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和田春樹東京大学名誉教授(74)は2日、韓国の国民大学日本学研究所主催の「領土問題をどのように解決するか」をテーマにした招請講演で、「日本は竹島(韓国名:独島)が韓国領土であることを認めなければならない」と述べた。複数の韓国メディアが報じた。 韓国メディアは、「日本の和田春樹教授“日本は独島が韓国領土であることを認めなければ”」「“日本は独島を韓国領と認め、韓国は日本の漁業権保障すべき”」 などと題し、日本を代表する良心的知識人の和田春樹教授の発言が関心を集めていると伝えた。 和田春樹教授はこれまでも竹島問題について、日本政府が韓国の領有権を認め、日本の島根県の漁民たちの漁業権を確保するのが最善の道だと主張してきたと紹介。 和田教授は、領土問題に関する3つの選択肢として「両国が“固有の領土”であることを主張して対立する」「解決されないまま保留状態を継続する」「積極的に解決しようとする」などを挙げ、これは3つ目の案だと解説した。また、両国が“固有の領土”と主張することの危険性について繰り返し強調し、日韓両国が対話を通じて問題を解決すべきと指摘した。問題解決のための3原則として、「これまで両国間が結んだ条約と宣言の活用」「実効支配を尊重」「両国間の利害関係の調和」などを挙げた。 一方、韓国政府に対しては、竹島を国連海洋法条約による排他的経済水域(EEZ)の基点に定めずに、現在のように日本の漁民の漁業権を保障しなければならないと述べたと伝えられた。 (編集担当:李信恵・山口幸治) 2012/11/06(火) 12 42 http //news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2012 d=1106 f=national_1106_012.shtml
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海賊の多くは沿岸を拠点とする元漁民で、無政府状態になった91年以降、当初は漁場を荒らす外国の漁船を追い払う目的で武装。その後、私兵集団と結びついて人質の身代金狙いの海賊行為に手を染めるようになったという。 海賊のリーダーは現地では「最も女性にもてる存在」という。荒稼ぎした金で海岸の一等地に豪邸を建て、豪華な結婚式を挙げる様子がアフリカの新聞や雑誌で取りあげられ、豊かな生活の「象徴」にもなっているという。 ( http //www.asahi.com/international/update/0123/TKY200901220286.html より) ソマリアが世界最大の海賊スポットになった背景の第1は、同国の国家崩壊と経済壊滅である。 【中略】 もう1つの背景は【中略】マグロやエビをはじめ水産資源の豊富な漁場であるソマリア沖海域が外国の大型漁船団による乱獲に晒され、その結果、地元の零細漁民や漁業会社が収入源を失ったという事情がある。 また、欧州諸国などによる違法な廃棄物の投棄も問題になっており、国連環境計画(UNEP)スポークスマンによると「欧州国内で1トンの廃棄物を処理するのに 1000ドルかかるのに対して、アフリカの角に投棄すれば2.5ドルで済む」とされる。化学物質や放射性廃棄物が投棄されている疑いも指摘されている。 ( http //www.the-journal.jp/contents/newsspiral/2008/12/post_177.html より)
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1688年 越前坂井郡神浦の漁船、朝鮮に漂着 元禄元(1688)年、越前坂井郡神浦の漁民28名、朝鮮知世浦に漂着する。朝鮮、これを送還する。 参考文献 外務省記録局編, 1884. 外交志稿. 外務省.
