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相抜け(あいぬけ) これは針ヶ谷夕雲が剣道の極所を説いたものとして古来貴ばれてきた言葉であるがその真意を的確に表現することはむずかしい。 相抜けは相打ちではない。相打ちはどちらも傷つくが、相抜けは双方共に空を打たせて、いずれも無事であり、太刀の勝負より心の勝負を教えたもので、聖人の太刀合いとも言われている。 いずれかを勝ちと定めんいずれをか 負けと申さん合いの相抜け 足軽稽古下郎技(あしがるけいこげろうわざ) 稽古にも理合いにも風格もなく、最も卑しい稽古のやり方をいう。百姓稽古木引(ひゃくしょうげいここび)き技も同じ意味である。 一眼二足三胆四力(いちがんにそくさんたんしりき) これは剣道修行の大事な要素をその重要度に応じて示したものである。 一眼―剣道で一番大事なことは相手の思考動作を見破る眼力であり洞察力である。二足―初心者は手先で打って足がこれに伴わない。むかしから見学の心得に「技を見ないで足を見よ」ということがあるが、技の根元は足であり、足の踏み方使い方は剣道で最も重要視されるものである。三胆―胆は胆力であり度胸である。ものに動ぜぬ胆力と決断力であり不動の意味である。四力―力は体力でなくて技術の力であり、わざ前のことである。剣道はすべて技術を最後にもって来たところにこの教えの尊さがある。 一源三流(いちげんさんりゅう) 家のためには汗を流す。友のためには涙を流す。国のためには血を流すという武士の魂を伝えた源流館の教えだといわれている。 一国一允可(いんが) 昔の流祖はその流派の秘剣が乱用されるのを恐れ、その流派の「極意剣」の伝授は一国のうちで最高のもの唯一人にしか授けなかった。 又、「唯授(ゆいじゅ)一人」ともいわれ、日本中唯一にしか与えなかった宝山流のような厳しい流儀もあった。昔はそのくらい流儀流派の極意剣は大事にされたものである。 イメージトレーニング、メンタルリハーサル これは最近のスポーツ界で非常に重要視されている訓練法で、常に頭の中にさまざまの状態を描いてそれに対応するトレーニングをやる。 或は精神的訓練をやることで剣道で言えば思念工夫であり、昔から伝わる静思黙考の独り稽古である。他のスポーツでもイメージトレーニングの重要さを教えているが、剣道こそはこれが最も大事であり、昔の剣聖流祖が神社仏閣に参籠し、あるいは岩窟に籠って修行して悟りをひらき、さらに難行苦行の夢寐(むび)の間に開眼するなどはすべてこれ現代流に言えばイメージトレーニングでありメンタルリハーサルの成果である。 最近剣道をやる者はただ道場の打合いだけを剣道修業と心得ているが、本当の修行はイメージトレーニングやメンタルリハーサルによって得た剣理剣法を道場で実際に試みてその正否をただし、さらに演練(えんれん)を重ねて行くのが本当の意味の剣道の稽古である。その大事なイメージトレーニングを忘れては道の修行にもならないし剣道の上達も覚束もない。剣道修行の最も心すべき一条だろう。 居付く(いつく) 稽古中に足が床板について、軽快自由に動けない状態。あるいは試合中に精神的機能が一時止って瞬間的動作の出来ない状態。したがってこれは大きな隙であり、相手にとっては逃してはならぬ打突の好機である。 一寸の見切り、二寸のひらき 一寸の見切りは宮元武蔵の有名な言葉で、相手の太刀がまさにあたらんとする一寸のところで体をかわすこと。 太刀風三寸にして身をかわすということと同じ原理である。二寸のひらめきとは柳生流の教えで、人の頭の幅は四、五寸であるからわずかに二寸ひらけばその太刀をかわすことができる。その体のひらきを教えたもので心理的には一寸の見切りと同じである。 一刀三礼 仏像師が仏像を彫るとき、一刀を振るう前に三度の祈りを捧げて彫る如く、剣道も一刀を振るう度に真摯の祈りを込めて指導せよという心の持ち方を教えたものである。 一刀流 伊藤一刀斎の創始にかかる。 一刀流は二刀流に対しての呼称ではなく、一心一刀で信念の一刀に生命をかける精神であり、更に一刀万刀に変じ、万刀一刀に帰すという根本理念に基づいて命名されたもので流祖一刀斎の名前をとったものではない。 一拍子の打ち 現代剣道における一拍子の打ちとは動作が二挙動にならぬように打つこと。 例えば、すり上げ面の場合に「すり上げ」と「打ち」が二つにならぬように一挙動で打つ。結局「打つ途中においてすり上げる」心がけが大事であり、太刀も心も一連のものとならなければならない。兵法三十五ヶ条の「一拍子の打ち」とは表現的に若干ニュアンスの違いがある。上泉勢守は「いかなる事態からもまっすぐに一拍子の太刀の出せること」を最高至極の剣として、これを転(まろばし)と読んでいた。 異能力士に三役なし 相撲の言葉であるが基本的な正しいことをやらずに特異なやり方で勝つ力士は決して三役まで上ることはできないということで剣道でも変剣難剣で勝っても正道を踏まなければ決してそれは大成しないということである。 いわおの構え(巖の身) 心身共に巖の如くいささかも動ぜぬ寂然不動の構え。 剣道の基本である。(宮本武蔵) 陰陽の足 剣道の打突には片足ばかり動かしてはいけない。 いかなる場合も右足が出たら左足が必ずこれにつき、両足が同じように動いて体の安定を保ち、打突を正確にしなければならない。それが陰陽の足である。 有構、無構(うこう、むこう) 構えはあれども無きが如きもので、心の構えがあれば太刀の構えは不要であり、構えにこだわってはならないという武蔵の教えであるが、これはでき上がった人にして初めていえることで始めのうちは「構えの極りは中段と心得るべし、中段の構え本意なり」と武蔵自信もいっているように初心者のうちは構えを堅確にすることは最も大事なことである。 右轉左轉出身の剣(うてんさてんでみのけん) これは溝口一刀流の秘剣といわれているが相手の攻撃に対してひいてはいけないということである。 右にひらくか左に転ずるか、さもなくば前に出ろということである。柳生流に右旋左転の言葉があるが、結局は「たんだ踏みこめ神妙の剣」がその極意剣である。真剣勝負の心の持ち方を教えている。 縁のあたり(えんのあたり) 相手のた太刀を払っても叩いてもあるいは受けても相手の竹刀にあたったら、そらは相手を打つ縁であって、それを合図に必ず打ち込まなければならない。そこは逃してはならない勝機であり、それを縁のあたりというのである。 円明流(えんめいりゅう) 武蔵流のことである。武蔵は幼にして父より十手を習い、それを土台にして剣法を工夫して円明流と称した。「心月円明」をとったものといわれている。 お止め流(おとめりゅう) 柳生流と小野派一刀流は将軍家指南の流儀であり、これは他流との仕合を禁止された。それは将軍家ご指南が他流との仕合で負けでもしたら、それこそ面目を失墜し、将軍家の権威にもかかわるということで、他流との仕合は一切禁止されたので、これをお止め流と呼んだ。 面を刺す(おもてをさす) 相対した時は絶えず相手の心を制し、相手が動いたら剣先でその面を刺す心で前に出よ。 これは真剣勝負のコツでいかなる場合も退いてはいけないという宮本武蔵の教えである。 参照:剣道用語辞典 より http //www.budogu.jp/column/kotoba.html 榎本劍修堂 / 劒人倶楽部 埼玉県さいたま市見沼区大谷399 剣道具 通販 / 竹刀 通販
