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波動原理・ゼロ点効果の纏めサイト - 放射能除去法纏めサイト 無数の除去事例や超常的現象、量子の共鳴効果による意識・社会・環境の改善 万物における波動情報の原理・作用・効果・影響・意味合いと形成・発展・永続化 量子(電子・陽子・中性子・光子・ニュートリノ)=波動(気)・ゼロ点(Zero Point Field)・電磁波・プラズマ・幾何学的形態・物質(珪素・量子水・酵素)・微生物・コイル・波動器具・波動農法や意識・言葉・パワースポットなど、波動原理の各種効果(超科学・超能力・元素変換・健康・意識覚醒・自然環境の浄化・森羅万象の好転) *********************************** 項目6⑦:波動情報と共鳴の原理・作用・効果・影響・意味合い 森羅万象の形成・発展・永続化、意識・社会・環境の浄化・改善 【霊魂の所作と活性化、日本の基層と神事、精神性・芸術性の淵源】 ●アイヌと沖縄について アイヌ・ニブフ・ウィルタ民族の概略 アイヌ民族の文化と信仰 蝦夷の歴史 日本の体制がアイヌ民族に強いた不当な境遇 ソ連と国際的体制がアイヌ・ニブフ・ウィルタ民族に強いた理不尽な追放・放置 日本におけるアイヌ問題の認識状況 沖縄・琉球の歴史 琉球神道について 南西諸島の伝統歌謡に見える古層とヤマトとの交流 南洋産貝製品の古代社会における重要性 沖縄的事物と女性祭祀と海人族が示唆する、古代社会の在り方と平和の希求と大規模な変化 日本の辺縁部に残る古代の日本語と祭祀形態 沖縄・琉球の位置付けについて 辺野古と大浦湾の類稀な環境・霊場・遺跡と、日米による破壊の危機 沖縄に対する国内外からの歴史的な抑圧 沖縄問題への誤った対処 アイヌ・沖縄問題に見える国内外の自己優位思想と従属思考 ヤマト・アイヌ・沖縄などの和合 「アイヌ民族」は「北海道・千島列島・樺太の先住民族」、「琉球民族」は「沖縄県などの先住民族」です。民族や言語という概念に決まった定義はないですが、便宜上ここでは「琉球民族」を一民族とします。 「ヤマト民族(又は本土人)」「アイヌ民族」「琉球民族(沖縄人)」は、共に「縄文人」を祖としています。「日本の最も底部の基層」は「縄文文化」にあり、「アイヌ民族と琉球民族は、縄文人のDNA系統を色濃く残す民族集団」であり、即ち「原日本人の特色を濃く継承している」と言えます。「沖縄人」は、主に「縄文人」「10世紀から12世紀頃の南九州の農耕民の移住者」を祖とします。DNAは「本土日本人は朝鮮民族(韓民族)と近い、中国人全般とはそれよりも離れ、中国遼寧省(東北部・満州)・山東省(北京南方)の人とはやや近い」「アイヌ民族・ニブフ民族・ウィルタ民族は互いへの流入が見られる」「本土日本人の約2割は朝鮮民族固有の、2割は中国人固有の遺伝特性を持つ」「ニブフ・ウィルタ以外の日本人は、多くの民族の遺伝的要素があり、東アジアの人種の坩堝となっている」と示します。世界的にも珍しい「YハプロタイプD型」の保有者は「本土日本人:40%~50%」「アイヌ民族:90%」「沖縄本島:70%」、これは「縄文人のDNAの一つ」であり、非常に古いタイプのDNAです。他には「チベット民族」「ヤオ族(湖南省・雲南省・東南アジア北部)」に高頻度で見られ、「タイ人」は「D*(恐らくハプロDの別の単一系の分枝)」を10%の人が保有、ハプロDは「アラビア→南アジア→東南アジア→北方」と渡ったと見られます。 「日本人の起源・成立」としては、形質人類学の立場から「二重構造モデル」がよく言われます。「東南アジア起源の縄文人という基層集団の上に、弥生時代以降、北東アジア起源の渡来系集団が覆いかぶさるように分布して混血することにより現代日本人が形成された」としています。しかし「二重構造モデル」は大方の支持があるものの、「基層集団の起源は北東アジア」とする説は強いです。また縄文時代はある種鎖国的で、海外からあまり人・物が流入せず、これが日本の文化・風土の独自性を形成しました。 大まかに、次のように説明される ・北方のシベリア方面の「アルタイ諸語」を話す「新モンゴロイド」、 南方の東南アジア方面の「オーストロネシア語」を話す「古モンゴロイド」が合わさり、 「原日本人・縄文人」が形成された。 ・「縄文人」多数と、「渡来人」少数の混血により、「弥生人(≠倭人)」が形成されていった。 ・後に「渡来人」が少しずつ流入、日本国内でも渡来系の子孫が増えて、「縄文系と渡来系の混血」で「ヤマト民族」が形成された。 ・縄文系の系統を色濃く残す北方南方の集団が「アイヌ民族」「琉球民族」となった。 旧石器時代の原日本人の伝播ルート ・「シベリア」→「バイカル地方」→」中国東北部」→(朝鮮半島)→「日本列島(九州や日本海側)」 ・「バイカル湖」→「東進」→「樺太」→「北海道」 ・「長江中下流域」→「九州」 ・「東南アジア」「中国広東地方」→(「台湾」)→「琉球諸島」→「九州」 主な渡来人のルート(弥生時代又は縄文時代後期以降) ・「中国中南部の長江文明を築いた南方系民族(越・呉など/長江下流域)」→「東シナ海」→「日本」「朝鮮半島」 ・「中国中北部の黄河文明を築いた北方系民族(山東省など)」→「朝鮮半島」→「対馬海峡周辺」→「日本」 ・「中国北東部の満州の北方系民族」→「朝鮮半島」→「対馬海峡周辺」→「日本」 「日本語は孤立言語」であり、基本的には非常に古い言語と見られる ・「日本語の文法」は「北アジアおよび中央アジア」の「アルタイ諸語」との類似性が高いが、「母音の強い音韻体系」は「オーストロネシア語族」との類似性が高い (ただしオーストロネシア語族では元来あった語尾の子音が脱落して開音節化した言語が多いと考えられ、いっぽう北方でも満州語などのように母音の多い言語もある)。 ・「語を重ねる複数形の表現方法」や「一部の単語」に関して「オーストロネシア起源」も指摘されている。 「日本語の起源・成立」は未だ定説はなく、諸説がある ・オーストロネシア語とツングース諸語の混合言語説。 ・日本は北方で、満州~シベリア南部に分布する「ツングース諸語圏」、 南方で、東南アジアから太平洋諸島などに分布する「オーストロネシア語圏」と接し、両方が入った。 ・オーストロネシア語族説 ・話者は、元々は「中国中南部」の「長江文明」いたが、後に「中国南部山岳地帯(雲南省など)」「東南アジア」「太平洋諸島」に進出した。 ・アルタイ語族説 ・アルタイ語族には「ツングース諸語」「朝鮮語(古代朝鮮語)」「モンゴル語」「テュルク諸語」他がある。 ・日本語・朝鮮語同系説 ・高句麗語同系説 ・タミル語起源説(インド南部のドラヴィダ語族) ・アイヌ語との系統関係 ・中国語(古典中国語)との関係 「古事記や風土記のような口伝による伝承はアイヌ語で解釈可能」だと判明しています。これは「縄文語はアイヌ語である」と示唆します。しかし「日本語とアイヌ語は、非常に異なった言語」です。「縄文語」について、言語という物の特性から、東日本の東端と西日本の西端では、非常に語彙は異なっていただろうとも推測され、現代で言えば別の言語と看做されていたかもしれません。そして弥生時代(又は縄文時代後期)以降に「オーストロネシア語族」「ツングース語族」の話者集団が日本に渡来して、「上古日本語」が形成されたとみられ、これが直接的な「日本語の祖語」です。そして「日本語はオーストロネシア語とツングース諸語の混合言語」であり、故に「日本語の起源・成立の仮説の欄の言語群と共通性が見られる」と言えます。 「日本でシャーマンの活動(祭祀)が盛んな地域」は「北海道」「南西諸島」とされます。沖縄県の「沖縄諸島」「先島諸島」「大東諸島」、鹿児島県の「奄美諸島」「トカラ列島」「大隈諸島」を総称した「薩南諸島」、これらが「南西諸島」に属します。 アイヌ・ニブフ・ウィルタ民族の概略 歴史的にアイヌ民族は「北海道のアイヌ」の他に、「千島アイヌ」「樺太アイヌ」と、「東北地方・関東地方などのアイヌ」などが存在しました。 アイヌ民族は、元々は「アイヌ語」を言語としています。アイヌ語は「孤立言語」で、アイヌ民族とヤマト民族と近接して在住しながら、しかし語彙の借用を除き、言語的な共通点はあまり見られません。「古事記や風土記のような口伝による伝承がアイヌ語で解釈可能であることから、縄文時代の日本語がアイヌ語と同系統の言語であるとする」という説があります。人口は23782人(2006年・調査に応じた人口・北海道内のみ、推計200000人で、混血も含めると実際はもっと多いと言います。 「北海道」は「律令制時代の五畿七道の東海道・南海道・西海道の呼称に倣った名称」、歴史的に「蝦夷地(えぞち)」「蝦夷が島」「日の本(北海道の太平洋側と千島列島・14世紀頃)」「東蝦夷(北海道の太平洋側と千島列島・近世)」「唐子(北海道の日本海側と樺太・14世紀頃)」「西蝦夷(北海道の日本海側と樺太・近世)」「北州」「十州島」などと呼ばれてきました。北海道は世界の島で第21位の面積で、最高峰は「大雪山 旭岳(2291m)」、道内には湖沼が沢山あり、美しい風景を有しています。西岸海洋性気候や温暖湿潤気候が見られる「道南の一部沿岸地域」を除くと、ほぼ全域が亜寒帯湿潤気候で、寒暖差が大きく、豪雪地帯です。一般的に「道南地方:渡島・檜山の2振興局管内」「道央地方:石狩・後志・空知・胆振・日高の5振興局管内」「道北地方:上川・留萌・宗谷の3振興局管内」「道東地方:オホーツク・十勝・釧路・根室の4振興局管内」に区分されます。 「樺太」は北緯50度を境に「北樺太」「南樺太」に分かれ、南の北海道とは「宗谷海峡」、西の「ユーラシア大陸」とは「間宮海峡」で隔てられ、最北端は「鵞小門岬(ガオト岬)=エリザベス岬」ています。亜寒帯モンスーン気候に属し、夏季は湿度が高く、霧が多く発生、夏と冬の寒暖差が大きいです。「からふと」の名は、一説にアイヌ語の「カムイ・カラ・プト・ヤ・モシリ(神が河口に造った島)」に由来するとされ、「黒竜江(アムール川)」河口から見てその先に位置することからこのように呼ばれたとされます。樺太アイヌ語の西海岸方言では「カバフト」と呼ばれます。正保三年(1646)に成立した松前藩の歴史書「新羅之記録」に「唐渡之嶋」と見え、歴史的に「唐子(北海道の日本海側と樺太・14世紀頃)」「西蝦夷(北海道の日本海側と樺太・近世)」「唐渡之嶋(からとの嶋・からと嶋・からとのしま)」「からふと(からふとの島・からふと嶋・からふとふしま)」「唐ふとう嶋」「サカリイン」「北蝦夷地」と呼ばれてきました。ロシア名は「サハリン」です。 「千島列島」は、歴史的には「日の本(北海道の太平洋側と千島列島・14世紀頃)」「東蝦夷(北海道の太平洋側と千島列島・近世)」と呼ばれました。領域は「国後島(くなしり)」「択捉島(えとろふ)」で構成される「南千島」、「得撫島(うるっぷ)」「知理保以島(ちりほい)」「羅処和島(らしょわ)」「松輪島(まつわ)」「温禰古丹島(おんねこたん)」などからなる「中部千島」、「幌筵島(ぱらむしる)」「占守島(しゅむしゅ)」などからなる「北千島」で構成されます。「色丹島」「歯舞群島」は、千島列島に属さないとされます。最北端は「阿頼度島(あらいど)」、その北方は「カムチャツカ半島」です。気候は厳しく、風が強く非常に寒い冬が長く続き、短い夏には霧がしばしば発生、降雪量が多いです。ロシア名は「クリル諸島」です。 《北海道の年代・文化の区分》 旧石器時代 縄文時代 続縄文時代(ぞくじょうもんじだい) ・「恵山文化」「恵山時代」とも呼ぶ。 ・紀元前3世紀頃から紀元後7世紀(弥生時代から古墳時代)にあった文化。 ・本州では水田耕作がされたが、北海道では耕作できず、縄文文化が受け継がれた。 ・採集活動や若干の雑穀農耕も行っているが、多数の漁労具と解体用石器の出土と 砂丘上の集落が多いことから、漁労の割合が多くなったとされる。 擦文時代(さつもんじだい) ・7世紀ごろから13世紀(飛鳥時代から鎌倉時代後半)にあった文化。 ・本州の土師器の影響を受けた「擦文式土器」を特徴とする。 ・後に土器は衰退し、煮炊きにも鉄器を用いる「アイヌ文化」にとってかわられた。 オホーツク文化 ・3世紀から13世紀までオホーツク海沿岸を中心とする北海道北海岸、樺太、南千島の沿海部に栄えた古代文化。 ・この文化の遺跡が主としてオホーツク海の沿岸に分布していることから名付けられた。 ・このうち、北海道に分布している遺跡の年代は5世紀から9世紀までと推定されている。 ・今日の「ニヴフ」に連なる集団によって担われたと推定されている ・海獣狩猟や漁労を中心とする生活を送っていた。 ・ヒグマを特別視する世界観があった。 これが、今日のアイヌの重要な祭祀「イオマンテ(熊送り)」に繋がっているともいう。 ・骨や歯を素材として、動物像や、婦人像「オホーツクヴィーナス」を作った。 「常呂川河口遺跡(北海道常呂町)のラッコ像は、胸部で手を組み、腹のシワの表現がある。 ・オホーツク文化の代表的遺跡「モヨロ貝塚(北海道網走市)」は、縄文時代晩期・続縄文時代から継続された集落・貝塚の遺跡である。 多数の「骨角器・土器・石器」や「鉄刀・鉾」「大陸から持ち込まれた鈴」、土器・骨・牙で象られた「クジラ・イルカ・クマ」「婦人(オホーツクヴィーナス)」の像などが出土した。 トビニタイ文化 ・直接の源流はオホーツク文化である。 ・オホーツク文化に属する人々は以前から北海道に南下していたが、7世紀から8世紀にかけては道北・道東に広く進出していた。 ・その後、9世紀になって擦文文化に属する人々が道北に進出すると、道東地域のオホーツク文化圏は中心地である樺太から切り離されてしまった。 ・その後この地域のオホーツク文化は擦文文化の影響を強く受けるようになり、独自の文化様式に移行、トビニタイ文化が形成された。 ・その後、擦文文化に同化し、13世紀初め頃には姿を消した。 アイヌ文化 ・アイヌが、13世紀(鎌倉時代後半)ころから現在までに至る歴史の中で生み出してきた文化である。 ・擦文文化からアイヌ文化の生活体系に移るに伴い、「土器の製作や使用」が廃れ、 その代わりに本州から移入された「鉄器・漆器」が生活用具として定着した。 ・この点からは、アイヌ文化を生んだ契機に日本との交渉の増大があると考えられている。 ・住居がそれまでのかまどを備えた竪穴式住居から、 囲炉裏のみで、竈(かまど)が排除された掘立柱建物「チセ」へと変貌していった。 ・アイヌ文化には地域によって差異が存在していたことが知られている。 ・考古学的な意味でのアイヌ文化は、「鉄製鍋」「漆器の椀」「捧酒箸(ほうしゅばし)」 「骨角器の狩猟具」「鮭漁用の鉤銛」「伸展式の土葬」など物質文化面での特徴を目印としている。 ・農耕民族の和人と狩猟採集民族のアイヌは、 それぞれの生活様式によって確保した生産物を交易で交換した。 アイヌは「魚や毛皮」を輸出品目とし、 和人の生産する道具「鉄器や漆器」や嗜好品「米、茶、酒」と交換した。 ・続縄文時代や擦文時代の北海道では、粟、稗、黍などの雑穀が小規模ながら栽培されていた。 しかしアイヌ文化の成立とともに、農耕は縮小する傾向にあった。 これは寒冷な気候ゆえに耕作を諦めたというより、 本州との交易用の毛皮や干魚を確保するため、狩猟や漁労を重視した結果らしい。 ・「樺太アイヌ」は北方のツングース系などの諸民族とも交流があり、 それを介して大陸の中華王朝とも関係を持った。 ・1264年 には樺太に侵入した「アイヌ(元朝の文献では「骨嵬」と書かれている)」と 「ニヴフ(同じく「吉烈迷」)」との間に紛争が勃発した。 この戦いにはモンゴル帝国軍が介入し、アイヌからの朝貢を取り付けた。 ・その後もアイヌは大陸との交易を続けていて、この交易は「山丹交易」と呼ばれ、 江戸時代にはアイヌが交易によって清朝などから入手した絹織物や官服が、 「蝦夷錦」と呼ばれて日本国内にも流通していった。 千島アイヌ ・千島列島には先史時代から居住者がいたが、 文字記録が残されるようになるのはロシアが東シベリアまで勢力を拡大した18世紀からである。 ・千島アイヌは千島列島を南北に移動して交易していたが、 この頃、日本の北進と東シベリアを版図に入れたロシアの南進によって、 彼らは生産・交易活動を両国に依存することが多くなっていった。 ・1799年、「エトロフ(択捉島)」までを支配下に収めた江戸幕府は、 1803年、「エトロフ-ウルップ(得撫島)間のアイヌの移動を禁止」した。 これにより「ウルップ島」以北のアイヌは日本との交易が困難になり、 ロシアの影響を強く受けるようになった。 ・1854年の「日露和親条約」によって千島列島は日露両国が南北を分断して統治することになったが、 1875年には「樺太・千島交換条約」に基づき千島列島が全て日本の領土になった。 その際居住者は日本国籍を得て残るか、ロシア国籍を得て去るか選択させられ、 大部分は日本国籍を得た。 ・1884年には若干の千島アイヌが日本領北端の「シュムシュ(占守島)」に残っており、 北の国境に民間人を置いておくよりも南の地で撫育した方が良いと考えた日本政府は、 97名を半ば強制的に色丹島へ移住させ、牧畜・農業に従事させた。 しかし先祖代々続いた漁撈を離れ、新しい土地で暮らすことに馴染めず、健康を害するものも現れた。 望郷の念を募らせる千島アイヌに対し、日本政府は1898年以降、 軍艦に彼らを乗せ北千島に向かわせ、臨時に従来の漁撈に従事させる等の措置をとった。 ・1923年には人口は半減しており、更に第二次世界大戦における日本の敗戦に乗じた ソ連による千島・北方領土の占領に伴い、千島アイヌを含んだ日本側居住者は 全て強制的に本土に移住させられ、各地に離散した。 ・1970年代に最後の一人が死去した時点で千島アイヌの文化を継承する者は消滅したと思われている。 樺太アイヌ ・樺太アイヌたちの自称は「エンヂウ(エンチウ)」。 ・神々のうちには「善神」と「悪神」とがあり,善神でもとくに重視される神と、あまり重要視されない神とがある。 ・間宮林蔵の「北夷分界余話」によると、「樺太アイヌ」は「犬橇やスキー」を使用するなど、 オホーツク文化からの影響を伺わせる文化要素を取り入れていた他、 近世に入っても「土器の製作」「竪穴式住居の使用」という、 北海道では中世アイヌ文化に限られる文化要素を保持していた。 ・「鎧の形状」も北海道アイヌとは異なり、胸甲と腰部の装甲が一体となった独特のものであった。 ・樺太アイヌは「ミイラ製作」を行うという点でも注目を集めている。 ミイラ製作はオホーツク文化圏でも北海道のアイヌ文化でも行われない。 ・樺太のアイヌも国際情勢の変化の影響を強く受けた。 ・「樺太・千島交換条約」に伴って樺太がロシア領になることから、 同条約発効に先立つ1875年10月、もともと樺太南部の「亜庭湾周辺」に居住し 日本国籍を選択した108戸841名が「宗谷」に移住させられ、翌年6月には「対雁(現江別市)」に移された。 ・生活環境の変化に加え、運の悪いことに1886年のコレラ、 さらには天然痘の流行が追い討ちをかけ、300名以上が死去したという。 ・1905年の日露戦勝によって南樺太が日本領になると、 1906年、漸く樺太アイヌは再び故郷の地を踏むことができるようになった。 ・ところが第二次世界大戦後に樺太全域がまたもロシア(当時はソ連)の占領下となり、 同国政府によって樺太アイヌの殆どが北海道へ強制送還された。 ・しかしながらアイヌは現在も樺太に少数ながら住んでいる。 「ニヴフ」民族は「樺太中部以北及び対岸のアムール川下流域に住むモンゴロイド系少数民族」、古くは「ギリヤーク」と呼ばれました。「樺太アイヌ」「ウィルタ」と隣り合って居住、人口は約5300人ですが、この調査には未調査・未回答が多数あります。ウィルタ語やアイヌ語と系統を異にする固有の言語「ニヴフ語」を持ち、「古シベリア諸語(古アジア系)」に便宜上分類され、アムール川流域のニヴフ語と樺太のニヴフ語は大きく異なっています。宗教は「シャーマニズム」「ロシア正教」です。樺太の他の先住民と同じく、古くは「狩猟・漁猟」を行い、また近世には日本と清の貿易の仲介もしていました。「ニブフは5世紀から9世紀の北海道のオホーツク文化の担い手であった」とされ、ニブフ民族の祖先は北海道に居住していました。 日本書紀には「粛慎(みしはせ・あしはせ)」の記録が載り、大きく分けると「欽明天皇の時に佐渡島へ粛慎が来たこと」「斉明天皇の時の将軍・阿倍比羅夫(あべのひらふ)の粛慎討伐」「天武天皇・持統天皇の時の粛慎の来訪と官位を与えたこと」という内容です。この「粛慎」とは「樺太のニヴフ」だとする説があり、一般に「ツングース系民族」とされる、古代中国の文献の「粛慎(しゅくしん)」「挹婁(ゆうろう)」とは異なるとされます。アムール川下流域から樺太の「吉里迷(ギレミ・吉烈滅)」は、元王朝(モンゴル)建国の功臣「ムカリ(木華黎)」の子孫「シデ(碩徳)」の遠征により1263年に服従、1264年に吉里迷の民は、「骨嵬(クイ)」や「亦里于(イリウ)」が毎年のように侵入してくるとの訴えをクビライに対して報告しました。吉里迷は「ニヴフ」、骨嵬(苦夷・蝦夷)は「アイヌ」を指し、この訴えを受け、元朝は骨嵬を攻撃しました。これは、日本への元寇の(文永の役/至元十一年・1274年)の10年前です。「間宮林蔵」が樺太西岸のニヴフ集落を訪れたのは文化五年(1808)と文化六年(1809)、アムール川下流部に入ったの文化六年(1809)で、ニブフ・ウィルタほか少数民族の習俗を報告しています。 「ウィルタ」民族は「樺太中部・北部の、モンゴロイド系のツングース系の少数民族」、アイヌからは「オロッコ」と呼ばれました。本来の言語は「ツングース諸語」の「ウィルタ語」、人口は平成十四年(2002)調査で346人です。宗教は「シャーマニズム」「ロシア正教」です。生業は元来、「トナカイ牧畜」「狩猟」「漁労」でした。シベリアのツングース系諸族と交流をもったほか、樺太中部のニヴフ、南部のアイヌとも交易をしていたとされます。成14年)の国勢調査によると、346人がオホーツク海沿岸の樺太北部および南部のポロナイスク(旧敷香町)近郊に居住しています。南樺太の日本国籍を持っていたウィルタは、日本の敗戦後に北海道(網走市など)へ移住したりしました。昭和五十年(1975)、ウィルタ民族の人権や戦後補償の問題を解決する趣旨により「オロッコの人権と文化を守る会」が設立、翌年12月に「ウィルタ協会」が設立されました。 「千島列島」は古くからの「アイヌなどの少数民族の先住地域」でした。彼らは主に「南千島」、中部の「得撫島」「羅処和島」、北部の「幌筵島」「占守島」などに居住していました。江戸時代以前の「樺太」では、中北部に「ウィルタ」「ニヴフ」、南部に「アイヌ」の3民族が棲み分けていました。時に小さな争いはあっても、概ね平和的に交易を行っていました。間宮林蔵の住民への調査により「江戸時代のウィルタ・ニヴフはロシア民族と関わった事がない」「樺太はモンゴロイド系少数民族の先住地域である」ことが判明していて、ロシア民族は後から樺太に入植して来ました。千島列島・南樺太に居住していたアイヌ・ニブフ・ウィルタは、日本の第二次世界大戦敗戦後に北海道(網走市など)へ強制移送されたり、進んで移住しました。 アイヌ民族の文化と信仰 「アイヌ文化」という時、「現代のアイヌ文化」と「考古学的見地からの過去のアイヌ文化」の、何れかを指します。近現代の「アイヌ文化」の形成には、歴史的に「ヤマト文化」の影響を受けてきて、また道内北方の「オホーツク文化」の影響も大きく受けています。また「蝦夷」という言葉も、「北海道」「東北地方」「関東地方」というように、その対象は文によって異なります。 アイヌ文化は文字を持たない口承文化ゆえに、「同一の神話や文化」でも、地域・集団ごとに細部が大きく異なることが多く、一部のものは定説が無かったりもします。更に「千島アイヌ」「樺太アイヌ」では、大きく文化が異なります。アイヌ民族は、歴史的には生活手段は「漁労採取」を主として、「植物栽培」も行い、「和人や北方の地域との交易」を行っていました。アイヌには「自然と一体的な生活体系」があり、美しい大自然の中で暮らしてきました。 「アイヌ文学」は、「口承文芸」の中の「叙事文学」に属し、「うたわれるもの」「語られるもの」に大別できます。「アイヌ音楽」は「伝統的祭儀や土俗的信仰に直接結びつくもの」「日常の喜怒哀楽を歌う抒情歌」に大別され、前者には以下の二つがあります。 ウポポ(座り歌) ・祭りの中でや、儀式、労働の際に歌われる。 ・中央に置かれた「行器(ほかい)」の蓋を軽く叩いて拍子をとりながら歌う。 ・主に円座を組んで歌う、又は立って円陣をつくり手拍子をとりながら左回りして踊り歌う。 ・旋律を輪唱のように1拍ずつずらして歌い継いでゆく「ウコウク」という歌い方に特徴がある。 ・数が多い。 リムセ(踊り歌) ・悪魔払いの呪術的踏舞「ニウェン・ホリッパ」や「タプカル」に由来する。 ・数が多い。 ユーカラ(ユカラ) ・アイヌに口承されてきた叙事詩。 ・棒で拍子をとり、節をつけて、韻文・サケヘ(リフレイン)を用いて語られる。 ・用いる楽器は「パラライキ(バラライカ)」「トンコリ」「ウマトンコリ(馬頭琴)」「カチョー(太鼓)」「ムックリ(口琴)」など。 ・原意は「まねる」、託宣の言葉が巫謡「tusu‐sinotcha」となり、「体験を物語る」意味になり、「詞曲(アイヌの口承文芸のうちの"うたわれるもの")」」に転じた。 ・狭義には「少年ポイヤウンペの武勲・遍歴を物語る長編の英雄叙事詩」をいう。 ・広義には「自然神・人文神が来歴などを語る形式のカムイユーカラ」=「人間のユーカラ」「神々のユーカラ」を含む。 ・英雄詞曲を「ユーカラ・サコロペ・ヤイエラプ・ハウ・ハウキ」などと、「神謡」を「カムイ-ユーカラ・オイナ」などと呼んでいる。 「カムイ-ユーカラ・オイナ」は別ジャンルとも言う。 ・神の託宣が母体で、本来は「私は……私は……」というように,一人称で語られる。 ・日常語と少し違う「アトムテ・イタク(かざられた言葉)」を使い、すべて口伝えで伝承されるが、伝承者の人柄や巧拙などの影響で、筋立てと常套句以外の細かい部分は回を重ねるごとに変わっていく。 また「縄文時代・・・」の項にあるように、縄文時代の中心地は東日本の、特に「東北地方北部(青森県・秋田県・岩手県)」でした。「東北地方北部」「北海道南部」には、縄文時代の代表的な祭祀遺構「環状列石(ストーンサークル)」が多数存在します。最も高度な縄文文化「亀ヶ岡文化・亀ヶ岡式土器」は、「青森県・岩手県」で最も栄えた、際立った造形美を特徴とする文化です。これらはアイヌ民族の源流に当たる人々が築いた文化です。 アイヌ民像は「アイヌ神話」を中核とした「アイヌ信仰(アイヌ神道)」を、歴史的に信仰してきました。「神道」「アイヌ神道」「琉球神道」は共に「汎神論」で、「自然崇拝(アニミズム)」を基本としていて、原初の姿は同一の信仰形態であったと考えられます。 「神」は「カムイ」と呼ばれ、漢字で「神威・神居」とも記されます。カムイとは「自分達に恵みを与える物、害を与える物、畏怖の念を起こさせる物」、この全てを指します。カムイには「遠くにいる伝統的なカムイ」「身近で近づきやすく、頼りになるカムイ」「動物のカムイ」「補助的なカムイ」「疫病神的なカムイ」・・・など幾つかに分類されます。また、神聖とされる「東窓」の外の「幣場」に祀られるカムイも居ます。 「カムイと、日本語のカミは、共通の語源」だとする説もあり、そのニュアンスは類似していて、しかし「カムイ」は更に広い概念となっています。日本語では「カ・カム(神):万物の裏にある根源的な力」「ミ(実・身):具体的に現れる事。形になる事」「イ(居・位):そこにある事」と解釈できます。 「イナウ(木幣)」は、神道の「御幣(ごへい)」にあたる祭祀具、木を削りだして作り、「カムイへの捧げ物」「カムイの御神体」「言葉をカムイへ伝える代弁者」「守護神」「先祖と人間の間を取り持つもの」などの性質を持ちます。誰の物か分かるように印や記号が記され、カムイにより用いる木も異なります。 「アイヌ文様」は、一筆書きのように繋がった文様で、衣服に多用されています。「モレウ」は「渦巻き文様」で、そこから様々な文様が派生、「縄文」の名残ともいわれます。アイヌ文様の基本は、「モレウ」「アイウシ(棘のある文様)」「ラムラムノカ(鱗文・うろこもん)」です。また「角やモレウ中心部など、端から魔物が入らないように、必ずオホヤンケ(角突起)をする」という規則があります。アイヌ文様では「直線:心の正しさや正直さ・真心」「曲線:平和・円満・豊かさ」などの意味が含まれているとも言われています。 アイヌの信仰の特色(Wikipedia、アイヌ民族博物館HPほか) ・「動植物」「生活道具」「自然現象(津波や地震など)」「疫病」など、 人間を取り巻く全ての物が、それぞれ霊性を備えていると考えており、 これらの事物には「ラマッ(ラマット)」と呼ばれる霊が宿っていると考えた。 ・「ラマッは全てに行き渡り、死ぬ時や破壊された時に、どこかに去る。しかし決してなくならない。 このため、死者と共に葬られる武具や道具は、しばしな死者の伴をしていけるようにと壊される」という。 ・なかでも、とりわけ人間に多くの恵みをもたらしてくれるもの、 人間がかなわないような強大な力を持つもの、恐ろしいものなどを、「カムイ」として敬った。 ・世界を自らの住む現世「アイヌモシリ」と、ラマッの住む世界「カムイモシリ」に分けて理解し、 「ラマッは様々な事物に宿り、何らかの役割を持ってアイヌモシリにやって来ている」と解釈した。 ・ラマッはその役割を果たすと、再びカムイモシリに戻るとされた。 ・再びアイヌモシリに恵みを持ってきてもらう為に、 カムイを歓待して、丁重にカムイモシリへ送り返す。 ・アイヌの神々は絶対的な超越者ではなく、 カムイが不当な行いをした際にはアイヌ側から抗議を行うということもあった。 ・アイヌの神事は「カムイノミ」と呼ばれ、茅葺の伝統家屋「チセ」の中で、様々な神に対して行われる。 ・カムイノミを開始する際には必ず、火の神「アペチフカムイ(カムイフッチ)」への祈りを捧げることになっている。 アペチフカムイは最も重要で尊い神とされ、日常的に祈りが捧げられた。 ・家の守り神「チセコロカムイ」などに祈る。 ・食べ物による拝礼「ハルエオンカミ」や、酒かすを使った拝礼「シラリエオンカミ」などを行う。 ・先祖供養を意味する「シンヌラッパ」では、それぞれの先祖に果物やお菓子、飲み物などの供物をささげる。 ・カムイノミでは、白木を加工した「イナウ」と呼ばれる木幣が使用される。 ・動物神の中では、「クマ」「オオカミ」「シマフクロウ」 「シャチ」などが位の高い神として尊ばれた。 ・そのほか「水の神」「大陽の神」「月の神」「雷の神」「湖の神」などの自然神、 「鍋」「臼」「舟」などの物神など、多くの神々によって世界が構成されている。 ・カムイはカムイモシリでは、人間と同じ姿で同じような生活し、常に人間を見守っている。 アイヌモシリに下りてくる時には、それぞれの衣装を身にまとい、 クマの神はクマの姿に、キツネの神はキツネに、樹木の神は樹木に変身する。 ・神々の中には悪神や魔神も存在するとされ、それらを祓いの儀礼を行い、 穏やかに通り過ぎることを願って、祈りが捧げた。 ・このような世界観に基づき、家を新築する際の儀礼、 サケやシシャモの初漁に際しての儀礼など、数多くの儀礼が行われた。 ・日用道具が古くなったり破損したりすると、それらを捨てる前に、 感謝の言葉とともに道具の霊を神の国に送り返す儀式が行った。 これを「イワクテ」という。 ・動物を捕った場合にも、その霊を送り返す儀式を行う。 アイヌのシャーマン ・「巫術」「憑依現象」を「ツス・トゥス」と呼び、「ツスを行う人」「降霊能力者」を「トゥスクル・ツスクル・シスクル・」と呼ぶ。 男女ともにいて、「病気の治療」「精神的苦痛の癒し」「吉凶の占い」などを行う。 現存するシスクルは非常に少く、「日高地方」「樺太」に限られる。 ・樺太アイヌにおける「ツス」は、「カチョ(太鼓)」「ばち」「けずりかけ製の巫帽」「イナウ(払子や装身具として使用)」 「ヌフチャチャ(ツス中にシャマンが飲むイソツツジを入れた飲料)」「木偶(守護霊や病霊の依代)」「供犠用の犬」などが用いられる。 ツスの形式は、シスクルの「セアンス(心霊術の会)」として整っていて、「太鼓の連打による忘我状態への誘導」 「守護霊の招致」「激しい舞踏様の動きと様々な精霊のしぐさや音の模倣」「託宣」「守護霊の帰還」などの要素がある。 ・北海道のツスは、青森県の「イタコ」などの影響が見られる。 ・また、アイヌのシャーマンの治療行為は次のようにも分類される。 ウェインカラ(透視・千里眼) ・霊的障害(サイキック・アタックなど)、心的要因、具体的要因を透視して呪術を施したり、その障害の具体的な治療方法で対応するもの。 ・「空」の境地に入るといわれる。 ・ウェインカラの能力保持者を「ウェインカラクル」と呼ぶ。 トゥス ・治療師の「トレンカムイ(憑き神)」や患者の先祖などを降ろし、「トゥスクル」の肉体をそれらに支配させ、病因や治療の方法を託宣いただくもの。 ・いわゆる「トランス状態」に持っていくため、トゥスクルの神憑りの間の記憶はない。 ウェポタラ ・祈祷師による呪術に準すると考えられる。魔実的要素が濃い。 フッサラ ・悪霊の嫌う薬草や植物などをを用いて祈りと共に病人に憑く悪霊を追い払うもの、 「ウェンカムイ(悪霊)払い」とも呼ぶ。 ・薬物療法(単品・複数のアレンジの治療法) ・多くは、民間伝承によるが、霊的なアドバイスにより薬草は個別性に応じて配合する。 ・筋骨格系、神経系に働きかけ、歪みの矯正、身体のバランス保持やリラクセーションをはかる。 ・カイロ、整体、指圧、マッサージなどのボディワークの概念を含むとされる。 テクマウ(手当て療法) ・カムイへ祈り、行う手当て療法。外気功に対応する。 人々が住む地は「アイヌモシリ」、「人間の静かなる大地、を意味する言葉」「本来、特定の地域を指すものではないが、今日では北海道を指す場合や、樺太、千島列島など古くからのアイヌ居住地を指すことがある」を意味します。「カムイコタン」は「神の住む場所:カムイ(神)+コタン(村・居住地)」を意味、北海道および周辺島嶼で見られ、「神居古潭(古丹)・神威古潭」などと漢字表記されます。地形の面や神聖な場所であるとして、人が近寄りがたい場所にしばしばこの名が付けられます。また「カムイ・ミンタラ」という「カムイ達が遊ぶ場所」を意味する言葉があり、「神よりも自然を表すような表現(人間に穢されていない場所)」を指します。「ウタリ」は「親族・同胞・仲間」の意、「アイヌの自民族の呼称」としても用いられます。「長老」を「エカシ」と呼びます。 アイヌ神話「カムイ・ユーカラ」などから ・まだ地上に人間も植物も何一つ出来上がっていなかった大昔、天上界で神々が会議を続けていた。 ・重要な神様たちが毎日のように集まって、下界に有能な神々をおくって国土を造り、そこに動物や植物なども造って、平和な大地にしようという相談をしていた。 ・そして、国造りの神「モシリ・カラ・カムイ(山・平野・川の流れなどを造る)」、お供に犬の神「レエプ・カムイ」と、 シマフクロウの神「コタン・コロ・カムイ(集落を守る神)」別名「カムイ・チカプ(神の鳥)」、 ついで造化の女神「イカッ・カラ・カムイ(木・草・花を造る)」が下界に下った。 ・「アイヌラックル」「オイナカムイ」「オキクルミ」は、同一神と看做されたり、看做されなかったりもする。 またアイヌ神話の多くの例のように、地方ごとに内容が異なり、定説は無い。 ・(同一神として、類型を基に記述) 「オキクルミ」は「地上で誕生した初めての神」「地上と人間の平和を守る神」である。 新しい国土の主として人間界に降り立ち、「魔神」を撃退して、 天上から選ばれた許婚の「白鳥姫」を、「暗黒界の魔女」から奪い返して、人間たちを平和に暮らした。 そこで持参した「稗(ひえ)」で耕作を教え、「大船の造り方」「角鮫捕りの銛」「ヤスの用法」 「狩猟の際の毒矢や仕掛弓」や、「イナウを削って神を崇めること」など「神事」を教えた。 しかし、次第に人間たちは次第に堕落、遂にオキクルミはいずこかに去った。 それ以来、地上の悪事や災害は増す一方であり、人間たちはアイヌラックルを失ったことを激しく悔やんだ。 しかしアイヌラックルは去り際に、決して人間すべてを見捨てたわけではなく、時おり雷鳴と共に人間たちを見舞うと告げていた。 それゆえに人間たちは、雷鳴が轟くと、アイヌラックルの来訪といって拝むようになった。 アイヌ文化には土地の私有という概念は無く、その代わりに「コタン(集落)」が入会権を持つ「イオル(入会地」や「漁場」が存在、イオルは「伝統的生活空間」と訳され、コタンで必要な生物資源は基本的にそのコタンの入会地から調達されていました。和人文化における入会地とは異なり、イオルは「生物資源調達の場」であると同時に、「祭祀などアイヌの精神文化とも密接に関わっている場所」である点に特色があります。しかし明治時代以降、イオルを基盤としたアイヌの生活様式や文化は破壊されました。そこで近年、問題となっているのが「イオルの再生」です。 和人ともアイヌ系とも言う「渡党(わたりとう)」によって、中世には「神社」が創建されています。これらの神社の多くは「道南の漁業拠点」に集中し、神道や密教が混淆して「山岳信仰」や「岬信仰」が主体的でした。これらの神社は「松前神楽」などに象徴される独自の文化を擁し、後の北海道開拓時代に新たに創建された神社とは一線を画します。北海道に逃れたという伝説がある「源義経」の伝承地や、祀る神社も複数存在します。・江戸時代の儒学者「新井白石」は著書『蝦夷志』で、アイヌ民族が「オキクルミを源義経であるといい伝えている」と記しています。 北海道には、元々は「アイヌの神を祀っていた祭祀場」に建てられた神社が多いと言われ、アイヌの神と神道の神が混合して祀られている様相もあります。「意冨比神社(おおひ・おおい・北海道北斗氏)」には、平安時代の康平三歳(1060)銘が入る鰐口を有し、これが創建の年だとすると北海道最古の神社になります。「北海道神宮(北海道札幌市中央区)」は、明治二年(1869年)の創建、全国一の宮会より「蝦夷国新一の宮」に認定されています。 蝦夷の歴史 縄文時代の次の時代は、本州では弥生時代ですが、北海道では「続縄文時代」で、「恵山時代」との呼称もあります。縄文時代以来、東北地方北部と北海道南部は関係が密接でした。 「遠賀川式土器(おんが)」は、福岡県遠賀川流域を発祥として、西日本に広く分布する、弥生時代前期の土器の総称です。遠賀川式土器は早期に青森県まで伝播、東北地方の日本海側の遺跡には、この系統の土器が広く分布しています。「砂沢遺跡(青森県弘前市)」は、縄文晩期終末の「砂沢式土器」の標識遺跡で、続く時代には、弥生時代前期の東北地方最古の水田跡と、遠賀川式土器が発見されています。ここから弥生文化は、かなり早期に本州のほぼ北端まで到達した事が分かります。 北海道の続縄文時代では、「土器型式」「碧玉製管玉の墓への副葬」などに共通性があります。北海道の続縄文時代の遺跡で発掘された、本州以南から持ち込まれた物・文化としては、「新潟県佐渡島産の碧玉製管玉」「南洋産貝製品(イモガイ・マクラガイ・ホタルガイなど)」「鉄製品」「弥生式土器」「土製紡錘車」などがあります。しかしこの時代以降、「東北地方と北海道の縄文人(アイヌ)」は、異なった道を歩んでゆく事になります。 アイヌ民族は嘗ては「東日本の広域」に居住していました。「アイヌ語由来の地名」は「東北地方・関東地方」に多数存在、また「中部地方・西日本」にも散見されると言われます。「蝦夷(えみし・えぞ・えびす)」は、中央政権からみた異端視の呼称ですが、これ以外にも多くの名称がアイヌに関連します。「日高見国(ひたかみのくに)」は「古代日本で、大和または蝦夷の地を美化して用いた語」「特定の地域ではない」、蝦夷の地を指す場合、「常陸國(茨城県)」「陸奥國の岩手県付近」に充てられる事が多く、神世である「常世」と見做されたりもします。また、古くからの伝承が色濃い「遠野地方(岩手県)」の説話を集めた「遠野物語」に登場する「山人(ヤマヒト)」を、アイヌ民族とする説もあります。 アイヌが治める支配領域は、「ヤマト王権(中央政権)」の東進と共に北方へ徐々に移動、「和人(ヤマト民族)」との同化が進んでいきました。「4世紀末から5世紀初めの古墳時代中期」には、「おおよそ仙台市と山形市以南にあたる地域で前方後円墳が築造された」「宮城県と山形県が朝廷支配の北限」でした。最北端の古墳としては「角塚古墳(岩手県奥州市)」「鷺畑山古墳(山形県鶴岡市)」があります。 古墳時代から奈良時代、和人は「多賀城(宮城県多賀城市)」「秋田城(秋田県秋田市)」「出羽柵(山形県・秋田県)」など「城」「柵(さく)」を築き、多賀城には陸奥国に置かれた古代日本における軍政を司る役所「鎮守府(ちんじゅふ)」が置かれ、地域統治の要としたり、北への攻撃と防御としています。大和朝廷は飛鳥時代(7世紀)ごろ、蝦夷について南方から、毎年に朝貢する大人しい「熟蝦夷(にぎえびす)」、荒々しい「麁蝦夷 (あらえびす)」、その北方を「都加留(つがる)」と呼んでいました。 「阿倍比羅夫(あべのひらふ)」は、「越国(こしのくに・新潟県と富山県など)」「北陸道」に居住した「阿倍氏」一族で、7世紀中期・飛鳥時代の将軍です。日本書紀に「斉明天皇四年(658)に水軍一八〇隻を率いて蝦夷(北海道)を討ち、さらに粛慎(樺太)を平らげた」とあり、また「蝦夷や粛慎を饗応した(もてなした)」との記述が複数見られます。この「粛慎(しゅくしん)」は「中国の文献上の満州東部に住むツングース系民族」とは異なるとされ、「蝦夷以外のオホーツク文化人」「樺太中部以北に住むニヴフは粛慎の末裔」とも言われます。「新潟県・山形県・秋田県」を中心に「北陸地方・東北地方」の各地に「こしおう神社(胡四王・古四王・越王・巨四王・高志王・腰王・小四王・小姓等)」が多数分布、これは「越国を中心に北方に広がった阿倍氏の祖神と蝦夷の土着の神が同一視されたものとして、かなり古くから信仰された神」とされます。その本社「古四王神社(秋田県秋田市)」は、移転後の出羽柵近隣に鎮座、御祭神は、阿倍比羅夫の租神で、古墳時代初期の「四道将軍(よんどうしょうぐん)」として北陸道を抑えたとされる「大彦命(おおびこのみこと)」、東国鎮守の「鹿島神宮(茨城県鹿嶋市)」の神「武甕槌命(たけみかづちのみこと)」です。 平安時代に朝廷は征夷大将軍「坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)」の大軍を派遣、「坂上田村麻呂が創建した・参拝した・修復した」という伝承がある社寺は、東北地方~東関東の各地に見られます。田村麻呂は「胆沢城(岩手県奥州市)」が築造、後三年の役のあたりまで約150年間、「鎮守府」が置かれました。蝦夷の指導者「阿弖流為(アテルイ)」「母礼(モレ)」は、以前から朝廷の派遣軍にに対して奮戦していましたが、延暦二十一年(802)に遂に屈しました。その後、平安時代前期(9世紀)に、朝廷は蝦夷に対する直接の征服活動を諦め、岩手県と秋田県の中部付近が北限となりました。後に徐々にヤマト王権の北限が北方へ移動、平安末期に蝦夷との血縁的・系譜的関係を主張する「奥州藤原氏」が、東北地方北端までを領域として、鎌倉幕府以降に引き継がれました。 平安時代前期の延長五年(927)にまとめられた律令「延喜式」の巻九・十に、当時の「官社(毎年二月の祈年祭に神祇官から幣帛を受ける神社)」であった全国の神社一覧の記載があります。この神社を「式内社」と呼び、神社の格式の「社格」の一種で、「編纂当時の地域の古社や、崇敬の篤かった神社が選ばれた」という状況がありました。式内社の北端は、太平洋側が「志賀理和気神社(岩手県紫波郡紫波町)」、日本海側が「嶽六所神社(秋田県大仙市)」です。ここから中央政権の支配領域と、ヤマト文化の領域が伺われます。 末期古墳(まっきこふん) ・「蝦夷系墳墓」や、北海道のものは「北海道式古墳」とも呼ぶ。 ・円形を基本とし、土盛りが余り高くなく、周濠を伴う墳墓。 ・「青森県」「岩手県」「秋田県」「北海道道央の石狩低地帯」に分布する。 ・7世紀初頭~10世紀前半に造られた。 ・末期古墳が古墳であるかどうかについては確定していない。 ・蝦夷と呼ばれた人々によって造られたものと推定されている。 ・律令政府と関わりのあった人が被葬者と考えられている。 ・形は基本的に「円形」で、「楕円形」「方形に近いもの」も少数見られる。 ・墳丘の周囲には周溝があるのが基本である。 ・墳丘の規模は直径5m~10mが殆どで、最大でも17m程度である。 ・現在まで墳丘が残っている例は少ないが、墳丘が良好に残っている末期古墳の例から、 墳丘の高さは1m前後、高くても2m未満であったとされる。 ・末期古墳の「主体部」は大きく分けて「土壙に木棺をじかに葬る形式」と、 古墳の横穴式石室から派生したと考えられる「石室を備えた形式」とに分けられる。 ・末期古墳の造営が始まる前、東北地方北部~北海道では「続縄文文化」に伴う墳墓が造られていた。 墳形は楕円形で、周溝のような墳墓と周囲を隔てる区画はなく、墳丘もはっきりとは確認できなく、 墓壙の規模から遺体を折り曲げて葬る屈葬であったとされる。 ある程度の規模の墳丘・周溝を伴い、遺体を曲げずに葬った末期古墳とは明白に異なる。 ・7世紀前半、「北上川中・上流域」「馬淵川流域」で末期古墳の造営が始まった。 ・8世紀~9世紀、「東北地方北部」「北海道の石狩低地帯」へと分布範囲が広がった。 北海道の末期古墳は「江別古墳群(北海道江別市)」 「茂漁古墳群(柏木東遺跡/北海道恵庭市)」などが知られる。 ・北海道では石狩低地帯で末期古墳が造られている間も、 続縄文文化の時代と変わらぬ墳墓が造られ続けていた。 ・多くの墳墓が密集して造られる群集墳のような形で造られる。 「阿光坊古墳群(青森県)」のように、多い場合で100基以上で構成されることもある。 ・同じ地域で長い期間、末期古墳が造られ続けた例がある。 「丹後平古墳群(青森県)」では、7世紀後半~9世紀後半までの約200年間造り続けられた。 「阿光坊古墳群(青森県おいらせ町)」では110基余りの墳と剣・腕輪などが出土、 7世紀前半~9世紀末まで300年近くにわたり造られ続けた物で、蝦夷の有力者の陵とされる。 ・副葬品は「刀類(直刀・蕨手刀など武器」「鉄斧・鉄鎌・銙帯・金具・馬具・帯金具」 「玉・勾玉など装飾品」「須恵器・土師器」「和銅開珎」などが多い。 副葬品の質量とも、個人が使用したと見られる範囲に留まり、大量の豪華な品の副葬はなかった。 ・墳丘の規模に比較的差が少ない点などとともに、 末期古墳を造営した集団は均質性が高く、格差が少なかったことがわかる。 ・末期古墳の副葬品は8世紀前半を境に変化が見られ、それ以前は関東地方など 東国の影響が強いとされる馬具や須恵器などの副葬品が中心であったが、 8世紀前半以降は「蕨手刀」、律令制の位階を示す「帯金具」などに変わった。 ・「丹後平古墳群」「茂漁古墳群(柏木東遺跡)」などからは和同開珎も発見された。 これらは城柵の整備などに伴い発展した交流や朝貢等の結果、齎されたとの説がある。 ・古墳時代に広まった「竈付きの隅丸方形の竪穴式住居」が、 7世紀以降の北上川流域で見られるようになり、8世紀以降、北東北全体や北海道に広がっていった。 ここから蝦夷社会がヤマト王権・ヤマト国家との交流で、社会を変化させていったことがわかる。 ・副葬品の内容からも律令国家との交流が見られ、末期古墳は蝦夷社会の独自性の現れであると共に、 ヤマト王権や律令国家と蝦夷社会の交流を示すものでもある。 ・国指定史跡の「江別古墳群(北海道)」「阿光坊古墳群(青森県)」「丹後平古墳群(青森県)」 「江釣子古墳群(岩手県)」は、7世紀~10世紀の蝦夷社会の在り方を示す遺跡となっている。 室町時代に「北海道・渡島半島南部」で、「渡党」の「蠣崎氏」が領主となっています。康正三年・長禄元年(1457)の「コシャマインの戦い」では、アイヌが蜂起するも、最終的に蝦夷管領安東氏の代官「武田信広」に平定され、後の「松前藩」形成の元になりました。 農耕民族の和人と狩猟採集民族のアイヌは、それぞれの生活様式によって確保した生産物を交易で交換しました。アイヌは「魚・毛皮」を輸出品目とし、和人の生産する道具「鉄器や漆器」や嗜好品「米・茶・酒」と交換しました。アイヌは、和人地や本州まで出かけて交易する事が多かったとされます。 江戸時代、「松前藩(北海道松前町)」を基点に、江戸幕府の支配領域が北海道で拡大していきました。藩は交易独占権を持ち、その取り締まり強化で、アイヌは苦しくなっていきました。後に場所請負制により、本土の商人などが多数進出しています。アイヌは自治権を望むも、寛文九年(1669)の「シャクシャインの戦い」、寛政元年(1789)の「クナシリ・メナシの戦い」により、幕府体制に組み込まれていきました。 樺太には、元王朝滅亡後は他地域からの干渉は無くなりました。文明十七年(1485)、「樺太アイヌの首長」が「武田信広」に銅雀台を献じ。配下となりました。安土桃山山時代と江戸時代、樺太についての各種の記述が残されています。天正二十年・文禄元年(1593)、豊臣秀吉は「松前慶広」に先住民のアイヌ保護を行うとともに、諸国から集まる人々を取り締まり、従来どおりこれらから税を取り立てる権利を認めました。慶長八年(1603)、 松前藩が「宗谷(北海道北部)」に「利尻島・礼文島・樺太」を司さどる役宅が置きました。貞享二年(1685)、 樺太は松前藩家臣の知行地として開かれた「ソウヤ場所」に含まれ、宝暦二年(1752)にソウヤ場所から「樺太場所」が分立しました。 元禄十三年(1700)、松前藩は千島列島を含む蝦夷地の地名を記した松前島郷帳を作成して幕府に提出、北海道本島からカムチャツカ半島までが記載されています。正徳五年(1715)、幕府に対し、松前藩主は「十州島(北海道)、樺太、千島列島、勘察加(カムチャツカ半島)は松前藩領」と報告しています。享保十六年(1731)、「国後島・択捉島の首長」らが松前藩主のもとを訪れ献上品を贈りました。宝暦四年(1754)、松前藩は「国後・択捉・得撫」を版図とする国後場所を開きました。寛政十年(1798)、幕府による北方視察が大規模に実施され、「近藤重蔵」によって「択捉島」に「大日本恵登呂府」の標柱が建てられました。享和元年(1801)、「富山元十郎」「深山宇平太」を「得撫島」に派遣、日本領であることを示す「天長地久大日本属島」の標柱が建てられました。 「山丹交易(さんたんこうえき)」は、江戸時代に「山丹人(山旦・山靼)」と呼ばれた「主にウィルタ族の他、ニブヒ族、オロチョン族など沿海州の民族」と、「アイヌ」との間で、主として樺太を中継地として行われた交易です。広義には「清朝が黒竜江(アムール川)下流域に設けた役所との朝貢交易から、山丹人、さらにアイヌを介して蝦夷地の松前藩にもたらされた交易」を指します。文化五年(1808)、江戸幕府が「最上徳内」「松田伝十郎」「間宮林蔵」を相次いで派遣、松田伝十郎は樺太最西端「ラッカ岬(北緯52度)」に「大日本国国境」の国境標を建てました。文化六年(1809)、 間宮林蔵は樺太が島であることを確認、呼称を「北蝦夷地」と正式に定めました。松田伝十郎が樺太アイヌ住民の問題解決に貢献しました。山丹貿易を幕府公認とし、アイヌを事実上日本人として扱いました。 江戸時代にはロシアによる千島列島と樺太への進出が相次ぎ、これは明治維新へと影響しました。安政元年(1855)、「日露和親条約」が締結され、「択捉島以南」が日本領として画定しました。幕末頃、ロシアが樺太の領有権を主張し始めました。明治八年(1875)、「樺太・千島交換条約」によって樺太の一部と北千島が交換され、「千島列島全域」が日本領になりました。明治三十八年(1905)、日露戦争の講和条約「ポーツマス条約条約」で「南樺太」が日本領となりました。第二次世界大戦後の昭和二十六年(1951、「のサンフランシスコ平和条約」で日本は「千島列島」「南樺太」を放棄、しかし条約にソ連は調印せず、「千島列島」「南樺太」はどの国にも帰属していません。 明治時代、政府はそれまでの「蝦夷」から「北海道」に、「北蝦夷地」から「樺太」に改称し、「北海道開拓使」後の「北海道庁」が置かれました。「松浦武四郎」は、弘化元年(1844)以後に蝦夷地・択捉島・樺太を探査、明治二(1869)には開拓判官となり、蝦夷地に「北海道」の名を与えたほか、アイヌ語の地名をもとに国名・郡名を選定しました。 北海道・樺太・千島列島は「アイヌ民族(など)の共有地」でしたが、明治政府は「無主地」として国有地としました。土地は「屯田兵」など入植者に払い下げられ、開拓政策の大きな理由に北方への国防があります。日本政府は国策として、国防を理由に「千島アイヌ」を「色丹島」に強制移住させ、慣れない生活と風土のため、アイヌの人口は激減しました。また、樺太・千島交換条約の際には「樺太アイヌ」を北海道に移住させました。 明治三十二年(1899)に「北海道旧土人保護法」が施行され、アイヌへの日本語教育など、和人への同化政策が推進されました。学校ではアイヌ語やアイヌ文化は教えられることが無く、またアイヌ文化については否定的に表象されるなど、近世アイヌ文化の破壊は進みました。他にも幾つもの法律や、道内の慣行により、アイヌ民族は厳しい状況に晒され続けました。こういった経緯により「アイヌ民族の理不尽な境遇と、ヤマト民族・日本国の体制との間の、著しく不当な格差と」が生み出しました。 日本の体制がアイヌ民族に強いた不当な境遇 アイヌ民族は「日本の体制により、長年酷い環境に置かれ、土地を収奪され、その上で放置され続けた」という状況に置かれてきました。 「二風谷(ニブタニ・北海道平取町)」には「二風谷遺跡」があり、「中世から近世の北海道の最重要の遺跡の一つ」であり、この時代を「ニブタニ文化」と呼ぶ事も提唱されています。しかしアイヌ民族などの必死の抗議を無視して、「沙流川」に「二風谷ダム」を造成、この聖地を破壊しました。このダムは建設前から「治水効果が低い」「大量の土砂が溜まり使えなくなる」「土木利権の無駄な工事」と言われましたが、予想を超える速度で湖底に大量の土砂が溜まっています。上流の「額平川の峡谷」もアイヌの聖地ですが、ここにも「平取ダム(ビラトリ・平取町」を建設しようとしています。 アイヌ民族が伝統漁法や儀式の復活に取り組んでいる「モベツ川支流の水源地帯(北海道紋別市)」では、に、「産業廃棄物最終処分場建設」が計画されています。「モエレ沼公園(北海道札幌市)」は市民の憩いの場ですが、ここは嘗ては「市のゴミ捨て場」で、それ以前はアイヌの聖地でした。こういった件は多数あって、多くのアイヌの聖地が邪険に扱われて、破壊されてきました。 「日本本土」では「聖地たる場所」は「社寺保有・宮内庁所管・国有地など」となっていて、「無闇な開発は許されなく、重要な整地とされる多数の場所を開発しようとしてば、徹底的に弾劾・攻撃される」という状況です。「有名な○○神社・○○陵・著名な霊山・著名な遺跡」などの域内・境内・隣接地に、ダムなどの環境破壊を招く施設や、産廃処理場など汚染を招く、大規模施設が建設される事は、当然ながら決してありません。 翻って「アイヌの地」では、本来「アイヌモシリ(北海道)」は「イオル(入会地)」のような「アイヌ民族の共有地」であるにも拘らず、体制側により勝手に国有化されました。これにより「アイヌには民族の共有地・共有資産が、非常に僅かしかない」「アイヌ民族の資産保持者や、運営する大企業などが、ヤマト民族の物に比べて非常に少ない」という状況にあります。この前提上の事象として、長年にわたり「日本の体制側の施策によって、アイヌ民族は重要な聖地が多数破壊され、荒らされてきた」という、過酷な歴史に遭ってきました。これらは「アイヌ民族自身の能動的な選択の為」ではなくて、「日本政府・体制側の歴史的政策の為」であり、この点は「日本の体制側の歴史的責任の証左」以外の何物でもありません。 そもそも「どの民族の文化・重要遺産も、大切に保護しなくてはならない」「どの民族も、他民族の聖域・大事な事象を、非常に敬意を払わなくてはならない」はずですし、加えて「自己側の歴史的政策により、共有地・共有資産が僅かしかないという状況を招いたならば、その聖域や大事な事象の保護には、より重大な対処をしなくてはならない義務がある」はずです。しかしこんな当然な道義上の問題は、全く無視されてきたも同然です。 「大和民族の聖地(宮殿・陵墓・祭祀場)」ならば「絶対に有り得なく、不可能で、徹底的に弾劾される」のが、しかし「アイヌの聖地」の場合ならば「破壊され、汚され、そういう事が行われてしまい、しかも公的権力が主導、国家的に行う」のです。本来どの集団の物に対しても、特に外部(属していない)の人達は最大の敬意を払わなくてはいけないですが、然しながら「ヤマト民族の聖地だと犯罪」「アイヌの聖地だと犯罪でない」という事で、これが「日本の暗黙の掟」です。この著しい差別と不正義は何なのでしょうか。 そして「大学・研究機関等」「マスコミ」などを経由した物も含めて、、「ヤマト民族の各種文化は、公的・準公的な物により、にかなり保護されている」という状況があります。例えば「国語・歴史・伝統研究など、非常に多数の当然視される文化政策・活動」「メディア報道」も、これに含まれます。当然、多くの組織は歴史的に所在地の土地を所有しています。これは「祭祀施設(宗教団体)」「文化団体」なども含まれます。 しかしアイヌ民族は、歴史的経緯から「嘗ての接収により土地保有面積が狭い」「境遇により資本力が低い」「反対派の影響もあり各種公金支出も限定的で、公的保護は僅かしかない」という状況に置かれています。 このような経緯によって、「アイヌ語を流暢に話せる母語話者は10数人にまで減少している」「信仰や伝統文化が継承困難」という、危機的状況にあります。然しながら、今に至るまで「殆ど無視され、偏狭な民族主義・全体主義にも阻害され、権利擁護されずにいる」という状況です。アイヌの言語・伝統文化・信仰はまだどうにか廃絶は免れ、これから復興可能な状況ではありますが、現状は非常に深刻です。 「アイヌがアイヌだと公表するのには困難さが伴う」という状況があり、「自分の民族名を、しかも先住民族でありながらも、公表するのに障害がある」など、どのように考えても著しく異常です。更に「外国の○○国系の有名人は非常に多いが、アイヌ系の有名人はごく僅か」であり、これも日本の異常な社会状況を表しています。しかし、実際にこんな状況が、そして「そんな事は無い・題ない」などという強弁が罷り通るのが、現代の日本の実像です。 「アイヌ文化の振興並びにアイヌの伝統等に関する知識の普及及び啓発に関する法律」、通称「アイヌ文化振興法」は「アイヌの民族としての誇りを尊重し、アイヌ語、その音楽・舞踊・文学・工芸などの振興を図り、かつそれらについての調査研究、知識の普及を目的とする法律」です。悪名高かった「北海道旧土人保護法」が廃止され、平成九年(1997)に成立しました。平成二十年(2008)、「アイヌを先住民族として認めるよう政府に促す国会決議」が衆参両院とも全会一致で可決されました。「民族共生の象徴となる空間(北海道白老町)」は、アイヌ文化振興のナショナルセンターとして政府が整備したもので、ポロト湖畔にあります。しかしこういった動きはあるにしても、「アイヌ民族の全体の事象・問題」に比べればごく僅かである事は言うまでも無く、全体状況の改善はありません。 ソ連と国際的体制がアイヌ・ニブフ・ウィルタ民族に強いた理不尽な追放・放置 旧ソ連は第二次世界大戦後に、究極的に理不尽にも「アイヌ・ニブフ・ウィルタ民族のモンゴロイド系少数民族を含めた、多くの日本人を、先住地域の千島列島・樺太から北海道へと強制送還(追放)した」という暴挙を行いました。 1945年8月8日、ソ連は日ソ中立条約を破棄し対日宣戦布告して「千島列島・南樺太」「満州・北朝鮮」で開戦、第二次大戦終戦(ポツダム宣言受諾)の8月15日以降もソ連の攻撃・占領は続き、この後「全域の占領」と、日本人に対しての「戦闘での戦死など」「正当事由のない民間人への虐殺・暴行など」「拉致・捕虜とシベリア開発での抑留」「日本への追放」が行われました。この戦闘では「占守島の戦い」を始め、多くの地域で日本軍が勝利するも、玉音放送と停戦交渉により戦闘停止や武装解除をしました。しかしこの間、ソ連側の「一方的攻撃」「停戦交渉の拒否」「停戦交渉成立と停戦・武装解除後の一方的攻撃」が行われ、9月2日の日本との降伏文書調印もも無視して攻撃継続、全域を支配下に置いた9月5日に、ソ連軍は一方的戦闘を終了しました。 当時、南樺太では日本人居留民41万人(少数民族も含む)のうち約10万人が脱出、千島列島にも多くの居留民・軍人がいました。この「日本人の日本への追放の過程」で、ソ連による「樺太・千島列島からの先住民族であるアイヌ・ニブフ・ウィルタ民族の日本への追放」も行われました。「樺太アイヌ」は日本国籍を持ってませんでしたが、アイヌは日本人とされ、追放されました。また残っていた樺太アイヌも、「カムチャツカ半島」に強制移住させられた人達がいます。現在、千島列島は「元々はモンゴロイドのアイヌ民族が住んでいたが、強制追放されて、元々ウラル山脈以西(ヨーロッパ)にいた、ソ連・ロシアの統治階層の白人が住人の大多数を占める」という状態です。 また一般論として、主張・論述に際しての前提として「主張という物は、自分達に有利だろうが不利だろうが、高い論理的一貫性が必要である」「自分達に有利だから不利だからという基準で、主張・持論の論拠を二転三転するのは誤りであり、その論拠の無意味さを示す」という点があります。「自分の属する国・民族・集団に有利不利に関わらず、事実は事実であり、事実に基づき出来得る限り妥当な認識を持ち、誤った状況は改善すべき」です。 「アイヌ・ニブフ・ウィルタ民族の追放」の理由には「敵国の日本に協力した民族への罰」がありました。しかし、そもそもからして「千島列島・樺太は少数民族は先住地であり、当然の権利の下に、日常生活をしていただけ」であり、彼らにはソ連・ロシアから非難される謂れは微塵もなく、他の何者も「彼らの根源的権利権利」を侵害する権利はありません。「日本人の追放」も「日ソ中立条約の破棄と戦争・占領・暴虐行為を行ったのはソ連」であって、非難されるべきはソ連であり、千島列島と樺太の少数民族と日本人を非難するこのような主張は、論理性が一切存在しません。 現在もロシアは「第二次世界大戦の戦勝国の権利として、千島列島と南樺太を領有している」「戦争の結果として合法的な領土権を保有する」と主張しています。更には国際的体制も、これを事実上追認しています。しかしこの主張は、それ自体の誤りだけでなく、その前提の認識も誤っています。そもそも「当時のソ連は、日本を断罪できるような資格のある国ではなかった」のであり、ロシア帝国・ソ連は歴史的に版図・勢力圏拡大の為に南下政策と西方への侵攻を行い、各地を戦争の脅威を晒してきました。特にスターリン政権は「覇権主義的な領土拡張政策」をとり、「カチンの森事件」などの数々の虐殺・迫害を起こし、多くの集団の強制移住とロシア人入植を行いました。ソ連時代にそういう秘密を話せば、強制収容所に送られました。「北海道の東半分」も占領するつもりで、占守島侵攻で時間を費やさなかったら北海道本島も侵略されていたとも言われます。ソ連による千島列島・南樺太の占領・領土主張と、アイヌ・ニブフ・ウィルタ民族の追放」は、第二次大戦中の「大西洋憲章」の「戦争による領土不拡大」「領土不変更」「民族自決」の原則、「カイロ宣言」の「戦争による領土不拡大」の原則、「ポツダム宣言」の「カイロ宣言の条項は、履行せらるべく」との条項に反する物であり、何らの正当事由も存在しません。そしてロシア・ソ連は、他国・他民族との紛争に際して「自国・自民族に都合の良い二重基準」を頻繁に用いています。 (然しそれら紛争においては、その多くは相手側にも問題がある。「片方の側は誤っていて、もう片方の側がより誤っている」という事例はあっても、「片方の側が正義」というのは先ず無い。 是非は簡単に区分けはできない事柄が多い。そして背後で操る勢力もいる) 一体「戦勝国の権利」とは何なのでしょうか?「第二次大戦は領土分捕り合戦をしてよい戦争だった」「少数民族の古来の先住権は否定し、近年に政策的に入植した民族に、千島列島・樺太の根源的権利・領土権がある」「自分達の利益になるならば、何をしても良い」「中立条約破棄しても、終戦間際に開戦しても、終戦後の一方的攻撃で占領しても、勝てば良い」とでも言うのでしょうか。「戦争の結果として権利がある、現状がこうだから権利がある」というならば、「現代の世界中のあらゆる構造は、それが如何に誤った物でも肯定される」ようになります。そしてそう主張するならば、何故「近年ロシアは第二次大戦後に決まった各国の国境・領土を無視して、自国の衛星国を広げる行為を取り続ける」のでしょうか。 北方領土交渉では、ソ連・ロシアは常に「第二次大戦の結果を認めよ」と日本に言ってきました。これは「これが千島列島・南樺太の領有の最大の根拠である」からそう主張しているのであり、この論法の背景には「ソ連が属した連合国は道義的優位性を持つ」→「だから連合国とソ連には第二次大戦の戦争責任と、それを受けた領土を規定する権限がある」→「だから従え」→「従わないなら第二次大戦の戦争責任を否定した事になる」という認識があります。では「戦争責任を規定する権限」もそうですが、況してや「連合国の第二次大戦後の領土を規定する権限」などという物が、どこに存在しているのでしょう。そもそもが「本来的に帝国主義のソ連に大戦後の領土を規定する権限も、戦争責任を規定する権限も無い」のであり、前提からして「道義的優位が齎す規定の権限」などという物は一切存在しません。では「ソ連の道義的優位が一切存在しない」ならば、「何を根拠に戦争責任や領土を規定する」というのでしょう。このように、主張の根源を遡っていくほど、そこには「主張の根源的根拠」という物が存在しなく、「循環論法(詭弁)をひたすら繰り返しているのみ」「力を以って正義とする」という状況が顕わになります。 ここに「第二次大戦の戦勝国の道義的優位と、それに基づく戦後処理を規定する権利」の、一体何が存在してるのでしょう。本より「第二次大戦の戦勝国の道義的優位」などという物は、全く存在しなく、最初から「勝てば官軍」なだけでありますが。「第二次大戦の結果の直接的な肯定的意味」とは、国際関係から見ると「(中国など)植民地支配された国が戦勝した事」だけです。「連合国の戦勝」は別に正義では無く、「枢軸国が勝つより良かった」という事です。そして「ソ連の第二次大戦と戦後処理における、対日本と対少数民族などの行為は、極端な独善性と苛烈な非人道的・非正義の行為その物」です。 仮定の歴史を考えたとして、若し「ソ連が北海道を占領していた」ならば、「北海道を占領し続ける歴史的正当性はない」にも拘らず、ソ連・ロシアは日本に返還しなかったでしょう。若し立場が逆で、「日本が連合国に属してソ連に勝利して、ソ連領土を日本領としたら、ソ連・ロシアは納得した」でしょうか。する筈がなく、徹底的に返還を要求し続けるでしょうし、ここに「論理的一貫性」は全くありません。これは「ソ連の領土占領は、全く道義・道理・妥当性に基づいた物でなく、単に戦争に勝利したから」という事を示します。更には「アジア・黄色人種の何れかの国が、ウラル山脈以西(又はそのロシア領土)のコーカソイド(白人)の先住地域を占領し、自国領と主張した」「先住していた白人層を追放した」として、これをロシアやヨーロッパや国際社会が許すでしょうか。それは絶対に有り得なく、「徹底的な弾劾」「国連軍などの武力で原状回復させる」「後代まで徹底して非難され続ける」のは間違いありません。これは「第二次大戦後のソ連の占領は、歴史的正当性や権利に基く物ではなく、強大な力と格差構造の下で、不当に行使された」という事と、「ソ連の強制移住政策は白人・黄色人種など各人種民族に行われたが、この問題には人種格差構造も大きく影響している」という事を示します。 元々「千島列島」「樺太」は「アイヌ・ニブフ・ウィルタ民族の先住地」であり、「先住民族の少数民族の下に、千島列島・樺太が国家として独立する」を選択するならば、その意向は尊重されます。しかしこれを除いて、「何れかの国の領有」という観点のみで考えた場合、以下の事が言えます。「千島列島」「樺太」を国として最初に領有したのは「室町時代~江戸時代の日本」です。当時、少数民族がロシア人と会った事があるという記録はなく、ロシアが進出したの後代です。各国間で「領土不変更」が何度も確認された第二次大戦の前、「千島列島」「南樺太」を領有していたのは日本です。拠って「千島列島・樺太は、ロシアの領有には正当な根拠はないが、日本にはある」と言えます。また、ロシアは沿海州の「ウラジオストク」が「東方を征服せよ」という意味であるように、元々「ウラル山脈以東に居住していたロシア民族(コーカソイド))」は、全くの異民族の「モンゴロイド系少数民族」の住む「シベリア」を支配して、帝国主義的に東方へ領域拡大、根本的にはここに問題があります。このように「千島列島・南樺太問題」は、その背景となる事象を様々に鑑みると、あまりに多くのことが、論拠に欠け、矛盾に満ちて、自己本位さばかりが目立ちます。 それ故に「ロシアが千島列島と樺太からアイヌ・ニブフ・ウィルタ民族などを強制追放した根拠は全くない」「現在も千島列島や樺太(南樺太)の土地の根源的権利は、アイヌ・ニブフ・ウィルタなどが有する」「千島列島と南樺太を占領する権利はロシアには存在しない」「ロシアは追放して多大な悲劇を与えた少数民族に謝罪すべき」「ロシアは第二次大戦前の状況に原状回復すべき」「ロシアは千島列島や南樺太を日本に返還すべき」です。 勿論、「日本政府が樺太・千島列島のアイヌ民族に歴史的に行ってきた行為(強制移住を含む)は、人道上の苛烈な犯罪」であり、この責任から微塵も逃れる事はできません。故に「日本政府は北海道・樺太・千島列島のアイヌ・ニブフ・ウィルタ民族に、歴史的行為の非人道性を認めて、正式に謝罪すべき」「千島列島・樺太を、少数民族の自治区とすべき」「少数民族の権利(聖地・入会地ほか)を高度に・広範に認めて、文化復興への多大な支援を行うべき」「千島列島・南樺太に居住している全人種の人々に、自由に日本とロシアのどちらの国籍も選択でき、両国の何れかに平和のうちに居住できるようにすべき」です。 しかし、このような歴史的状況がありながらも、「北方領土問題」の報道・議論においては「日本とロシアの政府間・政治体制間の問題だとされる」「アイヌ・ニブフ・ウィルタという先住民族に関する要素・観点・歴史は先ず出ない」「千島列島と樺太の話題・議題は少ない」「北方四島や、日本の戦争とソ連の対日攻撃ばかりに焦点が当たる」という状況にあり、非常に単一な視点に終始しています。然しながらこれは完全に間違っていて「千島列島・樺太の問題は根源的には、アイヌ・ニブフ・ウィルタほか少数民族の問題である」のです。 この状況の原因は「アイヌ問題軽視と蒸し返しになるので、日本の体制側が無視している」が理由です。北方領土問題は、国家という視点のみで語られますが、「大和民族伝来の土地でない事は、問題への認識レベルを大きく下げている」のが現実です。 「先住民族であるアイヌなどが、後に来た遥か遠方の民族により、先祖伝来の土地から追放された」「これは数十年前の事件である(遠い歴史的過去ではない)」「日本もロシアもこの事実を事実上無視している」、この過去から現在の行為は「人道上の甚大な大罪」です。 しかし、過去~現在の世界的構造の要因により、この問題は国際的に完全に無視されていて、そもそもが問題の認知度自体がほぼ皆無です。「アジア地域の問題である事」「欧米‐アジアの地位格差」という要因は、これは「黄色人種が白人の先住地域で同様の行為をして、長年是認・放置される事は決して有り得ない」というをいう事と対を成していて、「世界の統治構造の犯罪性」が如実に現れています。現代世界は、常にこの構造の統治下にあります。 「第二次世界大戦や戦後処理の認識論の見直しになる」という要因について、「第二次世界大戦の戦前~戦後の事実関係は、戦後の国際社会の一般的認識と異なる部分が多い」「都合主義の恣意的認識が多くの国で見られる」という点と密接に関係しています。要するに「戦後処理と、事実関係の妥当性や正義の間には、大きな隔たりがあるが、国・民族の利益と相反するので、その見直しは行わない」という事です。これは非正義以外の何物でもないですが、当事者達は正当化したり、口を噤むのみです。 「日本の問題である事」という点について、これは「第二次世界大戦における開戦・諸地域での戦争・諸々の問題は、日本に関わる物は、その原因の大多数が日本に帰せられている(実際は原因は、日本に問題も他国の問題も、同様に多い)」「そこから日本は何事でも封殺し易い国と見做されている」というのが原因です。「第二次世界大戦の開戦や諸地域での戦争の原因と、戦後処理問題」については、「その国際的通念は、事実関係に概ね沿った物と、異なった物がない交ぜとなっている」「多くの当事者国では、自国を有利にする為の恣意的解釈の論説が飛び交っている」という状況が続いてきました。 