター 期間メインスポーツお天気 月 - 金月 - 木金月 - 水木・金アシスタント 1984.10.11985.3.29 逸見政孝1・2幸田シャーミン河村保彦1江本孟紀なし(下記参照) 1985.4.11987.3.31 長田渚左森末慎二3逸見政孝 1987.4.11987.9.30 幸田シャーミン野間脩平 1987.10.11988.3.31 安藤優子 1988.4.11989.3.31 安藤優子 1989.4.31991.3.31 上田昭夫上田昭夫 1991.4.11992.3.31 黒岩祐治黒岩祐治 1992.4.11993.9.24 露木茂4安藤優子 1993.9.271994.3.31 岩谷忠幸 1994.4.11994.9.30 松山香織上田昭夫中井美穂 1994.10.31995.9.29 山形斉子 1995.10.21997.3.28 八木沼純子5濱田典子 1 『00』から続投。 2 1985年4月から1987年8月まで『夕やけニャンニャン』ニュースコーナーを兼務。 3 1991年10月から1992年3月まで『ザ・ビッグチャンス!』を兼務。 4 1995年10月から『ビッグトゥデイ』ニュースコーナーを兼務。 5 『FNNニュース555 ザ・ヒューマン』→『FNNスーパーニュース』も続投。 放送開始半年間のスポーツコーナー名は「わくわくスポーツ」。 お天気コーナーは、初期頃に日本気象協会の予報官が担当し、その後はフジテレビの若手女性アナウンサーがシフトで担当した。なお濱田は当時フジテレビアナウンサーであったが、気象予報士の資格を持っていた為、「気象予報士」の肩書きで出演していた。 アナウンサーの担当以降は、スタジオセットを模したクロマキーの前に立ったメインキャスターと対話する形でフジテレビの屋上や中継先から伝えた。1992年入社の小島奈津子、西山喜久恵の代までが担当。露木がメインキャスターの時代は、教育も兼ねた厳しい質問にしどろもどろになる姿が見られた(関東ローカルだが、この模様の一部はNG大賞を通じて全国放送された)。 週末版キャスター 期間メインスポーツお天気 1985.4.61986.3.30 陣内誠1城ヶ崎祐子川端健嗣(メインが兼務) 1986.4.11986.9.28 三宅正治 1986.10.41987.3.29 山中秀樹1 1987.4.41987.9.27 永麻理 1987.10.31988.3.27 野間脩平安藤優子2笠井信輔 1988.4.21988.10.2 黒岩祐治小田多恵子筒井櫻子 1988.10.81989.4.2 塩原恒夫 1989.4.81989.9.30 有賀さつき 1989.10.11990.6.30 木幡美子 1990.7.11990.9.30 八木亜希子3吉田伸男 1990.10.61991.3.31 田代尚子 1991.4.61992.3.29 小林穂波松井みどり 1992.4.41993.9.22 山中秀樹4大林典子5大坪千夏 1993.9.271994.9.25 近藤サト佐藤里佳 1994.10.11995.10.1 岩谷忠幸6 1995.10.71996.3.31 菊間千乃 1996.4.61997.3.30 富永美樹6 1 『FNNニュース・明日の天気』、『30』を兼務。 2 金曜日も担当。 3 小田の人事異動による降板後の中継ぎで担当。 4 週末昼のニュースを兼務(詳細は各番組のページを参照)。 5 吉崎典子の当時の姓。 6 『FNNニュース ザ・ヒューマン』→『FNNスーパーニュースWEEKEND(改題前含む)』も続投。 /div お天気コーナーは、岩谷の着任前までメインキャスター2人がお天気カメラの映像をバックにスツールに座って伝えた。平日版のクロマキーは使用せず、画面全体がクロマキーであった。なお、岩谷の着任以降は新設の大型モニターの前で伝えた。 リポーター 松浦茂長(モスクワ支局→経済部) ケント・ギルバート(初期) 小田多恵子 境鶴丸(末期) 佐々木恭子(末期) 藤村さおり(末期) メイン代役について 幸田の代役を女優の紺野美沙子が務めた事がある。その後も期末の特別番組『スーパータイムスペシャル』に番組終了までレギュラー出演した。 平日キャスターの代役は、基本的に『30』→『FNNスピーク』のキャスターが兼務した。ただし、須田哲夫は『タイム3』へ異動後も代役を務めた。 週末キャスターが平日に代役を務める事はなかった。その為『FNNニュースレポート11 30』・『FNNスピーク』キャスターのうち、山中だけは代役を務めた事がない(『FNNスピーク』の担当が山中の曜日も、野間や堺正幸が代役を務めていた)。 例外として1992 - 1994年に限り、安藤の代役が近藤に固定されていた。近藤は露木がアナウンス部長の傍ら日本大学芸術学部の講師を務めていた時代に直接指導した愛弟子であるという事情によると言われている(スポーツコーナーに起用された中井も同様)。 週末キャスターは基本的に休まずに出演した。まれに休む場合は、男性は野間や堺、女性は木幡美子や阿部知代が代役を務めた。 年末年始も休まず放送されたが平日の場合はメインキャスターの片方が代役キャスターとコンビで出演(たとえば年末=露木・近藤、年始=堺・安藤)、土・日曜の場合は通常のキャスターがそのまま出演した。15分の短縮版でも2人体制だった。 FNN系列局の番組名の変遷 番組開始当初から数年間、この番組はテレビ静岡・テレビ愛媛・テレビ西日本・鹿児島テレビの4局を除いて地域ごとに独自のタイトルに差し替えていた(ただし、この4局もフジテレビと全く同一のタイトルではなく、例えばテレビ静岡においては「FNN テレビ静岡 スーパータイム」など、各ネット局の社名<局名>も入った番組タイトルとなっていた。)。 このため、キー局フジテレビではFNNスーパータイムのオープニングをベースに番組タイトルを各局のものに差し替えたオープニング用VTRも制作・提供していた。また、全国のニュースや『夕やけニャンニャン』のニュースコーナーでは『スーパータイム』の名前が使えずに「6時のニュース」等と表現していたそのためにヘッドラインのあと、独自のタイトルに差し替えた地域に配慮して「全国のみなさん、こんばんは」ともう一度挨拶したこともあった。週末版も同様に差し替えた地域に配慮して、挨拶の後「○月○日土曜日(日曜日)のニュースです」と番組名は入れずに「ニュース」とした。 その後、徐々に『スーパータイム』のタイトルに改題する系列局が増加し、いつしか全国枠部分でも「スーパータイム」と使うようになっていった。 番組放送後期にさしかかった頃には福島テレビ『FTVテレポート』、関西テレビ『アタック600』、テレビ大分『ニュースインおおいた』(テレビ大分は1985年度の日曜版にスーパータイムのタイトルを使用していた)の3局を除くFNNの系列局(あくまでこの番組放送当時だが)で「スーパータイム」に番組タイトルが統一されていた(1992年4月から)。 以下に表記するFNN系列局による差し替えタイトル表は、番組放送当時のものである。下の表で1984年10月番組開始となっている番組は、テレビ新広島を除いて週末版は1985年4月放送開始であるが、煩雑になるため注記を省略した。また、●は『スーパータイム』が放送開始した1984年10月以前からの番組名を引き継いでいる番組である(「FNN」が付けられたものや、「600」など数字部分のみの変更も含む)。 放送局名番組名 CX フジテレビ(基幹・報道部番組制作局)FNNスーパータイム uhb 北海道文化放送1984年10月1日 - 1985年3月29日:FNN uhbイブニングニュース / キリンお天気ジョッキー(平日)1985年4月1日 - 1988年3月31日:FNN uhbイブニングニュース / キリンお天気ジョッキー(平日)、FNN uhbイブニングニュース(土曜)、uhbニュースレポート5 30 FNN / 道新ニュース・天気予報(日曜)1988年4月1日 - 1993年9月30日:FNN uhbスーパータイム → uhbスーパータイム FNN / キリンお天気ジョッキー(平日)、FNN uhbスーパータイム → uhbスーパータイム FNN(週末)1993年10月1日 - 1997年3月30日:FNNスーパータイムHOKKAIDO / キリンお天気ジョッキー → ホクレンお天気アイズ(平日)、FNNスーパータイムHOKKAIDO(週末) mit 岩手めんこいテレビ(1991年4月1日開局)1991年4月1日 - 1997年3月30日:mitスーパータイム FNN OX 仙台放送1984年10月1日 - 1985年3月29日:FNN仙台放送イブニングニュース●(平日)1985年4月1日 - 1988年3月31日:FNN仙台放送イブニングニュース(平日・週末)1988年4月1日 - 1997年3月30日:FNN仙台放送スーパータイム※1992年4月3日 - 1994年9月30日は『FNNとうほく 金曜ニュース一番星』(OX・mit・YTS(1993年3月26日まで)・AKT・FTV)、1994年10月3日 - 1996年12月は『夕やけTV編集局』、1997年1月6日 - 9月26日は『ほっとチャンネル』として放送。 AKT 秋田テレビ1984年10月1日 - 1985年3月29日:FNNテレポートあきた / お天気ダイアリー●(平日)1985年4月1日 - 1989年4月2日:FNNテレポートあきた / お天気ダイアリー(平日)、FNNスーパータイム / AKTニュース・お天気ダイアリー(週末)1989年4月3日 - 1997年3月30日:FNNスーパータイムあきた(平日)、FNNスーパータイム / AKTニュース・お天気ダイアリー(週末) YTS 山形テレビ(現:テレビ朝日系列)1984年10月1日 - 1985年3月29日:FNN YTSニュースワイド60(平日)1985年4月1日 - 1987年3月31日:FNN YTSニュースワイド60(平日)、FNN YTSニュースワイド60 / YTSニュース・天気予報(週末)1987年4月1日 - 1993年3月31日:FNN YTSニュース スーパータイム → YTSニュース スーパータイム FNN※1993年3月31日で番組終了。 