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阪本昌成『憲法1 国制クラシック 全訂第三版』(2011年刊) 第Ⅰ部 統治と憲法 第7章 法の支配 本文 p.41以下 <目次> ■1.「法の支配」の捉え方[30] (1) 法の支配とは何でないのか [30続き] (2) 法の支配と法治主義 [31] (3) 法の支配と正義 ■2.「法の支配」の理論と憲法典[32] (1) 法の支配の理論化 [33] (2) 法の支配の突出部 [34] (3) 法の支配と憲法との関係 [34続き] (4) 法の支配と主権との関係 [35] (5) 法の支配と法律との関係 ■用語集、関連ページ ■要約・解説・研究ノート ■ご意見、情報提供 ■1.「法の支配」の捉え方 [30] (1) 法の支配とは何でないのか 「法の支配」は、多くの人が口にする基本概念でありながら、その実体につき合意をみない難問である。 とはいえ、法の支配の目指すところについては、論者の間におおよその合意がある。 “その目的は、可能な限りすべての国家機関の行為を法のもとにおいて、その恣意的な活動を統制し、もって人々の基本権を保障せんとするところにある。” が、この機能論的な説明は、法の実体の解明にはなっていない。 また、法の支配とは何でないのか、という疑問についても、法学者の間で合意がみられる。 その解答としては、次のふたつがある。 第一。 “法の支配は、絶対君主の統治にみられたような「人に支配」、すなわち、ルールに基かない、その場当たりの恣意的な権力発動を通して人々を支配することではない。” 第二。 “法の支配は、法治主義ではない。法治主義とは、国民の権利義務に変動を与えるとき、その国家意思は議会の意思を通して実定法化されるべきこと、そして、行政はその議会法を執行し(“法律なければ行政なし”)、裁判所は議会制定法に準拠して法的紛争を解決すること、をいう。” [30続き] (2) 法の支配と法治主義 上の第一の「恣意的な人の支配」に代わろうとしたのが第二の法治主義である。 法治主義(*注1)は、民主的な国民代表機関に法規を創造する権限を集中さえ(法規という特異な概念については、[111]でふれる)、非民主的な行政機関と裁判所とを議会制定法(人為法)のもとに置こうとする民主化の思想だった。 「法の支配」にいう法は、民主的機関である議会の制定する法律をも統制し、主権者の意思をも統制する機能をもっている。 この機能については、法学者は異論を唱えないだろう。 未解決の争点は、“その狙いのために、法の支配にいう「法」がいかなる属性をもっているのか”というところにある。 法の支配を考えるに当たって重要なことは、 《人権または個人の尊厳をよりよく保障することが、法の支配の云いたいところである》などといった機能論も、 《法の支配は人の支配でもなく、法治主義でもない》という消去法も、 上の問いに答えてはいない、と気づくことだ。 《法の支配とは、何であるのか》真剣に正面から検討することが必要である。 (*注1)「法治主義」について法治主義なるタームは、日本法学の造語だ、といわれる。我が国の行政法学は、ドイツでの「法治国諸原理」のうち、「行政の法律適合性原則」を指すものとして、このタームを使用してきた(「法治国原理」については、[22a]をみよ)。「行政の法律適合性原則」は、ドイツにおける法実証主義と不即不離であり、公法についていえば、次のような思考を基礎としている。(1) 法学の任務は、自由意思の発動の系譜・手続をたどることにある。法令の中味についてその正邪を評定しようとすれば、価値相対主義のもとでは「神々の闘争」となってしまう。(2) 議会制定法、すなわち法律は、憲法所定の手続に従って発動された議会意思の所産である。命令は、行政機関(または君主)意思の所産である。(3) 国民の自由と財産にとっての“危険は君主からやってきた”。この危険に対処するには、命令という国法形式を、法律という国法形式のもとに置けばよい。国法形式の優劣関係は、客観的に認識できる。(4) 法律(議会制定法)によって行政活動を統制する国家が「法治国」である。我が国の公法学は、上のように、法実証主義のもとの「法律 - 命令」の形式的効力関係の捉え方を「形式的法治主義」と呼んできている。 [31] (3) 法の支配と正義 法の支配とは、《主権者といえども、人為の法を超える高次の法のもとにある》という思想を起源とする。 それは、法(law)と立法(legislation)との区別のもとで、前者が後者を指導する、という思想である。 高次の法 higher law とは、[11]でふれた“fundamental law”と同じである。 Higher law または fundamental law の内容は、《正義に適っているルール》を指してきた。 ところが、「正義」の捉え方は歴史によって変転し、論者によって様々となっているために私たちを混乱させているのだ。 法の支配を正義と関連づけるとき、その捉え方には、大きくふたつの流れがみられた。 第一は、 問題の法令の実質・内容を問う立場である。正義の種類からいえば、実質的正義論に属する。その典型的立場が自然法論である。 第二は、 問題の法令の形式を重視するタイプである。正義の種類でいえば、形式的正義論である。これは、問題の法令が、どのような特定の人々をも対象とせず、特定の目的も知らず、一般的で普遍的な形式を満たしているか否かを問うのである。これは、《人為法が普遍的に妥当する形式をもっていれば、不正を最小化できる》といいたいのだ(この点については [35] でもふれる)。 長い歴史のうえで、盛んに説かれてきたのが、第一の立場だった。 神こそこの世の中心だ、と考えられていた時代にあっては、不可謬の神の意思がこの世の法則決定者だと考えられ、人間こそこの世の中心だと考えられるに至った時代にあっては、人間の理性がこの世の法則を決定づけている、とみられた。 神の意思や人間の理性と、法の支配とを関連づける立場は、“法とは実質的正義を体現しているものをいう”と理解しているのである。 実質的正義に依拠する法の支配論は、今日においても根強い。 なかでも、人間の理性的能力を強調する見解は、“恣意を理性によって統制すべし”とする法の支配の考えと調和的であるために、人々を納得させがちである。 が、「理性/恣意」の峻別は容易ではない。 「理性」は、実に多義的で、恣意的に用いられてきた。 また、人間が理性の塊ではないことは、C. ダーウイン、G. フロイトによって暴露された以上、人間理性と正義(法)とを関連づける理論の信憑性は疑わしい。 かといってこれ以外に実質的な正義の中味をいうとなると、常に論争を呼ぶ「神々の闘争」となって決着はつきそうもない。 そのために、法の支配と密接不可分な正義概念を、手続的に、または、形式的に捉えようとする論者が登場するのである。 「実質的正義/形式的正義」という正義論のふたつの流れは、国法の役割を考えるに当たって、無視できない違いをもたらしている。 実質的正義を強調する論者は、“国法は、ある実体をもった正義を実現しなければならない”と、正義を実現されるべき最適規範と捉えがちとなる。 これに対して、形式的正義を強調する論者は、“国法は、誰であれ、無作為に抽出した受範者に等しく適用される形式をもっていなければならない”と主張するだろう。この主張には、《正義は積極的に実現されるべき目標ではない》という含意があるのだ。 ■2.「法の支配」の理論と憲法典 [32] (1) 法の支配の理論化 法の支配を脱実体化しながら理論体系としたのが、イギリスの法学者A. ダイシー(1835~1922年)である。 彼は、臨機(場当たり)でなく、誰もが知りえて、特定可能な対象にではなく、誰に対しても等しく恒常的に適用され得る法の形式を、「正規の法 regular law」と呼んだ。 それは、《類似の事案は同じように法的に解決される》という平等原則の中から浮かび出た形式である。 それは、多年にわたる実践と蓄積のなかで、次第しだいに、人間が獲得してきた法的知識だった。 その法的知識を専門的に修得するのが法曹であり、なかでも裁判官である。 身分の独立保障をうけてきた裁判官は、当事者の主張に耳を傾けながら、正しい解決のために、誰に対しても等しく適用されてきた論拠を発見するのである。 公正な判断を求めようとする法的紛争の当事者は、誰であれ、この裁判の手続にのるよう求められる。 ダイシーは、このことを《何人も通常の裁判所の審判権に服する》と表現した。 フランスと違って、イギリスが行政裁判所という特別の裁判所を持たないことが、誰に対しても特権を与えない正規の法の表れでもあったのだ。 さらに、ダイシーにとって、国家の強制力を「人権保障規定」によって統制しようとすることは、必要でないばかりか、望ましくもなかった。 自由や権利は、正規の法の展開がもたらすはずのものであって、人為的な法規定によって与えられるべきものではなかった。 ダイシーの法の支配理論は、上のように、 ① 正規の法が人為法に絶対的に優位すること、 ② 誰であれ、通常裁判所の審判権に服すること、 ③ 自由や権利は、正規の法によってこそ守られること、 の三点を説いたのだった。 [33] (2) 法の支配の突出部 形式的正義論をベースとする法の支配の考え方には、 (ア) 法は特権を容認せず、一般的普遍的な形式をもたなければならない、 (イ) 法は公知(誰もが前もって知りうるもの)で恒常的でなければならない、 (ウ) その適用に矛盾があってはならない、 という命題が伴っている。 これらの命題は、法の予見性・安定性に資し、経済自由市場における交易を一挙に促進することとなった。 自由市場の生育を可能としたのは、法の支配という憲法上の基本概念だった。 法の支配が、経済的自由、身体・生命の自由その他の自由へと拡大するにつれて、自由主義国家の基盤が出来上がっていったのだ。 法の支配は、経済市場における諸自由だけでなく、国家の刑罰権と課税権とを有効に統制する論拠となった。 罪刑法定主義と租税法律主義が、法令の遡及的適用を排除したり、慣習を法源足り得ないとしたり、法令の裁量的適用に警戒的であるのは、法の支配の思想が、一部実定法上に突出したためである。 それでも法の支配にいう法は実定化され尽くすことはない。 法の支配は、我々の権利義務に関する実定法(人為法)を指導するメタ・ルールである。 法の支配という思想は、あるルールを実定化するにあたって実定法を先導する上位のルールである。 たとえ憲法を含む実定法が法の支配を謳ったとしても、それこそが「自己言及のパラドックス」にすぎないのだ([11]での脚注参照)。 [34] (3) 法の支配と憲法との関係 法の支配は、国家の不正義を最小化するための理念として、歴史上様々な論者がそれに肉付けしてきた。 この理念は、sovereignty、なかでも、君主の有してきたそれをまず統制しようとした。 sovereignty は、「主権」と訳出されるが、この訳語では伝えきれないニュアンスをもった言葉である。 それは、「主権」というよりも、絶対権または最高権といったほうがいいだろう(⇒[37])。 憲法は、最高・絶対の主権を統制するための「基本法」として、歴史に登場した。 このことからも分かるように、憲法は、法の支配という構想の必須部なのだ(が、しかし、憲法が法の支配にいう法ではない)。 主権の帰属先が君主から国民になった場合でも、法の支配の理念に変更はない。 今日においても、すべての国家機関、なかでも国民の主権と、国民代表機関である議会とを、法のもとにおく必要があるのだ。 そのために、憲法は法の支配の理念の一部を組み込もうとする。 統治の機構においては、 ①独立の保障される司法部、②特別裁判所設置の禁止、③憲法条規の最高法規性の宣言、がこれであり、 権利章典の部においては、 ①適正手続保障、②遡及処罰の禁止、③公正な裁判の保障、等がこれである。 もっとも、こうした個別の条規を列挙することは、憲法と法の支配との関係を考えるにあたっては二次的な意味しかもたない。 法の支配と憲法との関係を考えるに当たって最も重要な視点は、権力分立構造という全体的なパースペクティブ(※注釈:見通し、展望、大局観)を持つことだ。 権力分立構造は、ある時点から、違憲審査制または司法審査制の実現によって大きな「変容」をみせるが、この「変容」も、法の支配と関連している(この点に関しては、後の [55] でもふれるが、しかし、違憲審査制は法の支配の内容ではなく、法の支配を有効とするための装置である)。 教科書の中には、法の支配について、 (ア) 憲法の最高法規性、 (イ) 基本権の尊重、 (ウ) 適正手続保障、 (エ) 司法審査制、 を列挙するものがある。 もし、この思考が法の支配の論拠を日本国憲法典に求めようとしているのであれば、ひとつの体系内に根拠を求める「自己言及のパラドックス」に陥ってしまっている。 もし論拠を示したものではなく、“法の支配がかような諸点に現れている”というのであれば、(イ)と(ウ)はダブルカウントであり、(エ)は法の支配の内在的な要素ではなく(英国には、司法審査制はない)、法の支配を有効にするための手段に過ぎないことの説明に欠けている。 このように、憲法と法の支配との関係をみるとしても、要注意点は、《憲法典という実定化された法が法の支配にいう“法”ではない》ということである。 確かに、憲法典は法の支配の理念を一部活かしている。 が、しかし、「憲法典=法の支配」ではない(⇒[82])。 [34続き] (4) 法の支配と主権との関係 《法の支配は憲法典や主権をも統制する》とのテーゼを理解するためには、次の(ア)~(ウ)に留意しておかなければならない。 (ア) 一般の教科書によれば、国民主権にいう「主権」とは、憲法制定権力のことを指す(*注2)(この点については、後の [38] [39] でふれる)。 (イ) 主権は、国制を意味する憲法を創出する力であり(憲法を作り出す力としての主権。以後、憲法制定権力を「制憲権」という)、憲法典は、この制憲権によって作り出される([41]もみよ)。 (ウ) 〔制憲権→憲法典〕という理論上の順序関係を考えれば、憲法典によって主権を統制することは出来ない([46] もみよ)。 では、「憲法典によって主権を統制することは出来ない」とき、主権(制憲権)は何によって規範的な拘束を受けているのだろうか? 実体的正義論者は、自然法、人間の理性、人間の尊厳、等をあげるだろう。 これらの実体的要素はいずれも客観性に欠けるとみる批判的な論者であれば、「主権者の自己拘束だ」というかもしれない。 それらの解答を、私はいずれも受容しない。 《主権を規範的に統制するもの、それが法の支配だ》、これが私の解答である。 法の支配にいう「法」とは、実定的な法ではなく、最低限の形式的正義のことだ、と私は理解している。 (*注2)主権・制憲権について主権や制憲権の意義にふれない段階で、読者は本文のような記述を理解し難いだろう。制憲権というテーマを読了してこの部分をもう一度読んでみれば、真意が判明するだろう。 [35] (5) 法の支配と法律との関係 法の支配は、先に触れたように、国民の主権や、国民代表機関である議会の権限(法律制定権)をも統制する理念である。 では、法の支配は、議会の立法権(法律制定権)をどのように統制するか? 実体的正義論者は、この問に関しても、主権を統制するものについて与えた解答と同じものを挙げるだろう。(※注釈:自然法、人間の理性、人間の尊厳、等) 「主権の自己拘束」説に立つ論者は、ここでの問に対して「議会の自己拘束だ」と答えるだろうか。 どうもそうではなく、解答は与えられていないようだ。 私のような、形式的正義論者は、こう解答するだろう。 《議会が法律を制定するにあたっては、一般的普遍的な形式をもたせなければならない》。 この解答は、日本国憲法41条の「立法」の解釈に活かされるだろう(後述の [116] を参照せよ)。 立法(法律)が一般的普遍的であるという形式を満たすとき、それは第一に、一定の要件を満たす限り誰に対しても適用され得るとする点で道徳的にみて正当であり、第二に、予見可能性・法的安定性を増すという点で経済的にみて合理的である。 法の一般性・普遍性とは、法規範の名宛人が事前に特定可能でないことをいう。 法の支配にとって最も警戒され続けてきた点は、法が人的な属性に言及しながら、特定可能な人びとを特別扱いすることだった。 法の支配は、人的な特権を忌避して、誰であれ自分の限界効用を自由に(国家から公法規制や指令を受けないで)満足させてよい、とする思想でもあるのだ。 近代法が、なぜ人間を「人」または「人格」と抽象的に形式的に言い表したのか、我々は近代法のこの発想の基本をもう一度振り返ったほうがよさそうだ(⇒[23])。 そうすれば、正義の女神が、なぜ目隠しをしているのか、すぐに理解できるだろう。 正義とは不正義を排除することなのだ。 ところが、現代法は「強者/弱者」という曖昧な二分法を強調することによって、「人」というケテゴリーの中に様々なサブ・カテゴリーを作り上げて社会的正義を積極的に人為的に(行政法や社会法という実定法を通して)実現しようとしてきている(⇒[25])。 これが正義というものだろうか? 「社会的正義」とは一体何だったのだろう? ※以上で、この章の本文終了。 ※全体目次は阪本昌成『憲法1 国制クラシック 全訂第三版』(2011年刊)へ。 ■用語集、関連ページ 阪本昌成『憲法理論Ⅰ 第三版』(1999年刊) 第一部 第四章 立憲主義と法の支配 第五章 立憲主義の展開 「法の支配(rule of law)」とは何か ■要約・解説・研究ノート ■ご意見、情報提供 名前 コメント
