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鹿島神宮 鹿島神宮・御朱印帳 茨城県鹿嶋市宮中2306-1
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宮崎神宮 宮崎県宮崎市に鎮座する宮崎神宮の御朱印です。 御祭神は神日本磐余彦尊(神武天皇)、鸕鷀草葺不合尊、玉依姫命です。 摂社・皇宮神社の御朱印をこちらでいただくことができます。 宮崎神宮御改称百周年記念の御朱印です。平成25年の間、書置きでいただくことができます。 令和2年のキキタビ・キャンペーン期間中にいただけた御朱印です。 ★住所 宮崎県宮崎市神宮2-4-1 -
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熱田神宮 熱田神宮・御朱印帳 愛知県名古屋市熱田区神宮1-1-1
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平安神宮 京都府京都市左京区に鎮座する平安神宮の御朱印です。 毎年正月にいただける初詣の御朱印です。 令和2年の時代祭に合わせて授与された限定の御朱印です。 令和3年の春季にいただけた御朱印です。 令和4年正月にいただけた白虎の御朱印です。 令和5年正月にいただけた朱雀の御朱印です。 令和6年正月にいただけた青龍の御朱印です。 通常いただける御朱印です。 ★この神社にはオリジナル御朱印帳があります。 平安神宮では朱雀・青龍・玄武・白虎の四聖獣がプリントされた御朱印帳が頒布されています。この四聖獣は京都の四方を守護するといわれています。 ★住所 京都府京都市左京区岡崎西天王町 - 名前 コメント
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石上神宮 奈良県天理市に鎮座する石上神宮の御朱印です。 大和の神々をたずねての御朱印帳にいただいた御朱印です。 国宝七支刀の特別御朱印です。期間限定なのかは尋ねませんでしたのでわかりません。 ★住所 奈良県天理市布留町384 -
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日前神宮・國懸神宮 和歌山県和歌山市に鎮座する紀伊国一の宮、日前神宮・國懸神宮の御朱印です。 ★住所 和歌山県和歌山市秋月365 -
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英彦山神宮 福岡県添田町に鎮座する英彦山神宮の御朱印です。 ★この神社にはオリジナル御朱印帳があります。 英彦山神宮の御朱印帳です。16cm×11cmです。 ★住所 福岡県田川郡添田町大字英彦山1 -
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関係あるとみられるもの 比那名居天子(東方緋想天) 住所 茨城県鹿嶋市宮中2306-1 鹿島神宮 ↑東日本大震災の際に大鳥居は倒壊したが、いまでは再建されている。 茨城県鹿島市にある常陸国一宮。 今でこそ「神宮」の名称で呼ばれる神社はいくつか存在するが、平安時代から神宮と呼ばれるのは伊勢の他には鹿島・香取の二社のみである。格が高い。 なお、鹿島神宮・香取神宮・息栖神社の三社を纏めて東国三社と呼ばれることがある。 「東国三社巡り」は、江戸時代に「お伊勢参りのみそぎの三社参り」と呼ばれるほど篤い信仰を集めた旅だった。現在でも勿論人気があり、雨天の日でも多くの参拝客が集まる。