SAY さくらんぼテレビ1997年3月15日 - 3月30日:SAYスーパータイム※約2週間のサービス放送期間中のみの放送だったため、最後までタイトルに「FNN」が付かなかった。サービス放送開始当初はローカル枠も全てフルネットだったが最後の1週間のみ山形ローカル枠が設けられ、スポーツコーナーの後に15分程度放送された。 FTV 福島テレビ1984年10月1日 - 1985年3月29日:FNNスーパータイム / FTVテレポート●(平日)1985年4月1日 - 1986年12月28日:FNNスーパータイム / FTVテレポート(平日・土曜)、FNNスーパータイム(日曜)1986年1月6日 - 1993年3月31日:FNN FTVテレポート / お天気リポート(平日・土曜)、FNNスーパータイム(日曜)1993年4月1日 - 1996年6月30日:FNN FTVテレポート / お天気リポート(平日・土曜)、FNN FTVテレポート(日曜)1996年7月1日 - 1997年3月30日:テレポート525(月曜 - 土曜17時台) / FNN FTVテレポート / お天気リポート(月曜 - 土曜18時台)、FNN FTVテレポート(日曜) NST 新潟総合テレビ1984年10月1日 - 1985年3月29日:FNN NSTワイド6 00 / お天気ホットライン●(平日)1985年4月1日 - 1990年9月30日:FNN NSTワイド6 00 / お天気ホットライン(平日)、FNNスーパータイム / NSTニュースコーナー・天気予報(週末)1990年10月1日 - 1993年3月31日:NSTニュース予告編 / NSTスーパータイム FNN(平日)、FNNスーパータイム / NSTニュースコーナー・天気予報(週末)1993年4月1日 - 1997年3月30日:NSTスーパータイム予告編 / NSTスーパータイム FNN(平日)、FNNスーパータイム / NSTニュースコーナー・天気予報(週末) NBS 長野放送1984年10月1日 - 1985年3月29日:FNN NBSイブニング6 00●(平日)1985年4月1日 - 1990年4月1日:FNN NBSイブニング6 00(平日・土曜)、FNN NBSイブニング5 30(日曜)1990年4月2日 - 1997年3月30日:FNN NBSスーパータイム NEWS SPORTS SUT テレビ静岡1984年10月1日 - 1985年3月29日:FNNテレビ静岡スーパータイム / HOT6 GOGO(平日)1985年4月1日 - 1997年3月30日:FNNテレビ静岡スーパータイム / HOT6 GOGO(平日)、FNNテレビ静岡スーパータイム(週末) THK 東海テレビ1984年10月1日 - 1985年3月29日:FNN東海テレビイブニングニュース600●(平日)1985年4月1日 - 1990年4月1日:FNN東海テレビイブニングニュース600(平日・土曜)、中日新聞テレビ日曜夕刊 FNN(日曜 / 現在も放送中)1990年4月2日 - 1997年3月30日:FNN東海テレビスーパータイム(平日・土曜)、中日新聞テレビ日曜夕刊 FNN(日曜 / 現在も放送中) T34 → BBT 富山テレビ1984年10月1日 - 1985年3月29日:FNNイブニングワイド6 00(平日)1985年4月1日 - 1986年3月31日:FNNイブニングワイドとやま6 00(平日・土曜)、中日新聞テレビ日曜夕刊 FNN(日曜 / 現在も『FNN北陸中日新聞 日曜夕刊』として放送中)1986年4月1日 - 1992年4月4日、1994年3月28日 - 1997年3月30日:FNNスーパータイムとやま(平日・土曜)、中日新聞テレビ日曜夕刊 FNN(日曜 / 現在も『FNN北陸中日新聞 日曜夕刊』として放送中)1992年4月6日 - 1994年3月25日:スーパータイムとやま530 / FNNスーパータイムとやま(平日)、FNNスーパータイムとやま(土曜)、中日新聞テレビ日曜夕刊 FNN(日曜 / 現在も『FNN北陸中日新聞 日曜夕刊』として放送中) ITC 石川テレビ1984年10月1日 - 1985年3月29日:00●(平日)1985年4月1日 - 1986年9月30日:FNNニュースワイド石川6 00(平日・土曜)、中日新聞テレビ日曜夕刊 FNN(日曜 / 現在も『FNN北陸中日新聞 日曜夕刊』として放送中)1986年10月1日 - 1997年3月30日:FNN石川テレビスーパータイム(平日・土曜)、中日新聞テレビ日曜夕刊 FNN(日曜 / 現在も『FNN北陸中日新聞 日曜夕刊』として放送中) FTB 福井テレビ1984年10月1日 - 1985年3月29日:00●(平日)1985年4月1日 - 1987年3月31日:FNN福井テレビニュース6 00(平日・土曜)、FNNスーパータイム(日曜)1987年4月1日 - 1997年3月30日:FNN福井テレビスーパータイム KTV 関西テレビ1984年10月1日 - 1985年3月29日:FNN KTVアタック600●(平日)1985年4月1日 - 1986年3月31日:FNN KTVアタック600(平日)、KTVニュース FNN(週末)1986年4月1日 - 1997年3月30日:FNN KTVアタック600 → FNNアタック600(平日・土曜)、FNN KTVアタック530 → FNNアタック530(日曜)※年末年始のみ『KTVニュース FNN』として放送された時期がある。 TSK 山陰中央テレビ1984年10月1日 - 1985年3月29日:FNN TSKイブニングワイド(平日)1985年4月1日 - 1988年3月31日:FNN TSKイブニングワイド(平日・週末)1988年4月1日 - 1997年3月30日:FNN TSKスーパータイム → TSKスーパータイム FNN※年末年始のみは『FNNスーパータイム』として放送。 OHK 岡山放送1984年10月1日 - 1985年3月29日:FNN OHK報道センター6 00●(平日)1985年4月1日 - 1987年3月31日:FNN OHK報道センター6 00(平日・土曜)、 30 / OHKニュース(日曜)1987年4月1日 - 1997年3月30日:FNN OHKスーパータイム → OHKスーパータイム FNN※1990年4月7日 - 1997年3月29日、土曜のみは『OHKスーパータイムWEEKLY』として放送。 tss テレビ新広島1984年10月1日 - 1985年3月29日:FNN tssワイドニュース / 天気予報(平日)1985年4月1日 - 1987年10月4日:FNN tssワイドニュース / カープとお天気(平日)、FNN tssワイドニュース(週末)1987年10月5日 - 1997年3月30日:FNN tssスーパータイム → tssスーパータイム FNN / カープとお天気 → カープっ娘TV(平日)、FNN tssスーパータイム → tssスーパータイム FNN(週末) EBC 愛媛放送(現:テレビ愛媛)1984年10月1日 - 1985年3月29日:FNNスーパータイムEBC600 / 天気予報(平日)1985年4月1日 - 1990年4月1日:FNNスーパータイムEBC600 / 天気予報(平日・土曜)、FNNスーパータイムEBC530 / 天気予報(日曜)1990年4月2日 - 1997年3月30日:EBCスーパータイム FNN / 天気予報 KSS 高知さんさんテレビ1997年3月20日 - 3月30日:SUNSUNスーパータイム FNN※サービス放送期間中に放送。 TNC テレビ西日本1984年10月1日 - 1985年3月29日:FNN TNCスーパータイム NEWS SPORTS / とべとべトピックス(平日)1985年4月1日 - 1997年3月30日:FNN TNCスーパータイム NEWS SPORTS / とべとべトピックス → とべとべホークス(平日)、FNN TNCスーパータイム NEWS SPORTS(週末) sts サガテレビ1984年10月1日 - 1985年3月29日:FNN stsニュースレポート / 佐賀新聞ニュース●(平日)1985年4月1日 - 1989年4月2日:FNN stsニュースレポート / 佐賀新聞ニュース(平日)、FNN stsニュースレポート(週末)1989年4月3日 - 1991年3月31日:FNN stsニュースレポート / デイリーフラッシュ(平日)、FNN stsニュースレポート(週末)1991年4月1日 - 1995年4月2日:stsスーパータイム FNN / デイリーフラッシュ(平日)、stsスーパータイム FNN(週末)1995年4月3日 - 1997年3月30日:stsスーパータイム FNN KTN テレビ長崎1984年10月1日 - 1985年3月29日:FNNニュースワイドKTN / 天気予報(平日)1985年4月1日 - 1989年4月2日:FNNニュースワイドKTN / 天気予報(平日)、FNNニュースワイドKTN(週末)1989年4月3日 - 1997年3月30日:FNN KTNスーパータイム → KTNスーパータイム FNN / 天気予報(平日)、FNN KTNスーパータイム → KTNスーパータイム FNN(週末) TKU