いずれにしても「アイヌ・ニブフ・ウィルタほか少数民族は、国際的関係による完全な被害者でしかない」のであって、彼らに非は全くないのですが、強者達は穢れたパワーゲームを繰り広げるのみで、正義などどうでも良いというのが現状です。 また「米大陸・オセアニアなど、過去に先住民弾圧があった地域」では、日本より非常に過酷で、完全な異民族・異文化との点はありながらも、しかし近年は公的・民間の権利擁護が高まり、報道・政官・教育等の取り上げ量や社会的関心度も日本より高いです。 日本におけるアイヌ問題の認識状況 翻って日本では、これらの国に比べて明示的な人種格差は低い物の、しかし未だに差別と格差の構造が厳然とあります。「日本の体制側が行った歴史的経緯の修復」による活動は、ごくごく僅かな程度です。先述の先進諸国の近年の事例は、何事も「臭い物に蓋」ばかりする日本の体制側と、更に体制側の力ばかりが強いという日本の社会状況と、対比される状況です。 そして一般の認識は「ヤマト民族と基は同じ、又は非常に近い民族であるにも拘らず、あまり語られる事もなく、僅かな知識しか持たれていなく、存在や問題が無いかのような、透明人間的な状況にされている」という境遇にあります。 当然これらは「政策・教育・報道その他、社会が過去~現状のレベルであったから、この程度の全体状況になっている」のであって、「日本社会が作り上げた状況」に他なりません。こういった諸々の事態は、これは、現代の日本では当然のようになっているのでしょうが、「客観的に考えれば、非常に異常であり、真理から極端に外れた事態」です。 「アイヌ民族についての、メディア報道や学校教育の量は、ごく僅かしかない」のが現状です。メディア報道の中で、アイヌについて触れられているのは、非常に限られた物しか存在していません。例えば「新聞サイトなどの記事の検索」をしても、アイヌという語句がある記事が、月に10~20記事しか存在せず、その殆どが北海道のメディア・地方版です。これが日本国内の様々な分野の記事であれば、又は各県の記事であれば、その記事数は多数に上ります。諸外国の事象についての記事も、政治から文化まで、毎日非常に多くの記事があがってきます。そして特に、エンターテイメント関連の番組・報道では、アイヌ文化を取り上げる事は、ほぼ皆無です。 学校の教育制度での「アイヌ民族の存在・歴史・文化の教育」は、そもそもが文部科学省など政界・官界は無視に等しいので、殆ど実質的な物が存在しません。「沖縄の民族・歴史・文化の教育」を教える時間も限られていますが、更にそれよりもずっと少ない時間数です。高校では世界史は必修ですが、日本史・地理は選択授業であり、「欧米の歴史体系・文化・事物は、小学校・中学校・高校の授業自体全体で、相当の時間数が教えられているが、アイヌについては殆ど教えられていない」という逆転した状況があります。 こういった状況により「子供達は、日本の事であるのに、アイヌ・ニブフ・ウィルタなどの民族や千島列島・樺太について、殆ど知る機会を持たない、殆ど何も知らない(或いは聞いた事もない)」「特定の幾らかの国についての知識量や、有象無象の物事の知識量の豊富さに比べて、全くと言っていいほど何も知らない」という、異常な状態が常態化しています。大人達についても同様であり、アンケート結果でもそういった状況が現れています。 最近、内閣府が行った「アイヌ政策に関する世論調査」では、「重要だと思うアイヌ関連の施策(複数回答)」について、「アイヌの歴史・文化の知識を深めるための学校教育:51.3%」「アイヌの人々への理解を深めるための啓発・広報活動:43.4%」「文化継承のための人材育成:31.1%」いう回答でした。しかしこういった政策は全く行われていないに等しく、過去の流れから言えば、アンケートも単に「対策を行ったというポーズ作りのルーティンワーク」に過ぎません。 更には「どのような事象でも、アイヌの歴史的被害と、その修復が語られると、それを徹底的に攻撃したり否定する狭量な人達」というのが、ネットを中心にかなり存在します。そのような主張では、歴史的事実を認めなく、アイヌ民族はもう殆ど居ないものとして、アイヌ民族側の声や擁護する論について「取り上げるな・認めるな」「捏造」「カネのたかり・利権」などと言っています。 これらは「近現代の日本の体制が行ってきた行為による結果その物」であり、更には「体制側が徹底した不作為を重ねながら、能動的な方向・行動は殆ど示さない」「アイヌなどの間での諦めと同化を待つ」「年代経過による民族消滅を待つような未必の故意」さえも感じられます。そして、日本にしてもロシアにしても、「歴史的責任を修復する行為」を行わないのであれば、究極的には「アイヌ民族自身に、北海道、千島列島、樺太(の一部)を返還すべき」です。 アイヌとは明確に「歴史的権利と被害度の総合的度合い」に対して「最も何の保障もされてなく、無視されている民族の一つ」です。こういった「アイヌ⇔日本・体制側・大和民族・欧米・白人・支配者」の格差は著しく卑怯で、その支配者・加害者側の論説は矛盾と非正義に満ち、現在の世界が如何なる物かを、象徴的に表して現しています。 沖縄・琉球・南西諸島の歴史 「沖縄県」は、地域区分として「沖縄諸島(北部)」「先島諸島(西部)」「大東諸島(東部)」に別れ、先島諸島は東から「宮古列島」「八重山列島」に別れます。「琉球諸島」は「沖縄諸島」「先島諸島」を含み、「奄美群島」を含めたり、「大東諸島」を含めない場合があります。また奄美群島の南方に沖縄諸島があります。 「鹿児島県」の南部島嶼部は「薩南諸島」と呼ばれ、北から「大隈諸島」「トカラ列島」「奄美群島」と別れています。これら日本の南西部の島嶼部を総称して「南西諸島」「南島(なんとう)」「琉球弧」と呼びます。 「沖縄県」は、嘗ては「琉球」と呼ばれ、「琉球王国」がありました。「沖縄県」「奄美諸島」では「琉球方言(琉球語)」が言語です。「琉球民族」の定義は「旧琉球王国の領域であった沖縄県の沖縄諸島と先島諸島、鹿児島県奄美群島に住む人々の言語、生活習慣、歴史的経緯から、独自の一民族であると定義した場合、それを指していう」となっています。 「琉球方言(琉球語)」は「日本語の一方言」「独立言語」とする二説があり、「日本語と沖縄方言の起源は同一」です。琉球方言を方言とする場合、「日本語族に日本語派と琉球語派が属する」「日本語族は孤立言語」となります。「琉球方言」は、弥生時代を上限とし古墳時代までに、本土の「日本語」と分岐しました。「上古日本語」を伝える言葉が多く残っていて、言葉の語源が琉球方言から判明する事もあります。琉球方言は、その地域ごとに大きく言葉が異なります。「日本語と琉球方言の相違」は「ヨーロッパ諸語のうちの、ドイツ語とノルウェー語、イタリア語とスペイン語の相違より大きい」などとも言われます。 琉球方言を分類すると、北から「奄美方言(奄美語)」「国頭方言(国頭語・沖縄本島北部)」「沖縄方言(中央沖縄語・沖縄本島南部)」「宮古方言(宮古語)」「八重山方言(八重山語)」「与那国方言(与那国語)」に分けられ、沖縄方言以北の「北琉球方言」と、宮古方言以南の「南琉球方言」の2グループに大別できます。 沖縄では「沖縄」を「ウチナー」と呼びます。古来よりの沖縄島住民による「沖縄島」の呼称は「うるま」、八重山方言では「ろーま」です。「沖縄本島周辺の方言」を「ウチナーグチ(沖縄口)」と呼び、沖縄の言葉を「シマクトゥバ(島言葉)」と呼ぶ事も多いです。近年は純粋な方言は衰退しつつあるので、本土の言葉を併せた「ウチナーヤマトグチ」が用いられています。「八重山」は八重山方言では「やいま」、沖縄方言では「えーま」と発音されます。鹿児島県の「薩隅方言(さつぐう)」のうち、島嶼部の方言は「甑島方言」「種子島方言」「屋久島方言」「トカラ方言」です。 「沖縄・琉球・南西諸島の地理的定義」は、概念ごとに、どの諸島が属しているかが異なります。「琉球方言(琉球語)と琉球民族の定義は、琉球王国の版図内の言語・集団である」と言えます。 南西諸島の先史時代は、「北部文化圏:薩南諸島」「中部文化圏:奄美諸島・沖縄諸島」「南部文化圏:宮古列島・八重山列島」の3つの文化圏が設定されています。北部文化圏は、本土文化の強い影響下にあります。「中部文化圏」では、九州の縄文文化が縄文時代前期ごろに定着、ここから独自の発展をしました。「南部文化圏」では、少なくとも3500年前より以前に、「台湾」「フィリピン」からの渡来人が定住し、その系統が強い文化を築いたとされます。以下は主に「中部文化圏」について記述、「北部文化圏」「南部文化圏」については、後段で記述します。 《沖縄地方の時代区分》 旧石器時代 貝塚時代 ・時期的には縄文時代から平安時代までの期間を指し、「早期(~中期)」「後期」に区分する。 ・早期から中期が縄文時代、後期が弥生時代から平安時代にあたる ・本州の縄文時代や弥生時代と比較して、狩猟・採取経済が生活が中心であったことや、水田が未だ見つかっていないことなどからこの呼称が用いられた。 古琉球 ・沖縄県における農耕の痕跡のうち最古のものは紀元前8世紀頃のものだが、本格的な農耕社会が成立したのは12世紀頃だとされている。 ・農耕社会が成立してから、島津氏の侵攻(1609)までを指す。 グスク時代 ・平安時代終末の12世紀から15・16世紀にかけて ・「グスク(城)」を築き始めるのは11世紀後葉。 ・貝塚時代の後続の時代の、沖縄では初めての農耕文化。 三山時代 ・沖縄本島に君臨した3カ国「北山」「中山」「南山」があった時代。 ・1322年ごろから1429年まで。 琉球王国 ・1429年頃、南山の初代琉球国王「尚巴志」王が沖縄本島と統一、「首里城」を王都とした。 {島津氏の侵攻 ・慶長十四年(1609)、第二尚氏第七代「尚寧」の時代、薩摩の島津氏が侵攻、首里城を接収した。 ・慶長十五年(1610)、尚寧は、薩摩藩主島津忠恒と共に江戸へ向かった。 途上の駿府にて大御所徳川家康に、8月28日に江戸城にて将軍徳川秀忠に謁見した。 忠恒は、家康から琉球の支配権を承認されたほか、奄美群島を割譲させ直轄地とした。 ・慶長十六年(1611)、尚寧と三司官は「琉球は古来島津氏の附庸国である」と述べた起請文を提出した。 また、琉球の貿易権管轄などを書いた「掟十五条」を認めさせられ、琉球の貿易は薩摩藩が監督することとなった。 こうして薩摩藩は第二尚氏を存続させながら、琉球を間接支配するようになる。 ・琉球王朝は、清にも朝貢を続けていた。 琉球処分 ・明治五年(1872)から明治十二年(1879)にかけての琉球処分で、琉球王国が廃止された。 日本国の統治下に入り、「琉球藩」から「沖縄県」となった。 縄文時代、「縄文文化」が「沖縄諸島」にも影響を与えていてました。「沖縄諸島の各地に縄文遺跡があり、縄文土器が出土する」「沖縄諸島・奄美諸島・トカラ列島・大隈諸島で産する、南方産貝製品が日本本土で交易に用いられ、北海道でも発掘された」「縄文時代後期は、海岸砂丘上に遺跡立地が移動し、主に漁撈を中心とした生業と考えられている」「沖縄諸島・奄美諸島・トカラ列島に共有の土器文化があった」といった状況があります。「この時代の沖縄諸島は狩猟採集経済で、縄文土器に類似する波状口縁の土器をもつ」「これらから"縄文時代"の名称を使用する場合もあるが、縄文時代・縄文文化とするかは意見が分かれる」とされます。 縄文時代前期、「轟式土器」は「九州島」を中心として、「種子島」「屋久島」「朝鮮半島南部」にも分布しています。続いて登場した「曽畑式土器」も九州島を中心に分布、「高又遺跡(鹿児島県奄美市)」「渡具知東原遺跡(沖縄島読谷村)」「朝鮮半島釜山市」などで発見されています。縄文人が黒潮本流を越えた例は、この曽畑式土器を持った集団による縄文前期の九州島・奄美大島間の航海が最も古く、関東における三宅島・八丈島間の航海よりおよそ800年早いものであるとされています。長崎産滑石を含んだ、縄文時代前期(5500-5000年前)の「曽畑式土器」が「伊礼原C遺跡(沖縄県北谷町)」から出土、この時代には長崎との交易があったことが判明しています。 「伊波式土器」は、3500年前(縄文後期)の在地の土器で、「山形の口縁部」という縄文土器の主要な特徴が見られます。「荻堂貝塚(沖縄県北中城村)」は沖縄本島東海岸にあり、沖縄県では最古級の琉球縄文土器時代前期(本土では繩文時代後期)の貝塚です。「各種の南島産貝類」「魚骨・獣骨」「石器」「土器」「貝製品」が出土しています。土器では「先が二又になったヘラで描く平行線文・山形文・爪形文などの文様」を描いた「伊波・荻堂式土器」が出土、これらの文様は「曽畑式土器」や「興津貝塚(千葉県栄町)」の土器と類似性があります。 貝塚時代後期前半~後期前半末(弥生時代~古墳時代の6世紀前半?)の沖縄諸島の遺跡には、南島の「尖底土器」、「弥生土器」、後述の「南方製貝瀬品のストックや半製品」という類型があります。また「弥生時代の遺物」が多数発掘されますが、同時に、沖縄諸島では文化の独自色が顕在化し始めました。この時代の遺跡では「銅鏡」「銅剣」などが、他県に遜色が無いほど発掘されていて、「鉄製品」は畿内の出土量を凌駕するものがあります。しかしこの時代の編年(土器形式などによる時代区分の細分化)は、まだ進んでいません。この時代は海浜砂丘地に立地した集落が増え、貝塚を形成、狩猟採集社会でした。古墳時代前期(4世紀)までは、巻貝の「ゴホウラ」「イモガイ」「スイジガイ」を採取・交易、これは本土日本で非常に珍重され、大きな影響を本土と沖縄で与えました。そして「勾玉など玉類」や、一部は「鉄器(斧用など)」などを受け取っていたと見られます。また大陸の影響を伺わせる出土物もあり、本土の弥生中期頃頃の遺跡と同様に、「中国の古銭」の出土例も複数あります。 貝塚時代後期後半(6世紀中盤?)から10世紀頃までは、南島の「くびれ平底土器群(11世紀終わり頃まで)」、交易用の「貝札(小型化し文様は略化した上層タイプ)」と中国の「開元通宝(621年~10世紀)」という類型が多いです。この時代は螺鈿細工用の「ヤコウガイ」などが交易され、奄美で特に多く見られます。奄美では「鉄器」が輸入されましたが、沖縄では「鉄器・金属器」は殆どなく(輸入されず)、「開元通宝(13世紀の遺跡まで)」がより多く発掘されています。また「本土産須恵器」などの出土例があります。この時代は台地上に集落が移り、一部は砂丘上にもあります。農耕が徐々に始まったと見られ、畑跡が幾つかの遺跡から見つかっています。この時代も前代に続き、漁労も主だった生業と見られます。 一説に「魏志倭人伝の邪馬台国は沖縄にあった」という説があります。「倭地温暖で冬夏常に野菜有り、皆裸足」とあり、南方系・海洋民の習俗が記載されていて、場所について「文の通りに読むと、九州の南方海上に至る」「会稽・東冶(中国浙江省・福建省の地名)の東方にある」「有無する所、朱崖・儋耳(中国・海南島の地名)と同じ」という記述との符合があります。 「弥生時代・古墳時代前期において、多くの文化・言語や祭祀の面で、沖縄(沖縄諸島)と日本本土の関係性は一体的であった」と考えられ、沖縄諸島の各地では「弥生時代・古墳時代の、本土との一体性や交流を示す遺跡・出土物」が出土しています。ヤマト王権の直接の支配領域になったのは、薩南諸島が古墳時代末期、沖縄には後も直接支配は及びませんでした。 古墳時代の何れかの時期(7世紀以前)、沖縄と日本の一体的な関係性が次第に薄れていきました。奈良時代、幾つかの正史・古典には、朝廷と沖縄の関係の記事が載っています。 日本で宝亀十年(779)に成立した「西暦唐大和上東征伝」には「阿児奈波島(沖縄島)」とあり、これが「沖縄」に類する名称の初出です。この記事には「鑑真など遣唐使一行が漂着した」とあります。享保四年(1719)、「新井白石」が「平家物語」に見える「おきなは」に「沖縄」の字を宛てしました。「阿児奈波島」の読みは「あこなは」「あじなは」の二説があり、「沖縄」の語源を「おき:沖」「なは(なわ):なば:魚場・漁場」で「沖合の漁場」とする説があります。 「琉球」という名称は、中国の正史「隋書」の607年・608年の「東夷傳 流求國」の記事が初出、その後「瑠求(元書)」などと様々に表記され、「琉球」に落ち着いたのは明時代以降です。しかし「琉球」とは「沖縄」「台湾」「フィリピン」に用いられた又は自称した名称で、これにより昔から混同がありました。またこれらの内容には、時期や背景により、ほぼ正確な物tと、又聞き・誤り・脚色も多い物とがあると考えられます。 古来よりの沖縄島住民による沖縄島の呼称は「うるま」で、これは雅称であり、漢字の当て字は「宇流麻」です。意味は「ウル:珊瑚、珊瑚の海石(花石・笠石)、海石の砕けた砂礫」「マ:しま(島)」で「珊瑚で出来た島」だと言われます。現在は「沖縄県うるま市」が遺称地です。 「八重山」の名称の由来には諸説があります。享保四年(1719)の『中山伝信録』には、「八重山、一名北木山、土名彜師加紀(いしかき)、又名爺馬(やま)」との記載があります。この記載では、現在の「石垣島」と「八重山列島」とが必ずしも区別されていません。 古代日本の辺縁部には、弥生時代の渡来人流入や、古墳時代のヤマト王権の成立・拡大以後も、縄文人の系統を色濃く残す集団が存在し続けました。「薩摩・大隅(鹿児島県)」に居住した「隼人(はやと)」は、「渦巻紋」「鋸歯紋(きょしもん・ギザギザの紋様)」である「隼人紋」など、独特な呪術・祭祀・葬制の文化を持ち、「隼人語」を話し、畿内集団とは通訳を介して会話しました。類似系統とも言われる「熊襲(くまそ)」は「肥後国南部(熊本県南部)・大隈国北部(鹿児島県北部)」にいた集団で、2世紀前半の第十二代「景行天皇(けいこう)」と皇子「日本武尊(やまとたけるのみこと)」による征討伝承が、記紀に載っています。隼人は6世紀末~7世紀末に朝廷に服従したとされます。 「日本書紀」には「推古天皇二十四年(616):掖久・夜勾・掖玖の人三十人がやってきて、日本に永住した」「舒明天皇元年(629):大和朝廷から掖玖に使が派遣された」「天武天皇六年(677):多禰島人を饗した」「天武天皇八年(679):朝廷から使を多禰島に遣わした」という記事などが見られます。7世紀末以前までは「ヤク」とは「九州以南の地域」を指す言葉として用いていたとされ、天武天皇六年の記事は「多禰島:種子島」の初見です。「天武天皇十一年(682):朝廷から多禰人・掖玖人・阿麻彌人(奄美)それぞれに禄を賜る」という記事があり、ここで「掖玖(やく)」を初めて、特定の「屋久島」を指す言葉として用いています。 「続日本紀」には、文武天皇二年(698)に朝廷の命により「務広弐文忌寸博士が南島(なんとう・南西諸島)に派遣された」とあり、任務は「屋久島・種子島・奄美大島の朝貢関係を確認すること」です。文武天皇三年(699)に「多褹(種子島)・掖玖(屋久島)・菴美・度感(トカラ列島)から朝廷に来貢があり位階を授けた」と記載があります。大宝二年条(702)には「薩摩と多褹が化を隔てて命に逆らう。是に於いて兵を発して征討し、戸を校して吏を置けり(薩摩と種子島・屋久島が服属しなったので征討した)」とあり、これは「隼人」の征討とも言われます。 「多禰国(たねのくに)」は令制国の一つで、領域は「種子島・屋久島・口永良部島」であり、種子島北部に「能満郡」、南部に「熊毛郡」、屋久島の広域と口永良部島に「馭謨郡」、屋久島の一部に「益救郡」が置かれました。大宝二年(702)から天長元年(824)まで122年間存続、「大隅国(鹿児島県東部)」に編入されました。続日本紀には「多褹国」との表記も見られ、「西海道」に位置しました。 続日本紀和銅七年(714)条に「太朝臣遠建治(おおのあそみおけじ)が奄美、信覚(しがき=いしがき)、球美(くみ=西表島か久米島?)の島人五十二人を率いて太宰府に入貢した」とあります。これが古書における「八重山列島」の初見で、後に朝廷は「久米島」「石垣島」に服属を求める使者を派遣しています。また、朝廷は「多褹国(種子島)」に国司を派遣しました。元明天皇和銅八年(715)には「南島の奄美・夜久・度感・信覚・球美の島民が来朝し貢上した」「蝦夷の人々とともに南島の人々に位階を授けた」とあり、養老四年(720)に「南島人二百三十二人に位を授けた」、神亀四年(727)に「南島人百三十二人に位階を授けた」などの記載があります。これらのことから、九州以南の島々をこう呼んでいたとともに、南西諸島の島々が朝廷に貢献していたことを示しています。 近年、大宰府(福岡県)で8紀前半の「掩美鴫(奄美)」「伊藍鴫(伊良部島?宮古諸島)」と墨書された土器が発見され、朝廷の南島経営を表す遺物とされます。 これらを見ると、この時代の前期は「奄美諸島」までが朝廷の版図内で、「沖縄諸島」との交流は無かったと考えられます。しかし和銅七年(714)以降、「沖縄諸島」「八重山諸島」とも多少の交流の証拠が見えます。ここから「本土と沖縄諸島の関係性の変遷」は「弥生時代・古墳時代前期までは濃厚」「古墳時代中期(4世紀初頭)に途絶」「和銅七年(714)ごろから多少の交流が起きる」「後に朝廷や幕府レベルでは交流が途絶えた」「しかし一般レベルでは、幾らかの交流が続いた」と考えられます。 沖縄ではグスク時代の12世紀、日本本土や中国大陸との交流が盛んになりました。これらで力をつけた有力者は地元の農民を束ねて豪族「按司(あじ)」となり、11世紀後葉から築かれ始めた石垣で囲まれた「城(グスク)」を拠点に、周辺の集落を傘下に入れ小国家へと発展しました。初代琉球王「舜天(しゅんてぃん)」や、実在した可能性が高い「英祖王統」の初代「英祖(えいそ・1259年? - 1299年?)」といった王朝初期の王も、この頃の有力な按司だとされます。「按司」は「主(あるじ)」が原義で、強力な按司は「世の主(よのぬし)」と呼ばれました。また豪族は、「奄美群島」では「大親(うふぬし・うふや)」、宮古諸島では豊見親(とぅゆみゃ)」と呼ばれました。 この辺りの時代には、日本本土から「平仮名」が導入され、また文永二年(1265)に日本僧禅鑑が伝えたとも言われます。平仮名は表音文字として文書全般に利用され、後に「漢字ひらがな交じり文」になりました。中国や東南アジアとの交流もあり、これらが融合してその後の琉球文化の基となりました。そして近年の研究結果では、10世紀前後に九州南部から多くの人が沖縄に渡ったとされています。「カムィヤキ古窯跡群(鹿児島県伊仙町・徳之島)」で生産された「カムィヤキ(類須恵器)」は、琉球弧全体で流通しています。集落はほぼ台地上になり、穀類を中心とした農耕に移行しました。 沖縄本島では14世紀に入ると、各地でグスクを構えていた按司を束ねる強力な王が現れました。南部の糸満(いとまん)を中心とした「南山(なんざん・山南)」、中部の那覇・浦添を中心とした「中山(ちゅうざん)」、北部の今帰仁(なきじん)を中心とした「北山(ほくざん・山北)」の三国に纏まり、これを「三山」と呼び、三王統が並立する「三山時代」が約100年続きました。三山の其々の領地は、1896年の郡制施行により「国頭郡」「中頭郡」「島尻郡」の三郡となりました。郡の範囲は現在ではかなり変わりましたが、地域区分「国頭」「中頭」「島尻」として残り、「北部」「中部」「南部」の広域市町村圏も、若干の違いはあるがこれらとほぼ一致しています。また「北山王国」の領域であった「沖縄島北部・伊江島・伊是名島・伊平屋島・古宇利島・屋我地島・瀬底島・水納島」「鹿児島県与論島・沖永良部島」では、「沖永良部与論沖縄北部諸方言」が話されてます。 中山国初代国王「察度(さっと)」の時代の文中元年(1372)、明王朝初代皇帝「朱元璋」が「楊載」を招諭使として琉球に送り、それに応じ、察度は弟の泰期を朝貢の使者として送り、表を奉り臣を称し、貢物を献上しています。二代目国王「武寧(ぶねい)」の時代の応永十一年(1404)、明の「永楽帝」が冊封使を派遣し、武寧を中山王に冊封しました。このいずれかが、琉球による歴代中国王朝との初の朝貢・冊封とされ、後に「北山国」「南山国」も朝貢、後代には「琉球王国」も朝貢を続けました。 「与那覇勢頭 豊見親(よなはせど とぅゆみゃ)」は、14世紀末から15世紀に「宮古島平良」を拠点としていた豪族です。元中七年(1390)、島内統一の際の後見を期待して、宮古島の首長として中山王「察度」に初めて朝貢、宮古島の首長として任ぜられ帰島しました。与那覇勢頭豊見親は元中五年(1388)に中山国に至るも、同国の言葉を解さなかったため、足掛け3年間言葉を学んだ後、朝貢したとされます。そして「八重山列島」にも琉球へ朝貢するよう促しました。 室町幕府四代将軍「足利義持」の時代、琉球王国から3~4年に一度の割合で使節が派遣されました。嘉吉元年(1441)、第六代将軍「足利義教」は、薩摩・大隅・日向守護(鹿児島県・宮崎県)の「島津忠国」に、恩賞として「琉球国」を与えています。文正元年(1466)、琉球使節が第八代将軍「足利義政」に謁見しました。「琉球国王と室町将軍」「王将軍(琉球の重臣)と管領(将軍に次ぐ役職)」は文書を交換、幕府側は上意下達文書、琉球側は上申書の形式とされます。これらを室町幕府ではこれを朝貢と理解していたとも言います。「応仁の乱」の後の15世紀末、室町幕府は島津氏に商人の往来の統制を命じ、琉球へは交易船の派遣を要請しました。天正十年(1582)、「豊臣秀吉」は、因幡国(鳥取県)の「亀井茲矩(これのり)」の「琉球国を賜りたい」との求めに応じて、「亀井琉球守殿」と書いた扇を授けました。これらの時期は、琉球王国は「日本と中国との中継貿易」を盛んに行っています。 琉球王国は、鎖国をしていた日本の江戸幕府と、海禁政策をとっていた中国の明・清との中継貿易で、大きな役割を果たしました。東南アジアとも交易も行っていて、マレー半島の「マラッカ王国」と密な関係にありました。この時代、ポルトガル人は「琉球:レキオ」「琉球人:レキオス」と呼び、16世紀初頭の東南アジア情勢を表した「東方諸国記」にも載っています。南蛮貿易時代に東南アジアで交易していた「ゴーレス人」は「琉球人」に比定する説が多いです。 「日本・沖縄・中国・朝鮮半島の漂流民が、母国へ帰った送り届けられた」という例は、古くから史書に見えます。「沖縄⇔朝鮮半島」は、古くは長元二年(1029)にあり、15世紀中盤以降は度々史書に見えます。特に第一尚氏第七代「尚泰久王(後述)」の時代の記述は、『朝鮮世祖実録 琉球見聞録』に詳しく載っていて、正確性が高いと考えられています。享徳二年(1453)と寛正三年(1462)の漂流民は、首里城内部の様相を伝えました。成化元年(1465)、宮古島に漂着した全羅道の漂流民三人を、沖縄島から李氏朝鮮時代の母国へ送り届け、「普須古(ふすこ・うふぐすくか)」「蔡ケイ(王へん+景/さいけい)」らの使節を遣わせました。使節は、第七代李氏朝鮮王「世祖(セジョ)」に「景福宮(韓国ソウル市)」で謁見しました。「普須古」は、朝鮮側の役人「李継孫」から、誤情報ばかりの1317年編纂の中国書物『文献通考』をもとにした質問を、中国語の通訳を介して受けました。文明九年~十一年(1477~1479)、済州島の10人ほどの漂流民が、「西表島・波照間島・新城島・黒島島・多良間島・伊良部島・宮古島・沖縄島・薩摩・長崎・対馬・ソウル」を経由して帰郷しました。以下はその一部です。 与那国島について(漂流民の体験記) ・酋長はいない。 ・高齢の女性が「村の親」。 ・苧麻(チョマ)で織った布の服を着ている。 ・婦人は耳に穴を開け、青い珠を5~6センチ下げ、首には同様の珠を30センチほど垂らし、みな裸足。 ・男は髪をひもで結び、女は短くても膝までの長髪。 ・稲の収穫前になると、人々はみな謹慎して大声を出さない ・米飯を主に食べ、握って拳大の丸い形にする。 ・女性に噛ませて濁り酒をつくる(口噛み酒)。 ・田で使う牛や鶏と猫を飼うが、牛も鶏も食べずに死んだら埋葬する。 ・部屋は区切りが無く、奥座敷や格子窓などがない。 ・死人は棺に座置して崖の下などに葬る ・島民は文字を解さない。 八重山列島について(漂流民の体験記) ・相手を罵倒したり、喧嘩したりすることがない。 ・子どもをたいへんかわいがり、泣いても叩いたりせず、ほっておく。 宮古島などについて(漂流民の体験記) ・婦人は鼻の両側に穴を開け、小さな黒木をさしている(西表島)。 ・飯を炊くのに鉄製の釜に似たものを用いる。 ・米麹を使って酒を作る。 沖縄本島などについて(普須古らとの問答) ・男性は色彩豊かできらびやかな服を着ている。 ・冠は竹笠のような物、当時の朝鮮の僧の被り物に似ている。 ・女性は上下のパーツに分かれた服、当時の中国の女性服に似ている。 色彩豊かで、(着物を?)頭にかぶって垂らし、男の笠よりも大きい物を被る。 ・『文献通考』に昔の人の言葉として、「琉球の男は鳥の羽を冠、宝貝を装飾具にして、赤毛で飾っている」 「女は薄絹の綾模様の白布を帽子にして、色んな鳥の羽で服を作る」とあるが、普須古は「昔の事は知らないが、今は違う」と答えた。 ・武器・武具の形は日本のものと同じ。 ・鉄は多い(輸入物)。 ・人民は酒桶を官に納め、牛馬皮を官に納め甲(鎧)を造る。 ・婦人をして(王の)命を伝えしむ。 およそ王の挙動するに、女官剣を杖して侍衛す。 ・国に神堂有り。人、之を畏れ、近づきてこれを視るを得ず(御嶽があるが、畏れて、近付いたり見る事はできない)。 ・若し婦人有らば、則ち巫に憑り、人、神に祝る(婦人は憑依されてノロとなり、人々は神を崇める)。 ・悪人がいたら、巫が神託を受けて、神歌を歌いだし、すると悪人の家が燃えだす。 隣の家には燃え移らないが、みんな畏れている。 ・夫が暴力を振るうと、妻は神堂に逃げ込む、そこに旦那は入れない。 女性が逃げ込むようなことがあったら、国家はその旦那を死刑にしないといけない、もしくは島流し。 そうしないと大きな台風で国が滅茶苦茶になる、だから普通の男は妻を怖がっている。 ・法律は中国の法律を参考にしてる。 ・泥棒はいない(琉球諸島全域?)。 泥棒は即刻死刑なので、だから落し物を誰も拾わない。 ・一般に死を軽んじている、 進むを知って退く事を知らない、戦えば勝てない事はない。 (後年のポルトガル人の書に、アラビア人・中国人から聞いた話として 「レキオ人は正義を貫き、不正に対しては剣を抜いて立ち向かう 商品代金を踏み倒したりしたら、刀を突き立てて返済を迫る」とある) ・酒の色は黄で、味は焼酎に似て、非常にきつい。数杯かたむけると大いに酔う(輸入物)。 沖縄本島について(漂流民の体験記) ・那覇には東洋各地の舶来物を商う市がたっている。 ・通りは中国人・日本人・南蛮人が闊歩し、それぞれ壮麗な規模の商館を開き、往来が絶えなかった。 ・王城(首里城)は凡そ三重にして、外城に倉庫及び厩(うまや)有り。 中城は侍衛の軍二百余、之に居る。 ・内城に二十三の層閣有り。…其の王、吉日を択んで往来して之に居す。 ・(層閣の)上層に珍宝を蔵し、下層に酒食を置く。 ・尚泰久王の葬儀に伴う、王后と、後の第八代「尚真王」らの葬列に遭遇した。 ・母后の乗り物は四面にすだれが垂れた漆塗りの駕籠で、これをかつぐのは二十人ほど。 その後ろを長剣や弓矢をもった百人あまりの兵士が護衛し、道々、楽器を鳴らし、大砲を放ちながらやってくる。 ・漂流民が母后に拝謁すると、彼女は行列をとめ、瓶を獲りだして酒をふるまった。 ・少し遅れて、容貌の美しい少年がついてきたが、当時十二歳の「尚真王」であった。 三山の中から「中山国」の「尚氏」が勢力を増しました。応永十三年(1406)、「尚巴志」は中山王「武寧」を滅ぼして、父「尚思紹」を中山王位に即け、「第一尚氏」が始まりました。応永二十三年(1416)に「北山」、「尚巴志」の中山王即位後の永享元年(1429)に「南山」を滅ぼして琉球を統一、これにより「琉球王国」が発足しました。当時は一般的に「琉球國(るーちゅーくく)」と呼ばれ、正式な国号は「中山王国」といいます。 成化六年(1469)、第一尚氏の「尚泰久王(しょうたいきゅうおう)」の重臣「金丸」は、尚泰久王の子「尚徳王」にかわって王位に就き、「尚円王(しょうえんおう)」と名乗りました。これが「第二尚氏」の興りで、第十九代「尚泰王(しょうたいおう)」の光緒五年(1879)の、四百十年間続きました。第三代「尚真王(しょうしんおう)」の時代、地方の按司らを首里に集居させ中央集権化を図りました。国中の武器が集められ、王府で厳重jに管理され、また後の薩摩藩の政策も併せて「禁武政策」とも呼ばれます。交易も増加、五十年続いた「尚真王」の治世に、王国は隆盛を迎えました。 奄美群島について、文永三年(1266)、奄美群島から中山王「英祖王」に入貢したと『中山世鑑』などの琉球正史に記されているが、当時の群雄割拠の状況から後に創作された伝承とも考えられています。応永二十三年(1216)、第一尚氏は北山王国を滅ぼし、その領土であった「与論島」「沖永良部島」「徳之島」が中山王国の領土に組み込まれました。15世紀中盤、琉球王国は奄美群島に相次いで派兵、全域を領土に組み込みました(奄美諸島の項で詳述)。 「先島諸島」は、琉球王国による海上交易の中継地として次第にその影響圏に置かれました。明応九年(1500)、石垣島の按司「オヤケアカハチ(オヤケ赤蜂)」が反旗を翻すと、「尚真王」は征討軍を編成するが、宮古島の豪族「仲宗根 豊見親(なかそね とぅゆみゃ)」が先鋒となって石垣島に上陸し、オヤケアカハチを討ちとりました。与那国島では、女首長「サンアイイソバ(サカイイソバ)」と、「鬼虎(うにとら)」による独立状態がしばらく続いたとも、オヤケアカハチの乱後に王府が侵攻して、撃退したとも滅ぼされたとも言われ、又は実在しないとも言われます。この時代の琉球王国の先島諸島の統治は、緩やかなものでした。慶長十六年(1611)、薩摩藩が与那国島で測量を行い検地帳を作製、これで尖閣諸島を除く先島諸島全域が琉球王国の支配下に入りました。島津氏(江戸幕府)は琉球王を徴税代理人として年貢を徴収、この為に、琉球王府は先島諸島に対して、重い「人頭税」を導入しました。 第五代「尚元王(しょうげんおう)」の元亀二年(1571)、王が自ら乗り込み進軍して、奄美群島北部の「奄美王島」まで勢力下におさめ、琉球王国の最大版図を築きました。こういった版図拡大の背景には、王府のの威光を背景に勢力拡大を図る、在地豪族の意向もありました。 慶長八年(1603))に江戸幕府が開府、幕府は中国の明と通航を考えるようになり、薩摩藩主「島津忠恒」に「琉球王国」に進出して明と通じることを許可しました。慶長十四年の旧三月四日(1609年4月8日)、島津軍三千名余りを乗せた軍船が薩摩の山川港を出帆、三月八日(4月12日)に「奄美大島」へ上陸して制圧、三月二十二日(4月26日)に「徳之島」、三月二十四日(4月28日)に「沖永良部島」を攻略、三月二十六日(4月30日)には「沖縄本島北部の運天港」に上陸、「今帰仁城」を落として「首里城」へ迫りました。第七代「尚寧王(しょうねいおう)」は止む無く和睦を申し入れ開城、島津軍は四月五日(5月8日)に首里城を接収し、五月半ばには薩摩に凱旋帰国しました。以後、琉球は日本(薩摩藩)と明の二ヶ国に両属することになりました。「尚寧王」は薩摩藩によって「江戸」に連行され、征夷大将軍「徳川秀忠」に謁見、後に琉球に戻りました。 慶長十八年(1613)、「奄美群島」は薩摩藩直轄地となり分離されましたが、表面上は琉球王国の領土とされ、中国や朝鮮からの難破船などに対応するため、引き続き王府の役人が派遣されました。琉球王国は薩摩藩への貢納を義務付けられ、「江戸上り」で江戸幕府に使節を派遣しました。琉球王国時代、沖縄と日本本土の関係性は深まっていきました。 琉球国王の王統は、神話時代を含めて「天孫氏王統」「舜天王統(1187~1259)」「英祖王統(1260~1349)」「察度王統(中山王国:1350~1405?)」「怕尼芝王統(北山王国:1322?~1416)」「大里王統(南山王国1337?~1413)」「第一尚氏王統(琉球王国:1406~1469)」「第二尚氏王統(琉球王国:1469~1872)」です。 琉球王国の身分制度は、「御主加那志前(ウシュガナシメー)」など複数の呼称があった「国王」を頂点に、「御殿(ウドゥン)」と呼ばれた「王子」、「按司」などの「王族」、「殿内(トゥンチ)」と呼ばれた「親方(地頭)」・・・などとなっていました。「御殿」は「王族の邸宅」、「殿内」は「親方の邸宅」も指し、「御嶽」などの聖地の名にもなっています。 琉球王国は、都を「首里城(しゅりじょう・すいぐすく)」に構えました。琉球王国の第二尚氏王統の歴代国王の多くは、「玉陵(たまうどぅん・玉御殿・霊御殿)」に眠っています。「浦添(うらそえ)」は琉球王朝発祥の地であり、意味は「津々浦々をおそう(諸国を支配する)」、それが「浦襲(うらおそい)」「うらしい」「浦添」と転じていったとされます。歴史は古く、13世紀ごろに登場する「英祖王統」の中心地として栄え、14世紀末に察度王統が尚巴志王に滅ぼされるまで中山王国の首都でした。琉球王国の陵墓「浦添ようどれ(英祖王陵と尚寧王陵)」や、王朝初期の重要拠点「浦添グスク」など、遺跡が多く残ります。これら遺跡は沖縄戦で大きな被害を受けました。 琉球王国の正史「中山世鑑」や、公選歌集「おもろさうし」と「鎮西琉球記」「椿説弓張月」では、平安時代末期に「源為朝(みなもとのためとも)」が琉球へ逃れ、その子が「舜天」になったとしています。源平合戦による「平家の落人」伝承として、「奄美群島」に「平資盛」「平行盛」「平有盛」、「沖縄本島今帰仁」に「平維盛」が落ち延びたと伝わり、「宮古島」「竹富島」「石垣島」にも伝承があります。 王朝は、琉球の神話や各地の伝承などを採録させ、「琉球国由来記」「球陽」などが表されました。これら古典には「記紀」「風土記」にあたる内容が含まれています。おもろさうしの著者「羽地朝秀」は「琉球の人々の祖先は、かつて日本から渡来してきたのであり、また有形無形の名詞はよく通じるが、話し言葉が日本と相違しているのは、遠国のため交通が長い間途絶えていたからである」としています。 明治維新後、「琉球処分」として知られる一連の政治過程で、沖縄は近代日本国家に組み込まれました。沖縄には、明治五年(1872)に「琉球藩」が設置されました。明治十二年(1879)には廃藩置県で「沖縄県」設置、これにより「琉球王国」が廃絶されました。これ以降は「沖縄に対する国内外からの歴史的な抑圧」の項で記述します。 沖縄諸島の東方の「大東諸島」は、古くは「ウフアガリの島(東の涯て)」と呼ばれ、はるか東にある無人島として古くから知られていました。明治時代に沖縄県や八丈島などの住人が、入植しています。また「ニライカナイ」伝承の一つとして、「南与那国島」「南波照間島」の伝承があります。 大東諸島を除いて、「南西諸島の全諸島・地域」にわたり、「文化・言語・祭祀の類似」が見られます。これは「地理な位置関係から、航海を通じた文化交流・交易が頻繁にあった」「日本本土からみて辺境の方に古代文化が残った」からで、「琉球王国の版図」にもよります。 琉球神道について 沖縄には「琉球神道」があり、「琉球神道と本土の神道と起源は同一」「往古の古神道の姿を色濃く残す形態」です。南西諸島においては、何れの地でも「信仰・神祀り・神事」が身近に存在しています。 琉球神道は「アニミズム」「祖霊信仰」「おなり神信仰」を基本とするものです。「ニライカナイ信仰」「御嶽信仰」とも呼ばれ、ニライカナイ信仰は「沖縄県や鹿児島県奄美群島の各地における、伝統的な民間信仰の主要な要素」です。 海の彼方の「ニライカナイ」と天空の「オボツカグラ」の他界概念を想定、これらの他界に「ティダ(太陽神)」をはじめとする、多数の神がいます。神々は、時を定めて現世を訪れて豊穣をもたらし、人々を災難から守護すると考えられています。「他界」とは「人が死亡した時、その魂が行くとされる場所」、一般的に日本本土の神道や民間信仰では「海の彼方・海の底」「山の上」「地の底」などにあるとされてきました。 「ニライ・カナイ(儀来河内)」は、「ニラーハラー」などとも呼ばれ、奄美諸島では「ネルヤカナヤ」と呼ばれます。また「ニライカナイはニライの文学的表現」であって、八重山では「ニロー」、各地域で「ニレー」「ニリヤ」「ニルヤ」「ニーラ」「ニッジャ」などと呼ばれます。 「遥か遠い東(辰巳の方角)の海の彼方、または海の底、地の底にあるとされる異界の理想郷」「東方信仰と混交した」「もともとは国頭地方の信仰と考えられる」とされ、一般的に「海の彼方」とする見方が多いです。「豊穣と命の根源となる異界」であり、「神界」でもあり、「年初にはニライカナイから神がやってきて豊穣をもたらし、年末にまた帰るとされる」とされます。「生者の魂も、死後にニライカナイに渡って肉親の守護神になる」とされ、このため祖霊を非常に敬い、死後の世界を「後生(グソー)」と称して、「非常に現世や生者と近しいもの」と捉えていて、ニライカナイとは「祖霊が守護神へと生まれ変わる場所」「祖霊神が生まれる場所」でもあります。このように複合的な観念です。 ニライカナイは、日本神話の「根の国」と同一だとも言われ、「二ライ:根の方」「カナイ:彼の方」という意味だとする説が有力です。根の国は「地下」又は「海の彼方・海の底」にあり、「黄泉の国(よみのくに)」と同一とされ、入り口は「黄泉平坂(よもつひらさか)」です。「根の国も元は葦原中国(とよあしはらのなかつくに・日本国土)と水平の位置にあったのが、高天原(たかあまはら)を天上に置いたため、根の国は地下にあるとされるようになった」とする説があります。柳田國男は根の国が「ニライカナイ」と同根で、「根の国は本来は生命や富の根源の地で、本来は明るいイメージの世界だった」としています。 (「根の国」の別名:「根之堅州國(ねのかたすくに)」「底根國(そこつねのくに)」「根国(ねのくに)」「根の国底の国(ねのくにそこのくに)」「底根の国(そこねのくに)」など} ニライカナイの類似概念に「常世(常夜・とこよ)」があり、「隠世・幽世(かくりよ)」とも呼びます。日本神話の他界観の代表的概念で、記紀・万葉集・風土記など多くの古典に見え、「永久に変わらない神域」「死後の世界」「黄泉(の国)がある場所」「海の彼方・または海中にあるとされる理想郷」「永久不変・不老不死・若返りなどと結び付けられた地」です。そして「常世を沖縄に比定する説」「琉球=龍宮とする説」があり、「常世」は「豊穣・穀物をもたらす存在」「海」と結びついています。 常世に関係する神「少彦名神(すくなびこなのかみ)」「御毛沼命(みけぬのみこと)」「田道間守(たぢまもり)」「浦嶋子(うらのしまこ・浦島太郎)」は何れも「穀物神・豊穣神」の属性があり、また海人族が奉じた海神「綿津見神(わたつみのかみ)」がいる「龍宮」も常世にあります。記紀には「垂仁天皇の命を受け常世の国に遣わされた田道間守が、不老長寿の霊薬の非時香菓(ときじくのかくのみ)の実と枝を持ち帰った(中略)非時香菓とは今の橘である」とあります。これは一般的に日本原産の柑橘類「橘(たちばな)」とされますが、沖縄と台湾が原産の「シークヮーサー」とも考えられ、「柑橘類に多いフラボノイド・ノビレチンが豊富で、老化防止・高血圧改善・美肌効果がある」「抗癌作用・新陳代謝活性化作用」などの健康効果があります。 「オボツカグラ」は「天空にある異界」です。「ニライカナイ:水平線上の庶民的な他界」「オボツカグラ:垂直にある権威的な他界」で、現在ではニライカナイへの信仰が一般的です。「東方信仰」は「日の昇る方向への信仰」であり、「東方を日本本土・ヤマトと関連付ける説」もあって、西方には「魔界がある」とされます。「太陽信仰」「東方信仰」「ニライカナイ信仰」は渾然一体としていて、ニライカナイは「常世信仰」「根の国」「黄泉の国」と共通する部分があります。 県最北端の伊平屋島の「クマヤ洞窟(籠屋洞窟・沖縄県伊平屋村)」は、入り口は狭いものの、中は広い神秘的な場所であり、全国に数多ある「天岩戸(あまのいわと)」伝承地の最南端地です。天岩戸は「天照大神が隠れた地」で、「岩戸開きとチャクラの開放」の項で詳述します。江戸時代の国学者藤井貞幹は「伊平屋島にアマミ獄という天孫降臨の洞窟がある」と聞いて現地を調査、「クマヤ洞窟は高天原である」「神武天皇は伊平屋島で生まれた」と唱えています。 沖縄では「御嶽(うたき)」「拝所(うがんじゅ・うがん)」「殿(とぅん)」「ビジュル」などの祭祀場、城を意味する「城(グスク)」、神聖視された「ガマ(洞窟)」「井(かー・がー)」などが、古来篤い信仰を受けてきました。「御嶽」は「集落祭祀の中心の場」「古代の集落の場」であり、多くは「森・杜(もり)」にあって、奥に神域の「イベ・イビ(威部)」」石があります。「城(グスク)」は丘陵上に存在しますが、「元々は御嶽であった」との説があり、「古いグスクには必ず御嶽がある」と言います。「御嶽は日本本土に見られる神社の原初的形態である、神籬(ひもろぎ)の形式を伝える」「イビは磐座(いわくら)信仰=巨岩信仰の聖域」「御嶽の嶽は山岳信仰を表す」「御嶽の森・杜は、神社の鎮守の杜と同じく、森林への信仰を表す」のであり、「御嶽とは古神道の神籬・磐座・山岳・森林の信仰を伝える聖地」です。 「拝所」は「神霊が依りつく聖域」、一般的に「森」にあって、元は「墓地」であった場所が多いです。「殿(とぅん)」は「祠」であり、「独立した祭祀場としての祠」と「御嶽の祠(社殿)」の両方の例があります。「ビジュル」は「霊石」の信仰、多くは「海に漂着した自然石」です。「井(かー・がー)」は「沖縄の伝統的な石造井泉」、聖地としての「かー」は「神泉」であり、小河川しかない沖縄では水は貴重です。隆起珊瑚礁の台地に空いた「ガマ(洞窟)」は、祭祀場となっている場が多数あります。 これら聖地を取り囲む森林域(御嶽の森)には、ヤシ科の常緑高木「クバ(日本名:ビロウ)」が、「神の依り代」として生えています。「クバの木(ビロウ)」は、古名は「阿遅摩佐・阿知末佐アヂマサ)」と言って、「古代日本で神聖視された植物」です。沖縄のこれらの聖地は「日本の祭祀場の往古の姿」を伝えます。 「斎場御嶽(せーふぁうたき・沖縄県南城市知念)」は、琉球神話の創生神「アマミキヨ」が造ったと言われ、琉球王朝時代に王国最高の御嶽とされました。古くは「おもろそうし(後述)」に「サイハノウタキ」「サハヤノウタキ」とあり、御祭神は「君ガ嶽、主ガ嶽ノイビ(君ガ嶽主ガ嶽御イベ六御前)」です。御嶽の中には六つの「イビ」があり、中でも「大庫理(うふぐーい)」「寄満(ゆいんち)」「三庫理(さんぐーい)」は、「首里城の建物・部屋」と同じ名前です。 三庫理の地下からは「金製勾玉(3点)」「碧玉(メノウ)製勾玉(6点)」「中国製の青磁の碗・皿・盤(10点)」「寛永通宝(534点)」「金製厭勝銭(9点)ようしょうせん・祭祀用の中国私銭)」など562点が出土、国指定重要文化財となっています。勾玉は、王国最高の神女「聞得大君(きこえのおおきみ)」の祭具だったとも言われ、古銭は円状に並べられていました。更にはその下層から、福岡県を中心に分布する弥生中期の赤い土器「須玖式土器(すぐしきどき=赤椀)」と「火を炊いて神祀りをしたらしい物証」が出土、これは「斎場御嶽は弥生時代(貝塚時代後期)には磐座信仰・太陽信仰などの神祀りの場であった」と物語ると考えられます。 敷地は一万五千坪、石灰岩の巨岩が露出する岩山であり、一帯は往古からの森林に囲まれています。周囲の森林は沖縄本島南部に於けるもっとも優れた森林の一つである。本島中南部は第二次世界大戦において被害を受け、それ以前の状態を残した場所がほとんどないが、この地域は戦災を免れた。シダ植物やラン科植物などに珍しいものが多い。2000年代以降御嶽周辺が整備され、森林に荒廃の様子が見られる。 斎場御嶽東方の「久高島(くだかじま・沖縄県南城市)」は、東方信仰・太陽信仰により「島全体が聖地」「ニライカナイにつながる聖地」であり、アマミキヨは「久高島に降りてきて国づくりを始めた」とされます。北東端の「伊敷浜(イシキ)」は「ニライカナイの対岸にある」とされ、「伊敷浜に五穀の入った壷が漂着、五穀が琉球全土に広まった」と伝わります。古くは「クバ島」と呼ばれ、島最高の聖地「クボー御嶽」もクバの木に由来、島には聖域が点在しています。島では「男は海人(うみんちゅ)、女は神人(かみんちゅ)」と言われ、古くからの「女性祭司と母性原理の伝統」が息づいています。「斎場御嶽」は「久高島に巡礼する国王が立ち寄った御嶽」「久高島からの霊力(セジ)を最も集める場所」であり、神事の際には「久高島の珊瑚の白砂」で清めます。 「首里城(しゅりじょう・スイグスク・沖縄県那覇市首里)」は、グスクその物が御嶽と看做される琉球有数の聖域であり、往古からの聖地だったと考えられ、以前は城内には十か所の御嶽がありました。首里城内郭南側の大きな範囲を聖域「京の内(けおのうち)」が占め、十か所の御嶽のうちの数か所と、鬱蒼とした大木の森や岩があるだけの場所だったが、この森こそが首里城発祥の地であり、首里城を国家の聖地とさせている重要な場所でした。「聞得大君」をはじめとする神女たちは、京の内で祭祀を行っていましたが、祭祀と京の内の詳細は不明です。正殿は「百浦添御殿(ももうらそえうどぅん)」と呼ばれ、琉球王朝発祥の地「浦添」に纏わる名称です。 グスクとしての首里城は、13世紀末から14世紀のグスク造営期に成立したものと考えられ、琉球王朝時代は王家の居城でした。琉球処分後は軍営や学校になりましたが、 昭和三年(1933)に正殿の改修工事が行われて国宝に指定され、県社「沖縄神社」の社殿となり、「源為朝」「歴代琉球国王」が祀られました。しかし第二次世界大戦の沖縄戦で、首里城・城下の町並みと、琉球王国の宝物・文書を含む、多くの文化財が破壊され、宝物庫は奇跡的に戦災を免れたが、中の財宝は全て米軍に略奪されました。戦後、首里城跡に琉球大学が置かれたことで、多くの遺構が撤去あるいは埋められたが、首里城の再建は戦後間もなくから多くの人々の悲願で、構内のあちこちの拝所には常に線香やウチカビ(紙銭)が供えられていました。近年、首里城の御嶽・拝所ほか各施設は徐々に再建されていて、「琉球王国のグスク及び関連遺産群」の名称で世界遺産に登録されています。 琉球王国の時代から、神道形式の「神社」が幾つか建てられていき、琉球処分以後には各地域に建てられるようになりました。「第一尚氏の第四代「尚金福王」と第五代「尚泰久王」の時代、それまで島だった那覇と本島を結ぶ長虹堤の建設を国相の懐機に命じまたが、懐機はこの工事が人力の及ぶところでないところを知り、東方天照大神に向かい七日のあいだ潮が退くように祈ると、霊験があり潮が落ちて海底が見えたため工事を完成することができた」「この報恩のため、満叟和尚に請うて。宝徳三年(1451)に「天照大神」を日本本土から勧請した」とされ、これが沖縄県の最初の神社「長寿宮」の創建です。現在は「浮島神社(沖縄県那覇市)」と呼ばれ、昭和六十三年に「波上宮」境内の現在地に遷座しました。 琉球には「臨済宗」と「真言宗」の仏教が伝えられ、殊に「臨済宗」が厚遇されたが、真言宗寺院にも王府から寺禄を給された八公寺が存在しました。これら八公寺には神社が併置されていたが、これらの各社は俗に「琉球八社」と称されました。 「琉球八社」は「琉球八社(官社)の制により王府から特別の扱いを受けた神社八社」で、「波上宮(なみのうえぐう・沖縄県那覇市)」「沖宮(おきのぐう・沖縄県那覇市)」「識名宮(しきなぐう・沖縄県那覇市)」「普天満宮(ふてんまぐう・沖縄県宜野湾市)」「末吉宮(すえよしぐう・沖縄県那覇市)」「安里八幡宮(あさとはちまんぐう・沖縄県那覇市)」「天久宮(あめくぐう・沖縄県那覇市)」「金武宮(きんぐう・沖縄県国頭郡金武町)」があります。このうちの「沖宮」が沖縄最古の神社だとの説もあり、記録では薩摩の寺院・一乗院からの頼重法印の来航(正平二十二年・貞治六年・1367)が最古で、沖宮は明治期から遷座を繰り返し、現在は奥武山公園内に鎮座します。 琉球八社は安里八幡宮は「八幡神(八幡信仰)」を祀り、それ以外は「熊野神(熊野権現)」を祀っています。和歌山県南部の「熊野信仰」が、琉球では多かったと言えます。これは「熊=隅(くま・すみ)・端」という原義か、又は「少彦名命、行きて熊野の御碕に至りて、遂に常世郷に適(いでま)しぬ(日本書紀 神代巻上)」という記述から、「熊野‐常世‐沖縄」という連想が理由と思われます。琉球王朝時代はこれらの社寺は、貴族階級の信仰対象に留まっていました。「琉球八社」は明治維新後、国家の支援があった「波上宮」と、幾分民間の信仰があった「普天間宮」以外の六社は、荒廃していきました。 波上宮(なみのうえぐう・沖縄県那覇市) ・主祭神:「伊弉冊尊(いざなみのみこと)」「速玉男尊(はやたまをのみこと)」「事解男尊(ことさかをのみこと)」 相殿神:「竈神(火神)」「産土大神」「少彦名神(薬祖神)」 ・創建:不詳 ・嘗ての「琉球総鎮守」「官幣小社」、現在は「沖縄総鎮守」「琉球国新一の宮」「別表神社」。 ・那覇港を望む高台の景勝地に位置し、「なんみんさん」として親しまれてきた。 ・『波上宮 略記』には「遥か昔、人々が海の彼方の海神の国(ニライカナイ)の神々に豊穣や平穏を祈った聖地が、当社の鎮座する波の上の崖端で、拝所として日々の祈りを捧げたのに始まる」とある。 ・当地での遥拝に関して『海上の道』では、波の上の丘陵の高みにおいて、毎年、日を定めてこの付近の居留者が各々の故郷の方角に向けて香炉を置き、自身の本国に向かって遥拝する「ネグミ拝み」と言う祭りが近代まで行われていたことを紹介している。 ・『おもろさうし 第十』には「国王様よ、今日の良き輝かしい日に聞得大君を敬って、国中の人々の心を集め揃え、石鎚金槌を準備して石を積み上げ、波の上、端ぐすくを造り聖地へ参詣し給えば、神も権現も喜び給う。」と言う意味の「おもろ(歌謡)」がある。 「おもろさうし 上』はこの中に詠われる「波の上、端ぐすく」が当宮鎮座地であると解説し、『日本の神々 -神社と聖地- 13 南西諸島』では当宮創建を詠った「おもろ」ではないかと紹介している。 ・『神と村」では、グスクは古代祖先達の共同葬所(風葬所)であり、納骨洞穴が拝所になった場所は「テラ」と称される場合があると述べたうえで、上記「おもろ」に記された「なみのうへ は げらへて はなぐすく げらへて ものまいり しよわちへ てらまいり しよわちへ」の「てら」が、古代「鼻(はな)ぐすく」と呼ばれた当宮鎮座地にある「波上洞穴遺跡」を指しており、この地が祖先達の葬所を根源とする「神の居所」であることが覗われると述べている。 ・慶長十年(1605)に倭僧・袋中良定が著した『琉球神道記 巻第五』の「波上権現事」では当宮を琉球国第一大霊現と述べ、さらに以下のような当宮の創設伝承を記している。 「南風原の里主という者が釣りをしていると、ある日浜辺で「光り、ものを言う」霊石を見つけた。この石に祈るたびに豊漁となるので、諸神がこの霊石を奪おうとした。そこで里主が当地へ逃れると「吾は熊野権現也、この地に社を建て祀れ、然らば国家を鎮護すべし」との神託があった。里主は琉球王府にこれを奏上し、社殿が創建された。 上記の伝承は、琉球の固有信仰として古くからあった石体信仰と熊野信仰が結合したものであろうと『古代文学講座11 霊異記・氏文・縁起』では考察している。 上記と同様の伝承が正徳三年(1713)に国王へ上覧された琉球王府編纂の地誌『琉球国由来記 巻11』にも記されている。 琉球神道の最高神は太陽神「ティダ(ティーダ・テダ)」で、「天帝」「日の大神」「日神」とも記されます。またティダは、琉球方言で「太陽・天道・晴れ」も意味します。 「琉球の創生神」は、女神「アマミキヨ」と男神「シネリキヨ」です。「アマミキヨ(アマミキョ)」は「海神」「稲作を教えた神」でもあり、「アマミコ(阿麻弥姑・奄美姑・天孫)」「アマミク(阿摩美久)」「アマミチュウ(阿摩美津)」「アマンコ」とも呼ばれます。「アマミキヨ(アマミコ)」は、元々「沖縄・奄美の巫女」を意味した(であった)と言われます。「シネリキヨ(シネリキョ)」は「シレニク(志仁礼久)」「シルミチュー」とも呼ばれます。 琉球王国時代の史書「中山世鑑」「琉球神道記」に載る「琉球開闢神話(りゅうきゅうかいびゃく)」と、「日本神話の開闢神話」は酷似している ・最高神「ティダ(日の大神)」は、琉球を「神の住むべき霊所」であると認めた。 ・「ティダ」に命じられた、琉球の創生神「アマミキヨ(アマミク)」「シネリキヨ(シレニク)」の二柱の神が、琉球の島づくり国づくりを命じた。 ・「アマミキヨ」「シネリキヨ」は天より天下り、土地を造成して、島となり、九つの聖地(若しくは七つの森)を作った。 ・聖地のうち七箇所が「琉球開闢七御嶽」になり、最も崇敬される御嶽である。 ・また「二神は琉球開闢七御嶽を作った」とも言われる。 ・しかしまだそれらの島々には人間が住んでいなかったので、「アマミキヨ」は「ティダ」に「人の種子」を乞い、 「ティダ」はこの願いを聞き入れて自らの御子の男女を降臨させ、二人から三男二女の子が生まれた。 ・長男は「天孫氏(琉球最初の王統とされる氏族)」の始祖、次男は「諸侯」の始祖、三男は「百姓」の始祖、 長女は「君々(高級神女)」の始祖、次女は「ノロ(地方神女)」の始祖となったとされる。 ・「天孫氏」は25代続き、17802年間統治、25代目のときに、「利勇」という家臣に滅ぼされた。 ・その後、「利勇」を滅ぼして国を立て直したのが、初代琉球王「舜天」といわれている。 これは日本神話の「国生み」と対比される ・男神「伊弉諾尊(いざなぎのみこと)」と女神「伊弉冉尊(いざなみのみこと)」は、 天地開闢後に最初に現れた五柱の神「別天津神(ことあまつがみ)」たちに、漂っていた大地を完成させるよう命じられた。 ・「天沼矛(あめのぬまぼこ)を用いて、天から海をかき混ぜて、「大八島国(おおやしまのくに・日本)」の島々を形成した(島生み)。 ・二神は結婚して、御子神が生まれていった ・また太陽神「天照大神(あまてらすおおかみ)」は「高天原の最高神」である。 「アマミキヨ」は、海の彼方の理想国「ギライカナイ」から「稲」を持ち込んで、二つの泉である「受水走水(うきんじゅはいんじゅ・沖縄県南城市)」の前にある「御穂田(みーふだ)」「親田(うぇーだ)」のうちの「親田」に植えて、子孫の「アマミツ」が「御穂田」に植えました。ここは「琉球の稲作発祥地」、受水走水の神「ホリスマスカキ君ガ御水御イベ」に捧げる「神饌米(しんせんまい)」を作る「斎田(せいでん)」であり、毎年「親田御願(うぇーだうがん)」という田植え祭りを斎行、前にある「御祝毛(うゆえーもー)」と呼ばれる広場で神事を行い、神祀りの古謡「天親田のクェーナ」を四七番まで合唱します。 これは「豊受大神(とようけおおかみ)」の神格・伝承に類似します。豊受大神は「ウケ(食物)の女神・稲の霊」で、「伊勢神宮外宮(いせじんぐうげくう・三重県伊勢市)」や、「元伊勢」の一「比沼麻奈為神社(ひぬまない・京都府京丹後市峰山町)」ほか、各地で祀られています。「丹後国風土記」には「往昔豊受大神天降り、伊去奈子嶽(いさなごだけ)に真奈井を堀って水を注ぎ、田畑を作り種を植えて、五穀及び桑蚕等の種を伝えた」とあり、比沼麻奈為神社近隣の「清水戸」「月の輪田」は「豊受大神が苗代の清水戸に浸した籾を月の輪田に蒔き、とれた稲種を天照大神に奉った」という史跡で、神饌米を作る田植え式の神事が行われます。 「君手摺り(きみてずり)」は「通説では海と太陽を司る琉球王国の守護神とされており、琉球王国の存亡の機に降臨する」「ニライカナイに住まう」とという神で、また「君手摩を行事として記載する資料もあり儀式名である」とする説もあります。「新しい琉球国王の即位の儀式中、聞得大君に憑依する」とされ、国王就任に際しては、「君手摺り」か「君真物」が「琉球開闢七御嶽」を巡り、「安須森御嶽」に現れ、五つの御嶽を順に巡り、最後に首里城内に嘗てあった「首里真玉森御嶽(すいまだむいうたき)」に現れるとされます。 (「君手摺り」の他の呼び方「君手」「君てっ」「君って」) 「君真物(きんまもん・ちんまむん)」は「琉球の人民守護の女神」「王権守護の神」「琉球の国土人民を守護の為に現れる神」「最高の精霊という意味」であり、「ニライカナイからやって来る」「海底を宮とし、毎月現れて託宣する」と言われます。「琉球神道の最高神」とも言われ、別名が「君手摺り」という説もあります。琉球神道記は「弁財天と同神」、柳田國男は「君は巫女、真物は正式な代表者の意で、いつのまにか神の名になった」としています。この神には陰陽があり、天より現れるのは「キライカナイノキンマモン」、海より現れるのは「オホツカケラクノキンマモン」と呼びます。彼方より時を定めてやって来る「客人神((マレビト神)」だとも言われます。 「安須森御嶽(あすもり・あしむり・あすむい)」は「アマミキヨが始めて降り立った地」であり、御祭神は「カンナカノ御イベ」です。沖縄島最北端の「辺戸岬(沖縄県国頭村)」や、カルスト地形・急崖・奇岩群からなる景勝地「金剛石林山」に近く、「ヤンバルの森」が広がる一帯には御嶽が点在します。国頭村史には「1世紀頃にアマミキヨ族が南西諸島を南下してきて宇佐浜遺跡に居を構えた」とあります。「宇佐浜遺跡」は辺戸岬近隣の国史跡で、貝塚時代中期末か後期(繩文時代末か弥生時代)の「貝塚・住居・土器・石器」が出土しています。 (「安須森御嶽(あすもり・あしむり・あすむい)」の別名「辺戸御嶽(へど)」「あふり嶽」) 沖縄には「御嶽」など聖地ごとに、様々な神様が居ます。一般に、祀られる神としては「水の神」が多く、また「聖地の名を冠した神名」が多いです。末尾に「御イベ」と名の付く神が多く、御嶽の神域「イベ・イビ(威部)」に纏わります。神名・人名・仇名の末尾に付ける敬称に「加那志(がなし・がなし)」があり、語源は「愛し」とも「神の子」とも言います。「神の子」の場合、「みこ(神子・御子・皇子)」「ひこ(日子・霊子)」「ひめ(日女・霊女)」に対応する言葉と考えられます。同じく末尾として、南島全体に「かん(神)」「かんがなし(神加那志)」が多く、奄美地方では「かみさま(神様)」「かみさまがなし(神様加那志)」、八重山地方では「かんまぬい(神の前)」「かみさままぬい(神様の前)」が多いです。 南西諸島では、家庭においても信仰が篤く、「火の神」「床の神」「祖霊」などを祀り、「方角」には注意して、「霊石」があったりするなどしています。そして家族の健康や発展などを祈念します。よく知られる「シーサー」は、建物の門・屋根・村落の高台などに据え付けられ、家・人・村に災いをもたらす悪霊を追い払う魔除けの意味を持ち、屋根の上に設置されるケースが多いとされます。これは「獅子」とされ、琉球方言の「獅子」の名です。最古の元禄二年(1689)のシーサーが、八重瀬町に現存します。 「キジムナー(キジムン)」は、沖縄諸島周辺で伝承されてきた伝説上の生物です。「妖怪で、樹木(一般的にガジュマルの古木であることが多い)の精霊」「多くの妖怪伝承と異なり、極めて人間らしい生活スタイルを持ち、人間と共存するタイプの妖怪として伝えられることが多いのが特徴」「沖縄の大木に宿る精霊・キーヌシを擬人化したもの」などの特徴・説があります。沖縄本島でも地域によってこの類の精霊を全く別の呼称で呼ぶことも多く、八重山諸島では伝承は確認されていません。奄美群島では「ケンムン」という妖怪がいて、「キジムナー」や「河童」に共通する外観や性質が伝えられています。近年、「キジムナー」は「自然保護の象徴(神)」として扱われる事が多いと言います。沖縄や奄美群島では、「マジムン」という悪霊(の総称)が伝わります。 沖縄では、神道の「神職」に対応する存在は「神人(カミンチュ)」、「巫女」などに対応する存在は「ノロ(祝女)」「ユタ」と呼ばれます。「ノロ」は「祭司者」「神人の中の上位」、「ユタ」は「シャーマン」です。神人には他に「サス」「司(ツカサ)」「サスカサ」「アケシノ」がいて、「おもろそうし(後述)」では、ある種の神のような存在として登場します。このうち「ノロ」は「奄美諸島」にもいます。 「口寄せ巫女(霊と交感して意を伝える)」としての巫儀を展開している呪術宗教職能者として、古代の様相が残る東北地方北部の「青森県津軽地方・南部地方」「秋田県の一部」には、下北半島の霊山「恐山」などの「イタコ」がいて、「盲目の女性によるホトケ(死者)やカミの口寄せ」を行い、近年まで多数がいました。同地域の「ゴミソ」は「カミオロシ・祈祷・病気治療」などを行い、男性もいます。同様の職掌の人は、南西諸島では「ユタ・ホゾン・トキ(奄美群島・沖縄諸島)」「カンカカリャ・サス(宮古列島)」「ムヌチ・ニゲービー・カンピトゥ(八重山列島)」などと、「壱岐」では「イチジョウ」、他に「市子(イチコ)」「梓巫女(あずさみこ)」などと呼ばれています。「ノロ」「ユタ」「根神(ニーガン)」「おなり神信仰」などに見られるように、「琉球神道に女性による祭祀が多いのは、古代の神道の形態を色濃く残しているから」とされます。 日本の縄文時代の信仰は「縄文神道」とも言われ、この時代は「母系社会」でした。それを受け継ぎ「弥生時代・古墳時代の祭祀は、巫女が中心的立場」であり、「神託を基にした祭政一致体制」を行い、又は「"女性:祭祀者""男性:政治権力者"という二重体制」も多数存在していました。「邪馬台国」の「卑弥呼」「台与」も女性の巫女・シャーマンで、日本神話には多数の「女性神」「シャーマン的な女性」が登場します。 「勾玉(まがたま)」は「日本発祥の玉類」「縄文時代・弥生時代・古墳時代の、古神道の中心的な祭祀具・装飾具」で、沖縄諸島では「ガーラ」、宮古諸島では「マガーリャ(曲がっているもの)」と呼ばれます。本土においては古墳時代後期に製造が途絶、飛鳥時代はまだ用いられていたものの、奈良時代以降は、祭祀目的の使用も激減していきました。しかし沖縄では祭祀具として受け継がれていて、現在でもノロは「丁字型勾玉」を首から下げていて、これは「北部九州由来の、定形勾玉の頭部に数条の刻線をつけたもの」です。古墳時代、「前方後円墳」を頂点とした祭祀文化が一気に全国的に浸透、「勾玉など玉類・銅鏡・刀剣」ほか「多種多様の祭祀具の製造」が、「古墳の副葬品」「祭祀具」「装飾品(着装)」として非常に盛行しました。しかし奈良時代前後には「古墳文化の消滅」と共に衰退、これは「仏教」の興隆も一因ですが、沖縄では仏教は伝来の後も一般化しませんでした。 南西諸島は「巫女(シャーマン)による祭祀が多く残る地域」「母系社会の伝統が多く残る地域」「海洋信仰・東方信仰・太陽信仰が濃い地域」「海の彼方からの来訪神を祝う地域」という共通した特徴があり、これ以外にも「独自の祭祀形態」が多数存在します。「琉球神道・沖縄の祭祀形態」は「沖縄諸島」「先島諸島」だけでなく、特に「奄美諸島」を中心に、「トカラ列島」「大隈諸島」でも影響が見られ、「薩南諸島は本土文化と琉球文化の境界域」とも言えます。鹿児島県本土の西方の「甑島列島(こしきしま)」と、九州西北部の「対馬」「壱岐」「五島列島」、日本北方の「東北地方」なども同様に、「古代日本の辺縁部にあって、古代の祭祀形態・伝統・文化・言葉が多く残る地方」です。 琉球神道 ・琉球王国時代には事実上の国教として祭政一致体制に編入されていた。 ・民俗学者の折口信夫は著作「琉球の宗教」の冒頭で、 琉球の宗教を袋中以来の慣用によつて琉球神道の名で話を進めたいと断った後、 琉球神道は日本本土の神道の一つの分派、 あるいはむしろ巫女教時代のおもかげを今に保存していると見る方が適当な位であると述べた。 ・鳥越憲三郎は「琉球宗教史の研究」の中で、琉球宗教の二大潮流をなすものは 「御嶽信仰」と「火神信仰」であるとし、やがて「火神(ヒヌカン)」は「日神(テダ)と同一視され、 按司(アジ)や国王の実権の所在を表徴する役割を持つに至ったと述べている。 ・宮里朝光「琉球人の思想と宗教」によれば、琉球の固有宗教は、個人的な幸福を祈願するのではなく、 社会及びそれを支える生活や生産について祈願し祝福するもので、 社会が平和になれば個人は幸福になれると考えたのだと言う。 ・その固有信仰は、「祖霊神」「祖先崇拝」「火神」「ニライ・カナイ」「おなり神」 「水のセジ」「万物有霊」などがあるが、拝む対象の日月星辰を通して 現世に益をもたらす祖霊に報本反始するものであると述べている。 ・琉球神道など、沖縄地方の独自の祭祀場には 「御嶽(うたき)」「拝所(うがんじゅ・うがん)」「殿(とぅん)」「ビジュル」がある。 他にも「井(かー)」「ガマ(洞窟)」など、聖地の場所が多い。 ・沖縄一千年史 眞境名安興 初版大正十二年 昭和四十九年五版より 「琉球神道記」に「国の風として岳岳浦浦の大石大樹皆御神に崇め奉る。 然して拝貴即験(をがみあがめばしるし)あり」とあるが如く、琉球にては之を拝所と構へ、 概ね石垣を繞らし、香炉を備へ、内部には大樹怪岩ありて殊に蒲葵、榕榔、「ガジマル」等鬱蒼たり。 此の拝所は琉球全島に亘り、到る所に存在して夫々神名を有し、例へば「クバツカサ」(蒲葵司)……など称せり。 ・琉球神道は、琉球で自然発生的に生まれたと考えられている。 いつ頃発生したかは史料が皆無であるため明確ではないが、 7世紀にはすでに原型はあったと考えられている。 「ノロ、ユタが原始的な世襲型、召命型のシャマニズムであること」 「御嶽は古代集落が原型と考えられ、御嶽信仰は祖霊崇拝が変化したものと考えられること」 「おなり神信仰は、古代の母系社会や女性上位社会の変化と考えられること」 これらのことから、専門家の間では、琉球神道は古代信仰の形式をとどめていると考えられている。 ・琉球の民間社会において、民衆の宗教的機能を担う職能者は、 女性司祭者の「ノロ等の神人(カミンチュ)」と、シャーマンとしての「ユタ等」の類に別れる。 ・前者が主として「御嶽」「グスク等の聖地」「御願所」「拝所」において 部落や村落の公的祭祀や共同体の祈願行事の司祭をするのに対し、 後者は部落や村落の個々の家や家族に関する私的な呪術信仰的領域に関与している。 ・桜井徳太郎は、この両者とも沖縄民間信仰の底辺を貫流するシャマニズムの根の上に立ち、 沖縄の民間信仰を支える車の両輪と言えると述べている。 ・沖縄では、祭祀集団は地縁や血縁で組織される。 また「門中(むんちゅー)」あるいは「マキョ」といわれる親族集団が重要な位置を占める。 ・琉球王国では、その王統が「伊平屋島」「伊是名島」に由来することから、 「伊平屋・伊是名の神」を「王国の守護神」として王府首里に勧請した形跡が伺える。 ・一例として、国王巡礼の守護神となっていた有名な「園比屋武御嶽」の神が、 元々は伊平屋島の神であったことがあげられる。 ・「聞得大君」の神名である「しませんこ あけしの」は、 もともと国頭地方勢理客の御嶽の神名であることがわかっている。 ・・沖縄独特の他界観念として「グソー(後生)」観があリ、「あの世」と言える。 旧暦十二月二十四日にグソーへ帰って行った祖先が再び、旧暦一月十六日にこの世に戻ってくる。 この「後生の正月」に、家族・親戚一同が食事を持って、祖先を墓前で迎え、線香をあげるなどする。 ・本島とは別の生活圏として発達した各島では、それぞれ独自の宗教も存在した。 そのいくつかは、地域が琉球王国に併合された後も排斥されることなく現在も残っており、 地域の御嶽を中心に祭りを行っている。 ・琉球学研究者・伊波普猷は「琉球の神話」の中で、 「中山世鑑の起源神話と古事記の淤能碁呂島(おのごろしま)神話」 「宮古島旧記の神婚説話と三輪山神話」などの類似を指摘している。 ・大林太良は「記紀の神話と南西諸島の伝承」において、 日本の古典神話と奄美や沖縄の島々に伝承されている民間説話について、 「流れ島、天降る始祖、死体化生、海幸彦」に関する伝承神話を比較検討し、 次のことを結論として述べている。 ・「1:記紀に記された古典神話に親縁の諸モチーフは、 わが国における現存あるいは比較的近い過去の伝承としては、ことに南西諸島に残存している」 ・「2:これら南西諸島の伝承は、その基本的なモチーフ、構造においては 記紀の神話と大幅な一致を見せるが、神名その他の細部においては一致していない。 このことは古典神話、現存の記紀の形にまとめられてから、南西諸島に二次的に伝播した可能性よりも、 むしろ、記紀にまとめられる前の共通の母胎から分れて、 南西諸島において保存された可能性が大きいことを示唆している。 ・「3:もしもこの想定が正しければ、記紀の所伝と南西諸島の伝承の比較によって、 記紀以前の日本神話の古い形を再構成する可能性がある」 ・「4:その際注目すべきことは、南西諸島の伝承は、国土創成、人類創造、農耕の起源の 3つの主要問題を、一つづきのものとして取りあつかっていることで、 構成的にも、記紀の神話よりも一貫しているのみならず、 日本神話と深い親縁関係をもつと信ぜられるポリネシアなどの神話との比較から考えても、 南西諸島の伝承がより古い形を保存している可能性を考慮すべきである」 ・「5この一連の開闢神話に含まれない若干のエピソード、 たとえばオオゲツヒメ・モチーフや海幸彦・山幸彦モチーフも南西諸島に現存している」 ・「6:古典神話と後代あるいは現存の伝承との組織的比較はまだ極めて不十分な段階にある。 上記およびその他の諸問題をより明確に答えるためにも、一層組織的な材料の収集と比較が必要である」 セジ ・古くは「スヂ」「シヂ」とも呼んだ。 ・仲原善忠「おもろ新釈」によれば、「セジ」は霊力を意味し、セジが剣につけば霊剣に、 石につけば霊石となり、門・港・舟・社・城等にもつき、人についた場合は超人となると述べている。 ・仲松弥秀「神と村」では、「おもろ新釈」の説明を受けてさらに考察し、 セジすなわち霊力とは「人間としては不可能なことを成し得る能力」を 指しているであろうと述べている。 そうであるなら「人間としては不可能なことを成し得る能力」は 機能的に際限無く分類できるため、その能力を持つもの、 即ち「神」は琉球において八百万も居るということになるであろうと述べている。 ・琉球神道では、「魂」を「マブイ」と呼ぶ。 「マブイ込み(グミ)」は「魂振り(たまふり)」と類似の概念だと見られる。 ・神道では「フツ(経津主神に纏わる」「スヂ」「ケ(気)」「イツ(稜威・厳)」の概念にあたる。 ・これらは太平洋島嶼でみられる「マナ」の概念と同じである。 マナは「魔法や超能力といった、尋常ならざる特別な力の源・神秘的な力の源」である。 琉球の神 ・仲松弥秀「神と村」では、全知全能のセジの具備者なる存在を 古代琉球人が考えていたか否かについては研究不十分であるが、 種々の機能を各々分担したセジの保持者は想定していたと考えられると述べ、 人間は自己の欲するものを顕現してくれるセジを期待するのが至極当然であろうから、 琉球における神とは「人間に善をもたらすセジの顕現者」と言う観念に 傾斜していくことになるだろうと述べている。 ・琉球の神は主に「来訪神」と「守護神」に分類でき、 守護神や来訪神のいる異界・他界の「ニライカナイ」「オボツカグラ」に豊穣を祈り、 特に「ティダ(太陽神)」を最高神として崇める多神信仰である。 ・来訪神は異界の神であり、平時には人々の集落に存在しないか、御嶽にのみいると考えられる。 しかし祭りの時になると異界から集落や集落の御嶽に訪れると考えられており、 来訪神と人間の関係は極めて近しい。 ・特に著名な神は、「琉球の創造神」である「アマミキヨ(アマミク)」と「シネリキヨ」や、 「ニライカナイの最高神」である「東方大主(あがりかたうふぬし)」、 「国王就任の際に現れる」という「君手摩(キミテズリ)」などであるが、 この他にも多数の神がいると考えられている。 ・来訪する神は世界的に島嶼民族に共通して見られ、 一般に海を神聖視するが、これは琉球においても同様である。 これに関連して、折口信夫は「まれびと論」を展開した。 「まれびと(客人・稀人)」は「時を定めて他界から来訪する霊的もしくは神の本質的存在」。 ・一方、守護神はもともと地域集落の死者の魂=祖霊であり、 ニライカナイで神となって集落に戻ってくるとされ、 この神は平時に拝所や御嶽にいると考えられている。 ・過去の偉大な功績を残したノロが神とされ、墓地が御嶽となる例が確認される。 ヲナリ神(ヲナリガミ) ・「ウナイ神(ウナイガミ)」とも呼ぶ。 ・沖縄(宮古島以外)と奄美群島に存在する。 ・琉球の女性一般は全て「巫女的ないし神的素質を生得的・本有的に持つもの」と信じられているが、 その好例がヲナリ神信仰である。 ・「ヲナリ」とは琉球語で「姉妹」を意味し、 「姉妹(ヲナリ・オナリ・ウナイ)」は「兄弟(エケリ・又はイキガ・)」の守護神であると信じられている。 ・中でも特に、「妹」が「兄」を霊的に守護すると考え、妹の霊力を信仰する。 ・従って琉球の全女性は兄弟を持つ限りにおいてヲナリ神となるわけである。 ・おなり神信仰において、兄と妹の関係性は別格とされる。 既婚者の男性を霊的に守るのも伴侶である妻ではなく妹と考えられており、 近世までは既婚者に大事があった場合でも、その妹が呼び出されて祈念を行うことがよくあったという。 ・男が漁にいくときは、妹からもらったものをお守りとした習俗もあった。 ・伊波普猷はこのことから、この概念は男女間のすべての関係性を内包するものと指摘した。 つまり、「をなり」「えけり」には、肉親としての男女、恋人としての男女、夫婦としての男女の関係が多層的に想念され、 その世界において、兄=男が世界を支配し、妹=女は男を守護し、神に仕える神女と位置づけられるのである。 ・この観念は、俗世を支配する男性を、神に仕える女性が男と社会を霊的に守護するという観念に転化された。 政治を男が行い、その男を守護する女が神事を司り、神託を得て霊的に指導するという祭政一致体制の基盤となった。 ・この原則は集落レベルから国王にまで一貫されている。 集落のもっとも古い宗家の主人は「根人(ニーッチュ)」と呼ばれ、その妹は集落の祭事を司る「根神(ニーガン)」となる。 さらに領地を統治する「按司(アジ)」の妹は、その領地の祭事の司祭である「ノロ」となる。 そして「国王」とノロの最高位の「聞得大君」もまた、完結した宇宙であるえけりとをなりの強固な関係で結ばれていた。 これは、をなり神の持つ霊的守護力の概念が、王国において兄から家族、家族から集落、 集落から地域、地域から王国へと拡張し、拡大解釈されていったということでもある。 ・国王「尚宣威」が高級神女により罷免され、尚円王の子「尚真王」が王位を継承したという伝承もあり、 一時期は王のおなり神であるノロの方が国王より強大な権力を持っていたと考えられている。 しかし「尚真王」の時代に「聞得大君」職が設置され、この権力構造は国王優位に改められることとなった。 ・その後、薩摩の侵入を受けて以後、近代化を進める「羽地朝秀」「祭温」らの改革によって、 おなり神信仰を核とする古代的な神権政治の色彩は段階的に弱体化され、解体されていった。 ・ヲナリ神の信仰は琉球宗教の基本概念の1つとなっており、 「おもろさうし」の中にも「ヲナリ神」を詠ったおもろが数多く見られる。 ・琉球においては、政治的実権者とその姉妹から選ばれた巫女による 祭政一致の政教二重主権が見られるが、これは「ヲナリ神」の信仰に基礎付けられたものである。 ・ヲナリ神信仰は他の民族では既に見られなくなったが、 古くは何れの民族もかかる信仰を持っていたのではなかろうか、と鳥越憲三郎は述べている。 ユタ ・沖縄県と鹿児島県奄美群島の民間霊媒師(シャーマン)であり、 霊的問題のアドバイス、解決を生業とする。 ・殆どが女性で、男性も若干存在する。 ・「ノロ」「ニーガン」「神人」は、主として「御嶽」「グスク」等の聖地や 「御願所」「拝所」において「部落や村落の公的祭祀」や「共同体の祈願行事の司祭」をするのに対し、 「ユタ」などは「部落や村落の個々の家や家族に関する運勢(ウンチ)」 「吉凶の判断(ハンジ)」「禍厄の除災(ハレー)」「病気の平癒祈願(ウグヮン)」など 「私的な呪術信仰的領域」に関与しているという役割を持つ。 ・「神人」が聖地の司祭をするにあたり「死穢や婦人の血の忌み、出産の不浄を忌避する」のに対して、 「ユタ」は全く反対に「死者儀礼や死霊供養に密着」して、 その性格、生態、機能など多くの点で際立った対比を示しているが、 両者とも沖縄民間信仰の底辺を貫流するシャマニズムの根の上に立ち、 沖縄の民間信仰を支える車の両輪と言える、と桜井徳太郎は述べている。 ・ユタは弾圧の歴史により、その身分を隠して自身ではユタと言う称号を用いず、 また他人からそう呼ばれることに対し反感を抱く。 このため「神人(カミンチュ)」「御願者(ウグヮンサー)」「御願を捧げる人(ウグヮンウサギヤー)」 「判断(ハンジ)」など神に仕えることを表す名称を好み、 また「祭祀・巫儀・卜占」の区別が曖昧になってきている状況を受け、 侮蔑的語感を伴うユタと言う名称より易者を意味する「三人相(サンジンゾー)」や 風水を判断する「風水師(フンシー)」などの称号を用いる者もいる。 ・琉球史辞典では「ユタ」の語源を「おしゃべり(ユンタ)」あるいは 神がかりのときに体が「ユタめく(揺れる)」ことから名付けられたのではないかと述べている。 ・ユタと言う職業はどの様に成立したのか、諸説あり断定されていないが、 「神人(カミンチュ)から分化した」という考えが多いようである。 ・伊波普猷は、神託を宣伝するべき神人の中に、その様な力を持っていない名義ばかりの者がおり、 これらにかわって神託を宣伝する者が民間に出て、とうとう職業とするようになったのが 「トキ」または「ユタ」と称するものであると述べ、「ユタが神人から分化した」との考えを示した。 また、「ユタ」という語と「ユンタ(しゃべる)」という語との間には 内容上の関係があるかもしれないとも述べている。 ・桜井徳太郎は、部落共同体のシャーマンであった「祝女」や「根神」が 中央集権的琉球王府の官僚的祭司体制に編入される際に、 公共祭祀以外の宗教的機能を担った呪術的宗教者が現れたとし、 そうしたアウトローの呪術的宗教者は地域社会の民間信仰といっそう密着しながら、 在地性を発揮して民衆の要望に応えることになった。 そして終に官僚化した司祭者「祝女」と袂を分かったのだと述べている。 ・佐々木宏幹によると、沖縄本島においては、「シマ」あるいは「マキヨ」と呼ばれる村ごとに 総本家となる「根所(ニイドゥクル)」があり、その主人は「根人(ニンチュ・ニーッチュ)」、 姉妹は「根神(ニーガン)」と言われ、神がかりして村落の人々に生活指針を与えた。 やがて、8~9世紀になると「按司(アンジ)」が村々を併合し、 郡程度の領域を統治するようになったが、彼の姉妹や妻は「祝女(ノロ)」と呼ばれ、 やはり神がかりして領域内の人々に生活指針を与えた。 これらシャーマニックな女性の活動なくしては根人や按司の統治も完全足りえなかったが、 後代になると国家統一と中央集権化に伴って「根神」や「祝女」はシャーマン的性格を失って司祭化し、 シャーマン的機能は「ユタ」に移っていた、のだという。 ・ユタは、入巫や成巫の過程で創出した特殊な神を奉じ、 それが生涯にわたる守護神として信仰の対象となる。 ・ユタはこの神霊の名において精霊の世界の1分野に即応する巫儀の執行者となる。 言い換えればユタごとに、それぞれ管掌する専門領域が限定され、 先祖の系統を捜すのが得意なユタ、死んで間もない人についての判断(ハンジ)が得意なユタなど、 その専門分野が分かれている。 ・ユタは神の存在と力能を強調するが、その構成内容は神道の神であったり、 十二支の神であったり、祖霊、死霊、精霊であったりする。 ・ユタは自らに憑依する霊的存在が祖霊・死霊・精霊のいずれであるかは重視しないと言う 超自然観を持つが、神観念の曖昧性がその影響度を低下させることもないようである。 ・戒律はなく教義もないため、婚姻の有無や処女性なども問われない。 ユタは公的な祭事は行わないが神に仕えており、御嶽を巡って神と交信し、霊障や病気、 冠婚葬祭などの問題を中心に助言を行い、加えて公徳心や道徳心を説くことが多い。 ・本物のユタが能力を発揮するとき、右脳が通常では考えられない異常な状態になることがわかっている。 具体的には、論理的な言葉を話すときに活性化すると言われている左脳がほとんど活動を止め、 逆に右脳が活性化して論理的な言葉を発している状態になる。この原因は解明されていない。 ノロ(祝女) ・「ヌール」「ヌル」とも発音される。 ・沖縄県と鹿児島県奄美群島の琉球の信仰における女司祭、神官、巫(かんなぎ)、神女。 ・御嶽などにおいて部落や村落の公的祭祀や共同体の祈願行事の司祭を行い、 地域の祭祀をとりしきり、御嶽を管理する。 ・民間の巫女である「ユタ」とは異なる。 ・琉球王国の第二尚氏王朝の第三代国王尚真王時代に制定された神職。 ・宗教概念上、ノロは海の彼方の「ニライカナイ」と 天空の「オボツカグラ」に住む琉球の神々と、交信することのできる存在であある。 ・祭祀の間はその身に神を憑依し、神そのものになる存在とされている。 ・ノロは、しばしば「巫女」と訳されるが、現在の本土の神道の巫女の職掌と異なり、 「司祭」そのものである(本土の巫女も元々はノロと同様の存在であったと考えられている)。 ・民俗学では「祝女」の当て字がされるが、 これは男の巫を意味する「祝(はふり)」の女という表意になる。 ・これはノロの性格が本土でいう巫女よりも男性神職に近いためであろう。 ・神と交信し、神を憑依させることができるのは女性に限定されているため、 神官であるノロはすべて女性である。 ・現在、ノロのほとんどすべてが年配の女性もしくは老女であるが、 王国時代にはノロの婚礼といった記録もある。 ・ノロは原則として世襲制で、「ノロ殿地(どぅんち)」と呼ばれる家系から出る。 これらの多くは、琉球王国時代に王府より任命されたもので、 元々は各地域の有力「按司(あじ)」の肉親(姉、妹、妻など)と考えられている。 これは、琉球の信仰の背景にある「おなり神信仰」に由来すると考えられる。 ・新たなノロの就任に当たっては、それぞれの地域で認証儀礼が設けられているケースが確認できる。 「久高島」の「イザイホー」に代表され、12年に一度行われる就任儀礼である。 久高島で生まれ育った三十歳以上の既婚女性は神女となり、基本的にその要件を満たす全ての女性がこの儀礼を通過する。 「ニルヤカナヤ(ニライカナイ)」からの「来訪神」を迎え、新しい神女をその神々に認証してもらい、島から去る来訪神を送る。 史料に記録される限り八百年以上の歴史を持ち、「来訪神信仰の儀礼」として日本の祭祀の原型を留めているとされる。 ・ユタのように、「カンダーリィ(神垂れ)」と呼ばれる原因不明の体調不良といった 巫病、夢の啓示などにより、ノロに選ばれる例もみられる。 ・王国時代には、ノロの任命継承が不予などにより順当に行われなかった場合に、 そうした形で近親者から後継者が選ばれた例がある。 ・現在の「久高島」では、こうした霊感の強い人物「サーダカ・サーダカウマリ」を 断絶したノロの後継者として選ぶということが行われている。 ・ノロは原則として終生職であるが、現在の「久高島」では、 久高ノロと外間ノロ以外の神人には引退儀礼がある(08年現在、両ノロは存在しない)。 ・三代後(祖母から孫娘)に霊格である「霊威(セジ)」が引き継がれると考えられている。 ・ノロは豊穣を願い、災厄を払い、祖先を迎え、豊穣を祝うといった時期ごとにある 数多くの祭祀を行うことと、その祭祀において神を憑依させる依代となることが存在意義である。 これといった戒律や教典はなく、大衆に啓蒙すべき神の教えといったものもない。 ・偶像崇拝はしない。 ・ノロに決まった服装はないが、「琉装もしくは和装の着流しの白装束」であることが多い。 ・また「草の冠(神カムリ)などの草装」も見られ、 そうした異形の装束は神が憑依していることを意味している。 これは世界の各地のアニミズムで共通してみられる特徴である。 ・装身具として「勾玉」を身に着けることも多く、霊力を持つとされる。 ・特に処女性は問われないが、既婚か独身か、年齢要件などは現在も確認される。 ・王国最高位のノロである「聞得大君」の2代目までが生涯独身であったことや、 聞得大君以前からの由緒あるノロである阿応理屋恵職が生涯独身だったという記録もあり、 原始的には処女性が要求されたと考える説もある。 ・琉球では、村落は守護神となる氏祖が祀られた御嶽を中心に形成されたが、 その最も近き血縁者にして神の代弁者である家が「根所(ニードゥクル)」と呼ばれ、 村を支配指導する実権を掌握した。 ・根所は御嶽の神の代弁者として実権を代行する機関となったため、 神託を受ける者と、その神託によって村を治める者が必要になった。 ・この時、神託を受けたのは根所の女子から選ばれた「根神(ニーガン)」で、 神託をもとに政治的実権を行使したのは 根神の兄弟であり根所の戸主である「根人(ニーチュ)」であった。 ここに「妹・姉」の神託をもとに「兄・弟」が治める政教二重主権が生まれた。 この政教二重主権はヲナリ神信仰を基定として成立したと考えられる。 ・やがて村々を併合した「按司」と呼ばれる地方的実権者が現れるようになるが、 按司もまた彼の姉妹から宗教的実権者たる巫女を選出、これが「ノロ」である。 あるいは尊称を付して「ノロクモイ」と呼ばれた。 ・さらに時代が進むと地方実権者の1つである「中山国」により琉球統一がおこなわれ、 その中央集権化政策によって、ノロは「聞得大君」を頂点とした 官僚的神官組織に組み込まれることとなる。 ・琉球王国は、第一尚氏王統のときにすでに、首里の「佐司笠・差笠(さすかさ)」という祭司と、 国頭地方由来の「阿応理屋恵(煽りやへ・オーレー)」という祭司を最高位とする 祭政一致を行ってはいたが、当時はまだ各地域の神女体制は階層化されていなかったとされる。 ・第二尚氏王朝の尚真王の治世に、全国の神女体制を整理し、 琉球の信仰と統治機構を一体化した全国的な祭政一致体制を確立した。 ・「ノロ」という呼称はそのときに神職の正式名称として制定されたものだが、 祭祀制度そのものはそのとき初めて制定されたものではなく、 以前から各地域に女司祭がおり、各地域の祭祀を司っていたと考えられている。 ・尚真王はすでにあったこれらを整備し、中央集権的に階層化したのである。 ・ノロにあたる女司祭を、八重山では「ツカサ(司・神と同義)」と呼称する。 ・これら神職者は総称として便宜上「神女」と通称される。 ・「聞得大君(きこえおおぎみ・きこえのおおきみ・チフィジン)」は、琉球神道における最高神女(ノロ)である。 尚真王代に「高級神女三十三君」と「全国のノロ」の頂点として制定され、ノロへの命令権限を持った。 ・「聞得」は大君の美称辞で、「君」は「カミ」の意で、従って「大君」は「君の最高者」という意味であるという説がある。 琉球方言で「聞得大君加那志(チフィウフジンガナシ)」と称し、「とよむせだかこ(名高き霊力溢れる君)」の異名を持つ。 宗教上の固有名詞となる神名は「しませんこ あけしの」「てだしろ(太陽の依代)」である。 ・聞得大君は 主に「王家の女性(先代王の妻であることが多かった)」から選ばれ、原則として生涯職である。 琉球国王を守護する国王の「おなり神」であり、国王と王国全土を霊的に守護し、豊穣をもたらす神とされた。 初代の聞得大君は尚真王の妹である。 ・それまで、国王に仕える神女の権威は国王を上回るようになっており、尚真王の即位についても、 母オギヤカが高級神女と結託して謀略を巡らしただめだったという逸話も残っている。 ・国王と神官の権力関係は尚真王の時代に改められ、聞得大君職は権力として国王の下位に置かれている。 ・聞得大君は、王族の邸宅「御殿(うどぅん・おどん)」の神体である「御スジノ御前」「御火鉢ノ御前」 「金之美御スジノ御前」に仕え、「国家安泰」「海路安全」「五穀豊穣」などを祈願した。 ・首里には「聞得大君御殿(きこえおおきみうどぅん・沖縄県那覇市首里汀志良次町)」 「首里殿内(しゅりどぅんち)」「真壁殿内(まかべどぅんち)」「儀保殿内(ぎぼどぅんち)」の一本社三末社があった。 聞得大君御殿は、琉球各地にある「祝女殿内(ぬんどぅんち)」と呼ばれる末社を支配した。 ・聞得大君は 首里城内の十箇所の御嶽と斎場御嶽を掌管し、儀式を司った。 全国のノロたちを支配していたが、ノロへの任命辞令は国王から発せられていた。 これは制度的にはあくまで国王が神女組織を支配していたことを示すものと考えられている。 ・聞得大君の就任儀式は、斎場御嶽において「御新下り」が行われ、 この本質は「琉球の創造神との契りである聖婚(神婚)儀礼」と考えられている。 宗教観念上は、この聖婚により君手摩神の加護を得て、聞得大君としての霊力を身に宿すのである。 ・聞得大君の神名「しませんこ あけしの」は、国頭地方勢理客の御嶽の神名で、既存の祝女職と同じであることが判明している。 聞得大君職の元になった宗教概念が以前から存在したと考えられるが、その詳細については不明な点がある。 また「てだしろ」はそれまで「馬天祝女の神名」であったが、聞得大君職の制定とともに馬天祝女から剥奪された。 ・それまでの琉球王国における祝女の最高位は、「佐司笠(差笠・さすかさ)」職と、 国頭地方由来の「阿応理屋恵(あおりやへ/ 又は"煽りやへ・オーレー)」職であり、 これらは聞得大君職制定のあと、全祝女の中で聞得大君に継ぐ第二位の格付けと降格されている。 ・聞得大君の下には、「阿応理屋恵」「佐司笠」などの「君」や、 首里の「三間切(三平等・みふぃら)」をそれぞれ掌管する、三人の「大阿母志良礼(おおあもしられ)」がいた。 その下に各地方を統括する「大阿母」たち、 更にその下に各地域の祭祀を管轄する「祝女」を配するヒエラルキーを形成していた。 ・高級神女たちを総じて「三十三君」と呼んでいた (三十三君については、三十三人ではなく「三十三」は「百」のように「大勢」ほどの意味とする説が有力)。 そのほとんどは首里に在住し、王家となんらかの血縁関係にあったと考えられている。 ・当時のノロは領地を認められた一種の地方大名だった。 また、犯罪などの問題があった場合に、一種の神聖裁判を行った記録もあり、 信仰を背景に地域自治にも大きな権能を有していたことが推察される。 ・琉球王国は戦闘の際に神女を派遣して、呪詛を行わせた。 これには「航海安全」「必勝祈願」「戦闘前に呪詛で敵方の戦意をくじく」という目的があった。 沖縄には「女は戦いの先駆け(イナグヤ イクサヌ サチバイ)」という言葉がある。 明応九年(1500)の石垣島での「オヤケアカハチの乱」では、各島から神女を集め兵隊と共に派遣した。 オヤケアカハチ側にも神女は多数いて、王府の船団を前にして木の枝などを振り回して呪詛した。 ・この神女体制は17世紀中ごろ形骸化し、ほとんどの高級神女職は1600年間に廃職された ちなみに、この時期に残った三十三君は今帰仁の阿応理屋恵(一度廃職後18世紀に復活。現在廃職)、 伊平屋の大阿母(昭和6年廃職)、久米島の君南風の三職のみで、 いずれも首里に上がらない地方在住のノロである。 ・後も各地域のノロ職は存続を続け、多くが現在まで各地域に残っている。 ・聞得大君職は王国滅亡後も長く存続し、太平洋戦争中の1944年に就任した 第18代・思戸金翁主を最後に、大戦後に廃職となっている。 ・現在、三十三君にあたる高級神女では、久米島の「君南風(チンペー)」職が 久米島最高位の祝女として存続している。 ・嘗て日本本土に「呪師(ノロンジ)」と呼ばれる職能の人々がいて、 社寺に帰属、祀りや芸能に携わり、「猿楽」「田楽」の起源に関わっているという。 一説に、ノロとノロンジは類似の起源だという。 御嶽(うたき) ・琉球王国(第二尚氏王朝)が制定した琉球の信仰における聖域の総称で、 それ以前はさまざまな呼び名が各地方にあった。 ・「うたき」の呼称は、主に沖縄本島とその周辺の島々で発声される。 沖縄諸島では「御嶽(うたき・うがん)」「腰当森(くさてむい)」「拝み山」「城(ぐすく)」、 宮古地方では「御嶽(うたき・おたけ・すく)」、 八重山地方では「御嶽(おん・おたき)」「山(やま)」「嶽(たき)」「杜(むる)」、 奄美地方では「拝み山」と呼称するが、近年では「うたき」への傾倒がみられる。 ・御嶽は「琉球の神話の神が存在、あるいは来訪する場所」、また「祖先神を祀る場」でもある。 ・「地域の祭祀においては中心となる施設」であり、「聖林」となっていて、 琉球の村落に必ず存在、地域を守護する聖域として現在も多くの信仰を集めている。 ・琉球王国時代の古い集落については、おおむね集落ごとに1箇所以上の御嶽があると考えてよい。 当時から現在にわたって存在する集落の場合は、御嶽もまた残っていると考えられる。 ・「腰当森」の意は「腰当のように、孫を抱いている場」だという。 ・御嶽に祀られる御祭神は、「村落の祖霊神」「英雄神」「ニライカナイの神」「竜宮神」などであったりする。 ・御祭神が「村落の構成員と血縁関係を持つ氏祖」の場合、 村落構成員に対し絶対的守護の義務を負っている。 ・琉球の信仰では神に仕えるのは女性とされるため、琉球王国時代は完全に男子禁制だった。 現在でも、その多くが一定区域までしか男性の進入を認めていない。 氏子にあたる「山人数(やまにんじゅ)」という祭祀集団は中に入れるが、 「イベ・イビ(威部)」までには入れない。 ・多くの御嶽は、古代において「集団墓地」であったとする有力説がある。 御嶽には「葬所」がある場所が多く、祖霊を祀る場である事が多いことによる。 沖縄の葬法は、遺体を腐らせて骨にして、骨を納骨器に入れて墓に納める「二重葬」が一般的で、 「遺体を骨化させる風葬所」「骨を納める墓」の双方を「葬所」と呼ぶ。 ・御嶽の多くは「森の空間」や「泉」や「川」などで、「島そのもの」であることもある。 ・御嶽は「山(嶽・嶺)の頂上」「丘陵の頂上」にある事も多い。 ・本来、御嶽には「社(やしろ)」などの人工物はなく、「自然物(岩石・植物など」を礼拝していた。 ・御嶽の域内で枯れ木を採ったりするのはタブーの場所もあるという。 ・御嶽の構造は、次のようになっている。 ・神域は森に囲まれていて、「御嶽林」とも呼ぶ。 ・「神の依り代」である「クバ」や、 「天からの梯子」と言われるヤシ科の「マーニ・マニン(クロツグ)」などの木が生い茂っている。 ・入り口に「鳥居」がある御嶽と、無い御嶽がある。 ・その先に、神を迎え入れ祭祀を行う「殿(とぅん)」や、 奉納芸能を行う広場「神あしゃぎ」がある。 ・大きな御嶽では「神あしゃぎ(神あさぎ・神あしあげ・神軒)」や「神庭(みやあ)」と呼ばれる 「前庭や建物」といった空間が設けられていることがある。 ・これは「御嶽の神を歓待して歌ったり踊ったりするための空間」「神が一休みする場」である。 ・八重山では「バンク」と呼ばれる、神あしゃぎの一角にしつらえられた桟敷がある。 ・旧暦八月十日前後の「豊年祭」で、「村芝居」と「八月遊び」などを行う。 元は木造茅葺だったが、現在は殆どが木造鉄板葺やコンクリートブロック造りである。 ・その奥に「御嶽家(おんやー)」、又は「拝殿」と呼ばれる「拝殿」がある。 ここからは裏側へ抜けられるようになっている。 ・裏側には小さな庭があり、その奥に「威部の前(いびまぬい・いぶぬめー)」と呼ばれる門がある。 ・一番奥に、「石碑」「石祠」「石組みの構造物」などの形状の 「イベ・イビ・ウブ(威部)」石がある所があり、 又はその神域の空間を「イベ・イビ・ウブ(威部)」と呼ぶ。 ・周囲は「岩盤」「塚状の場所」となっている所もある。 ・神が降臨する「依代」であり、厳密な意味での「御神体」ではないが、 「御神体」として扱われている所も多い。 ・イベには「自然物」、大抵「自然石」「大木(クロツグやクバ)」が置かれていて、 「古墓」があったりして、根本か手前に「香炉」が置かれている。 ・ここは、特にイビの入り口の「いびぬまい」から先は、 祭祀を行う中心となる神人以外立ち入り禁止となっている。 ・「イベ」は、一般に「イベ(石)」「イビ(石)」と呼ばれる。 「琉球国由来記」などの表記では「イベ」、沖縄では「イビ」、八重山では「ウブ」と呼ぶ村が多い。 宮古では「イビ」が通例で、「イビシ」の例もある。 沖縄本島で「イビガナシ」と呼ばれる例もあり、「奄美群島」でも類似の物が「イビガナシ(イビガナス)」と呼ばれる。 ・「イビ」の語源について仲原善忠は「忌み避ける場所」の意と解釈している。 ・沖縄本島の「五月ウマチー(稲の初穂祭り)」には、「イビヌメーから御嶽の裾まわりに帯綱を張り巡らす」例がある。 ・宮古では「御嶽の一角に立てられた神石」や「屋敷神を祀る石」を、「イビ(イビシ)」という。 ・奄美群島の徳之島には、「寄り石」と伝えられている石を 「イビガナシ(イビガナス)」として祀っている例がある。 ・奄美群島の瀬戸内町(加計呂麻島・与路島・請島)には、 「イビガナシ」と呼ばれる「神石」を祀る例がある。 ・「神あしゃぎ(神あさぎ・神あしあげ」は、奄美諸島・トカラ列島では「あしゃげ」と呼ぶ。 ・沖縄本島南部では、民家に「アシャギ」があり、客人をもてなす所である。 ・語源は、「神あしあげ(神が足をあげる場=腰を下ろす場)」や、 折口信夫や伊波普猷は、古事記に見える 「足一騰宮(一柱騰宮・あしひとつあがりのみや)」としている。 ・「足一騰宮」は、初代「神武天皇(じんむ)」が天皇即位前の 「神倭伊波礼毘古命(かむやまといわれひこのみこと」という名のの時代に、 日向(宮崎県)の「高千穂」から東征へ向かう経路において、最初に寄った場所である。 ・舟軍を率いて筑紫(福岡県)へ向かい、 豊国の宇沙(うさ・大分県宇佐市)に着くと、 「菟狭国造(うさくにのみやつこ)」の祖 「宇沙都比古(うさつひこ)」「宇沙都比賣(うさつひめ)」が 「行宮(あんぐう・仮宮)」の「足一騰宮」を作って、 「大御饗(おおみあえ・大宴会)」でもてなした。 ・「宇佐」は「海人族の重要拠点」であり、 「宇佐神宮(大分県宇佐市)」は「八幡信仰の総本宮」として、 古代に朝廷から最も崇敬された神社の一社である。 ・宮古・八重山地方にも、宗家に「神あしゃげ」があったという。 類似した物に、「アサイ」という前の屋、 神祝い(カンヨイ)という神事に造られる「苫屋(トウマヤー)」がある。 ・宮古や八重山地方では「過去に実在したノロの墓」を御嶽とし、 そのノロ「を地域の守護神」として祭っていることが多く見られる。 ・御嶽は、日本本土に見られる「神社の原初的形態」である 「神籬(ひもろぎ)」の形式を伝えるものである。 ・折口信夫は「御嶽は元々、天の遥拝所であり、後に神の降誕地という姿をとるようになった」としている。 ・鳥居が設置されている御嶽が散見されるが、これは明治維新から 琉球処分以降の「皇民化政策」による神道施設化の結果であり、本来のものではない。 ・沖縄本島では戦後、鳥居が撤去された御嶽も多いが、 宮古や八重山地方の御嶽の多くには戦後もそのまま鳥居が残されている。 ・御嶽はもともと「古代社会において集落があった場所」 「御嶽を中心に集落が形成された」と考える説が有力である。 その証左として、御嶽の近くから遺骨が見つかる例が少なくない。 これは「祖先崇拝であること」に強く関係していると考えられる。 ・「多くの川や泉」が「御嶽もしくはそれと同格の扱い」をされているが、 これは保水力の乏しい琉球石灰岩からなる沖縄県周辺の土地性などから、 古代社会では水源が神聖視されたためと考えられる。 ・鳥越憲三郎は、琉球の村落成立の重要な因子として、 生活資料が確保できるかの経済的条件、気候や住環境の良し悪しの自然的条件、 御嶽を創立する場所が選定できるか否かの宗教的条件の3つをあげ、 村落成立にはこの3つが満たされる必要があったと述べている。 ・仲松弥秀は、御嶽の神と村人の関係は、祖霊神とその後裔の血縁関係であり、 御嶽の神が村人を守る形で村落が形成されているとする「オソイ(愛護)とクサティ(腰当)」の理論を展開した。 ・琉球では偶像崇拝はせず、集落ごとに祖霊神や来訪神が訪れる自然の聖域である 御嶽を拝所として設け、神の来訪を祝う神事としての祭りを行い、安全や豊作を祈願したり感謝する。 ・「城(しろ)」を意味する「城(グスク・グシク)」は、三山時代に築かれ、「王や按司の居城」となっていた。 ・グスクには「御嶽・拝所が存在するもの」も多く、「古いグスクには必ず御嶽がある」と言い、 「首里城」「玉城城」など、グスクそのものが御嶽とみなされていたグスクもある。 政治的な意味合いが強く、軍事目的に利用されなかったグスクもある。 ・このことから「グスクは、御嶽を中心にした集落であったものが発展し、城砦化した」というのが有力説である。 ・グスクは丘陵頂上に築かれたが、頂上の岩を「イベ・イビ(威部)」としていたり、 頂上部が聖域として、御嶽となっている物が多い。 ここから「御嶽は元々、山岳信仰・磐座祭祀・自然信仰の場であった」とする見方がある。 ・著名な「斎場御嶽」「園比屋武御嶽」のように観光資源化している御嶽もあるが、 それはどちらかといえば稀な例であり、多くの御嶽は、 現在も地域の人々(女性)や、そこを管理するノロによって管理されている。 ・御嶽はほぼ年間を通してたびたび行われる地域の様々な祭事の中心となるばかりでなく、 「東御廻り(あがりうまーい)」や「今帰仁上り(なきじんぬぶい)」などの巡礼地として崇められているものもある。 ・「東御廻り(あがりうまーい)」は、琉球民族の祖「アマミキヨ族が渡来し、住みついたと伝えられる 「知念・玉城の聖地を巡拝する神拝の行事」で、後に「琉球国王や聞得大君の聖地巡拝の行事」となり、これを今に伝える。 「首里城」を中心に、「大里・佐敷・知念・玉城の各間切」を「東四間切」または「東方(あがりか)」ということから、 「知念・玉城の拝所巡礼」を「〈東廻り」と称した ・戦争、米軍による土地接収、発掘調査や開発にともない、立入が禁止または制限されたり、破壊された御嶽もある。 ・一例として、首里城敷地内にあった十御嶽のいくつかは、 かつては現在の首里城再建以前には信仰者が来訪することができたが、 同城の再建などの整備にともない立入の制限または有料観覧区域となったり、埋め立てられるなどした地域がある。 拝所(うがんじゅ・うがん・をがん) ・「御願所(ウガンジュ・ウグヮンジョ)」ともいう。 ・「ウガミ(沖縄北部)」「ウガミヤマ(拝み山・奄美)」より転化した語。 ・八重山では「オガミ」が「オン(ワン・ワー)」ともなる。 ・民間では「ウガン」「森(ムイ)」「ヤマ」が普通使われる。 ・沖縄地方で「神霊が依りつく聖域」で、その前で人は拝む。 ・御嶽より小さく、拝む人の範囲も限られる。 ・拝む場所で種々の場合がある。 一般的には「森」などにあり、「高い樹木の下」の場合や 「石(サンゴなどの)」が置かれている場合も、「コンクリートの構造物」を作っている場合もある。 ・「神がたどり着いたとされる岬」なども指す。 ・元は「墓地」であった場所が多く、「ガマ(洞窟)や崖の古墓」が拝所である事例が多い。 ・神聖な場所で、神社も拝所にはいる。 ・共同で拝む場所として、色々な施設、小学校や中学校、高校にも拝所がある場合があるが、 文科省では、それを宗教施設とは考えていない。 ・宮古島では個人の神様即ち、個人の守護神の場合がある。 「まうがん」といい、拝所も一人一人異なる。 ビジュル信仰 ・ビジュルは「主に沖縄本島でみられる霊石・石神信仰」である。 ・「豊年祈願・五穀豊穣」「豊漁祈願」「雨乞い」「子宝祈願・子孫繁栄」「子供の成長」 「健康祈願」「航海安全」「天災回避」「夫婦円満・家内安全」「商売繁盛」「良縁成就」など、 各種の祈願がされる。 ・十六羅漢の一つの賓頭盧(びんずる)がなまった言い方。 「ビジュル」のほかに、古語としての「ビンジル」はじめ、 「ビンジリ」「ビジリ」「ビンジュル」「ビジュン」とも呼称されている。 ・多くは「人の形(ダルマ形)をした自然石」で、 大きさはさまざまで15センチほどのものから、1メートルくらいである。 ・「ティラ」と呼ばれる「洞穴・石祠・神殿」などで祀られている。 ・しかし近年は、集落はずれの林にポツンと残されたビジュルもある。 ・ビジュル信仰は各地にあって、確認されているだけでも120個体は下らないとされている。 ・ビジュルの由来憚は、場所により多少の差はあるが、大抵は漂着に由来する。 「海岸に漂着した石に神が乗り移っている」として祀られるようになったという伝説が多く、 ニライカナイ信仰とも結びついている。 土の上から出現したとする伝承もある。 ビロウ(沖縄名:クバ) ・漢字表記は「枇榔」「檳榔」、別名「蒲葵(ホキ)」、 沖縄名は「クバ」で、「コバ」「クボウ」「フボウ」「コボウ」などとも呼ぶ。 古名は「阿遅摩佐・阿知末佐(アヂマサ)」。 ・ビロウの名は「ビンロウ(檳榔)」と混同されたものと思われるが、ビンロウとは別種である。 ・ヤシ科の常緑高木。 ・幹は通常が高さ3~10m、高いもので15mほどに成長、「シュロ」よりも太く直立する。 ・葉は掌状に広がり、2mほどにもなり、丈夫である。 ワシントンヤシにも似るが、葉先が細かく裂けて垂れ下がるのが特徴である。 ・沖縄などでの用途 ・庭木・街路樹 ・葉や幹は工芸品や民具などに使用されることが多い。 葉は扇や笠、柄杓、屋根に葺くなど、嘗ては「サバニ(舟)」の帆に使われた。 幹は床材になる。 ・若芽を食用にする、クバ餅など。 ・沖縄市の市の木である。 ・東アジアの亜熱帯の「南西諸島」「九州と四国南部」「小笠原諸島」 「中国南部」「台湾」の海岸付近に自生し、北限は「沖ノ島(福岡県宗像市)」。 ・ビロウにちなむ地名として、「枇榔島(びろうじま・宮崎県門川町・鹿児島県志布志市・南大隅町)」 「蒲葵島(びろうじま・高知県大月町)」、「大築島(熊本県八代市)」の別名「檳榔島(ビロウジマ・ビンロウジマ)」などがある。 ・青島神社(宮崎県宮崎市) ・全島が境内地の「青島」を霊域と崇める、海洋信仰の神社。 ・青島には熱帯・亜熱帯植物や、北半球最北のヤシ科植物の群生地が広がり、ビロウの木が生い茂る。 島周囲の海岸に名勝「鬼の洗濯板」が広がる。 ・御祭神は「天津日高彦火火出見命(あまつひだかひこほほでみのみこと)」、 妃神「豊玉姫命(とよたまひめのみこと)」、「塩筒大神(しおづつのおおかみ)」。 ・社伝によれば、「山幸海幸」神話で、「彦火火出見命(山幸彦)」が「海神宮(わたつみのみや)」から 帰還した際に、青島に上陸して宮を営んだため、その宮跡に命と上記二柱の神を祀ったと伝わる。 ・近隣の「松添貝塚」は、縄文時代後期から晩期にかけての貝塚で。 「加工されたクジラの骨」「多種の魚骨・貝殻」などが出土、「装飾を施した骨針」は海の信仰を伺わせる。 ・日向国(宮崎県)は「山幸海幸」神話が濃厚に伝わる(後述)。 ・日本神話で、第十一代「垂仁天皇(すいにん)」の皇子「本牟智和気命(ほむちわけのみこと)」は、 唖を治す為に出雲に行き「檳榔長穂宮(出雲にゆき「檳榔長穂宮(あぢまさながほのみや)」に住んだ。 その地は、出雲国二宮「佐太神社(さだ・島根県松江市)」とも、「富能加神社(ほのか・島根県出雲市)」とも言う。 ・「淡島 自凝(おのごろ)島 檳榔(あぢまさ)の島も見ゆ 放(さき)つ島も見ゆ(古事記・仁徳天皇御製)」 ・古代天皇制においては松竹梅よりも、何よりも神聖視された植物で、 公卿(上級貴族)に許された「檳榔毛(びろうげ)の車(=牛車)」の屋根材にも用いられた。 「檳榔毛の車」は、平安時代では貴族の一般的な乗り物であった。 移動のための機能性よりも、使用者の権威を示すことが求められ、重厚な造りや華やかな装飾性が優先された。 金銀の装飾を施すなど華麗という以上に奢侈に流れる弊害のために、寛平六年(894に、一時乗車が禁止されたこともある。 ・天皇の代替わり式の性質を持つ「大嘗祭」においては、 現在でも天皇が行う「百子帳(ひゃくしちょう・禊祓の為に籠る仮屋)」の屋根材として用いられている。 「百子帳」は「ビロウの別名」とも言い、また「蒲葵の葉」が用いられも下。 ・「笠」にもビロウが使われ、また「弓・矢」に用いる事もあった。 ・平安時代の宮廷ではビロウの葉で作られた「扇」が珍重され、また、祭りの時にビロウの「扇」が用いられた。 ・後に、本土ではクバの木や葉の入手が困難なため、 模造として「桧扇」が作られ、「紙扇」となって、祭具などに用いた。 ・「修験道(神道と仏教が習合した山岳信仰)」の「修験者」が、峰入りの際に蛇や災厄よけとして腰にさし、 護摩焚きの際に用いる「簠簋扇(ほきせん)」も、原型は「蒲葵扇(ほきせん)」だったと考えられている。 ・民俗学の折口信夫はビロウに「扇の原型」を見ており、その文化的意味は大きい。 扇は風に関する「呪具」であったからである。 折口は、クバを念頭に置きながら、琉球諸島を巡っている。 ・九州に多い「コバ(古場・古庭・木場・木庭・木葉・小場)」という地名と関連付ける見方がある。 ・沖縄では「クバの木」は「神の依り代」であり、「御嶽などの聖地」を取り囲む森林域に生えている。 その理由は、クバの木は樹高が高いので、神が「あふり(天降り・降り立つ)」するのだと言う。 ・沖縄では「世の始まり」を「クバヌファユー(クバの葉世)」と言って、 そこでは男も女もクバの葉で作った衣を腰にまとっていたと伝わる。 ・御嶽・拝所の御祭神として、「クバツカサ(蒲葵司)」という神名があったりする。 ・「琉球開闢七御嶽」のうちの、久高島の最高の聖地「クボー御嶽(フボー御嶽・沖縄県南城市知念)」と 「クボウ御嶽(沖縄県今帰仁村今帰仁グスク内)」は、「クバの木に由来する名称」である。 ・「久高島」は、嘗ては「クバ島」と呼ばれ、「神がクバの木を伝って降りてくる」という伝承があった。 ・「浜比嘉島(はまひがじま・沖縄県うるま市)」には「クバ島」と呼ばれる属島の小島があり、クバの木が生い茂る。 クバ島には貝塚時代後期末の祭祀遺跡とも言われる「比嘉クバ島遺跡」があり、土器や石器が出土した。 浜比嘉島には次のような伝承が伝わる。 ・「久高島」に降り立った「アマミチュー(アマミキヨ)」は、洞穴がなかったので「津堅島(つけんじま・沖縄県うるま市)」に渡った。 ・津堅島には水がなかった。 ・両方を求めて探してたら「浜比嘉島」の「シルミチュー(シネリキヨ)」に水と洞穴のある場所見つけた。 ・そこに住んだ「シルミチュー」は、近くの「クバ島」で「ウミチルー」という女の子を生んだ。 ・「ウミチルー」は十歳の頃、クバ島から海に投げ捨てられた(日本神話の「蛭子神(ひるこのかみ)」の伝承に類似)。 ・浜比嘉島には「アマミチュー・シルミチューが居住した洞窟・墓」と伝わる聖域がある。 ・「久場島(くばじま・沖縄県座間味村)」は、古書に「こはしま」「古場島」とある。 無人島だが、島内最高峰の「久場島の岳」には、古来「航海を司る神を祀る御嶽」があり、 現在でも「阿嘉島(あかじま・沖縄県座間味村)」の住民は久場島に度々訪れる。 ・「宮古島」には「クバの葉がイキイキと育っていれば島は安泰」という伝承がある。 沖縄・奄美群島の墓葬制 ・沖縄・奄美群島の墓葬制として、嘗ては「風葬」の特徴があった。 嘗ての本土日本では、一般民衆は墓を設けずに遺体は遺棄されたが(はふる)、これと共通するとも言う。 ・「琉球地方の風葬」には大きく分けて二通りの方法があった。 「特定の洞窟・山林に遺体を安置してそのまま共同の墓所とする方法(グソーに通じる)」 「亀甲墓や破風墓の中に棺を一定期間安置し、風化して白骨化した後に親族が洗骨を行い、改めて厨子甕に納める方法」である。 ・沖縄県では埋葬がなく本土の墓制との議論は難しい。 現在でも沖縄県の一部では、墓はただの納骨所として、祭祀の対象としていないところも存在する。 ・沖縄では、古来天然の「ガマ(洞窟)」や「岩陰」に遺体を運んで「風葬」にする習慣があった。 ・「掘込墓(ほりこみばか)」や「フィンチャー」と呼ばれる墓が、後に現れた。 斜面や岩盤に人工的に横穴を掘り、その入口を石積みや漆喰で塞ぐ形式の墓である。 これを古代「隼人」の墓とも言われる、宮崎県・鹿児島県の「地下式横穴墓」に由来するとの説がある。 ・「地下式横穴墓(ちかしきよこあなぼ)」は、地面に竪穴を掘り、そこから更に横穴を掘って地中に墓壙(玄室)をつくり、その中に被葬者を葬る墳墓である。 地上には何らの標示物もなく、田畑耕作や農地改良の際の偶然の発見が多かったが、最近では地中レーダー探査で発見されることもある。 日本最大級の古墳群「西都原古墳群(さいとばる・宮崎県西都市)」の十二基を北限に、一ツ瀬川、大淀川、川内川の各流域地帯や、 宮崎県中央内陸部から霧島山麓の諸県盆地にかけて分布しており、「宮崎県」側に約六百基、「鹿児島県」側で約百基が確認されている。 特に、県最西端の市「宮崎県えびの市」地域において、三百基以上が確認されている。 副葬品として、武具類が主に出土するが、ここから「地下式横穴墓=隼人の墓」というイメージが形成されたと思われる。 しかし、「地下式横穴墓の築造時期(5世紀前半後葉 - 7世紀初頭)」と「隼人の出現時期(7世紀末)」は一致せず、 現在では地下式横穴墓と隼人とは関係ないとする考え方が一般的である。 ・「破風墓(はふばか)」は沖縄特有の墓の形式の一種で、家屋同様の屋根があるもののうち、屋根が破風形のもの。 16世紀に現れ、「掘込墓」の正面を切石で装飾していて、通常三角形の屋根を持つ。 沖縄で最初の破風墓は「玉陵」である。 琉球王国時代を通じて王室以外の造成は許されなかった墓の形式だが、明治十二年(1879)以降に解禁され、一般に普及した。 家屋状墓のうち、破風墓でないものは「屋形墓」という。 ・「亀甲墓(かめこうばか・きっこうばか・カーミナクーバカ)」は、墓室の屋根が亀甲形をした沖縄県に多く見られる墓様式。 「掘込墓」の正面屋根を亀甲型に装飾した墓のことで、破風墓と外観は異なるが構造的にはよく似ている。 亀甲墓はこの墓の前部に祭祀を行うための「墓庭」を設けてその周りを「石牆(石垣)」で囲み、 墓庭の正面奥には複数の「蔵骨器(厨子甕)」を収めることができる墓室を設ける。 琉球王国時代は破風墓とともに士族のみに許された墓であったが、廃藩置県以後は庶民の間でも急速に普及した。 起源は中国南部から伝わった「唐墓(とうばか)」であると言われ、福建省や台湾には、亀甲形をした、亀甲墓によく似た形式の墓がある。 中国のそれは個人墓が主流である。 亀の甲羅状の屋根が覆う部分は、一説には「母の胎内」、そこから人が生まれてきた出生以前の胎内を意味していると言われる。 中国の易経の世界観では、人の一生が、誕生以前の漆黒の闇を黒冬とし、青春(青年期)、朱夏(壮年期前期)、 白秋(壮年期後期)を経て、老い衰えて目も見えず、耳も聞こえなくなると、再び死の闇に戻る。 これで一生の円環が閉じるのだが、この四つの季節に方位の東西南北が当てられ、それぞれを四聖獣が守護するといわれ、 北の玄冬(老年期)に充てられているのが、伝説上の亀の一種、玄武であることから、母体の中の闇の世界を亀の甲羅で覆ったのではないか、と考えられる。 ・宮古島・石垣島には「崖下墓」があり、宮古島市島尻には3つの郭がある 石組み、グスクで囲った大きな墓(長墓)があり多数の骨があるが、祭祀が行われたかは不明である。 ・宮古島地方では、沖縄本島から伝わる以前から「巨石墓(ミャーカ)」があり、風葬の代表的な例とされている。 屋根のない石囲いの中に遺体を葬るものであったが、後世風葬を嫌う考えが起こって屋根をかぶせるようになった。 「仲宗根豊見親」の墓のように、本島の横穴墓形式との折衷も見られる。 沖縄本島島尻地区、大神島にも風葬があり、昭和時代には洞窟などから遺骨が多数発見されたことがある。 ・久高島の「グソー(後生)」観は、墓地の入口を「新後生(ミーグソー)」と称して、そこを「生界と死界との境界」とする。 嘗て行われていた風葬では、風葬の行われる場所を「ティラバンタ(葬所)」といい、 「ティラ」は「ティダ」と同義で「太陽」の事、「バンタ」は「断崖絶壁」という意味である。 7年後の洗骨が終わると、死者は真の後生へ赴いて神へ昇化すると久しく観念していた。 ・「新後生」においては、死者は生前と同じ生活様式をとると考えられているため、 新後生の墓廓は現世の家屋と同じ形態を備えている。 ・沖縄では伝統的に個人墓はまれで、「門中墓」「家族墓」が主流である。 ・戦後は火葬の普及とともに、より小型の「家形墓」に人気が移っている。 沖縄では、本土にあるような「塔式墓(四角柱形の石の墓)」はあまり見られない。 先島諸島の祭祀 ・先島諸島は「オーストロネシア文化圏の北端にある」という解釈もされる。 「土着文化」「沖縄文化(琉球文化)」「本土日本文化」「オーストロネシア文化」「中国文化」の混在が見られる。 ・少なくとも4200年前より以前に、「台湾」「フィリピン」からの渡来人が定住したとされる。 しかしこの年代以降は、両地域の人種的な移動の形跡は見られない。 ・先史時代の「先島諸島(南部文化圏)」では、「石斧」「貝器」「土器」など、 「台湾」「フィリピン」との共通点が指摘される遺物が多く見つかっている。 ・「縄文文化」「弥生文化」の影響は殆ど見られない。 「日本本土」や「中国」との交易による物が出土しているが、それらの文化圏の影響は基本的になかったとされる。 ・先島諸島の先史時代は、「前期(~BC800)」「後期(BC800~AC1000)」に分かれる。 この間の年代には数百年の空白があり、後に「ポリネシア系」の人々がわたってきたとの説もある。 ・集落は、前期後期を通して、殆どが海岸に近い台地か海浜砂丘地にある。 ・前期は「下田原式土器(しもたばる)」が少量出土し、「半磨製石斧」が盛んに用いられた。 ・後期は、「土器」を用いず、「半磨製石斧」がやや大型化する。 「シャコガイ製貝斧」が使われ、これは太平洋諸島で見られる。 ・前期・後期ともに、「スイジガイの突起部の加工品」「サメの歯の骨角器」が共通する。 ・料理には、同様に無土器文化を持つ「ポリネシア」と同じく、石焼を多く用いたと考えられている。 ・「後期文化は別の文化集団が新たに渡来して展開した」「同一系統の集団によるもの」という二説がある。 ・記録としては、「続日本紀 和銅七年条(714)」に「信覚」「球美」などの人々が来朝したと記されており、 「信覚:石垣島」「球美:西表島か久米島?」とされる。 ・12~13世紀から集落が大規模化、「農耕」「鉄器」を基盤として、沖縄本島さらには北方との関係がみられるようになる。 「カムイヤキ(類須恵器)」「鍋形土器」「外耳の付いた深鍋形や壺形の土器」 「鉄鍋」「中国陶磁器」が出土する「集落やグスク」が、台地や丘の上に展開された。 ・この時代は、基本的に平和だったと見られている。 ・14世紀から15世紀に沖縄本島に興った琉球王国による海上交易の中継地として、次第にその影響圏に置かれた。 ・明応九年(1500)、石垣島の按司「オヤケアカハチ(オヤケ赤蜂)」が反旗を翻すと、 「尚真王」は征討軍を編成するが、宮古島の豪族「仲宗根豊見親」が先鋒となって 石垣島に上陸し、オヤケアカハチを討ち取った。 ・これによって先島のほぼ全域が琉球王国の支配下に入ったが、 与那国島では女首長「サンアイイソバ(サカイイソバ)」による独立状態がしばらく続いた。 ・この時代の琉球王国の先島諸島の統治は、緩やかなものであった。 ・慶長十四年(1609)、徳川幕府の了解を得た薩摩藩の島津氏による琉球王国に侵攻し、 服属した琉球王を徴税代理人として年貢を徴収した。 この為に、琉球王府は先島諸島に対して、重い「人頭税」を導入した。 ・琉球王国は「先島諸島」を勢力下に収めるたびに、この信仰をその地に広め、 現地に「ノロ」や「司(つかさ・八重山のノロ職名)」を置いている。 しかし基本的に間接統治であったため、現地の信仰の多くもそのままに残され、 御嶽のような形式がその地域の信仰に取り込まれていくこととなった。 ・ただし、王国と敵対した「オヤケアカハチ」が信仰していた 八重山地方の「イリキヤアマリ神信仰」のように、滅ぼされた信仰も存在する。 ・18世紀初頭、宮古の伝説をまとめた「御嶽由来記」において、下記が記された。 これは本土の日本神話と共通する物がある。 「宮古島」が島の形もなしていない太古、「天帝(あめのてだ)」が「天岩戸柱」の端を折り、 「弥久美神(やぐみのかみ)」に授け、「下界の風よからんところに島を造りなせ」と命じ、 「天の夜虹橋(あめのゆのづはず)」から下界の大海原に岩柱を投げさせ、固まったのが今の宮古島となった。 天帝は次いで赤土を下し、「古意角(こいつの)」神に「下界に降りて人の世を建てて守護神となれ」と命じたが、 古意角が「我に足らざる片つからだを賜え」、天帝「汝六根五躰を備う、また何の不足かあらん」、 古意角「すべて陽あれば陰あり、陰あれば必ず陽あり」との問答を経て、天帝はようやく古意角の願いを入れ、 女神の「姑依玉(こいたま)」の共を認めた。 古意角・姑依玉の両神は、豪勇の「盛加神(もりかのかみ)」を始めとした「八十神百神(やそかむももかむ)を連れて 天の夜虹橋を渡り、彼らは「漲水天久崎(ぴゃるみずあめくざき)」に宮居を定め、 「宗達(むにだる)」「嘉玉(かだま)」の男女児が生まれた。 また、島は赤土ばかりであったので、天帝が再度黒土を下し、宮古島は五穀が実るようになった。 十幾年かが過ぎ、宗達・嘉玉が大きくなった頃、天帝は葉を身にまとった「木装神(きそうのかみ)」という男神、 青草を身にまとった「草装神(ふさそうのかみ)なる女神を下した(後略)。 (「漲水天久崎」は岬だが、埋め立てられている。 西側に、琉球王国以前から信仰を集める「漲水御嶽(ぴゃるみず・沖縄県宮古島市平良)」が鎮座する) ・先島諸島における主な祭りとしては、 「大神御嶽(宮古島大神島)」を中心に行われる「祖神祭(ウヤガン)」、 「宮古島平良島尻」の「「パーントゥ・プナハ」と「宮古島上野野原」の「パーントゥ」、 「八重山全域」でみられる「アカマタ・クロマタ」、 「八重山地方」の「アンガマ」「ミルク(弥勒)」「フサマラー」 「石垣島群星御嶽(沖縄県石垣市川平)」で行われる「マユンガナシ」などがあげられる。 ・いずれも秘祭として部外者禁制を敷いているものが多い。 ・特に「ウヤガン」をのぞく祭りは、いずれも「異形の来訪神を迎える祭り」であり、 祭事には「来訪神に扮した(あるいは来訪神そのものとして)仮装で、集落を徘徊する」というような儀式がみられる。 ・これら異形の神々も、「ニライカナイと同じ概念の異界」から訪れるものと考えられている。 ・類似した祭礼は、「南西諸島」「東北地方北部」に多い。 「ナマハゲ(秋田)」「アマメハギ(能登)」「ナモミ(三陸)」「ヒガタタクリ(三陸)」「トシドン(鹿児島県甑島)」「ボセ(トカラ列島悪石島)」 ・宮古島狩俣(かりまた)の「ウヤガン」では、神女の「ツカサ」が、集落の中庭で何時間も神歌を歌う。 木の葉で作った冠をかぶり、白い麻の着物を着て、足元は裸足、祭りの前に何度も山篭りをする。 歌われる内容は「狩俣の地がどう造られたか」という創世神話である。 ・「マユンガナシ」は「精霊」で、旧暦九月の「節祭(せちえ)」に登場する。 クバの蓑を着て、手ぬぐいでほうかむりし、笠を被り、大きな杖を持ち、夜中中、村の家を回っていく。 「ムトゥ(本神)」と「トウム(供神)」が、「カンフツ(神口)」という神の言葉・祝言を唱え、繁栄・健康を祝福、家人は接待をする。 「マユ:豊かな真の世」「ガナシ:敬称」で、「真世の神様」というような意になる。 石垣島ではマユンガナシの登場を境にして「節」が改まるとされ、これを「初正月」と呼び、本土の研究者は「南島正月」と呼ぶ。 これは「古代日本の一年の区切りに合致する」という。 ・「アカマタ・クロマタ」や「収穫祭」にして秘祭で、「厄落とし」であるという。 仮面を付け、草木で体を覆い、「ナマハゲ」「トシドン(鹿児島県甑島)の年神」に似た扮装をする。 これは「中国の広西の融水の苗族」の「マンガオ」に類似、「貴州省」の少数民族には「大歳神のような来訪神の祭礼」が見られる。 ・「パーントゥ(島尻と上野野原)」は、仮面をつけ、草をまとった異形の神が登場、漂着した仮面に由来するという。 「パーントゥ・サトゥプナハ」は「里願い」とも呼ばれ、「ンマリガー(産まれ泉)」の泥を全身に塗る。 5人の女性神役「ミズマイ」に「ウパッタヌシバラ(拝所)」で祈願をしてから、村落内を巡り歩いて災厄払いをする。 厄払いは誰彼かまわず人や新築家屋に泥を塗りつけて回るというもので、泥を塗ると悪霊を連れ去るとされている。 ・八重山諸島では雨乞いの儀式の時、水を入れた瓶を神人が取り囲んで、 「クロツグ(マーニ・マニン)」」の葉先に水を浸し、周囲に水を撒き謡いながら祈る。 奄美諸島の祭祀 ・鹿児島県の「奄美大島」「喜界島」「加計呂麻島」 「与路島」「請島」「徳之島」「沖永良部島」「与論島」などが含まれる。 ・奄美群島の文化・言語・祭祀は、鹿児島県の大隅諸島以北に比べると、沖縄県に近く、「琉球文化圏」にも属している。 「奄美大島」から「与論島」に、南下するに従って琉球文化の色彩が濃くなっていく。 ただし、奄美群島に伝わる風習の中には、沖縄県とも本土とも異なる奄美独自のものや 沖縄県より本土に近いものも少なからずあり、方言にも昔の大和言葉の発音などが残っている。 ・奄美群島での人の痕跡は、約3万年前のものと推定される徳之島の「アマングスク遺跡(鹿児島県伊仙町)」で、 南西諸島最古級の遺跡と言われている。 ・日本本土や沖縄諸島地方とは、縄文時代・弥生時代・古墳時代などを通じて活発な交流が行われていた。 北方と南方の文化が混在し、それらの影響を受けたもの、さらに独自に発展した。 ・「宇宿貝塚(鹿児島県笠利町・奄美大島)」は、縄文時代中期から中世の複合遺跡である。 縄文後期~弥生後期の在地系の「宇宿上層式土器」「宇宿下層式土器」「嘉徳式土器」 「面縄式土器」に加え、九州本土の縄文後期の「市来式土器」が一緒に発見された。 遺構としては集石遺構、縄文時代晩期の石組み住居跡、宇宿上層式土器時代の土坑などが確認され、 土坑の中には推定年齢20~25歳の女性骨1体と嬰児骨1体が検出され、母子合葬であったことがわかる。 土坑からは「礫(れき)」「小型磨製石器」「ガラス玉」「骨製管玉」が出土した。 ・「市来貝塚(鹿児島県いちき串木野市)」からは、地元の「市来式土器」と共に、 「奄美大島の嘉徳II式によく似た土器」と「オオツタノハガイ製貝輪」が出土しており、薩摩半島への伝播も確認されている。 ・「宇宿貝塚」「住吉貝塚(鹿児島県知名町・沖永良部島)」などの住居跡は方形状に並べたもので、九州とは形態が異なる。 ・4-5世紀には地元産の「スセン當式土器(沖永良部島)」が、6世紀には「兼久式土器が出現した。 同時に「金属製品」も出土しているため、この年代に「鉄器の製造」が開始されていた可能性が指摘されている。 ・「ヤコウガイ」などは「螺鈿」や「杯」の原料として、重要な交易品であった。 ・奄美大島の「マツノト遺跡(鹿児島県笠利町)」「小湊フワガネク遺跡(鹿児島県奄美市)」など螺鈿原料の加工跡が確認される。 「開元通宝」は奄美群島から八重山列島まで出土、商人の広範な活動の証拠とされている。 ・初めて文献上に現れた「日本書紀 斉明天皇三年条(657)」に、「海見嶋」とある。 ・682年に「阿麻弥人」、714年には『続日本紀』に「奄美」との表記がある。 ・天平五年(733)の第十回遣唐使は、奄美を経由して唐へ向かっている。 天平七年(735)に朝廷は、遣唐使の往来上の利便のため碑を南島に建てた。 『延喜式』雑式には規定が書かれており、島名のほか停泊所や給水所が書き込まれ、 奄美群島の各島々にこの牌が建てられたとしているが、未だ発見はされていない。 遣唐使の中に、奄美語の通訳を置くことも記されている。 ・長徳三年(997)、大宰府管内へ「奄美島」の者が武装して乱入、放火や掠奪をしたという(『小右記』)。 翌年、大宰府からの追捕命令が「貴駕島」に発せられている(『日本紀略』)。 貴駕島は「喜界島」とされ、「城久遺跡」が発見されたことにもより、これが大宰府の出先機関と推定されている。 ただし、同時期に「新羅の入寇」も起こっており、新羅と取違えたのではないかという指摘もある。 ・この時代までを「奄美世(あまんゆ)」とも呼ぶ。 ・この時代の奄美群島は遺跡や伝承、そして群島外の歴史書によって様子をうかがうことはできる。 『漂到琉球国記』や『元亨釈書』などにより、奄美は「貴海国」とされ域内であり、「琉球国」は異域とみなされていた。 『平家物語』によっても、奄美地域と沖縄地域は違うと捉えられていた。 ・奄美群島では、「按司」や「グスク」という名称自体が史料上確認されていないが、支配層を語る上で便宜上用いられる。 便宜上「グスク」と呼ばれる遺跡の多くが、「ヒラ」「ハラ」「モリ」などグスクとは違う地名が付いている。 ・11世紀頃、グスクの構築が始まる。 奄美群島のグスクは集落ごとに複数築かれたが、規模はそれほど広くなく住民の共有の施設でもあった。 浜を見下ろす立地も多いが、集落背後の山の中腹や山頂などにも築かれ、複数(3〜4個)のグスクで有機的な防衛網を構築していた。 交易の利便性と、海からの襲撃に対応するためである。 ・その後、「グスク」は「按司」により采配されるようになり、そこに拠って互いに抗争していた。 また海賊や島外勢力の襲撃に対して、住民を率い戦い、英雄と讃えられるものも出現した。 ・「カムィヤキ古窯跡群(鹿児島県伊仙町・徳之島)」で生産された「カムィヤキ(類須恵器)」は琉球弧全体に 流通の広がりを見せており、それを生産販売する勢力の存在が考えられるが、判明していない。 ・12世紀には中尊寺金色堂で奄美産の蝶細がみられるなど、本土との交易も盛んであった。 ・「倉木崎海底遺跡(鹿児島県宇検村・奄美大島)」などで12世紀後半 - 13世紀頃の 中国産陶磁器が大量に引き揚げられており、中国などとの交易を行ったことも確認されている。 ・鎌倉時代に入り「北条得宗領」とされ、得宗被官「千竈氏」の采配地となった。 『千竈時家処分状』(千竈文書)によって明らかにされており、また 『金沢文庫』中の日本地図に「雨見嶋、私領郡」と記載されている。 『六波羅御教書』では海上運輸と流通の権益を握り、在地勢力と主従関係を構築して支配していたものと考えられている。 北方の得宗被官「安東氏」の動向との比較検討が行われている。 ・琉球王国の成立した15世紀半ば以降、奄美地域をめぐって琉球勢と本土勢とが何回も合戦した。 奄美群島は両者の交易などの往来が盛んになる一方、利害がぶつかる土地となり、軍事衝突も多数発生したものと考えられる。 島津氏の記録には当時の様子が余り語られていないが、鎌倉幕府滅亡時、 薩摩に残留した千竈氏一族を家臣団に組み込んでおり、交易の利益と相まって興味は十分持っていたと考えられている。 ・按司が登場してからを「按司世(あじんゆ)」とも呼ぶこともあるが、この時代までを「奄美世(あまんゆ)」と呼ぶこともある。 ・文永三年(1266)、奄美群島から中山王「英祖王」に入貢したと『中山世鑑』などの琉球正史に記されているが、 当時の群雄割拠の状況から後に創作された伝承とも考えられる。 宗主国の明に倣った、琉球版冊封体制であったとも考えられている。 ・琉球王国成立前後の状況は、沖縄本島からの距離もあって各島々で異なっている。 ・応永二十三年(1216)、第一尚氏は北山王国を滅ぼし、その領土であった「与論島」と「沖永良部島」に服従を打診。 「沖永良部島」では「島之主一族」とその重臣が侵攻と誤認して自刃、応永二十三年(1429)、王国の領土に組み込まれた。 「徳之島」も服属し、「島之主西世之主恩太良金」が「徳之島大親」に任命されている。 ・奄美群島の地元領主階級は、琉球王国側の記録によれば「大親」と呼称されることが多い。 ・文安四年(1447)、「尚思達王」が「奄美大島」を従わせた。 ・宝徳二年(1450)から寛正三年(1462)まで、「喜界島」を攻略するためほぼ毎年攻撃を仕掛けていた(『李朝実録』)。 ・文正元年(1466)、「尚徳王」が三千の兵をもって「喜界島」を制圧した。 ・天文六年(1537)、「尚清王」が「奄美大島」の「与湾大親」に反抗の気配ありとの報告を受けこれを討つが、 後に讒言であると判明したためその子孫を採り立てている。 ・元亀二年(1571)、「尚元王」が再び反抗を始めた「奄美大島」の大親達を制圧している。 「与湾大親」の子孫は、1571年(宝徳2年)の戦いには琉球王国側として参加して武勲を挙げ、 のちに首里に移り、「琉球王国五大姓」の一つである「馬氏」となり繁栄した。 ・琉球王国の領土となった「奄美群島」では、文正元年(1466)に「泊地頭」が置かれ、 群島各地から年貢の納付が強要され、そのための蔵を「天久寺(那覇市)」に設け「大島御蔵」と呼んだ。 ・首里在勤として「奥渡より上の捌理」と言う役職も置かれた。 ・元亀三年(1572)には「蘇憲宜」を「大島奉行」に任じ、統治に努めさせている。 ・16世紀後半、本格的な琉球王国の地方行政制度が敷かれ、「間切」の名称が文書に見え始める。 間切ごとに「首里大屋子」が置かれ、その下に集落名を冠した大屋子を、さらに「与人」「目差」「掟」「里主」などを置いた。 ・祭政一致政策(琉球神道)の一環として「ノロ」も置かれた。 役人やノロの所領はそれまでの世襲を廃止して、一定期間ごとに転出するよう制度が改められ、在地住民との関係切り離しが行われている。 ・現在ノロ制度は、「与湾大親」の根拠地であった「奄美大島西部」に多く残っている。 ・室町幕府以降15世紀に入ると、本土の統治機関における奄美群島への関心は徐々に失われていった。 ・その中でも薩摩と大隅の守護「島津氏」だけが、交易などを通じて奄美への関心を持ち続けた。 16世紀半ば、島津氏は交易の利益独占のため本土から琉球へ渡る船を統制しようとし、「嘉吉付庸説」「為朝始祖説」を持出し琉球を従わせようとした。 ・天正十五年(1587)、「豊臣秀吉」に降った「島津氏」は、課された琉球軍役を肩代りすることで琉球への圧力を更に強めていった。 秀吉は当初、島津氏を滅ぼし琉球への侵攻も計画していた[要出典]。 ・琉球王国の統治時代を「那覇世(なはんゆ)」とも呼ぶ。 ・琉球王国への薩摩藩の支配後、奄美群島が薩摩藩の直轄地となった。 慶長十八年(1613)、多数の代官所や奉行所を設置された。 中国や朝鮮からの難破船などに対応するため、引き続き王府の役人も派遣させていた。 この頃の奄美群島は、薩摩からは「道之島」と呼ばれた。 ・13世紀頃に琉球に国が誕生するまでの古代~中世初期は、 南西諸島全体が「阿摩弥」と呼ばれていた。 ・名称の由来については、今なお不明な点が多い。 ・伝承では琉球王国の創世神話に登場する「アマミキヨ(アマミコ・阿麻弥姑)」神に由来するとされる。 アマミキヨは最初に奄美大島の「アマンデー(奄美嶽・海見嶽・鹿児島県笠利町)」に降り立ち、 奄美の島々を創造、後に沖縄諸島を造ったと古書に記されている。 アマンデーの山上には史跡があり、また「湯湾岳」にも降臨神話がある。 ・ただし琉球王国の神話や、「アマミキヨ」の起源は、文献上10世紀から13世紀の間までしか遡れず、 7世紀には日本列島の中央政権にその名称と存在が知られていたこととは時間的な開きが生じている。 ・また「アマミキヨ」の名称使用自体、 奄美群島では「テルクミ」の名称で伝わっている(沖縄本島に隣接する与論島では「アマミキヨ」)。 ・これらの事を含めて「アマミキヨ」とは奄美そのものを指し、 「琉球王国の成立には奄美勢力の南下、 又は奄美を経由した本土勢力が深く関わっていたのではないか」と指摘する研究者もいる[誰?]。 ・「テルコ・ナルコ」は、はるか海の彼方にあってこの世に豊じょうをもたらす理想郷のこと。 祭祀の来訪神はそこからやってくる。 沖縄の「ニライ・カナイ」信仰とほぼ一致する観念で、奄美の各地にその信仰を示す伝承がある。 ・地域により「ネリヤ・カナヤ」「テルコ・ナルコ」与路島では「ニッリャテルコ」と呼ぶ。 ・「テルクミ・ナルクミ」という名前の「奄美諸島の創生神」ともされる。 ・「おもろそうし」には、ニライ・カナイのことを「にるや・かなや」と記されている。 ・奄美大島では、毎年二月に「ナルコ」「テルコ」という神を迎えて、 四月に御送り申す厳粛なお祭りがある。 同地では、「集落の三方を山に囲まれ目の前に広がる海に対して、 海は豊かさをもたらすと信じられていた」というのが信仰の淵源だとも言う。 ・「奄美群島」では琉球王国時代に「ノロ」制度が導入され、現在でも「ノロ」「ユタ」が僅かに残る。 ノロを中心に、ニライカナイからの来訪神を迎える豊穣祈願などが行われている。 ・奄美大島では、ノロ祭祀組織は「神人衆(カミニンジュウ)」と呼ばれる。 「親ノロ」を頂点として、成員はそれぞれ神役として名を持っている。 必ずしも全てのシマ(集落)に共通しているわけではないが、「イガミ」「スドゥガミ」といった名となっている。 全て女性で構成され、唯一、男性で参加する役を「グジ(宮司か郡司が原義)」と呼ぶ。 ・有名な祭礼に、龍郷町秋名の「平瀬マンカイ」「ショチョガマ」がある。 「稲霊(いなだま)」を招いて五穀豊穣に感謝、来年の豊作を祈願する祭りで、 「ショチョガマ」は「夜明けと共に片屋根を揺り倒して豊作を祈る」、 「平瀬マンカイ」は「ノロ神様と呼ばれる祭司五人と宮司七人により、 神(カミ)ヒラセと女童(メラベ)ヒラセと呼ぶ二つの岩で、山の神と海の神に豊作を祈る」。 ・祖霊を迎える三八月(ミハチガツ)と呼ばれる旧暦八月中旬の三日間のお盆祭りでも、 ノロが祭祀を取り仕切る地域がいくつもみられる。 ・奄美大島では各集落ごとに複数の神社が見られる。 ただし神社のほとんどは、江戸時代(薩摩藩政時代)頃に土着の信仰から移行し設立された比較的新しいものである。 最も古い伝承を神社は、「平家の落人」伝承を持つ一群である。 ・奄美大島では、現在の多くの墓形式は本土と同じであり、沖縄県の亀甲墓は見られない。 ただし「城間トフル墓群」に代表される「トフルやムヤ」と呼ばれる 亀甲墓の前時代形式の墓所が存在し、「南西諸島の墓制の北限」と言われる。 これは隆起サンゴ礁が形成する崖に横穴を掘り、風葬したり厨子甕などに遺骨を入れて保管するものである。 隆起した砂丘に十数基の横穴墓があり、400年以上前に構築されて以来そのすべてがほぼ完全な形で残り、うち九基が現役の墓として使われている。 ・奄美諸島には「御嶽」は確認されない。 しかし「アマミキヨ」降臨の地とされる「アマンデー(奄美嶽・海見嶽)」も、 その立地条件や、奄美群島北部には希少な「御嶽的存在」であり、 それらが琉球王国の聖地とされる「斎場御嶽」と酷似しているため 琉球領時代に持ち込まれた伝承とも言われている。 ・奄美の「シマ(集落)」の多くは、山を背に海に面している。 シマの背後には、神聖な「カミヤマ(神山)」と呼ばれる山があり、 ここにシマを守る神「テルコの神(山幸の神)」「ナルコの神(海幸の神)」が降り立つ。 生活道路以外に、断片的にも「カミミチ(神道)」があったりする。 はるか彼方の海には、神が住む豊穣の国「ネリヤカナヤ」があり、 目の前の海には、このネリヤカナヤから神が渡ってくる小さな島「立神」がある。 ・奄美大島には、「シマ」の中心部に「ミャー(宮)」と呼ばれる、聖地性を持った空き地がある。 ミャーには「カミミチ(神道)」が続いていることが多く、「カミヤマ(神山)」と海とを結ぶ線上にある。 ・「ミャー」には、祭祀芸能を奉納する「あしゃげ」や、祠の「トネヤ」が建っていることがある。 そこには「ガジュマル」「アホギ(アコウ)」などの御神木が立っている。 「トネヤ」は「刀禰屋=村長・シマの宗家の屋敷」で、嘗てはノロが神事をしていた。 「ミャー」や「トネヤ」では、中世の青磁片・類須恵器片が見つかることが多い。 ・奄美諸島の他の聖地として、下記の物以外に、「立神」と呼ばれるものがある。 「森とも山ともつかぬ地方的な聖地聖地」として「拝み山(ウガミヤマ)」 「モリヤマ(森山)」「カミヤマ(神山)」「テラヤマ(ティラ山)」がある。 イビガナシ ・奄美大島で村の聖地に立てられた自然石。 ・一般には無名の場合が多い。 ・ミャーにあるアシャゲの傍らの御神木の根元に、数基の自然石「イビガナシ」が建っている。 ・常時集落にいて、集落を守ってくれる神様で、在住神と呼ぶ。 ・イビガナシは、村を開拓した遠祖の墓ともいう。 ・同種の聖地の別名に、「シマタテガナシ」「グジ墓」「ウジガミ」がある。 グンギン(権現)について ・奄美諸島にある祠である。 ・「グンギン」は「権現」の奄美方言である。 ・森の中腹など、高く険しい位置にある。 ・入り口に「鳥居」がある事が多く、「神社」のような役割を担っている。 ・奄美では、ほとんど「自然石」をご神体とする。 加計呂麻島では「ソテツ」をご神体としている例もある。 ・「イビガナシ」が集落の中の平地にあってシマを見守るのに対し、 グンギンは集落の外の高台にあって、航海安全や火伏せ(防火)などを祈願する場合が多い。 ・旧暦9月9日に祭りがある。 オボツヤマ(オボツ山)とカクラ山 ・奄美大島中南部や加計路麻島には「オボツ山」「カクラ山」という聖地がある。 オボツ山は山上にある物と、平野の森にある物に二分される。 ・山上に「オボツ」と呼ばれる石積みがあったりして、嘗てはノロが集まった。 ・琉球神道における「天空にある異界」である「オボツカグラ」に由来するとされる。 ・琉球王国の歌謡集「おもろそうし」の歌に、 「オボツの山に神が降りたまう」という一説がある。 トカラ列島(吐噶喇列島)の祭祀 ・鹿児島県の「中之島」「口之島」「小宝島」「諏訪之瀬島」「平島」「宝島」「悪石島」などから成る。 ・悪石島とその南西の小宝島の間には「渡瀬線」または「トカラ構造海峡」とよばれる、生物の分布境界がある。 悪石島は本州・四国・九州の動物相の南限となっている。 ・地名の由来については諸説あるものの、「沖の海原」を指す「トハラ」から転訛したという説が有力。 ・「続日本紀 文武天皇三年七月辛未条(699)」に、 「多褹(種子島)、夜久(屋久島)、菴美(奄美大島)、度感(トカラ列島)の人が物を貢いだ」とある。 同書によればこれが「度感」が日本と通じた始まりで、また「度感」は「徳之島」だとの説もある。 ・「宝島」では、多くの土器が出土しており、下層部からは縄文後期の頃のものとみられる「宇宿下層式土器」や「八重山式土器」、 上層部からは弥生中期の頃と見られる「須玖式土器」が出土している。 ・トカラ列島には、独特な風習や伝統文化が多く、ノロによる祭祀が残る。 ・トカラ列島には「ネーシ(内侍)」とよばれる、巫女による祭祀が残る。 宝島では「ヌーシ」と呼び、これは「内侍(ないし)」と関係があるとさる。 内侍は「古代~中世、天皇や特定神社の斎宮・斎王の近侍を勤めた女官」などの名称である。 ・トカラ列島周辺には、「異形の来訪神=客神(まれび)」を祀る伝統が多い。 悪石島の「ボゼ」や、甑島列島の下甑島の「トシドン」、 大隈諸島近辺の硫黄島の「メンドン」などが代表的である(先述)。 ・「ボゼ」は、「ヒチゲー」と呼ばれる冬の節替りの夜に登場する「異形な仮面を付けた来訪神」で、 トカラの各島に現れたとされており、その名残が悪石島にのみ残ったとされる。 現在は悪石島の伝統行事として旧暦7月16日のお盆最終日翌日に登場する。 ・「悪石島」には、いたるところに聖地があり、ボゼのみならず、 一年間を通じて、小さな祭祀や儀礼が非常に多い島である。 ・「悪石島」にある「鳥居の笠木に刻まれた三角の紋様」は、 タイやラオスの「アカ族」の習俗と重なる。 ・トカラ列島全体で以前使われていた「シタミ」と呼ばれる「背負い籠」は、 東南アジア大陸部のタイ族系の人々が使用するものと共通しているという。 ・「森とも山ともつかぬ地方的な聖地」として、「根神山」などの名称の山がある。 「根神山」の名称が多く、悪石島では「根神山(ネガミヤマ)」、宝島では「女神山」、 中之島では「エガミダケ」、小宝島では「ウネガミ」と呼ぶ。 「山」をそのように呼び、また「石碑」と「石積み」があり、森林に覆われた「神域」が存在する。 宝島では、女神がいるとされ、「女神権現跡」と記された石碑が建つ。 大隅諸島の祭祀 ・鹿児島県の「種子島」「屋久島」「口永良部島」「馬毛島」などから成る。 「黒島」「硫黄島」「竹島」の上三島については、 大隅諸島に含まれるとする説と含まれないとする説がある。 ・「種子島」で最古の遺跡は、「横峯遺跡(鹿児島県南種子町)」「立切遺跡(鹿児島県中種子町)」 「大津保畑遺跡(鹿児島県中種子町)」で、約3万5千年前の遺跡、鹿児島県最古の遺跡でもある。 ・「銭亀遺跡(鹿児島県南種子町)」は、旧石器時代の「細石器文化」が確認された日本列島最南端の遺跡である。 ・縄文時代の「種子島」では、九州島南部の縄文文化とほぼ同一の土器様式が確認されている。 ・弥生時代後期から7世紀にかけての「種子島」では、独自の貝文化が展開した。 代表遺跡として「広田遺跡(鹿児島県南種子町)」が著名、貝製品など出土品は、国の重要文化財に指定されている。 ・「隋書」 大業三年(607)煬帝の代の「夷邪久国」は「屋久島」と推定される、これが「屋久島」の初見とされる。 ・「日本書紀」には「推古天皇二十四年(616):掖久・夜勾・掖玖の人三十人がやってきて、日本に永住した」 「舒明天皇元年(629):大和朝廷から掖玖に使が派遣された」「天武天皇六年(677):多禰島人を饗した」 「天武天皇八年(679):朝廷から使を多禰島に遣わした」という記事などが見られる。 ・7世紀末以前までは「ヤク」とは「九州以南の地域」を指す言葉として用いていたとされ、 天武天皇六年の記事は「多禰島:種子島」の初見である。 ・「天武天皇十一年(682):朝廷から多禰人・掖玖人・阿麻彌人(奄美)それぞれに禄を賜る」という記事があり、 ここで「掖玖(やく)」を初めて、特定の「屋久島」を指す言葉として用いている。 ・「続日本紀」には、文武天皇二年(698)に朝廷の命により「務広弐文忌寸博士が南島(なんとう・南西諸島)に派遣された」とあり、 任務は「屋久島・種子島・奄美大島の朝貢関係を確認すること」である。 ・文武天皇三年(699)に「多褹(種子島)・掖玖(屋久島)・菴美・度感(トカラ列島)から朝廷に来貢があり位階を授けた」とある。 ・大宝二年条(702)には「薩摩と多褹が化を隔てて命に逆らう。是に於いて兵を発して征討し、戸を校して吏を置けり (薩摩と種子島・屋久島が服属しなったので征討した)」とあり、これは「隼人」の征討とも言われる。 ・「多禰国(たねのくに)」は、かつて日本の地方行政区分であった令制国の一つ。 大宝二年(702)から天長元年(824)まで122年間存続、続日本紀には「多褹国」との表記も見られる。 「西海道」に位置、領域は「種子島・屋久島・口永良部島」、種子島北部に「能満郡」、 南部に「熊毛郡」、屋久島の広域と口永良部島に「馭謨郡」、屋久島の一部に「益救郡」が置かれた。 ・『続日本紀』大宝二年(702)八月一日条に「薩摩と多褹が化を隔てて命に逆らう。是に於いて兵を発して征討し、 戸を校して吏を置けり」という記事があり、これが多禰の征服と多禰国建置を示すと考えられている。 実際に多禰国の公印が与えられたのは和銅七年(714)とされている。 ・多禰の場合、国のかわりに島(嶋)の字を用いて、多禰国を多禰島、その国司を島司と表すこともあった。 国を島とも呼ぶのは、対馬・壱岐と共通する。 ・国の格付けは、「南島(奄美・沖縄方面)」との交流や「遣唐使」の派遣、「隼人」対策などの点から重要視されて中国とされていた。 天平勝宝五年(753)、「鑑真」「大伴古麻呂」「吉備真備」らを乗せた遣唐使船第二船、第三船が「屋久島」に寄港している。 しかし実際には小国をはるかに下回る規模の税収しかなく、行政的な運営経費の不足分は「大宰府」が他の国から補填していた。 ・しかし隼人の対策が一段落し、遣唐使の派遣経路が変わると多禰島の重要性は薄れてきた。 大宰府管内の飢饉に対処するために、多禰島の運営経費に当てていた税収が減少することになったため、 財政の見直しの観点から天長元年(824)十月一日に多禰島司を廃止し、四郡を「熊毛郡」「馭謨郡」の二郡に再編して「大隅国」に編入した。 ・「種子島」は、鎌倉時代には「見和氏」「肥後氏」が支配した。 鎌倉時代の建仁三年(1203)年以降は「種子島氏」が支配、応永十五年(1408)以降は「屋久島」も支配した。 両島は16世紀末に「島津氏」の支配に移った。 ・多禰国一宮は「益救神社(やくじんじゃ・鹿児島県熊毛郡屋久島町)」である。 式内社の南端として鎮座している。 元々は屋久島中央部の屋久島三岳「宮之浦岳」「永田岳」「栗生岳」の神を祀ったものと考えられ、 かつては島内各地に三岳の遥拝所があった。 明治維新までは、旧村18ヶ所に村落名を冠した益救神社があったが、現在は二社のみである。 ・「宮之浦岳(1936m)」は九州地方最高峰、「永田岳」「栗生岳」ほか 屋久島中央部の標高1800m以上の高峰は「奥岳」と呼ばれ、「永田岳」を除き海岸部の人里から望むことはできない。 『三國名勝図會』の記す栗生嶽は位置的に現在の「黒味岳」に相当するとする説もある。 海岸部から間近に聳え、沿岸村落から見上げられる山々は「前岳」と呼ばれ、「本富岳」「国割岳」「愛子岳」などがある。 ・屋久島には「岳参り」という風習がある。 春秋の彼岸になると、村落ごとに若者を中心とした一団が御岳に登山し、 シャクナゲの枝を土産として里に持って帰る。 村落ごとに登る山は違うが、いずれにせよ「奥岳」へ行くには2~3日を要するため、代表者が山へ登った。 留守の者達は「前岳」まで登って代表者たちを出迎えるか、「詣所(もいしょ)」という「揺拝所(ようはいしょ)」に出迎え、 そこで神霊ののったシャクナゲの枝を貰い、各家の床の間に飾った。 しかし昭和も終わり頃になると、自然保護の観点からシャクナゲを持ち帰ることは廃れていった。 ・「森とも山ともつかぬ地方的な聖地」として、 種子島に「ガローヤマ(ガロー・ガロー山)」があり、「伽藍(がらん)山」の転訛だという。 これは「樹木が生い茂った森」で、みだりに入ると祟られるという。 「ガロー」は「水の神、山の神、田の神、池の神、荒神などの総称」である。 「ガロー田」という神田を持つ所もあり、不浄を避けて、神饌米が作られる。 全島内に百五十箇所はあり、東海岸に特に多く、西海岸には無く、南部の南種子町に多い。 当サイトの項目 項目1:波動原理と放射能除染の概略 (メニュー1) 項目2:波動器具・一部農法・一部機器等による除染法 (メニュー2) 項目3:量子水・還元水素水・水酸素ガスによる除染法 (メニュー3) 項目4:フルボ酸・微生物等による除染法 (メニュー4) 項目5:珪素・炭素同素体・ナノ物質・竹炭等による除染法 (メニュー5) 項目6:「波動情報と共鳴の原理・作用・効果・影響・意味合い」目次(メニュー6) 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一 「昨日は今日の昔」の諺をふまえ、「今昔物語集」のごとき説話集の意を表わす。↓補一。 二 説話風な話のはじめの言葉。実際は戦国時代のことであろう。↓補二。 三 室町幕府の将軍であろう。 四 家来。 五 勝手気ままにふるまうこと。傍若無人の略。 六 皇居。 七 戦の陣地として使用する。応仁乱後、京都の町はしばしば戦場になっていた。 八 槍の柄の端をつつんだ金具。 九 宮中の女官の敬称。 一〇 出て応待する。 一一 天子の御住居である宮殿で、下々の者が気やすく来る所ではない。 一二 どこかへ行ってしまいなさい。 一三 もっともな理由。 一四 家の主人。天皇をさえ知らず、亭主と言い、じきじきに出て挨拶せよといった。 一五 はっきりと。 一六 謝絶する。申開きする。 一七 この話、天正元年(蓋七三)から同十年までの間のことか。↓補三。 一八 気に入って。 一九 召上る。 二〇 京都の人たち。「わらんべ」と言っても別に少年の意はなく、連中くらいの意。 二一 ひときわ。狂言などにも見え、当時よく使われた語。 二二 小姓。貴人に近侍して雑用をする役。多くは少年。 二三 家来が、主君から咎めをうけること。 二四 曲直瀬(まなせ)道三。当時第一の名医。↓補四。 二五 他本いずれも「御登城ありて」。↓補五。 二六 糯米(もちこめ)・葛粉などで作った餅を、長円錐形にかためて、笹などで包んだもの。なお、「内裏ちまき」を禁中に買いに行った笑話が後にも載る。上拾遺47話(九九頁)参照。 一 気をつける。 二 諺。意外な結果が事実となってあらわれること。また、とうていあり得ぬこと。中世以来しばしば画題にもなっている。↓補六。 三 どういう由緒・因縁があるのか。 四 こんなことさえ。 五 そもそも。 六 底本「さき」に誤る。他の古活字本、整版いずれも「ま」。牧↓蒔き。 七 珍重すべきもの。 八 かまわぬ。 九 是非とも。狂言その他に見え、中世から一般に使われていた語。山本では「別なく」。 一〇 十石は約一・八キロリットル。大げさな誇張。しかも、山椒は小粒で小量しか使わないものなので尚更おかしい。 一一 正しくは「おそい」。この類は多いので、読みにくい場合のほか、以下いちいち注意しない。 一二 例の友人。「くだんの人」(山・金)、「件の人」(刈)。 一三 「生えぬ」(ヤ行下二段)が正しい。また次には「生へぬ」とあって不統一。 一四 陰陽道で、天や地に火気が甚しく、種蒔その他を忌むという日。↓補七。 一五 たねもの。 一六 当然だ。 一七 理由。 一八 当時の暦には、種蒔、棟上、旅行などによい日とか、忌むべき日だとか、種々の注記があった。 一九 おつけになる。「醒」に類話。↓補八。 二〇 以下すべて天正から寛永初年ごろまであった公家。↓補八。 二一 藤宰相。藤原氏の出で参議の官にある者をされければ、|信長≪のぶなが≫御きげんなをり、右の御小性御|赦免≪しやめん≫なさる。御そばにこれあらむ人は、萬事にきつかひいたさう事ぢや。いう。宰相は参議の唐名。宰相↓山椒。↓補九。 二二 織豊期から徳川初期にかけて文化界の一中心をなし、公家や医師、連歌師などの出入も多かったので、当時の説話類に五摂家のうちでも特にしばしば出てくる。 二三 しゃくなげ科の灌木。当時既に観賞用に栽培されていた。 二四 「よい」。 二五 京都市左京区南禅寺町にある臨済宗の大本山。 二六 この話、他には刈本のみ。訓は、刈本による。 二七 でかした。うまくいった。 二八 やらかした。 二九 京都市北区大徳寺付近一帯。ここでは大徳寺をさす。千利休・小堀遠州等、山内に庵を結び、織豊期以降殊に茶道で名高い寺。 三〇 夜話に招待。夜、茶などを飲んでゆっくり雑談すること。「夜話の茶会」などもあった。 三一 豆腐を長方形に切って串にさし、味をつけた味噌をつけて火にあぶる料理。 三二 正しくは「テッキュウ」。細い鉄条を格子状にし、火の上にかけ、田楽豆腐などをあぶる。 三三 学の上に出しゃばり者。 三四 威張った言いよう。漢語を多く用いる禅僧の前なので、わざと気取って漢語を使ったと思ったのである。 三五 としておきたい。 三六 底本「り」脱。「醒」に類話。↓補一〇。 三七 雇い入れる。 三八 京都市中京区六角堂通り東洞院の西の天台宗頂法寺の俗称。↓補一一。 三九 南の方の町にある(京都では南を下(さがる)という)奈良屋。下↓腰から下。奈良屋↓を(お)ならや。 一 馬鹿にするか。 二 居所↓尻(いどころ)。 三 寺の、ことに禅宗の住職をよぶ敬称。この話、「醒」(広・狭)に類話。↓補一二。 四 感心な。心がけのよい。「キドクナ」(パ)。 五 迎え入れる。 六 抹茶をたてる。 七 わけがわからない。了解できない。 八 諺。「問ふは一旦の恥、問はぬは末代の恥」(毛吹草・世話尽)。 九 紅葉の音「コウヨウ」に、「濃く能く」の音便「濃う能う」をかける。 一〇 感心して。 一一 底本「にて」と誤る。、 一二 貴人の近くで雑用する人。衆は一人でも用い、丁寧な感じを添える。 一三 お茶を飲む回数をあらわす語。 一四 御心づかい下さい。宜しくお願いします。 一五 意味。わけ。 一六 わかるはずがあろうか。 一七 蒸し風呂。浴湯と混同されるようになったのは江戸時代中期以降という(坂本太郎編「風俗辞典」等)。「醒」に類話。↓補一三。 一八 不孝↓吹かう。「吹くに及ぼぬ」の洒落。「吹く」は普通、蒸し風呂に入って熱く濡れた体に息を吹きかけて垢をかくことをいうが、ここでは下例のごとく熱い蒸気が十分ありよく温まるので、吹いて熱くする必要がないという意であろう。「伊勢風呂と申子細は、伊勢の国衆ほど熱風呂を好て、能吹申さるるに付て、…夫荒仕子(ぶあらしこ)までも風呂ふくすべを存候」(甲陽軍鑑、九)。「吹けば熱(あつ)風呂、ふくは傾城」(望一後度千句)。 一九 寺にいる少年。僧侶たちの男色の対象であった。「醒」に類話。↓補一四。 二〇 縁をたどって、意中をうったえた。 二一 優にやさしい容貌に似た。 二二 こっそり山寺の僧のもとへ。 二三 夢中になってあわてる。 二四 御馳走のしようもない。 二五 外来種なのでこの名がある。粳(うるち)に似てねばりけなく、粒が小さく細長い。味はうすくまずいが、早生種で収穫量も多く、かつ炊くとふえる。質は悪いが経済的な米。また粒が赤いので赤米ともいう(当時は米をよく精白しなかった)。 二六 「さま」の誤であろう。「様」(刈・山・金)。「たち」なし(多・整)。 二七 相手の貧僧の語のようにとれるが、他本や「醒」に載る話からして、三位は稚児の後見役であろう。稚児の後見役と思われるものに三位、治部卿などの名がしばしば出てくる。徳川時代宮門跡などの真言・天台宗の大寺の坊官や勢力のある神社の神官などは、治部卿法印・宮内卿法眼などと名乗り、諸太夫は出羽守・近江守などと名乗っていた(国花万葉記等)風習などから、やがて一般の僧の一種の受領名のごときかかる呼名が生じたものか。↓補一五。 二八 気がつく。気がまわる。「戯」「醒」に類話。↓補一六。 二九 禁令がない。 三〇 根からほる。 三一「マツダケ」(パ)。 三二 惜しげもなく。わけもなく。 一 田舎。「醒」に類話。また広く民話化している。↓補一七。 二 京都市賀茂川の東に連なる丘陵。東山三十六峰といわれ、風光がすぐれ、かつ古くからの名所旧跡が多い。京都見物の名所の一。 三 家のつくり方。 四 うけ合って。 五 汚れた足を湯水で洗う、その準備をさせる.「センソク」(バ)。 六 つかわす。一人で先にやる。 七 以てのほか。あきれかえる。 八 不断光院清誉か。和歌・連歌に巧みで、ことに連歌に長じた。天正十年(一五八二)没。すれば、この話、天正十年以前に成立。不断光院は桜御所(近衛邸)内にあった同家の持仏堂的な寺。↓補一八。 九 東求院近衛前久(一五三六1一六一二)か。或いはその子信尹(一五六五ー一六一四)か。この類話、醒睡笑に見え、三藐院信尹とする。太閤は、摂政または太政大臣の敬称だが、のち関白を辞し内覧の宣旨をうけた人、或いは関白を子に譲った人。↓補一九。 一〇 長老としての格式。 一一 足打折敷(あしうちおしき)の略。四方に折りまわしたふちをつけたへぎ製の角盆、または角切盆で、食器をのせる。足は板製で折敷の左右につく。諸事作法故例のやかましい五摂家として、客によって出す折敷・食器にも、一々格式を重んじていた。 一二 しばしば。 一三 公卿衝重(くぎようついがさ訟)の略。公卿用の衝重。檜の白木で作っだ方形の折敷で、檜のへぎを折りまげた台をつける。こちらの方が格がよく、従って料理も何汁何菜とふえる。 一四 いつも。 一五 膳につく。正しくは「すわる」。 一六 不断食わう↓不断光院。 一七 文録三年(一五九四)のこと。↓補二〇。 一八 近衛信尹。逸話に富んだ人物。↓補二一。 一九 どういうわけがあったか。はばかってわざと漠然とした言い方をしたのであろう。 二〇 鹿児島県枕崎の西にある良港。 二一 島津氏の本拠で、近衛家と島津家とは縁が深かったので、島津氏の配慮を得ていたらしい。 二二 大臣だから、普通なら牛車にのるのだが。 二三 駕籠↓鹿児島。駕籠の棒↓坊の津。この歌「戴恩記」では建仁寺の雄長老の詠とする。これもはばかって作者をふせたのか。補二〇参照。 二四 織豊期連歌界の第一人者(一五二四-一六〇二)。粗野剛愎な人柄であった。里村氏。その子孫は連歌の宗家として幕末までつづいた。 二五 光が明かなのは。 二六 この付句は、謡曲「采女」中の文句をそのままとったもの。↓補二二。 二七 たいへん。 二八 名誉。名誉(めいよう、めんよう)には、おかしな、変なの意があり、これをきかすか。「これは名誉なことを覚えておりやる」(狂、人馬)。謡曲の文句を盗んだので、わざと皮肉に、小鼓に拍手喝采すると言った。 二九 底本のママ。多くは暁月坊、又は教月坊凶藤原定家の子とされていたが、中世以来の伝説的な狂歌作者。なお、「醒」に類話。↓補二三。 三〇 貧乏。 三一 印地打(いんじうち)の略。小石を投げ合う民俗から石合戦の遊戯となる。平安時代から公家や殿上人にも行われた(年中行事絵巻・平家物語)。のち専ら子供の遊戯となる。五月五日に二手に別れて石投げ斬り合いのまねをした。「から印地」は、あてなしにうつ空礫(そらつぶて)と同意。 三二 越える。年を越すに、石を目標を越して投げるの意をかける。 三三石合戦の石と、米一石(十斗)をかける。「たべ」は、賜え。 一 石をわると、一石の半分五斗をかける。一斗は約一八リットル。 二 一俵は四斗でなく、古くは五斗入り。籾俵では今でも五斗入りを用いる。「四国は海の中にこそあれ 漕ぎいだす舟に俵を八つ積みて」(新撰犬筑波集、刊本)。 三 たくみにいいかけた洒落。地口、口合。「醒」に類話。↓補二四。 四 菊科の多年生草本。秋、白や淡紅色の花が咲く。若根をとり外皮をはいで乾燥し、胃薬、屠蘇散、蚊やりなどに用いた。 五 白朮の異名。「白朮乎介良」(字鏡)。「置け」にかけた秀句。 六 よい頃あいを見計らって。 七 日蓮宗。専ら法華経に依拠する宗派。室町時代から徳川初期にかけて京都に盛んで、松永久秀などの有力武将や、本阿弥光悦などの芸術家・学者の帰依する老が多かった。激しく戦闘的なのが特色。「醒」に類話。↓補二五。 八 日蓮宗の二大流派で、室町末ことにその対立が激化していた。↓補二六。 九 教理についての論争。 一〇 陰嚢中の核。転じて睾丸。「陰核篇乃古」(和名抄)。 一一 大へん苦しむ。 一二 優劣。勝劣派をかける。 一三 きんたまの略。陰嚢の俗称。 一四 いっち(甚だ、非常に)↓一致派。 一五 茶の湯の会。「戯」に類話。↓補二七。 一六 さかやきを剃ること。注二〇参照。 一七 さわぐ。 一八 檀那寺の坊さん。 一九 恐縮のいたり。 二〇 頭上の髪の中央部を円形に剃り去ること。平安時代末期におこるといい、この頃には男子一般の結髪様式の常習であった。 二一 剃りつけているので。 二二 片方の小鬢(こびん)。小鬢は頭の左右側面の髪。 二三 どうしようもない。 二四 もっての外のこと。 二五 顔を真赤にして。 二六 わざとでなく、うっかりしてしまった過失。 二七 少年。卑下の意がある。 二八 普通の男子。 二九 身だしなみを整える。沐は髪をきよめ、浴は身をきよめること。 三〇 素直にあやまらず、つべこべ弁解、理窟を言って、おさえようとするのか。仏語で、悪魔や相手を降伏させること。相手が僧なので仏語を用いた。「チョウブク」(パ)。 三一 これではどうしようもない。 三二 いやいやながら。仕方がないから。 三三 髪を剃り僧衣を着て僧形となる。だが必ずしも僧となったり寺に入るとは限らず、僧形をしたまま、町中で在俗の生活をする場合も多い。 三四 一層よいこと。「それく、一だんの事じや」(狂、猿座頭)。 三五 僧が死者につける法号。ついまた言い損いをしたのである。 三六 以下、多く危い事のたとえ、諺となっている。尤の双紙、あぶなき物の品々参照。 三七 脚気になると末稍神経が侵され、ことに下肢が痲痺し歩行が困難。それで脚気・乱脚病・脚疾・脚病などという。焙烙は食物を炒るふちの浅い土鍋で、素焼だからこわれやすい。 三八 荷物をたかだかと積んだ馬。「岸」は川岸、海岸とかぎらず、がけ。「かたそばの細みち」(尤の双紙、あぶなき物の品々)。 三九 盲人が下り坂を歩けば、つんのめりやすい。 四〇 夫に後れた婦人。「後家(ごけ)を、ごけい」(片言、三)。 四一 これだけ。これくらい。 四二 とたんに口をおさえた。口をすべらしてしまったと思ってのしぐさ。 一 「戯」に類話。↓補二八。 二 残念。 三 立ちさらずにぐずぐずしている。 四 四、五月のもの。寺の裏手などには竹藪が多い。 五 雁は御馳走として当時珍重されていた。だが、僧侶は殺生戒として、魚鳥を食べるのを禁ぜられていた。 六 御挨拶。 七 痛風。関節やその周囲の組織に急性または慢性の炎症を起こし、痛み、腫れ、赤くなる病。 八 相手の坊主の方へさし出し。 九 鳥の身の方は、坊さんのあなたには。 一〇 そのまま。 一一 おいしく食べる。 一二 「戯」「醒」に類話。↓補二九。 一三 ばたばたとあわてる。 一四 鮭の腸をとり、しらぽしにしたもの。 一五 うろたえる。びっくり仰天する。「ハイマウ」(パ)。 一六 「食(た)ぶ」は下二段に活用。 一七 女房。魚鳥の肉を食べるどころか、更に妻帯の禁を犯していたのがぼれた。 一八 身体に栄養をつけるため、薬として、特に獣肉などを食べること。薬食い。 一九 皇族または公卿貴紳出身の尼。ここでは、どこか尼寺の住職となっているのであろう。比丘尼は出家して具足戒をうけた女子。御所は貴人の敬称。「戯」「醒」(広・狭)に類話。↓補三〇。 二〇 寺の所領となっている地方の土地へ。 二一 気ばらしに外出すること。 二二 土地の百姓は領主が来たので、もてなしする。 二三 接待。 二四 石を焼いて水を注ぎ湯気をたて、これを穴ぐらや岩屋、あるいは密室に導き、その中に入る蒸風呂。古く枕草子・今昔物語集にも見える。 二五 出家して日の浅い尼僧。蔵主はもと禅宗で重い僧職の一だが、ここでは出家一般の称。 二六 今の石鹸。洗粉。「てうつの粉には、もみちまちかねよりは、赤小豆の粉、緑豆のこを使ひ給ふべし」(女重宝記、一)。「チョウヅノコ」(パ)。 二七 相談の集まり。 二八 彼の人此の人。 二九 遅くなる。「ヲソナワリ、ル、ワッタ」(パ)。 三〇 たしかに。ちゃんと。「きつと案じ出したる事有」(猫の草子)。 三一 戦乱。「イチラソ」(パ)。 三二 退失流転の略。なくなること。「タイテン」(パ)。 三三 あきれたことだ。 三四 足利十三代将軍義輝。永禄八年(蓋瓷)没。「戯」に類話、「醒」に似た話。↓X1111° 三五 御気に入る。 三六 御前に出る。 三七 あまり親しいので、つい我儘に。 三八 僧が戒を破って還俗する。 三九 貴人の命令、仰せ。 四〇 僧位の名。法橋上人位の略。綸旨によって授けられる。 四一 御辞退。 四二 僧でなく俗人の方がつき合い易いので。 四三 諺「立仏も居仏も旦那ばからひ」。相手の意に迎合して、どんな無理なことでもすること。「立居さへ檀那まかせの釈迦阿弥陀人をぽいかで送り迎へん」(光広卿職人歌仙)。 四四 人聞き。世間の評判。 一 「うずる」は「むずる」の変化したもの。 二 そういうわけでございましたら。 三 「十六からは表役」(譬喩尽)の諺があるように、男子は普通十六歳前後に元服し、一人前になる。袈裟がけは、今まで髪をのばした稚児・喝食が剃髪して正式の僧侶となること。 四 宮中や貴人の家で、婦人のいる部屋には、外から見えないように簾や几帳を立てておいた。従ってここでは将軍の妻妾やその侍女たち。 五 貴人の乳母、または貴人の児女の養育係。 六 お腹の調子。腹具合。 七 あのような具合に薬を調合して下さい。 八 調合する。 九 お乳の人の意。↓補三二。 一〇 着物がはだけて、大事な所が見えた。 一一 薬調合用の匙。 一二 夢中でさがされる。 一三「戯」「醒」に類話。↓補三三。 一四 月夜で気がとがめるので、顔が見えないように。 一五 泥鰌をとる。「蜆、蛤ふむ」(三日太平記)。 一六 本堂の次の碓物。行者(あんじや)の居る所。「行堂鍔禅家使」(運歩色葉)。行者は禅宗で、有髪のまま寺にあって修行する者。また、寺院の諸種の用務を弁ずる給仕。 一七 刈・多本・整版いずれも「ゑんさい」とあるが、伝不詳。なお「戯」では加賀国伝灯寺での話で、「其所の奉行めいたる人」とする。 一八 仏教で、鳥・獣・魚などの狩猟を禁ずること。寺内は殺生禁断。 一九 理不尽な乱暴。 二〇 塗らない白木のままの弓。 二一 弓に矢をつがえる。「ヤヲバグル」(葡)。 二二 本ものの俗人。僧かと問われたのではないのに、禁を犯して気が咎めているので、思わずこう答えたのである。 二三 ここでは禅宗で寺院の居所。転じて長老、住持を言う。 二四 「戯」では「久蔵主」、刈本では「一臈(修行年限最長の僧)のけんてゐ」。 二五 秀吉の養子となり、天正十九年(一五九一)関白となったが、文禄四年自殺(蓋六八i蓋九五)。「戯」「醒」に類話。↓補三四。 二六 漆工。千利休の塗師。↓補三五。 二七 政治の要路にあり、君側に座して政務をとる者。「戯」には実名が出ている。 二八 茶の湯の会に招待。 二九 書院の訛。客間。「書院シヨエン」(易林本節用)。 三〇 当時、食物を出すのに重箱に入れて出す習慣があった。「重の内」(狂、焼栗)。 三一 招待した者として。 三二 昼時分なのに「夜食」といったのがおかしい。 三三 砂糖と茶道(さど)をかけるか。 三四 こびた風をする。「こばす」はサ行四段で、「こびる」(バ行上一段)の他動詞。「コバシ、ス、バイタ」(パ)。整版「こぼしだて」。「戯」「醒」(広・狭)に類話。「片言」にも似た話が載る。↓補三六。 三五 一流の人の列座した。 三六 瀟湘八景の一の煙寺の晩鐘。わが国では室町期から「遠寺の晩鐘」と書く。夜中なのに、晩鐘(夕方の鐘)といったのがおかしい。「聞こうる」は聞こゆるの訛。 三七 九州地方。「戯」「寒」に類話。↓補三七。 三八 たいへん御苦労なこと。 三九 自費路(旅費自分持)か。整版には「じぶんに」、「戯」「寒」には「自筆に」。 四〇 あるいは相手方の旅費負担か。 四一 京都市南部の一区。ここから淀川を下って大阪へ出る。京・大阪舟路の起点。当時九州へは大阪から舟で行くのが普通。 四二 「戯」では「車力」。舟なのに車力と言ったのがおかしい。 四三 はやく。 四四 外国から帰国。九州からではおかしい。 一 学本「四方はい」の見物人の歌として、歌のみあげる。「戯」に類話。↓補三八。 二 蕎麦粉を熱湯でこね、つゆをつけて食べる。 三 常に主君の側近に侍して、一緒に食事をしたりする重臣。 四 細川幽斎(蓋三四i一六δ)。大名であり当代歌壇の第一人者。 五 膳につき。 六 女房詞で蕎麦がきを、その色から薄墨という。なお、眉は墨で描く。 七 横顔。「そばがほのみすにすぎて見ゆる」(狭衣物語)。かつ蕎麦がきをかけている。「ソバカヲ」(パ) 八 帝↓三角(みかど)、蕎麦の女詞。 九 六、七、八歳くらいのごく幼い稚児。「戯」「醒」に類話。↓補三九。 一〇 親里。 一一 気の毒そうな顔。 一二 帰る途中(の家)で。 一三 貰い火をして延焼する。胸がやける(棟が焼ける)の縁で類火という。稚児たちはいずれも食いしん坊。 一四 餅を振舞ってくれた家。これも胸やけの縁語。 一五 修行をつんだ偉い僧の説教、法談。 一六 謡曲「卒都婆小町」などにも見える、中世に行われた四句偈。一度卒塔婆を見ただけでも、その功徳で三悪道を離れる。まして、これを造り立てた者は死後極楽に生れるの意。↓補四〇。 一七 意味。 一八 もと仏舎利奉安などのために建てた塔だが、のち供養として墓の後に立てる細長い板。上部が塔形をし、梵字や経文などが書いてある。 一九 現世の悪行によって、死後到るという、餓鬼道・畜生道・地獄道。「道」は世界。 二〇 呼びかけの言葉。「いかに鬼神もたしかに聞け」(謡、田村)。 二一 安楽浄土。極楽。 二二 「もし」の宛字。 二三 一見を同音の幅コ間」ととりなしてごまかした。諸本に多少異同があるが、ことに金本では「かしこまつて候とてかへりける。此人の心こそまことのほとけにて候へ、上人らいしたまふとそ」が加えられている。 二四 底本「かくもにん」と誤る。この話、笑草に転載。 二五 励めよ。 二六 いっこうに。 二七 けしからぬこと。 二八 素質。 二九 強情である。日蓮宗は強情で有名。↓補四一。 三〇 気持がいい。心の慰めになる。「食ふよりもきの薬かな鹿の声」(犬子集)。 三一 「秉」はとるの意。禅宗で一寺の住職に代り、他の僧が払子(鯰っ)をとり法座に上って諸衆を開示すること(勅修百丈清規)。いわば討論会の議長。「戯」に類話。↓補四二。 三二 「上野」は今の群馬県、「下野」は栃木県。 三三 「筑前」は福岡県北部、「筑後」は同県南部。 三四 非常に重く。 三五 助かるかどうかわからないほど重態の時。 三六 ああ。感動の語で当時は男も使った。 三七 もしものこと。死ぬこと。 三八 現世を捨て、ひたすらあの世のことばかり考えて。 一 諺にも「髪は一年物」という。 二 家督権と家名・財産の相続。 三 全快。「ホンブク」(パ)。 四 わいわい言ってさわぐ。 五 どうしても我慢出来ない。 六 まことに申訳ない。甚だ恥ずかしい。 七 とにかく、申しにくいことですが。 八 あなた。もと女房詞で、「そなた」の「そ」に「もじ(文字)」をつけた語だが、男女一般に使われた。 九 身をひく。妻の座をはなれる。 一〇 今まで長い間つれ添った情。 一一 あなた。対等の者に使う二人称の代名詞。 一二 たいへん不機嫌である。「ブケウ」(パ)。 一三 たしかに、道理は明かで、その通りです。 一四 これまでつれ添ってきたお情で。董守護はもと鎌倉・室町時代の職名。徴税権・警察権・裁判権を有した者だが、ここではその地管轄の代官。 一六 「ども」は単数でも使い、謙遜の意をそえる。 一七 「ら」は単数でも使い、卑下の意味をそえる。 一八 考える。思案する。 一九 ひどく驚きあわてる。「ケデン」(パ)。 二〇 すっぱりと。たやすく物を切るさま。「物をきり侍るを、ちよんときる、すかときる、つんときる、ずんときる、すつかりこときるなどいふは、いつれまされるにや」(片言、五)。 二一 この有様の顔になっては。 二二 娶る。妻として迎え取る。 二三 諺。もとの妻と復縁するのは仲人もなく簡単なことだ。狂言、法師物狂や毛吹草・吾吟我集等に見える。 二四 末長い年月を祝う言葉。「五百八十年七廻り」「五百八十年万々年」などともいう。五百八十年は、七廻り、即ち干支の七廻りで、六十年の七倍の四百二十年を加えると、ちょうど千年になる。そういうわけで、長く縁起を祝う数とされていた。↓補四三。 二五 第一のこと。この話、上拾遺67話(一〇七頁)に似る。また笑草に転載。 二六 京都のほぼ三条あたり以南をいい、上京が山手に対し、庶民的な下町であった。 二七 眼医者。当時眼医者はすでに分科していた(日本医学史)。眼医者で目薬を売っていたのであろう。 二八 のれん。商家の軒先に張って日除けとする布。多くは紺地に屋号を染めぬき、または無地の茶木綿に墨で屋号を書く。 二九 金・米・薬の三種。 一 園城寺。滋賀県大津市にある天台宗寺門派の総本山。古くから栄えた大寺。「戯」「醒」(広・狭)に類話。↓補四四。 二 法印大和尚の略で、学徳兼備の僧に与えられる高位。三井寺など大寺の坊官や幹部級の僧には、法印号を許されていた。のちに「醍醐の法印」など、山伏などを呼ぶ称ともなった。 三 退屈をまぎらそうと。 四 年ごろなので、優雅風流を気取っているのである。「醒」では公家の子になっている。 五 幼少の児は食べざかりで、食欲一本槍である。「醒」は歌に異同がある。 六 撥音。三つ「ん」のついた言葉。「戯」「醒」に類話。↓補四五。 七 賞味する。 八 京都市北区紫野大徳寺の南にあった天台宗の寺。一般には「ウリンヰン」「ウジヰ」などとよんでいたらしい。「うち井、雲林院也。此所はむかし寺也。其寺号則所の名とするなり」(浮世鏡)。 九 足利末期、南洋諸島を根拠地として来たポルトガル人、続いてイスパニヤ人をいい、インドを根拠地として来たオランダ人などを紅毛人といったが、一般に西洋人をもいう。 一〇 煎茶瓶を撥音便風に「せんさんびん」といった。「煎茶瓶顕サ」(運歩色葉)。 一一 「シンセンエン」の訛。京都市中京区御池通神泉苑東入にある名苑の跡。 一二 「コンゲンタン(血が頭に上った時に用いる薬)」(パ)。練薬。「昆元丹薬名」(古写本節用)。 一三 昆元丹に田楽の味噌の「こげた」をかけた秀句の褒美として。 一四 発心して新たに仏門に入った人。ここでは幼少の僧。 一五 「え食はず」。食べられない。 一六 煎茶瓶から茶臼を連想し、小児が「こげた」を撥音化したのをまねて、こう言ったか。 一七 とたんに。 一八 平清盛が厳島大明神から長刀を授かった話(平家物語)により、厳島を出し五串。なお、「戯」「醒」(広・狭)に類話。↓補四六・四七。 一九 「つぶり」は頭。これを敬語で御首(みぐし)↓三串。 二〇 なんだの意の「何ぞ」を重ねた語。名詞化して「謎」となる。 二一 ある職業の人を守ってくれるとして、特に信仰する仏。医者の本尊は薬師如来。 二二 薬師↓八串。薬師は衆病を除く願をたて、衆生に薬を施す仏。 二三 平清盛の俗な言い方。晩年出家したので、入道という。 二四 平家物語、巻五「物怪之沙汰」にある不思議な話。↓補四八。 二五 ということだが。 二六 櫛でとかし洗い清めても。澡浴(そうよく)の転じた「そうやく」の訛。洗い清めること。 二七 僅かの間に。 二八 虱の卵。 二九 縁起かつぎ。「戯」「醒」に類話。↓補四九。 三〇 若水を汲むことを「迎える」という。若水は、立春の朝、後世は元旦の早朝、新しく水を汲み入れる行事。↓補五〇。 三一 若水を汲むときのまじないの文句。前補注参照。 三二 早朝。 三三 考える意のほかに、愁いに沈むという不吉な意味があるので、物忌みにさわる。 三四 木を投げるの「投木」が「嘆き」に通ずる。石や陶器の枕もあったが、古来から黄楊・朴・桑・沈の木など、木の枕が普通。 三五 酒量のきわめて大な人。また酒の大好きな人。「戯」に類話。↓補五一。 一 乳母。お乳の人の小児なまり(片言、三)。 二 学徳を備えた名僧。宗派により多少意味が異なるが、禅宗では師僧を尊んでいう。この話、笑草に転載。 三 仏門に入ってまだ日の浅い修行未熟の僧。禅宗・律宗で多く用いる。 四 ここの禅宗では住職または先輩の僧。「今禅宗住持之者必呼二長老一」(祖庭事苑)。諺「沙弥から長老にはなれぬ」「沙弥から長老にとぶ」。 五 不平や希望を人に述べること。 六 示教。悟りへの導き、教え。 七 残念至極。 八「畏れながら」を「大それ」の語の類推から訛ったもの。無学な沙弥らしい語。 九 一つの古則公案。禅宗用語。「則」は、もとすじみち、法則、手本の意。古人の説話は後世の人の修行の法則となるので、則という。 一〇 殊勝なこと。よい心がけ。 一一 おそばに召しよせられて。 一二 最も大きい迷いである生死の問題を悟りひらくべき公案。 一三 奥義に到達する。 一四 弘法大師が入唐の時、生死一大事を問われて、「味噌よ味噌よ」と答えた逸話が「醒」に見える。↓補五二。 一五 精進料理。「しょうじ」と訛って「生死」にかける。精進を「しょうじ」と訛る癖が、この頃の京都にあったらしい。↓補五三。 一六 御名答。 一七 禅宗の始祖。インドより来り、中国で禅宗を開く。 一八 親の命日。 一九 僧の敬称。 二〇 七堂の一で、食事の準備などの雑事をする所。 二一 仏家で寝室・納戸をいう。 二二 腸を肉と一緒にして、和え物にした料理。鮑は美味で珍重されたが、魚鳥の類として僧侶には禁じられていた。 二三 動かさずにしっかりと。じっと。 二四 殊勝な。感心な。 二五 精進料理では酒の肴にならない。 二六 特につてを求めて手に入れたの意(普段は縁がないの意をほのめかしていう)。刈・多本・整版では底本のごとくだが、山・金本では「をためはかりに是をとゝのへたる」とある。 二七 身に余って忝けない。 二八 忘れておりました。 二九 行き届かぬことで。申し訳のないことで。 三〇 一般に子持の女。ここでは、自分の妻をいう。妻帯し、子まで持っていることがばれる。 三一 南無阿弥陀仏の略。 三二 鮑は古くから目の薬(和名抄)。↓補五四。 三三 「さして」の音便「さいて」。 三四 鮑は酢と塩とで味をつけ、腸も一緒に膾にして食べるのがうまい。 三五 目薬などの薬類は蛤の貝に入れた。 三六 非常に痛いこと。 三七 成語。七転八倒すること。「五体」は全身。 三八 わめき騒ぐ。 三九 ふさわしい。「ふさひた」がウ音便になった語。 四〇 みな食べてしまった。「しまひた」のウ音便。 四一 錫製の容器。 四二 鮑・蛤・魚肉など生魚物を用いた膾は僧が食べてはならない。 四三 しっかと頭の上に載せて。 四四 この型に。頭巾にもいろいろ型があった。 四五 いかがでしょう。似合いますか。 一 浄土宗西山深草派総本山。京都市下京区新京極桜ノ町。古くから栄えた寺だが、数度火災にあい、天正十三年(一五金)、秀吉の命で現在の地へ移転。当時秀吉の側室松丸殿の帰依をうけ、本堂・阿弥陀堂等の大伽藍が再建、寺勢が盛んであった。 二 当時の寺額は「誓願寺」ではなく「南無阿弥陀仏」と書いてあった。↓補五五。 三 文盲なので、南無阿弥陀仏の額の字が読めず、多分誓願寺と書いてあると思ってこうほめた。また大仰なほめ方なのが、落ちの滑稽味を増す。 四 趙子昂(三裔ー;三ご)。元初期の文人。詩文に巧みでまた書画の大家。 五 額は筆で書くものだから石摺りのはずがない。石摺りは、石や木の文字や絵を、油墨などで地は黒く字は白く摺りとったもの。名筆の石摺りは、当時珍重された。↓補五六。 六 東国の人。 七 今の長野県。 八 長野県伊那郡、岐阜県よりにある歌枕。今小野川の谷で、古駅路にあたり、旅人を泊め休ませる布施屋があった。遠くからは見えるが、近寄ると見えなくなる帚木(まよ.きき)があったので有名。 九 わらじ。藁沓(おらんず)の転。「草鞋鰐」(運歩色葉)。 一〇 六〇センチほどの多年生草本。山野に自生。茎で木材や角などを磨く。 一一 ひたすら。 一二 筑前太宰府にあった。中世には頗る盛大、諸国に寺領多く、天満宮も寺内で、安楽寺の菅公廟といわれた。明治維新後、神仏混淆禁止で廃寺。 一三 中国福建省泉州府建安産。堅い焼物で上品なもの。 一四 もと中国浙江省杭州府臨安県の天目山産の茶碗。五山僧が持来り、茶道で珍重された。「茶具者建盞天目」(庭訓往来)。浅く開いた摺鉢型の茶碗。のちこの形の茶碗の汎称となり、ここでもその意。また、四国・九州地方の方言(和訓栞)となった。 一五 かじる。 一六 日吉空庵か。「戯」「醒」に類話。↓補五七。 一七 社寺への寄付勧進のための興行の能だったが、のち見物料を取る能。↓補五八。 一八 人さらいに連れられた梅若丸をさがして、母が関東の隅田川に尋ねて来、その死を知って気が狂う悲劇的な能。 一九 野天の見物席。 二〇 千歳舞。能のはじめに行う式三番のうちで、翁が地謡と連吟で「とうとうたらりたらりら」と謡い、「所千代までおはしませ」と今様を謡った次、侍烏帽子に素襖をつけ、小刀を帯びた千歳が今様を謡って舞う。 二一 式三番で千歳の次に再び翁が謡い、天下泰平を祈り、神楽を舞い、三番叟に続く。 二二 翁の次に出て、黒色の老人の面をつけ扇と神楽鈴とをもって舞う。 二三 この人。 二四 三番叟を隅田川と思い、三番叟の面が黒色なので、「すみだ顔殿」といった。 二五 実家が貧乏なので。「醒」に類話。↓補五九。 二六 表だった会や儀式の時。かかる折には稚児は衣などを美々しく飾る。 二七 指似。陰茎。多く子供にいう。 二八 ああ気の毒だ。 二九 稚児の後見役。 三〇 見る人はみな。 三一 特に大きいものをいう。 三二 言うので。 三三 吉野は修験道の聖地大峰山があり、山伏が多く、また山中で山芋も名物。なお、この話「阿奈遠加志」にとられる。 三四 山芋は根が地中深く入っている。 三五 山伏が修行を終って霊地の山から出ること。特にこの時は気力・体力が充実しているという。「此度大峰かづらきの役をつとめ、只今がかけいでゞござる」(狂、蟹山伏)。 三六 苦しめる。無理に男色の交わりをする。 三七 ぎいぎいとわめく。擬声語。「ギギメク。鳥を殺いてぎぎとする」(ロドリゲス)。 三八 子供の山伏。 三九 山伏の持つ代表的な道具。法螺貝の殻の頭に穴をあけて吹き、ぶうぶうと低いが大きい音を出す。古くは軍器で、中国や朝鮮で使われた。我国では山伏が狼狸の害をさけるために使い出したという。 四〇 京都市右京区嵯峨町にある臨済宗天竜寺派本山。 四一 室町末期屈指の学僧。信長の諮問に答える。詩人・文章家として傑出。なお「戯」では、前半は貞安と信長が天正八年(蓋八〇)にした話となっている。↓補六〇。 四二 心の鈍いこと。愚か。 四三 かしこいこと。 四四 成長して一人前になること。 一 家にいた時の気持。一般世間の気風。 二 戦国乱世を自らの力で生きぬいてゆく武家らしい智恵才覚。当時町人などよりも武家の家から寺に入って稚児になる者が多かった。 三 寺の気風に染まる。 四 丈の長い袖。転じて鎧を着るため長袖を使用しない武士に対し、公家・医者・神主・僧侶・学者などをいう。公家や僧侶など武事に携わらず、軟弱でのんびりしているのを嘲っていう。 五 にぶい。のんびりした。 六 精神・心が劣ってしまう。 七 たいへんもっともな。 八 お供。「はやす」は、もてはやすなどと同じく主人を飾りたてる、映えあらしめる意から添えられた語か。従って単に一人の供でなく、「供ぞろえ」などのごとく、何人かのお供をいうか。「供ばやし、能、舟遊びにもめしつれられ」(日本永代蔵)。「当分は供はやしに出ず、着類のいらぬ飯たき奉公でもして下され」(当世銀持気質)。 九 なぜいるのか、いらないではないか。 一〇 武家で主人の草履を持って供をする下僕。 一一 わかる。理解できる. 一二 声を出し歌曲の調子をとる囃しの意にとった。 一三 夫婦が互いに呼びあう称。 一四 智徳の亠咼い僧。 一五 古くからの諺。「あふはわかれ」(毛吹草)。 一六 底本「躰」。整版・多本などに「ありさま」とあるので、「てい」と読んだ。身体でなく、様子。 一七 情欲などが身を悩ますこと。 一八 重病。難病。 一九 房事。 二〇 そのようなことは思ってもみない。 二一 薬がきいたか否かの返事。「左右」は報告。 二二 女房。「ども」は謙遜の意をあらわす接尾辞。 二三 見ていただけの意か。「おそれ」の語は他の用例や辞書類の解説も見えないが、古活字本.写本・整版等、現存諸本いずれも「おそれ」になっている。おそれ承る意の「おそる」か。 二四 かまわないが。「おりなひ」は、「ある」の尊敬語「おりやる」の打消。 二五 容態。 二六 容易には。 二七 京都の下町。 二八 経歴不詳。山・金本は「ふべんなるものゝよきむすめをもちける」だが、刈・多本・整版は底本と同じく「むかし下京に道無」。 二九 縁談を世話する。 三〇 相手はどれほどの財産があるか。 三一 以前(狂言・捷解新語・パジェス等)。 三二 領有する。 三三 年収十石。一石は米百升。いかにも貧乏人らしく、四国を四石にとり違えたのである。 三四 結婚後、夫が初めて妻の生家にゆくこと、またその式。↓補六一。 三五 通知。 三六 用意する。準備する。「コシラエ、ユル、エタ」(「拵コシラヘル」(運歩色葉)。 三七 お前の婿は。夫は。 三八 敲鉦の略。ふせがね。ひらがね。 一 感心な。 二 一緒に太鼓合奏の役をする人。「ヤクシャ(ツトムルモノ)」(パ)。「あつべる」は「集める」。 三 酒盛り。「コソく(盃を何度も献ずる)」(パ)。献はもと饗応の時、肴の膳に盃・銚子を出し、三杯飲まして膳盃を下げるのが一献。のちに盃の度数をいい、更に盃事をいう。 四 飲んで酔う。「たぶ」は飲む。「タベエイ、タベヨイ、ヨウ、ヨウタ」(パ)。 五 無礼。 六 ちょっと。「ソト、ソット」(パ)。 七 上衣をぬいで、身がるにいでたつ肩ぬぎの語を、大げさにした語。大肌ぬぎに同じ。 八 「おつとつて」の誤か。山・刈・多本・整版いずれも「かたばちおつとつて」。 九 六斎日(八・十四・十五・二十三・二十九.晦日)に行う空也念仏。↓補六二。優雅な遊芸のたしなみかと思ったら念仏。また婚礼と念仏との取合わせもおかしい。 一〇 若衆の御訪問。若衆は元服前の前髪姿の若者。当時盛んだった男色の対象。 一一 「サケノミ(米を発酵させて酒にし、しぼらぬ前のもの)」(パ)。古活字本など諸本多く「さけのみ」とあるが、整版「さゝのみ」、学本「さけのかす」。酒より下品で、若衆にふさわしくない。 一二 うちこんで。惚れこんで。夢中になって。「醒」(広・狭)に類話。↓補六三。 一三 恋文を数多く送り。 一四 藤原定家自筆の色紙。当時珍重され、最も高価なものの一(尤の双紙、高き物の品々)。 一五 習字の手本。稚児・若衆は習字が主要な勉強。 一六 弘法大師はまた書の名人。三筆の一人。 一七 般若心経の三行ほどの断簡。古写経の断簡を珍重する風が当時すでにあった。 一八 方々さがして手に入れ。 一九 昔は鍔がなく柄もまかず、八、九寸(二五センチ前後)ほどの匕首(あいくち)のごときもので懐中したが、室町末から小刀のごとく鍔をつけ柄をまき、長さも長くなった(貞丈雑記)。 二〇 飾りの金銀金具を。 二一 立派な。「こしらへ」は、柄や鍔の作り。 二二 金の力と黄金作りの太刀をかけ、また「手をつく」に手を突き傷つけると、手をついてあやまるの意をかける。 二三 習字の清書。当時学校がなかったので、寺へ行って僧侶に習字などを習った。 二四 字が上手になるだろう。 二五 字ばかりでなく心も大人に。 二六 手紙の末尾に書く文句。恐惶謹言と同じく男の手紙にも用いる。当時、手習の手本には、庭訓往来・尺素往来など往来物と称する書簡文体の教科書を用いていた。 二七 母親は「穴かし、くじらふ」とよんだのである。「くじる」は穴の中に手や物を入れてかきまわす。なお、山・金・多本では、子の名が二郎でなく千松となっているので、「あなかしく」を穴が畏れおおい、かたじけないと母親が誤解したことになる。この方が古い形か。 二八 もと出家して間もない修業未熟の僧の意だが、転じて一般に身分の低い僧をいう。「戯」に類話。↓補六四。 二九 お願い。無理な頼み。 三〇 恋心を受入れて情をかけよとの望み。 三一 今でもいい、貴方の都合のよい時に。 三二 法印さまがお留守になったらいつでも。 三三 やってくる。 三四 寺の納戸。 一 種。「醒」に類話。↓補六五。 二 御馳走として珍重する。「奔走」は馳走と同意(パ)。 三 鈍い。おろか。 四 他流で、ちがう仕方・流儀の意か。古活字諸本多く「たりう」。ただ金本では「たうり」とあり、整版では「それもさうちやか」とあるよりすれば、「たうり」(道理)を誤ったか。 五 古活字本の祖本に「実」(さね)とあったものを、「まこと」と誤り読んだか。諸本「さね」。 六 召上る。「戯」「醒」に類話。↓補六六。 七 数多く食べようと思って。 八 あわてて。 九 気の毒がって。 一〇 織豊期には全国統一の世情を反映し、天下一の言葉が流行、筆師・鏡師まで天下一号を名乗った。 一一 つかえた餅が竜虎が組み争ったような恰好での意か。或いは輪鼓(りうこ)か。↓補六七。 一二 やはり天下一だけのことはある。 一三 おしい物。せっかくの御馳走を。 一四 いかにも幼い言い方。 一五 ニ人が男色関係にある時、稚児・若衆に対し、年上の方をいう。「戯」「醒」に類話。↓補六八。 一六 金銀類を薄く打延べて、刀剣の鞘にはりつけること。金熨斗付・銀熨斗付・裏熨斗付などがある。「熨付膨」(運歩色葉)。安土日記・豊太閤御事書等に、熨斗付の太刀・槍・長刀などが見えるから、この飾りつけが織豊期に流行したらしい。 一七 「あふ」は、夢に見たことが、正しく現実に生じること。春の夢ははかないものの譬。だからあてにならないという諺があったか。なお、夢によって吉凶禍福を判断することは、日本書紀・源氏物語にすでに見え、安倍晴明の夢占書をはじめ近世まで幾多の夢占の書が作られている。のち俗化し、神巫などは夢判じを渡世の職業とした。 一八 今の愛知県で、信長の根拠地。信長は永禄十一年(蓋一ハ八)上洛、天下の実権を握ってのちもここを本拠とし、のち京都、更に安土城へ移った。この話は京都・安土へ移る前のことであろう。 一九 九州。 二〇 挨拶。 二一 大名の下々のお供たちへの馳走。 二二 町人たちが自分たちで作り出して。 二三 正式の膳立てで、飯・汁・肴が付き、最初に正面に据えられる。人参汁は、大根と一塩の鯛とを実にした味噌汁。 二四 膾には普通貝や魚を用いる。 二五 わが国に渡来の時期は明かでないが、近世初期の林羅山の多識篇に初めてその名が見えるというから、信長の時代にはなお珍しく高価なものだったのであろう。人参汁を、人参を入れた汁と誤解。 二六 一斤は一六〇匁。一匁は三・七五グラム。古くは十六両を一斤、四十八両を大一斤とよび、又物によって一斤の量が異なる。人参は高価なので一貫二貫といわず、斤と数えたのであろう。 二七 謝って辞退させてもらう。 二八 直接事務を扱う役人。 二九 事情を述べて裁断や許可を得ること。 三〇 理非を考えてお聞き入れ下さった。 三一 結局同じこと。 三二 訴え申上げてよかった。 三三 疲れはてた様子。「らうらうとつかれ侘びたる如くなり」(傾城反魂香)。「戯」「醒」に類話。↓補六九。 三四 室町後期の医の名家。太政大臣公経の子昌慶が入明し、医家として顕われ、その三子直慶・善慶・昭慶以下いずれも法印または法眼に進む(「戯」には一渓(曲直瀬)道三)。↓補七〇。 三五 底本「きりく」。多本等により改む。精力の減退する。或いは「きりく」は「きりよく」(気力)の誤か。 一 いわゆる望診。名医らしい返事。 二 仰せのように。 三 私めが用いるのでは。 四 女房。 五 「戯」に類話。↓補七一。 六 一生懸命。出来るだけ熱心に。「セッカク」(パ)。 七 日蓮上人の忌日。御命講といい、日蓮宗寺院で法会がある。 八 布施を出して寺の斎(料理)を食べることを百文の安料理と嘲笑していう。「はたご」はもと食物・雑品を入れる旅行用具で、転じて食物を調理して売る安料理屋。「瓜や茄子や夕顔の汁 立ちよるは五条あたりのやす旅籠」(望一後度千句)。 九 大御影供(おみえjV)の訛。一向宗や法華宗で宗祖の命日に行う法会。 一〇 招待の通知。 一一 必ず出席して下さい。 一二 きちんと坐り。 一三 各自の席に正しく坐る(児教訓)。 一四 寺の料理を戯れ嘲っていう語だから、困って。 一五 謡曲「老松」中の上歌。「歩みを運ぶ宮寺の、光のどけき春の日に、松がねの岩間を伝ふ苔莚、岩間を伝ふ苔莚、敷島の道までも…」。いかにも寺の法会に歌うのにふさわしい謡曲の一節。 一六 底本に用いた大東急文庫本にない話を、他の諸本から拾って、拾遺の部として、上下各巻の末尾に付した。 一七 この底本の前に公家の名前に植物の名がついている者が多いという話に続いているので、「又」と書き出す。「醒」に類話。↓補七二。 一八 朝廷に仕える人々の称。公家。「衆」は他の語に添えて多くの人を丁寧に言い表わす語。 一九 いずれも当時実在の公家の称呼。なお、底本の清濁「たかつかさ」。↓補七三。 二〇 万里小路(ま弯のこうじ)を、文盲故、「馬での小牛」と考えた。↓補七三。 二一 京都市右京区嵯峨にある古義真言宗の大本山。もと嵯峨天皇の離宮であったが、平安時代の貞観十八年(八七六)仏寺となり、親王門跡寺として大いに栄えた。 二二 遠い国の人、即ち田舎者。 二三 寺院の格の一で、皇族・摂関家・清華家の僧の入室する寺院。宮門跡・摂関門跡以下の区別がある。 二四 五文の通行税をとる関。中世では土地の大名・豪族、或いは勢力のある社寺などが勝手に関を設け、人や物資の通行に税をかけた。織田信長の天下統一後、廃止を命じたが、かかる関の通行税の慣行が、この笑話にも反映している。 二五 中ごろの昔。「書き物を見たが、大昔、中昔、当世様と言うて三流あるが」(狂、庖丁聟)。「醒」に類話。↓補七四。 二六 主人を招待する。馳走に招く。 二七 名古屋市の近くにある海岸町。信濃は山国なので、わざわざ遠く嶮しい山路を南下、尾張の国へ出て、海岸の熱田まで来たのである。 二八 調達する。なお、中世の料理秘伝書類によれば、鯛はすでに料理、殊に祝儀の料理として珍重されている。 二九 都市が十分発達してない時代でも、買い手の便利のため、同じ商品を売る店は町や市の一ヵ所に集まっていた。 三〇 左旋の縦筋のある巻貝の総称。アカニシ・タニシの類。今日では一般にあまり料理に使わないが、中世以降、元禄の「男重宝記」の料理献立の魚類の部にまで、「辛螺」としてしばしば出てくる。 一 主人の殿様。主人は大名・小名か武士であろう。 二 買出しに行った使が。 三 螺は、窓の戸を閉めるように口の蓋をしめているので、「窓引き」といったのか。 四 料理人。 五 「鬼の拳」の意か。巻貝で形は握拳に似、また殻の表面が固くざらざらしているので、「鬼の拳」を連想したか。「さざえ」に古くから「拳螺」の字を宛てる例がある。また「おにこぶし」という巻貝の一種もある。 六 ばかばかしくて、あきれかえる。 七 でたらめな名をいったのだが、屁、睾丸(ふぐり)の連想があっておかしい。 八 衆人の評議がわかれて決しないところへ。 九 招待主。その家の主人。 一〇 膠(にかわ)を溶かす容器。当時、膠を溶かす時の容器に、螺の殻を使うことが多かったらしい。「にしのからには膠をとき」(狂、金岡)。 一一 医書は漢文で書かれているし、まだ初学なので、ゆっくりとしか読めない。 一二 理解できない。 一三 付箋。しるしのため付けておく紙。 一四 夫。 一五 不審の箇所に目じるしとして付けておく紙。 一六 なるほど、もっとも。「ナカナカ(然り、本当に等)」((パ))。 一七 ぴったりと。「身共が膠加減をとくと仕済まして置いて、片はしからひたくと着けて廻るに依つて」(狂、六地蔵)。 一八 世間に言い習わすこと。以下の二つの俗説、現在でも行われている。 一九 頬のさき。頬のあたり。 二〇 女陰。「ヘへ」(葡・パ)。「ベベ」とも。 二一 中世以来代表的な古典文学作品とされ、中世小説などでも文学の教養といえば必ずこの三種をこの順序であげる。一種の成語。ことに当時の女の人の教養は低かったので、かかる古典を読んでいたのは稀で、いかにも奥床しい感じがしたようである。たとえば浄瑠璃姫物語(十二段草子)に、浄瑠璃姫の教養の深いのをほめたたえて、「かなのうち、読みける草子はどれどれぞ、古今、万葉、伊勢物語、しらら、落窪、京太郎」。 二二 優雅な。 二三 お里はたいした財産のある家でなかったが。 二四 昔は身分のよかった人。 一 過失ということにして。 二 知人。懇意な人。 三 「べつに」に同じ。「ベチ、ベチナ、ベチノ」(パ)。 四 小さい杵。「古今」を文盲らしく誤る。 五 窓にかける菰。布製の帳でないところ、いかにも貧乏世帯らしい。「万葉」を誤る。 六 伊勢の国から産出する摺鉢。どこにでもある安物の世帯道具。「伊勢物語」を誤る。 七 出家した女子。尼僧。 八 悪ふざけ。もと無法・非道のことだが、悪ふざけ、冗談ずき、腕白などの意にも用いられる。「ワヤク、ワヤクジン」(パ)。 九 私有物から秘蔵物に転じ、更に転じて陰茎。「松茸のおゆるをかくす吉田殿わたくし物と人やいふらん」(上拾遺21話、八九頁)。 一〇 わざと太く勃起させて。 一一 寄り合った庵の主。 一二 何だかしらないが、虫のやつが。とぼけたのである。 一三 そこにある。 一四 よこしなさい。 一五 あわてたので、とぼけていたのを忘れて。 一六 もと仏語で障礙、魔の意だが、転じて僧侶の隠語で陰茎。更に一般語になった。「マラ」(パ)。 一七 勃起させる。 一八 そしらぬ顔。 一九 おのおの。各人で。 二〇 気がついた。 二一 うまいかどうかわかりませんが。 二二 九献は尼にふさわしく当時まだ女房詞。のち一般に酒の異名となる。「一、さけ、くこん」(大上臈御名事)。「クコン、酒(女詞)」(パ)。「婦人愛呼二九献こ(醒、五)。 二三 そのわけは。 二四 献盃の儀式に、三つ組の盃で三度ずつ三回やりとりすること。今も婚礼などではこの作法が行われている。 二五 盃の度数。 二六 本当。正式。 二七 相手の気持次第。献と同音の気根をかける。気根はもと仏語。相手の気持と共に精力の両意があり、これもきかせているのであろう。 二八 梅干の訛。当時既に一般語だが、尼だからわざと「梅法師」といった。「梅干をうめぽうしとはいふまじきことなれど、是等はくるしかるまじくや」(片言、四)。 二九 つぼ・涎が垂れる。 三〇 毛抜に同じ。古くから小間物として使われていた。「鑷子波奈介沼岐抜二取毛髪唱也」(和名抄)。 三一 明治以降も最近まで濁音。「センダク」「キルモノヲセンダクスル」(葡・パ)。 三二 陰核。 三三 困って。 三四 「はくらん」の気。霍乱(駛)の訛。「バクラン」(パ)。「霍乱(雛く)をはくらん」(片言、四)。だが、訛の「はくらん」の方が普通に行われていたようである。パジェスにも「カクラン」はない。霍乱は日射病、または炎暑の頃急激な吐瀉をおこす病。 三五 強く猛々しい。 三六 ここが大事とばかり必死になって。「専と」とも「先途」ともとれる。 三七 工夫をめぐらす。 一 ゆるめない。 二 蟹だから穴を望む。穴は女陰の隠語でもあるのをきかしている。 三 生きている人の怨霊で、祟りをするもの。死霊に対する語。 四 王朝時代から生霊などを調伏するのには祈祷が一般的な方法。 五 近所の山伏。山伏は、ことに祈祷の術を得意とする。 六 僧や修験道の山伏のもつ杖。上は錫、中は木、下は牙または角。頭は塔婆の形をなし、数個の環がついていて地を打つと音が出る。もと山伏が、山野で毒蛇・猛獣を恐れさすために用いたという。 七 とにかく。 八 片っ方の。 九 小便。多く女・子供にいう。 一〇 ひどく。 一一 まったく。 一二 誇張の面白みに加えて、山伏が滝にうたれる修行の連想をきかせている。 一三 祈祷師だから丁寧に敬語「お」を添えた。 一四 恐縮いたしました。「いたいた」は「致した」の音便。 一五 人妻の敬称。 一六 もげてしまう。「いぬ」は「行く」から、遂に…となる意の助動詞的役割をする。 一七 再三。しぼしば。この話、笑草に転載。 一八 鍼医。鍼は灸と共に漢方医学で重要な治療法とし、平安時代から行われていた。ことに織豊時代には入江・吉田の各流の鍼術がおこり、次いで御園意斎が各種の鍼を創案したりして、盛んになり、専門的に行われていた。 一九 あおむけに同じ。「アヲノケ」(パ)。 二〇 帯しばりの略。腰・腹の左右で、帯のあたるところ。よわこし。「ヲビシ」(パ)。 二一 夫。 二二 「ゆり」はもとは四段に活用。「醒」(広・狭)に類話。笑草に転載。↓補七五。 二三 門跡寺の住職だが、ここでは准門跡たる本願寺の法主をさすか。補一六〇参照。門跡寺は皇族や摂家以下公家の子弟の入室する格の高い寺院。 二四 まちがった言い方や訛の多い言葉を使う人。言葉の調わない人。「カタコト」(パ)。 二五 地震のかたこと。また地震がゆれるは重言になる。「ヂガユル」(葡)。 二六 「なゐ」のかたこと。「なゐ」は地、転じて地震。「ナエ、ナエガユル」(葡)。「なゐのゆるといふべきを、なへのいるといふは如何。地震のゆるとは有べし。ゆくといふはいかゞ。但ゆりもてゆく物なれば、ゆくとも云べし」(片言、五)。 二七 僧侶らしく、世が滅する(滅亡する)を、わざとふざけてかたことで言った。 二八 「醒」(広・狭)に類話。「醒」では三上山。笑草にも転載。↓補七六。 二九 食べきれるだろうか。「なる」は出来るの意から、食べきれる、飲み得るの意に用いられる。「聟殿はなると見えた。も一つ進じませい」(狂、岡太夫)。 三〇 どうであろうか。 三一 「とろろで麦飯を食うよう」など諺にもあるように、食べよいしうまいので食がすすむ。「醒」にも、とろろ汁だとよく食がすすむので、「よく飯(言)やる」から「ことつて汁」とするこじつけの話が載る。 三二 試みる。めざす。もと敵をつけぬらう意。「其儀成らばねらふても見ませうか」(狂、鱸庖丁)° 一 諺。子供は元気で寒風をいとわず戸外で遊ぶからいう。「醒」(広・狭)に類話。笑草にも転載。↓補七七。 二 理由がわからないと質問する。 三 利口ぶる。小生意気な。「コザカシイ」(パ)。 四 風がフゥフゥ吹くとしてもよいが、夫婦を同音の風々にかけたとするのが自然であろう。 五 文の終りにつけて感動の意を表わす終助詞。「鈍な奴の」(狂、吟じ婿)。 六 第五十二代の天皇(七八六-八豐)。桓武天皇の皇子。その治世は弘仁の治と称せられた名君。この話、宇治拾遺によるか。近松の浄瑠璃以下、しばしば近世文学の題材となっている。笑草に転載。↓補七八。 七 政治社会の事件や個人の言行に対する諷刺または嘲弄の意をこめた匿名の文。中世にはことにはやった。狂歌の形で行われたものが多い。「落書(らくかき)などゝ云は湯桶(控)こと葉にてもよしと云り」(片言、五)。 八 物識りをすべてみな集め寄せて。 九 解読する。意味を解きあかす。 一〇 平安前期の文官ですぐれた歌人、博学の漢学者として著名。参議岑守の子。遣唐副使の勅命にそむき隠岐に流されたが、召還され参議に進む。令義解の撰に加わる。太白星の子だとか、伝説の多い人物(;91-八垂)。 一一 天皇の名をかけ、嵯峨天皇がいなければいいの意。日本書紀・祝詞等の「不良」「性悪」「不祥」の古訓には、「さがなし」があててある。 一二 天皇。 一三 天子の怒り(韓非子)。 一四 落書を門前・戸外などに貼ったりして、人目にふれさせること。「ラクショヲタツル」(パ)。 一五 罪人を遠隔の地に送りその地に居させる刑。死刑より軽く徒刑より重い。 一六 かえって。「ケック(更に、または、かえって)」(パ)。 一七 物を知ってる、博学だというのならぽ。 一八 当時清音。パジェスにも「ムツカシイ」はあるが、「ムズカシイ」はない。 一九 工夫して。 二〇 猫の子の子猫。獅子の子の子獅子。この謎はその後も諸書に引かれている。 二一 愚かな。ぼんやり者の。「寒」に類話。笑草にも転載。↓補七九。 二二 もと譜代の家臣の若侍だが、一般に若い侍の意にも使われる。 二三 報告。 二四 御馳走。 二五 料理の品。 二六 汁物。当時のよい饗応では、二汁三菜、三汁五菜などと、汁物が二種以上出た。 二七 憚りがございますので。 二八 ふるえふるえ。畏る畏る。「ふるふ」は当時四段活用なので「ふるひ」。 二九 若様。子供を敬い、かつ親しんで呼ぶ語。 三〇 魔羅(まら)の上略。「玉茎麻良」(和名抄)。 三一 奥様のつび。上様は身分の高い入の妻。「つび」は「玉門 女陰名也、屎通鼻」(和名抄)。 三二 豊臣秀次(一五六八ー蓋九五)。関白在位は天正十九年(蓋九一)十二月-文禄四年(蓋九五)七月。 三三 将軍・大名などに近侍して話相手となる学識や経験の豊かな者、または頓智の才のある者。 三四 本姓は杉本、通称は新左衛門、甚右衛門、また彦右衛門という。もと泉州堺に住した刀の鞘師で、のち豊臣秀吉・秀次の咄衆となった。実在の人物だが、その頓智頓才を語る笑話が多い。仮託の話も多く、伝不詳。↓補八〇。 三五 夢で見た話を、さめてのち物語ること。「夢物語申すなり」(謡、八島)。 三六 もう少しで。 一 糞。多く小児が用いる。「ハコ(人糞)」(パ)。 二 たくさん。この話、他書には見えないが、雄長老狂歌百首には、「夢」の題で、「かねひろふゆめは夢にてゆめのうちにはこすると見しゆめはまさ夢」の歌があげてある。一般に行われていた話が、曾呂利新左衛門に仮託されたか。 三 大金持。「ブゲソ、ブソゲソ」(パ)。 四 当時、安産・長寿・病気平癒・火除・戦勝など、あらゆるものが祈祷された。戴恩記に、織豊期連歌界の第一人者紹巴の言として「われらが連歌にも奇特は有と覚る也。そのしるしあればこそ、人のおしむ金銀を給はりて、祈祷連歌をあつらへ給ふ方おほし」とある。 五 祈祷の連歌会などには、宗匠のほか特に何人か専門の連歌師をよぶのが普通。 六 金など使い果すこと。一文なしとなる。「上中下共に、金子を不レ持、すり切りては」(武辺談)。「スリキリ、ル、キッタ。スリキッタヒト」(パ)。 七 連歌の一座に参加する人員。 八 師匠の連歌師。これが付合などを考え、一座を指導して一巻をまとめ上げる。 九 主催者。一般に発句は主賓または宗匠、亭主が脇を付けるのが普通だが、ここでは祈祷連歌なので、願主であるその家の亭主が特に発句をよむ。 一〇 連歌の最初の句。 一一 旬意不明。底本「と」に濁点。九行整版「しこでうとて」。 一二 あまり下手で、句になっていないので。 一三 向い隣に住む連歌師が気の毒に思って。 一四 無学だが金持の優越感。 一五 たいへんな腹立ちのことだ。 一六 夫婦の交わり。 一七 味がわるいとされている。 一八 我に同じ。単数の時も用い、謙遜の意が加わる。 一九 非常に喜び。 二〇 私の夫。妻が夫を呼ぶ称。「是の人」の略。「これのは今夜、出雲の大社へ年籠りに行れて」(狂、節分)。 二一 閨房技巧の一。小枕は布畠に蕎麦がらなどを包んだ細長い袋。木枕の上に載せ、頭を受けるもの。 二二 やってしまった。 二三 出来ないので。 二四 一思案めぐらして。 二五 金属製の輪、または今日いう五徳で、鉄製の輪に角を三つたてたもの。なお、「かなわ」は、九行整版も「かなわ」だが、「かなへ」の誤か。「かなへ」なら釜で無理がなくなる。 二六 兄弟または姉妹。「おととえ」の転。「ヲト・イ」(パ)。 二七 荷物を中にして両方からかつぐ。「いざなかになふてまいらう」(狂、文荷)。 二八 佳境に入る。 二九 「帰った」の音便化しない形。 三〇 昼間行う男女の交わり。 一 女の子の名、かめ。「女」は女の名または女をあらわす語につけ、親愛の情をあらわす接尾辞。この話、笑草に転載。 二 目をさまそう。 三 どのようにして来た。 四 なぜ来たか。 五 母親は同じ言葉を父親と違った意味で使ったのだが、子供は実は起きていて、両親の会話を聞いていたので、こう答えた。 六 それぞれの家で頼む祈祷師は定っていたらしい。 七 京都市東北方、山城・近江両国の間に餐える山。東の中腹に天台宗の総本山延暦寺がある。天台宗は密教的で祈濤がさかん。 八 一山の寺務を総理する主席の僧侶で、特に延暦寺の長をいう。ここでは、比叡山には延暦寺の支配下に多くの寺院・宿坊があったから、その長をいうか。 九 僧侶を尊んでいう敬称。 一〇 男の子。「ヲノコぐ(男の子)」(パ)。 一一 法華経、提婆品第十二。 一二 女子が男に生れ変わること。法華経に、女は罪深くて成仏しがたいものだが、竜女が釈迦の教えにより男子となり、悟りを開いたとある。これを「変成男子」という。↓補八一。 一三 有力な大寺は多くの坊舎をもち、その場所にょって、上の坊・中の坊・下の坊とか、或いは萩の坊・宝蔵坊などとよぶ。ここでは山上の本寺から離れた下の方にある坊舎。 一四 お寄こし下さい。 一五 姉妹二人のうち、素質・能力の豊かな方を。「器用」は、素質・能力。 一六 「ななめならず」に同じ。たいへん。 一七 別々に。「ベチ〳〵ニ」(パ)。 一八 思う存分自分のものとして。「たくる」は奪いとる意か、或いは欲ぽってみな取る意の「たぐりこむ」の「たぐる」か。 一九 運命。仏語で、前世に犯した罪科の結果、現世でうける不幸。 二〇 どのように。 二一 それほど熱心に祈らなかったか。 二二 努力して。 二三 陰茎。多く子供が使う。 二四 植えつかなかった。 二五 京都市左京区吉田神楽岡町にある吉田神社の祠官を代々していた吉田家。神道の家柄として有名。ここでは兼見をさすか。兼見は兼右の子で、幽斎と従兄弟の間柄。 二六 わずらわしい。 二七 秘密。 二八 細川幽斎。一時長岡に住んでいたので、この氏を名乗る。 二九 はえる。 三〇 松茸の形をふまえている。新撰狂歌集に、長岡幽斎でなく、「ある人」とし、ほぼ同趣の詞書と狂歌が載る。「吉田殿より我山の初松だけをさるかたへをくり給ふとて、上様へもいまだあげさふらはず、御おんみつあれと申されければ まつだけのおゆるをかくす吉田殿わたくし物と人のいはまし」。 三一 はえると勃起するをかける。 三二 私有物、秘蔵物の意と、陰茎の意をかける。 三三 新撰狂歌集に類話。↓補八二。 三四 脈をみて。 三五 病気の時、服薬・治療の妨げとなる飲食物または行為を遠ざけること。 三六 この毒断の書付けを、親類の人が見ることもあるかと、医者が憚って。 一 かまわない。 二 たいへん重く。 三 病気が再発。「サイホッ」(パ)。 四 あきれた。何ともいいようがない。 五 女陰の異名。 六 相応の年齢の。 七 まったく。 八 女遊び。 九 手淫。「センズリ、センズリヲカク」(パ)。 一〇 旦那、若旦那に対して大旦那というごとく、若いかみさんに対し、その母である方を「大かみ」と言ったか。「おかみ」は人の妻、他家の老母の敬称。 一一 疑問に思って。 一二 貧乏なこと。 一三 三行前では「太」。 一四 豊かではないが人並みには。「トモカウモ」(パ)。 一五 主人が死んでからは。「これの」は夫。房事の意をきかせるか。「すぎる」には、死ぬと、し過ぎるの両意がある。 一六 御馳走が「ゴッソゥ」とつまった語か。 一七 夫に後れた婦人。「後家(Y)け)を、ごけい」(片言、三)。 一八 争う。 一九 争いが高じて奉行の所まで訴え出る。 二〇 語頭の「わ」を「は」と表記したもの。 二一 女の家に入ってその女の婿となる人。 二二 近所の人達。 二三 遠慮される。 二四 夫をもつ。「つま」は夫婦が互いに相手をいう称。 二五 淫奔な者。「イタヅラモノ」(パ)。 二六 わが夫。 二七 事の理非を御裁決下さい。 二八 いい年をしながら、一人前の分別のない。 二九 お恥ずかしい。女房詞(文字詞)。 三〇 正直に。 三一 夫婦にする。 三二 …から、こんな問題がおこったのです、の意か。 三三 親子を取調べても仕方がない。 三四 二行前は「太郎」。不統一。 三五 状況によっては敵方にも味方にも付く者を嘲っていう語だが、ここでは文字通り母親と娘との二股の意をかける。 三六 滋賀県大津市石山の真言宗の寺。王朝時代以来、最も尊崇された観音の霊所。天正のころ荒廃したが、秀吉の室淀君が寺領を寄付、堂宇を再修、徳川氏も寺領を寄付。豊臣時代・徳川初期に復興。「醒匚に類話。↓補八三。 三七 寺の起りやその霊験などを説いたもの。尊崇されかつ由緒ある寺だから、それぞれの堂塔仏閣に、いろいろの縁起がある。有名な「石山寺縁起」とは別。 三八 文章中の言葉。「モンゴン」(パ)。 三九 前に琵琶湖、後には奇巌のある峰を負い風景絶佳、石山の秋月は近江八景の一。 四〇 鎌倉時代の建造物で、わが国の代表的多宝塔以下、由緒のある堂や塔が多くある。 四一 仏の守護神である二王の像を安置した社寺の門。 四二 難波頼経の子雅経を祖とする公家の家で、代々和歌・蹴鞠・書道で有名だが、ここでは蹴鞠。↓補八四。 四三 蹴鞠の時、「あり、あり」と 互いにかけ声をかける。 四四 金持。前出はブンゲン。「ブゲン、ブンゲン」(パ)。 四五 最近作られた陶器。したがって由緒もなければ特に高価でもない。 四六 底本のママ。 四七 もと文学を好み風流な人を言ったが、織豊期ごろから、特に茶道を好む人、茶人を言うことが多くなった。 四八 表に格子を設けた、当時京都の商家一般の造り。 四九 お茶人だから一風変った壷に気をひかれた。 五〇 金本「ひろいか」。この方が意味が通り易い。 一 茶道で用いる台壷か。 二 困って。「代」は値段。 三 弱みにつけこむ意の手もとを見るをかける。 四 銭一千文を貫という。この頃では千貫は甚だ大金。 五 非常に驚いて。 六 そんなに値段がする物。 七 「いや、そんなら、こちらへ」と店の者が奥の方へ壷を引っぱる。 八 無理に抜こうとして引っぱるので腫れあがる。 九 「い」誤入。 一〇 万一、抜けてしまう前に。 一一 相手の数寄者は。 一二 遮られて。 一三 底本「わくん」。 一四 今成金。長者は金持。 一五 転宅。当時転宅を祝い、連歌の会などを行う風習があった。「これは先月わたましが有つたが、其時の発句であらう」(狂、連歌盗人)。「醒」(広・狭)に類話。↓補八五。 一六 「日」は同音の火に通じるから、わたましの連歌では禁忌。ところが祈祷連歌なので、亭主が発句をよむが、素人なのでこの禁忌を知らぬぽかりか、日(火)が軒端についてまわると詠んだのである。 