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公式本に掲載された昨年のIH覇者の戦績 森重厨 ◆ZoCgw4/rwYiN の一日 wiki最強を証明したwiki派の絶対的根拠 博多商大付属IH戦績 全勢力の主張 IH決勝 博多商大付属vs海南大附属 本編の内容に違いは無い スラムダンク2~あれから20年後~ 作者の複数のインタビューの要約 公式スレの 1 秋田県予選 山王厨 イノタケ公式ランク 公式本に掲載された昨年のIH覇者の戦績 公式本に掲載された昨年のIH覇者の戦績 2回戦:山王 130-55 飛田第二 3回戦:山王 117-64 上松商業 4回戦:山王 120-81 洛安 .準決 :山王 113-83 海南大付属 .決勝 :山王 101-79 博多商大付属 森重厨 ◆ZoCgw4/rwYiN の一日 森重厨 ◆ZoCgw4/rwYiN の一日 2010/04/01(木) 15 40 08 2010/04/01(木) 21 15 35 2010/04/01(木) 22 55 53 2010/04/01(木) 22 59 53 2010/04/01(木) 23 05 05 2010/04/01(木) 23 06 31 2010/04/01(木) 23 09 40 2010/04/01(木) 23 12 00 2010/04/01(木) 23 15 53 2010/04/01(木) 23 19 51 2010/04/01(木) 23 25 59 2010/04/01(木) 23 37 11 2010/04/01(木) 23 51 48 2010/04/02(金) 00 16 58 2010/04/02(金) 00 19 19 2010/04/02(金) 00 35 35 2010/04/02(金) 00 38 24 2010/04/02(金) 02 42 08 2010/04/02(金) 03 26 41 2010/04/02(金) 03 38 35 2010/04/02(金) 03 50 50 2010/04/02(金) 04 13 49 2010/04/02(金) 12 31 34 2010/04/02(金) 13 01 34 wiki最強を証明したwiki派の絶対的根拠 wiki最強を証明したwiki派の絶対的根拠 編集が早い 検索ですぐに引っ掛かる 全ての人間に認められた 森重厨はwikiに感動 ブログでも公式データとして扱われてた wikiは真実にも妄想にもなれる 明らかにwikiを神に押す声が多数 世間の常識 wiki>その他 博多商大付属IH戦績 博多商大付属IH戦績 2回戦: 123-53 王寺学院 3回戦: 116-58 那覇水産 4回戦: 117-54 笹岡 .準決 : 101-71 名朋工業 .決勝 : 108-69 海南大付属 全勢力の主張 全勢力の主張 深厨 深津>河田>>全選手 仙道厨 仙道≧牧、沢北 流川厨 流川>沢北、仙道 牧厨 牧>沢北、仙道、深津、藤真 森重厨 森重>河田、沢北 森重=シャック 御子柴厨 御子柴>南 藤真厨 藤真>牧、仙道 大栄厨 土屋>森重、仙道 メガネ 博多厨 全国優勝 関場 宮城厨 宮城>牧、藤真、仙道 翔陽厨 翔陽>湘北、海南 高砂厨 高砂≒赤木>魚住 松本厨 自然消滅 豊玉厨 豊玉>山王湘北海南 南厨 南>牧 越野厨 越野>>魚住、福田 公式厨 設定捏造 関場 IH決勝 博多商大付属vs海南大附属 IH準決勝 博多商大付属vs名朋工業 関場 215cm 森重「俺よりデカイの河田弟だけじゃなかったんだ」 おっちゃん「すまん寛、余計なプレッシャー与えたくなかったんだ」 IH決勝 博多商大付属vs海南大附属 観客「出たー」 関場「しゃす」 「博多だ!優勝候補2番手」 「いや今年は山王を食ってたかもしれんぞ。なんたってデカイ!!」 マイケル 関場 215cm PF 二階堂 218cm C 北沢 213cm SF 北 210cm SG 関場弟 214cm PG 牧「ちょっとトイレに・・・」 沢北「深津さんはどっちが勝つと踏んでるんですか?」 深津神「100点差で博多ピョン」 沢北「河田さんは?」 河田神「はらたいらさんに3万点」 本編の内容に違いは無い 完全版(愛蔵版) 全24巻 メリット :紙の質が良い。デカいコマで読める。連載時と同じく一部カラー。 裏表紙にちょっと面白い落書き有り。表紙も新たに書き下ろし。 デメリット:1冊980円でちょっと高価。本がデカイため幅取る。○のイラスト無し。 単行本 全31巻 メリット :話の区切れ目に面白い○のイラスト多数。 コンパクト。1冊410円なので比較的手が出しやすい。 デメリット:全部白黒。 本編の内容に違いは無い。 スラムダンク2~あれから20年後~ スラムダンク2~あれから20年後~ 湘北高校 かつては「王者」山王高校を下した事もある古豪だが 18年前の安西監督引退以降低迷が続いている 清田家康 PG 1年 159cm 本編の主人公 清田信長の息子で、父親譲りの運動能力と負けん気を持つ 自分勝手でPGとしてはまだまだ未熟だが Mr.チェリーブロッサム曰く「優秀なPGとしての資質を持っている」 流川晴夫 C 1年 194cm 日本人3人目のNBAプレイヤー、流川楓と赤木晴子の息子 赤木家の遺伝子による高身長、流川家の遺伝子による天才的なバスケセンスを持つ その才能ゆえに周りを見下しがちで、清田とは犬猿の仲 三井寿 SG 3年 184cm 神を越える一日5000本シュート練習を毎日していたら20年も留年してしまった その甲斐あってシュート成功率は100%に達するが、歳のため体力は衰えている 安田安雄 SF 2年 178cm 安田の息子 長谷川二志 PF 2年 188cm 長谷川の息子 陰険な性格で湘北にトラブルを起こす 谷沢龍一 監督 30歳 安西光義の教え子、谷沢龍二の残した一粒種 熱意はあるが指導力はいまいちで、湘北を牽引出来ないでいる Mr.チェリーブロッサム コーチ 36歳 突如湘北高校にコーチとして現れた謎の男 サングラスで顔を隠し、脊髄に損傷がある為車椅子で移動する 三井のみはその正体について感付いているらしいが…? 陵南高校 19年前、田岡の体罰により廃部となった 海南大附属高校 安西義輝 PG 1年 175cm 安西光義の大甥で、高校1年でありながらすでに 東京ライトニングスにスカウトされている天才選手 本人は大学への進学を望んでいる 犬丸貰 SG 2年 186cm 精神様態に左右されやすいデリケートなシューター 柳蓮二 3年 190cm PF 真田弦一郎 3年 188cm C 幸村精市 3年 179cm SF 通称海南のビッグ3 しかし、柳はあんま強いイメージが無い 相田彦一 監督 35歳 陵南バスケ部が廃部になったため海南の監督に就任した 身長は伸びなかったが大人になり威厳が身に付いた 翔陽高校 iPS細胞の研究が進み同性間での生殖が可能になった事により 生まれた、花形透と藤真健司の息子たちで構成されたチーム 花形五郎 PG 1年 176cm 花形と藤真の末っ子 藤真の血を一番色濃く受け継ぎ、ゲームコントロールが上手い 花形次郎 SG 2年 193cm 一卵性の三つ子で花形と藤真の次男 三郎、四郎との連携が得意 花形四郎 SF 2年 193cm 一卵性の三つ子で花形と藤真の四男 二郎、三郎との連携が得意 花形三郎 PF 2年 193cm 一卵性の三つ子で花形と藤真の三男 二郎、四郎との連携が得意 花形一郎 C 3年 197cm 花形と藤真の長男 花形の血を一番色濃く受け継ぎ、全盛期の花形そっくり 花形透 監督 38歳 体育教師として生徒たちに慕われている 藤真健司 コーチ 37歳 花形と結婚し専業主夫になった 山王工業高校 深津零成 PG 3年 210cm 深津一成の細胞を元に、遺伝子操作によって生まれた世界最強のバスケットマシン 生まれおちてよりこの方今まで無敗を誇るが、バスケットに関する事以外に興味を持たず 人間としての感情を完全に失っている 佐々木小次郎 SG 2年 199cm 聾唖者のバスケットプレイヤー 北沢栄一 SF 1年 188cm 深津に憧れ山王に入学した天才プレイヤー ジョン・関場 PF 2年 215cm マイケル関場の息子で、通称「関場兄弟」 の弟 深津零成に完敗し、鍛え直すため博多から転校してきた ケビン・関場 C 3年 230cm 「関場兄弟」の兄 深津零成に敗北した事により猛特訓し現役NBAプレイヤー、マイケル関場をして 「俺を越えた」と言わしめる程の実力を身に付けた 作者の複数のインタビューの要約 407 名前: 愛蔵版名無しさん [sage] 投稿日: 2007/05/04(金) 08 10 07 ID ??? 作者の複数のインタビューの要約 クライマックスになる山王戦で終わらせる事はインターハイに入る前から決めていた トーナメントは決勝まで行くという漫画のお約束を破りたかったから山王戦を2回戦にした 417 名前: 愛蔵版名無しさん [sage] 投稿日: 2007/05/04(金) 10 10 14 ID ??? 手元にあるSWITCHのインタビュー 「山王戦で終わることは、かなり早いうちから決めていました」 「インターハイが始まるときに、山王戦までっていうのはほぼ決めてましたね。 山王戦っていうのが決勝に相当する試合でしたから。 自分の作品の密度としてね。 一度ぎりぎりまで上がった密度をまた下げるようなことをよしと思わなかったんですね。 そのときは、こう、密度がいっきに高まって、そのぎりぎりのてっぺんで終わるんだ、っていう気持ちで描いてたんですよ。 (中略) 神奈川県大会であれだけ強い連中を見せていたわけです。 その上で全国にはその五倍も六倍も強い奴がいて、すごいチームがあるなんて、それはあり得ないですよ。 そういうことをやっていると、作品としての先が見えちゃいますよね。 そういうものは描きたくなかった。 自分には描けなかった」 やっぱり作者の意図どおりの展開で話を進めることができたんじゃないかな? 公式スレの 1 高校バスケットボールを題材にしたバスケット漫画『SLAM DUNK(スラムダンク)』を語りましょう。 週刊少年ジャンプ 1990年42号~1996年27号連載(全276話) 作者:井上雄彦 巻数:全31巻 完全版:全24巻 井上雄彦HP ttp //www.itplanning.co.jp/ ※要チェックや!! ★スラムダンク2chの公式スレ(本スレ)となります。 ★当スレッドはネタも議論も雑談も妄想も変態もアスペもキチガイも腐女子も全て寛容します。 ★様々なファン層に対して排他的にならず暖かく迎えましょう。 秋田県予選 海王高校…秋田県2位。山王がいなければ全国優勝クラスの強豪 天王高校…秋田県3位。全国ベスト4は堅い強豪 秋田県予選…神奈川愛知大阪を凌ぐ全国一の激戦区だが高校数が少ないため出場枠が一つしかない悲劇戦区。全国のバスケ通からは出場枠を増やすべきだとの声が殺到している 山王厨 山王厨「ダンプカーwww、日本は森重を知るwww、優勝は博多www、 ミクシィアンケートwww、藤真きゅんwww、牧はダンクもできるwww、 覚醒www、ゾンビ三井www、優勝は大栄www、エルボーwww 点取りやモードwww、スロースターターwww、みこしばwww」 <山王って湘北に負けたよね(ボソッ ____ / / \\ . / (;;..゜);lll(;;..゜)\ 戦犯は堂本!!あと深津の期待にそえない沢北が悪い! / ⌒(__人__)⌒ \ 審判が完璧湘北寄り!とにかく深津河田は何も悪くないから!!!11!1 | ノ( |r┬- | u | ________ \ ⌒ |r l | / .| | | ノ u `ー' \ | | | /´ .| | | | l プルプル u | | | ヽ u -一ー_~、⌒)^),-、 | |________| ヽ ____,ノγ⌒ヽ)ニニ-___| | |____ イノタケ公式ランク 10.0 沢北 9.8 河田 9.5 深津 7.0 松本 7.0 イチノ 6.0 野辺 3.0 ミキオ
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事の発端は2013年8月9日、多摩大学の学生石井湧也(いしいゆうや)がバイト先の東京都町田市にあった蕎麦屋「泰尚」で洗浄機の中に頭や下半身を突っ込んだり、乳首の上に茶碗を乗せた写真をツイッターに投稿したのが始まり。 その後 泰尚は評判が下がり客足が途絶え、10月には3300万円の負債を抱え閉店・倒産した。 石井はツイッター上で学歴を晒しており、稲城第二中学校→調布南高校→多摩大学と山野美容専門学校通信科のダブルスクールだと一瞬で発覚したほか、ツイッター投稿で顔写真まで晒していたため就職は困難だとみられる。 また石井は店主の純子さんに呼び出され、「どうしてそういう事をしたのか」と問いかけられたが石井はスマホばかり見て何も話さなかった。さらには事件から数年経った現在でも謝罪がないと語っている。 さらには裁判所に泰尚は1385万円の損害賠償の支払いを石井に求めたが、石井が支払ったのはたったの200万円であった。 泰尚について 泰尚は東京都多摩地方で最大3店舗の蕎麦屋を経営していた運営していたチェーン店で、1984年創業した。しかし業績が悪くなり2012年に創業者の小川泰司さんが亡くなり、そのあとは妻・純子さんがその残った町田の店を切り盛りしていた。 純子さんは店主として再建を図ろうとした途端にバイトの大学生がバカッター行為をした。 評価も高く、リピーター客が多かったため、閉店を惜しむ声がSNS上に多く寄せられた。
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吉田ちひろ(よしだ ちひろ) セガ社内のデザイナー。 三国志大戦で朱治・孫静などの「呉の性別不明武将」を描いた人、といえば分かるかも知れない。 氏の作品の特徴である大きな目、後ろで束ねた長い髪、ロングドレス風の衣裳は本作でも健在。 作者サイト SILKS Ver1 上杉018/UC河田長親
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腰 雪割草刺繍袴 基本性能 雪割草刺繍袴 【帯】 価値 ---- 攻撃力 0 命中補正 ---- 重量 ---- 防御力 12 回避補正 ---- 容量 耐久度 24 物理耐性 ---- 鍛錬 15 耐久性 100% 妖術耐性 ---- 装備区分 腰装備 装備可能 侍僧神陰忍鍛薬 付与効果 腕力 土属性 ---- 生命力 ---- 耐久力 +4 水属性 ---- 気合 ---- 器用さ +4 火属性 ---- 特殊効果 知力 ---- 風属性 ---- なし 魅力 ---- 備考 上杉家 河田長親隊侍大将昇進アイテム 門外不出
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浦和 000 100 100 |2 楽天 200 001 02X |5 打撃成績 打順 守備 名前 打数 得点 安打 打点 盗塁 _1回_ _2回_ _3回_ _4回_ _5回_ _6回_ _7回_ _8回_ _9回_ 1 6 西田 4 0 0 0 0 捕邪飛 - 三振 - 遊ゴ - 三振 - - 2 45 銀次 4 1 4 0 0 中安 - 左2 - 中安 - 右2 - - 3 9 横川 2 1 2 2 0 右本 - 右安 - - - - - - H97 楠城 2 0 0 0 0 - - - - 三ゴ - 三振 - - 4 3 山崎武 3 0 1 0 0 投ゴ - 遊併 - - 右2 - - - R3 河田 1 1 0 0 0 - - - - - - 中飛 - - 5 8 丈武 4 1 1 0 0 右飛 - - 一邪飛 - 右飛 - 右安 - 6 D 憲史 2 0 1 0 0 - 三邪飛 - 中安 - - - - - RD 中村真 1 0 0 0 0 - - - - - 遊ゴ - 犠打 - 7 29 伊志嶺 3 1 1 2 0 - 三振 - 左飛 - 四球 - 右本 - 8 5 中川 2 0 1 0 0 - 三安 - 一邪飛 - - - - - H4 松井 2 0 1 1 0 - - - - - 左安 - 捕ゴ - 9 72 山本 4 0 0 0 0 - 三ゴ - - 遊ゴ 右飛 - 一ゴ - 合計 34 5 12 5 0 相手 投手 下敷領 下敷領 下敷領 下敷領 古谷 古谷 山本 鈴江 - 投手成績 名前 回数 打者 打数 被安打 被本塁打 奪三振 与四球 与死球 失点 自責 井上 1 4 4 1 0 1 0 0 0 0 松崎 2 6 6 2 0 2 0 0 0 0 寺田 1 5 5 2 0 0 0 0 1 0 山村 1 3 3 0 0 2 0 0 0 0 菊池 2 8 8 2 0 0 0 0 1 1 渡邉 2 6 6 0 0 0 0 0 0 0 合計 9 32 32 7 0 5 0 0 2 1
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オーバーラン・スープレックス 使用者:成田純 説明:敵とすれ違ったかのようにして敵の腰を掴み、逆上がり回転で自分の体を浮かせ、敵を沈めて頭をマットに叩き付ける。 破壊力:下手すれば敵は負傷 利点:ほとんどの場合一発KO 欠点:かけられる場面が少ない。 ジャイロタービン 使用者:首里健太郎 説明:動けない敵の体を皿回しのように腕で回し、放り投げる。 破壊力:下手すれば敵は負傷(16-67で成田は全治3週間となっている。) 利点:これもほとんどの場合一発KO 欠点:腕の負担が大きい。 フォールダウン・キャロム 使用者:開城耕平 説明:敵をキャロムのごとくコーナーに強打させるようにはじき飛ばす。 破壊力:ヒットしたらしばらく立ち上がれない。 利点:KO率が高い。 欠点:かわされやすい。 ジャンボジェット機投げ 使用者:成田純、羽賀蓮 説明:敵を体ごと持ち上げ、コーナーに投げつける。 破壊力:体格が小さければ間違いなく負傷。 利点:考え方がものすごいシンプル。 欠点:重量級だと苦労する。(16-610では成田が連山丸を持ち上げるのに20秒も要したらしい)
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船田予備隊 かつて御台場女学校中等科に存在した予備隊(中等科生徒で作る仮レギオン)。 世界でも屈指の才能を抱えた予備隊であり、解散しなければ中等部格付けで5本の指に入るとみられていた。(*1) 船田姉妹らが中等科3年の時、船田純の生徒会長就任と同時期に結成された。(*2) 純が生徒会長職を返上したのに伴って解散したものと推測される。(*3) 最盛期には司令塔を今叶星、副司令塔を井草昴が務めていた。(*4) メンバー 名前 レアスキル(※) ポジション 現在の所属レギオン 船田純 ルナティックトランサー AZ LGロネスネス 船田初 ルナティックトランサー AZ 川端蛍 円環の御手(未覚醒) TZ 井草昴 レジスタ AZ/TZ 藤田槿 レジスタ(未覚醒) TZ/BZ 川村楪 テスタメント(未覚醒) TZ LGヘオロットセインツ 横山梓 ヘリオスフィア TZ/BZ 菱田治 ゼノンパラドキサ AZ/TZ/BZ 月岡椛 レジスタ BZ 西郷紅 ルナティックトランサー AZ/TZ 宮川高嶺 ゼノンパラドキサ TZ LGグラン・エプレ 今叶星 レジスタ BZ ※ レアスキルに(未覚醒)と表記していないメンバーは覚醒・未覚醒のどちらであったか不明。 初期ポジション 戦術 戦績
