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第一学年 主教科聖書序論 旧約聖書 歴史の書 信仰・神学序論 基礎神学 キリスト論 三位一体論神学 神学的人間論 秘跡論Ⅰ 洗礼/堅信 典礼学序論 基礎道徳学 教会史Ⅰ 古代/キリスト教考古学 教会法Ⅰ 総序/神の民 副教科聖書ヘブライ語 主教科 聖書序論 スペイン人の新約学者M神父による。 教皇勅書 Dei Verbum を軸に、聖書という書物の成り立ちや特徴、教会的読解のあり方を考察する。 テキスト目次 旧約聖書 歴史の書 オーストリア人の旧約学者V神父による。 歴史的-文学批判的視点に立ったストイックな講義。できあがった解釈をおしつけるのではなく、読解の方法論を学ばせることが目的。主眼はモーセ五書だが、律法制度の定まるヨシュア記以降をまず扱い、後半で五書を様々な角度から読解する。 講義概要 信仰・神学序論 ポーランド人の基礎神学学者K神父による。 基本ラインをきちんとおさえていくタイプの講義。地味だが、現代カトリック神学のあり方が展望できてありがたい。 テキスト目次 基礎神学 上述の基礎神学学者K神父による。 テキスト目次 キリスト論 イタリア人のキリスト論学者B神父による。 テキスト目次 三位一体論神学 イタリア人の聖霊論学者M修道女による。 講義概要 神学的人間論 カタロニア人の人間論学者O神父による。 現代科学を初めとする他分野の学問との連携に積極的。しばしば本流をはずれて事例の海をたゆたう講義は、学生を混乱させもした。 テキスト目次 秘跡論Ⅰ 洗礼/堅信 イタリア人の典礼学者E神父による。 詳細 典礼学序論 イタリア人の典礼学者B神父による。 テキスト目次 基礎道徳学 スペイン人の倫理学者C神父による。 司牧面・実践面を重視。散文的で少々まとめにくかった。 講義概要 教会史Ⅰ 古代/キリスト教考古学 イタリア人の碑銘学者P講師による。 講義概要 教会法Ⅰ 総序/神の民 ブラジル人の教会法学者H神父による。 【総序 テキスト目次】【神の民 テキスト目次】 副教科 聖書ヘブライ語 上記の旧約学者V神父による。 講義概要
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第二学年 主教科旧約聖書 預言書 新約聖書 共観福音書/使徒言行録 新約聖書 パウロ文書 教会論 マリア論 秘跡論Ⅱ 聖体 時課と典礼年 人間論道徳学 教父学Ⅰ 教会史Ⅱ 中世 教会法Ⅱ 教皇庁 副教科霊性神学 聖書ギリシャ語 ゼミ神学Ⅰ 三位一体論神学の語彙の形成 道徳学 金融倫理 主教科 旧約聖書 預言書 イタリア人の旧約学者N神父による。 詳細 新約聖書 共観福音書/使徒言行録 ブラジル人の黙示録学者M神父による。 テキスト目次 新約聖書 パウロ文書 イタリア人のパウロ学者B神父による。 テキスト目次 教会論 ポーランド人の教会論学者M神父による。 テキスト目次 マリア論 テキスト目次 秘跡論Ⅱ 聖体 詳細 時課と典礼年 イタリア人の典礼論学者B神父による。 【典礼年 テキスト目次】 【時課 テキスト目次】 人間論道徳学 内分泌系の医者でもある倫理学者、F神父による。 前半は「性道徳・結婚道徳」。後半は「生命倫理」。現場を知る医師だけあって考察は実証的。 【性道徳・結婚道徳 テキスト要約】 【生命倫理 テキスト要約】 教父学Ⅰ 詳細 教会史Ⅱ 中世 詳細 教会法Ⅱ 教皇庁 詳細 副教科 霊性神学 詳細 聖書ギリシャ語 詳細 ゼミ 神学Ⅰ 三位一体論神学の語彙の形成 指導はイタリア人の聖霊論学者M修道女。三位一体論神学の形成において重要な思想家の著作にあたり、その語彙を見ていく。扱った作品は、以下のもの。 