約 1,207,075 件
https://w.atwiki.jp/apgirlsss/pages/392.html
刹那の蝉/一六◆6/pMjwqUTk 一人の少女が、街外れの坂の上に佇んでいた。 視線の先には、暮れかかった空。刷毛で描いたような雲が、幾筋もかかっている。 夕陽は山陰に隠れて、もう見えない。しかし雲だけが、その余韻を味わうかのように、淡い朱に染まっている。 その周りの空にはまだ、昼の青さが残っている。反対側の空はもう、夜の色をまとい始めているというのに。 中天にかかった白々と光る三日月が、小さな鎖となって、昼の空と夜の空とをつなぐ。 まるで二つの時が同時にそこにあるかのような空の不思議を、少女は飽きることなく、じっと見つめていた。 刹那の蝉 夕暮れのクローバータウンストリートを、せつなは一人、家路に向かっていた。 今日はラブに図書館に連れて行ってもらった後、いつものドーナツカフェで、美希と祈里を含めた四人でおしゃべりをした。 せつなが本を見ている間、図書館の机に突っ伏して寝ていたラブは、おでこに真っ赤な跡をつけて、美希の小言を食らった。だってぇ~、と頬を膨らませながら、前髪で必死に跡を隠そうとする様子がおかしくて、せつなは祈里と顔を見合わせて、くすくすと笑ってしまったものだ。 四人で居るのには、大分慣れてきた。美希も祈里も、せつなを普通の友人として、仲間として接してくれる。努力はしているのだが、まだまだぎこちない会話しか出来ない自分を、ちゃんとその輪に加えてくれる。勿論、せつなが何とか会話に加わっていられるのは、常にテンション高く全員を巻き込んで話を進めてくれる、ラブが居るからこそ、でもあるのだが。 そのラブが今隣に居ないのは、彼女が忘れ物を取ってくると言って、引き返したせい。せつなも一緒に戻ると言ったのだが、すぐに追い付くから!と言い置いて、ラブは一人で走って行ってしまった。 お陰でせつなは、後ろを振り返り、振り返りしながら、ゆっくりとここまで歩いてきたのだが、まだラブが追い付いてくる気配はない。 (ラブ、遅いな……) このままでは、もう家に着いてしまう。別に一人で帰宅したっていいのだろうが、できればラブと一緒に、玄関のドアをくぐりたい。 「おや、お嬢ちゃん。せつなちゃん、だったっけ? 今日は、ラブちゃんと一緒じゃないのかい?」 店じまいの途中のパン屋のおじさんに、声をかけられる。 「あ、はい、いえ、あの……」 不意をつかれて、どぎまぎと言葉を探すせつな。するとそこへ、 「せーつなっ、おまたせーっ!」 叫び声とともに駆けてきたラブが、その勢いのまま、せつなに抱きついた。 「わっ、ちょっと、ラブ!」 「あはは~、思ったより時間かかっちゃった。ごめんね。あ、おじさん、こんばんは!」 「やあ、ラブちゃん。ハハハ、仲が良いねぇ」 愉快そうに笑うおじさんにぺこりとお辞儀をしてから、せつなは慌ててラブの後を追う。 「もうっ、ラブったら……。忘れ物、見つかったの?」 「うん。ごめんね~、ちょっと探すのに手間取っちゃった」 頭をポリポリと掻きながらそう言うと、 「さっ、せつな、帰ろ!」 ラブはせつなの手を取って、走り出した。 夕食の後。せつなは自分の部屋で、図書館で借りてきた本のページを開いた。 『セミの生態、その一生』。 写真が豊富な図鑑形式の本で、蝉の種類や、卵・幼虫・成虫の生態が、分かりやすく書かれている。 昨日、テレビで流れているのを何気なく耳にしたのだ。 「蝉は普通、幼虫の時期を、アブラゼミなら六年ほど、土の中で過ごします。その後、地上に出て成虫になりますが、成虫の寿命は一週間から一カ月程度。地上生活を始めた蝉の命は、はかないものなのです……」 教育番組か何かだったのだろうか。アナウンサーは淡々と喋っていたが、その言葉は、せつなの心をとらえた。 四ツ葉町公園でも、家の近所でも、うるさいくらいに鳴いている夏の虫。あの生命力の塊のように見える昆虫が、そんな一生を送るなんて。 暗い土の中での生活の長さに比べて、光あふれる地上での生活の、なんと短いことか。蝉の一生の中で考えても、まさに刹那の時間ではないか。 それなのに、蝉はなぜ、住み慣れた土の中の世界を離れ、わざわざ陽の光のもとへと出てくるのか。その理由が知りたかった。 しかし、本にはただ、あの賑やかな鳴き声で配偶者を求め、子孫を残すとしか書かれていなかった。子孫を残すだけなら、土の中でもいいような気がする。結局、せつなはその理由に今一つ納得できないまま、本を閉じた。 (土の中で六年、地上に出て一週間、か……) まだ木の香の残る勉強机に頬杖をついて、せつなは視線を宙にさまよわせる。そして、無意識のうちに、蝉の一生と自分の境遇とを照らし合わせていたことに気付いて、苦笑する。 管理国家ラビリンスに生きて十四年。そしてこの世界で生まれ変わって、十日余り。 蝉とは違い、この新しい命が短くはかないものだということは無いだろう。でも、ここでの生活は、毎日が余りにも楽しくて、嬉しくて、そして穏やかで……。こんな幸せな毎日が、本当にずっと続いてくれるのかと、せつなは時々不安になるのだ。 それに―――。 イースとしての寿命が尽きた、あの日。プリキュアとして、自分がこの世界で生まれ変わった理由が、せつなにはどうしてもわからなかった。 今まで自分が壊してきてしまった笑顔や幸せを、今度は自分の手で守っていきたい。その強い気持ちに、嘘は無い。でも。 (どうして、私なんだろう……) この世界に生まれたわけでもない、ましてプリキュアとは敵同士だった自分が、なぜ……。その疑問は、日を追うごとに大きくなって、せつなの心を占めていた。 「せつなーっ、お風呂入ってー!」 出口の無い物想いは、明るいラブの声に破られる。フッと表情を緩めて、せつなは机の電気スタンドを消した。 先のことを、あれこれ思い悩んでも仕方が無い。わからないことを、ただじっと考えていても答えは出ない。それならば、自分はただ精一杯、自分に出来ることをするだけ。 「今行くわ」 せつなもラブに明るい声を返して、立ち上がった。 その翌日。 「ラブったら、どこ行っちゃったのかしら……」 夕食の後、食器を運びながら、あゆみはせつなに向かって、やれやれ、と肩をすくめて見せる。 ―――お母さん、あたし、ちょっと出かけてくる。すぐ戻るから! 食べ終わるのもそこそこに、ラブはそう言って、慌てて家を飛び出して行った。どこ行くの? 一緒に行こうか? と玄関まで付いて行ったせつなを、いいからいいから、と笑顔で押しとどめて。 「まったく、思い立ったら鉄砲玉なんだから。一体誰に似たのかしらね」 そう言って笑うあゆみに笑顔を返しながら、せつなはあゆみが洗った食器を布巾で拭いて、食器棚に納めていく。 日が長い夏と言っても、さすがにもう外は暗くなってきている。やっぱり付いて行った方がよかったかな。せつながそう思った、その時。 ハーフパンツのポケットの中で、せつなのリンクルンが鳴り出した。 「もしもし、せつな? 悪いけど、すぐに来て!」 「ラブ!? どうしたの? 何かあったの!?」 小声の早口でまくしたてるラブの声に、せつなは思わずリンクルンに向かって怒鳴る。 「あ、ごめん! 違う違う、危ない目になんか、遭ってないから。ただ、せつなにどうしても見せたいものがあるの。だから、急いで!」 「もう! 心配するじゃないの。わかったわ、すぐ行く」 ラブに場所を聞いてから、せつなは電話を切って、あゆみに事情を説明する。 「ホントにしょうがないわねえ、あの子は……。私も一緒に行こうか?」 「あ、大丈夫です。すぐそこだし」 「そう。じゃあくれぐれも、気をつけて行くのよ。何かあったら、必ず家に連絡すること。いいわね?」 「はい、おばさま。行ってきます」 几帳面に頭を下げて出て行くせつなを見送って、あゆみはニコリと笑う。 (ラブったら……。今日はせっちゃんに、何を見せるつもりなのかしら) せつながこの家に来てからというもの、ラブがせつなに、実に様々なものを嬉しそうに見せているのを、あゆみは微笑ましく眺めてきた。 朝露に濡れて咲く朝顔。風が吹くと小波を立てる、田んぼの稲。親鳥が戻ってくると一斉に口を開ける、ツバメの雛たち。雨上がりの空にかかる虹。クローバータウンストリートの夕焼け。勿論、ラブとせつなのベランダからよく見える、月の美しい夜空も。 まるで、自分が知っているこの世の美しいもの、愛おしいものを、全てせつなに見せようとしているかのように。 そんなラブの様子に、ラブがせつなをどれだけ大切に思っているか、あゆみは思い知らされたのだった。 (せっちゃんも、少しずつ慣れてきてくれてるみたいだしね) 丁寧に模様まで揃えて重ねられた、食器棚のお皿。それを眺めて、あゆみはもう一度、ニコリと笑った。 四ツ葉町公園の、雑木林の入り口。 ラブが電話で言った場所までやって来たせつなは、街灯のそばの細い苗木の前にしゃがみこんでいるラブを見つけて、ホッとした。 「ラブ。なぁに? 見せたいものって」 「しっ! ……せつな、まずはこれ、手足に塗っといて」 小声でそう言ったラブに手渡されたのは、スティック状の小さな容器。蓋を開けると、少しツンとするにおいが鼻をつく。 「何? これ」 「虫よけだよ。そのままだと、あっという間に蚊に刺されちゃうからさ」 言われたとおりにしてラブの隣にしゃがみこむと、ラブは苗木のてっぺんに見える、小さな影を指さした。 苗木の一番先端にある葉の陰に、一匹の虫がしがみついている。その背中に、まるで刃物で切ったかのような割れ目が縦に走って、中からちらりと白いものが覗くのを見て、せつなの心臓が、ドクンと跳ねた。 「な、何? あれ……」 「これはね、蝉の幼虫が、今から殻を脱いで、蝉になろうとしているところ」 「……蝉の? これが、羽化、ってこと?」 「ああ、そう言うんだったっけ」 昨日の本に出ていた写真を思い出しながら、せつなはそっと顔を近づけて、虫の姿を観察する。 言われてみれば、本に出ていた写真とよく似ていたが、何となく雰囲気が違う。 当たり前か、と思う。本の知識と現実とが違うのは、この世界に来て、よくわかったことだ。 幼虫は、時折、前足でぐっと体を持ち上げるようなしぐさを見せる。そのたびに、背中の割れ目が少しずつ大きくなる。そして、中から白い成虫の姿が、少しずつ、少しずつ、外に現れてくる。 しばらくすると、その白い体に似合わぬ真っ黒な二つの目が現れて、成虫の上半身が、殻から抜け出した。 成虫が、小刻みに体を震わせる。今度は少しずつ、足を殻から引き抜こうとしている。 その体が少しずつ反り始め、それと共に、細い足がゆっくりと見え始める。 突然、枝全体が揺れたかと思うと、成虫の体は完全に仰向けになり、まるで花が開くように、六本の足が完全に殻の外に出た。成虫の体の横には、まだ小さく縮こまった、白い羽も見てとれる。 やがて、殻から落ちてしまうんじゃないかと思うような、逆さまに近い格好で、成虫の動きが、しばらく止まった。 「休憩中かな」 「多分、これから足で体を支えないといけないから、足がちゃんと固まるまで、待っているのね」 「……せつな、詳しいんだね」 しばらくすると、固唾を飲んで見守る二人の前で、六本の足が、何かを掴もうとするように動き出した。のけぞっていた体が、少しずつ元に戻っていく。ほどなくして成虫は、その足で自らの殻につかまった。 六本の足に、ギュッと力が入ったように見える。そのままお腹の部分が、ゆっくりと殻から抜け出る。 こうして、生まれたてのアブラゼミが、夜目にも白く、その姿を現した。 「きれいね……。これが、朝までにだんだん色がついて、あの、いつも見ている蝉になるのね」 「うん、そうだね」 ラブがゆっくりと立ち上がる。 「蝉ってさ。変身するんじゃないんだよね。ただ、今までの殻を脱ぐだけ。お日様の下で生きて行くのに必要なものは、もう全部、持っているんだよね」 ラブはそう言って、まだしゃがみこんだままのせつなに、その右手を差し出す。 せつなはその手を取って立ち上がると、もう一度、その小さな命をじっと見つめる。 殻の中で縮こまっていた羽は、もうほとんど伸びて、その背中をしっかりと覆っている。本当にその体が中に入っていたのかと不思議なほど、今は小さく見える抜け殻。成虫とは明らかに、姿かたちの異なる姿。が、その目だけは確かに蝉の目をしていると、せつなは思った。 「あたしね。正直言って、どうしてあたしなんかがプリキュアになれたんだろうって、思うことあるんだ」 小さな声で、突然そんな話を始めるラブに、せつなは目を丸くする。 ラブが? どして? ラブがプリキュアになれなくて、誰がプリキュアになれると言うのだろう。