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聖遺物(レリック)は、魔法研究に従事する者の間で「魔法的な性質を持つオーパーツを意味する物質」のことを指す(*1)。 現代科学技術でも再現が困難であるが故に「聖遺物」などと大げさな名前で呼ばれている(*2)。人工物とは断定できなくても、自然に組成されるとは考え難い物質もレリックと呼ばれている(*3)。 2100年時点で、人造レリックの作成に成功している。 国立魔法大学は聖遺物の取り扱いも多い(*4)。 八尺瓊勾玉 - “魔法式を保存する機能がある”という仮説と観測結果がある(*5)。 アンティナイト - キャスト・ジャミングを引き起こす性質を持つ ドリームキャスター - 複数の人間の夢を結びつけ、架空の世界で様々な疑似体験を可能とする マジストア? - 魔法式保存効果を持つ人造レリック。2098年に司波達也が量産技術を確立させた。 翡翠製の勾玉 - 中部州旧新潟県糸魚川で発掘された古墳時代のレリックに加工途中の勾玉。現地の博物館に展示されていた。 登場巻数 6巻 コメント 中にはSFは現実の概念以外を用いた全てのフィクションを含むと主張する人も居るが - 2014-08-10 14 45 50 逆に「リアル科学薀蓄がSFであり、空想科学はファンタジーだ」派も多いからナントモ - 2016-12-18 10 55 34 BD特典小説といい、コラボといい、何かもう都合の良い謎のアイテムになってしまった - 2014-08-13 02 54 31 現状で達也が難題を解決しちゃってるから、聖遺物は難題を超えた難題を簡単に実現するものじゃないといけないからねぇ。 ちなみに特典小説もコラボも、同じ聖遺物の働きで起きた事件の模様。 - 2014-08-14 07 32 06 「魔法的な性質を持つオーパーツを意味する物質」アンティナイトは形状を変えても動作する。八尺瓊勾玉形状を変えても動作するとは限らない=機能は物質に宿る物とは限らない。「物質・物体」である。 - 2014-08-19 21 39 17 形状を変えても動作するんじゃない?デザインに意味があるのか? - 2014-08-19 23 16 28 13巻現在で何の進展もなし - 2014-09-25 16 37 49 勾玉と同種の機能を持つ聖遺物(賢者の石とか)をゲットし、二つの組成に共通点を見つけることで複製を可能にする・・・とかかな。 - 2015-03-05 20 19 07 1年以上掛かってるのに成果ゼロって精霊の眼って大したこと無いな - 2015-08-01 17 13 13 一流シェフの料理の材料を知ったとしても、調理法がわからなければ同じモノは作れない。 - 2015-08-01 21 48 28 16巻に「最後のピースに目処がついた。」って書いてあったから、もうできそう? - 2015-08-01 18 04 25 17巻でシルバーとして正体明かすってありだと思ってる。 - 2015-08-01 21 50 14 結局1年立っても解析できなかったってこと?それとももう国防軍の依頼とやらは達成してるん? - 2016-11-08 15 56 57 解析だけじゃなく複製まで請け負ってるはずなんだよな…投げっぱなしになりそう - 2017-01-22 01 56 02 『魔法式の保存』の成果って結局どうなったんだっけ?21〜24巻の間で少し出てきた記憶があるにはあるんだけど…。 (2018-03-25 15 20 30) 新作アプリの方で「まだ語られていない聖遺物をめぐる物語〜」って言ってるから量産について言及されるかな? (2020-10-08 17 14 03) 用語 名前 コメント
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元は異界に存在してある、魔力の塊を凝縮した物体。 異物が人間界で活動するのに必要な装置であり、ゲートも聖遺物が発する魔力によって形成されている。 これが発するエネルギーに共鳴したものは、異物と戦うために必要なスキルやオブジェクトの操作ができるようになる。 聖遺物によって、自身が身に付けてるアクセサリがオブジェクトになることも。 また聖遺物は特異者によっては動作せず、特殊な遺伝子を持った異物にしか操作ができない。
