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区分 時期 内容 (1) 復古主義v.s.文明開化の時代 明治維新~西南戦争終結(1867-1877) 復古主義的文教政策を推進する勢力(主に公家・薩摩閥)と開明政策を推進する勢力(主に長州閥)が拮抗したが、西南戦争の結果、開明派が勝利した。 (2) 欧化主義v.s.政論的ジャーナリズムの時代 鹿鳴館時代~日露戦争開始(1878-1904) 「殖産興業」「富国強兵」「和魂洋才」等をスローガンに政府による強力な欧化政策が遂行された。その一方で在野の不平士族などを中心に「有司専制」に反対する政論的ジャーナリズムが登場。自由民権運動として知られる初期の立憲デモクラシー要求や、欧化主義に反対する「(明治期の)日本主義」と呼ばれる国粋主義運動も勃興し一定の影響を及ぼした。明治憲法制定(1889)・帝国議会開設(1890)などはそれらのせめぎ合いの成果である。 (3) 大正教養主義の時代 ポーツマス条約締結~第一次大戦による好景気(1905-1917) 明治期の悲願であったロシアの脅威の排除と不平等条約改正という大目標を達成したこの時期の日本では、政治よりも(西欧産の)哲学・文学など文化的教養に重きをおく風潮が顕著になり(大正教養主義)、それが政治面にも作用して議会制デモクラシーの確立を目指す動きが強まった(大正デモクラシー)。第一次大戦によって日本の富強化は一段と進展した。 (4) マルクス主義的教養の時代 ロシア革命~4.16事件(共産党員の大量検挙)(1918-1930) 1917年10月にロシアで共産主義革命が起こり、また第一次大戦の敗戦の結果ドイツ・オーストリア・トルコなどの帝国が倒れて共和国化した影響で、「歴史の必然的な発展法則」を説くマルクス主義思想が折柄の大正期の自由な知的環境の中で急速に知識人・学生層に影響力を拡大した(1918年東大新人会発足・・・当初は吉野作造の民本思想などの研究が中心だったが急速にマルクス主義思想に傾斜。1928年解散)。「革命の輸出(世界革命)」を目論むロシア共産党は1919年コミンテルン(国際共産党組織)を作り、その下部組織として日本共産党が結党され27年テーゼ(綱領)では公然と「天皇制打倒」を掲げるに至ったため、3.15事件(1928年)・4.16事件(1929年)で治安維持法に基づく共産党員の一斉検挙が実施された。このとき将来の国家を担うべき東大京大を初めとする全国32大学148名の現役学生が検挙された事実は政府当局を震撼させ「思想国難」と認識されるようになった。この共産党員の一斉検挙後も東大・京大など有力大学にマルクス主義に染まった多数の教授が大正期以来の「学問の自由」「大学の自治」を盾に居座り続け、それが排除されるのはコム・アカデミー事件(1936年)・人民戦線事件(1938-39年)に至ってからであった。 (5) 日本主義的教養の時代 満州事変勃発~ポツダム宣言受諾(1931-1945) マルクス主義への対抗イデオロギーとしての役割が、日本主義(日本の歴史・伝統に則った精神的姿勢の追求)に担わされた。その一方で、実際の国策指導・戦争指導は、特に近衛文麿内閣の成立後は、日本主義を奉じる観念右翼(伝統保守)ではなく革新右翼(国家社会主義者・アジア主義者)によって実施される場合が多く、観念保守はその動きに「護憲」の立場から歯止めをかけるのに精一杯だった。 (6) 戦後民主主義(教養主義の没落)期 GHQの占領~冷戦終結(1945-1990) (4)マルクス主義的教養の時代に思想形成し、それゆえに(5)日本主義的教養の時代には思想弾圧を受けたと感じているアカデミズムやジャーナリズムの人士が、GHQの占領政策に乗じて、そうした恨みを存分に晴らす機会を得て跳梁跋扈し、その影響が現在も続いている。 (7) ポスト冷戦期 ソ連邦崩壊~現在まで(1991-) 上記の通り、西暦2000年代に入ってようやく戦前の政治思想の状況を実証的に見直す動きが顕在化してきた。
