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鹿の死んだ夜 鹿の死んだ夜 (文春文庫) 題名:鹿の死んだ夜 原題:BLOOD INNOCENTS (1980) 作者:THOMAS H. COOK 訳者:染田屋茂 発行:文春文庫 1994.6.10 初版 価格:\500(本体5485) この作家、クレモンズと言い、年配の主人公、年配の脇役を書くことが多いので、かなり年齢が行っているのかと思いきや、まだ 47 歳なのである。本編の主人公にしたって 50 を過ぎ、息子夫婦の中流的な新しい生き方を何故か受け入れることができず、質素でつつましやかな一人暮らしを送っていたりする。我が子への願望、死別した妻への哀悼と現在の孤独……事件もさながら、まずはこうして主人公の深い人間の心の方へ沈潜してゆくやり方は、処女作からしてやはりクックのものだった。 暗い、とか辛気臭いとか、くそ真面目すぎる……とかいう印象はクックの作品には必ず共通して感じるムードなんだけど、この作品も同じ。しかし、そういう暗さだけなら一時期の日本映画みたいなものに終わってしまう。この作家の主人公は、周囲の流れに逆らうっていう、最高の魅力を持っていたりするのだ。暗い世界だからこそ、少しでも自分は何かしら切り開いて行こうとする姿勢を崩さない。この静かな頑固さがクックの魅力であり、いつも事件はそのための材料である。 純文学も娯楽作品も関係ない、面白く感動的な作品であることこそが重要だ……というようなことを稲見一良が言っていてまさにこれを実践してきたのだが、クックの作品にはそうした純文学を食うようなところがある。とりわけ長いことアメリカ文学の題材であった自由や孤独や退廃というものをこの作家は、ミステリーという形を取って存分に切り分けてくれているような気がする。 だから一人一人の登場人物の背負うものが常に生半可じゃないし、多くの半生が影のようにニューヨークの街にくすぶっている、そういった風景描写であり季節描写であり、ぼくはいつもこの人のこの街をとらえる生き生きした感覚に、のめりこんでしまう。 最初に言いかけた話だけど、この作品、実にクックが 34 歳のときの作品なのである。非常に若いうちから熟成した作家であると思いませんか? (1994.07.22)
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死んだふり 題名:死んだふり 原題:Just Play Dead (1998) 作者:Dan Gordon 訳者:池田真紀子 発行:新潮文庫 2000.5.1 初版 価格:\514 最近はこういう作品が流行るだろうなといかにも想像されるところの少しカルト系のノワール。 男女三角関係の中で勃発する保険金殺人計画。三人それぞれがその計画を知っており、騙し騙されの物語……。三角関係と言えば映画『白いドレスの女』『デストラップ~死の罠~』、あるいはハイスミスの『太陽がいっぱい』等々、前例に事欠かない。 だれが死ぬのか、だれが生き残るのか、そういう状況をいかに楽しめるかという小説……(なのか?)、あるいはラストに用意されたどんでん返しのようなものをいかに味わえるか(なのかな?)の物語なのだと思う。 ということだが、結果的にぼくはパス……かな。最大の原因は、文章が読みにくいということ。それから心理ゲームそれ自体に、前述のようにいろいろな作品例を挙げるまでもなく新しさを感じないということ。どんでん返しも特にどうとでもできるだろう(つまり読んでいる身としてどう転んでも別に構わないという気分にさせられてしまった)というつまらなさを感じてしまったこと。ラストよりは駆け引きの過程に力を入れているのもわかる。ラストもひねってみているのもわかる。でも読みにくいんである。ただひたすらに。文章が。 この手の時間軸を若干狂わしたような小説作法って、最近では『ボビーZの気怠く優雅な人生』以来かなと思うけれど、あちらは活劇でプロットもそれなりに細かいので、文体はそもそも嫌いながらも結果的に読んで楽しかった。でもこの作品は物足りなさばかりが印象に残ってしまった。こちらの体調もあるのかな? ちょうど頭痛の最中で読んでいたという……。 映画のシナリオライターによる小説作品ということで、力が入り過ぎているということもあったかもしれない。正直言って、この作品はシナリオ形式の方がぼくは読みたい気がしている。でも、解説によれば既に映画化は決定し、アル・パシーノ、アントニオ・バンデラス、メラニー・グリフィスとキャスティングされているみたいだから、ぼくはこちらの方で、この癖のある物語をもっとちゃんと楽しめるのような気がするのだ。 奇しくも小太郎さということを書いていますね。小説は大なり小なり、読み手を選ぶというところがあるとは思うが、この作品の場合、それが極端かもしれない。 (2000.06.28)