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ささら踊り 剣理を弁えず、ただ竹刀を持って打突するだけに専念する剣道を「ささらを持った踊りなのだ」と比喩したものであり、「所作くらべ」「奴踊り」も同じ蔑視の表現である。いずれも真剣味のない、なり振りかまわぬ剣道を忌み嫌う精神である。 悟り 悟りとは仏教でいう「迷いからさめる」ことであり、剣道的にいえば剣の四戒を脱却して超然たる心境に達し。生死を以って二つにせぬ剣の極所を極めることである。「一瞬の悟りに半生の夢あり」といわれるように多年に亘る難行苦行の結果到達できる境地である。 三ウン一味 「先」「断」「残」の三つを三ウンという。 断は一刀両断であり、残は残心である。すなわち先の気と一刀両断の信念とさらに残心の心構えとが一体となり、一元的に機能して始めて完全なる「一本」となるもので、気剣体一致などと表現は異なるがその内容に於いては大同小異である。 山海の替り 相手が山と思えば海と変わり、海と思えば山とでて常に相手の意表をつくことであり、又三回の変わりとも言い二回は是非なし三回は悪しで、同じ攻め口を何度もやってはいけないという教えである。(宮本武蔵) 三磨の位(さんまのくらい) 剣道には「習い」「稽古」「工夫」の三つの要素が大事であり、」これを一体的に練り磨かなければならない。 これを三磨の位という。(柳生蓮也斎) 三位の格(さんみのかく) 「露の位」「石火の位」「梵鐘の位」を古来三位の格として貴んでいるが、「露の位」とは木の葉に落ちた水滴が静かに凝集して機満つればポタリと落ちるように決して無理な打ちを出さず静かに気の至るを待つことであり、「石火の位」とは火打石を打てば火が出るように機至れば間髪を入れず鋭い打ちを出すことである。 さらに「梵鐘の位」とは打てば即ち梵鐘のように余韻嫋々たる気の残心を漂わすことである。一本の打ちに理想的内容を示したものであるが、実に麗しい適切な表現である。 三無の剣 「無理なく、無駄なく、無法なし。これを三無の剣といい剣の至高なるものなり。音なしの剣はこの境地より出るものなり」 (桃井春蔵) 残心(ざんしん) 打突した後も、油断することなく、相手の反撃に対応できる身構え、心構えをいう。一般的には、打突後に間合いをとって、中段の構えになって相手に正対する。剣道のルールでは、残心のあることが有効打突の条件になっている。 四戒(四病) 正しい剣を使う上に精神的障害をなすものが四つある。それは恐、驚、疑、惑の迷妄である。 これを剣の四戒といい惑は四病ともいう。 恐(おそ)れる(懼)―相手の体躯態度あるいは風聞等に恐怖心を抱くこと。恐るれば我が全機能を発揮することができない。 驚(おどろ)く―相手の構え、あるいは技前(わざまえ)に於て全然予知しないことが起き、その異常さに驚いて平常心を失うこと。平常心を失えば事の正かつを誤る。 疑(うたが)う―相手がどう出るであろうか。何をしかけるであろうかなど疑心暗鬼を生ずることで、疑えば決断ができない。 惑(まど)う―相手に対してどう仕かけようか、どう応じようかといろいろと思い惑うこと、惑えば適切なる判断ができず果敢なる攻撃ができない。 只管打座(しかんだざ) ひたすら打座れということで、あれこれ雑音に惑わされることなく只一向に念仏を唱えて打ち座っているうちに道は自然にひらけると言う法然(ほうねん)の教えである。 剣道もこの精神で、あれこれ思い煩うことなく只一向に稽古にはげめば道は自らひらけ、理も明らかになり、稽古も必ず上達するという教訓である。 直心是道場(じきしんこれどうじょう) これは唯摩居士(ゆいまこじ)と光厳童子(こうごんどうじ)とのやりとりの言葉だそうであるが「直心」すなわち素直な心をもって精進修行すれば天地到るところが道場であり修行の場所ならざるはないという唯摩居士の教えそのままとったものである。 止心(ししん) 止心とはある一つのことを心に留め、そのため肝心のことがすべておろそかになって、失敗することで、剣道で最も嫌うことである。 例えば面を打とうと面にばかり執心すれば他の部位がおろそかになってそこを打たれる。相手が小手がうまいからと小手ばかり用心すれば面を打たれる。すべて止心のなせる罪である。よく例に出される千手観音の話であるが千の手を持っていても一本の手に心が留まればあとの九百九十九本の手は皆死に手となって何の役にも立たない。一本の手に心を止めなければ千本の手はそれこそ千手観音の用をなして全機能を発揮できるということである。 地蔵肩に不動腰(じぞうがたにふどうごし) 地蔵さんの肩はまるく無駄力が入っていない。不動さんの腰は頑丈で堅確である。 剣道でも肩は地蔵さんのように脱力したなで肩であり、腰は不動さんのように強く重厚であれという剣の理想の姿を説いている。 撓競技(しないきょうぎ) 昭和二十年終戦と同時に剣道は禁止されたが、剣道を愛好する人々は何とかして剣道を復活させたいと種々内容を検討改変したが、どうしてもGHQの許可をえられなかった。 その理由は占領軍極東理事会の決議により剣道という字はいっさい使えなかったからである。そこで先ず名称を撓競技と改称し、形態は異なってもそのないように剣道的要素を織りこんで作ったものが撓競技である。しないも現在のような四つ割りではなく、竹を四つ割りから八つ割り、先端は十六割りと先に行く程こまかく割り、それを布袋に包んだものである。競技方式も一定時間にポイントを多く取った者が勝ちであり、かけ声はいっさい禁止された。戦争中の突貫のイメージがあるからである。 それもこれも剣道を発展させるための一時的カムフラージュであれば仕方がないと、多くの人の理解と強力をえて次第に普及し、体協加盟も許され、昭和二十七年からは中学校以上の学校教育に採用されるまでに充実した。 その後講和条約が締結されて元の剣道も自由にできるようになったので、両者合体してその長所を採り、始めは剣道撓競技連盟と称したが、やがて現在のような剣道という名称のもとに統一されて今日に及んでいる。 師なきは外道(げどう) 禅家の教えであるが、良師なきものは外道に落ち、いつまでたっても本物にはならない。 剣道も初めから良い師について学ばなければ外道に堕ち邪剣になり変剣に堕する恐れがある。最初から良師について正しきを学べという教えである。 師はローソク ローソクは身を焼き尽くして周囲を明るくするものであり、世の指導者も又身を犠牲にして世のため人のために挺身せよという垂訓である。 守・破・離 仏教では習。絶・真ともいい、あらゆる道の修行における順序段階を教えている。 守―教えを守り私意をさしはさむことなく、ひたすら基本を身につける段階である。書道の楷書にあたるもので、一点一画をゆるがせにしない心配りが大切である。 破(は)―守の殻を破り躍進する時代である。いままでの教えを基礎とし、中核として、自己の知能や個性を発揮して次第に自己の剣道を創造する時代で書道の行書にあたる領域である。 離(り)―孔子の七十にして矩(のり)を超えずの境地であり、あらゆる修行の結果我が思いのままに行動して、いささかも規矩にはずれることなく、一つの形や流儀流派にとらわれることもなく、自由闊達に自己の剣風を発揮できる時代である。 書道の草書の位である。 上丹田(じょうたんでん) 寸田(すんでん) 丹田に対する言葉で、これは目と目の間(小鼻)又は眉と眉の間(眉間)(みけん)のことで一刀流では寸田と呼んでいる。 