アタナシウス『アリウス派駁論』 アウグスティヌス『ヨハネ書講解』 テルトゥリアヌス『プラクセアス駁論』 ポワティエのヒラリウス『教会会議、もしくは東方人の信仰』 オリゲネス『ヨハネ書講解』 ニュッサのグレゴリウス『三神にあらず』 ナジアンゾスのグレゴリウス『御生誕の説教』 アウグスティヌス『三位一体論』 サン・ヴィクトールのリカルドゥス『三位一体論』 トマス・アクィナス『神学大全』 道徳学 金融倫理 指導はイタリア人の経済史学者M神父。教会史として経済史を概観した後、金融関連の教皇庁文書を読んでいく。 高利と正当な利子を区別することなく経済・金融活動に難色を示してきたカトリック教会だが、第二ヴァティカン公会議後、無視できない人間現実としてやっとこれに正面から向かい合うようになった。その流れで、道徳神学の一環として「金融倫理」なるものが教えられるようになったらしい。
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第三学年 主教科旧約聖書 知恵の書/詩編 新約聖書 ヨハネ文書/書簡 終末論/対神徳 秘跡論Ⅲ 終油/叙階 秘跡論Ⅲ 告悔/婚姻 宗教道徳学 社会・政治・経済・コミュニケーション道徳学 教父学Ⅱ 教会史Ⅲ 近現代 教会法Ⅲ 副教科司牧神学 エキュメニカル神学 某修道会神学 ゼミいわゆる卒論指導 主教科 旧約聖書 知恵の書/詩編 テキスト目次 新約聖書 ヨハネ文書/書簡 テキスト目次 終末論/対神徳 【終末論/対神徳 テキスト目次】 秘跡論Ⅲ 終油/叙階 詳細 秘跡論Ⅲ 告悔/婚姻 詳細 宗教道徳学 テキスト目次 社会・政治・経済・コミュニケーション道徳学 講義概要 教父学Ⅱ 詳細 教会史Ⅲ 近現代 詳細 教会法Ⅲ ブラジル人の教会法学者M神父による。 例をふんだんに挙げた興味深い授業。とりわけ結婚については、各国から集まった学生が自国の習慣を挙げ合い、賑やかであった。 テキスト目次 副教科 司牧神学 詳細 エキュメニカル神学 詳細 某修道会神学 講義要項にはあるが、行われなかった模様。 ゼミ いわゆる卒論指導
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宗教道徳学 1. 回心 2. 赦免の秘跡 3. 回心と霊的成長 4. 恩寵と自由 5. 忠誠としての自由5.1. わたしたちはもはや律法の下ではなく恵みの下にある 5.2. 自由は愛に奉仕する 6. 徳 7. 対神徳7.1. 神学的生としてのキリスト教の生 7.2. 救いを与える信仰 7.3. 希望:信仰の賜物 7.4. 愛における真理 8. イエス・キリストにおける神との関係8.1. キリストにおける召命 8.2. ナザレのイエス.人の顔 8.3. 最初の三訓戒 9. 宗教の徳:霊と真理における神の崇拝9.1. 宗教と道徳神学 9.2. 聖性の優位 9.3. 祈りと生 9.4. 秩序づけられた 祈り 9.5. キリスト教的道徳的生におけるエウカリスティア 10. 宗教現象を害する態度 1. 回心 1.1. 回心の必要性 1.2. 回心の条件 1.3. 回心の秘跡的実現 2. 赦免の秘跡 2.1. 問題の所在 2.2. 基本ライン 2.3. 悔悛の行為 2.4. 教会の行為としての赦罪 2.5. 告白の考察 3. 回心と霊的成長 4. 恩寵と自由 5. 忠誠としての自由 5.1. わたしたちはもはや律法の下ではなく恵みの下にある 5.1.1. 自由と律法 5.1.2. 子供たちは自由である 5.2. 自由は愛に奉仕する 5.2.1. イエス・キリストの内の自由 5.2.2. 自由から献身へ 6. 徳 6.1. 日常的評価 6.2. 聖書の関連個所 6.3. 歴史的発展 6.4. 客観的問題 6.5. 本質的側面 6.6. 不変なる徳の価値 7. 対神徳 7.1. 