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打棒系 大煩悩解脱棒 (ダイボンノウゲダツボウ) 【打棒】 基本性能 価値 重量 攻撃力 耐久度 5 5.8 19 75 命中補正 回避補正 物理耐性 妖術耐性 +4 +6 − − 装備可能 全職 装備区分 懐剣術系武器 必要Lv 11以上 付与効果 気合+30 腕力+3 備考 本願寺の下間頼次のドロップ 情報募集 名前 コメント
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夏の暑い日。さて、今日もいつものように部室のドアをノックする。が、返事がない 部室のドアを開けると、誰もいなかった。 返事がなかったから、朝比奈さんがいない事は分かってた。古泉はしらん!いつもなら部室の片隅で分厚い本を読んでるはずの長門までいないとはね。 しかし、俺より先に来てるはずのハルヒもいないと、またよからぬ事を企んでいるのではと思ってしまう。 部室の中に入り、なんだかアマ~い匂いがするなと思いつつ、やる事もないので、ネットサーフィンでもやろうかとパソコンの前に来ると、ハルヒの制服がイスの上に乱雑に置かれていた。 今度はどんなコスプレだ?と、思いつつ見ると、ブラジャーまであった! ちなみに色は、薄い黄色のチェックだ。なかなかかわいらしいではないか。 もしかしたらと思い、制服をよけていくと、ブラと同じ柄のパンツもあった! 今の俺の選択肢 1、取りあえず眺める 2、サイズを確認する 3、匂いを嗅ぐ 4、かぶる 5、持って帰る だあぁぁぁ!これじゃただの変態じゃねーか!落ち着け、落ち着くんだ俺! だが、妄想が止まらない しかし体は正直だ。ジョンよ、落ち着いてくれ。こんな所をハルヒに観られたら、俺の人生が終わってしまう。 なんとかナニもせずいつもの自分の席にすわり、煩悩を無くすため一人でチェスを始めた。 三十分過ぎただろうか、まだ俺は煩悩と戦っていた! ええい!ダメだ!耐えられん!帰って溜まってるものを開放しなくては。 そう思い、席を立とうとした時に、いきなりドアが開いた! ハルヒ「あれ、あんた一人?」 ああ、誰もこないから帰ろうと思ってた所さ。 お前はどこ行ってたんだ? ハルヒ「プールよ!こう暑くちゃプールにも入りたくなるわよ。」 確かになと、答ハルヒを観る。今のハルヒはタオルを肩から掛けてるがビキニだった。だが、その格好は俺の煩悩をさらに刺激した! ハルヒ「なんか甘いにおいがするわね。みくるちゃんがお香でももって来たのかしら?」 そうかもな、といいハルヒから視線をチェスに移す。 やばい暴走しそうだ! ハルヒはそのまま机の方に行くと、着替え始めた。 何考えてんだかしらんが、今の俺を刺激しないでくれ!またジョンが元気になってキタ― ハルヒ「こっち見ないでよね!見たら死刑だからね!」 はっきり言おう。物凄く見たい!が見たら死刑確定なので、見ない事にする。緊張してて体が動かないんだがな。 ハルヒ「キョン」 と、呼ばれたので、着替え終わったかと思い振り向こうとすると… パサッ 頭に何かが乗せられた。布切れの間から見えるハルヒは小悪魔的な笑みをうかべている。 とりあえず手に取って見るとそれは、ハルヒのブラジャーだった! それを見た瞬間、俺の脳は容量オーバーでフリーズしてしまった。いや、オーバーヒートの方が正しいか? ハルヒ「キョン!いい加減におきなさい!このバカキョン!」 一時間後に俺はハルヒの大声によって復活した。 ハルヒ「バカキョン、さっさと帰るわよ!」 ああ、とボ~とする頭のまま帰路に着いた。 古泉「いや~失敗しましたね」 長門「おもしろくない」 みくる「あのお香ってなんだったんですかぁ?」 長門「性的欲求を高める効果がある」 古泉「そして彼に、涼宮さんを襲わせ既成事実を作ってしまおう、と考えていたんですけどね~」 みくる「でも、涼宮さんが拒絶したらどうするんですか」 長門「それはない」 みくる「言い切りましたね~」 長門「これは、涼宮ハルヒの立案」 古泉「まぁ、お香は長門さんが準備したんですけどね」 みくる「ほぇ~そうだったんですか!」 長門「次は作戦を変える」 古泉「どんな作戦で行くのですか?」 長門「まだ教えない」
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《公開済》SNM002136 シナリオガイド 公式掲示板 アイドルに取りついた108の煩悩を、打て! 担当マスター こみか 主たる舞台 (空京) ジャンル コメディ 募集スケジュール 参加者募集開始日 参加者募集締切日 アクション締切日 2012-12-26 2012-12-28 2013-01-01 リアクション公開予定日 募集時公開予定日 アクション締切後 リアクション公開日 2013-01-17 - 2013-01-07 サンプルアクション (シナリオ参加者の方にお願い、サンプルアクションの具体的な内容を補完していただけないでしょうか)(サンプルアクション名の下の四角をクリックするとでてくる「部分編集」をクリックすると登録できます)(もしくはサンプルアクション登録用掲示板へお願いします。) アイドルとして煩悩に取りつかれる +... [部分編集] ▼プレイヤーの意図 煩悩にまみれたアイドルを見てみたい ▼キャラクターの目的 アイドルとして煩悩に取りつかれる ▼キャラクターの動機 歌もいいけど、もっとやりたい事があったのです! ▼キャラクターの手段 歌もいいけど、もっとやりたい事があったのです! そう、私は年末のイベントでアレやコレやの欲求を満足させたかったのです。 取りつかれた煩悩は「男同士を強制カップリングさせたい」! 私の歌声を聞いた者は、そう……強制的にカップルになってしまうのです!(ただし男性に限る) KKY108メンバーとして望まぬ煩悩に取りつかれる +... [部分編集] ▼プレイヤーの意図 望まぬ煩悩にまみれたアイドルが見たい ▼キャラクターの目的 KKY108メンバーとして望まぬ煩悩に取りつかれる ▼キャラクターの動機 アイドルグループの一員だけど、望まぬ煩悩に取りつかれる ▼キャラクターの手段 KKY108メンバー「美雪」。お嬢様系アイドル。 