テレビ熊本→テレビくまもと1984年10月1日 - 1985年3月29日:FNN TKUニュース・アイ / 天気予報●(平日)1985年4月1日 - 1989年4月2日:FNN TKUニュース・アイ / 天気予報(平日)、FNNスーパータイム(週末)1989年4月3日 - 1997年3月30日:FNN TKUスーパータイム → TKUスーパータイム FNN / 天気予報(平日)、FNN TKUスーパータイム → TKUスーパータイム FNN(週末) TOS テレビ大分1984年10月1日 - 1985年3月29日:FNNニュースインおおいた TOS / あしたのお天気・おはなしマイク●(平日)1985年4月1日 - 1986年3月31日:FNNニュースインおおいた TOS / あしたのお天気・おはなしマイク(平日)、FNNニュースインおおいた TOS / あしたのお天気(土曜)、FNN TOSスーパータイム(日曜)1986年4月1日 - 1989年4月2日:FNNニュースインおおいた TOS / あしたのお天気・おはなしマイク(平日)、FNNニュースインおおいた TOS / あしたのお天気(週末)1989年4月3日 - 1996年9月30日:FNNニュースインおおいた TOS / おはなしマイク(平日)、FNNニュースインおおいた TOS / あしたのお天気(週末)1996年10月1日 - 1997年3月30日:FNNニュースインおおいた TOS / あしたのお天気 UMK テレビ宮崎1984年10月1日 - 1985年3月29日:FNN UMKニュースレポート / 天気予報●(平日)1985年4月1日 - 1988年4月17日:FNN UMKニュースレポート / 天気予報(平日)、FNNスーパータイム / UMKニュース(週末)1988年4月18日 - 1992年3月31日:FNN UMKニュースリポート → UMKニュースリポート FNN / 天気予報(平日)、FNNスーパータイム / UMKニュース(週末)1992年4月1日 - 1996年3月31日:UMKスーパータイム FNN / 天気予報(平日)、UMKスーパータイム FNN(土曜)、FNNスーパータイム / UMKニュース(日曜)1996年4月1日 - 1997年3月30日:UMKスーパータイム FNN KTS 鹿児島テレビ1985年4月1日 - 1995年10月31日:FNN KTSスーパータイム NEWS SPORTS1995年11月1日 - 1997年3月30日:KTSスーパータイム530 / FNN KTSスーパータイム NEWS SPORTS(平日)、FNN KTSスーパータイム NEWS SPORTS(週末)※1985年3月31日まではNNNのニュースをネット。 OTV 沖縄テレビ1984年10月1日 - 1985年3月29日:FNN OTVイブニングワイド / 天気予報(平日)1985年4月1日 - 1992年3月31日:FNN OTVイブニングワイド / 天気予報(平日)、FNNスーパータイム(週末)1992年4月1日 - 1997年3月30日:OTVスーパータイム FNN / 天気予報(平日)、OTVスーパータイム FNN(週末) 補足 テレビ西日本と鹿児島テレビは、独自のタイトルロゴを使用していた。また、鹿児島テレビは1985年3月29日まで、『KTSテレビ夕刊』と『30きょうのニュース』をネットのため、本番組は放送していないが、鹿児島県内で重大事故やニュースが発生した場合は裏送りで対応していた。 岡山放送は「スーパータイム」に改題した当初は独自のタイトルロゴだったが、その後フジテレビと同じロゴに変更された。 石川テレビの『中日新聞テレビ日曜夕刊』では、2005年6月26日までエンドタイトルに本番組のテーマ曲(1993年のリニューアルの際のアレンジ版)を使用していた。 放送時間 平日版、週末版(1985年4月6日開始)ともに放送時間は一貫して変わらなかった。日曜日に至っては前番組『FNNニュースレポート5 30』から現在放送されている『FNNスーパーニュースWEEKEND』まで30年以上不変となっている。以下、日本時間(JST)で表記。 平日18 00 - 19 00(60分) 全国ニュース枠は18 20(後に18 25まで)。 土曜日18 00 - 18 30(30分) 全国ニュース枠は18 20まで。 日曜日17 30 - 18 00(30分) 全国ニュース枠は17 50まで。 番組のタイムテーブル 平日 18 00 オープニング関東・秋田テレビ「テレポートあきた」・福島テレビ・山陰中央テレビでは司会者の横顔のアップを写してスタートした・ヘッドライン通常は前半FNN全国ニュースから2-3項目→後半各都道府県別ローカルニュース(ネット各局より)から2-3項目という体裁、FNN全国ニュース(中断CMあり・Bパート終了後、地域によっては系列局側でローカルパートへ突入するスーパーを独自に送出表示していた。) 18 25(初期は18 20) 全国パートからローカルパートへ(提供スーパーが流れる) 北海道文化放送では全国パートからローカルパートへの切り替えの際、全国パートの提供スーパー終了後、フジテレビからのネット回線の映像を縮小して、札幌市内の天気カメラの映像を一旦2画面にした状態で映し出し、ネット回線映像を先に左へスライドアウトしてから札幌市内の天気カメラの映像をズームする形で画面いっぱいに表示し、ニューススタジオに切り替わる構成をとっていた。 18 27 特報(関東ローカル、FNN系列局はローカルニュース(ローカルパートの内容に関しても各局任意で編成)、中断CMあり/初期は『ニュースジョッキー』『外信コーナー 〜松浦さんの海外うらおもて〜』) 18 40 スポーツ(愛称は「わくわくスポーツ」。関西テレビ以外は任意ネット、東海テレビも独自の時期あり) 18 47 NEWS JOCKEY → NEWS SCRAMBLE(関東ローカル) 18 53 天気予報・エンドタイトル(初期はエンドタイトル・天気予報の順) 天気予報・エンドタイトルはお天気カメラの映像が表示された窓状のクロマキーがある専用セットにキャスターが立って、お天気キャスターと対話する形で放送していた。 週末 18 00(土)・17 30(日) オープニング・全国ニュース・スポーツ(中断CMあり) 18 20(土)・17 50(日) ローカルニュース・天気予報(オープニング映像→中断CMあり)・エンドタイトル(関東地方の季節の話題を1項目) 天気予報・エンドタイトルは、お天気カメラの映像が表示されたクロマキー(平日と異なり画面全体)の前にキャスターが座って放送していた。男性キャスターは正面を向いていたが女性キャスターはなぜか斜め45度で、脚を強調するかのように浅めに腰掛けるという特色があった。 天気予報について 1988年3月末までは、平日のみ天気予報を本編終了後のおまけ番組として放送していた。それは天気予報の前に“スーパータイム 終”というエンドタイトルが表示されていたため別番組と見なされたが、同年4月からは表示されなかったため同一番組と見なされた。また天気予報のエンドタイトルでは一貫して“スーパータイム あすの天気 終 提供(略)”と一緒に表示されていた。 上記のような理由で天気予報のみのスポンサーが複数社付いていた。この名残で、番組後期や現在の『FNNスーパーニュース』も天気予報コーナー放送時にもスポンサーが付いている。 週末は一貫して1コーナー扱いであったが関東地方では日曜日の天気予報だけスポンサーがついていたことから、箱根彫刻の森美術館の映像をバックにした週末独自のオープニングが放送されていた。またエンドタイトルは“スーパータイム 天気予報・終”と出ていた(1988年3月末まで)。また関東地方は日曜日のみ、オープニングで日付と曜日の表示があった。 テーマ音楽・タイトルデザイン テーマ音楽 たかしまあきひこ作曲のテーマ音楽。 1984年10月1日 - 1989年10月1日:初代 1989年10月2日 - 1993年3月31日:2代目(初代の短縮版) 1993年4月1日 - 1996年9月30日:3代目(2代目と尺は同じでアレンジしたもの) 1996年10月1日 - 1997年3月30日:4代目 何度かのリニューアルで、番組内のBGMやジングルも何度か変化した。だが18 25に各局からの放送に切り替える際のBGMとスポーツコーナーのBGM(ただし、双方のBGM共に1993年にリニューアル)は、1996年10月のオープニングリニューアル以降も同じ物を使い続けた。 なお、例外としてテレビ大分「ニュースインおおいた」では1989年9月まではタイトルは全国共通デザイン(題字だけ差し替え)であったが、テーマソングは「ニュースインおおいた」のスタート時から使っていたテーマソングを使用していた。 タイトルロゴ・オープニング映像 使用期間タイトルカラーオープニング映像の流れ 1984年10月1日 - 1988年3月31日FNN:黄土色スーパー:青タイム:水色CGで黄土色の画面に波紋が広がる画面の後、「Template Color」の文字を残してバラバラになったかけらが画面奥に散っていく。散っていくと同時に画面奥から光り画面左右から「Template Color」と「Template Color」の文字が現れ、正面で「スーパータイム」のタイトルロゴになる(効果音あり。地方によって異なるタイトルが現れ、効果音の挿入場所も異なる)。バックは魚眼レンズで見上げた空と超高層ビルに赤い線が一本入るもの。 1988年4月1日 - 1989年10月1日gold|■}}金)gold|FNN}}」の文字を残してかけらが一瞬手前に浮いた後、画面奥に散っていき画面手前から「スーパー」と「タイム」が現れるようにして、正面で「Template Color」のタイトルロゴになる。