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八幡平オートキャンプパークアスピア はちまんたいオートキャンプパークアスピア 秋田県鹿角市にあるキャンプ場 所在地 秋田県鹿角市八幡平字切留平15-1 料金 入場料一人500円、二輪車サイト一人250円 期間 4月~10月 URL http //www.aspia.jp/ 地図 より大きな地図で 秋田県 を表示 オートキャンプ区画サイト 二輪車用サイト 炊事場 シャワー 風呂 ヒュッテ ケビン コインランドリー 関連項目 タグ 2006年9月3日 2006年9月4日 キャンプ場 宿泊地 秋田県 鹿角市
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八幡平足湯温泉 秋田県側八幡平アスピーテライン入り口近くに位置する八幡平足湯温泉。供給している温泉は、(株)八幡平山麓観光開発事業団が温泉付分譲別荘地「ハイビレッジ切留平」内に所有する3本の源泉のうちから、別荘地全域(約70ha)約210戸に供給している天然温泉を、1滴の水も加えず、加熱もしていない 100%源泉の状態で使用しております。 〈八幡平足湯温泉公式サイトより引用〉 八幡平足湯温泉 〒018−5141 秋田県鹿角市八幡平字切留平20−32 TEL:0186−31−2236 FAX:0186−31−2741 パンフレット ※画像をクリックするとパンフレット(PDF)が開きます。 imageプラグインエラー ご指定のURLはサポートしていません。png, jpg, gif などの画像URLを指定してください。 ホームページ http //www.sanroku-k.jp/ashiyu/asiyu.htm 〈ブログ〉 蒸ノ湯温泉 「ふけの湯」 http //blogs.yahoo.co.jp/uak_mat/36050535.html 2011.8/6〜7 八幡平キャンプ http //blogs.yahoo.co.jp/mojaking1969/5816735.html 八幡平が面白い2=大沼= http //blogs.yahoo.co.jp/vegajump/33412630.html 八幡平が面白い1=後生掛温泉= http //blogs.yahoo.co.jp/vegajump/33398504.html GW ふけの湯 http //blogs.yahoo.co.jp/hiros37/25661821.html 八幡平アスピーテライン http //blogs.yahoo.co.jp/takaseablog/25081958.html 八幡平大沼 http //blogs.yahoo.co.jp/fukusuke_0519/59639797.html 研修棟 http //blogs.yahoo.co.jp/sasugaake/15084645.html 泥火山の秋風景 http //blogs.yahoo.co.jp/gin5510/50095624.html 噴煙と秋の彩り http //blogs.yahoo.co.jp/gin5510/49991371.html 曽利滝へ行ってきたのだ http //blogs.yahoo.co.jp/liuyingchun320/12169994.html 秋田の山【焼山・毛せん峠(その4)】 http //blogs.yahoo.co.jp/gin5510/38038891.html 初めて眺めた泥火山 http //blogs.yahoo.co.jp/gin5510/37569129.html 携帯サイト 最新のチラシ imageプラグインエラー ご指定のURLはサポートしていません。png, jpg, gif などの画像URLを指定してください。 ※画像をクリックするとチラシ(PDF)が開きます。 《周辺情報》 〈ブログ2〉 #blogsearch /
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岩手県道・秋田県道23号大更八幡平線 おおぶけ はちまんたいせん 岩手県八幡平市から、秋田県鹿角市に至る県道(主要地方道)。 国道282号と国道341号を結び、八幡平を見返峠で越えている。 八幡平アスピーテラインと呼ばれている。 起点:岩手県八幡平市大更(国道282号交点) 終点:秋田県鹿角市八幡平字切留平(国道341号交点) 通過市町村 岩手県 八幡平市 - 秋田県 仙北市 - 鹿角市 2004年9月6日 2004年9月7日 大深沢展望台 見返峠 関連項目 2004年9月6日 2004年夏合宿アフター おすすめ道路 大深沢展望台 秋田県 自転車旅 見返峠 都道府県道一覧 タグ 2004年9月6日 2004年9月7日 おすすめ 主要地方道 八幡平市 岩手県 岩手県道 秋田県 秋田県道 道路 都道府県道 鹿角市
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民宿 えのぐ箱 画家夫妻の経営している民宿です。 ごゆっくり気兼ねなく過ごして頂けますよう心がけております。 館内には2人の絵を含むコレクション絵画を多数常設展示しています。 友人・ご家族どなたも安心して泊まれる宿です。 〈民宿 えのぐ箱公式サイトより引用〉 民宿 えのぐ箱 〒018−5141 秋田県鹿角市八幡平字切留平20−18 TEL:0186−31−2632 FAX:0186−31−2636 パンフレット ※画像をクリックするとパンフレット(PDF)が開きます。 imageプラグインエラー ご指定のURLはサポートしていません。png, jpg, gif などの画像URLを指定してください。 ホームページ http //www.ink.or.jp/~enogubako/ 〈ブログ〉 紅葉を求めて…秋田八幡平に〜♪ http //blogs.yahoo.co.jp/river3253/51258125.html ただいまぁ〜っ!ツーレポ(その1) http //blogs.yahoo.co.jp/suzumebationo/41963883.html 携帯サイト 最新のチラシ imageプラグインエラー ご指定のURLはサポートしていません。png, jpg, gif などの画像URLを指定してください。 ※画像をクリックするとチラシ(PDF)が開きます。 《周辺情報》 〈ブログ2〉 #blogsearch /
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セイマン 列伝 呉の武将。 【演義】 記述なし。 【正史】 建平太守。蜀が滅びた直後の264年、陸抗、歩協、留平らと共に軍勢を率いて旧蜀領へ侵攻し、巴東で羅憲を包囲する。しかし、魏の胡烈が2万の兵を率いて羅憲の救援に来たため、撤退した。 能力値 統率 武力 知力 政治 魅力 総合 軍事能力 統+武 統+武+知 素質 61 68 66 50 57 302 129 195 順位 366 267 310 428 401 294 318 231 偏差値 51.6 55.2 53.5 47.1 48.7 52.2 53.7 55.0 成長期 普通 普通 普通 普通 普通 - - - 能力持続 短い 短い 短い 短い 短い - - - 兵種 槍兵 戟兵 弩兵 騎兵 兵器 水軍 適性 C B A C B A 部隊 攻撃 防御 攻撃 防御 攻撃 防御 攻撃 防御 攻撃 防御 攻撃 防御 値 50 45 54 56 58 55 55 43 54 41 61 52 順位 336 398 225 304 111 202 319 387 200 298 87 166 偏差値 51.7 48.6 54.6 51.5 58.7 54.7 51.8 48.8 55.9 51.9 59.8 56.0 部隊攻撃力/防御力は技巧研究を全て終えた時点での値。兵器は木獣、水軍は闘艦。 特技なし マスクデータ 相性 出身地 起用 戦略傾向 地元執着 義理 野望 漢室 生年 登場 没年 死因 性格 音声 口調 126 揚州 実績 現状維持 重視 3/5 2/5 2/3 225 244 276(52歳) 自然死 剛胆 剛胆 普通 舌戦 得意話題 保有話術 大喝 詭弁 無視 鎮静 逆上 故事 ○ 親愛・嫌悪 状態 武将名 盛曼が親愛する武将 なし 盛曼が嫌悪する武将 なし シナリオ シナリオ 年齢 身分 所在 勢力 忠誠 爵位・官職 功績値 配偶者 義兄弟 S1 184年 1月 黄巾の乱 - 未登場 江陵 - - - 0 - - S2 190年 1月 反董卓連合 - 未登場 江陵 - - - 0 - - S3 194年 6月 群雄割拠 - 未登場 江陵 - - - 0 - - S4 200年 1月 官渡の戦い - 未登場 江陵 - - - 0 - - S5 207年 9月 三顧の礼 - 未登場 江陵 - - - 0 - - S6 211年 7月 劉備入蜀 - 未登場 江陵 - - - 0 - - S7 225年 7月 南蛮征伐 1歳 未登場 江陵 - - - 0 - - S8 251年 1月 英雄集結 - 未発見 江陵 - - - 0 - - S9 198年 1月 呂布討伐戦 - 未登場 江陵 - - - 0 - - S10 203年 1月 袁家の戦い - 未登場 江陵 - - - 0 - - S11 217年 7月 漢中争奪戦 - 未登場 江陵 - - - 0 - - S12 187年 4月 何進包囲網 - 未登場 江陵 - - - 0 - - S13 191年 7月 序を制する者 - 未登場 江陵 - - - 0 - - S14 251年1月 女の戦い 未発見 江陵 - - - 0 - - 通称モリマン 能力は平凡で親愛対象もないが、弩Aなのでまあ居ればそれなりに戦力になる もっとも、史実仕様でお目にかかることはまずないが -- (名無しさん) 2011-10-11 12 26 15 三國志11攻略wiki - 盛曼 モンクレール ダウン キッズ http //www.monclerdown.cc/viewtopic.php?f=4 t=576 -- (モンクレール ダウン キッズ) 2013-12-01 22 59 41 名前 コメント すべてのコメントを見る
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<ここまでのまとめ> 梟雄董卓に率いられた騎馬軍を用いて、何人の武将を殺せるのかをテーマにプレイ日記を書いています。 縛りは以下の通りです。 1、捕まえた武将は一発登用に応じない限り基本的には処断する 2、しかし相性が125~25の武将は3人まで捕虜にでき、1度だけ登用を実行可 3、相性が125~25の武将で登用に失敗した場合は即解放し、再び捕らえた場合は即処断 4、褒賞は半年に1度で、裏切った武将は優先的に捕獲を狙い、捕らえたら即処断 5、主将にはできる限り李儒、華雄、徐栄、李傕、郭汜、樊稠、胡軫、李粛らの初期メンバーを使う 6、鍛冶はたてない(兵器は木獣と井闌1台ずつ使用中、増やす予定はなし) 251年からここまで12年の間に殺した武将は150人で、以下の人たちが封神台ならぬ封将台に入っています。 (犠牲者リスト、すべて処断or戦死した順) 廬植、王匡、馬休、馬岱、馬騰、馬超、馬鉄、馬雲緑、楊氏、韓遂、龐徳、龐会、梁興、張横/朱儁、皇甫嵩(戦死)、成宜、楊秋、李堪、王伉(戦死)、張嶷、楊柏(戦死)、馬玩、羅憲、程銀、侯選、秦宓、呂凱、楊任、楊松、陳寿/陶謙、廖立、董承、何進、呉巨、張松、郭攸之、劉諶、劉岱、王渾、向寵、荀顗、荀勗、王業、藩濬、閻行、馮習、李氏、司馬昭、司馬伷、孔伷、樊建、傅士仁、濮陽興、毌丘甸、楊肇、馬謖、司馬師(戦死)、申儀/王允、陳到(戦死)、毌丘倹(戦死)、袁遺、顧譚、何晏、司馬攸、司馬炎、楊済、程昱、夏侯威、典韋、司馬懿、司馬孚、司馬朗、司馬望、周旨、羊祜、張春華、王淩、辛毘、呂虔、高堂隆、王祥、王惇、何植、劉辟、王韜、丁儀/関彝、夏侯淵、夏侯恩、曹洪、夏侯和、夏侯恵、傅巽、橋瑁、陳珪、鮑三娘、徐庶、雷銅、呉蘭、劉封、劉琦、鄧芝、陳震、★馬邈(戦死)、曹昂、曹丕、曹植、夏侯徳、万彧、陳登、董厥、呉班、黄忠、黄月英、蒯良、許靖、黄祖、劉琮、趙累、趙範、黄皓、孫皓、曹純、曹爽、裴秀、高幹、劉璿、張紹、沮鵠、呂曠、袁紹、袁熙、袁尚、劉氏、沮授、審配、麹義、辛評、高柔、呂威曠、眭元進、張邈、藩鳳、穆順、曹豹、鄒靖、王桃 (指名手配)なし 全武将の4分の1を殺したことになります。おそらくみなさんのお好きな武将、お気に入りの武将が入っているかもしれません。ごめんなさい。これからより増えていくと思いますが、ご了承くださって、お付き合い頂ければうれしいです。 (董卓軍武将名簿) 董卓、李儒、李傕、郭汜、華雄、徐栄、樊稠、胡軫、董旻、牛輔、李粛(明鏡)、董白、成公英、陸凱、楼玄、張球、張承/胡遵、閻圃、張衛、張魯、徐質(猛者)、費耀(猛者)、楊昂(猛者)/胡車児、李通、于禁、邵悌(威圧)、張繍、賈詡、鄒氏、張済/桓範、蘇飛、国淵、韓忠、歩隲、諸葛誕、蔡琰、左奕、崔林、董昭、夏侯玄、賈充、太史慈、太史享、温恢 /張梁、杜預、楊阜、孫仲、鄧茂、韓徳、張闓、朱異、謝旌、留賛、毌丘秀、鍾毓、張緝、張悌、王異、凌統、劉度、賈華、吾彦、楊奉、公孫康、陳矯、楊祚 董卓軍忠臣メンバー能力表(緑字は育成による上昇を含んで成長した数値、赤字は純粋に成長した数値です) 名前 統率 武力 知力 政治 魅力 特技 騎馬 コメント 董卓 81(7) 95(8) 69 20(1) 57(20) 徴税 A 悪路王と勝手に綽名する。魅力が低いせいか忠臣以外の武将の忠誠が下がりやすい気がする 李儒 71(10) 26 95(2) 82(7) 38 徴収 A 董卓様の懐刀。統率を上げて戦う軍師に変身。前半の内政が彼頼みだったので政治が伸びすぎ 李傕 76(8) 80(8) 24 1 17 S 舞頸の李傕と綽名する。統率の高い敵将にも突撃しまくって戦死を狙い、敵味方構わず兵を減らすため 郭汜 76(12) 79(3) 14(1) 14 13 A 騎馬だけでなく木獣隊も率いる。彼を使っていると能力値70のありがたみに気付かされる 華雄 83(2) 95(2) 67(11) 41(1) 57 猛者 S 我が軍の急先鋒、天空星華雄。彼が一番武将をひき殺し、捕獲し、処断しており、冥府への送り手 徐栄 83(3) 79(3) 67(11) 44(1) 42 長躯 S 華雄と並んで頼りになる将。第2師団を率いて南方で戦う。今後、彼を用いた別の作戦を考案中 胡軫 78(13) 82(8) 12 15 21 疾走 S 前半は留守番が多かったが、最近成長著しい。俺の騎馬戦法は一味違うぞと言いながら突撃する男 樊稠 78(12) 75(2) 31 25(1) 39 A ここまで目ぼしい活躍はないが、彼だけ水軍をAに育成したので南部制圧で出番が来るだろう 李粛 47(1) 71(2) 60(1) 19(4) 36 明鏡 A 「明鏡」をつけて華雄の副将をつとめる。おかげで結構能力値が上がっている 董旻 50(1) 77(17) 26(1) 16(4) 23 A 兵器をAにして井闌隊を率いている。兵器は武力があればいいので統率はいらないことに気付いた 牛輔 39(1) 78(18) 21 27(1) 37 A 武力を育成して一騎打ちの後詰要員だったが、諸葛誕と義兄弟になったので今後の活躍に期待 張済 71(1) 76(10) 52 53 55 連戦 A 能力に穴がなく使いやすい。張繍軍時代に武力と特技を育成されていた模様。イケメン 第3部 「南船北馬、いや南騎北馬」 第6回 ようやく半分近い城を攻略することができました。 私はダラダラと長い文章を書いてしまうので、読みにくく分かりにくいプレイ日記になってしまっておりますが、ここまでお読みいただいた皆様に感謝したいと思います。 出来るだけ戦死を発生させようと日々突撃を繰り返しておりますが、なかなか発生せず、プレイ日記も盛り上がりに欠けているように思います。 何卒ご容赦ください。 ここからは出来るだけ分かりやすく、面白く書けるように努力いたしますので、先が気になるという方がいましたらどうぞお付き合いください。 それでは董卓軍のプレイ日記を書いていきたいと思います。 264年1月 鄴にて・・・ 董卓「ううむ、爽快であった。いくつもの戦に勝った、そしてたくさんの敵将も斬った」 張済「はい、おめでとうございます。