少なくとも、自分も含めプリキュア四人の中心は、誰がどう見てもラブだ。 「あたし、美希たんみたいに運動神経良くないし、ブッキーみたいに頭が良いわけでもない。いつもドジばっかりで、何の取り柄もなくて。だから、ひょっとして、ピルンはあたしを選んで後悔してるんじゃないかって、思ったりしたんだ」 「そんなこと、あるわけないじゃない!」 大きな声を上げかけて、せつなは慌てて口を抑える。ラブはそんなせつなに小さく笑いかけて、言葉を続ける。 「そんなときにね。蝉の抜け殻を見つけて、小さい頃、お父さんに見せてもらった、蝉の誕生の場面を思い出したの。そりゃ、あたしたちは変身することで、戦うための力を手に入れるわけだけどさ。でも、あたしが気付いていないだけで、プリキュアになるのに必要なものは、持っていたのかもしれないな、って。だからピルンは、あたしを選んでくれたのかもしれない、って」 ラブはあくまでも、自分のこととして話をしている。ラブのことだ、実際にそう思っていることは、嘘ではないのだろう。でも、その目は明らかに、せつなに向かって語りかけている。 ―――せつなも同じだよ。 ラブは、そう言いたいのだろう。 そんなこと、あるわけないと思う。 この世界に来て、初めて見る人々の楽しそうな笑顔や、幸せそうな家族の姿が眩しかった。自分には手の届かないその光を憎み、任務なのをいいことに、それらを自らの手で壊してきた。 そんな自分が、プリキュアになるのに必要なものを持っていただなんて。 でも、その時。 ―――あなたにずっと、会いたかった。 あの時心の中に響いた、あどけない澄んだ声が、せつなにはもう一度、聞こえたような気がした。 「さっ、帰ろ。あんまり遅くなると、今度こそお母さんに叱られちゃう」 「そうね。帰りましょ」 肩を並べて、公園を出る二人。せつなはふと感じた疑問を、ラブにぶつけてみる。 「ラブ。私が図書館で蝉の本を借りて来たの、知ってたの?」 「えっ? せつな、そんな本借りてたの? 道理で詳しかったわけだよね。でも、なんで?」 ラブの言葉に、せつなは少しためらってから、静かに答えた。 「蝉って、土の中で長い間過ごして、最後に地上に出て来て、一週間くらいで死んでしまうんでしょ。どうしてわざわざ土の中から出てくるのか、それが知りたかったんだけど……。本にはそういうことは、あまり載っていなかったわ」 「そりゃあ、きっと太陽の下で、思いっきり鳴いて、思いっきり飛び回りたいからだよ!」 ラブが確信に満ちた表情で、力強く言い切る。 「だって、なんだかすっごく楽しそうじゃない? 蝉の声って」 「そう言われれば、そうね」 ラブが言うと、本当にそう思えてくるから不思議だ。そう思うせつなに、 「それにさ」 と、ラブは言葉を続ける。 「地上に出て、一週間くらいで死んでしまうのに、蝉ってあんなに真剣に、自分の殻から出てくるんだよね。蝉がどうしてそんなことをするのか、誰が……っていうか、何が蝉を、ああいう一生を送る虫にしたのか、それはわからないけど……。でも、その一週間のために、あんなにきれいで、神秘的な儀式を準備する自然って、あたしは凄いと思うな。なんか、大切なのは時間の長さじゃなくて、その一瞬一瞬なんだ、って教えてくれてるような気がする」 「大切なのは、その一瞬一瞬……」 ラブの言葉を、噛みしめるように繰り返しながら、せつなは思う。 この世界で過ごす、楽しく満ち足りた毎日。それが幸せであればあるほど、いつか終わってしまうんじゃないかと、恐れている自分がいる。でも、そんな先のわからない未来に怯えて、今の幸せを不幸に変えてしまうなんて、そんなのきっと、間違っている。 終わってしまうことを恐れるのではなく、ずっと続いていけるように、今を精一杯頑張ろう。 蝉が、全身全霊を込めて命の歌を歌い、大空の下を力強く飛び回るように、一瞬一瞬を、精一杯生きていこう。 そう心に誓いながら、せつなはラブに向かって、晴々と笑ってみせた。 「そう言えば、ラブ」 商店街に差し掛かったところで、せつなはもうひとつ感じた疑問を、口に出す。 「ここ二、三日、やたらと忘れ物を取りに戻ったり、夕方になってから出かけたりしてたのって……」 「たはは~、バレたか。四ツ葉町公園にならいると思って、蝉の幼虫、探してたんだ。お陰でずいぶん、蚊に刺されちゃった」 道理で虫よけまで準備するほど、用意周到だったわけね。そう心の中で呟きながら、そうまでして、自分に命の神秘を見せてくれようとしたラブの気持ちに、せつなは胸があたたかくなる。 「ありがと、ラブ」 「えへへ」 せつなの明るい笑顔を、心から嬉しく思いながら、ラブは笑う。 (明日は早起きして、せつなに朝焼けを見せてあげたいな。今日の夕焼け、とってもきれいだったから、きっと明日はいい天気だもんね。早起き出来たら! いや……早起きして、だよね……) 最後の方はちょっと詰まりながらもそう自分に言い聞かせ、ラブはせつなの隣から、不意に駆け出す。 「せつなっ!家まで競争しよっ!」 「私に勝てると思ってるの?」 ニコリと笑って、ラブの後を追うせつな。 さっきよりも明るさを増した三日月が、二人をやさしく見守っているような、そんな夏の夜だった。 ~終~
https://w.atwiki.jp/apgirlsss/pages/70.html
(もう、そろそろ出なきゃ……。) 祈里はチラリと時計に目をやる。さっきから何回こんな事を繰り返してるだろう。 意味もなくバッグの中身を入れ換え、リンクルンをいじくる。 (本当にもう、行かなきゃ……。) 今日は久しぶりのダンスレッスン。 忙しいミユキさんは来られないけど、四人揃っての自主練はずっと続けてきた。 最近は色々あってずっとご無沙汰だったけど、今日の練習は前々から決まってた。 仮病を使って休もうか、とも何度も思った。 けど、せつなも来るかも知れない。 それとも、あんな事があったんだから、祈里のいる場には現れないだろうか。 祈里も、実際に顔を合わせてもどうしたらいいかなんて分からない。 ラブにも、どんな目で見られるか。 せつなは恐らくすべて話したんだろう。 ひょっとしたら、美希にも話は行ってるかも。 三人の自分を見る目を想像する。 自分のした事を棚に上げて、足がすくみそうになる。 それでも、またせつなの顔が見られる。声が聞けるかも知れない。 どんな冷たい視線でも、罵る言葉でもいい。 せつなに会いたい……その欲求には勝てなかった。 狂おしいほど、せつなに会いたい。 いつもの公園に少し時間より遅れて着いた。来ているのは、美希だけ。 他の二人の姿は見えない。 そう言えば、美希とも随分会っていなかった。 おはよう、そう声を掛ける前に美希が祈里に気が付いた。 「ラブとせつなは来ないわよ。」 挨拶もなしにいきなり美希が切り出す。 「せつな、この間熱出して倒れたの。もう微熱みたいだけど、 まだ家からは出してもらえないみたい。」 ラブはせつなについていたいから、と美希に連絡があったらしい。 硬い声と表情から、美希も知ってるんだ。と理解する。 不思議なほど、動揺してない自分に祈里は少し驚いていた。 自分にはメールも電話も、何の連絡もなかった。当たり前だろうけど。 「ふうん、そうなんだ。」 まるで他人事のような口調。美希が微かに整った眉をしかめる。 (誰のせいよ?) その目がそう言ってる。 美希はどこまで知ってるんだろう。誰から聞いたんだろう。 ラブか、せつなか。たぶんラブだろう。 だとしたら、せつなはラブに全部話したんだろうか。 「ねぇ、どう言う事なの?なんで、こんな事になったの?」 「……いったい何の事…?」 「はぐらかさないでよ、ブッキー!」 「美希ちゃんには関係ないじゃない。」 驚くほど、冷たく硬い声が出た。美希が少し青ざめ、言葉を無くしている。 それもそうだろう。今まで、祈里は美希にこんな態度を取った事はなかった。 自分が美希を動揺させてる。そう考えると祈里は少し可笑しくなった。 一人っ子の祈里やラブにとって、美希は同い年でも頼れる姉のような存在だった。 今までずっと、何か困った時は美希に相談。解決なんか出来なくても、 美希に話すだけでなんだか心が軽くなる。 きっと美希は、今回もそのつもりだったんだろう。 祈里が話せないなら自分から聞こう。話してくれれば、何か変わるかも。 自分になら、話してくれるはず。 「……関係なくなんか、ないわよ。」 美希は奥歯を噛み締め、動揺を飲み込む。 ラブの話から今までの祈里のようにはいかないのは分かってたはず。 怯んだら、負けだ。 確かに自分には関係ないかも知れない。 でもこのまま仲間がバラバラになるのを黙って見ているなんて出来ない。 「アタシ達、仲間じゃない。心配しちゃいけないの? 何があったか知りたいって思うの、当たり前じゃない。」 「……知って、どうなるの?美希ちゃん、どうにか出来るって思ってるの?」 それに、もう知ってるんでしょう? 取り付く島もない祈里の言葉。 美希は、今の今まで半信半疑だった。事前にラブの話を聞いても。 あの時のラブの壊れかけた様子。実際に倒れてしまったせつな。 最初に祈里がせつなを脅してたのでは?と言ったのも自分だ。 それでも、まさか祈里が……。 そう思う気持ちが確かにあった。 「ラブちゃんに聞いたんでしょ?だったら、今さら私に聞かなくたって。」 祈里は伏し目がちに目をそらし、少し唇を尖らせている。 ベンチに座り足をブラブラさせてる様子は不貞腐れた子供みたいな仕草だ。 「……ブッキーの口から聞きたいの。」 何を考えてるのか。どう思ってるのか。祈里自身の気持ちが聞きたい。 「じゃあ、………」 祈里は俯いて肩を震わせる。 「じゃあ、…せつなちゃんが、本当に好きなのはわたし。って言ったら、 美希ちゃん、信じてくれる?」 わたしとせつなちゃんは愛し合ってるの。 でも、せつなちゃんはラブちゃんの家にお世話になってるでしょ? ラブちゃんを無下には出来ないの。 だから、こっそり会ってたの………。 「……嘘、でしょ…?」 美希は自分の顔色が変わるのを感じていた。 (だって……ラブは……。) でも祈里の言う事が本当なら……。頭が混乱する。 せつながこちらの世界で生きて行くのに全面的にラブが力になったのは本当だし…。 それに、ラブがせつなを愛してるのは間違いないだろうけど、 せつなはどうなの?アタシ、せつなの気持ちは聞いてないし……… 「うん、嘘。」 「……え?」 「だから、嘘。そんなわけないじゃない。本気にしたの、美希ちゃん?」 祈里はさっきとはうって変わって、からかうような目で美希を覗き込んでいる。 今にも吹き出しそうな、イタズラに成功した子供のような……。 カァっと美希の体温が上がる。 真剣に、話を聞こうと思ってたのに。今日までどれだけ神経を磨り減らしたか。 「フザケないでよっ!」 涙が出そうになる。目の前にいる、この子はなんなの? アタシの知ってるブッキーじゃない。ラブも、せつなも、こんなふうに感じたの? ブッキーは、こんなふうに人の真剣な気持ちをはぐらかす子じゃない。 大人しくて、引っ込み思案で、でも人の気持に敏感で思い遣りのある…… 「騙して呼び出してね、無理やりヤッちゃったの。 せつなちゃんが抵抗出来ないようにして。」 崩れ落ちそうになってる美希に構わず、祈里は喋り続ける。 「その後はお約束?この事バラされたくなかったら、言う事聞けって。」 せつなちゃん、今の美希ちゃんみたいな顔してたわよ? これはいったい誰なの?って感じの。 「簡単過ぎて拍子抜けしちゃった。せつなちゃん、一旦気を許した相手だと あり得ないくらい無防備になっちゃうみたいね。」 一度ヤッちゃえばね、まるでお人形さんみたいになっちゃったの。 ラブちゃんの名前出すとね、何でも言う事聞くの。 呼び出せばいつでも来るし、服を脱げって言ったら泣きながら脱ぐの。 ベッドに寝かせて、足を開けって……… 「やめて!やめてよ!!!」 「何よ、美希ちゃんが話せって言ったんじゃない。」 つまり、そう言う事したの。酷いでしょ?せつなちゃん、倒れても仕方ないわ。 むしろ、よく今までもったって思うわよ。 熱に浮かされたように喋り続ける祈里を、美希はただ呆然と見ているしか なかった。 「ほんっと、酷いわよね。わたしだったら死にたくなっちゃうかも。」 「……ブッキー………。」 言葉を無くし、魂の抜けたような顔をしてる美希を、いっそ憐れむように 祈里は見つめる。聞きたくなかったろうな。こんな話。 「……どうしてよ。せつなが、……好きだったんじゃないの?」 「美希ちゃん、わたしってね、小さい頃から結構いい子だったと思わない?」 