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読裏刑罪新聞と読売新聞 糞野郎がまたシャシャリ出てきた。 ご存知「読売新聞グループ本社代表取締役会長」渡邉恒雄である。 未だに「正しい力」を背に受けて権力にへばりついている化け物である。 どうやら今回の「大連立構想」の絵を描いた張本人であるが、歳のせいか手元が狂ったようである。いや、この騒動を失敗とするにはまだ早急である。この後でおこる衆議院選挙にどう影響を及ぼすか?においておのずと答えが出るのであろう。 しばしば政局の場面で名前が挙がる森喜朗。総理大臣の器ではなかったが、根回しの役割には適任らしい。今回の場合も使いの者として登場した。元総理大臣が使いパシリである。現自民党議員馳浩(ハセヒロシ*元プロレスラー)の引退記念試合に森喜朗が来賓として招待されていた。引退試合の対戦相手はブードゥー・マーダーズである。その試合中ヤッシーというプロレスラーが森善朗をみつけてマイクパフォーマンスをした。 「オイ、このチンカス野郎!その腹には金がつまってんのか?お前悪そうな顔してるな〜」と。大爆笑したのを憶えている。 また森善朗氏が首相だったときのことであるが、景気は最悪で世間は暗澹(アンタン)たる風が吹いているときだった。麻生太郎氏はじめ若き日に所属してた全国区の団体がある。当時その関係の幹部たちが各県の支部に集まって会議が開かれていた。そこに首相の息子も所属しているらしい。そのご子息がベルファーレ貸切で誕生パーティーを開いていて神田うのも飛び入り参加したと、自分の話でもないのに嬉しそうに話しているのを聞き慨嘆しこう申し述べた。 「親がイットを推し進めてたら、バカ息子も調子に乗るわな!」と。 「IT」イットってww。勿論幹部連中の談笑がひきつったわけだが。wwww 当時ペーペーだった私の代わりにウチの支所の幹部が謝りに回ったのだが。 まぁしかしいつの世も裏で絵を描いてる人間がいるわけで、平和ボケした我が大和の民は「晩御飯のおかず何にしようかしら?」と思案に暮れるのである。
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憲法改正推進・防衛力整備推進・外国人参政権反対など保守愛国的な政治姿勢も見受けられるものの、根本部分で「日本は悪い国だった」とする東京裁判史観に囚われたままの読売新聞。 一昨年の福田首相(リベラル派)擁立工作、そして最近の異常とも思える麻生首相(保守派)叩きも原因はそこにあるのではないでしょうか。 <目次> ■読売新聞の政治的スタンス ■安倍首相退陣表明後の福田擁立工作 ■読売新聞グループ本社代表取締役会長・主筆 渡邉恒雄の発言 ■麻生首相バッシング ■読売新聞の不祥事 ■読売新聞のスポンサー ■ご意見、情報提供 ■読売新聞の政治的スタンス 最初に論点明確化のため、読売新聞の立ち位置を以下のように想定します。 ◆政治的スタンス五分類(内枠) 進歩重視 伝統重視 親・全体主義(閉ざされた社会) I 左翼(共産主義、社会主義、リベラル左派) ⇔親和性高い⇔(左/右しばしば転向) V 右翼(国民社会主義※1、ナショナリズム) 反・白人/反・英米的親アジア傾向、独裁制 ‡非常に対立的 II 中間(便宜主義) ‡反・左翼で一致だが潜在的には対立 モボクラシー(衆愚制) 親・自由主義(開かれた社会) III 真正リベラル(本来のリベラル=リベラル右派) ⇔親和性高い⇔(伝統に根ざした自由) IV 真正保守(伝統保守) 親・文明/親・英米的デモクラシー(民主制) ※サイズが合わない場合は こちら をクリック ◆政治的スタンス八分類 (外枠) ※極右と極左は隣接 「ナチスとコチスは兄弟」 Political Stance Ultra-Left Left-Winger Liberal Centrist Neo-Liberal Conservative Right-Winger Ultra-Right 政治的立ち位置 極左(急進・過激派) 左翼(革新) リベラル左派(中道左派・進歩派) 中間(オポチュニズム) リベラル右派(新自由主義) 保守(伝統保守) 右翼(ナショナリズム) 極右(急進・過激派) 政治制度 一党独裁(全体主義) 指導政党制(準全体主義) 選択的多党制・政権交代を前提(純度の高い議会制デモクラシー = 自由民主制 liberal democracy)※2 指導政党制(準全体主義・権威主義) 一党独裁(全体主義) 革命(Revolution)断行 革命・クーデターによる政体変更を否認 維新(Restoration)断行 クーデター断行 経済制度 共産主義 社会主義 資本主義 国民社会主義※1 経済政策 国家管理 高負担・高福祉 やや高負担・高福祉 功利主義・無定見 最小限の介入 中負担・中福祉 高負担・高福祉 国家管理 外交政策 親大陸(反英米) 親英米(反大陸) 反英米・反大陸 日本の事例 社民党(旧社会党) 自民党 大日本愛国党(ほぼ消滅) 日本共産党 民主党 国民新党(消滅) 維新政党新風 みどりの風・生活の党 公明党 みんなの党 日本維新の会 海外の事例 米・露 ソ連共産党(現:ロシア共産党) 民主党(米) 共和党(米) 統一ロシア(プーチンの与党) 英国 労働党(英) 自由民主党(英) 保守党(英) ドイツ 左翼党(旧東独社会主義統一党) 社会民主党(独) 自由民主党(独) キリスト教民主同盟・社会同盟(独) ナチス党(消滅) 国内メディアの立ち位置 赤旗(共産党支持) 朝日・毎日・中日・NHK(民主・社民支持) 読売・日経(大連立志向) 産経(自民支持) チャンネル桜(保守派支持) ※読売は「保守」ではなく「便宜主義」※産経も「保守」ではなく「中道右派」 ※政治現象を読み解くために…上の図は頭に入れて置こう⇒上図の詳しい説明は 政治の基礎知識 参照 ※意見はこちらへ⇒ 政治的スタンス分析 ※1:国民社会主義 … 「国民」を神聖視した戦後はナチスと結びついた national socialism を「国家社会主義」とワザと誤訳してきたが、戦前の刊行物は「国民社会主義」と正しく訳しており最近の高校教科書の記述も語義どおり正しく翻訳するようになってきた(例:2006年検定合格の山川世界史教科書:「国民(国家)社会主義」と表記)。 ※2:自由民主制 … 「国民」を神聖視したのと同様に「デモクラシー」を「民主主義」とワザと誤訳して神聖視した戦後は liberal democracy をも「自由民主主義」とワザと誤訳してきた。⇒詳しくは デモクラシーの真実 参照。しかし厳密に学問的な政治学の著作は democracy を「民主主義」ではなく、ちゃんと「民主制」「民主政体」「民主政治」「衆民制」などと表記している。 ■安倍首相退陣表明後の福田擁立工作 ※詳しい方の記入をお待ちします。 ■読売新聞グループ本社代表取締役会長・主筆 渡邉恒雄 の発言 中国の『北京週報』というメディアのインタビューに、こんな内容を答えています。゛首相は誰がなろうと、靖国神社には参拝しないと約束しなければならない。もしその約束をしないならば、私は読売一千数万部の力をもってそれを倒す″ (櫻井よし子 ブログ!) ■麻生首相バッシング ※詳しい方の記入をお待ちします。 ■読売新聞の不祥事 読売新聞の不祥事年表 ■読売新聞のスポンサー 反日マスコミスポンサー表 ■ご意見、情報提供 当ページ(または当該ページ名)についての情報提供や意見がある方は掲示板でどうぞ。 ただし、wikiの編集が出来る方は、極力ご自身でページの編集をするようにしてください。