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聖遺物 Landspell 5(光光闇闇) / 700f 上に配置されているクリーチャーはターン開始時にランダムで以下のどれかを得る。 ○ターン終了時まで(+2/+0)の修正を得る。 ○ターン終了時まで(+0/+2)の修正を得る。 ○いずれかの能力を1つ得る。 ○いずれかの能力を1つ失う。 上に配置されているクリーチャーが戦闘に参加する場合、そのクリーチャーは戦闘終了時まで軽減値+1の修正を得る。 ターン終了時にあなたの場の光クリスタルが1枚以下である場合、聖遺物を破壊する。 -- http //jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/game/27456/1135510382/124 コメント欄 名前 コメント
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遺物サイト 遺物サイトはデータサイトと同じく、宇宙のシグネチャとしてソーラーシステムに現れ、スキャンプロープを用いてその位置を特定することができます。 遺物サイトには複数の遺物缶(遺跡)が存在し、スキルの考古学とモジュールの遺物アナライザーを用いることで開封可能です。 遺跡にはそれぞれランクがあり 「瓦礫<残骸<遺品」 の順にランクが高くなり、より価値の高い物が出る可能性が上がりますが、プログラムの強度が上がるので難易度も上がります。 中には発明に必要なアイテム・BPC・生産に必要な素材などが隠されています。 中には市場で100mや1b以上の価値が付く物も存在し、セキュリティーレベルの低い危険な場所ほど、貴重な物が手に入る可能性があります。 遺物サイトでは他にもT2リグのBPCやサルベージマテリアル(Salvaged Material)と呼ばれる古代の遺物が手に入る可能性があります。
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聖遺物聖遺物区分 聖遺物一覧聖典/聖具 勇者の武具/聖具 妖刀ー不知火/宝具 龍禅の黒塔/宝具 呪鎌カーティス/魔具 魔剣「喰」/魔具 魔鎧「神」/魔具 宝剣カリバーン/聖具 聖槍ロンギヌス/聖具 宇太之治郎十二製法刀/宝具 聖遺物 武器にはその多くの種類が存在するが、その多くは量産品である。量産品であれども質の良さはなどは地域や国柄、はたまたは個人によって異なる。量産品といえども粗悪品は安く、質の良いものは高いのは当たり前である。特に東部連合のドワーフが打つ武具は高値で取引されるほど。 その中でも群を抜いて強力であったり価値が高いものがある。その出自は様々ではあるがそれはかつての【神滅大戦】や【神代】に失われた武具が存在する。 天葬教やクレリア聖教においてはこれらを【聖遺物】と呼び、世界には既に失われた【聖遺物】がいくつも存在する。 【聖遺物】にはいくつかの種類が存在する。 聖遺物区分 聖具 基本的に【聖遺物】と呼ばれる天葬教やクレリア聖教にとっては争奪戦を繰り返す物品である。 それ自体に殺傷能力のある刃などはほとんどなく儀式用の武具であるとされる。持ち主を選び奇跡を内包するとされているがその持ち主を選ぶ性質上現代において担い手は出現していない。 宝具 主に土地や血族において伝えられ継承される武具の名称。 儀式的な意味合いの方が強い傾向にあり、確かな力を持っているものもある。その代を担うものや修行を終えたものに与える品として存在する。 魔具 一般的な武具であっても成りゆる可能性のある武具。 呪い、呪詛とも呼べるものが溜まりに溜まったもの、そうあるべきと定められた呪われた武具たち。 妖刀や魔剣、呪盾など曰く付きとも呼ばれたり担い手を選びそう出ないものには不幸を与えるともされる。 魔素とは人々の考えを現実に投射すると考えられている中で魔具とは最もそれを顕著に表しているとも言われる。 聖遺物一覧 聖典/聖具 天葬教やクレリア聖教の聖人、聖女が有する二つ折りの石板。 聖痕を持つ者のみが扱えるとされるもので、聖典形態と武器形態、聖具形態を持つ。 聖典はもともと【黙示録】と呼ばれるものの頁であり、聖典一個で一頁、この世界には発見されていない聖典や教会に知られていない聖典も存在することとなる。 勇者の武具/聖具 かつての【神滅大戦】や【千年戦争】で勇者と呼ばれる者たちが使用したとされる武具。 その多くは壊れ、紛失し失われたものとなっている。