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空 夕暮れは近く、夜営陣のあちこちでは、手入れの槌音が響く。 ルキアニスもまた打検槌で、脚の付け根の収縮帯継手を軽く叩く。拍子を取って続けざまに。そうして叩きながら響く音を聞く。部品部材にひびが入っていたり、組み付けがきちんと出来ていなければ、妙な音がする。不思議なことに本当に判るのだ。 脚の付け根は、肩や腰と同じように入り組んでいる。ここは小さいけれど頑丈な継手が入り組んで収縮帯と繋がり合っていて、その奥に脚全体を取り付ける、球体軸がある。 この黒の二は頑丈極まりなく、多少のことでは挫けないのだが、剛力極まりなくもあり、その骨材に毀損があれば、己の収縮帯の力によって、自らをへし折ることもある。その力で動かされる間接の軸には、良質の油を常に練り込んでおかねば、焼き付き、自らの力でねじ切ることもある。収縮帯を骨材につなぐ接続組手も折れることがあるし、収縮帯そのものが自ら千切れることもある。そうなれば崩れるように自ら倒れ、中の乗り手も無事には済まない。 それらが起きる前に部品部材を取り換え、時には骨材を取り換えるのが、帝國軍のやり方だった。部品部材は、どれくらいまでの間しか使ってはならないという決まりがあるし、傷やゆがみがあれば決まり以前に取り換えられる。 近衛騎士団の黒の二は、機の履歴そのものは古いものだった。帝國軍で用廃となったものだ。部品部材を入れ替えてゆけば、機そのものは相当長い間、使えるのだが、帝國軍が一機当たりに掛ける金が大きくなりすぎると、新しく作る方が良いとして、用廃とする。 この近衛騎士団の装備機は、あるじたる皇帝陛下の御用金によって、新品にも劣るところが無いほど修繕され、新規が新しく取り入れたものも組み込まれている。帝國軍と近衛騎士団の御用金の使い方はルキアニスにはわからない。 ルキアニスの様な乗り手にとって大事なのは、機が信用できるかどうかで、良い機を下されるならば、その機をもって己にかなう限り、いかようにも、というつもりではある。 「搭乗騎士、離れる!」 そう言って、いちいち確認を取らねば、危ういのが機装甲でもある。黒の二はついこないだまで機神に類別されていたけれど、機装甲と同じく手入れを求める。今のように脚の付け根に手入れするためには、腰回りの草摺甲を開かねばならない。黒の二の草摺甲は、花びらを思わせる優美なものだけれど、敵の打突に耐えるだけの頑丈なものだし、その先端は歩兵の近接攻撃を阻むために尖っている。これにぶつかったり、開いていたものが誤って閉じたりしたら大けがになる。それら開かれるべき甲には、綱が掛けられて吊りあげられ、綱は機体に取りつけた滑車を通され、地面に打った杭につながれている。 夕暮れ前の風が涼しく通り過ぎてゆく。軍隊の行軍が行われているから、埃っぽくざらざらしたものが舌に残る。見上げる空はまだ青く、日差しは傾いている。 日没にはまだ間がある。機装甲の夜営準備は他よりも早い。機装甲から手入れを省くことはできない。できるだけ日の残っている間に行ってしまう。 「機付長は機体へ」 ルキアニスと入れ違いに、機付長が脚の付け根の最後の点検を行う。同じように打検槌で軽く小刻みに叩き、ゆるみが無いかどうかを確かめる。機体の点検の最後は、機付長の大事な仕事だ。 工部たちは言う。それが己らの任であると。機体は子供みたいなものです、と。それでも、どのようにしていただいても構わない、とも。そのために手入れして送り出すのだから、と。そういう事を聞けば、機に無理をさせたくないし、無理をさせる時にはそれなりのことを果たしたいとも思う。 従兵が歩み寄ってきて、まずは帯剣を手渡してくる。騎士は従士と違って、帯剣が正規軍装なのだけれど、機装甲乗りには邪魔で、戦場ではついつい帯びなくなる。 振り返ると打検の音がすぐ近くからいくつも聞こえる。小隊のアスランの機とコルネリアの機のものだ。ルキアニスの機と合わせて三機は、黒騎士大隊の野戦夜営規則に沿って、互いに背を向けた三角陣形である。これは戦列機装甲連隊とは違う。夜襲を受けた時、戦列機装甲は統制を保って襲撃に抗堪するけれど、黒騎士は、これに自己の判断で積極的に反撃しなければならない。 やがて打検の音は絶え、機付長が機を離れることを告げる。つづけて甲閉じを命じる。緩め一つ、二つ!と掛ける声に従って、緩めるわけだけれど、綱が切れた時のための予備柵を張ったり、不意に緩んでゆかぬように、綱の尻を押さえ杭に巻いて保っていたりと、手練れでなければ手際よくはできない。機装甲はこういう手間を求めるものだ。機装甲乗りと工部は夜営の前後だけでなく、ことによったら大休止、小休止のたびに行う。機装甲乗りは思われているより、小まめなのだ。 甲を閉じれば、今度は楔を打ち、軸を打ち、螺子を締め込み、針金を通して堅く締め付ける。甲を一つ閉じては締め付けを行い、また一つ閉じては締め付けを行う。慣れた仕事を気を緩めずに繰り返し、作業の終わりを機付長はすべてその目で確かめる。ようやく振り返り、作業終了を告げられたときには、陽も暮れかけていた。 「夜営前手入れ作業終了。問題なし」 工部らは整列し、その前に立つ機付長は言う。 「今のところ気になるところは特にありません。定期交換、定期油脂補充のみ。ですがこのまま戦闘に入れても問題ないと思います。整備簿は後程提出。以上」 「搭乗騎士了解。ごくろうさま。以上、解散」 整列した工部より敬礼を受け、同じく左の胸をこぶしで打つ答礼を返す。各機の手入れそのものに責任を持つのは工部の機付長だけれど、小隊の稼働率を保つのは、小隊長の任だ。 自機のみならず、他の機の状況も把握しておかねばならない。それはつまるところ、機体の現状を把握して、軽微な支障のうちに先手をうつことでもある。特に今は部隊移動中であり、故障はすなわち落伍、決戦場へ戦力が進出できないこともありえる。 敵の、ゴーラ帝国の軍勢は、あらたにラグナル王国に上陸したのだと聞かされていた。先の大船団は、囮に過ぎなかったのだと。 北方軍は、これを迎え撃つために、バルタス王国から、ラグナル王国へと移動している。そのために、902大隊は久々に21旅団の直接指揮下に復帰した。今も、旅団長の直接指揮下で移動している。 夕暮れの日差しを受けて、旅団軍旗がはためいている。いつ見ても、黒の気を纏った龍が宙を行くようであり、千年の昔に現れた神龍なるものは、きっとああいう風に観えたのだろうとルキアニスは思う。 今、空を飛ぶのは、帝國の生み出した新たな機神、クルル=カリルであったけれど。洋上の艦隊をめぐって、空中で会戦が行われるなど、もはやルキアニスの想像すら越えている。 だがそれは起き、それはゴーラ帝国の罠であり、囮で、帝國は、101大隊は、敵艦隊に壊滅的な打撃を与えながら、ゴーラの目算を阻止し得なかった。 ゴーラは狙いとしていた第三の軍勢をラグナル王国に渡海させた。それはゴーラ帝国の最精鋭、ゴーラにその人ありと謳われる、ヴェストラ元帥の軍勢なのだともルキアニスたちはそう聞かされていた。もっともゴーラ帝国での階級は帝國軍と違っており、ヴェストラは大将軍の称号で呼ばれているらしい。 地図によれば、すでにラグナル王国に入っている。13連隊にいたときは前衛任務ばかりで、どこにいるのか、どの道をたどってどこに向かっているのかを常に把握していた。今は違う。今は工兵によって修繕された道を、他の部隊に追従して進んでいる。北方軍の行軍序列では21旅団は比較的後方にあり、周りには味方しかいない。 「・・・・・・」 駈足の足音にルキアニスは振り返る。駈足の姿勢で来たアスランは、ルキアニスの前で踵を合わせる。 「シリヤスクス・アトレイデス騎士、32号機、整備終了。異常なし」 「了解」 バルタス王国での、三度にわたる大いくさを経て、アスランは、すっかり慣れたようだった。東方人は軍隊や戦争に慣れているものだとルキアニスは勝手に思っていたけれど、戦争にあらかじめ慣れることなど、出来るはずもない。 「なにか、ありますか?」 怪訝そうにアスランは問う。ルキアニスは応じる。 「慣れたようだから」 「三度も会戦がありましたから」 「次も頼りにしてる」 「・・・・・・」 アスランはまたたき、それから少し上目づかいにルキアニスを見返す。それはどういう意味だろうかと、うたぐる気持ちを交えて。 「はい」 むつかしい子だとルキアニスは思う。それに比べると、コルネリアは、明るくなったし、自負も良い形で身に着けている風だった。だから、というわけではないけれど、ついついコルネリアに甘くしてしまう。 「遅れました!」 コルネリアは駈足の姿勢で、帯剣を押さえながら来る。だが手際が悪かったわけではないことは、ルキアニスも見ていた。 「ユリウス・マクシムス騎士、33号機、整備終了、定常点検と部品交換のみ。異常なし」 もちろんこんな口頭報告では、機体の詳しい状況はわからない。彼らの報告は騎士として、それぞれの機が整備を終了し、戦闘可能な状況にあることを報告しているに過ぎない。機体のそれぞれの状況は、機付長から上がってくる機体状況報告書を見る。帝國軍はそのようにして、戦場でも書面をつづる。それらの資料は、連隊や旅団、あるいは軍団の参謀が集め、部隊の状況を把握している。母部隊にその報告を送るだけでなく、参謀らは自ら部隊へやってきて、状況把握や指導も行う。 「整備簿は後程小隊長に提出」 「「はい」」 「今のところ特段の通知は受けていない」 ルキアニスはつづける。 「明日も通常の行軍となる。気を抜くな。バルタスと違って、このラグナルでは、敵は自ら退いて、我が方との決戦に備えている。周辺勘定が終わったわけではない。残置兵があると思え」 己の柄ではないな、とルキアニスも思う。けれどいくら言っても言い足りない気もする。 「また行軍自体も、いつでも強行軍を命じられうる。黒騎士・・・・・・」 言いかけてルキアニスは言葉を改める。 「もとい。重駆逐機は決戦前の要地強襲もありえる。命令に常に備えるように。以上。解散」 敬礼と、答礼の後に二人はほっと息をつき、踵を返して、機へと駆け戻ってゆく。平騎士はそういうものだ。階級では従士の上でも、ああやって駆け回ってやるべきことを一つ一つ進めるのが手一杯だ。初陣のころのルキアニスのように。 「・・・・・・」 今のルキアニスには、あの時のようにひどくはならないと判ってる。勝つべくして勝つつということが、どういうことなのかルキアニスにも少しは感じられる。 夕暮れの空は、いつもと少し違う。 いつもなら、空飛ぶ機神の一柱、鑓の機神が飛び来るはずだ。機神に乗る北方軍の機神担当参謀、つまりそれはマルクスなのだけれど、21旅団参謀であるかのように足しげく通ってきていたはずだった。 この数日、その姿はない。 それを案じているわけじゃない。今、ルキアニスが案じるべきは、彼ではない。 「・・・・・・」 夕空がやがて紫の闇色に染められてゆく。闇の向こうで何が起きているのか、目で見てとろうとしてもわからない。 それにサウル・カダフ元帥の戦争の芸術が始まるのは今からだ。 もう始まっているのかもしれない。
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前ページ次ページスナイピング ゼロ タルブ村の上空三千メイルに、アルビオンの主力艦隊であるレキシントン号の姿があった。存在を誇示するかのごとく、 悠然と君臨している。その周囲には、友軍の戦列艦が分散して警戒に当たっていた。 トリステインの艦隊は全て爆沈され、艦上のあちらこちらで水兵達が万歳を繰り返している。そんな状況に、ボーウッドは 眉をひそめていた。因みに総司令官であるジョンストンも万歳をしていたが、こちらに対しては無視している。 「上手くいきましたな、艦長殿」 隣に風竜を従えたワルドが、ボーウッドに耳打ちする。先ほどまで自国の村を焼き払っていたとは思えない、冷やかな 表情をしている。 「別に、ただ戦争が始まっただけだ。それ以上でも、それ以下でも無い」 ボーウッドは、ボソリを呟いた。その言葉を聞いたワルドは、口元を歪める。 そんな二人の元へ、ジョンストンが近づいて来た。まるで子供が欲しかった玩具を手に入れたかのような、嬉しそうな笑みを 浮かべている。 「艦長、伝令から情報だ。港町のラ・ロシェールに、トリステイン軍が展開したらしい。速やかに艦砲射撃の準備を 進めてくれたまえ」 「了解しました、司令長官殿」 ボーウッドは水兵達に艦砲射撃の準備をするよう命じると、ワルドに顔を向ける。 「で、君はどうするのかね? トリステイン軍が砲撃で全滅する様を、高見の見物かな?」 ワルドは首を横に振ると、ボーウッドに背を向ける。 「まだ敵軍に竜騎士が残っているかもしれませんので、周囲の警戒でもしてきますよ」 そう言って歩き出そうとした時、伝令が走り寄って来た。真っ直ぐにジョンストンの元へ向かい、何やら報告をしている。 何事かと思ったボーウッドは、ジョンストンに問いかけた。 「何かありましたか?」 「ん? あぁいや、別に大した事では無いよ」 そう言いながら、ジョンストンは帽子を被り直す。そして、ボーウッドとワルドに言った。 「何でも、奇妙な形をした竜騎士が一騎、こちらに接近しているらしい。まあ、一騎ほどなら驚くに値しないがね」 「相棒、右下から続いて三騎あがって来るぜ!」 「ヤー!」 「相棒の相棒、左から十騎ばかり来やがったぜ!」 「は~い♪」 レキシントン号から五百メイルほど離れた二千五百メイル上空で、二人はアルビオンの竜騎士隊と空中戦を行っていた。 時速150キロを誇る火竜の約二倍、時速287キロの速度でヘリを縦横無尽に操り竜騎士隊を翻弄している。 敵の背後に回り込んで銃撃すると言う単純な戦法で、二十ほどいたアルビオンの竜騎士隊は、すでに片手で 数えられるまでに数を減らしている。 「まったく、この飛行機械ってのは凄いね! おもしれえわホントに!」 二人の操縦士の間で、デルフリンガーが大声で叫ぶ。 「本当に、私もビックリしたわ!」 後部座席からルイズが体を乗り出して、大声で声をあげた。 「天下無双と言われてるアルビオンの竜騎士隊を軽々と撃ち負かしちゃうんだもん、流石は私の使い魔ね」 アンリエッタから譲り受けた水のルビーをはめた右手を、強く握り締める。本人に聞くと、お守りのためとのこと。 左手には、始祖の祈祷書をしっかりと抱き締めている。 マスケットの銃口に丸い弾を入れながら、リップは楽しげに口を開く。 「私達の持つ武器の性能がチートすぎるからよ、こっちだけズルして無敵モードだし」 ドアの窓から銃口を突き出し、竜騎士に向けて発砲。弾丸は不規則に動きながら、複数の竜騎士と火竜を穴だらけに した。ガクリと姿勢を傾け、地表へ落下していく。 「有効射程が竜の吐く炎よりずっと上ですから、近づかれる前に撃つだけだから簡単ですよ」 大した事では無いとでも言いたげな表情をしながら、セラスは窓からハルコンネンを突き出し残った竜騎士に向け引き金を 引く。落雷のような音を響かせ、火竜の頭部を粉砕。竜騎士はフライの呪文を使い、なにか叫びながら地表へ落ちていった。 「やったわ! アルビオン竜騎士隊、全騎を撃墜。トリステイン竜騎士隊の仇を討てたわ!」 ルイズは立ち上がると、両手でガッツポーズを決めた。それと同時に、始祖の祈祷書が足元にドサリと落ちる。あっと声を あげ、ルイズは慌ててしゃがみこむ。 それを見た(どこに目があるのか分からない)デルフリンガーが、ニヤニヤしながら(どこが顔なのかも分からない) 口を開く。(どこに口があるのかは分かる、鞘の部分だ) 「ご主人さまよ、喜ぶのは良いけど国宝の書物はキチンと扱いなよ」 「言われなくても分かってるわよ、ちょっと手元が狂っただけなんだからね!」 大声で反論しながら始祖の祈祷書を拾い上げようとして・・・ふと、ルイズの手が止まった。 「どうしたよ、ご主人さま。鳩が豆鉄砲くらったような顔して?」 「・・・・・・」 「マスター?」 不審に思ったセラスが振り向くと同時に、ルイズが顔を上げた。両目が大きく見開き、呆気にとられたかのような表情だ。 「え~と・・・どうかしました?」 「・・・セラス、ちょっと聞いてくれない?」 「なんですか?」 二人のやり取りを、リップは眼鏡をキラリと光らせながら見つめている。 「私、読み手に選ばれちゃったみたい。いや、何かの冗談かもしれないけど・・・」 「「はぁ?」」 セラスとリップが揃って首を傾げる。その時、デルフが話に割り込んだ。 「まさかとは思うけど、それってもしかして・・・虚無のことかい?」 「授業で先生が言ってた、虚無のことですか?」 セラスは召喚された後で見学した授業を思い出した。確か、四大系統の他に失われた系統魔法があるって言ってたような? 「そうよ! ほら見て、始祖の祈祷書に古代のルーン文字が浮かんでるでしょ?」 ルイズは始祖の祈祷書の適当なページを開き、二人に見せつける。だが、二人は再び首を傾げる。 「どうしたのよ二人とも、文字が読めないの?」 「いや、そうじゃなくてですね」 「じゃあ何よ!?」 「文字が見えないんですけど・・・」 セラスの冷静なツッコミが、穏やかに響いた。 ◇ 「竜騎士隊が全滅しただと!? しかも、たった一騎の竜騎兵だけで?」 レキシントン号の後甲板で、総司令官のサー・ジョンストンは伝令の報告を聞いて呆然としていた。 ハルケギニアで一、二を争うアルビオンの竜騎士隊が、わずか一騎の敵軍の竜によって壊滅させられたと言うのだ。 「本当に竜騎士隊が全滅したのか!? 生き残りはいないのか?」 伝令の襟首を掴み上げ、額がくっ付きそうなほどの距離で問いただす。伝令は震えながらも、なんとか報告を続ける。 「竜は全滅しましたが、竜騎士は数人ほど生存が確認されています。現在、タルブ村を占領している兵士達によって保護 されています」 ジョンストンはホッと息を吐く。 「分かった、数人ほどは生きているんだな。竜騎士に伝えろ、動ける者は地上の兵と共に占領を維持せよとな。 負傷してる者については、治療を受けるように」 敬礼をして、伝令は走り去って行った。それと入れ替わるように、ボーウッドが歩み寄る。 「わずか一騎で二十騎を打ち負かすとは、まさに英雄ですな。この戦いが終わったら、是非とも会ってみたいものです」 「同感だな」 相槌をうった所で、ワルド子爵がいなくなっている事にジョンストンは気づいた。 「艦長、ワルド子爵はどうしたのかね?」 「ワルド子爵ですか?」 部下達の働き具合を見つめていたボーウッドは、ジョンストンに向き直る。 「子爵なら、我が竜騎士隊が全滅したのを聞いてから飛び立ちました。敵軍の竜に挑んで行ったと思われます」 ジョンストンの眉が、ピクリと動く。 「大丈夫なのかね、相手は我が竜騎士隊を全滅に追いやった強敵だぞ。子爵は皇帝の側近の一人でもあるし・・・」 弱音を呟きだしたジョンストンに対し、ボーウッドは自分の唇に人差し指を当てた。 「総司令官殿、周りに部下がいるのですぞ。そのような言葉は、慎んでください」 ハッとした顔をして、ジョンストンは周囲に目を向ける。どうやら、聞かれてはいないようだ。帽子の傾きを直しながら、 ラ・ロシェールに視線を向ける。 「子爵には、生きて帰って来るのを祈るしか無いな。艦長、左砲戦の準備だ」 「了解しました」 ボーウッドは大声で指令を出した。 「総員、左砲戦準備! 上方及び下方、右砲戦準備! 弾種、散弾!」 ◇ タルブの村を占領したアルビオン軍から距離にして五百メイルほど離れた町、港町ラ・ロシェール。 そこにトリステイン軍は陣を張り、立て篭もっていた。 その中には、アンリエッタの姿があった。右隣には同伴すると言っていたマリナと側近のシーリン、左隣ではマザリーニが 将軍達と何やら話しあっている。 「あれが、アルビオン軍・・・」 アンリエッタは軍旗を掲げて前進する兵士達と、上空に浮かぶ艦隊を見て顔色を変えた。背後で控えていたアニエスが 近付いて、耳打ちする。 「殿下、怖いのは分かります。ですが、今は落ち着いて冷静を保って下さい。指揮官が取り乱しては、部下まで取り乱して しまいます」 額に浮かぶ汗を袖で拭いながら、アンリエッタは手綱を握る手に力を込める。 「ごめんなさいアニエス、心配をかけてしまって」 そう言うアンリエッタの呼吸は、明らかに乱れていた。アニエスは少し考えると、アンリエッタの手を取り胸に当てさせる。 「殿下、このような時は深く呼吸をするのが良いと聞いております。大きく息を吸い、そして吐いてください」 アンリエッタは言われた通り、胸に手を当てたまま深く呼吸をした。淀んだ肺に新鮮な空気が入り、不安に苛まれていた 心が落ち着いていくのを感じる。 「大丈夫ですか?」 マリナが隣に寄り添い、優しく声をかける。アンリエッタは平気ですと口を開こうとした時、爆音が轟いた。 地面が大きく揺れ、危うく落馬しそうになる。音の聞こえた方角に目を向けようとして、アニエスに両目を塞がれた。 「見てはいけません、殿下は正面だけに意識を向けてください!」 「わ、分かったわ。正面ね」 アンリエッタを敵軍に注意を向けさせつつ、アニエスは湧き上がる吐き気をなんとか抑えていた。敵艦隊から放たれた 砲弾によって、見方の一部に被害が出たのだ。それも、人や馬が散弾と岩によって砕け散ると言う、恐ろしい死に方で。 「敵は空から強力な支援を受ける三千、我が軍は砲撃の的となった二千」 マザリーニの号令によって空に空気の壁を作るメイジ達を横目で見ながら、アニエスは小さく呟く。 「勝てるのか・・・こんな、圧倒的な差で?」 更に砲撃が加えられ、空気の壁が破られる。人や馬が岩といっしょくたになって、宙に舞い上がる。頬に飛び散った血を 拭いもせず、小さく口元を歪めた。 「まあ、武器を持っているだけ・・・ダングルテールの虐殺に比べればよっぽどマシだな」 マザリーニの号令により、騎馬隊が前進を始めた。腰に下げた剣と背中に背負った新式のマスケットを頼りに、 アニエスは馬を走らせ敵陣に向けて突進して行った。 前ページ次ページスナイピング ゼロ