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渡邉恒樹 1978年5月17日生まれ 埼玉県所沢市出身 左投左打 楽天在籍時の背番号は「18」(まさおが来るまで)、「34」(まさおが来た後) 2004年球団創設時のドラフト2巡目指名で入団。 ご存知「ナベツネ」である。もちろん由来は球界のドンこと渡邉恒雄氏で、入団時には登録名を「ナベツネ」とする案もあったという。ただし、名前の読みは「つねき」ではなく「こうき」なので注意。 まさおが入団するまで背番号18を背負っていた男。18番を譲渡する際、一部スポーツ紙で譲渡に激怒したと報道された。 しかし、自分はそんなこと言ってないとブログでコメントし、戸惑っていた。 仙台の街頭インタビューで野球選手と気づいてもらえず一般人扱いされた経験がある。 また2ちゃんねるを見ていると自ら発言するなど、ネタ分にも事欠かない。 ルーキーイヤー、及び二年目は一軍登板こそ少なかったが安定した投球を見せ、防御率も非常によかった。 そして3年目の2007年、一気にブレイク。有銘ともに左のセットアッパーとして起用され、パ・リーグ最多の65試合に登板、防御率も3.40と安定していた。 しかし2008年、腰のヘルニア爆弾が炸裂。登録と抹消とを繰り返し、思うような成績を残せなかった。翌2009年もヘルニアに悩まされ、一軍での当番はわずか4試合に留まる。 なんだかんだで実力はあるので、早期の復活が待たれる。 2010年6月に鎌田祐哉とのトレードでヤクルトへの移籍が決定。それに合わせ登録名を「渡辺恒樹」に変更した。 神宮(戸田)では一場と仲良くな! 左の中継ぎが手薄なチーム事情から、かなり重宝されている模様。8月10日に久しぶりの勝ち星をゲット。おめでとう。ちなみに移籍初白星は1球勝利だった。プロ初勝利の権利も牽制死と盗塁死で得たもの。省エネ勝利に縁があるのかもしれない。 BIGさんと一場のトレードでは、わしせん民がやくせん民に恐縮していたが、今回のトレードでは逆の立場となった。 ヤクルトに移籍し、挨拶回りしている間にも「ずっと前からいるみたいだ」などと声をかけてもらうなどと、アットホームなスワローズにもすぐに馴染めたらしい。 2011年春キャンプでは「ローテの谷間の谷間の谷間を狙っているから。第8の先発を目指します。」などと語る。 ルーキー左腕・久古に競り負けたりもしていたが、楽天では叶わなかったCSでの登板機会を得ていた。ちなみに投球内容は(ry けが人が相次ぐ中でも一軍に上げられず、2012年オフ戦力外となった。今後はヤクルトで打撃投手になるそうだ。 中谷と共にWBCの裏方(打撃投手)を務めた。バレンティンと試合前にじゃれていたシーンは一部で有名。 関連サイト 【渡辺恒樹オフィシャルブログ】
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738 名前:NPCさん[sage] 投稿日:2008/10/31(金) 20 47 26 ID ??? ふむ、ではワシもちとプチ困報告をしよう。 暫く前まである鳥取にいたのだが、そこにプチ困GMがいた。 現代日本を舞台にしたSWで、魔法や怪物や神や悪魔が実在する設定。まあ、要はオレクラストの一種だ。 それ自体はまあいい。問題はやたらと実在の人物をNPCに出す事。勿論冒険者技能を持ってたりする。 覚えてる限り一部を列挙すると… 水野良や山本弘、アントニオ猪木、ターザン山本、他レスラー多数、上祐史浩、池田大作、宮崎学、司忍、渡邉恒雄、 長嶋茂雄、朝青龍、谷亮子、室伏広治、美川憲一、小澤征爾、矢沢永吉、田村正和、西村雅彦、渡哲也、堀江貴文、大橋巨泉、 笑福亭鶴瓶、テツ&トモ、田代まさし、道場六三郎、田原総一郎、高橋名人、キバヤシ、大槻義彦、韮沢潤一郎、上戸彩、モー娘。 さらには小泉純一郎、金正日、盧武鉉、胡錦濤、ブッシュ、ついにはベネディクト16世や天皇陛下までご出演というスゴさ。 だかしかし、ワシが一番インパクトに残ってるNPCは上記のどれでもない。 その名は『ギリヤーク尼ヶ崎』という大道芸人。 PCが神戸に行ったとき、広場で芸をしているのに出くわすのだが、そこでGMは一本のビデオを取り出す。 NHKか何かの番組の録画のようだが、そこには不気味な風貌の爺さんがナムアミダー!と一心不乱に踊る姿が… 念仏じょんがらとやらは確かに凄いと思ったのだが、その後ギリヤークがシナリオに絡む事は一切無し。 GMは何がしたかったのか。 739 名前:NPCさん[sage] 投稿日:2008/10/31(金) 20 54 54 ID ??? 738 石田ヒロユキのいたサークルを思い出したのは俺だけでいい 740 名前:NPCさん[sage] 投稿日:2008/10/31(金) 21 00 38 ID ??? 738 単に自分がインパクトを受けた芸人の画像をもってたから見せたかっただけだろ。 面白かったんならいいじゃないか。 あと、現代日本のTRPGで実在の人物をNPCにする問題点はその人物に対する思い入れ のあるPLの気分を害する可能性だけだ。クローズドでやる分には問題ないと思うが な スレ205
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1 名前:風吹けば名無し[] 投稿日:2010/10/04(月) 21 20 14.80 ID 8VFZQXii ある日の朝。いつものように各球団の戦力外情報をおかずに朝食を取っていた巨人小笠原は、思わず紙面を二度見した。 「中村ノリ戦力外」――ノリとカッスといえば昭和48年生まれの同級生であり、ともに畜生道を歩んだ同士でもある。 近鉄を破壊したノリの長打力ならセコムの看板を破壊できると睨んだカッスは、さっそくノリを訪問。 自分とバッティングで勝負をして勝ったら大正義入り、負けたら豚箱入りの入団テストを持ちかけた。 また、中洲で入浴中だった同級生松中を東京から発射した精液で捕獲し、無理矢理参加させることに。 さらに今回はノリが必死にもがく姿を肴に一杯やろうと、昭和48年会のそうそうたる面々も駆けつけた。 松中が川越の真中中央速球を二併打、カッスが谷中の危険球をキンタマに受け失神するなど白熱した対決は、最後にハプニングが。 石井一がいたずらでボールとカッスをすり替えたところ、門倉が気付かずにカッスを投げ込んでしまったのだ。 ノリはこれを迷わずフルスイング。カッスは遥かシアトルは鈴木家のカレー鍋に直撃し、日本が誇る安打製造機の胃袋で無事消化された。 終わってみればカッスは死亡、松中は豚箱入り。そしてノリの大正義入りは渡邉恒雄会長の「いらん」の一言で立ち消えとなった。 これについて大正義巨人軍原監督は「やっぱり門倉ってクソだわ」と日本シリーズ進出を力強く宣言。 なお大正義ナインはCS阪神戦に向けて安藤を徹底分析する見込み。 2 名前:風吹けば名無し[] 投稿日:2010/10/04(月) 21 21 31.77 ID U1VSBX3v サンキューノリ豚 10 名前:風吹けば名無し[] 投稿日:2010/10/04(月) 21 23 54.55 ID xN6P+H6k 国民的畜生 28 名前:風吹けば名無し[] 投稿日:2010/10/04(月) 21 31 28.90 ID /qjghL/Z 何故か松中が豚箱入りにw 33 名前:風吹けば名無し[] 投稿日:2010/10/04(月) 21 34 25.64 ID hqV6LKoW (谷中もカッス世代とは)知らなかった 39 名前:風吹けば名無し[] 投稿日:2010/10/04(月) 21 39 41.51 ID 0woygTvk 門倉のクソっぷりにはさすがのハッラも無表情 42 名前:風吹けば名無し[] 投稿日:2010/10/04(月) 21 40 37.03 ID 7NrOSzuu 48年組で来たのは面白い 48 名前:風吹けば名無し[sage] 投稿日:2010/10/04(月) 21 42 31.88 ID kSjRfNXQ 安藤じゃなしにカッス世代の選手なら100点だった 21 名前:風吹けば名無し[sage] 投稿日:2010/10/04(月) 21 28 34.04 ID QqfsNzKi 変態度 ★★★☆☆ 基地外度 ★★★☆☆ 不謹慎度 ★☆☆☆☆ 死亡度 ★★★★☆ 通報度 ★☆☆☆☆ 小笠原度 ★★★★☆ 総合評価 C http //hayabusa.2ch.net/livejupiter/kako/1286/12861/1286194814.html
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読売新聞(新聞の題字及び漢字制限前表記は「讀賣新聞」)(よみうりしんぶん)は、株式会社読売新聞東京本社、株式会社読売新聞大阪本社及び株式会社読売新聞西部本社が発行する新聞である。販売部数は1000万部を超え、世界で最も発行部数が多い(かつては旧ソ連共産党機関紙プラウダ)ギネスブックにはHighest Daily Newspaper Circulationで、朝刊と夕刊をあわせて2002年に14,323,781部を発行したと記されている。。英国Times紙と特約契約を交わした。また、親米保守派新聞として知られている。 歴史 1874年(明治7年)11月2日 合名会社「日就社」から「讀賣新聞」創刊 1917年12月1日 商号を「日就社」から「読売新聞社」に改称。 1924年2月25日 経営難から、前警視庁警務部長、後の衆院議員、正力松太郎が買収。 1925年11月15日 「よみうりラヂオ版」新設(テレビ・ラジオ欄=番組表の先駆け)。 1934年12月26日 大日本東京野球倶楽部(現:読売ジャイアンツ)創設。部数拡大に大きく貢献する。 1942年8月5日 報知新聞社を合併。「讀賣報知」に改題。 1945年(昭和20年)7月27日に論評なし公表されたポツダム宣言を、翌7月28日「笑止、対日降伏條件」と報道し、同日、鈴木貫太郎首相の記者会見上の「黙殺」発言を7月29日に報道。 1945年(昭和20年)正力松太郎社長がA級戦犯容疑で逮捕。巣鴨拘置所に収容される(1947年(昭和22年)不起訴で釈放後公職追放)。 1945年馬場恒吾、社長就任。 