以下以前と同じ。なお、一部の系列局では1989年10月以降もこのオープニングが使用されていた(『FTVテレポート』など)。 1989年10月2日 - 1993年3月31日FNN:赤スーパータイム:金gold|スーパータイム}}」のロゴが下から上昇し全てが画面に現れたところで奥に傾き、右側から「Template Color」ロゴが登場して合体し「FNNスーパータイム」となってロケットの発射のように左上に消えるCG。なおFNN系列局用のフォーマットは上記とは異なり「スーパータイム」のロゴが画面手前から現れ、画面左右から現れた「FNN」及び系列局名が合体するパターン(ロゴの消え方については各局任意)。これは当時のフジテレビの週末版のエンディングタイトル映像の前半部を流用したものである(一部地域を除く)。 1993年4月1日 - 1997年3月30日purple|■}}紫)yellow|スーパー タイム}}」のロゴが、さらに左側からは「Template Color」(系列局ではその放送局名)も現れ合体して手前に急接近してそのまま通り抜け消えるCG(ただし、新潟総合テレビの週末版では静止画を使用していた)。また1997年のお台場移転後の3月10日から3月30日の最終回まではマスター更新に伴いタイトルCGやコーナー名を表示するCGなどは周りの黒縁が消えていたり、色が鮮やかになるなどの変化が見られた。 タイトルロゴの配色の変化はあったものの、ロゴそのものは放送開始から終了まで同じものが使われた。ロゴは1段目に「FNN」、2段目に「スーパー」、3代目に「タイム」である。ただし開始から1989年10月1日までは「FNN」は別表示。タイトルデザインは『なるほど!ザ・ワールド』などのロゴを手がけた山形憲一。 全国パートの提供クレジットは一部の放送局を除き、初期は牧原俊幸のナレーション「この番組は、ごらんのスポンサーがお送りします」「ここまでは、ごらんのスポンサーがお送りしました」の録音が使われたが、後期は各放送局から送出された。(表現はその後、「ごらんのスポンサーがお送りします」「ここまでの放送は、ごらんのスポンサーがお送りしました」に改められた。) 番組名のタイトルコール 1984年10月1日 - 1988年3月31日:幸田シャーミン 1988年4月1日 - 1994年10月2日:安藤優子 1988年7月と1993年4月(オープニングも変更)にタイトルコールを再収録(1994年3月に安藤が降板後もそのまま半年間使用)。1989年10月のオープニング変更時はタイトルコールのエコーのみ変更。 1994年10月3日 - 1997年3月30日:松山香織 1996年10月のオープニングリニューアル後もそのまま使用。但し、若干エコーのかかり具合等が異なる。 「スーパータイム!」と発するタイトルコールは平日女性メインキャスターが歴代で担当した。なお、東海テレビの場合、タイトルが『FNN東海テレビスーパータイム』になった後もしばらくはフジテレビのタイトルコールを採用せず東海テレビ独自のタイトルコールを使用していた(ローカルパートではCM入りの際にも使用)。それでも勿論の事ながら放送初期の頃『スーパータイム』のタイトルを差し替えていたために、FNN系列局がある地域では「スーパータイム!」のタイトルコールは全くと言っていいほど流れない場合があった(系列局による前身の差し替え番組名が「スーパータイム」としてニュースを伝えるようになったあとも結局タイトルコールを採用してなかったところもあった)。 スタジオセット 1984年10月1日 - 1989年10月1日:初代 1989年10月2日 - 1992年3月31日:2代目(番組5周年を記念してスタジオセットを変更する) 1992年4月1日 - 1994年10月2日:3代目(露木のメインキャスター就任以後、スタジオセットを変更する) 1994年10月3日 - 1997年3月9日:4代目(番組10周年を記念してスタジオセットを変更する) 1997年3月10日 - 3月30日:5代目(お台場新社屋の報道センターから) 注1)3代目までは背景なし・あるのは三角形等幾何学オブジェと宙に浮かぶ「FNN」のロゴだけ、と言う簡素とも斬新とも言える物。4代目は番組満10周年を機に作られたもので、近未来的なセットになっている。5代目は短期間の為、お台場新社屋の報道センターにテーブルを配しただけ。ちなみにそのテーブルは河田町時代の4代目のセット時のものをお台場に持ってきて使用していた。 注2)河田町本社時代、本来の報道スタジオとして第9スタジオが使用されていたが、当番組開始に伴い、広いスタジオが必要となった(ホリゾントを広く必要としたため)ことから、隣の第7スタジオとスタジオフロアを入れ替えて運用することとなり、台場への本社移転までそれは続いた(ただし、副調整室は、第9サブが報道専用の設備となっていたことから、「9サブ・7フロア」という運用となっていた。なお、たすきがけ運用の反対側にあたる「7サブ・9フロア」は『正義の味方株式会社』『てれび夢組』での使用を経て「プロ野球ニュース」専用となった。ただし7サブは中継番組の受けサブとしても使用されていた。)。 注3)河田町時代、第7スタジオは本社1階にあり、報道センターは本社3階にあったことから、突発事件・事故などで報道センターから伝えた方が状況の変化に即応できると判断された場合は、スタジオの使用を止めて報道センターのセンターテーブル(通常時にはニュースの打ち合わせやニュースを読むアナウンサー・キャスターの打ち合わせ及び原稿の下読みなどで使用している場所)からそのまま伝えることが少なくなかった。1991年頃までは書類や機械に囲まれ雑然とした空間になっていたが、1992年頃に台形型のデスクに整備されスッキリとした環境になった。以後、1997年3月の本社移転まではこのキャスターテーブルがスタジオセットの建替え中や緊急の報道特番で多々利用された。 オープニングの流れ 平日 1984年10月1日 - 1989年9月29日 タイトルコール(フジテレビと一部FNN系列局のみだが、改題地域ではその差し替え番組名をタイトルコールする場合も)→提供スポンサー→キャスターの挨拶(ローカル向け)→ヘッドライン(5つ。ヘッドライン直前に全国ネットとなるが、ヘッドラインの後半2つは再びローカルに切り替わる)→キャスターの挨拶(全国向け)→全国ニュース→CM 1989年10月2日 - 1993年3月31日 タイトルコール(改題地域を除く)→提供スポンサー→キャスターの挨拶(ローカル向け)→ヘッドライン(3つ)→キャスターの挨拶(全国向け)→全国ニュース→CM 1993年4月1日 - 1994年9月30日 キャスターの挨拶(ローカル向け)→ヘッドライン(3つ)→タイトルコール(関西テレビ・福島テレビ・テレビ大分を除く)→提供スポンサー→キャスターの挨拶(全国向け)→全国ニュース→CM 1994年10月3日 - 1996年9月30日 ヘッドライン(4つ)→タイトルコール(関西テレビ・福島テレビ・テレビ大分を除く)→提供スポンサー→キャスターの挨拶(全国向け)→全国ニュース→CM 1996年10月1日 - 1997年3月28日 タイトルコール(フジテレビと一部FNN系列局のみ)→キャスターの挨拶(全国向け)→全国ニュース→提供スポンサー→CM 備考 ヘッドライン読みは1994年9月30日まで平日版キャスターの声となっていたが、10月3日のリニューアルでヘッドライン読みが男性ナレーションの声(石井康嗣が担当)になった。 ヘッドラインの最後の2項目(3項目あった時期は最後の1項目)はローカルニュースのヘッドラインに差し替えられていた(関東地方はわくわくスポーツ、特報コーナーのヘッドライン)。 ヘッドラインは全ての系列局で放送されたものの、構成に関しては大幅に変更する系列局もあった。例えばローカル向けヘッドラインのBGMを全国向けとは別のものを使用、17 59.45から開始(岩手めんこいテレビ、福島テレビ末期)、17 59.30から開始(関西テレビ末期)など。またヘッドラインが4項目の時代は、1項目をキャスター挨拶に割り当てていたところ(福島テレビ、東海テレビなど)もあった。 逸見時代のローカル向け挨拶はヘッドライン直前の「はい、今日の主なニュースの項目です」の部分であったためオープニング挨拶とこのフレーズの間が若干あいており、ここでローカル局が飛び乗れるようになっていた。 週末 1985年4月6日 - 1993年3月28日 タイトルコール(改題地域などは除く)→提供スポンサー(日曜日のフジテレビは日付け表示。スポンサーは天気予報コーナーのみ)→ヘッドライン(3つ)→キャスターの挨拶→全国ニュース→CM 1993年4月3日 - 1994年10月2日 キャスターの挨拶→ヘッドライン(3つ)→タイトルコール(関西テレビ・福島テレビ・テレビ大分を除く)→提供スポンサー(ローカル向け)→全国ニュース→CM 1994年10月8日 - 1996年9月29日 ヘッドライン(4つ)→タイトルコール(関西テレビ・福島テレビ・テレビ大分を除く)→提供スポンサー(ローカル向け)→キャスターの挨拶→全国ニュース→CM 1996年10月5日 - 1997年3月30日 タイトルコール(改題地域などは除く)→キャスターの挨拶→全国ニュース→提供スポンサー(ローカル向け)→CM 備考 全ての時期においてローカルニュースのヘッドラインは存在せず、フジテレビからキャスター読み上げのヘッドラインが全国送出されていた(東海テレビ等一部の地域では、土日もヘッドラインの一部が差し替えられていた)。 『スーパータイム』が初めてのもの 『スーパータイム』がニュース番組ではじめて行ったものは幾つかある。 キャスターが立ってニュースを伝える スポーツやNEWS JOCKEYといった一部コーナーでは座って伝えられた。 