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宮古市20 加藤廣昭 休暇村 加藤琴美 休暇村 北村寿郎 休暇村 北村春子 休暇村 北村大地 休暇村 細越権二 休暇村 細越京子 休暇村 吉田フミ 休暇村 浜崎朝子 休暇村 木根守 休暇村 木根啓子 休暇村 木根千恵子 休暇村 木根一樹 休暇村 船木テイ 休暇村 木根一禎 休暇村 熱海タミ 休暇村 松村信子 休暇村 盛田幸子 休暇村 関川一 休暇村 関川すゑ 休暇村 佐々木正春 休暇村 本田ミチ 休暇村 本田英子 休暇村 新沼孝志 休暇村 武田イネ 休暇村 舘洞京子 休暇村 舘洞雅昭 休暇村 盛合陽子 休暇村 阿部和子 休暇村 舘洞サヨ 休暇村 舘洞チヤ子 休暇村 山坂光子 休暇村 山坂啓子 休暇村 澤泉裕子 休暇村 岩船良治 休暇村 岩船久子 休暇村 船木眞一郎 休暇村 船木良子 休暇村 船木ミワ 休暇村 館洞美代 休暇村 佐々木サヨ 休暇村 倉平ミヤ子 休暇村 山崎シヅエ 休暇村 中宿礼子 休暇村 伊藤佐知子 休暇村 伊藤祐太 休暇村 上田香奈江 休暇村 上田角美 休暇村 上田郁子 休暇村 上田麻里 休暇村 鈴木洋子 休暇村 山口博志 休暇村 山口ノブ 休暇村 戸塚和信 休暇村 戸塚裕美 休暇村 戸塚悠仁 休暇村 戸塚悠太 休暇村 戸塚力 休暇村 吉田徳三 休暇村 木場久美子 休暇村 木場愛 休暇村 木場剛 休暇村 木場洋 休暇村 蓬田明子 休暇村 蓬田晴香 休暇村 蓬田明日香 休暇村 石崎薫 休暇村 石崎泰弘 休暇村 金澤栄治 休暇村 金澤貞子 休暇村 金澤英世 休暇村 金澤誠 休暇村 藤田ヒデ夫 休暇村 藤田政子 休暇村 酒井一治 休暇村 酒井クマ 休暇村 酒井丈治 休暇村 吉田裕子 休暇村 昆キミ 休暇村 昆祐次郎 休暇村 小島静子 休暇村 佐々木ソヨ 休暇村 細越シズ子 休暇村 千葉ゆき 休暇村 岩船ケイ 休暇村 駒井浩二 休暇村 駒井志久子 休暇村 駒井悠生 休暇村 駒井風花 休暇村 駒井洋一郎 休暇村 駒井和子 休暇村 長洞チヨ 休暇村 山根アヤ 休暇村 山根美智夫 休暇村 山根秀子 休暇村 佐藤禮子 休暇村 佐藤誠 休暇村 佐藤精一 休暇村 佐藤卓三 休暇村 大森千枝 休暇村 大森康弘 休暇村 熱海トヨ子 休暇村 熱海慶男 休暇村 工藤孝二 休暇村 工藤ミサホ 休暇村 工藤博志 休暇村 工藤優子 休暇村 工藤孝裕 休暇村 工藤朋美 休暇村 工藤未羽 休暇村 工藤大空 休暇村 佐々木達雄 休暇村 佐々木敬子 休暇村 岩間幹雄 休暇村 岩間敬子 休暇村 岩間明孝 休暇村 岩間憲子 休暇村 久保孝子 休暇村 本田義則 休暇村 本田真喜子 休暇村 本田卓 休暇村 本田理乃 休暇村 本田カツヘ 休暇村 小瀬川健治 休暇村 小瀬川カノ 休暇村 佐々木聡 休暇村 佐々木里恵 休暇村 佐々木陽亮 休暇村 小瀬川彩 休暇村 嶋崎専造 休暇村 粟津トミ子 休暇村 佐々木昭治 休暇村 佐々木光枝 休暇村 佐々木英明 休暇村 佐々木勝 休暇村 三浦正之 休暇村 三浦満江 休暇村 三浦洋子 休暇村 三浦悠斗 休暇村 三浦花奈 休暇村 三浦真奈 休暇村 関川功 休暇村 関川龍 休暇村 関川優斗 休暇村 関川フミ子 休暇村 榊カン 休暇村 小川ミヤ 休暇村 盛合幸吉 津軽石小 盛合政子 津軽石小 久保田京子 津軽石小 上野サヨ 津軽石小 上野美希 津軽石小 盛合保雄 津軽石小 盛合初子 津軽石小 長洞栄 津軽石小 猪又文雄 津軽石小 猪又ウメ 津軽石小 猪又正弘 津軽石小 長洞清 津軽石小 山野目輝雄 津軽石小 山野目幸子 津軽石小 山野目アキ 津軽石小 長洞俊美 津軽石小 長洞辰子 津軽石小 長洞純子 津軽石小 長洞恵美 津軽石小 若狭和博 津軽石小 若狭牧子 津軽石小 高井澄夫 津軽石小 寺舘武夫 津軽石小 寺舘リツ子 津軽石小 盛合秀男 津軽石小 盛合洋子 津軽石小 盛合キエ 津軽石小 久保田章 津軽石小 久保田淑子 津軽石小 久保田剛司 津軽石小 久保田沙織 津軽石小 久保田稟 津軽石小 久保田光 津軽石小 村上恭子 津軽石小 村上満江 津軽石小 久保田繁 津軽石小 久保田徳子 津軽石小 久保田勇夫 津軽石小 久保田純子 津軽石小 久保田充 津軽石小 長洞正人 津軽石小 長洞美恵子 津軽石小 長洞綿美 津軽石小 長洞利林 津軽石小 有田勉 津軽石小 野崎ミヨ 津軽石小 野崎昭敏 津軽石小 野崎幹雄 津軽石小 野崎政博 津軽石小 前川賢一 津軽石小 佐藤弘 津軽石小 山崎信雄 津軽石小 盛合徳彦 津軽石小 山根未澄 津軽石小 山崎平治 津軽石小 倉賢治治 津軽石小 久保田吉太郎 津軽石小 山崎富士 津軽石小 長洞勝 津軽石小 山崎正徳 津軽石小 中島英司 津軽石小 中嶋トキエ 津軽石小 中島健輔 津軽石小 野崎一雄 津軽石小 千葉国太郎 津軽石小 長洞文夫 津軽石小 山崎元廣 津軽石小 山崎秀義 津軽石小 山崎ノリ 津軽石小 盛合安彦 津軽石小 松村義男 津軽石小 奥一郎 津軽石小 奥良子 津軽石小 久保田均 津軽石小 久保田真知子 津軽石小 清水弘喜 津軽石小 野崎辰男 津軽石小 野崎恵美子 津軽石小 岡田房子 津軽石小 岡田寛枝 津軽石小 久保田均 津軽石小 久保田玲子 津軽石小 長洞麻林 津軽石小 山野目範夫 津軽石小 盛合孝夫 津軽石小 盛合キヌ子 津軽石小 盛合保男 津軽石小 盛合ハツ子 津軽石小 久保田正行 津軽石小 久保田アヤ子 津軽石小 久保田ハツ子 津軽石小 盛合文雄・妻・孫 津軽石小 盛合清正 津軽石小 盛合サキ・息子・息子の嫁 津軽石小 盛合忠朗 津軽石小 盛合トセ 津軽石小 盛合千賀子 津軽石小 盛合美賀子 津軽石小 盛合大輝 津軽石小 盛合光子 津軽石小 盛合享一 津軽石小 盛合礼子 津軽石小 盛合キヨエ 津軽石小 盛合覚 津軽石小 中島要一 津軽石小 中島光子 津軽石小 中島ムツ子 津軽石小 中島和孝 津軽石小 中島久仁子 津軽石小 中島靖章 津軽石小 沼里嘉男 津軽石小 沼里津江 津軽石小 沼里信夫 津軽石小 沼里千穂子 津軽石小 沼里一輝 津軽石小 盛合延之 津軽石小 盛合り江 津軽石小 盛合ウタ 津軽石小 盛合博美 津軽石小 盛合恵美子 津軽石小 盛合千翔 津軽石小 豊間根修 津軽石小 豊間根弘子 津軽石小 豊間根雅通 津軽石小 盛合留美子 津軽石小 盛合茂樹 津軽石小 盛合恭子 津軽石小 盛合陽生 津軽石小 盛合姫那 津軽石小 山﨑勝則 津軽石小 山﨑茂子 津軽石小 山﨑勝矢 津軽石小 山﨑慎吾 津軽石小 菅野広美 津軽石小 菅野啓子 津軽石小 菅野ヤスエ 津軽石小 長洞武彦 津軽石小 長洞君子 津軽石小 長洞美香 津軽石小 長洞スエ 津軽石小 長洞タカ 津軽石小 中嶋信 津軽石小 中嶋キミ 津軽石小 中嶋幸子 津軽石小 中嶋寿子 津軽石小 中嶋舞瞳 津軽石小 坂下悟 津軽石小 坂下あゆみ 津軽石小 坂下航平 津軽石小 坂下レイ子 津軽石小 三浦直樹 津軽石小 三浦恵 津軽石小 三浦健伸 津軽石小 三浦舞彩 津軽石小 三浦陽子 津軽石小 渡部新次郎 津軽石小 熊谷福三 津軽石小 熊谷静枝 津軽石小 熊谷祝子 津軽石小 熊谷大義 津軽石小 熊谷佳恵 津軽石小 根井静子 津軽石小 根井美香子 津軽石小 根井将太 津軽石小 古舘正吉 津軽石小 古舘光子 津軽石小 古舘真紀 津軽石小 若狭武 津軽石小 久保田俊幸 津軽石小 久保田アキ子 津軽石小 佐々木仁蔵 津軽石小 佐々木ヨウ 津軽石小 佐々木豊 津軽石小 佐々木貞子 津軽石小 佐々木由利子 津軽石小 佐々木利律子 津軽石小 佐々木明 津軽石小 佐々木淳 津軽石小 中嶋勝文 津軽石小 中嶋啓子 津軽石小 中嶋智人 津軽石小 中嶋郁真 津軽石小 中嶋枝梨奈 津軽石小 中嶋郁美 津軽石小 久保田昌平 津軽石小 久保田正弘 津軽石小 久保田容子 津軽石小 久保田眸 津軽石小 久保田圭一 津軽石小 若狭一成 津軽石小 若狭なおこ 津軽石小 若狭ヒデ 津軽石小 山野目巌 津軽石小 山野目節子 津軽石小 中嶋敏孝 津軽石小 盛合彰 津軽石小 盛合康代 津軽石小 盛合辰徳 津軽石小 盛合智美 津軽石小 盛合和昌 津軽石小 盛合博宣 津軽石小 盛合栄 津軽石小 盛合キミ子 津軽石小 盛合柚花 津軽石小 盛合リュウト 津軽石小 小笠原征四郎 高浜 小笠原榮子 高浜 野表利光 高浜 野表昭子 高浜 野表徹 高浜 野表莉央 高浜 岩間リサ子 高浜 岩間弘明 高浜 岩間武夫 高浜 盛合昭平 高浜 盛合定子 高浜 岩間弘行 高浜 岩間芳子 高浜 岩間良善 高浜 千葉しも 高浜 岩間良一 高浜 岩間チヨ 高浜 後田正男 高浜 後田幸子 高浜 岩間ヨシ 高浜 岩間啓 高浜 佐々木好栄 高浜 佐々木有喜江 高浜 佐々木スミ 高浜 藤沢克人 高浜 太田守 高浜 近江勝定 高浜 近江きよ子 高浜 佐々木昭夫 高浜 佐々木ヨシエ 高浜 米澤良平 高浜 米澤シロ 高浜 米澤敏彦 高浜 関川博安 高浜 古舘リワ 藤原小学校 城内隆美 藤原小学校 城内満美子 藤原小学校 石沢チエ 藤原小学校 石沢寿一 藤原小学校 藤田善一 藤原小学校 藤田トシ子 藤原小学校 大井孝輔 藤原小学校 大井洋子 藤原小学校 千葉志津ゑ 藤原小学校 千葉みちこ 藤原小学校 松井春江 藤原小学校 斉藤登 藤原小学校 斉藤孝子 藤原小学校 斉藤有花 藤原小学校 斉藤広大 藤原小学校 斉藤真央 藤原小学校 松井武 藤原小学校 松井幸子 藤原小学校 青山幸彦 藤原小学校 塩越政夫 藤原小学校 塩越吉子 藤原小学校 塩越昇 藤原小学校 工藤スミ子 藤原小学校 工藤雅子 藤原小学校 中野秋菜 藤原小学校 山内秀一 藤原小学校 山内文子 藤原小学校 中坂正一 藤原小学校 中坂富美子 藤原小学校 中坂正人 藤原小学校 佐賀すみ子 藤原小学校 大井晃章 藤原小学校 飛澤寿男 藤原小学校 飛澤礼子 藤原小学校 飛澤久美子 藤原小学校 馬場順厚 藤原小学校 馬場タエ 藤原小学校 中居文男 藤原小学校 中居絹子 藤原小学校 中居美枝子 藤原小学校 新谷ケイ子 藤原小学校 横山公司 藤原小学校 横山照子 藤原小学校 中居昭二 藤原小学校 中居勝子 藤原小学校 眞岩ツギ 藤原小学校 塩越ツヲ 藤原小学校 大井良子 藤原小学校 大井拓美 藤原小学校 大井知美 藤原小学校 坂下紘 藤原小学校 坂下洋子 藤原小学校 佐々木清喜 藤原小学校 佐々木里子 藤原小学校 山内芳郎 藤原小学校 山内美千子 藤原小学校 大井孝子 藤原小学校 大井福子 藤原小学校 吉田稔 藤原小学校 吉田房子 藤原小学校 花坂嘉夫 藤原小学校 花坂寿子 藤原小学校 坂下武夫 宮古商業高校 坂下庄一 宮古商業高校 三浦與志幸 宮古商業高校 北村良子 宮古商業高校 関長五郎 宮古商業高校 関キン 宮古商業高校 関敏 宮古商業高校 関エツ子 宮古商業高校 関健太 宮古商業高校 澤田栄夫 宮古商業高校 澤田美喜 宮古商業高校 澤田伸康 宮古商業高校 澤田美香 宮古商業高校 澤田ゆきの 宮古商業高校 木村洋秀 宮古商業高校 小池徳之 宮古商業高校 小池美智子 宮古商業高校 船越清美 宮古商業高校 船越茂子 宮古商業高校 畑中富吉 宮古商業高校 畑中アイ 宮古商業高校 中村重光 宮古商業高校 中村郁子 宮古商業高校 中村祐介 宮古商業高校 川戸一夫 宮古商業高校 橋本賢吾 宮古商業高校 橋本ルイ子 宮古商業高校 橋本武 宮古商業高校 橋本牧子 宮古商業高校 橋本祥子 宮古商業高校 小野寺功夫 宮古商業高校 小野寺照子 宮古商業高校 小野寺功 宮古商業高校 野崎健治 宮古商業高校 野崎盛子 宮古商業高校 野崎由美子 宮古商業高校 大石明法 宮古商業高校 大石貴子 宮古商業高校 白間忠平 宮古商業高校 白間フサ 宮古商業高校 白間正人 宮古商業高校 白間美由紀 宮古商業高校 白間美帆 宮古商業高校 白間千尋 宮古商業高校 白間雄大 宮古商業高校 三浦茂子 宮古商業高校 坂下幸子 宮古商業高校 神林由紀子 宮古商業高校 関信男 宮古商業高校 関いね子 宮古商業高校 関和明 宮古商業高校 伊藤芳美 宮古商業高校 伊藤静子 宮古商業高校 根市豊 宮古商業高校 根市弘子 宮古商業高校 根市奈津子 宮古商業高校 佐々木弘子 宮古商業高校 盛合シノ 宮古商業高校 関光行 宮古商業高校 関ヤエ 宮古商業高校 関スミ 宮古商業高校 関秀典 宮古商業高校 摂待勝 宮古商業高校 摂待一輝 宮古商業高校 橋本文男 宮古商業高校 橋本明美 宮古商業高校 橋本彩花 宮古商業高校 橋本秋絵 宮古商業高校 橋本キン 宮古商業高校 小林定男 宮古商業高校 小林サチ子 宮古商業高校 小林貴弘 宮古商業高校 小林洋恵 宮古商業高校 小林歩夢 宮古商業高校 小林瑞輝 宮古商業高校 小林花恵 宮古商業高校 相沢つさ子 宮古商業高校 ハシモトキミ 宮古商業高校 ハシモトサチ 宮古商業高校 橋本茂樹 宮古商業高校 橋本修子 宮古商業高校 橋本直樹 宮古商業高校 橋本美保子 宮古商業高校 橋本海斗 宮古商業高校 橋本洋斗 宮古商業高校 橋本貢 宮古商業高校 神林幸樹 宮古商業高校 神林純子 宮古商業高校 伊藤平助 宮古商業高校 伊藤克宏 宮古商業高校 伊藤瑞明 宮古商業高校 伊藤未波 宮古商業高校 伊藤栄海 宮古商業高校 船越ミヤ 磯鶏修道場 船越仁 磯鶏修道場 船越恵美子 磯鶏修道場 中前田麗子 磯鶏修道場 笹平節子 磯鶏修道場 笹平キノ 磯鶏修道場 長澤泰幸 磯鶏修道場 長澤キヨ 磯鶏修道場 長澤良子 磯鶏修道場 長澤能婦子 磯鶏修道場 長澤久美子 磯鶏修道場 長澤美幸 磯鶏修道場 長澤千秋 磯鶏修道場 長澤翔平 磯鶏修道場 星野久子 磯鶏修道場 佐々木美佐穂 磯鶏修道場 中前田幸一 磯鶏修道場 中前田幸夫 磯鶏修道場 中前田眞利子 磯鶏修道場 中前田裕子 磯鶏修道場 中前田信夫 磯鶏修道場 中前田修子 磯鶏修道場 中前田千代 磯鶏修道場 2011-03-16・20 59 21・07.宮古市 宮古市19 下島野公子家族一同 磯鶏小学校 伊藤立見一家(西が丘) 伊藤章夫妻(小山田) 田老第一中学校生徒、職員 小和田貢司郎(長根) 自宅 小和田恭子(長根) 自宅 木村正昭(実田) 自宅もしくは小和田家 木村萬貴(実田) 自宅もしくは小和田家 田川宮子(宮園) 自宅もしくは小和田家 田川晋(宮園) 自宅もしくは小和田家 川崎理津子(茂市) 中道秀男(重茂) 親戚宅(舘地区) 中道セイ(重茂) 親戚宅(舘地区) 中道サミ(重茂) 親戚宅(舘地区) 長井達也 中央公民館より盛岡市内のホテルへ 2011-03-16・20 51 50・07.宮古市 宮古市18 船越ミヤ 磯鶏西 山本商店近くのお寺 中前田麗子 磯鶏西 山本商店近くのお寺 中前田千代子 磯鶏西 山本商店近くのお寺 中前田修子 磯鶏西 山本商店近くのお寺 中前田信夫 磯鶏西 山本商店近くのお寺 細越英彦 磯鶏西 山本商店近くのお寺 昆喜代美 磯鶏西 山本商店近くのお寺 昆香里 磯鶏西 山本商店近くのお寺 昆大智 磯鶏西 山本商店近くのお寺 昆康子 磯鶏西 山本商店近くのお寺 佐々木信彦 磯鶏西 山本商店近くのお寺 角舘宏 磯鶏西 山本商店近くのお寺 角舘宣子 磯鶏西 山本商店近くのお寺 角舘雅美 磯鶏西 山本商店近くのお寺 角舘勇樹 磯鶏西 山本商店近くのお寺 角舘樹那 磯鶏西 山本商店近くのお寺 角舘那瑠 磯鶏西 山本商店近くのお寺 中前田幸一 磯鶏西 山本商店近くのお寺 中前田幸夫 磯鶏西 山本商店近くのお寺 中前田真?利子 磯鶏西 山本商店近くのお寺 鶴田信一郎 磯鶏西 山本商店近くのお寺 鶴田スミ 磯鶏西 山本商店近くのお寺 鶴田信夫 磯鶏西 山本商店近くのお寺 鶴田佳子 磯鶏西 山本商店近くのお寺 佐々木美佐穂 磯鶏西 山本商店近くのお寺 佐々木功一 磯鶏西 山本商店近くのお寺 佐々木登美子 磯鶏西 山本商店近くのお寺 昆喜代美 磯鶏西 山本商店近くのお寺 森田キソ 磯鶏西 山本商店近くのお寺 森田美樹子 磯鶏西 山本商店近くのお寺 三河照子 磯鶏西 山本商店近くのお寺 三河善行 磯鶏西 山本商店近くのお寺 三河真葵 磯鶏西 山本商店近くのお寺 三河奈央 磯鶏西 山本商店近くのお寺 三河民侍 磯鶏西 山本商店近くのお寺 笹川トヨ子 磯鶏西 山本商店近くのお寺 笹川久美子 磯鶏西 山本商店近くのお寺 笹川勇太 磯鶏西 山本商店近くのお寺 関口維 磯鶏西 山本商店近くのお寺 関口伽風 磯鶏西 山本商店近くのお寺 種市清子 磯鶏西 山本商店近くのお寺 古里サチ子 磯鶏西 山本商店近くのお寺 田中喜代治 磯鶏西 山本商店近くのお寺 田中節子 磯鶏西 山本商店近くのお寺 八木澤寿 磯鶏西 山本商店近くのお寺 八木澤節子 磯鶏西 山本商店近くのお寺 八木澤清美 磯鶏西 山本商店近くのお寺 岩下悠佑 磯鶏西 山本商店近くのお寺 有原敦子 磯鶏西 山本商店近くのお寺 星野久子 磯鶏西 山本商店近くのお寺 星野健志 磯鶏西 山本商店近くのお寺 落合久三 磯鶏西 山本商店近くのお寺 落合礼子 磯鶏西 山本商店近くのお寺 落合浩子 磯鶏西 山本商店近くのお寺 佐々木和子 磯鶏西 山本商店近くのお寺 佐々木梨香 磯鶏西 山本商店近くのお寺 平沼つね子 磯鶏西 山本商店近くのお寺 笹川博 磯鶏西 山本商店近くのお寺 笹川美穂子 磯鶏西 山本商店近くのお寺 笹川廉 磯鶏西 山本商店近くのお寺 笹平キノ 磯鶏西 山本商店近くのお寺 笹平節子 磯鶏西 山本商店近くのお寺 三浦直志 磯鶏西 山本商店近くのお寺 三浦ユウ子 磯鶏西 山本商店近くのお寺 長沢キヨ 磯鶏西 山本商店近くのお寺 長沢良子 磯鶏西 山本商店近くのお寺 長沢のぶこ 磯鶏西 山本商店近くのお寺 阿部光宏 磯鶏西 山本商店近くのお寺 山崎賢司 磯鶏西 山本商店近くのお寺 山崎ハツミ 磯鶏西 山本商店近くのお寺 金森一民 避難先:山田町荒川 2011-03-16・20 21 13・07.宮古市 宮古市17 宮古市立磯鶏小学校名簿 石崎 B 大野ひとみ(石崎) E 三浦ミト子(石崎)67歳 :八木沢、佐藤昇宅 E 三浦清子 (石崎)74歳 :八木沢、佐藤昇宅 E 勝山妙子 (石崎)58歳 E 小林瑠海 (石崎)11 小林久美子(石崎)37 E 小林依香 (石崎)5歳 E 田代里子 (石崎)60 E 長澤ツヤ (石崎)90歳 :宮古病院へ E 長澤智子 (石崎)59歳 :拙宅へ E 長澤寛 (石崎)63 滝川暁久 (石崎):中里→宮古二 中里⇔不?? 佐藤 (宮古漁協) 森田隆ひろ(石崎) C 藤澤キヨ (石崎)62 C 藤澤幸男 (石崎)70 C 佐々木トシ(石崎) C 伊藤可奈 (石崎)29 C 野沢三枝子(石崎)61歳:向町へ C 府川寛征 (石崎)38 C 永沢美雪 (石崎)13歳 C 伊藤凛 (石崎):滝沢の実家へ C 伊藤洋平 (石崎):滝沢の実家へ C 三?道?・祐子・?司・?子(石崎) :→修道場 H 渡辺タエノ(石崎)70歳 H 行森勇之進(石崎)76歳 H 関川みかこ(石崎)59歳 D 三河博子 (石崎)72歳 :自宅 D 三河等 (石崎)73歳:自宅 H 関川司 (石崎)65歳 H 北村ミツ (石崎)89歳 H 北村恵子 (石崎)67歳 H 北村宗子 (石崎)69歳 D 長澤洋子 (石崎)83歳 D 長澤悦子 (石崎)68歳 B 工藤喜一 (石崎)89歳 :→ヨモギダ宅 B 工藤裕樹 (石崎)33歳 B 工藤徳恵 (石崎)34歳 B 工藤源喜 (石崎)3歳 D 佐々木武蔵(西町)21歳 D [村上 馨](石崎) :[]内予測される文字 D 村上[敏樹](石崎)43歳 :[]内予測される文字 D 村上恵子 (石崎) 2011-03-16・17 53 08・07.宮古市 宮古市16 宮古市立磯鶏小学校名簿 西 C ハシバタツノリ(西)7歳 :佐々木ナカ宅(大家さん) サチコ(西)51歳 :佐々木ナカ宅(大家さん) キヨミ B 鎌田ゆかり(西)38:一度自宅へ。大丈夫だったらそのまま自宅避難。 B 鎌田優貴 (西)17 B 鎌田恵 (西)9 G 鈴木瑞枝 (西)80歳 F 後川?子"ようこ"(西)56歳 G 佐々木キヨ子(西)62歳 :自宅へ D 宮手唯 (西)10歳 D 宮手アイ子(西)74歳 D 大越ふさ子(西)63歳 D 大越辰治 (西)70歳 G 佐々木勇輝(西)1歳 :山口の佐々宅にいる G 佐々木??(西)27歳 :山口の佐々宅にいる C 坂下晴香 (西)18歳 :自宅へ F 下西後川 (西)63歳 :家自宅へ A 森田晃次 (西)15歳 A 森田みえこ(西)70歳 F 北村ミヤ子(西)77歳 :自宅へ F 北村ななみ(西)18歳 :自宅へ F 北村友也 (西)17歳 :自宅へ ? 53歳 カスミ 53歳 北村さんの家族(石崎) 沖 H 小名茂子 (沖)68歳:帰宅 H 小名テイ (沖)92歳:帰宅 H 三河真 (沖)42歳 E 宗村セイ子(沖)70歳 G 塩谷暁一 (沖) H 横田拓哉 (沖)13歳 H 横田拓海 (沖)8歳 H 横田美津子(沖)44歳 H 佐々木キミ子(沖)78歳 H 伊藤テル (沖)76歳 H 山根サト (沖)69歳 H 細越雪子・壽司・元(沖):花輪 H 谷地悌二 (沖) G 根木地泰?(沖):帰宅 G 根木地奈穂(沖):帰宅 G 小林金蔵 (沖):帰宅 C 山うちなおたろう(沖)7歳:上村関口宅 C 高橋幸子 (沖)67歳:上村関口宅 G 小林チエ (沖)76歳:帰宅 G 根木地喜一(沖):帰宅 G 根木地?子(沖):帰宅 C 森田雄行 (沖)61歳 C 森田文子 (沖)54歳 F 澤田儀郎 (沖)75歳 C 佐藤ノブ子(沖)81歳 C 中村陽子 (沖)60歳 C 中村悟 (沖)36歳 G 佐々木チヨ(沖)85歳 G 中村スゲ (沖)75歳 G 中村福ェ門(沖)80歳 F 岩船豊 (沖):帰宅 F 岩船詩央 (沖):帰宅 F 岩船鈴加 (沖):帰宅 F 岩船倭京 (沖):帰宅 F 三浦朋子 (沖)47歳 :西ヶ丘へ行く C 押田知子 (沖):帰宅 F 柏木剛 (沖)36歳 :一度盛岡へ 坂下重夫 (沖) : B 田嶋龍央・信彦(沖) E 佐々木利夫・ミサ(沖) :帰宅 M 鈴木孝 (沖)66歳 G 越前カツ (沖)87歳 :一戸へ G 佐々木友江(沖)4?歳 G 佐々木健太(沖) G 佐々木愛美(沖) H 横田千代子(沖)75歳 横田 (沖5-6)74歳 H 横田賢一 (沖)43歳 C 中沢巣子 (沖)66歳:帰宅 A 生内美江 (沖)42歳:大通りいます C 山田義之 (沖)43歳 H 森田セイ子(沖)65歳 G 岩間サダ (沖)90歳 D 鈴木イネ (沖)86歳 :ひきめ、自宅です→新山誠(西町) D 佐々木つぎ子(沖)67歳 C 山内和江・結衣(沖)43歳:上村 関口宅 C 山内雄一郎(沖)12歳 :上村 関口宅 G 岩間富士子(沖)64歳 C 高橋力 (沖)71歳 A 生内憲一郎(沖)13 C 押田理恵子(沖)68歳 :帰宅 A 生内友和 (沖)10 G 関村明迪"アキフミ"(沖)9歳 G 関村志津子(沖) G 関?怜美 (沖) 中村絵美子・渚・悠香・珠?"シュウ"・耕介・蓮(沖) G 根木地泰惠(沖) :体育館 G 根木地タキ子(沖) :体育館 G 稲用龍作 (沖)4歳 :自宅 G 稲用清作 (沖)6歳 :自宅 G 稲用皆子 (沖)42歳:自宅 今津雄一 (沖):自宅 今津妙子・京一(沖) 2011-03-16・17 52 36・07.宮古市 宮古市15宮古市立磯鶏小学校名簿 実田 G 三河真葵 (実田)10歳 B 佐々木れいな(実田)8歳 :自宅へ B 佐々木? (実田)4?歳 :自宅へ↑のご家族のようです H 粟津かおり (実田)37歳 H 三河光子 (実田)66歳 H 粟津竜次 (実田)13歳 G 三河照子 (実田)67歳 :自宅 G 三河奈央 (実田)9歳 :自宅 B 笹平浩美 (実田)48歳 :河南中へ。私と真裕美。 G 三河民侍 (実田)5歳 :自宅 D 藤田ケイ子・陽希(実田):自宅 C 斎藤モト子 (実田)35歳 C 斎藤哲人 (実田)35歳 C 斎藤陽紀 (実田)2歳 C 及原吉次・信子 A 佐々木光男 (実田)79歳 :一時帰宅 A 佐々木フミ (実田)77歳 :一時帰宅 C 松倉久美子 (実田) :夜は家 C 松倉久 (実田) :夜は家 C 松倉みゆき (実田) :夜は家 B 吉田由美・?明・彩佳・佳織:夜だけ友人宅 C 遠藤純子 (実田)34歳 :日中は自宅 C 遠藤志恩 (実田)1歳 :日中は自宅 神林 C 白間千尋 (神林) :商業へ C 白間美由紀(神林) :商業へ C 小笠原由美子(神林)41歳 C 小笠原光歩(神林)8歳 C 小笠原潤 (神林)43歳 C 畠山歩 (神林)9歳 :宮町 佐々木ムサシ C 畠山亜理香(神林)21歳 :宮町 佐々木ムサシ C 畠山一子 (神林)41歳 :宮町 佐々木ムサシ C 畠山凛香 (神林)7歳 :宮町 佐々木ムサシ C 畠山怜 (神林)14歳 :宮町 佐々木ムサシ C 畠山優香子(神林)17歳 :宮町 佐々木ムサシ C 畠山はげむ(神林)42歳 :宮町 佐々木ムサシ C 白間雄大 (神林)10歳 :商業へ C 白間美帆 (神林)13歳 :商業へ F 岩淵悟 (神林) :自宅へ 西 D 岩船幸子 (西) 67歳 :自宅 F 北村千鶴子(西) ?9歳 :自宅 G 佐々木? (西) :宮古?宅へ A 坂下チヨ (西) 87歳 西 G 佐々木歩 (西)30歳 :宮古?