1946年5月1日 題号「讀賣新聞」に復帰。 1946年(昭和21年)11月12日、「漢字を廃止せよ」との社説を掲載し漢字廃止(国語国字問題参照)を推進。 1950年6月1日 読売新聞社が株式会社に改組。 1951年(昭和26年)正力松太郎の公職追放解除。 1952年11月25日 大阪市で「大阪讀賣新聞」創刊、関西に進出。 1959年5月1日 札幌市に北海道支社開設。現地印刷開始。 1961年5月25日 富山県高岡市に北陸支社開設。現地印刷開始。 1964年9月23日 北九州市に「読売新聞西部本社」設立。現地印刷開始。 1966年6月29日 この日から7月2日まで行われたビートルズ日本公演を主催。 1975年3月25日 名古屋市で「中部讀賣新聞」創刊。 1977年 発行部数で朝日新聞を抜き、日本一となる。世界でもソ連(現:ロシア)のプラウダなどを抜いて一位に。 1979年 渡邉恒雄(現読売新聞グループ本社会長)が論説委員長に就任。 1980年 空白の一日事件や読売ジャイアンツ長嶋茂雄監督解任に対する不買運動に遭う。 1988年6月1日 中部読売新聞社が読売本体と合併し読売新聞中部本社となり、題号から「中部」外れる。 1994年11月3日 当時の社長である渡邉恒雄の下で、主要なマスコミで初めて「憲法改正試案」を発表して、憲法の改正を主張。憲法について再考する一つのきっかけになった。 1999年2月1日 経営難の中央公論社を買収し、中央公論新社を設立。 2000年12月1日 紙面の文字拡大。「第二次文字拡大ブーム」に火を付ける。 2002年 1月1日 読売新聞の題字下に記載されていた、「THE YOMIURI SHINBUN」のローマ字が廃止。 7月1日 グループ再編。株式会社読売新聞社を株式会社読売新聞グループ本社(グループ持株会社)と株式会社読売新聞東京本社に、株式会社よみうりを株式会社読売新聞西部本社と株式会社読売巨人軍に会社分割。中部本社はよみうりから読売新聞東京本社に分割承継(中部支社に格下げ)。大阪本社(株式会社読売新聞大阪本社)も株式交換により読売新聞グループ本社の完全子会社に移行。 2004年1月1日 読売新聞西部本社が北九州市から福岡市に移転。 2004年12月1日 朝刊連載の4コマ漫画「コボちゃん」が、日本の全国紙の4コマ漫画では初めてカラー化。 2007年10月1日 読売新聞グループ本社・日本経済新聞社・朝日新聞社の3社がインターネット分野による共同事業及び販売事業における業務提携、システム障害と災害時における新聞発行の相互援助協定を締結することを発表。 2008年3月31日 紙面の文字を拡大(メガ文字)。 2008年8月31日 大阪本社の「泉」のコーナーが終了。新コーナーへ引き継ぐ。 読売争議 読売争議は、ポツダム宣言受諾により連合国軍最高司令官総司令部(GHQ/SCAP)の間接統治下にあった敗戦直後の日本で発生した労働争議をさす。労働争議は労使契約を締結した使用者側と労働者側において労使関係に意見の一致を見ないとき生じる争いで、法律(労働組合法 1949)において認められた行為になる(すなわち、読売争議の時点では法律はかつての調整法しかない)。 連合国軍最高司令官総司令部(GHQ/SCAP)の間接統治の指針としてのポツダム宣言は「非軍事化」「民主化」「戦争犯罪人の処罰」を骨子にする。読売争議でも「社内機構の民主化」「戦争責任の明確化」が労働者側から使用者側へもとめられている。無論、この論理の他に労働契約の解除、インフレ、都市生活者の物資窮乏といった個人的な事情もあったらしい。 しかし、事件の背景として敗戦と同時に政治や労働組合の運動が活発化した事実もあげられる。敗戦直後の日本の労働者は大日本産業報国会に編成されていたため労働組合が存在せず、このため中央組織結成運動が胎動したのも第一次読売争議の前後の話である。また政治の世界では、府中刑務所を出獄した日本共産党の徳田球一が「人民に告ぐ」の声明を発表したのも、また日共以外の合法政党が集まって再出発、政党の名前を日本社会党とすると決定したのも第一次読売争議の前後の話である。読売という一企業の労使紛争が流れの中に巻き込まれた点もあるのだろうが、同時に連合国軍最高司令官総司令部(GHQ/SCAP)の間接統治の指針が「左から右へ揺れた」点も見過ごせない。 第1次争議 太平洋戦争終結後、各マスコミでは経営陣の戦争協力について糾弾する動きが見られた。読売も例外ではなかったが、他社と違ったのは正力の力が極めて強かったことであった。この力を背景に、正力は開き直って糾弾していた記者のうち急先鋒格だった5名を解雇した。従業員側はこれに反発し争議が勃発した。ところが、程なくして正力がA級戦犯指名を受けて巣鴨プリズン収監が決定し、経営側は急遽「リベラル派の馬場恒吾(1875~1956。ジャーナリスト出身)を社長にする」ことを交換条件に5名の復職と民主化を従業員側に提案。従業員側も同意して12月に一応の争議終結を見た。それから程なくして読売社内に労働組合が結成され、委員長には、徹底したリベラリストで知られていた鈴木東民(1895~1979。後の釜石市長)が据えられた。鈴木は「民主読売」をモットーに「人民の機関紙たること」を宣言。編集局長・主筆・社会部長の主要3職も兼ねた。また、印刷部門の支配も労組に委ねられた。この頃、北海道新聞や西日本新聞などでも経営陣追放などの動きが見られた。 第2次争議 「民主読売」の成立は他のマスコミに大きな影響を与え、さらには記者クラブ改革や新しい新聞の発刊にまで波及した。しかし、1946年に入るとチャーチルの「鉄のカーテン」発言から冷戦が事実上開始され、GHQの方針に微妙な変化が起こり、これが「民主読売」の前途に暗雲をもたらした。 1946年6月、馬場はGHQの支援を取り付けた上で、鈴木たち共産党員6名に退社命令をだした。これがきっかけで争議が再発した。民間情報教育局(CIE)は第1次争議では従業員側を影ながら応援していたが、この第2次争議では馬場ら経営側を応援した。従業員側はストライキで抵抗し、経営側の人間だった務台光雄はこれに対抗すべく警察担当となって、従業員排除のために警察やMPの出動を要請した。GHQの後ろ盾が急に無くなった従業員側は初めから不利であり、警察やMPともみ合いになって血まみれになりながら輪転機を守ったが、10月には鈴木ら労組の幹部だった37名が退社処分となって「民主読売」は崩壊した。 日本共産党などはこの争議を高く評価しているが、大勢的に見れば冷戦とそれによるGHQの方針転換に大きく振り回された争議と見ることもできる。また、馬場のイメージもあまり芳しくないが、馬場サイドから見ればGHQの方針転換に忠実に従ったまでのことであり、鈴木がそれを見抜けなかっただけだという見方もある。この争議の混乱が尾を引いて読売は社の体力が大きく疲弊。読売の民間ラジオ局「読売放送」の構想が挫折した(後にラジオ東京の前身の一つとなった)。 紙面・論調 大垣藩士・子安峻らの創業した読売新聞は、「文学新聞」として知られ、明治初期、日本最大の発行部数を誇った。明治中期以降、部数が衰えた読売新聞は、1919年、白虹事件によって東京朝日を退社した松山忠二郎たちをむかえ、「大正デモクラシーの梁山泊」として、プロレタリア文学などの発表の場となるとともに、政治・経済の硬派記事を加え、部数も3万部から13万部に急伸させた。1923年、関東大震災の襲来にともない経営不振に陥った読売新聞は、中興の祖、正力松太郎の手に委ねられる。 正力松太郎は、品川主計、小林吉政などの警察官僚をさかんに経営・販売に迎え入れ、「警察新聞」化をすすめる一方、アメリカのハースト系新聞社のイエロージャーナリズムにならい、警察ネタとセンセーショナルな記事を結合させる独自の紙面作りをおしすすめた。とくに、暗黒街の取材に関しては他紙の追随を許さず、戦後は、原四郎社会部長の下、読売「社会部王国」を築き、「読売の在野精神」とよばれ、「庶民感覚」に根ざしたリベラルな論調を展開した。これは、絶対的な権力をもつ社長・社主の正力松太郎自身、自民党の政治家でありながら、社論に容喙することが少なく、また「販売の鬼」「販売の神様」と呼ばれた後任社長務臺光雄も、新聞の心臓部である編集に口を差し挟まなかったことが大きい。 1979年、渡邉恒雄論説委員長の誕生以降、紙面の編集方針や論調は右派・保守主義となった。現在は基本的に自民党支持、改憲支持、経団連支持、新自由主義経済改革支持である一方、大連立構想 (日本 2007)以降の社説等で見られるように民主党やその支持母体である労組への論調は厳しいものが多い。なお、戦争経験者であり、靖国神社(特に遊就館)における歴史認識を批判する主筆渡邉恒雄は首相の靖国参拝に反対している。 政府の政策に関し、政策分野によっては(改憲問題、防衛政策など)、社の見解(社論)を明確に打ち出すのが特徴である。