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【環境正義運動】 1980年代からの「環境正義運動」は、米国の環境運動の第三の大きな波(19世紀にはじまる自然保護運動、1962年刊行のカーソンの『沈黙の春』に触発された環境汚染反対運動に続くもの)であるといってもよい。非白人や労働者階級・貧困層も環境運動の主体として大きな役割をになうようになったのはこの年代からである。米国で環境汚染の影響が有色人種・低所得層に集中する傾向のあることが公民権運動経験者らによって指摘され,1982年にはチェイビス牧師によって「環境人種差別(eIwironmentalracism)」という言葉が造語された。有害廃棄物処分場のアフリカ系、先住民、ヒスパニック系地域社会への立地、労働環境農薬汚染のヒスパニック系への集中、ウラン開発の先住民保留地への集中、鉛汚染の黒人低所得層の子どもへの集中などが問題とされたのである。こうした状況を告発し、すべての人種や階級に公平な環境保護をめざす運動が「環境正義連動」と呼ばれるようになった(ダウイ1998,本田・デアンジエリス2000,石山2004)。 アメリカにおける連邦環境正義局が、1980年代におけるマイノリティ居住区への有害廃棄物の放置に対する抗議行動をきっかけに成立したという経緯は、環境的正義のこのような側面を物語る事実として興味深い。 1960年代の【水俣病】も参照のこと。日本では、宮本憲一や飯島伸子らによって1960年代から公害の被害が生物的弱者・社会的弱者に集中することが指摘されてきた。 【アメリカのコミュニタリズム】 リベラリズム批判の思想として、1980年代のアメリカに登場し、強い影響力をもったサンデル、マッキンタイア、C・テイラー、ウォルツァーらが代表的な理論家。その思想内容は多様であるが、家族や地域の崩壊、犯罪や暴力・麻薬の横行、政治的無関心や公共心の衰退、精神的退嬰と道徳的行き詰まりなど、現代の社会病理の根源が「リベラリズムの原子論的個人主義」や「社会の道具主義的理解」に由来すると見る点で一致している。 【貿易自由化推進】 世界銀行とIMFは1980年代以降、途上国政府に債務返済のための構造調整政策を強要している。この政策は,福祉や教育の支出を切り詰め、天然資源や農産物の輸出を拡大して外貨を稼ぎ、いっそうの貿易自由化推進を求め、途上国に悲劇をもたらしている(ジョージ1989)。福祉や教育などの支出削減が、貧困問題を深刻化させることはいうまでもない。資源や農産物の輸出拡大は、国際アグリビジネスによる支配を強化し、農村経済を疲弊させ、国内市場向け食糧生産の減少と食糧の輸入依存、農地や森林などの劣化、一次産品価格の下落とそこで働く労働者の労働条件の悪化などを招くことになる。 【チェルノブイリ原発事故】 1980年代に日本でクローズアップされた「地球環境問題」の代表は、地球温暖化やオゾン層破壊である。チェルノブイリ原発事故(1986)などに見るように、放射能汚染もまた地球環境問題であるが、日本では放射能汚染以外の環境問題を環境庁(環境省)が、放射能汚染を科学技術庁(文部科学省)が担当するという縦割り行政を続けてきた。そこで、通産省(経済産業省)をはじめとする原発推進派は、原発は地球環境問題の「原因」ではなく「解決策」であると主張した。原発からは炭酸ガスが出ないので、温暖化を軽減するという理屈である。放射能は環境行政(環境庁の仕事)にふくまれないことが、こうした論弁を可能にした。 【グローバリズムとローカリズム】 1980年代のグローバル環境危機の自覚を背景に、人間中心主義の否定と自然中心主義を理念とする欧米発のenvironmental ethicsが“地球倫理”として提唱されたが、「途上国」からの批判を浴び各国・各地域に即した環境倫理を追求するローカリズムが主要傾向となった。日本でも欧米直輸入型環境倫理論は自然(=非文化=wilderness)観をはじめとして、特に人間/自然の二項対立のフレームが批判され、人間と自然の関わりの視点から日本の実情と文化に即した環境倫理が探求されてきた。近代(=西洋の普遍化)批判もそれを後押しした。他方で、日本の反公害運動の歴史、乱開発による地域への矛盾の集積が、環境問題を何より地域の暮らしの問題として実践的に問うてきた。その意味で、環境倫理は何より地域社会の次元でどう有意義か、地域において自然との共生・人間間の共生をどう結合するかが問われている。 【国際的分業化】 東アジアコンプレックスでは、1980年代以降、その「中心」たる日本における農家労働力の枯渇が、「周辺=辺境」への対外直接投資の増加を引き起こしていた(山崎(2007)第2章)。