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夜の帳が引き上げられ、東の空がうっすらと白みがかる頃。 全身を凍り付ける空気が蔓延するウィッチ用宿舎の通路を、女が一人歩いていた。 割り当てられた自室を出てから、一分もかからない距離を歩く智子は白い頬を赤らめ、とある一室の前で立ち止まった。 そわそわと身体を動かす様から彼女の頬に差し込む赤みが、寒さによるものだけではないことが伺える。 黒真珠を思わせる双眸は潤んだ光を帯び、その奥底に宿る光は嬉々とした色を孕んでいた。 熱の篭った吐息を零し、智子は古ぼけた扉に伸ばした手を、不意に胸元へと引き戻す。 そうしてまた、躊躇いながら扉に手を伸ばしては、胸元に戻すといった動作を何度も繰り返す。 視線の先に立つのは、廊下と目の前の部屋とを隔てる古めかしい扉。 その先で、今もまだ寝息を立てている部屋の主は、昨日再会を果たした彼。 昨夜は同じ布団で寝ることを断られたため、消灯時刻が近づいたことを理由に部屋から追い出されたが、今日は違う。 時間が許す限り――それこそ一日中彼の傍にいることも、話をすることも出来る。 そのことが嬉しくて、嬉しくて。 逸る気持ちを抑え切れず、早朝から足を運んだ智子であったが、彼女はこの後の行動を決めあぐねていた。 どんな言葉をかけながら、彼を起こせばいいのだろうか。 どんな笑顔を浮かべると、寝起きの彼には魅力的に映るだろうか。 頭の中に浮かび上がるのは、寝ている彼を起こす自分の姿。 あの日彼を喪った後も、妄想のなかで幾度も繰り返してきた、愛しい男性を起こす場面。 しかしいざ実際にその場面に直面してみると、あれやこれやと考えが浮かび、上手くまとまらない。 それでも悩んでいては何も変わらない。智子は思考を切り替える。 成長した彼の無防備な寝顔はどう変わっているのか。寝起きの癖は変わらないままなのか。相変わらず寒さに弱いのか。 七年以上経った彼の寝顔や、寝起きの姿を早く見たいという気持ちを原動力に。 意を決し、冷気によって冷やされた扉を数回ノックする。 返事はない。物音も、聞こえない。 智子「俺? もう起きてる?」 今度はノックの回数を増やし、声もかけてみる。やはり返事はない。 起床時刻前なのだから寝ていて当然かと思いつつ、智子は恐る恐るドアノブを握り、回してみる。 鍵はかかっていない。 部屋の主を起こさぬよう、音を立てずにドアを開けて室内へと足を踏み入れる。 無用心だと思うよりも先に、弾む気持ちが彼女を突き動かしていた。 智子「……は、入るわよぉ?」 暗闇に慣れていくに連れて、徐々に部屋の全体図が明瞭となる。 薄暗い部屋のなか、ベッドの上では部屋の主を寒さから守るかのように、幾重にも折り重なった布団が鎮座していた。 それらに守られ、徐に身体を上下させながら寝息を立てる想い人の影を捉えた途端、智子の頬に差し込む赤みがその色を濃くしていった。 寝ている彼を起こさないよう、後ろ手にドアを閉め、足音殺してベッドに近づく。 一歩進む毎に、胸の高鳴りが激しいものへと変わっていく様を感じながら。 智子「俺? もうすぐ起床時間よ?」 これでは寝顔が見られないではないかと不満を零しつつ、自分に背を向ける部屋の主に柔らかな声音で語りかける。 当然の如く返事は無い。 自身の声に反応して時折、布団に包まれた体躯が布擦れの音を立てて動くだけだ。 智子「ねぇ、俺?」 もう一度呼びかける。今度は布団の上に手を添えて、軽く揺すってみる。 布団越しに彼の身体に触れた瞬間、不意に昨日の記憶が――逞しい成人男性の体躯に成長した彼に抱き留められた記憶が浮かび上がった。 温かく硬い胸板と腕に抱き留められた感触までもが肌の上に蘇り、頬に帯びた熱が際限なく高まっていく。 智子「はぁ……」 形の良い桃色の唇から、熱が篭った吐息が零れ落ちる。 願わくは、またあの頃のように彼の胸元に顔を埋めて眠りに就きたい。 彼の腕に包まれ、その温もりを感じながら、まどろんでいたい。 いいや、出来るものなら彼に覆い被さる布団になりたい。 包まれるだけでなく、今度は自分が彼を包みこんで、癒してあげたい。 こんな布切れよりも、自分の身体のほうが彼を温められるはずだ。 いっそのこと布団を引き剥がして抱きついてみようかと、思考が徐々に危険な領域に足を踏み入れた矢先のこと。 「……ん」 智子「……ぁ」 布が擦れる音を立てて、部屋の主が寝返りを打った。 露となったのは、久方ぶりに目にする想い人の寝顔だった。 もう二度と、目にすることが出来ないと思っていた愛しい男の寝顔だった。 その安らかな寝顔から、改めて彼が生きている現実を実感した智子は、目元に込み上げてきた雫を拭い顔を近づける。 これくらい近くから見つめてもいいわよねと、返す相手のいない言葉を零しながら。 智子「……おれ」 温もりが感じられる距離まで、顔を近づける。すぐ目の前まで、それこそ唇同士が触れ合う寸前の距離にまで。 寝息が頬をくすぐる。その温もりが智子の全身を、芯から温めていく。 このまま時間が止まれば、いつまでも彼の傍にいられるのに。 叶わぬ願いを抱く智子の目の前で、寝顔を晒す男の瞼が不意に強張った。 ベッドの上で横たわる彼の長躯が、布団の山が、微かに震えた。 智子「……あら?」 その寝顔から離れた智子の目に映ったものは、布団からはみ出した彼の下半身だった。 おそらくは寝返りを打った際に、掛け布団を蹴飛ばしてしまったのだろう。 智子「(身体を壊さないうちに、戻したほうがいいわよね)」 視界の隅で何かが蠢いたのは、皺になった掛け布団を掴んだときのことだ。 形の良い眉を顰め、視線を移す。“それ”を捉えた瞬間、智子の全身が硬直した。 視線の先に佇む彼の下半身――その、ある一点。 ちょうど股座に当たる部分が、異様なまでに盛り上がっているではないか。 あたかもテントを張るが如く、棒状の物体が布地を押し上げる光景を前に、智子の白い喉が音を立てた。 智子「あ、わ……わ」 隆起の正体が想い人の盛り上がった男性器だと理解した瞬間、智子は自身の頬がそれまでとは比にならぬほどの灼熱を帯びる様を感じた。 智子「(あ、あああああ、あれよね!? 朝に起こる、生理現象のようなものよね!?)」 初めて目にする、朝勃ちという男性特有の生理現象。 恋慕の念を寄せる相手の逸物は、布地の下からでも形状が分かるほどに雄々しく反り立っていた。 再び智子の喉が、静かに音を立てた。 自然と呼吸が、荒いものへと変わっていく。 視界から外そうにも、目線を逸らすことが出来ない。 それどころか、手が自然と、彼のモノへと伸び始める。 智子「はぁっ……はぁっ……はーっ」 頭のなかに靄のようなものが広がり、それが冷静さと理性を覆い尽くす。 智子の脳裏を駆け巡り、支配していたのは女としての衝動。 妄想のなかで何度も自身の純潔を散らした彼の雄。それが、いま目の前にある。 ――どれくらい硬いのだろう。 ――どれくらい熱いのだろう。 ――触りたい。 ――見たい。 ――欲しい。 肥大する衝動に比例して、激しさを増す心臓の高鳴り。 一秒が永遠にも感じられるなか、遂に智子の白い指先が、それへと触れた。 指の先端に伝わる熱と硬さを感じた瞬間、智子は頭を槌で殴られたかのように、脳が揺れる感覚を抱いた。 布越しだというのに、こんなにも熱いのか。こんなにも硬いものなのか。 もはやこれ以上、正常な思考を働かせることができなかった。 そのまま残る細指を、牡竿に這わせようと動かす寸前、我に返り瞼を閉じて彼の逸物を下半身ごと布団で覆い隠す。 智子「わ、わたし……何てことを……」 薄桜色の唇から漏れ出す声音に満ちていたのは、怯えの感情。 自身に潜む雌が、自分でも気がつかぬ内に膨れ上がっていた。 もしも理性が戻ることなく、あのまま指を這わせていたらどうなるのだろう。 もしもそれで彼が目を覚ましたら、どうなっていただろう。 きっと、寝込みを襲った女と軽蔑されるに違いない。 また会えただけでも、充分に幸せだったというのに。 いつの間にか、次の欲求が――彼だけの女(もの)になりたいという願いが生まれていることに。 その欲求すら抑え込めない、自身の弱さに智子は唇を噛んだ。 智子「ごめんなさい……」 自分だけが独り、抜け駆けをしていることをかつての仲間たちに向かって。 そして、勝手に部屋に入り込んだことを目の前で寝息を立てる彼に向かって。 小さく謝罪の言葉を漏らした智子は、自身の黒髪をかき上げて、静かに男の寝顔に顔を寄せる。 せめて彼が目を覚ますまで、間近で見つめていたい。 あわや再び唇同士が触れ合う寸前の距離まで近づいた瞬間、想い人が唐突に瞼を開けた。 普段なら目を覚ましてから、思考が働くまでに数分の時間を要する。 けれども、今回ばかりは状況が異なっていた。 瞼を開けた先の視界を占めるのは、見慣れた天井ではなく、息が止まるほどの美貌。 西欧人のそれとはまた異なる柔肌は、雪のように白く。 目にしただけで手触りの良さを期待させる黒の長髪は、漆を思わせるほどの艶を帯びている。 黒真珠を覆い隠す瞼から伸びる睫は、どこか羞恥に耐えるかのように、小刻みに震えていた。 そして、あと少しで自身のそれに触れる距離まで肉薄していたのは、形良い桜色の唇だった。 自身の視界を独占する美貌の主が、昨日に再会を果たした穴拭智子だと気がついた瞬間、俺は息を呑んだ。 俺「(な、何だ!? なんで智子が俺の部屋に!?)」 何故、智子が自分の部屋に入り込んでいるのだろうか。 何故、智子の唇が自身のそれに近づいているのか。 次々と疑問が脳裏を駆け巡るも、それらは眼前に迫る美貌によって、すぐさま掻き消されてしまう。 静止の声をかけようにも、僅かでも身体を動かせば彼女の唇を奪いかねない。 だというのに、智子になら唇を奪われても構わないと思ってしまっているのは。 彼女の黒髪から発せられる仄かに甘い薫香にばかり意識を向けてしまっているのは、男としての悲しい性なのか。 かといって、このような形で大切な妹分の――智子の初めてを奪うわけにもいくまい。 何とか首だけでも動かして彼女の唇が、自身のそれに触れないよう体勢を変える。 その際に生じた微かな布擦れの音に気がついたのか、智子が瞼を開いた。 お互いの瞳を見つめ合う時間が続き、 智子「え? あ、あ……わ……」 俺「よ、よぉ。おはよう……智子」 再会してから、初めて間近で見る彼女の面差しが次第に赤みを増していった。 段々と黒い瞳には透明な雫が滲み出てきた。 そして、感情の高まりを抑え切れなくなったのか。 言葉にならない叫び声が、室内に響き渡った。 智子「ち、違うのよ!? ここここ、これはぁ! ちょっと貴方の髪の毛に埃がついてたから、取ろうと思ってたたたた、だけなのよ!?」 整った美貌を高潮させ、涙まで浮かべて、機銃掃射もかくやの勢いで言い訳を並べ立てる妹分の姿に俺は口元を綻ばせた。 随分と昔にも、こんな風に似たような言い訳を聞かされたことがあったな――と胸裏で独りごちながら。 どれだけ見目麗しく成長しても、あの頃と変わらぬ智子が目の前にいる。 自分が、自分だけが知っている智子が、そこにいる。 そのことに、愛おしさと懐かしさが混じる感慨を抱いた俺は、自然と彼女の頬に手を添えていた。 智子「あっ……」 頬を触れられ、ほんの一瞬だけ身体を強張らせたものの、すぐさま力を抜いて瞼を閉じる。 その手の温もりに、優しさに身を委ねるかのように。 安らぎに満ちた表情が、智子を彩った。 俺「俺のこと、起こしに来てくれたんだよな?」 智子「……うん」 瞼を閉じたままの智子が小さく頷いてみせると俺は静かに破顔した。 手の平を満たす倫子の頬の柔らかさを感じながら。 俺「そっかそっか。ありがとうな、智子」 智子「その、迷惑……だった?」 俺「まさか。俺が寒さに弱いの知っているだろう?」 だから気にするなと笑い飛ばすも、彼女に笑みが戻ることはなかった。 おそらく昨晩、寝床を共にしたいという願いを拒否されたことが智子のなかで尾を引いているのだろう。 俺としては大人の女へと成長した妹分を襲わぬための防衛手段だったのだが、自身を兄貴分として慕う智子は、甘えたかったのかもしれない。 再会するまで智子のなかで自分は死んだ人間だったのだ。 そんな自分とまた巡り会えたことを考えると、些か大人気ない対応だったか。 俺「(もう少し構ってやれば良かったか)」 放っておけば朝食まで昨夜のことを引き摺るかもしれない。 俺は考えを巡らせる。 時間にして一分にも満たない短い間黙考を続け、素直に思いの丈を吐露することを決めた。 俺「あー……智子?」 智子「……なに?」 俺「その、だな。別にお前と一緒にいるのが、嫌なわけじゃないんだぞ? 俺だって……お前にまた会えて嬉しいんだ」 段々と声音が尻すぼみになっていく。 それはきっと、これから紡ぐ台詞が自分でも気障なものだと自覚しているからだろう。 次第に頬が、耳が熱くなっていく様を実感しながら、俺は尚も言葉を続ける。 俺「……ただ、な。お前が綺麗に成長し過ぎて……傍にいると何というか、凄く落ち着かないだけなんだよ」 告げられた台詞に智子は目を丸くした。 小さく口を開け放ち、こちらを見つめる美貌。 思わず心臓が跳ね上がる感覚を抱くも、俺はすぐさま口を開く。 俺「黒髪も……その、陸軍にいた頃と違って艶があるし」 智子「え……あ。そう、かしら?」 言われて、肩から流れる自身の黒髪に手を遣る智子。 形の良い唇は心なしか綻んでみえた。 俺「肌も、あの頃と同じように……いや。あの頃以上にきめ細かくて」 智子「……あ、あぅ」 俺「体つきだって……その、なんだ。ちゃんと大人のそれになってるからさ」 一瞬だけ、彼女の陸軍服を下から押し上げる二つの膨らみに視線を注ぎ、すぐさま逸らす。 智子「そ、それって!!」 弾け飛んだ言葉に続いて智子が身を乗り出した。 俺「う、うん?」 智子「私のことをその、女として……見ているって、ことで……いい、のよね?」 自身のシャツを両の手の指でぎゅっと握り締めながら、真っ直ぐに自分を見つめてくる智子の言葉に俺は首肯した。 途端に智子の頬に朱色が戻る。形の良い唇が更に綻んでいく。 俺「……ぁ」 思わず、声が漏れた。 自分でも、それが声なのだと遅れて気がつくほどの小さな声だった。 智子「そう……なの。っふふ……そう、なんだ」 花が咲いたような笑み――という言葉は、きっと今の智子が浮かべる笑顔を差しているのだろう。 嬉しさと、喜びに満ち溢れた微笑みを前に俺は思う。 この笑顔を、いつまでも見つめていたい。 いつまでも、愛でていたい。 智子「朝からごめんなさい。先に行って待っているから……早く、来てね?」 想い人が自身の笑みに魅了されていることに気づかぬまま、智子は寝台から下りる。 そうするや否や身を翻し、小走りで部屋を出て行った。 俺「智子……」 部屋を出て行く智子の後姿に、返事すら返せないでいた俺は重々しい音によってようやく我に返った。 頬が熱い。胸の辺りから響く鼓動が、やけに煩く感じる。 俺は口を開いて肺一杯に溜め込んだ空気を、大きく吐き出した。 気恥ずかしさを含めたあらゆる感情と一緒に。 俺「あぁ……まずいな」 寝癖のついた髪に遣った手を乱暴に動かす。 俺「ありゃ反則だろう」 彼女の笑みに、俺は心奪われていた。 微笑み一つで奪われるとは随分と安い心だなと自嘲しつつ、今後について思案に耽る。 妹分である智子を女として意識してしまっている自分は、どう彼女と関わっていけばいいのだろうか。 彼女が慕う兄貴分として振舞えるだろうか。 次に彼女と顔を合わせるとき、この気持ちを封じ込めておけるだろうか。 どちらも、やり遂げる自信がなかった。 更には幹部会も近い内に開かれる。 腹に一物抱えた魑魅魍魎どもに足元を掬われぬよう振舞わなければならない。 表と裏の二つとも多難に満ちている現状に、俺は再び深く溜息を吐いた。 「はっはっ……はぁっ、はっ」 白い息を吐き出しながら智子は基地内の廊下を走る。 その足取りは、彼の部屋へ向かっていた時のそれとは比にならないほど軽やかなものだった。 伝えられた言葉が、自身の息遣いとともに脳裏に蘇る。 それは、心の底から欲しかった言葉だった。 妹としてじゃない。いまの彼は、自分を一人の女として意識している。 ならば、彼が自分のことしか考えられないようにしてみせよう! そのためにも今日一日、ずっと彼の傍にいよう! ――― ―― ― そのような期待に胸を膨らませていた数時間前の自分を叱咤したい衝動を抑え、智子は物陰に半身を潜めていた。 恨めしげな光を宿す瞳に映るのは、想い人が他の女との談笑を楽しんでいる光景だった。 話によると彼は戦闘時以外は基地清掃の仕事を与えられ、平時は掃除用具を片手に基地内を徘徊しているらしい。 一部の基地職員の口からは彼がモップ片手に天井や基地外壁を歩いていたという信じ難い情報が飛び込んできたが、おそらく何かと見間違えたのだろう。 彼の姿が見えなくなっていることに気がついたのは朝食後だった。 同じ場で食事を摂っていた502の魔女たちですら彼が退室したことに気づかなかったのだから、驚きである。 慌てて基地内を探し回ること数十分。 ようやく彼の姿を発見できたものの、その隣には先客がいた。 そして彼は、その先客と楽しげに談笑していた。 先客である少女もまた、彼との語らいを楽しんでいるのか弾けんばかりの笑みを口元に湛えていた。 智子「(何よあの子……あんなに大きいなんて)」 反則じゃないと後に続く言葉を胸裏に零し、目を細める智子。 視線の先で自身の想い人と話す少女。 きめ細やかな白い肌。短めに切られた金の髪。 そして、身に纏うニット生地の軍服の下から押し上げて自己主張している連山。 その二つの山は少女の微かな動きにも敏感に反応し、小さく揺れたわんでいた。 余りの迫力に、思わず半歩ほど後ろに退いた智子は、反射的に視線を自分の胸元へと落とす。 視界に入るは陸軍服を下から押し上げる自身の双丘。決して小さいほうではない。 むしろ今の自分ならば当時同じ部隊に所属していた武子たちとも、良い勝負が出来るのではと確信できるほどには成長している。 しかし、 智子「(俺も、あれくらい……大きいほうが良いのかしら……)」 少女――ニッカ・エドワーディン・カタヤイネンの胸は余りにも、強大過ぎた。 ただ膨れ上がっているのではない。 むしろ、大きいだけならば自分にも勝ち目はあっただろう。 だが少女のそれは大きさと形が完璧に両立している。 天は二物を与えぬという言葉は嘘だったのか。 どうみても完璧なものが二つもあるじゃないと口のなかで叫びつつ観察を続ける。 ラル「二人とも寒いなかご苦労」 ニパ「あっ、隊長」 智子「……なッ!?」 どうにか怪しまれぬよう自然なタイミングで会話に入り込めないかと画策していると、不意にラルが加わった。 昨日、初めて対面した際は意識すらしなかったが、彼女の連山もまたニパに負けずとも劣らぬ姿を軍服の下から見せつけていた。 しかも身に着けているコルセットのせいで余計にサイズが強調されているような気がしてならない。 現に俺を見れば不躾な視線を送らぬよう目線を泳がせているではないか。 それは、自分よりも若い彼女らを女として意識している何よりの証であった。 智子「ぐぬぬ」 悔しさの余り声が漏れる。 朝はあれほど自分の魅力を伝えてくれたのに。 あれほど自分の魅力に戸惑っていると言ってくれたのに。 それなら、それなら…… 智子「もう少し……私だけ見てくれても、いいじゃない。ばかっ」 「やぁ、穴拭中尉」 智子「んひゃぁ!?」 切なげな想いが冷えた風によって掻き消された矢先のこと。 背後から声をかけられ、思わず裏返った悲鳴を上げてしまう。 情けない姿を見られたことに対する羞恥心に頬を微かに紅潮させながら振り向く。 目の前にはペテルブルグ基地で最初に出会ったウィッチの姿があった。 智子「い、いきなり何よ。悪いけど夜のお誘いならお断りよっ」 出会って早々、晩酌を共にしないかと誘われたことを思い出し、先手を打つ。 どうもこの人間は自分の後輩と同じ類に属している気がしてならない。 うっかり誘いに乗ってしまった日には、どうなることやら。 クルピンスキー「えー、まだ何も言っていないじゃないか」 ほら、残念そうに口を尖らせる。 智子「それで何の用なの? まさか本当に懲りずに晩酌の誘いに来たわけじゃないでしょうね?」 クルピンスキー「いやなに散歩をしていたら、綺麗な後姿を見つけたものでね」 口元に微笑を浮かべるなり、クルピンスキーは片膝をついて智子の指を手に取った。 智子「ちょ、ちょっと……」 クルピンスキー「麗しい巴御前殿。どうか、その優美な黒髪を……この伯爵めに触れさせてはいただけませんか?」 姫君に愛を誓う王子、あるいは守護騎士を思わせるほどに真っ直ぐで、熱っぽい声色で想いを紡ぐ。 一瞬でここまで距離を縮めてくるとは。 自身の後輩よりも手練であると認識した智子はそっと指を払った。 智子「じょ、冗談はやめてちょうだい」 クルピンスキー「連れないなぁ。ところでさ、穴拭中尉」 智子「だから晩酌には付き合わないって――」 クルピンスキー「彼のこと、好きなの?」 言いかけた言葉は、それまでの芝居がかったものから一転して親しみやすい陽気さを帯びた声によって遮られた。 智子「は……はぁぁ!? いきなり何を言い出すのよ!?」 クルピンスキー「あれ、違うのかい?」 智子「違うわけがないでしょう! ……っ!?」 反射的に彼女の言葉を否定してしまった智子は一瞬でその美貌を赤らめた。 搦め手に嵌り、彼に抱く自身の恋慕を肯定してしまったのだ。 立ち上がったクルピンスキーは満足げな笑顔を浮かべていた。 クルピンスキー「はははっ、扶桑海の巴御前は素直だねぇ」 智子「ううううう、うるさいっ!!」 頬を紅潮させ、声を荒げる智子を前にクルピンスキーはその笑みを濃いものへと変えていった。 彼を見つめる智子の瞳は、大人びた見た目とは裏腹に年端もいかぬ少女のように純粋で美しかった。 想い人を見つめる智子の横顔を目にした瞬間、自分は魅了されていた。 熱を秘める黒の瞳、寒さによるものなのか心の昂ぶりからなのか桜色に染まる頬。 乾燥させぬよう舌で湿らされた形の良い唇。 それら全てに心を奪われていたクルピンスキーは知られぬよう、あえて背後に回って声をかけたのだ。 クルピンスキー「それで、答えはYESってことでいいんだね?」 暫く視線を泳がせていた智子であったが、観念したのか息を深く吐いた。 そして、照れたようにはにかみながら想いを編み込んで、口を開く。 智子「えぇ、好きよ……あの人のことが。どうしようもないくらい、愛しいの」 それは、幼少の頃から抱いていた恋慕の念。 それは、成長するに連れて増していった一途な想い。 彼の周囲にどれだけの女が現れても。自分にどれだけの男が言い寄っても。 変わることがない、変わるはずのない感情だった。 智子「だから、彼が生きていて……また会えたことがね。どうしようもないくらい嬉しいの」 クルピンスキー「……あぁ」 凍えた風に黒髪を弄ばれながら、微笑む智子を前にクルピンスキーは静かに嘆息した。 花が咲いたような笑みとは、きっと目の前にいる彼女が浮かべるそれを差す言葉なのだろうと確信する。 寒空の下にいるというのに、見ていて心が温まって、和らいでいく微笑みに知らずと自身の口元まで綻ばせてしまった。 それと同時に、思い知った。 これは口説けない。 これは堕とせない。 仮に男女問わず自分以外の人間が彼女に言い寄ろうと、穴拭智子にとっての特別な人間は、彼一人なのだ。 それは今までも、今も、そしてこれからも変ることはない。 智子とは昨日に出会ったばかりで、彼女の人となりもクルピンスキーはまだ殆ど知らなかった。 にも拘わらず、そう確信させるほどに智子の瞳に宿る光は眩くて、美しいのだ。 クルピンスキー「負けたよ……まったく、貴女みたいな人を放って置くなんて。俺も罪な男だよ。辛くなったら、いつでも僕の胸に飛び込んでいいよ?」 智子「お生憎様、彼はそんな酷い人じゃないわ」 クルピンスキー「酷い人じゃない、か。君や、僕たちにとっては……ね」 口から漏れた言葉は巴御前の耳に届かぬよう意図して小さく呟かれたものだった。 航空歩兵でありながら不穏分子を斬って回る彼。 もしも彼女がその事実を知ったら、どうなるのだろうか。 もしも愛した男の裏の顔を見てしまったら、どうなるのだろうか。 自分が見蕩れた笑みは消えてしまうのだろうか。 智子「ねぇ? 聞かせて欲しいの。あの人が此処に来てからどんな風に過ごして来たのか」 クルピンスキー「もちろんさ。その代わり、トモコって呼んでもいいかい?」 一縷の不安を胸に抱くクルピンスキーであったが、自身に詰め寄る智子を前に胸裏をざわめかせる胸騒ぎを押し込めた。 ネウロイ襲撃の警報が鳴り響いたのは、談笑を始めてから五分と経たないときのことだった。 ――― ―― ― 外の景色から風が吹く音が聞こえる。 それに伴い、全身を包む空気が一層その温度を下げていくのを感じ取れた。 格納庫――そこは魔女たちが有する、機械仕掛けの箒とも称せる戦闘脚が保管、管理されている場所。 彼女らが空を、大地を縦横無尽に駆け巡るために必要な箒が日夜整備されている工房。 そこに智子は手近にあった鉄製のコンテナの上に腰を降ろしていた。 工房を彩る戦闘脚は殆どが先に鳴り響いた警報後すぐに格納庫から目の前の滑走路へと飛び出し、大空へと飛び立って行った。 その中には自身が長年想いを寄せる男のものも含まれていた。 残っているものがあるとすれば、司令でもあるグンドュラ・ラルのそれだけだ。 息を吐き、瞼を閉じて、智子は風の音に意識を向ける。 そのなかに飛び立って行った戦闘脚の音が混ざるのを聞き漏らさないために。 そうしている内に出撃前の出来事が脳裏に蘇った。 ―― 「駄目よ! 危険過ぎるわ!!」 襲撃に対する編成を伝えられたとき、智子は真っ先に後衛を任された彼に喰ってかかった。 既に俺は成人を迎えている。 飛行はもちろん、固有魔法である衝撃波の使用も可能だが、航空歩兵として致命的な能力が欠落していた。 敵の攻撃から身を守る障壁だ。 障壁を展開する能力を失えば、ネウロイから放たれる熱線を防ぐ術はない。 連中に置き換えれば常時、心臓であるコアを剥き出しにしているようなものである。 未来予知の固有魔法持ちならば障壁など無用の長物に過ぎないのだろう。 現にスオムスから501に派遣されたウィッチはそういった固有魔法を持っていると智子も耳にしていた。 「確かに障壁は張れなくなっちまったな」 智子の剣幕とは対象に俺は困ったような笑顔で返すだけだった。 「それなら――」 「だけど、俺の力の根源は残ってる。俺の衝撃波は大勢の敵を消し飛ばすためにあって、それはまだ使える。まだ、まだ戦えるよ」 詰め寄る智子の頭に彼はそっと手を乗せた。 昔から駄々を捏ねると決まって彼は頭を撫でて自分を宥めてきた。 けれど、これは駄々なんかじゃない。 障壁を失ったのは事実で、身を守る術を持たない者が戦場に出たところで逆に危険なだけではないか。 「残り少ないからといって、燻らせるなんて勿体無いだろう? 全部使い切るわけじゃない。それに俺には、仲間がいるからな」 そう反論しようと開きかけた口は、強い意思の光を弾く瞳と言葉によって閉じてしまった。 「大丈夫ですよ。穴拭中尉」 先ほどまで彼を独占していたニパが笑みを作る。彼女ら502の実力を見くびっているわけではない。 ただ、何が起こるか分からないのが戦場ではないか。 彼のことだ。もしも彼女らに危険が迫ったとき、きっと身を呈して守るだろう。 あの日、自分を庇って撃墜されたときのように。 「ニパ君の言うとおりだよ、トモコ。大丈夫、必ず僕らが連れて帰るさ」 「というわけだ。頼もしい仲間がいるんだから大丈夫さ」 ――わかってよ。 ――貴方、もう限界なのよ? いまは飛べて、衝撃波も撃てるけど……それだっていつまで続くかわからないのよ? 「じゃ、行ってくる。ちゃんと全員無事に帰ってくるからな」 「ま、待って! あ、あぁ、行かないで……いかないでよ……」 静止の声は戦闘脚の駆動音によって、掻き消された。 滑走路から飛び立つ魔女たちに紛れた彼の姿が、遠ざかっていく。 もしも、あと数年早く彼を見つけていれば、自分もあの輪のなかに加わることができたのだろうか。 彼が502の面々を眺めたときに見せた信頼の眼差しを、自分も受けることができたのだろうか。 彼と一緒に、あの空へ飛び立つことができたのだろうか。 胸のなかには、もう痛みしか残っていなかった。 かつて扶桑海の巴御前と呼ばれ、銀幕の主役を飾った女は、ただ独り格納庫に取り残された。 徐々に空へと溶け込んでいく想い人の背を、智子は見送ることしかできなかった。 ―― 「……ッ」 惨めな思いを振り払うかのように頭を振って瞼を開く。 まるで彼が、もう手の届かないところに行ってしまったみたいだ。 ほんの数年前までは、自分もその輪に加わっていたというのに。 居場所を取られた子どものような、寂寥感を胸の内に秘める智子は不意に背後へと振り返った。 ラル「私を恨むか」 智子「……恨んだって仕方ないじゃない。そんなこと、彼が望まないわ」 足音を伴って声をかけてきたラルに返す。 彼がガランド少将預かりの戦力だという説明を受けた以上、口を挟むつもりはない。 が、それは軍人としての意見であって彼に恋慕の情を抱く女としては今回の出撃は到底受け入れられるものではなかった。 ラル「あいつの力は本物だ」 ――そんなこと貴女に言われなくたって、子どもの頃からずっと知っているわよ。 喉下まで出掛かった言葉を無理に飲み込んだ。 彼女に苛立ちをぶつけても仕方がない。 ラル「大型どころかネウロイの部隊すら一撃で殲滅できる破壊力と範囲。もはや戦略兵器の域だ」 智子「そんな、に?」 告げられた言葉に智子は目を丸くした。 かつて扶桑皇国陸軍として同じ部隊に所属していた際は中型が精々だったはず。 それがこの数年で、ここまで成長するものなのか。 単機で軍勢相手に渡り合うなど、質と量の隷属関係を完全に破綻させているではないか。 そう胸裏で零す智子は知らぬ間に自身の背が粟立っていることに気がついた。 それは決して寒さによるものではないのだろうと思った。 出撃前に自身の頭を優しく撫でていたあの掌から、一体どれだけ強力なエネルギーが放たれるというのか。 ラル「一対多ですらあいつにとっては何ら障害ではないだろう」 陽気な人となりとは反対に、その固有魔法が司る属性は破壊を齎す暴力。 力で以て全てを捻じ伏せる暴君の力だ。 その暴力は間違いなく戦略的価値があるし、いざとなったとき部隊の切札として十分に機能する。 だが、とラルは一つの疑問を抱いた。 どこまでが彼の全力なのだろうか。彼の力はどこまでのものなのだろう。 部隊はおろか大型すら容易く呑み込む彼の異能。 それは、人類を脅かし遥か天空に座する異形の牙城をも滅相し得るほどのものなのか。 疑問が尽きることはなかった。 ――― ―― ― 戦闘脚の駆動音を耳にした瞬間、格納庫を飛び出した。 速度と高度を徐々に下げ、滑走路へと降り立つ502の魔女たち。 少女たちの無事な姿を捉え安堵しつつ、彼女らとともに出撃した想い人の姿を探す。 しかし、帰還した魔女たちのなかに、男の姿は何処にも見当たらない。 段々と智子の全身を、悪寒が蝕みはじめる。 それは単に外気によるものなのか、それとも忌むべき過去の記憶が蘇ったことによるものか。 もしかしたら――が胸裏を過ぎる。 智子「(ちゃんと帰ってきてよ……。帰ってくるって、自分で言ったじゃない……!!)」 息苦しさを感じ始めたなか、視界の片隅に小さな黒い点を見つけた智子は自然と駆け出していた。 背後からロスマンが放つ静止の声を気にも留めずに。 駆け寄る自分の姿を見つけた男が、口元に笑みを落とす様を見つけ。 智子は両手を広げて彼の胸元へと飛び込んだ。 智子「俺ぇ!」 俺「おっとと! 随分と熱烈なお出迎えなことで……どうした?」 自分の胸元に飛び込むなり、両の手を背中へ回す智子の抱擁に驚きつつも、彼女の頭と背に手を添えてあやすように撫でる。 押し付けられる母性の柔らかさと温もりに多幸感を抱きながら。 智子「無事よね!? どこも、怪我とかしてないわよね!?」 俺「あぁ、大丈夫だよ。俺もみんなも」 智子「よかっ……た。よかったぁ……」 それまで自身の胸元に埋まっていた智子の顔がその姿を覗かせた。 瞬間、俺は息を呑んだ。心臓が一際強く脈動する様を確かに感じた。 黒真珠を潤ませながら、安心し切ったように頬を綻ばせる智子の微笑みに、心奪われていた。 自然と指先が、手が彼女の端整な頬へと移る。 そんな自分の手の平が心地よいのか智子は一度短く“んっ”と呟くなり、身を委ねた。 瞼を閉じた際に浮かび上がった涙が零れ、俺の指が静かに濡れた。 俺「ごめんよ……心配かけさせたな」 智子「いいのっ……みんなが、あなたが無事なら……いいのっ」 端正な美貌を涙で濡らしながら見せる笑みに、俺は心臓を潰されたような息苦しさを覚えた。 彼女から視線を注がれると気恥ずかしさにも似たむず痒さが背筋を走るのに、目を背けることが出来ない。 気恥ずかしい感情を抱きながらも、もっと彼女の笑みを見つめていたいと思ってしまっているのはきっと、 俺「あぁ……ただいま、智子」 自分は、穴拭智子に完全に惹かれてしまっているからなのだろう。 続く JUNGLEの秘密基地って、アニメだとあの地下空間にあるセットみたいなもんなのに SIDE GREENだとちゃんと廊下とかの描写がされてるんですね。