宅へ A 坂下チヨ (西)87歳 :自宅へ A 坂下正吉 (西)88歳 :自宅へ A 坂下正典 (西)55歳 :自宅へ E 重茂叔夫・凌子(西) :自宅へ 沖 B 橋本テイ (沖)76歳 B 橋本育子 (沖)48歳 B 三河博子 (沖)67歳 A 佐藤光男 (沖) A 佐藤正恵 (沖) A 中塚富美子(沖) G 塩谷暁一(ヒサヨ)(沖) :八木沢・塩谷悦男宅へ 細越よしかず2名(沖) 細越美智子7人 (沖) :→細越かおる宅 沢田周作3名 (沖) :→細越かおる宅 H 中村よう子(沖)76 :津軽石・中村しんじ宅 中村政晴 (沖)49 H 鈴木昌子 (沖)55歳 :田鎖へ C 押田紀雄 (沖)76歳 :帰宅? B 山崎博子 (沖)68歳 2011-03-16・17 51 49・07.宮古市 宮古市14 宮古市立磯鶏小学校名簿 浜中憲子(上村) 43歳 1人 小林洋司(上村) 61歳 2名 遠藤裕 (上村) 42歳 5人 柴上誠 (磯鶏) 53歳 4人※名字が読み取りにくく間違っていおそれ有 磯上祐恵(磯鶏) 32歳 3人 根木淑子(西) 45歳 4人 根木康司(西) 51歳 今津雄一 (沖) 47歳 2人 今津京一 (沖) 76歳 2人 田代かおり(沖) 41歳 2人 佐竹剛 (沖) 37歳 4人 中屋恵美子(石崎)74歳 他1人 野崎京子 (石崎)53歳 2人 山口裕章 (沖) 5人 西川有美子(石崎) 43歳 2人 中村絵美子(磯鶏中)43歳 5人 森田隆広 44歳 1人 海老原香 (沖) 42歳 3人 畠山亜希子(石崎) 41歳 1人 佐々木孝一(沖) 68歳 1人 その他 藤原 南町 鍬ヶ崎 Dブロック 田村武彦(実田):自宅へ 。みんな無事。 C 山内喜代子(藤原)68歳 :上村関口宅 F 三浦柚月(藤原上町)4歳 :自宅へ F 三浦由加里(藤原上町)25歳:自宅へ D 佐々木由喜江(高浜)59歳 昆チエ・?子:自宅へ 佐竹剛:(佐々木2 西川3 高山2 12名) D 田代まき 58歳 B 小向恵美子(赤前)?6歳 B 小向恵美子(赤前)36歳:自宅へ帰る B 熊谷節子 (金浜) B 長澤みづほ(港町)34歳:崎山へおばちゃんちへ H 中居香南子(向日町)69歳 H 山口照子(鍬ヶ崎)69歳 H 粟津マキ子(金浜)69歳 B 斎藤法子 (八木沢)38歳:河南中へ移動 B 斎藤李羅 (八木沢)12歳:河南中へ移動 E 出雲正一 (藤の川) :自宅へ E 出雲圭子 (藤の川) :自宅へ E 出雲愛洸・叶愛 A 坂下たかし(鍬ヶ崎) そけい C 小笠原清子(磯鶏)73歳 F 佐々木夕海(磯鶏)23歳 F 佐々木海と(磯鶏)2歳 F 佐々木陽愛里(磯鶏)1歳 F 関川碧 (磯鶏) F 菊池広子 (磯鶏)36歳:帰宅 H 田川俊一 (磯鶏) E 重茂叔夫・凌子 あすかた F 佐々木久子(あすかた)62歳 F 佐々木俊平(あすかた)17歳 D 國下祐揮"ユウキ"(飛鳥方)15歳 D 荒矢のり(あすかた)79歳 H 高橋佑幸(あすかた町内)72歳 H 高橋敏子(あすかた町内)71歳 H 高橋敏幸(あすかた町内)40歳 G 木村直美(磯鶏あすかた)12歳 :自宅へ G 木村和人(磯鶏あすかた)10歳 :自宅へ G 木村みゆき(磯鶏あすかた)45歳 :自宅へ D 沼山長次朗(あすかた町内)77歳 D 沼山チヨ子(あすかた町内)66歳 C 山崎槇士 (あすかた)2歳 D 國下絹子 (飛鳥方)42歳 國下菜々美 F 若船スメ (飛鳥方):帰宅 F 岩船京子 (飛鳥方)70歳:帰宅 F 岩船健三郎(飛鳥方)70歳:帰宅 G 長澤美香子(飛鳥方)75歳 G 岩崎エミ子(飛鳥方)69歳 :自宅か山田へ G 木村厚子 (飛鳥方)69歳 :自宅へ C 山崎久美子(あすかた)39歳 C 山崎勝広 (あすかた)11歳:豊間根の母実家へ E 山崎利雄 (あす方)63歳 山崎悦子:小山田に避難 E 山崎義男(あす方)64歳 F 細越麻布(磯鶏):河南中おばあちゃんか磯鶏小に 細越睦恵・三穂・房子 F 大久保博・恵美子(あすかた) H 澤田サト (飛鳥方)73歳 中前田麗子(磯鶏):修道場に行きます。 H 田川京子(飛鳥方)82 H 澤藤勝利(飛鳥方)66 H 澤藤明子(飛鳥方)54 D 沼崎優子(あすかた)29 D 沼崎菜奈美(あすかた)7歳 D 沼崎彩花 (あすかた)6歳 D 田中セツ子(あすかた) G 化粧坂昭三(飛鳥方)73 E 古舘一男 (あすかた) E 本間タエ (あすかた):体育館 F 橋場好 (あす方)91歳 F 橋場亮一 (あす方) F 橋場ヨウ (あす片)69歳 F 橋場敬子 (あす方)34歳 F 橋場英雄 (あす方) F 荒矢勲 (あす方) C 山崎雅登 (あすかた) F 佐々木光樹 (あすかた)42歳 :自宅 F 佐々木真?"マコト"(あすかた)14歳:自宅 近江与一・勇・キミ子:校庭 ・春雄:近江屋 豊人:河南中学校 ゆかり:刈屋 G 化粧坂糸 (アスカタ)65歳 D 田中Eシ (あすかた)91歳 2011-03-16・17 51 16・07.宮古市 宮古市13 畠山みのる・たきお・まり子・まさひこ・さゆり・えいせい・こうや (田老)自宅にて無事 皆川透(田老)夫婦無事 吉田勝治(ヨシダカツハル) (田老?) 藤澤たけし・みつこ (田老) 佐々木昭彦・トモコ 宮古市内避難所(盛岡市平内美奈子家族) ウエノ トキオ 自宅で無事 ウエノ アヤコ 自宅で無事 磯地ソノ 知人宅(松山) 金沢家(八木沢) 山下家(金浜) 古舘家(藤原) 2011-03-16・16 59 00・07.宮古市 宮古市12 宮古市津軽石荷竹自治会館に現在避難されている方 ハナサカ ヒロマサ ハナサカ ユウコ ハナサカ ユナ コボリナイ サヤカ コンノ リョウイチ コンノ チエコ コンノ トモカズ コンノ ユミコ キタムラ マサミチ キタムラ ミキコ キタムラ トメ キタムラ シンジ キタムラ サトル 2011-03-16・12 00 45・07.宮古市 宮古市11 箱石ムツコ(太田) 箱石ムツコ娘家族 箱石ムツコ長男 二戸 盛合恵美子(金浜) 宮古市総合福祉センター 佐々木利江(板屋) 宮古市総合福祉センター 石塚雅子(板屋) 宮古市総合福祉センター 関畑安子(板屋) 宮古市総合福祉センター 小松平文恵(板屋) 宮古市総合福祉センター 大久保英男(日影町) 宮古市総合福祉センター 音部秀男(八木沢) 宮古市総合福祉センター 佐々木百合(南町) 宮古市総合福祉センター 米沢扶佐江(金浜) 宮古市総合福祉センター 阿部テツ(熊野町) 老人デイ 佐々木トシミ(西町) 老人デイ 木村嘉男(栄町) 老人デイ 佐々木カツ子(熊野町) 老人デイ 佐々木小一郎(熊野町) 老人デイ 三上マツエ(栄町) 老人デイ ほほえみの里利用者、入所者、職員 グループホームたろう利用者 ほほえみの里 すずきれいこ みうらつねお 菊地晟 宮古市の小学校 山田ノリコ 伊藤厚子(津軽石) 自宅 伊藤きよし(津軽石) 自宅 佐々木清春家族(赤前) 橋場みずき 馬場一家(藤原) 皆野川きみよ 皆野川たかゆき 皆野川美保子 皆野川なお 皆野川まゆ 2011-03-16・10 49 05・07.宮古市
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【0101】 富司 純子 様 拝啓 お元気ですか。DVD第2弾、「一宿一飯」が発売されました。(主演16作、写真本付でセットにして販売してくれるといいのだが、東映側にもレンタル用、セル用と時期を変えたり販売戦略があるのでしょう。) この作品の評価が高い点は、貴女も指摘されているように、お竜さんが片肌脱いだ時の名台詞にあるということについては同感ですが、さて、あの台詞今でも記憶されておりますでしょうか。「女だてらに、こぎゃんもんば背負って生きとっとよ。だけん、あたしにゃあマチさんの気持ちなようわかりますばい。女と生まれて人を本当に好きになったとき、一番苦しむのは、こん汚してしもうた肌ですけんね。消えんとよ、もう一生。だけん、体じゃなかつよ。人を好きんなるのは心。肌に墨はうてても、心にゃあだあれも墨をうつこつはでけんとです。」やや、道徳的な意味あいを含んでいる感じがする台詞であると思うのですが、確かに女性が本当に墨を入れたら、ちょっと怖くて、誰も相手にしなくなると思います。(ヒモ付きでなく、怖い人から言いがかりをつけられなければ、刺青していたって、その女性がすばらしければ、かまわないと思いますが。まあ、現実にそんな人に会ったら、恐怖心が先に立つでしょうね。)また、この台詞では人の心を重視しているのですが、最近の世の中、こういう道徳感がなくなり寂しくなりました。そういう自分も、それ程、倫理観、道徳感を備えているかと自問自答してみると、現実には、自分の都合のよいように心が動くものだということも自覚しており、所詮人間とは、その程度のものであって、それも神はお許しになるといった都合のよい解釈をしております。私個人的には、「一宿一飯」の最大の評価を、お竜さんが、黄色っぽい着物姿で親分集の前で、啖呵を切る場面とか、一番初めのご挨拶の場面とか、相手の子分が宙を回って池に落ちる場面とかといったお竜さんのかっこいい場面に置いております。 この作品のいやな面は、悪役の天津敏さんが(ほかの作品では憎憎しい中にも、少しユーモアの表情が出ているのですが)、悪義に徹しすぎといったところです。男性が女性を冒すという場面は、「日本侠客伝 白刃の盃」の松尾嘉代さんとの場面ぐらいの表現に留めて置くのがよいのではないかと思います。あそこまで、悪を表現しなくても、お竜さんに切られる価値は十分にありというのが私の感想です。さて、貴女が、あれだけ体格の良い天津敏さんを相手にして、やっつけても(特に第5作の徳島での決闘場面とか)、不自然さを感じないのは、貴女が当時の女性としては大柄だった(今は、でかい女性がいっぱいいますが)ことと、お顔が小さい割には、体の骨格がしっかりしていて、特に腰のラインにしなりがあることではないかと思います。したがって、スクリーン上では、より大きく見えるようです。(平成12年12月21日に、音羽会の懇親会で黒い洋服を着ておられた時のお姿を拝見して、実際は思っていたよりも小柄な人だなあと感じました。) ではお元気で。 敬具 平成14年11月21日 【0102】 富司純子 様 拝啓 お元気ですか。お誕生日前にお祝いの手紙を出そうと思っておりましたが、過ぎてしまいました。敬宮愛子様と同じ日なのに。さて12月に入り、お忙しい日々をお過ごしのことと存じますが、12月は、菊五郎様、菊之助様共々京都南座ではなかったかと記憶しておりますが、時々京都へ飛んで行かれるのでしょうか。 話は変わりますが、1966年の紅白歌合戦には、菊五郎様と貴女は、ご両人で審査員になられたのでしょうか?(資料を付き合わせると、そうであったとも窺われますし、菊五郎様だけであったとも推察されます。)当時の出演者当然のことながら、全員よく知っているのですが、最近の出演者は、半分近くが知らない若者たちです。ただし、演歌歌手の方々、例えば大御所の北島三郎さん、1963年から出場しているのですね。(何と、貴女がデビューした年にもう出場していたのですね。) ところで、歌と演技、けっこう繋がりがあるのですね。貴女も映画の中で歌われておりましたし。歌が上手くないことを、貴女自身は、自認されておりますが、映画の中で流れると違和感ありません。ただ、男優と女優を比べると男優の方が、歌のうまい人が多いようです。鶴田浩二さん、石原裕次郎さん、小林旭さん、杉良太郎さん等(いずれも歌手クラスまたは俳優兼歌手)、女優さんでは、倍賞千恵子さん、いしだあゆみさん、吉永小百合さん、松坂慶子さん等(歌えるが、歌手というには程遠い)。 さて、今年の紅白の初出場組に、藤本美貴という人がいまして、この人まだ17歳ですが、テレビで二度程、何かのおり、見かけたことがある人ですが、目の感じが貴女に似ていましたので、最近のタレントにめずらしく美人がいるなあと、少し気になっておりましたら、何と紅白歌合戦に出場することになりました。気になっていたこととは、つまり、菊之助さんのお嫁さんにどうかなとか(ミーハー気分で。まだ、江角さんとの件が、ニュースで流れる前のことです)。菊之助さんとは、少し歳は、離れていますが、女性の17歳、結構しっかりしていますよね。貴女もそうであったように。 まあ、それはともかくとして、もし、今年の紅白を見る時間がありましたら、藤本美貴さんを見てあげて下さい。(初出場だから、出番はきっと早いでしょう。) 歌をしっかり聴いていないので、来年も出場できるかどうかについては、コメントできませんが。 敬具 平成14年12月2日 【0103】 富司純子 様 拝啓 お元気ですか。正月が近づき、通常でもお忙しいことと思いますが、来年は、3日から三越劇場で出演ということで、台詞を覚えたり大変な毎日だと想像します。第1、私共の歳になると、新しいことがなかなか覚えられなくなるのではないかと思います。もっとも、台詞を間違えても、私のようなファンは一向に気にしませんし、間違えたかどうかも分かりませんし。要するに、私の場合、特に演劇のストーリーに興味がある訳ではなく、貴女を観に行くだけが目的ですから。(他の出演者には申し訳ありませんが。)3日の席は希望通り最前列を採っていただき感謝しております。妻は、三越劇場でなく、新橋演舞場に行きます。江守さんがいいとかで。 今まで観た中では、赤いチャイナドレスの滝の白糸が一番印象に残っております。とにかく、貴女が美しかった。 さて、今年もクリスマスが近づきましたが、2年前の平成12年12月21日は、私の生涯最高の時でした。つまり、音羽会のクリスマスパーティーで貴女とダンスをしたこと、その2分半程の間に、1秒程度貴女のお顔をちらりと観ました。清楚な美しさだなあと感じました。「あ・うん」の水田たみさんの雰囲気でしたね。ダンスと言えば、ノーベル賞の田中さんも、一瞬困ったことになったなと思われたようですが、貴女に教えていただいて、ブルースをボックスで踊るぐらいは何でもないことなのだと思いました。もう、二度とあのような体験はできないと思いますが、男はロマンに生きますので、あれで十分です。その点、女性は、男性よりも積極的に現実を求めるような気がします。 ところで、先日、中野へ行き、「昭和残侠伝・唐獅子仁義」を観てきました。「悪い女になりたいんです」と言って、貴女が健さんを、誘う場面があるのですが、健さんは貴女に手を出さない。あれが、男の美学ですね。 しかし、あれは渡世人の価値観、今の世の中、実際に貴女から誘われれば、のりますよね。菊五郎様に訴えられても、本人同意なら、大丈夫ですし。(この部分は、冗談です。) いずれにせよ、お忙しい中、お元気でがんばって下さい。2001年の近鉄劇場のようなハードスケジュールではないので、安心しておりますが。 敬具 平成14年12月20日 【0104】 富司純子 様 拝啓 お元気ですか。クリスマスはいかがお過ごしでしたか。 菊五郎様から素敵なプレゼントがありましたでしょうか。それとも、もうそのようなことは、遠い過去のことになったのでしょうか。 私の場合は、まったく通常の日と変わらず、風邪を引いてしまったこともあり、自分の部屋で静静と過ごしました。私は、夜行性の猫との付き合いに対応できない為、いつも一人自分の二階の部屋に篭っています。それに、娘たちは、私がリビングにいるのをいやがりますし。 前回のファンレターで、2003年1〜2月の中野の映画館のプログラムを同封するのを忘れましたので送付させていただきます。表側のデザインは、まったくセンスのないものですが、裏を見ますと、藤純子さんは、2ヶ月になんと計8本の作品に出ておられます。 女渡世人第1作は、実は見ていませんので、楽しみにしております。映画の評論では、藤純子さんの白の着物姿が特に美しいとされています。 藤純子の 美しさにまた 涙して 過ごす新年 2003年かな ではお元気で。 敬具 平成14年12月26日 (女渡世人シリーズ 第1作)時は大正の終り信州。生き別れの母を探し求めながら渡世修業の旅を続ける妻恋いお駒は、渡世の義理で大薮組親分を斬ってしまった。やがて小諸十六島一家の賭場に足を踏み入れたお駒は、そこで幼い娘お夏を連れた流れ者筑波常治と知りあった。賭場を出たお駒は、後を追ってきた大薮一家の男たちに襲われ、その窮地を常治に救われた。常治がわらじをぬいだ十六島一家と、野沢一家のでいりはその夜のことであった。一宿一飯の義理のために死を覚悟した常治は、長野から三里ほど入った山の中にある鹿教井温泉の猿渡屋の祖父母のもとに、お夏を届けてほしいとお駒に頼んだ。鹿教井温泉の湯元の利権は、昔から猿渡屋、鹿の湯、鳴沢屋の三軒の旅館が握っていたが、今、二年後の鉄道開通に目をつけた博徒石渡組によって鳴沢屋は乗っとられ、残った旅館にも圧力が加えられていた。石渡組の魔手はお夏にも伸び、人質になったお夏を救うためお駒は単身石渡組に乗りこんでいった。無事お夏を救いだしたものの、お駒の後を追ってきて石渡に身をよせた大薮一家の身内のために、猿渡屋は焼かれ、善兵衛らは斬られてしまった。お駒は、急を聞いて駆けつけた常治と、喧嘩支度に身を整え石渡組に殴りこんでいった。二人のドスと拳銃は石渡を倒したが、ひそんでいた子分の放った銃弾が常治の胸を貫いた。 【0105】 富司 純子 様 拝啓 明けましておめでとうございます。1月3日には初雪の朝、拝見させていただきました。富司さん、凄く美しかった。若々しい着物姿が。感動しました。この舞台、榎本孝明さん、鈴木瑞穂さん、山田吾一さんとか、けっこう有名人が出ていらっしゃるのだが、富司さんがいないと、私にとっては、何の興味もない舞台です。ところで榎本さんの台詞で「3歳上ですけれど」というのがあり、客席の笑いを誘っていましたが、ああいう台詞って、言っているご本人もお腹の中で笑えちゃうのじゃないでしょうか。 ところで、私としては、思い切ってランの花を買い、受付にいらした平岩光代様にあずけました。帰る時に見ましたら、細川たかしさんの大きなランの下にずっと目を移すと、フロアーの上に、私が贈呈させいていただきました、かわいい白いランの花が飾られておりました。花っていうのは、大きさに関係なく美しいものは美しいものだと思います。そんな意味でも、私のお贈りしましたランは、貴女の清楚な美しさを表現しているものと自負しております。もし、まだご覧になっていなかったら、小さく咲いているランを見てあげて下さい。(花の命は短いですから。貴女は例外ですが。) 年末年始には、博多に勤務する長男が帰り、3日には、戻っていきましたが、あいかわらず司法試験の勉強にはげんでいるようです。もし合格して、こちらに戻ってきたら、寺島しのぶさんと結婚してはどうかと半分本気で話ましたら、本人はただ笑っておりました。私の長男は、先にもお話しましたように菊之助様と同じ歳(同じ8月生まれ)ですが、4〜5歳の差なんて、今時まったく問題ないですよね。しのぶ様も当分、芸の道に精進しておられるので、もし長男が法曹の道にでも進めば、お互い専門家同志でバランスがとれるのではないでしょうか。もっとも、家の格式は、天地の差がありますが。 では、お元気で1月の舞台を務めて下さい。 敬具 平成15年1月4日 【0106】 富司純子 様 拝啓 お元気ですか。 「車夫遊侠伝 喧嘩辰」「幕末残酷物語」を見てきました。いずれも1964年の作品です。 藤純子さんまだ19歳頃でしょう。十代の藤純子さんが、キスシーンを見せるとは、貴重な映像ですね。以前にも書きましたが、藤純子さんは、キスシーンを見せないところに良さがある女優さんだと思っておりましたから。 映画館の支配人とも、話をしてきましたが、私より一歳下の52歳の方で、藤純子さんのすばらしさには、意気投合しました。 すばらしいなあ 藤純子さん。 では、お元気で「初雪の朝」がんばって下さい。 敬具 平成15年1月6日 【0107】 富司 純子 様 拝啓 お元気ですか。深作監督が亡くなられ、通夜参列とか、お忙しかったことと存じます。 さて、水曜日に歌舞伎発祥400年の記念切手が発売されましたので、送付いたします。 すでに、お持ちかもしれませんが。 400年長いようで短いですね。 私は、藤純子のファンになってからすでに35年が経ました。歌舞伎の歴史は、その約11倍にすぎないものですものね。 ではお元気で。 敬具 平成15年1月17日 【0108】 富司 純子 様 拝啓 23日は、楽屋入口でお会いでき幸せでした。 また、手ぬぐい、油とり紙をいただき有難うございました。 特に手ぬぐいは、貴重な私の宝物とさせていただきます。 ところで、油とり紙の着物、普段は、地味な着物しか見ていない我々には、新鮮で素敵ですね。 それに、舞台の最後で、私と目線が合った気がして(気のせいか)、大変嬉しく感じました。 次回は、マッチ売りの少女をしのぶ様と共演されるので、今から楽しみにしております。 1〜2月は、中野では、藤純子さんの映画を数多く上映しております。 26日は、習志野文化ホールで「初雪の朝」上演されるようですが、私は、映画館に行く予定にしております。 では、お元気で。 敬具 平成15年1月24日 【0109】 富司 純子 様 拝啓 お元気ですか。先日は、「真赤な度胸花」を見てきました。この作品と「激闘ひめゆり岬」 は、貴女が着物姿でないのが、一つの魅力でもあります。どちらも美しくて、強い女性を演じていますね。(ほとんどの作品がそうなのですけれど。) 最近のチラシ送ります。文太さんとの雪の今渡橋のシーンです。3月8日からは、任侠 映画ベスト10が上映されますが、10作のうち、8作に出演されており、そのうち3作が貴女の主演映です。 ところで、映画館でブロマイド写真(1枚300円)を売っておりましたので、そのコ ピーをあわせて送付させていただきます。(本物は、もっと出来がいいのですが、コピーのお顔が黒っぽくなってしまいました。今にして、35年程前の元版が保存されていたのですね。 2月22日から上映される女渡世人は、まだ見ておりませんので、今から楽しみです。 では、お元気で。 敬具 平成15年2月12日 お竜参上:東映任侠映画といえば、活気のあった日本製娯楽映画全盛時代の良さがあるよね。いわゆる定番のプログラム・ピクチャーなんだけど、水戸黄門のごとく安心して見ていられるのだ。この映画も最初から最後までお約束だらけ。いいヤクザと悪いヤクザがいて、悪いヤクザは悪行三昧、いいヤクザは我慢に我慢を重ねて最後に怒り大爆発。もちろん最後は正義が勝つ!その単純さが許された時代っていいな。