そして他方では、「周辺=辺境」における「緑の革命」とともに進行している農民層分解が、そこに低賃金労働力のプールを作り出し、それが「中心」からの対外直接投資を引き寄せていた。そこでは、新国際分業論が描く途上国発展の図式が、ほぼそのままの形で妥当していたと言える。 1980年代後半に入り,市場万能主義,経済効率主義の国際的潮流に変化の兆しが現れた。その直接的契機となった文書が,国連総会において採択された「我ら共有の未来」(邦訳「地球の未来を守るために」)である。 【タイの「充足経済」】 タイでは、1980年代以降に始まった「もう一つの開発alternative development」のほかに、プミポン国王の「充足経済sufficiency economy/足るを知る経済)」が、グローバリゼーション時代に対応する一つの思想として、特に農業分野で広がっている。東北タイでは,1960年代に進められたサリット首相の「開発体制」による「上からの開発」と「反共産主義」を掲げた農村開発が始まった。政府によって行われた「上からの開発」は、これまでの自給自足を基本とした伝統的作物からキャッサバ等の換金作物への転換を奨励した。その結果、土地の劣化や 単一作物の栽培であるため価格が暴落すると一気に借金を背負い込み、農民たちを貧困に落とし入れた。また同時に、消費スタイルの変貌や都市への出稼ぎ等、伝統的な村の生活が失われていった(櫻井1999)。しかし、1980年代から、村落開発に対する新しい動きが、村人やNGOから 生じ始める。村人からは、複合農業や仏法に基づく村づくり連動が行われ、NGOからは,環境保護や住民参加と自助努力を中心とし、かつタイの社会、文化、特に仏教に根ざした開発を目標にした「もう一つの開発」が主張された(末廣1993)。その一方、タイ人の多くに尊敬されているプミポン国王が30年以上にもわたって説いている「充足経済」は、第9次国家経済開発計画(2002年~2006年)における哲学として位置づけられているだけでなく、1,000バーツ紙幣や学校の教科書に掲載されている。特に、1997年のタイバーツの突然の下落からアジア通貨危機を招いた経済危機以降、今まで以上にこの考えは広まっている(UNDP2007)。「充足経済」とは、「ほどよく持ちほどよく食べることが出来るような経済」であり、「そのような経済は自分を養うことができ,自身にもほどよくと思わせる」という内容である。 末廣昭「タイ開発と民主主義」岩波新書 【動物実験の規制】 1970年代から1980年代にかけては,西洋を中心に大規模な動物実験反対運動が展開され,その結果イギリスでは1986年に“Animal Scientific Procedures Act”により動物実験の実施に関するライセンス化を定め,フランスでは1988年“Legislation et Reglementation Relatives a la Protection des Animaux d Experience”により脊椎動物の取扱いに関し規制をおこなうなど動物実験に関連する法規制が整備された。 日本では1980年代の動物実験の規制化と同時に全国の各研究機関で慰霊碑が建立されたことは他国と比較しても特徴的であったが、自然(神)を祁りさえすれば規範からの逸脱も容認されるといった仏教的自然観の二重性が、現実問題を隠蔽する危険性をはらんでいる。(亀山2001) 【“宗教ブーム”】 1980年代、日本は“豊かな社会(高度消費社会)”に到達した。だがそれは、反面では“心の貧しさ”を全社会的に自覚し始めた時期でもあった。子どもや若者の世界でいじめや自殺(葬式ごっこ事件が1986年)、薬物依存などが頻発し、大人社会でも過労死や燃え尽き症候群、アルコール依存症などが社会問題となった。“豊かな社会”の到来は、“不安な社会”と“不透明な時代”の幕開けでもあった。そんな中で人々の関心は宗教に向けられた。“宗教回帰”が指摘され、新新宗教が続出し、マスコミ・ジャーナリズムをにぎわせ、“宗教ブーム”ともてはやされた。 “豊かさ社会”における宗教への動機の特徴は,それ以前の“貧・病・争”から“存在の不安”へと変化したと強調されるようになった(室生1986)。その中で、現代人の宗教ニーズは、個別的具体的な欲求に関わる問題よりもむしろ、生の意味・自己の存在理由の確認など全体的精神的問題が中心かのようにイメージされてきた。しかし、「術の宗教」という関わり方の背景には、日常生活におけるさまざまの具体的な欲求・欲望の実現や“形ある御生活苦からの解決が基本的動機となっていることは明らかだ。