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阪本昌成『憲法1 国制クラシック 全訂第三版』(2011年刊) 第Ⅰ部 統治と憲法 第7章 法の支配 本文 p.41以下 <目次> ■1.「法の支配」の捉え方[30] (1) 法の支配とは何でないのか [30続き] (2) 法の支配と法治主義 [31] (3) 法の支配と正義 ■2.「法の支配」の理論と憲法典[32] (1) 法の支配の理論化 [33] (2) 法の支配の突出部 [34] (3) 法の支配と憲法との関係 [34続き] (4) 法の支配と主権との関係 [35] (5) 法の支配と法律との関係 ■用語集、関連ページ ■要約・解説・研究ノート ■ご意見、情報提供 ■1.「法の支配」の捉え方 [30] (1) 法の支配とは何でないのか 「法の支配」は、多くの人が口にする基本概念でありながら、その実体につき合意をみない難問である。 とはいえ、法の支配の目指すところについては、論者の間におおよその合意がある。 “その目的は、可能な限りすべての国家機関の行為を法のもとにおいて、その恣意的な活動を統制し、もって人々の基本権を保障せんとするところにある。” が、この機能論的な説明は、法の実体の解明にはなっていない。 また、法の支配とは何でないのか、という疑問についても、法学者の間で合意がみられる。 その解答としては、次のふたつがある。 第一。 “法の支配は、絶対君主の統治にみられたような「人に支配」、すなわち、ルールに基かない、その場当たりの恣意的な権力発動を通して人々を支配することではない。” 第二。 “法の支配は、法治主義ではない。法治主義とは、国民の権利義務に変動を与えるとき、その国家意思は議会の意思を通して実定法化されるべきこと、そして、行政はその議会法を執行し(“法律なければ行政なし”)、裁判所は議会制定法に準拠して法的紛争を解決すること、をいう。” [30続き] (2) 法の支配と法治主義 上の第一の「恣意的な人の支配」に代わろうとしたのが第二の法治主義である。 法治主義(*注1)は、民主的な国民代表機関に法規を創造する権限を集中さえ(法規という特異な概念については、[111]でふれる)、非民主的な行政機関と裁判所とを議会制定法(人為法)のもとに置こうとする民主化の思想だった。 「法の支配」にいう法は、民主的機関である議会の制定する法律をも統制し、主権者の意思をも統制する機能をもっている。 この機能については、法学者は異論を唱えないだろう。 未解決の争点は、“その狙いのために、法の支配にいう「法」がいかなる属性をもっているのか”というところにある。 法の支配を考えるに当たって重要なことは、 《人権または個人の尊厳をよりよく保障することが、法の支配の云いたいところである》などといった機能論も、 《法の支配は人の支配でもなく、法治主義でもない》という消去法も、 上の問いに答えてはいない、と気づくことだ。 《法の支配とは、何であるのか》真剣に正面から検討することが必要である。 (*注1)「法治主義」について法治主義なるタームは、日本法学の造語だ、といわれる。我が国の行政法学は、ドイツでの「法治国諸原理」のうち、「行政の法律適合性原則」を指すものとして、このタームを使用してきた(「法治国原理」については、[22a]をみよ)。「行政の法律適合性原則」は、ドイツにおける法実証主義と不即不離であり、公法についていえば、次のような思考を基礎としている。(1) 法学の任務は、自由意思の発動の系譜・手続をたどることにある。法令の中味についてその正邪を評定しようとすれば、価値相対主義のもとでは「神々の闘争」となってしまう。(2) 議会制定法、すなわち法律は、憲法所定の手続に従って発動された議会意思の所産である。命令は、行政機関(または君主)意思の所産である。(3) 国民の自由と財産にとっての“危険は君主からやってきた”。この危険に対処するには、命令という国法形式を、法律という国法形式のもとに置けばよい。国法形式の優劣関係は、客観的に認識できる。(4) 法律(議会制定法)によって行政活動を統制する国家が「法治国」である。我が国の公法学は、上のように、法実証主義のもとの「法律 - 命令」の形式的効力関係の捉え方を「形式的法治主義」と呼んできている。 [31] (3) 法の支配と正義 法の支配とは、《主権者といえども、人為の法を超える高次の法のもとにある》という思想を起源とする。 それは、法(law)と立法(legislation)との区別のもとで、前者が後者を指導する、という思想である。 高次の法 higher law とは、[11]でふれた“fundamental law”と同じである。 Higher law または fundamental law の内容は、《正義に適っているルール》を指してきた。 ところが、「正義」の捉え方は歴史によって変転し、論者によって様々となっているために私たちを混乱させているのだ。 法の支配を正義と関連づけるとき、その捉え方には、大きくふたつの流れがみられた。 第一は、 問題の法令の実質・内容を問う立場である。正義の種類からいえば、実質的正義論に属する。その典型的立場が自然法論である。 第二は、 問題の法令の形式を重視するタイプである。正義の種類でいえば、形式的正義論である。これは、問題の法令が、どのような特定の人々をも対象とせず、特定の目的も知らず、一般的で普遍的な形式を満たしているか否かを問うのである。これは、《人為法が普遍的に妥当する形式をもっていれば、不正を最小化できる》といいたいのだ(この点については [35] でもふれる)。 長い歴史のうえで、盛んに説かれてきたのが、第一の立場だった。 神こそこの世の中心だ、と考えられていた時代にあっては、不可謬の神の意思がこの世の法則決定者だと考えられ、人間こそこの世の中心だと考えられるに至った時代にあっては、人間の理性がこの世の法則を決定づけている、とみられた。 神の意思や人間の理性と、法の支配とを関連づける立場は、“法とは実質的正義を体現しているものをいう”と理解しているのである。 実質的正義に依拠する法の支配論は、今日においても根強い。 なかでも、人間の理性的能力を強調する見解は、“恣意を理性によって統制すべし”とする法の支配の考えと調和的であるために、人々を納得させがちである。 が、「理性/恣意」の峻別は容易ではない。 「理性」は、実に多義的で、恣意的に用いられてきた。 また、人間が理性の塊ではないことは、C. ダーウイン、G. フロイトによって暴露された以上、人間理性と正義(法)とを関連づける理論の信憑性は疑わしい。 かといってこれ以外に実質的な正義の中味をいうとなると、常に論争を呼ぶ「神々の闘争」となって決着はつきそうもない。 そのために、法の支配と密接不可分な正義概念を、手続的に、または、形式的に捉えようとする論者が登場するのである。 「実質的正義/形式的正義」という正義論のふたつの流れは、国法の役割を考えるに当たって、無視できない違いをもたらしている。 実質的正義を強調する論者は、“国法は、ある実体をもった正義を実現しなければならない”と、正義を実現されるべき最適規範と捉えがちとなる。 これに対して、形式的正義を強調する論者は、“国法は、誰であれ、無作為に抽出した受範者に等しく適用される形式をもっていなければならない”と主張するだろう。この主張には、《正義は積極的に実現されるべき目標ではない》という含意があるのだ。 ■2.「法の支配」の理論と憲法典 [32] (1) 法の支配の理論化 法の支配を脱実体化しながら理論体系としたのが、イギリスの法学者A. ダイシー(1835~1922年)である。 彼は、臨機(場当たり)でなく、誰もが知りえて、特定可能な対象にではなく、誰に対しても等しく恒常的に適用され得る法の形式を、「正規の法 regular law」と呼んだ。 それは、《類似の事案は同じように法的に解決される》という平等原則の中から浮かび出た形式である。 それは、多年にわたる実践と蓄積のなかで、次第しだいに、人間が獲得してきた法的知識だった。 その法的知識を専門的に修得するのが法曹であり、なかでも裁判官である。 身分の独立保障をうけてきた裁判官は、当事者の主張に耳を傾けながら、正しい解決のために、誰に対しても等しく適用されてきた論拠を発見するのである。 公正な判断を求めようとする法的紛争の当事者は、誰であれ、この裁判の手続にのるよう求められる。 ダイシーは、このことを《何人も通常の裁判所の審判権に服する》と表現した。 フランスと違って、イギリスが行政裁判所という特別の裁判所を持たないことが、誰に対しても特権を与えない正規の法の表れでもあったのだ。 さらに、ダイシーにとって、国家の強制力を「人権保障規定」によって統制しようとすることは、必要でないばかりか、望ましくもなかった。 自由や権利は、正規の法の展開がもたらすはずのものであって、人為的な法規定によって与えられるべきものではなかった。 ダイシーの法の支配理論は、上のように、 ① 正規の法が人為法に絶対的に優位すること、 ② 誰であれ、通常裁判所の審判権に服すること、 ③ 自由や権利は、正規の法によってこそ守られること、 の三点を説いたのだった。 [33] (2) 法の支配の突出部 形式的正義論をベースとする法の支配の考え方には、 (ア) 法は特権を容認せず、一般的普遍的な形式をもたなければならない、 (イ) 法は公知(誰もが前もって知りうるもの)で恒常的でなければならない、 (ウ) その適用に矛盾があってはならない、 という命題が伴っている。 これらの命題は、法の予見性・安定性に資し、経済自由市場における交易を一挙に促進することとなった。 自由市場の生育を可能としたのは、法の支配という憲法上の基本概念だった。 法の支配が、経済的自由、身体・生命の自由その他の自由へと拡大するにつれて、自由主義国家の基盤が出来上がっていったのだ。 法の支配は、経済市場における諸自由だけでなく、国家の刑罰権と課税権とを有効に統制する論拠となった。 罪刑法定主義と租税法律主義が、法令の遡及的適用を排除したり、慣習を法源足り得ないとしたり、法令の裁量的適用に警戒的であるのは、法の支配の思想が、一部実定法上に突出したためである。 それでも法の支配にいう法は実定化され尽くすことはない。 法の支配は、我々の権利義務に関する実定法(人為法)を指導するメタ・ルールである。 法の支配という思想は、あるルールを実定化するにあたって実定法を先導する上位のルールである。 たとえ憲法を含む実定法が法の支配を謳ったとしても、それこそが「自己言及のパラドックス」にすぎないのだ([11]での脚注参照)。 [34] (3) 法の支配と憲法との関係 法の支配は、国家の不正義を最小化するための理念として、歴史上様々な論者がそれに肉付けしてきた。 この理念は、sovereignty、なかでも、君主の有してきたそれをまず統制しようとした。 sovereignty は、「主権」と訳出されるが、この訳語では伝えきれないニュアンスをもった言葉である。 それは、「主権」というよりも、絶対権または最高権といったほうがいいだろう(⇒[37])。 憲法は、最高・絶対の主権を統制するための「基本法」として、歴史に登場した。 このことからも分かるように、憲法は、法の支配という構想の必須部なのだ(が、しかし、憲法が法の支配にいう法ではない)。 主権の帰属先が君主から国民になった場合でも、法の支配の理念に変更はない。 今日においても、すべての国家機関、なかでも国民の主権と、国民代表機関である議会とを、法のもとにおく必要があるのだ。 そのために、憲法は法の支配の理念の一部を組み込もうとする。 統治の機構においては、 ①独立の保障される司法部、②特別裁判所設置の禁止、③憲法条規の最高法規性の宣言、がこれであり、 権利章典の部においては、 ①適正手続保障、②遡及処罰の禁止、③公正な裁判の保障、等がこれである。 もっとも、こうした個別の条規を列挙することは、憲法と法の支配との関係を考えるにあたっては二次的な意味しかもたない。 法の支配と憲法との関係を考えるに当たって最も重要な視点は、権力分立構造という全体的なパースペクティブ(※注釈:見通し、展望、大局観)を持つことだ。 権力分立構造は、ある時点から、違憲審査制または司法審査制の実現によって大きな「変容」をみせるが、この「変容」も、法の支配と関連している(この点に関しては、後の [55] でもふれるが、しかし、違憲審査制は法の支配の内容ではなく、法の支配を有効とするための装置である)。 教科書の中には、法の支配について、 (ア) 憲法の最高法規性、 (イ) 基本権の尊重、 (ウ) 適正手続保障、 (エ) 司法審査制、 を列挙するものがある。 もし、この思考が法の支配の論拠を日本国憲法典に求めようとしているのであれば、ひとつの体系内に根拠を求める「自己言及のパラドックス」に陥ってしまっている。 もし論拠を示したものではなく、“法の支配がかような諸点に現れている”というのであれば、(イ)と(ウ)はダブルカウントであり、(エ)は法の支配の内在的な要素ではなく(英国には、司法審査制はない)、法の支配を有効にするための手段に過ぎないことの説明に欠けている。 このように、憲法と法の支配との関係をみるとしても、要注意点は、《憲法典という実定化された法が法の支配にいう“法”ではない》ということである。 確かに、憲法典は法の支配の理念を一部活かしている。 が、しかし、「憲法典=法の支配」ではない(⇒[82])。 [34続き] (4) 法の支配と主権との関係 《法の支配は憲法典や主権をも統制する》とのテーゼを理解するためには、次の(ア)~(ウ)に留意しておかなければならない。 (ア) 一般の教科書によれば、国民主権にいう「主権」とは、憲法制定権力のことを指す(*注2)(この点については、後の [38] [39] でふれる)。 (イ) 主権は、国制を意味する憲法を創出する力であり(憲法を作り出す力としての主権。以後、憲法制定権力を「制憲権」という)、憲法典は、この制憲権によって作り出される([41]もみよ)。 (ウ) 〔制憲権→憲法典〕という理論上の順序関係を考えれば、憲法典によって主権を統制することは出来ない([46] もみよ)。 では、「憲法典によって主権を統制することは出来ない」とき、主権(制憲権)は何によって規範的な拘束を受けているのだろうか? 実体的正義論者は、自然法、人間の理性、人間の尊厳、等をあげるだろう。 これらの実体的要素はいずれも客観性に欠けるとみる批判的な論者であれば、「主権者の自己拘束だ」というかもしれない。 それらの解答を、私はいずれも受容しない。 《主権を規範的に統制するもの、それが法の支配だ》、これが私の解答である。 法の支配にいう「法」とは、実定的な法ではなく、最低限の形式的正義のことだ、と私は理解している。 (*注2)主権・制憲権について主権や制憲権の意義にふれない段階で、読者は本文のような記述を理解し難いだろう。制憲権というテーマを読了してこの部分をもう一度読んでみれば、真意が判明するだろう。 [35] (5) 法の支配と法律との関係 法の支配は、先に触れたように、国民の主権や、国民代表機関である議会の権限(法律制定権)をも統制する理念である。 では、法の支配は、議会の立法権(法律制定権)をどのように統制するか? 実体的正義論者は、この問に関しても、主権を統制するものについて与えた解答と同じものを挙げるだろう。(※注釈:自然法、人間の理性、人間の尊厳、等) 「主権の自己拘束」説に立つ論者は、ここでの問に対して「議会の自己拘束だ」と答えるだろうか。 どうもそうではなく、解答は与えられていないようだ。 私のような、形式的正義論者は、こう解答するだろう。 《議会が法律を制定するにあたっては、一般的普遍的な形式をもたせなければならない》。 この解答は、日本国憲法41条の「立法」の解釈に活かされるだろう(後述の [116] を参照せよ)。 立法(法律)が一般的普遍的であるという形式を満たすとき、それは第一に、一定の要件を満たす限り誰に対しても適用され得るとする点で道徳的にみて正当であり、第二に、予見可能性・法的安定性を増すという点で経済的にみて合理的である。 法の一般性・普遍性とは、法規範の名宛人が事前に特定可能でないことをいう。 法の支配にとって最も警戒され続けてきた点は、法が人的な属性に言及しながら、特定可能な人びとを特別扱いすることだった。 法の支配は、人的な特権を忌避して、誰であれ自分の限界効用を自由に(国家から公法規制や指令を受けないで)満足させてよい、とする思想でもあるのだ。 近代法が、なぜ人間を「人」または「人格」と抽象的に形式的に言い表したのか、我々は近代法のこの発想の基本をもう一度振り返ったほうがよさそうだ(⇒[23])。 そうすれば、正義の女神が、なぜ目隠しをしているのか、すぐに理解できるだろう。 正義とは不正義を排除することなのだ。 ところが、現代法は「強者/弱者」という曖昧な二分法を強調することによって、「人」というケテゴリーの中に様々なサブ・カテゴリーを作り上げて社会的正義を積極的に人為的に(行政法や社会法という実定法を通して)実現しようとしてきている(⇒[25])。 これが正義というものだろうか? 「社会的正義」とは一体何だったのだろう? ※以上で、この章の本文終了。 ※全体目次は阪本昌成『憲法1 国制クラシック 全訂第三版』(2011年刊)へ。 ■用語集、関連ページ 阪本昌成『憲法理論Ⅰ 第三版』(1999年刊) 第一部 第四章 立憲主義と法の支配 第五章 立憲主義の展開 「法の支配(rule of law)」とは何か ■要約・解説・研究ノート ■ご意見、情報提供 名前 コメント