たったの1戦で敵軍を滅ぼしましたからな」 董卓「しかし、乱世とは何があるかわからんもんじゃな。あの袁紹がこうも簡単に滅ぶとはの」 賈詡「さようでございますな。しかし、それほど公孫瓚は手強いということでしょう」 董卓「公孫瓚も騎兵で有名じゃな。我らは勝てようか」 賈詡「公孫瓚軍は南皮、晋陽に兵を集めており、今は平原城で呂布軍と争っているようです」 張繍「さらに公孫軍の騎兵は白馬ばかりで、その白馬を活かした騎射が強力であると聞きます」 董卓「ふむ、だがそれは逆に肉薄すれば対抗できるということじゃな」 華雄「左様でござります。白兵によるぶつかり合いでは我が軍の方が上かと」 賈詡「しかし我が軍は遠征の途上で、兵の補充ができません。向こうは大軍を擁しています」 董卓「そうは言っても我らではとても内政などやってられんぞ」 華張太「・・・(こくこく)」 賈詡「わかっております。ですから敵の意表を突き、このまま進軍しましょう」 太史慈「おお・・・」 賈詡「まずは晋陽です。あの辺りの地勢に詳しい張燕殿と私で鄴の北から常山周りで攻め入ります」 張燕「おう、お任せを」 董卓「なるほどのう、お主らが城から敵を誘き出している間に我ら本隊が南から攻める、と」 賈詡「左様でございます。鄴の守りには張済殿の部隊を残し、全力で敵を討ちましょう」 董卓「よし、参るぞ皆の者、敵の騎兵を殺しつくしてやれ」 華張太「おおー」 賈詡「・・・(さて、南はどうなることかな・・・)」 そのころ新野では・・・ 胡軫「むむむ・・・」 樊稠「ん・・・、おや、どうなされた胡軫殿」 胡軫「おう、樊稠殿か。貴殿は歯がゆくないのか、我らはこの城に取り残されてしまったのですぞ」 樊稠「・・・(何やら前にもこんなことがあったような)、えーと、それはどういうことでござる」 胡軫「よいか、今や我ら南方軍の前線は襄陽と江陵で、この新野は補給中継都市に過ぎないのだ」 樊稠「ふむふむ・・・(・・・あ、長安の時と同じだ)」 胡軫「その我らができることは江夏城を攻めることしかないのだ」 樊稠「なるほど、江夏の城は河から攻めることができますな。しかし肝心の船がないでござる」 胡軫「ふふふ、安心めされよ、既に造船が得意だという許攸という者に命じて船を用意させているのだ」 樊稠「おお、となると出撃できますな。それがしはこう見えても水軍には自信があってござる」 胡軫「では早速、徐栄殿も呼んでくるとしよう。参りますぞ樊稠殿」 樊稠「応っ」 さらに同じころ、江陵城では・・・ 李儒「ふふふ、これからだ、これからなのだ・・・(ブツブツ)」 李傕「おう、軍師殿。どうなされたのだ」 郭汜「何やら考えごとをなされていたのか軍師殿」 李儒「おや、李将軍に郭将軍か。私はもう軍師ではないのだよ。それでも、これからの戦略を考えておったのだ」 李傕「ほう、それはどのようなものなんだ軍師殿」 李儒「もう軍師ではないのだがな、私が思うに劉備軍はこの江陵城に遠からず押し寄せてくるであろうと思ってな」 郭汜「そ、それは困るではないか軍師殿」 李儒「まぁ私は別に軍師ではないのだがな、我らはこの城をあけわたして、劉備軍が入城したところを襲おうと思うのだ」 郭汜「なるほどなぁ軍師殿。って・・・え、一度城をとらせるのか軍師殿」 李儒「・・・(人の話を聞いておるのかタコ助どもめ)」 李傕「城を取らせてすぐに取り返せるのか軍師殿」 李儒「大丈夫じゃ。李傕殿が江陵の主将でいると城の耐久は回復しないから楽に攻められるのだ」 郭汜「そ、そうなのか。それは名案だな軍師殿」 李儒「その後は兵力の減った劉備軍の都市を襲えばよい。董卓様は内政より城の数をお求めだからな」 郭汜「それなら俺らの出番は多そうだな軍師殿」 李儒「左様。期待しておりますぞ、董卓軍の双璧と言われるお二人に」 李郭「おおうっ」 李儒「ふふふ・・・(そして私も軍師の座に返り咲くのだ・・・)」 というやり取りが各地であったと思われるので、今回は 「董卓千里行」、「胡軫船下江」、「李儒荊南攻」 の3本をお送りしたいと思います。ちなみに能力研究ですが「水神」、「洞察」、「指導」が出ており、「指導」を研究しました。 264年1月 この頃、紙芝居でもお分かりかと思うが我が軍は大きく3つに分かれていた。 鄴の董卓軍本隊、新野にいる徐栄の第2師団、襄陽と江陵の李儒、李傕、郭汜らの第3師団である。 襄陽は南へ攻める拠点なので少しずつ内政を行っており、鄴では兵舎だけ立てて城兵の確保をして、馬は洛陽からの補充を待っていた。 新野では新たに蒋欽と厳畯、さらに「造船」もちの許攸が加わり、前回に捕らえた呉将たちと合わせて水軍の準備をしていた。 順番に詳しく見ていきたい。 鄴の董卓本隊は張済隊を城の守りにおいて、休む間もなく晋陽を攻めることにした。 晋陽には60000の兵がいるので、「釣り」を使うことにした。 先鋒 張繍+徐質+鄒氏7000騎、華雄+李粛+州泰(騎神)8000騎、太史慈+太史享(連戦)+王異(指導)7000騎 本隊 董卓+張球+楊奉(連戦)10000騎、董旻+歩隲 井闌8000 別働隊 賈詡+張闓6000騎、張燕+楊阜+楊祚(築城)7000騎 王異は特技を書き換え、楊祚には「築城」をつけ、州泰は劉備軍から新たに引き抜いた武将だ。 先鋒と本隊は壺関から晋陽をつき、別働隊は晋陽の東から攻めて敵をおびき寄せる。 壺関は賀斉将軍が6000で守っていた。 しかし井闌隊があっという間に関を落とす。ここでは誰も捕まえられず。 関を抜け、上党のあたりを北上すると晋陽の難所の一つである陽曲の一本道にさしかかる。 ここには公孫瓚軍による董卓軍歓迎委員会が熱烈な歓待をしてきた。 それは先の賀斉、そして公孫続、龔都、傅彤といった猛将たちであった。 一方の別働隊の方にも敵部隊が迎撃に出てきていた。こちらは公孫範、朱霊、孟宗、文虎らである。 それぞれ4000~5000ほどである。とにかく賈詡と楊阜で攪乱を行って足止めをする。 その間、本隊は一本道の敵と一進一退を繰り返していた。が、我が軍はここで新兵器を投入したのだ。 そう、技巧研究によって開発された豪火球である。これを一本道に向けて発射する。 これで敵軍は大きな被害を受け、敵将龔都は一発目の火球で戦死。 火勢が衰えたところへ張繍が突撃して傅彤隊を撃破、主将傅彤を捕らえて処断。 次いで公孫続隊も張繍隊が撃破して、副将の韓莒子を斬った。 賀斉隊も倒すといよいよ城に取りつき、ひと月で陥落させた。 ここでまたも賀斉と公孫続を逃したが、荀諶と魏攸の2人を処断して、賈範を捕虜にした。 別働隊では張燕が混乱した朱霊を一騎打ちで倒して処断し、賈詡が孟宗と文虎を捕虜にしていた。 挟み撃ちに行った華雄隊が公孫範隊を撃破し、晋陽は董卓軍のものとなった。 新野では造船が行われていて、3隻完成したところで江夏を攻めることにした。 胡軫+費耀(猛者)+朱異9000騎、樊稠+左奕(連戦)+張悌9000騎、徐栄+楊昂(猛者)+留賛10000騎 で湖陽港を出て河から江夏の内政施設と城を攻める。 江夏城は「火神」の名将周瑜が20000で守っているが、配下で目ぼしい将は周泰くらいしかいない。 夏口の側の町を壊すと、あわてたように周瑜隊と周泰隊、留平隊が出てくる。 周泰が夏口港に入ったので出口を塞ぎつつ港を落とす。周瑜隊があたふたしている間に江夏城を攻撃。 樊稠と徐栄が周瑜隊の相手をして、胡軫は江夏城を攻撃する。 こちらの2隊はかなりの被害受けたが、その間に胡軫が江夏を落とす。 その後に3隊がかりで周瑜隊と戦うも周瑜は途中で逃走し、留平隊が夏口から出てくる。 これも粉砕して夏口を抜き、とりあえず胡軫ら3隊は江夏城に駐屯することにした。 264年3月 江陵に向けて劉備軍が出撃したとの報が入る。 永安と長沙から来るようなので李儒をはじめ、以下の軍容で敵をギリギリまで待つことにした。 主力 張梁+賈充8000騎、李傕+孫休(覇王)+毌丘秀(疾走)10000騎、牛輔+諸葛誕8000騎、李儒+胡車児8000騎 後詰 郭汜+陸凱(指導)木獣9000、李通+蘇飛6000騎、凌統+韓徳+温恢(指導)6000騎、張承輸送隊20000 といった面々である。 やってきたのは趙雲、関羽、張飛などの虎将たちの30000で、我が軍は江陵城を出て長坂の渡で待機。 彼らが無人の江陵城を取って内政を始めたのを確認して襲撃した。 趙雲と関羽は内政をしていたので張飛のみが迎撃にきた。もちろん李儒が攪乱して放置。 2、3ターン経ったところで関羽隊と趙雲隊も出てくる。火球に巻き込みつつ城を攻撃する。 関羽の戟兵、趙雲の槍兵の一撃ですごい被害を受けるも、江夏から徐栄隊、胡軫隊6000が駆けつける。 胡軫の「疾走」が趙雲に決まり、李儒も関羽隊を攪乱させ、殴って火をつける。 その間に郭汜の木獣が火を噴いて江陵城を再び落とす。 捕らえたのは太守の諸葛瞻以下、 董允、譙周、向朗、趙広、郤正、華覈、歩協、滕胤 といった面々で捕虜枠が埋まっているので全員を処断した。 最後に趙、関、張の3部隊をそれぞれ撃破した。 264年5月 陳留の城は于禁と成公英が留守を預かっていた。 成公英「うーむ、少しまずいな・・・」 于禁「それはどういうわけだ、成公英殿」 成公英「各地から軍を率いている将たちの戦果が聞こえてきます。この陳留にも25000がいますが・・・」 于禁「たしかに我らは戦果がないな。今回まだ戦っていないのはこの陳留以外では許昌の15000だけだが」 成公英「そうです、そして許昌の杜預殿は新参ですが、古参の私としては忠誠を見せないといけません」 于禁「そうか・・・、では良い案がある。今、曹操軍が呂布軍の小沛を攻めているのだ」 成公英「というと、寿春の北の泗水のあたりでぶつかっているのでしょうか。それが何か」 于禁「うむ、実はな、両軍はなぜか譙や梁といった小沛の西側で戦っている。そこに参戦するのだ」 成公英「なんと、それは好機ですね。すぐに参りましょう于禁殿」 ということで何故か兗州付近でぶつかっている曹操軍と呂布軍の戦いに成公英隊8000騎と于禁隊8000騎を参戦させる。 火球で両軍に被害を与える目論見である。 呂布軍は張遼将軍、張角導師、呂岱提督といった面々。曹操軍の方は徐晃、郭淮、楽進などで、両軍共に精鋭である。 そこへ呂布の同盟軍である我が軍が勝手に参戦し、火球を放った後に突撃するという戦法で曹操軍に襲い掛かった。 曹操軍の部隊は火のついたマスに押し込まれ、火のダメージでかなり兵を損じた。 そうして呂布軍の戟兵部隊と協力し、敵の殲滅に成功。 この戦いで曹操軍の勇将徐晃、郭淮の副将曹髦と曹訓を捕獲して処断した(徐晃は必ず戟兵で出てきて撹乱もきかないので毎プレイてこずる武将)。 また呉の馬忠を登用した。 成公英と于禁は手柄を上げて無事陳留に帰還できた。 話は戻って、同じころの晋陽の本隊。 晋陽城を攻略した本隊は晋陽に駐屯せず、鄴にも戻らず、そのまま南皮へ行くことにした。 なぜなら平原城での戦いで公孫瓚軍は呂布軍に負けて城を取られただけでなく、南皮からの平原奪回軍も退けられたため、南皮城の兵力が手薄になっているためである。こちらは以下の兵力である。 先鋒 張繍+徐質+鄒氏6000騎、華雄+李粛7000騎、太史慈+太史享(連戦)+王異(指導)7000騎 本隊 董卓+張球+楊奉(連戦)8000騎、董旻+歩隲 井闌8000 南皮城には君主の公孫瓚自らが20000で守っている。 我が軍は張燕隊と賈詡隊を鄴の守りに回して、井闌を含めた5隊で攻略に向かった。 迎撃にきたのは張郃、賀斉、傅僉、孟宗らの部隊であった。なかなか手強い相手である。 孟宗は一度捕虜にしたが登用を拒否されたので解放して、再び戦場で見えることとなった。 7月。両軍は南皮の南西でぶつかった。 まず張郃隊は王異の攪乱で放置。傅僉隊も攪乱し、楊奉の連戦で削る。賀斉隊には張繍隊がぶつかる。 最後に華雄隊が孟宗隊に突撃して、迎撃隊を沈黙させた。 この戦いで傅僉と賀斉隊副将の関靖を斬り、賀斉と牛金を捕虜にした。 この後2ターンで公孫瓚の守る南皮を落として、以下の武将を捕らえた。 公孫続、公孫範、辛憲英、孟宗、劉巴、梁緒、そして公孫瓚 君主公孫瓚を含む全員を処断した。 これにより公孫瓚軍は公孫越が継ぐことになり、数人の武将が下野したようだ。 結局、公孫瓚自身とは戦場で戦わないまま斬ったので敵の騎馬隊とはぶつからなかった。 最後に張郃隊を全部隊で叩いて壊滅させ、張郃は北平に退いた。 さすがに兵も減ってきたので、このあたりで鄴から輸送隊を出して補給させることにした。 渤海の北、天津近くの渡のあたりで董卓軍本隊は陣と軍楽台を作って駐屯させた。 264年7月 江陵の第3師団は公安港から兵力25000の武陵を攻めていた。 先発 張梁+賈充9000騎、李傕+孫休(覇王)+毌丘秀(疾走)12000騎、牛輔+諸葛誕9000騎 本隊 郭汜+陸凱(指導) 木獣10000、李儒+胡車児9000騎、李通+蘇飛6000騎 後詰 凌統+韓徳+温恢(指導)6000騎、張承輸送隊10000 武陵からは王平と張翼、周泰が迎撃に出てくる。 武陵近辺は平地が狭くて森が多いため、騎兵の力をうまく発揮できなかった。それでも張梁隊の「妖術」で混乱させて敵部隊を撃破できた。 良将王平を斬った後、郭汜隊が武陵城を落とした。 張翼、孫乾、沙摩柯、諸葛喬、孫魯班、周泰 といった武将たちを捕らえ、孫魯班と周泰を捕虜にして残りは斬った。 264年10月 この頃の我が軍の人事では既に牛金、周泰と孫魯班は登用できていた。また賀斉は脱獄していた。 さらに鄴では在野の黄巾将たちを盛んに登用して、何儀、程遠志、高昇、張曼成の4人を得ていた。 さて、その鄴は賈詡が新加入の将たちを使って徴兵し、洛陽から補給も受け、平和であった。 がしかし、ここに急を告げる斥候からの伝令が鄴の城門に駆け込んでいた。 賈詡「まずいな・・・、張燕将軍、飛燕の張将軍はおられるか、それから張済将軍も」 張燕「・・・おう、何事かあったか軍師殿」 賈詡「今、見張りから連絡があってな、薊の60000のうち40000が晋陽へ出撃したそうだ」 張済「ほう、それは大軍だな。だが董卓様には支障はないな。晋陽の兵力はどれくらいなのだ」 賈詡「0だ、一兵もおらん。晋陽は放棄してきたのだ張済殿」 張済「なんと。ではどうするのだ、その大軍と晋陽は捨て置くのか」 張燕「いや、今ならまだ討つ機会があるぞ。あの中山のあたりは道が狭く1部隊しか通れんのだ」 賈詡「よし、ならば討てる。すぐに出撃だ、お二人とも用意を」 張済「だが南皮へ兵を輸送に出したばかりで、この鄴には兵が18000騎しかおらんのだぞ」 賈詡「大丈夫だ張済殿、兵が足りない分は金と手間で補うのだ・・・(ニヤリ)」 ということで、賈詡、張燕、張済の3隊はすぐさま鄴から北へ向かい、薊の部隊を襲うことになった。 作戦は一本道の出口にひたすら豪火球を作り、敵部隊にまとめて被害を与えるというもの。 これによって敵軍は莫大な被害を受け、特に先頭を進んでいた敵将丁原は焼死してしまった。 恐るべし、豪火球。早くも2人目の犠牲者である。 それでも8部隊兵力40000を我が軍は5000ずつの3隊で迎え撃つため、どうしても突破されてしまう。 だがそこを張燕が突進で押し返すという二段の構えであった。 さらには最後尾を進む敵将公孫恭の忠誠が下がっていたので、これを寝返らせることに成功した。 しかし戦場の周囲には森が多く、騎兵戦法が使えないことも多く、最後は凄惨な叩き合いになった。 張燕が敵の宿将厳綱を討ち取り、張済も劉和を斬った。賈詡は孫観を捕虜にした。 こうして薊の敵部隊を全滅させたが、我が軍も最後は3隊あわせて7000ほどであった。 同刻、本隊も南皮で補給が終わり薊と北平に向けて進撃を開始していた。 薊からは最後のあがきとして王門と鄒丹が、北平からは田予が先鋒で張郃、李厳、賀斉、田楷などが出てくる。 華雄隊と張繍隊が薊の2将を撃破して斬り、董旻隊がほとんど空の薊を攻撃して落とす。 薊の城では張南、田疇、単経を斬った。 一方で北平へ向かう易京の隘路では押し合いの混戦になっていた。 ここで鄴からそのまま援軍に駆け付けた張燕隊の突破により、田予隊の副将張華が戦死する。 さらに太史慈隊が田予を討ち取り、董卓軍は北平の西の平野を目指した。 敵軍にはなかなかの将が揃っており、これが公孫軍との最後の激しいぶつかり合いとなるだろう。 265年1月 両軍の戦闘が始まった。 董卓軍6隊50000と公孫越軍5隊40000が正面からぶつかる。 井闌の董旻隊は待機しているので実質同数での戦いである。 まず張燕隊がいく。次いで太史慈隊。そして董卓隊。一気に押し込んでいけるのは騎馬突撃の醍醐味である。 敵の先陣の張郃隊と李厳隊を突き抜け、挟み撃ちの格好を取る。