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発売日 2019年4月26日 ブランド Argonauts タグ 2019年4月ゲーム 2019年ゲーム Argonauts キャスト 歩サラ(チカ),もんぶらん(ユリ),結衣菜(纏絢萌),奏雨(橘木理帆),越雪光(じいや) スタッフ 企画・原案:呉 キャラクターデザイン・原画:やまかぜ嵐 シナリオ:木葉尽 SDキャラクター:桜坂つちゆ “じいや”のイラスト:イクラ CG:rastel,芝,八月朔日珈瑠,imamura,桜坂つちゆ,やまかぜ嵐 DTP/WEBデザイン:アルトステージ DTP:佐藤継忠 背景美術:アトリエてっち,矢神ニーソ,Future-hands BGM:project lights CV制作:有限会社ロックンバナナ CV制作プロデューサー:Mas Sawada CV収録・演出:こんポタ CV編集:アベンヌ,YAGI,しゃぶしゃぶ CV制作進行・キャスティング:きくちまさひろ 録音スタジオ:R/B2 STUDIO 演出:呉 システム監修:薫(retouch.info) 協力:恋純ほたる プロデュース:呉 制作・著作:Argonauts/MOONSTONE オープニング主題歌 「ハピネス」 作詞:椿木はる 作編曲:モリヒデオミ 歌唱:椿木はる
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発売日 2018年6月29日 ブランド Argonauts タグ 2018年6月ゲーム 2018年ゲーム Argonauts キャスト 結衣菜(纏絢萌),奏雨(橘木理帆),歩サラ(チカ),もんぶらん(ユリ) スタッフ 企画・原案:呉 キャラクターデザイン・原画:やまかぜ嵐 シナリオ:木葉尽 SDキャラクター:桜坂つちゆ CG:rastel,芝,八月朔日珈瑠,imamura,桜坂つちゆ,やまかぜ嵐 DTP/WEBデザイン:アルトステージ DTP:佐藤継忠 背景美術:アトリエてっち,矢神ニーソ,Future-hands BGM:project lights CV制作:有限会社ロックンバナナ CV制作プロデューサー:Mas Sawada CV収録・演出:こんポタ CV編集:アベンヌ,YAGI,しゃぶしゃぶ CV制作進行・キャスティング:きくちまさひろ 録音スタジオ:R/B2 STUDIO 演出:呉 システム監修:薫(retouch.info) 協力:恋純ほたる プロデュース:呉 制作・著作:Argonauts/MOONSTONE 主題歌 「Over愛してる」 歌唱:日野ほのか 作詞:山里ありさ 作・編曲:モリヒデオミ Sound Produce:PRESTAR
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(01)太宗の雍煕二年(985)九月辛亥(十日)、楚王の元佐を廃して庶民とした。 元佐は帝の長男である。幼少より聡明で、顔つきも帝に似ており、帝は特に愛していた。廷美が房州に遷されたとき、元佐は必死になって救った。廷美が死ぬと発狂してしまい、近臣にわずかな過失があると、梃刀で傷つけるようになった。病が少し癒えたので、帝は天下に恩赦を下した。 重陽の日、〔帝は〕諸王を呼んで苑中で射礼の宴を催したが、元佐は病気になったばかりだったので宴に参加させなかった。宴が終わると、諸王は暮れに元佐を訪ねた。元佐は怒って「君等は宴に行ったのに、私だけ参加できなかった。これは私を棄てたということだ」と言うと、怒気を露わに酒を飲み、夜中に火を放って宮中を焼いた。帝は激怒し、〔王を〕廃して庶民にし、均州安置とした。宋琪は百官を率いて三たび上表し、京師に留めるよう求めた。帝は訴えを許し、〔元佐が〕黄山まで行くと、呼び戻して南宮に住まわせた。 (02)淳化五年(994)九月壬申(二十三日)、襄王の元侃を開封尹とし、封を壽王に進めた。 帝は長らく帝位にあったが、まだ太子を立てていなかった。むかし馮拯らが〔立太子を〕求めたことがあった。しかし帝は怒って〔拯らを〕嶺南に追放したので、誰も言わなくなった。ここに至り、寇準は青州から左諫議大夫として呼び戻さ、帝に謁見した。 帝、「私の子供らの中で誰が神器を授けるにふさわしいだろうか。」 準、「陛下が天下のために君を選ぶ場合、婦人や宮中と謀ってはなりません。近臣と謀ってもなりません。ただ陛下が天下の望みにかなうと思ったものを選ばれませ。」 帝は久しく頭を垂れた後、近臣を斥けてから、「襄王はどうか」とたずねた。準、「子を知るものに、父親以上のものはおりません。陛下がよいとお決めなら、どうぞご決断くださいませ。」 そこで元侃を開封尹とし、壽王に封じた。元侃は帝の第三子である。 呂中の評語。