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「新株引受権利付き社債」と大蔵省、日銀 エクィティー・ファイナンス(新株引受権付き社債)の動機となった魅力は、超低利の長期資金を調達できることだった。 長期資金なのに、実質負担金利が1%程度とか、一時は、円ドルスワップの為替相場のダンピング競争で、起債金額より償還額が少ない、という極端な取引事例が出たほど過熱した。起債が実現すれば、ユーロ市場の引受幹事が主催する調印式挙行が取引習慣になっていて、豪華な欧州観光旅行が漏れなく用意されていた。 財務担当は言うに及ばず、社長までもが修学旅行気分を楽しみにした。 多くの企業が、本来事業の長期投資計画とは必ずしも直結しない形で、市場関係者に勧められるままに調達した資金を、不要・不急の本業外の投資に費消した。そして、 その投資対象が不良債権化して、債務が残るケースが多かったと推測される。 どれほどいい加減な投資話があったのか、一例をあげれば、 ○「米国の玉石混交の住宅ローン債権を束ねた投資ファンド」、 ○「航空会社の発注契約書の存在を担保にした飛行機購入投資ファンド」!!、 ○「企画段階のハリウッド映画製作の投資ファンド」!!、 ○「オーストラリアのリゾート開発プロジェクト・ファンド」、 ○「米国大学の大学会館建設ファンド」!!など、 いろいろなプロジェクトが勧誘された。 日本企業によるニューヨークのロックフェラー・センタービル買収は 「アメリカの富の象徴の買収」だと、米国メディアに批判までされた投資だったが、これも結局はバブル崩壊後、買値の半値くらいで手放したのではなかったか。 バブルのダメ押しのような、対米投資だった。 日本興業銀行、日本長期信用銀行、日本債権銀行、北海道拓殖銀行は、倒産あるいは身売りとなり、名門山一証券などが倒産した。平成10年7月17日に金融監督庁から公表された銀行の「預金取扱金融機関の不良債権等の状況」によれば、 この時点で銀行の不良債権は35兆円と報告され、日銀によるゼロ金利政策と公的資金投入によって金融の破綻が回避された。 中でも象徴的な日本長期信用銀行は、資産21兆円の内、重大な懸念あるいは回収不能債権額は4兆5千億円、実に総資産の20%が不良債権と認定され、米銀へ身売りされる運命となった。 300兆円の外貨建てインパクト・ローンや、30兆円のエクイティー・ファイナンスで取得された不良債権の実態は明らかではない。 企業や銀行に残された不良資産の不動産は、ゼロ金利で塩漬けにされ、破綻を免れている事例もまだ相当あるのではないだろうか。 しかし、これから国債が売られて金利が上昇に転ずれば、国債消化が困難になるだけでなく、売れない不動産を抱えた企業に倒産するところが出てくる。背に腹は代えられないと、 支那中国など外国の国家資本に所有不動産を投げ売るところが出るであろう。国土防衛の大リスクが潜んでいる。 エクィティー・ファイナンスは、結局、 ①外資におだてられて、成長は何時までも右肩上がりで続くと盲信すること、 ②不確実な将来の経済成長から生まれると期待される剰余価値が、現在時点で実現されるものとみる前提条件に、当事者もマスコミも何の疑問も抱かなかったこと、 に基づいているのである。 エクィティー・ファイナンスで調達された累計で30兆円を超える資金の全てが投機だったとは言えないものの、これに外貨建てインパクト・ローンの債務と合わせれば、 3百兆円を超える不良資産が積み上がった。 10年後の平成10年(1998年)頃には、株価も不動産市場価格も、半値になってしまった。これが、「失われた10年」の実体だ。 そして、国内政治で見れば、自民党単独政権から、いよいよ平成12年に、自民党と昭和40年代から地方政治でずっと二人三脚、裏で政権与党を支えてきた公明党との自公連立政権が始まった。因みに、国土交通省の全国市街地の地価指数が、平成12年を基準年としていることも、政権党になった公明党に対する国土交通省役官僚の心機一転という国内政治での転換点が意識されたものであろう。 平成22年の8月2日、臨時国会の衆議院予算委員会で、民主党松原仁議員が、政府参考人日銀白川総裁に「今の不況に、金融政策の責任者として日銀に責任があるのかないのか、イエスかノーで答えよ」と凄んだ。言葉は勇ましいが、問題を単純化してはいけない。 日銀の金融政策が有効なのは、企業に絶対的資金不足があった昭和40年代の中葉までで、その後、合理化で生産性が上がり、輸出で稼ぐ大企業に資金が余ってきている中では、その効果は一時的にはあっても持続的ではない。 例えば、昭和49年頃、オイルショックで原油がいきなり、バレル1ドル程度から3倍以上に跳ね上がったとき、原油輸入の決済代金が一気に不足し、国内短期金利が9%に跳ね上がったことがあった。このとき、日銀が資金供給を増やして、短期金利を短い期間で鎮静化させたことがあった。 しかし、55年以降の解放経済の中では、自由に活動する各経済主体の行き過ぎを事前に抑制するのは日銀の仕事ではない。事後対応でしかできないのは当然のことである。 よって、白川日銀総裁はイエス・ノーの答えの用意はなかった。 バブルが発生し崩壊したのは、三重野日銀総裁が金融政策を誤ったからだと、日銀の責任を問う声が、当時マスコミで激しかった。 冷静に見れば、行政と政治、マスコミが、日銀をスケープ・ゴートにしたのだ。 大蔵省は行政機関として、金融・資本市場政策を企画・実施して、「市場解放」政策を遂行し、銀行・証券業界の経営に影響を与えた。 これに対して日銀は、「景気の番人」と言われるように、企業活動に対して、常に「従者」に過ぎないのである。 不動産価格指数(平成12年3月=100) 出典:日本統計年鑑(原資料「不動産研究所研究部」市外地価格指数 昭和42 19.2 昭和55 70.7 平成01 117.4 02 133.9 03 145.2 04 145.2 05 137.2 14 87.4 21 61.4 年次 時価総額 1日平均売買高 東証株価指数 日経平均 35 5,411 90,166 97.35 45 15,091 138,194 163.35 50 41,468 178,708 312.06 4,243.05 55 73,221 351,648 474.00 6,870.16 60 182,697 414,754 997.72 13,113.32 61 277,056 693,914 1,556.37 18,701.30 62 270,952 946,753 1,725.83 21,564.00 63 462,896 1,020,541 2,134.24 30,159.00 元年 590,909 876,917 2,569.27 38,915.87 2 365,155 483,878 2,177.96 23,848.71 7 350,238 357,032 1,378.93 19,868.15 14 242,939 842,609 979.49 8,578.95 19 475,629 2,227,902 1,663.69 15,307.78 20 278,989 2,210,515 1,187.82 8,859.56 22 284,816 1,035,349 838.71 9,301.32
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ハイチ共和国 Republic of Haiti 1 基本情報 1.1 地理・経済情勢 人口:992万人(2009、ECLAC)※1 首都:ポルトープランス GNI:5,366ドル(2007、世銀)※1 北・南部に山脈が東西に走り、平地は少ない。※2 (その他、基本情報は後日一覧表から一括で転記) 1.2 年表 年台 出来事 備考 1492年 コロンブスのエスパニョーラ島発見 ※1 1697年 フランス領となる ※1 1804年 独立 ※1 1915年~1934年 米国による軍事占領 ※1 1964年 首都の水道を管轄するCAMEP(the Centrale Autonome Métropolitaine d Eau Potable)を設立 ※3 1977年 首都以外の水道を管轄するSNEP (Service National d Eau Potable)を設立。その後すぐに農村部の水道・衛生を見るPOCHEPを設立(SNEPは農村部を見る能力がなかった) ※3 1980年代 世銀、IDB、NGOを含む多くのドナーに支援された “International Water and Sanitation Decade”により、若干の普及率の伸びがあった。 ※3 1990年代 軍事クーデターなどによる国自体の不安定化のため、上下水道分野もそれに伴って後退。1991年の軍事クーデターでは、海外からの援助が3年間停止。それ以後もたびたび援助が減少。 ※3 1994年 ポルトープランスに水道委員会ができる。水道委員会は公共水道から水を買い、スラムに給水。 ※3 2000年代 海外援助は内陸部の町に集中するが、首都大都市部での上下水道サービスの問題も依然未解決。 ※3 2009年 プレヴァル政権が水部門の改革に取り組む。政府政策と規制機能を強化し、上下水道分野で活動するNGOを指導することを目的とした枠組み法(framework law)が議会を通過。上下水道を監督する国家機関と地域の上下水道サービス供給者を設立。 ※3 2010年 ハイチ地震発生(M7.0)。水道等インフラに壊滅的被害。1500万人が難民キャンプでの生活を余儀なくされる。衛生状態の悪化でコレラ流行 (当該国の歴史的経緯と水に関連する主要なイベントの発生時期を記述) 2 水資源と水利用 Photo sagara 2.1 水資源 (水資源の豊富さ、雨期と乾期、どのような水源が使われているか、等) 熱帯気候で、雨季は4~6月、および8~11月と2度ある。※2 年間降水量は約1,300mmである。※2 農村部の水源:改善された水源(Improved water source)にアクセスできない農村部では、保護されていない井戸(5%)や泉(37%)、そして河川(8%)が主な水源である。※3 都市部の水源:改善された水源(Improved water source)にアクセスできない都市部では、ボトル水(20%)、ドラム付きカート(4%)、保護されていない井戸(3%)が主な水源である。※3 2.2 水利用 (農業用・工業用・家庭用の配分、廃水の再利用など、水の使われ方の特徴、等) 2.3 家庭用水需要 (水道の一人一日使用水量やその範囲、都市村落給水の間での違い、等) 3 水に関する住民意識 3.1 徴収率 (水道料金の徴収率、あるいは水供給に対してお金を払う気持ちや文化があるかどうか、等) 首都以外ではメーター設置はまれで、メーターを設置しているのは、産業分野や、首都で通知を受けている水委員会などごく一部のみ。多くの民間水需要者や大口水需要者は公共水道には接続せず、タンクで水を得ている。※3 都市部で水供給を行うOREPAでは、水の売上は運転コストをほとんどカバーしていない。この問題は、全国のコミュニティ水道や民間水道でも同様である。※3 料金徴収を強制するために断水することもあるが、多くの住民は非合法に再接続してしまう。※3 3.2 料金体系 (平均的な水量あたり料金、料金の決め方、等) ハイチでは、ほとんどの消費者がメーターを設置していないため定額料金制である。料金は地域や供給者によって大きく異なる。※3 2008年時点d、小規模な町では、水道料金は、約1ドル/月(中央台地)から約7.3ドル/月(首都に近いKenscoff)であった。※3 3.3 水に対する不満・クレーム (平均的な水ニーズ、特徴的な水に関する意識、等) 4 水関連の政策・法規制・基準 4.1 政策と計画(policy and plan) (国の開発計画、水セクターのマスタープラン、等) 4.2 法規制 (上水下水などの水関連の個別法、基準のうち環境基準や水質基準) 4.3 水行政機関 (法規制を執行する機関) 水道統括官庁:公共事業省(Ministry of Public Works) DINEPA(Direction Nationale d Eau Potable et d Assainissement、国家上下水道局):公共事業省内にあるハイチの水セクターにおける主な公共機関。政策実行、ドナーからの援助の調整、上下水道サービス供給者の監督を行う。※3 OREPA (Offices Régionaux de l’Eau Potable et de l’Assainissement):DINEPAの権限に属する地域サービス供給者。都市部で水供給を行う。※3 自治体:枠組み法(Framework Law:政府政策と規制機能を強化し、上下水道分野で活動するNGOを指導することを目的とした法律。2009年に議会通過)によれば、長期的には自治体が上下水道を管理すべきだが、能力的に限界があり、現在はほとんど何の役割も果たしていない。※3 CAEPAs (Comités d Aprovisionnement en Eau Potable et d Assainissement):全国に数百ある、農村部や小さな町の水道を管理する水道委員会。コミュニティーから選ばれた人間で構成される。CAEPAの中で最良のものは、規則を順守し、コミュニティーと密接な関係を構築し、規則に従って料金超徴収を行い、修繕を行う配管工を雇い、銀行口座を持ち、DINEPAに登録・承認されている。しかし、多くはこのような期待に応えられていない。※3 水道委員会や水道システムに関する、全国的・地域的な登録制度および協会は存在しない。※3 FAES:水道供給システムに投資を行う公的なソーシャルファンド。※3 5 上下水道事業の実施状況 5.1 上下水道の普及状況 (上下事業の数、当該国における分布状況、普及率、安全な水アクセス率、等) 普及率※2 上水道 54%(都市部:52% 農村部:56%) 下水道 30%(都市部:57% 農村部:14%) (都市部には国民の46%が住む) 5.2 その他パフォーマンス (漏水率、24時間給水の実現度、その他水供給事業の水準を定量的に把握できる数字) 24時間給水されていない。※2 水道メーターはほとんど設置されていない。※2 残留塩素がないため一般細菌が検出される問題がある。※2 6 上下水道への援助・民営化 6.1 国内援助 (中央政府から地方事業への援助等) 6.2 その他の援助 (外国からの援助等) 6.3 民営化 (民営化、公民連携の進行状況) 7 水技術 (どんな技術が使われているか、現場の技術レベルはどうか、技術基準は、その国発祥の技術は、その他おもしろネタ等) 出典 ※1)外務省HP ※2)水道年鑑 ※3)Wikipedia, Water supply and sanitation in Haiti(http //en.wikipedia.org/wiki/Water_supply_and_sanitation_in_Haiti)
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日本の安全保障 / NSC / NSA / 谷内正太郎 ※ NSC(National Security Council) ● アメリカのNSC ⇒ アメリカ国家安全保障会議〔Wikipedia〕 ● 日本版NSC ⇒ 国家安全保障会議〔Wikipedia〕 国家安全保障会議(こっかあんぜんほしょうかいぎ、英語 National Security Council、略称:NSC)は、日本の行政機関の一つである。国家安全保障会議 ... 国家安全保障会議では、4大臣会議と緊急事態大臣会合が新設された。9大臣会議は前身の安全保障会議と同じ構成である。 ★ 菅政権、NSCを初開催 米移行期の安保空白を警戒 「時事ドットコム(2020年11月19日19時47分)」より / 政府は19日、菅政権の発足後初めて、国家安全保障会議(NSC)の4大臣会合を首相官邸で開いた。北朝鮮や中国の動向を含む最新の地域情勢について協議。米大統領選でトランプ大統領が敗北を認めず、政権移行手続きが滞るなど不安定な状況が続く中、日本周辺の安全保障に空白を生まないよう万全を期すのが狙いだ。 米大統領選後、北朝鮮は軍事挑発再開の兆候など「いろいろな動きを見せている」(政府関係者)という。中国も沖縄県・尖閣諸島周辺の領海侵入を繰り返すなど示威行為を続けている。 こうした状況を踏まえ、政府は友好国との安全保障協力を強化し、抑止力維持に努める方針だ。 ■ 北朝鮮危機-日本国の国家安全保障会議はどうしたのか? 「万国時事周覧(2017.9.16)」より / 北ミサイル、「常態化する恐れ」…外務省幹部 2013年12月4日、日本版NSC(National Security Council)として鳴り物入りで設置された国家安全保障会議。ところが、北朝鮮危機が深刻な事態を迎えているにも拘らず、同会議が開かれたという報道は聞こえてきません。 日本国政府は、国連安保理の緊急会合に向けての準備やアメリカとの調整に悩殺されており、国内的な対応が遅れているのかもしれませんが、北朝鮮問題に限らず、対外的な危機に際しては、国際レベルと国内レベルの戦略策定を同時並行的、かつ、整合的に策定する必要があります。どちらか一方でも手薄となりますと、全ての事態に対して柔軟に対応することができなくなります。 (※mono....中略) / 国家安全保障会議の組織図や構成を見ておりますと、些か官僚主義的な側面があり、危機に対して敏速、かつ、機動的に活動できるのか疑問なところです。あるいは、同会議には、機密漏洩などの点で不備があるのでしょうか。日本国の運命と国民の命がかかっていながら、同会議も開催されず、日本国としての戦略が存在するのか否かも不明な状態に、国民の多くは不安を感じているのではないかと思うのです。 【谷内正太郎】 ★ NSC事務局、7日発足 初代局長に谷内氏 「日本経済新聞(2014.1.6)」より / 政府の外交・安全保障政策の司令塔として昨年12月に始動した国家安全保障会議(日本版NSC)の事務局となる国家安全保障局が7日、発足する。元外務次官の谷内正太郎内閣官房参与が初代の局長に就き、当面は約60人規模で業務を始める。谷内氏は今月中下旬にも米国を訪問し、ライス大統領補佐官(国家安全保障担当)らと会談する予定だ。 国家安保局は情報収集や政策立案の機能を担ってNSCを補佐する。当面は沖縄県の米軍普天間基地移設を中心とした日米同盟の強化や、首相の靖国神社参拝で関係が一層冷え込んでいる中国、韓国両国との関係改善が課題となる。安倍晋三首相は7日、谷内氏や局次長に内定している外務、防衛両省出身の官房副長官補ら同局幹部に辞令を交付する予定だ。 ーーーーーーーーーー ★ NSC初代局長に谷内氏 首相の強い意向 創設法成立受け来月にも実質始動 「産経新聞(2013.11.12)」より / 安倍晋三首相が、外交・安全保障政策の司令塔となる国家安全保障会議(日本版NSC)の事務局「国家安全保障局(安保局)」の初代局長に谷内正太郎内閣官房参与(69)の起用を決めたことが11日、分かった。焦点だった安保局長人事が決まったことで、NSCは創設のための関連法案が月内にも成立した後、始動する。 +続き 谷内氏は米国のNSCに詳しく、外交と安全保障の一体的な政策運用の必要性を首相に進言してきた。日本版NSCは首相が第1次政権でも取り組みながら断念した「悲願」で、首相側は谷内氏に安保局長就任の打診を繰り返してきた。 谷内氏はこれまで「首相のサポート役に徹したい」として態度を保留していたが、最終的に首相の強い意向を踏まえ、受諾した。 谷内氏は第1次安倍政権時代に外務事務次官を務め、日中の戦略的互恵関係構築や「価値観外交」展開の中心的な役割を担った。第2次安倍政権では内閣官房参与として政府の有識者会議「安全保障と防衛力に関する懇談会」のメンバーを務めている。NSCの立案や外交・防衛政策の基本方針「国家安全保障戦略」策定の議論にも参画。首相の外交アドバイザーで、密使の役割を担うこともあるほど首相の信頼は厚い。 安保局長は事務方の最高責任者に位置付けられ、各国のNSCトップと同格の扱いとなる。日本版NSCの中枢である首相、官房長官、外相、防衛相の「4大臣会合」を直接支えるため官邸内に常駐する予定だ。 安保局長ポストをめぐっては、外務省と防衛省が水面下で激しい争奪戦を繰り広げていた。局長に外務省出身の谷内氏が就く一方、官邸側の意向で事務を担う安保局の「総括」「戦略」「情報」など6部門のトップのポストは防衛省3、外務省2、警察庁1とバランスを重視して配分する。 政府は、日本版NSC創設法が成立したら、12月中に4大臣会合を立ち上げ、国家安全保障戦略と新しい防衛大綱を決定する。60人規模となる安保局は来年1月に設置する方針だ。 ◇ やち・しょうたろう 昭和19年、石川県出身。東大大学院修了後、44年に外務省入省。総合政策局長、内閣官房副長官補などを経て平成17年1月から20年1月まで外務事務次官。24年12月の第2次安倍政権発足に伴い内閣官房参与に就任した。 .