騎兵はこの戦術が強い。 張郃は再び攪乱させ放置、李厳隊の兵を削る。この間、賀斉隊の火矢が痛い。 張繍が李厳隊を倒して李厳を斬り、華雄隊も田楷隊を撃破して田楷を処断。賀斉を囲んで倒し、捕獲。 後から出てきた公孫越隊を撃破し、最後に張郃隊を倒して張郃を捕虜に。 この戦いの間に楊奉と州泰が寝返ってしまう。「騎神」もちの州泰の離反は痛い。 この後、北平の城を落とし、公孫越、蒋義渠、州泰、陳蹇、公孫度、孫礼、顧雍を捕らえた。 陳蹇と孫礼、公孫度は登用に応じ、顧雍を捕虜にして、残りは処断。 公孫越が死んだので君主にはなんと楊奉がなった。これによりまた数人が下野した。 265年4月 まさに騎虎の勢いで我が軍は襄平の城に迫った。 軍勢を2つに分けて張燕、華雄を先行させ、残りは大遼水の渡を越える。 張燕らは襄平の北、玄莵のあたりで智将田豊率いる5000とぶつかる。 「猛者」で負傷させて、あっという間に撃破。あわれ忠臣田豊は主君の仇も取れず、遼東に散った。 本隊がわずか4000の襄平城を落とす。 田豊が死んだ襄平には楊奉と季雍という武将の2人しかいなかった。 両名を斬り、ここに旧公孫瓚軍は滅亡した。 こうして董卓軍は平原城をのぞく河北の討伐に成功し、またまた董卓様の官職があがるのであった。 今回の犠牲者 49人 龔都(戦死)、傅彤、韓莒子、荀諶、魏攸、諸葛瞻、董允、譙周、向朗、趙広、郤正、華覈、歩協、滕胤、徐晃、曹髦、曹訓、傅僉、関靖、公孫続、公孫範、辛憲英、孟宗、劉巴、梁緒、公孫瓚、王平、張翼、孫乾、沙摩柯、諸葛喬、丁原(戦死)、厳綱、劉和、王門、鄒丹、張南、田疇、単経、張華(戦死)、田予、李厳、田楷、公孫越、蒋義渠、州泰、田豊、季雍、楊奉 新加入 17人 厳畯、蒋欽、許攸、文虎、賈範、牛金、孫魯班、周泰、何儀、程遠志、高昇、張曼成、公孫恭、孫観、陳蹇、孫礼、公孫度 第7回 前回は河北制覇を全部書いたので、とても長くなってしまい大変申し訳ありませんでした。 今回も前回の続きで南征が中心ですが、いよいよタイトル通りいろいろ殺伐としてきました。 これからもお付き合いくだれば幸いでございます。 鄴にて・・・ 牛輔「公就任、まことにおめでとうございます、董卓様!」 董卓「おお、おうおう、感謝するぞ皆の者、まことにめでたい、めでたいことじゃ」 賈詡「皆の者、これからはもう董卓様とではなく、董太師とお呼びするのだ」 華李郭徐「おおー、董太師、董太師!」 董卓「くるしゅうない、くるしゅうないぞぉ皆の者」 李儒「(ぐぬぬ、賈詡め、わしも今言おうと思ったのに・・・)」 張済「董卓様…いや董太師、いま鄴の農民が銅雀を見つけたとの報告がっ」 賈詡「銅雀ですか。むむ、これは吉祥瑞祥でございますな」 胡軫「公就任のこの時にかような瑞祥が見つかるとは、太師のご懿徳によるものかと」 董卓「うむうむ、すぐに銅雀をまつる台を築くのじゃ」 李儒「(ぐぬぬぬぬぬ、おのれ胡軫め、今わしが言おうと思ったのにー)」 董卓「よしよし皆、いまは大いに飲んで騒いでくれ。だが、また明日からはいくさじゃ、頼むぞ皆の者」 一同「おおーっ」 わいわい… というわけで北をとった我が軍は南に向かい攻め入るのでありました。 他勢力はというと、 呂布―平原、北海、下邳、小沛、濮陽。劉備―永安、零陵、桂陽、長沙、柴桑 王朗―建業、呉、会稽。鄧艾―成都、江州。孟獲―建寧、雲南。袁術が廬江、曹操が寿春、鍾会が梓潼。 我が軍は鄴、江陵、武陵に60000~70000の兵が集まっており、その他は陳留と江夏に20000ほどで、それ以外の町は5000~8000の守備兵がいるくらい。 河北は鄴以外は兵0で将も0で放棄しています。つまり内政をやっていられないので少数精鋭でいくしかないという状況です。 265年4月 南の拠点、武陵。 武陵の内政、軍事施設建設がひと段落つき、再び進撃を開始することにした。 第3師団は凌統隊と張承隊を武陵に残して、李傕、郭汜、李儒、牛輔、張梁などが40000で向かった。 零陵には3人の欲しい将がいる。魯粛、王双、そして孫策である。城は兵力が18000しかないがその3人には油断はできない。 迎撃には孫策隊と馬忠隊、魏延隊が出てきた。魏延は李儒により盆踊りをさせて撃破、次に馬忠隊を集中攻撃して撃破。 馬忠を斬って、意中の王双を捕虜にする。 だが張梁隊の副将賈充が途中で劉備軍に寝返っていたので「妖術」はほぼ封じられてしまった。それでも郭汜隊の木獣が零陵を落とした。 太守の魯粛、孫朗、孫匡、樊氏、馬遵、陸鬱生といった武将を捕らえたので、魯粛と陸鬱生の二人を捕虜にし、残りは斬った。 さて、問題は孫策隊である。小勢で副将はいないが戟兵なのでめちゃくちゃ強い。 なんとか李儒の攪乱がきいて全軍がかりで倒したが、被害は大きく、肝心の孫策も逃してしまった。 265年6月 寿春の曹操軍が王朗と呂布によって2方面から攻められていた。 我が軍は漁夫の利を狙って、陳留の于禁たちを寿春に向かわせることにした。 まず王朗軍が江都港方面から20000がはるばる来ている。一方で小沛からは呂布、張遼、張宝などの精鋭が25000ほど。 対する曹操軍は40000ほどだが、そのうち10000は濡須港に駐屯しているので実質30000。 曹操の主力部隊は夏候惇、夏候覇、郭淮、呂蒙、曹彰などの精鋭。 両軍は北の渡しで呂布軍とやりあっていて、早速、呂布の突撃で曹操軍の卞喜を轢殺していた。 ここに于禁隊10000、成公英隊10000、馬忠(呉)隊6000も参戦する。 必殺の火球攻撃により夏侯覇隊副将の楊修が戦死。 夏侯覇隊を壊滅させ、副将の曹宇を斬ったことで、ついに攻め手は寿春北の渡しを突破した。 すぐさま寿春城の北で乱戦となったが、なんとここで王朗軍が水門を破壊。 呂布軍は張宝隊が全滅し、我が軍も馬忠隊と成公英隊が全滅という憂き目に。 最悪なのは曹操軍で、主力部隊が全滅して城壁もボロボロ、あの曹操もここまでであった。 呂布軍の文欽隊が寿春を陥落させ、曹操軍は滅亡。多くの武将が呂布に召し抱えられることとなった。 ちなみに王朗軍は呂布隊と張遼隊にボコボコにされて全滅しました。 265年8月 襄平からの輸送部隊が到着し、ようやく鄴に本隊の軍勢が揃った。 この間に鄴城の内政と在野になった旧公孫瓚軍の武将の賀斉と張郃を登用していた。 用意が整ったところで我が軍は呂布軍との同盟を破棄。渡しで待機させていた本隊で一斉に平原城に攻めかかる。 先鋒 張繍+徐質(猛者)+鄒氏12000、華雄+李粛(明鏡)+賀斉13000、張燕+楊阜(指導)+賈範(火神)11000 本隊 董卓+張球+楊祚(築城)13000、太史慈+太史享(連戦)+王異(指導)11000、張郃+孫礼+牛金10000 兵器 張済+歩隲+文虎10000 輸送隊 何儀(運搬)1000、高昇(運搬)1000 平原の太守は張楊で、兵も12000ほどだったので迎撃にきた宋謙を斬って、あっという間に陥落。 張楊は逃したが、城にいた逢紀、陸績を斬った。 9月。本隊には兵糧輸送部隊をつけて、平原を取った勢いで北海城を目指す。 北海の太守はなぜか夏候尚で、配下も少なく、兵も15000ほど。 どうやら呂布軍は王朗軍と江都港のあたりの水上戦に人を割いていて、北は油断していたようだ。 さらに寿春の呂布軍本隊は大量に捕獲登用した旧曹操軍の武将たちの俸禄にも苦労しているようだった。 早速、迎撃にきた夏侯尚と卑衍の部隊を2隊を撃破して、2将を斬り、北海城を攻める。城には張楊などがいたが、やはりすぐに陥落。 またも張楊は逃すも、婁圭を斬った。 12月。いよいよ敵軍の一大拠点である下邳を目指す。 下邳には40000の兵がいて、おそらく迎撃には30000がでてくるはずなので、こちらも同数で出陣。 上記の編成の中から、張燕隊12000、太史慈隊10000、張郃隊10000を出すことにした。 しかし下邳。この城にはあの武将がいたのであった。 侵攻を知らせる伝令が走り、下邳城の廊下を駆けていく。 張楊「急報でござる、急報でござる!」ドタドタドタ 侯成「なんだなんだ、ご城主の前で騒々しいですぞ、張楊殿」 張楊「それも当然でござる。ついにこの城に董卓軍が押し寄せてきたようなのですぞ」 侯成「な、なんと、ついにか……(振り向きながら)どうなさいますか、ご城主」 ??「……フン、もちろん楽しませてもらう」 というわけで下邳城の北で戦闘開始。 張燕「やあやあ、我こそは張飛燕なり!」 太史慈「我らが騎兵の動きについてこられるか!?」 侯成「くっ、我らではかなわぬか…、ご城主、お願いいたす!」 張燕「……ぬうう、なに、まさか…」 呂玲琦「……涼州の騎兵か、できる、と聞いている。楽しませてもらうぞ」 太史慈「女…だと…」 呂玲琦「フン…、おい貴様、準備できているな?」 曹彰「応っ、当たり前よっ、いくぜっ」 張燕「し、『疾走』はまずい…。しかも2人だと…?」 りょ、りょ、呂玲琦だー。 敵軍は呂玲琦と曹彰を寿春から急遽下邳に回したらしく、2将が騎兵で出てきたのだ。彼らの『疾走』により我が軍は混乱。 部隊数は向こうの方が多いので被害も甚大。董卓騎兵軍は初の敗北を喫し、30000の兵が半分ほどに討ち減らされ、北海城に撤退した。 この敗北により本隊の侵攻は遅鈍することとなってしまった。 (ちょっと遡って)265年7月 零陵の李傕、郭汜、李儒らは桂陽を攻めていた。 上記の編成に加え、張承隊7000も補充して桂陽の19000と当たる。数はこちらの方が50000と多いのだが、敵は猛将ばかりである。 太守の孫堅をはじめ、孫策、黄蓋、韓当、呉懿、王濬、賈逵といった者たちが次々に迎撃にくる。 しかも戦場は森が多く、一本道でしか戦法と火球が使えないという地勢。 自分たちより能力が上の人たち相手に正面から殴り合いをするという最悪の展開になった。 結果、50000騎が30000ほどまで討ち減らされたが、こちらも王濬と呉懿を討った。 孫堅隊は李儒で攪乱させ壊滅させたのだが、またしても孫策+賈逵の4000と削り合いになった。 桂陽城は郭汜の木獣隊が陥落させ、孫堅は逃したものの韓当、祖茂、王粲を処断。 最後に全軍で孫策隊に突撃して壊滅させ、賈逵を捕らえて斬った。 また、残念なことに、この戦いの間に「疾走」もちの毌丘秀が劉備軍に裏切っていた。 265年10月 桂陽を落とした南征軍は気力回復してすぐに、荊南最後の都市である長沙に向かった。 長沙には20000の兵がおり、太守はあの姜維であった。その配下には孫策、程普、黄蓋という呉将と裏切り者の毌丘秀などがいる。 ここで武陵に残してきた凌統隊7000騎を羅県港から上陸させ、「釣り」をしかける。 長沙からは黄蓋隊5000が出てきた。同時に桂陽から本隊30000も侵攻する。 ぶつかり合いはまず汨羅の淵で凌統の突撃から始まった。 武力90の凌統の突撃で黄蓋隊副将の施朔が戦死し、2度目の突撃で一騎打ちが発生。凌統が勝ち、黄蓋を捕虜にした。 長沙城の南でも激戦が始まり、姜維隊、孫策隊、程普隊4000ずつとぶつかる。 特に姜維、孫策は槍兵の突きで1000は減るので脅威であった。 火球と戦法で兵を減らして敵部隊を一掃し、程普を捕らえ、姜維隊副将の裴元紹を斬る。 年が明けて1月にようやく長沙を落とす。 関寧、蒯越、麋竺、そして裏切り者の毌丘秀などの武将をきったものの、やはり姜維や孫策などは捕まえられず。 266年1月 南征の最後は柴桑である。 ここは、江夏に駐屯させていた胡軫らの30000を張悌と屯田もちの国淵らに授け、陸口港に入らせる。 陸口から繰り返し出陣して柴桑の施設を壊し、敵将の周瑜を疲弊させる作戦である。 周瑜が40000で守る柴桑城を落とすのはもう少し先になりそうだ。 ここでようやく南征にひと段落ついた。 荊南攻めで失った兵力を襄陽で張魯が補充する。それをまず武陵にまわし、長沙の兵力も合流させる。 既にもう次の作戦である。 永安には劉備軍60000と猛将たちが籠っているので正攻法はやめ、周りから取ることにした。 徐栄、胡軫らには漢中から梓潼を通って鄧艾の成都を攻めさせる。 そして李傕、郭汜らの軍団には武陵からはるばる南蛮を攻めさせるという作戦である。 4月。 南蛮へは大掛かりな遠征で、時間がかかるので、揃った部隊からどんどん出陣させる。 武陵は捕虜から登用した魯粛と黄蓋、新加入の鮑隆に任せて、主力の全軍で出陣する。 ふた月かかって建寧に入ったところで孟獲軍が迎撃に出てくる。両軍の先鋒が山深い南蛮奥地の牀柯のあたりでぶつかる。 こちらは郭汜、牛輔の20000で、敵は大王孟獲と帯来洞主の2隊18000、やや遅れて花鬘と鄂煥の2隊12000。 孟獲「おい、おまえら、この南蛮に攻めてくるとはいい度胸じゃねえか」 郭汜「おう、貴様らなんぞ我らの敵ではないわ」 孟獲「上等じゃねえか、おまえら絶対に返すわけにはいかねえな!おう、帯来、やっちまえ」 帯来洞主「おうっ!」 牛輔「なんの!このっ」 という感じで戦闘開始。 最初に突出してきた帯来隊を撹乱からの一騎打ちで牛輔が撃破して、捕獲、即処断。 孟獲隊はなかなか硬く、手こずっている間に敵軍の後続部隊とこちらの李傕、李儒などが追い付く。 花鬘と鄂煥には李儒の偽報で帰ってもらい、孟獲を攻撃。 敵は戟兵なのでこちらもまとめてダメージをもらう。が、なんとか孟獲隊を撃破し、花鬘隊と鄂煥隊においついて殲滅する。 迎撃を跳ね返した我が軍はここからふた月ほどかけて雲南に向かう。 ここで少し時間を遡って266年4月の荊北の様子を見る。 まず襄陽の張魯らが今度は成都攻め用の兵を用意している。 成都攻めには徐栄と胡軫に加え、黄巾の張曼成、北海で登用した管亥を主将に起用する。 また、徐栄の守っていた江陵城は樊稠、李通、臧覇らに50000で任せることにした。 江夏は杜預が5000で駐屯中、宛も吾彦が5000で涼州から来る兵糧の輸送を担っている。 新野でも徴兵と造船を行っており、漢中と汝南、陳留に増派する分の兵力60000をこつこつと貯めていた。 徐栄らは襄陽と新野から20000ずつ兵を受けて漢中に向かっていた。 その頃、大兵力の新野は董旻が太守として守っていた。 董旻「はぁ・・・ワシの兵器部隊が張済なんぞに回されてからというもの、どうも面白くない」 許攸「おや、董旻どの。どうかされましたかな?」 董旻「いや、新野に来て以来まったく活躍の場がなくてなぁ。兄上はどう考えているのかと」 許攸「董太師のご批判とは、な、なんと畏れ多い」 董旻「構わん、ワシは弟じゃ。ここまで来られたのもワシの兵器部隊がよく働いたからであってな」 許攸「・・・・(ほう、私もこんな田舎で働くのは真っ平なのだ)」 董旻「ワシが精魂込めて火矢を作ってだな・・・あれをああしてこうして(ブツブツくどくど)」 許攸「・・・(使わせてもらうか)、董旻どのはご存じですかな?」 董旻「ん?なんのことじゃ?」 許攸「今の太守は董旻どのですが、新参の公孫度という者がここの太守になるというのを」 董旻「なんと・・・ではワシは異動か?」 許攸「いえ、そういうわけではないようで、そのまま公孫度の下でしょう」 董旻「むむむむ、ワシを馬鹿にするのもこれ以上は許せんぞ!」 許攸「・・・実は私はその公孫度とは旧知でしてな。どうやら彼は着任して造反するようなのです」 董旻「なんだと・・・?では、裏切り?」 許攸「そうです。私もここで終わるつもりはありません。董旻どのはいかがされます?」 董旻「・・・・わかった、やる、やってやる。兄にワシの本気を見せてやる!」 デデーン どうなる?、と皆様に思っていただいたところで、容量の関係によりまた次回! 続きはもう出来ているので順次アップさせていただきます。今回も長々とおつきあい頂きありがとうございました。 今回の犠牲者 27人 馬忠、孫朗、孫匡、樊氏、馬遵、卞喜(戦死)、楊修(戦死)、曹宇、宋謙、逢紀、陸績、夏侯尚、卑衍、婁圭、王濬、呉懿、韓当、祖茂、王粲、賈逵、施朔(戦死)、裴元紹、関寧、蒯越、麋竺、毌丘秀、帯来洞主 指名手配 7人 賈充、毌丘秀(処断済)、公孫度、呂拠、王修、董旻、許攸、孫仲 新加入武将 7人 賀斉、張郃、王双、魯粛、黄蓋、鮑隆、管亥 董卓軍忠臣メンバー能力表の徐栄が徐英になってる -- 名無しさん (2011-07-23 16 56 32) 冥府への送り手www 好きな武将の太史慈には裏切って欲しくない -- 名無しさん (2011-07-24 11 05 15) 馬超よ~~~~ -- 名無しさん (2011-07-25 22 25 58) 名族たる私がこんなところで -- 袁紹 (2011-07-25 23 37 31) コメントありがとうございます。徐栄を修正しました。馬氏や袁氏など漢朝系の武将は董軍と相性最悪なので今回は泣く泣く斬っています…。 -- 董卓の日記著者 (2011-07-26 09 52 43) 遅くなりましたが更新させていただきます。 -- 董卓の日記著者 (2011-09-27 11 21 39) 乙です -- 名無しさん (2011-09-28 12 48 20) これって味方の裏切りもあえてねらってます?それともトウタクだから? -- 名無しさん (2011-09-28 18 37 07) 不用意に忠臣の誰かが轢き殺されて、郭汜「李傕ゥーー!!」みたいな展開キボン -- 名無しさん (2011-09-28 21 35 55) コメントいただきありがとうございます。↑2の方、真の忠臣は裏切らないと信じ忠誠はほぼ放置してます。↑1の方、そうなったらなったで面白いですねー。忠臣は大事に育てていたのですが… -- 董卓の日記著者 (2011-09-30 01 02 28) あと、恥ずかしながらCOMに白兵戦で負けましたw しかも騎兵同士の…w -- 董卓の日記著者 (2011-09-30 01 03 44) 疾走は強すぎだ、とにかく森で逃げて闘うしかないですな!曹彰まじ最強っす -- 名無しさん (2011-10-02 19 38 13) 忠臣の誰かが裏切っても銀英伝のロイエンタールみたいでおもしろいかも。 -- 名無しさん (2011-10-05 19 18 48) トウタクと親愛設定されてる忠臣は無理だけど。 -- 名無しさん (2011-10-05 19 20 03) 筆者もこのままいくと忠臣7人しか残らないんじゃないかと心配し始めました。最初に親愛設定しておいてよかった。だが董旻は兄弟なので親愛つけてなかったんですよね・・・ -- 董卓の日記著者 (2011-10-12 10 36 22) ↑4の方へ。曹彰の疾走は強いですね、やはり私の胡軫の疾走より撹乱率が高いようです。でも出来ればこのメンツで森での殴り合いは避けたいです… -- 董卓の日記著者 (2011-10-12 10 41 09) ここまでお付き合い頂きありがとうございます。最近は敗戦続きでまだまだ董卓軍の戦いは続くようです。次回もお付き合いいただければ幸いでございます。 -- 董卓の日記著者 (2011-10-12 10 43 14) 名前 コメント