男性キャスターがスーツではなく若干カジュアルな服装でニュースを伝える 番組開始当初はスーツ+ネクタイという衣装ではなく、シャツ+カーディガンなど、若干カジュアルな衣装でニュースを伝えていた。それまでのニュースとは違うということを、男性キャスターの衣装においても見せるという意図があったようだが、視聴者やフジテレビ社内、FNS系列各局からの受けがあまりよくなかったことなどもあって、タートルネック+ブレザー姿となり、翌1985年からは普通のスーツ+ネクタイ姿へと戻った。 アタック音 それぞれのニュースのリード(スタジオカット)の後のVTR冒頭に見出しスーパー(テロップ)と音楽(ジングル)を流した。 CM前のアイキャッチ CMが始まる前に予告映像とアタック音楽を流した。「NNNきょうの出来事」(日本テレビ)では使われていたが、夕方のニュースでは初めてである。全国向けとローカルニュースが混合した編成だったため、系列局に配慮する意味もあった。 テロップの電子化 それまでのテロップは基本的にテロップカード(写植機による写真植字で作成されるものや、手書き文字をテロップカードに直接書き込んで作成されたもの)を専用の送出装置(オペークなど)にて送出していたが、この番組ではそれらのテロップ作成と送出をコンピューターによる電子化で行った。これは、この番組の開始と前後して電子的にテロップの作成や送出を行うシステム(所謂「ワープロシステム」)をフジテレビが報道専用に導入したものである。当時、既に一部用途スポーツ中継用のスコアや選手名表示、ニュース速報や地震速報などの定型化されたものについては、作成及び送出を電子化する例がキー局を中心としてみられたものの、あくまで定型化されたものに対してのみであった。 しかし、他局のテロップシステム更新でフジテレビの報道用字幕が1990年代には相対的にシンプル過ぎて見える様になった為、1994年夏頃に機材を更新。1994年10月のスタジオセット更新と共に立体的な字幕へ変更された。これはお台場へ本社を移転した後も2010年9月まで16年間に渡り使用されたなお、2010年7月5日から2010年9月26日までは、アナログ放送のレターボックス化に伴い、16:9位置に引き伸ばしたサイズで使用された(BSフジのBSフジNEWSなどでは、開局時から同様にテロップを引き伸ばして使用していた)。 ナレーションの導入 1984年10月当時、ニュース本編を読むのはもっぱらキャスターや記者が担当する事が多かったが、スーパータイムは一部を除きナレーターが読むシステムを導入した。このスタイルが他局にも受けはじめ1988年には日本テレビのNNNニュースプラス1にも同様のシステムを採用した。1990年代にはNEWSJAPANをはじめ最終枠のニュースにも使われるようになった。ちなみに通常は丁寧調で伝えられるがドキュメント形式の場合は新聞のような喋り方になる。 その他 1986年と1987年元日では逸見は袴姿、幸田は着物姿でニュースを読んだ。 よくバラエティ番組で真似されていた。特にビートたけしの番組では、たけしと鬼瓦権三(たけしの二役)とのやりとりが放送され話題になった。スタジオセットも「FNN」のかわりに「TAKESHI」とかかれた本物そっくりなものだった。また、『火曜ワイドスペシャル』ではたけしが幸田と実際に共演した事もある。またタイトルコールもあり、幸田が「テューズデェイ、ワイドスペシャル!!」とコールしていた。 また、『いきなり!フライデーナイト』では「冒険王タイム」というコーナーがあり、オープニングは本物のタイトル映像(冒頭のアニメーションはなし)に白縁に緑文字のタイトルが出現したものとなっていた。キャスター役は渡辺徹と長野智子(当時フジテレビアナウンサー)が担当した(長野はアタック音も担当)。 スポーツコーナーにおいて、全国のスポーツ美少女を紹介する企画「南ちゃんを探せ」などの人気企画があった。南ちゃんとは、当時放送されていたアニメ『タッチ』のヒロイン、浅倉南の事を指していた。なお、関西テレビでは独自にスポーツコーナーを制作していたため放送されなかった。またテレビ新広島もスポーツコーナーの後半をローカルニュース・広島県内の交通事故の状況(協力・広島県警察本部)・私の交通標語等のコーナーに差替えていたため、放送されないことが多かった(ごくまれに放送されたことがある)。 1987年から同局で放送されている『FNSスーパースペシャル1億人のテレビ夢列島→平成教育テレビ』(FNSの日)内でも「スーパータイムDX」「スーパータイムSP」「スーパータイム特別版」と題し、キャスター(主に芸能人がキャスターを務める)や番組内容も通常放送とは違った形で放送していた。また、改編期や国政選挙投票日の夜に特別番組として「スーパータイムスペシャル」が放送された事もあった(こちらでは平日版のキャスター、あるいはタモリと安藤のペアが司会を務めた)。 ちなみに、1992年7月19日の『平成教育テレビ』内の「FNNスーパータイムSP」では逸見が総合司会を担当していた関係で1984年10月1日の第1回のOP部分及びED部分と1988年10月某日(おそらく上旬)のED部分の一部が放送された)。 週末のメインキャスターであった黒岩祐治は、報道記者やディレクター時代の経験を生かして自ら特集の企画・取材・編集を手がけた。その1つ、救急医療キャンペーン「救急医療にメス」は、1989年から約2年の月日を費やし放送された。救急隊員に医療行為が認められていないことに異を唱え、迅速な救命医療行為の必要性を訴える内容であった。当時の東京消防庁救急担当主幹であった武井勝徳が雑誌『暮しの手帖』に投稿した記事や世論の後押しもあり、この特集は法律を改正させる切っ掛けとなった。1991年(平成3年)4月23日に救急救命士法が制定されて制度化された。 年末年始も休まず放送していた。初期の頃は12月31日も通常通りの時間枠であったが、その後年はレギュラーで時間を短縮するなど、前後の番組に合わせ調整を図っていた。 1995年に起きた阪神大震災やオウム真理教関連のニュースが起きた時は、特別番組として30分拡大して放送した。 1989年頃から放送終了まで、オープニングの提供テロップは画面右下に右寄りでスポンサー名を表示していた。 1993年10月から1994年3月までには関東ローカルの番組である『スーパータイム関東』が、金曜日の17 30 - 18 00に放送された事がある(司会は福井謙二(フジテレビアナウンサー)、中村江里子(当時フジテレビアナウンサー))。 平日版最終回の日にフジテレビ社員(プロデューサー)が婦女暴行で逮捕されたニュース原稿を読み上げた際、露木は「『スーパータイム』最後の日に、私ども身内の大馬鹿者のニュースをお伝えしなければならないことは大変情けない話」と前置きでコメントをした(通常の自局社員の不祥事は警察発表と広報からのコメントのみで終わらせることが多い中で厳しいコメントを述べるのは珍しい)。 12年半という長きに渡って放送された番組だけありスポンサーも数多く替わっていったが、この中には現在放送中の『スーパーニュース』迄ずっとフジテレビ夕方ニュースのスポンサーを務めている企業もある。 平日放送後期の提供表示では全国ニュースの前提供のみ画面下半分の左側に「提供」、右側にスポンサー名が表示されていた(実質2列表示)。 1995年9月21日の『あっぱれさんま大先生スペシャル』の中で「あっぱれスーパータイム」と言うパロディー特別版があり、司会は露木とあっぱれ学園の女子生徒2人の計3人が行った。 終了から約10年後の2007年に映画『バブルへGO!! タイムマシンはドラム式』の1シーンで『スーパータイム』が復活した。ただし、劇中の設定は、当時1994年4月から1997年3月まで担当していた露木茂・松山香織コンビである。スタジオセットも1994年以降の4代目セットである。一方で、主人公がテレビ局を訪れたシーンで張り出されている視聴率の垂れ幕には「FNWスーパータイムニュース」と書かれている。 この番組は「河田町を代表する夕方のニュース番組」などと一部で言われている(お台場からの放送は3週間のみだった)。 フジテレビにおいて時刻出しは番組終了まで実施することはなかった。実施したのは次番組である『FNNニュース555ザ・ヒューマン』からである。なお系列局の内、岡山放送では1990年頃まで日曜に限って実施当時は全曜日早朝の番組開始時から18 00(後に17 54)まで実施していたことによる。後に17 30までとなり表示されることは前述の『FNSの日』くらいに限られていた。2004年以降午後の表示は廃止しており、『FNNスーパーニュース』『FNNスーパーニュースWEEKEND』では時刻出しはしていない。していた。 『FNNスーパータイム』のタイムテーブル順(全国ニュース→ローカル→全国スポーツ→ローカル)は次番組『FNNニュース555ザ・ヒューマン』と次々番組『FNNスーパーニュース(18時台)』(2000年4月-)でも受け継がれている。 1994年10月8日、この日フジテレビ系列では日本プロ野球史上初、同率首位で並んだチーム同士の最終戦での直接対戦による優勝決定戦中日ドラゴンズ対読売ジャイアンツ(いわゆる10.8決戦)を18時30分から放送。これにより、前番組のスーパータイム土曜版から生中継した。なお、この日は「10.8決戦」以外のニュースは3本。放送時間30分のうち4分20秒(冒頭で当時土曜版キャスターのフジテレビ・山中秀樹アナ(当時)がコメント。)しか伝えず、その大半で「10.8決戦」を生中継した10月9日付中日新聞p.3によると、当日18時からのFNNスーパータイムは「野球以外のニュースは4分20秒しかお伝えできません」であったという。。 