取りつかれた煩悩は「庶民的なケチをしたい」。 「わたくし、一度でいいから楽屋の残ったお弁当をたくさん食べてみたかったのですわ!」 「おほほ、置いてあるお菓子を食べてしまうどころかこっそり鞄に入れて持ち帰りますわ!」 「飾られてるお花だって、持ち帰ってしまいますわ!」 正気に戻ってから「あ、あんなのわたくしじゃありませんわ!」と思いっきり恥ずかしがる。 煩悩に取りつかれたアイドルを打つ +... [部分編集] ▼プレイヤーの意図 人助けしつつも翻弄される所が見たい ▼キャラクターの目的 煩悩に取りつかれたアイドルを打つ ▼キャラクターの動機 アイドルたちを助けたい ▼キャラクターの手段 スタジオ見学に来たら、アイドルたちがおかしくなった! 軽く攻撃すれば治るそうなので、助けなきゃ。 と、意気込んで出てきたがアイドルの歌声を聴いてつい同調してしまう。 こ、これは「色欲」? まずい…… しばらく同調してから、打つ。 「エロOK」 その他補足等 [部分編集] 【タグ:SNM こみか コメディ 正常公開済 空京】
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│ステータス│詳細情報|入手方法|活用方法|効果比較│その他│コメント│ 煩悩必滅の杵 No.076 ルビ ぼんのうひつめつのきね 名前 煩悩必滅の杵 Rare 4 売却 QP,1000 マナプリズム,x3 303 刻印されたカードのクリティカル威力を 10 %アップ&防御無視状態を付与 詳細情報 イラストレーター 呂娥 解説 聖仙の骨より造られし法具。両端が分かれず尖った独鈷杵は、万有の本体たる真如を表し、また勇猛や砕破などを意味するという。 入手方法 ・「虚数大海戦 イマジナリ・スクランブル」イベント報酬 おすすめの活用方法 コメント 名前 すべてのコメントを見る
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読み さんぜひゃくはちポンドほう 正式名称 別名 和了り飜 役満 ダブル役満 牌例 解説 頭は発、3索(三刀流)・6萬・6筒(6×6=36煩悩)・1索刻子。 成分分析 三世百八煩悩鳳の47%はハッタリで出来ています。三世百八煩悩鳳の45%は怨念で出来ています。三世百八煩悩鳳の8%は罠で出来ています。 下位役 上位役 複合の制限 採用状況 参照 外部リンク
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大晦日の煩悩 496 :。 ◆Su0i7Pw71E :2007/01/02(火) 21 47 25 ID ??? スモモ「あ、この人の衣裳すごいですねーw」 コウキ「っつーかこれ衣裳じゃなくて大道具だろ…」 スモモ「これってシロナさんが着ても似合いそうですよね?w」 コウキ「あ、ひでぇ。シロナさんにチクってやろw」 スモモ「あはははははは♪」 コウキ「はははは…っつーか、親父さんとモモジは?」 スモモ「お父さんは神社におさい銭を拾いに行きました。 モモはその手伝いです」 コウキ「あんの親父は…」 スモモ「良いんですよ、もう毎年の事ですから。本当は私も行くはずでしたけど… 今年は…コウキ君と…一緒に…」 コウキ「え……」 スモモ「……」 コウキ「…も、もうすぐ新年だな…チャンネル変えようか!」 女子アナ『ここキッサキ神殿で新年を迎えようという参拝客が 五千人を越えようかという勢いです。なおも人は増えています』 ヒカリ『コウキ~!見てる~!?』 女子アナ『え!?ちょ、誰ですかアナタ!?』 ヒカリ『アタシは来年こそコウキと結ばれたいの!だからもう神頼よ!』 女子アナ『聞いてませんよそんな事!』 ヒカリ『この真冬に裸エプロンでお参りに来たわよー!裸エプロン開運法よー!』 女子アナ『ちょ、何て破廉恥な!?スタッフ!この子連れて行ってー!!』 しばらくそのままでお待ちください…。 スモモ「……」 コウキ「……アイツ1回で良いから死んでくんねーかなぁ…」 スモモ「あ、そう言えばもうすぐ除夜の鐘ですよ」 コウキ「え?あぁ、もうそんな時間か」 スモモ「除夜の鐘で108の煩悩を無くすんですよね~」 497 :。 ◆Su0i7Pw71E :2007/01/02(火) 21 48 54 ID ??? ゴーン… スモモ「あ、始まった…って…え…?」 コウキ「……」チュッ… スモモ「んむっ…コ、コウキ君…」 コウキ「鐘が1回鳴る度に1回キスしてやる…」 スモモ「な、何ですかそれ!?」 コウキ「良いじゃねぇかよ…今年の締め括りだよ…」 ゴーン… スモモ「あむっ…んん…」 コウキ「…お前と会えたこの年を、忘れられないものにしたいんだよ…」 スモモ「…コウキ君…」 ゴーン… スモモ「んむ…はぁ…ちょ、激し…」 ゴーン… スモモ「コ、コウキ君…このペースだと…108回以上…んんっ!」 コウキ「関係ねぇよ…もう止まらないからな…」 ゴーン… スモモ「な、何で脱がせるんですかぁ…?」 コウキ「お前が可愛過ぎるから悪いんだろうが…」 スモモ「そんなの知りませんよぉ…あぅ…」 コウキ「スモモ…来年もよろしくな…」 スモモ「…それって…ぅひゃぁ!?」 神主『誰か!この罰当たりをつまみ出せ!!』 親父『良いじゃねーかよ落ちてる金拾ってもよぉ!弁護士呼べ弁護士!!』 モモジリX『(あぁ…死にたい…)』 しばらくそのままでお待ちください…。
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《煩悩まみれ》 イベントカード 使用コスト1/発生コスト2/緑 [アプローチ/両方] 相手のキャラ1枚のAP/DPの値を、元に戻す。 やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。で登場した緑色のイベントカード。 自分の乃莉がいる時に発動でき、相手キャラのAP・DPをリセットする効果を持つ。 《理想と現実》の下位互換。ドロー効果がなくなったため弱体化している。 相手のコンバットトリックによる強化を無駄にできる。 相手の強化カードを無駄にできるが、自分の弱体化効果も無駄になるのでタイミングには注意。 ミックスでは特にこだわりがない限り、《理想と現実》を使った方がいいだろう。 関連項目 《理想と現実》 収録 やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。 01-114 パラレル 編集