東漢や唐朝に女主・宦官・外戚の禍があったのは、太子を立てる力が全く彼らの手中にあったからである。李固・杜喬・裴度・鄭覃らでさえも、これを正すことはできなかった。準の言葉はまことに万世の法たるべきものである。 (03)至道元年(995)八月壬辰(十八日)、詔を下した。――壽王元侃を皇太子とし、名を恆に改め、天下に大赦した。 唐の天佑以来、中国は多難で、立太子の礼が廃されること殆んど百年になろうとしていた。ここに至り、ようやく〔立太子の礼が〕挙行され、天下の人々はみな悦んだ。壽王は太子になると、報告のため宗廟を詣でてから宮廷に戻った。〔帰路、〕京師の民が道を塞いで、「若い天子だ」といって喜びあった。帝はそれを耳にして不機嫌になった。寇準を呼び出して、「人の心があっという間に太子に向かってしまった。私をどこに追いやろうというのだろう。」準は再拝して慶賀すると、「これは社稷の福です。」帝は悟り、〔内廷に〕入って后嬪に語ると、宮中の人々もみな慶賀した。帝は喜び、また〔外廷に〕出て来て、準を招いて酒を出し、酔いが回るまで飲み続けた。 (04)李至と李沆に太子賓客を兼ねさせ、太子に命じて至らに師傅の礼を以て仕えさせた。太子は至と沆に出会うと、必ず先に礼拝した。至らは上表し〔辞退を申し出〕たが、許さなかった。そこで詔を下した。―― 朕が古訓を調べたところ、太子を立てたときには、端正な人を選び、輔導に当たらせている。君等の人望に藉り、輔導の頼りとしたい。思うに、謙虚な心で励み勤むからこそ、外に現れる敬意も異なるのだ。適任であるにも関わらず、敢えて謙譲を示すようなことをせず、子を知る親の心を助けよ。 至らは謝意を示した。 帝、「太子が聡明で心優しければ国は安泰だ。諸君は心を尽くして導かねばならぬ。なすことすべてが礼に適っておれば、手助けしてやってくれ。もし礼に違うことがあれば、必ず力を尽くして説得してくれ。礼・楽・詩・書には裨益するものがある。これらは諸君が聞き知ったもの、朕の言葉を用いるに及ぶまい。」 (05)三年(997)二月辛丑(六日)、帝が病に倒れた。宣政使の王継恩は、太子が聡明であることを嫌い、ひそかに参知政事の李昌齢や知制誥の胡旦と共謀し、楚王の元佐を〔皇帝の位に〕立てようとした。 三月癸巳(二十九日)、帝が崩じた。享年五十九。 この時、皇后は王継恩を遣わして呂端を宮中に呼ばせた。端は事変を察知し、継恩を騙して書庫に入らせると、鎖で封して閉じ込めた。そして急いで宮中に入った。 后、「陛下の宮車は既にお隠れになった。後嗣ぎには長子を立てるのが順序であるが、今回はどうしたものか。」 端、「先帝が太子を立てられたのは今日のためです。これ以上なにを論ずるというのです。」 后は黙り込んでしまった。そして太子を奉じて福寧殿で即位させ、御簾を垂れて群臣に見えた。端は殿の階下に立ったまま拝礼しなかった。御簾を捲きあげるよう求め、殿に升り、つぶさに観察した後、階段を下り、群臣を率いて拝礼した。 帝が端を宰相に抜擢しようとすると、「端は思慮が浅い」と言うものがいた。帝は「端は小事には凡庸かもしれぬが、大事には深慮がある」と言い、意を決して用いることにした。 当時、同僚の上奏や謁見に異論が多かった。しかし端のみ建白することが少なかった。ある日、帝はこう通達した。――「今後、中書のことは必ず呂端の判断を待って奏聞するようにせよ。」 (06)五月甲戌(十一日)、楚王擁立の罪を裁いた。 李昌齢を忠武行軍司馬とし、王継恩を右監門衛将軍に降して均州安置とし、胡旦を除名の上、潯州に配流とした。
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著:3スレ目 104殿 1 永禄5年、前年におこなわれた宿敵上杉輝虎との第四次川中島決戦 武田典厩信繁、山本道鬼勘助らが鬼籍に入り、武田家は新たな局面を迎えていた 高遠に信玄四男、諏訪四郎勝頼が領主としてやってきたのはその永禄5年であった 三郎兵衛は所用があり高遠城に立ち寄った際の話である (`・ω・´)昌景「おおう、向山出雲殿、何をやっておられるのじゃな?」 向山出雲とは勝頼高遠入城に際し、信玄より勝頼側近として遣わされた七人の侍大将の一人である [´△`]出雲「これはこれは、、飯富様、いえ、勝頼様が甲府から持ってこられた荷物を整理しておるのです」 勝頼側近はどちらかというと文治派が多く、利に敏い連中ばかりで三郎兵衛はあまり好感を持っていなかったのであるが この向山出雲は甲斐の寺社を寄進したりと穏やかな人物で、三郎兵衛とも仲が良かった。 (`・ω・´)昌景「ほう、それはそれは、、しかし、たくさんの書物じゃな。どれ、それがしもお手伝いいたす」 [´△`]出雲「あいすいませぬ、この書物の多くは長坂釣閑斎様が勝頼様のために内外から取り寄せたものです」 (`・ω・´)昌景「(長坂殿か、彼は文治派の統領としてわれら武断派の中では嫌うものが多いが、意外にいい所があるではないか・・・)」 [´△`]出雲「?