神学的生としてのキリスト教の生 7.1.1. キリスト教の生の神学的特徴 7.1.2. 聖書の関連個所 7.1.3. 神学史における発展 7.1.4. 教会の教え 7.1.5. 神学的発展 7.2. 救いを与える信仰 7.2.1. 聖書の関連個所 7.2.2. 神学史において 7.2.3. 教会の教え 7.2.4. 自己の課題としての信仰 7.2.5. 教会における信仰 7.2.6. 信仰の秘跡 7.2.7. 正統性 7.3. 希望:信仰の賜物 7.3.1. 聖書における希望 神学的アプローチ 新約における希望の進学 7.3.2. キリスト教の希望について 7.3.3. 希望の秘跡性と希望の秘跡 7.3.4. 希望に対する罪 7.4. 愛における真理 7.4.1. 対神徳としての愛徳の定義 7.4.2. 聖書における愛徳の神学 共観福音書におけるアガペ パウロ文書におけるアガペ ヨハネ文書におけるアガペ 7.4.3. 愛の秘跡性 7.4.4. 共同体における愛 7.4.5. 救済の神秘としての愛 8. イエス・キリストにおける神との関係 8.1. キリストにおける召命 8.1.1. 神の働きと人の行為 8.1.2. 神との出逢いと信仰生活 神は救済愛として顕現する 救いの近さとして認識される神 共有、意味の刷新、未来への展望 8.1.3. イエス・キリストにおいて 8.1.4. イエスの人格は人を倫理的に理解する 8.1.5. 主の思い出において 8.2. ナザレのイエス.人の顔 8.2.1. 関係性の神、兄弟の民 8.2.2. 新しい契約 8.2.3. ナザレの人 8.2.4. 矛盾のしるし 8.2.5. 人の顔 8.2.5. 人性のしるし 8.3. 最初の三訓戒 8.3.1. 信仰存在 唯一の神 名 安息日 8.3.2. 人の活動と祝日の急速 人類の創造としての人の活動 誘惑としての活動 弱者の保護と安息日の解釈 休息と祈りのつながり 9. 宗教の徳:霊と真理における神の崇拝 9.1. 宗教と道徳神学 9.2. 聖性の優位 9.3. 祈りと生 キリストにおける神との出逢い 祈りのと生の決断 祈りと道徳的生 9.4. 秩序づけられた 祈り 祈りのための時 人間存在の時と祈りの時間 道徳主体の真理 祈りにおける具体的な生 秩序づけられた、決断された祈り 9.5. キリスト教的道徳的生におけるエウカリスティア 崇敬と信仰生活 人の祈り、個人の祈り、典礼の祈り 私の記念としてこれを行え 10. 宗教現象を害する態度 10.1. 無神論 10.2. 世俗化 10.3. 偶像崇拝 10.4. 宗教セクトへの執着 10.5. 冒涜 10.6. 神の誘惑 10.7. 魔術 10.8. 迷信 第三学年>宗教道徳学へ
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基礎道徳学 序概要 道徳神学史 道徳の基礎 キリスト教道徳 道徳行為自由 責任 自覚 coscienza 道徳法道徳法の概念 啓示道徳法 自然道徳法 市民法 教会の法 罪罪の概念 聖書にみる罪 神学的考察における罪 罪から回心へ 徳徳の概念 キリスト教の徳 序 概要 倫理と道徳の関係、哲学倫理と道徳神学の関係。 道徳、法、宗教の関係。 人間学と道徳の関係。 倫理と宗教の関係。 道徳神学史 一世紀- ヘブライズム 四世紀- ヘレニズム 十三世紀 大学/托鉢修道会/アリストテレス 十四世紀- ルネッサンス/宗教改革 十八世紀- 第二ヴァティカン公会議後 道徳の基礎 哲学-分析哲学-自民族中心主義と他律倫理-マルクス主義-実存主義-人格主義-フランクフルト学派 聖書-旧約-新約 キリスト教道徳 道徳行為 自由 自由とは、他者への開け。道徳行為を可能にするもの。自己実現を可能にするもの。 