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2008年3月10日を機に、平和的であることが疑う余地のない、中国政府に対しての抗議デモがチベット高原を覆い尽くしました。 これらの一連の抗議活動は、中国当局の武力行使による激しい取り締まりによって鎮圧されました。2008年3月10日以前にもチベット地域における拷問、暴行についての報告はなされてきましたが、今回の資料の提出は、チベットの今を知るために、一般に『春の蜂起(註2)』と呼ばれている特に重要性の高い期間に絞り、2008年3月10日より後、チベットで何が起こっているかを委員会に報告することを目的とします。 チベット人たちは、この提出資料が余すことなく指摘するように、彼らの亡命中のリーダー ダライ・ラマこそが、彼らの関心を代表するものであり、中国政府ではないという明確なメッセージともに、北京(中国政府)の支配する政策に対し、特にここ6ヶ月間、自らの生命と安全の危険を犯して根本的な不満を訴え続けています。 中華人民共和国は公的に拷問の使用を禁止しているにも関わらず、その責任を果たしていません。2008年3月以降、何百人もの僧、尼僧、就学時の子供を含むチベット人たちが「蒸発」するか、または強制連行により収容、監禁され、拘留中に非常に残虐な行為の対象となっています。 武器を持たない平和的デモの参加者が銃で撃ち殺され、刑務所内では拷問によって死亡しています。また、執拗な当局の取り締まりや、ダライ・ラマを批判することを強要されたことで絶望に至った自殺者は、あとを絶ちません。 抗議運動の勃発後、新しい規律として、各僧院に対して僧・尼僧らを礼拝から追放することが言い渡されました。それらの規律は、明らかに僧院のある地域社会に対しては侮辱を、僧院内の僧・尼僧らの社会にとっては最大の精神的な苦悶をもたらすために特別に作り出された、宗教活動の自由を奪う圧力だと言えます。 それは、文化大革命当時の暴挙を彷彿とさせ、現中国共産党総書記・国家主席である胡錦濤によるチベット仏教に対する新たなる執拗な攻撃となりました。 委員会(国連拷問禁止委員会)に置いては、チベットにおける拷問、虐待の問題は組織的であり、PRC(中国共産党)による、国境内における「安定性」を重要視した政策による結果である点を念頭に置いて考慮されたい。 この報告書では、これらの当局による弾圧が、チベットをどのように恐れと絶望の緊迫した環境に陥れていったかについてと、悪化の一歩をたどるチベットの文化と宗教に対する弾圧的な政策の実施について述べていきます。 まず、この報告書を理解する上で大変重要なチベットの概要について説明します。 チベットとは伝統的に:アムド(北東部チベット)、カム(東部チベット)とウ・ツァン(中央および西チベット)といった3つの主な地方から構成されています。 チベット自治区(中国読みXizang zizhiqu)とは、1965年に中国政府によって制定され揚子江(チベット名:ディチュ)の西から、カム地方の一部を含む(現在、英語で「中央チベット」としばしば称されている)チベットの地域を指します。 残りのアムドとカム地方は中国行政区に吸収され、チベット人「居住区」がこれらの地域にあると認定されたため、これらの地域はチベット族自治州とチベット族自治県に指定され、その結果、大部分の青海省と甘粛省、四川省と雲南省の部分は、中国当局によって「チベット」とよばれ、このチベットと呼ばれる地域全体を指して中国は「自治地域」としています。 (註2:『春の蜂起』とそれ以降の取締についての詳細の報告は以下を参照。「チベットは分岐点に」 ICT 2008年8月5日 www.savetibet.org)
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◆政治的スタンス五分類(内枠) 進歩重視 伝統重視 親・全体主義(閉ざされた社会) I 左翼(共産主義、社会主義、リベラル左派) ⇔親和性高い⇔(左/右しばしば転向) V 右翼(国民社会主義※1、ナショナリズム) 反・白人/反・英米的親アジア傾向、独裁制 ‡非常に対立的 II 中間(便宜主義) ‡反・左翼で一致だが潜在的には対立 モボクラシー(衆愚制) 親・自由主義(開かれた社会) III 真正リベラル(本来のリベラル=リベラル右派) ⇔親和性高い⇔(伝統に根ざした自由) IV 真正保守(伝統保守) 親・文明/親・英米的デモクラシー(民主制) ※サイズが合わない場合はこちら をクリック ◆政治的スタンス八分類 (外枠) ※極右と極左は隣接 「ナチスとコチスは兄弟」 Political Stance Ultra-Left Left-Winger Liberal Centrist Neo-Liberal Conservative Right-Winger Ultra-Right 政治的立ち位置 極左(急進・過激派) 左翼(革新) リベラル左派(中道左派・進歩派) 中間(オポチュニズム) リベラル右派(新自由主義) 保守(伝統保守) 