一七 一座の指導者で、句を訂正する義務がある。 一八 「どうだ、うまく書き直せないか」と執筆の者に言ったのである。 一九 下手なため、すでに何回も訂正して、懐紙が「もう墨でまっ黒になった」と答えたが、これは、もう焼けてしまって炭になったと、不吉な意にもなる。 二〇 大したことはない。それでは、訂正の紙を脇につけるよりほかはない↓わき(隣家)に(火を)つける。執筆のみか宗匠まであわてて、禁忌の「つける」の語をつい言ってしまった。なお、「はやまつ黒…」が七七で、脇の句の形になっていることもきかせる。 二一 愚か者たちが会合し。「醒」(広・狭)に類話。↓補八六。 二二 助詞の「は」。 二三 糠のように空に散らばっている小さい星。 二四 「戯」「醒」に類話。↓補八七。 二五 気が短いので、値段と、脇差の寸法を合わせて言った。 二六 値段の三百と、長さの八寸とを、これも気が短いので一緒に言った。脇差は長さ八、九寸から一尺七寸くらいが普通。一寸は約三セソチ。↓補八八。 二七 京都東山にある大寺。↓補八九。 二八 おちぶれたやくざな僧。やくざな子、不孝の子を「敗子」というのと同じ。 二九 法衣は宗派により多少異なるが、ことに禅宗は中国風で特異。 三〇 禅宗の僧侶たち。 三一 いずれも歴々の寺の僧。「ゐ」は「い」。 三二 座席の順序。 三三 席に着く。 三四 各自の席が決っていることを。 三五 うろうろする。 三六 会場の世話役。 三七 へどもどして。 三八 治部卿は大徳寺のごとき禅宗の僧の名乗る名でない。 三九 すぐに引立て、追出された。仏事に加わって御馳走や布施を受けたかったのである。 四〇 浄土宗の分派、一遍上人が開祖。やや似た話が「醒」にある。 四一 中国。大国なので大をつけていう。 四二 「りう」は「りやう」の誤。金本「両きんさん寺」、学本「きんさん寺」。↓補九〇。 四三 「きん」はどの字を宛ててもいいが、「寒」「醒」に金蔵主の名が見える。↓補九一。 四四 衍か。金・学本になし。或いは「しゆきん」の誤で手巾か。 四五 あなた方は。 四六 南無阿弥陀仏と念仏ばかり唱える。 四七 念仏踊。時宗でははねたり踊ったり、また鉦を叩いて踊りをはやしたりして、念仏を唱える。 四八 何やら(女犯)したり。時宗の僧には妻帯が許されているので。学本「びくにをもつつ」。「つ」はもと完了の助動詞だが、動作の反復や並列の意を表わす。 四九 京都堀川通の東、西洞院通の西で、賀茂川から分れた小川からの地名。 五〇 五十嵐か。金・学本「いがらしとて」。「醒」にやや似た話。↓補九二。 五一 春屋宗園か。↓補九三。 一 伊勢の大神宮その他の大社に属する格の低い神職。家々により定った御師があった。なお神仏混淆の時代なので、御師でも日蓮宗の信者であり、禅宗の高僧も御師から伊勢の御札などを受けたりした。 二 諌言。 三 日蓮宗の根本法典たる法華経を敬いその信者となる。「いただく」は奉戴する。 四 私としても、特別満足致します。国師号を賜わるほどの高僧へ、御師風情がこんなもっともらしい言い方をしたのが滑稽。 五 「又」「右のごとく」というのは、底本で前に似た話(上41話、六五ページ)があるため。「戯」に類話。↓補九四。 六 元日の物忌(ものいまい)の作法の仕方や手順。 七 決して。 八 仏事をするという意味があるので忌む。「世俗、仏事をなすことを茶を立つると云ふ」(貞徳独吟自注)。 九 大服茶。元旦茶の湯に梅干・山椒を入れて飲む。 一〇 念入りに。 一一 丁寧に「お」をつけたが、「お茶湯」という場合にば殊に仏前の茶と湯との意になる。 一二 御枕。重病で起き上がれない意となるので、縁起がわるい。 一三 慈悲のある行いは、亡き人への回向。 一四 仏事供養。 一五 料理。 一六 寺の台所。 一七 金本「うを」。 一八 七一頁注三四参照。 一九 祝儀の礼儀作法。 二〇 山家なので、魚に乏しいから沢蟹や川蟹が出るだろう。 二一 必ず褌をはずして食べよ。 二二 底本「と」誤脱。 二三 細かい所まで。 二四 褌。蟹を食べる時に腹部の副甲を外して食べるが、これを俗に「ふんどし」という。聟は自分の褌と誤解。 二五 底本のママ。 二六 座中みな田舎者なので、作法を知らず、聟の作法を真似ていたので。 二七 主人であった人の未亡人。後室は身分のある人の未亡人。 二八 殿様がなくなられたので。 二九 身分ある人の宿所または邸宅。室町時代には大名などに一種の格式として屋形号なるものも与えられていた。 三〇 修理しなければなりません。お気の毒に。 三一 下に「ば」脱か。金本には「ば」とある。 三二 夫が。 三三 むちゃに。 三四 家邸を拡げたの意だが、未亡人の言なので、変な意味にもとれて滑稽。 三五 すぼめよう。「すぶ」は、すぼめる。 三六 前の旬の季が秋のときの付句として。 三七 内親王が斎宮または斎院に立つとき、斎戒のため籠る仮の宮殿。斎宮は嵯峨の有栖川、斎院は紫野の東。↓補九五。 三八 旬末を「ぬ」で止めること。発句以外では調子が切れて次の句がつけにくくなるから嫌う。 三九 いっそのこと。この付句、ぬ止りの誤に加え、謡曲「野宮」の文句をそのまま用いているので、さすがに宗匠があきれてしまったのである。 四〇 錠をかける。下手な句を再三直すから、出し入れしないように、という皮肉。「錠がおりた」(譬喩尽)は、万事終ったの意。 四一 「醒」に類話。↓補九六。 四二 居所(住居に縁のあるもの)・水辺(池・川・井戸など水に縁のあるもの)・人倫(人事に関係のあるもの).生類(動物)は、連歌で用いる言葉を分類する時用いる連歌専門用語。連歌師らしい言い方をたくむ。 四三 「醒」に類話。↓補九七。 四四 小穴。稚児の持物よりのあだ名か。「すばり」は窄りで、狭まるの意。一般化し男色の若衆をいう。「すばりのしり、付うひあな、たたぬ風呂」(尤の双紙、せばき物の品々)。 一 酒の飲めぬ人。 二 親が一緒に寺へ。 三 稚児の後見、世話役の場合が多いが、ここでは寺の坊官など上位の僧か。 四 わざわざ出迎え。 五 「松千代よ、早く帰って来たね。兵衛殿にはわざわざ付添って来て下さるとは、奇特なことで」。松千代は稚児、兵衛は父親の名であろう。 六 全く、私めも。 七 頂けません。「くださる」は進んで受ける。「酒…是非とも飲うでくされさしませ。夫れ程に仰せらるるほどに、下されても見ませうか」(狂、鱸庖丁)。 八 冗談。父親が、「すばり」を下戸のことと誤解していることが、法印にはわからないから。大人だが、小穴なので下されぬ(酒が飲めぬ意をかける)と、下手な洒落を言ったと思った。 九 あなた御一家の方は。 一〇 酒が飲める。 一一 或いは。 一二 記憶力。 一三 「すばり」は女にはいわないし、かつ元来穴が小さいの意なので滑稽。 一四 人の妻の敬称。 一五 非常に。 一六 とにかく御祈祷がいいだろうと。 一七 比叡山延暦寺の略称。天台宗も祈祷が得意。 一八 延暦寺の法印号を名乗る僧か。法印は山伏などの俗称にもなっているので、単に山門派系統の祈祷師を言ったのか。 一九 とても乗れない。 二〇 馬の口取り。「トネリ(馬の口を取る人)」(し丶ノ)。 二一 ひたすら。 二二 この話のころ、褌を手綱と言ったので(殿中日記等)、法印は手綱をしめよといわれたので、下帯をしめたのである。「手綱をばかかず袴はほころびて」(守武千句)。 二三 胸がどきどきする。 二四 馬は依然早く馳けて。 二五 「あゆむ」の訛。「アユミ、アユム、アヨウダ」(パ)。 二六 犬筑波集に殆んど同文が見える。↓補九八。 二七 連歌の時、宗匠や正客、亭主以下一座の者が最初に一句ずつ順次旬を連ねること。 二八 調合する。 二九 薬に名前や文章をつけ、その効能・使用法などを示すこと。 三〇 浅くて開いた摺鉢形の茶碗だが、また茶碗の汎称。 三一 三きれ° 三二 崑山集に、「しやうが三へぎといふ文字か帰る雁 貞徳」とある。↓補九九。 三三 無芸。とりえがない° 三四 御相談し、貴方の意見通りに。「ダンカウ」(パ)。 . 三五 紹巴の所へ相談に来た人の屋号であろう。「無心」はその号。伝不詳(無才の人の擬人名か)。紹巴は五三頁注二四参照。 三六 相当の年輩の相手を尊んで呼ぶ語。 三七 紹巴。連歌の懐紙などでは、二度目からは、ただ「巴」と書くのが普通。 三八 無才。不器用。 三九 人間が絶えてしまう。 四〇 「戯」に似た話。↓補一〇〇。 四一 平曲・謡曲を源流にした音曲語り物の一種で、室町末期から民衆の問に流行した新音曲。中で浄瑠璃姫物語(十二段草子)が好評だったので、浄瑠璃かこの種語り物の総名となった。「戯」に類話。↓補一〇一 四二 浄瑠璃姫物語の中で浄瑠璃姫の美しさをえがいた語。次の「迦陵頻伽の御声」と共に、中世小説以来の美人の形容の常套句。 四三 浄瑠璃姫の声の美しさの形容。迦陵頻伽は、極楽にいる声のよい鳥。 四四 いろいろとほめて語るのを。 四五 ひとえ物。 四六 「ほころび」の訛。「フクロビ、ホコロビ」(パ)。 四七 矢矧長者の娘で、東国へ下る途中の牛若丸と恋仲となった姫。「め」は名の下に加えて、罵しる語。 一 五百年以前。義経の少年時代の恋人だから、当時からすれば約五百年も前のことになる。 二 余計な嫉妬。わけのわからない嫉妬。 三 言う理窟があるなら、言わないでは我慢しない。 四 男色の方。 五 「デンブヤジン(身分卑しく粗野な人、田舎者)」(パ)Q 六 衆道のしかた。 七 いまもって。 八 夢中でとって食べたが。指先に唾をつけて何度も相手の物にさわるのを、食べているのかと誤解。↓X1011° 九 わけがわからない。「がてん」(狂、繩綯等)。パジェスには「ガテソ」はなく、「ガッテン」。 一〇 書物。絵本などに対して、正式な書物をいうこともあるが、ここでは書物一般。 一一 枕絵。春画。 一二 春画なのだから、文字は問題はないが、文盲のくせにしったかぶりをしてこう言った。 一三 この間。 一四 日蓮宗本門派の大本山。文禄年間から宝永年間まで、京都二条寺町にあった。 一五 世雄坊円智日性。要法寺の本地院にいた学問僧で、彼が中心となって多くの古活字版を出版した。これが要法寺版。↓補一〇三。 一六 書物の文字その他の誤を、てらし合わせて正すこと。学僧世雄坊が、春画など校合するはずがない。 一七 仕える。この話、多本の末尾に残るだけだが、この話のみ殊更滑稽味の全くない教訓話。 一八 絶えず緊張していること。 一九 仮病。「ツクリヤマイ」「サクビャウ」(パ)。 二〇 山里など静かな所に隠遁して住む家。 二一 隠遁し一人住みだから自炊。 二二 一日のうち、立ったり坐ったりした回数が。 二三 わが身を働かすのは。 二四 結局自分の身のため、つまりわが身に奉公するものだったのに。 二五 考えて。理解できて。 二六 気をゆるめず、精を入れて。 二七 主君の近くに侍して、重要な政務・仕事に参与する重臣。「シュットウシャ、シュットウニン」((パ))。 二八 「シッチンマンボウ」(パ)。珍しく高価な宝物が豊かなことの成語。もと仏語で、七珍は、金・銀・瑠璃・玻璃・碑礫・珊瑚・瑪瑙。 二九 もと自然の意だが、偶然の意となり、さらにここでは思いがけずの意。 三〇 全く。 三一 悪行の報いで餓鬼道におちた亡者。痩せていながら飲食できず、常に饑渇に苦しむ浅ましい姿。 三二 仏や阿弥陀仏の顔。極楽の主は阿弥陀仏。寂光は寂光土の略。仏のみが住む浄土。 三三 上2話(四七頁)参照。 三四 禁中。 三五 門番の人々。 三六 一千文。 三七 この立派な家の構えでは。 三八 住居、即ち主人の家。 三九 これこれだったと委細を報告した。 四〇 様子・勝手のわからぬこと。「ブアンナイ」(フアンナイはなし)(パ)。「ぶあんない」(狂、薬水等)。 四一 天子や貴人の病をいう。 四二 禁中の女房詞で、ほしわらび(禁中女房詞、大上臈御名之事)だが、パジェスにも、ほしわらびの意の「クロトリ」が載っているから、かなり一般に行われていた語らしい。 一 「笑いごと」をかけた洒落。 二 底本には、前に紹巴が九州の客を同道して行った話(下66話、一四二頁参照)がある。「醒」・犬子集・雑話抄等に類話があるが、旬や人名に異同。↓補一〇四 三 実隆以降、代々公家文人として栄えた三条西家。 四 俳諧の名人。↓補一〇五。 五 中世末期の代表的連歌師。↓補一〇六。 六 挨拶。伺候は貴人を訪れること。 七 愛知県東部。当時勢力のあった今川氏の根拠地。三条西家は今川氏と親しい。 八 伊勢物語で業平がここの杜若を詠んで以来、三河八橋の名物。紹巴も東国旅行の折に、わざわざ杜若を見に立寄っている(富士見道記)。 九 貧弱な。 一〇 「フバコ」(パ)。「ふみばこ」の略。書状などを入れて往復する細長い箱。 一一 貧弱なかきつばた↓痩せた餓鬼。 一二 実隆の号。実隆は当時公卿第一の歌人、源氏学者(一四至ー蓋三七)。 一三 餓鬼は飢渇に苦しむが、水を飲もうとしても飲めない。餓鬼と飲むと付合。また夏の沢水も杜若の付合だが、更に夏は水枯れになるので、餓鬼の水飲みの付合となる。 一四 蛇は飲む(呑む)、沢水の付合。餓鬼が地獄の獄卒に追われて逃げるの連想がある。帰る↓蛇に追われる蛙。 一五 発句・脇・第三を連歌・俳諧では特に重んずる。 一六 連歌や俳諧で百句連ねること。もっとも一般的な連歌の形式。 一七 俗語(俳言)が使ってあるし、内容にも滑稽味があるので、俳諧(滑稽な連歌、俳諧之連歌の略)となる。 一八 この話、後半やや異るが新撰狂歌集に載る。↓補一〇七。 一九 三好長慶(蓋二三i茎ハ四)か。↓補一〇八。 二〇 天皇が践祚後、帝位についたことを万民に告げる儀式で、中古より践祚と即位の別が定められた。年代からして正親町天皇の即位か。↓補一〇九。 二一 「シュギャウ(トリヲコナウ)」(パ)。当時三好家が天下の実権を握っていたので、即位の儀式の費用を調える勅命を受けたのである。↓補一一○。 二二 貧乏でみすぼらしい公家。「の」一字誤入。 二三 米粒を練って作る強い糊。同音の即位にかける。 二四 役にたたぬ。麦飯では続飯ができぬ。諺「麦そくいで役に立たぬ」。 二五 公家も、一般地下の人にも。「タウシャウトカニナミイル(内裏の御殿の上と下に座す)」(パ)。 二六 命、皇位、更に物をつなぎ合わせるの三つの意をかける。 二七 役にたたぬと、貧しいの両意をかける。 二八 ずっと放ったままにしてきた。「ねやす」は、続飯などを、練ってねばるようにする。「粘・黏跡ヤ」(運歩色葉)。「ソクイヲヲシ、ネヤス」(パ)。これに放って置くの意の「ねかす」をかける。 二九 無理して行うの意と、続飯を練る意の「おす」という語をかける。 三〇 かたちぼかり。底本「かたぎ」。 三一 などの幅(よをま`)と、威光・威勢(「時のはばにまかせて」甲陽軍鑑)をかける。 三二 上の「はぽ」の両意をうけ、即位に触衣(嗜下帯)をかける。 三三 これという才学や地位のない人が世間への見栄で。↓補一一一° 三四 茜各界で一流の人々。 三五 その歌会の様子は。 三六 論語の書始めの文辞。「のたふまく」は「のたまはく」の音便。「謂儲.ゝ名義抄)。 三七 字が読めなかったのである。 三八 後々までの。且九室町後期の禅宗の高僧。↓補一一二。 四〇 蘇東坡の詩の御前講義。↓補一一三 四一 長くなるの意か。或いは「なかば(途中)」の誤写か。学本にのみ載るが、この本は誤写が多い。 四二 霜腹気の宛字。霜などの降りる寒い夜におこる腹痛。 四三 腹具合。 一 体を折り曲げる。 二 御前の白い砂の敷いてある庭で放屁した。 三 気の毒に思って。 四 滑稽な発句。 五 月舟の名を和歌・連歌風にくずし、舟の縁で舳を出し、屁にかけ、更に【、うらみLに舟の出る浦見(海岸見物)、ならびに浦廻(蒐浦と同意)と、屁の出た恨み(残念さ)をかける。 六 和漢聯句のかたち。この句、「花、九重」と聯句としての姿が整い、月舟の号、一華に一過(放屁)、花と鼻、薫るに、花の香と屁、九重に、禁中と甚だ臭うとをかけた。各語すべて掛詞になり、意味にも無理がないすぐれた脇句(発旬につぐ句。これは、なるべくよくついた方がよい)である。かかる句が咄嗟に出たのだから、その才気に感嘆、名句として喧伝されたのであろう。↓補一一四。 七 道号の誤写か。道号は僧侶などが字のほかにつける号。月舟は一華。 八 質問。 九 おそれながら。 一〇 極めて上手の意で、和歌や連歌で最も一般的に用いるほめ言葉。 一一 秋の発句に春の脇をつけてはいけないのが常識。或いは何か故実か秘伝があって、これでよいのですか、と問うた。 一二 わかり易い事例で。「ミ・チカイ」(パ)。 一三 巻四、鵄にある有名な鵄退治の話。鵄は、「かしらは猿、むくろは狸、尾はくちなは、手足は虎の姿なり」(平家)という怖ろしい怪鳥。連歌もそのまま。↓補一一五。 一四 頼政の誤。源氏で三位の位に上ったので源三位という(=〇四1=八〇)。 一五 藤原頼長(一三〇 ー二五六)。平家では「宇治の左大臣」。保元の乱の張本人。宇治に別荘があった。 一六 ほととぎすの季は夏。雲井は、空と禁中とをかける。 一七 弓形をしている月。秋の季。弓で鵄を射たことをかける。なお、天正十八年本節用集には、「強月軆猷」とあるから、強弓の意もぎかせてあるのか。 一八 脇句は発句と同じ季語を入れるのが普通だが、脇句で季がなくてもいいという証拠になる実例。当時、古歌・古旬の実例の有無が、可否決定の議論の上で甚だ重んぜられた。 一九 同じく、平家に鵄の末尾にそのまま載る。 二〇 左大臣実能の男、後徳大寺左大臣実定の父。歌人でもあった。永暦二年(二六一)没。 二一 陰暦五月、梅雨のころの夜、月が出ない真暗な夜の闇。連歌用語では夏の季。 二二 薄暮。またさかりの年頃をすぎた頼政の境界をいう。 二三 感心、尊敬のあまり、仏神のごとく頭をたれて礼拝した。 二四 姓藤原。中御門家の一流。ここでは宗綱か。「醒」に類話。↓補一一六。 二五 「り」誤入。 二六 はじめは太政大臣と左右大臣、のち左右大臣と内大臣。 二七 准大臣。礼遇・格式が三大臣と同じの意。儀同三司(三大臣)の略。 二八 勢力家。堯松は松木の名をかける。引くは松にかけ、正月のめでたい初子の日に「子松ひく」の成語となると共に、引き廻される茶臼と同音の「上手」(取入りのうまい意)をかけるか。 三〇 表面上の歌意のほか、特別の意味。 三一 詩歌における作者の意図、趣向。 三二 将軍。 三三 足利十二代将軍足利義晴(一五一一-一五五〇)。大永元年(一五二一)より天文十五年(蓋四六)まで将軍。だが、或いは十代義稙(在位蓋〇八ー蓋三)、恵林院の誤か。↓補=七。 三四 南北朝の時。南朝方は足利将軍の擁する北朝方に追われ、吉野に行在所があった。 三五 室町幕府の職名。「くわんりやう」とも。「クワンレイ」(運歩色葉)。将軍を輔佐し幕政を掌る。 三六 底本「ふたたり」。 三七 六人と、秩序のないの意の「むったと」を形容詞的に用いて「むたり」にかける。「ムッタト(無雑作、不完全、秩序なく)」(パ)。 三八 誠仁親王。一〇六代正親町天皇の皇子。一〇七代後陽成帝・智仁親王の御父。天正十四年(一五八六)七月二十日没、三十五歳。 三九 半井瑞策か。↓補一一八。 一 将棋用語で、王の駒が取られて負けるのを「つむ」という。これと帝の崩御とをかける。 二 平安末期歌壇の第一人者(111四-三〇四)。 三 「鶴の林」は釈迦の入滅をいう。釈迦入滅の時、臥していた沙羅双樹の林が、忽ち鶴のごとくなったという(涅槃経)。釈迦は八十一歳(二月十三日)で死んだので、八十一歳の俊成が、「たちおくれぬる」と述懐したのである。なお、この歌、ほかに「寒」に載るが出典不詳(俊成の家集「長秋詠藻」以下に見えず、また、俊成の作品とすべき証を知らない)。↓補一一九。 四 他の諸本には、かかる小題なし。学本にもここ一ヵ所にしかない。 五 病気になることの古典的表現。 六 思いがけず。 七 身に覚えて折々したが。 八 死後成仏するように、善行をしたり、仏道に励むべきだったのに。菩提は悟り、つまり悟って仏となって極楽へ行く。 九 「後の後悔、先に立たず」(今昔物語集他)の古くからの諺をふまえる。 一〇 生前、深く信頼・帰依していた僧。 一一 地獄には釜があり、これで罪人を煮るという。すれば、この僧は破戒僧だったのか。 一二 極楽は光明かがやく明るい世界だが、地獄は真暗闇だとされていた。 一三 田舎でのことであろう。 一四 尼。 一五 熱いかぬるいか加減をみようと。 一六 庄屋の長男。庄屋は、土地の者で、その領主の命により村方の行政事務を統べるもの。 一七 かがむ。うずくまる。倨は踞に通じる。「倨、箕座也、通作/踞」(正字通)。 一八 風呂焚を命じた尼。尼寺の住職なので方丈様といったのである。方丈はもと禅宗で長老の住居の部屋だが、転じて住職、また師の尊称。 一九 自分が先に入ったので。 二〇 住職の尼に仕えている尼。恐らく若い尼なのであろう。蔵主はもと禅宗で経蔵を司る重い僧職、または首席に次ぐ僧の称だが、一般に僧侶をいい、またこの場合のごとく僧の名の下につけて用いる。 二一 陰茎。 二二 寺の門前に住む庄屋の長男の名。 二三 仏宗の一派。一遍上人が開祖。 二四 交わりをしようと。 二五 ただ一人使っている下男。 二六 すぐに。 二七 比丘尼を比丘ということもある。 二八 文末にあって感動をあらわす。「お留めやれいのう」(狂、入間川)。 二九 もと仏語で、法会などで、僧が教理について討論すること。転じて一般に議論する。ここでは交互に声を出すかけ合いを、わざと仏語を用いて論議と言った。 三〇 お比丘尼の略に「ん」を添えた、敬愛の意をこめた呼び方。「おびんおりやるか」(狂、泣尼)。 三一 酒の代を誰が払うか。「サカテ」(パ)。「ナシ、ス、ナイタ(払う)」(パ)。 三二 三重県南部の巨流。三重・奈良の県境に発し、宇治山田市の北を貫き、伊勢海に注ぐ。流程約八〇キロ。昔は宮川といい、下流に柳の渡、桜の渡、磯の渡という三渡があった。 三三 橋も舟もない川で、浅瀬をえらび、旅人などを背負って渡すことを職業とする男。 一 心のけがらわしい老か。 二 美しいので、尼僧かと。 三 びっくり仰天して。「うろたへ」の訛。 四 あなたの女陰。 五 まらの誤写か。「大にら」はらっきょう。 六 笑いながら、軽くたたきあった。 七 年少の尼。 八 お願いしたいことがある。 九 全然わからない。 一〇 この頃まだ清音か。 一一 「キョゥコツ、キョウコツナ(不埓な、ばかげた、軽卒な)」((パ))。 一二 腰巻。 一三 地面の上で。 一四 はじめに。 一五 甚だしく。「いかし」の連用形「いかく」の音便。 一六 南無阿弥陀仏の名号を唱え、往生を願う宗門の人々。融通念仏宗・浄土宗・浄土真宗・時宗など。 一七 なまぬるい。僧としての修行がなまぬるい。 一八 京都市左京区岡崎町、もと栗原丘と呼ばれた地にあった新黒谷。ここに源空が浄土宗を開いた。 一九 熊谷次郎直実(二璽i三〇八)。頼朝の将で剛勇で鳴ったが、のち新黒谷の源空の門に入り、蓮生坊となった。その荒い修行は有名。 二〇 法華経を根本とし、禅定と智慧の調和を宗義とする。 二一 累(「る」の万葉仮名)の草字の誤写か。とすれば「ぬるい」。 二二 天台宗の本山比叡山延暦寺の三塔の一。円澄の創建にかかる転法輪堂を中心に、椿堂・常行堂・法華堂・恵亮堂・元黒谷青竜寺などの総称。 二三 義経に従うまで叡山西塔にいて、武事を好んだ。 二四 ということだぞ。「す」は「ぞ」の誤写か。言い切りの助詞。 二五 天台・真言の二宗をいう。 二六 日本真言宗の開祖(七七四-八三五)。能筆かつ学問のあるのでも有名。 二七 栃木県南部の都市。鎌倉初期に学問所が創設され、のち永享年間上杉憲実が儒書と領田を寄付して再興、慶長年間までさかん。戦乱の当時、金沢文庫と共に唯一の学校。 二八 新たに発心して僧になった者。ここでは、少年の僧であろう。 二九 教義について問答・討論すること。 三〇 あまること。「過剰」などという漢語を動詞化して使ったところ、いかにも若い学生らしい。「クワジャウ」(パ)。 三一 機智。頓はすみやかの意,作は工夫・思案。 三二 ここでは教授・学者の意か。或いは学監の誤か。 三三 悪いいたずら者。「アクダウ(アシイ、ミチ)」「アクタウ(アシイトモガラ)」(パ)。 三四 気絶。 三五 気付け薬。 三六 柄杓つくり。檜の薄板で作り、水を汲む。これも当時専門の一職であった(職人尽絵合等)。 三七 滋賀県の首都大津市。東西交通の要衝で早くから栄えていたが、豊臣氏以来舟運船株の制を許され、湖上の支配権を握り、京都へも浜大津から舟運があり、ここから京都へ進出。 三八 商家で屋号などを染め、店頭に垂らす幕。もと禅宗で簾の面を覆い、日光をふせいだ布帛なので、「のうれん」とよむ。「ノレン」(パ)。「暖簾〃ご(饅頭屋本節用)。 三九 「天下一(の名人で)大津(出身の)柄杓屋」の意。なお当時、職人が天下一の名をつけるのが流行。↓補一二〇。 四〇 京の者ども。 四一 天下一大きい女陰の借屋。 四二 よんだ。当時一般的な訛らしく、パジェスにも「ヨミ、ム、ヨウダ」とある。 四三 自慢すべき。「テガラヲツクル(傑作を作り高名を得る)」(パ)。 一 成語。上下こぞって多く集まる。「クンジュ、クンジュスル」(パ)。「群集いたいた」(狂、泣尼)。大げさな表現。 二 「〓」は「莖」の略字。陰茎。「白馬茎 アヲキウマノマラ」(醫心方)。「玉茎麻良」(和名抄)。茎物(中国語)。 三 我慢し易い(男色の交わりの時に)。 四 誤写があるか、意味不明。 玉 後世の笠付のごとく、「のぼらぼや」の上五句に各々が七五をつけ発句に仕立てるあそび。木のぼりして山桜を手折る。 六 幼い稚児らしく、広い原でかけまわり遊びたい。若紫は紫草の異称。夏白色の小花を開く。 七 新しく僧侶になった者らしく、里が恋しいので、里の風情を連想。 八 詩歌文章を作ること。古くは「さくもん」とよんだが、この頃は一般には既に文字面のごとく、「さくぶん」とよんだのか。 九 大盛の飯。「醒」に類話。↓補一二一。 一〇 食べる。「マイリ、ル、マイッタ(高貴の人が食べる、飲む)」(パ)。稚児は恋愛の対称だったためか、謡曲はじめ、その動作には敬語が使われることが多い。 一一 稚児に付添って世話をする係の人。多く三位、治部卿などと称す。 一二 汁。飯に添えて出すので「おつけ」という。 一三 「にらめよ」の訛。 一四 むしゃむしゃ。無作法にぽくばく食べるさま。「なぎ…三十筋ばかり、むずむずと折り食ふ」(宇治拾遺、二)。「ムズ〳〵ト」(パ)。 一五 嫉妬する。やきもちやき。 一六 男色の対象の少年。男色の交わりは痛い。 一七 自分の身にひきつけて、誤解したのである。 一八 寺入りする。寺は多く山にあったので、寺入りを登山という。この意、一般の辞書類には見えぬが、パジェスには、当時の世相、初等教育の実態を反映し、次の説明がある。「トウザン(ヤマニノボル、子供に読み書きを習わせるため寺へ入れること)」。 一九 男色をうけすぎると痔を患う。 二〇 正気がないほどふらふらである。 二一 総取締役の坊官であろう。真言・天台などの大寺では、坊官たちは大てい法印号を有していた。 二二 稚児の後見役、係の者。 二三 ひどく叱責する。「折檻鑛」(運歩色葉)。 二四 普通には、なめる、しゃぶるの意だが、取りついて離れぬことを「しゃぶりつく」というごとく、「骨までしゃぶり尽す」意か。 二五 けしからんこと。 二六 誓いをたてる時のきまり文句。照覧は明かに見る意から、神仏が御覧になること。 二七 特に山王大士。山王の神。滋賀県坂本の日吉(ひえ)神社の別神。 二八 ぬく時に。「さま」は、当時清音。 二九 肛門のあたりに生える毛。「尻毛を抜く」(他人の油断に乗じ、事をなしておどろかせる意)をきかせるか。 三〇 「シ・(子供の小便、女詞)」(パ)。ここでは尻から出た液体をいうか。 三一 衆道で珍重された。「つび」はもと女陰だが、ここでは稚児の尻。 三二 余計な事。 一 この話、犬筑波集・「醒」などに類話。↓補一二二。 二 「さる」(例の)を猿にかけ、だから木に上るとかけた。 三 猿といわれたので、その縁で仲の悪い犬。また犬には、犬蓼・犬桜・犬侍など、似ていて非なるものを卑めていう意をきかせている。 四 句の仕立て方になお工夫の余地がある。 五 「醒」にやや似た話。↓補=一三。 六 餅は丸くまるめてあるから、その形と、また音が通うことから望月(満月)にかけた。 七 畳の下に隠したので。 八 禅家で大衆に食事を報ずる役僧。のち有髪の侍童の称。髻を結び、残りを後に垂らし、美服をまとい、お白粉を粧う。僧の恋の対象。↓補一二四。 九 甚だ深く。 一〇 あれやこれやと、さまざま品を変え。 一一 喝食は少年だから、可愛らしい玩具。 一二 ろくに見もしない。 一三 源信上人自筆の。横川は滋賀県坂本町にある。比叡山四谷の一。根本中堂から約四キロの横川谷の奥にある。古く天台座主第四代円仁が居たところ。源信上人がここに住み、横川の僧都とよばれた。 一四 不詳。三体詩か。三体詩は、唐代の詩人の作を七言絶句・七言律・五言律の三体に分けて編纂した書。 一五 「と」誤入か。 一六 不明。装幀か。 一七 或いは。 一八 心がひかれる。「此僧なつかし」(芭蕉書簡)。 一九 急いで。はやく。或いは「とりに」の誤写か。 二〇 生れ故郷は和泉国(大阪府の管轄地)。 二一 暦の上でめでたい日。辰は朝。婚儀はじめ元服・剃髪などの儀式にはめでたい日を選ぶ。 二二 有髪の喝食姿を改め、髪をそり、受戒し、僧となる。俗間の元服のごときもの。 二三 後に若衆歌舞伎の禁で、前髪を落し野郎頭にしたように、髪が魅力だったので、これを剃った姿には魅力を感じなくなった。 二四 この間の。 二五 いやいや。生返事の語。 二六 不明。仮りの本、つまり立派な真跡本でなく装幀もしてない粗末な写本の意か。 二七 仏道を修行する人。ここでは廻国修行中の旅の僧であろう。「醒」に類話。↓補一二五。 二八 道の途中で。「ロシ」(パ)。 二九 鷹狩に出た大名が。中世には将軍・大名の鷹狩が流行。「鷹野からすぐに参つたとおしやれ」(狂、引敷聟)。「タカノ、タカノヲスル」(パ)。 三〇 気に入った。 三一 食事を差上げよう。斎は僧侶の食事。 三二 そこそこにあるあの家。「そんぢやう」は下につく語を強める。「そんじやうそこへうつくしひおちこさまのやどをとらせられた」(狂、老武者)。 三三 お召上れ。 三四 どうでしょうか(相手が信用しないかもしれませんが)。 三五 小柄(こづか)。腰刀にさしそえた小刀。 三六 証拠の品。 一 殿様が自分のお屋形(貴人の住宅の称)に帰って。 二 細く切った紙に字を書き、物の標などにする。これより和歌など書く細長い料紙。寸法は歌道の家により異るが、幅一寸八分(約五・五センチ)、長さ一尺二寸(約三六センチ)くらい。また、ひねりぶみをもいう。「タンジャク」(パ)。「片言」にも「たんじゃく」をよしとする。 三 意味。 四 歌の種々の体のうちに。 五 一つの言葉を、一字ずつ歌の各句の最初において読むのを冠、各句の末尾に読みこむのを沓といい、両者を併せたのを、沓冠という。右の歌の各句の最初の字と、末尾の字を順次にならべると、「こがたなたしかにをく」の意になる。沓冠という技巧を用い、証拠として預った裏差(小刀)をたしかに返しておくの意を沓冠によみこんでいながら歌として無理がないところ、甚だ才智に富んだ歌である。 六 趣。 (以上、「きのふはけふの物語」上)
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まだ生ログです。 # 2ちゃんねる ■掲示板に戻る■ 全部 1- 最新50 [PR]レンタルサーバ比較 [PR] 【もうすぐ】 素直シュール【一周年】 1 :猪(2ch中):2006/12/22(金) 20 47 52.19 ID xg007Xm40 女「突然なんだが。」 男「ん?」 女「・・・。」 男「・・・。」 女「・・・。」 男「・・・。」 女「米。」 男「・・・。」 女「・・・。」 避難所: http //yy27.60.kg/surrealism/ まとめ:http //sur.ifdef.jp/ ※リンクにある各サイトも必見です! うpろだ:http //hoteism-hack.hp.infoseek.co.jp/cgi-bin/up/upup2.html 2 :猪(2ch中):2006/12/22(金) 20 48 09.09 ID xg007Xm40 素直シュールとは http //d.hatena.ne.jp/keyword/%C1%C7%C4%BE%A5%B7%A5%E5%A1%BC%A5%EB ツンデレ 「別にあなたの事なんか好きじゃないんだから! な、何笑ってるのよ!!本当だからね!」 素直クール 「君が好きだ。付き合ってくれないか?」 素直シュール 「米………そういえば君が好きだ」 3 :初夢(アキバでびゅーしてきた):2006/12/22(金) 20 48 16.92 ID v9WqUbwm0 http //blog.livedoor.jp/kazuyan9999/ 4 :猪(2ch中):2006/12/22(金) 20 48 28.44 ID xg007Xm40 【注意―Warning―】 ここは素直『シュール』スレです。 素直『クール』スレではありません。 書き込む際には確認をお願いします。 女「突然ですまないが君が好きだ」 男「実は俺も…」 女「あ、間違えた」 男「すk…え?」 女「みんなも誤爆には気をつけよう」 5 :書初め(今年書くぞー):2006/12/22(金) 20 50 14.45 ID i7VhjwhFP 1おっおっおっこめ 6 :猪(12才):2006/12/22(金) 20 52 00.78 ID DzxLlZ060 1 乙米ー 7 :初夢(ろうそく熱い):2006/12/22(金) 20 55 37.59 ID VjyQHjNrO 1米 1周年はいつ? 8 :猪(vipper):2006/12/22(金) 21 05 04.78 ID xg007Xm40 女「私の誕生日は12月26日だ」 男「しってるよ」 女「12月25日はクリスマスとして祝われている」 男「一日違いだな」 女「よって12月26日をライスマスとして祝うことにしよう」 男「そんな変な日にしなくても普通に祝ってやるから」 女「ならよし」 9 :猪(甘党):2006/12/22(金) 21 06 27.16 ID unj1Ieo+0 7 26じゃない? 10 :初夢(熱湯風呂):2006/12/22(金) 21 21 20.74 ID VjyQHjNrO 8-9 thx 11 :凧(帰省中):2006/12/22(金) 21 46 09.87 ID 25zXplZQ0 女「やあ、ボクはぬれ煎餅マン」 男「いきなり何だ」 女「♪米と醤油だけが愛人さー」 男「どこからツッコめばいいのか分からんね」 女「突然だが男君」 男「ん?」 女「顔がぬれて力が出ない。このドライヤーで乾かしてくれないか?」 男「まあいいけど…… 乾かしたらぬれ煎餅じゃなくなるんじゃ……?」 ブォォォォォォォォォ 女「おめでとう!ぬれ煎餅マンは煎餅マンに進化した!」 男「それは進化と言えるのか!?」 12 :初夢(ホスト修行中):2006/12/22(金) 21 46 40.54 ID ChJSfU0fO 俺は地獄のコメリスト 昨日は害虫駆除したぜ 明日はカルガモ飼ってやる 『SAIBAIせよ!』『SAIBAIせよ!』 稲穂で田を染めてやれ 『SAIBAIせよ!』『SAIBAIせよ!』 稲穂で田を染めてやれ 田んぼにゃバッタもイナゴもいねぇ 「それは俺が駆除したから」 カメムシ・ゾウムシ・ウンカもいねぇ 「それは俺が駆除したから」 『SAIBAIせよ!』『SAIBAIせよ!』 稲穂で地を染めてやれ 『SAIBAIせよ!』『SAIBAIせよ!』 稲穂で地を染めてやれ 『SAIBAIせよ!』『SAIBAIせよ!』 『SAIBAIせよ!』『SAIBAIせよ!』 女「ふう歌った歌った」 男「……色々つっこみどころが多すぎる……」 女「リアクションが薄い………せっかくメイクまでして歌ったのに……酷い!私とは遊びだったのね!?」 男「いや、そんな白塗り+隈取りをメイクと豪語されても」 女「酷い……」 男「とか言いながら俺のカバンに虫を呼ぶのは止めて……ああ、いなごだ……」 13 :猪(vipper):2006/12/22(金) 21 48 59.09 ID xg007Xm40 男「クリスマスに何か欲しいものある?」 女「君から貰えるものならなんでも良い指輪」 男「指輪?」 女「ただの語尾だから気にしないで指輪」 男「わかった、じゃあ適当に買ってくるよ」 女「そうして指輪」 14 :猪(甘党):2006/12/22(金) 21 54 57.18 ID unj1Ieo+0 ポケットの中には…… 女「♪ポケットの中にはビスケットが一つ」 男「随分機嫌いいみたいだな」 女「♪ポケットを叩くとビスケットが割れる」 男「ん……?」 女「♪も一つ叩くとビスケットが割れる」 男「……」 女「♪割れる」 男「……」 女「♪割れる」 男「……」 女「♪割れる」 男「……壊れたレコードの真似はやめてくれ」 女「実はモーターの調子が悪くてピックアップがうまく動かないCDプレーヤーの真似」 男「……直るといいな」 女「一方でロシアはカセットテープを使った」 シベリア「……えっ?」 15 :黒豆(八粒):2006/12/22(金) 22 21 56.72 ID 5EOdEX7DO もう冬至ですよ…… 16 :初夢(犯人だった):2006/12/22(金) 22 22 11.04 ID iOd33qk5O GSほしゅ 17 :猪(酒乱):2006/12/22(金) 22 33 45.38 ID unj1Ieo+0 本当は何歳? 気持ちよく晴れた休日の昼下り。特にすることもないので散歩に出たシュー。 シュー「ん?あの後ろ姿は……」 シベリア「……」 シュー「♪雨にぃ~濡れながらぁ~」 シベリア「♪たたずぅ~む人がいるぅ~」 シュー「♪赤い手拭いマフラーにして~」 シベリア「♪二人で行った横丁の風呂屋~」 シュー「♪赤、青、黄色の~衣装をつけたぁ~」 シベリア「♪てんとう虫がぁ~しゃしゃり出てぇ~」 シュー シベリア「♪マ・○・ケ・ンサ~ン~バ~」 シュー シベリア 男「♪オ・レ!!」 シュー「ずいぶんノリがよくなったじゃないか」 シベリア「日本に来ていろいろと勉強しましたから」 男「お前ら絶対サバ読んでるだろ」 18 :猪(おもらし君):2006/12/22(金) 22 38 06.66 ID +tdK1KIS0 もう誕生日か 19 :猪(48才):2006/12/22(金) 23 11 49.06 ID DzxLlZ060 あばばb 20 :猪(ボーカル):2006/12/22(金) 23 47 10.17 ID xg007Xm40 で、結局26日はスレを立てるのかい? 21 :彼女と初詣:2006/12/23(土) 00 09 09.93 ID f1vG4HbV0 むしろ二十五日にたてて重複 22 :猪(筋肉質):2006/12/23(土) 00 36 15.12 ID K7asNlMG0 クリスマスに立てるとすぐ落ちる予感 女「クリスマスなだけにな」 男「なに一つかかってないから?」 女「君は私の恋の魔法にかかったけどな」 男「誰がうまいこと言えと」 23 :姫初め:2006/12/23(土) 00 51 13.74 ID ETd5pTALO しゅるるーん 24 :猪(汗かき):2006/12/23(土) 01 04 17.84 ID K7asNlMG0 しゅるるるーん 25 :おせち(15,000円):2006/12/23(土) 01 15 01.07 ID VFAh0kxIO しゅるるるるる(ry 26 :猪(メイド服):2006/12/23(土) 01 25 25.05 ID 9HMTSJ8JO しゅーるるんしゅるん しゅるるるるー 男君をお米に変えて! 27 :猪(ノーパソ):2006/12/23(土) 01 28 05.62 ID y/DY8dn50 女「最近ガタン、イヤッホォゥの人見てないな」 男「だな。あの人って名前あるの?」 女「センイチさん」 男「お前にしちゃ安直だな」 女「じゃあセンイチくん」 男「そこ変えても」 女「きっとこのスレの1001が教えてくれるさ」 男「なんか、投げやり気味だな」 28 :初詣でころんだ:2006/12/23(土) 01 28 22.45 ID jbgQmoxN0 女「鍋奉行」 男「仕切りたいの?」 女「……」 男「……」 女「水戸黄門次回作では、ついに『あの!』鍋奉行が成敗の対象に!」 男「ならねーよ」 女「奉行なのに?」 男「奉行でもだ」 女「……」 男「……」 女「どうりで最近の水戸黄門はつまんないわけだ」 男「いや、それとこれは関係ないと思う」 29 :初詣でころんだ:2006/12/23(土) 01 41 07.21 ID jbgQmoxN0 女「動物園のふれあいコーナーで、小動物に囲まれてたら」 男「……」 女「……」 男「……」 女「……」 男「……」 女「大半が死んだ」 男「……」 30 :歯科助手と初詣:2006/12/23(土) 02 02 01.62 ID jbgQmoxN0 女「ブラッククリスマス」 男「何を降らす気だ」 女「……」 男「……」 女「……」 男「……」 女「これだからロマンを解さん厨は……」 男「すまん……」 31 :お年玉(とられた):2006/12/23(土) 02 06 32.78 ID OZWH46ccQ 男「……」 女「……」 男「……」 女「…とっ…ぁ」 男「……?」 女「……」 男「……と?」 女「……と…」 男「……」 女「……突然…だが。」 男「……」 女「……『突然だが』のタイミングが掴めん…」 男「……久しぶりだもんな…。」 女「……半年くらいのブランクか…」 男「……で、突然だが、何?」 女「ん…別に。考えてなかった。おはなししたかっただけ。」 男「そっか。」 女「うん。」 32 :年賀状(♂だらけ):2006/12/23(土) 02 10 35.88 ID Bb3C/SOd0 女「メリークリスマス」 男「早いよ」 女「サンタの服の色は元々緑でした」 女「しかし某コカコーラが買収、服の色を赤にしてしまったのだよ」 男「・・・マジ?」 女「・・・」 男「ねえちょっと答えてよ」 女「・・・答えは米のみぞ知る」 米「そればっかりはしらねぇよ」 女「だそうだ」 男「ワッフルワッフル」 女「わははこれが俺のオベリスクだ!」 男「遊戯王まだやってるんだよね」 女「終了」 33 :歯科助手と初詣:2006/12/23(土) 02 17 31.92 ID jbgQmoxN0 男「腹減ったな」 女「さよけ」 男「……」 女「……」 男「……」 女「ぼくの……」 男「?」 女「顔(遺伝子組み換え小豆・小麦粉を使用)をお食べ」 男「いらねぇwwww」 34 :歯科助手と初詣:2006/12/23(土) 02 22 31.89 ID jbgQmoxN0 女「あわてんぼぉのっ サンタクロース クリスマスまえーにー♪」 男「……」 女「死んでいた♪」 男「おおい?」 女「捜査員が現場に踏み込んだときはすでに遺体は白骨化していたようです」 男「いつ死んだんだよ」 女「この死体は自称フィンランド国籍・ニコラス某(年齢不詳)のものとみて 警察では身元の確認を急いでいます」 男「なに、その不法入国臭さ120%?」 女「近所の人の話によると、ニコラス氏は食肉用の馴鹿牧場を経営していたとみられ……」 男「馴鹿って、トナカイじゃん! しかも食用かよ!」 女「ご覧ください。ここがその牧場ですが……うわっ、雑草が……ひどいです……ねっ」 男「生々しくリポートしなくていいよ!」 女「えー、ニコラス氏はこの牧場脇の小屋に寝泊りしていたそうで……このあたりに死体があったんですね」 男「……」 女「経営は思わしくなかったようで、近所の人たちもやせ細ったトナカ……馴鹿を目撃しています」 男「いい直す意味ねぇし」 女「小屋にはトナ……馴鹿のものとみられる骨も多数、散乱しており」 男「何でそこまで言い回しに拘るんだよ! しかも食ってたのかよサンタ!」 35 :歯科助手と初詣:2006/12/23(土) 02 22 49.09 ID jbgQmoxN0 女『ええ、ふだん仕事してるのかどうか……いつも近所をぶらぶらしてましたね』 男「声を変えるな! 近所のおばさん役か!」 女『おたく、お子さんいる? とか、よく訊かれました』 男「そらあサンタだしなあ」 女『子供たちに被害が出なかったのがさいわいですね』 男「変質者扱いっ!?」 女「ニコラス容疑者は、役所に出向き、この、住民台帳をよく閲覧していたようです」 男「Σ (;゚Д゚) 容疑者になっとるー!!」 女「あの、むかし似たような事件がありましたね? 母子家庭を調べて」 男「あー、あったあった。それで親がいない間に襲ってたって胸糞悪いあれ」 女『いや、その、閲覧目的はダイレクトメールの発送等に関するなものでしたし……』 男「今度はお役人かい!」 女「本当にその内容を確認なさったんですか?」 男「リアルすぎるリポートはやめい!」 女「役場の怠慢が、もう少しで取り返しのつかない事件を生み出していたかもしれません」 男「いや、サンタだろ? 子供のいる家調べてたんじゃん」 女「それでは次のニュースです」 男「終わりかよ!」 女「海外から、クリスマス親善大使として『本物』のサンタクロースが来日しました」 男「Σ (;゚Д゚) ちょっと待てえええええええええええええええええええええええええ!!」 36 :歯科助手と初詣:2006/12/23(土) 02 30 59.17 ID jbgQmoxN0 女「なあ」 男「ん?」 女「君はいつになったらヤキソバンに挑んでくれるんだ?」 男「……」 女「……」 男「……あのCM、とうの昔に終わってるよ」 女「逃げるのか?」 男「……」 女「わたしが好きな君は、そんな情けない男じゃなかったはずだ」 男「……すまん」 女「ああ……じゃあ、ペプシマンでもいい」 男「頑張る……」 37 :初夢(蛇の夢):2006/12/23(土) 02 39 19.77 ID ETd5pTALO 深夜に投下ラッシュくはー 38 :ほうれん草:2006/12/23(土) 02 47 52.39 ID BF2ugFl00 32 言い方除けば合ってるwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww 39 :おみくじ(太吉):2006/12/23(土) 03 05 48.08 ID f1vG4HbV0 そーばーめーしーふーりーかーけーそばばばーん 40 :猪(でぶ):2006/12/23(土) 03 24 54.42 ID WtTzj/7v0 子守唄 男「何か眠れない……」 シュー「子守唄サービス」 男「いつの間に隣に寝てるんだ」 シュー「~♪」 男「……すごく上手なんだけどそれ悪魔の歌だから」 41 :初夢(猿の夢):2006/12/23(土) 04 00 18.40 ID 0oWm/wQ5O 保守保守 42 :猪(ちび):2006/12/23(土) 04 07 44.21 ID WtTzj/7v0 ツンシュール (既出承知) ツン?「べっ、別に米のためじゃないんだからねっ!」 男「……何してるんだお前は」 ツン?あらためシュー「いや、不意にこの台詞が頭に浮かんできたのでつい」 43 :年賀状(ユニクロからだけ):2006/12/23(土) 04 52 12.71 ID Bb3C/SOd0 女「アステカ帝国」 男「おお~ん」 女「『オサ!』って治虫の『オサ』じゃないの?」 男「ああ、手塚オサ虫の漫画はハッピーエンドで終わるのが少ないよな」 女「荒木飛呂彦と手塚治虫の動画は見ごたえあったね」 男「おーまきばーはーみ~~~ど~~~~り~~~~~~」(ドップラー効果) 女「ああ、死ぬには良い日だ====」 男「いや、その理屈はおかっしい」 女「岡引(おかっぴき)みたいな?」 男「三国無双」 女「四国無双」 →四暗刻 44 :猪(ちび):2006/12/23(土) 04 58 56.62 ID WtTzj/7v0 ポケットの中には…… (2) 女「♪右のポッケにゃ夢がある」 男「随分古いな」 女「♪左のポッケにゃチュウインガム」 シベリア「♪空を見たけぇ~りゃ」 男「お前本当は日本人だろ」 45 :凧(イナバウアー):2006/12/23(土) 05 18 10.27 ID TwgbqXiR0 ほれ http //up.spawn.jp/file/up59893.htm 46 :初夢(筋肉痛):2006/12/23(土) 07 01 32.10 ID ETd5pTALO むにゅ 47 :おみくじ(汚れて読めない):2006/12/23(土) 07 50 22.11 ID tQQnKxKfO ( * ゚ д ゚ * ) 48 :美容師と初詣:2006/12/23(土) 08 34 29.11 ID jbgQmoxN0 女「猪と豚を掛け合わせると」 男「猪豚だね」 女「じゃあ猪豚と豚を掛け合わせると……」 男「猪豚豚か?」 女「……」 男「……」 女「うぬぼれるな」 男「はい」 女「ここは猪豚豚豚だろ、常識的に考えて」 男「割合的にはそうだね」 女「……」 男「……」 女「それだと呼びにくいとは思わなかったのか、君は?」 男「ごめん」 女「まあいいよ。ところで合鴨と鴨を掛け合わせると……」 49 :トリマーと初詣:2006/12/23(土) 09 02 03.60 ID jbgQmoxN0 女「なまずが暴れると地震が起こる」 男「俗説だな」 女「で、なまずは何で暴れてるんだ?」 男「さあ……」 女「……」 男「……」 女「地震が怖くてパニくってるのか?」 男「かもね」 女「……」 男「……」 女「……無限ループって怖いな」 男「ああ。怖いな」 50 :トリマーと初詣:2006/12/23(土) 09 21 06.79 ID jbgQmoxN0 クリスマスごっこ ①銃社会アメリカ 女「強盗に間違われて銃殺されるあまたのサンタクロースに……黙祷!」 男「ちがうwwwクリスマスってのはそんな嫌な日じゃないwwwww」 ②靴下 女「確かにプレゼントはありました。でも、脱ぎたてのわたしの靴下は忽然と消えていたのです」 男「ちょwwwサンタwwwwwwwいい趣味してやがるwwwwwwwwwwwwwww」 ③煙突 女「煙突の下の暖炉で火を焚いて……ナベかけて……」 男「節子、それクリスマスちゃう! 三匹の子豚や!」 ④トナカイ 女「馴鹿の燻製がほしいです」 男「ちょwww馴鹿ってのはトナカイのことだwwwwww」 ⑤調査 女「ほかの364日はよそさまの子供のことばかり考えて生きています」 男「サンタが変質者みたいな言い方すんな」 51 :トリマーと初詣:2006/12/23(土) 09 24 46.96 ID jbgQmoxN0 ⑥生麦事件 女「阿弥陀来迎行列に土下座しなかったサンタが切り捨て御免で降ってきた聖なる夜に」 男「どういう世界観しとるんだお前は」 ⑦都市伝説 女「わたし、メリーさん。いま、26日にいるの」 男「メリーの意味違う!」 ⑧等価交換 女「プレゼントの費用がどこに請求されているのか……それを知ればいくら温厚な日本国民といえど!」 男「まさか、経団連の消費税アップ提言は!?」 ⑨お似合い 女「靴下の中には足が入っていました」 男「誰のッ!?」 ⑩ロマンティック 女「間違いなく死人が出そうなすごい吹雪……ホワイトクリスマスね☆」 男「Σ (;゚Д゚) 間違っちゃいないけどなんか間違ってる!」 52 :トリマーと初詣:2006/12/23(土) 09 26 43.33 ID jbgQmoxN0 ⑪ヒッチコック 女「うわあ……サンタさんで空が見えないや……」 男「Σ (;゚Д゚) 怖っ」 ⑫郵便局不祥事 女「今年もまた、配達しきれなかったプレゼントを捨てたり隠したりする事件が続発しています」 男「夢もへったくれもない話だな」 ⑬少子高齢化 女「やがて、一人のサンタが一人にプレゼントを配る時代がやってきます」 男「まあ、ジジイは増えるわけだし、いい雇用先かもな」 ⑭新種誕生 女「真っ赤なおっはっなっのっ トッナカイさっん(遺伝子組み換えである)っはっ♪」 男「なんかイヤァァァァァァァ!!!!」 ⑮安価 女「プレゼント 5 配達先 10 配達日時 15」 男「三番目はどう考えてもまずいだろ、常識的に考えて……」 53 :トリマーと初詣:2006/12/23(土) 09 28 12.63 ID jbgQmoxN0 ⑯わたしが手に入れたかったもの 女「子供ならだれしも思ったよね? ドラえもんの耳がほしいって」 男「ポケットだろっ!?」 ⑰靴下Ⅱ 女「靴下を脱ぎっぱなしにしたまま寝たことを、延々と見知らぬヒゲのジジイに叱られた奴、ちょっと来い」 男「なつかしいなあ、説教強盗」 ⑱正体 女「サンタを見ても、あのおひげと衣装に目がいって、意外と素顔は記憶していないものです」 男「どうあってもサンタを犯罪者にしたい人がいるようですねwww」 ⑲大魔王 女「今年こそ、魔封波でサンタをこの門松に封印してくれるッ!」 男「そうだね。電子ジャーだとごはん炊けなくなっちゃうもんね……って違うッ!」 ⑳樹 女「クリスマスツリー飾ったよ」 男「Σ (;゚Д゚) オーディンが! オーディンがわが身を犠牲にしてルーン文字のようなものを得ようとしとる!」 54 :おみくじ(中がよろし):2006/12/23(土) 09 48 42.95 ID 1GIdON//P 朝っぱらからカオスだwww 55 :初夢(二日酔い):2006/12/23(土) 09 57 40.04 ID A7hm5jK8O 朝からGS!! 56 :初夢(宝船の夢):2006/12/23(土) 11 02 13.72 ID OZWH46ccQ 女「遺伝子組み替えってよく言うけど、それってなんなの?」 男「んー…例えば、その作物の味が増したり、サイズが変わったり、害虫が付かなくなったりとかするの」 女「お得じゃん」 男「でもさ、自然界に普段存在しないものなんだよ?」 女「ふーん…」 男「神の領域に人間が踏み込んじゃいけないと思うんだ。」 女「…じゃあさ、もひとつ」 男「ん?」 女「遺伝子って何?」 男「…平たくいえば、設計図みたいなもんだな。」 女「ってことは、大豆に鯵の遺伝子を組み込めば、畑の肉が畑の魚に…」 男「無理だろ」 女「なら、大豆にサイコロの遺伝子を組み込めば、畑のダイスに…」 男「意味わからん。何だよサイコロの遺伝子って」 女「あ、稲に麦の遺伝子組み込めば…」 男(言うと思った。オチ的には麦混ぜ御飯がとかいうんだろ) 女「はんさようボムか、メドローアの苗ができるね!」 男「……」 女「遺伝子組み替え、こわいこわい♪」 男「わくわくしながら言うな」 57 :初夢(宝船の夢):2006/12/23(土) 11 03 29.76 ID OZWH46ccQ 女「遺伝子キャッチコピーか…」 男「またなんかくだらない事考えたのか」 女「大豆(遺伝子組み替えでない)」 男「普通はな。」 女「大豆(遺伝子組み替えでした)」 男「結果論かよ」 女「大豆(遺伝子組み替えはじめました)」 男「冷し中華かよ」 女「大豆(遺伝子組み替え出来ませんでした)」 男「素直でよろしい。」 女「大豆(遺伝子組み替えかも)」 男「それが1番怖い」 女「大豆(遺伝子もっさりしました)」 男「何をした?下手にいじくるなよ!」 女「大豆(遺伝子組み替えるべきでなかった)」 男「んなもん売るな」 女「遺伝子(大豆組み替えました)」 男「…」 女「大豆(遺伝子組み替えてくれます)」 男「余計な事すんな」 女「大豆(遺伝子組み替えてください)」 男「しねーよ」 女「シベリア(遺伝子組み替えでない)」 男「…かわんなくてよかった…」 女「わたし(遺伝子組み替えでもいい?)」 男「…難しい議論を呼ぶな」 女「わたし(遺伝子組み込み待ち)」 男「…え?」 58 :猪(巨乳):2006/12/23(土) 11 39 58.30 ID p4pSeAmXO テンポいいなぁ。 M-1を超えそうな勢いだ 59 :ナースと初詣:2006/12/23(土) 12 06 38.92 ID jbgQmoxN0 女「なすびの牛にきゅうりの馬」 男「お盆?」 女「牛のなすびに馬のきゅうり」 男「見当もつかねぇよ」 女「……」 男「……」 女「……」 男「……サンタさんに頼んでみる?」 女「……靴下に入らない」 男「……」 女「……」 男「……」 女「……ぐすん」 男「……ほしかったのか」(なでなで) 60 :猪(ダイエット中):2006/12/23(土) 12 39 36.18 ID WtTzj/7v0 北の最果て 女「ずっと疑問だったことがある」 男「なんだ?」 女「シベリアがいるのにどうしてアラスカがいないのかということだ。実に嘆かわしい!」 男「そう言うのを認めてると無駄にキャラが増えすぎるからだろうな」 女「まあ確かにシベリアだけで充分なんだが」 男「もしいるとしたらどんなキャラだと思う? (もしや俺って要らない子?)」 女「シベリアは金髪だから、アラスカは光の当たる角度によって色調が変化するロングヘア」 男「モルフォ蝶かよ。でも寒いところにいる生き物ってのは基本的に地味だぞ。派手なのは熱帯の奴らばかりだ」 女「装備はセイウチを狩るための猟銃と獲物を解体するための大きなナイフ。あと好物はカニ風味カマボコ」 男「後者は説明不要か」 女「そして宙を舞う綿埃のような温厚かつ天然ボケな性格。ただし怪力。頭はいいけど反応がトロい」 男「何と言うべきか、すごすぎるな」 女「というわけでシベリア、よろしく頼むよ」 シベリア「えっ?何をですか?」 女「君の生き別れの姉アラスカを是非このクラスに」 シベリア「それじゃあ早速故郷の家族に手紙を書いて所在の確認を……」 男「頼むから騙されないでくれ」 61 :給食のおばさんと初詣:2006/12/23(土) 13 23 54.56 ID fUWDMOSA0 ほく 62 :スルメ:2006/12/23(土) 14 16 38.87 ID +ZCdAcZ00 ほくほく 63 :黒豆(七粒):2006/12/23(土) 14 22 15.46 ID mOe/L/pnO あほげしゅ 64 :巫女に初詣:2006/12/23(土) 14 56 01.46 ID jbgQmoxN0 女「肩たたき剣を作った」 男「剣ッ!? 券じゃなくて?」 女「……」 男「……」 女「……峰打ちじゃ」 男「それ、両刃の剣っすよ」 女「……」 男「……」 女「……君で試したい。ぜひ」 男「死ぬがな。自分で試せ」 女「……」 男「……」 女「君の言うことは」 男「……」 女「たまによくわからんな?」 男「さいですか……」 65 :初夢(筋肉痛):2006/12/23(土) 15 11 25.22 ID OZWH46ccQ 女「愛、飢え男?」 男「…ううん」 女「会え言う…餌or恩?」 男「…ううん」 女「過去聞く、結構苛酷?」 男「…ううん」 シベリア(;゚д゚)??? 66 :妹と初詣:2006/12/23(土) 15 46 49.33 ID jbgQmoxN0 女 「日本の冬は鍋だー! イエア!!」 シベリア「いえあ?」(←意味はわからないながら鸚鵡返し) 渡辺さん「いえあ!」(←意味はわからないながらノリノリ) 女 「土鍋!」 渡辺さん「雪平鍋!」 女 「圧力鍋!」 渡辺さん「鉄鍋!」 女 「辺!」 渡 さん「おでん鍋!」 女「しゃぶしゃぶ鍋!」 渡辺さん「シチュー鍋!」 女 「フォンデュ鍋!」 男 (どこまでいったら止めようかな……) 女 「だが日本は広かった! 露スケの想像もつかない、もっとすごい鍋があったのだ!」 男 「……」 シベリア「あ、意味も、この人がこういう人だってのもわたし、わかってますから……」 男 「ああ……すまんな……いや……ホント……すまん……(涙)」 67 :妹と初詣:2006/12/23(土) 15 48 02.30 ID jbgQmoxN0 ( ) ( ) ) ( ) ) ∩_ );) , ジーュッ_∩ [|__] _(;;(,ノノ [__|] ( `∀´)っ━/≠≠\━━⊂(`皿´ ) ( つ━━━┛心゛ゎj┗━━⊂ ) 〈 〈\\ /にソノ`ヽ、 // 〉 〉 (_) (_) / ソ V /`ヽノlヽ (_) (_) 从 {. \∨ ノ V 丿 ;从;从从 jヽ (人) ,! く .\ 从((;".;";;")) (´ ̄ ̄ ヽ== へ \ ,(从(; ;从)) (;;( ) ムニ二{ミス二二人_ノ ` ;;;;";\≠≠/); ; )丿 " " " " " " " // ヾ \" " " " " " ~~ " " " " " " " " " " " " " ~~ " " " " " " " 日親(にっしん、1407年(応永14年) - 1488年10月21日(長享2年9月17日))は、 室町時代の日蓮宗の僧である。 日親は諸寺院を日蓮宗に改宗させ、 6代将軍足利義教への説法の機会を得た際に他宗の喜捨を説いて建言を禁止される。 禁に背いたために投獄され、 拷問を受けた際に灼熱の鍋を被せられたまま説法したという伝説が誕生し、 「鍋かぶり日親」と呼ばれた。 68 :妹と初詣:2006/12/23(土) 15 48 46.45 ID jbgQmoxN0 シベリア「…………これが…………ッ! ニッポン!」 男 「Σ (;゚Д゚) まて待てマテ俟てMATE――――い!!!」 女 「日親上人の故事にちなみ、頭に焼き鍋をかぶるという勇壮な修行が現代に伝わって――」 男 「ない! 伝わって――はっ!?」 シベリア「ワクワクテカテカ」 男 「あああああああああああああこうしてまた一つ日本が誤解されていくうううううううううう」 69 :猪(マヨラー):2006/12/23(土) 16 01 45.87 ID WtTzj/7v0 三位一体 女「つまり今、私達は三位一体なわけだ」 男「いまいち意味がわからない言葉だな」 シベリア「キリスト教における重要な概念ですね」 女「もともとの意味は……まあ今はどうでもいい」 シベリア「あの、すみません、私重くないですか?」 女「いや、むしろ3人分の重量が乗っている床の方が心配だ」 男「別にそんなに重くないけど一番下で二人分支えてる俺はスルーか。 というか二人ともちゃんと食ってるのか心配だぞ」 女「米を崇めよ!!」 男「三位一体となった俺達じゃないのか」 70 :彼女と初詣:2006/12/23(土) 16 52 04.98 ID jbgQmoxN0 女「君が好きだ」 男「どうも」 女「ウツボのように、たえずどこかに潜んでいるあたりが」 男「潜んでないよ」 女「……」 男「……」 女「…………」 男「…………」 女「………………」 男「………………潜めばいいの?」 女「一ヶ月一万円生活中に銛を持ってやってくるあの男には気をつけて」 男「うん……」 71 :初夢(ろうそく熱い):2006/12/23(土) 16 53 38.67 ID ETd5pTALO ぐっど☆しゅーる 72 :初詣でかつあげされた:2006/12/23(土) 16 54 28.89 ID 1kJBc4lw0 kak.hta ;ken=wd+ START 73 :おせち(12,000円):2006/12/23(土) 17 08 45.59 ID n7nV6Obw0 クリスマス 女「く」 男「り」 女「と」 男「・・・」 女「・・・」 男「く」 女「り」 男「す」 女「と」 男「ふぁー」 女「・・・」 男「・・・」 女「・・・」 男「ごめんね」 女「イインダヨー」 男「・・・うん」 74 :書初め(謹賀新年):2006/12/23(土) 17 33 23.26 ID f1vG4HbV0 女「シュール……」 男「どうしたの急に」 女「突然だが」 男「うん」 女「素直ツューノレ」 男「……ゲシュタルト崩壊?」 女「いや、カキフライ?」 男「そんなこと聞かれても」 女「……」 男「……」 女「素直ツューノレ……」 男「……うん、アリかもしれないね」 女「黙れタルタル」 男「……」 女「……」 男「……ごめん」 女「別に気にしてないよ」 男「ありがとう」 女「いいよ、レモン汁」 男「……」 女「……」 男「……」 女「リポビタン」 男「デー」 女「田代マークのタシロー製薬から」 男「ちょっとやだね」 75 :おみくじ(五回目でやっと吉):2006/12/23(土) 18 15 56.75 ID jbgQmoxN0 クリスマス遊戯 ①キラ 女「靴下の中には手が入っていました」 男「誰のッ!?」 女「窓からそっと逃がしておきました。もう人間に捕まるんじゃないぞー! (´;ω;`)ブワッ」 男「節子、それ、ええ話ちゃう! ホラーや!!」 ②飲酒運転 女「コンビニの駐車場で……サンタが……そりを停めて、あ! お酒です! お酒飲んでます!」 男「どこの女子アナだおまいは」 女「今宵も栃木県警交通機動隊と悪質ドライバーとの戦いは続く……っ」 男「まあ、チャリだって飲酒運転はアウトだしな……」 ③サンタが街にやってきてしまった 女「やめて! みかんの皮の汁とばしながら入ってこないで!」 男「そんなサンタどこの世界にいる!」 女「今までの君がぬるま湯の中にいただけさ」 男「じゃあずっといるよ」 76 :おみくじ(五回目でやっと吉):2006/12/23(土) 18 18 41.29 ID jbgQmoxN0 ④ネプチューンキング 女「思ったとおりだ。サンタがサンタらしさを保つにはうしろで糸を引いている者がいると思ってた」 男「ヒゲ? トナカイ? 意表をついてソリ? まさかプレゼント袋?」 女「贈正一位太政大臣菅原道真ッ!!!!!!!!!!!111111」 男「天神さん!? いや、なんでよっ!?」 ⑤法治国家神国日本 女「人を殺りたきゃ車に乗りな、ガキの寝込み襲いたけりゃソリに乗りなってか?」 男「車はともかく、サンタって罪軽くなるの?」 女「でなきゃ誰がサンタなんかやるってんだよ? あぁ?」 男「……なにかあったのか?」 ⑥正体 女「サンタさんのような人だよー。袋のような物の中はプレゼントかもしれない物でいっぱいかもよー」 男「具体的にいうと、どこの何様だよ」 女「つぶやきシロー以外に誰がいる?」 男「……………………誰だっけ、それ?」 77 :おみくじ(五回目でやっと吉):2006/12/23(土) 18 22 30.57 ID jbgQmoxN0 ⑦サスケハナ号 女「ペリークリスマス!」 男「……ペリー?」 女「おうちにある浦賀から黒船に乗って、よい子に国書を持ってくる」 男「浦賀って一般家庭に普通についてるもんなんだ? 地名なのに!?」 ⑧草食 女「聖なる夜は天の川をトナカイのソリで駆け下るサンタさんの夢に抱かれて」 男「なにをロマンチックなことを」 女「翌朝、植木はすべてトナカイ(シカ科草食動物)とバク(バク科草食動物)に食われていました」 男「最っ低のクリスマスだが現実に限りなく近い結末だ……」 ⑨白羽の矢 女「獲物を求め庭を狂ったように駆け回る犬、罠に飛び込む冬の虫をじっと待ちコタツで丸くなるぬこ」 男「まず家族が生きていないと思うぞ、それは」 女「ゆえに奴らをなだめるべく、サンタは日本国にあっちゅー間に広まったのさ」 男「キリスト教徒人口比1%でなぜ? という疑問がたったいま氷解しました。ありがとう」 78 :猪(禁風呂中):2006/12/23(土) 19 51 21.30 ID fNEWJe1j0 79 :猪(禁風呂中):2006/12/23(土) 19 55 22.22 ID fNEWJe1j0 今北読んでる。職人さんたちGJ 酔っ払いのたわごとでよければあとでコメントつけるよ 80 :黒豆(六粒):2006/12/23(土) 19 58 38.52 ID T2MMkrtL0 女「・・・なっ!?」 男「どうした?」 女「・・・」 男「・・・」 女「・・・」 男「・・・」 女「・・・」 男「・・・」 女「・・・」 男「・・・」 女「どうして大和ハウスなんだ・・・」 男「・・・・・・」 81 :おせち(3,000円):2006/12/23(土) 20 07 21.81 ID c47sTW6YO 今北 GS 82 :猪(音速):2006/12/23(土) 20 09 58.83 ID bFXHeQor0 99%のギャグと1%の萌えがあるこのスレが好きだ 83 :おみくじ(やぶれた):2006/12/23(土) 21 01 57.12 ID Dkc5R1sg0 82 シューの行動が全て「男の気を引く為、反応が見たくて」 だと考えると、99%のギャグも萌えになるのがポイントなんだぜ? 84 :猪(進化系):2006/12/23(土) 21 03 59.33 ID bFXHeQor0 83 つまり99%のギャグと100%の萌えということですね 勉強になった 85 :おせち(5,000円):2006/12/23(土) 21 06 18.56 ID xmnjObrhO 83がすごくイイこと言ったんだぜ? 86 :おせち(5,000円):2006/12/23(土) 21 09 32.41 ID c47sTW6YO 57がツボにハマりすぎたwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww 87 :角焼もち:2006/12/23(土) 21 22 05.93 ID VFAh0kxIO 女「……」 男「……」 女「……」 男「……つかぬことをお聞きしますが」 女「なんでしょうか?」 男「その格好はなんでしょうか」 女「サンタコス。略して3タコス」 男「略できてないから」 女「ちなみに1タコスは大体388円くらい」 男「無視)で、どうしてあなたは平然とした顔して人の家に土足で不法侵入してるんですか」 女「メリークリスマス。かっこはぁと」 男「かえれ」 女「……酷いっ!君は彼女がクリスマスにサンタ服でやってくる、 まさにs(ソレ)n(ナンテ)e(エロ)g(ゲ)な展開に胸を踊らせたりしないのかっ!」 男「残念ながらしない。しかも今日はクリスマスじゃない」 女「……君は冷たいな。まるで米研ぎしてるときの水の冷たさみたいだ」 男「お湯でやれよ」 女「………クッ、次あったら覚えとけ!」 男「捨てゼリフでいちいち死亡フラグ立てるな」 携帯「プルルルル…ガチャ 女「もしもし私メリーさん。今あなたの家の前にいるの」 男「はよ帰れ」 88 :お年玉(なし):2006/12/23(土) 21 24 42.02 ID jfUZpmcN0 女「メリークリスマス。歌おう」 男「おうよ。真っ赤なお鼻のトナカイさんはー…」 女「ドナドナドーナードナドーナー売られてゆーくーよー」 男「いつもみんなの…笑い…もの…」 女「ドナドナドーナードナドーナー荷馬車がゆーれーるー」 男「…」 女「…」 男「…」 女「君はまちがっている。今日は天皇誕生日だ」 男「…万歳…」 89 :お年玉(なし):2006/12/23(土) 21 28 15.75 ID jfUZpmcN0 女「慌てんぼうのサンタクロース」 男「クリスマス前にやってきた」 女「…」 男「…」 女「認知症だろ、常識的に考えて。」 男「…」 90 :初夢(勝ち組だった):2006/12/23(土) 22 02 15.97 ID ETd5pTALO ほっしゃああああ みんなGS 91 :猪(ボーカル):2006/12/23(土) 22 02 17.09 ID K7asNlMG0 GS!(ゴスロリ シベリア) 92 :凧(100連):2006/12/23(土) 22 03 31.04 ID e64M6C8L0 GSおおすぎ。 93 :猪(体臭きつめ):2006/12/23(土) 22 03 55.99 ID fNEWJe1j0 良作ラッシュですごいな 鬱陶しかったら適当にあぼーんしてください 8 淡々とほのぼの。他人の誕生日を覚えてられる人っていいなと思う 11 言われるままにドライヤーをかける男、熱風を浴びる女。どちらも律儀な 12 出たーシュールさんの1秒間に10回脱穀発言だー(棒読み) 13 こういうおちゃめなおねだりができる子は好きだ。でも適当に買っちゃだめ 14 ビスケットが割れるとこまでは想定内。オチのふっとび具合になんか吹いた 17 このスレ平均年齢高そうな気がするから無問題。最大のツッコミポインツは男か 22 私は君の、じゃないところが好きだ。無意味な自信が大切です 27 数じゃない、質だ。とポジティブに聞こえなくもないフォローを 28 奉行なのに奉行でもだ、のやりとりが妙におかしい。なぜだ 29 黒い子は好きだが正直反応に困った。でも前後作含めてなんか可愛い 94 :猪(体臭きつめ):2006/12/23(土) 22 04 27.15 ID fNEWJe1j0 30 詳しく聞いてみたら、それは意外と美しい光景なのかも。とマジで思う 31 話はないけど話がしたいシチュ。萌えたとか絶対言わないくやしいから 32 どうするこのカオス。とりあえず米は新キャラでFAか 33 食の問題にはこだわる子。ボケを考えてますって感じのこの「間」は好きだ 34 笑った。ワイドショー展開のそれっぽさに相当の練り込みを感じたんだ 36 俺の脳内ヒエラルキーだとペプシマン>ヤキソバンなんだが 40 財津和夫でいいんだろうか。ぐぐったが拾いきれない、ごめんよ 42 べ、別にって言えばいいってもんじゃないだろなんて思ってないんだからねっ 43 な、流れがさっぱり読めないなんて(ry 44 モスクワキッド。シベリアが順調に染まってきてるようでなにより 95 :猪(体臭きつめ):2006/12/23(土) 22 04 59.90 ID fNEWJe1j0 48 割合って発想はなかった。