1993年12月25日、平日の初代キャスターだった逸見政孝がガンのため死去し、当日の『スーパータイム』でもトップで伝えられた。中継を担当したアナウンサーはリポートの締めくくりにフジテレビアナウンサー時代の逸見との思い出を語った。また週末版のキャスターだった山中秀樹は「今日はスタジオにいる我々(山中・近藤サト)にとっても、中継に出ているアナウンサーにとって辛い1日となりました。プロのアナウンサーでした」とコメントした。 2日後の27日、逸見の葬儀・告別式をトップで伝えた。葬儀会場から露木が、棺を乗せた霊柩車がフジテレビに立ち寄った際には安藤がフジテレビ玄関前からそれぞれリポートした。その後在りし日の逸見の映像を流し、VTR明けに安藤は号泣、露木は「我々の(テレビに出る)仕事というものは、亡くなってからも元気な頃の映像が残るということは、逆に言えば残酷なのかもしれません」とコメントした。 脚注・出典 Template Reflist 関連項目 フジニュースネットワーク(FNN) FNNニュース 救急救命士 {{{キャプション|}}} {{{放送局|}}} {{{放送枠}}} 前番組 番組名 次番組 {{#if {{{前番組|}}}|{{{前番組}}}| - }} {{#if {{{前番組備考|}}} | {{{前番組備考}}} {{{前番組備考B|}}} }} {{#if {{{番組名|}}}|{{{番組名}}}|{{PAGENAME}}}} {{#if {{{番組名備考|}}} | {{{番組名備考}}} {{{番組名備考B|}}} }} {{#if {{{次番組|}}}|{{{次番組}}}| - }} {{#if {{{次番組備考|}}} | {{{次番組備考}}} {{{次番組備考B|}}} }} {{#if {{{2放送枠|}}}| {{{2放送局|}}} {{{2放送枠}}} }} {{#if {{{2放送枠|}}}{{{2番組名|}}}{{{2前番組|}}}{{{2次番組|}}}| {{#if {{{2前番組|}}}|{{{2前番組}}}| - }} {{#if {{{2前番組備考|}}} | {{{2前番組備考}}} {{{2前番組備考B|}}} }} {{{2番組名|第2シリーズ}}} {{#if {{{2番組名備考|}}} | {{{2番組名備考}}} {{{2番組名備考B|}}} }} {{#if {{{2次番組|}}}|{{{2次番組}}}| - }} {{#if {{{2次番組備考|}}} | {{{2次番組備考}}} {{{2次番組備考B|}}} }} }} {{#if {{{3放送枠|}}}| {{{3放送局|}}} {{{3放送枠}}} }} {{#if {{{3放送枠|}}}{{{3番組名|}}}{{{3前番組|}}}{{{3次番組|}}}| {{#if {{{3前番組|}}}|{{{3前番組}}}| - }} {{#if {{{3前番組備考|}}} | {{{3前番組備考}}} {{{3前番組備考B|}}} }} {{{3番組名|第3シリーズ}}} {{#if {{{3番組名備考|}}} | {{{3番組名備考}}} {{{3番組名備考B|}}} }} {{#if {{{3次番組|}}}|{{{3次番組}}}| - }} {{#if {{{3次番組備考|}}} | {{{3次番組備考}}} {{{3次番組備考B|}}} }} }} {{#if {{{4放送枠|}}}| {{{4放送局|}}} {{{4放送枠}}} }} {{#if {{{4放送枠|}}}{{{4番組名|}}}{{{4前番組|}}}{{{4次番組|}}}| {{#if {{{4前番組|}}}|{{{4前番組}}}| - }} {{#if {{{4前番組備考|}}} | {{{4前番組備考}}} {{{4前番組備考B|}}} }} {{{4番組名|第4シリーズ}}} {{#if {{{4番組名備考|}}} | {{{4番組名備考}}} {{{4番組名備考B|}}} }} {{#if {{{4次番組|}}}|{{{4次番組}}}| - }} {{#if {{{4次番組備考|}}} | {{{4次番組備考}}} {{{4次番組備考B|}}} }} }} {{#if {{{5放送枠|}}}| {{{5放送局|}}} {{{5放送枠}}} }} {{#if {{{5放送枠|}}}{{{5番組名|}}}{{{5前番組|}}}{{{5次番組|}}}| {{#if {{{5前番組|}}}|{{{5前番組}}}| - }} {{#if {{{5前番組備考|}}} | {{{5前番組備考}}} {{{5前番組備考B|}}} }} {{{5番組名|第5シリーズ}}} {{#if {{{5番組名備考|}}} | {{{5番組名備考}}} {{{5番組名備考B|}}} }} {{#if {{{5次番組|}}}|{{{5次番組}}}| - }} {{#if {{{5次番組備考|}}} | {{{5次番組備考}}} {{{5次番組備考B|}}} }} }} {{#if {{{6放送枠|}}}| {{{6放送局|}}} {{{6放送枠}}} }} {{#if {{{6放送枠|}}}{{{6番組名|}}}{{{6前番組|}}}{{{6次番組|}}}| {{#if {{{6前番組|}}}|{{{6前番組}}}| - }} {{#if {{{6前番組備考|}}} | {{{6前番組備考}}} {{{6前番組備考B|}}} }} {{{6番組名|第6シリーズ}}} {{#if {{{6番組名備考|}}} | {{{6番組名備考}}} {{{6番組名備考B|}}} }} {{#if {{{6次番組|}}}|{{{6次番組}}}| - }} {{#if {{{6次番組備考|}}} | {{{6次番組備考}}} {{{6次番組備考B|}}} }} }} {{#if {{{7放送枠|}}}| {{{7放送局|}}} {{{7放送枠}}} }} {{#if {{{7放送枠|}}}{{{7番組名|}}}{{{7前番組|}}}{{{7次番組|}}}| {{#if {{{7前番組|}}}|{{{7前番組}}}| - }} {{#if {{{7前番組備考|}}} | {{{7前番組備考}}} {{{7前番組備考B|}}} }} {{{7番組名|第7シリーズ}}} {{#if {{{7番組名備考|}}} | {{{7番組名備考}}} {{{7番組名備考B|}}} }} {{#if {{{7次番組|}}}|{{{7次番組}}}| - }} {{#if {{{7次番組備考|}}} | {{{7次番組備考}}} {{{7次番組備考B|}}} }} }} {{#if {{{8放送枠|}}}| {{{8放送局|}}} {{{8放送枠}}} }} {{#if {{{8放送枠|}}}{{{8番組名|}}}{{{8前番組|}}}{{{8次番組|}}}| {{#if {{{8前番組|}}}|{{{8前番組}}}| - }} {{#if {{{8前番組備考|}}} | {{{8前番組備考}}} {{{8前番組備考B|}}} }} {{{8番組名|第8シリーズ}}} {{#if {{{8番組名備考|}}} | {{{8番組名備考}}} {{{8番組名備考B|}}} }} {{#if {{{8次番組|}}}|{{{8次番組}}}| - }} {{#if {{{8次番組備考|}}} | {{{8次番組備考}}} {{{8次番組備考B|}}} }} }} {{#if {{{9放送枠|}}}| {{{9放送局|}}} {{{9放送枠}}} }} {{#if {{{9放送枠|}}}{{{9番組名|}}}{{{9前番組|}}}{{{9次番組|}}}| {{#if {{{9前番組|}}}|{{{9前番組}}}| - }} {{#if {{{9前番組備考|}}} | {{{9前番組備考}}} {{{9前番組備考B|}}} }} {{{9番組名|第9シリーズ}}} {{#if {{{9番組名備考|}}} | {{{9番組名備考}}} {{{9番組名備考B|}}} }} {{#if {{{9次番組|}}}|{{{9次番組}}}| - }} {{#if {{{9次番組備考|}}} | {{{9次番組備考}}} {{{9次番組備考B|}}} }} }} {{#if {{{10放送枠|}}}| {{{10放送局|}}} {{{10放送枠}}} }} {{#if {{{10放送枠|}}}{{{10番組名|}}}{{{10前番組|}}}{{{10次番組|}}}| {{#if {{{10前番組|}}}|{{{10前番組}}}| - }} {{#if {{{10前番組備考|}}} | {{{10前番組備考}}} {{{10前番組備考B|}}} }} {{{10番組名|第10シリーズ}}} {{#if {{{10番組名備考|}}} | {{{10番組名備考}}} {{{10番組名備考B|}}} }} {{#if {{{10次番組|}}}|{{{10次番組}}}| - }} {{#if {{{10次番組備考|}}} | {{{10次番組備考}}} {{{10次番組備考B|}}} }} }} {{Documentation}} Template フジテレビ系列の報道番組
https://w.atwiki.jp/niconico_rta/pages/104.html