“貧・病・争”は,以前と形態の変化こそあれ、依然として現代人の宗教への基本的動因でもある。というのも“豊かな生活”とは単に消費物資・モノの氾濫を意味するだけで、福祉制度や安全システムなど生活の経済的・物資的条件は、依然貧弱だからである。 1980年代中盤以降の円高によってはじまった日本企業の多国籍化と生産拠点の海外移転は、自己の労働力を商品とすることによって生活しなければならない人びとを生み出し、ますます競争圧力にさらしてゆくことになった。 島薗進『スピリチュアリティの興隆 新霊性文化とその周辺』岩波書店、2007 【渡り鳥の変化】 1980年代は日本に渡来する多くの夏鳥が急減した時期でもある。越冬地での環境破壊が日本に渡来する夏鳥の多くを大幅に減少させてしまったものと思われる。国際食糧農業機構(FAO)の統計によると、80年代、もっとも森林面積が減少したのがスマトラをふくむインドネシアであったが、タイ、ミャンマー、マレーシア、フィリピンなど、夏鳥が越冬するほかの国々もそれに次いでいる。 【環境教育】 1970年頃までは、まだ今日のような「環境教育」の語はほとんど見られなかった。しかし、1972 年の国連人間環境会議(ストックホルム会議)で、アメリカ環境教育法の影響を受けた「環境教育」の概念が提唱されると、日本でも「環境教育」の語が広まっていく。特に1980年代後半以降は「公害教育」より、「環境教育」の用語が広く使われるようになる。さらに、1992 年にリオデジャネイロの国連環境開発会議で、「持続可能な開発」の概念が注目されると、環境教育も持続可能性に向けた様々な分野を含む広域的・総合的なものへと変わっていった。 【環境史】 環境史という言葉が日本に定着しはじめたのは,1980年代のこ とであった。その契機のひとつとなったのは,82年に発表された中山茂「環境史の可能性」(「歴史と社会」1,リブロポート)である。「最近,若い歴史家のあいだで,環境史(environmental history)ということが言われ出しているのを,時折耳にする」と述べて米国における環境史研究の動向を紹介した中山は,「環境史とはなにか?」という問いに対して「実はまだ誰も明快に定義を下すことができない」,「その主導者たちのあいだでも意見の分かれるところで……いまだに議論が絶えない」,「環境保全問題にはどうしても長期的・歴史的視野が必要であることが分かった,という程度のことが,彼らの共通認識であろうか」と述べている。h具体的には社会学、民俗学などを起点として出発し,生活環境主義論や生業研究などの潮流を生み出しながら,1990年代以降に〈歴史学〉も含めて学際的に拡大,定着していく。 ドナルド・オースター「ネイチャーズ・エコノミ--エコロジー思想史』(中山茂.成定薫.吉田忠訳,リブロポート,1989年)の訳者である成定薫は「訳者あとがき」で,80年代前半に中山茂らが米国の研究動向を踏まえて環境史の重要性を訴えた際(前述),日本では環境問題に対する関心がすっかり下火になっていたことを指摘している。それによれば,70年代に公害・環境問題に対する関心の高まりに伴って日本では各地の大学に環境科学系のコース・学科が設笹されるなどの動きが見られたものの,80年代前半になるとそこへの社会的なサポートは衰退してしまう。 80代末に突如環境への関心が復活し,マスコミ・ジャーナリズムが地球温暖化・酸性雨・フロンガスによるオゾン層破壊・熱帯雨林の破壊・砂漠化といった環境問題を熱く報道するようになったという。成定はこれらのことを指摘したうえで,「『環境フィーバー」の再来そのものについては,その政治的・思想的背景の分析が必要かと思われる」と述べている。2000年代に入り,この点にさらに言及したのが渡辺正「これからの環境論一つくられた危機を超えて(シリーズ地球と人間の環境を考える12)」(日本評論社,2005年)である。渡辺によれば,1965年頃から85年頃までの20年間は「本物の環境汚染と被害」が進むが,その対莱が必死で進められ環境の「本物の浄化」が進んだこと,にもかかわらずちょうどそれと交互するようにして85年頃から地球温暖化・酸性雨・ダイオキシンなどの「つくられた危機」が「環境はあぶない.悪化中です」というキャンペーンとともに生み出されてきたことを指摘している。そしてそこでは,環境に関わる行政や企業の他,研究者も含めて,それを支える組織や業界として位置づけられることとなる。80年代以降の日本で環境科学,さらには広義の環境学の盛り上がりを促したポリテイックスを2000年代にまで至る環境政策の推移も含めて読み解く作業は,環境史研究がアプローチすべき課題のひとつである。 