突然、関係ない事を話し出す。 「お友達とケンカするくらいなら自分が我慢したし、我が儘だって言わないし。」 でも分かっちゃった。わたし、全然いい子でもないし、我慢なんてした事なかった。 臆病なのは、人とぶつかって傷付くのが面倒だっただけ。 引っ込み思案の人見知りでいれば、何も言わなくても、ラブや美希が庇ってくれた。 誰かと争ってまで欲しいものなんてなかったし、傷付け合うほど 本気で分かり合いたい人もいなかった。 ラブと美希がいれば、他に親友なんて必要なかったし。 だから、初めて本気で欲しいと思ったものに出会った時、 どうしていいか分からなかった。 ただ遠くから眺める事しか出来なくて、気が付いたら、 それはとっくに人のものになっていた。 欲しいもののために戦った事なんてなかった。 だから我慢の仕方なんて分からない。 手に入らないものの諦め方、そんなの誰も教えてくれなかった。 ほんの一時でも、盗んででも手に入れられれば、気が済むかと思ったのに。 「ダメだったの。どんどん欲張りになっていっちゃったの。」 体だけでいい。ほんの一時わたしのものになってくれればいい。 傷付けたって、痛め付けるつもりなんてなかったのに。 せつなを当たり前のように独り占めしているラブに腹が立った。 どれだけ体を重ねても祈里を無視し続けるせつなに苛立った。 ラブに返すくらいなら壊してしまおうか。 ボロボロに汚されたせつなでも、まだラブは抱き締めるのだろうか。 違うな、と思う。 ラブはせつなが汚れたなんて思わないだろう。 祈里だって自分が一番よく分かってる。せつなを汚す事なんて出来なかった。 せつなを汚そうとした分だけ、自分が汚れただけだ。 「せつなちゃんね、あんな事されたのに、まだわたしが好きって言ったの。」 好きだから、もうやめるって。わたしの事、悪く思えないんだってさ。 自分を嘲るかのような祈里の口調。 胸が痛まないはずない。好きな人を自分で傷付けて。苦しめて。 平気でいられる人なんていないだろう。 「………後悔、してるんでしょ?」 美希はやっとの事で声を絞り出す。 よく知る幼馴染みの口から出る。生々しい罪の告白。 予想以上のダメージを受けてる自分がいる。 話を聞いただけでこれだ。ラブやせつながどれほどの傷を受けたのか、 想像も付かない。 「ずっとね、考えてたの。謝らなきゃいけないって。」 許してもらえなくても。自分がした事は理解してるつもりだから。 「だったら………!」 「でもね。わたし、後悔なんてしてないのよ。」 ずっと考えてた。この胸の苦しさは後悔なのか。 せつなを傷付け、ラブを裏切った事を悔いているのか。 答えは否だ。 後悔なんてしてない。あのまま想いを押し殺していれば、 せつなは今も微笑んで隣にいてくれた事だろう。 ラブとふざけ合い、美希に甘え、それはそれは幸せな時間。 それと引き換えにしても、せつなに触れたかった。 初めてその唇に触れ、柔らかな肌を抱き締めた時の歓喜を思い出す。 吐息を感じ、熱を共有した。 心には最後まで触れる事は出来なかった。 それでも、せつなの体に刻み込まれた祈里の記憶はこれからも消えない。 ラブだけのものではなくなった。 その事に、確かに喜びを感じている自分がいる。 例え時間を巻き戻せたとしても同じ事をするだろう。 「後悔……、出来たらよかったのに……。」 祈里は天を仰ぐ。涙がこぼれないように。自分には涙を見せる権利などない。 心底から悔い、本心から謝ればラブもせつなも許してくれるだろう。 例えすぐには元に戻れなくても、許すため、距離を埋めるために 努力し、祈里を受け入れてくれただろう。そう言う子だ。 だけど、今も祈里の中には邪な欲望が渦巻いている。 ラブとせつなを見ている限り、それが消える事など想像出来ない。 そんな謝罪に何の意味がある。 また、同じ事を繰り返すだけだ。 「後悔して、反省して、謝りたかったよ。泣いて、すがって、 それでお仕舞いにしたかった。」 でも、無理なの。 せつなは祈里の呪縛を振り切った。 ラブの元へ戻り、ラブも受け入れたのだろう。 もう、あの二人を引き離す事など出来ない。 未だ大人には遠い自分には逃げ出す事も出来ない。 この町にいるかぎり、見続けなければいけない光景。 せつなも、ラブも、もしかしたら目の前の美希も、二度と祈里に 微笑んでくれないかも知れない。 自分には相応しい罰だ。 深く暗い、水底に沈んでいくような祈里の姿。 美希はただ呆然と立ち竦む事しか出来なかった。 掛ける言葉など見付からない。 祈里は自分のした事を充分過ぎるほど理解している。 理解していながら、後悔していないと言う。 せつなの傷。ラブの悲しみ。祈里の闇。 どれも美希にはどうしようもないものに感じた。 罪を分かっていながら、救いを拒む罪人。 美希は唇を噛み締める。自分の無力さが、悔しい。 なんとか出来るかも知れない、そんな自分の思い上がりに臍を噛む。 美希もまた、力無い子供でしかないと言うのに。 黒ブキ21へ
https://w.atwiki.jp/apgirlsss/pages/738.html
「舞台裏にて」/アクアマリン キュアパッション「これからも私、精一杯、頑張るわ!」 ディレクター「はい、OK~!!」 スタッフ「お疲れ様でーす!」 キュアパッション「ありがとうございます」 シュン(変身を解く) ラブ「せつなー!」 せつな「ラブっ」 ラブ「久しぶりのキュアパッションすっごくカッコよかったよ~」 祈里「私も思わず見入っちゃたわ」 シフォン「プリプ~♪」 せつな「ありがとう、ラブ、ブッキー、シフォン」 美希「でもアタシたちの中でせつなが1番最初に出るなんて意外ね」 せつな「そうね、私もてっきりラブが最初だと思っていたわ」 ラブ「きっとそれって、せつなが1番人気があるってことだよ!」 せつな「そ、そんな。なんか照れるわ」 祈里「私たちの出番はいつになるんだろう。ちょっと緊張するけど楽しみね」 ラブ「そうだねー。1番最後だったりしたら何かヤダね~、美希たん」 美希「ちょっと、何でアタシに話振るわけ!?」 せつな「まあまあ、別に1番だろうと最後だろうと私たちが伝えたい想いは一緒よ」 ラブ「そうそう、さすがせつな。いいこと言うねー」 美希「全く、ラブってば調子いいんだから」 祈里「ふふっ、それじゃせつなちゃんの撮影も終わったことだしそろそろ帰ろっか」 せつな「そうね、ってタルトは?」 ラブ「あれっ?さっきまで一緒にいたのに」 美希「もしかして迷子になったのかしら」 タルト「いやーみんなえろう待たして、すんまへんなー(フッ)」 4人「「「「タルト!?」」」」 タルト「楽屋で着替えや身だしなみ整えとったら、つい時間かかってしまったんや(キラーン)」 美希「どうしたの、タルト?シルクハットにタキシードまで着込んじゃって」 タルト「そらプリキュア10周年やし、これくらい張り切って当然やろ!」 ラブ「へっ?」 タルト「心配せーへんでもセリフもバッチリ考えてきはったし、いつでもスタンバイOKやで!(ビシッ)」 4人「「「「・・・・・・」」」」 タルト「何や?みんな鳩が豆鉄砲くらったみたいな顔しはって」 ラブ「あ、あのさー美希たん。タルトってもしかして…(コソコソ)」 美希「もしかしなくても完璧に勘違いしているわね(ボソボソ)」 タルト「おーい。ピーチはん、ベリーはん。何こそこそ話しとるんや?」 祈里「あ、あのね、タルトちゃん。10周年のメッセージを届けるのは私たちプリキュア33人なの」 タルト「へっ?」 せつな「つ、つまり、タルトの出番はないっていうことなんだけど…」 ガーーーーーーーーーーーーーーン!!! タルト「そ、そんな~~~~、殺生な~~~~。何でそんな大事なこと言うてくれへんかったんや~~~~?」 美希「何でって言われても…」 ラブ「まさかタルトがそんな勘違いしているなんて思わなかったからね~」 チーーーン…… ラブ「あーあ。タルトってばすっかり真っ白になっちゃった」 祈里「シフォンちゃんに名前で読んでもらえなかった時でもここまで落ち込まなかったと思う…」 せつな「そ、そうだ。帰りにカオルちゃんのお店に寄っていかない?」 祈里「そ、そうよ。カオルちゃんのドーナッツを食べればタルトちゃんも元気になるって私、信じてる」 ラブ「そうだね。よーし、今日はせつなの撮影が終了したことだし、ドーナッツでお祝いだー!!」 3人「「「賛成~!!」」」 シフォン「キュアキュア~♪」 こうして一同はスタジオを後にするのでした。めでたし、めでた… タルト「そんなわけあるか~~~い!!!(怒)」
https://w.atwiki.jp/apgirlsss/pages/61.html
(……頭…痛い……。) 頭の奥がズキンズキンと疼く。体も鉛のように重く、動かない。 重い瞼を必死の思いで開く。何も見えない。どして? 部屋が暗いのだ、と分かるまで少し時間が掛かった。 目が慣れてくると、見馴れぬ天井と電器。 (…ここは……どこ?) 霞みの掛かった頭で何とか記憶を手繰る。 (あぁ…そうか、私、ブッキーの家に来て…) 部屋に上がり、お喋りして、おやつをご馳走になった。でも、その後の記憶がない。 (なんで、こんなに頭が痛いの…?) ズキンズキンと音を立てて、不快な痛みが神経を逆撫でする。 起き上がろうと頭を動かすと軽く吐き気がする。 不意に、さっきまで見ていた夢が脳裏によみがえった。 ラブの手と唇が体を這い回る。でも、その感触はいつもと少し違った。 遠慮がちで少し躊躇うような、拙い愛撫。初めて、触れ合う時のような…。 「気がついた?」 ぼんやりとしたせつなの思考は祈里の声によって破られた。 「よく眠ってたね、もう夜よ。」 少し離れた場所で祈里は椅子に腰掛け、微笑みを浮かべている。 「おうちには電話しておいたから。せつなちゃん、具合悪くなっちゃったんで 少し休ませて今夜はうちに泊めますって。」 私、具合悪くなっちゃったの?だから、寝かされてるの? よく…、覚えてない。でも大丈夫。少し頭が痛いけど、ちゃんと帰れるから…。 急に泊まるなんて迷惑だし。 せつなはまだ働きの鈍い頭で考える。 それに、祈里がすぐ側にいるのにラブとの情事を夢で見てたなんて…。 頭の中を覗かれた訳でもないのに無性に恥ずかしく、そしてなぜか、祈里に対して後ろめたかった。 「電話、ラブちゃんが出てね。迎えに来るって聞かないの。 もう遅いし眠ってるからって言ったら渋々諦めたみたいだけど。」 クスクスと祈里は楽し気に笑っている。 せつなは重い体を何とか引き起こす。 ごめんなさい、迷惑掛けて。大丈夫、帰れるから…。 (………えっ……?) せつなは自分の体に違和感を覚えた。 シャツのボタンが全部外されてる。それに…… 上も、下も、下着を付けていなかった。 (な…に…これ…。) 身動ぎすると胸の先端がシャツに擦れ、思わずゾクリと身が粟立つ。 体が敏感になってる。それに、腿の間のぬるく滑った感覚。 それは、せつなには何度も覚えのある馴染んだ……事後の感覚だった。 さっきの夢。どこか不器用で、不馴れな感触。 遠慮がちに肌を這い、少しもどかしいような拙い愛撫。 クラクラと目眩がする。暗い部屋。痛む頭。体に生々しく残る情事の感触。 そして、部屋にいるのは二人だけ。 何があったのかなんて考えるまでもないはずなのに、目の前にいる祈里と その行為がどうしても結び付かない。 (……嘘よね。…何かの間違い……) その考えは虚しくせつなの中を滑り落ちていく。 助けを求めるように、祈里に視線ですがり付こうとする。 祈里はそんなせつなの様子を相変わらす楽し気な、悪戯っぽくさえ見える 微笑みで眺めている。 「せつなちゃんって、すごく可愛い声も出せるのね。いつも大人っぽいから ちょっと意外。びっくりしちゃった。」 クスクスとからかうように祈里が笑う。それに…… 「それに、ラブちゃん一筋かと思ってたけど、案外そうでもないのね。 心と体は別?気持ち良くなれれば結構誰でもいいんじゃないの?」 (何を……言ってるの…?)いつもと変わらぬ優しく甘い笑顔の祈里。けど、その口から出る言葉は… 中身が別人とそっくり入れ代わってしまったのではないのか。 私は、こんな祈里は知らない。 「……ど…して…?」 祈里は立ち上がり、せつなに近づく。 せつなは反射的に逃げようと後ずさる。しかし狭いベッドの上では すぐ後ろに壁があるだけだった。 キシッと音を立て、祈里がベッドに身を乗り出す。 せつなは壁に背を預けたまま逃げられない。 「だってせつなちゃん、全然気付いてくれないんだもの。」 拗ねた子供のような口調。 「わたし、ずっと見てたのに。せつなちゃんったらラブちゃんに 夢中で他の人なんかまったく眼中になかったでしょ?」 わたしだってせつなちゃんが大好きなのに。息がかかるほどに顔を寄せ、祈里が 囁く。 「安心してね。ラブちゃんには言わないから。 せつなちゃんがラブちゃんを裏切った…なんて、ね?」 心臓が凍り付いた気がした。全身から血の気が引くのが分かる。 せつなの顔色が変わるのを祈里はいかにも楽しいそうに眺める。 壁に縫い付けられたように、体を強張らせているせつなの頬に指を這わせる。 クスクスと笑い声すら立てながら祈里はなおも言い募る。 「せつなちゃん、わたしの手でイッちゃったんだよ。気持ち良さそうに、 可愛い声上げてしがみついてきたの。」 (…やめて、……どして…?) せつなは壊れた人形のように弱々しく首を振る。いつの間にか 目尻から涙が溢れてくる。 「あぁ、泣かないで。ね。せつなちゃんを困らせたいわけじゃないの。」 ラブちゃんには言わない。もう一度繰り返し祈里は言う。 ラブちゃんと別れてとか、わたしを愛してなんて言うつもりはないの。 だって無理でしょ?そんなの。せつなちゃんはラブちゃんが大好きなんだもの。 ラブちゃんに嫌われるくらいなら、死んだ方がマシなくらい…ね。 だからね、内緒にしててあげるから、時々わたしともこんなふうにして?お願い? ラブちゃんとは今まで通り仲良くして。バレないように、分かる? 頭が痛い。体が動かない。ただ祈里の囁きだけがせつなの中を支配する。 (ラブを…裏切った…?) せつなにとってそれは魔法の言葉。ラブに嫌われる、ラブの側に居られなくなる。 それは、せつなにとって恐怖意外の何物でもない。 祈里はせつなの目尻から雫を吸い取り、そのまま口付ける。 そのキスは涙と暗闇の味がした。 黒ブキ12へ続く