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868 名前:ゲーム好き名無しさん[sage] 投稿日:2015/04/22(水) 05 25 05.68 ID xtSMpq4k0 [1/2] じゃあ水を差すように報告。リアルリアリティとは違うけどリアル厨。オンセ。 全力移動には自身の手番を使わないとだめなシステムだったんだが、そいつは「全力移動後、~~のスキルで攻撃する!!」とか言い出した。 おい、待て。それはルール上できんぞってなったんだがそいつ曰く「俺は(リアルでなら)余裕で出来る動作だから出来る」と主張し続けたんだ。 ルール上無理だからって言っても聞かず、GMが「出来ません」と断言しても「お前らみたいな貧弱な連中と一緒にするな」とかずっとキレ続けててどうにもならなくなったのでGMがキックしたんだ。 その後も掲示板やらチャットやらでないことないことべっらべら吹聴したせいで、サイト全体で俺らが悪いってノリになりかけたんだ。 そしたら、その時のGMが、「これでも私たちが悪いのでしたら責任を取ります」ってログを公開して、結局そいつが追放されて平和になったと言うお話。 869 名前:ゲーム好き名無しさん[sage] 投稿日:2015/04/22(水) 05 26 16.17 ID xtSMpq4k0 [2/2] なお、困がやろうとした行動は、剣から衝撃波を撃ちだして遠距離の敵を攻撃すると言うスキルであった。 リアルで出来るのなら是非一度拝見したい絶技だと思ったのは多分自分だけじゃないはず。 870 名前:ゲーム好き名無しさん[sage] 投稿日:2015/04/22(水) 05 41 53.26 ID FhLRFugn0 [1/2] 869 報告乙 本当につよいやつは強さを口で説明したりはしないからな 口で説明するくらいならおれは牙をむくだろうな おれパンチングマシンで100とか普通に出すしキリッ 871 名前:ゲーム好き名無しさん[sage] 投稿日:2015/04/22(水) 05 56 57.90 ID 6QuYDCba0 [1/2] 飛び道具のような技なのに、全力移動しないと届かない間合いだったのか… いや、まあ、そんなことはどうでもよく、スキル欄に説明されているルールは 護れよと言う話だよな。 872 名前:ゲーム好き名無しさん[sage] 投稿日:2015/04/22(水) 06 09 02.97 ID bVWmjRHz0 [1/2] 871 射線の問題じゃねーかな 回り込まないと壁にぶつかるみたいな 873 名前:ゲーム好き名無しさん[sage] 投稿日:2015/04/22(水) 06 39 28.98 ID vQa6JG7E0 868 乙 前もこれと似た「俺はやれるんだからそんなルールは知ったこっちゃない」って言った馬鹿がいたけど、ルールで決められている事を守ろうとしない奴はTRPGやるなよって思う 874 名前:ゲーム好き名無しさん[sage] 投稿日:2015/04/22(水) 06 54 03.23 ID vG8Gfp+T0 868 報告乙 TRPG遊ぶ集団ってのは、世間のルールを遵守しきれずハブにされたはぐれ者ってのが混じってるから そりゃまぁ、TRPGで定められてるルールを守れないなら今度はTRPGからもハブにされるよなぁ…… 876 名前:ゲーム好き名無しさん[sage] 投稿日:2015/04/22(水) 07 34 34.90 ID 1oyoQrRO0 [1/3] 乙 「全力」で移動してるのに他の行動する余裕あったら全力じゃねえじゃんなあw 877 名前:ゲーム好き名無しさん[sage] 投稿日:2015/04/22(水) 07 34 48.90 ID SML+xinU0 >なお、困がやろうとした行動は、剣から衝撃波を撃ちだして遠距離の敵を攻撃すると言うスキルであった。 石動雷十太さんは実在したんだ! 878 名前:ゲーム好き名無しさん[sage] 投稿日:2015/04/22(水) 07 48 31.09 ID b9e0A3XA0 ダイかも知れん スレ412
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――喜んでくれるかしら。 鼻腔を満たすカカオの香りを楽しみながら加藤武子は鍋の中で粘性を帯びる液状と化したチョコレートを箆で掻き混ぜる。焦げ付かないよう丁寧に、丁寧に。 掻き混ぜながら味付けも考える。 チョコを渡す相手は苦いものがあまり好きではない。武子が“彼”に珈琲を淹れるときも砂糖とミルクを苦味が薄れるまで入れてから出すようにしている。 珈琲が持つ苦味もまた味わい深いものなのだけれど甘くした珈琲を美味しそうに啜る彼の姿を見ていると、楽しみ方は人それぞれなのだろう。 苦いものが苦手な彼の好みを考えると大人向けのビターな味はやめたほうが良い。 だから甘くしよう。うん、そうした方が良い。うんと甘いの食べて欲しい。 口元を綻ばせながら物思いに浸っていると緩やかに胸の内が温まっていく錯覚を覚えた。自分だけが彼の好みを熟知し、それに合わせた味にする。 あたかも恋人じみた行動を取っていることに気がついた途端、少女の整った頬に熱が込み上げはじめた。 武子「(べ、別に私と彼はそういう関係じゃ……)」 頬を赤らめ独り、胸裏で言い訳。 改めて自分と彼の関係がどういうものなのか認識するため、手は動かしたまま彼と共有した時間を思い浮かべてみる。 寝癖をついた髪をブラシで治したり、掛け間違えたボタンを一から付け直したり。蘇る思い出の大半は自分が世話を焼いてばかりな気がするが何故だろう。不思議と悪い気はしない。 時折見せる子どもっぽさとは裏腹に夜遅くまで部隊管理の仕事に付き添ってくれたり、独り隠れて自主訓練を繰り返していたりと妙な部分で大人びている。 その格差を目の当たりにしてからというもの彼を目で追いかけている回数が心なしか増えている気がしてならない。 今もこうして彼のことを考えていると胸の奥が温まっていることもまた事実。 互いに気持ちを確かめ合ってもいないし、自分の気持ちが恋慕と言えるかも定かでない。結局のところ友人以上の関係であろう。少なくとも自身はそう考えているし、そうであって欲しいとも願っている。 ふと視線を左右に向ける。同じように軍服の上からエプロンを身につけ、慣れない作業に悪戦苦闘する友人たちの姿が視界に入り込む。 智子「うー。思うように、いかないわねっ」 彼から褒められた自慢の黒髪を後頭部で結い上げ、子どもっぽく歯軋りして箆を握る手を動かす智子。エプロンには所々飛び散ったチョコレートが付着している。 初めはあまりにも危なげな手つきに何度も変わってあげましょうかと声をかけたがその度に彼女は首を横に振った。 これくらい自分で作れるわ――と自信に満ちた笑みを口元に浮かべながら。 溶かしたチョコレートでエプロンを汚す姿から何の説得力も見出せないけれど武子はそれ以上の口出しを止めた。 頑固なのは相変わらずだが、きっと理由は今回のチョコレート作りに彼が関わっているからなのだろう。 彼。智子にとっては兄のような男。家族以上の存在。そして、初恋の相手。 武子「どう? 焦げてない?」 智子「えぇ。焦げてはいないみたい……よかった」 言葉に安堵の念を滲ませながら、嗅覚を最大限に動かして手を動かし続ける。 今日が何かの記念日というわけではなく、ただ日頃から世話になっている彼に感謝の想いを伝えたいと思い立ち、智子はチョコレート作りを提案した。 本音を言えば形として残る物を贈りたかったのだが、手製の菓子のほうが思いも伝わり易いと考え直しチョコレート作りを仲間たちに持ちかけたのだ。 市販品ならばこうしてエプロンを汚すような苦労も掛からないのだろうが、いくらなんでも味気なさ過ぎるし、女としての矜持がそれを許さなかった。 幸い厨房には菓子に用いるナッツが備蓄として保管されていたので、智子を含む四人はそれをアクセントにすることにした。 武子「焦らずゆっくりね?」 智子「わ、わかってるわ……」 どこか姉妹のそれにも聞き取れる二人の会話を耳にしつつ加東圭子は細かく砕いたナッツをまだ液状のチョコレートに散りばめる。 洋菓子作りの経験はないが、こうして実際に手を動かすと想像していたよりも難しくはなかった。 強いて注意すべき点を挙げるならばチョコレートが焦げ付かないよう細心の注意を払うことだろうか。 贈る相手の笑顔を浮かべながら、ナッツが全体に行き渡るようチョコレートを掻き混ぜる。 美味しいと言ってくれるかしら。ううん、彼のことだからきっと不味くても、そう言うに決まってる。 圭子「こんなものかしらね」 火を止め、チョコレートを流し込むための型を手にとる。中には可愛らしいハート型もあったが、いくらなんでも恥ずかしいのでやめておいた。 それに、隣で同じように型を探す黒江の目もある。ここは無難に丸型を選んでおくのが吉だろう。 けれど、もしもハートの形をしたチョコを贈られたら彼はどんな反応をするのだろうか。 驚くだろうか。それとも恥ずかしがって顔を赤くするのだろうか。顔を赤らめた彼……うん、可愛い。 圭子「ふふっ」 黒江「何をにやけている?」 圭子「にやけてなんかないわよっ!?」 武子「そう? 口元が緩んでいるように見えるけど?」 智子「顔も赤いわ。熱でもあるの?」 圭子「平気よ!? 本当に大丈夫よ!?」 言うなり、洗った型にチョコレートを流し込む。狼狽する態度とは裏腹に手の動きは落ち着いた状態を維持している。優秀な航空歩兵の片鱗が垣間見える動作。 圭子「(そんなに顔に出ていたかしら……)」 箆を使って残りのチョコレートを型に落としながら、胸裏に洩らす。 身体を寄せると顔を赤くする彼。自分の膝の上で眠りこけ、無防備な寝顔を晒す彼。うん、やっぱり可愛い。 直後、慌てて顔を上げる圭子。 黒江「どうした?」 圭子「いいえ……なんでもないわ」 どうやら今度はニヤけていないらしい。 小さく息を吐き、チョコを流し込んだ型を大型の冷蔵庫に入れる。後の作業は固まってからだ。 同じように四角の型を黒江が、長方形型を武子が、菱形のを智子がそれぞれ冷蔵庫にしまっていく。 智子「早く固まらないかしら?」 黒江「固まったあとは型から取り出すのか……難しそうだな」 丁寧に型から外さなければチョコレートに傷が入ってしまう。 自分で食べる分には多少の傷は気にならないが人に、ましてや気になる相手に贈るのであれば話は違ってくる。 圭子「とりあえず休憩にしましょう?」 武子「そうね。次の作業も気を遣うわけだし」 使い終えた器具の片づけを終え、厨房を出て行く少女たち。 しかし、彼女たちは気がつかなかった。 既に冷蔵の奥にもう一つ型が入っていたことに。既に洗われてあった器具一式の存在に。 数時間後、基地内を歩く武子の姿があった。脇に緑色の包装紙に包まれた箱を抱えて。 あれから固まったチョコレートを型から取り出した武子はすぐさま箱に移し変えて厨房を後にした。夕食後に渡せば良いのだが、隊長である江藤敏子の目もある手前、それは避けたい。 時計を確認する。長針はちょうど二を指していた。休みの日のこの時間はいつも自室でト修練を繰り返しているはず。二月であるにも関わらず柔らかな今日の日差しを考えると早く手渡さなければならない。 足早に俺の部屋へと向かい、扉の前で一度立ち止まる。扉に伸ばす手も、引き戻す。 何て言って渡せば言いのだろう? いつもありがとう? 良かったら食べて? こんなことなら珈琲も一緒に持ってくるべきだったと後悔しながら意を決して扉を叩く。 すぐさま返ってくる返事。若干息を切らしている口調から、やはり修練中だったようだ。 武子「そのっ! 私だけど……いま時間ある?」 「うん? 開いてるぞ」 武子「し、失礼します」 室内に入ると頭にタオルを乗せ、柔軟運動をこなす俺の姿が真っ先に飛び込んできた。 タンクトップの上からでも分かる引き締まった肉体は、修練の賜物か年齢とは裏腹に逞しい筋肉が身についている。 とりわけ、ラインが浮き出た鎖骨や躍動感に富んだ首筋は年相応の少女には刺激が強過ぎた。 急速に紅潮して行く武子の頬。質の悪い風邪に掛かったかのように全身が熱を発していく感覚を抱きながら、視線を向けては逸らすといった動作を繰り返す。 武子「~~~~ッ!!」 俺「悪いな。いま少し身体動かしててさ」 武子「だ、大丈夫よ。押しかけてきたのは……私のほう、だから……」 俺「そう言って貰えると助かるよ。それで今日は何の用だ? 書類作りなら喜んで手伝うけど」 ふるふると首を振る武子。 見惚れている場合ではない。チョコが溶ける前に渡さなければとぎこちない動作で脇に抱えた箱を差し出す。 心なしかその細い両腕は震えていた。 武子「ああああのっ! こ、これっ!!」 俺「……くれるのか?」 武子「書類仕事とか手伝ってもらってるし……感謝の気持ち、なんだけど」 俺「ありがとう。開けてもいいか?」 武子「えぇ。口に合えば良いんだけど……」 俺「食べ物か……なんだろう」 ベッドに座り丁寧に包装紙を開けていく俺の隣に腰掛け、その様子を見守る武子。 味付けは彼好みに仕上がった自信はある。形も……そこまで不恰好ではないはず。 俺「チョコレート?」 武子「嫌い……だった?」 俺「いいや。甘い物は好きだぞ? 本当に貰っていいのか?」 武子「もちろん」 俺「それじゃ」 箱から取り出した長方形状のチョコ板を口元に運び、一口齧る。 疲れたときには甘いものがいいとは良く言ったものだ。 ナッツが混ぜ込められたチョコが口の中で溶け、チョコが持つ甘さが全身に染み渡っていく感覚に思わず笑みを零す。 それまで身体に重く圧し掛かっていた倦怠感が嘘のように霧散していく。これならまだ修練を続けられそうだ。 武子「美味しい?」 俺「……うん。んぐ……美味いよ。本当にありがとう」 武子「そう……ふふっ」 子どもみたいな笑みを零しながら夢中でチョコレートに齧りつく少年の姿に頬を綻ばせる。 どうやら不安は杞憂に終わったようだ。ただ心残りがあるとすれば、やはり珈琲を淹れてこなかったことだろうか。 どうせなら自分が淹れたコーヒーも手製のチョコレートと一緒に味わって欲しかった。 けれども、こうして彼の喜ぶ姿が見ることが出来ただけでも良しとしよう。 俺「これ、武子が作ったのか?」 武子「えぇ。初めてだったから……ちょっと自信が無かったんだけど」 俺「そんなことないぞ?」 武子「そ、そう?」 矢継ぎ早に奏でられるパキパキと小気味の良い音に自然と唇が吊りあがる。 よく男はあまり甘い物を食べないと云う言葉を耳にするが彼は例外らしい。 本当に甘い物が好きなのか両手に納まるほどのチョコレートはあっという間に片手と同じサイズまで小さくなっていた。 俺「あぁ。これならまた修練が続けられそうだ。エネルギーも補充できたし」 修練――その言葉が俺の口から出た途端、武子の柳眉が微かに反応した。 武子「最近は……よく鍛えているわね」 以前から彼が隠れて特訓を重ねている光景を何度か目にしたことがある。 ただでさえ猛訓練が連日行われているにも関わらず何度も素振りや筋トレ、衝撃波の制御を繰り返している姿は関心の域を通り越していた。 日の始まりと同時に燃料が尽きるまで飛び回る訓練と並行しての自主修練。 傍から見れば自分を痛めつけているようにしか見えない苦行だが、彼はこうして何食わぬ顔でいま自分が贈ったチョコレートを租借しているのだ。 初めは痩せ我慢かと思ったが、そんなものが長続きするほど自分たち第一戦隊の訓練は甘くはない。 俺「まぁ、な。俺はお前たちのこと守りたいと思ってるけど……口だけならいくらでも言えるだろ?」 武子「……えぇ」 俺「口先だけにはなりたくない。だから修練を繰り返してるんだよ。守りたいなんて言った手前、いざって時に動けないんじゃみっともないしな」 回復している。 たった一晩寝るだけで披露の殆どを身体から除去しているのだ。 無論、寝ぼけたまま現れたこともあれば梅雨に一度風邪をこじらせたこともあったが修練が原因で大事に至ったことなど一度も無い。 それでも、 俺「……武子?」 武子「……あまり無理しないで」 身を乗り出して彼の瞳を見つめる。 そうすることで彼の心に近づけられるような気がしたから。 俺「別に無理は――」 武子「守ろうと思ってくれることは嬉しいの。けど、私たちのためにそこまで身を削らないで?」 俺「だけど――」 言い返す俺の唇に指を伸ばし、続く言葉を遮る。 武子「節分のときもそう。智子を守るために自分が下敷きになって頭を打った」 俺「そ、れは……」 武子「貴方の言いたいことも分かるけど、打ち所が悪かったら死んでいたかもしれないのよ?」 諭すような口調に俺が黙り込む。 告げられた言葉が正論故の沈黙。 武子が言わんとしていることを俺自身も理解はしているのだろう。それでもまだ納得がいかないといった表情に武子は身を乗り出し、彼の顔を覗きこむ。 武子「ねぇ、俺? 私たちは……信用できない? 弱く見える?」 俺「そ、そんなことない!」 寂しげな色が混ざった言葉を即座に否定する。 ツバメ返しを得意とする智子はその華麗な戦闘機動によって何機ものネウロイを撃墜した。 無双神殿流なら居合い術を用いて二機のネウロイを破壊した武子は部隊単位での戦術を模索する努力家である。 圭子は見越し射撃によって部隊内でも高スコアの撃墜数を誇っている。 雲耀なる必殺技を編み出そうと日々鍛錬を積む黒江。 扶桑の航空歩兵のなかでも優秀な部類に入る彼女らを信用できないはずがなく、ましてや弱く見えるなどありえない。 武子「だったら、そんなに焦らないで?」 唇に伸ばした指をそっと頬に添える。 家族を喪うことを心の奥底から恐れる臆病な少年の頬に。その恐れを少しでも取り払うために。 武子「貴方が私たちを守るというなら」 「私たちが貴方を守ります」 一呼吸置き、思いの丈を正直に吐露した。 武子「もっと私たちに背を預けてもいいのよ? ううん、預けて?」 私たちは仲間なのよと続け、笑みを零す。 戸惑う子どもを柔らかく抱きしめるような母性に満ちた微笑み。 俺「……ごめん。少し、急いでた」 武子「トレーニングを積むなとはいわないけど、もっと自分を労わって? 貴方になにかあったら、みんな心配するのよ?」 俺「……うん。気をつける、よ」 弱々しく頷く少年。 そんな彼の頭に手を伸ばし、そっと髪を撫で付ける。素直に謝ることが出来た子にはやはりこれが一番だろう。 武子「はい。よく言えました」 俺「ちょっ! 子供扱いするなよ! 俺のほうが、年上なのに……」 恥ずかしげに顔を赤らめ、頭を撫でる武子の手を払いのける。ほんの一瞬でも心地良いと感じてしまった自分を恨めしく思いながら。 そんな少年の心情を知ってか否か武子は笑みを深め、更に顔を近づける。 近づく端整な容貌。必然的に跳ね上がる心臓の鼓動。吐き出した息が白く染まる季節であるというのに俺はまるで夏の日差しを全身に浴びているかのような錯覚に陥った。 武子「あら? 心配かけたのは誰だったかしら?」 俺「俺です……はい」 悪戯めいたものへと変わった笑みを前に俺はそれ以上の抵抗が無意味だと悟り、項垂れる。 武子「よろしい。チョコ、ちゃんと食べてね?」 頭に残るむず痒さを感じつつ、手にした木刀を振り続ける。腕の動きに合わせて飛び散る汗。時たま吹く風が火照った身体を冷やしていく。 素振りを始めてから一体どれだけの時間が経過したのか。 ポケットにしまい込んだ腕時計を確認すれば分かるのだろうが、時間を確認する暇すら今は惜しく感じられた。 俺「ふッ!!」 腹腔に溜め込んだ氣を吐き出すと同時に一閃。 鋭利な風切り音を奏でながら木刀を振り下ろす俺が不意に顔をしかめた。脳裏に蘇るのは武子と過ごした先刻の情景。 柔らかな微笑み。温もりを帯びた手の平の感触。優しげな手つき。 その全てを心地良く感じ、挙句の果てに享受し続けたいとまで考えた己に胸中で叱咤する。 ――自惚れるんじゃない。彼女はただ自分の身を案じていただけだ。勘違いは起こすな。 煩悩を打ち払うべく木刀を大上段に構え、前方の空間に縦一閃の軌跡を刻み込む。 俺「破ッ!!」 しかし、裂帛の気合を伴って繰り出された斬撃は硬質な物体によって阻まれた。 両腕に伝わる鈍い衝撃。周囲に広がる乾いた音。 視界の真横から伸びて俺の一撃を遮るそれは、いま彼が握り締めているものと同じ訓練用の木刀だった。 顔を逸らし乱入者の姿を視界に捉えた瞬間、俺は目を丸くした。 黒江「随分と、精が……出るなッ。こんな人目につかない場所で修練とは」 顔を顰め、振り下ろされた一刀を押し返す乱入者。 音も無く間合いに近づいてきたこともさることながら、自身の一撃を片手で受け止めたことも驚愕に値した。 俺「綾香?」 黒江「……武子に聞いてな。いつもはここで修練を積んでいるそうじゃないか」 目を丸くしたままの俺を尻目に手にした木刀を肩に担いで周囲を見回す。 周辺を木々で覆われた閉鎖的な空間。基地の端に位置するこの場所は滑走路や資材倉庫、宿舎からも離れており人が立ち入る要因が見当たらない。 なるほど、たしかに。人知れず修練を繰り返すには絶好の場所だろう。 俺「あぁ。それで何か用か?」 黒江「あ、あぁ! まぁ、な。大した用事でも……ないがな…………」 問いかけを投げかけられた途端に跳ね上がる黒江の心臓。頬も心なしか赤みを帯び始めている。 事実、少女は内心狼狽していた。泳がせる視線を自身が脇に抱える袋に落とす。 武子から俺の居場所を聞き出したまでは良かったが渡すことだけを考えていたせいで如何に渡すかまったく考えていなかった。 居場所を尋ねたときはやたら上機嫌だったがどんな手を使って渡したのか。それとも深く悩んでいる自分がおかしいのだろうか。 兎に角早く渡さなければせっかく作ったチョコレートが溶けてしまう。考え込んでいる暇などないと口を開く。 黒江「うむ……その、なんだ。少し……うん、お前に渡したいものが、あってだな……」 俺「渡したいものって……その脇に抱えている袋か?」 歯切れの悪い言葉を繋げる自分に叱咤しつつ、少年の目が脇に抱える袋に注がれていることに気がつくと小さく頷いた。 彼と二人だけの時間を過ごすときに限って日頃の快活さが鳴りを潜めるのは何故なのか。 黒江「うむ! こ、これだ!! 受け取ってくれ!!」 半ば押し付けるように彼へと差し出す。 女らしさが足りないだとか、強引過ぎるだとかそういった細かい話はこの際置き捨てよう。いまは少しでも早く受け取って欲しい。 そう思い至り少女は勇気を振り絞った。 初めてストライカーを身に着け空を舞ったときよりも凄烈に、初めて怪異に刀を振るったときよりも勇壮に。 俺「いいのか?」 黒江「当たり前だ。お、おまえのために作ったのだからな!」 これ以上言わせるなと釘も刺す。 俺「ありがとう、綾香。これもチョコレートか?」 黒江「あぁ。疲れたときには甘いものを摂ると良いからな!」 俺「本当にありがとうな。嬉しいよ」 黒江「うん……」 邪気の無い笑みを零しながら包装紙を開けていく姿に、黒江は胸中が温まる感覚を覚えた。 淑やかさには欠けたが、勇気を出して渡せたことへの充足感が少女の全身を包み込んでいた。 こんなにも喜んだ表情を見せてくれるのなら、また来年も作ってみるか。今度はもっと手の込んだものを食べて欲しい。 取り出したチョコレートに齧りつく様子に口元を薄めながら、そんな考えに耽るのだった。 俺「ごちそうさん。本っ当に美味しかったよ」 黒江「そう言ってもらえると作った甲斐があったな」 俺「しっかし何も返せないのが辛いな。いま何も持ってないぞ……」 黒江「渡したチョコがお返しなんだぞ? 逆に返されても……いや、まて」 腹を擦る俺に微笑みかける最中、不意に脳裏を過ぎった言葉に沈思する。それは戦隊長である江藤が何気なく呟いた一言だった。 ――俺が北郷章香の二刀の内の一本を弾き飛ばした―― その事実が江藤の口から洩れた瞬間、黒江は己が耳を疑った。 北郷章香といえば扶桑皇国に属する航空歩兵において最強の呼び声が高い魔女だ。確かに彼は以前、江藤に命じられ講道館に派遣された。 おそらくはそのときに一戦交えたのだろうが、飛行第一戦隊内で行われる巴戦の模擬戦闘で毎回黒星の彼が如何にして軍神が繰り出す二刀を捌き、内の一刀を無力化したのか。 仮に江藤が放った言葉が真実であるならば、見てみたい。軍神に一矢報いた彼の実力を。 黒江「北郷章香」 俺「……」 軍神の名を出した途端、微かに強張る少年の身体。 黒江「手合わせしたんだろ? 隊長から聞いたぞ。二刀の一本を叩き落したとも」 俺「まぐれだよ」 返事に黒江は唇を釣り上げた。黒真珠を髣髴させる澄んだ双眸には煌びやかな光沢が湛えられている。 過程はどうであれ一刀を弾き飛ばした事実を彼は否定しなかった。それはつまり江藤が呟いた言葉が真実であるということ。 この男は本当に軍神が手にする二刀の一本を奪ったのだ。 黒江「この話を聞いたとき不思議に思った。巴戦で部隊最弱のお前がどうして北郷少佐の一刀を弾き飛ばすことができたのか」 その疑問を抱き続けた黒江はあるとき、一つの事実に思い至った。 黒江「思えば私は……いいや私たちはこうして地に足をつけた状況でお前と刃を交わしたことはなかったな」 俺「何が言いたい?」 黒江「手合わせしてくれないか? 私とも」 遥か高みの存在に指をかけた男が目の前にいる。 その事実がどうしようもなく嬉しく感じ、思わず身を乗り出してしまう。 いまの黒江を動かすもの――それは剣士としての性だった。強者との一戦により自らを更なる高みへ押し上げられることへの興奮と喜びだった。 俺「…………ルールは?」 黒江「そうだな。互いの木刀を叩き落した方の勝ち、というのは?」 俺「あぁ。それでいいよ」 推奨BGM: 手にした木刀を右肩に担ぎ黒江は精神を研ぎ澄ます。 一方で俺も左腰に木刀を添える。居合い抜きの構えにも見受けられる体勢に黒江は胸裏で感嘆の息を吐いた。 巴戦のときとはまるで違う立ち振る舞い。地に足がついているせいもあるのか、一切の隙が見出せない。無風の湖上を思わせる姿に黒江は唾を飲み込んだ。 自身の体内時計が正しければ、木刀を手に取りこうして相対してから五分近くの時間が経過している。 敵の隙を探るのも戦術の基礎だが、こうして初手を打ちあぐね続けるまま立ち尽くすのも好ましくない。何より先ほど抱いた情熱を冷ましたくはない。 風が吹き、木の葉が俺との間を横切ったのを皮切りに黒江は地を蹴った。芝生を踏みしめる音だけが周囲に響くなか、両脚に力を込めて一気に走破。 迅速に相手との距離を縮めていく。 黒江「はぁッ!!」 踏み込むと同時に上段からの斬撃を叩き込む。俺もまた抜き放った木刀を黒江が振り下ろす一撃の進路に割り込ませた。周囲に広がる木材同士が激突する音。 先刻、自身が受け止めたときとは比べ物にならないほどの衝撃を両腕に感じ、少女は頬を綻ばせた。 膨張していく喜悦を感じつつ右薙の一撃。けれども再び阻まれる。その都度、疑問を抱く。 目の前にいる少年は本当に巴戦の模擬戦において毎回のように黒星を飾る彼なのかと。 自身に踊りかかる攻撃の威力に、切り返しの速さ。おそらくは我流剣術なのだろうが、そのどれもが背筋が凍るほどの精密さを誇っていた。 鍔迫り合いに持ち込み、すぐさま魔法力を発動。 身体の構造や体格差から純粋な生身での力比べでは少年に分がある。故に魔法力を行使することで黒江はその差を埋めることを選んだ。 