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必要そうな生活施設 問題1・2で不足していると思われる生活施設を一覧にしました。 これから作成・流用可能として公開される場合の参考にしてください。 生活施設 関連する職業 着手状況 造船所(小型船舶) 船乗り、漁民 船着き場 船乗り、漁民 お屋敷 メード、給仕、執事、掃除人、庭師 ゴミ処理場 掃除人 猟区 狩人 鉱床(小規模) 採掘師 作成済み 鍛冶工房 鍛冶屋 製鉄所 鍛冶屋 陶芸工房 陶芸家 製材所 木工職人、大工 林業事務所 木工職人、大工 薬草畑 薬師 カウンセリングサロン(仮称) カウンセラー 養護施設 介護士 牧場 酪農家、畜産家、動物調教師 屠殺場 畜産家、食肉加工者 アトリエ 画家、芸術家 動物病院 獣医 代書事務所 代書士、一般事務員 計理事務所 計理士、一般事務員 公園 植木屋、庭師 植木屋事務所(仮称) 植木屋 神社 神職、巫女 作成済み 保健師 保健所、(学校) 風俗店、遊郭など 娼婦/男娼 整備場 整備士 自動車工場(中高物理) 運送業者 運送会社 運送業者 警備会社 一般警備員 出版社 出版業者 印刷工場 出版業者 ホテル、旅館など 宿泊業者 ラジオ局 ラジオ局員 劇場 詩人、ダンサー、俳優、大道芸人、歌い手 作成済み 美術館 画家、芸術家 政庁 藩国政庁職員 ※設定上だけでもあれば良いかも? うらぶれた溜まり場(仮称) チンピラ、アウトロー 工務店 鳶、石工、左官、住宅設計士、大工、土木工事管理者 本屋 書店員 屋台 赤提灯の親父 寺子屋 寺子屋の主 税関 税関職員 貿易商社 商人、通関士 紡績工場 織物職人 織物工場 織物職人、染物職人 靴工場 職人、職人見習い、靴磨き職人 探偵事務所 探偵(帝國版) ガラス工房 ガラス職人 警察署、交番 警官 消防署 消防士 取引市場 投資家 弁護士事務所 弁護士 飛行場など パイロット ※藩国独自の観光地 土産物売り アクセサリー工房 アクセサリー細工師 通信事業者 ※インフラ(電話など) 食用油工場+原材料植物の畑 料理人
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2012年8月31日〆 図書紹介文 201114030北尾渉 図書名:竹島は日韓どちらのものか 著 者:下條 正男 出版年:2004年4月20日 出版社:文藝春秋 要約 第1章 ことの発端―十七世紀末の領土紛争 竹島問題は、1953年1月18日韓国政府が、海上に「李承晩ライン」を宣言し、そのライン内に竹島を含めたことが発端。1954年9月2日、韓国政府は竹島の武力占拠を決定すると、9月15日、灯台を設置。一方で日本は9月25日に竹島問題に関して国際司法裁判所へ提訴を韓国政府に打診したが、韓国政府は、10月28日にこれを拒否した。 (150字) 第2章 舞台は朝鮮に―誤解の始まり 1693年11月2日、釜山の倭館に入った使臣、多田與左衛門は、朝鮮政府に宛てた対馬藩主宗義倫の書翰を携えていた。そこには安龍福の証言と大谷家の漁師たちの証言をもとに作成、竹島(鬱陵島)侵犯の状況と経緯が記されていた。貫域瀕海の漁民たちは、日本国の竹嶋(鬱陵島)に至り、ひそかに漁採をなしている。日本の漁民が此処は日本領だと警告。しかし、朝鮮人40人余りが侵入。そこで日本の漁民は2人を生き証人として鳥取藩に訴え出た。 (203字) 第3章 その後の経緯―二つ異なる歴史確認 日本と朝鮮では、過去の歴史に対する考え方、記録に残す際の姿勢が違った。それは、鬱陵島問題を記録した対馬藩と朝鮮側の文献においても指摘することができる。対馬藩では、1726年、越克明に『竹嶋(鬱陵島)紀事』の編纂を命じた。越は関連する文献を時間の経過に従って配置するというやり方で、問題の顚末を記録に留めている。 (152字) 第4章 現代の竹島―対話の拒否と事なかれ主義 1945年8月15日の日本の敗戦は、朝鮮半島にとっては植民地支配の桎梏からの解放だった。しかし、独立はすぐには訪れず、12月26日から戦後処理問題を米・英・ソ連・中国の4か国による最高5年間の信託統治が行われることが決定した。反対の声も上がったが、米ソ対立で、朝鮮半島も38度を境に2分され、朝鮮半島の南を米国の、北をソ連の軍政下に置かれた。 (164字) 第5章 争点の整理―何をどうくいちがっているのか 鬱陵島の帰属問題以来、約300年ぶりに及ぶ日韓の歴史には、誤解と誤謬が錯綜しており、竹島問題一筋縄ではいかないことを痛感させられる。また1面、過去の歴史を通観することで明らかになったのは、日韓の間に殆ど対話らしいものがなく、そのため歴史の理解が一方的になり、その独善的な歴史理解がされに客観性を欠いた歴史認識を再生してきたということである。 (168字) まとめ そもそもの発端は、韓国による独自のラインで世間に広まり、何度か竹島問題解決に向けて、国際司法裁判所へ提訴したが、韓国はこれを拒否。また、歴史的にみると、日本側と朝鮮側とで主張が食い違うこともあった。戦後には、米ソの対立にて、朝鮮は、南北に分けられる。その時は、GHQが「マッカーサーライン」を制定。そこには朝鮮領として、竹島があった。発端となった「李承晩ライン」は韓国では「平和線」と呼ばれていた。現在でも、互いに話し合いをすることがあまりなく。全然進展しない。 この本は、少し古めなため、最近のことは記されていない。最近は、ロンドン五輪中に韓国の李明博大統領が島根県竹島へ上陸というニュースがあった。また、韓流スターたちが島根県竹島へ泳いでいった。日本政府はこれに対し、再び国際司法裁判所へ提訴するも、韓国はこれを拒否。しかし、日本は単独提訴に踏み切る姿勢である。いち早く話し合いをし、領土問題が解決される日を願っている。(409文字) コメント 名前 コメント すべてのコメントを見る
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この海域で海賊が跋扈する根本原因は、20年以上も続く内戦を通じてソマリアが国家も経済も崩壊状態に陥り、その下で仕事を失った漁民が止むに止まれず身代金稼業に転身したことにあるのであって、結果としての海賊行為を軍事力によって物理的に制圧しようとするだけでは、モグラ叩きのようになって何の解決にもならないのではないか。 http //www.the-journal.jp/contents/newsspiral/2008/12/post_177.html
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クレセントコーヴCrescent Cove 西ザナラーンの足跡の谷にある寂れた漁村。 第七霊災による海流の変動により、漁獲高が減っているらしく、農業など別業種への転換を志す漁民もいるようだ。 また、銅刃団による警備の対象外となっているためか、サー・キヴロン男爵IV世配下の盗賊たちに苦しめられているらしい。 名前の由来 見ての通り、ここは鄙びた漁村さ。 三日月型の入り江があるから、 「クレセントコーヴ」って呼ばれている。
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合計: - 今日: - 昨日: - ※動画URL http //www.ustream.tv/recorded/6964011 ※反省およぴ今後の課題 警備当局(愛知県警名古屋中村署公安警備部?)との抗議許可交渉中、 お手本の中国駐名古屋総領事館での録画を流しっぱなしで、 本番に臨んでしまったのは失敗。 ※以下、抗議文 竹島に関する抗議 タイカン民国 駐 名古屋 大韓民国 総領事 李 泰雨 (イ・テウ) 殿 わたくし、ゆっくり~~ぃ は、貴国の竹島の、不法占拠に、こうぎいたしまぁ~~す。 「李承晩ライン」の設定と、韓国による竹島の不法占拠に関して。 1.1952(昭和27)年1月、 李承晩韓国大統領は「海洋主権宣言」を行って、 いわゆる「李承晩ライン」を国際法に反して一方的に設定し、 同ラインの内側の広大な水域への漁業管轄権を一方的に主張するとともに、 そのライン内に竹島を取り込みました。 2.1953(昭和28)年3月、 日米合同委員会で竹島の在日米軍の爆撃訓練区域からの解除が決定されました。 これにより、竹島での漁業が再び行われることとなりましたが、 韓国人も竹島やその周辺で漁業に従事していることが確認されました。同年7月には、 不法漁業に従事している韓国漁民に対し竹島から撤去するよう要求した海上保安庁巡視船が、 韓国漁民を援護していた韓国官憲によって銃撃されるという事件も発生しました。 