あと言葉の選び方に惚れた。うぬぼれるな、はツボ 49 谷川俊太郎の詩よろしく、世界中でリレーされつづけるP波とS波。美しいな 50 さっきからサンタの名誉がえらいことに。フェティシストでペドとかどんだけだ 51 聖夜の空にて血の惨劇。ここまでで何人死んでるんだか。タイトルうまいな 52 窓ガラスを突き破り雪崩れ込んでくるサンタ、サンタ、サンタ。悪夢だ 53 自覚はあったのか18。19のノリツッコミを超えたノリツッコミに愛を感じる 56 米と麦は対概念なのか。幼め甘めなシューのキャラ立てがちょっと新鮮 57 あの「でない」は惹かれる。でもって最後のはどう解釈するんだよコーロー 59 真逆の季節、真逆の精霊馬。無理やりなすびの形に整形された牛あばばばばb 60 天然ボケが飽和状態な件。俺の場合カニカマはオホーツクって呼んでた 96 :猪(体臭きつめ):2006/12/23(土) 22 05 31.34 ID fNEWJe1j0 64 肩たたき券って語感はおいしい。きれいにオチたもんだ 65 意味と連続性がそれなりに保たれてるあたりに驚愕。愛餓男ボーイ面白いよ 66 最初から土鍋でつんのめる。ボケ3に対しツッコミ1。あまりに無力 69 だってぼくらは日本人だから。男が地味に漢ぶりを発揮しております 70 流さないで「潜めばいいの?」って訊ける男。本当にいい奴だな 73 完成でふたりの愛情値うp。いいんだ、もうカップル呪うほど若くもない 74 暇を持て余すふたりの戯言ととると不思議とほのぼの。カキフライたべたい 75 クリスマス=死亡、なのか。みかんの汁舞うハードボイルドな聖夜 76 俺のサンタ像がどんどん禍々しいものに。そして彼の名を数年ぶりに思い出した 77 悪い子には大砲をぶち込む。ほんとクリスマスは地獄だぜフゥーハハハー 97 :猪(体臭きつめ):2006/12/23(土) 22 06 02.09 ID fNEWJe1j0 80 日本のCM界にシュール分を供給する貴重な会社だと思う 87 全力放出されるかまってオーラが鬱陶しいやら可愛いやら。タコスって 88 歌詞に突っ込んでいいものかどうか迷った。メリー陛下 89 俺が物心ついた頃からじいさんだったからな。相当年だと思う 98 :凧(100連):2006/12/23(土) 22 22 24.74 ID e64M6C8L0 女「……恐ろしいクオリティの縦読みを見た」 男「何をどう読んだんだおまえは」 ともかくコメントを打ち返し続ける貴方にもGS。 99 :初夢(勝ち組だった):2006/12/23(土) 22 29 32.98 ID ETd5pTALO 全米乙 100 :角煮もち:2006/12/23(土) 22 38 46.80 ID VFAh0kxIO 93-97 女「どうみてもGJです」 男「本当にありがとうございました」 女「せっかくだし、このさいだから名前を付けちゃおう」 男「いや、勝手に付けちゃまずいだろ……常識的に考えて……」 女「今日から貴方の名前はコメントマン」 男「安直すぎだろ……常識的に考えて……」 女「略して米男。」 男「あ、納得」 女「……」 男「……」 女「……」 男「……」 女「……」 男「で、オチは?」 女「茄子。」 男「さいですか。」 101 :猪(甘党):2006/12/23(土) 22 58 45.42 ID bFXHeQor0 風呂で良いネタ思いついたのに出たら忘れた くやしい・・・ 102 :おみくじ(既知):2006/12/23(土) 23 13 07.27 ID Dkc5R1sg0 101 それこそシューのネタのオチに使えるじゃないかw 103 :猪(汗かき):2006/12/23(土) 23 49 30.00 ID q1C+81u/0 今北区産業 104 :猪(お手伝い):2006/12/24(日) 00 03 42.78 ID r999pk1D0 105 :初夢(見るの忘れた):2006/12/24(日) 00 35 30.86 ID t3dNH75pO ずばっと 106 :凧(バイヤー):2006/12/24(日) 00 37 58.30 ID ZmWpm+Mt0 ギャロップ 107 :猪(汗かき):2006/12/24(日) 00 39 34.41 ID aG9sZ2bV0 レーサー 108 :猪(でぶ):2006/12/24(日) 00 40 02.16 ID avUl3syK0 サンダース 109 :小松菜:2006/12/24(日) 00 51 54.30 ID mmpMxDYe0 カーネル 110 :小松菜:2006/12/24(日) 00 52 13.91 ID mmpMxDYe0 ブルース 111 :おみくじ(ひく金ねー):2006/12/24(日) 00 58 44.39 ID c0ITePVx0 ウィルス 112 :歯科助手と初詣:2006/12/24(日) 01 51 11.27 ID VEAfpNZE0 女「かぐや姫を竹の中に入れた方法を知りたい」 男「……はあ」 女「……」 男「……」 女「きっと、何かに使えると思う」 男「何に?」 女「……」 男「……」 女「ボトルシップ?」 男「……」 女「……」 シベリア「あれってそういう理屈だったんですね……」 男「いや、たぶん違う」 113 :お年玉(800円):2006/12/24(日) 01 51 32.30 ID 7P6/iLCgO 保守 114 :初夢(ピザった夢):2006/12/24(日) 02 31 25.32 ID IlE56SfUO 聖夜に保守 115 :猪(大人):2006/12/24(日) 02 41 32.04 ID 7CZC9PbxO 101 女「あ…ありのまま今起こったことを話すぜ!『風呂でネタを思い付いたと思ったら、出ると忘れていた。』な、何を言ってるのかわからねーと思うが…」 男「どうでもいいから服を着ろ。風邪ひくぞ」 女「へーちょ」 男「寒いんだから、気をつけろよ」 女「暖めて」 男「…おおっと」 116 :初夢(猿の夢):2006/12/24(日) 04 01 58.03 ID t3dNH75pO チェック1・2 117 :おみくじ(五回目でやっと吉):2006/12/24(日) 05 03 08.88 ID PxkDWrNz0 アンドアタック3・4 118 :おみくじ(五回目でやっと吉):2006/12/24(日) 05 03 29.06 ID PxkDWrNz0 げふぁー 119 :おみくじ(人吉):2006/12/24(日) 05 52 33.10 ID j8OBWf3K0 ほしゅーる 120 :おせち(30,000ウォン):2006/12/24(日) 06 02 17.20 ID UvldHIlMO 女「やあ、のび太くん。何やら浮かない顔をしているね」 男「……あ、俺のことか…」 女「なんだ、またごーだくんにいじめられたのか」 男「そんなジャイアニズム溢れる知り合いはいないよ」 女「なになに、せっかくのイブに一人で深夜アニメの鑑賞をする哀れなヒキヲタ、とまで言われたのか。それは酷いな」 男「……言われてないし、酷いのは君だ」 女「だが安心したまえ。そんな君に22世紀からの贈り物だ」 男「何か今日の君はハイテンションで饒舌で勢いが止まらないね」 女「イブに予定の空いている独り身の美少女~」 男「本物がそんな道具出したら大変な事になるよね」 女「……君の突っ込みは何かズレてる気がするな。まぁ、とにかく私を好きに使うといい」 男「え…あ、あぁ、ただのデートのお誘いだよね。うん、何処か遊びに行こうか」 女「ヘタレ…」 男「ん、なんか言った?」 女「いや別に。さぁ、今スグ行こうそうしよう」 男「……青ダヌキの着ぐるみのままなの?」 121 :初夢(ゴキとの思い出):2006/12/24(日) 08 14 48.87 ID t3dNH75pO ぴらり 122 :初夢(ピザった夢):2006/12/24(日) 08 44 04.67 ID GVNkizw7O 女「メリー。」 男「メリー。」 女「朝っぱらから一緒とは……一日中一緒だぜひゃっほうとでも言いたいのかね君は。」 男「いや、こんな早くから会う予定じゃなかったよ?」 女「ああ。」 男「?」 女「吹雪きそうだったから。」 男「…さっきまで快晴で(しゃっ)」 びょっごぉぉぉぉ…… 女「……」 男「……」 女「一日中一緒だぜひゃっほう。」 男「…ひゃっほう。」 その後は意外に甘々だったとか。 123 :パティシエと初詣:2006/12/24(日) 09 48 48.26 ID VEAfpNZE0 シ「日本のクリスマスというのはどんな行事なんですか?」 女「サンタさんがプレゼント持ってくる」 シ「ふつうですね」 男(……こいつにしたら、な) 女「もっこで」 シ「……」 女「土を」 男「……」 女「鹿沼土を頼んだのにバーミキュライトを持って来た日にゃ、本気で桜の根元に埋めてやろうかと思った」 男「……」 女「……」 シ「……さすが、お江戸の昔から大の園芸好きで知られる日本人」 男「……」 シ「……バーミキュライトは園芸用土の中でもとびぬけて軽いですもんね」 男「Σ (;゚Д゚) 話そのものをまずは疑ってくれえ! 日本国の名誉のために!!!」 124 :猪(早すぎ):2006/12/24(日) 10 32 23.33 ID 1If4Mle90 飲み会 (素直分多め 女「米だっ!良質の米が足りないっ!!もっと米よこせぇぇぇ!!!」 男「まったく……飲み過ぎてキャラ変わってるじゃないか」 女「米の素晴しさがわからん奴はメタノールでも飲んでろー!!バカヤロー!!!!」 男「死ぬだろ」 女「イソプロピルアルコールがいいとはマニアックな奴めwww」 男「サリン作る気か。……んで、何をそんなに荒れてるんだ?」 女「侮辱された!私の大切なものを馬鹿にされたんだ!だから怒った!!」 男「何て言われた? (米のことか)」 女「地味で、平凡で、釣り合わない。どうしてあんたが惚れたのかわからない、 悪いこと言わないから別れた方がいい」 男(こいつが米から離れるなんて無理だからな) 女「頭にきたから払った分だけ飲んで食べてさっさと出てきた」 男「暴飲暴食は体によくないぞ。そんな端金のために体壊したらそれこそ勿体無い」 女「君はどうしてそんなに冷静でいられるんだ!?私はもう腹が立ってしかたないのに!」 男「悪口は言わせておけばいいんだよ。そんなの気にすることじゃない」 女「あんな奴らに男の何がわかるって言うんだ!?」 男「……」 女「……」 男「……ありがと」 女「……うん」 125 :黒豆(四粒):2006/12/24(日) 10 53 02.31 ID J2p0A90DO ( ^ω^)タモリだお 126 :初夢(虫なった夢):2006/12/24(日) 11 07 16.89 ID RAtkZWI7O 女「まったく、何が哀しくてピザ屋でバイトなんか・・・ブツブツ」 同僚「まあまあ、しょうがないですよシューさん、彼氏さんにプレゼントあげたいんでしょう? がんばりましょうよ!」 女「・・・むぅ」 母「すいません・・・」 同「いらっしゃいませ~♪・・・って」 母「あの、ここって配達だけですよね?」 同「はい、申し訳ありませんがデリバリー専門となっております」 母「そうですよね・・・ほらリク、帰ってから注文するからね」 子「やだぁ!!ぼくが持って帰るんだあ!!」 母「もう、わがまま言わないの」 子「やだああああっ!!」 同(アタフタ・・・) 女(仕方ないな・・・私が店の外につまみ出してくるからあとヨロシク) 同「シューさん?」 女(赤飯炊いて待ってて) 同「ないですよ・・・」 127 :初夢(虫なった夢):2006/12/24(日) 11 08 07.66 ID RAtkZWI7O 同「シューさん帰ってくるの遅いな・・・揉めてるのかな・・・」 電話 PPPP・・・ 同「ありがとうございます!ピザ・デモクテロ新都社前店です♪」 ?「あーもしもし、注文をお願いしたいですねん」 同「何してるんですかシューさん・・・」 ?「シューさん?そんな美少女のことなんか知らんですがなやでぇ?」 同「いやいや・・・で、どうしたんですか?」 ?「うん、お宅の隣りの喫茶店『山田』まで配達お願いしたいんだけど。あ、私山田一郎っていいます」 同「今思い付いたでしょ?」 ?「で、店の前にみすぼらしい格好の母子が佇んでるからブツはそいつらに渡してくれ。 私自身が表に出るわけにはいかないのでね・・・フフフ・・・」 同「何キャラなんですか」 ?「ま、そーゆーことなんで。ヨロシク」 同「・・・切れた・・・」 女「ただいま。ふービックリした」 同「シューさん」 女「なに?」 同「・・・お人好し」 女「・・・むぅ・・・」 同「あー照れてる照れてる~♪ さってと、がんばって働きましょっか!ね、シューさん」 女「ん」 HAPPY Christmas 128 :猪(今日もカップラ):2006/12/24(日) 11 31 25.01 ID 92h4vpaT0 女「クリスマスイブですね」 男「はい」 女「ジェットストリーム的な名が付いていますが」 男「イブか・・・」 女「サターンのおじさんは来るだろうか」 男「デュクシ!」 129 :猪(早すぎ):2006/12/24(日) 12 02 25.33 ID 9t1aCgg10 115 こういうの好き。 女「蟻のママに今おこった事を話すぜ」 男「クリスマスにそんな寂しい事しなくてもいいじゃん。ほら、ケーキ買いにいくぞ」 女「はーい」 130 :初夢(見るの忘れた):2006/12/24(日) 12 33 03.85 ID HGWVffkE0 101 あるあるww そして 102レベルたけぇ 131 :①:2006/12/24(日) 13 34 28.47 ID VEAfpNZE0 ( ^ω^)「クリスマスだお」 女 「クリスマスにはサンタさん、受験生には天神さん、お盆にはご先祖たん、お正月はじゃあ何が来る?」 (;^ω^)「その四つは並列で語られるもんなのかお? でもってご先祖が萌えてるお」 女 「あいつに何かプレゼントをあげたい」 (;^ω^)「今の質問はなんだったんだお?」 女 「で、相談というのはそれなんだが」 (;^ω^)「な、なんか軽くトラウマがよみがえってきたお……」 女 「何を言ってるんだ? 何か困るようなことでも相談したことがあったか?」 (;^ω^)「お、同じ女同士、ξ゚⊿゚)ξ に相談したほうがいいと思うお」 女 「……」 ( ^ω^)「……」 女 「12 ( ^ω^)がlw´‐ _‐ノvにクリスマスプレゼントの相談をされたようです3 (877)」 ( ^ω^)「そこまでスレが延びてるのなら、のらないわけにはいかないお」 132 :書初め(給料倍増):2006/12/24(日) 13 36 20.36 ID FkcXB07n0 ほす 133 :猪(ダイエット中):2006/12/24(日) 13 36 24.36 ID nWPTzsrT0 女「もち米を買ってきたぞ」 男「つけというわけか」 男「・・・・・・・・」 ペタンペタン 女「・・・・・・」 男「そりゃそりゃ」 ペタンペタン 女「・・・・・」 男「つけよ」 女「効率が良いじゃないか。君が作業をして私が食べる」 男「あーなるほど」 男(ん?) 男「できたぞ」 女「どれどれ・・・・米が・・・ない・・・!?」 女「貴様ッ!米をッ!どこへやったッ!」 ガクガクガクガク 男「わかってたんだ・・・こうなることは最初からわかっていた・・・」 134 :②:2006/12/24(日) 13 36 26.74 ID VEAfpNZE0 女 「定番といえば、自作の歌だよな?」 (;^ω^)「引かれる定番でもあるお……」 女 「『君のための第一句集:今年も誰からも年賀状来なかった』」 (;^ω^)「俳句かお! しかも虚しすぎるお!!」 女 「帯に短くたすきに長い物って、一度プレゼントして反応見てみたくない?」 ( ^ω^)「……」 女 「で、聖なる夜、二人で帯に短くたすきに長いものを囲んで、その名前を考える」 ( ^ω^)「……」 女 「部屋にはろうそくのあかりだけ」 (;^ω^)「クリスマスキャンドルも使いようでこうもシュールになるのかお……」 135 :猪(大人):2006/12/24(日) 13 50 49.46 ID aG9sZ2bV0 200越えそうないきほい 136 :③:2006/12/24(日) 14 07 59.28 ID VEAfpNZE0 女 「手作りの料理とかもいいかも?」 ( ^ω^)「そ、それがいいお!」 女 「おかゆ」 ( ^ω^)「……」 女 「梅干もつく」 ( ^ω^)「……」 女 「そして部屋にはろうそくのあかりだけ」 ( ^ω^)「……」 女 「ほかには何もない四畳半。でも彼はそれだけで満足だった。彼女はもう帰ったのに」 (;^ω^)「……こんなにも哀しいクリスマスキャンドルは初めてだお」 137 :④:2006/12/24(日) 14 29 14.37 ID VEAfpNZE0 女 「心に残るイベントに誘うのも」 ( ^ω^)「無理に自作するよりそれがいいと思うお」 女 「墓場で運動会」 ( ^ω^)「……」 女 「夜は墓場で運動会」 (;^ω^)「……」 女 「聖なる夜は墓場で運動会」 (;^ω^)「どんどん詳しくしていかなくてもいいお……」 女 「ξ゚⊿゚)ξ も誘うか。シベリアや渡辺――」 (;^ω^)「ちょwwww」 女 「そして墓場にはろうそくのあかりだけ」 ( ;゚ω゚)「それはもう純粋に肝試しだお!」 138 :⑤:2006/12/24(日) 15 06 41.68 ID VEAfpNZE0 女 「実は新聞小説の切り抜き、3話だけ抜けてるのがあるんだが……」 (;^ω^)「そこはかとない嫌がらせだお……」 女 「般若心経を食紅で書いた米もあるんだが……」 (;^ω^)「むしろお盆にあげたほうがいいと思うお……」 女 「あ、ボールペンのボールなんて実用的で喜ばれるかも」 (;^ω^)「ないと困るのに、いざもらうとそこまで困るものは初めてだお」 女 「五色そうめんの色がついた麺だけとっておいたのがもう結構たまってるんだが」 (;^ω^)「アレはたまに入ってるから嬉しいんだお……」 女 「あられの中にたまに入ってる種類の違うやつも真空パックにしてとってあるんだが」 (;^ω^)「意味がわからないお……」 139 :⑥:2006/12/24(日) 15 07 50.56 ID VEAfpNZE0 女 「わたしとおそろいのものもいいかもしれない」 (;^ω^)(こいつとおそろいってことは、たぶん普通の人は嫌がるお……) 女 「わたしの部屋とおそろいの忍者が潜んでる天井」 ( ;゚ω゚)「潜んでるのかお!?」 女 「わたしとおそろいの卒塔婆プリンター『おとば用人』」 ( ;゚ω゚)「明らかに使い道がないお!」 女 「わたしとおそろいの差し替え式ドライバーの柄」 ( ;゚ω゚)「柄だけじゃ意味ないお!」 女 「わたしとおそろいの、物語序盤で大岡越前にいちゃもんつける幕閣」 ( ;゚ω゚)「それは約35分後に上様に成敗されるフラグだお!!」 140 :⑦:2006/12/24(日) 15 15 18.97 ID VEAfpNZE0 女 「時計の予備の秒針なんてしゃれてないか? もち、手作り」 (;^ω^)「せめて短針長針にしてほしいお……」 女 「心を込めて造った手作りの有名人シリアルナンバー入り肖像画」 (;^ω^)(絶対お札だお……) 女 「スーパーの半額シール……いや、犯罪か。20円引きシールにしとこう」 (;^ω^)「五十歩百歩だお……」 女 「手編みの底引き網」 (;^ω^)「底引き網だけに、引くってレベルじゃないお……」 女 「義朝公御年四十のみぎりのされこうべ」 (;^ω^)「源義朝の享年は38だお」 141 :⑧:2006/12/24(日) 15 36 59.35 ID VEAfpNZE0 女 「シソの葉っぱ二千枚とかどうだろうか」 (;^ω^)「使い切る前にしなびるお……」 女 「赤いたらこきぐるみとドナドナのCD」 (;^ω^)「テンションが全然かみ合わないお……」 女 「方位磁石の針を自作してみようかな」 (;^ω^)「地味すぎる……ありえないほど地味すぎるお……」 女 「まだ磁力は帯びていない」 (;^ω^)「……」 女 「二人で一緒に磁石で針をこすって磁力を帯びさせる」 ( ^ω^)「……」 女 「その部屋にはろうそくのあかりだけ」 (;^ω^)「もう、ろうそくのほうがかわいそうになってきたお」 女 「来年用種籾(蒸されている)」 ( ;゚ω゚)「生えっこないお!!!!」 女 「実はもう生産中止になっていて、今あるだけを使いまわしているラムネのビン」 (;^ω^)「まあ、確かに、そのうち価値は出てくるかもしれないお……」 142 :初夢(みんなと仲間だった):2006/12/24(日) 16 09 34.20 ID 7P6/iLCgO シュールというかカオスと言うかwww GS!!!! 143 :⑨:2006/12/24(日) 16 14 40.95 ID VEAfpNZE0 女 「自作のCDなんてしゃれてるかも」 ( ^ω^)「そのかわり滑ると大ダメージくらうお」 女 「盗難防止用のぶっとい鎖もオプションでつけよう」 (;^ω^)「キャッシュディスペンサーのほうかお……」 女 「全国主要銀行・郵便局とひっそりつながってる」 (;^ω^)「それは便利でいいお」 女 「中で頑張ってるバンプ大好きっ娘さん(16)にときどき水をやっておけば電気はいらない」 (;^ω^)「……」 女 「ちなみにこいつは奥華子とバッハを聴くと仕事サボるんで」 (;^ω^)「よくわからない仕様だお……」 144 :⑩:2006/12/24(日) 16 18 29.14 ID VEAfpNZE0 女 「榊とかきれいでいいかもな」 ( ^ω^)「それは神前のお供えだお」 女 「紅い紅い紅い紅い紅い紅いスイートピ紅い紅い紅い紅い紅い――――」 (;^ω^)「ちょwwwおまwwwwwwなんか呪われてるおwwwwwwwww」 女 「花はかさばるし迷惑だ! 芽が出たジャガイモにしよう」 (;^ω^)「嫌がらせ以外の何でもないお……」 女 「種芋の切り口には腐らないよう石灰を塗布済みだよ~」 ( ^ω^)「なんという細やかな気遣い。一目見ただけでわかった。この女の嫌がらせは手が込んでいる」 女 「クリスマスキャンドル自作セット」 ( ^ω^)「うーん、手間はかかるけど、一緒に作って一緒に夜を過ごすのもロマンチックかもしれないお」 女 「まず、はぜの苗木を植えましょう」 (;^ω^)「和蝋燭……しかも苗かお……」 145 :⑪:2006/12/24(日) 16 24 30.28 ID VEAfpNZE0 女 「クリスマスらしく料理でいくか」 ( ^ω^)「平凡だけど無難が一番だお」 女 「鶏の蹴爪は50足分もあればいいか……」 (;^ω^)「もっと上の部分を使ったほうが喜ぶと思うお」 女 「……まきびし用だよ?」 (;^ω^)「いまさっき料理って言ったのは誰だったんだお」 女 「クリスマスケーキ」 ( ^ω^)「マジレスするとケーキも滑ると痛いお」 女 「じゃあ、周囲についてるセロファンに付着してる部分作る」 ( ^ω^)「本体はどうするんだお?」 女 「周囲についてるセロファンに付着してる部分だけ作る」 ( ^ω^)「……」 女 「アレを舐めるのがケーキ最大の愉しみといっても過言ではないだろう」 ( ^ω^)「……」 女 「本体など飾りです! ピザどもにはそれが解らんのですよ!」 ( ^ω^)「……」 女 「テレビチャンピオン・付着食品王選手権」 ( ^ω^)「……」 女 「セロファンの付着ケーキ(のみ)、染み付いたカレー(のみ)、かぴかぴのごはん粒(のみ)」 ( ^ω^)「……」 女 「本体を作らず、付着部分のみをいきなり作らなければならない、過酷なデスマッチ」 ( ^ω^)「……」 女 「でも、二人ならきっと耐えられる」 ( ^ω^)(←自分と ξ゚⊿゚)ξ さえ巻き込まれなければ、男ひとり犠牲にするのも悪くないと思い始めた) 146 :⑫/終:2006/12/24(日) 16 55 28.78 ID VEAfpNZE0 クリスマス~ 女 「やあ。おかげで夕べはいい夜を過ごせたよ。ありがとう」 ( ^ω^)「……結局何をあげたんだお?」 女 「ろうそく」 (;^ω^)「……」 女 「裸電球も壊れた四畳半の部屋じゃイヤだって言うから、市民球場に忍び込んで」 (;^ω^)「……」 女 「ろうそくのあかりをみつめながら、この世に生きる喜び、そして悲しみのことなんかを一方的に語った」 (;^ω^)「一方的かお……」 女 「そして今朝、あいつは出かけた。遠い旅路へと。二度と帰って来ないと、わたしにもわかった」 (;^ω^)「ちょwwwwおまwwwww」 女 「いつかわたしも、子供と語り合うだろう。この世に生きる喜び、そして悲しみのことを。 グリーンダヨ! 雨空には暗雲たれこめ、イイーンダヨ! 丘の上には水溜り」 男 「勝手に殺すなッ!!」 女 「やあ。風邪の具合はどうだ?」 男 「雨は夜更け過ぎに土砂降りに変わったのに帰してくれなかったもんな、俺にろうそく守らせて」 (;^ω^)「ありえないイブだお……」 男 「俺は帰って寝るッ! 正月まで死んだように寝る! うおっ! 叫んだらめまいが…………ッ」 女 「と、この思い出こそがわたしからの本当のクリスマスプレゼントだったのでした♪」 ( ;゚ω゚)「なんかまた『うまいこときれいに締めた』みたいな得意顔してるお!!」 女 「記憶より、保険証の記録に残る思い出作り」 (;^ω^)「いや……それはうまくもなんともないお……」 147 :書初め(給料倍増):2006/12/24(日) 17 01 25.56 ID 8hIDWrWl0 146 際限なくボケ続けるシューと律儀に突っ込むブーンのやり取りが最高にいい! 超GJ! お疲れさま! 148 :年賀状(ユニクロからだけ):2006/12/24(日) 17 03 57.58 ID GnAXW/7Q0 女「今夜は枕元に靴下を置いておいて欲しい」 男「俺が?」 女「プレゼントは靴下に入っているのが相場だろう?」 男「置いといて、誰が入れるんだよ」 女「私以外に誰がいる。まさかまだ両親からプレゼントを靴下に入れてもらっているのか?」 男「流石にそれは無いけどさ。ていうかどうやって入れるんだよ」 女「任せろ。ピッキングは得意だ」 男「それ犯罪」 女「私の米に対する愛をもってすれば、その程度の違法行為など咎められる理由がない」 男「あるよ。ありまくりだよ。ていうか愛は米に対してなのか」 女「当たり前だ。私は君を愛しているというよりも君に恋しているのだから」 男「///」 149 :年賀状(ユニクロからだけ):2006/12/24(日) 17 17 58.42 ID GnAXW/7Q0 女「ああ、この靴下を置いておいてくれ」 男「やけに長いな」 女「ニーソックスだからな」 男「何を入れるんだ?」 女「なぜそんな事を聞く」 男「いや、結構大きいプレゼントなんだろうなって。気になったからな」 女「古今東西探してみても、靴下の中身は大概足だと思うが」 男「は?」 女「この場合、この靴下は私のものだから普通は私の足が入っていると思わないのか?」 男「おもわねぇよ! って、まさかプレゼントは靴下だけのお前とか……」 女「何を考えているんだ変態」 男「……へ?」 女「そうか、君は裸にニーソックスの女性に特別な性的興奮を覚えるような男だったのか」 男「いや……。ああ、まあそうか。悪かったな。そうだよな。うん。そんなことあるわけが無いよ」 女「……?」 男「悪かった。変な妄想したりして。気分悪くしたろ。ごめんな」 女「君という奴は、本当に仕方が無いな。しょうがないから教えてあげよう。プレゼントは、『ミニスカ姿の私の絶対領域(ふともも)』だ」 男「うわ~い。超愛してる」 150 :年賀状(ユニクロからだけ):2006/12/24(日) 17 19 59.41 ID GnAXW/7Q0 っていう電波を受信した。 正直あんまシュールっぽくないな。スマン。 151 :初夢(アキバでびゅーしてきた):2006/12/24(日) 17 24 47.84 ID 7P6/iLCgO ☆ Merry |\ Christmas! ∴∴∴ w´-_-ノv 152 :神所謂ゴッド:2006/12/24(日) 17 55 18.24 ID Skm2Sko90 シベ「シューさん…私たち…友達ですよね…?」 女「うん。そうだけど?」 シベ「……その手に持ってる薬…なんですか…?」 女「…あ、これ?征露丸だよ。」 シベ「……」 女「……歯の調子が悪くってね…」 シベ「……」 女「……」 シベ「……」 女「…ど、どうした?いつになくおっかない顔して…」 153 :猪(進化系):2006/12/24(日) 18 05 11.52 ID 1If4Mle90 策略 女「突然ですまないが君が好きだ」 男「実は俺も…」 女「あ、間違えた」 男「すk…え?」 女「みんなも誤爆には気をつけよう」 ( 4より) *** 女「……という一連の流れを毎日続けることで男を告白に対して鈍感にさせることができるな」 シベリア「女心や恋愛そのものに対して不信感を抱かせることもできますね」 男「確かにこんなのを毎日続けられたら、誰からの告白でも真剣には受けられなくなりそうだ」 女「告白だけではなく、プレゼントの誤爆も有効かもしれない」 シベリア「『あれ?俺のことが好きなの?』って言われたら『誤解乙www』の最強コンボが成立!……勉強になります」 男「ちょっと待て二人とも。誰をはめる気だ」 154 :1:2006/12/24(日) 18 47 38.40 ID VEAfpNZE0 女「頭に『クリスマス』をつけるとあっちゅー間に幻想的でめでたいふいんきになる」 男「なるの?」 女「『クリスマスツリー』~一夜にして成長し、枯れる。大地は急速に養分を吸われ死ぬ」 男「それ、なんてエターナルフォースブリザード?」 女「『クリスマスキンカン』~クリスマスに蚊が出て刺された時のためだけのキンカン。たいてい無駄」 男「冬だけに柑橘類のほうかと思った」 女「『クリスマス髭剃り』~にっくきサンタの正体を暴くのに必須」 男「憎かったのか?」 女「『クリスマスジョルジュ』~26日になるとおっぱいへの執着が嘘のように消えうせ、従容と死に赴く」 男「その時点でジョルジュじゃねぇだろ、そいつ――――死ぬの!?」 155 :2:2006/12/24(日) 19 05 28.69 ID VEAfpNZE0 女「『クリスマス利休』~シャンパンの中身は……お茶でしたアァァァァァ! いつの間にィィィ!!」 男「クリスマスは肉食うから、烏龍茶とか健康的でいいかもね」 女「『クリスマス太閤』~…………」 男「派手好きの太閤さんとクリスマス……ある意味、最強のカップルじゃん」 女「『クリスマス来迎』~この日ばかりは阿弥陀諸菩薩天人天女サンタのかっこで南無メリークリスマス」 男「これから死ににいくとは思えん不謹慎さだ」 女「『クリスマスティッシュ(五箱セット)』~長々し夜をひとりかも寝ん諸氏のために」 男「一晩で五箱も使っちゃうほどさびしい奴なのかよ!」 女「『クリスマスカップル』~プレゼントをもらえればハイさようなら」 男「ありそうで困る!」 156 :初夢(ホスト修行中):2006/12/24(日) 19 30 47.47 ID t3dNH75pO ぐっどしゅーる!!!!!!!!!!!111 157 :3:2006/12/24(日) 19 31 32.29 ID VEAfpNZE0 女「『クリスマス寄生虫』~一晩だけなら……まぁ……聖夜だし」 男「そいつ、絶対卵産んでるぞ」 女「『クリスマスカミングアウト』~電飾にまぎれ、ハゲもさりげなくごまかせると思った」 男「無理」 女「『クリスマスプレゼント』~明日ちゃんと返せよ、この童貞ピザハゲニート」 男「何でそこまで言われなくちゃいけないの!?」 女「『クリスマス神泉苑』~雨乞いで有名な京都の水溜り」 男「確かに今はドブ色の池だけどさ……王朝時代は雨乞いのメッカだったんだよ」 女「彼氏彼女のいない喪たちが集まり祈りをささげることで、聖なる夜に奇跡の暴風雨」 男「祈りと呪いは醗酵と腐敗の関係、か……」 158 :4:2006/12/24(日) 19 50 32.45 ID VEAfpNZE0 女「『クリスマス稲葉物置』~さすが稲葉! 百人乗っても動かない! そこに痺れ(ry」 男「乗るって、まさかサンタが? ああ、動かないから仕方なくソリに……ハハハ」 女「『クリスマス空也』~唱えた念仏が小さなサンタになって、踏み潰されないよう右往左往」 男「前半だけなら幻想的といえなくもないのにな」 女「『クリスマス年下の姉』~自分の胸を大きくしてもらうか、きょぬーな友の胸を小さくしてもらうか?」 男「クリスマスの間、書いてる人がいないからってやりたい放題だな」 女「サンタさんがかなえられるのはどっちか一つだけだぞー」 男「あとで死ぬほど謝っとけよ。っつか、このスレ見てる人、理解できてんのか?」 女「素シ「【神龍の力を超えた願い】が閲覧できるぞぉ!」」 男「Σ (;゚Д゚) なんか姉ちゃんの願い、かなわないっぽいよ!! でもって素直ヒートの台詞とるな!」 159 :5:2006/12/24(日) 19 52 48.76 ID VEAfpNZE0 女「『クリスマス晴明』~ああ! ツリーの飾りに星に見せかけた五芒星が!」 男「誰に呪をかけとるんだ、どさくさにまぎれて」 女「『クリスマス百足』~むかでさんは足がいっぱい、靴下もいっぱい」 男「欲張りだな」 女「翌朝、靴下の中はどれもこれもムカデフマキラーが入っていました」 男「サンタひでぇ!」 女「『クリスマスクラウド』~なぜサンタはそりに乗ってるかって? 觔斗雲に乗れなかったからさ!」 男「心汚いのかよサンタ!」 女「『クリスマス出陣』~あわてんぼう、及びのんびり屋のサンタを襲う数百羽の飢えたカラスどもッ!」 男「だからカラスが寝てる真夜中に来るんですね。納得しました」 160 :6:2006/12/24(日) 20 12 34.03 ID VEAfpNZE0 女「『クリスマスhyde』~…………」 男「…………」 女「…………」 男「…………?」 女「…………サンタやキバヤシにだって……どうしようもないことはあるんだ……あるんだよ……」 男「むしろその二人は同列なのか、おまえの頭の中で!?」 女「『クリスマスオーバーボディ』~ゲェ~! クリスマスが割れて下から5月29日こんにゃくの日が!」 男「誰が騙されるんだよ」 女「…………シベ……リア?」 男「あいつは一応キリスト教本場の国の人間だ」 161 :7:2006/12/24(日) 20 32 08.16 ID VEAfpNZE0 女「『クリスマスダルマ』~プレゼントがほしいけどダルマの脚は過酷な座禅の結果退化していました」 男「そこまでして座禅して物欲一つ捨てられんとは」 女「そこでダルマは座禅の7の77倍の時間をかけ、再度足を生やしたのです」 男「Σ (;゚Д゚) 怖っ」 女「…………ただし、脚はのど仏から生えた」 男「Σ (;゚Д゚) キモッ」 女「そこまでして恋人がほしかったのか、ダルマよ……おお、ダルマよ」 男「Σ (;゚Д゚) ホントに座禅して何を悟ったんだよそいつは!」 女「『クリスマスミラーマン』~ミニスカサンタを手鏡で覗いたと思ったら、サンタの女装だった!」 男「教授ゥ~!!!!!!!!!!!!!!!111111111」 162 :のびたと初詣:2006/12/24(日) 20 46 22.21 ID Xp6OkOYP0 女「今日はクリスマスイブ」 女「でも男はいない。」 女「何故なら彼は今赤い服を着て白いヒゲを生やして仕事しているからだ。」 女「でも最後にはここ(男の部屋)に帰ってくるだろう。」 男「ただいまー。」 女「そう、米だわらを抱えて。」 男「・・・いってきまーす。」 女「ん?今男がいたような」 163 :8:2006/12/24(日) 21 04 20.32 ID VEAfpNZE0 女「『クリスマス神輿』~今は一頭のトナカイを16人のサンタが担いでいますが、50年後は……」 男「絵にしたらなんかすごくシュールだよっ!?」 女「『クリスマス山鉾巡行』~あ、カーブ曲がった時にトナカイ堕ちた」 男「あの高さから落ちたら下手すりゃ死ぬよ!?」 女「同じ時刻。ビルの屋上から薄ら笑いを浮かべそのさまを見下ろす、サンタとジェニファーの姿が!」 男「サンタああああああああああああ!!!!」 女「『クリスマスキャロル』~お兄ちゃん、あの貧乳金髪女のことはもう忘れて! 一夜限りだったのよ!」 男「キャロルって、キャロルって、おいwwww」 女「『クリスマス強盗』~内藤容疑者は『サンタの格好なら通報されないと思ったお』と供述しており……」 男「( ^ω^) なら安価でやりかねん……」 164 :9:2006/12/24(日) 21 15 14.80 ID VEAfpNZE0 女「『クリスマスマケボノ』~リングに横たわる元横綱の上に、雪はやさしく降り積もりました」 男「setuneeeeeeeeeeee!!!! (´;ω;`)ブワッ」 女「『クリスマス蕪村』~与謝蕪村が死んだこの日もクリスマスだとなんだかとってもメルヘンチック☆」 男「蕪村が……? 蕪村が????」 女「『クリスマスハルマゲドン』~ロマンティックがとまらない」 男「どこが!」 女「黙示録によると、ハルマゲドンの結果生き残る14万4千人はみんな童貞だぞ」 男「……」 女「クリスマスを勝手に恋人の日にしたバカ日本人の中にあって、おお、童貞よ、さいわいなるかな」 男「……微妙な気分だ」 女「『クリスマス賽の河原』~一つ積んではオウ、メリークリスマス! 二つ積んではイエア! メリークリスマス!」 男「そんなテンションの賽の河原なんかあってたまるか!」 165 :10:2006/12/24(日) 21 27 34.97 ID VEAfpNZE0 女「『クリスマス手をのばせば届く距離』~二人の距離も、クリスマスとつけるとなんだか素敵」 男「名称が強引過ぎるのが難だな」 女「『クリスマス空の境界』~へへ……午前2時は、イブなのかぇ? クリスマスなのかぇ?」 男「あー、どっちの日に入れるか、迷うんだよなあ。特にご年配の方と話してると」 女「『クリスマス螺旋階段』~むしろ螺旋移動歩道を強く提唱する!」 男「形状の想像がつかねぇよ」 女「『クリスマスヘキセンハウス』~…………ん?」 男「いや……ふつうじゃん……お菓子の家のことだろ?」 女「グーグル先生に訊いたら、エロサイトが一番にきた……」 男「性夜とはよくぞ言ったものです」 166 :姉と初詣:2006/12/24(日) 21 38 19.38 ID Xp6OkOYP0 女「クリスマスイブだと言うのにこたつでごろごろするだけとは・・・」 男「何か問題あるか?」 女「流石は男、ロマンの欠片も米粒の欠片もない。」 男「何だそりゃ。まぁミカンとってくれ。」 女「ほい。」 男「…なぁ、お前の家のミカンには中に米が詰まってるのか?」 女「それはミカンだよミカン。男の気のせいだから食え。」 男「!!・・・どう味わっても米です。本当にありがとうございました。」 女「無惨にも次々に米が噛み殺されています。一体米はどうなってしまうのか!!」 男「…。」 女「…ひまだ。」 男「…とりあえずケーキ買ってきたから食べようか。」 女「わーい。」 167 :猪(でぶ):2006/12/24(日) 21 45 40.35 ID 3T5vfaKw0 166 和んだ 168 :姉と初詣:2006/12/24(日) 21 53 05.01 ID Xp6OkOYP0 167 和まれた 女「ペロ…これはケーキ!」 男「…。」 女「しかもこれは…米の味がしないじゃないか!!」 男「当たり前だ。」 169 :11:2006/12/24(日) 22 06 13.17 ID VEAfpNZE0 女「『クリスマスほろ酔い』~警官の目の前で一気飲み。クリスマスにはそれさえも神秘的な光景に」 男「なんという悪質ドライバー……」 女「『クリスマス雷』~天空の覇者・風神&雷神にあらかじめ通行料を払うサンタ」 男「ロマンティックなの?」 女「『人のことはさんざえらそうに鞭打っておきながら、この卑屈な笑み、頭の下げようはどうよ……』」 男「Σ (;゚Д゚) やなトナカイだな! サンタさんも仕事だよ!」 女「お父さんが家で会社のお偉いさんに電話してるのを聞いちゃったお子ちゃまの心理だな」 男「あるあ……あるあるwwwwww あのしたてなしゃべりかた聞いちゃった時のなんか切なさといったら」 女「サンタが通行料払ってる時の絵はクリスマスカードなどでも定番ですね」 男「誰かそれを神秘的・荘厳に描いてくれwwwww」 170 :女教師と初詣:2006/12/24(日) 22 24 48.09 ID Xp6OkOYP0 女「ネタ思いつかないし便乗…。」 男「いいのかそれで…。」 女「『クリスマスVIP』~・・・ただ悲しい。」 男「…感想なのか。」 女「だがきっとそこに愛と勇気と米がある。」 男「さいですか。」 171 :12:2006/12/24(日) 22 28 41.67 ID VEAfpNZE0 女「『クリスマスお泊り』~こら、ポチ、入れろ! ご主人様を家に入れんとはどういうことだ!」 男「クリスマスの夜に犬小屋を巡って飼い犬と覇を競い合う理由が理解できねぇよ!」 女「『クリスマス無機質』~このアルミホイル、とっても幻想的なきらめきね☆」 男「無機の本義は『炭素を含んでいないもの』だけどさ……どの辺がクリスマスロマンチックなんだよ」 女「噛めば解るさ、さあ噛もう」 男「アレは不快感というんだ!」 女「『クリスマスなぜ構ってくれる』~クリスマスだからさ……それじゃあ駄目かい?」 男「ふいんきはなんとなくいいんだけど、名称に無理がありすぎるよ」 女「今日だけの、奇跡だぜ?」 男「…………なあ、それ、明日はポイってことだろ? 常識的に考えて……」 172 :お年玉(なし):2006/12/24(日) 22 33 13.30 ID cfoQ4b+v0 女「君にクリスマスプレゼントだ。」 男「これは…アイロン?」 女「スーパーXです。」 男「……はい?」 女「スーパーXです。」 男「……すー…何?」 女「今から住友ビルディングに行こう。」 男「……?」 173 :書初め(大器晩成):2006/12/24(日) 22 43 09.83 ID 7CZC9PbxO 男「クリント・イーストウッド」 女「クリスティアーノ・ロナウド」 男「クリスチャン・クリエン」 女「栗林みな実」 男「栗山英樹」 女「クリスティーナ・マッケンジー」 男「…なぁ」 女「ん?」 男「よく考えたら、クリスマスとクリの付く人名って関係無いよ」 女「クリの付く人名を言い続けるのは、サンタを呼び出すための儀式なんだぞ」 男「サンタって儀式で呼び出すものなのか!?」 174 :13:2006/12/24(日) 22 43 21.73 ID VEAfpNZE0 女「『クリスマス黒ずんだ日記』~今夜からはじめよう、そう言ってわたしたノートは次の日、お経でびっしり」 男「ロマンティックか? ロマンティックなのか?」 女「現代人がキリスト教に感じる幻想感を昔の人は仏教に感じていたから問題ない」 男「そろそろ、わかる人には元ネタがわかってくる頃だからやめないか?」 女「そうだな。よそからお題失敬するのが面白くて、ちょっと遊びすぎた」 男「わかりゃいい」 女「だが断る!」 男「なにィ――ッ!?」 女「だが断る、の正しい使用法は、まず相手の要求を呑む素振りを見せてから、だ」 男「あー、いきなり使う奴多いよなー」 女「……」 男「……」 女「……」 男「Σ (;゚Д゚) じゃあ、続けるってこと!?」 175 :女教師と初詣:2006/12/24(日) 22 51 15.74 ID Xp6OkOYP0 女「突然だが、暇だから年賀状の内容を考えようと思う。」 男「そうか。クリスマスイブなのに。」 女「ところで、来年の干支って何だっけ。」 男「年賀状書くときしか考えないから覚えてないや。」 女「…米でいいや。」 男「米の絵でも描く気か。」 女「…芋版ならぬ米版。」 男「…頑張れ。」 176 :姫初め:2006/12/24(日) 22 51 58.44 ID 8sUpl2Qs0 本当にあった事 女「39度の熱があったから、医者にいったそうだ」 男「・・・ほう」 女「最初に行ったときは良く分からんが風邪だろうと言われたそうだ」 男「・・・微妙だな」 女「数日経っても良くならないから再度医者に言ったら、気管支炎と軽い肺炎と言われたそうだ」 男「結構重症だな」 女「更に数日経っても良くならないからもう一度医者に行ったら・・・ 男「何て言われたんだ?」 女「『入院が必要なレベルの肺炎』だそうだ」 男「おいおい、その医者大丈夫かよ」 女「ちなみに往診のみ→レントゲン→CTスキャンと検査レベルが上がっている」 男「ところで、誰のことだ?」 女「私だ」 男「はよ入院せぃっ!!!!!」 177 :14:2006/12/24(日) 22 56 53.61 ID VEAfpNZE0 女「『クリスマス振動』~見て。ツリーを揺さぶったら高価な飾りがぼとぼとと虫けらみたいに堕ちてくるぅ」 男「アハハハ~聖なる夜のロ・マ・ン・ティ・ックゥ~」(←ヤケ) 女「『クリスマス仕事人』~ムコ殿、今夜はなんだかロ・マ・ン・ティ・ック☆」 男「せんか? せんがその台詞を甘ったるく吐くのか?」 女「『クリスマスヘリウム』~なんて幻想的なぎらつく太陽……」 男「おひさまは確かに水素→ヘリウム反応だけどさ! 太陽って幻想的かな? かな?」 女「『クリスマス催眠術』~今日は納豆の日……今日は納豆の日……」 男「7月10日じゃん。だいたいイブに納豆かき混ぜるカップルなんていや過ぎるよ」 女「そして部屋には今にも消えそうなろうそくのあかりだけ」 男「そのネタ引きずるな!」 178 :保母さんと初詣:2006/12/24(日) 23 02 28.84 ID Xp6OkOYP0 男「ちょ、 176は早く入院するんだ!」 女「強制はよくないぞ男。」 男「じゃあどうしろと。」 女「『ほら米をやるから入院しな。』と、交換条件」 男「あほか。(軽く殴る)」 女「殴ったね、米にも殴られたことないのに!!」 男「…。」 女「ちょっと 176と一緒に入院してくる。」 男「だが女は精神科行き」 女「入院費用は夫の男が払います」 男「!!」 179 :凧(♀):2006/12/24(日) 23 05 01.82 ID aiL5N5fc0 女「突然ですが、本場のサンタさんを呼んできた」 男「え?」 女「ドイツ原産の、ブラックサンタさんでーす!」 男「うわああああ」 ※ドイツ地方には黒い服を着たサンタの伝承が存在している。黒サンタの主な役割は悪い子へのおしおきである。 180 :15:2006/12/24(日) 23 05 11.08 ID VEAfpNZE0 女「『クリスマス本当の強さ』~カメダ……アケボノ……」 男「確かにある意味幻想的。っつか、存在そのものがブラックなファンタジィ」 女「『クリスマスおじいちゃん』~おじいちゃーん! …………あ、いいとこに似た年恰好のジジィ来た」 男「Σ (;゚Д゚) 死神さーん! その人つれてっちゃ駄目だー!」 女「今年最高のプレゼント……それは、浮いたおじいちゃんのお葬式代でした……」 男「素直におじいちゃんそのものの素材を味わえ――――ッ!」 女「『クリスマスオーバーヒート』~さすがは清盛さま、病床まで幻想的……時子、うっとりしちゃう☆」 男「水風呂に突っ込んでも突っ込んでも沸騰する高熱のどこが!? 奥方も脳みそやられとる!」 女「『クリスマス傍にいる命』~パトラッシュ……なんだかとってもおなかがすいたニダ……」 男「そんな目で俺を見るな」 181 :16:2006/12/24(日) 23 08 25.68 ID VEAfpNZE0 女「『クリスマスねじと螺旋と』~だから、いいかげんお題をそのまま使うなと。少しはひねれと」 男「Σ (;゚Д゚) 俺の台詞だよそれ!」 女「いつまでも君と昇り続ける聖夜の螺旋階段。だけど、もう、愛でも癒せないぐらいわたしは疲れた。 だから螺旋を視界から消し去ってしまおうと、その螺旋階段をつまみあげ、 ドライバーで根元までしっかりとクリスマスツリーに埋め込んだのだ。 ああ、これでようやくわたしは解放される。代償は、愛――」 男「わかった。頭にわいた池に飛び込んで死ね。氏ねじゃなくて死ね」 女「『クリスマスフィラリア』~わたし、ずっと、あなたの心の中に……」 男「ようやくお題盗用に飽きたか……フィラリアぁ!? とっとと虫下し飲め!」 女「『クリスマス仁王』~トナカイはん、踏んどるん、邪鬼ちゃう! 仁王はんや!」 男「いや、もう何がなんだかわかんない……」 女「『クリスマス早乙女』~ああ、この季節じゃ苗が枯れちゃう……でも、とってもげ・ん・そ・う・て・き」 男「水、冷たくないですか?」 182 :17/終:2006/12/24(日) 23 12 46.73 ID VEAfpNZE0 クリスマス明け~ シ「クリスマスは何を?」 女「クリスマスはずっとこいつとおしゃべりしてた」 シ「典型的なバカップルですね。もっと奇矯なクリスマスかと」 女「失礼なおでこだな君は」 男「…………」 183 :猪(ケツ拭くの忘れた):2006/12/24(日) 23 43 06.34 ID r999pk1D0 めります。昨夜は温かいコメントありがとう こんなお遊びができるのも皆が投下するSSのおかげなんだ 鬱陶しければ適当にあぼーんでお願いします 98 縦読みか、頑張ってみる。ごめん無理だ。とにかくどうもです 100 GSな名前をありがとう。心の名前欄にしっかり米男と入力しておくよ 112 人のかたちをしていないそれを、ピンセットでひとつずつ竹筒に。うん、ごめん 115 頭にタオルを巻いてやるとビジュアル的にそれっぽくなるかもだ 120 攻めきれてないところが初々しくていいな。鑑賞すらできない地域だったが何か 122 訪ねておいて難癖つける。照れなのか素なのか、とにかく甘いのは間違いない 123 呼吸ぴったり。実は裏で結託してそうなボケ2人。あとちょっと勉強になった 124 理想のタイプは米っぽい男か。しかしこの男、ボケボケである 126 男と絡むとき以外のシューの一面。この切り口はありだと思う 128 城、小野田の頃は聴いてたんだけど。とか言うと年がばれそう 184 :猪(ケツ拭くの忘れた):2006/12/24(日) 23 43 36.81 ID r999pk1D0 129 女王蟻か。相手の扱いに良い意味で慣れてる男。あれだ、愛だな 131 ブーン系とな。正直よくわかんないけど頑張ってコメントつけるよ 133 そもそも協力しなきゃ餅つけないし。もっと積極的に突っ込め、男 134 切ってたすきにすればいいのに。そう思ってたあの頃の俺は間違ってないはず 136 梅干の酸味に涙の塩味が加わって、米粒がしゃっきりぽんと舌の上で踊るんだ 137 議題は男へのプレゼントかろうそくの使い方か。わからなくなってきました 138 物持ちが良い子ってなんか好きだ。程度問題ではあるけれども 139 卒塔婆プリンタはちょっとだけ欲しいかもしれない。ちょっとだけ 140 ご幼少のみぎりの…を逆転する発想。しかし突っ込める内藤も相当な猛者だ 141 よくそれだけ方向性の違う嫌なプレゼントを思いついたもんだ。脱帽する 185 :猪(ケツ拭くの忘れた):2006/12/24(日) 23 44 07.16 ID r999pk1D0 143 動力は女子高生、例えばそんなキャッチフレーズ。実用新案申請しとくか 144 キャンドル自作セットは本当に商品化できそうな気がしなくもなくもない 145 カップアイスの蓋の裏につくあれのことも思い出してあげてください 146 丘の上には荷馬車が揺れる、とナチュラルに歌ってしまう俺だ 148 愛も恋もいつかは冷めるという点では。いや何でもない忘れて 149 グリーンダヨと。男がラストで脳味噌溶けちゃってるな。お大事に 152 いまは正露丸。怒るなシベリア。シューはとっとと歯医者行け 153 3人でネタにできるとか熟年カップルもいいところだ。むしろ夫婦 154 クリスマスジョルジュって語感は有り。それらしい逸話もつければ誰か騙せる 155 ハッピーに死ぬのが来迎の本義。しかし当の坊さんに怒られる罠 186 :猪(ケツ拭くの忘れた):2006/12/24(日) 23 44 37.17 ID r999pk1D0 157 暗い夜道はぴかぴかの。嘆くなかれ、それは長所だ。しかし嘘だ 158 わからないから空也を拾う。潰しても潰さなくても赤いあかーい 159 ツリーを動かしたら「方向が違う」とか怒られそうな気がする 160 156回くらい謝れ。hydeとキバヤシに謝れ。サンタはいいや 161 野郎サンタの下着の形状及び文様についてkwsk。というかうp 162 米俵を探してイブの街をさまよう男がひとり。まあ、それも愛だ 163 神輿をだんじり祭りに持ってくと地獄の光景。愛護団体からの抗議必至 164 フランダースの犬の最終回っぽいマケボノ昇天図が浮かんだんだ 165 26時っていう表現方法考えた奴を褒めてやりたいよね 166 ひとりみかんに米を詰めるシューの姿を想像。たまには思い切り遊んであげて 187 :猪(ケツ拭くの忘れた):2006/12/24(日) 23 45 08.13 ID r999pk1D0 168 コナンネタで切り返さない男はめんどくさがりなのかツンデレなのか 169 おとぎ話の住人もこの世の世知辛さからは逃れられない。酷い話だ 170 米は無いけどコメントを。悲しいなんて気持ちはそのうち麻痺する。大丈夫 171 アルミ箔を噛み締めるようなクリスマス。なんか鬱ルート一直線 172 偽ドル紙幣、対ゴジラ戦闘機、セメダイン……ごめんわからなかった 173 聖なる夜の暇つぶし。儀式はともかく仲が良さそうで何よりだよ 174 東洋系オカルトとジョジョに偏ってるのはわかった。元ネタはわからない 175 米粒に雀の絵を描いたのは葛飾北斎だったか。うん、がんばれ 176 肺おかしくして倒れた俺にとっちゃ笑い事でもない。マジでご自愛ください 177 酒のつまみに納豆を喰らうカップル。有りじゃないか? ロマンないけど 188 :猪(ケツ拭くの忘れた):2006/12/24(日) 23 45 43.67 ID r999pk1D0 178 精神科はこわいところじゃないよ、と。お大事に 179 悪い子には鞭打ちだったか豚の臓物だったか。モツ鍋もいいよね、イブだけど 180 ポシンタンポシンタン。なんか小腹が減ってきた。コンビニ行くかな 181 寄生虫と宿主って究極の愛の形かもわからんね。言ってみただけだけどね 182 そのネタの乱打ぶりにはびっくりするしか。お疲れさま 189 :猪(やせ):2006/12/24(日) 23 47 44.09 ID 3T5vfaKw0 188 ナイス米ント 乙 190 :初夢(正月からアニメ):2006/12/24(日) 23 52 06.21 ID t3dNH75pO 全米乙 191 :保母さんと初詣:2006/12/24(日) 23 59 18.42 ID Xp6OkOYP0 女「眠い…。」 男「寝ろよ…。」 女「だがまだクリスマスイブを堪能してないんだ。」 男「後数分で終わるから寝ろ。」 女「そうだな…。最後に男の顔を見つつ終わるか。」 男「こっち見んな、いいから寝ろ。」 女「だが断る。」 男「…。」 女「男と一緒じゃないと寝ないぞ。」 男「はいはい。」 女「あ、その前にイブ最後の米を。」 男「つ『みかん』」 女「・・・ぱたり。」 男「口で言うな。」 174 こうですか、わかりません 192 :嫁と初詣:2006/12/25(月) 00 01 10.97 ID 4QKm3R7n0 0時なりそうで焦ってたら 188 全米乙 を書き忘れてしまった マジ 188乙 193 :初夢(こんなにもてていいの?):2006/12/25(月) 00 16 36.77 ID c3FAhAi60 全米に泣いた。 あまり無茶してしんどくならないようにおにぎりでも食べて! たべて! 194 :おせち(30,000円):2006/12/25(月) 00 40 24.71 ID nOYcaN6kO 米男があらわれた! 俺は喜んでいる! ごめん。反省してる。 195 :彼女と初詣:2006/12/25(月) 01 05 02.06 ID XundMGL2P 書き手も乙だぜ 196 :おせち(8,000円):2006/12/25(月) 01 07 26.53 ID ndQbCNO3O http //etc4.2ch.net/test/read.cgi/motenai/1166963214/ 197 :旦那と初詣:2006/12/25(月) 01 39 12.50 ID 4QKm3R7n0 女「クリスマスだ。」 男「クリスマスだな。」 女「いつかキリストに代わって男の誕生日を祝う日に変えてやる…。」 男「ちょ、俺誕生日ぜんぜん違うw」 女「…じゃあ、米の誕生日。」 男「米の生まれた日なんて判らないだろ。」 女「でもこの日かも知れないじゃないか!」 男「…まぁ、頑張れ。」 女「おー。」 男「冬に出来る米はきっとないけどな。」 女「!!」 198 :書初め(謹賀新年):2006/12/25(月) 01 47 11.34 ID Xfm2Y4AB0 女「メリークリスマース地獄で逢おうぜー」 男「・・・・・・ハァ・・・」 女「・・・・・・」 男「悪かったよ。まー・・・その・・・俺は・・・お前と合わせられる唯一の人間だからな」 女「それは・・・同意・・・」 男「・・・・・・寒くないかよ・・・」 女「ん・・・」 男「俺のとこ来いよ・・・」 女「暖かい・・・・・・・・・・・・男・・・・・・・・・やっぱり・・・いいや・・・」 男「・・・・・・・・・」(ギュ 女「・・・痛い・・・」 199 :書初め(謹賀新年):2006/12/25(月) 01 48 18.06 ID Xfm2Y4AB0 男「痛いぐらいに・・・抱いたっていいだろ・・・」 女「・・・束縛・・・?」 男「・・・そうだな・・・」 女「・・・これからも・・・よろしく・・・」 男「・・・おうよ」 女「・・・米も」 男「やっぱりか。まあいいけどね・・・」 女「・・・ニコ・・・」 男「ん?どうかしたか?そろそろ・・・行くぞ」 女「・・・うん」 200 :猪(ケツ拭くの忘れた):2006/12/25(月) 02 27 40.92 ID nHmc/U8G0 ho 201 :家族で初詣:2006/12/25(月) 02 53 03.12 ID 4QKm3R7n0 女「ネタが…ネタが…無い、無いんだよ…」 男「諦めろって。」 女「うう…仕方ない。普通に保守。」 男「まだ次があるさ…。」 女「私の華麗な男さばきが見せられないなんてー。」 男「俺はさばかれてたのか・・・!!」 202 :おせち(150㌦):2006/12/25(月) 02 53 12.48 ID nOYcaN6kO 女「今気づいた。」 男「何にさ」 女「スレタイ。」 男「……?」 女「 よ ー く 見 ろ 」 男「……あっ」 女「……」 男「……これは一体なんだろう」 女「なんでしょう。」 男「あっ、あっ」 女「ごーきーぶーりーだー」 男「水性コックr……………ちょっと待て、ネタの選別がおかしい。しかもスレタイ関係ない」 女「いえいえ、だって彼らは極僅かな空間に入り込むスペシャリストですから」 男「何故微妙に敬語!?」 女「彼らのコードネームはG。音も無く部屋に侵入するプロフェッショナルだ」 男「えええええ!!なんか無駄にカッコイイ―――!!」 女「別名、黒いダイヤ」 男「ちょ!虫取り少年の夢を壊す気か!?確かに光るけど金銭的価値0だから!!」 女「だが売価5ベル」 男「ホントあの狸はアレをどうする気なんだろう」 女「てか話逸れすぎ」 男「お前が言うな」 203 :おせち(8,000円):2006/12/25(月) 03 04 53.09 ID Bw7QN6arO たぬきち萌え 204 :初詣でかつあげされた:2006/12/25(月) 03 05 20.03 ID 4QKm3R7n0 女「 202 黒いダイヤ…。」 男「どうした?」 女「きっと黒いサンタの袋の中にはダイヤがぎっしり。」 男「…やめてくれ。」 女「逆に考えるんだ。きっと白いサンタの袋にはダイヤがぎっしりだと!!」 男「白いサンタってなんだ?」 女「きっとヒゲの白いサンタ。」 男「で、どうするんだ?」 女「略奪。」 男「はいはい、白いお米で我慢しようねー。」 女「流石男、ダイヤより米を欲していると良く分かったな。」 男(所詮女。米よりほしがる物などない!) 女「だが米より男が欲しいな。」 男「俺の負けか…。」 205 :初詣でかつあげされた:2006/12/25(月) 03 27 48.26 ID 4QKm3R7n0 女「こめ、こめめこめこめこめここ?」 男「…何を言ってるんだ。」 女「こめめ!こめこめめこここめ。」 男「いや普通に既出だろこめ語とか…。」 女「米、こめ、コメ、様々な米によるハーモニー。」 男「今度は何だ。」 女「こめ米コメメこめ米こコメ、みたいな。」 男「結局のところ米語じゃね?」 女「こめ語とコメ語と米語の合成さえも特許取得済みか…!!」 男「いや特許は取られてないだろ、常識的に考えて。」 206 :初詣でかつあげされた:2006/12/25(月) 03 55 18.37 ID 4QKm3R7n0 女「突然だが」 男「ん?」 女「気づいたら4時が近い。」 男「そうだな。」 女「朝型にしようしようと思っているのに何故か朝まで起きている型になっている。」 男「…。」 女「この責任は全て男にあると思うのだがどうだろう。」 男「いやその理屈はおかしい。」 女「だがそれが真実なのだよ。いつも夜型の君に付き合ってるからこうなるんだ。」 男「付き合わずに寝ればいいんじゃないのかな。」 女「男が一緒じゃなきゃ寝ないと決めたんだ!」 男「ていうか自分の家に戻れ。」 女「私の家は米が切れてて…。」 男「結局米かよ!」 ってことで寝る。 みんな良きシュールを。 207 :旦那と初詣:2006/12/25(月) 03 56 55.98 ID v58jfEGQ0 http //hoteism-hack.hp.infoseek.co.jp/cgi-bin/up/source3/up0033.png まんが 208 :初夢(すべてが夢):2006/12/25(月) 04 39 55.27 ID tTEViDab0 祭前だと言うのに200越えとはwwww おまいら、みんなGSなんだぜ? 209 :規制って…orz:2006/12/25(月) 06 17 13.87 ID 9SSzjK95O 携帯からほ 210 :犬と初詣:2006/12/25(月) 07 12 37.58 ID v58jfEGQ0 ほしゅ 211 :猪(停学中):2006/12/25(月) 08 19 43.08 ID 9SSzjK95O ひ 212 :おせち(30,000ウォン):2006/12/25(月) 09 08 32.26 ID d8i4BahPO ほしゅる! 213 :おせち(30,000円):2006/12/25(月) 09 12 21.43 ID dqCj067C0 全然シュールじゃねえよ 簡単にシュールって言葉を使うなよカス 214 :書初め(樹木希林):2006/12/25(月) 09 46 43.19 ID CYWkI4W30 女「……」 男「……」 女「……」 男「……」 女「……もし犬の毛が全てファンネルだったら私達は死んでいるに違いない…」 男「……」 女「……」 男「……犬と仲良くすればいいのでは?」 女「……」 男「……」 女「……私、小動物アレルギーだから。」 男「…そうか。じゃあ死んだかもな。」 女「…うん。ただの毛でよかった。」 男「……」 女「……」 215 :ナースと初詣:2006/12/25(月) 10 35 43.24 ID UrSalx4r0 女「クリスマスカードを自作した」 男「……」 女「シベリアにあげたら、日本らしくていいと喜んでくれた」 男「……」 女「君にもあげよう」 男「どうも……」 男「……」 男「これは、どういう状況をあらわした絵で?」 女「十字架にかけられた千手観音を奈良の大仏が伏し拝もうとしているけど、 体躯が大きすぎるのでどうしても目線が上になってしまい、 しかたなく十字架を引っこ抜いて掲げ持ったところを番兵に見つかってクリスマス困惑してるとこ」 男「……」 女「……」 男「腕が……」 女「……」 男「998本ほど、ストライクなまでにフリーダムなんですが、いいんっすか?」 女「……」 男「しかも全部の手に、斧だ剣だ弓だ、しっかり持物を持ってるけど」 女「千手観音だからな」 男「……」 女「腕が自由すぎたか……」 男「……」 女「シベリアには少し悪いことをしたかな……」 男「……」 216 :初夢(すべてが夢):2006/12/25(月) 10 36 01.20 ID I/57ZtaHO ぽしゅ 217 :給食のおばさんと初詣:2006/12/25(月) 11 09 06.02 ID 4QKm3R7n0 男「まだ寝てるのか…。」 女「…くそ、米派がパン派に押されてるだと…!?」 男「…何の夢見てやがるんだ。」 女「ジョーン!! …くそっジョンが食われた。 奴らはパンしか食べないのではなかったのか…!」 男「…。」 女「パン派に米が次々と食われて行く…。うわああああ」 男「…。」 女「やあ、おはようジョン。」 男「…おはよう。」 218 :巫女と初詣:2006/12/25(月) 11 37 08.22 ID UrSalx4r0 女「なま玉子焼きはいらんかえ~」 男「……」 女「なま玉子焼きはいらんかえ~」 シ「……あの、なま玉子を焼いたものなんですか? それともなまの玉子焼きなんですか?」 女「なま玉子焼きはいらんかえ~」 シ「日本語は……難しいです……」 男「別売りの『、』を買えば?」 シ「どこで区切るか、別売りなんですか!?」 男「むしろ収益はそっちで上げてるらしい」 シ「でも……『、』抜きで買ったほうが安いですよね?」 男「冒険したけりゃ別にいいけど」 シ「…………」 女「なま玉子焼きはいらんかえ~」 シ「なま玉子焼き自体、無視するというのは……?」 男「賢明だな。俺もそうしてる」 女「なま玉子焼きはいらんかえ~」 シ「でも、なまの玉子焼きっていったい……」 男「……後悔するよ?」 シ「買ったことあるんですか?」 男「……」 シ「……」 男「……後悔するよ?」 219 :おせつ:2006/12/25(月) 11 56 07.97 ID JOtVtKr5O ブラスバンド部が暴れん坊将軍OPの練習してる保守 220 :巫女に初詣:2006/12/25(月) 12 32 18.62 ID UrSalx4r0 男「冬はねぎがよく育つ」 女「薬味としちゃ、夏に育ってくれたほうが嬉しいんだけどな」 男「ひがんでるんじゃないか?」 女「いちょう切りにできないことを?」 男「十時十五分なら何とかなるけど」 女「駄目。こないだ渡辺さんがまーたなくしやがった」 男「渡辺さんに任せる時点で間違ってるよ……」 女「今度から上空で水底で地中で、夏と秋の通い路でのすれ違いざまには気をつける」 男「うん。そのときが正直言って一番やばい」 女「君は守ってくれないのか?」 男「秋側通行だと涼しい風が吹くしなあ」 女「じゃあ、また、一緒に」 男「うん。夏には球根を掘り上げて陰干ししておくから」 221 :猪(不倫中):2006/12/25(月) 12 44 26.32 ID DhhigMOG0 219 女「チャーンチャーンチャーン、チャラララララ、チャーンチャーンチャーン♪」 シベリア「テケテケ、チャーンチャチャーン、チャチャーチャチャーン、チャーチャーチャーチャチャーン♪」 女「ズダダダダダダダダダダ」 シベリア「ぐあぁ……!!」 男「マシンガンかよ!卑怯極まりないな。どう考えてもオーバーキルだろ」 女「20mm劣化ウラン弾乱れ打ちじゃ。安心せい」 男「上様の健康まで危ねえよ!」 シベリア「口径が20mmもあると、実際に人体に命中したら粉々なんですけどね」 女「爺、シーハリアーを出せ。帰るぞ」 シベリア「はっ、上様」 女「轟音を立てて飛び上がる真っ白なシーハリアー。破壊された戦車を遊び場にする子供たちを見て微笑む吉宗であった」 男「戦車なんていつ出てきた!?だいたい子供放射線障害になるぞ、微笑んでる場合じゃねえ」 女 シベリア「チャーンチャチャチャーンチャチャチャーン、チャーン、チャーン、チャーーーーン♪」 222 :初夢(アキバでびゅーしてきた):2006/12/25(月) 13 13 54.54 ID I/57ZtaHO 黒シベリア 223 :妹と初詣:2006/12/25(月) 13 53 44.25 ID UrSalx4r0 女「とんぼの目って、思ったほどにはよく回らない」 男「さよけ」 女「ジャガイモの芽はまあまあだった」 男「さいですか」 女「賽の目はわたしが回すまでもなく、集団でレバー状のものを回す例のアレに連動してる」 男「そうですか」 女「台風の目はどうしても周囲のほうが回りすぎで難しい」 男「ふーん」 女「専門家の目を回したらむしろ結論がまともになった」 男「さようで」 女「網の目を回したらお餅がこびりついて取れなくなった」 男「ホウホウ」 シ「……何の話してるんですか?」 女「100均のドライバーってけっこうやわだから、多少高くてもホームセンターできちんとしたのを買えってこと」 男「ドライバーだけならともかく、ねじ頭まで潰れると悲惨だよ?」 シ「……さよけ」 224 :彼女と初詣:2006/12/25(月) 14 54 38.34 ID UrSalx4r0 女「よその家の郵便物を(勝手に)チェックする『ポストチェッカー』なる職があると聞く」 男「括弧つけなくてもそんな仕事ねぇよ」 女「ポストと思ったらミミックだった……」 男「ねーよ」 女「ポストチェッカーが(頑張って)勝手にチェックしてるからだよ?」 男「……」 女「……」 男「……(括弧つける位置がずれてないか?)」 女「あやまれ! ポストチェッカーにあやまれ!!」 男「ごめん」 女「わたしにじゃない! ポ・ス・ト・チェ・ッカ・アにだ!」 男「どこにいるのかわかんないよ……」 女「正体がばれたらミミックだって用心するしな」 男「だから一度も見たことがないのか……」 225 :黒豆(二粒):2006/12/25(月) 14 54 59.49 ID d8i4BahPO ネタ浮かばず、やむを得ず保守 226 :黒豆(百粒):2006/12/25(月) 15 28 57.46 ID nOYcaN6kO 女「あと775……」 男「何がだ?」 女「イヤッッホォォォオオォオウ!ガタン!の人が現れるまで」 男「ムリだろ」 女「・・・。」 男「・・・。」 女「・・・諦めたらそこで試合終了だよ」 男「・・・安西先生!」 女「・・・ほらっ涙を拭いて立ち上がるんだ」 男「・・・。」 女「・・・。」 男「・・・頑張るよ」 女「ん・・・?」 男「頑張るよ!!」 女「そうか……頑張れよ!」 男「ああっ!俺、頑b 女「ところがどっこい・・・dat落ち・・・これが現実・・・!」 男「・・・。」 女「・・・。」 男「・・・。」 女「・・・。」 男「(´;ω;`)ブワッ」 女「ゴメン・・・」 1000まで逝くには25秒に1レス必要とか…… どうやっても無理だろ……… 数学的に考えて………… 227 :猪(双子の兄):2006/12/25(月) 15 33 33.76 ID a70SXaY80 ksk 228 :年賀状(配ってます):2006/12/25(月) 15 34 13.56 ID TN/A2wmq0 だが安心しな、25秒に1レスあればいいんだろ? 229 :VIP皇帝:2006/12/25(月) 15 42 37.25 ID 3knLXci7O 女「突然だが」 男「ん?」 女「いつになったら私は心眼が開けるようになるのだろう?」 男「これはまた突然だね」 女「目の光を失うと開けるようになると聞いたのだが…」 男「一昔前のバトル漫画じゃあるまいし」 女「一体何が足りないのだろうか?」 男「大体キミ、目ぇ見えるよね。視力いいよね?」 女「…………」 男「…………」 女「いや…ほら……恋は盲目って言うじゃないか…」 男「意味が違う、って……へ…恋…?」 女「………好きだ…」 男「え………」 女「米が」 男「倒置法かよ、チクショー!僕のトキメキかむばぁ~っく!」 女「…………」 男「……君に対する考えが甘かった…」 女「……で、私の心眼は…」 男「少しは察して!男心!」 230 :おみくじ(五回目でやっと吉):2006/12/25(月) 16 27 21.55 ID UrSalx4r0 女「梅の花かと思ったら雪だった……平安歌集の春の部なんて、みんなそんなのばっか」 男「自由なはずの創作活動でさえその有様じゃ、現実の人間が画一的なのも無理はない」 女「伊勢海老だって海底じゃ行列だしね」 男「アレって何のためなんだろうな」 女「この眼鏡をかけてみてみるといい」 男「度があってないよ、これ」 女「じゃあ、わたしが君のかわりに眼となろう」 男「ありがとう。さっそくだけど、あれは?」 女「魔王が坊やを呼ぶ声だな」 男「お父さんは眼鏡をかけていなかったから聞こえなかったのか」 女「ホントは7月だったからねー」 男「あー、子供はまた作れるけど、腐った鍋の中身は捨てるしかないしねー。急ぐわけだ」 231 :書初め(佳作):2006/12/25(月) 17 01 08.84 ID qTYTxzar0 ほしゆる 232 :黒豆(六粒):2006/12/25(月) 17 50 54.66 ID JOtVtKr5O 保守 233 :初夢(犯人だった):2006/12/25(月) 18 22 26.40 ID xwdFhXF4O 保守 234 名前: 猪(友達がvipper) 投稿日: 2006/12/25(月) 19 06 08.03 ID AAPvWF+k0 保守だ 235 名前: おみくじ(人吉) 投稿日: 2006/12/25(月) 19 25 41.91 ID UrSalx4r0 女「あらあら、朝っぱらからてんぷらですか。雪の音かと思いましたよ」 男「雪ならもっとケチャップみたいな色してるよ」 女「早く寝すぎたかも知れん。もう一度寝てくる」 男「1UPは?」 女「1UPアイテムは、乃木大将の死とともにすべてなくなったよ」 男「そうか。お互い、つらい時期だな」 女「どうか目覚めたとき、第九夜の世界で盛大に生徒会長があせりますように」 男「渡辺さんが覚えていれば、ね」 女「そこの戸口。ゴールの中に金のエンゼルが落ちていたら、きっと元気にやってるってことさ」 男「シベリアとはあっちのチベットで?」 女「大人になるにつれ、本当に好きだったんだって気付く。もう、遅いけど」 男「そんなことはねぇと思うが。お年始の挨拶は河口でも相良でもおkじゃん」 女「……君はやさしいな。風流といってもいい」 男「いや……ただの包丁の跡だよ」 女「……」(男を撫で、植木の世話を始める) シベリア「ことばの意味は全部わかるのに、何を言っているのか全然わかりません……orz」 ξ゚⊿゚)ξ「いや……日本語と一口に言ってもいろいろあるから……」 シベリア「だいたい、わたし、チベットになんか行ったことありませんけど」 渡辺さん「そうだねー。会長さんが佐藤さんに告白してドキドキしてたのは第四夜の斜め上だよぉ」 シベリア・ξ゚⊿゚)ξ「!!!!!!!!!!!!!!」 236 名前: 角焼もち 投稿日: 2006/12/25(月) 19 33 04.10 ID nOYcaN6kO 女「ネタが無い」 男「……」 女「寿司。」 男「ただの酢飯だなそれ」 237 名前: 年賀状(あたり) [sage] 投稿日: 2006/12/25(月) 19 37 08.53 ID Uzft8kEU0 女「突然だな」 男「いや、何も言ってない」 女「突然だめ」 男「悪かった」 女「突然だね」 男「さっきからなんだ」 女「そろそろ突然の活用を考えたい」 男「副詞に活用は無いだろ」 女「さて突然だが」 男「全然突然でもなんでもないな」 女「意味論が壊れているな」 男「何が?」 女「真理値をふれない」 男「それ何語?」 女「emptyなentityをdenoteするdescriptionについて」 男「何だって?」 女「現代詩一般について」 男「はいはい。なんかよくわからんがよそでやろうな」 238 名前: 年賀状(あたり) [sage] 投稿日: 2006/12/25(月) 19 38 47.27 ID Uzft8kEU0 そういや、明日スレ立つの? 239 名前: 猪(検問中) 投稿日: 2006/12/25(月) 19 53 43.93 ID ewzVAt8v0 書き手の皆さんお疲れさまです。コメントがだいぶ脊髄反射だけどごめんね 鬱陶しかったら適当にあぼーんよろしくです 198 俺も自分がオンリーワンだと思ってたけど。ごめん、何でもない 201 死後さばきにあう。なんであのさばきはひらがな表記なんだろうね 202 い、言われなくても気づいてたもん。半角スペースさえネタにする発想は素敵だ 204 ダイヤを換金すれば米も男も。とか思う今日の俺はきっと荒んでる 205 3種の文字をもつ日本語の豊饒さ。米語って言うとアメリカンぽい 206 責任転嫁する女の子ってちょっと可愛い。やっぱり程度問題だけど 207 じょやさーじょやさーと掛け声が聞こえてきそうな。笠地蔵にはまだ早い 214 犬種ごとに性能比較。「ポメ最強」「レトリバー厨乙」そんな軍オタ論争を夢想 215 絵面を想像して楽しむシュール。文化交流は誤解の上に成り立つらしいよ 217 食卓という名の戦場。ジョンはごはんに牛乳かけて食いそうな気がする 240 名前: 猪(検問中) 投稿日: 2006/12/25(月) 19 54 23.27 ID ewzVAt8v0 218 諦めまじりの不思議ムード。これは好きだ。買えばとか素で言う男毒されすぎ 220 意味のリンクが切れるぎりぎりの線。いや切れてる。3等分なら11時15分か? 221 ノーモアウォー。暴れん坊将軍からマシンガンへの大跳躍に茫然としたんだ 223 働けぇびしーっ。こういうネタの転がし方もありか。とりあえず目が回った 224 眩暈は加速する。誰がために何のために。とりあえずザラキには気をつけろ 226 1000行ったら魚沼産コシヒカリっぽいものうp。さてksk 229 男のレトロなノリにときめきを覚えた。俺男の子だがそれでもいいか 230 知に働いて角立ちまくる。意味は解体され、世界は滅びず、食中毒がしんぱいだ 235 音読するとナチュラルに聞こえるから不思議。渡辺さんも参戦してなお不思議 236 昔手巻き寿司のとき酢飯だけ食って怒られた記憶が。うまいよ酢飯 241 名前: 猪(検問中) 投稿日: 2006/12/25(月) 19 54 53.58 ID ewzVAt8v0 237 突然だが不真面目な学生だったもんでその辺は無理。バルトって胸キュン? 238 ごめん。俺はわからない 242 名前: おみくじ(中がよろし) 投稿日: 2006/12/25(月) 20 12 22.70 ID UrSalx4r0 240 音読……したのか…………? 243 名前: 凧(100連) 投稿日: 2006/12/25(月) 20 21 31.06 ID c3FAhAi60 「暴れん坊将軍」の歌をくちずさんでると……何故か途中から「さそり座の女」になるんだ。 それはともかく、米男さんに感謝。そして炊飯。 244 名前: 黒豆(八粒) 投稿日: 2006/12/25(月) 20 22 20.42 ID d8i4BahPO 女「法被バースデー、私!」 男「せめてもう少しリズムに乗って歌ってくれ。あと何だ法被って」 女「わ・た・し・の!誕・生・日!お・と・こ!何・か・くれ!」 男「これまたストレートなプレゼント要求だな。つか、その劣化ヒゲダンスみたいな踊りはよせ」 女「ケーキのデコレーションは蝋燭と君でよろしく」 男「なにそのプレイ。プレゼントはどうした」 女「……」 男「……」 女「…………新スレ」 男「それはきっとだれかが立てる」 女「そうか」 男「……」 女「……」 男「……」 女「………………馬」 男「……!?」 女「……だめ?」 男「…………………」 女「………………米」 245 名前: 角煮もち 投稿日: 2006/12/25(月) 20 30 59.16 ID nOYcaN6kO 239-241米男乙。 246 名前: 姉と初詣 [ノロウィルスならぬ米ウィルス] 投稿日: 2006/12/25(月) 20 45 33.06 ID 4QKm3R7n0 女「 239-241米男乙。」 男「乙。」 女「どうでもいいけど米男はおいしそうだと思わないか。」 男「腹壊すぞ。」 女「米+男→米男?」 男「逆に考えるんだ。米男を二つにすると米と男になると!」 女「…ちょっといってくる。」 男「気をつけてなー。」 247 名前: 猪(体臭きつめ) 投稿日: 2006/12/25(月) 20 47 20.51 ID ewzVAt8v0 乃木将軍のあたりは特に情感を込めて読んだ 皆ありがとう、またこんど 244 サザンがHAPPYとかいう名前のアルバム出したとき法被つけてたな、と思い出話 246 時間ない。どうも! 248 名前: 凧(100連) [ 246 米ウィルスてw] 投稿日: 2006/12/25(月) 20 47 44.16 ID c3FAhAi60 244 ぜひとも貴方がプレゼントに新スレを。 それでは多分、またあした。間が悪ければ、また来シュー。 ===== fin