SUPER METROID SFC/Wii/VC ○any% 電源投入からクリアタイム表示後の暗転まで プレイヤー 動画 タイム 投稿日 備考 えこ sm13832023 0 26 2011年03月10日 TA ハイポ sm24009876 0 30 2014年07月15日 TA,SFC日本版 蛍火 sm3778624 0 31 2008年06月27日 TA えこ sm12269433 0 33 2010年09月29日 TA ハイポ sm17622005 0 33 2012年04月22日 TA 蛍火 sm3825916 0 52 37" 2008年07月01日 fusiana sm14504660 0 56 53"949 2011年05月20日 トライチ sm14504660 1 00 07"172 2011年05月20日 C sm14504660 1 03 11"2 2011年05月20日 や~す~ sm14504660 1 07 40"219 2011年05月20日 てつ sm14504660 1 10 21"091 2011年05月20日 えもどらん sm12605374 1 13 56"061 2010年10月31日 パノン sm14504660 1 16 42"32 2011年05月20日 トライチ sm12605374 1 23 48"625 2010年10月31日 C sm12605374 1 27 44"35 2010年10月31日 でっちゃん sm12605374 1 39 39"617 2010年10月31日 パノン sm12605374 3 57 25"82 2010年10月31日 ぬるぅ sm12605374 不明 2010年10月31日 茜 sm14504660 不明 2011年05月20日 旋風機@ast。。。 sm14504660 不明 2011年05月20日 ○100% プレイヤー 動画 タイム 投稿日 備考 えこ sm15117343 0 48 2011年07月25日 TA ○14% プレイヤー 動画 タイム 投稿日 備考 蛍火 sm3232221 44 2008年05月08日 TA 蛍火 sm3102508 44 2008年04月26日 TA ○Reverse Boss Order(RBO) プレイヤー 動画 タイム 投稿日 備考 ハイポ sm21610819 52 2013年08月17日 TA 蛍火 smsm3362619 54 08年05月19日 TA スーパーメトロイド クリフハンガー/Super Metroid Cliffhanger (改造) ○any% プレイヤー 動画 タイム 投稿日 備考 amogiri sm13950699 1 51 08" 2011年03月24日 「追記を使用したRTA」(?) ○101% プレイヤー 動画 タイム 投稿日 備考 amogiri sm14229305 3 27 22" 2011年04月22日 http //smethack.mydns.jp/?SpeedRuns%2F%A5%CB%A5%B3%A5%CB%A5%B3%C0%B8%CA%FC%C1%F7RTA%B5%AD%CF%BF -- (スーパーメトロイド ニコニコ生放送RTA記録) 2016-01-13 05 30 36 http //smethack.mydns.jp/?SpeedRuns%2F%B6%A5%B5%BB%BC%EF%CC%DC%A4%CE%C8%BD%C4%EA%A4%CB%A4%C4%A4%A4%A4%C6 -- (スーパーメトロイド 競技種目の判定について) 2016-01-13 05 32 33 このページの情報は古くなっています。新しい情報は上記2つのリンク先に記載してあります。 -- (えこ◆FTP/Q5v/4M) 2016-01-13 05 38 15 名前 コメント すべてのコメントを見る
https://w.atwiki.jp/777townforandroid/pages/376.html
デザイン 機種 777townSPオリジナル アニメーション あり スキル効果 経験値が1.5倍に増加する 消費SP 0 入手方法 ドリームチケット1,000枚と交換 LvMAX経験値 ? 限界突破素材 スーパーコインマン x 1 限界突破先 スーパーコインマン+1 限界突破元 備考
https://w.atwiki.jp/renst/pages/511.html
スーパーゲキブルー 種類:Sユニット カテゴリ:ワイルドビースト BP:4500 SP:- 必要パワー:7- 追加条件:自軍「ゲキブルー」1体を捨札にすれば必要パワー0になる CN:3 特徴:ブルー/男/激気 テキスト: ※これが撃破されて捨札になったとき、自軍捨札に「ゲキブルー」のカードがあれば1枚選び、自軍ラッシュエリアに出す。 【ファンタスティック・テクニック】自軍ラッシュエリアから、効果に「ラッシュしたとき」とある「WB」のMユニットを1体選んでもよい。そうしたとき、そのラッシュしたときの効果を発動する。 フレーバーテキスト 一人で強くなる事が最強への道ではない。悟りに応え、過激気の花は更に美しく彩られた。 イラストレーター:NAKAGAWA レアリティ:ノーマルレア 作品:獣拳戦隊ゲキレンジャー 収録:紅き六戦士の帰還 自販:パック Q A Q1 自 軍ラッシュエリアに「RS-035 守護獣ティラノザウルス」が1体あり、自軍に「RK-001 改造人間」が常駐している状態で、「RS-428 スーパーゲキブルー」に「RK-005 超電子ダイナモ」を使用しました。そして、その「RS-428 スーパーゲキブルー」が【ファンタスティック・テクニック】の効果で、「RS-035 守護獣ティラノザウルス」の効果【ティラノソニック】を発動し、自軍ユニットを1体と、敵軍ユニットを1体の合計2体のSPが空欄でないユニットを撃破し ました。このとき、「RK-005 超電子ダイナモ」の効果により、相手に2点ダメージを与えることができますか? A1 い いえ、できません。その場合、「RS-428 スーパーゲキブルー」は「RS-035 守護獣ティラノザウルス」の効果を発動させてはいますが、『このユニット(スーパーゲキブルー)の効果として発動する』というわけではありませんので、実 際に撃破を行っているのは「RS-035 守護獣ティラノザウルス」ということになり、「RK-005 超電子ダイナモ」の条件を満たしていないことになります。(「RS-421 アカレッド」のテキストには「このユニットの効果として発動する」とあります) カード評価 ラッシュ時に一度だけ使える能力を何度でも使用できる能力を持つ強化ユニット。 【ファンタスティック・テクニック】で利用できそうなのはゲキジャガー、ゲキタイガー、ゲキウルフ、守護獣ティラノザウルス、守護獣プテラノドン、ガオリゲーター、ガオパンダなど。 呉越同舟でカテゴリにWBを追加することでパトアーマーやランドライオンなども使用できる。 激気を使うデッキと非常に相性が良い。必要パワーを活かして様々なMユニットをラッシュできるだけでなく、激気でラッシュしたゲキビーストの効果を再利用できる。 関連カード ゲキブルー ゲキブルー(XG3) 特徴「ブルー」関連 特徴「男」関連 特徴「激気」関連 WBカテゴリを持つMユニット コメント 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/retrogamewiki/pages/916.html
今日 - 合計 - スーパー大戦略の攻略ページ 目次 基本情報 [部分編集] ストーリー [部分編集] 攻略情報 [部分編集] Tips [部分編集] プチ情報 [部分編集] 関連動画 [部分編集] 参考文献、参考サイト [部分編集] 感想・レビュー 基本情報 [部分編集] ストーリー [部分編集] 攻略情報 [部分編集] Tips [部分編集] プチ情報 [部分編集] 関連動画 [部分編集] 参考文献、参考サイト [部分編集] 感想・レビュー 名前 コメント 選択肢 投票 役に立った (0) 2012年10月09日 (火) 14時00分08秒 [部分編集] ページごとのメニューの編集はこちらの部分編集から行ってください [部分編集] 編集に関して
https://w.atwiki.jp/aniwotawiki/pages/28005.html
登録日:2010/10/05 Tue 21 26 42 更新日:2024/06/09 Sun 23 08 02 所要時間:約 4 分で読めます ▽タグ一覧 1989年 GB アクション ゲーム ゲームボーイ サラサ・ランド スーパーマリオメーカー2 スーパーマリオランド デイジー姫 デイジー姫初出演 マリオ マリオシリーズ マリオランドシリーズ ローンチタイトル 任天堂 名作 天国と地獄 宇宙怪人タタンガ 浮気 任天堂から1989年にゲームボーイと同時発売されたゲームボーイ用ソフト。 マリオシリーズとしては、ファミリーコンピュータ用ソフトの『スーパーマリオブラザーズ3』に続く4作目。 ニンテンドー3DSのVCでも2011年6月7日から配信された。 『スーパーマリオブラザーズ』程ではないが流石はマリオ、 日本だけでも約419万本を売り上げ、『魔界塔士サ・ガ』や『テトリス』と共にゲームボーイ初期の代表作として挙げられる。 ローンチタイトルでありながら、『テトリス』に次ぐゲームボーイソフトNo.2の売上である。 プロデューサーは宮本茂ではなく彼が師と仰ぐ横井軍平。 『MOTHER』でおなじみの田中宏和が作曲を担当。拡張音源も無い黎明期の作品ながらどのBGMも名曲として語り継がれている。 特にスタッフロールのテーマは何故か涙が出てくる曲として評判。 ゲームとしては『スーパーマリオブラザーズ』をベースにしているが、舞台がキノコ王国ではなくサラサ・ランドなので敵や地形はかなり変わっている。 セーブはできない。 本作の特徴として デイジー初登場 フラワーを取るとファイアマリオではなく壁や床に当たると90度反射して飛んでいくスーパーボールを投げるスーパーボールマリオに変身、スーパーボールは当ててコインを取ることも可能 スターで無敵になった時のBGMが天国と地獄 1UPアイテムが1UPキノコではなくハート(GBはモノクロなため色違いによる判別が難しいため) マリオが潜水艦・マリンポップ号や戦闘機・スカイポップ号に乗るシューティングコースの存在 ゲームオーバーになっても10万点につき1回コンティニュー可能 コースクリア時に上のゴールに入るとアミダクジ式ルーレットによるボーナスがある が挙げられる。 