どうなされました」 (`・ω・´)昌景「いや・・・ほう、この書物は『あーさー王と円卓の騎士』とな」 [´△`]出雲「それは南蛮渡来の書物ですな、イスパニアよりさらに遠い国の軍記物とか」 2 (`・ω・´)昌景「南蛮の軍記物、興味がありますな」 [´△`]出雲「それがしもさらりと読んだことがありますのでかいつまんであらすじを」 南蛮でも最も西方に位置する「ぶりたにあ」という国 あーさーなる王が紆余曲折ありながら国を一つにまとめ、 円卓の騎士と呼ばれる優れた家臣たちの助けもあり、 「ぶりたにあ」を統一に向かっていく [´△`]出雲「そんな話でございます」 (`・ω・´)昌景「優れた王の元に集う優れた家臣たち・・・・まるで我が武田家のようじゃな!」 [´△`]出雲「そうでございますな、あーさー王の家に伝わる伝説の聖剣えくすきゃりばーというものがありますが さしずめ、これは武田家でいえば楯無の鎧ですかな?」 (`・ω・´)昌景「それで、あーさー王はぶりたにあを統一できたのか?この話の結末はどうなるのじゃ?」 3 [´△`]出雲「・・・それは」 若干言いよどみながら出雲は話を続けた ほぼ「ぶりたにあ」を制したあーさー王。 しかし、崩壊の種は思わぬところにあった。 呪われた子と呼ばれたあーさー王の息子 もるどれっど卿の謀反により、国を二分する戦となり もるどれっど卿はあーさー王に殺され、あーさーもまた 深い傷を負い、死んでしまう。。。 (`・ω・´)昌景「・・・・・・・・・・」 三郎兵衛は出雲が言いよどんだわけがわかった。 鋭敏な向山出雲は既に甲府において信玄とその嫡子義信との不和がこれ以上ないものとなっていることを 既に知っていたからである。 [´△`]出雲「・・・しかし、あーさーと円卓の騎士たちは南蛮において最高の騎士たちであると今においても讃えられております」 (`・ω・´)昌景「ふむ・・」 三郎兵衛は手に取った本を片付け始めた。 出雲も黙々と片付け始めた。 城の窓から、遠掛する勝頼の姿が見えた。まだ20になったばかりの勝頼は初々しく、そして活力に満ち溢れていた。 (`・ω・´)昌景「勝頼様もたくましくなられた」 [´△`]出雲「ええ・・・」 二人は少し救われた気持ちになった。 この時はまだ、二人は知らなかったのである 真に武田家にとって「呪われた子」が誰であるのか。 13年後、二人は長篠の地でともに果てることになる 107 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2006/10/28(土) 22 30 33 ID urllbMw2 [´△`] 向山出雲守 勝頼側近の一人、甲斐の寺社に寄進をした 現在の甲府市南部に領地を持つ古い国人衆の一人 勝頼側近には他に小田切孫右衛門・安部宗貞・竹内与五右衛門・小原継忠・同下総守(継忠の兄)・秋山紀伊守がいる 生没年は諸説あるが一説には1537年~1575年。 一族の向山又七郎は板垣信方、駒井高白斎と連判状を作ったり、甲相同盟推進をしたりと有能な外交官であったよう。 一族の向山正盛は武田家滅亡後、徳川家康に使え旗本として江戸時代を迎えることになる 顔文字AAはロッテの渡辺俊介を流用(なんとなく
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2月度 MZP…丸藤正道 MSP…パンチ富永 ボディガー ベストソルトバウト…宮原vsボディガー(エディオン第二) ベストズンドコ ソルト興行…全日ジュニアヘビー級リーグ戦「Jr. BATTLE OF GLORY」2/17~2/26 ズンドコ功労賞…泉田純、ボーンソルジャー 鈴木軍、ベルト強奪や内通者がいると色々前振りするもタイトルマッチ全敗でサプライズ無し 大原、ノアを質、格式共に高い老舗料亭と例える 泉田純が心筋梗塞で死去 ノア、旧運営会社(ピーアールエヌ社)が破産 丸藤・内田、↑についてまるで他人事のようにコメント JWP、4.2後楽園の25周年大会で解散も8月に新団体旗上げ 青柳総帥率いる魔世軍が全プロレスに牙を剥き宣戦布告 内藤、「僕のファンなんだって?」と声を掛けてきた小橋の問いかけをその場で完全否定 金本、ツイッターでマイモラルを大いに語る ノア、後楽園興行のセコンド業務放棄、盗撮配信されるも翌日まで気付かず、1.9以降の後楽園は全て観客600人台 中嶋、東スポ紙面で「破壊王継承宣言」 ライガー、新日ワールド配信の締めで「せいしピュッ、ピュッ」発言