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139 :198:2014/07/02(水) 22 30 07 ヴェルダンの侍 1916年2月21日。 午前7時15分、1000を超えるドイツ軍の砲門が一斉に火を噴き、ドイツ軍20個師団が攻勢を開始する事でヴェルダン要塞攻略戦が開始される。 不平を漏らしながら陸を泳ぎ回る海兵のおかげで中央アジアの兵力をヨーロッパに送り込めなくなったロシア帝国は東部戦線における積極性を完全に喪失しており、ドイツは西部戦線へと兵力を引く抜くことが可能になっていた。 停滞した東部戦線に睨み合えるだけの戦力を残し、西部戦線で攻勢に出る事でフランスの消耗を誘い、戦争からの脱落を図る。 ドイツ軍参謀総長エーリッヒ・フォン・ファルケンハインが消耗戦として計画し、皇太子ヴィルヘルムがシェリーフェンプランの延長線上にある要塞攻略として実行したこの戦いは、計画者と実行者の認識の齟齬により悲劇的な損害を双方に与えていく。 ヴィルヘルム皇太子の積極的な指揮もありドイツ軍は一日目にフランス軍防衛線の第1陣の重要拠点を奪取、一気に第2陣へと襲い掛かりその一部を突破する。 その翌日にはさらに占領域を拡大し第3陣の一部の永久堡塁、ヴェルダン付近の最高所であるドォーモン堡塁を占領。 フランス軍のフィリップ・ペタン将軍は逐次新規部隊を投入してドイツ軍に抵抗していたが、東部戦線より引き抜いた戦力で任意に交代して戦闘に参加する余裕を得たドイツ軍は停止する事無く攻撃を続け、3月の終わりにはヴェルダン要塞全域の占領を成し遂げてしまう。 しかしヴィルヘルム皇太子はなおもヴェルダン要塞攻撃命令を下し続ける。 要塞と共に失われた膨大な戦力にフランス軍が顔を青くして戦線の補充と再編に走り回り、ファルケンハインが自軍の損害に嫌気が差し始めた4月になっても皇太子の要塞攻撃命令は止まらなかった。 「あの忌々しい太陽の旗を、早く引き摺り下ろせ!」 大日本帝国欧州派遣軍。 その先遣隊である薩摩会津の二個師団40000名が籠る堡塁が未だに陥落していなかったからだ。 指揮官は帝国陸軍大将・柴五郎。 北京籠城戦の伝説を築き上げた男が、完勝へと伸ばすドイツ軍の指先を傲然と払い退けていた。 140 :198:2014/07/02(水) 22 30 51 4月12日重慶。 白朗率いる青海派により占拠された国民党の根拠地は、今や列強への不満の捌け口を略奪と言う形で晴らさんとする餓狼の群れが集う現代の梁山泊と化していた。 満州鉄道警備部特別騎馬警備隊――列強の打算と王国宰相の根回しによって甦った満州八旗の手による苛烈な匪賊討伐は大多数の人間を恐怖で震え上がらせたのだが、その恐怖により殺戮を行う騎馬民族とそれを操る列強への敵愾心を掻き立てられた漢民族も確かに存在したのである。 『偉大なる中華を取り戻すため、愚劣な蛮夷の討伐を行い漢民族の誇りを取り戻す!』 発言者当人も信じていない檄文と惜しげもなくばら撒かれる金銭に惹かれ、列強とその支援を受ける中華勢力に不満を抱いた漢民族達は各地からこの地へと終結し簡単な武装を受け取って訓練を受ける。 北洋政府勢力圏から匪賊が排除されるのを上回る勢いと量で国民党=白朗党への参加を志願する人間が重慶へと流れ込み、白朗党戦力は確実に増大を続けていた。 「満族の驕慢は目に余ります!一刻も早い反撃の開始を!」 「――諸君らの意見は良くわかった。反撃の時は近い。 それまで身体を休めて英気を養ってくれ」 満蒙の騎兵連合に追い散らされて命からがら重慶へと逃げ帰ってきた匪賊達の報告を聞き終えると、自称「扶漢討夷司令大都督」白朗は彼らの勇戦をねぎらう言葉をかけて酒と女を用意した宿へと送り出してやった。 「・・・満州八旗だと?」 「倭人どもめ、本当に碌なことをしない」 「美国も華南に兵を出してくるぞ、これからどうする?」 深刻な顔で不安を漏らす幹部達の言葉をあざ笑いながら、白朗はそれでも真面目ぶった顔で思索に耽る振りをしていた。 これからどうするだって? コイツらは何も判っていない。 満州八旗の復活?日本の策動?美国の出兵? それがどうした。 一体コイツらは何を心配しているんだ? 動乱の時代に産まれた男子たる者、混乱と混沌を利用してのし上がっていくしかないじゃないか。 「・・・都督閣下のお考えを伺いたい」 北洋軍閥に反乱を起こして白朗党に合流してきた王生岐が不審そうに尋ねてきたので、白朗は仕方なく幹部達の前に机の上に地図を広げて現在の状況と対応を説明し始めた。 「露国は中央アジアで立ち往生だ。英国仏国は欧州の大戦でこちらまで手は回るまい。 日本はそもそも我々に興味が無いだろう。満州八旗は放っておけ」 「放っておくのですか?華南に送り込まれる美国の軍や北洋の連中と手を組まれたら厄介ですぞ」 王生岐の疑念を白朗は内心で鼻を鳴らして無視し、表面上は不敵に笑いながら地図の一点を指差した。 「ここを攻める」 白朗の指先は中華大陸を越えてさらに南、フランス領インドシナを示していた。 4月20日。 重慶を出撃した白朗軍は大量の匪賊を各地に派遣しながら南下を開始する。 未だ本格的にアメリカ軍が派遣されていない華南自由連合を苦も無く突破するとそのまま仏印の国境を越えてフランス植民地軍に襲い掛かった。 すでに欧州へとその主力が移動し最低限の警備戦力しか置かれていなかったフランス軍は敗退を重ねてハノイの劫掠を許し、白朗は鹵獲した武器を手渡してインドシナ住民を扇動する。 「独立せよ!独立せよ!独立せよ!」 慌てたインドシナ総督府が現地住民への監視を強めて軍の動きを鈍らせると、白朗軍はその隙を突いて元来た道を駆け戻り封鎖に出てきた華南自由連合を蹴散らしてそのまま重慶へと帰還してしまう。 残されたのは灰燼と化したハノイの街並みと、再び増殖した匪賊の群れだった。 「列強の一角に鉄槌を下してやったぞ!」 略奪品をばら撒きながらそう叫ぶ白朗に勢力下の住民は喝采を浴びせ、匪賊と騎馬民族に怯える漢民族は羨望の眼差しを向けた。 白朗軍によって流し込まれた武器と匪賊によって一気に治安が悪化した仏印総督府は、苦渋の決断としてアメリカ合衆国に治安維持を依頼。 アメリカは嬉々としてアジアに送り込む兵力を増やしていく。 141 :名無しさん:2014/07/02(水) 22 31 58 4月26日ヴェルダン。 日本欧州派遣軍先遣隊による籠城戦が開始されて2週間余り。 一時的に砲火の止んだ堡塁は奇妙な静寂に満たされていた。 分厚いベトンを通して戦場に生きる男達の押し殺した息遣いが聞こえてくるようだ。 「――参謀総長殿が軍使とは、驚いたな」 「北京の勇者に対する礼儀だよ」 呆れた響きのある柴五郎の声に奇襲の成功を感じ取ったファルケンハインは満足げに笑って見せる。 参謀総長たるファルケンハインが最前線の堡塁までやってきたのには理由がある。 ドイツ軍の重包囲下にあってなお堡塁に籠る日本軍の士気は高く、押し寄せる独軍の攻勢を幾度も跳ね返していた。 堡塁もろとも粉砕せんと加えられるドイツ軍の砲撃に耐えて肉弾戦を押し返し、あまつさえ大規模な夜襲を発起して前線に切り込みドイツ軍に消耗を強いる。 開戦前に聞いた話ではイシンの内乱でサツマとアイヅは犬猿の仲だと言われていたのに、戦場で轡を並べた途端100年来の戦友のように動き出すなどまるでイギリス人のペテンに引っかかったようだった。 攻める薩摩を会津が守る。 因果な皮肉に日本軍の将兵達は笑い合い、決してドイツ軍に堡塁を明け渡すまいと気勢を上げる。 戦場でかっての憎悪を乗り越えて一致団結する兵隊たち。 実に美しい話だが、一致団結されて立ち向かわれる側からすれば堪ったものではない。 だからわざわざファルケンハインが降伏勧告の軍使を務める為に参謀本部からやってきた。 勝利が確定した戦場でこれ以上味方の損害を増やしたくないと思わせるほど柴率いる日本軍はドイツ軍に損耗を与えていたし、義和団事件で知り合いになった実直な男を消耗戦などと言う無感情な計画で死なせたくはなかった。 「柴、君たちは十分に戦った。もう良いのではないだろうか? 戦場に出た勇者たちが皆死なねばならない理由など、私には思いつかない。 君たちのカイザーもそんな事は望んでいないだろう」 「北京と同じだ、降伏は出来ない」 頑迷な柴の言葉にファルケンハインは首を振って慨嘆する。 「ここで降ったからと言って誰が君たちを辱めるだろう。君は二度も伝説を作り上げた。 私たちは義和団の連中とは違う。君たちに勇者としての待遇を約束する」 「何を言われても同じことだよ」 何が同じなのかと問いかけるファルケンハインの視線に、会津の侍は当然の如く言い放った。 「ヴェルダン防衛の任は撤回されていない」 142 :198:2014/07/02(水) 22 32 39 この発言に協商各国の将兵の士気は膨れ上がったが、同時に各国の上層部は大いに慌てた。 英雄の玉砕はさらに士気を上げるかも知れないが、極東より来た援軍を黙って死なせては政府の信頼に関わる。 つまり救援の為の兵力をドイツ占領下にあるヴェルダンに送り込まねばならず、その兵力を敗北したばかりのフランス軍が即座に抽出する事は不可能。 ソンムで攻勢準備中の英軍だけでは兵力が足りない。日本からはどれほど急いでも間に合わない。 イタリア?何してるんだあいつら? 一時は日本の帝都でやんどころなき方が漏らした心配の言葉により史上二度目の『開城勅使』の派遣さえ検討された。 しかしながらそのどれよりも早く、ファルケンハインから日本軍降伏拒絶の報告を受けたヴィルヘルム皇太子が堡塁の包囲を解き休戦を宣言する。 「貴官が望むままに行動されたし」 フランス側の戦線へと一方的に開けられた包囲の輪は、明確に堡塁からの撤退を促していた。 義和団事件において顔見知りになったファルケンハインが必死に説得したからだとも、皇太子が柴の武士道精神に感動したからだとも言われるが、実際は覚悟を決めた英仏軍による反攻が行われるのを恐れて後方に残った厄介者を取り除きたかっただけであり、皇太子の命令には極東の将軍の意地への称賛より呆れの方が強かったという。 この状況になってもまだ柴は堡塁を動こうとはしなかったが、協商国司令部・日本本国より撤退の厳命が伝えられるとようやく行動を開始する。 勝者が如く軍旗を掲げて堡塁を出た日本欧州派遣軍先遣隊、その数8000名足らず。 ドイツ皇太子に姿が見えぬ他の将兵の去就を尋ねられ、柴は悲しそうに笑ってただ一言だけを返した。 「靖国へ」 総兵力の5分の4を完全喪失してなお戦い続けようとしていたという衝撃にヴィルヘルム皇太子は慄然とし、ドイツ全軍は皇太子を筆頭に行進する日本軍へと敬礼を捧げた。 5月1日。 日本軍の撤退によりヴェルダン要塞最後の堡塁が陥落。 その一か月後、フランス軍はなけなしの戦力を掻き集めて奪還を挑むが、攻守の立場を変えて要塞に籠ったドイツ軍を打ち破る事が出来ず将兵の死体を無為に積み上げて戦線をマルヌ川まで後退させる。 日仏軍30万人独軍15万人。 敵に倍する損害を出して敗北したという事実にフランス人が憤慨する中、洋上において鋼鉄の海獣たちが激突しようとしていた。 1916年5月31日。 ユトランド沖海戦が発生する。 次話:ユトランド沖の弔砲
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携帯用ページ http //www46.atwiki.jp/nnfr_f/m/pages/48.html スマホ用ページ http //www46.atwiki.jp/nnfr_f/sp/pages/48.html PC用ページ http //www46.atwiki.jp/nnfr_f/pages/48.html 日本の国旗 - Wikipedia http //ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E3%81%AE%E4%B8%B8 1 国旗として扱われる以前の歴史 1.1 古代から中世 赤い真円で太陽を表現する例としては、古くは漢時代の帛画にある(上記の日像幢と同様、内側に黒い烏を配するもの)。日本では法隆寺の玉虫厨子背面の須弥山図に、赤い真円の日象が確認できる。これは平安時代の密教図像などにも見出される表現であり、大陸から仏教とともにもたらされた意匠であろうと推測される。 古代から国家統治と太陽は密接な関係であることから日輪は天下統一の象徴であり、平氏は御旗にちなんで「赤地金丸」を、源氏は「白地赤丸」を使用した。平氏が滅亡し、源氏によって武家政権ができると代々の将軍は源氏の末裔を名乗り、「白地赤丸」の日の丸が天下統一を成し遂げた者の象徴として受け継がれていったと言われる。 なお、日本では「紅白」がめでたい配色とされてきた。一説には民俗学的にハレとケの感覚(ハレ=赤、ケ=白)にあるとする説や、これも源平合戦に由来するとする説などがある。 現存最古の日章旗としては、山梨県甲州市(旧塩山市)の裂石山雲峰寺所蔵のものが知られている[3]。これは後冷泉天皇より源義光へ下賜されたという伝承があり、「御旗」(みはた)と呼ばれて義光の系譜に連なる甲斐源氏宗家の甲斐武田家の家宝とされてきた。真偽のほどは不明ではあるが、中世前半に遡る遺例として貴重であろう。 室町時代の勘合貿易や、豊臣秀吉から徳川家光の第3次鎖国令が出される1635年(寛永12年)までの間に行われた朱印船貿易の際に日本の船籍を表すものとして船の船尾に日の丸の旗が掲げられた。また、戦国時代には伊達氏が軍旗・日之丸大龍を用いていた。 http //ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E3%81%AE%E4%B8%B8#.E5.8F.A4.E4.BB.A3.E3.81.8B.E3.82.89.E4.B8.AD.E4.B8.96 1.2 近世から近代 江戸期には、「白地に赤丸」は意匠のひとつとして普及していた。江戸時代の絵巻物などにはしばしば白地に赤丸の扇が見られるようになっており、特に狩野派なども赤い丸で「旭日」の表現を多用するようになり、江戸時代の後半には縁起物の定番として認識されるに到っていた。徳川幕府は公用旗として使用し、家康ゆかりの熱海の湯を江戸城まで運ばせる際に日の丸を立てて運ぶなどした。そこから「熱海よいとこ日の丸たてて御本丸へとお湯が行く」という唄が生まれたりした。 http //ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E3%81%AE%E4%B8%B8#.E8.BF.91.E4.B8.96.E3.81.8B.E3.82.89.E8.BF.91.E4.BB.A3 1.2.1 沖縄学に見る日章旗 沖縄の祭り爬竜(ハーリー)で用いられる爬竜船の船尾部にも日の丸の幟(のぼり)が掲げられていた[8]。 日の丸(日輪)は、琉球でも太陽神(テダガミ)の象徴として、船印だけでなく首里王府が建てる石碑(玉陵の碑文など)にも刻まれていた。琉球では、日本の漁労民と同様に古くから太陽神が信仰されており、進貢船の日の丸も航海の無事を太陽神に祈る意味で使用されたものである[9]。 http //ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E3%81%AE%E4%B8%B8#.E6.B2.96.E7.B8.84.E5.AD.A6.E3.81.AB.E8.A6.8B.E3.82.8B.E6.97.A5.E7.AB.A0.E6.97.97 2 日本の国旗としての歴史 2.1 江戸時代 2.1.2 幕末 1854年(嘉永7年)3月の日米和親条約調印後、外国船と区別するための標識が必要となり、日本国共通の船舶旗(「日本惣船印」)を制定する必要が生じた。 薩摩藩主島津斉彬、幕府海防参与徳川斉昭らの進言によって、「日の丸」の幟を用いることになり、同7月9日、老中阿部正弘により布告された。島津斉彬が進言した理由は、鹿児島城内から見た桜島から昇る太陽を美しく思い、これを国旗にしようと家臣に言ったといわれている。 1859年(安政6年)、幕府は縦長の幟(正確には四半旗)から横長の旗に代えて日章旗を「御国総標」にするという触れ書きを出した。日章旗が事実上「国旗」としての地位を確立したのはこれが最初である。 http //ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E5%9B%BD%E6%97%97#.E5.B9.95.E6.9C.AB 2.1.2.1 賊軍の旗 戊辰戦争にて薩長を中心とする軍勢が「錦の御旗」を掲げて「官軍」(天皇・朝廷の軍)を称したのに対し、それ以降の江戸幕府軍は、「賊軍」・「朝敵」の汚名を負うこととなった。それに際し、幕府方の彰義隊、会津藩(白虎隊など)、奥羽越列藩同盟の一部などは、自分たちの共通の旗として上述の「御国総標」たる日章旗を掲げて戦った。 近年の時代劇においても、『JIN-仁-』の第二期(2011年)における「彰義隊」や『白虎隊』(2007年)における「会津藩」・「白虎隊」などが日章旗を掲げる様子が描かれている。 http //ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E5%9B%BD%E6%97%97#.E8.B3.8A.E8.BB.8D.E3.81.AE.E6.97.97 2.2 明治 2.2.1 商船規則 1870年2月27日(明治3年1月27日)制定の商船規則(明治3年太政官布告第57号)に「御國旗」として規定され、上述の幕府による「御国総標」を継承して日本船の目印として採用された。規格は現行とは若干異なり、縦横比は7対10、日章は旗の中心から旗竿側に横の長さの100分の1ずれた位置とされていた。この日を記念して国旗協会は国旗制定記念日を制定し、国旗掲揚の日としている。 http //ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E5%9B%BD%E6%97%97#.E5.95.86.E8.88.B9.E8.A6.8F.E5.89.87 2.4 占領下における日章旗の掲揚禁止 1945年、連合国軍総司令部(GHQ)の指令により日章旗の掲揚が原則禁止された。この間、商船旗としては国際信号旗のE旗に基づいた旗が代用された。祝日に限定した特例としての日章旗掲揚許可を経て、1949年(昭和24年)1月1日にマッカーサーは日本の国旗の使用を自由とする旨の声明を発表。これより正式に日章旗の自由掲揚が認められるようになった。 http //ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E5%9B%BD%E6%97%97#.E5.8D.A0.E9.A0.98.E4.B8.8B.E3.81.AB.E3.81.8A.E3.81.91.E3.82.8B.E6.97.A5.E7.AB.A0.E6.97.97.E3.81.AE.E6.8E.B2.E6.8F.9A.E7.A6.81.E6.AD.A2 3 日章旗のデザイン 3.2 特例の日章旗 長らく慣行(商船規則で定められた制式)として、縦横比を7対10とし、日章を旗の中心より旗竿側に100分の1近づけた点を中心として描くものが使用されてきたため、国旗国歌法の附則第3項で当分の間この制式も用いることができる旨の特例が定められている。両者の縦横比を最小公倍数に換算すると、本則 14対21、特例 14対20となり、本則の方がやや横長(あるいは特例の方が縦長)となる。この違いを取り上げる意見には、日章と白地のバランスとしては特例の方が安定している、風にはためく時の見栄えは日章が旗竿に寄っている方が美しい、とするものもある[要出典]。 http //ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E5%9B%BD%E6%97%97#.E7.89.B9.E4.BE.8B.E3.81.AE.E6.97.A5.E7.AB.A0.E6.97.97 3.4 税関旗 青は海・空、白は陸で、接点に税関があることを表している。1892年(明治25年)に制定。 http //ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E5%9B%BD%E6%97%97#.E7.A8.8E.E9.96.A2.E6.97.97 4 国民感情 沖縄県において日章旗は1945年から1972年までのアメリカ軍統治時代には多くの住民の間で本土復帰を求める象徴であり[19]、各家庭では日の丸を大切に所持していた。 http //ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E5%9B%BD%E6%97%97#.E5.9B.BD.E6.B0.91.E6.84.9F.E6.83.85 7 その他 国旗に文字等を書く(寄せ書き)際、日の丸の部分には何も書いてはいけないという慣例がある。これは、日の丸の部分が神聖とされていたからである。 http //ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E3%81%AE%E4%B8%B8#.E3.81.9D.E3.81.AE.E4.BB.96 石田 伊織 on Twitter 石田 伊織 @Silver_PON 厳密には戦前の日の丸と戦後の日の丸は中の丸の大きさとか違うらしいわ。それと、戦争の時の日本の旗印は旭日旗、現在の朝日新聞のマークなのだけ.. ttp //togetter.com/li/570724#c1247753 2013年9月30日 - 17 26 ttps //twitter.com/Silver_PON/status/384836775933251584 ちなみに、日本の軍用機のマークは「白縁赤丸」で、これは戦場での視認性の問題。 ttp //togetter.com/li/570724#c1247756 2013年9月30日 - 17 32 ttps //twitter.com/Silver_PON/status/384838142655602688 軍艦のプラモとかい作る人なら良く知ってることだけど、日章旗は商船の国籍認識のマークで、軍用船は旭日旗を使用した。 ttp //togetter.com/li/570724#c1247758 2013年9月30日 - 17 35 ttps //twitter.com/Silver_PON/status/384838927082741760