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メニュー トップページ 社会 社会エフェクト 田中角栄内閣で大蔵大臣を務めた昭和の政治家です うえきこうしろう(植木庚子郎) 2013年に登録された北朝鮮の世界遺産は? 「ケソン」(開城)の遺跡地区 巨大な金剛蔵王権現立像で有名な奈良の吉野山のシンボルである寺 きんぷせんじ(金峯山寺) 日本最古の社といわれる兵庫県淡路市にある神社 いざなぎじんぐう(伊弉諾神宮) 全国で埼玉県八潮市にのみ存在する地名です がけ(垳) その周りに城崎温泉の温泉街が形成されている兵庫県豊岡市の川 おおたにがわ(大谿川) 声優の檜山修之に似ているのは金剛峯寺の? 「こんがら」(矜羯羅)童子像 北海道足寄町の自然の中にある温泉は? 「めとう」(芽登)温泉 ショッピングモールや埠頭が所在する、横浜市中区の地名です ほんもく(本牧) 白浜温泉で有名な和歌山県にある砂浜です しららはま(白良浜) 大分県佐伯市にある九州最東端の鉄道駅です あざむい(浅海井) ロープウェイのことです さくどう(索道) 2019年5月1日からの秋篠宮さまの呼称は? 秋篠宮「こうし」(皇嗣)殿下 1946年に姫路市と合併して区となったのは? 「しかま」(飾磨)市 正式には「端島」という長崎県の廃墟島です ぐんかんじま(軍艦島) TV番組「とくダネ!」に出演していたジャーナリストです いわかみやすみ(岩上安身) 2021年10月に岸田内閣で復興大臣に就任したのは? 「にしめ」(西銘)恒三郎 寺院で、僧侶の居住する場所 くり(庫裏) 権現堂大噴水で知られる埼玉県と茨城県の境にある湖 みゆきこ(行幸湖) ユダヤ教の象徴となっているエルサレムの名所です なげきのかべ(嘆きの壁) 真田幸隆と昌幸の墓がある長野県上田市にあるお寺 ちょうこくじ(長谷寺) スペインの国花です(画像) カーネーション 共同住宅において各住戸の間を仕切る壁のこと かいへき(界壁) 太平洋戦争終戦1ヵ月後の日本を襲ったのは? 「まくらざき」(枕崎)台風 若桜鉄道と接続しているJR因美線の駅です こおげ(郡家) 国の重要無形文化財となっている宮崎県の祭り しろみかぐら(銀鏡神楽) 労働大臣や農林大臣を歴任した今は亡き政治家 まつのらいぞう(松野頼三) 北海道新幹線の開通で新函館北斗駅と改称されたのは「?駅」 「としまおおの」(渡島大野)駅 三国山に源を発する群馬県と埼玉県を流れる川 かんながわ(神流川) 仙台市を流れる名取川の浸食作用でできた奇岩が立ち並ぶ峡谷です らいらいきょう(磊々峡) 松山市に県庁を置く四国の県です えひめけん(愛媛県) 埼玉県和光市と戸田市を結んでいる橋は? 「さきたま」(幸魂)大橋 1997年に「楽天」を創業した実業家です みきたにひろし(三木谷浩史) かつて東京駅で販売されていた高級駅弁は? 「きわめつき」(極附)弁当 日本ハムを創業した実業家 おおこそよしのり(大社義規) 「こけら板」とも呼ばれる屋根を葺くのに用いる薄い削り板 こばいた(木羽板) 北海道の大雪山国立公園の層雲峡にある断崖絶壁 おおばここばこ(大函小函) 中国の思想家を祀っている長崎市の観光名所 こうしびょう(孔子廟) 本州で最も標高の低い分水界がある、兵庫県丹波市の地名 いそう(石生) 新幹線の誕生に大きく寄与した旧国鉄の技術者です しまひでお(島秀雄) 「日本のリンドバーグ」と呼ばれた戦前に活躍した飛行家 あずまぜんさく(東善作) 福岡県と佐賀県で運行している鉄道は? 「あまぎ」(甘木)鉄道 美しい松林で有名な、大分県杵築市にある海岸は? 「なだ」(奈多)海岸 「竹下の金庫番」と呼ばれた元首相・竹下登の秘書 あおきいへい(青木伊平) 新元号発表の記者会見における「令和」の字を書いた書道家 もずみおさみ(茂住修身) 第1次安倍内閣で国家公安委員会委員長を務めた政治家 みぞてけんせい(溝手顕正) 昔はなぜか小学校の校庭にありました(画像) トーテムポール 春の青もみじと秋の紅葉の時期にだけ公開される比叡山の麓の寺院 るりこういん(瑠璃光院) ユニ・チャーム創業者の長男である現在の社長 たかはらたかひさ(高原豪久) 「広島の奥座敷」と呼ばれる広島市にある温泉は? 「ゆき」(湯来)温泉 東京都新宿区にある歌舞伎町を命名した都市計画家です いしかわひであき、いしかわえいよう(石川栄耀) 2005年3月に誕生した岡山県の都市です みまさかし(美作市) 2005年3月に誕生した岡山県の都市です あかいわし(赤磐市) 日本でもっとも面積の小さい埼玉県の市 わらびし(蕨市) 京都三十三間堂の本尊が特に有名です せんじゅかんのん(千手観音) 戦後生まれのベビーブーマー だんかいのせだい(団塊の世代) 緊張を高めることで交渉相手に譲歩を迫る北朝鮮の外交姿勢 せとぎわがいこう(瀬戸際外交) 軍艦の種類の一つです ほきゅうかん(補給艦) 多民族が混在する都市の別名に使われた言葉は? 人種の「るつぼ」(坩堝) 1930年に創刊された登山専門誌 やまとけいこく(山と溪谷) 2011年4月より、11年ぶりに全島で居住が可能になりました みやけじま(三宅島) 乳白色の湯として有名なのは長野県松本市の? 「しらほね」(白骨)温泉 1989年に廃止されたJR北海道の鉄道路線 しべつせん(標津線) 2023年4月に日本銀行の副総裁に就任した人物 ひみのりょうぞう(氷見野良三) 京都府八幡市の木津川に架かる通称「流れ橋」は? 「こうづや」(上津屋)橋 夏には花火大会が行われる岐阜県山県市にある人造湖 いじらこ(伊自良湖) 北海道にある蝦夷富士こと羊蹄山の別名です しりべしやま(後方羊蹄山) 千島列島の最北端にある島です あらいどとう(阿頼度島) 「面接の達人」シリーズの勇者として知られます なかたにあきひろ(中谷彰宏) 神戸市営地下鉄西神延伸線が結ぶのは何駅と西神中央駅? 「みょうだに」(名谷)駅 北海道にあるラグビーや野球の強豪校は? 「えんがる」(遠軽)高校 昭和天皇の開腹手術を決断した宮内庁の第3代長官 とみたともひこ(富田朝彦) 「金字塔」とも言います(画像) ピラミッド 愛知県名古屋市昭和区にある名古屋市営地下鉄の駅です ごきそ(御器所) 北陸三大祭の一つは富山県の? 高岡「みくるまやま」(御車山)祭 冬に栃木県の平地部一帯に吹く乾燥した冷たい北風のこと ふたらおろし、ふたあらおろし(二荒颪) うるま市と金武町にまたがる沖縄本島中央部東岸にある湾 きんわん(金武湾) 東京電機大学の初代学長を務めた電機工学者です にわやすじろう(丹羽保次郎) 1867年に創業された神戸市に本社を置く港湾運送最大手の企業 かみぐみ(上組) 北陸三大祭の一つは石川県七尾市の? 「せいはく」(青柏)祭 2023年4月からトヨタ自動車の社長を務める人物 さとうこうじ(佐藤恒治) 2021年11月に日本維新の会の幹事長に就任した政治家 ふじたふみたけ(藤田文武) 琵琶湖の中に鳥居があることから「近江の厳島」と呼ばれる神社 しらひげじんじゃ(白髭神社) 1963年まで採掘が行われていた新潟県にあった油田は? 「おおも」(大面)油田 秋には500万本もの曼珠沙華が咲き誇る埼玉県日高市の景勝地 きんちゃくだ(巾着田) 瀬戸内海が一望できる岡山県倉敷市の山 わしゅうざん(鷲羽山) 全国のフグの約8割が集まる山口県下関市にある海産市場 はえどまり(南風泊) 茨城県高萩市にある、海が見えることで知られるダムは? 「はなぬき」(花貫)ダム 日本開発銀行初代総裁やアラビア石油社長を務めた人物 こばやしあたる(小林中) その中腹に金刀比羅宮がある香川県仲多度郡琴平町の山 ぞうずさん(象頭山) 2006年に誕生した熊本県の都市は? 「こうし」(合志)市 標高1982mという四国の最高峰です いしづちさん(石鎚山) 2020年6月に変更になった尖閣諸島の住所は? 「とのしろ」(登野城)尖閣 長崎県の壱岐にある白砂が美しい海水浴場 つつきはま(筒城浜) 「教科書改善の会」が編集した社会科の教科書を出版する会社 いくほうしゃ(育鵬社) アパレルブランド「ミキハウス」の衣服の製造・販売を行う企業 みきしょうこう(三起商行) 奈良県奈良市にある進学校は? 「とみがおか」(登美ヶ丘)高校 資産を全て売却しても負債を返済しきれない状態 さいむちょうか(債務超過) 人をそそのかして犯罪を実行させる者は? きょうさ(教唆) 2005年に結婚して皇籍離脱した元女性皇族です くろださやこ(黒田清子) 長崎県にある国立公園は? 「さいかい」(西海)国立公園 テングコウモリが生息する岩手県久慈市にある鍾乳洞 うちまぎどう(内間木洞) 別名を「豊前平野」という福岡県にある平野は? 「みやこ」(京都)平野 毎年8月に大文字の送り火が行われる岩手県の山です たばしねやま(束稲山) 福島県から山形県にかけて連なる山 あづまやま(吾妻山) 足利義満が絶賛したという福井県大飯郡高浜町にある洞穴 めいきょうどう(明鏡洞) 北海道札幌市にある温泉は? 「ほうへいきょう」(豊平峡)温泉 国の重要文化財に指定されているのは長野県の? 「よみかき」(読書)発電所 2016年の参院選で初当選を果たした女優です いしいみつこ(石井苗子) 東京都小平市に源を発して隅田川に合流する川です しゃくじいがわ(石神井川) 日本人初のノーベル経済学賞受賞の期待がかかる経済学者です きよたきのぶひろ(清滝信宏) 2021年11月に日本維新の会の政調会長に就任した政治家 おときたしゅん(音喜多駿) 鳴子温泉郷に含まれる宮城県大崎市の? 「おにこうべ」(鬼首)温泉 1968年から1972年にかけて初代文化庁長官を務めた作家 こんひでみ(今日出海) 和歌山県新宮市と奈良県十津川村にまたがる巨石や奇岩が続く峡谷 どろはっちょう(瀞八丁) 2010年に開港した茨城空港がある都市です おみたまし(小美玉市) 南極のオングル島にあります しょうわきち(昭和基地) 菅直人首相の元で経済産業大臣、国道交通大臣を歴任した政治家 おおはたあきひろ(大畠章宏) 和気清麻呂にまつわる伝説も残る国の特別天然記念物「?のクス」 かもう(蒲生) 中央自動車道のPAで唯一愛知県にあるのは? 「うつつとうげ」(内津峠)PA 三井財閥を築き「三井中興の祖」といわれる実業家 みついたかとし(三井高利) 1枚の型紙で染め分ける沖縄県の特産品 びんがた(紅型) 日本初の超高層ビルである霞が関ビルを設計した建築家 やましたとしろう(山下寿郎) 下流には秋保温泉がある仙台市の峡谷は? 「ふたくち」(二口)峡谷 2018年9月の沖縄県知事選挙で当選した政治家は? 「たまき」(玉城)デニー 千葉県柏市に本部を置く私立大学は? 「れいたく」(麗澤)大学 中国の書物「易教」の一節から命名された千葉県の私立大学 れいたくだいがく(麗澤大学) 東京都江戸川区にある東京23区で唯一の自然島 みょうけんじま(妙見島) 2009年に亡くなった韓国の第15代大統領です キムデジュン(金大中) 福井県高浜町にある若狭湾西部に突き出した半島は? 「おとみ」(音海)半島 東京都町田市にある政治家白洲次郎と正子夫妻の旧邸宅 ぶあいそう(武相荘) 2010年8月に第2代消費者庁長官に就任した、元・我孫子市長です ふくしまひろひこ(福嶋浩彦) 伊勢の豪商・沼波弄山が始めた三重県名産の陶器 ばんこやき(萬古焼) 愛知県名古屋市にある女子大学は? 「すぎやま」(椙山)女学園大学 奈良県吉野郡上北山村の山奥にある秘湯は? 「こどころ」(小処)温泉 神功皇后の神馬の足跡「馬蹄石」で有名な長崎県壱岐市の神社 しょうもぐう(聖母宮) 賽の河原で有名な京都市右京区の寺院は? 「あだしの」(化野)念仏寺 国や地方の公共事業において不公正に競争入札を行うこと かんせいだんごう(官製談合) 特産品の木綿で有名な栃木県の都市です もおかし(真岡市) 溶岩や土砂によって水がせき止められてできた湖 えんそくこ(堰塞湖) 2003年から4期にわたって埼玉県知事を務めた政治家です うえだきよし(上田清司) 松江市の宍道駅から庄原市の備後落合駅に至るJR西日本の路線 きすきせん(木次線) 日本には存在しないとされていた氷河が発見された北アルプスの山 たてやま(立山) 中国やベトナムが領有権を争っている南シナ海の島々 なんさしょとう(南沙諸島) 土砂や火山の溶岩などによって出口がふさがれて形成された湖 せきとめこ(堰止湖) ヨーロッパの国です イギリス(英吉利) スイッチバック方式の駅として名高い、JR篠ノ井線の駅です おばすて(姨捨) マグロ漁などで使われる漁具です はえなわ、のべなわ(延縄) 1972年に上野動物園にやって来たオスのパンダです カンカン(康康) 1985年に、上野動物園で初めて生まれたパンダです チュチュ(初初) ハモの水揚げで有名な和歌山市にある岬です さいがさき(雑賀崎) 芸道の上達を目指す人々に信仰されている仏教の神様 ぎげいてん(伎芸天) 大分県の九重山北方にあるカルデラは? 「ししむた」(猪牟田)カルデラ 俗に「おばあちゃんの原宿」と呼ばれている東京の街です(地蔵通り商店街の門の画像) すがも(巣鴨) インドのエローラ石窟群を日本人で初めて本格的に調査した探検家 ふじいせんしょう(藤井宣正) かつては、北海道はこのように呼ばれていました えぞち(蝦夷地) 小泉内閣で国家公安委員長を務めた元体操選手の政治家 おのきよこ(小野清子) 映画の題材にもなったタイとミャンマーを結んだ鉄道 たいめんてつどう(泰緬鉄道) 法律上、何らかの欠陥があること かし(瑕疵) 大分県と宮崎県にまたがる国定公園は? 「そぼかたむき」(祖母傾)国定公園 2021年7月に人間国宝に認定された茶の湯釜を作る釜師 かくたにゆうけい(角谷勇圭) 階段状になっています たなだ(棚田) アメリカ・ハワイ州の中心都市です ホノルル(花瑠瑠) 1995年に新卒入社の社員として初めてソニーの社長になりました いでいのぶゆき(出井伸之) 長く生きた動物や道具に神や霊魂などが宿ったもの つくもがみ(付喪神) 大分県国東市にある漁港です なぎのうら(啝ノ浦) 伊豆半島の付け根にある静岡県の平野は? 「たがた」(田方)平野 2020年8月に自民党に入党した希望の党の幹事長を務めた政治家 こうだくにこ(行田邦子) ワープロソフトの一太郎を開発したジャストシステムの創業者 うきがわかずのり(浮川和宣) 江戸三大祭りの1つ・山王祭はこの神社の例祭です ひえじんじゃ(日枝神社) ひいた後は木の枝などにくくり付けます おみくじ(御神籤) 2009年より世界税関機構の事務局長を務めています みくりやくにお(御厨邦雄) 由利徹のギャグで有名になった北海道の内浦湾に面する町 おしゃまんべ(長万部) 宮澤内閣改造内閣で経済企画庁長官を務めました ふなだはじめ(船田元) 与謝蕪村の墓や芭蕉庵がある京都市左京区一乗寺の寺院 こんぷくじ(金福寺) 広島県と高知県に存在する郡です あきぐん(安芸郡) 鈴鹿山脈に源を発し、伊勢湾に注ぐ三重県の川は? 「いなべ」(員弁)川 鉄道のレールの下に敷きます まくらぎ(枕木) かつて「山形の首領」と呼ばれた山形新聞や山形放送の元社長です はっとりよしお(服部敬雄) カキオコというB級グルメで町おこしをしている岡山県の町 ひなせちょう(日生町) 栃木県の日光国立公園にある観光名所となっている溶岩 せっしょうせき(殺生石) 2011年に「国の名勝」に指定された、岩手県の景勝地 じょうどがはま(浄土ヶ浜) カタクリの群生地として有名な北海道旭川市にある山です とっしょうざん(突哨山) 広島県と島根県を流れる中国地方で最も長い川です ごうのかわ(江の川) 2019年11月に横浜市に新設された相模鉄道の駅は? 「はざわ」(羽沢)横浜国大駅 高知県香美市と徳島県との環境に広がる紅葉の名所 べふきょう(別府峡) 日本の世界遺産の一つである何ドーム? 「げんばく」(原爆)ドーム 札幌五輪の聖火台のデザインなどを手がけた工業デザイナーです やなぎそうり(柳宗理) 飛行教導隊の本拠地がある宮崎県の航空自衛隊基地 にゅうたばるきち(新田原基地) 大正天皇ゆかりの飛龍閣があるのは鳥取県倉吉市の何公園? 「うつぶき」(打吹)公園 JR四国にある駅で四国最東端なのは? 「みのばやし」(見能林)駅 牡蠣の名産地として有名な兵庫県赤穂市の地名です さこし(坂越) その標高は3776mです(山の画像) ふじさん(富士山) かつて人口増加率1位を記録した兵庫県の都市は? さんだし(三田市) 分銅のついた鎖に農耕具をつけた武器です くさりがま(鎖鎌) 福島県の金の橋・銀の橋がかかる猪苗代湖から流れ出る唯一の川 にっぱしがわ(日橋川) 東京都府中市にある標高80mの山 せんげんやま(浅間山) 近松門左衛門ゆかりの寺として知られる滋賀県大津市にある寺院 ごんしょうじ(近松寺) 2008年3月15日に岡山市に開業したJR西日本の駅です にしがわら(西川原) 北海道の別海町にある野付湾に望む地区 おだいとう(尾岱沼) 2017年9月に都民ファーストの会の代表に就任した政治家 あらきちはる(荒木千陽) ダイヤモンド・アイランドとも呼ばれる伊豆七島のひとつ こうづしま(神津島) 直線的な急勾配が続く大阪府と奈良県の県境にある峠 くらがりとうげ(暗峠) テレビや映画の撮影によく使われる函館にある坂です はちまんざか(八幡坂) 日本一敷地面積が広い高校は北海道何高校? 「しべちゃ」(標茶)高校 日本最北の不凍湖 しこつこ(支笏湖) 日本初の公立女学校「京都一女」を全身とする「京都府立?高校」 「おうき」(鴨沂)高校 宮城県北東部にある太平洋に面した半島は? 「おしか」(牡鹿)半島 かつて日本の政治を牛耳った3人の政治家の総称です こんちくしょう(金竹小) 歯車をかたどった地図記号で表されます こうじょう(工場) 2009年に国際原子力機関の事務局長に就任しました あまのゆきや(天野之弥) 小泉内閣で経済財政政策担当大臣や総務大臣を務めた経済学者です たけなかへいぞう(竹中平蔵) 大和ミュージアムの館長を務める海軍史研究家です とだかかずしげ(戸高一成) 鹿に化けた文殊菩薩がこの場所を猟師に教えたという長野県の温泉 かけゆおんせん(鹿教湯温泉) 神戸市の中華街があるエリアの通称です なんきんまち(南京町) 福島県の「県の鳥」です きびたき(黄鶲) 伊勢神宮で、天照大神がここに祀られています ないくう(内宮) 2019年1月にミス日本グランプリを獲得した現役の東大生です わたらいあいこ(度會亜衣子) 名古屋市の中心部を南北に貫いている道路です ひさやおおどおり(久屋大通) 「反日メディアの正体」などの著書がある評論家 ふるやつねひら(古谷経衡) 和歌山県の名産品、南高梅の名前の由来となった高校は? 「みなべ」(南部)高校 新日本三景にも選ばれた景勝地大沼がある北海道の町は? 「ななえ」(七飯)町 オートバイや楽器の製造が盛ん はままつ(浜松) 映画「星になった少年」のモデルとなった日本人初の象使いの少年 さかもとてつむ(坂本哲夢) 居酒屋「和民」などで知られるワタミグループの創業者です わたなべみき(渡邉美樹) 沖縄県にある、日本で最も人口密度が高い村は? 「きたなかぐすく」(北中城)村 滝を眺める露天風呂「滝の湯」で有名な熊本県の温泉は? 「たるたま」(垂玉)温泉 鷹狩の際に鷹を扱う人間のことを何という? たかじょう(鷹匠) 東北地方によく見られる民家の形です まがりや(曲家) 東山魁夷の日本画「緑響く」のモチーフになった長野県の湖 みしゃかいけ(御射鹿池) 地名を書いた紙を鼠にかじられ漢字が変わった滋賀県の集落 やないだ(小田) いわゆる「小泉チルドレン」の代表的な存在でした すぎむらたいぞう(杉村太蔵) 関西地方の大手私鉄であるこの鉄道は?(マルーンカラーの車両の画像) 「はんきゅう」(阪急)電鉄 栃木県と福島県で運行する第三セクター鉄道です やがんてつどう(野岩鉄道) 港湾内で船をつける場所 ふとう(埠頭) 2011年に世界遺産に登録された「平泉の文化遺産」の1つです きんけいざん(金鶏山) 2011年に世界遺産に登録された「平泉の文化遺産」の1つです ちゅうそんじ(中尊寺) 2011年に世界遺産に登録された「平泉の文化遺産」の1つです もうつうじ(毛越寺) 2005年に沖縄県に開通した海の上を走る橋です こうりおおはし(古宇利大橋) 安寿と厨子王を買ったとされる伝説上の長者です さんしょうだゆう(山椒太夫) 神宮、皇居などの外側にある広い庭園のこと がいえん(外苑) 実は現在も休戦中の1950年に始まった東アジアの何戦争? 「ちょうせん」(朝鮮)戦争 海や湖を堤防で囲んで陸地にすること かんたく(干拓) オランダ人ヤン・ヨーステンにちなんで名付けられました やえす(八重洲) イギリスでは「パンダ・カー」と呼ばれた車です(車の画像) パトカー アメリカ合衆国が自負するのは? 世界の「けいさつ」(警察) ローマ字表記では回文になるJR四国・内子線の駅です いかざき(五十崎) 鉄道を乗り継いで旅行をするときの必需品です じこくひょう(時刻表) 室戸阿南海岸国定公園にある透明度の高い海で人気の湾 みとこわん(水床湾) JR西日本とIRいしかわ鉄道が運行する観光列車 はなよめのれん(花嫁のれん) 四国八十八箇所の第一番札所がある寺 りょうぜんじ(霊山寺) ひな人形の産地として有名な埼玉県東部の市は? 「こうのす」(鴻巣)市 ホタルイカの水揚げ量が多いことで有名な富山県の市です なめりかわし(滑川市) 天然記念物の「菊石」で有名な愛知県にある山です さなげやま(猿投山) 鹿児島県薩摩川内市の沖合にある列島 こしきじま(甑島) ヒンズー教徒は、ガンジス川でこれをして体を清めます もくよく(沐浴) 大山と背比べをして負けた伝説が残る鳥取市にある山は? 「じゅうぼう」(鷲峰)山 浅野内匠頭と赤穂浪士のお墓がある東京都のお寺 せんがくじ(泉岳寺) 六法全書や人文科学の大学向け教科書などを発行している出版社 ゆうひかく(有斐閣) 登山用地図「登山詳細図」を刊行する岡山市の出版社は「?出版」 きびと(吉備人) 別名を「豊後のナイアガラ」という大分県豊後大野市の滝 ちんだのたき(沈堕の滝) 国立民族学博物館などの作品で知られる日本の建築家です くろかわきしょう(黒川紀章) 2010年にユネスコの無形文化遺産に登録された沖縄の伝統芸能です くみおどり(組踊) かつて宮廷の儀式が行われた京都御所内の建物です ししんでん(紫宸殿) 2004年に合併により誕生した兵庫県の市は? 「やぶ」(養父)市 2004年に合併により誕生した愛媛県の市は? 「せいよ」(西予)市 かつては鉄橋だった兵庫県にあるJR山陰本線の橋は? 「あまるべ」(余部)橋梁 長崎の沖合いに浮かぶ廃墟島「軍艦島」の正式名は? はしま(端島) 源義経が雨宿りをしたという故事にちなむ富山県の地名 あまはらし(雨晴) 瀬戸内海の西部にある海域です いつきなだ(斎灘) 参議院議員も務めた、元伊勢丹のカリスマバイヤー ふじまきゆきお(藤巻幸大) 周りをすべて家などに囲まれ公道に面してない土地を表す法律用語 いじょうち、いにょうち(囲繞地) 「フォルモサ」という別名でも呼ばれます たいわん(台湾) 新潟県糸魚川市の観光名所となっている断崖絶壁です おやしらず(親不知) あいの風とやま鉄道の生地駅前に設置された湧き水スポット しょうずのさと(清水の里) 琵琶湖岸にある樹齢300年を超えるアズマヒガンザクラ しょうずのさくら(清水の桜) 千葉県にある景勝地です びょうぶがうら(屏風ヶ浦) 岐阜県関市に位置するアーチ式のダムは? 「かおれ」(川浦)ダム 映画「ザ・コーヴ」に描かれたイルカ漁で知られる和歌山県の町 たいじちょう(太地町) 山陽と山陰を結ぶ交通の要地として栄えた広島県北部の都市 みよしし(三次市) 前方湾周辺の海底遺跡で知られる、長崎・五島列島の島 おぢかじま(小値賀島) 7年に1度の「ご開帳」で有名な長野県のお寺です ぜんこうじ(善光寺) 日本の世界遺産である「白川郷・五箇山の何造り集落」? がっしょう(合掌) 道東観光の玄関口となる空港を持つ北海道の町 なかしべつ(中標津) 熊本県中央区にある進学校は熊本県立何高校? 「せいせいこう」(済々黌)高校 美容の神を祀っている、京都八坂神社内の社は? 「うつくしごぜん」(美御前)社 テレビなどのメディアで幅広く活躍する評論家です みやざきてつや(宮崎哲弥) テレビなどのメディアで幅広く活躍するコラムニストです かつやまさひこ(勝谷誠彦) 赤道もこれの一種です いせん(緯線) 国盗り綱引き合戦が行われる長野県と静岡県の境にある峠 ひょうごしとうげ(兵越峠) 2005年9月に誕生した茨城県の都市です なめがたし(行方市) 海を挟んで台湾と対峙する日本の最西端です よなぐにじま(与那国島) 動物を診察するための国家資格 じゅういし(獣医師) 著書「ウェブ進化論」で知られるIT企業経営コンサルタント うめだもちお(梅田望夫) 東武伊勢崎線・とうきょうスカイツリー駅の、かつての名前は? なりひらばし(業平橋) 撤去しようとすると祟りがある羽田空港の「?神社」の赤鳥居 あなもりいなり(穴守稲荷) 地下水のくみ上げすぎなどが原因で起こります じばんちんか(地盤沈下) 旧日本海軍が用いた人間魚雷です かいてん(回天) 敷地面積に対する建築面積の割合のことです けんぺいりつ(建蔽率) 都民ファーストの会の初代代表を務めた政治家 のだかずさ(野田数) 国の重要無形文化財となっている関東地方の伝統工芸です ゆうきつむぎ(結城紬) 2018年6月に行われた新潟県知事選挙で当選 はなずみひでよ(花角英世) 建物の主要部分を上下に切断して仕上がりや寸法を書いた断面図 かなばかりず(矩計図) 高級な牛肉の産地として有名な、三重県の都市です まつさかし(松阪市) 童謡「月の沙漠」の発祥の地である千葉県の町 おんじゅく(御宿) ウミネコの繁殖地として有名な島根県出雲市にある島です ふみしま(経島) 埼玉県加須市が生産量日本一です(鯉幟の画像) こいのぼり(鯉幟) 宮崎県延岡市にある高さ77mの壮大な滝です むかばきのたき(行縢の滝) 「天空の城」として人気の竹田城跡がある兵庫県の都市 あさごし(朝来市) 森喜朗元首相や元プロ野球選手・松井秀喜の出身地である都市です のみし(能美市) 毎年年始に行われる宮内庁の行事です うたかいはじめ(歌会始) 別名「しらさぎ温泉」というのは京都府京丹後市にある何温泉? 「きつ」(木津)温泉 業者間の売買を仲介して手数料を取る行為です せどり(糶取) 青森県五所川原市のお祭りです たちねぷた(立佞武多) 2010年4月、死刑に相当する事件に対するこれが撤廃されました こうそじこう(公訴時効) 風水術で用いられる物差しです ろはんじゃく(魯班尺) 自殺の名所として知られる福井県にある景勝地 とうじんぼう(東尋坊) 「本邦帝王切開開術発祥の地」の石碑が立つ埼玉県の都市 はんのうし(飯能市) 船舶職員になるのに必要な国家資格です かいぎし(海技士) 南太平洋・タヒチの別名は? 「とこなつ」(常夏)の楽園 巨峰の生産地として有名な長野県の都市です とうみし(東御市) 登山客も多い、栃木県日光市にある標高2010mの山は? 「あかなぎ」(赤薙)山 島根県で最も面積が小さい市は? 「ごうつ」(江津)市 1910年に古文書「竹内文書」を世間に公表した人物です たけうちきよまろ(竹内巨麿) 江戸時代に多数の参拝者でにぎわった向島の神社です みめぐりいなり(三囲稲荷) 2006年3月に誕生した熊本県の町です なごみまち(和水町) 毎年4月19・20日に滋賀県で行われる祭りは? 水口「ひきやま」(曳山)祭 現在の名前はサンクトペテルブルク ペトログラード(彼得倶羅土) 2008~13年に韓国の第17代大統領を務めました イミョンバク(李明博) 海底にある山脈のような地形です かいれい(海嶺) 日本有数の多雨地域として知られる三重県の市 おわせ(尾鷲) 日本三景の天橋立もこれの一種 さす(砂州) 松島、宮島とともに日本三景とされている京都府の名所は? あまのはしだて(天橋立) 現在の滋賀県とほぼ同じ地域にかつて存在した国です おうみ(近江) 5大商社に数えられる大手企業 まるべに(丸紅) 瀬戸内海で2番目に大きい島 しょうどしま(小豆島) 忍者ショーや忍者体験ができる三重の小京都 いがうえの(伊賀上野) 裏磐梯にある火山湖・五色沼の色の原点の一つです あかぬま(銅沼) 植物群落が国の天然記念物に指定されている京都市の湖 みどろがいけ(深泥池) 環境庁がアホウドリの新繁殖地に選んだ小笠原諸島の島です むこじま(聟島) 帽子を被った広告で有名なアパホテルの女性社長です もとやふみこ(元谷芙美子) 61年間務めた重光武雄に代わり就任した、ロッテの2代目社長 つくだたかゆき(佃孝之) 西国三十三ヶ所の第一番札所です せいがんとじ(青岸渡寺) 金属の表面にガラス質のうわぐすりを焼き付ける工芸技法 しっぽうやき(七宝焼き) 千葉県・いすみ鉄道の公式萌えキャラクターです かずさいすみ(上総いすみ) 徳島県の最高峰・剣山の別名です たろうぎゅう(太郎笈) 自国よりも外国に通じているような人です ばいこくど(売国奴) 横溝正史の小説「獄門島」のモデルとなった岡山県の島 むしま(六島) 軍隊が演習の際に仮設する屋根だけで壁のない宿泊施設 しょうしゃ(廠舎) 荒川沿いに位置する新潟県の温泉地です きらおんせん(雲母温泉) 鹿児島県指宿市にある遺跡は? 「はしむれがわ」(橋牟礼川)遺跡 韓国初の商用原子力発電所は? 「コリ」(古里)原子力発電所 2020年4月に行われる、秋篠宮様が皇位継承順1位となられる儀式 りっこうしのれい(立皇嗣の礼) UFOで町おこしをしている石川県の都市です はくいし(羽咋市) 福島県の猪苗代湖から水を引いているのは? 「あさか」(安積)疎水 2011年の神奈川県知事選で当選した元テレビキャスター くろいわゆうじ(黒岩祐治) 看護学部のみからなる、東京の私立大学は? 「せいるか」(聖路加)国際大学 ビットコインの考案者とされる謎の人物 なかもとさとし(中本哲史) ヨーロッパを流れる大河です ライン(来因) 2006年に、韓国初の女性首相となりました ハンミョンスク(韓明淑) 2008年から2013年にかけて日本銀行総裁を務めました しらかわまさあき(白川方明) 現行犯に限り、逮捕状なしで一般人が逮捕出来ること じょうじんたいほ(常人逮捕) 羽田内閣で環境庁長官を務めた2010年に引退した女性政治家です はまよつとしこ(浜四津敏子) カナダの世界遺産にもなっている地層は? バージェス「けつがん」(頁岩) ICPO(国際刑事警察機構)の総裁を務めた日本人です かねもととしのり(兼元俊徳) 2018年11月に国際エネルギー機関の理事会議長に就任した日本人 おおえひろし(大江博) 「京都の台所」としてにぎわう京都市中央区の商店街 にしきいちば(錦市場) 大坂の電気街・日本橋のイメージキャラクターです ねおん(音々) 1994年に首相に就任するもわずか64日間で辞任しました はたつとむ(羽田孜) 三つの町から成る佐賀県にある郡です みやきぐん(三養基郡) 2015年1月の佐賀県知事選挙で当選した元総務官僚の政治家 やまぐちよしのり(山口祥義) 1999年に復活した金沢市の古い町名 かずえまち(主計町) 「源氏物語」にも謳われている下鴨神社の境内にある原生林 ただすのもり(糺の森) 2002年にアザラシのタマちゃんで話題になった横浜市を流れる川 かたびらがわ(帷子川) 江戸時代から捕鯨が行われていた千葉県安房郡にある町です きょなんまち(鋸南町) 2015年4月に経済同友会の新しい代表幹事に就任しました こばやしよしみつ(小林喜光) 山梨県と長野県の境にある自動車が通行できる日本最高の峠 おおだるみとうげ(大弛峠) かつては瀬棚線が分岐していたJR函館本線の駅です くんぬい(国縫) イギリスの銀行家オリバー・フランクスが最初に用いた言葉 なんぼくもんだい(南北問題) 1999年に化粧品会社のドクターシーラボを設立した医師です しろのよしのり(城野親徳) 2010年に登場した、真宗大谷派のマスコットキャラクターです らんおんくん(鸞恩くん) サンドスキー場や龍宮窟で知られる静岡県下田市の集落 とうじ(田牛) 日本唯一のパイロット訓練飛行場がある沖縄県の島 しもじじま、しもじしま(下地島) 津田梅子の父が命名したとされる東京都港区にある学校法人です ふれんどがくえん(普連土学園) 滋賀県大津市にある通称「三井寺」というお寺 おんじょうじ(園城寺) 外国の船を捕えること だほ(拿捕) 栃木県と群馬県の県境にある日本百名山のひとつ すかいさん(皇海山) 小説「砂の器」で有名になったJR西日本木次線の駅は? 「かめだけ」(亀嵩)駅 砺波平野を南北に走るJR西日本の路線です じょうはなせん(城端線) 2019年に京都市に開業したのはJR西日本の何駅? 「うめこうじ」(梅小路)京都西駅 歌枕として知られる八橋があった愛知県の都市 ちりゅう(知立) 琵琶湖西岸にある滋賀県大津市の温泉は? 「おごと」(雄琴)温泉 鎌倉時代に一遍上人が開いたとされる、大分県別府市の温泉です かんなわおんせん(鉄輪温泉) 2010年3月に、増穂町と鰍沢町の合併により誕生した山梨県の町 ふじかわちょう(富士川町) 富山県富山市の中心部にある繁華街です そうがわ(総曲輪) 自分のいとこが産んだ男の子です じゅうせい(従甥) 香川県高松市にある公園栗林公園にある名所です えんげつきょう(偃月橋) 安倍内閣・福田内閣で国土交通大臣を務めた公明党の政治家です ふゆしばてつぞう(冬柴鉄三) 愛知県で豊田市に次いで2番目に面積が広い市です しんしろし(新城市) 千葉県木更津市にある東京湾最大級の干潟 ばんずひがた(盤洲干潟) 道路の端に設けられている帯状の部分のことです ろかた(路肩) 東北地方の中央部を南北に延びる山脈は? 「おうう」(奥羽)山脈 読書家として知られるライフネット生命の創業者 でぐちはるあき(出口治明) アメリカ合衆国の国家形態は? 「れんぽうせい」(連邦制)国家 トンネルのことを漢字でこう書きます ずいどう(隧道) 栃木県の大谷、大分県の臼杵にあるものが有名です まがいぶつ(磨崖仏) 「聖徳太子の地球儀」にある伝説の大陸を意味する文字 メガラニカ(墨瓦臘泥加) 2010年3月に誕生した鹿児島県の市は? 「あいら」(姶良)市 京阪電鉄京津線の起点となっている京都市山科区の駅は? 「みささぎ」(御陵)駅 東京地検特捜部時代にロッキード事件を手がけました ほったつとむ(堀田力) 19歳でルワンダに教育革命を起こした日本人起業家 まきうらどが(牧浦土雅) 名物の黒たまごで有名な神奈川県の箱根にある温泉は? 「おおわくだに」(大涌谷)温泉 ヤマトタケルの墓だという三重県亀山市の神社は「?神社」 のぼの(能褒野) ちぢみや錦鯉の産地として知られる新潟県中部の都市 おぢやし、おじやし(小千谷市) 札幌市の中心を流れている一級河川です そうせいがわ(創成川) 江戸時代の福岡藩の藩校の名前に由来する「福岡県立?高校」 しゅうゆうかん(修猷館) 日本で唯一の4文字の自動車のナンバープレートです おわりこまき(尾張小牧) 「日本三大霊場」のひとつです おそれざん(恐山) 秋田県の横手盆地を流れる一級河川です おものがわ(雄物川) 元々は徳川家康が塩を運ぶために作らせた運河だった東京の川です おなぎがわ(小名木川) 所得税や法人税がこれに当たります こくぜい(国税) 日本郵政社長を退任後、顧問に就任して問題となった人物です さかあつお(坂篤郎) 物見山に源を発して群馬県を流れる川です かぶらがわ(鏑川) 国鉄スワローズの設立者でもある日本国有鉄道の総裁です かがやまゆきお(加賀山之雄) 2013年の参院選に自民党より出馬した、TVでもおなじみの弁護士 わかさまさる(若狭勝) 江戸時代の柳川藩の藩校の名前に由来する「福岡県立?高校」 でんしゅうかん(伝習館) 釈迦の棺の材料になったとされる木です ビャクダン(白檀) 吉備団子誕生の地ともいわれる岡山市の神社です きびつじんじゃ(吉備津神社) 現在の広島県東部にかつて存在した国です びんご(備後) 2008年に当時史上最年少の29歳でジャスダックに上場した実業家 いえいりかずま(家入一真) 浜名湖や宍道湖のように海水と淡水が混ざった湖 きすいこ(汽水湖) 1956年の経済白書に「もはや戦後ではない」と書いた人物 ごとうよのすけ(後藤誉之助) 学術・芸術分野で功績をあげた人に贈られる褒章です しじゅほうしょう(紫綬褒章) 石を加工して隙間なく積んだお城の石垣の積み方です きりこみはぎ(切込接) アイヌ語で「冷たい飲み水の沢」に由来する北海道の都市 わっかない(稚内) 2014年に高円宮典子女王と結婚した出雲大社の権宮司 せんげくにまろ(千家国麿) 欧文のように横書きにするのが習慣になっている文字のこと かいこうもじ(蟹行文字) 交通標識の一つです あんぜんちたい(安全地帯) 2012年12月に、小沢一郎に代わり「国民の生活が第一」代表に就任 しゅはまりょう(主濱了) 富士山の8合目より上の土地の大部分はここが所有しています せんげんたいしゃ(浅間大社) 武田氏の菩提寺として有名な山梨県甲州市にあるお寺です えりんじ(恵林寺) 九州では、筑後川に次いで2番目に長い一級河川です せんだいがわ(川内川) 1992年に史上初めてとなるバイクでの南極点到達に成功 かざましんじ(風間深志) 高さ4.8mの坂本龍馬の銅像が立つ長崎市の公園は? 「かざがしら」(風頭)公園 ホテルや結婚式場などがある神田川に面した東京都の施設 ちんざんそう(椿山荘) 奈良県の明日香村にある花崗岩で作られた建築物 おにのまないた(鬼の俎) 奈良県の明日香村にある花崗岩で作られた建築物 おにのせっちん(鬼の雪隠) 2011年にユネスコの無形文化遺産に登録された松江市に伝わる神楽 さだしんのう(佐陀神能) 避暑地として有名な清里温泉がある山梨県の都市です ほくとし(北杜市) 日本の鉱山において銀を掘るために掘った坑道 まぶ(間歩) 仏教における苦しみ「四苦八苦」のひとつ おんぞうえく(怨憎会苦) 「関西の奥座敷」と呼ばれる福井県の温泉は? 「あわら」(芦原)温泉 天然記念物に指定されている新潟県村上市にある海岸です ささがわながれ(笹川流) 山形県米沢市を中心とする最上川上流の地方 おきたま(置賜) 奈良県を走る近鉄の路線です たわらもとせん(田原本線) 代々木ゼミナールの人気日本史講師です つちやぶんめい(土屋文明) 毎年1月に、天皇陛下が講師を招き行なう学問始めの儀式です こうしょはじめ(講書始) 福岡県北東部にある関門海峡に突き出た形の半島 きくはんとう(企救半島) トルコの名産品である何のパイプ? かいほうせき(海泡石) 1979年に、ニホンカワウソが最後に目撃された高知県の川 しんじょうがわ(新荘川) 東京都庁やフジテレビ本社の設計を手がけた建築家です たんげけんぞう(丹下健三) 2010年から2014年まで日本経団連の会長を務めた実業家 よねくらひろまさ(米倉弘昌) JR留萠本線の終着駅でした ましけ(増毛) 正月には「なまはげ」が行われます おがはんとう(男鹿半島) 公道では自転車はここを走ります ろそくたい(路側帯) フジテレビの会長を務めています ひえだひさし(日枝久) 埼玉県にもっとも多い建物です(市役所の地図記号) しやくしょ(市役所) 秋田県の「県の花」です ふきのとう(蕗の薹) 「河童が好んで引き抜く」といわれます しりこだま(尻子玉) 改革の障害になります きとくけんえき(既得権益) 日本と韓国が領有権を主張しています たけしま(竹島) 自動車や電車が、すぐ停車できる速度で走ることです じょこう(徐行) 実際の距離と地図上の距離の比 しゅくしゃく(縮尺) 東尋坊・丸岡城などの観光名所で知られる福井県の都市です さかいし(坂井市) 平安京創建当初より現存する京都最古の庭園 しんせんえん(神泉苑) 2001年に閉鎖された愛媛県今治市のレジャー施設は? 「からこはま」(唐子浜)パーク 1970年代に世間を騒がせた古文書は? 「つがる」(東日流)外三郡誌 2015年10月発足の第3次安倍改造内閣で沖縄北方担当大臣に就任 しまじりあいこ(島尻安伊子) 2023年9月に自民党の総務会長に就任した政治家 もりやまひろし(森山裕) 2015年10月発足の第3次安倍改造内閣で農林水産大臣に就任 もりやまひろし(森山裕) 航空宇宙科学博物館がある岐阜県の都市です かかみがはらし(各務原市) 北朝鮮で開発された長距離弾道ミサイルの通称です ノドン(蘆洞) 小泉内閣で少子化・男女共同参画担当大臣を務めました いのぐちくにこ(猪口邦子) 警備サービスを行なう企業・セコムを創業した人物です いいだまこと(飯田亮) 2019年9月発足の第4次安倍再改造内閣で外務大臣に就任 もてぎとしみつ(茂木敏充) 2014年に自民党の選挙対策委員長に就任した政治家です もてぎとしみつ(茂木敏充) 伊勢市に残る、毎月一日に早朝から伊勢神宮へお参りする風習 ついたちもうで(朔日詣) 一般に「金閣寺」と呼ばれる京都市にある寺院です ろくおんじ(鹿苑寺) 国道の日本最高地点がある群馬県と長野県の県境にある峠 しぶとうげ(渋峠) 2009年9月に公明党の代表に就任しました やまぐちなつお(山口那津男) 弟に政治家の克也を持つイオングループのCEOです おかだもとや(岡田元也) 慶良間諸島に属する沖縄県の島 あかじま、あかしま(阿嘉島) アンパンマン列車が走っているJR四国の路線です よさんせん(予讃線) 細川内閣で法務大臣を務めた法学者です みかづきあきら(三ヶ月章) 中学受験で女子御三家と呼ばれる学校の一つは? 「ふたば」(雙葉)学園 父の加藤紘一の後継指名を受け2014年に衆議院選挙に当選 かとうあゆこ(加藤鮎子) 2014年に父・加藤紘一の推薦を受けて初当選した衆議院議員です かとうあゆこ(加藤鮎子) 外国へ入って最初に行います りょうがえ(両替) 九州の最南端が位置しています おおすみはんとう(大隅半島) 東京23区の一つです ちよだく(千代田区) 東京23区の一つです えどがわく(江戸川区) 東京23区の一つです しながわく(品川区) 東京都練馬区にある西武鉄道池袋線の駅です えこだ(江古田) 減速材・冷却材に、普通の水を使う原子炉のことです けいすいろ(軽水炉) 2002年に村から市になった沖縄県の都市は? 「とみぐすく」(豊見城)市 紅葉の名所として知られる京都市右京区にある寺院 じきしあん(直指庵) 「新幹線」という地名がある静岡県田方郡の町 かんなみ(函南) 善五郎の滝、あざみ池などの見所がある長野県にある高原 のりくらこうげん(乗鞍高原) 座敷わらしで有名な岩手県二戸市の温泉は? 「きんたいち」(金田一)温泉 青森県の八甲田山にある温泉です すかゆ(酸ヶ湯) 2013年に、積雲の観測史上最高記録を更新した青森市の温泉地 すかゆ(酸ヶ湯) その駅前公園に歌手・春日八郎のブロンズ像が建つJR只見線の駅 あいづばんげ(会津坂下) 外国人が入国するのに必要な「ビザ」のことです さしょう(査証) 静岡県の伊豆半島南部にあるサーフィンで人気がある場所 たたどはま(多々戸浜) 2014年12月発足の第3次安倍内閣で防衛大臣に就任しました なかたにげん(中谷元) 計測機器の製造で知られるメーカー、キーエンスの創業者 たきざきたけみつ(滝崎武光) 2014年に誕生した、沖縄県の国立公園は? 「けらま」(慶良間)諸島国立公園 2011年より世田谷区長を務める政治家です ほさかのぶと(保坂展人) 映画「鉄道員」のロケ地になった根室本線の駅です いくとら(幾寅) 防衛庁長官や財務大臣を務めた自由民主党の政治家です ぬかがふくしろう(額賀福志郎) 1972年から20年間も埼玉県知事を務めました はたやわら(畑和) リクルート事件などを暴き「国会の爆発男」と呼ばれた政治家です ならざきやのすけ(楢崎弥之助) 藁人形に五寸釘 うしのこくまいり、うしのときまいり(丑の刻参り) 沖縄本島の南端にあるビーチは? 「みーばる」、「みいばる」(新原)ビーチ 2006年に初代統合幕僚長に就任しました まっさきはじめ(先崎一) 東方の三博士がイエス・キリストの誕生時に贈り物として捧げた物 もつやく(没薬) 沖縄県の飛行場・新石垣空港の愛称は? 「ぱいぬしま」(南ぬ島)石垣空港 1959年に森ビルを創業した長者番付の常連だった実業家 もりたいきちろう(森泰吉郎) 2017年に1億総活躍担当大臣に就任した政治家です まつやままさじ(松山政司) 建物や橋などを解体することなくそのままの状態で移動させる技法 ひきや(曳家) 売買単位が1株に満たない株式のことです はかぶ(端株) 2012年より岡山県知事を務めています いばらぎりゅうた(伊原木隆太) 参議院副議長も務めた元女優の政治家です さんとうあきこ(山東昭子) 2010年に「建築界のノーベル賞」プリツカー賞を受賞しました にしざわりゅうえ(西沢立衛) PHP総合研究所前社長という経歴を持つ参議院議員です えぐちかつひこ(江口克彦) 盗品であると知りながら品物を売買する行為です けいずがい(窩主買い) 2010年に社会民主党国会対策委員長に就任した政治家です てるやかんとく(照屋寛徳) 1920年に日立製作所を創業した実業家です おだいらなみへい(小平浪平) 「タムゲン」という愛称で呼ばれた元衆議院議長です たむらはじめ(田村元) 農林水産大臣、文部大臣などを歴任した自民党の政治家です おおしまただもり(大島理森) ミュージカル「アニー」に主演したこともある立憲民主党の議員 やまおしおり(山尾志桜里) 「デフレの正体」などの著者で知られる経済学者です もたにこうすけ(藻谷浩介) 1989年から1999年にかけてソニーの初代CEOを務めました おおがのりお(大賀典雄) 2001年の衆院選滋賀2区で当選するも翌年に死去した政治家です こにしあきら(小西哲) 宮崎県日南市の鵜戸神宮にある「古事記」にも登場する神宝 しおみつたま(潮満珠) 宮崎県日南市の鵜戸神宮にある「古事記」にも登場する神宝 しおふるたま(潮涸珠) 小泉内閣で環境大臣と外務大臣を務めた女性政治家です かわぐちよりこ(川口順子) 中部国際空港の開港や愛知万博の開催に尽力した前・愛知県知事 かんだまさあき(神田真秋) 日本の株式市場の現物株取引では禁止されている行為です さきんけっさい(差金決済) アナログレコードの生産を行う数少ない会社の一つです とうようかせい(東洋化成) 北方領土の歯舞群島の中で面積が最大の島です しぼつとう(志発島) 北方領土に含まれる、多楽島や水晶島などの島々から成る群島 はぼまいぐんとう(歯舞群島) 三重県志摩市にある近鉄志摩線の終着駅は? 「かしこじま」(賢島)駅 岡山市に本店を置く百貨店 てんまや(天満屋) 韓国最大手の自動車メーカーは? 「ヒュンダイ」(現代)自動車 2012年の衆院選で14選をめざした加藤紘一を破り初当選 あべじゅいち(阿部寿一) 日本人として初めて国際海洋法裁判所の所長に選出されました やないしゅんじ(柳井俊二) 長野県塩尻市に記念館がある筑摩書房の創業者 ふるたあきら(古田晁) 2008年に航空幕僚長を解任された元航空自衛官は? たもがみとしお(田母神俊雄) 2014年7月に韓国の保守系与党セヌリ党の党首に就任した政治家 キムムソン(金武星) ふりかけやインスタント味噌汁でおなじみの永谷園の創業者です ながたによしお(永谷嘉男) 男女関係を口実に、相手から金品を脅し取る犯罪行為 つつもたせ(美人局) JRの鉄道駅を五十音順に並べると最初にくるのは? 「あいおい」(相生)駅 両国国技館がある東京都墨田区の町 よこあみ(横網) 日本一人口密度が低い町は北海道の? 「ほろかない」(幌加内)町 米の価格が下落しないように生産調整を行う日本の農業政策 げんたんせいさく(減反政策) 刑務所などの矯正施設で受刑者に説法を行う人物 きょうかいし(教誨師) 「鎌倉のアジサイ寺」と呼ばれる真言宗の寺 じょうじゅいん(成就院) 高原キャベツの生産で有名な群馬県北西部の村は? 「つまごい」(嬬恋)村 人材派遣会社テンプスタッフを創業した女性実業家です しのはらよしこ(篠原欣子) 日本人事業家として初めて雑誌「TIME」の表紙を飾った人物 かがみけんきち(各務鎌吉) 2005年に誕生した鹿児島県の都市は? いちき「くしきの」(串木野)市 千葉県の環境大使に任命された「清掃登山」で有名な登山家です のぐちけん(野口健) 東京都に本社を置く、自動制御機器のメーカーは? 「さぎのみや」(鷺宮)製作所 神を祭る神聖な場所に張ります しめなわ、しりくめなわ、しりくべなわ(注連縄) 2012年6月に宮内庁長官に就任しました かざおかのりゆき(風岡典之) 国際柔道連盟会長も務めた東海大学の創立者です まつまえしげよし(松前重義) 2010年に土砂崩れで全壊した正岡子規、夏目漱石ゆかりの建物 ぐだぶつあん(愚陀仏庵) 生キャラメルが人気の「花畑牧場」がある北海道の村です なかさつないむら(中札内村) 三井住友銀行は、住友銀行と何銀行が合併してできた?(桜の画像) 「さくら」銀行 石川県白山市にあるパワースポットは? 「しらやまひめ」(白山比咩)神社 民社党の委員会を務めた日本の政治家です おおうちけいご(大内啓伍) 通称を「目黒不動」という東京都目黒区のお寺です りゅうせんじ(瀧泉寺) 東京メトロ・日比谷線の駅です なかおかちまち(仲御徒町) 宝石の街として知られる東京都台東区の地区 おかちまち(御徒町) 周辺に数多くの宝飾品関連の店が軒を並べるJR東日本の駅 おかちまち(御徒町) 2006年に合併により誕生した高知県の市は? 「こうなん」(香南)市 「君が代」の歌詞にも登場する言葉です さざれいし(細石) 2011年2月の愛知県知事選で初当選を果たしました おおむらひであき(大村秀章) 現在の新橋駅がある場所にかつて存在した国鉄の駅 からすもり(烏森) 1985年に廃止された旧国鉄の路線です しょこつせん(渚滑線) 1984年に廃止された、旧・国鉄の赤谷線にあった駅です いじみの(五十公野) 1985年に廃止された旧国鉄の路線 むろきせん(室木線) 労働組合と度々衝突した国鉄の第6代総裁です いそざきさとし(磯崎叡) 愛知県名古屋市中村区にある近鉄名古屋線の駅です かすもり(烏森) 2015年3月に北陸鉄道石川線に設置された新駅は? 「ひばり」(陽羽里)駅 2000年に噴火した北海道の洞爺湖の南に位置する火山 うすさん、うすざん(有珠山) 広島県にある人気スキー場は? 「おそらかん」(恐羅漢)スノーパーク 信楽焼の産地である滋賀県南部の都市です こうかし(甲賀市) 野田内閣で財務大臣を務めた政治家です あずみじゅん(安住淳) 中国・福建省にある世界遺産です ぶいさん(武夷山) 江戸時代に始まった、熊本県の北部で生産される磁器です しょうだいやき(小代焼) 第2次森改造内閣で防衛庁長官を務めました さいとうとしつぐ(斉藤斗志二) JR北海道函館本線にある難読で有名な駅は? 「くっちゃん」(倶知安)駅 羊蹄山の北西にある北海道の町 くっちゃん(倶知安) 羊蹄山のふもとにある北海道の町 くっちゃん(倶知安) アニメ「崖の上のポニョ」の舞台とされる広島県福山市の景勝地 とものうら(鞆の浦) 「声に出して読みたい日本語」で知られる日本の教育学者です さいとうたかし(齋藤孝) 熊野古道の中で一番の難所とされるのは? 「やきやま」(八鬼山)越え 現代文に関する著書も多い東進ハイスクールの名物講師 でぐちひろし(出口汪) 山形県の伝統工芸品です おいたまつむぎ(置賜紬) 沖縄本島北西部から東シナ海に突き出した半島です もとぶはんとう(本部半島) 白夜の反対の現象は? きょくや(極夜) 「日本未来の党」の代表も務めた、滋賀県の元知事です かだゆきこ(嘉田由紀子) 小学生時代の安倍晋三の家庭教師を務めた政治家です ひらさわかつえい(平沢勝栄) 目標物を燃やすために使用する砲弾です しょういだん(焼夷弾) 現在の鳥取県中西部にかつて存在した国です ほうき(伯耆) 上智大学と姉妹校の関係にある名古屋市にある私立大学です なんざんだいがく(南山大学) 長崎県佐世保市にある九州最西端の岬です こうざきはな(神崎鼻) アニメ「鷹の爪」の制作会社の社長を父に持つ女子高生起業家 しいきりか(椎木里佳) 茨城県水戸市の南東に位置する汽水湖です ひぬま(涸沼) 2009年9月に公明党の幹事長に就任しました いのうえよしひさ(井上義久) 株取引で注文が執行され売買が成立すること やくじょう(約定) 北緯23度27分です きたかいきせん(北回帰線) 家畜と共に、地域を移動しながら牧畜をすることです ゆうぼく(遊牧) 夏はキャンプ客で賑わう新潟県魚沼市の景勝地です ぎんざんだいら(銀山平) 親日家が多い国です(トルコ国旗の画像) トルコ 「いそべさん」と親しまれる伊勢神宮の別宮の正式名は? いざわのみや(伊雑宮) 奈良県にある「大和三山」の1つ うねびやま(畝傍山) 奈良県にある「大和三山」の1つ みみなしやま(耳成山) 奈良県にある「大和三山」の1つ かぐやま(香具山) 氷河地形の一つ、山崎カールに名を残している地理学者 やまさきなおまさ(山崎直方) 神道で、神さまへ奏上する言葉のことです のりと(祝詞) 京都の鹿苑寺金閣を水面に映している池です きょうこち(鏡湖池) 日本で初めて角砂糖の製造に成功して「砂糖王」と呼ばれた人物 まつえはるじ(松江春次) 1980年にデンマーク大使に就任し日本初の女性大使となりました たかはしのぶこ(高橋展子) 胃腸の湯として有名な宮城県の温泉は? 「がが」(峩々)温泉 サンシャイン水族館等を手掛けた日本唯一の水族館プロデューサー なかむらはじめ(中村元) 長崎市で江戸時代から生産されている陶器です うつつがわやき(現川焼) 兵庫県西宮市に本部を置く名門私大は? 「かんせいがくいん」(関西学院)大学 2001年から2009年まで千葉県知事を務めた女性政治家です どうもとあきこ(堂本暁子) パナマ文書によりこれが物議を呼んでいます そぜいかいひ(租税回避) 源氏一族の悲劇の舞台として有名な静岡県伊豆市にある寺 しゅぜんじ(修禅寺) 海苔とお茶で知られる日本の食品メーカーです やまもとやま(山本山) 福井県にある三方五湖のひとつ ひるがこ(日向湖) 富士五湖の一つです しょうじこ(精進湖) ニュース番組などでおなじみの元野村證券社員のジャーナリスト たからべせいいち(財部誠一) 「石山の石より白し秋の風」と松尾芭蕉が詠んだ小松市の寺 なたでら(那谷寺) 2000年に誕生した日本初の女性知事です おおたふさえ(太田房江) 宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」の舞台となった岩手県の高原 たねやまがはら(種山ヶ原) 2014年から2017年までローソンの社長を務めた実業家です たまつかげんいち(玉塚元一) 2023年4月に経済同友会の代表幹事に就任した実業家 にいなみたけし(新浪剛史) 2002年から2014年までローソンの社長を務めました にいなみたけし(新浪剛史) 元総理大臣・小泉純一郎を支えた議員秘書です いいじまいさお(飯島勲) 政界を比喩する時にも使われる様々な妖怪や怪物を表す言葉 ちみもうりょう(魑魅魍魎) 皇位の象徴とされる「三種の神器」の1つ やたのかがみ(八咫鏡) 三種の神器の一つ、草薙剣を祀っている名古屋市の神社 あつたじんぐう(熱田神宮) 滋賀県高島市にある陸上自衛隊の演習場は? 「あいばの」(饗庭野)演習場 「尊塾」の代表を務める多数の著書がある英語講師 みやざきそん(宮崎尊) 清流として知られる北海道南部の川 さるがわ(沙流川) 1871年にできた灯台がある伊豆半島最南端の岬 いろうざき(石廊崎) 島根県と鳥取県にまたがる日本で5番目に大きい湖 なかうみ(中海) かつて「三関」と呼ばれて重視された関所の一つです あらち(愛発) 2003年に設立された、奈良県広陵町にある私立大学です きおうだいがく(畿央大学) だるま市やそばで有名な東京都調布市にあるお寺 じんだいじ(深大寺) 野球で使う木製バットの生産量で日本一を誇る富山県の都市です なんとし(南砺市) 港湾で大型船と陸を往復して荷物を運ぶ小舟のこと はしけ(艀) 水位の違う二つの地点間に船を通行させる運河の装置 こうもん(閘門) 温泉町として有名な神奈川県の町です ゆがわらまち(湯河原町) 広島県の厳島神社で一番最初に迎えてくれるのは? 「まろうど」(客)神社 2010年2月に長崎県知事に就任しました なかむらほうどう(中村法道) 2010年の宮崎県知事選で当選した「東国原英夫の後継者」 こうのしゅんじ(河野俊嗣) 神奈川県の無形文化財にも指定されている祭りです こうのまち(国府祭) かつては相模国の国府があった小田原市の町 こうづ(国府津) 作家・織田作之助の出身校でもある大阪府の何高校? 「こうづ」(高津)高校 パレスサイドビル、ポーラ五反田ビルなどを手がけた建築家です はやししょうじ(林昌二) 「夜回り先生」の愛称で知られる児童福祉運動家です みずたにおさむ(水谷修) チベット語で「神の地」という意味の中国チベット自治区の都市 ラサ(拉薩) 国土交通大臣、環境大臣などを歴任した政治家です いしはらのぶてる(石原伸晃) 「平成の鬼平」との異名をとった日本銀行の第26代総裁です みえのやすし(三重野康) 近衛内閣で大蔵大臣を務めた日本銀行の第14代総裁です いけだせいひん(池田成彬) 昭和金融恐慌と対峙した日本銀行の第10代総裁です いちきおとひこ(市来乙彦) 日露戦争の戦費調達に尽力した日本銀行の第6代総裁です まつおしげよし(松尾臣善) 1984年から1989年まで日本銀行の総裁を務めました すみたさとし(澄田智) 日本銀行の初代総裁を務めました よしはらしげとし(吉原重俊) 国産初の盲導犬・チャンピイを育てた「日本の盲導犬の父」 しおやけんいち(塩屋賢一) かつて塩の道として栄えた愛知県の街道は? 「あすけ」(足助)街道 江戸時代に伝馬町の牢屋があった場所にあたる東京・日本橋の公園 じっしこうえん(十思公園) 長野県の諏訪湖などで冬に見られる現象 おみわたり(御神渡) 「モノづくりのマチ」として若者に人気の東京・台東区の地域 かちくら(徒蔵) 摩周湖や屈斜路湖がある北海道の町 てしかが(弟子屈) 「中国のユダヤ人」とも呼ばれる漢民族のグループです ハッカ(客家) 安藤忠雄と共に東京スカイツリーのデザイン監修を務めた彫刻家 すみかわきいち(澄川喜一) 渡良瀬川のものが有名な洪水や水害を防ぐための池 ゆうすいち(遊水地) 平安神宮で再現されている平安京にあった建物 だいごくでん(大極殿) 遷都1300年祭にあわせ、平城京跡で復元がされたのは? 「だいごくでん」(大極殿)正殿 2017年4月に、日産の代表取締役社長兼CEOに就任する人物です さいかわひろと(西川広人) 船が事故や座礁したとき引いて航行すること えいこう(曳航) 修正発射のため、発行しながら飛んで行く弾丸のこと えいこうだん(曳光弾) 交通標識の一つです ちゅうしゃきんし(駐車禁止) 九州一の大都市です ふくおかし(福岡市) 「朝日新聞」夕刊の1面に掲載されるコラムです そりゅうし(素粒子) 彫った模様に金や銀をはめ込む工芸品の装飾技法です ぞうがん(象嵌) 湾岸戦争などで活躍した今は亡き軍事評論家です えばたけんすけ(江畑謙介) 紅葉の名所として知られる長野県にある高原です ひじりこうげん(聖高原) 敷地面積に対する建物の延べ床面積の割合 ようせきりつ(容積率) 太平洋戦争の激戦地となった東京都小笠原村にある島です いおうじま(硫黄島) 2012年に発足したアイヌ民族党の代表を務める政治家です かやのしろう(萱野志朗) 1994年に当選したアイヌで最初の国会議員です かやのしげる(萱野茂) 1970年代半ばから、超能力者として各種メディアで活躍しました きよたますあき(清田益章) 新潟県長岡市に本店がある地方銀行は? 「たいこう」(大光)銀行 木曽川中流域に広がる岐阜県にある景勝地 えなきょう(恵那峡) 秋田県男鹿市にある稼働中の油田は? 「さるかわ」(申川)油田 四国八十八箇所の第八十八番札所がある寺 おおくぼじ(大窪寺) バブル期にアメリカで活躍した怪しい髪型で有名な国際弁護士 ゆあさたかし(湯浅卓) 1999年に延長された山形新幹線の終点 しんじょう(新庄) 1977年にニューネッシーと呼ばれる死骸を引き上げた漁船 ずいようまる(瑞洋丸) 霊を自分に憑依させその意志を語る術 くちよせ(口寄せ) 北九州地域を代表する総延長61kmの川 おんががわ(遠賀川) 2011年から2012年まで第95代内閣総理大臣を務めました のだよしひこ(野田佳彦) 「大阪維新の会」の政権公約・維新八策の起草者です あさだひとし(浅田均) 2015年から維新の党の代表を務めた政治家です まつのよりひさ(松野頼久) 熊本県や鳥取県が名産地である野菜の一種です すいか(西瓜) 松本清張の小説「ゼロの焦点」の舞台となった石川県の景勝地 のとこんごう(能登金剛) 1916年に「貧乏物語」を書いた日本の経済学者です かわかみはじめ(河上肇) 岩手県のものが特に有名な裸祭り そみんさい(蘇民祭) 「検察の在り方検討会議」の座長を務める元・法務大臣です ちばけいこ(千葉景子) 九州地方の県です かごしまけん(鹿児島県) 2009年8月に「みんなの党」を旗揚げした政治家です わたなべよしみ(渡辺喜美) 北海道の都市です(赤レンガ倉庫の画像) おたる(小樽) 1989年に女性として初めて内閣官房長官に就任しました もりやままゆみ(森山真弓) 北極や南極に近い地方で真夜中でも明るい現象 びゃくや(白夜) 自宅で保管しているお金や財産のこと たんすよきん(箪笥預金) 1979年に「天中殺」という言葉を流行させた占い師です いずみそうしょう(和泉宗章) JR線の最高地点がある長野県南佐久郡の村です みなみまき(南牧) 本州にある都市で人口が最も少ないのは石川県の何市? すずし(珠洲市) 千葉県船橋市にある東葉高速鉄道の駅 はさま(飯山満) 愛称を「フルーツライン」というJR東日本の路線です あてらざわせん(左沢線) 三方五湖の北西から若狭湾に突き出ている福井県の半島 つねがみはんとう(常神半島) 桜の名所として有名な京都市東山区の公園です まるやまこうえん(円山公園) 桜の名所として有名な京都市右京区にあるお寺 にんなじ(仁和寺) 「古都京都の文化財」の一部として世界遺産に登録されています にんなじ(仁和寺) 17歳のときに日光・華厳の滝に身を投げた旧制一高の学生です ふじむらみさお(藤村操) 福田内閣、麻生内閣で国家公安委員長を務めた政治家です はやしもとお(林幹雄) 日本の市の中で唯一名前が「る」で始まります るもいし(留萌市) 近くに寺田屋跡地がある京阪電鉄の駅は? 「ちゅうしょじま」(中書島)駅 香川県の小豆島にある観光名所 かんかけい(寒霞渓) 小豆島の景勝地「寒霞渓」の名付け親である儒学者です ふじさわなんがく(藤沢南岳) 鉄分により茶色い濁り湯で有名な岐阜県下呂市の温泉は? 「にごりご」(濁河)温泉 ビキニ環礁での被曝被害にあった日本の反核運動家 おおいしまたしち(大石又七) 朱色の橋で本土と繋がっている福井県の越前海岸の最大の島 おしま(雄島) 環境省・原子力規制委員会の初代委員長です たなかしゅんいち(田中俊一) 東京都足立区にある日暮里・舎人ライナーの駅 やざいけ(谷在家) 東京都足立区にある日暮里・舎人ライナーの駅 あだちおだい(足立小台) 東京都奥多摩町にある、関東一の規模を誇る鍾乳洞は? 「にっぱら」(日原)鍾乳洞 北朝鮮のロケット発射基地は? 「トンチャンリ」(東倉里)基地 世界遺産の城跡がある沖縄県国頭郡の村 なきじん(今帰仁) 世界遺産にも指定されている沖縄本島にあるお城です なきじんじょう(今帰仁城) 毎年2月の第3土曜日に開催される岡山市のお祭りです さいだいじえよう(西大寺会陽) 北海道最東端に位置する岬です のさっぷみさき(納沙布岬) 工事などの進み具合を表した数値のことです しんちょくりつ(進捗率) 白線流しの行事で有名な高校は高山市にある岐阜県立何高校? 「ひだ」(斐太)高校 近くには「石見銀山」がある島根県の温泉地 ゆのつおんせん(温泉津温泉) 2007年に世界遺産に登録された石見銀山がある都市 おおだし(大田市) 2010年12月に開業した東北新幹線の駅は? 