見所はなんといってもお竜さんの大活躍だ。どんな問題もお竜さんが出れば万事解決。悪人どももお竜さんには敵わない。1人で切って切って皆殺し。そんなバカなとも思うが、かっこいいからいいじゃん。無敵の渡世人ながら女っぽさも忘れない藤純子の艶やかさが素敵だ。菅原文太と交わすストイックな愛情表現もいい。そして嵐寛寿郎親分の貫禄ときたら、もう渋すぎます。定番ネタの中に自分流の美学を忘れない加藤秦のこだわりの演出もこの映画の魅力です。 【0110】 富司 純子 様 拝啓 お元気ですか。さて、今日は女優藤純子(冨司純子)さんの美しさについて考察してみました。貴女の美しさには、多面性がありますが、特筆すべきは、1.「凄みのある美しさ」でしょう。もちろん、貴女の初期の作品には、2.「田舎風の骨太の元気なお姉さん」といった面が残っております(「車夫遊侠伝・喧嘩辰」「幕末残酷物語」「三代目襲名」「日本侠客伝第1作」とか)が。1968年以降の作品は、やはり、「凄みのある美しさ」というのが、際立って印象に残ります。例えば、「お竜参上」のラストシーン、「お命戴きます」のラストシーン、「おたの申します」とか。凄みのある美しさというのは、色気とかを超越したものであり、芸術的というか究極的なものであると考えます。次は、3.女っぽい「妖艶な美しさ」、これは、「日本大侠客」「侠骨一代」とかにあります。その次は、4.「清楚な美しさ」これは、「あ・うん」や「緋牡丹博徒」の通常のシーンに見られます。 さて、日常は、どんなでしょうか、時折お会いしたり、雑誌の記事や徹子の部屋で紹介される写真等を拝見するかぎり(これが、真の日常であるのかそうでないのかは推察しがたいのですが)においては、「5.凛とした 清楚な美しさ」を基調としておられるのではないでしょうか。 改めて並べてみますと、 1.凄みのある美しさ 2.田舎風の元気なお姉さん 3.妖艶な美しさ 4.清楚な美しさ 5.凛とした美しさ さて、どれがベストでしょう。他人を寄せ付けない点では、やはり、1.凄みのある美しさ に貴女の価値があるのではないでしょうか。不思議なのは、2.田舎風の元気なお姉さん から、出発していることです。どうやって、変身されていったか、映画を見るかぎり、1968年あたりを境に急に変わったように思えるのですが、「緋牡丹博徒シリーズ」がそうさせたのでしょうか、あるいはマキノ監督が作り上げていったものでしょうか。これは、私にとっていまだに謎です。 では、お元気で。 敬具 平成15年2月14日 【0111】 富司 純子 様 拝啓 お元気ですか。やっと、「女渡世人」を見ることができました。(大学生の頃、見逃していましたし。新宿昭和館でも、上演されてこなかったようです。) この作品、貴女の役名が、“妻恋いお駒”で名前が少し、キザっぽいのですね。第2作目の“大田まさ子”の方が平凡でいい感じと名前は、そういう印象ですが、この作品には、いろいろと、他の作品にはない、いい点がありますね。 着物を5〜6回、あるいはそれ以上か? 着替えて登場してくれるので、着物姿を堪能できる。特に、藤色の着物、それに最後の斬り込みの場面での、白い着物で、裏地が真赤なのがすばらしい。これほど着物の裏地が見えて、魅了させられる作品はないのではないかと思います。 貴女が(前回のファンレターで、藤純子さんの美しさの5つの面を挙げましたが)、今回新たに、6.芸術的に美しい(特に、日本刀を持った姿が、小太刀とはまた違って、芸術的に美しい。) 7.かわいらしい(潜在意識としては、そう思っていたのですけれど、「女渡世人」を見て、貴女の美しさのベースは、かわいらしさにあるのだと。強い女性を演じることが多かったので、今まで、はっきりとは意識しなかったのですけれど。)と感じました。 歌がなかなか良かった。緋牡丹博徒のように、インパクトのある歌ではないのですが、なかなか上手く歌われているではないかと感じました。(特徴のない歌は、何回も聞く良さが出て来ることがあります。音程もしっかりしていたと思いますし。) 以上3点が、大いに感動した点であります。この作品が、他の作品に比べてあまり再演されてこなかったのは、何故でしょう。きっと、話が母と子の話で、少し暗いからかと思います。なんと言っても、娯楽性の面からは、緋牡丹博徒には、かなわないのでしょう。東映ビデオでも、「女渡世人シリーズ」はDVDを出す予定はないと言っております。ファンにとっては、残念なことですが。 しかし、1971年の藤純子さん、この世の人とは思えない程の美しさですね。今でも、お美しいのですけれど。延ばされていた菊之助さんとの結婚がだんだん近づいてきて、心身共に充実していたからなのでしょうか。 何かの論評に、NHKが大河の静御前役に、「三田佳子」か「朝丘ルリ子」あたりを選んでくれていたらなあ、書かれていましたが、まあ、私しては、菊五郎さんの度量の大きさで、女優に復帰されたことに感謝するしだいでございます。(もっとも、東映としては、もっと稼ぐことができたとは思いますが。) ではお元気で。 敬具 平成15年2月24日 【0112】 富司 純子様 拝啓 お元気ですか。さて、前2回のファンレターで、貴女の美しさの表現について考察させていただきましたが、さらに8.ろうたけた美しさ(緋牡丹博徒 第4作 二代目襲名の中で、遠藤辰三さんの台詞の中で実際に出てきているのだが)、9.溜息の出るような美しさ、10.涙の出るような美しさ(実際、藤純子さんがスクリーンでアップになると涙が出て来ます。) という表現を思い浮かびました。 1.凄みのある美しさ 2.田舎風の元気なお姉さん 3.妖艶な美しさ 4.清楚な美しさ 5.凛とした美しさ 6.芸術的な美しさ 7.可愛らしい 8.ろうたけた美しさ 9.溜息の出るような美しさ 10.涙の出るような美しさ さて、どの表現が一番でしょうか? 私は、7.9.10.が気に入ってます。その中でも、1.凄みのある美しさ 7.可愛らしい がベストでしょうか。現在は、7.可愛らしい という表現が最も適切でしょう。凄みのある美しさというのは、藤純子の、後半の時代ですね。 「マッチ売りの少女」、しのぶ様との競演、楽しみにしております。切符は、20日、26日(昼)と手に入れることができました。 ではお元気で。 敬具 平成15年3月4日 【0113】 富司 純子 様 拝啓 お元気ですか? と言っても、つい先日、ファンレターを書いたばかり。 貴女の美つくしさについて、総括(この言葉、緋牡丹博徒が爆発していたころ、学生の間で流行していました。その後浅間山荘事件など恐怖の事件でもこの言葉が使われておりましたが、1968年〜1972年というのは、奇妙な時代であったなあと思います。私も、当時は、日米安全保障条約は不要なだとと、非現実的な考えを持っていたりして。)してしまいましたので、これからは、なんとなく今までの繰り返しのファンレターの内容になってしまいます(今までも、繰り返しが多かったのではありますが)。 私は、性懲りもなく、中野武蔵野ホールに通い、「日本侠客伝」1964年(貴女19歳頃)、「おたの申します」1971年(貴女26歳頃)を観てきました。19歳と26歳、ずいぶん違うなあと感じます。「日本侠客伝」では、主役でなく出ている場面も少ないので、余裕をもって楽しみながらやっている感じ。元気溌剌の藤純子さん。萬屋錦之助さん、やはり任侠映画は、少し似合わないなあといった感じがします。「おたの申します」では、スクリーンが藤純子さんの美しさで圧倒される感じですね。凄みのある美しさ、妖艶な美しさ、芸術的な美しさ、可愛い、溜息の出るような美しさ、涙の出るような美しさ に感動し映画館を出る時、少し疲れを感じます。 名画について、数々論議はあれど、何回観ても見飽きないのが、藤純子さんの美しさ。実際に、常時上映されている過去の映画は、現在は、東映任侠映画だけですから。 ある論評に、藤純子さんの美しさについて、「たかがといっては失礼だが、一映画プロデュサーの娘にしては、美しすぎる」と書かれていましたが、私の父も、「藤純子が“べっぴん”なのは、母譲りかなあ」と言っておりましたが、私は、図書等で貴女のお父さんの写真を拝見し、貴女のお父さんはかなりハンサムであったこと、少し貴女に似た雰囲気があること、および、徹子の部屋で、貴女のお母さんの横顔が写っている写真を見て、貴女のお母さんもかなり美人であったと思われることから考え、お二人の良いところが偶然的かつ遺伝的に継承されたものと推察しております。余談ですが、貴女のお姉さんも、相当に美人だったと書かれた記事を目にしたことがありますが、そうだったのでしょうか? では、お元気で。 敬具 平成15年3月10日 【0114】 富司 純子 様 拝啓 お元気ですか。3月は、菊五郎様、菊之助様が京都公演で、静かな日々をお過ごしでしょうか。それとも、「マッチ売りの少女」の稽古でお忙しいのでしょうか。 私は、15日夜、ある深い縁で10年ぶりに川崎にある飲み屋へ行ってきました。65歳ぐらいになる女性が一人でやっている小さな店ですが、有線で配信されてくるカラオケシステムを置いています。まあ、最近は、カラオケに行くのもすっかりおっくうになり、めったに行きませんし、第一歌うことが好きでなくなりました。しかしながら、その夜は、あれやこれやで10曲ぐらい歌ったでしょうか。その中の一曲が「緋牡丹博徒」。この曲、いつまで、カラオケの本にリストアップされ続けるのでしょう。カラオケにリストアップされる曲というのは意外と少ないのです。例えば、演歌の大御所石川さゆりの場合でも、せいぜい20曲程度がエントリーされているだけです。しかし、一方で、エト邦枝の「カスバの女」や、赤木圭一郎の「霧笛が俺を呼んでいる」などはいまだにしっかり残っています。「緋牡丹博徒」もかなり長期に亘って残る曲でしょう。 ところで、この女性、ひ孫がもう時期、生まれるという。65歳でひ孫か。早め早めに生まれるとそういうことになるのか。自分も歳を採ったものだと改めて思いました。しかし、65歳で年中無休で客がいなくなるまで毎日店を出すとは、何と言う根性でしょう。女性の根性にはかなわないなあと思います。貴女も負けずにがんばって下さい。でも、そろそろ、しのぶ様に赤ちゃんが出来るといいですね。だけど、その前に結婚相手が必要か。いやいや、新之助さんなどは、結婚しなくたって子供が出来ましたし。世の中、積極性がある方が常に有利でしょうか。そういえば、15日は、積極的に10曲も歌い、気分爽快でした。 ではお元気で。 敬具 平成15年3月19日 【0115】 富司 純子 様 拝啓 お元気ですか。 22日朝テレビの番組表を見ておりましたら、“素顔・・・富司純子”という番組が目に入りましたので、さっそく見てビデオに録画しました。案内役の男の人、何歳ぐらいかよくわかりませんが、恐らく私よりも多少年上ではないかと見受けられました。緋牡丹お竜のファンであったことを言っておられましたが、藤純子ファンは、50歳〜80歳ぐらいに分布しており、最近は、ビデオ・DVDによりファン層がかなり若い層にも広がっているようである。 番組の内容は、特に貴女がお元気な様子が見受けられ、なによりでした。菊五郎さんが若い時にお遊びになったようですが、“遊ぶ”というのは、民法709条の不法行為になるかどうか微妙でしょう。なんといっても、梨園の妻という貴女の地位が近寄り難い高い為、いかに菊五郎さんが魅力的であろうとも、本気で菊五郎さんにアタックしようとする勇気のある女性はいなかったのではないでしょうか。 銀座といえば、バブルのころ少しばかり雰囲気を味わってみましたが、銀座で稼ぐ女性には、なんだか異様な殺気を感じ、どうも私のような普通のサラリーマンの好みでないではないという印象でした。やり手の女性の集団ですね。ただ、お金で繋がっている関係なので、後々の問題はないでしょう。 将来の夢ということで、1.「菊之助さんが、日本一の歌舞伎俳優になること」2.「菊之助さんに、いいお嫁さんがきて、男の子が生まれ、初舞台を見ること」3.「しのぶさんの孫を抱くこと」を挙げられていたと思いますが、だいたい予想通りのお話でした。「いい恋をする」ことなどもおっしゃられたら良かったのにと思いました。まだまだ、貴女の人生これからですよね。歌舞伎界の問題はあるとすれば、私の感覚では、菊之助さん、新之助さん以外に若手の看板俳優が見当たらないことではないでしょうか。多数のスター性のある俳優を擁してこそ、その世界は繁栄するものと思います。 午後から、昭和残侠伝「死んで貰います」、緋牡丹博徒「花札勝負」を中野へ見に行きましたが、テレビでは、若い時の芸が未熟でと話されておりましたが、スクリーンを圧倒する貴女の美しさに芸がどうのこうのということを考える余地はないものと考えます。貴女の若き日の映画は、しのぶ様も菊之助様もご覧になっていないということですが、見ない方がいいでしょう。お二人共、貴女の美しさにびっくり、お母様にはかなわないなあとしみじみ思われるのではないでしょうか。菊五郎様にとっては、貴女の若き日の映画を見る興味は今さらないでしょうね。自分の妻ですから、今さらといった感じで。 ところで、インターネットでホームページの数を調べてみましたら、藤純子1800、富司純子134、尾上菊五郎2780、尾上菊之助1420、寺島しの3700件ヒットしました(3月25日現在)。9年間の女優生活なのに今だ1800件のページが掲載されているのは驚きですね。 そう言えば、22日の午後からの映画館、中を見渡してみると私より若い人が意外に多い気がしました。わずかではあるが、若い人にも東映任侠映画のファンが発生してきているのかもしれません。 では、お元気で。 敬具 平成15年3月25日 旅の途中で名古屋の西の丸一家に立ち寄った緋牡丹のお竜は、 ニセのお竜が賭場に出没していることを知る。金原一家の賭場で発見したニセ者は、 名をお時といい、 以前に助けたことのある盲目の少女・お君の母親だった。事情を知ったお竜はお時を許すが、 あくまで渡世の道を貫こうとする西の丸一家の杉山は、 新興やくざの金原のやり口に怒りを覚えていた。そんな中、 杉山の息子である次郎と、 金原の娘の八重子は互いに愛し合っており、 それが周囲に大きな波紋を投げかけて…。 「緋牡丹博徒」シリーズの第3作目。縄張りをめぐって抗争を繰り返す博徒一家の息子と娘が恋仲という、 博徒版「ロミオとジュリエット」のような作品である。「宮本武蔵」「緋牡丹博徒」シリーズを手がけてきた加藤泰の格調高い演出が見どころ。出演は「緋牡丹博徒」シリーズで知られる藤純子、 「青春の門」「社葬」の若山富三郎、 「現代やくざ」シリーズの菅原文太ほか。 【0116】 富司 純子 様 拝啓 お元気ですか。桜も少し散りはじめた今日この頃ですが、明日は、いよいよ新国立劇場で始まりますね。出演者の交替もありましたようで、練習もご苦労があったのではないかと察しますが、お嬢様との舞台初の共演ということで楽しみも多いのではないでしょうか。 私共には、家族と一緒に仕事をするという経験はまったくないのですが、貴女のお父さんは、貴女と一緒に仕事ができ、他の父親には持てなかった楽しみがあったのではないかと思います。当時は、作る作品数が多かったですから、体力的消耗や気苦労も多かったとは想像いたしますが。 さて、ここ2週間は、中野で、「三代目襲名」1964年、「緋牡丹博徒」1968年、「総長賭博」1964年を観ました。実は、「三代目襲名」と「総長賭博」は、私のビデオコレクションには、ありません。「三代目襲名」は、阿部徹さんがあまりにも、にくにくしいので、後味が悪い。「総長賭博」は、内容が重過ぎて見た後、すっきりした気分になれません(三島由紀夫は絶賛したと聞いていますが)。また、貴女の出る場面も比較的少ないこと等です。両作とも、鶴田浩二さんの魅力が溢れている作品であることは、まちがいありません。高倉健さんでは、あの雰囲気は出せないですね。 ところで、「三代目襲名」の藤純子さん、19歳の頃で、若さ溢れる美しさですね。この歳ごろの女性というのは、また特別な魅力のある時期なのでしょう。23歳の作品では、もう大人の女性の美しさに変わっています。時期時期でうまく変わり、歳に応じた魅力を持続していくことが、女優としての仕事をしていく上で難しいことなのでしょう。 東映の任侠映画に最後に残る最大の魅力とは、藤純子さんのスクリーンを圧倒する美しさに尽きますね。それゆえに、何回観ても飽きることがない。(ところで、中野の映画館、コスト削減の為か、カラープリントのチラシ作成を中止しました。今までにお送りしたもので、終りになりそうです。) 今のところ「マッチ売りの少女」は、20日、26日の昼の部を観させていただく予定ですが、新たな貴女の魅力発見を楽しみにしております。 敬具 平成15年4月7日 【0117】 冨司 純子 様 拝啓 お元気のことと存じ上げます。「マッチ売りの少女」拝見させていただきましたが、「奇妙なストーリーの劇だなあ」というのが、率直な感想です。台詞の内容が理解できないわけではないが、全体としては何だかよく分かりませんといったところですね。自分の頭が悪いのか、劇とは、それぞれに何かしらを感ずるところがあればよいのか、そのいずれかでしょう。(簡単に言えば、私のような歳になると、「初雪の朝」の方が、単純で楽しいということになるのでしょう。) まあ、なんと言っても、一年に2作も貴女の演劇を観ることができるのは、実に幸運と思います。今回の作品では、髪型、髪色以外は、比較的普段の貴女の姿が出ていたのではないでしょうか。何と言っても、美しいですね。貴女が。スタアというのは、立っている姿が美しいというのが、私の持論ですが、20日は、美しい姿を拝見させていただきました。(ただ、スタアという言葉、本来は映画スタアのことを意味していたと思うのですが、貴女を最後に映画スタアと呼ぶべき人がいなくなってからは、現存するスタアさんの数は、だんだん少なくなってきているのでしょう。最も、単に、女優とかタレントとかという人は数多くいますが。寺島しのぶ様も、そういう意味では、スタアではなく、女優さんですね。)しのぶ様も綺麗ですが、立ち姿の美しさが、貴女とは、違いますね。(しのぶ様には、言わないで下さい。) さて、この作品なんとなくユーモアのある場面もあったのですが、例えば、貴女の亭主役が歌を歌うように勧めるところ。(「緋牡丹博徒でも、歌って下さい。」と内心思っていました。ほんとうに歌われたら、かなりの人は、貴女のことを知っているでしょうから、場内がざわめくのではないでしょうか。) それと、時代の流れというか、歳を採ったというか、「スカートの中を見せる」ということ自体に、私が、20歳頃でしたら、かなり感ずるものがあったものと思いますが、今となっては、この程度のことは、たわいもないこと、と言った感じを受けます。それだけ、今の世の中、出会い系サイトとか、私の知らない世界で、猥褻なことがらが、抵抗感なく拡散していっているからでしょう。 まあ、若者は若者の特権で、法と病気の問題を起こさない範囲でどうぞご自由にといったところでしょうか。 最後に、しのぶ様の迫力のある演技はすごいの一言ですね。体力、気力共充実しているのでしょう。でも、そろそろ、ご結婚されるべき歳ですよね。(他人の事に口を挟んで申し訳ありません。) 26日、もう一度、貴女の美しいお姿拝見に行きます。貴女以外には、目を移さず。 では、お元気で。 敬具 平成15年4月21日 【0118】 富司 純子 様 拝啓 お疲れ様でした。3月22日に“素顔・・・富司純子”で、「マッチ売りの少女」について話題に取り上げられていたと思ったらもう、終了です。我々、一観客者としては、あっという間に期間が過ぎ去ってしまった気がします。演じる方々は、ご苦労も多かったこととは思いますが。 チラシを眺めていましたら、1966年に初演されたとのことです。1966年と言えば、貴女がいよいよ東映の看板女優になりつつあったころでしょう。かなり、オリジナルは、かなり古い作品とも言えるでしょう。内容自体は、1966年当時であったら、もっと鮮烈なインパクトがあったかもしれませんね。 これで、貴女をゆっくりと拝見できる機会もしばらくないかと思うと、やや残念。それに、今回の舞台、お顔をよく拝見するには、かなり暗い。演出家の判断によるものでしょうが、もう少し明るいライトを当ててほしかったと思います。双眼鏡を使っても、暗闇にかすんでいるといった感じでした。 さて、5月からは、菊五郎さんと、菊之助さんの歌舞伎公演、一息する間もなく、忙しい毎日ですね。もっとも、主婦はたいていの人が忙しくがんばっていますが。(亭主はぐうたらしていますが。) では、お元気で。 敬具 平成15年4月28日 【0119】 富司 純子 様 拝啓 お元気ですか。いつもは、会社帰りには、芸能欄がけっこう面白いので、東京新聞の夕刊を買うのですが、間違えて毎日新聞を買ってしまいました。頁をめくっていますと、菊五郎様と団十郎様の記事が出ておりました。おそらく、すでにご覧になっているとは思いますが、念の為に送付致します。お二人の姿が大きく出ていますので、見のがさないですね。そう言えば、2週間程前の東京新聞の夕刊(21日?)には、「マッチ売りの少女」の論評(こちらはインタビュー記事ではなく)が出ておりました。 歌舞伎発祥400年ということで、歴史を調べてみましたら(ご存知のこととは思いますが)、1603年に出雲の女性芸能者が京都で歌舞伎踊りとして始めたとされているようです。(江戸幕府の開設と同じ年。)1624年、江戸に歌舞伎の劇場ができる。1629年、風俗の乱れを律する為、幕府は、女性の踊りを禁ずる。1673年初世団十郎14歳で初舞台。1878年以降、9世団十郎・5世菊五郎らが歌舞伎の革新に務める。1989年、東銀座に歌舞伎座建設。1951年、歌舞伎座復興。・・・辞典にはもっと詳細に記載されているのですが、本家に紹介するのも、無礼ですから。まあ、5月1日の夕刊の記事を理解するには、この程度の知識で充分でしょうか。それぞれの屋号の家計図に触れるとなると複雑きわまりない世界に入りますね。資料には、役者しか通常記載していないが、配偶者を記載すると膨大な家計図が描かれます。 発祥が女性なら、将来は女性でも出演可能にすれば良いと思うのですが、由緒ある伝統を守る為には、そうもいかないのでしょう。実際、しのぶさんなら、昼・夜の通しは無理でも、片方ならやっていけそうな体力は充分あるような気がします。屋号の家計図を眺めてみますと、過去に養子縁組されたりして、努力の様子が伺われます。