他方、不得意な政策分野については、基本的に官庁発表をベースに報道を行い、官庁発表に顕れていない問題意識を独自に掘り起こすような記事に紙面を割かないのも特徴である。また、個々の記者の見解が前面に出るような記事が少なく、社論に沿った記事がほとんどなので、記事間の意見の違いについて考えさせられる機会が少ないのも特徴である。 注目を集めた報道 1954年、第五福竜丸の被爆事件の特ダネを報道、一躍、世界に知られるようになる。 一マスコミとしては初めての問題提起である「憲法改正草案発表」を発表し憲法改正論議のさきがけとなる。 サッカーワールドカップ(W杯)2002年大会の招致活動に際して、「日韓共同開催」を社論に掲げて、「日本単独開催」にこだわる日本サッカー協会・W杯招致委員会を厳しく批判する論陣をはった。事実上の招致の妨害活動は、読売ヴェルディの名称をめぐる、Jリーグ首脳部との確執が原因とみられる。 疑義が持たれた報道、スキャンダル 1925年、ラジオ欄の創設、1932年、「地方版」である「読売江東版」の刊行など、時代を先取りする紙面作りをおこなう一方、1927年、ヌード写真を社会面に掲載し、「読売のエログロ主義」とよばれ批判もうけた佐野真一『巨怪伝』文芸春秋社、1994年、137頁。 1930年代、毎日新聞・朝日新聞と同様、いわゆる「15年戦争」に全面的に協力し、戦争を煽りたてる報道をおこなった。ただし当時、同業者からは「新聞記事は創作するのが練達堪能の記者とされ、やがて幹部に出世する大道」『現代新聞批判』1938年9月15日「外電と称して実は編集室の机上でニュースを作りあげる」」 ref name= shinbunhihan19411001 『現代新聞批判』1941年10月1日と見られていて、1938年、捏造記事「揚子江上英米軍艦訪問記」で記者が処分されると驚きをもって迎えられた。また、営利主義的に親ナチ・ヒトラー礼賛の紙面作りをおこない、1941年の独ソ戦開始直後から「独軍の電撃的勝利」「赤軍の全面的崩壊」とやったため、年末になると収拾できなくなった。その姿は同時代から「昭和年代のお笑い草」 ref name= shinbunhihan19411001 / とされた。 1957年10月18日、朝刊社会面トップ記事は、前年に成立した売春防止法をめぐって、反対運動を行っていた赤線(公認売春)組織から宇都宮徳馬・福田篤泰両代議士が収賄していた、というものであった。これは法務省刑事課長・河井信太郎のリークであったが、読売に情報を漏らす法務省関係者をあぶりだすため、検察が法務省に仕掛けたガセネタであった。読売新聞は、ただちに両代議士から事実無根と告訴され、執筆者の立松和博記者も逮捕。12月18日、謝罪広告を出し、立松記者は懲戒休職処分となった。読売「社会部王国」終わりの始まり、とされるスキャンダルであった。 1974年から1975年にかけて、読売新聞は名人 (囲碁)戦騒動をおこした。1961年から始まった旧・名人戦は、高度成長期に14年間も、2500万円前後に契約金が据えおかれた。そこで日本棋院は、1億円の契約金を提示した朝日新聞に名人戦主催権を移すことを表明。あわてた読売新聞は、「金目当て」「信義がない」と激しいバッシングをほぼ1年にわたって囲碁界全体に加え、裁判にまで発展した。1975年末、「最高棋士決定・棋聖戦」創設(1976年から開始)という形で落ち着いたものの、日本棋院のプロの卵である院生の数は激減。日本囲碁界の凋落と中国・韓国の台頭の一因となった。 1978年ドラフト会議前日に協定の隙を突いて、プロ野球セ・リーグの読売ジャイアンツと作新学院、法政大学出身(のち阪神タイガース・読売ジャイアンツ、解説者)の投手江川卓が入団契約を結んだ事件。いわゆる江川事件のことである。これは栃木選出の代議士である船田中議員らが関与したとも言われ、その経緯は実録たかされ(原作:江川卓、作画:本宮ひろ志)などに詳しい。この事件は読売の100年史においてもその記載をどうするかで論議されたが、結局掲載を見送られるなど、読売社内においても一種の恥やタブー扱いになっていた。が、2005年の日本テレビのスポーツ番組においてこの事件が取り上げられ、内部での扱いが変化しつつある。 1986年12月5日夕刊では、「よみうり寸評」差し替え事件がおきた。「よみうり寸評」では、中曽根政権の売上税導入の決定に対して、「朝三暮四のもう一つの意味、詐術を用いて人を愚弄する点も、今回は当てはまる。(略)中曽根首相は七月の同日選のとき、『大型間接税は導入しない』と選挙民に約束した」と批判。渡辺恒雄主筆(1985年6月就任)の展開した「売上税は中型間接税だから公約違反ではない」という売上税導入キャンペーンにそぐわぬためで、夕刊3版から急遽差し替えられた。「よみうり寸評」で1981年の日本記者クラブ賞を受賞した村尾清一記者は、1987年6月、出版局顧問に退いた。 1987年11月29日、大韓航空機爆破事件では、「大韓航空機の墜落確認 タイ奥地」(11月30日夕刊)と報道した。墜落したのは、ベンガル湾上空であった。またこの事件では、11月30日、日本人の偽造旅券を使った人物が、中東のバーレーンで逮捕されそうになり服毒自殺をした。12月2日付夕刊で読売新聞は、「墜落大韓機自殺の男 宮本と同一人物か」と、自殺した男性が宮本明(李京雨)と同一人物と報じた。実際は金勝一で、他紙は「自殺男性 宮本と別人か」(同日毎日新聞夕刊)と報じていた。また翌3日、夕刊一面トップは、「「宮本」に逮捕状」の見出しが踊り、「3日、公文書偽造などの容疑で逮捕状をとった」と報道した。しかし、実際は、翌4日朝刊「「宮本」逮捕状請求は見送り」であり、完全な誤報であった。「韓国筋」「公安筋」に頼りすぎた結果の、誤報続出であった。 1989年8月17日、夕刊一面トップで、東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件の容疑者「宮崎のアジトを発見」と報道した。記事は「奥多摩山中・小峰峠近くで発見」「自宅から南東へ約1.5キロ」「宮崎家の使用人だった男性が住んでいた小屋」「警察が多数の有力物証を押収」「遺体放置場所もこのアジト内」「遺体観察にかよう」「宮崎供述の矛盾、疑問点がことごとく解明」などと続き、アジトのある山小屋付近の地図までのっていた。捜査本部は、全面否定。翌日には「おわび」を出したものの、「検証」記事に2ヶ月もかかり、それも「激しい取材競争の中で一線記者が冷静さを失い、断片的な情報を総合する段階で、強い思い込みから不確かな『事実』を間違いのない『事実』と信じ込んだ」(10月15日付朝刊)といった抽象的なものにおわった。「宮崎のアジト発見」は、朝日新聞珊瑚記事捏造事件や「グリコ事件、犯人取り調べ」(『毎日新聞』同年6月1日朝刊)とならぶ「平成の3大誤報」とされる一大スキャンダルであったが、朝日新聞のサンゴ事件の影に隠れてほとんど話題にされず、読売新聞は処分の内容も、記事を書いた記者の名前も明らかにしなかった。 1990年5月6日、子供の日翌日の朝刊社会面トップは、「雨の日の5日午前2時幼い2人置き去り 歩道とぼとぼ 保護 親の名言わず」と、「豊かな時代」の「子捨て」を報道し、「親の身勝手から依然として後を絶たない」と批判をくわえた。しかし実際は、父に黙って深夜に外出して保護されただけの、記者の早とちりにすぎなかった。ところが、訂正・お詫び記事を出さなかったどころか、「同署では「兄妹は大人たちに囲まれ、緊張感と警戒心で自宅がすぐ近くにあることさえ口に出せなかったのだろう」と同情している」(5月7日夕刊)と書き、誤報の責任を子供になすりつけた。 1994年3月25日、朝刊一面に「『グリコ・森永』に有力容疑者 大阪の男、一部供述」という見出しがおどった。内容は、「グループ8人か」「捜査本部一斉聴取へ」「江崎勝久・グリコ社長誘拐に始まった一連の事件について関与を示唆するような供述」「末端の実行犯の可能性」「『しゃべれば、殺される』などと供述」「当時の行動を再現させるなど、確認作業を始めた」「時効まで残すところ二ヶ月余りという局面で最大のヤマバをむかえる」というものであった。その後、続報はとまった。時効にともない、誤報は明らかであったが、読売新聞は6月2日朝刊一面の「グリコ・森永事件『アベック襲撃』も時効」と伝えたことを受けての社会面記事、「悔しい時効」の一節にあわせて掲載した「大阪社会部『グリコ・森永事件』取材班」の署名入り記事「性急だった本紙報道」の中で「情報の検証に甘さがあったことは否めない」と釈明しただけであった。 1994年7月15日夕刊では、「薬剤使用をほのめかす 事件直後に会社員」と、会社員河野義行を松本サリン事件の犯人視させる報道をおこなっている。一般に、松本サリン事件では、マスメディア全体の誤報が問題視されていて、個別報道は注視されていない。ただ、この読売報道の悪質さは、6月28日付でマスメディアが報じた「薬剤の調合をまちがえた」「農薬混合」とされたガスの正体が、7月3日になって農薬ではなくサリンと判明し、調合では精製できないことが判明したにも関わらず報道した点にあった。