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国の垣根を越えて魔法の秘奥を探求すべく魔術師たちによって結成された研究機関。 アルメリア王国北方のバルディア自治領を拠点に日夜魔法の研究に明け暮れている。 その歴史は古く、300年以上前の資料にも結社についての記述が見られるという。 この世界における魔法の総元締めという立ち位置であり、物語の動線に様々な形で登場する謎多き組織。 単なる狂言回しなのかはたまた黒幕なのか、どうにも底の見えない存在である。 ゲーム上における彼らは、たびたび変なモノを作っては世界に騒動を撒き散らす。 魔術の達人揃いの癖に、よく分からない魔法生物を生み出して暴走させたり、 強い魔剣を作ったらやっぱり暴走させて付近一帯を永久凍土に変えたりと、 魔法に秀でた知恵者集団というよりかは、マッドサイエンティストの組織といった印象が強い。 大陸のそこかしこに霊銀結社がもたらした恩恵が見られるが、同じくらいの割合でどう使うのか謎なアイテムもある。 悪い魔法使いを取り締まったかと思えば、そいつと一緒に最強魔法の開発に夜な夜な取り組んでいたりする。 雑に言ってしまえば変人偏屈の巣窟であり、世界にとって神にも悪魔にもなり得る社会不適合者の集まりである。 以下、真面目な解説。 魔法技術の開拓と発展、普及を目的とした魔術師たちによる国際機関。 本拠地はアルメリアに置いているが、特定の国家に所属しない独立した組織であり、 事実上アルフヘイム全体における「魔法」と名のつくもの全ての総本山となっている。 各国の宮廷魔術師クラスの人材が出向という形で参加し、逆に結社の魔術師を食客に迎えることも多い。 技術屋集団からなる組織らしく、内部には実力によるヒエラルキーが厳然と存在する。 ほんの一握りの頂点を中心に、強烈なトップダウンによる統制が敷かれている。 結社の魔術師の最高位は『大達人(アデプタス・メジャー)』と呼ばれ、 他ならぬゴッさんこと十二階梯の継承者筆頭『黎明の』ゴットリープがこれにあたる。 位階は下から順に、 ▽新参者(ニオファイト) ▽練習生(アプレンティス) ▽実践者(プラクティアス) ▽習熟者(エキスパート) ▽魔術師(メイガス) ▽小達人(アデプタス・マイナー) ▽大達人(アデプタス・メジャー) の七つ存在し、最高位の大達人は十二階梯の継承者の現リーダーも兼任するゴットリープしか存在しない。 そのため、実務に携わる者としての最上位階は小達人ということになる。 研究理念は「魔法で夜を克服する」。 ここで言う"夜"には単純な夜間の暗闇のほか、外敵に対する恐怖、未知の領域など様々な意味がある。 主に既存の魔法の改良、新型魔法の開発・実用化、遺失魔法の解析・再現といった、 魔法に関するあらゆる分野で幅広く活動している。 さらに在野の魔術師の統括監理および育成、禁呪やその生成物の規制なども彼らの仕事。 研究を目的とする組織だが、実質的に魔法という界隈の統治を担う最高意思決定機関と言える。 魔導書や古代遺物、高位の魔物の遺骸といった特に危険な被呪物品については、 メイレス魔導書庫をはじめこれを管理収容する専門の出先機関を設けている。 杖や魔剣などに代表される、魔法を付与した道具や装置の研究開発も手掛けており、 例えば大陸の主要交通機関である魔法機関車の実用化には結社が大きく寄与した。 また、アルメリアから魔力の集まりやすい地脈の結節点を土地ごと買い取り、 自治権の認められた都市として運営する行政機関の側面も備える。 魔術結社が所管する土地のため、バルディア自治領の住人にはやはり魔術師が多い。 アルメリアだけでなく大陸国家に分け隔てなく魔法技術を提供し、 対価として各国の貴重な魔力資源や素材、国特有の術式に関する知識などを集めている。 自治領の中心部に在する結社の拠点『錬術宮』は幾重にも魔術的防護が張り巡らされ、 許可なき者の立ち入りはおろか千里眼による遠隔視や通信魔術などあらゆる窃視盗聴を遮断する。 使い魔を撃退する対空迎撃網も完備しており、許可証なくして入ることは叶わない。 なんなら自治領から生きて帰ることすら不可能だろう。 一国の政府高官や国家元首でさえも無許可で立ち入れば手痛い歓迎を受けるうえに、 結社と対立すれば技術供与を受けられなくなるだけでなく、結社と懇意にしている他国からも非難の対象となる。 そんな、国際社会において非常に大きな存在感を持つ霊銀結社であるが、 元々ははみ出し者の偏屈魔術師が相互扶助のために身を寄せ集めた寄り合い組織に過ぎなかった。 風向きが変わったのは今から200年ほど前のことである。 当時大国として成長過渡にあったアルメリア王国は、人口の急増に耐えうる生活基盤が不足していた。 増え続ける人の数に対して食料の供給が追い付いておらず、国の存亡に関わる飢饉に陥ったのである。 アルメリア王家はこの緊急事態に対して食糧生産増大の妙案を急募。 これに手を挙げたのが、まだ無名の魔術師集団に過ぎなかった霊銀結社だった。 結社は当時何もない平原だった土地に太い地脈が通っていることを発見し、 地脈から噴き出す豊富な魔力を作物の成長に活かす精霊を利用したシステムを考案した。 わずか半年で平原は肥沃な土地へと変わり、作物収穫量は数百倍にまで跳ね上がり、 広大な平野を開墾して大陸最大規模の穀倉地帯を築き上げるに至った。 これが現在の穀倉都市デリンドブルグの成り立ちであり、 大国を飢えによる滅亡から救った霊銀結社は英雄として崇め奉られ、 王家に対する強大な発言力を裏付ける確かな実績となったのである。 戦いを目的としない技術畑の組織であることから武力では各国軍に劣ると思われがちだが、 多くの魔術師は技術を極める過程で攻撃魔法にも通じるため、結社の構成員は各人が高い戦闘能力を誇る。 一人一人が大砲を持ち歩いているようなものであり、半端な軍隊では返り討ちに遭うことだろう。 加えて、結社には新型の魔法や魔導武器の実戦テストを行う若手魔術師の私兵隊が存在する。 先行開発技術試験部隊『星々の到達点』、通称『デスティネイトスターズ』である。 最新の武器と魔法を装備した彼女たちは、若年ゆえに練度こそ不安があるものの、 いわば最新レイド報酬の装備で全身を固めているに等しく、その火力は言うまでもない。 ゲーム上ではアクセス至悪なヘイズフォッグ霧煙街道を抜けてバルディア自治領に行く理由の9割を占める。 魔法のスキル上げにおいてこの上なく適した場所はなく、入手できる貴重なアイテムや装備は戦力の増強には欠かせない。 なによりも、ゴッさんの『業魔錬成』は彼がガチャで加入するまで結社以外に行える場所がなく、 多くのプレイヤーが運営に怨嗟を垂れながら霧深い街道を何往復もする羽目となった。 また、プレイヤーが霊銀結社に所属し、さらには『小達人』にまで上り詰めることもできる。 『小達人の証』はゲームのストーリーモードにあるイベント『魔剣奪還作戦』をクリアすると、 霊銀結社から謝礼のひとつとして貰える、いわゆるクエストクリア認定のトロフィー代わりである。 いわば、霊銀結社が多大な功績のあった外部の人間に対して発行する名誉称号のようなもの――と考えればいいだろうか。 仮に業魔錬成に用がなくとも、結社由来のサブクエストは報酬・シナリオともに評価の高いものが多い。 ブレイブ&モンスターズ!を語るうえでやはり切っては離せぬ場所と言えるだろう。
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【基本書】〔メジャー〕 〔その他〕 【その他参考書】〔行政救済法:参〕 〔地方自治法:参〕 【入門書・概説書】 【注釈書・コンメンタール】〔行政手続法:注〕 〔行政不服審査法:注〕 〔行政事件訴訟法:注〕 〔国家補償法:注〕 〔地方自治法:注〕 【判例集・ケースブック】〔判例集等〕 〔ケースブック〕 〔その他〕 【演習書】 【基本書】 〔メジャー〕 中原茂樹『基本行政法』日本評論社(☆2024年2月・第4版)……小早川門下。元司法試験考査委員。従来の行政法の教科書と異なり、判例の事案をベースにしたケースメソッドを用いて、抽象的な行政法理論がわかりやすく理解できるよう工夫されている。最終ページの行政訴訟フローチャートが分かりやすい。もっとも、下記の「簡易問題集」を見ればわかる通り、各ケースにおいては個別法の解釈が求められる。いずれできるようになるべきことだが、行政法初学者がいきなり挑むのはきつい。入門書を読んでから挑戦するのも、一つの手だろう。「受験新報」2019年12月号特集「合格者が使った基本書」行政法1位。なお、第3版(2018年3月)に係る正誤情報あり。簡易問題集。序章+全27講+終章。A5判、508頁。(第4版については評価待ち) 櫻井敬子・橋本博之『行政法』弘文堂(2019年8月・第6版)……塩野門下による共著。通称『サクハシ』。判例・通説を中心に、コンパクトに行政法の知識が押さえられている。その平明な記述は、予備校本よりもわかりやすいとの声もある。また、ヴィジュアル面にも工夫が凝らされており、学習者に配慮した読みやすいレイアウトになっている。行政組織法についても一応の言及があるほか、行手法や情報公開・個人情報保護法制などについても、ある程度の分量をもって触れられており、収録されている判例数も多いため、予備試験の択一対策としても有用である。短所としては、総じて理由付けが脱落しがちであるという点が挙げられる。第6版において、個人情報保護法、行政機関個人情報保護法、国税通則法、地方自治法の改正による住民訴訟制度の改正等の法改正を反映するとともに、重要な新判例を追加し、内容をアップデート。また、処分性や原告適格などの判例の多いテーマを整理して一覧表にまとめるなど、ビジュアル面に一層配慮。「受験新報」2019年12月号特集「合格者が使った基本書」行政法2位。全24章。2色刷。A5判、432頁。 宇賀克也『行政法概説I・II・III』有斐閣(I 行政法総論:☆2023年8月・第8版、II 行政救済法:2021年3月・第7版、III 行政組織法/公務員法/公物法:2019年3月・第5版)……極めて情報量が多く、判例や学説の網羅性は塩野を凌駕するが、章のはじめにポイントを摘示したり、重要度によって文字のサイズを変えたりするなど、教科書として読みやすいよう工夫されている。判例の体系的なデータ整理が徹底されているのも特徴のひとつ。もっとも、理論面は塩野に劣るという評価もある。また、著者の自説については、結論をはっきりと示していないところもある。伝統的通説に関する記述を「塩野参照」とするところがある。塩野IIIとは異なり、地方自治法は後掲の『地方自治法概説』で個別に取り扱っている。「受験新報」2019年12月号特集「合格者が使った基本書」行政法3位。A5判、574頁・626頁・658頁。 〔その他〕 宇賀克也『行政法』有斐閣(☆2023年7月・第3版)……通称『宇賀レインボー』。著者は田中孫弟子(雄川門下)の、現最高裁判事。ロースクールの未修者クラスの教科書として使うため、上掲『行政法概説I・II・III』のエッセンスを抽出して一冊にまとめたもの。なお、『概説III』の公務員法・公物法はカットされており、司法試験に必要十分な知識のみが凝縮されているといえる。サクハシに比べ記述はやや堅いものの、理由付けはサクハシよりもしっかりしている。収録判例数も多く、予備試験の択一対策としても有用。全10章。A5判、528頁。 塩野宏『行政法I・II・III』有斐閣(I 行政法総論:2015年7月・第6版〔☆2024年2月・第6版補訂版改訂予定〕、II 行政救済法:2019年4月・第6版、III 行政組織法:2021年4月・第5版)……田中門下。行政法の第一人者の手による基本書。著者は現在は一線を退いているが、最新の判例や学説を探究して現在も改訂を続けている。塩野説は、いわゆる行政過程論を展開し、通説の地位を占めている。試験対策としてはやや網羅性に欠ける面もあるが、それでも情報量は豊富であり、かつ考察は深い。III(行政組織法)では、地方自治法、公務員法、公物法も扱っている。II(行政救済法)の第6版において、2014年に全面改正された行政不服審査法が反映された。A5判、442頁・450頁・476頁。 大橋洋一『行政法I・II』有斐閣(I 現代行政過程論:☆2023年12月・第5版、II 現代行政救済論:2021年10月・第4版)……塩野門下。考査委員を長年務めた著者による意欲的な基本書。事例(Case)における問いに解題を与えるという対話型講義のスタイルで書かれており、内容は高度であるが、非常に読みやすく、独修しやすい教科書となっている。『行政法II』も、個々の救済手段を念頭に置いて、典型事例を軸に据えて解説しており、理解しやすい。特に、司法試験に頻繁に出題される処分性及び原告適格は、司法試験受験生必読とすらいえよう。各Caseも、『基本行政法』に比べると簡潔なもので、初学者にもとっつきやすい。全20・20章。A5判、544頁・528頁。 ☆興津征雄『行政法Ⅰ 行政法総論(法学叢書2-I)』新世社(2023年9月)……行政救済法を含まない行政法総論としては異例の大著で「紙幅を費やしてでも思考や推論の過程をなるべく丁寧に言語化することを試み(はしがき)」ている。個別法の解釈方法を具体的条文を用いて解説していること、行為形式論を基軸とする行政過程論を体系として採用せず要件効果論として論じていること、公物法も論じていることなどが特徴。司法試験・予備試験の短答試験で問われた箇所を明記しているのは至便(巻末に事項・判例索引のほか、司法試験・予備試験問題参照部分索引を付している。)。全32章。A5判、864頁。 芝池義一『行政法読本』有斐閣(2016年3月・第4版)……『行政法総論講義』『行政救済法講義』有斐閣(2006年10月・第4版補訂版、2006年4月・第3版)の2冊を初学者向けにコンパクトにまとめたもの。初学者向けという性質上、大胆に削っている論点が多いが、隙のない良書となっている。特に異端説を採っているわけでもなく、通説・有力説にはしっかりと言及しているので、安心感がある。塩野及び芝池が採用した学説が、今日の行政法の通説になっている。芝池の独自説があるとすれば、従来の学説が論じてこなかった間隙を埋めている箇所である。例えば、「形式的行政処分の拡張」のように、従来の学説では指摘されてこなかった短所を指摘している箇所などが挙げられる。全27講+補講(届出)。A5判、494頁。 芝池義一『行政救済法』有斐閣(2022年12月)……『行政救済法講義』の全面改訂版。A5判、414頁。 高橋滋『行政法』弘文堂(☆2023年11月・第3版)……田中孫弟子(南博方門下)。著者の講義レジュメをベースとして執筆されたテキスト。高水準の内容を無難に解説しており、独自説はあまり見られない。大小フォントを使い分け、判例の事案につき詳しく解説しているのが特徴。判例の要点が簡潔にまとまっており、まとめ用にも向く。難点はサクハシと同じく文献の引用がないこと。第3版において、R3個人情報保護法の改正に対応。全4編、全18部。A5判、544頁。なお、同著者による実務家向けの著作として『法曹実務のための行政法入門』判例時報社(2021年9月、A5判、594頁)がある。行政法に特有の論点が含まれているにもかかわらず、民事法的思考に基づいて目前の事案を処理・分析しようとしがちな法曹実務家に対し、行政法の思考方法の独自性・固有性・重要性を伝える(以上、はしがき)1冊本。 稲葉馨・人見剛・村上裕章・前田雅子『行政法(LEGAL QUEST)』有斐閣(☆2023年3月・第5版)……元司法試験考査委員らによる教科書。まとめ用の本としてシェアを伸ばしている。本書については、わかりやすくまとめられていて初学者にも推奨できるという評価と、簡潔な記述で高度な内容まで説明しており、初学者が利用するのは難しいという評価がある。全5章、全18節。A5判、422頁。 藤田宙靖『行政法総論 上巻・下巻』青林書院(上巻:2020年4月・新版、下巻:2020年4月・新版)……田中門下。元最高裁判事。『行政法Ⅰ(総論)(現代法律学講座)』の実質的な改訂版。書名は「総論」と銘打たれているが、行政救済法も内容に含まれている。新版から、上巻(行政法通則)・下巻(行政救済法)の二分冊となった。著者自身は、本書について、「今日のわが国の行政法について、その全体ないし部分の切断面をいわばCTスキャンの如く詳細に描写する先端的な著作」ではなく、「そのような成長の基盤にあったのが何であったのか、そういった成長は法理論的に如何なる意味を持つものであるのか、といったバックグラウンドを理解するための、一つの手掛かりとしての機能を果たし得るかもしれない」と述べており、本書は「体系書」や「教科書」ではないと謙遜気味に評している。しかし、本書はもともと学部の講義用テキストとして書かれたものであり、基本書としても全く差し支えない。行政法理論の基礎的・体系的な理解を得るためには、大変有用な一冊である。内容としては、表現の限りを尽くした丁寧な説明が特徴。行政法の制度と理論全体を、法律による行政の原理という物差しを用い、法律、行政行為、行政強制といった三段階モデルでそれからの偏差を測定する方法(以上、阿部泰隆『行政法再入門(上)』44頁より引用)をとり、いわゆる行政過程論には懐疑的である。A5判、440頁・372頁。なお、同著者による行政組織法の体系書としては『行政組織法』有斐閣(2022年4月・第2版、A5判、534頁)がある。 神橋一彦『行政救済法』信山社(☆2023年3月・第3版)……田中孫弟子(藤田門下)。著者による大学での講義案を書籍化したものであり、2色刷で図や表が多く、読み手の理解を助ける。判例文を長く引用しており、特に藤田裁判官の補足意見の引用が充実している。また、取消訴訟の訴訟要件論については紙幅を割いて非常に丁寧に説明している。折に触れて行政法総論についても軽く言及しており、読者に優しい。A5変型判、456頁。 髙木光『行政法』有斐閣(2015年11月)……塩野門下。歴々の行政法学者のテキスト読解、ドイツ法などアカデミックな内容が盛り込まれており、内容は高度。著者は公法上の当事者訴訟活用論者であり、処分性拡大論には否定的。一応ケースメソッドを採用しているが、説明にはあまり生きていない。全10部、全50UNIT。A5判、556頁。 原田大樹『例解行政法』東京大学出版会(2013年10月)……一般的な行政法の基本書と異なり、総論(行政過程論・行政救済法)と各論(租税法・社会保障法・環境法・都市法)という独特な解説の形式を採る。両者を有機的に統合して解説することで、複雑な行政法の理解を促すことを目的としている。図表が充実している点も嬉しい。著者が大橋門下ということもあり、大橋『行政法』との相性が良い。やや古いことが難点。全2部、全6章。A5判、544頁。 曽和俊文『行政法総論を学ぶ(法学教室ライブラリィ)』有斐閣(2014年3月)……法教連載を単行本にしたもの。単行本化にあたり「行政情報」について2項目(情報公開制度、個人情報保護制度)が追加された。A5判、510頁。なお、「行政救済法を学ぶ」(法学教室・No.415~No.438、全20回)は現在のところ未刊。 木村琢磨『プラクティス行政法(プラクティスシリーズ)』信山社(2022年4月・第3版)……教育的配慮から、行政救済法を中心に記述し、総論はそれが救済法と関わってくる箇所にて逐次説明するという独特の形式を採る。かつての「各論」的要素を取り入れており、行政作用を典型的な4類型に分け、短いケースを用いつつ解説する。全8章。A5変型判、384頁(本文370頁)。 岩本章吾『行政法講義』成文堂(☆2023年3月・第3版)……A5判、522頁。 高橋信隆編著、岩崎恭彦『行政法講義』信山社(2014年10月)……全27講。A5変型判、416頁。 