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僕はもうここには居ない 存在はあれども心は死んだ 毎日自分の感情から目を背け 作り笑いを浮かべ 人を避け 自分の殻に閉じこもった 僕なんてものはいなくて 残っているのは僕の形をした何か 僕は僕がわからない 何がつらいのか苦しいのか 腕を切りつけ 薬を流し込み そうして僕は心を殺す 逃げて逃げて逃げ続ける 最後に心から笑ったのはいつだろう 最後に泣いたのはいつだろう 僕はどこに行ったのだろう きっともう帰ってくることはない 体が蝕まれていく 自分はいったい何なのか なぜこの世に産み落とされたのか 全ての間違いはここに生まれてきたことだ 傷が増し 薬が増える 僕はもう引き返せない 息を吐くように 死にたい とつぶやく 誰にも届かず空に消える
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トップ|基礎知識|悪魔合体|悪魔|魔法・特技|アイテム|マップ|攻略|その他 施設について 回復道場・メシア教会・ガイア神殿 お金を支払うと、HPとMPを最大値まで回復してくれたり、呪いを解いたり、死んだ者を生き返らせてくれます。 邪教の館 仲魔にした悪魔同志を合体させることができます。 BAR 体力回復や魔力回復のドリンクを飲ませてくれるほか、マスターやお客さんから情報を聞くことができます。 武器屋/防具屋 武器屋は銃器専門店と剣専門店に分かれており、防具屋は防具全般を売っています。 ジャンク屋 各種アイテムを扱っているなんでも屋さん。 ラグの店 アメジストやアクアマリンなどの宝石を、珍品と交換してくれます。 通信ターミナル セーブをする場所です。 また、一度来たことのあるターミナルの間は、転送(移動)することもできます。 【出典】 株式会社アトラス.スーパーファミコン 真・女神転生 取扱説明書.株式会社アトラス、1992、p.26-27 上へ
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目次 概要 楽曲情報、クレジット 動画 収録CD/配信、(or 別バージョン) 配信情報iTunes Apple Music Spotify Amazon Music mora mora ハイレゾ 概要 「死んだ!」はオーイシマサヨシさんの楽曲。レーベルはポニーキャニオン。 TVアニメ『勇者が死んだ!』のOP主題歌として使用されている。 TV放送に合わせ、2023年4月7日にデジタルで配信された。 CDとしては、5月31日発売のシングル『死んだ!』でInstrumental含め収録されている。 ノンテロップOPは同年4月7日(YouTube)、MVは4月12日(YouTube)に公開された。 MVに関する、本人のコメント付きの記事はこちら(KAI-YOU, 4月15日)。 2023年5月11日には、オーイシマサヨシさんと『勇者が死んだ!』のEDを担当されている久保ユリカさんとの対談記事が公開された(こちら)。記事内では"死んだ!"について、「最初は"死んダンス"というタイトルにしようという話になっていた」「制作サイドからマイケル・ジャクソンの"Thriller"のような曲で、というリファレンスがあった」と語られている。 RINZOさんとの共編曲については、「基本的な骨格は大石がやり、RINZOさんは現代クラブミュージックみたいな肉付けをしてもらった感じ+キックやスネアを分厚くしてくれたり、アレンジにレイヤードしてもらうという編曲コライトだった」と書かれている。 「編曲:大石昌良、RINZO」のタッグは、他にも 名探偵キミに告ぐ 作詞・作曲:大石昌良 編曲:大石昌良、RINZOただいま(音源化なし) 作詞・作曲:大石昌良 編曲:RINZO、大石昌良 が存在する。また、RINZOさんはOxT楽曲では「Daily‐go‐round」「もっと君を知れば」の編曲も担当されている。 楽曲情報、クレジット 死んだ! 歌:オーイシマサヨシ 作詞:大石昌良作曲:大石昌良編曲:大石昌良、RINZO Guitar, Chorus Programming: 大石昌良 Programming: RINZO Mixed by 白井康裕 Mix Recording Studio: Sound City Mastered by Ted Jensen(STERLING SOUND) Sound Product Management: 伊藤中也(F.M.F) 木村優詞(F.M.F) Artist Management: 石井由紀子(CAT entertainment) A R Producer: 伊藤裕史(PONY CANYON) A R Director: 三輪靖史(PONY CANYON) 参照 ・シングル『死んだ!』 ・アルバム『ユニバース』 動画 収録CD/配信、(or 別バージョン) 発売日 タイトル 曲名 歌 形態 相違 2023年4月7日 死んだ! 死んだ! オーイシマサヨシ 配信 2023年5月31日 死んだ! 死んだ! オーイシマサヨシ CD 死んだ! (LIVE) 2023年3月25日に開催されたワンマンライブでの音源を収録 死んだ! (TV edit.) 死んだ! (instrumental) 2024年2月7日 ユニバース 死んだ! オーイシマサヨシ CD 配信情報 iTunes Apple Music Spotify Amazon Music mora mora ハイレゾ
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死んだレモン 題名:死んだレモン 原題:Dead Lemons (2017) 作者:フィン・ベル Finn Bell 訳者:安達眞弓 発行:創元推理文庫 2020.07.31 初版 価格:¥1,200 七月の目玉となった作品。個性がいくつもある。一つにはニュージーランド発ミステリー。作者は、法心理学者としての本業の傍ら、小説は電子書籍でしか契約しないという欲のない姿勢を貫いているが、この通り、内容が素晴らしいため、作者の意に反して紙のメディアでも世界中に翻訳され、売れっ子となりつつある。 ページを開いた途端、絶体絶命の窮地にある主人公の現在が描写される。いきなりの海岸の崖に車いすごと足が岩に引っかかって宙ぶらりん。ぼくはこの作品の前に、クレア・マッキントッシュの『その手を離すのは、私』という本を読んでいて、その最終シーンが海辺の崖の上での意味深なシーンだった。まるでその続きみたいに始まるのだが、場所は『その手を離すのは、私』のウェールズの崖ではなく、遠く離れた南半球、ニュージーランドは南東のしかも南の外れにあるリヴァトン。面白過ぎて、グーグルマップで場所を探す作業からぼくの読書は始まる。凄い! 南の果てで南極に一番近い海岸線。凄い! それも崖の上で宙ぶらり状態。しかも車いす利用者なのか。凄い。描写は六か月前の過去に、私ことフィン・ベル(そう著者と主人公が同名である)が銃と、人の頭を吹き飛ばせるホローポイント弾を買い込むシーンから始まる。その後、気になり過ぎる現在と、過去とを行き来しつつ物語は進んでゆく。 主人公は南アフリカ出身でニュージーランドに流れ着いた「人生の落後者」(=原題のDead Lemons)であり、妻に去られ、酔いどれてトラックに突っ込んで両足とその感覚を失ってしまった車いす生活者。『楽園の世捨て人』というカナリア諸島に行き着いた中年男が正義を通して自分を撮り戻す作品があったが、そちらが悲壮で真面目な小説だったのに比べると、こちらの作品は同じような絶望的設定なのに、何故か明るいのだ。脇役たちの明るさ、軽さ、人の好さ、等々が主人公を助けると同時に、読者をも笑いや優しさに満ちた時間へと掬い上げてくれる。主人公の独り語りも、悲壮感というより破れかぶれな決意感のようなものがすっと通っていてなかなか宜しい。 作家の持ち分であるサイコセラピーの部分は、優しく厳しく熱いおばはんセラピストによって、すごく専門的な知識を駆使して語られてゆく。この辺の知識豊富な部分と、ニュージーランドに流れ着いた者たちの歴史を紐解く部分も凄まじい。 捕鯨やら砂金やらに群がった無法者たちの300年前の姿がロマンチックであると同時にワイルドで、その舞台となったこのリヴァトンの辺りが、何ともきな臭い隣人三兄弟の薄ら寒いような悪の怖さを醸し出し、主人公の緊張感を行間から滲ませ続ける。過去に起こった少女とその父の連続行方不明事件を調査するにつれ、緊張は高まる。 主人公が車を飛ばして相談に駆け付ける元刑事ボブ・レスの犯罪心理分析の語りのシーンもおそらく作者ならではの専門知識が活躍する。怖い隣人のこと。行方不明事件のこと。主人公自身が脅しや恐怖に曝される緊張状態の中で、世界の果ての海岸線に接した小さな町が、事件の再びの捜査に湧き立つ。 そして最後に現在に戻る。二転三転。驚きの結末。全体を包む現在時間の緊張感と、じっくり語りゆっくり進み、時々恐怖、という過去時間がついに集約する大団円。見事な構成。見事な読ませ感。ミステリの要素をいろいろと重ね合わせてホチキスで止めたような結末。読み始めたら最終シーンまで収まりのつかないこの一冊に、是非とも翻弄されて頂きたい。 しかし、これがこの作者、小説デビューだって? うーむ、俄かに信じ難いのだ。次が楽しみである。 (2020.08.23)