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八幡平オートキャンプパーク「アスピア」 国立公園八幡平の山麓、標高500mに位置し、十和田湖、八幡平、田沢湖等への拠点として最高の立地。 18万9千平方㎡の広大な敷地の中には、炊事施設、コインシャワー、水洗トイレ完備のサニタリーを備えたテントサイトゾーンが4ヵ所119サイト、センターハウスには売店、無料休憩所、大浴場のほか、周辺には泉質の異なる温泉が10ヵ所以上もあるので温泉のはしごもO.K.です。 〈八幡平オートキャンプパーク「アスピア」公式サイトより引用〉 八幡平オートキャンプパーク「アスピア」 〒018−5141 秋田県鹿角市八幡平字切留平15−1 TEL:0186−30−6555 FAX: パンフレット ※画像をクリックするとパンフレット(PDF)が開きます。 imageプラグインエラー ご指定のURLはサポートしていません。png, jpg, gif などの画像URLを指定してください。 ホームページ http //www.aspia.jp/ 〈ブログ〉 八幡平アスピアキャンプ場 http //blogs.yahoo.co.jp/kanaduka/60837956.html ツーリング東北編(八甲田〜) http //blogs.yahoo.co.jp/goat19661005/5345344.html 八幡平の紅葉最高です! http //blogs.yahoo.co.jp/ayumon2008/18530028.html 八幡平の頂上目差して・・・ http //blogs.yahoo.co.jp/ibuki_0215/16424197.html 八幡平のキャンプ…② http //blogs.yahoo.co.jp/yamaguchi370829/44253631.html 「家族でキャンプ!!」 http //blogs.yahoo.co.jp/yamayonomen/40096211.html 携帯サイト 最新のチラシ imageプラグインエラー ご指定のURLはサポートしていません。png, jpg, gif などの画像URLを指定してください。 ※画像をクリックするとチラシ(PDF)が開きます。 《周辺情報》 〈ブログ2〉 #blogsearch /
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写真 NO IMAGES 復元想像図 NO IMAGES 奉納年 天保2年(1831)2月 掲額者 (中西流)秋山源左衛門弊徳門人105名 緒元 縦82cm ×横182cm 問題数 1 奉納先住所 栃木県真岡市東郷937 奉納先名称 大前神社 別保管住所 別保管名称 文化財指定 真岡市指定文化財(昭和53年3月20日指定)有形民族 拝観時注意事項 図 額文 注 現代文等 問1 今有如図外円内容四斜及天径地径只云子卯差二十四寸又云丑寅差乗天径一百二十八寸別云地径四十寸問天径幾何 答1 答曰天円径八寸 術1 術曰又云乗地径名乾只云因地径内減又云名坤列乾六十九段満坤不満者八除之乗只云加乾以坤除之得天径合問依朒一九帰術編之依其数段数不同止一位得無不尽 常州真壁郡小栗八田中西流秋山源左衛門彝徳門人次第不同 野州芳賀郡下大和田村浅山広治 野州芳賀郡真岡町 松本作兵衛 野州都賀郡上石塚村 岸久司同 上野忠輔 同下大和田村 増山清右エ門 同小金井宿 大越半蔵同沖村 上野平馬 同 増山儀右エ門 同 大越七郎兵衛同西郷村 高樹亀右エ門 同 小坂久右エ門 同栃木町 押田弥次郎同菅谷村 水沼保蔵 同 浅沼祐右エ門 同 高山助八同八木岡村 篠崎弥三郎 同 上野勝右エ門 常州真壁郡石塔村 坂入藤八同上大田和村 木村利兵衛 同 山崎利左エ門 同 坂入豊松同飯貝村 大塚紋右エ門 同上大田和村 武田治右エ門 同 坂入藤兵衛同高山村 亀山唯七郎 同西郷村 小宅兵左エ門 同 榎田万蔵同 鈴木市郎左エ門 同 小宅林之助 同下谷貝村 岩見初次郎常州真壁郡下高田村 青木喜三太 同島村 日下田仁左エ門 同下館町 竹山源太郎同小栗村 鈴木松五郎 同反町 荒井栄三郎 同 板谷喜兵衛同 田宮清右エ門 同三谷村 松本宇八 同十里村 大木理兵衛同下谷貝村 市村五郎右エ門 同上高田新田 荒井仁右エ門 同 島田庄兵衛同古郷新町 清水元次郎 同物井村 松本繁治 奥州会津郡弥五島村 羽嘉児佐治野州芳賀郡真岡町 安達四郎左エ門 同 松本嘉六 武州江戸芝 田中数馬同 小宅寿三郎 同益子内町 菊地善助 常州鹿島郡東下村 佐藤権四郎同 水沼清右エ門 同 菊地助之亟 同国行方郡汐来町 関口平次郎同 福原金兵衛 同大道泉村 大足善左エ門 同国茨城郡安居村 持丸常治同 佐藤要吉 同粕田村 石川恵輔 同国新治郡坂村 折木忠左エ門同 井口周助 野州河内郡東木之代村大木芳蔵 同府中 酒井長左エ門同 豊田庄兵衛 同 加藤権右エ門 同 高木善蔵同 柳田源兵衛 同 石崎音蔵 同高浜村 今泉忠兵衛同 原村勝右え門 同西刑部村 小栗昌元 同 今泉忠五郎同 飯田喜助 同 野沢米吉 同国信太郡奥原村 冨山清輔同 猪瀬与四郎 同 伊沢儀左エ門 奥州白川郡塚本村 高坂善右エ門同 市村治兵衛 同 田崎祐司 同国田村郡落合村 大河内臨右エ門同 横田保蔵 同 粕谷松次郎 越後州蒲原郡月岡村 渋谷留平太同 久保六兵衛 野州都賀郡鹿沼町 鈴木松亭 同下中条村 吉田与四兵エ同 久保安兵衛 同 鈴木善兵衛 総州結城郡中村 関根儀助同 吉田平七 同 福田弥九郎 同国豊田郡下栗村 平石治部之輔同 森田治兵衛 同 鈴木文平 同柿岡村 小野平右エ門同 吉田平兵衛 野州河内郡宇都宮 人見五兵衛 常州筑波郡髙道祖村 笠島喜満太同 柴田弥兵衛 同都賀郡金崎宿 五十嵐圭祐 同国真壁郡桐ケ瀬村 斉藤元治同 渡辺元兵衛 同石橋宿 伊沢内之亟 同鎌田村 箱森善輔 天保二年歳在辛卯二月吉辰 下毛州真岡 安達 元 書之 額文は「栃木の算額」による。 名前 コメント
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内容親愛 嫌悪 一覧表ア行 カ行 サ行 タ行 ハ行 マ~ヤ行 ラ行 いにしえ武将 内容 各々の武将には、『演義』か『正史』に基づいた人間関係が設定されている。親愛・嫌悪の二種類があり、親愛の場合はボーナスが、嫌悪の場合はペナルティがある。 親愛 複数の部隊の主将の間に親愛設定があると、30%の確率で支援攻撃が発生する(副将では関係なし)。 一つの部隊の主将に対し、副将が親愛設定を持っていると、副将の能力値補正が高まる。クリティカル発生率も底上げされる。 武将が君主に対し親愛設定を持っていると、その武将は必ずその君主に登用される。また、その状態では絶対に他の君主に登用されない(義兄弟・配偶者からの登用は除く)。 登用対象武将が所属なし(在野or亡国捕虜)or忠誠が忠誠+義理≦96以下の場合、その武将に親愛設定を持たれている武将での登用が必ず成功する。軍師の成否判定が×であっても成功する。 ただし登用対象武将が以下の状態の場合は登用不可。君主に対し義兄弟or婚姻or親愛の関係を持つ 同じ勢力内に義兄弟or婚姻関係を結んでいる武将がいる 未発見登用失敗・逃亡・下野等による登用禁止期間を過ぎていない 嫌悪 一つの部隊に嫌悪設定を持っている人物同士が入る(副将同士の場合も含む)と、全ての能力で副将の能力値補正が発生しない。一騎討ちでも助けに来ない。自身のみならずもう1人の副将の補正も発生しなくなる。もう1人が義兄弟・配偶者だろうともそれよりも優先される。(例として、主将:呂布+副将:貂蝉&陳登、主将:劉備+副将:関羽&糜芳はいずれも補正が全く発生しない) 義兄弟・配偶者関係の仲介が成立しなくなる。 武将が君主に対し嫌悪設定を持っていると、その武将は絶対にその君主に登用されない義兄弟・配偶者からの登用は除くが、登用できても初期忠誠度が60~70台と非常に低くなる。 COM君主が武将に対し嫌悪設定を持っているor持たれていると、その君主はその武将を捕虜にすると必ず処断する。 君主が別の君主に嫌悪設定を持たれている場合、その君主との関係が以下の通りとなる。相性に関係なく友好度が非常に上がり辛くなる 特技「論客」が無ければその君主と同盟を締結できない(停戦は可) 一覧表 ア行 ア行を編集 相性 武将名 親愛 武将名 解説 嫌悪 62 阿会喃 金環三結 孟獲配下の三洞元帥。南蛮三馬鹿トリオ。 董荼那 131 韋昭 華覈 親友。共に『呉書』の編纂を担当。後に韋昭が投獄されると助命嘆願をしている。 77 伊籍 劉備 劉表配下時代から親交を結び、劉表死後、劉備に従っている。演義では凶馬・的盧の事や蔡瑁による劉備暗殺計画を教える等、何かと劉備を手助けする。 馬謖 伊籍から推挙された。 馬良 72 尹賞 姜維 一緒に蜀に投降する。 梁緒 38 尹大目 文欽 友人。反司馬一族反乱の際、説得を試みるも失敗する。 22 于禁 龐徳 不仲。対関羽戦の際、共に捕えられる。龐徳は忠義を貫いて斬られるが于禁は降伏して助命されている。 31 衛瓘 鄧艾 衛瓘は鍾会に従い鄧艾を逮捕する。鍾会の死後、解放された鄧艾に復讐されることを恐れて殺害する。 50 閻宇 黄皓 結託。黄皓は姜維と閻宇を交代させようとした。 姜維 140 袁術 袁紹 対立。袁紹は劉虞の擁立を計画するが袁術はこれに強く反対している。 曹操 対立していた袁紹の同盟相手であり、何度も曹操への攻撃を行うが大敗している。 101 袁尚 袁紹 親子。生まれつき美貌で武勇に優れていた為、両親から寵愛される。 劉氏 袁譚 兄弟。後継の座を巡って骨肉の争い。 曹操 降伏を拒否される。 101 袁紹 袁尚 親子。生まれつき美貌で武勇に優れていた為、寵愛した。 袁術 対立。袁紹は劉虞の擁立を計画するが、袁術はこれに強く反対している。 董卓 反董卓連合盟主。一族を見せしめに殺されている。 86 袁譚 袁尚 兄弟。後継の座を巡って骨肉の争い。 21 王異 龐娥 涼州出身の烈婦同士。戦う主婦。 馬超 敵対。息子・趙月や夫・趙昂の上司である韋康を殺害される。 20 王経 崔林 見出される。 30 王粲 曹植 友人。『王仲宣誄』は曹植の誄銘の中でも特に心情が溢れた名作と評される。 陳琳 建安七子。 32 王祥 呂虔 徐州の内政を任せられた。 33 王昶 王凌 兄の様に慕って仕えた。 郭奕 友人。 123 王惇 孫綝 孫綝を誅殺しようとしたが事前に発覚、逆に殺害される。 69 王平 徐晃 漢中攻防戦の際、仲違いをして殺されかけた為、劉備に投降する。 76 王甫 関羽 関羽・関平父子の首級を見た際、その後を追って櫓から身を投げて自殺する。 趙累 趙累を忠義の士と評価、彼に荊州を守らせるよう進言した。 34 王凌 王昶 兄の様に慕われた。 賈逵 友人。 司馬朗 57 王累 劉備 劉備を益州に招こうとしていた劉璋に猛反対。聞き入れられずに自決する。 23 温恢 蒋済 温恢を良く補佐して揚州を再建している。 カ行 カ行を編集 相性 武将名 親愛 武将名 解説 嫌悪 36 何晏 曹爽 友人。曹爽が政権を握ると要職に任命され一躍、政権の中枢に躍り出る。 131 華覈 韋昭 親友。共に『呉書』の編纂を担当。後に韋昭が投獄されると助命嘆願をしている。 29 賈逵 王凌 友人。 司馬朗 20 賈詡 張繍 参謀。曹操の張繍討伐時には賈詡の献策で曹操軍の曹昂・典韋を死に至らしめた。 27 郭奕 王昶 友人。しかし王昶は自分の子供に郭奕(度量の狭いところがあった)の様な態度はいけないと言っている。 25 郭嘉 曹操 参謀。数々の助言を行った。赤壁の敗戦の際、曹操は「奉孝が生きていれば敗北することはなかった」と述べている。 荀彧 軍師仲間。戯志才の後継者として郭嘉を推挙した。 程昱 軍師仲間。演義で程昱から推挙された。 劉曄 軍師仲間。演義で劉曄を推挙している。 67 霍峻 孟達 演義で孟達から推挙される。その後、共に葭萌関を守備する。 23 楽進 張遼 共に合肥を守備している。元来、不仲だったが私怨を捨てて協力、孫権の大軍を撃退している。 李典 23 楽綝 張虎 演義ではペアで描かれる。 111 郭図 高覧 烏巣の守備を巡って意見が対立。その後、責任追及を恐れて張郃らのことを讒言、張郃は止むを得ず曹操へ降伏している。 張郃 審配 不仲。袁尚を担いだ審配と対立。 20 郭淮 夏侯淵 漢中で夏侯淵の参謀を務める。 曹真 諸葛亮の北伐開始後、曹真が推挙して副都督になる。 25 夏侯淵 郭淮 漢中で夏侯淵の参謀を務める。 夏侯惇 親族。旗揚げ当時から戦ってきた強い絆。 曹洪 曹仁 曹操 20 夏侯玄 毌丘倹 反司馬一族。 諸葛誕 曹爽 張緝 李豊 24 夏侯尚 桓階 親友。 孟達 曹丕 大いに気に入られた。 25 夏侯惇 夏侯淵 親族。旗揚げ当時から戦ってきた強い絆。 曹洪 曹仁 曹操 田疇 友人。 23 夏侯覇 姜維 共に北伐に参加。『演義』では姜維を庇って戦死。 曹爽 反司馬一族 夏侯氏 劉禅の皇后は張飛の娘で、その母親(張飛の妻)が夏侯覇の族妹であったことから手厚くもてなされた。 19 夏侯楙 曹丕 仲が良かった。 31 賈充 司馬炎 腹心。 司馬昭 裴秀 司馬炎が皇帝となる際、協力。 90 何進 張譲 十常侍筆頭として、権力闘争に走る。 蹇碩 60 花鬘 関索 京劇での関索の嫁。 鮑三娘 「花関索伝」で関索の嫁。 王悦 「花関索伝」で関索の側室。 王桃 75 関彝 龐会 龐会は父・龐徳の仇として関羽一族をつけ狙っていた。 75 関羽 周倉 対呉荊州戦の際、王甫と共に麦城を守備するも関羽親子の首を見て自害する。 趙累 対呉荊州戦の際、脱出を図る関羽に従うも呉軍の伏兵に遭い戦死。 張遼 呂布配下の頃から親交があり、呂布が敗れた際には曹操に張遼は用いる様に取り成している。 徐晃 出身地が同じだったため、親交を結んでいた。決戦の前にも言葉を交わした。 董卓 反董卓連合の一員として。 糜芳 普段から関羽とは不和で、対呉荊州戦の際呉と通じ無抵抗で降伏する。 傅士仁 呂布 ライバル関係。 7 桓階 夏侯尚 親友。 孟達 39 毌丘倹 夏侯玄 反司馬一族。 諸葛誕 曹爽 曹叡 太子時代からの付き合い。 27 韓浩 黄忠 『演義』では兄である韓玄の敵と思い込む。 75 関興 張苞 演義で義兄弟となりコンビを組んで活躍。 