村上武則監修、横山信二編『新・基本行政法』、『新・応用行政法』有信堂高文社(2016年11月、2017年10月)……A5判、328頁・384頁。 橋本博之 『現代行政法』岩波書店(2017年9月)……全16章+補章(行政組織法)。A5判、336頁。 大浜啓吉『行政法講義I・II』岩波書店(I 行政法総論:2019年10月・第4版、II 行政裁判法:2011年10月)……A5判、526頁・568頁。 市橋克哉ほか『アクチュアル行政法(アクチュアルシリーズ)』法律文化社(2020年4月・第3版)……基本原理や行政組織法の説明が多いのが特徴。行政法を憲法原理や民主主義原理から読み解こうとする。判例や通説的議論に引っ掛かりを覚える、飽き足らない者にとっては面白いかもしれない。全6部、19章。A5判、384頁。 (古典) 田中二郎『新版 行政法 上・中・下(法律学講座双書)』弘文堂(上 1974年4月、中 1976年6月、下 1987年2月・いずれも全訂第2版)……元最高裁判事。1982年1月に逝去。かつては行政法で通説といえば田中説を指した。現在では田中説は「伝統的通説」と位置づけられ、本書は「古典的名著」と称される。実務上の影響力は今なお強い。下巻は弟子の塩野の手によって改訂された。なお、2014年にオンデマンド版で復刊。A5判、388頁・352頁・280頁。 遠藤博也『行政法II(各論)(現代法律学講座)』青林書院(1977年11月)……田中および雄川門下。1992年4月に逝去。行政組織法・行政作用法各論を扱う。行政作用法各論分野の数少ない体系書。行政庁の危険管理責任論の提唱など学説形成に大きな影響を与え続けている名著。 絶版。A5判、388頁。 新井隆一『行政法(青林教科書シリーズ)』青林書院(1992年2月)……2017年6月に逝去。A5判、330頁。他に、『口述 行政法(口述法律学シリーズ)』成文堂(1989年、A5判、288頁)、『行政法(法学基本問題双書)』成文堂(1991年・第4版、B6判、236頁)等がある。 小早川光郎『行政法 上(法律学講座双書)』『行政法講義 下I・II・III』弘文堂(1999年6月、2002年11月、2005年11月、2007年8月。下I・II・IIIはOD版あり。)……著者は行政法学の第一人者の一人。原告適格の要件論で著名。田中・塩野に続く代表的な基本書の地位を得るかと思われたが、未完。上も改訂されていないため、内容はかなり古くなっている。もっとも、理論面での検討は緻密で、なお味読に値する。A5判、352頁、132頁、144頁、128頁。 南博方『行政法』有斐閣(2012年2月・第6版補訂版)……田中門下。2010年に死去。まとめの一冊として有益な概説書。全15章。四六判、338頁。 原田尚彦『行政法要論』学陽書房(2012年3月・全訂第7版補訂2版)……田中門下。「簡にして要を得た」という表現がぴったりの基本書。自説を主張している部分も少なくないが、判例・通説との区別はきちんとなされており、弊害は少ない。判例の収録数がやや少ないため、本書のみでは司法試験対策としての情報量がもの足りないことは否めないが、問題点の分析は鋭く、論旨が明快で、文章もとても分かりやすいため、初学者にも推奨できる一冊である。なお、今後改訂や増刷をする予定はないとのこと。全11章。A5判、480頁。 【その他参考書】 橋本博之『行政法解釈の基礎 「仕組み」から解く』日本評論社(☆2023年12月・新版)……新司法試験の過去問(H29-R4)を素材にして具体的な行政法の問題を解くために必要な技法を修得するための参考書。独習で個別法を解釈して、行政法の問題を解くことができるようになりたい人には有益である。A5判、332頁。 伊藤建・大島義則・橋本博之『行政法解釈の技法』弘文堂(2023年3月)……学者(橋本)とロースクール実務家教員(伊藤・大島)による共著。A5判、352頁。 阿部泰隆『行政法再入門(上) ・(下)』信山社(いずれも、2016年11月・第2版)……既刊の『行政の法システム上・下』『行政法解釈学Ⅰ・Ⅱ』などのエッセンスをまとめて更にバージョンアップした著書。行政法をある程度学ばれ、おかしいな、よくわからないなどと思われる方を対象としている(はしがきより)。いわゆる通説に対する強烈なアンチテーゼであり、その主張は解釈論のみならず立法論にまで及ぶ。著者の研究者・実務家としての経験がふんだんに盛り込まれており、行政法を糧にする弁護士や研究者にとってはまさしく「宝の山」である。A5変型判、468頁・432頁。 阿部泰隆『行政法解釈学Ⅰ・Ⅱ』有斐閣(2008年12月、2009年9月)……通説・塩野説を理解した人向けのオルタナティブな体系書。著者の弁護士としての経験談が豊富に盛り込まれており、実務家にとっても示唆に富む。A5判、674頁・644頁。 高木光・宇賀克也編『行政法の争点(新・法律学の争点シリーズ 8)』有斐閣(2014年9月)……B5判、288頁。 大貫裕之『ダイアローグ行政法(法セミ LAW CLASS シリーズ)』日本評論社(2015年9月)……法学セミナー連載の単行本化。行政法の基礎的な論点を、対話形式で解説する。入門から進化、また復習まで、読み手の需要に応じて姿を変える一冊。全25回。A5判、420頁。 北村喜宣・川崎政司・渡井理佳子編『行政法事典』法学書院(2013年3月)……行政法を100項目に分類して、項目ごとに基本概念・考え方・用語・判例・論点を解説したもの。全6章。A5判、544頁。 原田大樹『行政法学と主要参照領域』東京大学出版会(2015年3月)……A5判、368頁。 日置巴美・板倉陽一郎『個人情報保護法のしくみ』商事法務(2017年3月)……12年ぶりの大改正をフォローした入門書の改訂版。A5判、224頁。 岡村久道『個人情報保護法の知識(日経文庫)』日本経済新聞出版社(2021年7月・第5版)……新書判、276頁。 岡村久道『個人情報保護法』商事法務(2017年6月・第3版)……全6編。A5判、728頁。 安本典夫『都市法概説』法律文化社(2017年9月・第3版)……都市法をテーマに法解説から紛争処理制度まで概観。とかく抽象的な議論に偏りがちな行政法を具体的に理解する手助けとなるだろう。A5判、426頁。 高橋滋・野口貴公美・磯部哲・大橋真由美編著『行政法Visual Materials』有斐閣(2020年12月・第2版)……「目で見る」サブテキスト。B5判、222頁。 紙野健二・市橋克哉編 『資料現代行政法』法律文化社(2008年9月・第3版)……副読本。ただし、行服法等の近時の法改正に対応していないため、留意が必要である。A5判、368頁。 櫻井敬子『行政法講座』『行政法講座2』第一法規(2010年7月、2015年12月)……『行政法講座』は、月刊誌「自治実務セミナー」に連載された内容を加筆、修正し、単行本化したもの。A5判、296頁・264頁。 〔行政救済法:参〕 高木光・常岡孝好・橋本博之・櫻井敬子『行政救済法』弘文堂(2015年10月・第2版)……逐条解説のコンメンタール調。「行政不服審査法」、「行政事件訴訟法」、「国家賠償法」という救済3法と「行政手続法」の条文の構造を解説。「損失補償法」も扱う。区切りごとに主要判例が載っている。本書は、過去に有斐閣から出版されていた『条文から学ぶ行政救済法』(2006年4月)の改題・改訂版だと推定される。序章(行政救済法の全体像)+全5章。A5判、464頁。 〔地方自治法:参〕 宇賀克也『地方自治法概説』有斐閣(☆2023年3月・第10版)……第8版において、内部統制制度の法定化、監査制度の充実強化を図るなどした2017年改正、地方分権第7次・第8次一括法など重要な法改正が反映された。全9章。A5判、548頁。 川崎政司『地方自治法基本解説』法学書院(2018年2月・第7版)……第7版において、平成29年の地方自治法改正と関連法改正に対応。全8章。A5判、448頁。 松本英昭『要説 地方自治法 新地方自治制度の全容』ぎょうせい(2018年3月・第10次改訂版)……地方自治法を中心に、地方自治「制度」全般を解説したもの。第10次改訂版において、平成29年改正地方自治法の内容等を反映。全15章。A5判、850頁→?頁。 松本英昭『地方自治法の概要』学陽書房(2014年11月・第6次改訂版)……全15章。A5判、548頁。 人見剛・須藤陽子編著『ホーンブック 地方自治法』北樹出版(2015年4月・第3版)……全8章。A5判、252頁。 橋本基弘・吉野夏己・土田伸也・三谷晋・倉澤生雄『よくわかる地方自治法(やわらかアカデミズム・〈わかる〉シリーズ)』ミネルヴァ書房(2009年1月)……全7章。B5判、192頁。 猪野積『地方自治法講義』第一法規(2020年5月・第5版)……本書は、旧自治省行政局行政課課長補佐、同理事官、公務員課長等を歴任してきた著者が、地方自治法の基本を解説した入門書である。第5版にあたり、令和2年4月1日施行の地方自治法の改正(内部統制に関する方針の策定等、監査基準の策定等、長等の損害賠償額の一部免責条例の策定等)を反映。全12章。A5判、408頁。 池村正道・西原雄二編『地方自治法(Next教科書シリーズ)』弘文堂(2019年9月)……全11章。A5判、256頁。 【入門書・概説書】 村上裕章『スタンダード行政法』有斐閣(2021年12月)……リーガルクエスト共著者による概説書。講義レジュメ・法学教室連載の書籍化。簡潔かつ明快な筆致で、行政法の「スタンダード」を描き出す。重要事項は太字になっており、図表も豊富に挿入され、各章末の練習問題には解答例までついている。極めて読者フレンドリーな書。A5判、386頁(本文373頁)。 ☆正木宏長・板垣勝彦・横田明美・海道俊明『入門行政法』有斐閣(2023年12月)……行政過程論をとり通説的立場から書かれた入門書だが、著者らの専門分野に係る発展的記述も一部盛り込まれている。裁判例を多数引用しているので(判文までは引用していないが)知識の再確認にも適するだろう。全15章。横組み。四六判、302頁。 藤田宙靖『行政法入門』有斐閣(2016年2月・第7版)……元最高裁判事による定評ある入門書。抽象的で苦手意識を持たれやすい行政法を、口語体で初学者にもわかりやすく解説する。一文がやや長いが、論理性は損なわれておらず、慣れてくれば気にならない。第7版において、改正行政不服審査法(2016年4月施行)に対応。全16講。縦組み。四六判、326頁。 野呂充・野口貴公美・飯島淳子・湊二郎『行政法(有斐閣ストゥディア)』有斐閣(☆2023年3月・第3版)……序章(行政・行政法・行政法理論)+全13章。A5判、308頁。 下山憲治・友岡史仁・筑紫圭一『行政法(日評ベーシックシリーズ )』日本評論社(2017年3月)……序章(行政法の全体像と本書の構成)+全6章。A5判、244頁。 芝池義一・大田直史・山下竜一・北村和生編『判例行政法入門』有斐閣(2022年10月・第7版)……判例を起点として行政法全体を解説する入門書。判例・裁判例を通じた、生きた行政法の理解が目指されている。事実・判旨に加えて数行のコメントが付されている。時折、コラムも挿入されている。はしがきにおいては、本書の最大の特色として、「単に裁判例の事実関係と判決内容を叙述・紹介するにとどまらず、行政法の理論について若干の説明を加えた」旨述べられている。よって、本書のみでも読者は最低限の行政法理論の知識を獲得できることになる。第6版において、編者に大田・山下・北村が加わり、章立ても全体的に見直された。A5判、282頁。 今村成和著・畠山武道補訂『行政法入門(有斐閣双書)』有斐閣(2012年4月・第9版)……著者は経済法学者としても有名。また、憲法学説においても「営業の自由」論にてその名を残している。著者亡き後は弟子の畠山によって改訂が続けられている。改訂は、芦部憲法などと異なり、最新判例や学説を加えるのみならず原文にも手を入れている。本書は藤田『行政法入門』等の影に隠れがちであるが、名著である。入門書としては高度な内容も含まれているが、わかりやすくまとめられていて読みやすい。示唆に富んだ文章が多く、行政法を一通り学んだ者が読んでも有意義であろう。全10章。四六判、284頁。 畠山武道・下井康史編著『はじめての行政法』三省堂(☆2023年4月・第4版)……行政法の基本的な30テーマの見取り図を設問形式で解説した入門書。第3版において、新行政不服審査法に対応。全30講。A5判、360頁。 櫻井敬子『行政法のエッセンス』『行政救済法のエッセンス』学陽書房(2016年8月・第1次改訂版、2015年9月・第1次改訂版)……全15章・序章(行政救済法の世界)+全15章。A5判、224頁・244頁。 曽和俊文・山田洋・亘理格『現代行政法入門』有斐閣(☆2023年3月・第5版)……全5編、全20章。A5判、450頁。 石川敏行・藤原静雄・大貫裕之・大久保規子・下井康史『はじめての行政法(有斐閣アルマBasic)』有斐閣(☆2022年3月・第5版)……第4版において、2014年の行政不服審査法・行政手続法改正に対応。序章+全6章+終章+巻末「全体の見取り図」「行政法(学)関係年表」。四六判、298頁。 石川敏行『新プロゼミ行政法 「3つの手続」で行政法の基本を学ぶ』実務教育出版(2020年6月)……『はじめて学ぶプロゼミ行政法』(2000年3月・改訂版)の実質的な改訂版。本書では許認可と手続3法(行政手続法・行政不服審査法・行政事件訴訟法)を行政法の「背骨」ととらえて一気に学んだ後、周りに知識を肉づけ。さらに、行政不服審査法と行政事件訴訟法は同時並行の「パラレル学習」を行うという新しい学習スタイルが採用されている。第0章(本書で学ぶこと)+全15章。2色刷。A5判、422頁。 田村泰俊・千葉実・津軽石昭彦編著『先端・ハイブリッド行政法』八千代出版(2019年6月)…… 田村泰俊・山本未来編著『最新・ハイブリッド行政法』八千代出版(2016年7月・改訂第3版) の実質的な改訂版。今回の改訂では公務員志望者、自治体実務者を主たる読者対象とし項目立てや内容変更が行われた。執筆者(早川和宏・土田伸也・廣地毅・山口道昭・吉田勉)。ガイダンス講義+全37講+ロー・スクール/予備試験/公務員試験へのガイダンス。A5判、516頁。 長野秀幸・川崎政司『行政法がわかった(わかったシリーズ)』法学書院(2009年5月・改訂第7版)……全8部。A5判、376頁。 宮田三郎『行政法の基礎知識(1)-(5)』信山社(2004年8月-2006年6月)……講師と学生の対話形式により行政法全分野を概観する入門書。 宮田三郎『現代行政法入門』信山社(2012年3月・第2版)……全9章。B6判、208頁。 高木光『プレップ行政法(プレップ・シリーズ )』弘文堂(2012年3月・第2版)……全10Lesson。四六判、162頁。 宇賀克也編『ブリッジブック行政法(ブリッジブックシリーズ)』信山社(2017年2月・第3版)……執筆者(宇賀克也・木村琢麿・桑原勇進・中原茂樹・横田光平)。全5部、全19講。四六変型判、352頁。 吉田利宏『つかむ・つかえる行政法』法律文化社(2017年10月・第2版)……A5判、244頁。 北村和生・佐伯彰洋・佐藤英世・高橋明男『行政法の基本-重要判例からのアプローチ-』法律文化社(2019年3月・第7版)……A5判、372頁。 磯部力『行政法』放送大学教育振興会(2012年・新訂)……全15章。A5判、244頁。 見上崇洋・小山正善・久保茂樹・米丸恒治『レクチャー行政法(αブックス)』法律文化社(2012年4月・第3版)……全8章。A5判、228頁。 三好充・仲地博・藤巻秀夫・小橋昇・前津榮健・木村恒隆『ベーシック行政法』法律文化社(2021年3月・第3版)……総論から各論(公務員法、警察法、公物法など)までの基本を解説。第2版は、2014年行政不服審査法関連3法対応版。全21章。A5判、310頁。 池村正道編『行政法(Next教科書シリーズ)』弘文堂(2022年3月・第4版)……全14章。A5判、372頁。 大浜啓吉『「法の支配」とは何か——行政法入門(岩波新書)』岩波書店(2016年2月)……法の支配に関する歴史に詳しいのが特徴。タイトルに行政法入門とあるが、いわゆる通説的行政法の紹介ではなく、それを批判する大浜説の入門書となっているため、初学者には難解で理解することは困難と思われる。通説的行政法を理解している者が教養を深めるため、または大浜説を理解するために読むべき本。新書判、288頁。 原田大樹『グラフィック 行政法入門(グラフィック[法学]6)』新世社(2017年5月)……全16章。2色刷。A5判、288頁。 大橋洋一『社会とつながる行政法入門』有斐閣(2021年9月・第2版)……全18章。A5判、186頁。 渡邊賢『行政法』放送大学教育振興会(2018年3月)……放送大学の教材。全15章。A5判、240頁。 田中嗣久・藤島光雄『行政法の基礎がわかった (わかったシリーズ)』法学書院(2018年10月)……全6章。A5判、384頁。 板垣勝彦『公務員をめざす人に贈る 行政法教科書』法律文化社(☆2023年10月・第2版)……交告門下。本書は著者の法科大学院での講義経験をもとに書かれており、司法試験受験生が基礎知識の定着を図る上でも有益。全15講。A5判、300頁。 デイリー法学選書編修委員会編『ピンポイント行政法』三省堂(2018年11月)……法学部生・ビジネスマン・一般読者向けの最新法学教養シリーズの行政法編。四六判、192頁。 吉田としひろ『公務員試験 最初でつまずかない行政法(公務員受験BOOKS)』実務教育出版(2020年7月)……「公務員試験」向けの書籍であるが、「行政法」につまづいている受験生等のために、初学者向けテキストとして、ここに取り上げるものである。全8章。2色刷。A5判、247頁。 木山泰嗣『小説で読む行政事件訴訟法——基本からわかる行政訴訟の手引き』法学書院(2018年8月・第2版)……A5判、328頁。 【注釈書・コンメンタール】 〔行政手続法:注〕 髙木光・常岡孝好・須田守『条解行政手続法(条解シリーズ)』弘文堂(2017年9月・第2版)……実務家用の注釈書。初版(2000年4月)は、塩野、髙木の共著で刊行され、第2版は髙木を中心に2名の新たなメンバーを加え、17年ぶりに全面改訂された。A5判、672頁。 行政管理研究センター(IAM)編集『逐条解説 行政手続法』ぎょうせい(2016年5月・改正行審法対応版)……A5判、473頁。 室井力・芝池義一・浜川清・本多滝夫編著『コンメンタール行政法1 行政手続法・行政不服審査法』日本評論社(2018年9月・第3版)……「行政手続法」・「行政不服審査法」の逐条解説書。第2版(2008年6月)については、2005年(平成17年)改正対応。第3版については、平成26年の行政不服審査法全部改正とその後の学説・判例に対応。A5判、704頁。 (古典) 南博方・高橋滋編『注釈行政手続法』第一法規(2000年2月)……A5判、518頁。 〔行政不服審査法:注〕 小早川光郎・高橋滋編著『条解行政不服審査法(条解シリーズ)』弘文堂(2020年3月・第2版)……実務家用の注釈書。新行政不服審査法(平成28(2016)年4月1日施行)、全87条、附則の逐条解説。A5判、728頁。 行政管理研究センター(IAM)編集『逐条解説 行政不服審査法』ぎょうせい(2016年4月・新政省令対応版)……平成28年4月からスタートする新法の趣旨・制度を解説。なお、新法の逐条解説だけでなく、整備法の附則、政令についても、逐条で解説。A5判、628頁。 宇賀克也『行政不服審査法の逐条解説』有斐閣(2017年2月・第2版)……全部改正された行政不服審査法のコンメンタール。第2版では政省令に対応。A5判、396頁。 