右翼(ナショナリズム) 極右(急進・過激派) 政治制度 一党独裁(全体主義) 指導政党制(準全体主義) 選択的多党制・政権交代を前提(純度の高い議会制デモクラシー = 自由民主制 liberal democracy)※2 指導政党制(準全体主義・権威主義) 一党独裁(全体主義) 革命(Revolution)断行 革命・クーデターによる政体変更を否認 維新(Restoration)断行 クーデター断行 経済制度 共産主義 社会主義 資本主義 国民社会主義※1 経済政策 国家管理 高負担・高福祉 やや高負担・高福祉 功利主義・無定見 最小限の介入 中負担・中福祉 高負担・高福祉 国家管理 外交政策 親大陸(反英米) 親英米(反大陸) 反英米・反大陸 日本の事例 社民党(旧社会党) 自民党 日本共産党 民進党 維新政党新風 生活の党 公明党 おおさか維新の会 日本のこころを大切にする党 海外の事例 米・露 ソ連共産党(現:ロシア共産党) 民主党(米) 共和党(米) 統一ロシア(プーチンの与党) 自由民主党(露) 英国 労働党(英) 自由民主党(英) 保守党(英) ドイツ 左翼党(旧東独社会主義統一党) 社会民主党(独) 自由民主党(独) キリスト教民主同盟・社会同盟(独) ドイツのための選択肢 ナチス党(消滅) 中・台 中国共産党(支) 民主進歩党(台) 中国国民党(華・台) 国内メディアの立ち位置 赤旗(共産党支持) 朝日・毎日・中日・NHK(民主・社民支持) 読売・日経(大連立・中道志向) 産経(自民支持) チャンネル桜(保守派支持) ※読売は「保守」ではなく「便宜主義」※産経も「保守」ではなく「中道右派」 ※政治現象を読み解くために…上の図は頭に入れて置こう⇒上図の詳しい説明は 政治の基礎知識 参照 ※意見はこちらへ⇒ 政治的スタンス分析 ※1:国民社会主義 … 「国民」を神聖視した戦後はナチスと結びついた national socialism を「国家社会主義」とワザと誤訳してきたが、戦前の刊行物は「国民社会主義」と正しく訳しており最近の高校教科書の記述も語義どおり正しく翻訳するようになってきた(例:2006年検定合格の山川世界史教科書:「国民(国家)社会主義」と表記)。 ※2:自由民主制 … 「国民」を神聖視したのと同様に「デモクラシー」を「民主主義」とワザと誤訳して神聖視した戦後は liberal democracy をも「自由民主主義」とワザと誤訳してきた。⇒詳しくは デモクラシーの真実 参照。しかし厳密に学問的な政治学の著作は democracy を「民主主義」ではなく、ちゃんと「民主制」「民主政体」「民主政治」「衆民制」などと表記している。
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http //toriton.blog2.fc2.com/blog-entry-722.html 抜粋します。リンク対策です。 【尖閣危機】中 「極秘訪中」の裏側で… 2010.10.16 01 20 http //sankei.jp.msn.com/politics/policy/101016/plc1010160122001-n3.htm 「何であの男が…」 9月29日夜、超党派の日中友好議員連盟に所属する民主党議員はテレビのニュース映像を見て絶句した。 ニュースは民主党前幹事長代理、細野豪志が訪中していることを伝えていた。細野は沖縄・尖閣諸島沖で発生した中国漁船衝突事件の打開策を探るための「密使」だった。 先の議員が絶句したのには理由があった。北京市内のホテルで記者団に囲まれる細野の傍らに見覚えのある男が映っていたからだ。 男は日本企業の中国進出を支援するコンサルタント。自民党政権時代から日中のパイプ役を果たしてきた。この人物の話題は瞬く間に永田町に広まった。官房長官、仙谷由人とは学生時代からの友人だとも伝わってきた。 話を聞きつけたあるベテラン議員は 「民間人に頼るとは首相官邸も相当焦ってたんだな」と語った。 (中略) 細野訪中は10月4日の首相、菅直人と中国首相、温家宝の会談につながった。首脳会談に向けての一連の動きのなかで、外務省は「蚊帳の外」に置かれた。 「官邸は外務省ルートを信じず、素人が危ない対中折衝を繰り返している」 外務省幹部は指摘する。コンサルタント氏の“活躍”はその一端だ。 (引用ここまで) 仙谷の全共闘仲間のコンサルタントとは・・・ 戴秉国の友をえらばば篠原令、 危うさはらむ仙谷主導の全共闘外交、外務省は蚊帳の外 http //y-sonoda.asablo.jp/blog/2010/10/12/5398825 「新聞各紙は名前を伏せてコンサルタントと書いているが、 これは篠原令のこと。 