歯を食いしばり、全身に圧し掛かる重圧に耐え忍ぶ。両脚に力を注ぎ、膝のバネを駆使して押し返すも勢いは弱々しい。 俺の頭部には使い魔の耳は発現していなかった。つまり彼は身体能力だけで、魔法力で強化した自身に抗っていることになる。 俺「おぉぉぉぉぉっ!!」 黒江「ぐっ、ぁぁ!!」 拮抗状態は一転して瓦解した。裂帛の怒号を吐き出した俺が黒江を押し返す。純粋な生身の身体能力が魔法力を上回った瞬間だった。 集中力が途切れ、黒江の頭部から使い魔である薩摩犬の耳が消失。次いで少女の身体が後方へと吹き飛ばされる。着地と同時にすぐさま迎撃体勢を整える。 この隙を逃がすはずがないと瞳を正面に据えると同時に、彼女の黒い双眸に驚愕の念が浮かんだ。 ――俺は、どこだ? 僅かに怯んだその隙に俺は姿を消していた。 逃げた? 否。勝負の最中に背を向けて逃げるほど不誠実な人間でもないし、逃げるほど技量に差があったとは思えない。それに、逃げるにしても目を離したのはほんの一瞬である。 いくら彼が健脚の持ち主とはいえ、瞬間的に姿が完全に見えなくなるほどの疾走を行えるとは考え難い。 ――だとすれば、どこに消えた? 胸裏で零した瞬間、背筋を走る寒気。黒江は背後に振り向きざまの斬撃を浴びせた。 間髪入れずに木刀が硬質な何かに激突する。すかさず体勢を後方へと向け、迫る切っ先の存在に唇を釣り上げる。 黒江「縮地か!? いいや違うな!!」 俺「やっぱバレるか!! 結構上手くいったと思ったんだけどなァ!!」 奇策を見破られ、苦笑いを浮かべながら後方へ飛び退る。 俺が使用したのは、足の裏から放出する衝撃波を用いた“縮地もどき”。 かつて軍神と刃を交えた際は突進技にしか使用できなかった魔技を少年は短期間で対象の背後に回り込む域にまで昇華させていた。 尤もこうして黒江にも見破られてしまったが、以前と比較すれば大きな進歩といえよう。 再度魔法力を発動させる黒江。俺もまた木刀を右八双に構える。 黒江の肩から流れ落ちる強烈な一撃を受け止めた瞬間、手首の力を巧みに使い分けて受け流す。少女もまたステップを踏み、繰り出される斬撃を躱すと同時に斬りつける。 決着がつかず、二人が繰り広げる打ち合いは必然的に数十にも及んだ。 袈裟懸けに振り下ろす木刀が受け止められ、両腕に衝撃が伝わるたびに黒江は端整な頬に浮かべる笑みを深くさせる。 全力を引き出せるこの一時に、自分だけが彼の実力を知ることができた喜びに至福を抱きながら。 体力の限界を感じ、両者共に間合いを取った。頬を紅潮させ、白い息を吐き出す二人の瞳に宿る凄烈なる意思の光。 次の一撃で決着を着けると互いに告げる眼光であった。 双者同時に肉薄し、繰り出す一撃に全霊を傾注する。 激突する二刀は互いの衝撃に耐え切れず、持ち主の手から吹き飛ばされた。 俺「引き分け、か」 黒江「みたいだな……うわっ!?」 俺「おっと!」 互いの健闘を湛えようと距離をつめ、握手のために手を伸ばした矢先、足が躓く。 揺れる視界のなかに入り込んだのは先ほど俺が縮地もどきを使用した際に放った衝撃波によって僅かに抉れた地面だった。 前のめりに倒れる黒江の身体。本来ならば何ら問題無く体勢を整えられるが、俺との試合によって体力の消耗が予想を遥かに上回っていた。 家族にも等しい仲間が黙って地面に倒れ伏すのを良しとしない俺はすぐさま彼女の身体を抱き止める。 瞬間、息を呑む俺。 本当に、本当にこの少女が自身に熾烈な一撃を何度も叩き込んだのかと疑うほどに。黒江の身体は柔らかかった。 女性らしく丸みを帯びた肩。汗の匂いに紛れるシャンプーの香り。胸板に密着する彼女の頬の感触。そして、実った果実の柔らかな弾力。 とても先刻まで打ち合いを繰り広げていた相手とは思えない柔らかさに俺は息を呑み込んでしまったのだ。 黒江「お、おれ!?」 放った言葉が裏返る。顔に当たるのは逞しい胸板の感触。 いままで身体を動かしていたせいか汗が浮き出ているものの、不思議と不快感は覚えない。 それどころか、いつまでもこうして顔を摺り寄せていたい欲求すら出てきている。 布団に包まったときを遥かに凌駕する安心感。世界で最も心を落ち着かせることができる場所と豪語できるほどの安寧に、黒江は瞼を閉じて肩の力を抜いた。 ただ単に男の胸板だからなのではなく相手が気心のしれた俺だから、気になる異性だからこその感情なのだろう。 俺「た、立てるか?」 黒江「あ、あぁ……いや! そのっ……」 既に両脚には力が入る。 けれども黒江は少年が持つ温もりを手放すことはできなかった。 俺「……うん?」 黒江「もう少し……このままが、いい……」 いつかこの感情の正体が判るときがくるのだろうか。そのときが訪れたら、自分と彼の関係はどのように変わっているのだろうか。 願わくは、共に笑い合える関係でありたい。 そんなことを考えながら、体力が回復するまでのあいだ逞しい温もりに身を任せる黒江であった。 後編に続く
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――喜んでくれるかしら。 鼻腔を満たすカカオの香りを楽しみながら加藤武子は鍋の中で粘性を帯びる液状と化したチョコレートを箆で掻き混ぜる。焦げ付かないよう丁寧に、丁寧に。 掻き混ぜながら味付けも考える。 チョコを渡す相手は苦いものがあまり好きではない。武子が“彼”に珈琲を淹れるときも砂糖とミルクを苦味が薄れるまで入れてから出すようにしている。 珈琲が持つ苦味もまた味わい深いものなのだけれど甘くした珈琲を美味しそうに啜る彼の姿を見ていると、楽しみ方は人それぞれなのだろう。 苦いものが苦手な彼の好みを考えると大人向けのビターな味はやめたほうが良い。 だから甘くしよう。うん、そうした方が良い。うんと甘いの食べて欲しい。 口元を綻ばせながら物思いに浸っていると緩やかに胸の内が温まっていく錯覚を覚えた。自分だけが彼の好みを熟知し、それに合わせた味にする。 あたかも恋人じみた行動を取っていることに気がついた途端、少女の整った頬に熱が込み上げはじめた。 武子「(べ、別に私と彼はそういう関係じゃ……)」 頬を赤らめ独り、胸裏で言い訳。 改めて自分と彼の関係がどういうものなのか認識するため、手は動かしたまま彼と共有した時間を思い浮かべてみる。 寝癖をついた髪をブラシで治したり、掛け間違えたボタンを一から付け直したり。蘇る思い出の大半は自分が世話を焼いてばかりな気がするが何故だろう。不思議と悪い気はしない。 時折見せる子どもっぽさとは裏腹に夜遅くまで部隊管理の仕事に付き添ってくれたり、独り隠れて自主訓練を繰り返していたりと妙な部分で大人びている。 その格差を目の当たりにしてからというもの彼を目で追いかけている回数が心なしか増えている気がしてならない。 今もこうして彼のことを考えていると胸の奥が温まっていることもまた事実。 互いに気持ちを確かめ合ってもいないし、自分の気持ちが恋慕と言えるかも定かでない。結局のところ友人以上の関係であろう。少なくとも自身はそう考えているし、そうであって欲しいとも願っている。 ふと視線を左右に向ける。同じように軍服の上からエプロンを身につけ、慣れない作業に悪戦苦闘する友人たちの姿が視界に入り込む。 智子「うー。思うように、いかないわねっ」 彼から褒められた自慢の黒髪を後頭部で結い上げ、子どもっぽく歯軋りして箆を握る手を動かす智子。エプロンには所々飛び散ったチョコレートが付着している。 初めはあまりにも危なげな手つきに何度も変わってあげましょうかと声をかけたがその度に彼女は首を横に振った。 これくらい自分で作れるわ――と自信に満ちた笑みを口元に浮かべながら。 溶かしたチョコレートでエプロンを汚す姿から何の説得力も見出せないけれど武子はそれ以上の口出しを止めた。 頑固なのは相変わらずだが、きっと理由は今回のチョコレート作りに彼が関わっているからなのだろう。 彼。智子にとっては兄のような男。家族以上の存在。そして、初恋の相手。 武子「どう? 焦げてない?」 智子「えぇ。焦げてはいないみたい……よかった」 言葉に安堵の念を滲ませながら、嗅覚を最大限に動かして手を動かし続ける。 今日が何かの記念日というわけではなく、ただ日頃から世話になっている彼に感謝の想いを伝えたいと思い立ち、智子はチョコレート作りを提案した。 本音を言えば形として残る物を贈りたかったのだが、手製の菓子のほうが思いも伝わり易いと考え直しチョコレート作りを仲間たちに持ちかけたのだ。 市販品ならばこうしてエプロンを汚すような苦労も掛からないのだろうが、いくらなんでも味気なさ過ぎるし、女としての矜持がそれを許さなかった。 幸い厨房には菓子に用いるナッツが備蓄として保管されていたので、智子を含む四人はそれをアクセントにすることにした。 武子「焦らずゆっくりね?」 智子「わ、わかってるわ……」 どこか姉妹のそれにも聞き取れる二人の会話を耳にしつつ加東圭子は細かく砕いたナッツをまだ液状のチョコレートに散りばめる。 洋菓子作りの経験はないが、こうして実際に手を動かすと想像していたよりも難しくはなかった。 強いて注意すべき点を挙げるならばチョコレートが焦げ付かないよう細心の注意を払うことだろうか。 贈る相手の笑顔を浮かべながら、ナッツが全体に行き渡るようチョコレートを掻き混ぜる。 美味しいと言ってくれるかしら。ううん、彼のことだからきっと不味くても、そう言うに決まってる。 圭子「こんなものかしらね」 火を止め、チョコレートを流し込むための型を手にとる。中には可愛らしいハート型もあったが、いくらなんでも恥ずかしいのでやめておいた。 それに、隣で同じように型を探す黒江の目もある。ここは無難に丸型を選んでおくのが吉だろう。 けれど、もしもハートの形をしたチョコを贈られたら彼はどんな反応をするのだろうか。 驚くだろうか。それとも恥ずかしがって顔を赤くするのだろうか。顔を赤らめた彼……うん、可愛い。 圭子「ふふっ」 黒江「何をにやけている?」 圭子「にやけてなんかないわよっ!?」 武子「そう? 口元が緩んでいるように見えるけど?」 智子「顔も赤いわ。熱でもあるの?」 圭子「平気よ!? 本当に大丈夫よ!?」 言うなり、洗った型にチョコレートを流し込む。狼狽する態度とは裏腹に手の動きは落ち着いた状態を維持している。優秀な航空歩兵の片鱗が垣間見える動作。 圭子「(そんなに顔に出ていたかしら……)」 箆を使って残りのチョコレートを型に落としながら、胸裏に洩らす。 身体を寄せると顔を赤くする彼。自分の膝の上で眠りこけ、無防備な寝顔を晒す彼。うん、やっぱり可愛い。 直後、慌てて顔を上げる圭子。 黒江「どうした?」 圭子「いいえ……なんでもないわ」 どうやら今度はニヤけていないらしい。 小さく息を吐き、チョコを流し込んだ型を大型の冷蔵庫に入れる。後の作業は固まってからだ。 同じように四角の型を黒江が、長方形型を武子が、菱形のを智子がそれぞれ冷蔵庫にしまっていく。 智子「早く固まらないかしら?」 黒江「固まったあとは型から取り出すのか……難しそうだな」 丁寧に型から外さなければチョコレートに傷が入ってしまう。 自分で食べる分には多少の傷は気にならないが人に、ましてや気になる相手に贈るのであれば話は違ってくる。 圭子「とりあえず休憩にしましょう?」 武子「そうね。次の作業も気を遣うわけだし」 使い終えた器具の片づけを終え、厨房を出て行く少女たち。 しかし、彼女たちは気がつかなかった。 既に冷蔵の奥にもう一つ型が入っていたことに。既に洗われてあった器具一式の存在に。 数時間後、基地内を歩く武子の姿があった。脇に緑色の包装紙に包まれた箱を抱えて。 あれから固まったチョコレートを型から取り出した武子はすぐさま箱に移し変えて厨房を後にした。夕食後に渡せば良いのだが、隊長である江藤敏子の目もある手前、それは避けたい。 時計を確認する。長針はちょうど二を指していた。休みの日のこの時間はいつも自室でト修練を繰り返しているはず。二月であるにも関わらず柔らかな今日の日差しを考えると早く手渡さなければならない。 足早に俺の部屋へと向かい、扉の前で一度立ち止まる。扉に伸ばす手も、引き戻す。 何て言って渡せば言いのだろう? いつもありがとう? 良かったら食べて? こんなことなら珈琲も一緒に持ってくるべきだったと後悔しながら意を決して扉を叩く。 すぐさま返ってくる返事。若干息を切らしている口調から、やはり修練中だったようだ。 武子「そのっ! 私だけど……いま時間ある?」 「うん? 開いてるぞ」 武子「し、失礼します」 室内に入ると頭にタオルを乗せ、柔軟運動をこなす俺の姿が真っ先に飛び込んできた。 タンクトップの上からでも分かる引き締まった肉体は、修練の賜物か年齢とは裏腹に逞しい筋肉が身についている。 とりわけ、ラインが浮き出た鎖骨や躍動感に富んだ首筋は年相応の少女には刺激が強過ぎた。 急速に紅潮して行く武子の頬。質の悪い風邪に掛かったかのように全身が熱を発していく感覚を抱きながら、視線を向けては逸らすといった動作を繰り返す。 武子「~~~~ッ!!」 俺「悪いな。いま少し身体動かしててさ」 武子「だ、大丈夫よ。押しかけてきたのは……私のほう、だから……」 俺「そう言って貰えると助かるよ。それで今日は何の用だ? 書類作りなら喜んで手伝うけど」 ふるふると首を振る武子。 見惚れている場合ではない。チョコが溶ける前に渡さなければとぎこちない動作で脇に抱えた箱を差し出す。 心なしかその細い両腕は震えていた。 武子「ああああのっ! こ、これっ!!」 俺「……くれるのか?」 武子「書類仕事とか手伝ってもらってるし……感謝の気持ち、なんだけど」 俺「ありがとう。開けてもいいか?」 武子「えぇ。口に合えば良いんだけど……」 俺「食べ物か……なんだろう」 ベッドに座り丁寧に包装紙を開けていく俺の隣に腰掛け、その様子を見守る武子。 味付けは彼好みに仕上がった自信はある。形も……そこまで不恰好ではないはず。 俺「チョコレート?」 武子「嫌い……だった?」 俺「いいや。甘い物は好きだぞ? 本当に貰っていいのか?」 武子「もちろん」 俺「それじゃ」 箱から取り出した長方形状のチョコ板を口元に運び、一口齧る。 疲れたときには甘いものがいいとは良く言ったものだ。 ナッツが混ぜ込められたチョコが口の中で溶け、チョコが持つ甘さが全身に染み渡っていく感覚に思わず笑みを零す。 それまで身体に重く圧し掛かっていた倦怠感が嘘のように霧散していく。これならまだ修練を続けられそうだ。 武子「美味しい?」 俺「……うん。んぐ……美味いよ。本当にありがとう」 武子「そう……ふふっ」 子どもみたいな笑みを零しながら夢中でチョコレートに齧りつく少年の姿に頬を綻ばせる。 どうやら不安は杞憂に終わったようだ。ただ心残りがあるとすれば、やはり珈琲を淹れてこなかったことだろうか。 どうせなら自分が淹れたコーヒーも手製のチョコレートと一緒に味わって欲しかった。 けれども、こうして彼の喜ぶ姿が見ることが出来ただけでも良しとしよう。 俺「これ、武子が作ったのか?」 武子「えぇ。初めてだったから……ちょっと自信が無かったんだけど」 俺「そんなことないぞ?」 武子「そ、そう?」 矢継ぎ早に奏でられるパキパキと小気味の良い音に自然と唇が吊りあがる。 よく男はあまり甘い物を食べないと云う言葉を耳にするが彼は例外らしい。 本当に甘い物が好きなのか両手に納まるほどのチョコレートはあっという間に片手と同じサイズまで小さくなっていた。 俺「あぁ。これならまた修練が続けられそうだ。エネルギーも補充できたし」 修練――その言葉が俺の口から出た途端、武子の柳眉が微かに反応した。 武子「最近は……よく鍛えているわね」 以前から彼が隠れて特訓を重ねている光景を何度か目にしたことがある。 ただでさえ猛訓練が連日行われているにも関わらず何度も素振りや筋トレ、衝撃波の制御を繰り返している姿は関心の域を通り越していた。 日の始まりと同時に燃料が尽きるまで飛び回る訓練と並行しての自主修練。 傍から見れば自分を痛めつけているようにしか見えない苦行だが、彼はこうして何食わぬ顔でいま自分が贈ったチョコレートを租借しているのだ。 初めは痩せ我慢かと思ったが、そんなものが長続きするほど自分たち第一戦隊の訓練は甘くはない。 俺「まぁ、な。俺はお前たちのこと守りたいと思ってるけど……口だけならいくらでも言えるだろ?」 武子「……えぇ」 俺「口先だけにはなりたくない。だから修練を繰り返してるんだよ。守りたいなんて言った手前、いざって時に動けないんじゃみっともないしな」 回復している。 たった一晩寝るだけで披露の殆どを身体から除去しているのだ。 無論、寝ぼけたまま現れたこともあれば梅雨に一度風邪をこじらせたこともあったが修練が原因で大事に至ったことなど一度も無い。 それでも、 俺「……武子?」 武子「……あまり無理しないで」 身を乗り出して彼の瞳を見つめる。 そうすることで彼の心に近づけられるような気がしたから。 俺「別に無理は――」 武子「守ろうと思ってくれることは嬉しいの。けど、私たちのためにそこまで身を削らないで?」 俺「だけど――」 言い返す俺の唇に指を伸ばし、続く言葉を遮る。 武子「節分のときもそう。智子を守るために自分が下敷きになって頭を打った」 俺「そ、れは……」 武子「貴方の言いたいことも分かるけど、打ち所が悪かったら死んでいたかもしれないのよ?」 諭すような口調に俺が黙り込む。 告げられた言葉が正論故の沈黙。 武子が言わんとしていることを俺自身も理解はしているのだろう。それでもまだ納得がいかないといった表情に武子は身を乗り出し、彼の顔を覗きこむ。 武子「ねぇ、俺? 私たちは……信用できない? 弱く見える?」 俺「そ、そんなことない!」 寂しげな色が混ざった言葉を即座に否定する。 ツバメ返しを得意とする智子はその華麗な戦闘機動によって何機ものネウロイを撃墜した。 無双神殿流なら居合い術を用いて二機のネウロイを破壊した武子は部隊単位での戦術を模索する努力家である。 圭子は見越し射撃によって部隊内でも高スコアの撃墜数を誇っている。 雲耀なる必殺技を編み出そうと日々鍛錬を積む黒江。 扶桑の航空歩兵のなかでも優秀な部類に入る彼女らを信用できないはずがなく、ましてや弱く見えるなどありえない。 武子「だったら、そんなに焦らないで?」 唇に伸ばした指をそっと頬に添える。 家族を喪うことを心の奥底から恐れる臆病な少年の頬に。その恐れを少しでも取り払うために。 武子「貴方が私たちを守るというなら」 「私たちが貴方を守ります」 一呼吸置き、思いの丈を正直に吐露した。 武子「もっと私たちに背を預けてもいいのよ? ううん、預けて?」 私たちは仲間なのよと続け、笑みを零す。 戸惑う子どもを柔らかく抱きしめるような母性に満ちた微笑み。 俺「……ごめん。少し、急いでた」 武子「トレーニングを積むなとはいわないけど、もっと自分を労わって? 貴方になにかあったら、みんな心配するのよ?」 俺「……うん。気をつける、よ」 弱々しく頷く少年。 そんな彼の頭に手を伸ばし、そっと髪を撫で付ける。素直に謝ることが出来た子にはやはりこれが一番だろう。 武子「はい。よく言えました」 俺「ちょっ! 子供扱いするなよ! 俺のほうが、年上なのに……」 恥ずかしげに顔を赤らめ、頭を撫でる武子の手を払いのける。ほんの一瞬でも心地良いと感じてしまった自分を恨めしく思いながら。 そんな少年の心情を知ってか否か武子は笑みを深め、更に顔を近づける。 近づく端整な容貌。必然的に跳ね上がる心臓の鼓動。吐き出した息が白く染まる季節であるというのに俺はまるで夏の日差しを全身に浴びているかのような錯覚に陥った。 武子「あら? 心配かけたのは誰だったかしら?」 俺「俺です……はい」 悪戯めいたものへと変わった笑みを前に俺はそれ以上の抵抗が無意味だと悟り、項垂れる。 武子「よろしい。チョコ、ちゃんと食べてね?」 頭に残るむず痒さを感じつつ、手にした木刀を振り続ける。腕の動きに合わせて飛び散る汗。時たま吹く風が火照った身体を冷やしていく。 素振りを始めてから一体どれだけの時間が経過したのか。 ポケットにしまい込んだ腕時計を確認すれば分かるのだろうが、時間を確認する暇すら今は惜しく感じられた。 俺「ふッ!!」 腹腔に溜め込んだ氣を吐き出すと同時に一閃。 鋭利な風切り音を奏でながら木刀を振り下ろす俺が不意に顔をしかめた。脳裏に蘇るのは武子と過ごした先刻の情景。 柔らかな微笑み。温もりを帯びた手の平の感触。優しげな手つき。 その全てを心地良く感じ、挙句の果てに享受し続けたいとまで考えた己に胸中で叱咤する。 ――自惚れるんじゃない。彼女はただ自分の身を案じていただけだ。勘違いは起こすな。 煩悩を打ち払うべく木刀を大上段に構え、前方の空間に縦一閃の軌跡を刻み込む。 俺「破ッ!!」 しかし、裂帛の気合を伴って繰り出された斬撃は硬質な物体によって阻まれた。 両腕に伝わる鈍い衝撃。周囲に広がる乾いた音。 視界の真横から伸びて俺の一撃を遮るそれは、いま彼が握り締めているものと同じ訓練用の木刀だった。 顔を逸らし乱入者の姿を視界に捉えた瞬間、俺は目を丸くした。 黒江「随分と、精が……出るなッ。こんな人目につかない場所で修練とは」 顔を顰め、振り下ろされた一刀を押し返す乱入者。 音も無く間合いに近づいてきたこともさることながら、自身の一撃を片手で受け止めたことも驚愕に値した。 俺「綾香?」 黒江「……武子に聞いてな。いつもはここで修練を積んでいるそうじゃないか」 目を丸くしたままの俺を尻目に手にした木刀を肩に担いで周囲を見回す。 周辺を木々で覆われた閉鎖的な空間。基地の端に位置するこの場所は滑走路や資材倉庫、宿舎からも離れており人が立ち入る要因が見当たらない。 なるほど、たしかに。人知れず修練を繰り返すには絶好の場所だろう。 俺「あぁ。それで何か用か?」 黒江「あ、あぁ! まぁ、な。大した用事でも……ないがな…………」 問いかけを投げかけられた途端に跳ね上がる黒江の心臓。頬も心なしか赤みを帯び始めている。 事実、少女は内心狼狽していた。泳がせる視線を自身が脇に抱える袋に落とす。 武子から俺の居場所を聞き出したまでは良かったが渡すことだけを考えていたせいで如何に渡すかまったく考えていなかった。 居場所を尋ねたときはやたら上機嫌だったがどんな手を使って渡したのか。それとも深く悩んでいる自分がおかしいのだろうか。 兎に角早く渡さなければせっかく作ったチョコレートが溶けてしまう。考え込んでいる暇などないと口を開く。 黒江「うむ……その、なんだ。少し……うん、お前に渡したいものが、あってだな……」 俺「渡したいものって……その脇に抱えている袋か?」 歯切れの悪い言葉を繋げる自分に叱咤しつつ、少年の目が脇に抱える袋に注がれていることに気がつくと小さく頷いた。 彼と二人だけの時間を過ごすときに限って日頃の快活さが鳴りを潜めるのは何故なのか。 黒江「うむ! こ、これだ!! 受け取ってくれ!!」 半ば押し付けるように彼へと差し出す。 女らしさが足りないだとか、強引過ぎるだとかそういった細かい話はこの際置き捨てよう。いまは少しでも早く受け取って欲しい。 そう思い至り少女は勇気を振り絞った。 初めてストライカーを身に着け空を舞ったときよりも凄烈に、初めて怪異に刀を振るったときよりも勇壮に。 俺「いいのか?」 黒江「当たり前だ。お、おまえのために作ったのだからな!」 これ以上言わせるなと釘も刺す。 俺「ありがとう、綾香。これもチョコレートか?」 黒江「あぁ。疲れたときには甘いものを摂ると良いからな!」 俺「本当にありがとうな。嬉しいよ」 黒江「うん……」 邪気の無い笑みを零しながら包装紙を開けていく姿に、黒江は胸中が温まる感覚を覚えた。 淑やかさには欠けたが、勇気を出して渡せたことへの充足感が少女の全身を包み込んでいた。 こんなにも喜んだ表情を見せてくれるのなら、また来年も作ってみるか。今度はもっと手の込んだものを食べて欲しい。 取り出したチョコレートに齧りつく様子に口元を薄めながら、そんな考えに耽るのだった。 俺「ごちそうさん。本っ当に美味しかったよ」 黒江「そう言ってもらえると作った甲斐があったな」 俺「しっかし何も返せないのが辛いな。いま何も持ってないぞ……」 黒江「渡したチョコがお返しなんだぞ? 逆に返されても……いや、まて」 腹を擦る俺に微笑みかける最中、不意に脳裏を過ぎった言葉に沈思する。それは戦隊長である江藤が何気なく呟いた一言だった。 ――俺が北郷章香の二刀の内の一本を弾き飛ばした―― その事実が江藤の口から洩れた瞬間、黒江は己が耳を疑った。 北郷章香といえば扶桑皇国に属する航空歩兵において最強の呼び声が高い魔女だ。確かに彼は以前、江藤に命じられ講道館に派遣された。 おそらくはそのときに一戦交えたのだろうが、飛行第一戦隊内で行われる巴戦の模擬戦闘で毎回黒星の彼が如何にして軍神が繰り出す二刀を捌き、内の一刀を無力化したのか。 仮に江藤が放った言葉が真実であるならば、見てみたい。軍神に一矢報いた彼の実力を。 黒江「北郷章香」 俺「……」 軍神の名を出した途端、微かに強張る少年の身体。 黒江「手合わせしたんだろ? 隊長から聞いたぞ。二刀の一本を叩き落したとも」 俺「まぐれだよ」 返事に黒江は唇を釣り上げた。黒真珠を髣髴させる澄んだ双眸には煌びやかな光沢が湛えられている。 過程はどうであれ一刀を弾き飛ばした事実を彼は否定しなかった。それはつまり江藤が呟いた言葉が真実であるということ。 この男は本当に軍神が手にする二刀の一本を奪ったのだ。 黒江「この話を聞いたとき不思議に思った。巴戦で部隊最弱のお前がどうして北郷少佐の一刀を弾き飛ばすことができたのか」 その疑問を抱き続けた黒江はあるとき、一つの事実に思い至った。 黒江「思えば私は……いいや私たちはこうして地に足をつけた状況でお前と刃を交わしたことはなかったな」 俺「何が言いたい?」 黒江「手合わせしてくれないか? 私とも」 遥か高みの存在に指をかけた男が目の前にいる。 その事実がどうしようもなく嬉しく感じ、思わず身を乗り出してしまう。 いまの黒江を動かすもの――それは剣士としての性だった。強者との一戦により自らを更なる高みへ押し上げられることへの興奮と喜びだった。 俺「…………ルールは?」 黒江「そうだな。互いの木刀を叩き落した方の勝ち、というのは?」 俺「あぁ。それでいいよ」 推奨BGM: 手にした木刀を右肩に担ぎ黒江は精神を研ぎ澄ます。 一方で俺も左腰に木刀を添える。居合い抜きの構えにも見受けられる体勢に黒江は胸裏で感嘆の息を吐いた。 巴戦のときとはまるで違う立ち振る舞い。地に足がついているせいもあるのか、一切の隙が見出せない。無風の湖上を思わせる姿に黒江は唾を飲み込んだ。 自身の体内時計が正しければ、木刀を手に取りこうして相対してから五分近くの時間が経過している。 敵の隙を探るのも戦術の基礎だが、こうして初手を打ちあぐね続けるまま立ち尽くすのも好ましくない。何より先ほど抱いた情熱を冷ましたくはない。 風が吹き、木の葉が俺との間を横切ったのを皮切りに黒江は地を蹴った。芝生を踏みしめる音だけが周囲に響くなか、両脚に力を込めて一気に走破。 迅速に相手との距離を縮めていく。 黒江「はぁッ!!」 踏み込むと同時に上段からの斬撃を叩き込む。俺もまた抜き放った木刀を黒江が振り下ろす一撃の進路に割り込ませた。周囲に広がる木材同士が激突する音。 先刻、自身が受け止めたときとは比べ物にならないほどの衝撃を両腕に感じ、少女は頬を綻ばせた。 膨張していく喜悦を感じつつ右薙の一撃。けれども再び阻まれる。その都度、疑問を抱く。 目の前にいる少年は本当に巴戦の模擬戦において毎回のように黒星を飾る彼なのかと。 自身に踊りかかる攻撃の威力に、切り返しの速さ。おそらくは我流剣術なのだろうが、そのどれもが背筋が凍るほどの精密さを誇っていた。 鍔迫り合いに持ち込み、すぐさま魔法力を発動。 身体の構造や体格差から純粋な生身での力比べでは少年に分がある。故に魔法力を行使することで黒江はその差を埋めることを選んだ。 歯を食いしばり、全身に圧し掛かる重圧に耐え忍ぶ。両脚に力を注ぎ、膝のバネを駆使して押し返すも勢いは弱々しい。 俺の頭部には使い魔の耳は発現していなかった。つまり彼は身体能力だけで、魔法力で強化した自身に抗っていることになる。 俺「おぉぉぉぉぉっ!!」 黒江「ぐっ、ぁぁ!!」 拮抗状態は一転して瓦解した。裂帛の怒号を吐き出した俺が黒江を押し返す。純粋な生身の身体能力が魔法力を上回った瞬間だった。 集中力が途切れ、黒江の頭部から使い魔である薩摩犬の耳が消失。次いで少女の身体が後方へと吹き飛ばされる。着地と同時にすぐさま迎撃体勢を整える。 この隙を逃がすはずがないと瞳を正面に据えると同時に、彼女の黒い双眸に驚愕の念が浮かんだ。 ――俺は、どこだ? 僅かに怯んだその隙に俺は姿を消していた。 逃げた? 否。勝負の最中に背を向けて逃げるほど不誠実な人間でもないし、逃げるほど技量に差があったとは思えない。それに、逃げるにしても目を離したのはほんの一瞬である。 いくら彼が健脚の持ち主とはいえ、瞬間的に姿が完全に見えなくなるほどの疾走を行えるとは考え難い。 ――だとすれば、どこに消えた? 胸裏で零した瞬間、背筋を走る寒気。黒江は背後に振り向きざまの斬撃を浴びせた。 間髪入れずに木刀が硬質な何かに激突する。すかさず体勢を後方へと向け、迫る切っ先の存在に唇を釣り上げる。 黒江「縮地か!? いいや違うな!!」 俺「やっぱバレるか!! 結構上手くいったと思ったんだけどなァ!!」 奇策を見破られ、苦笑いを浮かべながら後方へ飛び退る。 俺が使用したのは、足の裏から放出する衝撃波を用いた“縮地もどき”。 かつて軍神と刃を交えた際は突進技にしか使用できなかった魔技を少年は短期間で対象の背後に回り込む域にまで昇華させていた。 尤もこうして黒江にも見破られてしまったが、以前と比較すれば大きな進歩といえよう。 再度魔法力を発動させる黒江。俺もまた木刀を右八双に構える。 黒江の肩から流れ落ちる強烈な一撃を受け止めた瞬間、手首の力を巧みに使い分けて受け流す。少女もまたステップを踏み、繰り出される斬撃を躱すと同時に斬りつける。 決着がつかず、二人が繰り広げる打ち合いは必然的に数十にも及んだ。 袈裟懸けに振り下ろす木刀が受け止められ、両腕に衝撃が伝わるたびに黒江は端整な頬に浮かべる笑みを深くさせる。 全力を引き出せるこの一時に、自分だけが彼の実力を知ることができた喜びに至福を抱きながら。 体力の限界を感じ、両者共に間合いを取った。頬を紅潮させ、白い息を吐き出す二人の瞳に宿る凄烈なる意思の光。 次の一撃で決着を着けると互いに告げる眼光であった。 双者同時に肉薄し、繰り出す一撃に全霊を傾注する。 激突する二刀は互いの衝撃に耐え切れず、持ち主の手から吹き飛ばされた。 俺「引き分け、か」 黒江「みたいだな……うわっ!?」 俺「おっと!」 互いの健闘を湛えようと距離をつめ、握手のために手を伸ばした矢先、足が躓く。 揺れる視界のなかに入り込んだのは先ほど俺が縮地もどきを使用した際に放った衝撃波によって僅かに抉れた地面だった。 前のめりに倒れる黒江の身体。本来ならば何ら問題無く体勢を整えられるが、俺との試合によって体力の消耗が予想を遥かに上回っていた。 家族にも等しい仲間が黙って地面に倒れ伏すのを良しとしない俺はすぐさま彼女の身体を抱き止める。 瞬間、息を呑む俺。 本当に、本当にこの少女が自身に熾烈な一撃を何度も叩き込んだのかと疑うほどに。黒江の身体は柔らかかった。 女性らしく丸みを帯びた肩。汗の匂いに紛れるシャンプーの香り。胸板に密着する彼女の頬の感触。そして、実った果実の柔らかな弾力。 とても先刻まで打ち合いを繰り広げていた相手とは思えない柔らかさに俺は息を呑み込んでしまったのだ。 黒江「お、おれ!?」 放った言葉が裏返る。顔に当たるのは逞しい胸板の感触。 いままで身体を動かしていたせいか汗が浮き出ているものの、不思議と不快感は覚えない。 それどころか、いつまでもこうして顔を摺り寄せていたい欲求すら出てきている。 布団に包まったときを遥かに凌駕する安心感。世界で最も心を落ち着かせることができる場所と豪語できるほどの安寧に、黒江は瞼を閉じて肩の力を抜いた。 ただ単に男の胸板だからなのではなく相手が気心のしれた俺だから、気になる異性だからこその感情なのだろう。 俺「た、立てるか?」 黒江「あ、あぁ……いや! そのっ……」 既に両脚には力が入る。 けれども黒江は少年が持つ温もりを手放すことはできなかった。 俺「……うん?」 黒江「もう少し……このままが、いい……」 いつかこの感情の正体が判るときがくるのだろうか。そのときが訪れたら、自分と彼の関係はどのように変わっているのだろうか。 願わくは、共に笑い合える関係でありたい。 そんなことを考えながら、体力が回復するまでのあいだ逞しい温もりに身を任せる黒江であった。 後編に続く