【公共哲学】 公共哲学は1950年代にアメリカで提起されその後、欧米で発展し、1980年代の中葉からは日本でも脚光を浴び盛んに論じられてきた。この公共哲学は新たな公共性の提示や検討を担うことが期待されてきたが、その登場は従来の公共‘性に対する不満と、社会における新たな現象や運動の胎動を契機としている。つまり、これまでの旧い公共性としての国民国家ないしはその政府の活動ではなく、新たな公共性としてのNGOやNPOなどの様々な民間人による自発的結社(市民社会)が現実として登場しているとともに、現代において求められているのである。このように一般的にあるいは包括的に、新たな公共性に基づく思想の体系としての公共哲学の存在を捕捉することが可能である一方で、定義や規定が定まっていないことともかかわるが、公共哲学には出自や潮流がいくつか存在する。 コモンズ研究に関する主要なアプローチのうち、政治経済学的性格の強いアプローチは、1980年代半ばに登場した、玉野井芳郎らによる「エコロジー派(農村社会型)コモンズ論」と、宇沢弘文らによる「社会的共通資本論派(都市社会型)コモンズ論」からなる。
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1980年代(第3期ウルトラシリーズ) ウルトラマン80(1980~1981) ウルトラ超伝説(1981~1982) ウルトラマン物語(1984) ウルトラマンUSA(1987) コメント欄 名前 コメント すべてのコメントを見る
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1980年代前期 マウンテンバイクは山を下るだけでなく、オフロードを自在に走れるようになり、現在のマウンテンバイクの原型ができあがった。 乗り方 下りだけでなく、アップダウンのある長い距離を走れるようになった。 カリフォルニア州サンフランシスコ郊外でのロックホッパー、コロラド州クレステッドビュートでのパールパスツアー、ファットタイヤバイクウィークといった多くのイベントが開かれた。 機材 ジョー・ブリーズや、トム・リッチーらに続けと、多くのマウンテンバイクフレームビルダーが創業していった。 それらは少量生産だったが、1981年には世界初の量産マウンテンバイクがスペシャライズド社から発売され、大ヒットした。 自転車の本場ヨーロッパのパーツメーカーは一過性のブームとして見向きもしない中、マウンテンバイク専用コンポーネントが日本のマエダ工業とシマノから発売された。 コンポーネントはもちろんさまざまなパーツの開発競争の中、よりよいマウンテンバイクをめざし、試行錯誤を繰り返していった。 活動 マウンテンバイク団体「NORBA」が組織された。 レースとトレイル保護を掲げ(後にトレイル保護はIMBAに移る)、マウンテンバイカーが環境保全にも目を向け始めるようになる。 年表 1981 スペシャライズド社が世界初の量産マウンテンバイク「スタンプジャンパー」を発表 1982 マエダ工業がマウンテンバイク用パーツ「マウンテック」を発表 シマノがマウンテンバイク用コンポーネント「デオーレXT」発表 1983 1月 NORBA(アメリカマウンテンバイク協会)が組織される。 トレック社からマウンテンバイクが発売。 1984 マエダ工業がマウンテンバイク用自転車コンポーネント「XC」を発表 関連項目 マウンテンバイク 1970年代 1980年代前期 1980年代後期 1990年代前期 1990年代後期 2000年代前期 2000年代後期 マウンテンバイク競技
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OPED/1980年代 作オタ推薦集追加するときはそのOPEDに関わっているアニメーターの名前やコメント等をなるべく書くこと。 アニメーター辞典と同じく担当パートは間違ってる可能性もある(特にノンクレジットの場合)ので、参考にする場合は注意してください。 198081 82 83 84 85 86 87 88 89 ‐1980年代‐ Gライタン OP1981年~1982年 オープニングアニメーション:須田正己DAICON Ⅲ OP 1981年 作画:庵野秀明、赤井孝美 第20回日本SF大会開会式にて上映 当時大阪芸術大学に在籍していた岡田斗司夫、武田康廣らが運営の主体となり庵野秀明(制作当時は確か除籍された後、だったかな…?)、赤井孝美、山賀博之がアニメーションを制作。 