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■中部経典 第2経 「一切煩悩経」 〈 和 訳 〉 ── このように私は聞きました。 ある時、世尊は、サーヴァッティ近くの「ジェータ王子の林」にある、 祇園精舎〈アナータピンディカ僧院〉に住んでおられました。 そこで、世尊は、比丘たちに話しかけられました。 「比丘たちよ」 「尊師よ」 と、── 比丘たちは、世尊に答えました。 そして世尊は、このように言われたのです。 「比丘たちよ、貴方たちに、あらゆる煩悩を防止する法門を説くことにする。 それをよく聞き、よく考えなさい。それでは話そう。」 「かしこまりました、尊師よ。」 比丘たちは、世尊に答えました。 世尊は、次のように言われました。 「比丘たちよ、私は知る者に、見る者に、諸々の煩悩の滅尽を説く。 知らない者、見ない者にではない。 では比丘たちよ、何を知る者に、何を観る者に、諸々の煩悩の滅尽を説くのか? ── それは、正思惟と邪思惟である。 比丘たちよ、邪思惟をする者には、 未だ生じていない煩悩が生じ、すでに生じている煩悩が増大する。 しかし比丘たちよ、正思惟をする者には、 未だ生じていない煩悩が生ずることは無く、すでに生じている煩悩は捨断される。 そして比丘たちよ、 1.見ること … によって、断たれるべき諸々の煩悩がある。 2.防護すること … によって、断たれるべき諸々の煩悩がある。 3.需用すること … によって、断たれるべき諸々の煩悩がある。 4.忍耐すること … によって、断たれるべき諸々の煩悩がある。 5.回避すること … によって、断たれるべき諸々の煩悩がある。 6.除去すること … によって、断たれるべき諸々の煩悩がある。 7.修習すること … によって、断たれるべき諸々の煩悩がある。 1.見ること…によって断たれるべき煩悩 それでは比丘たちよ、何が、見ることによって断たれるべき諸々の煩悩であるのか? ここに比丘たちよ、凡夫にして、聖者の法を聞く機会を持たず、 諸々の聖者を見ず、聖者の法を熟知せず、聖者の法に導かれることが無く、 諸々の善人を見ず、善人の法を熟知せず、善人の法に導かれることが無く、 思惟すべき諸々の法を知らず、思惟すべきでない諸々の法を知らない者がいる。 彼は、思惟すべき諸々の法を知らず、思惟すべきでない諸々の法をも知らず、 思惟すべきでない諸々の法を思惟し、思惟すべき諸々の法を思惟することが無い。 では比丘たちよ、何が思惟すべきでない諸々の法であり、彼の思惟するもの ── なのか? 比丘たちよ、諸々の法を思惟する彼に、 未だ生じていない欲の煩悩が生じるか、すでに生じいる欲の煩悩が増大する、あるいは、 未だ生じていない無明の煩悩が生じるか、すでに生じいる無明の煩悩が増大する、 ── これらが、思惟すべきでない諸々の法であり、彼の思惟するものなのだ。 ではまた比丘たちよ、何が思惟すべき諸々の法であり、彼の思惟しないもの ── なのか? 比丘たちよ、諸々の法を思惟する彼に、 未だ生じていない欲の煩悩が生じないか、すでに生じいる欲の煩悩が断たれる、あるいは、 未だ生じていない無明の煩悩が生じないか、すでに生じいる無明の煩悩が断たれる、 ── これらが、思惟すべき諸々の法であり、彼の思惟しないものなのだ。 彼には、思惟すべきでない諸々の法を思惟することから、 思惟すべき諸々の法を思惟しないことから、 未だ生じていない煩悩が生じるか、すでに生じいる煩悩が増大する。 彼は、次のような邪な思惟をする。 〈 私は、過去に現われたのだろうか、それとも現れなかったのだろうか? 過去に何になったのだろうか、過去にどのようになったのだろうか? 私は過去に何になり、その後に何になったのだろうか? 私は、未来に現われるのだろうか、それとも現れないのだろうか? 未来に何になるのだろうか、未来にどのようになるのだろうか? 私は未来に何になり、その後に何になるのだろうか? 〉── と。 あるいはまた、 〈 今、現在に、私は存在しているのだろうか、存在していないのだろうか? 何であるのだろうか、どのようであるのだろうか? この生ける者は、何処から来ているのだろうか、そして何処へ行く者になるのだろうか? 〉 ── と、心の内に疑心を抱くのだ。 このように邪に思惟する彼には、次の六つの見のうちのいずれかの見解が生じる。 すなわち、〈 私には我がある 〉との見が、彼に実際に強固に生じる。 あるいは、〈 私には我がない 〉との見が、彼に実際に強固に生じる。 あるいは、〈 我によってのみ我を思う 〉との見が、彼に実際に強固に生じる。 あるいは、〈 我によってのみ無我を思う 〉との見が、彼に実際に強固に生じる。 あるいは、〈 無我によってのみ我を思う 〉との見が、彼に実際に強固に生じる。 あるいは、〈 私のこの我は、語るもの、感受するものであり、 それぞれの処で諸々の善悪業の果報を受けている。 その私の我は、常住のもの、堅固なもの、常時のも、 不変の性質のものとなり、永久にそのまま留まるだろう。〉 ── と、このような見が、彼に生じる。 比丘たちよ、これは見に趣くもの、見の密林、見の難路、見の突き刺し、見の足掻き、見の縛りと言われる。 比丘たちよ、見に縛られ捉えられた、聖者の法を聞かない凡夫は、 生まれからも、老死からも、諸々の愁いからも、諸々の悲しみからも、 諸々の苦からも、諸々の憂いからも、諸々の悩みからも解放されることが無い、── と私は説く。 また、比丘たちよ、聖なる弟子にして、聖者の法をよく聞く者たちは、 諸々の聖者を見て、聖者の法を熟知し、聖者の法によく導かれ、 諸々の善人を見て、善人の法を熟知し、善人の方によく導かれ、 思惟すべき諸々の法を知り、思惟すべきでない諸々の法を知る者がいる。 彼は、思惟すべき諸々の法を知り、思惟すべきでない諸々の法をも知り、 思惟すべきでない諸々の法を思惟せず、思惟すべき諸々の法を思惟する。 では比丘たちよ、何が思惟すべきでない諸々の法であり、彼の思惟しないもの ── なのか? 