3.翌1954(昭和29)年6月、 韓国内務部は韓国沿岸警備隊の駐留部隊を竹島に派遣したことを発表しました。 同年8月には、竹島周辺を航行中の海上保安庁巡視船が同島から銃撃され、 これにより韓国の警備隊が竹島に駐留していることが確認されました。 4.韓国側は、現在も引き続き警備隊員を常駐させるとともに、 宿舎や監視所、灯台、接岸施設等を構築しています。 5.「李承晩ライン」の設定は、公海上における違法な線引きであるとともに、 韓国による竹島の占拠は、国際法上何ら根拠がないまま行われている不法占拠です。 韓国がこのような不法占拠に基づいて竹島に対して行う いかなる措置も法的な正当性を有するものではありません。 このような行為は、竹島の領有権をめぐる我が国の立場に照らして決して容認できるものではなく、 竹島をめぐり韓国側が何らかの措置等を行うたびに厳重な抗議を重ねるとともに、 その撤回を求めてきています。 タイカン民国 駐 名古屋 大韓民国 総領事 イ テウ 殿 貴国の竹島に対するわがままを、いますぐやめてください。 平成22年 5月 15日 にちようび ゆっくり~~ぃ
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+メニュー サブ 70-99 サブ 100-120 メイン 70-99 メイン 100-120 サブ 70-99 70 72 78 80 84 88 90 92 98 ケンさんの本 怪頭獣撲滅 庶民の幸福 魚卵奪還 ネズミ退治 愛の呪い 20枚の馬券 組長の恩仇 暴れん坊事件 サブ 100-120 100 104 108 110 114 118 温暖人間 南沙紛争 現代の無能 メイドと魚介 漁民の悩み 夢食い メイン 70-99 70 75 80 85 90 95 状況捜査 重要人物 [特殊能力 逆数犠牲 予知夢 天国の扉 メイン 100-120 100 105 110 115 サンプル採集 二人の再会 幻滅の悲劇 逆転未来
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年表 BC320年ごろ ピュテアスがグリーンランド(アイスランド?)を探査* TB320a BC20年 瓠公、新羅に漂着* HB020a 157年 迎烏、日本の小島に漂着* H0157a 544年 粛慎の人、佐渡島に漂着* H0544a 570年 高麗の使人、越に漂着* H0570a 573年 高麗の使人B、越に漂着* H0573a 609年 百済の僧ら、肥後葦北に漂着* H0609a 620年 屋久島の人、伊豆諸島に漂着* H0620a 653年 遣唐使02* H0653a 654年 トカラ船漂着* H0654a 659年 遣唐使04A* H0659a 659年 遣唐使04B* H0659b 661年 大伴部博麻ら百済救援の役で唐の捕虜となる* R0661a 676年 麻續王、因幡に流される* O0676a 676年 筑紫太宰三位屋垣王、土佐に流される* O0676b 677年 新羅人朴刺破ら五島列島に漂着* H0677a 678年 百済の使人遭難* H0678a 685年 新羅人金物需、漂着新羅人とともに帰国* H0685a 686年 防人の遭難* H0686a 699年 役小角、伊豆に流される* O0699a 703年 漂着した新羅人を新羅使に付けて還す* H0703a 724年 流刑の制が定まる* O0724a 727年 渤海使01* H0727a 733-739年 遣唐使10* H0733a 735年 筑紫から新羅に漂流したものが帰国* H0735a 739年 渤海使02* H0739a 739年 石上乙麻呂、土佐へ流される* O0739a 743-753年 鑑真* H0743a 752-754年 遣唐使12* H0752a 756年 大伴古慈悲、池田親王 、土佐に流される* O0756a 756年 楊貴妃が山口県長門市に漂着(伝説)* H0756a 760年 渤海国迎使(遣唐使13)判官、渤海使05とともに対馬に漂着* H0760a 763年 板振鎌束の漂流* H0763a 769年 氷上志計志麻呂、土佐に流される* O0769a 772年 遣渤海使07+渤海使07、能登に漂着* H0772a 