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しんだかまきり【登録タグ VOCALOID し ヒーリングP 曲 鏡音レン】 作詞:ヒーリングP 作曲:ヒーリングP 編曲:ヒーリングP 唄:鏡音レン 歌詞 (PIAPROより転載) 夜明けの光に身を任せ 精神(こころ)が沈んで行く 沈んで行く 曖昧な儘で 揺らぐ音 隔たりが綺麗だ だから泣く 潰れて死んだ蟷螂よりも不要な此の俺 脳ミソに此の指突っ込んで 壊したい 油塗れの花 込み上げて来る迷情 此の世の何処も居場所が無い 消えてしまいたい 煙草の煙が怯えてる また誰か陰口を叩くだろう 全て断ち切れば楽だろうか いっそ此の手首迄 手首迄 細切れの楽園が目の前で燃えている 希望のフィルムの呆気無い幕切れか 鋼鉄で出来た海 蔦が絡み締め付ける 此の世に必要とされていない 消えてしまいたい 心と裏腹に青い空 まるで俺の愚かさを暴く様 迫り来る物が急かすから それじゃあ さようなら さようなら コメント 鬱だ、死のう -- 名無しさん (2009-05-17 14 23 12) ごめん蟷螂←読めんかったwww -- 名無しさん (2009-05-17 15 32 01) ↑×2 ちょwキッドw -- 名無しさん (2009-05-17 15 35 10) 僕、「ろうそく」かと思いました -- 蒼夜 (2009-05-17 16 26 55) ↑あれ。俺がいる。 -- パピー (2009-09-22 18 11 01) 蟷螂って『かげろう』かと思ったな -- 名無しさん (2010-01-07 18 42 03) かまきりだろw -- 名無しさん (2010-01-12 19 35 58) 蝙蝠かと思ったぜ -- 名無しさん (2010-06-28 17 55 52) カマキリかよ…カゲロウ仲間がいたゼ -- minya (2016-09-12 19 44 04) 名前 コメント
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絵は死んだのか? 現代アートはよく分からないといわれる。「ただ小難しいだけ」。僕もそう思う。 オシャレ気取りの奴が美術館で、筆をキャンバスに滑らせただけの絵の前で唸る。 描いてるほうも同じだ。絵を描く行為そのものに酔う。 資源の無駄遣い。無自覚なナルシシスト。 かといって印象派展。モネ?ルノワール?ゴッホ?もう十分。 僕だってモネもルノワールもゴッホも好きだ。でもモネが好きだと公言する奴は嫌いだ。 百年前からずっとモネ。少しは飽きないのだろうか。 美術館は美術館で、「どうせモネが一番無難だしスポンサーもつくから」みたいな理由があるんだろう。ポスターに大きく「モ、ネ、」。馬鹿の一つ覚えはいい加減にして欲しい。 こんな状態じゃもう絵は死んだと言われても仕方ないような気もする。僕だったら美術館に行くよりツタヤに行く。そのほうが楽しい。 でも困った。そうなると非常に困ったことになる。なぜなら僕は絵を描くのが好きだからだ。 もう死んだはずの絵を楽しんで描いている僕は無価値だろうか? 論理的に考えるとそうなる。じゃあそれを無視してこう考えよう。 美術館で絵を見るのは死んでる、自分が書いてる絵は死んでない。 でも、僕はなんとかして個人的な違和感を社会化したい。 だからこう考えることにしていた。 「今絵が死んでるように見えるのは美術館やらオシャレ雑誌やらがわけの分からない絵をもてはやしてるからだ。」 「じゃあ普通に良い絵を描けばいい。」 理屈なしに良い絵。良いから良い絵。滑らせるんじゃなくてねちっこく叩き付ける筆。それを目指してきた。 でも、今の画家を注意して見ると、そういう人は沢山いる。実は。最近ドイツの現代画がたくさん来日してるけど、普通にいい絵ばかり。リヒター、バゼリッツ、ポルケ。少し前にもう死んでしまったが、フランスにもバルチュスというすごい画家がいた。日本にも探せばきっといるはずだ。 でも、探さないといない。注意して見ていなければ存在すら分からない。探さなくてもその辺にいるのはモネ、ルノワール、セザンヌ、ミュシャ、あとは村上隆ぐらいだろうか。 それは考えてみれば無理もないことで。これだけ世の中に娯楽があふれていれば、わざわざまじめにシコシコ描いてる地味な画家の絵なんて見たいとは思わない。 写真、映画、音楽。僕は声を大にして主張したい。