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人類側の勝利によって幕を降ろした都市奪還戦。 大規模反攻作戦が成功したことで全域に展開されていた部隊の大半が祝勝の空気に包まれるなか、第502統合戦闘航空団に所属するウィッチだけは沈痛な面持ちを隠せずにいた。 痛んだ長椅子に腰を降ろし、支給された食事を取る顔ぶれの中に俺の姿だけが見当たらない。 それこそが彼女らの端正な容貌に暗い影を落とす最たる要因であると、一体誰が思い至るだろうか。 単身でジグラットの内部に侵入し、コアの破壊に成功したものの同時に深手を負い、脱出が間に合わず、俺は崩壊に巻き込まれた。 奪還作戦終了から既に五時間以上もの時が経過しているにも拘わらず、未だ瓦礫の山から発見されていないどころか、彼自身からの生存報告も届いていない。 ブレイブウィッチーズ発足から今日に至るまで隊員の負傷にストライカーの破損は度々起きたが、撃墜されて命を落とした者は誰一人としておらず、それだけに俺の未帰還は彼女らの輝かしい戦歴に苦渋を舐めさせるに充分過ぎる衝撃を与えた。 ジョゼ「こんなのって……こんなのって、ないですっ」 長椅子に座り、両手に持ったマグカップを見下ろしながら弱々しく胸の内を明かす。 香ばしい匂いを放つ紅い液体の表面に映し出されているのは、今にも泣き出してしまいそうな自身の表情。 既に中身は冷め切り、立ち昇っていた白い湯気も何処かへと消えていた。 紅茶に含まれるカフェインには精神を安定させる効果があるといわれるが、今回ばかりは味も香りも楽しむ気にはなれない。 出会いこそ衝撃的であったものの、すぐに俺と打ち解けたジョゼは清掃員である彼と一緒に基地内の清掃を何度か共にしたことがある。 時折熱心に掃除を行っている最中に話しかけられ、つい厳しい口調で当たってしまったが、それでも彼は何ら態度を変えず受け入れてくれた。 定子「ジョゼさん……」 俯き、静かに涙を零すジョゼを前に定子は自分のカップを脇に置くと小刻みに震える彼女の背中に手を回して抱き寄せる。 ジョゼ「……!?」 突如として自分を包み込んだ安堵感に強張る華奢な体躯。 その硬直も一瞬で姿を消し、すぐさま全身を包み込む安堵感に行き場のない感情を爆発させる。 ジョゼ「下原、さんっ……俺さんは……俺さんはっ!」 床の上に放り投げられ、音を立てる無骨なデザインの金属製マグカップ。 古び、力を込めれば軋み声を上げる床板へと吸い込まれていく黒い液体など見向きもせず堰を切ったかのように泣き声を上げてしがみつく。 定子「ジョゼさん、大丈夫です。俺さんなら……きっと戻って来ます。だから、泣かないで……」 胸に突き刺さる悲しみから逃避するかのように、自分の胸元に顔を埋めて泣きじゃくる少女の華奢な体躯を包み込むように、温めるように手を回す。 同じ扶桑の出身だけあってか俺とは管野を交えた三人でよく故郷談義に花を咲かせた。 話の中身はというと扶桑文学についての話であったり、メンコやおはじきといった娯楽であったりといたってありふれたもの。それでも、決して退屈な時間ではなかった。 定子「(俺さん……)」 小刻みに震えるジョゼを宥めながら、天井に空いた風穴から見える星空を仰ぐ。 本当に彼は死んでしまったのだろうか。もしかしたら運よく脱出できたのでは。 しかし、希望はすぐさま現実によって掻き消される。 どれほど優れたウィッチであろうとも、降り注ぐ瓦礫に押し潰されて生き延びられるはずがない。 ましてや俺は魔力減衰を迎え障壁を展開する力を失っている。そのことを考慮すると彼の生存は絶望的といってもいい。 誰も口に出していないだけで、みんな彼のこと……―― 後に続く言葉を胸の内に零す前に、慌てて頭を振って負の想像を掻き消した。 自分たちが信じないで一体誰が彼の生存を信じるというのか。 ウィッチに不可能は無い。故に希望を捨てるなと恩師からも教わったではないか。 定子「ジョゼさん。俺さんはきっと戻ってきます。私たちが信じてあげないと」 ジョゼ「で、でも……」 定子「俺さんのこと……信じましょう? あの人はそう簡単に斃れるような人じゃありません。それはジョゼさんも知っていますよね?」 促されるような問いかけに弱々しく、小さく頷くジョゼ。 墜落したニパを追って深い森の中に身を投じたときも、負傷こそしたものの彼は生還を果たした。 今回の作戦においてもストライカー無しで堅牢な装甲を有する陸戦型ネウロイと単機で渡りあっていた。 そんな男が簡単に死ぬはずが無い。きっと上手い策を駆使して生き延びたに違いない。 友人の澄んだ黒の双眸が無言でそう物語っているのを捉え、 ジョゼ「俺さんは……帰ってきますか?」 定子「もちろんです」 瞼を閉じた彼女の笑みにつられて口許を綻ばせた。 涙に濡れた瞼を擦りながら、自分は一体何をしていたのだろうと自問する。 最後の最後まで諦めるわけにはいかない。 そう自身に言い聞かせたジョゼが涙を拭い終える頃には、瞳に漂っていた悲嘆の色は姿を消していた。 ジョゼの青い瞳に宿りつつある確かな希望を捉えた定子は彼女の頭を撫でながら、どこかで生き延びているであろう俺の無事を祈り始めた。 支給された食事に手をつけず、ニパは教会の壁に空いた風穴から聞こえる凱歌を上の空で聞き流していた。 あれだけの大規模作戦が成功したのだ。本来ならば勝利の美酒に酔いしれるのが妥当だろうし、ニパも作戦が終わるその瞬間まではそう思っていた。 未だ受け入れることが出来ない俺の未帰還。 しかし、いくらその事実を拒んでも軍人としての理性がそれを受け入れてしまっているのだ。 自分でも驚くほどあっさりと俺の死を認めてしまっていることに気がつき、一層悲しみが込み上げてきてしまう。 ニパ「っ……ひっく……」 とうとう耐え切れなくなって嗚咽が漏れ出し始めた。 いくら指で拭っても込み上げて来る涙は止まる気配を見せてくれない。 こんなにも悲しい思いを味わったのはいつ以来だろうか。自問するも、断続的に発せられる嗚咽が呼吸を乱して冷静な思考を妨げる。 ニパ「おれぇ……」 目尻から零れ落ちた雫が頬を伝い、ズボンの上に落ちては染みを生んだ。 森の中へと落ちた自分を彼は追いかけてきてくれた。箒を使って共に掃除をしながら談笑を楽しみ、うっかりサーシャの逆鱗に触れてしまい一緒に正座をしながら互いに笑い合ったことも。 ほんの数日までは当たり前のように日常を過ごしていたというのに、一体どうしてこんなことになってしまったのだろう。 たしかに今回の作戦は今までと比べて規模も桁違いだが、死ぬつもりなど毛頭なかった。 多少、ストライカーの破損は覚悟していたが、普段と変わらず全員で帰還するはずだったのだ。 それなのに…… ニパ「どうして、どうしてこんなことになったんだよぉ……!!」 悲痛な叫びは外野の歓声によって掻き消された。 ブレイブウィッチーズ結成以来、初めて味わう仲間の戦死。 ましてや戦死した人間が共に危機を乗り越えた男であるだけに彼女が抱いたショックも一際大きいものと化していた。 ニパ「くそっ……くそぉ……なんで、なんでなんだよぉ……!!」 管野「おい。いい加減に泣くのやめて飯食えよ。冷めちまうだろ」 背凭れを挟んだ背後から飛んできたのは業を煮やしたかのような声音。 不機嫌さを隠す気が微塵も感じ取れない不遜な声色が耳朶を掠めた途端、ニパの形の良い柳眉が吊り上る。 ニパ「こんなときに……食べられるわけないだろっ」 管野「それでも食え。もう第二波がここを奪い返す為に動き始めたんだ。スープだけでも良いからさっさと食っちまえよ」 ニパ「食べられるわけない……俺が、死んだのに……」 管野「………………おい、ニパ。お前本気で……そう思ってんのか?」 ニパ「それは……」 口ごもるニパを他所に背凭れを挟んだ背後から長椅子の板が軋む音が上がり、鼓膜を震わせる乱暴な足音が目の前で止まった。 管野「あの俺が! 死んだなんて本気で思ってんのかよッッ!!!」 頭上から降り注ぐ空気を震わせる一喝に身体を強張らせたニパが顔を上げた瞬間、息を呑んだ。 幼さが残る容貌に象嵌された双眸に溢れかえる透明な大粒の雫。 それは彼女が決して他人に見せない己の弱み。 ニパ「カン、ノ……?」 管野「死んだ? んなわきゃねぇだろうがッッ!!」 怒号炸裂。咆哮と呼んでも差し支えない大音響が周囲の空間に迸った。 自分の身に他の隊員たちの視線が集中することなど気にもかけず、研ぎ澄まされた刃を連想させる鋭い眼差しをニパに叩きつける。 死んだだと? 馬鹿を言うな。そう簡単にくたばるほどあの男は軟じゃない。 魔眼を持たないにも拘わらず敵のコアを一撃でぶち抜き、ストライカーの恩恵も無い状態で陸戦型と互角に戦い抜いてみせた男なのだ。あの程度で散ったなど到底考えられるわけがない。 管野「あいつは死んでなんかいねぇ! きっと上手いこと逃げ伸びてるに決まってらぁ!!」 瞳から零れ落ちた涙が照明を受け、凛とした輝きを発しながら床へと落ちていく。 魔眼無しのコア破壊といい、あの手の芸当を年の功と呼ぶのだろう。 悔しいが自分はまだ俺ほどの境地に至ってはいない。だが、それは現時点での話。 そう遠くない未来に、それこそ明日にでも奴の鼻を明かしてみせる。 だからこそ勝ち逃げなど許さない。自分よりも、それこそたかが一段程度の高みに達したまま消えたなどというふざけた事実を絶対に認めてなるものか。 ニパ「カンノ……」 管野「わかったら食え! じゃないとオレが食っちまうぞ!!」 終始、管野の気迫に圧倒されていたニパは自分でも知らぬ内に胸のつかえが取れていたことに遅れて気がつく。 ――まさかこいつに諭されるなんてな。 両手を腰にあて踏ん反り返る管野の姿に小さく笑みを零したあと、少女の両腕が伸びる前に自分のトレーを抱え持った。 ニパ「駄目だ! これは私のだからな!!」 雲によって月明かりを遮られた空間に差し込む幾条もの淡い光明。 レンガ造りの壁の内側から漏れ出す橙色のそれらに背を照らされ、寒空の下に立ち尽くす人影が一つ。 丸みを帯びた肢体や夜風に弄ばれる髪を片手で抑え付ける柔らかな仕草から女性と思しきその影は声を発することもなく、与えられた指令を遂行する機械の如く呼吸を繰り返す。 目を凝らさなければ視認が不可能なほど微かに上下する肩が辛うじて女性の形をした影が人間であることを証明していた。 同時に、肩の変化を見抜くことが出来ない遠目では影が本当に人間か否か判別できないことも意味している。 不意にそれまで微動だにせぬまま夜風に包まれていた影が動いた。教会の壁を穿つ砲痕から伸びる光を浴びて顕になる端整な美貌。 暗闇のなか、温かな光に背を向けて立ち尽くしていたのはカーキ色のカールスラント軍服で恵まれた部類に入る肢体を包む少女だった。 ラル「さすがに冷えるな」 少女が洩らした言葉がすぐさま夜風に攫われていく。 現在時刻はもうまもなく日付が切り替わる頃合。夜が更ける手前だ。 夕食を終え、消沈する隊員たちに外の空気を吸うと告げて教会の外に出てから一体どれだけの時が経過したのだろうか。 少なくとも二時間は優に超えているに違いない。 であるにも拘わらず教会に残る七人の隊員たちの誰一人として姿を見せない。おそらくは彼女らなりに自分のことを気遣っているのだろう。 そう見当をつけていると……ふと、脳裏に浮かんだある情景が少女の頬に歪みを生み落とした。 凍えた夜気が充溢する外界に繋がるドアノブに手をかけたとき、隊員たちの端整な要望にほんの一瞬だけ浮かんだ、言葉では形容できない感情。 瞳に漂う憐れみとも戸惑いとも解釈可能な複雑な色彩。 歯がゆさを隠し切れず、自分に向かって伸ばした手を引き戻す彼女らの姿がラルの唇から苦味を含んだ笑い声を零れ落としていた。 隊長として常に隊員たちに気を配り、安心させる笑みを浮かべていた自分が逆に気を使われてしまったのだ。 あまりの不甲斐なさに笑わずにはいられなかった。 ラル「私もまだ小娘だな……」 厳しい冬の寒さに晒されているだけあってか乳白色の頬にはうっすらと桃色が浮かび上がっているものの気にも留めずに、少女は憂いを帯びた瞳を天に向け続ける。 吐息を白に染める寒さも相まってか、視線の先に広がる暗夜は今にも雪が降り出しそうな気配を滲ませていた。 冷気が容赦なく全身を突き刺す。 やはり上着を引っ掛けてくるべきだったかと後悔するラルを他所に冷え込みは厳しさを増していく。 ラル「……ぁ」 寒さに耐え切れず、暖を取ろうと背後に佇む教会へと身を翻したときである。ラルの足が唐突に止まったのは。 呆けたかのような光を湛え、眼前に聳え立つ教会を見上げる青い瞳。 暗闇のなかに佇む外壁には手の平ほどの孔が穿たれ、蜘蛛の巣状の亀裂まで走っている。 本拠地であるペテルブルグ基地のそれと比較すれば余りにも粗末な臨時宿舎。 しかし、彼女の口から間の抜けた言葉を洩らさせたのは破損によるものでなく、そこが数多くの恋人たちにとって幸福の象徴とも言うべき場所であるからだろう。 ラル「……俺」 吹きすさぶ風が教会の孔を通り、笛の音色にも似た音を奏でたとき――胸中にとある考えが過ぎる。 もしも俺が生きていたら、無事にネウロイとの戦争が終結したら。 自分は彼と一緒にこんな立派な教会で結婚式を挙げることが、 仲間や友人たちからの祝福を受けながら、新たな人生への門出を迎えることが出来たのだろうか。 絶え間なく鳴り響く鐘の音。 次々と投げかけられる祝福の言葉に舞い踊る花吹雪。 純白のドレスに身を包み、世界中の誰よりも愛しい男に見守られながら、邪気のない笑みを零してブーケトスを行う自分の姿。 ――あぁ、いいなぁ。これ。 見知った仲間たちの前で唇を重ねる姿を曝け出すのは相応の覚悟が要るが、悪くないと自分でも知らぬ内に口周りを緩めていく。 彼との未来に胸を膨らませる今この一瞬だけは、彼女はどこにでもいる少女に戻っていた。 しかし年頃の女なら誰もが一度は夢見る、そんなごく当たり前の夢想も次の瞬間には現実によって引き裂かれていた。 ラル「なにを考えているんだ……私は」 我に返り、それまで自分がどれだけ空しい妄想に浸っていたのかに気がつき、思わず自嘲。 失くした未来に思いを馳せるなど無いものねだりをする稚児と同じではないか。 いくら空想の世界に逃げ込んで自分を慰めたところで状況が変わるわけではない。 もう、何もかも遅いのだと戒める。たとえその行為が自身の胸裏に亀裂を生むとしても。 ラル「……」 自分は失ってしまったのだ。 彼自身を、彼に想いを告げる機会も、共に過ごせたはずの幸福な未来も全て。 それも手にする前から…… ラル「……っっ!!」 自身の胸裏に未練を生み落とす教会から弾かれたように目を背ける。 いつまでもこの場に居座るわけにはいかない。 早く戻り、隊長としての責務を果たさなければ。沈む彼女らに、また普段と変わらぬ笑みを見せて安心させなければ。 大丈夫、自分は平気だ。まだ“軍人”でいられている。 だというのに足は一向に進む兆しをみせない。それどころか、戻ったとしてもまた笑ってやれるだろうかといった疑問まで湧いてくる始末。 このままではいけない。こんな状態で戻っても気遣われるのが関の山だ。 弱った精神を切り替えようとしたラルが重い足取りでその場から歩み去るのに僅かな時間も要さなかった。 砂利を踏みしめる軍靴の音だけが暗闇で満ちた空間に伝播する。 周囲にラル以外の人影は見られない。大規模反攻戦が成功に終わり、祝勝の空気に浸る最中、わざわざ戦場跡を出歩く酔狂な人間などいないのだろう。 軍服を透過する凍てつく風が皮をなぞり、血肉を冷やしていく感覚に震える全身。 止まらぬ震えを発し続ける両肩を抱きつつ、歩を進める彼女の視界の端で不意に何かが蠢いた。 「はぁぁ……仲間Bさんも人遣いが荒い方です。酷いです」 次いで聞こえるは年端も行かぬ少女の声。 それまで自分を除く他人の気配を感じ取ることが出来なかっただけに、突如として上がった声は少なからずラルに衝撃を与ええていた。 自らの軍人としての感覚が鈍化しているのか。それとも自身の存在を他者に感づかれないよう少女が気配を消していたのか。 どちらにせよ暗がりのなかに何者かが紛れているのは事実だ。 眉を寄せ、声が聞こえた方へと目を凝らせば、扶桑陸軍の戦闘服に酷似する装束に身を包んだ小柄な身体がその場にしゃがみ込み、地面の上に何かを貼り付けているところだった。 ラル「そこで何をしている?」 仲間E「ひゃわっ!?」 問いかけた途端に跳ね上がる少女の小さな背中。 雲間を縫って投げかけられた月光に照らされ、少女と彼女の小さな指に挟まれた護符が姿を見せる。 見た目から高く見積もっても十辺りか。 更に視線を少女の手前に転ずれば、三方を囲むようにして地面に貼り付けられている護符が目に留まる。それら四枚は魔法力を帯びているのか、微かではあるものの魔力障壁と同じ青白い光輝を放出している。 まるでこれから、何らかの術式を行うかのような光景。 銃器とストライカーユニットで武装するこの時勢において明らかに前時代的過ぎる一幕。 あるいは、これらの護符を用いた術式こそが目の前で怯えた表情を浮かべる幼い少女の固有魔法なのだろうか。 ラル「見ない顔だが。どこの部隊だ?」 仲間E「えっと……えっと……」 ラル「どうした? 見たところ扶桑の人間のようだが所属と階級は?」 仲間E「えっと……その……ご、ごめんなさい!」 言うや否や少女が手に残る最後の一枚を地面の上に貼り付け、護符で囲われた空間に足を踏み入れる。瞬間、小柄な体躯が前触れも無く掻き消えた。 闇に紛れたわけではなく、文字通り消えたのである。 あたかも息を吹きかけられた蝋燭の火のように、一瞬で。 ラル「なっ!?」 忽然と姿を消した少女の行方を探そうと、無意識に地面の上に結ばれた陣へと踏み込む寸前。 足元で淡い輝きを放つ四枚の護符は、あたかもラルの侵入を拒むかのように青白い炎を発し、燃焼を開始する。 ラル「…………護符か」 風に巻き上げられ、白と黒が混合する燃え残りを手にし、目を細める。 西洋紙とは異なる独特の手触り。 俗に扶桑紙と呼ばれる紙が用いられたその護符には転移の二文字が記されていた。 見知らぬ少女との奇妙な邂逅を終えたラルが呟きと同時に足を止めた。 ラル「……おれ」 磨き上げられた宝石を思わせる眼差しの先には積み上げられた瓦礫の山が、寒空の下に晒されていた。 移動要塞ジグラット。 最期の瞬間まで彼が戦っていた戦場。そして、その命を散らした墓標。 動力炉を破壊され、残骸と化した屑鉄に歩み寄るなり形の良い尻を落とし、優美な脚線美を誇る両脚を組む。 初恋は実らないという話はよく耳にするが、よもや自分の恋がこのような結末を迎えるとは。 片思い――いや、彼もまた自分のことを好いていたのだから両思いだったことには間違いない。 ただ最後の最後まで思いを通じ合わせることが叶わなかったことを考えると、俺にとっては片思いのまま終わってしまったのだろう。 ラル「結局……伝えられず仕舞いか」 自分の想いを伝えるよりも先に彼は戦塵へと消えていった。 ジグラット内部に設置された対侵入者用の迎撃機構によるものか、それとも崩落する瓦礫による圧殺なのかは定かでないが、どちらにせよ生存率はほぼ皆無に近いといっても良い。 これも命を賭して戦う軍人が背負う宿命なのだろうか。ならば彼の死も、この胸の痛みも割り切るしかないのだろうか。仕方なかった、運が悪かったと。 ラル「なぁ、俺。みんな……おまえが帰ってこなくて泣いてるぞ……?」 まるで、その場所に俺がいるかのような優しげな口調。 隊員たちの姿を脳裏に思い浮かべながら、腰掛けている瓦礫の上に手を添える。 表面を撫でると凍てついた堅い感触が手の平に広がった。死体もこれと同じく冷たいのだろうか。 この瓦礫のように冷たくなったまま、どこかに彼も埋もれているのだろうか。 光も届かず、風にも通らず。誰の目にも触れられないまま、たった独りで…… ラル「まったく、おまえは。自分が言いたいことだけ言って……」 私はまだ何も言っていないぞ――と呟き、手を丸めて拳骨で軽く瓦礫を叩いた途端に、夜空に浮かぶ月の輪郭が歪んだ。 ラル「なぁっ! おれ……!!!」 無論、前触れもなく天体が形を変えるはずがない。 頬を伝う雫の生暖かさから、込み上げてきた涙が視界を滲ませているのだと気付く。 ラル「あ、あ……あ……あぁ」 断続的に唇を割る呆けた声音。 つい今しがたまで込み上げて来なかった涙がいま、自分の頬を濡らしていることに気付いたとき自然と全身の筋肉が弛緩していく。 ――あぁ……やっぱり、こんなにも涙が溢れ出てくるほど私はあいつのことが好きだったんだ…… 拭おうと手を持ち上げた瞬間、どこからともなく駆けてきた夜風によって急速に冷却される泣き濡れた頬。 氷を押し付けられたかのような冷たさに強張る全身。肌の上を走る悪寒に耐え切れず両の腕を左右の肩へと伸ばす。 ラル「……っ!!」 寒かった。単純に体温を奪われたことによるものではなく、心までもが氷の牢に閉じ込められたかのように冷え込んでいた。 傍にいて欲しい。壊れるほどに抱きしめて自分を温めて欲しい。 されども、その願いを叶えてくれる彼はもういないのだ。 あたかもこの広い世界に、たった独り取り残されたかのような不安に圧し潰されそうになる。 ラル「っく……ぅぅうう」 動悸は次第に激しさを増していき、呼吸すら儘ならなくなる。 泣き声だけはあげるまいと必死に歯を喰いしばるも、抵抗が長続きすることはなく、 ラル「っぐ……ぅぁああ……あぁぁぁぁぁああああぁぁぁぁぁぁああああああ」 魔女として、軍人としての仮面が剥がれ落ち、一人の少女へと戻ったラルが遂に泣き声を上げた。 そうしなければ、きっと自分は壊れてしまう。哀しみに耐え切れず心が砕かれてしまうから、行き場を無くした感情を爆発させた。 たとえ見っとも無いと嘲笑われようとも今自分が出せる声をラルは腹の底から絞り出す。 ラル「お、れぇ……おれ……おれぇ!!!」 死神に連れて行かれてしまった男の名を何度も叫ぶ。 嘘だ。好いた男が死んだのだ。大丈夫であるわけがない。 戦場を舞う魔女たちを統べる者として必死に耐えてきたがそれも限界だった。 悲しくて、苦しくて、痛くて、寒くて胸が張り裂けそうになる。 伝えたいことがあった。一緒に行きたい場所もあった。話したいことだってたくさんあった。 ラル「……あぁぁぁぁっぁぁあああ」 諦められるのか。彼に対するこの恋慕を捨て切れるのか。 ラル「諦められるわけ……ないっ!!」 諦め切れるわけがない。捨て切れるわけがない。 易々と捨てられるほど彼に対する自分の想いは安くない。 簡単に捨て去ることが出来る程度の情念なら、この胸はこんなにも痛みはしないのだ。 ラル「――して……くれ……!!」 弾かれたように立ち上がって身を翻し、手近な瓦礫へと手を伸ばす。 あのとき伸ばせなかった手を、届かなかった手を。 魔法力を発動。寒さに震える腕に、全身に力を込めて、掴んだ瓦礫を強引にその場から除ける。 ラル「返してくれ……っ!! あいつを……俺を……私たちに、私に返してくれっ」 一度で良い。一度だけで良い。 ラル「まだ言えてないんだ! 何も言えてないんだ!!」 どうかこの気持ちを、この想いを伝える機会を……せめて、もう一度だけ…… ラル「好きだって、言えてないんだよ!!」 爪が割れ、血が滲む。 白く細い指が血と煤に塗れ、傷口が重い痛みを生み落とした。 ラル「頼むっ!! おれを、返してくれっ!! 返して……くれよぉ……!!」 何がグレートエースだ。 何が人類第三位の撃墜数だ。 何が第502統合戦闘航空団の司令だ。 ラル「うっ……うぁぁぁぁぁぁあああああああああああ」 想いを寄せていた男をみすみす死なせてしまった。掬うことが出来ず、奈落の底へ落としてしまった。 胸の内に秘めていた慕情も永遠の片思いに変えてしまった。 そのことが悔しくて、切なくて。それなのに今の自分には翼をもがれたあの時のように涙を流すことしか出来なくて。 いっそここで潰れてしまえば、どれだけ楽になれるだろうかといったことすら考えてしまっている。 ラル「うっ……っく……うぁぁあ」 時が経てば、この痛みもいずれは針に刺された程度のものへと変わるのだろうか。 一生この痛みを引きずって生きなければならないのか。 そんな考えが脳裏を過ぎり、瞳に込み上げる涙の量が増した刹那―― 「おいおい。こんな寒空の下でなに泣いてるんだよ」 忘れようも無いあの陽気な声音が泣きじゃくるラルの身体を強張らせ、震えを押さえ込んだ。 後編に続く