読売新聞は1995年5月12日になってから河野に対し紙面で謝罪をおこなった最初に謝罪をおこなったのは『朝日新聞』(1995年4月21日付)。。 1995年2月14日、東京協和信用組合の前理事長・高橋治則がおこなった、元・中曽根派の代議士山口敏夫のファミリー企業への法定限度額をこえた過剰融資と癒着を報じた記事は、編集局次長の業務命令で差し替えられた。12版・13版まで掲載された記事が14版(東京都内)で消えた背景には、旧・大野派の番記者として、山口敏夫やかれの父と親しかった渡辺恒雄社長(当時)への、編集局幹部たちの過剰な配慮があったとされた。 1995年3月28日、地下鉄サリン事件の報道が過熱する中で、朝刊一面にトップに「入院の男 容疑者と断定」「小伝馬町駅 サリン車内に置く」「目撃情報で突き止める」「回復次第 取り調べ」と題した記事をのせた。内容は、地下鉄日比谷線の電車の3両目車内に、サリン発生源である新聞包をおいたコート姿のサングラスの男は、サリンを浴びて入院している男と同一人物であることが、目撃情報によって突き止められた、というものである。しかし同日夕刊の続報では、社会面で「犯行とは無関係」と、朝刊特ダネを完全に否定した。容疑者と断定した人物についての謝罪・顛末説明はおこなわれていない。 2001年から2002年にかけて、読売新聞は田中真紀子外相更迭の旗振り役をになう。2001年6月2日付社説では、「機密費問題などに見られる外務官僚の閉鎖的体質を改めるのは大事なことだ。だが、いたずらに省内に混乱を生じ、外交を弱めるようでは本末転倒」と、田中外相の外交感覚を危惧。8月3日、4日付社説では、次官人事の混乱に基づき、田中外相の更迭を要求した。これは、「9・11」以後噴出する田中外相批判の先鞭となり、2002年1月29日の外相更迭につながっている。しかし2002年2月以降、機密費横領・水増し詐偽・組織的裏金作り・私的流用・「鈴木宗男疑惑」などが噴出すると、一転して「『政と官』の不明朗な関係が批判されているにもかかわらず、外務省幹部の意識が一向に改まっていない」(2002年2月24日付社説)と批判した。 2002年4月、個人情報保護法案と人権擁護法案の国会審議入りに際して、日本新聞協会(会長 渡邉恒雄)は、表現・報道の自由を侵すとして廃案・出直しをもとめ、緊急声明までだして反対姿勢を示していた。しかし読売新聞は、個人情報保護法については、メディアを含めて守らなければならない基本原則のうち「透明性の確保」を報道分野だけ除外する、などを柱とした「「報道の自由」と両立を/修正試案を本社提言」を5月12日付1面で掲載した。5月13日、小泉首相は、読売試案を参考にして修正協議に入るように山崎幹事長に指示。事前了解済みを疑わせる怪しい動きに、ほとんどのメディアがこの読売試案に反発。「特定の大新聞がよければ「青信号」を出せるような法案ではない」(『北海道新聞』)「読売案は<歴史の汚点>」(月刊『文藝春秋』)という批判をあびた。 2002年9月18日、小泉訪朝による日朝首脳会談では、政治部長署名記事で、「北朝鮮が軍事独裁国家である限り、経済協力などできるものではない」と啖呵をきった。しかし、1962年から65年、朴正煕政権との日韓国交回復交渉において、金鍾泌と日韓国交回復に反対していた党人派大野伴睦を引き合わせるなどして、軍事独裁国家に対する経済協力を実現させた黒子役は、読売新聞の渡辺恒雄記者(現・会長)であった。 2003年3月、米英によるイラク戦争の開始にあたって、「湾岸戦争から十二年後の今もなお、大量破壊兵器の廃棄義務を履行していない」(3月9日社説)「大量破壊兵器を廃棄した、というフセイン政権の主張は、まだ立証されていない」(3月14日社説)「問題の本質は、イラクの大量破壊兵器がテロリストの手に渡る危険性をどう排除するか、である」(3月19日)など、イラク攻撃に賛成する論陣を張った。現在、大量破壊兵器はイラクに存在しなかったことが明らかになっているが、読者への訂正・説明はなされていない。 2004年4月8日、アルジャジーラの報道から始まった、イラク日本人人質事件報道では、直後から人質とその家族を批判する「自己責任論」の火付け役となった。読売新聞は、翌9日「三人の行動はテロリストの本質を甘く見た軽率なもの」から始まり、「三人にもこうした事態を招いた責任がある」(4月10日)「人質の家族の言動にもいささか疑問がある…政府や関係機関などに大きな無用の負担をかけている。深刻に反省すべき問題である」(4月13日)「政府が『自己責任』の自覚を求めているのは当然のこと」(4月16日)と、連日社説で「軽率」「無謀」と人質の行動を批判した。4月19日付社会面では本人の帰国費用のほか、政府自治体関係者の活動費まで細かく算定して「自己負担論」を唱えるまでになった。読売新聞は、自己責任論に従いサマワから記者を撤退させたものの、「現地の治安が悪化し、外務省から航空自衛隊の輸送機で撤退を求められたため、利用」(4月15日)した時の帰国費用・活動費を「自己負担」したかどうかは不明である。 2004年11月5日、渡邉恒雄の名義とされる日本テレビ放送網株が讀賣新聞社の実質所有する株式である事を公表し有価証券報告書を訂正。これを受けて地方のテレビ局24社とラジオ局18社の株式を役員などの第三者の名義で実質保有している事も公表した。その結果、テレビ9社とラジオ3社に対する出資比率がマスメディアの集中排除の原則における制限を越えていた事実が明らかになった。その後、第三者名義にして制限を逃れる行為が他の全国紙や地方紙でもおこなわれていた事が発覚した。 2005年5月4日から5日早朝にかけてのJR福知山線脱線事故記者会見の席上、JR西日本の事故直後の対応やレクリエーションを中止しなかった事について、出席した記者が説明を求めて「あんたらはもういい、社長を呼んで」等と罵声を浴びせたり、感情的発言を繰り返していた事が判明。取材モラルに欠けていないかと読者や他のマスコミなどから批判された。後に、当の記者が報じられたことのうちの一部を否定している。 2008年7月28日、青森県版に掲載された全日本吹奏楽コンクール青森県大会関連の記事で、掲載された八戸市代表楽団長の談話は“岩手県中部の地震被災地関連の記事が必要だ”と考えた青森支局の記者が、楽団名をネット検索して書いた捏造記事だった(コメントした団長は先任者で楽団とは既に無関係)。元団長本人からの指摘で発覚。談話部分は取り消され、執筆記者は休職3ヶ月、伊藤学支局長はけん責の懲戒処分となった。取消・謝罪は「青森版」のみに掲載された。謝罪会見はおこわれず、執筆者も明らかにされていない。 中部読売の不当廉売問題 Template see? 「社会部王国」 読売新聞は、かつて立松和博、本田靖春(東京本社)、黒田清、大谷昭宏(大阪本社)といった辣腕記者を社会部に擁し「社会面に強い」と言われた。とりわけ大阪社会部はコラム「窓」、長期連載「戦争」を拠点に、社会的弱者の視点に立つ特集記事を数多く発し、黒田が社会部長になってのち社会部は“黒田軍団”という異名で呼ばれた。しかし1980年代に社内で渡邉恒雄らによる保守的思潮が主流になると圧力が高まり、1987年に黒田は退社に追い込まれた。渡邉に放逐された記者は数多いが、渡邉が直接手を下すことはなかった。渡邉の意を呈した周囲が該当する記者を左遷したり、仕事を取り上げたりして、退社に追い込むのが常であったと言われている。 この行動は読売新聞の論説体系の統一の観点からは仕方無いものではあるが、読売新聞本来の魅力である「保守的なリベラル」という二律背反しつつも社論は社論という絶妙なバランスに立脚した論説体系を捨てたという事で残念に思う旧来の読者が多い。 医療情報部 読売新聞は、他の全国紙にはない医療専門の取材機関「医療情報部」を持つ。同部長である前野一雄は、自身が脳動脈瘤、次いで甲状腺がんを患った経験を生かして「脳動脈瘤がある人の不安と選択」(ISBN 4-88320-246-1)、「甲状腺がんなんて怖くない」(ISBN 4-385-36190-8)を著している(後者は杉谷巌との共著)。また、「『健康常識』ウソ・ホント55」(ISBN 4-06-257370-9)で世間に伝わる「健康常識」に疑問を呈している。 マスコットキャラクター どれどれ 2004年1月、読売新聞の創刊130周年を記念して、アニメーション作家で映画監督の宮崎駿(スタジオジブリ)の作による、「目玉の中に忍び込む昆虫」を表した新マスコットキャラクターを発表。名前は、2004年7月、一般公募によって「どれどれ」という名前が付いた。 「どれどれ」の特長 「大きな眼」は、将来を見通し、先見性を持って報道にあたる読売新聞の基本方針を示している。新聞を読んでいるのは活字を大切にする姿勢を、緑色は環境を大切にする姿勢を象徴している。 