橋本博之・青木丈・植山克郎『新しい行政不服審査制度』弘文堂(2014年11月)……52年ぶりに全面改正された新法の逐条解説書。A5判、304頁。 〔行政事件訴訟法:注〕 南博方原編著、高橋滋・市村陽典・山本隆司編『条解行政事件訴訟法(条解シリーズ)』弘文堂(☆2023年8月・第5版)……実務家用の注釈書。A5判、1144頁。 室井力・芝池義一・浜川清編著『コンメンタール 行政法2 行政事件訴訟法・国家賠償法』日本評論社(2006年10月・第2版)……2004年(平成16年)行訴法改正対応。A5判、608頁。 〔国家補償法:注〕 宇賀克也・小幡純子編著『条解国家賠償法(条解シリーズ)』弘文堂(2019年2月)……実務家用の注釈書。A5判、752頁。 西埜章『国家賠償法コンメンタール』勁草書房(2020年6月・第3版)……第3版では、旧版(2014年3月・第2版)刊行後の6年間のおびただしい判例・裁判例と文献が盛り込まれたほか、さらに理論的深化が図られ、約200頁の増加となった。A5判、1584頁。 佐藤英善編『実務判例 逐条国家賠償法』三協法規出版(2008年3月)……A5判、368頁。 西埜章『損失補償法コンメンタール』勁草書房(2018年8月)……A5判、1080頁。 〔地方自治法:注〕 村上順・白藤博行・人見剛編『新基本法コンメンタール 地方自治法』日本評論社(2011年11月)……2011年「地域主権改革関連3法」・「第2次一括法」による改正まで対応 。B5判、640頁。 松本英昭『新版 逐条地方自治法』学陽書房(2017年11月・第9次改訂版)……第9次改訂版において、平成29年の地方自治法の大改正(内部統制制度の導入や監査制度の充実強化、首長や職員等の損害賠償責任の見直しなど)及び関係法令の改正等に対応。A5判、1792頁。 【判例集・ケースブック】 〔判例集等〕 斎藤誠・山本隆司編『行政判例百選I・II』有斐閣(☆2022年11月・第8版)……判例解説の定番書。第7版では、旧版(2012年10月-11月)収録判例の精選・最新重要判例の追加だけでなく、現代社会に照らし、改めて注目すべき過去の判例の再録も行われた。Iは130件、IIは125件を収載。B5判、272頁・276頁。 磯部力・小幡純子・斎藤誠編『地方自治判例百選』有斐閣(2013年6月・第4版)……総計127件+Appendix24件。B5判、232頁。 橋本博之『行政判例ノート』弘文堂(☆2023年3月・第5版)……最高裁判例を中心におよそ200件を収録。すべての判例にその要約(多くて数行)と簡単なコメントが付いている。択一対策に最適の一冊。収録順序はサクハシに完全に準拠しているので、同書の利用者にとっては、一層使いやすい。A5判、344頁。 大橋洋一・斎藤誠・山本隆司編著『行政法判例集I・II』有斐閣(I 総論・組織法:2019年5月・第2版、II 救済法:2018年10月・第2版)……解説なし。事実関係を理解しやすくするため、図表を用いている。原典を尊重という観点から、担当裁判官名を明記している。初版(I:2013年12月、II:2012年10月)の判例収録数(見出しの判例数:I・215件、II・194件、計409件。参照判例も合わせるとI・II合計で800件超)は、他の判例集を圧倒している。A5判、538頁・498頁。 大橋真由美・北島周作・野口貴公美『行政法判例50!(START UPシリーズ)』有斐閣(2017年11月)……B5判、172頁。 村上裕章・下井康史編著『判例フォーカス 行政法』三省堂(2019年5月)……行政法初学者等のためのコンパクトに解説した小型判例集。基本的に見開き2頁で解説(重要判例は4頁)。同社既刊の畠山武道・下井康史編著『はじめての行政法』(2016年3月・第3版)に準拠。121件の判例を収載。事項索引あり。四六判、288頁。 行政判例研究会編『行政関係判例解説』ぎょうせい(2012年3月・平成22年~2020年3月・平成30年)……検察担当者による判例解説書。平成30年版については、平成30年1月〜12月に言い渡しのあった裁判例のうち、行政・法曹実務に影響を及ぼす重要な行政関係判例21件を厳選して解説。A5判、248頁。 小早川光郎・青栁馨編著『論点体系 判例行政法 第1巻~第3巻〔全3巻〕』第一法規(第1巻:2017年4月、第2巻:2017年1月、第3巻:2016年9月)……行政法分野での裁判実務において、実務上問題となる「論点」ごとに判例を整理した実務コンメンタール。A5判、第1巻〔行政活動の基本的な仕組み/行政上の手続・調査・情報の取扱い〕:608頁、第2巻〔行政訴訟〕:668頁、第3巻〔住民監査請求・住民訴訟/国家賠償・損失補償〕:628頁。 原田大樹『判例で学ぶ法学 行政法(ライブラリ判例で学ぶ法学2)』新世社(2020年12月)……A5判、265頁。 〔ケースブック〕 ☆海道俊明・須田守・巽智彦・土井翼・西上治・堀澤明生『精読行政法判例』弘文堂(2023年12月)……「判例の読み解き方を独学で学べる教材」を目指して作られたケースブック。特徴は、表題判例の主文および理由については全文を掲載していること、事件当時の関連条文を漏れなく参照できるようにしていること、関連裁判例のうち重要なものは抜粋を掲載していること、判例の論理構造を意識させるために、判例文中に波線や下線等の書込みを施し、さらに、側注で論証の流れを表現していること、すべての表題判例に論理構造図を付していること、各項目の末尾に設問を付していること、等が挙げられる(以上、はしがき)。これ以上の教材はないという安心感はあるが、反面、読者は必要な箇所を取捨選択することが求められる。表題判例は全66件。B5判、646頁。 稲葉馨・下井康史・中原茂樹・野呂充編『ケースブック行政法』弘文堂(2022年4月・第7版)……弘文堂ケースブックシリーズで、最も出来が良いと評されている。全国の行政法学者が総力を結集した判例集。百選よりも判決文が長めに記載されているほか、個別法を適宜載せているので、学習にも便宜である。また、20の主要テーマごとに、判例の流れを概説した各章冒頭の「判例の概観」も良く整理され、うまくまとまっており、使い勝手がよい。収録判例数は約160件。下級審裁判例も掲載されている。全19章。A5判、660頁。 〔その他〕 山本隆司『判例から探究する行政法』有斐閣(2012年12月)……比較的最近の最高裁判例30件の解説・評釈という形をとりながら、行政法全般にわたり、2004年行政事件訴訟法改正以降の最高裁判例の新動向を分析した著書(法学教室連載の単行本化)。関連判例も含めれば、判例集なみの判例数を紹介している。内容は、非常に高度で難解。著者が新たに発見した些末な論点についても詳しく説明されているので、読者にとっては情報を取捨選択してメリハリをつけて読むことが求められる。事案の分析能力は養われるかもしれないが、司法試験に合格するためにはオーバースペックである。A5判、654頁。 亘理格・北村喜宣編著『重要判例とともに読み解く 個別行政法』有斐閣(2013年4月)……A5判、498頁。 高橋滋・石井昇編、大久保規子ほか著『判例ナビゲーション 行政法』日本評論社(2014年2月)……A5判、224頁。 山村恒年編著『実践 判例 行政事件訴訟法』三協法規出版(2008年2月)……A5判、464頁 宇賀克也『判例で学ぶ行政法』第一法規(2015年7月)……雑誌「自治実務セミナー」連載記事をテーマ別に再構成。行政法を理解するうえで欠かせない代表的な判例について解説。A5判、384頁。 岡田正則・榊原秀訓・本多滝夫編著『判例から考える行政救済法』日本評論社(2019年9月・第2版)……A5判、296頁。 【演習書】 曽和俊文・野呂充・北村和生編者『事例研究行政法』日本評論社(2021年8月・第4版)……行政法の演習書の決定版。良質の長文事例問題に丁寧な解説を付している。ロースクールで実際に試験に出題した問題を集めていることもあり、学生の誤解や間違いの多かった箇所について指摘をしていることが特徴的である。第3版では、全体の半数以上を新規の問題にし、ミニ講義も1本追加。第1部に「ウォーミングアップ」を入れ、全体的に当てはめをより丁寧にした。A5判、560頁。 ☆中原茂樹『基本行政法判例演習』日本評論社(2023年1月)……A5判、472頁。 土田伸也『基礎演習 行政法』日本評論社(2016年3月・第2版)……行政法の初学者向け事例演習・解説書。書名のとおり、基礎的な問題を扱っている。A5判、312頁。 土田伸也『実戦演習 行政法 予備試験問題を素材にして』弘文堂(☆2022年10月・第2版)……司法試験予備試験論文式問題(平成23年から令和3年まで)を素材にした予備試験行政法対策本。参考答案例あり。A5判、336頁。 大貫裕之・土田伸也『行政法 事案解析の作法(法セミ LAW CLASS シリーズ)』日本評論社(2016年3月・第2版)……法学セミナーの連載を書籍化したもの。法科大学院・司法試験対応の事例演習書。A5判、384頁。 大島義則『行政法ガール』『同II』法律文化社(2014年7月、2020年10月)……ラノベ形式で平成18年から25年までの司法試験の過去問を解説。IIは平成26年から令和元年までの過去問を解説。A5判、270頁・232頁。 北村和生・深澤龍一郎・飯島淳子・磯部哲『事例から行政法を考える(法学教室ライブラリィ)』有斐閣(2016年7月)……法学教室の連載を単行本化した長文事例問題集。各事例の解説の前に各事例で問われている論点(「CHECK POINT」)、末尾に「関連問題」とその「COMMENT」が新たに収録されている。上掲の『事例研究行政法』と比較すると完成度は見劣りするとの声もある。A5判、458頁。 石森久広『ロースクール演習 行政法』法学書院(2015年8月・第2版)……24問収録。解答例あり。A5判、448頁。 石森久広『基本演習 行政法』法学書院(2016年4月)……巻末には「解答例」も掲載。全30項目。A5判、384頁。 原田大樹『演習 行政法』東京大学出版会(2014年3月)……初歩から応用まで段階的に論述問題の書き方を修得できるように工夫されている。A5判、516頁。 ☆原田大樹『ファーストステップ 演習 行政法』東京大学出版会(2023年4月)……本書に対しては、興津征雄教授が法学セミナー2023年12月号102-103頁、書評「もっと正確で解像度の高い説明を」において、痛烈な批評をしている。A5判、272頁。 亘理格・大貫裕之編『Law Practice 行政法』商事法務(2015年10月)……Law Practiceシリーズの他の科目に比べて、解説を読んでも答案が見えてくるようなものが少なく、また、担当した学者によって解説の質にばらつきがある。内容としても高度な点があり、初学者が答案の基礎を学ぶことには適さないと思われる。全29テーマを収録。A5判、312頁。 高木光・高橋滋・人見剛『行政法事例演習教材』有斐閣(2012年4月・第2版)……B5変型判、238頁。 吉野夏己『紛争類型別 行政救済法』成文堂(2012年7月・第3版)……実務家教員による演習書。紛争類型別となっているので具体的紛争類型をイメージしやすい。A5判、578頁。 新山一雄『新版・ゼミナール行政法』法学書院(2008年3月・第2版)……全9章、全55講。A5判、256頁。 桜井昭平・西牧誠編『演習ノート行政法』法学書院(2005年6月・第5版)……全110問。A5判、240頁。 (古典) 室井力・市橋克哉編『基礎演習行政法(基礎演習シリーズ)』有斐閣(1993年2月)……「法学教室」の演習欄に連載されたものに書き下ろしを加えて体系的にまとめられたもの。全60項目。四六判、320頁。 塩野宏・原田尚彦『演習行政法(法学教室選書)』有斐閣(1989年4月・新版)……四六判、276頁。 → このページのトップ:行政法に戻る。 → リンク:憲法
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ヴァルエルク共和国 Falelk Voceek 国の標語:自由、民主、平等 国歌:あの空より青い自由を 主要言語 現代ヴァルエルク語 首都 クレストル 最大の都市 ブロン 政府 大統領府 国家元首の称号 大統領 政治体制 ヴァルエルク式民主主義 人口 約880億人 主な宗教 クラエン教 通貨 ウォス(Vos) 建国年 1341年 加盟年 1623年(設立当初) 領 有 母星 ルエロス(レーウス) 首都星 トラドヴァ その他の惑星 スィルトゥオクブルエノフィアネウィガクロントスギプテフォルバイェダパグロス 領有星系 ルエロス(レーウス)ヴォドルソスベデオソススコゼマペゾノロスヴァエカヴォスコスラタモソスノスカニルヴァエカヴォノス 「我々には希望がある!それは、いつの日か、この大宇宙が立ち上がり、『全ての種族が平等に生きていけるのは、明白な事実である』というこの国の信条を、真の意味で実現させるという希望である!」――ロスオン・N・ウィノスコス(61代目大統領) ヴァルエルク共和国(現代ヴァルエルク語:Falelk Voceek)は首都を惑星トラドヴァのクレストルに置く議会制民主主義国家。自由解放連合の盟主であり8つの保護国を持つ。 保護国を領域に含めると大宇宙連合会議加盟国の中で最も星系数・惑星数が多い国であり、実効支配宙域が最も広い国である。 通時代的に民主主義と国民の権利と平等を国際社会に求めている。 目次 政治ヴァルエルク大統領 議会(上院と下院) 政党上院政党 下院政党 行政機関FVCW開発省 国民 文化 宗教 歴史 領域主要都市 保護国 経済 国際関係FVCW諸国 自由解放連合諸国 レーウス諸国 スラーン諸国 ラヴェルト諸国 ゲルデン諸国 軍事 記事一覧 関連項目 政治 政治体制は1330年頃に成立したヴァルエルク式民主主義を採用している。 市民は権利を持ち、国家の秩序を破壊しない限りの自由が与えられ、市民の権利を守る護民官の役職が存在する。ヴァルエルク憲法は国民のみならず護民官の権力をも保障している。 ヴァルエルク憲法(1755年宣言)までに明記された内容国民の自由と平等 国民の主体性 男女平等 言論の自由 権力分立 所有権 アンドロイドの権利 ヴァルエルク大統領 大統領の任期は5年2期まで。 上下院の議員でない政治家のみが候補者として出馬することができ、国民の直接投票によって選出される。 ヴァルエルク大統領が有する強権上院または下院を解散させる権限。 議会で可決した法案に対する拒否権。 議会の承認なしに法案・条約批准案・憲法改正案に関する国民投票をする権限。 非常事態を宣言する権限。宣言されると議会は憲法改正案など一部の立法権が制限される。 議会(上院と下院) 議会は上院と下院の2院制であり、上院はエリート主義的な傾向が、下院はポピュリズム的な傾向がある。上院と下院にはそれぞれ違う政党が存在し、それぞれの議員が選挙を通じて議席を獲得する。議員は上院と下院を兼任することはできない。 上院と下院にはそれぞれ上院議長と下院議長が議会の進行・調整役のみならず、大統領府への法案提出等や輔弼(行政的アドバイス)、大統領不信任動議の提案等も行う権限を持つ。そのため各議会の議長の権力は比較的強いと言える。 下院には議長とは別に各少数民族の代弁者である民族代表が存在する。民族代表は立法に対して各民族の立場として意見することができ、決議では反対票のみ5票投じることができる。民族代表選挙は議会選挙とは別に行われ、多くの場合民族政党の代表者が当選する。 それぞれの議員の任期は3年。議席に空白が生じた場合は上院選挙・下院選挙であらかじめ決定されている当該政党の補欠が議員になる。議員が問題を起こした場合、それぞれの議会で不信任投票を行う場合がある。 議会の有する権限大統領への法案・条約批准案・憲法改正案の提出。 ヴァルエルク大統領に対する不信任決議。可決しても法的拘束力はないが、影響力が低下する。 ヴァルエルク大統領に対する弾劾裁判決議。可決すれば大統領の拒否権なしに弾劾裁判を行う。 政党 上院と下院にはそれぞれ違う政党が存在する。 衛星政党の結党が禁じられており、議会の異なる政党同士では吸収・合併・連合等ができない。 どちらか一方の議会に属する政党がもう一方に影響力を及ぼすには与党として連立政権を組む以外に方法がない。 上院政党 大ヴァルエルク富国強兵民主党 立憲主義国民解放党 進歩党:自由保守主義。保守的エリート主義 藍色同盟:管理主義、経済重視 国民団結党:全体主義、植民地主義、有力国との友好 社会党:社会民主主義、寡頭制復活、エルトリアとの連邦 トラドヴァ第一:極右政党、ナショナリズム、ヴァルエルク人至上主義、孤立主義、植民地主義 ヴァルエルク経済連合:研鑽主義、経済重視、反環境保全、サーヴァリアとの友好 下院政党 星系調和党 トラドヴァの賢者達 全土緑化運動/クレストル51 市民党:保守的ポピュリズム。自由保守主義 自由改革党:革新的ポピュリズム。中道左派 ヴァルエルク共産党:共産主義、資本主義経済の廃止、グロスクロイツとの友好 全国全種族労働組合:シルア・サンディカリズム、全種族平等 エメルダ・ヴァルエルク労働者会議:エメルダ・サンディカリズム 国際共和党:自由主義、平和主義、環境重視、穏健派、レーウス諸国との友好、エルミアとの友好 行政機関 FVCW開発省 ヴァルエルク保護国圏(FVCW)の開発と保護を管轄する行政機関。 国民 文化 宗教 歴史 ヴァルエルクの歴史 領域 星系 惑星 入植年 備 考 ルエロス星系(レーウス星系) ルエロス(レーウス) 母星 母惑星。ジエール帝国連邦、エルトリア王国、サーヴァリア企業連合などの主要国やその他複数の中小国が存在する。自治領:エレメオン地区 ルエロス星系(レーウス星系) トラドヴァ 1609年 首都星。首都クレストルがある。ヴァルエルクはレーウス諸国の中でも宇宙進出が早く、レーウス星系内の惑星に一足先に植民できた。レーウスにも劣らない経済力を持つ。自治領:ブロントン・スムルトス ニルヴァエカヴォノス星系 スィルトゥオク 1616年 比較的早い時代に植民された惑星。全体的な産業のバランスが良く、経済力も高い。保護国:ゼルクオス共和国 ノスカ星系 ブルエノ 1628年 まあまあ田舎。突出した産業はないが、亜人の先住民族ブルアは戦士の文化を持ち、質の高い兵士として重宝されている。保護国:ブルエン国 ベデオソス星系 フィアネ 1637年 エルトリア系が多いため妙に保守的な惑星。それでも「自由、民主、平等」の精神は守られており、エルトリア人によくあるエリート主義が中和されて合理主義的な気風がある。食料・資源には乏しいが、研究、経済、工業が高水準でまとまっている。保護国:ゲオルドル王国 ヴァエカヴォスコス星系 ウィガクロントス 1666年 様々な種族のるつぼ。工業惑星であり、大宇宙諸国の政治犯の亡命先として有名。中にはヴァルエルク本国が引き抜いた優秀な技術者たちもいる。保護国:クロントス連邦共和国 ラタモソス星系 ギプテ 1705年 氷雪惑星をテラフォーミングした惑星。それゆえに大小様々な氷河湖が点在しており、田舎は特に風光明媚。あんまり観光業は強くないが、その代わり研究が盛ん。保護国:ウォルカ・アルザトス・ラタモシオン民主共和国 スコゼマ星系 パグロス 1718年 ヴァルエルク随一の農業惑星。大量の農作物・穀物が輸出されており、ヴァルエルク本国にも大量に輸入され、大量に加工され、大量のジャンクフードを生み出している。南部のロドルは広大な砂漠が広がっているが、大量に資源が採れるためまあまあ裕福。まあ本国の方が裕福だけど。保護国:パグラトス議会共和国、ロドル共和国 ヴォドルソス星系 メクト 1738年 まあまあ田舎。まあまあ資源が採れる。産業は微妙。治安は悪い。はっきり言って影が薄い。