全編に渡り、当時の時事ネタパロディ満載。銀河旋風ブライガー OP 1981年~1982年 作画:金田伊功まいっちんぐマチコ先生 OP 1981年~1983年 作画:江村豊秋魔境伝説アクロバンチ OP 1982年 作画:金田伊功、越智一裕、鍋島修、他超時空要塞マクロス OP 1982年~1983年 オープニング・アニメーション:平野俊弘(スタジオイオ)、板野一郎未来警察ウラシマン OP 1983年ななこSOS OP 1983年 原画:二宮常雄スプーンおばさん OP ED 1983年~1984年 オープニング&エンディングアニメーション:南家こうじDAICON Ⅳ OP 1983年 作画:庵野秀明、板野一郎、平野俊弘、垣野内成美、前田真宏、貞本義行、他 第22回日本SF大会開会式にて上映。 前回よりも更に強力な布陣、制作体制での上映となり、多くのアニメファンを魅了させた。 2005年に放送されたドラマ「電車男」のOPはこれが元ネタのパロディ(前田の意向かな?)。光速電神アルベガス OP 1983年~1984年 作画:越智一裕、亀垣一、鍋島修、本橋秀之聖戦士ダンバイン OP 1983年~1984年 作画:秋野洋一(稲野義信)聖戦士ダンバイン ED 1983年~1984年 作画:稲野義信 妖精というモチーフの特性を生かした創造的なアニメート。まさに至高の芸術品。超時空世紀オーガス OP 1983年~1984年 作画:マジックバス機甲創世記モスピーダ OP 1983年~1984年 作画:金田伊功超攻速ガルビオン OP 1984年 作画:高橋朝雄、土器手司巨神ゴーグ OP 1984年 作画:安彦良和らんぽう OP ED 1984年 オープニング・エンディングアニメーション:渡辺浩超時空騎団サザンクロス OP 1984年 オープニングアニメーター:金山明博GALACTIC PATROL レンズマン OP 1984年~1985年 作画:森本晃司夢戦士ウイングマン OP 1984年~1985年 作画:稲野義信機甲界ガリアン OP 1984年~1985年 作画:二宮常雄超獣機神ダンクーガ OP1 1985年 作画:中村プロダクション 原画に佐野浩敏超獣機神ダンクーガ OP2 1985年 作画:田村英樹 田村英樹の強烈エフェクト。 このOPは本放送時にはわずか5回しか流されてなかったりする。炎のアルペンローゼ ジュディ&ランディ OP 1985年 オープニングアニメーション:湖川友謙、大森英敏、恩田尚之蒼き流星SPTレイズナー OP1 1985年~1986年 絵コンテ:滝沢敏文 演出:今西隆志 作画監督:谷口守泰 作画:毛利和昭、吉田徹蒼き流星SPTレイズナー OP2 1985年~1986年 絵コンテ・演出:谷田部勝義 作画監督:谷口守泰 作画:毛利和昭、貴志夫美子機動戦士Ζガンダム OP1 1985年~1986年 絵コンテ:今川泰宏 作画:梅津泰臣、寺沢伸介、北爪宏幸Thunder Cats OP 1985年~1987年 作画監督:窪詔之 作画:摩砂雪 海外合作モノであり国内ではあまりお目にかかれない。その完成度の高さ故アニメーター時代の摩砂雪作画の集大成と言っても過言ではないだろう。俗称・かみなりねこのOPプロゴルファー猿 OP 1985年~1988年 作画:本橋秀之昭和アホ草紙あかぬけ一番! OP 1985~1986年 オープニングアニメーション:本橋秀之ゲゲゲの鬼太郎 OP 1985年~1988年 作画:稲野義信(鬼太郎が寝ているカットから目玉おやじへの回り込み、ラストの戦闘シーン) 3期OP。剛Q超児イッキマン OP 1986年 作画:上妻晋作 上妻さんの巧さを知る数少ない資料の一つでもある。県立地球防衛軍 OP 1986年 作画:田村英樹あんみつ姫 OP 1986年 作画:南家こうじマシンロボ クロノスの大逆襲 OP2 1986年~1987年 作画:山下将仁聖闘士聖矢 OP1 OP2 1986年~1989年 作画監督:荒木伸吾ドテラマン OP 1986年~1987年 オープニングアニメーション:後藤隆幸赤い光弾ジリオン OP 1987年 オープニングアニメーション:なかむらたかし 原画に沖浦啓之マシンロボぶっちぎりバトルハッカーズ OP 1987年 キャラ作画・作画監督:はばらのぶよし メカ作画・作画監督:佐野浩敏機甲戦記ドラグナー OP 1987年~1988年 絵コンテ・演出:滝沢敏文 作画:大張正己きまぐれオレンジ☆ロード OP3 1987年~1988年 演出:望月智充 作画:後藤真砂子、後藤隆幸 1カット。回り込み。きまぐれオレンジ☆ロード ED2 1987年~1988年 演出:望月智充 作画:飯面雅子 砂アニメ。