「どれどれ」は、旺盛な探究心、好奇心を象徴する言葉である。 2005年、スタジオジブリのプロデュースによる楽曲『どれどれの唄』(唄:拝郷メイコ)が発表され、読売新聞の企業CMに使われた。「どれどれの唄」は読売新聞各本社に電話した際、部署に繋ぐ際の保留音にも採用されている。 因みに、宮崎駿は読売系列の日本テレビのマスコットキャラクター「なんだろう」も手掛けた。 だっち君 だっち君は、2002年に読売新聞夕刊のイメージキャラクターとして登場したコウモリのキャラクター。当初は夕刊のキャラクターであったが、後に購読申し込みのテレビCMや朝刊こども面のマスコットキャラクターにも起用されている。語尾に「〜だっち」と付けるのが口癖。「よみかきの森」に父の「であーる」、母の「ざます」、弟の「だっちょ」と一緒に住んでいる。 読売新聞とプロ野球 Template main? 日本のプロ野球ファンの中でもっとも数が多いと言われている巨人ファンから見ると、読売新聞を巨人軍の「親会社」と考えてる者は多くても、巨人軍を読売新聞の「グループ企業」と見る向きは少ない。そのため、巨人軍に「読売」色が全面に出る事を嫌う人達も少なくない。逆に読売新聞側の経営姿勢が新聞の売上に影響したこともある。 1980年、ファンから絶大な人気を得ていた長嶋茂雄が巨人軍監督を解任されると、ファンによる「読売新聞」不買運動が繰り広げられた。 ON対決となった2000年の日本選手権シリーズ後、特に九州地方で部数減の傾向となった。以降西部本社・大阪本社管内においては、地元の系列民放テレビ局(福岡放送とytv)への配慮から、それぞれ福岡ソフトバンクホークス・阪神タイガースの記事も同等に取り扱うようにしている。 2004年、日本プロ野球選手会によるストライキが行われた際に、選手会を糾弾する社説を掲載したところ、余りにも事実からかけ離れた文面を展開(選手を「億万長者」と表現したことなど。実際に億万長者なのは一握りである)したためファンの反発は却って高まり、選手会への同情を集める結果となった。 Jリーグのチーム表記問題 Template see also? 1992年のナビスコ杯から1993年にかけてのJリーグ草創期、自社が当時メインスポンサーとして運営していたヴェルディ川崎(現・東京ヴェルディ)のチーム名を「読売ヴェルディ」とした。(日テレも同じ。スポーツ報知=読売系スポーツ紙は「読売ヴェルディ川崎」とした) 渡邉恒雄は企業名を冠したことについて「プロ野球と同じようにJリーグも企業重視が必要だ」、「川崎製鉄、川崎重工業の商標で商標権侵害の恐れがある」実際に川崎重工がチームの広告看板スポンサーに就いた事もあった。現在はヴィッセル神戸の広告看板スポンサーに就いている。、「東京への移転問題」などの理由を挙げていた。 Jリーグでは企業名は排除して自治体(市区町村名)+愛称で表記するように指導しており、1994年度以後のシーズンは企業名を排除して「ヴェルディ川崎」としてクレジットするようになった。 その他、横浜マリノスは「横浜」、横浜フリューゲルスは「AS」とした。これはフリューゲルスが当時長崎県、熊本県、鹿児島県をホームタウンに準ずる権限のある「特別活動地域」とした実質上の広域ホームタウンであることを考慮したが、これも1994年から「横浜M」「横浜F」に統一された。 掲載四コマ漫画 コボちゃん(朝刊) サンワリ君(夕刊 2004年7月の作者の鈴木義司氏の逝去を以って掲載終了したため現在夕刊の4コマ漫画掲載なし) ドッポたち(夕刊(火~金)KODOMOくうあく面) 発行所 東京本社 東京都千代田区大手町1-7-1 北海道支社 札幌市中央区北四条西4-1 北陸支社 富山県高岡市下関町4-5 中部支社 名古屋市中区栄1-17-6 大阪本社 大阪市北区野崎町5-9 西部本社 福岡市中央区赤坂1-16-5 北九州総本部 北九州市小倉北区米町2-1-1 印刷工場 北広島、帯広、弘前、仙台、郡山、栃木、水戸、藤岡、川越、大手町、江東、東京北、府中、鶴見、瀬谷、高岡、清須、野崎町、茨木、高石、京都、神戸、岡山、坂出、北九州、鳥栖ほか(なお、最終面の左下隅に、印刷された工場の地名が表示されている) 各社の担当地域 株式会社読売新聞東京本社 青森県、岩手県、宮城県、秋田県、山形県、福島県、茨城県、栃木県、群馬県、埼玉県、千葉県、東京都、神奈川県、新潟県、山梨県、長野県及び静岡県 株式会社読売新聞東京本社北海道支社 北海道 株式会社読売新聞東京本社北陸支社 富山県及び石川県 株式会社読売新聞東京本社中部支社 岐阜県、愛知県及び三重県(津市、四日市市、伊勢市、松阪市、桑名市、鈴鹿市、尾鷲市、亀山市、鳥羽市、熊野市、いなべ市、志摩市、桑名郡木曽岬町、員弁郡東員町、三重郡菰野町、朝日町及び川越町、多気郡多気町、明和町及び大台町、度会郡玉城町、度会町、大紀町及び南伊勢町、北牟婁郡紀北町並びに南牟婁郡御浜町及び紀宝町) 株式会社読売新聞大阪本社 福井県、三重県(名張市及び伊賀市)、滋賀県、京都府、大阪府、兵庫県、奈良県、和歌山県、鳥取県、島根県(松江市、出雲市、安来市、雲南市、八束郡東出雲町、仁多郡奥出雲町、飯石郡飯南町、簸川郡斐川町並びに隠岐郡海士町、西ノ島町、知夫村及び隠岐の島町)、岡山県、広島県、徳島県、香川県、愛媛県及び高知県 株式会社読売新聞西部本社 島根県(浜田市、益田市、大田市、江津市、邑智郡川本町、美郷町及び邑南町並びに鹿足郡津和野町及び吉賀町)、山口県、福岡県、佐賀県、長崎県、熊本県、大分県、宮崎県、鹿児島県及び沖縄県 朝夕刊の別 北海道(石狩支庁、上川支庁、空知支庁、後志支庁、胆振支庁、日高支庁)、茨城県、栃木県、群馬県、埼玉県、千葉県、東京都、神奈川県、山梨県、静岡県、滋賀県、京都府、大阪府、兵庫県、奈良県、和歌山県、山口県、福岡県、佐賀県、大分県、沖縄県では、一部地域を除いて朝夕刊セット。その他の県は朝刊統合版だが、特に中部支社版のみは対象地域全域が朝刊単独(但し、静岡県向けの夕刊は中部支社で印刷しトラック輸送している)。 中部支社版の紙齢(創刊からの号数)は、2002年6月30日付までは「中部読売新聞」として創刊された時からの紙齢だったが、同年7月1日付から、東京本社の支社になったのに伴い、東京本社版と同じ紙齢になった。ちなみに、「中部読売新聞」が「読売新聞」になるまでの1988年5月31日付まで、東京本社が愛知県、岐阜県、三重県向けの地方版「中京版」を発行していた(中京版のテレビ・ラジオ欄は静岡県遠州版と共有だった)ため、実質的には東京本社発の「中京版」と、中部読売(現中部支社)の発行する「中部読売新聞」が併売された格好だった。 在籍していた著名人 芦辺拓(推理作家) 浅井信雄(国際政治学者) 大岡信(詩人) 黒田清(ジャーナリスト 物故者) 大谷昭宏(ジャーナリスト) 小倉貞男(ジャーナリスト) 佐野洋(推理作家) 塩田丸男(作家) 杉下恒夫(JICA客員国際協力専門員) 高井潔司(北海道大学教授) 本田靖春(ジャーナリスト、ノンフィクション作家) 山口正紀(ジャーナリスト) 関連企業・読売グループの企業・団体 Template see? 株式会社読売新聞グループ本社の支配下にある放送事業者 ここでは、放送局の開設の根本的基準(昭和25年電波監理委員会規則第21号)第9条(いわゆるマスメディア集中排除原則)に於いて「支配」に当たる10%を超える議決権を読売新聞の持株会社である株式会社読売新聞グループ本社が有しているものとして総務省のウェブサイトに於いて公表されている放送事業者を挙げた。 株式会社エフエム青森 株式会社テレビ岩手 株式会社宮城テレビ放送 株式会社エフエム山形 株式会社福島中央テレビ 日本テレビ放送網株式会社 株式会社テレビ新潟放送網 株式会社テレビ信州 株式会社テレビ金沢 株式会社静岡第一テレビ 讀賣テレビ放送株式会社 広島テレビ放送株式会社 株式会社福岡放送 株式会社テレビ長崎 株式会社熊本県民テレビ 株式会社テレビ大分 株式会社テレビ宮崎 参考文献 「第一篇 労働争議 第二章 主要な争議 第一節 読売新聞社の争議」『日本労働年鑑 第22集/戦後特集』1949年 法政大学大原社会問題研究所/第一出版 御厨貴『馬場恒吾の面目―危機の時代のリベラリスト』1997年、中央公論社 魚住昭『渡邊恒雄 メディアと権力』2003年 講談社 (ISBN 4062738112) 佐野眞一『巨怪伝―正力松太郎と影武者たちの一世紀』2000年 文藝春秋(ISBN 4167340038―上)(ISBN 4167340046―下) 脚注 関連項目 読売・朝日・毎日3社ニュース 読売新聞ニュース 福島民友 ザ・デイリー読売 読売ウイークリー(週刊読売) スポーツ報知 読売ジャイアンツ(読売巨人軍) 新聞販売店 読売理工学院 外部リンク YOMIURI ON-LINE yorimo(会員制ポータルサイト) 新s(あらたにす) - 読売・日経・朝日ニュースサイト 出典 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』_2008年9月14日 (日) 02 07。