75 関索 花鬘 京劇で関索の嫁。 鮑三娘 「花関索伝」で関索の嫁。 王桃 「花関索伝」で関索の側室。 王悦 関銀屏 実の妹。共に民間伝承を出典とする。 48 韓遂 樊稠 同郷。その誼で見逃してもらった。 127 闞沢 黄蓋 苦肉の計で降伏の文書を届ける。 孫和 教育係を務める。 陸遜 大都督に推挙する。 126 韓当 黄蓋 共に孫家三代に仕える。 程普 孫堅 旗揚げ以来の君主。 129 甘寧 蘇飛 呉に逃亡するための便宜をはかってくれた。後に自分の命をかけて蘇飛の助命嘆願をする。 凌統 凌統からすれば父・凌操の仇になるが合肥の戦いで甘寧が救援して和解する。 黄祖 賊だったからと重用してもらえず。 75 関平 周倉 共に関羽を補佐し荊州を守備した。関帝廟では、二人が関羽の左右を守護する姿が見られる。 趙累 廖化 劉封 義父同士が義兄弟・『演義』では養子繋がりもあって、入蜀前は共に行動することが多い。 関寧 実の兄。 73 簡雍 秦宓 益州攻略時に意気投合。 孫乾 劉備放浪時から良く支えた文官メンバー。 糜竺 102 顔良 文醜 袁紹軍きっての猛将コンビ。 80 魏延 陳式 漢中攻防戦で一緒に軍令無視。陳式は諸葛亮に斬られる。 諸葛亮 劉備に仕える時に「こいつは裏切るから殺せ」と言われた。北伐で長安奇襲を提案するが却下される。 楊儀 普段から仲が悪かった。諸葛亮死後 楊儀「『わしを殺せるものがおるか』と三度叫ぶことができたら漢中を譲ってやる」→ 魏延叫ぶ→馬岱に斬られる(演義) 147 魏続 侯成 呂布軍三馬鹿トリオ。呂布が曹操に攻められて下邳城に追い詰められたときに共謀して呂布を裏切り、曹操軍を城内に招き入れた。 宋憲 37 魏諷 鍾繇 若くして鍾繇に推挙される。 27 牛金 曹仁 副将を務める。包囲されたところを曹仁に助けられる。 73 姜維 尹賞 梁虔と四人で蜀に投降した。 梁緒 夏侯覇 魏の降将同士、共に北伐に参加。 鄧芝 姜維の才能を買っていた。 傅僉 北伐に従う。気に入られた。 閻宇 黄皓と結託して姜維の追放を画策した。 黄皓 姜維を追放して代わりに閻宇を立てようと画策した。 譙周 姜維が北伐を再開したとき、その無謀さを諌めるために『仇国論』を書いた。 74 龔都 劉辟 黄巾賊残党コンビ。汝南で共に暴れまくった。 25 許褚 曹操 護衛を務め、何度も曹操を助けた。 典韋 典韋が亡くなると跡を継いで曹操の護衛になる。 許攸 傲岸不遜な態度を取るので殺した。 21 許攸 審配 許攸の家族が法を犯したとして審配に逮捕されてしまう。 62 金環三結 阿会喃 南蛮三馬鹿トリオ。 董荼那 122 虞翻 傅士仁 呉軍による関羽の守る荊州攻略戦にて傅士仁に呉への投降を持ちかけた。 龐統 友人。 陸績 69 厳顔 黄忠 老人コンビ。 張飛 入蜀する劉備軍に抵抗し、張飛と一騎討ちを行うが捕縛。その後は張飛に恭順し、厳顔の功により益州攻略が楽に進む。 121 厳畯 諸葛瑾 若い頃から親友の仲。 張承 歩隲 127 黄蓋 韓当 孫堅下邳時代からのメンバー。 孫堅 程普 75 黄月英 諸葛亮 夫婦。 50 黄皓 閻宇 閻宇は黄皓に取り入り、姜維から任地を取り上げようとした。 劉禅 寵愛される。 姜維 姜維を追放して閻宇を立てようと画策した。 144 高順 張遼 共に呂布を支える。 呂布 呂布と共に捕らえられた際には一切の抵抗、命乞いをせず呂布に殉じた。 陳宮 反乱を起こした郝萌を高順が即座に鎮圧。その際、袁術と共に陳宮が裏で糸を引いていたことから以来仲が悪くなる。 147 侯成 魏続 呂布軍三馬鹿トリオ。呂布が曹操に攻められて下邳城に追い詰められたときに共謀して呂布を裏切り、曹操軍を城内に招き入れた。 宋憲 45 黄祖 劉表 忠誠を誓う主君。 甘寧 元賊だからと重用せず。 禰衡 馬鹿にされたため殺した。 65 公孫瓚 劉備 廬植の下で共に勉学を学んだ弟弟子。 盧植 学問の師。 劉虞 烏丸・鮮卑族を巡って対立。 72 黄忠 厳顔 老人コンビ。 法正 定軍山では協力して魏の夏侯淵を討った。 劉磐 劉表配下時代に共に長沙を守備。後に推挙され共に劉備に仕える。 53 高沛 楊懐 白水関、涪水関(演義)を共に守備した。 43 孔融 楊修 絶賛した。 禰衡 高く評価した。 27 高覧 張郃 官渡の戦いの際、共に曹操に投降。 郭図 烏巣の件で意見が対立し、ハメられて止む無く曹操へ投降する。 125 呉国太 孫尚香 孫権が妹の孫尚香を劉備に嫁がせて劉備を利用または謀殺しようと図ったのに際し、呉国太は劉備を気に入り嫁入りの手助けをした。 劉備 19 呉質 司馬懿 朱鑠と共に太子時代から曹丕を補佐した。 曹丕 陳羣 120 顧譚 諸葛恪 皇太子である孫登の側近となった。 孫登 張休 陳表 120 顧雍 張紘 演義では張紘の推挙で孫権に仕えている。 59 呉蘭 雷銅 演義では共に劉備に降伏した。 サ行 サ行を編集 相性 武将名 親愛 武将名 解説 嫌悪 20 崔琰 司馬朗 仲が良く、司馬朗の弟、司馬懿の才能を高く評価した。 36 蔡氏 劉琮 母子。異母兄・劉琦を排除して劉琮を擁立しようとした。 劉琦 劉琮を擁立するために排除しようとした。 劉備 劉琦の支持者であったため。 36 蔡瑁 張允 親族。劉琮を後継者にするために共謀した。 劉琮 甥。彼を後継者にするために暗躍した。 劉琦 劉琮を擁立するために排除しようとした。 劉備 劉琦の支持者であったため。 22 崔林 王経 平民の中から抜擢して民政を委ねた。 31 司馬懿 呉質 朱鑠と共に太子時代から曹丕を補佐した。 曹丕 陳羣 曹叡 信頼された。 張郃 共に蜀の北伐軍と戦う。 31 司馬炎 賈充 腹心。 諸葛靚 幼なじみ。 文鴦 疎まれていた。 31 司馬師 司馬昭 共に父に協力。亡くなる際は後継者に指名した。 徐質 剛勇振りを買っていた。 陳泰 司馬師・昭兄弟とは特に親しかった。 31 司馬昭 司馬師 共に父に協力。実兄の司馬師に後継者に指名された。 陳泰 司馬師・昭兄弟とは特に親しかった。 24 司馬孚 曹髦 曹髦が暗殺された時、その遺体に取りすがって号泣した。 20 司馬朗 王凌 仲が良かった。 賈逵 崔琰 128 朱異 文欽 仲が悪く、常に疎まれていたらしい。 75 周倉 関羽 関羽親子の首を見せられた際、城壁から飛び降りて自害した。 関平 裴元紹 関羽に仕える以前は共に山賊をしていた。 126 周泰 蒋欽 親友の間柄。 孫権 孫権が宣城を攻めたとき、山越の反乱軍に襲われるが身を挺して孫権を護った。 125 周瑜 小喬 夫婦。赤壁の戦いで曹操が大喬と小喬をはべらせたいことを聞いた周瑜は怒り、戦いを決意したとされている。 孫策 「断金」と呼ばれるほどの固い絆。 程普 折り合いが悪かったが周瑜はあくまで膝を屈してへりくだり続けたので、その謙譲さに程普も感服し、尊重するようになった。 呂蒙 甘寧が孫権軍に身を寄せた時、周瑜・呂蒙が連名で推薦した。 魯粛 周瑜が魯粛に軍糧提供を求めると彼は持っている二つの倉の内の片方をまるまる与えた。周瑜の臨終に際し、遺言で後継者として選ばれた。 諸葛亮 『演義』では諸葛亮に翻弄され続け、臨終の際には諸葛亮からの挑発的な書状を読み、「天はこの世に周瑜を生みながら、なぜ諸葛亮をも生んだのだ!」と血を吐いて憤死してしまう。 60 祝融 孟獲 夫である孟獲と共に蜀軍と対峙する。 126 朱然 孫権 孫権とは机を並べて勉学に励んだ学友であり、厚い信頼関係があった。 22 荀彧 郭嘉 軍師仲間。曹操に推挙した。 鍾繇 同郷であった鍾繇を推薦した。 曹操 荀彧を迎えた曹操は「我が子房(張良のこと)が来た」と喜んだ。 程昱 軍師仲間。演義で曹操に推挙した。 31 荀顗 鍾毓 親友。 陳泰 娘が陳泰に嫁いでいる。 傅嘏 何晏らに憎まれていた傅嘏を救った。 22 荀攸 鍾繇 親友。自分の奇策集の編集を託した。 22 鍾毓 荀顗 親友。 陳泰 傅嘏 20 鍾会 蒋斌 友人として接した。 鄧艾 蜀を討伐した鄧艾の功績を妬み讒言した。 125 小喬 周瑜 夫婦。赤壁の戦いで曹操が大喬と小喬をはべらせたいことを聞いた周瑜は怒り、戦いを決意したとされている。 孫尚香 義妹。 大喬 実姉。 126 蒋欽 周泰 親友の間柄。 32 蒋済 温恢 温恢の補佐に抜擢された。 66 譙周 姜維 北伐を再開したとき、その無謀さを諌めるために『仇国論』を書いた。 諸葛亮 北伐の批判者として? 135 蒋斌 鍾会 友人として遇された。 22 鍾繇 魏諷 推挙した。 荀彧 同郷であった荀彧に推薦された。 荀攸 仲が良かった。亡くなった荀攸の家族の面倒を見た。 張既 長安方面の統治や治安など、内政面において張既と共に功績を挙げた。 79 向朗 馬謖 北伐の失敗の後に、馬謖が逃亡したのを見逃した。 121 諸葛恪 顧譚 皇太子である孫登の側近となった。 孫登 張休 陳表 孫峻 孫峻らのクーデターにより殺された。 滕胤 演義では不仲となっている。 121 諸葛瑾 厳畯 親友。 張承 歩隲 魯粛 魯粛に推挙され孫権に仕えた。 75 諸葛尚 諸葛亮 偉大な祖父。 135 諸葛誕 夏侯玄 反司馬一族。 毌丘倹 曹爽 張緝 李豊 文欽 魏に居た頃から仲が悪く、最終的には諸葛誕に殺されてしまう。 75 諸葛亮 黄月英 夫婦。天文から地理・兵法と広く学問に通じ、諸葛亮を陰で支えた。 趙雲 全幅の信頼を寄せる。趙雲が亡くなった時、諸葛亮は「趙雲の死は国家の棟木が落ちたようなもの。片腕を失った」と悲しんだ。 馬謖 才能を諸葛亮に高く評価された。 馬良 諸葛亮と義兄弟の契りを結んでいたと言われている。 劉備 水魚の交わりの故事で知られ、臨終では国家そのものを委ねた。 魏延 劉備に仕える際、諸葛亮から「反骨の相」(*1)があるから斬れと言われた。 譙周 北伐を批判したため? 陳式 命令無視をして大敗したため、諸葛亮の怒りを買って処刑された。 廖立 閑職であることに不満を漏らし、これに怒った諸葛亮に庶民に落とされた。 23 徐晃 関羽 出身地が同じだったため、親交を結んでいた。決戦の前にも言葉を交わした。 王平 漢中遠征の際、徐晃の副将だったが劉備に寝返った。 125 徐氏 孫翊 夫婦。孫翊が暗殺された時、敵を討った。 23 徐質 司馬師 剛勇振りを買われていた。 75 徐庶 劉備 劉備に諸葛亮を推薦する。『演義』では、曹操のために献策はしないという誓いを立て、劉備の下を去った。 石韜 学友。 孟建 124 徐盛 丁奉 徐盛と共に諸葛亮を殺害するように命じられる。 37 申儀 孟達 魏を裏切る際、仲の悪かった申儀に密告された。 114 岑昏 孫皓 共に残虐な行為を行ったとされる。 25 甄氏 曹植 曹植作「洛神の賦」は、曹丕の皇后である甄氏への恋慕から作ったという説がある。 郭氏 『魏略』『漢晋春秋』には、甄氏の死は郭氏の差し金によるものとなっている。 37 申耽 孟達 演義では魏を裏切ろうとした孟達を殺している。 101 審配 袁紹 最期まで袁氏に殉じた。 逢紀 袁紹が寵愛した三男・袁尚を逢紀と共に擁立した。 郭図 後継者を巡って対立した。 辛評 許攸 許攸の家族が法を犯したとして逮捕した。 田豊 対曹操の戦略方針を巡って対立した。 85 辛評 審配 後継者を巡って対立し、曹操についた弟・辛毘への見せしめとして家族と共に殺される。 66 秦宓 簡雍 仲が良かった。 32 石苞 鄧艾 仲が良かった。 128 全琮 孫魯班 後に夫婦となる。 孫和 二宮の変の際は孫覇派であったことから。 26 曹宇 曹叡 甥・曹叡とは皇太子時代から親友の仲。 25 曹叡 司馬懿 全面的な信頼を寄せた。 甄氏 母子。即位後に母の名誉を回復して皇后とした。 曹宇 皇太子時代から親友の仲。曹芳を補佐させようとした。 曹植 叔父。曹植の没後はその名誉を回復させ作品を集めさせた。 何晏 重用しなかった。 諸葛誕 嫌っていた。 147 宋憲 魏続 呂布軍三馬鹿トリオ。呂布が曹操に攻められて下邳城に追い詰められたときに共謀して呂布を裏切り、曹操軍を城内に招き入れた。 侯成 25 曹昂 典韋 共に命を賭けて父・曹操を助けた。 24 曹洪 夏侯淵 親族。旗揚げ当時から戦ってきた強い絆。四天王。 夏侯惇 曹仁 25 曹彰 曹植 兄とは正反対の、仲の良い兄弟。 25 曹植 王粲 詩人である曹植とは親交が深く、「王仲宣誄」は曹植の誄銘の中でも特に心情が溢れた名作と評される。 甄氏 曹植作「洛神の賦」は、曹丕の皇后である甄氏への恋慕から作ったという説がある。 曹叡 甥。晩年の曹植は病に侵され、明帝が心配して食事を勧めるほど痩せていた。 曹彰 兄とは正反対の、仲の良い兄弟。 陳琳 手紙のやり取りをしていた。自分の作品の評価を仰いだ。 曹丕 後継者争いを繰り広げた。 26 曹真 郭淮 曹真が推挙して副都督になる。 25 曹仁 夏侯淵 親族。旗揚げ当時から戦ってきた強い絆。四天王。 夏侯惇 曹洪 牛金 副将。共に荊州を守備し、窮地を命がけで救った。 25 曹操 郭嘉 正史・演義共に郭嘉を重用している。 夏侯淵 譜代の重臣。 夏侯惇 荀彧 魏公就任前まではいたって仲も良好であった。 典韋 初代護衛隊長。張繍との宛の戦いで曹操を守りきり戦死。 孔融 「不仁(曹操)は至仁(劉備)に敵わない」と漏らしたのが曹操にばれ、殺される。 朱霊 何故か朱霊は曹操に嫌われている。 董卓 反董卓連合。 楊修 「鶏肋」の故事の当事者。後継者争いへの介入などから曹操の怒りを買い殺される。 左慈 様々な仙術で曹操を愚弄した。 19 曹爽 夏侯玄 反司馬一族。 夏侯覇 毌丘倹 諸葛誕 司馬懿 司馬懿を名誉職に追いやって権力の独占を画策したが司馬懿がクーデターを起こし降伏。最後は三族皆殺しの刑に処せられた。 17 臧覇 孫観 呂布配下時代からの付き合い。呂布滅亡後は共に曹操に降伏する。 26 曹丕 夏侯尚 身分を超えた友人関係。 呉質 四友の一人。 司馬懿 陳羣 孟達 重用する。 王忠 飢えのために人肉を食べたことを嫌い、嘲笑した。 何晏 幼少の頃から毛嫌いしていた。 曹洪 お金のことでもめる。 曹植 後継者争い。 24 曹髦 曹操 曹操の生まれかわりだと言われた。 129 蘇飛 甘寧 呉に逃亡するための手助けをした。後に甘寧は命をかけて蘇飛の助命嘆願をする。 127 祖茂 孫堅 孫堅が董卓軍に大敗して逃走した際に孫堅の赤い頭巾を被って囮となり、孫堅は助かった。 125 孫和 闞沢 闞沢は孫和の教育係を務めている。 孫登 兄・孫登とは仲が良く、死の床についた孫登が父親である孫権に当てた遺書で孫和を推挙している。 孫魯班 異母姉・孫魯班に讒言されて、太子を廃されてしまう。 27 孫観 臧覇 呂布配下時代からの付き合い。呂布滅亡後は共に曹操に降伏する。 125 孫休 張布 張布らと共に孫綝を誅殺した。 濮陽興 即位すると丞相に任命している。 孫綝 専横が過ぎたため、誅殺した。 126 孫堅 韓当 下邳時代からの配下。 黄蓋 程普 董卓 反董卓連合。 76 孫乾 簡雍 劉備放浪時から良く支えた文官陣。 糜竺 125 孫権 周泰 孫権を守るために刻まれた傷の由来を語らせ、「私が今在るのは周泰のおかげだ」と涙を流して感謝した。 朱然 孫権とは机を並べて勉学に励んだ学友であり、厚い信頼関係があった。 張昭 厳格な態度が理由で孫権に煙たがられた。 114 孫皓 岑昏 寵臣。 韋昭 孫皓の意に沿わぬ言動が重なったため処刑された。 歩闡 反乱を起こしたが失敗。一族もろとも処刑された。 留平 孫皓は宴会の時に留平の酒に毒を入れた。 楼玄 孫皓を諌めてその怒りを買った為、左遷された。 126 孫皎 孫策 敬愛する族兄。 125 孫策 周瑜 「断金」と呼ばれるほどの固い絆。 孫尚香 実妹。 大喬 夫婦。 太史慈 彼と一騎討ちしてその武勇を認めていた。 劉勳 劉勲に対し計略を仕掛けて居城を空けさせて、旧袁術軍を手に入れた。 于吉 演義では于吉の霊により呪い殺されている。 125 孫氏 陸遜 政略結婚で夫婦となった。 130 孫秀 孫皓 皇帝であった孫皓に疑われて殺されかける。 115 孫峻 孫魯班 密通していた。 文欽 毌丘倹・文欽の乱に呼応。その後敗北した文欽と合流した。 諸葛恪 クーデターを起こして殺害した。 125 孫尚香 呉国太 母が危篤との偽報を聞かせられると呉に帰国した。 小喬 義姉。 大喬 孫策 実兄。 劉備 演義では両人の仲は良好なものであった。 7 孫綝 王惇 孫綝を誅殺しようとしたが失敗。殺される。 滕胤 呂拠 朱異 諸葛誕が反乱を起こしたとき、朱異を援軍として差し向けたが、敗れて戻ってきたので怒って朱異を殺害している。 