少子・晩婚化の進む世の中、男子を産まなくてはならないというプレッシャーから女性を解放してあげないと、歌舞伎役者のお嫁さんになる女性は大変ですね。貴女にも、そのプレッシャーがかつてあったように。 さて、私は、5月は専ら、藤純子様に没頭ですね。日本侠客伝 関東篇(初々しい美しさ)、日本大侠客(スクリーンを圧倒する)、日本侠客伝 斬り込み(健さんのお嫁さんになっておめでとう)、総長賭博(これは鶴田浩二さんの独壇場)、鉄火場列伝(強くて美しいお竜さんの充実時期)。毎週映画館へ通って5月もあっと言う間に過ぎそうです。 ではお元気で。 敬具 平成15年5月2日 【0120】 富司 純子 様 拝啓 お元気ですか。婦人公論6月号のしのぶ様の記事、ざっと目を通させていただきました。 感想は? そうですね・・。抽象的な点では、鶴田浩二さんの三女(鶴田さやか様)が書かれた「父、鶴田浩二」を読んだ時と似たものが心に残りました。 具体的な点では、以下のようなことがらです。 1.俳優になるのは、凡人では無理だなということ。すなわち、しのぶ様のように、親からのすぐれた資質、体力を授かっていても、現在まで至るにはたいへんな努力があったことを知りました。 2.しのぶ様も、やはり、お母様は、別格に美しい人であると見ておられること。 特に、「母のように美しいと・・・」の記述の部分は、貴女のファンとしては、大いに感ずるものがありました。 3.男女関係はいつの世もややこしいということ(この点について、私自身とやかく言う資格のある人間ではありませんが、男は女性から攻められると防御能力がないのではないでしょうか。自分の一生の反省として、そう思います。) しのぶ様のグラビア写真、きれいでした。でも、貴女のグラビア写真でしたら、あきれる程美しいでしょう。貴女は、空前絶後の美しさですから。まあ、同時代を生きることができ、貴女の美しさに何度となく溜息をつくことができた我々は、皆幸せ者と言えますね。(幸せ者の代表者はもちろん菊五郎様ですが、我々は、おすそ分けをいただいているわけです。鑑賞させていただくだけですから。) では、お元気で。 敬具 平成15年5月9日 【0121】 富司 純子 様 拝啓 お元気ですか。ご丁寧な礼状、有り難く頂戴いたしました。 黄色のランをお送りしたかったのですが、下町、生麦の花屋の旦那が、黄色は出てこないというものですから、白に少しピンクの色がついたものにしました。 さて、5月21日には、やっと緋牡丹博徒第三作“花札勝負”のDVDが発売となりました。東映ビデオは、4年かけて全8作をリリースするようです。“花札勝負”は、何回となくビデオを見て、映画も4回程度は、すでに見ているのですが、始めて気がついた点がありました。この第三作では、長ドスを最初から手にして、敵陣に乗り込むのであったことを。藤純子さんの美しさに気をとられて、何を手にしていたかに気を配ることができなかったのですね。 ついでに、同日にリリースされた昭和残侠伝“一匹狼”も購入しました。1966年の作品で貴女の出演作品がDVDされているという点で、貴重な賞品と思います。ビデオとさほど変わらないのですが、DVDの方が、画像がより鮮明であり、貴女がより美しく写っていることに価値があるのでしょうか。ご存知のように、この“一匹狼”に扇大臣も出演されております。私が、生涯目にした唯一の扇千景さんの映像ですが、この時、すでに女優さんとしては、扇さんを抜いていたのですね。多分、扇千景さん、時代劇時代にご活躍されていたのでしょう。 貴女の主要な作品は、すべてDVDのものを入手したいのですが、リリースされるのは、主演のものは緋牡丹博徒シリーズ、共演のものは昭和残侠伝シリーズだけのようです。東映ビデオ(株)も、いろいろと市場調査を行っての商品戦略を展開しているものとは思いますが、我々、貴女のファンにとっては、主演者は、すべてDVDで発売してほしいですね。まあ、ストーリーは、すべて知っていますから、貴女の映像部分だけを飛ばして見たりすることになるのですが。 では、お元気で。 敬具 平成15年5月22日 【0122】 富司 純子 様 拝啓 お元気ですか。5月もあっという間に過ぎ去ろうとしております。6月・7月は、菊五郎様、菊之助様は、博多座、関東巡業と続くのであったかと記憶してゆりますが、お二人共、長期間のご出張という具合になるのでしょう。大変だなあと思います。私などは、気ままに生きておりますから、どんな高級ホテルに泊まるよりも、自分の部屋で寝るのが一番ですね。時間があれば、ゆったりとした気分で、貴女のDVDを観ながら、ビールをゆっくり飲んだりして、これが最高です。(だいたい、ベッドというものに、なんとなく嫌悪感を持ってしまいます。アメリカで嫌になる程、ベッドの上で寝ましたので。) 何回か、テレビでお聞きししているのですが、「貴女は家の中でいつも動いている」という生活スタイルから比べますと、私などは、家の中では、まったくグータラしております。 ところで、中野の映画館、チラシ作りを再開しました。やはり、少しでも多くの客を集めようとすると多少の出費はやむを得ないといったところでしょうか。“激闘ひめゆり岬”返還前の沖縄の雰囲気、貴女のトラックの運転、帽子をかぶっての出演と、結婚前のご努力、改めてご苦労様でしたと申し上げます。 話は変わりますが、先日NHKが阿久悠さんの特別番組を放送しておりまして、「ムカシ」という題名の歌が紹介されておりました。都はるみさんが歌うのですが、歌詞の内容は、要するに、「昔は良かったなあという、回顧に浸ってばかりいると、お前は進歩しなくなるから、ムカシというオバケを退治しなさい」といものです。これを、自分に当てはめてみると、貴女の30年程前の映画ばかりに価値を求めていて、進歩しないから、自分もオバケにとりつかれているといことなのかと思ったりもしました。しかし、自分自身の過去を振り返って、それに陶酔している訳ではないから、どうも、このムカシという歌の内容には相当しないようである。そうすると、今の自分の行動はどう正当化すれば良いのであろうか。芸術は普遍的な価値を持っているので、一種の芸術鑑賞に浸っているものとして、自分の行為を正当化することにしておきましょう。藤純子さんの映像の美しさは、芸術の域にあることは、まぎれもない真実であるのですから。 では、お元気で。 敬具 平成15年5月29日 【0123】 富司 純子 様 拝啓 お元気ですか。最近、高倉健さんの「旅の途中で」という本が発売されました。 1996年から2000年にニッポン放送で放送された内容が基になっておりますので、内容は、かすかな記憶に残っているものでした。予想通り、任侠映画については何も語られておりません。ただ、P159に以下のような記述があります。 「今、僕は京都に来ております。 ・・・ ・・・ 僕の東映時代の映画のほとんど、と言っても六割くらいでしょうか、 それを東京大泉の東映撮影所で撮り、 残りの四割を、七十本以上になると思いますが、 この京都の撮影所で撮りました。 思い出が、本当にぎっしり詰まっている町です。 ・・・・ ・・・・」 健さんには、どんな思い出があるのでしょう。貴女との仕事の思い出も1つにあるのでしょうか。15歳も歳の差があるお二人でしたので、単に一緒に仕事をしたというだけなのでしょうか。俳優の仕事をしたことのない、私共には、想像できないことです。 できれば、貴女のことを一行でも記してほしかったですね。 ではお元気で。 敬具 平成15年6月6日 【0124】 富司 純子 様 拝啓 お元気ですか。新聞のテレビ番組欄で、NHKで「京都・・鴨川をどり」富司純子他、と書いてあるのが目にとまりましたので、見て、ビデオ撮りもしましたが、富司様が出演する時間はほんのわずかでした。あとはあまり興味を引かない踊りばかり。 貴女の「侠客芸者」「鉄火芸者」の中で、披露される踊りのほうが数段すばらしい気がします。顔の大きさと身体のバランス、体の線良さ、こういうものは、練習すれば向上するものではありませんよね。貴女の踊りも、一コマ取り入れて下されば良かったと思います。 いまさら、踊るのは、はずかしいこととは思いますが。 ではお元気で。 敬具 平成15年6月15 日石炭ブームにわく、明治末期の博多。馬賊芸者と評判高い信次は、男まさりの気っぷと度胸が人気のマトだった。ある日、料亭に遊びに来た花田炭坑の人夫たちを迎えに来た納屋頭の島田清吉に会った信次は、好意を抱いた。一方花田炭坑をぜひとも手に入れようとする大須賀は、執拗に清吉を口説くが、先代に恩義を感じている清吉は、ガンとして聞き入れない。折から、坂田陸軍大臣歓迎の宴が炭坑主たちの手で開かれ、酒の飲めぬ清吉に代わって、見事に盃を空けた信次は、褒美として大須賀の横面を叩くや、黒田節を舞った。信次に恥をかかされた大須賀は、若松港の仲仕組合長松本を買収し、花田炭坑の石炭積出しをストップさせた。しかし、清吉の誠意に負けた仲仕組合の若い事務員は、組合長の松本を無視して、積出しを約束した。大須賀は最後の手段として、万場組に命じて、花田炭坑にダイナマイトを仕掛け、三人の人夫が炭坑を守って死んだ。三人の通夜の晩、若松から帰った清吉は、色めく人夫たちをしずめ、必死に止める信次をもふりきって、単身大須賀邸へ向った。そして、万場を倒し、全身血みどろになった清吉は、最後の力をふり絞って、大須賀と差し違えた。信次が駆けつけた時は、命を張って炭坑を守りぬいた清吉の笑みを浮べた死体が、冷たく横たわっていた。--今日もまた、盛大な宴会、その中に、悲しみを秘め笑い、叫び、はやし、そして踊る信次の顔があった。 【0125】 富司 純子 様 拝啓 お元気ですか。菊五郎様が人間国宝に認定されおめでとうございます。多くの、お祝いの言葉、品々が届いていることと想像いたします。いずれ、人間国宝におなりになる方とは思っていましたが、60歳の若さでおなりになるとは、正直言って、びっくりいたしました。菊五郎さん程、粋な役者さんは、いませんから、当然なのかもしれません。芸のことは、奥行きが深くて私には、よくわかりませんが、とにかく菊五郎様は、容姿が粋ですね。(しのぶ様も、菊五郎様に似て、粋な感じがありますが。)東京新聞の21日の朝刊の切り抜きを記念に送付致します。 ところで、私は、「激闘ひめゆり岬」を見てきました。ビデオでは、何回となく見たのですが、スクリーンで見るのは、始めてなのです。貴女の主演物あるいは、準主演物で、着物を着ていないのは、この作品と、「真赤な度胸花」の2作だけではないでしょうか。 「激闘ひめゆり岬」をスクリーンで見て、始めて気が付いたのですが、終りのほうに、濃緑のTシャツ姿のシーンが、あり、貴女の胸のラインが見えるのですね。藤純子さんが、胸のラインを見せた映画はこれ一本ではないでしょうか。 感激でした。ズボン姿もかっこいいし・・・。前にも書きましたが、スタアの存在感というのは、演技を超越したものですね。(誰にも真似できないもの。) ではお元気で。 敬具 平成15年6月23日 【0126】 富司 純子 様 拝啓 お元気ですか。 奇妙なCDを入手しました。「任侠演歌決定版」というタイトルのものですが、 花と竜 石原裕次郎 兄弟仁義 島津亜矢 唐獅子牡丹 八代亜紀 人生劇場 杉良太郎 無法松の一生 天道よしみ 緋牡丹博徒 泉ちどり おんなの命 藤純子 計7曲で1200円のものです。 けっこう豪華メンバーが、集められています。(泉さん以外は。) 実は、「おんなの命」、今まで聞いた記憶がないのです。 聞いてみましたら、「いちどでいいから あなたの胸で 泣きたかった」というような台詞が、歌の間に入っていたりしてなかなか良いのです。 「緋牡丹博徒」の歌手が何故、泉 ちどり さん(この人、見たことも聞いたこともありません。)になっているのか、変なCDです。泉さんの声、品がなくて、貴女の歌声で編集されていたほうが、断然いいですね。貴女の場合は、音程は多少くるっているところもある(失礼!)のですが、声の質は品があっていいのです。 やはり、「緋牡丹博徒」は、藤純子でなくては、まあ、鶴田浩二さんとのペアのカセットを1本手に入れておりますから、その意味ではいいのですが。 とにかく、「おんなの命」なかなか良かったです。 では、お元気で。 敬具 平成15年6月28日 【0127】 富司 純子 様 拝啓 お元気ですか。さて、しばらくは、貴女の映画も演劇もないかと思っておりましたら、中野で、9月27日から、いよいよ「侠骨一代」が上映されるという情報を入手しました。この作品の藤純子さん、花のように美しいのです。ビデオで、最初に見た時に、これは二役で登場する作品だなあとすぐ思いましたが、後で登場する遊女役の「お藤」さんの美しさといったら、表現する言葉が見つかりません。牛乳飲むシーンとかいいですよね。健さんの不器用な演技もいい。この、映画も今までスクリーンでは、見たことがありませんので、今から楽しみにしています。 ただ、何と言っても、藤純子さんの美しさにあっと驚くのは、「日本大侠客」の二階の座敷で、紫色の着物を着た、貴女が、振り向いた瞬間のシーンではないでしょうか。現実にいる人とは、思えない美しさです。スクリーンを圧倒する美しさ。(これ、前にも書きましたか?) それに、9月21日には、第四作「二代目襲名」DVDがやっとリリースされます。私は、個人的には、第六作「お竜参上」が貴女の美しさにおいて、一番好きなのですが、第七作「お命戴きます」の最初の船から下りて、汐路章さんを助けるシーンも好きです。 ところで、テレビで拝見していますと、家族の方々は、貴女の映画をほとんど観ていないようですね。まあ、妻や母の映画に惚れ惚れするというのも、奇妙なことかもしれませんが、一生の間に観る機会を失うとしたら、もったいないことですね。なにせ、貴女の映画を堪能するには、100回ずつぐらいビデオで観ないと、真に観たことにはなりませんから。ご家族の方には、そんな時間は、ないでしょう。 では、お元気で。 敬具 平成15年7月15日 【0128】 富司 純子 様 拝啓 お元気ですか。さて、「NHK大河 源義経 総集編」を見る機会を得ました。断片的には、貴女の出演テレビ番組で時々紹介されていましたが。1966年当時には、私には、テレビを見る時間というものが、あまりなかったようです。したがって、「NHK大河 源義経」も、オンエアーされた時は見ておりません。 当時のテレビでは、日曜の昼?に放送されていたせいか、「スチァラカ社員」が記憶に残っていますが、長谷百合さんを見ていたのか、貴女を見ていたのか、あるいは両方とも見ていたのか、記憶がはっきりしません。当時の私は、もっぱら、「大鵬」に関心があったように記憶しております。 NHK大河ドラマは、どうも長すぎて今まで根気よく見たことがありません、というか、テレビドラマ自体、ほとんど日常生活において、見る習慣を現在も持っていません。 ところで、「NHK大河 源義経 総集編」、今までなんとなく見ることを避けてきたような気がします。多分、菊五郎さんに対する一種の嫉妬でしょうね。(結婚30年以上の方に、今さら嫉妬というのもおかしな話ではありますが。) 総集編の内容は、良くできていたと思います。今の「宮本武蔵(これも、ほとんど見なくなりましたが)」よりも、迫力がある場面が多いようです。また、貴女がふっくらして、美しい。1966年ですから、「日本大侠客」「昭和残侠伝 一匹狼」と同じころ。当時の菊五郎さん(総集編では、菊五郎さんの若かりし頃であり、美男な可愛い青年に見えますが)が、貴女に一目惚れしたのも、なるほどといった感じを受けました。当時、貴女のほうが、大人びて見えるようです。 では、お元気で。 敬具 平成15年7月22日 【0129】 富司 純子 様 拝啓 お元気ですか。7月25日の東京新聞の朝刊に「流行歌一本勝負」CD6枚組15000円全108曲を見つけました。その中に、貴女の緋牡丹博徒が入っております。 考えてみるとこれは大変な業績ですね。私の好きな曲に黄色のマークを付けてみました。マークを付けて、自分は古い人間だなあと思いました。貴女の好きな歌は、どんな歌でしょうか。今度、お話する機会がありましたら、聞いてみたいですね。 ではお元気で。 敬具 平成15年7月26日 No.6 雨 (1)雨/三善英史 (2)あなたにあげる/西川峰子 (3)長崎ごころ/ジ・アーズ (4)大阪ラプソディー/海原千里・万里 (5)一円玉の旅がらす/晴山さおり (6)ベッドで煙草を吸わないで/沢たまき (7)帰ってこいよ/松村和子 (8)和歌山ブルース/古都清乃 (9)湖愁/松島アキラ (10)霧の中の少女/久保浩 (11)酔いどれ女の流れ歌/森本和子 (12)男と女のお話/日吉ミミ (13)浪花節だよ人生は/木村友衛 (14)涙のお立ち酒/鈴木正夫 (15)俺の出番はきっと来る/米倉ますみ (16)面影の女/チヤタ (17)緋牡丹博徒/藤純子 (18)新地ワルツ/レッツゴー三匹 【0130】 富司 純子 様 拝啓 お元気ですか。菊五郎様から、ご礼状を頂き有難うございました。 貴女宛てに書いたものではありましたが、ご夫婦は一体でしょうから、菊五郎様からの礼状が送られてきたものと推察いたします。 さて、今年の夏は、7月に入りましてから、低温が続き、過ごし安い日々ではありましたが、私共、天候によって左右される業界にとりましては、困った状況ではあります。 今日からは、いよいよ8月に入り、菊五郎様も夏休みということで、ご家族で楽しく過ごされる日もいくらかとられるのではないかと存じ上げます。 話は余談になってしまいますが、今は晩婚の時代になったなあと思います。私も、22歳の時は、すでに結婚する相手を決めておりました。ただ、それまで他の女性とお付き合いしたことがなかったのが、今になって思えば反省点かとも思っております。 なにせ、あの当時は、藤純子というとてつもなく美しい人(当時は、自分より相当にお姉さんという感覚でしたが)の映画を見るにつけ、周りの女性がなんとなく不細工に見えたものでした。 そのころは、ご存知のように、学生運動も盛んなころで、私は、当時「民青」と呼ばれた共産党主義のグループとは、行動を別にし、数繁く映画館に通っていたものでした。その後、連合赤軍の「あさま山荘事件」(ちょうどそのころ、貴女はご結婚なさったのではないでしょうか)とか怪奇な事件がありました。 年月は流れ、ご結婚当時の菊之助様も、人間国宝に認定(60歳というのは、きわめて異例だと思うのですが)されるに至りました。 益々の寺嶋家のご繁栄を影ながら祈願しております。 ではお元気で。 敬具 平成15年8月1日 【0131】 富司 純子 様 拝啓 お元気ですか。異様に涼しい毎日が続いておりますが、8月もすでに8月15日となり、いかがお過ごしでしょうか。 8月15日は、我々日本人にとって永久に日本の歴史に残る日であると思うのですが、東宝映画に「日本の一番長い日」というのがあり、太平洋戦争の戦争映画としては、私が一番好きな映画です。これは、日本が戦争を終結しようとする8月12日から8月15日を描いたもので、特に、8月14日の御前会議から、8月15日正午の玉音放送までの史実を描いているものですが、戦争の悲惨さという観点よりも、むしろ戦争終結における昭和天皇が果たされた役割の重要さ、阿南陸軍大臣(配役:三船敏郎)が、陸軍幹部の反対にもかかわらず、天皇の意向に沿って、いかに忠実に戦争終結に向けて、行動したか等について忠実に描かれています。 8月6日広島原爆投下、8日ソ連参戦、9日長崎原爆投下という中で、15日に終戦を向かえることができ、日本国が今のような平和な国であることについて、当時の天皇の存在の偉大さと、戦争終結に向けて迅速に対応した当時の内閣首脳の勤勉さに感謝の気持ちを持っております。 貴女は、疎開先であった和歌山県で誕生されたと聞いておりますが、貴女にとっても8月15に終戦の日を向かえることができたのは、幸福なできごとであったのではないかと思います。 東映にも、貴女が出演されているもので、戦争映画ものとして、「ああ同期の桜」「人間魚雷」「最後の特攻隊」等がありますが、戦争映画は、後味が悪く私は、あまり見ることはありません。 平和な日本が今後も続くことを祈りつつ。 では、ご家族でよい夏(もうすぐ秋ですが)を、お過ごし下さい。 敬具 平成15年8月15日 陸軍と国家に挟まれた非常に哀れな人だったと思いますが、軍人らしい礼儀正しさと、芯のある人です。 鈴木総理との別れに差し出した戦利品の葉巻を渡すシーンは、キーゼル中尉とブラント大佐の別れ以上に感慨深いかもしれません。 【0132】 富司 純子 様 拝啓 お元気ですか。再び熱さがもどってまいりましたが、いかがお過ごしでしょうか。 私は、特許という地味な仕事で毎日パソコンに向かっておりますが、机の周りの様子をデジカメで撮りましたので送付致します。 毎日、お竜さんの写真を横目で見ながら仕事をしております。 さて、貴女の女優としてのすばらしさについては、これまで幾度となく書いてきましたが、最高の一作を挙げるとすると、私は、「おたの申します」ではないかと思います。この作品は、ビデオ化されておりませんが、貴女の美しさにおいて最高作品ではないかと思います。「日本大侠客」のようなはじけるような若さは出ておりませんが、大人の女性としての美しさは最高でしょう。 高倉健さんや、鶴田浩二さんと組んだ作品は、貴女とのバランスがとれすぎて、貴女がやや目立たなくなります。菅原文太さんとの作品は、貴女の美しさが目立ってきます。この点、緋牡丹博徒シリーズでも、「お竜参上」が一番貴女が美しく表現されているのと共通しているようです。 昔の作品の話ばかりですが、1989年の「詩城の旅びと」は良かったですね。あっこれも、大分前ですね。 ところで、特許の仕事は、結構過去の資料を調べることが多いのです。しかし、1968年〜1972年のような古いものは、めったに調べません。商用データベースでも、昭和52年以降のものしか特許の抄録が作成されていないのです。 ではお元気で。 敬具 平成15年8月22日 【0133】 富司 純子 様 拝啓 お元気ですか。 といっても、8月22日にレターを出したばかり。 今日は、「花札」について。 3日程前、北朝鮮の「美女?応援団」の宿舎の部屋に花札が置かれていて、物議をかもしたとかという、真実とも嘘ともわからない記事が出ておりましたが、「花札」は日本が朝鮮を植民地化した時に、朝鮮に持ち込まれたそうで、朝鮮人にとっては、侮辱的な意味を持っているようです。このあたりは、どうも真実味がありそうな話ですね。 「花札」の遊び、いろいろと遊び方があるのだと思いますが、私はまったく知りません。