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NA-NA-NA ナイスバディ/makiray 「ブッキーぃ!!」 桃園ラブは、山吹祈里がいつもの公園に姿を見せるといきなりかけよってハグした。 「会いたかったよー!」 「私もだよ、ラブちゃん」 後ろでは、蒼乃美希が呆れていた。 「ちょ、苦しいよ、ラブちゃん」 「だって、久しぶりなんだもーん」 「相変わらずね」 ふっと光が舞ったかと思うと、美希の隣に東せつなが立った。アカルンでラビリンスから移動してきたところであった。 「次に襲われるのは せつなだよ」 「美希はされたの?」 「逃げた」 顔を見合わせて笑う。 ラブはその間も祈里をハグしていたが、ふいに体を離した。 「ラブちゃん?」 「…」 かと思うと、またブッキーをハグする。 「ちょっと、ラブちゃん、どうしたの?」 ラブはまた祈里から体を離すと、祈里をしげしげと見つめた。 「ブッキー…大きくなった?」 「今頃、身長なんか――え!」 祈里は笑っていたが、ラブの視線に気づくと、顔を赤くして胸部を両手で隠した。 「ブッキー」 「…」 「ブッキー!」 「ちょっとだけ…」 祈里はラブに背を向けてしまう。ラブは踵を返すと、美希のもとに走った。 「ブッキーがナイスバディになっちゃったよー!!」 「なんだ、今頃気づいたの」 「え、ミキタン、知ってたの?」 「見ればわかるわよ。制服とかだったらボディラインが隠れるけど、いつもの服だもん」 「あたしの勘違いじゃないんだ…」 ラブは祈里を振り返った。 「ブッキーが一人で大人になろうとしてる!」 「人聞きの悪いこと言わないで!」 抗議する祈里。 「あ、せつな。せつなはどう――」 せつなは、ハグしようとしたラブを両手で跳ね返した。 「やめてよ」 「せつなが、あたしに隠し事してるー!」 「そんないやらしいことのためにハグなんかさせない!」 「ミキタンは?」 「私は変わってないわよ。 変わらないように気をつけてるもの」 美希はむしろ自慢げに言った。モデルさんだもんなー、と うなだれるラブ。美希は意地悪気に笑った。 「ラブ、太ったんでしょ」 「な――なんのことでごじゃりまするか?!」 ラブが飛び上がる。近寄ろうとしていた祈里はその勢いに後ろへ下がった。 「あたしの目をごまかせると思ってるの?」 美希が意地悪気に笑うと、せつなもうなずいた。 「せつなもそう思ってるの?!」 「私には数値のことはわからないけど、人の体形をやけに気にしてるのは、自分が太ったからだとすれば説明がつくもの」 「う…う…う…」 涙目である。祈里はラブが気の毒になったようだが、美希は逆に、もっとラブのスタイルをよく見ようと後ろに下がった。 「そう気にするほどでもないと思うけど。何キロ増えたの?」 「ひっ!」 ラブが引きつる。 「わかったわよ。言わなくていいから。 でも、それくらいならちょっと運動すれば大丈夫じゃない?」 「そうかな…?」 「うん…。 最近、忙しくてダンスもあんまりしなくなっちゃったし、また一緒にやる?」 「うん。やる! ダンスする! ブッキーも一緒にやろう!」 さっき泣いたカラスが、とはこのことである。ラブは美希や祈里と固い握手をした。せつなとも、ラビリンスでもダンスするよね、などと念を押している。 「じゃ、みんな揃ったところで、カオルちゃんのお店にレッツゴー!」 「なんでよ」 美希が白い目で見ている。 「太った太ったってわめいてたくせにドーナツはありえないでしょ」 「スタイルに気を付けてるミキタンだっていつも食べてるじゃん」 「あたしはバランス考えてるもの。今日だって、四人揃ったらカオルちゃんだろうなー、と思ったからご飯少なめにしてきたし。 ラブは?」 目をそらすラブ。 「ラ・ブ」 「ふつうに…お腹いっぱい…」 「はい終了」 「そんな」 「しばらくドーナツ禁止だねー」 「ね、ちょっと」 「朝はしっかり食べるとして、でも、ジョギングとか日課にした方がいいかな」 「ミキタン」 「お昼は控えめ、晩御飯は更に少な目」 「蒼乃先生」 「夜のおやつは問題外。お肌にも悪いしね。 それで週末はダンスレッスンってことにすれば、二、三カ月でそこそこ絞れると思うよ」 「三カ月もドーナツ禁止?!」 「そうだ、ミユキさんにも相談してみたらいいんじゃないかな」 「お願い、ミキタン!」 美希は、袖をつかんで懇願するラブを無視、カオルの店から遠ざかる方向にずんずんと進んでいった。真面目に考え込んでいた せつなが、何かいいダイエットを思いついたのか口を開けたが、ラブの耳には届いていないようだった。祈里が苦笑する。 「ミキタンってばぁ…!」
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【1月21日】 『大好き』 シフォン「キュアキュア~」 祈里 「シフォンちゃん、おやつが食べたいのね」 ラブ 「チョコレートにクッキー。ケーキにアイスクリーム、あと、ドーナツ! 何がいい?」 祈里 「もう、ラブちゃんが食べるんじゃないのよ」 美希 「ラブって食べ物のことになると目が輝くわね」 ラブ 「だって~。美味しいものを食べるのって、幸せって感じしない?」 せつな「くすっ。ラブの食欲は大好きな人と一緒にいる時ほど増すのよね」 【1月22日】 『みんなで、はぁ~』 せつな「毎日とっても寒いわね~。はぁ~って息を吐くと、白くなるわ」 美希 「はぁ~。こうすると、冬って感じがするわね」 祈里 「はぁ~。吐息の水蒸気が水に戻るから白く見えるのよ」 ラブ 「はぁ~。なんとなく綺麗でいいよね」 あゆみ「若い娘の仕草は可愛らしいわね。ちょっとうらやましいかも」 【1月23日】 『のんびりしてました』 ミユキ「さぁ、みんな! 久しぶりにダンスレッスン始めるわよ!」 四人 「ハイッ! ――――はぁ、はぁ、はぁ、もうダメ」 ミユキ「……みんな、冬休みの間、走るくらいはしてた?」 四人 「それが……」 ミユキ「それじゃあ夏合宿の時と一緒じゃない。ビシバシ鍛え直すわよ!」 【1月24日】 『クイズです!』 美希 「今日はクイズです。ラブの苦手な食べ物はなぁ~んだ? 答えは明日!」 祈里 「ヒント、その① 今年の干支のうさぎさんの好物よ」 タルト「まだ、わからへんかな? もう一声や!」 祈里 「お馬さんも大好きな食べ物なのよ」 タルト「パインはん、さっきから動物の話ばっかやないか」 祈里 「ごめんなさい。じゃあね、子供は嫌いな子が多い野菜よ」 せつな「要するに、ラブは子供ってことよね」 ラブ 「せつなの番もあるんだからね?」 【1月25日】 『他人事じゃない』 美希 「ラブの苦手な食べ物はニンジン。ラブったら、ニンジンも美容にいいのに」 祈里 「わたしはニンジン大好きよ。甘くて美味しいのに」 ラブ 「だって、食感が気持ち悪いんだもん。美希たんは苦手な食べ物ないの?」 美希 「完璧なアタシに、苦手な食べ物なんてないわ」 せつな「みんな、お好み焼き食べに行きましょう!」 美希 「ごめんなさい……」 【1月26日】 『外に行こう!』 ウエスター「フッ、フッ、フッ。今日はなんだか、いいことがありそうな気がするぞ」 サウラー 「気のせいだろう。僕は部屋で本でも読んでいることにするよ」 ウエスター「焼き芋、タコ焼き、ラーメン、寒い日は熱々の食べ物が美味いぞ!」 サウラー 「僕はコタツにミカンで十分だ」 ウエスター「冬こそスポーツだ! 体が温まって気持ちいいぞう」 サウラー 「寒いのはおっくうだ。布団の中が気持ちいいよ」 ウエスター「ええい! いいから来い! その性根を叩きなおしてやる!」 【1月27日】 『満天の星空を見上げて』 せつな「冬は星がとっても綺麗に見えるのね」 ラブ 「あたし、星を見ながら時々お願い事するんだ」 美希 「リゲル、シリウス、プロキオン。星って姿も名前も美しいわね」 祈里 「こいぬ座、おおいぬ座、おうし座。冬の星座は名前も可愛いね」 せつな「楽しみ方も色々なのね」 【1月28日】 『トリニティの真髄』 ミユキ「今日はトリニティの三人で、ダンスステージに出演するの!」 ラブ 「わ~見たい! トリニティのステージはいつ見ても感動です」 せつな「トリニティって、三位一体って意味なんですよね?」 ミユキ「そうよ、三人の心と体を一つにするって意味なの」 美希 「その名の通り、息も動きも完璧に一致してるのよね」 祈里 「うん、いつ見てもびっくりしちゃう!」 タルト(その割には、逃げる時はいつもミユキはん置いてかれてるような……) 【1月29日】 『寝る前に飲むといいらしい』 祈里 「寒い日は、お家でホットミルクを飲むのがお気に入りなの」 せつな「私も好きよ。なんだか気分が落ち着くの」 ラブ 「バナナとココアとお砂糖をミキサーにかけて温めると美味しいよ!」 祈里 「それ、もうホットミルクと言わないんじゃ……」 美希 「聞いてるだけで太りそう……」 【1月30日】 『手取り足取り』 ラブ 「新しいステップをミユキさんに教わったの。って難しいよ~」 せつな「あせらないで。はじめはゆっくりと、正確に覚えましょう」 ラブ 「うん! がんばるよ!」 美希 「最後に加入したせつなに教わってどうするんだか……」 祈里 「でも、せつなちゃん凄く上手だし、ラブちゃんも上達すごいね」 美希 「いいなぁ~。家で二人で仲良くレッスンしてるんだろうなぁ~」 祈里 「わたしたちもお泊りする?」 【1月31日】 『幸せのカタチ』 カオルちゃん「兄弟、新しいドーナツ食べてみる?」 タルト「もぉ~! ムチャクチャうまいがな!」 カオルちゃん「だろう? おじさんって天才だから、ぐはっ」 美希 「自分で言ってれば世話ないわね、どれどれ、……ほんとに美味しい」 せつな「美希にだけは言われたくないわよね。あっ、……おいしい」 ラブ 「うわっは~、口の中で幸せが広がるよ、カオルちゃん!」 祈里 「シフォンちゃんもおいしいって」 カオルちゃん「どんなドーナツも、中からのぞく笑顔は変わらないのよね」 避2-573へ
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いのり、いのり。 舌足らずな声が這った。 「なあに、シフォンちゃん」 寝そべっていたシフォンに手を伸ばし、胸の前で抱きながら祈里は優しい眼を向ける。シフォンはきゃっきゃと笑うだけだった。横にいた美希がシフォンの顔を軽くつつく。やはりシフォンはきゃっきゃと笑った。 「なんか、夫婦みたいだね。ブッキーと美希たん」 美希の長い髪が窓ガラス越しの陽に薄く輝いて見えた。 「ね、せつな」 念を押された気がして、「そうね」とせつなは言った。 「美希たんが、ブッキーの旦那さんだね」 「えー? アタシもウェディングドレス着たーい」 式は祈里の通う学校の講堂では挙げられないか。町の端に神社がある。和服も捨てがたい。等々と口々に話す中で、シフォンは笑っていた。 せつなはおよそシフォンの表情が泣くか笑うかしかないことに気付いていた。細かなものを除けば、それこそがシフォンだった。 「私たちの赤ちゃんみたいな存在だよ」とラブはそう説明したことがある。 子供、か。卵子と精子が合体し受精卵ができる。やがて発生を続けて胎児が形成されていく。数億の中で自分という個体が命を授かるというのは考えてみれば凄いことだ、と学校で教わった。確率的には確かにそうだと思ったが、他のクラスメイト同様に、せつなにはそういう実感がなかった。おまけにせつなは、誰と誰の配偶子が接合して自分が生まれたのかも知らない。家族がいないとはそういうことだった。しばしば胎内の音に似ていると言われているテレビの砂嵐で、赤子は安心し、泣き止むと言われている。ただし、せつなは違っただろう。科学は人間を希薄にする。技術の行き過ぎたラビリンスが、まさにそうなのだ。 「はい。せつなさん」 祈里の声に顔を上げると、白い腕がシフォンをこちらに差し出していた。 「せつなが花嫁さん役ね。あたしは、お婿さん」 最近、学校の授業でこういう学習をしたことを思い出した。六十センチほどで三千グラムぐらいの赤ん坊の人形を抱いた。白い布に包まれていたその人形は、単なる数字とは違って、ずっしりしていたのを覚えている。どう、と聞かれて、重たいわ、と答えた。赤ん坊の眼はシールでできていた。 せつな、せつな。 シフォンは軽かった。相変わらず声を上げて笑っている。授業でも、こんな風に抱いたわ。部屋が少し暗くなった。陽が雲に隠れたらしい。 急に風が吹くように、少し考えた。このまま落としたらどうなるのか。ぱっと、急に両腕を広げて、肩より上にあげる。シフォンは膝の上に落ちてその大きな頭を打つ。そうして、次は球体間接の人形が身を捩らせて階段を転げ落ちるのと同じ。シフォンは泣くだろうか。打ち所が悪ければそれもままならないかもしれない。こんな小さい姿のまま、痛い思いだけ残して逝くのか。……… シフォンを抱く腕を下げた。ほとんど膝の上であやしている恰好になる。 「せつな、せつな」 気がつかないうちに外の太陽がまた顔を出している。ああ、だから、そんなことを考えたのね。唐突にせつなは独りで諒解した。いつか自分の子どもができたときも、この気持ちは忘れてはいけない。 「さ、せつな。座って座って」 促されるままに回転椅子に腰掛けると、右肩に温かい感触が乗った。正面にはデジタルカメラを構えた美希と、その隣で微笑んでいる祈里がいる。 せつなは肩に置かれたラブの手にそっと首を傾けて、瞼を下ろした。 閉じた視界が電子音を合図に一瞬白く光って、また赤黒く戻った。 空は電球を飲み込んだ蛇の腹の色をしていた。足早に流れる雲で繰り返す明暗が、太陽の胎動のように思えた。 ポケットに入ったプラスチックの健康保険証を爪で撫でると、どこかで車のクラクションが鳴った。振り返ったりしてみたがどの車か分からなかった。交通量の多い道路の脇を歩くのは慣れていない。 「この辺は、まだ少ないほうだよ」都会のほうは、もっと凄いんだよ。とラブは笑う。 知らないこの道は、産婦人科の帰りだった。脇には絶えずビルディングがあり、それに陰る路地がある。じっと見るほどに針金虫が這い進むようにずんずんと路地が建物の隙間に入り込んでいく。光の届かない向こうを見ながら、せつなはラブに尋ねる。この道、先には何があるの。 「行き止まりだよ」 と、ラブは言った。 反対側に繋がっている、ということもあるらしいが、せつなはそれを聞いても何も言わなかった。 それきり、せつなは路地に眼を向けるのをやめた。雲がまた出しゃばるときにだけ、ちらと瞥見した。 「ねえラブ、これは何?」 やがてあるとき、古い店の軒先でせつなは足を止めて、膝あたりほどの信楽焼きの狸を屈んで見つめた。その狸の腹は白く大きく膨らんでいて、へそが贅沢すぎるほど出張っていた。 「あ、これはねえ」ラブが横に並ぶ。「商売繁盛のお守り」 「これを置くと、お店にたくさん人が来てくれるようになるんだよ」 そうなの、とか、へえ、といった相槌を打つ一方で、せつなの人差し指は、うっすらと筆跡のある狸の腹を触っていた。ざらりと小汚い感触があった。 またこのとき、指を返してその汚れを見るまでの間、せつなは少し以前のことを思い出していた。 「ここ二三日、ラブの様子が変なの」 いつもの公園、パラソルのない丸テーブルの上、小さく噛んだストローを指先で撫でながら美希と祈里に打ち明けた。その日はよく晴れていたが、夜は雲が厚かった。 「どんな風に?」という質問から、美希と祈里にラブの様子をこと細かに伝えた。せつなは随分と必死だったようだ。つまり幾日かラブの口数が少なかっただけで寂しいと感じたし、独力での解決よりも先に相談相手を必要としたのだった。 一通り質疑応答を交わした後で、美希は祈里に目を向けた。祈里は美希の隣に腰掛けていた。 そうなるとやっぱり、という美希に、あれだよね、と祈里は迷いもなく頷いた。なんとなく悪戯っぽいその二人の雰囲気に「あれって、なんのこと?」とせつなは業を煮やしたように見えたのかもしれない。せつなには『あれ』が何のことか皆目検討がつかなかった。 「あれよ。女の子の日」 ストローについた歯形が増えていたのを、指の腹が覚えている。 「女の子の日?」と首を傾げると祈里が美希に耳打つように言った。せつなはまだそういうことを知らないのでは、といった内容のことだった。こっちの世界にはまだまだ知らないことのほうが多い。 「ああ、ごめんね」と言ってから急に声を小さくして、今度は美希がせつなに囁いた。生理よ、きっと。彼女からは石鹸の匂いがした。 「セイリ?」 月経、というものも、学校で教わっていた。当時まさにタイムリーで、ちょうど保健の授業で学習し終えたところだった。あとそれに続く、妊娠や出産といった事項、避妊と中絶などを数回の授業を通して習い、実際の出産の映像を見たり実寸大の赤ん坊の人形を取り扱ったりする実習授業のようなものをする予定だったのだ。実際、その通りに授業は進んでいったのだが、とにかくこの時点で、せつなは月経現象についての知識と理解を持っていたのである。 「そうなの。ラブには、生理があるのね」 二次性徴とか排卵とかいった単語がせつなの頭の中を巡り、体内受精、着床、胎盤の形成、体内での発生、陣痛、出産と、アナログな生命誕生を一通り、せつなは思い起こした。教科書に載っていた、両腕を広げた母のような子宮の模式図が、体に宿る、母親になる、ということの暗示だと思った。爪が立てられたまま、せつなはそれを引きずっている。 「それは」 回想を終えて、せつなは黒ずんだ指先を同じ手の親指と擦り合わせて消した。 「幸せなこと?」結局両の指が汚くなっただけだった。 「そうだね。商売してるんだから、儲かったらそれはそれで嬉しいと思うよ」お金儲けだけ考えるのは良くないとも思うけどね、とラブは付け加える。 「帝王切開」 という言葉が急に脳裡に浮かんだが、狸の置物には大きな睾丸袋があった。 「本当は、こういう話は食べ物のあるところじゃしないんだけどね」 美希が苦笑いをしていたのを思い出す。立って、わけもなく首を上に向けると、赤い提灯が四つ見えた。左から二つ目の提灯、その真ん中より少し下のあたり、わずかに破れているところに透明なビニルテープが貼ってある。四つの提灯には、らあめん、とそれぞれ一文字ずつ書かれてある。全てまだ明かりを孕んでいなかった。全部、点くだろうか。あるいは中身が抜かれているのではないか。もう、じきに暗くなる。 またラブと他愛ない会話をしながら、家に帰ろう。ラブの横で、再び帰路についた。 空に広がる灰色の亀裂から陽が出ている。それでも、今に雲が陽の出口を縫合するだろう。いつかと同じ空模様だった。 「幸せってたくさんあるのね」 なら、代わりはいくらでもある。せつなは知っていることをわざわざ口に出すことはしなかった。 犬の小便でレントゲンの色に濡れた電柱が眼に入った。