三社の並びが二等辺三角形で、パワーがどうのとかは知らん 鹿島神宮に祀られてる主神は建御雷之男神(タケミカヅチ)。日本神話最強の武神、勝利の神、雷神とされる。 神代の昔、天照大御神の命を受けた建御雷之男神は経津主大神と共に出雲へ向かい国譲りを成功させ、日本建国・建設を進めたとされている。ちなみに国譲りに関してはこちらを読むと分かりやすいかと。 その後、神武天皇は東征において窮地に陥ったが、建御雷之男神の布都御魂剣の力によって救われたことに感謝し、鹿島の地に社が建てられることになった。 建御雷之男神と建御名方神 これはつよそう 前述の国譲りの際、建御名方神(タケミナカタノカミ)は建御雷之男神に反抗した。 だが建御雷之男神は強く、組み合った際に建御名方神の片腕を引きちぎったとされている。(古事記) 建御名方神は諏訪へと逃げることになるが、この建御名方神こそが諏訪大社の主神である。 そして諏訪に元から居る神…守屋神や手長、足長などを打ち負かし服従させたとされている。 なお、このエピソードは古事記にのみ記載されているもので、日本書紀などには記載されてない。 古事記が成立したのはちょうど藤原家が力を増していた頃で、建御雷之男神は藤原氏の氏神である。 そのため、創作された可能性があるという説がある。まぁ神話自体、創作みたいなものだが。 要石 鹿島神宮の敷地内には要石と呼ばれる石?を祀っている場所がある。 地震を起こす原因-大ナマズを押さえつけているとされ、香取神宮にも存在する。(二つは地下で繋がっているともされる) 比那名居天子の要石といえば丸っこい石が頭に浮かぶが、鹿島神宮の要石はただの石ではなく地表に出ている部分は高さ15cm位・直径30cm位だが、地下の部分はとても深く引き抜くことはできないと言われる。 昔水戸黄門(徳川光圀)が家来に七日七夜掘り続けさせたが底が見える様子がなく、事故が相次いだ為、諦めたのだとか。現在なら科学の技術を用いれば地下の様子を調べることは不可能ではないと思うが、地下が判明するのは日本に神社が必要なくなった時であろう。 ところで、この石への信仰が有名になったのは江戸時代の安政の大地震の時で、「地震から家を守る札」が流行ったらしい。 東日本大震災以来地震が多いが、家屋や家具の安全を要石に祈ってみるのもいいのでは? ↑ 一の鳥居 水中に作られている。場所を調べておかないとなかなか見つけにくい。神宮橋からも見ることができる。(遠くからだけど) 江戸時代に歌川廣重の『六十余州名所図會』にも描かれ水上鳥居としてその景観が親しまれていた。 住所 鹿嶋市大船津2251 沖
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{{神社 |名称 = 熱田神宮 |画像 = 熱田神宮本宮 |所在地 = 愛知県名古屋市熱田区神宮1-1-1 |位置 = Template ウィキ座標2段度分秒? |祭神 = 熱田大神(天叢雲剣) |社格 = 式内社(名神大)官幣大社別表神社 |創建 = 不詳 |本殿 = 神明造 |別名 = |例祭 = 6月5日(熱田祭) |神事 = 歩射神事御煤納神事 }} 熱田神宮(あつたじんぐう)は、愛知県名古屋市熱田区にある神社である。 概要 祭神は熱田大神であり、三種の神器の一つである草薙剣(くさなぎのつるぎ。天叢雲剣)を神体としている。同項に詳しいが、剣は壇ノ浦の戦いで遺失したとも神宮に保管されたままとも言われている。 相殿に天照大神、素盞鳴尊、日本武尊、宮簀媛命、建稲種命を祀る。 創建は不詳だが、景行天皇朝には、すでに土着の信仰神として存在していたらしい。 