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毎度のことだから慣れているが、私はこの荒野に舞う土の匂い、草の匂い、そして血の匂いをその身に纏った 風をこの身体に浴びると興奮が抑えられず、高揚をこの手に持つ二本の槍に託し敵を穿つ命運の星に生まれた。 怒号木霊す、空が見下ろすこの大地のもと、天候は矢の雨、それ降り注ぐその戦場という名の舞の披露目にて、 私は誇り高き一人の将を冠し、背負いし運命を全うする者也。 咆哮は咆哮と交わり陣は陣と交わる、そこに儚くも誇り高き戦士の魂を華々しく散らす様はまさに、 今という時を象徴する戦煩う群雄割拠の時代。私も命、戦にて散らすと覚悟を掲げた身故、今日もまた、 守るべき国の為、そこに暮らす民の為、それらを育む君主の為に、流し流される鮮血の飛沫に身を投じる。 「我が軍旗に恐れを嘶く者は道を空けよ!我が軍を貫ける矛はこの世に無し! 我は美蜂が誇りし一騎当千の将――ラスピアス!…名を知る者は武器を棄て、自らの国へ還るがよい!!」 そこに矛と矛は交わりあうことを知ってか否か、野生に生きるものたちは戦の舞台から降り始め、 祭りの後に横たわる躯を狙うか、野鳥達は舞台の上を空高く飛び回る。 二つの大きな山の合間に沈む、西の空で静かに燃え上がる陽は、未だ沈むには早すぎる。 そして――草花を撫で木々を揺らす、舞台に吹き荒れる幾重にも香りを乗せた乾いた風は、 私の腰にまで達せんと伸びた銀の髪を、結って重くしたことなど気にも留めずに持ち上げ揺らす。 「美蜂の旗を掲げし喜びと誇りを決して忘れることなかれ!命を惜しむ必要など微塵もない!! 皆の去り行く魂は我が美蜂の下、英霊として永遠に刻まれるであろう!我らの名誉は、 我らが美蜂の栄華にあり!!槍を構えよ!向かい来る敵をその槍の下に屠るがいい!!いざ!!」 それは戦の為に生まれた命であり、戦の為に散る命。ここにいる幾千の戦士達は、私の命運を共にする 者であり、又導く者であり、又抱く者である。そこに散る花弁を私は――拾い上げ空へと還す事はできない。 それでも…そんな私でも、共に荒野を歩み、共に記憶を刻み、共に戦に散り行くことくらいは――できる。 -+-+- 北には巨大な山脈を臨み、西には広大な湖が広がる大平原に都は聳え立つ。 目には城下町の様々な歓楽が、鼻には花と蜜の甘く芳しい香りが人々を迎え入れる。 周りに水路を構え、その上に建てられた黄金色の城――通称『蜜の城』と呼ばれている、 その香り高き国は、美蜂――蜂の国の名称――の本丸である。 「……作戦は以上だ。直ちに戦闘準備を進めよ。」 美蜂周辺の国々は、もともと一つの大国であり、自然の美しい様を称え『理想郷大和』と呼ばれていた。 人々は平穏な暮らしの下、互いに協力し生活していたが、ある時に起きた民族間の戦争により、 そのまま現在の各国へと分解され、耐えることのない戦争の下今もいがみ合うような因果となったのは 人々の記憶が色褪せるほど昔の出来事である。 軍師の話により、その場での作戦会議は終了した。現在美蜂が敵対している国――『大和熊宮』は、 理想郷大和の正当な後継であることを主張し、各国をつぶしに掛からんと襲い掛かる大国である。 国土差は美蜂の約七倍、兵力差においては約十一倍とも言われ、有能な将が仕官しているとも聞く。 そんな大国を相手にしているんだ、戦の前のこの震えも私が未だ生きているということを思い知らせてくれる。 「……ビークイン様……?」 いつも真新しい高貴な紫色のカーペット敷き詰められた廊下を歩き、会議室から進み突き当りを左に曲がると 水空高く湧き出る泉を中心に華麗なる草花が咲き誇るテラスに差し掛かる。 そこに草花を愛でるは私の君主…美蜂の国が誇りし象徴――ビークイン女王陛下。麗しきその後姿に私の 両の眼は奪われ、急かす足を思わず止めさせた。 「……! ラスピアス?」 振り返り私の姿を捉えたかと思うと、陛下はにこりと微笑む。その笑顔に魅せられ私も微笑むつもりであった、 しかし悲しきことか戦を前にして、顔は引き攣り陛下に無礼な顔を見せてはいないか不安な限りだ。 そのようなことを申したのがそこまで可笑しかったのだろうか今度は陛下、小さく吹き出して 堪えきれない様子で腹部を抑え、笑い高らかに空を仰ぐ。 「そんなに緊張してしまって……駄目じゃない。」 私との距離を自らの足で縮める陛下は、呆然とする私の目の前までやってきて、御世辞にも綺麗とは言えない がさつな私の頬に両の手を添えた。…頬が熱を帯びたことは私にも覚えあったがまるで、壁に張付けられた かのように、私の身体は自らの純情に耳を貸さず、動くことはなかった。 「ねぇラスピアス、兵達の前であなたがそんな顔をしていては、彼らを困らせるだけではなく、 戦にも勝てずに果ててしまうわよ。…今のあなたの顔は、みっともないわ。」 ――それは陛下にこんな距離で見つめられているから…などとは口にすら出せず、私は只々陛下の言葉を 心の中へ刻み込むことしかできず、意識をかろうじて繋ぐ程度の事しかできなかったことが情けなく思う。 しかしながら陛下の言葉だけは素直に私の体の中へと入ってくる。 「絶対に…戦場にその悲しげな瞳だけは持っていかないで。…そして不安な顔を見せていいのはこの私にだけ。 何時どこであっても、あなたは一人の将として振舞うことよ。それを約束して頂戴。」 私と陛下の間を駆け抜ける甘い蜜の香りを運ぶ風が駆け抜け、そのひと吹きを間に置いた後、 私の顎は無意識に下り相槌を打った。聞きたくもない心の臓の音が、この時ほど早まったことはない。 陛下は満足したような微笑で返してくれた。そして添えた手を収め、徐に踵を返し私に背を向け歩みを二つ、 三つほど私から離れた後に、再び踵を返し私に向き合い、その深き青、吸い込まれるような瞳が私を捉えた。 「…どうして貴方は戦士になってしまったの?百程の子を孕み、種を未来に植えつける事が私たち女の役目。 それを貴方も知っているはずなのに……」 ……言葉ほど悲しみは、ない表情。陛下は微笑みながら私に問いかけてきた。 私たち蜂の女どもは、陛下の仰るとおり子を孕むことこそ真違わぬ役目である。女王陛下に至っては、 かれこれ五十を超える子孫を残している。王位を継ぐのは女子であり、現在三十三位まで王位継承権を持つ 子供を抱えている。私たち一族の言葉に、『百八つ魂を分かつ』という言葉がある。 この言葉が意味するところは、"女の命は百八の種をこの世に蒔いた時、尽きる"という言い伝えからできた。 それはあくまでも言い伝えであり、最も多くの子孫を残した陛下の先代は、百二十一であったが―― 「私の家柄は……戦う世運のもと、王家に仕えて参りました故――」 ラスピアス一族――それは王家の剣となり盾となり、王家の為なら命でさえ平気で棄てる家系、その家柄の 娘である私は、この世に生を受けたとき、女だと聞いた落胆の声と共にこの城へやってきたという。 どれほど良家であっても、その役割は男のものだった。期待の目は皆無に等しく幼少期の私は異端扱いされ、 時に迫り来る逆境に揉まれながら、それでも私は戦士となった。……女であることを棄てて。 「貴方の家柄なんてどうでもよき事。貴方には兄も弟もいた。それでも尚、貴方は私の剣になった。」 その通り、ラスピアス一族には将となるべき男子はいくらでもいた。期待と羨望の眼差しを向けられ、 優秀な武術の成績を残し、将来をほぼ約束された兄がいた。それでも兄は将になることはなかった。 私がいたからだ。 彼の力を大幅に上回る能力を私は兄の二倍以上の努力の末に手に入れ、その実力が認められたのは、 つい最近の話である。優しい兄は自らの将来の座をあっさりと私に譲り、私の下へと仕えた。 何故兄は私に将の座を明渡したのか定かではないが、身内を蹴落としてまで達成した悲願の夢に、 私は呑まれてしまったのだろうか、いつも重圧は付き纏い離れることはなかった。 「戦士に……なりたかったんです…。」 「兄を蹴落としてまでね…その理由を、あなた自身の理由を私は訊いているのよ。」 穏やかな微笑みは変わることなく、陛下は私を宥めているかのようにも見えた。 そんな笑顔が、私の心の奥底にしまわれていた、私の全てを解き放ったのだろうか。 今ははっきりとした視界が広がる。 「この戦乱の世に、平和をもたらす為です――」 その為になれるのであれば…私はこの命すら惜しくない。これが真のラスピアスの系譜なのだろうか。 「嬉しいわ。私と同じ志を持つ将だなんて。」 それはわからないけど、少なくとも…今目の前にいる者を護りたい、それは揺ぎ無い決意であったと思う。 何故だろうか、戦の前の例えようのない体中の震えが、この時を境に急に途絶えたのは。 -+-+- ……。 空からは、矢を深々とその身体に突き刺した鳥の骸が降りはじめ、戦場を駆け抜ける乾いた風の、 血の臭いは濃さを増す一方であった。この刹那にも、眼前の戦士達はその命を散らしつつある。 この情景を次の代に伝えたくもない今の私にとって、それは心を抉る様な痛みでもある。 「ラスピアス様!ご命令を!」 状況は芳しくない。伝令の旨を聞き終えた私は、二本の槍を天高く掲げた。 「本隊はこれより突撃を敢行!皆の者、我に続くがよい!旗を掲げよ!そして謳え!」 戦う理由。それが今の私にはわかるから。 「美蜂が誇りしヴァルキリー・ラスピアスはここにありと!!!」 - 完 - -+-+--+-+--+-+--+-+--+-+--+-+--+-+--+-+--+-+--+-+--+-+--+-+--+-+--+-+--+-+--+-+--+ さて今回の読みきりいかがだったでしょうか?遂に原作と全然違う舞台を用意してしまいましたがw まぁあれです、いつもどおり広いお心で勘弁してくださいねw 独自設定が入っているので、以下はその用語をご説明いたします。 ◇ラスピアス 鹿氏パッチで導入された酢飯氏原画の彼女です。導入に関して様々な声があったようですが、 ここは一つ、別にいいんじゃない?ってことでいろいろな意味で突っ込みの方はご容赦をお願いします。 個人的には好きですよラスピアス。初見でVPのレ○スを思い浮かべたからこんなの書いたとかそうでないとか ◇美蜂 (びほう) ビークイン女王が治める旧理想郷大和の地方国家。虫娘達の国だと思ってください。 敵対国として現在は大和熊宮と戦争の真っ只中。 ◇大和熊宮 (やまとくまみや) 主に獣系、リングマとかラッタとか、グラエナとかそんな感じの種の娘達が築き上げている国家。 旧理想郷大和の都を保有してることから自分達が正当だと勝手な言い分をつけて周辺諸国と戦争中。 ◇理想郷大和 (りそうきょうやまと) 美蜂、大和、そのほか周辺国の地域を昔統一していた国家のこと。 まさに理想郷らしいです。よくわかんないけど。 残念なことにたくさん設定しておいてこれ、 読 み き り なんですよね。 もうマジで設定丸投げ、伏線無視wwwしかし前々から書きたかったことが書けて満足。 反省はしてます。後悔はしてnry
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日本刀(にほんとう)は、日本固有の製造法によって作られた刀剣類の総称。刀剣類は、日本では古墳時代から作られていたが、一般に日本刀と呼ばれるものは、平安時代末期に出現してそれ以降主流となった湾曲した刀のことを指す。寸法により刀(太刀・打刀)、脇差(脇指)、短刀に分類される。広義には、長巻、薙刀、剣、槍なども含まれる。 著名な刀で、日本国国宝「大包平」、妖刀「村正」、「雷切」、豊臣秀吉の愛刀「一期一振」、佐々木小次郎の愛刀「備前長船長光」、「天下五剣」と称される5つの名刀(国宝「童子切」、「三日月宗近」、「大典太」、重要文化財「数珠丸」、御物「鬼丸国綱」)などがある。詳しくは日本刀一覧を参照されたい。 目次 [非表示] * 1 概説 * 2 「日本刀」という呼称 * 3 歴史 o 3.1 上古から湾刀の出現まで o 3.2 平安時代 o 3.3 鎌倉時代 o 3.4 南北朝時代 o 3.5 室町以降 o 3.6 江戸以降 o 3.7 幕末動乱期 o 3.8 明治から第二次世界大戦 o 3.9 第二次世界大戦後 * 4 日本刀の製法 o 4.1 質の高い鋼の作成 o 4.2 鋼の組合せ o 4.3 温度管理 o 4.4 仕上げ * 5 日本刀の研磨 * 6 各部名称 o 6.1 刀身 o 6.2 鞘 o 6.3 柄 o 6.4 鍔(鐔) * 7 日本刀の種類 o 7.1 時代による分類 o 7.2 形状による分類 o 7.3 造り込みの分類 o 7.4 反りの種類 o 7.5 鑢目の種類 o 7.6 鋩子の種類 o 7.7 切先の種類 o 7.8 地肌による種類 o 7.9 地刃の働きの種類 * 8 日本刀の多様な側面 o 8.1 日本刀の性能と力学的性質 + 8.1.1 テレビ番組による実験 + 8.1.2 日本刀の性能に言及されている史料 o 8.2 戦史上の日本刀 + 8.2.1 近代以前の戦史における日本刀の役割についての論争 + 8.2.2 合戦に刀が使用された理由 + 8.2.3 戦場外での日本刀 o 8.3 日本刀の文化・宗教的側面 * 9 日本刀の新聞 * 10 日本刀の雑誌 * 11 参考資料 * 12 注記 * 13 出典 * 14 関連項目 * 15 外部リンク 概説 [編集] 古来から武器としての役割と同時に美しい姿が象徴的な意味を持ち、美術品としても評価の高い物が多い。古くから続く血統では権威の証として尊ばれていた。また、武家政権を背景に「武士の魂」として精神文化の支柱として機能した。 その特徴は、"折り返し鍛錬法"で鍛え上げられた鋼を素材とする点と、刀身となかご(茎、中心)が一体となった構造である。茎には刀身を目釘で柄に固定する目的の孔(目釘孔)が設けられている(稀に奉納用の刀などで目釘孔がないものもある)。また、日本刀は諸外国の刀剣類と異なり、外装(拵え)とは別に刀身自体が美術的価値を発揮していることを以って最大の特徴である、と言える。 「日本刀」という呼称 [編集] 「日本刀」は元来、海外からみた場合の呼称[1]である。古来の日本では「刀(かたな)」、もしくは「剣(つるぎ)」と呼び、「日本刀」という呼称を使っていない。 「日本刀」という呼称は、北宋の詩人である欧陽修(おうようしゅう)の「日本刀歌」に見られる。この詩の中で、越(華南)の商人が当時既に宝刀と呼ばれていた日本刀を日本まで買い付けに行くことやその外装や容貌などの美術的観点が歌われている。「日本刀歌」の本題は日本刀ではなく、中国では既に散逸してしまった書物が日本には存在しているということを嘆いた詩ではあるが、日本刀の美しさが、平安時代後期 - 鎌倉時代初期に既に海外の好事家などにも認められており、輸出品の1つとされていたことを示している。 「日本刀」という名称は外国の刀剣とは異なる日本固有の刀剣の総称であり、日本人にとっての一般的名称として広まったのは幕末以降のことである。それ以前は「打刀(うちがたな)」や「太刀」など小分類で呼ぶのが普通であった 歴史 [編集] 日本刀は、政治・経済・文化・風俗・習慣など、その時々の歴史的要因とあいまって変貌を繰り返してきた。 上古から湾刀の出現まで [編集] 大刀(たち)を佩用する聖徳太子。黒漆塗の鞘に山形金物と長金具が付いた大刀を帯取と佩緒で下げている。 古墳時代にはすでに鉄製の刀剣が作られていた。例えば、埼玉県の稲荷山古墳や島根県安来市の古墳時代前期を代表する出雲の大型方墳である造山古墳からは鉄剣、大刀が出土している。稲荷山古墳から出土した金錯銘鉄剣にはワカタケル(雄略天皇)に仕えた功績を記念して471年に作ったとの由来が115文字の漢字で刻まれている。この時代の刀剣の多くは朽損しているが、島根県安来市のかわらけ谷出土の金銅装環頭大刀は、奇跡的に優れた保存状態にあり、黄金色の柄をもち刀身さえも古代の輝きを今に伝える稀有な例として有名である。 7 - 8世紀以降の刀剣には原形を良く留めているものが多く、四天王寺の「丙子椒林剣(へいししょうりんけん)」や「七星剣(しちせいけん)」、正倉院の「金銀鈿荘唐大刀(きんぎんでんそうのからたち)」などが知られている(湾刀完成以前の直刀には「太刀」ではなく「大刀」の字をあてる)。推古天皇が「馬ならば日向の駒、太刀ならば呉のまさび」と詠んでいるように、この時代、呉(中国南東部の総称)の刀が最良とされていた。が、日本の鍛冶職人の水準も上昇してきた。正倉院では唐太刀と呼ばれる海外からの渡来品と共に、唐様太刀と呼ばれる国産の直刀も保管されている。また、平造り・切刃造りの直刀、蕨手刀(わらびてのかたな)といった国産の剣も現存している。 平安時代初期の刀剣の遺品は乏しく、作風の変遷や、いつ頃どのようにして日本独自の湾刀が形成されたかについては、学問的に十分解明されていないが、承平天慶の乱などが発生した平安時代中期以降(10世紀頃)従来の直刀に代わって騎乗時に扱い易い刀身に反りのある蕨手刀(彎曲刀)が使用されるようになった。これは長らく苦しめられた東北との紛争で俘囚が騎乗しながら使用していた蕨手刀が影響しているとみられる。また、平造り・切刃造りに代わって、刀身の断面が長菱形である「鎬造り(しのぎづくり)」の刀剣が造られるようになったのもこの時代である。「鎬造り」は平造り・切刃造りより頑丈で斬りやすいとされている。以上の変化の過渡期にあたるのが柄が刀身と共鉄の毛抜形太刀や、鋒両刃(きっさきもろは)造りで反りのある小烏丸(こがらすまる)である(小烏丸は古伝書には大宝年間(8世紀初頭)の刀工・天国(あまくに)の作とあるが、実際の制作は平安中期と見るのが定説となっている)。毛抜形太刀は、藤原秀郷所用と伝える伊勢神宮のものが著名である。柄に毛抜形の透かし彫りがあることからこの名がある。 平安時代 [編集] 稲荷山 小鍛冶。刀匠・宗近が稲荷の使いに相づちを打たせ、小狐丸という名刀を作り上げた。 平安時代後期、特に武家勢力が活発になった前九年の役や後三年の役あたりから武家の勢力が増大し、これに伴い太刀が発達し、通常これ以降の物を日本刀とする。良質な砂鉄がとれる雲伯国境地域や備前国と、政治文化の中心である山城国・大和国などに刀工の各流派が現れてきた。このころの日本刀は馬上決戦を中心に考えられた太刀が主体である。源頼光が大江山の酒呑童子を斬ったとされる「童子切」(伯耆国の安綱作、国宝)やキツネに合鎚を打たせたという伝説のある「小狐丸」(山城国の三条宗近作、第二次大戦時に焼失)などがこの時期を代表する日本刀である。「童子切」の作者である雲伯国境の安綱は古伝書には時代を9世紀初めとするが、現存作品を見る限りそこまで時代は上がらず、平安中期、10世紀末頃と見るのが刀剣史では通説となっている。安綱のほか、山城(京)の三条小鍛冶宗近、古備前友成などが、現存在銘作のある最古の刀工とみなされる。 平安時代の太刀の特徴を以下に列記する。造り込みは鎬造り、庵棟(いおりむね)で、身幅(みはば)は総じて狭く、鋒(きっさき)が詰まって小切先となる。姿は腰から棟側にあたかも倒れるような姿をしており、反り高く、物打(ものうち)は反りが伏せごころ。踏ん張りのある(元幅に比べて先幅が狭くなっていく形)優美な姿をしている。刃文(はもん)は直刃(すぐは)または小丁子(こちょうじ)・小乱(こみだれ)が入っており、沸(にえ)出来である。焼幅はあまり広くなく、刃区(はまち)から少し先の方から刃文が始まっているものが多い。