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【呼称】THEボルク、ボルドックス 【使用デッキ】(☆:10000回再生) 雷 ヴェノミノン 人海シンクロ 表サンダー流 雷龍 エーリアン 千年前の悲劇 六武衆 サンダー流 ☆sm14484138 ★sm20443596 神サンダー流 裏サンダー流 ボルト雷族 闇属性主軸双頭の雷龍融合 コザッキー 蛇王継承 闇雷龍 雷帝シンクロサンダー流 炎族通常最強他 闇サンダー流 闇のコザッキー 便乗帝 最終戦士 クリッター過労死 ダンシング・ソルジャー DOMINO サンダー流・改 強制門前ガジェット 流派Raid 新・サンダー流 流派ライド ☆sm16795993 絶望タワー ☆sm16861807 ★sm25004140 ネオスペーシアン ボム・フェネクス ダンサー流 ドミノラブストーリー 忍者 Magnet 剣の舞 剣聖ネイキッドギアフリード ゴゴゴ ギアフリード 【動画】 絶望タワー サンダー流 雷帝シンクロサンダー流 COLOR(white)六武衆 【出演動画】中☆山☆道の近くで決闘、デュエル一人旅、超絶!デュエル道 【twitter】http //www19.atwiki.jp/dgamefs 【誕生日】2月22日 【ニコニコ大百科】超絶!デュエル道 【ホームページ】スタジオサンダー 【備考】 名前 コメント
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発売日 2014年11月28日 ブランド ALcotハニカム タグ 2014年11月ゲーム 2014年ゲーム ALcotハニカム キャスト 歩サラ(星野なぎさ),秋野花(小松莉奈),香山いちご(知花涼香),あじ秋刀魚(関谷恵),古河徹人(瀬古勝彦),草村ケイ(関谷千代) 橘まお,春海ほのか,井出五郎,黒衣虹男,沖田かずひろ,遠野そよぎ スタッフ 企画/シナリオ:おぅんごぅる 原画/キャラクターデザイン:もとみやみつき SD原画:あおなまさお チーフグラフィック:真崎ケイ グラフィック:あいにぃ一号,aomi,くない瓜,春ノ瀬史,びゅーね,やまな彩 背景:cre-p DTP:佐藤継忠 WEBデザイン:ま~まれぇど ロゴデザイン:井村屋あゆか(FAVORITE) システムグラフィック:めんち☆かつ BGM:project lights ムービー:株式会社KIZAWA studio 音声制作・録音演出:豊島光太郎(TK Sound Planning Office) 録音:藤代英和 収録スタジオ:STUDIO 696 プログラム:WAMSOFT スクリプト:かつらぎ,時乃 営業:株式会社エクスキャディ スペシャルサンクス:船亀由真人 ディレクション:かつらぎ プロデュース:宮蔵 制作:ALcot Honey Comb,合同会社クローバーソフトウエア 主題歌 「キミのとなりで恋がしたい!」 歌:茶太 作詞:yozuca* 作曲:戸田章世 編曲:戸田章世 All instruments:Nekusam Recording Engineer:内藤岳彦(Sound City) Mixing Engineer:橘優紀 Recorded at Sound City Mixed at MB-ONE studio Director:土井潤一 エンディングテーマ 「キミと見る世界」 歌:茶太 作詞:yozuca* 作曲:戸田章世 編曲:戸田章世 All instruments:戸田章世 Recording Engineer:蓬莱つむぎ Mixing Engineer:橘優紀 Recorded at Sound City Mixed at MB-ONE studio Director:土井潤一
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Children of ZODIAC 共通設定 最強のエメタリスたる狂王は、存命の今でも逸話が伝説となって残るほどの色情狂であり、「雌」でさえあればどのような存在に対しても見境無く欲して求めるという。 大抵の相手はそのあまりの壮絶な過程に子を成さずに命を落としてしまう事が多いのだが、狂王と子を成すという事は一族の発言力を強める上、 生まれる子供はほぼ例外なく強力な上級エメタリスに成長する為、それでも狂王に求められたいと願うエメタリスも少なくない。 現在ではそれに耐え抜いた妻たちから生まれた子息が17人おり、彼らのほぼ全員が何らかの形で狂王の打倒を目標とする。 狂王を継ぐ者はその神にも等しい力をも受け継ぐと言われ、この言い伝えが狂王継承を目指す子息同士の争いを熾烈なものとしている。 子息達の席次一覧 席次 氏名 年齢 備考 第一子 ラキュソー 2841歳(享年) 1000年前に死亡 第二子 - - - 第三子 ヤクネ 2194歳 - 第四子 タルタス 1390歳 フィッスオー在住 第五子 - - - 第六子 ハナルース 998歳 マナルースと双子の姉妹 第七子 マナルース 998歳 ハナルースと双子の姉妹 第八子 - - - 第九子 ヴィルヘルム 650歳 カルネジロフ辺境伯領在住 第十子 - - - 第十一子 フランベリーゼ 308歳 レッドジャケット頭領 第十二子 リーン 273歳 ポメミュー家第一公女 第十三子 - - - 第十四子 - - - 第十五子 アルツェン 189歳 フェルマータ公爵が擁立 第十六子 - - - 第十七子 パピヨン 114歳 グラバジャ辺境伯領へ追放 第十八子 ゾディア 16歳 人間との混血(魔女)、ベルゲ連邦へ追放 登録タグ一覧: ヴェゲナ・ルフレートの用語 一覧 共通設定 用語 社会