細野訪中にも同行していた篠原もまた 全共闘の夢を追い、流れついた地は中国とソウルという人物。 仙谷主導の全共闘外交で外務省は蚊帳の外。その結果、廊下で行なわれた日中首脳会議では中国語通訳不在という前代未聞の事態を招くことに。」 篠原令 1950年生まれ。早稲田大学中国文学科卒業。 シンガポール南洋大学、韓国ソウル大学留学。澁澤栄一翁の孫、澁澤正一氏の秘書を経て米国の生命保険会社のアジア担当。その後、米国シリコンバレーでハイテクベンチャー企業の設立に複数参加。 八十年代末に拠点を中国に移し、アスキー、セコムなどの中国進出を手がけ、大手企業の中国進出のコンサルタントを続けて今日に至る。 その間、中国緑化のための100億円小渕基金の設立、日中緑化議員連盟の設立などにも関与。 人と人との関係 ジョブストリート・アセアンビジネスコンサルテイング 菱垣 雄介 http //jobstreetjapan.blogspot.com/2006/10/blog-post.html 最近しばらくお会いしていないのですが、私が一緒に仕事をさせて頂いた先輩の一人に篠原令さんがいます。 全共闘世代の華僑青年同盟のカリスマ、僕の「兄&師匠」の李さんに紹介していただいた方です。 中国、安徽省の巣湖の環境プロジェクトを実現しようと、中国の共青連と一緒に一年半ほど仕事をさせてもらいました。 僕を知る人は、僕が中国に背を向けていると思っているようです。別に大した意味はなく、生来のへそ曲がり、今皆が中国に向かっていくので僕はやる気が出ないというだけです。 そんな僕と中国の付き合いでしたが、篠原さんと共青連の金融・日本との関係の大家、カ先生(漢字がでない)を見てしみじみと学んだことがあります。 篠原さんは、日中国交回復のはるか前に、共産党経由で、香港から深釧に入国し、中国に留学していました。今から40年前のことです。そのときのホストファミリーが、実はカ先生だったのです。 日中国交回復のはるか前に、共産党経由で、香港から深釧に入国し、中国に留学していました。今から40年前のことです。 なるほどね、そりゃ中国共産党に顔が利くコンサルタントでしょうよ! レンホー大臣の仲人までした中国共産党御用達の革命家ジャーナリスト・高野孟と同じくらい中国共産党御用達のコンサルタントだこと! 仙谷官房長官の全共闘仲間 高木健一(慰安婦・サハリン残留朝鮮人賠償問題でマイク・ホンダと活躍中の弁護士) 高野孟(民主党結党時に基本政策を作った中国御用達ジャーナリスト。レンホーの仲人) 篠原令(中国国交回復前に中国共産党のおかげで中国留学・妻は韓国人!) 段躍中 現在地 池袋 Web http //jp.duan.jp/ 自己紹介 日本僑報社編集長、日本湖南人会会長。 日中関係と華僑華人のニュースを日々日中二カ国語で発信しています。 ブログ「段躍中日報」 なるほど~~、また出た中国華僑団体の【日本湖南人会】! 村山富一元首相が特別顧問を務める【日本湖南人会】と篠原令が繋がっている! 詳しくは当ブログ「日中首脳廊下会話、日本側に中国語通訳がいなかった怪 」を参照 「全共闘世代の華僑青年同盟のカリスマ・李」に篠原令を紹介してもらったと言う上記のBlogが妙に引っかかったので調べてみると・・・ ■善隣学生会館事件 http //ja.wikipedia.org/wiki/%E5%96%84%E9%9A%A3%E5%AD%A6%E7%94%9F%E4%BC%9A%E9%A4%A8%E4%BA%8B%E4%BB%B6 ■善隣学生会館事件の真相を探る-リンク集 http //home.a00.itscom.net/konansft/zenrin/zenrinlnk.htm 日本共産党 日本共産党中央委員会 善隣学生会館事件の一方の当事者。 社会民主党 善隣学生会館事件では、社会党は華僑青年側を支持しました。 日本労働党 日本労働党は、1966年に日本共産党から分裂した親中国派の日本共産党(左派)や善隣学生会館事件で華僑青年を支援 したML派の人たちなどがつくった政党。 民主統一同盟/がんばろう!日本!! 国民協議会 民主統一同盟は、善隣学生会館事件で華僑青年を支援したML派(社学同ML派→日本ML同盟)の壊滅後、残った人たちなど(レーニン研という組織からも参加したということです)が結成したマルクス主義青年同盟が、さらに名称変更した政治組織です。 いまでは左翼を卒業(?)