これは研ぎ減りの関係でもあるが、「焼き落とし」とも呼び、豊後国行平など、九州鍛治には後世でも見られる。茎(なかご)は反りがあり、雉股(きじもも)形が主流である。稀に元先の身幅(みはば)に差があまりない豪快な太刀も存在し、古備前派の包平の大包平(おおかねひら 東京国立博物館蔵)、真恒(さねつね 久能山東照宮蔵)、友成(ともなり 厳島神社蔵)、九州の三池光世(みいけみつよ)の大典太(おおでんた 前田育徳会蔵)が著名でいずれも国宝に指定されている。 鎌倉時代 [編集] 伝源頼朝像。毛抜形太刀を佩刀している。 鎌倉時代初期の日本刀は平安時代末期とあまりかわらない姿をしているが、鎌倉幕府による武家政治の体制が確立し、刀剣界が活発になっていく。後鳥羽上皇は御番鍛冶を設置し、月ごとに刀工を召して鍛刀させ、上皇自らも焼刃を施したといわれ、積極的に作刀を奨励した。中でも備前の刀工則宗が有名である。この時期には山城国の粟田口派、備前国の一文字派が新たに興った。 鎌倉時代中期になると、実用性を重視した結果、身幅が広く元幅と先幅の差も少なくなり、平肉がよくついてくる。鋒は幅が広く長さが詰まって猪首(いくび)となり、質実剛健の気風がよくでている。この頃から短刀の制作が活発になり、作例がしばしば見うけられる。この時期の短刀の特徴としては、反りがないか(刺刀:さすが)、わずかに内反り(棟が研ぎ減ったと考えられているかあるいは元から筍反:たけのこぞりと呼ばれる筍造:たけのこづくり)になっており、茎は反りのないものと振袖形(ふりそでがた)がある。この時期の有名な刀工として、山城の粟田口派の国友、則国、国吉、吉光、国安、同国来派(らいは)の国行、来国俊、二字国俊(銘字を「来国俊」でなく単に「国俊」と切る)、大和国の当麻派「国行」、手掻派「包永」、保昌派、千住院派、備前国の福岡一文字派、少し遅れて吉岡一文字派、長船派の光忠、その子長光、備中国の青江貞次一派が存在する。 また、鎌倉幕府では、作刀研究推進のため、各地から名工を招聘した。主な刀工は、山城国から粟田口藤六左近国綱、備前国から福岡一文字派の助真、国宗派の国宗、京伝、大和伝の流れを汲む新藤五国光などと言われている。特に新藤五国光は、従来の山城伝伝統の精緻な地鉄の上に、大和伝に見られる沸働きの強い作風を確立し、事実上「相州伝」の祖と言われている。その弟子には行光、国広がおり、行光の弟子に越中則重、岡崎五郎入道正宗が知られている。備前伝が「匂出来」で知られる一方、相州伝は「沸出来」である。 山城・大和・備前・美濃・相模の5か国の作刀方式を「五箇伝」という。これら5か国の作刀には、それぞれ地鉄、鍛え、刃文などに独自の特色があり、それを「山城伝」、「相州伝」などと称する。なお、相模国については「相模伝」とは言わず「相州伝」という習慣がある。五箇伝は桃山 - 江戸時代にかけて刀剣研磨・鑑定を生業とした本阿弥一族が整理した区分であり、大正 - 昭和初期にかけて本阿弥光遜が体系的に整理した。 鎌倉時代末期、2度の元寇や政治体制の崩壊などの動乱により、作刀はさらに活気づく。この時期の日本刀は、鎌倉中期の姿をより豪快にしたものに変わっていく。身幅はより広くなり元幅と先幅の差も少なくなり、鋒が延びたものが増えてくる。短刀やその他の刀剣にも太刀と同じように長寸の作がでてくる。ただし、全般に重ねが薄い点が他の時代との大きな差異である。 古今で最も著名な刀工、相州の岡崎五郎入道正宗は、ちょうど鎌倉中期から末期にかけて活躍したと推測されている。彼は、新藤五国光が確立した「相州伝」をさらに強化した作風で知られる。硬軟の鋼を巧みに組み合わせた地鉄を鍛えることによって、砂流(すながし)・金筋(きんすじ)・沸裂(にえさけ)・地景(ちけい)・湯走り(ゆばしり)・沸映り(にえうつり)と称される地刃中の「沸の働き」を従来の刀工以上に表現した。殊に刃中の細かい沸の輝きは、後世の沸荒く飛び焼き顕著な「相州伝」と一線を引き、同時代の「相州伝」刀工の作を「相州上工の作」と区別し褒め称えられている。また、地鉄の「働き」が豪華絢爛であるのと同様、「湾れ(のたれ)」に「互の目乱れ(ぐのめみだれ)」を交えた、従来にはなかった大乱れの華やかな刃文を確立した。正宗の作風は鎌倉末期から南北朝期の各地の刀工に絶大な影響をあたえた。世に「正宗十哲」とよばれる刀工がいる。彼らの大部分は、後世の仮託であり、正宗とは実際の師弟関係がないにもかかわらず、正宗の相州伝が各地に影響を及ぼしたことがよくわかる。 南北朝時代 [編集] 政治的時代区分では室町時代に包含されることの多い南北朝時代は、刀剣武具史ではあえて別な時代として見るのが一般的である。この時代の刀剣は他の時代と違い大太刀・野太刀といった大振りなものが多く造られている。すでに述べた通り、この時代は相州伝が各地に影響をおよぼしている。刃文は「のたれ」に「互の目乱れ(ぐのめみだれ)」を交えたものが良く見受けられ、古来より一大勢力であった備前国においても、当時長船派の棟梁格であった兼光一派の作にも、伝統の丁子乱れ(ちょうじみだれ)ではなく、互の目乱れが見られ、後の長船一派の刀工へ影響を及ぼしている。この時代の太刀は、元来長寸の大太刀であったものを後世に磨上げ(すりあげ)・大磨上げ(おおすりあげ)されて長さを調整され、打刀に造り直されているものが多い。天正年間に織田信長などの戦国武将が、秘蔵の太刀を多く磨上させていることから、室町末期の磨上を「天正磨上」と呼び非常な名刀が多い。また、この時代には小太刀もいくらか現存しており、後の打刀を連想させるものと思われる。 室町以降 [編集] 室町時代初期には備前国で「小反り」と呼ばれる一派が活躍した。主な刀工は長船政光、秀光、師光などである。続く応永年間には、備前長船盛光、康光、家助、経家などの名工が輩出した。これらは応永年間に作られたものが多いので、世に「応永備前」と呼ばれている。応永備前の特徴は、鎌倉時代の太刀を狙った腰反りがつく優美な姿である点にある。また、嘉吉の乱で、室内戦闘用に鎬作りの短い刀が求められたため、脇差の製作が行われた点も重要なポイントである。太刀から打刀、脇差の二本差しスタイルが生まれたのはちょうどこの時期である。応永備前の打刀(2尺3寸前後)、脇差(1尺5寸前後)は非常に姿が良く、江戸時代に大名が美しい拵えを作るために珍重された。この頃、たたら製鉄技術が一段進歩したと言われ、大規模な製鉄場跡が見られるようになる。 (室町中期以降、日本刀は刃を下向きにして腰に佩(は)く太刀から、刃を上向きにして腰に差す打刀(うちがたな)に代わってくる。なお、太刀・打刀とも、身に付けた時に外側になる面が刀身の表で、その面に刀工銘を切るのが普通である。したがって、銘を切る位置によって太刀と打刀の区別がつく場合が多いが、裏銘に切る刀工もいる。) 太刀:備前長船祐定(青貝螺鈿拵)。室町時代の太刀。 平和な時代が始まったため刀剣の国内需要は低下したが、明への重要な貿易品としての生産も行われるようにもなった。そして、応仁の乱によって再び戦乱の世が始まると、膨大な需要に応えるため、足軽など農民兵用に「お貸し刀」(貸与される刀)などの粗悪な「数打物」と呼ばれる粗製濫造品が大量に出回るようになった。戦国時代に入ると刀剣生産が各地で行われ、特に祐定を名乗る刀工だけでも60名強揃った備前国と、兼「某」を名乗る刀工が活躍した美濃国が生産拠点の双璧である。他には、豊後、三原、大和、加賀、越中、駿州が知られている。寛正年間から火縄銃が普及する天正頃まで、片手打ちの刀(2尺前後)が多い。また、合戦に明け暮れる武将は、己が命運を託する刀剣を特注することもあった。これら「注文打ち」には名刀が揃っている。重要文化財に指定されている「長船與三左衛門祐定」の永正年期作は、注文主の栗山某の美意識を反映してか、元から中ほどまで中直刃で、中から先まで互の目乱れを焼き、従来にはない感覚の異色の名刀である。同時代の著名な刀工としては、 備前の則光 、在光、賀光、祐光、勝光、宗光、清光、春光、治光、幸光など、美濃の兼定、兼元、兼常、兼房、兼先、兼道、兼則、兼若、氏貞などが挙げられる。他の地方では、相州綱広、千子村正、高天神兼明、豊後平鎮教、平安城長吉、手掻包真、加州行光、宇多国宗、波平某などがある。その他無名の刀工を含めると、第二次世界大戦時より刀工の数が多かったものと思われる。 南蛮貿易による鉄砲の伝来によって、合戦の形態や刀剣の姿は急速に変わっていった。まず、鉄砲に対抗するため甲冑が強化された。また、大規模な合戦が増えたため、長時間の戦闘に耐えるべく、従来の片手打ちから両手で柄を握る姿となり、身幅広く、重ね厚く、大切先の刀剣が現われ始めた。この姿が豊臣秀吉による天下統一後にも受け継がれ、豪壮な「慶長新刀」体配を生み出す土壌となった。 江戸以降 [編集] 刀剣史上注記すべき点としては、長らく続いた備前長船一派が度重なる吉井川の氾濫で天正末期に壊滅したことがある。これによって備前鍛治の伝統は一時休眠状態となった。そのため、各地の大名は量産体制のある美濃の鍛治をこぞってお抱え刀工に採用した。この点は「新刀」を語る上で非常に重要なポイントとなる。 刀剣史では、慶長以降の作刀を「新刀」として、それ以前の「古刀」と区別がされている。違いは地鉄にある。従来は各々の地域で鋼を生産していたため、地方色が強く現われた。しかし、天下が落着いたことにより、全国にある程度均質な鋼が流通するようになり、刀剣の地鉄の差が少なくなったため、基本的に新刀の地鉄は綺麗である。 新刀の祖は梅忠明寿と言われており、その弟子に肥前国忠吉がいる。 備前鍛治が壊滅状態に陥ったこともあり、京都に近い美濃国から京都、近江、越前、尾張、大坂へと刀工が移住していった。中でも京都に入った兼道一族は、全国を転々とし京都堀川に居住した国広一派と技術交換含め、新刀期の技術的基礎を築いた。諸国の刀鍛治は両派のいずれかに入門し、身につけた技術を全国へ伝播していった。即ち、新刀の特色としては、美濃伝の特徴である「鎬地に柾目が流れる」ものとなる。徳川家康が越前下坂康継をお抱え工としているが、康継も美濃伝を受け継いでおり、一部地域を除いて、文字通り美濃伝が主流となった。これが新刀初期の実態である。 江戸時代に入り、朱子学の発想に基づく風紀取締りを目的として、武家の大小差し(打刀、脇差)の差し料の寸法、町人などの差し料の寸法が制定された。特に武家の大小差しの新規需要が多く、寛永から寛文、延宝にかけて各地の刀鍛治は繁栄し、技術水準も向上した。一方で幕末までの間、普段差しを中心に用いられる短刀の作刀は急激に減る。江戸初期に活躍した各地の著名刀工は以下の通り。北から 仙台・国包、会津・政長、兼定、江戸・越前康継(初、2代)・江戸石堂是一(初代)、相州・綱広、尾張・伯耆守信高(初代)・政常・氏房、加州・兼若、越前・下坂一派(忠国・重高・包則)、京・堀川派(国路・国安・国儔)・三品派(金道・吉道・正俊)、大坂・親国貞、紀州・重国・紀州石堂正俊、筑前信国派、福岡石堂一派(守次、是次)、肥前・忠吉一派(初代・忠廣)、薩摩・波平一派などである。寛文頃から江戸での鍛刀も盛んになるが、元和、寛永時期においては、京都、越前、美濃が中心地であった。 武家文化の中心である江戸においては、幕府お抱え刀工である越前下坂康継一派が大いに活躍し、また、石堂(いしどう)と呼ばれる備前鍛治の末裔を名乗る刀工、室町期の法城寺(ほうじょうじ)派の末裔を名乗る刀工、武州土着の下原鍛治も出現し、お互い技量を高めた。また、天草の乱以降平和な時代が続き、寛文頃になると、剣術が竹刀による稽古中心となった影響で、竹刀に近い、反り浅く伏せごころで小切先詰まる刀が求められた。この姿を寛文新刀と呼び、江戸時代の刀剣の姿の代表である。寛文新刀の中心地は江戸であり、その武骨な姿が武芸者に好まれた。主な刀工としては、江戸越前康継(3代)・石堂是一(初、二代)・和泉守兼重、上総守兼重・大和守安定・法城寺正弘・八幡平高平・そして特に著名な長曾祢虎徹、奥里、奥正がいる。少し後れて、石堂派から日置光平、対馬守常光がいる。 商業の中心地の大坂には、近郊から刀工が次第に集まってきた。同時代の著名な刀工としては、三品派(親国貞・国貞(二代)・吉道・河内守国助)、紀州から移住した大坂石堂派(康広、多々良長幸)、地元の助廣(初代、二代)、粟田口一派(忠綱、国綱)がいる。これらの刀工集団の作を大坂新刀と呼び、新刀の中でも特に区別される。その特徴は地鉄にあり、地鉄の美しさは新刀内でも群を抜く。背景には大坂の商業力と、古来より鋼の産地である備前、出雲、伯耆、播磨を近辺に控えていることもあるだろう。そして、美しい地鉄の上に華やかな刃文を創始した。特に有名なのは、大坂正宗と賞される国貞(二代)井上真改の匂い沸深い直刃と、助廣(二代)津田助廣が創始した涛瀾乱れ。中には「富士見西行」「菊水刃」と呼ばれる絵画的で華美な刃文も登場したが、保守的な武士からは退廃的だと忌避されるものもあった。 また、元禄以降太平の世になると新たな刀の需要はなくなり、刀を作る者も殆どいなくなった。中には武芸者が特注打ちで流派に即した刀を鍛えさせているがごく少数である。その中でも粟田口忠綱二代の一竿子忠綱は刀身の出来、彫りともに優れている。 刀剣の需要が衰退する一方で、鐔(つば)、小柄(こづか)、目貫(めぬき)、笄(こうがい)などの刀装具の装飾が発達し、これらの装剣金工の分野にも林又七・志水甚吾を代表とする肥後鐔工、京透かし鐔工、山吉兵などの尾張鐔工、江戸の赤坂鐔工・伊藤鐔工、全国に散った京正阿弥一派と言った鉄地を細工する鐔工だけでなく、町彫りの祖と呼ばれる横谷宗珉を始め土屋安親、奈良利壽、濱野政随など、従来の後藤一派の伝統から離れた金工職人に殊に独創的な名工が生まれた。刀剣は消耗しないものの、刀装具は各々時代の流行に合わせて変化し(一方で登城差しなど掟に縛られた拵えもある)、刀装具の反映に反比例するが如く、鍛刀界は衰退していく。 幕末動乱期 [編集] 江戸期の脇差(東京国立博物館所蔵) 黒船来航前夜の安永前期。黒船来航を待たずして度重なる飢饉、貨幣社会の台頭による商人の肥大化などにより、武家の衰退が顕著となり、社会の変革の風を人々が意識・無意識に感じ始めた。そんな時代に出羽国から江戸へ上り、鍛刀技術を磨くものが現れた。安永3年に正秀と銘を改めた川部儀八郎藤原正秀、即ち新々刀の祖と呼ばれる水心子正秀(すいしんしまさひで)の登場である。これより明治維新までの時代を「新々刀」と区分する。特徴としては、製鉄技術の更なる進歩により綺麗な鉄が量産されるようになったため、地鉄が無地に見えることがある。後期には洋鉄精錬技術も取り入れられ、さらに無地風の地鉄が作られた。地鉄の変化と焼入れ技術の低下からか、総じて匂い口が漫然とするものが多い。また逆行するが如く、色鉄を用いたり、無理に肌を出した刀や、古作の写しものが出現する。姿は各国でまちまちであるが、総じて身幅広く、切先伸び、反りのつくものとなる。 新々刀初期に、鎌田魚妙という侍が「新刀弁疑」という著書で、名刀の条件に、沸匂深い作を主張し、大阪新刀の井上真改、津田助廣を褒め称えた。そのため新々刀初期には江戸時代前期の津田助廣が創始した華麗な涛瀾乱れを焼くのが流行した。しかし、本科と比べると、地鉄は無地調で弱く、刃は鎬にかかるほど高く焼き、そして、茫々とした締まりのない匂い出来で、斑沸つく作が多い。実用刀とはほど遠いと感じた正秀は、鎌田魚妙の説に疑問を抱き、実用刀剣の復古、即ち鎌倉時代・南北朝時代の刀剣への復古を唱えた。この復古運動は、後の勤皇思想が盛んになりつつある社会情勢と響きあい、各地の鍛治と交流し(相州伝、備前伝の秘儀を学ぶべく弟子入りした)、同時に大勢の門弟を育てた。卸し鉄など様々な工夫を凝らし目標とする鎌倉・南北朝期の地鉄作製を試みるも、たどり着くことはなかった。これは今日でも同様である。 正秀の弟子は全国各地へ散り、文字通り新々刀期の刀工のうち、正秀の影響を受けていないものは皆無と言って良いほどである。著名な弟子に大慶直胤、細川正義、加藤綱俊がおり、各々正秀と同様、多くの門人を育てた。 正秀一派が活躍する一方で、信州に鬼才が生まれる。はじめは大阪新刀の流れを汲む尾崎一門の河村寿隆に作刀を学び、侍になるべく江戸へ出、幕臣であり軍学者であった窪田清音に才能を見出され、各家伝来の古名刀の写しを作る。彼こそ、江戸期を代表する刀工となった源清麿である。私生活に問題があり、長州に隠遁したり、鍛刀せずに大酒を飲み、当時の著名刀工固山宗次と飲み比べ合戦を行ったエピソードは有名である。源清麿は初銘を「秀寿」と切り・「環」・「正行」・「清麿」と推移する。四谷に住んだため「四谷正宗」の異名を持つ。古作の現物を見て写しを造り腕を磨いたため、正秀一門の写し物とは姿、出来が大いに異なる。特に左文字写し、志津兼氏写しを得意とした。地鉄も他の新々工とは一線を引き、鍛え肌美しく力強い。また、焼き刃は古作の如く、盛んに金筋を交える。しかし、多額の借金(鍛刀の前受け金)を残し42歳で自殺した。弟子に栗原信秀、藤原清人、鈴木正雄がいる。藤原清人と栗原信秀は、師匠が自殺した後、残された約定の鍛刀を引き受け、借金を返したという逸話を残している。 水戸勤皇派による天狗党事件、井伊直弼が暗殺された桜田門外の変などがあり、諸国でも佐幕派と勤皇派が入り乱れて闘争が行われるようになる。時代環境に合わせて、江戸初期以降、作刀数の少ない短刀の需要、長大な刀を好む武士も増え、作刀が再び繁栄を始めたところで明治維新を迎える。明治6年(1873年)に仇討ちが禁止され、明治9年(1876年)3月28日に警察官・軍人以外は帯刀を禁止する廃刀令が出されたことにより、日本刀は急速に衰退してしまった。 明治から第二次世界大戦 [編集] 明治6年、オーストリアのウィーンで開かれた万国博覧会に日本刀を出品。国際社会に日本人の技術と精神を示すものであった。しかし廃刀令以後は新たな刀の需要は殆どなくなり、当時活躍した多くの刀鍛冶は職を失った。また、多くの名刀が海外に流出した。それでも政府は帝室技芸員として、月山貞一、宮本包則の2名を任命。伝統的な作刀技術の保存に努めた。 帝国陸軍の軍旗のもと、将校は軍刀で、下士官兵は銃剣を着剣した小銃で戦う模様を描いた錦絵(日清戦争・平壌の戦い) 軍旗と歩兵連隊長を筆頭に、連隊長(将校)は日本刀を仕込んだ両手握りサーベル拵えの明治19年制式刀で、左後方の帯刀本分者たる本部附下士官は刀身外装ともに日本刀拵えの九五式軍刀で、他の一般下士官兵は着剣した三八式歩兵銃で軍旗の敬礼を行う姿(日中戦争) 一方、新生大日本帝国の国軍として創建された日本軍(陸海軍)は1875年(明治8年)の太政官布告にて将校准士官の軍装品として「軍刀」を採用した(なお、同布告では野戦や常勤時に使用するこの軍刀とは別に、正装時に用いる「正剣」も採用されている(のち廃止)。様式はサーベルではなくエペ)。陸軍・海軍ともに欧米列強に範をとったため、当初は拵え・刀身ともにサーベルであったが、西南戦争における抜刀隊の活躍や日本刀に対する日本人の想い入れから、次第にサーベル様式の拵えに日本刀を仕込むのが普通となり、さらには日露戦争における白兵戦で近代戦の武器としての刀剣類の有効性が再評価され、それら軍刀需要で日本刀は復権をとげた。さらに昭和時代には国粋主義的気運が高まったことと満州事変や第一次上海事変における戦訓もあり、陸海軍ともにサーベル様式に代わり鎌倉時代の太刀拵えをモチーフとした、日本刀を納めるのにより適した将校軍刀拵えが登場した。また、同時期には将校准士官用と異なり長きに渡り拵え・刀身ともに純サーベル様式(三十二年式軍刀)であった下士官兵用の官給軍刀でも太刀拵え・日本刀々身(九五式軍刀)が採用された。しかし同時に、軍刀として出陣した古今の数多くの刀が戦地で失われることにもなった。 日本軍において下士官兵(騎兵・輜重兵・憲兵など帯刀本分者)の軍刀は基本的に官給品であり扱いは「兵器」であるが、将校准士官の軍刀は上述の健軍まもない1875年の太政官布告以降、第二次世界大戦敗戦による日本軍解体に至るまでほぼ一貫して服制令上の制式であり、そのため扱いは「兵器」ではなくあくまで軍服などと同じ「軍装品」であった(軍刀を含む将校准士官が使用する大半の軍装品は自弁調達であるため、官製のものを購入していても「私物」であった)。 詳細は「軍刀」、「軍服 (大日本帝国陸軍)」、「軍服 (大日本帝国海軍)」をそれぞれ参照 九五式軍刀(官給軍刀)。鞘を除く拵え自体は日本古来の太刀をイメージしながらも実戦に特化した全金属製となる。刀身も実戦に特化した陸軍造兵廠製の日本刀 満州事変以後、陸海軍の造兵廠(工廠)、帝国大学など各機関の研究者は拵えだけでなく刀身においても実戦装備としての可能性を追求した。例として、官給軍刀の刀身をベースにした陸軍造兵廠の「造兵刀」、満州産出の鋼を用いた南満州鉄道の「興亜一心刀(満鉄刀)」、北支・北満や北方方面の厳寒に対応した「振武刀」、海軍が主に使用した塩害に強いステンレス鋼使用の「不錆刀」など、各種の刀身が研究開発された。日本刀の材料・製法を一部変更したものから、日本刀の形態を模した工業刀に至るまで様々な刀身が試作・量産され、「昭和刀」「昭和新刀」「新村田刀」「新日本刀」などと呼称された。