774年 大宰府に命じて新羅の漂流民を帰還させる H0774a 775年 紀伊国の漁師、大水で流される H0775a 776年 高麗の使者が越前に漂着 H0776b 776年 渤海使09 H0776a 777-778年 遣唐使16 H0777a 777年 遣渤海使08, 渤海使10 H0777b 779年 渤海人ら出羽国に漂着 H0779a 792年 安曇宿禰継成を佐渡国へ配流 O0792a 793年 四天王深草が隠岐国へ配流 O0793a 783年 呉原忌寸名妹丸、海部郡に漂着 H0783a 786年 渤海使12、出羽に漂着 H0786a 795年 渤海使13、出羽に漂着 H0792a 795年 久米舎人望足、讃岐国へ配流 O0795a 795年 上毛野兄国女を土佐国に配流 O0795b 795年 大伴部阿弖良らの妻子・親族66人を日向国へ配流 O0795c 796年 流人が京へ戻ることを許可 O0796a 799年 天竺人が三河に漂着 H0799a 804年 遣唐使18 H0803a 805年 唐舶能登珠洲郡に漂着 H0805a 812年 新羅人清漢波ら日本に漂着 H0812a 815年 渤海使17 H0815a 818年 金剛三昧、峨眉山を経て、中天竺に達する T0818a 820年 唐人李少貞、出羽に漂着 H0820a 828年 但馬国に渤海人が漂着(渤海国使節#23) H0828a 836年 遣唐使19 H0836a 844年 一櫃、但馬に漂着 H0844a 845年 新羅人、日本人漂流民を大宰府まで送る H0845a 853年 円珍、琉球に漂着 H0853a 860年ごろ ナドッド、アイスランドに漂着 H0860a 862年 新羅人、丹後に漂着 H0862a 862年 新羅の僧ら、因幡に漂着 H0862b 862年 真如、入唐。天竺をめざす T0862a 864年 新羅人、石見に漂着 H0864a 873年 渤海国人崔宗佐門孫宰らの船2艘、薩摩甑島郡に漂着 H0873a 874年 新羅人、対馬に漂着 H0874a 866年 応天門の変にかかる遠流 O0866a 901年 菅原道真、高視親子の左遷 O0901a 920年 唐僧長秀、燈爐島に漂着 H0920a 930年 丹後に渤海人が漂着 H0930a 935年 呉越の人100人、肥前松浦郡柏島に漂着 H0935a 950年ごろ アイスランド人の漂流者がグリーンランドを見つける H0950a 982年 赤毛のエイリーク追放される O0982a 1002年 宋建州の海賈周世昌漂着 H1002b 1002年 大宰府に高麗人が漂着 H1002a 1004年 高麗芉陵島の人、因幡に漂着 H1004a 1019年 刀伊(女真人)、対馬、壱岐、筑前に来襲 R1019a 1019年 高麗耽羅島の人、日本に漂着 H1019a 1028年 高麗耽羅島の人7人、北陸に漂着 H1028a 1036年 高麗の漂流民11人、本国に送還 H1036a 1045年 清原守武の密貿易の発覚 O1045a 1049年 高麗人20名、対馬に漂着 H1049a 1060年 高麗の漂流民4人を送還 H1060a 1066年 宋人盧範漂着 H1066a 1078年 高麗耽羅島の漂流民を送還 H1078a 1079年 高麗人40人を送還 H1079a 1156年 妙音院師長、土佐へ流される O1156a 1156年 源頼朝、伊豆に流される O1159a 1160年 源希義、土佐へ流される O1160a 1171年 伊豆国奥島に太平洋諸島民(?)漂着 H1171a 1176年 邦人100余名、宋に漂着 H1176a 1183年 邦人73名、宋に漂着 H1183a 1190年 邦人、宋の泰州に漂着 H1190a 1200年 邦人、宋の平江に漂着 H1200a 1202年 邦人、宋の定海県に漂着 H1202a 1207年 法然上人、土佐に流される O1207a 1217年 日本商船、金に漂着 H1217a 1221年 後鳥羽上皇、順徳上皇、土御門上皇の遠流 O1221a 1241年 圓爾、宋から帰国時に漂流 H1241a 1243年 高麗の漂流民を送還 H1243a 1249年 行衍房嶷浄の漂流 H1249a 1258年 日本船(?)がオアフ島に漂着 H1258a 1269年 高麗済州の漂流民を送還 H1269a 1270年 日本船(?)