官幣大社、式内社(名神大)で、建物は伊勢神宮と同じ神明造であるが、1893年(明治26年)までは尾張造と呼ばれる独特の建築様式であった(氷上姉子神社に尾張造の建築様式が残っている)。社務所に当たる組織は熱田神宮宮庁と呼ぶ。その他施設に、宝物館、熱田神宮会館、能楽殿。熱田神宮の敷地内には愛知県神社庁がある。 東海道名所図会に、熱田大神宮と記載される。 海道記に、熱田の宮の御前を過ぐれば、とある。 東関紀行に、尾張の國熱田の宮に到りぬ、とある。また、 或人の曰く、「この宮は素盞嗚尊(すさのをのみこと)なり、初めは出雲の國に宮造りありけり。八雲立つ〔(*「)八雲たつ出雲八重垣妻籠に八重垣つくる其の八重垣を(*」)(古事記)〕と云へる大和言葉も、これより始まりけり。その後、景行天皇の御代に、この砌(みぎり)に跡を垂れ給へり。」と云へり。又曰く、「この宮の本體は、草薙と號し奉る神劒なり。景行の御子、日本武尊と申す、夷(えみし)を平げて歸りたまふ時、尊は白鳥となりて去り給ふ、劒(つるぎ)は熱田に止り給ふ。」とも云へり。と記載されている。 祭神 熱田大神(あつたのおおかみ)とは草薙剣の神霊のこととされるが、明治以降の熱田神宮や明治政府の見解では、熱田大神は草薙剣を御神体とする天照大神のことであるとしている。しかし、創建の経緯などからすると日本武尊と非常にかかわりの深い神社であり、熱田大神は日本武尊のことであるとする説も根強い。 相殿には、天照大神、素盞鳴尊(すさのおのみこと)、日本武尊、宮簀媛命、建稲種命(たけいなだねのみこと)と草薙剣に縁のある神が祀られている。素盞鳴尊は、ヤマタノオロチ退治の際に、ヤマタノオロチの尾の中から草薙剣を発見し、天照大神に献上した。天照大神は、その草薙の剣を天孫降臨の際に迩迩芸命(ににぎのみこと)に授けた。日本武尊は、草薙剣を持って蝦夷征伐を行い活躍したあと、妃の宮簀媛命のもとに預けた。宮簀媛命は、熱田の地を卜定して草薙剣を祀った。建稲種命は宮簀媛命の兄で、日本武尊の蝦夷征伐に副将として従軍した。 歴史 第12代景行天皇の時代、日本武尊(やまとたけるのみこと)が東国平定の帰路に尾張へ滞在した際に、尾張国造乎止与命(おとよのみこと)の娘宮簀媛命(みやすひめのみこと)と結婚した。草薙剣を妃の手許へ留め置いた。日本武尊が能褒野で亡くなると、宮簀媛命は熱田に社地を定め、剣を奉斉鎮守したのが始まりと言われる。そのため、三種の神器のうち草薙剣は熱田に常に置かれるようになり、伊勢神宮に次ぐ権威のある神社として栄えることとなった。 大宮司職は代々尾張国造の子孫である尾張氏が務めていたが、平安時代後期に尾張員職の外孫で藤原南家の藤原季範にその職が譲られた。以降は子孫の藤原氏・千秋氏が大宮司、尾張氏は権宮司を務める。なお、この季範の娘は源頼朝の母である。 明治4年(1871年)5月14日、熱田神宮は官幣大社に列格した。「三種の神器の一つを祀る熱田神宮は、伊勢神宮と同格であるべきだ」という主張が熱田神宮の中にはあり、同年7月には大宮司・千秋季福が伊勢神宮に準じた待遇にするよう国に請願し、却下されている。次に大宮司となった角田忠行も同様の請願を続け、明治22年(1889年)までに伊勢神宮に準じた神璽勅封・権宮司設置などが認められた。 それまで熱田神宮は尾張造という尾張地方特有の建築様式で建てられていたが、明治22年、伊勢神宮と同じ神明造による社殿の造営が計画された。また、熱田神宮の国への働きかけにより、明治23年(1890年)9月、社格を離脱して伊勢神宮と同格にする旨の勅令案が閣議に提出された(案の段階では熱田神宮を「尾張神宮」に改称する事項も含まれていたが、これは外された)。