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140文字SS:フレッシュプリキュア!【16】 1.ラブせつで『手繰り寄せた糸の先』/ねぎぼう 四つ葉町中を駆け回る。 もう一度その手をとるまでは……。 夕暮れになっても見つからず途方に暮れる。 それでも見えない糸口を手繰り続けた。 ―― 行くあても帰る場所もなく途方に暮れていた。 信じていた光も遠く閉ざされていく様に感じられた。 でも本当の光は…… ――手繰り寄せた糸の先にあった光。 2.ラブせつで『愛してる、って言ったら満足?』/ねぎぼう 「愛してる、って言ったら満足?」 (この世界の人間など……) 「そうだったらあたし本当に嬉しいよ!だってせつなが大好きだもん!」 まさかラブの背中にはまだあの羽根が? 「でも、せつなにもきっと大切な人がいるから……だから、言わなくてもいいよ」 そんな『天使』に目を背けるしかなかった。 3.ラブせつで【いつもとは逆の立場で / 吐息まじりに】/ねぎぼう 「新井白石が行った政治改革は何?」 「え~っと、しょ、しょ、『聖徳太子』!?」 「よく覚えていたね。でも、正解は『正徳の治』だよ」 「あ、そうなのね……」 せつなに勉強を教えるラブ、いつもとは逆の立場の二人だった。 吐息まじりに「はあ……歴史って難しいのね」 (せつなもたまにボケるなあ……) 4.ラブせつで『隣の人』/ねぎぼう 隣の人はその肩にもたれて気持ちよさげに眠っていた。 (起こすのも可哀想だけど、このままじゃ風邪をひくわ) せつなは毛布をかき集めてラブにかけると、頭を膝枕する。 そして自分は壁にもたれ掛かった。 「眠れなかったわね」 でも、この温もりがずっと続いてくれるなら……眠れないことも悪くない。 5.ラブせつで『ご機嫌取りも楽しみのひとつ』/ねぎぼう 「今日もそのペンダントでお出掛けかい?ご機嫌取りも楽しみのひとつのようだね」 「馬鹿なことを。私はメビウス様のお役に立つことを成しとげる。ただそれだけだ」 「ほう。ならそのタートルネックの服はなんだい?」 「こ、これは……作戦のひとつだ」 部屋ではウエスターが鼻血を噴いて倒れていた。 6.ラブせつで『愛に近い執着』/ねぎぼう 「まあいい、これでいつでもあの子に近づける」 「まあいい、次はあの子の変身アイテムを奪ってやる」 「まあいい、次は……」 “イースさん、まさに愛に近い執着ってやつですか?” 「ふん、愛などと虫酸が走る。そもそもこんなものがあるからいけないのだ、こうしてやる!」 「せつな~!」 「ラブぅ」 7.ラブせつで【 特別なフリをして 】 42話のイメージで/ねぎぼう 「ニンジン代わりに食べて、お願い!」 「もう、今日だけよ」 特別なフリをして、私の皿にニンジンのソテーを移させる。 「明日はちゃんと食べなきゃね、ラブ」 「明日もニンジン?」 「いいわね、ラザニアに入れちゃいましょう!」 「お母さん!?」 そうだ、明日から私は…… 「お母さん、肩もませて」 8.ラブせつで『本当、だったり。』/ねぎぼう 「せつなの占い、ぜんぜんデタラメなんかじゃなかったよ」 (占いはデタラメ、だったり……時には本当、だったり。 時々は本当らしいことも混ぜたほうが騙すのに効果があるから) 「占いは当たるかも当たらないも本人しだいよ」 (どんなに騙しても……全部本当のことのなるのだから。羨ましいくらい) 9.ラブせつで『新婚ごっこ』/ねぎぼう 「ただいま!」 「おかえり」 帰ってきて、そこにせつながいるのはとっても幸せ。 でももう少し欲張ってもいいよね? 「『アレ』でお出迎えして欲しいなあ」 「もう、ラブったら」 そう、『新婚ごっこ』でね。 「お風呂にする?ご飯にする?それとも……わ・た・し?」 せつな、顔が紅いよ? 勿論答えは…… 10.ラブせつで『どうせ嘘なんでしょう?』/ねぎぼう 「どうせ嘘なんでしょう? ウエスター。貴方の下手な嘘はもういいわ」 「ウエスターの言っているのは……嘘じゃないんだ、イース」 「サウラーまで!?」 「キュアピーチが……解放記念公園で踊っているんだ、今!」 せつなが窓から公園の方向に目をこらすと、観衆の取り囲む中央に確かにいた。 「ラブ!」 ※崩壊したメビウスタワーの跡地が公園になっていそう、ということで。
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秋の夜更け。せつなは今夜もベッドにもぐりこんで読書。 この世界には本がある。本を読めば、いつの時代だってどこの世界にだって行ける。 せつなにはそれがとっても不思議だった。だって、ラビリンスには本はあっても、面白い物語なんてなかったから。 何冊も読んでいくうちに本に様々なジャンルがあることを知ったせつなは、図書館の本のようなおとなしいものでは飽き足らなくなっていた。 ラブの父が居間に放っていた本を部屋に持ち込んだせつなは、未知なるジャンルに自ら手を伸ばそうとしていた。 ベッドの中でおもむろに頁をめくる。 何これ…しとどに濡らし、ですって。どうして濡れたりするの? まぐわうって何かしら…淫豆って?分からない言葉ばかり。 せつなは人と人とが睦みあう場面や女性が自ら慰める場面を描いた本を読みながら、次第に身体を熱くさせてゆく。 人って皆、こんなことをしているの?ラブや美希や…あのブッキーも?信じられない。だけど…わたしも、してみたい。ほんの少しだけなら… 好奇心に駆られたせつなは、自らの中心に指を差し込んでみる。 下着の中は信じられないほどに熱く、粘っこい液体が溢れている。 これが“濡れる”ってことなんだ。じゃあわたしにも“淫豆”があるの?そこを擦ると… せつなが蜜を絡めた指で、屹立した突起を前後に揺さぶると、あまりの衝撃に思わず声をあげそうになる。 なんだか下半身が蕩けるみたい。この気持ち佳さ、病みつきになりそうだわ。あともう一回だけ… 指を器用に動かすと、さっきとは比べものにならない快感がせつなを襲った。 なんだか…はあっ、他のことを何にも、考えられなくなっちゃう…んんっ…んあっ、頭が真っ白になる…ああ気持ちいい… はあっ!なんか来る!あ!あ!これが“イク”ってこと?ああっ!ラブ!ラブぅ! それから毎晩、ラブを思いながら甘美なひと時を過ごす習慣のついたせつな。 彼女にとってそれは、背徳感に支配された、やめることのできない時間。 了
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「だからね、ちょっと、聞いてるの?ママ!」 「ハイハイ、もぉ~分かってるってばあ」 せつなが店を通って中に入ると、言い争う、とまでは行かない程度の言葉の応酬。 初めて見た時は親子喧嘩に遭遇したかと狼狽えたものだが、 今ではこれがこの親子のコミュニケーションの取り方の一つなのだと理解していた。 臆する事無く進み出て、にこやかに挨拶する。 「こんばんは」 「あらぁ~、せつなちゃん!いらっしゃあい」 突然お邪魔してすみません。 そう生真面目に頭を下げると、レミが歩み寄って手を握って来る。 「ううん、いいのよぉ。せつなちゃんならいつでも大歓迎!」 握った両手をぶんぶん振りながら満面の笑顔を振り撒くレミの向こうに、 派手に顔をしかめて溜め息をつく美希が見える。 あんなに眉間に深く皺を寄せて跡が残らないのだろうか。 モデルなのに…と場違いな心配が頭を過る。 レミを見ると、もう店は閉めているらしいのに化粧は崩れるどころか たった今直したばかりのようにくっきりと鮮やか。 服装も体にピッタリと添った華やかなブラウスに光沢のあるスカート。 髪も綺麗にカールして、整えたばかりのようだ。 見るからに「今から出掛けます」と言う風情。 「あの、これからお出かけですか?」 「そおなのぉ、実はね…ホラ、前に話したでしょ? ハワイで結婚したマリアちゃんが帰国しててね…」 そこから始まったレミの矢継ぎ早な言葉を纏めると、つまりは旧友との飲み会に参加するので 今夜は帰らない、と言うことらしい。 「ホントはちょーっと顔出すだけのつもりだったんだけどぉ、せつなちゃんが 来てくれるなら美希も安心かなあ、なーんて…」 「…はぁ…、ありがとうございます」 「いくら美希がしっかり者でもやっぱり女の子一人は心配だしぃ…」 その心配な女の子を一人残して海外へ行った事はどうやら突っ込んではいけないらしい。 せつなは反応に困りつつ曖昧な笑顔を張り付けたまま、取り敢えず自分は 歓迎されてはいるらしい、と結論付けた。 「……ママ、タクシー来たわよ…」 「はぁい、すぐ行くわ~。じゃ、せつなちゃん、自分の家だと思って好きにしてねぇ」 足取りも軽やかにタクシーに向かうレミを見送ると、出口で美希にじゃれ付いていた。 ふざけてキスしようとして娘に盛大に嫌がられている。 クスクス笑いながら待っていると、げっそりした様子の美希がやって来た。 「ゴメン、騒がしくて…」 「ううん。仲良しね」 「…まあ、ね」 そこでムキになって否定するほど美希も子供ではない。 手の掛かる母親であるのは確かだが、何だかんだ言って美希は母が好きなのだ。 せつなにも美希達が少し特殊な親子で、母子家庭と言う事を差し引いても 一般家庭とはだいぶ様子が違うのは見て取れた。 レミはとても中学生の子供が二人もいるようには見えない。 服装一つ取っても、たっぷりとしたフリルのブラウスに脚線美を見せ付けるかの ようなショートパンツとハイヒール。 胸元の大きく開いた花柄のミニワンピース。 桃園家や山吹家の母親達も充分に若々しく美しいが、レミは雰囲気から何から 住んでいる世界が違うのだ。 甘く華やかで匂い立つような色香、それでいて少女のように無邪気で憎めない。 どれを取っても母親を表現する形容ではない。 「何て言うか、凄いわね。おば様…」 「まあ、あれでも自分なりにルールがあるみたいなのよね…」 「ルール?」 「うん、アタシに迷惑掛けないように気を使ってるのよ」 曰く、旅行には行っても夜遊びで外泊はしない。 彼氏は作っても再婚はしない。 彼氏と遊びに行っても家には連れて来ない。 他にも色々。 「この家はママと美希のお城だから、男の子は入れちゃダメなんだって」 「へぇ…」 それが難しい年頃の娘に対する配慮だと言う事はせつなにも理解出来た。 レミほど魅力のある女性なら、たとえ子持ちでも真剣な付き合いを望む男性が いるだろうと言う事も。 普通の母親像とは随分離れている。 それでも美希は母の自分への愛情を疑った事はなかった。 困った部分も多いが、やっぱり美希の母親はレミ一人で、他の誰かでは代わりにはならない。 「と、言うわけでママがいなくなったから夕飯作り足す必要はなくなったわね」 「あ、手伝う」 「うん。もう出来てるから並べるだけ」 二人で運んだ夕飯は、白身魚の蒸し焼きに温野菜を添えた物。 野菜のたっぷり入った汁物に茸のマリネ。 主食は白米ではなく色々な雑穀が入った物らしい。 「普通のご飯の方が良かったらあるから。足りなかったら言ってね、お肉もあるし」 「美希と同じ物食べるわ」 肉類や揚げ物も多く、味付けもこってりした桃園家と違って 淡白なメニューだが美味しかった。 多分、美希が作ったのだろう。 盛り付けや彩りも工夫が凝らしてあり、見た目にも楽しかった。 「せつなって食べ方綺麗よね」 不意にそう言われてせつなは顔を上げた。 「ほら、ラビリンスってお箸使ってたとは思えないし。こっち来てから覚えたんでしょ?」 「ああ、そう言うこと」 「あゆみおばさんに教わったの?」 「ううん、美希よ」 「へ?」 「だから、美希の真似」 きょとんとする美希が可笑しくて、せつなは思わず吹き出しそうになりながらも説明する。 「前から思ってたの。美希の食べる姿ってとっても綺麗だなあって」 ラブは本当に美味しそうに食べるけど、しょっちゅう溢すし、口の回りにくっ付けるし。 ブッキーも綺麗に食べるけど、美希の方が姿勢が良いわよね。 だから、お手本にさせて貰ったの。 ニコニコと言っているが、どれだけとんでもないかは本人は理解していなさそうだ。 箸は練習すれば誰でも使えるようになる。使って食べるだけならそう難しくない。 でも正しく持ち、尚且つ美しく食べるには幼い頃からきちんと躾られないとかなり厳しい。 大きくなってからでは脳がそれを正しい動作だと理解してくれず、 その型をキープするのが負担になるのだ。 努力で出来ない事はないが、数回見てあっさり真似られるような事ではない。 まあ、それをせつなに言ったところで意味なんてない。 この子はどんなに複雑な動きや仕草でも、見ただけで自分の物に出来るのだ。 今さら箸遣いくらいで驚いたって仕方がない。 「パパがこう言うのにうるさくってね」 「美希のお父さん?」 「そ。離れて暮らしてる父。ラブから聞いてない?」 家族のモデルケースが桃園家のせつなには、今一つピンと来ないのかも知れないと思った。 ひょっとして、離婚してそれきり生き別れだと思われていたのかも。 「確かに別れたのは小さい時だけど、別にそれっきりって事じゃないのよ。 そう頻繁に会う訳じゃないけど、仲は良いわよ?」 「そうなの?」 「うん。ママと弟と四人で食事したりもするし」 その父親が立ち居振る舞いに厳しいのだ、と美希は言う。 どんな美人でも食事の仕方が下品だと幻滅する。 食べ方の綺麗な女の子はそれだけで何割増しにも美人に見え、聡明に感じる。 モデルをやるなら周りは美しい人ばかり。だからこそ、仕事以外の姿を きちんと整えるのが大切だと。 「お陰さまでママがアレでも小さい頃からお行儀の良いお嬢ちゃんで通ってるわ」 「おば様は、あんまり厳しく言わない?」 「まあね。服装にはチェック厳しいけど、基本甘いかな」 娘を信頼して、放任気味の母。マナーや身の周りに厳しい父。 どちらとも仲の良い快活な姉と穏やかな弟。バランスは取れている。 時に同じ食卓を囲み、談笑する。でも、一つの家族としては暮らせなかった。 仲が良いなら何故また一緒に暮らさないのか、さすがにせつなも それほど単純な問題で無い事は分かる。 それでもやはり不思議だった。こちらの世界の人間の関わりの複雑さが。 そんなせつなの思いを美希は感じ取る。 美希が、せつなに言いたいのはそれだから。 「無理に、一緒にいなくても…さ。離れた方が上手く行くって事も、あるのよね……」 「………………」 この一言を言いたいが為に、だらだらと家族の話を引っ張っていたのは 既にせつなには読まれているだろう。 せつなの視線を感じながらも、美希はとっくに食べ終わった食器から目線を上げられない。 どうしてもっと自然に話を持って行けないんだろう。 そうでなくても、突然泊まりに来いと誘われたせつなは訝しさを感じているはずなのに。 わざとらしさに居たたまれなくなる。要領は割りと良い方だと思ってたけど、 全然上手くいかない。 「……美希」 「…うん」 「…美希は、優しいのね」 美希は押し黙ったまま顔が上げられない。 そんな言葉を聞きたいんじゃない。そんな言葉を言わせたいんじゃない。 何でも話して欲しいとも思わない。相談されたって応えられないから。 あなた達の気持ちが分かるとは口が裂けても言えないから。 痛みを避けるのは、逃げる事とは違う。 向き合うのは、傷を癒してからでも遅くはない。 無責任な、他人の言葉だ。 