比丘たちよ、諸々の法を思惟する彼に、 未だ生じていない欲の煩悩が生じるか、すでに生じいる欲の煩悩が増大する、あるいは、 未だ生じていない無明の煩悩が生じるか、すでに生じいる無明の煩悩が増大する、 ── これらが、思惟すべきでない諸々の法であり、彼の思惟しないものなのだ。 ではまた比丘たちよ、何が思惟すべき諸々の法であり、彼の思惟するもの ── なのか? 比丘たちよ、諸々の法を思惟する彼に、 未だ生じていない欲の煩悩が生じないか、すでに生じいる欲の煩悩が断たれる、あるいは、 未だ生じていない無明の煩悩が生じないか、すでに生じいる無明の煩悩が断たれる、 ── これらが、思惟すべき諸々の法であり、彼の思惟するものなのだ。 彼には、思惟すべきでない諸々の法を思惟しないことから、 思惟すべき諸々の法を思惟することから、 未だ生じていない諸々の煩悩が生じることは無く、すでに生じている諸々の煩悩が断たれる。 そして彼は、〈 これは苦である 〉と正しく思惟する。 〈 これは苦の生起である 〉と正しく思惟する。 〈 これは苦の滅尽である 〉と正しく思惟する。 〈 これは苦の滅尽に至る道である 〉と正しく思惟する。 このように正しく思惟する彼に、三つの結縛、すなわち、有身謬見、疑心、戒禁取、が断たれる。 比丘たちよ、これらが、「見ることによって断たれる諸々の煩悩」と言われるのだ。 2.防護すること…によって断たれるべき煩悩 次に比丘たちよ、何が、防護によって断たれるべき諸々の煩悩と言えるのか? ここに比丘たちよ、比丘は正しく観察し、眼根の防護を備えて住む。 比丘たちよ、彼が眼根の防護を備えずに住むならば、諸々の煩悩や、破壊をもたらす苦悩が起こり得る。 しかし、眼根の防護を備えて住むならば、このように、それら諸々の煩悩や破壊をもたらす苦悩が生じることは無い。 彼は正しく観察し、耳根の防護を備えて住む。 比丘たちよ、彼が耳根の防護を備えずに住むならば、諸々の煩悩や、破壊をもたらす苦悩が起こり得る。 しかし、耳根の防護を備えて住むならば、このように、それら諸々の煩悩や破壊をもたらす苦悩が生じることは無い。 彼は正しく観察し、鼻根の防護を備えて住む。 比丘たちよ、彼が鼻根の防護を備えずに住むならば、諸々の煩悩や、破壊をもたらす苦悩が起こり得る。 しかし、鼻根の防護を備えて住むならば、このように、それら諸々の煩悩や破壊をもたらす苦悩が生じることは無い。 彼は正しく観察し、舌根の防護を備えて住む。 比丘たちよ、彼が舌根の防護を備えずに住むならば、諸々の煩悩や、破壊をもたらす苦悩が起こり得る。 しかし、舌根の防護を備えて住むならば、このように、それら諸々の煩悩や破壊をもたらす苦悩が生じることは無い。 彼は正しく観察し、身耳根の防護を備えて住む。 比丘たちよ、彼が身根の防護を備えずに住むならば、諸々の煩悩や、破壊をもたらす苦悩が起こり得る。 しかし、身根の防護を備えて住むならば、このように、それら諸々の煩悩や破壊をもたらす苦悩が生じることは無い。 彼は正しく観察し、意根の防護を備えて住む。 比丘たちよ、彼が意根の防護を備えずに住むならば、諸々の煩悩や、破壊をもたらす苦悩が起こり得る。 しかし、意根の防護を備えて住むならば、このように、それら諸々の煩悩や破壊をもたらす苦悩が生じることは無い。 比丘たちよ、彼が防護を備えずに住むならば、諸々の煩悩や、破壊をもたらす苦悩が起こり得る。 しかし、防護を備えて住むならば、このように、それら諸々の煩悩や破壊をもたらす苦悩が生じることは無い。 比丘たちよ、── これらが、防護によって断たれるべき諸々の煩悩と言われるのだ。 3.受用すること…によって断たれるべき煩悩 次に比丘たちよ、何が、受用によって断たれるべき諸々の煩悩と言えるのか? ここに比丘たちよ、比丘は正しく観察し、衣を受容する。 しかしそれは、あくまでも寒さや暑さを防ぐため、虻(アブ)や蚊(カ)、 風や熱、蛇類に触れることを防ぐためであり、陰部を覆うためでしかない。 彼は正しく観察し、托鉢食を受容する。 しかし、それはあくまでも、この身体の存続のため、維持のため、害の防止のためであり、 〈 このようにして私は、空腹の苦痛を克服しよう。食べ過ぎの苦痛を起こさないようにしよう。 そうすれば私は、生きながらえ、過誤が無く、安らかに住むことになる 〉との梵行を支えるためでしかない。 彼は正しく観察し、臥座所〈住処〉を受容する。 しかしそれは、あくまでも寒さや暑さを防ぐため、虻(アブ)や蚊(カ)、 風や熱、蛇類に触れることを防ぐためであり、時節の危険を除き、独坐を楽しむためでしかない。 彼は正しく観察し、医薬品を受容する。 しかしそれは、あくまでも生起した諸々の病気の苦痛を防ぐためのものであり、 苦痛が最終的に無くなるためのものでしかない。 比丘たちよ、彼がこのように受用しないならば、諸々の煩悩や、破壊をもたらす苦悩が起こり得る。 しかし、このように受用するならば、それら諸々の煩悩や、破壊をもたらす苦悩が生じることは無い。 比丘たちよ、── これらが、受用によって断たれるべき諸々の煩悩と言われるのだ。 4.忍耐すること…によって断たれるべき煩悩 次に比丘たちよ、何が、忍耐によって断たれるべき諸々の煩悩と言えるのか? ここに比丘たちよ、比丘は正しく観察し、 寒さに、暑さに、飢えに、渇きに、虻(アブ)や蚊(カ)、風や熱、蛇類に触れることに耐える。 罵倒・誹謗の言葉に耐える。 罵倒・誹謗の言葉に、すでに生じている苦しい、 激しい、粗悪な、味気ない、不快な、命を奪うような諸々の身体の感受に耐え忍ぶ。 比丘たちよ、彼がこのように耐え忍ばないならば、諸々の煩悩や、破壊をもたらす苦悩が起こり得る。 しかし、このように耐え忍ぶならば、それら諸々の煩悩や、破壊をもたらす苦悩が生じることは無い。 比丘たちよ、── これらが、忍耐によって断たれるべき諸々の煩悩と言われるのだ。 5.回避すること…によって断たれるべき煩悩 次に比丘たちよ、何が、回避によって断たれるべき諸々の煩悩と言えるのか? ここに比丘たちよ、比丘は正しく観察し、凶暴な象を避ける。凶暴な馬を避ける。 凶暴な牛を避ける。凶暴な犬を、蛇・切り株・刺の地・穴・断崖・沼・溝・を避ける。 