しかし、この勅令案は否決され、熱田神宮の社格の件は従前の通りとすることとなった。その背景には伊勢神宮の反対があったという。神明造による社殿の造営は進められ、明治26年(1893年)に竣工したが、この社殿は太平洋戦争の空襲により焼失した。 昭和20年(1945年)の終戦直前、神体である草薙剣を守るために飛騨一宮水無神社への一時的な遷座が計画されたが、8月15日の終戦により一時中止された。しかし、今度は上陸したアメリカ軍に神体が奪われる虞があるとして、8月21日、陸軍の協力を得て計画通り神体が水無神社に遷された。同年9月19日に熱田神宮に戻されたが、そのときにはすでに陸軍は解散していたため、神職が鉄道で移動した。社殿は伊勢神宮の式年遷宮の際の古用材を譲り受け、昭和30年(1955年)10月に再建された。新しい建物のため、文化財に指定されていない。 年表 <>は関連事項 113年(景行天皇43年):日本武尊が能褒野で薨去する。 195年(仲哀天皇4年):火上姉子神社が創建される。 668年(天智天皇7年):草薙剣が新羅の僧道行により盗み出される。 686年(朱鳥元年) 草薙剣が熱田神宮へ戻される。 708年(和銅元年)9月9日:八剣宮が創建される。 712年(和銅5年)1月28日:<「古事記」完成。> 720年(養老4年):<「日本書紀」完成。> 927年(延長5年)12月26日:<延喜式完成。> 967年(康保4年)7月9日:<延喜式施行。> 1382年(永徳3年):火上姉子神社で火災。地名を火高(ほだか)火上から大高氷上へと改める。 1839年(天保10年)1月19日:八剣宮の御神体を妖僧が盗み出すも未遂に終わる。 1868年(明治1年)3月:<神仏分離令> 1871年5月14日(明治4年):<社格制度制定> 1893年(明治26年):神明造に建て直される。 1945年(昭和20年):5月17日:空襲による被害を受ける。各種社殿、国宝海上門を焼失。 同年6月9日:空襲による被害を受ける。 同年7月29日:空襲による被害を受ける。国宝鎭皇門を焼失。 同年8月21日:御神体を水無神社へ遷す。 同年9月19日:御神体が熱田神宮へ戻される。 同年12月15日:<神道指令> 1955年(昭和30年)10月:再建される。 1963年(昭和38年):高座結御子神社が再建される。 2007年(平成19年)10月:本殿の改修に伴い、御神体を仮殿に移す。 皇族の御親拝・御参拝 2005年(平成17年)今上天皇・皇后(2005年日本国際博覧会行幸啓の折) 祭事 6月5日の例祭(「尚武祭(しょうぶさい)」「熱田まつり」とも称される。)を最大規模の祭事とし、年間を通して以下の祭事が行われている。 1月 歳旦(さいたん)祭(1月1日) 元始(げんし)祭(1月3日) 初えびす(1月5日) 世様(よだめし)神事(1月7日) 踏歌(とうか)神事(1月11日) 封水世様(ほうすいよだめし)神事(1月12日) 歩射(ほしゃ)神事(1月15日) 2月 紀元(きげん)祭(2月11日) 3月 祈念祭(3月17日) 御田神社祈念祭(3月17日) 春季皇霊祭遥拝(しゅんきこうれいさいようはい)(春分の日) 氷上姉子神社太々神楽(最終週の日曜日) 4月 幼児成育祈願祭(4月3日) 5月 舞楽神事(5月1日) 酔笑人(えようど)神事(5月4日) 神輿渡御(しんよとぎょ)神事(5月5日) 豊年祭(5月8日) 熱田講社春季大祭(5月9日) 御衣(おんぞ)祭(5月13日) 6月 高座結御子(たかくらむずびみこ)神社例祭(6月1日) 例祭(6月5日) 献茶祭(6月5日) 献花式(6月5日) 南新宮社祭(6月5日) 