罪人を許せと乞い願い、また共に笑えと苦痛を強いた。 せつなにはどこにも逃げ場が無いと知りながら。 せつななら、耐えて乗り越えてくれる。また自分達が元通りになれるよう。 たとえ、継ぎ接ぎだらけの関係になろうとも。 それでも、時が経てばやがて不自然な継ぎ目も馴染んでくる。 根拠も無いのに無理矢理信じ込もうとしていた。 それがどうだ。 時が癒してくれるどころか、その時間が経つのを待つ事すら耐えられなかった。 美希の伏せた視界の端に、せつなの綺麗に揃えられた指先が映る。 深く重い沈黙の中、せつなもまた、言葉を探しあぐねているようだった。 「ラブは……私の方が辛いって思ってる」 静かな声が流れてくる。 そろりと目を上げると、声と同じく凪いだ表情のせつながいる。 美希は続きを促すように真っ直ぐに視線を合わせた。 「………だから、ラブは自分も辛いって言えないの」 それはそうだろう、と美希は思う。 外科手術が必要な傷を負った人の前で、絆創膏を貼った擦り傷が 痛くて辛くて堪らないとはどんな無神経な人間でも言えるはずがない。 「無理して、笑って、私の頭を撫でてくれたりするの」 「………………」 「私なら大丈夫だって…平気だって言っても信じてくれない」 力無く睫毛を震わせる。 緩く微笑んでいるようにも、泣きたいのを堪えているようにも見える表情。 どうしていいか分からない。そう、困りきった顔。 「私、もっと泣いた方が良かったのかしら。分からないの。 どうすれば、ラブに心配掛けずに済むのか…それに、ブッキーや美希にも…」 美希はほとんど絶望的な気分になっていた。 せつなは何を言っているのか。 この期に及んで、一番心を患わせるのがそんな事なのか……。 泣きたくなってきた。 これで泣いたら今日泣くのは何回目なのか。 (…どうして、この子は………) もうこの子は自分の傷などには見向きもしていないのだ。 痛みも、苦しみも、眠れぬ夜も。 せつなにとってはわざわざその辛さを訴えるような事ではないのだ。 傷が痛いのが辛いのではない。 裏切りが苦しかったから悩んでいるのではない。 自分がどう振る舞えば、恋人の心が安らぎ、親友の罪悪感が和らぐのか。 きっと、せつなの頭の中はそれだけが溢れている。 せつなは、傷付く事に無頓着なのでも、痛みに鈍感なのでもない。 あまりにも苦しみに慣れすぎていただけなのだ。 人は痛い箇所があれば、それを何とか和らげようと足掻くものだ。 たとえ時と共に消え失せると分かっていても、痛む時間をやり過ごす為に必死になる。 薬を飲み、傷を塞ぎ、苛立ちを周りに八つ当たりしてみたり。 少しでも苦痛から気が逸れるように。少しでも痕が残らず綺麗に治るように。 そしてせつなは、そう言う方法を何一つ知らないのだ。 彼女には幼い頃、熱で火照った額を冷やして貰った記憶も無い。 痛む場所を優しくさすって貰えば薬より何よりも余程痛みが和らぎ、 とろとろと微睡みに誘われる。 誰かに労られたり、慰められた記憶を持たないせつなは、他者に癒しを求める術を知らない。 ただ、黙って堪えるだけ。それが当たり前で、唯一の方法だったのだろう。 美希はほんの少し、ラブの気持ちが分かった気がした。 血の流れる場所を眺めながら、傷が大き過ぎてそこを舐めてやることすら出来ない。 逆に自分のかすり傷を泣きそうな顔で心配される。 遣りきれない。自分の力の無さが情けない。 自分の事は自分で何とかする。だから…… せめて、せつなの負担になりたくない。 我慢して、知らんぷりして、こんな小さな傷なんて放っておけばいい。 そして、気付いた時には傷口が膿んでいた。 「………美希…?」 「…………………」 「私……また変な事言った…?」 「…ううん…」 「でも……」 「せつなはさ、甘えたくなった時とか…どうする?」 意味を問うように見つめてくるせつな。 高い知能。人間離れした身体能力。完璧な容姿。 そしてその中に収まっている心は、驚くほど不器用で、柔らか過ぎて。 どんな狭苦しい箱や複雑な形の入れ物にも無理矢理にでも収まってしまうから。 だから。だからきっと。 彼女自身も自分の心がどんな形でいるのが自然なのか掴みかねているのだろう。 甘え方も模索中の彼女が、ちゃんと安らげる場所があるのかが心配だった。 「美希…泣きそうよ…?」 「せつなだって……」 「ねぇ、美希…」 「…何…?」 「…私が、可哀想…?」 「せつなっ!?」 「でも、そう思ってるわよね…?」 穏やかに微笑みながら、そんな事を言う。 美希は指先が冷たくなるのを感じた。 言葉にしなくても、ずっと根底にあった思い。 愛される事を知らなかったせつな。 優しさも労りも与えられた事の無かったせつな。 笑顔も楽しみも存在しない世界で生きてきたせつな。 ぬくもりを何一つ知らない、可哀想なせつな。 「いいの。実際そうだし」 私は自分を惨めだとも憐れだとも思わなかったけど、きっとそう思えない事こそが、 不幸って事だったんでしょうね。 「美希と話していて、少し分かった。美希は…幸せには色んな形があるって言いたいのよね」 四人でいる事に拘らなくてもいい。 距離を取っても関係が途切れる訳ではない。 最初は寂しいかも知れない。でも、人は環境が変われば否応なしに馴染むものだ。 元の形にしがみつかなくても、幸せになれる方法はあるのだから…と。 「拘ってる訳じゃないの。あなた達の為に我慢してる訳でもない。私ね…」 昔、一人きりだった頃は恐い物なんて何も無かった。 生まれて来て死んで行く。ただそれだけ。 体は大きくなって行くのに、その中身はどんどん硬く冷たく縮こまっていった。 強ばった塊を無理に広げればひび割れて粉々に砕け散ってしまうから、 その上から幾重にも殻を被せて守っていた。 だから、私は神様が欲しかった。このままでは心も体も闇に沈んでしまうから。 暗闇でも迷わずに済むような。そんな、遠くても、触れられなくても、確かに存在するものが。 この命の取るに足りない儚さを考えずに済むような、そんな強い神様が。 「神様…少し違うかしら。上手く言葉に出来ないけど、生き甲斐…とか、支えとか…」 こちらの人は、もう生まれながらにそう言う物を持ってる人がほとんどでしょう。 それが家族だったり、友達や恋人、他にも色々。皆違う物を持ってる。 でもね、ラビリンスでは、メビウスへの忠誠だけが唯一認められた生きる希望だった。 だからね、ただの人間が…支配者でもなく、創造主でもないただの人間が 大切でかけがえの無い存在だなんて考えた事も無かったのよ。 「ラビリンスでは、人間はただの資源で消耗品に過ぎなかったから」 それも安価な。いくらでも代わりが控えていて、後から後から涌いて出るもの。 だから、不幸を集める…って言う事も、よく理解しないままにやってた。 こう言う事をすれば人は恐がる。ああすれば人は悲しむ。 言葉は知っていても、それがどんな感情かは分からなかった。 ううん、分かっていても…どうでも良かったのよ。 だってそうでしょ。料理に使う食材を収穫するのに罪悪感なんて持つ? この人参を抜いたら隣の人参が悲しむかも…なんて考えないわよ。 子供のお使いと変わらないわ。「あれがいるから取ってきなさい」「はい、分かりました」って。 仮に考えたとしたって、それでその人参を使うのを止めたりはしない。 だって必要だから収穫するんだもの。 無くなったって、また種を蒔いて水をやればまた生えて来る。それだけのものだから。 「……今は、違うって…」 「その…つもりよ」 最初、特別なのはラブだけだった。 その内に美希や祈里、父や母。学校の友人や商店街の人々。 直接は知らない、名前も知らない人も。一生会う事も無いだろう、人々も。 皆、誰かの大切な存在で、代わりなんて利くわけがないと言う事が。 「でもね、今でも違和感があるのが…自分もその中の一人だって言う事」 自分も誰かの大切な人。 ラブだけではなく、友人として、娘として、そしてこれから知り合う新たな人々にとっても。 「奴隷根性が抜けないのよね…」 「ちょっと…せつな…」 「別に、自虐的になってる訳じゃないの。でもずっと…怖くてちゃんと考えなかった」 本当に、ラブが好きなのかって…… 美希の顔がさっと青ざめる。 美希もずっと心のどこかにあった、でも決して口に出してはいけなかった疑問。 しかしせつなは最後まで聞いて、と美希を真っ直ぐに見つめる。 メビウスと言う存在が虚構だと分かり、ラビリンスと言う後ろ楯を失った。 飼い慣らされた家畜は自分では物を考えられない。 与えられた環境の中で成果を出し、認めて貰う事にしか喜びを見いだせない自分。 新たな依存先にラブを求めただけではなかったのだろうか。 溺れる者が藁をも掴むように、迷いの無い腕で抱き締めてくれた相手に縋り付いた。 でもラブは、揺るぎ無い神では無かった。 どんなに強くても、どんなに優しくても、どんなに目映い光を放っていても。 彼女は普通の、14歳の女の子でしか無かった。 泣いて、怯えて、時に考えられないような失敗もする、不安定で、 だからこそ常に一生懸命な女の子。 それでもラブは、神様になってくれようとした。 ただの女の子でありながら、大き過ぎる荷物を引き受けようと。 「ラブは不安がってた。……私がどこかへ行ってしまうんじゃないかって」 温め、包み込み、支えようとしてくれた胸は本当に心地好くて。 でもそこは、罪を犯し、傷付いた人間を丸ごと抱え込むには小さ過ぎて。 それは決してラブの所為では無かったのに。 ラブは怯えていた。 腕に抱いた小鳥が、いつかもっと大きな巣を見つけて飛び立ってしまうのではないかと。 「ラブに、そう言われたの…?」 「ううん。でも…多分そうなの…」 祈里との関係が続いていた頃のラブの態度。 あれは、今にして思えばせつなの態度と表裏一体だった。 秘密を抱えたまま打ち明けられず、磨り減っていったせつな。 秘密を目の当たりにするのを恐れ、目を塞いでいたラブ。 ラブがせつなの神で、絶対の主なら、ラブがせつなを失う事を恐れる必要などないのだから。 「ラブと、そう言う話…するの?」 「あんまり…ううん、ほとんどした事無いわね」 「どうして…?」 話せばラブは安心するのではないのか。 せつなの愛情を失う。その事を己を見失うほど恐れていたラブの姿を美希は知っている。 「美希は…どう思った?」 「…どうって?」 「逃げたくならない?こんな風にしがみつかれたら」 「………………」 「重いわよね。……私、ラブに鬱陶しいって思われたくなかったの」 何を今更…。 美希は軽く魂の抜ける感覚を味わった。 これほど普通とかけ離れた関係になっておきながら、「重い女だと思われたくないの…」なんて、 この事にだけこんな普通の反応をされても困る。 そもそも重いと言うなら、まったくの赤の他人を力業で家にまで引っ張り込まないだろう。 そう言うとせつなは軽く目を見張った。 「そう言うものなの?」 「……まあ、そもそも比較対照がないわよね…」 「…やっぱり…対人スキルが不足してるのかしら…」 「いや…そう言う問題じゃないと………。…うん、仕方無い…と、思う」 「…ラブにも話した方がいいと思う?」 「是非、お願い」 美希は軽く頭痛がしてきたこめかみを押さえた。 途撤もなく重く真剣な話をしていたはずだが、何なのだろう。 この、そこはかとなく漂う暢気な空気は。 「ねえ。どうしてラブにも話さないような事、話してくれたの?」 「だって…美希は友達でしょう?」 「……ハイ?」 「…友達って、愚痴とか聞いてくれるものなのよね…?」 本格的に目眩を感じた美希は頭を抱えた。 愚痴…ですか。 神様が欲しかった。人間は消耗品だった。 はっきり言って自分の人生とは掠りもしない次元の話を聞かされ、 その中で生きてきたせつなには掛ける言葉すら美希には思い付かない。 そして、そんな悲壮な気分で半ば茫然としながら聞いていた話を 愚痴の一言で済まされてしまった。 多少他人とは違った家庭環境と、個性的と言えば聞こえは言い 手の掛かる母親との二人暮らしである程度は大人びていたつもりの美希だった。 しかし許容量を超える局面に晒されると、もうすべてが 「もう、どうにでもして…」としか思えなかった。 「あの…美希…?」 頭を撫でられ、すぐ側にせつなが来ている事に気が付いた。 そしてまた、美希は心の中で溜め息をつく。 椅子を立つ音も近づく足音もしなかった。 頭を撫でられるまで、側に来た気配にも気付かなかった。 美希も常日頃から静かに動く事を心掛けている。 ちょっとした仕草も淑やかに。何気無い日常の動作も優雅に見えるように神経を配りながら。 それでも、こんな真似は自分には出来ない。 無意識の動きにまで気配を殺しながら生きてきた。 そんなせつなが愚痴を言う相手は自分しかいないのだ。 その愚痴が、美希にとっては人生を変えてしまうほどの大事件の余波だとしても。 「ラブは、もうせつなの神様じゃなくなったの…?」 「そうね。最初から、神様なんかじゃなかった」 それが、やっと分かった。 「じゃあ、今は何?」 「大切な人。かな」 「それだけ?」 「そう。大切な大切な大切な、人」 世界のすべてと引き換えにしても構わない、何物にも代えられない、大切な人。 「それって、神様とどう違うの?」 「あら、だって神様は一人のものじゃないでしょ?沢山の人のものじゃない」 もしラブが神様なら、それは私一人の神様。 「ここまでラブが好きなのって、きっと私だけよ」 「…すっごい自信ね…」 「うん。そう思う事にしたわ」 それにね、きっとラブにとっても私は神様なんだって。 ああ、それなら神様のまんまね。 でも呼び方なんて何でもいいわ。 私はきっと、もうこの先これ以上のものを求める事は無いと思うから。 その時のせつなの表情を、どう表現すればいいのか美希には分からなかった。 話し始めた時の、惑いを含んだ頼りない微笑みとは違う、見る者の胸の奥に 染み込んで来るような微笑み。 (やっぱり、羨ましいかも……) こんな微笑みを浮かべる事が出来るせつなも、この微笑みを独り占め出来るラブも。 たった一人の大切な人に巡り逢えた。 すると人はこんなにも美しい表情を持てるようになるものなのか。 そして思う。祈里は、これが欲しかったのかも知れない、と。 たった一人の大切な半身に向けられる、真摯な眼差し。 想い、焦がれ、狂おしいほどに求めても、それを手に入れられるのは一人だけ。 無理矢理に奪う事で、祈里は誰よりも思い知ったのだろう。 想い想われる、その相手は自分では決められない。 自分も周りもズタズタに切り裂き、得た答えは残酷なまでに簡潔だったのだ。 祈里は、せつなの半身にはなれない。ただそれだけ。 「せつなは、今幸せなんだ」 「ええ、とても」 「ねぇ、美希。私は我が儘言ってるの。分かる?」 「…うん?」 「私が、皆と…四人でいたいのよ」 「……うん」 「ラブだけじゃなくて、美希もブッキーも、とても大切で…」 「うん……」 「それでもね。ラブが辛くても、ブッキーが泣いてても、美希が傷ついてても… 誰の為でもなく、私が四人でいたいのよ」 奇跡のような出逢いを経て、求め合った相手はもういる。 その上で、親友も仲間も何も手放すつもりはない。 どれが欠けても、今より幸せになれるはずがない。 美希はせつなの腰に腕を回し、胸に顔を埋める。 温かく、柔らかく、良い匂いがする。 血の通った、生身の肉体。 その中にどんな魂が詰まっていようとも、この感触だけは自分と何も変わらない。 「…ワガママを聞いてあげるのも、友達ってもんよね…」 冗談めかして言おうとしたけど、上手くいかなかった。 どう聞いても泣くのを堪えているのを誤魔化せていない。 せつなを抱き締めると言うよりは、しがみついている腕に力を込める。 髪に静かな吐息が掛かる。美希の頭を抱え込んだせつなが、そっと唇を寄せている。 せつなが微笑んでいるのが感じられた。 「せつなぁ、アタシね。せつなが好きよ」 「…私も美希が好きよ」 「だからね、約束する。アタシはいつだってせつなの味方だから」 「美希……」 「もし、ラブやブッキーとケンカしたって、アタシはせつなの味方なんだからね」 「…うん、ありがとう」 もう少し、気の利いた台詞が言いたかったが、気取った言葉は似合わない気がした。 小さな子供の約束みたいな、でも美希にとっては大きな決心。 ラブと祈里が、今どんな想いでいようとも、もう気に掛けるのはやめた。 とっくに決まっていたせつなの心。 ラブの言動に心を砕き、祈里の罪を受け止め、四肢を引き絞られるほど思い悩んでも せつなは繋いだ手を離す気はないのだ。 最初から、自分には手も口も出す余地なんて無かった。 出来るのは、ただ友達でいる事だけ。 「アタシ、いつもはこんなのじゃないのよ…」 「こんなのって?」 「愚痴聞かされたり、ワガママ言われても、何のアドバイスも出来なくて オロオロしてるだけ…みたいな」 「愚痴って、聞いてもらえるだけでいいものじゃないの?」 「それじゃあ完璧なアタシのプライドが許さないのよ!」 びしっ!と、一喝して相手をシャッキリさせるのがアドバイザーの本領なんだから。 「…抱っこされて泣きベソかいてるように見えるのは気のせい?」 「だから!…こんなのは、せつなにしかしないわよ…!」 「つまり、甘えてくれてるの?」 「そーよ、光栄に思ってよね。ママにだってしないんだから」 どうしてそんなに偉そうに甘えるのよ。 呆れた声で呟きながらも、せつなは愛し気に美希の髪を撫でるのを止めない。 美希もせつなの体温を感じながら、そのまま動こうとしない。 美希はそっと心の中で呟く。 きっと、大丈夫だ…と。 このまま、壊れたりなんかしない。 人の心は溶けて一つの結晶にはなれない。 だけど、透明な宝石を重ねれば色が変わり、多彩な光が生まれる。 重ねれば重ねるほど、様々な彩りを放つ事が出来るはずだ。 自分達は傷付けば脆く壊れる硝子じゃない。 硬く、強く、磨けば眩い光を振り撒く宝石なんだと信じたかった。 それぞれに色や形は違っても、共にある事で虹色の煌めきを手に入れられる。 罪も、傷も、後悔も、その耀きを損なうものでは決して無い。 きっとそれすらも、彩りの一部に変えてゆく事が出来る。 きっと、出来るはずだから。 黒ブキ36へ