数える程度にしか各国はそれを発見できておらず、美術品として保管される程度のものである。 歴史的財産であはあるものの、その力は既に失われている。 担い手が戻ればあるいは・・・・。 妖刀ー不知火/宝具 カンナの一族に代々受け継がれる刀、妖刀の一つ 刀身は紫に怪しく輝いており刃からは炎を発生させる事が出来る、この炎は妖術を付与術によって刀身に刻んだもので在り、彼女含む一族以外の人が触れると火傷する 龍禅の黒塔/宝具 僧たちが坐禅を行う黒鉄の塔。龍禅の黒塔を模した大槌。 龍の頂が有する宝具のひとつ。 尋常ならざる重さと大きさを持つ鉄塊であり、特に膂力と信仰心に優れた者に与えられる。 その質量で相手を叩き潰す打撃武器であるが、埋め込まれた魔晶石によって使い手の魔力を増幅する儀仗でもある。 聖職者が振るうにしてはあまりにも大雑把で武骨だと言われるが、信仰とは本来無形なのだ。 呪鎌カーティス/魔具 元はただのかっこいいだけの鎌だった。レティアが戦の時、人族を狩り続けているうちに怨念が溜まっていき彼女の知らぬ間にとてつもない呪詛を秘めた魔具になってしまった。 今でも気を抜くと数多の怨念に侵食されそうになる。 斬られた者は呪いに耐性のない場合、どんなかすり傷であろうと一晩もしないうちに呪い殺される。名前はレティアがつけたもの。 魔剣「喰」/魔具 「餓える慈愛」が振るう両刃剣、魔剣の一つ。 長い年月に渡り流血と憎悪と殺意に浸された結果魔具と化した両刃剣。装備した者に憎悪の叫びを齎すが、「餓える慈愛」にとっては日常と化している。 魔鎧「神」/魔具 長い年月に渡り流血と怨嗟と悲哀に晒された結果魔具と化した鎧。装着した者に怨嗟の声を上げるが、レギスにとっては日常と化している。 宝剣カリバーン/聖具 初代国王がその度の末、手にしたかつての聖具。 手にしたものに永遠の命を与えるとされ、真なる王こそ担い手となるとされていた。 しかし初代国王にはその資格はなく、緩やかに老いていくという性質に変化した。美しい装飾が施されており実戦には向かないとは言われているが並大抵の盾などバターのように斬れる。 現国王が所持している。 聖槍ロンギヌス/聖具 かつて神滅大戦時に存在した国家、その騎士団に存在したと言われた槍の使い手が所持していたとされる槍。 現在は帝国の手に渡り、代々皇帝が所有者として受け継がれているがその性質上、手に持つものによって在り方が変わるとされ時には聖槍として、時には魔槍として在り方を変える。 真に担い手はおらず、もはや飾りとなっている。 宇太之治郎十二製法刀/宝具 宇太之治郎が残した十二本の刀 刀とあるが形状は様々である。 一、隠露 二、血殺甲刀 三、竜燐刀 四、隕滅 五、無累薙双 六、長丁 七、打久輝 八、骨蛇刀 九、冰結 十、叢隼 十一、跳乱 十二、覇敗
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聖遺物 聖遺物とはキリスト教派、カトリックの教会において、イエスキリストの遺品、聖人たちの遺骸、遺品のこと。 遺骸は不朽体、光栄体とされ、神の恩恵により来世にも生命を先取りしていると考えらている。 参考文献 http //ja.wikipedia.org/wiki/%E8%81%96%E9%81%BA%E7%89%A9 http //ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8D%E6%9C%BD%E4%BD%93
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産着、下着、肩帯、帯、サンダル、弟子の足を洗ったたらいと足をぬぐったタオル、奇跡によってパンをふやした一二のパン籠、サマリアの女にあったときの井戸の縁石、アブガル王にあてた自筆の手紙、自印聖像、最後の晩餐のさいのテーブル、ゴルゴタの丘で脱がされたチュニカ、遺体を包んだかたびら、小びんに保存された血、その他受難のさいのほとんどすべてのもの、すなわち聖十字架、それをつくるときに使った槌、鋸、ねじ、十字架に打ち付けられた釘、いばらの冠、スポンジ、槍の穂先…など。 聖十字架 聖十字架は、聖遺物のうち、イエス・キリストの磔刑に使われたとされる十字架。 その断片は各地の正教会をはじめとした東方教会とカトリック教会に祭られ、他の聖遺物とともに信仰の対象となっている。 