官給軍刀を含むこれら特殊軍刀々身は、近代科学技術の力をもって開発されたものであるため、物によってはとして従来の日本刀よりも(俗に名刀と呼ばれる刀であっても)武器としての資質において勝るものも数多くあった。軍刀(工業刀)は総じて粗悪品だったという俗説も未だ根強いが、そういったものは悪徳業者の販売した粗悪刀などで、一部を除き(初期や末期には粗悪品が見られる)妥当な評価ではなく、また近代戦における戦場という劣悪な環境に置かされる事情も考慮に入れる必要がある。鋳造説、官給軍刀・造兵刀は粗悪品説に至っては論外である。これらは陸海軍の将校には安価で惜しげなく使える刀身として重宝され、下士官兵には官給軍刀の刀身として支給・実戦投入され、第二次大戦敗戦まで大量に使用された。 将校准士官の軍刀は軍装品であり私物であるため、これら特殊軍刀以外にも先祖伝来のものや内地で特に入手したような旧来の日本刀(古刀から新作現代刀まで)も大量に軍刀として使用された。広義に「軍刀」とは軍隊で使用される刀剣を総称(通称)する単語であり、場合により語弊が生じることにも注意を要する。 詳細は「軍刀#刀身」を参照 本来の「戦いの武器としての日本刀(戦う日本刀)」「実戦刀」という観点では、各特殊軍刀々身は完成された日本刀となり、肝心の実用性に於いては究められたものの、刃紋を有しないなど見た目の美的要素は二の次な物が多く(なお、関の古式半鍛錬刀の様に双方を兼ね備えた刀身も開発されている)、今日では製造方法の上からも、狭義の意味での日本刀の範疇には含まれないことにはなっている。しかし、近年では刀剣界では今まで見向きもされなかったこれらの軍刀にも人気が出てきており、同時に研究家や収集家の新たな発見や偏った俗説の否定など、再評価の声が高くなっている。 第二次世界大戦後 [編集] 居合道 太平洋戦争(大東亜戦争)降伏後、日本刀を武器であると見なした連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)により刀狩が行われ、蛍丸を始めとした数多くの刀が遺棄・散逸の憂き目にあった(熊本県のように、石油をかけて焼かれた後海中投棄された例もある)。また、「刀があるとGHQが金属探知機で探しに来る」との流言も飛び交い、土中に隠匿して、その結果刀を朽ちさせ駄目にしたり、回収基準の長さ以下になるように折って小刀としたり、日常生活に使えるよう鍛冶屋に持ち込み鉈や鎌、その他日常用の刃物に改造したりと日本刀の価値を貶めた例は枚挙に遑がない。GHQに没収された刀の多くは赤羽にあった米軍の倉庫に保管され、占領の解除と共に日本政府に返還された。しかし、元の所有者が殆ど不明のため、所有権は政府に移り、刀剣愛好家の間でこれらの刀剣は「赤羽刀」と呼ばれている。 一時は日本刀そのものの存続が危ぶまれたが、日本側の必死の努力により、登録制による所有が可能となった。日本刀自体には登録が義務付けられており、登録がなされていない刀は、警察に届け出た後審査を受ける必要がある。所持に関しては銃刀法による制限を受けるが、所有については許可などは必要なく、誰でも可能である(条例により18歳以下への販売を規制している所はある)。なお、購入などの際には、登録証記載の各都道府県教育委員会への名義変更届が必要である。 今日では日本刀は武器ではなく、居合・抜刀といった武道用の道具、絵画や陶器と同格の立派な美術品であり、その目的でのみ製作・所有が認められている。現在では、本来の武器としでは無く、美術品としての価値が高いものである。世界の刀剣の中でも日本刀は、美術品としての価値が高く、国宝、重要文化財、重要美術品に指定されている。日本刀独自の鍛錬により、さまざまな、刀姿、刃文、帽子、茎形、銘を鑑賞する、いわば鉄の芸術品である。その美術品としての価値は、その特色をよく理解しなくてならない。日本刀の鑑賞の歴史は古く、千年以上の歴史がある。事実、名刀と言われる日本刀は、実際に武器として、使われたものはあまりなく、日本刀の名品といわれるものは、千年以上の時を経ても健全な形で残っている。現代刀に関しては、刀匠1人当たり年に生産してよい本数の割り当てを決め、粗製濫造による作品の質の低下を防いでいる。しかしその一方で、作刀需要が少ないため、一部の刀匠を除き多くの刀匠は本業(刀鍛冶)だけでは生活が難しく、かと言って上述の本数制限もあり無銘刀は作刀できず、武道家向けに数を多く安く作りその分稼ぐこともできないため、他の伝統工芸の職人と同じく数々の問題を抱えている。そのような状況の中でも現代の刀匠も、美術品としての日本刀の作刀を、さまざまな形で現代に伝えている。 参照:ウィキペディア「日本刀」より http //ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%88%80 榎本劍修堂 / 劒人倶楽部 埼玉県さいたま市見沼区大谷399 剣道具 通販 / 竹刀 通販 次回、「日本刀の製法」より。
https://w.atwiki.jp/ifheta2ch/pages/627.html
世界の由来 由来にまつわる中編集 国旗の由来を語る 世界の国名の由来を語る 国花の由来を語る 国旗の由来を語る (33スレ120-125) 1 名前:不憫のデザイン募集中 [sage] 投稿日: 2009/07/15(普) 02 06 59 125px-Flag_of_Prussia_1892-1918.svg.png よぉ、世界で一番かっこいい旗を持つプロイセンだ。おい、てめーらの国旗の由来とか意味教えろ 俺のは神聖ローマ皇帝の紋章の黒鷲だ。多くの権力者がこぞって手に入れようとした勇猛果敢さと力、 無敵の象徴だ。 2 名前:あんこのデザイン募集中 [sage] 投稿日: 2009/07/15(丁) 02 08 31 浅い歴史はすっこんでろっぺ。俺んどこのが世界で最初の国旗って言われどるな。 スーとの喧嘩で空から降ってきて勝利をもたらしたとか言われどるけど…多分関係ねぇっぺ。 13世紀にローマ教皇が十字軍にくれた旗が元さ。 3 名前:トロールののデザイン募集中 [sage] 投稿日: 2009/07/15(諾) 02 14 42 独立運動ん時に象徴として掲げられたのが元。あんこの国旗に青十字入れた。青はノルウェーの海。 4 名前:火山のデザイン募集中 [sage] 投稿日: 2009/07/15(氷) 02 14 42 青は昔っからの国色。デザインはデンの家にいた頃からこのまま。 5 名前:ややのデザイン募集中 [sage] 投稿日: 2009/07/15(典) 02 14 42 正直、デザインはデンの影響だな。青は湖で、黄は太陽。 上司が空に金十字が横切るの見たとか言っどったけんど…多分関係ねぇばい。 6 名前:花たまごのデザイン募集中 [sage] 投稿日: 2009/07/15(芬) 02 14 42 今の国旗の前はロシアさんみたいな三色旗だったんです。でも、ロシアさんと喧嘩した時に 北欧の一員として頑張っていこうと決めて、他のみんなと同じようにスカンジナビアクロスにしたんですよ。 7 名前:冬将軍のデザイン募集中 [sage] 投稿日: 2009/07/15(露) 02 14 42 ソ連の家を壊した時に作ったんだ。スラブ三原色で、色は高貴(白)とか純潔(青)とか愛(赤)とか そういったものもあるけど、ベラ、姉さん、僕って意味でもあるんだ。 8 名前:結婚式場のデザイン募集中 [sage] 投稿日: 2009/07/15(辺) 02 14 42 赤は歴史、緑は明るい未来と国土の深い森林、左の装飾模様は伝統よ。 兄さんと一緒にいたときは鎌とハンマーが描かれていたわ。 9 名前:おっぱいマウスパッドのデザイン募集中 [sage] 投稿日: 2009/07/15(烏) 02 14 42 空の青と小麦の黄は昔っから使われてた配色で、タンネンベルクの時にポーランドくんを 助けにいった時に持ってったのが一番古い記憶かなあ。 ロシアちゃんのとこにいた時は鎌とハンマー、共産主義の赤い星が描かれてたっけ。今のは独立旗なの。 10 名前:イケメンのMONOケシゴム募集中 [sage] 投稿日: 2009/07/15(愛) 02 14 42 元々はうちの学生会のシンボルでした。ロシアさんに廃止されましたが、復活しました。 北欧理事会参加に向けて、スカンジナビアクロスに変更も提案されたこともあります。 青は青空と自由、白は労働と明るい未来、黒はロシアさんの支配… ってうわロシアさんぎゃあぁああああ!!!! 11 名前:ぎゅっぎゅのデザイン募集中 [sage] 投稿日: 2009/07/15(拉) 02 14 42 僕もロシアさんに廃止されました…ソビエトの家が崩壊して復活したんです…茶色は…血です… 12 名前:胃痛のデザイン募集中 [sage] 投稿日: 2009/07/15(立) 02 14 42 まぁ、流れは上の二人と同じです。 13 名前:ポニーのデザイン募集中 [sage] 投稿日: 2009/07/15(波) 02 14 42 タンネンベルクの時に部下が作った白地に赤鷲の軍旗がかっこよかったから国旗にしたんよー。 でも鷲描くのめんどかったから白にした。あ、でもでも王室旗にはちゃんとおるからよくね? ロシアんとこいた時は社会主義の意味にしとって、国旗廃止は免れたんよ。 14 名前:髭のデザイン募集中 [sage] 投稿日: 2009/07/15(仏) 02 14 42 お兄さんとこのは革命軍の帽章の色よ。青は自由、白は平等、赤は博愛。 世界の縦三色旗はお兄さんをモデルにしてるの。 国旗でもファッションリーダーってことだよ! 15 名前:パスタのデザイン募集中 [sage] 投稿日: 2009/07/15(伊) 02 14 42 兄ちゃんとの統一運動のシンボルとされていた旗なんだ。緑は美しい国土、白は雪、 赤は愛国の熱血を表わすと同時に、自由、平等、博愛も意味してるんだよ。 フランス兄ちゃんからデザインもらったんだ、カッコイイでしょー 16 名前:銀行のデザイン募集中 [sage] 投稿日: 2009/07/15(端) 02 14 42 連邦兵士が13世紀に使ってた軍旗だ。赤い盾に白十字はキリスト教である。 赤十字と混同させられるため、あちらを緑にするようジュネーブ条約で決まったのだ。 17 名前:フォンデュのデザイン募集中 [sage] 投稿日: 2009/07/15(リヒ) 02 14 42 青は空、赤は炉の火、公爵家の冠は人民と統治者の一体のシンボルなんです。 18 名前:闘牛服のデザイン募集中 [sage] 投稿日: 2009/07/15(西) 02 14 42 赤は外敵を撃退した時の血で、黄は豊かな国土や。 紋章は昔のイベリア半島の5王国の紋章とヘラクレスの柱を組み合わせたもんやで。 リボンに書いてある言葉は「もっと彼方へ」、アメリカが見つかる前には「ここが世界の果て」って 書かれてたんや。 19 名前:フライパンのデザイン募集中 [sage] 投稿日: 2009/07/15(洪) 02 14 42 オーストリアさんからの独立の時に作った旗なの。赤は尊い血の犠牲、白は清らかな国民の心、 緑は希望を象徴するわ。 前の国旗には紋章があったんだけど、動乱で消されちゃった 20 名前:ピアノのデザイン募集中 [sage] 投稿日: 2009/07/15(墺) 02 14 42 私の軍服に由来します。軍服自体は白基調でしたが、ベルト以外が血に染まってしまったんです。 オーストリア軍は十字軍遠征の時には血に染まった軍服を目印に戦っていたのですよ。 21 名前:ジョッキのデザイン募集中 [sage] 投稿日: 2009/07/15(独) 02 14 42 19世紀始めナポレオン軍との戦いに参戦した学生義勇軍の軍服の色を取り入れたもので、 黒いマント、赤い肩章、金ボタンに由来し、自由と統一の象徴とされている。 また同時に、黒・赤・黄の3色がそれぞれ勤勉・情熱・名誉を表す。 22 名前:ネコ缶のデザイン募集中 [sage] 投稿日: 2009/07/15(希) 02 14 42 ん…トルコから独立する時に作った。その時は青に白十字だけ。 9本の縞は戦争時のスローガン、「自由か死か」って言葉の9音節を表してる… 23 名前:仮面のデザイン募集中 [sage] 投稿日: 2009/07/15(土) 02 14 42 上司が革命戦争で勝利する前夜に、戦場散策してたら岩山に流れた血に星と三日月が反射して 映ってたとか言ってた。 24 名前:壷のデザイン募集中 [sage] 投稿日: 2009/07/15(埃) 02 14 42 赤は革命で流された血、白は国の明るい未来と平和、黒は過去の圧政を表わし、 この3色でアラブ統一の願いを象徴。 中央の鷹はムハンマドの出身部族クライシュ族のシンボル。 25 名前:お茶碗のデザイン募集中 [sage] 投稿日: 2009/07/15(日) 02 14 42 元は聖徳太子の考え方で、赤い日の丸は日の出の太陽を象徴します。紅白は縁起物の色で、 赤は博愛・活力、白は神聖・純潔を表します。 ジョークだとは思いますが、イギリスさんやフランスさんにデザインを売ってくれと言われた時は笑いましたw 26 名前:シナティちゃんのデザイン募集中 [sage] 投稿日: 2009/07/15(中) 02 14 42 赤は共産主義革命の色ある。大星は共産党と小星は労働者・農民・知識人・資本家で、 同時に中国本土と州・モンゴル・ウイグル・チベットを表わすものある。 うちの経済学者が考えてくれた国旗よ。 27 名前:キムチのデザイン募集中 [sage] 投稿日: 2009/07/15(韓) 02 14 42 陽・陰がひとつになり万物を創造する対極円に、向き合っているもので一つの意味を持っているとする 四卦のデザインだぜ。スケールでかいんだぜ。 四卦の意味は乾が天、坤が地の無窮の精神を表し、坎が月、離の日の光明の精神なんだぜ。 28 名前:眉毛カットのデザイン募集中 [sage] 投稿日: 2009/07/15(香) 02 14 42 ブラザーんとこいた時は左上ユニオンジャックにライオンとドラゴンをあしらったフラッグだったんスよ 哥哥のとこ帰ってきた時にナウのクールなデザインにチェンジしたッス。 赤は共産主義、白は資本主義ウィッシュ☆ 29 名前:お洒落なデザイン募集中 [sage] 投稿日: 2009/07/15(湾) 02 14 42 青・赤・白の3色は孫文の唱えた三民主義(民族の独立、民権の伸長、民生の安定)に由来し、 青は民権主義で正義を、赤は民族主義で自由と独立を、白は民生主義で友愛を象徴してます。 青は空を、太陽(白日)の光芒は十二刻を表わしてます。 30 名前:カジキマグロのデザイン募集中 [sage] 投稿日: 2009/07/15(塞) 02 14 42 青は澄んだ空とインド洋を、黄は生命の源である太陽を、赤は友愛の精神で未来に向けて働く人びとの 決意と情熱を、白は社会正義と調和を、緑は自然豊かな国土を象徴してるんだー。 31 名前:煙草のデザイン募集中 [sage] 投稿日: 2009/07/15(玖) 02 14 42 …言わなきゃダメか?どうしてもか?………アメリカがよ、スペインからの独立手伝ってくれただろ。 だからよ、国旗も…手本にしたんだよ。アメリカみたいな立派な独立国家になりたくてな。…いや昔の話だ。 今は殴る。見つけたら速攻で殴る。 32 名前:ティーカップのデザイン募集中 [sage] 投稿日: 2009/07/15(英) 02 14 42 俺(ジョージ)、スコットランド兄さん(アンドリュー)、アイルランド兄さん(パトリック)の三人の守護聖人十字旗 を組み合わせ、イギリス女王がグレートブリテンを統治してる事を表したのがユニオンジャックだ。 ウェールズ兄さんは統合が早かったから正直イングランド扱い、 でもあの人のは王室旗に使われてるからいーだろ。 33 名前:コカコーラのデザイン募集中 [sage] 投稿日: 2009/07/15(米) 02 14 42 31へぇ、そうだったのかい。悪い気はしないんだぞw 星条旗、知らない奴はいないだろうね。50個の星は構成州で、13のボーダーは独立時の州さ。 星は天で、白は独立、赤は………ま、そういうことだよ。そこまでの恩知らずじゃないってことさ、なぁカナダ? 34 名前:シロップボトルのデザイン募集中 [sage] 投稿日: 2009/07/15(加) 02 14 42 メイプルリーフはカナダの国土で、図形の12個の頂点があって、僕を構成する10州と2準州を表してるんだ。 左右の赤帯は大西洋と太平洋、元々の色は青だったんだ。赤になったのは…うん、そういうことだねアメリカw 僕らにとって、赤は母国の色なんだ。今でも僕やアメリカの州旗にハワイやブリティッシュコロンビアなど、 ユニオンジャックが入ってるところもあるんだよ。 35 名前:不憫のデザイン募集中 [sage] 投稿日: 2009/07/15(普) 02 14 42 なんか…国旗って色んな想いや歴史が詰め込まれてんだな 俺のは軍旗だから国民のための象徴もこれからの未来のメッセージもない お前らが羨ましいよ 36 名前:ジョッキのデザイン募集中 [sage] 投稿日: 2009/07/15(独) 02 14 42 お前の黒は俺が背負ってる 上へ戻る 世界の国名の由来を語る (33スレ902-910) 1 :以下、名無しにかわりまして未承認国家がお送りします:2009/07/17(海) 18 01 29 ID Sealand みんなの名前の由来を教えるですよ! ちなみにシーくんは、英語で「海の国」なのですよ とても大きくてきれいな名前で気に入っているのです(*^-^*) 2 :以下、名無しにかわりまして日出ずる処がお送りします:2009/07/17(日) 18 05 35 ID Nihon 「太陽が昇る場所」という意味の「ひのもと」を漢字表記にしたものです 読み方は「ニッポン」と「ニホン」とありますが、どちらでもかまいませんよ 昔は中国さん風に「ジッポン」と呼ばれていたこともあるので、今でも 欧米の方々の発音にはその名残がありますね 3 :以下、名無しにかわりまして香木の港がお送りします:2009/07/17(香) 18 11 13 ID Heong-Kong 香木の積み出しをするポートがあったんで、グッドなスメルがオールウェイズ …っていうのがいつの間にかアイランドネームになってた感じっす 2とセイムで、北京語では「シャンガン」広東語では「ヒョンコン」って コールされるけどまあどっちでもかまわなうぃっしゅ☆ 4 :以下、名無しにかわりまして偉大なる民族がお送りします:2009/07/17(韓) 18 17 04 ID Daehan-Minguk 昔の部族名の馬韓、辰韓、弁韓っていうのが由来なんだぜ 韓には「偉大な」っていう素晴らしい意味があるわけで つまり全ての民族の起源は俺なんだぜ! 5 :以下、名無しにかわりまして創造主の居住地がお送りします:2009/07/17(埃) 18 31 13 ID Misr 「フゥト・カァ・プタハ(創造主プタハの居住地)」を ギリシャの母親が「アイギュプトス」って訛らせて イタリア兄弟の爺さんがそれをまたさらに訛らせて 最終的に「エジプト」に落ち着いた 自分では「ミスル」って名乗ってる うちはずっと昔からアラビア語でこういう地名だから 6 :以下、名無しにかわりまして酪農場がお送りします:2009/07/17(瑞) 18 34 09 ID Schweiz 13世紀末の小国シュビーツに由来しているのである 語源は高地ドイツ語で「酪農場」を意味する「シュバイジャザリ」である 余談ではあるが、ドイツ語で「スイス人」を意味する「schweizer/schweizerin」という名詞には 「熟練乳搾り人」「教会堂番人」「ローマ教皇の近衛兵」さらに「スイス製チーズ」の意味も含まれる ……吾輩が他国にどう思われているかがよく理解できる一語だな 7 :以下、名無しにかわりまして輝ける城壁がお送りします:2009/07/17(列) 18 37 16 ID Liechtenstein 私が国になった時の君主のお名前がそのまま私の名前になりました 元々はオーストリアさんのおうちにある城砦のお名前だったのだそうです そのまま訳すと「光る石」なのですが、お城のお名前だったことですし 「輝く城壁」という意味が込められているのだと教えていただきました 8 :以下、名無しにかわりまして民衆の国がお送りします:2009/07/17(独) 18 38 00 ID Deutschland 高地ドイツ語の「ドイチュ」(民衆)と「ラント」(国)から成る名前だ ……そう言えば最近、俺が自国語で名を名乗ると友人Nの反応がおかしいんだが この前は「……ダイワドイチュ……」と謎の呪文を呟きながら身悶えていた 俺は何か変なことを言ったんだろうか 9 :以下、名無しにかわりましてウサギの国がお送りします:2009/07/17(西) 18 42 43 ID Espana 俺んところは、古代ローマ時代の「ヒスパニア」って地名に由来しとるなぁ 語源はバスク語で「岸」って意味の「エスパナ」と、 古代カルタゴで「ウサギ」って意味の「セファン」って説があるわ どっちでもええけど、親分にしてはかわええ名前やあらへんか? 