坐所でないようなところに坐ったり、托鉢地でないような場所を歩いたり、悪友のような者に親しむならば、 悪しき処にいると、賢明な同梵行行者〈智慧のある修行仲間〉たちが判定することになる。 彼は、その座所でないところをも、托鉢地でないところをも、悪しき友をも正しく観察し、回避する。 比丘たちよ、彼がこのように回避しないならば、諸々の煩悩や、破壊をもたらす苦悩が起こり得る。 しかし、このように回避するならば、それら諸々の煩悩や、破壊をもたらす苦悩が生じることは無い。 比丘たちよ、── これらが、回避によって断たれるべき諸々の煩悩と言われるのだ。 6.除去すること…によって断たれるべき煩悩 次に比丘たちよ、何が、除去によって断たれるべき諸々の煩悩と言えるのか? ここに比丘たちよ、比丘は正しく観察し、 すでに生じている欲の考えを認めず、断ち、除き、終わりにし、無いものにする。 すでに生じている怒りの考えを認めず、断ち、除き、終わりにし、無いものにする。 すでに生じている害意の考えを認めず、断ち、除き、終わりにし、無いものにする。 次々に生じる諸々の悪しき不善の法を認めず、断ち、除き、終わりにし、無いものにする。 比丘たちよ、彼がこのように除去しないならば、諸々の煩悩や、破壊をもたらす苦悩が起こり得る。 しかし、このように除去するならば、それら諸々の煩悩や、破壊をもたらす苦悩が生じることは無い。 比丘たちよ、── これらが、除去によって断たれるべき諸々の煩悩と言われるのだ。 7.修習すること…によって断たれるべき煩悩 次に比丘たちよ、何が、修習によって断たれるべき諸々の煩悩と言えるのか? ここに比丘たちよ、 比丘は正しく観察し、遠離 に基づく、消滅に基づく、滅尽に基づく、棄捨に基づく、念という勝れた覚支を修習する。 比丘は正しく観察し、遠離 に基づく、消滅に基づく、滅尽に基づく、棄捨に基づく、択法という勝れた覚支を修習する。 比丘は正しく観察し、遠離 に基づく、消滅に基づく、滅尽に基づく、棄捨に基づく、精進という勝れた覚支を修習する。 比丘は正しく観察し、遠離 に基づく、消滅に基づく、滅尽に基づく、棄捨に基づく、喜という勝れた覚支を修習する。 比丘は正しく観察し、遠離 に基づく、消滅に基づく、滅尽に基づく、棄捨に基づく、軽安という勝れた覚支を修習する。 比丘は正しく観察し、遠離 に基づく、消滅に基づく、滅尽に基づく、棄捨に基づく、定という勝れた覚支を修習する。 比丘は正しく観察し、遠離 に基づく、消滅に基づく、滅尽に基づく、棄捨に基づく、捨という勝れた覚支を修習する。 比丘たちよ、彼がこのように修習しないならば、諸々の煩悩や、破壊をもたらす苦悩が起こり得る。 しかし、このように修習するならば、それら諸々の煩悩や、破壊をもたらす苦悩が生じることは無い。 比丘たちよ、── これらが、修習によって断たれるべき諸々の煩悩と言われるのだ。 比丘たちよ、比丘に、 見ることによって断たれるべき諸々の煩悩が、見ることによって断たれているならば、 防護によって断たれるべき諸々の煩悩が、防護によって断たれているならば、 受用によって断たれるべき諸々の煩悩が、受用によって断たれているならば、 忍耐によって断たれるべき諸々の煩悩が、忍耐によって断たれているならば、 回避によって断たれるべき諸々の煩悩が、回避によって断たれているならば、 除去によって断たれるべき諸々の煩悩が、除去によって断たれているならば、 修習によって断たれるべき諸々の煩悩が、修習によって断たれているならば、 比丘たちよ、この比丘は、あらゆる煩悩を防止して住んでいる。 彼は、渇愛を断った者である。束縛を取り除いた者である。 正しく、慢心を現に観て、苦の終わりを作った者である。」── と。 このように世尊は言われました。 かれら比丘たちは喜び、世尊が説かれたことに歓喜しました。 〈 和 訳・おわり 〉 ● 解 説 ★今回は、「預流果」と関わりの深い「三結」を断ずる方法を、さり気なく示している経典を解説します。 中部経典2経「一切煩悩経」の中の「一節」、「1.見ることによって断たれるべき煩悩」がその部分なのです。 それでは比丘たちよ、何が、見ることによって断たれるべき諸々の煩悩と言えるのか? ここに比丘たちよ、凡夫にして、聖者の法を聞く機会を持たず、 諸々の聖者を見ず、聖者の法を熟知せず、聖者の法に導かれることが無く、 諸々の善人を見ず、善人の法を熟知せず、善人の方に導かれることが無く、 思惟すべき諸々の法を知らず、思惟すべきでない諸々の法を知らない者がいる。 彼は、思惟すべき諸々の法を知らず、思惟すべきでない諸々の法をも知らず、 思惟すべきでない諸々の法を思惟し、思惟すべき諸々の法を思惟することが無い。 では比丘たちよ、何が思惟すべきでない諸々の法であり、彼の思惟するもの ── なのか? 比丘たちよ、諸々の法を思惟する彼に、 未だ生じていない欲の煩悩が生じるか、すでに生じいる欲の煩悩が増大する、あるいは、 未だ生じていない無明の煩悩が生じるか、すでに生じいる無明の煩悩が増大する、 ── これらが、思惟すべきでない諸々の法であり、彼の思惟するものなのだ。 ではまた比丘たちよ、何が思惟すべき諸々の法であり、彼の思惟しないもの ── なのか? 比丘たちよ、諸々の法を思惟する彼に、 未だ生じていない欲の煩悩が生じないか、すでに生じいる欲の煩悩が断たれる、あるいは、 未だ生じていない無明の煩悩が生じないか、すでに生じいる無明の煩悩が断たれる、 ── これらが、思惟すべき諸々の法であり、彼の思惟しないものなのだ。 彼には、思惟すべきでない諸々の法を思惟することから、 思惟すべき諸々の法を思惟しないことから、 未だ生じていない煩悩が生じるか、すでに生じいる煩悩が増大する。 ここまでは、最初に説明した「四正断」と関係のある話になっています。 そして、してはいけない事をして、すべき事をしない …… これが凡夫だと言うのです。 しかも、「何をする」と煩悩が増大し、「何をしなければ」それを断つことが出来るのかを知らない。 つまり、「聖者(釈尊)」の法や、「善人(釈尊の法を教えてくれる人)」の法を知らないのです。 ── すると、次のようなことになるのです。 彼は、次のような邪な思惟をする。 〈 私は、過去に現われたのだろうか、それとも現れなかったのだろうか? 