お前らずるいぜと! ある程度良ければ即大量生産、大量頒布。 それに引き換え、絵なんていくらいいものを描いてもせいぜい美術館に閉じ込められるか、もっと悪いとホコリを被ってどこかに積まれるか。 無いものねだりはこの辺にして。 でもだんだんわかってきたような気がする。 死んだのはたぶん、絵じゃなくてそれを取り巻く環境だ。 死んだのは美術館?その可能性は大いにある。 もう大方の美術館は、印象派展をやるか、アール・ヌーヴォー展をやるか、あとは奇抜な現代アート展をやるしかないくらい追い詰められている。別に美術館を責めてるわけじゃない。 画家という職業。これも共犯の可能性が大。若くて才能のある画家はどうやって世に出ればいいのか?美術館はもう「守り」だから助けてくれない。日展やら院展やらに媚売ったって耄碌した頃に三越に作品が飾られるのが関の山。あとは個人のキャラを生かしてメディアに出て、付加価値とやらをつけてごまかすか。 でも。でもやっぱり描いてしまうんだからしょうがない。描くのが楽しいんだからしょうがない。 描いてるときは憑きモノが降りてきて快感。描き終わって独りで眺めながら自己満足。人に見せて褒められてまたうれしい。身近な奴の絵がすごく良くて、悔しくなって、そのあとうれしくもなる。 きっと世にいる地味で売れない絵描きもそういう悦びを感じているんだろう。だから取り巻きの環境がいくら不利になっても絵を描く人間はいなくならない。 絵を描く人はずっと前からそこにいる。それは目を凝らさないと見えてこない。ある意味とても脆い。でもそれでいて頑固でしつこい。 絵は死んだのだろうか? 死んでない。 死んだのは美術館。絵を美術館で見る形態。絵を眺めて高尚ぶる形態。画家という職業。絵を買う金持ち。画家に絵を描かせる「文化的」な政府。メディアとしての絵画。公募展。「絵のある生活」。「現代アート」。「美術手帖」。 でも絵は死んでない。 (小)
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245 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/07/18(火) 23 13 20 「ふふふ、ふはははは!優勝は私のものと決まった!」 徐州にて叫ぶ怪しげな男の名前は虞翻。 二董が探す今大会唯一の医者だ。 「サンダーボルト。敵を全員殺すのか・・・って俺も危なくないか?」 彼が持つ五枚のカードのうち、1枚目はサンダーボルト。 敵を全員殺してくれるらしいが、絵からするに、確実に自分も死ぬ。 「死者蘇生?これって役に立たなくねぇか?」 二枚目は死者蘇生。死んだ者を生き返らせるらしい。 が、絶対に使わない。誰かを生き返らせるなど自殺行為だ。 「・・・あとの三枚も中々のカードだな。」 所々に書いてある、墓地やらモンスターという文字が気になるが、 効果が凄すぎるから気にはしなかった。 彼は、このカードを使えば、説明通りの効果を得られると思っているが、 言うまでもなく、5枚のカードは全て単なる遊戯王カードである。 @虞翻【遊戯王カード(5枚)】 ※酷い勘違いをしています。ちなみに歓喜の声を上げたので、 誰かが来るかもしれません
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海洋民族ネフタミ ルカン島を拠点としている国家で、王は提督と呼ばれている 世界でも有数な海上戦力を有しており各地の商船護衛や海賊退治等を請け負い現金や物資を得ている しかし支払いを怠ったり踏み倒したりすると彼等の活動する海域で生き残るのは非常に困難である 主な活動海域はアヴァリス海(ヴェアス) 構成人員は人4、水棲型の亜人(水妖族など)6の割合 ただし王(提督)は代々人種がその座についているが亜人側には不満はない模様 意外にも亜人差別などは存在しない (海の上は何者であろうと等しく死が訪れる場所であり、信頼無き者は水底に引きずり込まれるという教えがある) また、ディプターンと呼ばれる神を崇めている ディプターン神 ネフタミに古くから崇められている神 海原と海で死んだ者を支配する神であり、海難を起こすと伝えられている 逆に言えばご機嫌さえ取っていれば航海の安全と豊漁を約束する神の面もある為、崇めると言うよりは祀ると言った方が正解に近い 肉体を持っていた頃に酷い差別と裏切りにあい海に沈められ死んだと言う神話があり、差別と裏切りをする者には容赦しないとの事 この神の怒りに対する恐れがネフタミの基本理念となっている 関連 ルカン島 海洋民族ネフタミが拠点とする島 アヴァリス海 海洋民族ネフタミの主な活動海域 水妖族 海洋民族ネフタミを構成する水棲型の亜人のひとつ