自由の三側面:心理的側面、道徳的側面、福音的・救済的側面。 道徳行為および道徳責任の諸条件。 責任 道徳責任は愛への応答 人(行為主体)とその行為:根本選択、態度、慣習、行為の四つのカテゴリー。 人の行為の要素:環境、行為それ自体(客観面)、目的(個人の意図。主観面)。 行為評価の原則:予測可能性、道徳的可能性。最少悪の原則、全体性の原則。 自覚 coscienza 自覚は神と人との対話の場。 自覚の要素、自覚のタイプ。 識別 discernimento から自覚へ。 自覚と自我意識 autocoscienza。 自律倫理と他律倫理。 自覚の形成と逸脱。 道徳法 道徳法の概念 規範=価値+社会的文化的環境。 価値・法・義務を通しての神の呼びかけ、法と自覚による人の応答。 道徳法と道徳規範。 様々な法:永遠の法、自然法、啓示的法(福音、キリスト自身)。 啓示道徳法 聖書にみる道徳法。 神学的考察における道徳法。 十四-十六世紀における概念の変化。 自然道徳法 自然法否定の傾向 誤った自然法理解 自然法の定義 市民法 道徳法との関係 教会の法 教会の生としての道徳的生活 教会の指導と道徳 教皇庁 教会の実定法(教会法) 罪 罪の概念 聖書にみる罪 神学的考察における罪 罪から回心へ 徳 徳の概念 キリスト教の徳 徳の結びつきと複数性:対神徳と道徳 賢明 prudentia 第一学年>基礎道徳学へ
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Kumicitのコンテンツ インテリジェントデザイン概説 フロントローディングをめぐって 宇宙版インテリジェントデザイン Newtonな神学に陥る宇宙版ID+通常版ID 科学用語ではなく神学用語フロントローディングと介入という言葉の意味は以下のようなものである。 フロントローディング(Front loading) 初期値・物理法則などの形で、創造主が手を入れること。もちろん、偶然、そういう初期値や物理法則になっているのか、神様が考え抜いた末にそうなったのか識別できない。この場合、神様がたとえ本当に考えまくっていたとしても、神様がいてもいなくても、科学上の説明には影響しないので、余計なものとして、オッカムの剃刀の原則に従って、神様は説明用には不採用となる。 介入(intervention) 簡単で、超自然から何らかの形で自然界に手を出して、何かを置いたり操作したりすること。自然法則を無視しているので、人間が全知であれば奇跡として認識できる。もちろん、人間は全知ではないし、自らが全知であることを証明する方法もないので、"God of the gaps"論として、神の介入を主張することになる。 フロントローディングでは、科学の版図内に神は存在しなくなるので、インテリジェントデザイン"理論"は、証明可能性は別として、介入を選択せざるを得ない。 そして、通常版インテリジェントデザイン(生物)は、介入を基軸としている。これに対して、宇宙版インテリジェントデザインは、どっちだかわからない記述になっている。あくまでも、YEC(若い地球の創造論)ともOEC(古い地球の創造論)とも矛盾しないようにしようとして明言できなくなっているようなのだ。一応、明示的に介入したような記述にはなっていないので、宇宙版ID批判サイドはフロントローディングと解釈して、批判している。 なお、通常版インテリジェントデザインである反進化論も、明確ではない。エネルギー保存則を守ろうとすると、明示的な介入(鶏を置くとか、卵のDNAをこっそり修正するとか)ができない。YEC的な原則である「エネルギー保存則は創造6日間の後は完全に機能する」を捨ててしまえば、何でもありなのだが、そのあたりは明言されていない。