過去に何になったのだろうか、過去にどのようになったのだろうか? 私は過去に何になり、その後に何になったのだろうか? 私は、未来に現われるのだろうか、それとも現れないのだろうか? 未来に何になるのだろうか、未来にどのようになるのだろうか? 私は未来に何になり、その後に何になるのだろうか? 〉── と。 あるいはまた、 〈 今、現在に、私は存在しているのだろうか、存在していないのだろうか? 何であるのだろうか、どのようであるのだろうか? この生ける者は、何処から来ているのだろうか、そして何処へ行く者になるのだろうか? 〉 ── と、心の内に疑心を抱くのだ。 このように邪に思惟する彼には、次の六つの見のうちのいずれかの見解が生じる。 すなわち、〈 私には我がある 〉との見が、彼に実際に強固に生じる。 あるいは、〈 私には我がない 〉との見が、彼に実際に強固に生じる。 あるいは、〈 我によってのみ我を思う 〉との見が、彼に実際に強固に生じる。 あるいは、〈 我によってのみ無我を思う 〉との見が、彼に実際に強固に生じる。 あるいは、〈 無我によってのみ我を思う 〉との見が、彼に実際に強固に生じる。 あるいは、〈 私のこの我は、語るもの、感受するものであり、 それぞれの処で諸々の善悪業の果報を受けている。 その私の我は、常住のもの、堅固なもの、常時のも、 不変の性質のものとなり、永久にそのまま留まるだろう。〉 ── と、このような見が、彼に生じる。 比丘たちよ、これは見に趣くもの、見の密林、見の難路、見の突き刺し、見の足掻き、見の縛りと言われる。 比丘たちよ、見に縛られ捉えられた、聖者の法を聞く機会を持たない凡夫は、 生まれからも、老死からも、諸々の愁いからも、諸々の悲しみからも、 諸々の苦からも、諸々の憂いからも、諸々の悩みからも解放されることが無い、── と私は説く。 ── これに続いて、今度は、今までとは逆の人〈聖なる弟子〉についての説明が始まります。 説明は長いのですが、要は、凡夫の「逆パターン」を考えればいいわけです。 また、比丘たちよ、聖なる弟子にして、聖者の法を聞く機会を得て、 諸々の聖者を見て、聖者の法を熟知し、聖者の法によく導かれ、 諸々の善人を見て、善人の法を熟知し、善人の方によく導かれ、 思惟すべき諸々の法を知り、思惟すべきでない諸々の法を知る者がいる。 彼は、思惟すべき諸々の法を知り、思惟すべきでない諸々の法をも知り、 思惟すべきでない諸々の法を思惟せず、思惟すべき諸々の法を思惟する。 では比丘たちよ、何が思惟すべきでない諸々の法であり、彼の思惟しないもの ── なのか? 比丘たちよ、諸々の法を思惟する彼に、 未だ生じていない欲の煩悩が生じるか、すでに生じいる欲の煩悩が増大する、あるいは、 未だ生じていない無明の煩悩が生じるか、すでに生じいる無明の煩悩が増大する、 ── これらが、思惟すべきでない諸々の法であり、彼の思惟しないものなのだ。 ではまた比丘たちよ、何が思惟すべき諸々の法であり、彼の思惟するもの ── なのか? 比丘たちよ、諸々の法を思惟する彼に、 未だ生じていない欲の煩悩が生じないか、すでに生じいる欲の煩悩が断たれる、あるいは、 未だ生じていない無明の煩悩が生じないか、すでに生じいる無明の煩悩が断たれる、 ── これらが、思惟すべき諸々の法であり、彼の思惟するものなのだ。 彼には、思惟すべきでない諸々の法を思惟しないことから、 思惟すべき諸々の法を思惟することから、 未だ生じていない諸々の煩悩が生じることは無く、すでに生じている諸々の煩悩が断たれる。 そして、ここからが大切なポイントとなります。 そして彼は、〈 これは苦である 〉と正しく思惟する。 〈 これは苦の生起である 〉と正しく思惟する。 〈 これは苦の滅尽である 〉と正しく思惟する。 〈 これは苦の滅尽に至る道である 〉と正しく思惟する。 このように正しく思惟する彼に、三つの結縛、すなわち、有身謬見、疑心、戒禁取、が断たれる。 比丘たちよ、これらが、「見ることによって断たれる諸々の煩悩」と言われるのだ。 ── つまり、「八正道」の「正見解」と「正思惟」によって、「預流果」を得ることができるのです。 彼は、〈 これは苦である 〉 と正しく思惟する。 〈 これは苦の生起である 〉 と正しく思惟する。 〈 これは苦の滅尽である 〉 と正しく思惟する。 〈 これは苦の滅尽に至る道である 〉 と正し思惟する。 というこの言葉は、「定番〈ワンパターン〉」として定着しすぎていますが、 この内容を「楽味・危難・出離・生起と消滅を見る」に置き換えて考えてみてください。 そうすれば、その内容がどういうものであるのかが、より具体的に観えてくるはずです。 「 三結 〈 有身謬見・禁戒取・疑 〉 」は、見道と呼ばれ、 正しい見方を身に着けることによって断じることが出来るのです。 ── この「三結」の中の、一番の「ポイント」は、「疑惑」なのです。 彼は、次のような邪な思惟をする。 〈 私は、過去に現われたのだろうか、それとも現れなかったのだろうか? 過去に何になったのだろうか、過去にどのようになったのだろうか? 私は過去に何になり、その後に何になったのだろうか? 私は、未来に現われるのだろうか、それとも現れないのだろうか? 未来に何になるのだろうか、未来にどのようになるのだろうか? 私は未来に何になり、その後に何になるのだろうか? 〉── と。 あるいはまた、 〈 今、現在に、私は存在しているのだろうか、存在していないのだろうか? 何であるのだろうか、どのようであるのだろうか? この生ける者は、何処から来ているのだろうか、そして何処へ行く者になるのだろうか? 〉 ── と、心の内に疑心を抱くのだ。 つまり、「私」というものの「過去・未来・現在」に囚われ、それをあれこれ考える。 ── これこそが「疑念」なのです。 そこから、「我」についての「六種類」の憶測・分別 … 要するに「四句分別」が生まれてしまうのです。 だからこそ釈尊は、「 無我 〈 そのような考えに囚われるな!!〉 」 を 弟子たちに説いたのです。 ※ このポイントを理解出来れば、「預流果」に至ることは、それほど難しくはありません。 ★また、最後の「7.修習すること…によって断たれるべき煩悩」での「修習」とは、「七覚支の修行」を指します。 