https://w.atwiki.jp/apgirlsss/pages/479.html
【世界中の誰よりもスペシャルな君へ】/恵千果◆EeRc0idolE 1.ラブ 今日は日曜日。しかも特別な日曜日。 ラブはオーブンの前で待機中。 「3・2・1。出来たー!」 チン!という音がするやいなや、ラブは蓋を開け、中から熱々のものを取り出す。 火傷しないように気をつけながら、粗熱をとるために網の上に載せてゆく。 まだ熱々のそれらから漂う香ばしい匂い。焼き加減も申し分ない。 んー美味しそう。これならきっと、幸せゲットできそう!心の中でそう呟いてラブはにんまりした。 「焼けたの?ラブ」 洗濯を終えたあゆみが近づいてくる。 「うん!見て見て上出来!」 「ホントね~。これなら売ってるのにもヒケを取らないわ。誰にあげるの?」 「な・い・しょ!」 「ま!勿体つけないで教えなさい。お母さん誰にも言わないから」 思わず言いそうになるのをグッと堪え、ラブは話をそらす。 「そんなことより、お母さん買い物は?お父さんにあげるの買いに行くんじゃなかったの?」 「あ!いっけない。行って来なきゃ。そういえばせっちゃんは?」 「買い物に行ってるよ。お母さんと同じ目的じゃないのかな」 「そう。お父さんきっと喜ぶわね。夕飯はお父さんにリクエストされたメニューでいいでしょ?」 「うん。何作るの?中華?」 「そうよ。お父さん中華大好きだから。じゃあ行って来ます」 「行ってらっしゃい!気をつけてね!」 玄関であゆみを見送ると、ラブはキッチンへと戻る。 お次はラッピングの準備。冷ましてる間にメッセージカードも書いて……と。ああ忙しい。だけどそれが、たまらなく楽しくもあって。 贈る相手の喜ぶ顔を想像しながら幸せな気持ちになり、ラブは黙々と作業を続けた。 2.せつな クローバータウンの様々なお店が建ち並ぶ商店街。買い物を終えたせつなは、リンクルンを取り出し、一番始めに登録された番号に電話をかける。 「あらせつな、どうしたの?」 「美希、今話してて大丈夫?」 「ええ。ブッキーとは夕方デートだから。で、どうしたの?」 「ちょっと教えてほしくて……バレンタインのこと」 せつなは、金曜日と土曜日の出来事を美希に話した。 金曜日、由美たちから「ちょっと早いけど、バレンタインデーが日曜日だから」と言われ、友チョコを渡されたこと。バレンタインデーを知らなかったこと。 土曜日、お母さんからバレンタインデーについて聞いたこと。本来は、大好きな男の人にチョコレートをプレゼントして愛を告白する日だけど、最近は女の子同士でチョコをプレゼントし合うのが流行っていること。 せつなの話を一通り聞くと、美希は聞き返す。 「それで?せつなはアタシに何を聞きたいワケ?」 「あの……わたし、ラブにチョコレートを渡したいなあって思うんだけど……ヘンかしら」 「どうして?アタシだってブッキーに渡すわよ」 「だから……その……先輩として聞きたいのよ」 「ああわかった。ラブに告白したいのね?」 せつなの頬はみるみるうちに朱色に染まる。 「まあ、そうなんだけど……」 「あんたたち見てると焦れったくて。 出会ってもうすぐ一年になるのに、おまけにひとつ屋根の下に暮らしてていまだに何もないだなんて奥手もいいとこ。 早くくっつけばいいのにってブッキーも言ってたわよ?」 「みっ、美希みたいに手が早くないだけよ!」 「言うわねせつなも……まあいっか。それで?どんな風に告白したいの?」 「それがわからないから貴女に相談してるのに……」 「そりゃそうか。うーん……そうね。ラブは単純だから、せつなの正直な気持ちをありのまま伝えるのが一番いいんじゃない?回りくどいのはやめた方がいいかも」 「正直な気持ちを……ありのままに……。うん!ありがとう美希!」 せつなは通話を切り、走り出す。桃園家へと。ラブのもとへと。 3.美希と祈里 「ちょっ、せつな!?」 せつなからの電話は、すでに切れていた。 ったく、せつなもラブとたいして変わらないわね。お互い走り出したら止まらない性格、お似合いよ。あーあ、アタシも早くブッキーに会いたいなあ……。 祈里の代わりにクッションを抱きしめ、ベッドに横たわる美希。 そこへ、ダダダダッと階段を駆け上がる音。 ばたーん!!勢い余って開くドア。 「ハア……ハア……美希、ちゃん……お待たせ……」 弾む息が整うのも待てずに言葉を紡ぐ少女は、後ろ手にドアを閉めるとドアの近くに紙バッグを置いた。 美希へと近づいてくる彼女は、フリルのレースが可憐な黄色いワンピースを身につけている。 「ブッキー!病院はもういいの?」 驚いた美希が身体を起こす。 「うん……急患のコの容態が落ち着いたから。それに……早く会いたくて」 言い終わると同時にベッドにいる美希にダイブする祈里を、受け止めきれずに倒れ込む美希。そのまま二人は横たわったまま、見つめ合う。 「もうブッキーったら……けど、アタシも会いたかった……」 「嬉しい、美希ちゃん……」 「――――そのワンピース」 「うん。昨日届いたの。すごく気に入ったよ!ありがとう、美希ちゃん」 バレンタインのプレゼントにと、美希が知り合いのスタイリストに頼んで買ったものだった。 「予想通り完璧に似合うわね!」 祈里を力いっぱい抱きしめる美希と、そんな美希を力を込めて抱きしめ返す祈里。 「あ、大事なこと忘れてた」 そう言って祈里が起き上がり、ドアのそばに置いた紙バッグを取り、美希に差し出した。 「気に入ってもらえたら嬉しいんだけど……わたしからのプレゼント」 中からはふたつの包み。ひとつはチョコレート。もうひとつは――――蒼い猫のブローチ。 「ラピスラズリよ。幸せを呼びこむって謂われがある宝石なんですって」 「嬉しい……スッゴク嬉しい!ありがとうブッキー」 「わたしこそ……」 自らがかもしだす甘い空気に包まれて、距離を縮めていくふたり。お互いの瞳の中に映り込んだ自分が見えて、少し照れながらキスをかわした。 それは、チョコレートよりも甘い甘い、甘いキス。 4.ラブとせつな 「ラブーーーッ」 ただいまも言わずに家に飛び込み、ラブを捜すせつな。 ラブはキッチンにいた。プレゼントの準備はすっかり整っている。 「あ、おかえりせつな。お母さんに会わなかった?」 「え?ううん、会ってないけど……」 「じゃあ置き手紙して行こう」 ラブは小さな紙にあゆみへのメッセージを書く。 『お母さんへ。ちょっとせつなと出掛けてくるね。夕方には帰ります。中華作るの手伝うよ!』 「よしっと。じゃあ行こうか」 「え?どこに行くの?」 「バレンタインプレゼントを渡しに!」 告白のタイミングを完全に失ったせつなは、仕方なくラブについていくことにした。 渡すのは、ラブ特製、てのひらサイズのチョコタルト。 まずラブの部屋にいたタルトに。シフォンにも。 「いつもありがとねタルト!はいこれバレンタインだよ。ラブさん特製、タルトとおんなじ名前のチョコタルトっていうお菓子だよ」 「わいとおんなじ名前のお菓子かあ。ピーチはん、おおきに!めっちゃ美味しいでえ!」 「キュアキュアー!」 由美、ミユキさん、カオルちゃんにも渡しに行くと聞き、せつなはアカルンを取り出す。早く終わらせて、ラブに話がしたかった。 皆はとても喜んでくれた。 「ラブ、あとは?」 「美希たんとブッキーだよ」 「美希とブッキーなら、夕方デートだって言ってたわ」 「じゃあレミさんに渡しておこう」 ふたりが美容院に入ると、レミが迎えてくれる。 「あら、いらっしゃい。美希と祈里ちゃんなら上よ」 「あ、いいんです。これ、後でブッキーが帰る時にでも渡しておいて下さい」 上がるようにすすめてくれるレミに、ラブはふたつのチョコタルトを手渡し、店を後にした。 「きっと今頃いちゃついてるよ」 「そうね。ねぇラブ、まだあとひとつ残ってるけど……お父さんの?」 「まあね……さ、帰ろうか」 「その前に……今度はわたしに付き合ってくれない?」 せつなはアカルンを起動し、自分とラブを天使像の前に移動させた。 「せつな?」 さっきから無言のままのせつなに、ラブが声をかけるが、反応はない。 「…………」 何か言おうとするが、せつなは声が出なかった。駄目だ。いざとなったら頭が真っ白になって、言葉が全然出てこない。 何も言えなくなってしまったせつなに、助け舟を出すようにラブが切り出した。 「――――ホントはね、夕御飯を食べたあとに、部屋で渡そうと思ってたんだけど」 最後に残ったチョコタルトを、そっとせつなに差し 出す。 「これ、お父さんのじゃ……?」 「お父さんのは家に置いてあるよ。これはせつなのために焼いたの。見て」 タルトを受け取ったせつなが透明なセロファン越しに見たものは、焦げ茶色のチョコタルトに白いサインチョコで書かれた『せつな大好き』の文字。 「やだラブったら……わたしが先に言うつもりだったのに……」 笑いながら言うせつなの瞳に涙が盛り上げり、頬を伝う。 「せつな、あたしまだ何も言ってないからね。先に言っていいんだよ?」 ラブがくれた勇気を胸に、今ようやくせつなは想いを伝える。もう隠せないくらいに溢れ出した、ありったけの想いを。 「わたし……初めて会った時、恋をしたの。ラブ……貴女に。 あれから随分いろんなことがあったわね。だけど、この気持ちだけは少しも変わらなかった。ううん、どんどん大きく、強くなっていく。 ラブ……貴女が好きです。世界中の誰よりも。これからも、ずっと一緒にいたい」 「――――はい」 「それって……」 「オッケーってこと!!」 ラブはせつなに駆け寄り、抱きしめる。 「ちょっとラブ!タルトが崩れちゃうわ!」 「わはー!ごめんごめん、あんまり嬉しくってさ、つい」 ラブがいったん離れると、せつなはタルトをベンチに置き、改めてラブのそばに行く。 「これからも……よろしくお願いします」 「こちらこそ。家族でもない、友達でもない、せつなはあたしにとって特別な――――大切な恋人だからね」 抱きしめ合う。今まで何度したのかわからない。だけど、恋人同士になってから初めての、抱擁。 早鐘のような自分の心臓の音を感じながら、互いを見つめ合う。 やがて、せつなはラブの、ラブはせつなの唇へと視線が移り……。ほんのり色づきまるで濡れているような唇は、少しだけ開いて互いをいざなう。 すいこまれそう……せつながそう想った瞬間。 ラブの唇が触れた。 確かにその時、世界は動きを止めた。 ぎこちなくて、粗っぽくて、どうしようもなく子供っぽいくちづけ。 これからも幾度となくキスをするだろう。もっと大人っぽいキスもするだろう。 だけど、この初めてのキスをふたりは忘れない。それは、特別な日の、特別な人との、初めての特別なキスだから。
https://w.atwiki.jp/apgirlsss/pages/1068.html