125 孫登 顧譚 皇太子である孫登の側近となった。 諸葛恪 張休 陳表 孫和 自分が亡くなる際、孫和を皇太子として取り立てるように遺書を残した。 125 孫翊 徐氏 夫婦。後に孫翊は暗殺されるが、徐氏は敵を討つ。 孫策 孫策に似て武勇に優れ、剛毅果断であった。 125 孫亮 孫魯班 孫魯班らと謀り、孫綝を除こうとした。 125 孫魯班 孫峻 密通していた。 孫亮 後ろ盾となる。 孫和 孫魯班に讒言されて、太子を廃されてしまう。 タ行 タ行を編集 相性 武将名 親愛 武将名 解説 嫌悪 125 大喬 小喬 妹 孫策 夫婦 孫尚香 義妹 124 太史慈 孫策 故郷の青州に帰らず孫家への忠義を選ぶ。孫策から武勇を認められていた。 36 張允 蔡氏 共謀して劉琮を跡継ぎに立てた。 蔡瑁 75 趙雲 諸葛亮 諸葛亮から全幅の信頼を寄せられる。『趙雲別伝』によれば、諸葛亮は趙雲の功績を喜び、絹を与えようとした。 陳到 陳到は趙雲に次ぐ名将として高い評価を受けている。 馬雲騄 架空戦記『超三国志』で登場。夫婦となる。 文鴦 活躍が趙雲に比せられた。 劉備 忠義を尽くす。子龍は一身これ胆なりと賞賛される。 31 張華 陳寿 推挙する。 21 張既 夏侯淵 共に長安を守備する。 鍾繇 120 張休 顧譚 皇太子である孫登の側近となった。 諸葛恪 孫登 陳表 23 張虎 楽綝 演義ではペアで描かれる。共に合肥を守備した張遼と楽進の子。 122 張紘 顧雍 演義では張紘の推挙で孫権に仕えている。 孫策 孫策が独立すべく挙兵したとき、その参謀として活躍している。 27 張郃 高覧 郭図に讒言されて共に曹操に降った。 司馬懿 とても信頼されており共に蜀と戦った。 郭図 官渡の戦いの敗北の後、讒言されて曹操の元へ走る。 148 張繍 賈詡 軍師。曹操を窮地に陥らせた。 20 張緝 夏侯玄 反司馬一族。 毌丘倹 諸葛誕 曹爽 李豊 120 張昭 孫策 徐州で隠遁していたが、孫策の将来性を買い孫家に仕える。 歩隲 張昭の一族の推挙を巡り、対立した。 72 張松 法正 友人。劉備に内通した仲間。 孟達 楊修 曹操の配下の中で、唯一才能を評価しあった。 劉備 劉璋の家臣でありながら、彼から蜀を奪うように進言。 124 張承 厳畯 正史に友人と書かれている。 諸葛瑾 歩隲 魯淑 後継者として抜擢した。 56 張任 劉備 「蜀の老臣二君に仕えず!」 145 貂蝉 呂布 連環の計で近づく。 100 張邈 袁紹 敵対し、暗殺されそうになる。なのに親愛、真性のMである。 陳宮 共謀して曹操に造反する。 75 張飛 厳顔 蜀侵攻戦で説得。 龐統 大酒飲み仲間。 雷銅 部下。 夏侯氏 嫁。 関銀屏 名づけ子。 曹操 長坂坡の戦いでは一騎で曹操軍を退けた。 董卓 逆賊扱い。 劉巴 身分の差で毛嫌いされていた。 呂布 自らの失態で、徐州を奪われる。 113 張布 孫休 後事を託される。 濮陽興 共謀して孫皓を擁立する。 75 張苞 関興 演義で義兄弟となりコンビを組んで活躍。 23 張遼 楽進 共に合肥を守備して孫権を退けた。 関羽 説得して曹操幕下に迎え入れた。後に関羽が劉備の元へと戻る際にも協力(演義)。 高順 呂布幕下のニ将。 李典 共に合肥を守備して孫権を退けた。 呂布 旧主 74 趙累 王甫 協力して荊州防衛に当たる。 関羽 関平 15 張魯 劉璋 生母と弟を殺される。 12 陳応 鮑隆 桂陽の迷コンビ。 143 陳宮 張邈 共謀して曹操に造反した。 呂布 呂布軍参謀として尽くした。 高順 反乱を起こした郝萌を即座に鎮圧した際、袁術と共に陳宮が裏で糸を引いていたことから以来仲が悪くなる。 29 陳矯 陳登 共に、孫策の北進を防いでいる。 袁術 出仕を拒否している。 孫策 28 陳羣 呉質 曹丕の太子時代からの友人。 曹丕 曹丕の太子時代から仲が良かった。 司馬懿 曹丕の太子時代からの友人で、曹丕の死の直前、ともに曹叡の補佐を託された。 79 陳珪 劉備 演義では親劉備。 呂布 裏切る。 50 陳寿 張華 史官として抜擢してくれた恩人。 81 陳式 魏延 魏延の副将。 諸葛亮 軍律違反をして処刑される。 28 陳泰 司馬師 陳氏は代々司馬氏と親しかった。 司馬昭 鄧艾 知識と計略案に心服して「忘年の交わり」を結ぶ。 鍾毓 同世代の友人。 傅嘏 79 陳登 陳矯 共に孫策の北進を防いだ。 劉備 演義では親劉備。 呂布 裏切る。 72 陳到 趙雲 趙雲の副将。 124 陳表 顧譚 孫登の四友。 諸葛恪 孫登 張休 142 陳蘭 雷薄 僚友。袁術に愛想をつかして共に出奔する。 37 陳琳 王粲 建安期の詩人仲間。 曹植 24 程昱 郭嘉 曹操の参謀仲間。 荀彧 22 丁儀 曹植 後継者争いでは曹植派。 88 丁原 董卓 董卓の少帝廃立に異議を唱える。これに対応すべく、董卓は彼の養子の呂布を寝返らせた(演義)。 126 程普 韓当 孫堅の臣。3代に渡り孫呉を支える。 黄蓋 周瑜 折り合いが悪かったが、能力を認め尊重するようになる。 孫堅 忠義を尽くす。 123 丁奉 徐盛 徐盛の副将。 25 典韋 夏侯惇 夏侯惇に推挙される。 許褚 一騎討ち後、許褚も曹操に仕えたので怪力仲間となる。 曹昂 共に宛城の戦いで曹操を逃がすために戦死。 曹操 主。宛城の戦いでは身を呈して曹操を守った。 42 田続 鄧艾 護送中に殺害される。 42 田疇 袁紹 出仕を拒否し、隠棲した。 公孫瓚 主君劉虞を殺される。 96 田豊 審配 方針を巡り、感情面にも対立した。 逢紀 たびたび讒言された。 31 田予 劉備 劉備の平原時代に仕えていた。 116 滕胤 諸葛恪 『演義』では政敵として暗殺に加担(正史では異なる)。 孫綝 政敵として排除を企てるが、返り討ちに。 78 董允 費禕 四相として公私ともに親しく、費禕の無警戒ぶりを憂慮したことも。 黄皓 董允存命中は黄皓に勝手な振る舞いをさせなかった。 41 鄧艾 州泰 同郷の出身。 石苞 同身分の出。 陳泰 「忘年の交わり」を結ぶ。 鍾会 蜀攻略一番手の手柄を妬まれる。 73 鄧芝 姜維 才能を高く評価した。 1 董卓 貂蝉 誘惑されて策にはめられる(演義)。 李儒 娘婿であり、腹心。 62 董荼那 阿会喃 南蛮三馬鹿トリオ。 金環三結 32 杜預 羊祜 尊敬する前任者。 ハ行 ハ行を編集 相性 武将名 親愛 武将名 解説 嫌悪 68 裴元紹 周倉 周倉の部下。演義ではそれを知らない趙雲に斬られる。 30 裴秀 賈充 共に曹奐に皇帝位を禅譲させる。曹髦と仲が良かったため後に不仲になるが・・・。 司馬炎 曹奐から皇帝位を禅譲させた。 70 馬雲騄 趙雲 架空戦記『超三国志』で登場。旦那になる。 馬岱 従兄弟 馬超 長兄 馬騰 父親 曹操 一族の仇 70 馬休 馬雲騄 妹 馬岱 従兄弟 馬超 長兄 馬騰 父親 曹操 仇敵。馬超の反乱に連座して処刑される(正史)。曹操暗殺計画が失敗、処刑される(演義)。 80 馬謖 伊籍 推薦される。 向朗 街亭の敗戦後、馬謖を庇う。 諸葛亮 才能を高く評価される。 70 馬岱 馬雲騄 親族 馬休 馬超 馬騰 曹操 仇。曹操暗殺計画が失敗して馬一族で唯一逃げ延びた(演義)。 70 馬超 馬雲騄 親族 馬休 馬鉄 馬岱 李恢 馬超「むむむ」 李恢「なにがむむむだ!」 曹操 仇敵。正史では反乱を起こしたために一族が処刑されている。 楊柏 張魯への讒言で殺意を抱く(演義)。 70 馬鉄 馬雲騄 妹 馬休 兄 馬岱 従兄弟 馬超 長兄 馬騰 父親 70 馬騰 馬雲騄 娘 馬休 息子 馬岱 甥 馬超 息子 馬鉄 息子 曹操 謀殺計画を練るが失敗、処刑される(演義)。 77 馬良 伊籍 推薦される。 諸葛亮 兄事。義兄弟の契りを結んでいたとも言われる。 116 万彧 孫皓 皇帝即位に尽力。 76 樊氏 趙雲 再婚を勧められる(演義)。樊氏が趙雲を好いていたかは不明。 149 樊稠 韓遂 同郷の友。 77 費禕 董允 ともに蜀の政治を支えた。 77 糜竺 簡雍 劉備放浪時代から支え続けた文官仲間。 孫乾 108 糜芳 傅士仁 関羽を裏切り呉に降伏する。 関羽 関羽は目下の者に厳しかったため、反感を持つ。 28 傅嘏 荀顗 友人。 鍾毓 陳泰 108 傅士仁 虞翻 親友とされる(演義)。 関羽 関羽は目下の者に厳しかったため、反感を持つ。 74 傅僉 姜維 取り立てられた。 38 文鴦 趙雲 武勇を趙雲と比せられた。反・三國志では時代を超えて共闘する。 38 文欽 尹大目 旧知の間柄。 孫峻 反乱の協力先。 朱異 仲が悪かった。 諸葛誕 102 文醜 顔良 袁紹配下の猛将コンビ。 65 龐会 関彝 父親の龐徳を殺した関羽の一族を恨む。 関羽 関興 関統 110 逢紀 審配 袁尚を共に支持するが仲が悪い。 田豊 官渡の戦い後袁紹は敗れて逃げ帰る際に「田豊がいればこんなことにはならなかったであろうに」と慨嘆したが、その後で逢紀から「田豊は敗北したことで自分の予想通りだと笑っております」と讒言を受けて、田豊を処刑している。 75 鮑三娘 花鬘 恋のさや当て相手。 関索 京劇「花関索伝」での夫婦。 22 鮑信 曹操 最初期の曹操の盟友・理解者。 72 法正 黄忠 定軍山で共闘して魏軍を撃破。 張松 共謀して劉備の入蜀を計画する。 孟達 劉備 自身の真の主君として評価。 73 龐統 虞翻 呉逗留時の友人。 張飛 酒飲み仲間。 陸績 呉逗留時の友人。 12 鮑隆 陳応 猛将コンビ。 113 濮陽興 孫休 後事を託される。 張布 共謀して孫皓を擁立する。 121 歩隲 厳畯 古くからの学友。 諸葛瑾 張承 張昭 張奮の推挙をめぐる揉め事で対立する。 マ~ヤ行 マ~ヤ行を編集 相性 武将名 親愛 武将名 解説 嫌悪 29 満寵 毛玠 演義では劉曄から推挙をされた満寵と呂虔は新たに毛玠を推挙している。 劉曄 呂虔 29 毛玠 満寵 満寵と呂虔の二人に推挙された。 呂虔 60 孟獲 祝融 夫婦。共に蜀軍と対峙する。途中で罠に掛かって捕らえられてしまう。その後、孟獲の申し出により人質交換として自軍に戻される。 44 孟達 夏侯尚 親友。桓階・夏侯尚が亡くなると降将である孟達は不安になり今度は呉と通じようとする。 桓階 張松 友人。劉備を益州の新たな君主として迎えようと共に画策する。 法正 李厳 友人。劉備を裏切り魏に寝返った後、蜀に侵攻するも友人である李厳と対峙することになり戦わず退却している。 申儀 不仲。孟達と申儀とは仲が悪かった為、申儀により孟達の叛意は曹叡に密告された。 申耽 演義では魏を裏切ろうとした孟達を裏切る。 劉封 対立。孟達の軍楽隊を劉封が没収する事件が記録に残っている。 53 楊懐 高沛 同僚。共に劉璋配下の名将で白水関(演義では涪水関)を守備した。 61 楊儀 諸葛亮 丞相府の幕僚の筆頭。狭量で後継者には選ばれなかった。 魏延 不仲。軍議の場で両者が言い合いになった際、魏延が楊儀を脅して楊儀が恐れて泣くような事もあった。 劉巴 同僚。喧嘩をして共に罷免された。 31 羊祜 陸抗 陸羊之交。敵ながら互いを認め合う仲だった。 杜預 病で引退する羊祜は後任として杜預を推挙する。 43 楊修 孔融 曹操の配下には孔融と楊修しか人材がいないと評された。 禰衡 曹植 学問の先生。「答教」という教科書を用いて曹魏政権の政治的問題を教える。後継問題にも関わる程、曹植に肩入れをした。 張松 演義では蜀より訪れた張松を接待してその才を認める。 14 楊柏 馬超 演義で張魯が馬超に娘を娶らせようとすると、「馬超が妻子を失ったのは自業自得です。そのような人物に娘を娶らせてよいのでしょうか」と反対した為、取り止めている。後に馬超が劉備に降伏すると監視役だった楊柏は手土産代わりに殺されている。 21 楊阜 馬超 敵対。一族や上司である韋康を殺害されている。 ラ行 ラ行を編集 相性 武将名 親愛 武将名 解説 嫌悪 59 雷銅 呉蘭 劉備が益州に侵攻してきた際、共に雒城を守備する。降伏後も漢中で引き続き一緒に起用される。 張飛 張飛に従って巴西を守備する。 142 雷薄 陳蘭 僚友。袁術に愛想をつかして共に出奔する。 66 李恢 馬超 李恢の説得により馬超は劉備に投降している。馬超「むむむ」李恢「なにがむむむだ!」 122 陸抗 羊祜 陸羊之交。敵ながら互いを認め合う仲だった。 121 陸績 虞翻 友人。陸績は年長である龐統や虞翻とも堂々と交際した。 龐統 122 陸遜 闞沢 夷陵の戦いの際、陸遜を推薦した。 孫氏 夫婦。孫家と陸家は敵対していたが陸遜が孫権に出仕、孫氏を妻に迎えたことで両家は和解する。 呂蒙 荊州の関羽を攻める際に協力、勝利を収めている。 71 李厳 諸葛亮 罪に問われ諸葛亮により流刑に処されるも息子の李豊は罪に問わなかった。李厳自身も諸葛亮ならばいずれ復帰されてくれると期待していた。 孟達 友人。劉備を裏切り魏に寝返った後、蜀に侵攻するも友人である李厳と対峙することになり戦わず退却している。 1 李儒 董卓 董卓の娘婿で参謀。献帝の擁立や長安への遷都などを進言した。 146 李粛 呂布 同郷の親友。董卓の命を受け呂布を懐柔する。後に王允による董卓暗殺計画にも一緒に参加している。 19 李勝 曹爽 友人。曹爽の命を受けて司馬懿の様子を探りに行く。 22 李典 楽進 共に合肥を守備している。元来不仲だったが私怨を捨てて協力、孫権の大軍を撃退している。 張遼 20 李豊 夏侯玄 反司馬一族。 毌丘倹 諸葛誕 曹爽 張緝 96 劉虞 公孫瓚 烏桓・鮮卑族を巡って対立。最終的に劉虞は捕まって処刑される。 129 留賛 凌統 凌統から推薦された。 101 劉氏 袁尚 生まれつき美貌で武勇に優れていた為、両親から寵愛される。 55 劉璋 張魯 自分に叛いた張魯の生母とその弟を見せしめのために誅殺した。 75 劉諶 劉備 偉大な祖父。劉備の廟の前で国を失うことを謝罪する。その後、妻子を殺して自害した。 78 劉禅 黄皓 寵愛。姜維は黄皓の専横を憎んで処刑するよう劉禅に請願したが黄皓を庇い聞き入れなかった。 張氏 夫婦。 45 劉琮 蔡氏 母子。異母兄・劉琦を排除して劉琮を擁立しようとした。 蔡瑁 甥。劉琮を後継者にするために暗躍。 56 劉巴 張飛 劉巴は士大夫としての自負が強かった為、庶人出身の張飛が劉巴の元に泊まった際、話そうともしなかった。 楊儀 同僚。喧嘩をして共に罷免された。 45 劉磐 黄忠 劉表配下時代から黄忠と共に長沙を守備。長沙が劉備の支配下に入ると黄忠の推挙で劉備に仕える。 75 劉備 公孫瓚 盧植の元で共に学ぶ。劉備は公孫瓚に対して兄事しており大変仲が良かった。 諸葛亮 水魚の交わり。死去にあたり劉備は「もし後継ぎに才能がなければ君が自ら皇帝となれ」と諸葛亮に言い残している。 徐庶 止むを得ず曹操に下ることになった際、曹操の為に献策はしないという誓いを立てる 趙雲 全幅の信頼を寄せる。劉備からは「子龍は一身これ胆なり」と賞賛される。 盧植 学問の先生。 蔡氏 劉備暗殺計画の首謀者。 蔡瑁 馬謖 劉備は馬謖を信頼せず「馬謖は口先だけの男であるから重要なことを任せてはならない」と諸葛亮に厳しく念を押した。 45 劉表 黄祖 孫堅敗死後、孫家残党に捕われた黄祖を助ける為、孫堅の遺体と黄祖の身柄を交換した。 74 劉辟 龔都 黄巾賊残党。汝南で共に暴れまくる。後に一緒に劉備に仕える。 75 劉封 関平 義父同士が義兄弟。入蜀前は一緒に行動する事が多い。 孟達 対立。魏に寝返った孟達から魏に投降するよう誘われるが怒って拒否している。 27 劉曄 郭嘉 軍師仲間。演義で郭嘉から推挙された。 満寵 演義で劉曄に推挙された。 呂虔 74 廖化 関羽 関羽・関平親子の死後、援軍要請に応じなかった孟達、劉封らの処罰を劉備に訴えた。 関平 72 梁緒 尹賞 梁虔と四人で蜀に投降した。 姜維 127 凌統 甘寧 演義では父の仇である甘寧に窮地を救われる。それを切欠に父を殺された恨みを水に流し甘寧と親交を結んでいる。 留賛 留賛を推挙した。 71 廖立 諸葛亮 劉禅即位後、閑職であることに不満を漏らす。これに怒った諸葛亮によって庶人に落とされた。 71 呂凱 王伉 同僚。雍闓が蜀漢に反乱を起こした際、協力して永昌郡を守った。 123 呂拠 孫綝 孫峻の後を継いで呉の実権を掌握していた孫綝に反対する。最後は追い込まれて自害する。 29 呂虔 王祥 徐州刺史・呂虔から徐州の内政を任せられる。呂虔は所持していると三公に登るという刀を王祥に与える等、王祥を厚遇している。 満寵 演義で劉曄に推挙された。 劉曄 毛玠 演義で毛玠を推挙した。 145 呂布 高順 重臣。最後まで呂布を支えた。 