自治領:ルストロン自治領保護国:ファンクオン連邦 ペゾノロス星系 フォルバ 1766年 低濃度の塩水で形成される海が特徴の海洋型惑星。海や川には知的水棲亜人種族が社会を形成しているため、水質汚染関係の規制が非常に厳しい。開発があまり進んでおらず、ぶっちゃけ田舎。自治領:フォルバ自治領 ペゾノロス星系 イェダ 1824年 非常に寒い惑星。人口は非常に少なく、民間人よりも軍人の方が多い。S合金が大量に採れるので地下に巨大採掘施設がいくつもあり、その中に作業員たちの宿舎もある。採掘企業が施設の周辺に整備した商業施設以外それらしい経済拠点はなく、他に目立つものは軍の施設くらいしかない。地下住居は案外暖かいらしい。 主要都市 ブロン 惑星レーウスにあるヴァルエルク最大の都市。大宇宙有数の大都市。全ての種族が平等に暮らせる街として有名。 クレストル 惑星トラドヴァにあるヴァルエルクの首都。各国大使館や政治施設が立ち並ぶ。ヴァルエルク革命が起きた都市であり、当時の歴史を語り継ぐ革命記念館がある。 ルスタ 惑星レーウスにある。反重力自動車産業が有名でノスカ社やブレオン・ドロス社などの本社がある。大宇宙の権威ある反重力自動車レースNEA選手権が最初に行われた街。17世紀初頭までは共和国議事堂があり、NEAで最も古いサーキット「ルスタ・アルゼオン・サーキット」は旧議事堂公園跡地を利用して作られた。 ノスフォス 惑星レーウスにある。サイバーパンクなネオン街で有名。サイバー戦争の時代からハッカーを追いかける電脳警察があちこちで見られるようになった。治安はあんまり良くないがスゲー楽しい。 保護国 ヴァルエルクにはSint.2000年現在8ヶ国の保護国と5つの地域を支配下に置いている。 ゼルクオス共和国 惑星スィルトゥオクの一部を統治する先住民の共和国。 ブルエン国 惑星ブルエノの一部を統治する先住民の国。 ゲオルドル王国 惑星フィアネの一部を統治する先住民の王国。 クロントス連邦共和国 惑星ウィガクロントスの一部を統治する多民族共和国。 ウォルカ・アルザトス・ラタモシオン民主共和国 惑星ギプテの一部を統治するヴァルエルク人(ラタモシオン)の共和国。 管理主義に影響を受けており、「ウォルカ・アルザトス(新しい議会)」と呼ばれる学者評議会政府が統治している。 パグラトス議会共和国 惑星パグロスの一部を統治する先住民の共和国。 ロドル共和国 惑星パグロスの一部を統治する先住民の共和国。 ファンクオン連邦 惑星メクトの一部を統治する多民族共和国。 ブロントン・スムルトス 惑星トラドヴァにある自治度の高い都市。 ブルガディオン・ウォルストル政府 惑星ボルガードにある民主主義政府。 フォルバ自治領 惑星フォルバにある水棲亜人種族の政府。 ルストロン自治領 惑星メクトにあるルストロンという自治度の高い都市。 エレメオン地区 惑星レーウスにある元エルトリア領の都市。ヴァルエルク共和国の正式な領土だが自治度が高く、結構権限がある感じ。 経済 国際関係 (旧記事)ヴァルエルクの外交 ヴァルエルクの外交は多少強引なところがあるが、基本的には友好的態度を取る。 「自由・民主・平等」を重んじるヴァルエルクの国家方針ゆえに、共和制国家や自由主義国家に対しては特に友好的である。君主制国家であっても憲法が制定されており、国民の自由や権利が比較的保障されている国家に対しても悪い態度を取ることがない。 一方、厳しい統制を敷く権威主義国家に対しては、君主の存在に関わらず非友好的である。 自由解放連合の盟主という立場上、自由解放連合加盟国との国際関係は基本的に友好的・保護的である。 FVCW諸国 友好度:◆◆◆◆◇ ヴァルエルクの庭。とはいえヴァルエルクはそこまでこまめな手入れをしないため、案外適当にやっている場所もある。 彼らは基本的には盟主ヴァルエルクに従順であるが、その気になれば外国の支援を受けて独立するかもしれない。 もしそんなことがあればヴァルエルクは本気を出してくるだろう。 自由解放連合諸国 一度でも加盟したことある国を記載。 メロア自由連邦 友好度:◆◆◆◆◇ ヴァルエルクの右腕だった国家。 メロアは南の権威主義国家メレンノ帝国とは宿敵関係であり、ゲルデン宙圏のヴァルエルク式民主主義のトップバッター的存在だった。 共和制民主主義国家であり、農業生産力こそ低いものの豊かな経済力を持っているため重宝されていた。 ジェンダー平等に関しては、「女性のみの国であり男性の永住は歴史的経緯によって禁止されている」という特殊な事情によりヴァルエルクもあまり何か言ってくることはない。 女性だけの惑星になったのもウイルス災害っていう不可抗力のせいだからねえ。 一応メレンノとは異なり男性入国者にもちゃんとした権利が与えられている。 しかし、リカルネ独立戦争からマーカス内戦までの連続出兵要請で国内が疲弊しきったメロアは自由解放連合に愛想を尽かしてしまい、1788年に通商連合(後の協商連合)をガイエンと共に設立。自由解放連合を脱退してしまった。 スレフィエ国 友好度:◆◆◆◆◇ ヴァルエルクの左腕。 ファーストコンタクトはエルミア共和国だったが、土着の民主主義をベースにヴァルエルク式民主主義を導入した変則タイプ。 ヴァルエルクはエルミアとスレフィエの主導権争いをして、距離的に離れているスレフィエに頑張って開発支援をし続けた。 宇宙進出もまだだった小さな国家をちゃんと育てて星間国家にしたので、ヴァルエルクにとってはかなり思い入れがあるはず。 植物種族スレフィのほぼ全てを構成種族として擁するスレフィエ政府としてはヒューマノイドがたくさんいる連合会議の中で差別されにくそうな自由解放連合を選んだようだ。 リカルネ独立戦争からマーカス内戦までの連続出兵要請で国内はボロボロになり、メロアと違って経済力も高くなかったため、マーカス内戦中に経済危機を起こしてエルミアに助けてもらった。 本当ならヴァルエルクを見限ってどこかの陣営に行こうとも考えたが、現体制を維持したまま庇護してくれる国がヴァルエルクくらいしかいなかったので我慢してヴァルエルクについていくことにした。 ちょっと不遇な感じなので、どこかで「自由解放連合で良かった~!」ってイベントもあったらいいわね。 アポラ星系国際連盟 友好度:◆◇◇◇◇ 敵対的。 本当なら親密な同盟国になるはずだった国。実は自由解放連合の原加盟国だった。 ヴァルエルク的にはメロア・スレフィエと比べて一番民主主義っぽい体制だったのでアポラは連合会議加盟当初からお気に入りだった。 1705年にアポラ最大の都市イヴェルロークでイヴェルローク友好条約が締結される。これはヴァルエルク的には異例のもてなしだった。 ヴァルエルクがここまでアポラと友好関係でいたがった理由は、アポラがラヴェルト宙圏を代表するヴァルエルク式民主主義の灯台にすることで自由解放連合の影響力拡大を狙っていたからだった。ラヴェルト・ゲルデンへ大きく睨みを効かせることができれば、国際社会で非常に有利に立ち回れると思ったのだろう。 しかしアポラ動乱以降は本格的に敵対化し、ついにヴァルエルクはブチギレて「こんなの民主主義政府じゃない!」としびれを切らしてアポラの除名決議を行ったのだった。 レセスティア連邦 友好度:◆◆◆◇◇ イェスタ紛争で成立した連邦国家。 「やっぱ連邦の方が安定感あるわ~防御力も高そうだし近いし」とヴァルエルクが密かに重要視していた。成立後は自由解放連合に所属し親密関係を構築した。アポラと同様にかなり期待を寄せることになるだろう。 ベリオンやゲルデン諸国によるレーウス侵攻等の有事の際にはレーウスを守る防波堤として「防衛要塞ドクトリン」が構想され、軍事的にも緊密な関係が保たれていたが、第二次宇宙大戦でベリオンに侵攻され戦後は自由解放脱退派がレセスティア国内で政権を握ったことで脱退してしまった。 その後は直接的対立もなく当時の貿易体制のまま経済的な連携は継続されていた。でもアポラ帝国の時代には……。 ……ヴァルエルクの頭痛の種がまた一つ増えそうだ。 レーウス諸国 惑星レーウスが母星であるヴァルエルクにとってレーウスの国々とは長い付き合いがあるので、上記の国家方針の他に歴史的経緯が国家間関係に影響を及ぼしている。 エルトリア王国 友好度:◆◇◇◇◇ 敵対的。 元々ヴァルエルクは「エルトリアからヴァルエルク革命によって独立した国家である」という歴史的経緯から、かつての支配者であるエルトリアを嫌っている。 もちろんエルトリアも革命で独立したヴァルエルクのことを蛇蝎の如く嫌っている。ヴァルエルクはエルトリアと違って宇宙進出に成功して広大な領域と同盟国に恵まれたのでなおさらである。 ヴァルエルクの軍事力とエルトリアの文化力が組み合わさればかなり有力な主権国家となりうるが、両国の国民は「絶対無理!」と思っている。 関係は最悪ではあるが、なんだかんだ同じレーウスの出身。付き合いも長いため、何かしらの絶望的な状況下に置かれた場合、ひょっとしたら結託するかもしれない。 ジエール帝国連邦 友好度:◆◆◇◇◇ あんまり仲良くない。 ジエールがそもそもエルトリアに接近することが多いことや、統制・管理を重視する体制が多いからだろう。 しかし、管理主義体制下では(一部の階級に限定されるかもしれないが)言論の自由が保障されている側面もあることから、思想面では通じ合える可能性がある。 技術力の高さやレーウス特有の付き合いの長さが理由で関係改善することもある。 サーヴァリア企業連合 友好度:◆◆◆◇◇ レーウス諸国の中では唯一マトモに話が通じる相手。 研鑽主義(資本主義)との相性は一見良さそうに見えるが、実際は賛否両論である。自由な競争という点では高評価があるものの、経営者を頂点とした権威主義と捉えることもできるからである。 サーヴァリアと友好関係にある時代においても、その関係は安全保障や国益の観点から結託している場合が多く、総じて「ドライな関係」である。 とはいえ、サーヴァリアの豊かな資本力・経済力はヴァルエルクにとっては魅力的であり、多少のイデオロギーの軋轢に甘んじてでもその恵沢に与りたいという気持ちは分からんでもない。 アクース連合 友好度:◆◆◆◇◇ 惑星レーウス出身の星間国家ではないが、下手したらレーウス諸国よりは仲良しかもしれない。 アクース内戦時に新政府側をヴァルエルクが支援したためアクースからの心象は良い。ただヴァルエルクとしては「確かに平等なんだけどもっとヴァルエルク民主主義的な国家が良かったなぁ……」と内心思っている。 まあそこら辺に口出ししなかったので比較的良好(中立~疎遠程度)な関係が築けているので、これ以上アクースに何かしてくるという見込みはあまりなさそう。 ニーネンが天秤外交をやめた1750年代以降はラノー条約諸国との重要な窓口になった。 アクースは潜在的な友好国として見なされ、サーヴァリアや協商連合をヴァルエルクが敵に回した時には国際関係上重要なパートナーにさえなりえる。 スラーン諸国 ヴァルエルクはスラーン諸国に対して大概やらかしているので基本的に嫌われている。 ファルトクノア共和国 友好度:◆◇◇◇◇ アクース内戦時にヴァルエルク軍が誤射したことがきっかけで関係が悪化。 当時誤射した兵士(リヴァダーアンドロイド)の指揮官(ウィノスコス将軍)はファルトクノアで恨まれてそうだが、その指揮官はマーカス内戦のクライマックス「運命の6時間」においてファルトクノアの619部隊に引導を渡してアクースでの出来事を謝罪するという粋な図らいをしたため、もしかしたら恨まれていないかもしれない。 ファルトクノアはラノー条約機構という新しい陣営に加わり、反内政干渉の立場を確立したため、その溝は決定的なものとなった。 反ヴァルエルク的立場を取る国家との結びつきが強い。ファルトクノアが自分の立場と近い国家と接近したのか、ファルトクノアがそういう立場の国の影響を受けたのか。卵が先か鶏が先か……。 ニーネン=シャプチ 友好度:◆◆◇◇◇ あれって本当に民主主義なんすかね?(疑いの目) ……という風にヴァルエルクには思われているが、ニーネンは1750年代頃までなんとか友好関係を築こうと外交努力してきたので、それなりには信頼があった。 でもニーネンもマーカス内戦後のヴァルエルクがアイローム社に固執するようになってからは見限ってラノー条約を優先するようになってしまったため疎遠に。1785年以降の第二次宇宙大戦、シャグマ=ラゴン戦争ではシャグマ=ラゴンの反乱軍をヴァルエルクが支援したため敵国として相まみえることになった。 ラヴェルト諸国 連合会議の原加盟国とはレーウス諸国の次くらいに関わりが長い。 結構距離が遠いので時期が長い割にはそれほどイベントが多くないかもしれない。 エルミア共和国 友好度:◆◆◆◇◇ 政治体制やイデオロギーが近く共和制民主主義なので話が通じる相手だと思っているが、技術倫理にうるさかったり、介入より平和を選ぶ姿勢があまり合わない。イデオロギーは合うが行動が合わないタイプ。 最も親密だった時期はマーカス内戦の時期で、同じアイローム派に所属していた。普段からアクティブな行動を好むヴァルエルクと一緒になって出兵するくらいエルミアにとってアンドロイドの人権保障は重要なものだったようだ。 それ以外の時期ではそれほど仲が良いというわけではない。同じ民主制でありながら自分の言う事を聞いてくれない国家というのはヴァルエルクにとって歯がゆいものだろう。 ゲルデン諸国 連合会議の原加盟国とはレーウス諸国の次くらいに関わりが長い。 結構距離が遠いので時期が長い割にはそれほどイベントが多くないかもしれない。 ベリオン共和国 友好度:◆◆◆◇◇ 武力を用いた現状変更を好み、国益や安全保障のためにしっかり行動する点がヴァルエルクでは評価されている。しかし思想面では全然ダメで軍事を優先し過ぎていることをよく批判している。行動は合うがイデオロギーが合わないタイプ。 ヴァルエルクとベリオンが結託すると相当強いが、お互いの本拠地が遠いためチャンスがあってもあまり連携できない様子。最後に外交関係が接近していたのはゴルギア時代まで遡ることになりそうだ。 軍事 記事一覧 ヴァルエルク/記事一覧 国家 国家 ヴァルエルク共和国 保護国 ヴァルエルク保護国圏ヴァルエルク領スレフィエ†メロア自由連邦†メロア自由共和国ディギネオンスムルトス自治議会共和国† 自治領 ブロントン・スムルトスフォルバ自治領ルストロン自治領エレメオン地区ブルガディオン・ウォルストル政府 歴史・政治 歴史 ヴァルエルク/歴史ヴァルエルク/歴史年表 政治 ヴァルエルク共和国/政治ヴァルエルク共和国/国家元首の一覧 軍事 軍事 ヴァルエルク共和国/軍事 産業 産業 ヴァルエルク共和国/企業 地理 居住星 レーウス星系 惑星レーウス惑星トラドヴァ ニルヴァエカヴォノス星系 惑星スィルトゥオク ノスカ星系 惑星ブルエノ ベデオソス星系 惑星フィアネ ヴァエカヴォスコス星系 惑星ウィガクロントス ラタモソス星系 惑星ギプテ 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阪本昌成『憲法1 国制クラシック 全訂第三版』(2011年刊) 第Ⅰ部 統治と憲法 第7章 法の支配 本文 p.41以下 <目次> ■1.「法の支配」の捉え方[30] (1) 法の支配とは何でないのか [30続き] (2) 法の支配と法治主義 [31] (3) 法の支配と正義 ■2.「法の支配」の理論と憲法典[32] (1) 法の支配の理論化 [33] (2) 法の支配の突出部 [34] (3) 法の支配と憲法との関係 [34続き] (4) 法の支配と主権との関係 [35] (5) 法の支配と法律との関係 ■用語集、関連ページ ■要約・解説・研究ノート ■ご意見、情報提供 ■1.「法の支配」の捉え方 [30] (1) 法の支配とは何でないのか 「法の支配」は、多くの人が口にする基本概念でありながら、その実体につき合意をみない難問である。 とはいえ、法の支配の目指すところについては、論者の間におおよその合意がある。 “その目的は、可能な限りすべての国家機関の行為を法のもとにおいて、その恣意的な活動を統制し、もって人々の基本権を保障せんとするところにある。” が、この機能論的な説明は、法の実体の解明にはなっていない。 また、法の支配とは何でないのか、という疑問についても、法学者の間で合意がみられる。 その解答としては、次のふたつがある。 第一。 “法の支配は、絶対君主の統治にみられたような「人に支配」、すなわち、ルールに基かない、その場当たりの恣意的な権力発動を通して人々を支配することではない。” 第二。 “法の支配は、法治主義ではない。法治主義とは、国民の権利義務に変動を与えるとき、その国家意思は議会の意思を通して実定法化されるべきこと、そして、行政はその議会法を執行し(“法律なければ行政なし”)、裁判所は議会制定法に準拠して法的紛争を解決すること、をいう。” [30続き] (2) 法の支配と法治主義 上の第一の「恣意的な人の支配」に代わろうとしたのが第二の法治主義である。 法治主義(*注1)は、民主的な国民代表機関に法規を創造する権限を集中さえ(法規という特異な概念については、[111]でふれる)、非民主的な行政機関と裁判所とを議会制定法(人為法)のもとに置こうとする民主化の思想だった。 「法の支配」にいう法は、民主的機関である議会の制定する法律をも統制し、主権者の意思をも統制する機能をもっている。 この機能については、法学者は異論を唱えないだろう。 未解決の争点は、“その狙いのために、法の支配にいう「法」がいかなる属性をもっているのか”というところにある。 法の支配を考えるに当たって重要なことは、 《人権または個人の尊厳をよりよく保障することが、法の支配の云いたいところである》などといった機能論も、 《法の支配は人の支配でもなく、法治主義でもない》という消去法も、 上の問いに答えてはいない、と気づくことだ。 《法の支配とは、何であるのか》真剣に正面から検討することが必要である。 (*注1)「法治主義」について法治主義なるタームは、日本法学の造語だ、といわれる。我が国の行政法学は、ドイツでの「法治国諸原理」のうち、「行政の法律適合性原則」を指すものとして、このタームを使用してきた(「法治国原理」については、[22a]をみよ)。「行政の法律適合性原則」は、ドイツにおける法実証主義と不即不離であり、公法についていえば、次のような思考を基礎としている。(1) 法学の任務は、自由意思の発動の系譜・手続をたどることにある。法令の中味についてその正邪を評定しようとすれば、価値相対主義のもとでは「神々の闘争」となってしまう。(2) 議会制定法、すなわち法律は、憲法所定の手続に従って発動された議会意思の所産である。命令は、行政機関(または君主)意思の所産である。(3) 国民の自由と財産にとっての“危険は君主からやってきた”。この危険に対処するには、命令という国法形式を、法律という国法形式のもとに置けばよい。国法形式の優劣関係は、客観的に認識できる。(4) 法律(議会制定法)によって行政活動を統制する国家が「法治国」である。我が国の公法学は、上のように、法実証主義のもとの「法律 - 命令」の形式的効力関係の捉え方を「形式的法治主義」と呼んできている。 [31] (3) 法の支配と正義 法の支配とは、《主権者といえども、人為の法を超える高次の法のもとにある》という思想を起源とする。 それは、法(law)と立法(legislation)との区別のもとで、前者が後者を指導する、という思想である。 高次の法 higher law とは、[11]でふれた“fundamental law”と同じである。 Higher law または fundamental law の内容は、《正義に適っているルール》を指してきた。 ところが、「正義」の捉え方は歴史によって変転し、論者によって様々となっているために私たちを混乱させているのだ。 