これから、その「七覚支」と呼ばれる修行法 について、簡単に説明します。 この修行法は、「四禅定」のプロセスを、一つ一つ確認してゆくものなのです。 ①念覚支 … 四念処の修行です。 主に、貪りと怒りにアプローチして滅します。 ②択法覚支 … 善法と悪法を選別することです。 念覚支と精進覚支に連動します。 善法 解脱、涅槃の役に立つ、有益な教え。 悪法 解脱、涅槃の役に立たず、有害な教え。 ※社会通念の善悪とは関係ありません。 ③精進覚支 … 択法覚支と連動します。 つまり、善法を増大させ、悪法を減少させる努力のことを言うからです。 ④喜覚支 … ①~③までの努力を続けていくと、やがて、苦受が不苦受に変化します(心の苦の滅)。 するとその人は、煩悩にのた打ち回る人から、のたうち回らない人へと変化します。 その時のサインが「喜」「軽安」(+楽)なのです。 「喜」とは、心の苦しみから解放された喜びなのです。 ⑤軽安覚支 … ストレスから解放された心が、体に軽快さをもたらします。 そして、ここまでが初禅の入り口なのです。 ⑥定覚支 … 四禅定の実践です。三受にアプローチして、貪り・怒り・無知を滅するのです。 貪りから生じる楽受を捨てることで不楽受(新しい楽の現出)に至る。 最後に、不苦不楽の境地に至る。 (これは、不一不二、無分別と同じ境地です) ⑦捨覚支 … 第四禅で到達した、不苦不楽をも捨てて、解脱するのです。 ── これが、七覚支の修行プロセスなのです。 ★ここで、釈尊の「修行法」について、少し説明をしてみましょう。 釈尊の教えは、「四諦八正道」だけで、その 全てを語り尽くすことが出来る ── と言われています。 この「四諦」と「八正道」の関係は、面白く、お互いがお互いを「包摂(包み込む・内包する)」しています。 つまり、「四聖諦」の最後に「八正道」が置かれ、「八正道」の最初に「四聖諦」が置かれているのです。 ※四聖諦 … 1.苦聖諦(四苦八苦) 2.苦集聖諦(十二縁起の順観、楽味・味著) 3.苦滅聖諦(出離) 4.苦滅道聖諦(十二縁起の逆観、危難・過患→八正道) ※八正道 … 1.正見解(四諦) 2.正思惟(有尋有伺定) 3.正語 4.正行為 5.正生活 6.正精進(四正断) 7.正念(四念処) 8.正定(四禅定) 釈尊が弟子たちに教えた「修行法」は、三七菩提分法 ── または、七科三七道品と呼ばれています。 1.八正道 … 正見解・正思惟・正語・正行為・正生活・正精進・正念・正定。 2.四正断 … 律儀断・断断・随護断・修断。 3.四念処 … 身念処・受念処・心念処・法念処。 4.五 根 … 信根・精進根・念根・定根・慧根。 5.五 力 … 信力・精進力・念力・定力・慧力。 6.七覚支 … 念覚支・択法覚支・精進覚支・喜覚支・軽安覚支・定覚支・捨覚支。 7.四神足 … 欲如意足・精進如意足・心如意足・観如意足。 ── この中のラスト、「四神足」については、今後も、詳しく説明するつもりはありません (秘密厳守) が、 … まぁ、シンプルな説明としては、「四聖諦」 の 「応用形」になると言えます ( ただし、逆バージョン ) 。 これらの「修行法(七科三十七道品、但し四神足を除く)」の、相互関係を、簡単に説明してみましよう。 修行のメインとなる「八正道」の、理論的なバックボーン(論拠)は、「十二縁起の逆観」なのです。 1.無明 ( 四聖諦を知らないこと ) → 正見解 (四聖諦を知ること ) 2.行 (身・口・意の三行) → 正思惟 (正しい意の行い、有尋有伺定へと向かう) → 正語 (正しい言葉の行い) → 正行為 (正しい身の行い) → 正生活 (三行を正した生活 ) 3.識 (六識) 感官の防護 4.名色 (受・想・意思・触 と 四大 ) → 正精進と正念、つまり「四念処」の修行。 5.六処 ( 六つの感覚器官 ) 有尋有伺定・無尋有伺定・無尋無伺定の修習。 聖者における最高の感官の修習。 6.触 ( 六処+六境+六識の和合 ) ( 五蓋の滅 → 苦受が不苦受に転変 → 喜、軽安 ) 7.受 ( 三受→苦受・楽受・不苦不楽受 ) → 正定、つまり「四禅定」の修行。 三受からの離脱 = 三毒(煩悩)の滅。 8.渇愛(苦の直接因、輪廻の作り手) 渇愛の滅尽。 9.取著(執着) 10.有(欲界・色界・無色界へのルートが出来る) 11.生(再生) 12.老死(再生による苦) ── 上記は、「十二縁起」と「八正道」の関係を図式化したものです。 そしてさらに、「八正道」と他の修行法との関係についても、解りやすく「図式化」してみましょう。 1.正見解 不厭逆想への厭逆想、その善法・悪法の把握。 厭逆想への不厭逆想、その善法、悪法の把握。 … 対消滅に至る。 → 出離。 2.正思惟 … 慧の修行。 楽味・危難・出離と、その生滅を知る 修行。 3.正 語 口行を正す。 4.正行為 身行を正す。 5.正生活 … 戒の修行。 感官の防護。 6.正精進 四正断。(択法覚支をメインとする →道智・非道智・行道智) 7.正 念 四念処。 五根。(有尋有伺定 → 厭逆想の育成と確定) 五力。(無尋有伺定 → 念の現前・トリガーを作る) 無尋無伺定は、休息のため(掉挙を静める) 七覚支。 … 四念処から四禅定への確認プロセスを示す。 8.正 定 … 定の修行。 四禅定。 … 三受に潜在する「三毒」を滅する。 ※ そして、この後で、「四聖諦」の「応用編」となる「四神足」の修行に進む。 → 三明六通。 ( 但し、ケース・バイ・ケース) ── これが、釈尊が弟子たちに教えた 「 修行法 ( 主要な体系 ) 」 の 全体図 なのです。 〈 了 〉。。