張遼 陳宮 貂蝉 王允から紹介され、その美貌に惚れてしまう。 関羽 呂布が落ち延びてきた際、呂布を受け入れようとする劉備に対し二人は強く反対した。 張飛 124 呂蒙 周瑜 甘寧が孫家に身を寄せた際、周瑜・呂蒙が連名で孫権に推薦した。 陸遜 荊州の関羽を攻める際に協力、勝利を収めている。 145 呂玲綺 呂布 親娘。初登場作品である三国志戦記2では父・呂布に憧れ尊敬する描写が見られた。 124 魯粛 周瑜 周瑜から推挙される。赤壁の戦いでは周瑜と共に開戦を主張。見事、勝利する。周瑜が亡くなるとその遺言で後継者となる。 諸葛瑾 才能と人格を高く評価し、孫権に推挙する。 呂蒙 魯粛没後、後任となる。魯粛は「呉下の阿蒙に非ず」と呂蒙を評した。 124 魯淑 張承 魯淑が成人した際、張承は「彼が何時しか自分と同じ職に就くだろう」と予言している。 75 盧植 公孫瓚 学問の先生。党錮の禁による不遇時代に幽州涿郡で学舎を主宰、劉備や公孫瓚に学問を教えている。 劉備 董卓 董卓が実権を掌握、皇帝を劉弁から劉協に替えようとするとこれに反対する。そのため董卓によって処刑されかける。 いにしえ武将 いにしえ武将を編集 相性 武将名 親愛 武将名 解説 嫌悪 75 尉遅恭 関羽 秦瓊と共に門神として奉られる。なお、関羽は劉備の挙兵時、彼の護衛官をしていた。 25 贏政 孔融 焚書坑儒を行って儒教を弾圧した。 孔丘 27 王翦 厳顔 老将繋がり。 黄蓋 黄忠 75 楽毅 諸葛亮 諸葛亮は在野時代自らを管仲、楽毅になぞらえていた。 管夷吾 75 岳飛 関羽 後に両者とも神格化されている。 姜維 尽忠報国を旨とし、失った宋の領地を取り戻そうとするが、秦檜に阻まれて処刑されている。 譙周 真っ先に劉禅に降伏を勧めたことを屈辱的和睦をなした秦檜と重ね合わせている。 75 管夷吾 諸葛亮 諸葛亮は在野時代自らを管仲、楽毅になぞらえていた。 楽毅 鮑叔牙 管鮑の交わり。 85 韓信 蕭何 蕭何は韓信を極めて高く評価し、劉邦に再三推挙したため、韓信も蕭何を信頼していた。 43 孔丘 孔融 孔丘の20代目子孫。 曹操 曹操は孔融を処刑した。曹操の法家思想と儒家は犬猿の仲。 贏政 贏政は焚書坑儒を行って儒教を弾圧した。 125 項籍 孫策 「江東の小覇王」の覇王とは項籍を指している。 125 高長恭 周瑜 イケメン繋がり。 25 呉起 曹操 宰相として多数の改革を断行した。ちなみに当時の人間に好色と評されてもいる。 75 蕭何 諸葛亮 陳寿は評として諸葛亮を管仲・蕭何に並ぶ名宰相としている。 劉邦 劉邦と出身を同じくし、劉邦軍の兵站を一手に引き受けた。 75 秦瓊 関羽 尉遅恭と共に門神として奉られる。 70 秦良玉 馬超 西方の馬上将軍繋がりか。あるいは、亡夫の馬千乗と馬超を重ね合わせているのかもしれない。 126 孫臏 孫堅 孫堅は孫子の子孫を自称している。 75 張良 劉邦 劉邦は常に張良の策を聞き入れたため張良は感動した。 呂尚 黄石公から太公望(呂尚)の兵法書を受け取った。 125 鄭成功 周瑜 中華民国のフリゲート艦には「成功級」という形式名が付いている。これより水軍提督として名を馳せた周瑜と関連づけている。 120 范増 張昭 覇王の参謀格の老軍師繋がり。なお、范増は陳平の離間の計にかかり項籍と喧嘩別れに近い引退をしている。 75 鮑叔牙 管夷吾 管鮑の交わり。 25 蒙恬 贏政 贏政の配下として信頼され、活躍していた。 75 楊大眼 関羽 その武力は関羽、張飛と比肩するほどであったという。 張飛 24 李斯 贏政 秦の宰相として様々な政策を実行して秦帝国成立に貢献した。 75 劉邦 劉備 劉備は遠く劉邦の血を引いている、と自称していた。 張良 劉邦は張良・蕭何に対して高い信頼を置いていた。 蕭何 10 呂尚 張良 呂尚の兵法書は黄石公によって張良にもたらされた。 73 藺相如 鄧芝 「完璧」の故事で知られる、名外交官繋がり。 馬謖 藺相如は長平の戦いにおいて総大将が趙括に変えられることについて頑強に反対した。なお、趙括・馬謖は両者とも生兵法による大敗を招き、国家の衰運の元凶となった。 曹操が左慈嫌ってるけどコイツイベントキャラじゃねーの? -- (名無しさん) 2010-06-17 21 32 38 秦宓と簡雍の親愛は多分 益州攻めの降伏勧告時のエピソードからきてるんだろう -- (名無しさん) 2010-07-22 12 09 38 あぁ、いつの間にか補足解説が全部埋まってる・・・w猛烈にご苦労様です。 いにしえ武将との関係とかわかんなかったから、なるほど~ 結構気に入ってるシステムなんで次作がもしあるなら改良して取り入れて欲しいな。 イベントやシナリオ年代経過で変わる、とか処断したり一騎時殺害で増える、とか。まぁ甘寧・凌統の話なんですけどね。 -- (名無しさん) 2010-11-07 12 10 12 何進が十常侍の二人を嫌悪してるって書いてあるけどこの二人ゲームに武将として登場してないんじゃない? -- (名無しさん) 2011-05-13 14 06 38 イベントキャラもいちおう内部データとしては能力値とか人間関係とかある。 (例:左慈、統10武10智94政23魅62 適性全C 特技「鬼門」、嫌悪:曹操) ただ登場扱いにも死亡扱いにもなってないので(内部データを変更しない限り)ゲームには出てこない。 これをどう扱うかは疑問なところ。 -- (名無しさん) 2011-05-13 14 19 42 ↑ってことは少帝・献帝の能力値データも内部データとしては存在してるって事? どんな能力設定になってるのか気になるな。 -- (名無しさん) 2011-05-13 14 46 29 確か少帝は統率3武力5知力9政治4魅力11だったと思う。他は分からんが。 -- (名無しさん) 2011-05-13 18 49 36 ↑少帝完全にネタキャラ扱いw能力が劉禅以下ってw まあ確かに評価すべき所はないし中途半端な能力にするくらいならこの方がキャラが立っていいかもしれない。 どのみち武将としては出てこないしね。 -- (↑2) 2011-05-13 20 34 30 ↑献帝は逆賊討伐の曹操戦で劉協いるんで見れますよ -- (名無しさん) 2011-06-14 20 31 47 君主を嫌っていても配下武将が探索で発見→舌戦なら登用可能っぽい 劉備の配下にした藺相如の探索で張任発見して舌戦で登用。 -- (名無しさん) 2012-01-28 15 05 29 君主に対する親愛持ちは、流言かけても符節台都市の捕虜にしても忠誠度落ちない様子(PCPK) -- (名無しさん) 2012-02-10 22 54 00 君主に対して親愛の武将であっても他の武将を登用する際におまけで登用出来たりする。 部隊の主将盗用時の副将であったり、太守盗用時の都市武将であったり。 -- (名無しさん) 2012-09-11 22 20 42 最近、親愛・嫌悪が設定されていない武将や11に未登場の武将の記述が追加されていますがOKなのでしょうか? 何でも記載してしまえるなら際限がなくなるような気がするのですが…。 -- (名無しさん) 2012-10-26 12 46 45 確かにその通りだね。ゲーム上設定のない武将を書くべきではない。 ここはゲームの攻略情報のwikiなんだから。 -- (名無しさん) 2012-10-26 22 57 00 というわけで、問題のあったページを復元しといた。 -- (名無しさん) 2012-10-26 23 04 28 親愛枠はもうちょっと多ければ良かったのに。正直、曹操や劉備といった大物は 5つしか枠がないと史実通りの親愛関係を編集で再現するのは無理だよなー。 -- (名無しさん) 2013-06-26 00 52 17 荀イクの娘を娶ったのは陳泰の親父の陳羣じゃないのか -- (名無しさん) 2013-07-27 19 54 00 陳羣の嫁は荀彧の娘(荀顗の姉)で間違いないよ。 その上で息子の陳泰が、叔父(母の弟)の荀顗の娘を嫁にしている(要はいとこ同士の結婚)。 -- (名無しさん) 2013-07-27 21 35 08 新武将で始めたんだが編集で相性を設定しなかったら曹操と近い相性になったんだけど 嫌悪でも無いのに馬超が登用できない 董卓配下で忠誠60ぐらいで馬一族は引き抜けたのに馬超だけ断られる・・・ 案の定董卓を滅ぼして在野になっても登用できない・・・ -- (名無しさん) 2018-09-27 16 38 31 ある君主にたいして親愛設定のある武将は必ず登用される(引き抜ける) は嘘ですよね? ps2だけ違うのかな 必ずどころか忠誠80代でも無理なんだけど、、 -- (名無しさん) 2019-10-19 09 06 07 名前 コメント すべてのコメントを見る
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[部分編集] 曹操包囲網 http //www.nicovideo.jp/watch/sm7275033 使用ゲーム 三国志Ⅸ シナリオ・担当勢力 オリジナルシナリオ200年4月曹操包囲網 シナリオの設定 敵強化+200%、寿命なし、難易度上級、史実、討死なし 動画形態 ドM、紙芝居あり 登録武将 史実(Ⅹより) 東方project プリニー 型月 史実武将の扱い 主力 縛り 多数(下記) 投稿時期 2009年6月7日~(1年で滅亡、但し動画は上がっておらず、皇族劉虞の軌跡巻頭において、うp主田躊が「結局滅亡した」と語っている。) 投稿者名 皇族劉虞 マイリスト 曹操包囲網 関連タグ 曹操包囲網 ニコニコ大百科 曹操包囲網 関連サイト - 備考 ドM、前作→ 211年公孫恭プレイ 、平行連載→登用プレイ、特攻三国志 解説 敵強化+200%プレイ。 魏国が東方勢にもっこもこ に挑戦した動画。 オリジナルシナリオ名は200年4月曹操包囲網。 田疇(=うp主)が史実とは違う行動をしたため大きく歴史が狂ってしまった。 劉備が曹操暗殺計画の時に益州に向かったり、袁紹がイナゴを配下にしたり。 挙句の果てに寿命も曖昧になったため、 それを修正しようとする八雲紫らが孫堅、劉備、袁紹の協力を得て包囲し、 壊れた原因がある曹操軍を滅ぼすことで修正しようとする。 プレイヤーは包囲された曹操軍。 公孫恭プレイ 、登用プレイを完結させた腕でどこまで行けるだろうか。 更新は比較的早いが、時々三国志Ⅸで全く関係のない作品を上げて更新が遅くなることも。 勝利条件は連合期間の81ターン生存ではないことだけは明確。 敗北条件は勿論滅亡。曹操は馬を持ったままなので捕まらないので曹操自身は関係ない。 うp主は試しプレイをしておらず、滅亡する可能性も高いらしい。 設定 全勢力皇帝。 全勢力で反曹操連合を組んでいる。合計81ターン。盟主は博麗霊夢。 史実武将は全員いずれかの軍に従軍しており、合計武将数が744+αである。(α=29|23ターン終了現在) また史実武将は全員歴代最高能力に強化している。 (統率:Ⅸ~11)、(武力:Ⅰ~11)、(知力:Ⅰ~11)、(政治:魅力Ⅰ~11、政治Ⅸ~11) 参考にしたもの:三国志Ⅸ、三国志Ⅹ、三国志11、コーエー三国志武将データ大全、ニコニコ大百科。 丁寧に1~5ターンで曹操軍ほぼ全員の能力を引用した作品と共に公開している。 大体全武将の能力の平均が統率65、武力と知力が70、政治が75ぐらい(うp主の目算)。 魏:曹操軍 中原を中心に勢力を広げている。襄陽や新野も制圧している。 呉:孫堅軍 揚州だけでなく荊州の大半を支配している。兵力、人材も豊富。 蜀:劉備軍 益州+西城を制圧している。ただ全く攻めてこないので公孫恭プレイと同じく空気になるかも。 斉:袁紹軍 河北を制圧している。武将は残り物のような感じがする。 成:博麗霊夢軍 もっこもことは違って善意的な能力。西涼を制圧している。最も行動を起こしている。 羌:羌大王軍 異民族。ロリコンでチルノの要請を受けて魏へ出陣。配下はⅩに出てきた異民族武将たち。 烏丸:言峰綺礼軍 異民族。23ターンに英軍の要請を受けた。 英:衛宮士郎軍 15ターン終了時に登場。北海で独立。 変更 関の外見を城塞に変更、耐久1000、回復15に変更。敵初期支配下港を関に変更。 砦の回復を20に変更(使わない物を使えるようにするため)。 櫓の耐久50、回復1に低下(いわゆる戦闘型櫓)。 敵都市兵法幻術、落石付与。 幻術・妖術・治療の発動期間短縮(野戦兵法と同じ)。 曹操軍の初期忠誠を全員上昇(120以上に)。 能力上限突破はしても、熟練度上限突破はしない。 敵勢力所属武将の曹操軍内部忠誠度0。 東方勢力に対する史実武将の内部忠誠度0。 兵糧と金の上限9999999。 華佗が死亡扱い(探索イベント華佗が発生しない)。 水軍の強化(10ターンより。おもに機動力上昇) 象兵の強化(14ターンより。対部隊・対守兵・防御50。判明したのは16ターンより) 弓系統の強化(16ターンより) 施設の回復力3倍(16ターンより、櫓除く) 陣形の金消費量上昇(16ターンより) 宝物アイテムの強化(16ターンより、能力上昇) 縛り 縛りは解除することもあるが、解除するときはそれなりの代償を払うか、敵の移動が行われる。 徴兵禁止(正確には兵役人口増加数が0なため徴兵できない)。 引き抜き禁止(在野の登用は1ターン二度以上の登用行動禁止)。 処断禁止(対象は君主のみ)。 幻術・妖術・治療禁止。 石兵禁止。 象兵禁止。 捕虜はターン開始時にセーブエディッタで強制的に釈放。 計略「離間」「焼討」「流言」禁止。「奪取」は捕虜奪還のために使う。 外交禁止(捕虜返還は奪取で奪還)。 抜擢はダメ松に指導させた後、全能力1.5倍にして敵に贈呈(ツールで抜擢offにできますが、Mチートとなるので)。 兵士5000未満の出陣、建設禁止(23ターンに解除)。 随時SまたはMチートを行う。 怪我人の出陣禁止(14ターンに追加) 武将 初期配置武将数744と明らかに多いのが特徴。羌大王や衛宮士郎らFate勢も加わったので更に増えている。 会話時は所属勢力が分かるようにバックドロップテキストが所属勢力の色になっている。うp主の発言は黒である。 +魏国全員、あいうえお順 魏+晋+張魯+韓遂+劉表降伏組が集結。 尹大目・于禁・衛瓘・閻行・閻柔・閻圃・王威・王基・王頎・王業・王経・王渾・王粲・王粛・王濬・王祥・王沈・王戎・王双・王忠・王昶・王韜・王淩・王朗・温恢 何晏・蒯越・蒯良・賈逵・華歆・賈詡・郭奕・郭嘉・郝昭・郭淮・夏侯威・夏侯淵・夏侯恩・夏侯和・夏侯咸・夏侯恵・夏侯玄・夏侯尚・夏侯徳・夏侯惇・夏侯覇・夏侯楙 賈充・何曾・何楨・毌丘倹・毌丘秀・毌丘甸・韓玄・韓浩・韓遂・韓嵩・韓徳・桓範・楽進・楽綝・戯志才・丘建・丘本・許儀・許貢・許褚・金禕・金旋・魏続・牛金 侯成・侯選・黄祖・孔伷・高覧・胡淵・胡質・胡車児・胡遵・胡奮・胡烈・呉綱・呉質・蔡琰・蔡和・蔡中・蔡瑁・師簒・司馬懿・司馬炎・司馬師・司馬昭・司馬伷 司馬孚・司馬望・司馬攸・司馬朗・車冑・周旨・周浚・州泰・朱霊・焦彜・鍾毓・鍾会・蒋幹・蒋済・邵悌・蒋班・鍾繇・諸葛緒・諸葛靚・諸葛誕・辛敞・辛毗・秦 荀彧・荀愷・荀勗・荀顗・荀攸・徐晃・徐質・徐邈・成宜・成公英・石苞・曹宇・曹叡・曹奐・曹休・曹羲・曹訓・宋憲・曹昂・曹洪・曹彰・曹植・曹真・曹純・曹仁 曹操・曹爽・曹沖・曹丕・曹芳・曹髦・曹熊・孫礼・臧覇・戴陵・張允・張衛・張頴・張燕・張横・張華・張既・張球・張喬・張虎・張郃・張繍・張緝・張尚・張節 張特・張邈・張遼・張魯・陳矯・陳羣・陳珪・陳騫・陳元・陳俊・陳泰・陳登・陳琳・程昱・丁儀・程銀・鄭沖・丁謐・程武・典韋・典満・田疇・田豫・鄧艾・党均 董昭・鄧忠・唐彬・杜預・裴秀・馬玩・馬鈞・馬遵・馬隆・畢軌・費耀・傅嘏・傅巽・文鴦・文欽・文虎・文聘・龐会・鮑信・龐徳・満寵・毛玠・楊欣・羊祜・楊昂 楊済・楊修・楊秋・楊松・楊任・楊肇・楊柏・楊阜・李勝・李堪・李通・李典・李輔・李豊・劉劭・劉寔・劉琮・劉岱・劉馥・劉曄・梁興・呂虔・婁圭 +鮮于輔・梁習(20ターン終了時に加入) 合計240+2名。登録武将:閻行・温恢・蔡琰・成公英・婁圭・鮮于輔・梁習 名前変更:州泰⇒醜態(10ターン) 顔グラ変更:曹操(蒼天) +呉軍全員、あいうえお順 呉+黄巾+董卓+江南の諸勢力が集結。登録武将で士燮らもいます。 