10 :以下、名無しにかわりまして来訪者がお送りします:2009/07/17(台) 18 43 42 ID Tai-oan 8 たぶん、変な笑いのツボに入ったんじゃないかと…… たまにあることなんであんまり気にしないであげてください。 9 可愛いなあ。ちょっとうらやましいです。 わたしの名前は、「ターヤン」という先住民の言葉に漢字をあてたもの。 意味は「来訪者、外来者」なんだそうです。 あ、あと欧米の人たちには「フォルモサ」という名前で呼ばれることもあります。 ポルトガル語で「美しい」という意味なんですよ。嬉しいんだけど、ちょっと照れちゃいます。 11 :以下、名無しにかわりまして村落がお送りします:2009/07/17(加) 18 45 44 ID Canada 僕の名前も先住民の言葉だよー 意味は「村」なんだ 最初は本当に「村」っていう意味だったんだけど、なんかだんだんと 範囲が拡大していっちゃって……今の僕は、きっと世界で一番大きな村だろうなあ 12 :以下、名無しにかわりましてカリブ海の中心地がお送りします:2009/07/17(玖) 18 47 30 ID Cuba 10 11 俺の名前はクバってんだけど、これも先住民の言葉だぜ 意味は「中心地」ってんだ なかなかかっこよくねえか? 13 :以下、名無しにかわりまして世界の中心の大文明国がお送りします:2009/07/17(中) 18 47 44 ID Zhongguo 12 奇遇あるな、我の名前も「中心」という意味ある 「中」は「世界の中心」、「華」は「すぐれた文化」という 我の誇りを表した名前あるよ 長い歴史に支えられた我の家の文化は最高ある 14 :以下、名無しにかわりまして辺境がお送りします:2009/07/17(烏) 18 48 47 ID Ukraine 12 13 世界の中心だなんて凄い名前なんだね~ わたしの名前はまったく逆で、スラブ語で辺境とか国境っていう意味なの まあ、Rちゃん視点での言葉だからしょうがないんだけど 15 :以下、名無しにかわりまして東部辺境区がお送りします:2009/07/17(墺) 18 50 09 ID Osterreich 14 おや、私と似たお名前の方がいらっしゃいますね 私の名前は、昔フランク王国に支配されていた頃の名前「オストマルク(東部辺境区)」が ラテン語風に訛ったものです 今は「東の国」くらいの意味で取られているようですが 16 :以下、名無しにかわりまして東の国がお送りします:2009/07/17(愛) 18 55 30 ID Easti 15 「東の国」っていう意味なら、僕と全く同じ意味の名前ですよ! 意外と似たような意味の人って多いんですね 言語や民族で名前は全然違うのがまたおもしろいです 17 :以下、名無しにかわりまして低地の国がお送りします:2009/07/17(拉) 18 58 25 ID Latvija 古代ノルマン語の「ラフ」(低地)に由来するという説と、 ドイツ語の「レットラント」(砂の国)に由来するという説があるそうです ……身長は関係ないですよ、ね? ね……?? 18 :以下、名無しにかわりまして海岸の国がお送りします:2009/07/17(立) 19 01 06 ID Lietuva 自称の「リエトゥバ」は「海岸」っていう意味 「雨」っていう意味だとか、ネマン川の古称「リエタ」(流れ)が由来っていう説もあるみたい 19 :以下、名無しにかわりまして平原の国がお送りします:2009/07/17(波) 19 01 48 ID Polska 「ポラン族の国」っていう意味なんよー ポランっていうのは「ポーレ」っていうのが語源で、野原とか平原とかいう意味なんだし っていうか、俺って自分では「ポルスカ」って名乗っとるんよね それなのに、英語では勝手に「ポラン」と「ランド(国)」をくっつけて 「ポーランド」って呼んどるんよ 別に他人の家の言葉に文句は付けんけど、ポルスカだけで十分じゃね?つーかポルスカの方が可愛くね? 20 :以下、名無しにかわりまして北への道がお送りします:2009/07/17(諾) 19 15 06 ID Norge 19 英語は世界の標準語みたいなもんだし、しょうがねえべ。 うちの近くもみんな改造やられどる。 うちは北方ゲルマン人が使っとった「ノルレベク」って航路がそのまま地名になっどる。 ゲルマン語の「ノルレ(北)」と「ベク(道)」を合成した名前だ。 21 :以下、名無しにかわりまして氷の国がお送りします:2009/07/17(氷) 19 15 20 ID Island ノルの言葉で「イース(氷)」と「ラント(国)」を合わせた名前。 意味も由来もそのまんまだけど。何期待してたの? 22 :以下、名無しにかわりまして我等同胞の地がお送りします:2009/07/17(典) 19 15 36 ID Sverige 北方ゲルマン系のスヴェリ族に由来しどる。 「スヴェ」(我々同胞)と「リエ」(土地)が語源だなぃ。 23 :以下、名無しにかわりまして湖沼の国がお送りします:2009/07/17(芬) 19 17 27 ID Suomi えーと、「沼沢地」っていう意味の「スオミ」を自称に使ってます。 イギリスさんがこの名前を自国語に訳する時に、 「フェン(湖沼)」と「ランド(国)」を合わせて「フェンランド」にしたのが 国際的な通称の由来ですね。 24 :以下、名無しにかわりましてデーン人の国がお送りします:2009/07/17(丁) 19 19 51 ID Danmark 「デーン人の国」っちゅう意味だっぺ! うちの民族はだいぶ古いがら、欧州には色々影響与えどるなぁ 25 :以下、名無しにかわりまして力強い軍団がお送りします:2009/07/17(土) 19 20 06 ID Turkiye 名前の由来は、トルコ族の祖先にあたるチュルク族だな チュルクには「力強い人、軍団」って意味があるんでぃ 名は体を表すっていうが、俺に合った名前だと思わねぇかい? 26 :以下、名無しにかわりまして名誉の人がお送りします:2009/07/17(希) 19 20 54 ID Hellas ……うちの民族の祖先といわれてる、神話の英雄へレーンが語源…… 他の言語だと……「高地の人、名誉の人」っていう意味のグレキア族を…… イギリスが「グリース」って訛らせて……日本がもっと訛らせて「ギリシャ」って呼んでくる…… 25 氏ねばいいのに 27 :以下、名無しにかわりまして自由の国がお送りします:2009/07/17(泰) 19 21 57 ID Thai わたしの名前の由来はタイ族ですね タイ語で「自由」という意味なんですよ 28 :以下、名無しにかわりましてオールを漕ぐ人がお送りします:2009/07/17(露) 19 23 23 ID Rossija 僕の名前はノルマン系ヴァイキングのルーシ人が語源なんだよ 「オールを漕ぐ人」っていう意味なんだって 29 :以下、名無しにかわりまして高貴で自由なロシア人がお送りします:2009/07/17(辺) 19 23 28 ID Belarus 「ベラ」はスラブ語で「白」よ モンゴル族に支配された過去がないことを表し、「高貴」や「自由」の意味があるの 「ルーシ」はもちろん兄さんのこと 名前までお揃いなんて運命ね……さあ兄さん、結婚結婚結婚結婚結婚結婚けっk 30 :以下、名無しにかわりましてロシア地方の人々がお送りします:2009/07/17(普) 19 25 32 ID Preussen やっぱり民族名から名前が付いたヤツって多いんだな 俺様の名前も先住民のプルーセン人が由来だぜ 語源を辿ると「ロシアの近く」みたいな意味になるらしい 爺さんたちの名前の付け方って、詳しく調べるとけっこう大雑把だよな 31 :以下、名無しにかわりまして強い人がお送りします:2009/07/17(洪) 19 28 54 ID Magyar 「ハンガリー」の由来は、フン族だとか「十本の矢」っていう意味の「オノグル」だとか 諸説あってあんまりはっきりしてないみたい 自称の「マジャル」は、ペルシア語でモンゴル人を指す「ムガール」が訛ったものよ 意味は「強い人」なんですって 32 :以下、名無しにかわりまして牛を飼う人がお送りします:2009/07/17(伊) 19 29 34 ID Italia ヴェー、何かみんなカッコイイんだねえ 俺んとこもイタル人に由来してるんだけど、意味は「牛を飼う人」なんだ 古ラテン語の「ビタロス(牛)」が語源なんだって 33 :以下、名無しにかわりまして投槍族がお送りします:2009/07/17(仏) 19 30 13 ID France 32 何ていうか、お前さんたちらしくていいじゃないか お兄さんの名前はフランク族に由来してるんだけど、とても勇猛な部族で フランカっていう投槍が得意だったからこう呼ばれたんだとさ 名前ってやっぱり本質を表すものだといういい例じゃないか 34 :以下、名無しにかわりまして戦士がお送りします:2009/07/17(白) 19 30 49 ID Belgie 勇敢さならうっとこも負けてへんで!うちの名前は「ベルガエ族の国」って意味なんやけど、 ゴール語の「ベルゴエ(戦士)」が語源って言われとるんよ。かっこええやろ? 35 :以下、名無しにかわりましてアングル人の国がお送りします:2009/07/17(英) 19 33 35 ID England 名前の意味は「アングル人の国」だ。アングルは釣り針という意味らしい。 グレートブリテンに移住してくる前住んでいた土地が釣り針のような地形だったとか聞いた。 俺んちの訛りに関しての話が出ていたみたいだが、 20の言うとおり国際的な通称はだいたい 英語だからな……あんまり魔改造はしていないつもりだから、大目に見てくれ。 26 俺の名前はポルトガル語だと「イングレス」って訛るんだが、それを聞いた日本はさらに訛らせて 「イギリス」って呼んでくる。 俺たちの発音はあっちの地域の奴らには難しいのかもしれないな。 36 :以下、名無しにかわりましてアメリゴの国がお送りします:2009/07/17(米) 19 34 24 ID America もしかしてここまで、人名は一人もいないのかい? 俺の名前は「アメリカ=新大陸説」を最初に唱えたアメリゴ=ヴェスプッチからきてるんだぞXDDDDD 名付け親はドイツの家の地理学者さ! どうしてコロンブスじゃないのかって? 彼はインドに行こうとして俺の家に辿り着いた人だったからね 最後の最後まで、俺のことをインドだと思いこんで人違いしてたんだよ! 37 :以下、名無しにかわりましてセシェル子爵の島がお送りします:2009/07/17(塞) 19 35 17 ID Sesel 36 同類発見。フランスの家の財務長官がわたしの名前の由来です。 うちに香料採取に来た人たちが、依頼主の名前を記念に付けたとか…… 名前の由来なんてそんなもんですよねorz 上へ戻る 国花の由来を語る (36スレ344-349) 花言葉に関しては諸説あるので一例として見て下さい 1 名前:パスタさん@国花いっぱい[sage] 投稿日: 2009/07/15(伊) 00 06 59 皆の家の国花って何?どんな花か教えてほしいな ちなみにうちはデイジーで花言葉は明朗とか平和とか希望っていうのがあるんだよ 2 名前:じゃがいもさん@国花いっぱい[sage] 投稿日: 2009/07/15(普) 00 08 50 うちの国花はヤグルマギクだ。 ヴェストのの上司の一人がこの花が大好きで、皇帝の紋章に取り入れ一時期はドイツ国花にもなってんだぜ。 今は違うけどな。あと、ドイツ皇帝の花とも言われてるな。 3 名前:スコーンさん@国花いっぱい[sage] 投稿日: 2009/07/15(英) 00 14 49 国花なら始めたのはうちだ。イングランドの王家の紋章にバラを取り入れたのが始まりだ。 だからうちの国花はバラ。といってもイングランドの国花だけどな 北アイルランド、スコットランド、ウェールズにも独自の国花があるんだぞ。 4 名前:ターメイヤさん@国花いっぱい[sage] 投稿日: 2009/07/15(埃) 01 46 57 3 国花を一番はじめに決めたのはうちだよ。4000年ほど前の事になるね。 青のスイレンがナイルの湖畔にたくさん咲いていて「ナイルの花嫁」と呼んで国花にしたんだ。 今ではスイレンとしか言っていないがね。 5 名前:ヴルストさん@国花いっぱい[sage] 投稿日: 2009/07/15(独) 02 08 46 2 その話は勘弁してくれ。こっちにも事情はあるんだ。 うちの国花は今はオウシュウナラだ。木だが国花なんだ。 ちなみに花言葉は勇敢、厚遇、愛国心などだな。 oushuunara1101222.jpg 6 名前:ハルミチーズさん@国花いっぱい[sage] 投稿日: 2009/07/15(機) 02 17 47 5 うちも木ですよ。オリーブがうちの国花です。 国旗にも使われていて、花言葉は平和と知恵です。 7 名前:塩じゃけさん@国花いっぱい[sage] 投稿日: 2009/07/15(日) 02 58 59 うちもある意味木ですね。桜の花が国花です。 慣習上の国花なのですが国民の一番好きな花だそうですよ。 高尚や純潔などの花言葉があるようです。 8 名前:トビウオさん@国花いっぱい[sage] 投稿日: 2009/07/15(塞) 03 57 30 うちも木が国花です。フタゴヤシと言ってうちの固有種の木なんですよ。 ココ・デ・メールとも言います。 雄株も雌株も種子の形がちょっぴりアレなのが恥ずかしいんですけど、うちの自慢です。 s1262781762.jpg 9 名前:めいぷるさん@国花いっぱい[sage] 投稿日: 2009/07/15(加) 04 18 43 うちもそうです。サトウカエデが国花で、国旗にも国章にも硬貨にも使ってます。 サトウカエデからはうちの名物のメイプルシロップの元がとれるんですよ。 葉っぱだけと思ってる方が多いですが実は、春には花も咲くんですよ。 10 名前:バーガーさん@国花いっぱい[sage] 投稿日: 2009/07/15(米) 04 20 59 9 君んちはサトウカエデ使いすぎだよXDDDDD うちの国花はアクレイギアさ。セイヨウオダマキとも言うね。 正確にいえば国花じゃないんだけど。この花を国花に使う事が多いのさ。 うちには各州に州花があるからそっちの方がよく使うね。 花言葉は必ず手に入れる、断固として勝つ。ヒーローの俺にぴったりだと思わないかい? odamaki.jpg 11 名前:ピロシキさん@国花いっぱい[sage] 投稿日: 2009/07/15(露) 05 38 38 僕のうちの国花はひまわりとカミツレ。カミツレは昔、みんなでいた頃の国花なんだよ。 ひまわりは実は僕のところが生産量世界一なんだ。意外でしょ。 花言葉はあこがれだよ。 12 名前:トルテさん@国花いっぱい[sage] 投稿日: 2009/07/15(墺) 07 08 28 うちの国花はエーデルワイスです。 この花には夜空の星がアルプスに落ちて花になったという美しい話があるんですよ。 それと、某映画のエーデルワイスという曲はうちのものではありませんよ。 勘違いされる方が多くて困るんですよね。 13 名前:チーズさん@国花いっぱい[sage] 投稿日: 2009/07/15(瑞) 07 09 00 12 おい、貴様のうちだけの国花のように書くな! うちの国花もエーデルワイスで、花言葉は高貴、初恋、思い出である。 最近はうちでも野生のものを見る事が少なくなってしまい残念なのである。 14 名前:ハファラーブさん@国花いっぱい[sage] 投稿日: 2009/07/15(列) 07 12 34 うちの国花はオレンジリリーですわ。 ヨーロッパでは最も古くから知られている品種なんです。 花言葉は華麗、愉快、軽率といいます。 15 名前:ハラース・レーさん@国花いっぱい[sage] 投稿日: 2009/07/15(洪) 07 15 33 うちの国花はゼラニウムとチューリップよ チューリップの方はトルコの野郎と一緒なの。まぁ、あいつの家から伝わったんだけどね。 ゼラニウムには魔除けの効果があるのよ。花言葉は君ありて幸福、愛情。 %82%9Aeranium.jpg 16 名前:アシュレさん@国花いっぱい[sage] 投稿日: 2009/07/15(土) 08 35 45 うちの国花は 15の言うとおりチューリップでぃ もともとチューリップはうちが見出したもんだ。名前の由来は頭に巻くターバンから来てるんでぃ それなのに、どっかの国が起源とか言い出しやがってまったく困ったもんでぃ 17 名前:ムサカさん@国花いっぱい[sage] 投稿日: 2009/07/15(希) 08 36 56 ん、うちの国花は…アカンサス。 昔…アポロンがアカンサスという娘に恋をして…アカンサスがアポロンを 爪でひっかいて追い返したらアポロンが怒って…アカンサスを花に変えた。それがこの花。 だから…アカンサスには鋭い棘がある…。意味も…ギリシャ語で「とげ」 acanthus01.jpg 18 名前:点心さん@国花いっぱい[sage] 投稿日: 2009/07/15(中) 10 22 22 うちの国花は牡丹ある。牡丹は花の王あるから どんな脅威と権勢も恐ろしがらないで節を曲げない品性を持っていると言われてるある。 花言葉は壮麗、高貴、王者の風格ある。我にぴったりね。 19 名前:マカロンさん@国花いっぱい[sage] 投稿日: 2009/07/15(仏) 11 54 54 うちの国花はアイリス。昔は百合も国花だったんだよ。 うちの王家の紋章、フルール ド リスはアイリスをモチーフにしていて そこから国花になったんだ。花言葉は優雅な心、愛、消息、恋のメッセージだよ。 20 名前:チュロスさん@国花いっぱい[sage] 投稿日: 2009/07/15(西) 11 55 23 うちの国花はカーネーションや。 カーネーションの名前は花冠を意味するラテン語のCoronaからきてるっていわれてんねんで。 フラメンコとかでカルメンが髪に挿してんのもカーネーションやねんで。 花言葉は熱愛、情熱、熱烈な愛情や。 21 名前:サムソーさん@国花いっぱい[sage] 投稿日: 2009/07/15(丁) 14 53 33 うちの国花はムラサキツメクサ。レッドクローバーやアカツメクサともいわれてるっぺ シロツメクサよりもでっかいのが特徴だっぺ。花言葉は勤勉、実直 あとシロツメクサよりも珍しいけんどムラサキツメクサにもちゃんと四つ葉はあるんだっぺよ! 22 名前:サーモンさん@国花いっぱい[sage] 投稿日: 2009/07/15(諾) 14 53 42 うちの国花はギョリュウモドキ カルーナとも言う 花言葉は孤独、安定感、信念 23 名前:サルミアッキさん@国花いっぱい[sage] 投稿日: 2009/07/15(芬) 14 55 55 うちの国花はスズランです。 すごく可愛らしい花ですけど猛毒があるんで注意してくださいね。 人に刺したりしちゃダメですよ。花言葉は幸福、純潔、純愛です。 24 名前:シュールストレミングさん@国花いっぱい[sage] 投稿日: 2009/07/15(典) 14 56 01 うちの国花はドイツスズランだ 花が終わると赤い実をつけんのが特徴だ。市販されてんのはこれが多い 花言葉は幸せは再び戻って来る 25 名前:ハルズフィスクールさん@国花いっぱい[sage] 投稿日: 2009/07/15(氷) 14 57 49 うちの国花はチョウノスケソウ。名前の由来は日本人の学者だって アイスランドポピーっていうのがあるけどうちとは関係ない 花言葉は孤独 chounosukesou.jpg 26 名前:コフピームさん@国花いっぱい[sage] 投稿日: 2009/07/15(愛) 16 15 17 うちの国花は 2さんと同じヤグルマギクです この花の青の美しさに由来して最高級サファイアの色を「コーンフラワーブルー」と呼ぶんですよ 花言葉は幸福感 優雅 繊細な心です 27 名前:プートラさん@国花いっぱい[sage] 投稿日: 2009/07/15(拉) 16 18 15 うちの国花はマーガレットです。 名前の由来はギリシャ語のマルガリーテス(真珠)だそうですよ。 花言葉は秘めた愛 誠実 真実 恋占いなどがあります。 あと、 23さん、ごめんなさい… 28 名前:ツェペリナイさん@国花いっぱい[sage] 投稿日: 2009/07/15(立) 16 19 22 うちの国花はヘンルーダです。 花言葉は悔恨、貴方を軽蔑するなどとちょっぴり嫌なものですが花は可愛いんですよ。 また、ネコヨラズという別名がありこの花を栞にすると本に虫がわかないんです。 29 名前:パルシュキさん@国花いっぱい[sage] 投稿日: 2009/07/15(波) 16 20 00 うちの国花はパンジーだし。 ピンクっぽい色があるけど超ピンクのはまだないんだし。あったらきっと可愛いと思うんよ。 花言葉は物想い、純愛、心の平和とかがあるんよ。 30 名前:インターネットさん@国花皆無[sage] 投稿日: 2009/07/15(海) 16 30 30 みんな自分のお花があって羨ましいのですよ シー君もいつか立派な国になっていっぱいお花咲かせるのですよ!! 上へ戻る .