シティーハンター ED 1987年~1988年 絵コンテ・演出:港野洋介(青木雄三) ド定番ながらもこの時代において外すことの出来ない作品の一つ。 全編暗いトーンで仕上げたテンポの良いフィルムの中には、“酒”“銃”“ヘッドライト(車)”とハードボイルドエッセンスのお約束と、大都会の孤独感と心の渇きが詰め込まれた傑作の一品。ミスター味っ子 OP 1987年~1989年 作画監督:加瀬政広 作画:毛利和昭 味皇のバックの透過光は北久保助言らしい。破邪大星ダンガイオー OP 1987年~1989年 作画監督:大張正己(NC) オープニングアニメーション:山下将仁、垣野内成美燃える!お兄さん OP 1988年 演出:望月智充 作画監督:摩砂雪トップをねらえ! OP 1988年 作画:摩砂雪機動警察パトレイバー1期OVA OP 1988年 絵コンテ・演出・作画監督:北久保弘之 原画に橋本晋治鎧伝サムライトルーパー OP 1988年~1989年 絵コンテ・演出:池田成 作画監督:塩山紀生 作画:谷口守泰、毛利和昭、濱川修二郎ASSEMBLE INSERT OP 1989年 作画:スタジオライブ天空戦記シュラト OP1 1989年~1990年 作画:戸部敦夫 なかむらたかしチック。シティハンター3 OP 1989年~1990年 絵コンテ:森本晃司 演出:今西隆志 作画監督:北原健雄 作画:森本晃司、沖浦啓之、大平晋也桃太郎伝説 OP 1989年~1990年 作画:大平晋也(冒頭からタイトルまで)他御先祖様万々歳! OP 1989年~1990年 演出・作画:南家こうじ 全編エフェクトのみ!ジャングル大帝(第3作) ED 1989年~1990年 絵コンテ・作画:神村幸子 マンガ的な動物の愛らしさを見事に表現
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1980年代後期 乗り方 レースはスキー競技を参考に、クロスカントリー、ダウンヒル、スラロームなどの競技手法が確立していき、レースイベントが盛んになっていった。 各地で開催されるイベントに統一性がなくルールがまちまちだったことから、各イベント統合の動きがおこり、NORBAによって、全米選手権大会や、シリーズ戦のナショナルチャンピオンシリーズが開催されるようになる。 カリフォルニア州マンモスマウンテンなど、広大なスキーリゾートがその開催場所となった。 機材 多くの有名企業がマウンテンバイクに参入し、伝統的なクロムモリブデン鋼だけでなく、アルミ、カーボン、チタンなどの新素材のフレームも開発されるようになっていった。 もはや一過性のブームとはいえない状況で、1989年にはヨーロッパのカンパニョーロもマウンテンバイクコンポーネントに参入した。 活動 トレイル保護の活動は、NORBAから1988年設立のIMBAに移り、活発になっていった。 マウンテンバイクが自然環境に与える影響が研究され、ハイカーの与える影響とさほど変わらないことが証明された。 マリン郡ではBTC(マリン郡バイシクルトレイル保全委員会)が発足し、MTB入山禁止条例の撤廃を求めて活動を始め、いくつかのトレイルを再びマウンテンバイカーに開放することに成功した。 世界各地にもマウンテンバイクは広がっていき、協会の設立・レースの開催がされるようになっていった。 年表 1985 シマノがインデックスシフトを開発。 「第1回全米選手権大会」開催 1986 7月 アメリカで「マウンテンバイクアクション」誌が創刊。 1987 NORBAによる「世界選手権大会」がカリフォルニア州マンモスマウンテンリゾートで開催される 1988 IMBAが設立される 1989 カンパニョーロがMTB用コンポ「ユークリッド」を発売 関連項目 マウンテンバイク 1970年代 1980年代前期 1980年代後期 1990年代前期 1990年代後期 2000年代前期 2000年代後期 マウンテンバイク競技
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(1980年➡昭和55年。1989年➡昭和64年) 年月日 ■ 80年代東京風景色改善板 レア映像 ■ ’80年代のヒット曲・懐かしい曲 - Playlist ■ ビジュアル 80 年代シティ ポップ ミックステープ ■ Japan 80s HD | Digital restored 1980 Footage | 1080p ■ [ エモい] 高解像度で80年代の日本 | 第二部 ■ 80年代の日本の高解像度映像/Part.3 .