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(01)太宗の淳化四年(993)春、蜀の〔眉州〕青神の民であった王小波が反乱を起こした。 これ以前、蜀が亡んだとき、府庫の財物はすべて汴都に運び去られた。後任のものも利益を上げることに必死で、一般税の他に博買務を置き、商人が勝手に布帛を売買するのを禁じた。蜀は土地は狭く、人口稠密であり、田畑を耕すだけでは生きていけなかった。このため弱い農民は困窮し、兼併家は米穀を安く買い入れて高く売って利潤を求めた。 小波は人々を集め、反乱を起こすと、こう宣言した。――「我々は貧富の不平等に苦しんでいる。今、お前らのために貧富を均一にしてやる。」貧しきものは我先にと〔小波の下に〕集まった。こうして〔小波らは〕青神を攻め、彭山を襲った。県令の斉元振を殺すと、その腹を割いて銭を詰め込んだ。いつも銭を愛していたからである。これ以後、賊軍はさらに膨張し、周辺地域の人々も呼応するようになった。 (02)十二月、西川都巡検使の張玘が王小波と江原で戦った。玘の射た矢が小波に当った。すぐ小波に殺されたが、小波も傷がもとで死んだ。賊軍は小波の妻の弟であった李順を頭領とし、州県を掠奪し、邛州・永康軍を陥れ、数十万の勢力になった。 (03)五年(994)春正月戊午(五日)、李順は漢州を攻め落とし、さらに彭州を陥落させ、ついに成都を攻めた。転運使の樊知古と知事の郭載、その地の官人は梓州に遁走した。順は成都城に入り、この地を根拠地にすると大蜀王と僭称した。賊軍を四方に出して各地の州県を攻め落としたので、蜀は大混乱に陥った。 帝は大臣を遣わして懐柔させようとしたが、趙昌言だけは急ぎ兵を出して討伐させ、災禍の拡大を阻止するよう訴えた。帝はそれに従い、宦官の王継恩を両川招安使とし、二隊に分けて賊軍を討伐させた。また雷有終を峡路転運使(1)とした。 (04)二月乙未(十三日)、李順は楊広に数万の軍勢を授け、各方面から剣門を攻めさせた。上官正は剣門都監であったが、麾下には数百の弱卒しかいなかった。しかし忠義を鼓吹し、士気を高め、力戦して守り抜いた。ちょうど成都監軍の宿翰の兵が到着したので、正の軍と合流して賊を迎え撃ち、無数の首を斬った。残余三百の賊軍は成都に逃げ帰ったが、順はそれらをすべて斬り殺した。これ以後、〔賊軍の〕気勢は消沈していった。 これ以前、朝廷は蜀の賊軍が一大勢力になったのを知ると、桟道〔の確保〕を憂慮していた。正は孤軍奮闘、賊軍を破り、かくして桟道は守られ、王師(宋の正規軍)は長駆して前進することができた。 (05)李順が梓州を包囲した。 これ以前、梓州知事の張雍は、王小波が反乱を起こしたのを知ると、すぐに将兵を選び、勇猛な兵士を集め、城を守る計画を立てた。また緜州の金帛を金蔵に運び、部下に武器を整備させ、防備の完備を図った。 ここに至り、順は賊軍二十万で梓州城を包囲した。城中にはわずか三千の兵しかいなかったが、雍は智力を尽して防衛すること八十日、王継恩が石智顒を援軍に遣わし、賊軍は敗走した。 (06)己亥(十七日)、王継恩の軍が緜州に到達し、賊徒は敗走した。賊徒を追撃して殺戮を加え、ついに緜州を奪回した。曹習を派遣して賊軍を老渓で破らせると、ついで閬・巴・蓬・剣などの諸州を奪回した。 (07)五月、王師が成都に到達した。賊軍十万を破り、三万の首を斬った。李順を捕縛し、ついに成都を回復した。賊徒の張余がまた嘉・戎・濾・涪・忠・万・開の八州を陥れた。開州監軍の秦伝序はここで死んだ。 (08)辛未(二十日)、成都府を益州に降格した。 (09)八月甲午(十五日)、王継恩を宣政使とした。 これ以前、中書の言い分では、継恩には蜀盗平定の功があるからと、宣徽使を授けようとした。帝、「前代の史書を読んだところ、宦官を政治に関わらせたくない。宣徽は執政の序列だ。別の官を授けよ。」宰相は継恩に大功があるので、これでなければ〔功績に〕酬いられぬとしつこく言い張った。帝は怒って宰相を厳しく咎め、学士の張洎と銭若水に相談し、宣政使を別に作って〔継恩に〕授けることにした。 (10)辛丑(二十二日)、張詠を益州知事にした。 これ以前、王継恩・上官正・宿翰らは兵を率いて賊軍を討ち、ほぼ鎮定に成功すると、〔益州に〕兵を止めたまま、酒を飲んで賭博をしていた。