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登録日:2010/03/13 Sat 21 53 56 更新日:2024/03/04 Mon 10 30 56NEW! 所要時間:約 4 分で読めます ▽タグ一覧 ターニングポイント レッドクリフ 三国志 世界史 中国史 呉 歴史 真・三國無双 蜀 赤壁の戦い 魏 赤壁の戦いとは208年に、現在の湖北省赤壁において曹操軍と孫権・劉備連合軍との間に起こった戦いで、官渡の戦いを超える三国志史上最も有名な戦い。 経緯 事の発端は7月の曹操軍の南征から始まる。 目標は荊州を治めていた劉表及びその庇護下の劉備であったが、 劉表は曹操の到達前に病死、彼の息子はすぐさま降伏し、劉備は長坂にて必死の逃避行の末、魯粛と会見し、夏口に布陣。 孫権陣営は当初帰順しようという意見が多数であったが、周瑜と魯粛が説き伏せ、孫権の決断の後、 劉備の使者である諸葛亮との間に同盟を結ぶ。 曹操軍もおよそ十五万とされる兵と荊州で得た水軍を率い、長江を下ってゆく。 戦闘 両軍は赤壁にて激突、緒戦は疫病に苦しむ曹操軍が敗北する。曹操軍は後退し烏林に布陣。 両軍は睨み合いを続けたが、曹操軍の船と船が密着していることに気づいた黄蓋が偽降の計を用い、 自らが降伏するように見せかけ、その間隙をついて火を放ち、散々に打ち破ることに成功する。 陣営まで火は届き、大量の人や馬が焼死及び溺死する。 曹操軍は這々の体で敗走し、周瑜と劉備は曹操軍を追撃、孫権も合肥を伺うが、合肥を救援に向かった蒋済の計により、孫権は包囲を解いて本拠に戻る。 それでも追撃の手は南郡まで及び、江陵を守備する曹仁と周瑜、劉備の軍は対峙。 夷陵を甘寧が数百で奪取したり、曹仁がそれに五千近くの兵を送ったり、周瑜が自ら甘寧を救援したりして夷陵を支配下に置く。 その後周瑜は曹仁の副将の牛金を包囲するが、曹仁がなんと数十名でこの包囲網を撃破し牛金を救出、 更に周瑜に矢傷を負わせるが、ついに包囲されてしまい、補給路の北道も関羽に封鎖されてしまう。 必死に堅守する曹仁だったが既に戦闘開始から一年が経過していた故に疲弊・困窮してしまったが、 誰かが封鎖していた筈の北道から李通の救援軍が包囲網を破ったため、曹仁はなんとか江陵から脱出出来た。 そのまま周瑜は南郡を、劉備は荊州南部四郡を平定することに成功。 これで一通り赤壁から起こった一連の戦は一応の決着を見る。 所で、諸葛亮の名前がほとんど出なかった事が気になった人が居るだろうが、 正史にて明らかになっている彼の動向は「劉備と孫権の同盟を取り付けた」ぐらいであり、史書の彼の伝では赤壁について「曹操は赤壁にて敗北し、兵を引いた」としか書かれて居ないのである。 つまりは赤壁戦時における孔明の動向は現実では空白になっているがため、大活躍した…というのは創作以外の何者でもないということになっている。 考察 何故起こったか、であろう。 ●何故、曹操は長江を下り、周瑜は長江を遡ったのか 恐らく中国史における大きな謎の一つであろうと考えられる。 曹操の性格、今までの戦歴からして、江陵を落とし荊州を平定し、劉備を追い払った、 これで普通は魏の南征を終結させたはずである。残った孫権らは大した力はなく、後でじわじわ締め付ければそれでよかった。それを、わざわざ大軍を率いて長江を下り孫権討伐をする理由がわからない。 中原と河北を制した曹操の慢心、というのは思考停止以外の何物でもあるまい。 良く言われるのは、戦の発端が曹操の脅迫文であったこと。 しかしこいつの出典は孫呉を賛美する『江表伝』であり、内容が明らかにおかしい為に正史に採用されていないのだが、 他に曹操の侵攻を説明する目処が無いのである。 孫権の項でも触れられているが、ここにも文を載せようと思う。 『近く勅命を奉じ罪人を討つべくして南に軍旗を向けたが、 荊州は抵抗することもなく降伏をした これより水軍八十万を率いてゆく 呉の地にて孫将軍と共に狩りをしようではないか』 この文章の突っ込み所は四つ。 まず八十万というのは各地の曹操軍全てをかき集めた兵数であり、先ず現実的では無い(*1) そもそも荊州攻めには皇帝の勅命を奉じている訳で無いし、当時の孫権の所在地は呉ではない。 更にこの文が発され受け取った時から両軍が進発しても、長江赤壁にて衝突しない筈なのである。 が、他に理由とできるものも見つからず、演義を始めとした創作物はこれを脚色し、様々な赤壁像を作り上げている。 そもそも「赤壁の場所」自体が正確に判明しておらず、近年では史実上の存在を疑問視する歴学者もいる始末。 戦の結果 赤壁の戦いの意義として、大きくは3つ。 ●孫呉政権が曹操打倒の可能性を見いだす 孫呉は豪族の寄り合い勢力であり、彼らがバラバラであればどうしようも無いのだが、 赤壁での勝利により曹操を倒すということが現実的なものとなり、呉郡豪族が一丸となるきっかけを生み出した。 ●劉備が足掛かりとなる土地を得る 曹操の勢いが完全に止まったスキに、劉備は徐州以来であった領土をついに得た。そこが隣接する益州・巴蜀の地を盗る足掛かりとなっていく。 ●曹操の中華統一の頓挫 破竹の勢いにて中原と河北を統一し、残すのは僅かと思われた曹操が赤壁で喫した敗北は痛恨の極みであった。 この後も、勢いづいた孫権、劉備の両陣営には濡須口や漢中にて苦しめられることになり、ついに曹操一代では天下に手が届かなくなってしまった。 上記三点から、三国志の帰趨を大きく分けた戦いであるのは間違い無い、と思われる。 追記、修正宜しくお願いします。 △メニュー 項目変更 この項目が面白かったなら……\ポチッと/ -アニヲタWiki- ▷ コメント欄 [部分編集] 実際の所正史で何が起こったのかよく分からない 曹操軍側が疫病の被害が大きくて、最終的に退いたのは本当ぽいがそれ以外がな -- 名無しさん (2014-09-13 23 47 56) カクは「江陵で徳を垂れていれば相手は自然と下ってくるでしょう」と東呉の自滅を促すよう献策したのに、曹操は江陵に大軍を駐屯させ相手を威圧するより南下を選んだ。これによってバラバラだった東呉は逆に一枚岩になってしまい曹操は敗れる。江陵では蜀の使者張松を軽んじて劉備のところに行かせてしまっているし、曹操もこのときはヤキが回っていたと見ていいだろう。 -- 名無しさん (2014-09-29 07 51 56) 蒼天航路の解釈はおもしろかったわ -- 名無し (2014-11-06 22 14 38) ↑2当時曹操は既に53歳と(当時としては)高齢の域に達していた。 自分が生きている内に乱世を集結させたいという焦りがあったんじゃないかな。 -- 名無しさん (2016-04-03 13 40 52) 乱世を終結させたいなんて考えてたかなぁ…中国は勝ったときに成果を水増し、負けた時に相手を強大に書いて「負けてもしょうがなかったんです!」とやる悪癖があるから80万は大嘘だろうと思うけどぶっちゃけ呉なんか獲ってもうまみが少ないし統治のごたごた抱えた状態で代替わりするよりは内政を充実させるんじゃないかな。まぁただの妄想だけどね -- 名無しさん (2016-10-04 10 14 32) 実兵力は本文にもあるように十数万だろうと言われてる。後方部隊や荊州駐屯軍など合わせても30万を超えたかは疑問。向こうは「号して百万」みたいに、威圧なんかの目的で実数の数倍くらいは平気でふかすが、それでも十万超えは確かだろう。 -- 名無しさん (2016-10-04 10 21 15) 三国無双のせいか前半のターニングポイントっていうイメージが自分の中でできてしまった。後半のターニングポイントは樊城…どっちも中国の真ん中ら辺の戦いのような気がした -- 名無しさん (2016-10-04 10 44 18) 確かに表立って楯突いたのはこの戦いに際してだけど、孫家は歴然とした独立勢力としての力を持ってたんだから武力にせよ外交による臣従にせよ一度はっきりとした形で屈服させないと天下統一とは言えないだろう。時期がもう少し前後する可能性はあったが、お互いどのみち避けられなかった戦いだと思う -- 名無しさん (2017-04-05 16 03 35) ちょっと修正したよ -- 名無しさん (2017-11-28 13 29 58) 「世界史における」って大げさやろ。三国志、せめて中国史にしときなさいよ -- 名無しさん (2017-11-28 14 02 59) これ「筆者の考え」がモロに書かれてるけど、こういうのってアニヲタwikiで許されてたっけ -- 名無しさん (2017-11-28 16 59 34) 三國無双では龐統先生や諸葛亮先生の小細工(前者は曹操軍の船を固定、後者は言わずもがな、東南の風)も勝利に貢献していたけど…… -- 名無しさん (2018-05-15 19 18 50) 最近妖怪ウォッチのゲームCM見て今更ながらに気づいたんだが敵から矢を得る計略って火矢を撃たれたら破綻するよな。演技はやっぱり戦争素人が書いたファンタジーだったんだな -- 名無しさん (2018-07-01 18 59 32) 河北省じゃなくて湖北省だろ? -- 名無しさん (2018-07-01 19 01 15) 孔明 -- 名無しさん (2019-06-22 02 25 33) どこぞの漫画といい、ここといい、さらに言えば演義すら周瑜のしゅの字すらない武帝紀において赤壁で主体的に戦ったとされる劉備の動きを軽視してるんだよね… -- 名無しさん (2019-06-22 02 29 45) 勝手な妄想だけどここでの大敗がなかったなら曹操1代での中華統一はギリギリ間に合ったんじゃないかなと思う -- 名無しさん (2021-09-12 09 07 16) これが曹操の若い頃だったら仮にあんな大敗をやらかしても何とか天下統一には間に合ったかもしれないな。中年になってからの戦いだったから天下統一の前に自分の寿命が来ちゃったって感じ -- 名無しさん (2022-12-18 18 07 39) 正直戦があったかすら怪しいけど、曹操の南征を頓挫させる軍事的大失敗自体は多分確実にあったぽいのがややこしいところ -- 名無しさん (2023-01-12 19 18 15) 官渡と夷陵の時はそれぞれ敗れた袁紹と劉備が2人とも敗戦のショックで病死しちゃったけど赤壁では曹操はこれだけの大敗を喫したのに生き延びた事から彼の「天下統一するまでは決して死なぬぞ」といった凄まじい執念を感じる -- 名無しさん (2023-01-14 11 08 43) もし赤壁の戦いをモチーフとした作品が大ブームを引き起こして「今、赤壁が熱い!」とか紹介されたら「曹操軍兄貴成仏してクレメンス」とかネタにされるんだろうか……。 -- 名無しさん (2023-01-22 17 45 09) 名前 コメント
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小ネタ 呪詛の上書き関係表 呪霧3<遁・極<(幻惑の歌)<呪霧<(幻霧) -- 眠り薬、難度11で修得2 店売り価格190文 -- 船に乗るときに 切符を持ち降りるぎりぎりまで乗る 出港したら寝ると すこしおもしろいです -- 馬に乗った状態で崖から落ちると、馬が前足を上げて嘶きます。かっこいいです。(早馬の乗馬で少し乗ったまま移動出来る時でも可) -- 将星陰陽? /平伏 後、その他の動作・マップ移動しない状況で掲示板に触ると正座移動になる模様。 -- ななし侍さん? 転生をすると、徒党員を含めて名声+1になる模様。 -- 河内勝政? 破天より、青ネームの敵でも自分の徒党が戦闘中なら途中参加できるようになった。脱兎しても入りなおせるし、蘇生がいない場合でも成仏ダッシュで入ることが可能 -- 古くなった小ネタ(強行スペシャル、PS3情報)を削除しました -- 数が増えすぎてごちゃごちゃしてたんで、系統別に見出しをつけて並べ替えました -- 売却品を購入するときのマクロで「%MP」を入れると、相手がどっちの方向から対話が着たのかわかりやすいのでお勧め -- 「餓死防止策」は知行加工品の仕様変更のためできなくなったので削除しました -- 食べ物系の家具で巨大になり、布団系の家具で寝る -- スカートの中を簡単にのぞく方法? 服の色変装で試せなくなってます -- 知行加工品の食料、作られる毎に知行蔵でなく現在装備している袋に入ってきてますよん。餓死防止策ってこれだったよね? -- 俸禄は仕官日数によっても増えていきますが、上限があり、仕官日数による上昇は400日程度でストップ。 -- 名前 コメント 小ネタ [#s8eb26a9] 知っておきたい情報 [#pc25358f] オススメマクロ [#z9f3687b] チャット代名詞一覧 [#ye23e508] 動作一覧 [#v23aaace] 動作キャンセル [#zb648ecd] 付与・呪詛の上書き [#w6c85d01] お酒 [#c457b8b8] 麻痺技能 [#a3892e2d] 脱兎 [#h31b747a] ダメージの変動幅 [#l8c8d402] ちょっとした便利技 [#w5a2897f] 名前の読みが判らない宣伝PCを絶交登録する方法 [#l91ba464] 隠形解除 [#seec20e2] 戦闘終了後に絡まれにくい無敵解除法 [#of868714] クエストNPCを沸かせる [#i9c4c7ea] 戦闘のあるクエストを徒党員全員で一発達成 [#p0d2a492] PC版で顔文字や難しい単語を使えるようにしたいです。 [#x60846ff] 環境設定 [#b59b38a9] PS2での文字変換 [#p424e6cd] NPC固定している人の見分け方 [#p654e6cd] どんなレベルでも役立つアイテム[#m9f345ca] 安全に参陣 [#e63048e9] 検証 [#o613e9e0] 生産時の修得キャップの規定値 [#daab5260] 気合回復速度 [#j71ecac4] 戦闘中の気合回復量 [#m1274e6e] 仕官したいのに名声が足りないと言われました。 [#g559aa43] 変装と説法の違い [#xadfe319] 器用とスタックアイテム生産の関係 [#hc9ba485] 合戦戦果 [#q8525abd] 城攻め 情報 [#o07fb720] 各勢力の部隊武器の数 [#g99adf9e] 知ってると自慢できる(?)技 [#mb6d9b46] イナバ物置のように私も屋根に登りたいです。 [#we4f1b77] 正座したまま動いてる人がいるのですが? [#a67ffc7f] 同じように座ったまま動いてる人がいるのですが? [#x744bb80] 屋根の登り方(武家屋敷編) [#j0761467] スクラッチ断片 [#gfca7620] デマ [#v1b32754] 轉載~風雲北冥真夜 [#oba64b40] 豆知識 [#y4a70fac] 術者が呪文を唱えるときの台詞はなんて言ってるの? [#p5fac505] 音楽の作曲者って誰? [#m2bf3657] サウンドトラックってありますか? [#d1351494] 武将の声 [#be0742ff] 時間 [#bba7617a] その他 [#q3a4af39] お約束 [#g28152e2] 拡張パックの違い [#cebcc932] 参考 [#y3893734] 知っておきたい情報 オススメマクロ 共通 「%TZ%TK見つけました %TP」 「/対話:%T:すいません」→ターゲットしている相手に対話出来ます 「/追尾:%L」 「現在の実装→%GZ」→現在実装枠に入れている実装を自動的に表示出来ます 「転生ください %MP」→自分の現在地を矢印で表示できます チャット代名詞一覧 チャット代名詞 動作一覧 動作リスト 動作キャンセル 野外技能、特に行進曲や神隠しの唄(同様に神足の術・壱、神足の術・弐、疾風等、野外で頻繁に使用する技能)を使用した際に、 技能のアクションで硬直してしまいます。 このとき、動作コマンドを入力するとアクションがキャンセルされます。 また、高いところから飛び降りた時の着地モーションもキャンセル出来ます。 オススメは、動作コマンドのアクションが短い「/おどろく」「/うなずく」 動作表示のされない「#おどろく」「#うなずく」といったシャープコマンドなら、 多い日も安心です。 アクションは移動すると表示されないで済むので、 むしろターゲットに関係ない動作の方が良い気がします。 PS2版のみ、「/い」、「/ど」を変換する事で全ての動作モーションが出せますので 普段使わない物を登録したい場合は探してみてください。 付与・呪詛の上書き 付与・呪詛が上書きされたかどうかは△▽が移動したかどうかで判別できる ▲ ▲ ▲ → ▲ ▲ ▲ なら黄色を上書きしている △▽が移動していない=呪詛・付与は効果なし 参考:技能の上書き お酒 酒系のアイテムを飲むと2分15秒。の間「酒の価値×4」の気合回復量が加算されます。採集するとき等に飲むと便利。 麻痺技能 2回連続でピヨらないのは常識だが、痺れ斬りやみね打ちのような殴り系技能はピヨり→準備動作→みね・痺れでもピヨる。 金縛りや一喝のような術系技の場合、ピヨり→準備動作→一喝では絶対にピヨらない。(一喝→攻撃→一喝ならピヨる) 脱兎 戦闘開始から2時間経過すると脱兎と表示され敵が1人ずつ順番に全員逃走します。 この場合経験値やドロップはその時点で倒した敵の分のみを獲得し勝利扱いとなります。 ダメージの変動幅 近接物理攻撃に器用も参照されるようになりました。でも具体的にどのくらい必要なの? 物知り爺→戦闘→ダメージの変動幅でいまどの程度なのか教えてくれます。 ちょっとした便利技 名前の読みが判らない宣伝PCを絶交登録する方法 CTRL+Lのログ履歴対話で、「/対話:○○:」と出し、それを「/絶交登録:○○」と書き換える。 外人だと名前に日本で使われない漢字を使ってることも多いのでオススメ。 相手が目の前にいるならタゲって「/絶交登録:%T」の方が楽かもしれない。 隠形解除 隠形状態で食料アイテムを「使う」と隠形を解除できる。気合や食料を消費することもない。 食料なら誰でも持ってるだろうしオススメ。 戦闘終了後に絡まれにくい無敵解除法 無敵状態では技能が使用できないので、機能-終了を選択してすぐにキャンセルすることで無敵状態を動かずに解除できます。 襲われることもありますが、動かずに神隠しを使いたい時に利用すると便利です。 クエストNPCを沸かせる 「○○を倒す」というクエストで倒したい対象が既に他の徒党によって倒され枯れている場合は、そのクエストに関係するNPCのどれかに話しかけると枯れていた対象がすぐに湧くそうです。 僧の奉行試験を例に挙げるなら「六道影貞」が枯れていたら「黒木妙吉」「昇仙峡にいる天廻」「浜松の寺にいる慈延」「本国律師」のいずれかに話しかければ「六道影貞」が湧きます。 戦闘のあるクエストを徒党員全員で一発達成 達成条件に「○○を倒す」というタイプのクエストで、かつ当該NPCが青ネーム(話し掛けて戦闘開始)の場合、 全員が話し掛けて会話の途中で止めておき、その上で戦闘開始をすると、 倒した際に、話し掛けていた人は全員条件達成のフラグがたちます。(例:越中の「鎮魂の日々」等) 但し、「○○を倒して××を取り戻す」等、達成に倒した証などが必要な場合はこれに当てはまりません。 そういった場合にはクエストアイテムを入手した人のみ、達成フラグが立ちます。 PC版で顔文字や難しい単語を使えるようにしたいです。 エモジオ NolDic この二つを導入するだけでかなり変わります。NolDicは皆さん協力してください -) 環境設定 画面設定の「背景表示距離」を最大にすると、デフォルトだと霞んで見えない遠方の山まで見渡せます。富士地下洞窟の入り口北に富士山があるのに気づいてない人も多いのでは?(PC版)-起動環境設定で「ムービーを再生する」のチェックを外すと、コーエーロゴとオープニングムービーが省略されるので起動が早くなる(PC版)-PC版で表示人数を最大にすると、戦場や町とかで遠くにいるPCも見えるので、敵を探索するには便利です。(↑グラフィックボードが弱い人にはオススメ出来ません)-操作設定→キーボード設定で「動作」の欄に好きなキーを入れておくと手打ちでは一発変換出来ない「/所作:」が一発で入力出来る(PS2版)***PS2での文字変換 [#p424e6cd] 信濃と打ちたいのに「品の」 美濃と打ちたいのに「身の」などなど・・・。 変換に時間がかかってイライラしますよね(--; そんな時は、「信濃川」や「美濃市」で変換してみましょう。 信濃=信濃川 美濃=美濃市 兜=かぶとだ 真ちゅう=しんしゅう 他にも募集中・・・ NPC固定している人の見分け方 鍛冶屋の修理技能を使うと見分けられます。 修理していると必要ないというメッセージが出るのに対し、NPC固定している人を 修理すると違うメッセージが出るので、ハラスメント的なN固定の特定に役立つことも どんなレベルでも役立つアイテム 紅葉の肩掛け-戦闘中にアイテムとして使用することで火炎・壱の効果を発動できるため、相手に付いている ▲ を消せる。 兼生尼の写経-戦闘中にアイテムとして使用することで自己合掌の効果を発動できるため、呪いや削命丹・気合呪霧や削魂丹の効果を打ち消すことが出来る。 安全に参陣 合戦場に入る為に関所を通る時、関所の壁の線から少し入ったところで立ち止まってみましょう。軍旗を持っていれば安全に戦場へワープ出来ます。 万が一軍旗を忘れていた場合は奥に入るまでワープが起こらない為、敵地に入ってしまいそのまま関所兵と戯れる という事態を避けられます。 検証 生産時の修得キャップの規定値 生産した品の「基準売り値」÷「目録難易度の規定値」だけ修得値が加算される。 最大は100。 なお、薬(毒を含む)とそれ以外では、規定値に違いがあるようだ。 難易度 規定値(文)薬 薬以外のスタック品 装備品全般 1 1.33 未調査 2 - 未調査 3 2.66 未調査 2 確定 7 確定 4 12 確定 3 確定 10 確定 5 16.66 未調査 6 25 未調査 7 50 確定 8 100 確定 25 確定 9 150 未調査 10 600 確定 750 11 1200 確定 1000 確定 12 2400 確定 13 4000 未調査 気合回復速度 気合の韻・四参照 戦闘中の気合回復量 素の回復量は野外と全く一緒で、10秒ごとに10+魅力*0.4 これが1秒毎(0.5秒毎?)