ここは小さいけれども人間の急所である。丹田は胆力精気の無限に生じるところ、上丹田は智力判断力等の英智の沸き出ずるところと解すべきだろう。 序・破・急 物の動きの順序を教えたもので、初めは静かに次第に早く、最後は最も急にやれということで、居合いの刀の抜き方がこの方式である。先ず鯉口を切り、静かに抜き初め、次第に速度を増し、そして最後は抜きつけの鞘ばなれであり、この瞬間が最も早く、最も鋭い。 剣道の打突もまさにこの通りであり、初めは心静かに始動し、最後の打突のところが一番強く一番鋭くなければばらない。 随所に主となる これは臨済宗の教是であるが、どこに行ってもそこを支配するだけの器量人になれということで、剣道的に言えば宮本武蔵の「将卒の訓え」であり、相手の自由に引き廻す将となるべしという心の位を教えたものである。 捨て身 文字通り身を捨てることであり剣道の極意でもある。「身を捨てて又身をすくう貝勺子」という一刀流の歌は身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれという究極の心境を教えている。 宮本武蔵も真剣勝負は「我が身切られに行くと思え」といっているが、これも捨て身であり、針谷夕雲の「相抜け」も又捨て身である。 上杉謙信は「生を必すれば必ず死し、死を必すれば必ず生く」と死を必する捨て身の精神を説いているが、これが剣の心であり戦いに臨む精神である。 素振りと素打ち 素振りと称して空間の連続正面打ちをやっているが、これは素振りでなく素打ちである。振るということは棒の一端を持って他の一端を動かすことで打つのではない。自分の力を意識的に作用させてはならない。 剣道で一番嫌うことは空間打突であり、空間で打突すれば必ず無駄な力でこれを空間でとめなければならない。その無駄力のブレーキが剣道上達の障害をなすものであり、それがいけないのである。素振りはどんなに早く激しくやってもよいが素打ちはいけない。 今でも正面打ちを分解して一、二、三と掛声をかけながら昔式の空間打突をやらせているところがあるがこれは即日改めるべきであろう。その場連続正面打ちもやり方によっては同様の意味で弊害がある。重心の上下動は剣道では禁物であり、正面打ちや上下振りも重心を落着けてすり足でやることが望ましい。 西江水(せいこうずい) 西江水とは碧巌録(へきがんろく)に出る言葉でそれを柳生流の秘伝書に取り入れられたものだと伝えられている。 柳生流の秘歌に、「兵法の数の習いを打ち捨てて、西江水を一口に呑む」というのがあるが西江水を一口に呑むとは揚子江の水を一口に呑むことであり、宇宙を呑吐し自然と一体になれということであろう。 剣の極致はいかなる流儀流派も皆「無」であり自然に帰することである。柳生流においても「西江水」をもってその真髄を表現したもののようである。 施無畏(せむい) 無畏を施すこと。種々の畏怖を取り去って救うことで剣道的にいえば恐れを知らぬ不動心を教えること。 普段はあまり聞きなれない言葉であるが剣道ではその心境を説く時によく使われる言葉である。浅草の観音様に「施無畏」の字が大書してあるのは観世音菩薩を施無畏長者と呼び、この菩薩が無畏を施す威力を持つためであるといわれている。 禅(ぜん) 禅とは梵語のジュハーナ(禅那)ということで沈思黙考のことだそうであるが、今では「無」の境地に入る修行法をさしている。 私共は禅といえば座禅であり、何日間も結跏趺座(けつかふざ)して行ずるものと思っていたが、禅には久米平内がいうように座禅、掛け禅、仁王禅があり、椅子にかけても仁王様のように立ち上がってもその中に禅があると教えられている。さらに普家(ふけ)禅、吹(すい)禅というような尺八禅もある。 宮本武蔵は、「見よいかに加茂の競馬の駒くらべ、駈けつ返すも座禅なりけり」とよんで馬に乗って駈け廻るのも禅だといっているが、これ言うなれば一種の動禅であり、何をやってもいかなる方法を以ってしても「無」の境地になり切ればそれは皆禅である。 剣道も結局一生懸命にやっても「無」の境地に達すれば武蔵流にいえばあきらかに動禅である。座禅も公案もなくても剣によって生死超越の妙境に達すれば、それは明らかに禅であり剣禅一致の妙境というべきであろう。 争心あれば壮心なし 剣道で攻撃精神や闘争心は最も必要なことであるが、それが勝敗を争う功名心となり争心となれば本当に道を修める壮大なる心を失うものである。「争い碁に名句なし」といわれるように争いの心があれば名句は生まれない。剣道も勝敗にこだわる卑怯な争心あれば壮大なる名試合は生まれない。 参照:「剣道用語辞典」より http //www.budogu.jp/column/kotoba.html#ka 榎本劍修堂 / 劒人倶楽部 埼玉県さいたま市見沼区大谷399 剣道具 通販 / 竹刀 通販
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財団法人全日本剣道連盟(ぜんにほんけんどうれんめい)は、日本剣道を主体とし、居合道・杖道などの日本武道を統制する団体。当初は薙刀も傘下に収めていた。 文部科学省スポーツ青少年局競技スポーツ課所管の財団法人であり、全国47の都道府県剣道連盟を加盟団体として構成している。日本体育協会、日本オリンピック委員会、国際剣道連盟にも加盟している。 事業 [編集] 剣道・居合道・杖道の講習会の開催、指導者の養成、称号や段級の審査及び授与、古武道の伝承及び資料収集、広報誌「月刊 剣窓」及び関係図書の発行などを行なっている。 歴史 [編集] * 1945年(昭和20年)11月6日、連合国軍最高司令官総司令部が剣道を禁止した(GHQ武道禁止策)。 * 1950年(昭和25年)3月5日、全日本剣道競技連盟設立。改称し、全日本撓(しない)競技連盟となる。 * 1952年(昭和27年)10月14日、全日本剣道連盟が結成される。 * 1954年(昭和29年)3月14日、全日本撓競技連盟と全日本剣道連盟が合併。 * 1955年(昭和30年)、薙刀が全日本剣道連盟から独立し、全日本薙刀連盟を結成。 関連団体 [編集] * 全日本実業団 * 全日本学校剣道連盟 * 全日本官公庁剣道連盟 * 全日本学生剣道連盟 * 全国高等学校体育連盟剣道部 * 全国高等学校体育連盟定時制通信制剣道部 * 日本中学校体育連盟剣道部 * 全日本剣道道場連盟 主催大会 [編集] * 全日本剣道選手権大会 * 全日本選抜剣道八段優勝大会 * 全日本東西対抗剣道大会 * 全日本女子剣道選手権大会 * 全国家庭婦人剣道大会 * 全日本都道府県対抗剣道優勝大会 * 全日本居合道大会 * 全日本杖道大会 * 全日本剣道演武大会 関連項目 [編集] * 木村篤太郎 * 笹森順造 * 石田和外 * 石川嘉延 * 国際剣道連盟 * ヨーロッパ剣道連盟 外部リンク [編集] * 全日本剣道連盟 * 国際剣道連盟 参照:ウィキペディア「全日本剣道連盟」より http //ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%A8%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%89%A3%E9%81%93%E9%80%A3%E7%9B%9F 榎本劍修堂 / 劒人倶楽部 埼玉県さいたま市見沼区大谷399 剣道 通販 / 竹刀 通販