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第26話 神様の名前 「だからね、ちょっと、聞いてるの?ママ!」 「ハイハイ、もぉ~分かってるってばあ」 せつなが店を通って中に入ると、言い争う、とまでは行かない程度の言葉の応酬。 初めて見た時は親子喧嘩に遭遇したかと狼狽えたものだが、 今ではこれがこの親子のコミュニケーションの取り方の一つなのだと理解していた。 臆する事無く進み出て、にこやかに挨拶する。 「こんばんは」 「あらぁ~、せつなちゃん!いらっしゃあい」 突然お邪魔してすみません。 そう生真面目に頭を下げると、レミが歩み寄って手を握って来る。 「ううん、いいのよぉ。せつなちゃんならいつでも大歓迎!」 握った両手をぶんぶん振りながら満面の笑顔を振り撒くレミの向こうに、 派手に顔をしかめて溜め息をつく美希が見える。 あんなに眉間に深く皺を寄せて跡が残らないのだろうか。 モデルなのに…と場違いな心配が頭を過る。 レミを見ると、もう店は閉めているらしいのに化粧は崩れるどころか たった今直したばかりのようにくっきりと鮮やか。 服装も体にピッタリと添った華やかなブラウスに光沢のあるスカート。 髪も綺麗にカールして、整えたばかりのようだ。 見るからに「今から出掛けます」と言う風情。 「あの、これからお出かけですか?」 「そおなのぉ、実はね…ホラ、前に話したでしょ? ハワイで結婚したマリアちゃんが帰国しててね…」 そこから始まったレミの矢継ぎ早な言葉を纏めると、つまりは旧友との飲み会に参加するので 今夜は帰らない、と言うことらしい。 「ホントはちょーっと顔出すだけのつもりだったんだけどぉ、せつなちゃんが 来てくれるなら美希も安心かなあ、なーんて…」 「…はぁ…、ありがとうございます」 「いくら美希がしっかり者でもやっぱり女の子一人は心配だしぃ…」 その心配な女の子を一人残して海外へ行った事はどうやら突っ込んではいけないらしい。 せつなは反応に困りつつ曖昧な笑顔を張り付けたまま、取り敢えず自分は 歓迎されてはいるらしい、と結論付けた。 「……ママ、タクシー来たわよ…」 「はぁい、すぐ行くわ~。じゃ、せつなちゃん、自分の家だと思って好きにしてねぇ」 足取りも軽やかにタクシーに向かうレミを見送ると、出口で美希にじゃれ付いていた。 ふざけてキスしようとして娘に盛大に嫌がられている。 クスクス笑いながら待っていると、げっそりした様子の美希がやって来た。 「ゴメン、騒がしくて…」 「ううん。仲良しね」 「…まあ、ね」 そこでムキになって否定するほど美希も子供ではない。 手の掛かる母親であるのは確かだが、何だかんだ言って美希は母が好きなのだ。 せつなにも美希達が少し特殊な親子で、母子家庭と言う事を差し引いても 一般家庭とはだいぶ様子が違うのは見て取れた。 レミはとても中学生の子供が二人もいるようには見えない。 服装一つ取っても、たっぷりとしたフリルのブラウスに脚線美を見せ付けるかの ようなショートパンツとハイヒール。 胸元の大きく開いた花柄のミニワンピース。 桃園家や山吹家の母親達も充分に若々しく美しいが、レミは雰囲気から何から 住んでいる世界が違うのだ。 甘く華やかで匂い立つような色香、それでいて少女のように無邪気で憎めない。 どれを取っても母親を表現する形容ではない。 「何て言うか、凄いわね。おば様…」 「まあ、あれでも自分なりにルールがあるみたいなのよね…」 「ルール?」 「うん、アタシに迷惑掛けないように気を使ってるのよ」 曰く、旅行には行っても夜遊びで外泊はしない。 彼氏は作っても再婚はしない。 彼氏と遊びに行っても家には連れて来ない。 他にも色々。 「この家はママと美希のお城だから、男の子は入れちゃダメなんだって」 「へぇ…」 それが難しい年頃の娘に対する配慮だと言う事はせつなにも理解出来た。 レミほど魅力のある女性なら、たとえ子持ちでも真剣な付き合いを望む男性が いるだろうと言う事も。 普通の母親像とは随分離れている。 それでも美希は母の自分への愛情を疑った事はなかった。 困った部分も多いが、やっぱり美希の母親はレミ一人で、他の誰かでは代わりにはならない。 「と、言うわけでママがいなくなったから夕飯作り足す必要はなくなったわね」 「あ、手伝う」 「うん。もう出来てるから並べるだけ」 二人で運んだ夕飯は、白身魚の蒸し焼きに温野菜を添えた物。 野菜のたっぷり入った汁物に茸のマリネ。 主食は白米ではなく色々な雑穀が入った物らしい。 「普通のご飯の方が良かったらあるから。足りなかったら言ってね、お肉もあるし」 「美希と同じ物食べるわ」 肉類や揚げ物も多く、味付けもこってりした桃園家と違って 淡白なメニューだが美味しかった。 多分、美希が作ったのだろう。 盛り付けや彩りも工夫が凝らしてあり、見た目にも楽しかった。 「せつなって食べ方綺麗よね」 不意にそう言われてせつなは顔を上げた。 「ほら、ラビリンスってお箸使ってたとは思えないし。こっち来てから覚えたんでしょ?」 「ああ、そう言うこと」 「あゆみおばさんに教わったの?」 「ううん、美希よ」 「へ?」 「だから、美希の真似」 きょとんとする美希が可笑しくて、せつなは思わず吹き出しそうになりながらも説明する。 「前から思ってたの。美希の食べる姿ってとっても綺麗だなあって」 ラブは本当に美味しそうに食べるけど、しょっちゅう溢すし、口の回りにくっ付けるし。 ブッキーも綺麗に食べるけど、美希の方が姿勢が良いわよね。 だから、お手本にさせて貰ったの。 ニコニコと言っているが、どれだけとんでもないかは本人は理解していなさそうだ。 箸は練習すれば誰でも使えるようになる。使って食べるだけならそう難しくない。 でも正しく持ち、尚且つ美しく食べるには幼い頃からきちんと躾られないとかなり厳しい。 大きくなってからでは脳がそれを正しい動作だと理解してくれず、 その型をキープするのが負担になるのだ。 努力で出来ない事はないが、数回見てあっさり真似られるような事ではない。 まあ、それをせつなに言ったところで意味なんてない。 この子はどんなに複雑な動きや仕草でも、見ただけで自分の物に出来るのだ。 今さら箸遣いくらいで驚いたって仕方がない。 「パパがこう言うのにうるさくってね」 「美希のお父さん?」 「そ。離れて暮らしてる父。ラブから聞いてない?」 家族のモデルケースが桃園家のせつなには、今一つピンと来ないのかも知れないと思った。 ひょっとして、離婚してそれきり生き別れだと思われていたのかも。 「確かに別れたのは小さい時だけど、別にそれっきりって事じゃないのよ。 そう頻繁に会う訳じゃないけど、仲は良いわよ?」 「そうなの?」 「うん。ママと弟と四人で食事したりもするし」 その父親が立ち居振る舞いに厳しいのだ、と美希は言う。 どんな美人でも食事の仕方が下品だと幻滅する。 食べ方の綺麗な女の子はそれだけで何割増しにも美人に見え、聡明に感じる。 モデルをやるなら周りは美しい人ばかり。だからこそ、仕事以外の姿を きちんと整えるのが大切だと。 「お陰さまでママがアレでも小さい頃からお行儀の良いお嬢ちゃんで通ってるわ」 「おば様は、あんまり厳しく言わない?」 「まあね。服装にはチェック厳しいけど、基本甘いかな」 娘を信頼して、放任気味の母。マナーや身の周りに厳しい父。 どちらとも仲の良い快活な姉と穏やかな弟。バランスは取れている。 時に同じ食卓を囲み、談笑する。でも、一つの家族としては暮らせなかった。 仲が良いなら何故また一緒に暮らさないのか、さすがにせつなも それほど単純な問題で無い事は分かる。 それでもやはり不思議だった。こちらの世界の人間の関わりの複雑さが。 そんなせつなの思いを美希は感じ取る。 美希が、せつなに言いたいのはそれだから。 「無理に、一緒にいなくても…さ。離れた方が上手く行くって事も、あるのよね……」 「………………」 この一言を言いたいが為に、だらだらと家族の話を引っ張っていたのは 既にせつなには読まれているだろう。 せつなの視線を感じながらも、美希はとっくに食べ終わった食器から目線を上げられない。 どうしてもっと自然に話を持って行けないんだろう。 そうでなくても、突然泊まりに来いと誘われたせつなは訝しさを感じているはずなのに。 わざとらしさに居たたまれなくなる。要領は割りと良い方だと思ってたけど、 全然上手くいかない。 「……美希」 「…うん」 「…美希は、優しいのね」 美希は押し黙ったまま顔が上げられない。 そんな言葉を聞きたいんじゃない。そんな言葉を言わせたいんじゃない。 何でも話して欲しいとも思わない。相談されたって応えられないから。 あなた達の気持ちが分かるとは口が裂けても言えないから。 痛みを避けるのは、逃げる事とは違う。 向き合うのは、傷を癒してからでも遅くはない。 無責任な、他人の言葉だ。 罪人を許せと乞い願い、また共に笑えと苦痛を強いた。 せつなにはどこにも逃げ場が無いと知りながら。 せつななら、耐えて乗り越えてくれる。また自分達が元通りになれるよう。 たとえ、継ぎ接ぎだらけの関係になろうとも。 それでも、時が経てばやがて不自然な継ぎ目も馴染んでくる。 根拠も無いのに無理矢理信じ込もうとしていた。 それがどうだ。 時が癒してくれるどころか、その時間が経つのを待つ事すら耐えられなかった。 美希の伏せた視界の端に、せつなの綺麗に揃えられた指先が映る。 深く重い沈黙の中、せつなもまた、言葉を探しあぐねているようだった。 「ラブは……私の方が辛いって思ってる」 静かな声が流れてくる。 そろりと目を上げると、声と同じく凪いだ表情のせつながいる。 美希は続きを促すように真っ直ぐに視線を合わせた。 「………だから、ラブは自分も辛いって言えないの」 それはそうだろう、と美希は思う。 外科手術が必要な傷を負った人の前で、絆創膏を貼った擦り傷が 痛くて辛くて堪らないとはどんな無神経な人間でも言えるはずがない。 「無理して、笑って、私の頭を撫でてくれたりするの」 「………………」 「私なら大丈夫だって…平気だって言っても信じてくれない」 力無く睫毛を震わせる。 緩く微笑んでいるようにも、泣きたいのを堪えているようにも見える表情。 どうしていいか分からない。そう、困りきった顔。 「私、もっと泣いた方が良かったのかしら。分からないの。 どうすれば、ラブに心配掛けずに済むのか…それに、ブッキーや美希にも…」 美希はほとんど絶望的な気分になっていた。 せつなは何を言っているのか。 この期に及んで、一番心を患わせるのがそんな事なのか……。 泣きたくなってきた。 これで泣いたら今日泣くのは何回目なのか。 (…どうして、この子は………) もうこの子は自分の傷などには見向きもしていないのだ。 痛みも、苦しみも、眠れぬ夜も。 せつなにとってはわざわざその辛さを訴えるような事ではないのだ。 傷が痛いのが辛いのではない。 裏切りが苦しかったから悩んでいるのではない。 自分がどう振る舞えば、恋人の心が安らぎ、親友の罪悪感が和らぐのか。 きっと、せつなの頭の中はそれだけが溢れている。 せつなは、傷付く事に無頓着なのでも、痛みに鈍感なのでもない。 あまりにも苦しみに慣れすぎていただけなのだ。 人は痛い箇所があれば、それを何とか和らげようと足掻くものだ。 たとえ時と共に消え失せると分かっていても、痛む時間をやり過ごす為に必死になる。 薬を飲み、傷を塞ぎ、苛立ちを周りに八つ当たりしてみたり。 少しでも苦痛から気が逸れるように。少しでも痕が残らず綺麗に治るように。 そしてせつなは、そう言う方法を何一つ知らないのだ。 彼女には幼い頃、熱で火照った額を冷やして貰った記憶も無い。 痛む場所を優しくさすって貰えば薬より何よりも余程痛みが和らぎ、 とろとろと微睡みに誘われる。 誰かに労られたり、慰められた記憶を持たないせつなは、他者に癒しを求める術を知らない。 ただ、黙って堪えるだけ。それが当たり前で、唯一の方法だったのだろう。 美希はほんの少し、ラブの気持ちが分かった気がした。 血の流れる場所を眺めながら、傷が大き過ぎてそこを舐めてやることすら出来ない。 逆に自分のかすり傷を泣きそうな顔で心配される。 遣りきれない。自分の力の無さが情けない。 自分の事は自分で何とかする。だから…… せめて、せつなの負担になりたくない。 我慢して、知らんぷりして、こんな小さな傷なんて放っておけばいい。 そして、気付いた時には傷口が膿んでいた。 「………美希…?」 「…………………」 「私……また変な事言った…?」 「…ううん…」 「でも……」 「せつなはさ、甘えたくなった時とか…どうする?」 意味を問うように見つめてくるせつな。 高い知能。人間離れした身体能力。完璧な容姿。 そしてその中に収まっている心は、驚くほど不器用で、柔らか過ぎて。 どんな狭苦しい箱や複雑な形の入れ物にも無理矢理にでも収まってしまうから。 だから。だからきっと。 彼女自身も自分の心がどんな形でいるのが自然なのか掴みかねているのだろう。 甘え方も模索中の彼女が、ちゃんと安らげる場所があるのかが心配だった。 「美希…泣きそうよ…?」 「せつなだって……」 「ねぇ、美希…」 「…何…?」 「…私が、可哀想…?」 「せつなっ!?」 「でも、そう思ってるわよね…?」 穏やかに微笑みながら、そんな事を言う。 美希は指先が冷たくなるのを感じた。 言葉にしなくても、ずっと根底にあった思い。 愛される事を知らなかったせつな。 優しさも労りも与えられた事の無かったせつな。 笑顔も楽しみも存在しない世界で生きてきたせつな。 ぬくもりを何一つ知らない、可哀想なせつな。 「いいの。実際そうだし」 私は自分を惨めだとも憐れだとも思わなかったけど、きっとそう思えない事こそが、 不幸って事だったんでしょうね。 「美希と話していて、少し分かった。美希は…幸せには色んな形があるって言いたいのよね」 四人でいる事に拘らなくてもいい。 距離を取っても関係が途切れる訳ではない。 最初は寂しいかも知れない。でも、人は環境が変われば否応なしに馴染むものだ。 元の形にしがみつかなくても、幸せになれる方法はあるのだから…と。 「拘ってる訳じゃないの。あなた達の為に我慢してる訳でもない。私ね…」 昔、一人きりだった頃は恐い物なんて何も無かった。 生まれて来て死んで行く。ただそれだけ。 体は大きくなって行くのに、その中身はどんどん硬く冷たく縮こまっていった。 強ばった塊を無理に広げればひび割れて粉々に砕け散ってしまうから、 その上から幾重にも殻を被せて守っていた。 だから、私は神様が欲しかった。このままでは心も体も闇に沈んでしまうから。 暗闇でも迷わずに済むような。そんな、遠くても、触れられなくても、確かに存在するものが。 この命の取るに足りない儚さを考えずに済むような、そんな強い神様が。 「神様…少し違うかしら。上手く言葉に出来ないけど、生き甲斐…とか、支えとか…」 こちらの人は、もう生まれながらにそう言う物を持ってる人がほとんどでしょう。 それが家族だったり、友達や恋人、他にも色々。皆違う物を持ってる。 でもね、ラビリンスでは、メビウスへの忠誠だけが唯一認められた生きる希望だった。 だからね、ただの人間が…支配者でもなく、創造主でもないただの人間が 大切でかけがえの無い存在だなんて考えた事も無かったのよ。 「ラビリンスでは、人間はただの資源で消耗品に過ぎなかったから」 それも安価な。いくらでも代わりが控えていて、後から後から涌いて出るもの。 だから、不幸を集める…って言う事も、よく理解しないままにやってた。 こう言う事をすれば人は恐がる。ああすれば人は悲しむ。 言葉は知っていても、それがどんな感情かは分からなかった。 ううん、分かっていても…どうでも良かったのよ。 だってそうでしょ。料理に使う食材を収穫するのに罪悪感なんて持つ? この人参を抜いたら隣の人参が悲しむかも…なんて考えないわよ。 子供のお使いと変わらないわ。「あれがいるから取ってきなさい」「はい、分かりました」って。 