「しちのへとわだ」(七戸十和田)駅 スキー場としても知られる山形県にある標高2000mの山 かいらぎだけ(梅花皮岳) かつては国政で活躍し、2019年に群馬県知事に就任した政治家です やまもといちた(山本一太) 第2次安倍内閣で沖縄・北方担当相などを務めた政治家です やまもといちた(山本一太) 作物を育てるため、農地へ水を人為的に供給することです かんがい(灌漑) 未だ征服されていない山のことです みとうほう(未踏峰) 三重県伊勢市にある夫婦岩で有名な海岸 ふたみがうら(二見浦) 鉄道会社の経営には必要不可欠です りょかく、りょきゃく(旅客) 歌舞伎の定式幕にも使われる色です もえぎいろ(萌葱色) 2013年に「結いの党」の初代副代表に就任した政治家です てらたすけしろ(寺田典城) 山梨県、埼玉県、長野県の県境にある標高2475mの山 こぶしがたけ(甲武信ヶ岳) 玉串や注連縄に付けられる切り紙のことです しで(紙垂) 現在の迎賓館である旧赤坂離宮を設計した建築家 かたやまとうくま(片山東熊) 国土庁長官、法務大臣、文部大臣などを歴任した政治家です おくのせいすけ、おくのせいりょう(奥野誠亮) 空海が悟りを開いた場所とされる室戸岬にある洞穴 みくろど(御厨人窟) 珍駅名として有名な上信電鉄の駅です なんじゃい(南蛇井) 古くから信仰の対象となってきた長野・岐阜の県境にある山です おんたけさん(御嶽山) 京都の妙心寺退蔵院のように本寺の境内にある小さい寺 たっちゅう(塔頭) 寺院の境内にある個別の小さい寺のこと たっちゅう(塔頭) 雪舟が作った庭園があることで知られる、東福寺の塔頭 ふんだいん(芬陀院) 鳥取市にある因幡三山と呼ばれる山の一つです こしきやま(甑山) 沖縄県人の信仰の拠り所となる神が宿るとされる聖なる場所 うたき(御嶽) 福岡県北部にある都市です むなかたし(宗像市) 法律用語で、互いの借金を損得がないように差し引くこと そうさい(相殺) 北流して日本海に注ぐ北海道で2番目に長い川 てしおがわ(天塩川) 2013年1月1日に誕生した千葉県の都市は? 「おおあみしらさと」(大網白里)市 2001年に初代厚生労働大臣に就任した政治家です さかぐちちから(坂口力) 「トヨタ博物館」がある愛知県の都市です ながくてし(長久手市) 江戸時代には外国船の監視が行われた長崎県の岬 のもざき(野母崎) 仏教における苦しみ「四苦八苦」のひとつ ごうんじょうく(五蘊盛苦) 水郷都市として有名な茨城県の都市です いたこし(潮来市) 高級住宅街として知られる兵庫県芦屋市の町名です ろくろくそう(六麓荘) 静岡県の三保の松原はこれの一種 さし(砂嘴) 「とっとり梨の花温泉郷」の一つ はわいおんせん(羽合温泉) 江戸時代の佐賀藩の藩校の名前に由来するのは佐賀県立何高校? 「ちえんかん」(致遠館)高校 東京都港区芝公園内にある徳川家の菩提寺 ぞうじょうじ(増上寺) 「三大盆踊り」の1つとされる盆踊りで有名な岐阜県の都市 ぐじょうし(郡上市) 農作物が入れ替わります はざかいき(端境期) 豊後富士という別名を持つ大分県にある活火山です ゆふだけ(由布岳) メノウ細工で知られる福井県小浜市の集落 おにゅう(遠敷) 魚を誘い寄せるために夜間、漁船で焚く火のことです いさりび(漁り火) 1980年代に急速な発展を遂げた中国の中小企業を指した言葉 ごうちんきぎょう(郷鎮企業) コートジボアールを日本語に訳すと? ぞうげかいがん(象牙海岸) 「ブータン農業の父」といわれる日本の農業指導者 にしおかけいじ(西岡京治) 西淀川区役所の最寄り駅であるJR東西線の駅です みてじま(御幣島) 京都の金閣寺こと鹿苑寺の境内にある茶室です せっかてい(夕佳亭) 秋のススキで有名な奈良県の高原 そにこうげん(曽爾高原) 江戸時代の米沢藩の藩校の名前に由来するのは? 山形県立米沢「こうじょうかん」(興譲館)高校 青森県のねぶた祭りで花笠をかぶって踊る人のこと はねと(跳人) 世界有数の大都市です ニューヨーク(紐育) ニューヨーク近代美術館新館などを手がけた建築家です たにぐちよしお(谷口吉生) 第2次安倍内閣で外務大臣を務める政治家です きしだふみお(岸田文雄) 2016年まで行われた東北地方の夏祭りが一堂に会するイベント ろっこんさい(六魂祭) ベトナムの都市ホーチミンの旧称 サイゴン(西貢) 日本人として初めて国際司法裁判所の所長を務めました おわだひさし(小和田恒) 関西文化学術研究都市が位置する京都府精華町の一地区です ほうその(祝園) 十和田湖から流れ出ている青森県の川は? 「おいらせ」(奥入瀬)川 世界遺産・白神山地を流れる川の一つです おいらせがわ(追良瀬川) 広島のマツダ本社の最寄り駅であるJR山陽本線の駅です むかいなだ(向洋) 古書店が建ち並ぶ東京・神田の地名です じんぼうちょう(神保町) 2009年~2012年まで自民党総裁を務めた政治家です たにがきさだかず(谷垣禎一) 2011年3月にに外務大臣に就任した民主党の政治家です まつもとたけあき(松本剛明) 庭園や公園に設置される休憩用の簡素な建物のこと あずまや(四阿) 2016年5月に公開された陸上自衛隊の新エンブレムの名前 さくらかたな(桜刀) 牡丹の美しさで有名な京都府長岡京市のお寺 おとくにでら(乙訓寺) 東京都世田谷区にある地域です ふたこたまがわ(二子玉川) 東京都世田谷区にある東急大井町線の駅です かみのげ(上野毛) 1927年に「渡辺銀行が破綻した」と失言して恐慌を招いた大蔵大臣 かたおかなおはる(片岡直温) 山口県下関市に属する響灘に浮かぶ小さな島です ふたおいじま(蓋井島) 日本で最も人口の少ない都市です うたしないし(歌志内市) 「日本三大秘湯」の一つは徳島県三好市の何温泉? 「いや」(祖谷)温泉 秘境として知られる徳島県西部の地域 いや(祖谷) JR四国内子線の起点である愛媛県大洲市の駅は? 「にいや」(新谷)駅 眼鏡店「JINS」を運営する会社・ジェイアイエヌの創業者 たなかひとし(田中仁) ロサンゼルス現代美術館、つくばセンタービルなどで有名な建築家 いそざきあらた(磯崎新) 石川県金沢市と白山市にまたがるスキー場で有名な高原です ししくこうげん(獅子吼高原) 旅行先で、一定の期間とどまることです とうりゅう(逗留) 2016年7月の鹿児島知事選挙に勝利した元テレビ朝日記者です みたぞのさとし(三反園訓) 井原鉄道井原線の駅の1つは? 「びっちゅうくれせ」(備中呉妹)駅 国家資格の一つです せいかえいせいし(製菓衛生師) 国家資格の1つです かいじだいりし(海事代理士) 著書に「米国の日本占領政策」がある防衛大学校長も務めた学者 いおきべまこと(五百旗頭真) 日本家屋の塀際に植えられている松の木のことです みこしのまつ(見越しの松) 境内の芸能神社で有名な京都の神社は? 「くるまざき」(車折)神社 鶴巻温泉があることで有名な神奈川県中西部の都市です はだのし(秦野市) 兵庫県豊岡市にあるスキー場は? 「おくかんなべ」(奥神鍋)スキー場 古くからスキー場で有名な兵庫県の高原は? 「かんなべ」(神鍋)高原 6年に1度開催される長野県・諏訪大社の勇壮な祭り みはしらさい、おんばしらさい、おんばしらまつり(御柱祭) 日本で最初に営業運転を始めた東京メトロの路線です(オレンジのラインがある車両の画像) ぎんざせん(銀座線) 日本海軍が開発した日本初のジェット機 きっか(橘花) カトリック教会で、ローマ教皇に次ぐ聖職位です すうききょう、すうきけい(枢機卿) 日本は12海里まで りょうかい(領海) その噴火によって尾瀬沼ができた福島県にある東北最高峰の火山 ひうちがたけ(燧ヶ岳) 毎年、今年の漢字の発表の際に漢字を書いている清水寺の住職 もりせいはん(森清範) 京都・清水寺の近くにある観光地となっている坂道 さんねいざか(産寧坂) 縁結びの神様として有名な京都市の神社は? 「じしゅ」(地主)神社 縁結びで知られる清水寺の境内にある神社は? 「じしゅ」(地主)神社 鳥山石燕の画集「今昔百鬼拾遺」に登場する毛むくじゃらの妖怪 けうけげん(毛羽毛現) 新神戸駅と新長田駅を結ぶ神戸市営地下鉄の路線です やまてせん(山手線) 毎年8月3日~6日に秋田市で開催される祭りです かんとうまつり(竿燈まつり) 中国が南シナ海での領有権を主張するために設定した境界線 きゅうだんせん(九段線) 北京にある世界遺産です いわえん(頤和園) 「日本一のモグラ駅」と呼ばれるJR上越線にある駅は? 「どあい」(土合)駅 大分県の「県の花」です ぶんごうめ(豊後梅) 札幌の「YOSAKOIソーラン祭り」創始者としても有名な参議院議員 はせがわがく(長谷川岳) 人力の鳥型飛行機で飛行に成功したという18世紀琉球王国の人物 とびあさと(飛び安里) 現在も現役として活躍する日本初の女性報道写真家 ささもとつねこ(笹本恒子) 周辺は山田錦など酒米の産地である兵庫県の川は? 「みのう」(美嚢)川 蜘蛛の糸を巻きつけて男を喰らうとされる妖怪 じょろうぐも(絡新婦) 京都帝国大学法学部教授時代に思想弾圧を受けた法学者です たきがわゆきとき(滝川幸辰) 2012年から2015年まで安倍内閣で文部科学大臣を務めた政治家 しもむらはくぶん(下村博文) 滋賀県の琵琶湖に浮かぶ人工島は? 「やばせきはん」(矢橋帰帆)島 こけしで有名な宮城県の蔵王にある温泉は? 「とおがった」(遠刈田)温泉 三途川で死んだ者から衣服を剥ぎ取る役目の鬼です だつえば(奪衣婆) 三途の川で亡者の着物をはぐといわれています だつえば(脱衣婆) 1990年代に雲仙・普賢岳から噴出し甚大な被害を生んだ現象 かさいりゅう(火砕流) 栃木県那須塩原市にある塩原温泉郷の一つは? 「はたもと」(畑下)温泉 栃木県那須塩原市にある温泉は? 「さんどごや」(三斗小屋)温泉 栃木県那須塩原市の那珂川上流部にあるダムは? 「みやま」(深山)ダム 2005年10月に誕生した栃木県の都市です なすからすやまし(那須烏山市) 土方歳三も入ったという北海道函館市にある温泉は? 「かっくみ」(川汲)温泉 多くは道路や歩道となっているダムの堤の最上部のことです てんば(天端) 国会でも発言した、学生団体「SEALDs」の創設メンバー おくだあき(奥田愛基) 路線が廃線になる日やセレモニーに集まる鉄道ファンのこと そうしきてつ(葬式鉄) 廃止される鉄道の、最後の営業日に集まる鉄道マニアのことです とむらいてつ(弔い鉄) 東京拘置所の所在地でもある東京都葛飾区の地名です こすげ(小菅) 北海道新幹線の開業後は「新函館北斗駅」と改称される何駅? 「おしまおおの」(渡島大野)駅 2016年3月より開業する北海道新幹線の駅 きこないえき(木古内駅) 発電にも利用される、引力に伴う海水面の上下動のこと ちょうせき(潮汐) シドニーにある観光名所です(オペラハウスの画像) オペラハウス 関門海峡と玄界灘の間にある日本海の海域 ひびきなだ(響灘) 第2次安倍内閣で防衛大臣を務めた政治家です おのでらいつのり(小野寺五典) ループ線とスイッチバックで有名なJR肥薩線の駅です おこば(大畑) 2009年に8年ぶりに解放された北海道千歳市の観光名所です こけのどうもん(苔の洞門) 有名な歌人を父方の祖父母に持つ政治家です よさのかおる(与謝野馨) 2016年に参議院選挙に当選した独立総合研究所の元社長 あおやましげはる(青山繁晴) 金貨や銀貨などの本位紙幣と交換できる紙幣のことです だかんしへい(兌換紙幣) スキー客も多い、長野県の志賀高原にある温泉は? 「ほっぽ」(発哺)温泉 三重県伊賀地方や京都が特産の伝統工芸品です(画像) くみひも(組紐)、うちひも(打ち紐)、うちお(打ち緒) 衆議院と参議院で構成されています こっかい(国会) 日本が誇る高速鉄道です しんかんせん(新幹線) 「フレックス」「フレックスパル」はこの鉄道路線の定期券 しんかんせん(新幹線) 詔勅や法律の末尾に記される天皇の名前と天皇の公印のこと ぎょめいぎょじ(御名御璽) それぞれの前任は小泉純一郎と野田佳彦です あべしんぞう(安倍晋三) 坊っちゃんカラクリ時計で有名な松山市の道後温泉駅前にある広場 ほうじょうえん(放生園) その河畔に妙見温泉がある鹿児島県霧島市を流れる川 あもりがわ(天降川) 童謡「春の小川」のモデルとされる渋谷を流れていた川 こうほねがわ(河骨川) 愛知県豊田市の改名される前の名前 ころも(挙母) 宮城県にあるナンバーバンクは? 「しちじゅうしち」(七十七)銀行 仙台市に本店を置く地方銀行は? 「しちじゅうしち」(七十七)銀行 「萌えない萌えキャラ」として話題の焼津商工会議所のキャラ やいづみおん(焼津海音) 音楽で有名なヨーロッパの都市 ウィーン(維納) 神奈川の「県の木」です イチョウ(鴨脚) 「ラッコの島」の別名を持つ千島列島の島は? 「うるっぷ」(得撫)島 長野県と岐阜県の県境にある日本で8番目に高い山です からさわだけ(涸沢岳) 井戸の水が酒になったという伝説から名がついた千葉県の町 しすい(酒々井) 茨城県水戸市にキャンパスがある私立大学です ときわだいがく(常磐大学) 宮城県や福島県、埼玉県で「県の木」となっています けやき(欅) 東京浅草の浅草神社で毎年5月に行われる祭です さんじゃまつり(三社祭) 毎年6月15日に行われる「江戸三大祭り」の1つ さんのうまつり(山王祭) アフリカの国です ケニア(肯尼亜) アフリカの国です アルジェリア(阿爾及) アフリカの国です エチオピア(哀提伯) アフリカの国です タンザニア(坦桑尼亜) アフリカの国です カメルーン(夏麦論) アフリカの国です モロッコ(摩洛哥) 日清食品の創業者です あんどうももふく(安藤百福) 日清食品を創業した人物です あんどうももふく(安藤百福) 明治神宮内にあるパワースポットとして話題となりました きよまさのいど(清正井) 2012年9月に東京・上野に開業した複合ビルは? UENO「サイゴウサン」(3153) かつてはニシン漁で栄えた北海道石狩市の集落 ごきびる(濃昼) 福島県で最大規模を誇る海水浴場は? 「なこそ」(勿来)海水浴場 地図の上部の記号一覧に書かれている「使い方」を意味する言葉 はんれい(凡例) 北海道の知床半島にある火山です しゃりだけ(斜里岳) 北海道の知床半島にある火山です らうすだけ(羅臼岳) 北海道の旧国名から一字ずつ取り命名された北海道の中部の峠 かりかちとうげ(狩勝峠) 2010年に競売にかけられ、1億円以上で落札された広島県の無人島 みつこじま(三ツ子島) 1792年の大地震でできた長崎県島原市にある島々 つくもじま(九十九島) 日本初の海水浴場とされるのは神奈川県大磯町の何海水浴場? 「てるがさき」(照ヶ崎)海水浴場 2010年8月に、大激戦となった長野県知事選挙で当選しました あべしゅいち(阿部守一) 2005年4月に誕生した兵庫県の都市です しそうし(宍粟市) 2005年4月に誕生した宮城県の都市です とめし(登米市) かつては杵島炭鉱で栄えた佐賀県の中央部にある町です おおまちちょう(大町町) 醤油の製造で有名な大分県の都市です うすきし(臼杵市) 4月と8月に湖畔でダイヤモンド富士を見れることで有名な湖です たぬきこ(田貫湖) 2015年に広島市に開業したJR西日本と広島高速交通の駅 しんはくしま(新白島) コロッセオやトレビの泉があります ローマ(羅馬) 「小水力発電のまち」として注目を集める山梨県の都市です つるし(都留市) 日立電鉄の接続駅だった茨城県にあるJR常磐線の駅 おおみか(大甕) 2009年の衆議院選挙で片山さつきを破って当選しました きうちみのる(城内実) 香川県観音寺市の銭絵に書いてある文字は?(画像) かんえいつうほう(寛永通宝) 山陰地方で一番深い池である鳥取市にある池です たねがいけ(多鯰ヶ池) 東京新聞出版局が発行する登山専門誌です がくじん(岳人) 江戸時代を舞台にした小説やドラマでおなじみです とせいにん(渡世人) 神奈川区役所の最寄り駅となっている、東急電鉄東横線の駅です たんまち(反町) 長きに渡って経団連の会長を務めた日本の実業家です いしざかたいぞう(石坂泰三) 修験者がこの滝で手を洗って身を清めたことに由来する鳥栖市の滝 おちょうずのたき(御手水の滝) 2009年から2019年まで大阪府堺市の市長を務めた政治家 たけやまおさみ(竹山修身) 2013年9月に大阪府堺市の市長に再戦した政治家です たけやまおさみ(竹山修身) 大阪産業大学や大阪桐蔭高校がある、大阪府大東市の地名 なかがいと(中垣内) 道頓堀川に架かる大阪・心斎橋にある橋 えびすばし(戎橋) クスの大樹が繁茂する神社でも知られる大阪市東住吉区の地名 くまた(杭全) 市の浄水場が設けられている大阪市東淀川区の地名です くにじま(柴島) ユニバーサル・スタジオ・ジャパンが位置する大阪市の区 このはなく(此花区) 製薬会社の本社が数多く並ぶ大阪市中央区の地名です どしょうまち(道修町) 中古車センターで有名な大阪市東部にある地名です はなてん(放出) 政治家・橋下徹の政治志向を揶揄していった言葉です ハシズム(橋下主義) 橋下徹知事により建設中止が決定された大阪のダム 「まきおがわ」(槇尾川)ダム ヨットハーバーや海水浴場が位置する大阪府岬町の地名 たんのわ(淡輪) 扇風機の国内シェア第1位を誇る大阪の家電メーカーです やまぜん(山善) 大阪市にある区の一つです にしなりく(西成区) 2012年に、公募により大阪市西成区の区長に就任 とみながまさひろ(臣永正廣) 一般には「ざまじんじゃ」と呼ばれる、大阪市の神社です いかすりじんじゃ(坐摩神社) 野生のニホンザルが生息する大阪府北部の都市 みのおし(箕面市) 道路交通情報によく登場する大阪府東大阪市の地名です みずはい(水走) 2025年の大阪・関西万博の会場となる大阪市の人工島 ゆめしま(夢洲) 2025年の万博開催を目指す大阪府が会場候補地に挙げました ゆめしま(夢洲) 難読駅名として有名なJR五能線の駅です かそせ(風合瀬) 難読駅名として有名なJR留萌本線の駅です きたいちやん(北一已) 難読駅名として有名なJR石北本線の駅 あんたろま(安足間) 難読駅名としておなじみの大阪市営地下鉄・谷町線の駅です きれうりわり(喜連瓜破) 2012年に「キン肉マン電車」を走らせた大阪の路面電車 はんかいでんしゃ(阪堺電車) 関西国際空港を設計した建築家(ピアノの画像) レンゾ・「ピアノ」 関西国際空港建設に尽力し「空港知事」と呼ばれた元・大阪府知事 きしさかえ(岸昌) 1970年に大阪万博を成功させた当時の大阪府知事 さとうぎせん(左藤義詮) 2019年に大阪市長を辞任し大阪府知事に当選した政治家 よしむらひろふみ(吉村洋文) 2015年11月の大阪市長選挙で初当選を果たした政治家です よしむらひろふみ(吉村洋文) 数多くの電器店が軒を並べる大阪市浪速区の町名です にっぽんばし(日本橋) 「食い倒れの町」と呼ばれている大都市です おおさか(大阪) 現在の大阪府南部にかつて存在した国です いずみ(和泉) 「ブドウの町」として有名な大阪府南東部の市は? 「かしわら」(柏原)市 大阪ミナミの繁華街・アメリカ村の産みの親である女性実業家 ひぎりまりこ(日限萬里子) 自らの身分や資格を表すため身に付ける記しのことです きしょう(徽章) 野田聖子と婚姻関係にあった自由民主党の政治家です つるほようすけ(鶴保庸介) 美人の湯として知られる月岡温泉がある新潟県の都市 しばたし(新発田市) 秋に北海道で行なわれる紅葉見物にかこつけた宴会のこと かんぷうかい(観楓会) 1990年に開校した千葉県松戸市に本部を置く大学 せいとくだいがく(聖徳大学) 岩手県の伝統工芸品です じょうぼうじぬり(浄法寺塗) ソニーの前身・東京通信工業を設立した一人です もりたあきお(盛田昭夫) 新潟県南西部に広がる高田平野の別名です くびきへいや(頸城平野) 英語名は「World Heritage」 せかいいさん(世界遺産) 草津川、野洲川、黄河など てんじょうがわ(天井川) 「伊豆の瞳」とも呼ばれる静岡県伊東市にある湖 いっぺきこ(一碧湖) 「朝日新聞」朝刊の1面に掲載されるコラムです てんせいじんご(天声人語) 佐賀県の武雄市役所に設置された男女の婚活を手伝う部署です おむすびか(お結び課) 高みから見おろしたように描いた図です ちょうかんず(鳥瞰図) 「杜の都」と呼ばれる東北地方最大の都市 せんだいし(仙台市) 旧ソ連大使館の別名にもなっていた東京都港区の地名 まみあな(狸穴) 福島県玉川村にある地名です むじなあな(狸穴) 標高の高い山の連なりです さんみゃく(山脈) 川崎市多摩区の中心地です のぼりと(登戸) 2011年4月の品川区議選に当選した元プロレスラーです きむらけんご(木村健悟) 醸造安全祈願祭が行われる奈良県桜井市にある神社です おおみわじんじゃ(大神神社) 火除けのご利益があるという京都の壬生寺にある柿本人麻呂の墓 ひとまるづか、ひとまるつか(人丸塚) カメルーンの国名はポルトガル語でこの生物の意味(エビの画像) エビ 新年恒例の歌会始で、天皇陛下から招かれ歌を詠む人のことです めしうど(召人) 日本の鉄道駅を五十音順に並べると最後にくるのは? 「わりだし」(割出)駅 2009年1月より山形県知事を務めている女性政治家です よしむらみえこ(吉村美栄子) 井川成正が「全国で最高齢の市長」を務めている山口県の都市 くだまつし(下松市) 富士山の裾野にできた山梨県の観光名所です おしのはっかい(忍野八海) その形から「ハートレイク」とも呼ばれる北海道えりも町の湖です とよにこ(豊似湖) 「神の国」発言で議論を呼んだかつての総理大臣です もりよしろう(森喜朗) 北野線と嵐山線の分岐点である京福電鉄の駅です かたびらのつじ(帷子ノ辻) 情報番組やワイドショーなどでおなじみの経済ジャーナリスト おぎわらひろこ(荻原博子) 三重県菰野町にある標高875mの山です きららみね(雲母峰) 「日本百名山」に数えられる標高2105mの山です いいでさん(飯豊山) 2008年にラムサール条約に登録されました けじょぬま(化女沼) 「少将の通い道」がある深草少将の自宅だった京都市のお寺 ごんじょうじ(欣浄寺) 2007年の参院選で初当選した通称「ヤンキー先生」 よしいえひろゆき(義家弘介) 東京(トンキン)と呼ばれたこともあるベトナムの都市 ハノイ(河内) 富山県にある、日本で最も面積が小さい自治体です ふなはしむら(舟橋村) 絵に描くのが簡単な妖怪です のっぺらぼう(野箆坊) 神奈川県鎌倉市にある源頼朝ゆかりの神社は? 「つるがおか」(鶴岡)八幡宮 京都市中京区にある京福電鉄の駅です さいえき(西院駅) 京都市右京区にある阪急電鉄の駅です さいいんえき(西院駅) キャンプ場などが近くにあるJR飯田線の駅です してぐり(為栗) 長野県下伊那郡天龍村にあるJR東海飯田線の秘境駅 なかいさむらい(中井侍) ひらがなでも1文字の地名です つ(津) 敦煌文書が発見された中国・甘寧省にある仏教遺跡 ばっこうくつ(莫高窟) 道路標識の一つです てんかいきんし(転回禁止) 海を見ることはできません ないりくこく(内陸国) 岩手県宮古市にある本州最東端の半島は? 「おもえ」(重茂)半島 2012年10月、法務大臣に就任するも僅か3週間で辞任 たなかけいしゅう(田中慶秋) 静岡県と長野県の県境にある日本で6番目に高い山です わるさわだけ(悪沢岳) 札幌市にある区の一つです きよたく(清田区) 新潟県に入ると信濃川になります ちくまがわ(千曲川) 華僑の送り出し港として知られる中国福建省の都市 アモイ、シアメン(厦門) 平城遷都1300年祭のマスコット「せんとくん」の恋人候補です れんかちゃん(蓮花ちゃん) 平城遷都1300年祭で人気となった「せんとくん」を制作した彫刻家 やぶうちさとし(籔内佐斗司) 平城遷都1300年祭のマスコットキャラ「せんとくん」の祖父です ろくじい(鹿爺) 平城遷都1300年祭のマスコットキャラ「せんとくん」のお兄さん ろくぼう(鹿坊) 2011年までは、日本で2番目に面積が狭い都市でした はとがやし(鳩ヶ谷市) 桝形屋旅館が唯一の旅館である山形県米沢市にある温泉 うばゆおんせん(姥湯温泉) 日産自動車の初代社長を務めた実業家です あゆかわよしすけ、あいかわよしすけ(鮎川義介) 裁判官を裁くため、国会に設けられるのは? 「だんがい」(弾劾)裁判所 ここの干拓事業が有明海などの環境保全の上で大きな問題に いさはやわん(諫早湾) 四国の水がめとして知られる高知県のダム さめうら(早明浦) 地方税の一つです じどうしゃぜい(自動車税) 2014年9月に第2次安倍改造内閣の農林水産大臣に就任した政治家 にしかわこうや(西川公也) 江戸時代の面影を色濃く残す岡山県倉敷市の何地区? 「びかん」(美観)地区 2009年までは名前がなかった和歌山県の最高峰です りゅうじんだけ(龍神岳) 他人の違法な行為の手助けすることを法律用語で何という? ほうじょ(幇助) 2005年9月に誕生した岩手県の都市です はちまんたいし(八幡平市) 2009年より静岡県知事を務めています かわかつへいた(川勝平太) 西郷隆盛、東郷平八郎らの出身地である鹿児島市にある町です かじやちょう(加治屋町) カゲロウの羽のように薄くて丈夫といわれる土佐名産の和紙 てんぐちょうし、てんぐじょうし(典具帖紙) 2015年まで住基ネットへの接続を拒否していた福島県の町 やまつりまち(矢祭町) 「奥州三名湯」のひとつです あきうおんせん(秋保温泉) JR東日本、津軽線の終点である駅です みんまや(三厩) 白鳥の飛来地として有名な新潟県阿賀野市にある湖です ひょうこ(瓢湖) 「海割れ」現象を見るため多くの人々が集まる韓国の島です チンド(珍島) 世界中の紛争地域を取材している戦場カメラマンです わたなべよういち(渡部陽一) 国内でトップシェアを誇る化粧品メーカーです しせいどう(資生堂) 政府や公的機関同士で、国際的に長期資金を貸し借りすることです しゃっかん(借款) 選挙事務所などで投票者に飲食物を出してもてなすこと きょうおう(供応) 都会から遠く離れた土地のことです へきち(僻地) 1887年に現在の三菱鉛筆を創業した実業家です まさきにろく(真崎仁六) 2009年には暴動が発生した中国の地域は? 「しんきょう」(新疆)ウイグル自治区 ウイグル族の暴動で揺れる中国の地域は? 「しんきょう」(新疆)ウイグル自治区 中国の北西部にある自治区を中心に住む民族は? 「ウイグル」(維吾爾)族 住友グループの企業城下町として有名な愛媛県の都市です にいはまし(新居浜市) 岡山城の別名です うじょう(烏城) 松本城の別名です からすじょう(烏城) 2009年6月に、31歳の若さで千葉市長に就任しました くまがいとしひと(熊谷俊人) 日本の鉄道黎明期に使われたSLの呼び名です おかじょうき(陸蒸気) 2011年1月、「ブログ市長」こと竹原信一を破り阿久根市長に就任 にしひらよしまさ(西平良将) 鉄道の設備の1つです てんてつき(転轍機) 鉄道の駅に見られる設備です まちあいしつ(待合室) 鉄道の駅で見られる設備です じどうかいさつき(自動改札機) 中国を流れる大河です こうが(黄河) 毎年12月2日、3日に催される笠鉾で有名な埼玉県のお祭 ちちぶよまつり(秩父夜祭) 松花江の南岸に位置する中国黒竜江省の省都 ハルビン(哈爾浜) 小沢一郎の父親である今は亡き政治家です おざわさえき(小沢佐重喜) 入れ歯や差し歯を作るのが仕事です しかぎこうし(歯科技工士) タカ派として活躍した今は亡き政治家です えとうたかみ(江藤隆美) 「竹下派七奉行」のひとりで「ケンカ屋」と呼ばれた政治家 おくだけいわ(奥田敬和) 東京都港区にあるセレブっぽい名前の駅 しろかねたかなわ(白金高輪) 発掘調査で太古のゾウの足跡化石が発見された三重県鈴鹿市の川 おんべがわ(御幣川) 2012年9月に自民党の副総裁に就任した政治家です こうむらまさひこ(高村正彦) モノレールの方式の1つです こざしき(跨座式) モノレールの方式の1つです けんすいしき(懸垂式) 家電量販店・コジマの創業者です こじまかつへい(小島勝平) 英語で言うと「メガロポリス」 きょたいとし(巨帯都市) 法的拘束力を有しないが、法案の施行について意見を表明する決議 ふたいけつぎ(附帯決議) 東ヨーロッパの国です ブルガリア(勃牙利) ヨーロッパの国です ロシア(露西亜) ヨーロッパの国です ドイツ(独逸) マネックス証券の最高経営責任者です まつもとおおき(松本大) 取引時間中における株価の推移のことです あゆみね(歩み値) 2012年に、民間人として初めて防衛大臣に就任しました もりもとさとし(森本敏) 2006年に合併により誕生した高知県の市は? 「かみ」(香美)市 かつては後醍醐天皇も滞在した奈良県南部の梅の名所 あのう(賀名生) 2012年に2つの氷河が確認された北アルプス・立山連峰の山です つるぎだけ(剱岳) 1998年に世界遺産に登録された中国・北京にある祭祀施設の史跡 てんだん(天檀) 思わず後ずさりすることに由来する黒部峡谷にかかる橋です あとびきばし(後曳橋) 「共産党のアイドル」と呼ばれる女性議員です きらよしこ(吉良佳子) 「パジェロの町」と呼ばれる岐阜県加茂郡の町 さかほぎ(坂祝) JR東日本とJR西日本の境界となっている長野県にある駅 みなみおたり(南小谷) 高知県にある四国最南端の岬は? 「あしずり」(足摺)岬 2013年にプリツカー賞を受賞した建築家です いとうとよお(伊東豊雄) 茨城県にある「日本三名園」のひとつ かいらくえん(偕楽園) 世界貿易センタービルや霞が関ビルを設計しました むとうきよし(武藤清) 2009~17年まで仙台市長を務めた政令指定都市では初の女性市長 おくやまえみこ(奥山恵美子) 領海などで警備・救難活動にあたる小型の艦艇の事です しょうかいてい(哨戒艇) 遠洋漁業の基地となっている宮城県北東部の都市 けせんぬまし(気仙沼市) 踏むと音がする鳴り砂で有名な宮城県気仙沼市の海岸 くぐなりはま(十八鳴浜) 2011年に天然記念物に指定された宮城県気仙沼市の鳴き砂の浜 くぐなりはま(十八鳴浜) 2011年に天然記念物に指定された宮城県気仙沼市の鳴き砂の浜 くくなきはま(九九鳴浜) 国会議員が選挙区と東京で政治活動をする様子を言った言葉 きんきからい(金帰火来) 四万十川のものが有名な増水時には見えなくなる橋です ちんかきょう、ちんかばし(沈下橋) 「三猿」の彫刻で有名な日光東照宮の建物 しんきゅうしゃ(神厩舎) 海部内閣や菅内閣、野田内閣で農林水産大臣を務めました かのみちひこ(鹿野道彦) 約20種類のワニがいる静岡県の観光名所は? 「あたがわ」(熱川)バナナワニ園 毎年多くの東大合格者を輩出する東京都文京区にある女子校です おういん(桜蔭) 長野県の鉄道路線・アルピコ交通上高地線のイメージキャラクター えんどうなぎさ(渕東なぎさ) 阪急電鉄が駅構内で展開するコンビニエンスストアです アズナス(asnas) 「鉄道世界夢紀行」などの著作で知られるフォトジャーナリスト さくらいかん(櫻井寛) 鉄道に関する著作で知られるフォトジャーナリストです さくらいかん(櫻井寛) 大分県豊後大野市と臼杵市の間にかかる重要文化財指定の石橋 こうかんきょう(虹澗橋) 加藤六月との権力闘争で有名な元自民党幹事長 みつづかひろし(三塚博) 図書館で専門的に働く人です ししょ(司書) 鉄道のレールを枕木に固定するために用います いぬくぎ(犬釘) 沿岸漁業発祥の地といわれる静岡市駿河区の地名です もちむね(用宗) いろいろ書き込んで使います しろちず、はくちず(白地図) 旅行の際には買って帰るよう無言の圧力がかかります おみやげ(御土産) 沖縄県にある世界遺産の一つ「何城跡」? 「ざきみ」(座喜味)城跡 沖縄県にある「日本で最も人口が多い村」 よみたんそん(読谷村) 宮崎県延岡市にある地名です かわずる(川水流) 文化言語学科に書道コースを持つ熊本市にある大学 「しょうけい」(尚絅)大学 1979年に、ニホンカワウソが最後に目撃された高知県の都市 すさきし(須崎市) JR九州の車両デザインで有名な工業デザイナーです みとおかえいじ(水戸岡鋭治) 校長先生の長話のせいで生徒が次々と倒れます ちょうれい(朝礼) 滑り止めの大学に入学しながら受験勉強する学生のことです かめんろうにん(仮面浪人) 茨城県常陸太田市にある温泉 「かわなかご」(川中子)温泉 北海道三名橋に数えられる釧路市にある橋です ぬさまいばし(幣舞橋) 参考書「222シリーズ」で有名な代々木ゼミナールの人気古文講師 つちやひろえい(土屋博映) オリジナルの萌えキャラが人気の八王子にある日蓮宗の寺院です りょうほうじ(了法寺) 元タカラジェンヌの経歴を持つ政治家・鳩山由紀夫の妻 はとやまみゆき(鳩山幸) 現職の参議院議長であった2011年に死去した政治家です にしおかたけお(西岡武夫) 2011年11月11日に誕生した石川県11番目の都市 ののいちし(野々市市) キリスト教の儀式の一つ ミサ(弥撒) 「国民の三大義務」の一つ きんろう(勤労) 「国民の三大義務」の一つ のうぜい(納税) 昭和新山があることで有名な北海道の町です そうべつちょう(壮瞥町) 総務大臣も務めた元鳥取県知事です かたやまよしひろ(片山善博) 2010年発足の菅改造内閣で総務大臣を務めた元鳥取県知事 かたやまよしひろ(片山善博) 京都を流れている保津川の別名 おおいがわ(大堰川) 法定人口が30万人以上であることが条件です ちゅうかくし(中核市) 株や為替で大損しないためには早めのこれが重要です そんぎり(損切り) 民主党の最高顧問を務める参議院議長も務めた政治家 えださつき(江田五月) 神奈川県西部の丹沢山地を流れる二級河川 くろくらがわ(玄倉川) チューリップの球根の生産で有名な富山県の都市 となみし(砺波市) 風力発電や太陽光発電で注目を浴びている岩手県にある町です くずまきまち(葛巻町) 本マグロの産地として有名な青森の漁港 おおま(大間) その社殿が世界遺産にも登録されている「吉野何」? みくまりじんじゃ(水分神社) 衆議院副議長も務めた「黄門様」と呼ばれた政治家 わたなべこうぞう(渡部恒三) 1992年に自民党副総裁の座を降りた政界のドン かねまるしん(金丸信) 神社で、参拝者が手や口を清める建物を何という? ちょうずや、てみずや、てみずしゃ(手水舎) 甲南大学の創立者でもある日本の実業家 平生「はちさぶろう」(釟三郎) 大都市の周辺にある中小都市 えいせいとし(衛星都市) トヨタ自動車の生産方式を生み出した元副社長です おおのたいいち(大野耐一) 地図記号では「卍」で表されます てら(寺) 「日本のハワイ」羽合温泉があるのは鳥取県何町? 「ゆりはま」(湯梨浜)町 国税のひとつです しゅぜい(酒税) 国税のひとつです ぞうよぜい(贈与税) 一万円札と十円玉に共通して描かれています ほうおう(鳳凰) トウモロコシの生産量が日本一の都道府県(北海道の画像) ほっかいどう(北海道) 太宰治や森鴎外の墓がある東京都三鷹市の寺 ぜんりんじ(禅林寺) 大分県国東市に伝わる祭りです よしひろがく(吉弘楽) 駅本屋が登録有形文化財になっているJR肥薩線の駅です かれいがわ(嘉例川) 術者などが用いる両端の尖った法具 どっこ(独鈷) 大蔵大臣・財務大臣を計3度務め2012年に政界から引退しました ふじいひろひさ(藤井裕久) 映画祭でも有名な大分県の温泉町です ゆふいん(由布院) 2013年に「結いの党」の初代政調会長に就任しました かきざわみと(柿沢未途) 2013年に江田憲司を代表に設立された政党です ゆいのとう(結いの党) 防衛大臣、農林水産大臣などを歴任した自民党の政治家です はやしよしまさ(林芳正) 都庁の新宿移転、臨海副都心開発などを断行した元東京都知事です すずきしゅんいち(鈴木俊一) 2010年から2012年にかけて第26代検事総長を務めました かさまはるお(笠間治雄) 偵察を主な任務とする兵士のことです せっこう(斥候) 石川県金沢市にある北陸最大の繁華街です こうりんぼう(香林坊) JRの指定席特急料金が安くなる期間です かんさんき(閑散期) JRの指定席特急料金が高くなる期間です はんぼうき(繁忙期) 人間の死後、その魂が行くとされている地下の世界のこと よみのくに(黄泉の国) 山梨県の八ヶ岳南麓に広がる高原地帯 きよさと(清里) 阿蘇山のものが有名なカルデラの外側を囲む山々 がいりんざん(外輪山) 本当は無実なのに、犯罪の被疑者として扱われること えんざい(冤罪) 1999年にポルトガルから中国に返還されました マカオ(澳門) 国家の最高法規 けんぽう(憲法) 沖縄県の海洋博公園にある「沖縄何水族館」? 沖縄「ちゅらうみ」(美ら海)水族館 JR北海道日高本線の終着点となっている駅 さまに(様似) JR北海道札沼線にある難読で有名な駅は? 「おそきない」(晩生内)駅 青春18きっぷで特急に乗車できる区間があるJR北海道の鉄道路線 せきしょうせん(石勝線) 駅弁かきめしで有名なJR北海道根室本線の駅は? 「あっけし」(厚岸)駅 バランスシートを日本語でいうと? 「たいしゃく」(貸借)対照表 鉄道会社の経営には必要不可欠です しゃりょう(車両) 国外に移住して活躍しています かきょう(華僑) プロ野球選手出身の国会議員第1号です しらきぎいちろう(白木義一郎) 下流には輪中がみられる濃尾平野を流れる川 いびがわ(揖斐川) 濃尾平野を流れ下流には輪中が発達しています ながらがわ(長良川) 木曽川・長良川・揖斐川の下流のものが有名です わじゅう(輪中) 2011年に日韓問題となったのは「自民党議員のどこの視察」? うるるんとう、うるるんど、うつりょうとう(鬱陵島) かわいいと話題の、京都市交通局の応援キャラクターです まつがさき(松賀咲) 京都市交通局の地下鉄応援キャラクターである女子高生 うずまさもえ(太秦萌) 現在の島根県東部にかつて存在した国 いずも(出雲) 船をつなぐために港に造られる施設 さんばし(桟橋) 冬の樹氷が有名な山形県と宮城県にまたがる火山群 ざおう(蔵王) 地元を離れて一定期間他の地域で働きます でかせぎ(出稼ぎ) 選挙の開票作業が異常に早いことで有名な長野県の都市です こもろし(小諸市) 日本の中央省庁の一つです ぼうえいしょう(防衛省) 兵庫県西宮市に本社を置く有名学習塾です はまがくえん(浜学園) 2017年に立憲民主党を結党し初代代表を務めた政治家 えだのゆきお(枝野幸男) 2011年に発足した菅第2次改造内閣で官房長官に就任しました えだのゆきお(枝野幸男) 三重県の伝統工芸品です いせかたがみ(伊勢形紙) 「銀座のユダヤ人」と呼ばれた日本マクドナルドの創業者 ふじたでん(藤田田) 英語では「ショットガン」と呼ばれる銃器 さんだんじゅう(散弾銃) 地理の学習に使います(地球儀の画像) ちきゅうぎ(地球儀) 日本の第94代総理大臣を務めました かんなおと(菅直人) 軍隊ではありません じえいたい(自衛隊) 裁判員制度においては、裁判員はこれを守らねばなりません しゅひぎむ(守秘義務) 裁判員制度においては、裁判員はこれを守らねばなりません しゅっていぎむ(出廷義務) 浜松市にある区の一つです てんりゅうく(天竜区) 精霊や悪霊がとりつくこと ひょうい(憑依) 2007年より岩手県知事を務めている政治家 たっそたくや(達増拓也) 耐震偽装問題を追求し名を上げた民主党の議員です まぶちすみお(馬淵澄夫) 切土や盛土によって出来る斜面部分のことです のりめん(法面) 「SL人吉」が運行されているJR九州の路線です ひさつせん(肥薩線) シムラ、バンドン、軽井沢などが有名です ひしょち(避暑地) 滋賀県の面積の約6分の1を占めています びわこ(琵琶湖) 現在の宮崎県とほぼ同じ地域にかつて存在した国です ひゅうが(日向) 特産品の碁石で知られる宮崎県北部の都市 ひゅうがし(日向市) 稲穂で描く「田んぼアート」で有名な青森県の村です いなかだてむら(田舎館村) 犯人が、事件が発覚した後に名乗り出ること しゅっとう(出頭) 「現代数寄屋」と呼ばれる様式を創り出した建築家 よしだいそや(吉田五十八) ヤマハ株式会社の創業者 やまはとらくす(山葉寅楠) パスポートのこと りょけん(旅券) 2010年10月に韓国の首相に就任した人物 キムファンシク(金滉植) 徳島空港がある徳島県の町です まつしげちょう(松茂町) ソフトバンクのメガソーラーが建設された徳島県の町 まつしげちょう(松茂町) 金融担当大臣や厚生労働大臣を務めた自由民主党の政治家です やなぎさわはくお(柳澤伯夫) 資格取得にかこつけた詐欺商法 「さむらい」(士)商法 1968年任期中に病死した三重県松阪市長です うめかわふみお(梅川文男) 名桜大学の本部がある沖縄県名護市の地名です びいまた(為又) 八重山諸島を一望できる沖縄県小浜島にある山 うふだき(大岳) 岡山県と鳥取県の境にある火山群 ひるぜん(蒜山) 楊貴妃が漂着したという伝説が残る山口県の半島 むかつく(向津具) 新年恒例の歌会始で、天皇陛下から招かれ歌を読む人 めしゅうど(召人) 高級マツバガニで知られる京都の丹後半島にある地名 たいざ(間人) 落花生の生産で知られる千葉県の都市 やちまたし(八街市) 日本のパスポートの表紙にも使われている漢字の書体 てんしょたい(篆書体) 狐の嫁入り道中で知られる稲荷神社がある四日市市の地区 みやまど(海山道) 長野県豊丘村にある地区名 くましろ(神稲) 東京・丸の内の、三菱オフィス街の基礎を築いた明治時代の建築家 そねたつぞう(曽禰達蔵) 辰野金吾とともに東京駅を設計した建築家 かさいまんじ(葛西萬司) スキー場や夜景スポットとして親しまれている札幌にある山 もいわやま(藻岩山) 日本の自動車メーカートヨタ自動車の創業者です とよだきいちろう(豊田喜一郎) 2009年6月にトヨタ自動車の社長に就任しました とよだあきお(豊田章男) 産業廃棄物による環境汚染が問題となった香川県にある島 てしま(豊島) 瀬戸内海にある岡山県の諸島 ひなせしょとう(日生諸島) 鹿が多いことから命名された岡山県最大の島です かくいじま(鹿久居島) 広島市に本社を置くトイレ内装の会社 みよまる(△□○) 標高2000m近い熔岩台地が広がる長野県の中央にある高原です うつくしがはら(美ヶ原) 製菓メーカー・江崎グリコの創業者です えざきりいち(江崎利一) 日本のマネージメント会社サニーサイドアップの社長 つぎはらえつこ(次原悦子) 国際ニュースの解説で知られる日本のフリージャーナリストです たなかさかい(田中宇) 1月7日に行う、一年の邪気を払う厄除け儀式 あおうませちえ、あおうまのせちえ(白馬節会) アイヌ語で「湖の岸」という意味がある北海道の湖です とうやこ(洞爺湖) 線路の幅が狭く、小型の列車を用いる鉄道のことです けいべんてつどう(軽便鉄道) 京都市にある世界遺産・龍安寺の有名な? 知足の「つくばい」(蹲踞) 京都市左京区大原にある天台宗の寺院です じゃっこういん(寂光院) JRの駅を50音順に並べると最後に来る、JR函館本線の駅 わらびたい(蕨岱) 牛や羊を飼育し、乳製品を生産する農業の一形態 らくのう(酪農) 「日本一海に近い駅」ともいわれるJR信越本線の駅 おうみがわ(青海川) 東京都江東区の南西部にある地名です あおみ(青海) サンマの水揚げ量は東北一である宮城県の漁港 「おながわ」(女川)港 ハクチョウが飛来する石川県羽咋市にある潟湖 おうちがた(邑知潟) 日本武尊が太刀をこの地に置いたという伝説がある甲斐市の山 たちおかやま(太刀岡山) 新潟県湯沢町にあるスキー場で有名な高原 かんだつこうげん(神立高原) 2大政党の次の勢力になり得る政党のことをいいます だいさんきょく(第三極) 日本では民主党、自民党以外の政党がこれにあたります だいさんきょく(第三極) 半田銀山のお膝元として栄えた福島県北部の町 こおり(桑折) 日本を代表する広告代理店です でんつう(電通) 2013年に誕生した韓国初の女性大統領 パククネ、パククンヘ(朴槿恵) JR北海道宗谷本線にある難読で有名な駅は? 「おのっぷない」(雄信内)駅 エレキバンのCMのロケ地にもなったJR宗谷本線の駅 ぴっぷ(比布) かつて宗谷本線と天北線の分岐点だったJRの駅は? 「おといねっぷ」(音威子府)駅 人口約1000人と、北海道で最も人口が少ない村 「おといねっぷ」(音威子府)村 長崎県の五島列島にある5つの大きな島の一つ ひさかじま(久賀島) おしゃれな町として知られる東京・渋谷区の地名 だいかんやま(代官山) グレート・バリア・リーフの日本語における別名です だいほしょう(大堡礁) オーストラリアの名所グレートバリアリーフの日本名 だいほしょう(大堡礁) オーストラリア大陸中部にある何盆地? だいさんせい(大鑽井) アボリジニの言葉で「ウルル」というオーストラリアの観光名所(画像) エアーズロック 主に北アメリカ、南アメリカ、オーストラリアを指す地域 しんせかい(新世界) 2010~12年に政党「たちあがれ日本」で代表を務めました ひらぬまたけお(平沼赳夫) 「ルポ貧困大国アメリカ」などで知られる女性ジャーナリスト つつみみか(堤未果) 沖縄県の「県の花」です デイゴ(梯梧) 脅して金品を要求すること ごうせい、ゆすり(強請) 「つん」という犬を連れています(銅像の画像) さいごうたかもり(西郷隆盛)、さいごうたかなが(西郷隆永) 渋川駅と大前駅を結ぶJR東日本の路線です あがつません(吾妻線) 1971年に開通した、札幌市と小樽市を結ぶ「何自動車道」? 「さっそん」(札樽)自動車道 警察の隠語で「ワッパ」と呼ばれるもの(手錠の画像) てじょう(手錠) 2009年に就任した横浜市初の女性市長 はやしふみこ(林文子) 青森県が生産1位の果物 りんご(りんごの画像) 青森県の花 りんご(りんごの画像) 1962年、北海道の農民が自衛隊の通信線を切断して起きた事件 えにわじけん(恵庭事件) 大陸性気候では大きく海洋性気候では小さい にちかくさ(日較差) 感触の柔らかさと吸水性が特徴の山口県特産の焼き物 はぎやき(萩焼) 美術館やレジャー施設が多い長野県茅野市にある高原です たてしなこうげん(蓼科高原) 愛媛県で作られる陶磁器 とべやき(砥部焼) 長野県の「県の花」です りんどう(竜胆) アフリカの国 エチオピア(哀提伯) 豊臣秀吉に自治を許されていた瀬戸内海にある島々は? 「しわく」(塩飽)諸島、「しあく」(塩飽)諸島 山口県下関市にあるJR山陰本線の駅 こっとい(特牛) 法隆寺や中宮寺がある奈良県北部の町 いかるが(斑鳩) 菅直人首相の元で経済財政担当大臣、経済産業大臣を歴任 かいえだばんり(海江田万里) 人の上半身と鳥の下半身を持つ仏教における想像上の生物 かりょうびんか(迦陵頻伽) 三島駅から修善寺駅までを結ぶ伊豆箱根鉄道の鉄道路線です すんずせん(駿豆線) マイクロソフト日本法人の社長を務めた実業家 なるけまこと(成毛眞) 岩手県一関市にある砂鉄川沿いにできた渓谷 げいびけい(猊鼻渓) 山梨県笛吹市にある温泉です いさわおんせん(石和温泉) 「桃・ぶどう日本一の郷」を宣言した山梨県の都市です ふえふきし(笛吹市) 南はバベルマンデブ海峡北にスエズ運河といえば? こうかい(紅海) 栃木県小山市にキャンパスを持つ私立大学です はくおうだいがく(白鴎大学) 日本有数の総合商社です みついぶっさん(三井物産) 群馬県安中市と長野県軽井沢町との境にある峠は? 「うすい」(碓氷)峠 総理大臣のことをこのようにも言います さいしょう(宰相) 神戸市の西部に位置する区です たるみく(垂水区) 船体の完成後に必要な装備を施すことです ぎそう(艤装) 「新幹線の父」と呼ばれた日本国有鉄道の元総裁です そごうしんじ(十河信二) 「全国至るところ」という意味 つつうらうら(津々浦々) 公明党の第2代代表を務めた政治家です おおたあきひろ(太田昭宏) 江ノ島や潮岬のように砂州で陸地とつながった島 りくけいとう(陸繋島) 2012年2月に、初代復興大臣に就任した政治家 ひらのたつお(平野達男) 少数の供給者が市場を支配している状態 かせん(寡占) 焼き物で有名な栃木県南東部の町 ましこ(益子) アフリカの国 モロッコ(摩洛哥) 世界で2番目に面積が小さい国です モナコ(摩納哥) 18世紀にモンゴルフィエ兄弟が発明した乗り物です(熱気球の画像) ねつききゅう(熱気球) 集中豪雨で起こる災害のひとつ どせきりゅう(土石流) 宗教改革記念碑やルソーの生家があるスイスの都市 ジュネーブ(寿府) 2012年に開通した新東名高速道路の区間は? 御殿場JCT~「みっかび」(三ヶ日)JCT 福岡市に本社を置く大手ガス会社は? 「さいぶ」(西部)ガス 2016年8月の内閣改造で経済産業大臣に就任した政治家 せこうひろしげ(世耕弘成) 第2次安倍内閣で内閣官房副長官を務める政治家 せこうひろしげ(世耕弘成) 代表作に森鴎外の長男が住んだ「森博士の家」がある建築家 せいけきよし(清家清) ウンシュウミカンの産地として有名な愛媛県の市は? 「やわたはま」(八幡浜)市 虚無僧が胸にさげている「明暗」と書かれた箱 げばこ(偈箱) 民主党のロゴマークを手がけたベテランのデザイナーです あさばかつみ(浅葉克己) 1993年に日本の首相に就任した人物です ほそかわもりひろ(細川護煕) 「ユニクロ」などを運営するファーストリテイリングの創業者 やないただし(柳井正) 東京・浅草寺の山門の通称 かみなりもん(雷門) 「紙の街」として知られる北海道南西部の都市 とまこまい(苫小牧) 神戸電鉄・北条鉄道と接続しているJR加古川線の駅 あお(粟生) 「最後の相場師」と呼ばれた大正・昭和の投資家 これかわぎんぞう(是川銀蔵) 石川県金沢市にある金沢温泉郷を代表する温泉 ゆわくおんせん(湯涌温泉) 北朝鮮の総書記・金正日の死を受けてその後継者となりました キムジョンウン(金正恩) 1964年に戦後初めて誕生した民間銀行出身の日銀総裁です うさみまこと(宇佐美洵) 高知県の県の木に指定されている杉の一種 やなせすぎ(魚梁瀬杉) 長崎県中通島にある教会堂は? 「あおさがうら」(青砂ヶ浦)天主堂 世界遺産候補にもなっている長崎・中通島の何天主堂? 「あおさがうら」(青砂ヶ浦)天主堂 景勝地の蘇洞門がある福井県小浜市の半島 「うちとみ」(内外海)半島 ゼロ磁場のパワースポットとして人気がある長野県伊那市にある峠 ぶんぐいとうげ(分杭峠) 国会議事堂や放送局などが並ぶ韓国・ソウルの観光スポット ヨイド(汝矣島) 熊本県八代市で江戸時代から焼かれている陶器 こうだやき(高田焼) 日本では数少ない漢字5文字の苗字です かでのこうじ(勘解由小路) 日本では数少ない漢字5文字の苗字です さえもんさぶろう(左衛門三郎) 社会民主連合の代表などを務めた政治家です でんひでお(田英夫) 飛行機や物質などを爆撃から守るために使われた格納庫のこと えんたいごう(掩体壕) 戦場で、敵弾から味方の射手を守るための設備のことです えんたい(掩体) 三重県の青蓮寺川沿いにある「紅葉の名所」として有名な渓谷 かおちだに(香落渓) 大河ドラマ「江」により人気となった日本最古の安産祈願の寺 おびとけでら(帯解寺) 盗品であると知りながら品物を売買する行為 けいずかい(窩主買い) 渋谷のモヤイ像などの作品で知られる彫刻家です だいごゆういち(大後友市) 2010年に亡くなった、渋谷のモヤイ像で知られる彫刻家 だいごゆういち(大後友市) 受験参考書「鉄則シリーズ」で有名な数学講師 てらだぶんこう(寺田文行) 2011年10月の新潟県津南町議選に25歳で当選した東大大学院生 くわばらはるか(桑原悠) 「刑事訴訟法の生みの親」と呼ばれた法学者 だんどうしげみつ(団藤重光) 石油メーカー・出光興産の創業者です いでみつさぞう(出光佐三) 小泉内閣で文部科学大臣を務めた女性政治家です とおやまあつこ(遠山敦子) 野田第3次改造内閣で総務大臣を務めました たるとこしんじ(樽床伸二) 野田第3次改造内閣で唯一国民新党から入閣した政治家です しもじみきお(下地幹郎) 国民新党の第2代代表を務めた政治家です かめいしずか(亀井静香) 2012年10月に、野田第3次改造内閣の厚生労働大臣に就任 みついわきお(三井辨雄) ヤマタノオロチの伝説で知られる宍道湖に注ぐ川 ひいかわ、ひいがわ(斐伊川) 埼玉県にある郡の一つです ひきぐん(比企郡) 日本三大神滝のひとつである兵庫県神戸市にある滝です ぬのびきのたき(布引の滝) 「夜景の名所」として有名な神戸市にある展望広場です きくせいだい(掬星台) 神戸市にある区の一つです なだく(灘区) 北海道・釧路市の名所となっている橋 「ぬさまい」(幣舞)橋 オランダの国鳥です へらさぎ(箆鷺) 遊覧船による川下りで有名な京都市内を流れる川です ほづがわ(保津川) 和歌山県にある那智勝浦町の「ホテル浦島」にある天然洞窟風呂です ぼうきどう(忘帰洞) 2004年10月、吉野川市の誕生に伴って消滅した徳島県の郡は? おえぐん(麻植郡) 韓国の国花 むくげ(木槿) 関東地方の県 とちぎけん(栃木県) イチゴの生産量日本一の県 とちぎけん(栃木県) 栃木県の「県の花」です ヤシオツツジ(八染躑躅) 園内に門司城跡がある北九州市門司区の公園 めかりこうえん(和布刈公園) 畑正憲も住んでいた北海道浜中町にある島 「けんぼっき」(嶮暮帰)島 ユーラシア大陸にあり、総面積100万kmに及ぶ何砂漠? 「ゴビ」(戈壁)砂漠 尾瀬の玄関口でもある福島県の村 「ひのえまた」(檜枝岐)村 カスピ海や死海のような塩分を多く含んだ湖 かんすいこ(鹹水湖) 能登半島・輪島市の北部にある海女の潜水漁業で知られる孤島 へぐらじま(舳倉島) グライダーによる町おこしで有名な北海道の都市です たきかわし(滝川市) 広島県の野間川ダムのダム湖に付けられた名前は? 「マロン」(栗)湖 野田佳彦が代表を務める民主党の派閥 かせいかい(花斉会) フラメンコで知られるアンダルシア地方がある国 スペイン(西班牙) 2000年登録の、スペインの世界遺産は? エルチェの「やしえん」(椰子園) 証券取引所で売買が成立した株数 できだか(出来高) 2011年に発足した菅第2次内閣で国家公安委員長に就任した人物 なかのかんせい(中野寛成) 日本に古来から続く宗教です しんとう(神道) 群馬県で最も人口が多い村です しんとうむら(榛東村) 首都圏では、ここ30年で3分1ほどが消滅してしまったもの ちんじゅのもり(鎮守の森) 2017年に希望の党の決党メンバーとして参加した元衆議院議員 きうちたかたね(木内孝胤) 2012年4月に、消費税増に反発し民主党に離党届を提出した人物 きうちたかたね(木内孝胤) 青森県下北半島の恐山にあるカルデラ湖です うそりこ(宇曽利湖) 2010年7月に誕生した日本初の旅客機の女性機長です ふじあり(藤明里) 2010年に競売にかけられ、1億円以上で落札された広島県の無人島 みつごじま(三ツ子島) 裁判所が差し押さえ物件を売却する際に行ないます きょうばい、けいばい(競売) 恵比寿様を祀る神社で毎年正月10日に行われる祭り とおかえびす(十日戎) 2010年公開の映画「RAILWAYS」の舞台となった島根県の鉄道会社 いちばたでんしゃ(一畑電車) 日本の証券取引所で午後に行われる取引のこと ごば(後場) 「美人の湯」の別名がある茨城県にある温泉です だいごおんせん(大子温泉) 株式市場において、ある一定の期間における最後の株価です おわりね(終値) 株式市場において、全ての銘柄が急激に値を下げることです ガラ(瓦落) 中東情勢のスペシャリストとしても知られる埼玉県知事 おおのもとひろ(大野元裕) 2010年の参院選で当選した中東情勢のスペシャリスト おおのもとひろ(大野元裕) 2010年9月に民主党の選挙対策委員長に就任した人物 わたなべしゅう(渡辺周) 株価がやや安い状態 こあまい(小甘い) 長野県飯田市にある名水百選の一つ 「さるくら」(猿庫)の泉 2千円札の図柄に描かれています(画像) しゅれいもん(守礼門) 日本の首相以外でサミットに参加した唯一の人物です おおきたさぶろう(大来佐武郎) 全日空の創業者です みどろますいち(美土路昌一) 北朝鮮の最高指導者・金正恩の母にあたる大阪出身の女性 コヨンヒ(高英姫) 日本の初代防衛大臣を務めました きゅうまふみお(久間章生) 平山郁夫美術館などアート作品が多い広島県尾道市にある島 いくちじま(生口島) 「国産レモン発祥の地」を記念する石碑が立つ広島県尾道市の島 いくちじま(生口島) 2012年に東京電力の会長に就任した弁護士は? 「しもこうべ」(下河辺)和彦 2012年にNHKの経営委員長を辞任し東京電力の社外取締役に すどふみお(數土文夫) 2023年1月にNHKの会長に就任した日本銀行の元理事 いなばのぶお(稲葉延雄) 2011年から2014年1月までNHKの会長を務めました まつもとまさゆき(松本正之) 下北半島と津軽半島の間にある海峡 「たいらだて」(平舘)海峡 2012年6月に、野田第2次改造内閣で農林水産大臣に就任した人物 ぐんじあきら(郡司彰) 証券取引所における1日の取引終了時間のことです おおびけ(大引け) 証券取引所において午前中の取引が終わることです ぜんびけ(前引け) 日本最大級の沈水カルスト地形がある場所 石垣島の「なぐら」(名蔵)湾 京都の初午大祭で参拝者に縁起物として配られるもの しるしのすぎ(験の杉) 橋本内閣で建設相、竹下・小渕・森内閣で防衛庁長官を務めました かわらつとむ(瓦力) 株のチャート解析法・酒田五法を考案した天才相場師です ほんまそうきゅう(本間宗久) 山が高くそびえている様子です きつりつ(屹立) 2005年に合併により誕生した長野県の市です あづみのし(安曇野市) 2006年に誕生された日本の皇族です ひさひとしんのう(悠仁親王) 皇室関係の儀式や事務をつかさどる官庁 くないちょう(宮内庁) 皇室のお子様に対し生後7日目に行われる儀式です よくとうのぎ(浴湯の儀) 随伴員が乗車するための皇室専用の鉄道車両です ぐぶしゃ(供奉車) 皇室のお子様が、5歳になる頃に臨まれる儀式です ふかそぎのぎ(深曽木の儀) 皇族が乗車するための皇室専用の鉄道車両 ごりょうしゃ(御料車) 十和田湖を望む秋田・青森県境の峠 はっかとうげ(発荷峠) 映画「ナビィの恋」のロケ地にもなった沖縄県の島 あぐにじま(粟国島) 岩手県一関市にある磐井川沿いにできた渓谷 げんびけい(厳美渓) 天然記念物にも指定されている岩手県一関市の景勝地です げんびけい(厳美渓) 重要無形文化財の獅子舞が有名な沖縄県浦添市の地名 じっちゃく(勢理客) 神功皇后の新羅出兵の伝説に由来する佐賀県の離島です かしわじま(神集島) 2010年に、民間出身者で初めて駐中国大使に就任しました にわういちろう(丹羽宇一郎) 証券会社が機関投資家から株を借りるための料金のこと ぎゃくひぶ(逆日歩) 株の信用取引で、売り方が株券調達の為に支払う借り賃 ぎゃくひぶ(逆日歩) SMAPのCDジャケットや楽天のロゴマークを手がけた人物 さとうかしわ(佐藤可士和) その予言は必ず当たるという体の半分が牛の化け物 くだん(件) 埼玉県飯能市にある西武鉄道池袋線の終着駅 あがの(吾野) 「禿山で落石する場所」という意味の、北海道釧路町にある地名 せきねっぷ(賤夫向) 野鳥の飛来地として有名な北海道の東部にある汽水湖です とうふつこ(濤沸湖) 世界遺産に登録されている神社 日光「ふたらさん」(二荒山)神社 その名前から縁起の良い駅と言われている岡山県の駅です ふくわたり(福渡) 愛知県と三重県を結ぶ何自動車道? 「ひがしめいはん」(東名阪)自動車道 かつては本多氏の城下町だった滋賀県大津市の地区 ぜぜ(膳所) 「君が代」の歌詞にも登場する言葉です いわお(巌) 2008年に内閣官房副長官に就任した元警察庁長官 うるまいわお(漆間巌) テレビ、書籍などで幅広く活躍する東京大学名誉教授です カンサンジュン(姜尚中) 著書に「愛国の作法」などがある気鋭の政治学者 カンサンジュン(姜尚中) 戊辰戦争の戦場となった山形県真室川町の旧村 のぞき(及位) 名前がやましい気分にさせるJR奥羽本線の駅 のぞき(及位) 珍駅名として有名な名鉄河和線の駅 あげ(上ゲ) 沖縄本島最北端の岬です へどみさき(辺戸岬) 標高408mの千葉県の最高峰 あたごやま(愛宕山) 鹿児島県の中部に位置する都市です たるみずし(垂水市) 長野県松本市にある温泉の1つ 「さわんど」(沢渡)温泉 国立京都国際会館などを手がけた建築家です おおたにさちお(大谷幸夫) 20世紀初頭にインドを探検した浄土真宗本願寺派第22代法主 おおたにこうずい(大谷光瑞) 「UMA(未確認動物)」という言葉を初めて使用した動物学者 さねよしたつお(実吉達郎) 株の信用取引で、保証金が不足したら入れなければならないもの おいしょう(追証) 東京都西部の檜原村にある集落 へんぼり(人里) 大分県出身のベンチャービジネス評論家 しろうずゆたか(白水胖) 2005年7月に誕生した鹿児島県の都市 そおし(曽於市) 初代岡山市長の端連を父に持つ明治、大正期の外交官です はなぶさよしもと(花房義質) 2011年2月に設立された東国原英夫を応援する政治団体 はなぶさのかい(英の会) 2014年9月に第2次安倍改造内閣の防衛大臣に就任した政治家です えとあきのり(江渡聡徳) 宮本武蔵が「五輪書」を書いたことで有名な熊本市にある洞窟 れいがんどう(霊巌洞) Jリーガー出身の国会議員第1号 ともちかとしろう(友近聡朗) 山梨県の中道町営バスにある停留所 うばぐち(左右口) JR広島駅の名物駅弁 「みょうと」(夫婦)あなごめし 都の名勝第一号に指定された東京都江東区にある庭園です きよすみていえん(清澄庭園) とんちをきかせて読む珍しい苗字です たかなし(小鳥遊) とんちをきかせて読む珍しい苗字です やまなし(月見里) 静岡県の河津川にかかる7つの滝の総称です かわづななだる(河津七滝) 「~が無いこと」という意味の法律用語 けんけつ(欠缺) 北海道・支笏湖の南側にある標高1103mの山 「ふっぷし」(風不死)岳 地名表示によく落書きされる東京都渋谷区にある坂です こんのうざか(金王坂) わじき温泉がある徳島県那賀町の集落 もまえ(百合) 北海道の納沙布岬と歯舞諸島の間にある水道 ごようまい(珸瑶瑁) 奈良県天川村にある名水百選の一つは? 「どろがわ」(洞川)湧水群 書画を掛け軸や襖に仕立てる職人です きょうじ(経師) 東大を中退し寿司職人になった異色の経歴をもつ政治家です やなぎだみのる(柳田稔) 六月に日本各地の神社で催す罪やけがれを清める行事 なごしのはらえ(夏越の祓) 東京都の村の中で唯一本州にあるものです ひのはらむら(檜原村) 2011年8月に第59代警視総監に就任しました ひぐちたてし(樋口建史) 2011年6月、原発事故収束・再発防止担当相に就任した政治家 ほそのごうし(細野豪志) 米軍の陸上空母離着陸訓練の候補地となった鹿児島県の島 まげしま(馬毛島) 「お水取り」で有名な東大寺二月堂の祭礼 しゅにえ(修二会) 株式市場が低迷する中で、特定の銘柄だけ値上がりすること どっぽだか(独歩高) 沖縄県の与那国島にある日本最西端の岬です いりざき(西崎) 先代の崩御によって天皇の位を引き継ぐこと せんそ(践祚) 天皇陛下が亡くなられることです ほうぎょ(崩御) コメンテーターとしても有名な国際政治が専門の早稲田大学教授 しげむらとしみつ(重村智計) 世界遺産に登録されている熊野古道の一つ こへち(小辺路) 戦争において、敵の軍用品や兵器を奪い取ること ろかく(鹵獲) かつて雑誌「インサイダー」の編集長を務めたジャーナリスト たかのはじめ(高野孟) 日本三弁天の一つがある琵琶湖北部の島 ちくぶしま、ちくぶじま(竹生島) 札幌五輪で男子アイスホッケー日本代表監督を務めた政治家 たなぶまさみ(田名部匡省) 夏に北海道・東北地方の太平洋側で吹き、冷害の原因となる風 やませ(山背) 1978年にできた新興宗教・阿舎宗の開祖です きりやませいゆう(桐山靖雄) 1984年に人間国宝の指定を受けた、日本の工芸家 なかだいずいしん(中臺瑞真) 立山線と不二越・上滝線が接続する、富山地方鉄道の駅です いわくらじ(岩峅寺) 江戸時代に井上伝が創始したとされる福岡県特産の織物 くるめがすり(久留米絣) ソニーの前身・東京通信工業を設立した一人です いぶかまさる(井深大) 船着場跡や灯台などが残る岐阜県美濃市にある史跡です こうずちみなと(上有知湊) 保有株の値下がり時に平均購入単価を下げる為買い増しすること なんぴんがい(難平買い) 軍隊の用語で、ある人物の指揮下に入っている状態 きか(麾下) かつては田川炭鉱への専用線があった、JR羽越本線の駅です いらがわ(五十川) その跡地は世界遺産候補になっている、奈良県明日香村の寺院です おかでら(岡寺) 鈴鹿サーキットの最寄の近鉄の駅 しろこ(白子) かつてはフランス領だったアメリカ南部の州です ルイジアナ(禄細亜那) 北朝鮮の地下核実験場があるとされる町です プンゲリ(豊渓里) 干拓で姿を消した、かつて京都府の南部に存在した池です おぐらいけ(巨椋池) 2000年に噴火した北海道の洞爺湖の南に位置する火山 うすざん(有珠山) 2009年12月に第1回が開催された宇宙・環境に関するイベントです ソラハク(宙博) 三菱東京UFJ銀行の現在の代表取締役会長 くろやなぎのぶお(畔柳信雄) 小説「吾輩は猫である」にも登場する箱根にある温泉です うばこおんせん(姥子温泉) 「出家」に対し、僧侶が世俗の人間に戻ること げんぞく(還俗) 遠藤周作の小説「沈黙」の舞台となった長崎市の地名 そとめ(外海) 食料・武器・弾薬など、前線に輸送すべき軍需品の総称 しちょう(輜重) 旧日本陸軍において兵器や燃料を戦闘部隊へ届けた兵士のこと しちょうへい(輜重兵) 麻生内閣で文部科学大臣を務めた自民党の政治家です しおのやりゅう(塩谷立) 海岸で見られる、潮風のため枝や幹が低く傾いて生えた松 そなれまつ(磯馴松) ハイキングする人が多く訪れる東京都青梅市にある山です みたけさん(御岳山) 付近に「世界一の花時計」がある西伊豆で最古の温泉です といおんせん(土肥温泉) 鎌倉からの距離が由来とされる千葉県市原市の地区 ついへいじ(廿五里) 長崎県に位置するリアス式海岸の群島です くじゅうくしま(九十九島) 青森県八戸市に本社がある運送会社 みやごりゅうつう(三八五流通) 京都・祇園のシンボルになっている八坂神社の門 にしろうもん(西楼門) 2014年に京都の祇園祭で49年ぶりに復活した山鉾巡行 あとまつり(後祭) 祇園祭に登場する山鉾の一つです とくさやま(木賊山) 毎年7月に福岡市で行われる祭りは? 博多祇園「やまかさ」(山笠) 福岡の祭「博多祇園山笠」で山笠の担ぎてのこと かきて(舁き手) その境内には浄瑠璃神社もある大阪市天王寺区の? 「いくくにたま」(生國魂)神社 「東京五社」の一つである府中市の神社は? 「おおくにたま」(大國魂)神社 福岡県大牟田市にある地名です くぬぎ(歴木) 太宰府の役人が住んだことから命名された福岡県大野城市の地区 ざっしょのくま(雑餉隈) 一度退位した天皇が再び皇位につくことです じゅうそ、ちょうそ(重祚) 四万十川が源を発する愛媛県と高知県の境にある山 いらずやま(不入山) 仏教寺院に置かれている便所 とうす(東司) 大分県佐伯市にある九州最東端の岬です つるみさき(鶴御崎) 高級海苔の産地として有名な島根県出雲市海岸部の地名です うっぷるい(十六島) 「千二百羅漢の寺」として知られる京都市にある寺院です おたぎねんぶつじ(愛宕念仏寺) たちあがれ日本の幹事長や太陽の党党首を歴任した政治家 そのだひろゆき(園田博之) 2010~12年に政党「たちあがれ日本」で幹事長を務めました そのだひろゆき(園田博之) 小笠原諸島の聟島と嫁島の間にある島 なこうどじま(媒島) 石川県加賀市の菅原神社にある天然記念物に指定された杉の巨木 かやのおおすぎ(栢野大杉) 2009年より秋田県知事を務める秋田藩主・佐竹氏の子孫です さたけのりひさ(佐竹敬久) 1952年にドトールコーヒーを創設した日本の実業家です とりばひろみち(鳥羽博道) 東奥の奇祭「蘇民祭」で有名な岩手県奥州市にあるお寺 こくせきじ(黒石寺) 秩父三十四箇所の第一番札所がある寺 しまぶじ(四萬部寺) 群馬県で建設中の多目的ダムは? 「やんば」(八ッ場)ダム 2011年12月に建設再開が正式に決まったのは群馬県の「?ダム」 「やんば」(八ツ場)ダム 日本経団連の初代会長を務めた実業家です おくだひろし(奥田碩) 防災に関する活動で有名な自民党の政治家です ながしまただよし(長島忠美) 2012年の衆院選で、小選挙区で田中真紀子を破り当選しました ながしまただよし(長島忠美) 波に侵食されてできた断崖や奇岩が名物の、福井県小浜市の景勝地 そとも(蘇洞門) 2011年4月に経済同友会の代表幹事に就任した武田薬品の社長 はせがわやすちか(長谷川閑史) 壇ノ浦に注ぐ山口県の川 みもすそがわ(御裳川) 現在、最高裁判所の長官を務めている人物 たけさきひろのぶ(竹崎博允) オートバイによる町おこしを推進している埼玉県の町です おがのまち(小鹿野町) 目黒寄生虫館を設立した人物です かめがいさとる(亀谷了) 柱状節理の絶壁で有名な大分県玖珠郡玖珠町の山 はねやま(万年山) 2010年に自民党の政務調査会顧問に就任した、元・民主党副代表 いわくにてつんど(岩國哲人) 沖縄県で一番高い標高526mの山は何岳? おもとだけ(於茂登岳) 1975年から1995年まで神奈川県の知事を務めた人物 ながすかずじ(長洲一二) 2008年に発足した観光庁の初代長官を務めました ほんぽよしあき(本保芳明) 東京大学のシンボルです(門の画像) あかもん(赤門) 東京大学安田講堂の設計を手掛けた建築家です うちだよしかず(内田祥三) 代表作に東京大学安田講堂がある明治生まれの建築家 きしだひでと(岸田日出刀) 2015年に第30代東京大学総長に就任した物理学者 ごのかみまこと(五神真) 2009年4月に東京大学の第29代総長に就任した法学者 はまだじゅんいち(濱田純一) 東京大学の総長も務めたフランス文学者です はすみしげひこ(蓮實重彦) 毎年5月に開催される東京大学の学園祭 ごがつさい(五月祭) 日本学士院の会員にも選ばれた日本の経済学者です かわたただし(川田侃) 東京大学社会科学研究所研究員であった日本の経済学者 かわたただし(川田侃) 宅地用の土地を1平方1円で売り出し話題となった北海道の町 ちっぷべつちょう(秩父別町) 宮崎県えびの市の中心に広がる盆地は? 「かくとう」(加久藤)盆地 京都御苑の横を通る、京都市の東西の通り 「さわらぎちょう」(椹木町)通り 「ミスター合理化」「荒法師」の異名をとった経団連の元会長です どこうとしお(土光敏夫) 象の鼻の形の岩が有名な沖縄にある景勝地 まんざもう(万座毛) イタリア・トリノのドゥオモの見所である展示品です せいがいふ(聖骸布) ある人に罰を受けさせる目的で警察などに虚偽の申告をする罪 ぶこくざい(誣告罪) 香港の代表的な株価指数は? 香港「ハンセン」(恒生)株価指数 東大寺大仏殿の屋根につけられたものが有名 しび(鴟尾) 伝統工芸品の店が軒を連ねる韓国・ソウルの骨董街です インサドン(仁寺洞) 東京都杉並区荻窪にある元首相・近衛文麿の別荘 てきがいそう(荻外荘) 北海道鹿追町の大雪山国立公園内にある湖 しかりべつこ(然別湖) 赤米の神事で知られる長崎県対馬にある集落 つつ(豆酘) 仏門に入り、僧となるための儀式のことです とくどしき(得度式) 港や川の水深を増すため水底の土砂や岩石をさらうこと しゅんせつ(浚渫) 世界遺産・知床にある標高1330mの山です おんねべつだけ(遠音別岳) 清流で知られる北海道の一級河川 「しりべしとしべつ」(後志利別)川 三重県松阪市にある森 「よいほ」(四五百)の森 九十九里浜に面する千葉県山武市の地名 はだかじゅく(生子宿) 新宿・中村屋を創業した女主人です そうまこっこう(相馬黒光) 北朝鮮のミサイル発射基地がある都市 ムスダンニ(舞水端里) 世界遺産にも登録されている白神山地の、かつての名称です こうせいさんち(弘西山地) 「外務省のラスプーチン」と呼ばれた元・外交官です さとうまさる(佐藤優) 電波時計の標準電波送信所がある福島県の山 おおたかどややま(大鷹鳥谷) 京都三大祭の1つ・「葵祭」のヒロインです さいおうだい(斎王代) 京都三大祭の一つ、葵祭で流鏑馬神事が行われる森 「ただす」(糺)の森 「京都三大祭」のひとつです ぎおんまつり(祇園祭) 「京都三大祭」のひとつです じだいまつり(時代祭) 民主党で「参院のドン」とも呼ばれた政治家です こしいしあずま(輿石東) 錦市場を横切っている京都市内の南北の通り 「やなぎのばんば」(柳馬場)通り 3つの尾を持つ蛇が由来とされる大分県の山 「みおう」(一尺八寸)山 ラムサール条約に登録されている鹿児島県薩摩川内市にある火山湖 いむたいけ(藺牟田池) 2009年に干上がってしまったラムサール条約に登録のある池 いむたいけ(藺牟田池) 第92代内閣総理大臣・麻生太郎の父親である政治家・実業家です あそうたかきち(麻生太賀吉) 農相や防衛庁長官をつとめた2009年に引退した元代議士 のろたほうせい(野呂田芳成) 1890年に現在のフマキラー株式会社を創業した人物 おおしもだいぞう(大下大蔵) 日曜の朝市で知られる宮城県名取市の地名 ゆりあげ(閖上) 15世紀頃の城跡が今に残る愛知県みよし市にある地名です うきがい(福谷) 「卯杖祭」が有名な和歌山県和歌山市にある何神社? 「いたきそ」(伊太祁曽)神社 鳥取県湯梨浜町にある伯耆国の一宮 「しとり」(倭文)神社 1995年に大規模な崩壊が起きた韓国・ソウルの? 「サムプン」(三豊)百貨店 作家・檀一雄が愛した福岡県にある「花の島」 のこのしま(能古島) ここを編集