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選手の服装 剣道着、袴を着用する。基本的に裸足であるが、選手によっては足袋を着用する者もいる。試合や稽古を行う際は、原則的に防具として垂、胴、面、籠手の剣道具を着用する。その他、なぎなたとの異種試合の際は、すね当ての着用も必要となる。面を着用する際には、頭に手拭い(面手拭い、面タオル)を巻き付ける。垂には通常、名前や所属する道場名などの記されたゼッケンを付ける。足袋は試合のときも許可を得れば使用可能であることが一般的である。また、試合時には識別用として背中(胴紐の交差部)に紅白それぞれの目印(たすき)を付ける(全長70cm幅5cm)。近年では垂に目印をつける大会もある。 歴史 明治 [編集] * 1895年(明治28年) -「大日本武徳会」が創立され、剣術をはじめ各種の伝統武術の振興がなされた。 * 1905年(明治38年)8月 - 大日本武徳会が、京都に武術教員養成所を開設。 * 1911年(明治44年) - 武術教員養成所を武術専門学校と改称。 o 旧制中学校で剣術(撃剣)を正課として採用可能となった。 * 1912年(大正元年)[元号要検証] - 武術専門学校が認可された(後に「武道専門学校」と改称)。 剣道の誕生(大正〜昭和(敗戦まで)) 1920年(大正8年)、大日本武徳会は剣術(撃剣)を「剣道」という名称に改めた。 以後、敗戦に至るまで剣道は国民に浸透し、隆盛した。全国大会、天覧試合も3回行われ、多くの集客があった。日本が欧米列強に対抗するために富国強兵を進めてゆくとき、古来の剣術の流れを汲む剣道が士族ではない人々にも習得され広まったことは、国民の士気を高めた。 * 1929年(昭和4年)5月、第一回剣道天覧試合(優勝、指定選士の部・持田盛二、府県選士の部・横山永十) * 1934年(昭和9年)5月、第二回剣道天覧試合(優勝、指定選士の部・山本、府県選士の部・野間恒) * 1940年(昭和15年)6月、皇紀二千六百年剣道天覧試合(優勝、指定選士の部・増田真助、府県選士の部・望月正房) 現代(第二次世界大戦後) * 1945年(昭和20年)11月6日、連合国軍最高司令官総司令部が学校の剣道を禁止した(GHQ武道禁止策)。 * 1946年(昭和21年)8月25日、社会体育の剣道を制限。 * 1946年(昭和21年)~1947年(昭和22年)、大日本武徳会解散、関係者の公職追放1,300余名。 * 1950年(昭和25年)3月5日、全日本剣道競技連盟創立。改称し全日本撓競技連盟へ。 * 1951年(昭和26年)5月4日、東京日比谷公園で第1回全国撓競技大会開催。 * 1952年(昭和27年)10月14日、全日本剣道連盟が結成される。占領終了により剣道禁令が解除。 * 1953年(昭和28年)1月23日、毎日新聞に学校の新学期から撓競技を実施との記事。 第1回全日本剣道選手権大会開催。 * 1953年(昭和28年)5月19日、文部省、剣道に対し社会体育の制限を解除。 * 1954年(昭和29年)3月14日、全日本撓競技連盟と全日本剣道連盟とが合併(名称は全日本剣道連盟)。 * 1957年(昭和32年)5月20日、撓競技と剣道を統合し中学校、高等学校で正課体育に。 段級位制・称号 段級位制 剣道の段級位制には、六級 - 一級までの級[3]、初段、弐段、参段、四段、五段、六段、七段、八段までの段位がある。 段位は「剣道の技術的力量(精神的要素を含む)」、称号は「これに加え指導力や、識見などを備えた剣道人としての完成度」を示すものとして、審査(選考会)を経て授与される。 級位・段位審査会の主催団体規模は段級位によって異なる。六級から一級までは市町村単位の支部剣道連盟が主催して審査をする。初段から五段までは、都道府県の剣道連盟が主催し審査をする。多くの場合、初段から三段までは、その都道府県を幾つかの地区に分けて、その都道府県の下部組織である、各支部で合同して審査をする形が多い(四段・五段は1か所で審査)。また、三段審査や四段審査に関しては、高等学校剣道専門部や大学連盟で、一般の審査会と独立して行われることがある[4]。六段以降は全日本剣道連盟が一括に主催して行う。六段以降になると、段位合格者名が大手剣道専門雑誌の『剣道日本』や『剣道時代』に掲載される。年間の審査会開催回数は段位ごとに異なるが、六段が8回程度[5]、七段が6回程度、八段が4回程度である。また、審査会は東京をはじめ、京都など全国の主要都市などで行われる。 また、各級・段位は年齢制限及び各種条件がある。六級~一級までは、ほとんどが段位の受審資格がない小学生が取得している。中学生以上対象の昇級審査会に受審し、合格するとその時点で一級が授与される。一級受有時点で中学2年以上の場合は次の昇段審査(3か月以上後に実施[要出典])で初段を受審することが可能だが、中学1年の場合は年齢制限により受有後1年間は昇段審査を受審することができない。 六級 - 三級は、受審条件および年齢制限はない。一級と二級は小学6年生以上が受審資格[6]を有する。 段位 受審条件 年齢制限 初段 一級受有者 中学校2年生以上 弐段 初段受有後1年以上修業 参段 二段受有後2年以上修業 四段 三段受有後3年以上修業 五段 四段受有後4年以上修業 六段 五段受有後5年以上修業 七段 六段受有後6年以上修業 八段 七段受有後10年以上修業 46歳以上 「剣道称号・段位審査規則」 平成17年3月23日一部改正、平成17年4月1日より施行 全日本剣道連盟 一般的に、各段位の平均合格率が異なる。初段は約80 - 90%、二段は約60 - 70%、三段は約40 - 50%、四段は約30 - 45%、五段は約20 - 30%である。また、六段以降はさらに合格率が下がり、六段は約10%[7]、七段は約8 - 10%、最高位の八段となるとわずか1%という狭き門となる[8]。 称号 上記に記した段位・級位のほか、錬士、教士、範士の3つの称号がある。六段〜八段の高段位者のみ受審資格があり、いずれも加盟団体会長の推薦が必要である。 称号を取得した後は、例えば「錬士六段」、「範士八段」のように、段位の前に称号を名乗ることになっている。 称号 受審資格 受審条件 錬士 五段受有者 五段受有後、10年以上を経過し、かつ年齢60歳以上の者で、加盟団体の選考を経て、特に加盟団体会長より推薦された者。 六段受有者 六段受有後1年を経過し、加盟団体の選考を経て、加盟団体会長より推薦された者。 教士 錬士七段受有者 七段受有後2年経過し、加盟団体の選考を経て、加盟団体会長より推薦された者。 範士 教士八段受有者 八段受有後8年以上経過し、加盟団体の選考を経て、加盟団体会長より推薦された者、および全剣連会長が適格と認めた者。 十段位制・称号 2000年4月1日の審査規則改正前は、九段および十段が存在した。また、五段受有者から教士の受審資格が、七段受有者から範士の受審資格があった。このため、現行の制度ではなることのできない「錬士五段」や「範士七段」などが存在した。しかし「範士が剣道界の最高峰である」ことを改めて確立するため、また範士が八段受有者の年功序列によって授与されていたことの反省から、九段および十段は廃止され、各称号の審査基準が上の表のように見直された。ただし既に取得されたものは段位として有効である。また、現行でも範士の称号においては剣道特有の年功序列のようなものが存在しているとされる 引用:ウィキペディア 「剣道」より http //ja.wikipedia.org/wiki/%E5%89%A3%E9%81%93#.E9.81.B8.E6.89.8B.E3.81.AE.E6.9C.8D.E8.A3.85 次回「剣道禁止期間」より~ 榎本劍修堂 / 劒人倶楽部 埼玉県さいたま市見沼区大谷399 剣道 通販 / 竹刀 通販