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5月が終わるその日。 午後の日差しが降り注ぐペテルブルグの街中に俺とニパの姿があった。 はぐれないよう手を握り合いながら往来を行きかう人々でごった返す道の上を歩く姿は逢引中の恋人に見えなくもない。 現に少女の白い頬には微かであるが鮮やかな桃色が差し込んでおり、その表情があたかも愛しい男との逢瀬に想いを馳せる女らしさを醸し出していた。 ニパ「(これって……もしかしてデート、なのかな?)」 手の平を包み込む異性の手の感触に上昇する体温。 徐々に高鳴っていく心臓の鼓動を耳にしながら忙しない様子で目を周囲に泳がすと手を繋ぎ、腕を組んで歩く恋人と思しき男女たちが次々と通り過ぎていく。 もしかすると、他の通行人からはいまの自分と彼の姿も恋人に見えているのだろうか。 知らぬ間にそんなことを考えている自分に気がつき、慌てて頭を振って脳内に漂う桃色を振り落とす。 かつての同僚たちのそれとは明らかに違う堅い手触りに、じんわりと頬が温まっていく感覚を感じつつ、気付かれないよう隣を歩く男へと視線を転じてみる。 興奮する自分とは正反対に落ち着きが占める俺の横顔を捉えた途端、ニパは知らぬ内に落胆していることに気が付き、またしても頭を振った。 ニパ「(どうしてこんなに落ち込んでるんだろ?)」 澄み切った空とは裏腹に曇る胸の内。 別に私と俺は付き合っているわけではないのに…… 俺「どうした?」 ニパ「えっ!? あぁ! 今日は私の誕生日なのに買出しなんてツイてないなぁって!」 突如として思考を遮られ、自分でも噴き出してしまうほど裏返った声を上げてしまう。 もしかして、今までの怪しげな行動も全部見られていたのでは…… そんな考えが脳裏を横切った瞬間、北の雪国が育まれた少女の柔肌に差し込む桃色が段々と紅色へと変わっていった。 自分の、そして隣を歩く男の一挙一動に慌てふためき頬を染めるこの可憐な少女がスオムス空軍十指に入るエースウィッチであると一体どれだけの人間が気付くのか。 少なくとも今この場でその事実に思い至る者はいないのは間違いない。 何故なら起伏に富んだ瑞々しい肢体を包み込むスオムスカラーのセーターも、今このときだけは単なる軍服ではなく、少女の愛らしさを引き立たせるただの衣服に過ぎなかったのだから。 俺「確かにな。だけど買って来る品物は片手で持てる程度のものなんだ。短いオフだと思って楽しめば良いんじゃないか?」 ニパ「そう……だけど」 返答は心なしか沈んだ気配を帯びていた。 あたかもこれから起こる出来事を予期しているかのような声音。澄んだアクアブルーの瞳に浮かぶのは憂慮の色。 ――さぁ、みんな! 今日はニパ君の誕生日だよっ!!―― 頭の中で木霊する聞き慣れた声。 同部隊に所属するヴァルトルート・クルピンスキーことプンスキー伯爵のそれである。 今日の日付は5月31日。つまりは自分の、ニッカ・エドワーディン・カタヤイネンの誕生日なのだ。 本来なら大抵の少女は訪れる誕生日に胸を躍らせるだろうし、自分も同じだ。別に歳一つ取ることに憂鬱な気分に浸るほど老いているわけでもない。 では何故胸の奥に何かが詰まった感覚を覚えているのだろうか。 答えは簡単だ。誕生日プレゼントを買う為と称して自分と俺と一緒に街へと繰り出してきたのがプンスキー伯爵と管野だからである。 いや、管野に至っては気が滅入るほど心配する必要はないだろう。日頃から軽口を叩き合う仲だが、彼女は何だかんだ言いつつも自分のためにプレゼントを選んできてくれている。 問題はむしろクルピンスキーだ。 以前、彼女から渡されたものといえば乳首や恥部を隠す為の絆創膏だの、少し細工をすれば簡単に解けてしまう紐型ズボンだの。 どれも年端も行かぬ少女にとっては刺激が強過ぎるものばかり。 そういったエロティックな物を贈られたこれまでの経験を踏まえるとニパの思考は当然の帰結といえよう。 ニパ「(今年は一体何だろう……?)」 あまり深く考えたくもないのだが、あらかじめ覚悟を決めておかなければ渡されたときにまた慌てふためくことになる。隊員たちの手前それだけはどうしても避けたい。 無論クルピンスキーなりに自分のためにと思って選んできてくれているのだろうが、そのチョイスには明らかに彼女の煩悩が詰め込まれている気がしてならない。 願わくは今年こそ真っ当なプレゼントを選んできて欲しいのだが、おそらくはそんな自分の願いも今日の夜には砕かれているだろう。 女好きとして部隊内でも有名な彼女が贈る物は毎年際どさが上がっていることも考慮すると、今年のプレゼントは去年よりも破廉恥なものになるのは目に見えている。 ニパ「(恥ずかしいのは嫌だなぁ……)」 市街地の入り口で、管野を伴って別行動を取る際にクルピンスキーが見せた異様なまでに爽やかな微笑が脳裏に投影され、深い溜息。 せめてもの救いといえば今年は俺が部隊に入ってきたことだろうか。 こうして街に足を運んでいるということは彼もまた自分のためにプレゼントを選びに来てくれていると考えて良い。 部隊の中では比較的常識人の部類に属するだけに、伯爵ほど際どい物は贈ってこないはず。 ニパ「あれ? 俺の誕生日はいつなんだっけ?」 俺「俺の誕生日か? 俺の誕生日は……あー……」 ふと生じた疑問を投げかけると言葉を詰まらせて空を仰ぎ見る俺。 つられる様にニパも空に視線を注ぐと、目の前には雲ひとつない清らかな青空広がっていた。定子や管野、そして俺曰く扶桑ではこの手の晴天を皐月晴れというそうだ。 空から俺へと視線を戻せば、彼は顎に手を添え何かを考え込んでいる表情を浮かべて、 俺「……忘れた」 ただぽつりと、そう洩らした。 自分の誕生日のことであるにも関わらず、どこか他人事めいた口調。 興味が無くて忘れた振りでもしているのか、それとも本当に自身の誕生日を忘我の彼方に置き捨てているのか。 ニパ「は、え……えぇぇぇ!?」 俺「そんなに驚くことか?」 ニパ「だ、だって! 自分の誕生日なんだぞ!?」 俺「まぁ……そうだな」 驚くニパの言葉を噛み砕くように何度か頷く。 自分にも誕生日はあった。いや、こうしてこの世に生まれた以上はあると言った方が正しい。 かつて扶桑皇国陸軍飛行第一戦隊に所属していた頃は智子を始めとした部隊員たちから誕生日プレゼントを受け取ったこともあり、長い月日が経った今でも肌身離さず持ち歩いている。 それらの品々が自分と彼女らを繋ぐ数少ない絆なのだから。 どれだけ遠く離れても、もう二度と会うことがないとしても、それさえあれば寂しくなどない。 俺「俺だって誕生日を祝ってもらったことはあったんだぞ?」 だが、それがいつだったのかがどうしても思い出せないのだ。 故郷を捨て、単身で激戦区を回り、癖の強い者たちと部隊を組んではまた離れ。 そうして幾多の出会いと別れを繰り返しながら、死に物狂いで激動を乗り越えていると自分の根幹を成す情報の一部に対する関心が、どうしても薄まっていってしまう。 例えば、戦場で生き抜いていくことに誕生日といった情報は必要ない。ただ戦況を把握し、最善の行動を選択できるようになればいい。 食料が無く木の実に根や蛇などを胃袋の底に落として栄養を摂取していると、かつて自分がどのような料理を好んでいたのかも曖昧になる。 膨大な経験は知識となって脳に納まる。雪崩れ込んで来た知識に押され、重要度の低い情報があぶれただけのこと。 俺「それにだ。そこまで無理して思い出すことでもないだろうよ」 記憶することが人間に与えられた力なら忘却もまた然り。 忘れたものが生きていく上で然程重要でない情報なら血相を変える必要もない。 それに忘れたことも何らかの拍子で思い出すこともあるだろうし、深く悩むほどでもないだろう。 ニパ「でも……」 それでは余りに寂しくないか。俯き語尾をすぼめるニパ。 忘れてしまっていては誕生日を迎える寸前のあの高揚感も、遠くから楽しみにする気持ちすら作ることが出来ないではないか。 知らぬ間に落ち込んだ表情でも作っていてしまったのか、不意に頭に置かれる大きな手の平。 視線を持ち上げれば、そこには柔らかな微笑みを口許に浮かべた俺の姿があった。 俺「ありがとうな、ニパ。でも今日はニパが主役の日なんだ。他人のことで落ち込んでないで、自分のことで楽しまないと」 ニパ「……俺は寂しくないの?」 俺「んー……別に寂しくは無いかな」 誕生日がいつだったかは確かに記憶には無い。けれども、誕生日を祝って貰った思い出は今もこの胸に残っている。 プレゼントを受け取ったときの喜びも、いつも以上に美味しく感じた料理の味も。 嬉しそうな彼女らの笑顔も、誕生日おめでとうと言ってくれたあの優しげな声音も。 その全てが今もまだ自分の胸に残り、鮮烈に思い返すことが出来るのだから寂しがることなど在り得ない。 俺「一番大切なのは思い出だと俺は思うけどな」 ニパ「……そうだな。うん。変なこと聞いてごめん」 俺「いいよ。さてとっ! せっかくの誕生日なんだから、辛気臭い話はこれでおしまいだ。早いところ買い物済ませてニパの誕生日プレゼント選びに行かないとな」 ニパ「うわわっ!? 手を繋いだまま急に走るなよぉ!!」 勢い良く駆け出した俺に連れられた先は家具と調理器具を扱う店だった。 年季の入った外観とは裏腹に小奇麗な内装は人受けが良く、扱われる品々も素人目に見ても趣味が良い物ばかりで店内を賑わす客層も若い男女が多い。 けれどもニパの目には彼らの姿が街中で歩く者たちと、どこか異なるように映っていた。 恋人――というよりかは新婚夫婦といった表現のほうが適切なのかもしれない。 幸せに満ち溢れ、それでいて和やかな雰囲気からそんな考えが浮かび上がる。 ニパ「(幸せそうだなぁ)」 気に入った家具を見つけては手に取り微笑む男女たちの姿に自然と緩むニパの頬。 航空歩兵として空を舞う彼女らにとって、目の前に広がる他愛の無い平凡な風景こそが何よりもの功勲であった。 自分たちが命を賭して戦い、勝ち取った物を身近に感じ取ることが出来る。 いつか自分も好きな相手を見つけ、ああやって笑い合いながら家具や調理器具を選べたら。 年頃の少女ならば一度は抱く願望に胸の内を温めつつ、基地を出る前に定子から手渡されたメモを取り出し、 ニパ「えっと……おたまとしゃもじだっけ?」 俺「使っていた物が痛んできたから早いうちに仕入れておいた方が良いと思ってな」 本来なら一般兵用の食堂から借りてくるのが妥当なのだろうが、幸いなことにここ数日は観測班からネウロイの活動報告が届いてこないため、これを期に新しい調理器具を揃えることになった。 今後の戦況を踏まえれば、暇なときに済ませる用事は済ませておくに越したことはない。特に自分たち502はカールスラント奪還を主とする攻勢部隊であり、駆ける戦場も欧州随一の激戦区。 こうした平穏な日常にいつまで包まれていられるかも分からぬほど自分たちが進軍する先には危険が溢れ返っているのだ。 ニパ「下原少尉が作る扶桑料理は美味しいからなぁ」 俺「定子だけじゃないぞ。今日はみんなニパのために腕によりをかけて作ってくれるんだ。夕飯の準備までには届けてやらないとな」 観測班からの報告も上層部からの指令も入ってこない今が好機なのだろう。 ささやかではあるもののニパの誕生日会を開くと今朝のミーティングで宣言したラルの言葉を思い出しつつ、目的の品が陳列されている棚を目指す。 ニパ「そういえば俺にも何か得意料理があるの?」 俺「俺か? そうだなぁ……豚汁とかかな」 ニパ「トンジル?」 俺「豚肉が入った味噌汁だよ」 単純に豚肉だけを入れたものもあれば大根、人参、じゃが芋といった根菜類を混ぜたものもある。 肝心の食材さえ入っていれば他に入る具が地域ごとに違ってくるのもまた料理の面白さともいえよう。 ちなみに俺が作る豚汁には根菜類の他にも一口大に切り揃えた豆腐や蒟蒻が入っており、扶桑で暮らしていた頃はそれを仲間に振舞ったこともあった。 ニパ「へぇ、食べてみたいなぁ。今度作ってよ」 俺「俺よりもそういうのは定子に頼んだ方が良いんじゃないか?」 口許に人差し指を当てて瞳を輝かせるニパに返していたのは苦笑混じりの言葉。 たしかに得意料理とはいったが、あくまで得意なだけであって純粋な料理の腕前ならば定子のほうが遥に上である。 彼女の料理によって肥えた舌を持つ隊員たちに自分の粗末な料理を出すというのは些か気が引けた。 ニパ「だけど作る人が違うと味付けも違ってくるだろ?」 俺「そりゃ……そうだけどよ」 ニパ「それに俺の手料理ってあまり食べたことないし」 言われてみれば、その通りだと胸裏にごちる。 ペテルブルグ基地に派遣されてから厨房に立ったことは何度もあるが大半は食材を洗い、皮を剥き、切り揃えるといった補佐ばかり。 一から食材を選び、献立を考え、調理を行うといった作業を俺は片手で数えられる程度しかこなしていなかった。 だからといって別に怠けているわけではない。 単純に自分の当番が片手の指で足りるほどしか回ってきていないだけであることに加え、黙って座りながら料理を待つというのも性分ではないため率先して雑用を引き受けているだけなのだ。 ニパ「だからさ、もっと食べてみたいんだ。俺の手料理」 少女が零す、思わず見惚れてしまうほど屈託の無い微笑。 その笑みに俺は数瞬目の前で自分を見つめるニパが軍人であることを、銃器を手に取り人々の矢面に立つ航空歩兵である事実を忘却していた。 本当にこの娘があのニパなのだろうか。自分の不幸体質を嘆き、満ち溢れる敢闘精神に付き従うようにネウロイへと肉薄するあのニパなのか。 いや、きっとどの姿も彼女なのだろうと納得する。ツイてない自己を嘆く姿も、勇猛果敢に攻める姿も。そして、いま可憐な笑顔を浮かべる姿も。 それら全てをひっくるめた上でニッカ・エドワーディン・カタヤイネンなのだ。真っ直ぐで、それでいて可愛らしい。 俺「……あまり期待はしないでくれよ」 ニパ「あぁ!」 耳朶を掠める弾んだ声音が心臓の鼓動を加速させる。 夏はまだ幾分か先だというのにやたら熱を帯びる頬。その上、ニパの顔すら直視出来ない。 何だこの感覚は。どうしてこんなにも胸が痛むのか。 ニパ「俺? どうかした?」 俺「いや、大丈夫だ」 ニパ「本当? 顔が赤いけど熱でもあるのか?」 思わず視線を逸らすと先回りするかのように自分の顔を覗き込んで来る少女の容貌が間近に迫る。 極北のスオムスに舞う粉雪を思わせるかのような白い肌と淡い金色の髪。 どこまでも澄み切った大きな青い瞳。そのどれもが手を伸ばしてしまいそうになるほどに磨き上げられ、それらが一つとなったニパの容貌は息を呑むほど美しかった。 制御下から離れていた理性を取り戻し、視線を少女の美貌から進行方向へ。 俺「いや、本当に何でもないんだ。気にしないでくれ」 ニパ「そうか?」 俺「あぁ。えっと……ここだったな」 棚に置かれた木製のしゃもじを見つけ、手を伸ばす。 そのときの俺は胸裏に巣食う正体不明の違和感に心取り乱されていたため、自身と同じようにしゃもじへと伸びるニパの手の存在に気付いていなかった。 木製器具へと伸びる二本の手。接触までの時間はほんの一瞬、気がつくほどの余裕はない。 そして、 俺「ッ!?」 ニパ「うわっ!?」 互いの指先がしゃもじに届く寸前に触れ合った。 俺はニパの柔らかな指先に、対してニパは店に入るまで自分の指を包み込んでいた俺の手の感触にすぐさま手を引き戻す。 漂い始める重苦しい沈黙。言葉を搾り出そうにも何を言えば良いのかも考え付かない。 下手なことを口走れば更に緊張を重くしてしまうのではないか。そんな思いが二人の口を噤む。 ニパ「その……」 俺「なんだ……すまん」 ニパ「い、いいよ……気にしてないから」 俺「あ、あぁ」 ぎこちなく頷く。そのとき俺はこの店に入るまでニパの手を握っていたことを思い出した。 よく考えれば自分はとてつもなく恥ずかしいことをしていたのではないか。自分がしでかしていた行為に改めて気恥ずかしさが込み上げて来る。 「よぉ。こんなところにいたのか」 不意に聞き慣れた声音が耳朶を掠める。 声が飛んできた方へと視線の先に立っていたのは両腕を腰に当てた一人の少女。 ペテルブルグ市街の入り口でクルピンスキーと共に別行動を取った管野である。 俺「ナオ?」 ニパ「確か伯爵と一緒にいたんじゃ」 管野「あの後になって急に別行動しようって言い出されてさ」 彼女の話によると自分たち二人と別行動を取った後、数箇所ほど店を回ってから突然別行動を取ろうとクルピンスキーが言い出したらしい。 管野自身も互いが別れたほうがプレゼント選びも効率良く進められると踏んだため、クルピンスキーと別れることを選んだ。ついでに古本屋も覗きたかったことも理由の一つだが。 管野「それで二人は下原から頼まれごとか?」 俺「まぁな。そうだ、ナオって料理は出来るのか?」 管野「しねぇし、出来ねぇよ」 顔を顰めて返す管野。 触れてはならない部分に触れてしまったのか。心なしか彼女の口調もそのトーンが若干下っている。 不機嫌な表情を浮かべる管野を前に、小さな笑い声が漏れ出した。 声に気がつき俺が視線を巡らせば、口許に手を当てて笑い声を押し殺すニパの姿があった。 ニパ「カンノに任せたら大変なことになるからな……っくく」 管野「っせぇな。オレは食う方が専門なんだよ。大体何だって急にそんなこと聞いてくんだよ」 俺「さっきニパに得意料理はあるのかって聞かれてな。それで偶然やって来たナオにも訊いてみようと思って」 手に取ったしゃもじを掌の中で器用に回しながら俺が答える。 もしも彼の手に握られていたものがナイフや包丁といった刃物類、もしくは拳銃であるならば、その姿も様になっていただろう。 けれども生憎と彼が握るものはしゃもじ――ただの料理器具である。迫力にも凛々しさにもかけていた。 管野「そりゃ期待を裏切っちまって悪かったな。そういう俺には何か得意料理でもあんのかよ?」 ニパ「俺はトンジルが得意なんだってさ」 俺「あとはカレーかな」 管野「と、豚汁。それに、カレーか……」 ごくりと生々しい音がなった。 その音が管野の喉から発せられたものだと気付くのに俺は幾許かの時を要した。かつて口にしていた故郷の味を思い出すように、こくんと動く管野の喉下。 更に注意して彼女の姿を観察すれば、人差し指は口許へと運ばれ、瞳も忙しなく辺りを見回している。 あたかも食事の献立が自分の好物であると知ったときの子供を思わせる姿に俺は自然と自分の胸が温まっていく感覚を覚えた。 管野「……作れよ」 俺「うん?」 管野「今度お前が食事当番になったら豚汁作れ」 俺「俺で良いのか?」 管野「お前で良いよ。それに下原の当番は昨日だったからな」 502に所属する魔女たちのなかで扶桑料理を作ることが可能な者は現状、下原と俺の二人のみ。 彼女の当番が過ぎた以上、次に扶桑の料理を作るのは必然的に俺となる。 その時になったら献立に豚汁を入れろと管野は言っているのだ。 俺「リクエストが出た以上は答えないとな」 要望を出してもらった方が献立を一から考えるよりは遥に楽だ。 一つでも料理が決まれば、それに合わせた品目を考えることが出来る。 さて、豚汁に合う料理とは何だろうか。 ニパ「やった!」 思案に暮れている最中、隣でニパが小さくガッツポーズを取った。 その様子がどこか子供めいていて、そんなニパの様子に俺は胸に沸き起こる嬉しさを隠しきれずに口許を緩ませる。自分の料理を楽しみにしてくれることが、純粋に嬉しい。 楽しみにしてくれている以上は出来る限り期待に応えなくてはならない。 ――それじゃ、頑張りますか。 胸裏でそう零す俺の表情はいつになく朗らかなものとなっていた。 定子から頼まれていた品を無事に買い揃え、店を後にする。 空は相変わらず雲ひとつ無い晴天を維持していた。 俺「俺たちは待ち合わせまで他の店を回る予定だけど……ナオはこれからどうする?」 管野「いや、オレもまた別のところを回ってみる」 俺「そうか。それじゃあ、また公営パーキングで。待ち合わせ時間に遅れるなよ?」 管野「わぁってるよ。ガキじゃないんだから」 ニパ「またな」 管野「お前たちも遅れんなよ」 小さくなっていく少女の背中。 瞬きをした瞬間、その背は人波の中へと消えていた。すぐ傍に漂っていた彼女の名残が完全に消え失せたことを悟り、ニパを伴って歩き出す。 俺「さってと。用事も済ませたことだし、ニパのプレゼント選びに入りますかな」 ニパ「面と向かって言われると……何だか照れちゃうな」 俺「誕生日なんだ。今日ぐらいは我侭になっても文句は言われないさ」 ニパ「……うん。ありがと」 管野と分かれた二人が訪れたのは比較的大きな洋品店であった。 洋品店といっても雑貨の他に衣服から拳銃、果てはそのホルスターまでと扱われる商品は多岐に渡っている。 若干、物々しさも混じってはいるがここならニパが欲しがるものもあるはず。 ニパ「すごいなぁ。色々なものが置かれてる」 俺「普通の服なら奥の方だな」 ニパ「うん。でも本当に良いの?」 俺「大丈夫だよ。蓄えならまだあるからな。ここらで使っておかないと」 ニパ「……ありがとうっ」 初めて入るのか、幾分か瞳を輝かせたニパが店内の奥へと向かおうとした瞬間、 クルピンスキー「やぁ。会いたかったよニパ君」 あの陽気な声が、鼓膜を震わせた。 まず感じたのは全身の毛が逆立つ感覚。脳内では既に警鐘が叩かれている。 生存本能に従い、弾かれるような動作で自身と声の主との間に俺を挟み込む位置へと移動。 恐る恐る俺の陰から顔を覗かせると案の定、目の前には爽やかな笑みを湛えたプンスキー伯爵が優雅に腕を組んでこちらを見つめていた。 ニパ「中尉……来てたんだ……」 クルピンスキー「うん。ニパ君に似合いそうなものをずっと探していたんだ」 言うなり、はにかむクルピンスキー。 一体その笑みでどれだけの年端もいかぬウィッチが犠牲に、もとい虜にされたのか。 俺「伯爵じゃないか。ちゃんとニパの誕生日プレゼント見つけてきたのか?」 クルピンスキー「もちろん。ちょうど良いから、ここで試着してみてよ」 俺「試着って服なのか?」 クルピンスキー「うん。でもサイズが合わなかったら大変だからね。先に着て欲しいんだ」 試着―――その言葉がクルピンスキーの口から洩れた瞬間、ニパの脳裏に数々の光景が蘇った。 僅かに動いただけで解けそうになる紐型のズボン。そして、あの絆創膏。 少しずつ、そして着実に恐怖の情が込み上げて来る。 ニパ「い、嫌だ! 絶っ対に着ないからな!!」 俺「…………伯爵。この子に何を渡してきたんだ?」 クルピンスキー「え、えーと」 ニパ「だ、駄目! 言っちゃ駄目!!」 頬を紅潮させたニパがクルピンスキーの言葉を遮った。 言わせてはならない。俺にだけは教えさせては駄目だ。あんなあられもない姿など絶対に知られたくない。 俺「念のため聞いておくけど。今年はまともなものなんだろうな?」 胸元にしがみ付くニパの頭を撫でる俺がクルピンスキーに向ける目を細めた。 自分がペテルブルグ基地へと配属される前のニパの誕生日に一体何が起きたのだろうか。 少なくとも自身の身体に伝わってくる小刻みな震えから、壮絶な目に遭ったことには間違いない。 問い詰める俺を前に、浮かべていた微笑に苦みを含めるクルピンスキー。 クルピンスキー「ほ、本当だって」 俺「だったら今ここで見せてくれないか? 危ない物だったら着させられないぞ」 クルピンスキー「まったく。ほら、これだよ」 俺「これは……たしかにこれくらいなら問題ない、か」 差し出された物をしばしの間、見つめて頷く。 女の子の誕生日プレゼントにしては些か華やかさが欠けるものの、これならば実用性にも富んでいるし、少女の羞恥心を誘うこともないだろう。 ニパ「うぅぅぅぅ」 俺「ニパ。大丈夫だぞ。今年のは普通みたいだ」 ニパ「ほ、本当?」 俺「あぁ。だから伯爵の方を見てごらん」 ニパ「……?」 徐に背後へと振り返る。 クルピンスキーの手に握られていたのはショルダーハーネスだった。 良質な素材を使用しているのか頑丈さと高級さを兼ね揃えた黒光りを放つ、それを前に思わず目を丸くしてしまう。 まさか、あのクルピンスキーがこんなまともな品を選んでくるとは。今まで渡されてきたものがものだけに目の前のハーネスがニパの目には輝いているように映った。 クルピンスキー「これならどうだい?」 ニパ「こ、これなら……良いかな?」 やや興奮した面持ちで答えるニパ。 拳銃を入れるスペースの他にも様々な大きさのポケットが備え付けられており、衣料キット程度のものなら容易に携行できる。 日頃腰に巻くポーチも加えると弾薬を始めとした各種装備の携行量も格段に増加し、そうなれば戦闘持続時間も自然と長引く。 クルピンスキー「ニパ君は良く怪我をするでしょ? だからせめて可能な限り多く、そして嵩張らない程度に装備を持ち運べることが出来るものを贈りたかったんだ」 もちろん君を落とさせはしないけどね、と聞き様によっては殺し文句とも受け取れる言葉を締めにクルピンスキーが手に持つハーネスを差し出した。 緊張した面持ちで生唾を飲み込むニパの肩を叩いた俺が店内奥に設置された試着室を指差す。 俺「どうする? 試しに着けてみるか?」 ニパ「う、うん……それじゃあ」 照れたように頬を染めて店内の奥へと駆けて行くニパの後を追いながら、 俺「珍しくまともなものを贈ったみたいだな」 クルピンスキー「僕だってそこまで露骨じゃないさ。それより俺のプレゼントは決まったのかい?」 試着室近くに設置されたベンチに座り込む俺が頭の中でニパに贈るプレゼントのイメージを固める。 今日に至るまで様々な案を浮かべてきたが、幸いにも昨日になってようやく具体的な段階まで進めることが出来た。 俺「大体はな。この後少し寄るところがある。それまでニパのこと頼めるか?」 クルピンスキー「寄る所?」 俺「待ち合わせの時間には戻るからさ」 特に言及することはなく、意外なほどあっさりとクルピンスキーは頷いた。 クルピンスキー「良いよ。でも早く戻ってきてよ?」 俺「分かってる。おっ……そろそろお披露目みたいだぞ」 試着室の内部と店内を仕切る紅色のカーテンが波を打つ光景を前に俺が腰を上げた。 隣で同じようにベンチに腰を落としていたクルピンスキーも口許に笑みを湛え、彼女の登場を待ちわびる。 紅色の布が一際激しく動き、 ニパ「あの……これ。キツいんだけど……」 俺「ぶっふぅ!?」 ハーネスを身に着けたニパがその姿を晒した瞬間、盛大に噴出した者が約一名。言わずもがな俺である。 水色のセーターの上を走るショルダーハーネスの黒。色合いとしては然程問題ではない。 問題はハーネスを纏った彼女の外見にある。 ショルダーハーネスによって強調される起伏の激しい上半身とウェストライン。 特に胸元に実るたわわな果実が前面に押し出される様は男のリビドーを激しく刺激し、一歩間違えればボンデージ衣装と見られても可笑しくない。 俺「お、おまっ! 何て物を渡してるんだ!!」 クルピンスキー「僕は至って真面目だよ! これなら実用性も富んでいるから満足じゃないか!」 俺「満足しているのは明らかにお前だけだろう。ニパは? どう思う?」 興奮するクルピンスキーを他所に、極力胸元に視線が逸れないよう恥らうニパの容貌へと視線を注ぐ。 それでも視界の端で揺れたわむ双丘の存在にどうしても目線が吸い寄せられるのは男の宿命なのか。それとも単に自分が性に餓えているのか。 どちらにせよ、この状況は非常にまずい。 隆起し始める愚息の存在を悟られないよう、再びベンチに腰を降ろし上半身を前へと傾けることで男の尊厳を保つ俺。 ニパ「ハーネス自体は悪くないんだけどさ……これ、んっ……もう少し、大きいサイズないの?」 上半身に喰い込むハーネスの感触にこそばゆさを覚えるニパが身を捩った。 たとえそれが小さな挙措であっても扇情的に揺れ動く彼女の柔肉。 クルピンスキー「ニパ君……そのサイズじゃ駄目、なの?」 縋りつく眼差しを注ぐクルピンスキー。 哀愁が漂う双眸はあたかも捨てられた仔犬を思わせるも、 ニパ「うん。きつくて落ち着かないや」 クルピンスキー「ちぇっ」 もじもじと身を捩るニパの言葉に悔しそうに舌を打った。 ニパの誕生日会が滞りなく終わったその日の夜のことである。 明日の為に身体を休ませようと誰もが自室に戻るなか、談話室には俺とニパの二人だけが残っていた。 日中での出来事もあってか、他人の目の前でプレゼントを渡すことに気恥ずかしさを感じた俺は事前にパーティーが終わった後に祝いの品を手渡すと告げていたからだ。 俺「悪いな。引き留めて」 ニパ「良いよ。俺には色々と世話になったからさ」 両手にコーヒーが淹れられたマグカップを持って横に腰掛ける。 ニパ「それで。俺のプレゼントは何なんだ?」 俺「……これなんだけど。気に入ってもらえると嬉しいな」 差し出してきた手の平の上に鎮座するのはネックレスと思しきものだった。 頑丈さを優先しているのか装飾部に通されるチェーンは重厚感溢れる無骨なデザインとなっており、持ち上げれば沈み込むような重みが掌に伝わってくる。 五月の誕生石であるエメラルドを模した色鮮やかな緑の水晶が嵌め込まれた装飾部の表面。 裏返せば彼女の故郷ことスオムスに伝わる妖精、トントの可愛らしいレリーフがニパの口許を綻ばせた。 ニパ「きれいだな……」 俺「アミュレット、お守りだよ。悪いな。何か安直で」 ニパ「そんなことない! すごく嬉しいよ」 俺「ありがとうな。そう言ってもらえると助かる」 瞳を輝かせ、アミュレットを持ち上げるニパの弾んだ声を聞きながら、彼女が淹れたカハヴィを口にする。 淹れ方が上手いのだろうコーヒーが苦手な俺でも彼女の淹れてくれたカハヴィはすんなりと喉に流し込めた。食道を通って胃へ落ちていく温かな液体の感覚に浸る最中、不意に蘇る懐かしい記憶。 俺「(なぁ、武子。なんだか……またお前が淹れてくれたコーヒーが飲みたくなってきたよ……)」 もう会うことの仲間の名を胸裏で口にし、残りを飲み干した。 武子だけじゃない。智子、圭子、綾香、敏子。彼女ら皆全員、自分が死んだと思っているに違いない。 もしも顔を合わせることがあるのなら、彼女らはどんな表情を浮かべるだろう。 幽霊だと勘違いして怖がるか。それとも…… ニパ「俺? どうかしたか?」 隣から聞こえる自身を気遣う声に思考が途切れる。 振り向けば両手でアミュレットを握り締めるニパがこちらに視線を注いでいた。 澄んだ双眸に浮かぶ不安げな光。いつの間にか要らぬ心配をかけてしまっていたようだ。 俺「いや。ニパの淹れてくれたカハヴィが美味しいもんだから、つい物思いに老け込んじまっただけだよ」 ニパ「そ、そんな。大袈裟だよ」 頬を紅潮させるニパにおかわりを頼もうと口を開いたそのときであった。 ――俺! 誕生日おめでとう!―― 脳裏に。あの懐かしい声たちが響き渡った。 その声に、ほんの一瞬だけ俺は身体を硬直させた。 ニパ「おれ?」 顔を覗きこむニパから視線を外し、改めて今日の日付を確認する。 残りあと数分で終わりを迎える今日は五月三十一日。 俺「……思い出したよ」 ニパ「思いだしたって何が?」 俺「俺の誕生日」 ニパ「本当か!? いつ!?」 誕生日さえ知ることが出来ればお返しが出来ると身を乗り出すニパの頭に手を乗せたときには、 俺「俺の誕生日も……ちょうど、今日。いや昨日だった」 日付が変わり、六月を迎えていた。 ニパ「そ、そんな……それじゃあ。お返しが出来ないじゃないか!!」 俺「別にいいよ。お返しなんて。俺がやりたくてやったことだからな」 ニパ「…………じゃ、じゃあ!」 俺「うん?」 ニパ「来年は……一緒に誕生日を祝わないか?」 俺「来年?」 ニパ「あ、その。俺さえ……よければ、だけど……」 来年――果たしてそのときまで自分はここペテルブルグ基地に残っているだろうか。 気恥ずかしそうに身を動かすニパを見つめながら、そんな考えが脳裏を掠めた。 表向きは補充要員だが、実際はウィッチを脅かす存在を手当たり次第消去するのが俺の仕事である。目標さえ殲滅すればペテルブルグ基地に居座る理由もない。 俺「そうだな。それじゃあ、また来年を楽しみにしているよ」 ニパ「それじゃあ! おやすみ!」 俺「あぁ、おやすみ」 果たせるかどうかも分からない口約束に満足そうな笑みを浮かべたニパがソファから腰を上げ、弾むような足取りで談話室を出て行く後姿を見送った俺も簡単な肩付けを終えてから談話室を後にした。 誰もいないであろう廊下に足を踏み入れ、自室へと向かおうとした矢先、 俺「ラルにエディータ、伯爵にサーシャ。どうかしたか?」 目の前にはラル、ロスマン、クルピンスキー、サーシャの四人が立っていた。 少し前に先に談話室から出て行った四人がどうしてここにいるのか。 ラル「いや。ただ謝ろうと思ってな」 俺「謝る?」 クルピンスキー「さっきのやり取りを聞いちゃったもんでね」 俺「さっきの……あぁ」 謝ると告げるラルの言葉から察するに、彼女らが言うやりとりとは自分の誕生日が今日であることに気付いた辺りだろう。 ラル「書類には確かにお前の生年月日が記載されていた。そのことを忘れ、大切な仲間の誕生日を祝ってやれなかったのは私のミスだ。だから」 そう言うや否や一歩詰め寄るラル。 幼さが残るニパのそれとは異なる大人びた美貌。瑞々しい艶やかな唇に、ニパ以上の豊満な果実に思わず目線が引き寄せられてしまう。 そんな俺のことなど気にもかけずに顔を近づけたラルが鼻の頭に軽く口付けした。 ちゅっという小気味の良い音が、静まり返った廊下に木霊する。 ラル「今年はこれで我慢してくれないか?」 俺「……えっ」 ラル「これは……私からの誕生日プレゼントだ。唇は……まだくれてやれないがね」 俺「え……あ、うん」 照れたようにはにかむと、軽く手を振って身を翻す。今度こそ自室へと戻るようだ。 しかし肝心の俺は突然のキスに、思考力を奪われ状況を理解することが出来ずにいた。 困惑する彼に追い討ちをかけるかのように、今度はクルピンスキーとロスマンが距離を詰めてきた。 俺「お、おい!? 伯爵!? それにエディータまで!」 クルピンスキー「ほら。屈んであげて」 俺「な、なんだよ? 何をする気だ?」 クルピンスキー「良いから。ほら……悪いようにはしないから」 促されるままに膝を曲げる。 ラルからの突然のキスに判断力すら失った俺はあっさりと彼女の口車に乗っていた。そのことに何ら疑問も抱かぬまま。 ロスマン「んっ!」 クルピンスキー「ふふっ」 右頬を突くようにロスマンが、痕を残すように左頬に唇を当てるクルピンスキー。 二つに重なる小気味の良い音が耳朶を掠めた。 しばし停止する思考。再起動。状況把握、完了。自分はいま、二人に、キスをされた。 俺「はぁっ!?」 仰け反る俺の姿がツボにはいったかのように微笑を零すクルピンスキー。 ラルといいこの二人といい。突拍子のない行動に隠された真意が理解できない。 ほんの数分前までニパと談笑を楽しんでいたときにはこんなことが起きるなど想像もつかなかった。 クルピンスキー「僕たちからの誕生日プレゼントだよ。当分は休みもないから代わりの品物を用意することも出来ないしね」 ロスマン「一日遅れましたけど……おめでとう、ございます」 悪戯めいたクルピンスキーとは対照的に頬を紅潮させるロスマン。 クルピンスキー「これでも君を信じているんだよ? だからこれは信頼の証として受け取って欲しいな」 俺「だ、だけど……」 いくら何でもキスはまずいだろう。 後に続く言葉は額に生じた小さな衝撃によって掻き消された。 肌に触れる色鮮やかな金の長髪から漂う甘い香り。部隊内で金色の、それも長い髪を持つ少女など一人しかいない。 俺「サー……シャ?」 恐る恐る顔を離すサーシャに呆けたような言葉しかかけることが出来なかった。 サーシャ「そのっ……これからも、よろしくお願い、します」 クルピンスキー「それじゃあ。また明日ね」 ロスマン「恥ずかしい……」 去っていく三人の背中が曲がり角の向こうへと消え、 俺「俺も……まだまだ捨てたもんじゃないって……ことか?」 気の抜けた声が漏れ出した。 これはあれだ。西洋特有の親愛の証だ。よく頬や手とかにキスする光景を目にしたことがある。 きっとそうだ。そうに違いない。変な気を起こすな。 そう自分に言い聞かせ自室への帰路を辿る俺。心なしか彼の足取りはいつもよりやや軽かったが、その違いに気付く者は誰一人としていなかった。 おしまい 大分過ぎたのでwiki直投にしました。とりあえず八月に入る前に一通り組みあがってよかった…… 最後にニパ。 本当にごめんなさい。 ハッセとラプラにおめでとう