御田神社御田植祭(6月18日) 大高斎田御田植祭(第4日曜日) 大祓(6月30日) 7月 御井社(みいしゃ)祭(土用入の日) 鈴之御前(れいのおみやまえ)社祭(茅の輪くぐり)(7月31日) 9月 秋季皇霊祭遥拝(しゅうきこうれいさいようはい)(秋分の日) 10月 氷上姉子神社例祭(第1日曜日) 新嘗(にいなめ)祭(10月17日) 御田神社新嘗祭(10月17日) 熱田恵比須講社大祭(10月20日) 11月 熱田講社秋季大祭(11月1日) 明治祭(11月3日) 奉賛会大祭(11月3日) 献詠祭(11月3日) 12月 農業感謝祭(12月20日) 天長祭(12月23日) 御煤納(おおすおさめ)神事(12月25日) 大祓(12月31日) 除夜祭(12月31日) 境内外社 境内社 別宮 八剣宮(はっけんぐう) 社格:式内社 祭神:熱田大神 摂社 一之御前神社(いちのみさき) 祭神:天照大神荒魂 日割御子神社(ひさきのみこ) 社格:式内社(名神大) 祭神:天忍穂耳尊 孫若御子神社(ひこわかみこ) 社格:式内社(名神大。他説有り) 祭神:天火明神 南新宮社(みなみしんぐう) 祭神:素盞嗚尊 御田神社(みた) 社格:式内社(他説有り) 祭神:大年神 下知我麻神社(しもちかま) 社格:式内社 祭神:真敷刀俾命 上知我麻神社(かみちかま) 社格:式内社 祭神:乎止與命 本社末社:大国主社(おおくにぬし) 祭神:大国主命 本社末社:事代主社(ことしろぬし) 祭神:事代主命 龍神社(りゅう) 祭神:吉備武彦命、大伴武日命 末社 大幸田神社(おおさきだ) 祭神:宇迦之御魂神 清水社(しみず) 祭神:罔象女神(みずはのめ) 東八百万神社(ひがしやおよろず) 祭神:東国坐八百万神 西八百万神社(にしやおよろず) 祭神:西国坐八百万神 内天神社(うちてんじん) 祭神:少彦名命 六末社 乙子社(おとご) 祭神:弟彦連 姉子神社(あねご) 祭神:宮簀媛命 今彦神社(いまひこ) 祭神:建稲種命 水向神社(みか) 祭神:弟橘媛命 素盞鳴神社(すさのお) 祭神:素盞嗚尊 日長神社(ひなが) 祭神:日長命 楠之御前社(くすのみまえ) 祭神:伊弉諾尊、伊弉册尊 菅原社(すがはら) 祭神:菅原道真 徹社(とおすのやしろ) 祭神:天照大神和魂 八子社(やこのやしろ) 祭神:五男三女神 曽志茂利社(そしもり) 祭神:居茂利大神(素盞嗚尊) 境外社 摂社 高座結御子神社(たかくらむすびみこ) 社格:式内社(名神大) 祭神:高倉下命 本社末社:鉾取社(ほことり) 祭神:鉾取神 本社末社:新宮社(しんぐう) 祭神:素盞嗚尊 本社末社:御井社(みい) 祭神:御井神 本社末社:稲荷社(いなり) 祭神:宇迦之御魂神 氷上姉子神社(ひかみあねこ) 社格:式内社 祭神:宮簀媛命 本社末社:元宮(もとみや) 祭神:宮簀媛命 本社末社:神明社(しんめい) 祭神:天照大神 本社末社:玉根社(たまね) 祭神:少彦名命 境外末社:朝苧社(あさお) 祭神:火上老婆靈(うばのみたま) 青衾神社(あおぶすま) 社格:式内社 祭神:天白王月神 天道日女命 松ゴ神社(まつご、「ゴ」=「女后」) 祭神:宮簀媛命 末社 鈴之御前社(れいのみまえ) 祭神:天鈿女命 南楠社(みなみくす) 祭神:熱田大神 浮島社(うきしま) 祭神:天穂日命 影向間社(ようごうのま) 祭神:熱田大神 朝苧社(あさお) 祭神:火上老婆霊 琴瀬山社(ことせやま) 祭神:熱田大神、大山津見神、久久能智神 文化財 国宝・重要文化財 国宝「短刀 銘来国俊 正和五年十一月日」 重要文化財「紙本著色法華経涌出品」 重要文化財「木造舞楽面」12面 重要文化財「菊蒔絵手筥」 