に10分の1ずつ処理されている。 (要するに1秒ごとに1+魅力*0.04) 回復キャップは野外の倍で、10秒で255 10秒ごとの気合回復量は 昂揚1 +36 昂揚2 +66 昂揚3 +93 韻1 +24 韻2 +36 韻3 +48 韻4 +60 魅力310程度+英明3+昂揚3で回復キャップに届きます。 英明無しだと、魅力380+昂揚3、魅力463+韻4でキャップ到達。 ちなみに僧の練気の法は 練気1 +14 練気2 +23 練気3 +35 仕官したいのに名声が足りないと言われました。 仕官名声集計での調査から、ある程度信憑性のある式が導出されています。 報告された条件から推定された式であり、公的なものではありませんが、いまのところだいたいの数字を求める程度には使えているようです。 式必要名声=(レベル-A)×B×100ただし計算結果が1万以上の場合は、必要名声は一律1万Aは出奔前の身分によって決まる。足軽=3、足軽組頭=6、足軽大将=9、与力=12、侍大将=15目付=18、奉行=21、中老=24、家老=27Bは仕官先に対して何回目の仕官となるか。-例現在浅井家の侍大将でレベルは35。武田家に仕官したいが、武田家を2回出奔したことがある。--→ 直前の身分が侍大将になるのでA=15、武田家に3回目の仕官となるのでB=3 → (35-15)×3×100=6000より、必要名声は6000 注意あくまで経験的に導かれた式であり、必ずしもこの式で求めた通りの数字になるとは限りません。 変装と説法の違い 変装と説法(と和みの唄)はともに現在の国の支配勢力との友好度を上げる技能だが、若干の違いがある。 変装では、忍者兵および精鋭NPC(どちらも隠れ身状態を見破る)とは友好度が上昇しない。しかし、説法ではこれらのNPCであっても友好が上昇する。つまり最も安全に敵城を出入りできるのは僧と神職ということになる。 器用とスタックアイテム生産の関係 スタックアイテム(鉄・薬等・手裏剣・矢)生産の器用別による期待値の目安です 器用1(重量3倍オーバー)・・・期待値の約88%器用51(重量3倍オーバーで技応丹を飲んだ状態)・・・期待値の約97%器用100・・・期待値の約101%器用200・・・期待値の約104%器用300・・・期待値の約107.5%器用400・・・期待値の約109% スタックアイテムは期待値の約110%がキャップだといわれていますどれだけ器用をあげようがこの壁を突破することは出来ないようです 技応丹を飲んでいればどれだけ重量オーバーになっても器用は51までしか下がりませんその為、鍛冶材料屋を炉まで引って重量オーバーで大量に鉄を生産する際に役立ちます 合戦戦果 NPC別合戦戦果 城攻め 情報 各城に固有の精鋭部隊が配属されている。 この精鋭部隊にはドロップが用意されているため、 かなり高性能なもしくは特殊な配色の装備が手に入る場合がある。 ただし、精鋭部隊の能力は倒せないように設定してあるとしか思えない強さであるため、撃破は困難。 余程の実力と自信が無い限り侍・忍者・鍛冶タイプの精鋭部隊の場合は諦めたほうが良い。神・陰・僧タイプなら何とか倒せることも。 無論、侍・忍者・鍛冶タイプの撃破報告もあるため不可能ではない。 各勢力の部隊武器の数 勢力の各部隊にはそれぞれ部隊アイテムが存在する。その中でも武器はすべてが全職装備であり、普段装備できない武器を装備できることもあり、唯一有用な部隊アイテムともいえる。また、一部については全職装備可能の防具も設定されている。勢力別の全職装備可能でグラフィックが反映される装備の設定個数は以下のとおり。なお、デフォルトが全職装備である面具、懐剣は含まない。また、織田家のみ、異なる部隊で同じ部隊アイテムが存在しているため、8個9部隊となる。 上杉家-6個(槍2薙刀1棍棒1刀2) 北条家-6個(槍1弓1打鞭1錫杖1刀1+冠1) 武田家-5個(槍1刀1薙刀1+冠1頭巾1) 今川家-6個(槍1鉄砲1弓2剣1刀1) 徳川家-9個(槍2鉄砲2棍棒2刀1+頭巾1) 織田家-8個(槍3鉄砲2打棒1+冠1頭巾1) 斎藤家-9個(槍3鉄砲1薙刀1棍棒1刀1+冠1頭巾1) 本願寺-9個(槍1弓1薙刀1打鞭1錫杖2打棒1棍棒1斧1) 朝倉家-12個(槍2弓1薙刀2棍棒1錫杖1斧1刀4) 浅井家-11個(槍3弓1薙刀1棍棒1錫杖1剣2刀2) 足利家-12個(槍2弓2薙刀1棍棒1錫杖1剣1刀4) 伊賀忍-10個(鉄砲2弓1打棒1斧1手槍1刀4) 三好家-13個(槍2弓1薙刀1打鞭1棍棒2錫杖1剣1斧1刀3) 雑賀衆-15個(槍1鉄砲5弓1薙刀1棍棒1錫杖1剣2斧1刀2) このように見ると、もっとも個数が多いのは雑賀衆、逆に最も少ないのは武田家となり、 西国ほど数が多くなっているのが見て取れる。また、それぞれの種類を見ていくと、槍は伊賀忍を除く全勢力で設定されておりグラフィックの差異を除けば、伊賀忍所属以外のPCについて槍は部隊アイテムとして手に入る可能性があるということになる。逆に手槍は伊賀忍にのみ設定されている。 また、種類の豊富さで言うと三好家と雑賀衆が9種類で並んでおり、本願寺が8個で続く。逆に最も少ないのが上杉家であり、4種に止まっている。 なお、兵種に関係する弓、鉄砲についてみると、弓は8勢力、鉄砲は6勢力にそれぞれ設定されており、どちらも存在していないのは上杉家と武田家の2勢力。逆に両方とも設定されているのは今川家、伊賀忍、雑賀衆の3勢力となっている。なお、鉄砲については、織田家と雑賀衆は家老アイテムとして設定されているため、この2勢力は最終的には確実に手に入る。 なお、個数から見ても明らかであるが、装備が手に入る確率にも違いがある。西国の場合、1階級はすべて武器という勢力もかなりあり、ほぼ確実に何らかの武器は手に入る。 与力~家老までの最大入手可能個数で見ると、徳川家、斎藤家、朝倉家、足利家、三好家がすべての階級で手に入る可能性があり6個となっている。最高個数を誇る雑賀衆は以外にも奉行には設定されておらず5個となっている。逆に少ないのは上杉家、武田家、今川家でそれぞれ4個となっている。種類別に見ると、すべての階級ですべて別の種類の装備を入手できるのは朝倉家、足利家、三好家の3つであり(雑賀は奉行で手に入らないため最高で5種、徳川は侍大将と中老では槍しか設定されておらず、かぶるため5種となっている)、逆に最も種類が少ないのは上杉家、武田家、今川家となっている。 知ってると自慢できる(?)技 イナバ物置のように私も屋根に登りたいです。 遠江の北と浜松前の茶屋は屋根の上に上ることができます。 甲斐のもののけがいる小屋にも登ることができます。 (裏の山からポイントを探して飛脚応用+行進曲などで頑張ってください。) 越後の上野よりの関所近くにある茶屋の屋根にも上れます(強行必要) 美濃の稲葉山の東(ち-ヌ付近)にある茶屋の屋根にも上がれます。 (強行中、茶屋の西側の土手から飛んだら上がれました。) 駿河の船着場東にある小屋の上にも上がれます。 追加 回線の弱い人ほど上りやすい傾向にあるようです。 高スペックになればなるほど難しくなります。 正座したまま動いてる人がいるのですが? 正座する↓ 正座した状態で平伏する↓ 平伏モーションの手が地面から離れる瞬間にオートラン。 自分では普通に歩いてるように見えますが、 周りの人からは正座したまま動いてるように見えます。 同じように座ったまま動いてる人がいるのですが? これは徒党のみしかできません。まず 座る↓ 追尾↓ お辞儀や指さすなどの動作で移動します。 正座移動とは違い、自分でも確認できます。 屋根の登り方(武家屋敷編) 屋根の登り方(武家屋敷編) スクラッチ断片 断片をスクラッチで集める場合、 手持ちに断片を入れておくと、その番号の断片が出やすくなる。 100%では無いが、高確率。@1枚だけという時に、おまじない感覚でどうぞ。 例:雁の3が欲しくてスクで取ろうと思ってる場合、雁3を1枚だけ手元に出してスクラッチを使用。 デマ 信Onをやっていると色々な噂を聞きます もちろん、その中には幾つか嘘…デマもあります 有名なものから、知らない人が多いものも… 某掲示板で出たものや、ここで出たものもあります デマ技能 デマ天下一品 春日山で金箔を99個買い、前橋で売ると所持金が増える 御神酒を飲むと怪我の治りが早くなる 砲術指南書四改を捨てると、所持金が増える 党首の魅力が高いとドロップ率が上がる 蜃気楼の塔で雁皮紙目録断片参がドロップする 龍爪山古刹の古池の暴れ者が庭池【家具】をドロップする 妖魔召喚士を倒すと初期能力還元の術がもらえる 轉載~風雲北冥真夜 析雷(黄泉)~風雲直衣→雅致神玉? 黑雷~冰長刀→暗黑神玉? 伏雷(根國)~雌伏之鱗→伏龍神玉? 若雷(根國)~無明三連銃→新芽神玉? 鳴雷(根國)~鳴動大鎧→雷鳴神玉? 火雷~炎淨布→灼熱神玉? 土雷(富士)~大地大鎧→大地神玉? 豆知識 術者が呪文を唱えるときの台詞はなんて言ってるの? 陰陽師 「急々如律令奉導誓願何不成就乎」 「キュウキュウニョリツリョウホウドウセイガンカフジョウジュヤ」 薬師 「臨・兵・闘・者・皆・陣・烈・在・前」 「リン・ピョウ・トウ・シャ・カイ・ジン・レツ・ザイ・ゼン」 神職 「八百万神等共に聞食せと畏み畏み申す」 「ヤオヨロズノカミタチトモニキコシメセトカシコミカシコミモウス」 大祓の祝詞が元になっている。 僧 「のうまくさんまんだ、ぼだなん、ばく」 釈迦如来真言であり、梵字(サンスクリット)の為、漢字では表記出来ません。 この釈迦如来の真言は、決り文句の「ナウマク・サマンダ・ボダナン」の後 に 「バク」という釈迦如来の種字を置いた形で、いわば定型の真言になっています。 音楽の作曲者って誰? 川井憲次 サウンドトラックってありますか? 信長の野望Onlineオリジナルサウンドトラックが2005年2月に発売されました。 武将の声 基本的に武将の声はNPC14番なのですが、一部特別な声の武将もいます。 例えば、信長はNPC声1番、浅井長政は11番などといった形です。 声の確認の仕方が分からない場合は、「NPC音声試聴」などで検索してみましょう・・・ 声優 時間 実はゲーム内時間は各サーバーごとに違う。 また、定期メンテナンスが開けた際に丸半日時間がずれる。 なお、各サーバーの時間のずれは、昼夜が切り替わる時間で考え、かつ将星を基準にするとおよそ、 群雄:11分、風雲 18分、覇王 21分後、天翔 28分後、烈風 35分後となっている。 なお、烈風は半日である30分を越えているが、これは基準が昼なら昼に、夜なら夜、どちらかに変わる時間に統一されているため(つまり将星で夜になるときは、烈風はまだ前日の夜明け前である)。 なお、前日などの言葉も、将星が主点となっているため、留意してほしい。 その他 お約束 お約束 信オンをやっているとよくある、よくおこること。 拡張パックの違い アカウント 参考 信オンTools 信On検証 本サイトのページごとの閲覧上位今日の人気過去の人気
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オスミナ紛争のエピソードの始まりである。多分それほど頻繁には更新できない気がしているが、まあそれはそれということで。 粉雪のちらつく中、灰色の軍用コートを着てトルステンヌス・ゲルトリクス伯爵家の家紋である薄雪草の花の意匠の徽章をつけた毛皮帽をかぶった青年が、百数十人の中隊ごとに整列しコの字に並んだ兵士らの前に進み出た。彼の後ろには、連隊副官の青年と連隊旗手、連隊先任従士長が続き、つぎだらけの連隊旗が掲げられ垂れ下がっていた。 顔の下半分をひげでおおわれ、十年にも及ぶ戦争の艱難辛苦がしわとなって刻みつけられていても、青年はなお面を真っ直ぐにあげており、その灰色の瞳には威厳の光がともっている。青年は兵士達に視線を向けてから、大きく息を吸って声をあげた。 「ゲルトリクス第2連隊の兵士諸君、連隊長は諸君らに告げる。この十年の間、我らは栄光も艱難辛苦も共にし、戦場において栄誉を飾ってきた。この間の諸君らは、常に全軍の模範であり続けた。その諸君らを指揮できたことを、連隊長は心より名誉とするものである。ここに連隊は武器を置き、帝國臣民として平和のうちにそれぞれの家庭へと戻ることとなった。連隊長は、最後に諸君らの忠勤に対して心からの感謝を述べるものである。まことにありがとう」 連隊長の演説に少なくない兵士が嗚咽をもらし、涙でほほを濡らしている。そんな彼らを慈愛のこもった瞳で見つめると、青年は、さらに言葉を続けた。 「諸君らは、契約通り給与の支払いを受けてから帰郷するものとする。未払いの給与も今回まとめて支払われる。支払いは中隊副官より受けること。連隊より支給された装備は、給与の支払いと引き換えに連隊副官に返納するものとする。連隊長より以上である」 「連隊長に対し、敬礼、頭ぁー――、中ッ!! 直れ!!」 連隊先任従士長の胴間声に、兵士達は手にした武器を掲げて敬礼した。それに直立不動の姿勢で見事な答礼をもってこたえた連隊長は、兵士らの敬礼が終わり、軍旗が旗竿に巻き取られるてから、青年は兵士達に背を向けて歩き去った。先任従士長の解散を告げる声を背中に受けつつ、足早に連隊長に追いつき並んだ連隊副官が小声で青年に話しかけた。 「ヴェルキン、本当にここで連隊を解散するのか? しかも未払い分まで全額支払うだと? 正気か、貴様」 「ああ、本気だよ。もう戦争は終わったんだ。それに、故郷から連れてきた兵で生き残ったのは十人に一人もいやしないんだ。今の連隊はほとんどが傭兵だろ? いいじゃないか、せめて節義くらいは通したい」 「貴様……、まあ、らしいっちゃあ、らしいんだが。いいんだな? 金庫は空っぽになるぞ」 「判っているよ。それに、戦費の借金も返さないといけないんだ。……僕は、爵位も、領地も、家産も、全部売るつもりでいる。幸い、母方の親戚で「帝都」で羽振りの良い人がいるんだ。その人がまとめて買い入れてくれるんだ。それで借金は全部返せるし、これで晴れて一文無しの自由の身の上ってわけさ」 「……馬鹿野郎が」 「その馬鹿野郎に最後までつきあってくれて、心から感謝している。ファルディオス。本当に、ありがとう」 「……それで、これからどうするつもりだ?」 「これから考える」 ヴェルキン・トルステンヌス・ゲルトリクス伯爵は、何か憑き物でも落ちたような晴れ晴れとした笑顔でそう答えた。 成人男子の背丈よりもさらに高い硝子窓からちらつく粉雪を見上げつつ、摂政副帝レイヒルフトは後ろ手のまま皇帝軍総参謀長より全ての教会軍の降伏が終了した旨の報告を受けていた。 「報告は以上となります。陛下」 「はい」 一切の意匠の無い漆黒の軍服を着用したまま、黙って窓から外を眺めている弟を、カメリアは同じ様に黙って見つめていた。背中を向けている彼の表情をうかがうことはできないが、しかし彼女には、弟がいつも浮かべている微笑を消して無表情のままでいることが判っていた。それだけの年月を二人はともにしてきた仲でもあった。 「……尻一つで帝國宰相、だそうです」 「はい」 「コンスタンス陛下の業績が、後世の史家に正当に評価されることを望みます」 そのまま黙ってしまった彼の背中が、その言葉がこの十七年にわたって続いた「内戦」に対する弟の述懐なのだとカメリアに雄弁に物語っていた。 「それは、この戦争に参加した全ての者が鬼籍に入ってからの事となりましょう」 「はい」 「それで構わないのですね? レイヒルフト」 「私は、人々を自由にしたい。人々に自由の先にある絶望を見せたい。ただそれを望むだけです」 「そして、その絶望を踏破する姿を見たい。そうですね」 「そこまでは望みません。人はそれほど強くはありませんから。出来ぬ期待をかける事は、逆に重しとなり枷となって人々を隷属させるでしょう」 弟が、時々腹違いの姉であるカメリアにだけは、こうして無表情となって語りかけることがあった。普段微笑みの下に感情を消し、その内面を表に現すことは絶対にしない彼が表情を消すのは、それ自体が彼の感情表現なのだと知ったのはいつの事であったろうか。 その切れ長の目尻をわずかに下げ、カメリアは柔らかな口調で弟へと問いかけた。 「今晩は、二人だけで過ごしませんか? レイヒルフト」 「姉上がそう望まれるのであれば」 「はい」 わずかな間をおいてから、カメリアは軍靴のかかとを打ちつけて直立不動の姿勢となり普段の軍人としての口調に戻った。 「それでは失礼いたします。陛下」 「はい。総参謀長」 今年の雪は彼女が知る限りではいつもよりも多く、屋根からの雪下ろしも頻繁にやらねばならなかった。三階建ての建物のその上に載っている屋根での雪かきである。すべって落ちれば大怪我をしかねない。実際に冬の間に一人や二人くらいは、屋根から落ちて大怪我をするのが常であった。 まずはこの数日の間に降った分の雪を建物の間に下ろし終えて、彼女は革手袋の指で額の汗をぬぐった。 「アレシア、ご苦労さま。一休みしましょ」 「はーい、おばさん」 屋根裏の窓から身を乗り出した、もう三十路も後半に入った女性にそう声をかけられて、アレシアはスコップを片手に濡れた瓦ですべらないように気をつけつつ建物の中に戻った。 「屋根の方は終わったかい?」 「はい、親方。道路の方は終わりました?」 「半分ってところさね」 「じゃ、残りはわたしがやっておきます」 「そうかい。じゃあ任せたよ」 二階の居間の暖炉には石炭がくべられていて、やかんからしゅんしゅんと湯気が吹き出している。おかみさんが三人分のお茶を淹れ、髭深い壮年の親方が食卓についてからアレシアも腰を下ろした。 「今年は麦も高いままですねえ、あんた。せっかく戦争も終わったっていうのに」 「仕方あるめえよ。戦争が終わったって、こればっかりはお天道様次第さ」 「でも、いい麦はみんな南からきたもんばっかり。北の麦は高かろう悪かろうで」 「それでも看板出せるだけのパンを焼けるだけマシよ。そうそう、そろそろアレシアにもかまどを任せてみようかと思うんだが、どうだい」 「え、いいんですか? 親方」 お茶を一服して一息ついた親方にそう言われ、アレシアはぱっと顔全体に笑みを広げた。 「ああ。お前さんのこねる生地もしっかりとしてきたからな。そろそろいいだろ」 「はい! ありがとうございます! じゃ、外の雪かき、やってきますね!」 栗色の髪をまとめてスカーフの中にたくし込むと、アレシアはスカートを翻して階段を駆け下りていった。 そんな彼女を見送った親方とおかみさんは、ふっと微笑んで息をつくと、お茶のおかわりに口をつけた。 「アレシアも、「古人」だそうだけれど、ああ見るとただの女の子ですねえ」 「いいことじゃねえか。戦争にも引っぱられずに済んで、ついてに言うならかまどにも好かれているんだ。うちの看板娘がもったいないくらいの子さ」 鼻歌を歌いながら道路の雪をかいているアレシアは、見た目の通りの女の子とは思えない早さで道路をきれいにしてゆく。この街もそこそこ古い歴史をもっていて、「帝國」の都市にふさわしく上下水道が整備されていた。側道の排水路は水が流れていて、雪解け水があふれんばかりである。アレシアは、そのそばにかいた雪を積んでゆき、陽射しで雪解け水が排水溝に流れ行くようにする。雪をそのまま流すと、そのままつまってしまうから気をつけないといけない。 「すいません、パン屋のミハウさんのお店はこちらでしょうか?」 「え? あ、はい、ここですけど、どちら様でしょう?」 突然見知らぬ男に声をかけられてアレシアは、いぶかしげな表情で相手を見返した。歳の頃はまだ二十代くらいだろうか。だが穏やかな口調と表情とは裏腹に灰色の瞳の眼光は厳しく、まとっている雰囲気も怖いものがあった。着ているコートはずいぶんとくたびれた軍用コートで、大きな背嚢を背負っている。毛皮の帽子からこぼれている髪は灰色で、顔つきからすると北のトルステンヌスあたりの出身ではないかと思えた。 「僕はヴェルキンと言います。こちらに下宿させていただく事になっている者なんですが、ミハウさんはいらっしゃいますか?」 「あ、ごめんなさい。ちょっと待って下さいね。親方! ヴェルキンさんという人が来ましたよ!?」 「おう。上がってもらってくれ。アレシア、お前さんも来い」 パン屋の入り口をあけて中に声をかけたアレシアに、店の奥にいたらしい親方が返事をよこす。 アレシアは、もう一回ヴェルキンと名乗った青年を上から下まで見て思った。彼はきっと戦争から帰ってきた兵隊に違いない。悪い人ではないのだろうけれど、怖い人なんだろうな、と。 「そうですか。ここの小学校の新しい先生と聞いておりやしたが、こんなにお若いとは思ってもおりませんでした」 「僕も恩師に紹介された時は、助教師かと思っていたんですが、正規の教師で驚きました」 ヴェルキンと名乗った青年は、温和な表情を浮かべていて、そしてとても礼儀正しかった。親方にもおかみさんにも丁寧な態度をくずそうとせず、アレシアにもきちんとした態度で接してくる。きっととても育ちの良い人なんだろうな、と、アレシアはそう思った。 「先生のような若いお人が街に戻ってくるのを見ますと、やっと戦争が終わったんだなあと実感します」 「こちらは随分と前に皇帝軍に占領されたとうかがっていましたが?」 「いや、軍夫として若いのが皆連れてゆかれましてね。おかげで残っているのは、自分のようなじじいと女子供ばかりで。オクセンシュルヌスも戦争に負けてからこのかた、さっぱりですわ」 「そうでしたか。失礼をしました。でも、そう遠くないうちに皆さんも戻ってこられるでしょう。もう戦争は終わりましたから」 お茶碗を両手で抱えてのほほんと笑っているヴェルキンの言葉の中で、戦争が終わった、という一言には随分と実感が篭っているようにアレシアには感じられた。 「お茶のおかわり、いかがです?」 「ありがとう。アレシアさん」 穏やかに微笑んで礼を言ってくるヴェルキンに、アレシアは、最初に感じた印象が薄れてゆく気がしていた。今更どこをどうみても、この青年が怖い人には思えない。 アレシアがいれたお茶をそれはおいしそうに飲むヴェルキンは、やっぱり育ちの良いtただの青年にしか見えなかった。