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5月が終わるその日。 午後の日差しが降り注ぐペテルブルグの街中に俺とニパの姿があった。 はぐれないよう手を握り合いながら往来を行きかう人々でごった返す道の上を歩く姿は逢引中の恋人に見えなくもない。 現に少女の白い頬には微かであるが鮮やかな桃色が差し込んでおり、その表情があたかも愛しい男との逢瀬に想いを馳せる女らしさを醸し出していた。 ニパ「(これって……もしかしてデート、なのかな?)」 手の平を包み込む異性の手の感触に上昇する体温。 徐々に高鳴っていく心臓の鼓動を耳にしながら忙しない様子で目を周囲に泳がすと手を繋ぎ、腕を組んで歩く恋人と思しき男女たちが次々と通り過ぎていく。 もしかすると、他の通行人からはいまの自分と彼の姿も恋人に見えているのだろうか。 知らぬ間にそんなことを考えている自分に気がつき、慌てて頭を振って脳内に漂う桃色を振り落とす。 かつての同僚たちのそれとは明らかに違う堅い手触りに、じんわりと頬が温まっていく感覚を感じつつ、気付かれないよう隣を歩く男へと視線を転じてみる。 興奮する自分とは正反対に落ち着きが占める俺の横顔を捉えた途端、ニパは知らぬ内に落胆していることに気が付き、またしても頭を振った。 ニパ「(どうしてこんなに落ち込んでるんだろ?)」 澄み切った空とは裏腹に曇る胸の内。 別に私と俺は付き合っているわけではないのに…… 俺「どうした?」 ニパ「えっ!? あぁ! 今日は私の誕生日なのに買出しなんてツイてないなぁって!」 突如として思考を遮られ、自分でも噴き出してしまうほど裏返った声を上げてしまう。 もしかして、今までの怪しげな行動も全部見られていたのでは…… そんな考えが脳裏を横切った瞬間、北の雪国が育まれた少女の柔肌に差し込む桃色が段々と紅色へと変わっていった。 自分の、そして隣を歩く男の一挙一動に慌てふためき頬を染めるこの可憐な少女がスオムス空軍十指に入るエースウィッチであると一体どれだけの人間が気付くのか。 少なくとも今この場でその事実に思い至る者はいないのは間違いない。 何故なら起伏に富んだ瑞々しい肢体を包み込むスオムスカラーのセーターも、今このときだけは単なる軍服ではなく、少女の愛らしさを引き立たせるただの衣服に過ぎなかったのだから。 俺「確かにな。だけど買って来る品物は片手で持てる程度のものなんだ。短いオフだと思って楽しめば良いんじゃないか?」 ニパ「そう……だけど」 返答は心なしか沈んだ気配を帯びていた。 あたかもこれから起こる出来事を予期しているかのような声音。澄んだアクアブルーの瞳に浮かぶのは憂慮の色。 ――さぁ、みんな! 今日はニパ君の誕生日だよっ!!―― 頭の中で木霊する聞き慣れた声。 同部隊に所属するヴァルトルート・クルピンスキーことプンスキー伯爵のそれである。 今日の日付は5月31日。つまりは自分の、ニッカ・エドワーディン・カタヤイネンの誕生日なのだ。 本来なら大抵の少女は訪れる誕生日に胸を躍らせるだろうし、自分も同じだ。別に歳一つ取ることに憂鬱な気分に浸るほど老いているわけでもない。 では何故胸の奥に何かが詰まった感覚を覚えているのだろうか。 答えは簡単だ。誕生日プレゼントを買う為と称して自分と俺と一緒に街へと繰り出してきたのがプンスキー伯爵と管野だからである。 いや、管野に至っては気が滅入るほど心配する必要はないだろう。日頃から軽口を叩き合う仲だが、彼女は何だかんだ言いつつも自分のためにプレゼントを選んできてくれている。 問題はむしろクルピンスキーだ。 以前、彼女から渡されたものといえば乳首や恥部を隠す為の絆創膏だの、少し細工をすれば簡単に解けてしまう紐型ズボンだの。 どれも年端も行かぬ少女にとっては刺激が強過ぎるものばかり。 そういったエロティックな物を贈られたこれまでの経験を踏まえるとニパの思考は当然の帰結といえよう。 ニパ「(今年は一体何だろう……?)」 あまり深く考えたくもないのだが、あらかじめ覚悟を決めておかなければ渡されたときにまた慌てふためくことになる。隊員たちの手前それだけはどうしても避けたい。 無論クルピンスキーなりに自分のためにと思って選んできてくれているのだろうが、そのチョイスには明らかに彼女の煩悩が詰め込まれている気がしてならない。 願わくは今年こそ真っ当なプレゼントを選んできて欲しいのだが、おそらくはそんな自分の願いも今日の夜には砕かれているだろう。 女好きとして部隊内でも有名な彼女が贈る物は毎年際どさが上がっていることも考慮すると、今年のプレゼントは去年よりも破廉恥なものになるのは目に見えている。 ニパ「(恥ずかしいのは嫌だなぁ……)」 市街地の入り口で、管野を伴って別行動を取る際にクルピンスキーが見せた異様なまでに爽やかな微笑が脳裏に投影され、深い溜息。 せめてもの救いといえば今年は俺が部隊に入ってきたことだろうか。 こうして街に足を運んでいるということは彼もまた自分のためにプレゼントを選びに来てくれていると考えて良い。 部隊の中では比較的常識人の部類に属するだけに、伯爵ほど際どい物は贈ってこないはず。 ニパ「あれ? 俺の誕生日はいつなんだっけ?」 俺「俺の誕生日か? 俺の誕生日は……あー……」 ふと生じた疑問を投げかけると言葉を詰まらせて空を仰ぎ見る俺。 つられる様にニパも空に視線を注ぐと、目の前には雲ひとつない清らかな青空広がっていた。定子や管野、そして俺曰く扶桑ではこの手の晴天を皐月晴れというそうだ。 空から俺へと視線を戻せば、彼は顎に手を添え何かを考え込んでいる表情を浮かべて、 俺「……忘れた」 ただぽつりと、そう洩らした。 自分の誕生日のことであるにも関わらず、どこか他人事めいた口調。 興味が無くて忘れた振りでもしているのか、それとも本当に自身の誕生日を忘我の彼方に置き捨てているのか。 ニパ「は、え……えぇぇぇ!?」 俺「そんなに驚くことか?」 ニパ「だ、だって! 自分の誕生日なんだぞ!?」 俺「まぁ……そうだな」 驚くニパの言葉を噛み砕くように何度か頷く。 自分にも誕生日はあった。いや、こうしてこの世に生まれた以上はあると言った方が正しい。 かつて扶桑皇国陸軍飛行第一戦隊に所属していた頃は智子を始めとした部隊員たちから誕生日プレゼントを受け取ったこともあり、長い月日が経った今でも肌身離さず持ち歩いている。 それらの品々が自分と彼女らを繋ぐ数少ない絆なのだから。 どれだけ遠く離れても、もう二度と会うことがないとしても、それさえあれば寂しくなどない。 俺「俺だって誕生日を祝ってもらったことはあったんだぞ?」 だが、それがいつだったのかがどうしても思い出せないのだ。 故郷を捨て、単身で激戦区を回り、癖の強い者たちと部隊を組んではまた離れ。 そうして幾多の出会いと別れを繰り返しながら、死に物狂いで激動を乗り越えていると自分の根幹を成す情報の一部に対する関心が、どうしても薄まっていってしまう。 例えば、戦場で生き抜いていくことに誕生日といった情報は必要ない。ただ戦況を把握し、最善の行動を選択できるようになればいい。 食料が無く木の実に根や蛇などを胃袋の底に落として栄養を摂取していると、かつて自分がどのような料理を好んでいたのかも曖昧になる。 膨大な経験は知識となって脳に納まる。雪崩れ込んで来た知識に押され、重要度の低い情報があぶれただけのこと。 俺「それにだ。そこまで無理して思い出すことでもないだろうよ」 記憶することが人間に与えられた力なら忘却もまた然り。 忘れたものが生きていく上で然程重要でない情報なら血相を変える必要もない。 それに忘れたことも何らかの拍子で思い出すこともあるだろうし、深く悩むほどでもないだろう。 ニパ「でも……」 それでは余りに寂しくないか。俯き語尾をすぼめるニパ。 忘れてしまっていては誕生日を迎える寸前のあの高揚感も、遠くから楽しみにする気持ちすら作ることが出来ないではないか。 知らぬ間に落ち込んだ表情でも作っていてしまったのか、不意に頭に置かれる大きな手の平。 視線を持ち上げれば、そこには柔らかな微笑みを口許に浮かべた俺の姿があった。 俺「ありがとうな、ニパ。でも今日はニパが主役の日なんだ。他人のことで落ち込んでないで、自分のことで楽しまないと」 ニパ「……俺は寂しくないの?」 俺「んー……別に寂しくは無いかな」 誕生日がいつだったかは確かに記憶には無い。けれども、誕生日を祝って貰った思い出は今もこの胸に残っている。 プレゼントを受け取ったときの喜びも、いつも以上に美味しく感じた料理の味も。 嬉しそうな彼女らの笑顔も、誕生日おめでとうと言ってくれたあの優しげな声音も。 その全てが今もまだ自分の胸に残り、鮮烈に思い返すことが出来るのだから寂しがることなど在り得ない。 俺「一番大切なのは思い出だと俺は思うけどな」 ニパ「……そうだな。うん。変なこと聞いてごめん」 俺「いいよ。さてとっ! せっかくの誕生日なんだから、辛気臭い話はこれでおしまいだ。早いところ買い物済ませてニパの誕生日プレゼント選びに行かないとな」 ニパ「うわわっ!? 手を繋いだまま急に走るなよぉ!!」 勢い良く駆け出した俺に連れられた先は家具と調理器具を扱う店だった。 年季の入った外観とは裏腹に小奇麗な内装は人受けが良く、扱われる品々も素人目に見ても趣味が良い物ばかりで店内を賑わす客層も若い男女が多い。 けれどもニパの目には彼らの姿が街中で歩く者たちと、どこか異なるように映っていた。 恋人――というよりかは新婚夫婦といった表現のほうが適切なのかもしれない。 幸せに満ち溢れ、それでいて和やかな雰囲気からそんな考えが浮かび上がる。 ニパ「(幸せそうだなぁ)」 気に入った家具を見つけては手に取り微笑む男女たちの姿に自然と緩むニパの頬。 航空歩兵として空を舞う彼女らにとって、目の前に広がる他愛の無い平凡な風景こそが何よりもの功勲であった。 自分たちが命を賭して戦い、勝ち取った物を身近に感じ取ることが出来る。 いつか自分も好きな相手を見つけ、ああやって笑い合いながら家具や調理器具を選べたら。 年頃の少女ならば一度は抱く願望に胸の内を温めつつ、基地を出る前に定子から手渡されたメモを取り出し、 ニパ「えっと……おたまとしゃもじだっけ?」 俺「使っていた物が痛んできたから早いうちに仕入れておいた方が良いと思ってな」 本来なら一般兵用の食堂から借りてくるのが妥当なのだろうが、幸いなことにここ数日は観測班からネウロイの活動報告が届いてこないため、これを期に新しい調理器具を揃えることになった。 今後の戦況を踏まえれば、暇なときに済ませる用事は済ませておくに越したことはない。特に自分たち502はカールスラント奪還を主とする攻勢部隊であり、駆ける戦場も欧州随一の激戦区。 こうした平穏な日常にいつまで包まれていられるかも分からぬほど自分たちが進軍する先には危険が溢れ返っているのだ。 ニパ「下原少尉が作る扶桑料理は美味しいからなぁ」 俺「定子だけじゃないぞ。今日はみんなニパのために腕によりをかけて作ってくれるんだ。夕飯の準備までには届けてやらないとな」 観測班からの報告も上層部からの指令も入ってこない今が好機なのだろう。 ささやかではあるもののニパの誕生日会を開くと今朝のミーティングで宣言したラルの言葉を思い出しつつ、目的の品が陳列されている棚を目指す。 ニパ「そういえば俺にも何か得意料理があるの?」 俺「俺か? そうだなぁ……豚汁とかかな」 ニパ「トンジル?」 俺「豚肉が入った味噌汁だよ」 単純に豚肉だけを入れたものもあれば大根、人参、じゃが芋といった根菜類を混ぜたものもある。 肝心の食材さえ入っていれば他に入る具が地域ごとに違ってくるのもまた料理の面白さともいえよう。 ちなみに俺が作る豚汁には根菜類の他にも一口大に切り揃えた豆腐や蒟蒻が入っており、扶桑で暮らしていた頃はそれを仲間に振舞ったこともあった。 ニパ「へぇ、食べてみたいなぁ。今度作ってよ」 俺「俺よりもそういうのは定子に頼んだ方が良いんじゃないか?」 口許に人差し指を当てて瞳を輝かせるニパに返していたのは苦笑混じりの言葉。 たしかに得意料理とはいったが、あくまで得意なだけであって純粋な料理の腕前ならば定子のほうが遥に上である。 彼女の料理によって肥えた舌を持つ隊員たちに自分の粗末な料理を出すというのは些か気が引けた。 ニパ「だけど作る人が違うと味付けも違ってくるだろ?」 俺「そりゃ……そうだけどよ」 ニパ「それに俺の手料理ってあまり食べたことないし」 言われてみれば、その通りだと胸裏にごちる。 ペテルブルグ基地に派遣されてから厨房に立ったことは何度もあるが大半は食材を洗い、皮を剥き、切り揃えるといった補佐ばかり。 一から食材を選び、献立を考え、調理を行うといった作業を俺は片手で数えられる程度しかこなしていなかった。 だからといって別に怠けているわけではない。 単純に自分の当番が片手の指で足りるほどしか回ってきていないだけであることに加え、黙って座りながら料理を待つというのも性分ではないため率先して雑用を引き受けているだけなのだ。 ニパ「だからさ、もっと食べてみたいんだ。俺の手料理」 少女が零す、思わず見惚れてしまうほど屈託の無い微笑。 その笑みに俺は数瞬目の前で自分を見つめるニパが軍人であることを、銃器を手に取り人々の矢面に立つ航空歩兵である事実を忘却していた。 本当にこの娘があのニパなのだろうか。自分の不幸体質を嘆き、満ち溢れる敢闘精神に付き従うようにネウロイへと肉薄するあのニパなのか。 いや、きっとどの姿も彼女なのだろうと納得する。ツイてない自己を嘆く姿も、勇猛果敢に攻める姿も。そして、いま可憐な笑顔を浮かべる姿も。 それら全てをひっくるめた上でニッカ・エドワーディン・カタヤイネンなのだ。真っ直ぐで、それでいて可愛らしい。 俺「……あまり期待はしないでくれよ」 ニパ「あぁ!」 耳朶を掠める弾んだ声音が心臓の鼓動を加速させる。 夏はまだ幾分か先だというのにやたら熱を帯びる頬。その上、ニパの顔すら直視出来ない。 何だこの感覚は。どうしてこんなにも胸が痛むのか。 ニパ「俺? どうかした?」 俺「いや、大丈夫だ」 ニパ「本当? 顔が赤いけど熱でもあるのか?」 思わず視線を逸らすと先回りするかのように自分の顔を覗き込んで来る少女の容貌が間近に迫る。 極北のスオムスに舞う粉雪を思わせるかのような白い肌と淡い金色の髪。 どこまでも澄み切った大きな青い瞳。そのどれもが手を伸ばしてしまいそうになるほどに磨き上げられ、それらが一つとなったニパの容貌は息を呑むほど美しかった。 制御下から離れていた理性を取り戻し、視線を少女の美貌から進行方向へ。 俺「いや、本当に何でもないんだ。気にしないでくれ」 ニパ「そうか?」 俺「あぁ。えっと……ここだったな」 棚に置かれた木製のしゃもじを見つけ、手を伸ばす。 そのときの俺は胸裏に巣食う正体不明の違和感に心取り乱されていたため、自身と同じようにしゃもじへと伸びるニパの手の存在に気付いていなかった。 木製器具へと伸びる二本の手。接触までの時間はほんの一瞬、気がつくほどの余裕はない。 そして、 俺「ッ!?」 ニパ「うわっ!?」 互いの指先がしゃもじに届く寸前に触れ合った。 俺はニパの柔らかな指先に、対してニパは店に入るまで自分の指を包み込んでいた俺の手の感触にすぐさま手を引き戻す。 漂い始める重苦しい沈黙。言葉を搾り出そうにも何を言えば良いのかも考え付かない。 下手なことを口走れば更に緊張を重くしてしまうのではないか。そんな思いが二人の口を噤む。 ニパ「その……」 俺「なんだ……すまん」 ニパ「い、いいよ……気にしてないから」 俺「あ、あぁ」 ぎこちなく頷く。そのとき俺はこの店に入るまでニパの手を握っていたことを思い出した。 よく考えれば自分はとてつもなく恥ずかしいことをしていたのではないか。自分がしでかしていた行為に改めて気恥ずかしさが込み上げて来る。 「よぉ。こんなところにいたのか」 不意に聞き慣れた声音が耳朶を掠める。 声が飛んできた方へと視線の先に立っていたのは両腕を腰に当てた一人の少女。 ペテルブルグ市街の入り口でクルピンスキーと共に別行動を取った管野である。 俺「ナオ?」 ニパ「確か伯爵と一緒にいたんじゃ」 管野「あの後になって急に別行動しようって言い出されてさ」 彼女の話によると自分たち二人と別行動を取った後、数箇所ほど店を回ってから突然別行動を取ろうとクルピンスキーが言い出したらしい。 管野自身も互いが別れたほうがプレゼント選びも効率良く進められると踏んだため、クルピンスキーと別れることを選んだ。ついでに古本屋も覗きたかったことも理由の一つだが。 管野「それで二人は下原から頼まれごとか?」 俺「まぁな。そうだ、ナオって料理は出来るのか?」 管野「しねぇし、出来ねぇよ」 顔を顰めて返す管野。 触れてはならない部分に触れてしまったのか。心なしか彼女の口調もそのトーンが若干下っている。 不機嫌な表情を浮かべる管野を前に、小さな笑い声が漏れ出した。 声に気がつき俺が視線を巡らせば、口許に手を当てて笑い声を押し殺すニパの姿があった。 ニパ「カンノに任せたら大変なことになるからな……っくく」 管野「っせぇな。オレは食う方が専門なんだよ。大体何だって急にそんなこと聞いてくんだよ」 俺「さっきニパに得意料理はあるのかって聞かれてな。それで偶然やって来たナオにも訊いてみようと思って」 手に取ったしゃもじを掌の中で器用に回しながら俺が答える。 もしも彼の手に握られていたものがナイフや包丁といった刃物類、もしくは拳銃であるならば、その姿も様になっていただろう。 けれども生憎と彼が握るものはしゃもじ――ただの料理器具である。迫力にも凛々しさにもかけていた。 管野「そりゃ期待を裏切っちまって悪かったな。そういう俺には何か得意料理でもあんのかよ?」 ニパ「俺はトンジルが得意なんだってさ」 俺「あとはカレーかな」 管野「と、豚汁。それに、カレーか……」 ごくりと生々しい音がなった。 その音が管野の喉から発せられたものだと気付くのに俺は幾許かの時を要した。かつて口にしていた故郷の味を思い出すように、こくんと動く管野の喉下。 更に注意して彼女の姿を観察すれば、人差し指は口許へと運ばれ、瞳も忙しなく辺りを見回している。 あたかも食事の献立が自分の好物であると知ったときの子供を思わせる姿に俺は自然と自分の胸が温まっていく感覚を覚えた。 管野「……作れよ」 俺「うん?」 管野「今度お前が食事当番になったら豚汁作れ」 俺「俺で良いのか?」 管野「お前で良いよ。それに下原の当番は昨日だったからな」 502に所属する魔女たちのなかで扶桑料理を作ることが可能な者は現状、下原と俺の二人のみ。 彼女の当番が過ぎた以上、次に扶桑の料理を作るのは必然的に俺となる。 その時になったら献立に豚汁を入れろと管野は言っているのだ。 俺「リクエストが出た以上は答えないとな」 要望を出してもらった方が献立を一から考えるよりは遥に楽だ。 一つでも料理が決まれば、それに合わせた品目を考えることが出来る。 さて、豚汁に合う料理とは何だろうか。 ニパ「やった!」 思案に暮れている最中、隣でニパが小さくガッツポーズを取った。 その様子がどこか子供めいていて、そんなニパの様子に俺は胸に沸き起こる嬉しさを隠しきれずに口許を緩ませる。自分の料理を楽しみにしてくれることが、純粋に嬉しい。 楽しみにしてくれている以上は出来る限り期待に応えなくてはならない。 ――それじゃ、頑張りますか。 胸裏でそう零す俺の表情はいつになく朗らかなものとなっていた。 定子から頼まれていた品を無事に買い揃え、店を後にする。 空は相変わらず雲ひとつ無い晴天を維持していた。 俺「俺たちは待ち合わせまで他の店を回る予定だけど……ナオはこれからどうする?」 管野「いや、オレもまた別のところを回ってみる」 俺「そうか。それじゃあ、また公営パーキングで。待ち合わせ時間に遅れるなよ?」 管野「わぁってるよ。ガキじゃないんだから」 ニパ「またな」 管野「お前たちも遅れんなよ」 小さくなっていく少女の背中。 瞬きをした瞬間、その背は人波の中へと消えていた。すぐ傍に漂っていた彼女の名残が完全に消え失せたことを悟り、ニパを伴って歩き出す。 俺「さってと。用事も済ませたことだし、ニパのプレゼント選びに入りますかな」 ニパ「面と向かって言われると……何だか照れちゃうな」 俺「誕生日なんだ。今日ぐらいは我侭になっても文句は言われないさ」 ニパ「……うん。ありがと」 管野と分かれた二人が訪れたのは比較的大きな洋品店であった。 洋品店といっても雑貨の他に衣服から拳銃、果てはそのホルスターまでと扱われる商品は多岐に渡っている。 若干、物々しさも混じってはいるがここならニパが欲しがるものもあるはず。 ニパ「すごいなぁ。色々なものが置かれてる」 俺「普通の服なら奥の方だな」 ニパ「うん。でも本当に良いの?」 俺「大丈夫だよ。蓄えならまだあるからな。ここらで使っておかないと」 ニパ「……ありがとうっ」 初めて入るのか、幾分か瞳を輝かせたニパが店内の奥へと向かおうとした瞬間、 クルピンスキー「やぁ。会いたかったよニパ君」 あの陽気な声が、鼓膜を震わせた。 まず感じたのは全身の毛が逆立つ感覚。脳内では既に警鐘が叩かれている。 生存本能に従い、弾かれるような動作で自身と声の主との間に俺を挟み込む位置へと移動。 恐る恐る俺の陰から顔を覗かせると案の定、目の前には爽やかな笑みを湛えたプンスキー伯爵が優雅に腕を組んでこちらを見つめていた。 ニパ「中尉……来てたんだ……」 クルピンスキー「うん。ニパ君に似合いそうなものをずっと探していたんだ」 言うなり、はにかむクルピンスキー。 一体その笑みでどれだけの年端もいかぬウィッチが犠牲に、もとい虜にされたのか。 俺「伯爵じゃないか。ちゃんとニパの誕生日プレゼント見つけてきたのか?」 クルピンスキー「もちろん。ちょうど良いから、ここで試着してみてよ」 俺「試着って服なのか?」 クルピンスキー「うん。でもサイズが合わなかったら大変だからね。先に着て欲しいんだ」 試着―――その言葉がクルピンスキーの口から洩れた瞬間、ニパの脳裏に数々の光景が蘇った。 僅かに動いただけで解けそうになる紐型のズボン。そして、あの絆創膏。 少しずつ、そして着実に恐怖の情が込み上げて来る。 ニパ「い、嫌だ! 絶っ対に着ないからな!!」 俺「…………伯爵。この子に何を渡してきたんだ?」 クルピンスキー「え、えーと」 ニパ「だ、駄目! 言っちゃ駄目!!」 頬を紅潮させたニパがクルピンスキーの言葉を遮った。 言わせてはならない。俺にだけは教えさせては駄目だ。あんなあられもない姿など絶対に知られたくない。 俺「念のため聞いておくけど。今年はまともなものなんだろうな?」 胸元にしがみ付くニパの頭を撫でる俺がクルピンスキーに向ける目を細めた。 自分がペテルブルグ基地へと配属される前のニパの誕生日に一体何が起きたのだろうか。 少なくとも自身の身体に伝わってくる小刻みな震えから、壮絶な目に遭ったことには間違いない。 問い詰める俺を前に、浮かべていた微笑に苦みを含めるクルピンスキー。 クルピンスキー「ほ、本当だって」 俺「だったら今ここで見せてくれないか? 危ない物だったら着させられないぞ」 クルピンスキー「まったく。ほら、これだよ」 俺「これは……たしかにこれくらいなら問題ない、か」 差し出された物をしばしの間、見つめて頷く。 女の子の誕生日プレゼントにしては些か華やかさが欠けるものの、これならば実用性にも富んでいるし、少女の羞恥心を誘うこともないだろう。 ニパ「うぅぅぅぅ」 俺「ニパ。大丈夫だぞ。今年のは普通みたいだ」 ニパ「ほ、本当?」 俺「あぁ。だから伯爵の方を見てごらん」 ニパ「……?」 徐に背後へと振り返る。 クルピンスキーの手に握られていたのはショルダーハーネスだった。 良質な素材を使用しているのか頑丈さと高級さを兼ね揃えた黒光りを放つ、それを前に思わず目を丸くしてしまう。 まさか、あのクルピンスキーがこんなまともな品を選んでくるとは。今まで渡されてきたものがものだけに目の前のハーネスがニパの目には輝いているように映った。 クルピンスキー「これならどうだい?」 ニパ「こ、これなら……良いかな?」 やや興奮した面持ちで答えるニパ。 拳銃を入れるスペースの他にも様々な大きさのポケットが備え付けられており、衣料キット程度のものなら容易に携行できる。 日頃腰に巻くポーチも加えると弾薬を始めとした各種装備の携行量も格段に増加し、そうなれば戦闘持続時間も自然と長引く。 クルピンスキー「ニパ君は良く怪我をするでしょ? だからせめて可能な限り多く、そして嵩張らない程度に装備を持ち運べることが出来るものを贈りたかったんだ」 もちろん君を落とさせはしないけどね、と聞き様によっては殺し文句とも受け取れる言葉を締めにクルピンスキーが手に持つハーネスを差し出した。 緊張した面持ちで生唾を飲み込むニパの肩を叩いた俺が店内奥に設置された試着室を指差す。 俺「どうする? 試しに着けてみるか?」 ニパ「う、うん……それじゃあ」 照れたように頬を染めて店内の奥へと駆けて行くニパの後を追いながら、 俺「珍しくまともなものを贈ったみたいだな」 クルピンスキー「僕だってそこまで露骨じゃないさ。それより俺のプレゼントは決まったのかい?」 試着室近くに設置されたベンチに座り込む俺が頭の中でニパに贈るプレゼントのイメージを固める。 今日に至るまで様々な案を浮かべてきたが、幸いにも昨日になってようやく具体的な段階まで進めることが出来た。 俺「大体はな。この後少し寄るところがある。それまでニパのこと頼めるか?」 クルピンスキー「寄る所?」 俺「待ち合わせの時間には戻るからさ」 特に言及することはなく、意外なほどあっさりとクルピンスキーは頷いた。 クルピンスキー「良いよ。でも早く戻ってきてよ?」 俺「分かってる。おっ……そろそろお披露目みたいだぞ」 試着室の内部と店内を仕切る紅色のカーテンが波を打つ光景を前に俺が腰を上げた。 隣で同じようにベンチに腰を落としていたクルピンスキーも口許に笑みを湛え、彼女の登場を待ちわびる。 紅色の布が一際激しく動き、 ニパ「あの……これ。キツいんだけど……」 俺「ぶっふぅ!?」 ハーネスを身に着けたニパがその姿を晒した瞬間、盛大に噴出した者が約一名。言わずもがな俺である。 水色のセーターの上を走るショルダーハーネスの黒。色合いとしては然程問題ではない。 問題はハーネスを纏った彼女の外見にある。 ショルダーハーネスによって強調される起伏の激しい上半身とウェストライン。 特に胸元に実るたわわな果実が前面に押し出される様は男のリビドーを激しく刺激し、一歩間違えればボンデージ衣装と見られても可笑しくない。 俺「お、おまっ! 何て物を渡してるんだ!!」 クルピンスキー「僕は至って真面目だよ! これなら実用性も富んでいるから満足じゃないか!」 俺「満足しているのは明らかにお前だけだろう。ニパは? どう思う?」 興奮するクルピンスキーを他所に、極力胸元に視線が逸れないよう恥らうニパの容貌へと視線を注ぐ。 それでも視界の端で揺れたわむ双丘の存在にどうしても目線が吸い寄せられるのは男の宿命なのか。それとも単に自分が性に餓えているのか。 どちらにせよ、この状況は非常にまずい。 隆起し始める愚息の存在を悟られないよう、再びベンチに腰を降ろし上半身を前へと傾けることで男の尊厳を保つ俺。 ニパ「ハーネス自体は悪くないんだけどさ……これ、んっ……もう少し、大きいサイズないの?」 上半身に喰い込むハーネスの感触にこそばゆさを覚えるニパが身を捩った。 たとえそれが小さな挙措であっても扇情的に揺れ動く彼女の柔肉。 クルピンスキー「ニパ君……そのサイズじゃ駄目、なの?」 