がマウイ島に漂着 H1270a 1293年 高麗国に漂着した日本人8人が捕らえられる H1293a 1332年 後醍醐天皇、尊良親王の遠流 O1332a 1392年 大明船、八丈島に漂着 H1392a 1397年 朝鮮蔚州の知州事李殷、倭寇に拉致される R1397a 1401年 明船、漂着する H1401a 1403年 明船、相模三崎浦に漂着 H1403a 1426年 島根県長浜に朝鮮人10人が漂着 H1426a 1455年 朝鮮人、対馬に漂着 H1455a 1457年 朝鮮人、肥前五島に漂着 H1457a 1460年 朝鮮人、豊後に漂着 H1460a 1467年 朝鮮人、筑前に漂着 H1467a 1468年 朝鮮人、周防に漂着 H1468a 1498年 ジョン・ガボット最後の航海 H1498a 1541年 明船1隻、豊後神宮浦に漂着 H1541a 1541年 ポルトガル船、豊後神宮寺浦に漂着 H1541b 1543年 鉄砲伝来 H1543a 1543年 ポルトガル船、豊後に漂着 H1543b 1553年 リチャード・チャンセラー白海に漂着 H1553a 1566年 安南船、三河渥美郡片浜浦に漂着 H1566a 1566年 明船5隻、相模三浦に漂着 H1566b 1570年 ポルトガル船1隻、肥前に漂着、長崎を視察 H1570a 1592年 山科勝成、紅村頼成、安南に漂着し殺さる H1592a 1596年 サンフェリーペ号土佐に漂着 H1596a 1600年 ウィリアム・アダムス(三浦按針)の漂着 H1600a 1601年 ポルトガルの船、上総大瀧浦に漂着 H1601a 1602年 ポルトガル船、土佐に漂着 H1602a 1605年 有馬晴信の遣い、媽港に漂着し殺される H1605a 1609年 ドン・ロドリゴ九十九里浜に漂着 H1609a 1610年 メキシコ船、東国に漂着 H1610a 1611年 ヘンリー・ハドソン、ハドソン湾に置き去りにされる H1611a 1611年 薩摩の商船、媽港に漂着 H1611b 1615年ごろ カンボジア船、筑後柳川に漂着 元和年間 H1615a 1616年 美保の漁師、朝鮮に漂着 H1616a 1617年 大屋甚吉、鬱陵島に漂着 H1617a 1634年 慶尚道の漁民の石見に漂着 H1634a 1637年 ポルトガル船、琉球に漂着 H1637b 1637年 米子の漁師、蔚山に漂着 H1637a 1643年 オランダ船、陸奥南部に漂着 H1643a 1643年 ポルトガル人、筑前大島に漂着 H1643b 1644年 越前国の廻船、韃靼に漂流 H1644a 1645年 天草耶蘇教の徒、漂流に託して朝鮮に逃れる H1644b 1645年 清国広東の船、朝鮮南桃浦に漂着 H1645a 1649年 清船、肥前五島に漂着 H1649a 1653年 対馬の漁民、朝鮮に漂着 H1653b 1653年 オランダ船、朝鮮全羅道に漂着 H1653a 1663年 肥前五島の漂流民、朝鮮から対馬に送還 H1663a 1666年 米子船、朝鮮国慶尚道に漂着 H1666a 1666年 隠岐の漁民、江原道三陟に漂着 H1666b 1667年 尾張孫左衛門船、馬丹島に漂流 H1667a 1669年 阿波国勘左衛門船、無人島に漂着 H1669a 1671年 播磨飾磨津の漁民、朝鮮巨済島に漂着 H1671a 1672年 讃岐塩飽島の漁民、朝鮮に漂着 H1672a 1673年 陸奥国相馬の船、東寧(台湾)に漂着 H1673a 1673年 清船、肥前平戸に漂着 H1673b 1676年 豊前小倉の漁民、朝鮮に漂着 H1676a 1679年 朝鮮人、薩摩甑島の内瀬に漂着 H1679a 1680年 バタン船、日向に漂着 H1680a 1681年 清国の船、天草に漂着 H1681a 1682年 清船、野間崎で破船 H1682a 1684年 朝鮮の船、対馬に漂着 H1684b 1685年 伊勢国度会郡神社村船、マカオに漂着 H1684a 1685年 清国漁船、長門に漂着 H1685a 1686年 清国泉州の商ら、対馬琴浦に漂着 H1686a 1686年 清国商船、肥後天草に漂着 H1686b 1687年 ルソン船、尾州と紀州に漂着 H1688a 1688年 薩摩の船、広東に漂着 H1688b 1688年 