『エピローグ』/Mitchell Carroll 後日、「先日は御世話になりました」と、うさぎたちの仲間だという四人が、あらためてそれぞれの町を訪れた。どうやらラブは、その内の一人の、長身で色黒の女性に、憧れを抱いたようである。 胸の前で手を繋ぎ、瞳を輝かせて、その憧れを語るのであった。 「はぁー、ステキだったな、せつなさん!スラッとしてて色黒で、頭も良さそうで……ね、せつな!」 「そ、そうね……」 複雑な表情で答えるのは……せつなである。 「せつなさん、赤ちゃん育てたことあるって言ってたよね!シフォンの子育ての参考になるかも しれないから、聞いてみたいな~!そーだ、今度、家に招待して、ハンバーグご馳走しちゃおう! 好き嫌いとかあるのかな~?ね、せつな!」 「……そうね」 「せつなさんは大学生って言ってたけど、もっと永く生きてる感じがするんだよね~! 色んなコト知ってると思うんだー!あんなコトとか、こんなコトとか……ステキ! それがせ・つ・な・さん!ね、せつな!」 「もういい!!ラブの馬鹿!!」 「エッ、待ってよ~、せつな~!……涙?」 ラブの部屋から走り去ったせつな。彼女が向かった先、そこは―― 「どうすれば、冥王さんみたいな、素敵な女性になれますか?」 せつなはアカルンの力でテレポートしてせつなのもとに赴き、直直に教えを乞うことにしたのである。 せつなは天文台の施設の中で何かを研究中だったのだが、ちょうど休憩時間に入ったところのようで、 グッドタイミングであった。せつなはひとまず、せつなをソファへ腰掛けるように勧める。そして、 アカデミックな部屋に合うような合わないような、甘くて渋い香りをなびかせて運んで来た。 二人でその緑茶を啜りながら、ホッと一息ついたところで、せつなはその問いに答える。 「んー、そうね。しいて言うなら、“忍耐”かしら」 「忍耐……」 「そう。大切なものを守るため……そう想えば、何千年だって、何万年だって、耐えられるのよ」 ラブのもとへ戻ったせつなは、今しがた教わってきた内容をラブに報告する。 「ラブ……あたし、もっと忍耐強くなれるように、精一杯頑張るわ!」 「うんうん、夫婦生活で大切なのは忍耐って、よく聞くもんね!」 その後、二人は円満に暮らしたそうである。 おわり。
https://w.atwiki.jp/apgirlsss/pages/343.html
第12話 動き出した時間 美希はぐすっと鼻をすすり上げる。 あれから美希も祈里も無言になり、どちらからともなく公園を後にした。 何か、言うべきだったのかも知れない。 でも、何て? 美希は自分を過信していた、と思った。 ラブは、美希と話してから瞳に光を戻してくれた。少しは役に立てたのかも。 だから、祈里の役にも立てるかも。いい方向に導けるかも知れない。 そう思った。とんだ、思い上がりに過ぎなかったけど。 「………っう…、うっく………」 喉の奥から嗚咽が漏れる。ダメだ、堪えられない。 美希はしゃがみ込み、ひとしきり泣いた。 (なんでよぉ………。なんで、こんなになっちゃったの?) それでも腹筋に力を入れて泣き声を飲み込む。 えいっ、と立ち上がり少し回りを気にする。 こんなところでしゃがみ込んで泣いてしまったのが、少し恥ずかしい。 幸い、誰もいないみたいだ。 (……あんまり、ヒドイ事にはなってないな。) 鏡で顔をチェックする。少し瞼が腫れぼったくなって、目が赤い。 これくらいなら、家に帰って軽く冷やせば直ぐに引くだろう。 これから、せつなを見舞いにラブの家に行く予定だ。 祈里との話し合いの結果によっては、そのまま祈里も連れて行き、 謝らせる事が出来たら……。 そんな空恐ろしい事を考えていた自分に呆れかえる。 まったく、知らないって幸せだ。 家に帰って身支度を整える。泣いた跡はほとんどわからない。 けど、念のため目元に軽く色を入れてカムフラージュする。 ラブやせつなに余計な心配をかけたくない。 約束の時間までまだ少しある。 ぼんやりしてると祈里とのやり取りが頭に浮かび、口の中に飲み下せない 嫌な苦味が広がる。 祈里はラブとせつながレッスンに来ない事は知らなかった。 (よく……、来られたわよね。) 皮肉ではなく、真剣にそう思う。 美希はラブとのやり取り以来、せつなと顔を合わせるのは今日が初めてだ。 正直、まともに顔が見られるだろうか。 直接は関わっていない自分ですら、逃げ出したい。 祈里は、気まずいなんて言葉では言い表せないだろう。 それでも来た。 せつなだけではなく、ラブや美希もいるであろう場所に。 どんな気持ちだったのだろう。 何を言われても構わない、と覚悟を決めていたのか。 ただ単に開き直ってたのか。それとも……… (会いたかったのかな………。) せつなに。 多分、そうだ。根拠はないけど。 美希は少し不思議だった。 自分が、今回の事でまったくせつなにマイナスの感情を抱いていない事に。 少し前の自分なら、こう思っていたかも知れない。 (せつなさえ、現れなければ。) せつなが自分達の前に現れなければ。四人目でなければ。 祈里のした事を酷いと思い、せつながされた事に胸を痛めても、 ほんの少し、そんな風に思ったであろう自分が容易に想像出来る。 そのくらい、三人の絆は完璧!そう思っていたから。 自分も祈里と一緒だ。 ラブと祈里がいれば、他に友達なんて出来なくても平気。 だから、三人バラバラの中学に進んでも不安はなかった。 もし、何か上手く行かない事があってもラブと祈里がいる。 自分を丸ごと受け入れてくれる親友がいる。 だから、新しい環境にも思い切って飛び込んで行けた。 学校にも友達はいる。 でも芸能人を目指す子が多い中、周りは少ない椅子を取り合うライバル。 そう言う意識が根底に流れてる。 いくら表面上仲良くしてても、相手を蹴落さなくてはならない場面も 出てくるだろう。 同じオーディションを受けて、クラスメイトの一人が受かり、 もう一人は落ちる。今でもそんな話しはザラに聞く。 美希はまだ読者モデルだけとは言え、途切れずに仕事がある。 これから着実にステップアップしていける手応えも感じている。 まだ中二とは言え、鳴かず飛ばずの子達との間には何とも言えない ギスギスした空気があることを、嫌でも日々感じる。 小学生の頃からの友達だって、美希の容姿が類い稀に恵まれたものであり、 自分達との差を意識し出した途端に態度が変わったものだった。 よそよそしくなる子。逆に馴れ馴れしく媚びて来る子。 美希の整った顔や、スラリと長い手足に向けられる視線。 今でこそ軽くいなせるようになってきたが、少し前までは煩わしくて 仕方がなかった。 そんな中、ラブと祈里だけが変わらなかった。 美希が芸能科に進学しても、モデルとして雑誌に頻繁に載るようになっても。 ラブと祈里にとっては、いつまでも『美希たん』で『美希ちゃん』だった。 それが美希にとってどれだけ支えになっているか。 帰る場所がある、それだけで頑張れる。 そして、美希はふと気が付いた。そう言えばせつなもラブ達と同じだな、と。 せつなは人の見た目にまったく頓着しない。 初めて美希に会った時も、驚くでもなくお世辞に誉める事すらしなかった。 正直、容姿を誉められ慣れてる美希にとってはその方が意外だった。 せつな自身も相当に綺麗な子だったから、最初は自分なんて大した 事ないと思われてるのでは?と、少し穿った見方をしてしまったものだ。 まあ、少し見てればせつなが自分が容姿に恵まれてるなんて事に まったく気付いていない事は分かったけど。 そもそも見た目を誉める、と言う発想そのものがなかったのだろう。 かと言って美醜の感覚がずれているか、と言うとそうでもないのが また不思議だ。 (……って、こんな事考えてたってしょうがないわよね。しかも全然関係ないし……。) 家を出て、また公園に向かう。手土産にドーナツを買った。 何の気なしにラブもせつなも好物だから、と思ったからだが ラブの家に近づくにつれ、止めとけばよかったかな…… と思いが過る。 ダンスレッスンの後に、放課後に、四人で集まる時はドーナツカフェで お喋りするのが恒例だった。 そう言えば、初めて会った時のせつなはドーナツも知らなかったんだけ。 また少し感傷的になってしまった。 ラブの家に着く。鍵が閉まっていたのでインターホンを鳴らして名乗る。 (あれ?……今の声…。) 「いらっしゃい。」と言う声と供にせつなが顔を覗かせる。 パジャマの上にカーディガンを羽織っただけの病人ファッションだ。 「ごめんなさい、こんな格好で。」 「別にいいけど、起きてていいの?ラブは?」 「ラブは……」 今日はおじさんは休日出勤、おばさんはパート。家には二人だけって聞いてた。 だから、話しもしやすいかと今日訪ねてきたんだが、ラブもいないとは どう言う事だろう。 その時、タイミング良く美希のリンクルンが鳴った。ラブからだ。 「あぁ、もしもし美希たん?あのねぇ……」 前フリもなくラブは喋り出す。 ラブは圭太郎の忘れ物を届けに行く事になってしまったらしい。 「だからさぁ、あたしが帰るまでせつなに付いててくれないかなぁ。 まったくせつなってば、ちょっと良くなってきたと思ったら すーぐウロウロしようとするんだから!」 もう着いてるわよ。そう言うと、またラブがまくし立てる。 「そーなんだ!あっ!せつな、ちゃんと上に羽織ってる? 裸足じゃない?お茶入れるとか言っても聞かないでよ! すぐにベッドにもどしてね!それから………」 チラリとせつなを見ると、赤くなって俯いている。 ラブの大きな声はせつなにも丸聞こえだろう。過保護にされてるのが バレバレになって恥ずかしいらしい。 「……せつなに代わろうか?」 そーして!と言うのでせつなにリンクルンを渡す。 「もしもし……、うん、分かってるわ。…………分かってるってば。 ………うん、………うん、…………だから、分かってる。………」 電話の向こうで、ラブはまたひとしきり心配してるのだろう。 せつなは照れ臭いのか、美希をチラチラと窺いながら素っ気ない 言葉を繰り返している。 だけどその頬は、ほんのり染まったままだ。 大事にされている。そう実感するのが嬉しくないはずないから。 せつなが視線で、代わる?と聞いてくる。美希は首を降って、いい、と答える。 「うん、じゃあね。………もう!だから、分かってるから! ……うん…ありがと……」 せつなは電話を切って美希にリンクルンを返す。 「何よ……?」 ニヤニヤしながら見ている美希に、せつなが拗ねたような声を出す。 頬を染め、少し下唇を付き出してる様子が可愛らしくて、 ついからかいたくなってしまう。 「べっつにぃ~。ラブラブだなぁって思って。」 「………ラブったら、最近過保護なのよ。もう平気なのに。」 「まあまあ。早く部屋に戻りましょうか。アタシがダーリンに叱られちゃう。」 「……もう!美希!」 「愛されてるわねぇ。」 「だから!………もう!」 部屋に戻ってベッドに入っても、せつなはまだ拗ねた顔をしている。 「でも良かった。思ったより元気そうね。」 ベッドに身を起こす様に座っているせつなに改めて話し掛ける。 本当はそんな風には見えないけど。 明らかに痩せた。カーディガンの上からでも肩が薄くなったのが見て取れる。 元々白かった肌がますます透き通るように白くなっている。 (儚げ…って、正にこんな感じなのかしらね。) 実際の元気な頃のせつなは見た目と裏腹にハキハキした面も持っているのだが。 割りとハッキリものを言うし、結構頑固で融通が聞かない。 ラビリンスでも相当な訓練を積んでいたらしく、基礎体力や 運動神経はプロのダンサーのミユキさんでも舌をまいている。 そのせつながここまでやつれるんだから………。 「あのね………。美希は、知ってるの……?」 目的語のないせつなの問い掛け。何を?とは聞けない。 差すのは一つの事しかないから。 「うん……。ラブから聞いたし………今朝、ブッキーにも会った。」 そう……、とせつな俯いて、膝の上で拳を握り締める。 美希と、目を合わせられないらしい。 「祈……ブッキーはどうしてた…?」 祈里、そう言いかけてせつなは言い直した。 それだけで、何となく祈里とせつなの関係の一端が見えてしまったようで、 美希は居たたまれない気分になる。 「………私、全然気付いてなかったの。」 祈里の気持ちに。美希の返事も聞かないままに、せつなはそれが 途方もない罪悪のように口にする。 「知らないうちに、無神経な態度取ってたかも……。」 「……あるかもね。」 「無意識に、ブッキーを傷付けてた……。」 「……そーかも。」 「………ごめんなさい。」 「……………。」 