兄弟がいなかったせいもあり、ほとんどの室内ゲームを知りません。任侠映画を何回となく見ていても、手本引きというのは、どうもルールがわかりません。親の出す札を当てると勝ちという程度のことはわかりますが。また、何枚か選んで、位の高い札を揃えた方が勝ちというルールのもあるようであることまではわかります。札の種類もいろいろあり、手本引きのものは、シンプルなデザインですね。 ところで、「花札」というのは、日本の花鳥風月を表現し、1804年頃を起源としているもののようですが、デザインがなんとなく妖しい感じで、不良っぽいというか、そんな魅力がありますね。だから、任侠の世界で賭博に利用されてきたのでしょうが。一度だけ、手にしたくて、花札を買った記憶があります。いつであったかは、忘れました。 今は、どこに行けば売っているのでしょうか。任天堂に聞けばわかるのでしょうが。 貴女の任侠映画、貴女が「花札」のような妖しい感じでないところに、1種のアンバランスがあり、それも映画の魅力1つであったものと思います。 ではお元気で。 敬具 平成15年8月29日 【0134】 富司 純子 様 拝啓 お元気ですか。北野たけしさんの「座頭市」がリメークに成功しているとかで、日本映画界の話題になっているようですが、私にはあまり興味のないことです。勝さんのものを、映画かテレビで数回見たことが、ありますが、目が見えないのに人を切れることに漠然とした疑問を持ったことがあります。 まあ、東映の仁侠映画でも、お父さん(俊藤浩滋さん。もうすぐ三回忌でしょうか)が、「着流しで、人を切れる訳はないのだよ」と書いておられたように、素朴な疑問というのを残しながら、映画の娯楽性が成立してくるものとは思います。 驚いたのは、勝新太郎さんがあれだけのイメージを作り上げたにも拘わらず、リメークに成功したという点ですね。緋牡丹博徒も、リメークがありうるでしょうか。おそらく、ないでしょう。適材と需要の両方がないからかもしれませんが、まず適材がいるかどうかが問題となるでしょう。 私自身、25歳前後の女優さんをほとんど知らないので、考える資格を持っていないのかもしれませんが、貴女のような凄みのある美しさを表現できる人、いないでしょうね。 ところで、インターネットにポスター写真がありました。 記念に送付致します。何かの折り、菊五郎様や菊の助様に見せてあげて、びっくりさせてあげてはいかがでしょう。 では、お元気で。 敬具 平成15年9月9日 【0135】 富司 純子 様 拝啓 お元気ですか。 3時のあなたの写真発見!! もちろん、お持ちだとは思いますが。 念の為、送付致します。 1972年の「おたの申します」の時のような凄みのある美しさというより、1966年時代の朗らかな美しさですね(朗らかな女性というのが貴女の真の姿と察しておりますが)。 ではお元気で。 敬具 平成15年9月13日 【0136】 冨司 純子 様 拝啓 お元気ですか。9月も下旬になりましたが、緋牡丹博徒第四作「二代目襲名」のDVDもようやく9月21日に発売になりました。この作品にかぎらず、いつも思うのですが、最後の方で、「・・お命戴きますばい」?とか言って、髪が垂れてきて、悪役を睨みつける時のお顔、凄く美しいですね。(私の好きな、「凄みのある美しさ」というのでしょう。) それと、これもこの作品にかぎらないのですが、立ち回りの時、着物の裾がひるがえって、真紅の裏地(多分そうだと思うのですが、ひょっとしたら、赤を下に着ておられたのかもしれません。)が見え隠れして、なんとも言えない色気を出しているのがすばらしいです。 前に私が、一番だと思う作品は、「おたの申します」と書きましたが、この作品について下記のような評があります。 「しかし寒色系の画面の中に、蝋のように透き通った肌で居住まいをピシリと正す藤の、美しさは壮絶だ。登場したとたん、スクリーンに美しいとしか言えないものが浮かんでいて、その美しさを支えるためには、美しい悲劇を迎えなければ済まされないのだという、哀しい予感さえ感じさせる美しさだ。」 まあ、短い文の中によく表現されていますね。 ビデオ化されていないのが残念です。 ではお元気で。 敬具 平成15年9月22日 【0137】 冨司 純子 様 拝啓 お元気ですか。さて、今年も10月に入り菊五郎様も歌舞伎再開ということで、お忙しい毎日がスタートされたものと思います。 菊之助様は、桃井かおりさんと「若き日のゴッホ」に出演されているようですが、桃井かおりさんというのは、ひょっとして、「幸せの黄色いハンカチ」に武田鉄也さんと共演された方でしょうか・・・? 最近の芸術は、いろいろな角度から感動を与えることができるものらしい・・・。それだけ、観客の感性が多様化してきたということでしょうか。 東映任侠映画のファンは、すでに、きわめてマイナーな集団になってしまっているのかもしれない。しかし、これだけは、真実であると思います。いろいろな論評も踏まえて。 藤純子さんは、日本映画史上、最高に美しい女優であったということ。今は、美しさの価値判断も多様化し、本当の日本女性の美しさを知らない人も多いのでしょう。人生において、貴女の全盛期の映画を見る機会に巡り合うことができた人の割合はさほど多くない。(DVDを買っている人も、以前映画を見た人が多いでしょう。) 運良く仕事が入らず、懇親会の折りにでも、お姿拝見できる時を楽しみにしております。 ではお元気で。 敬具 平成15年10月3日 【0138】 富司 純子 様 拝啓 お元気ですか。いよいよ、音羽会の懇親会の情報も入り、12月17日(水)ということで、私としては、特別な仕事の用が入らないように祈るばかりですね。遠くに出張になると、これはどうしようもなく。 国立劇場の観劇後という予定らしいのですが、お忙しい芸能一家では日程の設定も一苦労と察します。たしか、昨年はしのぶ様は、藤田まことさんとの仕事が入って、ご不在だったと記憶しております。 今年は、菊五郎様が人間国宝に認定された年でもあり、きっと盛大な会になることでしょう。最初に会に参加させて頂いたのは、平成12年12月21日の会でしたから、もう3年の月日が流れました。 その間、菊五郎様はじめ、ご一家そろって、益々のご発展で喜ばしいかぎりです。 ただ、貴女としては、そろそろお孫さんがほしいところではないかとご推察いたします。 しかし、こういうことは、本人の問題ですから、親の入る余地はまったくないのではありますが。 さてさて、私のような、冨司さんファンにとっては、ぜひ来年も1〜2本程度舞台をやってほしいと思いますネ。今年は、三越劇場、新国立劇場でしたが、三越劇場は、3回見に行きました。最後で、貴女が楽屋入りされる時、お会いでき、おそらく素顔の素敵なお顔を拝見できたことを、大変嬉しく思いました。新国立劇場はなんとなく、国の構造物の中に入ったという印象で、劇場内が暗く、お顔も良く見えなかったような印象でした。 ただ、今や人間国宝の奥様になられたことになり、いろいろと各界のお付き合いも多く、ご自身の仕事の予定を入れる暇はないのではないかと想像しております。 お元気でお過ごし下さい。 敬具 平成15年10月7日 【0139】 富司 純子 様 拝啓 お元気ですか。 ひさしぶりに、中野武蔵野ホールに行ってきました。 1.「昭和残侠伝 血染の唐獅子」、2.「女渡世人」を観てきました。 1.は、1967年、2.は、1971年の上映です。 この4年間にずいぶん変わっていますね。娘から大人の女性へと。 1.は、ビデオでも何回となく観ていますが、2.は、2度目です。 スクリーンを観て、今回、やっと、だいたいの確信を持ちました。 着物の下に赤いものを着ているのではなく、着物の裏地が赤いのであることを。 登場された任侠映画の着物は、ほとんど裏地が赤であったのではないでしょうか。 「男衣装につつんでいても・・・」と緋牡丹博徒の歌でありますが、確かに表は、男のような柄でも、裏地は赤で、ちゃんと女性の衣装であったのですね。 そして、立ち回りで、裾の赤の裏地が見え隠れするところに、究極のエロチシズムが漂うのだと思います。2.の「女渡世人」は、立ち回りの場面も多く特に、その点の魅力が出ております。 上映中、私か、それよりもやや年上の男性を横目で見たのですが、やはり、藤純子さんに、惚れ惚れしているという感じで、見ておられました。 貴女の26歳頃の作品は、神かがり的な美しさですね。名画を観賞する気分です。 43歳ぐらいで亡くなった、同棲時代の劇画で有名な上村一夫さんが、「藤純子は何故結婚したのか」というエッセイを書いているようなのですが、この作品、国会図書館にも収められていないようです。まあ、読んだところで、菊五郎さんがいいから、結婚したのにきまっているのですけれど。上村一夫さんも、劇画の女性を描くときに、貴女のイメージも大きく存在していたのではないでしょうか。 チラシ(少し悪趣味のようですが)が、映画館に置いてあった小冊子を送付致します。 東映の任侠映画、70年安保時代の学生(団塊の世代)が世を去るころ、DVDだけが、その子供も捨てきれずに、引き継がれて行くのでしょうか。そして、昔、奇妙な映画に、一人の美しい女性が主演していたことだけが、語り継がれていくものと思います。 私も、息子に、DVDは、私が死んでも、捨てるなと言ってあります。そうするかどうかは、定かではありませんが。 では、お元気で。 敬具 平成15年11月11日 【0140】 富司 純子 様 拝啓 お元気ですか。といっても、ついこの間手紙を出したばかり。 11月11日の東京新聞[3]に寺島しのぶ様の記事を見つけました。 当然、ご覧になっているとは思いますが、念のため新聞のコピーを送付します。 最後の方に、「日本映画界にまた新たな本格女優が誕生した。」と書かれておりますが、この部分になんとなく違和感を覚えます。 映画女優は、事実上、藤純子さんが最高にして、最後という感じを持っていましたから。 しのぶ様も、30歳になられて、そろそろ、ご結婚という時期かと影ながら案ずるところではありますが、これは、ご本人がしっかり自分なりの人生プランを持たれてるいことでしょう。 今年は、菊五郎様が人間国宝に認定されたりと、おめでたい話がつづいておりますね。 さて、私事ですが、菊之助様と同年の長男(26歳)は、2年目で、司法試験に合格し、博多から年末には、戻ってくることになりました。司法試験に合格しても、来年4月から司法修習生としての1年半の和光市での寮生活が始まるわけですが、そうすると、弁護士の卵になれるのも、すでに28歳になってからということになり、少し回り道をした人生かと思いますが、それもいいのでしょう。 貴女が25歳、26歳の時に、東映の看板女優としてハードなスケジュールをこなしていたことを思いめぐらしますと、同じような歳に、私の長男も彼なりに努力していたのだと思い、感慨深いものがあります。私と言えば、会社の当時の業績が絶好調でのんびりとすごしておりましたが。 しのぶ様と私の長男が一緒になれるような運命にあれば、親としては、幸せですが、現代かような問題には親の入る余地はないようですね。(失礼なことを申し上げたかもしれませんが。)もっとも、私の方には、バランスのとれた式を挙げるだけの資金を調達することはできませんが。 ではお元気で。 敬具 平成15年11月13日 【0141】 富司 純子 様 拝啓 お誕生日おめでとうございます。 貴女は、「戦争を知らない子供たち」の第一陣ですね。 こうして、昭和20年8月15日、平和な日本を迎えることができたのも、当時の優秀な内閣閣僚、とりわけ阿南陸軍大臣の天皇のご判断に対する忠実な行動と、勇気を持って、終戦を決意された昭和天皇のおかげと考えております。 終戦がなく、本土決戦を行なっていれば、日本民族の半数以上は戦死し、貴女や私は、世に出ることはなかったかもしれません。ご自身の歳が終戦後の年と一致するのも何かの歴史的因縁があってのことかもしれませんね。 さて、平和な世の中ではありますが、企業の生き残り競争はたいへんな時代になってまいりました。KIRIN社では、高倉健さんを起用してのクラシックラガーの全国発売を展開することになりました。ビールの宣伝を申し上げているのではありません。私、生涯の最高の男優として、高倉健さんが、私の最も好きなタイプビールを宣伝してくれることに、喜びを感ずるのであります。 そして、高倉健さんといえば、“藤純子”の名前が自然に出てくるのであります。 “藤純子”という名自体にでさえ、特別な思慕を感ずるのは、藤純子さんがたぐいまれな、美貌の女優であったからにほかなりません。 クラシックラガー、高倉健、藤純子この名を頭に並べ描く時、愛燦燦の歌にあるような「人生って素敵なものですね」という感覚に浸ることができます。 ではお元気で。 敬具 平成15年12月1日 【0142】 富司 純子 様 拝啓 お久しぶりにお姿拝見し、幸福な気分に浸ることができました。 お会いするたびにますます、お美しくチャーミングになられていく感じをお受けしました。 ただ、何といっても驚きましたのは、菊五郎様の糖尿病のお話でした。 菊五郎様は、夏季休暇には毎日ゴルフをなされ(徹子の部屋でのお話で)、タフな人というイメージを持っておりましたので、ほんとうに驚きでした。 この病気の人は、今の日本に多いようですね。根気良く、医師と相談の上治療されるのが大切だそうですが、貴女の役割にまた1つ大きなものが増えたことになったと思います。(ただ、ご本人は医者に会っておらず冨司様が医者から話を聞いて対応されているようにお聞きしましたが、これは危険なことではないでしょうか。やはり、ご本人も直接先生からお話を聞くべきでしょう。)私は、医師ではないのでわかりませんが、歌舞伎役者の仕事は体力的に相当にハードなものと想像します。仕事が、治療の一貫として、それなりにプラスであれば、良いのですが、ハードすぎるものであれば、一時的に仕事量を減らすことも必要ではないかと想像したりしております。 私の場合、1995年2月頃に何らかの理由により、鬱病になり、地獄を見てまいりました。この病気は、体のエネルギーレベルがまったくゼロになるといったものであり、働こうにも働けないので、会社を休むことになりました。サラリーマンは有り難いもので、一定期間内に復帰できれば、継続して月給は貰えます。ボーナスはなくなります。ただ、一旦こういう状態に陥ると当然ながら、出世の階段を上るという希望は捨てることになります。私の場合は、鬱病であることが、当初なかなかわからなかったのが最もつらいことでした。鬱病は内科では、異常なしとされてしまうのです。 (田宮二郎さんも、適切な治療を受ける機を逸したのではないかとも思っております。) しかし、病気になって良かったのは、医師の指導により、他に楽しみを持ったことです。仕事一筋の私に、何の楽しみを見出せばいいのか、答えは、貴女のビデオ・資料等を徹底的に集め、見ることでした。その間、貴女の映画を今だ上映している映画館があることも知り、音羽会というものがあることも知りました。12月17日の年末の忙しい時に、休暇をとって楽しめるステイタス環境は、私が、病気になったからこそです。(普通に出世していると部長というものになり、ほとんど休暇がとれない毎日です。)病気になって、仕事も趣味の領域でできるようになりました。すなわち、私の現在の生活の時間帯はすべて趣味に転化することができました。 長くなりましたが、菊五郎様、これを機に、背中にしょっているものを少し軽くされるといいかもしれません。そして、これは、また菊五郎様の人間性と価値観を広げ、芸の深さをさらに深めるものと思います。12月17日の写真で良く撮れたと思うものをお送りします。では、お元気で。 敬具 平成15年12月19日 【0143】 富司 純子 様 拝啓 お元気ですか。 23日は、小林稔侍さん主演の「旅の終りに」を見ました(再放送のようでした)。 この歌は冠二郎さんの唯一?のヒット曲と思いますが、この曲がドラマの時々に流れ、なんとも言えない精神的興奮状態に入ります。この曲が流れ出すと涙が溢れ出し、ドラマが終了した時には、疲れ果てた感じになりました。私の一番好きな歌は、「別れの一本杉」あるいは「赤いランプの終列車」と思っておりましたが、「旅の終りに」の方がいいなあと思いました。 ところで、小林稔侍さん、東映任侠映画全盛時代の映画では一本しか、小林さんが出ていたのを認識しておりません。それも、今では何の映画だっかも記憶にありません。ところが、今はいい俳優になりましたね。(これ前にも書きましたか。)結婚泥棒の橋爪功さんは、もっと人気があるようですが、小林捻持さんのような男の寂しさは表現できないようです。橋爪さんのドラマの方が、見た後に疲労感が残らない点ではありがたいのですが。 ただ、女優さんの場合、女の寂しさを表現しても良くない。女性の場合、寂しさを表現すると哀れになってしまい、価値がなくなるからでしょうか。貴女の任侠映画には、寂しさも出ているのですが、それが目立たない。これは、貴女の美しさが寂しさを吹き飛ばしているからだと思います。 ではお元気で。 敬具 平成15年12月24日 流れ流れて さすらう旅は きょうは函館 あしたは釧路 希望も恋も 忘れた俺の 肩につめたい 夜の雨 春にそむいて 世間にすねて ひとり行くのも 男のこころ 誰にわかって ほしくはないが なぜかさみしい 秋もある 旅の終りに みつけた夢は 北の港のちいさな酒場 暗い灯影に 肩寄せあって 歌う故郷の 子守唄 【0144】 富司 純子 様 拝啓 お元気ですか。我々サラリーマンにおける、お正月休みも早終りましたが、貴女におかれましては、あわただしい、元旦のご挨拶と2日からの歌舞伎座公演を無事スタートし、ほっと一息というところでしょうか。 菊五郎様は、お元気でしょうか。無理をなさらないようにと言っても、人間避けて通るわけにはいかない場合もあります。ただ、人間国宝ですから、何よりも長生きをすることが最大の努めかと思います。(これは、貴女にとっても、最も大切なこと。) けっして、宣伝ではありませんが、ゴーヤクロム(ニガウリのエキス)という商品をキリンの関連会社で扱っており、糖尿病に効果があるかもしれないとのことです(医薬品ではありませんので)。インターネット資料にもニガウリの効果が掲載されております(同封)。しかし、服用にあたっては、既に飲んでおられる薬との副作用等について、医師にご確認されるのがよろしいかと思います。 ところで、菊五郎様、お酒はある程度飲めるのでしょうか? 遊び(これは、まあ貴女のためにも控えるとして)と酒が中止で、適度な運動と制限された食事となると、仕事、仕事で人生少し暗くなりますね。わずかでもお酒が飲めるといいのですが。(私の場合、尿酸値が危険領域に入っておりますが、痛みが発生するまで飲み続ける日々を送っております。) さて、今年の心境は、例年の通りですが、「みすみす実らないと判っていても、人は惚れるんだよ」(あ・うん 門倉さんの台詞)といったところでしょうか。(誰にかについては、記述するまでもないことです。) ではお元気で。 敬具 平成16年1月6日 【0145】 富司 純子 様 拝啓 お元気ですか。あっという間に、1月も終りになって来ました。歳のせいでしょうか、時間の経つのを早く感ずるのは。ともあれ、私は、昨年末から、2月16日の引越し/同じ横浜ですが(多分、人生12回目の引越し)に向けて、たいして何もしていないのに、仕事と平行して忙しい毎日でした。カーテンを選ぶにも、一日では足りず、もうどうでも良しという気になっても、2日もかかってしまいます。でも、さらに引越しがあるとしても、後は最終的に本籍地岐阜に戻るかどうかだけ。 そんな中、24日には、ひさしぶりに中野に出かけて、「おたの申します」「侠客芸者」を観て来ました。1971年の「おたの申します」からすでに33年、しかし作品は貴女の存在感により、いまだ輝いています。「おたの申します」の最後のシーンでは、客席から、パラパラと拍手がありました。感動するのでしょうね、貴女の壮絶な美しさに。貴女は、23〜26歳の若さにして、「姉さん」とか「親分」と呼ばれても違和感ない風格がありました。「2代目襲名」の銭丸金吉が「ろうたけた人」と台詞で言っていたように。今も梨園の妻として、受付付近に立っておられる時は、同じ風格。でも、真の姿は、音羽会のパーティで見せる、陽気で明るい朗らかな女性なのでしょう。 阿久悠先生の「船唄」(八代亜紀)に、“女は無口な人がいい”という部分がありますが、私自身、無口な女性がもしいれば、好きですが、任侠映画の貴女が演じる人(虚像)の中にだけ存在する人のではないかと思います。あとは、重病で話すこともできない状態の女性とか。 2月は、菊五郎様、菊之助様、お休みとかの案内がまいりましたが、楽しくお過ごし下さい。菊之助様は、お母さんのことを、気にかける暇はないかもしれませんが。子供とは、そんなものですね。 ではお元気で。 敬具 平成16年1月27日 【0146】 富司 純子 様 拝啓 お元気ですか。2月7日の東京新聞の夕刊に菊五郎様の記事が出ておりまして(ご存知のこことは思いますが)、要するに国立劇場も独立行政法人になるとかで、理事長が俳優さん方に、“よろしく”と始めてご挨拶されたようなことが書かれており、それに対する菊五郎様の感想が掲載されておりました。私どもは、単に時代の流れかといった感じでしたが、関係者にとっては、多少気持ち新たにということなのでしょう。 国立劇場は、場所が良く、敷地が広い、ロビーも広々している。これらの基本経費はどのように計算されるのか知りませんが、一日一回の公演ではもったいないような気がします。しかし、従業員にとっては、急に夜遅く働けと言っても、なかなかついていけないでしょうし。俳優さんや、スタッフとっても、国立劇場の公演月は、日程が楽で、それなりにメリットもあったのではないでしょうか。今後の国立劇場の公演スケジュールの組み方が変化するのか見ていくことにしましょう。 といったことしか今回は書くことが見あたらなかったのですが、机の上に置いてある平成15年12月17日の懇親会の貴女とのツーショットの写真、始めはピンボケでがっかりでしたが、見ているとそれなりにまた味わい深い、それで、デベロップしたものを記念に送付させて頂きます。貴女のお叱りを受けるかもしれませんが、なんとなく顔の感じが似ているような気もします。(気のせいか?) ところで、DVDの緋牡丹シリーズは、昨年9月21日に二代目襲名(4作)がリリースされたまま停止状態です。東映ビデオにプッシュしても、他にいろいろありましてとか言って、とりあってくれません。