その部下も掠奪のし放題であった。このため賊軍の残存勢力が徐々に大きくなっていった。 詠は〔益州に〕到着すると、正らに進軍を求めた。出軍に当り、〔詠は〕酒を軍校らに与えると、「諸君らは国の厚恩を蒙った以上、この進軍で必ず賊徒を平定せねばならぬ。軍を疲弊させ空しく時を費やすならば、この地が逆に諸君らの死に場所になるであろう。」これ以後、正は策戦を決して進撃し、大勝利に導いた。 賊軍が〔益州で〕掠奪を行ったとき、多くの民は脅されて賊徒に従わさせられていた。詠は〔朝廷の〕恩と信頼を教えると、みなを故郷に帰らせた。そして「前日、李順は民を脅迫して賊徒にさせたのなら、今日、私が賊徒を民に戻すことも不可能ではない」と言った。 住民の間に流言が広まったことがあった。日暮れ、白髪の老人が人の子供を食らうというのである。地元は騒然となり、日が暮れると道路に人がなくなった。〔詠は〕すぐに流言を言い振らしたものを捕らえて処刑した。このため民はようやく心を落ち着けた。詠が言うには、「あやかしや流言が生まれるのは、気のめぐりが悪いからだ。あやかしであれば形があるし、流言であれば声がある。流言を止めるのは見識と決断であって、まじないではない。」 むかし蜀の士大夫は、学問を好みはしても仕官しようとしなかった。詠は在地の張及・李畋・張逵の三人に学識と品行があり、地元の人々に好評であるのを知って、貢挙に応ずるよう懇ろに勧めた。これ以後、士大夫は〔仕官に〕勤めるようになった。 喧しく訴る民がいると、詠は人情と法律の軽重を酌量して判決文を示してやった。蜀の人々はこれを本にまとめて〔以後の〕戒めとした。かくして民の風俗は醇朴になった。 これ以前、城中の守備兵はまだ三万人もいたのに、〔城中には〕半月分の兵粮もなかった。詠は人々が塩の高騰に苦しみながらも、倉庫には満ち溢れていることを知った。そのため〔塩の〕価格を下げ、民に米と塩の交換を許した。まだ一月もしないうちに、米数十万斛を得た。詠は二年分の備蓄を確保すると、陝西からの兵粮運搬を罷めるよう上奏した。帝はそれを知って喜び、「この人にできないことはない。なんの心配事もなくなった。」 (11)癸卯(二十四日)、参知政事の趙昌言を川峡都部署とした。 これ以前、王継恩は蜀にたが、民を治めることができなかった。帝は討伐が長びくのを厭い、昌言を呼んで「西川は一国だった。太祖が平定してから、今になるまで三十年になる」と言った。昌言は帝の意図を察すると、すぐに攻略の方策を示した。帝は喜び、昌言に蜀を統治させ、継恩以下をすべてその指揮下に入れた。〔昌言が蜀に〕出向くと、「昌言は叛乱を起こす人相をしている。大軍を握らせるべきではない」というものがいた。そこですぐに〔前命を〕取り止め、〔昌言を〕鳳翔府知事とした。 (12)上官正が雲安軍を回復した。 これ以前、張余の賊軍は夔州を攻めたが、白継贇は西津口でこれを撃破し、二万の首を斬り、千艘もの船を獲得した。正は広安・嘉陵・合州で賊軍をつぎつぎ打ち破った。賊軍は陵州に進んだが、また知事の張旦に負けた。かくして正らは張余を雲安軍で撃破し、雲安城を回復した。 (13)至道元年(995)二月丙午(三十日)、四川都監の宿翰が張余を嘉州で捕らえた。 これ以前、西川行営の衛紹欽と楊瓊はしばしば賊軍を破り、蜀や邛などの州を回復していた。帝は蜀の賊軍がようやく平定されたとして、詔を下して自身を罪した。その概略に云う―― 私は不相応な任におり、道理に暗い。彼の地に親民官を遣わせば、恵和を以て政をなさず、税務の官吏はただ酷薄を功績とし、我が民をして乱を起こさしめた。この過ちを念うとき、我が身を責めねばなるまい。永代の戒めとし、願わくは再び過ちを冒さぬよう。 これを聞いた人々は感動したという。 この後、余は眉州を攻めたが、翰がこれを破った。余は嘉州に逃げたが、兵卒に捕らえられた。 (14)この年、王継恩を召還し、上官正と雷有終を四川招安使とした。蜀の賊軍は平定された。数年後、また王均の反乱が起こった。 (15)真宗の咸平三年(1000)春正月甲午(十六日)、益州の守備兵が叛乱を起こし、王均を首領とした。 これ以前、神衛軍が益州の守備についたとき、都虞候の王均と董福はおのおの軍を統べた。福はうまく兵卒をさばき、部下はみな豊かな生活ができた。均は飲食や賭博を好み、〔軍卒の〕軍装はすべて給料で賄わせていた。ここに至り、兵馬鈐轄の符昭壽と益州知事の牛冕が益州城東方の野外で軍の検閲を行った。蜀の人々が見物に来ると、〔王と董の〕二軍の軍装は見た目に差があり、均の麾下の兵卒は恥辱に憤った。また昭壽も驕慢で、好き勝手をして〔軍卒らを〕苦しめたので、軍卒は日頃から〔昭壽を〕怨んでいた。 この月の朔日、守備兵の趙延順ら八人が叛乱を起こして昭壽を殺した。益州の官吏はちょうど正月の慶賀の最中だったが、事変を知ってみな逃げてしまった。