縋りつく眼差しを注ぐクルピンスキー。 哀愁が漂う双眸はあたかも捨てられた仔犬を思わせるも、 ニパ「うん。きつくて落ち着かないや」 クルピンスキー「ちぇっ」 もじもじと身を捩るニパの言葉に悔しそうに舌を打った。 ニパの誕生日会が滞りなく終わったその日の夜のことである。 明日の為に身体を休ませようと誰もが自室に戻るなか、談話室には俺とニパの二人だけが残っていた。 日中での出来事もあってか、他人の目の前でプレゼントを渡すことに気恥ずかしさを感じた俺は事前にパーティーが終わった後に祝いの品を手渡すと告げていたからだ。 俺「悪いな。引き留めて」 ニパ「良いよ。俺には色々と世話になったからさ」 両手にコーヒーが淹れられたマグカップを持って横に腰掛ける。 ニパ「それで。俺のプレゼントは何なんだ?」 俺「……これなんだけど。気に入ってもらえると嬉しいな」 差し出してきた手の平の上に鎮座するのはネックレスと思しきものだった。 頑丈さを優先しているのか装飾部に通されるチェーンは重厚感溢れる無骨なデザインとなっており、持ち上げれば沈み込むような重みが掌に伝わってくる。 五月の誕生石であるエメラルドを模した色鮮やかな緑の水晶が嵌め込まれた装飾部の表面。 裏返せば彼女の故郷ことスオムスに伝わる妖精、トントの可愛らしいレリーフがニパの口許を綻ばせた。 ニパ「きれいだな……」 俺「アミュレット、お守りだよ。悪いな。何か安直で」 ニパ「そんなことない! すごく嬉しいよ」 俺「ありがとうな。そう言ってもらえると助かる」 瞳を輝かせ、アミュレットを持ち上げるニパの弾んだ声を聞きながら、彼女が淹れたカハヴィを口にする。 淹れ方が上手いのだろうコーヒーが苦手な俺でも彼女の淹れてくれたカハヴィはすんなりと喉に流し込めた。食道を通って胃へ落ちていく温かな液体の感覚に浸る最中、不意に蘇る懐かしい記憶。 俺「(なぁ、武子。なんだか……またお前が淹れてくれたコーヒーが飲みたくなってきたよ……)」 もう会うことの仲間の名を胸裏で口にし、残りを飲み干した。 武子だけじゃない。智子、圭子、綾香、敏子。彼女ら皆全員、自分が死んだと思っているに違いない。 もしも顔を合わせることがあるのなら、彼女らはどんな表情を浮かべるだろう。 幽霊だと勘違いして怖がるか。それとも…… ニパ「俺? どうかしたか?」 隣から聞こえる自身を気遣う声に思考が途切れる。 振り向けば両手でアミュレットを握り締めるニパがこちらに視線を注いでいた。 澄んだ双眸に浮かぶ不安げな光。いつの間にか要らぬ心配をかけてしまっていたようだ。 俺「いや。ニパの淹れてくれたカハヴィが美味しいもんだから、つい物思いに老け込んじまっただけだよ」 ニパ「そ、そんな。大袈裟だよ」 頬を紅潮させるニパにおかわりを頼もうと口を開いたそのときであった。 ――俺! 誕生日おめでとう!―― 脳裏に。あの懐かしい声たちが響き渡った。 その声に、ほんの一瞬だけ俺は身体を硬直させた。 ニパ「おれ?」 顔を覗きこむニパから視線を外し、改めて今日の日付を確認する。 残りあと数分で終わりを迎える今日は五月三十一日。 俺「……思い出したよ」 ニパ「思いだしたって何が?」 俺「俺の誕生日」 ニパ「本当か!? いつ!?」 誕生日さえ知ることが出来ればお返しが出来ると身を乗り出すニパの頭に手を乗せたときには、 俺「俺の誕生日も……ちょうど、今日。いや昨日だった」 日付が変わり、六月を迎えていた。 ニパ「そ、そんな……それじゃあ。お返しが出来ないじゃないか!!」 俺「別にいいよ。お返しなんて。俺がやりたくてやったことだからな」 ニパ「…………じゃ、じゃあ!」 俺「うん?」 ニパ「来年は……一緒に誕生日を祝わないか?」 俺「来年?」 ニパ「あ、その。俺さえ……よければ、だけど……」 来年――果たしてそのときまで自分はここペテルブルグ基地に残っているだろうか。 気恥ずかしそうに身を動かすニパを見つめながら、そんな考えが脳裏を掠めた。 表向きは補充要員だが、実際はウィッチを脅かす存在を手当たり次第消去するのが俺の仕事である。目標さえ殲滅すればペテルブルグ基地に居座る理由もない。 俺「そうだな。それじゃあ、また来年を楽しみにしているよ」 ニパ「それじゃあ! おやすみ!」 俺「あぁ、おやすみ」 果たせるかどうかも分からない口約束に満足そうな笑みを浮かべたニパがソファから腰を上げ、弾むような足取りで談話室を出て行く後姿を見送った俺も簡単な肩付けを終えてから談話室を後にした。 誰もいないであろう廊下に足を踏み入れ、自室へと向かおうとした矢先、 俺「ラルにエディータ、伯爵にサーシャ。どうかしたか?」 目の前にはラル、ロスマン、クルピンスキー、サーシャの四人が立っていた。 少し前に先に談話室から出て行った四人がどうしてここにいるのか。 ラル「いや。ただ謝ろうと思ってな」 俺「謝る?」 クルピンスキー「さっきのやり取りを聞いちゃったもんでね」 俺「さっきの……あぁ」 謝ると告げるラルの言葉から察するに、彼女らが言うやりとりとは自分の誕生日が今日であることに気付いた辺りだろう。 ラル「書類には確かにお前の生年月日が記載されていた。そのことを忘れ、大切な仲間の誕生日を祝ってやれなかったのは私のミスだ。だから」 そう言うや否や一歩詰め寄るラル。 幼さが残るニパのそれとは異なる大人びた美貌。瑞々しい艶やかな唇に、ニパ以上の豊満な果実に思わず目線が引き寄せられてしまう。 そんな俺のことなど気にもかけずに顔を近づけたラルが鼻の頭に軽く口付けした。 ちゅっという小気味の良い音が、静まり返った廊下に木霊する。 ラル「今年はこれで我慢してくれないか?」 俺「……えっ」 ラル「これは……私からの誕生日プレゼントだ。唇は……まだくれてやれないがね」 俺「え……あ、うん」 照れたようにはにかむと、軽く手を振って身を翻す。今度こそ自室へと戻るようだ。 しかし肝心の俺は突然のキスに、思考力を奪われ状況を理解することが出来ずにいた。 困惑する彼に追い討ちをかけるかのように、今度はクルピンスキーとロスマンが距離を詰めてきた。 俺「お、おい!? 伯爵!? それにエディータまで!」 クルピンスキー「ほら。屈んであげて」 俺「な、なんだよ? 何をする気だ?」 クルピンスキー「良いから。ほら……悪いようにはしないから」 促されるままに膝を曲げる。 ラルからの突然のキスに判断力すら失った俺はあっさりと彼女の口車に乗っていた。そのことに何ら疑問も抱かぬまま。 ロスマン「んっ!」 クルピンスキー「ふふっ」 右頬を突くようにロスマンが、痕を残すように左頬に唇を当てるクルピンスキー。 二つに重なる小気味の良い音が耳朶を掠めた。 しばし停止する思考。再起動。状況把握、完了。自分はいま、二人に、キスをされた。 俺「はぁっ!?」 仰け反る俺の姿がツボにはいったかのように微笑を零すクルピンスキー。 ラルといいこの二人といい。突拍子のない行動に隠された真意が理解できない。 ほんの数分前までニパと談笑を楽しんでいたときにはこんなことが起きるなど想像もつかなかった。 クルピンスキー「僕たちからの誕生日プレゼントだよ。当分は休みもないから代わりの品物を用意することも出来ないしね」 ロスマン「一日遅れましたけど……おめでとう、ございます」 悪戯めいたクルピンスキーとは対照的に頬を紅潮させるロスマン。 クルピンスキー「これでも君を信じているんだよ? だからこれは信頼の証として受け取って欲しいな」 俺「だ、だけど……」 いくら何でもキスはまずいだろう。 後に続く言葉は額に生じた小さな衝撃によって掻き消された。 肌に触れる色鮮やかな金の長髪から漂う甘い香り。部隊内で金色の、それも長い髪を持つ少女など一人しかいない。 俺「サー……シャ?」 恐る恐る顔を離すサーシャに呆けたような言葉しかかけることが出来なかった。 サーシャ「そのっ……これからも、よろしくお願い、します」 クルピンスキー「それじゃあ。また明日ね」 ロスマン「恥ずかしい……」 去っていく三人の背中が曲がり角の向こうへと消え、 俺「俺も……まだまだ捨てたもんじゃないって……ことか?」 気の抜けた声が漏れ出した。 これはあれだ。西洋特有の親愛の証だ。よく頬や手とかにキスする光景を目にしたことがある。 きっとそうだ。そうに違いない。変な気を起こすな。 そう自分に言い聞かせ自室への帰路を辿る俺。心なしか彼の足取りはいつもよりやや軽かったが、その違いに気付く者は誰一人としていなかった。 おしまい
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逃げたゴミカス
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「本当にいるんだって! 俺の彼女がウィッチなんだけどよ、見たんだって! 鋼鉄の巨兵!!」 「嘘つけよ、そんなデカイのが歩いてたら話題になるに決まってんだろ」 「それがよぉ……ネウロイ倒したらいつの間にか消えちまったらしいんだよ」 廊下から聞こえてくる同僚たちの噂話を耳にしながら俺は顎下に手を伸ばす。 泣き声が響く自室のなか窓辺に設置されたベッドに腰かける青年は状況の把握に追われていた。 すぐ真横に視線を向けると目元に手をやり大粒の涙を零しながら嗚咽を漏らして、端正な容貌を歪ませる智子の姿が視界に入る。 あれから再会を果たしたのも束の間、自分が生きていたと知るや否や泣き崩れた彼女を俺は自室へと連れて行った。 ぶつかった際の反動で床に落ちた鞄から察するに智子は割り当てられた自室へと向かう途中だったのだろう。 本来なら智子の部屋へと連れて行けば良かったのだが、突然の再会に驚いたのは俺も同じだった。 もう会うことなどないと思っていた妹との再会。 思考が追いつかず呆然とするなか泣きじゃくる智子にしがみ付かれたことで俺の動揺は更に膨れ上がった。 判断力も鈍り、気がつけばその場から一番近い自室へと彼女を連れ込んでいた。 それが正しい選択かどうかはこの際置いておこう。 問題は何故、智子がここペテルブルグ基地に来たのか……いいや、答えなど聞かずとも見当はつく。 隣で泣き声を上げる彼女こそがカウハバ基地から派遣されてきた件の補充要員なのだろう。 智子「……ひっぐ……ぐす……ねぇ、おれ?」 俺「ん、どうした?」 幾分か落ち着きを取り戻したのか。隣から聞こえる嗚咽が混じった智子の声に俺は努めて落ち着いた口調で返す。 何故、スオムスから来たのか。 とっくに上がりを迎えた筈の身であるのに、どうして未だ欧州に留まっているのか。 聞きたいことは山ほどあるものの、いまは彼女の精神を安定させることが先決だろう。 俺「(綺麗に、なったな)」 視界を占めるのは端正な頬を涙で濡らす智子の泣き顔。 整った顔立ちを泣き濡らし、歪ませながら、しゃくりあげているというのに。 呼吸すら忘れて見惚れてしまうのは彼女が生まれ持って得た美貌によるものだろう。 しばらく会わないうちに随分と美しさに磨きがかかったものだ。 既に智子の容姿から幼さは消え、代わりに備わった大人の艶が彼女の美を引き立てている。 智子がこれほどならば同じ部隊に所属していた“彼女たち”もさぞ美しい女性として成長していることだろう。 智子「ねぇ? ほんとうに、あなた……なの?」 身体を何度も震わせる智子は、自身を見つめる俺の頬へと恐る恐る手を伸ばして涙で濡れて湿った細い指先を添える。 こうして隣に彼が腰掛けている今が夢でないことを確かめるように。 彼が生きているというこの今が現実であることを実感するように。 あのとき届かなかった手を、智子は伸ばす。 俺「あぁ……俺だよ。久しぶりだな、智子」 智子「ほん、とう? ほんとうに……ひっく、俺――なの?」 俺「もちろん。色々あったけど……ちゃんとこうして生きてる。ほら、手だって握れるだろう?」 口元に笑みを浮かべる俺は自身の頬に触れる智子の手を包みこむ。空いたもう片方の手は彼女の頭に。 慈しむような手つきで、嗚咽にあわせて震える智子の頭をそっと撫でる。 手の平を充たす温かく柔らかな髪が与える懐かしい感触に俺は小さく感嘆の吐息を漏らした。 まだ二人とも幼かった頃。 食事を摂るのも、風呂に入るのも、遊びに出かけるのも、何をするときも一緒だった頃。 甘えてきた彼女を、夜の暗闇に怯えすがり付いてきた彼女をこうやって撫でては落ち着かせていた記憶が彼の脳裏に蘇っていた。 智子「あ、あ…………あぁぁ……」 伸ばした指先を握る手の感触と自身の頭に乗せられた手の平の温かさに智子の唇からか細い声が零れ落ちる。 長らく忘れていた胸を満たす感覚に智子は再び目頭が熱くなっていくのを感じた。 あぁ、間違いない。 自身を包みこんでくれるこの温もりも、この安寧も。 彼を喪ったあの日から今日に至る何年もの間心の底から欲していたものばかりだ。 智子「本当に、あなた……なのね」 俺「おいおい。さっきからそう言っているじゃないか」 自身に触れる彼の手から伝わる温かさとそれがもたらす安心感に智子は目の前にいる男が――俺が生きている現実を実感した。 同時に自分の罪を思い出し、智子は俯く。そもそも俺が撃墜され海中へと沈んだ原因は他ならぬ自分である。 全身を銃弾で穿たれた上に海面に叩きつけられて無傷であるはずがない。彼を死の淵へと追い込んだ自分が再会の喜びだけを抱いて良いはずがないのだ。 その事実を改めて自覚した智子は恋慕の念とはまた別の、胸裏に秘めた思いを告げるために口を開く。 それは長い間、智子の背に圧し掛かり、彼女の心身を縛り続けていたもの。後悔、懺悔、罪悪感といった粘り気を帯びた情念。 智子「――……んなさい」 不意に俯き何かを呟いた智子に俺は訝しげに眉をひそめた。 確かに彼女が何らかの言葉を口にしたのは聞こえたのだが如何せん声が小さいせいか、何を伝えたいのかよく聞き取れない。 俺「ん? どうし――」 智子「ごめっ……なさい! ごめんな……さい! ごめんなさい! ごめんなさい!」 堰を切ったかの如く、彼女の形の良い唇から雪崩れ落ちたのは悲痛な色に染め上げられた謝罪の言葉だった。 何度も、何度も、何度も。 泣き声が混じった智子の、耳にしていて身を切られるほど悲愴な感情が込められた謝罪が俺の自室に響き渡る。 その勢いは衰えることを知らずまるで機械のように、ただその一言だけを一心に口にし続ける智子を前に俺の表情が曇った。 俺「おいおいおいおい! どうして急に謝るんだよ!?」 智子「ごめんなさい……ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい!!」 問いかけにも応えず謝罪を続ける智子の姿に自然と、曇っていた俺の表情が歪んでいく。 俯いているせいで彼女の顔を窺うことはできない。 けれども許しを乞おうと何度も謝罪の言葉を紡ぐ妹の姿は痛ましく感じられ、そんな彼女を俺は直視することができなかった。 第一に彼女から謝罪の言葉をぶつけられる謂れが、俺には無い。 何が原因で謝られるかも分からない上に妹の慟哭が混じった謝罪に耐えられない彼の手は自然と彼女の両肩に伸びていた。 俺「智子…………ッ!?」 両肩に手を乗せられ、身体を強張らせた智子が顔を上げる。 溜め込んでいた涙を零す一対の黒い双眸に漂う光に俺は息を呑んだ。 少しでも触れようものなら容易く壊れてしまう脆さがいまの智子を包みこんでいた。 本当にこの女はあの智子なのか。常に自信に満ち溢れた笑みを絶やすことのなかったあの穴拭智子なのか。 智子「だって! 私のせいで俺が!」 それは自らの手で愛する人間を死の淵に追い込んだ者の悲痛な叫びだった。 「私さえ前に出なければ! あなたが私を庇うこともなかった!!」 友人たちの静止も聞かず。 彼が傍にいることへの安心感に身を任せ増長した結果、自分は想いを寄せるその彼を死に追いやった。 「あのとき、もう少し様子を見ていれば敵に撃たれることもなかった!!」 扉の向こうに繋がる廊下に届く勢いで智子は想いの丈を吐き出していく。 脳裏に蘇っていたのは目の前で大切な人の身体が銃弾で穿たれる光景だった。 頭上に広がる清々しい青空とは反対に色鮮やかな真紅の血飛沫が眼前で飛び散る光景だった。 糸が切れた操り人形のように彼の身体が重力に引かれて海面へと落下を始めた光景だった。 一瞬で、たった一瞬で、大切な物を傷つけられた挙句喪ってしまった光景だった。 何度も悪夢として自分を苛み続けた光景だった。 「私のせいで俺が撃墜された! 私が、あなたから軍人としての人生を奪った!!」 海へと落ちた俺の捜索を扶桑皇国陸軍は早々に打ち切った。 それは陸軍上層部が、俺が戦死したと判断したことに他ならない。たとえ彼が扶桑に戻ろうともその決定は覆らないだろう。 あの時、慢心しなければ彼はまだ扶桑皇国陸軍の軍人として空を飛べていたのではないか。 だとすれば自分が彼の人生を捻じ曲げてしまったのだ。 俺「あぁ……」 吐き出された智子の感情を受け止め、俺は得心がいった表情で、声音で呟いた。 ――なるほど。そういうことか ――つまり、こいつは。あのとき俺が撃墜された原因は自分にあって、そのことを謝っているのか 俺「馬鹿だな……」 小さく笑みを零して両の手を彼女の肩に回すなり抱き寄せる。 温かく、柔らかく、肉付きのよくなった智子の身体を。 甘い薫香を放ち柔らかな感触を持つ女のそれとなった妹分の身体を、俺は昔と変わらぬ要領で抱き寄せた。 智子「……え?」 突然の抱擁に涙を浮かべる目を丸くした智子が腕のなかで自分を見上げてくる。 涙で潤んだ黒い瞳には笑みを浮かべる自分の姿が映りこんでいた。 俺「智子。お前が気にすることも、ましてや悔やむこともないんだよ」 片方の手で智子の背を撫でながら俺は本心を口にする。 恨んでいるわけがない。 憎んでいるわけがない。 あのとき死ぬことになったとしても自分はそれでもよかった。 そう言外に含まれた俺の言葉に智子が声を震わせながら口を開いた。 智子「……う、嘘よ。だって……だって」 俺「なぁ、智子? こうしてお前と話している俺は……お前のことを恨んでいるように見えるか? 憎んでいるように見えるか?」 智子「……それ、は」 言葉を詰まらせ、智子は自身を抱き寄せる男の表情に視線を注ぐ。 黒い瞳に漂うのは憤怒や怨嗟のような鋭さとは程遠い柔らかさを帯びた光。 少年だった頃と比べて引き締まった頬は優しく綻んでいた。 自らを死に追いやった相手に見せるにはあまりにも穏やかで優しげな微笑みに智子は、ふるふると頭を振った。 俺「だろう? それにな。たとえあのとき死ぬことになってもお前を守ることが出来たなら、俺は別にそれで良かったんだよ」 それは紛れも無く嘘偽りの無い本心だった。 そもそも俺が軍に入ったのも幼い頃から可愛がってきた妹分である智子をたった一人で陸軍に入れさせたくなかったからに他ならない。 あのまま軍に入らなければ自分は戦場を飛び交うこともない平凡な人生を送っていただろう。智子を庇い、生死の境を漂うことも無かっただろう。 それでも彼が陸軍の航空歩兵を志願したのは全て妹分であった智子を守りたいから。 だからこそ、 俺「後悔なんかしていない……いいや、しているわけがないんだよ。智子」 ――お前を守ることが出来たんだからな。 そう彼女の耳元に口を近づけ囁くなり抱擁の力を強める。 起伏がはっきりと浮き出るまでに成長した智子の身体が大きく強張った。 俺「長い間、寂しい思いさせちまったな。ごめんよ」 後頭部に手の平を添える俺の口から謝罪の言葉が零れ落ちる。 もしかしたら智子だけではなく武子や圭子、綾香。姉代わりであった江藤敏子にも同じく寂しい思いをさせてしまったのかもしれない。 そうであって欲しいと願いながら俺は智子の髪を撫で続ける。 彼女らが今も自分のことを大切に思っていてくれているのならば、もしも再び巡り会えたときにはこうして謝らなければいけなくなるだろう。 そう胸裏で零しながら俺はそれと、と一度言葉を区切り、 俺「生きていてくれて、ありがとう」 同時に今日まで無事に五体満足で生きていてくれた彼女に感謝の言葉を捧げた。 智子「どうして……よぉ。ぜんぶ……わたしが、わるいのにぃ……」 自分を庇ったばかりに彼は若い身でありながら全身を穿たれ、撃墜された。 恨まれていると思っていた。憎まれていると思っていた。 だというのに彼は笑って否定し、自分の身を案じてくれた。自分が生きていることを喜んでくれた。 そのことがどうしようもなく嬉しくて、智子は再び目頭が熱を帯びる感覚を抱いた。 俺「言っただろう。俺はお前のことなんか、これっぽっちも恨んじゃいない」 言うなり俺は腕のなかで震え始めた智子の身体を強く抱きしめる。 抱擁を通して自分の思いを伝えるかのように、抱き殺す勢いで彼女の身体を掻き抱く。 俺「だからもうこれ以上、自分を責めるのはやめろ。せっかく会えたのに泣き顔ばっかり見せられたら堪らないんだ」 温かい手の平が頭を撫でる。柔らかな声音がゆっくりと降り注ぐ。 治まっていたはずの嗚咽が再び込み上げてくる。 目頭が熱くなり視界がまた滲み出す。 智子「う、ぁ……あぁ……うぁぁ……」 俺「ただいま……智子」 その一言を皮切りに智子は再び声を張り上げて涙を零した。 せめて、これ以上みっともない泣き顔を見せまいと愛おしい男の胸元に顔を埋めながら。 背中と頭を撫でる手の平の優しい温もりを感じながら。 涙を流し続けた。 凍てつく風が吹くその日、穴拭智子は長い歳月を経て自責の念から解放された。 ――― ―― ― マグカップから立ち昇る白い湯気と甘いカカオの香りに頬を綻ばせながら、智子は隣に腰掛ける男の体躯に身を預けた。 肩と頬から伝わってくる想い人の体温。 それは手の平にあるカップから発せられる熱とは違い、優しくてどこか力強さを帯びていた。 再びこうして彼の体に身を預けることを何度夢見たことか。 全身を充たし、温める幸福に浸っていると不意に肩に手を回されて抱き寄せられた。 自然と智子の笑みが深いものになっていく。 智子「……ねぇ。一つ聞いても良い?」 マグカップに注がれたココアの味を堪能し終え、智子は口を開く。 聞きたいことはただ一つ。 恐らく彼も自分が何を知りたいか既に検討がついているはず。 俺「何で生きていることを黙っていた、か?」 智子「えぇ。どうして? どうして何も……教えてくれなかったの?」 問いかけに対し返答はすぐには返ってこなかった。 続く沈黙から智子は彼が返答に迷っていることを察した。何らかの事情があっての沈黙なのだろう。 それでも知りたい。 どうして生きていることを黙っていたのか。 生きているなら何故、連絡の一つも入れてくれなかったのか。 智子「無理にとは言わないわ。けど」 俺「いいや、話すよ。お前には言っておかないといけないことだったな」 言うなり俺は語り始めた。 話によると自分を庇った彼は海へと墜落した後、とある漁師に拾われたようで何でも漁に用いる網にかかっていたらしい。 献身的な治療もあり拾われてから半年後に意識を取り戻し、それからリハビリを続けようやく自分の意思で歩けるようになったときには既に事変は終結していた。 彼が己の戦死を知ったのもそのときだった。 情報が届かぬ田舎だったことも重なり、彼を助けた漁師も網の中で意識を失っていた少年が撃墜されていた航空歩兵と気づくことが出来なかったようだ。 潮流で戦闘脚が流されたことも不運の一つだろう。 智子「……」 俺「驚いたよ。お前を庇ってから目を覚ますまでかなりの時間が経っていたんだな。っははは……まるで浦島太郎みたいな気分だった」 自分はたしかに生きている。意識を取り戻すのに半年もの時間を要したがそれでも死の淵から這い上がった。 にも拘らず世間は、陸軍は自分を死者として処理していた。 撃墜され海に落下した航空歩兵が半年もの間消息不明になっていたのだから陸軍上層部が捜索を打ち切り、戦死と判断するのも無理は無い。 ――それでも俺は生きている! 死んでなんかいない!―― そう胸裏で叫んでも世界から摘み出された疎外感と孤独が常に付き纏っていた。 もうこの扶桑に自分が暮らす場所はない。 自分が眠ると言われている真新しい墓石の前で確信した俺は自身の生存を誰にも告げず、故郷を捨て去った。 俺「除け者にされた感じがしたよ。だから怖くて、逃げたかったのかも知れないな……自分を死んだ人間として処理した扶桑から」 もしかしたら大切に思っていた家族も自分のことを死人だと思っているのではないか。本音を言うと、この目で確かめたかった。 軍に属している智子たちに会うことは叶わずとも退役後に喫茶店を営み始めたらしい江藤になら会えるはず。 そう思った矢先に一縷の不安が彼の胸裏に芽生えた。 もしも、もしも彼女らが、自分が死んだと思っていたら? 遺体が発見されていないにも関わらず生存の可能性を信じていなかったら? 自分が死んだことを受け入れ、日々の生活を謳歌していたら? いいや、軍が自分の捜索を打ち切り戦死と判断してから半年もの月日が経っているのだ。自分の生存を諦めていても何ら可笑しくは無い。 だからだろうか。大切な家族が自分のことなど忘れ、過去の人物として記憶の片隅に留めている姿を目にしたくないと思ったのは。 そんな光景を目にするぐらいなら誰にも知られず、故郷を飛び出すほうが良かった。 智子「……ごめんなさい。あなたにとっては辛い話だったわよね……軽率だったわ」 迂闊に尋ねた自身の軽率さに智子は唇を歪める。 知りたいと思っていたこととはいえ、彼にとっては苦痛に満ちた出来事でしかない。 少し頭を働かせれば分かることだというのに、智子は自身の身勝手さを恥じた。 俺「良いさ。もう何年も前の話だ」 智子「ね、ねぇ……みんなに会いたい? 武子や圭子、綾香に江藤隊長に」 返って来た予想外の答えに智子は目を丸くした。 問いかけに対し俺は目を伏せ、静かにかぶりを振ったのだ。 智子「会いたく、ないの?」 俺「会いたくないって言えば嘘になる。だけど、あいつらにとって俺はもう死人で過去の人間だ」 自惚れかもしれない。 しかし自分の存在が彼女らに影響を及ぼすほど小さかったとは言い切れない。 それでも撃墜されたあの日から五年以上もの歳月が経っている。 自分が死んだと発表されてから五年以上もの時間が経過している。 今更彼女らの前に現れて何になるというのか。 俺「今更出てきて平穏な生活に水差すわけにもいかないだろう」 心優しい彼女らのことだ。 もしも自分が現れたら色々と気を遣ってくれるかもしれない。 しかし俺は自分のことなど構わずに各々の幸せを追い求めて欲しい。 ただ幸せに。ただ平穏に生きていて欲しい。 故に自分から彼女らの前に姿を見せることは、ないだろう。 もう死んだことになっているから。きっと彼女らも自分のことは思い出の片隅程度に留めているはずだから。 智子「そんなこと……そんなことない!!」 穏やかな笑みの裏に潜む諦観を、その声色と横顔から察した智子は反射的に声を荒げた。 目の前の俺が目を丸くして自分を見つめているのにも気づかずに智子は沸き上がる感情を吐き出さんと口を開く。 確かに、彼の言うとおり親友の武子をはじめ残る彼女らがいつまでも未練を引きずっているとは思えない。 しかし彼がこうして生きていると知れば必ず会いたいと思うはずであることを智子は確信していた。 それは、彼女らと幾度も彼の心を奪い合った経験から生まれる確信だった。 今すぐ声に出して言いたかった。自分も含めた四人全員、あなたに惹かれていたのだと。 智子「あなたは過去の人間なんかじゃない!! ちゃんと……今を生きているじゃない!」 自分にとっては今この時間を生きている人間だ。 決して死者でもなければ、思い出のなかに生きている人間でもない。 俺「ありがとうな、智子。だけど死人は死人のままでいいさ。これでも結構、食っていけてるんだ」 智子「どうしてよ……そんなこと、言わないで……」 陸軍時代よりも遥かに逞しくなった彼の胸板に顔を埋め、智子は胸を切る感情を言葉に変えて、弱々しく零した。 こうしてまた巡り会えたというのに。 こうして彼の温もりを再びこの身で感じられるというのに。 こんなにも自分の言葉は、想いは届かなくなってしまったのか。 こんなにも彼と自分の心には深く広い隔たりが生まれてしまっているのか。 胸を抉る想いに、智子は歪ませた容貌を彼の胸元に押し付けた。 ――― ―― ― それは書類仕事が終わりつつある時のこと。 気を利かせたロスマンが運んできたマグカップを満たすコーヒーを飲み終わる頃のこと。 最後の書類に目を通している最中、前触れも無く執務室の扉が乾いた音を立てた。 執務室に近づく足音から、扉を叩く音から相手が誰かを察したラルは視線を動かすことなく唇を開き、相手を招き入れる。 統合戦闘航空団の司令としては無用心な対応かもしれないが、扉を叩く力強い音から彼女は訪ねてきた人物が誰なのか瞬時に理解した。 彼がここペテルブルグを拠点とする第502統合戦闘航空団にやって来てから、大した時間も経っていないというのに。 知らぬ内に彼のことを詳しくなっていることを自覚したラルは苦味を含んだ笑みを口元に零し、音を立てて開いた扉へ視線を上げる。 「よっ、お疲れさん。今時間空いてるか?」 快活な笑みを湛えて軽く手を挙げる青年。 相手の心に自然と入り込んでくるその笑みを前にラルの口元も自然と綻んでいく。 ラル「私に何か用か? まぁ、大体は想像がつくが」 書類に走らせていたペンを置き、手元に置いてあったマグカップに手をかけるなり中身を飲み干すラル。 ふぅ、と艶を帯びた吐息を零した彼女が真っ直ぐに自分へと、その青い瞳を向ける。 澄んだ碧眼に浮かぶ光から言葉通り彼女は自分がここへ足を運んだ理由を察しているのだろう。それなら話は早い。 俺「知っていたんだろう? 智子がここに来ること」 司令官である筈の彼女が、前触れも無く智子の来訪を知ったとは考えられない。 ましてや502と507の相互連携という重要な戦略的意図があるのだ。今日になって唐突に知らされるわけがない。 いつに無く生真面目な声音と表情にラルは自分でも知らぬ内に綻ばせていた口元を強張らせる。 戦闘時以外では珍しく見せる、彼のその態度に。 ラル「……あぁ、そうだよ。黙っていて、すまなかった」 しばし瞑目し、ラルは静かに首肯した。 俺「お前さんにも事情があったんだろう? ならそれを俺がとやかく言う権利はないさ」 ラル「そう言ってもらえると助かる……なぁ、一つ訊いても良いか?」 俺「ん?」 返すなり俺は静かに目を見開いた。 彼女の青い双眸に、微かに浮かぶ不安げな光を目の当たりにして。 