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◆昇段審査◆ 段位の審査、受審資格について簡単にまとめてみました。 参考にさせて頂いたのは全日本剣道連盟により発表されているものです。 詳しくは全日本剣道連盟のホームページに掲載されていますので、こちらもご覧下さい。 段位は、初段ないし八段とし、それぞれ次の各号の基準に該当する者に与えられる。 (1)初段は、剣道の基本を修習し、技倆良なる者 (2)二段は、剣道の基本を修得し、技倆良好なる者 (3)三段は、剣道の基本を修錬し、技倆優なる者 (4)四段は、剣道の基本と応用を修熟し、技倆優良なる者 (5)五段は、剣道の基本と応用に錬熟し、技倆秀なる者 (6)六段は、剣道の精義に錬達し、技倆優秀なる者 (7)七段は、剣道の精義に熟達し、技倆秀逸なる者 (8)八段は、剣道の奥義に通暁、成熟し、技倆円熟なる者 加盟団体の審査 (1)初段ないし五段の審査は、全剣連会長が加盟団体に委任して行う。 (2)前項の審査は、本規則によるほか、別に定めるところによりこれを行う。 受審資格 1.段位を受審しようとする者は、加盟団体の登録会員であって、次の各号の条件を満たさな ければならない。 (1)初段・・・一級受有者で、中学校2年生以上の者 (2)二段・・・初段受有後1年以上修業した者 (3)三段・・・二段受有後2年以上修業した者 (4)四段・・・三段受有後3年以上修業した者 (5)五段・・・四段受有後4年以上修業した者 (6)六段・・・五段受有後5年以上修業した者 (7)七段・・・六段受有後6年以上修業した者 (8)八段・・・七段受有後10年以上修業し、年齢46歳以上の者 2.次の各号のいずれかに該当し、加盟団体会長が特段の事由があると認めて許可した者は、 前項の規定にかかわらず当該段位を受審することができる。 (1)二段ないし五段の受審を希望し、次の年齢に達した者 二段・・・35歳 三段・・・40歳 四段・・・45歳 五段・・・50歳 (2)初段ないし五段の受審を希望し、次の修業年限を経て、特に優秀と認められる者 初段・・・一級受有者 二段・・・初段受有後3か月 三段・・・二段受有後1年 四段・・・三段受有後2年 五段・・・四段受有後3年 (3)六段ないし八段の受審を希望し、年齢60歳以上で、次の修業年限を経た者 六段・・・五段受有後2年 七段・・・六段受有後3年 八段・・・七段受有後5年 審査の方法 1.段位の審査は、実技、日本剣道形(以下「形」という。)および学科について行う。 2.学科の審査は、筆記試験により行う。 3.初段ないし七段の審査において、形または学科審査の不合格者は、その科目を再受審する ことができる。 4.八段の実技審査は、第一次と第二次を行い、第一次に合格した者が、第二次を受審するこ とができる。 5.八段の形および学科審査は、実技審査合格者について講習を行ったうえで実施する。 6.前5項に規定するもののほか、審査の方法および運営については別に定める。 審査の合否 1.初段ないし三段の審査は、審査員3名以上の合意により合格とする。 2.四段ないし七段の審査は、審査員5名以上の合意により合格とする。 3.八段の第一次実技審査は、審査員5名以上の合意により合格とし、第二次実技審査は、審 査員7名以上の合意により合格とする。 4.六段および七段の学科審査は、2名以上の合意により合格とする。 5.八段の形および学科審査は、2名以上の合意により合格とする。 特別措置 1.全剣連会長は、六段ないし八段の審査に関し、合格の決定を不当と認めたときは、全剣連 選考委員会の意見を聴いてこれを取り消すことができる。 2.全剣連会長は、六段ないし八段の審査に関し、特段の事由があると認める受審者について は、審査会の評決を斟酌したうえ、全剣連選考委員会の意見を聴いて、これを合格とする ことができる。 3.全剣連会長は、六段ないし八段の審査に関し、不正の手段によって審査を受け、または受 けようとした者に対しては、合格を取り消し、またはその審査を停止することができる。 4.前項の規定は、加盟団体が行う初段ないし五段の審査において準用する。 参照:昇段審査より http //www.nava21.ne.jp/~susaty/kendo/syoudan.htm 榎本劍修堂 / 劒人倶楽部 埼玉県さいたま市見沼区大谷399 剣道具 通販 / 竹刀 通販
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◆ナ行の部 二天一流(にてんいちりゅう) 二刀流は宮本武蔵の創始にかかるものであり、これは武蔵が春日神社の巫女の打つ太鼓のバチさばきを見てそれにヒントをえて工夫したものといわれ、又百姓の水喧嘩に巻きこまれ両手に棍棒を持って振り廻しその利をさとったともいろいろ伝えられているが、本当は武蔵自身が「太刀を片手にて取り習わせんが為なり」といってるように、まさかの時に左右両手が自由に使えるために工夫修練したものだろう。 したがって真剣勝負において二刀を使ったことは絶無であり、巌流との試合も勿論一刀であった。而てニ天一立(りゅう)であり、両刀を一刀に使いこなすところに二刀の至極があり、それを生命としてかく命名されたと伝えられている。 上り兵法下り音曲(のぼりへいほうくだりおんきょく) 昔は京都が日本の中心であり京都に行くのが上りである。 したがって上り兵法とは関東から京都に行くことで、兵法は鹿島の剣を中心に関東が盛んであったから、兵法は関東から京都に伝えられ、逆に音曲は京都が本場であったから京都から関東に流れたのである。文化武芸び交流経路を伝えている。 乗るか返るか(のるかそるか) 日常の用語にも「勝つか負けるか」という時に「乗るか返るか」ということがよくいわれているが、これは武術からきた言葉で、剣道で相手の攻めに対してさっと出て乗るか、はっと驚いて返るかが勝負の岐れ目である。 昔から「三つ乗り」といわれているように「気で乗れ、身で乗れ、太刀で乗れ」というのが対応の原則であり、これを忘れては勝機はない。最も心すべき「先」の気位である。 参照:「剣道用語辞典」より http //www.budogu.jp/column/kotoba.html#na 榎本劍修堂 / 劒人倶楽部 埼玉県さいたま市見沼区大谷399 剣道具 通販 / 竹刀 通販