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テンプレ IPアドレス(省略可) 編集項目 編集内容(削除・追加・編集) アドレス 新聞 朝日新聞 IPアドレス(省略可) 編集項目 サルヴァトール・アダモ ラッセル・ワトソン アメリカ合衆国の歴史 イタリア共産党 イトマン テレビ神奈川 ワシントン・ポスト 牛歩戦術 筑紫哲也 箱島信一 USAトゥディ 全国部落解放運動連合会 全国労働組合総連合 労使協調 北海道新聞 台湾の歴史 国会対策委員会 天皇 対南工作 平成 日ソ基本条約 日刊ゲンダイ 日本社会党 日本共産党 朝鮮日報 朝日新聞社 東シナ海ガス田問題 松本サリン事件 核武装論 梅原猛 上野千鶴子 渡邉恒雄 中華民国の政治 中華人民共和国商務部 中華人民共和国憲法 仙谷由人 潮出版社 連合赤軍 朝日新聞信用組合 編集内容(削除・追加・編集) アドレス http //wikiscanner.virgil.gr/f_JA.php?ip1=60.32.75.176-183 amp;ip2= amp;ip3= amp;ip4= http //wikiscanner.virgil.gr/f_JA.php?ip1=133.173.2.34-35 amp;ip2= amp;ip3= amp;ip4= http //wikiscanner.virgil.gr/f_JA.php?ip1=133.173.2.74 amp;ip2= amp;ip3= amp;ip4= http //wikiscanner.virgil.gr/f_JA.php?ip1=133.173.202.34-35 amp;ip2= amp;ip3= amp;ip4= 毎日新聞 IPアドレス(省略可) 編集項目 もったいない ジネディーヌ・ジダン ジーコ ディエゴ・マラドーナ ビーチフットボール ロナウジーニョ ロナウド ロベルト・バッジョ 野口健 編集内容(削除・追加・編集) アドレス http //wikiscanner.virgil.gr/f_JA.php?ip1=202.239.224.0-225.255 amp;ip2= amp;ip3= amp;ip4= 日経 IPアドレス(省略可) 編集項目 新司法試験 日経平均株価 日本経済新聞社 中田英寿 編集内容(削除・追加・編集) アドレス http //wikiscanner.virgil.gr/f_JA.php?ip1=209.137.140.192-207 amp;ip2=138.101.104.0-113.255 amp;ip3=138.101.114.0-255 amp;ip4=194.152.163.144-147 http //wikiscanner.virgil.gr/f_JA.php?ip1=85.125.246.176-183 amp;ip2=138.101.178.0-188.255 amp;ip3=194.152.163.144-147 amp;ip4= 読売新聞 産経新聞 雑誌 文藝春秋 IPアドレス(省略可) 編集項目 ラジオ福島 政井マヤ 文藝春秋 (出版社) 編集内容(削除・追加・編集) アドレス http //wikiscanner.virgil.gr/f_JA.php?ip1=202.33.87.16-31 新潮社 IPアドレス(省略可) 編集項目 ベトちゃんドクちゃん 週刊誌 週刊文春 週刊新潮 谷川岳ザイル銃撃宙吊り遺体収容事故 九州大学 編集内容(削除・追加・編集) アドレス http //wikiscanner.virgil.gr/f_JA.php?ip1=202.221.5.96-103 東スポ IPアドレス(省略可) 編集項目 ほっしゃん。 アントニオ猪木 ハッスル (プロレス) バッファロー吾郎 牛島和彦 高山善廣 小川直也 編集内容(削除・追加・編集) アドレス http //wikiscanner.virgil.gr/f_JA.php?ip61=202.232.97.200-207
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「大谷昭宏×宮崎学「法か、掟か」(2008) 法か、掟か (ゴマ文庫) 分類 エッセイ(日本人作家) 文庫 目次 第1部 対論「法か、掟か」 大谷昭宏「日本人の劣化と、法のデフレスパイラル」法律は悪法でも守るべき 法律より重いもの 日本相撲協会と社会保険庁の勘違い 学校は捜査機関ではない 法律が増えるのは人間が劣化したから 自由と責任/亀田問題と格差社会 それでもジャーナリストは弱者の側に立つべき 愛国心をもって戦場に行く若者をつくる格差社会 宮崎学「互いが愚行を認め合うことで社会は成り立つ」掟は法律より重い 家庭に法律は馴染まない ヤクザの掟とテロリストの掟 警察官は正義ではない 国家は悪である 作家の掟 オウム信者の愚行権も認めるべき この国は滅びればいい スポーツの過剰演出は悪か 借金は悪ではない 第2部 徹底対談「必要悪」と「国家の悪」 靖国神社はどこが問題か インターネットは悪か 外国人移民・不法入国者と差別構造 官僚国家ニッポンの闇 「メディアが権力の監視役」というウソ 渡邉恒雄という存在 民主主義は万能か 食品偽装の真実 暴力団抗争の裏側 銃社会ニッポン すべての犯罪対策は無意味である 監視カメラでテロは防げない/ 検挙率のウソ 警察は未来永劫変わらない 厳罰化と死刑制度 評価 ★★★☆☆ ひとこと 問題提起の本。 それでも良識派の大谷氏と過激派風の宮崎氏。 よくよく読むと当たり前のことだけれども、「掟」と捉えるとすんなり整理がつくところがなるほど、と感じた。 気になる表現 それが正しいことかそうでないか、動機が善か悪かをいう前に、他人に迷惑をかけずにできるか、自分で責任をとれるかを自分に問う、それができるのが成熟した大人といえるのではないだろうか。(p33 大谷) たしかに、国の渡航制限を無視して戦火のイラクに行き、ボランティアだ劣化ウランだとやっているうちにテロリストに捕まり、解決のために多額の国家予算が使われたことをみれば、彼らのやったことは愚行以外のなにものでもない。だが、人には具行権がある。どんなに馬鹿げたことだろうが周りに迷惑をかけようが、それをやる権利がある以上、誰も彼らのことを責められはしない。また、すべての国民を等しく守るのは国家の義務だ。愚か者だから助けなくてもいい、自分の力でなんとかしろなんてとんでもない。<中略>他人の愚行を認められなければ、自分の自由も制限されるのだ。(p64 宮崎) とにかく、民主主義以上の制度がないなんていうのは大嘘だし、アメリカのように、民主主義というペニシリンを打てば、どんな病気も一発で治るなんて考えでいるから、かえってアレルギー反応を起こして病状を悪化させてしまうようなケースが後を絶たないのです。日本の民主主義だって、本当に成功しているのかといわれたら、疑わしいところがないわけじゃありません。民主主義には、半人前にも一人前の口を利く自由を認めてしまうという悪しき一面があります。(p129 大谷) 自分は平和主義者だから、殴られるのが嫌だからと恋人を見殺しにして、あとで国家権力に、犯人を捕まえてくれ、どうか死刑にしてくださいと泣きつくような人間を、僕は心底軽蔑します。僕の掟でいうなら、そういう人間こそが、最大の悪人なのです。(p174 宮崎) メモ 参考文献