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目次 【時事】ニュース1980s 西暦1980年代 RS51980s 西暦1980年代 口コミ1980s 西暦1980年代 【参考】ブックマーク 関連項目 タグ 最終更新日時 【時事】 ニュース 1980s 1980s国産名車・カワサキ「Z400FX」再見 新時代を開拓したカワサキ初の400ccマルチ(1/2 ページ) - - ねとらぼ 1980s国産名車「ヤマハ RZV500R」再見【2ストV4を搭載するGP500レプリカ】(1/2 ページ) - - ねとらぼ 1980年代のロイヤルファミリーを振り返る、懐かしフォトアルバム - ハーパーズ バザー・オンライン 1980年代のマイアミを象徴する42枚の写真 - Esquire 1980年代前半にFDDよりも安くて手軽に使えた「データレコーダー」 ~NEC製品編~ - AKIBA PC Hotline! New model wearing a 1980s mood. レトロさが新鮮!80年代の日本にインスパイアされた「RETRO DIGITAL」が到着 - PR TIMES 西暦1980年代 ジョブズも履いた3万円のニューバランス「991」は愛すべき一足 (1/2) - ASCII.jp 今月は何を観る?ネットフリックス12月配信ラインナップ! | Culture | Safari Online - safarilounge.jp Netflix最新ラインアップ一覧(2021年12月版) 超豪華キャスト集結の映画『ドント・ルック・アップ』、『ペーパー・ハウス』完結や『コブラ会』新シーズンなど話題作が続々 - ニフティニュース インドのIT産業「カーストは無関係」の大誤解 - 東洋経済オンライン 『風の谷のナウシカ』と『DUNE/デューン 砂の惑星』に相互影響あり?「理想の世界」への希望と儚さ描く - BANGER!!!(バンガー!!!)映画評論・情報サイト RS5 1980s 1980s国産名車・カワサキ「Z400FX」再見 新時代を開拓したカワサキ初の400ccマルチ(1/2 ページ) - - ねとらぼ 1980s国産名車「ヤマハ RZV500R」再見【2ストV4を搭載するGP500レプリカ】(1/2 ページ) - - ねとらぼ 1980年代のロイヤルファミリーを振り返る、懐かしフォトアルバム - ハーパーズ バザー・オンライン 1980年代のマイアミを象徴する42枚の写真 - Esquire 1980年代前半にFDDよりも安くて手軽に使えた「データレコーダー」 ~NEC製品編~ - AKIBA PC Hotline! New model wearing a 1980s mood. レトロさが新鮮!80年代の日本にインスパイアされた「RETRO DIGITAL」が到着 - PR TIMES 西暦1980年代 #gnews plugin Error gnewsは1ページに3つまでしか使えません。別ページでご利用ください。 口コミ 1980s #bf 西暦1980年代 #bf 【参考】 ブックマーク サイト名 関連度 備考 Wikipedia ★★ 関連項目 項目名 関連度 備考 研究/西暦 ★★★ 研究/20世紀 ★★★ 研究/西暦1980年 ★★★ 研究/西暦1981年 ★★★ 研究/西暦1982年 ★★★ 研究/西暦1983年 ★★★ 研究/西暦1984年 ★★★ 研究/西暦1985年 ★★★ 研究/西暦1986年 ★★★ 研究/西暦1987年 ★★★ 研究/西暦1988年 ★★★ 研究/西暦1989年 ★★★ タグ 暦 最終更新日時 2013-12-07 冒頭へ
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通常品/番号順 1970年代 / 1980年代 / 1990年代 / 2000年代 / 2010年代 / 2020年代 目次 1980年 1981年 1982年 1984年 1985年 1986年 1987年 1988年 1989年 1980年 発売時期 番号 メーカー 車名 スケール アクション 備考 1981年 発売時期 番号 メーカー 車名 スケール アクション 備考 1982年 発売時期 番号 メーカー 車名 スケール アクション 備考 1984年 発売時期 番号 メーカー 車名 スケール アクション 備考 1985年 発売時期 番号 メーカー 車名 スケール アクション 備考 1986年 発売時期 番号 メーカー 車名 スケール アクション 備考 1987年 発売時期 番号 メーカー 車名 スケール アクション 備考 1988年 発売時期 番号 メーカー 車名 スケール アクション 備考 1989年 発売時期 番号 メーカー 車名 スケール アクション 備考