ラル「私がお前に、穴拭大尉が来ることを教えていたら。お前は……ここを、502を出て行ったか?」 俺「俺が? ここを? どうして?」 ラル「それ、は……だな」 どうして智子の派遣と、自分がペテルブルグを出て行くことが結びついているのか。 暫しの黙考の後、俺は答えを導き出した。 撃墜され、戦死として処理された俺は誰にも自身の生存を告げずに故郷を去った。 だからこそ己の生存を妹分である智子に知られることが分かれば自分はここを出て行くと彼女は考えていたのだろう。 俺「……ここでの仕事はまだ残っているし、お前たちを置いてどこかへ行くつもりはないよ」 仕事、という言葉にラルは形の良い眉を顰めた。 彼が口にする仕事とは、ここペテルブルグ近隣に散在する反動勢力の撃滅を意味する。 航空歩兵でありながら裏では不穏分子の消去に暗躍している。 怪異を撃滅するために、人々を守るために銃を取る手で邪魔な存在を屠殺する。 それがこの男の真の目的であり、本性。 俺の話によればブリタニアをはじめ連合軍の主要拠点がある地区には同様の仕事を持つ人物がいるようだ。 そして、俺は以前こうも言った。ブリタニアには仲間がいると。 しかしアドルフィーネ・ガランド少将直轄の兵は彼のみ。 だとすれば、彼とその仕事仲間とやらを操る人物が別にいるのではないか それは、きっとガランドのような表舞台に立つ権力者ではなく。 社会や歴史の闇、いいや。 超常の域に住まう人知を超えた“何か“なのではないか。 何一つ根拠の無い、直感のみの憶測も彼の言葉がもたらした安堵感によって掻き消えていた。 ラル「そ、そうか……」 何故かその言葉に安心し、小さく溜息を吐いている自分に気がつきラルは頬を赤らめながらコーヒーカップの残りを飲み干した。 まったく。これでは、まるで彼に出て行って欲しくないと思っているようではないか。 俺「何だ? もしかして心配してくれたのか?」 ラル「う、うるさい」 頬が熱を帯びていく感覚を抱きながら、顔を背けることしかできなかった。 俺「っははは! ありがとうな。大丈夫だよ」 俺「いつか此処を離れるときは必ず来る。それがネウロイとの戦いが終わるまでなのかはわからない」 だけどな、と一度言葉を区切って。 俺「今まで渡り歩いてきた基地に比べると、結構気に入ってるんだよ。ここ」 ラル「前線基地なのにか? 満足な食事も取れない時もあっただろう?」 俺「設備や食事の問題じゃない。空気だよ、空気。ブリタニアも賑やかで楽しかったんだけど……こっちの方が俺には合っているみたいだ」 残って欲しい。行かないで。置いてかないで。傍にいて。 何度も彼女にぶつけられた言葉が脳裏を過ぎる。それでも、やはり自分はまだ502(ここ)にいたかった。 もちろん、ブリタニアの彼女らよりも少ない人員で欧州激戦区の前線で戦う此処の少女らのことを放っておけなかったという気持ちもある。 しかし、やはりペテルブルグでの生活の方が自分には合っている気がしてならず、その気持ちはブリタニアでの短い日々を過ごしていく中で強まっていった。 だからこそ…… 俺「さよならを言わずにお前たちの前から消えることはしないよ」 ラル「……本当だな?」 俺「信じろよ」 ――― ―― ― その後、夕食の席で502の面々による顔合わせを兼ねた智子の歓迎会も恙無く終わりを迎え、俺は一足先に自室へと戻っていた。 歓迎会の会場である談話室を後にする際、どこか寂しげな光を浮かべた智子であったがすぐさま502のウィッチたちとの交流を優先する姿は流石現役の軍人といえよう。 特に同郷の下原、菅野の二人に挟まれ質問攻めを受ける彼女の姿はどこか微笑ましく映った。 瞳を輝かせる下原と菅野。 陸軍と海軍。所属こそ違えど扶桑海の閃光と謳われ、銀幕の主役を務めたエースを前に彼女らが興奮するのも無理はない。 再会して改めて思い知った妹分の高名さ。 可愛がっていた彼女との広がった差を感じ取り、寂しさに似た感情を抱きながら俺は談話室の扉を閉めた。 俺「ん?」 月明かりに照らされる一通の封筒が目に入ったのは部屋に入り、ベッドに身を投げようとした矢先のことだ。 古びたテーブルの上に鎮座する真新しい白の封筒。 検閲はおろか人の手すら触れられていないことが、その表面の純白から察することが出来る。 明らかにこの部屋を出るときにはなかったものだ。 何者かがこの部屋に潜り込んで置き去ったか、否。部屋を出る際は鍵をかけた。 では外部からの侵入者か、それも否。 連合軍、それも統合戦闘航空団の基地である。安易に入り込める警備体制ではない。 現に自分がこの基地を訪れてから行った最初の仕事以降、基地の警備はより厳重なものとなった。 それ以降、侵入者が現れた騒ぎも無い。自分宛の郵便が送られた話も、今日は聞いていない。 つまりこの手紙は十中八九自分が所属する“部隊“から送られたものだ。 真新しい白い封筒を摘むなり裏返せば案の定、幾重にも薔薇が絡み付いた十字の刻印が施されていた。 こうしてわざわざ手紙を寄越すということは恐らく世界各地に散らばる幹部の面々にも、この召集状が行き届いていると判断して間違いない。 俺「久しぶりの登館、か。何年ぶりだ?」 現し世と常世の狭間に位置するローゼンクロイツの牙城。其処は伝説に名を刻んだ魔女や術師の魂が眠る殿堂。 彼女に認められた者だけが異界に繋がる回廊に足を踏み入れ登館を許される。 しかし薔薇十字に認められ誉ある殿堂に入ることを許された者皆全て、強さを求めた挙句人間であることを辞めた魔人どもだ。 彼女の傀儡と成り果てても尚、力を求める怪物どもだ。 辿る末路も恐れずに。 無論、自分も含めて。 俺「あの救いようの無い塵どもの相手をまたせにゃならんのか……恨むぞ、仲間A」 今は亡き主宰の代行を務め、彼ら幹部を統括する身としては欠席するわけにはいかないだろう。 近況報告はもちろん、ブリタニアにて残る余生を送っているクロウリーから回収した魔具、“銀の星”も薔薇十字に差し出す必要がある。 我が強い幹部陣と顔を合わせたくはないが、主宰代行という立場が欠席という選択肢を自然と消去していた。 諦観が混じった溜息を吐くなりテーブルの上に置いてあった万年筆を手に取った。 封を開け、白封筒に納められていた召集状の上にペン先を走らせ出席の意を書き記す。 インクを纏った切っ先が紙上から離れた途端に召集状は紅い薔薇の花弁を思わせる燐光を発し、瞬く間にその姿を消した。 俺「またあの緑の石版みたいなもん回収してこいとか……言われないよな?」 以前、歴史の闇に埋没した遺物の回収に奔走した苦い記憶を思い出す男の口から愚痴が零れる。 部屋の扉が何者かによって叩かれたのは、そんな苦味を帯びた言葉が彼の口から零れ落ちるのとほぼ同時だった。 間髪入れずに聞こえて来るのは今日、劇的な再会を果たした妹分の声。 俺は開いてるよ、とだけ返して彼女に入室を促した。 智子「こんばんは」 優美な黒髪を靡かせ、歩み寄る智子。 感情の発露によって泣き腫れた目は歓迎会の前には元に戻り、涙で濡れていない彼女の容貌を改めて目の当たりにした俺は静かに嘆息した。 端正な顔立ちに艶やかな黒髪。 最後に彼女の姿を視界に捉えていた頃はまだ少女のそれだったというのに。 今ではその身体は陸軍服の上からでもはっきりと視認できるほど肉付きの良いものへと変わっていた。 未だ薬指に指輪が嵌められていないのが不思議なほど見目麗しく成長した彼女の容姿を前に俺は顔を逸らした。 熱を帯び始めた頬を掻きながら気を紛らわせようと言葉を捜す。 このままでは妹分にあらぬ劣情を抱いてしまいそうになる。 俺「そ、そうだ。歓迎会どうだった? 中々楽しい連中だろう?」 智子「えぇ、とても楽しい時間を過ごせたわ。ただ……一人だけ近くに似たような人がいたから何だか不思議な気分だったわ」 視界の端に入る智子が淡い笑みを浮かべた瞬間、俺は心臓が一際激しい鼓動を放つ感覚を抱いた。 俺「あ、あぁ。まぁ、楽しめたようで何よりだよ……それで? こんな時間に何の用だ?」 左胸から発せられる脈動に息苦しさすら覚える。 どうして自分はこんなにも取り乱しているのか。 どうして彼女の形のよい唇に意識を奪われているのか。 胸裏に生じた動揺を悟られないよう努めて冷静に返すも、不意に視界に入り込み、覗き込むように自身を見上げてくる智子の容貌に思わず後ずさった。 智子「ど、どうしたの? 顔が赤いように見えるけど……」 俺「あ……あ、これはだな。さっきの歓迎会で飲んだ……酒のせい、だと思う」 眉を顰め、自身を案じる智子に俺はとっさに思いついた言い訳を返した。 度数の低い酒とはいえ飲んだことには変わりない。嘘は、ついていない。 智子「それなら……良いんだけど。今日は色々と話したいことがあって来たの」 俺「話したいこと?」 えぇ、と頷く智子は一呼吸置き手を胸元に添えて一歩、歩み寄る。 智子「良かったら、聞かせてくれない? 扶桑を去ったあなたが……今日まで、どんなことをしてきたのか」 射抜くような目で自分を見上げる智子の双眸に俺は少しだけ、それこそ彼女に悟られないほどに表情を曇らせた。 俺「…………どんなこと、か」 独り世界を渡り歩き、目の当たりにした光景も。 自身に生きる道を教え説いた男との出会いも。 彼と一緒に非正規の遊撃部隊を結成したことも。 中世の時代から連綿とその存在を保ち続けている正真正銘の魔女との邂逅も。 その魔女から規格外の強さを授かったことも。 話すことなら、それこそ山ほどある。 しかし、もしも彼女が自分の本性を知ったらどう思うだろうか。 人を守るはずの航空歩兵でありながら、人を殺める自身の本性を。 手にかけてきた百をも越える命たちを、枯れ落ちた木葉と同等に扱っている今の自分を知ったら。 怪しげな邪教集団を虐殺した。 上がりを迎えた航空歩兵に卑しい劣情をぶつけようとした将校とその一派を家族諸共首を撥ねた。 世間の枠組みに当て嵌めれば、自身の重ねてきた業は間違いなく悪行、なのだろう。 陸軍人としての自分が死してから今日に至るまで七年に近い歳月が経過していた。 きっと、今の智子にとって自分はまだあの頃のままの自分なのだろう。 そんな彼女は、現実を知ったとき、どんな感情を抱くのだろうか。 智子「あと……今日までの私の話も、聞いて……くれる?」 俺「……あぁ、いいよ」 尤も話す必要の無い出来事を自ら話すこともあるまい。 そう割り切った俺は静かにベッドに腰を下ろした。 すぐ真横に花が咲いたかのような笑みを浮かべた智子が腰掛ける。 その艶やかな黒髪から漂う女性特有のどこか甘みを帯びた香りに俺はぎこちない仕草で身じろいだ。 さて何から話すべきか、何から聞くべきか。 決めあぐねているとそれまで視界の片隅で妙に小さく身体を揺らしていた智子が意を決したかのような表情を浮かべて口を開いた。 智子「それで、ね。今日は……このまま同じ布団で、寝ても良いかしら……?」 俺「同じ布団で寝るって……はぁ!?」 真横から放たれた言葉に思わず落としかけていた視線を持ち上げるなり、隣に腰掛ける彼女に向ける。 智子「駄目……かしら?」 俺「いやいやいや、いくら何でもそればっかりは流石に……」 智子「子どもの頃は同じ布団で寝たじゃない」 俺「それは……そうだけど。そうなんだけど」 たしかに、子どもの頃は寝る前に色々と話しこんでいたし、眠くなったらそのまま同じ布団で寝たこともあった。 しかし、それはまだ二人とも本当の意味で子どもだった頃の話だ。 軍の学校に通うよりも前の頃の出来事だ。 昔と今とでは状況が全く違う。 今の智子は誰が見ても大人の女だ。もう少女と呼べる年齢でもなければ身体でもない。 すらりと伸びた手足をはじめ陸軍服に包まれる肢体。年相応に膨らんだ乳房と尻。 いくら妹分とはいえ、自分は男だ。 ましてや智子の寝間着姿を知っているからこそ俺は慌てて首を横に振った。 俺「やっぱり。だ、駄目だ」 あんな裸の上に半纏を羽織るような格好で密着されたら理性など保つわけがない。 智子「そ、そんな……」 思いがけない拒絶に智子は悲しげに表情を曇らせる。 俺「悪い。話には付き合うけど……同じ布団で寝るのだけは、勘弁してくれ」 智子「…………わかったわ。変なこと言って、ごめんなさい……」 俯く智子の姿を尻目に俺は背けた顔を顰める。 一体何を考えているのだ。あいつは、智子は妹分だろう。 ならば、ここは兄貴分として快く受け入れてやるべきだろう。 だというのに、何故自分は下心など抱いているのだ。 胸裏でそう己を叱咤する俺であったが、その答えはすぐに導き出された。 自分は、美しく成長を遂げた智子を女として意識してしまっている…… 続く
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声が聞こえた方角へと泣き顔を向ければ一歩、また一歩と砂利を踏みしめる足音が懐かしい気配を伴って近づいてくる。 ――まさか……いや、そんなはずはない 胸中に生じた希望を押し潰さんと膨れ上がる理性。 ――だってアイツは……致命傷を負って、ジグラットの崩壊に巻き込まれて…… 愛していると自分に告げて、息絶えたはず。だとしたら今自分の耳朶を掠めた声はなんだ? 誰のものだ? 矢継ぎ早に脳裏を飛び交う憶測。それら全てを整理する暇を与えないかのように、陽性を孕んだ声と足音の主は着々と距離を詰める。 そして、 「よぉ。何時間ぶりだ?」 暗がりから迫る来訪者が月明かりの下に、その姿を曝け出した。 淡く儚げな月光に照らし出されたのは、もう二度と目にすることが叶わないと思っていた快活な笑顔。自らの頭上に広がる夜天と同色の髪と瞳。 弾痕が刻まれた上に赤黒く変色した血液がこびり付き、衣服として使い物にならない域にまで変貌を遂げた上着とシャツ。 一張羅を台無しにされたことへの憤りからか、顔を顰める満身創痍の男が頭に手を添えた。 その腕、指の動き。余りにも見慣れた仕草にラルは息を呑んだ。 ラル「おれ……なのか?」 俺「あぁ。俺だけど?」 出血によって青白みが掛かる痩せこけた頬が笑みで歪む。 けれども、その微笑みは明らかに生者のみが持つことを許された温もりを帯びていた。 口許に生じる皺と、それに伴って生み落とされる小さな影。肉体を持たぬ亡霊ならば決して作り出すことの出来ない変化だ。 ラル「本当に……本当に俺、なのか?」 俺「当たり前だろう。こうして生きてるし……足だってちゃんとついてるだろう?」 質問の意図が掴めなかったのか、怪訝そうな表情を作った俺がブーツの踵を砂利の上に軽くぶつけてみせる。 それはかつて彼がペテルブルグ基地に配属となった日、自分とロスマンの前で行ったものと同じ挙措。 扶桑皇国陸軍の公式記録では戦死者として処理されていることに疑問を抱き、訝しげな眼差しを注ぐ自分と彼女に生きた人間であると証明するために見せた動作だった。 ラル「あ……あぁ……あぁぁあ……!!」 ブーツの底部が立てる音は自身の口から漏れ出す震えた声によって掻き消されていた。 疑問が確信に変わると同時に、つい今しがたとは比べ物にならないほどに視界が歪む。 しかし、込み上げて来る涙の量とは裏腹に胸の奥を満たしたのは歓喜の熱。 切なさと寂しさによって凍てついた心が温かく、そして優しく溶け崩れる感覚が胸裏に拡散していく。 俺「ラル?」 ラル「あぁ……おれ。おれぇ……おれぇぇぇぇぇぇ!!!!」 自分の名が呼ばれた瞬間、ラルは俺に向かって駆け出していた。 一気に距離を詰めるなり目を白黒させる男の首に両の腕を回して抱きしめる。 ラル「おれぇ! お、おれっ! えぐっ……っく……おれぇぇぇ!!! この温もり、この逞しさ。間違いない。 二度と離さない、離すものか。未来永劫、この男は私だけのものだ。 俺「ら、ラル!?」 頭上から降り注ぐのは狼狽した声色。 突然の抱擁に理解が追いついていないのか、抱きとめることも引き離すことも儘ならないのを良いことに拘束する力を更に強めた。 ラル「本当に、俺なんだな!? 幽霊じゃなくて……本当に、おれ……なんだな!?」 俺「…………あぁ、俺だよ。ちゃんと生きてる。ごめんな……心配かけさせて」 嗚咽に遮られながらも懸命に言葉を紡ぎ終えると頭頂部と背中に温もりを帯びた手が回される。 あたかも子供をあやすような優しげな手つきに胸の奥底に溜め込まれていた諸々の感情が一斉に暴発を引き起こした。 ラル「本当だ! この馬鹿!! みんながっ……私がっ! どれ、だけ! 心配したと思っている!!」 幼子のように涙に濡れた顔を胸元に摺り寄せ、片方の手で煤と血で汚れたシャツを握り、空いたもう片方の手で咎めるかの如く胸板を叩く。 俺「……ごめんよ」 シャツを濡らす涙の生温かさ、胸板を叩く拳の感覚。 胸中に突き刺さる悲痛な泣き声に胸元を通して全身へと伝わる震え。 それら全てを一手に受け止め、俺は嗚咽が交じる少女の非難を一言一句聞き逃すことなく、無言で耳を傾ける。 ラル「それだけじゃない! 自分だけ言いたいことを言って……私の返事も聞かずに……えぐっ…………ひっく……か、勝手にいなくなってぇ!!」 俺「……いや、それは……その、だな」 ラル「死んだかと思ったんだぞ……!!」 俺「……あぁ」 ラル「もう、会えないかと思ったんだぞ……!!」 俺「ごめん……」 謝罪と共に自身の頭を撫でる大きな手の平。 その心地よさに、このまま、いつまでも身を預けていたい安寧を断腸の思いで振り払い、一歩後ろへ。 今しかない、この機を逃すな。胸裏で囁くもう一人の己に従い、ラルは意を決する。 そうとも、つい先ほどまで自分はこの機会を欲していたではないか。身を任せるのは何も想いを伝えたあとでも遅くはない。 呼吸を整え、細指で目尻に浮かんだ涙を拭い、 ラル「本当にすまないと思っているなら……私からの返事も聞いて、くれるな?」 無言で頷く俺の表情を捉え、生唾を飲み込んだ。 あえて胸の高鳴りに逆らわず、奥底の情熱を更に燃え上がらせるかの如く深呼吸を繰り返す。 唇まで奪っておいて何をいまさら緊張しているのか。頬に込み上げて来る熱の存在を感じながらも脳裏を掠めていく言葉を受け流し、 「好きだ。おまえのことが……好きなんだ。仲間としてじゃなく、異性として。」 思いの丈を口にした瞬間、頬を覆う熱が一瞬で灼熱へと変化した。 彼を意識し始めたのは随分と前のこと。それも彼がブリタニアの第501統合戦闘航空団へ派遣されるよりも。 サウナで偶然鉢合わせとなり、ガランドから送られた書類に記載されていない彼個人としての来歴を聞かされた時から。 けれども異性として気になり始めたのは風邪をこじらせ、病床に伏したあの日からだろう。 傷痕が残るこの身体を綺麗だと言ってくれた。傷を気にするのは人として当然だとも言ってくれた。 赤の他人から見れば淡白な切欠と言われるかもしれない。それでも彼の言葉で自分は救われたのだ。唯一のわだかまりを包み込み、受け止めて、前を向いて歩くことが出来たのだ。 ラル「正直に言うとな。初めはこの気持ちが何なのか……分からなかったんだ」 それ以来何故、俺のことばかりを目で追いかけてしまっているのか。何故、彼が他の娘たちと仲良く談笑する場面に出くわす度に胸が痛んだのか。 自分の感情に気付くことが出来ず、ただ胸に悩みを抱えた日々が続くなか、クルピンスキーに発破を掛けられる形で俺への想いが恋心なのだと自覚した。 ラル「あぁ……好き、なんだ。私もお前が好きなんだ!! だからっ! もうどこにも行くな! 私を……一人にしないでくれ!!」 誰にも渡したくない。私だけの俺でいて欲しい。 そして……いつまでも、自分の傍にいて欲しい。 口にするたび、強まっていく恋慕はいつしか煮詰まった独占欲へと変化していき少女の身体を再び抱擁へと突き動かす。 一世一代の告白劇が幕を閉じ暫しの間、続く沈黙。そして、返事の代わりに伸ばされた両腕が彼女の身体を包み込んだ。 俺「本当に……両想い、だったのか」 夜陰に溶ける、あっけに取られたかのような声音が頭上から零れ落ちてきた。 気の抜けた声色に混ざるのは純粋な驚愕の念。 ラル「……いまさら、気付いたのか? 唇まで奪ったんだぞ?」 信じられないとでも言いたげな口調にラルの柳眉が吊り上る。 唇まで奪った。作戦が終われば話したいことがあるとも伝えた。にも拘わらず俺は自分の好意に対して半信半疑だったのである。 これまで明確に好きだと伝えなかった自分にも非はあるが、いくらなんでも鈍感すぎはしないか。やや冷めた眼差しを注ぐと咳払いをした俺が目つきを変える。 俺「だけど……良いのか? 俺が何してきたか知らないお前でもないだろう」 過去、そして裏で行う汚れ仕事を俺は包み隠さず彼女に告白した。 人から見れば自分が歩んできた道はさぞ許されざるものだろう。他者を殺めることで他者を守る矛盾に満ちた道を走る己が誰かの傍にいても良いのかと考えた時期もあった。 だがそれは積み重ねてきた行為に耐え切れないだとか、罪の意識といった感情からくる考えではない。 ただ自分が傍にいることで愛した者の経歴に泥を塗ってしまうのではないかという思いから生じたものであり、駆け抜けてきた道への後悔は微塵も無い。 ラル「……たしかにお前のやって来たことは、後ろ指を指されることかもしれないな」 無論、ラルとて殺人そのものを肯定するつもりはない。 けれども彼が裏で動いていたことで救われた命があったことも揺らぎようのない事実。 手段はどうあれ、自分たちウィッチの為に影で尽力してきた彼を突き放す考えをどうしても抱けなかった。 ラル「それでも。好きなんだよ……好きになったんだよ……」 それともこれが惚れた弱みというものだろうか。 鍛え上げられた体躯に頬を摺り寄せ、胸の奥底を焦がす感情に見当をつける。 俺「良いんだな?」 ラル「あぁ。お前が誰であれ、何であれ。私は一生お前と添い遂げるよ」 俺に、そして自分自身に対しても誓いの言葉を口にする。 迷わない、迷うものか。 彼を愛することで背負うものが増えたとしても、この愛を命尽き果てる瞬間まで貫き通す。 俺「後悔しないな?」 ラル「くどいぞ」 青の双眸に宿る硬質な決意の光。 鮮烈な輝きを放つ眼光を前に俺はこれ以上の言及を避けた。その光から彼女が如何に自分を愛しているのかを察することができたから。 次第に胸中を満たす幸福感に目頭が熱くなるのを感じながら口許を緩めた。 俺「…………ありがとう。俺も……おまえのこと、愛してるよ」 腰を屈め、愛しい女の両頬に手を添える。 彼女との口付けはこれで二度目になるが面と向かって、それも想いを通じ合わせ、恋人同士となってからは初めてだ。 それまで時計の如く正確なリズムを刻んでいた心臓の鼓動が一転して、激しいものへと変わっていく。 意図を察したのか小さく頷き、身を委ねるように瞼を閉じた少女の唇に自分のそれを近づける。 吐き出す息が互いの顔を撫でるほどに縮まる距離とは裏腹に俺は自身の唇がラルのそれに触れ合うまでの時間がやけに長く感じた。 まるで時間の流れが鈍くなったかのような感覚に気が狂いそうになる。 俺「っ!?」 そんな俺の考えを見透かしたかのように顔を近づけ始めるラル。彼女もまた同じ感情を抱いていたのだろう。白い頬に差し込む桃色は自分から唇を近づけることに対する羞恥心の表れのようにも見て取れる。 少しずつ、着実に近づく二人の唇。 時の流れが鈍くなった世界のなかで、ついに引き裂かれていた心は重なり合った。 俺「どう……だ?」 ラル「好きな男に唇を捧げることが出来るのはこんなにも、幸せな気持ちに……なれるんだな……」 ゆっくりと唇を離せば、目の前には大粒の涙を零す愛しい女性の笑顔があった。 白く端整な頬を濡らす透明の雫に手を伸ばし、指先で丁寧に拭う俺もまた言葉では言い表せないほどの充足感に全身を満たされる感覚を覚えていた。 大切な人と結ばれるというのは、こんなにも幸せなことだったとは。 ラル「おれ……」 俺「うん?」 ラル「その。も、もっと……良いか?」 気恥ずかしそうに身を捩る愛しい女性。 自ら口付けをねだることに恥じらいを感じているのか瞼は切なげに伏せられており、日頃見せない、しおらしい表情が一層胸を高鳴らせる。 軍人としてでも、魔女としてでもない。一人の少女へと姿を変えた思い人の赤らんだ容貌に、俺は再び唇を近づけた。 晴れて想いを通じ合わせ、恋人同士となったラルと俺の二人は何か喋るわけでもなく、ただ黙々と臨時宿舎である教会へと歩を進めていた。未練がないといえば嘘になる。 引き裂かれていた分、味わった悲しみの分だけ二人だけの逢瀬を楽しみたかったが、現在の状況からそんな悠長なことを言っていられる暇はない。 後ろ髪を引かれる思いを味わいつつ、ひたすらに宿舎への帰路を辿る最中、ラルの脳裏にとある疑問が浮かび上がった。 ラル「なぁ。お前はどうやってあの後生き延びたんだ?」 直接姿を目にしていなくとも、俺が瀕死の重傷を負ったということは先の通信や彼が羽織る血まみれのシャツに刻まれた弾痕から見ても容易に察しがつく。 崩壊するジグラットのなか、彼はどうやって生き延びたのだろうか。 彼の話によれば崩れ落ちたジグラットの破片が、その下水道へと通じる穴を作り出し、俺は最後の力を振り絞って穴へと身を投げたらしい。たしかにこの廃棄都市の真下には都市全域を走るほどの大規模な下水道が存在している。 崩壊するジグラットの内部にいるよりかは、下水道に逃げ込んだ方がまだ生存率は高い。 ラル「だとしたら……どうやって傷を癒した?」 隣を歩く俺へと視線を向ければ弾痕は右肺と脇腹、それに左膝にまで刻まれている。 決して自分の前まで身体を引きずっていけるような軽い負傷ではない。 俺「それなんだけど……どこかで俺の仲間を見かけなかったか?」 ラル「仲間?」 俺「あぁ。扶桑人で……何ていうか、こう。小さい子なんだけど」 問いかけにラルは俺と再会する前に出会った少女の存在を思い出した。 扶桑人、女の子、小さい背。間違いなくあの少女である。 俺「そうか……あいつ行っちまったか」 声をかけた途端に姿を消したことを告げると俺は少し名残惜しそうな表情を浮かべた。 ラル「一瞬で姿が消えたんだが……あれはどういう仕掛けなんだ?」 俺「あいつの固有魔法は確か……護符で囲った空間を自在に改変する能力だったかな。手に持っていたり、地面に貼ってたりしただろう? 大方どこかに通じる“道”でも作ったんだろうよ」 言ってしまえば、限定的ではあるものの世界に干渉し作り変える能力。 護符で囲い込んだ空間をこの世の理から弾き飛ばす異能。それは既に魔女として、いや人としての領域を遥に逸脱した術理であった。他にも囲んだ空間に巨大な稲妻の柱を創り上げることで標的を撃滅するなどと、俺の話を聞く限りだと少女の固有魔法は応用性に富んでいるらしい。 俺「ラルの前から一瞬で姿を消したのも、俺の傷を治したのも固有魔法の副産物に過ぎないよ」 ラル「そうだったのか。感謝しないとな」 俺「あぁ。間違いなくあいつのおかげで俺は生きて……その」 ラル「?」 俺「好きな人と……こうして歩いていられるんだからな」 ラル「っ! そ、そうか……」 頬を赤らめ、俯くラル。 このまま歩けば宿舎に着き、二人だけの蜜時が終わってしまう。立場上それは仕方のないことだが、せめてもう少し彼女の温もりを、優しさを感じていたい。 そんなことを考えていると、自然と手が彼女のそれを握っていた。 ラル「お、おれ!?」 俺「いや、ほら。もう俺たちは……恋人、なんだろう? だったら手くらい繋いでも良いんじゃないか? ラル「それは……そうだな」 歯切れの悪い俺の言葉にラルはぎこちない動作で頷いた。 繋いだ手を通して伝わってくるのは体温や感触だけではない。彼の自分を想う愛情が伝播してきているような感覚を覚え、握る力が強まっていく。 ただ手を繋いでいるだけなのに、どうしてこんなにも気が安らぐのだろうか。 俺「あとさ。いい忘れてたことがあった」 ラル「どうした?」 俺「これからもよろしくな。グンドュラ」 ――とくん 愛しい男に名を呼ばれた瞬間、ラルは自身の胸が温かなものに包まれた感覚を覚えた。 どうして、この男はこんなにも自分を優しく包み込んでくれるのか。 ラル「あぁ。私の方こそ……よろしく頼むよ」 不意に、耳に届く足音にサーシャはそれまで床に落としていた視線を宿舎の出入り口に向けた。 見渡せば他の隊員たちも気が付いたのか一様に固唾を飲んで来訪者を待ち受ける。 砂利を踏みしめる足音は二つ。池に小石を投じたかのように教会内に緊張が走った。 期待と不安を瞳に同居させる彼女たちの眼差しの先に、独りで教会を出たラルが姿を見せる。 赤らんだ双眸と灯りによって見え隠れする涙の痕の二つから彼女が人知れず涙を流していたことを垣間見たサーシャは次の瞬間、言葉を失った。 ラル「ほら。いい加減出て来たらどうだ」 言いながらラルが入り口の影に腕を伸ばし、その細い腕に何かを掴んだかのような震えが走った。 そして力を込めて影に隠れる人物をブレイブウィッチーズの前に引きずり出した。 定子「あ……」 と、呟いたのは定子だった。黒い瞳に浮かび上がる透明な雫。 片手で口許を覆い、隣でぼろぼろと大粒の涙を零すジョゼを抱き寄せる。 管野「この。ばかやろう……!!」 泣き声だけは決してあげない。 この男の前で情けない姿も弱さも見せないと胸に決め込んでいた管野が頬を引き攣らせ、唇を吊り上げた。 ニパ「遅いよ! どこ、行ってたんだよぉ! ばかぁぁぁ!!!」 泣き笑いのような表情を作る管野の隣でニパがしゃくり声をあげる。 白く決め細やかな頬は緊迫感から解放されたことでだらし無く緩んでいるが、今この場でそれを咎める者はいなかった。 クルピンスキー「やっぱり生きてたね。ほら先生、僕の言った通り……って泣いているのかい?」 子供をあやすかのように頭に置かれたクルピンスキーの手を振り払うロスマン。 露骨に涙を零す定子たちほどではないにしても彼女の双眸は明らかに潤んだ光沢を帯びていた。 かといってクルピンスキーほど落ち着いてはいない。 サーシャ「おかえりなさい!!」 目尻を拭うサーシャがやんわりと微笑んだ。 雨粒を受けてなおも咲き誇る花のような微笑に現れた男の頬も自然と綻んでいった。 ラル「ほら。こんなに心配かけたんだ。何か言うことがあるんじゃないか?」 肘で小突かれた男は何と切り出せば良いか分からず、暫くの間口ごもり、 俺「……なんだ。その……心配かけて悪かった」 「そんで、ただいま」 いつも通りの笑みを浮かべた。 続く Wikiの容量オーバーを受けてしまったため、前後編に分割 次回でラル√最終話。 最終話のはずなんだけど本編でイチャイチャしてない気がするのは不味いと感じる今日この頃