このゲームの続編として、1992年に『スーパーマリオランド2 6つの金貨』が発売された。 ◆ものがたり ピラフト王国、ミューダ王国、イーストン王国、チャイ王国の4つの国からなるサラサ・ランドに 突如宇宙の彼方から宇宙怪人タタンガが襲撃、デイジー姫を連れ去り宇宙催眠で住民を洗脳してサラサを支配した。 この事を知ったマリオはタタンガを倒して住民にかかった宇宙催眠を解き、チャイ王国に囚われているデイジーを救いにサラサに向かった。 ◆ゲームシステム 初代『スーパーマリオブラザーズ』とだいたい同じ…なのだが、キャラクターが小さい。 ファミコンやスーファミのマリオシリーズは16×16ドットを1マスとしてステージが構成されているのに対して本作は8×8ドットで1マスであり、あらゆるものが小さい。 さすがに8×8や8×16ドットでマリオを描くことはできなかったと見え、マリオの見た目はマス目よりだいぶ大きいが、当たり判定で見ると8×8や8×16ドット相当。ジャンプ力も通常4マス高・ダッシュで5マス高と初代スーパーマリオなどと同じ。 初代スーパーマリオではステージは地面から最上段まで12マス・画面内に表示される横幅は15マス程度であるのに対し、本作は縦14横20とだいぶ広い。 これにより、ただでさえ小さな画面の中を相対的に小さなキャラクターが動き回ることになり、ちまちました印象の絵面となる。 また、泳ぐ水中面が無い、ファイアボールより動きの単純なスーパーボール、放物線でなく途中から垂直落下するキノコやスターの軌道など、技術的にも未成熟な印象を受ける。 ◆ステージ ・ピラプト王国 ピラミッドのある砂漠が広がるエジプトに似た王国。 ・ミューダ王国 バミューダ諸島に似た海の王国。 ・イーストン王国 イースター島に似た岩の王国。 ・チャイ王国 天にそびえ立つほどの竹が生えた山に囲まれた中国に似た王国。 ◆敵キャラ ・チビボー クリボーにそっくりなキノコ。 ・ノコボン 踏むとやや間をおいて爆発する爆弾を背負った亀。 爆発するので甲羅を蹴ったりはできない。爆風はマリオだけ喰らう。 続編ではメットパージョンのノコボンメットが登場するが、タタンガがワリオの手下となったことと関係があるのだろうか? ・パックンフラワー サラサにも咲いてるお馴染みの花。本作唯一の既存の敵キャラ。 逆さも出てくる。 ただし横幅が狭いほっそりとした姿で、他作のパックンフラワーとはだいぶ印象が異なる。 チビボーやギラーなどほぼ同じ見た目なのに名前を変えているキャラもある中なぜこれだけそのままなのか。 ・ポンポンフラワー 歩行しながら毒花粉を飛ばす花。挙動は『スーパーマリオUSA』に登場したポンキーと少し似ている。 パックンフラワーを始めにフラワー系統は踏めない事が多いがコイツは踏んで倒せる。 ・ブラックピヨン ピョンピョン跳ねて襲ってくる蜘蛛。 ・フーライ パタパタ飛びながら襲ってくる吸血バエ。 ・ブンブン 空から矢を落としてくる蜂。『スーパーマリオブラザーズ3』の中ボスと同名だが関係ない。 ・ガオー 火を吐くライオン。動かない。 ・メカポン 頭を飛ばすロボット。頭を踏んでも体を踏まなければ倒せない。 ・トリオン 3匹並んで泳いでくる人喰い魚。 ・ホーネン タタンガに喰われたらしいトリオン。水中から飛んでくる。真上にいれば踏める。 ・ユラリン ゆらゆらしながら襲いかかるタツノオトシゴ。 ・ユラリン・プー ユラリンの兄。火を吐いてくる。 ・グニョン 上下にユラユラしているタコ。魚雷で撃つと分裂する。 ・タマオー 後述のドラゴンザマスの部屋におり、周囲を漂いボスを護る。 不死身なので倒せない。 ・トコトコ 元気に走ってくるモアイのような石像。 ・パタドン マリオを上から潰してくる空飛ぶ石像。 ・ギラー キラーにそっくりなミサイル。砲台は土管からニョッキリ出てくる。キラーとは違い腕が無い。 ・ガンチャン どこからか飛んでくる岩。倒せないが上に乗れる。 ・スー マリオが近付くと上から急降下する蜘蛛。 ・ピョンピー ピョンピョン跳ねて襲ってくるキョンシー。踏んでも少し経つと復活する。 完全に倒し切るにはスーパーボールが必要。 ・ニョロリン 蛇。 前述のガオーと同じようにその場を動かず、マリオが近付くと火を吐く。 ・(回転する炎) チャイ王国2・3面に登場する、『スーパーマリオブラザーズ3』に登場したクッキーに似た見た目で同様の動きをする敵。無敵体当たりでも倒せないのでどちらかというとステージギミックである。 説明書には記載されておらず、公式ガイドブックにこの名で紹介されている模様。 ・チッキン タタンガが飼っている戦闘鳥。蛇行する。 ・ロケトン タタンガの護衛兵が乗っている攻撃機。 公式イラストでは機体下部にミサイルを搭載し前方に弾を発射しているが、実際は撃ち漏らしたとき後方にミサイルを1発発射するのみ。 なおミサイルは容量の都合からか前述のギラーと同一に見えるが、こちらは倒せない(*1)。 ・チカコ 空中に浮いている物体。バリアを張っているのでミサイルを10発撃ち込まないと倒せない。 ・(拳) チャイ王国のボス部屋手前に配置されている逆さ土管から現れる謎の手。破壊不可。 拳自体は真下に届いていないように見えるがちびマリオでも通過できない。 敵というよりステージギミック。 ◆ボス敵 ・キング・トトメス ピラフト王国のボス。 上下にジャンプして炎を吐く巨大ライオン。動きがまんまクッパ。 後ろのスイッチを踏めば橋が崩れて奈落へ落とせる…のではなく、爆散する。 ・ドラゴンザマス ミューダ王国のボス。 不死生命体タマオーに守られながら炎を吐く巨大タツノオトシゴ。魚雷20発で倒せる。 また下の壁が壊せるので無視してスイッチ(クッパの時の斧に相当)を踏むことも可能。 ・ヒョイホイ イーストン王国のボス。 トコトコの進化したもの。ガンチャンを投げて攻撃する。 ・パオキントン チャイ王国のボス。 雲に隠れている恥ずかしがり屋。チッキンの巣にされている。ミサイル20発で倒せる。 ・宇宙怪人タタンガ デイジーに惚れ、彼女を拐いサラサ・ランドを乗っ取った正体不明の宇宙怪人。 パオキントンからの連戦になるラスボス。戦闘ロボのパゴスに乗り、拡散波動砲を撃ってくる。ミサイル25発で倒せる。 続編の『6つの金貨』ではスペースゾーンのボス(ワリオの手下)に降格。 ワリオに何されたんだろうか。 ◆スーパーマリオメーカー 1ではデイジーやスカイポップ号がキャラマリオとして登場。 続編の2ではストーリーモードを進めて特定のコースをクリアすると初代スキンでのみ使用できるスーパーボールフラワーのパーツが解禁される。 取るとマリオがゲームボーイのモノクロカラーになり、BGMやSEも原作準拠になる。 スーパーボールはコインを取る他にPスイッチやPOWブロックを発動させる事も可能でマリオが進めない場所では特に活用されやすい。 ファイアボールと異なり頭上の敵にも攻撃しやすいのがメリットだが、スーパーボールは画面にひとつしか出せないので敵に当たらないとしばらく画面に残って次が出せず大きなタイムロスになり、連射力もファイアボールに劣るのでボスバトル系コースには不向きなので主にミニゲーム風コースで登場する事が多い。 追記・修正は本物のデイジー姫を救い出してからお願いします。 △メニュー 項目変更 この項目が面白かったなら……\ポチッと/ -アニヲタWiki- ▷ コメント欄 [部分編集] 乗り物って潜水艦と飛行機だっけ -- 名無しさん (2014-03-29 13 17 31) 始めてやったGBのソフトがこれだったな。なつかしい -- 名無しさん (2014-03-30 20 07 44) ニョロリン(ガオーみたいな動きのヘビ)は…… -- 名無しさん (2014-05-13 13 51 11) 点数でコンティニューがあったの今知ったわ。ゲームオーバーでタイトルに戻った後続きからプレイできることがあるのは知ってたけど何が条件になってるのか当時はわからなかった -- 名無しさん (2014-10-08 10 44 03) 一部の敵を踏んづけて倒したあと、時間差で死亡するときのSEが無駄に印象深い。「ヴヂーゥッッ!!」みたいな -- 名無しさん (2014-10-08 11 43 16) 今でもBGMが耳に残ってる -- 名無しさん (2015-04-06 13 44 50) ブラザーズは各ステージのクッパが影武者だったけどランドはデイジーが影武者っていう対比が好き -- 名無しさん (2015-10-04 12 36 41) ボスに攻撃したときの「メェー」みたいな音も印象に残る -- 名無しさん (2016-03-11 08 09 58) スーパーボールマリオをまた使ってみたいなぁ -- 名無しさん (2017-06-21 02 52 34) ↑一番上 その後アクション本編や大乱闘でプレイアブル参戦を果たしました。 -- 名無しさん (2018-08-10 22 50 57) 慣性がオリジナルよりかっちりしているので操作しやすい。これに慣れてからFC版をやったらブロックすらまともに叩けなかった…。 -- 名無しさん (2019-04-26 01 00 11) 違反コメントを削除しました -- 名無しさん (2019-05-04 23 01 27) まさかスーパーマリオメーカー2でスーパーボールが登場するとは。 -- 名無しさん (2019-09-02 18 17 05) クリアすると裏ステージに進める事も書いた方がいいかも。 -- 名無しさん (2022-01-16 02 44 01) 名前 コメント