「馬鹿じゃないの?」 「……え?」 「馬鹿、って言ったの!何でせつなが謝るの!せつなは何も悪くないでしょーが!」 「……でも……」 「でもじゃない!!」 気持ちに気付かなかった。だから何?それがどうしたの? 無神経だったかも?仕方無いじゃない!告白もされてないのに 分かれって方がムリでしょ! 傷付けたかも?好きになった人にもう相手がいる。そんなの珍しくも何ともないの! どう考えてたってブッキーが悪いでしょ! 裏から見ても表から見ても、上下左右タテヨコナナメどっから見たって 1%も同情の余地なんてないわよ! 「…………美希……………。」 頬を紅潮させて、一気に言い切った美希を見て、 せつなはポカンとして言葉を失う。 「………って、割りきれたらいいんだけどね…。」 無意識に探している。祈里を庇うための言い訳を。 酷い、そうとしか言い様のない祈里の告白。 祈里自身も、自分なら耐えられない、と言い切った。 もし、せつなをそんな目に合わせたのが他の誰かなら殺しても飽き足らない。 そう思っただろう。 目の前の力無く憔悴仕切ったせつな。 そうさせたのが、美希が知る誰よりも優しくて思い遣りがある、 そう思ってた祈里だと言う事実に胸が掻き毟しられる。 せつなは祈里が好き。そう言ったらしい。 好きだから、もう止めたい、と。 せつなも同じ気持ちなのだろうか。 これほど心身供に疲弊仕切るほどの目に合わされても。 まだ、祈里を庇いたいと思っているのだろうか。 だから、だからラブに祈里に脅され無理矢理に関係を続けさせられた事を 話せないのかも知れない。 (都合よく考え過ぎね……。アタシってば。) 美希はせつなのベッドに腰掛け、せつなの頭を撫でる。 どうして、この子ばかりこんな目に合わなくては行けないのだろう。 せつなの手の中にあるもの。その少なさを思う。 過去のすべてを、命さえ奪われたせつな。 その手が今持っているのは、 ラブへの愛情。 仲間への信頼。 その二つだけだろう。そして、少ない分だけ大きく、驚くほど深い。 一点の曇りも無い、無垢な全幅の信頼。 せつなは全身全霊で仲間を信頼してくれていた。 「………辛かったわね。」 せつなを抱き締める。 「……美希…。」 これ以上ないくらい、シンプルな慰め。 祈里はせつなの信頼を利用し、罠にかけた。 どれほどせつなが絶望するか分かっていながら。 胸が痛い。 それなのに、自分は更にせつなに辛い事を強いようとしている。 「………祈里を、助けて……。」 せつなを抱き締めたのは、せつなの辛さを少しでも分け合いたかったから。 それともう一つ。目を見てしまったら言えなかっただろうから。 闇に向き合うしかない、暗く冷たい水底を己の場所にしてしまった祈里。 ラブが、せつなが許しても、他ならなぬ祈里自身が自分を許す事を拒むだろう。 欲望の代償に、すべての許しも救いも拒絶している。 神の手に掬い上げられる事を、自ら拒む罪人が望む事とはなんだろう。 美希には分からない。でも、恐らくそれが与えられるのは せつなだけだ。 せつなだけが、祈里の目を闇から背けさせる事が出来る。 どれほど理不尽な願いなのか。 『辛かったね』そう抱き締めながら、更に傷口に塩を塗る。 自分の身勝手さに潰されそうになりながら、美希はせつなに乞い願う。 誰一人、失いたくないのだ……と。 「ね、………美希。」 耳元で吐息と供に感じる、せつなの囁き。 「ドーナツ………、食べたいわね。」 「………?…せつな……?」 「………また、四人で。」 美希は柔らかく体を預けてきたせつなを、全身で受け止める。 切ないくらい優しい声が胸に痛い。 美希は黙って抱き締めた腕に力を込める。 声は出せない。口を開けば、大声で泣いてしまうに決まってるから。 せつなにばかり、辛い役目を押し付けている。 なのに、なぜせつなは、怒りも詰りもしないのだろう。 「きっと……、ラブも同じ気持ちよね……」 美希はまだ口がきけない。 『ありがとう』も『ごめんなさい』も違う気がする。 ただ、美希は思った。せつなになら、この先のすべての自分の幸せを あげても構わない、と。 その手にあるもの。 それは――― 第13話 前を見詰めてへ続く
https://w.atwiki.jp/apgirlsss/pages/371.html
【遠い空、繋がる心】/恵千果◆EeRc0idolE せつなちゃんがラビリンスへ帰って数日が過ぎた。 始めは、ラブが放心状態になってるんじゃないかって心配だった。 けれどそんなことは取り越し苦労だったみたい。 以前と同様、ラブは毎日忙しく過ごしている。 ミユキさんにダンスレッスンを受けたり、幼なじみの蒼乃美希さんや山吹祈里さんたちと遊んだり、時には補習授業を受けたり。 素敵な笑顔を見せてくれるラブ。いつものラブがそこに居る、そう思っていた。 だけど、ふと気づいた。あれ以来ラブは、せつなちゃんのことを全然口に出さなくなっている。 不自然なくらいに。 日曜日。公園の芝生でお弁当を食べた後、ラブとわたしはひなたぼっこ。 会話が途切れた拍子に、ラブの笑顔が曇る。 「ねぇ、ラブ……元気?」 「なあに由美、あたしはいつも元気だよ!」 ラブはいつもの笑顔を見せた。だけどそれが、慌てて笑顔を作ったように見えて。 「うん、わかってる。でも……時々ね、泣きそうな顔してるんだもん」 「たはー! ……そっか。由美にもわかっちゃったか」 こりゃまいったなぁと言いながら、ラブは頭を掻いた。 「もしかして、蒼乃さんや山吹さんにも同じこと言われた?」 「ん。幼なじみだからね。すぐにわかっちゃったみたい。……由美にも心配かけてごめんね」 「そんなの!わたしだってラブの親友なんだもん。心配くらいさせてよ」 「……ありがとう」 「――――寂しいんだよね、せつなちゃんがいなくて」 「ん……なんだろうな。うまく言えないんだけど、心にね、ぽっかり穴が空いたみたいなんだ。 あたしの一部が何処かに行っちゃったみたいで……」 ラブは寂しそうに微笑んだ。 「ね。ラブ、無理しなくてもいいんだよ」 「え?」 「寂しくて悲しくて泣きたい時は、素直に泣けばいいの。 わたし思うの。辛い時の涙は、辛い気持ちから出来てるんだ、って。 涙を流すのは、きっと、自分の中の寂しさや悲しさを減らすためなんだよ」 俯いたラブ。肩を微かに震わせ、嗚咽した。泣き顔は見せたくないのかも知れない。 わたしは黙って、ラブの肩を抱きしめた。しばらくラブの背中を、ぽんぽん、と優しく叩き続けた。 どのくらい抱き合っていたのだろう。 ラブが離れ、わたしに笑顔を向けた。目は泣き腫らし、赤くなっていたけれど、その笑顔はどこかすっきりしていた。 「あたしね、せつながラビリンスに帰るの、頭ではわかってたの。 でも、心ではわかっていなかった。離ればなれになるなんて本当は認めたくなかったの」 ラブは青空を見上げて、ゆっくりと丁寧に話す。 それはまるで、異国の空の下にいる誰かに語りかけているよう。 「いざ、せつなが居なくなったら、少しずつ実感がわいてきてさ。 宿題でわかんないとこがあったら、無意識にせつなの部屋に聞きに行ったりね。あ、そっか。帰っちゃったんだ、って。 居るのが当たり前で。居ないなんて、嘘みたいで。 だけど、由美に言われて、泣いたら少しすっきりした。それで、思ったんだ。 もう二度と会えないわけじゃない。会いたいって気持ちを持ち続けてさえいれば、絶対また会えるんだって。 そうだよね、せつな」 ええ、そうよラブ。 遠くの空から、せつなちゃんの優しい声が聞こえたような気がした。 「きっと今ごろ、せつなちゃんもこの空を見上げているかもね」 「うん、そうだね……」 ふいに、向こうの空から、大きな翼の生き物が現れた。 その生き物は、大きな翼を羽ばたかせ、どんどんこちらに近づいてくる。 「ラブ!見てあれ!なんだろ!?」 その生き物は、青空の上を旋回しながら、叫んだ。 「あんたが桃園ラブ?」 「え!?――――うん!あたしがラブだよ!」 驚きながらも答えたラブに、その生き物は何か小さな箱を落とした。 慌てて小箱をキャッチするラブに、その生き物は言った。 「確かに渡したロプー」 ばさっばさっばさっ。 生き物は大きな羽音を立てて、また元来た方向へ去ってゆく。 「今の、一体何だったんだろ……」 わたしの呟きには、返答せず、ラブは掌の中の赤い小箱を見つめ続けている。 小箱には薄桃色のリボンがかかり、真っ白なカードがついていた。カードの表には、「大好きなラブへ」と書かれている。 恐る恐るカードを開くラブ。読みながら、ラブの瞳には涙が盛り上がり、こぼれ落ちてゆく。 読み終えたラブは、頬に伝わり落ちた涙を、握り拳でぬぐった。 「それ……せつなちゃんからでしょ」 「うん。バレンタインチョコレートだって。あたしはすっかり忘れてたっていうのにさ。やっぱせつなはしっかりしてるよ」 「何て書いてあったの?」 「早くラブに会えますように、って」 「――――良かったね」 良かった。本当に良かった。 親友の心からの嬉し涙。嬉しい時の涙は、周りの人にも嬉しさが伝わってくる。その温かな波動が、わたしにも。 「由美まで……泣いてるし!」 アハハ。ラブが笑う。わたしも泣きながら笑う。 大丈夫。離れていても、せつなちゃんとラブはこんなにも繋がっている。 「せつなーーーっ、聞こえるーーーっ? あたし、待ってるからーーーっ。 せつなに会えるの、ずっとずっと、待ってるからねーーーっ」 ラブは目を閉じて、耳に手を当てて、まるでせつなちゃんの声に耳を澄ませているみたい。 小春日和の陽射しに立つラブ。 その陽に透ける淡い髪を、一陣の風が優しく撫でていったのだった。
https://w.atwiki.jp/apgirlsss/pages/254.html
「あなたのために 前編」/黒ブキ◆lg0Ts41PPY R18 ラブは小走りになる足を何度も宥める。 立ち止まり、深呼吸し、ゆっくりと歩き出す。 それでも気が付くとまた足が勝手に走り出そうとする。 急いだ所で待ち合わせの時間にならないとせつなには会えないのに。 そうと分かってはいても、逸る心は足を急がせる。 せつなに会える。すぐそこまで来てる。 焦らないなんてとても無理だ。全速力で走って行きたいくらいなのに。 今日はクリスマスイブ。 十二月のはじめにせつなから連絡を貰った時は、比喩ではなく飛び上がった。 イブとクリスマス、泊まりがけで帰って来られる。丸二日、一緒に過ごせる。 せつながラビリンスに行って以来、顔を見られるのは精々数ヶ月に一度。 それも長くても朝来て夕飯後には帰ってしまう。 なるべく時間を作って帰って来てくれてるのは分かってる。 それ以外にほんの一時間や三十分、アカルンでやってくる事があるから。 ラブが寂しくて苦しくて我慢出来なくなったのが伝わってしまうようなタイミングで。 家族としてではなく、ただラブだけに会う為に。 (…ごめんなさい、どうしても我慢出来なくて……) そんな風に言われたら我が儘が言えなくなる。 どうしたって、無理してるのも頑張ってるのもせつななのだから。 せつなに何もしてあげられない。黙って待って、邪魔しない事。 それしか出来ない。 「ダメダメ、こんなんじゃ。今日と明日は思いっきり楽しく過ごすんだから!」 わざと声に出して自分に言い聞かせる。 せっかくせつなに会えるのに。寂しかった事なんて考えたって仕方ない。 町を彩る赤と緑と白。両親や友人達とクリスマス気分に染まっていく周囲に浸りながら、 ここにせつながいないのが残念で仕方なかった。 楽しさと期待が高まれば高まるほど、せつなもここにいてくれたら …そう反比例するように喪失感に取りつかれた。 何度も頭を切り替え、せめて帰って来た時にうんと楽しんで貰おう、 いっぱい笑顔になって貰おう。 そう思って、精一杯準備してきたのだから。 待ち合わせは町が見渡せるあの白詰草の丘。 本当は待ち合わせにはあまり向いてない場所だ。 家からは遠いし、今の時期は遮る物も無くて寒い。 おまけに花も咲いてる訳無いから殺風景この上ない。 でもラブはわざわざそこを指定した。 せつなも反対はしなかった。せつななら、アカルンで直接家に来る事も出来るのに。 ラブはせつなも自分と同じ気持ちなのかも知れないと少し嬉しかった。 だって、そうすれば一番最初に顔が見られる。 待ち合わせ場所から家に着くまでは二人きりでいられる。 そう思ったから。 (いいよね…それくらいは…) せつなに会いたいのはみんな同じ。 でもせめて、ほんのちょっぴり独り占め出来る時間が欲しい。 この時間だけ、ゆっくり二人で手を繋いで歩きたい。 それくらいの我が儘は許して欲しいと思ってしまったから。 (あれ…?) ラブは時計を見る。まだ待ち合わせの時間までは後10分ある。 でもせつなはいつも必ず時間よりも早く来てるのに。 キョロキョロと周りを見渡しながらラブは不安に駆られる。 (…遅れるのかな…?) ゴソゴソとポケットからリンクルンを取り出して眺めて見ても、メールも着信も無い。 ひょっとしたら急用が入ったのかも知れない。 直前になって、来られなくなったとか…。 でも、もしそうでも連絡くらいくれるよね。 ああ、でもまだ待ち合わせ時間が過ぎた訳でも無いのに何考えてんだろ。 たまたまちょっとこっちが早く着いただけなんだから。 それでもラブは不安気な顔で何度も周りを見回す。 うろうろと行き来し、丘のてっぺんで背伸びしてみたり。 そんな事をしたってせつなが早く来るはず無いのに。 「ふぁっっ!?」 突然ひんやりした手に後ろから目隠しされた。 「ふふふ、だーれだ?」 心臓が跳ね上がる。 耳元で感じる吐息。 背中のすぐ後ろのぬくもり。 こんなに近くに来られるまで全く気配を感じなかった。 まったく、こんな時にまで元戦闘員の本領を発揮しなくてもいいのに。 もう、びっくりさせないでよ。 そう、笑って振り向こうとしたのに。 呼吸が早くなって、体が動かない。 「…もう……びっくりした…」 情けないくらい、誰が聞いても分かるくらいの涙声。 「うん…ごめんね」 「せつな…いないんだもん……」 「…うん」 「来られないのかなって……来なかったらどうしようって…」 「……うん…」 ああ、何言ってるんだろう。 せつなのちょっとした悪戯心なのに。 遅刻した訳でも、すっぽかした訳でもないのに。 責めてるように聞こえたらどうしよう。 早く笑わなきゃ。お帰りって、待ってたよって言わなきゃ。 「ごめんなさい。あのね…」 せつなは目隠ししていた手をほどき、ラブの胸の下に組む。 ぎゅっと体を押し付け、後ろからラブのうなじに顔を埋めてきた。体温、鼓動、息遣い。 いつものせつななら、こんな人目に付きそうな場所でこんな事はしないのに。 ラブはまた何も言えなくなる。 「あのね、見ていたかったの」 「……何を…?」 「ラブが、私を探してるところ…」 「…せつな……」 「ラブが、私に会いたがってる…って。私に会いたくて、走って来てくれたんだって…」 「………」 「ごめんなさい。泣かせるつもりじゃなかったの…」 本当は、ラブが来る少し前にせつなは着いていた。 小高い丘からは周囲の様子が遥か遠くまで見渡せる。 そこに、ラブがやって来るのが見えた。 白い息を吐き、頬を桃色に紅潮させ、その瞳はキラキラと輝いている。 何度も小走りになっては止まり、ゆっくりと歩み出してはまた足が急ぎ出す。 その動作の一つ一つがはっきりと見えた。 ラブが何を思ってここへ向かっているのか。 せつなを想う、その気持ちまで見えるようで。 すぐにでも駆け寄りたくて。 ただいまって言いたかったのに。 どうして、そんな事を思い付いたのか。 気が付くと、その場から離れてそっと様子を伺っていた。 期待に輝いていたラブの瞳が心細さに翳る。 落ち着きなく動き回り、所在無さげに佇む。 その姿に言葉に出来ない愛しさが溢れた。 どれほどラブがせつなに会いたがってくれてたのか。 せつなもそれ以上にラブをずっと求めていたから。 「…ごめんなさい。私、意地悪よね…」 せつなの手の上にそっと手のひらを重ねる。 凍えた手。首筋に掛かる髪もひんやりと冷えきっている。 「いつから、待ってたの?」 「ラブが来る、少し前…かな」 「…手、すごく冷たいよ。寒かったでしょ?」 「ううん。ちっとも」 だって、ラブに会えるんだもの。 ようやく振り向き、せつなの頬を両手で挟んで額をくっ付ける。 手は冷えているのに、その頬は火照らんばかりに熱かった。 「…ラブ、人に見られたら恥ずかしいわ」 「先にくっ付いて来たのはせつなの方だよ」 「どして、ずっと目を瞑ってるの…?」 「久しぶりだから」 「…?」 「いきなりこんな近くでせつなみたいな可愛い子見たら、眩しくて目が開けられない」 「なに言ってるのよ…」 少し笑みを含んだ甘い声音。 ゆっくり、ゆっくり目を開ける。 微笑んだせつなの顔が目の前にある。 随分髪が伸びてる。 表情が前より大人びてる気がする。 誰よりよく知ってる顔なのに、初めて会った時みたいに胸がドキドキしてる。 もっともっとよく見たいのに、涙の膜が邪魔して輪郭が滲む。 「行こう!」 ラブはせつなの手を握って走り出した。 本当は思い切り抱きしめたかった。 でもそんな風に触れ合ってしまったら、今まで抑えていた気持ちが爆発してしまいそうで。 ゆっくり歩いて、束の間の恋人の時間を味わう。 そんなの、到底無理な話だった。 ラブは小走りに駆けながら、ひっきりなしにしゃべり続ける。 どんなに今日が待ち遠しかったか。 みんなどんなにせつなに会いたがっているか。 ツリーやリースを飾り、ご馳走を考え、プレゼントも用意してある。 みんなみんな、せつなが来るのを心待ちにしている事を。 しゃべりながら走ると息が切れる。何度かむせ込んで止まってしまった。 それでも何とか息を整えて、また走り続ける。 そうしないと、余計な事を言ってしまいそうだから。 早く、家に帰らないと。 早く、みんなにせつなを会わせないと。 このまま二人きりでいたら、きっとせつなを連れてどこかへ行ってしまいたくなる。 誰にも会わせず、どこにも、ラビリンスにも帰らせずに閉じ込めてしまいたくなるから。 何もかも振り切って、せつなを自分一人のものにしてしまいたい。 そんな気持ちに押し流されてしまうから。 あたし一人のせつなじゃない。 せつなはあたしだけに会いに戻った訳じゃない。 みんなせつなが大好きなんだ。 せつなだってみんなに会いたいんだ。 分かってる。 分かってる。 分かってるから。 みんなと一緒に、家族として過ごす。 クリスマスをせつなが楽しんでくれればそれで満足。 大丈夫。きっとすごく楽しい。 せつなが幸せに笑ってくれたなら、きっとこんな自分勝手な独占欲は 成りを潜めてくれる。 だから早く。みんなのところへ行かないと。 「お母さんね、何日も前からご馳走のメニュー考えてたんだよ!」 「うん」 「あたしも下拵えいっぱい手伝ったんだ。あ、ハンバーグは全部ラブ作だからね!」 「楽しみね」 「お父さんは肉じゃが!おっかしいよね、クリスマスに肉じゃがってさ!」 「そうなの?」 「そーだよ!だってどう考えても普段のフツーのお惣菜だし」 「でも、お父さんの肉じゃが、とっても美味しいわ」 「そーなんだよ。だからさ『せっちゃんは僕の肉じゃがが好きなんだからいいんだよ!』って」 「じゃあ、一番最初に肉じゃが食べる」 「そうしてあげて。チキン押し退けてメイン陣取ってるから!」 休む事なくはしゃいだ声で言葉を紡ぐ。 せつなも嬉しげに答えてくれる。 弾む心は嘘じゃない。 みんなの喜ぶ顔、思い浮かべるだけで胸が沸き立つ。 ほんの少し、ヤキモチを誤魔化してるだけ。 楽しい気分の方がずっとずっと大きい。 それは本当なんだから。 「ただいまぁっ!」 勢いよく玄関を開けると歓声が上がった。 もうみんな勢揃いしてる。 お母さんに抱き締められて涙ぐむせつな。 お父さんに頭を撫でられてはにかむせつな。 美希と祈里にもみくちゃにされて声をたてて笑うせつな。 レミおばさんや尚子おばさん、正おじさんに生真面目に挨拶するせつな。 お帰りなさい。久しぶり。会いたかった。 弾ける笑い声、明るい笑顔。 みんなで味わう幸せに心が穏やかになっていく。 「そうだ!せっちゃん、これ!」 「お父さん…?これ、お年玉って…」 「そう!今の内に渡しておこうかと思って!」 「…あの、一応お正月にも顔は出せるようにしようと思ってるんだけど…」 「いいんだ、いいんだ!その時はもう一回あげるから!」 「あー!せつなだけずるーい!」 「お?ラブも欲しいか?よーし、待ってろ〜」 「お父さん!いい加減にしてくださいよ!」 約束通り、真っ先に肉じゃがを取り分けたせつなに、すっかり気を良くした上に ビールも入っていい感じに仕上がった父が大盤振る舞いを始める。 苦笑いでたしなめる母も諦め気分だ。 周囲の笑い声をそっちのけで財布を覗き込んでいる父は、素面に 戻った時に後悔しそうだ。 料理に舌鼓を打ち、他愛無いお喋りや近況報告。 ゲームに興じて笑い転げ、プレゼントを見せ合う。 その中で、ふとした拍子にぶつかるお互いの視線。 ラブの眼差しに熱が籠ると、必ずせつなはその視線を受けとめ、 同じ熱を返してくれる。 あなたが好き。 会いたくて会いたくて堪らなかった。 抱えている想いは同じ。でも今は…。 テーブルの下でそっと指を絡め合う。 ゲームやお喋りをしながら相手の肩に然り気無くもたれかかる。 それが精一杯。 「……ラブ」 手を洗いに洗面所に立ったラブをせつなが追い掛けて来た。 そこで初めて、正面から抱き締め会った。 息が止まるほど力を込めても、ちっとも苦しくない。 すぐ側でパーティーの賑やかなさざめきを聞きながら、髪を撫で合い、 そっと頬や唇に触れていく。 「せつな、楽しい?」 「ええ、とっても…」 「そう…良かった…」 「…ラブ」 「せつなが嬉しいと、あたしも嬉しい…」 「…………」 「せつながあたしのサンタさんだもん。今は一緒にいられるだけでいい…」 「うん…」 懸命に、心に言い聞かせる。 クリスマスは家族で過ごすって決めたんだから。 胸の奥に燻る欲望は閉じ込めて鍵をかけないと。 恋人のぬくもりと匂い、柔らかな感触。 今は、これだけが手に入るすべてなのだから。 ラせ2-23へ
https://w.atwiki.jp/apgirlsss/pages/301.html
翼をもがれた鳥 第13話――相反する想い―― 夏の朝の息吹。半開きのカーテンが、風にたなびいて揺らぐ。 緩やかな日差しが、部屋を澄んだ光で満たす。 街の木々は緑濃く輝き、花々は目覚め、美しく咲き誇る。 小鳥はさえずり、命の輝きを歌いだす。 爽やかな朝の訪れ。せつなはゆっくりとまぶたを開く。 素敵な夢を見たような気がした。はっきりと思い出すことはできないけれど。 そして、目を覚ました現実は、その夢よりももっと素敵だった。 気持ちが落ち着く不思議なベッド。柔らかくて、いい匂いのする布団。 せつなの腕に、しがみつくようにして眠っているラブ。 耳元をくすぐる寝息と、ほどいた髪から伝わる甘い香り。寝ぼけて抱きついてきたのだろう。 起こさないように、慎重に腕をほどきながら身を起こした。 こんな風に、人の体温を感じながら眠る日が来るなんて考えたこともなかった。 睡眠には、最も警戒を払うべき。そこに他人を招き入れることは、命を渡すも同然だと思っていた。 いなくなったせつなを、無意識に探しているのだろうか。 ラブがむにゃむにゃ言いながら、ベッドの中をごそごそと動き回る。 せつなはクスッと笑って、自分の枕をラブの腕に預けた。抱きしめたラブは、再び安心して眠りに付いた。 せつなは足音を立てないように、ゆっくりとベランダに向かう。 気のせいかもしれないが、小さな動物の気配を感じたのだ。 「あなたは――」 カーテンを開いた先から見えたのは、人間のようにちょこんと座ったフェレットの姿だった。 その姿には見覚えがあった。せつなは窓を大きく開けて部屋の中に招き入れる。 その後を付いてくるように、空を飛ぶぬいぐるみも部屋に入る。 フェレットの姿をした生き物は、部屋に入るなり大声で話し始めた。 ラブはまだ寝ているのに……。この生き物はデリカシーがないのかしら? とちょっとだけ眉をしかめる。 「お久しぶりやなあ、せつなはん。ピーチはんから話は聞いてるで!」 「タルトと言ったわね、そちらはシフォンだったかしら。お久しぶり」 「キュアキュア」 ラブもさすがに目を覚まして、慌てて会話に加わった。 一昨日の夜まではラブと同じ部屋で寝ていたのだが、昨日は隣の空き部屋で寝てもらっていた。 せつなが桃園家に来て最初の夜ということで、ラブが気を回したのだった。 ラブはあらためて、せつなにタルトとシフォンを紹介していった。 「タルトとシフォンはね、本当はフェレットやぬいぐるみなんかじゃなくて」 「知ってるわ、タルトはスイーツ王国の妖精ね。シフォンは、ちょっとよくわからないけど」 「シフォンも一応スイーツ王国の妖精やで。の……はずなんやけどなあ」 「せつな、知ってたんだ」 「ええ、スイーツ王国には手を出すな。って諺があるくらい有名よ」 科学の力に頼らず、不思議な能力で発展してきた国。 体一つで異世界を渡り歩く力を持ち、伝説の戦士に護られていると伝えられてきた。 