仮に考えたとしたって、それでその人参を使うのを止めたりはしない。 だって必要だから収穫するんだもの。 無くなったって、また種を蒔いて水をやればまた生えて来る。それだけのものだから。 「……今は、違うって…」 「その…つもりよ」 最初、特別なのはラブだけだった。 その内に美希や祈里、父や母。学校の友人や商店街の人々。 直接は知らない、名前も知らない人も。一生会う事も無いだろう、人々も。 皆、誰かの大切な存在で、代わりなんて利くわけがないと言う事が。 「でもね、今でも違和感があるのが…自分もその中の一人だって言う事」 自分も誰かの大切な人。 ラブだけではなく、友人として、娘として、そしてこれから知り合う新たな人々にとっても。 「奴隷根性が抜けないのよね…」 「ちょっと…せつな…」 「別に、自虐的になってる訳じゃないの。でもずっと…怖くてちゃんと考えなかった」 本当に、ラブが好きなのかって…… 美希の顔がさっと青ざめる。 美希もずっと心のどこかにあった、でも決して口に出してはいけなかった疑問。 しかしせつなは最後まで聞いて、と美希を真っ直ぐに見つめる。 メビウスと言う存在が虚構だと分かり、ラビリンスと言う後ろ楯を失った。 飼い慣らされた家畜は自分では物を考えられない。 与えられた環境の中で成果を出し、認めて貰う事にしか喜びを見いだせない自分。 新たな依存先にラブを求めただけではなかったのだろうか。 溺れる者が藁をも掴むように、迷いの無い腕で抱き締めてくれた相手に縋り付いた。 でもラブは、揺るぎ無い神では無かった。 どんなに強くても、どんなに優しくても、どんなに目映い光を放っていても。 彼女は普通の、14歳の女の子でしか無かった。 泣いて、怯えて、時に考えられないような失敗もする、不安定で、 だからこそ常に一生懸命な女の子。 それでもラブは、神様になってくれようとした。 ただの女の子でありながら、大き過ぎる荷物を引き受けようと。 「ラブは不安がってた。……私がどこかへ行ってしまうんじゃないかって」 温め、包み込み、支えようとしてくれた胸は本当に心地好くて。 でもそこは、罪を犯し、傷付いた人間を丸ごと抱え込むには小さ過ぎて。 それは決してラブの所為では無かったのに。 ラブは怯えていた。 腕に抱いた小鳥が、いつかもっと大きな巣を見つけて飛び立ってしまうのではないかと。 「ラブに、そう言われたの…?」 「ううん。でも…多分そうなの…」 祈里との関係が続いていた頃のラブの態度。 あれは、今にして思えばせつなの態度と表裏一体だった。 秘密を抱えたまま打ち明けられず、磨り減っていったせつな。 秘密を目の当たりにするのを恐れ、目を塞いでいたラブ。 ラブがせつなの神で、絶対の主なら、ラブがせつなを失う事を恐れる必要などないのだから。 「ラブと、そう言う話…するの?」 「あんまり…ううん、ほとんどした事無いわね」 「どうして…?」 話せばラブは安心するのではないのか。 せつなの愛情を失う。その事を己を見失うほど恐れていたラブの姿を美希は知っている。 「美希は…どう思った?」 「…どうって?」 「逃げたくならない?こんな風にしがみつかれたら」 「………………」 「重いわよね。……私、ラブに鬱陶しいって思われたくなかったの」 何を今更…。 美希は軽く魂の抜ける感覚を味わった。 これほど普通とかけ離れた関係になっておきながら、「重い女だと思われたくないの…」なんて、 この事にだけこんな普通の反応をされても困る。 そもそも重いと言うなら、まったくの赤の他人を力業で家にまで引っ張り込まないだろう。 そう言うとせつなは軽く目を見張った。 「そう言うものなの?」 「……まあ、そもそも比較対照がないわよね…」 「…やっぱり…対人スキルが不足してるのかしら…」 「いや…そう言う問題じゃないと………。…うん、仕方無い…と、思う」 「…ラブにも話した方がいいと思う?」 「是非、お願い」 美希は軽く頭痛がしてきたこめかみを押さえた。 途撤もなく重く真剣な話をしていたはずだが、何なのだろう。 この、そこはかとなく漂う暢気な空気は。 「ねえ。どうしてラブにも話さないような事、話してくれたの?」 「だって…美希は友達でしょう?」 「……ハイ?」 「…友達って、愚痴とか聞いてくれるものなのよね…?」 本格的に目眩を感じた美希は頭を抱えた。 愚痴…ですか。 神様が欲しかった。人間は消耗品だった。 はっきり言って自分の人生とは掠りもしない次元の話を聞かされ、 その中で生きてきたせつなには掛ける言葉すら美希には思い付かない。 そして、そんな悲壮な気分で半ば茫然としながら聞いていた話を 愚痴の一言で済まされてしまった。 多少他人とは違った家庭環境と、個性的と言えば聞こえは言い 手の掛かる母親との二人暮らしである程度は大人びていたつもりの美希だった。 しかし許容量を超える局面に晒されると、もうすべてが 「もう、どうにでもして…」としか思えなかった。 「あの…美希…?」 頭を撫でられ、すぐ側にせつなが来ている事に気が付いた。 そしてまた、美希は心の中で溜め息をつく。 椅子を立つ音も近づく足音もしなかった。 頭を撫でられるまで、側に来た気配にも気付かなかった。 美希も常日頃から静かに動く事を心掛けている。 ちょっとした仕草も淑やかに。何気無い日常の動作も優雅に見えるように神経を配りながら。 それでも、こんな真似は自分には出来ない。 無意識の動きにまで気配を殺しながら生きてきた。 そんなせつなが愚痴を言う相手は自分しかいないのだ。 その愚痴が、美希にとっては人生を変えてしまうほどの大事件の余波だとしても。 「ラブは、もうせつなの神様じゃなくなったの…?」 「そうね。最初から、神様なんかじゃなかった」 それが、やっと分かった。 「じゃあ、今は何?」 「大切な人。かな」 「それだけ?」 「そう。大切な大切な大切な、人」 世界のすべてと引き換えにしても構わない、何物にも代えられない、大切な人。 「それって、神様とどう違うの?」 「あら、だって神様は一人のものじゃないでしょ?沢山の人のものじゃない」 もしラブが神様なら、それは私一人の神様。 「ここまでラブが好きなのって、きっと私だけよ」 「…すっごい自信ね…」 「うん。そう思う事にしたわ」 それにね、きっとラブにとっても私は神様なんだって。 ああ、それなら神様のまんまね。 でも呼び方なんて何でもいいわ。 私はきっと、もうこの先これ以上のものを求める事は無いと思うから。 その時のせつなの表情を、どう表現すればいいのか美希には分からなかった。 話し始めた時の、惑いを含んだ頼りない微笑みとは違う、見る者の胸の奥に 染み込んで来るような微笑み。 (やっぱり、羨ましいかも……) こんな微笑みを浮かべる事が出来るせつなも、この微笑みを独り占め出来るラブも。 たった一人の大切な人に巡り逢えた。 すると人はこんなにも美しい表情を持てるようになるものなのか。 そして思う。祈里は、これが欲しかったのかも知れない、と。 たった一人の大切な半身に向けられる、真摯な眼差し。 想い、焦がれ、狂おしいほどに求めても、それを手に入れられるのは一人だけ。 無理矢理に奪う事で、祈里は誰よりも思い知ったのだろう。 想い想われる、その相手は自分では決められない。 自分も周りもズタズタに切り裂き、得た答えは残酷なまでに簡潔だったのだ。 祈里は、せつなの半身にはなれない。ただそれだけ。 「せつなは、今幸せなんだ」 「ええ、とても」 「ねぇ、美希。私は我が儘言ってるの。分かる?」 「…うん?」 「私が、皆と…四人でいたいのよ」 「……うん」 「ラブだけじゃなくて、美希もブッキーも、とても大切で…」 「うん……」 「それでもね。ラブが辛くても、ブッキーが泣いてても、美希が傷ついてても… 誰の為でもなく、私が四人でいたいのよ」 奇跡のような出逢いを経て、求め合った相手はもういる。 その上で、親友も仲間も何も手放すつもりはない。 どれが欠けても、今より幸せになれるはずがない。 美希はせつなの腰に腕を回し、胸に顔を埋める。 温かく、柔らかく、良い匂いがする。 血の通った、生身の肉体。 その中にどんな魂が詰まっていようとも、この感触だけは自分と何も変わらない。 「…ワガママを聞いてあげるのも、友達ってもんよね…」 冗談めかして言おうとしたけど、上手くいかなかった。 どう聞いても泣くのを堪えているのを誤魔化せていない。 せつなを抱き締めると言うよりは、しがみついている腕に力を込める。 髪に静かな吐息が掛かる。美希の頭を抱え込んだせつなが、そっと唇を寄せている。 せつなが微笑んでいるのが感じられた。 「せつなぁ、アタシね。せつなが好きよ」 「…私も美希が好きよ」 「だからね、約束する。アタシはいつだってせつなの味方だから」 「美希……」 「もし、ラブやブッキーとケンカしたって、アタシはせつなの味方なんだからね」 「…うん、ありがとう」 もう少し、気の利いた台詞が言いたかったが、気取った言葉は似合わない気がした。 小さな子供の約束みたいな、でも美希にとっては大きな決心。 ラブと祈里が、今どんな想いでいようとも、もう気に掛けるのはやめた。 とっくに決まっていたせつなの心。 ラブの言動に心を砕き、祈里の罪を受け止め、四肢を引き絞られるほど思い悩んでも せつなは繋いだ手を離す気はないのだ。 最初から、自分には手も口も出す余地なんて無かった。 出来るのは、ただ友達でいる事だけ。 「アタシ、いつもはこんなのじゃないのよ…」 「こんなのって?」 「愚痴聞かされたり、ワガママ言われても、何のアドバイスも出来なくて オロオロしてるだけ…みたいな」 「愚痴って、聞いてもらえるだけでいいものじゃないの?」 「それじゃあ完璧なアタシのプライドが許さないのよ!」 びしっ!と、一喝して相手をシャッキリさせるのがアドバイザーの本領なんだから。 「…抱っこされて泣きベソかいてるように見えるのは気のせい?」 「だから!…こんなのは、せつなにしかしないわよ…!」 「つまり、甘えてくれてるの?」 「そーよ、光栄に思ってよね。ママにだってしないんだから」 どうしてそんなに偉そうに甘えるのよ。 呆れた声で呟きながらも、せつなは愛し気に美希の髪を撫でるのを止めない。 美希もせつなの体温を感じながら、そのまま動こうとしない。 美希はそっと心の中で呟く。 きっと、大丈夫だ…と。 このまま、壊れたりなんかしない。 人の心は溶けて一つの結晶にはなれない。 だけど、透明な宝石を重ねれば色が変わり、多彩な光が生まれる。 重ねれば重ねるほど、様々な彩りを放つ事が出来るはずだ。 自分達は傷付けば脆く壊れる硝子じゃない。 硬く、強く、磨けば眩い光を振り撒く宝石なんだと信じたかった。 それぞれに色や形は違っても、共にある事で虹色の煌めきを手に入れられる。 罪も、傷も、後悔も、その耀きを損なうものでは決して無い。 きっとそれすらも、彩りの一部に変えてゆく事が出来る。 きっと、出来るはずだから。 第27話 あなたの中のわたしへ続く
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幸せの赤い翼 第1話――おもちゃの国は秘密がいっぱい!?(古き友の呼び声)―― ごくごく普通の、どこにでもあるような家庭だった。ほんのちょっとだけ裕福で、ほんのちょっとだけ敷地が広くて。 うんと優しいお父さんとお母さんの間に生まれた、ごくごく普通の女の子だった。 「お父さん、これは?」 「おまえが、ずっと欲しがっていたものだよ。開けてごらん」 それは、その子の五歳の誕生日のこと。 かねてより、おねだりしていたテディベアのヌイグルミを、お父さんが買ってきてくれたのだ。 テーブルの上には、五本のローソクが並んだ、大きなお誕生日ケーキ。そして、所狭しと並んだご馳走の数々。 そんなものには目もくれず、少女はもらったばかりのヌイグルミに夢中になった。 「テディベアちゃん? クマちゃんでいいよね! ずっと、お友達でいようね」 「大切にするのよ」 いつも一緒だった。雨で家の中にいる日も、お父さんとお母さんの帰りを待つ時間も、ヌイグルミと一緒なら苦にならなかった。 外でも一緒だった。晴れて公園で遊ぶ日も、お友だちと追いかけっこして遊ぶ時間も、ヌイグルミと一緒に手をつないで走った。 寝る時も一緒だった。お勉強する時も一緒だった。ずっと、こんな時間が続くと思っていた。 その時が、来るまでは―― 『幸せの赤い翼――おもちゃの国は秘密がいっぱい!?(古き友の呼び声)――』 ラブ――ラブ――ラブ―― ラブ――ラブ―― 誰かの呼び声が聞こえたような気がして、ラブはキョロキョロと辺りを見渡す。 「えっ? 今、なにか言った?」 「どうしたの? ラブ」 「なにも聞こえないわ」 「わたしも、なにも聞こえなかったよ」 「寝ぼけとんとちゃうか? 昨日も夜更かししてたみたいやし」 「失礼ね~、昨日はお部屋のお片づけしてたから」 「普段から、ちゃんとしてないからそうなるのよ」 「いや~、それを言われると……」 明日、公園でフリーマーケットが開催されるらしい。張り紙を見た四人は、不用品を集めて出品することにした。 美希は迷わず山のように、祈里は慎重に見極めて、ラブは、迷った挙句に何も出せずに……。 それでも、しぶしぶ古着や古雑貨などをカバンに詰めていった。 「せつなの準備は進んでるの?」 「私は、不用品なんて持ってないもの。みんなのお手伝いをするつもりよ」 「そっか、せつなちゃんの持ち物は、どれも買ってもらったばかりよね」 「それに、古くなっても売ることなんてできないわ。だから、本当に使えなくなるまで新しい物もいらない」 「ええっ~、どんどん買ってもらって、全部大切にすればいいじゃない」 「そうして、ラブの部屋のクローゼットみたいにごちゃごちゃになるんでしょ? お断りよ」 「そういうラブちゃんも、あんまり新しいもの買わないね」 「それでも物がたまるのは、整理整頓ができてないからよ。整頓の前に整理。不用品を処分しなきゃ」 「だって、全部大切な物だから……。捨てるなんてできないよ」 「そのためのフリーマーケットでしょ? 帰ったら、ちゃんと、もう一度整理するのよ」 「はぁ~い」 出品場所の確認と打ち合わせを終えて、四人は一旦家に帰ることにする。 「それじゃ、また後でね」 「夕方、ラブちゃん家に伺うね」 「うんっ! 待ってるね~」 「ラブ。夕方って、フリーマーケットは明日のはずじゃあ?」 「明日の朝は早いでしょ? それなら、せっかくだから今夜はパジャマパーティーやろうと思って」 「パジャマパーティー?」 「えへへ、後のお楽しみ。せつな、今夜は寝かさないよ?」 「ええっ? 一体なんのことなの」 「ふわぁ~あ、結局、今夜も夜更かしかいな。付き合うこっちがもたへんわ」 「ぱじゃま、ぱーてぃー、キュア~」 不思議そうなせつなの表情を横目に見ながら、ラブはメモ用紙を取り出す。 じゃがいも、たまねぎ、カレールウ、それに……。 せつなが横から覗き込む。 「お買い物して帰るのね。メニューはカレーライス? それにしても、ずいぶん量が多いのね」 「そうだよね、ニンジンくらいは減らしても……」 「ダメよ、ラブ。ちゃんと書いてある通りに買わなきゃ」 「それじゃ、あたしの分も食べてくれる?」 「それもダメ。同じだけ食べてもらうわよ」 「ええっ~」 二人は、買い物をするために商店街へと急いだ。 大きな荷物を抱えた美希と祈里が、ラブの家の玄関の扉を叩く。 手持ち無沙汰だったせつなが、真っ先に駆け寄ってドアを開けて出迎えた。 「いらっしゃい、美希、ブッキー」 「美希たん、ブッキー、待ってたよ~」 「ありがとう、お邪魔します。おじさん、おばさん、ラブ、せつな」 「今夜一晩、よろしくお願いします」 「どうぞ、ゆっくりしていってね」 ラブの部屋に着いた美希と祈里は、タルトを押入れの中に閉じ込めて、すぐにカバンからパジャマを取り出して着替えていく。 突然服を脱ぎだして、下着姿になる美希と祈里に、せつなは驚いて目をパチクリさせる。 ラブに事情の説明を求めようとして、ラブも脱いでいることに気が付いた。 「ちょっと、一体なに? 食事も済んでないし、お風呂もまだよ、どういうことなの?」 「いいから、せつなも着替えて。パジャマパーティーなんだから、まずはそこから始めなきゃ!」 一足先に着替え終わったラブが、せつなの部屋にパジャマを取りに行く。 「嫌よ! 私は自分の部屋で着替えるわ。ちょっと、脱がさないでったら!」 「観念しなさ~い、これもコミニュケーションのうちよ」 「わたしたちは、小さい頃からで慣れっこだから」 ラブが戻ってきた時には、下着姿で涙を浮かべて睨んでるせつなと、すっかり着替え終わって苦笑している美希と祈里の姿があった。 「衣服ってのはね、気持ちに影響を与えるの。確かにちょっとだらしないけど、落ち着けるのよね」 「心も身体もリラックスして、ゆったりと時間が流れるのよ」 「フンだ。そんなんで、誤魔化されないんだから!」 「まあまあ、せつな。ふざけっこは仲良しのしるしだよ」 それから、トランプ遊びをした。