中世の伝説には、エデンの園の命の木(『創世記』2 9, 4 22)で作られているというものもある。 エルサレムは2度のユダヤ戦争によって破壊され、135年ごろにはローマ風の都市へと再開発されている。このため、30年ごろの出来事とされるイエス・キリストの磔刑の舞台、ゴルゴタの位置は分からなくなってしまっていた。 伝えられているところによれば、コンスタンティヌス1世の母フラウィア・ユリア・ヘレナ(聖ヘレナ)が326年にエルサレムを訪れ、当時はウェヌス神殿となっていた地をゴルゴタと特定した。これを取り壊し、建てられたのが現在の聖墳墓教会である。 このとき十字架3つと聖釘などの聖遺物も発見されたという。3つの十字架のうちのひとつに触れた女性の病が癒されたので、これがキリストが磔にされた聖十字架と分かった。ヘレナは聖十字架の一部をエルサレムに残し、他の一部と聖釘をコンスタンティノポリスに持ち帰った。 エルサレムの聖十字架は聖墳墓教会に置かれていたが、ヘラクレイオス帝の時代の614年にサーサーン朝ペルシアに奪われた。 ヘラクレイオスの東ローマ帝国はニネヴェの戦い (627年)でサーサーン朝軍を破ると628年にこれを取り戻しコンスタンティノポリスに持ち帰ったが、後にエルサレムに戻された、1009年ごろからはエルサレムのキリスト教信者たちの手で隠されていた。1099年に第1回十字軍が発見したとき、黄金の十字架にその木片が埋め込まれていた。 戦のたびにこの聖十字架は戦陣に持ち込まれたが、1187年のハッティンの戦いで奪われ、失われた。 早い時期から聖十字架は分割され、あちこちに置かれたらしい。 また1204年に、フランスの諸侯とヴェネツィア共和国が主体の第4回十字軍が東ローマ帝国の首都であったコンスタンティノポリスを占領した。 このとき十字軍は、他の財宝とともに、金や宝石で飾られた聖十字架の断片を奪い、持ち帰っている。 その他聖十字架の破片であると主張される木片は多いが、総計すると十字架数十本分に当たり、ゆえにほとんどがまがい物であり、そもそも“キリストが磔にされた十字架”の存在・再発見の真実性まで辿り考えることとなる。 サンタ・クローチェ・イン・ジェルザレンメ教会の十字架 サンタ・クローチェ・イン・ジェルサレンメ聖堂(イタリア語 Basilica di Santa Croce in Gerusalemme)は、イタリア ローマにあるカトリック教会(教区教会)。『ローマの7つの巡礼教会』のうちの一つである。教会伝によれば、325年に聖ヘレナ(皇帝コンスタンティヌス1世の母)が聖地よりもたらした聖遺物を祀るために造られた教会だという。聖堂の床はエルサレム(ラテン語 Hierosolyma,ヒエロソリマ)から運ばれてきた土が敷き詰められていたため、この教会は『ヒエルサレム(Hierusalem)』と呼ばれた。なお、現在のイタリア語表記でのジェルサレンメ(Gerusalemme)は、エルサレムのことである。 教会内の聖遺物礼拝堂には、次のような聖遺物が納められている。 イエスが架けられた聖十字架の木片 イエスが架けられた聖十字架に取り付けられていた札(十字架の札) イバラの冠の2本の棘 神聖ローマ皇帝の十字架 神聖ローマ皇帝のレガリアである帝国宝物の一つ 聖釘 聖釘(せいてい)は、聖遺物のひとつで、イエス・キリストが磔にされた際に手足に打ちつけられた釘であるとキリスト教内で言い伝えられているもの。 伝えられるところによれば328年ごろ、コンスタンティヌス1世の母親ヘレナがゴルゴタの丘の跡地、現在の聖墳墓教会付近で聖十字架とともに発見したとされる。三本が見つかり、一本はローマのサンタ・クローチェ・イン・ジェルザレンメ (Basilica di Santa Croce in Gerusalemme) に、もう一本はミラノのドゥオモに、最後の一本は諸説があり一説ではモンツァに残されたロンバルディアの王冠 (Corona Ferrea) 製造の際に中に組み込まれたといわれている。 しかしながら信仰の対象として各地のカトリック教会で祭られている。 カトリック百科事典によれば、世界中で祭られている聖釘は30本を下らないだろうと言われる。中でも最も有名なのは、いわゆる聖槍の中央部に針金で固定されているものである。 ロンバルディアの鉄王冠 ヨーロッパで最も古い王冠のひとつで、聖十字架が発見された際に同時に見つかった聖釘を引き伸ばして制作された王冠だと言われている。 