州知事の牛冕と転運使の張適は城壁に掛けられた縄をつかって逃げた。ただ都巡検使の劉紹栄だけは死をも懼れず戦ったが、衆寡敵せず〔かなわなかった〕。叛徒にはまだ首領がいなかった。そこで紹栄を〔首領〕推そうとした。しかし紹衛は弓矢を手に、「私は燕の人間だ。夷狄を棄てて朝廷に帰順した。なんでお前らと一緒に叛逆など起こすものか。すぐに殺せ。俺は絶対に朝廷に背かぬ」と言って罵った。監軍の王沢は王均を呼び、「お前の部下が反乱を起こしたのだ。なんで出向いて説得しないのだ。」〔そこで王均が出向いたところ、〕反乱軍は均を見つけ、すぐに首領に擁した。紹栄はみずから首をくくって死んだ。 均は大蜀と僭称し、元号を化順に改め、役所を置いて官僚を配置した。これは小校の張鍇の入れ知恵であった。均は叛乱軍を率いて漢州を攻め落とした。緜州に軍を進めたが落とせなかった。すぐに剣州に向かったが、州知事の李士衡に負けたので、帰還して益州を守った。 このとき帝は河朔に行幸しており、ちょうど大名府を出発したところだった。事変を聞くと、戸部使の雷有終を川峡招安使にし、李恵・石普・李守倫を巡検使にし、八千の歩兵と騎兵を授けて討伐に向かわせた。上官正と李継昌らもこれに配属した。 (16)この時、蜀州知事の楊懐忠は反乱を知ると、すぐに郷丁(在地の差配人)を集めて諸州の巡検兵に合流し、討伐に出向いた。懐忠は益州に入ると城の北門を焼き、三井橋まで進んだ。賊軍と数度戦ったが、懐忠に利がなく退いた。さらに嘉州や眉州など七州に檄文を飛ばし、兵を合流させて再び益州を攻めてこれを破った。勝利に乗じて賊軍を駆逐し、益州城の南十五里に進み、鶏鳴原に砦を築いて王師の到着を待った。均も城門を閉じて防禦に努めた。 (17)二月癸亥(十五日)、雷有終らが益州に到着した。 この時、都巡検の張思鈞はすでに漢州を破り、升仙橋まで進軍して防壁を築いていた。賊軍が出撃して砦を攻めると、有終は攻撃して敗走させた。 (18)丁卯(十九日)、王均が城門を開けて逃走したように見せかけると、雷有終らは兵を率いて城に入った。しかし規律が取れておらず、官軍は掠奪し放題だった。賊軍は城門を閉めて伏兵を出し、通路の辻に寝台を並べ、官軍の逃亡を阻止してこれを殺戮した。有終らは城の垣根から飛び降りて助かったが、李恵はここで死んだ。官軍は漢州まで撤兵した。 益州城内の民が四方に逃げ去ると、賊軍は追いかけて民を殺戮した。生け捕りにしたときには、ばらばらに斬り刻み、一族も皆殺しにして、人々を恐怖に陥れた。また若い男を脅して兵士に仕立て、まず手の甲に入れ墨をし、次に髪を剃り、次に顔に入れ墨をし、軍服を着せ、城を守らせた。こうして本来の賊軍と区別したのである。 有終は掲示を出して〔賊軍に〕投降を勧め、やって来たものには着物の袖に署名して釈放した。毎日、数百人は投降した。 (19)冬十月甲辰(朔日)、雷有終が益州を回復した。 これ以前、賊軍は升仙橋から進路を分けて王師を襲ったが、有終は兵を率いて迎撃し、これを打ち破った。王均は一人、騎馬に乗って城に逃げ帰り、橋を取り払って城門を閉ざした。有終と石普は城の北側に軍を進めて駐屯すると、将校を三方面に分けて城を攻め、叛乱軍が出撃して来ると常に打ち破った。しかし王師が城に迫るといつも雨が降り、水で滑って城壁を登れなかった。有終は洞屋を作って前進すると、均もまた敵楼を設けて拒んだ。有終が兵卒に焼かせると賊軍は劣勢になったが、〔賊軍も〕また月城をつくって自衛に努めた。 有終は兵卒に氈(帽子)をかぶらせ、火打ちを持たせて送り込み、望櫓と機石(武器。飛ばすための石)をすべて焼かせた。先鋒として東・西・南の砦から太鼓を鳴らし、ときの声をあげて攻めさせた。有終と普とは各々洞屋を指揮して前進し、ついに城に入って敵を大破した。夜中、均は賊徒二万人とともに〔官軍の〕囲みを突破して遁走した。 有終は伏兵を恐れ、城内に火を放った。次の日、王均から官職を受けたもの数百人を捕らえ、すべて焼き殺した。時にひどい冤罪だと噂が立った。 鈞は逃げ出すと、通った橋を落とし、道を塞ぎ、倉庫を焼いていった。 乙丑(二十二日)、有終は楊懐忠に鈞を追討させた。〔懐忠は〕富順で〔均に〕追いつき、賊徒を打ち破ると、ついに城に入った。鈞は首をくくって死んだ。懐忠は鈞の首と鈞が用いていた礼器を取り、賊徒六千人を降伏させた。 有終・懐忠らの官秩を進めた。牛冕を儋州に、張適を連州に配流した。 (20)四年(1001)十二月丁未(十日)、詔を下した。――「蜀の賊徒は既に平定された。追討中もしくは逃亡中のものを除き、それ以外の〔賊徒に〕騙されていた民は、全て罪を許して不問に付せ。流言で民を惑わしたものは、有司は斬首の上、奏聞せよ。」 (21)六年(1003)冬十月、また張詠を益州知事とした。 民はまた詠がやって来たのを知り、みな飛び跳ねて喜んだ。転運使の黄観は詠の政績を報告すると、詔書を下して褒めたたえた。