ただ、適応関数とか突然変異の仕掛けとかのフロントローディングの形でデザインを持ち込もうとすると、オッカムの剃刀の原則でデザイナーは科学の説明の中に居場所がなくなる。従って、"気分"的には、介入だと思われる。 で、フロントローディングな宇宙版インテリジェントデザインと介入な通常版インテリジェントデザインを接続したときの、"科学"は....... 何もない。初期条件と"God of the gaps"なので科学として何も内容はない。しかし、"神学"はある。それも、とってもNewtonな神学が。 Newtonの神とLeibnizの神の対立点はあくまでも神学 Newtonな神学とは、宇宙は建て直しを必要とし、神の奇跡によって建て直しがなされないと維持できないという考えで神の存在を証明しようとしたもの。Newtonは惑星軌道の安定性にそれを求めた。そして、惑星軌道の安定性という隙間は、Lagrangeによって埋められてしまった。また、[J.H. ブルック 科学と宗教 pp.161-165]。 このNewtonとLeibnizの論争は、進化論や宇宙における地球の位置などキリスト教と絡むネタについてでもなければ、神の存否についてものですらない。神の直接介入なしに現在の宇宙が存在しうるかどうかという、科学ではなく神学の戦いである。 そもそも、機械仕掛けの宇宙という機械論そのものは、そのような精緻な機械を創造できた神を讃えるものでもある。しかし、それは神をデザイナーにしてしまった。そうなってしまうと、「神の直接介入は神の職人としての技量の低さを示すもの」というLeibnizの主張はむしろ有神論的には適切だ。なお、 Leibnizの主張はキリスト教の枠外たる理神論的であるが、Leibniz自身は理神論者ではなく、キリスト教の枠内にとどまる。 問題は、機械仕掛けの宇宙そのものに神を感じることはできても、神の姿が見えないことだ。神の直接介入、すなわち奇跡がないなら、神の顔を人が見ることなどありえない。だからこそ、Newtonは機械論の隙間に神の姿を見出そうとした。 繰り返しになるが、結局は「賛美に値する技量の高い神は顔が見えない。顔が見える神は、技量が低い。」という問題に直面する。どちらの神学を選択するかは、科学とは無関係。神が賛美に値する高い技量を持つべきだと言うのも、あまたある神学のひとつであって、唯一絶対正しいものではないだろう。 宇宙版インテリジェントデザインは技量の低い神 このLeibnizのツッコミがそのまま宇宙版ID+通常版IDにあてはまってしまう。 デザイナーは宇宙にほとんど生物が生存できないような自然法則を作った デザイナーは奇跡的なフロントローディングで1個だけ生存可能な惑星を確保した デザイナーはその惑星に生命が自発的に出現するような準備ができなかった デザイナーは最初の生命をその惑星に置いて、やっと生命の歴史が始まった デザイナーは進化によって、生命の多様性を創れなかった デザイナーはたびたび介入して、霊長類にたどり着いた。 デザイナーはチンパンジー祖先とヒトの間にも、介入してやっとヒトを出現させた。 「一歩目からデザイナーは間違えているだろう」というのが神学的なツッコミ。どの段階にも、先見の明も、職人的技量も感じられないできの悪さである。 ラリー・ニーヴンとジェリー・パーネルにまかせれば、惑星1個なんてケチなことを言わずに、もっと広大な生存空間を創ることも可能だろう。しかし、デザイナーの想像力と創造力はチンケだったようだ。 結局は、高い技量を持つ賛美に値する神様は"顔が見えない"神様で、"顔の見える"神様は技量が低いという原則に立ち返るということだろう。 そして、「宇宙版ID+通常版ID」の神学は「顔が見える神は、技量が低い」というものだ。そのような神学を選択することそのもに非はない。それを科学だと主張しない限り、何の問題もない。