今思えば、それがプリキュアだったのかもしれない。 「せつな、この事はおとうさんとおかあさんには」 「わかってる。内緒にしておけばいいのね」 「よろしく頼むで、せつなはん」 「キュアキュア、せつな~」 「よろしくね、シフォン。としゃべるフェレットさん」 「わいはフェレットちゃうわ! 可愛い可愛いって……今話したばっかやないか!」 「きゃあ! ラブ、怖い」 「タルト、せつなをいじめちゃダメ!」 「いじめられてるんは、わいやがな……」 せつなの顔に浮かぶ悪戯っぽい表情と、そして笑顔。 昨夜から一転して明るいせつなの様子に、ラブも嬉しそうに笑った。 『翼をもがれた鳥――相反する想い――』 「おばさま、おはようございます」 「おかあさん、おはよう」 せつなの着ていた服はあゆみが洗濯していた。 ラブの洋服の一つを借りて、洗面台に向かったところであゆみと鉢合わせした。 今度はせつなから、おずおずと朝の挨拶をした。 深々と頭を下げてから、そっとあゆみの様子をうかがう。 あゆみは嬉しそうに微笑んだ。せつなも安心して緊張を解く。 「おはよう、せっちゃん、ラブ。それと、せっちゃん。挨拶はおはようでいいのよ」 「――はい」 何気ない会話の中にも、深い愛情を感じてせつなは瞳を潤ませる。 本当に、家族としてせつなを迎えている。それが感じられるから。ラブも嬉しくなってあゆみに甘えた。 だから、一瞬せつなの表情によぎった苦しげな影に――誰も気が付くことはなかった。 「今日はせっちゃんのお部屋作りね。せっちゃんにも手伝ってもらうわよ」 「はい!」 「えぇ~! せつなは休ませてあげようよ」 「一緒にするから楽しいのよ。ラブはせっちゃんとお部屋作りしたくないの?」 「あ……やっぱり一緒にやりたい!」 「それじゃあ朝ご飯をすませたらお掃除、そしてお買い物ね」 「はい」 「は~い」 朝食は簡単なメニューだった。それでも、せつなにはどんなご馳走よりも美味しく感じられた。 あゆみとラブとせつなの三人で頂いた。圭太郎は何か探しに行くとかで、朝早くから出かけていた。 せつなの部屋はラブの隣に決まった。 昨夜、タルトとシフォンが寝ていた場所。空き部屋で物置に使われていた。 一度空っぽにしてから、綺麗に掃除する。 といっても、普段から綺麗好きなあゆみの手入れのおかげで、そんなに汚れてはいなかった。 自分の部屋ができる。あるはずのない居場所ができる。 浮かれてはいけないと思いつつも、せつなの胸は期待に膨らんでいく。自然と顔もほころんでいく。 あゆみも、そしてラブも、そんなせつなの様子を嬉しそうに見守った。 「さて、どんなお部屋にしようかしら。せっちゃんは何の色が好き?」 「私は――」 イメージカラー、その言葉はせつなも知っていた。 部屋のコーディネイトもそう。ファッションもそう。テーマを決めて統一感を持たせる。 ラブはピンク色、美希は青色、祈里は黄色。カラーが個性を与え、また個性がカラーに反映する。 だけど、それは自分には関係のない世界の話だと思っていた。 ラビリンスでは、支給されたものを身に付けるだけだった。与えられた部屋に住むだけだった。 好み? 選択? そんなことが、自分に許されるなんて思ってもいなかった。 そんなものに気を取られるこの世界の住人が、愚かだとすら思っていた。思うしかなかった……。 ラビリンスの暮らしを思い出す。そこは色彩のない世界。白と黒の濃淡だけのモノクロの世界。 実際には、そんなことはないのだろう。それが必要な場所には、複数の色だって使用されていたはずだ。 でも、せつなの脳裏に浮かぶ風景に、色彩なんて存在しなかった。 興味が――なかったから。関心を持つことに、意味が見出せなかったから。 「好きな色、ないの? せっちゃんなら、清潔そうな白も似合いそうだけど」 「遠慮しなくていいんだよ。どうせ一揃え買いに行くんだから」 「赤……。赤い色がいいです」 言ってから、自分で驚く。それは美希の青と並んで、一番強い色だったから。 でも、きっと思いつきじゃないんだろうと思った。 黒と白と灰色。濃淡だけのイースの衣装において、唯一許された有彩色。 暖色。もっとも温かみを感じる色。情熱を連想させる色。 心のどこかでずっと温もりを求めていたイースが、無意識に身に付けていた色だった。 「そうね。ラブのピンクのパジャマも似合ってたし、いいかも!」 「うん! じゃあ買いに行こうよ!」 これだけいろんなものを買うんだからと、大きなデパートに足を運んだ。 お布団、カーテン、椅子に本棚。姿見と小さな鏡。時計にスタンドに筆記用具。 下着にパジャマに、部屋着に靴にスリッパ。おしゃれポイントにルーレット模様のカーペット。 コップやお茶碗、歯ブラシにその他色々な小物なんかも買い揃える。とても持てないから、家に配達してもらうことにした。 ひとつひとつ、ラブやあゆみに相談しながらせつなが選んでいった。 自分で好きなものを選ぶ。自分の居場所を、好みの部屋を作っていく。それが凄くわくわくして、楽しかった。 迷って、考え抜いて、なんとか一通り選ぶことができた。 嬉しすぎて現実感が持てなくて、夢見心地で家に戻った。 「ただいまー! あれ、おとうさん何作ってるの?」 「これはな、せっちゃんの勉強机だ」 「私の? 勉強って?」 「そうよ。夏休みが終わったら、せっちゃんもラブと同じ学校に通ってもらいます」 「私が――学校に? ラブと一緒に?」 「ほんと! やったね!」 キョトンとするせつなと、大喜びするラブ。想像してみるが、イメージすら湧かなかった。 ラブと一緒に中学校に通う。同じ歳の子たちと勉強をする。 居場所が広がっていくようで嬉しかった。でも、少し不安に思えた。そんなことが、許されるのかって。 「それで机は買わなかったんだ。でも、どうして手作りなの?」 「それはだな――」 圭太郎が、手を止めてラブとせつなに語りだす。 源じいさんから教わった、手作りに真心を込めるということ。 自身が仕事から学んだ。使う者の気持ちになって作り上げること。 せつなに自作の机を使ってもらうことで、心だけでも一緒にいる時間を持ちたかったんだって。 「僕は仕事があって、帰りも遅い。だから、せめて一番使って欲しい家具を自分の手で作ると決めたんだ」 「わぁ~、おとうさんカッコイイ!」 「おじさま。――ありがとう」 その机作りに、せつなも手伝いを申し出た。 圭太郎の腕前は素人とは思えないものだった。鉛筆で描かれた机のデッサン。細かい寸法が描かれた図面。 その通りに正確に木材を切断し、組み立てていく。夕方には、素朴ではあるがしっかりとした勉強机が完成した。 その間に、ラブはせつなのネームプレートを作って扉に飾った。 この部屋が、せつなに幸せを与えてくれますようにって願いながら。 そして、荷物が配達される。全員で部屋に運んで配置していく。女の子らしい、可愛らしい部屋に仕上がった。 「よーし、せつなのお部屋の完成だよ! じっくり見たいけど、あたし先に夕ご飯作ってくるね!」 「待って、ラブ。私にも何か手伝わせて」 「今夜はラブが特製ハンバーグを披露するのよね。時間も遅いし、わたしも手伝おうかしら」 ラブの自慢のハンバーグ。付け合せにフライドポテト。インゲンとニンジンのグラッセ。バターで炒めたコーン。 茹でたブロッコリーにコンソメスープ。 せつなも、ラブやあゆみの手先を真似ながら、アドバイスを受けながら手伝った。 『いただきます!』 「今日は一段と美味しいなあ」 「せつながたくさん手伝ってくれたんだよ」 「せっちゃん、とても上手で驚いちゃった」 「そんな……。教えてもらった通りにやっただけです」 みんなで手を合わせて、四人一緒に食べる夕ご飯。一緒に作ったからか、より一層に美味しく感じられて。 自分がこれまで食事だと思ってきたものは、一体、何だったんだろうと思う。 美味しいって――口にした、楽しいって――笑顔で応えた。 味覚だけでなく、まるで全身で味わっているみたいに感じられた。 お腹だけじゃなく、心の中まで満たされていくように思えた。 「ごめんなさいね、せっちゃん。お行儀悪くって。ラブったら、はしゃぎすぎよねぇ」 「だって……。せつなと一緒で嬉しいんだもの。せつなも楽しいよね?」 「うん、凄く楽しい。食べ終わるのが惜しいくらい――」 終わるのが――惜しい? いつまでも――感じていたい? これが――幸せ。 力ずくで――終わらせてきたもの。 この手で――奪ってきたものなんだ。 カラン せつながフォークを落としてしまう。急いで拾って、少しだけ汚れた絨毯を拭く。 そして、そのまま動きを止めて震えだした。 「せつな、どうしたの?」 「大丈夫よ、せっちゃん。掃除は後でしておくから、冷めないうちに食べなさい」 「ごめん――なさい」 せつなは顔を伏せたまま謝って、そして走り去った。 パタパタと勢いよく階段を駆け上がる。 部屋に入ってドアを閉めて、そのまま座り込んだ。両手を口に当てて、嗚咽を押し殺す。 涙は流れるにままにした。それは――誰にも見られることがないから。 ここの暮らしが嬉しくて楽しいほどに、胸は苦しみを訴える。幸せを噛みしめるほどに、罪の重さを知る。 もっと、もっと幸せを感じたいって欲望と、自分の体を八つ裂きにしてやりたいような自責の念。 相反する感情が、せつなを責め立てる。 ここで暮らすと決めたのなら、せめてみんなに心配だけはかけたくなかった。 だから、明るく振舞っていたつもりだった。 でも――本当は違うんじゃないのか? それを言い訳にして、自分が幸せになりたいだけなんじゃないかって。 そんな気もしていた。 もう、気が付いていた。 本当は、自分こそが、誰よりも強く幸せを渇望していることに。 そんな資格が無いことを知りながら、それでも狂おしいほどに求めてやまない欲望があることに。 ふと、顔を上げる。 今日、みんなで作ってくれた部屋。あたたかい居場所。 手作りの机から薫る、優しい木の匂い。 赤を基調に可愛らしく揃えられた、調度品の数々。 ひとつひとつがせつなに語りかけてくる。幸せに、なりなさいって。 いっそ――夢ならいいと思った。どちらかが――夢ならいいと思った。 今この瞬間か、それとも過去か。どちらかが、嘘ならいいのにと思った。 そうしたら、自分を殺すことも、生かすこともできるのにと。 コンコン、部屋がノックされる。ラブが心配して様子を見に来た。 せめて――今だけは、そっとしておいてほしかった。 「せつな、どうしたの? 何かあったの?」 「ごめんなさい。少しだけ、一人にしてほしいの」 ラブから返事はない。立ち去る気配もない。 そして、しばらくしてから、くぐもった声が聞こえてきた。 「せつな――痛いの……。なんか、苦しいの……」 「ラブっ! どうかしたの?」 びっくりしてせつながドアを開ける。その瞬間に、ラブに抱きしめられた。 「ごめん、嘘……。やっぱり――泣いてるじゃない」 「離して――お願い、私を……」 「一人になんてしないよっ!」 怒った声でラブが叱り付ける。そして、更に腕に力を入れる。 「あたしが守るって、言ったじゃない。悲しいこと考えるのはやめようって、言ったじゃない……」 「ラブ――ごめんなさい……」 ラブの身体が、とても小さく感じられた。震える声から、大きな悲しみが伝わってくる。 心配で――せつなが不安になるほどに。 どちらが慰めているか、わからないほどに。 受け入れようって、決めたのに。ラブの笑顔と幸せを守ろうと誓ったのに。 舌の根も乾かないうちに、逆のことばかりしている。 それが悔しくて、情けなくて、悲しかった。 落ち着いてから、一緒に食卓に戻った。突然抜け出したことを丁寧に謝る。 あゆみは何も聞かずに、冷めたご飯を温めなおしてくれた。 その優しい表情は、何かを察しているようにも見えた。 「今夜は、あたしがせつなのお部屋に泊まるね」 「えっ? でも、せっかくベッドもお布団も用意してもらったのに」 「だから、あたしが泊めてもらうの。これでおあいこだよ!」 本当は、心配で一人で寝かせたくないのだろう。 せつなは、その好意に素直に甘えることにした。 昨夜の繰り返し。穏やかなラブの寝顔を見つめながら思う。 もう、迷うのはこれで終わりにしよう。 自分が成すべきことを果たすまで、その間だけでもいい。 辛くても、幸せと向き合おうと思った。 自分が幸せを求めていることも、認めようと思った。 それに溺れて、誘惑に負けて、目的を見失なわないようにすればいいだけだ。 今度は自分から、そっとラブを抱き寄せた。そして、せつなも目を閉じて眠りに付いた。 その温もりに、誓いを新たにしながら―― 第14話 翼をもがれた鳥――重なり合う心――へ続く