神経衰弱に、ばば抜き、そして、ポーカー。どれもせつなが圧倒的に強く、罰ゲームで美希と祈里がひどい目にあったのは言うまでもない。 このトランプは、唯一、せつながラビリンスから持ち出したものだった。 「そろそろ夕ご飯の支度しなきゃ。今夜はカレーだよ」 「オーケー、何でも手伝うわ」 「わたし、自信ない……」 「美希は料理するのね?」 「その意外そうな口調は何よ? アタシは調理も得意なんだから」 「完璧って口にしないところが、ポイントよね」 「言ったわね! こうなったら料理勝負よ、せつな」 「受けて立つわ。ラブ以外には負けないんだから!」 「ちょっと、二人とも仲良くしようよ~」 「大丈夫だよ、ブッキー。さあ行こう!」 調理が始まる。ラブは鮮やかな手付きで野菜の皮をむいて、牛肉の下処理に取りかかる。 ジャガイモとニンジンをカットするせつなと、タマネギを刻む美希の包丁裁き対決は……食材選びの時点で決着がついていた。 「いっただきま~す!」 『いただきます』 祈里が遠慮がちに小声で祈りを捧げた後、みんなで夕ご飯をいただいた。 祈里は軽く、美希はもっと軽く、せつなはしっかりと。ラブは、盛り付けは普通だったが……。 「おかわり~」 「ちょっと、ラブ。食べすぎよ?」 「平気、平気。この後、枕投げで運動するんだから」 「どれほど投げる気なのよ……」 「でも、せつなも思ったより食べるのね」 「ラブがこうだもの。つい、つられてたくさん食べちゃうの」 「あっ~! せつなったら、あたしのせいにするんだ?」 「ラブちゃんって、楽しい時ほどたくさん食べるのよね」 「なるほど、せつなと暮らすのがよっぽど楽しいわけね」 「もう、からかわないで!」 賑やかな食事が終わり、それぞれが後片付けに取りかかった時、突如異変は起こった。 バラエティの放送中だったテレビ番組が、臨時ニュースに差し替えられる。 現在、街中から子供たちの玩具が消失する怪現象が起こっています。原因はまだわかっておりません。 販売店からも、各家庭からも、例外なく消えているらしく―― ただ今、新しい情報が入りました。この現象は、世界各地で起こっている模様です。 また、詳しいことが判り次第―― ラブ、美希、祈里、せつなの表情が変わる。怪現象、それは即ち、ラビリンスの襲撃を意味していた。 わからないのは、世界各地で起こっているということ。これまで、ラビリンスの攻撃による被害は、街の外に及んだことはなかった。 「ともかく、様子を見に行こう!」 『ええ!!!』 四人は、パジャマに上着だけを羽織って飛び出した。 家の外は、酷い有様だった。 家庭のおもちゃ。外で遊んでいる子のおもちゃ。喫茶店のマスコットや、キッズルームのおもちゃ。もちろん、玩具屋さんの商品も根こそぎ消えていた。 街は、消えたおもちゃを探す人々、警察や玩具屋さんに事情を問い詰める人々、泣き喚く子供たちなどで溢れ返っていた。 建物が壊されることを思えば、それほど深刻な事態とは言えないだろう。しかし、これまでの襲撃とは比較にならないほど被害が広範囲に及んでいた。 何より、全ての子供たちから笑顔が失われるのだ。それは、大人たちの気持ちにも影響を与えて……。 街全体が、暗い雰囲気に包まれようとしていた。 「あなたも、おもちゃを無くしてしまったの?」 「ひっく、だいじな……だったのに。お父さんから……。わあぁーん!」 とりわけ悲しそうにしている小さな男の子に、せつなが近づいてそっと声をかける。 その子はついに堪えきれなくなり、堰を切ったように泣き出した。 「そうなの……。単身赴任で遠くに行ってしまった、お父さんからの贈り物だったのね」 「ひどいっ。こんなこと、許せない!」 「子供たちから、不幸を集めるなんて……」 「心配しないで、私が――ううん、プリキュアが、必ず取り戻してくれるから」 せつなの力強い言葉に励まされたのか、その子もようやく泣き止んだ。 とは言え、今回は肝心のナケワメーケの姿が見当たらない。これだけ被害が広範囲だと、居場所の絞込みすらできない。 男の子を家まで送り届けた後、ひとまず帰って対策を立てることにした。 せつなはラブの部屋に戻ると、ためらわずにパジャマを脱ぎ捨て、昼間の服に着替えた。明るい部屋に、雪のように白く美しい肢体が舞う。 先ほど、恥ずかしがっていたのは何だったのかと思うくらい、周りの視線を気にする様子もない。 ラブ、美希、祈里は、顔を見合わせてから、同じように着替えた。 「これだけ広範囲に、一度に働きかける特殊能力……。サウラーのナケワメーケに違いないわ」 「でも、今頃どうして? もう、不幸のエネルギーは必要ないんじゃなかったの?」 「そのはずよ。奴らの目的も、シフォンの奪取に絞られていたもの」 「理由なんてどうだっていいよ! とにかく、早く倒して取り戻さないと!」 「いや、それなんやけどな。どうもラビリンスの仕業やなさそうなんや……」 「どういうこと?」 「よう見てみ? あいつらがやったんなら、クローバーボックスが光るはずやろ」 「確かに、沈黙したままね」 クローバーボックスは、シフォンの危険を知らせる能力を持つ。もしラビリンスの力が働いているなら、その発現地点まで映し出すはずだった。 「でも、ラビリンスじゃないなら、一体誰がこんなことを?」 ラブ――ラブ――ラブ―― ラブ――ラブ―― 「ちょっと今、大事な話してるから待っててね。って! また、聞こえたよ!?」 「今のは、アタシも聞こえたわ」 「怖い。まさか、お化けなんじゃ?」 「みんな落ち着いて。確か、そこのクローゼットの中からよ」 「不思議な声……。初めて聞くはずなのに、なんだか懐かしいような」 「ラブ、気をつけて!」 「おともらち、よんでる。キュア・キュア・プリップ~」 ラブが立ち上がり、声の主を確認しようとする。それより早く、シフォンが宙に浮き上がり、額から力を放った。 クローゼットに命中した光は、やがて内部に吸い込まれる。 そして、音もなく扉が開き、中から一体のヌイグルミが飛び出してきた。 ピンク色の、ウサギのヌイグルミ。それが、フワリと宙に浮き、ラブの名を呼ぶ。 かなり古いものらしく、また、かなり使い込んだものらしく、色あせ、ところどころ破れて、中の綿が飛び出してしまっていた。 「ウサピョン!」 「ウサピョンって?」 「あたしが小さい頃に、よく遊んでいたヌイグルミなの」 「ヌイグルミが、なんでしゃべってんねん!?」 「あなただって、しゃべるフェレットじゃない?」 「ちゃうわ! わいは、可愛い可愛い妖精さんや!」 「はいはい、とにかく今はこの子の話を聞きましょう」 美希の言葉に頷いて、ヌイグルミは、今度はしっかりと話しだす。 「おもちゃや人形たちはね、本当に心の通ったお友達となら、お話ができるのよ」 心が通えば、おもちゃだって会話ができる。だから、自分はみんなのことを全部知っているのだと。 もっとも、これほど自然に話せるのは、シフォンの手助けによるものらしい。 「それで、あなたはどうして無事なの?」 「街のおもちゃは、みんな消えてしまったのよ」 「それは、トイマジンと呼ばれるヤツの仕業よ。なぜか、あたしにはその力が届かなかったの」 「なるほど。シフォンか、クローバーボックスの力で守られていたのね」 ヌイグルミ、ウサピョンの話によると、この世界からおもちゃが消えたのは、おもちゃの国に住むトイマジンと呼ばれる者の仕業らしい。 おもちゃの国は、役目を終えたおもちゃが集まって生まれた場所なんだとか。本来は、新しいおもちゃや、大事にされているおもちゃが連れて行かれることはない。 トイマジンはその禁を破り、世界制服の手始めとして、子供たちから全てのおもちゃを奪ったのだ。 「お願い、あたしと一緒におもちゃの国に来て! トイマジンの野望を止められるのは、プリキュアだけなの」 「わかった。あたし、行くよ。だって、ウサピョンは友達だもの。友達を助けるのは当たり前でしょ」 「ちょっと、ラブ! いきなり異世界に飛び込むなんて無茶よ!」 「落ち着いて、ラブちゃん。その国のこと、相手のこと、何もわかってないのよ?」 「行きましょう。ラブ、美希、ブッキー」 「せつなっ!」 「せつなちゃん?」 「この街の子供たちが、泣いている。戦う理由なんて、それだけで十分よ」 せつなの瞳が、闘志で燃え上がる。静かな口調に、かえって怒りの深さがうかがえる。震える拳を開いて、リンクルンを取り出した。 美希と祈里も、頷いて立ち上がる。止めたところで、せつなは一人ででも行くだろう。何より、困ってる人々を助けたい気持ちは同じだった。 「行こう! 約束したものね。プリキュアが、必ずおもちゃを取り返すって」 「そうね、覚悟を決めましょう!」 「取り戻そう、わたしたちの手で」 「ウサピョン、おもちゃの国を強くイメージして」 「うん、まかせて」 「おもちゃの国へ!」 アカルンの輝きと共に、四人と一匹と二体は、時空の壁を越えて飛び立った。 おもちゃの国に到着した一行の前に、大きな門が立ちはだかる。建物の外周は高い壁で覆われており、他に出入り口はなさそうだった。 よく見ると、プラスチックのブロックで出来ており、規模の大きさに比べて、威圧感はまったくと言っていいほどなかった。 早速、守衛に問い詰められたものの、ウサピョンが用意していた精密なパスポートにより、事も無く入国が許された。 「ここが――おもちゃの国?」 「わはっ、なんだかすっごく楽しそう!」 「どこも、とっても可愛い!」 「キュア~」 積み木とブロックで作られた建物には、大小様々な動物のオブジェが飾られている。 床はジグゾーパズルで出来ており、路面にはモノレールやミニカーなどが、縦横無尽に走り回る。 和洋、今昔、ごったまぜの人形やロボットが、自在に街を闊歩する。 どこまでも自由で、奔放で、はちゃめちゃで―― それは、まるで子供のおもちゃ部屋のようでもあった。 「遊びに来たんじゃないのよ、ラブ。ここはもう、敵の手の内と考えていいわ」 「ごめん、そうだった」 「しかし、なんや、リアリティのない国やなあ」 「タルトがそれを言う?」 「そうよ、お菓子の国の王子のクセに、偏見はよくないわ」 「そんなことまで知っとるんかいな……」 ウサピョンにやり込められるタルトの様子を笑いながらも、せつなは周囲に対する警戒を高めていった。 異世界に慣れているせつなには、この世界に対してもみんなほどの驚きはない。 噴水広場にたどり着いたところで、ウサピョンに向き直る。 「こうしていても始まらないわ。トイマジンというのはどこにいるの?」 「それが、あたしにもよくわからないの」 「だったら、その辺の人に聞いてみればいいよ!」 「そうね」 「果たして、人と言えるかは微妙だと思うけど……」 街の住人たちは、皆、陽気で、声をかけたら親切に応対してくれた。 一緒に遊ぼうと誘う者、探し物があるなら手伝うと名乗り出る者、色々だった。しかし―― 「アタシたちが探しているのは、トイマジンというの。何か知ってるなら」 「知らない! 知ってても教えるものかっ! もう、構わないでくれ」 「ソンナモノハ、コノマチニハ、イナイ。デテイケ! デテイケ!」 「聞こえない。わたしには質問の意味がわからない。さようなら~」 「みんな、どうしちゃったんだろう? 名前を聞いただけで逃げ出すなんて……」 「ラビリンスにおけるメビウスのように、絶対的な存在なのかもしれないわ」 「あっ、あっちにおまわりさんがいるよ、聞いてみよう!」 「待って! ブッキー」 祈里は、犬のおまわりさんの人形に話しかける。 動物の姿に安心したのか、警戒心も持たずに、単刀直入にトイマジンについて質問する。 人懐っこいダックスフンドの表情が、たちまち険しいものとなる。 ワン! ワン! ワン! と、立て続けに吠えると、首に掛けていた笛を思いっきり吹き鳴らした。 それを合図にして、周囲のおもちゃたちが一斉にその場を逃げ出した。 「誰も……いなくなっちゃった」 「ワンちゃんも逃げちゃったね」 「違う――もう、既に囲まれてるわ」 ザッ、ザッ、ザッ 規則正しい足音が、遠くから聞こえてくる。 その数は徐々に増えていき、その音は徐々に大きくなっていき―― やがて姿を現す、無数の人形の群れ。 それは、きらびやかな赤い軍服を着て、黒くて長い毛皮の帽子を被る者。 ピカピカと輝く鉄砲や剣を持ち、颯爽と行進する衛兵たち。 おもちゃの兵隊と呼ばれる、この国の軍隊だった 百を超える銃口が、一斉にせつなたちに向けられる。 「はは……じょ、冗談よ、ね?」 「おもちゃのピストルだから、当たっても痛くないとか?」 口を開いた美希と祈里の間を狙って、兵士の一人が威嚇射撃を放つ。 轟音とともに、後ろの噴水の壁が一部砕け散る。 顔色を変えて、せつな以外の全員が両手を挙げる。 帽子に飾りをつけた、隊長らしき者がせつなたちに投降を呼びかける。 「お前たち、一体どこから来た? 街の治安を乱したからには、ただではすまさんぞ」 「治安を乱したって……、あたしたちはトイマジンの居場所を聞いただけだよ!」 「――反抗の意思とみなす」 隊長の手が垂直に振り上げられ、そして、降ろされる。それを合図に、一斉に銃口がラブに向って火を噴く。 ドン! ドン! ドン! 「きゃっ!」 「危ないっ!」 せつながラブに飛びついて、とっさに弾丸から身をかわす。 「ラブっ!」 「ラブちゃん! せつなちゃん!」 「よくも……、やってくれたわね」 美希と祈里が二人を庇って前に出る。それを押しのけるようにして、怒りの形相のせつながリンクルンを構える。 美希と祈里も、頷いて、それぞれ変身の体勢をとった。 「あくまで刃向かうというのならば、もう容赦せぬぞ」 「容赦なんて、初めからしてないクセにっ!」 「待って!!」 隊長に向って、ウサピョンが抗議する。いよいよ一触即発のムードが漂う中、ラブの声が響く。 「おもちゃの兵隊さんたち、あたしたちをどうするつもりなの? それだけ聞かせて」 「素直に従うなら、おもちゃ城の地下牢に投獄する。処分は、国王様がお決めになる」 「わかった。抵抗しないから、乱暴なことはしないで」 ラブは前に進み出て両手を上げる。それに合わせて、兵隊たちも銃口を降ろした。 「ラブ、このまま捕まっちゃうつもり?」 「何をされるかわからないよ?」 「この数相手じゃ、ウサピョンたちまで守り切る自信がないの。それに、国王様と会えるなら、何かわかるかもしれないでしょ?」 「そうね、いざとなったら変身して逃げ出せばいいわ」 「ついて来い」 幸いにも、拘束するつもりはないようだった。 おもちゃの兵隊に囲まれて、せつなたちは連行される。 おもちゃの国の中央にそびえ立つ、おもちゃのお城に向って。 第2話 幸せの赤い翼――おもちゃの国は秘密がいっぱい!?(国王さまとの邂逅)――へ続く