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分類 知識技能 難易度 難(Ha) 代替技能 知力-6、 概要 神々や神話に関する知識を表します。 このセキアでは神は存在するものであり、 実際に奇跡を体現するものです。 神々の相関図や言い伝えなどを知っているでしょう。 あなたが特定の神に使えているならば、その神に自発的に専門化するべきかもしれません。 関連項目 学術技能、
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典礼年 序 第一章 時の様々な概念1 時の社会的構成と計測 2 宇宙的時-歴史的時-聖なる時 3 聖書における時 第二章 “教会のためのキリストの神秘”の祝儀1 週の復活1.1 主日の起源 1.2 主日の歴史 1.3 主日の神学 2. 年の復活2.1 歴史的概観 2.2 復活の聖三日の始まり:聖木曜日 2.3 聖三日の初日:聖金曜日 3 復活の五十日3.1 歴史的発展 3.2 復活の時の典礼的祝儀 4 復活の準備:四旬節4.1 歴史的概観 4.2 現行の四旬節:構造 5 聖誕祭の期間-顕現節5.1 顕現節 5.2 聖誕祭 5.3 二つの祝祭の内容 5.4 聖誕祭の神学 5.5 聖誕祭の祝儀 5.6 顕現節の祝儀 5.7 主の現れ 6 待降節 第三章 聖人の祝祭 第五章 結び:典礼年の神学 序 1 Sacrosantum Concilium における典礼年 2 典礼年の現行の構造 3 歴史の変遷における典礼年の構造 第一章 時の様々な概念 1 時の社会的構成と計測 1.1 循環的時 1.2 直線的時 2 宇宙的時-歴史的時-聖なる時 3 聖書における時 3.1 旧約における時の概念の多様性 3.2 救済の時とその歴史的側面 3.3 典礼の時 第二章 “教会のためのキリストの神秘”の祝儀 1 週の復活 1.1 主日の起源 1.2 主日の歴史 1.2.1 最初の数世紀における主日の復活祭的-秘跡的-教会的現れ 1.2.2 規則的/個人的意味での主日の発展 1.3 主日の神学 1.3.1 復活の秘跡としての主日 復活の記念としての主日 復活の実現としての主日 永遠の復活の預言としての主日 1.3.2 主日の祝儀 1.3.3 司牧における主日の諸価値 2. 年の復活 2.1 歴史的概観 2.1.1 使徒の時代 2.1.2 二-四世紀 2.1.3 四世紀以降 2.2 復活の聖三日の始まり:聖木曜日 2.3 聖三日の初日:聖金曜日 3 復活の五十日 3.1 歴史的発展 3.2 復活の時の典礼的祝儀 3.2.1 昇天祭 3.2.2 聖霊降臨祭 4 復活の準備:四旬節 4.1 歴史的概観 4.1.1 枝の主日 4.1.2 聖木曜日 4.2 現行の四旬節:構造 4.2.1 四旬節の主日 5 聖誕祭の期間-顕現節 5.1 顕現節 5.2 聖誕祭 5.3 二つの祝祭の内容 5.4 聖誕祭の神学 5.5 聖誕祭の祝儀 5.5.1 聖誕祭のミサ 5.5.2 聖誕祭の八日間 5.5.3 プレゼピオ 5.6 顕現節の祝儀 5.6.1 西洋における顕現節 5.6.2 東洋における顕現節 5.7 主の現れ 6 待降節 第三章 聖人の祝祭 殉教者への崇敬 聖人崇敬 至聖なるマリア、神の母の崇敬 第五章 結び:典礼年の神学 典礼年とは 典礼年の主役としてのキリスト キリストのまねび キリスト教徒の秘跡的人生 典礼年における主の現れ 典礼年とエウカリスティア 第二学年>時課と典礼年へ
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クエスト紹介街 ロンドン 必要スキル ポルトガル語 ラテン語 宗教学3 報酬 14,000D 難易度 ☆☆ 発見物 アイテム その他 攻略順序 リスボン学者→本(宗教学)*3