聖槍 聖槍(せいそう)は、磔刑に処せられた十字架上のイエス・キリストの死を確認するため、わき腹を刺したとされる槍である。イエスの血に触れたものとして尊重されている聖遺物のひとつ。新約聖書の「ヨハネによる福音書」に記述されている(19章34節)。ヨハネ伝の作者は、仮現説論者に対し、この箇所で、イエスが一度死んだことを強調しているとも考えられる。またキリスト受難の象徴でもある。槍を刺したローマ兵の名をとって、「ロンギヌスの槍」とも呼ばれる。 聖遺物崇敬が高まった時代にいくつかの「聖槍」が発見され、現在も複数が保存されている。 ローマの聖槍 イエスの処刑から600年後、エルサレムはペルシャ軍に占領された。この時、原因は不明だが槍の先端部が欠けた。先端部は東ローマ帝国の首都コンスタンティノープル(イスタンブール)に運ばれ、宝石で飾られた十字架の中心部に埋め込まれた。そして、当時キリスト教の教会だったアヤソフィア大聖堂に収められ、80年後には本体も届いた。その後しばらくはここにあった。 さらに600年後、フランス国王ルイ9世が先端部のみを買い取った。槍の先端はパリに保管されるが、フランス革命により行方が分からなくなる。一方、本体は15世紀にイスラム勢力によってコンスタンティノープルが陥落した時もそこに留まった。 1492年、オスマン帝国のスルタンバヤズィト2世は、かつて聖墳墓教会にあったとされる聖槍を教皇インノケンティウス8世に贈った。スルタンの座を狙う弟をイタリアに幽閉してもらうための交換条件だったとされる。この聖槍はサン・ピエトロ大聖堂に保管されているが公開はされていない。 アンティオキアの聖槍 第一回十字軍がアンティオキア攻囲戦で苦戦しているとき、トゥールーズ伯レイモン麾下のペトルス・バルトロメオなるものが、聖アンデレのお告げにより聖槍を発見したと主張した。十字軍将兵の士気は高まり、勝利を得たが、槍の真贋を疑うものも多かったため、自ら神明裁判を買って出た。ペトルス・バルトロメオは槍をたずさえ火に飛び込んだが火傷が酷く、数日後に死亡し、槍はその後行方不明となった。 神聖ローマ皇帝の聖槍 ホーフブルク宮殿が所蔵する「聖槍」。神聖ローマ皇帝のレガリアである帝国宝物の一つ。 神聖ローマ皇帝のレガリアである帝国宝物のひとつである聖槍は、オットー1世の時代から伝わるとされている。長らくニュルンベルクで保管されていたが、ナポレオンの侵攻以降はウィーンで保管されている。アンシュルス後にはナチスによってニュルンベルクに戻されたが、戦後にはウィーンに戻っている。 Robert Featherによる詳しい研究の結果、槍の大部分は鉄製と判明した。外側を覆う金の鞘には「神の釘、神の槍」と書かれている。これは金の鞘の下に十字架が描かれた釘が埋め込まれている事とも一致する。 さらに、清掃時の分解写真によると、黄金の鞘の下にもう一層の銀の鞘がある事が見て取れた。そのうちの1枚にはラテン語で「聖モーリスの槍」と書かれていた。 銀の鞘の他の部位には「ローマ皇帝ハインリヒ3世が、聖なる釘と聖モーリスの槍を補強するためにこの銀の鞘を造らせた」と同じくラテン語で書かれていた。 記録でわかる限り、この槍はエジプトでローマ軍の隊長であるモーリスの物だったとされる。モーリスと彼の部隊はキリスト教徒だった。286年、皇帝マクシミアヌスの命により、彼は槍を携えてヨーロッパに遠征した。スイスのレマン湖周辺で起きた暴動を鎮圧するためだったが、彼らが到着した時には反乱は鎮圧されていた。反乱軍がキリスト教徒だったと知ったモーリスは、皇帝に願い出て処刑を拒否した。これに激怒した皇帝はモーリスとその部隊全員を処刑するように命じたとされ、死を前にしても揺らぐ事のないモーリスの信仰心は中世の騎士たちの模範となり、彼は騎士や戦士の守護聖人である聖モーリスとなった。 モーリスの処刑後、槍はコンスタンティヌス大帝のものとなった。当時ローマ帝国は政治的、宗教的に東西に分裂していた。 コンスタンティヌス大帝は帝国の覇権をかけた戦いの直前、輝く十字架と「この印の下、汝は勝利するであろう」という文字を夢に見た。これに心動かされたコンスタンティヌスは自分の兵士たちの盾に、キリストを意味する頭文字を描かせた。さらに、戦いには聖槍を持って臨み、勝利を収め、キリスト教に傾倒したとされる。 後年、帝国をまとめるには新たな宗教が必要と考えた彼はキリスト教を公認した。 476年、西ローマ帝国が滅亡。その200年後、槍はカール大帝の手に渡った。