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A Will/そらまめ 「例えば僕が君を忘れてしまったとして、あるいは、君が僕を忘れてしまったとしたら、君と僕ははじめましてから始めた方がいいのか、さよならと言えばいいのか、悩んでしまう」 ―――Abel Dinger 『A Will』和訳 p.37(全草社)より はらはらと空から落ちてきた一枚の葉が、手元の開かれた本の上にふわりと着地した。そこは丁度読み進めていた行で、まるでもうそろそろ読書はやめたらと言われたような気がして下げていた視線を上げれば、ここに来てベンチに座った時より随分と太陽が傾いていることに気付いた。 物語の世界に入るとどうにも抜け出せなくなるのはなぜだろう。油断していたらそのまま帰ってこられなくなりそうで、今だって話の余韻でぼーっと空を見ているくらい。そのうち、登場人物達に交じって自分だったらどうするだろうと考えだしたあたり、私はこの本を気にいったのだと思う。 今日は珍しく一人だ。ラブは学校に用事があるとかで朝慌てて出掛けてしまった。美希はモデルの仕事に隣町まで、ブッキーは山吹病院の前を通り過ぎた時に院内を忙しなく動いているのが見えた。だから今日は一人でできる事をしようと図書館に寄った後、公園のベンチに腰を下ろした。 久々に一人を体験すると、こんな日もいいかもしれないと思う。 ただそれはいつもみんなのいる日常があるからこその想いで、以前のようになんでもひとりでやっていた日に戻れるか判らない程度には、この生活に慣れ始めていた。 「最近、突然意識を失って倒れる人が多いんですってね」 夕飯時、不安そうなあゆみの言葉にラブもせつなも顔を見合わせる。確かに近頃この街で意識不明で病院に運び込まれる人が増えていた。ニュースでも取り上げられ、季節の変わり目から熱中症じゃないかと当初は言われていたものの、担ぎ込まれるのは女子学生が多く数日間目が覚めず記憶障害も発生している事から、ただの病気ではないのではと噂されている。記憶障害の程度は様々で、倒れる前後の記憶がない人から、自分が誰であるか思い出せない人までいるらしい。ただ、どの被害者も数日で元に戻っている。一部では宇宙人の仕業だとかありえない話まで持ち上がり、噂に尾びれがついて大げさに街中を駆け巡っていた。 ラブ達の学校でも病院に運ばれた人がいたために、クラスでも割と話題になっている。 「知ってるよ。学年は違うけどうちの学校の子も倒れたらしいから」 「そう…ラブもせっちゃんも気を付けてね。水分補給はこまめにするのよ」 「うん」 「わかったわおばさま」 記憶障害。 被害者は女子学生。 この二つの事実から自分を狙っているのではないかと先ほどから嫌な予感が止まらない。この街で奇妙な事が起こる時は大抵ラビリンスが関係しているというのは、この半年で周知の事実となっている。ゲージが溜まった今、人々を不安にさせてFUKOを集める必要はないはずだが、新しくこの街に来た幹部はサウラー以上に狡猾な作戦を思いつく。 近頃腑抜けがちな気持ちに喝を入れたタイミングで、こんな問題解けるかー!と叫ぶ声と机を叩く音が隣の部屋から聞こえてきて何とも締まらない決意表明になった。 「いくよみんな!!」 もう何度目になるかわからないラブの掛け声に返事をして、思い切り力を込めてナケワメーケに蹴りを入れると、その分だけ高く巨体が空に飛んだ。いつものように全力で、いつものようにスティックを敵へと向ければ、いつもみたいに光に包まれた。 もう少しでその姿もただのダイヤ型に変わるだけという時だったから、なんて言い訳だが、四方を囲んでいる自分達もほっと一息ついていた。 だから、最後の気力を振り絞ったかのようにナケワメーケの腕がこちらに向き、認識すら難しいほどの速さで何かを放った事にすぐさま対応できなかった。 「ぐぁっ…!」 鋭い痛みと衝撃でよろけそうになる体をなんとか踏みとどまらせる。鈍い痛みのする胸に手を当てて触ってみたが、出血らしきものはない。少しもしないうちに痛みも引いた。とっさにみんなは大丈夫だろうかと周囲を確認してみたが、未だ激しい光を見上げており特に変わった様子はなかったので一安心。どうやら被害は自分だけで、気づかれなかった事にも安堵する。 ダイヤも消滅して、変身を解いた後服の上から胸の辺りを触ってみたが、特に違和感はなかった。 「なんで今日はナケワメーケだったのかしら?」 「今日はナケワメーケな気分だった。とか?」 「そんな適当に決めてるものなの…?」 「違う…と言い切れない程度の馬鹿がいるのは確かよ」 ちょっと間違えたとか言ってナケワメーケを召喚しそうなアホを知っているので否定はできない。 そういえば、今日のナケワメーケは何を媒体にされていたのだろう。 ―――――――… 「…あれ、せつな今日日直だっけ?」 「ええ。先に学校に行ってるわね」 「うん。また後でね」 布団から上体を起こし目元を擦るラブにそう言った後、学校へと向かった。 定期的に回ってくる日直は、みんなより早めに登校してやらなければならない雑務がたくさんある。日直の仕事が嫌だと思った事はない。みんなは面倒だとぼやいているけど、私にはみんなの面倒すら新鮮で、楽しくて、毎日日直でもいいからこんな日がずっと続けばいいのにと、ひとりの教室で黒板に名前を書きながらそんな事ばかり考える。 三十分ほどして一通りの仕事が終わったが、クラスメイトはまだ誰も来ていない。このままみんなが登校してくるまでぼーっとしているのはもったいない気がして、この前から読んでいる本を鞄から取り出した。 「僕が持っている大切な物を一つずつ捨てろと言われたら、最初に捨てるのは君との思い出だろう。だって僕にとって大切な物はそれしかないから」 ―――Abel Dinger 『A Will』和訳 p.152(全草社)より 一人また一人と教室にやってくるクラスメイトに挨拶をしながらラブを待つ。また遅刻ギリギリで来るのだろうか。いつもは自分が急かしているのでそうそう遅刻はしない。最近あゆみおばさまに「せっちゃんが来てからラブの遅刻癖が改善されたみたい。ありがとう。これからもラブの事よろしくね」と言ってもらえて、自分が誰かの役に立った事がとても嬉しかったのを覚えている。 時計をちらりと見た後パタンと本を閉じると、同時にチャイムが鳴って、それと同時に勢いよく教室のドアがスライドされる音が合わさり、今日は朝から随分と賑やかになった。 「…っセーフっ!!」 「アウト―」 「なんでさ大輔っ! 今のはギリギリオッケーでしょ!!」 「朝からうるせーなー、象がこっちに走ってきたのかと思ったぜ」 「なんだとー!」 「はいはい、席につけー、遅刻にするぞ桃園―」 「ぅわっ先生いつの間に…」 ドアのところで問答していると、たしなめる声が背後から聞こえてぎくりと肩が上がる。丸めた教科書を片手でポンポンと叩きながら見下ろしてくる担任に、たはは…と愛想笑いをしてこそこそと自分の席に着く様子は、一瞬で教室中に笑いを誘った。 「遅かったわねラブ」 「あ、せつな。先に行くならそう言ってくれればよかったのに。せつないつまでたっても降りてこないから、朝ご飯三杯もおかわりしてすごいのんびりしちゃってたよ」 「ラブ寝ぼけてたの? 日直だから先に行くってちゃんと言ったじゃない」 「あ、あれ? そうだっけ…? たはは…」 ジトーっと見るとバツが悪い様に視線を逸らし、わざとらしくぴゅーぴゅーと掠れた口笛を吹いてごまかそうとしていた。 ―――――… 「あのね…あたし今から変な事聞くけどいい…?」 「その前置きがすでに変だけどいいわよ」 「どうしたのラブちゃん?」 せつなは委員会で今日は別々に帰ってくる予定で、それぞれ他の学校に通う幼馴染二人と一緒にカオルちゃんのドーナツを食べながら待っていた。 「えっとさ…あたしとせつなってなんで仲良くなったんだっけ?」 「は…? ラブ何言ってるのよ」 「だから最初に変な事聞くけどって言ったじゃんー!」 「何かあったの?」 「何かっていうか…なんか最近せつなと一緒にいると、どうして同じ学校に通ってるのかとか、どうやって仲良くなったか一瞬判らなくなる時があって」 「ラブ、まさかアンタまで例の記憶障害になったの?」 「記憶障害…? あ、そういえばそんなのもあったね」 「熱は…ないみたいだね」 ラブのおでこに手を当てて祈里が確認するもいつもと変わらない体温で、くすぐったいよーと笑うラブの表情も言動以外には問題なし。美希の方に顔を向けると彼女も分からないと言う風に首を左右に振った。 「違和感ある所にラビリンスありって言うし…」 「何その格言。初耳だけど」 「あたしの経験から生まれました。でね、用心しておくに越したことないから二人にお願いしたい事があるんだけど…あのね、もし…――」 ―――――… 校舎の窓越しに外を見ると、茂っていたはずの木にはもうほとんど葉が残っておらず、大半が下の地面に落ちている事に気付いた。それがまるで絨毯のようで、これから冬になるというのにカラフルすぎるそこは何となく場違いに感じた。 一体いつから葉が枯れ落ちていったのか自分には思い出せなくて、そんな風景の変わり様のように、ゆっくりと異変が起きていた。 例えば、一緒に登下校をする回数が減った。宿題を見せて欲しいと自分に言ってこなくなり、代わりに別の人に頼んでいたり、目が合うと一瞬だけ驚いたように固まったり、なんとなく、以前よりもラブとの間に溝が出来たような気がした。でも、本来はこれが普通なのかもしれないと思って、気のせい程度の事にいちいち答えを求めるのはラブを束縛しているようで、気が引けて小さな変化の理由を聞くことはできなかった。 そんなもやもやとした気持ちでいると、時折胸がチクリと痛んだ。 「ラブ、最近せつなと帰ってくる事減ったわね」 角を曲がったところで美希と行き会って、そこから二人で歩きながら雑談をする。お互い違う学校だから、今日の変わった出来事とかを話のネタにすれば話題には事欠かなかった。その話の延長から、そういえば同じ学校に通っているはずの二人が最近一緒に帰っている姿を見かけなくなったと美希は思いだす。 「え、せつな? そういえば職員室にプリント提出しに行くって言ってたね」 「そのくらいの用事なら待っててあげればよかったじゃない」 「えー、なんで? 別に一緒に帰らなきゃいけないわけでもないのに」 「っ…、それは、そうかもしれないけど…」 ごく自然に、それが普通とでもいうように返された答えは予想外なもので、変なのーと笑うラブは背中に背負った夕日の逆行のせいか、言葉にできない違和感を纏っているようで知らずに息を飲んだ。 「ら、ラブ。今、リンクルン持ってる?」 「急にどうしたの美希たん? そりゃ持ってるけど…」 「ちょっと見せて」 「えっ、いいけど…」 隠す様子も素振りも見せずに差し出されたそれは紛れもない本物で、首を傾げるラブの仕草もいつも通りだった。 …それでも、おかしい。 だってあのラブが、理由もないのにせつなを置いて帰ってくるなんて。 戸惑いながらもリンクルンを返すと、受け取ってポーチへと戻し、それで今日さーと、今の事を気にする様子もなく話す学校での出来事に再び耳を傾ければ、とりたてて変わらぬ平和な日だったらしい。ただ、驚くほどせつなの話題がでてこない。いつもなら頼んでもないのにせつながすごかったと興奮気味に話すのに。 「ラブ、今日のせつなはどうだったの?」 「せつな? 別に普通だったと思うけど…っていうか美希たんさっきもせつなの事聞いてきたけど、美希たんとせつなってそんなに仲良かったっけ?」 その言葉にギシリと体がさび付いたように動けなくなった。数歩先で立ち止まり振り返ってきたラブは、不思議そうにこちらを見ている。言葉にならない緊張が走り、背中に冷や汗が伝った気がした。 「なに…言ってるのよラブ…アタシ達プリキュアで仲間じゃない…」 「いや、そうなんだけどさ。あたしもせつなの事よく知らないからどうって聞かれると少し困るっていうか」 ラブがせつなをよく知らないなら、アタシ達はどれほどせつなを知っていると言えるのだろう。あんなに一生懸命に想いを伝えていた人が、知らないなんて言葉をそんな平気そうな顔で言うなんて。 「ラブは、なんでせつなと知り合ったんだっけ?…」 「え? 四人目のプリキュアを探してて、見つけたからじゃないの?」 「そう…だったわね…」 あまりに簡素すぎる答え。一言で語れるような話じゃなかったはずのせつなとラブの関係は、同じプリキュアで居候というただそれだけの存在になっていた。 何か変だと気付いてから、一先ずいつも通り自分の家の前で手を振ってラブとは別れ、玄関の扉を閉めると同時にリンクルンで祈里とせつなを公園に呼び出した。制服姿で鞄を揺らして走ってきた祈里は学校帰りだったようで、何があったのと息を切らせながら心配そうにわたわたしてこちらを見る。せつなはそれとは対照的に、暗くなった辺りよりさらに暗い顔で歩いてきた。その手にはぐしゃぐしゃになった一枚の手紙を握りしめて。 「ごめんなさい…」 「どうしてせつなが謝るのよ」 「ラブの事、私のせいだから…」 「せつなちゃん自分を責めないで。知っている事があるなら教えて?」 …以前ラブが言っていた「違和感ある所にラビリンスあり」の格言は大正解だったようで、例によってプリキュアである自分達を狙っての今回の事らしい。手にした手紙を読み上げるせつなの声は固く必死で感情を抑えようとしている風にも見えて、こちらに関してもラブが正解かもしれないと今はいないリーダーを改めて見直した。 「にしても今回はいつもとは違う厄介さね」 「この作戦を考えたのは多分ノーザよ」 「ノーザってこの前来た女の人の事?」 「ええ。サウラーよりもずっと容赦のない人よ。だからこうしてわざわざ教えてきたのよ今回の事。そっちの方がダメージを大きくできるって考えて」 そう。これは自分に対しての精神攻撃が一番の目的だろう。ゆっくりと時間をかけたのは今回の事が相手にとっては暇つぶし程度でしかなく、ソレワターセではなくナケワメーケを使った作戦もシフォンを狙うためではないから。最近起きていた記憶障害も、今回の作戦のためのナケワメーケを作る実験としてやっていたらしい。 そして末出来上がったのが、寄生した人の一番大切な思い出を奪うナケワメーケ。 重要なのは寄生した本人から思い出が無くなるのではなく、一番大切な思い出を一緒に築いた人から寄生した人の思い出を奪うという事。 ラブとの思い出が一番大切だったから、ラブからせつなという人間との思い出が消えた。加えてその変化に疑問を持たない程度に辻褄を合わせた記憶が今のラブにはある。 寄生…という事は、あの時ナケワメーケに攻撃されたのがそれだったんだと気付いて、どうしようもなく自分に腹が立った。この計画のために関係ない学生が被害を受けてしまった事もそうだし、ラブと一緒にいればいる程、ラブの記憶に干渉してしまう事もそうだ。 加えて自分の思い出が原因の記憶障害だから、このままでは自分に関わった全ての人が被害の対象となる可能性がある事。今はまだせつなという人物との思い出が奪われているだけだが、そのうち自分自身の事すら分からなくなってしまうかもしれない。そんな事になれば、プリキュアが終わってしまう。 「少し、距離を置きましょう」 「せつなちゃん…」 「別にずっとっていう訳じゃないわ。今回のナケワメーケをどうにかするまでは」 眉が下がる祈里から心配している気持が痛いほど伝わってくる。それなのに何もかも隠して静かに微笑むだけのせつなに対して、二人を見ていた美希に苛立ちが募った。 気づかれないほどそっと、握りしめていた手に力を入れる。感情に任せて怒ってしまいたくなるのを抑えて、そっと息を吐き出して、ラブとの約束もあるのだから落ち着けと自分に言い聞かせる。 「記憶が奪われないようにアタシ達との接触も極力避けるって? それこそラビリンスの思い通りになっちゃうじゃない」 「大丈夫よ。ラビリンスが街に現れたらアカルンですぐにみんなのところに行けるから」 「大丈夫、ねぇ…何がどう大丈夫なのか分からないわね。例えばせつなの言う通りにして、無事この件が解決したとしても、せつなはきっと元のような状態に戻ろうとしないんじゃないの? 今みたいにアカルンがあるからとか言って」 どれほど自分が真剣かわかってほしくて睨みつける程強い視線を送れば、せつなは同じようにこちらを見るだけ。何も言わない。何も変えない。 自分のせいで周りに迷惑がかかるのを常に恐れているせつなは、あの手紙でその事実を突きつけられて自分を許せなくなっている。今のせつなは、アタシ達の傍にいる事すらよしと出来ないのかもしれない。 「…自分がいなくなれば、解決するとでも思ってるの…?」 ふっと目を逸らしてため息交じりに足元を見た。街灯が無ければ自分の靴と地面の区別もつかないくらいには時間は過ぎていて、想いさえもこの暗闇に飲まれてしまいそうな気がしてたまらなくなった。 「私は…みんなを護りたいの」 そんな気持ちを知ってか知らずか、せつなは沈んだアタシの心に一瞬で火をつけるような事を言う。 「せつなはアタシ達の何を護ろうとしてるのよ!!」 声を荒げるとせつなの肩がびくりと上がったが、今は気にしない事にした。 これだ。問題解決のために真っ先に自分を切り捨てる方法をとろうとする所や、それが当然と思っているのが本当に腹が立つし、一人で抱え込んで耐えようとしているのとか、出来るなら正座をさせてその事について何時間でも説教してやりたいが、それと同じくらい抱き締めてあげたくなる。泣きたくなる。 「アンタはもうアタシ達の仲間なの! みんなを護りたいっていうなら自分も含めて全員を助ける方法を考えなさいよっ!!」 「…―――あのね、もし、これから先少しでもあたしがおかしい事してたら色々と疑ってほしい。あたし自身が問題ないって言ってもだよ。それから、そうなった時、せつなを一人にしないであげて。お願い」 ラブから言われた言葉を思い出して、意地でも一人になんてしてやらないと自分を奮い立たせる。聞いた時はあまりに真剣に言うので驚いてしまったけど、時々起こる馬鹿みたいに鋭い勘が今回発揮されたようだ。 気に入らないのはやり方よりもその姿勢。 祈里に目線を送れば、先ほどまでハの字だった眉は上を向き、気合を入れるように胸の前でグッと拳を作って頷いてくれた。 「まず、今回の件を解決するためにもせつなはすぐ脱走しようとする癖を治しなさい」 「脱走って…」 「大丈夫だよ美希ちゃん。わたし達せつなちゃんの手を離したりしないもの。嫌だって言っても離さないからね?」 「ブッキー…」 「ブッキーの言う通りね。せつな、アタシ達から逃げられるなんて思わない方がいいわよ」 根拠のない自信で人を安心させるのはラブの専売特許だけど、今回はそれを倣ってみる。胸をつきだして偉そうにしてみれば、せつなの眼が大きく見開かれた。 「…ふ、ふふっ…あなた達には本当にいつも驚かされてばかりね。いつも励まされてばかりで……この記憶をみんなと共有できなくなるのは…哀しい…わね…」 だんだん小さくなっていく声と一緒に歪んでいく顔に喉の奥が痛くなって、震えだした体を前後から囲むように二人で抱き締めると、この状況ですら耐えるように嗚咽を我慢しているのが判り、知らずにこちらも唇をぐっと噛んでいた。 「置いていく方と置いていかれる方、どちらが辛いかと聞かれても、今の僕には分からない。そんな事より、君が今隣にいない事の方が重大だ」 ―――Abel Dinger 『A Will』和訳 p.202(全草社)より 何かおかしいと思ったら即報告。 