まあ、根気良く待つしかありませんね。6作・お竜参上もいいが、7作・お命戴きますも貴女が美しく気に入っているのですが。「お命戴きます」の他の人のコメントの一部を紹介します。 ではお元気で。 敬具 平成16年2月9日 緋牡丹博徒 お命戴きます 1971年6月 ネット上のコメント(作者不明)「藤さんの美しさは絶品。その美貌はあまりに過ぎて恐ろしいほどです。冒頭の船に乗り、雨の中笠で顔を隠した藤さんが刺客に誤って襲われ、斬りつけられた笠の切れ目から見えるその単眼の妖しさ。そして佳境の殴り込みの場面で、結い髪を下ろしたなまめかしさときたらそりゃもう。上気した白い肌と、その肌の白さを異形的に際立たせる緑の黒髪と、パッと斬られた着物から覗く、腕の緋牡丹の刺青。ラスト、河津を殺害し、息を弾ませる藤さんは女性のわたしが観てもヤバイ気がするほど凄艶で、且つどんな女性より清楚で高貴な風情。もうねえ、このラストの展開はほんとにすごくて、水路で河津殺害→乱れ髪で喘ぐ藤さん→雷と共に一瞬無音になり、鶴田の幼い息子が「おばちゃん」と慕ってやってくる→刺青を隠し、血塗られた手で彼を押し留めようとする藤さん…、このときの音楽といい、もう完璧に造り込まれた凄絶な美があるのですよう。 白い肌と異様な黒味を帯びる髪とか、清楚さと刺青とか、侠客であり母性の象徴的存在である、という極端なものの共存こそがお竜さんなのだ、と改めて思います。そして特にラスト、お竜さんが血に濡れた己を恥じる為に血に濡れた手を翳すしかない場面は、その矛盾を自身が背負いきれなくなったようないたましさがあって、とても鮮烈で、美しく悲しかったです。」 【0147】 富司 純子 様 拝啓 春めいてまいりましたが、いかがお過ごしでしょうか。 私の引越しは完了し、マイルームらしきものが、出来上がりました。 約1年間、ダンボールの中に収めてありました東映任侠映画(ただし、藤純子さんが登場していないものはゼロ)のコレクション、貴女の数々の資料集も棚に整理されて並んでおります。 藤純子、富司純子さん関連のコレクションとしては、日本の中でも、かなりのレベルにあるのではないかと密かに自信を持っております。 話は変わりますが、たまにテレビを見ますと、品のなさを結構売りにしているタレントさんが、目立つような気がします。例えば、磯野貴理子さん(この方、結婚泥棒に出ていたのではないかと記憶しておりますが)、今や時の人と言った感じがあります。今の民放のテレビ番組は、1.バラエティ(法律相談含め)、2.旅・食、3.サスペンス、4.ニュースといった構成で、日本的美人女優をあまり必要としていないような感じです。まあ、日本女性の体型が昔に比べ変化して、おしなべて若い層には、美人が多くなったような感はしますが。 ともあれ、“女優・藤純子”さんは、ますます希少価値になってきたようです。 ではお元気で。 敬具 平成16年2月18日 【0148】 冨司 純子 様 拝啓 お元気ですか。と言っても、つい先日ファンレターを出したばかり。 今日は、新たに発行(2004年1月31日初刷)された東映任侠映画に関する本「任侠映画が青春だった」山平重樹著(1953年生まれ/20冊程の著書があるようです)徳間書店の内容について、若干のコメントを書いてみます。 1.内容は、1999年の「任侠映画伝」俊藤浩滋・山根貞夫著の方が充実しております。 2.構成は、第1章人生劇場 飛車角、第2章昭和残侠伝、第3章緋牡丹博徒、第4章日本侠客伝、第5章仁義なき戦い、第6章山口組三代目(2〜4章について、読んでみました。) 3.おもしろいと思った内容 a.着物の裏地の赤について記述してあった点。(同感であった。)P140。b.女渡世人での、刀使いに迫力があったと記述してあった点。(同感であった。)P140。c.貴女は、撮影中ストレスがたまると、コカコーラを壁にぶつけて解消していたという記述。(知らなかった。ほんとうの話かどうかはともかく、映画監督らは、芸術家であるので妥協しないから、ストレスがたまるのは当然あり得ることと想像します。人間臭い話でおもしろい。)P127。他は、すでに知っていたこととか、読んだことのある内容だったかと思います。d.「関東緋桜一家」に関する記載は、おしなべて同じようなコメントですね、内容はともかく引退記念映画だから良し、言ったところ。P210。なかにし礼さんが、NHKで話していたように「お世話になりました」と言って去っていく最後の場面と、流れる“音楽”がなかなかいいというのが私の持論です。 貴女の話の部分とは関係ないのですが、健さんの「唐獅子牡丹」下手に歌った方がいいというので、そちらを採用したという話はおもしろい。(映画の中で出て来る歌というのは、ステージで歌手が歌うものとはちっと別の価値判断があると思います。)P77。ともあれ、この種の本が2004年になって出て来るというのは驚きです。でも、あと10年すれば出なくなるでしょう。著者は、私より4歳若いので、高校生の時、東映任侠映画を見ている。私は、高校生の時には、映画を見ることはありませんでした。通学の市電の中から、日活ロマンポルノ?の看板が目についたのを記憶していますが。私の父は、今年81歳になりますが、45歳前後で東映任侠映画を見たことになります(思えば、あの時の父は若かった。今の私より約10歳も若い。) あるコメンターが書いていましたが、「東映任映画はその内容はきわめてシンプルである、スターの存在感が観客に充実感を与えていた。そういうスターが存在しなくなった今は、逆にあのような映画は生み出されることはなくなった。」 (同感ですね。) ではお元気で。 敬具 平成16年2月20日 【0149】 富司 純子 様 拝啓 お元気ですか。寺島しのぶ様の「日本アカデミー賞最優秀 主演女優賞」受賞、おめでとうございます。あっという間に大女優になってしまわれたという感じですが、ご本人にはたいへんな努力があった結果によるものでしょう。 私個人的には、「日本アカデミー賞」というものの価値とか歴史とか、さっぱり知識がありませんでしたので、調べてみましたら、1977年の「幸せの黄色いハンカチ」が第1回の受賞作品ということで、貴女はもうすでに、菊之助さんのお母さんになって、男の子が生まれて大喜びといった時代にスタートした賞のようです。 したがって、主演女優賞なる受賞者の中に貴女の名は見あたらないのも当然でしょうか。(しかし、任侠映画の場合、芸術性の観点から評価されると、たとえ1966年頃から、日本アカデミー賞が設立されていたとしても受賞は困難であったかもしれませんね。) 最優秀主演賞の受賞をながめてみますと、女性では、吉永小百合さん、松坂慶子さん。男性では、高倉健さん、三国連太郎さん、緒形拳さんが3回も受賞していて目立つところでしょうか。(私は、健さんの3作品しか見ておりませんが。) 映画界も、昨年は観客動員数が多かったということで、映画復活の兆しも見える昨今ですが、比較的安上がりの娯楽として、映画が見直されているのかもしれません。 時代は後戻りすることなく、どんどん進んでいく訳で、新たな大女優が、新たな作品を残していくことに進歩というものがあるのでしょう。しのぶ様も、両親から優れたDNAを授かっているのですから、女優の道をこのまま進まれるのでしょうか。お母様のように、一度結婚して、子育てをしばらくして、再びチャンスを見て復帰するのが理想と思うのですが、古い考えでしょうか・・・。 まずは、しのぶ様の受賞、ほんとうにおめでとうございました。 では、お元気で。 敬具 平成16年2月25日 【0150】 富司 純子 様 拝啓 3月に入ってから、寒い日が続きましたが、いかがお過ごしでしょうか。 7日の夜は、11時からしのぶ様の番組が組まれていましたので、拝見させて戴きました。 見た感想としては、しのぶ様は、貴女(おそらく菊五郎様もそうだと思いますが)に似て、根性がある人だなあとつくづく思いました。それに、俳優ような仕事には、体力も必要でしょう。これから、さらに成長して大女優になられるのか、とりあえず、誰かと結婚して再スタートされるのか興味深いところですが・・・。 少し気になったのが、タバコ、芸能関係の方は、常識なのでしょうね。せっかく親からもらった、大切な肺を煙で汚さなくてもいいのにとは思いますが。「侠骨一代」の中に、貴女の台詞で、「あら、タバコを吸う女が嫌なのね・・」とかいう、健さんに返すのがありますが、ふと、それを思い出しました。 しのぶ様は、貴女があまりにも美しい人だったので、それゆえのプレッシャーも多少あったようなレポートになっておりましたが、まあ、“藤純子さん”というのは特別のまた特別、突然変異的に生まれたような美貌ですから、比較すること自体あまり意味がないと割り切ればいいのでしょう。 インターネットで「藤純子 凄み 美しさ」とかと入力し、検索すると、今だに、かなりの数ヒットし、どこの誰だか、昔の映画を回想してコメントしているというありさまです。 私も、7日の午後は、性懲りも無く「お竜参上」のビデオを見ながら、3年前のお盆の時、中京テレビでこれが放映されていたのを父と一緒に見ていて、終了後、父が「藤純子は、べっぴんやなあ。誰に似たんやろ。」と言ったので、「お母さんも綺麗な人だったよ(徹子の部屋で紹介された横顔を思い出して)」と言ったのを思い出しました。 ではお元気で。 敬具 平成16年3月8日 【0151】 富司 純子 様 拝啓 お元気ですか。 私的な話ではありますが、女性とやや晴れがましい席に出る必要があり、先日、貸し衣装屋に着物を選びに一緒に出かけたのであります。薄藤色の無地の着物が良いと思いつつ、試着してもらったのですが、まったく本人が沈んでしまって似合わない。結局、薄藤色ではあるものの、花の柄の入ったものを選びました。店員の女性に、「冨司純子」さんをイメージしたのだけれどダメだねと話ましたら、「まあ、女優さんと比較されては・・・。でも、着物選びに男性がついてこられること自体、めずらしいのですよ。」と言われました。そうか、無地の着物は、美貌でないと本人が沈んでしまうのかと改めて思いました。 そこで、ひさしぶりに「徹子の部屋」のビデオを見てみました。あの時から、すでに6年が経過していました。菊之助さんが襲名直後の収録のものでしたから。やはり、無地の着物が似合うのは普通の人では無理ということを理解しました。 話は変わりますが、東京新聞の夕刊に、新近松心中物語の論評が記載されておりました。書類を読むのが仕事ですが、演劇の論評は理解しにくいですね。演技というものの中で、競技というものになるとわかりやすいのですが。例えば、フィギアスケートとか、競技社交ダンスとか、たいてい、この人・組が一番という人がトップになるよ気がします。しかし、演劇となると、見慣れていないせいか、よく判りません。個人的には、けっして大袈裟にならない演技の中に、情感が出るのがいいと思うのですが(いや、これは映画でのことですか。演劇では、目で演技するといっても、双眼鏡を持参しないかぎり、役者さんの目の演技までは、歌舞伎はともかく、判らないでしょう。)。論評を読むかぎり、奥が深いのは事実のようです。それにしても、もう3年前でしょうか、貴女の近松心中物語の梅川、見られなかったのが心残り。近鉄劇場の時のチラシは保管してあるのですが。 ではお元気で。 敬具 平成16年3月18日 【0152】 富司 純子 様 拝啓 お元気ですか。もう4月ですね。 NHKの朝ドラも始まり、さらにお忙しい毎日かと存じます。 ただ、朝ドラというのは、サラリーマンにとっては、見る機会がないのが残念。(BSで再放送があるようですが、BSが写らないテレビですし。) 私事で恐縮ですが、3月3日に再婚入籍、3月28日に結婚式(らしきもの)すませ、一段落といったところです。“結婚泥棒”では、離婚は忍耐力の欠如、再婚は記憶力の欠如とかの話がありましたが、私の場合、13年前に自分の播いた種、子供も成人しましたし、人生一区切り、再出発もいいかといった心境でした。男性は、好きな女性にはアプローチできないのに、女性から迫られると逃れるすべを知らないですね。その点、菊五郎様は、うまくお遊びになる術を持っておられるから、こういう事態には至らないでしょう。 そう言えば、貴女のお父様も、奥様の秀様(任侠映画伝には、“おそめ”とも記載されていますが)とは、再婚されたものと思います。秀様もお父様の男っぷりに惚れられたのでしょう。 13年前と言っても、貴女のファンになったのは、36年も前のことですから、貴女に憧れたのが時期的には、はるかに早いのですが、相手が菊五郎様では、また、大女優では、夢のまた夢。再婚を迫る訳にもいきませんし(笑)。 ただ、貴女のお父様は、映画の仕事で娘と一緒に仕事ができたのは幸せでしたね。私の場合、同様に二人の娘がいますが、私の葬式に出てくれるぐらいでしょう。息子とは、話ができる環境にありますが。親父と娘は所詮、何事によらず、わかり合うということは、ないですから。 結婚式場で退場する時、「唐獅子牡丹」(八代亜紀歌唱)の曲を使いましたが、これが大受け、みなさん、大笑いでした。 ではお元気で。 敬具 平成16年4月1日 【0153】 富司 純子 様 拝啓 お元気ですか。3日の土曜日、天花を観ておりましたら、出演されていました。小さい子供を抱いておられましたから、お祖母さんになるのでしょうか? 娘役から、母役、お祖母さん役と時の流れは早いものですね。片平なぎささん、かたせ梨乃さん、浅野ゆう子さんといったところが、早、お母さん役ですから。ただ、母役とお祖母さん役には、さほど区別がなく、ストーリーの始めは、母であったのが、途中で、お祖母さん役になってしまうという場合もあるでしょう。貴女の場合も、まだまだお母さん役で、いけると思います。財津一郎さんは、ひさしぶりに見て、(明確な印象は、「てなもん屋三度傘」ですから)最初は、財津さんであることに気がつきませんでした。 孫と言えば、私は、血の繋がらない娘が一人できてしまって、その娘に子供(男の子)がすでにいるものですから、御祖父さんになってしまいました。同居していないので、1ヶ月に一度程度しか会わないのですが、「ジジ」と言われて、なつかれてしまっております。実の子供達は、結婚するやら、しないやら、また結婚しても、子供を作らなかったり、出来なかったりと、孫なるものが誕生してくるかどうか、定かではない時代になってきたようです。彼が私とは、血が繋がらないことは、いつか気づくでしょうが。まあ、父親のことではないので、彼にはたいした問題ではないでしょう。 (同封しました写真は、式場でカラオケやっていましたら、孫が寄ってきたので、抱いて歌っているところです。たしか、石川さゆりさんの“漁火挽歌”だと思います。歌う人があまりいないので、気分よく。音程を外しても気がつかれないですし。) ところで、奇妙な夢を見てしまいました。夢の中に貴女が登場したのです。女性が登場する夢はほとんど見ませんが。(一番多かったのが、大学を卒業する前の単位の過不足を心配している夢(笑))。場面は、雀荘で、私の手が出来上がった後、危険杯を引いてきて、やむを得ずそれを切り、振り込んでしまったというものでしたが、振り込んだことについて別に悔やんだ訳ではありませんでした。隣の卓をふと見ると、貴女が赤い洋服を着て、背中を向けて卓を囲んでいたのです。私が、「あれ、純子さんじゃないですか。どうして、こんなところに? さすが任侠映画でならしたので、今度は、麻雀ですか?」と話ましたら、ふりむいて「なに言っているのよ。みんなあなたのせいよ。」と貴女の美しくて、恨みがましい顔がアップになったら、夢は終りでした。多分、一瞬の夢でしょうね。・・・人生、夢のまた夢。しかし、貴女が夢にまで出てくるとは、・・もちろん初めてでした。 ではお元気で。 敬具 平成16年4月5日 【0154】 富司 純子 様 拝啓 お元気ですか。すっかり春になり、やがて夏がくる気配を感じさせる今日この頃です。 ずいぶんとファンレターを出せさて戴いきました。何度となく、貴女の美しさを書き綴ってきたわけであり、同じ内容の繰り返しも多かったものと思われます。(女優をやめられるまでと思っています。)貴女もまたかという感じで封を切るのもめんどうだと思われた時も多いでしょう。また、事務所のスタッフの方も、あきれていることでしょう。まあ、そんなことで、今日も同じ内容の繰り返しになってしまうようです。 多少異なるのは、インターネットで、寺島しのぶさんに、緋牡丹博徒のリメイクをいうような話が出ていた件について、可能性はゼロに近いと思うのですが、企画する人は、お金が儲かれば何でもやろうとするのが、この世の中。あるいは、真剣に考えている人がいるかもしれません。 しかし、その時は、寺島しのぶ様に、それだけは、やめるようにアドバイスされるのがいいと思います。アドバイスというより、貴女のビデオを一本、例えば、第7作の「お命戴きます」の川岸に船が着いてからのシーン(あの場面、たいへん気に入っているのですが)の部分だけでも、しのぶ様に見て戴ければわかります。貴女の凄さは、演技力という次元を超えたものであることが。 若い世代は、藤純子なるものを知らない人も多いので、なんとも思わないでしょうが、50歳以上の者は、すべて良く知っておりますから、がっかりさせられるだけというか、神聖なる領域を侵されたという感じを受けるでしょう。 さてさて、やがて、5月が来れば、菊五郎様も菊之助様も、歌舞伎座で出演。忙しい毎日になりますね。ところで、菊之助様のご結婚は? 私共の家と違って、お世継ぎが必要ですから、そろそろいい人を。貴女もいろいろお考えになっているとは思いますが。こればかりは、本人しだいですし。江角さんを若くしたような、しっかりしていて、近代的でいいと思いますが、そんな女性なかなかいませんネ。あまり、気が強くても、貴女とうまく行かないでしょうし。ぼんくらでは、つとまらないでしょうし。 第7作「お命戴きます」からの写真のコピー(空前絶後の美しさだと思うのですが)を記念に同封します。私の会社のデスクの写真立てに入れて置いております。 ではお元気で。 敬具 平成16年4月19日 【0155】 冨司 純子 様 拝啓 お元気ですか。いよいよ、明日から5月。我々は、お休みですが、貴女は歌舞伎座とかNHKとか、お忙しい毎日と思います。 28日、NHKの「その時歴史は動いた」を見ておりましたら、マダム貞奴(1871年生誕)の話がとりあげられておりました。彼女は芸者として、伊藤博文(伊藤博文は、彼女の膝枕で、憲法を草案したとい逸話があります。)のお抱えになったのですが、伊藤博文も捨て、1891年にオッペケで有名な川上音二郎(オッペケペは、日本歌謡曲の原点らしいです)と結婚し、音二郎の決断で、1899年サンフランシスコ、1900年ニューヨーク、イギリス、フランスと公演。その間、ピカソも彼女のデッサンを残しているとのこと。1901年1月日本に帰国、しばらく日本では、出演を拒んでいたのですが、音二郎の願いにより、明治座にて、1903年2月11日14時に、オセロの公演にて、最初の台詞を発したとのことです。この時が、日本における女優誕生の瞬間とされているということです。その後、1910年に帝国座を設立するも、音二郎が2年後に47歳でなくなり、1925年川上児童演劇園を創設して、後身の育成に尽力したとのことです。亡くなったのは、1946年12月7日(75歳)。この亡くなる一年前に、すでに貴女は、誕生していました、そして、日本女優誕生の瞬間の60年後、1963年には、「八州遊侠伝 男の盃」が上映されている。日本最後の女優といわれる(私は、現時点では、この意見に賛同する者ですが)貴女との間にさほど時間的隔たりがないというのは、NHKを見て驚いたことでした。なお、貴女は貞奴さん程、大胆不敵な女性ではないと想像しておりますが、顔の輪郭は異なりますが、目に魅力がある点において、お二人は、共通していると感じました。私の故郷にこのような寺があったとは、知りませんでした。 ではお元気で。 敬具 平成16年4月30日 【0156】 富司 純子 様 拝啓 お元気ですか。いかがお過ごしでしょうか。 サラリーマンにとっては、5月の連休もあっという間に過ぎ去り、今日5日は、肌寒い日となりました。連休中は、朝の時間が当然あり、「天花」を数回見ました。保育園の園長(あるいは、その妻)という役ですが、私の次女が、お寺の保育園に勤務していました(保育園の正規の先生だと、忙しくて、自分の時間がとれないということで、別の保育園のパートに切り替えたようです)ものですから、身近なテーマを取り上げた朝ドラだなという感じを受けました。ようだというのは、離婚してから、娘を直接観察する機会がなくなり、息子に5日に品川で会い、いろいろと話を聞いたというしだいです。元自宅には、(もう、10歳になるかと思いますが、)猫のモモがいまだ、老体ながらも、外で時々、野ネズミをとってくるようです。環境が良い所で、自分の好きなように生きているので、「後5年、生きるかな」と息子に話ましたら、同感だと言っておりました。良き環境で、好きに生きる猫は、一番幸せ者かもしれませんネ。野良猫となると、生きる厳しさが日々身にしみるでしょうが。 朝ドラには、いつだったか、タイトルも忘れましたが、宇宙飛行士を目指す女性のものもありましたが、あのように、実現可能性があまりにも小さいものをテーマとするよりも、今回のように身近なものの方が現実味があり、朝ドラとしては、いいかと感じました。だだ、藤澤恵麻さんが主役としては、スケールがやや小さい感じで、貴女をはじめとした、そうそうたるメンバー(片平なぎささん、加賀まりこさん他)に、埋もれそうな感じがします。これから、スケールアップできるかもしれませんが。そうでないと、朝ドラ自体の魅力が小さくなりますし。 貴女の場合は、スチャラカ社員の時から、スケールの大きさがあったように記憶しております。そのせいか、親分的役が多かったと思いますが。(ほとんど、主役でしたから、そうなるのかもしれませんが。)なお、前回紹介しました貞奴の眠る貞照寺、境内の玉垣には建立費を寄付した中村吉衛門や尾上梅幸、松本幸四郎といった当時の名優の名前が刻まれているそうです。一度、菊五郎様と旅行で行かれてはどうでしょうか。 ではお元気で。 敬具 平成16年5月5日 【0157】 冨司 純子 様 拝啓 お元気ですか。5月もすでに中旬に入りました。 今日は、中野武蔵のホールの閉館のお知らせです。新宿昭和館につづき、中野武蔵野ホールも5月7日をもって、閉館となりました。これも、時代の移り変わりでしょうか。 でも、貴女のコレクションは豊富ですから打撃は少ないですね。 