彼が教皇から皇帝に任命された後、聖槍の行方は分からなくなる。 その後、銀の鞘の上に黄金の鞘をつけたのはカール4世だと考えられる。彼は次期神聖ローマ皇帝を狙っていた。そして、カール4世の子孫が生活に困り、ニュルンベルクの町議会に売り渡してしまった。 アルメニアの聖槍 アルメニアのエチミアジン大聖堂に保存されている聖槍は、現在のゲガルド修道院がある場所で発見されたと言われている。 逸話によると、聖槍を持ち込んだのは12使徒の1人タダイである。この地に流れてきたタダイは聖槍を持っていたために、地元の異教徒に恐れられ首を刎ねられたとされる。タダイは死ぬ前に数人の異教徒をキリスト教に改宗させており、キリスト教徒たちはタダイの死後、聖槍を秘密の洞窟に隠した。現在のゲガルド修道院がある場所である。聖槍はそこに200年間眠り続けた。 次にこの聖槍を手にしたのはアルメニアで福音書の教えを広めようとしたグレゴリウスであるとされる。しかし、グレゴリウスは異教の権力者に捕らえられ、ホルヴィラップ修道院の地下牢に13年間閉じ込められてしまう。グレゴリウスは奇跡的に生き延び、聖槍を取り戻すと、王と民衆をキリスト教に改宗させ、301年にアルメニアは世界初のキリスト教国家となった。 アルメニア教会は槍がローマのものでは無い事は認めており、イエスの時代のユダヤ人兵士が使っていたものとしている。 聖骸布 自印聖像 シリアのエデッサを治めていた王・アウガリ(アブガル)は癩病を患った。当時、多くの病の癒しの奇蹟をイイススが行っている事を聞き知っていたアウガリはイイススのもとへ使者として画家アナニヤを送った。アナニヤはイイススの肖像画を描く事も命じられていたが、現地に着くと、イイススが遠く群衆の中にあったこと、そしてその顔が光り輝いているために描く事ができなかった。するとイイススはアナニヤの存在に気付き、自らの許に招いた。 アナニヤに持たせた手紙の中でアウガリは、多くの癒しはイイススが神の子であるからだと告白し、ユダヤ人がイイススに危害を加える計画を立てているそうであるが、自らの町ならば安全を保障出来るので、是非とも自分の町に来てもらいたい、そして病を癒して欲しいと、辞を低くして懇請していた。 イイススが顔を洗い、自らの顔を布に押し当てると、イイススの顔が布に写るという奇蹟が起きた。この時の布が自印聖像と呼ばれるイコンである。そしてイイススはアナニヤに手紙を持たせた。手紙にはアブガル王の信仰について「見ずして信じる者はさいわいである」事について書かれていた。また、アウガリの町に行くことについては、自らの受難を予言した上で断った。 イコンと手紙を見た王の喜びは大きなものであり、らい病はたちまち良くなった。イイスス・ハリストスの昇天の後に、アウガリはファディ(タダイ)から洗礼を受けた。アウガリはクリスチャンになった最初の王と伝えられる。 王は城壁の門の上にこの自印聖像を掲げた。その後、時代が下ると紛失・再発見を繰り返していたが、エデッサからコンスタンティノープルに一度移された。この事を記念するのが8月29日(修正ユリウス暦使用教会では8月16日)である。しかし第四回十字軍の時代に失われて以降、本物の自印聖像の行方については各種伝承が各地に伝えられているものの、本当の所在は分からなくなっている。 ヴェロニカの聖骸布 イエスが十字架への道に向かうなか、イエスの顔をぬぐったヴェロニカの布に、イエスの顔が転写されたというもの。 ヴァチカンがこの原本とされるものを入手しているが、真実性は疑わしい。なお、ヴァチカン所有のヴェロニカの聖骸布は以下のような奇跡を起こしたとされている。 1849年シスター・マリー・ド・サン・ピエールの死後まもなく、時の教皇ピウス9世は、ローマのすべての教会で、その時代に起こっていた革命のために教皇国家への神の慈悲を懇願するために公の祈りを提供するよう命じました。これらの公の祈りの一つとして、ヴェロニカのベールの遺物の3日間の展示が、サン・ピエトロ大聖堂にて公への崇拝のために行われた。その展示の3日目にあたる1849年1月6日、ある奇跡が起こった。この奇跡を通じて、ベールの上のイエスの顔がとても明瞭になり、かつ柔らかい光に覆われ輝いたのである。大聖堂のCanonsはこの奇跡を見るなり鐘を鳴らすよう指示し、人々の群衆を集めることとなった。この奇跡は3時間続き、この事件の間に使徒公証人により証明され、バチカン公会議の日記の中で文書化されることとなった。 