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1980年 とんねるず石橋貴明 木梨憲武 1981年 おかゆうた(おかけんたゆうた/旧芸名:岡ゆう太) 1982年 ダウンタウン松本人志 浜田雅功 ハイヒールリンゴ モモコ トミーズ雅 建 内場勝則 前田政二(現構成作家、元銀次・政二/何人トリオ) 濱根隆 杉本美樹 おかけんた(おかけんたゆうた/旧芸名:岡けん太) 岡田和幸(チャンバラJr.、元ミモ・ファルス) 1983年 コント山口君と竹田君山口弘和 竹田高利 ホンジャマカ恵俊彰 石塚英彦 ボブキャッツ(解散)岩瀬雄大(引退) 吉田ヒロ(旧芸名:ヒロ) ヤンキース長原成樹(旧芸名:セイキ) タツヤ(引退) どんきほ~て(解散)太平かつみ(現かつみ・さゆり) きびのだんご(引退) 野沢直子 清水ミチコ まるむし商店磯部公彦 東村雅夫 圭・修(解散)清水圭 和泉修(現ケツカッチン) 久本雅美(WAHAHA本舗設立年) 伊集院光(旧芸名:三遊亭楽大) 非常階段(解散)シルク ミヤコ(故人) 1985年 ウッチャンナンチャン内村光良 南原清隆 今田耕司 130R板尾創路 ほんこん(旧芸名:蔵野孝洋) 東野幸治 オールディーズ(解散)木村祐一 栩野進(引退) ダチョウ倶楽部南部虎弾(脱退) 肥後克広 寺門ジモン 上島竜兵 リットン調査団水野透 藤原光博 ピンクダック(解散) ミチ レイコ(引退) 1986年 B21スペシャルヒロミ デビッド伊東 Mrちん 三角公園USA(解散)辻本茂雄 阪上司(引退) 亀山房代(故人) ティーアップ前田勝 長谷川宏 ぜんじろう ビシバシステム住田隆 西田康人(脱退) メンバメイコボルスミ11(解散)ココ・シャネル(引退) ビク・トリア(引退) 1987年 石田靖 TEAM-0(解散)山崎邦正 てんつくマン(吉本退社/旧芸名:軌保博光) 出川哲朗 田中章(プリンプリン) 神無月 1988年 雨上がり決死隊宮迫博之 蛍原徹 爆笑問題太田光 田中裕二 さまぁ~ず三村マサカズ 大竹一樹 浅草キッド水道橋博士 玉袋筋太郎(玉ちゃん) 名倉潤(現ネプチューン/元ジュンカッツ) 春一番 松村邦洋 デンジャラスノッチ(旧芸名:佐藤望) 安田和博 勝俣州和 Take2東貴博 深沢邦之 エスパー伊東 山田花子 トゥナイト(解散)なるみ しずか(引退) ベイブルース(解散)高山トモヒロ(現ケツカッチン) 河本栄得(故人) テンション(活動休止)田口浩正 芋洗坂係長(旧芸名:小浦一優) 江頭2:50 矢部美幸(ナインティナイン・矢部浩之の実兄) コラアゲンはいごうまん(元電光石火、I少年D) やるじゃねぇかーず(解散) 森脇健児 山田雅人 1989年 千原兄弟千原ジュニア(旧芸名:千原浩史) 千原せいじ(旧芸名:千原靖史) 極楽とんぼ(解散)加藤浩次 山本圭一(引退) 原田泰造(現ネプチューン/元フローレンス) 堀内健(現ネプチューン/元フローレンス)) FUJIWARA藤本敏史 原西孝幸 バッファロー吾郎木村明浩 竹若元博 スミス夫人なだぎ武(現ザ・プラン9) 松村博司(引退) 大山英雄 白川悟実(テンダラー)
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1980年代生まれの人物の一覧です。 ←1970年代 1980年代 1990年代→ 1980年 千葉正也 百頭たけし 1981年 渡抜亮 藤田貴也 青秀祐 1982年 「1982年生 人物」をタグに含むページは1つもありません。 1983年 トモトシ 平川祐樹 1984年 遠藤麻衣 1985年 三重野慶 荒木悠 1986年 「1986年生 人物」をタグに含むページは1つもありません。 1987年 鶴友那 1988年 百瀬文 長谷川新 1989年 山形一生 遠藤薫