敬具 平成16年5月11日 【0158】 富司 純子 様 お元気ですか。 さて、インターネット(最近、少女の事件がありましたが。私は、見るだけのことしかやっておりません。)を見ておりましたら、藤純子と入力するとヒットする件数が大幅に増加しているのに驚きました。3259件になっていて、少し前の5割増しかなという印象ですが、全部にアクセスする訳にはいきませんので、実態というか原因は掴めておりません。中に映画論評の新しいものがあり、気に入ったものがありましたので、紹介します。 緋牡丹博徒 最終作 「仁義通します」についての論評:藤純子の演技は、この4年に及ぶ『緋牡丹博徒』シリーズの主演を張ることでとてつもない貫禄を身につけ、本作ではその余裕さえ感じさせる程であった。蛇足だが、本人が唄う主題歌さえ心なしか音程が整い上手になった気もする。(レコーディングし直したのだろうか?)/・ ・・私個人的には、初期の歌の方が好きです。ここち良さを感じるヘタな歌であると思う。さて、本シリーズの最大の見所といえば、ラストの殴りこみの道行シーンに尽きるのだが、本作では遂にお竜の兄貴分の「シルクハットの大親分」こと若山富三郎が同行する。さらに定石として、友人以上恋人未満の通りすがりの旅人の男(今回は菅原文太)も同行するという3トップであった。 まさに「兄」と「恋人」に両脇を守られての道行である。 そして今回、異例とでも言うような殺陣で藤純子は後ろから袈裟懸けに斬られる。颯爽としてきたヒロインが鮮血に悶え、スーパーヒロインのまさかの「死」をも予感せざるを得ない展開に私は息を呑んだ。息も絶え絶えに戦うお竜に私は「リアル」を感じ、「女」を感じた。 /昨夜、ビデオを見直したが同感である。良く表現された論評である。そして極めつけは御大片岡知恵蔵の登場であった。圧倒的な手勢を引き連れての援軍にも関わらず、直接にはお竜の敵討ちには手を出さない。それはまるで「父」が「娘」を見やるような厳しさと優しさが混在したかのような存在感であった。「女は弱き」と言ってしまっては女性蔑視とお叱りを受けるだろうが、このシリーズ最終作においてお竜は、「兄」「恋人」「父」という男達の支えを受けて去っていった。「強き女」の象徴的な存在であった「緋牡丹のお竜」だったが、息も絶え絶えにふらつきながらスクリーンを去っていった。素晴らしいラストシーンだったと思う。片岡知恵蔵の手勢が道の両側を固めて整列する中を、鮮血に染まった藤純子がふらつきながらも歩いていく。本作こそが稀代のヒロイン藤純子の最後の作品であり、「任侠映画」の終わりを表していた作品だった。2004年にして、1972年1月の菊之助様との婚約発表後、上映された映画の論評が出てくることが面白い。これが、テレビドラマとの決定的な差であろう。時間も100分前後であるのが、何度も回顧できる良さであろう。 敬具 平成16年6月3日 【0159】 冨司 純子 様 拝啓 お元気ですか。 あっという間に、9月も末になり、ようやく涼しくなり、秋らしくなってまいりましたが、いかがお過ごしでしょうか。菊五郎様の夏休みも終わり、10月からは京都だったと記憶しておりますが、京都へ行けば、またそれなりにお楽しみもあるとは言え、ご苦労様なことと思います。 私は、自分の布団以外で寝るのは、どうも落ち着かなくて、いやですね。妻のように、長い病院生活が続くことなど、考えるだけでもぞっとします。妻も、10月中旬には、一旦退院、11月下旬に再入院し、右股関節の置換手術を12月上旬に行って、来年1月下旬には、退院というスケジュールになっており、11月21日の国立劇場には、行ける予想をしております。ただ、懇親会までは、無理かなと思い、妻を残して、私だけ懇親会に出席するわけにもいかず、今年はあきらめるしかないかなと考えております。まあ、10月の退院後の様子で。 天花は、先日最終回を放映しておりましたが、いつの間にか貴女がいなくなり、病室の女性達は、きっと忙しくなったからでしょ、などと話しておりました。菊様が、夏休みに入られるので忙しくなったのかなと考えたりして(笑)。 さて、東映ビデオ(株)も、緋牡丹のDVDを11月までに、リリース完了するようで、うれしいやら、なんとなく寂しいやら。後2本、女渡世人シリーズのリリースを期待しているのですが、このリリースは実現しないと予想しております。東映にフィルムがきちんと保管されていない可能性もありますし。 しのぶ様は、大活躍のご様子でなによりです。ただ、キスシーンでさえ、邪魔物であった、純子ファンの我々の世代には、どうも最近の演劇、いや最近の音楽も、よく理解できないものになってしまったようです。 では、お元気で。 敬具 敬具 平成16年9月27日 【0160】 冨司 純子 様 拝啓 お元気ですか。 10月の歌舞伎座も千秋楽となり、いよいよ秋も終盤に入りました。前回の手紙では、菊様は京都かと勘違いしておりましたが、12月が京都のようで、馴れた地とは言え、ご苦労様です。11月の国立劇場は1回公演が多いので、菊様以下、貴女も含め、少し気楽な1ケ月を過ごせるのでしょうか。 さてさて、11月21日は、懇親会があったかと思いますが、妻の手術は17日で確定しており、術後の痛みも21日には、小さくなるであろうと考え、出席しようかと思っておりますが、まだ案内はこないようです。おそらく、28日から30日あたりに発送作業をされるのでしょう。 音羽会の懇親会に始めて出席させて戴いたのが、平成12年12月21日、黒い洋服が素敵でしたネ。一番鮮明記憶しているのは、この時ですが(何といっても、大女優にダンスをして戴いたものですから)、すでに4年が経過経ちました。 10月21日は、「昭和残侠客伝 死んで貰います」のDVDが発売になりました。高倉さんとの、最高作の部類ですから、買いました。貴女のDVDも、11月の緋牡丹シリーズ6,7,8作と、それに、源の義経がDVDで出るようです。 今年の芸能会の特色は、「冬のソナタ」を始め、韓国の若い俳優さん達が、日本の女性の心をつかんだことでしょうか。私自身は、ドラマをほんの1時間程度見ただけですが、ヨン様とか、たしかに、石原裕次郎、小林旭、赤木圭一郎、高倉健、鶴田浩二、三船敏郎、池部良らの男くさい雰囲気とも違い、今風の癒し系の魅力があるような感じですネ。それに、音楽も洗練されているようです。日本のテレビドラマの若手俳優は良く知りませんが、テレビ番組自体、「旅・食」、「歌」、「サスペンス」、「バラエティ」とかで構成され、テレビ界では、若手の俳優が育つ余地があまりないのでしょうか。(日本では、バラエティから育っていくようですし。) ではお元気で。 敬具 平成16年10月26日 【0161】 富司 純子 様 拝啓 先日、ファンレターを出したばかりで、封を切るのもめんどうかとは思いますが、ヨン様に似た雰囲気の人、日本にもかなり以前にいたと気づき、忘れないうちに書き留めておこうかと思いまして。ヒデとロザンナのヒデ(出門英)さんが、ヨン様のような雰囲気を持っていたかなと思いました。(女性の目から見るとどうだか、これは私には、わかりませんが。)ヒデさん、昭和17年12月の生まれということですから、菊様とほぼ同じ時の誕生なのですネ。ヒデさんは、47歳で亡くなられてしまいましたが、歌ではともかくとして、芸ができれば、それなりに仕事ができたのかと思います。まあ、何よりも、ロザンナさんの精神的打撃が大きかったでしょう。・・・・・・寒い中、ミニスカートにタンバリン、ヒデはギターを持ってレコード店の店頭で歌とサイン即売会。とっても懐かしい思い出です。・・・・・まだ日本語は挨拶くらいしか話すことのできない私でしたが、ヒデがそばにいてくれるだけで幸せを感じていました。・・・あっという間にヒットの兆しが九州から起こり、翌44年には全国を駈け回るほど忙しい日々が続き『愛の奇跡』はすべてが奇跡のような大ヒットとなったのです。・・・・その2年後に発売になった『愛は傷つきやすく』がミリオンヒットとなり“ヒデとロザンナ”は多くの人々に認知され、可愛がっていただきました。その間、ヒデとの愛はまだまだ私の一方通行の感があり片思いのようでしたが、見た目より芯の強い私は(いつかみてなさいよ)といつも心に言い聞かせていました。・・・・・昭和49年長男を妊娠し、ダメもとで彼に結婚を詰め寄ったとき「結婚しよう」と言われ私の長い間の思いのすべてが成就したのです。・・・・・『愛の奇跡』のおかげで結婚し3人の子供に恵まれ、今私はとても幸せです。・・・・・・ヒデは平成2年にガンで他界しましたが、このアルバムは私と子供たちに2人の愛のすべてを語りかけてくれるようです。 こうして並べると、時は移れども、美しい男女の姿は基本的には同じ。菊様らは、純日本風といったところでしょうか。 敬具 平成16年10月28日 【0162】 富司 純子 様 拝啓 お元気ですか。 近所に野牡丹と呼ばれる紫の花が咲いていました。 冨司様といえば、緋牡丹とくるところですが、何故か紫色をイメージします。 それも、あまり妖しくない清廉な紫というか藤色というか。 藤純子という、名前から連想すること言えますが、冨司様自身のイメージが、紫あるいは、藤色にあるような気がします。 デジカメでプリントしましたら、意外に良く撮れておりましたので、送付致します。 下の画像は、インターネット上に掲載されていたもののうち、比較的気に入ったものです。 11月21日、拝見できるのを楽しみにしております。 敬具 平成16年11月15日 【0163】 富司 純子 様 拝啓 今日(21日)は、楽しく過ごさせて戴き有難うございました。 冥土の土産が2つになりました。平成12年12月21日につづき、2回目のダンスをして戴く機会があろうとは、予想しておりませんでした。 菊五郎様、舞台でも拝見し感じましたが、糖尿病はすっかり良くなられたということをご本人からも伺い、悦ばしく思いました。噂音菊柳澤騒動は、着替え、出演時間等々、大変な演技をされて、運動選手とかわらない体力にびっくりしました。 菊之助様、私としては、立役を久しぶりに拝見し、感動いたしました。おしず、の女形を見ますと、女形については、現在の歌舞伎界の中で突出していると感じております。このあたりは、富司様からのDNAが入っているのかと推察いたします。 フランス公演の話が出て、かなりの方が行かれているのにやや驚きましたが、それだけ音羽会の会員のレベルが高いということでしょう。と同時に、「詩城の旅びと」を思い出しました。あれから、ずいぶん月日が流れました。近々ビデオをもう一度見ようと思います。共演された中川安奈さん、もうすっかり立派なご婦人なのでしょう。(彼女の情報は何ももっていませんが。)原作が松本清張ということもあるでしょうが、配役も良く、NHKの短編ドラマの中でも、相当に印象深いものでした。 敬具 平成16年11月21日 【0164】 富司 純子 様 前略 お誕生日おめでとうございます。 少し早めですが、27日午前に届くと思います。 自分で書いた字があまりにも見苦しく、花屋さんで書き直してくれていると思います。 黄色のランが、何故か好きでしたので、贈らせて戴きました。 早々 平成16年11月25日 【0165】 富司 純子 様 拝啓 11月24日には、高倉健さんの健在ぶりを示す以下のようなニュースが流れました。 ・・・「HERO」「LOVERS」と武侠アクション大作を立て続けにヒットさせたチャン・イーモウ監督の最新作に、高倉健が主演することが明らかになった。映画のタイトルは「千里走単騎」で、今月19日から中国雲南省で既にクランクインしているという。約3カ月のロケのあと、来年2月には日本でも撮影が行われる予定。 映画は、息子夫婦との仲に悩む高倉演じる日本人男性が中国に渡り、そこで出会った人々との交流を通して家族を見つめなおすというヒューマンドラマ。「あの子を探して」「初恋のきた道」など、人間味溢れるドラマを得意とするイーモウ監督の手腕が発揮されそうだ。高倉の映画出演は01年の「ホタル」以来3年ぶり。ほかにも、日本からは中井貴一と寺島しのぶが出演するという。来年、カンヌやベネチアといった映画祭に出品したのち、秋頃に中国で公開される。・・・ 一方、27日には、島田正吾さんが亡くなられたニュースが流れました。 ・・・96歳まで現役を続けた舞台俳優で、映画やテレビでも活躍した元新国劇の島田正吾(しまだ・しょうご、本名服部喜久太郎=はっとり・きくたろう)さんが、26日午前4時45分、脳梗塞(こうそく)のため、死去した。98歳だった。・・・ 一年程前から、ご病気だったということのようですが、96歳まで、現役であったとは、驚きの一言です。辰巳柳太郎さんが、親友だったそうですが、たしか、辰巳さんと言えば、「人生劇場 飛車角と吉良常」に貴女も一緒に出演されていたりと芸能界の人は、いろいろと繋がりがあるというか、繋がりが作品として残っていく世界にいますね。 私にとっては、「昭和残侠客伝・一匹狼」66年 と、 「女渡世人 おたの申します」71年 が印象に強くありますが、長年舞台とかされていると、この2作とも、ご本人にとっては、かなり以前に本人の記憶から消え去った仕事であったとも推察されます。 貴女も東映時代は、9年程の間に90本も出演されたので、きっかけがないと思い出さない作品もあるのではないかと想像しますが、特に「女渡世人 おたの申します」については、引退が近づいていた時の作品でもあり、記憶に残っているのではないかと思います。 ビデオ等発売されておりませんので、私自身も、記憶の中にしかありませんが。山下耕作監督が、壮絶な美しさの貴女を撮りきっていると思います。(このようなこと、もう何度も書きましたが・・・・・。) ではお元気で。 敬具 平成16年11月27日・・・以下は、ネット上の評の一つ、画像データは探してもない。 女渡世人 おたの申します/数分でとてつもない傑作だと思った。ストーリーは、やくざ映画のフォーマット通りだが、全ての要素がいっさい過不足なくおさっまっている。それにすばらしいセリフの数々。藤純子がとにかく美しくて、最後の殴りこみのシーンも迫力がある。彼女の主演作は久しぶりにみたが、初めて「緋牡丹博徒」を見たときのの興奮がよみがえってきた。 【0166】 富司 純子 様 拝啓 お元気ですか。 12月もいよいよ、後半に入りましたが、いかがお過ごしでしょうか。 少し気が早いのですが、メリークリスマス。 ところで、クリスマスの起源ですが、 「十二月二五日はイエス・キリストの誕生日、と多くの人に思われていますが、実際に新約聖書を読んでみますと、イエスが生まれた日の日付は記されていません。逆に、イエスが生まれたことを告げられた羊飼いたちが屋外で夜通し羊の番をしていた、という記述から考えると、十二月に生まれたということはおそらくないと言えます。三世紀中ごろには、イエスの誕生日を三月二八日とする説が教会の中で唱えられていたりもしました。十二月二五日に誕生日を祝うようになったのは、イエスが生まれてから三百年以上もたったあとのことです。 ではなぜ十二月二五日になったのでしょうか。 ローマ帝国において流行した宗教であるミトラ教には、十二月二五日を冬至の祭り、あるいは太陽の祭りとして祝う習慣がありました。それ以前にもローマ人の間には皇帝を「不敗の太陽神」として崇拝する習慣があったといわれます。十二月二五日がキリスト生誕の日とされたのは、直接はここから来ていると思われます。たとえば日本の教会でも、七五三の時期に「幼児祝福式」を行ったり、八月中旬に「逝去者記念礼拝」を墓前で行ったりする習慣が見られます。もともとは異教の行事なのですが、教会の側がそれに対抗していくために、キリスト教的に解釈し直した似たような行事をぶつけたのです。クリスマスの場合、その本家であるはずのミトラ教や皇帝崇拝はとっくに忘れ去られ、十二月二五日はもっぱらキリスト生誕の祭りとして祝われるようになりました。」とのことらしいです。 ではお元気で。 敬具 平成16年12月18日 追記:近松心中物語の製作記念の写真/この貴女の表情、気にいっているのですが、 若い頃(大学生の頃か?)の私になんとなく似ています。今は太って、感じは違いますが。 菊様から、素敵なプレゼトあるといいですね。 【0167】 富司 純子 様 拝啓 「女優であること」を見つけ、読んでみました。 大半の内容は、私のようなものには、知っていたか、想像していた通りでした。 1.一番印象に残りましたのは、お姉様、充子さんのことでした。平凡パンチの記者(おそらく、記事を書く人だと思います)と、貴女より先に結婚されていたとの内容でした。 平凡パンチは、貴女がデビューしたころ登場し、富司純子として再デビューしたころ、消えていったのではないかと思います。私など、平凡パンチのやや露出度の高いグラビアに胸ときめいたこともありました。まだ、古本は市場で取引されています。例えば、貴女が掲載されているものとしては、以下のようなもの。 70年12/28号1,800円、藤純子(着物姿/12ヘ゜ーシ゛) 71年11/08号 2,800円、藤純子(イメーシ゛ショット/沖縄民芸着/14ヘ゜ーシ゛) 72年03/13号 1,200円、藤純子(撮影現場/7ヘ゜ーシ゛) 充子様のご主人の場合、もう退職されているか、そろそろ退職といった頃と推察しますが、出版界の激変の中、いろいろとご苦労の多い仕事であった、またそれゆえ、やりがいもあった仕事をされたのではないかと思います。平凡パンチ自体、より過激な雑誌の登場により、沈みましたし、今の若者は、あまり文字を読まなくなりました。 2.次は、しのぶ様と純子様の女優としてのあり様についての、それぞれの立場に対する、お考えでの差ですね。(何度が、お二人考えは、聞いてはおりますが。) それぞれ自分にない部分が良くみえるのでしょう。私にはよくわかりませんが、女性が主役となった映画は少ないと思います。日本の映画では、1.東映任侠映画と、2.極道の妻たち(ヤクザ映画)をまず思いうかべます。1.は、藤純子の存在によってのみ出現した。2.は、岩下志摩、十朱幸代、三田佳子、高島礼子もできる、多分、夏目雅子だってできたろうし、しのぶ様もひょっとしたら、やることになってしまうかもしれない。貴女だって、多少藤純子のイメージが障害になるかもしれないが、おそらくできたであろう。 1.東映任侠映画の様式美を具現化できたのは、貴女だけであった。 ただ、主役は、脇役ができないという制限が発生し、そういう制限をきわめて強く受ける観点からは、しのぶ様のほうが、自由度が高いとい点で、貴女よりやりやすい環境で女優としての仕事ができるのは確かでしょう。 敬具 平成16年12月19日 【0168】 富司 純子 様 拝啓 いよいよ、今年も終わりに近づきました。 歌舞伎の家は、正月からスタートですから、年末年始、毎年、あわただしいのでしょう。 来年の大河は、源義経、約40年の歳月を経て、登場しますね。1964年でしたでしょうか。編集版のビデオは持っております。ふっくらとしたお顔が初々しく、なつかしくもあります。大ブークされたのが、1966年の日本大侠客。若さがスクリーンに飛び出していました。そして、1971年の女渡世人「おたの申します」、表現しようのない美しさ、を残し、1989年、「詩城の旅びと」と「あ・うん」で再登場。 印象に残っているのは、三越の「初雪の朝」、楽屋入口で待っていましたら、ノーメイクだったと思いますが、可愛いお顔にお会い出来て、感動。2005年1月には、「あ・うん」のDVDが出るようです。 私事ですが、菊之助様と同じ歳の長男は来年秋から、司法研修後、四谷にある事務所で働くようなことを言っておりました。私が岐阜に戻れなくなり、男の孫も、戻らないので、母は落胆しているようです。しのぶ様とどうかなと、かってに思ったりしましたが、しのぶ様は、大女優として、はるかかなたへ、大ブレーク。 富司様のような生き方がベターと思うのでが、そのように考えること自体、古臭いのでしょう。ただ、このままでは、80年後には、日本の人口は、どんどん減少していくようです。そうなると、歌舞伎座も江戸時代のような、芝居小屋になってしまうのでしょうか。まあ、私共には、関係ない時のことではありますが。 ではお元気で。 敬具 平成16年12月29日 【0169】 以上、長々と女優富司純子(藤純子)さんへのファンレターを掲載させて戴いたが、かように、彼女と、その映画に魅力があり、1970年当りに大きの映画文化を花咲かせ、その映画は、一部の若者の人格形成にかなりの影響を与えていたものであったことを述べたのである。任侠映画であるから、もちろん殺陣場面も見どころであり、斬り合うことは、当然ながら現代の法律の禁ずるところではあるが、「強気を挫き、弱きを助ける」という日本人の一哲学が根底にあり、殺伐とした現代の世の中にあって、かような、忠臣蔵的な映画により、日本の若者たちが、悪の道に入ることから、回避できることを、いくらかでも期待したいものである。 【0170】 なお、女優藤純子さん、ご自身は、この類の映画の出演を心から好んで演じていたのではなかったようなことを、時折、テレビ番組等でお話されている。娘時代、東映の看板スタートとして、菊之助さんとの結婚までの9年間に約90本の映画に出演された。相当なハードなスケジュールであったにもかかわらず、演技のレベルはきわめて高い。また、大局的に見れば、同じような内容の映画であったにもかかわらず、熱心なファンにとっては、台詞の一つ一つを暗記させるほどの魅力をもった女優であった。そして、彼女の資質により、一連の映画の暴力的な要素は、昇華され、勧善懲悪と、日本の様式美を浮き彫りにするという、きわめて稀有な映画として、存在したのであった。 おわり
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目次 【時事】ニュース雪広あやか 【参考】ブックマーク 関連項目 タグ 最終更新日時 【時事】 ニュース 雪広あやか 【岡咲美保・皆川純子さんらも!】11月22日がお誕生日の声優さんは? - マイナビニュース 【イベントレポート】舞台「ネギま!」開幕、生駒里奈「キラキラ輝いた笑顔をお見せできると思う」 - ナタリー アニメ「UQ HOLDER!」OPはUQキャストが歌う「ハッピー マテリアル」 - コミックナタリー 【参考】 ブックマーク サイト名 関連度 備考 ピクシブ百科事典 ★★ 関連項目 項目名 関連度 備考 参考/魔法先生ネギま! ★★★★ 登場作品 参考/皆川純子 ★★★ キャスト タグ キャラクター 最終更新日時 2014-01-14 冒頭へ