トリノの聖骸布 聖杯 共観福音書によれば、最後の晩餐でイエスはパンを裂き「私の体である」と言って弟子たちに与え、杯を取って「私の血である」と、弟子たちにその杯から(ワインを)飲ませる。『ヨハネによる福音書』にはこの場面はない。 イエスと弟子たちの最後の晩餐に使われたものと信じられている聖杯はいくつか存在する。 エルサレム近くの教会にあったとされるもの 7世紀、ガリアの僧(Arculf)が聖地巡礼のさいに、エルサレム近くの教会でそれを見て、触れたと証言している。銀でできており、把っ手が2つ対向して付いていたという。現在の所在は不明。 ジェノヴァ大聖堂にあるもの (sacro catino) 1101年にカイサリアで発見されたと伝えられる。対角37cmの6角形で、杯よりも鉢に近い。エメラルドでできていると信じられていたが、ナポレオン・ボナパルトがイタリアを占領したときパリに運ばれ、後に返還されたときには割れており、緑色のガラスであることが分かった。ウォラギネの『黄金伝説』(13世紀)で触れられていたものと思われている。 バレンシア大聖堂にあるもの (santo cáliz) イエスの弟子ペトロがローマに持込むが、弾圧の危険に聖杯はいったんピレネーに難を逃れる。その後スペイン内を転々とした後バレンシアに持ち込まれたと伝えられる。直径9cmの半球状、高さ17cm。暗赤色のメノウでできている。1960年にスペインの考古学者(Antonio Beltrán) は、紀元前4世紀から1世紀にエジプトかパレスチナで作られたもので、時代的に合うと主張した。 メトロポリタン美術館にあるもの (Antioch Chalice) 1910年にアンティオキアで発見された。外側は鋳物で装飾が施され、内は銀の2重構造になっている。聖杯ではないかとの触れ込みで、1933年のシカゴ万国博覧会(第2回)で展示された。その後の研究によれば、6世紀にアンティオケイアで作られたものとされる。杯ではなく教会で照明用に使われたものと思われる。 その他 イエスのゆりかご サンタ・マリア・マッジョーレ教会が保管している「聖なるゆりかご ( Sacra Culla ) 」。誕生したイエスが寝かされたゆりかごの一片らしい。 むち打ちに合った際に縛り付けられた柱 そのサンタ・マリア・マッジョーレ教会のご近所にあるサンタ・プラッセーデ教会 ( Basilica di Santa Prassede )には、1223年にジョヴァンニ・コロンナ枢機卿 ( Giovanni Colonna ) がエルサレムから持ち帰った「イエスが鞭打ちにあった際に縛り付けられた柱 ( Colonna della Flagellazione ) 」の一部が残っている。 茨の冠 いばらの冠は長い間コンスタンティのポリスに保存されていたらしいが、コンスタンティのポリスにたどり着いた経緯は不明。その後、13世紀のフランスの王ルイ九世 ( 聖王ルイの名で知られています ) が購入し、現在はパリのノートルダム大聖堂が所有。しかし冠についていた棘のひとつひとつはイタリアをはじめ世界中に散逸し、数多くの教会が所有を主張している。 イエスの血 伝説によれば、イエスの脇腹を突いたローマ兵ロンギヌスは、イエスを突いた際にその血を病んでいた目に浴びて、目の病が治ったという。そのため、イエスの血を小さな瓶に入れてマントヴァの地に運んだのだらしい。そのイエスの血を保有している教会がマントヴァのサンタンドレア教会 ( Basilica di Sant Andrea ) ということだが、イエスの血を所有を主張する教会はイタリアをはじめとするヨーロッパ各地の教会に存在している。 http //www.ohara999.com/03essay/HolyGrail.html https //ja.wikipedia.org/wiki/%E8%81%96%E5%8D%81%E5%AD%97%E6%9E%B6 http //blog.livedoor.jp/cucciola1007/archives/3714437.html http //www.holyfacedevotion.com/timeline.htm