重要文化財「鏡及鏡箱」 重要文化財「古神宝類」一括 重要文化財「金銅装唐鞍(附 黒漆鞍2背 飾鞍図1巻)」 重要文化財「金銅兵庫鎖太刀」 重要文化財「太刀 銘国友」 重要文化財「太刀 銘則国」 重要文化財「剣 銘吉光」 重要文化財「太刀 銘了戒嘉元三年三月日 山城国住人九郎左(以下切)」 重要文化財「脇指 銘長谷部国信」 重要文化財「短刀 銘長谷部国信 (切付銘)藤原友吉」 重要文化財「短刀 銘国光 徳治三年(以下切)」 重要文化財「太刀 銘宗吉作」(1911年重文指定) 重要文化財「太刀 銘宗吉作」(1912年重文指定) 重要文化財「剣 銘為清 身ニ熱田太神宮宗久ト切付アリ」 重要文化財「太刀 銘長光」 重要文化財「太刀 銘備州長船兼光」 重要文化財「太刀 銘備州長船重光」 重要文化財「太刀 銘元弘三年六月一日実阿作 鎬地ニ文祿四年守勝ノ寄進銘アリ」 重要文化財「剱 銘□利」(包利) 重要文化財「太刀 銘真行 身ノ表ニ元亀二年辛未八月八日大久保与九郎、裏ニ熱田大名神奉寄進之在銘」 重要文化財「太刀 無銘」(伝真長) 重要文化財「銘指表ニ奉納尾州熱田大明神、指裏ニ両御所様被召出於武州江戸御劔作御紋康之字被下罷上刻籠越前康継トアリ」 重要文化財「日本書紀(紙背和歌懐紙)(附 永和三年霜月四日寄進状1巻)」 重要文化財「後花園天皇宸翰御消息 永享五年十二月十二日」 他に旧国宝建造物の海上門と鎮皇門があったが、第二次大戦時に焼失している。 その他の文化財 算額 文化3年(1806)5月 日下誠門人江原政教奉納(復元) 算額 天保12年(1841)11月 御粥安本門人三輪恒徳奉納(復元) 算額 天保15年(1844)2月 竹内修敬門人松岡愿奉納(復元) 交通 最寄駅:名鉄神宮前駅、名城線神宮西駅・伝馬町駅、東海旅客鉄道熱田駅 市営バス:神宮東門バス停、熱田伝馬町バス停、熱田駅西バス停、熱田区役所バス停 駐車場:有り その他 永禄3年(1560年)5月19日、織田信長とその手勢が桶狭間の戦いに赴く際に立ち寄り、戦勝祈願を行った。合戦後、信長が勝利した御礼として築いたとされる塀(信長塀)の一部が現存する。 11月に開催される全日本大学駅伝対校選手権大会では西門鳥居前(国道19号)がスタート地点として使われる。 1936年のベルリンオリンピックで、水泳女子の前畑秀子がレース直前、熱田神宮のお守りを数点飲み込んで胃に収め、見事金メダルを獲得した。 熱田神宮宝物館には、国宝や重要文化財を始め、皇室や徳川将軍家及び尾張徳川家などから寄進された品々が多数所蔵されている。 日本武尊が草薙剣を宮簀媛命へ渡してから、熱田に剣を奉斉鎮守するまでの間、剣が火上山に置かれていたことから、氷上姉子神社は元熱田とも呼ばれる。 上知我麻神社と下知我麻神社は、かつて南区の星宮社に祀られていた。 関連項目 宮宿 八雲神社(全国で唯一の分社) ラングドン・ウォーナー 熱田神宮能楽殿 外部リンク Template commonscatN? 熱田神宮ホームページ 熱田祭-映像で綴る名古屋の400年より 出典 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』_2008年11月14日 (金) 08 28。
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近江神宮 滋賀県大津市に鎮座する近江神宮の御朱印です。 令和5年にいただけた正月限定の書置き御朱印です。こちらの御朱印が例年授与されているようです。 ★この神社にはオリジナル御朱印帳があります。 ★住所 滋賀県大津市神宮町1-1 - 名前 コメント