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性道徳・結婚道徳 PARTE POSITIVA 第二部 伝統にみる性と結婚 第一章 創始からトレント公会議まで 1. 教父思想の基本ライン 2. アウグスティヌス 3. 中世における結婚の教義 4. 目的についての教義の発展 5. 夫婦の営みについて 第二章 トレント公会議から第二ヴァティカン公会議まで 1. トレント公会議 2. 神学的問題 3. トレント公会議後の神学における性と結婚 4. 新しい切り口へ 第一章 一世紀後半、パレスチナを出て地中海に広がったキリスト教は新しい地の現実に直面する。帝政ローマの頽廃は知られた話。それに抗してストア派、新ピタゴラス派、新プラトン派。キリスト教はこれら後者の影響を受ける。ローマ法とも親和性が高い。一夫一婦制とか。あれこれ混ざる中で花開いた教父文化の、基本ライン。 性や結婚を蔑視する厳格主義を批判、しかし、「クリスチャンは地上の律法から自由だから何してもおっけー」という放任主義も批判。婚姻における相互愛を称揚、処女の栄光も称揚。基本的に女性は下位に見られる。性交の正当性を生殖に見るのは、聖書に根拠をおくが、むしろストア派の影響。姦通は結婚の「死」。女性に対してより厳しいのはローマの法制度の影響だが、それを非難する声も内にあり。寡婦の再婚は歓迎されない。「最初の結婚は合法、二度目は許可、三度目は違法、それ以上は豚の所業」。離婚者の再婚については声さまざまで、後の神学者の間で議論おこる。 そんなこんなで、偉大なるアウグスティヌス。彼の性・結婚についての教義は、マニ教、ヨウィニアヌス、ペラギウス派との論争の内に整う。特徴二点。まず、結婚のメルクマールとして生殖よりも夫婦愛を重視。模範はマリア・ヨセフ夫妻。性交はないが愛がある。第二点、性欲と情欲を区別。性欲は悪くない。悪いのは無軌道でエゴイスティックな色情の方。色々複雑なものはあるが、アウグスティヌスにとって結婚は、最終的には良いもの。子孫、信頼、秘跡ゆえに。性交は生殖ゆえに正当とされるので避妊は×。しかし、性交のない夫婦関係を築けるならもっと良いっぽい。 中世の結婚。初期の慣習は異教徒のそれと変わらなかった。西方においては、世俗権力の後退した五世紀以降、教会の役割が高まり、十二世紀に絶対化。東方においては、十一世紀、皇帝がいくつかの結婚訴訟を教会の法廷に託したことにより、教会の権限が定まる。ともない、結婚の成立要件への関心の高まり。「結婚の合意」(ローマ法)か「結婚の契り(性交)」(ゲルマン法)か。最終的に折衷案。一方、結婚の霊的側面の理解、とりわけ民衆宗教運動の高まりにとともに深まる。 結婚の目的の考察の進展。夫婦の営みに対する見方の変遷。性交の快楽は、アリストテレスの再発見により一応評価可能となったが、基本的にはネガティブに見られたらしい。 第二章 プロテスタント、三つの主張。結婚は秘跡ではない。したがって相応の理由があれば離婚可。婚姻の結びつき弱体化、重婚も可。それに対してトレント公会議の答え。うぅ、目がすべる。不法な結婚の問題から、新しい結婚制度。公告の取り決めとか。メンタリティも刷新しようとしたが成功せず。もろもろの神学的問題。結婚制度の始まり、結婚の秘跡性、離婚不可の根拠、秘跡と契約の関係、秘跡の主導者、市民婚、等々について。 十六-十七世紀、厳格主義と放任主義の間で論争。性的罪に軽重はあるか。夫婦の交わりにおいて快楽を求めることは罪か。揺れ動きながら現代へ突入、1917年度教会法。新しい現実と各方面の学問の発展を前にしての、現代教会の態度。結婚の意味の再考に加え、婚前交渉とか、避妊・堕胎とか、ゲイとか。 性道徳・結婚道徳に戻る