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『時代を撃つノンフィクション100』 佐高信 岩波新書 1.現代に向き合う (1)格差社会 1 無知の涙 永山 あ 2 鬼畜 西村 3 ホームレス歌人のいた冬 三山 4 村の女は眠れない 草野 あ 5 復讐するは我にあり 佐木 けあし 6 自動車絶望工場 鎌田 けあだ 7 生き地獄天国 雨宮 (2)経済の深層 8 お笑い大蔵省極秘情報 テリー伊藤 けあ 9 異色官僚 佐橋 あ 10 『会長はなぜ自殺したか』 金融腐敗=呪縛の検証 読売 8FN338.6ヨ 市立 12 電通の深層 木下 けあ 13 共生の大地 内橋 けあだこ 14 竹中平蔵 市場と権力 佐々木 けあ 15 松下幸之助の昭和史 立石 け 16 ルワンダ中央銀行総裁日記 服部 17 グーグルで必要なことは、みんなソニーが教えてくれた 辻野 けあ (3)アウトローの世界 18 憚りながら 後藤 19 闘い いまだ終わらず 山平 20 田中清玄自伝 けあし 21 突破者 宮崎 けあしだ 22 おそめ 石井 けあし 23 許永中 森 けあし (4)宗教のゆくえ 24 「疑惑」は晴れようとも 河野 あ 25 麻原彰晃の誕生 高山 あ 26 A 森 ×27 創価学会秘史 高橋 ×28 池田大作「権力者」の構造 溝口 ×29 闇の流れ 矢野 30 カルト資本主義 斎藤 け (5)現代アジアと日本 31 じゃぱゆきさん 山谷 だ 32 フィリッピーナを愛した男たち 久田 けあし 33 からゆきさん 森崎 34 エビと日本人 村井 あしだこ 35 バナナと日本人 鶴見 あだ (6)科学と市民 36 知事抹殺 佐藤 けあしこ 37 市民科学者として生きる 高木 けあしだこ 38 水俣病 原田 あだこ 39 苦海浄土 石牟礼 40 下下戦記 吉田 けあ 2.メディアへの問いかけ (1)格闘するメディア 41 ネットと愛国 安田 ×42 出版業界最底辺日記 塩山 43 『天下無敵のメディア人間』 喧嘩ジャーナリスト・野依秀市 佐藤卓己 県立 8F289.1サ 市立289ノ 44 あわわのあはは 住友 45 『メディアの支配者』 中川 県立 9F 市立 46 渡邉恒雄 メディアと権力 魚住 あ 47 『天人 深代惇郎と新聞の時代』 後藤 48 南ア共和国の内幕 伊藤 けし 49 不可触民 山際 だこ 50 記者襲撃 樋田 けあし ×51 銀バエ 山岡 ×52 武富士追及 三宅 ×53 「噂の真相」トップ屋稼業 西岡 (2)メディアのなかの個性たち 54 田中角栄 早野 あしだ 55 昭和45年11月25日 中川 け 56 赫奕たる逆光 野坂 けあしだ 57 孤獨の人 藤島 あ 58 ドキュメント 昭和天皇 田中 59 狼煙を見よ 松下 け 60 一九六一年冬「風流夢譚」事件 京谷 jけあし 61 蘆花徳富健次郎 中野 62 鞍馬天狗のおじさんは 竹中 あ ×63 井上剣花坊・鶴彬 坂本 64 たいまつ十六年 むの 65 後藤田正晴 保阪 けあ 66 『医者 井戸を掘る』 中村 3.歴史を掘り下げる (1)戦争を考える 67 拝啓マッカーサー元帥様 袖林 し 68 密約 澤地 だ 69 国防婦人会 藤井 70 別れのブルース 吉武 けあ 71 天皇陛下万(旧字)歳 上野 72 『あの戦争から遠く離れて』 城戸 73 ヒロシマ・ノート 大江 74 『原爆供養塔』 忘れられた遺骨の70年 県立 8F369.3ホ 市立369ホ 7万人が眠る土饅頭 75 逆転 伊佐 76 不死身の特攻兵 ○上 ×77 米軍ジェット機事故で失った娘と孫よ 土志 78 『日航123便 墜落の新事実』 青山 79 ルーズベルトの刺客 西木 あし 80 嘘つきアーニャの真っ赤な真実 米原 81 絢爛たる影絵 高橋 あ 82 極光のかげに 高杉 だこ (2)朝鮮・中国の歴史と日本社会 83 朝鮮と日本に生きる 金 けあしだ 84 私戦 本田 85 閔妃暗殺 角田 けあしだこ 86 ディア・ピョンヤン 梁 けあ 87 1★9★3★7 辺見 けあ 88 何日君再来物語 中薗 けし 89 ピンポンさん 城島 け 90 満州裏史 太田 けあし 91 張学良の昭和史最後の証言 NHK けあし 92 上海時代 松本 あだこ (3)近代史を学ぶ 93 ポーツマスの旗 吉村 あし 94 杉原千畝 白石 95 ある日本人の記録 石光 96 鼠 城山 あし 97 ある歴史の娘 犬養 けあし 98 マリコ 柳田 あ 99 ストロベリー・ロード 石川 けあし 100 『中村屋のボース』 中島
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秋広優人 巨人選手 熱狂的な巨人ファンで近鉄などの消滅した球団も含む他球団は全てアンチ。 石原慎太郎 元政治家 故人。熱狂的な巨人ファンで近鉄などの消滅した球団も含む他球団は全てアンチ。 稲田朋美 政治家 熱狂的な巨人ファンで近鉄などの消滅した球団も含む他球団は全てアンチ。 井納翔一 元巨人選手 熱狂的な巨人ファンで近鉄などの消滅した球団も含む他球団は全てアンチ。 小野田紀美 政治家 熱狂的な巨人ファンで近鉄などの消滅した球団も含む他球団は全てアンチ。 梶谷隆幸 巨人選手 熱狂的な巨人ファンで近鉄などの消滅した球団も含む他球団は全てアンチ。 片山さつき 政治家 熱狂的な巨人ファンで近鉄などの消滅した球団も含む他球団は全てアンチ。 木原誠二 政治家 熱狂的な巨人ファンで近鉄などの消滅した球団も含む他球団は全てアンチ。 河野太郎 政治家 熱狂的な巨人ファンで近鉄などの消滅した球団も含む他球団は全てアンチ。 櫻井よしこ ジャーナリスト 熱狂的な巨人ファンで近鉄などの消滅した球団も含む他球団は全てアンチ。 佐藤正久 政治家 福島県出身。熱狂的な巨人ファンで近鉄などの消滅した球団も含む他球団は全てアンチ。 澤村拓一 元巨人選手 熱狂的な巨人ファンで近鉄などの消滅した球団も含む他球団は全てアンチ。 菅義偉 政治家 秋田県出身。熱狂的な巨人ファンで近鉄などの消滅した球団も含む他球団は全てアンチ。過去に「巨人以外の球団は大がつくほど嫌い」という発言をしている。 菅野智之 巨人投手 熱狂的な巨人ファンで近鉄などの消滅した球団も含む他球団は全てアンチ。特に阪神と中日は「阪神と中日以外ならどこでも良かった」と発言(実際には日ハムの指名も拒否)するなど特に嫌っている。 杉田水脈 政治家 熱狂的な巨人ファンで近鉄などの消滅した球団も含む他球団は全てアンチ。 竹中平蔵 パソナ会長 和歌山県出身だが熱狂的な巨人ファンで近鉄などの消滅した球団も含む他球団は全てアンチ。阪神ファンを自称したことがあるがこれは嘘で本当は一番嫌いなチーム。 長野久義 プロ野球選手 熱狂的な巨人ファンで近鉄などの消滅した球団も含む他球団は全てアンチ。 テリー伊藤 プロデューサー 熱狂的な巨人ファンで近鉄などの消滅した球団も含む他球団は全てアンチ。 徳光和夫 フリーアナ 熱狂的な巨人ファンで近鉄などの消滅した球団も含む他球団は全てアンチ。 十倉雅和 経団連会長 熱狂的な巨人ファンで近鉄などの消滅した球団も含む他球団は全てアンチ。 中居正広 元SMAPメンバー 熱狂的な巨人ファンで近鉄などの消滅した球団も含む他球団は全てアンチ。 成田悠輔 経済学者 熱狂的な巨人ファンで近鉄などの消滅した球団も含む他球団は全てアンチ。 新浪剛史 サントリー社長 熱狂的な巨人ファンで近鉄などの消滅した球団も含む他球団は全てアンチ。 橋本琴絵 作家 熱狂的な巨人ファンで近鉄などの消滅した球団も含む他球団は全てアンチ。 橋下徹 弁護士・元大阪市長 大阪府知事→市長だが、元は東京出身、熱狂的な巨人ファンで消滅した近鉄も含む他の12球団は全てアンチ。さらに阪神においては「本拠地が兵庫県である以上、大阪のチームとして認めていない」と挑発している。詳細は「橋下徹のトライ!トライ!人生 ヒューマンドキュメント(コスミック出版)」より。 原辰徳 巨人監督 熱狂的な巨人ファンで近鉄などの消滅した球団も含む他球団は全てアンチ。「俺は巨人以外のチームで絶対に監督はやらない」と明言。ドラフトの際も巨人以外から指名された場合は入団を拒否するつもりだった。 百田尚樹 放送作家 熱狂的な巨人ファンで近鉄などの消滅した球団も含む他球団は全てアンチ。 堀内恒夫 政治家、元巨人監督 山梨県出身。熱狂的な巨人ファンで近鉄などの消滅した球団も含む他球団は全てアンチ。評論家時代には他球団を見下す発言が多々見られた。 松井一郎 政治家 熱狂的な巨人ファンで近鉄などの消滅した球団も含む他球団は全てアンチ。 松川るい 政治家 熱狂的な巨人ファンで近鉄などの消滅した球団も含む他球団は全てアンチ。 松田宣浩 巨人選手 滋賀県出身だが熱狂的な巨人ファンで近鉄などの消滅した球団も含む他球団は全てアンチ。 丸佳浩 巨人選手 千葉県出身。熱狂的な巨人ファンで近鉄などの消滅した球団も含む他球団は全てアンチ。 御手洗冨士夫 キヤノン社長 熱狂的な巨人ファンで近鉄などの消滅した球団も含む他球団は全てアンチ。 元木大介 巨人コーチ 大阪府豊中市出身、元南海ホークスファンだったが、だが熱狂的な巨人ファンで近鉄などの消滅した球団も含む他球団は全てアンチ。 山崎伊織 巨人投手 熱狂的な巨人ファンで近鉄などの消滅した球団も含む他球団は全てアンチ。兵庫県神戸市出身だが阪神は特に激しく嫌っている。 横山英幸 大阪市長 熱狂的な巨人ファンで近鉄などの消滅した球団も含む他球団は全てアンチ。 吉村洋文 大阪府知事 熱狂的な巨人ファンで近鉄などの消滅した球団も含む他球団は全てアンチ。また、38年ぶりの阪神の日本一パレードに資金を出そうとせず、さらには政治利用もしようと考えている。 リコ♡LOTTE 歌い手 熱狂的なロッテファンで近鉄などの消滅した球団も含む他球団は全てアンチ。万年最下位が定位置だったTBS時代から見下している。 渡邉恒雄 読売新聞社会長 巨人以外の近鉄などの消滅した球団も含む他球団を激しく憎んでいる。ただし巨人を支持する理由は新聞の売り上げのためであり、巨人ファンとは言い難い。 渡邉美樹 ワタミ会長 熱狂的な巨人ファンで近鉄などの消滅した球団も含む他球団は全てアンチ。