法の支配を正義と関連づけるとき、その捉え方には、大きくふたつの流れがみられた。 第一は、 問題の法令の実質・内容を問う立場である。正義の種類からいえば、実質的正義論に属する。その典型的立場が自然法論である。 第二は、 問題の法令の形式を重視するタイプである。正義の種類でいえば、形式的正義論である。これは、問題の法令が、どのような特定の人々をも対象とせず、特定の目的も知らず、一般的で普遍的な形式を満たしているか否かを問うのである。これは、《人為法が普遍的に妥当する形式をもっていれば、不正を最小化できる》といいたいのだ(この点については [35] でもふれる)。 長い歴史のうえで、盛んに説かれてきたのが、第一の立場だった。 神こそこの世の中心だ、と考えられていた時代にあっては、不可謬の神の意思がこの世の法則決定者だと考えられ、人間こそこの世の中心だと考えられるに至った時代にあっては、人間の理性がこの世の法則を決定づけている、とみられた。 神の意思や人間の理性と、法の支配とを関連づける立場は、“法とは実質的正義を体現しているものをいう”と理解しているのである。 実質的正義に依拠する法の支配論は、今日においても根強い。 なかでも、人間の理性的能力を強調する見解は、“恣意を理性によって統制すべし”とする法の支配の考えと調和的であるために、人々を納得させがちである。 が、「理性/恣意」の峻別は容易ではない。 「理性」は、実に多義的で、恣意的に用いられてきた。 また、人間が理性の塊ではないことは、C. ダーウイン、G. フロイトによって暴露された以上、人間理性と正義(法)とを関連づける理論の信憑性は疑わしい。 かといってこれ以外に実質的な正義の中味をいうとなると、常に論争を呼ぶ「神々の闘争」となって決着はつきそうもない。 そのために、法の支配と密接不可分な正義概念を、手続的に、または、形式的に捉えようとする論者が登場するのである。 「実質的正義/形式的正義」という正義論のふたつの流れは、国法の役割を考えるに当たって、無視できない違いをもたらしている。 実質的正義を強調する論者は、“国法は、ある実体をもった正義を実現しなければならない”と、正義を実現されるべき最適規範と捉えがちとなる。 これに対して、形式的正義を強調する論者は、“国法は、誰であれ、無作為に抽出した受範者に等しく適用される形式をもっていなければならない”と主張するだろう。この主張には、《正義は積極的に実現されるべき目標ではない》という含意があるのだ。 ■2.「法の支配」の理論と憲法典 [32] (1) 法の支配の理論化 法の支配を脱実体化しながら理論体系としたのが、イギリスの法学者A. ダイシー(1835~1922年)である。 彼は、臨機(場当たり)でなく、誰もが知りえて、特定可能な対象にではなく、誰に対しても等しく恒常的に適用され得る法の形式を、「正規の法 regular law」と呼んだ。 それは、《類似の事案は同じように法的に解決される》という平等原則の中から浮かび出た形式である。 それは、多年にわたる実践と蓄積のなかで、次第しだいに、人間が獲得してきた法的知識だった。 その法的知識を専門的に修得するのが法曹であり、なかでも裁判官である。 身分の独立保障をうけてきた裁判官は、当事者の主張に耳を傾けながら、正しい解決のために、誰に対しても等しく適用されてきた論拠を発見するのである。 公正な判断を求めようとする法的紛争の当事者は、誰であれ、この裁判の手続にのるよう求められる。 ダイシーは、このことを《何人も通常の裁判所の審判権に服する》と表現した。 フランスと違って、イギリスが行政裁判所という特別の裁判所を持たないことが、誰に対しても特権を与えない正規の法の表れでもあったのだ。 さらに、ダイシーにとって、国家の強制力を「人権保障規定」によって統制しようとすることは、必要でないばかりか、望ましくもなかった。 自由や権利は、正規の法の展開がもたらすはずのものであって、人為的な法規定によって与えられるべきものではなかった。 ダイシーの法の支配理論は、上のように、 ① 正規の法が人為法に絶対的に優位すること、 ② 誰であれ、通常裁判所の審判権に服すること、 ③ 自由や権利は、正規の法によってこそ守られること、 の三点を説いたのだった。 [33] (2) 法の支配の突出部 形式的正義論をベースとする法の支配の考え方には、 (ア) 法は特権を容認せず、一般的普遍的な形式をもたなければならない、 (イ) 法は公知(誰もが前もって知りうるもの)で恒常的でなければならない、 (ウ) その適用に矛盾があってはならない、 という命題が伴っている。 これらの命題は、法の予見性・安定性に資し、経済自由市場における交易を一挙に促進することとなった。 自由市場の生育を可能としたのは、法の支配という憲法上の基本概念だった。 法の支配が、経済的自由、身体・生命の自由その他の自由へと拡大するにつれて、自由主義国家の基盤が出来上がっていったのだ。 法の支配は、経済市場における諸自由だけでなく、国家の刑罰権と課税権とを有効に統制する論拠となった。 罪刑法定主義と租税法律主義が、法令の遡及的適用を排除したり、慣習を法源足り得ないとしたり、法令の裁量的適用に警戒的であるのは、法の支配の思想が、一部実定法上に突出したためである。 それでも法の支配にいう法は実定化され尽くすことはない。 法の支配は、我々の権利義務に関する実定法(人為法)を指導するメタ・ルールである。 法の支配という思想は、あるルールを実定化するにあたって実定法を先導する上位のルールである。 たとえ憲法を含む実定法が法の支配を謳ったとしても、それこそが「自己言及のパラドックス」にすぎないのだ([11]での脚注参照)。 [34] (3) 法の支配と憲法との関係 法の支配は、国家の不正義を最小化するための理念として、歴史上様々な論者がそれに肉付けしてきた。 この理念は、sovereignty、なかでも、君主の有してきたそれをまず統制しようとした。 sovereignty は、「主権」と訳出されるが、この訳語では伝えきれないニュアンスをもった言葉である。 それは、「主権」というよりも、絶対権または最高権といったほうがいいだろう(⇒[37])。 憲法は、最高・絶対の主権を統制するための「基本法」として、歴史に登場した。 このことからも分かるように、憲法は、法の支配という構想の必須部なのだ(が、しかし、憲法が法の支配にいう法ではない)。 主権の帰属先が君主から国民になった場合でも、法の支配の理念に変更はない。 今日においても、すべての国家機関、なかでも国民の主権と、国民代表機関である議会とを、法のもとにおく必要があるのだ。 そのために、憲法は法の支配の理念の一部を組み込もうとする。 統治の機構においては、 ①独立の保障される司法部、②特別裁判所設置の禁止、③憲法条規の最高法規性の宣言、がこれであり、 権利章典の部においては、 ①適正手続保障、②遡及処罰の禁止、③公正な裁判の保障、等がこれである。 もっとも、こうした個別の条規を列挙することは、憲法と法の支配との関係を考えるにあたっては二次的な意味しかもたない。 法の支配と憲法との関係を考えるに当たって最も重要な視点は、権力分立構造という全体的なパースペクティブ(※注釈:見通し、展望、大局観)を持つことだ。 権力分立構造は、ある時点から、違憲審査制または司法審査制の実現によって大きな「変容」をみせるが、この「変容」も、法の支配と関連している(この点に関しては、後の [55] でもふれるが、しかし、違憲審査制は法の支配の内容ではなく、法の支配を有効とするための装置である)。 教科書の中には、法の支配について、 (ア) 憲法の最高法規性、 (イ) 基本権の尊重、 (ウ) 適正手続保障、 (エ) 司法審査制、 を列挙するものがある。 もし、この思考が法の支配の論拠を日本国憲法典に求めようとしているのであれば、ひとつの体系内に根拠を求める「自己言及のパラドックス」に陥ってしまっている。 もし論拠を示したものではなく、“法の支配がかような諸点に現れている”というのであれば、(イ)と(ウ)はダブルカウントであり、(エ)は法の支配の内在的な要素ではなく(英国には、司法審査制はない)、法の支配を有効にするための手段に過ぎないことの説明に欠けている。 このように、憲法と法の支配との関係をみるとしても、要注意点は、《憲法典という実定化された法が法の支配にいう“法”ではない》ということである。 確かに、憲法典は法の支配の理念を一部活かしている。 が、しかし、「憲法典=法の支配」ではない(⇒[82])。 [34続き] (4) 法の支配と主権との関係 《法の支配は憲法典や主権をも統制する》とのテーゼを理解するためには、次の(ア)~(ウ)に留意しておかなければならない。 (ア) 一般の教科書によれば、国民主権にいう「主権」とは、憲法制定権力のことを指す(*注2)(この点については、後の [38] [39] でふれる)。 (イ) 主権は、国制を意味する憲法を創出する力であり(憲法を作り出す力としての主権。以後、憲法制定権力を「制憲権」という)、憲法典は、この制憲権によって作り出される([41]もみよ)。 (ウ) 〔制憲権→憲法典〕という理論上の順序関係を考えれば、憲法典によって主権を統制することは出来ない([46] もみよ)。 では、「憲法典によって主権を統制することは出来ない」とき、主権(制憲権)は何によって規範的な拘束を受けているのだろうか? 実体的正義論者は、自然法、人間の理性、人間の尊厳、等をあげるだろう。 これらの実体的要素はいずれも客観性に欠けるとみる批判的な論者であれば、「主権者の自己拘束だ」というかもしれない。 それらの解答を、私はいずれも受容しない。 《主権を規範的に統制するもの、それが法の支配だ》、これが私の解答である。 法の支配にいう「法」とは、実定的な法ではなく、最低限の形式的正義のことだ、と私は理解している。 (*注2)主権・制憲権について主権や制憲権の意義にふれない段階で、読者は本文のような記述を理解し難いだろう。制憲権というテーマを読了してこの部分をもう一度読んでみれば、真意が判明するだろう。 [35] (5) 法の支配と法律との関係 法の支配は、先に触れたように、国民の主権や、国民代表機関である議会の権限(法律制定権)をも統制する理念である。 では、法の支配は、議会の立法権(法律制定権)をどのように統制するか? 実体的正義論者は、この問に関しても、主権を統制するものについて与えた解答と同じものを挙げるだろう。(※注釈:自然法、人間の理性、人間の尊厳、等) 「主権の自己拘束」説に立つ論者は、ここでの問に対して「議会の自己拘束だ」と答えるだろうか。 どうもそうではなく、解答は与えられていないようだ。 私のような、形式的正義論者は、こう解答するだろう。 《議会が法律を制定するにあたっては、一般的普遍的な形式をもたせなければならない》。 この解答は、日本国憲法41条の「立法」の解釈に活かされるだろう(後述の [116] を参照せよ)。 立法(法律)が一般的普遍的であるという形式を満たすとき、それは第一に、一定の要件を満たす限り誰に対しても適用され得るとする点で道徳的にみて正当であり、第二に、予見可能性・法的安定性を増すという点で経済的にみて合理的である。 法の一般性・普遍性とは、法規範の名宛人が事前に特定可能でないことをいう。 法の支配にとって最も警戒され続けてきた点は、法が人的な属性に言及しながら、特定可能な人びとを特別扱いすることだった。 法の支配は、人的な特権を忌避して、誰であれ自分の限界効用を自由に(国家から公法規制や指令を受けないで)満足させてよい、とする思想でもあるのだ。 近代法が、なぜ人間を「人」または「人格」と抽象的に形式的に言い表したのか、我々は近代法のこの発想の基本をもう一度振り返ったほうがよさそうだ(⇒[23])。 そうすれば、正義の女神が、なぜ目隠しをしているのか、すぐに理解できるだろう。 正義とは不正義を排除することなのだ。 ところが、現代法は「強者/弱者」という曖昧な二分法を強調することによって、「人」というケテゴリーの中に様々なサブ・カテゴリーを作り上げて社会的正義を積極的に人為的に(行政法や社会法という実定法を通して)実現しようとしてきている(⇒[25])。 これが正義というものだろうか? 「社会的正義」とは一体何だったのだろう? ※以上で、この章の本文終了。 ※全体目次は阪本昌成『憲法1 国制クラシック 全訂第三版』(2011年刊)へ。 ■用語集、関連ページ 阪本昌成『憲法理論Ⅰ 第三版』(1999年刊) 第一部 第四章 立憲主義と法の支配 第五章 立憲主義の展開 「法の支配(rule of law)」とは何か ■要約・解説・研究ノート ■ご意見、情報提供 名前 コメント
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メセナ法によるブラジルの多文化奨励 〜民間の積極的参加によって多文化を保護しようとするブラジルの文化政策〜 メセナ法を中心とした近年のブラジルの文化政策 序章 ブラジルのような国で、文化を仕事にするというのはかなりの挑戦である。ある面では、国民とその芸術の多様性と創造性に特徴づけられるように、芸術文化資産の豊かな国であるが、別の面では、根深い社会の不平等を抱えている。後者は、文化財へのアクセスが必ずしもオープンかつ民主的でないことの、原因となっている。全ての文化活動は、この不平等を意識して規律づけられなければならず、文化活動を、成熟した市民社会を形成するために貢献するようなものに変えなければならない、ということはあたり前のことである。そして、文化の普及が、段々と、メセナ法を通じて可視化されてきていることは、言及する価値がある。 ──ヒカルド・ヒベルボイン(Ricardo Ribenboim) ヒカルド・ヒベルボインは、彫刻家で、イタウ・クルトゥラル(Itau Cultural)の元代表である。イタウ・クルトゥラルは、イタウ銀行(※2008年にイタウ銀行とウニバンコ銀行が合併したために、イタウ・ウニバンコ・ホールディング)が設立した文化機関で、本論が議論の対象としているブラジルの連邦メセナ法を通じた支援によって、最も多くの文化プロジェクトへを行ってきた団体である。●年に設立し、これまで●年間で(2010年11月現在)、●金額の支援を受け、●個もの文化プロジェクトを行ってきた。 本論で議論したいのは、近年のブラジルにおいて、イタウ・クルトゥラルの活動にも顕著なように、連邦メセナ法の仕組みによって、数多くの文化プロジェクトがブラジルで行われてきている現状と、連邦メセナ法の仕組みである。特に、連邦メセナ法が、文化芸術団体と、民間企業と、政府を中心とした行政機関の三者それぞれが主体的に行動することができる仕組みを持っていることに注目する。また、連邦メセナ法が成立した背景として、ブラジルの文化政策の歴史も取り上げる。 本論の議論において、便宜的に連邦メセナ法と呼んでいる法律は、ブラジルの法律第8.313号(ブラジルでは通称ルアネー法(Lei Rouant)と呼ばれている)のことである。 ●メセナ法 ブラジル連邦共和国の構成単位は、連邦、州、連邦区、市(ムニシピオ)であり、各構成単位は、連邦憲法が他の構成単位に帰属させていないすべての権限を有する原則があり、その限りにおいて各構成単位は独自に立法することができる。 しかしながら、憲法がかなり広範な権限を連邦に留保しており、民法・商法・刑法・訴訟法・選挙法・農業法・海法・航空法・宇宙法・労働法は、連邦の立法事項だ。 本論文が主に取り上げる上記の連邦メセナ法は、連邦レベルの法律であり、国全体に適用される。連邦レベルでの文化支援奨励法である。連邦レベルのメセナ法は、ルアネー法以外にも、視聴覚作品法(法律第8.685号 通称Lei do Audiovisual)がある。こちらは、長編映画への支援を奨励する法律であり、本論では、視聴覚作品法に先行し、かつ適用分野の広い連邦メセナ法であるルアネー法を議論の中心とするが、視聴覚作品法についてもブラジルの文化政策の歴史を取り上げる中で、補足する。 州レベルのものでは、サンパウロ州のPACやバイーア州のFAZCULTURAが有名で、市レベルのものでは、サンパウロ市のメンドンサ法(Lei Mendonça)が有名だが、メンドンサ法は、現行の文化支援奨励法の中で一番早い1990年12月に成立した。 州レベルでは、他にアクレ州、セアラー州、マトグロッソドスル州、ミナスジェライス州、パライーバ州、リオデジャネイロ州、リオグランデドノルテ州、リオグランデドスル州、サンタカタリーナ州にある。 市レベルのものは他に、サン・ジョゼ・ド・カンポス市(サンパウロ州)、アメリカーナ市(サンパウロ州)、ベレン市(パラ州)、ベロオリゾンチ市(ミナスジェライス州)、コンタージェン市(ミナスジェライス州)、カベデロ市(パライバ州)、クリチバ市(パラナ州)、ゴイアニア市(ゴイアス州)、ロンドリーナ市(パラナ州)、マセイオ市(アラゴアス州)、リオデジャネイロ市(リオデジャネイロ州)、サンタ・マリア市(リオグランデドスル州)、ヴィトリア市(エスピリトサント州)などにある。 これらのメセナ法に共通するのは、各法が定めた制度に基づいて承認された文化プロジェクトのために支援した金額を申告すれば、全額ではないが、支払うべき税金が控除される。控除される税金の種類や、支援額に対する控除額のパーセンテージも法によって異なる。パーセンテージが幾段階かに分かれており、文化プロジェクトの承認時にパーセンテージが決まる場合も多い。 本論でメセナ法と呼ぶルアネー法は、文化プロジェクトへの支援によって、所得税が控除される法であるが、支援額に対する控除額のパーセンテージは改正によって変わってきた。詳しくは第1章以降で取り上げる。 p10 ブラジルにおいて、文化政策という学問分野の歴史は非常に浅く、しかも、コミュニケーション学、社会学、法学、政策学、歴史学などといった多様な研究方法によるばらばらな方法でなされてきた。 しかも、研究の量もとても少ない。 ──※法令全文は、"Guia do Incentivo a Cultura"のp257〜p290にある、できれば全文訳したいよね 文化とは何かの議論。 支援と寄付の使い分け。 ブラジルの近年約30年間の文化政策の特徴は、 文化の重要性を尊重しながらも、 国家が手厚く保護するわけではなく、 市場任せにしていたわけでもないところにある。 現代における文化政策は、経済政策や公共政策など、多様な政策に関する教育や研究が進む中で、その戦略的重要性が、とくに注目を集めている。 元来、文化政策は、芸術支援から出発し、次第に都市発展や産業など、より広い領域を包含するようになってきたとはいえ、行政における財政上の優先順位は低く、ややもすれば、財政赤字とともに、真っ先に削減されるのが日本社会の常識であった。しかしながら、近年、芸術や文化は、それだけで閉じた影響の小さな問題ではなく、社会の創造性や持続可能性にとって最も重要な要素であると、位置づけられるようになってきたのである。 1991年に発足した〈文化と発展〉委員会は、95年に『我々の創造的多様性』というレポートの前文で、「発展とは、財やサービスへのアクセスだけではなく、十分で満足な価値ある生き方を選択できることである」と述べている。 このような最新の国際的動向を考慮すれば、文化政策とは、芸術・文化を振興するための文化財保護や実演芸術への公的支援政策であるだけでなく、一方で、個々の人の生き方、 つまり、個人の生活の質やそれらを獲得するための潜在的能力や自由に関わるものである。 D・グロスビーは、文化資本の概念を提起し、持続可能な発展にとって、自然資本の概念が重要であることを指摘している。 現代における文化政策は、経済政策や