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失踪したlsvの遺物 リンク先はlsv氏の規格の頃のページのバックアップになります。 面倒なのでリンクの修正を行っていません LSVの遺物マップチップ新規格 LVの遺物キャラチップ新規格 LSVの遺物スクリプト仕様 LSVの遺物音データ 叩き台 ツール マップツール MapEditorL Version1.1.0.0 http //www6.uploader.jp/dl/rpg/rpg_uljp01730.zip.html チップ管理追加 このバージョンより複数のチップ画像を含んだpngでも使用可能になります チップ再読み込みボタンを追加。画像エディタで編集しながらすぐにマップで確認したい時に使用します ■新しいAuthor追加手順 1.Chips管理ウィンドウを出す 2.「新しいAuthor」ボタンを押下 3.英数字で新しいAuthorの名称を記入してOKを押下 ■チップ追加手順 1.Chips\Authorフォルダに追加したい画像を移動する(Authorが一致してない場所に画像が入ってないと読み込めません) 2.Chips管理ウィンドウを出す 3.「画像を開く」ボタンを押下 4.追加したい画像を選択する 5.Imageから追加したいチップをマウスで選択(GridSizeを32にあわせておくとやりやすい) 注:範囲を選択しない場合は画像全体を使います 6.チップリストの中の追加ボタンを押す 連続して追加する時は、5.6.を繰り返します
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レリック 「聖槍」「聖十字架」「聖杯」「聖骸布」「聖釘」など、聖なる物品の総称で、聖槍はそのなかでも最上位に位置する。 そのうち「聖槍」「聖十字架」「聖杯」の3品は神滅具にもなっており、「聖釘」も新規神滅具に認定された。 「神器の聖遺物」を所持する者は、共通して特有の気を持っている。 「聖杯」と「聖釘」に関しては神器ではない本物も確認されている。 信仰の対象ともなる物で、信仰心の強いものは見つめるだけで意識を持っていかれかねない。 強力な聖なる力を宿しているため、「悪魔」「吸血鬼」「妖怪」といった「天使」以外の異形には聖剣以上に必殺の効果を持っている。
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│ステータス│入手方法|詳細情報|性能|性能比較│その他│コメント│ 王の遺物 No.192 礼装名 王の遺物 初期最大 Rare 4 LV 80 Cost 9 HP 100 タイプ 絆礼装 ATK 100 諸葛孔明〔エルメロイⅡ世〕(キャスター)装備時のみ、自身がフィールドにいる間、 - 味方全体のBusterカードの性能をアップ 15% 詳細情報 イラストレーター --- キャラクター詳細 未熟、未達、凡庸。 ありし日の少年は、ただ惑うことしかできなくて。 そんな彼を叱咤し、共に笑おうとした王がいた。 寂寥と後悔と、ほんの少しの誇りを胸に、 青年は彼の背中を追い続けている。 入手方法 諸葛孔明〔エルメロイⅡ世〕の絆レベル10達成報酬 要169.5万ポイント コメント 執拗率のクソ高い孔明の礼装だけあって他の絆礼装に比べれば見かける方だな -- 2016-07-18 18 41 40 最近やっともらえたんだけど、フレサポでつけるならやっぱ欠片のほうが需要あるのかな - 名無しさん 2016-08-17 16 33 53 孔明使っての即宝具周回なら中々有用だと思う。バスター火力宝具は多いし - 名無しさん 2016-08-25 13 01 11 宝具3連脳死周回用なら牛魔羅王で十分なんだけど、まあ手に入ったらこっち使うね。 - 名無しさん 2016-08-27 08 43 52 自前で使うならこれ、フレ用で置くなら凸ランチ - 名無しさん 2017-01-22 05 57 20 王の遺物売り飛ばしちゃったマスターがいると聞くが・・・ - 名無しさん 2017-03-07 22 15 38 王の遺物でもあるし先代の遺物でもあるし - 名無しさん 2017-05-13 20 52 42 あぁそっか、遺物ってそっちか。だよなぁ。てっきり大戦略の方かと。 - 名無しさん 2017-09-28 18 51 54 実際完全サポートで周回要員としてつかうなら最高峰の礼装だろこれ - 名無しさん 2018-02-13 13 51 15 コスト-3の制限なし牛魔王、使えない訳が無く、、。 - 名無しさん (2018-06-26 04 58 10) 名前 すべてのコメントを見る