して、民主党や自由党の選挙などの応援もしているということです。 --------------------------------------------------------------------- さて、日本僑報社編集長、日本湖南人会会長・段躍中のTwitterに【村田忠禧先生の尖閣諸島に関する本を中国語のサイトに紹介したところ、大きな反響がありました。 】と、書かれている。 今日の中国の『尖閣諸島は中国領土!』大規模反日デモに影響を与えたのではなかろうか? ●日中で抗議デモ 尖閣諸島問題めぐり http //news.nifty.com/cs/headline/detail/jcast-78373/1.htm ■村田忠禧 http //ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%91%E7%94%B0%E5%BF%A0%E7%A6%A7 ■村田忠禧(むらた ただよし)です http //sng.edhs.ynu.ac.jp/murata.html彼の論文より 尖閣列島・釣魚島問題をどう見るか http //www.geocities.jp/ktakai22/murata.html 1968年~69年の東京大学における全共闘運動において、学生側(当時は私もその一人であった) 仙谷 由人(せんごく よしと、1946年1月15日 - )東京大学法学部 村田 忠禧(むらた ただよし、1946年7月6日 - ) 東京大学文学部 仙谷と、華僑団体と仲良しの村田忠禧は、東大時代に闘った全共闘の同志! 今の日本の状況のシナリオを書いているのは、 仙谷ら全共闘仲間と、【日本湖南人会】在日華僑団体と、中国共産党ではないだろうか・・・
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ジョン・ファヴロー監督『アイアンマン IRON MAN』。兵器製造会社の天才技術者でありながら社長が視察を行ったアフガンで拘束され、その生き方を見つめなおし、ロボットスーツを装着し、兵器と戦う。CGとアクションが抜群で楽しい。その上アフガンでのシーンがリアルで、現実と結び付けてくれる。とても見事に作りこまれている。漫画が原作でタイトルを見ると敬遠したくなるが、いい意味で映画らしい、迫力のある出来栄えとなっている。次回作を予感させる。 -- record17 (2008-10-05 15 32 12) 筆坂秀世『日本共産党』。有名な政党だが、何も知らない共産党の実態をナンバー4が示す。組織構造はいわゆる社会主義そのものと感じた。しかしながらも、著者の党への期待が窺える。 -- record17 (2008-10-05 15 36 09) ランチは味噌屋せいべえ。コクのある味噌とライスが旨い。 -- record17 (2008-10-05 15 38 02) とても気持ちのいい秋の昼下がり。公園へ足が伸びる。 -- record17 (2008-10-05 15 38 34) 夕飯はS氏とゴハンにて、ハラミステーキ、アボカドと湯葉、カツオのカルパッチョ、生ビール、残波、モヒート。 -- record17 (2008-10-05 15 39 44) カラオケ2時間を久しぶりに楽しむ。 -- record17 (2008-10-05 15 40 05) 名前 コメント ←きのう(2008.10.3) →あす(2008.10.5)
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霧雨が通勤時間に限って降る。こういう雨は服が濡れるのでキライだ。 ラジオをつけると新潟の被災地からの中継レポート。こういうレポートは最小限にするべきだと思う。大きな迷惑だ。レポーターのドキュメントのような画面は甚だ不謹慎。 気分が晴れない。イライラと消極さと落ち込みと火照りとダルさが同居する。我慢するしかない。 食欲が無い。昼はおにぎり1個とヨーグルト、温かいお茶。お腹がギュルギュル言う。 -- record17 (2007-07-18 12 43 21) 今、ムーディ勝山の右から来たものを左へ受け流すの歌がヘビーローテーション。昨日はYMOのBehind The MaskとRYDEEN 79/07。 -- record17 (2007-07-18 17 57 06) ずっとひとりで考えるよりも、一言でも人と話す方が解決に向かうことがよく、ある。気分が幾らか晴れた。 -- record17 (2007-07-18 19 09 08) 夕食はとんかつ屋にて。海老ヒレカツ定食。海老が2本。大きくて太くてぷりぷりしてた。旨い。 -- record17 (2007-07-19 08 20 56) 日本共産党元名誉議長の宮本顕治氏死去。大きく報道される。朝日新聞では社説に共産党登場。偶然報ステで志位委員長が出演。言っている事は誠に正論。でもそれが支持されるかは別のこと。「たしかな野党」では与党になりたくないのではとも感じる。報道の大きさに共産党への期待と影響力を見る。 -- record17 (2007-07-19 08 25 46) バリバリを見た。いつの間にか金持ちを紹介して芸人がリアクションするというアホな番組に成り下がる。冒頭の通販の戦略には目を見張る。一時的な購買意欲を瞬時に上昇されるテクは凄まじい。竹原の儲かりように驚く。輪島の団子屋より稼いでいるな。司会の水野のSっぷりに憤り。調子に乗るな、勘違いするな。 -- record17 (2007-07-19 08 32 18) 今回の芥川・直木賞は地味すぎる。聞いたこと無い人たち。受賞者が人差し指どうしを合わせている写真を朝日新聞で見て、朝から「キモッ」と呟く。読む気にもならない。豊崎大森はどう言っているのか知りたい。 -- record17 (2007-07-19 17 04 48) 調べると「アサッテ」は良いらしい。やっぱり読もう。 -- record17 (2007-07-19 17 12 08) 名前 コメント ←きのう(2007.7.17) →あす(2007.7.19)
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区分 時期 内容 (1) 復古主義v.s.文明開化の時代 明治維新~西南戦争終結(1867-1877) 復古主義的文教政策を推進する勢力(主に公家・薩摩閥)と開明政策を推進する勢力(主に長州閥)が拮抗したが、西南戦争の結果、開明派が勝利した。 (2) 欧化主義v.s.政論的ジャーナリズムの時代 鹿鳴館時代~日露戦争開始(1878-1904) 「殖産興業」「富国強兵」「和魂洋才」等をスローガンに政府による強力な欧化政策が遂行された。その一方で在野の不平士族などを中心に「有司専制」に反対する政論的ジャーナリズムが登場。自由民権運動として知られる初期の立憲デモクラシー要求や、欧化主義に反対する「(明治期の)日本主義」と呼ばれる国粋主義運動も勃興し一定の影響を及ぼした。明治憲法制定(1889)・帝国議会開設(1890)などはそれらのせめぎ合いの成果である。 (3) 大正教養主義の時代 ポーツマス条約締結~第一次大戦による好景気(1905-1917) 明治期の悲願であったロシアの脅威の排除と不平等条約改正という大目標を達成したこの時期の日本では、政治よりも(西欧産の)哲学・文学など文化的教養に重きをおく風潮が顕著になり(大正教養主義)、それが政治面にも作用して議会制デモクラシーの確立を目指す動きが強まった(大正デモクラシー)。第一次大戦によって日本の富強化は一段と進展した。 (4) マルクス主義的教養の時代 ロシア革命~4.16事件(共産党員の大量検挙)(1918-1930) 1917年10月にロシアで共産主義革命が起こり、また第一次大戦の敗戦の結果ドイツ・オーストリア・トルコなどの帝国が倒れて共和国化した影響で、「歴史の必然的な発展法則」を説くマルクス主義思想が折柄の大正期の自由な知的環境の中で急速に知識人・学生層に影響力を拡大した(1918年東大新人会発足・・・当初は吉野作造の民本思想などの研究が中心だったが急速にマルクス主義思想に傾斜。1928年解散)。「革命の輸出(世界革命)」を目論むロシア共産党は1919年コミンテルン(国際共産党組織)を作り、その下部組織として日本共産党が結党され27年テーゼ(綱領)では公然と「天皇制打倒」を掲げるに至ったため、3.15事件(1928年)・4.16事件(1929年)で治安維持法に基づく共産党員の一斉検挙が実施された。このとき将来の国家を担うべき東大京大を初めとする全国32大学148名の現役学生が検挙された事実は政府当局を震撼させ「思想国難」と認識されるようになった。この共産党員の一斉検挙後も東大・京大など有力大学にマルクス主義に染まった多数の教授が大正期以来の「学問の自由」「大学の自治」を盾に居座り続け、それが排除されるのはコム・アカデミー事件(1936年)・人民戦線事件(1938-39年)に至ってからであった。 (5) 日本主義的教養の時代 満州事変勃発~ポツダム宣言受諾(1931-1945) マルクス主義への対抗イデオロギーとしての役割が、日本主義(日本の歴史・伝統に則った精神的姿勢の追求)に担わされた。その一方で、実際の国策指導・戦争指導は、特に近衛文麿内閣の成立後は、日本主義を奉じる観念右翼(伝統保守)ではなく革新右翼(国家社会主義者・アジア主義者)によって実施される場合が多く、観念保守はその動きに「護憲」の立場から歯止めをかけるのに精一杯だった。 (6) 戦後民主主義(教養主義の没落)期 GHQの占領~冷戦終結(1945-1990) (4)マルクス主義的教養の時代に思想形成し、それゆえに(5)日本主義的教養の時代には思想弾圧を受けたと感じているアカデミズムやジャーナリズムの人士が、GHQの占領政策に乗じて、そうした恨みを存分に晴らす機会を得て跳梁跋扈し、その影響が現在も続いている。 (7) ポスト冷戦期 ソ連邦崩壊~現在まで(1991-) 上記の通り、西暦2000年代に入ってようやく戦前の政治思想の状況を実証的に見直す動きが顕在化してきた。
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区分 時期 内容 (1) 復古主義vs.文明開化の時代 明治維新~西南戦争終結(1867-1877) 復古主義的文教政策を推進する勢力(主に公家・薩摩閥)と開明政策を推進する勢力(主に長州閥)が拮抗したが、西南戦争の結果、開明派が勝利した。 (2) 欧化主義vs.政論的ジャーナリズムの時代 鹿鳴館時代~日露戦争開始(1878-1904) 「殖産興業」「富国強兵」「和魂洋才」等をスローガンに政府による強力な欧化政策が遂行された。その一方で在野の不平士族などを中心に「有司専制」に反対する政論的ジャーナリズムが登場。自由民権運動として知られる初期の立憲デモクラシー要求や、欧化主義に反対する「(明治期の)日本主義」と呼ばれる国粋主義運動も勃興し一定の影響を及ぼした。明治憲法制定(1889)・帝国議会開設(1890)などはそれらのせめぎ合いの成果である。 (3) 大正教養主義の時代 ポーツマス条約締結~第一次大戦による好景気(1905-1917) 明治期の悲願であったロシアの脅威の排除と不平等条約改正という大目標を達成したこの時期の日本では、政治よりも(西欧産の)哲学・文学など文化的教養に重きをおく風潮が顕著になり(大正教養主義)、それが政治面にも作用して議会制デモクラシーの確立を目指す動きが強まった(大正デモクラシー)。第一次大戦によって日本の富強化は一段と進展した。 (4) マルクス主義的教養の時代 ロシア革命~4.16事件(共産党員の大量検挙)(1918-1930) 1917年10月にロシアで共産主義革命が起こり、また第一次大戦の敗戦の結果ドイツ・オーストリア・トルコなどの帝国が倒れて共和国化した影響で、「歴史の必然的な発展法則」を説くマルクス主義思想が折柄の大正期の自由な知的環境の中で急速に知識人・学生層に影響力を拡大した(1918年東大新人会発足・・・当初は吉野作造の民本思想などの研究が中心だったが急速にマルクス主義思想に傾斜。1928年解散)。「革命の輸出(世界革命)」を目論むロシア共産党は1919年コミンテルン(国際共産党組織)を作り、その下部組織として日本共産党が結党され27年テーゼ(綱領)では公然と「天皇制打倒」を掲げるに至ったため、3.15事件(1928年)・4.16事件(1929年)で治安維持法に基づく共産党員の一斉検挙が実施された。このとき将来の国家を担うべき東大京大を初めとする全国32大学148名の現役学生が検挙された事実は政府当局を震撼させ「思想国難」と認識されるようになった。この共産党員の一斉検挙後も東大・京大など有力大学にマルクス主義に染まった多数の教授が大正期以来の「学問の自由」「大学の自治」を盾に居座り続け、それが排除されるのはコム・アカデミー事件(1936年)・人民戦線事件(1938-39年)に至ってからであった。 (5) 日本主義的教養の時代 満州事変勃発~ポツダム宣言受諾(1931-1945) マルクス主義への対抗イデオロギーとしての役割が、日本主義(日本の歴史・伝統に則った精神的姿勢の追求)に担わされた。その一方で、実際の国策指導・戦争指導は、特に近衛文麿内閣の成立後は、日本主義を奉じる観念右翼(伝統保守)ではなく革新右翼(国家社会主義者・アジア主義者)によって実施される場合が多く、観念保守はその動きに「護憲」の立場から歯止めをかけるのに精一杯だった。 (6) 戦後民主主義(教養主義の没落)期 GHQの占領~冷戦終結(1945-1990) (4)マルクス主義的教養の時代に思想形成し、それゆえに(5)日本主義的教養の時代には思想弾圧を受けたと感じているアカデミズムやジャーナリズムの人士が、GHQの占領政策に乗じて、そうした恨みを存分に晴らす機会を得て跳梁跋扈し、その影響が現在も続いている。 (7) ポスト冷戦期 ソ連邦崩壊~現在まで(1991-) 上記の通り、西暦2000年代に入ってようやく戦前の政治思想の状況を実証的に見直す動きが顕在化してきた。 ※サイズが合わない場合はこちらをクリック ※上図について詳しくは丸山眞男「天皇制ファシズム論」、村上重良「国家神道論」の検証参照。
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玉環(オク ファン) ■モチーフとした英雄名 楊貴妃 ■性別 女性 ■学年 3年 ■所持武器 扇子 ■ステータス 攻撃力:0 防御力:1 体力:20 精神力:0 FS:9 ■FS名 触手プレイ 特殊能力名 黒き森のヴィッチ スタイル:アクティブ タイプ:付与型 効果:完全操作(相手フェイズの最初に行動させる) 120 対象:隣接1マス敵1人 1.1 時間:1ターン 1 消費制約:永続行動不能 40 非消費制約:敵男性にのみ有効 0.8 ★発動ボーナス 評価1、強さ・知名度:5 (美女としての有名度は随一) 評価2、特殊能力 :3 (陰毛に目をつけたのは面白いけど、操作の部分と陰毛があまり関係ない) 評価3、キャラ設定 :2 (楊貴妃よりもイカ娘への愛を感じるのは気のせいか) シンプルボーナス:5 一発ボーナス:0 初心者ボーナス:0 ボーナス合計 15 発動率:(110-120*1.1*1*0.8+40)*(1.0+0.1*9)+15=99.36≒99% 成功率:100% 能力原理 山岸由花子やイカ娘の髪の毛(触手)の如く、自在に陰毛を伸ばし、操る能力。それによって遠く離れた男にも触手プレイによるハニートラップを仕掛け、意のままに操ることが出来る。無論近くの男には体ひとつで仕掛ける。 キャラクター説明 言わずと知れた世界三大美女最強の女であり、傾国の美女の代名詞。 中国共産党トップの愛人として千数百年振りに世界の覇権を握っていた中国を絶賛傾け中だったが、聖杯戦争に参加するため日本に留学してきた。ある学友が彼女の名前を「たま たまき」と読んだことから「たまたま」というあだ名で呼ばれている。しかし聖杯を手に入れることに興味は無く、聖杯を手に入れる程の英霊を誑かして遊ぶのが目的。一般的なイメージとは異なり、周囲に多大な迷惑をかけるものの悪女というわけでは無い。容姿はチャイナドレスを着た巨乳の超美少女。ツインのシニヨンで、春麗のような髪飾りをつけている。好物はライチで、ライチのゼリーやリキュールも好き。語尾に「~アル」「~ネ」などとつけて話す。あざとい。 陰毛は普段一般的な長さだが、能力によって自在に伸び縮みし、イカ娘の触手並に器用に操れる。縮れてはおらず、綺麗なキューティクル。能力を使っているところはあまり想像したくないが本人は特にコンプレックスを抱いてはいない。 能力を使うため、基本的にノーパンである。 アピールポイント キュアピースくらいあざといキャラを作ろうと考え、世界史に名前が残る女性を考えた際に楊貴妃が浮かび、彼女の魔人的な要素を考えたとき「陰毛が超長い」というエピソードから能力を思いつきました。変身すると異常に毛量が増えるプリキュアや、コンキスタドール+イカ娘のキャラを考えていたことも影響していると思います。結果あざとさからはかけ離れている印象ですが、みんなに愛されるあざといキャラに成長して欲しいです。
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マルキス社会主義人民共和国 火星圏及びアステロイドベルトを領有する共産主義国家。 非常に領土が広く人口も多いがけして裕福な国ではなく少し前までは最貧国のひとつだった。 しかし近年はアステロイドベルトから産出する資源を地球圏に輸出することで 大きな利益を上げており、急速な成長を遂げている。 ただ、貿易によって得られた資金や技術は殆どが技術、資源開発に向けられており、 政府上層部も含めほぼ全国民がいまだ貧しいままである。 政体は共産党による一党独裁だが、試験をクリアすれば誰であろうとも 共産党に入党できるため国民に不満は無いようだ。 国軍としてM.U.D.F(Maruqis-Unificastion-Defence-Force)を保有する。