言葉にすれば当たり前の事を今までしてこなかったのは、自己完結ばかりだったからだろう。実は胸元に攻撃を受けていたと話すとそれはもう言葉にできないほど二人は怒り、上記の文を美希と祈里に呪詛のように言われ、二人のいない今もなお頭の中で壊れたラジカセのようにそのフレーズばかりがリピートされ続けている。 今回の件で自分が如何に駄目な対応をとっていたかはよく分かった。分かったからもうやめてくださいと授業中うんうん唸っても、隣の席のラブは気にも留めなかった。 今のラブからしたら自分は通行人Aのようなものなのだろう。そう自分で考えておきながら、気持ちが沈んだ。 放課後、ラブ以外の三人で人目のない森へ集まる。寄生されたのだろう胸元にはビー玉のような丸い模様があり、押してみると少しだけ痛かった。以前より円が大きくなっている気がしないでもない。それを話してみると、時間が経ったからか、記憶の吸収によるものではないかと言われた。 まずは寄生されているのをどうにかしなければという事で話し合う。 「ナケワメーケがやった事なら、やっぱり浄化すればいいんじゃないかな?」 「それが妥当よね」 結論は最初からそれしかなくて、プリキュアの力でどうにかするのはわかる。でも、一つだけ気が気ではない事があった。 「このナケワメーケを浄化できたとして、それでラブの記憶は戻るのかしら…」 「っ…それは、正直わからないわ…」 手紙には「奪う」としか書かれていなかった。奪ったものを蓄積している本体が消滅してしまったら、記憶までも消えてしまうのではないか。これまでのラブとの関係が無かった事になると思うと、とても怖かった。今までの絆が、繋がりが消える。多いとは言えない自分の大切な思い出の中で一番輝いているモノが無くなってしまう消失感に、自分は耐えられるだろうか。 「せつな。キツイ言い方かもしれないけど、このままじゃ事態は悪い方へ行くばかりよ」 「わかってる。わかってるの…」 自分に言い聞かせるように呟きながら、耐えるように服の上から胸を掴んでいる姿は痛々しく、顔色も悪い。 せつなにとってラブがどれだけ大切で信頼しているのかが見て取れる。そんな人に自分が忘れられてしまうかもしれないのは、想像できないほど辛いだろう。でも、ラブがせつなを、せつながラブを大事にしているのに負けないくらい、自分達だってせつなは大事だから。ラブの思い出が消えてしまう事を、自分の全てが終わってしまう事と思わないでほしい。一人じゃ辛いなら支えるし、一緒に乗り越える事だってできるから。 祈里に目配せをする。 胸を掴んでいる手に覆う様に自分の手を重ねて、ゆっくりと服から離す。反対の手は祈里が両手でそっと持ちあげた。 「アタシ達がついてるわ」 「せつなちゃんはひとりじゃない。この手は離さないよ」 「……私は、ラブに連れ出してもらえて、初めてこの世界が好きになれたの」 「うん…」 「そんなラブがいなくなるなんて、私…」 「せつな、ラブはいなくなんてならないし、もしせつなとの記憶がラブから無くなっても、せつなが今までを覚えているなら、無かったことになんてならないわ。今まで手を引いてもらっていたのなら、今度はせつながラブの手を引く番よ」 隣で、手を繋いであげて。 背中を押すと同時にここにいていいという意味が含まれた励ましの言葉に、美希なりの優しさを感じて、何も言わずにずっと手を繋ぎ続けてくれている祈里の優しさも伝わって、そんな温かさに、自分は本当に恵まれた場所にいるのだと理解できた。だから、ゆっくりと頷けた。 ぜえぜえと息を吐きながら膝と両手をついて俯く私を前に、ベリーとパインの顔もすぐれない。覚悟を決めて二人から浄化の技を受けたが、ギリギリのところで威力が足りずに胸元の模様は消えなかった。初めてまともに技を受けた感想は、痛くはなかったが違和感と圧迫感であまり気持ちのいいものじゃなかった。 「ラブも…呼んでくるしかないか…」 「え…」 思わず顔を上げてベリーを見ると、そんな顔しないでと悲しそうに言われる。覚悟したとはいえ今のラブに近づくのは怖いし、記憶も奪ってしまうからと、今日に至っては一言も会話していない。 「アタシとパインの二人じゃ無理だったけど、ピーチのラブサンシャインも合わせればそれも消えるはずよ。今のラブに会うのは辛いかもしれないけど…」 「…そう、よね…」 「おーい! どうしたのさこんな所に呼び出すなんて。何かあったの?」 私服の上にジャケットを羽織ってやってきたラブは、まっすぐ前を見ながらいつものような足並みでやってくる。 こちらに近づく度にクシャリ、クシャリと枯葉の踏まれる音が大きくなり、無造作に絨毯をかき分ける様が得体のしれない何かに見えた。 「細かい説明を省くと、これからアタシ達と一緒にせつなにラブサンシャインを打ってほしいの」 「…ふーん……いいよ」 「理由は、聞かないの?」 「…うーん、別に。あんまり気にならないし」 たとえ浄化の力だとしても、仲間に技を放つ。それを一瞬考える素振りを見せただけで気にならないとぼやく今のラブには、欠落してしまった記憶と一緒にせつなという存在さえも曖昧になってしまったんだろうか。睨むでもなく、蔑むでもなく、有象無象のようにしかその眼には映らない。それは、踏まれても気付かれなかった枯葉と一緒だった。嫌われるよりも存在を否定される方が寂しいと、この時初めて知った。 「いくわよ。用意はいい?」 変身も終わりスティックが構えられ、ベリーの掛け声が静かな空間に響く。頷く他の二人に続くように頭を上下させれば、アイコンタクトでもわかる「絶対に助ける」というベリーとパインの想いに、もう一度目線を送る。ピーチの方へも一瞬だけ目を向けると、交差した視線から困惑するように揺れる感情が見て取れて少しだけ首を捻った。 「プリキュア! エスポワールシャワーフレッーシュ!」 「プリキュア! ヒーリングフレアーフレーシュっ!」 「プリキュア! ラブサンシャイン、フレーシュ!」 「…くっ……ぅぁ……」 三人からの力に、内側からもやもやとした圧迫感が上がり思わず声が漏れる。眩しくて開けていられず細めた目線の先に、苦しそうな表情でスティックを向けるピーチがいた。 記憶が無いにも関わらずそんな顔をしてくれたのが嬉しくて、ラブはラブなんだなと思えたところで記憶が途切れた。 ―――… 「えーと…あたしの、友達…ですよね…? すいません…思い出せなくって…」 目が覚めると自分のベッドで寝ていた。直後に部屋に入ってきた美希が驚いたように駆け寄ってきて、自分が倒れた後崩れるようにラブも倒れたのだと教えてくれた。 そして今、申し訳なさそうに謝るラブがベッドにいる。私の記憶は残っていないようで、初めて会いましたとでもいうような余所余所しさだった。二人きりの空間に少しの緊張が生まれる。 ラブと二人になってこんなに落ち着かないと思ったのは初めてで、本当はこの場から逃げ出してしまいたかった。 それでも…――――数回深呼吸をして、一歩前へ。 「…以前の私なら、さよならって言うんでしょうね。こうなってしまったのは私のせいだし…でも今は…はじめましてからまた始めたいの」 「えっと…」 「私は、東せつなって言うの。あなたの名前を教えて?」 「桃園…ラブ…」 「ラブ。私と、友達になって貰えないかしら?」 ラブが何も覚えていなくてもいい。今度は私から手を伸ばすから。 「ぅ…ぅう…」 「えっ…」 綺麗に笑えていたかは分からないがその時出来る精一杯の笑顔で言えば、ラブは途端に泣きそうな顔になり、流石にその反応は予想外で驚く。 きょとんとした後、いつもみたいな笑顔でいいよと言ってもらえると思っていたから。だから、そんなに、泣くほど自分と友達になるのが嫌だとは思わなくて、一歩前に踏み出すことがこんなにも大変で、想いを伝えて受け入れてもらえないのがこんなにも辛いとは思わなかった。 本当に、今更、こういう立場になってラブが自分にしてくれていた色々がどれだけ嬉しかったか分かったのと同時に、その気持ちを共有できなくなったのがとても悲しくて、痛かった。 「…ごめんなさい。今のは、忘れて。私とあなたは元々知り合い程度だっただけだか…」 「うわぁあああん!! ごめんねせつなー!! あたしせつなの事忘れてなんかないよずっと友達だよーーー!!!!」 「…は?」 一からでも友達になりたいと思った。でも、ラブが拒むなら自分はただの居候のままで構わない。そう思ってさっきの自分の申し入れを無かったことにしようとしたら、いつものような大泣きでベッドから飛び出したラブが抱き着いてきた。いや、それだけならまだしもラブは今何と言った?忘れてないとかなんとか言わなかったか…? 「だから言ったじゃない。せつなはまた友達になってくれるって」 「でもあのままいってたらわたし達の今回の苦労が水の泡になるところだったね」 ドアが開く音と同時にそんなセリフが背後から聞こえてそちらを向けば、美希と祈里が苦笑いしながら入ってきた。 「…どういう事?」 「そんなに睨まないでよ。ごめんって」 「今回の事よく覚えてないっていうからラブちゃんに話をしたらね…?」 【は? あたしがせつなを蔑ろにしてた? あはは、あたしがそんなことするわけないじゃん】 【事実よ。せつなの事なんてよく知らないってアタシに言ったし】 【え、嘘…まじで…? ど、どどどうしよう…せつなに何てこと……どうしよう。せつな、もう前みたいに隣にいてくれないかもしれない…】 【大丈夫だよラブちゃん】 【だってせつなだよ!? 一度手を離したら、もう掴んでくれないよ…うっ…ぐす…】 【はー、わかった。ならこうしましょう…―――】 「と、いう訳で、ラブがあまりにもせつなを信用しないからこうしてみたの」 「あ、あのねせつな、別にせつなを疑ったりしてたわけじゃなくてね? あの…」 「いいのラブ。私の日ごろの行いのせいよね」 普段からそれだけラブを不安にさせてしまった事を謝らなければいけないと思ったが、泣きべそをかきながら抱きついてくれたのが嬉しくて、ごめんの代わりにありがとうと小さく呟いて笑った。 「僕と君を天秤の両端に置いてその価値を量っても、僕が君を必要とする想いまでもは量れない。だってそうだろう? 数字で測れるほど、僕も君も予定調和な人生を歩んできたわけではないのだから」 「どうしたの? いきなり」 「今読み終わった本の最後のページにそう書いてあったの」 『A Will』というタイトルとは裏腹に、登場人物が誰一人として死ななかった物語。 人は死ななかった。それでも最初より随分と様々な人の考えや人物背景が変わった。変わった事を死んだと表現したかったのかはこの著者にしかわからない。それでも、変わる事を死と捉えるなら人は何度生まれ変わるのだろうと、空に漂う雲の数を数える頭の片隅で少しだけ考えた。 「せつな、みんな来たよ。本の世界から帰ってきて!」 「大丈夫よ。もう戻ってきてるわ。行きましょうラブ」 パタンと閉じた本から少しだけ風が起こり、丁度落ちてきた葉がその風で少しだけ軌道を変えた。 ※作中に登場する、『A Will』(Abel Dinger著)という本は作者の創作であり、「全草社」という出版社は実在するものではありません。
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「ゴメン、あたし、どうしても会っておきたい人がいるの!」 公園に向かう途中、そう言って立ち止まったラブ。 「会っておきたい人」 その言葉が指すのが誰なのか、何の為に行くのか、せつなはすぐに理解した。 だから。 「……わかった、先に行ってるわ。みんなには、私が説明しておくから」 そう言ってラブに向けたのは、笑顔。 「ありがとう!」 その笑顔に送られて、ラブは走り出す。 会いたい人の下へと。飛び切りの笑顔と共に。 せつなは、ラブの姿が見えなくなるまで、その場に立ち尽くしていた。 「……」 やがてその姿が、先の通りの角を曲がったことで完全に見えなくなる。 そのタイミングを見計らって、タルトが口を開いた。 「じゃあ、ワイらは先に行ってましょか、パッションはん」 「……」 「パッションはん?」 「……ごめんタルト、先に行ってて」 「どないしたんや?」 「なんでもない……すぐに追いつくから、お願い」 「?」 わけがわからない、と首を傾げるタルト。 するとその手を後ろから引く者がいた。 「タルトはん、パッションはんの言うとおりにしたってや」 「アズキーナはん?でもな……」 「お願いやさかい」 タルトの目を真摯な瞳で見つめるアズキーナ。 その中には、懇願を示す感情の揺らめきが混じっている。 それを理解したタルトは、暫し黙っていたが、やがて一つ、頷きを返す。 「そやな、じゃあワイとアズキーナが先に行ってベリーはん達に説明するさかい、 パッションはんもあんまり遅れんようにきてな」 「うん、わかってる……ありがとう、タルト」 せつなのその言葉と共に、公園の方に駆け出すタルト。 後に続こうとするアズキーナが、その前にせつなの方に振り向いたので、 先程の口添えへの感謝の意を込めて一つ、頭を下げる。 「……」 アズキーナは何か言いたげに、心配げな表情を浮かべていたが、 先を行くタルトから促す声が飛んできたので、 一礼をするとすぐにきびすを返して、タルトに続いたのだった。 (パッションはん……) タルトを追いかけて、走りながら、アズキーナは思う。 その場に一人、残りたいと言った少女の事を。 そして、タルトからは見えていなかったが、 アズキーナには見えていた事。 その少女が、ラブを送り出した時からつい先程、タルト達と別れるまで、 一度も笑顔を崩そうとしなかった事を。 タルト達の足音が遠ざかった事を確認すると、せつなはもう一度、 ラブが消えた曲がり角の方に向き直る。 「ラブ、上手くいくといいわね」 笑顔を浮かべたまま、誰に聞かせるでも無く、呟く。 それが自分の心からの言葉だからと。 ―そう、思い込む為に― 「あ……」 目尻に感じた熱。 その正体を理解する前に、それは滴となって、せつなの目から零れ落ちた。 「あ……いや……」 その事を拒否するように、ふるふると首を振るせつな。 しかしそれを無視して、彼女の両目から熱を持った水滴が次々と溢れ出る。 「やだ……だめ……だめなんだから……」 制止する言葉。 それでも、溢れるものは止まらない。 「嫌……お願い、止まってよお……」 それでもせつなは、それに対して拒絶の言葉を言い続ける。 嫌だから。 こんなのはダメだから。 だって、今泣いたら……ラブの見つけた幸せを認めないことになってしまうから。 きっかけは、ダンスコンテストの練習の時。 思わぬ闖入者の登場に、始めは呆れたような目つきで見ていたラブの視線が、 途中から変わったように思えた事。 ダンスコンテスト当日、初戦を通過したことで浮かれる中、 ただ一人、ラブだけが違う方向を見て浮かない顔をしていた事。 そして、シフォンがさらわれた後にあった出来事と つい先程の「どうしても会っておきたい人」という言葉……。 わかっていたつもりだった。 ラブの幸せと、自分の幸せが一緒のものとは限らないということを。 いつか、彼女が彼女自身の幸せを見つけた時、自分とは違う道を― ―彼女の選んだ幸せへの道を進むだろうということ。 そしてその時に、せつな自身がその足枷になるような存在に なってはいけないということも。 だってそうじゃないか。 私は、こんなに短い間に抱えきれないほどの、いや、 一生掛かっても返しきれないんじゃないかと思うくらいに いっぱいの幸せを貰ったのだから。 それなのに、まだ幸せを求めようとして、ラブの幸せを奪ってしまうことに なってしまったら。 そんなことは、許されない。何よりも私自身が、それを許さない。 だから。 ラブが、大切な人が見つけた幸せを祝福してあげること、それが私がするべきこと。 その時が来たら、精一杯の笑顔で、送り出してあげよう。 彼女が幸せをゲット出来るように。 そう思って、心のなかに想いを押し殺して、鍵をかけて閉じ込めていた筈なのに。 それなのに。 「っ……う……く……ぁ」 涙という名の鍵によってその扉はあっさりとこじ開けられ、 本当の想いが鎌をもたげていく。 ラブ。 どうして、行ってしまったの、ラブ。 どうして、私とじゃダメなの、ラブ。 ねえ、ラブ、お願い、教えて。 私じゃ貴方を幸せに出来ないの、ラブ。 「ぁ……うぁ……ひぅ……ラブ……」 せつながずっと浮かべていた― ―いや、顔に張り付かせていた本心を隠す為の偽りの笑顔も 最早、次々と顔を伝う滴によって剥がされ、押し流され、跡形も無い。 後に残ったのは、ただただ、感情のままに泣きじゃくる少女の顔。 それでもせつなは、目元に浮かぶ涙を両手で拭い続ける。 そうすることで、本当の気持ちにまだ抵抗し続けられる、そう思い込んでいるかのように。 しかし、その動きも段々とゆっくりしたものになっていき、 やがて力無く両手が下がっていく。 「ラブ……ラブぅ……」 最早彼女に出来る事は只一つ、泣きながら名前を呼び続ける事だけだった。 既に去っていってしまった、愛する人の名前を。 8-709へ