韋昭・于吉・于詮・王惇・賈華・華覈・郭汜・郭馬・何植・華雄・管亥・闞沢・韓忠・韓当・甘寧・賀斉・許劭・魏邈・牛輔・虞氾・虞翻・邢道栄・厳畯・厳政・厳白虎 厳輿・黄蓋・高昇・高順・黄乱・胡軫・顧譚・胡沖・顧雍・伍延・伍景・吾彦・吾粲・蔡貢・左奕・笮融・左慈・士壱・士徽・士匡・士祗・士燮・施朔・謝旌・朱異 脩允・周昕・脩則・周泰・周魴・周瑜・朱桓・朱拠・朱然・朱治・小喬・蒋欽・鍾離斐・諸葛恪・諸葛瑾・沈瑩・岑昏・徐栄・徐盛・盛曼・全禕・全紀・全懌・全尚 全琮・全端・宋謙・曹性・蘇飛・祖茂・孫異・孫和・孫桓・孫冀・孫休・孫匡・孫権・孫堅・孫皓・孫策・孫秀・孫峻・孫韶・孫静・孫綝・孫登・孫覇・孫瑜・孫翊 孫亮・孫礼・孫朗・孫ワン(※)・大喬・太史享・譚雄・太史慈・張英・張横・張温・張闓・張角・張休・張儼・張紘・趙弘・張済・張昭・張承・張象・貂蝉・張悌 張布・張宝・張梁・陳横・陳宮・陳表・陳武・程遠志・程普・程秉・丁奉・丁封・滕胤・陶璜・唐咨・董襲・滕脩・陶濬・董卓・董朝・董旻・鄧茂・潘濬・潘璋・樊稠 潘臨・馬忠・万彧・鮑隆・歩協・歩騭・歩闡・濮陽興・孟宗・雷薄・駱統・李異・李傕・陸凱・陸景・陸抗・陸績・陸遜・李粛・李儒・留賛・劉俊・留平・劉繇・留略 凌統・凌操・呂拠・呂岱・呂範・呂布・呂蒙・楼玄・魯粛・魯淑 (※)ワンは雨に單。ただ、孫休が作り出した漢字であるため出ない。 合計190人。登録武将:于吉・左慈・士壱・士徽・士匡・士祗・士燮・大喬・貂蝉 顔グラ変更:邢道栄(三国志大戦) +蜀軍全員、あいうえお順 蜀+劉璋+南蛮+馬家+汝南黄巾賊。 阿会喃・伊籍・尹賞・尹黙・閻宇・王伉・王買・王平・王甫・王累・郭煥・霍峻・郭攸之・霍弋・関彝・関羽・関興・関統・関平・簡雍・魏延・姜維・鞏志・龔都・許靖 金環三結・郤正・厳顔・献帝・呉懿・句安・黄月英・黄権・黄皓・高翔・黄崇・黄忠・高定・高沛・孔融・胡済・兀突骨・胡班・呉班・呉蘭・司馬徽・沙摩柯・周倉・祝融 朱褒・蒋琬・蒋顕・譙周・蒋舒・向寵・蒋斌・向朗・諸葛均・諸葛尚・諸葛瞻・諸葛亮・徐庶・申耽・申儀・秦宓・孫乾・孫尚香・帯来洞主・朶思大王・趙雲・張嶷・趙広・張遵・張紹 張松・張任・趙統・張南・張飛・張苞・張翼・趙累・陳寿・陳式・陳震・陳到・田章・董允・董厥・鄧賢・鄧芝・董荼那・鄧良・董和・寧随・裴元紹・馬雲騄・馬休・馬謖・馬岱 馬忠・馬超・馬鉄・馬騰・馬良・馬邈・樊建・費禕・糜竺・糜芳・馮習・傅士仁・傅僉・傅彤・忙牙長・龐羲・法正・龐統・木鹿大王・孟獲・毛炅・孟達・孟優・雍闓・楊懐 楊儀・楊稷・雷銅・羅憲・李恢・李球・李歆・李厳・李豊・劉焉・劉璝・劉琦・劉賢・劉循・劉璋・劉諶・劉璿・劉禅・劉度・劉巴・劉磐・劉備・劉表・劉辟・劉封・廖化・梁緒・呂凱・冷苞 合計155人。登録武将:献帝・黄月英・司馬徽・馬雲騄・劉磐 +斉軍全員、あいうえお順 袁紹+袁術+公孫瓚+公孫度+後漢の名士たち+烏丸・鮮卑の異民族。武将数が足りないので、河北出身である呉巨や趙範などがいる。 袁遺・袁胤・袁煕・袁術・袁紹・袁尚・閻象・袁譚・袁燿・王允・王含・王匡・王修・王門・楽就・郭図・何進・賈範・軻比能・韓胤・関靖・韓暹・韓馥・顔良・管輅 麹義・丘力居・魏攸・橋蕤・橋瑁・許攸・紀霊・牽弘・厳綱・高幹・高柔・公孫越・公孫淵・公孫恭・公孫康・公孫瓚・公孫続・公孫度・公孫範・皇甫闓・皇甫嵩 呉巨・呼廚泉・崔琰・朱儁・淳于瓊・蒋義渠・荀諶・審配・辛評・眭固・鄒靖・鄒丹・単経・曹豹・沮鵠・沮授・蘇由・張勲・趙範・張楊・陳紀・陳蘭・丁原・禰衡 田楷・田続・田豊・陶謙・董承・蹋頓・潘鳳・卑衍・馮耽・武安国・文醜・卞喜・方悦・逢紀・穆順・俞渉・楊弘・楊醜・楊祚・楊奉・李豊・劉虞・劉勲・劉豹・呂威璜 梁綱・呂曠・呂翔・倫直・盧植 合計101人。登録武将:管輅・丘力居・呼廚泉・禰衡・蹋頓・李豊・劉豹・梁綱 顔グラ変更:袁術(三国志大戦)、張勲(恋姫) +成軍全員、あいうえお順 秋静葉・秋穣子・アリス・咲夜・因幡てゐ・犬走椛・伊吹萃香・小町・火焔猫燐・鍵山雛・風見幽香・慧音・にとり・キスメ・魔理沙・ヤマメ・小悪魔・早苗・ こいし・さとり・妖夢・幽々子・四季映姫・射命丸文・上海人形・神綺・大妖精・八雲橙・チルノ・永江衣玖・博麗霊夢・パチェ・稗田阿求・天子・藤原妹紅・ フラン・輝夜・星熊勇儀・紅美鈴・みすちー・パルスィ・魅魔・メルラン・霖之助・諏訪子・八雲藍・八雲紫・神奈子・八意永琳・リグル・リリカ・ルナサ・ ルーミア・霊烏路空・鈴仙・レミリア・レティ・プリニー 岡崎夢美・ちゆり(19ターン終了時に加入) 合計58+2人。全員登録武将。 +英軍全員 衛宮士郎・遠坂凛・間桐桜(黒)・イリヤ・セイバー・アーチャー・ランサー・ライダー・キャスター・バーサーカー・アサシン・ギルガメッシュ・葛木・カレン・バゼット 合計15人。全員登録武将。15ターン終了時に旗揚げ。 +羌軍全員 羌大王・餓何・焼戈・強端・迷当大王 合計5人。全員登録武将。 +烏丸軍全員 言峰綺礼・ネロ・荒邪宗連・ネコカオス・ソル 合計5人。全員登録武将。CV中田譲治 イベント うp主が適時思いつき、または視聴者からのコメントより加わるイベント。 他の動画のネタも乱用中。Sチートは基本Mチートとセットです。 +発生したイベント 封禅 1~5ターンより。曹操が封禅の儀を行う。曹操の全能力+5(100突破)。 勿論Sチートだけではつまらないので敵君主に全能力+15を実行。 孫堅が統率123と言うスーパーチート武将となった。 悪魔皇帝 1~5ターンより。蜂蜜皇帝として有名な袁術。袁紹ら封禅の儀を行ったことから袁術が対抗するかのように封禅(?)の儀式を行う。 OPで公表された袁術の初代の能力の高さ(武力・政治力95)を見た視聴者から顔グラ変更の声が多かったため、 顔グラ変更と共に全能力+15された。 ロリコン大王 9ターンより。異民族の羌大王にチルノが外交に向かい、要請を取り付けるイベント。 羌大王隊6万が長安に向かって出陣した(羌陣形、全員飛射)。 出師の表 9ターンより。公式イベント。蜀軍がイベント条件を満たしているため発生。 蜀の武将全員に連弩・井蘭習得、弩兵熟練度最低300に。 ちなみまでに五虎将軍は発生しない(219年シナリオを元にしているため)。 フールメタルジャケット 10ターン、12ターンより。9ターン、12ターンで徐質の所属していた部隊が壊滅してしまったので発動。 徐質教官が同じ部隊の武将が不甲斐無いため丸秘特訓を行う。 徐質が所属していた武将の全能力+20(81以上は+10)、熟練度+200、健康状態重傷(全治5ヶ月) ただし統率または知力90以上の武将は対象にならない。また楊松も対象にならない。 条件さえ満たせば何度でも発生する。 今後、犠牲者が増える可能性が高い。 SチートでもMチートでもネタでもあるイベント。 被害者は曹宇(2回)・州泰醜態・曹羲・曹爽・辛毗・戯志才・楊任の7名。 現在、意見が多いためいろいろな設定中。意見募集中。 秋の季節 10ターンより。秋になったので秋姉妹の武力+10、熟練度+200。 下げるのが面倒なので永続とのこと。 このイベントの影響で曹真様の5連鎖突進がガードされるとは誰も思わなかっただろう。 紫の改造 10ターンより。この回は船の改造を行ったことを報告した。 船の機動力上昇より倭からの侵攻部隊は上陸を1ターン早めることになった。 記憶にございません 10ターン目より。10ターン目に慧音隊が壊滅したので慧音がなかったことにしました。 慧音隊の兵士が出撃元に還元される。 人間とCPUの境界 10.5ターンに公表。うp主が適当に作った解説へ書かれたコメントを採用。 11ターン目の曹操軍をCPUに完全委任した。 うp主が行いたかった行動は10.5ターンに書いています。 11ターンでうp主は絶望の淵に陥って、一時的に壊れた。 最前線は崩壊し、偽報要員は出陣と防衛計画は大きく狂った。 八雲紫に乗っ取られた動画は今のところ打ち切りになっているのでどうなるか楽しみである。 核使用 10ターンのメモより。11ターン目に発動。 お空が土塁に対し核を使用。進軍路を妨害していた土塁が破壊される。 さとり隊の士気が100に上昇した。 兄弟の結束 珍しいSチート。夏侯覇兄弟と夏侯楙が5連鎖することで発生。 夏侯楙の全能力+20。使えない武将にも救いの手を。 医者鐘会 12ターンより。鐘会が下ヒ城内の負傷兵を治療する。負傷兵全員(41732)を回復させることから下ヒがどれだけ重要視しているか分かる。 珍しくいい人鐘会だが、本人自身は負けたくないからやっただけだそうだ。 ただ、こんなSチートにはMチートが付き物・・・らしいがそのMチートは13ターンも発動しなかった。 蔡家の操船 12ターンより。敵に囲まれてしまった蔡瑁隊が荒い操船を行う。 蔡瑁の全能力+10、蔡和・蔡中の全能力+20、水軍熟練度+300。ただし蔡瑁隊の士気が20低下、同乗していた蔡琰・華歆は船酔い(=全治1ヶ月の軽傷)。 捕虜交換 14ターン発動の夏侯淵救済イベント。13ターンに捕らえた孫策を条件に呉と斉へ三角交渉を行った。 象贈呈 14ターンより。孫堅が孫策解放のために袁紹に外交を行う。 夏侯淵救済だけではSイベントになるので呉の後方都市より兵力を移動。ついでに象を贈呈して斉軍勢力兵法に象兵を追加。 顔グラ変更 14ターンより。張勳が恋姫の七乃に。全能力+25。うp主曰く顔グラを変更した武将は強化するとの事。 KDAを三国志大戦グラにしているのでKDAも強化している模様。 ニューヒーロー登場 10ターンのメモより。15ターンに発動。 敵勢力支配下から突然ニューヒーローが誕生した。勿論連合に参入している敵。 負けずの徐晃 10ターンメモより。15ターンに発動。 徐晃隊の初期出陣時兵士の1/4を徐晃所属地域に追加。徐晃隊の武将は絶対に帰還する。 Sチート・・・ではある。何度でも発生する。 助けてえーりん 15ターンより。 医者である永琳が負傷兵を治療する。 負傷兵4万以上の都市に永琳が所属することで発動する。 紫の改造2 16ターンより。紫がまた改造していきました。 紫が魏国の金を使用して改造したので改造金額45万を奪われる。 港の兵消滅 16ターンより。最前線の港以外の兵士を0に。 これにより合計30万近くの兵士が消滅した。 ただ、武将は都市に移動するのでSチートとは言い難い。 枷 19ターンより。張遼が青龍刀のかせを外す。 武力+3⇒武力+10に。弓兵と一騎討ちをさせるために上昇させた。 主に忠誠を誓った志士 19ターンより。張勲と審配の会話。 審配の全能力+10、張勲の怪我が完治。 夢美登場 夢美がちゆりを連れて長安に来る。成軍に岡崎夢美とちゆりを追加。 黒い平和 20ターンより。うp主の作品『登用プレイ』が完結したことを記念して。うp主=田疇の全能力+10、全熟練度+200。 内通 20ターンより。鮮于輔らが曹操軍に協力する。孟津港の捕虜全員釈放、鮮于輔・梁習が曹操軍に加入。 縛り解除1 23ターンより。うp主の土下座。縛りを一つ解除した変わりに90万近くの兵糧が消失、幽々子の全能力+20、全熟練度+200。 ジョージ軍団出撃 23ターン終了時に発生。24ターンに烏丸から言峰綺礼らが出陣する。言峰綺礼はチート。 チキン 10ターンのメモより。未発動。 于禁が5000ダメージ以上の兵法(実際は3倍なので1.5万)を食らい部隊を壊滅させられたら発動する。 于禁が部隊を壊滅させた軍に降伏してしまう。同時に名前をチ禁(チキン)に変更。 ただし降伏より5ヶ月(15ターン)後に魏に復帰する。ただ、帰還する都市は降伏した軍からもっとも近い都市でその都市に曹丕がいたら于禁は心労で死亡する。 視聴者は発動を期待したが発動せず。今後に期待しましょう。 その他予定されているイベントは多数。 視聴者が解説にコメントしたり、または動画にコメントしたりしたらそれを見たうp主が採用するかも知れません。 コメント欄 とりあえず解説だけ作ってみました。 -- 皇族劉虞 (2009-06-17 11 17 27) いずれかの勢力で討ち死した武将は、お燐が回収したという設定で東方軍武将として能力1.5倍(グラをセピア色で)使用すると言うのはどうでしょうか? -- 名無しさん (2009-06-17 20 48 08) Mイベント 人間とCPUの境界:1ターンだけ曹操軍の操作をCPUに任せる というのはどうでしょうか? -- 名無しさん (2009-06-17 20 51 03) Mイベント 恐怖の多部隊戦法 終盤に兵十万以上、武将100人前後の都市があれば、うp主が手動で多部隊(100部隊前後)を構成、魏の都市に襲い掛かる。多部隊をどう防衛するかというのが見てみたいので、よろしければ。 -- 名無しさん (2009-06-19 15 12 27) 弓矢に適した武将(黄忠、呂布、夏候淵など)が三連続スナイプしたら統率武力10強化とかどうかな?東方キャラがスナイプしたりされたりしたらどうなるかは興味あるけど面倒くさそう -- 名無しさん (2009-06-20 16 05 51) 曹宇は10ヶ月重症でいてほしい。そうしないと、わざと徐質隊で重症メンバー出撃→強化みたいなことが出来る可能性が出てしまうので。 -- 名無しさん (2009-06-22 19 40 08) フールメタルについていくつか。まず、長安100周のような訓練で、知略や政治が上昇するのは少し不自然であると思われます。統率・武力・熟練度で十分ではないでしょうか。次に、曹宇の能力が張遼並になったり、文官のギシサイの武力が猛将並になったりするのはやはり変だと思います。もともとの名将の影が薄くなりますし。「この訓練によって、能力値85(または90)を越えることはない」とした方がいい気がします。さらに、同じ武将が何度もこのイベントの恩恵を受けないように、「この訓練を3回受けたら、心労で死亡するor訓練に耐え兼ねて劉備軍に脱走」とでもした方がいいと思います。あと、「徐質より爵位が上の武将は、訓練を回避できる」というのもあってもよいかと。長文失礼しました。 -- 名無しさん (2009-06-23 10 36 28) Mイベント 洗脳:いずれかの部隊長の忠誠度が0になる。部隊ごと引き抜かれる恐れが極めて高くなる。 というのを思いつきました。 -- 名無しさん (2009-06-24 00 55 09) やはりフールメタルは統率・武力・一部の熟練度の上昇で十分ではないかと思います。また、訓練の重複、負傷中は上昇はナシ、訓練による能力上昇も5~10程度に抑えたほうが良いと進言します。 -- 名無しさん (2009-06-24 11 25 33) 果たしてそれでいいのだろうか?せっかくのマイナー武将の活躍がガンガン強化されていく一級武将に追い付ける数少ないイベントなのに…。後ぶっちゃけ張遼は史実じゃ武力低ry -- 名無しさん (2009-06-24 18 09 13) 長安100週だけでなく、勉強死するほど兵法書を読ませられていたとしたら…とにかく不自然というなれば幻想郷の外にいるのに強い霊夢や妖怪、他勢力の強化武将の立場が無くなるから自重せれ -- 名無しさん (2009-06-24 18 18 09) 10ターン先に生き残っているかどうかもわからないのに15ターン再起不能なら十分バランスは取れてると思うけど・・・ -- 名無しさん (2009-06-25 16 55 03) 今後は徐質は必ず大将で兵20000万以下だと出陣できないってことにして発動率下げるのはどう? -- 名無しさん (2009-06-27 10 38 13) Sイベント 長安空城の計 長安退避前に城内に爆薬を仕掛けたという設定で、守将一人を生贄にして発動 長安に入城した敵の兵の半数が負傷兵になり、長安の城防御度が4分の1になる とかいうのはどうですか?マジで滅亡の予感がしたので・・。 -- 名無しさん (2009-06-28 16 03 28) ↑とか言ってる間にえーりんイベントが・・・上のは無視してください -- 名無しさん (2009-06-28 19 53 36) ↑↑すみません、このコメントに気づいたときにはもう完成していたので・・・ -- 皇族劉虞 (2009-06-28 19 56 01) 長安を失って、西部戦線をどう支えるのか・・・楽しみです -- 名無しさん (2009-06-28 20 10 25) 魏国の項目を完全に書き換えて、武将名だけにしました。他勢力も後に全員書きます。 -- 皇族劉虞 (2009-06-29 20 12 11) 動画編集中に、たまたま「鍾会」が「鐘会」となっていたのを発見しましたので、僭越ながら修正しておきました。 -- おろしのタレ (2009-07-04 17 57 03) 一度、魏以外のステータスをみてみたいな。 -- 名無しさん (2009-07-20 22 55 44) 名前 コメント