越前坂井郡神浦の漁船、朝鮮に漂着 H1688c 1688年 ポルトガル船、紀伊熊野に漂着 H1688d 1689年 清国商船、日向兒島郡に漂着 H1689a 1690年 朝鮮人死体が、長門阿武郡須佐浦に漂着 H1690a 1692年 薩摩の漂流民、長崎に護送される H1692a 1692年 備前岡山の漁民、朝鮮多太浦に漂着 H1692b 1693年 安龍福ら、鬱陵島で米子大谷家の船頭等に拉致される R1693a 1693年 安南国王、漂流民送還を謝す H1693a 1693年 讃岐の船、浙江定海県に漂着 H1692c 1693年 長門の船、広東陽江県に漂着 H1693b 1694年 清国船、中永良部島に漂着 H1694a 1694年 清国船、甑島に漂着 H1694b 1695年 伝兵衛、カムチャツカへ漂流 H1695a 1695年 江原道蔚珍県の漁民、出雲神門郡鷺浦に漂着 H1695b 1696年 朝鮮人、蝦夷に漂着 H1696a 1698年 寧波の商王懋功ら、肥前五島多多羅島に漂着 H1698a 1701年 ダンピア、アスンシオン島付近で難破 H1701a 1704年 アレクサンダー・セルカーク、無人島に漂着 H1704a 1708年 日本人がカムチャツカに漂着? H1708a 1708年 ローマ教皇使節シドッチ、日本に潜入 T1708a 1710年 サニマ(日本人)、カムチャツカに漂着 H1710a 1711年 久留米藩船、フィリピンに漂着 H1711a 1712年 亘理郡荒浜船、広東へ漂流 H1712a 1713年ごろ ヤコフ・マクシモフ(日本人)、カムチャツカに漂着 H1713a 1713年 キスチ(日本人?)、ポロムシリ島に漂着? H1713b 1715年 朝鮮人が宮古島に漂着 H1715a 1720年 遠州鹿丸、鳥島に漂着 H1719a 1720年 摂州大阪大津屋利三郎が八丈島へ漂着 H1720a 1727年 小笠原貞頼、小笠原渡航を目指すが帰らず H1727a 1728年 唐人が宮古島に漂着 H1728b 1728年 若潮丸、カムチャツカ半島に漂着(ゴンザ、ソウザ) H1728a 1729年 藤曲(宇部市)の船、出羽沖で難破 H1729a 1739年 江戸宮本善八船、鳥島に漂着 H1739a 1741年 ベーリング、ベーリング島へ漂着 H1741a 1744年 南部多賀丸、北千島に漂着 H1744a 1750年 唐人が宮古島に漂着 H1750a 1752年 十三夜丸、台湾に漂着 H1752b 1752年 春日丸、中国舟山に漂着 H1752c 1753年 福聚丸、フィリピンに漂着 H1752a 1756年 陸奥国津軽郡石崎村治右衛門船朝鮮に漂着 H1756a 1757年 志摩若市丸、台湾に漂着 H1757a 1764年 伊勢丸、ミンダナオ島に漂着 H1764a 1765年 トルストゥイフ、カムチャツカで暴風に遭い死亡 H1765a 1765年 常陸姫宮丸、安南(ベトナム)に漂着 H1765b 1765年ごろ 陸奥住吉丸漂流 H1765c 1768年 ベニョフスキー、カムチャツカに流刑(のち脱走) O1768a 1770年 朝鮮人駿河興津に漂着する H1770a 1773年 薩摩藩士ら舟山諸島に漂着する H1773a 1783年 伊勢神昌丸、アムチトカ島に漂着 H1783a 1786年 サポジニコフ、アムチトカ島で座礁 H1786a 1788年 ペルーズ、バニコロ島に漂着 H1788a 1790年 ラジシチェフ、シベリアに流刑 O1790a 1794年 陸奥若宮丸アリューシャン諸島に漂着 H1793a 1804年 陸奥慶祥丸、北千島に漂着 H1804a 1807年 文化魯寇 R1807a 1808年 通州の船頭ら薩摩防津に漂着 H1808a 1810年 摂津歓喜丸、カムチャツカに漂着 H1810a 1812年 高田屋嘉兵衛、ロシア兵に拉致される R1812a 1832年 宝順丸遭難。3名がアメリカへ漂着 H1831a 1841年 中浜万次郎(ジョン万次郎)、鳥島へ漂着 H1841a 2005年 津軽海峡で外国人6人漂流 H2005c 2005年 NZで漂流の邦人女性救助 ダイビング中にはぐれる H2005d 2005年 香港を出発した船沈没し乗員2名、ベトナム沖で救助される H2005e What s New 取得中です。