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介者剣法(かいしゃけんぽう) 素肌剣法に対して、鎧兜(よろいかぶと)をつけた重装備の剣法を介者剣法と呼んだ。 勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし(常静子剣談) 道を貴び術を知れば心勇ならずと雖(いえど)も必ず勝つ。 道に背き術に違えば必ず負く。 道を守れば不思議に勝ち、道に背けば必ず負けるという心理術理の妙を教えている。 活人剣・殺人刀(かつじんけん・さつじんとう) 活人剣も殺人刀もただその生命を絶つかどうかの問題ではなくて、人を生かすか殺すかに心の持ちよう、刀の使い方の問題である。柳生流には「一殺多生の剣」というのがあるが、一人の悪を断ち一人を殺しても多くの衆生を生かすのが活人剣であり、いわれなき殺生をするのが殺人刀である。 勝而後戦う(かってしかるのちにたたかう) 戦って結果として勝つのではなく、戦う前に気で勝ち、心で勝って而後(しかるのち)に戦えという教えである。 「気で攻めて理で打て」というのも同義である。 勝つに法あり負けるに理あり 勝っても負けてもその理法に合ったやり方をせよということで、無理無法の盲目剣はいけないという戒めである。 香取・鹿島(かとり・かしま) 香取神社には経津主神(ふつぬしのかみ)を祭り、鹿島神社に武甕槌命(たけみかづちのみこと)をお祭りして、ともに武神を祭る神社として尊崇され、武の発祥地とされている。 飯篠長威斎家直はこの地に天真正伝神道流興し日本剣道の源流として知られてる。全国の道場には香取・鹿島の御神霊を武神として移祭しているところが多い。 気海(きかい) 気海の気は形なくして多いなる力を発するもの、海は広く無限に漲るもの。 すなわち気力精気の無限に生ずるところを気海という。白隠禅師は「気海、丹田各々臍下に屈す」といっているように気海と丹田はとは表現の違いであって同じ部位をさしているものである。 気は大納言の如く身は足軽の如し 気品は大納言の如く高く豊かに持ち、身は足軽小物にも比して忠実細心に働けという教えであり、剣道人の気構えと平素の修行の心構えを教えたものである。 虚実 うそとまことであり、剣道的にいえば隙や油断のあるのが虚であり、その反対に隙も油断もなく精神の緊張した姿が実である。 居の打ち、色(いろ)の打ち フェイントをかけて打つ技で相手の気の迷いを打つのである。 虚の剣の使い手であるとか、色の稽古であるとかいわれるのは、いささか蔑視された表現であり、奨励すべき技ではない。 切紙、目録(きりがみ、もくろく) 昔は段位がなくて、修行した技前によって階級をつけたが、その一番初歩のランクが切紙であり、これは紙の切れはしなど簡単なものに修行修得した技前が書いてあった。だから切紙と言ったのである。それから目録、印可、免許、皆伝、口決(こうけつ)(口伝)(くでん)と進んで行き、最後が口伝でこれがその流の極意剣の伝授である。 したがってこれは四方の襖を立て切り、周囲の人払いをして深夜ひそかに師匠が直接手をとってその秘術を授けたものである。 披剣中の秘剣を「書きもの」にせず口から直接伝授したのは他にもれることを恐れたものであり、師匠の口から直接伝えられたために口伝と言われたのである。 もちろん前述のようなランクは流儀流派によって異なり、千葉周作は一刀流にあった五つのランクを初伝、中伝、奥伝の三種に絞ったため却って入門者がふえ、入門希望者が門前市をなしたと伝えられている。 きまり合い 気合い、理合い、間合いのことで切る間合いだけをさすのではない。剣道でも最も大事な三要素を教えている。 驚擢疑惑(きょうくぎわく) 相手と対峙したときにおこる心の動揺や心の動揺を抑えきれない状態をあらわしたことば。驚いたり、擢(恐)れたり、疑ったり、惑ったりする心の状態。四戒、四病ともいい、これをいかに制御するかが重要であるという教え。 楠杉の訓え 楠の木は根を一寸張れば上に一寸伸びるように、根と幹とが常に相和して成長するが、杉は根を張らず上へ上へと伸びていく。したがって楠は大風にも倒れないが、杉は少しの強風にあえばすぐに吹き倒れてしまう。 これは剣道心と技との関係を教えたもので、心の修養を積みながら枝を伸ばせば決して誤りはないが、いたずらに枝だけを伸して、心の修養を怠ればわずかの困難にもすぐに挫けて失敗することを戒めている。 組太刀(くみだち) 組太刀は一般には形と同義語に取扱われているが勿論形には違いないが、その成立にはいささか異なった意味も存している。形は剣の理合いと実践の経験をもとにして作られた自流独特のものであり、組太刀は他流の技の長所に対して、それに勝つ技を仕組んだものである。 例えば柳剛(りゅうごう)流は臑(すね)を切るからこれに対してはこの技で行く。 示現(じげん)流は袈裟(けさ)がけに着るからこう応ずるといちいちその流儀の長所に対応する技を考案していくのである。 稽古(けいこ) 古(いにしえ)を稽(かんが)えるという意味で、日本古来の伝統的な武道や芸道の修行、練習をいう。このことばは単にくり返しを意味するのではなく、技や芸に対する自己の確立や心の問題を理念、工夫していくところに特性がみられる。 下部の三所(げぶのさんしょ)(常静子) 剣道では一眼二足といわれるくらい足は大事にされているが心形刀流では腰と足とひかがみとを下部の三所として最も重要視されている。何をやるにも足腰といわれるが、足腰に十分の機能を発揮させるのはひかがみである。 したがってここを硬直させたり、曲げすぎたりしてはいけない。余り目立たない所にあって下部の三所として最も貴ばれるゆんである。 剣心一如(けんしんいちにょ) 剣は人なり、剣は心なりといわれるように剣は心によって動くものであり、剣と心は一元的のものである。 したがって正しい剣の修行をすれば正しい心を磨く結果になる。 剣禅一致(けんぜんいっち)(一如) 剣は生死の間に於て修行し、大死一番の境地に大活するものであり、禅は静思黙考の裡に大悟するものである。 あずれも生死を超越するところに、窮極においては剣禅全く相共通する一脈があることを教えている。 剣の五徳(けんのごとく) 正義、廉恥、勇武、礼節、謙譲を剣の五徳といい、この徳目を身につけるために剣の修行をするものである。 攻防一如(こうぼういちにょ) 懸待一致と同意語である。 交剣知愛(こうけんちあい) 「剣を交えて"おしむ"を知る」を読まれ、剣道を通じて互いに理解しあい人間的な向上をはかることを教えたことばである。愛はおしむ(惜別)、大切にして手離さないということを意味しており、あの人とはもう一度稽古や試合をしてみたいという気持ちになること、また、そうした気分になれるように稽古や試合をしなさいという教えを説いたことば。 五加 神道無念流の形。五加は技よりも気力を重んじる形で、五加五流がその真髄とされている。 互角稽古(ごかくげいこ) 技能的に差のない者同士の稽古。また、たとえ差があっても、同等の気持ちになって行う稽古。 呼吸 人間の呼吸は複式、胸式、肺尖呼吸の三通りに大別されるが普通は胸式呼吸である。 肺尖呼吸は病人がやるような肺尖でやる最も浅い呼吸で一番不健康な呼吸法である。剣道人のやる呼吸は複式呼吸であり、横隔膜を下げてやる最も深い健康的な呼吸である。座禅や静座をやるのもそのためである。剣道は吐く息で打つので吸う時は隙であり打たれ易い。昔から「呼吸をはかる」ということはそのことをいうので相手が息を吐き終わった時は隙であり、そこを打てというのである。 九重の位(ここのえのくらい)、大納言(大納言)の剣 最高の気位を持ち、至高の剣風を持てということで剣道至極の風格を教えたものである。 (足軽稽古下郎技の対比語である) 牛頭馬頭(ごづめづ) 牛の頭は大きく馬の頭は小さい。 したがって牛頭馬頭とは大技小技のことで剣道では大技だけでもいけないし、小技ばかりに偏しても駄目である。大技小技を織りまぜてやれという教えである。 参照:剣道用語辞典 より http //www.budogu.jp/column/kotoba.html#ka 榎本劍修堂 / 劒人倶楽部 埼玉県さいたま市見沼区大谷399 剣道具 通販 / 竹刀 通販