また謝濤に西蜀を巡撫させた。帝は詠にこう伝言した、「君が蜀におれば、私に西方の憂いはない。」 (22)この時分、内地にも盗賊が多かった。濮州では、夜中、賊が州城に忍び込み、州知事の王守信と監軍の王唱度の家に強盗に入った。この時、王禹偁は黄州知事であった。そこで次の上奏を送り届けた。―― 国を分け田野を量るのは、王者が国を治める方法です。『易』には「王公は険阻を設けて国を守る」とあります。五代の内乱以来、各々城塞に拠り、国土が分裂すること七十余年。太祖・太宗は諸国を平定し、天下は一家となりました。当時、江・淮の諸郡の城郭を潰し、武器を回収し、防備を撤廃させてから二十余年。士大夫が州を治めること、大郡は二十人、小郡はそこから五人を減し、高官を充てております。しかし彼らは長吏と呼ばれておりますが、実際は官位をもつ平民と同じであり、〔官衙は〕郡城と名づけられておりますが、〔城ではなく〕平地なのです。京師を尊んで郡県を抑えること、強幹弱枝の術だとはいえ、道理に適ったものではありません。 昨今、私は滁州に居り、兵を動かし穀物を運搬することがありました。しかし関所の城郭に警護はなく、ただ小役人が開閉に従事しておりました。城池は壊れ、甲冑や武器は揃っておりません。重鎮と呼ばれる維揚に遷ってからも、滁州となにも変りませんでした。甲冑三十副を警備ものに与えたことがありましたが、弩弓を張ろうにも、十に四五は壊れておりました。勝手に修繕してはならぬといって、上下ともに因循し、こんなことになったのです。今、黄州の城池や武具は滁州や維揚に遠く及びません。万一、旱害や盗賊が生じたなら、備えを望んでもどうにも仕方がありません。 太祖が列強の勢力を削り、太宗が諸侯の僭越なる心根を塞いだのは、そうせざるを得なかったからです。たとえ法を設けて世を治めても、時がたてば弊害は生じます。弊害を救う方法は、時宜に従うことにあります。速きこと転規(円形の道具)がめぐるがごとくし、融通の利かないことではいけません。 昨今、江淮諸州の大患は三つあります。城池が壊れていることが第一。武具が完備されていないことが第二。軍人に訓練が行き届いていないことが第三。濮州の賊が生じたのも、防備に隙があったからです。 請い願いますには、陛下がその御心より決断され、諸郡に於ける人民の衆寡と城池の大小を量り、五百人を越えぬ程度の守備兵を置き、弓と剣を習わせますように。かくして城壁を補修し、甲冑を整えさせるのです。そうすれば州郡に難事への備えが生まれ、長吏にも強盗の恐れが無くなるというものです。(禹偁のこの疏文は、当時の悪弊を鋭く衝いたものだった。そのためここに附録として載せたのである。) 〔注〕 (1)峡路転運使:原文「陝路転運使」。校勘記、『宋史』雷有終伝に拠り改む。
https://w.atwiki.jp/dq_dictionary_2han/pages/8849.html
概要 基本的に王族の娘のことを指す。お姫さまとも呼ばれる。 ドラクエ世界では王子がいなくても王女がいる国が多い。 国王継承権を継ぐ王子がいない場合、王女が継いで【女王】になる。 【王子】と異なり、すべての作品で最低1人は登場している。 DQⅠ 【アレフガルド】の王女【ローラ姫】が登場する。 DQⅡ Ⅰの主人公の子孫である【ムーンブルクの王女】が登場。 【サマルトリア】にも【サマルトリア王女】が登場するが、彼女もまたロトの血を引く子孫にあたる。 DQⅢ 【エジンベア】にマーゴット姫が存在する他、【アリアハン】にも名前は出てこないが王女が登場。 ポルトガ、サマンオサにも姫らしき人物がいる。 また、作中で既に死亡しているものの、【エルフの隠れ里】の女王にはかつて【アン】という名の娘がいた。 DQⅣ 導かれし者の一人に【サントハイム】の王女である【アリーナ】が登場。 【エンドール】には【モニカ姫】が、スタンシアラにも王女が存在する。 ブランカにも王女と思われる人物が存在する。 DQⅤ 主人公の娘が【グランバニア】の王女にあたる。 主人公の従妹であり、先代国王【オジロン】の娘【ドリス】も主人公の国王即位前は王女であった。 DQⅥ 主人公は実は【レイドック】の王子だが、王女は小さいころに死亡している。 夢の世界では【ターニア】が妹になるが、実の兄妹ではなく王女ではない。 グレイス城にもかつて王女がいたことが確認できる。 DQⅦ 【グランエスタード】の王子である【キーファ】の妹の【リーサ姫】が登場。 過去フォロッドに【エリー】(すでに死亡)と妹姫が登場。 現代コスタール城(ホビットの洞窟内)に姫が登場。 現代【マーディラス】に【グレーテ姫】がいるが統治者で女王にあたる。 DQⅧ トロデーンの王女【ミーティア】が登場している。 他には【メダル王女】がいる。 DQⅨ 【セントシュタイン】の【フィオーネ姫】が登場。 トルネコ1、2 王様の居る城に、王女(と王子)も居る。