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煩悩(ぼんのう、kleza、क्लेश (sanskrit))とは、仏教の教義の一つで、身心を乱し悩ませ、智慧をさまたげる心のはたらきを言う。 原始仏教の時代においては、人の苦の原因を自らの煩悩ととらえ、解脱による涅槃への道が求めれた。 部派仏教の時代になると、煩悩の深い分析が行われるようになった。 大乗仏教の時代でもこの分析は続けられ、特に唯識が示した心と煩悩の精緻な探求は仏教が到達した一つの究極点といえよう。 しかしこの時代には、煩悩を否定しないというそれまでの仏教には無かった発想が生じてきた(#如来蔵)。 如来蔵思想はその後の大乗仏教に深く影響を与えた。 このように煩悩の観念は時代を経るに従い、様々な意味を付加して深化しているといえよう。 108 煩悩は108あり、除夜の鐘を108 回衝くのは108の煩悩を滅するためと俗に言われるが、実際には時代・部派・教派・宗派により数はまちまちである。小は3にはじまり、通俗的には108、大は(約)64,000といわれる。煩悩の根本に三毒(後述)があり、それを細かく分析すればキリもないほど数多いと考えるべきであろう。 三毒 貪欲(とんよく)・瞋恚(しんに・しんい)・愚痴(ぐち)のいわゆる「三毒」が煩悩の根源(人間の諸悪の根源)であり、とくにその中の「愚痴」、すなわち物事の正しい道理を知らないこと、十二因縁の無明(むみよう)が、最も根本的なものである。 貪欲は、「とんよく」と読む。一般の読みと異なることに注意。 煩悩は、我執(自己中心の考え、それにもとづく事物への執着)から生ずる。この意味で、十二因縁中の「愛」は、ときに煩悩のうちでも根本的なものとされる(日常語の愛と意味が異なることを注意)。 有部 説一切有部(せついっさいうぶ)は、煩悩を分析し、知的な迷い(見惑)と情意的な迷い(思惑または修惑)とに分け、また貪・瞋・癡・慢・疑・悪見の6種を根本煩悩とした。さらに、付随する煩悩(随煩悩)を19種数える。 唯識 大乗仏教の瑜伽行派(ゆがぎょうは)は、この根本煩悩から派生するものとして、20種の随煩悩を立てた。 如来蔵 如来蔵思想では、煩悩とは本来清浄な人間の心に偶発的に付着したものであると説く(客塵煩悩(きゃくじんぼんのう))。この煩悩を智慧によって断滅し、衆生(しゅじょう)が本来もっている仏性(ぶっしょう)を明らかにすること、すなわち煩悩の束縛を脱して智慧を得ることが、大乗仏教の求める悟りにほかならない。 菩薩の四弘誓願(しぐぜいがん)に「煩悩無量誓願断」が立てられているのは、煩悩を断ずることが大乗仏教の基本思想であることを示す。 人間はしょせん煩悩から逃れられぬというところに観念し、煩悩をあるがままの姿として捉え、そこにさとりを見出だそうとする煩悩即菩提の考えが、しだいに大乗仏教の中で大きな思想的位置を占めるようになった。
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即興かつ煩悩 練習にいそしむ水泳部員が水面に飛び込む音と、指導の声が盛んに飛び交いますは麻帆良学園中等部・屋内プール。 その部員達の中でも、一際整ったフォームと速いスピードで泳ぎきった少女が一人おりました。 「……フウ」 プールから上がって、女子中学生と言われても疑問に思いそうな長身にタオルを被ったのは3-A・出席番号6番、大河内アキラさん。 「……そろそろ、時間だよね」 どことなくソワソワしていた彼女が時計を確認しますと、急ぎ更衣室に戻って制服へと着替えます。 「おっ、来たにゃー」 「遅れてごめんね、裕奈……それじゃあ、行こう」 プールの出口でアキラを迎えたのは、同じく3-Aの生徒であります明石裕奈さん。 先に待っていたらしい裕奈を促して、アキラが向かいます場所は…… 「そーだよねー……そろそろ一週間になるもんねー、しっと団の年初めの活動日って」 「いや、そんなこと聞いたことないよ裕奈……来週はバレンタインデーだよ」 2人並んで巡るのは学園都市のスーパー、それも菓子コーナーでありまして、会話の内容からしてやることは決まっているようです。 「分かってるって、アキラが愛しのバカレッドに手作りチョコと、恋する気持ちをプレゼントする日なんでしょ?」 「ちょっと裕奈! からかわないでよ……」 裕奈さんは無造作な手つきで、義理チョコにするっぽい包みのチョコレートをカゴに放り込みながら、アキラの気持ちをわかりやすーく代弁しております。 「いやいやー、私は感心してるんだってば。中等部に入ってすぐにこっちもオドロキな理由でアキラが惚れちゃってから、何かと気持ちを表せなくてやきもきしてばっかりだったのに、バレンタインデーなんて絶好のタイミングで告白しようだなんて……人間って成長するんだねー」 「ま、まだ告白なんてするつもりないよ……そんな勇気ないから……」 アキラの気持ちを至近距離で見守ってきた裕奈が褒めてみせますが、当のアキラはそこまで明け透けに言えないのか、顔を赤らめて小声になってしまいます。 「だからそれがダメなんだってば! あのエロバカってば高畑先生に一直線なんだし、いっそ”チョコより私を食べて~”ぐらいしないと……」 「そ……そんなこと、出来るわけないじゃない!」 「あはははは……そりゃそーだよ、ジョーダンで言ったんだから。あ、ひょっとしてやってみようとか思ってた?」 「思ってないって! もう、裕奈ってば……」 冗談を受け付ける状況じゃなかったアキラは、裕奈にそっぽを向けて拗ねてしまいましたよ。 「あーゴメンゴメン……それにしても、アキラの男の見る目を疑う気はないけど、どーしてアレを好きになれるんだか……」 「え、それは……」 裕奈が謝るついでに言った言葉に、アキラは自然に答えようとしましたが。 (裕奈が言ってるように成績は悪いらしいし、ちょっといやらしいところもあるし、高畑先生に憧れてるらしいけど……気取ったりしないで、素直に人を信じてくれて、口が悪くても気持ちは優しくて……そういう男の子だから、好きになったんだと思う……) いざ答えてしまったら、それこそ恥ずかしさで茹だってしまいそうな理由だってことに気付いて、押し黙るしかなくなってしまいました。 「それは……何なのよー、好きな人ジマンしてくれるんじゃないのー?」 「な、何でもないってば! ほら、早くレジに行こうよ……」 そんな尻切れトンボで裕奈さんが見逃すワケがありませんで、レジへと逃げるアキラをチクチク問い詰めながら追いかけていきましたとさ……嗚呼、女子中学生の恋バナよこっぱずかしき哉。 「「……あ」」 「あ……あ゛あっ!?」 そこへ突然アキラの進む先で見つかったのは、”課長・島耕作パンツ”、略して”島パン”をカゴに入れた意中の人……なんて最悪のオチを噛ませて終幕でございます。