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必ず見ておきたい防具を選ぶポイント 今ではインターネットの通販もあってか、いろいろな防具があります。僕もざっと販売している防具を見てみたのですが、本当に何を選んで良いのかわからなくなります。素材やその作り方などで、価格や使い安さなどが違ってくるのはわかるのですが、では実際に何を選べば良いのかわかりません。 ただ購入するに当たって、必ずチェックしなければならないのが自分に合ったサイズと打たれたときの衝撃性です。 ■サイズ サイズは特に初心者の方の場合、計って作ってもらったほうが良いです。特に面は人によって顔のサイズが違いますので、合う合わないがでてきます。合わない場合、フォームの崩れの原因や怪我などの危険になる場合にもありますので、必ずサイズは自分用に計って作ってもらいましょう。 ■衝撃性 防具が必要な理由は自分の身体を守ってくれることです。相手と打ち合いがあるのが剣道だとも言えるのだと思うのですね。 それだけに、自分を守ってくれる防具はとても重要です。 しかし、軽量化や使いやすさ、見た目と言ったところに先に目が行くのはどうかと思います。剣道ではたとえどんな良い剣士であろうとも、打たれることが必ずあります。それでも剣道が出来るのは防具のおかげなのですね。防具は身を守ってくれる仲間とも言えます。 防具を見るときに一番見なければならないのは、自分の身体をどれだけ守ってくれるかということです。防具を付けても痛かったらそれは防具を付けてる意味はありませんね。 防具を選ぶときに注意する次の4つです。購入するときに参考にしてください。 1.衝撃性 打たれても痛くないか、大丈夫かどうか。 2.耐久性 どれだけの間、使えるのか。 3.使いやすさ・メンテナンス性 軽さや使用感。また洗いやすさなどメンテナンスにも優れていればもっと良いでしょう。 4.見た目 色だけでなく作り方や素材にも大きく変わってきます。 予算や使用する期間によっても優先順位が違ってくるとは思いますが、衝撃性だけは必ず優先順位を上げておいてください。 ほとんどの方は防具についてよく知らないと思います。なので、購入するとき必ず店員さんに聞いておきましょう。 「この面は打たれたときの衝撃はどうやって吸収してくれるのですか?」 「毎日稽古があるのですが、この防具だったらどれくらいもちますか?」 などぐらいは聞いておいたほうが良いですね。もしそれらに答えられないようなら、その店からは買わないほうが良いですね。 僕は防具が軽さや見た目、価格ももっと進化できれば良いと思います。それに剣士がそういった優れた防具を探すのも当然だとも思います。個性的な防具や剣道着の剣士がいるのも面白いと個人的には考えてます。 ただ、あくまで防具は身を守るためにあるもの。それだけは絶対に忘れないでくださいね。 参照:Web剣道「必ず見ておきたい防具を選ぶポイント」より http //www.web-kendo.com/005001/bogu01.php 榎本劍修堂 / 劒人倶楽部 埼玉県さいたま市見沼区大谷399 剣道 通販 / 竹刀 通販
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■なにごとも基本から まずは基本を覚えましょう。基本が出来ていないのにいきなり高度な技はできません。 まずは基本動作を丁寧に憶えるところから入ります。 ■構え ●まずは竹刀を持つ 竹刀の弦を下にして右手に持ちます。相手と向き合う時は竹刀を左手に持ち替えますが、体の正面で竹刀を立てて握り替えます。左手で竹刀を持つ時も、右手の時と同様に弦を下にして刀身を軽く握ります。 ●立礼 竹刀を下げた状態から相手に注目し上体を腰から約15度前後前に倒します。首だけを曲げたりしないようにしましょう。 ●正座 座る時は左足を引いて左膝から座ります。背筋を伸ばして両膝を少し開き、両手は軽く太ももの上に置きます。 立つ時は腰を上げて両足の爪先を立て、右足から静かに踏み出して立ちます。 左足から座って右足から立つ。この「左座右起」が正座の基本です。 ●座礼 正座の状態から左手、右手の順に前に出し、八の字になるように床につきます。そして静かに頭を腰から下げます。 ●中段の構え(正眼の構え) 中段の構えは基礎の構えであり、剣道の構えの中で一番大切な構えです。 左手で竹刀の柄の端を持ち、右手で柄の先を持ちます。左のこぶしはヘソの前から握りこぶし1つ分程度のところにつけ、竹刀の先端は相手の喉元あたりにつけます。 両足は右足が前、左足を後ろにし、平行に後ろに開き、間隔は一握り程度にします。右足のかかとの線が左足の爪先くらいになります。左のかかとを少し浮かし、右のかかとは紙一枚分程度浮くか浮かないかくらいです。体重は両足に平均にかけ、両膝は張らず曲げず弾力を持たせます。 手は左手の小指に一番力を入れ、親指や人差し指は軽く添える程度にし、右手はやんわりと小指に少しだけ力を入れた状態にします。「左手に傘をさし、右手に小鳥を掴んでいる」ような気持ちで竹刀を持ちます。 目は基本的に相手の目を見て相手の動きを掴みます。 ●上段の構え 中段から右足を大きく踏み出して振りかぶると右諸手上段となります。 左足を大きく踏み出して振りかぶると左諸手上段となります。 他に、片手で構える右片手上段と左片手上段があります。 上段の構えは攻撃の構えで、気位を高くし堂々としなければなりません。相手の隙があればすぐに竹刀を振り下ろして一気に攻撃をかけます。気持ちで負けていては上段の意味はありません。 ●下段の構え 中段から剣先を相手の腰下あたりにつけます。これが下段の構えです。 下段の構えは守りの構えで、相手が出られないように自分を守りながら相手に隙ができたらすぐに攻撃の姿勢に移します。 ●八相の構え 中段から左足を踏み出して体を右斜めに開き、右こぶしを右肩につけて竹刀を少し後ろに倒します。 ●脇構え 中段から右足を引いて体を右斜めに開き、竹刀を立てながら右脇に下ろします。左こぶしを腹の下につけ、右こぶしは右腰にきます。 以上が構えの基本ですが、八相の構えと脇構えはほとんど使われません。基本は中段であり、最も有効な構えが中段であることを覚えておきましょう。 ■足さばき 足さばきに関しては「剣道理論」で詳細を見て下さい ■素振り ●上下素振り 竹刀を振りかぶって右足を出しながらそのまま真っ直ぐ膝の位置まで振り下ろし、左足を引きつけます。次に、同じように振りかぶって左足から下がりながら振り下ろし、右足を引きつけます。 ●前後正面素振り 竹刀をゆっくり振りかぶって、右足を出すと同時に素早く打ち下ろし、すぐさま左足を引きつけます。打ち終わった竹刀の位置は面の位置になり、振りかぶった時は手の内に力を入れず、打ち下ろした瞬間に手の内を絞り込みます。これを前進後退1回ずつ繰り返します。 ●斜め素振り 上下素振りと同じ動作に、振りかぶった時の手の内の返しを付け加えます。左こぶしは常に正中線を通り、斜め右または左から打ち下ろして、打ち下ろした位置は膝のあたりで正中線上に剣先がくるようにします。 ●前後左右面素振り 前後正面素振りに手の内の返しを加えたものです。打ち下ろした位置は右面もしくは左面の位置になります。 ●開き足での左右面素振り 前後左右面素振りの足運びを開き足にします。左右交互に足を開いて打ちます。 ●三挙動素振り 1中段構えから竹刀を振りかぶる。2前へ踏み出しながら竹刀を振り下ろす。3下がって中段の構えに戻る。 という3動作を一つ一つ動きを止めてしっかりと行うものです。 ●一挙動素振り 三挙動素振りの動きを、つなげて一連の動きにします。 ●跳躍素振り 初心者にとってはこれが一番難しいと思われます。 中段から竹刀を振り上げ、左足で床を蹴って右足を前に出しながら跳躍し、竹刀を素早く振り下ろします。着地と同時に竹刀が振り下ろしきった状態になり、手の内を絞り込みます。右足で床を蹴って後ろへ跳躍しながら竹刀を振り上げます。着地と同時に振りかぶりきった状態になります。これを繰り返します。 最初はゆっくりやりながらコツを掴み、だんだん速くしていきましょう。 参照:「剣道の練習法」より http //www.cyber.kbu.ac.jp/club/kendo/kendology6.htm 榎本劍修堂 / 劒人倶楽部 埼玉県さいたま市見沼区大谷399 剣道 通販 / 竹刀 通販
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■試合時間 「試合時間は、5分を基準とし、延長の場合は3分を基準とする」 剣道試合・審判規則/第6条 この時間はあくまで基準なので、大会によって時間が異なる場合があります。延長戦に関しては時間無制限の場合もあります。 主審が「止め」または有効打突を宣言した場合、試合時間を測る時計は止まり、「始め」がかかるまでの時間は計測されません。 また、応援者が選手席に時計を持ち込んで試合時間を測ると反則になる場合もあります。 ■試合の開始と終了 「試合の開始及び終了は、主審の宣告で行う」 剣道試合・審判規則/第9条 試合者は主審が「始め」をかけると試合を開始し、「止め」がかかったら中央の開始線に戻り、中段に構えて主審の宣告を待ちます。 「勝負有り」の宣告で試合終了となります。 また、「止め」がかかっている間の打突は、たとえ有効打突であったとしても認められません。 ■勝敗の決定 試合は3本勝負が原則。 試合時間内に有効打突を2本先取した者が勝ちとなります。 ただし、一方が1本を取り、そのまま試合時間が終了した時は、1本を取った方が「一本勝ち」となります。 主審が有効打突を宣言した場合に1本となります。(例「面有り」、「小手有り」など) 一方が反則を二回行った場合はもう一方の1本となります。 主審が有効打突を宣言した場合、選手は開始線に戻り主審の宣告を待ちます。 主審の宣言があるまでは、打突は有効打突として認められていません。自分で勝手に1本が決まったと思い込んでしまうことのないようにしましょう。 試合時間内で勝敗がつかない場合は、主に延長戦となります。 他にも判定、引き分け、抽選による処置が取られる場合もあります。 延長戦は1本を先取した者が勝ちとなります。 ■団体戦の勝敗の決定 団体戦の場合は以下の2つが主な勝敗の決定法です。 ●勝者数法 勝者の多い団体が勝ちとなります。 勝者同数の場合は有効打突の総本数の多い方が勝ちです。 勝者数と有効打突総本数がどちらも同数の場合は、代表戦によって勝敗を決めます。 ●勝ち抜き戦 勝者がそのまま試合を続け、勝ち抜いた方が勝ちとなる。 ■試合の中止と合議 ●止め 主審が「止め」をかけた場合、選手はすぐに試合を中断し、開始線に戻ってから主審の宣告や指示を受けます。すぐさま試合を再開できないケースでは、選手は開始線で竹刀を納め、境界線の内側まで下がって蹲踞か正座をして待ちます。 「止め」の宣告は以下の場合に行われます。 ・反則が生じた場合 ・試合者の着装が乱れた場合 ・試合の続行に危険な状況が生まれた場合 など ●合議 主審が「合議」を宣告した場合、選手は開始線で竹刀を納め、境界線の内側まで下がって蹲踞か正座をして待ちます。 「合議」の宣告は以下の場合に行われます。 ・反則の事実が不明瞭な場合 ・有効打突の取り消しの場合 など ●わかれ 主審が「わかれ」を宣告した場合、選手はそのままの位置から一足一刀の間合いに戻り、中段に構えて「始め」の宣告を待ちます。開始線に戻ったり、故意に自分の優位になる位置に移動することはできません。 「わかれ」の宣告は以下の場合に行われます。 ・試合がこうちゃくした場合。 など ●タイム 「タイム」は選手が宣言することにより試合を中止することが出来ます。 方法は、主審に向かって手を挙げ、「タイム」と声をかけ、その理由を言います。 選手が試合を中止できるのは以下の場合です。 ・事故等がで試合が継続できない場合 ・着装が乱れて試合の継続に支障がある場合 ・竹刀の不備が生じた場合 ・試合の続行に支障をきたすような痛みがあるとき ・その他、試合の続行に支障をきたす正当な理由があるとき など 以下の場合は試合を中止できません ・自分が不利な状況に追い込まれたとき ・疲れを感じた時など、個人的な理由 など *着装の乱れを直す場合は、開始線まで戻って立ったまま竹刀を納め、小さく5歩下がって相手に立礼をする。境界線の内側で正座をして乱れを直す。 *その間、相手も境界線の内側まで下がり、蹲踞か正座で待つ。 ■試合の流れ ●試合会場への入場と退場 試合会場に入場する際は、正面に向かって礼をしてから入場します。 退場する際も、振り返って正面に向かって礼をしてから退場します。 ●赤と白 選手は赤と白によって色分けされ、その色のタスキを背中の胴紐が交わるところに付けて試合をします。 基本的には試合表の右側の選手が赤となります。勝ち進むにつれて色が変わってくることがありますので注意しましょう。 試合場に入場する時は、主審から見て右側が赤となります。 ●立会いの礼法 試合場へ入り「始め」の宣告があり試合が開始されるまでには以下の流れがある。 提刀で場外に立ち正面を見る―試合場内に入り相手と向き合い、提刀のまま立礼をする―帯刀―開始線まで3歩で進む―3歩目と同時に竹刀を抜きながら蹲踞の体勢に入る―蹲踞をして「始め」の宣告を待つ―「始め」と同時に立ち上がって試合を開始する ●試合終了後礼法 試合終了の宣告があり場外に出るまでにも以下の流れがある 試合終了後、開始線に戻って中段に構える―蹲踞をし、竹刀を納める―立ち上がって帯刀をする―帯刀のまま後ろへ5歩下がる―提刀をし、立礼をする―相手を見ながら後ろへ下がり場外へ出る ●団体戦の場合 団体戦の場合は試合の前に試合者全員で立礼をする。 このときの並び方は主審から見て右側が赤となり、先鋒・次鋒・中堅・副将・大将の順に並びます。先鋒と次鋒は面・小手を装着し、竹刀を持って整列します。試合終了後は大将のみが面・小手を装着し、竹刀を持って整列する。 また、決勝戦や第1試合では相互の礼の前に正面への礼を行う場合もある。 大会によっては、試合を終了した団体と次に試合を始める団体が同時に整列し、礼を行う場合もある。 参照:ウィキペディア「剣道のルール」より http //www.cyber.kbu.ac.jp/club/kendo/kendology5.htm 榎本劍修堂 / 劒人倶楽部 埼玉県さいたま市見沼区大谷399 剣道具 通販 / 竹刀 通販